餓島
書かせていただきます🙏
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自分の親族、近所の親しい友人が目の前に居た。皆、優しい人達。
僕はその愛する人々に勢いよく敬礼をする。
「言ってまいります!」
真新しい簡素な軍服が、さらりと音をたてた。昨晩、祈るように母が自分の軍服を畳んでくれたのは知っている。
「隆二兄ちゃん!帰って来たらいっぱい話聞かせてよね」
甥っ子は鼻をすすりながら言った。
「身体に気をつけるんだよ…」
祖母は声を震わせながら言ってくれた。
母は皆の後ろでうずくまるように泣いていた。
昨晩、幼い時のように抱いてくれた母の温もりは有難かった。少し痩せてしまったようにも思えたが
(母さん…必ず帰ってきます)
一番左には幼馴染みの幸子がうつむきながら肩を震わせていた。
「さちこ…御守りありがとう」
自分も涙が出て、必死に目頭を押さえる
母の声がした。
隆二!
絶対に帰っ―――
「敵襲!敵襲!」
爆発音と共に怒号が飛ぶ。夢をみていた僕は飛び起きた。
「ダダダダダ!ダダダダダ!」
木造の船室に穴が開く。敵戦闘機の機銃だった。自分のすぐ真上をプロペラと雷のようなエンジン音が通りすぎてゆく。
漁船を改造、少し大きくしたような輸送船に兵隊は500人。さっきまで静かだった船内は、ひっくり返したように慌ただしくなった。
(来た!敵だ)
ドクドクと鼓動は早まり、目は多くの光を取り入れようと努める。
さっきの銃撃で数人が負傷。助けに向かうとすぐさま後方で爆発が起こり、身体は吹き飛ばされた。
かろうじて右舷のへりにひっかかり海に投げ出されずに済んだ。
すぐ真横では倒れた人間がうめき声をあげている。
何機もの戦闘機が低空飛行で真上を通り抜けてゆく。
主翼には大きな星のマークが描かれ、銀色に塗装された機体だった。
その戦闘機は後続の輸送船に機銃を浴びせながら遠ざかってゆく。
「くそ!」
腰にある小銃を手にとり、その機体に向けるが、すでに上昇して豆粒ほど大きさになっていた。
次に目の前に現れた戦闘機は深緑色の機体に主翼に日の丸が描かれた零式艦上戦闘機だった。
エンジンの爆音を響かせて星の戦闘機を追ってゆく。
後方の輸送船は爆撃をまともに受けて炎上した。炎に包まれながら海に飛び込む人間が何人も見える。ゆっくりと横倒しになる船を見つめる。
(駄目だ…あの船は沈む)
「おい!お前!突っ立ってないで銃構えろ!次が来る!」
隣で男にそう叫ばれて我に返る。
空の敵は波のように次から次へと襲いかかってきた。
右舷方向から2機
僕と隣の男、その他大勢が銃を構える。
敵機の放つ弾丸が水しぶきをあげて船に迫ってきた
僕は敵の機体に向けて引き金を引いた。
発砲と同時に船上の兵士数人が敵の弾にあたり血しぶきをあげて倒れていった。
「ちくしょう!」
隣の男は遠ざかる敵に向かって叫んだ。
全ての船が黒煙を上げているようにも思える。その上空では零戦と敵機が円を描くように戦っていた。僕は遠くを見つめながら、成す術もなく力無く銃を降ろした。
零戦が撃墜した敵機は回転しながら煙の尾を残して海に突っ込んだ。
第3波の襲撃は数機の零戦によって全て撃墜され、負傷者は出なかった。
護衛の戦闘機がいなければ容易く全ての輸送船は沈没するだろう。
それは兵士5000人以上が命を失うことを意味していた。
だが既に、この時点で輸送船は数隻減っている。少なくとも3隻以上は沈没していた。
離脱していった敵機は姿を消し、周囲の人間は落ち着きを取り戻す。しかし皆、表情は暗く、地獄の入り口でしかない事を理解していた。
眼鏡をかけた青年が負傷者を手当てしていた。
「僕も何か手伝います」
名も知らぬ眼鏡の青年に声をかける。
チラりと僕を見た青年は静かに言った。
「倒れている者の胸に色の付いた布を置いてほしいんです」
赤、青の2色の布を手渡された。
「赤は重傷者、青は軽傷者です。歩けそうもない人、すでに息の無い人には何も置かないでください」
「それじゃ…」
僕は質問しようとしたが遮られた。
「全員は助けられない。医薬品が圧倒的に足りないんです。元々十分な量が積まれていない…」
眼鏡の青年は感情を抑えるように言った。
多くの日本陸軍兵士を乗せた輸送船団は太平洋西部、ソロモン諸島のガダルカナル島へと向かっている。
アメリカとオーストラリアの連携を阻む目的で日本軍はガダルカナル島に飛行場を建設したが、アメリカの上陸で飛行場を占領されてしまう。
その飛行場を奪い返すのが輸送船団、上陸部隊の最大目標であった。
日本海軍はソロモン諸島近海で海戦を繰り広げ、別ルートから上陸を目指す輸送船団の間接的な支援を行ったが制空権、制海権はすでにアメリカに握られており、思うようにいかなかった。
護衛の零戦も発見されるのを極力避けるために数機しかおらず、苦戦を強いられる。
隆二の乗る輸送船と他の輸送船はガダルカナル島へと近づくが、またしてもアメリカの戦闘機が飛来。そこからは常に敵機からの空襲に晒される事となり、船が無傷でガダルカナルに到着する事は不可能に近かった。
もはや逃げ場のない船の上で隆二は布を握りしめていた。
手に持っていた38式の銃を放り投げると甲板で倒れている負傷者を探した。
ちっぽけな銃で次から次へと湧いて出てくる敵機に対抗する事が無意味に思えたからだった。
「しっかり!生きてるか!」
両腕で負傷者の頭を抱え声をかける。
応えたのは負傷者ではなく、真後ろに居た上官だった。
「貴様ぁぁ!」
振り向くと胸ぐらを掴まれ、おもいっきり殴られた。
「陛下からの授かり物を放り投げるとは!!」
上官は顔を真っ赤にして僕の胸ぐらをもう一度掴んだ。
「貴様の名は何だ?」
顔と顔が付きそうなぐらいの距離でそう質問された。
「水澤…水澤隆二であります…」
「よく顔を覚えておいてやる……」
そう言うと身体を突き飛ばされた。
操舵室へと向かう上官の後ろ姿を睨む。
「菊の御紋を見なかったのかい?とりあえず銃を取りに行った方がいい」
眼鏡の青年がさっきのいざこざを目にしたのか冷静に忠告してきた。
4㎏ほどの重い銃には菊の紋章が彫られており、それは天皇陛下からの贈り物、授かり物とされていたのだった。
「戦場でも肌身離さず持っていた方がいい。たとえ危険な敵地に落としたとしても取りに戻されてしまうよ」
怪我人に止血帯を巻きながら僕に言った。
ガダルカナル島が見えると敵は数を増やし、容赦なく船に襲い掛かる。
高速輸送船は速度を全開まで上げ、波しぶきをあげて強行突破に踏み切っていた。
すぐ近くを飛行していた零戦が主翼から火を噴き、空中分解してしまった。
護衛機は全て撃墜され、輸送船は敵の的と成り果てる。
「怪我人が多すぎる!駄目だ!」
僕は眼鏡の青年に叫んだが敵機のプロペラ音と機銃の音に掻き消された。
一時、揺れる足元と空襲の衝撃で動けなくなった。銃を片手に死の恐怖に負け、しゃがみこむと本当の銃の持ち主が足元にいた。
パニックだったとはいえ銃を奪ってしまった相手だ。
千切れた片腕は血に染まっていた。
「た…助けてくれ」
意識はあった。眼鏡の青年が青色の布から治療していた事は知っていたから、僕が青の布をこの人に置けば治療の対象となるだろう。
が…
僕は銃を返さず、青の布を置くことも躊躇した。
もしも上陸した後に上官が自分の持ち物を確認し、銃が無いことが分かれば殴られるのは可能性は高い。下手をすれば危険な任務で捨て駒にされる。
偽善者
僕は醜い小さな生き物だった。自分の保身、自分の命を彼の命と天秤にかけたのだ。
助けを乞う彼と目を合わす事ができなかった。
「ご……んなさい」
僕は
彼を見殺しにした
僕はその男に背中から抱かれ、下半身を引きずるようにして砂浜から離脱、ジャングルの中に連れていかれた。
執拗な空襲は輸送船、砂浜の荷、浜辺の兵士に集中されていてジャングルに入れば比較的空襲は受けないようだった。
痩せた兵士が僕を連れていった先はジャングルの岩場に囲まれた即席の治療場だった。怪我をした兵士が何人もいた。
痩せた兵士は僕を丁寧に寝かせるとすぐに砂浜へと戻っていった。
「ありがとうございます…」
安心すると太股の痛みが感じられてきた。
深緑色の襟章をつけた衛生兵が他の怪我人の手当てをしていた。その人の顔は汗にまみれ、懸命に応急措置を施していた。
ほどなくして僕の治療を行ってくれた。
鉄の破片を太股から抜き、ガーゼと包帯で圧迫止血を行ってくれた。
「しばらく押さえていてもらえますか。血が止まったらまた来ますから」
「ありがとうございます。衛生兵殿」
僕は敬意を込めて言った。
僕は日焼けした兵士の後を追うように足を引きずりながら浜辺を歩いた。
荷の集積場は人だかりで前に進めない。
群衆の真ん中で演説者のように上官が声を上げた。
「これから食糧の配給を行う。整列して各自受けとるように。我々の与えられた任務は迅速に飛行場を奪還する事だ!
1日も無駄にはできない!食事を終えた者は第一陣に加わり、ジャングルを進み迂回して空港への奇襲をかける。
第二陣は海岸沿いから進路をとり、第一陣の空港到着と同時刻に戦闘を開始する。アメリカ軍は2000名!我々の日本軍の戦力ならば数日で任務を遂行できる!
みやかに行動するように!以上だ」
皆は静かに聴いていた。配給を受けようと長蛇の列が自然と発生し始めた。
僕はその列に加わるが食糧を負傷兵全員分調達できないのではないか、もはやそのまま前線へ向かう事になるかもしれないと不安に陥っていた。
「二千人?冗談じゃねぇ……」
ボソりと後ろに並んでいた男が呟いた。
「見たのですか?」
思わず振り向いて質問する。
「んぁ…あぁ…」
何故かバツが悪そうに、その男は顔を伏せてしまった。
「………あの…」
僕は聞きたかった。自分が戦うであろう敵の状況が全く分からない。少しでも情報を得ておきたかったのだ。
「なんでもねぇ」
もう聞かないでくれと言わんばかりに僕の質問を遮る
僕は間違っているかもしれないが直感した。この人は過去に前線で戦っている。そして撤退か逃走してきたのでは…そんな推測をしてしまった。
軍服の汚れ具合、無精髭の長さは今日、上陸した兵士とは思えなかった
「人間は死んだら終わりなんだ…」
僕に目を合わせる事なく無精髭の男は肩を落とす。
自分の力の無さに落胆する。ここで反抗的な態度をとっても殴られるだけ、しかも十分な食料を貰える保証はない。
ぼくはなるべく静かに食事をしている一団を探すとそこに腰を降ろした。
くちゃくちゃと米を噛む隣の男は僕をチラリと見る。そして口の中にある米を飲み込むと僕に話かけてきた。
「ずいぶん上官に気に入られたみたいだね」
「逆ですよ…僕の事が気に入らない口ぶりでしたけど」
男は僕の目の奥をまっすぐ見つめて小さく笑った。
「戦争反対って目をしてるから注目されちまうんだよ」
「………」
僕は心を読まれた気がして少し驚いた。
「あれ。見てみな」
男が目で合図した方向には大勢の人間が両手を挙げて万歳三唱をしていた。
「日本人ならお国のために命賭ける事が当たり前なんだ。そんな目をしてたら注目される」
僕は何も言えず、これからジャングルを行軍する第一陣の団体を眺めた。
アメリカ人も日本人も同じ人間だ。生まれた国が違っただけ…。
もしかしたらアメリカは平和を望んでいるかもしれない。戦争は明日終わるかもしれない。
「やぁ日本の人達…殺し合うのはもうやめにして、それぞれの故郷に帰ろうじゃないか!協力しながら祖国の発展を目指してゆこう」
そんな和解の言葉で銃口を向け合う事もなく、握手を交わす…
痛みを耐えて歩き続けたせいか、思考がおかしい。
「ん?」
下を向いて歩いていた僕が前方に目を凝らすと【ある異変】に気がついた。
朝焼けに染まる日本兵達は塞き止められたかのように行軍を止めていたのだ。
(何があったんだ…ざわついているな…)
群衆を掻き分けて、その原因を突き止めた時、さっきまでの終戦と平和という考え方がいかに愚かで非現実的であるかを思いしらされる光景が広がっていた。
砂浜には遮蔽物が無く敵の弾丸を回避するには腹這いになることぐらいしかできなかった。
「はぁ…はぁ…」
走ってもいないのに呼吸が荒くなる。
敵も味方も発砲が続き、銃声が雨のように鳴り止まない。
正面、海側から突っ込んだ兵士はほぼ撃ち殺されていた。
海岸に打ち上げられる波が倒れた複数の遺体の血を洗う。
「くそ!ここじゃ当たらない!」
ガチャンと金属音をたてて弾丸を飛ばす用意が完了すると姿勢を低くして前進した。
何度もつまずき、前に倒れながら進んだ
運良く倒木を見つけると、そこに滑り込んだ。
「君!……るか!?……!」
すでに倒木で攻撃中だった細い目の男が僕に向かって何かを叫んだ。しかし、近場の爆発で吹き飛ばされた砂が大量に降ってきて二人は身を縮ませる。
「弾丸は!あるか?弾切れなんだ!」
僕は声より先にバックパックに詰め込んでいた弾丸の束をグシャリと掴むと彼に差し出した。
会話を長々としている余裕はなく、僕は倒木の上に銃を固定すると片目を見開き、アメリカ兵と照星を重ねる。
僕の撃った弾の軌道は曲がることなく、アメリカ兵の顔を撃ち抜いた。
(人殺し…)
僕は仰向けになり空を見つめて震えた。
「何やってる!おい!」
精神がパニックになりかけて隣で叫ぶ男の声も届かない。
一瞬、赤紙が届いた過去の出来事が脳裏に浮かぶ。
臨時召集令状
水澤_隆二
右臨時召集ヲ命セラル依テ左記日時到着地ニ参著シ此ノ令状ヲ以て――
実家に自転車で訪れた役所の人間は笑顔で僕に赤紙を渡し、敬礼した。
「おめでとうございます。活躍を期待しています」
あの桃色の薄い紙を破り捨ててしまえばよかったと思った。
川の中に一粒の水滴を落とすように、逆らわず召集令状に従ざるえなかった。
「おい!」
パチンと頬を叩かれて現実に呼び戻された。
隣の男は目を充血させて僕に言った。
「二人で突っ込むぞ!途中まで行ったら手投げ弾のピンを抜いて敵陣に突っ込むんだ!」
「どちらかが撃たれても走り、構わず突っ込む!やるだろ?」
(え?…一緒に自爆しようと提案しているのか?)
―殺人を犯した人間は生きる価値はないだ―
そう思いながら今まで生きてきた。許されない罪だと思考にこびりついていたが…
僕は人を殺した。
上の空で銃を握りしめる僕の肩を揺らし、男は叫んだ。
「国のために…日本のために!突っ込むぞ!」
僕は首を小さく横に振った。
まるで自分が罪人のように思えて、最低な人間に思えた。
人を殺し、食糧調達の仲間の約束を破り、自爆を拒み、自分の命を守ろうと必死にしがみついている。
「おまえ!それでも日本男児か!」
血と汗にまみれた僕達は嵐のような戦場で互いに衝突した。
「無駄死にする!敵陣に到達する前に撃ち殺される!あなたにも日本で待っている人がいるでしょう!」
何が正しくて、何が間違いないなのか分からなくなってくる。それは二人共同じだった。
「俺は行くぞ…腰抜けのお前とは違う 」
名も知らぬ男は真剣な顔で僕に言った。
強く握り締めた手榴弾を僕の目の前に掲げて、男は敵陣に向かって走りだした。
僕は一瞬迷い、危険を承知でその男の後を追った。
彼を助けようと思ったのではない。自爆を承諾したわけでもなかった。何か得たいの知れない狂った衝動に突き動かされた。
走る二人の足元には幾人もの日本兵が倒れていた。銃弾は光りながら一帯の空間を切り裂く。
両国の衝突は激しさを増していた。
アメリカは日本人を根絶やしにするが如く殺戮を止めようとはしなかった。
僕は走りながら脚の激痛に耐えきれず、一回り大きなヤシの木の陰に隠れた。
「一方的な戦いだ…駄目だ…」
戦場を見渡しただけでも日本の劣勢は明らかだった。日本側は人数こそ多かったものの、アメリカ軍の用意周到に準備された【待ち伏せ】に大打撃を受けていた。
高性能の武器や戦車、追い風のような戦闘機の援護、有刺鉄線を張り巡らせた地上の障害物など、日本兵がいつ来ても迎撃できる態勢を整えていた。
唇を噛みしめて息を整えながら彼を探す。
死を覚悟、むしろ死を望むかのような突撃を行う日本兵は多かった。
しかし無情にも敵陣には届くことなく次々に散ってゆく、走っていた者が一瞬で砂浜に倒れる光景が続いていた。
自爆を決意した彼を探すが発見できない。僕を腰抜けと罵った人間だが、嫌いにはなれなかった。何故ならば彼の目尻には笑い皺が沢山あったからだった。
笑顔の多い人生を送ってきた人間なのだと直感的に判断していたのだ。無謀な自爆で命を落としてほしくはなかった。
銃を構えながら敵陣に目を凝らすと上空から大粒の雨が降りだし、あっという間に激しい雨に変化した。
海や砂浜は厚い積乱雲の影で黒く淀み、両国の激しい戦闘が幾らか和らいだ。爆発音や銃声が雷鳴に混じる。
僕は雨に濡れた顔面を無造作に何度も掌で拭う。
「命令もくそもない。ジャングルに逃げる奴が増えてる。俺もそろそろ…あんたも命が惜しければ密林に隠れた方がいい」
男は軍人帽子をグシャっと潰して雑巾を搾るように水気をとる。それから深く被り直し、僕の顔をマジマジと見た。
「まだ若いじゃないか…」
「逃げる…逃げても…」
「知ってるか?俺達が来る前にこの場所で一度、部隊が全滅してるんだよ。このままじゃ更に死体の山だ」
僕は手榴弾を握る手をダラリと落とす。
日本を出港した時はアメリカは弱い、日本軍が快進撃を繰り広げてゆくと信じていた。そう教えられてきた。
真実はそうではなかった。
「僕も…
僕も行きます…」
笑い皺の彼の行く末を確認すらしていないが、僕は保身のため、敵に…仲間に背を向けた。
僕達はあまり喋らなかった。音を最小限にしつつ迅速に進んだ。激戦区から離れたとはいえ、敵兵士に発見されてしまえば即座に襲われるからだ。木の上から飛び去る鳥にも過敏に反応してしまう。
前を進む彼が突然立ち止まる。僕は彼の背中にぶつかり何が起こったのか確認しようと肩越しに覗き込んだ。
「遺体だ...」
全ての血と水分が抜かれたように骨が浮き出ている日本兵が木に寄り添うように座っている。残り少ない肉をウジがむさぼっていた。
「手に飯盒を持ってますね...」
大事そうに両手に抱く飯盒の中身は空っぽだった。
「食糧が尽きたのか...」
僕は小さく呟いた。まさか自分達も同じような末路を辿るのではないかと強烈な不安が沸き起こる。
僕達は合掌してその場を去る。
「何か食べられそうな物があったら採っておこう」
餓死した兵士が脳裏に焼き付いたのか、彼は不安そうな顔で僕に提案した。
雨が降っていた。
岩の尖った部分から一定のリズムで水滴が落ちる。
急な斜面の下を半円状に浅く掘られたような洞穴で僕達は座り込み、密林を見張っていた。いつ敵が来ても対応できるように銃を抱く。地面には沢山の黒く変色した腐った果実らしき物があったが果肉は無く、皮だけ残されていた。
それから、火をおこした形跡もあり、日本兵が過去にこの場所を寝ぐらに使っていたと推測できた。
「ここに居た人はどこに行ったのでしょうね...」
僕はボソりと尋ねた。
しばらく返答は無かった。彼は何かを見つめながら考え込んでいたからだ。
「たぶん周辺の果実やら食べられる物を採り尽くしてしまって移動したのかもしれない」
彼の視線の先には人工的に作られたような簡素な墓があった。不自然に盛り上がった土とその側には塔婆のように薄い板が刺さっていた。
「俺達が来る前に、ここに居た数人の兵士の中で死者が出て墓を作ったんだろう」
「じゃあ僕達もこの周辺で食糧を見つけることは難しいってことですね」
僕は落胆しながら言った。
墓に弔われた人は病死か...餓死か...戦死。
そのいずれかだろう。
「日本人は何をしに来たんでしょうか。この島に」
絶望感を抱いて僕は言ったが、彼は小さく笑っただけだった。
雨粒が無数の葉に当たりパチパチと音をたてていた。風は無く、不快な湿った空気で気分が悪くなる。
「それにしても腹が減ったな...」
僕が粉味噌を出し、彼は密林の道中で見つけた果物を出して「奇跡的にこれを見つけたんだ」と得意げに言った。
手に握られていた果物は、小さな赤紫色のビワだった。
半分づつ分けて食事を終えたが空腹感は拭えない。
それから僕達はしばらくお互いの故郷の話をしてから交代で寝ることになった。
彼が見張りをしている最中に寝なければならないのだが、僕は太腿の痛みと日本の風景や家族を思い出してしまって、なかなか寝る事ができなかった。
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