*神様のヒマつぶし*

レス127 HIT数 37856 あ+ あ-


2013/03/23 20:19(更新日時)

「あっ…あの子ヘンなのー」



小さい子が電動車椅子に乗って走る私を指差して言った。


(子供は素直で残酷だなぁ)

(…まぁいつものことか。笑)


そんなことを考えながら
今日もマイペースに生きている
障害者のお話。


超スローペースな更新になるかと思いますが、
読んで何かを感じて頂けたら幸いです。

No.1497770 (スレ作成日時)

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No.1

*はじめに

これから書く話は私の実体験となります。
身元がバレるのを防ぐためあまり詳しくは書けない部分がありますが、ご了承下さい。

また、正直私は文章を書くことが苦手です。
読みづらい部分や不適切な表現がありましたら、ご指摘頂けると嬉しいです。

今回小説を書こうと思ったのは『身体障害者の現実』という小説を書いていらっしゃるナミさんがキッカケです。

私も少しでも障害者のことを皆様に知って頂きたく、小説を書くことにしました。

それでは、どうぞよろしくお願いいたします。

No.2

2歳頃までの私は、どこにでもいる子供と何も変わらなかった。
ただ歩くことができないだけで。

元気にハイハイもできたし、見た目も普通だった。

昔の写真を見ても、障害があるとは思えないようなものばかり💡


しかし、3歳頃から私の身体は徐々に変化し始めた。

身体に腫瘍ができ始めたのです。

No.3

腫瘍は色々な所にでき始めた。

指先や足先、耳や歯茎にもできた。


そして一番目立ったのが鼻だ。

鼻は大きく腫れ、痛々しいという感じ。


そう、これが私の病気。

私が生まれた頃には正式な病名が分からないほど珍しい病気。

最近になり病名は分かったのだが
(でも本当に正式名称なのかは定かではない💧)

国内でも10人いるかどうか、もちろん治療法も不明、というかなりの難病だ。

そのことを知った今の私は

(へぇ~…私ってレアなんだな。笑)

なんてのんきに思った。

No.4

両親は全国の有名病院をあたり、私の病気について調べた。

小さい時のためあまり記憶にはないが、色々な検査を受けた覚えがある。

何十ヶ所も採決をしたり、
色々な薬を飲んだり、
入院をして検査をしたり…。

でも、私の病気を治す方法は何も見つからなかった。

No.5

割り込みレスごめんなさい🙏

是非、読まさせて頂きます。

  • << 8 ナミさん‼ レスどうもありがとうございます。読んで下さるなんて、本当に嬉しいです。 つたない文章ですが、お暇な時にでもまた覗きに来て下さい😄

No.6

私はその病気が原因で手足を動かすことが不自由になった。
今は電動車椅子だが、小さい頃は手動の車椅子に乗っていた。

私は身体は上手く動かすことはできないし、1人でできることは本当に限られてしまう。

でも幸い、話す・聞く・見る・考える…など、コミュニケーションを取ることは健常者と同じようにできた。

そのため、両親は私を当たり前のように幼稚園へ入れようとした。

しかし…幼稚園側の答えは「NO」だった。

No.7

両親は市内にある幼稚園を何軒も訪ねたそうだが、答えはどこも一緒だった。

理由は一言で言えば
「環境が整っていないし、面倒を見きれないから」だという。

私が小さい頃はまだバリアフリーなんて言葉は今ほど浸透していなかったし、
入園拒否なんて簡単にできたのだろう。


私は4~6歳の間、家で過ごすことになった。

No.8

>> 5 割り込みレスごめんなさい🙏 是非、読まさせて頂きます。 ナミさん‼
レスどうもありがとうございます。読んで下さるなんて、本当に嬉しいです。

つたない文章ですが、お暇な時にでもまた覗きに来て下さい😄

No.9

兄弟がいなかったため、
私の遊び相手は専ら両親と近所に住む祖父母だった。

特に父は私に甘く、欲しい物はほとんど買ってくれた。

オモチャの中でも一番のお気に入りはファミコンだった。
最初はテレビ画面に映る言葉を両親に読んでもらいながらプレイしていたが、
だんだんと自分で読めるようになった。

つまり私はゲームで色んな言葉を覚えていったのです😓

No.10

幼稚園へ行かずに家でダラダラと過ごす日々は
意外とあっという間に過ぎ、小学校入学の時期になった。

両親は私を普通学級へ入学させるため、学区内の小学校へ何度も行き頭を下げた。


でも、やっぱり私の入学は厳しかった…。

No.11

一度だけ普通学級の小学校の運動会に見学へ行ったことがある。

グラウンドの隅っこで見学をしている私を見たみんなの言葉が、だんだん聞こえてきた。



「あの子ヘンな鼻してない?」


「ねぇ歩けないのかなぁ?」


「なんか痛そう…可哀想だね…」



こんな言葉、もう何回聞いただろう?

いつも言われてるから、気になんてしない。




……………ウソ。

No.12

何度言われても、心が傷んだ。


(私ってやっぱりヘンなんだ…)


母は私を連れて買い物や公園など、色々な所に連れて行ってくれた。
私も外出するのが大好きで、いつも楽しみにしていた。


でも…子供から大人まで、私を珍しいものを見るような目で
ジロジロ見られるのが本当に辛かった。

正直、それは今でも辛い。
馴れることなんて、ない。


子供からは「ヘンなのー」

これはしょうがない。
もし私が逆の立場だったら、きっと同じことを言っていると思うから。


不思議に思っていたのは
大人からの「頑張ってね」

この人は私のこと知らないのに、なんで頑張ってっていうんだろう?

子供ながらにそんなことを考えていた。

No.13

運動会の見学が終わった後、母が訪ねた。


「藍梨もこの学校に入りたいよね😄?」

「うん、私もここに入りたい」


本当は、私はここにいたらずっとみんなからジロジロ見られるのかな…怖いな…と思ったが、言えなかった。

いつも周りから何か言われ傷ついても、絶対に泣かないと決めていた。

私が泣いたらきっとお母さんも悲しむだろうと、なんとなくそんな感じがしていたからだ。

だからいつも私は何か言われた時も、聞こえない・何も感じないフリをしていた。

No.14

結局両親の願いも虚しく、普通学級へ進学の道は断たれた。

理由は幼稚園の時と同じである。


「ごめんね…あの小学校には行くことができなくなっちゃったの」

と言われたが、特にショックもなく、喜びもなく、

「そっかぁ」というくらいだった。


そして私は、市内にある養護学校に入学することになった。

入学前に見学で養護学校を訪れたのだが、校内はとてもキレイで明るく、自然もたくさんあり、入学を考えるとちょっとワクワクした。

No.15

養護学校は小学部と中学部の2部構成になっている。
私と同じタイミングで小学部に入学したのは男子2人だけで、2人共話すことはできない病気の子だった。

私と同じように話すことができるのは、2個上のサキちゃんと、中学部の男子の先輩2人、あとは先生達だ。

私は最初は緊張していたが、すぐにサキちゃんと打ち解けることができた✨

No.16

今まで家で過ごし家族以外と交流のなかった私は、全てが新鮮に感じた🍀

初めてできた友達、優しい先生達、とても楽しかった。


入学を楽しみにしていたのにはもう1つ理由がある。
それは勉強がしたかったから。

今では考えられないけれど、とにかく小学校に入り勉強することが楽しみで仕方がなかった。笑

けれどこの学校には重度の障害者が多く、勉強している児童は1人もいなかった。
そのため、普通学級のように勉強するカリキュラムも整っていない…。

入学してしばらくは音楽や体操、図工ばかりしていたので、私はよく先生達に

「いつ勉強を教えてくれるの?」

とせがんでいた。

No.17

学校は私にだけ特別に勉強する時間を与えてくれた。

先生達がそれぞれ得意な科目を分担し、私とマンツーマンになって教えてくれた。

学校にいる時間は10時~15時ととても短いし、体操や音楽などの主要教科以外も習うことがあるため、1日に3教科教わるのが精一杯だった。

それでも漢字を習ったり足し算をしたり…私なりに充実した日を送っていた。

No.18

友達との交換日記、かくれんぼ、美味しい給食、苦戦する算数、運動会に文化祭…
普通学級と変わらない小学校生活を過ごし、5年生になった時。

担任の先生からある提案があった。


「この養護学校から10分くらいの所に小学校があるんだけど、そこのみんなと交流してみない😄?」


なんとなく普通学級の小学校がある話は聞いていたけど、突然のことに驚いた。

でも、物心がついた頃から、普通学級に行くことに興味が湧いていた。
私は話すことに問題はないし、勉強も一応してる…もし普通学級に入れたら…。。

先生の提案になんの躊躇いもなく返事した。


「はい‼やってみたいです‼」

No.19

交流会の日。
この時の私は人生で一番緊張していたと思う。


普通学級ってどういう所だろう…

みんなに物珍しい目で見られるのだろうか…

もし誰も受け入れてくれなかったら…


どきどきどきどき。


担任の先生と一緒に小学校へ向かう。
この時、既に私は電動車椅子を乗っていた♿
運転する手がガクガクする。。



そして校門に着いた時、大勢の生徒が私を待っていた。

No.20

「藍梨ちゃんだーー‼‼‼」

「はじめまして~🎵🎵」

「ちっちゃーい💥」

「あれどうやって動いてるんだ😓⁉」


みんなが一斉に話しかけてくる。

人数と大きな声に圧倒される私💥

「あっ…え、えと…はじめまして💦藍梨です💦」

挨拶するのもやっとだった💧


そのまま教室へ。
とても重い電動車椅子を、小学校の先生達や男子生徒が頑張って持ち上げて3階へ。


「これすげー重い‼💥」


「お前つぶされんなよ✋あはは~」


普通学級ってこんな賑やかなの?

こんなに人がいっぱいいるの!?


今までで過ごしてきた世界とは180度違うくらい、私には衝撃的だった。

No.21

1回目の交流会は、軽く挨拶をしたりして終わった。

正直、あまりの緊張で何をしたのか覚えていない💧

みんなからたくさんの手紙をもらったが、顔が全然分からなかった…けどとても嬉しかった。


「またうちの学校に来てね😄」

「今度はもっとお話しようね‼」

「藍梨ちゃんの学校では何がはやってますか?」


などなど、他愛もない手紙。


(みんな私のことヘンな子って思わないんだ…。

私もみんなと友達になれるかなぁ…)


この交流会をキッカケに私の普通学級への進学の意欲が強くなっていった。

No.22

交流会は月1~2回程行われた。

最初は小学校のみんなの合唱を聴いたり、調理実習にお邪魔したりしていた。

そしてだんだん主要教科の授業にも参加していった。


ある日の算数の授業に参加した時。

「藍梨ちゃん教科書どこまでやってるのー?」

「えーと…今ここやってるよ😄」

「えー💥もうそこまで進んでるの😲⁉」


養護学校にいる時間が短いので勉強時間はみんなよりも少なかったが、
マンツーマンで教えてもらっているおかげで、スピードはみんなよりも速かった。


「問3-1の答え分かる人ー🏫?」

「ほらっ藍梨ちゃんもやってあるんだから手挙げないと✋‼」

「あ、そっか💦はーい⤴」


こんなやりとりが本当に楽しかった。
私もみんなの仲間入りをした気分だった。

No.23

小学校6年生。

このまま養護学校の中学部に進むのか、
普通中学校へ進学するのか…。



私の希望は普通中学校への進学だった。



今度こそ、3度目の正直。
両親や担任の先生も教育委員会に私の進学を頼みに行ってくれた。


しかし、中学校の設備問題など以外に新たな問題点が浮上した。


それは私が進学を希望する中学校は学区外ということ。


交流している小学校には1学年2クラスあり、そのまま中学校に上がる仕組みになっている。

他の小学校と混ざることもなく、私にとって馴染みやすい環境だった。

全員ではないけれど顔も名前も覚えたし、何よりみんな優しくて私のことを受け入れてくれている。


(せっかく仲良くなったのに…私もみんなと同じ中学校で過ごしたいのに…。)


両親+先生VS教育委員会の話し合いが何度も行われた。

No.24

6年生の秋頃。

一枚のハガキが届いた。
私の進路の答えが書かれているハガキ。



私は………









みんなが通う学区外の普通中学校への進学が決まった✨✨



この頃にはあまり分からなかったけど、私の気付かない所で両親と先生がどんなに頭を下げて頼み込んでくれたことか…。。

感謝しても、しつくせないと思う😢✨


特別に学区外の中学への進学が許されたこと

みんなと同じ学校へ行けること

障害者でも普通学級に入れること


嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。

No.25

先生や友達、友達のお母さんなど、色んな人が「おめでとう‼良かったねー✨」と言ってくれた。

そして担任の先生からのお話。 「藍梨ちゃん、本当に良かったね‼今まで勉強頑張ってきたもんね。みんなが藍梨ちゃんの努力を分かってくれたんだよ。
これからは今までと違う環境になって、辛いことも増えるかも知れない。
でも藍梨ちゃんにはできることがたくさんあるからね。楽しいことをたくさん経験するのよ😄
中学校と養護学校は隣り同士だから、たまには顔出してね。先生も淋しくなっちゃうから…😢」
こんなに良い先生が世の中にいるのか?っていうくらい、良い先生だった。

この養護学校から普通中学へ進学をしたのは、私が初めてだった。

そのため嬉しさ半面、申し訳ないという気持ちが浮かび上がってきた。

きっと良く思っていない人がいたと思う。
「どうしてあの子だけで、うちの子はダメなのか…」
そう思われてもしょうがない。

私は努力も何もしていない。
周りの助けがなければ、生きていくことさえできない。

本当に人に恵まれていると痛感した😢✨

No.26

入学前に、中学校へ挨拶に行った。

(春からはここに通うんだぁ…)


まだ全然実感は湧かなかった。


校長室に行き、校長先生や一足先に担任になる先生とご対面。

「藍梨さん、わが校へようこそ。
この学校はバリアフリーではないため階段や段差が多くある。色々と不便をかけると思うけど、これから3年間よろしく😄」

後から聞いた話だが、校長先生の娘さんは脳性マヒで障害があることを知った。

だから私のことも理解してくれて、入学を受け入れてくれた。


(この校長先生だからこそ、私は入学することができたんだ。

絶対絶対、頑張ろう。

受け入れてくれた先生達のために。
入学できるようにずっと働きかけてくれた両親のために。)

私はやる気と希望に満ちていた。

No.27

初めての制服作りにとてもワクワクしていた。

私は身長が130cmくらいしかないため、制服は特別サイズに仕立ててもらった。

中学は田舎にあるわりに制服のデザインがオシャレ。笑

ブレザーにブラウスにプリーツスカート。

出来上がった制服を見て一気にテンションが上がる⤴


他にも体育で着るジャージやリュック、筆箱…身の回り全ての物を新調して、入学式を今か今かと待ちわびた。

No.28

そして、小学校の卒業式。

6年間お世話になった校舎とも今日でお別れ。


いつも優しかった先生。

たくさん遊んだ友達。

毎日走り回った廊下。


今日でお別れなんて信じられない。

また春休みが終わったら通うんじゃないかと思った。


お別れは寂しかったけど新たな旅立ちへの希望があったから、涙ではなく笑顔で卒業式を終えた✨

No.29

中学入学するにあたって、いくつかの条件があった。


・体育の成績ば1゙である
私は当たり前だが体育はできない。
例え体育の筆記試験で100点を取ったとしても、成績は上がることはない。

・体育の時はみんなと同じようにジャージに着替える
体育は見学だからといって、私だけ着替えないわけにはいかないからだ。

・ベル席をしなくてはいけない
ベル席とは、授業開始のベルが鳴り終わる前には席についていなければいけないということ。
後々、私はこのベル席に悩まされることになる…。

No.30

途中での横レスごめんなさい🙏


藍梨さん、スレの続き楽しみにしています☺

藍梨さんが感じた事や経験した事、
色んな事を気持ちに自由に(といっても私のスレは荒れましたが😣)記せれば楽しいですね~☺

No.31

>> 30 ナミさん💡
またまたレスありがとうございます‼
ちょっと体調を崩していたのですが、復活しました🎵
また書き始めますね💨

でも小説を書いてみて、改めて表現することの難しさを実感しています💦

No.32

中学校入学。

待ちに待った中学校での生活✨


入学式が終わり、教室に入る。

私の席は車椅子でも入りやすいように一番後ろ。

周りはみんな知っている友達。

「あっ‼私藍梨ちゃんの前の席だ‼ヨロシクねー😄」

そう言ったのは前に交流会の時に「問題分かるなら手を挙げなよ‼」と言ってくれた、
とても明るい夏美ちゃんだ。

私は交流会の時から夏美ちゃんの雰囲気が大好きで、
前の席が夏美ちゃんで本当に良かったと思った。

No.33

入学してすぐはオリエンテーションなどが続き、そこでみんなの名前を顔を少しずつ覚えていった。


ちょっと中学での生活の説明を💡

電動車椅子は小学生の時に2台作っていたため、
1台を1階・もう1台を教室がある2階に置いた。

さらに音楽室や理科室は3階にあるため、手動で動かすタイプの車椅子を設置。

各階に車椅子を置き、なるべく移動がスムーズにできるようにした。


そして学校への送り迎え。

教科書の出し入れ。

移動教室、体育のためのジャージの着替えや体育館への移動。

お昼のトイレ。

帰宅するための準備。


これらは全て母が行った。

母は学校にある使わない物置のような所を改造した部屋で、1日中待機していた。


中学に通った3年間、母は私に付きっきりだったため、母の自由時間は全て私が奪ってしまっていた。。

当時は自分のことでいっぱいいっぱいだったので気付かなかったけど、
今思うとなんてワガママだったんだろうと、胸が痛くなる。。

No.34

時間が経つにつれて、少しずつだけど普通学級の環境にも慣れてきた。

ただ、勉強が始まるとその進むスピードの早さに驚いた。

サラサラと書いては消えていく黒板の文字…。


今までマンツーマンで習っていたので、私がノートに書き写すまで待っていてくれたし
分からない所は分かるまで根気よく教えてくれた。


それが今では流れ作業のように進んでいく。

字を書くのが遅い私は、ノートに書き写すことで精一杯だった。。

No.35

一番不安だったのは人間関係だった。

みんなは小学校からずっと一緒だけど、途中から入った私にも友達ができるだろうか?

ちゃんと健常者の中で上手くやっていけるだろうか…?



でも心配はいらなかった。

休み時間になれば私の机の周りに来てくれて、楽しくおしゃべりをした。
私はこの時が本当に幸せだった✨


話せる友達がいる。

困った時は助けてくれる。

一緒に楽しいねって笑いあえる。


色々な子と話していくうちに、良く話す友達が決まってきた。

女子の中のリーダー的存在・麻実ちゃん。
そして麻実ちゃんと良く一緒にいる夏美ちゃんやその他5人くらいのグループができ、私もその中に入ることが多くなった。

No.36

麻実ちゃんはリーダー的存在なだけあり、面倒見がいいお姉さんのような子だった🌱

背も高く、力もある麻実ちゃん。
臨時で移動教室があり母が対応できない時は、麻実ちゃんが私を抱っこして3階へ連れていってくれたこともあった😲💦


初めて友達だけで遊びに出掛けたりもした。

プリクラを撮ったり、買い物したり、ご飯食べたり…。

家に呼んだりもした。

母が作った料理を食べ、テレビゲームをする。

友達が遊びに来た時の母はとても嬉しそうだったのを覚えている。

我が子が初めて連れてきた友達。

ちょっとだけ母に恩返しできたような気がした✨

No.37

男子と話すのはちょっと苦手…というか抵抗があった💧

ある日、席で夏美ちゃんと話していた時。
隣にいた男子も話に混ざってきた。


「この間、家の近くを歩いてたらさ~…😄」

と私が話していたら、その男子が

「えっ藍梨が歩いてたの?走ってたじゃなくて?笑」

と言ってきた。

確かに私は車椅子に乗っているから゙走ってる゙が表現としては正しい。


でもそれは完全に悪意のあるものだった。

たぶん私は一瞬顔が固まったと思う。


すかさず夏美ちゃんが小声で

「余計なこと言わなくていーの‼💢」

と注意してくれた。

私は聞こえない振りをして話を続けたが、心臓はドキドキしていた。

No.38

割り込みです🐗
身体障害者の現実という小説を読むまで、携帯小説というものを読んだことが無く、知らなかったのですが。
他の携帯小説をチラチラ読んで知りました
こうして割り込むのはよくあることなんですね💡

年齢が明かされると困るのであちらにはレスできませんが。

マイスレにして読んでます😃

  • << 40 初めまして、レスどうもありがとうございます‼ ミクルは掲示板で本格的な携帯小説ではないので、割り込みOKだと私は思っています。 私は感想スレを立てていないので、こちらに書いて下さって構いません😄 (感想スレ立てるほどの内容でもないし💧) 障害者の文章は、障害者でしか感じることができない視点で書かれているからではないでしょうか? マイスレにして頂けるなんて嬉しいです😫✨ 更新頑張ります‼

No.39

割り込み2です🐗🐗

僕の知ってる障害者は皆、タフでクールで面白いです。

なので障害者が綴る文章は健常者のそれより興味が湧きます。これは偏見でしょうか。

内容に触れるとごちゃごちゃするので割愛で✋

主さん、マイスレにしてます😃

No.40

>> 38 割り込みです🐗 身体障害者の現実という小説を読むまで、携帯小説というものを読んだことが無く、知らなかったのですが。 他の携帯小説をチラチラ読… 初めまして、レスどうもありがとうございます‼

ミクルは掲示板で本格的な携帯小説ではないので、割り込みOKだと私は思っています。
私は感想スレを立てていないので、こちらに書いて下さって構いません😄
(感想スレ立てるほどの内容でもないし💧)

障害者の文章は、障害者でしか感じることができない視点で書かれているからではないでしょうか?

マイスレにして頂けるなんて嬉しいです😫✨
更新頑張ります‼

No.41

先生からみんなに1枚のプリントが渡された。
クラスの連絡網だった。

その夜。
緊急時などでも連絡をちゃんと回すことができるように、親が行う連絡網訓練があった。

連絡網は男女別で席順と同じため、私の家には夏美ちゃん家からかかってくる予定だ。


(夏美ちゃんのお母さんと私のお母さんが初めてしゃべるんだ。どんな感じかなぁ🎵)

と私は良く分からないドキドキ感を胸に電話を待った。


―リリリリリーン…―


電話が鳴り、お母さんが受話器を取る。

1分程話した後、電話を切った。


(あれっ?もう終わり😓?)

娘同士が友達だから、お母さん同士も仲良くなれたらいいのに、なんてことも思っていた。


「お母さん、夏美ちゃんのお母さんどんな感じだったー😄?」

「ん~…なんかぶっきらぼうで…あんま感じ良くなかった💧」

「あっ…そう💧」

私の期待はあっさりと終わった💦

No.42

入学して3ヶ月くらい経った頃だろうか。
私は人生で初めでイヤな雰囲気゙を味わった。


私が一緒にいる仲良し5人組は、いつも廊下で固まって話すのが習慣になっていた。

いつも通り「おはよー☀」と輪に入っていくと、いつも一番元気に挨拶してくれる夏美ちゃんがいない。


(どっか用事があっていないのかな…?)


そんなことを思っていたら。

麻実ちゃんから驚きの一言。



「なんか夏美ってムカつくよねー笑」



(…えっ⁉⁉)



「そうそう‼あのテンション高いのがウザい時あるよね笑」


昨日まで仲良かったのに、みんな何を言ってるんだ?
私はキョトンとしていた。


「ねぇ、藍梨ちゃんもそう思わないー?」

「あっ…うーん…そうかなぁ?」

私は曖昧な返事で流した。

みんなは今までに溜まっていたうっぷんを晴らすように、夏美ちゃんの悪口を言う。


チャイムが鳴り教室に戻ると、ぽつんと寂しそうに座っている夏美ちゃんの姿があった。

No.43

夏美ちゃんが仲間外れにされている。

私は今まで養護学校でぬくぬくと育ってきたため、その事実を目の当たりにしても、なにもできずにいた…。。


なんでこうなったのか?


どちからに非があるのか?


仲直りする方法はないのか?


頭の中でグルグルと考えるだけで、何も行動できずにいた。


朝や授業の合間の休み時間や昼休み、いつも麻実ちゃん達が私の席に来てくれて一緒に廊下へ出る。

まるで私と夏美ちゃんを近づけないようにするためのようだった。

私は夏美ちゃんと話す隙を狙っていたが、なかなかできなかった。

No.44

そんな日が10日ほど続いた。


朝。
母がリュックから教科書を取り出し、机に入れ終わると待機室へ戻る。
その後私はいつものように廊下へ出る。



「藍梨ちゃんおはよーっ😄‼‼」


人一倍、元気な声。

明るい笑顔。


夏美ちゃんがみんなの輪の中から挨拶していた。


(あっ…仲直りしたんだ…‼)


あのイヤな雰囲気がまるで嘘のように、夏美ちゃんと麻実ちゃん達は賑やかにおしゃべりをしていた。


どうやって仲直りしたのだろうか…?

あんなに悪口を言っていたのに、今はすっかり元に戻っている。

私には彼女達の心理が分からなかった。


゙なんとなくやってみだ


そういう雰囲気が感じとれた。
仲間外れにした大きな理由もなかったのかもしれない。


私は、もうこういうことがなければいいな…それだけを願った。

No.45

これといって何も出来事もなく、平穏な日々が続いていた。


けれど……また起きた。

゙仲間外れ゙だ。


今回のターゲットはユリリン。

私も一緒にいる麻実ちゃんと仲良しグループの1人。


ある朝、ユリリンは麻実ちゃん達ではなく、違うグループの友達と一緒にいた。

ユリリンは人見知りせず、頭も良いし、みんなからの人気も高い。

違う友達と一緒にいても不思議ではなかったが、なにかいつもと空気が違った。

No.46

(まさか…また…)

私の予感は当たった。

麻実ちゃん達の所に行くと、ヒソヒソとユリリンの悪口を言っていた。


私はそれを黙って聞いていた…。


今回も理由は分からなかった。

私は部活動にも入っていないし、みんなと違う学区外に住んでいるため、放課後一緒に遊ぶことも滅多にない。

そのため、話についていけていないことが良くある。

ましてや仲間外れにする原因など学校内では話せない。


私は麻実ちゃん達やユリリンにそれを聞くことができず、ひたすら早く仲間外れに飽きるのを待つことしかできなかった…😢

No.47

ユリリンの仲間外れは夏美ちゃんの時よりも長く、3週間ほど続いた。

しかしユリリンは違う友達とワイワイ仲良さそうだし、あまり仲間外れという感じはしなかった。

気付いたら少しずつ麻実ちゃん達とも話すようになっており、いつの間にか元のグループに戻っていた。

No.48

主です。

なんだか観覧数が急に増えたような感じがして驚いております😖💦

拙い文章だし、時間が前後していたり、コロコロと話が変わって読みにくいかと思います💦

それでもこれだけの方に読んで頂けて嬉しいです✨✨


更新もかなり遅くてすみません😢💦

なるべくペースを上げていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

No.49

みんなのテンションが下がる時期がきた⤵
定期試験だ。

養護学校でもたまーにテストはしていたが、生徒は私1人だけ。
誰かと競うこともない。

成績は○・△・×の3段階だったが、問題がなければ○をつけてくれるザックリしたものだった。



しかし、中学校は違う。
授業態度や提出物なども評価に入るが、ほとんど試験の点数によって成績が決まる。

その成績によって進学先も決まってくる。


養護学校では私のペースに合わせてくれてじっくり教わっていたが、今は私が授業のペースに合わせていかなければならない。


初めての試験に向けての勉強が始まった。

No.50

試験勉強で気合いが入っていたのは私よりも母だった💦

せっかく中学校に入学できたのだ。
勉強で遅れをとらないように、必死に教えてくれた。

母は私の教科書を見ては常に問題を出してきた😓


食事中に突然…

母「野球は英語で⁉」

私「えっ💥…ベースボール‼」

など…笑。


私もやっとみんなと同じように勉強できる環境になったし、初めての試験では絶対良い点を取ってやる‼と頑張って勉強した。

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