長男の嫁
『ただいま帰りました~』
玄関から姑の通う老人ホームの女性スタッフの甲高い声が聞こえた。
同時に愛犬でプードル犬のぷーが吠えながら玄関へ走った。
やっと寝かしつけた生後3ヶ月の茉奈が泣き出す。
『ハァ』
私はため息をつきながら玄関へと向った。
新しいレスの受付は終了しました
『田中さん。また来てくださいね』
小柄でメガネをかけ、年齢不詳な女性スタッフは、また甲高い声で姑に満面の笑みを向けていた。
(何がまた来てくださいねだよ…毎日一緒に暮らしてみろ。そんな台詞死んでも言いたくなくなるわ)
と、頭の中で思いながらも、私はお世話さまでしたと作り笑いをした。
スタッフが居なくなると、私は姑と目も合わせずに茉奈の待つリビングへと向かった。
姑は今年で68歳になる。
3年前に舅はガンで他界した。
姑は舅の入院中ずっと付ききりで看病していた。
優しく、おおらかな姑とは正反対に傲慢で短気な舅だった。
あっ…おおらかなではなく、正しくはおおらかだったになる。
舅が他界して1年が経った頃から、姑の心と体が破壊されていった。
姑はその頃一人暮らしをしていた。
主人も主人の弟も舅の勧めでコンビニを経営していた。
主人は地元から離れた観光地で、弟は地元で営んでいた。
私達夫婦は弟夫婦が姑の家から車で5分程度の場所に住んでいることで、そう心配もせず、店の近くにアパートを借りた。
姑の家までは車で約1時間位の場所だった。
このときは結婚して店も出したばかりで、幸せだったと今は思う。
これから起こる不幸など考えるよしもなく…
弟夫婦は私達よりずっと先に結婚していて、小学校4年生になる子供も居た。
お嫁さんも弟より10コ年上で、私より15コも年上だった。
だからって安心したのが間違っていた。
年上女房は金の草鞋を履いてでも探せと言うが、これほど気の利かない女がこの世に居るのかと、驚かされた。
あれほど近くに住んで居て、弟夫婦はお金を工面して欲しい時にしか姑に会いには行かなかったのだ。
当時、無職になっていた姑は舅が亡くなった時の保険金も、コツコツ貯めた貯金も全て弟夫婦に渡して居たことを、後に姑の通帳を管理する事になった私が見つけることになる…
舅もお金も仕事も無くした姑は、日々弱って行った。
久しぶりに主人と姑に会いに行った時の衝撃は、今でも忘れられない。
髪はボサボサ
体は骨と皮
締め切りの部屋には 体臭が立ち込め
絨毯には髪の毛と、フケのようなものがビッシリと落ち…
歩けば靴下にたくさんフケが付き、見ただけでゾッとしたし、その時姑がフラフラした体で運んでくれたお茶は、グラスがひどく汚れていて、私は咄嗟にお茶もいつ購入したものか分からないと思い、手をつけられなかった。
しばらくして姑の家の隣に住む自治会長から家に電話があった。
姑が夜な夜な外を徘徊し、お葬式はいつですかなどと近所に聞き回っていますと。
次の日、様子を見に行った時には、部屋中に便がこびりついていた。
部屋は悪臭を放ち、私は込み上げて来るものを飲み込み、涙目になりながら掃除をした。
この時から姑は便が喉まで来ている。と何度もいうようになった。
そしてついには寝たきりになった。
寝たきりになったと分かっても、弟夫婦は全くと言っていい程、姑の面倒を見なかった。
私は毎日毎日食事をつくり、往復2時間かけて姑の所へ通った。
主人によろしく頼むと頼まれていたし、私が昔、介護職に携わって居たこともあってか、この成り行きは自然だった。
仕事は主人が短めにシフトを組んでくれて居たので、しばらくは仕事と姑の世話に明け暮れた。
築50年は経つだろう、姑の家は、古い貸家の様な造りで、歩くとギシギシと鳴った。
そんな狭い部屋でのオムツ交換は、真冬だろうが窓を全開にしないと、すぐに全室に匂いが立ち込めた。
早く介護認定頼まなくちゃ…と思いながら私は目まぐるしく過ぎる毎日を過ごしていた。
当時、私は26歳、主人は8コ年上の34歳だった。
店はまだ安定せず、スタッフは何か分からない事があると、時間を問わず電話をかけてきたし、急に休みますと言われたら、日勤だろうが夜勤だろうが、代わりに出勤した。
子供が居ないのが救いだった…。
私も主人も心身共にくたくただった。
回りの友達がお洒落や育児を楽しくしてるなか、私は化粧もせず、仕事と介護に明け暮れた。
まさか26にしてこんな日々を送るなんて思っても見なかった。
寝返りも出来なくなった姑に、しばらくすると、臀部に直径10センチ程の大きな床擦れが出来た。
こうなると治療が必要になる…
主人と私は考えた末、私の家に近い病院へ姑を入院させた。
主治医に『こんなに痩せて、この年でこんな床擦れが出来るなんて、これはカヘキシーだな』
と言われた。
つまり、末期のガンだと…
私は正直、安堵したのを覚えている。
あぁ…これでもうこの生活から抜け出せるんだ…と。
姑も入院生活が続き、毎日病院に着替えなど届けていたが、以前に比べたらずっと安定した生活に戻った。
私の持病であるパニック発作は時々出たものの、それでも、ずっとずっと楽になれた。
ところが、半年が過ぎた頃、ガンではないと主治医に言われた。つまり誤診だ。
私はまた姑が元通りになれればそれが何よりと、その時は本当にそう思っていた。
実際、姑は車椅子から歩行器に変わり、体重も20キロは太り、見た目には健康そのものだった。
この頃から、もし姑が退院しても、『もう一人にはさせられない』と主人が言った。
私は家を建てることを提案した。
主人はすぐに承諾し、話はトントン拍子に進んだ。
姑が退院する前には新しい家は立ち上がった。
そして 地獄の日々は始まるのだった…
その半年後、姑は退院してきた。
もう自立して歩けるし、トイレも自立した。
ただひとつ、食事だけは絶対に作らなかった。
私がどんなに疲れていようが、食事は全て私が用意するのが当たり前で、それに関して姑もなんの労いもなく、私は姑の神経を疑い始めた。
何故なら主人からは『かぁちゃんは料理が好きで、めちゃめちゃ上手いんだよ』
とよく聞かされていたのだ。
姑は毎日何もせずに日々、当たり前のように食事を食べ、あとはずっとゴロゴロしていた。
退院してすぐは私も仕方がないと、何も言わずに居たが、半年、一年と経つうちに私にとって姑は、うっとおしく、そして憎く、腹が立つ存在へと変わっていった。
それから姑は時々もの忘れをするようになった。
はじめはほんの小さなことだったのだが、それがだんだんと物忘れから『執着』へと変わっていった。
その執着やこだわりは私の精神をも破壊し、私は休養の為、仕事を辞めた。
それでも毎日毎日姑の質問攻めは酷くなる一方だった。
さすがの私達も、普通とは違う姑の様子に、疑問を抱き、精神科へ連れて行った。
2時間待たされて、脳のCTと認知症の簡単な検査をした。
結果は認知症ではなく、うつ病だった。
それともうひとつ、強迫性障害。
すぐに介護認定を申請した。
もう 私達の力だけではどうにもならなかった。
姑の『執着』から一刻も早く逃れたかった。
私は
『もう死んでくれ』といつも思うようになっていた。
殺してしまうまで、もうギリギリの所だった。
そうなる前に、私は助けを求めた。1日、数時間でもいいから姑から解放されたかった。
姑の介護認定の結果は要介護1。
とりあえず、デイサービスには行ける。
すぐに手続きをし、週3回、姑をデイサービスに通わせた。
それでも それでも私は足りなかった。
姑のこだわり…
それは 本当に些細なことである。
例えば
『明日の朝ごはんのパンを買ってきて』
『今日のお昼は貴子さんがつくってくれるの?』
『晩御飯は貴子さんがつくってくれる?』
特に執着してたのがこの3つである。
貴子とは私のことだが、この質問を、朝から晩までずっとずっとずっと言い続けるのだ。
最初は『用意しますから心配しなくて大丈夫ですよ』なんて優しく言って居ても、20回…40回…100回…
『何回も聞かないで』
『作るって言ってるでしょう!』
『うるさいよ!』
物を投げつける。
最終的には涙しか出なかった。
どうして分かってくれない?
どうすればいい?
病気だから仕方がない。
頭では理解していても、心はズタズタだった。
このくらいで大体の私の姑への気持ちの変化や生活は分かって頂けただろう…
泣いていた茉奈を再び寝かしつけ、
『ばあ様、帰って来ちゃったね』
と小声でぷーに話しかけた。
ぷーは家を建てた時に、主人が私にプレゼントしてくれたのだ。
まだ茉奈も産まれて無かったので、まるで我が子のようにぷーを可愛がった。
ぷーは私の問いかけに少しだけ首をかしげ、尻尾をふり、自分の物と認識している窓際の座布団にうずくまり眠りについた。
さてと… 夕飯作らなくちゃ。
私は台所へ向かう。
料理に手をつけようとしたその時。
キッチンの扉が開き、姑が顔をだした。
『明日の朝ごはんは何時?』
私は『わかりません。茉奈の起き方次第です。』
姑は『7時半くらい?7時半くらい?』
と何回も聞く。
『だから分からないよ!』
『7時半くらい?』
まだ言ってる。
『ハイハイ分かりました!』
その声でまた茉奈が泣き出す。
『ハァ…』
私は再び深いため息をつき茉奈を抱き上げた。
茉奈にも感情が伝わるのだろう…私は優しく茉奈に話しかけた。
『ごめんね…ママうるさかったね。怒ってないからね。ヨシヨシ』
私が笑顔になると茉奈もニコッと笑いまたウトウトし始めた。
『7時半ね7時半ね』
姑はまだ言い続ける。
私は茉奈に話しかけ続け聞こえない振りをした。
しばらくして諦めたのか姑は自室に帰って行った。
『貴ちゃん、ただいま』
主人が帰宅してきた。
主人は帰宅して私に挨拶すると茉奈に話しかける。それからぷーを撫でてから、風呂で足を洗うのが習慣だった。
それが終わったのを見計らって、私は日中のイライラを主人にぶつけた。
主人は私が姑に辛く当たっても私を叱る事は無かった。
主人は姑にも優しく接したし、私にも変わらぬ優しさで接した。
私が離婚を切り出さなかった理由もここだった。
何より主人を愛して居た。
主人も姑の執着はよく理解していた。
私の愚痴を聞き終えると『またかよ~ったくしょうがないな。貴ちゃん、聞き流してね』と申し訳無さそうに言った。
私は一瞬で機嫌が直り、料理を食卓に並べる。
主人との生活は本当に幸せなのだ。
姑さえ居なければ。
『ふぇん』
茉奈泣き声で目を覚ました。
時計を見ると夜中の3時。
『はいはい。ミルクの時間ね』
寝惚け眼でミルクを作り、茉奈を抱き上げた。
生後3ヶ月にして体重7キロ。最近は抱く度に手首がキリキリと痛む。
けれど、結婚して6年経ってやっと授かった愛娘。
痛みより愛しさの方が100倍も勝っていた。
『んくんく』と喉を鳴らしながらミルクを飲む茉奈をぼんやりと見ていると、キッチンのドアが静かに開いた。
茉奈がミルクに度々起きるので、しばらくはキッチンに近いリビングで寝たいと申し出たのは私だった。
茉奈が産まれるまでは、主人と同じベッドで寝ていた。
だが、茉奈がミルクで何度も泣くので、仕事時間が疎らな主人を気遣い、同じ2階でも別室に寝ていた。
しかし、さすがに私も寝不足で、一度寝惚けて階段から落ちたのが理由だった。
主人は『俺も手伝うよ』と一緒にリビングで寝ることになった。
静かに開いたドアの方を見ると、姑が立ちすくみ、じっとキッチンを見つめていた。
そしてキッチンに入り何やら物色している。
姑は私が起きているとは知らずに居るに違いなかった。
私は『なに?』と少し怒り口調で言った。
姑の体がビクッと動いたのが見えた。
姑は踵を返し、無言で自室に帰って行った。
1年前まで病院で歩く練習をしてたとは思えないほどの早足で…
姑は決してお腹が空いていた訳でも、喉が渇いていた訳でもなく、私が朝食の準備をしているかどうか確かめに来たのは、日々の観察で分かっていた。
(ったく、食うことしか頭にねぇのか)
私は、茉奈を寝かしつけ、再び眠りに就こうとしたが、イライラして眠れなくなり、主人のタバコをこっそり頂き、思いきり煙を吸い込んだ。
こんな夜を幾度と送っていた。
こんなこともあった。
2階の寝室で寝ていた時、話し声で目が覚めた。
(こんな夜中になに?)
私は話し声のする方へ向かった。
どうやら主人の寝室から聞こえる。
静かに覗くと、主人の寝ているベッドの上に立ち、
『タケル、明日の朝ごはんは貴子さんがつくってくれる?』
『タケルタケルタケル…』
と何度も問いかける姑の姿があった。
睡眠薬を飲んでいる姑の目はうつろで焦点が定まっていない。
主人は一度眠るとそう簡単には目覚めないので、姑の声は徐々に大きさを増した。
『タケル、明日の朝ごはんは…』
狂ってるとしか言えない光景だった。
しびれを切らした私は『いい加減にしな。今、何時だと思ってんだい』と言い放った。
姑はまたビクッとなり、またもや無言で自室に帰って行った。
姑が私を怖がり始めていた。
私も私で姑に優しくするという気持ちはとうに無くなっていた。
それどころか、毎日毎日今日はどうやって殺そうか…などと、知らぬ内に考えるまでになっていたのだ。
私の頭の中は憎悪でいっぱいだった。
私もまた狂い始めていた。
朝…
主人の出勤時間が9時と遅い為、7時までゴロゴロしていた。
茉奈はご機嫌の目覚めでなにやら天井を見上げてニコニコしている。
ぷーは毎朝私の目が覚めると、尻尾をブンブン振りながら、顔中を舐めてくる。
『くすぐったいよ~』
私は思いきりぷーを撫でた。
その間、姑がずっとキッチンと自室をウロウロしてるのを私は知っていた。
(そんなに心配なら自分で作れよ…)
毎食こうしてせかされてる生活は耐えがたかった。
朝食め昼食も夕食もすべて時間が決まっていた。
夕食の時など、茉奈の黄昏泣きとぶつかり、泣き叫ぶ茉奈を放置して姑の夕食を作ることも少なくない。
でないと廊下からずっと私を見ているのだ。それは耐えがたかった。
私は見ぬ振りをして再びぷーと遊んだ。
そして例の7時半になった時に渋々朝食を用意し始めた。
姑のこだわりは食事の内容までも決まりがあった。
朝ごはんはパンが原則だった。
しかも、1日にきっちり半分だけ食べる。
面倒だから一つ食べてくださいと言ったが、頑として譲らなかった。
つまり1つで2日持つのだが、最低2つはストックがないと騒ぎ立てた。
買ってくるまで『いつ買ってくるの?』『何日に買ってきてくれる?』と…
飲み物も同じだった。お茶しか飲まないのだが、2リットルのお茶を3本はストックしていないと気が済まない。
お茶は賞味期限が長いから、ストックは構わないのだが、姑の場合は違った。
ストックしてあるお茶の全てのキャップを開けてしまうのだ。
そしてコップに注いで飲みきれ無かったお茶は、ボトルに戻してしまう。
何度も注意したが全く直らなかった。
あんなに綺麗好きだった姑も、綺麗か汚いかの区別も出来なくなってきたのだ。
茉奈は帝王切開で出産した。
私の持病も理由のひとつだったが、問題は私の入院中に姑を一人家には置けない事だった。
こんな時くらい弟夫婦が何か言って来るかと期待もしたが、何一つしてくれなかった。
仕方なく姑をショートステイに頼むことにした。
なので前もって予定の組める帝王切開になった。
出産までもが姑の為に決められた。
予定通り茉奈が産まれ、次の日に主人が姑を病院に連れてきた。
姑は孫の名前を呼ぶわけでも、抱き上げる訳でもなく、病室で『晩御飯はネギトロ巻が食べたい』と連呼した。
さすがに助産婦さんや同室の人たちが引いていた。
私は直ぐに連れて帰ってもらった。
これから先、茉奈が増えた生活を考えると、不安でならなかった。
茉奈がお腹にいる時も毎日が苦痛だった。
つわりのひどかった時さえ、食事を作らないといけなかった。
まな板を見るのも嫌だったが、姑に何度も要求されるより、吐いていた方が何倍もマシだった。
一度本当に辛くて泣きながら寝室に閉じ籠った。
その間、寝室のドアにはつっかえ棒を取り付け外から開かないようにした。
それでも姑はドアをガタガタこじ開けようとした。
『貴子さん貴子さん開けて開けて開けて…ご飯は用意してくれる?貴子さん貴子さん』ガタガタガタガタ…
私は大きなお腹を抱えてうずくまり、両手で耳を塞ぎ、本気で居なくなりたいと思った。
涙が次から次へと溢れだした。
お腹を撫でながら、まだ見ぬ我が子に話しかけ、微笑むマタニティーライフなど、私には無縁だった。
お腹の中に居た茉奈は不安だったに違いない。ごめんね…茉奈ちゃん。
今日は姑のデイサービスの日だ。
いつも迎えに来るのは8時半頃だ。
姑は8時20分を過ぎると、1分置きにトイレに行く。
主人が『ちゃんとでてるの?』と聞くと『でてる。』とだけ言った。
(水道代勿体無い…)頭で思っても口にはしなかった。
『ワンワン』窓の外を見ていたぷーが突然吠え出した。
お迎えが来たのだ。
同じように自室から外を見ながら待っていた姑は、行ってきますも言わずに出かけて行った。
『行った行った~』
『茉奈~ママと遊ぼう』私は一度に解放感でいっぱいになった。
茉奈もニコッと笑う。
やっぱり、姑が居ない時の私が一番私らしいや…
(あ~あデイサービスの車、事故にでも遭わないかな…)
ふと、そんなことを考えた。
(今日も暑いな~)
私はすぐにその考えを忘れ、茉奈のオムツを替え始めた。
生後2ヶ月を過ぎた辺りから、茉奈をよく外出させていた。
たまたま見かけた雑誌に‘このころの母親の行動範囲が広いと感受性の豊かな子になる’と書いてあったのだ。
それから昼夜の区別をつけるにも、いい事だった。
姑が居ない日にしかなかなか外出が難しいので、姑のデイサービスの日は本当に嬉しい。
隣町に住む一つ年下の妹の家まで、車で30分弱。妹はすでに子供を2人出産しており、育児は私よりずっと先輩だった。
妹と甥っ子2人は可愛くて仕方がない。2歳になる上の子は最近は話も分かるようになり、なおのこと可愛かった。
そんな妹の家で他愛もない雑談をするのが楽しみだった。
私が私らしく笑って居られるそんな場所。
だが楽しい時間はあっという間。
時計を見ると3時だった。
『またくるね!』
重い足を引きずって車を走らせた。
『茉奈ちゃん、もうすぐばあちゃん帰って来ちゃうね…』
信号待ちでチラリと後部座席の茉奈を見た。
茉奈はスヤスヤと眠っていた。
私はクスっと笑った。
(大丈夫。私には茉奈が居るのだから)
前を向き、ハンドルをきつく握りしめ、私はアクセルを踏み込んだ。
ギリギリ姑が帰ってくる前に家に着いた。
『ぷーちゃん、たっだいまぁ』
ぷーは嬉しそうに尻尾をちぎれんばかりに振って喜びを表す。
私はぷーの頭を撫でぷーの好きな牛皮のおやつをあげる。
おやつを加えたぷーは自分の座布団に行き、夢中でかじりついた。
茉奈のオムツを替えて居ると、チャイムが鳴った。
『ただいま帰りました~』
またいつものスタッフの声がした。
(ハァ…帰ってきたか)
『はーい』
私は返事だけした。施設の人たちは赤ちゃんが居るのを知っていた為、イチイチ出ていかなくてもすぐに帰った。
姑がリビングに来た『ただいまただいまただいま』
(一回言えばわかるっつーの)
この頃の私は目に見えて姑と関わるのを避けた。
姑の吐く息を吸ってると思うだけで吐き気がした。
私はうなずく事も『おかえりなさい』とも言わずにテレビを見ていた。
姑は全く気に止める様子もなく『今日はパズルを2回やった。自転車こぎを13分やった。お昼ご飯はカレーだった。おいすなかった』と言った。
(全く人様に作ってもらって美味しくなかったかよ…しかも毎回毎回何をやったかなんて興味ないし、幼稚園児みたいに報告すんなよ…13分って細かすぎ)
私は『あのさ、イチイチ報告要らないから。ノート見れば分かるし』と喉まででかかったが、面倒になって止めた。
目も合わせずに『あっそう』とだけ伝え、夕飯の支度にとりかかった。
茉奈がご機嫌に教育テレビをみてる内にやることがたくさんなのだ。
姑に構ってる時間はなかった。
言いたい事だけ言った姑は、日記を付け始めた。
日記はそもそも姑の習慣では無かった。
きっかけは主治医に日記でも付けたらどうですかと言われたからだった。
日記は始めのころはまだ日記らしい内容だった。
きちんと感想まで書けていたが、日が経つにつれ、日記ではなく予定表になって行った。
それこそ、4日後5日後の内容まで書き記してあり、日曜日には必ず‘のど自慢を観る’とまで書いてある始末だ。
どうせ今日の日記だってお昼の内容とリハビリの内容を記してるだけだろう。
もともと字の綺麗では無かった姑の日記は、誤字脱字だらけで読めた物では無かった。
私は後で介護認定の時に見せようと企んでいた。
姑の介護度は要介護1だった。
受けられるサービスも週3回のデイサービスと、一週間のショートステイがギリギリだった。
介護認定調査は、姑と私と認定員で行われたが、認定内容は結局、寝たきりか歩行や排泄は自立しているかが主な基準になる。
全て対象外の姑は思っていた通り要介護1だった。
要支援ではないだけ有り難いと思わなくてはならないのだが、私は納得していなかった。
近い内に、再認定を申し込むつもりでいた。
歩けないだけが、オムツをしていないだけが、介護ではないのだと叫びたかった。
1日中監視カメラで撮影して認定員にみせてやりたかった。
一緒に暮らしてみろと言いたかった。
明くる日、この日はデイサービスが休みなので姑が1日家に居た。
朝から憂鬱になる…
私は姑が居るとき、笑うことをしなくなった。
茉奈を抱いている時も、姑が現れると、笑うことをしなくなった。
正しくは出来なくなった。
なにより‘笑顔’というものを姑に一瞬でも見せたくなかった。
これは『貴方がいると、私は笑えないの、不幸なのよ』という無言の嫌がらせなのかも知れない。
よく赤ちゃんは母親の気持ちを察すると言うが、本当にその通りだと思った。
姑が居ない日は私は茉奈によく歌い、よく笑い、よく遊んだ。
茉奈はそんな日は機嫌が良く、ニコニコして居たし、ぐずることもない。
だが、姑が家に居る日は、手が付けられないほどに泣き叫ぶ時もあった。
私がどんよりした気分で居れば、茉奈を悲しませる。
分かってはいても、どうすることも出来なかった。
早く何とかしなければ、茉奈の為にも…!
こんな日は早く1日が終るように祈るばかりだった。
思えば思うほど長くなる1日を、私は恨んだ。
ブヒ ブヒ…
物音で目を覚ました。
音がする方をみるとぷーが豚のぬいぐるみを振り回して遊んでいる。
(今、何時?)
時計を見ると朝の8時半だった。
(ヤバイ寝過ごした!ばあ様の朝ごはん!)
と、思ったが、昨日からショートステイで外泊していたのを思い出し、ホッとした。
隣を見ると主人も茉奈もぐっすり寝ている。
私も再び横になった。
姑と暮らすようになってから、いつも気が張っている。
昼夜逆転気味の姑は、昼夜関係なく徘徊し、あれこれ注意してきた。
寝ている間に仕事を増やされてはたまったもんではないと、昼寝さえ出来なかった。
今は茉奈も生活のリズムが出来て、昼寝をしなくても、夜一緒休めるからまだマシになったが、新生児の頃は、このままでは死ぬのではと思うほど辛かった。
今回のショートステイは5日間だけだが、ゆっくり茉奈と過ごせると思うと、それだけで嬉しかった。
私はテレビのボリュームを絞り、好きなニュースを付けた。
ニュースでは、東日本大震災で被災した、被災者の生活の様子を伝えていた。
私はぷーを撫でながら(被災した人たちも大変だろうけど、ペットたちも悲しい辛い思いをしたんだろうな…)なんて考えたりしていた。
あの日、私は妊娠7ヶ月で、たまたま友人とランチをしていた。
話好きな友人でお昼前から待ち合わせ、気付いた時には2時を回っていた。
特に予定もなく、そのまま話をしていてもよかったのだが、虫のしらせなのか、‘早く帰らなくちゃ’と思ったのを覚えている。
友人には体調が悪くなったと伝え、帰宅した。
帰宅して、ぷーと一緒に昼寝でもしようと、こたつに横になったときに、大きな地鳴りがした。
ドーーン!!
(何っ!?)
2・3秒後にガタガタと物凄い横揺れが起きた。
ぷーが私に駆け寄る。
私はぷーを右手で、左手でお腹を必死で守ろうとした。
10秒 20秒?
家中の物がバタンバタン落ちる音がした。
炊飯器が棚から落ち、テレビも倒れた。
しばらくして地震は治まったが、心臓の動悸はしばらく治まらなかった。
ぷーもずっと震えていた。
姑がデイサービスでよかった。
幸い私の住む栃木県でも、とくに北部は地盤も硬いせいか、これといった被害は無かった。
すぐに主人の職場に連絡したが、通じなかった。
実家にも、妹にも連絡したが繋がらず、不安な時間を過ごした。
それから誰とも連絡が取れない内に姑が帰宅してきた。
姑は地震があったことは覚えていたが、ニュースを見てもどれだけの事が日本で起きているか、全く理解しては居なかった。
(なんで無事に帰って来たんだよ…)
本来なら喜ぶべきことも、私には不幸中の不幸だと感じた。
夜になって、やっと皆の無事が確認出来た。
ホッとしたのもつかの間、姑が明後日の分のパンが無いと騒ぎ出した。
『おかあさん、今どんな状況か解ってるの?大きな津波で、日本が大変なんだよ。余震だって続いてて、それどころじゃ無いでしょう!』
『…』またあの目。
そして『うん。明後日のパンが無いんだけど…』と言った。
(駄目だ。話にならん)
私は姑などそっちのけでニュースを見ていた。
どうしよう。
さっきの主人の話では、お店の食料は皆まとめ買いで殆ど残っていないと言っていた。
今更遅い。とにかく皆が無事なのだから、それだけで有り難いと思わなければ。
その時また携帯が鳴った。主人からだった。
『賢也の所が被害がすごくて、ガスも電気も駄目らしい。今夜泊めてくれって』
賢也とは主人の弟だ。話によれば、嫁さんも甥っ子も来るらしい。
『大変だね。分かった。なんとかする』
私は散らばった小物などを片付けた。
(おかあさんの相手してくれるかな?だとしたら助かる!)
これがまた私の不幸の始まりだった。
そしてまだ姑は私に頻りに着いてきてはパンの心配をしていた。
20時近くになって、弟家族が来た。
『すみませんね』
賢也が言った。
『貴子さん。よろしくお願いします』
嫁の良子も言った。
『いいえ、困ったときはお互い様ですから』
私は皮肉たっぷりに言った。
私は正直、この嫁さんが嫌いだ。気が利かず、金遣いが粗い。
(あなたもどうせおかあさんのお金を使ったんでしょう?姑のことは散々押し付けといて、こんなときだけ頼るなよ)
甥っ子の学は小学校4年生にもなるのに、相変わらず挨拶も出来ずに、無愛想だ。
一人っ子で甘やかされたせいか、躾がなって居なかった。少し前、義父の法事で親戚のおじさんにお小遣いを貰った学は、『こんなのもう要らない』とぶん投げた。それを見た主人は、親よりも先に学を叱った。親も親なら子も子とはこの事だと思った。
ただならぬ気配に姑は徐々に興奮してきた。執着も増して来て、ありったけの質問をぶつけてきた。
(そうそう、いつも私がどんな思いをしてるか、見せてあげて)
弟家族の手前、いつもより優しく姑に対応した。
その日から私は大きなお腹を抱えて忙しい日々を送った。
昼間は合計6人分の食材を買いに行かなければならなかった。
賢也と良子は、昼間は仕事があるといい、息子の学だけを家に置いて行った。
小学校も開校はしていたが、親が危ないからと休ませているらしい…。
(だったらお前も休めよ)
と言いたかったが、主人の手前言えなかった。
主人にとっていいお嫁さんで居たい気持ちだけは、不思議な程変わらなかったのだ。
なので昼間は姑と甥っ子の相手をさせられていた。
テレビはニュースと同じCMの繰り返しで、甥っ子は飽きていたし、遊びに付き合うのは正直疲れた。
姑は計画停電がはじまると、仏壇のロウソクを持ち出し、危険で目が離せなかった。
ずっと気が張り詰めていた。
弟家族の家はまだまだ帰れそうに無かった。
食費も貰わずに、6人分の食材を集めるのは大変だった。
ただでさえ食材が無かったのに。
学は野菜が食べられないので献立も苦労したし、せっかく作っても気に入らないと、白飯しか食べなかった。
『学ちゃん、好きな食べ物はなぁに?』
と質問したことがあったが、『ママのカレー』と言われ、それ以来聞かなくなった。
主人は相変わらず帰りが遅かった為、食事は2度作っていた。
…が、良子は全くキッチンに立たなかった。それどころか、食器も運ばなかった。1から10まで全て一人でこなした。
お米を研いでいる私に、
『貴子さん、明日のお昼は作ってくれる?』
『貴子さん、お茶があと2本しかないんだけど』
『貴子さん、明後日のパンがない…』
『貴子さん美容室に行きたいんだけど』
『貴子さん貴子さん貴子さん…』
それを聞いていても、良子も学も何も言ってくれなかった。
(やっぱり、無駄か…)
私は姑の問いについに頭にきて、お米の入ったお釜をぶちまけた。
ただただ涙が溢れだし、一言、『どうして分かってくれないの?』と小さく呟いた。
疲れも怒りも最高潮だったに違いない。
はぁ…やなこと思い出しちゃった。
私は頭から弟家族の事を切り離し、起きる支度をした。
今日は主人が休みだ。
久しぶりにウキウキした。
茉奈と3人での外出は初めてだ。
姑がショートにでも行っていないと、こんな機会めったにないのだから…
しばらくして主人と茉奈も起きた。
『どこに行こうか~』
茉奈がミルクの時間がまめなこともあり、近場のショッピングモールへ行くことにした。
これが普通の夫婦の会話だ。
普通の家族だ。
幸せな家族だ…
こんな日がずっとずっと続けばいいのにと願った。
幸せな時間はそう長くは続かない。
あっと言う間に姑が帰宅してきた。
私は、姑と暮らす事で、最もイヤだと思うことが3つある。
一つ目は不潔なこと。
歯ブラシはいつも食べかすがびっしりついているし、口をゆすいだ洗面所は、毎回食べかすが飛び散っていた。
くしは人の物を堂々と使うし、服は洗わない。
使ったコップは洗わずにしまい、あげればきりがない。
本当に本当にイヤだ。
つわりの時期には汚れた洗面所を見るだけで度々吐いていた。
2つ目は甘えやわがまま。
何を注意しても『大丈夫』と応え、『あなたが大丈夫でも私は大丈夫じゃない』とよく喧嘩をした。
デイサービスでもパンは食べない、甘いおやつは嫌だと自分だけ違う物に替えて貰ってる始末。
髪の毛が自分で洗えないと言い張り、人に洗わせたりしていた。
デイサービスに通う前は、私が風呂で姑のお尻や頭を洗っていた。
『体が自由に動かせるのにどうして自分で出来ないの?』
と聞くと、ただ単に耳に水が入るのが嫌だと答えた。
何様だ…
そして主人の前で、『貴子さんに迷惑かけてる』と泣くのだ。
笑わせてくれる。
努力までもをしなくなった姑は、私にとってお荷物の何者でも無かった。
そんな若さで、そんな経験されるとは…お気の毒です。
担当のケアマネージャーが普通すぎますよね。
入所とか選択肢があったろうに…
主介護者の若さが考慮されてません。もっと思い切りが必要だったと思う。
残念です。
3つ目は監視や徘徊だ。
これはとくに厄介で…
私達の寝室に姑は夜中よく現れた。
用事があるときは私達を叩き起こした。
内容はいつもと同じくパンの心配や薬の心配だった。
(そんなもん明日でいいだろうが…)
そんな訳で、私達の夫婦生活もめっきり無くなった。
今にして思えば、茉奈は最後に夫婦生活をした時に授かったのだ。
他にも夜中にキッチンでお皿を割ったり、リビングで物色なんて毎日だった。
一番嫌なのは、私がリビングに居ると、5センチ程扉を開けて、片目でじっと見ていることだ。
これで何度も驚かされ、私の寿命は何年縮んだ事だろう…
とにかく早く、この気が休まらない生活から解放されたかった。
ある日、いつもの様にキッチンで料理をしていると、小さなポックリポックリという音が聞こえた。
まるで木魚を小さく叩くような音で、初めは気にせずに料理を続けていた。
それでも音が消えない。
私は音のするほうを向いた。
!!!
姑が立っていた。
その音は姑の呼吸音だったのだ。
良く見ると息を吸う時に音が鳴っていた。
病院に行くことを進めたが、姑は頑として行かないと言い張った。
その日から、呼吸の音で姑がどこに居るか分かった。
今までに増して恐怖だった。
徐々に呼吸音が近づいてくるのが、怖くてたまらなかった。
呼吸音は日に日に大きくなった。
原因は分からないし、どこで鳴って居るかもわからなかった。
姑は苦しそうな時すらあったが、
『苦しくないの?』と聞いても『苦しくない、いつもこうなる』と片言で答えた。
最近では話す言葉もおかしかった。
単語ばかりを繋げるので文章にならず、まるで外国人が日本語を話してるようだった。
(呼吸もおかしいし、言葉もへん。おかあさん、確実に進んでる。このままうまいこともっと進めばいいのに)
介護認定をあげる方法はそれしかない。
私は日々弱っていく姑を、しめしめと思う気持ちで見ていた。
『茉奈おはよう』
4ヶ月になる茉奈は、目を合わすとニコリと笑った。
可愛くて思わずおでこにキスをした。
(今日は天気がいいから妹でも誘って公園にでも行こう)
『茉奈、おばあさんもデイサービスで居ないから、お出かけしよ』
日々のストレスや暗い気持ちから少しでも解放されたくて、私は出掛けることにした。
今、私が精神的にやられたら茉奈が困る。パニック障害は強いストレスも発作に繋がる。うまく自分をコントロールしてあげないとならない。
頓服薬は眠くなるから育児をしながら服用するのは難しい。
茉奈が居なかったら、迷わず家を飛び出したかったが、茉奈を可愛がる主人の為にも、茉奈を父親の居ない子にしない為にも、必死だった。
とにかく少しでも気分を変えたかった。
私は音楽のボリュームをあげて妹の家に向かった。
妹の家に着くと、2歳と1歳の甥っ子が『茉奈ちゃん茉奈ちゃ~ん』と歓迎してくれた。
甥っ子たちは、茉奈が産まれるまでの私の寂しさを癒してくれた。それは今でも変わらず、可愛くてたまらない。
妹の明子は、良子と違い、私が具合が悪い時など、姑の食事を用意しに来てくれたりなど、度々助けてくれた頼れる妹だった。
この日は甥っ子たちとショッピングに出掛けた。
『ねぇね、見て、ガーガーあるよ』ショッピングモールに着くまでに、重機が大好きな甥っ子は、工事現場を通る度に嬉しそうにはしゃいだ。
(早く茉奈もこんなふうになったらいいな…話が出来るようになったら楽しいだろうな)
私は楽しい時間を過ごした。一つ違いの明子とは友達のように話が出来るので、主人の話や、育児の話、テレビの話など尽きることはない。
姉妹がいて本当に良かったと思える瞬間だった。
『お姉ちゃん、いつも大変なんだから、茉奈、見ててあげるからパチンコでもしてきたら?これから茉奈大きくなったら本当にママじゃなきゃダメになる時が来るよ。そしたら見てたくても見れないんだからさ』
明子は私のストレスを知ってか知らずか、そんな事を言った。
恥ずかしながら、私は茉奈を妊娠するまで、時々パチンコに出掛けていた。儲けや負けに拘るのどはなく、ただ単に何もかも雑音で書き消された、あの空間が好きだった。
パチンコをしてる時は何もかも忘れて居られた。
『そう?じゃ、お言葉に甘えて1時間位行こうかな』
私は近くのパチンコ屋で、1時間強遊んだ。久しぶりの『無』になった時間だった。
タバコも辞めて居たから臭いはちょっときつかったが、とても楽しめた。
明子にお礼と少しのお小遣いを渡し、私は帰ることにした。
『茉奈ちゃ~ん』甥っ子は寂しいのか泣いていた。
(私も帰りたくない。私が泣きたいよ…)
そう思いつつ 自宅へ車を走らせた。
自宅へ着いたのは3時半だった。
茉奈はチャイルドシートでぐっすり眠っていた。
茉奈を車から下ろして、バウンサーに乗せ、ぷーと遊んで居ると、ぷーが吠え出した。
(帰ってきたし…)
ぷーがデイサービスの送迎車の音を聞き付けたのだ。
一気に現実に引き戻された。
今までの楽しかった気持ちが、一瞬にし憂鬱な気分に変わる。
『ただいま帰りました~』
今日は男性スタッフの声だ。
ぷーが吠えた声で目覚めて泣き出した茉奈を抱き、玄関へと向かう。
『お世話様でした~』
私はそれだけ言うと、リビングに戻る。
リビングの扉は曇ったガラス張りだ。
だから誰かが来るとすぐに分かる。
扉に姑の影が写った。
ポックリポックリポックリ
呼吸音を鳴らしながら姑が来た。
『お昼ごはん量が丁度良くて美味しかった』
と言った。
(なんだそれ…私の飯は量が少ないか!?不味いか!?)
姑はそんなつもりじゃ無かったのかも知れないが、頭に来たので私は『あっそ、良かったね』と言った。
すぐに姑は自室に引き返したが、その時いつもの様子と違うのに気付いた。
姑がフラフラと壁にぶつかりながら歩いて居るのだ。
??
よそ見でもしてるのか…その時はそのくらいにしか思わなかった。
夕食の時間、姑は6時と決めていた。
私からしたら茉奈がぐずる時間なので、もう少し遅くしてもらいたかったが、一度主人が『貴子、大変だから時間決めるなよ』と言ったら『何時でも大丈夫』と言ったので、のんびり支度をしたら、6時になったと同時にキッチンを何度も覗きに来る始末で、私は余計に急かされた。
それ以来、どんなに大変でも時間通りに作る方が、精神的に楽なので6時に用意していた。
姑は6時になるとリビングに現れ、我が物顔で自席に着くのだが、今日は6時を過ぎても姑は現れなかった。
(デイサービスで疲れたんだな、寝ちゃったんだろう…)
私は姑の部屋は覗かず、放置していた。
やがて時計は6時半を回り、7時になっていた。
そして主人が帰宅した。
主です。
私も分かっています。誰もが年を取れば出来なくなることもあると。
同じ人間だから優しくしたい気持ちもあります。
ですが、理屈ではどうしようもないこともありますから…
施設に入れる件ですが、それまでの事を書いていますので、ここではお話出来かねます。
それから、小説ですので、100%ノンフィクションではないことをご理解ください。
他の方が見辛くなりますので感想スレありますからそちらにお願いします。
>> 58
主です
いろんな意見、あるとは思いますが、なんだか私自身を批判されてるようで、今までの頑張りが一気に涙に変わってしまいました。
弟夫婦…
みんな、その人の立場に立たないとわからないものです。文を読んだだけで色んなことを思ったり批判することは簡単です。
色んな意見があるので、主さん気にせず頑張ってくださいね✨
- << 63 同意です その立場になってみないとわからない事たくさんありますよ… 私も旦那の義母、義祖母と同居してますがまだ二人とも一応元気です でもいつかは介護状態になるかもしれません その時にその状態を受け止められるか、そして受け止めて優しくできるか…と考えたら全く自信はありません 私は主さんと違い旦那とは全然上手くいってないので(本当の仮面夫婦です)もしかしたら子供を連れて実家(北海道)に逃げ帰ってしまうかもしれません いや、間違いなく帰るでしょう 私はただただ主さんの体と心が心配です 休める時はちゃんと休んでくださいね 何もかもを本当にきちんとやってらっしゃる主さんだからくれぐれも無理をなさらないように…
>> 60
みんな、その人の立場に立たないとわからないものです。文を読んだだけで色んなことを思ったり批判することは簡単です。
色んな意見があるので、主…
同意です その立場になってみないとわからない事たくさんありますよ…
私も旦那の義母、義祖母と同居してますがまだ二人とも一応元気です でもいつかは介護状態になるかもしれません その時にその状態を受け止められるか、そして受け止めて優しくできるか…と考えたら全く自信はありません 私は主さんと違い旦那とは全然上手くいってないので(本当の仮面夫婦です)もしかしたら子供を連れて実家(北海道)に逃げ帰ってしまうかもしれません いや、間違いなく帰るでしょう 私はただただ主さんの体と心が心配です 休める時はちゃんと休んでくださいね 何もかもを本当にきちんとやってらっしゃる主さんだからくれぐれも無理をなさらないように…
『お義母さん、まだ食事に来ないの。寝ちゃってたら起こして来てくれる?』
と主人に言った。
『はいよ』主人は姑の部屋に向かった。
すぐに『お母さん!お母さん!どうした!』と聞こえた。
姑は自室のベット脇にうつぶせに倒れていた。そして姑の頭の回りには水溜まりほどの汗がたまっていた。
自分で起き上がれなかったのか、体を起こすと『大丈夫大丈夫』と話した。
意識もはっきりしていた。
だが、私は気にかかり、救急病院に連れて行った方がいいと主人に言った。
時計は7時半を差していた。
姑のびしょ濡れになった服を着替えさせ、髪を拭いた。
『おかあさん、普通じゃないから病院に行こう』
私は言ったが‘行かない’の一点張りだった。
が、しかし、人間として、ここは連れて行かない訳にはいかない。
強引に姑を車に乗せた。
主人が運転をし、私は茉奈を抱えて病院へ行った。
前もって電話して居たので、割かし早い対応だった。
一通り診察が終わり、医師から受けた診断は熱中症による脱水症状だった。
『とりあえず、点滴をしましょう。それから呼吸音ですが、気管支を見ても肺を見ても異常がみつかりませんね』医師が言った。
私と主人は顔を合わせた。主人も納得がいかない顔をしていた。
医師との話が終わり、先に点滴室に入っていた姑のところへ向かった。
姑は眠っていた。点滴には2時間位かかるので、声をかけずに近くにいたスタッフに『11時に迎えに来ます』と伝えて一度帰宅した。
『先に休んでいいから。あとは俺がするよ』
と主人に言われ、私も茉奈が居るので言葉に甘えて先に休んだ。
休んでいいと言われても…なかなか寝付けない。
(私もまだ思いやれるんだな…失笑)
2階の寝室に横になっていると、主人が出掛ける音が聞こえた。
私は隣でスヤスヤ眠る茉奈の寝顔を見つめて、頭を撫でた。
(茉奈、ごめんね。毎日バタバタして、あなたのお宮参りも100日祝も出来ずに…1歳の誕生日は盛大にやろうね)
気づくと涙が出ていた。
静かな静かな時間。いつぶりだろうか…
自分の呼吸が聞こえる。
(ごめんね。ごめんね。)
私はただただそれだけ思っていた。次第に嗚咽に変わり、訳もわからずに泣いた。
ずっと張り詰めていた心の糸がプチンと切れたように、泣いて泣いて、泣いた。
どれくらいの時間が経ったのだろう…
落ち着いた頃、玄関の開く音がした。
私は出迎えに行こうとしたのだが、思うように体が動かずにそのままで居た。
1階で、『ごはん食べるごはん食べる』と姑が仕切りに言っているのが聞こえた。
『今日は点滴をたくさんしたから大丈夫だよ。もう遅いから休みな』
主人が言っている。
(あ~、ちゃんとやり取りしてる。任せて大丈夫かな~)
考えてる内に眠りについてしまった。
これから長い長い夜が始まる事を知らずに…
『エーン』
茉奈の泣き声で目を覚ました。
携帯の時計を見ると夜中の2時だった。
(ミルクの時間だ)
『ちょっと待っててね』
泣いてる茉奈を置き、1階のキッチンへミルクを作りに行った。
茉奈の様子が1階でも分かるようにモニターを付けて居たので、見ると泣き止み指をしゃぶっていた。
私は欠伸を噛み殺してミルクを作った。
心配だったので、姑の部屋を覗いて行こうと、静かに姑の部屋の扉を開けた。
!!!
姑はまたうつぶせに倒れていた。
遠くで茉奈の泣き声がする。
(どうしよう)
『パパ~パパ~おかあさんが、また倒れてる』
すぐに起きる主人ではない。
『おかあさん!大丈夫?ちょっと待って』
ミルクを置き、おかあさんを起こす。
明かりを付けて見ると、顔にアザが出来ていた。
茉奈の泣き声が一層大きくなる。
『ちょっと待ってて』
それだけ言うと、私はミルクを持って2階に駆け上がった。
階段のてっぺんにぷーが心配そうに座っている。
『ぷー、大丈夫よ。寝てな』
と言い、寝室で高いびきをかいて寝ている主人を起こした。
『パパ!パパ!起きて!おかあさん、また倒れてるの』
主人は飛び起きて1階に行った。
『茉奈のミルクだけ済ませちゃうから』
主人の後ろ姿に言った。
ミルクが済むと茉奈はすぐにまた眠りについた。
すると主人が戻ってきた。
『トイレに行こうとして倒れたらしい』
『そう…眠ったの?』
『うん。寝るって』
主人はまた布団に横になった。
夏休みということもあり、仕事が忙しいので疲れてるのだろう…
私は50cc程ミルクの残った哺乳瓶を洗いに、キッチンへ向かった。
階段を2・3段降りた頃、『ドーン!』凄い音が姑の部屋から聞こえた。
残りの階段を駆け降りる。
『おかあさん!?』
また倒れてる。
『パパ~!またおかあさんが!』
まだ起きていた主人はすぐに降りて来た。
『どうしたんだよ』
主人は姑に聞く。
『セーターが無いの。茶色のセーターが無いの。セーターが無いの』
やっとベットに座らせたのに姑はまた立ち上がる。
するとまた転びそうになり、私達はすぐに支えた。
『セーターなんか明日でいいだろ。具合悪いんだから寝なよ』
主人が言った。
『分かった分かった分かった…』
姑はそう言ってまたベットに横になった。
さすがに目が覚めた私達は1階のリビングで同時にため息をついた。
ハァ…
話もしない内に『ドーン!』また音がした。
行くとまた倒れている。
何度も何度も寝かしては倒れて、気付けば姑は全身あざだらけになっていた。
この時、時間は4時。
『もう、いい加減にしてくれよ~!あんたは何回言ったら分かるんだよ!!おい!聞いてんのか!』
主人の精神が壊れた瞬間だった。
普段、怒鳴ることのない主人にビックリした。
姑はやがて体力も無くなって来ていた。
自力で起き上がれない事を見抜き、私達は床に布団を敷き、姑を寝かせた。
すでに布団にはたくさんの排尿の後があったが、それどころでは無かった。
『ごめんなさい。お義母さん、こんな風になるなんて思ってなくて、前に使っていたオムツの残りは、この間、被災地に寄付してしまったの』
私は言った。
私は代わりにぷーのトイレシートを何枚か持ってきた。
『とりあえず、これで』
私と主人は姑の尿で濡れたパジャマと下着を脱がし、新しい下着を履かせる時に中に挟んだ。
布団にも何枚か敷いた。
これで倒れることはないと、私達は少し休んだ。
すでに6時だった。
1時間位休んだ。
7時に1階へ降りた。
茉奈のオムツを替えてミルクをあげる。
茉奈がご機嫌な内に姑の様子を見に行った。
床の布団に横になり、姑は下半身裸になってトイレシートをちぎっていた。
アザの色が鮮明になり、痛々しかった。
『トイレ行く?』
姑に聞くが会話にならない。
運良く主人が仕事が休みだったので、主人を起こして、姑の着替えなど手伝ってもらった。
『ごはん食べられる?』私が聞くと、姑は『うんうんパン食べるパン食べる』と言った。
いつものパンとお茶をを姑の部屋に運び、主人が姑に食べさせた。
だが、姑は自分で口に入れてしまう。
『ダメだよゆっくり食べないと』
もうお茶を飲むにも首が上を向かなかった。
姑は次々とパンを口に運ぶ。
嫌な予感がした。
危ない!
そう思った時には遅かった。
姑は顎をガクガク鳴らし、白目を向いて倒れた。
パンが詰まったのだ。
みるみる内に姑の顔色は青白くなっていく。
痙攣が止まらず歯と歯がぶつかってカチカチ音が鳴っている。
『パパ、顔を横にして口の中の物を吐かせて』
すぐに主人は口に指を入れようとしたが、姑の物凄い力でなかなか口が開かない。
やっとの思いで中指だけが入ったが、第一関節までしか入らない。
こじ開けてもこじ開けても姑の力が勝っていた。
『痛い~!おかあさん口を開けろ!』
主人は叫ぶ。
意識が無いのでダメだ。
私はすぐに携帯電話で救急車を呼んだ。
救急隊員からの指示はすでに済んでいた。
救急車を待つ間、『指がちぎれる~口を開けろ~』主人が叫んでいた。
指がやっと抜けた頃、救急車が着いた。
姑はこの時、必死な応急処置でなんとか意識が少しだけ回復していた。
救急隊員の人が3人程、部屋に来た。
長かった。1分間がとてつもなく長く長く感じた。
とにかくホッとした。
姑はこの時下半身はパンツ一枚。隊員には虐待でもしてると思われたろう…
薄いズボンを履かせる。
姑は自力では立ち上がれないのでタンカで運ばれた。
主人と姑が救急車に乗り込む。
『後で連絡する』
そう主人は言って病院へ向かった。
家を出て少し走ると、救急車はサイレンを鳴らした。
サイレンが遠くに行くにつれ小さく小さくなるのを、茉奈を抱えて聞こえなくなるまで聞いていた。
するべき事がたくさんあるのに、体が動かなかった。
ほどなくして我に返った私は、すぐに実家に電話をして事情を話した。
すぐに両親が茉奈を預かりに来てくれた。
両親の顔を見たらホッとして涙が出た。
『気をしっかりね。茉奈は大丈夫よ。落ち着いたら連絡してね。』母が言った。
『お願いします。』また、茉奈と離れるのに寂しくなり涙が出そうになる。
(茉奈、ごめんね。すぐに迎えに行くね)
私は、さっきまで叫び声の飛び掛かっていた姑の部屋に戻り、掃除を始めた。
姑の部屋は尿の臭いと汗の臭いと姑の臭いとが混じり合って、ドアを開けた瞬間吐き気が襲って来た。涙目になりながら、まず尿が染み込んだ布団や衣類を外へ出した。
それから、食べかけのパンやお茶を片付けるが、さっきの恐ろしい光景が脳裏に甦り、身震いがした。
程なくして主人から、家からさほど離れていない病院に運ばれ、しばらく入院になると連絡があった。
私は支度をして、入院に必要なものを一通り買い揃え、病院に向かった。
(入院…よかった)
悪いとは思ったが、私の本心だった。
朝の憂鬱な気分が、入院と聞いたら急にウキウキした。
車を降りると、真夏の太陽が眩しかった。
鼻歌まじりで私は病室へと向かった。
病室に着くと姑は酸素マスクをしてベットに横になっていた。
呼吸音も大きさを増し、呼吸をするたびに胸が上下に動いていた。
枕元には痰を吸引する装置があり、すでに吸引したような形跡があった。
吸引した痰には血が混ざっていた。
姑はもう声も出せない状態だった。
『今日はバタバタして寝不足だし、茉奈も迎えに行かないとならないから、荷物だけ整理して帰ろう』
主人が言った。
私は寝ている姑をチラリと見ながら病室を出た。
(なんか、死にそう…)
やっと楽になれる日が来るかも知れないと期待せずに居られなかった。
つい浮かぶ笑顔が主人にバレないように、私はウソの仮面をつけた。主人の前では心配な素振りを忘れなかった。
実家の両親に菓子折りを買い、実家に向かった。
茉奈の顔を見てやっと安心した。
『茉奈~ごめんね』
そういって私は茉奈を抱き締めた。
こうして長い長い1日が終わった。
それきり、姑の病院には行かなかった。
病院へは主人が通った。
私が洗濯した物を主人が届けるの繰り返しだった。
姑が居ない間、私は茉奈と夢のような時間を過ごした。
周りのママたちは普通の毎日のような事が、私にはまるでパラダイスだった。
自由感と解放感で溢れていた。
なにより茉奈がぐずっても、すぐに駆けつけられる事が嬉しかった。
毎日毎日が楽しくて仕形が無かった。
反面、いつこの生活が終わってしまうのかという不安が、1日 1日経つごとに大きくなっていった。
姑の容態は2週間経っても変わらず、やっと主治医から説明があると病院に呼び出された。
茉奈を妹に預けて、私と主人は病院に向かった。
外は雨が上がって蒸していた。
姑には会わず、直接小さな会議室へと通された。
そこには主治医と看護婦1人が居た。
50代になろう看護婦はカルテらしきものを手に持ち、主治医が座る椅子の隣に立っていた。
私達は主治医と向かいあう形で椅子に腰かけた。
古びた椅子がギギッと鳴る。
私はどこかで見たような、はた目には何処にでも居そうなおじいちゃんみたいな主治医を見つめて固唾を飲み込んだ。
主治医の椅子がくるりと回り私たちを見た後、思いもよらない言葉を発した。
『う~ん。実はですね、何度も検査したのですが、血痰も、呼吸音も、原因が分からないんです』
続けてこう言った。
『このままの状態が続くと最悪の場合を考えてください。おかあさまの場合、認知症状がありますし、転院も受け入れが難しいでしょうし、施設にと言っても、医療行為が必要ですから難しいでしょう』
私達は選択肢がなくこのまま今の病院で看てもらう事にした。
(最悪の場合……死)
私はそればかりが頭から離れなかった。
私は自分が死ねばいいのにと思う程、残酷な女だと思った。
ただ 居なくなるなら早く居なくなってくれと…
神様 ごめんなさい。
それからすぐに弟夫婦にそのうまを伝えた。
さすがに慌てたのか、すぐにお見舞いに訪れた。
…が、頻繁にお見舞いに来ていたのも束の間、すぐにぱったりと来なくなった。
と言うよりも、来る必要が無くなったのだ。
主治医から話を聞かされて2週間。
そう…
姑は…
主治医の言葉とは裏腹に、見事に復活した。
スタスタ歩くようになり、呼吸音も、無くなった。
それこそ体重は減ったものの、後は以前と何一つ変わらない、いや、それ以上に元気になってしまった。
そしてもうしばらくしたら退院しましょうと伝えられた。
私は普通なら喜びべき事なのに焦ってしまった。
(また戻る…)
目眩がした。
やっと、やっと平穏な日々を過ごせると思っていた。
どうして?どうして?
私は神様を憎んだ。
次の日には、早くも役所に介護度再認定手続きを申し込んだ。
ベットに座って、オムツをしてる状態での認定をして貰いたかったからだ。
とにかく介護度をあげないと、サービスが受けられないのだから先が思いやられる。
しかも、入院中の姑の様子を全く把握して居ないから余計に不安だった。
2日後に認定者が病院に来ることになった。
認定には主人が付き添う事になった。
朝から私は
『いい?ちょっと大袈裟に話してね』
『なるべく介助がないと無理って言ってね』
など口うるさく言って聞かせた。
退院まで10日。
その10日をどれだけ有意義に過ごすか…
昼寝をしている茉奈は、夢でもみてるのか、ニヤリと笑ったり、しかめっ面をしたりしている。
またこんな寝顔もゆっくり見られる日が少なくなるな…
私は茉奈のほっぺたを両手で優しく包んだ。
茉奈が首をすくめる。
茉奈 茉奈が居るから大丈夫よね。ママ頑張れるよね…
時計を見ると1時だった。認定が始まった頃だ。
私は心配な気持ちを振り切り、部屋の掃除を始めた。
それから10日午後、姑は退院した。
主人と一緒に帰ってきた姑は玄関に入るなり
『ただいまただいまただいまただいま…みんなに会いたかったみんなに会いたかった』
としつこく繰り返し泣いていた。
私はこんな姑を見ても、悪い事をしたな…とかこれからは優しくしようとか、そんなことも思えない程に、心が荒んでいた。
思いたい、思ってあげたいのに、どうしても思えなかった。
(なぜ死んでくれなかったんだ)
そればかりを思った。
姑は以前のように繰り返し質問を繰り返した。
この頃の私は夜中に姑の声が耳元で聞こえるようになり、何度も夜中にうなされて目を覚ました。
持病のパニック発作も回数は増え、毎回夜中に決まって吐くようになった。
怖くてたまらなくなり、頓服薬を飲んでテレビを付けて朝まで過ごす日がほとんどになった。
茉奈は寝返りを完璧にマスターし、離乳食も始まり、ますます手がかかるようになった。
『はい、アーン』
茉奈は離乳食もすんなり受け付け、スプーンを片付けると泣く程に食べる事が好きだった。
どんなに姑の事で苛々しても茉奈に当たることは無かったし、茉奈の事で手を抜くのは絶対にイヤだった。
それ以上に茉奈が可愛かったし、茉奈に接したり茉奈のことに精を出している時だけが幸せだった。
茉奈の好きな曲を唄い、絵本も読んであげる。
『キャハハ』
茉奈は天使だと思った。
『貴子さん貴子さん、鍵が無くなっちゃったんだけど』
また姑が現れた。
さっき袋に入れて取り付けてあげたばかりだった。
もう何度目だ…
そんな時私は茉奈と遊ぶフリをして姑を無視した。
それでも引き下がらないときは寝たフリをしてしのいだ。
そんな日々が続いたある日、やっと市役所から介護認定の決定通知が届いた。
ぷーがクンクンと封筒の匂いを嗅ぐ。
茉奈は昼寝をしていた。
姑は運良くデイサービスに出かけている。
静かな静かな時間だった。
時計の秒針だけがチクチクと鳴っている。
私は書類に目を通した。
目は最早『2』という数字だけを先読みしていた。
やったやったやった!
1から2になった!
私は嬉しくてぷーを抱き上げた。
ぷーは嫌がって両足で踏ん張り私の腕から抜け出そうと必死だ。
ぷーにキスをして放してあげた。
私はすぐさまケアマネージャーに電話をし、来月からのサービス回数を増やす手続きをした。
ケアマネージャーさんとうまく話もつき、姑は月に2週間程のショートステイに入れることになった。
ついでに、私は特別養護老人ホームへの入所申し込みも同時に申請した。
いずれ入所になるだろうし、入所待ちしてる人たちはたくさん居る。
待っても2、3年はかかるはず。
その間は私が面倒を見るのかと、先が長く感じられたが、それでも家に居る時間が減ることを考えたら、頑張ろうと思えた。
姑はショートステイに行く度に泣くようになった。
行くときも帰って来たときも泣いている。
気持ちが不安定になっているのか、質問を繰り返すことも、回数が増え、今伝えたことも次の瞬間には忘れていた。
自分の世界だけが見えていて、回りは一切見えて居ないようだった。茉奈が泣いても気にならないのか、私に必要に物事を押し付けるようになった。
このころから姑は自分1番じゃないと居られなくなっていった。
姑はいつも気に掛けてもらいたいという思いがヒシヒシと身体中からオーラとして出ていた。
まるで子供のように。
時には鼻をティッシュで押さえて鼻血が出た振りをした。
嘘を見抜いて知らんぷりしてると、本当に鼻血が出るまで鼻をほじっていた。
『大丈夫?』と聞くと次からはその行為は無くなる。また気に掛けてもらいたいと繰り返す。
そんなのはしょっちゅうだった。
だが、そんなのは可愛いもんだったのだ。
今
今 思えば…
季節も変わり、茉奈もハイハイをし出すようになった。
ある日、2階のベランダに洗濯物を干しに行こうと階段を上り、吹き抜け部分から茉奈が遊ぶ部屋を覗いた。
お気に入りのテレビを真剣に見ていた。
私は5分程で干し終わりまた1階を覗いたのだが、茉奈がいない。
『茉奈ー?茉奈ちゃん?』
部屋は扉がしまって居る。茉奈は自分で開けられない。
私は慌てて階段に向かった…
その時 ドドドドドドドン と階段から音がした。
茉奈が階段下倒れ、頭から血を流し微動だにせずに横たわっていた。
茉奈の元に着いたとき、姑の部屋がすっと閉まるのを私は見逃さなかった。
意識のない茉奈を抱き寄せ声が渇れるまで名前を呼んだ。
救急車…呼ばなくちゃ…動揺と焦りで上手く話せない。
『娘が…娘が…動かなくて…うっうっ』
それしか話せなかった。
救急車の音がだんだんと近づいてくる。
私は胸に茉奈を抱えてただただ泣いていた。
このときすでに茉奈の呼吸は止まっていた。
『茉奈ちゃん茉奈ちゃん』
救急医のいる病院へと運ばれたが、その甲斐虚しく茉奈はわずか8ヶ月でこの世をさった。
主人に電話をしなければならない。
だけど、私の頭は思考が停止し、思い浮かぶのは茉奈が産まれてから今までの、たった8ヶ月だけど、山のような思い出が走馬灯のように巡り、茉奈の遺体の隣で『茉奈ちゃん茉奈ちゃん』と繰り返し溢れても溢れても止めどなく流れる涙で何をすることもできなかった。
茉奈が救急車で運ばれる最中、姑は自室から出てこなかった。
本来なら娘の心配が第一なのだろうが、私の頭は(あいつがやったに違いない)と、鬼の形相だっただろう。
茉奈はハイハイは出来ない 階段まで上がれない。家に居たのは私と姑と茉奈だけ…
怒りで全身が小刻みに震えていた。
救急車の中で茉奈が処置してる姿をじっと見ていた。
まだ夢なんじゃないかと思った。
信じたく無かった。
耳に聞こえるのは、救急救命士さんの『輸血』とか『脈拍』とかそんな単語が聴こえていた。
病院に着いたとき、すでに茉奈は心拍停止状態。
時間差で病院についた旦那が茉奈にしがみついた
『茉奈~なんでだよ』『パパとディズニーランドいくんだろ?』
私はその時になって走馬灯のように、茉奈を子の手に抱いた瞬間から、ミルクを飲ませてる愛しさ。私だけにみせた笑顔。テレビに釘付けになる姿… 思い出せばきりながい、感情が溢れだし、始めて声をあげて泣いた。
『茉奈ちゃん茉奈ちゃん茉奈ちゃん…』
冷たくなったお手てを握ってたくさんたくさん泣いた。
やっとやっと会えたのに、もうさよならなの?
元に 戻して…
神様。私の生き甲斐を天使を…返して。
最悪の娘、茉奈は8ヶ月という短い命でこの世を去った。
私はどんな風に葬儀を行なったのかも全く分からなかった。
毎日、生きてるのか死んでるのか分からない時を過ごした。
茉奈がこの世に居ないなど信じられずに居た。
定時には茉奈に離乳食を準備し、居ないのだとまた実感した。
夜になるとぽろぽろと涙が溢れだし、茉奈の笑顔や泣き声や笑い声が脳裏に浮かぶ。
茉奈 茉奈 茉奈…
寂しいよね?
ママに会いたいでしょう?
ママも ママも 茉奈に会いたい。
ママも、もうこの世に居る意味が無くなってしまったよ。
パパと別れるのはツライけど、茉奈が居ない日々がママには耐えられないの。
茉奈が居たからママも頑張れたの。
だから、茉奈待っててね。ママにはもうちょっとお仕事があるから…
茉奈が死んでから半月、私はようやく話す事が出来るようになったが、事故の詳しい内容は語らなかった。
姑はもう忘れているだろうし、主人に話した所で、所詮認知症の姑と娘の監視をしてなければならないのは私だったのだ。
主人には私が茉奈を抱きながら階段でつまづいて転んだと話した。
主人はそれでも私を責めようとはしなかったが、やはり落ち込みはひどく痩せていった。
私にはそれでも姑の食事だけは毎食用意していた。
これは私のプライドなのか意地なのか、わからないけれど、それだけはどれ程に姑が憎くとも、長男の嫁である私の勤めだと思っていた。
私は姑を殺そうと思っていた。
そして私も死のうと思っていた。
1日もでも一秒でも早く茉奈に会いたかった。
会いに行きたかった。茉奈を抱き締めて、あの笑顔が見たかった。
たまらなく辛かった。
茉奈を奪った姑への憎しみで、私は姑を茉奈と同じ目に合わせたいと、茉奈が死んでからずっと考えていた。
今までの私のこの苦労や苦悩と一緒に一思いに階段の一番上から突き落とそう。
そして私は笑うんだ。
やっとやっと茉奈に会えると。
私は最早元の私では無くなっていた。
いつにしようか…
今すぐでも構わない。
証拠やら何やら考える必要もない。
どうせ私は死ぬのだ。
ボゥー…っと天井を見上げた。
『スゥ…スゥ…』
隣からぷーの寝息が聞こえる。
私はぷーの方へ体を向けた。
『ごめんね。あなたはどんなに寂しくても、どんなに辛くても、どんなに痛くても生きているのに…こんなに弱いママで。』
子供みたいに育ててきたぷーを置いて行く事を考えたらぽろぽろと涙が溢れてきた。
何も分からないぷーを思うと決心が鈍った。
その日は結局実行出来ずに終わってしまった。
次の日。
死んだときの為に色々整理して置かないと…と考えていた。
写真や手紙、洋服や家具…
何気なく身の回りにあったものを1つずつ手に取り、片付けた。
写真を一枚一枚見ていたら、勝手に笑ったり泣いたりしていた。
ぷーが我が家に来たときの写真。旦那と変顔して撮った写真。茉奈が産まれた時の写真。
ついに、私は嗚咽を漏らしながら泣いた。
悲しかった。どうしようもなく悲しかった。
せめて、遺書を用意しようと思った。
(他人を殺して遺書かよ…)
自分でも可笑しかった。
遺書くらい綺麗に残したい。
私はしばらくぶりにデパートへと出向いた。
久しぶりに外の空気を吸った。
だけど、結局何をしていても頭の中は姑への殺意や、旦那との思い出、茉奈への恋しさが消えずに、気が晴れなかった。
ふと立ち止まると、ラインストーンのお店が目に入った。
以前、旦那と茉奈と3人で来たことがあった。そして茉奈の守護石を私が購入して、今でも胸に付けている。
ベッコウ色に輝く綺麗な石だった。
結局茉奈を守る事が出来なかったけど、私はその石を外せなかった。
茉奈の魂が宿っている気がして外せなかった。
人にぶつかられて我に返った。
『スミマセン』
小さな声で謝ったが、大きな声で話ながら歩いてるカップルは全く私には気づいてにない。
この世にひとりぼっち… 私一人くらい居なくなっても世界は変わらない。
早く茉奈のとこへ行こう。1日も早く。
家に帰ると私はペンを握った。
『パパへ
たくさんたくさん言いたい事があったのだけど、なんだか胸がいっぱいでまとまりません。
パパが大好きでした。ずっとずっと一緒に居たかった。
おじいちゃんおばあちゃんになっても一緒に居ると誓ったのに、守れなくてごめんなさい。
茉奈が居なくなって、私は私で居られなくなりました。
どうしてもどうしてもあなたのお母さんが許せなくなってしまいました。
貴方を一人にしてごめんなさい。
こんな私を死んでも許さないでね。
貴子』
書いている間に止めどなく流れ出た涙が、所々文字を滲ませた。
あとは
あとは
殺すだけ…
明日は姑はデイサービスが休みだ。
明日にしよう。
『ただいま~』
いつもと変わらず旦那が帰って来た。
『どうした?泣いたりして』
(あれ?私、泣いてたの?)
『玉ねぎ染みてさ~』
普段台所には入らない旦那は疑いもせず笑った。
最後の晩餐…
旦那の大好物のカレーだ。
泣いたらダメ…
ほんの少しの言葉や仕草もこれで最期になるのかと思うと泣きそうになった。
そんな私の気も知らず、姑が来た。
『髪の毛伸びてきた切りたい。予約して』
散髪は1週間前にしたばかりだった。
何度説明しても納得しなかった。
最後くらい邪魔しないでくれとおもう反面、これが最後の質問攻めか…と気持ちを大きく持てた。
その晩は朝まで旦那の寝顔を見ていた。
そしてとうとうその日は来た。
私は自分でも驚くほどに冷静だった。
茉奈の痛みに比べたら人一人殺すくらいどうって事ないと思った。
旦那がいつも通りに出勤する後ろ姿に『さよなら…パパ。ごめんなさい』と呟いた。
さぁ これで何もかも終りだ。
鏡を見た。
死んだとき綺麗にしてないとな…
顔を洗って歯を磨いた。流しに姑の食べかすが詰まってるのを目にし、吐き気がした。
終わりにしてやる。
今度こそ、本当に…
憎しみとは人格までもを変えてしまう力があることを、私は身を持って知った。
ぷーを思い切り抱き締めた。
好きなタバコを思う存分に吸った。
好きだったパチンコにも行った。
両親や妹には会わなかった。きっと弱くなるから…
もうやるべき事はやった。
時計は午後3時45分を指していた。
よし…
やろう!!
私は大きく息を吸った。
茉奈、ママが敵を打つから。
遺書をテーブルに置いた。
私は2階へ姑を呼び出す為に2階から姑を呼んだ。
『おかあさ~ん、ちょっと手を貸してください』
普段私に呼ばれることのない姑は『なになになになに』とずっと繰り返しながら、私が立っている頂上までスタスタと上がってきた。
(何がお風呂に入れないだ…?頭が洗えないだ…?ご飯が運べないだ…?作れないだ!?そんなにスタスタ歩いて!出来ないんじゃなくて、やらないから頭だけが呆けたんだろーがー!)
今までの怒りが蘇って来た。
姑の一歩一歩がスローに見えてきた。
あと5段。
4段…
今、私には自分の心臓の音しか聞こえなかった。
3段… ドクン ドクン
2段…… 終わるんだ
1段…… 茉奈
0…
『死ね━━━━━』
叫んだ。
私は両手を思い切り姑に向かってつき出そうと、重心を後ろに引いた。
その時…
ピンポーン
玄関のチャイムがなった。
ハッ!!我に帰った。
誰!?
バタン 玄関が開いた。誰かが入ってくる。
旦那だった。
(どうしてこんなに早く?)
『どうした?2人でそんなとこに立って。今日貴ちゃん誕生日だろ?ホラ、ケーキ買ってきたんだ。午後はシフト埋めて早めに上がってきたんだ。』
何も知らずに微笑む旦那。
『あ…あ…』
私は声が出なかった。
その場に居られなかった。私は姑の横を通り抜け、階段を駆け降りた。
『ごめんなさい!』
それだけ叫ぶと、玄関に置いてあった自分のお財布だけを握り締め、家を飛び出した。
馬鹿な 馬鹿な…
涙が溢れてきた。
私の誕生日?
忘れていた。
旦那が覚えていてくれた。
嬉しかった。
今までの苦労は何だったのか、さっきまでの私の激しい殺意は何だったのか。
こんなに嬉しいと感じたのはいつぶりだろうか…
もう、もう充分だ。
私だけ茉奈のところに行こう。
私が茉奈を愛したように、あの姑もいつかは旦那を一生懸命に愛し、育てた。
今も大切な息子に違いない。
茉奈が生きていれば、きっといつまでだって愛しい娘に違いないのだ。
親子でなら、きっと仲良く暮らして行けるだろう。
誕生日、覚えていてくれてありがとう…
あっちで茉奈に話すね。
私は必死に走った。
冷たい風が頬を刺す。
涙と鼻水と垂れ流しながら走った。
どこを目指してるのか分からずに必死に必死に走った。
どれくらい走ったのだろう…
力尽きて座り込んだ。
回りには家はほとんど見当たらない。
どうするか…
どこで死のうか…
手には財布のみ。
中身を見ると一万円札1枚と千円が3枚と小銭が少々入っていた。
遺書もそのままにしてしまったし、姑には『死ね』と叫んでしまった。
旦那は捜索願いなんか出してないだろうか…
寒い。上着も着てこなかった。
予想外の出来事に動揺していた。
遠くにコンビニの灯りが見える。
とりあえず、そこまで歩いた。
駐車場にパトカーが止まっていたので、思わず物陰に身を隠した。
やがてパトカーは去った。
店内に入ると暖かな空気が私を包んだ。
田舎の見たことが無いようなコンビニだった。
トイレを借りて鼻をかんだ。
店内に戻る。
温かいお茶を手にした時、有線で久保田利伸のmissingが流れていた。
I love you 叶わないものならば いっそ忘れたいのに 忘れられない全てが I miss you 許されるものならば 抱き締めて居たいのさ 光の午後も 星の夜も
だめだ こんな時にこんな曲を聞いたら。
私はお茶を握り締め、その場にしゃがみこんで嗚咽を漏らした。
柔らかい感触が左の二の腕を引き上げた。
『どうしたの?何か悲しい事があったのね…』
そこにはこの店の店主らしい60代くらいの、ふっくらした優しそうな女性が微笑んでいた。
店内には私達二人きりで客も居なかった。
『こんなに手が冷たいじゃないの。こちらへいらっしゃい。』女性が笑って事務所らしき場所へ私の手を引いた。
『ここへ座ってね。』女性がパイプ椅子を引く。
私は言われるまま腰を下ろし『すみません』と言った。
女性はそれには答えず『こんな田舎で、こんなに寒くちゃ、お客も来ないわ。客ったって近所のおばあさん達が暇潰しにお喋りしにくるくらいでね~』
話ながらお茶っ葉を急須へ移していた。
鼻をすすると女性は無言でティッシュを差し出してくれた。
私は優しさにまた涙を流し、今までの事を話した。話したと言うより自然に話出していた。
誰かに聞いて欲しかったのかも知れない。
目の前にお茶が出された。
湯飲みの飲み口が少し欠けてるのを見て、何故だかこの女性の優しさが伝わって来た。
全て話し終わって、私は我に返った。
『あ…すみません。私つい…』
女性はまだ変わらずに微笑んで頷いていた。
『大変だったわね。よくがんばって来たわね。辛かったでしょう…』
私の手の甲を優しく撫でてくれた。
母を思い出した。
言って欲しかった。してほしかったことを、名前も知らない知り合ったばかりの人がしてくれている。
本当の温もりを感じた。それは、茉奈が産まれて初めて茉奈を抱いた時の温もりとよく似ていた。
『あなたが泣いてたら、天国の茉奈ちゃんが悲しむわ。ママ、泣かないで。って言ってるわよ?』
私はようやく笑えた。『そうですね』
『しばらく家でゆっくりすればいいわ。どうせ一人で暮らして退屈なの。私と似て太った猫が一匹居るけれど』と女性は笑っていった。
私もつられて笑っていた。
どうして私はここに居るんだろう…
どうしてまだ生きているんだろう…
結局女性に連れられて、女性の自宅に来ていた。
『すぐに暖めるわね』
そういって電気の紐をカチカチと引っ張った。
(うわっ久しぶりに見た。この電気)
女性の名前はどうやら佐伯さんと言うらしい。
玄関のポストに手書きでそう書いてあった。
『そこに座って』指差された座布団はひんやりとしていて思わず身震いをした。
手が勝手にこたつ布団を膝に掛けた。
『キャ!』
こたつの中から真っ黒な小太りの猫が飛び出して来た。
『あっそうか。あなたも居たんだっけね。おいで。』
手を差し伸べたが猫は警戒してジッと私を見ている。
『ごめんなさいね。その子、私意外になつかなくて。野良猫だったのよ。いつの間にか家に住み着いちゃって。こらクロちゃん。仲良くしてよ』
佐伯さんは台所で何やら忙しく動きながらそう言った。
(あなたもツライことがあったの?)
暖かな場所を見極める力は人も動物も変わりないのだと思った。
佐伯さんは本当に暖かな人なんだと実感した。
それから3日が過ぎた。
私はこの3日、佐伯さんのでずっと過ごした。
頭の中は旦那の心配でいっぱいだった。
(お義母さんの世話はどうしてるだろう…食事はちゃんと摂れてるだろうか…私はもう死んだと思ってるだろうな…)
クロは相変わらず、私と一定の距離を保ち、時折ジッとこちらを長いこと見つめていた。
佐伯さんは朝から夕方まで仕事に出かけていた。その間、庭を眺めたり、クロに話し掛けたりしながらぼーっと過ごした。
そして彼女は私に自分の事を多くは語らなかった。いつも私の話の聞き役に徹していた。
ただひとつ、ぽつりとこう言った。
『私もね、娘が居たのよ。だけど、私の中ではずっと2歳の時のまんま…』
私はその言葉に対して、果たして質問していいのか分からず何も言えなかった。
と言うより、言えなくなった。
佐伯さんはもっとツライ過酷な過去があったに違いないと、人柄や話し方から見て取れた。
なんだか自分がちっぽけに感じたのを思い出していた。
もう、ここにもお世話になってられないな…
佐伯さんの笑顔を思い出しながら考えていた。
緑の古びたテーブル、籠の中のみかん、毛糸で編まれた炬燵がけ、皆、古いけど大切にされていた。全てが佐伯さんの人生に見えた。
私は大きく息を吸った。
そして置き手紙を書いた。
出ていこう。
『ありがとうございました。こんな私にお声をかけてくださり、感謝でいっぱいです。また、遊びに来ます』
来ます。としたのは佐伯にこれ以上心配させたくなかったからだ。
私は次の日の早朝に財布の中から1万円札と手紙をミカンの籠の下に挟んみ、静かに玄関までの廊下を歩いた。
廊下はときおりミシッ ギッっと鳴った。
玄関にしゃがんでブーツをはいた。
ガラス張りで木の枠の扉でなかりふるかったので静かに開けるのに苦労した。
ガタッ 全身の神経を手に集中させた。
その時…
『ニャ~』
振り向くとクロが玄関にお座りをしてこちらを向いている。
『クロ、さよならしに来てくれたの?』
私はクロの前にしゃがみこんで小声で言った。
するとクロは私の頬に顔を擦り付け、喉を鳴らし鼻を舐めた。
その時何故か茉奈に甘えられた温もりと同じ物を感じた。
『ママ』茉奈が笑っている顔が浮かんだ。
『そうね、茉奈ちゃん。ママ、茉奈の分もしっかり生きなきゃね。そっちに行くまでちゃんとお利口に出来る?』
『ニャ~』またクロは私を舐めた。
『クロが寄っていくなんて、よっぽどよ?茉奈ちゃんが乗り移ったのかしらね。うふふ』
いつの間にか佐伯さんが立っていた。
相変わらずニコニコしている。
『さぁ行きなさい。』
佐伯さんが私のおりを軽く叩いた。
『はい!ありがとうございました。クロありがとう。』
私はまた走り出した。
私はもう一度旦那に会いたい。
茉奈が居なくても旦那と居たい。
走って走って走った。
私は自宅の前の道路を挟んだ電柱の影に隠れて自宅をみた。
たった3日しか開けてないのにひどく懐かしい。
すると玄関から傘をさてゴミ袋を下げた女性が出てきた。視力は悪いが男か女かは分かる。
あいにく雪がふっていて見にくい。
今日は確かにゴミの日。
誰?
目を凝らした。
するとその女性はゴミ捨て場を通り過ぎ同じ場所をぐるぐる回っている。
?
知り合いの奥さんが女性にこっちですよと促していた。
傘が降りた。
!!お義母さん!!
ゴミ捨てなんかやらなかったくせに…
私は無意識に走り出していた。
その場に行くと『すみませんすぐ忘れちゃって(笑)』と奥さんに言った。
やがて奥さんは去り、二人きりになった。
『お義母さん、もう普段からやらないから分からないんだからね!自分の息子に恥かかせる気?』
ゴミをゴミ入れに入れながら言ってやった。
姑をみた。
泣いていた…
『殺してくれたら良かったのに。貴子さん、生きてて良かったわ。』
並んで歩くのはまだ抵抗があったから『風邪ひくから』と先に自宅へ行った。
『ゴミ捨て分かった?』
旦那が何処からか叫んでいる。
『うん…わかってるよ。いつもの仕事だから。』
ドカドカドカドカ 大きな音がした。
目の前に靴下片方で寝癖だらけで、私の大好きな旦那が居た。
『た…貴子。生きてたのか…俺はてっきり』
そう言って泣き崩れた。
『すまなかったなぁ。お前をあそこまで追い詰めて』
何を言ってるのだろう。私は貴方の母親を殺そうとしたのに…怒鳴り付けて、何しに帰って来たんだと罵ってくれればいいのに。
『私こそ、とんでもないことしようとして、ごめんなさい。』
『帰って来てくれてありがとう。』
旦那は私の太ももにしがみついていた。
私はやっぱりこの人を愛している。
家を見渡すとたかが3日でひどく散らかっていた。
私は帰ってくる運命だったのだ。
神様が、茉奈が、佐伯さんが、クロが、再びここへ導いたのだ。
頑張りなさい。あなたなら大丈夫よと…
昔、聞いたことがある。神様はその人に乗り越えられない試練は与えないと…
『私、茉奈の為にも強く生きていくから。』
旦那はただ微笑んでいた。
気付くとぷーが私の足の匂いをクンクン嗅いでいる。
(きっとクロの匂いがするんだわ。ぷーだけにはお見通しかもね。)
『さてと、片付けますか~』
シャッ シャッ シャッ
外をみると姑が同じところばかり掃き掃除をしていた。
私と旦那は目をあわせて困った顔で笑った。
まだまだ困難は耐えないだろうけれど、私は人の優しさに触れ、生きて行くと決めた。
長男の嫁として…
━完━
これがほんとの話だったら、姑は犯罪者ですよね。
子供さんが亡くなった時、警察は来なかったのかな?
姑が突き落として亡くなったのと、抱っこしたまま落ちて亡くなったのとでは、検死したらすぐわかると思いますよ。
冷たい言い方ですが、姑さんを刑務所に入れて、ご主人と仲良く暮らした方がよかったと思います。
私だったらそうします。
そこまでして嫌いな姑かばう必要ないと思いました。
納得いかないです。
皆様、事務的ですみませんです💦
なかなかゆっくり携帯をいじれなくて、ようやく落ち着きました。
すみません。初めは9割実話だったんですが、途中から早く書きおわさないとと焦り、フィクションです。
自分でも納得のいく終わりかたじゃないので😫
ご意見ありがとうございました。
ちなみに娘は生きてます。
>> 138
うちの母親が、義母(私の祖母)を10年介護しました。
最初の5年はつらそうだった。
徘徊し、うんちを壁にぬる。いなくなる。夜中に冷蔵庫をあさる。
口癖は
【食べてない、食べてない】
朝ご飯食べさせた直後にそう言い始めます。
一度だけ 母が義母を叩いたことがありました。
母も限界でした。
他人が来れば
【あら、いらっしゃい】
と 認知症なりに突然しっかりするので なかなか認定もらえず、最初の5年は 大変でした。
買い物へ出かける際にも
【かわいそうだけど…危ないから仕方がない】
と、義母足を紐でくくりつけ、動けないように…。
母も急いで帰ってきていました。
ゆっくりショッピングしてた生活が嘘のようでした。
あとの5年は完全に寝たきりで、週に1日デイサービスへ行く以外は母が介護していました。
本当にニコさんの大変さ わかります。
きれいごとでは済まないです。
それでも 母は 義母がなくなったとき泣きました。
死なないで。
大好きなのに って。何度も。
私も泣きました。
昔元気だったころ 優しかった大好きなおばあちゃん。
認知症になっても 時々 素に戻る時間に
【忘れることがこわい】
と 泣いていたおばあちゃん。
認知症になりたくてなったわけじゃない。
いじわるでうんちを壁にぬってるわけじゃない。
イライラしても、根底ではそれを理解していた。
介護は大変。
でも誰もが通る道。
それでも愛があるから大切に出来た。
ニコさんの義母さんが計画的に認知症を演じていたかフィクションだそうなので真相はわかりません。
でも、娘を死んだことにしてまで義母を殺す設定には悲しくなりました。
てっきりノンフィクだと思って読んでいて… 辛いだろうな、悲しいな。
自分も子供を殺されたら何をするかわからない。
と、同じ子供を持つ母として涙が出ましたが……
子供は死んでなかった。
今 ニコさんに言いたいことは、
大変は本当に大変。
大変すぎてがんばれ とも言えない。
だけど、義母には優しくしてあげてください。
お願いします。
ずっと読ませて頂いてました😺
途中 娘さんが階段で……のところ 9割実話だということで 交通事故現場をまのあたりにしてしまったようなショックだったんですが 生きていらっしゃるということで すごくホッとしました😩
私も今、ニコさんと同じような状態で毎日暮らしています
大変ですよね⤵
ニコさん たまには沢山息抜きしてくださいね🙇
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