(再)ブルームーンストーン
私の勝手でスレを穴だらけにしてしまったものをまた私の勝手であらためて少しずつでも掲載させて頂きたいと思います。
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「えっ?!えっ?!神谷君って誰なのかな?」
いきなり心を読まれた様で気恥しく、わざと神谷君なる人物が誰なのか知らないフリをするも、そんな白々しい演技が通用するわけもなく、
「田村さん余裕ですね(笑)」
とマイちゃんに笑われてしまった。
神谷大輔。
18歳。
研修の合間の休憩時間には他の社員達が雑談しているのを尻目にいつも1人ウォークマンを聴きながら机に突っ伏して寝ている。
今の様に携帯電話が普及していなかった当時、自分の世界に入り込むのは専らウォークマンなどであった。
そんな彼は研修が終わるとまたウォークマンを聴きながら誰に挨拶することもなくいつの間にかサッと帰ってしまう。
しかもいつ見ても、
よく面接試験うかったね?
と言いたくなる仏頂面。
そんな彼の事は私も正直かなり苦手だったのだが、6歳も下の子に苦手意識を持っているとも言えず、
「いやぁ彼も一緒に仕事して仲良くなったら案外楽しく話してくれるんじゃないかなぁ?」
と強がるのが精一杯。
そんな私に、
「店舗配属の発表緊張しますね。」
と言いながらマイちゃんがまた笑った。
新人研修の最終日は研修自体は午前中で終わり、午後からはそれぞれの配属先が発表されて、迎えに来た配属先の各店舗の店長が自店に配属された新人を店舗に連れ帰り簡単なオリエンテーションをするというのが通常の習わしであった。
研修室に戻ると、各店舗の店長達が広い研修室の後ろに立っていて否が応でも緊張が高まる中、いよいよ配属先の発表が始まる。
名前を呼ばれた新人達が緊張した面持ちで自店の長と共に研修室を出ていく。
「次、〇〇店!ここは新店になりますからまだオープン前の店になります!
神谷大輔さん!
田村美優さん!」
……はいっ?
「はいっ!」と返事をする所を、
「はいっ?」と思いっきり疑問符を付けて返事してしまったが人事担当者の方は特に気にもとめる風もなく、
「すみません。こちらの店舗の店長がまだ来ていないのでもう少し待っててもらえますか?」
とニコニコしながら私達にそう告げた。
「あ!はいっ!わかりました!」
必死の作り笑顔でそう答えながらチラリと横目で神谷君を見ると、
相変わらずの仏頂面で、
「わかりました。」
……。
よく面接試験うかったな…
20分ほど待った頃、やっと店長が迎えに来てくれた。
うっ?!
若い。
さすがに大学生とまではいかなくても、見た目がかなり若い店長に、
「あの…店長さんですよね?」
と恐る恐る聞いてみる。
「はい。実は僕も店長に成り立ての新人店長です(笑)
22歳だから田村さんと同年代ですよ。」
歳下か…
店舗に到着して、やはり成り立ての副店長さんに挨拶をする。
成り立てメンバーばかりで大丈夫なのだろうかこの店は…
副店長は「山田勇人」
と名乗った。年齢は店長と同じ22歳。
また歳下か…
聞けば、大卒者の一部やベテラン社員は本社に配属される事が多く、現場は必然的に若い世代で構成されるという。
特に新店は20代がメインのパターンになりつつあるらしい。
なるほど。
年長者確定の嫌な予感に苛まれつつも、ここで頑張っていこうと決意を固めて横の神谷君をチラ見する。
相変わらずの仏頂面。
よく接客業やる気になったもんだ…
私の色々な不安とは裏腹に、若くして店長、副店長になっただけの事はある2人の上司はかなりのやり手だった様で、最初の頃は仏頂面を通していた神谷君も彼らを尊敬し出すと共に段々と打ち解けた態度を取る様になっていった。
やり手の店長達に加えて、店舗も今でこそ珍しくもないが、当時としては画期的な「郊外型大型店舗」
これが当たって、オープンしてから完全に人手不足の忙しさ。
他店から私と同期の新人の女の子が急遽長期応援者として来る事になった。
森崎有希。
大卒の22歳。
研修で話したことはなかったが、色白で育ちの良さそうな美人である彼女は遠目で見るにも目立っていた。
一見近寄り難い雰囲気だが、いざ話してみると上品でしとやかな外見とは裏腹に気さくで飾らない彼女はスグに溶け込み、中でも副店長、私、神谷君の4人はいつしかプライベートでも遊びに行く仲間になっていた。
有希が来てくれてから職場が一気に楽しくなった。
店長は人柄は良いが仕事にはかなり厳しい人だったし、副店長の勇人は今で言うゆるふわ系でちょっと謎な人物だし、神谷大輔に至っては上司2人には心を開いて接するものの、私には相変わらずやや冷たい態度を取りがちで、
「職場は友達作る場所ではないんだけどね。」
と自分に言い聞かせてはみるが、やはり歳の近い気を許して話せる子の存在はありがたいという気持ちに嘘はつけない。
しかも、パートさんの中に30歳の元社員の女性がいたのだがいわゆる御局様的存在の方で、色々と細かく嫌味などを言われ続けて心身共に参りがちだった私にとっては、優しくて面白い有希は天使にすら見えた。
私達4人がプライベートで仲良くなる少し前に遡るが…
有希が来て、私以上に喜んでいた人物がいた。
副店長の勇人だ。
勇人はマイペースながらも有希に何くれとなく構い、有希と勇人は急速に仲良くなっていった。
職場恋愛は禁止ではなかったし、実際何組も職場恋愛で結婚したカップルもいたからそれはそれで良かったのだが、有希の勇人に対する愛は恋愛と言うよりも友愛といったものに近く、察しのいい勇人はいち早くそれを感じ取り、職場内での恋愛のゴタゴタを避けるべく痛々しい程自分の気持ちを押し殺していた。
そんなある日、有希が帰りがけに軽い貧血を起こして座り込んでしまった。
幸い少し目眩を起こした程度で、少し休むと顔色も徐々に戻っていったのだが、勇人の心配ぶりが度を越しすぎていて、
「山田君?顔色が悪いけど君も大丈夫?」
と店長に聞かれる程だった。
「田村さん!早番上がりだったよね?申し訳ないけど1人で帰らせるのは心配だから森崎さんをタクシーで送っていってあげてくれないか?」
普段は厳しいけれど、心配性で心根の優しい店長が私に誰にも見られない様にそっと1万円札を握らせながらそう頼んできた。
こういう所も店長らしい。
拒んでも引っ込めてはくれないだろう。
とりあえずお金を受け取り、まだ少し足元がおぼつかない様子の有希を休憩室に座らせると、事務所の電話からタクシーを呼んだ。
受話器を置き、ホッと一息つくとフト店内の有線放送の音楽が耳につく。
あ…
この曲、好きな曲だ…
アーティストの名前も曲名も何も知らなかったが、その頃頻繁に有線で流れていたその曲は、甘く切なく歌っているアーティストの声にとてもマッチしていて、聴いていると胸が締め付けられる様な甘い切ない気持ちになるのが常だった。
何ていう曲かな?
神谷君なら若いし、色々音楽聴いてそうだし知ってるかな?
色々思いを巡らせていると、
「タクシーが来てくれたよ!森崎さんをお願いね。」
と、相変わらず心配そうな顔のままの副店長に声をかけられ、私は慌てて休憩室の有希を呼びに行った。
有希はタクシーに乗り込む頃にはすっかり回復していたが、心配する店長の頼みもあるしということで一応有希の家まで同行した。
有希の家に着くと、
「上がってお茶でも飲んでいって。」
という有希の誘いを断りきれず、タクシーを帰すと家に上がらせてもらう。
有希は早速店に電話をかけ店長に丁寧にお礼の言葉を述べた後、冷たい麦茶とお菓子を出してくれた。
思いやりと抜群のユーモアセンスを併せ持つ有希との会話は楽しい。
「有希ってさ、本当にいい子だよね。
みんなすぐに有希のことを好きになるよ。
あの難しい神谷君でさえすぐに有希には打ち解けたし。」
常々そう思っていたことを口にする私に有希は不思議そうに首を傾げた。
「そう…かな?
神谷君が唯一気を許しているのは美優ちゃんだと思うけど?」
えっ?
有希の言葉の意味がよくわからなかった。
先日も、「神谷君って彼女いるの?」
と聞いた私に、
「いますけどそれが田村さんと何か関係あるんですか?」
と冷たく返されて凹んだばかりだったし。
「彼女いるの?って聞いたことが無神経だったみたいで気を悪くさせちゃってね…」
と言う私に、
「あ~…神谷君、最近彼女と別れたらしいよ?
山田さんも知ってたからてっきり美優ちゃんも知ってるものだと…」
有希が言いにくそうにモゴモゴと口を濁す。
そうなんだ…
知らなかったとはいえ無神経なことを言ってしまった…
落ち込む私を慰めるかの様に、
「実は私も美優ちゃんと同じで、この前神谷君に彼女いるの?って聞いちゃったのよ。」
と苦笑しながら有希が言う。
「え?それで神谷君は何て?」
「うん。その時に、実は彼女にフラレちゃいましたぁ!山田さんに散々愚痴を聞いてもらったんですけどね!って笑って返してきたから、ごめんね!って慌てて謝ったんだけど、いやいや~元々お互いに冷めてたから当然の結果なんで、むしろスッキリしましたよ!
って笑ってた。」
えっ…
私の時と随分態度が違う。
複雑な私の顔を見ながら、
「多分…だけど…触れられたくない部分に触れられた神谷君が嫌な顔を見せた相手は美優ちゃんだけだったと思う。
そこがね、美優ちゃんと私達の違いだよ。」
と、有希は何か思わせぶりな笑顔でそう言った。
有希と話し込むうちに有希のご両親が帰って来られた。
有希のお父さんは優しそうな方で、丁寧にお礼を言って下さり、有希と共に店まで車で送って下さった。
有希が「店長の優しいお気持ちだけ頂きます。」
とタクシー代を自分で払ってくれたため、店に着くと店長に預かっていた1万円をそのまま返し、駐輪場にとめてある自分の自転車に乗って帰ろうとして唖然とした。
パ、パンクしてる…
店の近くに自転車屋さんがあるにはあったが既に営業時間を過ぎている。
ついてないな…
歩いて帰れない距離でもないし歩こうか。
と、自転車を見ながらため息をついた私の背後から突然声がした。
「何してるんですか?」
えっ?
振り返った私の視線の先には、私服に着替え怪訝そうに私を見つめる神谷君の姿があった。
「えっ?!自転車がバンクしちゃってて…自転車屋さんも閉まっちゃってるし歩いて帰ろうかと…か、神谷君こそ何してるの?」
「僕は中番なので仕事終わってもう帰る所ですけど?」
ニコリともせずに神谷君は冷たく言い放つ。
ううっ気まずい。
「そ、そうなんだね。気をつけて帰ってね、お疲れ様~」
やっぱりこの子は苦手だ…
早くその場を離れたくて
言葉と同時に神谷君に背を向けて歩き出した私の背後からまた声がした。
「僕、車で来てるんで良かったら送りましょうか?」
うっ…
はあっ…
ああっ…
……
はあっ…
ああっ…
もう…ダメ…
……
気まずい…
激しくもがきたくなるほど気まずい…
神谷君のせっかくの申し出だからと頑張って車の助手席に乗り込んでみたはいいものの、狭い密室状態の車内は沈黙という気まずい空気が蔓延している。
横目でチラチラと運転席の神谷君に目をやると、相変わらずの仏頂面で真っ直ぐに前方を見据え唇をぎゅっと噛み締めている。
何故、この人はこんなに私のことを嫌い?オーラを全開にするのだろう。
こ、怖い…
信じられない話だが、仕事中の彼はとても元気で愛想が良くお客様のウケも良い。
特に小さな子供さんと年配の方に大好評だ。
子供ちゃんが彼の今のこの顔を見たら絶対一生トラウマレベルな顔つきだよな…
「何ですか?」
いきなり神谷君が前を向いたままそう言ったので心臓が飛び出るかと思うくらい驚いた。
「いやっ、あ、あの、何か食べた?」
「は?仕事してましたから何も食べてませんけど。」
「そ、そうだよね。私も食べてない…」
シーン…
「あのっ、神谷君は実家暮らしなんだよね?家に帰ったら美味しい夕飯が出来てるからいいね。」
「今日は親が旅行行ってていないんで適当に何か食べて帰りますよ。」
「そ、そうなんだ?私も家に帰っても1人だし、適当に何か食べに行こうかな…」
何気なく呟いたわたしの一言に、
「そこのファミレスにでも入りませんか?」
と、前を向いたまま表情一つ変えずに神谷君が聞いてきた。
車の進行方向の少し先に1軒のファミリーレストランが見える。
えっ?
ええええっ?!
驚きながらも思わず
「うん。」
と答えた私の返事を聞いた神谷君の横顔が少し笑ったような気がした
ファミレスは少し混んでいたが2組目ということで、入口付近に並べられている雑貨類等を見ながら待つことにした。
「あっ!これ可愛い。」
当時流行っていた「ケンケン」という名の犬のキャラが付いたキーホルダーだ。
「あ~このキャラ僕も好きですよ。」
神谷君も覗き込むようにして嬉しそうにキーホルダーを見つめている。
「可愛いよねぇ。」
私の言葉に神谷君が嬉しそうに頷く。
あ、笑った。
私の言葉で嬉しそうな笑顔を見せてくれる神谷君の姿に心が和む。
思いのほか早くに席に案内され、すぐにそこを離れることになったが、その和やかムードは食事の間も続いた。
「ケンケン好きなんですか?」
「うん。でも神谷君くらいの年齢ならいいけど、さすがに私の歳では恥ずかしいかな?」
「そんなことないですよ。24歳なんてまだまだ若いんじゃないですか?」
「いやぁ。5月〇日で25歳になるし。」
「えっ?そうなんですか?もうすぐじゃないですか。
田村さんくらいの年齢の人でもプレゼントとかまだ欲しいものですか?」
「ちょっと!失礼だよ!いくつになってもプレゼントもらうのは嬉しいものだってば!」
「ふーん。大人の女の人のことはよくわからないです。何かもらえると嬉しいものってあるんですか?」
「そうだなぁ。ピアスとかかな?」
「ふーん。女の人ってそういうの好きですね。」
「はは…」
また気まずくなりかけた。
「そ、そろそろ出ようか?送ってくれたお礼にご馳走させて!」
私は気まずくなりかけた空気を払拭する様に言うと立ち上がった。
「え?ご馳走なんていいですよ。」
「いやいや気持ちなんだからご馳走させてよ。ファミレスだけど。」
「わかりました。じゃあ遠慮なくご馳走になります。僕ちょっとトイレ行ってから出ますから先に出ててもらっていいですか?」
神谷君の言葉に頷き先にお会計を済ませて店を出ると、少し遅れて出てきた神谷君が「はいこれ!」と私の目の前にケンケンのキーホルダーをぶら下げた。
「えっ?これどうしたの?」
「さあ?拾い物だからわかりません。」
嘘だよ。
どう見ても今買ったばかりの物じゃん。
「もらってもいいの?」
「どうぞ~食事のお礼です。」
神谷君は笑いながら、さっどうぞとばかりに助手席のドアを開けてくれる。
「ありがとう。」
車に乗り込んだ私は嬉しくて嬉しくて早速家の鍵をキーホルダーに取り付けた。
帰りの車内、
「神谷君、最近店内の有線でよくかかってる曲があるんだけど知ってるかな?」
と聞いてみた。
「どんな曲ですか?」
「えーとね、わかるかな?
ララーララーララー♪」
うろ覚えの曲をララーで少し歌うと、
「抱き~しめ~たい~。
溢れるほ~ど~の思いがこぼ~れてしまう前に~」
神谷君が歌う。
上手い…
「抱きしめたい。Mr.Childrenの曲です。」
神谷君は少し事務的にそう答えると、
「この曲、いい曲ですね。」と付け加えた。
「送ってくれてありがとう。」
と、車を降りかけた私に、
「いえ、僕の方こそご馳走様でした。」
と神谷君が頭を下げる。
「今日はいい日だった。普段あまり話すことのない神谷君と楽しく話せて良かったよ。」
「そうですね。僕あまり話すのが上手くないから…楽しいと思ってくれたのなら良かったです。
今度は山田さん達ともご飯食べに行きたいですね。」
「うんっ!行こうよ!仕事終わってから山田さんや有希も誘って行こうよ。
私、2人に声かけてみる。」
私の言葉に神谷君は嬉しそうな顔をすると、
「あの2人は本当に良い人達ですよね。あ、田村さんも良い人ですけど。」
と、ちょっと笑い、
「なにそれ?私はついでなの?」
わざと少し怒ったフリをして文句を言う私に、
「いい大人が拗ねないで下さいよ~」
と、神谷君は可笑しそうに更に笑うと、
「じゃあよろしくお願いします。
楽しみにしています。」
と、軽く頭を下げて車を発進させた。
翌日、公休で家にいた私に同じく公休の有希から昨日のお礼と、買い物に付き合って欲しいという頼み事の電話がかかってきた。
聞けば、昨日周りに心配をかけたお詫びに明日の出勤時にちょっとした差し入れを持って行きたいのだという。
いかにも有希らしい。
私は快諾し、有希と2人でスイーツの店をウロウロしながらあれやこれやと検討した。
「暑いし、日持ちのするゼリーとかがいいかなぁ?
それにしてもナタデココ入りのゼリー多いね。流行ってるもんねぇ。」
「美優ちゃんはナタデココ食べたことあるの?」
「あるよ~。最近すごくブームじゃない?だからどんなんかなって食べてみた。」
「へぇ!さすが美優ちゃん。で、どんな味?私まだ怖くて食べてないないんだぁ。」
どんな味。
う~ん。
「え、え~とね。甘いイカの刺身みたいな…」
「え~なにそれ笑
でも面白そう!これにしてみようかな。」
有希は面白そうにナタデココ入のゼリーを買い込み店を出ると、近くに美味しいパフェの店があるという有希の言葉に誘われて2人でパフェを食べに行った。
パフェは予想以上に美味しくポリュームがあり大満足の逸品だった。
「美味しい!さすが有希のオススメだけあるね!」
「気に入ってくれて良かった。
また食べに来ようよ。」
有希が満足気に頷く。
あ!食べに来ようよで思い出した。
「ねぇ神谷君と言ってたんだけど、1度山田さんも誘って4人で食事にでも行かない?」
昨日の神谷君との話を説明すると、
「うんっ!行く行く!5月のシフト表持ってるからみんなの予定出勤状況確認して日を決めようよ。」
有希はバッグから手帳を取り出すと、中に挟んであった翌月のシフト表を取り出して広げた。
2人でシフト表を覗き込む。
「え~と…
あ!この日どう?
この日は美優ちゃんと神谷君はお休みで、私が早番、山田さんは中番だから遅番よりは良くない?」
確かに。
他の日は誰かしらが遅番になっていたりしていおり、早めに行けそうな日はその日しかないように思えた。
「うん。私はいいよ~。
でも…その日誕生日なんだ…」
「えっ?誰かにお祝いしてもらう予定とかあった?」
「ううん。ないんだけど自分の誕生日にみんなを食事に誘ってるのってちょっと…恥ずかしくない?」
「え~っ!考え過ぎだよ~美優ちゃん!それにね…」
有希は少しこちらに身を乗り出すと、
「美優ちゃんの誕生日をお祝いできそうな楽しみが増えて嬉しい。
絶対この日にしようね。」
と、シフト表のその日にちを指で軽くポンポンと突いた。
「急だけど、明日みんな予定ある?
一応社員は全員出勤になってるし閉店後に軽く親睦会やりたいんだけど。」
店長が言い出した。
その日の早番は神谷君。
有希と山田さんは中番。
私と店長は遅番だった。
とりあえず早番の神谷君と30歳のパートの沖さんとバイトの大学生の子達数人のメンバーで先に始めていてもらって、後はそれぞれ仕事が上がり次第加わる事にする。
ところが閉店間際にちょっとしたトラブルが起こり、私と店長が親睦会の居酒屋に到着したのはかなり遅い時間になってしまった。
「遅くなりました~!」
と言いながら店内に入った私達の目に飛び込んだのはベロベロに酔っ払った神谷君だった。
「えっ?!えっ?!どうしたの?!
神谷君?」
驚く私達に、
「それが…
私と山田さんが来た時には既にかなり酔っ払っちゃってて…」
有希が困った様に呟く。
ほめられた話ではないが、当時は未成年に対する飲酒は今ほど厳しくはなく、高校を卒業し社会人になればお酒を飲む子も何人かいた。
神谷君はそんな私達の様子を無視して不機嫌そうに更にビールを飲もうとする。
「ちょっ、神谷君もう止めとこう?」
慌てて止めに入ると、
「田村さんには関係ないです。放っておいて下さい。」
この酔っ払いめ…
そんな私達の間に割って入る様に、
「神谷!!もう止めとけ。」
店長が少し怒った口調でそう言った。
「すみません…」
神谷君はビールのジョッキから手を離すと、壁にもたれて目を閉じた。
親睦会はその後12時頃まで続き、
皆が帰り支度を始めるまで神谷君はずっと寝ていたままだったが、
「起きろよ。帰るぞ。」
と勇人に起こされると、
「悪酔いしてしまいました。
本当にすみませんでした…」
と、フラフラと立ち上がり店の外に出て行った。
「神谷君!待って!!」
慌てて後を追いかける。
フラフラと歩く神谷君の腕を掴み、
「とりあえず戻ろう。」
と、声をかけるが、
「大丈夫です。ご迷惑かけてすみませんでした。」
と歩きだそうとする。
「ちょっとここで待ってて!私の家も神谷君の家と同じ方向だからタクシーで送るから!」
と神谷君を待たせて店に戻り店長達に事情を話した。
店長は「僕が神谷君を送って行きますよ。」
と言ってくれたが、副店長の勇人の
「店長は他の子の面倒を見てあげて下さい。神谷の事は僕に任せてくれませんか?」
との言葉に、
「山田君の方がいいかもしれないな。
悪いけど頼む。」
とアッサリ引き下がった。
神谷君が本当に尊敬して慕っていたのは勇人なのだと店長も薄々感じ取っていたのかもしれない。
私と勇人が店を出ると、有希も黙って一緒についてきた。
私達が神谷君のいる場所に着いた時には神谷君は多少フラフラしながらもだいぶ正気を取り戻していた。
勇人が神谷君に近寄り声をかけている間に近くのタクシー乗り場の様子を見に行くと、幸いあまり人がおらずタクシーにすぐに乗れそうだった。
戻って神谷君を連れてタクシー乗り場に向かう。
「じゃあ…」
神谷君を先にタクシーの中に押し込みながら言いかけた勇人の言葉を遮る様に、
「美優ちゃん。家が同じ方向でしょ?送っていってあげて?」
有希が優しく言った。
「えっ?」
と勇人も私も同時に聞き返したが、
有希はそっと勇人の腕を掴んで引き戻しながら、
「神谷君が…甘え…美優ちゃ…頼むね」
とボソボソと小声で何か囁いてきた。
「えっ?」
と聞き返そうとした私に、
「お願いします。」
と、有希は優しくそう言うと小さく手を振った。
「神谷君、家まで送るから住所言ってくれる?」
私はタクシーに乗り込むと神谷君にそう聞いた。
「あ~〇〇駅でいいです。」
〇〇駅は私の家の最寄り駅で私の家はそこから近い。
でも神谷君の最寄り駅は確か隣駅では?
「.えっ?神谷君の家は隣の駅の方が近くなかった?」
「大丈夫です。実は酔いをもう少し醒ましてから帰りたいんです。」
「でもそこから歩くの?
タクシーの意味ないよ?」
押し問答している私達に、
「〇〇駅でいいんですか?」
タクシーの運転手さんが少し急かす様に聞いてくる。
「あ、すみません。はいお願いします。」
慌てて返事をして、タクシーは〇〇駅に向かい、私達はそこで降りた。
駅前のロータリーはもう人っ子一人おらず静まり返っていた。
神谷君はロータリーのベンチに腰を下ろしフゥとため息をつき、
「きょうは本当にすみませんでした。」
と謝ってきた。
「未成年がお酒飲むからだよ!反省しなさいよ!」
とたしなめながら横に座ると、
「うん…」
と言いながら神谷君が私の肩にそっともたれかかってきた。
「ど、どうしたの?眠い?」
少し驚いて聞く私に、
「お願い…少し…寝かせて…」
と神谷君がそっと私のひざに頭を乗せてスヤスヤと寝息をたてはじめてしまった。
もうっ!誰か人に見られたら恥ずかしいじゃないの!
周りを見回してみたが電車の終電時刻も過ぎた駅のロータリーは誰一人通る様子もなく、わずかな外灯と月明かりのみのほの明るい静かな空間になっていた。
下に視線を落とすと私の膝の上に神谷君の頭がある。
やだなもう。
恥ずかしい。
でもこの子…
寝ている神谷君の顔をマジマジと見る。
彫りの深い顔立ち。
クッキリとした綺麗な切れ長の二重。
意志の強そうな口元。
つくづく整った顔立ちをしてるなぁ。
18歳には絶対見えない大人びた容姿。
でも…中身はつくづくお子ちゃまだよなぁ…
と、神谷君が少し動いた。
私は慌てて視線を空に移す。
月が綺麗…
満月の月は少し雲がかかっているためか?やや青味を帯びているように見えた。
「何を見てるの?」
下から声がした。
神谷君が私の膝に頭を乗せたまま私の顔を見上げている。
「月…少し青っぽく見えない?
綺麗…」
「そう?青っぽいというよりグレーっぽくない?笑」
神谷君は少し笑いながら起き上がると、
「今日は本当にごめんね。」
と申し訳なさそうに言った。
神谷君の口調がいつの間にかタメ口になっていたが私は気づかないフリをした。
「いいよ。それより何か嫌な事でもあったの?」
「何もないよ。」
「そうは見えなかったけど…本当に?」
食い下がる私に神谷君は答えず、
「ねえ、田村さんの名前ってなんて読むの?ミユウ?ミユ?」
と、聞いてきた。
「ミユだよ。店外では有希がそう呼んでるでしょ?」
接客業の私達は仕事中の店内では全員姓をさん付けで呼び、店外ではそれぞれの名前やあだ名で呼びあっていた。
「そういえばそうだね。でもユッキーさんが言うとミューに聞こえちゃう笑」
ユキという名が付けられやすいユッキーというあだ名を既に有希は勇人から付けられていた。
「僕も田村さんにあだ名をつけようかな?」
「.いいけど何て?」
「ミューだからミューズ。」
「ミューズ?芸術の神の?」
「ううん。薬用石鹸の。」
……
絶対言うと思った…
「じゃあ私も付けちゃうよ!大輔だから大ちゃんだねっ!」
「単純だなぁ。」
薬用石鹸ミューズには言われたくないわ…
でもそんなくだらないやり取りが何だか楽しかった。
6歳も下の10代の男の子相手なのに心がウキウキしだしていた。
ふっと気づくと大ちゃんが真面目な顔でこちらを見つめていた。
クッキリとした綺麗な二重…
吸い込まれそうな目…
大人びた表情…
何故か急に怖くなり、
「さ、帰ろうか!遅くなりすぎるとお母さんが心配するよ!」
と慌てて視線を逸らす。
「心配?…」
大ちゃんは何か言いかけたが、
「はい。明日お互い早番ですしね。
きょうは本当にお世話になりました。
おやすみなさい。
ありがとうございました。」
と敬語に戻り頭を下げると、自分の家の方向に急ぎ足で帰って行った。
それから特に何の変わりもなく日々が過ぎた。
大ちゃんは私のことを以前と同じ様に「田村さん」と呼び、やや淡々とした態度も変わらず、休憩時間も他のスタッフもいるため、何となくみんなで雑談して終わりというパターンだった。
でも、有希が「神谷君、例の食事会は明後日でも大丈夫かな?山田さんも行けるらしいし。」
と伝えた時には、みるみる嬉しそうな顔になり、
「もちろん!よ~っしユッキーの奢りでいっぱい食べよ~!」
と気さくに答え、
「え~?それを言うなら山田さんに言ってよね笑」
と笑う有希と楽しそうにふざけあっていた。
何か…
ちょっと寂しいような…
大人気ないと分かりつつも少し拗ねている自分に気づいてその場をそっと離れ店内に戻る。
店内にいた店長が私に気づき、
「田村さん、ここのディスプレイそろそろ変えたいから必要な装飾物を買ってきてくれるかな?」
と声をかけてきた。
「あ!はい。急ぎますか?急がないなら明後日が休みですから市内の方に遊びにでも行ってついでに買ってきますけど。」
「いいよ。どんな風にするかはお任せするから悪いけど頼むね。」
店長がニコニコと答える。
装飾物はどんなのを買おうかなぁ?
初夏だから緑の葉っぱ系?
花とかなら何なんだろ。
考えるうちに少し楽しくなってきた。
すこしニヤニヤしながらバックヤードに入ると有希と大ちゃんが作業をしており、「美優ちゃん顔がにやけてるよ?」と有希に突っ込まれた。
「やだ。そう?店長に装飾頼まれてね。」
と説明すると、
「そういうの考えるの楽しいよねぇ。」
と有希も頷く。
「それならグリーンをこういう風に使ってこうしたら映えるからとか、予め図を描いておいてそれに合わせて買えばいいんじゃないですか?」
と2人の話を聞いていた大ちゃんが小難しい事を言い出した。
うっ…
何も考えてなかった-
「さっすが神谷君だね。ねぇねぇ神谷君、神谷君もお休みでしょ?美優ちゃんのお買い物について行ってアドバイスしてあげてよ。」
有希が1人でウンウンそうしようとばかりに頷いた。
5月〇日。
お昼に、車で行くと言う大ちゃんと私の最寄り駅で待ち合わせ。
時間より10分早く着いたが、駅のロータリー横の駐車スペースには既に大ちゃんの車があり慌てる。
「お待たせしてごめんね。」
「いや大丈夫。少し早く着きすぎただけですから。」
大ちゃんが笑顔でそう答える。
今日は表情が柔らかいな。
良かったぁ。
大ちゃんのアドバイスのおかげで買い物も滞りなく済み、時計を見ると4時だった。
「どうする?1時間くらいで戻れるから中途半端な時間だね?」
と聞く私に、
「少しドライブでもして帰りましょうか。」
と大ちゃんが答え、
車を発進させ着いた先は海だった。
「わぁ、風が気持ちいいね。」
開けた車の窓から気持ちの良い海風が入り込んでくる。
喜んでいるわたしの横で、大ちゃんが後部座席に置いてあった自分のカバンをゴソゴソとしだした。
「これ…」
「え?」
「ほらこれ!」
大ちゃんの顔が赤い。
真っ赤な顔をしながら私に綺麗なリボンの付いたちいさな箱を押し付ける。
「誕生日のお祝い。それといつもお世話になってるし…ありがとう。」
「えっ?えっ?ありがとう。あの…開けてもいい?」
「あ、うん。」
箱を開けてみると、中には小さな宝石の付いたピアス。
パステルカラーの様なホワイトに少しブルーが混ざっている。
「綺麗…
何か不思議な色だね。」
「ブルームーンストーンって言うらしい。売り場の人が教えてくれた。」
「誕生石をもらうと幸せ?何かいいんだって…言って…た…」
買うの恥ずかしかったんだろうなぁ。
大ちゃんの顔は湯気が出そうなほど赤くなっていた。
「ね?つけていい?」
「うん。」
早速付けてみる。
「うん。良かった。似合う。」
ほっとしたように笑う大ちゃんの笑顔にドキドキした。
車内に少し気恥しい空気が流れる。
「そうだ、これ!ちょっと入れてきたから。」
大ちゃんがウォークマンを取り出してイヤホンの片方を私に渡してくれた。
2人でイヤホンを片方ずつ付けるとMr.Childrenの抱きしめたいが流れ出した。
わざわざ入れてきてくれたんだ…
うっとりと聴き入る。
「こういうのいいね。」
「うん。抱きしめられたいって思う事とかある?」
大ちゃんが聞いてくる。
「そうだね。疲れてる時とかに癒されたいとか、でもやっぱり大好きな人に大好きな気持を伝えられたい時、伝えたたい時、抱きしめられたい。抱きしめたいよ。」
「そっか…」
大ちゃんは短く答える。
「男の人は違うの?」
「…同じ…」
大ちゃんは短く答えるとそっと私を抱きしめてきた。
「?!どうしたの?」
私の言葉には答えずに大ちゃんは私を抱きしめる手に更に力を込める。
私の耳にかかる彼の息がだんだんと荒くなる。
「キス…して…いい?…」
少し上ずった切ない声で聞いてくる。
私が黙っていると、彼は私の耳たぶに軽くキスをし、そのまま首筋に軽く唇を押し当てて首筋から鎖骨の辺りにかけてキスをしてきた。
「あっ…」
思わず声が出てしまう。
わたしの声を聞いた彼は更に上ずった声で、
「唇…キス…した…い…」
と切なく熱をもった声で囁きかけてきた。
「あ…それは…」
どうしよう。
付き合ってるわけでもないのに…
6歳も下なのに…
私の気持ちが通じたのか、大ちゃんは急に体を離すと、
「ごめん。少しそこらを散歩してから戻ろうか。」
と私の頭を優しくポンポンとした。
「キャッ」
車を降りると足場が少し悪く高めのヒールを履いていた私はフラフラとした。
うわっ歩きにくい。
「そんな靴を履いてくるからだよ。」
大ちゃんは少し笑い、車の後部座席から昼間の買い物時、店頭で見かけて一目惚れして購入したサンダルを取り出して貸してくれた。
「え?いいよ。汚れちゃうよ。」
「いいから!早く!時間無くなるよ!」
半ば強引にサンダルに履き替えさせられ海岸沿いをペタペタ歩く。
「あははミューズ、ペンギンみたい!」
「ミューズとかペンギンとか言うなっ!サンダル大きくて歩きにく~い。」
「手間がかかるなぁ。オバサンはこれだから笑」
「オバサン言うなっ!大体…」
文句を言いかけた私の手を大ちゃんが取る。
「何かすごく楽しい。朝までここにいようか?」
「なに言ってるの、山田さんに怒られるよ!」
「嘘だよ笑 みんなでミューズのお祝いしなきゃ。少し歩いてから戻ろ。」
大ちゃんは私の手を取るとしっかり繋いで歩き出した。
夕暮れ時の海は風が心地よく、薄い青色を残した夕焼け空は、見上げると心を癒してくれるようだった。
有希が予約してくれた店は大きなスペアリブとロブスターを売りにしているアメリカンスタイルのカジュアルレストランであった。
「ロブスターなんて食べたことないねっ」
何となくウキウキとはしゃぐ行きの車内。
「うん。俺スペアリブも食べたい!」
大ちゃんの話し方が完全にタメ口全開だ。
それでも大人びた外見とは逆の子供っぽい大ちゃんを感じられて嫌な気持ちはまるでしなかった。
「ミューズ、ちょっと髪上げて。」
信号待ちで大ちゃんがこちらを向いて言う。
「んっ。こう?」
私はピアスが見えるように髪をかきあげる。
「うん。やっぱり似合う。」
大ちゃんは嬉しそうに私の頬に軽く触れた。
ちょっと恥ずかしい。
「そ、そういえばなんでブルームーンストーンのピアスを買ってくれたの?高かったでしょ?」
「ん?ピアス欲しいって言ってたからあちこち見に行ってみたら店員さんに話しかけられて、誕生石をもらうといいようなこと聞いたし、ミューズもこんなの好きそうかなって思ったし…」
すごく考えてくれたんだ…
胸がキュンとした。
お店の人に聞いたからって、私の幸せを願って誕生石をくれるなんて…
…んっ?!誕生石?
んんっ?!
5月の私の誕生石は確かエメラルド…だったはず…
「ね、ねぇ?5月の誕生石ってブルームーンストーンあったっけ?
「ううん、6月。
俺の誕生石!」
信号が青に変わり、再び前を向いて車を発進させながら、大ちゃんはものすごく嬉しそうに答えた。
…えっ
誕生石をもらえて幸せになるというのは…
贈られる側の誕生石であって…
贈る側の誕生石では…ない…んだ…けど…
もう、おかしくて仕方がなかった。
笑いをこらえるために切れて血が出るんじゃないかと思うくらい下唇を噛み締めた。
「なに?」
私がずっと無言でいることを不審に思った大ちゃんが聞いてきた。
「うん?本当に嬉しいな!と思ってたんだ。」
私は心からそう言った。
レストランに着き、「森崎の名前で予約していると思うのですが…」
と伝えると、奥のテラス席に通された。
周りには広い芝生が広がっており、ライトアップされた噴水がなかなかロマンティックな雰囲気を醸し出している。
さすが有希。
案内されて用意された席に近づくと有希と勇人が既に来ており2人でなにやら楽しそうに笑いあっていた。
「お疲れ様!もう来てたんすか?」
そこに大ちゃんが嬉しそうに急いで近づいていく。
私は遅れて歩きながら有希と勇人の姿を見つめていた。
絵になる2人だなぁ。
改めてしみじみ思う。
有希は色白でいかにも育ちの良さそうな品の良い美人。
勇人は、好みは分かれるだろうがそれなりのイケメンで、今の有名人で言うならば向井理さんに少し似ていた。
そこに大ちゃんか。
はぁ…
私だけ浮いてる…
年齢も最年長。
顔も丸顔、丸目のタヌキ顔。
お客さんに「知り合いの娘さんに似てる」だの、「友達に似てる子がいる」
だのしょっちゅう言われる超平凡顔。
この3人といると嫌でも場違い感が…
「何してるの!ミューズ遅いよ!」
大ちゃんに呼ばれる。
「え?ミューズって誰?」
「おい神谷、歳上の田村さんに偉そうな口をききすぎ 笑」
有希と勇人が口々にそう言いながらウケている。
3人の笑顔を見ていると楽しい。
こんな何の取り柄もない私でも仲間と思っていてくれるようで嬉しかった。
この日を境に私達4人は急速に親しくなり、お互い仕事外ではあだ名で呼び合い、しばしば4人で遊びに行く様になった。
私の25回目の誕生日は素敵なものになった。
ユッキーがくれたトートバッグは可愛くて使い勝手も良さそうでウルッときていた所に、
3人からだよ!とサプライズでバースデーケーキが運ばれてきて、もうそれで完全にやられて泣いてしまった。
3人はそんな最年長者をまるで妹を扱う様に優しく笑ってポンポンしてくれた。
二次会はカラオケに行った。
B'zや槇原敬之が流行っていて、大ちゃんがB'zのBLOWIN´、勇人(ユータン)が槇原敬之のどんな時も、ユッキーが今井美樹のPIECE OF MY WISH等を唄う。
「ミューズ!なに唄う?」
ユッキーに聞かれて、
「え~と、Mでも唄おうかな?」
と慌てて答えた。
PRINCESS PRINCESS
「 M」
「Mってミューズと私のイニシャルがMだね 笑」
ユッキーが言う。
確かに森崎と美優だな。
「でもこれ完全に失恋の曲だよ~
しかも自分がMじゃなくて、相手がMじゃないと~」
と、私が言うと、
ユッキーも、
「あっ!ホントだね 笑」
2人で笑っていると、
「飲み物頼むけど何かある?」
とつっけんどんな言い方で大ちゃんが割って入ってきた。
勇人改め、ユータンが微妙な顔つきでこちらを見ている。
えっ?
私?
何かやらかした?
訳がわからなかったが、もしかしたら大ちゃんの別れた彼女のイニシャルがMだったかな?
それならまた申し訳ないことを…と焦り、いつも気配り上手な有希の真似をして、
「ちょうど飲み物欲しかったんだぁ。ありがとう。」
と笑顔で言ってみた。
途端に大ちゃんの表情が緩んだ。
恐るべしユッキーさん流気遣い効果…
その後、何だか機嫌の良くなった大ちゃんをお兄さんの様な優しい目で見つめていたユータンは帰りの会計時、
ユッキーと大ちゃんの2人が精算をしに行っている間にそっと私の横に来ると、
「あいつは繊細で天邪鬼で本当に難しいタイプだけど、色々と苦労もしてる子だから。
ミューズ、あいつの事を嫌いにならないでやって?
いい子だから。
あいつはいい子だから。
見捨てないでやって。」
と話しかけてきた。
「嫌いになんかならないよ。
それよりもMの話の時に気を悪くさせちゃったみたいだけど…
もしかして…
別れた彼女さんのイニシャルがM…だったとか?」
「いや、俺はあいつから彼女の話も全部聞いてるけど、彼女のイニシャルはMじゃなかったよ。」
「そう?なら良かった。
じゃあ機嫌悪いと思ったのは気のせいかな?」
途端にユータンはイタズラっぽく笑い出し、
「そういうことにしといてあげて。」
と言ってそれから一切理由を教えてくれなかった。
6月に入った。
今度は大ちゃんの誕生日がある。
またみんなで食事にでも行こうか…
ユッキーに相談すると、
「うん!行く行く!」
と喜んでくれたので、ユータンを誘ってみる。
「今月、大ちゃんの誕生日があるから良かったらまたみんなで食事でもどうかな?」
喜んでOKしてくれると思いきや
「え?2人で行けばいいんじゃない?」
と言うユータンの言葉に私は戸惑った。
「ええっ?何で2人で?いやいいよ。
みんなで行く方が大ちゃんも喜ぶし。」
「そうかな?あいつとデートとかしてないの?」
ユータンの中では完全に私と大ちゃんが付き合っている体になっている。
「いやいやいやしてないよ。誘われないし。」
「あれ?そうなの?約束とかしないの?」
「するも何も恋人でもなんでもないから。」
「ふ~ん。付き合わないの?」
「何でそうなるのよっ!年の差ありすぎだよ?
姉弟としたって離れすぎてるよ。」
話を振ってくる割りに私の返事を興味なさげに「ふ~ん。」と聞いていたユータンは、
「まっいいや、じゃあみんなで行こうか。俺、焼肉がいいんだけど?焼肉にしようか。」
と、主役の好みをまるで無視発言をしてニンマリと笑った。
焼肉かぁ
焼肉ねぇ。
まぁ焼肉でもいいんだけどね。
行ってみたいお店もあるし。
私は1件の店を思い浮かべた。
少し山の中に入ったその店、というかレストランは広い敷地の中に母屋的な建物があり、周囲にはバンガローを模した個室が何件か建っている。
敷地の階段を降りると小さな川も流れており、まるでちょっとしたキャンプ場の様なレストランだった。
母屋は普通のレストランメニューだが、周囲のバンガローは時間限定の焼肉食べ放題メニュー注文客のみが利用出来るシステムだった。
あそこでいいかな?
個室だから気兼ねなく楽しめるし。
あらかた自分の中で決定してから主役を誘いにいく。
「ねぇ。〇〇日予定ある?」
私は予めシフト表で調べておいた、皆が何とか早めに参加できそうな日を挙げて聞いてみた。
「いや、ないけど?」
「じゃあまたみんなで食事行かない?」
「えっ?ミューズと?」
「?…いや、みんなでだよ?」
「ああ!みんなでね!勿論行く!」
急に嬉しそうにはしゃいだ大ちゃんの顔を見て、「だよね~」と思う。
やっぱり私と2人で行くかもと勘違いした時よりも4人で行くと分かった時の方が嬉しそうだよ?
ユータンてやっぱりどこかズレてるっていうかトボケてる。
でも私は3人が大好きだ。
4人揃って休みが一緒になることはないからゆっくり遊びには行けないけど、こうやってたまに食事に行ったり
する事が楽しいし、みんなも喜んで参加してくれることが何よりも嬉しい。
「じゃあ、焼肉でいいかな?
行きたいお店あるんだけど。」
ユータンを心の中で責めた割には、私もアッサリ主役の好みフル無視発言をしたが、
「はい!お任せします。幹事さん。」
大ちゃんは犬ならきっとちぎれんばかりに尻尾振ってるだろうなと思われるほど喜びを全面に表した。
喜怒哀楽の激しい奴ちゃ…
またおかしくてたまらなかったが、
大ちゃんの笑顔を見るのは嬉しくて癒される思いがした。
帰宅後にレストランに電話をして予約を取った。
さてと…
後は大ちゃんへの誕生日プレゼントなんだけど。
どうしよう…
80、90年代はバンドブームであった。
仲間でバンドを組んでライブハウス等で演奏するのも流行していて、大ちゃんも例にもれず、高校の時から仲間達とバンドを組みドラムをやっていた。
BOØWYやTHE BLUE HEARTS、ユニコーン等が80年代を中心に活躍し、私は特にBOØWYが好きだったが、大ちゃん達はBUCK-TICKやZIGGYのコピーを演ったり、自分達のオリジナルを演ったりしていた様だった。
そうだ。
ドラム関係のものをプレゼントしよう。
ドラムスティックとか?
思い立ったはいいが、どこにいけば買えるかわからない。
音楽関係の店はピアノやエレクトーン関係、あってもギター関係ばかり。
今の時代なら部屋で座ったままでネットショッピングが出来るのだが、当時はひたすら探す。
当然、当人には内緒なので聞くわけにもいかず、全く何もわからない素人が行き当たりばったりでひたすら歩いて探す。
後で思えばドラムの専門雑誌等で販売店を探せば良かったのだが、全く思いつきもしなかったおバカさんな私は手当り次第に歩いてクタクタになった。
まる1日ウロウロ探し歩いてグッタリした私の目にある雑貨店にディスプレイされていた置物が飛び込んできた。
あっ可愛い…
それはまるで本物を縮小したかの様に細部まで作り込まれた小さなドラムセットの置物だった。
食事会の日が来た。
惜しくも大ちゃんの誕生日前日。
翌日の誕生日は私と大ちゃんは公休だったが、有希が中番、ユータンに至っては遅番だったので、全員遅番に当たっていない前日にする事にしたのだ。
少し早めに着くと、まだ前の組が終わったあとの片付けが出来ていないとの事で母屋のレストランのロビーで待たされた。
「これ!みんなで写真撮れるよ?!」
ユッキーが、あるゲーム機の様な物を指さしながら嬉しそうな声をあげる。
それは、ロビー横のちょっとしたゲームコーナーに置かれていて、その機械の前にみんなで立って撮影ボタンを押すと撮影出来るというものだった。
今のプリクラの走りの様な機械と言えば良いだろうか。
当然撮るだけ。
ただ写るだけ。
全く盛れない。
それでも物珍しさにはしゃぎながら撮ったあの頃。
でも、それがどんな仕上がりになったのか見ることは無かった。
何故なら撮った直後に、
「用意が出来ました」とお店のスタッフさんに呼ばれ、慌ててそちらに向かおうとバタバタしている間に出来上がったはずの写真が失くなってしまったから。
それは、食事の後にも戻って探してみたが、どうしても見つける事が出来なかった。
さて、バンガローに案内され中に入ると、6畳程の広さの畳敷きに焼肉用のテーブルが置かれ、部屋の片隅にはディスクタイプのカラオケの機械があった。
なるほど。
プチ宴会ができそうだ。
ただし、カラオケの曲はほとんどが演歌で、演歌を唄えない私達には全く無用の長物となってしまったが。
カラオケが使えないので、おしゃべり中心になったがそれが逆に楽しくてとても盛り上がった。
「よ~っし!ゲームしよっ!ジャンケンをして1番先に勝った人の言うことを負けた人がきく!」
ほろ酔いのユータンが言い出した。
思えばこれ、この数年後に流行った王様ゲームのノリだった。
何でも「走り」というものがあるものだ。
「ウェーイ!」
何故かみんな自信満々でジャンケンに挑む。
「ジャーンケーンポン!」
ユータンが勝ち、ユッキーが負けた。
あからさまに嬉しそうな顔になったユータンが、
「ユッキーには俺の質問に答えてもらいます。
キスをするなら俺と大ちゃんどちらを選ぶ?
絶対答えてよ!」
とユッキーに迫る。
うっわ…
なにそれ…
でも、俺にキスしろ!と言わないだけユータンの良心を感じるな。
色々と思いを巡らせている間に、
「え~?そういう下心ありそうな質問する人は怖くて選べませ~ん。
だから消去法でいくと大ちゃんということになっちゃうかな?」
とユッキーは笑いながら即答した。
わぁ…
チラリと大ちゃんを見る。
大ちゃんは笑っていたが気を使ったのか、
「ほら!次やりましょ!」
とさりげなく流し、
「ジャーンケーンポン!」
今度もユータンが勝ち、私が負けた。
「何にしようかな~」
とユータンが悩んでいると、
「あ、俺ちょっとトイレ行ってきます。」
と大ちゃんがバンガローを出ていってしまった。
ユータンは出ていく大ちゃんの後ろ姿を見て少しニヤリと笑ったが、特に気に留める風もなく、
「じゃあ、ミューズにも同じ質問っ!どっちを選ぶ?」
と問いかけてきた。
「えっ?!え~と。じゃあ私も大ちゃんで…」
慌ててユッキーの真似をして答える。
「なんだ~2人とも大ちゃんか。
俺、可哀想。」
ユータンはそう言いながらも笑っており、
「だってユータン、エロいよ!
そんなエロい人にはいきませ~ん!」
というユッキーの言葉を皮切りにゲームは自然と終了して、
「私とユッキーでユータン弄り」の雑談に変わっていった。
そこに大ちゃんが戻ってきた。
「罰ゲーム何だったんすか?」
部屋に入りながら聞く大ちゃんに、
「あのね、」
と答えようとした私の言葉を遮り、
「誰とキスしたいかって聞いた。
ミューズは大ちゃんとキスしたいってさ。」
とユータンが笑いながら答えた。
「ええええっ?!
そんな言い方してないよっ!」
焦る私をチラ見して、
「ふ~ん。」
大ちゃんは全く興味無さそうに答え、
「外、出てみません?河原の方に降りられますからちょっと行きませんか?」
とまた外に出ていった。
「あいつ…ホントに可愛いな。」
ユータンが1人フフッと笑う。
「え?何が?」
全く理解出来ずに問う私に、
「大ちゃんは狼に見えるけど、実は犬って事だよ 笑」
???
ますます意味がわからない。
「あ~そうだね!
顔立ちも総合するとドーベルマンってとこかな。」
ユッキーが笑いながら納得している。
えっ…
私だけ意味わかんないんですけど…
2人の会話に入り込めないものを感じた私は、
「とりあえず大ちゃんのとこに行ってくるよ。」
と外に出た。
ドーベルマン。
どんな性格なんだ?
当たってるのかなぁ。
ドーベルマンのことあまり知らないけどね。
考えながら河原に降りると、座っている大ちゃんに近づいて横に座った
ぼーっと川を眺めていた大ちゃんはちらっと私の方を向いたがすぐにまた川の方に視線を戻し、
「山田さんたちは?」
と聞いてきた。
「バンガローだよ。」
「そっか。」
大ちゃんは再びこちらを向くと、
「ねぇ。誕生日プレゼントは?くれないの?」
と催促の言葉をかけてくる。
数日前、可愛いドラムセットの置物を見つけた私は大喜びで即購入した。
一点物のそこそこ良い品だったらしく価格が予算よりかなりオーバーしていたが、それでも大ちゃんにあげるプレゼントは他にはもう頭に浮かばなかった。
ところがちょっと誤算が生じた。
早速包装してもらった所、まずは破損と汚れ防止のために大きめのプラスチックケースにそれは入れられた。
次いで、厚紙製のプレゼントボックスに入り、包み紙とリボンでラッピング。
更にそれを持ち運ぶための特大紙袋に入れられて完成!
と、なったのだが。
デカイ。
こんなの持って職場に行けない。
持って行けても置き場所に困るし…
と、いうことでその日早番だった私はプレゼントを家に置いてきてしまっていた。
どうしようかな。
本人もこう言ってる事だし、明日渡せたら明日がいいよねやっぱり。
私は大ちゃんの言葉が聞こえなかったフリをして、
「.あの、明日、空いてる時間帯ってないかな?
ちょっと会いたいんだけど。」
と聞いた。
「んっ?あ~別に朝からでもなんでもいいよ。暇だから 笑」
大ちゃんが即答してくれて助かった。
「あ、じゃあ昼過ぎでもいい?
場所はどうしようかな。」
「俺、車出すからミューズを迎えに行くよ。」
プレゼントが大きいので非常に助かる申し出だ。
「ありがとう!じゃあお願いします。」
何とか無事にプレゼントを渡せそうで
内心ホッとした私に、
「誕生日のお祝い…キス…しよ?」
大ちゃんが少し照れくさそうに言ってきた。
「えっ?えっ?何でそうなるのよ?!」
「えっ…だって…俺と…キスしてもいいって山田さんに言ったでしょ?」
「あれは遊びでしょ!」
「えっ?…本当はいや?」
「いや、嫌とかそういうのじゃ…」
言葉に詰まった。
大ちゃんは餌を取り上げられた犬の様な顔をしている。
「あ、うん。
わかった。
軽くね。軽くならいいよ。」
何だか申し訳ない気分になり、軽くならと提案してみる。
私の言葉が終わるや否や、大ちゃんが顔を寄せてきた。
シャンプーの爽やかな香りがフワリと漂う。
あ、いい香り…
この香り好き…
大ちゃんの唇が私の唇にそっと触れた。
柔らかい…
目、目を閉じなきゃ…
何だかどうでもいいような事しか頭にうかばない。
大ちゃんは私の唇を軽く吸うようについばんだかと思うとまた優しく押し当ててくる。
男の子の唇ってこんなに柔らかかったっけ?
大人びたクールな外見とのギャップに戸惑いながらもその柔らかさに心地よくなる。
大ちゃんの唇が離れた。
そしてもう一度軽く触れたかと思うと、大ちゃんはそっと私から離れ、
「ありがとう。
好きだよ。」
と照れた様に微笑んだ。
バンガローに戻り、私が先に中に入った途端、
パン!パン!
とクラッカーが鳴り響いた。
「誕生日おめでとう!!」
ユータンとユッキーがクラッカーを持って一斉に叫ぶ。
えっ?なに?
もしかして大ちゃんが帰って来るのをずっとクラッカー握りしめて待ってた?
でも、ごめん…
私なんだけど…
「あ…」
少し遅れて入ってきた大ちゃんが、
「なにしてるんすか。わざわざこんな物持ってきて。」
と淡々と言う姿に何故か3人ともツボにどハマりして笑いが止まらなくなった。
唖然とする大ちゃんを完全に置いてけぼりにして散々3人でバカ笑いをした後に、
「はい!これ。3人から。」
とユータンが隠していたプレゼントの箱を出した。
「え?あ、ありがとうございます。」
大ちゃんは戸惑いながらも箱を受け取り中身を見た途端、満面の笑顔になった。
中にはコンバースのバッシュ。
その頃はSRAMダンクという漫画等の影響で空前のバスケブームが起こっていて、元々バスケ好きの大ちゃんも友達と3on3を楽しんだりしている事を私達は聞いていた。
「気に入ってくれたかな?」
ユッキーが優しく尋ねる。
「まだ18歳だけど、19歳の誕生日おめでとう!!」
ユータンがわざと茶化した様に言う。
「あ、はい!ありがとうございます。」
満面の笑顔で答えた大ちゃんは大切そうにバッシュを抱きしめて頭を下げた。
翌日。
大ちゃんの誕生日当日。
PM12:50
約束の10分前。
待ち合わせ場所である私の最寄り駅のロータリーに着くと、
うっ…
やっぱりもう来てる…
ロータリー横の駐車スペースに大ちゃんの車があった。
そ~っと中を覗き込むと、大ちゃんが文庫本を顔に乗せ、シートを倒して寝ている。
一体いつから来てるんだろう…
コンコン。
運転席の窓を軽くノックすると、気づいた大ちゃんが起き上がってきた。
「お疲れ様~。寝てたみたいだけど疲れてるんじゃない?」
ならば、さっさとプレゼントを渡して早く家に帰してあげねばと私は気を使いながら言った。
「へっ?ほっ?うん!
ダイジョーブ!ダイジョーブ!
ちょっと昨日あんまり寝てないだけだからエヘヘ」
大ちゃんは恥ずかしそうに笑うと、
「さて、どこに行きましょうか?」
とエンジンをかけた。
「えっ?いや、今日はこれを渡すつもりでだったんだけど…」
私は紙袋を大ちゃんに渡した。
「えっ?あ、ありがとう。
じゃあどこも行かないの?」
「えっ?だって昨日寝てないんでしょ??
帰ってゆっくり寝なきゃダメなんじゃない?」
「いやっ!ここに来てから1時間くらい寝たからもう大丈夫!」
え…1時間前から来てたのか…
そんなに早くに来て何をしてたんだ一体。
あ、寝てたのか…
心の中で色々とツッコミながらも、
「わかった。じゃあせっかくだから遊びに行こうか。」
私が言うと、
「うん!遊園地は?」
大ちゃんがメガネをかけながら聞いてきた。
あれ?
メガネ?
「うん。寝てないせいかコンタクトすると目が痛くて…俺、目がすごく悪いからコンタクトないと全然見えないし。メガネ好きじゃないんだけどね。」
大ちゃんがちょっと恥ずかしそうにする。
メガネは大ちゃんにすごく良く似合っていて、ひそかにメガネ男子大好き女子だった私はドキドキした。
この子、本当に美形だ…
でも顔のことばかり言うときっと気を悪くさせると思った私は、
「メガネ、よく似合ってるよ。」
とサラッと伝えた。
私達を乗せた車はしばらく走って小さな遊園地に着いた。
有名テーマパークと違い、小規模遊園地は比較的空いている。
ジェットコースターという名のミニコースター、お化け屋敷らしき?ホラー館、グルグル回るブランコ、どれもが地味でショボイ。
でも、とてもとても楽しかった。
散々はしゃいで笑い合う。
「ミューズ!次何に乗る?」
楽しそうに頬を紅潮させて聞く大ちゃんに、
「そうだね。やっぱり観覧車かな?」
と答えると、一瞬大ちゃんの顔がピクっと痙攣したような気がした。
「んっ?観覧車嫌い?静かに回るだけだからつまらないかな?」
「いやそんなことないよ。観覧車乗ろ~!2人きりになれるし。」
大ちゃんは変な冗談を言いながら、早く!早く!とばかりに私の手を引っ張った。
2人きり…
2人きりの空間で夕暮れ時の遊園地を見下ろす。
ドラマのシチュエーションみたいじゃない?
何か素敵。
ワクワクが止まらない。
私達は手を繋ぎながら観覧車の方に走って行った。
人のまばらな遊園地はいつしか夕暮れ時の薄闇に包まれ、あちらこちらで点灯した照明がキラキラと輝きを放っていた
「どうぞ~」
係のお兄さんがニコニコとゴンドラの扉を開けてくれる。
私達が乗り込み向かい合って座ると、
「行ってらっしゃ~い。」
とお兄さんはニコニコと扉を閉めた。
少しずつゆっくり上昇していく。
少しずつゆっくり周りの景色が下に広がっていく。
私は後ろを振り向いて外の景色を見た。
ジェットコースターやお化け屋敷、私達が遊んだアトラクションが真下に見える。
少し視線を遠くにやると遊園地の照明がキラキラと星の様に光って見えた。
「綺麗…」
「……」
んっ?
視線を前に戻すと、大ちゃんが真剣な表情でこちらを見ている。
何故だかメガネも外している。
「うわっなに?どうしたの?」
「ミューズ…横に座ってもいい?」
言うが早いか大ちゃんは私の横に座り、私を抱きしめてきた。
「えっ?ちょっ、やだ、周りから見えるよ。」
焦る私の様子に、
「ごめん…」
と大ちゃんはおずおずと私から離れると、
「あの…その…隣に座ってるのはいい?
目をずっとつぶってるから着いたら教えて…」
と蚊の鳴くような声で言った。
「へ?どういうこと?
まさか…」
「う…ん…実は高所恐怖症で…見えないようにメガネ外してもみたけど…もう…無理…かも…」
いいいいいい??!!
ゴンドラはやっと1番てっぺんに差し掛かろうとした所だった。
またまだ残りはかなりある。
「ちょっとやだ!何で言わないの!
言ってくれたら乗らなかったのに!」
焦る私の言葉に、
「.だって…ミューズ…乗りたそうだったし…ミューズが喜んでくれたら俺、頑張って我慢できるかなって…」
バカだな…もう。
普段の大人びた態度や表情はどこへやら、怯えた子犬の様な目をして俯いている大ちゃんを私はそっと抱きしめた。
?!
大ちゃんは少し驚いたが私のなすがままになっている。
「ほら、こうしてれば少しは落ち着く?」
「うん…」
「目をぎゅっと閉じててね。着いたら教えてあげるから。」
「ミューズ…」
少し落ち着きを取り戻した大ちゃんが言う。
「なに?」
「ずっとこうしててくれる?」
「うん。大丈夫だよ。ずっと横にいるよ。ずっとしててあげるよ。」
「うん…」
大ちゃんを抱きしめながら私はふっと視線を下に落として大ちゃんの足元を見た。
足には真新しいバッシュを履いている。
昨日、私達がプレゼントしたやつだ。
喜んで早速履いてきてくれたんだ…
可愛くて愛おしくて胸が熱くなる。
私は大ちゃんの髪に顔を埋めた。
大ちゃんの髪からは昨日と同じシャンプーの爽やかな香りがした。
「ミューズ…ごめんね…」
観覧車を降り駐車場に向かう途中、
打しおれながら大ちゃんが言う。
「俺…かっこ悪いよね。」
「なんで?私のために苦手な観覧車乗ってくれて嬉しかったよ?」
心からの言葉を言ってみるも、
「うん…でも…」
あまり響いていないようだ。
そうだ!
「ねぇ?私からのプレゼントまだ開けてくれてないでしょ?
車に戻ったらすぐに開けてみてよ!結構苦労して買ったんだからね!」
私の言葉に大ちゃんもアッ!という顔になった。
クルマに戻ると大ちゃんは早速包みを開ける。
「あ~っ!ドラムだ!!」
大ちゃんはプラスチックケースの中に手を入れると嬉しそうにドラムをトントンと指で叩いてみせた。
「喜んでくれて良かった。」
私がホッとして笑うと、
「昨日、皆でってバッシュくれたのにまたこんな高そうなプレゼントくれて…」
「ううん、いいの。
それより、バッシュも今日早速履いてきてくれて、喜んでくれてるのが伝わってきて嬉しいよ。」
私のその言葉に大ちゃんの目が急に輝いた。
「ねぇ、ミューズ。
今から行きたいとこがあるけどいいかな?」
「いいよ。」
私の返事を聞いた大ちゃんはウキウキと小一時間ほど車を走らせ、薄暗い空き地の様な駐車場に車を停めると、
「ここだよ。」
と更に嬉しそうな顔をした。
「えっ?ここって?」
「うん。最近よく来る場所。」
大ちゃんは、そう言いながら先に車を降りる。
慌てて私も降りると、
「駐車場を出て右に曲がったすぐだよ。」
と手を引きながら案内してくれた。
「わあ!」
角を曲がった私の目の前には、隣接する公園の外灯の明かりを受けて夜の闇の中に浮かび上がる3on3のコートが広がっていた。
「へぇー」
私はゴール下に立ち見上げた。
懐かしいな。
高校の球技大会以来だ。
シュートを打つ真似をしてみる。
「やってみる?」
大ちゃんは言うが早いか、駐車場の方に走っていき、バスケボールを抱えて戻ってきた。
「え?どうしたのそれ?」
「うん。友達といる時に、気が向いたら来るからボール車に積んでる。」
言いながらボールを私に渡してくれる。
よしっ!
シュートを打つ。
げっ、ゴールにすら届かない…
テンテンテン…情けない音を出しながら転がっていくボールを笑いながら拾い上げた大ちゃんがシュッとボールを投げる。
スッ。
簡単にゴールが決まった。
はぁ、何でも私より出来るのねぇ。
私は新人研修の時の大ちゃんを思い出した。
「その子」は私のすぐ斜め前に座っていた。
いつも人事教育部の講師さんの話を聞いているのか、聞いていないのか、ボーッとした表情でいつもつまらなさそうに欠伸を噛み殺していた。
「この研修での講義内容から最終日の前日にテストをします。テストは採点をして翌日皆さんにお返ししますが、コピーを各自の配属店の店長にもお渡ししますのでしっかり勉強して下さい。」
講師のその言葉に、
うわっ、しっかり聞かなきゃ。
講師の言葉に焦る思いで必死で講義を聞き、ノートをとる。
他の新人達は私より年下ばかりだ。
悪い点を取ったら恥ずかしい。
家に帰って復習もしてしっかり勉強した。
テスト当日、
「うっ、思っていたより難しい…」
ダメだ。落ち着こう。
焦りながらもふと斜め前を見ると、
「.その子」はつまらなさそうに問題用紙を一瞥したかと思うとサラサラっと何かを書いてすぐに突っ伏して寝てしまった。
えっ?なんなの?
例え分からなくても最後まで普通考えない?
テストはいつも時間ギリギリいっぱいまで粘るタイプの私には彼の行動は理解できなかったが、人の事を気にしている余裕はない。
とにかく良い点を取らなきゃと必死でテストに取り組んだ。
真面目に勉強したのと、最後まで粘りきった甲斐があり、
翌日の最終日に返されたテストは周りのほとんどが80点台だった中での95点だった。
ふむ、悪くない。
これで午後から配属店の店長に会っても恥ずかしい思いはしなくてすみそうだ。
午後に迎えに来てくれた店長と共にオープン前の店舗に着いた私達はオープン準備中のスタッフへの挨拶後、休憩室で簡単なオリエンテーションを受けた。
「さてと。」
店長は人事教育部から渡されたテスト結果の封筒を開封し中を覗くと、
「おっ!すごいな。」
とニコニコとした。
「ありがとうございます。」
と答える私に、
「うんうん。95点に100点なんて田村さんと神谷君はなかなか優秀だ。」
と店長は優しくほめてくれた。
ほめてくれた。
ほめて…
えっ?100?!
大ちゃんこと神谷君は全く興味のなさそうな顔をしていたが、
「ありがとうございます。」
と無理矢理な作り笑顔を作ってボソッと頭を下げた。
「ねぇねぇ、すごいね、満点なんてなかなか取れないよ。」
オリエンテーションの合間の休憩時、私は大ちゃんに話しかけた。
「別に。ちょっと要所の話聞いて適当に書いたら取れるでしょ。」
店長に対しての作り笑顔とは裏腹に私には相変わらずぶすっとした顔で答える。
はぁ。
もうやだこの子。
でも頭の回転は早そうだな。
一緒に仕事して慣れればもっと打ち解けてくれるかな。
よしっ!頑張ろう!
基本、ポジティブな私はグッと心の中で気合を入れた。
「ミューズ?」
声をかけられてハッとする。
「ミューズ?疲れちゃった?そろそろ帰ろうか。」
大ちゃんがニコニコしながら立っていた。
「.あ、うん。」
返事をした私と大ちゃんは並んで歩き出した。
あれ?
研修は3月の終わり頃、今は6月の終わり頃。
3ヶ月の間に、あの仏頂面とこうやって仲良く歩く様になってる。
そういえばあんなにぶすっとした態度を取っていた私に対して急に好きだとか言い出して、一体何がこの子の中であったのか?
人を本気で好きになるのにじっくりゆっくりと時間をかけるタイプの私には大ちゃんの言動が正直理解できなかった。
「ミューズ?」
車に乗り込んだ途端、大ちゃんが声をかけてきた。
「えっ?なに?」
「いや、なんか…機嫌悪そうだなと思って。」
大ちゃんの言葉に私は慌てた。
「あっ、ううん。ちょっとね考えてただけ。
研修の時にはあんまり私の事を好きじゃなさそうだったのに、何故急に親しくしてくれる様になったのかな?って。」
「…から…」
大ちゃんがボソボソ声を出す。
「えっ?何て言ったの?」
聞き返した私に、
「研修の時からずっと気になって好きになってたからだよっ!!!」
と大ちゃんが半ばやけくそ気味に叫んだ。
「うおっ!」
び、びっくりした。
「え?!気になってたって…何か気になる様なことしたかな?」
「えっ?何かって…」
カアアアア。
大ちゃんの顔が耳まで赤くなる。
えっ、やめて、そんなリアクションやめて、こっちが恥ずかしい。
「だってほら大ちゃん最初の頃は素っ気なかったし。ホント仏頂面で怖かったよ。」
私は気恥しい空気を払いたくてわざと笑いながら茶化した。
「あ~そんなに愛想無かった?
うん、まあ気恥ずかしかったのと…」
大ちゃんはそこでちょっと言いよどむ。
「ん?」
「.いや、気にはなってたけど…
簡単に人を信用なんてできないから警戒してたっていうか…」
…えっ…
「あのさっ、この人を信用出来るなって思ってから普通気になりだしたりしない?」
私はごく当たり前と思われる疑問を口に出した。
「いや、この人気になるなって思っても深く知り合うと違ったってことあるよ。」
大ちゃんはアッサリそう言った。
まあ確かに…
「それに俺、人のことをあまり信用しない様にしてるし。」
へ?
ということは…
私の事もまだ信用してないって事じゃないかな?
急に虚しさと寂しさが私の中に押し寄せてくる。
「何でそうなの?そういうの寂しくない?」
との私の問いには答えず、
「ミューズはすぐに人を信用しそうだね。単純そうだもんね。」
と大ちゃんは笑って私の頭をポンポンした。
この子は一体どういう子なんだろう。
私を好きだと言ってくれてるけれど、本当にそう思っているのだろうか。
と、いうかそれ以前に私の何を好きなのだろう。
色々と考えてみたが答えが出るわけもない。
まっいいか。
そのうちに聞いてみよう。
どうせ今聞いてみたって答えそうにもないしね。
マイペースで面倒臭がりの私の悪い癖である。
多分…
私と大ちゃんの性格って真逆なんだろうなきっと。
「ミューズ?」
大ちゃんが黙り込んだ私に声をかけてくる。
「んっ?ああ、さっ帰ろうか。」
私は笑って答える。
「…」
大ちゃんはそんな私を黙って抱きしめてきた。
この子、やっぱりよくわからないな…
何か抱えてる感じはするんだけど…
あいつは繊細で天邪鬼…
と言ったユータンの言葉を思い出す。
天邪鬼。
心で思っていることと逆の事を言ってしまう人…だったっけ?
そうなの?
大ちゃんの本音はどこにあるのかな?
大ちゃんに抱きしめられながら、私はまだ見えてこない大ちゃんの心の内をそっと思った。
「ミューズ…何で簡単に人を信じることができるのかな?」
私を抱きしめながら大ちゃんがポツリという。
「え?わかんないよ。それに信じられないより信じる方が幸せじゃない?」
「ミューズは幸せに育ってそうだね。」
「あ~そだね~。甘やかされ気味で何も出来ない子だったから大人になって苦労してるけどね 笑」
「そか…」
大ちゃんは小さく呟くと、
「俺は早くお金を貯めて家を出たい…
あの家にはいたくない…」
と語気を強めた。
「えっ?」
聞き返す私に大ちゃんはかいつまんで自分の事情を話してくれた。
幼い頃の父親からの暴力。
一人っ子の自分に過干渉するくせに父親の暴力には見て見ぬふりの母親。
「今も…暴力…あるの?」
「ううん。
中2の時に、殴りかかってきたのを逆にやり返してからもう手を出そうとしてこない。」
「そっか…」
良かったねと言うべきかどうか悩んだ。
「父親は暴力以外は特に何もない。
だから母親よりは全然いい。」.
「お母さんと仲よくなれないの?」
「仲良く?」
わたしの言葉に大ちゃんは鼻で笑った。
そうして、
「もし父親が寝たきりになったら多少は面倒みるかもしれない。
でも母親は知らない。
どこでどうなろうと関係ない。」
とゾッとするほど落ち着いた声で淡々と呟いた。
「山田さんは一体どういうつもりかしらね。」
30歳パートの沖さんがバックヤードで作業をしていたわたしの横に来て囁く。
「え?何ですか?」
作業の手を止めて聞く私に沖さんは店内の方を顎でしゃくってみせた。
店内に通じるスイングドア越しにそっと店内の様子を伺う。
スイングドアの上部にはマジックミラーが付いており、バックヤードから少し店内の一部を見ることができた。
そっと覗いてみた視線の直線上に納品作業中のユッキーが見える。
その横にしゃがみ込んで嬉しそうに話しかけるユータンの姿があった。
「最近ずっと森崎さんにまとわりついてああなのよね。
森崎さんに気でもあるのかしら。
森崎さんも相手にしなきゃいいのに、見苦しいったらありゃしない。」
はあ。
またか…と私は心の中で呟いた。
沖さんは根っからの悪い人ではないのだが、とにかくいつも自分が正しく、自分が中心でチヤホヤされないと気が済まず、自分以外の人間がチヤホヤされたり、仲良くしたり、誉められたりするのを心良く思わない厄介な人だった。
やれやれ。
ご自分がチヤホヤされる時は店内だろうが何だろうが「見苦しい」なんて言葉使わないのにね。
かくいう私自身もその数日前に
「神谷君と随分対等に話してるのね。歳上の威厳がないのかしら?」
と冗談めかしつつもしっかり嫌味を言われた所だった。
でもまあそれにしても…
と私は店内の様子をもう一度見た。
確かにちょっと目に付くかも。
せっかくユッキーが真面目に仕事してるのにあれじゃユッキーまで仕事そっちのけで私語三昧と誤解されちゃうかも。
ユータンどうしちゃったんだ一体。
私は大ちゃんにその事をそっと相談してみた。
「人の気持ちなんて周りがどうこう言っても仕方がないし、何をやっても嫌味を言う人はいるから2人の事は放っておけばいいんじゃない?」
というのが大ちゃんの答えだった。
それが大人の答えだろうし、
その言葉には大ちゃんなりの考えがあったのだと思う。
でも当時まだまだ若くて人の言葉に込められた思いを読み取る事ができなかった私は「冷たい人だ」という思いを持ち、それが心の奥底に澱のようにへばりついた。
大ちゃんは繊細で感受性が強く激しい気性の持ち主だった。
自分が心を開く相手は少ないが、一旦開いた相手には「自分」を出した。
中でも私に対しては日に日にその「.激情」を出すようになっていった。
私が彼に対して「マイナスの感情」を持つと、それはマイナスに、「プラスの感情」を持つと、それはプラスに増大されて私にぶつけられた。
「愛憎」という言葉が彼の感情表現にはピッタリの言葉だったのかもしれない。
ユータンの些細な1件で私が彼への「否定の気持ち」を少し抱いたのをキッカケにそれは一気に発動した。
「俺、何か間違った事言ってる?」
探る様に聞いてくる彼に、
「ううん。当然の事だよね。」
と私は答える。
彼の顔が一気に曇ったかと思うとサッとその場を離れ、その日私に近寄って来ることは一切無かった。
今夜仕事終わってから一緒に食事に行く約束してたんだけど、どうしたもんかな?
ユータンに理由は言わず相談してみる。
「大ちゃんを怒らせちゃったみたいなんだけど…
機嫌直るまで放っておいた方がいいのかな?」
「んっ?普通に話しかければ?」
ユータンは事も無げに答える。
「えっ?怒らせたんだよ?」
「うん。だから普通に話しかければ?」
「それで機嫌直るの?」
「うん 笑」
わからないなぁ。
でもちょうどバックヤード整理で力仕事とかあるし、男の人に手伝ってもらいたかったから頼んでみるか。
店内に行き、黙々と品出しをしている大ちゃんに声をかけてみる。
「神谷さん、すみませんが手が空いたらバックヤード整理を手伝ってもらえませんか?」
店内では敬称、敬語である。
「はいっ!わかりましたっ!すぐに終わらせて行きます!」
「神谷さん」はビックリするほど元気な声で返事をした。
「お先に失礼します!」
早番上がりの私と大ちゃんはスタッフに挨拶をして更衣室に向かった。
「じゃあ、いつものとこで待ってるから。」
大ちゃんがポソッと言う。
いつものとことは私の最寄り駅近くのロータリー横の駐車スペースである。
自転車通勤の私は急いで家に帰り、自転車を置くと駅に向かった。
大ちゃんの車に乗り込み、何とか鍋
を食べに行く。
その何とか鍋はジンギスカンの様な物で、野菜から出る水分で煮焼きしながら頂く料理。
ピリ辛味噌味が絶妙でとても美味しかったのだが、残念ながら数年後には店がなくなり料理名も忘れてしまった。
もう一度食べたいなぁ。
と今でも時々思う二度と食べる事のできない味だ。
食事が済んだ後、夜景でも見に行く?という事になり、有名な夜景のスポットに行ってみたがスポットには車がいっぱいで駐車を断念、ウロウロと走り回り、生い茂った茂みの隙間から辛うじて少し夜景が見えるか見えないかの場所に車を停めた。
流石に他の車は全くいない。
と、思いきや少し離れた場所に1台の車ができるだけ奥に隠れる様に停まっていた。
暗がりのため中はよく見えないが何となく人の気配はする気がする。
「こんな所で車に乗ったまま?何してるんだろう。」
「SEXでしょ。」
大ちゃんは興味無さそうに答える。
げっ?!
げ!げ!げ!
思わず降りかけた車のドアを閉めた。
「.え?降りて夜景見ないの?」
「いやっ!無理!無理!無理!やだよ。無理だよ。降りてウロウロなんかしたら完全に覗きと思われるよ!」
「そう?」
焦る私とは対照的に大ちゃんはのんびりと可笑しそうに笑っていた。
「降りるの嫌だったら中にいる?」
大ちゃんが優しく聞いてきた。
コクコクコク
頷く。
「まあ、いいけど。中で何するの?」
「えっ?何って…話…」
「ふ~ん。話なんかより…俺らもする?」
Noーーーっ!!
大ちゃんの言葉に耳を疑った。
「えっ?車でって?何を?何を?した事あるの?」
「え?車でSEXでしょ?あるよ。」
オーマイガーッ!
「な、何て早熟な。
初体験とか早かったのかな。」
「車と早熟って関係ある? 笑
普通だよ。中2で相手が中1だから。」
目眩がした。
「自分で聞いといて、なに慌ててるの?」
大ちゃんがクスクスと可笑しそうに笑う。
「いやっもうダメだ。
動悸が止まらない。
どっかおかしいのかもしれない。」
大ちゃんからなるべく逃れるように助手席のドアにへばりつきながら私は意味不明な言葉を吐く。
「あはははは!冗談だって!ミューズの反応面白過ぎて調子に乗っちゃった。」
大ちゃんは笑いながら私の頭をクシャクシャとした。
「えっ?冗談なの?」
「うん。聞かれた事は本当だけど、今しよ?って言うのは冗談。
いや、ミューズが良ければ俺はしたいけど。」
?!
「あはは!だからそんなに怯えるのやめてって。」
大ちゃんは楽しそうに笑うと、
「キスは…いいよね?」
と、私の顎をそっと持ち上げて深くキスをしてきた。
前回した軽いキスとは全然違う濃厚なキス。
ねっとりと舌を絡めて吸いそしてまた絡める。
頭の芯が痺れた様にボーッとなる。
「美優、可愛い。美優。」
大ちゃんの声が遠くで響くように聞こえる。
たっぷりと濃厚なキスをされ、ボーッとしている私の耳元で、
「これ以上しちゃうと我慢できる自信無くなるから。」
と大ちゃんが囁き、私の頬に軽くキスをして、
「帰ろ?」
と優しく微笑んだ。
7月に入った。
ユータンは相変わらずユッキーの周りをウロウロしていたが、こっそりとユッキーに沖さんの陰口の事を教えると、賢いユッキーが上手く立ち振る舞う様にしたためさほど目立たなくなり、沖さんもいつの間にか何も言わなくなった。
「ユッキーってユータンと遊びに行ったりするの?」
ある日の休憩時、ふと思いついて聞いた私に、
「いや行かないよ。ユータンにも誘われたことないし。」
ユッキーがやや意外な返事をした。
「え?そうなの?仲良しだからご飯くらい行くのかと思ってたよ。」
私の言葉にユッキーはうーんと言った様子で首を傾げ、
「ユータンは見た目も性格も私好みなんだよね、でも何だろう。
同性の友達の感覚が抜けないんだよね。
どうしても男性として見られないというか…だからみんなで遊びに行くとかはいいんだけど特に2人でとか行く意味を感じないというか…」
と考え考え言った。
ユータンが聞いたらショックで寝込むなこれは…
とりあえず聞かなかった事にしておこう。
逆にみんなで遊びに行くのならユッキーはOKなのね?
「あ!そうだ!
ね、ね、7日のシフトどうなってたっけ?」
私はある事を思い出しユッキーにシフトをチェックしてもらった。
「え~と、私と美優ちゃんが早番、大ちゃんが中番、店長が遅番、ユータンは公休だね。」
うん!よしっ!ギリギリ行けるな。
「ねぇ、7日に○○神社ってとこで七夕祭りあるらしいのよ。
夜店の閉店までには何とか間に合うと思うし、良かったらみんなで行かない?」
「うんっ!行く行く!」
ユッキーが文字通り二つ返事で承知してくれたので他の2人にも聞くと、他の2人も異議なし!といった感じで喜んで参加の意を示してくれた。
「その日、用事があるから終わってから現地に直接行くよ。
その神社ってどこにあるの?」
ユータンが聞いてきた。
「えーとね、3on3のコートがある公園の近くなんだけど…」
私がユータンに説明したその公園とは、他でもない大ちゃんと行ったあの3on3のコート横の公園だった。
大ちゃんと3on3コートに行った時、隣接する公園の前に立っていた掲示板らしきものに1枚のポスターが貼られていた。
「7月7日 七夕祭り。
17:00~21:00
○○神社境内。
雨天中止。」
へぇ。
七夕祭りなんて行ったことないな。
地元の小さなお祭りなのだろうが、夜店も少しは出たりするのだろう。
行ってみたいな。
みんなで行けたらなおいいな。
そう思いながらそこを通り過ぎたのだが、まさか本当にみんなで行けるとは思ってもおらず、気軽に付き合ってくれる3人に感謝して心がウキウキと楽しくなった。
7月7日。
当日は曇で少し小雨は降ったものの、祭りが中止になるほどの影響は無さそうだった。
早番上がりの私とユッキーは店舗近くの喫茶店で大ちゃんを待ち、大ちゃんの車で現地に向かった。
公園近くの駐車場に入ると既にユータンが待っており合流する。
「お疲れ!お土産持ってきた!」
ユータンが嬉しそうに笑いながら大きなビニール袋を車から降ろす。
「なにそれ?」
中には小型の水鉄砲が2つと、大型の連射式のこれまた水鉄砲が2つ入っていた。
えっ?
「今日さ、俺の地元で七夕祭りやったからそれの準備の手伝い料。」
ユータンはドヤァといった顔で私達を見回す。
何で手伝い料が水鉄砲なんだろう…
よくわからないユータン&ユータン地元。
ユータンを除く3人の顔に同じ疑問が浮かんだのを素早く見てとったユータンは、
「本当はビールとかくれようとしたんだけど、それは要らないからくじ当てを引かせてくれ!って引いた。
それの景品。」
と照れ笑いをしてみせた。
「えっ?何回引いたの?」
とユッキー。
「5回!」
ユータンは鼻をフンっと鳴らして答える。
5回中、4回も水鉄砲引いたのか…
水鉄砲率高くないか?
ユータン地元主催のくじ当て屋…
「後の1回は何を引いたんすか?」
顔が既に爆笑している大ちゃんが肩を震わせながら聞くと、
「これ。」
とユータンが大切そうに出してきたのは小さなカバのキーホルダーだった。
「カバ?!」
3人がじっとそのカバを見つめると、
「違うよ!カバじゃないよ馬だよ!」
と、ユータンがさも心外そうに鼻を鳴らしながらキーホルダーに付いている小さなタグを見せた。
「可愛いポニー君」
と書いてある。
なるほど。
確かに馬だわ。
でもユータンには申し訳ないが、その「可愛いポニー君」の造りのクオリティがあまりにもカバ寄りに高すぎ、どこからどう見てもカバにしか見えなかった。
いや、言われてみればカバにしてはやはり多少はシュッとしてスマートと言えばスマートなので、
純粋なカバと言うよりも、
「スタイリッシュなカバ」
という言葉が相応しいカバだった。
カバだわ…
カバだよな…
カバだよね…
3人の顔にくっきりとカバの文字が刻まれているのをまるで無視したユータンは、
「前にさ、大ちゃんは動物だとドーベルマンって話あったでしょ?
それでいくとユッキーはキレイでスタイル良くて品があるから白馬って感じなんだよね。」
「え?!僕がドーベルマン?」
自分の知らない所で勝手に犬呼ばわりされていた大ちゃんが不思議そうな声を出すも、
「だからさ、何か馬っていいよね。」
とそれを更に無視したユータンはうっとり語り終え、
「.これあげるね。」
とその「.スタイリッシュカバ」改め、茶色の「白馬」をユッキーに渡した。
ユッキーは笑いながらそれを受け取ると、
「ありがとう。何につけようかな?」
と思案した。
「家の鍵は?」
と、以前大ちゃんに貰ったキーホルダーを家の鍵に付けた私が言うと、
「そうだね。そうしようか。」
ユッキーはキーケースを取り出して付いていた家の鍵を外した。
見ると某一流有名ブランドの数万円はする高級キーケースで、それに車のキーと一緒に付けていた様だった。
「あ、ごめん。
それを外しちゃうのは…」
謝りかけた私に、
「ううん。いいの。車に乗らない事も多いからこんなにかさばるキーケースより家の鍵だけスッキリ持てる方がいいし。なかなかこのカバ君は愛嬌あって可愛いし。」
違うよ。
馬だってば。
というツッコミをさせないほど、
嬉しそうにユッキーはニッコリしてそう言うと、
「で、お土産の水鉄砲はどれを貰ってもいいの?」
とイタズラっぽくユータンにそう聞いた。
「おうっ!好きなのもらってくれたらいいよ!」
嬉しさ全開のユータンの言葉に、
「あ~じゃあカバンに入るからこの小型のやつにしとくね。」
ユッキーは笑いながら小型水鉄砲を仕事用カバンにしまう。
「じゃあミューズも同じやつにしとく?」
ユータンが小型の水鉄砲を渡してくれたので有難く頂きカバンにしまう。
「大ちゃんのは大きいけどリュックだからギリギリ入るかな?難しいだろうから入れてやるよ!後ろ向いて!」
ユータンはお兄さんの様な顔で大ちゃんに優しく話しかけた。
「いや、それなら…」
と言いかけた大ちゃんの言葉を制し、
「大ちゃん、遠慮するなよ。ちょっとは甘えろ。」
ユータンは大ちゃんの肩を軽くポンっと叩くと、大型の水鉄砲を苦労しながら大ちゃんのリュックに押し込み四苦八苦しながらも何とかリュックのジッパーを閉め、
「OK!上手く入ったよ!」
と得意そうに言った。
いや…
無理にリュックに押し込まなくても…
大ちゃんの車に積んでおけば良かったんじゃ…ないか…な?
私はそう思いながら、無理やり許容範囲外の大きさの物を詰め込まれ、耐えきれずに「開いてはいけない方向」からパカッと口を開けだしている大ちゃんのリュックのジッパーの無事の回復を静かに願った。
「さて!行くか!しまった!俺、カバン持ってないからこのまま持つのか。」
ユータンが騒ぎ出す。
え?
車に積んでおけば?
という大ちゃんとユッキーの心の声が超能力の様にハッキリと私の中に聞こえてきたが、あまりにもユータンが嬉しそうだったので誰も何も言えず、
それぞれ鞄の中に「.鉄砲」を忍ばせた(1人は直に持ってるが)
謎の暗殺集団の様な一行は兎にも角にも七夕祭りの会場へと出発した。
神社の周辺は予想以上に人が多く、夜店も参道の左右にズラリと立ち並びなかなかの賑わいぶりを見せていた。
当初は、恥ずかしいかなと思っていた「水鉄砲を持ち歩く」ユータンの姿も祭りの中では実に自然に溶け込み、ちょっとした「お祭りの風情」さえ醸し出していた。
立ち込めるソースや焼きとうもろこしの醤油の焦げた香ばしい香り、ザラメの甘い香り、ベビーカステラのふんわりとした卵の香り、それらが渾然一体となっている夜店の少し非現実で幻想的な明かりの中で、七夕祭りに相応しい何本もの立派な笹に飾り付けられた沢山の七夕飾りや短冊が風に揺らいでいる。
お祭りって何でいつも少し夢見心地な気がするんだろう。
人々のざわめきの中で、
「君が~いた夏は~遠い夢の中~」
と脳内BGMがかかる。
JITTERIN'JINNの夏祭り。
「夏祭り歌いたくなったな。」
と笑いながら言うと、
「その曲、俺も好き。今度カラオケで歌ってよ。」
と大ちゃんが頷く。
「うん。みんなで?2人で?」
とそっと聞き返すと、
「どっちも。」
と大ちゃんはニッコリした。
祭りの終了時刻が近づき、夜店もボチボチと片付けを始めていた。
慌てて、ベビーカステラ、焼きそば、たこ焼き、フランクフルト、etc
色々買い込み夕飯代わりに食べる事にする。
「どこか座って食べられる場所ないかな?」
「公園に確かベンチがあったよ。」
この辺に詳しい大ちゃんの言葉に私達は神社を抜けて公園に向かった。
公園は縦長に広い公園で、入口付近には祭り帰りの人達がウロウロとしていたが、奥の方まではさすがに人はいないようだった。
「この奥に進むと草野球とかできる空き地があるよ。
その周りにベンチが幾つかあったはず。」
「草野球」という大ちゃんの言葉にグラウンドの様な場所を想像していたら、なんのことは無い本当にそこは単なる空き地で殺風景なものだったが、それでも周りには古びた木のベンチがいくつか置かれていて、私達は喜んでそこに座った。
公園内にポツポツと点在している外灯の灯りで辺りはほの明るいものの、手元などは見えにくい。
「うわっ!やばっ、思いっきりケチャップ手についた。」
「私も~何だか手がベタベタする。」
それぞれが何となく
「手を洗いたいなぁ。」
というムードを色濃く漂わせ始めたのを悟った大ちゃんが、
「確か水道が…」
と空き地の片隅に立っていた用具入れの小屋?らしき建物の横にある手洗い場に案内してくれた。
手を洗って元のベンチに戻った時、
「お!いいこと考えた!」
大ちゃんがいそいそとリュックを手に持つ。
リュックのジッパーは特大水鉄砲に与えられたダメージを受け青息吐息状態の所に、大ちゃんが無理に開け閉めしたため、
「もう…ダメ…パカッ…」
と半分ほど口を開けて逝ってしまっていたが、大ちゃんは構わずその「開いた口」から3分の1ほど飛び出していた水鉄砲を引っ張り出し小脇に抱えて手洗い場の方に走って行った。
「あっ!私もっ!」
しとやかな見た目とは裏腹にイタズラ好きなユッキーも自分の「武器」を素早く取り出して大ちゃんの後を追う。
…なにやってんの?
ポカーンと呆れて2人を見ていた私達の元にしばらくすると大ちゃんが戻ってきた。
「ピューッ!ピュッ!ピューッ!」
「つ、冷たっ!そして痛っ!」
「へっへっ!どーだー!」
小学生の様に大喜びしながら私に
特大連射式の水鉄砲の攻撃を浴びせかける大ちゃん。
特大水鉄砲は連射式で立て続けに水を発射できる。
しかも至近距離で当たるとちょっと痛い。
「仲が良いなぁ。あんまりイチャつくなよ?」
嬉しそうに笑うユータン。
どこがだよっ!!
腹が立ち、反撃しようと私も武器を手に手洗い場に走る。
たっぷり充填して戻ると、ユータンがユッキーの攻撃を受けていた。
「冷たい、冷たいな!もぉっ。」
わぁ…
幸せそう…
そこに調子に乗った大ちゃんがユータンに向けて連射した。
「こらこら!それは洒落にならないぞ!俺びちょ濡れだわ。」
わぁ…
更に幸せそう…
「よし!俺もやる!俺の腕を見せつけてやる!」
ユータンは持っていた水鉄砲をおもむろに大ちゃんに向けて発射した。
スカッ。
あの…まだ水入れてませんよね?
「しまった!水入れてくる。
ミューズ!援護射撃してくれ!」
ユータンボスの命令で私はユータンに付き添い一緒に手洗い場に走った。
幸い2人の暗殺者は手洗い場まで追っては来ない様だ。
ユータンはゆっくりと水鉄砲に水を入れながら、
「ミューズ…楽しいな、楽しいな…」
と少ししんみりした声で話しかけてきた。
「うん?楽しいね。
こんなにバカ騒ぎしたの初めてだし。」
私の言葉にユータンは頷くと、
「大ちゃんもユッキーもここまでこんなに楽しそうにはしゃいでるの初めてだな。
ミューズ…
ずっと…こうやって一緒にバカなことをいつまでやれるんだろうな?」
と下を向いた。
ずっとだよ!
その言葉は何故か直ぐには出てこなかった。
ユータンは顔を上げて、返事をしない私を少し見つめた後、何もかも見透かしたようにフッと笑った。
男っぽいキツイ顔立ちの大ちゃんとは逆の優しい中性的な顔立ちのユータン。
女性だったらさぞかし可愛かったんだろうと思わせる顔立ち。
「ユータンの顔も性格も好みなんだけど…」
ユッキーの言葉を思い出す。
キーホルダーを貰った時のユッキーの嬉しそうな顔を思い出す。
ユッキーは本当にユータンのこと何も思ってないのかな?
何か大事なこと隠してそうで、何か抱えていそうで…
でもなかなかそれを出そうとしなくて…
あ…
ユッキーと大ちゃんって…
「.あの2人は根本的な所がよく似てる。」
ユータンがいきなり言い出す。
えっ?!ビックリした~。
心を読まれたのかと思った。
と、驚いた私の心も読んだかのように、
「ミューズもそう思ってるんじゃない?」
とユータンは可笑しそうに笑った。
ユータンの水鉄砲からは既に水が溢れ出している。
ユータンは水道の蛇口を閉めながら、
「ミューズ、あの2人とずっと仲良くしてあげて。あの2人にはミューズの様なキャラの人間が必要だから。」
と呟いた。
「うん?必要とされてるのは勿論ユータンもじゃない?歳をとってオジサンオバサンになってもこんなバカな事をして笑い合いたいね。」
私のその言葉に、
「ああ、そうだね。
50歳になっても100歳になっても仲良く遊びたいな。」
とユータンは静かに笑った。
ユータンと2人戦線復帰すると、ヤンチャな2人組が大喜びで襲ってきた。
「わわっ!」
「キャーッ!」
必死で応戦する。
散々騒いで少し疲れた私は1人ベンチに腰掛けて、楽しそうにはしゃいでいる3人の姿を眺めた。
ホント。
バカな事してるな。
「わあっ!二人がかりでズルイぞ!
こらっ!反撃できないだろ!」
大ちゃんとユッキーの集中攻撃を受けて必死で応戦しているユータンを見て思わず笑ってしまう。
来年の夏祭りもこうやって遊ん
でるんだろうか。
50歳になっても100歳になってもか…
ユータンの言葉を思い出す。
100歳は現実的にはちょっと厳しいとしても、50歳ならまだみんな健在かな?
私が50歳になるのは後ちょうど25年後か。
2018年。
うわっ、2000年に突入しちゃってるよ。
ノストラダムスの大予言もあるし、無事に2000年を迎えることが出来るのかな?
25年後の未来。
確か「バックトゥーザフューチャー」
という大好きだった映画の
「30年後の未来」は2015年だったよね、それよりも更に後か。
何か便利な物が発明されているのかな?
遠い未来に思いを馳せようとするものの全く想像も付かない。
「ミューズ!帰ろう!」
大ちゃんに声をかけられる。
「あ!うん!」
はっと現実に戻る。
3人がニコニコとしながら私の方を見ている。
ずっと一緒にいられたらいいな。
私はそう思いながら3人の元へ走って行った。
「じゃまた!おやすみ~。」
駐車場で解散。
店の駐車場に車を置いてきたユッキーはユータンに店まで送ってもらうことにする。
徒歩出勤していた私はそのまま大ちゃんに送ってもらうことになった。
ユータンの車を見送ると、大ちゃんは私の服の袖に触れ、
「結構濡れたね。」
と笑った。
「もうっ!ほとんど大ちゃんにやられたんだからね!」
とブツブツ言うと、
「ごめん。ごめん。ちょっと待って。」
大ちゃんはリュックからフェイスタオルを取り出し、
「これ、使って拭きなよ。」
と貸してくれたので、
「ありがとう。」
と濡れた服を拭こうとした途端に、
「ああっ!!ダメだ!!」
といきなり大ちゃんにタオルを奪い取られ驚いた。
「なに?なに?なに?ビックリしたんだけど。」
驚く私に、
「いや、それ1回俺の顔の汗拭いたの忘れてた。
ごめん。汚いから使わないで。」
神経質な大ちゃんらしく焦った様に謝る彼の手から私はタオルを奪い返した。
「1回ちょっと拭いただけでしょ。
気にしないから貸して?」
「でも…気持ち悪くない?」
ウジウジ気にする大ちゃんの相手が面倒臭くなり、
「え?他の人のなら嫌だけど大ちゃんのでしょ?
気持ち悪くなんかないよ。」
と勝手にゴシゴシ拭き始めた私の腕を大ちゃんが急に掴んだ。
うわっ!
無神経な私の態度に呆れて止めに入ったか。
てっきりそうだと思い、おそるおそる大ちゃんの顔を見ると、大ちゃんは目を潤ませ真剣な顔付きで、
「ミューズ、俺の汗汚くない?」
「え?ああ、そうだね。」
更に大ちゃんの目が潤む。
「俺も、俺も、ミューズの汗汚くない!」
言うが早いか大ちゃんがガバーっと抱きついてきた。
うわっ!なになに?
驚く私を抱きしめながら、
「ミューズ、大好き。
嬉しい。」
と大ちゃんが1人で盛り上がっている。
「え、え~と、
そんなに感動される様なこと言ったかな?」
「そりゃさすがにタオルが汗でしっとりしてるとか、全身拭かれとかなら嫌なんだけど~。」
ボソボソ大ちゃんに言ってみるも聞こえていない。
「あのっ、ちょっとっ、体拭きたいんだけど。」
タオルを持った手で大ちゃんの背中をトントン叩くと、
「ああ、ごめん。」
と大ちゃんはやっと離れると、
「タオル貸して?拭いてあげる。」
と優しくわたしの手からタオルを取った。
大ちゃんは私の背中を優しく拭きだした。
見た目や仕事中の男っぽさからは想像できない繊細で優しい仕草。
私なんかより余程女らしい。
一緒にご飯を食べに行っても、先ずは必ず私に料理を取り分けてくれる。
焼肉も焼いて食べ頃になったら小皿に入れてくれる。
私、ただ食べるだけ。
19歳の男の子に甲斐甲斐しく面倒見られてる25歳女って…
ある日、さすがに恥ずかしくなり、
「私が分けてあげるね。」
と鉄の串に刺さった2切れの肉の塊を串から外そうと力を込めたはいいが、
力を入れすぎて肉が1つ皿から飛び出しテーブル上に転がった。
私のやることは本当に雑い。
「ああっ!!この肉食べたかったのに!」
ガックリする私に大ちゃんが、
「大丈夫だよ。テーブルの上だから食べられるよ。」
と言う。
「そうだね。捨てるのは勿体無いしね。」
と気を取り直し、転がった肉を皿に乗せている間に大ちゃんが残りの肉を綺麗に串から外して取り皿に乗せ、
「はい。どうぞ。」
と渡してくれた。
「え?私の肉はあるよ?」
とテーブル上に落ちた方の肉を指すと、
「それは俺が食べる。」
と大ちゃんが素早くその肉の皿を自分の手元に置いた。
ああ、いつもそうなんだ。
気の利かない私は彼のしてくれる事の半分も返せない。
彼は私と付き合って何か得られる物があるのかな?
何故そこまで私を好きと思ってくれるんだろう。
「ねぇ?ちょっと聞いていい?
私の何を好きになってくれたの?」
私の言葉に大ちゃんは私を拭く手を止めて、
「何をと言われても直ぐには答えられないけど、キッカケはあるよ。」
と話し出した。
新人研修の数日前、全体オリエンテーションという名目の顔合わせみたいなものが行われた。
オリエンテーションもつつがなく終了し、皆が我先にと会場を出て帰って行く中、1人具合が悪そうに机に突っ伏している男の子がいた。
チラリと見える横顔がハッキリとわかるほどに青い。
数人いた人事教育部の担当者の方々は廊下に出て新人達を見送っている。
(大丈夫かな?誰か呼んで来ようかな。)
と近寄ろうとした時に、
その子が急に苦しそうにし出すと机や床に嘔吐してしまった。
?!
まだ会場に残っていた10人ほどの新人達が驚いて固まる。
「.大丈夫?!」
私は咄嗟にその子に駆け寄ると、持っていたポケットティッシュをその子に手渡しながら、
「誰か!ティッシュ持ってたらちょうだい!
それと○○さん呼んできて!」
と人事教育部の主な担当の方の名前を出した。
直ぐに○○さんが駆けつけて来てくれた。
「大丈夫?ちょっとお手洗い行こうか?」
まだ気分が悪そうにしているその子を支える様にして連れ出してくれる。
騒ぎを聞いて他の人事教育部の方も会場に戻ってきた。
私と同年代くらいの若い男性だ。
「すみません、ほうきとちりとりとゴミ袋ありませんか?」
私がそう言うと慌てて頼んだ物を揃えて持ってきてくれた。
幸いティッシュは周りの子達の協力のおかげで有り余るほどある。
ティッシュをたっぷり使えたので早く綺麗に掃除ができた。
掃除をし終えた私に、
「ありがとうございます。
お掃除までさせてしまってすみません。
後の片付けは僕がしますので。」
男性は丁寧にお礼を言ってくれ、私からそれらを受け取ると頭を下げてくれた。
ふぅ、後は大丈夫そうだな。
安心した私はお手洗いで手を洗った後、ちょうど隣の男子トイレから出てきた○○さんと男の子に会釈をして帰った。
「で、その事が何か関係あるの?」
と、私は不思議に思い聞いた。
その体調を崩した男の子は大ちゃんではないので何の関係があるのか分からない。
「あの時、あの場に俺もいたんだよ。
咄嗟のことに俺は何も出来ずにボーッと見てるだけだった。
いや、咄嗟じゃなくてもきっと汚いことなんてやりたくないから、やはり何も出来なかったと思う。」
大ちゃんは私の頭をなでながら私の目を見つめた。
「その日、初めて見た時に、決して美人とは言えないのになんか可愛いと思える気になる子を見つけた。
その子はそうやって人のためにすぐに動いて嫌な事も率先してやる優しい子なんだと思ったら、ますますその子が可愛く見えて仕方なくなった。」
大ちゃんの言葉に恥ずかしくなる。
「いや、それはたまたまそこに私が居合わせただけで、他の人でも同じ事をする人はきっといるよ。当たり前の事をしただけだし大した事してないよ。」
私の言葉に、
「そうかもしれない。
でもこう言われてもそういう返事をするミューズが好きだよ。」
大ちゃんは私の両頬を両手で優しく包むように持ち上げると、
優しくキスをしてきた。
うっとりととろける様なキス。
全身がカーッと熱くなる。
あぁ、大ちゃんは私のそんな所を好きになってくれてたのか…
大ちゃんの言葉がグルグルと頭の中に過ぎる。
ん?
ん?!
「どうしたの?美優。」
大ちゃんがうっとりと優しい目で問いかけてくる。
「.ちょっと待て~!
決して美人とは言えないってどうゆう意味だよっ!!」
「あ、そこ気づいた?」
大ちゃんが可笑しそうに笑う。
「そこは、可愛いなと思える子を見つけた…で良くない?
何故、わざわざそういう余計な前置きつけるかね?
全くもって失礼な奴!」
鼻をフガフガ鳴らしながら怒る私に大ちゃんは笑い転げた。
散々笑った後に大ちゃんは、
「あはは、やっぱり美優のこと大好きだ。」
とまた私にキスをした。
大ちゃんのキスは私の全身を熱くさせ頭をボーッとさせる。
まるで何かの媚薬を盛られているようだった。
「美優…美優…」
大ちゃんの息遣いが段々荒くなり、
彼は私の耳たぶを甘噛みすると、
そのまま首筋に舌を這わせた。
「あっ…」
我慢出来ずに声が出る。
私の声を聴くともう我慢出来ないといった様子で大ちゃんが私の胸を触ってきた。
「あっ…やっ…」
と拒む声がかえって欲情をそそるのか、
あっという間もなく、ブラウスのボタンを外され中に手を入れられると、彼は胸を直接愛撫し始めた。
「あっ…ダメ…やっ…」
と彼の腕を必死に押さえて抵抗する。
「そんな…色っぽい声で…嫌がられたって…無理…だよ…」
大ちゃんは抵抗する私の腕の力などものともせずに愛撫を続けた。
男の人の力ってすごい。
まざまざと思い知らされる。
今まで何人か付き合った人達はいたが全員私よりも歳上で、奥手気味な私を気遣い深い関係になったのは半年以上経って私の警戒心がとけてから…
というプロセスを必ず経ていたので、力ずくに来られるという経験をまだしていなかった私は大ちゃんの行動に少し恐怖した。
なのに、怖いはずなのに、
私の恐怖心とは裏腹に大ちゃんの愛撫に身体の芯から感じている自分に気づく。
きもち…いい…
怖いのにきもちいい…
こんなにきもちよくてとろけそうになったのは初めて…
私は…
いつかきっとこの子に身も心も溺れる…
溺れたらどうなるんだろう。
もしも溺れて抜け出せなくなった時に、彼が歳上の私に飽きて若い女の子を好きになったらどうなるんだろう。
「ミューズ?」
大ちゃんの心配そうな声がする。
「え?」
と大ちゃんの顔を見た私に、
「ミューズ、ごめん。調子に乗りすぎたごめん。」
と大ちゃんが叱られた子犬の様にしょげきって私の乱れた胸元を整えてくれた。
「ううん。ごめんなさい。こちらこそ…」
と私が謝ると、大ちゃんは静かに首を横に振り、
「帰ろう。」
それだけ言うと後は無言で車を走らせた。
翌日から大ちゃんが素っ気なくなった。
仕事中は今まで通り普通に笑顔すら出して接してくる。
しかし仕事が終わればまともに私の目を見ることもせず丁寧に頭を下げてさっと帰ってしまう。
はぁ。
何となくこうなる予感はしてたんだ。
気まずい別れ方したもんね…
追えば逃げる、逃げれば追う。
か…
追い方を知らない私はそこまで行き着けないな。
と、言うより追う前に逃げられてるから話にならない。
エッチをさせなかったから私に愛想を尽かしたの?
悲しくなった。
前の様な仲に戻るのにはエッチすればいいのかな?
でも…
ご機嫌取りのためにエッチしなきゃいけない関係ならそんな関係は要らない。
相手が去るのなら仕方ない。
幸い大ちゃんも馬鹿ではないからユータンやユッキーの前では極力普通にしようとしてるみたいだし2人にはバレていなさそう。
よし、何事も無かったかの様に自然に普通にしていよう。
さようなら。
大ちゃん。
短い間だったけど楽しい思い出をありがとう…
涙がこぼれ落ちる。
泣いてスッキリし、翌日何事も無かったかの様に出勤した翌日の朝、
「大ちゃん、ここんとこ元気無いけど何かあった?」
と同じ朝番のユータンにいきなり聞かれた。
「えっ?いつもと同じじゃない?
元気ないどころか楽しそうにしてるじゃない。」
驚いて聞き返す私に、
「見た目の話じゃないよ。僕は寂しいです。構って下さいオーラがムンムン出てるじゃない。」
ユータンが笑いながら言う。
私は普段のんびりおっとりのゆるふわ系キャラだとばかり思っていたユータンの観察眼の凄さに舌を巻いた。
「何か凄いねユータン!」
素直に感心する私に、
「いや、ユッキーにもバレてるから。」
ユータンは可笑しそうに笑う。
「えっ?ユッキーにも?」
「うん。ユッキーにも大ちゃん最近変だよね?と聞かれて、どうせミューズと何かあったんだろうから放っといてあげな。と言っといた。」
はぁ。
恐れ入りました。
「うん、まあちょっと意見の相違があって…気まずくなっちゃって…
どうしたらいいと思う?」
さすがにエッチを拒んだからとは恥ずかしくて言えない。
「普通に喋れば?」
ユータンはアッサリ言う。
またそれか。
「でも2人で話そうとすると逃げるようにその場を離れるんだよ?」
「じゃあ追いかければ?」
ユータンが「追えば逃げる」理論に真っ向勝負を挑むような提案をする。
本当にそんなんで上手くいくのかな?
でもどうせ避けられてるのだからこれ以上特に何が悪くなることもないだろう。
今日は大ちゃんは休みで明日は遅番。
遅番社員は閉店後、バイトさん達を返した後に戸締りなどのため15分ほど1人で残る。
決行するならその時だ。
「よしっ!わかった!頑張ってみます!」
ユータンに向かってグッ!と親指を立てて突き出すと、
「はい、GOOD LUCK!」
とユータンも笑いながら親指をグッ!と立ててきた。
翌日、決行前に戦闘服ならぬ勝負服を着る。
ヒラヒラの短めのフレアースカートに可愛いミュール、メイクも可愛い系のピンクでバッチリ。
よしっ。
後は武器だ。
戦闘車=自転車に乗り、武器=差し入れ
を買いに行く。
いざ敵地へ!
駐輪場にはバイトさん達の自転車やバイクは既にない。
私は武器のマクドナルドの袋をぐっと握りしめると開いている裏口からバックヤードへと入った。
敵は店内チェックの真っ最中だった。
「お疲れ様!」
と叫ぶと、大ちゃんは一瞬「はっ!」
とした顔をしたがすぐに、
「お疲れ様です。もう戸締りしますから忘れ物なら早く持って出て下さいね。」
と私の視界から更に遠くの方に歩いて行こうとした。
え?
ちょっと待ってよ。
せっかくわざわざマクドナルド買ってきたのに。
その態度はないんじゃない?
何だか無性に腹が立ち、
「ちょっと待てい!!」
と猛ダッシュで大ちゃんを追いかけた。
「.うわっ!なになになに?!」
振り向いた大ちゃんは完全にビビっている。
閉店後の店内で、フレアースカートを翻し、更にはマクドナルドの袋を振り回し、ミュールをカツカツ鳴らして叫びながら自分の方に突進して来られたら当然と言えば当然の反応であろう。
何事かとビビる大ちゃんの目の前にフンっとマクドナルドの袋を突きつける。
「これ!差し入れ。
お腹空いてると思って。」
「あ、あ、ありがとう。
店閉めちゃうからちょっと待ってて。」
私の気迫に気圧されたのか妙に大人しくなった大ちゃんは急いで戸締りをし2人で駐車場に出た。
「これ、コーヒーとハンバーガーとポテトのセット買ってきたから。」
そう言いながら中身を覗いて唖然とした。
振り回しながら走ったためにコーヒーが半分ほどこぼれ、ハンバーガーとポテトがコーヒーまみれのハンバーガーセットならぬコーヒーセットになっている。
ガーン。
「これ…もう食べれない…」
「どれ?」
大ちゃんは私の手から袋を受け取ると、
「うん。美味いよ、お腹に入ったらどうせ一緒くたになるんだし美味い美味い。」
と一気に食べてしまった。
「何か変な物食べさせちゃってごめんね。」
ハンバーガーを台無しにしてしまった事ですっかり戦闘意欲を無くした私はガックリしながら自転車に乗って帰ろうとすると、
「夕飯食べたの?
あの…もし良かったら食べに行かない?」
と大ちゃんが誘ってきた。
車は職場近くのファミレスの駐車場に入った。
以前、ケンケンのキーホルダーを大ちゃんに買ってもらった店だ。
「えーとハンバーグにしようかな。
何にする?」
大ちゃんに聞くと、
「.あ、さっきのハンバーガーでお腹いっぱいになったからコーヒーで」
と大ちゃんが答える。
あれ?
じゃあ何でご飯食べに行こうって誘ってきたのかな?
何か話でもしたかったのかな?
私の顔色を素早く読んだのか、
「あのね…俺のこと…嫌になった?」
と大ちゃんが言い出した。
「え?何が?何か嫌になる理由浮かばないけど?」
不思議そうな私の言葉に、
「ならいいけど…
この前、ミューズを怒らせたみたいだったから…」
大ちゃんは言いにくそうにボソボソ言う。
「えっ?何が?」
聞きかけてハッとした。
そうだ。この子、人の顔色や心の変化を異様に敏感に読むんだ。
おそらく私があの時感じた、
「この子に溺れては困る、私はいずれ飽きられるかもしれない。」
という思いを感じ取って「拒否」されたという形で認識したんだ。
私は大ちゃんが「エッチを拒まれた」からよそよそしくなったと思ってたけど、
違う。
「自分を拒まれた」
と思ったから傷が深くなる前に自分から離れようとしたんだ。
でも元来の寂しがり屋さんにはそれが難しかったってわけか。
何て面倒臭いタイプ。
おっと、今の読まれたかな?
私の気持ちを読もうとするのなら読まれる前に先に言ってやる。
「もしかして、いつも人の心を深読みしてたりする?」
私の急な言葉に大ちゃんは少し驚いた様だったが、
「うん。みんなそうじゃないの?」
と答えてきた。
え、ごめん。
私そんな面倒臭いことしませんけど…
「ねぇ、人の心をいつも読んでるの?ずっとそうやって生きてるの疲れない?」
「疲れる…でも何となくわかっちゃうから…」
「ふ~ん、何だか面倒臭いね。」
ズケズケと言う私の言葉に怒るかと思いきや、
「うん、確かにそうだね。」
大ちゃんはシンミリと頷く。
この子、きっと生まれつき勘がかなり鋭いんだ。
それに家庭環境の事も加わって…
「ねぇ、人のことを基本的に信用しないって言ってたよね?
じゃあ私の事も信用しきれてないって事だよね?」
「えっ、それは…」
大ちゃんが口ごもる。
やっぱり信用してなかったな、お主。
「まぁいいわ。全体的に信用しなくてもいいから1つだけ信用して。
私は絶対にあなたを嫌わない。もしも何かの事情で2人が離れる事になっても。わかった?」
言いながら自分でも大胆な事を言っているなと思った。
でもこの約束だけは絶対に守り抜きたい。
私の決意が伝わったのか、
「うん、分かったよ。
ありがとうミューズ。」
大ちゃんは少し微笑んだ。
ファミレスを出て帰りの車内、
「私の心もいつも読めるの?」
と聞いてみた。
「ミューズは単純だからあまりその必要はないかな?」
と大ちゃんが笑う。
「ちょっと!失礼な!
どーせ、私は大ちゃんみたいに美形でもないし繊細でもないですよっ!」
決して美人とは言えないが…のくだりをまだ根に持っている私はさりげなくそれも盛り込んで文句を言ってみる。
私の言葉に曖昧な笑顔を浮かべた大ちゃんは、
「.本当は、ミューズみたいなタイプが1番読めないんだ。
何でもストレートでクルクル気が変わって、思考も他の人とちょっとズレてて、翌日にはあらかた前日のこと忘れてる。」
ちょっとまて。
それ完全に馬鹿にしてるよね?
「いや、完全に俺の中では最大級の褒め言葉だよ?」
そう言いながら大ちゃんは私の髪に優しく触れ、
「今日すごく可愛いね。」
と、優しい目をして微笑んだ。
「えっ?そ、そう?」
内心嬉しくてドキドキする。
「うん。服装も可愛いし髪もサラサラしてて綺麗だし、なんか可愛いなって…やっぱりミューズ可愛い…特に今日すごく可愛い…」
大ちゃんがすこし照れた様に言う。
「え~?お風呂上がりにぱぱっとそこらの服着てから髪を適当に乾かして、簡単にメイクしただけだよ~」
と、おとなの余裕を極力醸し出し、何言っちゃってんの?的に返す私に、
「へぇそうなんだ。でもすごくいいよ。」
と大ちゃんが感心したように言う。
嘘だよ。
嘘だよ。
大嘘だよっ。
本当は、服をわざわざ買いに行ったんだよ。
髪もサラサラのロングが好きだって言ってたから丁寧に時間かけてブローしたんだよ。
メイクも雑誌を見てナチュラルで可愛いメイクを時間かけてやったんだよ。
だって、また可愛いって言われたくて、好きだって言われたくて、
私を見て欲しくて、
あ~ダメだ。
ハマりかけてるじゃん。
溺れたら困るって自分を戒めようとしてるのはどこのどなた様でしたっけ?
相手はまだ19歳だよ?
未成年だよ?
この前まで制服着て学校に通ってた子に四捨五入したら30歳の私が…
はぁ、なにやってんの私は。
「ミューズ、俺に会いに来るからオシャレしてきてくれたの?」
1人、頭の中で葛藤中の私にいきなり大ちゃんが鋭い所を突いてくる。
急に直球ど真ん中のストレートをダイレクトにぶつけられた感覚がして、恥ずかしくてクラクラした。
はっ?何言ってるの?
適当な格好で来たって言ったよね?
頭の中では色々言葉が渦巻くのに
上手くそれが外に出せない。
少しの沈黙の後に、
やっとの思いで私の口から出た言葉は
「心…読んだの?」
だった。
「いやっ、読んで、ませんっ、」
大ちゃんの言葉が急に途切れ途切れになる。
「本当に?」
「はいっ、全く、わかりませんっ、」
嘘つけ、完全に笑っちゃってるじゃないの!
「いや、もう、こんなに、単純で、わかりやすい人は、初めて、あっ、いやっ、何でも、ない、です、」
おいっ!全部口に出してしまってから誤魔化すんじゃない!
しかも、ミューズみたいなタイプが1番わかりにくいんだ…
と言ってたどの口が言う?
「何よ~!張り切ってオシャレしてきて悪いのかよ~!
3時間かけたってそっちを待たせたわけでもなんでもないだろ~。
それとも私のオシャレがなにか迷惑かけたのかよ~!」
人は図星を指された時ほど腹を立てるというが。
うむ、よくわかった。
恥ずかしさときまりの悪さがピークに達し、ならず者の様な口調になっている私に、
「えっ?3時間もかかったんだ。」
と追い打ちをかける大ちゃん。
…しまった、ドツボ…
引きつる私に、
「でも、さすがに3時間もかけたようには見えな…」
黙れ!!
目で脅す。
そんな私の必殺視線ビームに怯えたのか、
「あ~う~ゴホッゴホッ。」
大ちゃんは変な咳をして誤魔化した後、
「そ、そういや、今日店に変な電話あったみたいでさ。」
と急に話を変えてきた。
「なに誤魔化そうとしてんのよ~」
と、文句を言いかけた私に、
「いや大した話じゃないんだけど、ちょっと気になってたのを思い出したからさ、時間まだ大丈夫そうなら聞いてくれる?」
と、大ちゃんが苦笑いしながら言う。
車はとっくに店の駐車場に着いていた。
あまりそこで長居をするのもためらわれる。
「わかった。マクドナルドに集合しよ。先に行ってて。」
私は自転車に跨りながらそう告げる。
私の言葉に頷いた大ちゃんの車が出ていくのを見送り、私もマクドナルドの方向に自転車を漕ぎ始めた。
本日2度目のマクドナルドご来店なり。
自転車をとめ、入口側にまわると大ちゃんが既に待っていた。
店内はガラガラに空いている。
飲み物を注文し、カウンターから一番遠くの奥の席へと向かう。
「で、どうしたの?
変な電話って?」
席に座るのもそこそこに切り出した私に、
「うん。朝の事だから俺が出勤する前の話なんだけど…」
と、大ちゃんが話し出した。
朝、開店してから30分ほど経った頃、
1本の電話がかかってきた。
電話をとったのは沖さん。
電話の相手の年齢はわかりにくかったが、30~40代くらいかと思われる女性の声で、
「そちらに森崎有希さんという方はおられますか?」
と尋ねられた。
ユッキーについてくれている常連のお客様かと思い、
「はい。森崎は本日は中番出勤でございますので、まだこちらの方に出勤は致しておりませんが。」
と答える沖さんに、
「そうですか。
森崎さんってどんな方ですか?」
とその女性は探る様に聞いてくる。
え?
なんなの?
クレームか何かかしら。
沖さんは咄嗟にそう思った。
クレームの電話をかけて来られるお客様の中には、
「そちらの従業員の〇〇さんってどんな方ですか?」
から始まり、
電話を受けた従業員が答える間も無く、
「〇〇さんって愛想のない方ですよね!」
とクレーム本題に入られる方もいらっしゃるからだ。
しかしその女性は特にそんな様子もなく淡々と、しかし探る様に、
「森崎さんはどんな感じの方ですか?
△△にお住まいの森崎さんで間違いないですよね?」
と聞いてくる。
これにはさすがの沖さんも気味が悪くなった。
「あのっ、森崎に御用がおありでしたら、もうそろそろ出勤致しますので、改めて森崎にお電話頂くか、よろしければ森崎からお客様にお電話させて頂きますが…」
沖さんの言葉に、
「いえっ、結構です。
森崎さんには先日大変お世話になりましたので、お店にお礼をと思っただけですので。」
と、相手の女性は少し慌てた様に、
「では失礼します。」
と電話を切った。
何だったんだろう。
沖さんはモヤモヤした気味の悪さに、朝番出勤だった店長に電話の内容を報告をしたが、ちょうどその最中に、
「おはようございます。」
と、ユッキーが出勤してきた。
「.ああ!森崎さんちょうど良かった!
さっき沖さんがお客様からの電話を受けたんだけど。」
店長が沖さんから聞いたばかりの電話の内容をユッキーに伝える。
「森崎さんにお世話になったからとお電話下さったみたいなんだけど心当たりある?」
沖さんの言葉にユッキーは不思議そうに首を傾げた。
「私は最近、納品やバックヤード整理の裏方仕事ばかりで接客はおろかレジにすらほとんど入ってませんでした。
ですからお客様にそこまで感謝して頂く機会は無いはずですが…」
それに…
とユッキーは続けて言った。
「本当に感謝の電話だけなら、何故私が△△に住んでいる事を知っていて、更に確かめる様な事を聞くのでしょう?
最初から、お世話になりましたのでお礼の電話です。
という感じの事を言わず、沖さんに怪しまれたと思ったから、取ってつけた様に言い訳でそんな事を言ったって感じですよね?
私の事を探る様に聞くのもおかしいですよ。」
そんな事はユッキーがわざわざ口に出さなくても店長も沖さんも十分分かっていた。
「まあたまに回りくどい物の言い方をするお客様もいらっしゃるし、それじゃないかな?一応神谷君にも聞いてみるか。」
と、店長が少しでもユッキーの不安を和らげようとかなり無理矢理な結論を出した。
「で、そこに俺が出勤したってわけ。」
大ちゃんは沖さんから事の始終を聞かされたが、
「さあ?店長の言うように単にお礼の電話じゃないんですか?」
としか言えなかったらしい。
「本当にそう思う?」
と聞く私に、
「さあね、ユッキー見合いでもする気なんかな?
で、相手の家が凄い良い家柄で見合い前にユッキーの身辺調査してるとか?」
と、大ちゃんが半分真面目な顔で言う。
何か凄い話になってきた。
「どうなんだろう。
とりあえず私はその場にいなかったし、ユッキーから何か言ってくるまで知らん顔してた方がいいのかな。」
私の言葉に、
「そうだね。
それがいいかも。」
と、大ちゃんが頷く。
店内の時計はもうかなり遅い時間を指していた。
「とりあえずそろそろ帰ろうか。」
と大ちゃんと別れて急いで家に帰る。
部屋に入った私は、家の電話に1件の留守番電話が入っていることに気がついた。
急いで電話を再生してみる。
「有希です。
帰ってきたらすみませんが電話を下さい。」
ユッキーからだった。
直ぐに折り返し電話をしたい気分ではあったが、何分時間が時間だ。
家族と暮らしているユッキーに電話をかけるのにはあまりにも非常識な時間帯だった。
個人専用電話があればいいのになぁ。
とつくづく思う。
まさかその数年後には、お金持ちや法人しか持てないと思っていた「携帯電話」というものを気軽に持ち、
直接本人に通話出来る様になるなどとは夢にも思っていなかったが…
気になりつつも一晩明かし、翌日出勤前にユッキーの家に電話をかけてみた。
幸いユッキー本人が出てくれ、早番の私の仕事が終わる頃の時間に職場の近くのファミレスで落ち合い話をする事に決まった。
「大ちゃんも今日は早番だったよね?
何なら大ちゃんも誘って来てよ。」
と、ユッキーが言う。
やはり例の電話の事かな?
とチラッと思ったが、一応何も知らない体になっている私は、
「うん、わかった。
誘ってみるよ。」
と、返事をし電話を切って職場に急いだ。
出勤すると幸いまだ大ちゃんしか出勤していなかったので、ユッキーの事を伝え誘うと、
「.わかった。
じゃあ自転車をここに置きっぱなしにも出来ないだろうし、仕事終わってから一旦自転車を置きに帰りなよ。
いつもの所に迎えに行くよ。」
と快諾してくれた。
いつもの所とは私の言葉に最寄り駅近くの駐車スペースである。
その日、大ちゃんとほぼ当時に仕事を上がった私は急いで家に帰り、いつもの所に向かうと既に大ちゃんが待ってくれており、
私達は大ちゃんの車でユッキーの待つファミレスに向かった。
ファミレスの駐車場に入り車を降りると、同じように停めていた車から降りてきた女性がいた。
「ミューズ!大ちゃん!忙しいのにごめんね。」
ユッキーだ。
「大丈夫だよ~。さっお腹すいたし早く入ろっ。」
わざと明るく返して3人で中に入る。
大して待たされることも無く直ぐに席に案内された私達は、それぞれ料理を注文し一息つくと、
「あのね。」
とユッキーが話し出した。
昨日、中番だったユッキーは仕事が終わってから公休のユータンと食事の約束をしていた。
ユータンは呑気でマイペースだが思いやりが深い性格で穏やかでとても優しい。
周りの雰囲気を悪くしたくない思いで、電話の件はもう何も気にしていない様に振舞っていたユッキーだったが、やはり気味が悪いという不安な気持ちは拭えず、ユータンに電話の件を話してみた。
いつも不安な気持ちを話すと、
ユータンは優しく笑って大したことないよ。大丈夫だよ。
という風に簡単で的確なアドバイスをくれる。
仮にアドバイスがない時でも、ユータンの優しく頷きながら聞いてくれるその姿にだけでも心癒された。
「考えすぎだよ。ユッキーは心配性だな。」
とユータンはきっと笑うよね。
ユータンがそうやって笑ってくれたら私もきっと笑い話にする事ができる。
ユータンに話を聞いてもらえるという安心感で、話しながらユッキーはもう電話の件のことは既にあまり気にならなくなりかけていた。
ところが、話しながらユッキーはある異変に気づいた。
話が進むうちにユータンからいつもの優しい微笑みは消え、表情がだんだん強張り険しくなっていく。
ユッキーの話が終わるか終わらない頃にはユータンは拳をぎゅっと握りしめ体が小刻みに震えだしたかと思うと、
ユータンはキッとユッキーの顔を見据え、
「多分…それは…俺の母親の…仕業だと…思う…」
と切れ切れに言葉を吐いた。
「えっ?どういうこと?」
言われている意味が直ぐには理解できなかった。
呆気に取られるユッキーに、
「.俺の母親はそういうタイプなんだよ。
あいつは仕事を言い訳に俺を捨てたくせに、俺が社会人になってからは今度は俺を家に戻して縛りつけようとしやがる。」
と、ユータンは吐き捨てるように言った。
「まさか。そんな。
何かのドラマじゃあるまいし 笑」
ユッキーは笑ってやり過ごそうとしたが、
「それがあるんだよ。
あいつは仕事を理由に子供だった俺をばあちゃんに押し付けた。
俺はずっとばあちゃんの家で育ってきたんだ。
でも、ばあちゃんが死んで、父親も病気で死んであいつが1人になった時、一人っ子の俺を家に呼び戻そうとしやがった。
プライドだけはやたら高い家柄と自分の老後の面倒をみさせるためにな。」
ユータンの顔は怒りで蒼白になっていた。
まさか、そんな、出来の悪いドラマじゃあるまいし。
そんな変な話って本当にあるのかな?
ユッキーの疑問がユータンに伝わったらしく、
「だよな。
でも今日ユッキーの事でかかってきた電話はなんでだと思う?
恐らく自分でかけてきたんだろうけど、お粗末な内容だと思わなかった?
そんな変な内容の電話なんて怪しいし、少なくとも社員達には伝わるよね。
俺が電話に出るとまずいから、昨日は休みなのも調べあげて、わざと怪しまれるような電話をかける。
俺に対する嫌がらせだよ。」
ユータンの言葉にユッキーは訳がわからなくなった。
「ちょっとまって!何でわざわざそんな回りくどいことする必要あるの?
何で私の名前を出して電話してきたの?
第一、本当にお母さんからなのかどうかも証拠がないじゃない?」
ユッキーの言葉にユータンは少し寂しそうに笑うと、
「.それは…俺がユッキーの事を本気で好きで好きでたまらないという事をアイツが知ってしまったからだよ…」
とポツリと呟いた。
「ぶはっ!!」
大ちゃんが飲みかけていた水を吹いた。
「ちょっと!やだもうっ!」
おしぼりで慌てて飛び散った水を拭く。
大ちゃんは自分のおしぼりで口を拭きながら、
「.いや、山田さん何気に告ってますね。」
と半分照れながらニヤニヤする。
「もう!とりあえず気にするのはそこじゃないでしょ!」
と言いながら話が中断してしまったユッキーに続きを話すよう頷いて見せた。
「うん。それで。」
とまたユッキーが話し出す。
「あいつは俺の1番の弱点を知っている。
俺のせいでユッキーに嫌な思いをさせたり、職場に不審な思いをさせる事が俺にとって1番辛い事を知っている。
そうやって俺が関わるものに入り込んできて、俺を大好きな人や大好きな場所から引き離そうとするんだ。」
ユータンは忌々しそうに言うと下を向いた
「でもそれっておかしくない?
だってそんなことしたってメリットがない所かデメリットしかないし、現にこうやってバレて?るし。」
ユッキーの言葉にもユータンはもう一切耳を貸そうとはしなかった。
「あいつはね、頭がおかしいんだよ。
常人には理解出来ない。
とにかく二度とこういう事をさせない様にするから。」
ユータンは立ち上がると、
「本当にすみませんでした。」
と深々と頭を下げた。
「で、帰って来ちゃったんだけど…」
ユッキーがため息混じりに言う。
う~ん。
どうなんだろう。
「ユータンのお母さんは事情があって離れて暮らしていたけど、本当はユータンの事が可愛くて仕方なかったとかじゃないのかな?」
私の言葉に大ちゃんとユッキーが
「ん?」
という顔をする。
「え~とね、お父さんが亡くなって1人になって寂しいっていうのはあると思うのね、でユータンと一緒に暮らしたいって思いが強くなって…とか?」
「今さら?」
大ちゃんが少し呆れた様に言う。
「う、うん、まあそうなんだけど、お母さんもがむしゃらに働いていた若いときとはもう違うだろうし…
可愛い一人息子が凄く大好きになった女性の事を知りたくてたまらなくてついあんな電話かけちゃったとか…」
「無理がない?」
と大ちゃんは更に冷めた様に言う。
ま、まあ確かに。
「2人とも今日は本当にごめんね。
普段、見ないユータンの姿を見てちょっとショックだったから話を聞いてもらいたかっただけなの。
おかげでスッキリした。
ありがとうね。」
私達の様子を見て、ユッキーが慌てて取りなすように言った。
ユータンは結局、その後もこの話題には触れなかった。
私達も聞かなかった。
もしかしたらユッキーは何か聞いたのかもしれない。
でも私と大ちゃんはユータンとユッキーの間に踏み込んではいけない物を感じ、この問題は私達2人にとっては永久に謎のままになった。
梅雨が明けて、本格的に夏がやってきた。
BBQでもやりたいなあと思う。
例によってシフトをチェックすると、私とユッキーが公休で大ちゃんが朝番、ユータンが中番の日が見つかる。
早速3人を誘ってみると3人とも喜んでOKしてくれた。
「さて、材料なんだけど。」
と私が言いかけると、
「ね!ね!当日に用意した方が良いお肉とかは当日お休みの私達で用意するから、ユータンと大ちゃんはオススメのタレとか何かあったら持ってきてくれない?」
と、ユッキーが言い出した。
「う~ん。
あんまりそういうのわからないけど、俺の好きなタレとかでもいいのかな?」
と大ちゃんが首を捻る。
「うんうん。勿論だよ。
普段自分が食べない食材や調味料に出会えるって楽しいし。」
ユッキーが嬉しそうに言う。
そういうのも面白そうだね。
「俺が1番最後の参加になるけど肉残しといてよ。」
ユータンが嬉しそうに言う。
ユータンが嬉しそうにしている顔を見るとこちらも嬉しくなる。
「うん!お肉残しておくからなるべく早く来てね!」
私の言葉にユータンはニッコリした。
「場所は〇〇でいいな。」
と大ちゃんが職場から車で15分程の距離のBBQスポットを提案する。
ここは小規模ながら泊まり客のためにバンガローやコテージがあり、日帰りのBBQ客には有料のBBQスペースも完備されていた。
私達はもちろんそこで大賛成し、とりあえず私がそこの予約などをとる役目を仰せつかり予約の電話を入れた。
「申し訳ありません。
そのお時間からですと宿泊の予約しか受け付けていないのですが…」
電話の向こうで係の方が申し訳なさそうに言った。
BBQコーナーの利用自体は夜の9時半まで可能なのだが、日帰り利用は夕方の4時までなのだという。
4時に終了して5時までに片付けを終えて日帰り組は撤収。
その後、5時から宿泊組が利用するというシステムらしい。
「あの…宿泊ってバンガローかコテージを借りる事になるんですよね?
朝までチェックアウトも出来ないんでしょうか?」
一応、空きはあるのか、チェックアウトのシステムは?、価格は幾らくらいになるのか聞いておく。
すると、バンガローに空きがあり、事務所には24時間職員が常駐しているためチェックアウトは夜中でもOKだという。
料金はBBQコーナー使用料、炭などの消耗品購入も全部含めて1人頭4000円程の計算になった。
うーん。
これに食材費プラスでしょ?
普通に焼肉食べに行けるよね。
頭を悩ませ、3人に報告すると
「たまにはいいんじゃない?
思い出作れるし!」
と3人とも口を揃えて乗ってきた。
ノリのいい仲間は幹事としては本当に助かる。
「じゃあ、そこに決定ね。
BBQコーナーは屋根があるから雨天決行。
大ちゃんとユータンは各自仕事が終わり次第来て。
ユッキーは当日私と買い物や準備があるから昼過ぎには会いましょ。」
OK?という風に首を傾けてみせると、
「おうっ!」
と3人は嬉しそうに返事をした。
当日、朝から蒸し暑く空模様はどんよりと今にも降り出しそうな曇り空だった。
テンションはやや下がったもののユッキーとワイワイやりながらの買い物は楽しく、もうその買い物だけで1日の楽しみを満喫した気分だった。
ユッキーが車を出してくれ、大きなクーラーボックスや保冷剤等を持ってきてくれたので買ったお肉等をそこに詰め車に載せる。
楽しい時間の経つのは早いもので、
現地に着いた時には既に5時前だった。
「早くチェックインしに行かなきゃね。」
と車を降りようとした時に、ゴロゴロゴロ!と雷が鳴り響き、事務所で手続きをしている頃には前も見えない程激しい大雨が降ってきた。
「うっわ最低。どうしよう。」
途方に暮れる私達に、
「夕立ですからね、しばらくしたらマシになりますよ。
少しそこで待っていなさい。」
と、係のおじさんがニコニコして事務所前の広いスペースにパイプ椅子を出して下さった。
私達はお礼を言うと、椅子に腰掛けておしゃべりをしながら全面ガラス張りの事務所前のスペースで、ガラスに叩きつけられる雨を見ながら小降りになるを待った。
「美優ちゃん。」
ユッキーが話しかけてくる。
ユッキーは真面目な話をする時は必ずと言っていいほど、私をミューズではなく美優ちゃんと呼んだ。
「美優ちゃんと大ちゃんってつきあってるの?」
うーん。
どうなんだろう。
直ぐに返事が出来ずに無言の私に、
「大ちゃんね、美優ちゃんの事を本当に大好きだよ。
こんな事を言っては失礼だけど、大ちゃんはお母さんの愛情に飢えてる感じがする。
そんな大ちゃんにとって美優ちゃんは恋人でもあり、お姉さんでもあり、お母さんでもあるんじゃないかなって何となくそう思うんだ。」
ユッキーは外の雨を見ながらポツリポツリ言う。
「お母さんか。
6歳も歳下だしそうなるのかな。」
私が苦笑しながらそう言うと、
「ううん。そういう意味ではないんだけどね。」
ユッキーは相変わらず視線を窓の外に向けたままそう言う。
そういうユッキーの方はどうなの?
ユータンとつきあってるの?
ユータンのこと好きなの?
聞きかけた言葉を何となく飲み込んでしまう。
何故かはわからないが何だか聞いてはいけない気がした。
私は黙ってユッキーと同じ様に外を眺めた。
激しく降っていた雨は少しずつ勢いを弱めていっているようで、いつの間にか激しく荒れていた雨音は優しく静かな雨音へと変わっていった。
雨音がしなくなり辺りは薄い霧の様な物で包まれた。
「思ったより早く上がって良かったね。」
職員のおじさんがニコニコしながらバンガローの鍵やBBQの用具を揃えて渡してくれた。
「ありがとうございます。」
お礼を言って外に出ると薄い霧の様な物はサーッと晴れていく。
「すごい湿気だね。」
苦笑いする私の腕を、
「ミューズ!見て!見て!」
と少し興奮した様子のユッキーが掴む。
ユッキーが指さす方向を見ると、遠くの山々の合間に上空の雲の切れ目から差した光の帯が何本も見えた。
「綺麗…」
それ以上の言葉は出ない。
天使の梯子っていう名前だったっけ?
「幻想的だね…」
ユッキーは私の腕を持ったまま感動した様に呟いた。
「美優ちゃん。私たち4人…これからもずっと仲良しでいられるかな?」
ユッキーが私に少し寄り添う様にしながら言う。
その姿は何故か妙に大ちゃんと被って見えた。
そう言えばユータンが大ちゃんとユッキーは似ていると言ってたな。
遠い空の向こうから青空が広がりだし蝉の鳴き声も辺りに広がりだす。
夏だなあ。
暑いけれど大好きな季節の夏。
大好きな夏をこれからも何度も大好きな人達と迎えたい。
「うん。ずっとずっと仲良しだよ。もしも何かの事情で離れちゃう事があったとしても必ず夏には同窓会やろ?絶対にお互い忘れないでいよう。」
私の言葉にユッキーは嬉しそうに頷くと、
「.うん。おじさんおばさんになっても、おじいさんおばあさんになってもこうやって遊べたらいいね。」
と握手をするかの様に私の手を軽く握った。
炭火を起こしそろそろいい具合になってきたかと思う頃に、
「.お疲れ様~!」
と大ちゃんがやって来た。
「ちょうどいい時に来たね~
食べよ!」
ユッキーが笑って言う。
「.おうっ!山田さんも少し遅くなるけど、なるべく早く行くようにすると言ってたからゆっくり待ちながら始めてよう。」
大ちゃんがこっそり私に目配せをしながらそう言った。
うん。
了解!
私もこっそり大ちゃんに目で合図をする。
実はこの数日後にユッキーの誕生日があり、例によって皆で集まった時にお祝いしようという計画なのだ。
後から来るユータンがケーキの手配をして持ってきてくれる。
そのケーキが来たら…
大ちゃんに頼んでおいた花火をそれに刺して…
よくオシャレなレストラン等でバースデーケーキを頼んでおくと、パチパチとキレイな光を放つ花火を刺して持ってきてくれるサービスがあった。
そういうのって素敵じゃない?
ユッキーもきっと喜んでくれるよね。
嬉しそうに笑うユッキーの笑顔を想像しただけでワクワクする。
3人でお肉を食べ楽しく雑談をしているうちに、
「お待たせ~!」
とユータンがやって来た。
ケーキはとりあえずユータンの車に隠している手はずだ。
4人でまずBBQを楽しんで、適当な頃合を見てから大ちゃんが上手くユッキーの気をそらす。
その隙に私とユータンがケーキを出して大ちゃんの車に積んである花火を刺して運んで来ると。
うん。
完璧!
BBQは予定通り楽しく進み、そろそろ終了の時間になる。
ワイワイ言いながら片付けを済まし、もう少しここで話そうと理由をつけてそこに居座る。
周りにいた他の宿泊客さん達が片付けを終えて宿泊場に引き上げ、私達だけが残された頃、大ちゃんが合図を出すかの様にそっと自分の車のキーを私に手渡してきた。
「コーヒー飲みたいな。
近くに販売機ってある?」
大ちゃんがユッキーに聞く。
「え~と、この近くに確かあったよ。
ユータンやミューズもコーヒー飲む?
良かったら私が買って来るよ。」
さすが気配り女王のユッキー。
こちらが労せずとも自分からその場を離れると申し出てくれた。
「4本も持つのは大変だから俺もついてくよ。」
大ちゃんがチラリとこちらを見てユッキーと一緒に暗がりの中に消えていったのを合図に私とユータンは駐車場に走った。
駐車場はポツポツとある外灯以外の明かりがなくかなり暗い。
「.早く!早く!」
と薄暗がりの中でそれぞれ慌ててケーキや花火の袋を車から出す。
箱から出したケーキに花火を刺そうと袋から取り出した花火を見て私は唖然とした。
えっ?
太く…ない?
レストランで出される花火は細い金属の棒の先にうっすらと火薬が付いており見た目にもスマート。
だがしかし。
大ちゃんの買ってきてくれた花火は、赤い木の棒にキンキラキンの飾りが付いた子供の頃によく遊んだあの手持ち花火そのものだった。
…これをケーキに刺せってか?
「ミューズ何やってるの?早く行こうよ!」
ユータンは躊躇している私の手から花火を取り上げると3本程ケーキにぶっ刺しBBQスペースに走って行ってしまった。
「えっ?ちょって!待ってよ!」
慌てて追いかけると、
「あ!やばっ!電気消されてるよ!」
ユータンが叫ぶ。
BBQスペースは終了時刻が過ぎると強制的に消灯になる。
周りのほのかな外灯の光を受けて、暗闇の中に大ちゃんとユッキーらしい2人の影が所在なげにボーッと浮かんで見えた。
「ちょっとどうする?
バンガローに移動しようか?」
と言う私の言葉に、
「.いや、逆に暗闇で都合がいい。
電気を消す手間が省けた。」
ユータンはそう言うと、
「Happy birthdayユッキー!!」
と叫びながらロウソクならぬ花火に火をつけた。
キンキラ手持ち花火の威力は凄かった。
シューッ!!
バチバチバチ!!!
ユータンが無駄に手際良く火をつけたため、ほぼ同時に3方向からいっせいに火花が吹き出した。
「あつっ!あつっ!」
火花が飛んできて怯む私に、
「我慢しろ。俺はもっと熱い。」
とユータンは意味不明な我慢を強いる。
盛大にバチバチやっている花火を持ちながら自分の方に向かってくる2人を見て、
「なに?なに?なに?」
とユッキーはビビり、大ちゃんはその場に崩れ落ちる様に笑い転げていた。
あんたの花火のせいだっつーの!!
私達が2人の元にたどり着いた頃には花火はその威力を弱めほぼ消えかかっていた。
ハァハァ…
あ~外で良かった…
とりあえず花火の残骸を引き抜き、
「お誕生日おめでとう。」
とユッキーの前に置く。
「えっ?ケーキ?」
ユッキーの嬉しそうな声がする。
「うん。暗いからバンガローに行ってゆっくり見ようか。」
私の言葉に皆でそれぞれ荷物を持ちバンガローに移動した。
バンガローに入り、部屋の真ん中にある小さなテーブルにケーキを置く。
ケーキはユータンが持って走ったため少し崩れかけてはいたが、いかにもバースデーケーキらしい可愛いケーキだった。
ちゃんとチョコレート製のお誕生日プレートも乗っている。
ん?
んんん?
ユータンを除く私達3人は同時にプレートを覗き込んだ。
プレートには
「ゆうとくん、23才のお誕生日おめでとう。」
と書いてあった。
ゆうと君だわ。
ゆうと君だね。
ゆうと君だよ。
3人が無言で「ゆうと君」プレートを見つめていると、
「えっ?!何でゆうと君??
ああっ!あれか!!」
と、「ゆうと君」が1人で納得しながら騒ぐ。
聞くと、休憩時間に店舗の敷地内に設置されてある公衆電話からバースデーケーキの予約をし、
「23才になるのでロウソクは大を2本と小を3本…」
までは良かったのだが、
お店の人が
「(プレートに書く)お名前は?」
に対して何を勘違いしたのか、
「あ、山田です。山田勇人です。」
と堂々と答えて電話を切ったという。
「受け取りの時に、こちらでよろしいですか?と確認で見せてくれなかったの?」
と聞く私に、
「.あ~見せてくれてた…でもレジ横にあったこれが気になっててちゃんと確認してなかった…」
と、そう言いながらユータンは自分の仕事カバンから綺麗な模様の紙袋を取り出して中身を出して見せた。
マシュマロマン?!
それは私が16才の頃に映画を観に行った
「ゴーストバスターズ」という映画のキャラのマシュマロマンにどこか似ているマシュマロ製の人形菓子だった。
マシュマロマンだわ。
マシュマロマンだね。
え?これなに?
残念ながら若い大ちゃんはマシュマロマンを知らなかった…
「山田さ~ん!これモコモコしてて何か不気味っすね!あの「抜いたら呪われる草」にしか見えないっつか。」
遠慮のない大ちゃんが大笑いしながら言う。
確かに言われて見ればその形は引き抜いた時に叫び声をあげると言われる伝説の魔草「マンドラゴラ」に見えなくもない。
「えっ?そうか?可愛くないか?」
と少し怯むユータンに大ちゃんは、
「これってどう見てもマンドリルでしょ!」
おい…それは猿だわ。
それを聞いて大ウケしたユッキーが、
「やだもう大ちゃん!
マンゴラゴラだよっ!」
おい…言えてない、言えてない。
しかし、大ちゃんとユッキーのツッコミにドM体質?のユータンは大喜びし、
「そっか~?マンボラゴラかなぁ?」
う~マンボっ!
って…もはや何が言いたいのかわからない。
「で、ユッキーって色が白くてモチモチしてるからマシュマロってユッキーみたいだなぁって思って…」
ユータンは素早く今までの会話を無かった事にしたかの様にそう言うと、
「これあげるね。」
とそのマシュマロをユッキーに渡した。
残念なイケメンという人種がいる。
あ~、ユータン黙ってればカッコイイのになとつくづく思うが、この天然系の憎めないキャラがユータンの1番の魅力なのかもしれない。
私も大ちゃんもそんなユータンの事が好きだった。
ユータンの恋が叶うといいのにな…
チラリとユッキーを見てそう思う。
「ミューズ、コンビニ行きたい。
荷物持ちとしてついてきてよ。」
大ちゃんが急に言い出した。
「えっ?!荷物持ち?!」
何で女の私が!
と文句を言いかける私の腕を、
「ほら!トロトロしない!」
と大ちゃんが強引に引っ張り、私達はバンガローの外に出た。
「コンビニで何買うの?」
理由がわからず聞く私に、
「.二人きりにさせてあげなきゃ。」
と大ちゃんがニヤリとする。
あ~。
納得する私の頬に大ちゃんがいきなり軽くキスをしてきた。
「俺も…キスしたかったし。」
大ちゃんがヘヘッと笑う。
「あ…」
ちょっと恥ずかしくて俯く私の顔を覗き込むように大ちゃんがキスをしてきた。
「んっ。んんっ…」
大ちゃんのキスは気持ちいい。
全身が痺れた様になり頭がボーッとする。
ユータンとユッキーもキスしたりするのかな?
そんなことを考えていると頭が余計にボーッとして真っ直ぐ立っていられなくなり、大ちゃんに寄りかかる形になった。
「ん?大丈夫?」
大ちゃんの大人びた優しい声を聞くと
ますます立っているのが辛くなり座り込みたくなる。
「腰抜けちゃったの?」
大ちゃんが心配というよりもむしろ満足気に聞いてきた。
「大ちゃんの…せいだよ…」
切れ切れに答える私を大ちゃんは強く抱きしめて、
「可愛い…可愛い…」
と耳元で何度も囁く。
と、急に大ちゃんが私から離れた。
「ダメだ…我慢…出来なくなる。」
大ちゃんはそのまま先に立って歩き出した。
大ちゃん…
無理にエッチしようとしたら私が離れていくと思っているのかな?
「しよ!」
って言った方がいいのかな?
いや、今の時点ではあんまりしたいと思ってないんだけど…
だってね~なんかね~
知り合って数ヶ月ですぐにするっていうのもね~
「あの、1人でブツブツ言いながら後ろを歩くのやめてくれるかな?
不気味だから。」
急に後ろを振り向いた大ちゃんが半分笑いながら言う。
えっっ?!
声に出てた?!
私の昔からの恥ずかしい癖で、難しい問題を解いていたり、考え込んでいたりすると無意識にブツブツ独り言をつい言ってしまう。
「また1人で喋ってたよ。」
とよく周りにもからかわれたものだ。
カアアアアアア。
うわっ、カッコ悪っ。
「あの…結構…他にも喋ってたりする?」
「あ、うん。」
「うわぁ。あの…どんな時に?」
「え~と。さっきキスしてる時に『気持ちいい』とか。イデーーッ!!」
無意識に大ちゃんの背中を思いっきりバチーンと叩いていた。
もうダメだ。
倒れそう。
「言えって言ったから言ったのに
~。絶対背中に手の形ついたよ。」
大ちゃんがブツブツ言う。
「そ、れ、はっ、言わなくていいんだよっ!!聞こえてても聞こえなかった事にするんだよっ!!」
「そう?でも俺は嬉しかったけど。」
カアアアア。
「ほらっ!早く買物しに行くよっ!!」
大ちゃんの腕をむんずと掴んで引っ張りながら歩き出そうとする私に、
「ちょっと痛いって!暴力女だなぁ。」
と大ちゃんは言葉とは裏腹に、笑いながら私と並んで歩き出した。
一応コンビニに行くと言って出てきた手前、車で近くのコンビニに行って飲み物等を買う。
さて、問題はいつ頃バンガローに戻ればいいのかだけど…
「もう40分くらいたってるからそろそろいいかな?」
「う~ん。40分だとイチャつくにはちょっと時間足りないんじゃない?」
大ちゃんが下世話な所に気を回す。
「何言ってんのよ!もう!」
と言いながらも、もし戻って2人の邪魔をしたらと思うとそれも気が引ける。
悩んだ末に戻る事にして、おそるおそるバンガローのドアをノックし少し待ってから開ける。
2人は普通に笑いながら雑談していた。
あ…
何だ普通だ。
でもドアをノックしたから仮に抱き合っててもすぐに離れる事はできるよね。
ダメだ…
大ちゃんの思考がうつった…
2人は私達が色んな妄想を抱きながらバンガローに戻って来たことを知る由もなく、
「遅かったね~」
と呑気に声をかけてきたが、待たされた事を全く苦にもしていない様子から二人きりの時間を楽しく過ごしていたんだなということは容易に見て取れた。
私達が戻り30分程たった頃、
「俺トイレ行ってくるわ。」
ユータンが立ち上がった。
「待って!私も行く!」
私も慌てて立ち上がる。
私達のバンガローはトイレから1番遠い場所にある上にここのトイレは少し不気味で怖かった。
1人で行くのは怖い。
トイレに入る前も、
「待っててよ!絶対待っててよ!」
とユータンに念を押してトイレに入る。
トイレから出ると、ユータンがそこから少し坂道を降りた所にある木のベンチに腰掛けてタバコを吸っているのが見えた。
「お待たせ!」
と声をかけると、
「うん。」
と言いながらもユータンは立ち上がる様子もなく、私は何となくチョコンとユータンの隣に腰掛けた。
小さなベンチなので私が座りにくそうに端に座ると、ユータンはさり気なく横にズレて私の座るスペースを確保してくれた。
タバコを静かにふかしながら眼下に流れる川を見つめているユータンの横顔をそっと見る。
大人の男性の表情。
いつもの天然系のほわっとしたユータンとは違う顔つきだ。
「.ミューズ。」
川を眺めながらユータンが静かに言う。
「なに?」
「俺たちいつまでこうやって仲良くしていられるんだろう。」
「えっ?ユッキーと同じこと言うんだね。」
思わずユッキーの名前を出してしまう。
あちゃっ、まずかったかな?
しかし私の心配をよそに、
「そっか、ユッキーも同じことを言ってたか。」
とユータンが嬉しそうに笑ったので私は内心ホッとした。
「あのさ、もし何かあって離れる事になっても夏には同窓会するよ。私が幹事やる。
だからずっとお互いに忘れないでいよう?
そしたらずっとずっと仲良しって事じゃない?」
「そかそか。」
ユータンは笑いながら私の言葉にウンウンと頷くと、
「俺の事は忘れてもいいけど、大ちゃんの事だけはずっと大事にしてあげて。」
と私の頭を優しくポンポンとした。
「大ちゃん?」
「うん。
ミューズ、大ちゃんが前に店の親睦会で悪酔いしたこと覚えてる?」
「うん。帰りは私が送って行ったやつだよね。」
「そう。あの時何であんなに荒れてたか聞いた?」
「ううん。」,
「そか。ならいいよ。」
えーっ!
なにそれ!
1番嫌がられるパターンだぞっ!
あ、でも確か後、私が
「お母さんが心配するよ。」
って言ったら急に機嫌悪くなったっけ…
「家の人と何かあったのかな?…」
私の問いに、
「あいつは外見も言うことも妙に大人びてるとこあるけど中身はまだ高校生いや、小さな子供のままなんだ。
更にあいつは人一倍愛情深いから愛情にも飢えやすい。
ミューズ。
あいつの事を本当に頼むね。」
ユータンは答えになるともならないともわからない返事の仕方をした。
「大ちゃんにとってミューズは女の子でありお母さんであり色々な要素が詰まってると思うんだ。」
ユータンは更に続けて言う。
「あ、またユッキーと同じ様なこと言う。」
「そか?また同じ?」
ユータンは面白そうに笑った。
ユータンもユッキーも大ちゃんの事をいつも心配してるのかな。
2人にとって大ちゃんは可愛い弟みたいで色々と気になるんだろうな。
で、肝心のお2人さんの進展具合の方はどうなんだろう。
私はそっちの方が気になるんだけど…
「ユータン。」
「なに?」
「あの…ユータンとユッキーって…」
何となくモゴモゴしてしまう。
ユータンはふっと優しく笑うと、小さな子供にする様に私の頭をクシャクシャっとした。
「俺はあいつの事を愛してるよ。
いずれは結婚したいとも思ってる。」
うわあっ。
人の事なのに物凄くドキドキした。
「あ、あの、あの、もうキ、キスとかしたりして?」
何を聞いてるんだ私は。
「ん?ミューズはどうなの?教えてくれたら教えてあげるよ。」
「え、え、え、そ、そんなのしてないよ…」
嘘をついてしまった。
「そう?じゃあ俺たちもしてないよ。」
ユータンがイタズラっぽくはぐらかす。
確実にしてるなこれは…
「あ~!こんなとこにいた~!
遅いよ~!」
突然後ろの方から響き渡ったユッキーの声にビックリして飛び上がった。
ユッキーと大ちゃんが2人でトイレの前に立っている。
「さて、戻ろうか。今の話は内緒ね。」
ユータンはそっとそう言うと2人の元へ駆け上がっていった。
「あ~私、あと1時間くらいで帰るね。早番だし帰ってシャワー浴びたいし。」
ユッキーが時計を見ながら残念そうに言う。
私も早番だ~。
「ごめん、私も帰る。
ユッキー悪いけど車に乗せてってもらってもいい?」
私の言葉に、
「ミューズも早番だもんね。いいよ~。大ちゃんとユータンはどうする?」
「俺は泊まるよ。今から帰るのもキツイし。」
4人の中では1人だけ圧倒的に家が遠いユータンが言う。
「じゃあ僕は帰ります。」
気を使って残ると言うのかと思いきやアッサリ冷たい大ちゃんの一言で帰宅組と居残り組が決定した。
さて、あと1時間何をして過ごすかな。
「定番だけど肝試しでもする?」
私の何気ない一言に、
「おっ!やろやろー!」
と意外に皆が食いついてきた。
「じゃあ1人は怖いから2人組で~」
と発案者の特権で、これだけは譲れない決まりを予め提示しておく。
「カップルで?い~よ~。」
と男性2人がニヤニヤしたが、見ないふりをした私が、
「皆でジャンケンで決めようか。」
と言うと、
「え?じゃあもし俺と山田さんがペアになったらどうすんの?」
と失礼にも大ちゃんがあからさまに不満そうに言い出した。
「え?いいじゃん。私はユッキーとなら嬉しいし。」
と私が言うとユッキーが、
「私もミューズと行きた~い!」
「だよね~。」
「あっ俺は~大ちゃんとで~全然構わないぞ~」
ユータンが何故か妙に嬉しそうだ。
「じゃあこれで決定…」
言いかけた私の腕をガシッと掴み、
「嫌だ、山田さんと2人で肝試しなんて気持ち悪すぎる。」
大ちゃんはめちゃくちゃ失礼な不満を本人の前で堂々と必死の形相で訴えた。
大ちゃんの必死の強い要望により、男同志、女同士でジャンケンをし、勝ち組負け組で組むことにした。
ジャーンケーン!
勝ち組、大ちゃん&ユッキーペア。
負け組、ユータン&私ペア。
うん…
何かこうなる予感はしてたよ。
「うぇ~い!」
勝ち組の2人がハイタッチをしている。
「ミューズ、やっぱり俺たちは負け組だな。フフッ」
負け組の相棒が上目遣いに私を見て笑う。
ちょっ、やめて。
やっぱりとか言うのやめて。
でも何かキャラ的に勝ち組ペア負け組ペアそれぞれ似た者同士くっついた感が抜けないのはどういう事なのだろう。
とにもかくにも時間がないのでサクサクッと肝試しをスタートする事にした。
ルートはここの敷地をぐるりと取り囲む遊歩道。
結構な距離がある上に、昼間は、
「緑に囲まれて自然を感じられて素敵よねっ」
な格好の散策スポットが、夜は、
「鬱蒼とした木々に囲まれて不気味で怖いぜ」
に変貌を遂げ、格好の肝試しスポットに化すという
1粒で2度美味しい昔懐かしアーモンドグリコのキャッチフレーズを思い出させるなかなかに優秀な道であった。
「私達が先に行くから15分くらいしたら後で来てね!」
ユッキーはテンション高くそう言うと大ちゃんと嬉しそうに遊歩道の先へと走っていった。
…絶対脅かす気だな。
あの2人を組ませるんじゃなかったと後悔したが仕方がない。
きっちり15分たった後、
「そろそろ行こうか?」
と私は相棒に声をかけた。
ほのかな月明かりのみが照らす遊歩道はそこを歩くのを躊躇わすのに十分な程暗かった。
静まり返った空間の中で、近くを流れる川の音や遠くの道路から聞こえてくる車やバイクの音が妙に恐怖心を掻き立てる。
いつ、あの2人に脅かされるかもしれないというドキドキ感が更に恐怖心を煽る。
脅かされるのも怖いのだが、こんなに真っ暗で不気味な場所で、ただ人を脅かしたいがためにワクワクしながらずっと待っているであろうあの2人の神経が1番怖い。まったくもう。
それにしても暗闇から何か出てきそうな雰囲気が半端ないなココは…
やばい。
本当に怖い。
肝試ししよ!なんて言わなきゃ良かった…
怖いよ~…
私はいつの間にかユータンの腕をしっかり掴んでしがみつくようにユータンに密着していた。
「ミューズ。」
そんな私にユータンが優しく声をかけてきた。
「ミューズ知ってる?何年か前にこうやって肝試しをしていた人が歩いているうちにふと何か柔らかい物を踏んだんだって。
何だろう?と思ってよくよく見たら…それは人の手で…そして…」
ギャアアアア!!
思わずユータンを突き飛ばして走って逃げようとした私に、
「あはは!ごめんごめんウソ。
ミューズがあんまり怖がってるから。」
ユータンは可笑しそうに笑う。
「ちょっと!ひどいじゃない!泣きそうになったんだよ!」
怒る私にユータンはごめんごめんと楽しそうに笑うと私達は再び歩き出した。
少し歩くとユータンがいきなり立ち止まって低い声で
「ミューズ…」
と声をかけてきた。
「え?なに?」
身構える私に、
「俺…何か…踏んだ…」
「何かって…何を?」
平静さを装おうとしながらも、
自分の声が震えているのを私はハッキリと感じ取っていた。
「うん…多分…」
ユータンのテンションはかなり低い。
「多分…犬か何かのウ〇コ的な…それもかなりガッツリ…的な?」
ギャアアアア!
違う意味で激しい恐怖を覚えた。
「ちょっと!川っ!川に行こうよ!」
遊歩道の柵を超えて下の川に降りるとユータンは川にサンダルを履いたまま足を浸して洗った。
「もう!ユータンいちいち脅かさないでよ。
泣きそうだよ。」
文句を言う私にユータンは足を洗いながら、
「大丈夫。俺のほうがもっと泣きたい。」
大丈夫の意味がわからない…
「もう全然来ないと思ったら何してるの?!」
そこに待ちくたびれたユッキーと大ちゃんが戻ってきた。
…やはり脅かそうと待ってたのか…
「いや、何か…ユータンが踏んではいけないウ〇コ的な物をガッツリと…」
ごにょごにょ言う私の言葉を察した2人が大笑いする。
「山田さん!近寄らないで下さいよ~」
大ちゃんが笑いながらからかう。
いじめっ子の小学生か…
「うう。これ〇〇の新しいサンダルだったのに…この飾りの奥に入り込んでるの取れないし…」
ユータンが某有名メーカーの名前を出しながらゲンナリした様子でうなだれる。
ありゃあ…
〇〇のサンダルか~
サンダルの値段にしては結構高いんだよね。
それは凹むわ。
私は大ちゃんとユッキーの顔を交互に見た。
来月の山田さんへの誕生日プレゼントは〇〇のサンダルで!
大ちゃんの目がそう語りかけてきている。
うん。サンダルだね。
もちろんサンダルだよ。
3人の中でユータンへの誕生日プレゼントが決まった。
「はい、はい、あ!そうなんですか!
いやあ嬉しいです。
ありがとうございます!」
ある日、エリアマネージャーから店長に1本の電話がかかってきた。
当時、新人コンクールというものがあり、店舗に配属された新人達がその対象になった。
新人に発破をかける目的のそのコンクールは4月から8月までの4ヶ月間、販売実績や時折ある研修の成績、店長や地区長の評価等を総合して上位10名が表彰されるのだが、うちの店舗からユッキーと大ちゃんが見事に選ばれた。
数日後に賞状が送られてきて、
「うちの店舗から2人も表彰されるとは僕も鼻が高いよ。
これからも頑張って!」
と店長は誇らしげにそう言いながら大ちゃんとユッキーに賞状を渡して握手をした。
「ありがとうございます。」
ユッキーがにこやかに受け取る。
「え~!同じ紙なら商品券の方が欲しいですよ~」
大ちゃんが悪態をつきながらもその表情はとても嬉しそうだった。
「おめでとう!これからも頑張ってね!」
周りのスタッフが皆で拍手をする。
良かったね。
2人とも優秀だもんね。
私は拍手をしながら心から喜んであげられていない自分に気がついていた。
私は…表彰されなかった…
いつもそうだよね。
私はいつもあの2人には敵わない。
販売能力も研修の成績も上司のウケも外見も何もかも…
その日はユータンは公休だったが、明日出勤したら
「おめでとう!頑張ったね!」
と心から2人のために喜んであげるのだろう。
そんなユータンだって4月に地区長の強い推薦で副店長になってるもんね。
私だけ…
私だけ何もないよ…
私には妹がいる。
しっかりしてて美人で頭が良く異性にもモテる自慢の妹だった。
妹は小さな時から周りに何かと褒められて育ったが、何の取り柄もない私は
お母さんに、
「美優ちゃんは名前の通り優しい子だね。」
としか褒め言葉らしい褒め言葉を言われた事がなかった。
私はいつもそう。
いつも周りの人より劣る。
何の取り柄もない。
泣きたくなった。
せっかくのおめでたい雰囲気を壊したくなく、私はトイレに行くふりをしてそっとその場を離れた。
今日は幸い早番だからさっさと仕事を済ませて帰ろう。
2人に嫉妬している自分を十分過ぎるほどわかっていた。
卑屈になっている自分を十分過ぎるほどわかっていた。
心の狭い自分を見せたくない。
今日はさっさと早く帰ろう。
しかし、そういう時には必ず大ちゃんは敏感に何かを感じ取って誘ってくる。
仕事の上がり時間になり着替えを終えた私に、
「ミューズ、今日は俺中番だから〇時にいつもの所で待ち合わせしない?
ご飯行こう。」
と、声をかけられた。
「あ、ごめんね。
今日は友達と会うから…」
と、咄嗟に嘘をついてしまう。
いつもなら友達に会うと言って断ると、
「そうなんだ。
じゃあ明日にしようか。」
と、アッサリ引き下がるのに、
「ふ~ん。」
と怪訝な目を私に向けてくる。
「あ、じゃあそろそろ帰るね。
お疲れ様。」
慌てて店内に入り、他のスタッフに挨拶を済まして駐輪場に出ると、大ちゃんがそこで待っていた。
え?
なに?
驚く私に、
「俺、何か変なことしたかな?」
と大ちゃんが聞いてきた。
しまった。
変な誤解をさせてしまった。
慌てた私は掻い摘んで正直に自分の気持ちの事を話した。
話しながら心のどこかで大ちゃんに甘えている自分に今更ながら気づく。
慰めてもらいたい…
優しい言葉をかけてもらいたい…
でも、話を聞き終えた大ちゃんが放った一言は、
「くだらない。」
だった。
えっ?
全身がカーッと熱くなる。
くだらない…
くだらない…
涙がこみ上げる。
「確かに…そうだよね…くだらない…よね…でもそんなくだらない事で悩んでる人間もいるんだよ…」
こみ上げた涙が溢れてきた。
溢れて溢れて
自分の意思では止まらない。
「まだ仕事中でしょ。
もう戻ってね。」
やっとの思いでそう言うと、私は全速力で自転車を漕ぎ駐輪場を後にした。
泣きながら自宅に逃げ帰った私は
シャワーを浴び、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、
缶ビールをプシュ!ゴクゴクゴク!
ぷはーっ!
この辺りで我に返った。
やってしまった…
でも昔から優秀な妹や優秀な友達に囲まれて、周りに散々比較されて、
「あの妹にあの姉?!」
のあからさまに聞こえる陰口とか、
友達と一緒にナンパされても1人だけ
「圏外」扱いされてた私の気持ちなんか大ちゃんにはわからないよ。
そりゃあさ、必死でダイエットしてオシャレも勉強して外見は昔よりはかなりマシにはなったけど。
中身は相変わらずどこかトボケてるし要領も悪いままだし…
はあ…
私なりに頑張ってたつもりだったんだけどな…
私が必死に足掻いても足掻いても何もかもあの3人の足元にも及ばない…
落ち込む。
よし!そうだ!
気晴らしに妹の優衣に電話をしよう。
私は電話の受話器を取り実家に電話をかけた。
私と妹は仲が良い。
全く何もかも逆な2人で、昔から妹に対するコンプレックス感が強くて仕方がないにも関わらず、何故かウマが合うのか私は妹がすごく好きだったし妹も私に懐いてくれていた。
プルルルル
「もしもし。」
良い具合に優衣が出た。
「私だよ。私。」
今の時代ならオレオレ詐欺級の返しをする私に、
「ああ、美優ちゃん?」
優衣はすぐに気づいてくれる。
「ちょっと聞いてよ。どう思う?」
相手の都合も主語もすっ飛ばした姉の話にも、
「うん?どうしたの?」
優衣はすぐに話を聞くよ的な態度を示してくれる。
我が妹ながらほんとに良い奴…
相変わらず優しい妹の態度に感動しつつ一気に今日あった事を喋りまくった。
優衣はふんふんと聞き終えた後、
「.その大ちゃんって人、私に似てるね。」
と笑った。
「ええっ?似てるかな?」
と驚く私に、
「うん。私その人の気持ち何となくわかるもん。」
と、優衣が笑う。
「気持ち?
じゃあ優衣もくだらないって思ってるの?」
「う~ん…言葉を悪く言えば…そうなるの…かなあ…」
優衣は私を気遣いゆっくりと言葉を選びながらそう答えた。
「そうなんだ…私やっぱりくだらないのかな。」
軽く凹む私に優衣は慌てた様に、
「いやっ、美優ちゃんが…じゃなくて、悩んでる事の内容がくだらないっていうか…」
「うっ、やっぱりくだらないんじゃん。」
「いや、なんて言ったら良いのかな。
私達は美優ちゃんに自分には絶対に無いものを感じて、ある意味憧れがあるのね。
その憧れの対象が自分に対して劣等感を覚えてなんて、私達にとっては本当にくだらないっていう思いしか持てないっていうか。」
「憧れ?
憧れられる様なもの私は何も持ってないよ?」
「え~とね、ちょっと説明しにくいんだけど、私達のタイプって神経質で人の言動を深読みする、人には裏表あるのが当たり前、人は裏切る生き物だって思って生きてる人種なのね。
でも美優ちゃんは、人の言動をすぐにそのまま信じて、誰の事も疑わず良い面ばかり見ようとして、嫌なことも一晩寝たら忘れて、何でそんな風に出来るんだろう。
すごいな!って。」
………
それ…褒めてます?
褒められ感より貶され感の方が若干強くて仕方がなかったが、
「う、うん。わかった。ありがとう。」
とお礼を言う私に、
「.その大ちゃんって人、多分今頃は美優ちゃんを泣かせてしまった!と秘かにパニックになってると思うから今度会った時は優しくしてあげてね。」
と優衣が優しく言った。
優衣との電話を切ったと思うとまたすぐに電話が鳴った。
ん?
何か言い忘れた事でもあったのかな?
「もしも~し!」
と、わざとふざけて電話を取る私に、
「あ!やっと…」
と、電話の向こうの相手は少し苛立った声を出した。
げっ。
その声は。
「長い電話。」
電話の相手は淡々と不機嫌そうに言う。
「いやあ、妹と話すとつい…」
と、言い訳しながらも、ちっ友達と会うって言った嘘バレバレだったか…
と思う。
「まあ、いいけど。
今からちょっと出てこれる?
嫌ならいいけど。」
そんな言い方されたら断れませんがな…
「あ、うん。大丈夫。
スッピンだけどいい?」
「何でもいいよ。
じゃあいつもの所で。」
電話が切れた。
急いで着替える。
今日ばかりは待たせると嫌な予感がする。
いつもの駅横のロータリー付近で待っていると、10分ほどしてからその電話の相手が車でやってきた。
うげっ、運転中の顔が怖い。
やだな~。
車は私の待っている場所から数メートル手前に停まった。
「お疲れ様~。」
おそるおそる声をかけながら助手席に乗り込むと、
「うん。どこ行く?
ご飯もう食べた?」
あれ?
声が妙に優しい。
「ううん。ビールしか飲んでない。
大ちゃんは?」
私がそう聞き返すと、
「もしかして食欲なかった?
俺の…せいだな…」
「あ、いや違うよ。
妹と話し込んでたから食べるの忘れてただけ。」
何故かまた必死で言い訳をしてる私に、
「俺、ミューズのこと馬鹿にして言ったつもりなかった。
新人コンクールとか、あんな短期間で誰の何がわかるかって…」
大ちゃんが少しイライラした様に言う。
「あ、うん。
早とちりしちゃったみたいで…
ごめんね…」
「ミューズさ、自分のこと低く思いすぎ。」
「あ、うん…」
ううっ。
頭が上がらない。
ガックリうなだれている私に、
「俺、ミューズの接客のやり方好き。
親切で丁寧でゼスチャーも時々入ってて面白い。
会社よりもお客さんに喜んでもらえてる方がいいんじゃないの?」
大ちゃんは私の頬を軽くつつきながらそう笑った。
笑いながらわたしの頬をつついていた大ちゃんの手が止まった。
「あれ?ミューズ化粧してない?」
スッピンだけどいいかな?
と聞いたら、何でもいいよと言ってたのはどのお口だ?
さては全く人の話を聞いてなかったな。
「なんか…ミューズ、スッピンだとタヌキに似てる…」
黙らっしゃい!!
ブスっとして睨みをきかせる私に、
「スッピンの方がいいよ。
俺タヌキ好きだし。」
大ちゃんが真顔で言う。
「ドーベルマンには言われたくないよ。」
と言い返す私に、
「ああ!山田さんが言ってたやつね。
何で俺がドーベルマンなんだろう。」
「さあ?性格的に似てるんじゃない?」
そう返しながら優衣の言葉を思い出した。
大ちゃんって人、私に似てるね…
「あのね、妹に大ちゃんの話を少しした時に妹が大ちゃんと自分は似てると言ってたよ。」
「へえ。妹さんてどんな人?」
「んー。私と真逆?」
「あ~、じゃあ似てるかも 笑」
何じゃそりゃ。
でも優衣はともかく、私と大ちゃんは何もかも真逆と言っていいほど違っていた。
目も顔もまん丸でボケーっとしたタヌキ顔の私、
切れ長の二重で彫りも深くキリッとキツイ顔の大ちゃん、
人の言うことにスグにコロッと騙される私、
人の言うことは深読みしてすぐには信じない大ちゃん、
誰とでも幅広く付き合える私、
気を許した少数の人としか本音の付き合いをしない大ちゃん、
気まずい雰囲気が苦手で曖昧にしてしまいたい私、
気になることはとことん話し合って分かり合いたい大ちゃん、
自分が中心で世界が周る私、
相手が中心で世界が周る大ちゃん、
恋愛相手であっても適度な距離を保って付かず離れずの関係を望む私、
常に激しい愛情を注ぎ相手にもそうしてもらいたい大ちゃん、
私達は何もかもが違い過ぎた。
違い過ぎるから誤解が多く傷つけあった。
違い過ぎるから相手の気持ちがわからず不安になった。
そして、
違い過ぎるから、
私達は互いを激しく求めた。
8月も終盤に差し掛かり、ユータンの誕生日が近づいてきた。
なるべくユータンの誕生日近くの日のシフトで皆が揃いそうな日を探す。
さてと、どこに行くかな。
「カラオケでいいんじゃないの?」
大ちゃんがアッサリ言うのに対し、
「そうだね~それでいいんじゃない?」
ユッキーも賛成する。
君ら決断早すぎるわ。
「.カラオケもいいけどそれだけじゃちょっと物足りないかなぁ?」
と言う私に、
「じゃあ焼肉は?
ちょっと高めだけど美味しい焼肉屋さん知ってるのよ!」
とユッキーが言い出した。
「おー!たまには贅沢って事でいいんじゃないの?」
大ちゃんが即座に食いつく。
「ね~?たまには贅沢しないとね~」
「だなぁ。俺カルビ好き!食べたい。」
「私も1番好きだよ!美味しいよね。」
この2人本当に気が合うなぁ。
ちなみに私はタン塩やハラミ派。
脂っこいカルビはあまり沢山食べられない…
とりあえずカルビの2人がノリノリでユータンを誘いに行く。
「おー!行くよ!そういうのいいな!」
ユータンが喜んで返事をした。
この2人の誘いなら例えそこらの公園でおにぎり食べるだけでも喜んで行くでしょ。
ユータンはこの2人の事が本当に好きだからね~。
「山田さん!カルビめいっぱい食べましょ。高い店らしいから絶対美味いっすよ。」
俗物的な事を嬉しそうに言う大ちゃんに、
「あ~俺、カルビは脂っこいから苦手。
どちらかと言えばタン塩やハラミが。」
また被ってるよ。
何故、好みや気の合う同士でくっつかないんだろうね私達は。
「じゃあその焼肉屋に決定ね!予約よろしく~!」
「お願いしてもいいの?
ごめんね~」
大ちゃんとユッキーが無邪気な笑顔で私に向かって言う。
はいはい。
私はお母さんだな。
「楽しみだな。」
私の横でユータンおじいちゃんが満面の笑顔でそう言った。
焼肉当日。
その日休みだった私と大ちゃんは約束の時間までデートを兼ねてユータンのプレゼントを買いに行く事にした。
「あった!これこれ♪」
ユータンへのプレゼントは某有名ブランドのサンダル。
ユータンはきっと喜んでくれるだろう。
まぁ、ユッキーや大ちゃんからのプレゼントならトイレスリッパでも大喜びしそうだけど…
「さてと、プレゼントも買ったし後はどこに行きますか?」
大ちゃんがお兄ちゃんの様な口ぶりで聞いてくる。
大ちゃんは皆の前では私にわざと意地悪を言ったり大して良い扱いをしてくれないのに、2人きりになると何故か優しくてマメに尽くしてくれる。
何でそんなにギャップがあるんだろう。
みんなの前でも2人きりでも全く態度も考えも変わらない私には彼のそういう所が本当にわからなかった。
「大ちゃんの行きたい所でいいよ?」
と言っても、
「ミューズの行きたいとこでいい。」
と返事が返ってくるのはわかりきっている。
自他共に認めるマイペース人間の私にはとっては実はこういう相手の方がありがたい。
そう考えると逆のタイプ同士っていうのも悪くはないのかも。
時間はまだかなりあった。
「ん~。水族館は?」
「わかった!」
大ちゃんはすぐに車を高速乗り口に向かって走らせた。
高速に乗ってしばらく走ると高速から見下ろす景色に海が広がってきた。
「海だ!泳ぎたいな!」
「え?!海で泳ぎに変更?!」
大ちゃんがビビる。
いや、そこまで気まぐれじゃありませんよ…
高速を降りるとスグに水族館に着いた。
「あっ!ミューズ!ミューズがいる!」
「ちょっと!それフグじゃない!」
馬鹿な事を言い合いながら魚を見てまわる。
こういうやり取りって楽しい。
ささやかな幸せを噛み締める私の腰を大ちゃんがそっと抱き寄せてきた。
げっ。
さりげなく離れる。
大ちゃん寄ってくる。
離れる。
「なに逃げてんの。」
「やだよ。バカップルみたいで恥ずかしい。」
「カップルなんだからバカップルでいいじゃない。」
「バが付くのとつかないのでは恥ずかしさが100万倍ちがうんだよ!」
「ふ~ん。」
大ちゃんはつまらなそうに言うとやっと私から離れた。
水族館を出てもまだ少し時間があった。
せっかくだから海を見て帰ろうということになり、海を見渡せる展望台に上がる事にする。
階段数が結構あるその階段を大ちゃんは軽々とヒョイヒョイと上がっていく。
さすが若いな。
ついていけずノタクタと後を追う私を見下ろして、
「遅いっ!」
と大ちゃんが笑った。
「ちょっと待って。
はあ、ついていけない。」
「やっぱり歳だからじゃない?
オバサンなんだから無理しないでいいよ。」
くっそ!図星つきおって。
「仕方ないなあもう」
負けてなるものかと必死で階段を上がる私の元に大ちゃんが急に駆け下りて来る。
「なに?オバサンの手を引きに来てくれたの?」
「オバサン?誰のこと?」
「なによ~自分で言ったんじゃない!」
顔を上げて文句を言った私を大ちゃんが突然抱きしめてきた。
?!
「本当にオバサンだって思ってたらこんな風に言わないよ。」
えっ?
聞き返そうとした私の耳元で、
「ね…キス…しよ…」
言うが早いか大ちゃんがそっと私の唇に自分の唇を重ねてきた。
?!
えっえっえっ。
思わず周りを見回す。
下の方にいた1組のカップルの男性と目が合う。
もしかして見られてた?!
カアアアアアアア。
下を向き、階段を高速で駆け上がる私を追いかけながら、
「へへっ!バカップルだね~!」
と大ちゃんが嬉しそうに叫んだ。
「痛~!絶対肩に手の形ついたよ。」
展望台で大ちゃんがブツブツ言う。
「叩かれる様なことするからでしょ!」
「え~!いいじゃない!したかったんだもん。」
ったくこの男は…
私が今まで付き合ってきた男性達はこんなことしたことなかった。
いつも大人の余裕見せてて、人前では絶対こんなイチャイチャした様な事をしてなかったのに、気がつけば深い仲になってて…
ああ、私が深い関係になるのを躊躇しても、
「大丈夫だよ。」
とリードして、そういう事に奥手な私の拒否はいつの間にか上手くはぐらかされてたな。
そして、結局…
嫌な事を思い出した。
「どうしたの?怒ってる?」
大ちゃんが聞いてきた。
「ううん。
あの…私…まだその気になれないとか…ワガママでごめん…」
自分でも何を言いたいのかよくわからなかったがすぐにそれを察した大ちゃんが、
「ん?俺も男だから好きな人とそういう関係になりたくて仕方ないけど、ミューズが嫌がる事をしてミューズに離れていかれる方がもっと嫌だからいいよ。」
と笑った。
こんな事を言われたのは初めてだった。
嬉しさと悲しさが綯交ぜになった何とも言えない感情に襲われて俯いてしまう。
「えっ?!なに?!」
驚く大ちゃんに、
「なんか私、いい歳してこんなんでごめんね。」
と頭を下げた。
「なに言ってんの!そんなミューズだから好きなんだって!」
大ちゃんがわざと元気そうな声を出して言う。
まだ10代なのに無理して我慢してるんだな。
本当にごめんなさい。
「ミューズ!ほら!すごい!」
大ちゃんがそんな私の肩を叩きながら急に興奮した様に海の向こうを指さす。
海の向こうの空には綺麗な虹がかかっていた。
私はこの子が好きだ。
自分からこんなに相手の事を好きだと思った事は1度もなかった。
大好きだよ。
大ちゃん。
私は大ちゃんと一緒に虹を眺めながら、いつまでもこんな時間が続くことをそっと願った。
「予約していた田村です。」
「お待ちしておりました。」
時間ピッタリに焼肉店に着いた私達はにこやかな愛想の良い女性に案内されて個室に通された。
少し狭めだがなかなか良い雰囲気の部屋だ。
「ご注文はどうなさいますか?」
ユッキー達はまだ来ていないが先に始めていればそのうち来るだろう。
「えっと、タン塩とカルビとハラミと…」
とりあえず少し注文しボチボチ食べながら待つことにする。
焼肉ってそれぞれの個性出るな~と思う。
皆の分もかいがいしく焼く人、自分の分だけをじっくりと好みの焼き具合に焼く人、鳥のヒナの様にボケーッと焼いてくれた肉をただ待って食べるだけの人。
私は勿論鳥のヒナだ。
いや一応言い訳すると、気を利かせて焼こうと最初は頑張るのだが、気がつくといつの間にか焼いてもらっているという….
この日もやっぱり大ちゃんが1人で焼いてくれた。
「ほら、食べごろだよ。」
とお皿にまで入れてくれる。
せっせと焼いて、自分が食べるよりも私のお皿に入れてくれる。
服にタレが飛んだと言えば、おしぼりで叩いて汚れを取ってくれる。
タン塩は焼けるとお皿に取りレモンまで絞ってくれる。
いいお嫁さんになりそうなタイプだな…
何もしないグウタラ亭主の様な私はそんな彼を見ながらつくづく感心した。
……
……
いやっ!
ダメでしょ!
感心している場合じゃない!
私も女らしいとこを見せなくては。
焦った私は大ちゃんの目の前のお肉をひっくり返して上げようと手を伸ばした途端、近くのタレの容器をひっくり返してしまった。
「ああっ!!」
「なにやってんの!大丈夫?」
大ちゃんが慌ててテーブルを拭いてくれる。
…ううっ
肉をひっくり返さずにタレをひっくり返してしまった…
ガッカリしながらテーブルを拭き終えたところに、
「お疲れ様~!
お待たせっ!」
とユッキーとユータンがやってきた。
「どうしたの?」
ユータンがテーブルの茶色に染まったおしぼりを見て言う。
「ミューズが鈍臭いことしてタレをひっくり返した。」
大ちゃんが笑いながら言う。
えっ。
さっきまでは私の失敗も優しくフォローしてくれてたのに。
「大丈夫?服とかにかからなかった?」
ユッキーが優しく心配してくれる。
「大丈夫だよ。元々服がタレ色だし。」
大ちゃんが代わって答える。
おい。
「タレ色」ってなんなんだよ。
ブラウンにそんなカラーの種類があるって今初めて聞いたよ。
それとも今期登場の新作か?
大体さっきまでは、
「大丈夫?こうやると汚れ取れるよ。」
とか言っちゃって私の服を優しくおしぼりでパンパンしてくれてたのはどこの誰だよ。
「まっとにかく何か頼もうか。
お腹すいたし。」
心の中で突っ込むのに必死で黙りこくっている私を優しく促す様にユータンがそう言った。
色々頼み、新ためて乾杯する。
焼肉は本当にそれぞれの個性が出る。
じっくりと自分の肉を育てるユータン。
「ちまちま焼いてちまちま食べても美味しくないよ!
ガッツリ食べなきゃ!」
と「男らしく」肉をドバーッと焼き網に乗せるユッキー。
「ほら!ミューズ!肉が焦げる!ちゃんとしっかりひっくり返さなきゃ!」
といちいち指図してくる大ちゃん。
あれ?
さっきは黙ってても1人でやってくれてたじゃん…
「大ちゃんの方がお兄ちゃんみたいだね。」
と笑うユッキーに、
「そ~か~?
俺、こういうの面倒くさいし、やってもらわないと~。
ほら!ミューズ!しっかりどんどん焼いて!」
へ?へ?へ?
おい大輔!
その多重人格か?と思わせる程の豹変っぷりはなんなんだ??
呆気に取られる私をよそに、
「大ちゃんはクールなタイプだし、亭主関白っぽいよなぁ。」
とユータンがうっとりした様に言う。
クール?!
数時間前には、
「バカップルだね~!」
とヘラヘラ笑ってたこのお方がクール?!
頭の中が?でいっぱいになったが、
「あ~!はいはい!いっぱい焼くからね~!」
と、とりあえず話を合わせる。
こうして?だらけの焼肉ナイトはそれでもそれなりに結構楽しく過ぎていった。
焼肉をたっぷり堪能して大満足した私達は店を出た。
「じゃ、カラオケでも行きますか。」
大ちゃんの一声に皆が賛成する。
「カラオケ久しぶりだな。」
と笑うユータンの足元には私達がプレゼントした真新しいサンダル。
案の定、ユータンは大喜びして私達に何度も何度もお礼を言ってくれた。
ここまで喜んでくれるとプレゼントした甲斐が有ると言うよりも少し気恥しいがやはりとても嬉しいものだ。
カラオケでまずは主役のユータンに歌ってもらおうということになった。
「じゃあ、ちょっと古いけど…」
とユータンが恥ずかしそうに歌った曲はマッチこと近藤真彦。
うわあ懐かしい!
というかユータンの声がマッチにそっくりで驚愕する。
普段の声は似てないのに、歌うと本人かと思うレベルで、モノマネ大会があったら絶対優勝間違いないといった高クオリティだった。
「すごいね~!上手いね~!」
ひとしきり感心する私に、
「マッチファンだったの?」
と、ユータンが笑う。
「ううん。好きだったのは吉川晃司だったなぁ。」
「ああ、人気あったね~。」
「でしょ?本人も良いけど特に曲が好きだったんだよね~」
とユータンと2人で話している横で大ちゃんが入れた曲が始まった。
あれ?
この曲は。
吉川晃司と布袋寅泰がユニットを組んでいたCOMPLEXの曲の
「恋をとめないで」
大ちゃんが歌い出す。
うわっ、めちゃくちゃかっこいい。
曲と大ちゃんの声がマッチしててすごくかっこいい。
「すご~い!大ちゃんってやっぱりかっこいいね!」
私の気持ちをユッキーが先に言った。
「確かに。
俺…惚れそうになってる。」
ユータンが本気っぽくて何だか怖い。
「大ちゃんって吉川晃司とか歌うんだね。初めて聞いたよ。」
ユッキーの言葉に、
「吉川晃司の曲は特に好きじゃないから歌わない。
今、初めて歌った。」
と大ちゃんが笑って答える。
「あ…もしかして…私が吉川晃司の曲が好きだと言ったから歌ってくれた?」
少し嬉しくてドキドキしながら言う私に、
「え?別に。
何となく目についたから入れただけ。」
大ちゃんが何故か目を逸らしながら言う。
なんだ…
私の勘違いか。
内心かなりガッカリしていると、ふとユータンと目が合った。
ニッタァ~!
え?
なに?
その笑顔怖いんですけど。
ユータンは少し意味ありげにチラッと大ちゃんを見て、またすぐに私に視線を戻してまた二ターッと笑ったかと思うと、
「.ユッキー!デュエットしようか?」
と大ちゃんの隣で話していたユッキーを手招きして呼んだ。
「うん?何歌おうか~?」
ユッキーがユータンの横に座り2人で仲良くカラオケの本を覗き込む。
今の時代はリモコン1つで選曲や注文もできるが、当時は分厚い曲本を見てそこのコードを入力する。
1冊の本を2人で仲良く覗き込むカップルの姿は実に微笑ましく私の好きなシチュエーションの1つでもあった。
ユータンの横でニヤニヤしながら2人の様子を見ていた私に、
「ちょっとミューズ、ここに3人も座ってないで大ちゃんの隣に行って2人も何か曲を決めてきなよ。」
とユータンがまたニヤッと笑って言う。
「.あっ!そだね。」
慌てて大ちゃんの横に座り、
「ね、何かデュエットしよ?」
と大ちゃんに話しかける私に、
「え?俺デュエット曲とかあんまり知らないし。」
「あ、そうなんだ…」
「ちょっと貸して。」
ガッカリする私の手から本を奪い取った大ちゃんが何やら曲を入れた。
え?と思う暇もなくその曲が始まる。
中山美穂&WANDSの
「世界中の誰よりきっと」
「これ歌える?」
と大ちゃんが私にマイクを渡しながら言った。
「あ、うん。」
私が歌い出してすぐにWANDSがハモリを入れてくるパートになり、
WANDSならぬ大ちゃんが歌に入ってきた。
「うわあ!上手~い!」
ユッキーが拍手をしてくれる。
「なかなかいいね~」
ユータンがニヤニヤする。
ハモりが上手な人と歌うと自分の歌が格段に上手くなった様な気がしてとても気分が良い。
歌い終わり大ちゃんに、
「ありがとう。」
とお礼を言うと、
「.いや、俺が歌いたかっただけだし。」
と大ちゃんが少し素っ気なく言う。
ふと視線を感じて前を見ると、ユータンがまたニッタァ~と笑ってこちらを見ていた。
カラオケはとても楽しかったが、その日はかなり混んでいるという事で2時間しか時間を取れなかった。
楽しい2時間はあっという間に過ぎる。
「これからどうしようか。」
と思案する私達に、
「花火があるから河川敷に行ってやらない?」
と大ちゃんが言い出した。
BBQの時に例のケーキに刺す用を含めて他にも色々買っていたらしいが、結局花火をすることが無かったため車にずっと積んでいたらしい。
「そんなに沢山はないけどこのままずっと持ってても仕方ないし。」
大ちゃんの言葉に車で少し走った先にある河川敷に向かった。
4人で子供の様にはしゃぎながらそれぞれ花火を手に持つ。
花火をケーキに刺した時にはひどい目にあったなぁ。
でも楽しかったな。
私は花火を眺めながらその時の事を思い出してひそかに笑った。
と、
バチッ!!
と突然火の粉が爆ぜる音がして、
「あっつ!」
とユッキーが花火を落とした。
「どうした?」
ユータンが即座に駆け寄る。
「あ、うん。
大きな火花が腕に飛んできて…
熱かったぁ。」
ユッキーが苦笑いをしながら腕をフーフーしていると、
「見せてみろ!」
と、いつになく厳しい声のユータンがユッキーの腕を取った。
「大丈夫だよ。」
照れ笑いをしながら腕を引っ込め様とするユッキーに、
「来い!冷やさなきゃ!」
と、ユータンはユッキーの反対側の手を掴んで引っ張った。
「あの橋の下を超えた辺りに簡易トイレありま~す!
その横に水道あったはずっすよ~」
大ちゃんがのんびりと教える。
「うん!」
ユータンは短く答えるとユッキーの手を握ったままユッキーを引っ張る様にして走って行ってしまった。
うっわ~
ユータンってば。
いつもと違うユータンの姿にこちらがポーっとして恥ずかしくなってしまった。
「何か…ユータン男らしかったね?」
「好きな人が怪我や火傷したら誰でもそうなるでしょ。」
大ちゃんが当たり前の様に言う。
私がケーキの花火の火の粉で大騒ぎしてた時に地べたに転がる勢いで笑ってたのはどなた様でしたっけ?
どの口が言うかね?
全く…
心の中でツッコミながらユータンやユッキーが向かった方向を見る。
直線距離だがなかなか遠そうだ。
戻って来るのもしばらく時間がかかるだろう。
「山田さん達が戻って来たらそろそろ帰るだろうし残りの花火やっちゃおうか?」
大ちゃんが残りの花火が入った袋を持ち上げて見せる。
「うん。そうだね。」
私達は並んで花火に火を点けた。
シューッ!パチパチパチ
音と煙を伴いながら花火が様々な綺麗な光を放つ。
「カラオケもうちょっとやりたかったね。」
花火を見ながらそう言う私に、
「何かもっと歌いたい曲あった?」
と、大ちゃん。
「ううん。
歌いたいっていうより歌って欲しい曲はあったよ。」
「なに?」
「ミスチルの抱きしめたい。」
「そっか。」
大ちゃんは燃え終わった花火を火消し用の空き缶に突っ込むと低く静かな声で
「抱きしめたい」を歌い出した。
川からの風は涼しく、対岸の遠くの方に街の明かりが煌めいて見える。
ロマンチックで気持ち良い空間の中に大ちゃんの静かな歌声が心地よく響いた。
夏が終わり、秋が過ぎ、何となく人恋しくなる冬が来た。
「おはようございます。」
その日、遅番だった私が出勤するといつも元気に挨拶を返してくれるバイトさん達の元気がどことなく無い。
バックヤードに入ると店長とユッキーが真剣な顔をして話し込んでいた。
「おはようございます…」
おそるおそる声をかけると、
「ああ、田村さん。
山田さんね辞めるんだって。」
ユッキーが寂しそうにポツリとそう言った。
えっ?
「あの…すみません。
どういう事ですか?」
私は店長の方に向かって聞いた。
「うん。実はね、うちの会社が今どんどん他県に出店しているのはみんな知っての通りだけど、〇〇県に行ってもらう優秀なスタッフの数が足りないんだ。
で、山田君に店長として行ってもらうという話が前々から出てたんだけど、彼がそれを頑なに拒んでね…」
店長が淡々と答える。
「はい…」
「確かに〇〇県に勤務するには遠すぎるから向こうに住んでもらう事になるし何かと負担もかかる。
だから1度目は他の店舗から何とか別の社員に行ってもらう算段がついたが、また2度目の話がきた。」
店長はここで言葉を切った。
「で、また断ったんですね。」
私が代わりに答える。
「ああ。
それでもうこれ以上自分のワガママで他に迷惑もかけられないから辞めると言ってきた。」
「そうですか…」
「引き留めたんだけど、他にやりたい仕事もあるからと、どうやら辞める気持ちは前々からあったみたいだね。」
「そうなんですか…」
店長が店内に行った後に、
「知ってた?」
とユッキーに聞いてみた。
「他にもやりたい仕事が出来たとは聞いてたよ。
でもこんなに急に辞めるとかは聞いてなかった。」
ユッキーが戸惑った様に言う。
「そか。
1番ビックリしたのはユッキーだったね。ごめんね。」
私はユッキーの肩を軽く叩くと店内に入った。
その日はあまり仕事に身が入らず、私はボーッとユータンの事ばかりを考えていた。
うちの会社にいる限りは転勤は避けられないんだよね…
特に特別な事情もない独身者なら余計にね…
わかっていた。
わかってはいたけれどモヤモヤは拭えなかった。
ユータン。
転勤の話に応じてたら間違いなくトントンと出世コースだったよ?
転勤がそんなに嫌だった?
「転勤が嫌と言うより辞める気持ちの丁度いい後押しになったという方が正解かな。」
翌日、同じ早番出勤だったユータンが私の問いにそう答えた。
「辞める気持ちの後押し?」
「そう。1度目の時はいつ辞めるかもしれない俺が会社の大事な企画に中途半端に参加出来ないと思い断った。
でも2回目ともなるとね、もう断り切れないし、ゴリ押ししても他の店舗にも迷惑かけるしね。
そろそろ潮時かなって。」
「もともと辞めようって思ってたんだ…」
「うん。
もっとちゃんと気持ちが固まってからみんなに伝えようと思ってたんだけど…
何か急でごめん。」
ユータンは申し訳なさそうに言うと頭を下げた。
寂しさがこみ上げてくる。
涙が溢れてきた。
そこに、
「おはようございます。」
と遅番の大ちゃんが入ってきた。
大ちゃんは気まずそうにしているユータンと半泣き顔の私を瞬時に見て、
無言で私の腕を引っ張り店舗の裏口から外へと連れ出した。
店舗の裏側は広い畑が広がっており、そこで作業をする人以外は普段は全く人気のない場所だった。
「ここで頭を冷やしてから戻っておいで。」
大ちゃんは先生の様な口調で事務的にそう言うとサッサと中に入ってしまった。
何か冷たい…
ひどいよ…
あの頃の私はあまりにも幼稚で人の気持ちや立場が何も分からないお子様だった。
私は寂しさと悲しさで少しの間こっそりそこで泣いた。
「〇月✕日 神谷大輔を副店長代理とする。
その後、副店長研修等を経た後、副店長に任命する。」
ユータンが正式に退職願いを出すことになり、ユータンの後任として大ちゃんが抜擢された。
人手不足とはいえ、入社して一年未満の10代の子が副店長に抜擢されるのは他の店舗にもまだ例は無く珍しい事だった。
それだけ期待もされていたのだろう。
大ちゃんと同期でしかも歳上の私やユッキーは大ちゃんが「上司」になることについて勿論何の異論も無かったが、「副店長の山田さん」が居なくなる事に寂しさと不安というマイナス感情がどうしても拭えなかった。
大ちゃんはユータンが退職するまでの1ヶ月半、副店長研修を受けながらユータンから引き継ぎをする事になる。
「急な事で悪いな。
でも後任が神谷君で良かった。
よろしくお願いします。」
微笑みながらそう言うユータンに大ちゃんは黙って頷いた。
「これから1ヶ月の間は神谷君が本社研修等で居ない日が多くなります。
今までよりシフト的に厳しくはなりますが、山田君が抜けても人員の補充が無いのでこれからはずっと社員4人体制でやっていくことになりますし、この期間は言わばそれの慣らし期間だと思って下さい。」
店長が私とユッキーにそう告げる。
「わかりました。」
揃って返事をする私達に店長は軽く頷くと、
「神谷君は肩書きは副店長になりますがまだまだ山田君の様には出来ない事も多いです。
僕もなるべくフォローしますがそれでも限界はあります。
そこで、」
と、一旦言葉を切った店長がじっと私を見つめる。
「田村さん。」
「はい。」
「神谷君の助けになってあげて下さい。」
「はい、私がですか?」
「はい。彼のフォローを田村さんにもお願いしたいのです。」
「わかりました。何ができるかはわかりませんが私なりに彼を支えられたらと思います。」
私の言葉に店長はにこやかに頷くと、
「それと彼のフォローはパートの沖さんも申し出てくれています。
沖さんはご婚約をされて今でこそパートの立場になられましたが、社員としての歴は僕の倍以上ありますからね。
何か分からない事があったら沖さんにも聞いてください。」
沖さん…
一気に気持ちが沈んでいくのを感じた。
沖さんは…ちょっと苦手…かも…
ちらっとユッキーの方に目をやるとユッキーが心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
ダメだ。
ダメだ。
ちゃんとしっかりしなきゃ。
「はいわかりました。
何かありましたら店長や沖さんに頼らせて頂きます。
神谷君の力になれる様に私も頑張ります。」
「はい、頼りにしてます。
あ、それと、」
店長は私とユッキーの顔を見回しながら、
「神谷君は副店長という立場になります。
仲良くなるとつい気が緩んで君付けで呼んでしまいがちですがお客様の目もあります。
新ためて店内ではさん付けの徹底をお願いしますね。」
「はいわかりました。すみません。」
そう言いながら、ユータンが居なくなる不安と大ちゃんに対する得体の知れない距離感で私の心は不安でいっぱいになっていた。
「神谷君、これなんだけどこうした方が良くないかな?」
沖さんの「フォロー」が早速始まった。
今まで新人ということで沖さんに鼻もひっかけられなかった大ちゃんだが、役職がつくことで今までとは扱いがガラリと変わる。
「ああ、でもこの方が合理的じゃないですか?」
「そうなの?まぁ神谷君がそれでいいならいいんだけどね。」
2人のやり取りが近くで仕事をしていた私の耳にも入ってきた。
大ちゃん頑張ってるな。
あの沖さんに対して1歩も引いてないし、むしろ沖さんを納得させている。
沖さんは大学を卒業してから8年間社員として働き副店長も務めた事がある、当店舗では圧倒的に社歴の長いベテランさんだった。
沖さんはその経験とやや勝気な性格で誰も何も逆らえない雰囲気を出しており、それでも店長だけはいつも沖さんとそこそこ激しい攻防戦を繰り広げていた。
ユータンはその甘い外見と穏やかで憎めないキャラで沖さんのお気に入りだったが、よく観察してみるとユータンは実に沖さんの扱いを心得ていて
いつも上手く付き合っていた。
ユータンがいる日はいつも沖さんの機嫌が良かった。
そんなユータンが居なくなったらどうなるんだろう…
「ちょっと!田村さん!」
ボーッと考え込んでいた私は、いつの間にか真横に来ていた沖さんの声に驚いて飛び上がった。
「はい!すみません。」
驚きのあまり思わず謝る私に沖さんは、
「この子大丈夫?」
というような表情をチラリと浮かべたが、
「これ、やり直してくれるかな?」
と先程大ちゃんがやった仕事を私に渡してきた。
「え?でも…
これは確か神谷さんが…」
ボソボソ言う私に、
「うん、確かにこのやり方は一見合理的だけどズバリ言ってしまうと雑なのよ。
だからほら…
こうした方が良く見えるでしょ?」
なるほど。
確かに沖さんのやり方の方が良い様にも見えた。
「じゃあ私はお昼休憩に行ってくるからお願いね。」
沖さんはそう言うと出ていってしまった。
残された私はとりあえず沖さんの言う通りにやり直しの作業にかかったが、沖さんのやり方は確かに時間がかかりあまり合理的とは言えない。
しかも改めて実際に大ちゃんのやり方と結果を比べてもそこまで大きく変わる訳でも無かった。
大ちゃんに…断ってからやった方が良かったかな…
今更ながら後悔し始めた私の所に大ちゃんが来た。
大ちゃんは私の手元を見るや否や物凄く険しい顔つきになり、
「僕はこれのやり直しを頼んだ覚えはありませんが。」
ときつく言い放った。
「あの…すみません…」
「誰かに頼まれたんですか?」
「あの…はい…沖さんが…」
「田村さんは沖さんに言われれば僕に何の断りもなく勝手な事をするんですね。」
確かにそうだ…
沖さんに言われたからといって大ちゃんに何の断りもなく勝手にやったのは私自身だった。
「いいですか?このやり方は本社からの伝達で全店共通になった事です。
沖さんには朝に伝えたのですがどうも納得してもらえていなかった様ですね。
田村さんにはお昼の休憩が終わってから伝えるつもりでしたが…」
大ちゃんは言葉を切ると私がやり直したものを更にやり直しし始めた。
敬語を使う大ちゃんは昔の大ちゃんに戻った様でどことなく近寄り難く怖かった。
しかも今叱られているし…
「すみません…」
「田村さん。」
シュンとうなだれる私に大ちゃんが声をかけてきた。
「手伝ってもらえますか?」
「あ!はい!わかりました!」
慌てて手伝いを始めた私を見て大ちゃんが少し微笑んだ。
「お先でした。」
沖さんが休憩から戻ってきた。
沖さんは早速私たちのしている事に気づき表情を曇らせた。
「結局このやり方でやるんだ。」
「沖さん、これは本社からの指示です。
色々あるでしょうけどこのやり方以外は認められない事になりましたので、これでお願いします。」
大ちゃんが丁寧に、でもキッパリと言い切った。
うわっ、沖さんにここまでキッパリ言い切る人初めて見た…
店長ですら沖さんの顔色を伺いつつ、押したり引いたりなかなか苦労しながらやってるのに。
これは…
私はちらっと沖さんの様子を伺った。
荒れそうだ…
案の定、大ちゃんが立ち去った後に沖さんが私の横に寄ってきた。
「田村さん。神谷君ていつも黙々と仕事してたから大人しいのかと思ってたけど、結構キツイ言い方する子なのね。」
はい!
来た~!!
ううっ。
沖さん、気に入らない事があるとその相手の愚痴を言いに来るんだよね。
しかも大声で言うからどうしようかいつも困るんだけど…
どうやって沖さんの愚痴から逃げようかと身構える私に沖さんは続けて言った。
「私より一回りも歳下なのに随分偉そうな口をきいてきちゃったりして!
ホント神谷君たら。」
…はい?
最後の神谷くんたらのたらの後が随分嬉しそうに聞こえたのは気のせいかしら?
恐る恐る沖さんの顔を見ると、沖さんは明らかに嬉しそうな顔をしていた。
「私、いつも周りに気を使って話されるからあんなに偉そうに言われたの初めてなのよ。全くもうっ!」
うん。
明らかに喜んでいる。
でも…
と私は沖さんの気持ちを想像した。
沖さん、周りにちょっと腫れ物扱いされてて寂しいと思ってた所あったんだよね。
大ちゃんと沖さんが仲良く仕事を出来る様に私も応援しよう!
3人で力を合わせて頑張るぞ~!
私は心の中で大ちゃんと沖さんにエールを送った。
だがしかし。
この考えが非常に甘かった事をこの時の私はまだ知る由も無かった。
今更言うのもなんだが…
大ちゃんは我が強い。
そして沖さんも我が強い。
私は世の中出来れば平穏無事に暮らしたい。
性格的にも大ちゃんは短気だ。
沖さんも短気だ。
そして私はのんびりしている。
大ちゃんは頭の回転が早い。
沖さんも早い。
そして私はボーッとしている。
大ちゃんはテキパキと仕事をこなす。
沖さんはテキパキと人の仕事に口を出す。
そして私は…トロい…
強烈な2人に挟まれて、私にとってまるでサンドイッチ状態の様な日々が続いた。
でも、サンドイッチって中の具を引き立てるためにパンの存在は少し控えめにしなきゃだよね?
パン達の個性が強烈だったら中の具はまるで役に立たない所か邪魔ですらあるよね?
私は強烈に味が濃くしかも不必要なまでに熱々のパン達に挟まれたしなしなのレタスの様な存在だった。
「田村さん!ちょっとこの仕事を手伝ってもらえます?」
パン男が私を呼ぶ。
でも、手伝うも何もパン男の仕事のスピードは早い上に的確で余裕で私の倍のスピードで仕事をこなしていく。
「あら~また田村さんを助手にしてるの?神谷君1人でも出来るんじゃないの?」
パン子さんが嫌味を言う。
そしてパン子さんは私の横に張りつき、ここはこうした方が良い等とパン男のやり方と違うやり方を指示してくる。
耐えきれなくなり
「すみません。そろそろ休憩の時間ですので…後は休憩が終わってからやります…」
と逃げるようにその場を離れ、休憩から戻ってみるとパン子さんがパン男の隣で私のやりかけの仕事をやっていた。
うっ…
神谷君1人でも出来るんじゃないのぉ?
と言ってたのは確かアナタでしたよね?
引きつるしなびれレタスの目の前でパン達は仕事を終わらせた。
「あ…終わった…んですね…」
モゴモゴ言う私に、
「田村さんが中途半端に放り出して休憩行くから沖さんが見兼ねてやってくれましたよ。」
大ちゃんが少しぶすっとした様に言う。
え…
はい…
一応、キリをつけて、沖さんにも言ったんですけどね。
なに?
その様子だと何も聞いていらっしゃらない?
ちゃんと直接言うべきでしたね。
そらどうも失礼致しました…
心の中でモゴモゴ言いながら別の仕事にうつる。
くっそ。どうせ
「沖さんに言いましたよ。」
と言ったって、
「僕に直接言って下さいと前にも言いませんでしたか?」
と言われるのは目に見えている。
くっそー!
自分の落ち度なので自分に怒るしかない。
モヤモヤを抱えたままバックヤードに行くと、
「このダンボール固い~!なかなか潰れない!」
と、ユッキーがやたらと丈夫なダンボール相手に苦戦していた。
「このダンボール潰して捨てるの?」
「うん。でも分厚いからやたら丈夫で潰れないの。」
と、ユッキーが困り顔で言う。
「分かった。私がやってあげる。
ちょっと離れてて。」
ユッキーが2~3歩下がったのを見届けた私は、
「おりゃ~!!!」
とダンボールを思いっきり足蹴にした。
怯むダンボール。
怯んでクタッとなった所をとどめを刺すかの様にこれでもかと両足で踏みつけた。
「おりゃ!おりゃ!おりゃ!」
「すご~い!ダンボールが一瞬で潰れたよ!ありがとう。」
ユッキーの声で我にかえるとダンボールは完全に敗北宣言をし、ぐったりと私の足元に横たわっていた。
ふぅ。
ちょっとスッキリしたぜ。
「助かった~本当にありがとね。」
感謝の心を全面に押し出して喜ぶユッキーに、
「いや、こちらこそありがとう。」
と、ユッキー側からすると意味不明な感謝の言葉を吐きつつ私はそのまま隣の倉庫へと入っていった。
さてと…
気持ちを切り替え倉庫で作業を始める。
冬の倉庫は寒い。
と言って夏の倉庫は酷暑なんでまだ冬の方がマシと言えばマシかな?
は、はっくしょん!
ズビ…
うっ、寒い。
鼻水出てきた。
あまりの寒さにプルプル震えながら仕事をしていると、
「上着着れば?」
突然、後から声をかけられ、ビックリして振り向いた私の後に大ちゃんがニヤニヤと笑いながら立っていた。
「び、びっくりした!なに?なに?なに?」
「いや、何って。
商品を取りに来ただけだけど。」
「そ、そうなんだね。」
何となくモヤモヤがスッキリしきれていない私はすぐに商品棚の方に顔を向けると商品チェックしているふりをした。
そんな私に構わず大ちゃんは私の後ろ姿に話しかけてくる。
「今日さ、仕事終わってからご飯食べに行こうか。」
聞こえないふり。
「何か食べたいものある?」
聞こえないふり。
「聞こえてないのかな?」
そうです。
全く聞こえていません。
だから早く立ち去って下さい。
「あっ!!汚っ!!鼻水垂れてる!!」
「えっ?!嘘っ?!」
思わず顔を隠した私に、
「聞こえてるんじゃない。」
大ちゃんはニヤリと笑いながら私の頭を軽くこずいた。
「返事しないけど、今日はご飯食べに行きたくないの?」
えっ…
いや…だって…
「何か怒ってるの?」
「え…いや…だって…パン子さん…」
「は?パン粉?」
しまった。
私の心の中限定のあだ名を出してしまった。
「あ、いやっ!パン粉はいいね。食べたいね!」
「は?
俺今まで19年間生きてきてカツが好きという人はいくらでもいたけど、パン粉が好きと言う人初めてなんだけど?」
私だって初めてだよっ。
「あ、え~と、トンカツ!トンカツが食べたい。」
こうしてその日の夕飯はトンカツに決定した。
大ちゃんオススメのお店のトンカツは肉が柔らかくジューシーでとても美味しかったが、なんといってもその店のこだわりの「パン粉」が肉の味を見事に引き立てていた。
パン粉万歳。
大ちゃんの研修がスタートした。
それに加え、社員が入院し人手が足りなくなった店舗へ応援に行くことも急遽決定してしまった。
本社へは車で1時間ほどかかるのだが、その店舗は更にまた1時間ほどかかる。
道が混むと更にまた時間がかかる。
負担がかかるであろうとの事で、会社が大ちゃんのために本社とその店舗の間の地域にウィークリーマンションを用意してくれた。
大ちゃんは週に1~2日くらいはユータンからの引き継ぎのためうちの店舗に顔を出すが、シフトが見事に私と入れ違いになってしまった。
でも翌日また早くから研修や応援に入る大ちゃんにこちらに来て仕事をした後に会おうとはとても言えなかった。
頼みの綱だった休みの日も全く合わない。
しばらく会えないな…
ふっと寂しくなる。
大ちゃんが行ってしまってからは時々電話で話したが、当時固定電話でその距離の通話料は高い上に電話の向こうの大ちゃんはいつもとても疲れていて気を使った私は電話もし辛くなり、私達は何となく少し疎遠になっていた。
ある寒い日、朝から雪が降っていた。
「わあ、寒いわけだ。
今日は歩いて行かなきゃ。」
急いで支度をしようとした私を強烈な寒気と倦怠感が襲った。
あれ?
何か嫌な予感…
案の定、熱を計ると39度もあった。
うわっなにこれ。
不思議なもので39度という具体的な数字を目の当たりにすると何も知らなかった時より具合の悪さがいきなり一気に加速する。
立っていられなくなった私は這うように電話の所にたどり着くと何とか電話をかけた。
今日は幸い私の他にユッキーが早番で入っていたはずだ。
ユッキーまだ家にいるかな?
プルルルル。
「はい、森崎でございます。」
早めの時間だったため、出勤前のユッキーが出てくれた。
「ユッキー?私…美優…ごめん今日熱があって…」
私の辛そうな声を聞いたユッキーは、
「大丈夫?行けそうなら病院行ってちゃんと寝ててね。
お店は大丈夫だから。」
とすぐに察してくれた。
ようやく寒気が治まったかと思うと今度は急激に熱くなる。
熱を計ると39,8度。
私の平熱は36度なのでこれはかなりキツイ。
病院にはとても自力で行けそうにない。
解熱鎮痛剤を飲み無理矢理にでも目を閉じる。
しばらくすると大量の汗をかき熱が39度まで下がる。
少し楽になる。
だがまたすぐに強烈な寒気に襲われ出し熱が上がり始める。
寒い。
苦しい。
大ちゃんに会いたかった。
でも何度も繰り返すがその頃は私達はまだ携帯電話というものを持っていなかった。
電話をするとすれば家か職場の固定電話になる。
連絡するのは無理だね。
それにもし連絡出来たとしても
頑張っている大ちゃんに迷惑はかけられない…
でも…声だけでも聞きたいな…
いやいやダメだ。
こんな状態の声を聞かせたら心配させる。
私は、自分の気持ちを押し殺す事が相手への思いやりだと思っていた。
我慢する事が相手への愛情だと思っていた。
だって、元来はマイペースで自分の思うようにしたい私がそれをするのは相当の努力がいるから。
それに….
1番の理由は、
私が会いたいと言えば大ちゃんは無理をしてでも来てくれるって分かっていたから。
余程の事でないと自分を犠牲にしてでも私の頼みを断らないから。
こう言うと私がかなり自惚れの強い女に思えるが本当に大ちゃんはそういう人だった。
おそらく私だけでなく、自分が気を許した人にはそういう態度を示すのだろう。
でも私は自分のために大ちゃんが無理をするのは嫌だった。
自分のために無理をさせない事が相手への愛情だと思っていた。
その気持ちが大ちゃんにとっては1番「嫌がる事」だということを当時の私は全く気づいていなかった。
プルルルル!
交互にくる寒気と熱さに苦しみながらうつらうつらとしていた私は電話の音で起こされた。
大ちゃん?!
フラつく身体を引きずりながら受話器をとる。
「もしもし。」
「具合はどう?仕事終わったから今からちょっと行っていいかな?」
電話の相手はユッキーだった。
いつの間にか夜になっており、部屋の中は薄暗い。
「あ、うん。」
明かりをつけ
汗まみれのパジャマを脱いで部屋着に着替えユッキーを待つ。
大ちゃんはこの事を知らないのに心配してかけてきてくれるわけないじゃない。
ハハッ。
私はそのままベッドに倒れ込むと少し寝てしまった。
ピンボーン!
チャイムの音
私は慌てて飛び起きた。
ガチャ。
「ちょっと!美優ちゃん、病院は行けたの?」
ドアを開けた瞬間にユッキーが質問してくる。
「えっ、ううん。
辛くてとてもじゃないけど…」
「だと思った!
保険証持ってきて!今から病院行くよ!」
「えっ?!でも…」
「早く!車で来てるから今すぐ行こう!」
ユッキーは両手にぶら下げていた大きな買い物袋を私に手渡しながらそう言った。
中には大量のスポーツドリンクやゼリー、お粥など…
「これユータンから。
何も気にしないでゆっくり休んでね。
お大事に!だって。」
「ありがとう。」
2人の優しさが本当にありがたかった。
病院で診てもらうととりあえずただの風邪らしくはあったが、何分高熱なので下がっても1日くらいは大事を取り休んだ方が望ましいだろうとの事だった。
その旨の伝言を店長宛にユッキーに託した。
「ミューズは後はもう何も気にしないで休むこと!」
ユッキーはホッとしたのか私の呼び方を美優ちゃんからミューズに戻していた。
心配させてたんだな。
「ごめんね。ユッキー。ユータンにも謝っておいてね。」
「ううん、謝らないでね?
悪いと思うなら早く元気になること!いい?」
ユッキーはそう笑いながら、
「お大事に!」
とやさしく付け加えると帰っていった。
ありがとう。
玄関のドアを閉め、そのままキッチンに向かい冷蔵庫のドアを開ける。
そして差し入れのスポーツドリンクを取り出し口に含んだ。
美味しい。
冷たいスポーツドリンクが体中に染み渡っていく感覚に浸ると共に、私は心も体も癒されていくのをゆっくりと感じていた。
「ご迷惑をおかけしました。」
数日ぶりに出勤した私は店長に頭を下げた。
「病み上がりですからあまり無理をせずボチボチとやって下さい。」
そんな私に店長は優しく声をかけてくれる。
「お!おはよ!」
その日、遅番出勤だったはずのユータンが中番の私と同じくらいの時刻に出勤してきた。
「おはようございます!
ご迷惑をおかけしました。
って、あれ?
随分早くないですか?」
「ああ、もうそろそろ日も迫って来たから早めに来て片付けとかしようと思って。」
ユータンが静かにそう言った。
あ…
そうだったね…
大ちゃんに会えていないという事以外はいつもと変わらない日常で、ユータンが居なくなるという事がまだ実感できていなくて…
涙が出そうになり、慌てて私は更衣室に向かった。
着替えて戻るとユータンが事務所で黙々と書類などの片付けをしているのが見えた。
ユータン…
分からない仕事をいつも優しく教えてくれたね。
沖さんに色々と言われた時はさり気なく笑いをとって場を和ませてくれたね。
大ちゃんと気持ちがすれ違って気まずくなった時は「気にするな!」っていつも笑顔で言ってくれたね。
ユータン。
「どうした?」
私の気配に気づいたのかユータンが後ろを振り向いた。
「ユータン…」
「なに?大ちゃんに会えなくて寂しいの?」
ユータンがわざと茶化してくる。
「ち、違うよ。」
「そうなの?電話とかしてあげてる?」
「ううん。だっていつもすごく疲れてる感じで、電話するのも悪いかなって…」
「優しい言葉の1つもかけてあげなよ。喜ぶから。」
「う、うんそうだね。」
って、何か…
大ちゃんの話を出して上手くはぐらかされてしまった。
大ちゃんか…
電話は気を使うし他の気楽な方法ないかな?
あ!そうだ!
私はメモ用紙に大ちゃん宛にメッセージを書き折りたたんだ物を大ちゃんのロッカーの扉にマグネットで留めた。
内容は大ちゃんの研修&応援期間が終わったらまたいつもの4人で食事に行こうということと、「頑張ってね!」
という応援メッセージだった。
後日、その手紙を見た大ちゃんから電話があった。
「何か手紙ってもらう事ないからこういうのいいね。」
と嬉しそうな大ちゃんに
「ユータンとの食事会の事も決めたいしまた書くね。」
と返事をし、約束通り大ちゃんが研修を終了するまで何通か「手紙」を書いた。
後に大ちゃんが私に
「あの時もらった手紙は大事にとってあるんだ。」
と言った事があった。
嬉しいというよりも気恥ずかしかった私は、
「やだもう!恥ずかしいから捨ててよ!」
と何回も言ってしまった。
あの時、何で素直に喜べなかったのか…
何故捨てろと言ってしまったのか…
今でもその事を少し後悔している。
ユータンが辞める日が近づき、辞めてからしばらくはなかなか時間が取れないというユータンの都合で職場全体の送別会は少し早めに行われた。
私達4人の送別会はなんとかユータンの最終日に予定を組むことが出来たため、その日休みだった私とユッキーは早番だったユータンと3人で早めの時間から呑み始め中番の大ちゃんを待つ事にした。
今日はいつもよりも更に楽しく盛り上がって過ごそう。
ユッキーと私の共通した思いがユータンにも伝わったのか、ユータンも終始ニコニコと楽しい話題をふってくれ、私達3人は本当に楽しいひと時を過ごした。
これで後は大ちゃんが合流すれば…
ユータンは本当に大ちゃんの事を弟の様に可愛がっている。
その可愛がりというか愛し具合は溺愛に近いもので、ある意味ではユッキーより愛されていたのではないかと本気で思わせた。
「お疲れ様。」
お待ちかねの大ちゃんがようやくやってきたがあからさまに機嫌の悪そうな顔をしている。
「どうしたの?
顔色少し悪いよ?」
ユッキーの言葉に、
「うん。
昨日深夜までテレビ視てたし、酒も呑みすぎたし。」
大ちゃんが少し照れた様にユッキーに答えるのを聞いて、
「大ちゃん、今日は黙々と仕事してたから疲れてるのかな?心配してたよ。
大丈夫か?」
ユータンも心配そうに大ちゃんの顔を見る。
私は3人のやり取りを見て少しモヤモヤしていた。
なんで、今日はユータンの送別会だって分かりきってるのに前日に夜更かしや深酒するかな…
別に夜更かしも深酒も自由だが、主役に気を使わせるほど体調不良になるなんて私からしたら信じられない。
「とりあえず大ちゃんも何か注文しなよ!
お腹すいたでしょ?」
ユッキーが優しく大ちゃんにメニューを手渡そうとしたが、
「あ~ごめん。
胃の調子が悪いのか食欲ないんだよね。
残り物を適当につつくから大丈夫。」
大ちゃんは少し素っ気なく断り、
自分でウーロン茶を注文すると他には何も手をつけずウーロン茶のみを飲み続けた。
私達3人が楽しく談笑している横で大ちゃんはずっと黙々と不機嫌そうにウーロン茶を飲んでいたが、遂には壁にもたれて俯くと目を閉じてしまった。
え?
「大丈夫か?大ちゃん。」
ユータンが優しく聞く。
「すみません。」
大ちゃんはそう言いながらも顔を上げようとしない。
仕方ないので3人で最後まで話したが、帰りのタクシーの中でも「大ちゃんの具合」は全く良くならず、俯きながら時折肩や首の後ろを触る。
「どうしたの?痛いの?」
思わず触ろうとした私の手を、
「やめて!」
と大ちゃんが払い除けた。
「えっ?!なに?」
大ちゃんは返事もせずにまた俯く。
それまでモヤモヤとしていた思いが怒りへと変わった。
せっかくのユータンの送別会に自分勝手に体調崩してやって来て、ずっと雰囲気悪くした挙句に八つ当たり?!
ユータン今日で最後なんだよ。
辛いのは自業自得でしょ?
笑って楽しく見送れないの?
ユータンがあんなにいつも大ちゃんの事を気にかけて可愛がってくれたのに
そのお返しがこれなの?!
大ちゃんのせいで何もかもぶち壊しだよ。
私は喉元まで出かけた言葉を何とかぐっと飲み込んだ。
幸い助手席に座って運転手さんと話してしたユータンには私達のやり取りは聞こえていないようだ。
ここでつまらない喧嘩をしてユータンに気を使わせてはいけない。
私の服の裾が軽く引っ張られた。
そちらを見るとユッキーが優しい目で私を見ながら軽く頷く。
私は小さく深呼吸をして気持ちを整えたが、大ちゃんに対する不満はいつまでも消えることはなかった。
いつまでも消えることはなかった…
いや。
違う。
正確にはやっと、やっと分かったよ。
大ちゃん。
あの日の前日、本当は悲しくて寂しくて眠れなかったんだよね?
顔を見たら声を聞いたら寂しい思いが募るから黙々と仕事に打ち込んで、
送別会には参加したものの、泣きたくなって、でも泣いたらユータンに気を使わせるからと我慢してじっと耐えて。
馬鹿だな。
そんな痩せ我慢なんて誤解を生むだけで何の得にもならないよ?
寂しかったら寂しいって言えばいいんだよ。
泣きたいなら泣いていいんだよ。
でもそうなんだよね。
本当は繊細で寂しがり屋で泣き虫で、
誰よりも愛情に飢えてて深い情を持つ大ちゃん。
それらを全部「強がりのバリア」で包んで。
でも不器用だからそれが「感じ悪い態度」にしか見えなくて。
そんなんじゃ人生損するよ?
ああ。
だから君には敵が多かったね。
でも、
君の味方はとことん君を好きだよね。
君が後に「強いカリスマ性」を持つと言われて、激しく恐れられたり慕われたりしていたのはそういう所から来てるんだねきっと。
でも君はきっとそういうややこしい事を望んでいるんじゃない、
君はただ、そんな不器用な自分を受け入れてもらいたいだけ。
優しく包み込んでもらいたいだけ。
あの時わかってあげられなくてごめんね。
まだ10代だった君を包んであげられなくてごめんなさい。
「あっ!」
2月に入りバレンタインデーも近づいて来た頃、
いつもの様に出勤して、髪をシュシュでまとめた私は自分の耳を見て「しまった!」と思った。
昨日大ちゃんとデートしたので、付けていったブルームーンストーンのピアスを外すのを忘れていた。
職場はアクセサリー類は一切禁止だ。
朝、鏡を見てメイクまでしたのに…
髪が耳を隠していたので気づかなかった…
「外さなきゃ。
でも失くしたら嫌だなぁ。」
憂鬱な気分になりながらもピアスを外し、事務所の机に放置されていた小さな袋に入れるとカバンの内ポケットにそっと入れた。
仕事が終わり、ピアスの安否確認をしようとした私はピアスを入れていた袋を手に持ったまま凍りついた。
袋が破れてる…
袋の側面にスッと亀裂が入っておりピアスはその隙間からこぼれてしまったらしかった。
慌ててカバンの中身を全部出しカバンをひっくり返して探す。
片方はすぐに見つかったが何故かもう片方はどんなに探しても出てこなかった。
どうしよう。
大ちゃんが一生懸命選んでくれたプレゼントだったのに。
特別なものだったのに。
大ちゃんに、ピアスを失くしたとはとても言えなかった私は、翌日の休みの日に姑息にも同じ物を購入しようとそのピアスのブランドのお店に行った。
「申し訳ありません。
こちらは限定品でしたので、当店では完売致しております。」
ショップの店員さんが丁寧に頭を下げて謝ってくれる姿を私は呆然と眺めていた。
「他に!他に店舗はありませんか?」
「はい。この近辺ですと私〇〇店と✕✕店がございます。」
店員さんが丁寧にそのショップの最寄り駅まで教えてくれた。
「ありがとうございます!」
お礼を言うとすぐにその2店のショップに向かった。
が、結果はどこも同じだった。
どうしよう…
散々悩んだが、考えてみれば大ちゃんを騙す事はやはり良くない。
大ちゃんに謝ることにした私は
その夜、会った大ちゃんに、
「せっかくくれた大切なピアスを失くしてしまいました。
ごめんなさい…」
頭を下げた。
どうしよう。
どうしよう。
絶対ガッカリされるよね。
大ちゃんは短気ですぐにムッとした顔をする事が多く、その顔を見るのは嫌だったのだが、ガッカリした顔を見るのはもっと嫌だった。
大ちゃんは私の話を聞き終えると、
「なんだ~そんな事だったのか。」
とホッとした様に笑った。
「えっ?…怒らないの?」
「ん?なんで?」
「だって…
あれ高いのに無理して買ってくれたでしょ?なのに…」
「あのさ、形あるものはいつか壊れるんだよ。
失くなる事もあるでしょ。
だからいいの!」
「でも…」
「いいって!いいって!
すごく深刻な顔をしてたから大変な事があったのかと心配したよ。
そんな小さな事なんか忘れて!
ほら~笑って笑って!」
大ちゃんは私の両頬をつまんで軽くグ二ーっと引っ張った。
「ごめんね…」
「だからもう謝らない!
この話は終わり。
あ、そういえば山田さんとまた会いたいな。
ユッキーに伝言頼んどいてよ。」
大ちゃんはわざと他の話題をふってきた。
「うん。わかった。
大ちゃんの誘いならユータンすぐに都合つけるんじゃないの?」
私も笑いながら返し、
ピアスの話はこれで終わりになった。
2月14日。
バレンタインデー。
「ほらこれ!」
大ちゃんが綺麗なリボンの付いた箱を私に渡す。
開けてみると小さな宝石のピアス。
ブルームーンストーン。
それは…
それは私が失くしたピアスと同じデザインの物だった。
「これ?!
どうしたの?!」
「えっ?
え~と、ミューズがピアスを失くしてすごく気にしてたから…
たまたま近くのそのブランドの店に行ってみたらたまたま同じのかあったんで…」
「なんで?…なんで?…」
「えっ、いや、その…
ほらバレンタインデーだしプレゼントにちょうどいいかなって。」
「違う。違うよ…」
「あっ、プレゼントはホワイトデーだったな。ハハッ。」
照れ笑いをする大ちゃんの腕を私は軽く掴んだ。
「私…ごめんなさい…
本当はあの時、代わりのピアス買おうとして探し回ったんだよ…
でも限定品だからどこも売り切れてて…
だから…近くにたまたまあるなんて…
絶対にありえ…ない…」
切れ切れの私の言葉に大ちゃんは観念した様に笑うと、
「ごめん。
実はかなり遠くまで行って探し回った。
でも見つけたから良かった。
もうこれでミューズは何も気にしなくていいよ。」
と優しく言った。
胸がいっぱいになり苦しくなる。
何と言ったらいいのか苦しくて言葉が上手く出てこない。
「…なんで?
なんでそこまでしてくれるの?」
「なんでって言われても…
あの時ミューズが落ち込んで少し泣きかけてたから。
だから泣いて欲しくなくて…うおっ!」
大ちゃんは途中で言葉を切った。
自分があげたピアスのために私が泣くのを見るのが嫌だから。
自分の事が原因で私を泣かせたくないから。
なのに、
今、目の前で
「.自分のせいでミューズが号泣している」姿を目の当たりにした大ちゃんは少なからず狼狽えた。
「ミューズ?ミューズ?どうした?ミューズ?」
慌てる大ちゃんの腕を掴んだまま、
「.ありがとう。
ありがとう。
大ちゃん…」
と、私はしばらく泣いた。
大ちゃんはもう何も言わず、そんな私の頭をずっと撫で続けてくれた。
2月も終わりを迎える頃、
「何とか落ち着いたからみんなでまた会おうよ。」
と、ユッキーを通じてユータンから連絡があった。
じゃあどこかユータンの希望のとこにでも行かなきゃね。
ユッキーにユータンが何処に行きたいか聞いてもらおうとすると、
「みんなと一緒ならどこでもいいってきっと言うよ。
だから私達で決めてから誘っていいよ。」
ユッキーが笑って言う。
その姿がもう恋人というより奥さんといった感じで2人の親密さをうかがわせた。
こんな感じいいなぁ。
もしかすると、
もう深い関係になっちゃったりしてるのかなぁ。
勝手に想像してみる。
私と大ちゃんは初めて知り合った期間も含めるともう1年近くにもなるのにまだ身体の関係は無かった。
過去に付き合った人達は長くて半年後、短くて3ヶ月後にはそういう関係になっていたので、1年はとても長い。
最長記録更新だな…
大ちゃんは私が何回かそういう関係を拒んでからはあからさまには誘って来なくなった。
それどころか、2人で車中やカラオケ等の二人きりの空間でまったりとしている時には決まった様に、
「こうやって2人で過ごしているだけでいいね。
イチャイチャしなくても楽しいね。」
と言った。
「男の本音」+「男の痩せ我慢」というものに全く疎かった私は、
「そうだよね。
下手に深い関係になったら破綻する日が近づくだけだしね。」
と、とんでもないことを言ってしまい、大ちゃんをますます「我慢」の世界に押し込めていた。
今思うと気の毒な事をしたものだ。
さて、ユータンとどこに行こうかと私達3人は相談し合ったがその場にいないユータンの事を弄ってみたりふざけてばかりでなかなか決まらない。
でもそんな時間が1番楽しかった。
大ちゃんやユッキーもきっとそう思っていてくれただろう。
他愛もない話で笑い合える事が1番楽しい事だとあの頃の丁度倍の年齢になった今本当にそう思う。
店長が研修や連休等で私と大ちゃんの連勤が続き、その加減で珍しく2人の休みが同じになった。
滅多にない事にウキウキして朝から遠出をする。
「この近くに日帰り温泉があるんだって!寄って行こうよ!」
私の言葉に大ちゃんが、
「いいけど。混浴じゃないでしょ?
別々に入っても面白くないよ。」
と笑って返してきた。
「一緒に入りたいの?」
「そりゃあね、背中ながして欲しいし。」
「え?お客さん、お背中流しましょうか?って感じで?」
「それそれ!ってかなんでお客さんお背中流しましょうか?になるのかわからないけど。」
大ちゃんが可笑しそうに笑う。
大ちゃんは整ったきつい顔立ちなので黙っていると怖い雰囲気だが、こうして笑うと無邪気さがよく出て、私は大ちゃんの笑顔が大好きだった。
大ちゃん。
好きだよ。
大ちゃんの笑顔を見ながら私はとうとう思い切って返事をした。
「いいよ。」
「えっ?」
「お背中流してもいいよ。」
「えっ?えっ?」
大ちゃんが戸惑うのを見た私は慌てて、
「いや、あの、嫌ならいいけど…」
「えっ?あっ!嫌じゃない!嫌じゃない!
えと、どこがいいのかな?
今から混浴できるお風呂探すの時間かかるし…
ミューズのとこは女性専用マンションだし…」
大ちゃんはそのまま黙り込んだ。
「あの…とりあえず適当な場所で…」
言ってはみたものの、だんだん恥ずかしくなってきてボソボソと提案する私の言葉に、
「そ、そうだね。
あの、ごめん。
適当な場所あったら入って…いい?」
大ちゃんが何故か申し訳なさそうに聞いてくる。
「あ、あ、うん。
えと…お風呂の湯加減も任せて下さいお客様。」
「お、おうっ、お客様はお湯加減には厳しいからな。」
もはや温泉旅館ごっこになっている。
「適当な場所」が見つかるまでの車内は気恥ずかしくて気恥ずかしくて、2人の「温泉旅館ごっこ」はずっと続いた。
田舎の国道を1時間くらい走った所に、ポツンと「適当な場所」が現れた。
見るからに古そうな建物で
正に文字通り「適当な場所」だったが、このままいくと気恥しさで決心が鈍りそうだった私は、
「あ…あそこでいいかな?ごめんね。ごめんね。」
とボロいラブホの存在をまるで自分の罪の様にやたら謝る「お客様」に
「だ、大丈夫です!」
とOKを出した。
駐車場に車を停めて、
「適当に部屋を選び」入る。
ドキドキドキドキ。
心臓破裂しそう。
今までは何となく相手に自然にそういう流れに持ってこられて相手任せだった私は、今までこんなに緊張したことは無かった。
とりあえずボスっとソファに座る。
と、お客様が突然抱きついてきた。
「あ、あ、お風呂、お風呂、」
緊張の中でも、そんなイチャイチャムードの中でも使命感を忘れない「旅館従業員」に、
「あ、そだった。みてきます。」
と、お客様が慌ててお風呂の方に行った。
しばらくして、戻って来るや否や、
「少し熱めに設定しておいたけどいいかな?」
とお客様。
「あ、うん。何か緊張して口の中がカラカラだよ。」
「あ、お茶入れるよ。」
と、お客様。
逆にもてなされている…
そうこうしているうちに、
「お風呂そろそろだから先にどうぞ?」
と、お客様。
「あ、うん。」
と入ったはいいが、
しまった。
バスタオルってどこにあるんだろう。
すると浴室の外から、
「あの、バスタオルここに置いとくんで…」
と、お客様。
立場が完全に逆転している…
私がお風呂から出ると、次に大ちゃんが入り、その後は互いに緊張を隠すように抱きしめあった。
体の相性ってあるんだよ。
どこかで聞いた言葉を思い出す。
本当に相性の良い相手っているんだな…
こんなこと思ってるの私だけかな?
そう思いながら横にいる大ちゃんの方を見ると、
「俺、本当にやばい…
離れられなくなる…」
と、大ちゃんが照れた様に笑った。
あ…お背中流すの忘れてた…
「久しぶり!」
ユータンがにこやかに手を挙げる。
「ユーターン!」
思わず駆け寄る私にユータンは、
「相変わらず元気そうだね。」
と優しい目を向けてくれたが、
「山田さん、仕事はどうなんすか?」
と大ちゃんが嬉しそうに声をかけると、
「おう!大ちゃんの方こそどう?
何か困った事はない?」
と直ぐにそちらに意識が行ってしまった。
やれやれ。
「山田さん営業やってるんですか?
営業なんてできるんですか?」
無邪気にわざと憎まれ口を叩く大ちゃん。
彼流の精一杯の甘え方だ。
「ああ、何とかね。
一応これでも上からは有望視されてるよ。」
そんな小憎らしい愛情表現の大ちゃんを可愛いヤンチャな弟を相手するかの様に、ユータンは以前と変わらないのんびりとした優しい口調で返す。
「この間には入れないな~」
笑いながらユッキーにそう言うと、
「ユータンね、ああ見えても意外とドライな性格してるのよ。
そのユータンが無条件に大ちゃんの事は可愛くて仕方ないみたい。」
ユッキーもふふっと笑いながらそう返してきた。
「なんでだろうね。」
私の問いに、
「もしかしたら大ちゃんが自分の事を本気で慕ってくれてるのが分かってるからかもしれないね。」
そう答えるユッキーの横で、
「山田さ~ん。
あまり近くに寄って来ないで下さいよ。
キモイっすよ。」
「いやあごめん。つい。」
……
あ、うん…
とりあえず聞こえなかった事にしておこう…
「大ちゃんはツンデレタイプだからねぇ。」
今のやり取りが聞こえていたらしいユッキーがほのぼのとした表情で2人を眺めながら呟く。
ツンデレ…
ツンデレっていうのは素っ気なくツンツンしたかと思えばデレデレもあるんだけど…
デレるのか?
あの大ちゃんがユータンにデレるのか?
「ほら!山田さん!いつまでもこんなとこで喋ってないで早くお店に行きましょ!
山田さんの好きそうな店を予約しときましたから。」
大ちゃんがニコニコとしながらユータンを軽く促した。
そういえば大ちゃんは口では憎たらしい事を言っていてもユータンと話す時はほぼ笑顔だ。
ああ、これが大ちゃんのデレなのかな?
「ほら何してるの!行くよ?」
大ちゃんが手招きをする。
「あ、待って!」
私達は先に立って歩く大ちゃんとユータンを慌てて追いかけた。
ユータンのために予約したお店は居酒屋とダイニングカフェの中間の様なお店で、ざっくり言えばおしゃれな雰囲気の居酒屋といった感じだった。
カクテルの種類も豊富でそのお店オリジナルのカクテルも何種類かあり、その1つ1つに「魅惑の〇〇パッション」
というような長い名前が付いている。
面白いのでとりあえずはそれぞれ自分のイメージに合う?名前のカクテルを頼んでみようという事になった。
「俺これね!」
大ちゃんが嬉しそうに選んだのは、
「✕✕の夜のダークネス」
とかいうような何だか中二病っぽい名前のカクテル。
「これどんなんだろ~」
の自分のイメージというより物珍しさでのユッキーさんセレクトは、
「オーバーザレインボウ」
ある名曲の曲名そのままパクリやないか~いな名前のカクテル。
海が好きな私は、
「カリブ海のフルーツシャワー」
的な名前のカクテルを注文する。
「ユータンはどうするの?」
ドリンクメニューを真剣にながめているユータンに促す様に聞くと、
「この小悪魔カシスベリーにする!」
と言い出した。
えっ?!
小悪魔なの?
小悪魔なのね?
小悪魔かよ?
3人がじーっとユータンを見つめると、
「何だよ~?小悪魔いいじゃない。
小悪魔な女の子に騙されてみたいな感じ?へへっ」
と、ユータンが1人でにやける。
うん。
小悪魔みたいな…じゃなくても貴方は十分騙されるタイプですからそこは大丈夫ですはい。
注文を済ませ少しするとユータンのポケベルが鳴った。
「あ~会社からだ。
ちょっと電話してくる。」
ユータンは席を立つと店の入口付近にある公衆電話に電話をかけに行った。
ユータンが席を立ってすぐに、
「お待たせしました。」
と、カクテルが運ばれてきた。
大ちゃんのダークネスはダークチェリーのリキュールをベースに炭酸水で割った物なのか?シャワシャワしてて何だか黒い。
私のカリブ海はグレープフルーツやライム等の柑橘類ベースの味で青い海を思わせる色だった。
ユッキーのレインボウは比重の異なるリキュールを交互に重ねて注いだ物で、グラスの中でくっきりと色の層が別れており、今で言うなら「インスタ映え」しそうな綺麗なカクテル。
で、ユータンの小悪魔は赤いドリンクの底に色んなベリー類が沈んでいる、女の子っぽいカクテルだった。
「これがユータンを騙す小悪魔かぁ。」
3人で小悪魔を覗き込む。
「ちょっと飲んでみよっと。」
ユッキーがいきなりごくごくと小悪魔を飲む。
「うん。カシスソーダだね。」
ユッキーの分析に、
「どれどれ。」
と大ちゃんも飲む。
「これがカシスソーダって言うのか。」
初めてのカシスソーダの味に頷きながらグラスを私にまわしてくる。
「あ~カシスソーダだね。」
私も飲んで納得した所で気がついた。
「ねぇ、残り半分くらいになっちゃったよ?いいのかな?」
私の言葉に大ちゃんがにやりと笑うと、
「じゃあ足しておこう。」
と、自分のダークネスをユータンのグラスに注いだ。
「ええっ?!」
驚く私に、
「小悪魔とダークネスだから相性はいいでしょ。」
と、大ちゃんが意味不明な理屈をこねる。
小悪魔にダークネスが加味されて悪女になってしまった…
「私も飲んだから返しておこうっと。」
ユッキーも自分のレインボウをものすごい勢いで混ぜてドクドクと悪女に注ぎ入れた。
わぁ。
「ミューズも飲んだから返さないとね。」
有無を言わさず大ちゃんが私のカリブ海も続けて投入。
「小悪魔」から
「カリブ海で虹を眺めながらくつろぐ悪女」に変貌を遂げ、
「爽やかなカリブ海」と言うよりは、「呪われた沼」みたいなおどろおどろしい色になってしまったそのカクテルは静かにコポコポと炭酸の泡を上げながら生贄の男が帰って来るのを待った。
「ごめん。ごめん。おまたせ。」
やっとユータンが戻ってきて、
「乾杯しようか。…多っ?!」
ユータンの小悪魔改め悪女は無計画に入れられた虹と、海と、闇のせいで溢れんばかりになっている。
「ごめん。グラス持てないからちょっと先にすするよ。」
全く謝る必要が無いのに謝りながらグラスに口をつけてすするユータン。
チラッと大ちゃんとユッキーの顔を見ると、2人とも笑いをこらえすぎて、大ちゃんは眉間にシワを寄せ厳つい表情に、ユッキーに至っては目があらぬ方向に泳いでいた。
この小悪魔どもめ。
と、突然ユータンが、
「うおっ!これ!」
と、声を出した。
「美味しい!」
えっ?
「これ見た目も深い赤で綺麗なんだけど、とにかく美味しいよ!」
「えっ?この沼色が綺麗?!
いやっ、ゴホゴホ、ごめっ、
とにかく、ちょっと飲ませて!」
ユータンの手から「悪女」を半ばひったくるようにして飲んでみた。
うわっ確かに美味しい…
カシスをベースに色んなフルーツの味が散りばめられていてとにかくトロピカル。
他の2人も、
「うっそ!」
「うまっ!」
と感嘆ひとしきり。
やはり、男性をハマらせる技に長けるのは悪女様、小悪魔ごときでは太刀打ち出来ないなと感じた至極の1杯で、
その後もあの味を求めてみるも、
「悪女カクテル」は2度ともう再現不可能な幻のレシピになってしまった。
おしゃれ居酒屋でたっぷり飲み食いを堪能した私達は、
「この後は軽くカラオケでも行こうか?」
となり、近くにあったカラオケ店に向かった。
「すみません。
混みあっておりまして1時間ほどお待ち頂かないといけないのですが…」
受付のお姉さんの言葉に、
う~ん。
1時間か、ここで待つには少し長いしどうしよう。
考え込んだ私の横から、
「あ、じゃあ1階のゲーセンで時間潰してきます。」
大ちゃんがテキパキと返事をした。
「ゲーセン?」
少し躊躇する私に、
「わあ!行こう!ゲーセンは高校生の時以来だよ。
ね?ミューズ!」
ユッキーが嬉しそうに私の手を取りエレベーターの方に誘導した。
「私、家がそういうのに厳しくて…実は…ゲーセンとかほとんど行ったことないんだけど…」
「ええっ?!ミューズどれだけお嬢様育ちなんだよ?!
まさかゲーセン行ったら不良扱い?!」
大ちゃんがわざと茶化した様に驚く。
「えっ…あ…うん…」
「えええっ?!」
驚く3人を目の前にして私は恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じていた。
ううっ、言わなきゃ良かった…
「よしっ!なら今日はミューズの不良デビューの日にしよう!
高校デビューじゃなくて25歳デビューだな!」
大ちゃんが大きな声で言うと、
「ブッハア!!」
ユータンが真っ赤な顔をして吹き出した。
バ、バカヤロー!
みっともなくて顔から火が出そうな「25歳デビュー人」を引き連れた一行はとにもかくにも意気揚々とゲーセンに乗り込んだ。
ビルの1階のフロアを全部使ったゲーセンは広かった。
今まで小さなゲームコーナーで遊んだ事はあったが本格的なゲーセンで遊ぶのは初めてで、ドキドキした私は設置してあるゲーム機等を珍しげに見て周った。
「ミューズこれやろ~」
ユッキーに呼ばれて目をやると、4人まで対戦可のレースのゲーム機のそれぞれのシートに既に大ちゃんとユータンが座り、
「もう1台空いてるから。」
とユッキーが私を空いているゲーム機のシートに座らせてくれた。
「えと、これどうやるのかな?」
「ここに簡単な操作方法書いてあるよ。」
ユッキーに言われて操作方法を読む。
「要は4人でカーレースするだけってこと。準備はいい?」
大ちゃんが笑いながら聞いてくる。
「えっ?えっ?えっ?」
焦る私の横から、
「そうだ!最下位は罰として次のカラオケ奢りって事で~」
ユータンがノリノリで提案してきた。
「ちょっとそれは可哀想だよ。
チーム戦にしよ?
ペアの順位の合計点で決めようよ。
1番上手そうな大ちゃんとミューズがペアでどう?」
と、ユッキーが提案してくれたが、
「え?でも…それだと大ちゃんが絶対1位取らないと負けちゃうよ?
私、たぶん最下位だし…」
と、プレッシャーでますます不安になる私に、
「大丈夫!お遊びだから。
それに俺が1位取ればいいんでしょ?」
と大ちゃんは軽く笑い、
「じゃあスタートしましょか?」
と他の2人に声をかけた。
ピッピッピッ
ポーン!
スタートの合図が鳴り響き、
ヴォォォー!
と各自スタートする。
うわっ
ハンドル操作が思うように上手くいかない。
痛いっ!壁に激突した。
本当に痛いはずは無いのに何故だか
「痛い」
とつい言ってしまう。
体制を整えモタモタと再スタート
走るうちに前をヨロヨロと走る車を追い抜かした。
「よし!ユッキー抜かしたね。」
大ちゃんが横目で私を見ながら教えてくれる。
「え?何でわかるの?」
「画面の上の方を見て?」
?
画面の上を見ると小さく全体のコースが出ており、そこにみんなの車の印がモソモソと動いていた。
その横に自分の現順位が大きく出ている。
あ、3位だ。
ちょっと嬉しくなったが喜んだのも束の間、
あれ?
呆気なくまた抜かれてしまい順位を表す数字が4になる。
う~っ。
もう他の順位を気にする余裕はない。
必死で画面を見つめハンドルを握る。
「はいっゴール~」
隣で大ちゃんの余裕の声。
「ええっ?!もうゴール?!」
焦る焦る。
「ミューズその調子、頑張れ頑張れ。」
大ちゃんに声をかけられながらやっとゴール。
「おめでとう。2位だよ。」
大ちゃんがハイタッチをしてきた。
「え?あれ?」
横を見ると、
「うわっ、よりにもよってミューズに
負けた~。
ミューズにだけは勝てると思ってたのに。」
と失礼なセリフを言いながらユータンが苦戦する横で、
「ちょっとユータン笑わさないで。
運転できない。」
とユッキーが笑いながら3位で入った。
悔しそうなユータンがやっとゴールしたのを見届けて、
「そろそろ時間なんで行きましょうか。」
大ちゃんがみんなに声をかけると、
「じゃあ、カラオケ代は俺出すよ。
本当はミューズが負けて、俺が出してやるよとカッコよく決めるつもりだったのに、くっそ、よりにもよってミューズに負けるとは。」
とユータンが悔しそうに言う。
おいおい、さっきから失礼が過ぎるぞ。
「じゃあ私も出すね。」
ユッキーが横からそう言い出したが、
「いやいいよ。
元々本当は俺が出すつもりだったから。」
ユータンがやんわり断る。
「何言ってるの?
私達はチームでしょ?」
ユッキーはユータンの肩を軽く叩き、
私達の方を見ると、
「さっカラオケ行こっ。」
と楽しそうに笑った。
「えっ?!1時間なんですか?!」
カラオケの受付でいきなり時間制限の事を聞かされ困惑した。
「はい。本当に申し訳ありません。
週末のこの時間帯は非常に混み合いますので、先程お伝えさせて頂いた様に1時間でお願いしていまして…」
んっ?
先程お伝え?
聞いて…ない…ぞ?
記憶の糸を必死で手繰り寄せる。
え~と
確か私は1時間待ちだと言われた後にすぐユッキーとエレベーターに向かってと…
で、そこに大ちゃんがくっついてきて…
すると残りは…
「あ、ごめん。言うの忘れてたヘヘッ」
やっぱり…
「もうっユータン!」
ユッキーが軽くユータンを叩く。
「いや1時間でちょうどいいよ。
ちょっと覗いてみたいとこあったし。」
大ちゃんがサクサクと受付を済ませて、早く行こう!と私達を促す。
1時間おしゃべりもせずに曲を入れまくり、それなりにガッツリ歌って満足した私達は大ちゃんの後に続いて1階に降りた。
「ここ。」
大ちゃんが指した場所は、
「えっ?さっきのゲーセンだよね?」
「うん。ミューズが25歳デビューした場所。」
それはもうええっちゅーねん!
軽く睨む私に構わず大ちゃんは嬉しそうにゲーセンに入る。
「さっき来た時に見つけてさ、この奥なんだけど。」
と、大ちゃんに案内されて奥に進むと、
「わあっ!」
ガラス張りのドアの向こうに幾つかの3on3のコートがあった。
ナイターの様にしっかり証明に照らされたコートは真昼の様に明るく、見ていると何だか胸が弾んでウキウキとしてきた。
「ちょっとやらない?」
と大ちゃんが聞いてくる。
3月の夜はまだかなり寒いが、3つあるうちの2つは既に他のグループが使っており、1つだけ辛うじて空いている状態だった。
「やろう!ほら!早くしないと他の人が入っちゃうよ!」
ユッキーの言葉が引き金となり、私達は慌ててそのコートの申し込みに行った。
「よしっ!じゃあ2対2に別れるか。
男と女でジャンケンね。」
大ちゃんが言い出す。
うっ。
嫌な予感…
ジャーンケーン
ポン!
また負けた…
そして…
「俺たち負け組みだな。ふふっ」
ユータンがニヤリと笑う。
「ちょっとユータン!負け過ぎでしょ!」
「そう言うミューズも負けてんじゃん。手の内読まれてるんじゃないの?」
うっ。
「そう言えば私はグーを出す癖があるかも…
ジャンケンの手で性格が出るって聞いたことあるけど当たってるのかな?」
ボソボソ言う私に、
「ほら~やっぱりね!
グーを出すとかって何か頑固者ってイメージあるよね。
その点、俺はパー派だから。」
ユータンが勝ち誇った様に言う。
……
それも手の内読まれとるがな…
しかも、パー派ってなに?
そんなマヌケな響きの派に属する事に何の恥ずかしさもないのか君は。
私達が早くも仲間割れ?しかけているのをよそに、横では大ちゃんとユッキーがドリブルやシュートを決めたりしていた。
うっっ。
2人とも上手く…ないか?!
「ちょ、ちょっとユータン!
ユッキーってあんなにバスケ上手いの?」
「うん?ユッキーは運動神経いいよ。
見た目が女らしくて大人しそうだから運動苦手と思われる事が多いらしいけどね。」
うん。
正にそう思ってたよ…
ダメだ。
事実を知ったらますます不利になってしまった。
「どうするの?
私達ド下手ペアなのに恥ずかしいよ。」
「ド下手言うな。
せめて下手っぴと言え。」
……
あまり変わりませんがな…
「そろそろ始めましょか?
4人しかいないしルールは無用で、とりあえず先に得点を入れた方が勝ちって事で。」
大ちゃんの声がかかる。
「ミューズ。」
ユータンが低く私に囁いた。
「なるべく俺に合わせろ。
俺は…ドリブルが上手い。」
そう言うとユータンは颯爽と先攻後攻を決めるジャンケンの場に赴いた。
ジャーンケーン
「ああっ!負けた~」
ユータンが悔しそうに呻く。
だからさあ…パーばっかり出すんじゃねえよ…
「よしっ!ユッキー、俺たち先攻で行こう!」
「よしっ頑張ろ~!」
先攻チームの2人が張り切る。
ズキン。
2人の笑い合う姿を見て、
胸が少し痛んだ。
仲…いいんだな…
あれ?これって…ヤキモチかな…
私は苦笑した。
ユータンはあの2人を見てどう思っているのだろう…
ユータンにチラッと視線を向けると、
「よしっわかったっ!いけっ!
大ちゃん止めて来いっっ!!」
とユータンが叫んだ。
ええええええっ?!
「いやっ、そういう意味で見たんじゃ…」
「早く俺にボールを回せ、自慢のドリブルができない!」
あ、はい、はい。
慌てて大ちゃんに近づくと、大ちゃんの顔が既に爆笑している。
「笑っちゃうから~そういうのやめて。」
こっちだって止めたいよ。
でもそのお陰か大ちゃんの気が緩んだ。
今だっ!
バシッ!!
ボールをカットする。
成功!
転がったボールを急いで拾うと、
「ユータン!」
と叫びユータンにパスをする。
「よっしゃ!」
ユータンがドリブルをしながらゴールに近づく。
うわっ、すっごく上手だ。
「ミューズ!」
ユータンが叫ぶ。
了解!
急いでゴール下に走り、ユータンからパスされたボールをシュート!
入れっ。
ガコン!
は、入ったあ~!
「やったあっ!」
「よっしゃ!」
こんなの初めて。
球技大会ではチームの足を引っ張らないようにする事が精一杯だった私が。
普通の人なら大した事でもない事なのだろうが、私はとにかく嬉しくて仕方がなかった。
そんな私と一緒に大喜びしてくれたユータンとハイタッチをしながら気づく。
あれ?
そういえば誰にも邪魔されてないような。
ふと振り返ると、大ちゃんとユッキーがコートに座り込んで笑い転げていた。
え?なに?え?なに?
呆然とする私に向かって、
「ミューズ、ボールと一緒に俺の手も思いっきり叩いてるし、山田さんはボール持ったまま歩いちゃってるし。」
「で、ファールだよ~って声をかけたんだけど、2人で勝手に盛り上がってシュートまで決めちゃうし。」
大ちゃんとユッキーが口々に言う。
えええっ。
困ってユータンを見るとユータンはニヤニヤしている。
さては気づいてたな…
私だけ必死になってて恥ずかしいじゃないの!
「あ~可笑しい。
本当に2人とも好きだわ。」
ユッキーの言葉に大ちゃんはうんと頷くと、
「さっ、メンバー代えてもう1戦やりましょか。」
と、立ち上がった。
え?
私と大ちゃんが組むの?
性格が真逆同士なのにチームプレイできるのかな?
でもそんな私の不安は杞憂に終わった。
嘘っ?!やりやすい。
ドリブルの下手な私が行き詰まると、パスをもらってくれる。
なるべく私にシュートを打たせてくれようとする。
私を自由に動かせて極力フォローにまわってくれている。
ユッキーとユータンペアの方は?
うん。
何がそんなに面白いのか?と聞きたくなるほど爆笑し合ってて、
ものすごく楽しそうだ。
「あはは、楽しい!」
と大ちゃんが笑う。
「笑い過ぎてお腹痛い。
動くの辛いよ。」
とユッキーが笑う。
うん。
楽しいね。
楽しいね。
性格が違う者同士だから役割も別々で補い合うこともできるのかな。
「あっ…」
ユッキーが大ちゃんにボールをカットされ、大ちゃんがそのままゴール下に向かう。
すかさずユータンがガードする。
来るっ。
大ちゃんが辛うじて出したパスを受け取りシュートをしようとするが、
ユッキーのガード。
大ちゃんっ。
実際に声をかけたわけでもないのに、
苦し紛れに出した私のパスを
察知したかの様に上手く拾い、
大ちゃんが
シュートした。
「じゃあまたね。お疲れ様~。」
タクシー乗り場で
ユータンとユッキーがタクシーに乗り込み私達に手を振った。
次のタクシーはまだ来ていない。
「タクシーで帰るでしょ?
もう少し待ってたら来ると思うよ。」
と、声をかけた私の手を大ちゃんがそっと握ってきた。
「あの…ミューズ…
明日は中番だったよね?」
「あ、うん。」
「俺は遅番。
で…良かったら…泊まらない?」
「え?あ、うん。」
私の返事に、
「あ、あ、良かった。
えと、じゃ、い、行こうか。」
と、妙に緊張した様な声を出した大ちゃんは、手を繋いだまま駅前繁華街の方へ歩き出した。
繁華街を横道に入るとラブホ街がある。
そのうちの1軒に入り、可愛い内装の部屋を選んで入った。
「ミューズ…」
部屋に入るなり大ちゃんが抱きしめてきた。
「んっ?」
なに?と聞きかけた私の唇が塞がれる。
大ちゃんは深くキスをしながら私のスプリングコートのボタンを外し脱がせた。
そうして、
そのまま私のカットソーの中に手を入れて、
「あったかい…」
と愛おしそうに呟きながらゆっくり手を動かした。
「あっ、はぁ…」
恥ずかしいから声を出したくないのに、どうしても声が漏れる。
「んっ?」
満足気に「どうしたの?」
といった感じで大ちゃんが返してくる。
大ちゃんとこうしているとすぐに頭がボーッとしてきて体が痺れた様な感覚に陥る。
そんな私の表情を見ながら、
「お風呂入る?
用意してくるね。」
と、大ちゃんが優しく囁いた。
大ちゃんが離れて少しの間、私はソファに座りボーッとしていた。
はぁ。
何でいつもこんなにボーッとしちゃうんだろう…
何かこのままボーッと座ってるのも落ち着かないな。
ふと見るとテレビのリモコンがある。
何気なくつけた途端、
「はあっ、あん、あん、あん、」
いきなりテレビが大音量で喘ぎ出し、
慌ててチャンネルを変えるも、
さっきの場面がちょっと気になった。
男性と違って、こういう所に来ない限りはなかなか視る機会が無いので、滅多に無いチャンスと言えばチャンスだ。
視たいな。
そうっと浴室の様子を伺う。
浴室からはお風呂掃除をしているらしい水の音が聞こえてくる。
まだ…戻って来ないかな?
テレビがこ難しい世界情勢のニュースを語っている間、しばらく悩んで再びまたチャンネルを変える。
テレビがまた悩ましい喘ぎ声を出した瞬間に、
「お風呂なかなか溜まりそうに無いからシャワーにする?」
と、いきなり大ちゃんが戻ってきた。
??!!
人はあまりにも恥ずかしい出来事に直面すると記憶が飛ぶ。
その後、どうやってお風呂に入ったのかを全く覚えていないが、大ちゃんは何事も無かったかのように優しくしてくれた。
「明日仕事だしもう寝ようか。」
大ちゃんが腕枕をしてくれようとしたが、
「ごめんね、枕が変わると寝られなくて…」
と断り、備え付けの枕もどけて寝た。
「枕が変わると寝られないって…ププッ
俺の腕も枕かよ…」
大ちゃんは可笑しそうに笑っていたが、程なくしてスグにスースーと寝息を立て始めた。
もう寝たのか。
私など、大ちゃんとの初めてのお泊まりで目がギンギンして全く寝られそうな気配がない。
その上、風邪の治りかけで鼻水の症状だけが残り、横になると鼻がつまってくる。
さらに枕をしていない分、余計に鼻が詰まってくるようだった。
あ~苦し。
暗闇の中、時々起き出して鼻をふんふんとかむ。
はぁ、寝苦しい…
何度かゴロゴロしているうちに、
鼻水がどくどくと流れ出してきた。
げげっ、ティッシュ!ティッシュ!
慌てて飛び起き、ティッシュを取り出そうとしている所に、
「寝られないの?」
と、大ちゃんが目を覚ました。
「あ、ごめんなさい。ちょっと風邪が治りきってなくて…」
「え?そうなの?じゃあ何か着ないと。ホテルの備え付けのパジャマ持ってくるよ。」
と、大ちゃんが部屋の明かりをつけた途端、
「うおっっ!!」
と叫んだ。
「え?!なに?なに?」
ビビる私をよそに大ちゃんの視線はベッドのシーツに注がれている。
えっ?
私もシーツに目を落とすと、
シーツが血まみれになっている。
「キャーっ!」
思わず手に持ったティッシュで口元を抑えようとしてふとティッシュを見ると、ティッシュも血で真っ赤に染まっていた。
わわっ!
なに?なに?なに?
何が起こったか分からずに驚く私に大ちゃんは静かに言った。
「ミューズ。
鼻血出てるよ。」
えっ?
鼻血なの?
私の鼻血のせいなの?
まるで殺人現場の様になってしまったシーツを見て私は狼狽えた。
「ど、どうしよう。
シーツ汚しちゃった。洗わなきゃ。」
焦る私に、
「とにかく顔を洗っておいで。
ホラーだから。」
大ちゃんにそう促され洗面所に行く。
鏡を見ると、顔面血まみれで血が胸の辺りまで垂れている。
ホ、ホラー過ぎる。
洗面所ではラチが明かないのでシャワーを浴びて殺人鬼の様な顔や体を洗う。
浴室を出ると、
シャーッ
洗面所で大ちゃんがシーツの汚れた部分を洗ってくれていた。
「ご、ごめんなさい。」
「いいよ。いいよ。それより何か着なよ。」
大ちゃんに優しく言われ慌ててパジャマを着るも鼻血はまだ出ている。
「鼻にティッシュ詰めた方がいいよ?」
と大ちゃんに言われ渋々詰めるも、それを見た大ちゃんの顔は完全に笑っていた。
もうやだ泣きそう。
私がモタモタとその様な事をしている間に、大ちゃんは手早くシーツを洗い濡れている部分をドライヤーで乾かした。
「さっ、これでもう大丈夫!」
大ちゃんがササッとシーツを敷いてくれる。
「あの、ごめんね…」
「いいよ。エロいビデオ見てエロい事したからきっと興奮したんだよ。」
えっ?!
違う~!
鼻水で鼻の中が荒れてるとこに鼻を何回もかんだからだよ~
私の言い訳にも大ちゃんはうんうんわかってるからという風に頷いて、
「さっ寝ようか。」
と明かりを消した。
大ちゃんの寝息を聞きながら私は全く眠れなかった。
ううっ。
絶対もうダメだ。
エッチなビデオ視てるとこ見られて、鼻血出して、シーツ洗わせて、鼻からティッシュぶら下げてる顔見られて…
しかも鼻血の原因がエッチな事で興奮したからだと思われてるし…
確実に…フラれるな。
はあっ、
フラれる理由が「興奮して鼻血」なんて恥ずかしすぎる。
モヤモヤと頭の中に大ちゃんにフラれた理由をユッキーに話す自分の姿が浮かんだ。
「えっ?!どうして?
別れた原因ってなんなの?!」
「うん…
鼻血ブー…」
だあああっ!
嫌すぎる~!
情けなくて悲しくて明け方まで1人もがいていたが、
少しウトウトし目覚めると
鼻血はいつの間にか止まっていた。
「じゃ、また後で。」
電車を降りようとした私に大ちゃんがそう言って軽く手をふった。
「うん。」
私も軽く手を振り返し電車を見送った後、自宅マンションへと急いだ。
どうやらフラれる気配は無さそうだ。
ふ~っ。
良かった~。
ホッとしながらシャワーを浴び着替える。
おっと、もうこんな時間、早く行かなきゃ。
トーストとコーヒーの簡単な朝食を済ませた私は、慌てて自転車に乗ると職場に向かった。
「おはようございます。」
事務所に顔を出し、店長に挨拶をすると、
「おはようございます。
田村さん、いきなりだけど4月に僕の人事異動が決まりまして…」
と、店長が言い出した。
えっ。
聞くと店長もユータンの場合と同じ様に他県に配属される話が来たらしく、3月の末からは会社が用意した住居に引越しをする予定との事だった。
「随分、急すぎませんか?」
「そうだね、まあうちの会社のやる事なんてそんなもんだよ。」
店長は少し笑うと、
「そんなわけで、あと半月ほどの間に色々と準備などをしなければいけなくて、他の社員達にも色々と迷惑がかかるかもしれない。
特に神谷君には負担をかけるだろうからなるべく助けになってあげて欲しい。」
「はい、わかりました。
森崎さんと力を合わせて頑張ります。」
「森崎さんか…」
店長のその言葉がどことなく悲しげに聞こえたのを私は聞き流せなかった。
「森崎さんが…何か?」
「ああ、いや、森崎さんとも会えなくなるんだなって思って…」
店長のその表情は人の心に鈍感な私でさえ、完全に把握できるほどありありと店長の心情を物語っていた。
「あの…店長…」
言いかけた私の後ろで、
「お客さんが多くて忙しい時に、社員が2人揃って何をおしゃべりしてるのよ!!」
と、沖さんのイライラした声がした。
「あっ、すみません。」
慌てる私に、
「田村さん、とっくに出勤の時間過ぎてるでしょ?
着替えもしないで何をやってるの!」
沖さんのお叱りの声が飛ぶ。
「す、すみません!」
慌てて着替えに走り、そのまま店内に入った。
大ちゃんが出勤するお昼頃には忙しさも一段落し、ホッと一息つきながら倉庫作業にまわった私の所に休憩中の店長が近づいてきた。
「さっきはすみません。
沖さんには僕が田村さんを引き止めたからとちゃんと話したから。」
「あ、いえいえ、それよりも、あの…店長…今日良ければ夕飯でもご一緒にいかがですか?」
店長へ誘いの言葉をかけた途端、
あっ。
大ちゃんが倉庫に入って来るのが見えた。
大ちゃんは私達を一瞥したかと思うとすぐにふいっと倉庫を出ていった。
ん?
何しに来たんだ?
「僕は大丈夫だけど。急にいいの?ごめんね。」
出ていく大ちゃんを目で追っていた私に店長が遠慮がちに声をかけてきた。
「あっはい。
ここでは色々と話も出来ませんから。
落ち着いてゆっくり話したいですし。」
私の言葉に店長はニッコリと笑うと、
「僕ね、こういう言い方をしたら失礼だとは思うけど、ずっと田村さんの事をお姉さんの様に思ってしまっていた所があってね、
田村さんにはつい何でも話してしまいたくなるっていうか…」
と、照れくさそうに言った。
「私は店長より2歳上のお姉さんですからね、話して楽になる事は話して下さい。」
私の言葉に、
「ありがとう。
では〇〇でどうですか?」
と、職場から歩いて10分ほどの所にある小洒落たカフェの名前を出した。
「わかりました。
では仕事が終わり次第すぐに行きますね。」
私の言葉に店長は軽く頭を下げると休憩室に戻っていった。
店長が出ていって少しすると入れ替わりに大ちゃんが倉庫に入ってきて作業を始めた。
顔が何だかムスッとしている。
「昨日はありがとう。
疲れてない?」
と、優しく聞いても、
「大丈夫です。」
と素っ気ない。
うげっ、やっぱり昨日のこと思い出して気を悪くしてるのかな?
「あの…昨日は迷惑かけてごめんね?」
「なんの事ですか?
別に迷惑な事なんてされてませんけど。」
さ、左様でございますか…
「な、なら良かった。」
シーン…
うっ気まずい。
黙々と作業を続けるうちに、
「休憩お先でした。
田村さん休憩に行ってね。」
と、店長が倉庫に顔を出しすぐに店内に戻って行ったので、
「あ、じゃあ休憩行って来るね。」
と、倉庫を出ようとした私に、
「今日……」
と大ちゃんがボソッと聞いてきた。
「え?なに?」
聞き返した私に、
「だから今日は会わないの?」
と、大ちゃんが少しイラついた様に聞いてきた。
「あ~ごめんね。
今日は…」
私が言いかけると、
「わかりました。
休憩に行って来て下さいね。」
と、大ちゃんはプイっと先に倉庫を出ていってしまった。
へっ?
なんなんだ?一体。
何をそんなに不機嫌になっているのか本気でわからなかった。
これはまた夜にでも妹の優衣に聞いみよう。
もうそれからは大ちゃんは私に関わって来ようとしなかったのでそれが気になりつつも、私は仕事が終わると急いでそのまま店長の待つカフェに向かった。
カフェに入ると、店長は奥の窓際に座って軽く頬杖をついて窓の外を眺めていたが、私が近づくと気配を察したのかこちらを向いて軽く頭を下げた。
「お待たせしました。」
「いえいえ、それより僕の方こそ田村さんに気を使わせてしまってごめんなさい。」
「大丈夫ですよ。
なんと言ったらいいのか…
いつも店長ってあまり自分の気持ちとか話さない方じゃないですか。
だから…こう…ちょっと心配になったっていうか…」
言葉を必死で選びながらそう言う私に、
「えっ?僕の態度そんなに変だったかな?」
と、店長は苦笑しながらも、
「最近、疲れてるからかな?」
と、独り言の様に呟いた。
店長?
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
カフェの店員さんが水の入ったグラスを置きながら声をかけてきた。
「あっ!え~と、じゃあこのAセットで。」
私が慌てて答えると、
「僕も同じ物で。」
といつもの冷静な顔つきに戻った店長が静かに言った。
それからは何となく店長の話を聞くタイミングを逃してしまい、それからはお定まりの仕事の話や職場での人間関係の話になってしまう。
「僕の後に配属される店長は物静かだけど、仕事もできると評判だし何よりも穏やかな人柄だから、きっとアクの強い神谷君と上手くやっていけると思うよ。」
店長は大ちゃんの日頃の言動を思い出したのかクスクスと可笑しそうに笑った。
「神谷君ってやっぱり…なかなか我が強い…ですよね?」
恐る恐る聞く私に、
「ああ、彼は頑固で我が強いね。
好き嫌いも激しいし。
気に入らないとブロック長にすら噛みついちゃうしね。
実は僕も何回か噛まれたよ。」
と、店長が笑いながら答える。
うわっ、ダメじゃん。
狂犬か、あやつは。
聞きながら顔が引きつるのを必死でこらえる私に、
「でもね、彼は多分伸びるよ。
そういうオーラを持ってる。」
と店長は確信を持った様に言い切った。
「そうなんですか?」
「うん。ただ今の彼はまだまだダメだ。
だから良いフォロー役がいてくれる事が重要になる。
その点では、田村さんや森崎さんがいてくれて良かったよ。」
「森崎さん?」
「うん。
彼女はとても芯がしっかりしている。
感情的になる事もほとんどない。
頭の良いしっかりした人だよ。
神谷君の良い助けになってくれるだろう。
ただね…」
「お待たせ致しました~
Aセットでございます。」
またここで絶妙なタイミングでカフェの店員さん来る。
おい~~っ!
もしかして狙ってない?
またタイミングを逃してしまったか?と私はヒヤヒヤしながら店長の顔を見た。
「森崎さんは…」
私の心配をよそに店長は話の続きをしようとした。
「.はい。」
私は、続きを促すように返事をする。
「彼女はいつもニコニコとして周りへの気配りも完璧な人じゃないですか。」
うんうん。確かに。
「でもね、何と言うか…
僕の勝手な思い込みかもしれないけど、森崎さんはどことなく闇を抱えてそうな気がする…っていうか。」
「闇?!ですか?」
「あ、いや、闇っていうか悲しみというか…」
店長が慌てた様に否定する。
悲しみ?
なんだろう。
いつものユッキーからは想像できないけど、
でも言われてみればユッキーもあまり本音を出さないタイプかも。
「それで、ずっと僕は彼女の事が気になっていて…
それで…いつの間にか…何と言うか…」
店長が言いよどむ。
「そういうことありますよね。」
私が店長の言葉を先回りして言った。
「えっ?
あ~、はは、そうかな。そうなのかな。」
店長が少し気恥しそうに笑う。
その顔は店長と言うよりも、23歳の青年の顔そのものだ。
店長もこんな風に恋をしたりするんだ…
当たり前の事だけど「店長」という役職は店のトップになるわけで、そのせいか何となく勝手に「落ち着いた大人のイメージ」を持ってしまっていた。
そんな私の勝手なイメージを払拭する様に店長が話を更に続ける。
「ま、まあそれで僕が彼女にどうこうという話でもないんだけど…
その、はあ…
森崎さん健気だし、本当に可愛い…」
うっ。
だんだん店長のセリフがアイドルに憧れる中高生男子の様になってきたぞ?
「で、どう思う?」
心の中で少し焦りだした私に、
いきなり何の主語もなく店長が私に話を振ってきた。
「えっ?
どう、思う、ですか?」
返事に困る私に、
「いや、森崎さんは何か辛い事とか抱えていたりしていないのかな?」
と、店長が言う。
「いや~どうなんでしょう。
特に何も聞いたことはありませんけど…」
そう答えながらもふとユータンとの事が気になった。
あの2人、昨日も楽しそうに仲良くしていたな。
だから特に問題はないか。
それにユータンはユッキーといずれ結婚したいとまで言ってたしな。
と、するとユッキーの家庭環境?
いやあ、体調不良のユッキーを送っていった時に立派なお家に優しそうな御両親、
特にこちらも問題なさそうだけど?
「ごめん、ごめん、きっと僕の考え過ぎだね。
森崎さんの事が気になりすぎて勝手な想像してたみたいだ。」
考え込む私の顔を見て店長が慌てて訂正をしてきた。
店長。
そんなにユッキーの事が?
「あの…店長?
森崎さんにそのことを、店長の気持ちを伝えるんですか?」
かなり複雑な気持ちだった。
だって…
ユッキーはユータンの事を…
だが店長は静かに首を横にふり、
「いや、伝えない。
これからもずっと伝える気はないよ。」
ときっぱり言い切った。
「何故ですか?」
「僕が気持ちを伝えても森崎さんが困るだけの様な気がするから。
多分ね、そんな気がするから。」
「そうですか…」
頑張って気持ちを伝えましょうよ?
なんてとても言えなかった。
自分が相手を好きになったとしても、相手も自分を好きになってくれるとは限らない。
「そろそろ帰ろうか。
田村さんと話して何だかスッキリしたし。」
店長が伝票を持ち立ち上がった。
「今日はご馳走様でした。」
頭を下げる私に、
「ううん。僕こそ。
今日は本当にありがとう。」
店長は笑顔で軽く手を挙げて帰っていった。
人を好きになるのって難しいな…
店長の後ろ姿を見送り、
私はふとそう思った。
翌日、
「おはようございます。」
早番で入った私に、
「おはようございます…」
同じ早番の大ちゃんのまだ機嫌の悪そうな声。
あ、しまった。
優衣に対処方を聞くのをすっかり忘れていた。
やはり私に近寄って来ようとせず黙々と仕事をしている大ちゃんの姿を遠目で見つつ、
人を好きになるのって本当に難しい。
と、私はため息をついた。
「おはようございます!」
中番のユッキーが出勤してきた。
「おはようございます!
この前はちゃんと帰れた?」
大ちゃんがニコニコとしながらユッキーに話しかけに行く。
あれ?
機嫌良いな。
機嫌が直ったのかな?
ほっとしながら2人が楽しそうに談笑している所に近づくと、
スッ…
大ちゃんが無言でその場を離れた。
あれれ?
遅番の店長が出勤した時も同じだった。
私以外の人とはニコニコと話すが、私が近づくとムスッとした表情で逃げる。
私と話したくないのかな?
仕方がないので相手の希望通りに?その日はなるべく関わりを避けたが、仕事が終わる頃には大ちゃんの私に対する機嫌はますます悪くなった。
う~ん。
よく分からないが何だか面倒臭いタイプだな。
でもいつまでもこんな気まずい空気のままというのも耐え難いものがある。
ここはひとつ仲直りをしなくては。
帰り支度をしている大ちゃんの近くに寄っていき、
「ご飯食べに行こうか?」
と誘ってみた。
大ちゃんはチラリとこちらを見たきり何も言わない。
「いつもの所で待ち合わせね?」
と更に声をかけると、
「気分が乗らないから行かないかもしれませんよ?」
と大ちゃんが言う。
「まあそれならそれでいいよ。
私が行ったときに大ちゃんがいなければ帰るしね。」
と私は笑って先に店を出た。
あまり期待もしていなかったのだが、とりあえず家に帰って自転車を置き、歩いて駅まで向かう。
待ち合わせの場所にはちゃんと大ちゃんの車が停まっていた。
来てるよ、おい。
律儀な性格だなぁ。
こういう所は私にはないなと感心しながら車に近づいた。
「お待たせ!」
と助手席に座ったが、大ちゃんは車を発進させない。
ん?
不思議に思う私に、
「俺って面倒臭いでしょ?」
と大ちゃんがポソリと聞いてくる。
「うん。」
と即座に答えると、大ちゃんの顔色が心なしか青ざめた。
「面倒…臭い…んだ…」
大ちゃんがガックリしながら言う。
ええっ?!
自分で言い出したんじゃな~い。
焦る私に、
「でもミューズだって八方美人だよね!」
と大ちゃんがいきなり反撃をしてくる。
ぐはっ。
気にしている事を…
「私、そんなに八方美人に見える?」
「見える!昨日だって…」
昨日?
あああっ!
あーーーっ!
大ちゃんが不機嫌な理由がやっとわかった。
「だって店長がユッキーの事ですごく悩んでたみたいだし。
そんな話を職場とかでできないでしょ?」
「ユッキーの?
ユッキーがどうしたの?」
「あ~いや、まあ、ね、色々気になる事もあるんでしょ…」
曖昧に誤魔化したつもりだったが、逆に大ちゃんはそれで何となく察した様だった。
「ふ~ん。そうなんだ。」
大ちゃんはさして興味も無さそうに呟くと、
「今日はどうするの?
面倒臭い俺といてもつまらないでしょ?」
とか言い出した。
うっわ~
根に持ってるよ~
こ~ゆ~とこが面倒臭いんだけどな〜
と思いつつも、
「行くよ。行きたいもん。」
と答えると、
「なんで?」
と大ちゃん。
「なんでって…大好きな人とご飯食べに行きたいっていう事に理由あるの?」
カアアアア。
突然、大ちゃんの顔が真っ赤になった。
青くなったり赤くなったりまるで信号機の様な男だ…
「う、嘘ばっかり。」
「は?何でこんな事で嘘つく必要あるのかな?
思った事を言っちゃいけないの?」
「いや、あの、その、」
さっきまでの威勢はどこへやら。
大ちゃんがモジモジしだした。
何かよくわからないが…
勝った。
「何か変なこと言ってごめん。
お腹すいてる?
もし我慢できるなら良さそうな店を見つけたんだけど。」
さっきまでとはガラリと雰囲気の変わった大ちゃんがボソボソと聞いてくる。
「え?
わざわざ調べてくれたりしたのかな?
ありがとう!
行きたい!行きたい!」
私が喜んでそう言うと、
「不味かったらごめんね。」
車のエンジンをかけながら大ちゃんが答える。
「美味しいとか不味いとかじゃなくて、わざわざ調べてくれる気持ちがもう十分ご馳走だよ。」
私が心からそう言うと、
「ホント、ミューズは口が上手いからな~」
と、言いながらも大ちゃんは少しニヤッと笑うと「お店」に向かって車を走らせた。
「1時間くらいかかるよ?
大丈夫?」
大ちゃんが気を使って聞いてくれる。
「大丈夫!大丈夫!
着くまでゆっくり話せるし、それにお腹すかせた方がご馳走もより美味しいしね!」
と、バブル世代ど真ん中の私はウキウキと答え、
どんなオシャレなレストランかな~?
イタリアン?フレンチだったりして~!
と内心ドキドキと胸が高鳴っていた。
それから、大ちゃんの予告通り車はほぼ1時間ほど走り、
「ここなんだけど。」
と大ちゃんが駐車場に車を停めたその先には。
んっ?
こっ、ここは?!
ドーン!
これは一体、築何年なんだ?
思わず聞きたくなるほど、古くて小汚い…
いや失礼、
ものすごく歴史を感じさせる趣きのある建物がそびえ建っていた。
店の入口には、これまた長い歴史を思わせる黒ずんだ赤のれんにラーメンと書いてある。
「ちゅ、中華料理であったか…」
「いや、ラーメンだけど?」
私の呟きを聞いた大ちゃんが訝しげに答えてくる。
そ、そうでございましたな…
「いらっしゃいませ!!」
歴史のあるのれんをくぐり、店内に入った途端、
ズルッ!!
油でコーティングされてるのかと思うほど油ギッシュな床で滑りかけた。
おわっ?!
驚きつつも何とかカウンター席に座ると、テーブル、メニュー全てが油ぎっている。
こいつはすげぇや。
初めての強烈油体験に目を白黒させている私に、
「ここのラーメン本当に美味しいって有名だから!」
と、大ちゃんが嬉しそうに囁いてきた。
「ご注文は?」
「ラーメン2つ、1つは大盛りで!」
大ちゃんが嬉しそうに頼む。
カウンターの向こうの厨房にいるご主人らしきオジサンがムスッとした表情でラーメンを作っている。
こ、怖い…
油とオジサンに密かにビビっているうちに、
「お待たせしました。」
ラーメンが運ばれてきた。
うごっ?!
ラーメンの上には麺が見えない程の大量の背脂が乗っている。
ラーメンまで油ギッシュだよ、おい…
横で嬉しそうにラーメンを食べだした大ちゃんを横目で見つつ、思い切って1口食べてみた私は、
「美味しいっ!!」
と、思わず声を上げた。
「美味しい?ホント美味しいね!」
と、大ちゃんがまるで自分が作ったかの様に喜ぶ。
「うんうん、美味しい!
こんなに脂あるのに全然しつこくなくて醤油のスープが後引く感じで…」
と、食レポみたいな事を言いながら全部ぺろりとたいらげてしまった私に、
「美味しかった?」
と、強面のご主人がニッコリ笑ってくれた。
笑うと少しエクボが出来て、白い八重歯もチラリと見える。
うわっ、オジサン笑うと優しそうな可愛い顔になるんだな。
きっと大ちゃんと同じで見た目で損してるタイプなのかも。
急にオジサンに親近感が湧いてくる。
「ラーメン気に入ってくれたんならこれあげるよ。
期限は無いからまたおいで。」
と、そんな私にオジサンが優しい顔のままサービス券を2人分くれた。
「ありがとう。美味しかったです。
また来ます!」
喜んで立ち上がった私は、
ズルッ!
また滑った…
「ミューズがあんなに喜んでくれるとは来た甲斐があったな。」
帰りの車内で大ちゃんが嬉しそうに言う。
「うん。ありがとう。」
お礼を言いながら、私は大ちゃんと出会ってからの事を思い出していた。
花火のケーキ、水族館でのバカップル、ゲームセンター、バスケ、
私が経験した事のないことをいっぱい経験したよ。
ずっとずっとこれからも大ちゃんと色んな経験ができるかな?
楽しかった。
嬉しかった。
忙しくも楽しかった日々があっという間に過ぎ、
1994年初夏。
大ちゃんは20歳になった。
「ミューズと同じ20代になった!
もうオジサンだ~」
大ちゃんがわざと笑いながら言う。
ど~ゆ~意味だよ。
「オジサン、オバサンカップルになって良かったじゃない。」
わざと真顔で答える私に、
「そうだね~年寄りカップル…痛いっ!」
バチーン!
つい条件反射で背中を叩く。
「自分でも言ったくせに、
すぐ暴力ふるうんだから。
絶対背中に手の形ついたよ。」
ブツブツ文句を言いながらも大ちゃんは笑っている。
さてはドMか?こやつは。
でも年寄りカップルの言葉でふと私の頭にある思いが閃いた。
「ねえ、後40年したら大ちゃんも定年退職でしょ?
もしも、もしもね、私達がその時も一緒だったら贅沢旅行をしようよ。」
「贅沢旅行?」
「うん。
豪華な温泉旅館に泊まるの。
そこでご馳走食べて~。」
「ふ~ん。」
「あれ?嫌かな?」
「いや、いいけど。
贅沢旅行って言うより、ミューズの介護旅行になるのかと…痛~!!」
「叩くよ?」
「叩いてから言うなよ~。」
大ちゃんはわたしに叩かれた腕をさすりながら文句を言っていたが、
「ずっとその時まで一緒って事はさ、結婚とかってことかな?」
と言い出した。
「えっ?
そこまで考えてなかったけど…」
私は咄嗟に嘘をついた。
「な~んだ。そっか。」
大ちゃんはすこしつまらなそうに呟く。
「だって大ちゃんまだ20歳になったばかりじゃない!
結婚とか有り得ないでしょ?」
どう返していいのか分からずに少し突き放すように答えてしまった私に、
「だな。俺はまだまだだもんな。」
と大ちゃんは独り言の様にボソッと言った。
この小さなやり取りの小さな亀裂が、
その後の私達の関係において大きな亀裂に発展していく事を、
この時の私は想像すらできていなかった。
「この前4人で遊んでからもう何ヶ月も経ってるし、そろそろまた企画しようか?」
ユッキーと休憩中にランチを食べながらそう切り出した私に、
「あ、う、うん…」
とユッキーは微妙な顔をした。
「どうしたの?」
何気なく聞いた私に、
「うん…実は…
ちょっと生理が遅れてるなと思って念の為に検査したら一応陽性反応が出ててね…」
「ええっ?!
そうなの?あの…ユータン…の?」
「あ、うん。
昨日、検査薬の結果を一緒に見てもらったんだけど、結果判定がね、ギリギリすこし分かるくらいに不鮮明なのよ…」
「うん、あの、それで病院は?」
「まだなんだけど、あまりにも不鮮明だしまだ早すぎるのかなって、もう少し待ってからユータンに付いていってもらって行こうかなって。」
え?
じゃあ、ということは…
「あの…ユータンと結婚…とか?」
「う、うん。
ユータンが凄く喜んでね、ちゃんと病院で診てもらってハッキリとわかり次第、籍を入れようって。」
「すご~い!おめでとう!!」
喜ぶ私に対してユッキーの表情は晴れないままなのが気になった。
「ユッキー?大丈夫?」
「う、うん。
あのね、美優ちゃん。
私の親戚のお姉さんが私と同じ様に陽性か陰性か分からないくらいの状態になった事があって、
どっちなんだろう?と思っているうちに、生理が来ちゃったんだって。
だからまだ完全にそうとは決まった訳じゃないから。」
そうだね。
まだハッキリ分からないうちに
あまりに周りに色々と言われるとプレッシャーになるね。
「そうだね。
先走ったこと言ってごめん。
でもハッキリするまでは身体を大事にするに越した事はないからね。
無理しちゃダメだよ?」
私の言葉にユッキーはようやく少し笑顔を見せると、
「私がママになるとか全然実感できないね。」
と、照れた様に自分のお腹を見下ろしていたが、
その数日後、体調不良を理由に休んだユッキーから電話があった。
「もしもし。」
電話をとった私に、
「美優ちゃん?有希だよ。
あのね、やっぱりちゃんとした妊娠じゃなかったみたいなんだ。
生理が来たから慌てて病院に行ったら、化学的流産っていうのだった。」
手短に説明をしてくれるユッキーに私は、
「体調は大丈夫なの?」
と言うのが精一杯だった。
「うん。この数日間で急に色々あったから、気持ちがついて行く前に終わっちゃって複雑な気分だけど、誰が悪いとか何が悪いとかじゃないからって。
こういう事もたまにあるんだよって先生に言われたよ。」
ユッキー自身が1番戸惑っているのだろう。
何を説明していいのか分からない様子でオドオドと話す声を聞き気の毒になった。
「うん。わかったからね。
後はゆっくり休んで。」
優しく労る様に言った私の言葉に、
「ありがとう。
いつもの生理が少し重いくらいかな?って感じで体調の方は大丈夫だよ。」
ユッキーが少しホッとした様に答える。
「数日中には復帰するから。
迷惑かけてごめんね。」
と電話を切ろうとしたユッキーに、
「今回の事、職場には体調不良になってるんだよね?
私も何も知らない事にしておくから。
何も気を使わずにゆっくりしてなきゃダメだよ?」
思わず声をかけると、
「お姉ちゃんみたいだね。
ありがとうミューズ。」
と、電話の向こうでユッキーの嬉しそうな声が返ってきた。
思ったより元気そうで良かった。
でも、ユータンとの結婚話はどうなっちゃうのかな。
電話を切った後、ベッドにゴロリと寝転がってボーッと考える。
でも仮に今回は無しになったとしても、これで結婚前提のお付き合いになっていくんだろうな。
ふと大ちゃんと自分の事を思う。
私達は…
ユータンとユッキーは24歳同士。
私は26歳、大ちゃんはやっと20歳。
大ちゃんの事を好きという気持ちはあったが、結婚となるとまるで実感が湧かない。
せめてユッキー達みたいに大ちゃんが24歳くらいになったら…
でもその頃には私は30歳。
はあ、30歳か…
何とも言いようのない不安が広がる。
今思えばもっと上手い考え、方法があったのではないかと思う。
でもそれを考える事を思いつかないほど、当時の私は「年齢差」というものに無意識の中でひどくこだわっていた。
ユッキーが職場に復帰して1ヶ月余り。
季節は夏本番。
「暑いな~!冷たいビール飲みに行きたい!」
酷暑の倉庫で作業をしながら大ちゃんが繰り返す。
「大ちゃん、今日早番でしょ?
一旦帰って車を家に置いてきなよ~。
○○駅前ビルのダイニングカフェでも行かない?」
私が笑いながら誘うと、
「わかった!早めに着いたら先に飲んでるよ。」
大ちゃんが嬉しそうに答える。
「いいな~いいな~」
丁度、倉庫に入って来たユッキーが笑いながら茶化してきた。
「参加希望なら来てもいいぞ~」
私も茶化して誘うと、
「あ~、どうしよう。
ユータンと会うんだよね…」
と、ユッキーが少し思案する素振りを見せたが、もう答えは決まった様なものだった。
「は~い!じゃあ、○○駅前ビル5階のダイニングカフェ集合!」
大ちゃんが有無を言わさずに決めてしまう。
「強引だな~、ユータン嫌がらない?」
少し呆れて聞く私に、
「大丈夫だよ。
大ちゃんが会いたがってるよって言えば大喜びでどこへでも会いに行くから。」
ユッキーが笑いながら頷いてみせた。
「じゃあ、先に適当に飲んで待ってるよ。」
大ちゃんがユッキーに声をかけながら倉庫を出て行く。
「うん、わかった。
なるべく早く行くようにするね。」
ユッキーは大ちゃんの後ろ姿にそう声をかけ、大ちゃんの姿が見えなくなると、
「大ちゃん、本当に優しいね。」
とポツリと呟いた。
「え?」
と、聞きかけた私の声を遮り、
「森崎さん!」
と店長が倉庫を覗いてユッキーを呼んだ。
「はい!」
ユッキーは返事をして出口に向かいかけたが、
「また夜にね!」
と振り向いて私に微笑みかけた。
「お先に失礼しま~す!」
中番の私は遅番のユッキーやバイトさんに声をかけた。
「は~い!お疲れ様です!」
ユッキーが「また後で。」という風に頷きながら軽く手をあげる。
さてと、大ちゃんはもう着いてるのかな?
急いで店を出ようとした途端、
プルルルル!
事務所の電話が鳴った。
「はい、お電話ありがとうございます…」
咄嗟に電話をとり、お決まりの電話対応文句を言いかけた私の耳に、
「あ!良かった~間に合った!」
大ちゃんの嬉しそうな声が飛び込んできた。
「神谷さんですか?」
咄嗟に職場モードの話し方になる私に、
「はい、僕です。神谷です。
田村さん、急で申し訳ないですが場所の変更の電話です。
予定していた○○ビルの横に細い路地があるのを知っていますか?
そこを入って2つ目の角を曲がったすぐに良さそうなお店を見つけました。
そこに居ますのでお願いします。」
大ちゃんが可笑しそうに含み笑いをしながら職場モードの話し方で答えてきた。
「はい、わかりました。
森崎さんにも伝えておきます。」
慌てて電話を切ると、ユッキーにその旨を伝え、自転車を家に置きに帰り電車に乗ると○○駅に向かった。
○○駅前ビルの横の路地…
ここかな。
え~と、2つ目の角を曲がると…
ザワザワザワ
人々のざわめき。
いらっしゃいませ~
店員さんの活気に満ちた明るい声。
香しい焦がしバターやガーリックの香り。
角を曲がった私の右側に、いきなり小洒落て明るく活気のある空間が広がった。
そこは1軒の立ち飲み屋であった。
立ち飲み屋というと、その店自慢のオデンをつつきながら日本酒をちびりちびり。
今日もお疲れ様だねぇ。
という、サラリーマンのおじさま御用達の昭和感溢れる立ち飲み屋が思い浮かぶのだが、
そこは小洒落た看板、可愛い文字のメニュー表、テーブルの代わりに大きなビア樽を幾つも置いている見るからにセンスの良さそうな洒落た雰囲気の立ち飲み屋さんだった。
通常多い奥に細く長くの造りではなく歩道に面して横長の造りのその店は、突き当たりがカウンターを挟んでの横長厨房、手前の歩道側が立ち飲みスペース、
外に向かって全面開放されている店内は人で溢れ、その店の人気の高さが伺い知れる。
「お~い!ここ!」
大ちゃんがすぐに私に気づいて手招きをした。
「お待たせ~!
っていうか、どうしたの?ここ。
すごく良い感じじゃない。」
感心する私の言葉に、
「山田さん達と飲むのも久しぶりだから、どうせなら面白い店がないかな?と思ってブラブラと探し回った。」
まるで100点をとって褒められた子供の様に、大ちゃんがへへっと嬉しそうに笑う。
「うん、うん、いいね!
ユータン達も喜ぶよ。」
口ではブラブラと言っているけど、皆を喜ばせたくて必死で探し回ったのであろう大ちゃんの優しさに心が和みながらメニューを眺めた。
フードメニューは豊富で多岐にわたっていたが、メインはイタリアンという感じで、○○のオリーブ焼きとか、○○の香草焼き等、
ブラーヴォな名前がずらりと並んでいてなかなか良い感じだ。
う~ん!
トレビア~ン!
あ…
これはフランス語だわ。
心の中での1人ツッコミもすみ、
とりあえずビールを頼む。
ブラーヴォだろうが、トレビアンだろうが、
とりあえず冷たい生中は外せない。
ちょっぴりイタリアを気取ってみました、フフッ
な、お店もそこの所はよく理解しているらしく、流石にジョッキではないが、細長い洒落たグラスに注がれた冷たい生ビールが2つテーブルに運ばれてきた。
カンパ~イ!
2人で乾杯をする。
うん!美味しいっ!
「このビール美味しいね!
イタリアのビールなのかな?」
そう聞いた私に大ちゃんが、
「これは、
サン=トリーモ=ルツだよ。」
とサラッと銘柄を言い当てた。
「えっ?えっ?そうなの?
すご~い!
何でわかったの?」
感心しきりで聞く私に、
「コップに書いてある。」
と、大ちゃんが事も無げに答える。
よく見るとグラスの側面に、
「SUNTORY モルツ」
と書いてあった。
サントリーモルツであったか…
う~っ
モルツモルツモルツモルツ
モルツモルツモルツモルツ
美味いんだなこれが。
プレミアムモルツに取って代わられ、今では飲めなくなってしまったモルツの味が懐かしい…
口当たりが良く喉越しの良いモルツを飲みながら、オリーブオイルの風味豊かなトマトとモッツァレラのサラダやカリッと焼かれたクリスピーなピザを頂く。
「この若鶏のグリル、ローズマリー風味っていうの美味そう!」
「イタリアのチーズも色々あるみたい。
え~とこのパルミジャーノ・レッジャーノって何かな?
やたら名前が長いんだけど。」
「山田さん達も来るし、気になる料理を頼んでおけばいいんじゃない?」
「そうだね、そうしようか。」
2人であれこれメニューを覗きながら吟味する。
過去に付き合った彼氏たちはバブルという時代もあってか羽振りが良く、ディスコに行って遊んだ後は大人のムード漂うBARでカクテルを飲んだり、
価格の書かれていない小料理屋さんで贅を凝らしたお料理を希少な日本酒と共に頂いたり、本格的なフランス料理のフルコース等、その他あれこれ食に関しては贅沢をさせてもらった。
とても優しくもしてもらった。
今でもそれは感謝している。
でも、彼らと付き合っていた私は、「私」でいられなかった。
「大人」の彼らに合わせようと無理をして背伸びをしている自分に常に違和感を覚えていた。
「自分が自分でいられる相手」と数百円のツマミを真剣に選び、舌鼓を打つ。
それは今まで食べたどんなご馳走よりも素晴らしい。
私達が幾つかメニューを注文し終えた頃、
「お待たせ~!」
ユータンとユッキーが到着した。
「こっちだよ~」
軽く手を挙げて呼ぶと、
「お~っ久しぶり!」
ユータンがニコニコしながら近づいてきた。
「あれ?ユータン痩せた?」
童顔で丸顔気味のユータンの頬が少しこけかけている。
「え?ああ、仕事が忙しいからかな。」
曖昧な笑顔で答えるユータンに、
「山田さん、乾杯しましょうか。」
大ちゃんがドリンクメニューを差し出しながらそう言った。
「よし、乾杯しようか。」
車で来たユッキーはジュース、残りの3人はビールのグラスを持ち、いざ乾杯をしようとした時にふと大ちゃんが呟いた。
「イタリア語で乾杯ってどう言うんだろう。」
えっ。
なんて言うんだろう。
「チンチンだよ。」
ユッキーがサラッと答える。
えっ?
「ええっ?マジで?」
大ちゃんが何故か喜びを露わにしながらユッキーに聞き返す。
「うん、確かグラスを合わせる時にチンッて音がするからだとか…」
ユッキーが大真面目に説明する横で、
「ミューズ!ミューズ!ミューズもちょっと言ってみてって!」
イタリアン風乾杯由来説明をすっ飛ばし、はしたなく大喜びする大ちゃん。
小学生男子か君は…
あれ?
いつもなら一緒になって大笑いするユータンの笑い声が聞こえない。
ユータンの方に目をやると、ユータンはうつむき加減で真っ赤な顔をしていた。
へえ。
これが私が言ったんならきっと爆笑してたんだろうに…
好きな人が笑われて恥ずかしくなったのかな?
本当にユッキーのこと好きなんだね。
微笑ましくなり、まだ笑っていた大ちゃんのグラスを取り上げ、
「ほらっ!乾杯するよっ!」
と皆に促した。
「うん、チンチーン!」
グラスを軽く合わせると、
グラスは「チーン!」と
軽やかな音を立てた。
乾杯を終えたタイミングで頼んでいた料理が運ばれてきた。
「うわあ、美味しそう!」
喜ぶ私達の目の前に1cm角の物体が幾つか並べられている皿が置かれた。
「この石鹸みたいなの…なに?」
ユータンが不思議そうに覗き込むと、
「パルミジャーノレッジャーノでございます。」
店のお姉さんが笑いを堪えながら答えた。
「誰だよ?こんなの頼もうって言ったのは。」
と大ちゃんがパルミジャーノレッジャーノをつつきながらブツブツ言う。
あんただよ…
後日知ったのだが、パルミジャーノレッジャーノを名乗るためには数々の厳しい条件をクリアせねばならず、
彼は言ってしまえば選び抜かれたエリート中のエリートチーズ、
イタリアチーズの王様とさえ言われるやんごとなき身分の御方であった。
「ふふん、パルミジャーノ様よ?
そこいらのプロセスチーズとは格が違うのよ?
ひれ伏せ!愚民共よ!!」
と、意気揚々と登場したパルミジャーノ様であったが、いかんせん相手が悪かった。
パルミジャーノ様を存じ上げない愚民of愚民に罵倒され、つつき回され、
「もうやだ…イタリアに帰りたい…」
と、彼は粉をポロポロと落としながら嘆くのであった。
そんなパルミジャーノ様の嘆きを知らない愚民共は、とりあえず食べてみましょうということで各自口に入れてみる。
ん?
んんっ?
こ、これは!
「あっ!」
とユータンが声を出す。
「ミートソースの上にかかっているアレだ!!」
そう。
パルメザンチーズ。
パルミジャーノ様とは似て非なる物。
主君と影武者の様な物だが、
愚民の味覚等しょせんこんなものである。
余談だが、年齢を重ねて今ではデパートに行く度に、ブルーチーズやウォッシュタイプチーズ等色々なチーズを買い込む程のチーズ好きに成長したが、パルミジャーノレッジャーノだけは何回食べてもあの時の
「ミートソースの上にかかっているアレ。」
が脳裏に浮かんで離れない私は、今だ愚民のまんまである。
「これワインに合うと思うよ」
のユッキーの言葉に3人がワインを頼む。
ワインを飲みながら色々食べてまた飲んでを繰り返しているうちに、立ち飲みというのもあってか酔いがかなりまわってきた。
「やばっ、調子に乗りすぎた。
立っているの辛い…」
その場に座り込みそうになりながら訴えた私に、
「大丈夫?そろそろ出ようか。」
と、強制的にお開きモードになり、私達は店を出た。
「ごめんね。」
謝る私に、
「いいよ、いいよ、それより車に乗れそう?
今、乗ると悪化するかな?」
ユッキーが優しく声をかけてくれる横で、
「カラオケボックス行こうか。
そこで水でも飲んで横になってたら?
俺達は勝手に歌ってるし。」
大ちゃんが少しぶっきらぼう気味にそう言う。
げっ。
冷たっ。
コノヤロー!と思いはすれど、早く横になりたい私は、
「うん。そうする。」
と答え、私達は近くのカラオケボックスに向かった。
「パーティールームなら1つ空いてるんですが…」
「いい、いい、空いてるなら高くてもそこでいいよ。」
受け付けから少し離れたソファにぐったりと目を閉じて座っていた私の耳に、受け付けのお姉さんと大ちゃんのやり取りが聞こえてきた。
パーティールーム?
ユッキーに支えられながらよろよろと部屋に入った私は目を向いた。
広っ!!
そこはパーティールーム(大)
20人は入れるだろうスペースの真ん中に長テーブルがドンっと置かれ、テーブルの周りにこれまた長いソファが幾つも置かれていた。
「すごいな。」
ユータンや大ちゃんが笑っている声を聞きながら、カラオケの機械から1番離れている壁際のソファに横になる。
「ミューズ、烏龍茶でいい?」
大ちゃんの声に、
「うん、お願いします。
みんな何か歌っててね、それを子守唄にして少し寝ます。」
そう答えながら目を閉じた私に、
「冷えるといけないからこれ掛けてて。」
とユッキーが私の体に何かを掛けてくれた。
エアコンの程よく効いた広くて開放感のある空間で横になっているうちに気分がぐっと良くなってきた私は、1曲目のユータンの歌を聴いているうちに本当にぐっすりと眠り込んでしまった。
フワッ。
頭に何か当たる感触がして目を覚ました私の横に大ちゃんが座っていた。
「気分はどう?」
「うん、寝たら良くなった。」
「そう?良かった。
すぐに家に帰してあげなくてゴメン。
今日はあのまま解散しちゃいけない気がして…」
「うん。私のせいですぐにお開きになったら、せっかく集まった皆に悪いしね。」
起き上がりながらそう言う私に、
「いや、そうじゃない。
ミューズのせいとかじゃなくて…
何か、今日の山田さんはほっとけない気がするっていうか…」
大ちゃんが歯切れ悪く説明するのを聞きながら部屋を見渡した私は、ユータンとユッキーの姿が見えない事に気がついた。
「あれ?2人は?」
「山田さんはタバコ買いに行った。
ユッキーはトイレ。」
「そうなんだ。」
返事をしながら烏龍茶を取りに行こうとして立ち上がった私を、大ちゃんが不意に抱きしめてきた。
「どうしたの!?」
「あのさ、あの2人…」
コンコン!
急に大ちゃんの言葉を遮る様にノックの音がして、大ちゃんは慌てて私から離れた。
「お待たせ致しました。
ハイボール2つとオレンジジュースでございます。」
店員のお兄さんが淡々と事務的な口調でそう言いながら飲み物をテーブルに置き、空いたグラスを素早く回収して部屋を出て行った。
「ビックリした~。」
大ちゃんが後を追うようにドアを見つめる。
私もつられてドアのほうに目をやると、ドアの向こうに人影が映り、
ガチャッ。
「あ、起きてた?
気分はどう?」
ユータンとユッキーが2人で揃って部屋に戻ってきた。
「うん、もうすっかり大丈夫だよ。
ありがとう。」
お礼を言いながらふと自分が寝ていたソファに目をやると、そこには数枚の服が散らばっていた。
拾い上げてみると、パーカー、サマーニットのカーディガン、チェック柄のシャツ。
3人がそれぞれ羽織っていた上着だ。
ユッキーはこれを掛けてくれてたのか…
何故だか不意に涙が溢れてきた。
嬉しいのか悲しいのかわからない。
ただひたすら高ぶる感情を抑えきれなくなり、私はトイレに行くふりをして部屋を出た。
部屋出ちゃったけど、どうしよう…
ここに立ち止まっているのも変だよね。
とりあえずトイレ方面までブラブラ歩いて戻って来るかと歩きだした途端、
「ぎゃはははは!」
隣の部屋から出てきた男の子と思いきりぶつかりそうになった。
「おい!前!」
その子のすぐ後ろにいた別の男の子に声をかけられ、
「あっ!すいません!」
慌てて謝る男の子。
「すいません。」
後から出てきた2人の女の子達もぺこりと会釈をしてくれ、
「あ、いえいえ。」
と、私も慌てて頭を下げた。
20歳前後?
学生さんかな?
「それでね〜…」
楽しそうに笑い合いながら歩いていく4人の後ろ姿をぼーっと眺めながらそんな事を考えてみた。
楽しそうだな。
この頃って何のしがらみも無く、ただ目の前の楽しい事にだけ夢中になってた様な気がする。
微笑ましさと羨ましさが混ざった何とも言えない複雑な感情に襲われたが嫌な気持ちは全くしない。
さて、そろそろ戻るか。
私の大好きな仲間たちの所へ。
ねえ、私にもあなた達と同じように笑い合える仲間がいるんだよ。
もうとっくに姿も見えなくなったさっきの子達に心の中でそっと語りかける。
ずっと、ずっと、いつまでも仲良く一緒にみんなで笑い合いたいね。
ガチャッ。
「お帰り。もう遅いしそろそろ終わろうか。
ユッキーに送ってもらってくれる?」
ドアを開けた私の耳に大ちゃんの声が飛び込んできた。
「えっ?大ちゃんたちは?」
「うん、ここフリータイムで借りてるからもう少し山田さんとゆっくりしていくよ。
俺は明日休みだし。
ミューズとユッキーは仕事でしょ?」
大ちゃんが何とも言えない微妙な顔つきで答える。
えっ?
私も残りたい…
私がその言葉を口に出す前に、
「帰ろうか。酔いはもう大丈夫?」
とユッキーが私の荷物を手渡してくれた。
「あ…うん、じゃあまたね。」
曖昧な笑顔で挨拶をする私に、
「気をつけて!」
大ちゃんがニッコリと手をふり、
ユータンは無言で優しく微笑んでくれた。
「今日は迷惑かけてゴメンね。」
帰りの車内で謝る私に、
「いいよ、いいよ、ミューズがあんなに酔うなんて珍しいね。」
とユッキーが優しく笑う。
「ユータンも久しぶりに会ったのにほとんど話せなかったよ。
謝っておいてね。」
私の言葉にユッキーの顔から急に笑顔が消えた。
「美優ちゃん。」
ユッキーが静かに改まった声を出す。
ユッキー?
なんで、美優ちゃんなんて呼ぶの?
やめて、変だよ?
「ごめんね、私たちは…」
何言ってるの?
やめて、いつもの冗談だよね?
頭が真っ白になった私には、その時ユッキーが話してくれた内容の記憶があまり残っていない。
ただ、ユータンのお母さんのこと、
ユッキー自身の家の事情、
互いの家の事情の問題などで色々と揉めて悩んでいる所に、例の妊娠騒動。
「妊娠したかもってなった時に本当は複雑な気持ちしかなかった。
それでその妊娠が間違いだってわかった時に、心のどこかでホッとしている自分に気づいてしまったの…」
そんな様な事を話していたような気がする。
「へ、へえ、本当は違うでしょ?
ユータン変な人だもんね~、あれにはなかなかついていけないよね。
パルミジャーノ・レッジャーノを石鹸?とか言っちゃう人だよ?
恥ずかしいったら。」
何を言っていいのかわからない。
話されている事の内容が頭に入ってこない私は無理に茶化して笑う。
「そうそう!あれ恥ずかしかったね~!」
ユッキーも笑う。
「ほんと馬鹿だよね~、なのに何かいっつも私をライバル視してるみたいなとこあるし!」
「うんうん、ユータンは美優ちゃんにはムキになるとこあったよね。」
「そうそう!身の程を知れっていうの!」
「あはは!ほんとだよね~。」
「うん。でも…ごめん…」
胸が苦しくなった。
「それでも…私は…大切な友達として…ユータンが好きなんだ…ごめん…」
やっとの思いの私の言葉に、
「うん…私も好きだよ…」
ユッキーがポツンと答える。
「そか…」
「そだ…」
なんでこんなに不器用なんだろう。
ただお互いに好きというだけじゃダメなの?
本当にいいの?
考え直す余地はないの?
頭の中でそんな言葉がグルグル回る。
「いつか…また…4人で…」
見当違いの言葉を言いそうになり、
途中で切った私の言葉を引き継いだかのように、
「また、いつかきっと…」
と、ユッキーが答えた。
ユッキー達が別れた詳しい理由は結局分からなかった。
ユッキーはあまりそういう話をペラペラ話すタイプではなく、私も人の奥底に踏み入るのが苦手なため、その話はウヤムヤなまま終わってしまったが、
その数年後に風の噂でユータンが結婚したと聞いた時、
「あのお母さんと上手くやっていける人なのかな…」
と、ユッキーが呟いた一言に何となく納得した気持ちを覚えた。
この時ユッキーは既に結婚して半年程の新婚だったが、数年後に理由あって離婚する事になる。
すると、その半年後くらいにユータンも離婚したという話が流れてきた。
その情報源は私達が入社して最初にお世話になったあの店長だったのだが、
店長が赴任していた店舗の近くにたまたまユータンが住んでいたらしく、時々買い物に来ては雑談等をしていたという。
おそらく店長はユータンの方にもユッキーの近況を話していたりしたのではないだろうか。
ユッキーの結婚に続き、ユータンも結婚。
ユッキーの離婚に続き、ユータンも離婚。
単なる偶然の一致だよね?
でも、ユータンはユッキーの結婚を知った時どんな気持ちでいたのだろう。
ユッキーの離婚を知った時どんな気持ちでいたのだろう。
もしかすると…
ユータンはユッキーがフリーになった事を知ってまたユッキーと…
私はとんでもない事を想像していた。
でも私のそんな想像を裏切り、ユータンがユッキーとよりを戻そうとする動きは2度と無く、
それどころか、
ユータンはその離婚の話を最後に消息自体が全く掴めなくなった。
「引越しをすると言っていたけど特に連絡先も交換してなかったから…」
店長もその言葉を最後に遠くの県に転勤移動していった。
もうその頃には携帯電話が急速に普及しだしていたが、
私達4人が最後に集まった1994年にはまだ私達の誰一人携帯電話を持っていなかった。
連絡は固定電話。
遠方への引越しなどで電話番号が変わるともうわからない。
ユータンはユッキーと別れた後、すぐに引越しをしたらしいが新しい連絡先を私達の誰にも教えてくれずに行ってしまった。
そう。
大ちゃんにさえも。
そうしてやっと店長を通じて所在が少し掴めたかと思うと
またどこか遠くに行ってしまった。
店長に無理矢理にでも頼んでユータンの携帯電話の番号を聞いてもらっておけば良かった…
ふとそう思ったが、ユータンにその気があるのなら自分から連絡をしてくるだろう。
それが無いということは…
ユータン…
ずっと仲良くしようって言ったのに…
無理な願いだとわかっていても寂しかった。
でもユッキーの事を思うと、出しゃばった様な真似をする事もできず、
ひたすらユータンからの連絡を待ってみたが、ユータンからの連絡は遂に来ることは無かった。
人との出会いも別れもちょっとしたきっかけや偶然で起こるんだ。
今まで何人の人との出会いや別れを経験してきたのだろう。
サヨナラは別れの言葉じゃなくて
再び会うまでの遠い約束…
ふっとそんな歌詞が頭に浮かぶ。
これ何だったっけ。
ああ、薬師丸ひろ子さんのセーラー服と機関銃だ。
可愛かったな。
あの曲好きだったな。
ユータン。
また会おう。
前に言っていた様に50歳、100歳になるまでにまた。
忘れないでいればまたきっと会える。
また以前の様にみんなで笑い合える時が来る。
そんな何の根拠も無い思いにかられ、
私はユータンの事を決して忘れないとそっと心の中で誓った。
話は1994年の夏に戻る。
ユータンとユッキーが別れたと聞いてから私達は4人で会うことは無くなった。
大ちゃんはあの最後の日、ユータンに
「今の職場はかなり遠いから近くに引っ越そうかと思っているんだ。」
と聞かされていた。
「また連絡するよ。」
のユータンの言葉に、落ち着いたらまた連絡が来るだろうと呑気に構えていたらしい。
しかし、ユータンから連絡が来ることは無かった。
その辺りから私と大ちゃんの歯車も少しずつ狂い出す。
元々喜怒哀楽が激しく、私に対してストレートにその感情をぶつけてくる大ちゃん。
それがますます強くなり、私はそんな大ちゃんの心を読めず、自分なりに大ちゃんの機嫌を取る。
それが空回りして大ちゃんが余計に不機嫌になる。
もう嫌われたのかと思い距離を取る。
ますます不機嫌になる。
私は恋愛相手に関して、昔から考え込んで発した言葉であまり良い結果を得られた事が無かった。
何も考えずにぽっと発した言葉の方が真実味があるのか相手にも伝わりやすく納得してもらえる。
でも、一旦関係の歯車が狂うと焦り、空回りした自分をフォローすべく余計に空回りを続けてしまう。
もうどうしていいのかわからなかった。
今までの私なら妹の優衣やユッキーに相談して何とか対応してきたものも、
その頃、新しく持ち上がった企画の仕事のことで余裕が無くなっていた私には、もうそういう事をする気力も無くなっていた。
疲れた…
もうこういうの嫌だ…
元々かなりマイペースの私はこんな関係に心底疲れかけていた。
そして、1994年秋。
大ちゃんに隣の県に出来る新店舗への転勤移動。
私には前々から打診されていた新しいプロジェクトのため、本社への移動辞令が降りた。
「やった!家賃会社持ちで一人暮らしできる!」
大ちゃんが妙にはしゃぐ。
「はあ、私はギリギリダメだ。
今までよりかなり早く起きなきゃ。」
私はため息をついた。
私の住む場所から本社までの距離は会社の規定する距離に足りないため部屋を借りてもらうことができず、
自腹で借りようにも本社の周辺はとにかく高い。
「じゃあさ!会社に移動願い出して俺のとこ来る?」
「えっ?どういうこと?」
「だから~、本社なんか行くのやめて俺と一緒に来たら?
どうせ大したことするわけでもないんでしょ?」
軽い調子でふざけた様に言う大ちゃんに私はカチンときた。
「何言ってるの、行くわけないでしょ。
通勤は大変だけど、新プロジェクトのメンバーに選ばれたんだもん、こんな名誉ないもん。」
普通に言ったつもりの言葉だったが、イライラが出ていたのだろう、
私の言葉に大ちゃんは少しポカンとした顔をしたがすぐに、
「新プロジェクトと言ったって会社のいつもの気まぐれプロジェクトでしょ?
やってみてダメだったら、はい!おしま~い!ってなるじゃん。
そんなに気合い入れたってガッカリするだけじゃないの?」
と嘲笑うかの様に嫌味な笑いを浮かべながら言い返してきた。
は?
あまりの言い様に返す言葉が出て来なかった。
そのプロジェクトは今までに無い新しい試みで、確かに上手くいくかどうかはやってみないとわからない。
でもだからこそ、それなりに会社に認められたメンバーで構成するのだと聞かされていた。
辞令が出た時には自分が会社に期待されている様な気持ちになって嬉しかった。
コンプレックスの塊だった私が初めて掴んだ名誉。
なのに、なのに…
「わかりました。」
と私は一言答えた。
その声は自分でもゾッとするほど静かで冷たい声だった。
「はあ、疲れた…」
帰宅した私はすぐにベッドに倒れ込んだ。
本社勤務になって1年半が経過しようとしていたが毎日こんな調子の日が続いている。
休みの日もここ半年は遊びに出かけた記憶が無い。
大ちゃんとも連絡を取り合っていたのは最初の僅か1~2ヶ月。
電話で話してもお互い疲れた、疲れたの言葉の繰り返しで特に話が盛上がることも無い。
大ちゃんの事を嫌いになったわけではない。
好きか嫌いかと問われれば、迷わず好きとも言えた。
ただ、心身共に疲れていた私には「大ちゃん」を受け止めてあげられるほどの余裕が無かった。
何となく会うのをやめた。
何となく電話するのをやめた。
大ちゃんと全く繋がりが無くなって1年程経ったある日、
大ちゃんが年下の可愛い女の子に告白されたという話を、私達2人の共通の知り合いから聞かされた。
「みんなで海に遊びに行った時、2人で水をかけ合ったりしてじゃれ合ってて可愛かったよ。
すごくお似合いの2人って感じだった。
若いっていいね。」
私と大ちゃんの過去を知らないその人は、微笑ましくて仕方ないといった様子で事細かに私に大ちゃんの事を話した。
「そう…ですか。友達を作るのが下手な子だったから心配してたんですけど、あちらで上手くやっているようで安心しました。」
無理をして笑顔を作る。
「仲良しのグループで色々遊びに行ってるみたいだよ。
僕も時々参加させてもらうけど、夏にはBBQしたりして盛り上がってなかなか楽しかったな。」
楽しんでるんだ…
良かったね。
結局、私はあなたに寂しい思いをさせたまま終わってしまったけど、
あなたの幸せを願う事が私の最後の愛情なのかな?
胸が締め付けられる様な感覚に陥った。
心が寒くて仕方なかった。
でも、そう仕向けたのは私。
我慢しなきゃ…
我慢しなきゃ…
我慢…
……
ピリリリリ!!
?!
突然鳴り響いた枕元の携帯電話の着信音で思わず飛び起きた。
び、びっくりした~
いつの間にか寝てしまっていた様だ。
大ちゃん。
あれから半年経ったのか…
今も年下彼女さんや向こうの仲間たちと楽しく過ごしてる?
ピリリリリ!
ピリリリリ!
携帯電話が早く出ろ!と催促せんばかりに鳴っている。
「あ!もしもし!」
私は慌てて電話に飛びついた。
「もしも~し!元気にしてる~?」
ユッキーからだった。
「お~、毎日クタクタだよ。」
「疲れてるみたいだね。
ねえ、私今度の日曜日休みなんだけど、土曜の夜から泊まりに行っていい?」
外泊が苦手なユッキーにそんな事を言われるのは初めてで、私は驚いた。
「へえ珍しいね。
予備の布団はあるから大丈夫だけど、ご飯はどうする?
2人鍋パーティーでもする?」
「おおっ!いいね~。
じゃあ私は飲み物買って行くから悪いけど用意お願いできる?」
「わかった。じゃあ土曜日仕事終わったら適当に来て、待ってるよ。」
「は~い!久しぶりだからいっぱい喋ろう!
寝かせないよ?」
ユッキーはおどけた様に言うと電話を切った。
ユッキーと会うのも久しぶりだな。
気分が少し高揚して久しぶりにウキウキした。
土曜日の夜、
ピンポーン!
「こんばんは~お世話になります!」
ドアを開けた私の目に、両手に大きなビニール袋をぶら下げたユッキーが立っていた。
「…大荷物だね。」
「うん、今夜は飲んで喋って飲むからね。」
ユッキーは私にビニール袋を渡しながら笑った。
ビニール袋を受け取り中身を冷蔵庫に入れながら、
あれっ?この場面は前にもあった様な…
と思い出す。
「ねえ、私が寝込んだ時もこうやって差し入れくれたよね。」
「ああ!あの時はユータンからの差し入れだったけど。」
ユッキーも思い出したのか少し懐かしそうに笑う。
「そうそうユータンからだったね。
あの…ユータンから連絡とかは?」
「ないよ。一体どこで何してるんだろうね。」
「そっか。まあ多分元気にしてるんだろうとは思うけど…」
「多分、きっと元気だよ。
そういえば大ちゃんはどうなってるのかな?
連絡し合ってる?」
「ううん。全く。」
「そうなの?してあげたら?
寂しがってるんじゃない?」
「ううん。なんかさ聞いた話だと年下の可愛い彼女できたみたいよ。
もう寂しくないんだよ。
だからもう会うことも無いと思う。」
私の言葉に、
「えっ?ふ~ん、何か意外だね。」
とユッキーが少し首を傾げる。
「意外って何が?」
「いやミューズと大ちゃんって絶対切れない関係って気がしてたから。
ちょっと違和感がね。」
絶対に切れない…か。
その言葉で、
私は以前、学生時代からの友人に言われた話を思い出した。
その友人は昔から少し不思議な雰囲気を持つ男性だった。
「俺ね、ある有名な先生について占いの勉強してるんだ。」
大真面目に語る彼に、
えっ?
占いの勉強?
そんな勉強ってあるの?
と不思議に思ったが、特にその場は何も無くその話もそれきりで流れていった。
その数年後、私と大ちゃんが付き合い出して少し経った頃に、ちょっとしたミニ同窓会的なものがあり、久しぶりに再会した彼と懐かしい話題に花が咲いたのだが、
その時、彼が副業的に占い師をやっていることを聞かされた。
「へえ、儲かるの?」
「いや半分趣味みたいなものだから。
それに人をみさせてもらう事も修行の1つだと思ってるからほとんどタダみたいなもんだよ。」
「へえ、私の事もわかっちゃったりするのかな?」
「俺はまだまだ修行中だけど一応プロだし、大体はわかると思うよ。」
「相性占いは?」
「それ得意。」
彼はニッと笑うとジャケットの胸ポケットから小さな手帳とペンを取り出した。
「ここに自分と相手の生年月日を書いて。簡単で良ければざっと占ってあげるよ。」
「え?お金とる?」
「とらね~よ!」
彼は笑いながら持ってきていたカバンから何やら細かい字の書いてある分厚い計算表?らしきものを取り出した。
「なにそれ?」
「商売道具。」
「え?いちいちそんなの持ち歩いてるの?」
「ひと仕事した後にここに来たからっ…て、いちいちうるさいな!
書いたの?」
口調とは裏腹に優しい顔で笑っている彼に、
「これ。相手は結構年下なんだけど…」
と慌てて2人の生年月日を書いた手帳を渡す。
「ふ~ん、どれどれ。」
彼はパラパラと計算表らしきものをめくり、2人の生年月日の横に何やら書き込んでいく。
「これ、なかなか面白い相性だね。
こんなに強い関係珍しいよ。
よく言えば切れない強い絆、悪く言えば腐れ縁になりやすい関係だね。」
「それと~」
更に彼は何かを書き込みながら呟く。
「面白いくらい力関係がハッキリしてる。
これは片方が完全に振り回されてるんだろうな。」
「当たってる!当たってます!」
思わず出した私の大声に、周りに座っていた男女数人が驚いた様に私の顔を見た。
「え?なに?食いつくとこそこ?」
彼も私の大声に驚いたのか少し体が引き気味になっている。
「そこでしょ!だって、本当に何を考えてるのかわからないから凄く疲れる時あるもん。」
カッ!と目を見開き食いつかんばかりに答える私に、彼は更に身を引きながら、
「あの、ごめん。
振り回されてるっていうのは相手の方だよ。」
と、持っていたペンで「大ちゃんの生年月日」を軽くトントンとつついた。
ええええ!?
「.ええっ?何でよ?いつも喧嘩になっても私の方が折れてるんだよ?
絶対に私の方が悪くなくてもごめんなさいって言わないと長引くし。」
「いや、なんだろうな。
そういう表面的なのじゃなくて、
う~ん、2人の関係性をわかりやすく例えると…
外灯と蛾?みたいな…」
すごい例えを出してきたなおい。
「外灯と…蛾?」
「うん、タムランは黙って立ってるだけでも何か強く光る物を相手が感じてるんだね、
で、ついついフラフラと寄っていってしまうんだけど、そのうちに飛び疲れてパタッと落ちるっていうか…」
ダメじゃん、蛾。
余談だが、私の昔のあだ名はタムランだった。
ミューズといい、タムランといい、微妙なあだ名しかつかない私のキャラって…
「外灯ってさ自分では動かないじゃん。
だから蛾だけが必死で外灯の周りを飛び回ってるとこを想像してもらうといいかな?と。
占いでみた2人の本質はこういう感じかな。」
「う、う~ん。
じゃあ外灯は蛾に対してどんな態度を取っていけばいいの?」
「ありのまま…かな。
動くはずのない外灯が変に動いたらおかしいでしょ?
蛾が勝手に飛び回るのは気の毒だけど蛾の性質。
だから蛾が疲れた時には優しく包んであげるといいよ。」
そうなのか~。
「ありがとね。とりあえず頑張ってみる。」
お礼を言う私に、
「かなり強い縁だからお互いにとってきつく感じる事もあるかもしれない。
でも2人の関係の形がどんな形になろうとも切れにくい縁の糸を感じる。
結局その縁の鍵を握るのはタムランの方だと思うけどね。」
と友人は笑い、私の肩を軽く叩いた。
「面白いね~。」
缶ビールを飲みながら私の話を聞いたユッキーが笑う。
「う~ん、外灯と…蛾…だからね。」
「例えがわかりやすいし面白いよね。
私も占ってみて欲しかったなあ。」
「そ、そう?」
私は内心焦った。
実はユータンとユッキーの事も少し占ってもらっていたからだ。
「この2人の関係性は何になるかな?」
「う~ん、わかりやすく例えると…
花とミツバチかな?
需要と供給がマッチしてて対等に付き合えるけど、恋人よりも友人関係の方が上手くいく相性。
女の子単体だとハエ取り草の方がしっくりくるけど。」
はい?
「この女の子は異性にモテる星の下に生まれてる。
結構男が寄ってくると思うよ。
恋愛をして別れたとしてもその恋愛を肥やしにする力も持ってる。
男という虫を捕まえて上手く自分の養分にできるんだね。
恋愛をすればするほど魅力に磨きがかかるタイプだ。」
へえ。
解説をされると何となく納得はできるんだけど、
蛾だのハエ取り草だの、もうちょっとマシな物に例えられないのかこの男は。
ビールでほろ酔いになりご機嫌状態のユッキーに、
「あんた、ハエ取り草だよ?」
とは口が裂けても言えない。
「あ、完全に酔っちゃう前にお風呂入ってきたら?
お風呂上がりにゆっくり飲み直そうよ。」
私は慌てて立ち上がり、食器を片付けだした。
「私も手伝う~」
ユッキーも立ち上がり2人で食器を洗って片付けた。
「たまにはこういうのも楽しくていいね。」
とユッキーが笑いかけてくる。
「うん。」
私も笑顔で返す。
「今日はいっぱい話そうね。」
「うんうんわかった。
だからまずお風呂入ってきなって。」
「ミューズはやっぱりお姉ちゃんみたいだね。」
ユッキーは嬉しそうにそう言いながら甘える様に私の腕を軽く掴んだ。
その仕草や表情が大ちゃんと被って見えて私は少し胸が苦しくなるのを覚えた。
「お先でした!」
ユッキーがお風呂から出てきた。
うっっ、肌キレイ。
「メイク落としても全然変わらないね。ファンデいらないんじゃない?」
「そんなことないよ。細かいソバカスとかあるし、油断するとシミもできそうだから外出する時はガッツリ塗らなきゃ。」
「そうなんだ、意外と苦労してるんだね。」
その話を皮切りに色んな話に花が咲く。
女子トークの定番、オシャレの話、グルメの話、そして恋バナ。
話の流れはいつの間にかまた大ちゃんの話に戻っていた。
「で、大ちゃんとはどうするの?」
「どうするもこうするも…
御両親との仲もあまり…で家を早く出たがってたし、こっちにはもう帰って来ないんじゃないかな?」
「そっか~、こっちから遊びに行くのは?」
「いやいや、私が行っても迷惑でしょ。」
「そうなのかな~?」
「そうだよ。私車無いし100km以上の距離を電車乗り継いでわざわざ嫌な顔されに行くほどの勇気はないよ。」
「ん~。」
ユッキーはまだ腑に落ちないといった様子の表情を浮かべていたが、
「そうだね。ミューズの気持ちが1番だね。
もしもその占いが当たってたらきっとまた何かの縁があるかもしれないしね。」
と1人納得した様に頷いた。
いや…いきなり外れてると思うんだけど…
私と大ちゃんはあまりにも違い過ぎた。
占いが当たっているとすれば、大ちゃんの気持ちを全く理解できなかった私に大ちゃんが疲れてしまったということなんだろう。
それでもね…
それでも、楽しかったよ。
大ちゃんと出会えて良かった。
「美優ちゃん…」
ユッキーが私にそっとハンカチを差し出す。
私の両方の目からはいつの間にか涙が溢れ流れていた。
ユッキーからハンカチを受け取った私は泣いた。
泣いて、泣いて、やっと気持ちも少し落ち着きを取り戻した私に、ユッキーは今度は缶チューハイを開けて渡してくれた。
「ありがと。私…馬鹿だよね。」
「うん馬鹿だね。」
「ええっ?即答?!
そこはもうちょっと時間空けない?」
「だって馬鹿だもん。
大ちゃんも馬鹿、ユータンも馬鹿、
そして私も大馬鹿だよ。」
言いながらユッキーは自分も缶チューハイを開け、「乾杯しよ?」と言う風に軽く缶をこちらに傾けた。
「カンパ~イ!」
何の?
「私とミューズのこれからの友情に!
50歳になっても100歳になってもずっとずっと仲良しでいられますように!」
「100歳は….ちょっと厳しくない?」
「あはは!もうっ現実的なんだから!
じゃあとりあえず50歳ね!」
「まだ20年以上あるよ?」
「もうっ!大丈夫だよ~!私はミューズから離れたくないから大丈夫!」
「うん、わかった。
私も50歳になってもユッキーとこうやって一緒に飲みたい。
私も約束する。ずっとずっと…ね?」
「うん、約束。
じゃあ約束の乾杯!」
私達はもう一度、缶チューハイを掲げ約束の乾杯をした。
時は流れ、
2018年初夏。
「やばい!迷った…飲み会幹事が遅刻なんて…」
私は焦っていた。
行ったこともないお店に決めるんじゃなかった…
「ねえ、そのマップアプリちょっとおかしくない?」
外野が横で口を出すため余計に焦る。
「ううっ、わからない…
ちょっと代わりに調べてみて。」
丸投げして代わりに調べてもらう。
「あれ?おかしいな…
マップだと目的地はここのはずなんだけど…」
言われてその店の看板を見上げてみれば、「熟女パブ」と書いてある。
「ちょっと~ここで働くつもり?」
文句を言う私の視線の先には、
「あははは!」
と20代の頃から変わらない笑顔で楽しそうに笑うユッキーの姿があった。
「どうしよう、もう30分も遅刻だよ。」
「う~ん。あ、LINE来てる。」
ユッキーの言葉に慌てて私もLINEを開けると、LINEのグループチャットに
「着きました。」
「先に飲んでます。」
とグループメンバーのトークが入っている。
「うわっ、とりあえず返信しとかなきゃ。」
慌てて、
「すみません。道に迷って熟女パブの前にいます。」
と送ると、
「え?面接でも受けに行くんですか?」
と直ぐにトークが入る。
なんでだよっ!
「いや、残念ながらさすがにアラフィフではもう厳しいかと思われます。」
「そうですか(笑)
目的地は多分その近くだと思うので周りを見てください。」
周りを見回す。
あ…反対方向にあった…
「もう、やだ、美優ちゃん。」
ユッキーが爆笑する。
おいっ!間違えたのは誰だよっ!
ユッキーとは初めて出会ってから約25年間ずっとこんな調子でやってきた。
大切な友達。
これからもずっとずっと一緒に…
「ほら!早く行こう!」
ユッキーが笑いながら私に催促する。
「あ、うん。」
私はユッキーに続き、慌ててお店に入った。
「遅かったね心配してたよ。」
「熟女パブの面接はうかった?」
待たされ組からの声が飛ぶ中、謝りながら席に着く。
「お待たせしました。」
私達が席に着くと、待ちかねていた様にオードブルが運ばれて来た。
予約時に頼むと、黒の大皿に少しのオードブル、残りの余白にマヨネーズでメッセージを書いてくれるサービスがある。
なかなかのサプライズ効果があり、
案の定黒の大皿がテーブルにドン!と置かれると、
「わあっ!」
とみんなが感嘆の声を上げた。
「へえ、こんなサービスもしてくれるんだね。」
ユッキーが感心しながらお皿を覗き込む。
「え~と。」
お皿を覗き込んだユッキーの表情に満面の笑みが浮かぶ。
笑顔を浮かべたままユッキーはゆっくりとお皿のメッセージを読み上げた。
「お久しぶりの飲み会です。
すっかりオジサン、オバサンになりましたが
これからもよろしくね。
ユッキー、ユータン、大ちゃんへ。
ミューズより。」
ブルームーンストーン前編
(完)
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