希望✨(先天性心臓病で生まれて・・)
先天性心臓病で生まれてきた私。色んな事がありましたが、3人の子供にも恵まれ主婦として生きています。先天性心臓病の子供達がこの世に誕生し、懸命に闘っていらっしゃる方々に、少しでも希望や明るい未来を想像して頂きたいとの願いをこめて実話をもとに書いていきたいと思います。初心者🔰なので読みづらい場面もあるかと思いますが、頑張って最後まで書き上げたいと思います💪家事、育児の合間で書いていきますので、更新は不定期になりますが気長にお付き合い頂けたら幸いです🙇
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👶誕生👶
1975年 秋、ある地方の国立病院産婦人科で難産の末、私は産まれた。 産婦人科医は馬乗りになり、やっと産まれた私は紫色の仮死状態。医師の処置のお蔭でなんとか弱々しい産声はあげたが、聴診器を当てた医師の顔色が変わる。 バタバタと廊下を走り去る看護師の姿に不安がよぎる父。
こうして私は産まれた。
👶宣告👶
すぐさま父は医師に呼ばれた。
『産まれたお子さんは心雑音があり、先天性の心臓病の可能性がかなり高いです。このまま直ぐに、小児心臓外科のある病院に搬送し、詳しい検査をする必要があります。お父さんも付き添って下さい。産後のお母さんには少し落ち着いてから話しましょう。まずは母体を休ませてあげて下さい。それでは今からまいりましょう。私も病院まで付き添っていきますから。』 初めての妻の出産、当たり前の様に『おめでとうございます』と言われる事しか想像していなかった父。ショックは大きかった。それでも自分を奮い立たせた。俺は親父になったんだ、俺がしっかり守ってやらなくては!
👶搬送👶
産まれたばかりの私は小さなトランクケースのような保育器に入れられ、医師が自ら手に持ち搬送された。1時間ほどで地元では名高い小児心臓外科のある病院に到着した。
車中、父はショックのあまり無言でしかなかった。
👶精密検査👶
病院につき、早速次々と検査された。 レントゲン、心電図、心エコー、そしてこの日から私は数ヶ月の間、この病院のNICUで過ごす事となる。その日のうちに小児心臓外科医から説明を受ける父。 『お子さんは、やはり先天性心臓病でした。この子の場合は右胸心(普通の人と反対側の右側に心臓がある奇形)心室中核欠損症、弁膜症、今のところ、これだけ判明しました。先天性心臓病といっても個人差があります。このまま生きていける子もいれば残念ながら亡くなっていく子もいます。お子さんの場合は五分五分です。これから注意深く診ていきましょう。最善を尽くします。』覚悟はしていたものの、やはり医師からの五分五分という言葉に胸が締め付けられる父だった。
👶産後の母👶
次の日、少し落ち着きを取り戻した父は重い足取りで、産婦人科に入院中の母を見舞いに行った。
ふぅー💨と深呼吸をして明るい顔で母の病室に入る。
『お疲れ様😃俺たちの子供、可愛くて仕方ないよ!難産だったのによく頑張ったな!』『早く赤ちゃんの顔が見たいなぁ~、なんでまだ授乳室行っちゃだめなの?』『お前はしっかり休めよ。貧血が酷くてしばらくの間はベッドで安静にって言われたじゃないか。俺がお前の分まで見てるから安心して!😃』父の精一杯の芝居だった。日頃からきつい貧血持ちの母は疑う事なく安静に過ごしていた。
👶疑心👶
私が産まれてからというもの、父は1時間離れた母と私の病院へ行き来する毎日。小さな体に点滴や心電図を24時間つけっぱなしの我が子を見るたび、胸が締め付けられる思い。心も体もヘトヘトだった。(なんとか頑張ってくれ!)そう願うしかなかった。医師から『心臓の働き方や奇形を詳しく診る為に、全身麻酔をしてカテーテル検査を行いますので同意書にサインをお願いします。慎重に行いますが新生児の全身麻酔や検査には危険が伴いますので』当時のカテーテル検査は、足の付け根にメスを小さくいれ、大動脈にカテーテルを通して薬を流し、心臓の動きを診るという大掛かりな検査だった。出血も多く、赤ちゃんの場合は全身麻酔。父は思った、(そろそろあいつにも話してやらないと・・もし危険を伴う検査中にもしもの事があったら・・あいつはこの子の顔を見ないで終わってしまう・・)決意する父。その頃母は、産後数日たっても病室にすら我が子を連れてきてくれない看護師たちに疑問を抱いていた。もしかしたら・・不安がつのる母だった。
👶母の涙👶
次の日、父は意を決して母の病室に入る。『実は・・俺たちの子供、運悪く心臓に奇形を持って産まれてきたんだ。産まれてすぐ〇〇病院に搬送された。今まで黙っててごめん!でも一生懸命小さい体で頑張ってるよ!退院したら一緒に顔を見に行こうな。』『どうして?私の赤ちゃんが?これからちゃんと生きていけるの?』不安が的中した母は泣き崩れた。涙が渇れるくらい2人で泣いた。『早く会いたい!』『明日退院したらそのままあの子に会いに行こう!でもお前はあまり無理するな、俺がいるから大丈夫だよ。』その夜、一睡もできずにいた母。ただ泣くしかなかった。
👶母の退院👶
次の日、母は退院前に産婦人科医から診察と説明を受ける。 『妊娠中の検査ではなんら異常は見つかりませんでしたが、残念ながら先天性心臓病で産まれてきました。出産時の難産は、やはり赤ちゃんに体力がなかったので産道を出るのに時間がかかりました。お母さんはまだ貧血ですから、あまり無理なさらずに。』『私が妊娠初期にひどい高熱の風邪をひいたのが原因ですよね!』『風邪をひいてなくても残念ながら先天性心臓病で産まれてくる子もいます。お母さん、自分を責めないで下さい。あちらの先生方も最善を尽くし治療にあたっていますから、希望を持って下さい。お子さんの生命力を信じてあげましょう!』医師の暖かい言葉と励ましに、自分を責め、苦しんでいた母の心が少し落ち着ちついた。『先生、お世話になりました。』深々と頭を下げ病院を後にした。
👶初対面👶
母は1時間かけて私の病院にやってきた。まだ産後の疲れが残っている体だったが、やっと初めて我が子に会える喜びと、先天性心臓病という現実に、不安の入り交じった複雑な気持ち。モニター音が鳴り響くNICUで保育器に入れられた私と対面した。ただただ涙が溢れてきた。(ごめんね。健康な体に産んであげられなくて・・)そんな母に看護師さんが優しく静かに声を掛けた。『赤ちゃんは頑張ってますよ。状態も落ち着いてます。気長に頑張りましょう。』(赤ちゃん頑張って!ママも一緒に闘うから!)そう心の中で私に話し掛ける母だった。
うちの子も心疾患です。夏に手術します。
藁をもすがる思いです
今も頑張って生きておられるママさんのお話なので…安心して読んでいられます☺
最後までよろしくです
>> 10 雅さんありがとうございます😃これを書き始めたものの、不安でした。これを今まさに闘病なさってる方が読んで、三人もこの人は子供に恵まれているのに、私はベッドの上かと悲観され不快な話にならないかと、色々考えます。でも最後までよろしくとの暖かい雅さんのお言葉に感謝です🙏お子さんは夏に手術なんですね。心臓=直接、死にかかわる重要な臓器なので、どんな手術でも、きっと医師の説明も無きにしもあらずの重い説明ではないかと思います。 この後徐々に書いていきますが、実は私はカテーテル検査は何度となく経験してきましたが運よく手術は一度も行っていません。でもずっと要観察の身で、いっそのこと手術をして完治し、病院とおさらばしたいとの思いもあります。身勝手な、今後手術を予定されてる雅さんにとっては贅沢な悩みかもしれませんね。不快に思ったらごめんなさい。何十年もの間に医療は進歩し続け、心エコーの機械ひとつとってもめざましいものがある様に身をもって感じた事をこのお話を通してお伝えできればと思います。お子さんの手術が無事に成功される事、心よりお祈りします🙏
👶病状👶この日、カテーテル検査後、初めて両親揃って医師からの説明を聞いた。『前にもお父さんにお話しましたが、この子には幾つかの奇形が見つかりました。まずは心臓の位置が通常の人は左側にあるが、この子は中央からみると裏返した形で右側にあります。その他の臓器は正常な位置にありますし、ただ位置が違うだけならば、さほど問題にはなりません。残念ながら心臓自体にも奇形が幾つかありました。心臓の壁に穴があいている、弁膜の働きが悪く、弁が動く度に落ち込んで全身に回った汚い血液、つまり静脈血が綺麗な血液と混ざりあっています。逆流もかなりあるるので、その影響からか周りの血管が太くなっています。心臓もその奇形の影響で負担がかかって体の割には少し大きめです。大きくなっている心臓の筋肉の一部が動いていません。ただ弁膜症といっても[さんせん弁]という弁で逆流があっても、比較的全身に影響を及ぼしにくい弁ですから、今のところは様子をみるのみです。ただ将来的には人工弁や人工血管に取り替える手術を行う可能性もあります。心臓に開いている穴はもう少し体を大きくし体力をつけてから手術をしましょう。今はまだ体が小さくて危険です。』
説明は続く・・
『今回カテーテル検査で心臓は幾つか奇形を抱えているものの、今のところバランスよく働いてくれている、全身状態も安定しているので今すぐ手術というのではなく、これからも注意深く要観察していくという結論にいたりました。もうしばらくは入院観察し、落ち着いていれば退院も考えていきましょう。』(退院?本当に?)両親はその言葉に喜ぶと共に、また漠然とした不安がふりかかる。(こんな奇形だらけの赤ちゃんを自宅でちゃんと育てられるるの?私にできるの?)
👶入院生活👶
毎日片道1時間かけて母はNICUに面会に通った。車の免許のない母を父は仕事の合間に送迎した。次々に生後間もなく亡くなっていく心臓病の赤ちゃん達。母はその様子を日々目の当たりにしていた。空になった保育器を見るたび胸が締め付けられる。次は我が子の番??と不安を通り越して恐怖に変わる。心臓に負担を掛けないようにする為、いつも搾乳して母乳を与えていたが、不安とストレスからか数日でとうとう母乳が出なくなってしまった。それからは医療用の特殊なミルクに切り替えられた。(ごめんね、母乳もあげられないなんてママじゃないよね・・)心身共に限界にきていた。
👶初めての写真👶
NICUに搬送され約一ヶ月が過ぎたある日、安定していた為、一般病棟に移された。といっても感染症から身を守る為、個室だった。その頃に病室で撮された、たった一枚の写真がある。産まれて間もない写真は本当にこれ一枚きり。小児用ベッドの柵にはお守りとキューピーちゃんのお人形が吊られていた。プラスチック製の保育カバーのなかに赤黒く横たわっている赤ちゃんの写真。その横で少し疲れた顔で写っている母。今後どうなっていくのか分からない我が子を、写真におさめる勇気がなかったのかもしれない。
👶退院👶
一般病棟に移って10日程たったある日、回診にやってきた主治医から『そろそろ退院しましょう。』という言葉をかけられた母。退院日に主治医から注意事項の説明を受けた。
『この子には、なるべく心臓に負担を掛けない生活を送る必要があります。赤ちゃんには難題かもしれませんが、なるべく泣かさない様にして下さい。泣く事により酸素が不足して心臓の負担が大きくなります。人混みはなるべく避けて下さい。感染症により病状が悪化する場合があります。予防接種はもうしばらくの間控えて下さい。病状を見ながら判断しなければいけませんから。』やっと家族で過ごせる嬉しさと、このまま無事に過ごせるのか不安が入り交じっていた。
『しばらくは2週間おきに診察に来て下さい。その間、異常を感じたらいつでも24時間診察しますから安心して下さい』でも自宅から1時間近く離れた病院。正直不安いっぱいだったが、母は強し!希望をもって前へ進む事にした。
『本当にお世話になりました。』深々と頭を下げた両親。『ちょっとでも心配な時は、いつでも診察に来て下さいね。』 優しく心強い言葉をかけられ、辛かった入院生活を卒業した。
👶奮闘👶
ようやく自宅での生活を迎えた。泣くのが仕事の赤ちゃんを泣かさない様にするのは至難の技。母は慣れない初めての育児に奮闘していた。でも日々成長し、声をあげる愛しい我が子の為ならなんでも頑張れる気がした。父もまた、いつ手術になっても対応できる様にと一生懸命仕事をした。金銭的負担も大きい。〇〇市で初めて、医療費の受給資格証も申請した。今は健康な子供にも、就学前くらいまでは医療費が公費でまかなわれるのが一般的だが、1970年代当時は持病のあるほんの一握りの人にしか公的な支援が受けられなかった。しかも三歳まで。支払いの窓口には、親がとりあえず支払いを済ませなければいけない仕組みだった。闘病の為には沢山のお金が必要だった。
👶奇跡👶
退院して何度目かに行った検診で思いがけない言葉を医師から言われた。
『今日の心エコー検査では開いていた穴が見つかりませんでした。奇跡的に穴が自然にふさがる事もあるんです。念のためカテーテル検査で確認したいのですが、よろしいですか?』(穴が自然にふさがるなんて。なんてすごい奇跡!なんてすごい生命力!)母に久しぶりの本来の笑顔が戻った瞬間だった。
当時の心エコーの機械では毎回検査の度に医師は見辛い画面とにらめっこ。私は右胸心の為、普通の人と比べものにならない位に検査がしづらく、診断も慎重にならざる終えなかった。この20数年後、私は第2子を妊娠中、3Dという立体的な画像のエコーと産婦人科で出会うが、この時はまだ残念な事に、そんな次元じゃなかった。
👶検査結果👶
無事カテーテル検査を終え、医師から説明を受けた。『やはり穴は自然にふさがっていました。良かったですね!これで当初予定していた手術をしなくて済みます。まだ弁膜症などの奇形がありますから、引き続きなるべく心臓に負担を掛けない生活を心がけて下さい。何もなければ、診察は3ヶ月ごとにしていきましょう。』嬉しさのあまり涙が溢れた。そして自宅での育児に少し自信が持てる様になった。
👶虚弱体質👶
運よく心臓の穴もふさがり、検診の間隔も徐々に開いてきたものの、乳幼児期の私は、すぐに風邪を引いたり、風邪をこじらせては肺炎になり入院したり、毎月毎月診察をしに、遠いあの病院へ行かなければいけない状態だった。元々ふっくらしていた母はみるみるうちに痩せていった。大変だったが、日々成長してくれた我が子。年長組のある日、自宅に一通のハガキが届いた。『就学通知書』あなたは〇〇小学校に入学が決定しました。という通知書だった。母は喜び、私にそのハガキを見せて言った。『おめでとう!春からはピカピカの一年生よ。』私をムギューっと抱き寄せた。その後何を思ったか私の数少ないアルバムを出してきて、その最後尾のページの真ん中に、そのハガキを貼った。今でも、その時の嬉しそうな母の顔が忘れられない。(なんでハガキなんて貼るの?)その時は不思議だったけど、母になった今の自分なら、その時の母の気持ちが、手に取る様に理解できる。(ここまでの道のりは、長く険しいものだったんでしょうね。本当にありがとう、お母さん。)そう呟かずにはいられない。
👸成長と共に👸
春の入学を前に、また私はカテーテル検査の為に入院した。成長と共に、病状を細かくチェックする為、弁膜症は相変わらず逆流がひどかったが、幸いにも心臓全体の機能は衰えていなかった。『学校では、短距離程度を自分のペースで、みんなと一緒に走ってもいいでしょう。ただ自分のペースというのを守って下さい。水泳も自分のペースで水に浸かり、軽く泳ぐ程度に。くれぐれも無理をしない様に。トラック走や持久走、マラソン大会などは見学して下さい。』具体的な学校での過ごし方の説明を受けた。こうして私は、桜が綺麗に咲き誇る春を迎え、小学校入学を果たした。
👸定期検診👸小学校入学後の検診は、だいたい夏休み、春休みの年2回に落ち着いていた。小児心臓外科のある病院は少ない。他県から来ている人も沢山いた。待ち時間には、車椅子に乗っている子、唇や手足が紫色で、チアノーゼがきつい子、様々な子達に遭遇した。長い待ち時間に、母は、よくこんな話をした。『あなたは今、普通に生活できているけれど、無理が出来ない体なの。あなたの心臓は今より悪くはなっても、良くはならないの。心臓に爆弾を抱えていると思いなさい。きつい言い方だけど、それくらい自分の体を大切にしてほしいの。この病院には、産まれてからずっと何年も、ベッドの上で生活して、学校にも行けない子もいるんだよ。あなたは恵まれているね。だから自分の体を大切にして、その子達の分まで、頑張って学校に行かないとね。』こうして私は、自然と無理をしない生活の仕方を身につけていった。母親になった今でも、疲れたらなるべく体を休める。その反面、あまりの忍耐力のなさに嫌気がさす自分もいる。周りの活き活きとしたママさん達がとても輝いて見える。体が年中重くて、なかなかテンションも上がらない自分がもどかしい。
👸学校生活👸
私は順調に生活していた。ただ学年が上がるにつれ、ヤンチャな男の子達から、こんな事を言われる様になった。
『お前は、なんで走れるのに、辛いマラソンだけ走らないんだよ~。ずるいぞ~!』給食をおかわりした日には、『おかわりするくらい元気なのに、なんで走らないんだよ!ずるいぞ!』(私だって、みんなと一緒に走りたいのに・・)そう思いながらも、何も言い返す事ができなかった。こんな事が続き、私は自分の体に、コンプレックスを抱き始めた。ずっと母に心配かけまいと、我慢していたが、とうとう限界がきて、母に夜、布団の中で泣きながら、こんな事を言ってしまった。『みんながマラソンだけ走らないのはずるい!って言うの!なんで私だけ走ったらいけないの~!みんなと走りたい!』この時の母の気持ちを考えると、とてもつらい。母はただ一言『ごめんね。健康な体で産んでやれなくて。』そう言って、泣きじゃくっている私の頭を、何回も撫でた。
私も先天性心臓病です。
まだ結婚・出産をしていないので、してる人の話を聞く機会もないので、よかったです。
>> 24
ゆうかさん、レスありがとうございます😃 私も子供の頃から漠然と思っていました。私って結婚できるのかな?大好きな人の子供を、ちゃんと産めるのかな?と。私の経験した実話を元に、頑張って最後まで書いていきたいと思います💪
少しでもゆうかさんが、明るい未来を想像して頂けたら、私も嬉しいです😃
👸部活動👸
色々あったが、無事に中学校に入学した。部活はブラスバンド部に入った。サックスやフルートに興味があったが、残念ながら主治医に止められた。心臓に負担がかかるから。結局、パーカッション担当になった。初めは嫌だったが、やり初めるとドラムにはまった。とても楽しい部活動だった。今でも時々ドラムを叩きたくなる。でも、ドラムは自宅にないから、たまに行くゲームセンターで、娘達と太鼓の達人に没頭する。
👸カテーテル検査👸
私は成長と共に、何度となくカテーテル検査をした。水泳が大好きだった私は、『自分のペースで軽く泳ぐ事』と医師に言われていたのも忘れ、思いっきり泳いだ時期があった。そんな時は決まって検診で『心臓に負担がかかり、少しいつもより大きいです。気をつけて生活する様に。』と言われた。この頃からカテーテル検査は部分麻酔で行われていた。検査が終わり、部屋に戻る時には、いつも喉がからから。ガブガブ飲むとしばらくして麻酔が完全に切れる頃、毎回ひどい吐き気におそわれた。そんなカテーテル検査も十代後半くらいからしなくなる。右胸心でも、心エコーが進化し、細かな部分も随分よく分かる様になった。私の体の成長も止まり、検診でも、悪い変化が見られなくなったから。
👸高校生活👸
検診を欠かさずしながら、順調に高校入学を迎えた。間もなく、初めて彼氏ができた。その彼は、後に私の旦那さんになった人。この頃の私は、将来に不安を感じていた。(私は赤ちゃんが産める体なのか?)彼には私の持病の事を、詳しく話しておいた。『すごいじゃん!持病あってもこんなに普通に生活できて。』そんな彼の言葉で、コンプレックスを感じていた自分の体に、少し自信がもてた。
👸変調👸
そんな高校生活だったが、この頃から、今までに感じた事のない症状が現れた。突然、心臓がぶるぶると震えて脈が早くなる、体を起こしていてもしばらくして、普通の速さに脈が落ち着く時もあれば、だんだん辛くなってきて、体を横にするとやっと落ち着く場合もある。小さい頃には経験した事のない症状が年に数回現れた。とうとう私の心臓も、老化が始まってきたのかと不安だったが、年に数回現れただけだからか、検診では異常が見つからなかった。相変わらず、時々現れる症状に、不安が残る。
👩就職👩
私も無事に社会人になり、事務職に就いた。彼とも順調に付き合いが続いていた。あまりに普通に生活できていたから、私は心臓病という事を意識しなくなってしまった。社会人になると、なかなか検診にも行きにくく、二十歳になっても先天性の病気だから、小児心臓外科に受診しなければならない。いつしか抵抗を感じ、自然と病院から足が遠退いてしまった。
👩結婚👩
ある年の、彼との記念日に、いつもはプレゼントや、あまりサプライズをしない硬派な彼が、バラの花束を持って私を迎えに来た。『はい!』と何も言わずに、ちょっと照れくさそうに、花束をくれた。私はびっくりして『何?!ありがとう!』と言うと、『さっさと花束置いてこいよ。行くぞ!』とせかされながら車にのり、書店に向かった。帰り道、家に向かうのかと思いきや、反対の道を行きだした。えっ?と思っていたら、あっという間に、私達が出会った、懐かしい丘の上の高校についた。夜は夜景がとても綺麗だ。窓から夜景を見ていると、運転席の彼が『結婚しよう。』ストレートな言葉にびっくりした。『うそ・・?』と思わず言ってしまった。ずっと私が夢見ていた事だった。大好きな彼の言葉が嬉しすぎて、『うん』としか答えられなかった。今から15年前の出来事だった。
👩説得👩しばらくして、彼がケーキを持って挨拶に来た。よく私の家に出入りし、付き合いも長かったから、両親とは日頃から交流があったが、彼は緊張していた。不規則な仕事をしていた母は、なかなか父と休日が合わない。まずは父の休みの日に挨拶にきた。『娘さんと結婚したいので、お許しを下さい。』『知っていると思うが、この子は生まれつき心臓に奇形を抱えている。こんな日が来るなんて、想像もつかなかった。娘が選んだ人だから反対する理由はないよ。』すごくあっさりと、でも目を赤くして父は私達の結婚を認めてくれた。母には前々から、彼が挨拶に来るからと伝えていたが、まだ歳も若かった為、『反対はしないけど、もう少し付き合ってからにしなさい。結婚生活は甘くないよ。あなたが苦労するのは見たくない』と、結婚後は彼の家族と同居する予定だから、若くして結婚し私を産んで苦労してきた母は、私の体を心配して、なかなか結婚を認めてはくれなかった。やっと数日後、彼に会ってくれる事になった。私の体の事などを話し、『こんな体の娘で本当にいいの?』『はい。守っていきます。』父にも説得されていたのだろう、結婚を認めてくれた。21歳の春だった。
👩久しぶりの検診👩
結婚が決まってから、2年ぶりに検診へ行った。私は妊娠、出産が可能な体なのか自分では分からない。医師に直接確かめたかった。すでに担当の医師が移動し代わっていた。ここ数年前から、数回の検診で直ぐに担当医師が移動し、度々代わっていた。その度に、私のカルテを最初から見てくれているのか、少し不安な医師もいたくらい。だからやっぱり病院から足が遠退いてしまった。この時の医師は『妊娠、出産は心臓にも負担がかかりますが、帝王切開などの方法もありますから、チャレンジしても大丈夫でしょう』と言ってくれた。不安はあったが、ちょっと安心した。もしこの時医師から、『諦めて下さい。』と言われていたら、間違いなく、私はこの結婚を取り止めていただろう。そんな覚悟をしての、検診だった。
👩結婚生活👩
秋晴れの連休最終日、私達は結婚した。前日も前々日も大雨だったのに、神様が味方になってくれたのか、本当に良く晴れた日だった。嫁ぎ先へ行くタクシーからの車窓が、今も忘れられない。とても綺麗だった。
無事に式や新婚旅行を終え、新生活が始まった。
慣れない家事と仕事の両立で、毎日クタクタだった。
でも、私も彼も子供が大好き。
1日でも早く授かりたいと思っていた。
👩初めての妊娠👩
結婚して半年たった頃、生理が少し遅れ数日後、検査薬を試してみた。うっすらと陽性反応。でもうっすらだから、今すぐ病院は早すぎる気がした。
来週あたり、診察に行こうと考えていた。台所に立ち、揚げ物をするとなんとなく気持ち悪い。そんな矢先に、鈍い生理痛と共に、出血が始まった。
(あの陽性反応は?これは生理?)数日前に、うっすら陽性反応があったから、念のため産婦人科を受診する事にした。
『ごく初期の流産です。検査薬をしていなかったら、生理が遅れただけと思う人がいるくらいの、ごく初期の流産です。この流産はお母さんのせいではありません。元々排卵する時期が悪かったりして、受精卵そのものが育たない為ですから。気を落とさずに、またチャレンジして下さい。』
とても悲しかった。私はこれから数年の間、不妊に悩んだ。『赤ちゃんはまだ?』近所のおばちゃん達の何気ない言葉に、よく落ち込んだ。
👩不妊治療👩
結婚して2年たっても、私は不妊症に悩んでいた。当時、不妊治療に通っていた親友が、『私も一緒に行くから病院行こうよ。女医さんだし。』と誘ってくれた。
いろんな検査を一通り受けたが、これといって決定的な不妊の原因は見つからない。タイミング療法をやる事になった。数ヶ月やっていくうちに、排卵はあるけれど、卵子が未熟な時期に排卵したり、逆に日にちが経ちすぎて、古くなった卵子が排卵されたりしている事が分かってきた。排卵をする時期を整える治療も併用した。それでもなかなか妊娠せず、1年が過ぎようとしていた。
👩長期通院👩
仕事を持ちながらの不妊治療は、凄く大変だった。
生理周期に合わせて数日おきに通わなければいけない。仕事はその度に、半日休みを貰わなければいけない。
今はよく、不妊治療をしているという人を見かけるが、当時、私の職場では誰もいなかった。
治療を始めれば、程なく妊娠するものと思い込んでいたから、こんなに長期通院するのは予想外だった。
もうさすがに仕事は休めない、来月から治療を一旦休止しよう。自分の中でそう決めた月、私は運良く待望の赤ちゃんを授かった。嬉しくて仕方なかったが、『妊娠してますね😃まだ袋が見えているだけ。心拍を確認するまでには、もう少し時間が必要ですよ。』幾つもの不妊治療を手掛けてきた女医さんだけあって、冷静な言葉で一緒に喜びつつも、万が一の事を考えてか、すぐさま『おめでとう』の言葉はなかった。
👩突然の出血👩
数日後、夜に出血があった。嫌な予感がした。病院に連絡し、診察に行くと、仮眠をしていた女医さんが迎えてくれた。『これが赤ちゃんの心拍よ。これが見えているから今のところは大丈夫。しばらく安静にして下さいね。』ホッとして夫と一緒に帰宅した。帰りの車中、私は決意し、夫に言った。『やっと授かった大切な赤ちゃん、私は後悔したくないから、仕事を辞めて安静にするよ。』出産後はどのみち退職して育児に専念する予定でいたので、何の迷いもなかった。とにかく赤ちゃん第一に考えたかった。
夫も『そうしよう。せっかく授かった赤ちゃん、大切にしたい。』そう言って、賛成してくれた。
👩安定期👩
出血はしばらく続いたが、ようやく安定期に入った頃、出血もなくなり、落ち着いた生活を送っていた。連休には夫と車で、赤ちゃんが産まれたら、しばらくお預けだからと、近県に日帰り旅行をした。それから数日後、予想外の出来事が待ち受けていた。
👩腹痛👩
妊娠23周後半に、私は夜、鈍い腹痛で目が覚めた。心配になり、トイレに行ったが幸い出血はない。何となく便がしたい感じで、だけど便が出る訳でもない。
朝になっても相変わらず、鈍い腹痛と便意。私はその頃、不妊治療でお世話になった不妊専門病院から、小さい頃から通院していた、あの遠い心臓小児外科のある病院の産婦人科に転院していたから、出血もないし、病院までも遠いしで、診察に行くべきか悩んだ。
しかし、夫が『あんなに夜中、冷や汗かいてたじゃないか。念のため診察に行った方がいいよ。異常なければ良かったと思って帰るだけ。』そう言われて、私は念のためという気持ちで受診した。
👩切迫早産👩
念のためと思って行った診察で、思いもよらない診断がくだされる。『切迫早産です。すでに子宮口が1cm開いています。このまま入院して下さい。』私が便と思っていたのは、多分赤ちゃんの頭だったのだろう。初めての妊娠で、何もかも 分からない。(あの時、日帰り旅行なんてするんじゃなかった。)後悔するばかりだった。
私の娘も心室中隔欠損で生後3日目で心雑音を指摘されました。幸にも軽めで日常生活に支障は無いそうですが私も主さんのお母さんと同じように母乳も止まり悩み過ぎて欝みたいになりました。ミルクも廻りより全然飲まないしすぐ吐くしいつも手足が冷たくて毎日不安で不安で。娘に何回も謝って。飲まないし吐くけど心臓自体は改善に向かってる。でも症状はかわらない。毎日悪くなったんじゃないか心配でした。今9ヶ月になりやっと多少おおらかな気持ちで娘に接触られるようになりました。それまでは必死でいつも怖いママだったと思います。
このスレの始めから大号泣です。主さんの今後も気になります。ぜひ最後まで読ませてください。主さんのように強いパワーを持った女の子に成長してもらいたいです。
横レスすみませんでした。
- << 44 あゆママさん、レスありがとうございます。そして日々の育児、本当にお疲れ様です😃私は母親になった今だからこそ、このお話を書くことが出来るのかなと思います。かつて私を産み育ててくれた母の気持ちを、考えれば考える程、涙が溢れる思いです😭お母さんありがとう!の気持ちでいっぱいになります。あゆママさんの娘さんも、いつかそんな日がくるのではないでしょうか。マイペースでも、希望を持って、いろんな事にチャレンジすると、少しずつですが、自分に明るい未来が切り開かれた様に実感しています。あゆママさんと娘さんのペースで、希望を持って、頑張って下さいね✨私もマイペースで育児頑張ります💪
>> 42 私の娘も心室中隔欠損で生後3日目で心雑音を指摘されました。幸にも軽めで日常生活に支障は無いそうですが私も主さんのお母さんと同じように母乳も止… あゆママさん、レスありがとうございます。そして日々の育児、本当にお疲れ様です😃私は母親になった今だからこそ、このお話を書くことが出来るのかなと思います。かつて私を産み育ててくれた母の気持ちを、考えれば考える程、涙が溢れる思いです😭お母さんありがとう!の気持ちでいっぱいになります。あゆママさんの娘さんも、いつかそんな日がくるのではないでしょうか。マイペースでも、希望を持って、いろんな事にチャレンジすると、少しずつですが、自分に明るい未来が切り開かれた様に実感しています。あゆママさんと娘さんのペースで、希望を持って、頑張って下さいね✨私もマイペースで育児頑張ります💪
>> 43
私の身内がそうでした。
成功率20%以下と言われた手術を2回受けました。
0歳と1歳の時です。
もちろん胸に大きな傷もありますが、結婚もし…
唱さん、レスありがとうございます😃
身内の方は、二回の手術に耐え、結婚、出産されたんですね。私と同年代の方で、皆さん頑張ってらっしゃるんだなぁ、私も弱音なんて吐いていられないなぁと、唱さんのレスに、力を貰いました💪私は幸運にも手術は免れてきましたし、本当に幸せ者です。私の読み辛い文章に、お付き合い頂きありがとうございます🙇 全くの初心者なもので・・
👩入院👩
私は即入院し、お腹の張り止めの薬や、24時間点滴、シャワー、お風呂も禁止、トイレは室内の簡易トイレという生活をしなければいけなかった。夜になり、医師から家族も呼ばれ、説明を受けた。『検査の結果、炎症反応が強く、鈍い腹痛も続いている為、万が一の事も覚悟なさって下さい。残念ながら23周で産まれた赤ちゃんは、NICUが整った病院でも、無事に生きれるのは皆無に等しいです。今は少しでも長く、お腹の中にとどめる様に治療していくしかありません。』病室の中に重苦しい空気だけが流れていた。私達夫婦には言葉も出なかった。
(やっぱり私は、母親にはなれない運命なのか・・)悲し過ぎて、自分が今おかれている状況が実感できず、入院当日は不思議と涙も出なかった。
👩副作用👩
入院翌日、私は一晩の間に(母親として、お腹の赤ちゃんに最善を尽くそう、後悔はしたくない。 何が何でもこの子を守る!)という前向きな気持ちを持って朝を迎えた。張り止めの薬には、健康な人にでも動機が出ると説明を受けていた。私は点滴を始めてから時々、短時間だったが、あの心臓がぶるぶると痙攣を起こした様な、年に数回現れる症状が出る様になったので、看護師さんにその事を伝えたが、この薬の副作用ですから。との返答に私も短時間におさまっていたし、こんなものなのかと、そのまま点滴を続けていた。動機を抑える為に漢方も処方されていた。とても飲みにくく吐き気がする位だったが、赤ちゃんの為!と自分に言い聞かせ、鼻をつまんで一生懸命飲んだ。
👩発作👩
入院2日目の真夜中3時、私はまたあの心臓がぶるぶると痙攣した様に震えて目が覚めた。数分たっても止まらない。限界を感じ、ナースコールを鳴らした。胸に心電図を付けモニターを見ると、脈拍が200前後を行ったり来たり、医師がすぐに携帯片手に飛んできた。循環器の先生と相談の電話をしていた様だった。私自身は呼吸するのも辛くなってきていたから、赤ちゃんが、お腹の中で苦しんでいるんじゃないかと心配で仕方なかった。『先生、赤ちゃんはお腹の中で辛くないんですか?』『とにかく、今直ぐこの点滴を外します。』(外す?じゃぁ赤ちゃんは?産まれてしまうの?お願い、私はどうなってもいいから、赤ちゃんを助けて!)叫びたい気持ちだった。『保険は利かないけど、心臓に副作用が出ない代替えの薬を点滴します。』その言葉に、ちょっとホッとした。結局、私の心臓の脈拍が正常に戻ったのは、新しい点滴を始め、数十分たってからの朝方4時頃、さすがに1時間もの間、心臓の震えが止まらなかったのは初めてで、私の心臓はもう駄目かもと、死を意識してしまった。
👩入院生活👩
入院生活は本当にキツかった。点滴は24時間だから夜中でもピーッと機械の音がなり、その度に目が覚め、寝不足の日々。入院が長くなるにつれ、数日たつとすぐに点滴が漏れ、針を刺し直すが、血管がもろくなり、刺す場所もなくなってきた。刺す時は痛いが長持ちするから、自ら看護師さんに頼んで、手の甲に刺してもらったりもした。シャワーすら1ヶ月以上も許されず、体を拭いてもらうのみの日々。週に数回、ベッドの上で洗髪してもらうが、丁度入院したのは梅雨時期、建物も古く、冷房があまりきかなくて、ただでさえ汗っかきの私は、苦痛でならなかった。代替えの点滴薬は保険が利かない。高額な薬ではなかったが、それでも24時間使うから量もかなりのもの。トイレが自室じゃなきゃいけない人は個室しか入れない。部屋代と薬代で旦那さんの給料より高い入院費用が容赦なく降りかかる。精神的にも本当に辛かった。
👩心の支え👩
辛い長期入院に、前向きに向き合っていた私だったが、看護師さんに弱音を吐き涙した事もあった。1日1日指折り数えるカレンダー、『まずは28週が目標ね。』『今度は32週、そこまでいけば万が一産まれても赤ちゃんの頭に針刺さなくて済みますよ。』点滴にはいつも看護師さんからの励ましの言葉が書かれていた。『ファイト!』『あともう少し』仕事でなかなか面会に来れない夫の代わりに、不規則な仕事の合間に、母もよく面会に来てくれた。手作りのおかずやデザート片手に。
体調が落ち着いた頃には、よく病室の洗面所で椅子に座り、母に洗髪してもらった。『あなたは小さな頃から、本当によく病院にお世話になる子。でもここまで来たんだから、あともう少し、母は強しだよ。』母に洗髪してもらうなんて、小学校低学年以来だった。いつも私は、いろんな人に支えられていた。感謝しても、感謝しきれないくらい。
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