もがいても、もがいても。

レス8 HIT数 2362 あ+ あ-


2013/10/26 10:36(更新日時)

愛に飢えた子どもだった。

自分を否定し続け、愛されたい一心で痩せることにこだわった。

血を見ると生きていることを実感した。

身体を痛め付けることで苦しみから逃げようとした。

終止符が打たれたのは産まれてから30年後。


過去と決別する意味を込めて思い出しながら綴ります。

元DQN&メンヘラーの成れの果てですので文章力に難アリです(笑)

No.2017714 (スレ作成日時)

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No.1

記憶にないけれどアルバムを見れば私は二歳までは両親の愛情を感じながら生きたことがよく解る。

父、母、私。
笑顔で写る写真の数々。

一番印象的なのは湖でボートに乗って写る父と私の姿。
撮っていた母も笑顔だったはず。
水面から反射される日差しが父娘の笑顔を更に美しくしていた。

二歳の冬に弟が産まれ三歳の冬に妹が産まれた。
アルバムの中の私はいつも不機嫌そうな、今にも泣きそうな顔をしていた。

この頃から母親によく殴られる様になっていた。

殴られない為に良い子を演じる?
違う。
殴られてもいいから、それでもいいから母親に振り向いて欲しかった。

だからいたずらもいっぱいした。
怒られ殴られてもいたずらを止めなかった。


だってやめたら誰も私を見てくれない。
愛してくれなくなる。
三歳でも解るんだよ。

歪んだ愛情でもいいから愛して欲しかったんだよ。

No.2

小学生になった私は弟や妹を可愛がることが出来なかった。
それはライバルだったから。

両親の愛情を奪い合う仲だったから。

当たり前だけど長女の私は一番力が強い。
だからいつも泣かせていた。
そして母親にボコボコに殴られた(笑)

でも兄弟、姉妹って不思議。
普段ケンカばかりで1つも可愛がろうとしないくせに、弟や妹が近所のガキに泣かされたら大人しくしてないんだよね。

弟や妹を泣かした相手を殴って泣かせたりその子の玄関の窓ガラスをバットで割ったりもした。

だから弟が胸から背中にかけての大きな手術を受けた時、一ヶ月母親がいなくてもこの時は我慢出来たんだと思う。
弟に母親を独占させてあげないといけないとなんとなく感じてたから。

無事に弟が退院したらまたいつもの日常。
弟や妹を泣かせてボコボコに殴られる。

「あんたはお姉ちゃんの自覚がないのか?!」ってよく言われた。

「そんなもんないわい!一人っ子が良かったのにぽんぽん産むなや!」

往復ビンタ(笑)

今なら笑えるけどね。

No.3

小学生になった私はいつもクラスの誰かの真似をしていた。

真似をするのはその子が可愛いからとかじゃない。
自分を好きになれず認めたくなかったから誰かの真似をすることで違う自分になれた気がしていた。

その子が持っている文房具、服装、仕草、話し方…全部真似した。

六年生になる頃には幼い頃の勝ち気な性格は消えていた。
いつも何かに怯えていた。
今思えば自分を否定し誰かの真似をする日々をおくったせいで、自分が一体どういう人間なのか解らなくなっていたんだと思う。

表向きは明るくても友達からキツイことを言われると何時間も泣き続けた。
ずっとそのことを引きずり落ち込んだ。

目眩、吐き気、手先の震え、頭痛、身体のだるさ。

小学生で自律神経失調症と診断された。

でも内面が弱いだなんて認めたくなかった。
何も気にしてないふりをする為に今まで以上に表向きは明るく振る舞った。
強く見せたくて中学入学と同時期に煙草、酒、万引き、ケンカ。

さぁDQNの始まりです(笑)

No.4

中学二年生まで先輩や友達とつるんで悪さをした。
でも後輩いじめたりカツアゲしたりシンナーは絶対にしなかった。
そこだけはプライドが許さなかったんだと思う。

今もあのときそれだけはしなくてよかったと思える。

特に薬。

シンナーも葉っぱも覚醒剤もする機会は何度となくあった。
それをしたら本当に終わりだと気づいていたのもあったけど、自分を捨てきれないでいたのかなぁとも思う。

中二の夏。
仲の良い担任と母親交えて三者面談。

「行ける高校ないよ」
「最低ランクの私立を専願でも無理」

私「うそでしょ?」
担任「マジ」
母親「…。(涙目)」
沈黙。

本当に人生舐め腐ってたから当たり前の様に高校、大学へ行けると思ってた。

私「今からやればなんとかなる?」
担任「五教科の合計が50点のお前が今からどないすんねん?」

私「やったるわい!」
母親「黙り!アホ!家から出ていけ!」

私「今に見とけよボケー!」
逆ギレもいいとこ。

小学生の頃から勉強せずにきた自分が高校行く為にはどうすればいいのか。

答えは1つ。
死にものぐるいでやる!

朝は5時に起き登校時間まで勉強。
学校から帰ってきたらすぐに塾へ行き23時まで勉強。
それを受験日前日まで続けた。

つるんでた先輩や友達も事情を話すと離れていった。
そんなこと気にならないぐらい勉強した。

父親が心配して勉強してる私に何度も声をかけてくれた。
母親は何も言わなかったけど毎晩大好きなおかずや甘酒を作ってくれた。
恥ずかしくてありがとうは言えなかった。

併願で私立を受験。
合格通知を見たとき母親と抱き合って喜んだ。
どんな会話をしたかは覚えてないけど、顔を真っ赤にして涙目で笑っていた母親の顔は今でもはっきり覚えている。


その後なんと公立にも受かった。
偏差値は真ん中ぐらいのとこだけど、周囲はみんな「逆転さよなら特大ホームラン」と私の奇跡を祝ってくれた。

なのに高二の夏に中退。
通信制の高校に入り直し卒業もしたけど DQN再来。
原チャ乗り回し家にも殆ど帰らなくなった。

No.5

通信制の高校に通い出して暫くするとダイエットにのめり込み出した。
きっかけは痩せたら可愛くなる、幸せになれると勘違いしたから。

身長170cm近くあるのに体重が30kg代になった。

少量のお菓子しか食べない。
食べたら吐く。
吐けなくなったら何も食べなくなった。

身体よりも精神の異常の方が深刻だったので母親に連れられ心療内科へ。

カウンセリングを受けるにつれ解ったこと。

幼少期に自己愛を育めていない。

今さら自己愛もないだろと摂食障害、抑鬱、AC(アダルトチャイルド)と診断されても通院を拒否した。

しかし繰り返される自傷行為。
血を見て安心する自分は異常だと気づいてはいたけど治す気はなかった。

両親と何度となく衝突。

体重が20kg代になり歩行困難。
精神異常から幻覚幻聴に襲われ結局強制入院。

何度も繰り返された入退院。

どうして痩せたいの?
「愛されたいから」

どうして自傷行為するの?
「自分が嫌いだから」

嫌でも気づかされた。
愛情に飢えてた幼少期から何一つ変わってない自分。

根深い原因を探り治療することを決めた。

No.6

痩せてからモテたしモデルにスカウトされたりもしてたから、自分の価値は「痩せてる自分にしかない」と思い込んでいた。

食べなくなっても自傷行為を繰り返しても母親は怒鳴ることしかしなかった。

どうして抱き締めてくれないの?
ありのままで良いんだよとどうして言ってくれないの?

怒鳴ったり殴ったりすることでしか愛情表現が出来ない母。
今なら解るよ。
あなたなりに一生懸命愛してくれてたことが。

子どもの頃の私の場合、殴られるだけの親子関係ではなかった。
週末は必ず家族で出掛けたし楽しい思い出もたくさんある。

でもなぜか殴られた時の記憶の方が強く胸に残ってる。
皮肉なことに殴られてる時が一番愛情を感じれたから。

血を流して安心するのは痛みに安心感を得ていたからなのかも知れない。

こんな生活が23歳まで続いた。

No.7

23歳の冬、年下の旦那と出会い結婚。
24の時に出産。

死にものぐるいで何かに取り組んだのは受験勉強以来。
育児と家事と仕事。
三足のわらじを履いても幸せだった。

しかし、鬱&摂食障害再発。

子どもの為に四年間頑張ってきたけど心身共に崩壊。
最悪なことに自傷行為も始まる。

母親が自傷行為?
狂ってる。
子どもが可哀想。
母親から引き離すべき。
誰もがそう思うよね。
私が旦那の立場だったら取り敢えず別居はする。

でも旦那も子どもも私を必要としてくれた。
しかしそれが逆に辛くて重くて私は自ら家族と距離を置くようにした。
私といると家族は不幸になる。
自傷行為がエスカレートし刺青まで入れた。
それでも家族は私を見捨てず必要だと言ってくれた。

普通の人間にも、普通の母親にもなれない道を歩んだ私が未だに家族と居れるのはどうしてなんだろう。

旦那が「お前がいないと生きている意味がない」と言ってくれた。
生まれて初めて言われた言葉の重みを噛み締め、30歳にしてもう一度0から生き直す決意を固める。

今いる場所には確かに愛がある。

大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。

No.8

ここまでざっと綴りましたが1つ1つの出来事の裏話?を…。

先ずは普通の難しさについて。

私は普通に生きたいと何回、何十回、何百回と願ってきたくせに自ら異常な行き方を選んできた。

そう。
異常に生きるのは簡単だったから。

中学の時、理想は部活に専念し多少アホでも良いから真面目に学校生活を送ることだった。
しかし規則、上下関係に我慢出来なかった。
否、我慢しようとも思わなかった。
規則を守り上下関係を我慢し普通に生きた子達の方が強く逞しい。
「しょーもない人生をこいつらは歩むんやろな」と嘲笑っていた。
お前が一番しょーもない人生を結局歩むことになるんだよと当時の自分を掴まえて嫌味ったらしく言ってやりたい。

物事から逃げるのは簡単。
勉強、部活、人間関係、規則…。
でもその代償は大きい。

子どもの頃から逃げ癖がつくと楽な方へ楽な方へ流れようとする癖がつく。

一度は受験勉強に取り組み流される人生とさよなら出来るチャンスがあったのにそれを活かさなかった。

忍耐力と継続力。
皮肉なことにこの力を私はダイエットにしか活かせなかった。

力はあったのに使い方を誤った。

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