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死ぬために生きる

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匿名
16/11/29 08:09(更新日時)

ノンフィクションの小説だと思って、
気ままに読んでみてください。

幼稚園の頃は、私が食事をあまりとらないことで、母が育児不安になり無理矢理食べ物を詰め込んだり、幼稚園から残してきたお弁当を駐車場やお風呂の中で食べさせたりなど軽い虐待のようなものを受けました。
幼稚園生の頃から両親は不仲で、母はイライラしてることが多く、父は毎日夜は帰りが遅く朝は早くというスケジュールなのであまり顔を合わせられませんでした。

ですが、ときどき家族で行くスーパーでのお買い物はとても楽しかったです。
両親の別居が始まり、一週間に一回、一か月に一回と父と会う機会が減りましたが、変わらずそのときの家族の買い物もとても楽しかった。自分は子どもながらにも、両親の様子をハラハラと見守り、しかしずっと家に飾ってあった家族の写真や、私が描いた「パパおかえりなさい」の絵を見ると、きっと大丈夫、本当は二人は仲が良いのではないかと期待していました。

小学校の頃4年生ごろからは、学校でいじめが盛んになり、この流れ的にもちろん標的になりました。クラスの一番仲が良いと思っていたK子にはある日無視され始め、K子にはA子という仲の良い子ができ、少し時が経つと急にK子はまた私と仲良くなり始め、そしてまた少し経つと無視をされ…と、それが何回も続き、私とA子がK子を取り合いをするという一年が続きました。
今、考えると訳がわかりませんね。この頃から、人の顔色をうかがうという能力が身に付きました。
悪口はもちろん、友達にプレゼントしたお土産はトイレに捨てられ、クラスで起きた事件は私が犯人に仕立て上げられ、自分の筆箱を投げられ、授業で私が先生に指されると周りはクスクス。

家庭のほうでは、母のイライラがさらに増え、私の成績の悪さから塾を3つ通わせ、学校から帰ると母からの宿題があり、夕飯を食べると母の監視のもとで勉強をする。
「あなたは、どうしてこんなにできないの」「お兄ちゃんを見習って」と精神的苦痛を受けました。
そんなこんなが中学生まで続き、中学2年生にはリスカをするようになりました。
リスカをする理由は本当にネットで書かれている理由と全く一緒で、ただの構ってちゃんです。

死にたいと考えてはいても、本気で死ぬ勇気はありません。
もう私は限界だと、つらい、助けてほしいと周りに気付いて欲しくてやりました。そして、自分を傷つけた甲斐あって最初に気付かれたのは保健医の先生です。
一番気づいて欲しかったのは母でしたが、なかなか気づいてくれません。何か月か経つと、母が学校に「娘がリスカをしている」と報告したことを保健医の先生から聞きました。
とても、残念でした。母の口から、「なんでこんなことをしているの?辛かったの?大丈夫?」という心配が欲しかったのです。
しかし、母が受けた印象は「異常な子」「根暗な子」「なんでこんな子に育ったのか」という批判と疑問でした。いじめの心配はあったのかもしれません。
リスカに関してはこんなことは無意味だと気づき、結果やめました。
自分はなんで生きているのか、死にたいとしょっちゅう考えました。

No.2404526 16/11/29 05:08(スレ作成日時)

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No.1 16/11/29 05:11
匿名0 

めっちゃ、続きます。

私が高校1年になると離婚し、3年になって再婚しました。
当然のように、私は母に連れられ新しい父と住むことに。住んでいた家には大学生の兄だけ残りました。
この頃には母に対してもう嫌悪しかありません。「母について行くのは嫌だ、ここに残りたい」「全く親しくもない男の人となぜ一緒に住まないといけないのか」と母に言うと、叩かれました。「子どもが親の幸せを願うのは当然。なんで人の気持ちを考えないの。そもそも離婚をしたのはあなたのせい」と言われました。このときはもう怒りというより悲しみや絶望といったなにかが抜け落ちた感じになりました。

新しい家族で3人で住み始めましたが、当然うまくいくはずもありませんでした。
居心地が悪く、部屋に閉じこもりがちになると、「なんで自分から歩み寄らないの?」と母に言われ、ある時リビングに入ろうとすると、母と義父が抱き合っていたのを見てしまい、自分の存在を消そうとさらに部屋に閉じこもりました。

母は義父への依存が強く、少しでも私が義父に冷たくしたり(そんなつもりはない)、態度が悪いと、「どうしてそんなに冷たい子なのか」と責められました。
勇気をだして、初めて義父を「お父さん」と呼んだときは、これで二人は満足したかと思うと、のちに母から「そうじゃない。どうして、パパじゃないの」と怒られました。前の父のことをパパと呼んでいたから、義父のこともパパと呼んでほしいのでしょう。

バレンタインデーには父に送ろうとしたチョコは、帰りに雪で包装が湿ってしまったことやそのチョコが甘すぎなことから、「こんなんで糖尿病になったらどうするんだ」「なんでもっと人の気持ちを考えられないのか」と怒られ、その日は部屋閉じ込められました。
母に言われ、少し嫌々ながら照れながら、義父に読み寄ろうとするも、母に「それは違う」と批判されました。一回、溜まっていたストレスが爆発に母を叩きました。
「どうして私の気持ちは考えてくれないのか」「私なりに歩み寄ろうとしているんだ」「もうグチグチ言われるのはうんざりだ」と泣き叫びながら訴えました。しかし、そんな思いは母には伝わらず、ただの喧嘩で終わりました。

No.2 16/11/29 05:13
匿名0 

部屋に閉じこもり、泣き叫びながら物を投げ、頭を壁に打ち付け、カッターで足を切って、消えたい死にたい消えたい消えたい死んで死んでと確かそんなようなことを思ってました。
ついここに私の居場所はないと思いが限界を超え、またこのままではいつかうっかり母を殺しかねないと思い、新しい家に引っ越してから1年経つころに、兄が残っていた前の家に戻りました。

少し違う話になりますが、小学校の頃から私の幸せな時間は夜中でした。寝ているときはなにも考えなくて済む、また布団の中は心地が良く、この時間は私の物だと思うことができ、ときに人を殺したり自分が死んだりする怖い夢を見ることもありましたが、睡眠の時間はとても大好きでした。愛犬を愛でるような気持ちです。
中学校の頃からなんとなく睡眠の時間が増えたような気がし、大学生になると授業中とすべてのコマ居眠りをしていることは珍しくなくなりました。

そして、兄と一緒に住んでいるといっても兄とも仲が悪いのと、兄が家に帰ってくることが少ない為、朝起こしてくれる人はいないので、遅刻が増え単位を落とすようになりました。
どうして、自分はこんなにダメなのか、クズなのかと考えられるようになりました。
大学では心理学を勉強しているため、よく自分を分析します。そのことから、私は寝るということが現実逃避になっており、長時間の睡眠が癖になっているのだとと考えました。

前の家はもともと4人家族で住んでいたため、私一人では広くて場所を持て余し、また少し前からテレビは見なくなったので、家の中はとても静かで、穏やかと言えば穏やかで前よりかはとても良いのですが、孤独や喪失感を感じました。ちなみに、本当は兄と一緒に住んでいるのですが、兄は帰ってくることが少ないので一人暮らしも同然でした。
どうして、こんなにも私は一人なのかと思ったり、大学生生活もだんだんずさんになりなおさら睡眠に逃げました。遅刻をしてどうして起きれないのか後悔がありますが、結局は自分の甘えです。無意識に大学に行きたくないと思っているのかもしれません。それを思うと余計に、昔から母に言われ続けていた「自分はどうしてこんなにクズなのか」という言葉が自分を責めました。

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