普通の女
短編小説です
悲しい女…
嬉しい女…
第三段です
よろしかったら、またお付き合い下さいませ
(*⌒▽⌒*)
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暖かい珈琲をテーブルに2つ置いた
そして…明るく俺は言った
「さあ~珈琲どうぞ~温まりますよ~」
恵子「ん~いい香り…」
恵子は両手でカップを持って
香りを確かめながらそう言った
「それにしても…俺と吾郎は似てるでしょ?…」
恵子「え?…」
「この間の吾郎のインタビューですよ…」
恵子「…似てる…似てる…チョビ髭と、この蝶ネクタイつけたら、間違えても仕方ないわね~」
恵子は俺を指差して笑いながら言った
「でしょう?…でもあの日…吾郎の…あの蝶ネクタイの色…見ました?ピンク色…でしたね~アハハハ…」
「え?…ええ~そうピンク色でした…派手でしたよね~ホホホ…」
「…百均で買ったらしいんだけどピンク色しかなかったらしいんですよ~笑っちゃいましたね~」
恵子「…ホント~」
恵子は珈琲を上手そうに一口飲んだ
嘘だ…
蝶ネクタイの色は黒だった…
…
恵子「…フフ…吾郎さんはねぇ…あの人(社長)がどんなワガママ言っても、昔からずっとあの人のそばにいてくれたわ…」
「吾郎が?…」
恵子「あの人…ワンマンですぐ吾郎さんを怒鳴るのよ…あんまり吾郎さんが気の毒で…私…言ったのよ…仕事の為に我慢してるんでしょ?…本当は社長の事嫌いでしょ?って…」
「へぇ~それで?吾郎はなんて?…」
恵子「…そしたら吾郎さん…自分の性格は社長に似てるから…なんか憎めないって…」
「ふ~ん…」
恵子「…あの日も…電話で…これから吾郎が来るんだって…喜んでいたのに……」
「……」
ここでまた一つの疑惑が浮かんでしまった
…これから吾郎が来ると言っていた社長…
…確かみどりは買い物へ出て留守だったはずだ
…吾郎が来たら、半身不随の社長は玄関まで行って
鍵を開けて、吾郎を迎え入れる事が出来るのだろうか?…
鍵は施錠されていなかったのかも知れない…
…
上田「…石井さん…このたびは、大変失礼を致しました…でも我々も仕事柄…致し方なく……」
…吾郎の事を詫びているのだろうが
俺は何も聞きたくも、言いたくもなかった…
「……」
憮然とした表情の俺から上田は恵子に視線を移した
上田「…さて…Kさん、あの犯行のあった日ですが…あなた…社長の家へ行きましたよね?」
恵子「…行っていません!…」
恵子にしては、強い口調だ…
下田「…あの日…あなたの車とそっくりな白の軽ワゴン車が、社長宅の前に止まっていたのを見た人がいるんですよ!…」
低音でかすれた声の上田とは違い
若い下田がアナウンサーのような
澄み切った声でそう言った…
恵子「…同じような車なんかいっぱい走っているでしょ~う…」
恵子は余裕で答えたが…
…一体なにが分かったんだ?
恵子「…知りませんよ…こんなの…」
すると上田は、恵子の腕をひょいと持ち上げ
上田「…これ…このあなたのキーホルダー…小さい犬がついてますね…」
…確かに、白い毛の子犬が付いているが
よく見ると目が一つしか付いていない
片目のようだ…
上田「…この子犬の目…一つしかついてませんが…もう片方…どこかで落としましたか?」
上田は手のひらのゴマ粒を子犬の片方の目につけた
上田「…これでピッタリ…ですね…これだったんですね~探しましたよ…」
恵子の丸くなった大きな目…
驚きの顔は隠せない…
俺も同様に驚いた…
上田をみどりの男と思っていたアホな俺の推理は見事にはずれ…
今日の上田はまるで杉下右京のように
饒舌だった…
下田「…そうです…首に締められた跡がありました…半身不随の社長が高い所に登って首をつる?…どう考えても無理です……首を締められた圧迫痕が耳の下までついていましたから…おそらく背の高い男が後ろから絞めたのだろうと…思い込んでいました…」
…それで吾郎を?疑ったのか?
恵子「…」
上田「…あの日…仕事が休みのあなたは…おそらく、スーパーで買い物でもしていたのではないですか?……そこに社長から電話が入った…」
恵子「……」
上田「…社長は…あなたに以前から色々相談していたんでしょ?…会社の倒産や…夫婦仲が悪かった事…そして病気で体が不自由なこと……気持ちの大きい人でしたから…人前では精一杯強がっていたはずです…でも…弱音はあなたにしか吐けなかった…なにしろ…30年も連れ添った夫婦だったんですから…」
…はぁ?
…みどりと離婚して恵子の所へ戻るって話しじゃなかったのか?…
恵子「……」
上田「…社長は…最近、死にたいとあなたに言っていたんではないですか?」
恵子「…はい…」
上田「…あの日社長は死を覚悟していた……石井吾郎さんが財布を取りに来る予定の日でもありました…きっと最後に吾郎さんにも会いたかったのかも知れませんね…でも吾郎さんは…テレビに出ていたから…吾郎さんが来るのを待っていたら、みどりさんが帰って来てしまう……もう待てないと思ったのでしょうね…」
恵子「……」
上田「…そして…死ぬ時になって…最後に…Kさん…あなたの声が聞きたかったんでしょう…独りぼっちで死ぬのは…きっと寂しくて、やりきれなかったんでしょう…それであなたに電話をした…」
恵子「…ウッウッ…ウッウッ…ウッウッ……」
恵子は泣きながら崩れ落ちるように
椅子に座り顔を手で伏せた
恵子「…電話が来た時…いつものように…愚痴を言っていたんです…そしたら…今から死ぬ…って言い出して…ウッウッ…」
上田「…そうでしたか……あなたは…自殺を止めようとして…必死で…車を飛ばし…カギのかかっていない玄関から急いで中へ入った…でも…もう社長は死んでいたんですよね?」
恵子「…ウッウッ…は…い…家に入ると…あの人は…リビングの戸棚の前でぐったり…座っていました…呼んでも…返事がなくてウッウッ…」
上田「…戸棚の取っ手に紐をひっかけて…自ら命を絶ったのですね…」
恵子「…ウッウッ…」
上田「…あなた…その現場を見て…とっさに、首から紐をはずしましたね…」
恵子「…はい……」
下田「その時ですね子犬の目玉がちぎれて落ちたは…」
上田「社長をうつ伏せにしてリビングの中ほどへ引きずり…転がっていた子機電話を元へ戻し…まるで誰かに殺されたかのように…細工したんですよね?…紐はおそらくコートの中へ忍ばせて持ち帰った…」
恵子「…はい…その通りです…」
恵子は泣きはらした顔で
力無く語り始めた
恵子「…あの人の死に顔を見ていたら…急にみどりさんが憎くなりました…みどりさんが犯人と疑われる事を願いました……………………知ってます…みどりさんがあの人と別れたがっていた事も…あの人を殺してもなんの得にもならない事も…ただ…世間を騒がせて…みどりさんを困らせてやりたかっただけです…」
上田「…あの財布が吾郎さんのだと知っていましたか?」
恵子「…知りませんでした…吾郎さんはテレビで…アリバイがあるのに…まさか財布で疑われるなんて思ってもなかったんです…」
上田「…それで…メトロさんに…吾郎さんの目撃者探しと…みどりさんの殺人容疑を煽ったんですね?…テレビ局に電話をしたのも…あなたですね?…」
恵子「…はい…そうです…申し訳ありませんでした……」
恵子は素直に頭を下げた…
二人の刑事は恵子を車に乗せて
去って行った…
でも…
恵子が社長を殺していなかった事が
せめてもの救いだった…
長い 長い1日だった
…体の力がスーッと抜けて行った…
完…
珈琲を2つ持って行った
「お待たせ致しました…」
男「…砂糖と、ミルクもだよね」
男は、透明妻のカップに砂糖とミルクを入れて
スプーンでクルクルかき混ぜると
両手で空席にそっと置いた
男「…熱いからね…気をつけるんだよ」
男は優しい亭主なのだろう
…
ふと思った…
俺は女房にこんなに優しくしてやった事があっただろうか…
男「…ねぇ…マスターもそう思いませんか?」
「あ…はい?…なんの事でしょうか?」
男「…家内は今年50歳なんですが…若く見えるでしょ?」
いえ…見えないですから、とは言えず
「はい…とってもおキレイな方で…」
つい話しを合わせて、言ってしまった
男「…でしょ…」
…
また思った、俺は、女房をキレイだとか、誉めてやった事があっただろうか?…
男は透明妻としばらく会話し、やがて席を立った
「ありがとうございました~1200円です…」
男「…ごちそうさまです…」
透明妻は男の横にでもいるのだろうか?
「これからどちらへ行かれるんですか?」
男「…はい、今夜は温泉に泊まって…ゆっくりします」
「どうぞお二人でいい旅を…」
男「…ありがとうございました…でも、一人ですから…」
「え?!…」
男「話しを合わせてくれて…ありがとう…家内を一回も旅行へ連れて行った事がなかったもんでねぇ、死なれてから罪滅ぼしじゃもう遅いですけどねぇ…んじゃ…」
そう言うと男はまたキャリアバックをガラガラ引き
薄い髪の毛を風に揺らしながら立ち去った…
やっぱりそうか…
あの男も奥さんを亡くしていたんだ…
…
俺はどんな亭主だったんだろう…
そんな事をぼんやり考えながら
男の居たテーブルを片付け出した
珈琲カップを見ると
2つとも空だった、おそらく男が2杯飲んだのだろう
だが…
透明妻のカップにはうっすら口紅が付いていた
完…
でも気持ち良さそうに寝ているのに、起こしたら悪いかな?
マスターは馬場さんから目が離せないでいた
だが馬場さんはずっと眠り続けているので
マスターは、わざと水を持って馬場さんのテーブルへ向かった。
馬場さんのコップに水サシをカチンとあてて水を注ぎ
コップをコンとテーブルに置いた
これだけ音を立てたら目が覚めるだろう…そう期待したのだが
馬場さんは耳が遠いのか、完全に夢の中にいるようで、ぴくりとも動かない。
見ると口はだらしなく開き、下顎の内側にキラキラよだれが溜まっていて
今にも唇の脇から溢れだしそうだ
もう限界だな…
マスターは起こす決断をした
びっくりさせないように、優しい声で
「馬場さん…馬場さん…」
耳元で囁いた
だが、反応がない
ひ孫もいるから、かなり高齢なはずだ
まさか、死んでないよな?…
眠っているだけだよな?…
寝息が聞こえない…
え?無呼吸?!
せっかく平和になってきた喫茶メトロなのに
今度は突然死?!
もはや、よだれの問題ではない、人の生死にかかわる事だ
馬場さんは動かない…
マスターは祈るように、馬場さんの肩をトントンと叩いてみた…
…
すると
馬場さんは動いた…
「ハァ~」
目をトロンとさせている…
良かった!
生きていた!…
ホッとした!…
「あら、私ったらいつの間に…眠ったのかしらねぇ…」
「あ…すみません起こしてしまいましたか?…珈琲が冷めちゃいましたね…」
そうマスターに言われた馬場さんは
読みかけの文庫本を閉じて横に置き
「…私は猫舌で、熱いのは苦手でしてねぇ…冷めたぐらいが、丁度いいんですのよ…」
そう上品に言って珈琲を持ち口に近づけた瞬間…
最悪な事がおきたのだ…
何かが、馬場さんの口から目にも止まらぬスピードで
飲みかけの珈琲カップに落ちたのだ
カポン!…
珈琲の茶色い滴が周りに飛び散り
仰天してカップの中を見ると、黒い液体の中に、ピンク色に輝く物体
入れ歯だ!(゚Д゚)…
入れ歯が外れて落ちたのだ!
見てはいけないモノを見てしまった
馬場さんはきっと気まずいだろう
笑ってはいけない
馬場さんが傷つく
笑いを必死に耐えていたマスター
馬場さんと目が合ってしまった
馬場さんの老眼鏡の、その異様なデカい目にまたまた吹き出しそうだ
笑ったら悪いだろ!
だが馬場さんは
「ぁラ…いれは、おとひひゃったわ…」
スカスカの口でそう言った
「…お…落ちましたね…」
馬場さんは、指でカップから入れ歯をつまむと
何事もなかったように上顎にはめた
そしてまた…
何事もなかったように
その珈琲を飲み干した
(゚Д゚)!!
マスターの背中に隠れて、若い主婦達はそれに気がついていない…
マスターも何事もなかったかのように…
水サシを持ちキッチンへ戻った
完…
いよいよ明日は2月5日だ…
進藤理恵子が夫の墓参りに来る日だ
殺人容疑の吾郎が釈放され、疲労困憊で泥のように眠り続けた俺のそばに、ずっといてくれた人…
あの夜、送って行ったタクシーから小さくなって行く彼女の姿を思い出して
胸が熱くなった
だが…今夜は寒い
風が強くて窓がガタガタ揺れている
戦後すぐに建てた木造住宅に、断熱材など入っているわけもなく
それでも一年前には、二階の窓をアルミサッシに変え、雨漏りの修繕もしたのだが
築70年近くにもなれば、何処からでもすきま風が容赦なく入ってきた
外を見ると、横殴りの雪で、今夜は一層寒さが身にしみる
…こんな天気でも彼女は来るだろうか?
…明日はいい天気になって欲しい
窓にテルテル坊主でも、ぶら下げたいそんな心境だった…
冷たい布団に入って膝を抱えた、
自分で自分を温める、一人寝の夜がもう三年も続いていた
そんな中、進藤理恵子との出会いは
心を癒やし、今やマスターの心の灯火になっていた…
明日逢える…
幸せな気分で眠りについた
だが、布団の隙間から肩に冷気が浸み込み
背中がゾクゾクする、足の指先も冷たい…
何度も寝返りを打ち、なかなか熟睡出来ない
押し入れからフワフワの毛布を出して、スッポリくるまったらさぞ温かいことだろうと思いながらも
寒くて寝床から出るには些か勇気がいる
そのうち、いくらかウトウトしていた
…
…
ふと…
誰かに見られているような気配で目が覚めた
誰もいるはずのない1人の部屋なのに…
気のせいだろう
寒さで寝付けないからそう思うのだ
また眠りに付こうとして目を閉じたが
体中に異様な視線を感じて気になって仕方ない
それは、なんとも言えない威圧感だ
だんだん強く感じるようになってきた
霊感のないマスターでさえこれはおかしいと感じた
何かいるのか?
夢か?
目はとじたままなのに、神経だけが何かをキャッチしようとして
アンテナのように張り詰めていた
こんな事は初めてだった…
目を開けてまわりを見渡たしてみた
だが誰もいない
窓、押し入れ、タンスと、古いファンシーケース
見慣れた部屋に特に変わった様子もなく
いくら目を凝らしてよく見ても、しんと静まり返った広すぎる八畳間の闇の中には
布団に自分が1人寝ているだけだった
やっぱり気のせいだろう
そう自分にいいきかせるように
また目を閉じた
寒い…
凍えそうだ…
すると
「…あ…なた…」
女の声が聞こえた
目を開けると、窓から薄明かりに照らされた、女の横顔が見える
それは、闇に浮き上がるスクリーン映像のようにぼやけて、浮かび上がった…
あッ!!
郁子!
女房だ…
仰天して、片肘を付き、ガバッと上半身を起こして
「郁子!…いくこ!…」
そう叫んでみたのだが、その姿はスクリーンから消えた
もう女房の姿は何処にもなかった
仏壇の女房は、ニッコリ微笑んでいる
…いつ見てもいい女だ…
それもそのはず、生きていた頃一番美人に写った写真を俺が撰んで仏壇に飾ったのだから
写真の女房に話しかけた…
「郁子…どうしたんだ?…なにか俺に言いたい事でもあるのか?…」
ろうそくに火を付け、炎の先に線香を手向けた…
伸びて行く線香の煙を見上げながらふと思った…
…ひょっとして女房は、俺に女ができたっと思って…
それで出てきたのだろうか?…
でも進藤理恵子とはまだなんの関係もないし、付き合ってもいない…
「郁子…仕方ないだろ…いくらお前を恋しく思っても、もう俺とは、暮らす世界が違うんだから…俺を見守っていてくれよ…頼むよ…恨まないでくれよ…」
写真の女房はなにも言わない…
当たり前だ
…もし返事したら…腰抜かすだろう…
“チーン”
合掌して目を閉じた…
郁子は今どうしているのだろう
死んだ後の事は死んでみなきゃ分からない
だが…
郁子はいつも俺のそばにいたのだろうか?
生と死の間はほんの紙一重で
俺の周りには俺の先祖や、関係者がウヨウヨいるのだろうか?
ただそれが見えないだけなのだろうか?
…見えたらかなり煩わしいだろうが…
そんなバカな!
死んだら無だろ!
だが…
郁子が死んで、火葬して葬式が終わっても
それでもいつかまた会えるんじゃないか
何かの形で会えるだろうと
なんの根拠もなく、ただ漠然とそう思った時期があった…
今思えばおかしな話だが、
突然死なれた時はあまりにも呆気ない別れに
真剣にそう思っていたのだ
それから三年が過ぎ、郁子とはもう会えない、もう何処にもいないのだ
そうやっと認識した矢先の事だった…
それが今夜、郁子と、いや、郁子の魂と再会したのだ…
2つのコップにウイスキーを少しづつ入れ
一つは仏壇に置き
自分のコップとカチンと鳴らして
一口飲んだ…
以前女房と二人でレストランをやっていた時
1日の仕事を終えると、風呂上がりにビールを一気に呷り、その後ウイスキーの水割りを呑んだ
「一杯だけ」
そう言いながら女房もたまに付き合って一緒に呑んでくれた事があった…
特に仲がいいとか悪いとかではなくごくごく普通の二人だった…
だけど、夫婦は何かをしてくれたから有り難いんじゃない
一緒にいてくれること、それが一番ありがたかったのだと俺は
郁子を亡くしてからつくづくそう思った…
あれからの人生、二人から一人じゃえらい違いだった…
心の中に現れた砂漠は、果てしなく俺の中で広がって行き
常に孤独だった…
線香の火が消えて灰が小さく盛り上がっている
仏壇の花は枯れ、皿に盛った林檎を供えたのは
いつだっただろう…
女房の事を忘れていた訳じゃない
悲しみが遠退いて行くと同時に、女房の思い出も薄れて行ったのだ…
だって仕方ないだろう、俺はお前が居なくなっても生きていかなきゃならないのだから
見えないお前が俺のそばにいつも居てくれたとしても
感じない俺はいつだって、たった一人だったんだ
いつの間にか、愚痴になっている自分に気がつき苦笑いしていた…
女房の写真をしばらく見つめて
さて…寝よう…
部屋の電気を消し襖を閉めた
フワフワの毛布にくるまり、ウイスキーがきいたのか
体が温まって、とろんと眠りについた…
朝になった
女房が突然表れた衝撃がまだ頭からはなれないまま
布団から出ると、窓から明るい光が差している
快晴だった…
さて気分を変えよう…
女房には悪いが、進藤理恵子がチラッと頭をかすめた…
布団をたたみ、押し入れに入れて
軽く掃除を始めた時…
ファンシーケースのファスナーが半開きだった事に気がついた…
古いファンシーケース…
タンスに収まりきらず、壁のあちらこちらに掛けてあった背広やジャンバーを入れるのに丁度いい
そう思って、小屋から持ってきたものだった…
高さ2メートルほどの四角いスマートなビニール製のタンス
正面にファスナーが付いているが
だらしなく開かれ中の衣類が丸見えだった…
だが、さほど気にもせずファスナーを上までキッチリ閉めると
朝食の支度をして仏壇にコーヒーとトーストを供えた…
そして
「郁子…わすれちゃいないからな…」
そう小さくつぶやいた
開店準備の仕入れにいつもの様に街へ出た、
バナナや女房の好きだった豆大福も買った…
そして花屋へ寄り仏壇の花を抱えて帰ってきた…
仏壇は賑やかになり、これで少しでも女房が心穏やかに成仏してくれる事を強く願った…
やがて、メトロは開店した…
いつものように馬場さんが一番乗りで来店した
「いらっしゃいませ~」
「こんにちわマスター」
先日の珈琲異物落下事件以来
マスターは馬場さんを見ると反射的にそれを思い出すようになっていた
馬場さんに悪いから早く忘れてあげなきゃと思うのたが
こちらが恐縮するほど馬場さんは感じていないらしく
今日も前歯をキラリと光らせて微笑み
お気に入りのテーブルへ向かった…
馬場さんが一時間ほどで帰り、そのテーブルを片付け出した
おそらく次にここに座るのは、進藤理恵子だろう
そう思うと、胸の奥が若い頃のようにドキドキ、ときめいた…
ガラガラ~
見ると予定通りに進藤理恵子が表れた…
「いらっしゃい…」
彼女は、嬉しそうに恥ずかしそうに
「こんにちわ…」
そう言い口元をゆるめた…
そして、やはりあの窓近くのテーブルを選んで歩いて行く…
だが…
彼女の後ろにもう1人女の姿があった…
珍しい、今日は友達と一緒なんだ…
水2つと、お絞りも2つ お盆に乗せて彼女のテーブルへ向かった…
まずは先日のお礼を言わないと…
水を置きながら
「先日は、すっかりお世話に………」
そこまで言いかけて、彼女の連れをチラッと見て、慄然とした…
伏せ目がちに座る女…
それは郁子だった!…
「マスターお水多いと思うのですけど…オシボリも…」
進藤理恵子の声は耳に届かず、俺は立ったまま腰が抜けた…
進藤理恵子は、俺がとんでもない勘違いをしているとか
あるいは軽い冗談のつもりだろうと、思っているだろう…
…何故だ…郁子…
…どうしてこんな事をするんだ?
俺の頭はパニック状態だった
女房は下を向き静かに座っていたが
その目をゆっくり、進藤理恵子に向けた…
その理恵子を見る厳しく冷たい目に
俺は心が凍りついた
理恵子はそれに気づかない
進藤理恵子の前の空席に整然と置かれた水とオシボリ…
そして宙の女房を見て、固まる俺に、さすがに戸惑う進藤理恵子は…
理恵子「あの…どうかしたんですか?…」
そう聞いてきた
なんて言えばいいのか?
まさか女房の幽霊があなたの目の前にいるんですなどと
言えるはずもなかった…
窓からは爽やかな日差しが店内に降り注ぎ
ここはアットホームな喫茶メトロなのだ
なのに不釣り合いな、白昼の幽霊がここに…
俺の頭の正常な神経は完全に麻痺していた
その後も理恵子とは会話もせず
理恵子からの視線を感じながらも
俺の方からそれを避けるように冷淡な態度をとってしまった
そんな事より早く理恵子に帰って欲しかった
女房はもう生前の優しかった女房とは
まったくの別人格だと俺は思った
だからなにか嫌な予感がしてならない…
やっと、理恵子はレジの前に立った
「ありがとうございます…」
会計を済ませて帰りかけた理恵子が
「あの…」
俺になにか言おうとして口を開きかけた
だが俺は…
「はい…」と言って
横を向いた
…悲しみが胸の中に溢れた…
理恵子は、ほんの1・2秒俺を見て
何も言わず帰って行った
…もう終わりだ…
…さようなら理恵子さん…
まだ一度も口に出して呼んだことのない名前を
俺は心の中でそっと呟いた…
それでも、理恵子が帰った事に安堵していた
ふと二人?が座っていたテーブルを見ると…
郁子の姿もいつの間にか消えていた…
…
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