哀れ…

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2013/12/21 05:29(更新日時)

憎しみしか、残らなかったね…

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No.1517561 (スレ作成日時)

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No.101

『桜井さん…!ちょっといいですか?』


『ん?どうしたの?』


私は仕事終わりに桜井さんを呼び止めた。


『再来週、お休み頂きたいんです』


『再来週?木下さんに言ってみたら?いいと思うわよ?』


『私… 主人と別居する事になったんです… だから、引っ越すのにお休み欲しいんです…』


私は桜井さんにも今までの出来事を話した。桜井さんは私の想像以上に悲しげな表情を浮かべ、最後まで聞いてくれた。


『すみません。プライベートな事話して、迷惑ですよね? けど、黙ってる事の方が余計に心配かけるかなって』


『私みたいなおばさんに話してくれてありがとうって気持ちよ。中村さんの最近の様子見てると、ホントに心配だったから… けど、今は吹っ切れたって表情で、安心したわ。これからも大変だろうけど、私でよかったら話してね』


『…ありがとう… ありがとうございます! 松田さんも心配してくださってたし、私、ダメですね』


『松田さんね(笑)』


『どうしたんですか?』


『あの人、興味なさそうな感じにみせてる積もりなのに、顔にはしっかり心配ですって書いてあるんだもん』


『そうなんですか?(笑)』


『ホントに何かあったら、言ってね?』


『…はいっ!』


二人で顔を見合わせて笑った。

No.102

それから、日が経ち、今日は、彼女が引越しをする日だった。


『おはようございます』


『あ、桜井さん。おはようございます』


『中村さん、独りで大丈夫かな?』


『大丈夫でしょ?子供じゃないんだから』


俺は桜井さんが心配している様子を見て、少し笑ってしまった。


『ホントは松田さんも気にしてるでしょ?』


『えぇっ!? まさか!』


『今度、中村さん誘って飲みに行きません?』


『え? 桜井さん、どうしたんですか?』


『新たな旅立ちを祝うって感じですよ!…ま、それは口実で、私もストレス発散したいしね(笑)』


『それが本音ですか(笑)』


『じゃあ、中村さんと日にち決めますね』


『桜井さんのおごりでヨロシクお願いしますね』


俺は桜井さんの肩をポンポン叩いて笑った。

No.103

同じ頃、私は今まで住んでいた家を出ようとしていた。


隣の奥さんは怪訝そうな顔をしていたが、今の私はそんな視線はどうでもよかった。
前向きになりたかった。どこまでやれるかわからなかったが、自分で歩いて行きたかった。




そして、新しい我が家となるアパートに着いた。


荷物を入れていると、岩崎さんが声をかけてくれた。


『手伝う事はあるかい?』


『あ!大丈夫です。ありがとうございます』


『今日は疲れただろうから、家で夕飯食べていきなさい。待ってるし』


『え… あ… 』


『迷惑かい?』


『いえっ! 嬉しくて…!』


『じゃあ、また後で』


岩崎さんはにっこり微笑むと部屋を出ていった。


私は夕方まで出来る範囲内で片付けをする事にした。

No.104

仕事が終わり、俺は自宅から少し離れた駐車場にトラックを停めた。


そこでタバコを一本吸い、疲れた身体を引きずるように歩き始めた。


玄関のドアを開けると、 嫁と息子の言い合う声が聞こえて来た。


『あ…パパ、おかえり』


娘が俺に気付き、声をかけてきた。


『どうした?お母さん達?』


『あぁ、お兄ちゃんが、またワガママ言ったんじゃないの?興味ないけど(笑)』


『そっか… 』


俺は溜め息を吐き、嫁と息子のところへ行った。


『…ただいま。何があった?』


『おかえりなさい』


『何でもないし』


息子は俺の顔をちらっと見て、バツの悪い顔をしながら自分の部屋へ向かった。

No.105

『今日はお疲れさま』


私は夕飯をご馳走になるために、岩崎さんのお家の居間に通された。手伝いをかってでたが、やんわり断られた。


岩崎さんは隣の台所から、大皿に盛られた料理を手際よく運んではテーブルに並べてくださった。
どの料理も馴染みのあるもので、私は祖母が作ってくれた料理を思い出した。


『年寄りが作るものだから、口にあうかどうかわかんないけど』


私は岩崎さんに促されて、一番手前にあった煮物を口にした。味が染みてとっても美味しくて、余計に祖母を思い出してしまった。


『美味しい! 私、こういうおかず大好きです! 私、祖母によく料理を作って貰ったんですが、その味に似ていて、懐かしい!』


『そうかい。それはよかった。遠慮せずどんどんお上がり』


『はい!』


それから、ゴミの日はどこに出すかや、家賃の支払いや、その他注意すること等、話してくれた。


『まぁ、困った事があったら、遠慮せず言ってくれたらいいから』


『はい… あの… アパートの前の花壇…岩崎さんがお世話されてるんですか?』


『そうだけど?どうしたんだい?』


『可愛いなって思って…!あの花壇を見て、決めたんですよね』


『…私はね、花が人間にとって癒しの力があるって思ってるんだよ。世の中にはいろんな人が居て、いろいろな悩みを抱えてるだろ?そんな人間ってどうしても下を向いて歩いてる事が多い。そんな下を向いた人があの花壇が目に入って、可愛いとか、綺麗だと感じて、癒されてくれたらって思って、世話を欠かさないようにしてるの。ま…私の勝手な思いだけどね』

No.106

『ふぅ…』


『何があったんだ?』


『あの子、高校辞めたいって』


『は?』


『理由を聞くんだけど、言わないのよね』


『そんなこと言うのはじめてか?』


『うん。 ホント…どうしたんだろ…』


『…ま、もうちょっと様子を見てもいいんじゃないのか?』


『… あなたから話を聞いてあげてよ。男同士の方がいいんじゃないの?』


『… わかった。頃合いを見て話を聞く』


長男はそれから朝まで部屋から出てこなかった。しかし、次の日はちゃんと学校に行った。だから、一時の迷いみたいなもんだろうと思っていた。


しかし、その後… 学校から連絡があった。

No.107

『とっても素敵です…!じゃあ、私も癒された一人ですね(笑)』


『それはよかった。中村さん、はじめて見た時の顔と今、違うからね』


『私… 岩崎さんに自分の事話してしまって、後で考えたら、凄く恥ずかしかったです。けど、岩崎さんには自然に話せたというか… 岩崎さんには私の祖母を感じたのかも知れません』


『お茶…入れてこようかね』


岩崎さんはそう言うと、黙って台所の方に向かって行った。


『中村さん』


『はい?』


『もう過去の事は振り向かなくていいんじゃないのかね?もちろん、離婚が成立しないとすっきりはしないだろうけど、もうあんたは前に気持ちが向いてる。そう思うだけで力強く生きていけるよ!応援してるからね』


『はい…!』


岩崎さんと出会えてホントによかった!

No.108

嫁の話では、成績が下がって来て、授業中もぼんやりする事が多い事を心配した担任から連絡があったそうだ。


『すみません。お忙しいのに』


息子の担任は嫁にそう言い、着席を促した。


『お電話でもお話しましたが、最近松田君の様子が気になったもので、今日は来てもらいました。 なぁ、松田… お前も今日折角お母さんがこうして来てくださったんだから、思ってる事話してくれんか?お母さんも俺も味方だしな』


『実は先日、学校を辞めたいと言い出して、理由を聞いたのですが、何も言わなくて…』


『学校を辞めたい? 何かあった?』


息子は俯き黙ったままだった。


『黙っててもわかんないじゃない!こうして先生も心配してくださってるのに』


嫁は息子を急かすように言った。だが、やはり俯き黙ったままだった。


『まぁ、お母さん。本人も上手く言葉に出来ないんでしょう…今の気持ちを。 松田。お前にはお前の考えがあるんだろう。退学を口にするのには余程の理由があるんだろう。俺はお前が話してくれるのを待つつもりだよ?ただ、俺はお前が独りで悩んでるなら、俺やご両親が側に居るから、頼って欲しいなと思って、それを伝えたいんだよ。な?話せるようになったら、話してくれるか?』


息子は顔を上げて、担任の顔を真っ直ぐ見て頷いた。


嫁はその様子を見て、担任の気持ちに甘えようと思った。そして、息子が話してくれる事を待つようにするつもりにしたそうだ。


『…そうか。俺もアイツを気にかけるよ』


それにしても、どうしたんだろう?

No.109

私は岩崎さんにお礼を言い、自分の部屋に戻った。


今日からこの場所で生きていく… そう思う事で自分を奮い立たせる。


主人という繋がりは捨てた。
その代わりに、岩崎さんや桜井さん、そして… 松田さんという人たちとの新しい繋がりを大切にして生きたいと思った。


段ボールに詰めた荷物を移動させ、布団が敷けるスペースを確保する。


『はぁ… 疲れたな…』


私は布団を敷き、そこに勢いよくダイブした。


もう、途端…寝入ってしまった… 電気も消さないで…

No.110

息子はその日、夜遅くに誰かと電話していた。


自室に子機を持ち込んでいたので誰なのかはわからない。


嫁は息子の様子が気になるので、そっと息子の部屋のドアの前に立ち、耳を傾けていたが、ボソボソとしか聞こえなかったらしい。


けど、時々『ユカ』という女の子の名前っぽい単語が聞こえたらしく、嫁は相手は女の子ではないかと言っていた。


『あの子、誰かと付き合ってるのかしら?』


『高校生だから、そんな事もあって当然だろ?』


『恋愛に熱中して、高校が面倒になったとか…?』


『んな事あるか?アイツが(笑)』


『わかんないわよ!?』


嫁は色々想像を巡らせて、大きな溜め息をついた。


俺は火の点いていないタバコをくわえたまま、居間の窓から見える三日月を眺めていた。

No.111

『引越し、無事に終わった?』


新しい家からの初出勤、朝一に桜井さんが声をかけてくれた。


『はい!お休み頂いてすみませんでした。無事に終わりました。まだ段ボールは開けてないですけど』


『ま、ぼちぼちやればいいわよ。ね?』


『はい』


桜井さんにそう言われると、ホントにそう思えばいいんだと思える。


『あ、そうだ!昨日、松田さんと話してたんだけど、今度三人で飲みに行かない?』


『え?三人で?』


『中村さんの引越し祝いよぉ~ って、私のストレス解消もあるんだけどね?』


『桜井さんにもストレスあるんですか?』


『あるわよ~!旦那は毎晩付き合いとか言って帰りは遅いし、休みって言っても昼までだらだら寝てるし。娘はバイトだ遊びだって帰ってくるの遅いしね。だから私も息抜き』


『そうなんだ。大変ですね…』


『じゃあ、考えておいてね。私着替えてくるね』


『はい』

No.112

今日は他の取引先がトラブってしまった為に俺は彼女の会社に行くのがかなり遅くなってしまった。


もう納品しないといけない時間を過ぎてしまった。
俺は先に事情を電話し、桜井さんと彼女に待って貰う事をお願いした。


『すみません!遅くなって!』


すると桜井さんの姿は無くて、木下さんと彼女がいた。


『あぁ!お疲れさまです!』


木下さんが倉庫に居るのは珍しい。桜井さんの姿が見えないから、手伝いに来たのか…?そう思っていると、彼女が言った。


『桜井さん、急用が出来て、どうしても残れないから、代わりに木下さんがヘルプに来てくださいました』


『いいよ、俺、手空いてるし』


『ホントすみません。荷物下ろしますね』


俺は迷惑をかけているので、早く仕事を済ませようとした。だが、木下さんが彼女に話ながら仕事するので、前に進まない。


彼女は困惑した表情で木下さんの話に相槌をうっていた。


『今度、中村さん俺と飲みに行きましょうよ? 前から中村さんと話してみたかったんだよな~』


『そ…そうなんですか…? でも…』


『だって、パートの人っておばさんばっかだし、社員の女の子は付き合い悪いし!中村さん、今別居中なんでしょ?』


木下さんは彼女の上司だから、今回の事を知っているのは無理ない。だが、そういうのにかこつけて誘うのはどうかと思った。


『木下さん!』


俺は自分でもビックリするような声を出した。

No.113

松田さんの声に驚いて、私も木下さんも動きが止まった。


『今日は俺が遅くなってしまったせいで、中村さんや木下さんに迷惑かけてます。それはホントに申し訳なく思ってます。
けど、仕事なんで、そういう話は今は辞めてもらえますか?』


『…すみません』


木下さんは頭を下げた。


『…こちらこそ… 偉そうにすみません』


その後、倉庫には作業の際にでる音だけがして、ぎこちない空気が流れていた。


『あの…』


『ん…?』


『あの…今日、桜井さんに今度飲みに行かないかって誘われたんです。私を元気付けようとしてくださってるようで… 松田さんはご存知ですよね?』


『うん。聞きました』


『で、良かったら四人で飲みに行きませんか? 桜井さんと木下さんと松田さんと私で…! どうですか…?』


『俺は構いませんけど…』


木下さんはOK してくれた。


『部外者の俺が一緒でもいいんですか?』


松田さんはちょっと困惑した表情。


『それは俺の台詞ですよ!松田さん、行きましょうよ』


木下さんの一言で松田さんは頷いてくれた。


私は思わず笑ってしまった。


ぎこちない空気が少し元に戻った。

No.114

『さっきは私を助けてくれたんでしょ?』


彼女は俺の顔をジッと見つめ、そう言った。


『ホント助かりました。いつも松田さんには助けて貰ってばっかり』


彼女はそう言って微笑んだ。


『助けてなんてないよ?思ったことを言っただけだよ。けど、飲みに行く話、ホントは嫌じゃないの?それこそ俺があんな事を言って、雰囲気悪くなったから…』


『いいえ。松田さんが行くならって、最初からOK するつもりでしたからね(笑) さて…あたし、帰ります!』


彼女はそう言って帰って行った。


『また…ズルいよな…』


俺は苦笑いするしかなかった。

No.115

私は松田さんがまた庇ってくれた事が嬉しかった。


主人は私を庇ってはくれなかった。


庇うどころか、私を責め、逃げた。


なのに、離婚はしない。


私に非が無い訳じゃないけど、主人には愛が感じられなかった。


ホントは最初から無かったのでは…?と思ってしまうくらい…



松田さんがいつも私にそっと手を差し伸べてくれる事が嬉しくて、私は無意識に彼を目で追う事が多くなった。


好きの気持ち?


それは…


ココロの奥にそっとしまい込んでおいたのかも知れない。


そして…約束の飲み会があった。

No.116

飲み会は皆の都合があった土曜日にする事になった。


俺は土曜日も仕事だったが、早めに終わり、一度家に帰ってから電車で行く事にした。


で、帰ると、嫁と息子が言い合いをしていた。


『どうした?』


俺は娘に聞いた。


『お兄ちゃん、やっぱり高校辞めるって言ってるんだよ』


『また…? 理由は?』


『働きたいってさ』


『働くって…』


『だからお母さん理由聞いてるんだけど、言わなくって、さっきからヤバいくらいに怒ってて』


嫁の性格的に、ゆっくりと相手の話を聞くという事はしないだろうと思っていたから、多分、息子にたくさんの言葉を浴びせて息子を追い詰めているに違いないと思っていたので、俺は嫁と息子の間に入る事にした。


『ちょっと… お前も落ち着けよ』


『そんな事言ったって、高校辞めて働きたいって言うのに!』


『お前がぎゃーぎゃーコイツをまくし立てたら、コイツだって何にも言いたくなくなるだろうが。 俺が話を聞くから』


『…わかった』


嫁は息子の部屋を出た。


息子はずっと俯いてベッドに座っていた。

No.117

私は皆と待ち合わせしている居酒屋へ向かった。
会社の近くの居酒屋だったので、自転車で向かった。


店の前には木下さんがタバコを吸いながら待っていた。


『こんばんは』


『あぁ!こんばんは』


『皆さんまだですか?』


『みたい…だね? ちょっと早かったかな?』


木下さんはいつもの作業袋とは違って、アイロンのかかったストライプのシャツにジーンズ。


『何か…いつもの作業着じゃないから新鮮ですね』


『あぁ…。いつも家ではこんな感じ』


『彼女のお見立てとか…?』


『彼女居ないし』


『えっ?そうなんですか?』


『そうですよ。中村さん…』


木下さんが何か言いかけた時に、誰かが私達の背中を叩いて来た。


『こんばんは!お待たせかな?』


その声の主は桜井さんだった。


『いいえ!私も今来たところですから!』


『松田さんは?』


『まだみたいですね? 今日も仕事みたいだから、遅れるのかな?』


『先に入ります?』


『そうしますかね』


私達は三人で先に店内へ入る事にした。

No.118

『高校辞めて働きたいんだって?』


俺は息子の勉強机の椅子に腰掛けて、そう問いかけた。
息子は相変わらず俯いたままだ。


『俺はお母さんみたいに頭から反対する気はない。先ずは話を聞かないとな』


男っていうのは、言葉にするのが下手というか、自分の立場が悪い時は黙ってしまうのが得意というか…
時間をかけてゆっくり聞けばいいものを、女は直ぐにまくし立てて、何かを聞き出そうとする。
そんな事をすると、余計に話さなくなるのに…


『…話したくないなら無理に話さなくていい。けど、人の意見を聞くってのも大事だぞ』


俺はそう言い、部屋を出ようとした。


『…俺… 助けたい女のコがいるんだ…』


『…助けたい女のコ?』


俺は息子の方を向いた。息子は俯いていた顔を上げていた。

No.119

『予約してた桜井です』


桜井さんが店員に声をかけてくれた。店員は予約状況の書かれてあるノートを見るとニッコリ笑って、私達を案内してくれた。

この居酒屋に来るのは初めてだった。桜井さんは、他のパートさんと何度か来た事があったらしくて、詳しそうだった。


私達は二階の一番奥の個室に通された。個室といっても、隣とは襖で仕切られただけの、簡単な仕切りで作られた個室だが。


『注文お伺いしますが』


案内してくれた店員が私達に聞いた。


『松田さん…待ちます?』


『今、何時?』


『6時半まわってる』


『あと少し待つ?』


『…すみません。あと一人来るんで、また揃ったら呼びます』


『あ、はい。じゃあ、そのインターホン鳴らして下さいね』


店員はそう言い残して出ていった。


『どうしたんだろね?松田さん』


『もうすぐ来るでしょ?』


私は…桜井さんと木下さんのやり取りをボンヤリ聞いていた。


来てね…松田さん…

No.120

『俺…付き合ってる女のコいるんだけど』


それは先日、息子の長電話の相手をしていた『ユカ』という女のコだという事が頭に浮かんだ。


『…あいつ… 両親が離婚して、ユカはお母さんについて行ったんだけど、ユカのお母さん、彼氏がいて、その彼氏がユカに暴力を振るうらしいんだ』


『暴力…?』


『あいつが暴力を振るわれてるのは、お母さんが夜働きに行ってる間らしいんだけど、ユカのお母さんが彼氏に依存してるらしくて、ユカの言う事を信じないみたいなんだ』


『その彼氏は一緒に住んでるのか?』


『何か、半分居着いているみたい。昼間に来て、帰るのめんどくさくなったら泊まって行くらしい。
何か彼氏、バイトみたいな感じで、その仕事が上手く行ってないらしくて、お母さんにお金せびりに来るんだって。けど、そんなしょっちゅうお金渡せないじゃん?だから、ユカにお前も働けとか、お前が早く自立したらお母さんもっと楽なのにとか、とにかく、あいつが目障りみたいに思ってるみたいなんだ』


『で…? お前、彼女と、一緒に住むって思ったのか?』


『ユカ… あの家には帰りたくないって言うんだ。でも俺…まだこんなんじゃん…?だから、ここに呼んで、彼女と一緒に住みたい。それで、二人で働いて、お金貯めて…』


ここに呼ぶって…
俺は思わず溜め息をついた。


嫁は黙ってドア越しに話を聞いていた。

No.121

待ち合わせの時間をもう30分以上過ぎても松田さんはお店に現れなかった。


『中村さん… 松田さん気になる?』


木下さんが私に向かって言う。


『ホントに遅いよね? 何かあったのかしら?』


『待ち合わせの店、間違えてないよね?』


『ちゃんと言いましたよ。』


木下さんと桜井さんのやり取りを遮るように私は言った。


『ちょっと…お手洗い…』


私はお手洗いと言いながら、松田さんを見に外へ出た。


『…連絡つく方法無いしな…』


松田さんは仕事上、携帯を持っていたが、私達はまだ持っていなかった。(まだ飛躍的に普及する前だった)


携帯番号は会社には控えてあるが、個人的にはかける事は無いので、誰も記憶はしていない。


『もうそろそろ戻らないと…』


私は木下さんと桜井さんが心配してると思い、戻る事にした。

No.122

『お前。その子を守りたいのか?』


『うん。』


『けど、お前の考え方は違うぞ。彼女をその家から離す事が解決にはならないと思うな』


『じゃあ、どうしたらいいのさ?』


息子は声をあらげた。


『彼女と担任とお前と俺で先ずは話し合いをしよう。彼女の父親にも協力して貰えるなら協力して貰おう。
お前…一時の気持ちで今、ホントに高校を辞めたら、きっと後悔するぞ。ホントに彼女を守りたいなら、根本的に解決しないと意味がないぞ』


『お母さんもお父さんの意見に賛成よ。担任の先生も心配してらっしゃるし、力になって貰うのがいいと思うわ』


息子は黙って俯いていた。


『おい。担任の先生に連絡して、月曜日時間作って貰ってくれよ』


『あ… 解った。あなたが行ってくれるの?』


『俺が行く』


『解ったわ』


『お前は彼女と学校に残るんだぞ、いいな』


息子は黙って頷いた。




そこで…初めて、飲み会の事を思い出した。

No.123

席に戻ると、代わるように木下さんが席を外した。


桜井さんは私の耳元で言った。


『松田さんを見に行ったんでしょ?』


『…あ… はい…。 けど、まだでした(笑)』


『そっかぁ…』



『すみません! 桜井さんという方いらっしゃいますか?』


さっきの店員とは違う人が私達の個室に声をかけてきた。


『あ… 私ですが…』


『松田さんとおっしゃる方からお電話入ってます』


『…! あ… はい! 今行きます!』


桜井さんはその店員に付いて部屋を出ていった。


松田さんからの電話…!
とりあえず、連絡があった事にホッとした。


そこへ木下さんが戻って来た。


『あれ…?桜井さんは?』


『松田さんから電話かかってきたみたいで…』


『そう! どうしたんかね? ね? 中村さん、そんなに松田さんが気になるの?』


『え…? いや… 私は別に…』


『…松田さんは結婚してるんだよ? 君の届く相手じゃないよ?』


『… わ… わかってます! そんな事、木下さんに言われなくてもわかってますから!』


私は声を荒げてしまった。らしくない…

No.124

【『桜井さんですか?松田です』】


【『松田さん、今何処ですか?遅いから心配してました』】


【『すみません… まだ家なんです… ちょっと訳ありで…』】


【『…来れそうですか?まだ始めてないんです』】


【『申し訳ないですが… 今日は…』】


【『そうですか… わかりました』】


【『すみません… 木下さんと… 中村さんによろしくお伝えください』】


【『あの…』】


【『はい…?』】


【『…中村さん、心配してたから、また月曜日、声かけてあげてください』】


【『… ホントにすみません。じゃあ、月曜日…』】


【『はい。失礼します…』】




『断ったの?』


『あぁ。仕方ないだろ?こんなじゃ』


俺は仕方ないと自分に言い聞かせ、風呂に行った。


中村さんの事が気になったが、彼女の声を今聞いたら、行きたい気持ちになる事が怖かったので、桜井さんを呼んで貰った。


風呂から上がり、冷たいビールをグラスに注ぐと、それを一気に飲み干した。

No.125

『どうしたの…? そんなに大きな声出して』


桜井さんは松田さんの電話から戻って来た。


『…松田さんは?』


木下さんが聞いた。


『何か急に来れなくなったみたい。すみませんって謝ってらっしゃったわ』


『そうですか…』


『さ、じゃあ、三人で楽しみましょう! 最初はビールでいいわよね? あと、適当に注文してもいいかしら?』


私は桜井さんが努めて明るくしてくれてるのが良くわかったから、暗い顔をするのは辞めた。


せっかく、来たのだから、楽しまないと、桜井さんはもちろん、木下さんにも悪い。


私達はそれから妙にテンションが高く、二時間くらいだったが、あっという間だった。



木下さんがトイレに立った時、桜井さんが言った。


『松田さん、月曜日ちゃんと声をかけてくれるから、心配しないでいいよ』


私はにっこりとして、頷いた。

No.126

月曜日ー


嫁から携帯に電話が入り、息子の担任が夕方時間をとってくれる事、それから、ユカの父親にも連絡をとってくれる事を聞いた。


今日は締日が近かったので、忙しく、昼ご飯もとらずに取引先を走り回った。


息子の学校には五時半には着かないとならなかったので、余計に時間に追われた。


彼女の会社に着いたのは、3時を少し過ぎていた頃だった。



『こんにちは。遅くなりました!』


『お疲れさまです!』


桜井さんはいつもの笑顔でそう声掛けしてくれた。


彼女は『お疲れさまです』と俯き加減でボソッと言った。



『土曜日はホントにすみませんでした… ちょっと息子の事でトラブって…』


『大丈夫なんですか?』


『えぇ…まぁ… この埋め合わせは必ず!』


『楽しみにしておきますね!』



『中村さん…』


『はい』


『ホントにすみませんでした!』


『いえ…!そんな…! また… 誘いますね』


『はい。喜んで!』


彼女はにっこり笑ってくれた。

No.127

『松田さん!』


声のする方に振り向くと、彼女が手に何かを持って走って来た。


『どうしたんですか?そんなに急いで』


『もう…トラック行ってしまうかなって思って!』


彼女は息を整えながら言った。


『今から出ようかなって思ってたよ』


『良かった!間に合って!』


『どうしたの…?』


『…これ… 食べて下さい』


彼女の手にある袋を受け取った。


『…ん? あ…パン…?』


『近所に私のお気に入りの雑貨屋さんがあって、最近パンも販売するようになって、今朝、買いに行ったんです。けど…食べられなくて… よかったらもらってくれませんか?松田さん、お昼食べてなさそうだし…』


『けど… いいの…?』


『はい!もちろん』


『じゃあ…!遠慮なく! 中村さんの言う通り、お昼食べてないんだ(笑)』


『良かった! じゃあ… 私…行きますね』


『ありがとう』


彼女は笑顔で小さく会釈をし、倉庫の方へ戻って行った。



彼女と代わるように木下さんが俺の側に来た。

No.128

主です。


すみません。お詫びです。


ずっと彼女(中村)と彼(松田)が交代で場面を展開させるようにしてきたのですが、私のうっかりで、彼(松田)サイドが連続になってしまいました。


申し訳ないのですが、このまま進めさせて頂きます。




それから…


いつも私の拙い文章を読んで頂いてること、ホントに有り難く思っています。


表現力も文章力も無いので、小説というものには程遠く、読み返すのも恥ずかしいくらいです。


かなり最近は更新が遅くなってしまってますが、書くと決めた限り頑張りますので、お付き合い頂ければ有難いです。


ホントは…


ホントは読んで頂いてる皆さんに、感想等をお尋ねしたいのですが、やっぱり私にはそんな勇気も無いので、ヒット数を励みに頑張ります。


もうしばらくお付き合いください(⌒~⌒)

No.129

木下さんに飲み会で言われたことを思い出していた。


松田さんが結婚していること。


私の手の届く相手じゃ無いこと。


思わず声を荒げて否定したけど、私の気持ちはもう止まらなかった。


松田さんを好きな気持ちは止められなかった。


けど…


松田さんには伝わらない恋にしないといけない。


秘めた想いにしないといけない。


そう思う私の頬には涙がつたっていた。

No.130

『彼女、土曜日、ずっと松田さん来るの待ってたんですよね…』


『あ…木下さん。 土曜日はすみませんでした』


木下さんは真剣な表情で言った。


『俺… 中村さんを好きになったみたいです』


彼は確か独身。 彼女の今置かれている状況は理解している筈…


けど、彼の真っ直ぐな目は、俺に訴えかけるようだった。


《お前が居ると迷惑なんだ!》




『松田さんは、彼女の事、どう思ってますか?』


『どうって… 』


『好き… ですか?』




俺の胸ポケットから、携帯の着信音が聞こえて来た。


『すみません』


俺は木下さんに断り、電話に出た。


木下さんは俺に一礼すると、立ち去った。



俺は…俺の今の立場からすると、彼女を好きだとは


言えなかった…

No.131

『中村さん』


呼ばれた声の方に向くと、木下さんが立っていた。


その表情は、いつもの木下さんでは無く、ちょっと怖い感じだった。


『中村さん。中村さんは松田さんの事、何も思ってないよね?
俺が土曜日、言った事覚えてるよね?あの人は結婚している、手の届かない人だって』


『…覚えてます』


『俺… あの人には敵わないかも知れない。 あの人は俺よりずっと大人で、俺なんかあの人に比べたらガキかも知れない… けど!』


『木下さんっ!!』


私は木下さんが、この先、言おうとしている事を無意識に止めないと!と思い、彼の言葉を切り捨てた。


『私にとって…松田さんは出入りの業者さん。木下さんは上司。それはこれからも…ずっと…変わりません。 木下さん。もう…この話は辞めてください。松田さんにもご迷惑ですから』


『中村さん…』


私はこの瞬間、自分の気持ちを心のずっと奥にしまいこんだ。


明日から、以前の接し方をしよう。


木下さんには、私の事を忘れて欲しい。
そして…


松田さんには、これ以上、好きにならないよう、心にブレーキをかけよう。



けど…ブレーキは止まらなかった…

No.132

木下さんの話が気になりながら、俺は、息子の学校へ車を走らせた。


早速、担任の先生と息子とユカの四人で話し合った。
ユカから聞いた話は、息子から聞いた話と同じで、担任も眉間に皺を寄せながら聞き、最後に『ひどい話だ…』と言った。


ユカの父親は、隣町に一人で住んでいて、ユカの今の状況を聞くと、驚いていたそうだ。両親の離婚の原因は、父親の事業の失敗によるもので、今は父親は会社勤めをしながら、少しずつ、借金を返して行っているらしい。
今は、ユカの母親に会いに行っているらしく、ユカの母親も連れて、こちらへ来るという。


『父と母は別に嫌いで別れた訳では無いんです。娘の私が言うのは何ですが…とっても仲が良かった。 けど…あんな事になって… 母は寂しかったんだと思います。 だから、あの人に依存して… けど、今はあの人の方が依存してますけどね…』


『お父さんは、君やお母さんが自分のせいで苦しんでるっておっしゃってたよ。だから、お父さん、お母さんに話してくるって言って… お母さん、彼と別れてくれたらいいんだけど…』


『私… お母さんの気持ち、何となく解るんです。突然ポッカリ空いた穴を埋めるのって、ホント…大変ですから』


『君は何で埋めたの…?』


俺は、彼女に聞いた。


『…私は… 彼です!埋めたっていうか、彼が埋めてくれました!だから、私は毎日家では辛かったけど、彼が居てくれたから、頑張れた。…けど、彼が学校を辞めて、働いて私を守ってくれるって言ってくれたけど、素直にウンとは言えなかった。私は、彼の人生を壊したくなかった。私…彼が好きだから、お荷物にはなりたくなかった…』

No.133

『中村さん… 顔色悪いよ?大丈夫?』


桜井さんの声にビクッとなった。


私は更衣室でボンヤリしていた。


『どうしたの?何かあった?』


私は首を横に振った。


『今度、中村さんのお家に遊びに行ってもいい?』


『え…?あ… はい!まだ片付いて無いですけど』


『じゃあ、今度、ケーキでも持って行くね! 私先に帰るから。お疲れさまでした』


『お疲れさまでした』


桜井さんは、いつも私を気にかけてくれてる。私の感情で、迷惑をかけてはならない。仕事に差し支えてはいけない。


桜井さんの後ろ姿を見ながら、私はある決意をした。

No.134

『お荷物なんて思ってないよ!俺はユカの大変さから救ってやりたかっただけ。それだけだよ』



『遅くなりました!ユカの父親です』


応接室の扉の前に、俺より少し年上の男性が立って、深々と頭を下げていた。


お互い簡単に自己紹介をし、父親から母親との話の顛末を聞いた。


母親は今回、彼がユカにそういう事を言っていた事を知らなかった。大変驚いていたようだ。父親は、母親に彼の事をどう思っているのかを聞いた。すると初めは好きだったが、最近は母親に頼る事が多くなり、少し距離を置きたいと考えていたそうだ。娘がそんな事になっている事が解った今、別れようと決意したという。


『彼女をそんな風にしたのは私の責任です。彼女は自分で彼との事を始末すると言ってますが、私も一緒に立ち会いたいと思ってます。ユカは今日から私が預かります。松田さん、先生。ご迷惑おかけしました!』


『お父さん…』


ユカの顔は少し緊張から解き放たれた感じになり、目には涙が溜まっていた。


『よかったな、ユカ』


『うん!』


息子はユカにそう言い、微笑んだ。

No.135

会社からの帰り道、自転車を漕ぐきになれず、押しながら歩いていると、遠くから私を呼ぶ声がした。


その声のする方へ顔を向けると、今朝行った雑貨andパン屋を任されている、橋本さんだった。


彼女は私と松田さんがコンビニで会った後行った雑貨屋の店員さんで、オーナーから店の事を任されていた。


『今、帰り? どうしたの?自転車パンクでもしてるの?』


『いえ… ちょっと色々あって。今朝はオマケして貰ってありがとうございました』


『あれは商品化にする前のやつなのよ。だから、中村さんに食べてもらいたかったの!どうだった?お味は?』


『すみません… 私…食べてないんです。別の人にあげちゃって… だから、また感想聞いておきます』


『どうしたの?じゃあ、お昼食べてないって事?そんなんじゃ、ダメじゃない!』


橋本さんはそう言い、悲しそうな表情をした。


『ごめんなさい… 』


『ホント、どうしちゃったの?私に話せる事なら何でも言ってね?中村さんは私の大切なお客様だし、お友達だしね』


私は、橋本さんに思い切って言った。


『あの…!私をあの店で働かせて貰えませんか?』

No.136

学校の門で、ユカ親子と別れようとしたとき、ユカの父親が息子に言った。


『松田くん。ホントにユカの事、ありがとう。君は、ユカがホントに好きなんだね』


『俺!ユカを大事にします!だから、お付き合いを認めてください!』


『認めるも何も、君がユカの支えになってくれた。とても感謝してるよ。君とユカが良ければ、仲良くしていってくれたらと思ってるよ。宜しく頼むよ』


『はい!』


いつまでも子どもだと思っていた息子が、たくましく思えた。


『松田さん。今日は本当にありがとうございました。感謝しています。そして、宜しくお願いします』


『こちらこそ、でしゃばった事をしてしまいすみませんでした。宜しくお願いします』


俺は息子を車に乗せ、見送るというユカ親子を背に走り去った。


車中、息子が俺に言った。


『今日はありがとう』

No.137

『どうしたの?急に!』


『…すみません… 急に変な事言って』


『別に構わないけど、今のところ、辞めたいの?』


『…色々あって…辞めようかと…』


『… 中村さん。うちは中村さんに来てもらうのはいいけど、それには条件があるわ』


『条件…?』


『次に進む為には、あなたが今抱えている問題をちゃんと解決してからよ! でないと、こちらのスタッフにも迷惑がかかるしね?私はオーナーからあのお店を任されている以上、無責任には雇えないのよ。解るわよね?』


『はい… わかります』


『じゃあ、あなたの心が決まったら、連絡してちょうだい』


橋本さんは、携帯の番号を私に渡して、去って行った。


私はしばらく、その場から動けず、涙が溢れて来た。

No.138

うちに帰り、今日の話し合いの事を嫁に報告した。


嫁は安堵していた。高校を辞めてまで守りたいと思える女の子が出来た事に対しては、母親特有の複雑な気持ちが入り乱れていたようだが、とりあえず、息子がまた高校生活を送ってくれる事がわかり、喜んでいた。



夕飯を済ませ、風呂に入った。


今日の事を思い返していた。


木下さんが彼女…中村さんを好きな事…。


そして、彼女をどう思っているのか、木下さんに聞かれた事…。


彼女を好きなのは、俺の中でハッキリしている。


けど、俺の立場では言えないし、彼女にも迷惑をかけてしまうのは確実だ。


俺は彼女にとって出入り業者。彼女は従業員。そして、桜井さんや木下さんという上司もいて、俺の気持ちが伝わってしまったら、彼女はもちろん、皆に迷惑がかかる。


木下さんには、今の状況なら、何とか誤魔化せる。


俺は決めた。


彼女を、大切な彼女を傷つけたくない!


俺の気持ちを断ち切ろう!


俺はバシャバシャと何度も湯で顔を洗った。

No.139

気が付くと、それから、一ヶ月くらい経っていた。


私は…自分の気持ちに蓋をするつもりだった。





…だけど…





私の中で、松田さんは…


自分ではどうする事も出来ないくらい


好きな気持ちが止まらなかった。


以前より、好きな気持ちが強くなったような気がした。








そんな時、主人が私の居場所を突き止めたらしく、アパートの前で待っていた。

No.140

自分の気持ちを騙す事の難しさを実感しつつ、俺は仕事に打ち込む事に専念した。


彼女の顔を見ると、切なくなってしまうけれど、俺は決めたんだ…と、自分に言い聞かせていた。


桜井さんは、そんな俺にちょくちょく声をかけてくれた。


桜井さんは… というか、桜井さんも…


俺の変化に気づいていたのかも知れない。


変化というのは、俺が彼女に対する好きな気持ちと、今の素っ気なさ。


桜井さんは、さりげなく優しさをくれる人だった。

No.141

主人は少し痩せたように見えた。


けど、私は敢えて気付かないふりをした。


そうしないと、自分の気持ちが揺れてしまうような気がしたから。


もう、前に向かって行く事を決めたのだから、揺れてはいけなかった。



『これ…』


主人の手には白い封筒。直感的に、離婚届だと思った。


『書いてくれたの?』


私はその封筒の中味を確認しながら言った。


『もう、君を俺の戸籍に留めておく理由が無くなったからね』


『…どういう意味?』


『仕事辞めたからさ…』


『…そう… 私はもう用無しなのね』


私はその封筒を主人に返した。


『君は…?どうしてるの?最近』


『…あなたには関係の無いことよ。もう他人じゃない…』


主人は寂しげにフッっと笑い、その後、真顔で言った。


『君には、辛く当たってしまって、申し訳無く思ってる。 あの時、俺は自分の事しか考えて無かったよな』


『……… 』


『じゃあ、明日、役所に出しておくから。出したら連絡するから、番号』


『要らないわ。連絡は。あなたはきっと出してくれると思ってるし。じゃあ』


私は急いで部屋に入った。


何故だか涙が止まらなかった。


今頃、謝るのは… ズルい




そして、私と主人はホントに他人になった。

No.142

『はい。これ』


顔を上げると、桜井さんが缶コーヒーを目の前に差し出してきた。


『すみません』


『元気ないわね?松田さん。息子さんの事…?』


『そうですか…? 息子の事は解決しましたから、大丈夫ですよ』


『そう、よかった!』


桜井さんは自分の手にしていたコーヒーを空け、一口飲んだ。
















『松田さん… びっくりしないでね』


『はい…?』














『中村さん、今月いっぱいで辞めるって…』


『…えっ?… 』

No.143

私の中で、主人との事が解決した事で、何かわからないけど、終わった気がした。


ホントに独りになった…


そして、私のもう一つの問題…


松田さんへの気持ち…


抑えきれない気持ち…


それは桜井さんに伝わる事となった事により、私に一つの区切りがついた形になった。



『中村さん、帰り、ちょっといい?』


『はい?』


桜井さんは、ちょっと神妙な顔をし、私に話があるから、一緒に帰ろうと言って来た。


普段通りに仕事をこなし、定時に終わり、タイムカードを押し、会社の門を出た処で待っていた。


『ごめんね~!』


『いえ!大丈夫です!』


『歩こうか』


桜井さんの顔から笑顔が消え、少し歩き始めた時、言った。











『中村さん… 聞いていいかな?』


『はい?』















『中村さんは、松田さんが好き…?』


『えっ…?』

No.144

辞めるって…?


俺は、その言葉の意味を、すぐ自分の中で、理解することが出来ずにいた。


『桜井さん… どういう意味ですか…?』


『中村さん、前から次のパート先を探してたみたいで、それが見つかったみたい』


『けど、彼女、まだ此処に勤め始めてそんなに経ってないでしょ?』


『自分では、どうする事も出来ない現実ってのがあるんじゃないかな…?それに気付いてしまったら、そこから離れなきゃいけない…』


『桜井さん…』


『私が松田さんに話したって事、内緒ね。彼女… 彼女、きっと自分で言わないだろうから、松田さんには黙って辞めるつもりだろうから…。 松田さん。彼女のお芝居に付き合ってあげて欲しい』


『お芝居…?』


『それが… それが私達に出来る最後の優しさなの』

No.145

『突然、こんな事聞いてごめんなさいね』


『桜井さん…』


『ずっと前から気になっていたんだ… 中村さん、真面目で正直だから…』


桜井さんの言葉の続きには、『判りやすい』という言葉があるのだろう。


『最近、元気無かったけど、やっぱり松田さんの事かしら…?』


私は自分の正直な気持ちを話した。


松田さんを好きになってしまった事。
木下さんから告白じみた事を言われた事。
木下さんから、松田さんは結婚しているからと忠告されて、声を荒げてしまった事。
自分の気持ちを抑えきれない事。
そして… 仕事を辞めようと思ってる事…


桜井さんは黙って聞いていた。


『次のパート先の人に言われたんです。今の状況を解決してから来てって。解決するって…私の気持ちを捨てるって事ですよね… それが出来たら私… 』


『私に話した事で、解決したって考えたらどうかな…?』


『えっ…?』


『あなたは私や木下さんに気付かれて居られなくなったから、辞めた。それでいいんじゃない? 今のあなたは、松田さんと同じ場所に居たら、辛いだけ。そして…ホントにあなたも松田さんもダメになると思うわ』


『桜井さん…』

No.146

桜井さんは、彼女の全てをわかって話している感じだった。


そして…


俺の全てもわかっているような感じもした。


桜井さんが言う『お芝居に付き合う』事を約束した俺は、会社を後にした。


月末まで後、1週間。


複雑な思いで過ごす事になり、仕事でのミスを連発してしまい、彼女がこの会社で過ごす最後の日、一緒に残業する羽目になった。

No.147

『せっかく、仲良くなれて、仕事も楽しかったけど、中村さんが次の処で頑張ってくれる事を私は願うわ』


『…桜井さん… わ…私…』


『松田さんには…?』


私は首を横に振った。言わない方がいい。黙って去る事がベストだ。


『わかった。 じゃあ、お芝居だね』


『お…お芝居…?』


『そ。最後まで松田さんの前では、気持ちや辞める事を悟られない、お芝居を演じるの』


『…は… はい!』


私は、松田さんに何も伝えないまま去る事を選び、いつも通りに最後の日を過ごす事を決めた。





桜井さんは…私に内緒で、松田さんに辞める事を伝えていたのを知ったのは、後の話…


松田さんが、私のお芝居に付き合ってくれた事を知ったのも、後の話…


けど…


松田さんの“あの行い”が、私のお芝居に付き合ってくれてると何となく感じた…

No.148

残業を嫌な顔ひとつせず、手伝ってくれる彼女と桜井さん。


二人のお陰で、何とか間に合い、納品する事が出来た。


桜井さんは、さりげなく『納品書を木下さんに出してそのままあがるわね』と言い、俺と彼女を二人にしてくれた。


彼女は、『はい。お疲れさまでした』と言い、後片付けをしていた。


俺も『お疲れさまでした』と言い、彼女と後片付けをした。




後片付けが終わり、お互い、帰る…別れの時が来た。


『前に…』


『はい…?』


『前に渡したパン、美味しかったですか?』


『え!あ! とっても美味しかったです。お礼してませんでしたね。すみません』


『あ… よかった! あの中に、発売前のお試しのパンがあったんですよ。お店の人がサービスしてくれて』


『どれも美味しかったです。また…食べたいです』


『…じゃあ…!また、買ってきますね…! 』


『…楽しみにしてます…!』




そして…




『じゃあ…! 私! 時間も遅いので、帰りますね!お疲れさまでした!』


『今日は俺のせいですみませんでした!お疲れさまでした!』


『じゃあ… また明日…!』


『…中村さん…!』


『…は… はい?』


『パンの… パンのお礼…!』


松田さんは、右手を出した。


私は… 私も… 何の躊躇もなく、右手を出した。







サヨナラ… 松田さん。 ありがとう。

No.149

主です。


いつも読んで下さってありがとうございます。


小説とは呼べない、グダグダな文章で申し訳無いですm(_ _)m


とりあえず、先程のレスで、一段階終了です。


次は少し時期が開いた場面からのスタートとなります。


ホントは… 最初思っていた展開とは違うところが多々ありまして…


書く度に『こんなんでいいのかな…💧』と思いながら、前に進めて行きました。


ホント、下手な文章で、お恥ずかしい限りです💧


また、頑張って続けて行きますので、宜しくお願いしますm(_ _)m

No.150

私があの会社を辞め、雑貨屋さんに勤め始めて暫く経った。


最初は覚える事がいっぱいで、大変だった。


けど、松田さんの事を忘れるのには丁度いい忙しさで、橋本さんの指導のお陰で、パン部門の人達とも仲良くなれた。


私は、中村から、旧姓の高橋に戻り、独りで生きていく事を選んだ。




桜井さんは、あの日… あの会社を辞める日に、自分の自宅の住所と電話番号を教えてくれ、『何かあったら連絡してね!』と言ってくれた。


けど…


やっぱりかける事は無かった。

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