四面楚歌‡人生最大の過ち
俺の最大の過ち。
過ぎ去った過去は取り戻せないが、あの頃のように安らぎのある時間を過ごす事は、俺にはもう、ないのかも知れない…。
人の記憶は、自分の都合のいいように変換され、脚色され、美しく残る。
どんなに辛かった過去でも、時間をかけ、それがあったから今の自分があるんだと思えるようになる。
これから語る過去も、当時の物は何一つ残っていない中、俺一人の記憶を元に記すため、事実に添っているか保証は出来ない。
時は今から9年前。
全てが終わった日までさかのぼる。
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「……バレなければ…私が…偽りを信じ続けていれば…、…問題は起きなかったと……
そう言いたい…の?」
目を伏せ、青ざめた妻が力無く問う。
その青い顔に何とも言えない苦い思いが込み上げ、怒りが消え失せた。
そして、今更ながらに怒れる立場でもないんだと思った…。
「あなたは悩み事を聞く学生と、キスをするの?
…ホテルに…行くの?」
「………。」
勝手に俺の周りを嗅ぎ廻っていたのか…!!!
「これが…………俺だと思っているのかっ?!!」
そう言い捨て、理不尽な怒りが湧き起こる。
妻は、小さく震える手で更に数枚の写真を出した。
同じホテルから出てくる写真だったが、絶妙なアングルでキスをしているお互いの横顔がはっきり写っていた。
誰と判別可能な程はっきり…。
「あ、ああ…。相葉?だいぶ前に実習で来ていた学生だけど…。相葉さんがどうかした?」
「そう…。
……頻繁に話してるそうだけど、随分仲がいいのね。」
どこでそんな事知ったんだ?!
「ん、あ、ああ…。俺の職場実習生からの就職、多いだろ?
それで、相葉さんだけじゃなくて、他にも数人よく相談してくるんだ。」
事実をとことんシンプルに話す。
どこまで知ってるんだ?!!
「そう…。相談受けてたのね…。
それで、相葉さんとは2人きりでゆっくり話せる個室が必要だったの?」
そう言い妻は、1枚の写真をテーブルに置いた。
「…っ!!!!」
そこには、俺と由希子がキスをしながらラブホから出てくる所が写し出されていた。
…………………。
『あのな、相葉。
辛いのかもしれないけど、俺が既婚って事は知ってるよね?
一応、今日はたまたま来れたけど、次はないからな。それは分かってくれないか?
そして、この腕も離してくれないか?』
『分かってます。
…けど、来てくれた。もう少しだけこのままでいさせて…』
強引なタイプ。
俺の嫌いなタイプだ。
嫌いと言うより、苦手なんだと思う。
強引な女は、何でも思い通りになると思っているのか、強く言っても無駄な場合が多い。結局俺は強引さに負け、断る事が出来なくなってしまう。
この時は、この女と深い関係になるとは思いもしていなかった。
俺の弱さ故に逃げられなくなってしまった…。
…………………。
「どうしたの?」
妻の言葉で我に帰る。
…………………。
場所を聞いたら、車で10分とない場所に彼女のアパートがあった。
車から降り、電話で確認する。
車と俺が確認出来たから、部屋まで来て欲しいと言う。
言われるがままに、部屋まで行った。
呼び鈴を鳴らす。
乾いたチャイム音が響いたと同時にドアが開き…
彼女に抱きつかれた…。
抱きつかれた状態で玄関内に引き込まれ、深夜の静まり返ったアパート全てに聞こえそうな程大きな音を立て、ドアが閉まった。
それとなく腕をどかそうとした。が、返って強く抱き締められた。
…………………。
長い時間が流れる。
ようやく落ち着きを取り戻した彼女が、
『会って話しがしたい』
と言った。
深夜遅い時間…。
幸か不幸か…丁度その日は、妻が朝までの仕事で不在だった。
行くのを躊躇していたが、理由が分からないのに、あんな状態の彼女を一人には出来ないと思い、向かった。
…………………。
あの時の電話が鮮明に思いだされる。
相葉と親密な関係になるきっかけとなった日…。
『加藤さん!!!
ヒッ……どう…ヒック…しよう……。ヒック…ヒック…わた…し…。わた…し……!!!』
深夜に、切羽詰まった彼女が泣きながら電話をしてきた。
相葉とは、俺の職場での実習で知り合った。
最終日の打ち上げで、職場の教育スタッフ数名と、実習に来ていた学生で飲んだ。
その時、連絡先を聞いてきた学生には教え、分からない事はいつでも連絡してこいと言っていた。
他の学生数名も、同じ職場に就職したいからと、連絡が来ていた事もあり、時には学生の相談事を聞くために飲んだりもした。
相葉もその中の一人だった。
『おい!!どうしたんだ?落ち着け。』
しばらく泣いている相葉に声を掛けながら、話せる状態になるまで待った。
「私ね、あなたの事愛してたから…ずっと信じて疑わなかったの。
もう全て知ってるの。
もう嘘は…聞きたくない。」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。何を言ってるんだ!?」
何が何でも、アイツの話にだけはしない。アイツの事を妻の前で認めてはいけない。
そんな思いばかりが頭を支配し、妻の言葉なんか理解出来ず、耳に入っていなかった。
小さくため息をついた妻がポツリと言った。
「…相葉…由希子さん…。」
その名前を妻の口から聞いた途端、景色は色褪せ、頭の時間が止まる。
しばらく呼吸も忘れ、言い訳を死に物狂いで考えた。
「何でだ?
…どういう事なんだ?
説明してくれ。」
大きな動揺とは裏腹に、冷静に言葉を掛けた。
「説明?説明が必要なの?
むしろ、私が説明してもらいたい気分よ。
…もうそれも必要がなくなってしまったけど…。
言ってる事、分からない訳はないよね?」
昨日ゴミを出し忘れた事か?
いやいや、それはない。
そんな事なわけがない。
連絡を入れずに呑んで帰った事か?
いや、それも過去に1度だけだ。
………
となると…………
アイツの…事……
バレているのか…………?
いつしか俺は、この妻が造り上げる最高の空間を、決して無くなる事のない、当たり前に用意されているものと思うようになっていた。
空気と同じように、あって当たり前、無くなる事なんて考えられない、そんな風に思い込んでいた。
今……
それが脅かされている………。
妻との生活は穏やかそのものだった。
いつも笑顔で仕事から帰った俺を迎え入れ、美味そうな料理の香りにホッと一息ついて、温かい風呂に入る。
1日の汚れを洗い流し、サッパリした所で、手の込んだ妻の料理を食べる。
最高に美味だった…。
料理そのものだけじゃなく、この空気感、和やかな会話、のんびり流れる時間。
全てが妻が造り上げた、甘くとろける絶品の料理だった。
程なくして俺たちは付き合い始め、2年の月日を経て8月10日に結婚した。
俺が25、彼女が23の時。お互い学生だった。
妻の父親の意向もあり、俺の両親もその意向に賛成し、学生のうちに結婚する事になった。
俺と妻は大学時代に知り合った。
専門学部だった為に、なんやかんやで、横の繋がりは他より強かった。
何より学年だけじゃなく上下の繋がりも強く、その関係で2歳年下の妻と知り合った。
静かな女だなと思った。
印象に残りにくいタイプだ。
先輩後輩での親睦会という名の、出会いの場で、何度か一緒に飲んだ。何度目かの時、お酌をしに来た彼女と2人で話した。
意外にもよく聞いてよく喋る。テンポが合うなと思った。
この時初めて興味を持った。
話しの最中でも耳を傾けながら、グラスが無くなればお酌をし、料理が来ればよそって置く。
そして、いいタイミングで水も勧める。
こういう女は彼女だけではなかったが、何故か彼女の相槌、言動、動き、一つ一つに光るものを感じた。
気づけば、彼女から目が離せなくなっていた。
一瞬思考がフリーズする。
言葉を理解していくにつれ、脳が正常な運転をしようとフル回転し、頭に血が昇っていく。
「な…、は?」
とりあえず出た言葉だった。
今まで真面目に働き、共働きの妻に負担を掛けないよう家事も出来る範囲で手伝ってきた。
そりゃ男の俺よりも、妻の方が家事が上手く割合は多かったかも知れない。
それに不満があったなら、言ってくれたら努力した。
今までもそうだったじゃないか!
付き合っていた頃よりは減ったかも知れないが、デートもし、時には贅沢もしていた。
何より、喧嘩という喧嘩もせず、昨日まであんなに仲良くしていたじゃないか?!
「なぁ、
模様替えでもしたのか?
随分シンプルになったような気がするんだけど…」
「ん?ああ…。
えぇ…そうね。」
寝室から出て来た妻が生返事をしながら、ダイニングへと消えていった。
辺りを伺いながら、後を追って、ダイニングへ向かう。
所々物が無くなっている。
俺がダイニングへ入った時には、既にグラスに入ったお茶が2つ、向かい合わせでテーブルに置かれていた。
妻が無言で座る。
俺もネクタイを緩め、シャツのボタンを開けながら座った。
「で、話ってなんだ?」
「ただいま。
なぁ。話ってなんだ?
勿体ぶってないで、言えよ。」
前々から話があると言いながら、
『きちんと話すから、10日まで待って』
と、なかなか話そうとしない妻を、帰ってきて早々に促した。
結婚6年。
そして今日はその記念日。
早くも7年目に突入する。
やっと待ちに待った子どもが出来たか、そろそろ新居へ、とかそういう類の話ではないかと期待していた。
「…。
お帰りなさい。
今日もお疲れ様でした。」
相変わらず何も答えず、代わりに俺の手からカバンを取り、上着を脱がせ寝室へと消えて行った。
靴を脱ぎ、部屋へ入ろうとする。…が、家の雰囲気がどことなく昨日とは違う…。
ふと足元を見ると、昨日まで足元を照らしていた照明が無くなっていた。
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