ハル
だいぶ寒さも和らいできた4月の初め、家庭支援センターの小山さんと校庭の隅で話をしていた。
たわいもない家での子どもの様子を時々、笑いながら話す。
私たちの横を校舎に向かって、歩く同年齢くらいの女性。
春休みなのに、どこに行くのかな?
後ろ姿を見送りつつ、ふと、そんなことを思った。
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就学前検診で通級を考えてることは伝えたけれど、実際、学校に入ってからのコウタがどんな感じになるか分からなくて、
4月の当初に連絡帳に“よろしくお願いします”と書いたけれど、担任印が押されて戻ってきただけだった。
4月末に通級の保護者面談があって、5月から通級開始になっているけれど、担任の先生からは特に話は何もなかった。
担任の先生や学校との関わり方がよく分からなかった。
私たち親も1年生だった。
小山さんや幼稚園のときのような親近感は学校には持てず、1歩引いたところで、学校との距離を感じていた。
コウタは元気に学校に行き、
“今日は学校探検で理科室に行った”“お兄さんが遊んでくれた”“外が広かった”など発見や幼稚園との違いを話してくれた。
楽しそうだった。
保護者面談の帰り、早速、小山さんのいる家庭支援センターに顔を出した。
小山さんは相変わらずのニコちゃん顔で田村さ~んと私に声をかけてくれた。
「コウタくんは元気?」
「元気です♪」
「そう。お母さんは?」
「うーん、たぶん元気」
「うん?どうかした?」
私は学校に対する気持ちを話した。
不満というか
不安?
緊張していた分、学校から何もなくて肩すかしみたいな…。
「そうね、まだ1ヶ月だものね。これから少しずつ話していけたらいいわ。通級は?」
「さっきまで保護者面談でした」
「担任は誰になったの?」
「斉藤先生です。小山さん、知ってます?」
「うーん、あまり分からないなぁ。ごめんね。新設でうちのほうでも期待の声を聞いてるから、いい先生だといいわね。曜日はいつ?」
「月曜日!」
「あは!3連休♪」
小山さんも同じことを言うから、笑ってしまった。
GW明けの月曜日。
初通級日。
通級は9時登校なので、コウタとゆっくりと朝の時間を過ごした。
家庭支援センターにはコウタも通い慣れていたから、通級にはさほど抵抗がなく、
「小山先生から斉藤先生に変わったよ」
男性先生だよと話すと、
「お兄ちゃん?」
と聞いてきた。
お兄ちゃん?
歳は知らないけど、多分年上っぽい。
「お兄ちゃんではないかな…」
コウタはふーん…と、何の期待だったのかな?
「楽しいと思うよ」
うん!とご機嫌な感じになった。
通級の出入り口は普通級の子たちとは違う。
靴箱もあり、その1つにたむら こうた とひらがなで名前が書いてあった。
コウタはぼくの場所!と靴をポンと入れると猫のシールが靴箱内面に貼ってあることに気付いた。
「お母さん、ニャンコ♪」
「あ、ホントだ。コウタの好きなニャンコだね」
私たちの声が聞こえたのか、教室から斉藤先生が出てきた。
「おはよう、コウタくん」
「おはようございますッ」
「斉藤先生です。よろしくね」
コウタは頭をペコリ。
あいさつは教えてきても、ペコリは初めて見た。でも、どこで??
「学校ではこうするんだよ」
エッヘン!とちょっと自慢げなコウタ。
へぇ、何かお兄ちゃんになったな…。
13時過ぎにコウタのお迎え。
靴箱あたりで他のお母さんたちと待っていると、扉が開いて、子どもたちと先生たちが出てきた。
4人の子どもたちに4人の先生。
今はひと部屋でしているが、また子どもの数が増えて来たら、2つに分かれるらしい。
今は1対1の対応…何かぜいたく。
コウタが私にまとわりついて、ぐるぐる回る。
斉藤先生が私のところに来て、今日のコウタの様子を伝えてくれる。
「お迎えありがとうございます。今日1日でコウタくんのこと、いっぱい分かりました」
その言葉の通り、家庭→通級→学校→家庭と回る連絡帳には、
コウタの好きなことや思っていることがたくさん書いてあってすごく嬉しかった。
私も分かっていてもなかなか言葉にできなかったコウタの良いところも全部、まるごと書いてあった感じ。
反対に担任からは“火曜日にコウタくんが通級でのことをお話をしてくれました。よろしくお願いします”とあって、斉藤先生とのコウタに対する温度差を感じてしまった。
コウタの担任の先生への不満や不安が一気に不信感へと変わり、私はますます学校と距離を置く出来事があった。
あったというよりずっと続いていたのに、担任の先生は私には何も言わなかった…コウタも言わなかった。
“何かあれば教えてください”それだけの発信では、担任の先生は何も言ってくれないのだろうか?
1学期も終わりの頃、斉藤先生から“コウタくんが…”と切り出された。
いつものように通級のお迎えに行くと斉藤先生が今までも何回か口にしているセリフを言ってきた。
「コウタくん、学校は楽しく通ってますか?」
私はいつも通り、はいと返事をした。
「前も気になったんですが、コウタくん、学校で泣いているみたいですね。友だちから言われた言葉に言い返せなくて」
え!?
「今日、個別指導のときに絵を描きながら、話してくれました。ときどき、こういうときはどうしたらいいの?って聞いてきていたので学校で何かあったんだろうと思っていたのですが…担任の先生に伺っても子ども同士のトラブルでって言われて…」
コウタが私の背中に回って、ギュッと抱きついてきた。
「コウタくんからけしかけてケンカになるようだと言うんですが、自分にはコウタくんからとは思えなかった」
初回から続いていた猫シール見つけた!が今日で8回。
全部、見つけて“すごいね!”と折り紙で作ってもらった手裏剣を手に持ってる。
1学期は今日で通級が終わりの日。
頑張って学校に通っていたコウタに何も気付けず、何もできなかった私がいた。
2学期、まだ夏の日差しが強く、しばらくはプールがまだ嬉しい。
私は恐る恐る、慎重にコウタを朝、見送った。
コウタは何も言わなかった。
何日経っても、それは変わらなかった。
通級もまた通い始めたけれど、猫シールはもう見つけなかった。
…コウタが笑わなくなった。
朝、おなかが痛いと言うようになった。
学校に行きたくないと言って、泣くようになった。
布団から出なくなり、あるときは部屋のクローゼットに隠れたりした。
私はコウタに優しくしたり、叱ったり、なだめてみたり…学校は休むようになった。
それでも学校からは連絡はなかった。
“今日、休みます”
“分かりました。お大事にしてください”
それだけだった。
無気力感だけが残り、疲れたと思った。
コウタが学校を休み始めて、1ヶ月が過ぎた頃、通級の斉藤先生が少し、話しませんか?と連絡をくれた。
私の様子を見ていて、見かねたらしい。
「コウタくんはここではいっぱいお話をしてくれます。猫シールは終わりになっちゃったけど」
猫シール、懐かしい。
「お母さん、どうでしょう?今、週1の通級ですが、週2にしてみませんか?コウタくんの足が学校には向きませんが、幸いにもここには来てくれてます」
私は力なく笑った。
「コウタくんはお友だちも勉強も好きです。花や虫も大好きです。素直で優しい子です。この前、絵ハガキを作りましたが、お母さんと猫とコウタくんが笑ってる絵でした。お母さんのこと、大好きなんです」
涙が浮かぶ。
「今は先が見えないかもしれませんが、もう少しだけコウタくんと頑張って行きましょう。寄り道ありです!」
斉藤先生は絵ハガキを机の上に置いた。
さっき、斉藤先生はコウタと猫と私の絵と言ったけれど、そこには手裏剣も描いてあった。
…コウタ。
泣くこともあったけど頑張った自分と、すごいね!って折り紙の手裏剣を作って頑張りを認めてくれた斉藤先生、お母さんはこんなにニコニコしてたかな?それから大好きな猫。
コウタ。お母さん、泣いてばかりでごめんね。
前を見て、頑張るね。
泣きそうになるを我慢して、何とかコウタの話をする。
本当は学校に来たい
友だちと遊びたい
勉強したい
でも、コウタからではなく、冷やかしやからかい、意地悪を言ってくる子がいるため、イヤなこと
やめてと言っても殴る真似をして怖いこと
コウタの持ち物を勝手に取り、返してくれなかったり、その辺にポイと捨てられる
それを拾うのを邪魔されたり、笑って見てること
担任は私の話を聞いて、そんな事実はないと言った。
息子さんが学校に来たくないから、嘘を言ってるのでは?
その証拠に通級には通えている…。
目の前が暗くなる。
この人、何を言っているんだろう?
最後には、
学校にはいろんな子がいる。コウタくんだけを特別には見れない。
もうイヤだった。
誰とも話したくない!
ふらふらと立ち上がり、帰ろうと廊下を歩く。
早く帰って、コウタを抱きしめよう。きっと暖かな温もりが、小さなコウタの手が私をなぐさめてくれる。
早く帰ろう。
私は後ろから声をかけられたのにも気付かず、よほど重い足取りだったのだろうか。
「田村さん!」
少し強めに大きな声で呼ばれて、その声にびっくりした。
振り向くと、さっき応接室にいた養護の先生と特別支援コーディネーターの先生だった。
「田村さん、大丈夫ですか?」
私は泣いた顔を見られまいと頬をなでた。
「…何とか」
変な返事だが仕方ない。
「少し話せるかしら?コウタくん、待ってる?」
「コウタは私の母に頼んであります」
「じゃ、少しいい?ここで話す?」
応接室を指差されたが、私は首を振った。
「そうよねぇ、じゃ保健室にしましょ」
「時間も遅いから簡単に話すね。さっきの面談はひどかったと思う。ごめんなさい。
今日、田村さんと管理職、担任が面談と聞いて、慌てて私とコーディネーターの森先生が入ったの。田村さんからみたら多勢に無勢よね。申し訳ありませんでした」
養護の坂本先生がペコリと頭を下げた。
森先生が言葉を続けた。
「私たちが担任から聞いていたコウタくんの様子とは違っていて、私たちもお母さんやコウタくんから話を聞くことができなくてごめんなさい。
今、坂本先生とも話していたのだけれど、コウタくん、相談室登校はどうかしら」
相談室登校?
「保健室登校は分かる?」
教室に何らかの理由でいられない子が保健室で1日を過ごす?
「そうね、その子が落ち着いて過ごせるように」
私は恐る恐る聞いた。
「うちの学校に保健室登校や相談室登校ってありました?」
2人の先生は小さく笑って、
「実は相談室は9月からできたの。だから知らなくても無理もないわ。保健室登校もときどきだけどね」
「…コウタ、相談室登校?」
「コウタくんに学校に来たい気持ちがあるなら、考えてみませんか?」
「相談室…できたんですね。コウタくんにどんな対応をしてくれるのかな?」
私の話を静かに聞いていた斉藤先生は言った。
「うちの通級と同じでいろいろ模索しながらだけど、頑張ってくれるでしょう」
私は小さくうなずいた。
「コウタくんが教室に戻るにはクラスの雰囲気が大事です。担任の先生があのままなら、今は難しいでしょう。コウタくんが学校で過ごせる時間が持てるのも大事なので、相談室で少しずつそういう時間が持てるといいですね」
私の中でも相談室の話はいいと思っていた。
家で過ごすにはコウタの時間はたいくつ過ぎる。
私が教えてあげられることも限られている。
そんな中、週2回の通級はありがたかった。
緊急対応で斉藤先生が見てくれていたが、相談室に行くようになったら、それも週1に戻る。
でも、私は本当に勉強不足で通級のことや緊急対応のこと、相談室(保健室登校)のことも知らなかった。
思いつきもしなかった。
周りの人にこうして助けてもらえなかったら、今も担任の先生だけで何の糸口も見つからなかった。
コウタに苦しい思いや担任の先生をただ憎しみの感情で人間不信・学校不信になっていたと思う。
そう思うと人の出会いの何たるかを奇跡と偶然の重なり合いに感じ、そして感謝したい。
斉藤先生に会ったその足で、感謝したい出会いのトップの小山さんのところに行った。
コウタのこと、面談のこと、坂本先生と森先生と相談室のこと、斉藤先生との面談のことを一気に話した。
「良かったね。大変だったけど頑張ったね。本当に頑張った」
ふわっと抱きしめてくれるように小山さんは優しく言葉をくれた。
「斉藤先生もずいぶん味方になってくれて、緊急対応ってめったにないみたいだよ。もっと学校に行けない期間が長かったりとか…お母さんの頑張りを認めてくれたのかな?」
私はいっぱい頑張ったねって言ってもらえて、照れくさくて、くすぐったかった。
今はまだコウタが相談室に行くという方向しか決まってないから手放しで喜ぶのは早いけれど、素直に嬉しかった。
「斉藤先生が…」
私は照れくさかったけれど、バッグから通級の連絡ノートを取り出した。
「さっき、斉藤先生のところに言って話したときも頑張ったねってほめていただいて…」
学校との面談日時が書いてある
ページを開いた。
そこにはコウタと同じ猫シール…。
「猫シールを貼ってくれて、、、コウタの頑張りを認めてくれたときも手裏剣をさりげなく渡してくれて…嬉しかったです」
「うんうん、応援してくれてるんだね。猫シール1枚でも、自分のことちゃんと見てくれてるって嬉しいね!」
「はい、また頑張れそう」
「斉藤先生、やるなぁ!!」
小山さんは少し体勢を崩し、先を越されてしまったか!と笑って見せた。
私も久しぶりに笑った。
そして良かったのは相談室に行き始めて少ししたら、クラスのお友だちが休み時間にコウタを誘いに来てくれたこと。
2学期の終わりには図工や音楽の専科ならクラスに入れるようになり、一緒に授業が受けれるようになった。
担任の先生が顔を出したりすると、固まるコウタがいるようだが、コウタの苦手な子からは離してもらい、常に大人は見ているぞ!の姿勢は崩さず、コウタは少しずつ学校に行くことを楽しむようになっていた。
ただ給食だけは相談室ではなく、教室だったから、コウタは行きたくないと言っていて、それは保健室だったり、たまに校長室だったりして、坂本先生が出張だったりすると、早退していた。
それぐらいは毎日、学校に行けることを思うと小さなことだった。
あと、たまに他学年の先生やコウタの隣のクラスのお兄ちゃん先生が空き時間に相談室に来てくれた。
課題プリントの他にもドリル、音読をしたり、教科書に書き込み勉強をしたり、学年を越えてそこにいる子どもたちに国語や算数を教えてくれた。
面白い話やときどき怖い話、落語や先生の話もしてくれ、私がとても嬉しかったのは、来てくれた先生たちが、ここにいる子どもたちを受け入れて、認めてくれてること。
まぁ、やんちゃやいたずらがすぎたら大きな爆弾が落ちたりしたけど…。
コウタの相談室での1日は勉強、休み時間、給食、掃除で過ごし、生活も学習も充実していた。
⚠(´・ω・`)注意!
順調そうだった相談室に暗雲が立ち込めてきたのは3学期に入ってからだった。
廊下の向こうから泣き声とも叫び声とも分からない声とともに、男の子が相談室に駆け込んできた。
ときどきパニック状態になったときに相談室にあるダンボールハウス(コウタも一緒に作った)でクールダウンをしていた子だった。
クラスの子に吐かれた暴言に太刀打ちができなくて泣いてしまうのだ。
担任の先生も根気強く繰り返し指導してきているが、気持ちが落ち着いてるときには言ってはいけないと分かっているのに、興奮状態やキレてしまうと自分の感情がコントロールできなくなってしまう。
それを言われて傷つく人がいることに気付くところまで、その子の成長が来ていない。
その彼が男の子を今回、しつこく追いかけ、逃げ込んだダンボールハウスに向かって捨てぜりふを吐いた…。
「ばーかばーかばーか、しねッ
お前なんかいらねぇんだよ!
しね!」
支援員さんが急いで相談室に戻ると、窓ガラスが割れ、パニックに陥った男の子が手から血を流し、机や壁に体当たりをし暴れていた。
すぐに相談室にいた子どもたちを廊下に出し、ドアを閉め、身体全体で暴れている男の子の前に立ちはだかった。
一瞬、動きが止まったところでぎゅっと抱きしめる。
手を見ると、ガラス片は刺さっていないが血が流れ落ちてる。
止血と保温…
支援員さんの頭にはそれが浮かんだそう。
割れた窓から離れた場所に男の子を座らせ、着ていたパーカーを着せ、自分の持っていたハンカチで傷を押さえ、腕を心臓の位置よりも高く上げる。
そこに騒ぎを聞きつけ、他の先生たちが走ってきた。
その中に坂本先生の姿を見たとき、張り詰めた緊張から一転、身体がカダガタと震え出したという。
“怖かった…”
後日、支援員さんはそのときのことをそう言った。
私ももしその場にいたら、そう思うし、悲鳴を上げて座り込んでしまうだろう。
コウタは…というと、あの日のことが忘れられず、怖いと言って、学校には行けなくなっていた。
私だけ、相談室をのぞいて見ると、割れた窓ガラスは入れ替えられ、みんなで作ったダンボールハウスはなくなり、カーテンは新しくなっていた。
そんな相談室の中、女の子が学生ボランティアさんと一緒に、新しく置かれた丸テーブルで寄り添って、絵を描いていた。
「コウタくんのお母さん!」
私を見つけた女の子が声をかけて来た。
「こんにちは」
「ね、コウタくんは?お休み?」
「うん、ちょっとね」
私が顔を曇らせ、言葉を濁すと
「やっぱり怖かったよね」
と、こちらの思いを察したようだ。
「私も怖いよ。部屋はきれいになったけど、あそこは血の匂いする…。けどね、ヤなこと言われてカッとなっちゃったの。私も分かる」
女の子は下を向いてしまった。
私はコウタよりも大きなその子を抱き寄せた。
今日はコウタの通級日。
斎藤先生とお迎えの時間に女の子との会話の話をした。
先生は腕組みをして何か考えてる様子で、私も静かに目を伏せた。
「…うーん、相談室のことは坂本先生や森先生に今は耐えて頑張ってもらうしかないけど、その子のことは寂しいね」
「はい、苦しいです。コウタにはここや家とまだ居場所があるんだなぁって思って…」
「うん、コウタくんはお母さんから暖かなものをもらっているからいずれ回復するだろうけど。
その子は傷のままかもしれないね」
「コウタは元気になってくれるかな…?」
「大丈夫ですよ!こんなにお母さんが一生懸命なんだし、自分もそんなお母さんから元気をもらってるから」
私はちょっとドキッとした。
斎藤先生がいたずらっ子のように笑う。
胸のざわめきは先生のいつもの笑顔に消えていき、私は照れくさくて小さく笑った。
相談室がうまく機能するかどうかはやはり、それをどう受け入れるかだと思う。
相談室に来てくれている先生方は子どもたちの受け入れ間口が大きく、余裕があるのかもしれない。
でも一転、あそこは~の集まりだとか、あんなところに行ったってとか、居心地が悪い言い方をしていたら、相談室としての機能はしない。
どの子も教室でできる、分かる、認められるだったら、きっと少々のことがあっても頑張れると思う。
ただ、自分でも分からない感情や気持ちのコントロールがあるだろう。
それとどう付き合うか…
折り合いや納得、思いやり、譲り合い、すべてが教室だけで経験できるか、またはそこで感じ取れるか…
子どもたち、ひとりひとりが違うように成長や発達段階もみんなそれぞれだと思う。
そこにできるだけ寄り添い、近くにいてあげられるかを考えたら、相談室も1つの場所なんだと思う。
いいか悪いか、それを議論していたら、困っている子どもたちはどうなるのか…
時間がもったいない
でも、周りの理解なしに特別支援は成り立たない。
手間ひまがかかる
それを分かっていないと、
強引なひとりよがりなことになってしまう。
誰のためになのか、
それを今いちど、大切に考えないと……。
暖かな日差しが教室の窓から差し込み、私は新居先生が来るまで、ロッカー上に子どもたちの1学期の学習.生活のめあてと4月の思い出が入ったファイルを眺めていた。
学校のどこで撮ったのだろう?
コウタも恥ずかしそうにはにかんで笑っている写真の下、1学期の学習めあては“じをていねいに書く”。
生活めあては“ともだちといっぱいあそぶ”になっていた。
4月の思い出には学校探検で1年生を案内した絵が描いてあり、これもまた、たどたどしい字で“たのしかった”と書いてあった。
さっそうと新居先生が入ってきた。
「お待たせしてすみません。こちらにどうぞ」
子どもの小さな机を向かい合わせにして、先生は私を促した。
「暖かくなりましたね。今日はお忙しいところ、学校に来ていただいて、ありがとうございます」
大学ノートを広げ、今日の日付を書き込む。
「コウタくん、休み時間は元気に外で遊んでました」
ノートの上で指を組むと新居先生は今日の面談の内容を話し出した。
2年生になって、学校は休まず、また相談室にも行かないで、教室で頑張っている
ただ、去年、相談室にいたということで学習面で遅れがあり、それを本人が周りと比べ、気にし出して来ている
友だちとは本来のコウタくんの優しい可愛いところがあって、だいたいダイチくんと一緒にゆっくりくっついて遊んでいる
ただ大人数になると、外からみんなが遊んでいるのを見ている
「それでぼくが気になるのは、周りの子たちに気を使っていて、本来のコウタくんじゃない気がします。何だか人に合わせていないとダメに思ってる」
ん?
それはコウタの性格なのでは…?
「コウタくん、相談室ではもっと怒ったり泣いたり笑ったりしていたと思うんですよね。それが激しいってことじゃなくて、もう少し、自分の気持ちを外に出していた。だけど、教室ではなんだろう…早く自分を周りと同じにしたいと焦ってる感じがします」
焦ってる?
ふいに斉藤先生が言った“焦ってませんか?”の言葉が思い出され、私は新居先生を見た。
「…焦って、る?」
私はもう一度、繰り返した。
「ぼくはもっとコウタくんが自分の気持ちを言ってくれていいと思います。最初はぼくに対して遠慮かと思いましたが、言葉に迷ってるところがあります。…もしかしたら、相談室に行かないためにはどうしたらいいのか、
コウタくんが考えているのかもしれません」
新居先生はふぅと息をついて、腕組みをした。
「コウタくんにはまだまだ周りの
サポートが必要に思います。」
私は目を伏せた。
「…相談室はコウタが行かないんですよね」
「はい、行きたいようですが、ここにいなくちゃと無理しているようです…家の様子はいかがですか?」
私は下を向いたまま、答えた。
「家では、先生の話ばかりで…
コウタは何も話してないです」
…コウタ、、、。
自分の視界がぐらりと揺れた。
「お母さん?大丈夫ですか?」
新居先生が心配して声をかけてくれる。
私は鼻をすすって、カバンからハンカチを取り出した。
「…ごめんなさい。私、全然、気付きませんでした。コウタは楽しくて嬉しくて、学校に行っているんだと思っていて」
「いや、ぼくの力不足です。もっと早くにお母さんにも相談しなくちゃいけないのに」
私は小さく首を振った。
「コウタくんが自分の気持ちを抑えないで済むように、ぼくも見ていきますから」
「私は知らず知らずのうちに、
コウタの話を聞いてなかったのかもしれません。コウタの気持ちを無視して、私は自分の気持ちを…」
私はまたうつむいてしまった。
斉藤先生の言葉が耳の奥で響く。
“コウタくんはコウタくんのままでいい”
「コウタくんはお母さんの気持ちに応えたかったのかもしれないし、誰かの期待に応えるってその人のことを好きだからなんだと思いますよ」
私が顔を上げると、新居先生がねっ?と優しく笑っていた。
家に帰るとコウタがすぐに私のところにやってきた。
「先生と何、話したの?ボク、先生、好きだよ。先生のクラスがいいッ!」
私は力なく、コウタな頭をなで、
「大丈夫だよ。コウタは新居先生のクラスだよ」
コウタは背伸びするように、身体に力を込めて言った。
「ボク、頑張るよ!まだ難しい漢字は書けないけど、みんなとおんなじになるから!さんすうも好きになるッ。だから…お母さん、ボクを…」
…コウタの言いたいことを全部、言わせたくなかった。
私はコウタを抱きしめて、もういいよ、大丈夫だよと優しく言った。
コウタの小さな肩に顔をうずめる。コウタの身体から力が抜けて、少しすると、私の背中をポンポンッとした。
「コウタ?」
「ボク、お母さん、好き」
身体を話してコウタを見ると、照れて笑うコウタがいた。
「お母さんもコウタのこと、好きだよ」
おでこをコツンと合わせて、私も少し照れて、でも、嬉しくなって、またコウタをぎゅっと抱きしめた。
⚠(´・ω・`)注意
夕方、家の電話が鳴る。
携帯からだった。
私はため息をついた。
「はい、田村です」
受話器の向こうから、気だるい重そうな声が聞こえてきた。
「…コウタくんのお母さん?」
「うん、どうしました?」
「あのねぇ、あっくんがぁ…」
あっくんこと、横井 アツシくん。
コウタと同じ小2。
家庭支援センターで知り合った親子で、その後、引越し、今は別の市の小学校に通っている。
「学校であれやこれができないから、友だちにバカ言われて…」
小学校に入ってからどうやら苦労続きのようで、彼女から愚痴りの電話が来るようになっていた。
私もそんなアドバイスなんてできる立場じゃないけど、お互い、近況を話して、頑張ろうね!と電話が切れたらいいけれど、彼女の場合は違っていた。
「担任の先生に言ってもぉ、あっくんが悪いって。あっくんが手を出すって。それでぇ、あっくんに学校行かなくてもいいって言うんだけどー、あっくん、学校に行くんだって」
「うん」
私は聞き役に徹するだけ。
⚠(´・ω・`)注意!
「相手の親からー、電話がかかってきてぇ、いつも親が悪いだの、ふざけるなばかり言われてぇ。学校来るなって言われてー、私は行かなくていいって言うんだよ。でも、あっくんが行くって。僕は普通だって」
「うん、そんな電話やだね」
「えっ!?何?聞こえないッ」
私は少し大きな声で繰り返す。
「うん、やだぁ。コウタくんはどう!?大丈夫!?」
「うん、コウタは教室にいるよ」
「え?聞こえないよ?」
「教 室 に い る よ」
「教室にいるんだぁ。コウタくんは何も言われない?バカとかぁ死ねとかぁ」
これが延々と30分続く。
語尾をのばして話す話し方も本人は全く意識していない。
彼女の中でストレスが限界までくると精神的に不安定になる。
ストレスで耳も聞こえにくくなる。
あっくんのことで“困ってる”を通り越して、壊れてしまう。
彼女と話しているとそう感じる。
寒い冬から少しずつ暖かな陽気へと移り変わり、気持ちもホンワカとしていた。
大変だったコウタの1年生が終わり、桜の咲き誇る季節にゆったりゆっくりしていた私。
斉藤先生には2月終わりに指摘されていた今回のこと。
言葉に出していなくても、コウタは私の気持ちを敏感に感じ取り、また自分の気持ちを抑えて、教室や周りと一緒にいようとしていた。
小山さんに会って、私はここ数ヶ月のことを話した。
コウタは久しぶりに支援センターの中に入って、以前、訓練に通っていたときにお気に入りだったおもちゃで出してきて遊んでいる。
「コウタくんの成長だね。
お母さんの気持ちにコウタくんが気付いたのも、周りと自分の違いに気付いたのも、コウタくんがこの1年で成長したからだよ」
いいことじゃないと小山さんは
ニコちゃんになった。
「でも、私の気持ちにコウタを振り回してるようで…斉藤先生にも
コウタをちゃんと見てって」
斉藤先生にじっと見られたとき、目をそらしたのはそんな気持ちを見透かされたような感じがしたからだろうか?
「いいのよ、斉藤先生が何て言おうと!
お母さんはよくコウタくんのことを見てるわ。斉藤先生もいろんな子どもたちを見ているだろうからね。こういうことじゃないかってパッて分かったんだと思う。でも、お母さんはコウタくんだけでしょ?
ちゃんと説明しない斉藤先生も良くないわ」
小山さんは大らかに笑い声を上げたかと思ったら、急に声をひそめ、私に小さく、おいでをした。
「ね、新居先生、若くて熱心でかっこいい先生よね」
ニカッと小山さんは私と目を合わせる。
私はポッと頬が赤らんだ。
その週の金曜、コウタの通級日。
いつも斉藤先生の話を聞いて帰るだけだったけれど、小山さんの大らかな笑い声とともに“気にすることない”と言ってもらえた気がして…
「斉藤先生…1年生の終わりに先生が私に“焦ってませんか?”って言いましたよね」
「え?ああ…でも、今はコウタくん、落ち着いてきてますよね。お母さんも…新居先生が受け入れてくれてるからかな」
私は少しためらってから、
「どうしてあのときに何も言ってくれなかったんですか?」
ストレートに聞いてみた。
斉藤先生は間をあけ、何かを思い出して…優しく笑っただけだった。
きゅん…
「コウタくんもお母さんも元気になって良かったです」
斉藤先生はそれだけを言うと、それじゃ、またと一礼をして帰っていった。
きゅんって…
あれ?今の何…?
新居先生と面談してから、コウタは新居先生手作りの宿題も合わせて持って帰ってきていた。
ひらがなやカタカナ、拗音の入った言葉を使って、新居先生のオリジナルの絵に合わせて正確を書いたり、穴埋め文字や虫食い漢字、迷路やしりとり文字埋めをしたり…簡単な計算式や絵の数を数えたり、動物クイズや□○△を使って絵を書いたり…コウタは楽しみでその宿題は大好きだった。
合わせて、みんなと同じ宿題を半分以上でできるところまでと新居先生と相談したらしく、それも頑張っていた。
今日は頑張った!とコウタが思うとき、宿題でもテストでもノートでも、新居先生のオリジナルキャラの怪盗が登場する。
コウタもクラスの子もそのキャラが大好きだった。
「コウタくん、どうですか?元気にしてるかな?」
私が前の人と入れ替わりで教室に入ると新居先生が言った。
今日は個人面談…。
コウタのことで、電話や新居先生の空き時間にちょこちょこ話していたので、面談と言っても、それほど話すことはない。
「って言っても、一昨日に話しましたね。何回も学校に来ていただいて恐縮です」
コウタがずっと学校を休み始めるようになって2週間ほど経った頃の面談だった。
「コウタくん、学校に来ているときは楽しく笑って、友だちとも遊ぶし学習も遅れてるわけでもなかったんですが…何かあるんでしょうね」
「私も時間と気持ちの余裕があるときに聞いてみるんですが…いつもの答えで」
「それで、いけないことなんですが…メールで朝のやり取りができたらいいかなと思っていて、メルアドの交換をと思ってます」
メール?
メルアド?
「…先生、ありがとうございます。
でも朝はやっぱり大変だと思います。力づくで連れて行こうとは思っていないし、先生が声をかけて下さったら、コウタも気持ちが揺れると思います。
けど、お迎えに来てくれた先生とコウタが急に行きたくないと思ったとき、先生にご迷惑とコウタが先生に応えられなかったって別の意味で先生と距離ができてしまう気がします」
「コウタくん、イヤかな?」
「新居先生が大好きだからですよ。先生は“学校で待ってるよ”って言って下さるのがいいと思います」
私はコウタのことをいっぱい考えてくれたことが嬉しかった。
メルアドの交換はしなかった。
…このときは。
と、ちょうど次の面談の村山さんが来たところだった。
私は軽く村山さんにあいさつ。
「もう少し、話したかったな」
それはとても小さな呟きだった。私はすぐ隣に立つ新居先生を振り返る。
「田村さん、また。ありがとうございました」
村山さんは「遅れたーッ」と新居先生にドンッと身体を軽くぶつける。
「田村さん、お疲れさま~。先生のお見送り付き?いいなぁ。先生、私も送って♪」
「え?こうして出迎えたのに?やです」
「えーッ、じゃ今度のお楽しみ会、先生の嫌いなニンジン使っちゃお!ニンジンパンケーキ(笑)」
「それはやめてください💦」
村山さんはクラス役員…。
普段から接する機会が多い分、からかい口調に新居先生をいじる。
そして、いつものじゃれあい。
ちょっとうらやましかった。
11月に入り、今度は通級の個人面談。
こちらは時間に余裕があり、30分枠。
コウタがずっと学校を休んだままのときに面談をした。
斉藤先生はいつになく冷たい雰囲気で…もしかしてご機嫌ななめ?
「今日はお忙しい中、ありがとうございます」
斉藤先生はそれだけ言って黙ってしまった。
うわー何だろ?
話しにくい…。
「先生?…何かありました?」
「あ…いえ、さっき、新居先生と電話で話したんです。少しだけ」
新居先生と電話?
「お母さんを戸惑わせないで下さいと言われました。自分がよけいなことを言ってるみたいですね」
えーッ、新居先生💦💦
「コウタくん、今、学校に行けなくなっていますよね。
友だちや学習のことで何か言ってますか?」
早口ッ…
「特には。朝、学校に向かうまでがイヤなのかな?って最近は思っていて」
「コウタくん、こちらでも学校のことは言わないのですが、案外、新居先生が苦手なのかもしれませんね」
さらっと斉藤先生は言った。
「いえ、コウタは好きですよ」
しばらく、沈黙が流れた。
流れる空気が重たかった…。
小山さんのところから帰る途中、コウタには買い物をしてくると言って出てきたから、大型モールの中にあるスーパーに寄った。
最近、はまってるコウタのお菓子を見ていると、
「田村さーん♪」
と声をかけられた。
村山さんだった。
「買い物?ねぇ、コウタくん元気?」
するりと身体を寄せてくるのはいつものことだった。
「うん、元気。コウタの好きなお菓子を見てて」
「あ、それ、おいしいんだよね。ミナミにも買っていこっと」
私が手にしていたお菓子と同じものを商品棚から取る。
「ねぇ、今度、生活科で郵便局に行くよ。コウタくん、どうかしら?」
うーん…まだ分からないなぁ。
「ミナミ、コウタくんに会いたいって。早く学校、来ないかな?って言ってる」
ちょっと苦笑い。
「でも、ホントに待ってるよ。毎日じゃないけど、新居先生もコウタくんの話をしててね。あ、ほら、あの話。面白かった!」
クックッと村山さんは思い出し笑いをした。
コウタはダイニングの椅子にぺとんと座り、
「……何てあいさつするの?」
目を伏せて、お菓子の袋をいじる。
「朝だったら、“おはようございます”だよ。それで“今日は帰ります”だけ」
コウタがびっくりした顔をした。
「先生、怒るよ」
「大丈夫。先生、怒んないよ」
「先生、学校おいでって言うよ」
「言わない」
「じゃ、一緒に勉強しよって言う!」
「言わない」
つとコウタは黙った。
「…先生は何も言わないの?」
私はちょっと考えた振りをしてから、
「“分かりました。また明日”って言うかも」
「ボクの言ったことに質問しない?何も聞かない?」
コウタのネックはここだった。
そして、小山さんの作戦のポイントなのだ。
「うん」
私はニコニコした顔でうなずいた。
コウタは私の顔をじっと見つめて、
「学校に…行ってみる」
と小さな声で言った。
夕陽が傾き始める頃、私は新居先生を訪ねて、教室にいた。
新居先生には小山さんの作戦とは伝えずに、簡単に話をした。
「コウタを学校に連れて行きます。それで、しばらくは先生にあいさつをして帰ります。
先生はコウタを引き止めないでほしいんです」
「コウタくん、学校に来ますか?」
「連れてきます。まだ友だちには会えないので先生の空き時間や休み時間とかにしますね」
「はい」
「それで、コウタは今日は帰りますって言うので、先生はたとえば“分かりました。また明日”って感じでお願いします」
私はどんなお願いをしているだろうか?
たったそれだけの会話は、ようやく学校に来たコウタを逆に突き放している感じもしなくはない。
新居先生が黙っている。
「…それで、コウタくんは何か変わるんですか?学校に来れるのだったら、ぼくのところにいてほしい」
「ごめんなさい、先生。コウタは今までずっと休んでました。泣いたりわめいたり、力いっぱい私にもイヤだと言って学校に来なかったです。少しの間、コウタのリハビリだと思ってください」
新居先生はまた黙ってしまった。今度は考え込むように。
「…分かりました。引き止めません」
私はその言葉を聞いて胸をなで下ろした。
「ありがとうございます」
明日から連れて来ることを伝えて私は教室を出る。
振り返ると新居先生は窓際に寄りかかり、オレンジ色の西の空を遠くに見ていた。
「あの…コウタは新居先生のこと、好きですから」
新居先生は寂しそうに小さく会釈した。
「…ぼくがコウタくんにできることって、ないんですね」
それは消えそうなくらいの哀しい声だった。
新居先生は小さく小さくふっと息を吐くと、その場にしゃがみ込み、コウタに声をかけた。
「いいよ。先生、待つよ。久しぶりだから、コウタくんの顔が見たいけど、我慢する!…コウタ、手でバイバイ」
恐る恐る振り向いてる私を見上げるコウタ。
私がうんとうなずくと、コウタはまた恐る恐る手だけを出した。
…バイバイ👋。
「ん、コウタ、また明日」
新居先生が言い終わるかどうかの内に、コウタは私から離れ、一目散に今、来た廊下を走っていった。
走り去ったコウタの背中を見送りながら、小さなため息…。
それは、私と新居先生のコウタがここまで来れた安堵感とこれから先への不安感が入り混じった…小さなため息だった。
いつもなら斉藤先生は“また来週”と言うけれど、今日で今学期はおしまい。
今度の通級は3学期…なので、
「さようなら。良いお年を」
が、先生の別れのあいさつだった。
「先生も良いお年をお迎えください」
私もペコリと頭を下げた。
コウタを呼んで帰ろうとすると、戻りかけた斉藤先生が私を呼んだ。
「お母さん、登校シールがコウタくんには向いてると思いますよ」
斉藤先生は私の顔をしっかり見て、
「手帳でもいいので学校に行けたら、あいさつだけじゃなくて、シールを張るんです。そうするとコウタくんも自分が頑張ってるのが分かりますよ」
そう言い残して戻っていった。
私は返す言葉が見つからないというより、何を言われたのか、そのときはよく分からなかった。
斉藤先生に、私が先生と話したがらないのを察しられているのも気付かれているなんて、もっと分からなかった。
シール?
手帳?
“登校手帳+シール”
そんな感じで頭にポワン💡と浮かんだ。
土日の休みに100円shopで手のひらサイズの手帳と文房具屋さんをめぐり、可愛いどうぶつたちが✨👑✨ピカピカ王冠をかぶってる
シールを見つけた。
コウタに見せたら、なかなかご満悦な様子でシールを眺めてニタニタ🎵していた。
そんなコウタを見ていて、私は通級の連絡ノートをふと思い出した。
1年生のときの担任の先生との面談を頑張ったとき、斉藤先生が連絡ノートにコウタと同じ😺シールを張ってくれたっけ…。
あのシールを見つけたとき、自分の頑張りを応援してくれて、認めてもらえて、見守ってもらえていたように思えた。
すごく嬉しかった…コウタも同じかな?そんな感じなのかも。
コウタのニタニタ🎵を見ていて、そう思った。
新居先生がそんな私たちを見て、笑っている。
…私は急に恥ずかしくなってしまった。
「今日で2学期はおしまいです。コウタ、お手紙と宿題のプリント」
はいっと渡され、コウタはうわぁ😱という顔をした。…笑える。
私にはコウタの成績表の“あゆみ”。今学期はコウタは学校に来ていないから評価はつかないというかもう少しの評価しかつかない。
…仕方がないね。
「田村さん、今学期はぼくの力不足で申し訳ありませんでした。3学期はコウタくんが楽しく通えるよう頑張ります」
新居先生が改まって言い、頭を下げた。
私は小さく首を振って、
「新居先生はコウタのことをいつも考えてくれてありがとうございました。登校手帳も上手くいって、コウタもどの👑シールにしようか楽しみらしくて(笑)ありがとうございます」
コウタが👑シールと聞いて、すかさず登校手帳を出してきた。
今日は🐰。
ニマニマ🎵して👑シールをなでている。そんなコウタに新居先生は松ぼっくりツリーを見せてくれた。
スプレーでコーティングした銀色の松ぼっくりに、色とりどりのビーズが飾り付けてあった。
「すごい!先生が作ったの!?」
コウタは松ぼっくりツリーに目が釘づけ。
「生活の時間にみんな自分のを作ったのですが、コウタくんはお休みだったので…コウタ、先生のでもいい?」
手のひらに乗せてもらった、松ぼっくりツリーに目が奪われているコウタ。
「先生、ありがとう」
コウタがはしゃぎまくる。
「また、3学期にね。元気で会おうね!…田村さん、3学期もよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ツリーもありがとうございました」
私はペコッと頭を下げた。
翌日、朝の光がキラキラ光っていた。少し冷え込み、だけど穏やかな朝だった。
コウタは静かに起きてきて、ゆっくりご飯を食べた。
「一緒に行こうか?」
コウタは首を振った。
「…先生と行く」
家から一本、道を出ると駅から学校までの通り道になる。
駅を使う人たちが使う道でもあり、車道も2車線ある大きな通りだった。
新居先生や養護の坂本先生たちも電車通勤の人には朝の時間が合ったり、帰りの偶然だったりと、、、会うことがある。
先生たちが使う電車の朝の時間は知っているから、コウタも通りに出ていれば、新居先生に会えたりできるのだ。
「先生に会えなかったらどうする?お母さんと行く?」
コウタはそれは考えてなかったみたいで、手にしていたパンを持ったまま、止まってしまった。
新居先生の連絡先は知らないし知っていても、朝から迷惑だ。(学校メールがあり、学校やクラスからの連絡はそこからの配信で、一応、電話連絡網もあるけど、
トップは学校になっている)
それに新学期早々からこんなお願いもできないと思った。
「お母さんも行くよ。先生に会えなかったら、お母さんと行こう?」
コウタはうんとうなずいた。
>> 113
そうですね。
109さんの言われる通り、育児不参加かな?
子どもが小さいときにはよくケンカの元でしたが、大きくなった今は親子仲は普通で、スポーツ観戦やキャッチボール、休みの日に2人で出かけるのが楽しみだそうです。
子どもの特性についての深い理解はあまりありませんし、旦那さんがコウタにいつも言う根性論だけで特性が解決することでもありません。
また逆に、私が子どもの特性のところで、どっぷりハマり、落ち込んでいても助けてくれるわけでもないですが、コウタはコウタだろ?と普通の子と変わらない対応をしてくれると私も気がラクになるときも確かにあります。
話の中では出てこないですが、旦那さんはそういう一歩引いたところでコウタの特性と関わる人です。
育児に参加してくれる旦那さんを街中や旦那さんの妹夫婦の義理弟の姿を見ていると、確かにうらやましく感じます。
だけど、私は私で妻として母として家庭を守る部分で至らないところもラクをさせてもらってるところもあるのだろうと最近では思っております。
「👑シールだよ?学校に行ったら貼ってくれたよ」
「あ、うん。良かったね」
「今日ね、クマ🐻にしたんだ。あとで見せてあげるね🎵」
コウタはまたチキンライスをパクパクッと食べ始めた。
私はいっぺんに気が抜けた。
コウタの中では、学校に行って新居先生から登校シールをもらうこと(先生も👑シールを貼ること)が普通でとても当たり前に続いていたから…。
私は自分の焦りを感じて、自分を諭し、それにも関わらず、力の入ったままの自分をバカバカしく感じた。
うん、これでいいんだよね。
「コウタ。簡単コーンスープ、いる?」
私はもう食べ終わりそうなコウタに聞いた。
「うんッ」
コウタが嬉しそうに笑った。
3学期、コウタはたまに休みたいと言いながらも、私があまり気にならないほど、朝から学校に行けた。
2学期、あれほど泣いて力いっぱい抵抗していたのが嘘のように、、、コウタの中で新居先生に対する気持ちや私の気持ちが徐々に落ち着き、コウタも学校生活が楽しみになった。
心の余裕が大事
それが分かっていても、先の見通しが立たないことに焦りと不安を感じる。
待つ心の余裕も持てなくなる。
コウタもそんな私に引き合ってしまったり、巻き込まれてしまうこともあったのだと思う。
子どもの成長はらせん状、ぐるぐる回りながら上にのびていく。
子どもが成長するときはジャンプするときと同じように一度、力をため込む。
それから、大きく跳ね上がる。
どの子も大きくなる、成長する。
どの子も変わる、変われる。
どの子も認められたい、愛されたい、ほめられたい。
そう分かっていても、私はすぐに余裕がなくなってしまうのだ。
コップからあふれ落ちる愛情や心の余裕が持てるよう、コウタも私も成長していきたい。
そう思う。
コウタの行き渋りは休み明けの月曜日だから?
久しぶりの 帰ります 。
子どもたちが移動したあとの教室を訪ねた。
新居先生にはあらかじめ電話してあったから、私たちの姿を見ると、すぐにドア近くまで来てくれた。
「コウタ~」
めずらしく先生がコウタをぎゅっとした。あまりスキンシップをとる人ではないから少しびっくりした。
「おはようございます。。。帰ります」
コウタ、早ッ💦
「コウタ、昨日、お風呂で会ったじゃないか」
コウタは照れ笑い…
先生から離れて、私の方にぴったりくっついてきた。
「裸の付き合いしたのに(笑)」
入り口付近で寄りかかっていた私と同じように先生も立って、
コウタは小さくて私の影に隠れ、廊下からは見えなくなる。
ふだんとは違う距離の近さで、そんなセリフ。
ちょっと恥ずかしかった。
新居先生はたまにドキッとするようなことを言ったり、やったりする。
たまにだから、あまり気にはしてなかったし、コウタがいるときのことだから、コウタと仲良しなんだと思っていた。
それが少し違うらしいのは、クラス役員の村山さんと話していたときだった。
私からしてみると、村山さんと新居先生はフレンドリーな感じで、冗談を言い合ったり、ふざけあいもあって仲良さそうで、楽しそうだった。
「そんなことないよ。先生は先生だし、私の調子に上手く合わせてるだけ。私より田村さんのほうが仲いいよ」
「仲がいい?そうかな?コウタのこともあるから話してるだけだと思う」
「確かにね。だけど、違うよ」
ニンマリ笑った村山さんにそんなことないよ💧と私。
村山さんが笑った意味が私にはよく分からなかった。
2月末、最後の保護者会。
3学期の子どもたちの様子から始まり、“あゆみ”の説明、春休みの過ごし方、新学期の始業式の連絡等。
それから出席した保護者からのひとりひとりの話。
ほとんどの人たちが、子どもがこの1年楽しく過ごせた新居先生の感謝とお礼で、その評価は高かった。
中には“もう1年持ってもらいたい”という人も。
保護者会が終わり、解散していく中、先生とまだ話したり、来ているお母さん同士、雑談したりして残っている人たちもいた。
私も幼稚園から一緒だったお母さんと話をしていた。
年賀状の話をしていたかな?
「先生への年賀状って学校宛てだから、ちょっと寂しいよね」
クラスや学校行事連絡等はメール配信で済んでしまうし、また先生たちの住所等は個人情報で守られ、表には出ていない。
そういう時代なのだから、仕方ないんだろうけど… 。
そろそろ帰ろうと教室を出る。
靴をはこうとしていると、後ろから村山さんが声をかけてきた。
「ね、仲いいのよ」
最初、何のことか分からなかった。
「私も2学期末に年賀状を出したいからって住所を聞いてみたんだ。そしたら、学校にお願いしますって」
村山さんも靴をはき替えて、私と一緒に歩き出した。
「さっきも先生、他の人との話が終わったら、すいって田村さんの隣だよ?」
「え?そうだった?でも、住所はさっきも特に言ってないし、私も知らないから」
「先生、異動かもね」
村山さんは前を見たまま、表情はかたく、ポツリと言った。
寒くて吐く息が白い。
「田村さんだったら、教えてくれるかもよ。住所や異動のこと」
私の身体をポンとたたいて、村山さんはじゃねーと早歩きで行ってしまった。
村山さんにそう言われても、私はやっぱりどう受け止めていいのか分からなかった。
あとからこっそり村山さんから聞いた話は新居先生に惹かれていたと。
ファン的に先生が好きで、クラス役員で話す機会はあったけれど、新居先生は先生らしい対応で、それは崩れることはなかった。
そんな中、私と話す新居先生が自分とは違う顔なのに気付いたらしい。
好きだったから、新居先生をよく見ていたからこそ、気付いたこと。
私は自分と話すときの新居先生はみんなと変わらないとずっと思っていたし、今も子どもたちへの愛情深さと思っている。
村山さんの気持ちも分からなくなかった。
新居先生はそれだけ、先生としての魅力があり、とても一生懸命で頑張ってる姿が印象に残る人だったから。
私も村山さんと同じように、そんな惹かれてしまう気持ちに…。
それはハルから始まった。
「…お母さん?」
コウタが不思議そうに私を見上げた。
私はハッとして、
「ごめん、ごめん。行こう」
自分の胸の痛みが残ったまま、私はまた歩き出した。
スタスタと早足で歩く斉藤先生の少し後ろを、彼女が遅れまいと急いでいる感じで、、、通級側の出入り口に戻ろうとしている。
彼女が声をかけているのに振り向きもしない、立ち止まりもしない斉藤先生に少し違和感を感じた。
…もしかして初対面?
目の端で斉藤先生の姿を追いながら、自分で感じた虚空感が大きく、心は落ち着かないままだった。
斉藤先生が誰に会ったって仕事なんだし、私が哀しくならなくたって……だけど、走って迎えに行くのにあんなそっけない態度。
校門を出るときにもう一度振り返ったけれど、そこには2人の姿はすでになかった。
…斉藤先生らしくない。
新学期が始まってすぐにどちらの学校も保護者会があった。
今年は通級の方が早く、私は春休みの一件から斉藤先生に会いたかった。
自分の胸のざわつきや先生があの人の元に走っていったときの哀しみ、斉藤先生らしくない様子やあの人のことが、全部、知りたかった。
校庭の桜は七分咲きといった程度…満開までにはいかないけれど、学校の風景が心弾む色に染まっていると、気持ちがワクワクドキドキと嬉しい気持ちいっぱいになる。
その気持ちのまま、通級の保護者会に顔を出すと、資料を並べていた斉藤先生にいきなり会った。
「田村さん、おはようございます」
ドキッとした。
いつもと何ら変わらない斉藤先生は、今日はスーツ姿。
保護者会の資料を渡され、私はちょっと戸惑いながら、声をかけようとすると、
「井上さん、おはようございます。多田さん…」
次々に来る保護者の人に資料を渡す先生。
私は声をかけるタイミングを失い、
スゴスゴと席についた。
保護者会は校長先生のあいさつから始まり、新しい先生の紹介とこれからの活動の報告があった。
斉藤先生の司会進行だった。
ひと通り保護者会の内容が終わり、最後は受け持ちになる担任ごとに集まり、曜日で変わる保護者たちが顔を合わせた。
コウタは真ん中の水曜日…学校に2日行って通級、また2日行って土日の中日タイプ。
吉野先生は20代後半くらいの可愛らしい感じのする女性で、新設通級時からいた先生。
吉野先生の隣に作ったグループは声の大きな新しくきた30代前半の男性で遠田(おんだ)先生という。
この遠田先生の声が大きすぎて、私はたびたび振り返っていた。
斉藤先生も少し離れたところに
グループを作り、同じように話をしている。
朝、会ったときにこそドキッとしたけれど、今は落ち着いていて胸のざわつきはなかった。
斉藤先生が戻っていく。その後ろ姿を見送りながら、小さくため息をついた。
担任じゃなくなると、全然、話なんてしない。
前みたいに、先生が近くに来て話をしていたなんて遠い夢のようで、寂しかった。
コウタのこと、一緒に見守った2年なんて、まるでなかったみたい。
何でこんなに切なくなるのかなぁ…。
「吉野先生…」
「はい?」
「春休み、斉藤先生を訪ねてきた人って誰ですか?何か、初対面みたいな、それか面談?…よく分からないけど」
吉野先生は春休み…と小さくつぶやき、それから思い出したように言った。
「ああ、あの人!私もその日いたんですけど、初対面でも面談でもなかったですよ。
斉藤先生に会いに来たみたい」
会いに来た…?
「誰だったんですか?」
私の声は震えていただろうか?
教室には行けないから、保健室に行くと、坂本先生がいらっしゃいと言ってくれた。
コウタがふにゃと長椅子に座る。
とそこに、新居先生と退職された田中先生と校長先生が体育館に行くため、通りかかった。
新居先生は私を見つけ、すぐに
コウタも見つけた。
コウタは狭そうな長椅子の下に慌てて逃げ込んだ。
「コウタ~、来ないのか?寂しいじゃないか。こっちは夢も見るくらいなのに」
コウタをこちょこちょとくすぐって、校長先生に促された新居先生はそのまま、体育館に向かう。
「私も先に行ってるわよ」
坂本先生は私たちに声をかけて、保健室から出ていく。
長椅子の下から出てきたコウタの洋服を直しながら、
「体育館に行こうか」
と言うと、コウタも静かにうなずいた。
大好きな新居先生とのお別れ。ちゃんとできるかな?
夢にまで見るって…ホント、子どもたちのこと、大好きなんだね。
体育館に行くと、さすがに子どもたちの数が多くて圧倒される。
後ろの壁にちょこんとコウタと並んで立っていると、隣に村山さんが来てくれた。
軽く会釈。
校長先生からのあいさつののち、子どもたちからの手紙、異動や退職された先生たちからのあいさつが順々に進んでいく。
最後の別れのとき、全校の子どもたちが作った花道を通り、子どもたちの歌う校歌が響き渡る。
体育館いっぱいの歌声に混じり、すすり泣く声も聞こえてきて、私はもらい泣きをしてしまった。
村山さんを見ると、2人して泣いていて、恥ずかしくなって照れ笑いをする。
新居先生は最後にコウタのとこに来てくれた。
「コウタ~ッ」
髪をくしゃくしゃにする。私の隣にいた村山さんに気付き、
「村山さんもお元気で」
「先生も。ありがとうございました」
村山さんは最後のあいさつを笑顔で返した。
体育館からまた保健室に戻ると、坂本先生があることを教えてくれた。
一度、校長室に戻った新居先生たちはそのあと、受け持った子どもたちの学年を訪ねてくれるという。
私とコウタはそのまま、クラスの廊下前で新居先生が来るのを待つことにした。
教室では帰りの会だろうか?
机にランドセルが用意してあったが、なぜかざわざわとしていた。
「コウタ。田村さん」
階段の方から新居先生の声。
今日のために切ったのか、髪は短くなっていた。
やっぱりカッコイイ…(笑)。
新居先生は廊下にいる私たちを見て、すぐに教室に入れていないコウタを知り、少し笑って、
「コウタ、先生の学校においで」
今度はもどかしそうに、
「あ~ホントにおいで。コウタをみたい」
それから私に向かって、
「今、特別支援級にいるんですよ。少人数で個々に丁寧に教えてあげられるから、コウタもいたら…と思ってしまいます」
……優しい優しい新居先生、
その言葉だけで、私はとても嬉しいです。
新居先生とお別れしたコウタは、それから少しずつ教室に入れるようになっていった。
登校手帳以外に坂本先生考案の
シール帳を始めた。
教室にいれたら1シールで、朝の会から終わりの会までの学校にいる時間を細かく分けた。
これだと1日8~10シール貼れるのだ。
シール好きのコウタにしてみると、すごーくたまる感覚らしい。
毎日、保健室に行って、頑張った時間分、シールを貼ってもらっていた。
「コウタくん、喜んじゃって😁」
坂本先生がたんまり貼ってある
シール帳を見せてくれた。
「毎日、来れて、終わりまでいるし。おうちではどうかしら」
「はい、朝の行きたくないは今はありません。運動会の練習もあるから、楽しいみたいです」
それから私は苦虫をつぶしたような感じで、
「ただ…教室がうるさいって」
坂本先生に言ってみた。
坂本先生は、
「そうねぇ」
と肯定も否定もしなかった。
4月から5月と移り変わる1ヶ月の間に、特定の子たちの私語が多くなり、小さなケンカやトラブルが多くなって、先生の言葉もその子たちに届かなくなっていた。
運動会の練習は3クラス合同ということもあり、何とか成立していたが、他の専科の授業も騒ぎ放題になって、大人がもうひとりいないと学校生活が成り立たなくなっていた。
4月初めのハキハキと明るいいずみ先生からは想像できない。
コウタはそんなクラスの状況でも、特にどうと感じることはないのか?
…淡々と進む授業の合間にたびたび怒号が入って、何も見ない聞かない感じないフリーズな状態になっているのかもしれない。
コウタだけでなく、真面目に勉強したい子どもたちもフリーズに…。
だけど、困っているのは騒ぎを起こす子たちも同じだった。
運動会は雨の予想をかいくぐり、少し競技を抑えながら全競技を終わらせることができた。
10時ぐらいに校門に入ってきた新居先生を見つけ、声をかけた。
それからは校庭をぐるりと回る間、たくさんの人たちから声をかけられると立ち止まって、あいさつや話をする。
楽しく談笑や少し真剣な様子で話したり、前に学校にいたときと同じに話をしていて、変わらない新居先生に安心した。
子どもたちの席は不審者対策で保護者や一般の人は近づけないようになっていた。
けれど、新居先生は子どもたちのところへ。
競技の邪魔にならないように、順番ではない子どもたちの席を回り、そこでも人気ぶりを見せていた。
運動会が終わったあと、コウタと話すと、嬉しそうに“新居先生に会った”と言っていたので良かった。
私も会えたし、話せて、気持ちが落ち着いた。
自分でもおかしいと思うが、この頃の私は斉藤先生と話してないことがプレッシャーでストレスを感じていた。
毎週、短い時間だけ話していた私と一緒にコウタを見守ってきたハズの斉藤先生が、たった2週間程度の春休みをはさんだだけで、全く口もきかない話もしない人になったことに重圧を感じてしまったのだ。
頼りや支えといつの間にかなっていた人の喪失感…ではなく、あくまで“話ができない”ことにストレスを感じていた。
話がしたいと思うが担任ではなくなった先生は自分とは話をしない…自分から先生に声をかければいいのに、担当の子どものお母さんと話して戻っていく姿ばかりを見送り、先生もこちらを見ない。
私が吉野先生を待ってひとりでいても、斉藤先生は私の前を素通りして、お母さんと話をして戻る。
私はその間、ずっと緊張状態なのだ。
ハルからずっと調子が狂いっぱなしだった。
春休みの人
斉藤先生の先生らしくない態度
私は担任じゃなくなって、先生と話さなくなって……
だから、担任じゃなくなったからだと思おうとしてるのに、春休みの人のことを思うと、何で?とずっと堂々めぐりしてて…。
先生の異動があったのに、
2年も経つのに先生に会いに来るなんて。
私なんか週1で姿は見るけど、何も接点なくて、先生の後ろ姿をいつも見送っちゃうし、気になるし、だけど、全然、話せなくて、変な緊張状態が続くし…。
それなのに、先生が、
“好きと思う人にはちゃんと”なんて言うから、春休みの人のことかと思っちゃうし……。
ああ、私。
先生のこと、、、好きなんだ。
…いつの間にか、好きだったんだ。
コウタが帰りの車の中で、聞いてきた。
「お母さん、朝、斉藤先生とケンカしたの?」
「どうして?」
「んー、斉藤先生のおまじないの話したら、お母さん、怒ったみたいだったから…」
子どもは鋭い…
「怖かったね、ごめんね。もうしないよ」
私は作った笑みでごまかし、でも、コウタを哀しませることはしないようにしようと思った。
「ぼくね、新居先生がいなくなってイヤだったの。いて欲しかった。そしたら、斉藤先生がおまじないを教えてくれたんだ」
コウタは少し元気になって、
「先生もお別れはあるって。ずっとそれは仕方ないと思ってたって。だからいつも何もしなかったって」
コウタは身体の向きを私に向けて、
「でもね、お別れのときに先生と、ちゃんとバイバイしてくれた人がいて、それから、また会えたよって言ってた!」
なぜかコウタが自慢げ(笑)。
「だから、ちゃんとバイバイしたらまた会えるんだって」
「じゃ、また会えてコウタも先生も嬉しかったね」
「うん!新居先生、運動会来てくれた。また来るって」
コウタが嬉しそうに笑った。
私もつられる。
嬉しかった…素直な気持ち。
春休みの人も先生が好きだったんだろうね。
ずっとずっと、私よりも長く。
教頭先生がコウタのクラスに入った日、学校から帰るとコウタはプンプン💢として言った。
「ぼく、明日から教室行かない。坂本先生のところに行く!」
コウタの決心は揺るがなかった…私の予想した、ひと波乱の幕開けだった。
教頭先生とコウタは相性が悪い。
だけど、それはクラス役員をしていない保護者たちですら、コウタと同じだった。
教頭先生はひと言ひと言にトゲがあり、本人は自覚なしで攻撃と怒りをぶつけてくる人だった。
紙面上、記載してあることが正論で、そこからゆずることはなく、逆にあやふやなことには怒り、じゃ、私が間違っているんですね!とこちらが取り付くひまもない。
教頭先生と話していて、場を和ませる話やたったひと言が自分の意にそぐわないと、それだけでそっぽなのだ。
それが同僚先生や保護者、地域の方々でも同じだった。
学校のPTAや地域行事はたびたびそれで滞り、コウタがプンプン💢だったってことは今日、もう何かあったということを意味していた。
教頭先生が入って、そろそろ1ヶ月が過ぎようとしていた頃、コウタのいない休み時間に坂本先生と保健室で話をしていた。
「20日ですよね…1ヶ月期間が終わるの」
「そうね。私が心配なのは、コウタくんが教室に戻るかよね」
私もその懸念はしていた。
「ここが気に入ってますよね(笑)」
「私につつかれながら、あれやれこれやれ言われて、頑張ってやってる(笑)」
大きな窓から校庭を眺め、坂本先生は言った。
「ま、戻らないって言っても戻すけどね」
私は坂本先生の冗談ともつかない言い方が好きで、子どもたちも先生の切り返しにユーモアを含んでいるのを知っていて、よくなついていた。
コウタもそのひとり☺。
ずっとずっとこんな気持ちを持ったまま、3学期の学校公開日を迎えた。
コウタもあれから落ち着いていたし、クラスも小さなトラブルはありつつも、3年生も後半に差し掛かると、変わらないのだろうと慣れに近い感覚になってしまっていた。
諦めモードというのか…
誰かが悪いと言ってたら、先には進めないからというと聞こえはいいかもしれないけど、手を打っても、手を尽くしても変わらない現実の前に、頑張りが利かなくなる感じ。
1日1日、頑張らせて、ごまかして、すかして、なだめて、励まして…そうして迎えた3学期。
いずみ先生も頑張っているのは分かっていたけれど、ここまでのように思い、逆に誰も何も言わなくなっていた。
いずみ先生のクラス、コウタもいるクラスはそのままで、、、
坂本先生に話があった帰り、たまたま校庭で体育の時間だった。
そのまま、体育の様子を見ていると、昇降口脇の植え込みに男の子を発見。
「どうしたの?体育だよ」
「やりたくない」
「やりたくないの?」
うなずいて、小石をつまんでいじりだす。
「寒い?」
またうなずく。
「身体が暖かくなるまで、上着でも体操着の下に長袖シャツを着ていいんだよ」
男の子は、今度は首を振った。
「…足が寒い」
確かにくるぶしまでの靴下で、寒くて、身体を丸めていた。
「長い靴下でもいいんだよ」
「やだよ。女みたいだ」
…コウタは長い靴下だった(笑)。
その日は水曜日。
コウタの迎えで通級に行く。
斎藤先生はとっくにお母さんと話し終えて、職員室に戻っていた。
私は背中を見送るだけ…。
それから、吉野先生と靴入れの前で話していた。
と、何も言わずに私たちの間に割り込んできた遠田先生。
「ちょッ、何ですか!?」
「え?あ、靴」
下を見ると、私の足元近くには確かに靴があった。
「いや、靴をはこうと思って」
だって靴がそこにあるからと、まるで子どもみたいに悪びれた様子もない遠田先生に、私は怒りがMaxに…
「だからって、何も言わないで、しかも話してるところを割り込んで来ないで下さい!!」
遠田先生…、大の大人がすることじゃないよ😥。
私に言われたからか、靴を手に取ろうと遠田先生はかがむ。
「もう!吉野先生、こっちで話しましょう」
と私は場所を変えようと2、3歩歩いて横にずれた。吉野先生も合わせてくれる。
「え?いいよ。すぐにどくからこっちで話して」
遠田先生に腕をとられ、引き戻された。
なッ!?
もともとは話してるところに入って来たんじゃない!
何よ(-_-#)!!
「吉野先生!もう、遠田先生に何か言ってやって下さいよッ」
私はプンスカ!なのに、吉野先生は笑ってばかり。
朗らかなのもいいけど、先輩先生として、ここはビシッ✋と指導してほしい。
コウタは私よりも遠田先生といる時間があるせいか、先生のたまにあるおふざけが面白いらしく、私と遠田先生のやり取りを笑って見ていた。
斎藤先生は…、
絶対にこんなことしない。
スマートな動きで、隣に立って話をするときも、身体がぶつからないよう、身振りがあっても手がぶつからないよう、絶対、間がある。
相手をからかうような発言もない代わりに、先生から面白い話をすることもなかった。
こちらがする笑ってしまうようなおかしかったことには、一緒に笑ってくれたけど、自分からは特になく、淡々と今日の話をして戻っていくだけだった。
フランクな感じがしていたのは、私が話す何でもないことをずっと聞いてくれたからで、斎藤先生自身はムダがないのだ。
担任だったから聞いてくれてただけで、今は関わりがなく、斎藤先生に声をかけられる術は私にはない。
フランクで明るい遠田先生と
先生としてのみの斎藤先生。
2人の中間の新居先生。
……私はどうして、斎藤先生に惹かれてしまったんだろう?
斎藤先生のため息ひとつ。
ふいに目が合い、慌ててそらす。ちょっとドキマギ…。
「あー、ちょっと待ってて」
遠田先生がさっきの親子を追いかけ、走っていく。
え?
私たちは!?
周りの人たちは今日の報告がすみ、またひとりと子どもと一緒に帰っていく。
待っててと言われても…私も話はないから、、、帰ろうかな。そうそう、コウタの描いたハガキを見せたかったんだけど。
「お母さーん、遠田先生は?」
「うーん、ちょっと行っちゃった」
「話終わった?」
「まだ?かな…でも帰ろうか」
「うん」
私もコウタと並んで歩きだした。
斎藤先生とひさかたぶりに目が合った…。
それだけだけど、ほんのりとした暖かさを胸に感じた。
コウタがリクエストしたカレーを作り、テーブルに並べる。
サラダにしようかと思ったけれど、今日はやめて具だくさんスープにした。
コウタは生野菜はあまり好きじゃない。
残されるのもイヤだけど、食べなさいと言うのもイヤだった。
コウタの食べる姿を見ながら、私は黒ビールを缶のまま、飲む。
時々、ピクルスを食べる。
「お母さん、お父さんと食べるの?」
「お父さん、遅いよ。お父さんが帰ったら温めて出すから」
「違う。お母さんはいつご飯を食べるの?」
「え?」
カレーを完食して、スープの中の人参を苦手~とつついて、コウタはもう一度、言った。
「お母さん、ご飯、食べてないよ。お酒ばっかり飲んでる」
えいッとばかり、人参をパクリと食べたコウタを見て、ちょっと大きすぎたかなと思った。
私は少し急いで寝室で子機を取った。
「はい、田村です」
「夜分遅くにすみません。通級の遠田です」
遠田?
一瞬、誰か分からなかった。
アルコールのふわふわ感が抜けない…。
「遠田、先生?どうしたんですか?」
私はベットに座る。
「今日、話ができなかったのですみませんでした」
「それで、電話をかけて下さったのですか?わざわざ、ありがとうございます。じゃ、また」
「あ、ちょっと話したいんですが時間、今、大丈夫ですか?」
電話を切ろうとする私に、遠田先生はそう聞いてくる。
…時間、、、お父さんの今日の帰宅時間は8時だから少しあるかな。
「はい、少しなら」
遠田先生の、電話を通した耳障りのいい声に気分が高揚した。
よく晴れた日の運動会。
帽子は必須、薄手の長袖で十分、少し動けば汗をかくくらいの陽気だった。
新居先生は早めの時間に姿を見せてくれ、また人だかりを作りつつ移動する様子は相変わらず。
新居先生の子どもたちからや保護者たちからの慕われ方、人気ぶりは異動して2年経っていても健在だった。
そんな様子を遠くから眺めていると、村上さんが私の身体を思い切り、バンバン叩いてくる。
顔が高揚してた。
「ねぇ、知ってたの!?新居先生来るって!?」
「え?あ、うん…」
「もうッどうして教えてくれないの!?私、日焼け対策でこんな格好だよ😭😭😭」
いえ、、、それでも十分、素敵ですが…ボーイッシュな感じがまた村上さんに合ってます💨💨💨
「田村さん」
後ろから声をかけられ、振り向くと新居先生が立っていた。
私は数歩、後ろに下がり、新居先生の隣にいく。
「コウタからの手紙ありがとうございました。あと、メールの返信できなくてすみません」
新居先生に言われたのはそれだけなのに、言われたかったことを見透かされたようで、私は畏縮してしまい、小さく首を振った。
「コウタたちの競技、もう少しで始まりますね」
何気なく、新居先生を見上げるとはにかんで笑っている。
ああ、そうか。
私は新居先生のメールに一喜一憂してたんだ。
だからか新居先生からそう言われただけなのに、もう大丈夫になってきてる。
気持ちが落ち着いてくるのが分かる。
と、突然、周りがざわめき出した。
だけど、よくよく話を聞くと、そんな単純なことじゃなくて…
通級に配属されてから、特別支援や発達障害のことをちゃんと勉強しようと思ったらしい。
確かに書籍には必要な最低限のことは書いてあった。
けれど、当たり前だけど、そこにはコウタや他の子たちのことは書いてない。
マニュアルのような本に吐き気がするようになって、読めなくなったという。
無理に読もうとすると、身体も心も受け付けず、シャットアウトしてしまう。つまり、寝る。
「やっぱり、その子を前にして関わって、お母さんたちと話して…、そういうところなんじゃないかな」
特別扱いという子はいない。
みんな、special(スペシャル)。
ちょっと不機嫌そうな顔の斉藤先生。
この間のことをまだ引きずっているのかな…。
「同じ日に運動会だったんですよね。自分も虹、見ましたよ。あんなに晴れていたのに、はっきりとした虹色で」
久しぶりの声。少し弾んだ声。
近くで動いて話してる…うわぁ、なんかドキドキしてくる。
「幸せな空ですよね、虹がかかった空って」
ポツリと続けて言った言葉に、私はびっくりして斉藤先生を見た。私と同じ“幸せな空”って言った。
優しく笑う斉藤先生は以前の、私の隣にいて話していたときと全く変わっていない。
私が虹のかかった空を幸せな空と思ってときめいたように、斉藤先生も幸せな空って。
どうしよう……好きな気持ちがあふれ出そう。
職員室に顔を出して、藤原先生に声をかけた。
「今日はありがとうございます。教室で話しましょう」
きびきびと動く藤原先生について教室まで行く。
教室の大きさは変わらないのに、少し大きくなった机と椅子。
子どもたちがいなくなった教室だとそれがしみじみ分かる。
2つの机をくっつけ、藤原先生が私をどうぞと促した。
「運動会はどうでしたか?コウタくん、頑張ってましたね」
「4年生になってできることが増えて、どの子も頑張ってましたね。ご指導ありがとうございました」
頭を下げてお礼を言う。
「今日、来ていただいたのは、
コウタくんのお母さんだからお話をしようと思いまして……
コウタくん、固定級はどうでしょうか?」
私は藤原先生の話は保留にした。
今はまだ、その話を受け止められない。
だけど、頭には入れて置いた。
新居先生がこの学校にいたら、また話ができて、雑談しながらでもコウタことが話せたのに。
あれから通級も6月が過ぎて、7月も半ば、1学期の最終日。
相変わらず、河合さんと遠田先生が話し、笑い声が聞こえて来ていた。
順番に、と遠田先生は言ってくれたけど、陸人くんが待てず、やはり私が後だった。
話をせずに帰るようになったのは、そうなってから1ヶ月したくらい。
遠田先生は夜に電話をくれたけれど、私は忙しいからと早々にに切る。
コウタのことをしっかり見てくれているならそれでいいと思った。
藤原先生は、コウタが頑張って努力してもできないよりは、少し頑張ったらできた・分かった体験を積んで自信につなげていったほうがいいのでは?と言うのだ。
今のそのサポートや支援が十分ではないし(コウタに合っているかも疑問)、また高学年に向けて学習も難しくなっていく。
藤原先生自身もコウタのところには付くけれども、なかなか思ったようには付けないし、申し訳ないけど、コウタだけにも付けない。
そんな話を面談でされ、私も藤原先生の言いたいことも分かる…けれど、私は、コウタにここで頑張って欲しい。
そう、私が久保田先生に尋ねているのは、教室でコウタが頑張れている裏付けを探してるようなものだった。
私は下を向いて、
「まだ分かりません。決めてないです」
「うん、コウタくんはそんなに急ぐことはないだろうけど、やっぱり現場の先生たちがよく分かっているからね。
検討委員会の日は決まっているから、早めに答えを出した方がいい。
藤原先生もコウタくんを見ていて、田村さんに伝えたのだと思うから。コウタくんにとって大事なことだよ」
矢継ぎ早にいっぺんに言われた。
「誰かに相談した?」
…相談?
誰に?
「お父さんや他のお母さん、小山先生や遠田先生とか」
私はうつむいたまま、小さく首を振った。
斉藤先生は私に聞こえるくらいのため息をついた。
ホントは小さな小さなため息だったのかもしれない。
だけどそれは“困ったもんだ”とつかれたため息に聞こえた。
「はい」
「通級の遠田です。さっき電話してくれましたか?」
「しました。遠田先生、帰ったんじゃないんですか?」
「くつをはこうとしたら、電話の音が響いて…夜、廊下にまで聞こえる電話って怖いんですよ。びっくりしました」
私はちょっと笑って、
「恐がりですねぇ(笑)」
「えー😫田村さんも真っ暗な中、電話が鳴り響いていたら絶対怖いですって!」
「あはは。先生、もう帰るでしょ?また、明日とかでいいですよ」
「うん、21時半までに出ないと守衛さんに怒られる」
慌てて時計を見ると、もう、22分だった。
「怒られるんだけど、田村さんと話しないと。…ずっと話してないから」
その言葉に私も、んとうなづいてしまった。
コンクリートの塀に囲まれたいかにも古めかしい学校で、建物の壁には窓をよけながらいくつもの配管やチューブが蔦のように這っている。
学校はL字型の造りで、校庭は小さく、外の体育倉庫やプールも端に寄せて作られ、何とも不思議な感じがした。
教室の中は木の優しい雰囲気で、後ろの壁は黒板になっており、恐らく、担任の先生による全然似てないドラえもんが書いてあって、なんだかほんわかする。
ロッカーも一見、手作り?と思うような木の箱が3段ほどで横並びし、誰が塗ったの?と笑ってしまうような塗り方で優しいパステルカラー。
車窓から見えていた圧倒されてしまうくらいの都会化された街並みからは想像できず、近代的なものは後からくっつけたような学校だった。
新居先生が異動して、2年…。
在任中のときも学校行事で来てくれるときも、新居先生の人気は高い。だから、きっとこの学校でもそうなのだろう。
「新居先生って人気者だね」
カサをさしてバスを待っているときに、ポツリつぶやくとコウタは、
「また、ぼくの学校に来ないかなぁ」
とカサをくるくる回す。しずくがとんで冷たかった。
「コウタは新居先生がいちばんなの?」
手でコウタのカサを止め、聞いてみる。うーん…と考えてから、
「新居先生も好き。遠田先生も好きだよ」
近代的な街並みの角を曲がって、バスの姿が見えた。
「でも…先生っていなくなっちゃうから」
私たちの前にバスが停まる。カサを閉じ、しずくを払う。
…少しうつむいていて、コウタの表情は分からなかった。
この前は斉藤先生の登場で遠田先生と話ができなかった。
週明けの月曜日、コウタの通級日ではなかったけれど、夕方、遠田先生に電話を入れる。
新居先生の学校公開に行ったときの安堵感を忘れないうちに話したかった。
「先生、コウタと一緒に新居先生の学校公開に行ってきました」
明るく報告できるときは声も弾む。
「新居先生ってコウタの担任だった先生ですよね」
「2年生のときです。今、異動されて特別支援級にいます」
「ああ、それで見に行かれたんですね。どうでしたか?」
「はい、良かったです。
子どもたちを暖かく見守ってて、そんな雰囲気を肌で感じられました」
「コウタは?」
「新居先生、かっこいいって(笑)」
「コウタ(笑)」
「ぼくはまだ2年しか経験していませんが、今の学級は好きです。大変なことやまだまだぼくが勉強しなきゃいけないこともありますが、子どもたちは可愛いし、子どもたちからいろんなことを教えてもらってます」
間があいて、
「ぼくの視野はぐんと広くなったと思います。最初はえ?と戸惑うことがありましたけど、小学校から中学校、高校、就職や進学を考えると、小学校なんてまだまだその子が歩き始めた頃ですよね。
先過ぎて、将来を遠く感じますが、今も大事にしながら、やっぱり、その先の社会に出て、周りから可愛がられるような子になってほしいです」
「というか、可愛がられる子をめざしてでしょうか…」
新居先生は優しく笑う。それは私も好きな笑顔だった。
コウタのことで悩んでいたとき…
“結局は何を取るかだと思う。
コウタくんに何を求めるか。コウタくんはそれに応えようと一生懸命なんだと思うよ。お母さんのこと、大好きだから”
“選択をするのは保護者、私たちは何も言ってあげられない。苦しかったり悩んだり、毒出しや気持ちを吐き出したいよね。そういう話を聞くくらいしかできないけど、いつでも話して”
私はまだ揺れてる。
…それはこれからも同じかも。
たくさんの人の出会いや支えや言葉を大事に、コウタのことも家族のこと、周りの人たちも大切にしていきたい。
出会えた多くの人たちに
支えてくれた人たちにたくさんの感謝の気持ちでいっぱい、
本当に、ありがとう。
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