長男の嫁
『ただいま帰りました~』
玄関から姑の通う老人ホームの女性スタッフの甲高い声が聞こえた。
同時に愛犬でプードル犬のぷーが吠えながら玄関へ走った。
やっと寝かしつけた生後3ヶ月の茉奈が泣き出す。
『ハァ』
私はため息をつきながら玄関へと向った。
新しいレスの受付は終了しました
『田中さん。また来てくださいね』
小柄でメガネをかけ、年齢不詳な女性スタッフは、また甲高い声で姑に満面の笑みを向けていた。
(何がまた来てくださいねだよ…毎日一緒に暮らしてみろ。そんな台詞死んでも言いたくなくなるわ)
と、頭の中で思いながらも、私はお世話さまでしたと作り笑いをした。
スタッフが居なくなると、私は姑と目も合わせずに茉奈の待つリビングへと向かった。
姑は今年で68歳になる。
3年前に舅はガンで他界した。
姑は舅の入院中ずっと付ききりで看病していた。
優しく、おおらかな姑とは正反対に傲慢で短気な舅だった。
あっ…おおらかなではなく、正しくはおおらかだったになる。
舅が他界して1年が経った頃から、姑の心と体が破壊されていった。
姑はその頃一人暮らしをしていた。
主人も主人の弟も舅の勧めでコンビニを経営していた。
主人は地元から離れた観光地で、弟は地元で営んでいた。
私達夫婦は弟夫婦が姑の家から車で5分程度の場所に住んでいることで、そう心配もせず、店の近くにアパートを借りた。
姑の家までは車で約1時間位の場所だった。
このときは結婚して店も出したばかりで、幸せだったと今は思う。
これから起こる不幸など考えるよしもなく…
弟夫婦は私達よりずっと先に結婚していて、小学校4年生になる子供も居た。
お嫁さんも弟より10コ年上で、私より15コも年上だった。
だからって安心したのが間違っていた。
年上女房は金の草鞋を履いてでも探せと言うが、これほど気の利かない女がこの世に居るのかと、驚かされた。
あれほど近くに住んで居て、弟夫婦はお金を工面して欲しい時にしか姑に会いには行かなかったのだ。
当時、無職になっていた姑は舅が亡くなった時の保険金も、コツコツ貯めた貯金も全て弟夫婦に渡して居たことを、後に姑の通帳を管理する事になった私が見つけることになる…
舅もお金も仕事も無くした姑は、日々弱って行った。
久しぶりに主人と姑に会いに行った時の衝撃は、今でも忘れられない。
髪はボサボサ
体は骨と皮
締め切りの部屋には 体臭が立ち込め
絨毯には髪の毛と、フケのようなものがビッシリと落ち…
歩けば靴下にたくさんフケが付き、見ただけでゾッとしたし、その時姑がフラフラした体で運んでくれたお茶は、グラスがひどく汚れていて、私は咄嗟にお茶もいつ購入したものか分からないと思い、手をつけられなかった。
しばらくして姑の家の隣に住む自治会長から家に電話があった。
姑が夜な夜な外を徘徊し、お葬式はいつですかなどと近所に聞き回っていますと。
次の日、様子を見に行った時には、部屋中に便がこびりついていた。
部屋は悪臭を放ち、私は込み上げて来るものを飲み込み、涙目になりながら掃除をした。
この時から姑は便が喉まで来ている。と何度もいうようになった。
そしてついには寝たきりになった。
寝たきりになったと分かっても、弟夫婦は全くと言っていい程、姑の面倒を見なかった。
私は毎日毎日食事をつくり、往復2時間かけて姑の所へ通った。
主人によろしく頼むと頼まれていたし、私が昔、介護職に携わって居たこともあってか、この成り行きは自然だった。
仕事は主人が短めにシフトを組んでくれて居たので、しばらくは仕事と姑の世話に明け暮れた。
築50年は経つだろう、姑の家は、古い貸家の様な造りで、歩くとギシギシと鳴った。
そんな狭い部屋でのオムツ交換は、真冬だろうが窓を全開にしないと、すぐに全室に匂いが立ち込めた。
早く介護認定頼まなくちゃ…と思いながら私は目まぐるしく過ぎる毎日を過ごしていた。
当時、私は26歳、主人は8コ年上の34歳だった。
店はまだ安定せず、スタッフは何か分からない事があると、時間を問わず電話をかけてきたし、急に休みますと言われたら、日勤だろうが夜勤だろうが、代わりに出勤した。
子供が居ないのが救いだった…。
私も主人も心身共にくたくただった。
回りの友達がお洒落や育児を楽しくしてるなか、私は化粧もせず、仕事と介護に明け暮れた。
まさか26にしてこんな日々を送るなんて思っても見なかった。
寝返りも出来なくなった姑に、しばらくすると、臀部に直径10センチ程の大きな床擦れが出来た。
こうなると治療が必要になる…
主人と私は考えた末、私の家に近い病院へ姑を入院させた。
主治医に『こんなに痩せて、この年でこんな床擦れが出来るなんて、これはカヘキシーだな』
と言われた。
つまり、末期のガンだと…
私は正直、安堵したのを覚えている。
あぁ…これでもうこの生活から抜け出せるんだ…と。
姑も入院生活が続き、毎日病院に着替えなど届けていたが、以前に比べたらずっと安定した生活に戻った。
私の持病であるパニック発作は時々出たものの、それでも、ずっとずっと楽になれた。
ところが、半年が過ぎた頃、ガンではないと主治医に言われた。つまり誤診だ。
私はまた姑が元通りになれればそれが何よりと、その時は本当にそう思っていた。
実際、姑は車椅子から歩行器に変わり、体重も20キロは太り、見た目には健康そのものだった。
この頃から、もし姑が退院しても、『もう一人にはさせられない』と主人が言った。
私は家を建てることを提案した。
主人はすぐに承諾し、話はトントン拍子に進んだ。
姑が退院する前には新しい家は立ち上がった。
そして 地獄の日々は始まるのだった…
その半年後、姑は退院してきた。
もう自立して歩けるし、トイレも自立した。
ただひとつ、食事だけは絶対に作らなかった。
私がどんなに疲れていようが、食事は全て私が用意するのが当たり前で、それに関して姑もなんの労いもなく、私は姑の神経を疑い始めた。
何故なら主人からは『かぁちゃんは料理が好きで、めちゃめちゃ上手いんだよ』
とよく聞かされていたのだ。
姑は毎日何もせずに日々、当たり前のように食事を食べ、あとはずっとゴロゴロしていた。
退院してすぐは私も仕方がないと、何も言わずに居たが、半年、一年と経つうちに私にとって姑は、うっとおしく、そして憎く、腹が立つ存在へと変わっていった。
それから姑は時々もの忘れをするようになった。
はじめはほんの小さなことだったのだが、それがだんだんと物忘れから『執着』へと変わっていった。
その執着やこだわりは私の精神をも破壊し、私は休養の為、仕事を辞めた。
それでも毎日毎日姑の質問攻めは酷くなる一方だった。
さすがの私達も、普通とは違う姑の様子に、疑問を抱き、精神科へ連れて行った。
2時間待たされて、脳のCTと認知症の簡単な検査をした。
結果は認知症ではなく、うつ病だった。
それともうひとつ、強迫性障害。
すぐに介護認定を申請した。
もう 私達の力だけではどうにもならなかった。
姑の『執着』から一刻も早く逃れたかった。
私は
『もう死んでくれ』といつも思うようになっていた。
殺してしまうまで、もうギリギリの所だった。
そうなる前に、私は助けを求めた。1日、数時間でもいいから姑から解放されたかった。
姑の介護認定の結果は要介護1。
とりあえず、デイサービスには行ける。
すぐに手続きをし、週3回、姑をデイサービスに通わせた。
それでも それでも私は足りなかった。
姑のこだわり…
それは 本当に些細なことである。
例えば
『明日の朝ごはんのパンを買ってきて』
『今日のお昼は貴子さんがつくってくれるの?』
『晩御飯は貴子さんがつくってくれる?』
特に執着してたのがこの3つである。
貴子とは私のことだが、この質問を、朝から晩までずっとずっとずっと言い続けるのだ。
最初は『用意しますから心配しなくて大丈夫ですよ』なんて優しく言って居ても、20回…40回…100回…
『何回も聞かないで』
『作るって言ってるでしょう!』
『うるさいよ!』
物を投げつける。
最終的には涙しか出なかった。
どうして分かってくれない?
どうすればいい?
病気だから仕方がない。
頭では理解していても、心はズタズタだった。
このくらいで大体の私の姑への気持ちの変化や生活は分かって頂けただろう…
泣いていた茉奈を再び寝かしつけ、
『ばあ様、帰って来ちゃったね』
と小声でぷーに話しかけた。
ぷーは家を建てた時に、主人が私にプレゼントしてくれたのだ。
まだ茉奈も産まれて無かったので、まるで我が子のようにぷーを可愛がった。
ぷーは私の問いかけに少しだけ首をかしげ、尻尾をふり、自分の物と認識している窓際の座布団にうずくまり眠りについた。
さてと… 夕飯作らなくちゃ。
私は台所へ向かう。
料理に手をつけようとしたその時。
キッチンの扉が開き、姑が顔をだした。
『明日の朝ごはんは何時?』
私は『わかりません。茉奈の起き方次第です。』
姑は『7時半くらい?7時半くらい?』
と何回も聞く。
『だから分からないよ!』
『7時半くらい?』
まだ言ってる。
『ハイハイ分かりました!』
その声でまた茉奈が泣き出す。
『ハァ…』
私は再び深いため息をつき茉奈を抱き上げた。
茉奈にも感情が伝わるのだろう…私は優しく茉奈に話しかけた。
『ごめんね…ママうるさかったね。怒ってないからね。ヨシヨシ』
私が笑顔になると茉奈もニコッと笑いまたウトウトし始めた。
『7時半ね7時半ね』
姑はまだ言い続ける。
私は茉奈に話しかけ続け聞こえない振りをした。
しばらくして諦めたのか姑は自室に帰って行った。
『貴ちゃん、ただいま』
主人が帰宅してきた。
主人は帰宅して私に挨拶すると茉奈に話しかける。それからぷーを撫でてから、風呂で足を洗うのが習慣だった。
それが終わったのを見計らって、私は日中のイライラを主人にぶつけた。
主人は私が姑に辛く当たっても私を叱る事は無かった。
主人は姑にも優しく接したし、私にも変わらぬ優しさで接した。
私が離婚を切り出さなかった理由もここだった。
何より主人を愛して居た。
主人も姑の執着はよく理解していた。
私の愚痴を聞き終えると『またかよ~ったくしょうがないな。貴ちゃん、聞き流してね』と申し訳無さそうに言った。
私は一瞬で機嫌が直り、料理を食卓に並べる。
主人との生活は本当に幸せなのだ。
姑さえ居なければ。
『ふぇん』
茉奈泣き声で目を覚ました。
時計を見ると夜中の3時。
『はいはい。ミルクの時間ね』
寝惚け眼でミルクを作り、茉奈を抱き上げた。
生後3ヶ月にして体重7キロ。最近は抱く度に手首がキリキリと痛む。
けれど、結婚して6年経ってやっと授かった愛娘。
痛みより愛しさの方が100倍も勝っていた。
『んくんく』と喉を鳴らしながらミルクを飲む茉奈をぼんやりと見ていると、キッチンのドアが静かに開いた。
茉奈がミルクに度々起きるので、しばらくはキッチンに近いリビングで寝たいと申し出たのは私だった。
茉奈が産まれるまでは、主人と同じベッドで寝ていた。
だが、茉奈がミルクで何度も泣くので、仕事時間が疎らな主人を気遣い、同じ2階でも別室に寝ていた。
しかし、さすがに私も寝不足で、一度寝惚けて階段から落ちたのが理由だった。
主人は『俺も手伝うよ』と一緒にリビングで寝ることになった。
静かに開いたドアの方を見ると、姑が立ちすくみ、じっとキッチンを見つめていた。
そしてキッチンに入り何やら物色している。
姑は私が起きているとは知らずに居るに違いなかった。
私は『なに?』と少し怒り口調で言った。
姑の体がビクッと動いたのが見えた。
姑は踵を返し、無言で自室に帰って行った。
1年前まで病院で歩く練習をしてたとは思えないほどの早足で…
姑は決してお腹が空いていた訳でも、喉が渇いていた訳でもなく、私が朝食の準備をしているかどうか確かめに来たのは、日々の観察で分かっていた。
(ったく、食うことしか頭にねぇのか)
私は、茉奈を寝かしつけ、再び眠りに就こうとしたが、イライラして眠れなくなり、主人のタバコをこっそり頂き、思いきり煙を吸い込んだ。
こんな夜を幾度と送っていた。
こんなこともあった。
2階の寝室で寝ていた時、話し声で目が覚めた。
(こんな夜中になに?)
私は話し声のする方へ向かった。
どうやら主人の寝室から聞こえる。
静かに覗くと、主人の寝ているベッドの上に立ち、
『タケル、明日の朝ごはんは貴子さんがつくってくれる?』
『タケルタケルタケル…』
と何度も問いかける姑の姿があった。
睡眠薬を飲んでいる姑の目はうつろで焦点が定まっていない。
主人は一度眠るとそう簡単には目覚めないので、姑の声は徐々に大きさを増した。
『タケル、明日の朝ごはんは…』
狂ってるとしか言えない光景だった。
しびれを切らした私は『いい加減にしな。今、何時だと思ってんだい』と言い放った。
姑はまたビクッとなり、またもや無言で自室に帰って行った。
姑が私を怖がり始めていた。
私も私で姑に優しくするという気持ちはとうに無くなっていた。
それどころか、毎日毎日今日はどうやって殺そうか…などと、知らぬ内に考えるまでになっていたのだ。
私の頭の中は憎悪でいっぱいだった。
私もまた狂い始めていた。
朝…
主人の出勤時間が9時と遅い為、7時までゴロゴロしていた。
茉奈はご機嫌の目覚めでなにやら天井を見上げてニコニコしている。
ぷーは毎朝私の目が覚めると、尻尾をブンブン振りながら、顔中を舐めてくる。
『くすぐったいよ~』
私は思いきりぷーを撫でた。
その間、姑がずっとキッチンと自室をウロウロしてるのを私は知っていた。
(そんなに心配なら自分で作れよ…)
毎食こうしてせかされてる生活は耐えがたかった。
朝食め昼食も夕食もすべて時間が決まっていた。
夕食の時など、茉奈の黄昏泣きとぶつかり、泣き叫ぶ茉奈を放置して姑の夕食を作ることも少なくない。
でないと廊下からずっと私を見ているのだ。それは耐えがたかった。
私は見ぬ振りをして再びぷーと遊んだ。
そして例の7時半になった時に渋々朝食を用意し始めた。
姑のこだわりは食事の内容までも決まりがあった。
朝ごはんはパンが原則だった。
しかも、1日にきっちり半分だけ食べる。
面倒だから一つ食べてくださいと言ったが、頑として譲らなかった。
つまり1つで2日持つのだが、最低2つはストックがないと騒ぎ立てた。
買ってくるまで『いつ買ってくるの?』『何日に買ってきてくれる?』と…
飲み物も同じだった。お茶しか飲まないのだが、2リットルのお茶を3本はストックしていないと気が済まない。
お茶は賞味期限が長いから、ストックは構わないのだが、姑の場合は違った。
ストックしてあるお茶の全てのキャップを開けてしまうのだ。
そしてコップに注いで飲みきれ無かったお茶は、ボトルに戻してしまう。
何度も注意したが全く直らなかった。
あんなに綺麗好きだった姑も、綺麗か汚いかの区別も出来なくなってきたのだ。
茉奈は帝王切開で出産した。
私の持病も理由のひとつだったが、問題は私の入院中に姑を一人家には置けない事だった。
こんな時くらい弟夫婦が何か言って来るかと期待もしたが、何一つしてくれなかった。
仕方なく姑をショートステイに頼むことにした。
なので前もって予定の組める帝王切開になった。
出産までもが姑の為に決められた。
予定通り茉奈が産まれ、次の日に主人が姑を病院に連れてきた。
姑は孫の名前を呼ぶわけでも、抱き上げる訳でもなく、病室で『晩御飯はネギトロ巻が食べたい』と連呼した。
さすがに助産婦さんや同室の人たちが引いていた。
私は直ぐに連れて帰ってもらった。
これから先、茉奈が増えた生活を考えると、不安でならなかった。
茉奈がお腹にいる時も毎日が苦痛だった。
つわりのひどかった時さえ、食事を作らないといけなかった。
まな板を見るのも嫌だったが、姑に何度も要求されるより、吐いていた方が何倍もマシだった。
一度本当に辛くて泣きながら寝室に閉じ籠った。
その間、寝室のドアにはつっかえ棒を取り付け外から開かないようにした。
それでも姑はドアをガタガタこじ開けようとした。
『貴子さん貴子さん開けて開けて開けて…ご飯は用意してくれる?貴子さん貴子さん』ガタガタガタガタ…
私は大きなお腹を抱えてうずくまり、両手で耳を塞ぎ、本気で居なくなりたいと思った。
涙が次から次へと溢れだした。
お腹を撫でながら、まだ見ぬ我が子に話しかけ、微笑むマタニティーライフなど、私には無縁だった。
お腹の中に居た茉奈は不安だったに違いない。ごめんね…茉奈ちゃん。
今日は姑のデイサービスの日だ。
いつも迎えに来るのは8時半頃だ。
姑は8時20分を過ぎると、1分置きにトイレに行く。
主人が『ちゃんとでてるの?』と聞くと『でてる。』とだけ言った。
(水道代勿体無い…)頭で思っても口にはしなかった。
『ワンワン』窓の外を見ていたぷーが突然吠え出した。
お迎えが来たのだ。
同じように自室から外を見ながら待っていた姑は、行ってきますも言わずに出かけて行った。
『行った行った~』
『茉奈~ママと遊ぼう』私は一度に解放感でいっぱいになった。
茉奈もニコッと笑う。
やっぱり、姑が居ない時の私が一番私らしいや…
(あ~あデイサービスの車、事故にでも遭わないかな…)
ふと、そんなことを考えた。
(今日も暑いな~)
私はすぐにその考えを忘れ、茉奈のオムツを替え始めた。
生後2ヶ月を過ぎた辺りから、茉奈をよく外出させていた。
たまたま見かけた雑誌に‘このころの母親の行動範囲が広いと感受性の豊かな子になる’と書いてあったのだ。
それから昼夜の区別をつけるにも、いい事だった。
姑が居ない日にしかなかなか外出が難しいので、姑のデイサービスの日は本当に嬉しい。
隣町に住む一つ年下の妹の家まで、車で30分弱。妹はすでに子供を2人出産しており、育児は私よりずっと先輩だった。
妹と甥っ子2人は可愛くて仕方がない。2歳になる上の子は最近は話も分かるようになり、なおのこと可愛かった。
そんな妹の家で他愛もない雑談をするのが楽しみだった。
私が私らしく笑って居られるそんな場所。
だが楽しい時間はあっという間。
時計を見ると3時だった。
『またくるね!』
重い足を引きずって車を走らせた。
『茉奈ちゃん、もうすぐばあちゃん帰って来ちゃうね…』
信号待ちでチラリと後部座席の茉奈を見た。
茉奈はスヤスヤと眠っていた。
私はクスっと笑った。
(大丈夫。私には茉奈が居るのだから)
前を向き、ハンドルをきつく握りしめ、私はアクセルを踏み込んだ。
ギリギリ姑が帰ってくる前に家に着いた。
『ぷーちゃん、たっだいまぁ』
ぷーは嬉しそうに尻尾をちぎれんばかりに振って喜びを表す。
私はぷーの頭を撫でぷーの好きな牛皮のおやつをあげる。
おやつを加えたぷーは自分の座布団に行き、夢中でかじりついた。
茉奈のオムツを替えて居ると、チャイムが鳴った。
『ただいま帰りました~』
またいつものスタッフの声がした。
(ハァ…帰ってきたか)
『はーい』
私は返事だけした。施設の人たちは赤ちゃんが居るのを知っていた為、イチイチ出ていかなくてもすぐに帰った。
姑がリビングに来た『ただいまただいまただいま』
(一回言えばわかるっつーの)
この頃の私は目に見えて姑と関わるのを避けた。
姑の吐く息を吸ってると思うだけで吐き気がした。
私はうなずく事も『おかえりなさい』とも言わずにテレビを見ていた。
姑は全く気に止める様子もなく『今日はパズルを2回やった。自転車こぎを13分やった。お昼ご飯はカレーだった。おいすなかった』と言った。
(全く人様に作ってもらって美味しくなかったかよ…しかも毎回毎回何をやったかなんて興味ないし、幼稚園児みたいに報告すんなよ…13分って細かすぎ)
私は『あのさ、イチイチ報告要らないから。ノート見れば分かるし』と喉まででかかったが、面倒になって止めた。
目も合わせずに『あっそう』とだけ伝え、夕飯の支度にとりかかった。
茉奈がご機嫌に教育テレビをみてる内にやることがたくさんなのだ。
姑に構ってる時間はなかった。
言いたい事だけ言った姑は、日記を付け始めた。
日記はそもそも姑の習慣では無かった。
きっかけは主治医に日記でも付けたらどうですかと言われたからだった。
日記は始めのころはまだ日記らしい内容だった。
きちんと感想まで書けていたが、日が経つにつれ、日記ではなく予定表になって行った。
それこそ、4日後5日後の内容まで書き記してあり、日曜日には必ず‘のど自慢を観る’とまで書いてある始末だ。
どうせ今日の日記だってお昼の内容とリハビリの内容を記してるだけだろう。
もともと字の綺麗では無かった姑の日記は、誤字脱字だらけで読めた物では無かった。
私は後で介護認定の時に見せようと企んでいた。
姑の介護度は要介護1だった。
受けられるサービスも週3回のデイサービスと、一週間のショートステイがギリギリだった。
介護認定調査は、姑と私と認定員で行われたが、認定内容は結局、寝たきりか歩行や排泄は自立しているかが主な基準になる。
全て対象外の姑は思っていた通り要介護1だった。
要支援ではないだけ有り難いと思わなくてはならないのだが、私は納得していなかった。
近い内に、再認定を申し込むつもりでいた。
歩けないだけが、オムツをしていないだけが、介護ではないのだと叫びたかった。
1日中監視カメラで撮影して認定員にみせてやりたかった。
一緒に暮らしてみろと言いたかった。
明くる日、この日はデイサービスが休みなので姑が1日家に居た。
朝から憂鬱になる…
私は姑が居るとき、笑うことをしなくなった。
茉奈を抱いている時も、姑が現れると、笑うことをしなくなった。
正しくは出来なくなった。
なにより‘笑顔’というものを姑に一瞬でも見せたくなかった。
これは『貴方がいると、私は笑えないの、不幸なのよ』という無言の嫌がらせなのかも知れない。
よく赤ちゃんは母親の気持ちを察すると言うが、本当にその通りだと思った。
姑が居ない日は私は茉奈によく歌い、よく笑い、よく遊んだ。
茉奈はそんな日は機嫌が良く、ニコニコして居たし、ぐずることもない。
だが、姑が家に居る日は、手が付けられないほどに泣き叫ぶ時もあった。
私がどんよりした気分で居れば、茉奈を悲しませる。
分かってはいても、どうすることも出来なかった。
早く何とかしなければ、茉奈の為にも…!
こんな日は早く1日が終るように祈るばかりだった。
思えば思うほど長くなる1日を、私は恨んだ。
ブヒ ブヒ…
物音で目を覚ました。
音がする方をみるとぷーが豚のぬいぐるみを振り回して遊んでいる。
(今、何時?)
時計を見ると朝の8時半だった。
(ヤバイ寝過ごした!ばあ様の朝ごはん!)
と、思ったが、昨日からショートステイで外泊していたのを思い出し、ホッとした。
隣を見ると主人も茉奈もぐっすり寝ている。
私も再び横になった。
姑と暮らすようになってから、いつも気が張っている。
昼夜逆転気味の姑は、昼夜関係なく徘徊し、あれこれ注意してきた。
寝ている間に仕事を増やされてはたまったもんではないと、昼寝さえ出来なかった。
今は茉奈も生活のリズムが出来て、昼寝をしなくても、夜一緒休めるからまだマシになったが、新生児の頃は、このままでは死ぬのではと思うほど辛かった。
今回のショートステイは5日間だけだが、ゆっくり茉奈と過ごせると思うと、それだけで嬉しかった。
私はテレビのボリュームを絞り、好きなニュースを付けた。
ニュースでは、東日本大震災で被災した、被災者の生活の様子を伝えていた。
私はぷーを撫でながら(被災した人たちも大変だろうけど、ペットたちも悲しい辛い思いをしたんだろうな…)なんて考えたりしていた。
あの日、私は妊娠7ヶ月で、たまたま友人とランチをしていた。
話好きな友人でお昼前から待ち合わせ、気付いた時には2時を回っていた。
特に予定もなく、そのまま話をしていてもよかったのだが、虫のしらせなのか、‘早く帰らなくちゃ’と思ったのを覚えている。
友人には体調が悪くなったと伝え、帰宅した。
帰宅して、ぷーと一緒に昼寝でもしようと、こたつに横になったときに、大きな地鳴りがした。
ドーーン!!
(何っ!?)
2・3秒後にガタガタと物凄い横揺れが起きた。
ぷーが私に駆け寄る。
私はぷーを右手で、左手でお腹を必死で守ろうとした。
10秒 20秒?
家中の物がバタンバタン落ちる音がした。
炊飯器が棚から落ち、テレビも倒れた。
しばらくして地震は治まったが、心臓の動悸はしばらく治まらなかった。
ぷーもずっと震えていた。
姑がデイサービスでよかった。
幸い私の住む栃木県でも、とくに北部は地盤も硬いせいか、これといった被害は無かった。
すぐに主人の職場に連絡したが、通じなかった。
実家にも、妹にも連絡したが繋がらず、不安な時間を過ごした。
それから誰とも連絡が取れない内に姑が帰宅してきた。
姑は地震があったことは覚えていたが、ニュースを見てもどれだけの事が日本で起きているか、全く理解しては居なかった。
(なんで無事に帰って来たんだよ…)
本来なら喜ぶべきことも、私には不幸中の不幸だと感じた。
夜になって、やっと皆の無事が確認出来た。
ホッとしたのもつかの間、姑が明後日の分のパンが無いと騒ぎ出した。
『おかあさん、今どんな状況か解ってるの?大きな津波で、日本が大変なんだよ。余震だって続いてて、それどころじゃ無いでしょう!』
『…』またあの目。
そして『うん。明後日のパンが無いんだけど…』と言った。
(駄目だ。話にならん)
私は姑などそっちのけでニュースを見ていた。
どうしよう。
さっきの主人の話では、お店の食料は皆まとめ買いで殆ど残っていないと言っていた。
今更遅い。とにかく皆が無事なのだから、それだけで有り難いと思わなければ。
その時また携帯が鳴った。主人からだった。
『賢也の所が被害がすごくて、ガスも電気も駄目らしい。今夜泊めてくれって』
賢也とは主人の弟だ。話によれば、嫁さんも甥っ子も来るらしい。
『大変だね。分かった。なんとかする』
私は散らばった小物などを片付けた。
(おかあさんの相手してくれるかな?だとしたら助かる!)
これがまた私の不幸の始まりだった。
そしてまだ姑は私に頻りに着いてきてはパンの心配をしていた。
20時近くになって、弟家族が来た。
『すみませんね』
賢也が言った。
『貴子さん。よろしくお願いします』
嫁の良子も言った。
『いいえ、困ったときはお互い様ですから』
私は皮肉たっぷりに言った。
私は正直、この嫁さんが嫌いだ。気が利かず、金遣いが粗い。
(あなたもどうせおかあさんのお金を使ったんでしょう?姑のことは散々押し付けといて、こんなときだけ頼るなよ)
甥っ子の学は小学校4年生にもなるのに、相変わらず挨拶も出来ずに、無愛想だ。
一人っ子で甘やかされたせいか、躾がなって居なかった。少し前、義父の法事で親戚のおじさんにお小遣いを貰った学は、『こんなのもう要らない』とぶん投げた。それを見た主人は、親よりも先に学を叱った。親も親なら子も子とはこの事だと思った。
ただならぬ気配に姑は徐々に興奮してきた。執着も増して来て、ありったけの質問をぶつけてきた。
(そうそう、いつも私がどんな思いをしてるか、見せてあげて)
弟家族の手前、いつもより優しく姑に対応した。
その日から私は大きなお腹を抱えて忙しい日々を送った。
昼間は合計6人分の食材を買いに行かなければならなかった。
賢也と良子は、昼間は仕事があるといい、息子の学だけを家に置いて行った。
小学校も開校はしていたが、親が危ないからと休ませているらしい…。
(だったらお前も休めよ)
と言いたかったが、主人の手前言えなかった。
主人にとっていいお嫁さんで居たい気持ちだけは、不思議な程変わらなかったのだ。
なので昼間は姑と甥っ子の相手をさせられていた。
テレビはニュースと同じCMの繰り返しで、甥っ子は飽きていたし、遊びに付き合うのは正直疲れた。
姑は計画停電がはじまると、仏壇のロウソクを持ち出し、危険で目が離せなかった。
ずっと気が張り詰めていた。
弟家族の家はまだまだ帰れそうに無かった。
食費も貰わずに、6人分の食材を集めるのは大変だった。
ただでさえ食材が無かったのに。
学は野菜が食べられないので献立も苦労したし、せっかく作っても気に入らないと、白飯しか食べなかった。
『学ちゃん、好きな食べ物はなぁに?』
と質問したことがあったが、『ママのカレー』と言われ、それ以来聞かなくなった。
主人は相変わらず帰りが遅かった為、食事は2度作っていた。
…が、良子は全くキッチンに立たなかった。それどころか、食器も運ばなかった。1から10まで全て一人でこなした。
お米を研いでいる私に、
『貴子さん、明日のお昼は作ってくれる?』
『貴子さん、お茶があと2本しかないんだけど』
『貴子さん、明後日のパンがない…』
『貴子さん美容室に行きたいんだけど』
『貴子さん貴子さん貴子さん…』
それを聞いていても、良子も学も何も言ってくれなかった。
(やっぱり、無駄か…)
私は姑の問いについに頭にきて、お米の入ったお釜をぶちまけた。
ただただ涙が溢れだし、一言、『どうして分かってくれないの?』と小さく呟いた。
疲れも怒りも最高潮だったに違いない。
はぁ…やなこと思い出しちゃった。
私は頭から弟家族の事を切り離し、起きる支度をした。
今日は主人が休みだ。
久しぶりにウキウキした。
茉奈と3人での外出は初めてだ。
姑がショートにでも行っていないと、こんな機会めったにないのだから…
しばらくして主人と茉奈も起きた。
『どこに行こうか~』
茉奈がミルクの時間がまめなこともあり、近場のショッピングモールへ行くことにした。
これが普通の夫婦の会話だ。
普通の家族だ。
幸せな家族だ…
こんな日がずっとずっと続けばいいのにと願った。
幸せな時間はそう長くは続かない。
あっと言う間に姑が帰宅してきた。
私は、姑と暮らす事で、最もイヤだと思うことが3つある。
一つ目は不潔なこと。
歯ブラシはいつも食べかすがびっしりついているし、口をゆすいだ洗面所は、毎回食べかすが飛び散っていた。
くしは人の物を堂々と使うし、服は洗わない。
使ったコップは洗わずにしまい、あげればきりがない。
本当に本当にイヤだ。
つわりの時期には汚れた洗面所を見るだけで度々吐いていた。
2つ目は甘えやわがまま。
何を注意しても『大丈夫』と応え、『あなたが大丈夫でも私は大丈夫じゃない』とよく喧嘩をした。
デイサービスでもパンは食べない、甘いおやつは嫌だと自分だけ違う物に替えて貰ってる始末。
髪の毛が自分で洗えないと言い張り、人に洗わせたりしていた。
デイサービスに通う前は、私が風呂で姑のお尻や頭を洗っていた。
『体が自由に動かせるのにどうして自分で出来ないの?』
と聞くと、ただ単に耳に水が入るのが嫌だと答えた。
何様だ…
そして主人の前で、『貴子さんに迷惑かけてる』と泣くのだ。
笑わせてくれる。
努力までもをしなくなった姑は、私にとってお荷物の何者でも無かった。
そんな若さで、そんな経験されるとは…お気の毒です。
担当のケアマネージャーが普通すぎますよね。
入所とか選択肢があったろうに…
主介護者の若さが考慮されてません。もっと思い切りが必要だったと思う。
残念です。
3つ目は監視や徘徊だ。
これはとくに厄介で…
私達の寝室に姑は夜中よく現れた。
用事があるときは私達を叩き起こした。
内容はいつもと同じくパンの心配や薬の心配だった。
(そんなもん明日でいいだろうが…)
そんな訳で、私達の夫婦生活もめっきり無くなった。
今にして思えば、茉奈は最後に夫婦生活をした時に授かったのだ。
他にも夜中にキッチンでお皿を割ったり、リビングで物色なんて毎日だった。
一番嫌なのは、私がリビングに居ると、5センチ程扉を開けて、片目でじっと見ていることだ。
これで何度も驚かされ、私の寿命は何年縮んだ事だろう…
とにかく早く、この気が休まらない生活から解放されたかった。
ある日、いつもの様にキッチンで料理をしていると、小さなポックリポックリという音が聞こえた。
まるで木魚を小さく叩くような音で、初めは気にせずに料理を続けていた。
それでも音が消えない。
私は音のするほうを向いた。
!!!
姑が立っていた。
その音は姑の呼吸音だったのだ。
良く見ると息を吸う時に音が鳴っていた。
病院に行くことを進めたが、姑は頑として行かないと言い張った。
その日から、呼吸の音で姑がどこに居るか分かった。
今までに増して恐怖だった。
徐々に呼吸音が近づいてくるのが、怖くてたまらなかった。
呼吸音は日に日に大きくなった。
原因は分からないし、どこで鳴って居るかもわからなかった。
姑は苦しそうな時すらあったが、
『苦しくないの?』と聞いても『苦しくない、いつもこうなる』と片言で答えた。
最近では話す言葉もおかしかった。
単語ばかりを繋げるので文章にならず、まるで外国人が日本語を話してるようだった。
(呼吸もおかしいし、言葉もへん。おかあさん、確実に進んでる。このままうまいこともっと進めばいいのに)
介護認定をあげる方法はそれしかない。
私は日々弱っていく姑を、しめしめと思う気持ちで見ていた。
『茉奈おはよう』
4ヶ月になる茉奈は、目を合わすとニコリと笑った。
可愛くて思わずおでこにキスをした。
(今日は天気がいいから妹でも誘って公園にでも行こう)
『茉奈、おばあさんもデイサービスで居ないから、お出かけしよ』
日々のストレスや暗い気持ちから少しでも解放されたくて、私は出掛けることにした。
今、私が精神的にやられたら茉奈が困る。パニック障害は強いストレスも発作に繋がる。うまく自分をコントロールしてあげないとならない。
頓服薬は眠くなるから育児をしながら服用するのは難しい。
茉奈が居なかったら、迷わず家を飛び出したかったが、茉奈を可愛がる主人の為にも、茉奈を父親の居ない子にしない為にも、必死だった。
とにかく少しでも気分を変えたかった。
私は音楽のボリュームをあげて妹の家に向かった。
妹の家に着くと、2歳と1歳の甥っ子が『茉奈ちゃん茉奈ちゃ~ん』と歓迎してくれた。
甥っ子たちは、茉奈が産まれるまでの私の寂しさを癒してくれた。それは今でも変わらず、可愛くてたまらない。
妹の明子は、良子と違い、私が具合が悪い時など、姑の食事を用意しに来てくれたりなど、度々助けてくれた頼れる妹だった。
この日は甥っ子たちとショッピングに出掛けた。
『ねぇね、見て、ガーガーあるよ』ショッピングモールに着くまでに、重機が大好きな甥っ子は、工事現場を通る度に嬉しそうにはしゃいだ。
(早く茉奈もこんなふうになったらいいな…話が出来るようになったら楽しいだろうな)
私は楽しい時間を過ごした。一つ違いの明子とは友達のように話が出来るので、主人の話や、育児の話、テレビの話など尽きることはない。
姉妹がいて本当に良かったと思える瞬間だった。
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