地獄に咲く花

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2013/11/10 23:01(更新日時)

地球温暖化が進んで人類滅亡も近い世界での、ある子供達の物語。

13/03/21 00:30 追記
※このスレッドは前編となっています。中、後編は以下のURLよりお入り下さい。

中編
http://mikle.jp/thread/1242703/

後編
http://mikle.jp/thread/1800698/

尚、このスレッドはレス263よりサイドストーリーとなっております。もし中、後編を御覧になる場合はこちらも読むことをお勧め致します。

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No.1159506 (スレ作成日時)

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No.251

「…これで、終わりだ。」

ロイはふっと息をつくと、窓の外に少し目を向けた。ジュエルは黙っている。ロイもそれ以上言葉を紡ぎ出す気配はない。
だから暫く、辺りを静寂が支配した。

しかし。

「どうして。」
「?」

ジュエルがそれを打ち破った。ロイは思わず振り向く。

「どうして、隠そうとした。」
「…俺が何か隠したか?」
「あぁ。」
「…何を。」
「腕のことだ。」

抑揚のない口調でジュエルはそう言った。だが、ロイは感じ取った。


微かな…ジュエルの、憤りを。


何故なら、彼の自分を見つめる瞳があまりに真っ直ぐだったからだ。



「別に…隠すつもりはなかった。」
「あの時、俺達がお前の傷が一瞬で治るのを見た。だからお前はこのことを打ち明けざるを得なかった。」

ジュエルは思い出していた。マルコーとの戦いの時を。

「でも。もし俺達がそれを見なければ、お前はずっと隠しているつもりだったんだろう。」
「……。」
「隠せるはずもないのに。」
「……お前らに、余計な心配はかけられない。」


ジュエルはそこで、冷たく硬い床に目を落とした。


「それが。分からないと言っているんだ。」

No.252

ジュエルは近くの椅子にゆっくりと座ってからこう言った。

「ロイ。俺達は強化人間として目覚めてから、何年一緒に戦ったんだ?」
「え。……。」

いきなり聞かれてロイは少し戸惑う。…思い出しにくい。そんなことは、考えたことがなかった。

強化人間は戦うことしか出来ない人形。体が成長することはない。今までだって、これからだって。止まった時の中で、ただ戦い続ける。


時なんて、意味がないもの。


ロイはそう思っていた。
しかし…何とか記憶を辿り、思い出すことが出来た。


「…15年か…?」
「そうだ。あれから15年経ったんだ。俺達は生みの親であるルチアを殺し、国と接触し…それからは人造生物を殲滅する毎日だった。あと…時々人も殺したな。」

ジュエルはどこか遠い目をして言っていた。ロイはその様子に眉を潜める。

「ジュエル。さっきから、どうした?」
「………。」
「…ジュエル?」
「ごめん。自分でもよく分かってないかもしれない。でも、俺は…仲間に何かあったら…。」
「……。なか、ま…?」

ロイは少し間を置いて、その言葉を言う。すると

また、口から自然とこぼれてきた。

「仲間…。」

No.253

その時。
ロイは、自分の心から何かが流れ出すのを感じた。それは脳まで達すると、視神経を伝って目の前に映像として現れてきた。次から次へと、瞬時に色んな場面が流れていく。

(……これ…は。)

ロイは呆然としてその映像を見ていた。

それは自分が経験してきた、全ての事柄だった。


親に捨てられた後。
ハヤトと出会い、サヤと出会い。それから3人で支え合って暮らしたこと。殺人を犯し、ハヤトと自分が刑務所に入れられ…そして、そこからの脱走に失敗して。

1度殺され、全ての記憶が闇に葬り去った後。母の手で狂戦士として生まれ変わったこと。

「…………。」

まだ続いていく。

目覚めの後。
殺人衝動によって母を殺め、それから自分の意志を取り戻したこと。そこでジュエルとグロウに出会い、生きるために3人であらゆる努力をしてきたこと。

巡り巡って。
…15年の時を経て。

このルノワールの地に戻った。また2人と共に数々の闘いを切り抜けた。それを通して記憶の欠片を取り戻していき…自分の過去に決着をつけることが出来た。


そして
今に至る。

No.254

何故、突然自分の過去が見えたのか。その時のロイには理解できない。しかし、心の奥では感じていた。

…それぞれの自分の過去には、共通点がある。

何の?
もっとよく考える。

…もっと。


(ぁ。………。)

そして、気付く。
いつも自分のそばにあったものに。…今更のことだった。でも、分かっていなかった。



時をかけて作られるもの。
時をかけて繋がる絆。
それは、とてもとても深いものだったことを。


ジュエルの声が響く。

「俺は一緒に戦ってきた仲間が1人で苦しむのは、見たくない。ロイやグロウが苦しいと思うときは、力になりたい。…それだけだ。」

そう、今ここにいられるのは自分1人の力ではない。

ハヤト。サヤ。
ジュエル。グロウ。

どんな壁を超える時でも、いつもそこには仲間がいた。
手を差し伸べ合って、取り合って。

今という時をこの手に掴み取っている。



「はは…そうだ。…そうだよな、ジュエル。」

ロイは穏やかに笑った。

「俺も見たくない。お前やグロウが苦しむのは。」
「……。」
「…もう隠すのは、止めだ。辛いときは、思い切り吐き出してやる。」
「…ロイ。」

No.255

「…俺って馬鹿だよな。15年も経ってるのに。お前たちという存在が見えてなかったんだからな。」
「…そういうわけでもない。」
「?」

ロイが見ると、ジュエルは珍しくばつが悪そうな顔をしていた。

「ロイは、俺達に心配をかけたくなかった。…その気持ちは…そういうこと、だろ。」

それを聞いてロイは少し黙り込む。頭を掻いて、苦笑いした。

「…難しいもんだな。」
「…すまない。やっぱり何と言っていいか、分からない。」

2人で顔を見合わせ、しばらく沈黙した。

すると。



「ぷっ…あっはははは!」

突然ロイの笑い声が響いた。

「な、何だ。」
「いやいや。お前がそんな形容し難い顔してんの、初めて見たからさ。」
「……。形容し難い顔で悪かったな。」
「でもいいんじゃないかー?たまには。そういうのも。…くっくっく!」

ジュエルは少し憮然としていたが

やがて。

「ふ。…ふふ。あははは。」
「おー。お前の笑い顔もめったに見れないや。あっはは!お前も何かあったら俺に相談しろよ?」
「ああ。そうするよ。」
「…これからも、宜しくな。」
「…こちらこそ。」

それから
2人は朗らかに笑った。

No.256

3人は、それからルノワールでの最後の1日を思い思いに過ごした。もっとも、ロイだけは医者にまだ安静にするように言われ、渋々病室のベッドで寝たままだったが…。時間が過ぎるのはそんなに遅くもなかった。
昼を越え、夜を超えて。また同じ様に日は上る。


早朝。


ロイは、ある扉の前に立っていた。しかし扉を開けようとはしない。本当に、ただそこに立っているだけだった。
扉には、プレートがかけてあった。

『集中治療室』

「…………。」

見つめていた。
扉ではなく、その向こうにあるであろう空間を。5分そうしていたのか、それとも20分そうしていたかは分からないが。

やがて ロイは背中を向けた。

真っ直ぐ伸びる長い廊下を
ゆっくりと歩いていく。

心に誓った。

必ず
ここに戻ってくると。

ロイが振り返ることはない。
静かな足音は…そのまま遠ざかっていった。


外へと続く自動扉が開くと、ぶわっと風が吹き付けてきた。東にあるその出口は、まだ微かに赤い、朝日に照らされている。

だから目の前に並んで立っている2人の影は、その逆光に映し出されていた。


「……。待たせたな。」

No.257

「別れは済んだか。」

ジュエルが聞く。

「もうすぐ出発ですよ。まあ無事にできたら、ですけどね。」

グロウがいつものように悪戯っぽく言った。

ロイは2人の間を抜けて前に立つ。そして振り返ってから…微笑んだ。



「行こうぜ。」



ざぁ…と木々が揺れた。ジュエルとグロウはしばらく言葉を失う。
ロイの微笑みが、あまりに静かだった。何か決意のようなものを感じさせる、そんな表情だった。

だから
2人はただ頷いて、それに応えた。


そして3つの影は動き出す。
街のほうを避けていき、砂漠に出る。乾いた大地を1歩1歩踏みしめて進む先は海岸だ。そこに波音とともに佇んでいるのは…『ヴィマナ』。
バラバラと辺りにプロペラ音が響いていた。何人か行き交っている兵士のうち1人が、こちらに歩み寄ってくる。

「お待ちしておりました。」
「KK。只今到着しました。」

ロイは事務的な口調で言った。

「すぐに搭乗して下さい。間もなく発進します。」
「了解しました。」

…ひどくあっさりした、短い会話だった。この国を去る準備はそれだけでもう出来てしまった。

3人は『ヴィマナ』の搭乗口へ向かう。

No.258

『ヴィマナ』の中にロイが乗り込み、グロウが続く。そして最後にジュエルが入口に足を掛ける。

だが、不意にジュエルは振り向いて…見た。



乾いた砂漠。透明なドームに覆われている小さな国。夜の深い青を残した、鮮やかな空。
…ずっと向こうで微かに渦巻いている、黒い雲。


やがて、雨になる。


ジュエルは感じていた。
不安と、恐れを。 

ずっと心に引っかかっていた。…あの言葉を思い出す度に背筋が寒くなり、吐き気がするのだ。



今に始まる
輝かしい 終末の時



…『オメガ』。




「……。」

何も覚えはない。ただ、無性に気分が悪かった。何かが起こる。…そんな予感がした。



確信が、ある?



「どうかしましたか。」
「!…」

グロウの声にジュエルは反応した。

「…悪い。」

ジュエルはそれ以上考えるのを止め、急いで『ヴィマナ』に乗り込んだ。




やがて『ヴィマナ』のプロペラ音は一層速くなる。中では激しく声が飛び交っていた。

「エレクトロニクスエンジン、始動!」
「システムオールグリーン。」

ドザザザ…

海が音を立てる。

そして。

「ヴィマナ号発進!」

No.259

空に飛び立つ、黒い影が見えた。

一隻の飛行艇だ。
ゆっくりとした速度で海の方へ向かっていくその姿は、段々小さくなっていき…気付いたときには、雲に隠れてもう見えなくなる。


それを見届けた。


ここは小さな丘の上にある、小さな墓地だった。とても寂しい所ではあったが、海を一望できる気持ちのいい場所だった。

…ある人物が、ある墓の前に立って、彼方に消えていく飛行艇を見ていた。

その人物は


大きな帽子に、サングラス。それに長いコートを着ていた。
夏なのに、とても暑苦しそうな格好だった。


墓は最近出来たものらしく、墓標の前には数個の花束が置いてある。どれもみずみずしく、鮮やかな色が綺麗だった。

…その中の1つが



グシャッ!

踏み潰された。




「あなたの言う通り。……終末は、始まります。」


コートの人物はそう言いながら、帽子のツバを手に取り…ゆっくりと外す。


肩に掛かる銀髪が
ふわりと風に揺れた。


「でも、あなたが作りだそうとしたそれとは違います。」


次にサングラスに手をかける。



「本当の終末が。…始まるのです。」


そして、外した。

No.260

サングラスの下にあったのは


…赤い。
紅い瞳だった。
血の色が、ぐるりと瞳の中に渦を巻いている。まるで狂気が渦巻いているようだった。

だが、それよりも。
薄く笑ったその顔は
紛れもなく………





「『鍵』の片割れを見つけて下さり有り難うございました。…マルコ-=ガーラント。後は僕がやります。」

グシャ。

さらに足に力を込めた。白い花がはらりと散る。



「この世界の螺旋を。

全ての命を。

無に返しましょう。」



散った花びらは風に乗り
崖の下に、落ちていく。

踏み潰された花が
それを取り戻すことは

二度となかった。









……To be continue………

No.261

――あとがき――

皆さんこんにちは。ARISです。
この度は『地獄に咲く花』を無事書き遂げることが出来ました。と言っても感想スレのほうでも書きましたが、続編を書くことにしました。(^^)興味が少しでも湧いた方は是非ご覧になってみて下さい。

この小説のストーリーは、中学校の頃からぼんやりと浮かんでいました。そのまま高校を卒業して、ふと「書いてみようか」と思ったのが去年の4月頃です。

それで書いてみると…とても大変なものでした。文章の表現のしかたや、細かな設定の説明。中でも一番悩んだのが登場人物の気持ちを考えることですね。(^^)
少し、知り合いからBLっぽいと言われたことがあります。(^^;)そうするつもりはなかったのですが…やっぱりうまく表現が出来なかったのだと思います。不快に感じた方には申し訳ありませんでした。

そんなこんなで
あらゆる点が拙いものでしたが



皆さんはここまで読んで下さいました。



…本当に、有り難うございました。
嬉しい気持ちでいっぱいです。(^O^)
もし良かったら意見感想、何でもお寄せ下さい。

それでは

どこかで、また会いましょうね

ARIS

No.262

続編スレッドを立てました。
どうぞこちらからお入り下さい。

地獄に咲く花
~The road to OMEGA~

http://mikle.jp/thread/1242703/

No.263

皆さん今晩は。(^^)ARISです。


地獄に咲く花~The road to OMEGA~のサイドストーリーを、ふとした思いつきで書いてみようと思います。更新は本編より疎らだと思いますが、広い目で見ていただけたらと思います。

では、ご覧ください。


題名
『エメラルドの真ん中で』

No.264

今日、ここに2つ目の新しい命が生まれた。2つ目というのは、私が1つ目だからだ。


その命の名は決めていない。

違う。私は一生にして、それに名などつけないだろう。


私達は永遠。永久に、ある1つの業を成さねばならない。そしてそれを成す為には、自分の存在というものを感じてはならないのだ。だから、名前も必要ない。だから、私にも名前がない。

「ここは、どこ?」

小さな光球から命の声が響く。透き通った細い声だ。少女の声…いや、少年の声かもしれない。純粋で、まだ何も知らない真っ白な命。それが無性に愛しかったのか哀れに見えたのか分からないが、私は出来る限りの優しい声で答えるのだった。

「ここは、命の源泉となる場所だよ。」
「イのチのゲンせン?」

無垢な声が、可笑しな発音で私の言葉を繰り返す。言っている意味が分かっていないのだろうとすぐに分かる。
当然だ。ほんの2、3刻前に生まれたばかりなのだから。思わず笑いがこみ上げてくる。このようなものを見るとますます混乱させたくなってしまう。自分の性格が悪いことは重々承知しているつもりだが。

No.265

「そうだ。肉体を離れた全ての魂は、土を通してを浄化され、ここに集合する。そしてここから星を支える生命の流れを構成し、『螺旋』を作り上げていく…そんなところだ。」
「……???」

命はもはや返事をしない。姿はなくとも、丸い目をして首を傾げている様子が分かる。私はついに笑いを声に出してしまった。
命が、いつまでも黙っている。少し怒らせてしまったか?

「くっくっく…悪い悪い。お前にはまだ理解出来ないな。」

私は光球をそっと撫でた。そうすると、ほんのりとした熱さが伝わってくる。やはり怒っていたのかもしれない。けれど、命はそれから気を取り直したようにまた訊いてきた。


「お姉さんは、だれ?」


お姉さん、という言葉に私は少しだけ嬉しくなる。…もうからかうのは止すことにした。


「私か?私はずっと前からここにいる。お前と同じ様に生まれた。…つまり、これからお前は私と同じ様に生きるんだ。」
「お姉さんはここで何をしているの?」
「それはまだ教えられないな。お前はさっき私が言ったことが分からなかっただろう?」

No.266

「…分かるもん。」

命はぶすっとした口調で言う。

「ほお?そうだったか。なら私に説明してみるがいい。生命の流れとは何か。『螺旋』とは何か。」
「分かるもん……分かるもん!」

その後も命は何度か同じ言葉を繰り返す。私は、こらこらと自分に言い聞かせた。もうからかうのは止めたのではなかったのか。やはりこの幾億年かけて曲がり果ててしまった性格を今更直すのは、酷な事なのかもしれない。

私は、不意に目を落とした。

「それに、まだ知らなくていい。」
「え?」

命が小さく声を出す。私が急に真面目な顔になったからかもしれない。


「…時が経てば嫌でも分かるのだから。」


私はそう呟いて上を見上げた。忙しなく揺れるエメラルド色の水面に、どこからか白い光が射し込んでいた。


そして私は、オモう。
命の事を。


この命は私と同じ様に生まれ、同じ様に生きる。さっき自分で言った言葉を思い出した。いずれ世界の仕組みを知り、自分が何であるかを知り…ただ自分の運命に身を任せる。今の私のように。


だが、
本当にそれでいいのだろうか。


「どうしたの?」

命の無邪気な声が、私の胸に響き渡った。

No.267

私は少し溜め息をついてから、

「何でもないよ。」

と言うのだった。私の言うことが分からなければ、それでいい。…その時が来るまで。
私は命に背を向けた。

「お姉さん、どこか行っちゃうの?」
「ああ、少し仕事にな。すぐに帰ってくる。お前はそれまで眠っていると良い。」
「…そういえばさっきから眠いや。」


私は振り返り、また光球を撫でた。

「生まれたばかりなのに私と話して、疲れたんだろう。……眠るんだ。優しい夢を見ながら。」
「…うん…」


命はやがて何も言わなくなった。




命が生まれてから、地球の時間で100年が過ぎた。100年と言っても、私にとっては1年くらいに感じる。それくらいまでに、今や私の時間の感覚はなかった。見れば100年の大半眠っていた命も、少ししか成長していないようだった。ある日、命はこんな事を言った。


「ねぇ、ところで。ボクは男なの?女なの?ボクお姉さんみたいに体がないから、分からないよ。」


性別の認識。命は未だただの光球だから、疑問に思っても可笑しくない。その答えは実に詰まらないものだから、まだ言わないでおこう。私は命の話し相手になることにした。

No.268

「そうだな。ボク…と言う所を見ると、男かもしれないな。」
「そうなの?」
「普通は、そうだ。」
「…ふーん…」

私のその一言だけで、命は何か納得している様子だった。私は思わず命に聞いてみたくなった。

「お前自身はどっちがいいと思う?」
「え?」
「男と女だ。何も自分をボクと言うからと言って、必ずしも男と決まるわけではないんだぞ。」
「えぇ!そうなんだ。じゃあ…えっと……」

その後命はしばらく何か自問自答していたが、やがて1つの答えに辿り着いたようだった。

「やっぱり…男かな。」
「何故だ?」
「よく分からない。でも、男は女より強そうだし。」
「おいおい。それは男女差別というものだ。私はお前なんか片手で簡単に握り潰せるぞ?」
「え?!や、止めて!」

命は激しく動揺する。全く、只の冗談も分からん奴だ。まあ事実ではあるが。

「でも、ボクは女のヒトみたいにはなれない気がするんだ。だって女のヒトって、みんなお姉さんみたいに意地悪なんでしょ?」
「それは性格による…ってお前。今さらりと何か言わなかったか。」
「うぅん!何も。」

こいつ…意外に腹黒なのかもしれないな。

No.269

そう思い、私があさっての方向見て失笑していた時だった。命はとても小さな声で呟いた。

「でも、本当は……しい。」
「…うん?」

その言葉がよく聞こえず、私は逸らしていた目を再び光球に移す。すると、何だかつぶらな瞳で見上げられているような気がした。

命が、私をじっと見つめている。…いや、私の中にある何かを見つめている。そんな感じがした。

「すまん。よく聞こえなかった。もう1度言ってくれるか?」

私がそう訊いても、よく分からないが命は中々口を開かない。しかし次に言葉を発した時はさっきとは違い、はっきりとした口調だった。



「お姉さんは、本当はとっても優しいよ。」


「…えっ…」


一瞬、私は変な声を出してしまった。命が突然そんなことを言うものだから。…というか、自分以外の存在から優しいなんて言われたのは生まれて初めてだった。まあ今まで私はこの世界で独りだったから、当然ではあるか。

しかし…上の世界を見ていて、その『誉める』という行為は知っていたものの、それが自分に向けられると…ああ、何だろう?気持ちがふわふわする。

私は今どんな顔をしているのだろう?

No.270

「お姉さん、顔赤いよ?何でかな?」
「え?…な!」

私は思わず自分の顔に触ってみる。すると、少し熱くなっていた。故意にからかったのかそうでないのか分からないが、命は私を見てクスクスと笑っていた。

「な、何でもない!」

私がそう言い張るが、逆効果だったようだ。それから命は妖精がはしゃぐように、宙に螺旋を描いたり跳ね回ったりし始める。

「ふふっお姉さんの顔赤い!わぁーい!」
「私の顔を見て何を喜んでいるんだお前は!」

命は私の言葉を無視して1人で上の方を飛び回っていた。それはとても速く、私には捕まえることができない。私はしばらく憮然として、命が白い光の尾を引きながら遊んでいるのを見ていた。




「僕も早く体が欲しいなぁ。どんな体になるんだろう?」

やっと命が戻ってきた。全くどれだけ面白がれば気が済むのか、あれからかれこれ30分くらい経っていた。私はふぅ、と息をつく。

「その内手に入る。今のお前にはまだ早いが、自分の姿を思い描くことが出来ればその姿になれる。…だからな。実を言ってしまうと、ここでは私達の性別は無いに等しいんだよ。」
「え…?それって、どういうこと?」

No.271

「私の場合、今は人間の形をしているが…実際は他の動物でも。あるいは石でも水でも。体をあらゆる形に変えることができる。」

命は少し言葉を失った。

「ボク達っていったい何なの?」
「…一応説明すると、私達はこの混沌世界の『意識』だ。『意識』には形がない。だから性の区別も皆無なのだ。その『意識』によって混沌の中の様々な元素を操り、今の器を構築することが出きる。だから…もしかしたらこの混沌世界そのものが私達の体、とも言い換えることが出来るかもしれないな。」


…長い間。
その後に帰ってきた言葉は、


「何言ってるか、分かんない。」


やはり。
そのシンプルな言葉はあまりにも私の予想と同じだったので、思わず苦笑してしまった。まあ今の命は人間に置き換えてみると、成長していても3才児くらいだから理解できなくても無理はない。

そう。考えてみればこれはもっと先に教えるべきことだ。いずれ命が私の後を継ぎ、この星の循環を守る立場になる時に…

その時。

「!」

突然心の中の私が、私にしか聞こえない警鐘を鳴らす。そしてそれは、私にこう言った。


それ以上命に無駄なことを教えるべきではない。

No.272

その瞬間、私は思い出した。

そうだった。…私は何をやっているんだろう。それは命が生まれたときから決めていた。決して忘れてはならないことだと、あれほど自分に言い聞かせたはずなのに。


命の意識に『自分』という存在を定着させてはならない。


私達にとって、これからしていくことに『自分』は必要ない。それがあることによって味わうのは、苦しみだけだ。だから私は自分の名前を消し、命にも名前を与えなかったのではないか。

『自分』なんて邪魔なだけ。私はこの幾億年でそれを十分に理解したはずなのに。命と話していて、そんな大事なことも忘れてしまっていた。

駄目だ。
このまま行ってしまっては。


「体なんて、必要ない。」
「え?」


ぼそりと、自分でも驚くほど低い声で。私は思考から滑り出た言葉をそのまま口に出していた。それは、命にとってはさぞ唐突な言葉だったと思う。…そう頭では分かっていた。


「今、何て言ったの…?」
「だから。お前には体なんて必要ないと言ったんだ。」


命に表情はない。しかし私の一言でかなり動揺しているのは目に見えた。でもその時私は、私を止めることが出来なかった。

No.273

体があっては。
命にとって『自分』の存在が、目に見えるようになる分だけ強固なものになってしまう。今はただ、それを避けたかった。
命を引き戻すには、命が体を持っていない今しかない。私はそう感じたのだろうと思う。

「どうしたの…?お姉さん…」

命が、今にも泣き出しそうな声を出す。混乱しているようにも思えた。それはそうだ。さっきまでの私と、今の私。言っていることが全く噛み合っていないのだから。


「お前は、もう余計なことは考えるな!!」


私の大きな声が辺りに響く。その時かすかに、ヒッと息を呑む声が聞こえた気がする。自分自身の怒鳴り声は私の頭の中でもがんがんと響いて…それは軽い目眩を催した。

「っ…」

私は少し俯く。そのまま辺りは静寂に支配された。その後は、まるで時が止まったようになった。

いや、時が止まったと言うよりも。この空間がとても冷たい水が満たされ、それがみるみる凍っていき…全てが氷に閉ざされてしまったような感じだ。その氷の中で、私は忽ち動けなくなってしまった。



長く、冷たい沈黙の後。
それはぽつりと聞こえた。



「ごめんなさい…」

No.274

命がそう言うと、私の目の前に浮かんでいた光球がふっと消えた。

「!」

私は一瞬何が起こったのか分からず、辺りを何度も何度も見回す。命の火が消えてしまったのかと思い、恐怖にかられた。

しかし、そのうち状況を把握する。

光が消えた理由は、命の精神が私のいない場所を望み、自然とそこに移動したからだ。…死んでしまったわけではない。私は荒げていた呼吸をゆっくりと鎮める。


私は、空っぽの空間に残されたのだ。


エメラルド色の海の水。上の水面から降り注ぐ白い光。今それらが各々の動きを変えることなく、私のことを囲んでいる。とても心が虚しくなり、私は深い深い溜め息をついた。


「…私は……何をしているんだ…」


今更そんなことを言っても、もう遅い。命は私の理不尽な態度に愛想を尽かし、いなくなってしまったのだから。説明不足を補おうにも、それが出来ない。



でも、私は。
命に私と同じ道を辿らせたくない、その一心だったんだ。



…自分に言い訳してもしょうがないだろう。と、私は私の心に言い返す。するとますます胸が後悔で一杯になった。


するとその時、

水面の光がパァッと輝いた。

No.275

その時、私は多分凍りついたような表情を浮かべていたと思う。

なぜなら、それは合図だからだ。いつもの『務め』の時間がやってきたという合図。水面から射す光はみるみるうちに強くなっていき、その眩いエメラルド色はやがて私の体をすっぽりと包み込んだ。

「…あぁっ…」

体の力が急速に抜けていく。私はその場でがくりと膝をついて、肩を抱え込んだ。
私の体からはぼんやりとした白い光球が幾つも出て行き、それはどんどん上に昇っていくと、輝く水面に吸い込まれていった。


あの光球は私の命の一部だ。言い換えると、私の生きる力。それが今、この世界…混沌の海の循環エネルギーとして、星に吸収されていく。私は遥か昔から、こうして自分の命を削って混沌の海の循環を保ってきた。


これすなわち、地球上のすべての生命の循環を保つことに繋がる。これが、ここに生まれた私達の『務め』なのだ。


昔はそれ程苦しみを感じなかった。しかし、あの頃から幾億年と命を削り取られ続け…私は今限界を迎えようとしていた。

「はぁ…はぁっ!!」

呼吸するのもやっとだ。
私の命はあと数年で尽きるのだということを、この度思い知らされる。

No.276

――さて。命が生まれてから、何千年か経っただろうか?


私と命はあれからというもの、実に穏やかな時間を過ごしてきた。共に戯れ…時々私が命を叱ったりもして気まずくもなったが、それも教育の一環だっただろう。こんな不器用な私に教育が務まったのかと疑問に持つかもしれないが。


私は常の『務め』を果たしながらも、命を育てた。思えば、私はあの子の母親のつもりでいたのかもしれない。

その努力が実ったのかどうかは定かではないが、命は段々と純粋な子供から大人への階段を上り始めていた。

ただそこに存在することに満足していたあの頃とは、もう違う。自分がどういう存在で、何のために生まれてきたのかという疑問を本格的に持ち始めている。


それにつれ私も、確実に終わりへと近づいていっていた。




「――なぁ、姉や。」


と、ある日命が話しかけてきた。その声が少し声が低くなっている事に、私はやはり命の成長を感じ、ちょっとだけ嬉しくなる。

「ん?どうした?」
「姉やには、名前がないのか?」
「…何だ?お前が今更になってそんなこと聞くなんて。今までずっと、お前は気にしていなかったじゃないか。」

No.277

「それに、名前など私たちにとって無意味なものということは口を酸っぱくして言ったつもりだったんだがな…。」

名前。それは『自分』の存在の証。だが私達には『自分』などというモノは無い。この言葉を何度思考の中で繰り返したかもう思い出せない程ではあるが、あえて再び繰り返そう。それを在ると思いこんでしまえば、ただ辛くなるだけ。――今の私のように。

何故私は消えてゆく?
何に命を吸い取られていく?
何故、私はまだ生きている?

答えは単純だ。

『私』という意識は最初からそこには無いのだ。だから今この憂いも存在していないし、ましてや生きてなどいない。あらゆる生命の源であるこの海をたゆたい、ただこの星の在るべき流れを維持するために働いている。多分何かの物質なのだろうと思う。

物質は意志など持たない。持ってはいけない。ただ星に貢献し、役目を終える。そのことに何の疑問も抱かないし、不満も無い。だから、『私達』は存在しないモノ。

この『在るのに無い』という乱暴で矛盾だらけの論理を、命にはみっちりと教えた筈だ。この話題が元で気まずくなったりしたし、喧嘩もした。けど、この教育は絶対必要なことだと私は思っている。


…あぁ。
私、また『私』って言ってる。


そんな思考で勝手に苛ついていた時、命は言った。


「無意味じゃないよ。…だって姉やは今そこにいるじゃないか。」


珍しく、はっきりとした口調だった。いつもはおどおどしていて、訳も分からず謝ってくることばかりだったのに。私は思わず目を丸くして命のことを見た。

No.278

「………何、言ってるんだ?お前。」

そう言った私の声は、少しだけ掠れていた。一体どういうことだ?これは。思考が微妙に追いついていかない…。


「だから。ちゃんと姉やの心はここに存在してるって、僕は言いたい。」


気付けば私は馬鹿みたいに口を半開きにしていた。そんな――命はどうして突然私の論理と正反対のことを言っているんだ?あれほど、必死に教えてきたのに。

只の冗談か。始めはそう思った。

「私の心――『私』が、存在する?…はははっお前は何を根拠にそんなことを言っているんだ?」
「姉やこそ。何を根拠に『自分』が存在しないって言ってるんだい?」

何の感情の揺らぎもなく、さらりと。命は本当に分からないところを質問するように返した。たったそれだけのことだったが、それは私に稲妻のような衝撃を与えた。

それからは「どうして」という言葉だけが私の思考を埋め尽くし、私は何かを口にするのが難しくなっていた。

「本当は、姉やだって気付いてるんでしょ?存在してないなんて、どう考えたって可笑しいって。…存在の根拠が知りたい?それは、僕は姉やを知っているからだよ。」

すると、命は自身からパァッと白い光を放ち始めた。最初は弱い輝きだったのだが…

「姉やが生まれた僕を大事に育ててくれたから、僕は知っているんだ。笑っている姉やも、意地悪な姉やも。」

段々とそれは大きく、眩しくなっていったのだ。この世界全体を包み込んでいくまでにも達して。


「怒っていた姉やも、それでも優しかった姉やも…ね。」


やがて
視界が全て白で埋め尽くされた。

No.279

「……、」

光が命へと収束を始め、そのまま完全に辺りから消え去った頃。私はその光景に絶句していた。何故なら、さっきまで私の目の前にあったかつての命の姿が――無くなっていたのだから。


彼は静かに私を見つめながら、佇んでいた。


特徴は、やはり大体私と同じ。大きなエメラルドグリーンの瞳と短めの銀髪が印象的な、少し幼めの少年だった。透き通るような白い肌の上に上下シンプルな白い服を着ている。彼は何か現実離れしたような雰囲気を持っていて、私が言うのも何か変な感じはするが、その姿はとても神秘的だった。


「僕達は、今ここに存る。」


命は、ちゃんとそこにある口を使って言った。私は、その一言だけで押しつぶされそうになる。命が胸の内側に持っている光のあまりの強さに肩がすくんだ。


「姉やがいて、僕がいる。互いに動きも、表情も、感情も分かる。それが――僕達の存在の証だ。だからいくら存在を誤魔化したとしても、心を誤魔化すことまでは出来ない。」


「お前………そうか。それがお前の『形』、か。」
「…え?」


私は何とか笑ってみせると、命は今更自分の体に気付いたようだった。まじまじと両方の手のひらを見つめてみたり、背中の方に首を回してみたりしていた。

No.280

やがて命は自分の姿を完全に認識したようだった。

「僕の、体…。」


――ああ。

私は溜息をつく。そこには感嘆と一緒に、正直絶望も混じっていたと思う。…ついに、命も自分の存在を明確に認識できるようになってしまったのだ。これでは、今の私と何も変わりはしない。私と同じ苦しみを味わい、運命をなぞるだけ。決して、命にはそんなことはさせないと決めていたのに!

だが今更戻れはしない。

体を得た以上、そこに定着した魂を再び分離することは私でも不可能だ。ならば、もう私に出来ることはもう無くなってしまうのか?


命はこのまま………


「……お前は、」

私は口から悪い物を吐き出すように、低い声を出す。すると、命が少し驚いたように息を呑む様子がはっきりと目に入った。

「自分の存在を強く認めた。そしてお前のその意志に呼応して、今この世界に渦巻く生命の海がお前に体を与えた。」
「……。」
「私はお前に教えてきた。私達が自分を持つということの無意味を。そこには苦しみしかないということを。これから、お前はその意味を半永久的に味わうことになるだろう。

その覚悟がお前にあるのか?私の言ってきたことが分かっていても……お前は自分はここに存在すると、宣言するというのか?」


それが無駄な問いであることは分かっていた。


けれどこれが私が命に差し伸べることのできる、最後の手だった。命がこの手をはねのけるというのなら……私は。

No.281

やがて、命は答えを言った。いつ覚えた礼儀作法なのか、頭をすっと私に下げて、


「ごめんなさい。」





――決まった。――





「折角姉やがここまで教えてきてくれたのに。僕は、本当に駄目な奴だ。

でも、多分信じたくないんだと思う。

僕らは今こうして話しているのに、それが全部無かったことになるなんて。喜びも悲しみも…優しさも。温もりも。

たとえそれが周りから見た事実であったとしても。僕は…信じたくないんだ。」


命は今更、頼りなさげに目を伏せ、少し揺れのある細い声で話していた。


だから。


私はそれを支えるように、包み込むように…命の体をぎゅっと抱きしめた。



その時命がどんな表情をしたのかは分からない。ただ体が固まって、強ばっている感じがした。だから私はなるべく優しく、優しく――多分こんなに気を使ったのは生まれて始めてかもしれない。命にこう言い聞かせる。



「分かった。
もう、私は何も言わない。
お前は今、確かにここに在るのだからな。」



優しく…精一杯言い聞かせたつもりだったのだが。やはり後半の方で声が少し震えてしまった。動揺が隠しきれてないのだろう。全く未練たらしいこと、この上ない。

「――姉や。」

命はその掠れた声の後に、
静かにこう告げた。




「ありがとう…」

No.282

長いような、短いような沈黙が続いた。

今、この瞬間を噛みしめるように。私はぎゅっと目を閉じながら命の肩から手を離し――少し目を開ける。命は真っ直ぐ私を見ていた。その瞳にはひとかけらの曇りもない。

私はそれで、完全に理解したのだった。


「どうやら…お前に、私達課せられている使命を教える時が来たようだ。」



命はゆっくりと
強く頷いた。


「…ついてくるがいい。」


私は命から数歩下がり、イメージを描き出す。まず、命は『現世』を知る必要がある。


――現世を映し出す間へいざなう扉をここに――


私はそれから軽く右の空間に手をかざすと、そこが砂のようにさらさらと粒子化していった。

命は少し息を呑んだ。空間に穴が空く光景は初めて見るものだったのだろう。

私は穴の向こう側に進む。そこは真っ暗な闇だった。

「さあ。」
「………。」

今まで命は闇を見たことがないはずだ。けれどそれに怖じ気づくこともなく、命は黙って私に続いた。

穴はその内にどんどん広がり、私達2人を完全に呑み込む…

No.283

闇が、完全に空間を支配する。そのあまりの深さに上も下も、右も左も分からなくなる。そんな中に、私と命は放り込まれた。
「ここは…?」
「私達の世界で唯一、地上の世界が見ることの出来る場所だ。私は『傍観の間』と呼んでいる。何もないように見えるが心配することはない。じき、地球の姿を映す鏡が見えてくる。」

そう言った直後だった。私達の足元が白い光を放ち、光は綺麗な円形を形作っていく。それはさながら、そこに1枚の大きな鏡が現れたように見えた。

「!」
「ここに映るのは地上…地球の姿。地球とは私達が存在する全体の世界の名前。そして私達はいわば地球の血液の流れを守る者。私達は地上で死に至った生命体を血液に還元する力を行使する。…いや、強制的に何かによって行使されると言った方がいいな。

地上に出ることはなく。地球の内で、地球の生命が尽きてしまうことの無いように、流れを保ち続ける。言ってしまえばこれこそが私達の宿命なのだ。」

鏡は映し出す。

まず地球の誕生と歴史、そして生命の誕生と営み、豊かな緑、蒼い空、清らかな水、土。それはかつての、地球の姿。


「もしも地球の…血が尽きてしまったら、どうなる?」


「まず地上の生命の源であるモノ――いわゆる植物が全て朽ちる。そうすると、地上の全ての生命が滅び行くことだろう。そして地上だけでなく私達の世界も、終わる。全てただの土塊になり、後は崩れ去るだけだろうな。」
「こんなに綺麗なのに…。」
「だが。今まさに、地球はその危機に近付いているのだよ。」
「え?」

No.284

私は鏡に手をかざし、また別の映像を映し出させる。

「地球の生物の1つに、人間というものがある。」
「ニンゲン…」
「そう、人間だ。確か随分前に、私の体は人間の形をしていると話したことがあったな。そして今のお前の形も、人間。多分、私の形にしか影響を受けようがなかったのだろう。」

鏡には様々な人間の姿が映った。赤子を始め、成熟した人間や老いた人間。未成熟なものもあった。実を言うと、私は命にあまりこれを見せたくはなかった。けれど、命は知らなければならないのだ。

「僕達とは違う存在なのか?」
「無論だ。私達は地球の命を守る側に立つが、人間は消費する側に立つ。それだけで、全くと言っていいほど意味が違ってくるだろう。もっとも地球上の植物以外の生命は全て消費する側ではあるが…こいつらの場合は、桁が違う。

だいぶ昔はそうでもなかったが、今となっては無駄に私達の命を喰い荒らす害虫のようなものでしかない。…死後還元されるエネルギー量も、喰い荒らした分の補完にはとても届いたものではないしな。

こいつらは生産者である植物を断ち、水や空気を穢す。私達が守る『流れ』は幾分かの浄化作用も持っているが、人間の影響は幾百年、千年――そして今も続き。現在、その穢れの浄化に急速に『流れ』が費やされ続けているのだ。

…尽きる勢いでな。」

命は黙って、鏡に映っている人間をその目に焼き付けているように見えた。


No.285

私は命に聞こえない程度に溜息をつく。この話の流れならば、今があの事を伝えるいい機会だろう。

「命よ。私はお前に教えておかなくてはいけないことがある。」
「?…何?」

勿論不安ではある。何しろ命が『役目』を果たすことを決めたのはつい先程。それにまだ、命は幼いほうだと思う。果たして――こんなことをいきなりに受け止めることが出来るのか。

けれど私には時間があまり無いし、隠したところで意味もない。



「結論から言う。

そう遠くない未来だ。

私の命は、尽きるだろう。」



命は目を丸くして私を見た。


「姉や?今なんて…」
「聞こえなかったか?私は近い内に、死ぬと言ったのだ。」
「…?!」

それから少しの間、命は言葉をなくしていた。やはり混乱しているのだろうか。命が生まれてから今までずっと一緒にこの世界で暮らした。私にとってはもっと前からに比べればそれは微々たる時間ではあるが、命にとってはその時間が過去の全てなのだ。

「そんな…どうして、姉やが?!」

やっと事態が把握できたらしい、命は動揺しきったようにせきこむ。私はそれを収めるように淡々と話した。

「これは前に話したか。私はこの世界…『流れ』の意識体。つまり、地球の意識体なのだ。

今このまま人間によって『流れ』が消費され尽くした時。地球は死に――その意識である私も死ぬ。道理だ。」

No.286

「だったら、僕もそうだろ?!僕も姉やと同じなんだから一緒に……っ!」

私はゆっくりと首を左右に振る。

「違う。お前は、生き残る。私の役目を引き継ぐ。お前の手で地球を守るんだ。」
「どうして?だって、地球は『流れ』が尽きればもうそれで終わるじゃないか!」

「…話を聞け。

もうじき『流れ』が尽きることに変わりはない。が、それによって1度地球が生命の存在が不可能な状態となっても、後に再生出来るように――今、地球の『流れ』を私の元へ少しずつ集結させている所だ。それらはお前の体を核にして、エネルギーとして貯留させるんだ。

そうして全ての『流れ』がお前に注ぎ込まれれば、地球が死を迎え…私も死ぬ。だがお前は自身に貯留させた『流れ』によって生き残る。その上で、お前が『流れ』を徐々に地球に解放していけば、地球を再生させることが出来る。

やがて生命の循環が再び始まれば、地球の豊かな『流れ』は戻るだろう。そしてお前は新しく生まれ変わる地球を、守っていくんだ。私が守ってきたように…幾万、幾億の時を。」



「…嫌だ。」
「…………。」
「嫌だよ…そんなの、聞いてない。そんな事したら、僕も姉やも独りになるじゃないか。…ずっと。ずっと。」


――説明をし終えた後は、何も言えなかった。ただ、命が呆けた顔でぽつりぽつりと言葉をこぼすのを見ていることしか、出来なかった。

No.287

命はそれから黙って鏡に目を落とす。鏡には荒れ果てた砂漠やそこに暮らす人間の姿、汚れきった赤い海がかわるがわる映し出されていた。私はそれを見つめる命の眼差しに、あるものを感じる。

「…聞きたいことがある、という目をしているな。その問いは大体予想がつく。」
「……。」
「何故、私達は消えゆくだろう地球の命を再生させてまで地球を守らなければならないのか、ということだろう。

地球を守る、即ち『流れ』を守るということは、自身の生命力を強制的に削られていくということだ。

そして。


私達は、見ていることしかできない。」


命は最後の言葉に少しはっとして――その後に表情を陰らせる。そしてその場に片膝をつき、右の手の平を鏡に当てた。


「…何も出来ない…?人間に荒らされていく地球の姿を見ていることしか出来ないって言うのか?」


その声は少し震えていた。

「そうだ。その責め苦は想像を絶する。自身の意志、さらに形を持っていれば尚更のこと。自身の存在の意味など、ただ『流れ』に生命を捧げること以外に無価値なのだからな。」
「…っ」


No.288

「その苦痛を味わってまでどうして地球を守らなければならないのか。それは、『意志』だからだ。」

「…誰の?」

「それは地球――星の意志。形は無く、しかし確かに在る。私達よりさらに深層の存在、大いなる意志と言えるかもしれない。私達が地球の理性なら、それは本能だと言える。

そしてその本能は生命の意志と直結している。地球上の全ての生命と。

即ち『意志』とは、あらゆる生命の極限の本能なのだ。私達はその事柄に逆らう事が出来ない。何故なら。それが意味するところは、私達がこの世界に生まれた理由に等しいからだ。」


「僕達が生まれた理由…。」


「命。それが何かお前には分かるか?――いや。お前はもうそれを知っている。」

「?…僕は、分からないよ。」

「それはまだ理解が出来ていないだけだ。心では、知っている筈。さっきお前は、その証を私に見せてくれたではないか。」


「心で知っている?」






「それは……『愛』だ。

命よ。」

No.289

「……アイ?」
「そうだ。『愛』こそが生命の根源。即ち、全ての生命の極限の本能――生きる『意志』。」
「あい……愛」

命はぼそぼそと言葉を繰り返している。理解に苦しんでいる様子がありありと分かる。それはそうかもしれない。実際、『愛』は言葉で知っていたとしても、深い意味を意識で認識するのはとても難しいのだ。私でさえも、意味を知ったのは地球をここで何千年も傍観してからのこと。

けれど、命は――確かに理解できなくても知っている。言葉ではないもので、知っているのだ。私はそう確信している。

「命。お前ならば、さほど経たない内に私の言っていることが理解できるようになると信じている。だからお前は、私が死ぬまでにこの地球の姿から『愛』を学び、理解するんだ。」
「……姉やは」
「それが、お前の最初の星を守る者としての使命だ。いずれ全ての意味が分かる…お前に出来るか?」

命は何か言いたそうだったが、私の重く静かな問いかけに口を閉じてしまった。私はそこに追い討ちをかけるように厳しい視線を向ける。

けど命が私が死んでからも『愛』が理解できなければ、命は自らの存在の意味が分からないまま地球に生命を奪われるだけになる。それだけは…避けねばならないのだ。

No.290

「僕は」

私は一言も発さずに命の返事をただ待つ。すると命はゆっくりと立ち上がって、真正面から私を見据えた。


「―――見てるよ。
姉やと、地球を。

それが僕の使命なら。
僕が在る意味だって言うのなら。」


承諾してくれたようだった。その細い声は少し震えている。けど、私は内心驚いていた。どのみちこうなることが命の運命だったとしても、こんなにすぐに頷くとは思っていなかった。

「姉やは今までずっと使命を果たしてきた。だから僕がここで姉やに死なないで欲しいと言ったって、無意味だと思ったんだ。姉やは、きっと最後まで…使命を果たすから。」

そして、言わなくても分かっている。命はいつこんなに成長したのだろうか?

「僕が……ここで使命を受けるのを嫌だといったら。姉やの今までしてきたことが。それにかけてた想いが……無駄になる。だから僕は……っ」


気が付いたら、命は涙をこぼしていた。それでも、1つ1つの言葉ははっきりしていて。それが決意の表れのように思えた。


「僕は、運命を受け入れるよ。」
「……。」


私は沈黙していた…というよりは、もう言葉を失っていた。命のあまりの強さに。全て分かった上での、その決意に。




その後、命は少しだけ。
少しだけうつむいて言った。



「でもさ…こんなの、悲しすぎるよね。

姉やはずっと…ずっと自分を犠牲にしてまで地球を守ってきたのに……それを地球の誰にも知られずにただ消えていくなんて。

だから姉やは…っ…自分の存在を認めてなかった。そうするしかなかったんだね……。」



今度は、ただ泣いていた。


決意ではなく、ただ事実を口にしながら泣いていた。


ぽろぽろ、ぽろぽろ――。



No.291

私はしばらく放心した後、


「…どうして?」


呟いた。


「お前は、どうして私のことで泣いているんだ…?お前が悲しむべきことは、自分がこんな所に生まれてきたことの筈だ。自分がこんな理不尽な運命に翻弄されることの筈だ。なのに……お前は何故、私が悲しむべきことで泣いているのだ…。」

尚も、命は涙を流し続けている。鏡に落ちるその雫は、何だか私の心に1滴1滴染み渡るような気がした。

命は私の問いに何も答えない。けど、本当は既に答えは分かっていた。何故なら、さっきから命は答えを言っていたのだから。




それはただ
命が私の存在を認めてくれている、ということ。

それだけなのだ。




言われていても。多分、実感が無かったのだと思う。

だって、こんなこと生まれて初めてだった。かつて、誰も私を認識する者などいなかった。孤独が当たり前だった。私の苦しみを分かってくれる者など、勿論いなかった。


――でも。
命が生まれてきて、変わったんだ。


「―――っ」


私は黙って、また命を抱き締めた。


そして私の涙が零れた。
何年ぶりか、分からない。


命の涙によって、長年の孤独で乾ききった私の心に、涙を流せるほどの潤いが戻ってきたのだ。


「分かった…今やっと分かったよ。お前だけが…私の心の支えなのだということが。

お前が真に私を認めてくれるというのならば。
私のために泣いてくれるというのならば。



お前に、
私の名を教えよう。」


「………え?」

No.292

「姉やの、名前…?」
「私がまだ『私』を自らの手で消す前に使っていた名だ。」

願わくば
見届けて欲しい。

そんな想いが、
一気に流れ出る涙と共に
一気に溢れ出てくる。


「お前だけには、覚えていて欲しい。…私がここにいたということ。でも、これは単なる私の我が儘だ。聞きたくないというのであれば、それでも構わないぞ…」

私はゆっくりと抱き締める手を解いた後、命にこれ以上涙を見せないようにすっと顔を背けた。もうかなり情けない顔になっていると思う…どうしよう。こんな顔見られたくない。

すると、命の声だけが聞こえた。

「忘れるわけない…姉やのこと。ずっと…覚えてる。何億年だって。」

少し鼻をすすりながらも、そう言ったのが。





ああ、もういい。


一瞬でどうでもよくなった。


私の泣きっ面なんてどうでもいい。


ただ溢れてくるこの気持ちに、身を任せればいい。


――ただ素直に喜べばいい。








私は涙を拭わないまま、背けていた顔を戻して命と真正面から目を合わせる。それから………


「私の名は



アリシア。



アリシアだ――。」



にっこりと、
笑って見せた。

No.293

あれから随分と時が経って。もうどのくらい前のことだろうか忘れてしまった。


何もないエメラルドの真ん中で。
――僕は2つ目の命として生まれた。



1つ目の命というのは、アリシア姉さんだ。


姉さんは、僕と同じに何もないところから生まれてきた。でもその生まれた瞬間から、この『地球』という星を守る役を何かに背負わされていたのだ。もしかしたら星そのものが背負わせたのかもしれない。


そして、姉さんは今もずっとその役割を果たしている。


星という大きな存在にあらがう事が出来なくて、ずっとずっと。姉さんは星に命を削られ続け…やがては星のどの存在にも気付かれることなく、消えるという。


僕は、そんなのは嫌だった。
星の命のために消えるのに、星の誰にも気付かれないなんてあまりに心が痛かった。

消えてほしくないと切に願った。
姉さんは僕を育ててくれた、母親も同然だったのだから。


だけど、やっぱりその運命を変えることは…僕には出来ないことらしかった。


僕はあまりに無力だった。


でもそれなら、無力は無力なりに『出来ること』をしたいと思った。


即ち、それはアリシア姉さんが負った使命を引き継ぐことだ。姉さんという存在を無駄に終わらせないために。姉さんという存在を最後まで見届け、僕の記憶に刻み込むために。



そのためにまず僕に課せられたのは、
『愛』というものを学ぶことだった。



……ある日、僕はそんな事をぼんやりと思い出していた。

No.294

今僕は、いつものように鏡の間から『地球』を観察している。これは姉さんの名前を聞いた時から欠かせない習慣となっている。何しろ僕は姉さんが消えてしまう前に『地球』から『愛』を理解しなくてはいけないのだから。

姉さんは最近、すっかり動かなくなってしまった。大きな椅子にぐったりと背を預け、眠っていることが殆どになった。


きっともう、残された時間は多くないのだろうと思う。



それなのに。



「…分からない。」


僕は片手で自分の髪をぐしゃりと握る。
そう、僕は今になっても『愛』を少しも理解出来ていないのだ。

人間の生まれてから死ぬまでの姿を見た。どうやって生きているのかを見た。何をしているのかを見た。『地球』での人間の歴史も見た。今だって、『鏡』はせわしなく人間の姿を映しだしているのに。

「……」


正直、今僕はかなり焦っている。


けれど僕にはどうしても、人間がただただ醜いだけの生物にしか見えないのだ。

姉さんの命を喰う奴らという先入観もあるからだろうか。しかし本当に人間のする事といったら、自分達が生きるために星を汚すことだけだ。どこに『愛』という要素が含まれているのか、僕には分からない。

「…っ」

今日も駄目だ。そう判断して、僕は鏡の間から離れるイメージを描き出す。すると瞬時に僕の目の前に空間の歪みが生じた。

No.295

僕が空間の歪みに迷わず足を踏み入れるとその先はすぐに違う空間へと繋がった。僕らの世界には、イメージするだけでその場所にいけるというよく分からない法則がある。『地球』を見ていてそれが中々便利なものだったと気付いたのは最近のことだったか。


「姉さん。」


僕はそこで呼びかけた。

今、僕の目の前には大きな椅子がある。それは曲線形の変わった形をしていて、でもそれがどこか美しかった。多分姉さんのイメージから作り出されたものなのだろうなと思う。


そしてその上には、やはり姉さんが。ゆったりとした角度の背もたれに身を預け、目を閉じていた。


真っ白でひらひらとした優美な衣装を纏っている。流れるような長い銀髪は椅子いっぱいに広がっていて、椅子の端からはまるできらきらと光る細い氷柱のように垂れていた。


その姿だけは僕が生まれた頃と全然変わっていない。けど今は――



「……命か。」



姉さんはとても低い声で、ゆっくりと返事をした。目蓋を少しだけ開けて、エメラルド色の瞳をうっすらと覗かせる。
その後、姉さんはふっと小さく笑って見せた。


「どうした……今日はやけに、眉間にしわを寄せているじゃないか。」
「……。」


僕は、何も言えずに黙り込んだ。

No.296

「心配しなくても、私はまだ大丈夫だぞ。この頃少し力を温存しているだけだ………いや、そういうことではないか。人間の『愛』がいつまで経っても分からないというのが心配なのか。」
「違う。どっちもだよ姉さん。早くしないと姉さんが消えるって言うのに………僕は。」

僕はぎゅっと両手に握り拳を作る。すると、姉さんは「やれやれ」と言いながら背を起こす。布が擦れる音がやけに大きく聞こえた。

「確かに人間というものは汚い。己が生きるためには他の生命を喰らわずにはいられない。それによって『地球』全土の生命が尽き、砂漠と化している今となっては――人間同士が殺し合っているのも珍しい光景ではなくなっているだろう。……醜いな。実に。

だが命よ。それは人間の表面の姿、なのだ。」


「表面?」


「そうだ。そしてお前はまだその部分しか知らない。だからお前が人間の内面を知れば、求めている答えに大きく近づけることだろう。」
「内面……」
「あの『鏡』は『地球』で起こっている事実を映し出すだけだ。即ち自分で知ろうとしない限りは、その事実の裏に隠れている意味を知ることは出来ない。


これを今の状況に当てはめれば――何故、人間は醜い争いをしてまで生きようとするのか。ということだろうな。」



「!」

僕が息を呑むのを見て、姉さんはにっと口の端を上げた。

No.297

「さて、ヒントはこれだけで十分だろう。答はもう目と鼻の先だ。」
「でも――」
「ふっ、寧ろ零距離と言ってもいいくらいだろうな。お前自身がそれを理解できたなら、人間の中に『愛』というものを見つけるなど容易い事だ。」
「…そう、なんだろうか。」


姉さんのくれたヒントで少しの解決への糸口は見えたと思う。けれど、やっぱりどうも自信が持てない。

……ああ、最近は弱音ばかりだ。

あの時、あれだけの決意に満ちて姉さんの使命を継ぐと言っておきながら、今となってはすっかりこの調子だ。

そんな自分に嫌気がさした時だった。


「だが、命。お前にこれだけは言っておきたい。」
「…え」


姉さんが急に真剣な眼差しを僕に向けた。それが僕を思考から現実へと引き戻す。


「『鏡』は地球の姿を映し出す。即ち、あれは地球と私達の世界とを連結する橋のようなものなのだ。私達はそれを渡ることは叶わぬ、しかし――人間が渡ってくることは、あるのだよ。」


「………?」


姉さんが話す言葉は相変わらず難しい。だから意味を完全に理解するのには時間が要ることだ。

しかし。ぼんやりとその意味の輪郭を取ってみた時、その内容はにわかには信じがたいものだと分かった。

No.298

「まさか、人間が。僕達の世界に踏み込んでくるっていうのか?」
「稀にな。私は3回程見てきたが、踏み込んでくると言うよりは迷い込んでくると言った方が正確だ。」
「そんなことが…」

僕はしばらくその話が信じられず、言葉を失っていた。あんなに見ていて恐ろしいものがここに侵入してきたらどうなるのだろう?そう思うと、僕は怖くなった。


「命よ。もしお前がそのような人間を見つけたのなら。すぐにお前の力を使って、『地球』に送り返せ。」
「送り返すって、どうすれば?」
「お前は既に私と同じ、この生命の海の流れを操る力を持っている。念じるだけでも、その者をこの世界から遮断することが出来よう。」
「…本当に?」
「ああ。」

何だか実感が無かった。僕が生まれてから何年経ったのかよく分からないけど、僕という存在が姉さんに近付いている感じは全くしない。本当に僕は成長しているのだろうか?

「いいか、命。間違ってもその者には関わるな。私達の存在を知られる前に、『地球』に送り返すのだ。」
「分かってるよ…人間に関わるなんて、こっちの方から願い下げだ。」
「人間の『愛』を知るには、人間に近付くのが1番手っ取り早い。しかし、絶対に話しかけようなどと思ってはならない。」


「…。もし話しかけたら、どうなる?」


「人間と私達は『相容れぬ者』。
存在が交わったが最後、どんな形にせよ

――大きな災いが訪れる。」

No.299

それから、僕はアリシア姉さんの場所を出た。姉さんは、僕が出て行くまで厳しい表情を崩すことはなかった。


そして今、僕は自分の場所にいる。といっても、姉さんの椅子のような目印になるものは特にない。ただ何も無い、どこかも認識できない空間を自分の場所と思いこんでいるだけだ。そこで僕は体を仰向けにして、上の方できらきらと光っている水面を見つめた。


――もし僕らと人間が関わり合えば、大きな災いが訪れる。


姉さんは、完全に確信を持ったように言っていた。それは当然のことだろうと僕は思った。人間の手によって僕らの世界まで『地球』のような砂漠の世界に変えられたら、たまったものじゃない。

そうなったら、一体どうなる?…生命の流れが止まってこの星は滅び去るとしか考えられない。そうしたら何だか馬鹿らしく思えてきて、僕は目を閉じた。

一体…

何のために、人間というものは存在するんだろう。
何のために僕らというものは存在するんだろう。
そもそも、この星は何で存在することになったんだろう。


全部無意味な事にしか思えない。それでも僕らは存在する。こうして、また僕のいつもの堂々巡りが始まるのだ。いつだって答えには辿り着けない。大抵は考えているうちに飽きてきて、眠くなってくる。

それは今回もそうだった。僕は目を閉じたまま、じわじわと浸透してくるまどろみに身を任せるのだった。

No.300

すると。


(…?)


いつの間にか、僕は知らない場所をたゆたっていた。目の前にはいつものエメラルドの海とは違う風景が見える。それはうまく言葉に表せない不思議な場所だった。

強いて言うとするなら光と闇の狭間と言ったところだろうか。天井は白い空間が広がっていて、僕の背中の方には黒い闇が広がっていた。よく見ると、その上と下のどちらにも透明な水面のようなものが揺らめいているのが分かる。


ここはどこだろう?僕はさっき眠って……夢を見ているんだろうか。


でも見えている景色や体の感覚はこれ以上ないくらいにはっきりとしていて、夢とは思えなかった。ならば何だというのだろう。僕達はある場所を思い浮かべるだけでそこに移動できる。けれどこんな場所は知らない。ここは僕達が知っている世界ではない?


そうやってあれこれ考えていた時。
早速そこに『変化』が現れた。


「?!」


突然、正面に見えている白い空間全体が光を放ち始めたのだ。僕は思わず両目を片腕で覆った。

(眩しい…!)

光はどんどん大きさを増していき、終いには僕の後ろの闇さえ全て消し去っていた。そして僕は光の渦に呑み込まれる。空間の全てが白に染まっていく。


白は、『光』を通り越して『無』にも見えた。それが完全に辺りを支配した頃だっただろうか――

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