豊臣秀吉の女性達

レス12 HIT数 856 あ+ あ-

小説好きさん
2023/04/29 22:07(更新日時)

秀吉は女たらしとよく呼ばれるが、実は秀吉はおね以外の女性とは肉体関係がなかった。竜子とは腕を組み、淀君とは何もせず、
プラトニックな恋愛を楽しむのが秀吉であった。

23/04/28 00:00 追記
彼は病気を患っていた。子供を作ることもできず、キスや性行為で相手にこの病気を移すこともあった。又は恋人つなぎでも移ると医者から言われていたのだ。彼は竜子から腕を組まれるで満足であった。ただそれだけで幸せだったのだ。

23/04/29 07:57 追記
秀吉は梅毒だったらしく今ならば医療も発達しているから問題ないけど昔は、進行すると接触感染もしていたらしいので、性行為はもちろんのこと粘膜からの感染キスや手と手を合わせて手を繋ぐ接触も感染経路であったらしいです。

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No.3781915 2023/04/27 23:15(スレ作成日時)

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No.6 2023/04/29 07:58
小説好きさん0 

>> 1 豊臣秀頼は茶々(淀君)との間の子供では? 豊臣秀頼は作られた子供で父親はお寺の若い坊主とも大野治長とも言われております。

No.7 2023/04/29 08:03
小説好きさん0 

>> 5 信長の家臣時代から、秀吉は女癖が悪かったのは書状とかで、残ってます。秀吉が淀を側に置く以前に、秀吉の妻が信長に相談して書き残された書状が、秀… 豊臣秀吉は女癖自体は悪く、名もない女たちと遊びまくっていたために梅毒を移されたらしいです。そのため姫様たちに移さないために色んな対応していたみたいです。彼は織田信長の娘である淀君を側室に置きその子供にあとを継がせようとしました。ちなみに秀吉は束縛激しくなく長浜城の城主の時代に居た側室愛人たちは天下人になったあとは開放され他家に嫁に出されたりしております。又天下人になったあとも沢山の淀以外の側室も他家に嫁に出されたりしております。竜子とおねは出家したみたいですけど、そして淀君は織田信長の娘です。

No.8 2023/04/29 08:06
小説好きさん0 

淀君は織田信長と信長の従姉妹のお市との間に生まれた織田家純血の娘であります。もうひとり織田信長の娘が居ますが、純血の娘のほうが価値があるため、淀君に白羽の矢が立ったのであります。昔は母の身分や純血性は大切でしたので。

No.10 2023/04/29 12:04
小説好きさん0 

>> 9 茶々こと淀君とはお市を通じての父親違いの姉妹ではありますが、
淀君は浅井長政の子ではありません。浅井三代記にも記述がなくその証拠に次女の方が、初ですよ。

No.12 2023/04/29 16:37
小説好きさん0 

>> 11 一理ありますが、梅毒を移されれば淀君も妊娠出来なくなるでしょうから、多分姫君には人質の意味もあるので手はつけていないでしょう。

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