近い将来の離婚
過去から未来へと続く私の人生と離婚への道のり。
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実家にいる間に義姉からメールが来た。
姑から聞いて心配しているという内容。
私は、ありのままをメールした。日頃の姑の行いも正してほしいと。
義姉からのメールは、「私の母に対してそれは言い過ぎじゃない?わざとじゃないんだから、そんなにキレなくても、母は反省してるし。過ぎたことはしょうがないでしょ」
と長々と説教のようなメールが来た。
それだったら、2階ももっと片付けろだの。
やっぱり、かえるの子はかえるだと思ったし。姉弟で同じことを言ってる。
色々言ったことがバカバカしくなった。
所詮、私は他人だし。子供がまだいない義姉に私の気持ちなんてわかるはずがない。
その日から、義姉と深く付き合うのは止めた。
やっぱりわかってくれるのは、実家の両親だけだった。
次の日、病院が実家から近かったので、通院する間、実家にお世話になることにした。
荷物を準備していたら、下から姑が声をかけてきた。
相変わらず、のんきな口調で子供に話しかけた姿を見て。私の怒りは爆発した。
私「お義母さん、自分が悪いのわかってますか?」
姑「あら、どうして?」
私「お義母さんがあんな見えない場所にスリッパ置かなければ、○○はケガせずにすんだんですよ」
姑「その言い方はないんじゃない?私だって反省してるわ」
私「だったら何で○○に謝らないんですか?昨日だって謝るどころか○○に注意したでしょ。意味がわからない。
姑「○○さんごめんね」
私「私に謝るんじゃなくて、痛い思いした○○に謝って下さいよ」
私「私は、昨日心配で一睡もできなかったんですよ。こんなに小さいのに神経が死んだらどうするんですか?」
姑「だったら私じゃなくて○○さんが私の立場だったらどうするの?」
姑の逆ギレ。
私「私は、○○の親だから責任取ります。だいたい私は、お義母さんみたいにいい加減な人間じゃない」
とはっきり言ってやった。
その後は、興奮し過ぎて記憶にないが、姑は、もう一度謝って下りて行った。
その時の傷は、今だに残っている。
完璧には治らなかった。
家に着くと、姑が待っていた。
姑は開口一番「○○ちゃんご飯の時はね歩き回ったら危ないからね」と子供に注意した。
それは違うだろ。
危なくないように周りが配慮すべきだろと思った。
姑がスリッパ脱ぎっぱなしにせずに履いたまま椅子に座ってればケガせずにすんだのに。
自分のことは棚にあげ謝りもしない姑に呆れた。
イチは、姑を怒るわけでもなく過ぎたことはしょうがないと言って何も言わなかった。
その日の夜は、怒りで眠れなかった。
病院に着くとすぐに男の先生が二人で診てくれた。
レントゲンを撮ったり、口の中を洗浄してもらった。
もしかしたら、神経が死ぬかもしれないと言われ、今は、大丈夫でもいつ神経が死ぬかもわからないと言われた。
唇も張れあがり、ひどかった。
イチが携帯電話でディズニーの映像を見せたら、子供もやっと落ち着いた。
先生からは、とりあえず、通院するように言われた。
その日は、とりあえず、家に帰った。
子供は、ご飯をなかなか食べず、歩き回ったりした。
注意をしたら止めて椅子に座るの繰り返し。
その日は、たまたま、舅と姑も一緒に夕食を食べていた。
子供にうろうろしないように注意しようとした時、急に子供の姿が消えた。
ギャーと泣き声が。
私は、わけがわからなかった。ほんの一瞬の出来事。
姑が脱ぎっぱなしにしていたスリッパにつまづき、畳みの部屋の入口に歯茎を強打したのだ。
口の中は、真っ赤に血まみれになり、私は、慌てた。
病院があいてる時間ではないし、イチに救急に電話してと叫んだ。
イチはとりあえず、口の中に入ってる鶏肉を吐き出させた。
真っ赤な血の塊みたいになっていた。
タオルで歯茎を押さえることしかできず、私は、子供の歯茎が垂れているように見えてパニックになった。
田舎の病院じゃダメだから市内まで行こうと言うことになった。
私は、姑の顔なんて見たくもなく。
子供を抱いて2階に上がろうとするが、慌てて階段で転びそうになった。
姑は、市内の救急の歯医者を聞いて病院名を言った。
イチは、もたもたして役に立たない。
泣き続ける子供。かなり痛そうで。
姑を殴ってやりたかった。
玄関を出るとイチが私に運転してと言った。
は?って思ったら、「俺はビール飲んだから」
ほんと使えない奴だ。
市内のことは、私の方が詳しかったし、病院の場所は知ってたから、迷わず行くことができた。
運転しながら、心配と怒りが込み上げて大変だった。
そんな時でも舅は、無言でテレビを見ていた。
どういう神経してるのかわからない。
子供は、キャラクターが好きで、三人で、よく県外のテーマパークにも足を運んだ。
やっぱり子供が喜ぶ顔が1番うれしい。
姑のことなんて気にもならなくなってきた。
お土産だって買おうとも思わない。
必要以上、関わらないことにした。
子供の誕生日にはケーキを作ったりした。
子供はイチに似たのか物作りが好きみたいでよく手伝ってくれた。
そこに姑がやってくると、いつも同じことをつぶやく。
姑「私も仕事してなかったら、○○さんみたいに子供と料理もできたんだけどね~」
聞き飽きるぐらい聞いた。
どんなに忙しくても料理する人はすると思う。
イチの話だと、イチが子供だった頃は、まだ姑は仕事してなかったと言っていた。
姑の口癖は、仕事が忙しい。
言い訳も仕事が忙しかったから。
子供は、三歳になった。
二歳の頃からよくしゃべる子供で、やっと育児も楽になってきた。
自分一人で、離乳させたし、オムツも外せた。
私には、とても自信になった。
子供とよく出かけるようにもなった。
昼ご飯さえ作っておけば文句だって言われないと思えば、ささっと作れた。
どんなおかずでも、姑の作ったものよりおいしいので。
たまに、舅が、私の作った食事を褒めると姑がムスッとした。
姑「○○さんは、調理の仕事してたからね」
と私に言った。
イチの話では、姑は、若い頃に料理教室に何回か行ったらしいが、作ってくれたのはその時だけだったと言っていた。
姑は、おいしく作ろうという気持ちがない人なんだと思った。
料理は、気持ちとセンスだと思う。
子供がケガしても、イチは絶対に姑を責めることも注意することもなかった。
仕方ない。誰にでもある。この二言で終わる。
ほんとに、食事以外で姑に子供を近づけることはなくなった。
近所に同居してる家は、たくさんあった。舅や姑に子供を預けて働いてる人もいる。
姑はチャイルドシートにも乗せず。軽トラでスーパーに行ったり、2階から落ちても、病院にも連れていかない家もあると聞いてゾッとした。
だから、姑は、自分は良い姑だと思っている。
基準がおかしい。
赤ちゃんだった子供も歩くようになった。
ご飯を食べる間も動き回る。
私とイチが食べている間、姑が子供と一緒にいた。
私もゆっくり食べてたわけでもなく、いつも5分程度で済ませていた。
たった5分なのに。
またギャーとなった。
子供の足の小指がドアに挟まれて血が出ていた。
またか。姑がドアを開けた時に挟まったんだとすぐにわかった。
それなのに、姑は。
「○○ちゃんが自分でドアを開けたから挟まっちゃったのよ」と自分は悪くないをアピール。
私は、2階に抱っこして連れて行き、すぐに手当をした。
爪は剥がれてしまった。小児科の先生には、生えてくるのを待って下さいと言われた。
姑はいつも謝らない。言い訳ばかり。子供がドアを開けたと言うなら、姑がドアを開けさせなければよかっただけだと思った。
でもドアのぶにとどかない子供がどうやって開けたというのか。また姑は嘘をついた。
それから、イチの家に帰り、何事もなかったかのように暮らした。
そしてまた事件は起きた。
私の母方の法事に行くことになっていた。前日、昼休み明けに、姑が子供と遊んでいたので、2階に洗濯物を干しに行った。
下から泣き声が聞こえる。慌てて下に行くと、子供の鼻の頭に三日月のように爪の跡があり血が出ていた。
何でこうなるわけとカチンときた。
姑「気づいたら、自分で引っかいたみたいなの」と言う。
こんな大きな引っかき跡は今までつけたこともないのにと思いながら、姑なんかに任せた私が馬鹿だったと後悔した。
次の日、初めて赤ちゃんを見る親戚達は、口を揃えて「その傷どうしたの?」だった。
傷のインパクトが強すぎて、かわいいとは言ってもらえなかった。
姑が傷つけたんですとも言えるわけないし。
母「今は嫌なことばかりかもしれないけど、いつか必ず転機は来るから。その時お金が必要かもしれない。だからその日のために子供の名前で貯金して行きなさい」と。
嫌なことがあったら、貯金通帳見ると落ち着くかもしれないしとも言われた。
姑やイチの嫌なとこばかり見るのではなく、良いとこを探しなさい。
今は、赤ちゃんで視野が狭くなってるけど、子供が話すようになったらもっと楽しくなるのよ。
離婚なんて今しなくてもいい。
子供は必ず味方になってくれるから、もう少し頑張ってみなさいと励ましてくれた。
少し気が楽になった。
父は、厳しい人だから、長くは実家に置いてくれない。
だから、「イチ君が働いている」それで良いとしなさいと言った。
世の中には、働かず、ギャンブルや浮気ばかりする人間もいるから、まだマシだ。
とも言った。
どちらかと言えば、母の言葉の方が有り難く、父の言葉は、わかっていたことだけど、念を押してくれた。
実家に帰った私。
たくさんの荷物に実家の両親は、驚いていた。
今までも何回かケンカして帰っていたが、姑も加わってるし、しばらく帰りたくなかった。
実家の両親は、私の話を全部聞いてくれた。けど、私もプライドがあったから、自分の選んだ夫が、ロリコンまがいの人とは言わず、ケンカの原因は言わなかった。
ただ姑がムカつくと。
会話にならないし、話が噛み合わないことを言った。
実家の母は、とりあえず、子供を見とくから、髪を切って来なさいと言ってくれた。
久しぶりに一人で街に行った。
オシャレな髪型にしてもらいスッキリした。
そのあとは、何か買うわけでもないけど、服を見たりするだけで気持ちが晴れた。
やっぱり子供が気になってお土産を買って実家に帰った。
イチからは何の連絡もない。
仕事が忙しいから、私のことなんて忘れてるんだろう。
不安も感じながら、実家で二、三日過ごした。
実家の母に、子供の預金通帳を作るように提案された。
色んなことが嫌になり、イチに離婚したいと言った。
その日は、どうなってもいいと思い、昼ご飯も用意しなかった。
予想道理、イチは、ほんとに離婚したいの?と言いだし。
一階からは、姑の「○○さんの実家に電話して両親に迎えに来てもらいなさい」と言う声がした。
まるで私が悪者扱い。馬鹿じゃないのかと思った。
普段、イチは、腰痛を理由に子供を抱っこしないのに、そんな時は、私の怒り顔が見えるような座りかたで子供を抱いていた。
ほんとにひどい人だと思った。
なぜか姑が2階に上がってきて、「今日は、仕事が忙しかったから、姉が来たがお茶も出せたなかった」とイチの前で泣いた。
関係ない人間がなぜに泣く?こいつ何やってんの?と思った。
イチは、それを見て、「お母さんを泣かせるなんて。もう俺知らない」と仕事へ行った。
意味がわからない。関係ない姑が泣きだし、問題の趣旨が違うし、もう無理だと思った。
子供を連れて、実家に帰った。
ほんとに離婚かもね~と思いながら、荷物をつめた。
携帯電話に動画昨日とかカラーになりだしてから。
アダルト画像も鮮明になった。
元々、夫婦生活も多いほうではなく、子供の夜泣きでそんなにできなかった。
それでも、私は、時間があるときは、したかった。というより、イチに愛されてると思いたかった。
でもイチは、もう面倒と言い、したくなったら、私にメールしてくるといった感じで、成り行きでするとか、イチの気分がのらなければしない。
たまには、夫婦生活でケンカをすることもあった。
私は二人目なんてほしくないけど、子作りイコール夫婦生活とは思ってなかったから、イチに迫った。
けど、いつも拒否ばかり。
携帯に何かあると見たら、裸の画像から、セックス動画、女子高生の下半身とか色々でてきた。
日付や時間を見ると、夜中だったり、午前5時か6時。
私が一人で夜泣きに耐えて、徹夜してた時間ばかりだった。
ひど過ぎる。
仕事を口実に、早く寝て、早起きしてこんなことしてたんだ。
携帯代もイチだけで2万使ってる時もあり。間違いじゃないかと、携帯会社に問い合わせたこともあった。
浮気されるよりマシかもしれないけど、その時の私は、浮気並に、辛かったし、腹がたった。
その頃から、離婚しようかなと思うようになった。
私の存在ってなんだろうとか考えるようになった。
結婚前と生活が変わったのは、私だけ。
イチは、両親と暮らし、自分の部屋で生活し、たまに私と子供の部屋に来る。
イチはテレビが好きで、部屋にはテレビがあったから見たいテレビは、自分の部屋で見ていた。
食事だけ顔を合わせ、日曜日には一緒に出かける。
私達の部屋に来てよと言っても、子供番組なんておもしろくないから。と言って来ない。
ついに、私は、イチの部屋のテレビに落書きし、見れないようにしてあげた。
面倒くさがりなイチは、テレビを元に戻そうなんてしないし、今だに押し入れの奥に置いてある。
それからは、私達の部屋に来るようになった。
イチは、携帯電話も好きだった。
そして、高熱はなかなか下がらなかった。座薬で少し下がってもまた上がってしまう。
夜中は、私がずっとつきっきりでイチは、自分の部屋で寝ていた。
代わってくれるわけでもなく。
元日を迎えた。
舅姑は、親戚の家へ出かけて行った。
私達三人はどう過ごしたかも記憶にないが、正月気分ではなかった。
正月明けに、やっと熱が下がったように思う。
その後、私にうつり、私がインフルエンザになってしまった。
姑は仕事があるから面倒見ないと言い。
イチが、仕事してない義姉に頼んでくれたが、ドタキャン。
しょうがなく、実家の母が赤ちゃんのお世話をしにやって来てくれた。
姑は、自分は忙しいをアピールしたかったのか、お昼は弁当を注文したらしい。
母もそんなに元気な体ではないけど、一日中、赤ちゃんを抱っこしてくれたり、イチが買ってきた離乳食を食べさせてくれたりしたと聞いた。
私は、また赤ちゃんにうつるといけないからと、二日入院させてもらった。
実際、インフルエンザになり私もほんとにきつかった。
もう二度とこんな思いはしたくないと思い、一歳を過ぎてからは、毎年三人で予防接種を受けている。
姑にすがる思いで、一階に下りてみた。
畳みの部屋に、ホットカーペットがありその上に赤ちゃんを寝かせるように言われた。
姑は、かわいそうねと言うだけで、イチに早く帰って来るように言ってくれるわけでもなく。
ただ、顔を真っ赤にしてバタバタと苦しんでる赤ちゃんを眺めてるだけ。
私は、何度かイチにメールしたり電話したけど無視。
やっと12時に帰ってきて、イチは酔い潰れて、そのまま寝てしまった。
姑は、イチを注意することもなく、そのまま寝室に帰って行った。
この家の人は、みんな冷たい。ましてや、消防団は、仕事ではなくボランティア。夜警と称するただの飲み会。
それでも子供よりそっちが優先なんだと愕然とした。
その日の夜は、イチが夜警で家を空けた。
家には、姑と二人。
舅は飲みに行っていた。舅にとっては、孫が熱を出そうが、関係ない。
全く気にもしない。
バタバタと泣き続ける赤ちゃんをどうすることも出来ず。不安ばかり。どうなってしまうのだろうと思うと不安ばかり。
姑が一階から、大丈夫?と声をかけた。
冬場、インフルエンザが流行る時期。その頃は、インフルエンザなんて、そんなに有名じゃなかったし、今ほどテレビでも報道されてなかった。
まだ0歳の頃、嫌な気分になったことがあり、イチに夜は、外食しようとレストランに行った。
家に帰って、赤ちゃんの体が熱い感じがして、体温を計ると、38度を越えていた。
慌てて、救急に電話して、たまたま先生が今日はいたので、すぐに診てもらえることになった。
車を走らせて田舎道を急いだ。
熱に強いのか、ご機嫌な赤ちゃんを見て先生は、風邪かなって感じで、一応、インフルエンザの検査もしましょう。としてもらうと陽性反応。
こんなに小さいのにインフルエンザだった。
インフルエンザでご機嫌な赤ちゃんに先生も驚くばかり。明日かかりつけの小児科へ行って下さいと言われた。
ショックで実家に電話すると、連れ出したことに怒られ説教された。
次の日は年末最後の受診日でタミフルをもらった。
今まで、風邪を引かせたこともなく、初めてがタミフルで。かわいそうなことをしたと反省した。
子供の初節句が近づいた。
親戚も集まるだろうし、ここら辺のお店を知らないのでイチに相談したら、近くのお店を予約しようてことになった。
イチが姑に話すと、そこは、おいしくないから止めなさいとダメ出し。
姑は、私達に相談もなく、別の場所を予約していた。
引き出物も引き菓子も姑の独断で決められ、私達は、子供を連れて行くだけだった。
普通は、自分達で決めるんじゃないかなと思いながらも、姑に圧倒され何も言えなかった。
当日も、姑は、接客までして、食事もとらず、動き回り、テーブルには、花まで飾っていた。
姑の自己満足の会は終わった。
最初の挨拶は、イチがしたが、情けない挨拶。
いきなり詰まるから、子供が、大きな声で「あー」と代わりに挨拶してくれた。
ほんとにお利口な赤ちゃん。
めんどくさがりの、イチが引越しの整理なんてするわけもなく、全部、姑任せになっていたのだ。
すっかり騙された。
結婚式の引き出物も行方不明。姑に聞いても知らないけどで片付けられた。
友達が遊びに来た時に使おうと思ってたのに、揃ってない物でおもてなしするのは、恥ずかしかった。
理想とは掛け離れた結婚生活。とりあえず、今は、お金も少ないし、別居は諦めた。
結婚て楽しくないと思った。
郵便物だって、姑経由で私に届けられた。
たまには、期限切れの時もあり、イライラした。
郵便やさんは、会社の方に届けるみたいで、自宅には持って来てくれなかったから。
私は、何か大事な郵便物があった時に、持って来なかった姑に怒り爆発。今までのイライラが溜まって、コップを投げつけ割った。
子供は2階に寝てたから、安全だったけど。
もう色んなことが我慢ならなかった。
イチがその状況を見て「自分で片付けろよ」とだけ言って郵便物を机に置いて仕事へ言った。
一人掃除機で片付けてる時に、姑がやってきて。今度からは、ちゃんと持って来るからと言われたけど、それって違うだろうって思った。
あんたは、郵便局員じゃないくせに。
自宅にポストはあったけど、ペットの餌いれにされていた。
何もかも、使い道がめちゃくちゃ。
その後、役場に行き、大事な書類は、舅の名前にしないでほしいと相談した。
役場の人からは、「もしかして、郵便物を勝手に開けられたりしてますか?」と言われた。
そういうトラブルがよくあるとも言われた。
役場の人は、とりあえず、うちは、舅の名前ではなく、宛名をイチの名前にしてもらった。
次に郵便局へ行き、三人宛ての郵便物は、自宅に届くようにしてもらった。
玄関にポストを置いた。
姑は気に入らないのか。ポストの上に、ペットの餌を置いたり、物のせにするようになった。
見つけるたびに、私はそれを無言で捨てるようにした。
姑は、私達が気になって気になって仕方ないのだろう。
いくら、構ってほしくなくても姑は直らなかった。
同居を始めてしばらくたてば、この家で誰が1番偉いのかわかってくる。
口調は威張ってるが舅ではない。
やっぱり、姑なのである。
イチには、何の権限もない。
同居が辛くなって、イチに別に暮らしたいと提案したことがある。
イチ「どこで暮らすの?ここら辺は、住むとこあまりないけど。俺は、通勤したくないし」
イチは、自分が楽なことしか考えてない。
だったら、たまにはうちの実家で暮らして私の気持ちを味わってほしいと思った。
イチにとっては、親の行動は普通のことで、気にする私の方が変わっているらしい。
別居するにしても、アパートで使っていた物はどこにあるのだろう。
イチに聞いてみると、イチ「こっちで使わないものは、捨てたよ。あとは姉ちゃんが持って行ったり。」
義姉も私達の後に、結婚し、使わないならちょうだいと、大型冷蔵庫や、炊飯器等、家電を持って行ったらしい。
少しは聞いてたので結婚祝い代わりということで私達は、御祝儀は包まなかった。
ただ全部、私が一人で用意して、結納金から出した物を、私の知らない間に取引されてることにムカついた。
洗濯機は、オムツ専用の洗濯機に代わり、姑達のベランダにあったから嫌でも姑の部屋に入らないといけなかった。
始めて入った時に目に飛びこんだのは、私達がアパートで使っていたベッドカバー。
舅と姑のダブルベッドのカバーとして使われていた。
寒気がした。なぜ、平気で使えるのか意味がわからなかった。やっぱり変人だ。
話を戻すと。
イチの話だと、カーテンは捨てた。
テーブルはどっかにあると思う。
食器は、段ボールに入ってどっかにあると思う。
もともと、テレビも私が実家で使ってたのをアパートに置いてたからイチの買った物はほとんどなかったから捨てやすかったのだろう。
最後にイチは「俺は、物に執着ないから」とか言ってた。
それだけ、イチにとって私と暮らしたアパート生活は、大事ではなかったのだ。
カチンと来たことがあった。
家の駐車場に業者の車がいて、私の車を移動してほしいと姑に言われた。
その間、姑が子供を見ておくからということだった。
雨が降っていてサイドミラーが見づらかった。
バックして寄せようとしたらガリガリ。
車を擦ってしまった。
結局、姑の嘘だった。孫と遊びたかっただけ。私から引き離したかったのだ。
姑が嘘つかなかったら車だってぶつけなくてすんだのに。
私は怒りしんとうだった。
イチからは、「ぶつけたのは自分だからお母さんは悪くない」と言われた。
納得がいかなかった。
赤ちゃんは、段々、言葉を話すようになった。
「マンマ」とか「ママ」とか。
うちの赤ちゃんの場合、マンマとママの 違いは微々たるもの。
姑は、赤ちゃんが、「ママ」と言うのを認めたくなかったのか、私に、お腹すいてるんじゃないの?と常に言うようになった。
離乳食を嫌がり、パイパイと言っておっぱいをせがむ。
常に、赤ちゃんは満腹状態だから、お腹すいてる時間でもないのに。
姑がうっとうしい。
赤ちゃんが、やっと首もすわり、ハイハイするようになった。ほんとに目が離せなくなった。
赤ちゃんは、私のところに一目散にハイハイして来るようになり、台所は危ないから畳みの部屋に、色んな障害物を置いたけど、全部越えてきた。
その姿はかわいいけど、すぐ抱っこしなきゃいけなくて。
私は、行ったり来たり、
姑「目が離せなくなったわね」と言うだけで、何もせずさって行った。
姑は、イチの前でだけ、赤ちゃんを可愛がり、それ以外は、ほとんど知らん顔。
私にとっても、みんながいるときに、姑に赤ちゃんの世話されても意味がなかった。
やっぱり、赤ちゃんは、段差から落ちた。しかも頭から。
私はショックで、イチにすぐ来てもらった。
さいわい、赤ちゃんは無事だったからよかったけど。
次の日曜日。柵を買いに行こうと言われた。
柵があるなんて私は知らなかった。
知ってたら最初から買っていれば、よかったのにと思った。
私の苦労はなんだったの、ほんとに悔しかった。
姑にばかり目を向けてても楽しく暮らせないことはわかっていた。
イチの友達の奥さんと仲良くなった。
同じ歳だし、子供も同級生で話もよくあった。
地域のコミュニティーセンターにも行くようになった。
子供同士の集まりも大事かなと思って。
私の息抜きでもあった。
成長はうちの子が1番遅かったけど、回りの応援もあったり、月に一回の集まり以外でも、公園に一緒に行ったりした。
お弁当を作って出かけたり、忘年会や花見もした。
姑より楽しい育児ライフを過ごしたかった。
当然、姑は、私を妬む。
食器棚に並ぶ食器はどれもちぐはぐ、バラバラ。主菜をつぐ皿は、ケーキ皿?コーヒーカップの受け皿?と思うような皿。
鍋料理をすると、みんな、みそ汁ようのお椀についで食べる。
つまみのピーナツをグラタン皿に入れて食べてる時もあった。
ビックリの連続。
イチはまだ、まともな方だった。
育ちって怖い。
以前、国から一人いくらか支給されたことがあった。
私達は、何を買ったか覚えてないけど。姑が買った物だけは、ハッキリと覚えている。
姑が買った物、それは、私が履いてるヒールにそっくりなヒールだった。
姑「たまたま、○○さんとよく似たヒールだったわね~」と嬉しそうに言った。
私は、気持ち悪いと思った。
姑は、ほんとに雑な人で、食器乾燥機の中に食器や箸を直す時も、めちゃくちゃ。
時には、箸が折れたり、皿が割れたり、ヒビが入ったり。
ほんとにどうしようもなかった。
私がし忘れた時は、ほんと最悪。
イチの家に来て驚いたことは、みんな箸をバラバラに使うこと。
色も形も長さも、違っていても気にせず使っていた。
私だけは、きちんと揃えて使っていることも姑は気に入らない感じだった。
お正月に義姉夫婦が来て、義兄が、箸を指摘して、みんな苦笑いしていた。義姉も結婚して、旦那さんに指摘されるまで気にしたこともなかったらしい。
ほんとかわいそうな人達。
姑は、私が買った食器で気に入ったのがあると、そればかり使う。
そして、汚す。
そして、ひどい時は割る。
私が使いたい時に使えない状態になっている。
だんだん、イチは、私の愚痴を聞く係りになっていた。
こんなこともあった。
私は、アパートでイチとお揃いの箸を使っていたので、何も考えずに箸立てにたてた。
すると、いつの間にか無くなっていた。
その後、箸セットを買って来てたてた。
やっぱり徐々に無くなって行く。
我慢できずに姑に聞いた。
私「まだ買ったばかりの箸をどうしてるんですか?」
姑「箸が多いから、減らしただけよ」
と言って、箸の束が輪ゴムでとめられて現れた。
何でこんなことするんだろう。
姑は、私がすることが気にいらないだけだと思った。
イチも少しは、頑張ってくれた。
仕事が終わって帰ってきて、泣いてると抱っこして歩き回ったり。
お風呂は、必ず、二人で入れた。
姑になんて頼みたくなかった。
実家の両親と違って、姑は、口出しするだけで何もしてくれなかったし。
ある夜、泣き止まず、寝ないので、12時過ぎてたがドライブすることにした。
家を出ようとしたら、また姑が起きてきた。
姑「どこ行くの?」
聞かれるだけでもうっとうしい。
ウザいウザいウザい。
夫婦仲は、良好なのかは疑問だった。
夜中、相変わらず赤ちゃんが泣く。でも、イチは全く気にせず自分の部屋から出てこない。
頭にきて、泣かせたまま、イチの部屋に行ってどうにかしてと言った。
イチは、泣き止まないならおっぱいくわえさせてればいいだろと、冷たく言われて、私もカチン。
しばらく言い合いしていたら、寝てるはずの姑が上がっていた。
私は、あーまたウザいのがやってきたと思った。
姑「二人とも何をケンカしてるの?近所迷惑でしょ」
姑は、実家に赤ちゃんを見に来た時、私の両親に言った。
姑「ここと違ってうちは田舎ですから、静かだし近所に家も少ないから赤ちゃんがないても平気ですよ」
そう言ってたのに。
今度は、近所迷惑だなんて。
正直、姑はいつも聞き耳たてて、どっからともなくやって来て話を混ぜくる。
ほんとにうんざりだった。
私は、掃除はしているし、部屋に入られたくないと言った。
姑は無言で仕事へ行った。
日曜日が唯一、イチが休みなので、姑に何か言われるわけでもないので、気が楽だった。
イチが言ってたのと違い、姑達は、全く出かけず、ずっと家にいた。
その頃は、姑達に赤ちゃんを近づけるのも嫌になっていた。
私がお風呂に入る間だけ、姑達は、赤ちゃんと戯れた。
日曜日は、私が家にいたくなくて、三人でいつも出かけた。
イチは、出かけるのは好きみたいで、赤ちゃんを連れて、ランチに行くのが習慣になった。
私「お義母さん、私が出かけてる時、いつも2階に上がってませんか?」
姑「上がってないわよ」
私「でも、いつも場所が変わってたり、モップや掃除機が置きっぱなしですけど。それにこないだは、母子手帳だって違う場所にあったし」
姑はカチンときたらしい。
姑「私が母子手帳見たって何の得にもならないわ。失礼しちゃうわね。ほんとに💢それに、赤ちゃんがいるのに、あんなに埃があったら汚いじゃない。
それから、私の家なんだから2階に上がって何が悪いの」
結局、姑は部屋に入ってることを認めた。
あるときは、母子手帳が置いてた場所から無くなっていた。
探したら、別の場所にあった。
一瞬、私が忘れてただけかな?とも思ったけど。
別の日に、通販で頼んだ洋服の請求書が無くなっていた。
イチにも手伝ってもらったけど、どこにもない。ソファーの下も探したのにない。不思議だな~と思いながらも支払いが迫っていたので、また送ってもらうことにした。
ある日、実家から帰って来たら、請求書の紙が、ソファーの下から半分顔を出していた。
絶対有り得ない。
イチには「気のせいだったんじゃない」と言われた。
私は、思い切って姑に言った。
私は、息抜きに週に一回、実家に赤ちゃんを連れて行った。
相変わらず、よく泣くので、実家にいる時もずっと抱っこ。
食材の買い出しをする時は、実家の両親が赤ちゃんの面倒を見てくれたので助かった。
実家から帰ると、何かが変。
2階の物の位置がいろいろ変わっていた。
姑は、私と赤ちゃんが出かけると、2階に上がっていた。
ひどい時は、姑の業務用掃除機がそのまま置きっぱなしになっていたり。
嫌気がさした。
プライバシーもない。
姑は、自分はとても理解ある姑だと勘違いしている。
私から見たら、典型的な姑だ。
一階をうろつく姑の足音はとても大きいし、ドアは、家が揺れるほどバンバン音がする。
限界のドアもドスンドスン。
音に敏感な赤ちゃんがやっと寝てくれたと思っても、姑が、会社からこっちに来るとすぐ起きてしまう。
とてもイライラした。
その音は、夜になると延々と続く。
22時を過ぎてもお構いなし。
イチに注意してもらった。
姑「私は、夜中でもいろいろすることがたくさんあるの。そんなこと言われたら段取りができないじゃない」
こちらが言うと必ず何か言い返してくる姑。
その時、私は、二人目は無理だと思った。
その後、舅は、仕事に行った。
姑はまだ下にいたようだったけど、台所にようがあったので、赤ちゃんを連れて下におりた。
案の定、姑に捕まった。
そして延々と姑の苦労話を聞かされた。
内容は、
「私は、年子で子供を産んだから、もっと大変だった」とか
「旦那が何も自分でしない人だったから育児も旦那の世話も全部一人でしたのよ」
「近所に住む、今は亡き姑にイジメられた」
「旦那が会社を始めた頃は、県外にトラックで夜中も仕事をもらうために、イチを段ボールに入れて出かけた」
など。
そんなことを言われても、今の私には関係なかった。
年子で生まなければいいわけだし、
姑にいびられても同居してない義母は、逃げ場があったわけだし、同居と別居は全く違う。
確かに義父は何もしない。それは、何でも姑がしてあげるからだと思った。
下から聞こえてくる声は、
舅「お前の操縦が悪いから嫁がご飯を作らないんだ」と怒鳴る。イチに言ってるのだろうが。
イチはうるせーと言ってそのまま、仕事へ行った。
姑はきっと、自分には関係ないと思ってるのだろう。
イチは、義母にたまにはご飯を作ってくれるように頼んだが、
義母はご飯は炊いてもおかずは作らなかった。
結局、私が作らないと姑は作らない。
そのうち、舅が、嫁は何してるんだ?ってことになった。
私は、2階で赤ちゃんと二人でいた。
下から聞こえてくる舅の怒る声。
なぜ私が責められないといけないのだろう。
月曜日になった。
イチは、仕事に行った。赤ちゃんのお世話は私一人でしていたため、相変わらずの寝不足。10時まで寝てることもあった。
赤ちゃんが泣けば、おっぱいかミルクを作り、自分のご飯なんてどうでもよかった。
12時になると、イチと義理両親が帰って来る。昼飯を作るのは、当然嫁の仕事と言わんばかりに義母は何もしてくれなかった。
赤ちゃんが泣いても作るしかない。
時間は迫るし。
義母にご飯を作ってほしいと言える状況でもなく、義母は、私には仕事があるからと口にはしないが、態度で示す感じで、昼休みになるまで一度も家に帰って来なかった。
私達が引っ越してきたので、近所のおじさんやおばさんが次々、やってきた。
私にとっては知らない人ばかり。
赤ちゃんが寝ていても容赦ない。
義母が一階から呼ぶ声が嫌になった。
私は、自分の赤ちゃんを他人に触られるのが嫌だったし、田舎の人達が嫌いだった。
首か座ってない赤ちゃんでも何するかわからなかったから。
他人が赤ちゃんを抱っこすることにも嫌悪感がするぐらいナーバスになっていた。
赤ちゃんの方は、着いたすぐにウンチをした。
いつも便秘なのに、こういう時は、ウンチするだと驚いた。
連休中なので、イチも休みだったから、少しは気が楽だった。
でも赤ちゃんの昼夜逆転生活は何も変わらなかった。
いちお義両親には挨拶をした。
義母の言葉は、「私達に何も気をつかうことないからね~」だった。
「何か買いたい物があったら、ここにお金置いてるから自由に使っていいわよ」
と心が広い姑を演じていた。
イチの実家に着いた。
久しぶりに見る外観は、近所に比べたら、豪華に見える姑の城といった感じ。
義母は、笑顔で迎えてくれた。
とりあえず、荷物を2階に。初めて自分達が暮らす部屋に入った。
部屋には、私が選んだ箪笥とアパートで使っていたベッド。 あとは、実家の親が買ってくれた、ベビーベッド。あとはソファーがあった。
結構いっぱいいっぱいだった。
気になったのは、ベッドカバー。
アパートで使ってた物とは違うものだった。
イチに聞いても知らない感じだった。
新婚で買ったカバーはイチの趣味で、あまり気に入ってなかったので、それほど気にしなかった。
実家の母に、このまま実家にばかりいるわけにはいかないんだからと、連休中にイチの実家に帰るように言われた。
母には、随分、励まされて、イチの両親との同居に不安を感じながら、帰ることが決まった。
実家を去る日、アパート経由で、イチの実家に行った。
できれば、義両親が出かけてくれればいいのにと思いながら、その道のりは憂鬱だった。
孫が帰って来る日に出かけていない舅姑なんているわけないかと諦めた。
アパートに寄ったのは、せめてもの抵抗。何の意味もないけど。
その頃は、借りてたアパートには、誰もいない状態で、イチは実家にいる生活。
毎日、義母が作ったご飯を食べて、のほほんと暮らしていた。
そろそろ、アパートの引っ越し時期。
イチに引っ越しはどうするの?と聞けば、友達が手伝ってくれるんじゃないかなぐらいの返事。
しばらくアパートに行ってないから、部屋がどんな状態かもわからない。
散らかってたとしてもどうにもできないし。
心配だったけど、イチに任せるしかなかった。
時には、母親が私の代わりに赤ちゃんを抱っこしたまま眠ってしまったこともある。
自分が母親なのに寝不足のためか、母に起こされても全く起きれない状態。
イチから昼間に電話があっても、私がいろいろ訴えても、「赤ちゃんは泣くのが仕事だから」と人事みたいな答えにムカつくだけだった。
イチが夜、赤ちゃんを見に来る日は、赤ちゃんが寝てるが、起きててもそんなに泣かなかった。
いつもみたいに泣いてよ!って思うくらいに。
一度、平日だったけど泊まってもらった。けど、時間になっても対して泣かず。
泣いた時は、「抱っこしておっぱいやればいいじゃん」と言って、イチはただ私のベッドで朝まで寝ていた。
何しにきたのか、ただ泊まっただけだった。
赤ちゃんが起きてしまった。
私は泣き声で2階の部屋にまっしぐら。
オムツ代えがまだまだ苦手。
母に手本を見せてもらった。
父がミクルとお風呂担当で協力してもらった。
けど相変わらず、父は口出しが多いし、私とは意見が合わない。
ほんとによく泣く赤ちゃんで、休まる時がなかった。
お昼には、お風呂に入れる。
時間や湯加減にうるさい父と協力して入れるお風呂は、一大イベント。
終わったら母が体を拭いて着替えさせるという連携プレーをした。
ご飯もゆっくり食べれないぐらい泣いてばかり。
だんだんうんざりしたと同時にイライラした。
夜中は一人で面倒みきれず、母を起こし、交代で寝た。
とにかく抱っこでおっぱいじゃないと気に入らない赤ちゃん。
おしゃぶり作戦をしたが、すごい勢いでおしゃぶりに噛み付いてガジガジしてペッと吐き出した。
何回くわえさせても同じで母と二人で笑った。
どれだけおっぱいが好きなんだよ。
これからのイチの言葉を覚えていてほしいと思う。
「うちの両親は日曜はでかけていないし、俺達に干渉はしないと思う」
「だから気兼ねなく同居できると思う。俺も手伝うし」
私は、そんなうまい話あるのかと思ったけど。
引っ越しは、イチに任せることにした。
イチの友達が手伝ってくれるらしい。
そんなに荷物もないし安心していた。
産まれたら帰ると決まってからは、イチは機嫌がいいように見えた。
私は、やっと一人暮らしできたと思ったら悪阻で苦しかっただけで、あまり満喫できていなかった。
一年も経ってないのにな~
イチはうれしいのか友達にももう帰ると話したらしい。
そんなに実家が好きか?
でも産まれた後の世話に自信がなかったからイチが近くにいるだけで心強いと思った。
遡れば、5ヶ月前ぐらい。
イチにこれからの話をされた。
「赤ちゃん産まれたら俺の実家に帰らない?」
「俺の実家だったら、俺も昼ご飯の時に帰って来るし、俺の母親も手伝ってくれるからここで一人で世話するよりいいと思うよ」
「アパートだから夜泣きとかで近所に迷惑かかるといけないし」
ともっともらしいことをイチは言った。
その時の私は、まだ悪阻が終わったばかりで思考能力もなく、イチが言うことが正しく思えた。
実家の母に相談したら、どうせ同居しなくちゃいけないなら、早い方がいいと言われた。
結局、自分の判断で決めることができなかった。
先生から傷の具合はOKがでたので次の日に退院することになった。
てっきり抜糸するのかと思っていたら、自然と糸が体内で消える糸を使ったから抜糸の必要はないらしい。
退院の日に、医院長先生が部屋に来てくれて、良い小児科を紹介してもらった。
看護師さんから赤ちゃんが目やにが出るからと目薬を渡された。
退院時は、両親が迎えに来てくれて実家に帰った。
これからしばらくは実家で過ごす。
とても天気のいい日だった。
久しぶりに私も外の空気を吸った。
次は一週間後の検診の時にまたここにくる。
帰りの車の中は、朝だったためかぐっすり寝ていた。
赤ちゃんが寝ている間にこれから先のことを話そうと思う、、、
皆が帰ったあと、やっと家族三人だけになった。
イチがいるときは、イチがオムツ代えるの手伝ってくれたりミルクを準備してくれるからスムーズにお世話ができた。
たまには背中までいってるウンチに二人でアタフタしたり大騒ぎになったけど。
イクメンぶりを発揮していた。
夜になると、イチが病室に来てくれた。
パパですよ~と言ってもピクリともしない赤ちゃん。
寝てる姿をいつも撮影していた。
昼間大変だったことを話してもイチにはピンとこなかったかもしれない。
けどケーキを買って来てくれたりした。
そういうところは優しいのかな。
赤ちゃんはイチが帰ると起きる。
そして眠れない夜が始まる。
寝ても30分ぐらい。
長い夜が続いた。
朝食の前にはベビー室が赤ちゃんを預かってくれるから、その時だけホッとした。
10時になるとコールされる。
電話なんてとりたくなかった。
無視してみようかと思った。
ベビー室に迎えに行くとやっぱり泣いていた。
他の赤ちゃんは泣いてなくて寝てる赤ちゃんもいるのに。
エレベーターで一緒になると申し訳ないぐらいうちの赤ちゃんは泣いていた。
はぁ~ ため息がでた。
日曜になるとイチの親戚が赤ちゃんを見にやってきた。
正直ウザい。来なくていいのにと思ったぐらい。
赤ちゃんを触ったらどうしようとか、抱っこしたいと言ったら嫌だな~とか。
マイナス思考になった。
イチの父親も来ていて、初孫だから自慢げだったけど。
私に、「おっぱいの吸い付きはどうね?」 とイチの父親が話しかけてきた時は、セクハラじゃないかと思った。
やっと、ガスが出て出産後、初めて食事がとれた。
でも全くおいしく感じない。
そこの病院は食事がおいしいで有名だったけど、楽しむゆとりはなかった。
点滴もとれたけど、痛みはとれない。
赤ちゃんは相変わらず泣いてばかりで、私の抱っこが下手なせいか、突っ張るし、傷口を連打で蹴ってくる。
私のことが嫌いなんだろうかと思うぐらい。
嫌になってベビー室に返したこともあった。
両親が見兼ねて病室に来てくれたけど、そういう時はお利口に寝てるから何もすることがない。
二人きりになるとギャン泣きで、母乳とミルクに追われた。
ゲップもうまくできなくて、寝かせたあとゲロッパしたり、何をどうすればいいのか混乱。
帝王切開の人は入院期間も長い。
エレベーターで退院するママさんを見ると取り残された気分にまでなった。
お風呂の指導も回りは、二人目、三人目の人でマジメに聞いてない感じ。
初産の私は、質問さえできなかった。
看護師さんから3時間は間隔あけて下さいね~といわれても、赤ちゃんに母乳あげるてミルクあげてそれでも泣き止まないからまた母乳をあげてるとすぐ2時間は経ってしまった。
お昼のご飯が運ばれて来ても泣き止まない赤ちゃんが気になって食べなかった。
その時の私は、赤ちゃんをただ泣き止ませようと必死だった。
主治医の先生が診察に来た。
「昨日は緊張してたから血圧が下がったのかな~」 と先生はつぶやいていた。
先生にいつまでこの痛みは続くのか聞いたら、「お腹切ってるから痛いのはしょうがないよね」 と淡々と言われた。
みんなそうなのかな~と思った。
お昼近くに電話がなった。
受話器の後ろで泣き声がする。
ベビー室から赤ちゃん泣いてるので迎えに来て下さい。と言われた。
まだ点滴もしてたのにどうやって迎えに行けばいいんだよとちょっと不満。
「まだ点滴外れてないから無理です」 と言ったら連れて来てくれた。
抱っこするのも母乳あげるのも初めて。
泣き声にパニックになりそうだった。
看護師さんの指導でオムツ代えた後、体重計のとこまで運んで、部屋に戻って授乳する。
そんな流れの間、ずっと泣いてる。
すごい泣き声。
私ってほんとに母親になれるかな~。すでにシンドイ。
吸い付きがひどくて乳首が切れて血が出た時には慌てた。
赤ちゃんの口に血が入ってるしどうしよう~。
ナースコール。
何回もナースコール押すからなかなか来てくれないし。
どうしていいかわからず私が泣いてしまった。
次の日、スパルタが始まった。
看護師さんに「はい起きて下さ~い」 と言われた。
どうやって起き上がればいいのかわからないぐらい、痛みでお腹から血がでるんじゃないかと思った。
「いすのところまで歩いて下さい。」
昨日まで優しかった看護師さんは冷たい鬼のようだった。
絶対無理ですと言っても、動かないと体が固まって余計痛くなりますよ。
冷た過ぎる。
何とか目の前の椅子に座るまで10分かかった。ほんとにリハビリ。
次は、「廊下を歩いて下さい。」
そんなの絶対無理~ ~
家政婦のミタさんかと思うぐらい淡々としていた。
仕方なく点滴にしがみついてばあちゃんのような格好で歩く練習をした。
看護師さんは忙しいので後は一人で頑張って下さい。って感じだった。
ゆっくりなら歩けるようになったけどとにかく痛い。
看護師長さんが、夕方赤ちゃんを連れて来ると教えてくれた。
まだ麻酔が切れてないし身動きできないからどうすればいいのかなとか思った。
楽しみだった。
夕方になりイチがいる時に赤ちゃんはやってきた。
寝てるようだ。私の位置からは全然見えないから、イチが抱っこして枕元に置いてくれた。
それからイチはビデオ撮影。
私の顔はパンパンで化粧もしてないひどい顔だったけど、赤ちゃんと一緒に撮っていたみたい。
ちょっと手を触ってみたら泣き出した。
イチと二人でアタフタした。
寝てるようだけど泣いたり泣き止んだり、一日目はそれで終わった。
ぶっちゃけ羊水でべとべとな赤ちゃんだったからまだ全然実感がなかった。
しばらく保育器に入るらしい。
自然に産んだわけじゃないから、大きい赤ちゃんでも保育器で様子をみるらしい。
私はベッドごとまた部屋へ戻った。
それからは、動けないから足のマッサージをして、みんなと会話した。
イチも両親も赤ちゃんを見た時、あまりの大きさと泣き声にビックリしたと言っていた。
私は元気過ぎる赤ちゃんを産んだのだ。
悪阻がひどかったことにみんな納得していた。
手術室の天井の明かりが眩しかった。
手術帽みたいなのをかぶって寝て待った。
先生が麻酔しますと言った。
何ともなかった。
だけどアラームが鳴り出した。
私は?と思った。
助産師さんが先生に血圧下がってますと報告。
アラームは鳴りやまないので酸素マスクを着けられた。
先生は様子みますと言って手術室を出て行った。
私はこれからどうなるんだろうと不安になった。このまま死んじゃうんだろうかと思っていたら、目の前がオレンジ色になった。
大丈夫ですか~?と声をかけられた。
そのうち、アラーム音が止まった。
どうやら血圧は安定したらしい。
先生が戻ってきて、お腹にメスを入れはじめた。
全身麻酔ではないから先生達の会話はすべて聞こえている。
赤ちゃんが大きいみたいで胎盤から離す時、先生は手こずっているようだ。
「ちょっと赤ちゃん大きいね~。帝王切開だといつも小さい赤ちゃんが多いんだけどな~」 と言っていた。
オンギャーオギャーとすごい声量の赤ちゃんが出てきた。
そこに医院長先生も入ってきて、
「うわぁ~立派な赤ちゃんだね~」 と喜んでくれた。
お母さん赤ちゃんですよ~と助産師さんが記念に写真を撮ってくれた。
笑顔を作る余裕もなかったわたし。
そのまま赤ちゃんはイチ達が待つ待合室に連れて行かれたみたいだ。
朝になり、時間が迫ってきた。
病気で手術するわけじゃないのに、ベッドごと手術室に運ばれた。もちろん点滴をつけたまま。
両親とイチが来てくれていてイチの両親の姿はなかった。
両親とイチから頑張ってと声をかけられたけど、何を頑張ればいいのかわからなかった。
入院して夕食は、悪阻の時に入院していた食事と一緒でがっかりした。
入院する期間が少ないから献立のサイクルが早いみたい。
入院するのは三回目だから仕方ない。
とりあえず、食事が終わったら下剤を飲んで、手術の準備をした。
明日の今頃、私はどうなってるのか不安だった。
ちゃんと赤ちゃんのお世話できるのかな。
帝王切開の人は手術前日から入院して、次の日は朝から手術。それから一日絶食と聞いていた。
私は、大好きな、焼肉を食べ、最後の晩餐はウナギにした。
明日は、入院する。
あさってには赤ちゃんに会えるんだね~。
どんな顔して産まれてくるんだろう。
いろいろ考えると楽しみでもあった。
イチがエコーで赤ちゃんを見たいと言うので検診に立ち会うことになった。
実際の出産には立ち会えないから。
検診は予約しても待たされる病院だった。
待ちきれないイチはちょっと出てくると言って席を立った。
10分しても帰って来ない。名前を呼ばれて携帯に電話したけどでない。
助産師さんが待ってくれたけど、もういいですと言って検診を受けた。
診察室から出ると、イチがソファーに座っていた。
「戻って来たら、いなかったから診察かなって思ったから待ってた」 のんきな奴。
肝心な時にいない。
私はイラッとしたけど、イチはケロッとしていた。
何しに来たんだこいつ。
担当の先生は一日何回も出産に立ち会ってるから淡々と帝王切開の話をするけど。
私は、納得がいかなかった。
ほんとに逆子なのか疑ったぐらい。
別の先生が8ヶ月の時にやっぱり逆子だね。と判断したのであきらめることにした。
帝王切開って手術じゃん。大丈夫なんだろうか。
先生の説明だと、陣痛が来る前に手術して赤ちゃんを取り出すと言われた。
陣痛って痛いし苦しいと聞いていたけど私はそれを経験できないんだと。
母親学級で習うラマーズ法なんて私には関係ないんだと思うとマジメにしなかった。
結局、みんなとは違うんだね。
それでも赤ちゃんの誕生日は自分で決めれると思うと、それはそれですごいと思うことにした。
大きくなって子供にママが誕生日決めたんだよって教えてあげようと思った。
喜んでくれるといいなと思った。
毎日寝る前に逆子体操。
やっと悪阻が終わったと思ったら今度は逆子体操か~。
やってもやっても逆子が直る気配はなし。どう考えても、頭の部分がくっきりわかっていた。
蹴られるのも下ばかりでトイレの回数も多かった。
時には、イチがお腹の赤ちゃんのオデコをポンポンとしたりしていた。
逆子が直らなかったら帝王切開と言われた。
私は普通に産みたいのに何でこうなるわけ。私ばっかりなんで。と自暴自棄になった。
悪阻の終わったあと、私はなぜだか竹輪が食べたくてしょうがなく、スーパーで竹輪を買い漁った。
竹輪の後は、煎餅ばかり。
悪阻で5キロ痩せた体重はあっという間に戻った。
病院で逆子と言われ何だろうそれ?
逆子体操をするように奨められた。
これが結構きつい。
私は、誰かに聞いてもらいたかった。
恋愛経験の多い同僚にメールしてみた。
意外な答えだった。
「そんなの男だったら誰でもそうだよ~。昔からビデオみたりするのは、男の解消らしいから、そんなのにいちいち腹たてなくていいよ。
○○はイチ君のことが好きなんだね~」
と諭された。
そうなのかな~とみょうに納得した。
リアルよりバーチャルの方がマシか。
私は、ショックだった。
イチは浮気したわけじゃない。
不倫したわけじゃない。
風俗に行ったわけじゃない。
だけど、まだ新婚じゃないか。もう私には愛情がないのか?
私が選んだ男も結局、よくいる男と一緒なんだ。
その頃の私は、若かった。
他の女の裸をイチが見てただけでムカついて噛み付いた。
また私は、家出した。
今度は妊婦なのに、車を走らせ、ショッピングモールへ。
また夜だった。
妊婦だったことでイチは心配したのか、「おーい。どこだー」 とメールが来た。
でも結局こんなもんだ。
イチがもうしないと言って合意した。
イチの携帯をひらく。
ダイアルロックはしてなかったから簡単だった。
まずは着信履歴。
異常なし。
次にメール一覧
出会い系からのメールはたくさんあったけど、登録した形跡はなかった。
異常なし。
次に、画像コーナー~~~。
パンパカパーン!
出て来た。
画像もだけど、動画がたくさん。
あらゆる分野の動画が150件
携帯は確かに便利だ。パソコンで見るとテレビで見る感じだけど、携帯ならコンパクトだし、たまに無料とかあれば、お金かからないから、悪気なんてないだろう。
私は、たまに思う。携帯電話の機能がよくなるにつれ離婚も増えるんじゃないかと。
悪阻が終わった頃、久しぶりに用心しながら夫婦生活をした。
さすがに結構、お腹が大きくなっていた。
実際、自分ではあまりわからないものである。
ふと思った。
この5ヶ月一度もしてなかったけどイチはどうしていたんだろうと。
イチに聞いたらしてないと答えた。
でも私が入院してる間は自由だったはず。
よく、奥さんが妊娠してる間に浮気すると世間でよく聞く。
イチはほんとに浮気とかしてないのか気になった。
イチは、一度寝ると起きない。
だから、寝てる時に携帯を見ることにした。
何もなければそれでいいんだし。
まだ私の悪阻がひどかった頃、イチは久しぶりに友達と飲みに行きたいと言い出した。
私はいつもイチが仕事から帰ってくるのを心待ちにするほど一人が不安だったのに。
それでも、イチは絶対譲らなかった。
イチの友達が家に迎えに来たけど、私は挨拶さえしたくなかった。
それぐらい精神的にまいっていた。
出かけた後、早く帰ると言っても夜中の12時になっても連絡なし。
待ちきれず電話した。
まだ無理としか言わないイチにムカついていた。
やっと帰って来たのは2時過ぎ。
私はお酒を飲まないから、飲む人の気持ちなんてわからない。
次の日の日曜日は、間違いなくケンカ。
イチの友達は、私が電話するたび、大丈夫?と気をつかったらしい。
友達に気を遣わせたことに怒っていた。
友達から飲み屋の子持ちの女と結婚したいと相談されていたらしい。
私からしたらバカバカしい話だ。
そんな結婚うまくいくはずない。
奥さんが苦しんでる既婚者の友達誘って飲んでる自体、女性の気持ちをわかってないじゃないか。
その後は、知り合いのスナックに行ったらしい。
キャバクラとスナックってどう違うわけ?
私にはわからない。
そこで、おばちゃんや若い人と飲みながら私の話をしたらしい。
バカじゃないかと思った。
私の悪阻の話をみんなの前で話すなんて。アドバイス受ける前にさっさと帰ってこいと思った。
他人なんておもしろおかしく話すだけじゃん。
マジメに聞いてきて私に話すイチはアホだと思った。
私の悪阻が終わったのは、6ヶ月に入った頃だった。
半年の間ほんとに来るしんだ。
イチは、私の吐いた物を片付けてくれたり、私の介護をよくしてくれた。
ほんとに感謝している。
毎日、弁当を買って食べてくれたから作らなくてすんだけど、結婚したのにかわいそうなことをした。
ある日、朝起きたら、イチは仕事に行っていた。
私はお腹がおかしかった。
お腹を見ると、ポコポコ出たり戻ったり色んなとこがしている。
何だこれと思って母に電話した。
「赤ちゃんが動いてるんだよ」 と教えてもらった。
産婦人科でもらった写真を見ても大きさとかイマイチわかってなかったけど。
実際にお腹が赤ちゃんの手や足が動くとお腹の表面に現れることに感動した
なぜか、姑達が来る日は、一度も吐かなかった。
いつもなら、寝ているのに、起きていられた。気のもちようだろうか。
案の定、姑は「元気そうね」 と言って無駄に大きいソファーに座った。
舅は、豪華な部屋にシャンデリアのことや、部屋の費用のことなど関係ない話ばかりした。
最後にモデルルームみたいでいいねと言って帰って行った。
一体何しに来たんだか。
帰った後、思いっきり吐いた。
イチの前でも吐いた。
吐いた後は動けない。
私は寝たきりになった。
洗濯も掃除もできない。動けば吐くの繰り返し。
ご飯なんて全く作れなかった。
早く妊娠を知ったせいか悪阻も早かった。
見兼ねて、両親がアパートに来て洗濯掃除をしてくれた。
父が買ってきたお弁当を食べて5分後には全部吐いた。
何も受け付けなかった。
私はどんどん痩せた。
産婦人科に相談して入院することになった。
周りの妊婦さんは清々しい顔をしているのに、私は母に付き添われ、洗面器とティッシュの入った袋が手放せなかった。まるで病人。
点滴生活が始まった。
寝ていても気分が悪い。何もできない。頭が痛い。赤ちゃんなんていらないとまで思った。
なぜか私は特別室に入院していた。
でもベッドは古くて壊れそうだし、トイレは遠かった。とても不便だったし。お風呂も一人で入れなかった。
そんな時、イチの両親が見舞いに来ると言う。
正直、来てほしくなかった。
妊娠するまえは、毎日、イチに両親の分までおかずを届けさせて、時間があるときは、イチの実家で昼ご飯を作ってたのに、私が行かなくなったことで姑が気づいたらしい。
一週間後、小さな豆粒、はたまた微粒子のような物が赤ちゃんらしい。
ほんとにお腹に赤ちゃんがいるんだって実感した。
ゆったりした服なんて持ってなかったから買いに行ったりした。
日曜日、朝からなんか気分がすぐれなかった。イチがお昼ご飯を作ってくれたので食べようとしたら、箸は進まないし、全部戻してしまった。
これが悪阻?
ドラマでよく見た悪阻か?
その日から地獄が始まる。
産婦人科なんて初めてで問診が終わったあと台に乗った。
小さな袋があるだけで他には何も見えなかったけど妊娠してますと言われた。
普通だったら喜ぶのかなと思った。
痛さと恐さで初診は終わった。
また一週間後と言われた。
私は、悩んだ結果、両親に話すことにした。
結婚したんだから妊娠してもおかしくないが、早過ぎだよねと思いながらでも、どうしていいかわからなかったから母に話した。
母は「もうできたの?あんたは、私と同じでできにくいと思っていたからビックリだわ」 と、「でも検査薬なんてもっと後で使えばよかったのに」とも言われた。
その時の私には意味がわからなかった。
それから、何日かして父に私が生まれた病院に送ってもらった。
夕食の時、イチに話した。
まだハッキリしてないから誰にも言わないでねと念を押した。
イチはとても喜んでいた。
イチは子供は好きじゃないと言ってたけど自分の子供となるととてもうれしいらしい。
私はこれから自分がどうなるのか不安でいっぱいだった。
ある日曜日、生理が遅れていることに気づいた。
と言っても一週間ぐらい。
でも気になってしまって、検査薬を使ってしまった。
いつもなら真っ白なままで、やっぱり違ったで安心できるのに、うっすら線がある。
何度見ても、何回見てもあるよね~。
喜んでいいのかどうかトイレの中で考えた。
私は心のどこかで妊娠することを恐れていた。
イチは結婚したんだから、ゴムは着けないし、早く子供が欲しいと言った。
私は、自分の子供なんて想像もできなかった。
きっと私は子供ができにくい体質のはずだと思っていた。
元カレとゴムを着けなかった後、生理が遅れたことはあったけど結局、妊娠はしてなかったし。
子供なんて簡単にできるわけないと思っていた。
夫婦生活が全くなかったわけではない。
それは夜ではなく朝だった。
イチは朝早く、目が覚めるといきなり始まる。
私は眠いし有り得ないだろそれ。
イチはスッキリした顔で出かけて行くが私は、朝がだるかった。
日曜日は、朝から半日ダラダラしていた。
もうこうなったら、夜がダメなら朝しかしょうがない。
明るくったってへっちゃらさーと思うことにした。
時には、夜、洗濯しようとしたら途中で止まって、困ってしまった。
イチに見てもらいたくて起こしても全く起きない。
私はブチ切れて家をでた。
行くところはなく、ショッピングモールで時間を潰した。
寝てるイチは、私がいないことにも気づかないのだろう。
閉店前にはアパートの駐車場に着いた。
部屋の電気は着いたまま。
携帯にも何もなし。
一人で虚しかった。少しは心配して欲しかったのに、心配どころか気にもしない。あきらめて部屋に入った。
後日、車が帰って来たことがわかったからそのまま床からベッドに移動して寝たらしい。
私はというと、仕事をやめて時間があった。
イチが7時に仕事に出かけた後、洗濯掃除を済ませると、足りない物を買いに行ったり、実家に行ったり、夕方から夕食作っても、慣れた手つきですぐ終わってしまう。
それからひたすらイチの帰りを待つ。
やっと帰って来たと思ったら食事の準備をして後片付けをしたらイチが寝ているといった感じだった。
結婚してからの夫婦生活。
結婚する前は、会うたびにしていたから結婚したらいつでもできると思っていた。
ところが、イチは夜8時ぐらいに帰って来てご飯を食べたらそのまま床に寝てしまった。
そんな生活が毎日続いた。
新婚なのにナニコレ~
起こしても全く起きない。
確かに結婚してイチには通勤時間がてきた。その時期は仕事が忙しかったのか、帰る時間もかかるし、帰り着いたら力尽きる感じだった。
しばらくして、元同僚達とメール男みんなで新居に来ることになった。
それは、来る1時間ぐらい前に連絡がありめちゃめちゃ急な話。
たまたまカレーを大量に作っていた日だったから助かった。
先にイチと食べてた後だったからご飯だけ炊いて待っていた。
元同僚の運転でみんなでやって来たのだが、駐車場でブロックにぶつかりそうになっててハラハラした。
みんなは、新居に興味津々らしく、あらゆるとこを見ていた。
みんなはカレーをおいしいとほめてくれてうれしかった。
かなり煮込んだからよかったのかも。
料理上手な先輩も認めてくれた。
嵐のように去って行った。
片付け物は増えたけど、みんなが家に来てくれたことがとてもうれしかった。
次の日、職場にお土産を持って行った。
久しぶりに懐かしい。入り口の暗証番号はそのままだった。
まぁいいか。
みんなは喜んでくれた。持って来たかいがあった。
コインパーキングに車を停めた私。
財布の中に小銭がない。しかも一万円札しかない。
どうしよう~。
近くにコンビニなんてないし。
しょうがなく同僚に借りた。
あ~恥ずかしい。
私は、ふと結婚式の引き菓子のことを思い出した。
「イチそういえば、引き菓子どこに直したの?」
「冷蔵庫の中に入れたけど」
「入ってないよ~」
「ここだよ」
見たら、普通は使わないような隙間のような引き出しに入っていた。
冷蔵庫は、からっぽだったのに、わざわざそんなとこに入れるなんて。
もちろん賞味期限はきれていた。
感覚の違い。
空港でお土産を見てその時はイチも買っていた。
そして新居に着いた。
これから二人だけの生活が始まると思うとうれしかった。
もう時間に縛られることなく自由に暮らせるなんてやっぱり結婚ていいな~と思った。
夜遅くに二人でコンビニ行っても誰からも怒られない。
やっと自由を手にしたんだ~私は。
ついにこいつ私の顔忘れたか?
と思ったらバスに飛び乗った。
そしてゆっくり降りてきた。
こいつ何やってるんだろう?
イチ「あ~よかった~指輪なくしたかと思った。」
どうやら寝てる間に指輪が外れたらしい。ありえね~。新婚旅行で結婚指輪なくすなんて。
ほんとにこの人大丈夫だろうか?
あとで自慢げに友達に話していた。
ホテルについて、新婚旅行プランだったためホールケーキが運ばれてきた。
私はお腹いっぱいだったし、甘い物は苦手。イチがもったいないからと食べてくれた。
次の日、途中から雨が降った。風が強くてせっかく買った傘は、バッチョ傘になった。笑える。
次の日は、ランチショーを見るためにイチが走ってくれた。
予約とれたからケンカせずに済んだ。
お土産は空港で買うことにした。
空港までのバスの中疲れてイチは寝ていた。どこででも寝る人。
バスから降りると、イチがトイレに行くと言ったのに走って戻って通り過ぎた。
新婚旅行は、イチと二人で海外なんて無理だから、国内にした。
私は初めて行くところでとてもウキウキした。前もって計画も立てていた。
飛行機でCAさんに新婚旅行ですか?と聞かれたりして。
結婚したんだ~って実感。
天気もよくお昼ぐらいについた。
昼食を食べたい場所があったのに、イチは適当な店に入りしかもサンドイッチ。
なんだかな~って思った。
色々見てまわったけどお土産買うわけじゃないし。お土産店に入ろうと言うと、イチは「俺、土産なんていらないし」 と言った。
私はブチ切れて、一人で行方不明になった。
何だあいつ。せっかく来たのに。一緒に土産買おうともしないなんて。
イライラして楽しくなくなった。
ここでケンカしてこのまま離婚とかってバカみたい。海外じゃあるまいし。
夕食は無言で食べた。
実家に帰った時、母に話すと、
「やっぱり○○が式場決めて正解だったわね。他のとこだったら、あちらの親戚の方は、泊まるにも、観光するにも移動で疲れたと思うわ。○○は私達の子供だから気が利く~」 とほめてくれた。
新婚旅行に行く前、イチの実家にに行くとイチの母親が、「近所の人に料理が少なかったと言われたわお皿は大きいのに」
イチの近所は、お皿にどっさり料理がのってないと食べた気にならないらしい。
先が思いやられる。
次の日、朝食バイキングで親戚に会った。
二次会どうだった?と聞かれたが笑ってごまかすしかなかった。
イチも黙っていてくれた。
部屋に戻るとイチの県外から来てる親戚が押し寄せてきた。
スイートルームを見たかったらしい。
そのあと親戚は荷物をフロントに預けて観光へ出かけた。
駅から近い式場だったから結果的に私が選んだ式場で利便的によかったのに、最後までイチの母親は認めなかった。
みんなが待ってるのに歩けなくて、悔しくて情けなかった。
自分の結婚式の二次会に行けないなんて私ぐらいかも。
その日は生理の真っ最中でもあった。
しょうがなくイチに一人で行ってもらい。
私はスイートルームで寝ていた。
そして、お見送りの時、バスケットいっぱいに小ビンがどっさり。
かなりの重さとなる。
やっとすべて終わった。あとは二次会だ~。
スタッフが私とイチに最後の説明をしているとき、私は、耳鳴りが始まった。
だんだん聞こえなくなってきて、イチに「何かおかしいんだけど」 と言ったけどイチは意味がわからなかったみたい。
私は何とかドレスを着たまま控室まで行けたが、控室を出る時、
倒れてしまった。
次にお見送りに渡す物は何にするかになった。
イチは、安く浮かせるために、チュッパチャップスはどうかと以前言っていた。
イチの母親は、「まさか飴玉渡すわけじゃないわよね」 と言い出した。
イチは自分で言い出したくせに、黙って他の物を探し始めた。
小ビンに入った物に決まった。
引き出物を決める時イチの家に呼ばれた。
私は前もって、イチに希望を伝えていた。イチの母親も気に入るような上品なもの。
家に着くと、リビングでカタログを広げた。基本的にイチの父親は、口出ししない人。
気にもならないのだろう。いなかった。
イチの母親は、「○○さんが選んでたのはお客様に良さがわからないと思うのよね」と言われた。私はムッとした。
イチは黙っている。
私はどうでもよくなかってきた。
イチの母親は、「イチがね、スプーンとフォークセットはどうかなって言うから、これにしようと思うの」
イチは「これならすぐ使う人も多いと思うし」
あ~そうですか。
私より母親が言うことを聞くんですね。
親戚には引き出物を二つにするとイチの母親が言うので、カタログを見てるふりをしていたら。
「○○さんはこれが気に入ってるの?じゃあこれにしましょう。」 とどうでもいいグラスセットになった。
結局、イチの母親は私が気に入ったものにはしたくなかったのだ。
次はお見送り。
新婦って忙しい。
知らないお客様に何回頭を下げただろう。もちろん、私の親戚や友人を見るとうれしかった。
最後にやっとみんなの顔が見れた感じ。
それにしても最後に渡すプレゼントが重い。
誰だよビンにしたの。
あっという間に両親への手紙になった。
私は、長すぎても短か過ぎてもいけないと思って。便箋1枚にまとめた。
女優になった気分で、読み上げた。
泣くことはなかった。
私は、学生の頃から親に迷惑かけたことないし、心配かけたのは朝帰りしたときぐらい。でもそれってみんなしてることだし。
その過程がなければ結婚なんてできないでしょ。
特に両親に感謝なんてその時はしてなかった。
手紙の内容も普通の内容とは違ったかもしれない。
エンドロールに続くような内容にした。
その日は昨日とは違い晴天だった。
風は少し冷たかったけど。
いよいよ自分の結婚式か~。何だか信じられない。
友達の中で1番に結婚するなんて。みんな有り得ないと思ってた。きっと。
ウエディングドレスに着替えてみんなの前に登場した。
正直な話、ほとんどがイチ側の親戚と友人ばかりで知らない人が大半。
自分の友達がその中に二人先に来ててくれたのに、気づかないほど私は緊張していた。
リハーサルに連れて行かれ、スタッフのかわいい~の一言で緊張は少しほぐれたけど。
イチとキスをする場所なんて決めてなくて、どうするんだろうと思ったら、イチは口にした。
今思うと恥ずかし過ぎる。
私は結婚式に出たことがなく、みんながどこにするのかも知らなくて。
今思い返すと他にも場所はあったのに、芸能人みたいな熱いキスになってしまった。
前日、母に新婦は、料理は食べちゃいけない。きちんとしなさい。色々言われて真に受けた私。
披露宴会場では、お出迎えの時、和装からスタート。
ウエディングドレスから和装に着替えるのは時間かかったし、身動きとれないし、あまり自分の披露宴ていう実感もなかった。
ほんとにこれって私の結婚式?
心のどこかで思っていた。
立ったり座ったりもスタッフの指示にしたがい歩く場所も決まっていた。
和装なんてしたくなかった。ウエディングドレス着る時間短くなるじゃん。
母は、イチの会社関係が来るんだから和装はしてた方がいいと言った。
イチの母親もまた、「○○さん和装はするのよね?」と聞かれたから断れなかった。
ほとんど、私の意見は通らなかった。
唯一、ウエディングドレスだけは、気に入ったものが着れた。
イチは引っ越したアパートに自分の衣類だけ実家から持って来た。
そして二人の生活が始まった。
結婚式は、あさってに迫っていた。
色々準備も済んで明日荷物を式場に運ぶことになった。
明日もイチは仕事で手伝ってはくれない。
次の日、私は大雨の中、一人で大きな荷物を持って、式場と駐車場を往復した。
そして結婚式当日。
住むとこも、私が探した。イチはどこでもよかったらしい。
何かいい加減。
新築アパートだったので引き渡しとかが現地であり、それも仕事してない私が一人で行った。
何だか一人暮らしみたい。
家具も家電も一緒に決めたかったが、イチは仕事があるからと、ベッド以外は、一人で買いに行った。
買い物は好きだったし、苦にはならなかったけど。
私は、同じ市内だったけど住所変更したのに、イチは、別の市なのに住所変更もしていなかった。
イチの母親に頼んでいたらしいが。
後で全部わかった。
イチは手続きを全くしない人だった。
婚姻届は二人で取りに行ったけど、イチが間違えてばかりで、予備までぐちゃぐちゃになった。
婚姻届って書くのめんどくさい。
私が一人で取りに行って自分で提出した。2回も書き直し受理された。
やっと終わった。
イチは、そんなこと気にもしていなかった。
それどころか、これからも絶対スニーカーとカジュアルな服で行くと言った。
もうほっとくことにした。
このあとは、住むとこを探した。最初から同居なんて絶対無理。
私の実家は同居している。中も悪かったし、警察や救急車も来たことがあり、母は苦労した。
父の両親は常識がない人達でケチケチした生活していたためお金だけは持っていた。
家を新しくしたことがきっかけでお金を取られたと祖母が根に持ち、長い戦争が続いた。
だから同居に全くいいイメージを持っていなかった。
とりあえず最初は別に暮らし、そのうち同居すると話し合った。
イチの家は自営だったから同居は条件だった。
でも将来は、どう変わるかわからないし、先のことより今を楽しもうと思った。
結婚式の前に披露宴での料理の試食をすることになった。
会場で待ち合わせ。
イチは両親と、私は母と弟を連れて。
父はその日出勤でこれなかった。
相変わらず、イチはスニーカーとチノパンで待っていた。
スタッフに案内されて、料理長が挨拶に来た。
私とイチは向かい合って座っていた。
料理長は名刺を私と、隣にいる弟の前に置いてさって行った。
みんな?と思った。
料理長は新郎を間違えたらしい。
弟はジャケットを着ていてイチよりも体格もよかったし、イチは、フリースを着ていた。
イチの母親はムッとしただろう。
帰った後、母が、「○○君はあーいう場所にスニーカーで来るなんておかしいわよね。間違えられても仕方ないよ。」 と言った。
イチと二人で初詣でに行った。いつもは家族で行くか仕事で行けなかった。
正月に出勤すると手当が出るので就職してからは働いてた。
カップルで初詣で行けるなんて私的にはすごいことだった。
初めてりんご飴を買った。
おみくじを引くと、イチは中吉で私は吉だった気がする。
末吉しか引いたことないと言ってたイチはとても喜んでいた。
昼から私の実家に行くことになっていた。
車の中、私はずっと悶々としていた。
黙ってる私に「どうしたの?」 とイチが呑気な声で言う。
私は一気に涙が溢れた。
イチに全部話すと、「気にし過ぎ」としか言われなかった。
実家ではご馳走を用意して両親が待っていてくれた。
我慢できず、母親にイチの家でのことを話した。
母は、「そういう時はね、実家で美味しい物をたくさん食べればいいじゃない。」
私は何か親ってありがたいと思った。
イチはうちの実家で普通にお客様扱いをうけていて、少し腹も立った。
次の日起きたら、元日。目覚めはあまりよくなかった。
下には、もちろん、イチの両親がいると思うとため息が出た。
挨拶は、あけましておめでとうございます。で始まった。
おせちやお刺身、雑煮など色々並んでいた。
義母は、一言「○○さんは、ご飯と味噌汁でいいわよね?」 と言った。
私は耳を疑った。
元日にご飯と味噌汁ってしかも私にだけ。
イチは黙って好きなものを食べていた。
私のことなど気にもせず。私は悔しかった。
ここに嫁に来るのかと思うと籍を入れる前から後悔した。
イチの母親は、ほんとに私の前にご飯と味噌汁を置いた。
美味しい物は、イチと父親の分を取り分けて冷蔵庫に直していた。
イチはやっと気づいたらしく、「○○は味噌汁嫌いだからいらないよ」 と言った。
イチの母親は「あらそう」 と言っただけ。
以前この家に泊まった時、私にだけ朝ごはんを食べて行けと母親から言われ、食べたら具合が悪くなった。
何か混ぜられていたのかも。
全部、イチからだった。
中には、「帰ります」 のメールも。
メール男と話し込んでる間に家まで来たがピンポンも押さずに帰ったらしい。
なぜ押さない?と思った。かけ直すと、大晦日に一人でラーメン屋さんにいると言う。
私がどうやってイチの家まで行ったか記憶にないけど、イチがまた迎えに来てくれたような気がする。
イチの家には誰もいなかった。
それからずっと沈黙。
12時近くになりイチは寝始めた。
私は心の中で、私が悪いのか?と疑問に思った。そもそも、約束時間に来なかったイチが原因でこうなったのに。
イチは、そのくらいたいしたことないし怒る方がおかしいと言った。
イチは謝らず私が謝ることになった。もうしょうがなかった。
メール男は
「あいつらしいね~いつも行き当たりばったりなんだよね」
「あいつ、いつも人任せだったから、○○と出会ってから、あいつ変わったし、頑張ってると思うよ」
「長い目で見てやって」
と言われた。
しょうがないな~と納得するしかなかった。
電話を切ると着信10件
それからしばらくしたら年末になった。
イチと夕方、約束していた。
友達との飲み会があったので、イチの二日酔いで夕方に。
やっと電話があったら「ごめん、行こうと思ったら車がない」
は~~~?
何やってるの。
喧嘩になった。
「親が乗って行ったみたい」 とのんきに言うので、
「前からわかってたことなんだから親に車使わないでって言えばよかったじゃん💢」
起きたらいなかったとかイチとの会話は噛み合わない。
「もういい来ないで」と電話を切った。
なんてボサッとしてんだろうと腹が立った。
この怒りをメール男に電話した。
そして次の日、結納を行った。
イチからかしこまった挨拶は抜きでいいよねと言われたからわかったと言った。
食事が運ばれて来たらイチの父親が、「本日は、、、」 からマニュアル本通りの挨拶を始めた。
うちの父は、予想通りだったようできちんと受け答えを練習してたので滞りなくすんだ。
イチは、何も知らなかったようでビックリした様子。
イチの母親が決めていたようだ。
イチの父親は、大酒飲み。社長と言うこともあり、よくしゃべった。
「○○家は、これでバラバラになりますね」と私の両親に言った。
イチの母親とイチは慌てていた。
お父さん飲み過ぎじゃないか。そうイチが言った。
イチの父親曰く、人生がばら色のバラバラだったらしい。
わかりづらい人だと思った。
私の母親はムカっとしたと後で言っていた。
先が思いやられる。
結納の前日に会社を退職した。
とてもスッキリした。
次の日には、行事食が待っていたがもう関係ないし。
電話にもでないと決めていた。
会社に制服を返しに行くと、所長と珍しく話した。
面接以来かもしれない。
会社を出ようとするとき係長が豪華な花束を持って立っていた。
結婚おめでとう🎉と言われ、あれだけ嫌いだった係長もいい人に見えた。
どうせ会社の経費に寿退社の花束代とかあるんだろう。
皮肉にも私は、係長の実家近くに嫁に行こうとしていた。聞いてビックリ
両親同志の顔合わせと結納の日取りを決めた。
イチの母親に、「会社辞めるそうね」 と言われた。
それも気に入らなかったのか?
私は、結婚式の二ヶ月前に会社を辞めた。今まで、一生懸命働いたんだから、自分へのご褒美としていいじゃないかと思っていた。
顔合わせが終わったあと、イチと私の家族で食事に行った。
イチの両親は、そのあと近所の結婚式に出かけて行った。
食事の後は、家族と別れてイチとドライブした。
服を汚したくなかったがまたホテルに行った。
会社には結婚するので辞めますと伝えた。
現場の上司にも報告したら驚いていた。
同僚以外、私に彼氏がいたなんて知りもしないから。
優越感もあった。
私は、この現状から抜け出せるんだと思っただけでルンルンで残りの期間仕事した。
会社からはもう少し続けてほしいとも言われたが、大迷惑な話。
散々嫌みを言われてきた係長ともおさらばできる。
先輩もそのうち、辞めると言ってたから遅かれ早かれ、それぞれの旅立ちは来ると思ってた。
式場のスタッフからブライダルフェアの案内があった。
モデルさんが模擬挙式と披露宴をしてくれて試食会もあった。
料理も美味しく、これなら納得してくれるだろうと思った。
ブライダルフェアはやっぱりカップルばかりで、相談会場にもカップルだけ、どこにも両親がついてきいてるとこなんてない。
やっぱりイチの両親が変わってるというより古いと思った。
イチの両親は、自分達も一緒に式場を決めたかったと言い出した。
しばらく説教は続きとても嫌な気分になった。結局、イチは黙ったまま。
何だか頼りない。
私が新郎か?と思った。結婚は了解済みだと思ってたし、式場のことも説明していたと思っていた。
結婚てめんどくさいと思った。
イチの両親との対面。
以前、イチの家に遊びに行った時に何度か会っているが、きちんと話すのは初めて。
両親の前に二人で座り、第一声が母親の「あんた達順番が違うんじゃない?」 だった。
私はわけがわからなかった。
とりあえずすみませんと謝ったが。
私の中では、それって、デキ婚だった場合、うちの父がイチに言うセリフじゃないか? と心の中で思った。
イチの母親の言う順番とは挨拶の前に式場を決めたことが気に入らなかったらしい。
次に行った式場は、ネットで調べて気に入ったとこにした。
ブライダルスタッフと直接相談という形で。
リニューアルされた披露宴会場をとても気に入っていてイチから80人ぐらいだろうし大丈夫と言われた。
スタッフに日にちを聞かれ、春だから人気もあるので、今は空いてますが、明日には、うまることもありますけど。と仮契約を勧められた。
営業トークかもしれないけどほんとにうまるのは嫌だったからイチに仮契約してもらうことにした。
前金10万をイチはさっとスタッフに渡した。
私は、内金いるなんて知らなくてビックリした。
後でイチに聞くと常識だと言われた。
女性へのプレゼントなんて買ったことないイチに一人で指輪を買うなんて無理だよね。
それからは、一人で浮かれてブライダルの雑誌を読みあさった。
へ~ブライダルフェアとかあるんだ~。行ってみたい。
ネットで調べたりして休みの日に二人で出かけた。
初めて訪れた式場は全国的に展開してる会社で貸し切りの式場。
そこは、高砂に二人を座らせてスクリーンで式の様子を見せてくれて外に出るとスタッフ全員でフラワーシャワーをしてくれた。
でも金額が最低400万はかかると言われて絶対無理と思った。
でもスタッフは粘ってあの手この手で営業してきてなかなか帰してくれなかった。イチははっきり言ってくれなくて、帰る頃には外は真っ暗。
二人共、疲れてしまった。
あえなくブライダルフェア巡りはあきらめて式場を絞ることにした。
なんかイチってダメ出ししなきゃいけない男なんだろうかとがっかりした。
よくベタなドラマで夜景の見えるレストランでエンゲージリングを差し出すみたいな。
夢も希望もない男なんだな~って思った。
私もあの時冷静になってたら、この人と結婚して大丈夫だろうか?と疑問に思ったはずだけど、恋は盲目。
ドラマのヒロインにでもなった気持ちがどっかにあった。
私の誕生日も残り2時間になった頃、山へと車は進んだ。
何台か車が停まってたとこにイチも車をとめ、そこでプロポーズされた。
もうこうなったらしょうがない。
OKした。
ドラマと現実は違うんだね。
そのうち私の誕生日がやってきた。
同僚からは、誕生日にプロポーズってありそうだね~と冷やかされたりして、ウキウキしていた。
私がプロポーズをしてもらえる日が来るなんて誰が想像しただろう。
誕生日の日はちょうど日曜日で朝からイチと合流してケーキ屋さんに行った。
あまりケーキは食べないけど、せっかくなのでおいしそうなのをいくつか選んだ。
そしてなぜかホテルに直行。
ケーキを食べ終えたら、イチが真面目な顔をしたので。
?
私は思わず「ストップそれ以上言わないでね」 と言ったら「何で?」と聞き返された。
普通ラブホでプロポーズする奴いますか?
ムードも何もない。
プロポーズって言葉は口にしなかったけど、TPOを考えたまえ。
ある意味ひどいことを言ってるかも。
そう思った。
イチもそれなりの歳だったから結婚してもいいんじゃないの?と勝手に思っていた。
結局、イチがそのうちプロポーズしてくれるだろうと期待して採用は断った。
彼氏がいなかった時に比べたら未来がないわけではないし。
そう思うことにした。
調理の仕事は嫌いではなかったけど、寒い冬でも朝は6時には現場に入り、朝食を作らなくてはいけない。
お盆休みも正月休みもゴールデンウイークもない生活に疲れもあった。
有給休暇が使えないなんておかしいし。
年中、何かイベントや行事があるけど、そういう時は、食事が豪華になるから私達は忙しくなる。
だから行事は嫌いだった。
シフト制だったから、クリスマスやイヴは休みになるように 先輩や後輩が進んで代わってくれたりして、ほんと皆に恵まれた。
私はその頃、仕事に飽きるというか、給料に不満というか、他の会社で働いてみるとか、環境を変えたかった。
会社には黙って新聞の求人を見て受けてみた。
意外とあっさり採用された。
そのことをイチに話した。
私は、引っ越すかもしれないとか、よくわからないけど、仕事辞めて結婚もありかなと思ってたからイチを慌てさせたかった。
気の持ちようだとは思うけど、結婚するとわかってればもう少しなら我慢して働けそうと思ったから。
イチは同棲とかは、お金がもったいないからできないと言ったし、他に環境の変えようがなかった。
その頃の会話は、
「もし結婚したら」 が話題になってたからイチも結婚は考えてくれてるようだった。
だから引っ越すとか追い討ちをかけてみた私。
旅行から帰った、その後、調子に乗ったイチはラブホに行こうと言い出した。
情報誌を買って良さそうなとこを探して行くことにしたからハズレはなかった。
たまにはハズレて、部屋入ったら、ベッドはギシギシいうし、テレビの映像はおばちゃんだったり、昭和臭い部屋だった。
1番よかったのは、部屋が2階に別れてて、ベッドも広いし、オシャレでテレビも大画面だった。
私はかなりはしゃいだし、自分がするより、AVに釘付けになった。
イチはポイントカードを作っていた。
次の朝、朝食を食べた後、
イチが「このままじゃ帰れない」と第二ラウンド開始。
何だか笑える。
とりあえず何とかことは済んだ。
イチはご機嫌だったが、私的には、普通朝からするか!?って心の中で思った。
あまりに明る過ぎて男の人は気にしないんだろうか。
二人で過ごすの初めてだったから緊張して微妙な空気が流れた。
とりあえず、突入してみたが、イチは時間がかかる男だった。
あきらめて寝た。
イチはショックを受けてたけど、それにしては、すごい、いびきだった。
忘れてたが、夜は、花火も打ち上げられてとても綺麗だった。
旅行当日、とてもいい天気だった。
相変わらず、着くまで寝てたけど。
私は、子供の頃家族で行った場所だったから何となく覚えてたけど。
いろいろ歩き回って、写真撮ったり。
二人で写真撮るのも初めてかもしれない。
旅行先でツーショットは難しい。カップルで来てる人を見付けたら、シャッターをお願いして、相手のカップルの写真も撮ってあげることにしたら結構、撮れた。
昼は、ハンバーグで夜は、パエリアを食べた。パエリアって意外と米が固かった。まぁまぁかな。
食事の後は、イルミネーションを見てホテルに帰った。
歩き回ったら、疲れてしまった。
着いた所は、下着売り場。
唖然とした。
たかが彼氏と旅行行くぐらいでなぜ母親がでしゃばるんだろう。
下着ぐらい自分で買えますけど。
母に言ってやりたかった私は子供じゃない。
中学生の頃、人より成長が早かったのにずっとスポーツブラをさせられていた。
母親は、皆がしてるような、かわいいブラは買ってくれなかったから、いつも着替える時、恥ずかしい思いをしていた。
サイズも合ってないスポーツブラだったから、胸の成長を妨げたんだと思う。
母親は時代遅れの人だった。
どれだけ私に恥をかかせれば気が済むんだろう。
高校生になってからは、お金をもらって学校帰りに買ってたけど。
二人共、実家暮らしだったため場所がない。
あつしの時はアパートだったからよかったけど。
ついにラブホデビューか?と思いきや一向に気配なし。ぶっちゃけ私は行ったことがなかったから興味があったのに。
結局、旅行に行こうかってことになった。泊まりがけとなると、うちの親が許してくれるか、、、
思い切って言ってみたら、しょうがないわね~みたいな。
いちお、イチは老舗の跡取り息子。それを親に言ってたからか。あつしみたいな学生じゃないからかな。
突然母に私は、ショッピングモールに連れて行かれた。
それから、次のデートの時、イチが帰り際にキスしようとしたが、何だかできなかった。
帰り際にキスって何か私の中ではダサ過ぎて笑いそうになったから。
ずっと一緒にいたのに、帰るとき?みたいな。
8回目ぐらいのデートの時、港で車を止めてテレビを見てたら、イチがいきなり「今日はキスするまで帰らないから」 って宣言。
え~そんなに改まってするものですか~。何度も私が笑ってしまってやっと済ませて帰った。
昭和のカップルか!?
しかしまだ肝心なことはしてなかった。
ほとんどドライブデートが多かった。
車酔いする私にとっては、夕飯食べてから山道とかはかなりきつく、即行で帰りたいと言ったこともあった。
イチの前で吐くわけにはいかないし。
それでもイチは怒ることなく心配してくれて家まで送ってくれた。
5回ぐらいデートしても一切お互い触れず。
この人もしかして童貞か?と思った。
家に着いて、メール男に私はメールした。イチのことをまだよく知らない私は、メール男にイチ情報を収集した。
メール男から情報屋になった。
情報屋によると、彼女がいた気配はないが童貞ではないらしい。
それって風俗か?
話を戻すけど、車酔いはまずいと思ってそれから遠出する時は、酔い止めの薬を飲むことにした。
今度は睡魔に襲われる私。
どっちみちダメじゃん。途中から到着するまで寝てることもあった。
何も知らないイチは自分の運転が心地よくて寝てると思ったらしい。
なんてお人よしな平和人。
それから、夜に、イチから「チョコレートありがとう」とメールが届いた。
何だかんだそれからは、お互い暇だったせいか毎日メールしていた。
メール男からの情報によると、イチとは長年の友達であいつに彼女がいたとは思えないと言っていた。
どんだけモテないんだよ。
それでメール男が保護者のようにイチの彼女を探してるらしい。
私には遊び慣れた人は無理だし、そのくらいがちょうどいいかもと思った。
イチの出身校は、私が好きな部活が盛んだったので、話題には困らなかった。
イチは太ってるわけでもないし、顔が不細工でもないし、とにかくよく笑うとこが気に入っていた。
生活環境に女性がほとんどいないから浮気の心配もないだろうと、査定は合格。
イチからは何も言ってこないので、私から、かまをかけたら やっと告白してくれた。
なんて奥手な人だ。
イチは、あつしとは違って仕事をしていたから会うのは日曜だけだったから、すぐにあきられることもなく、交際は続いた。
平日たまにご飯に行くことがあったが、とにかく待たされる。
せっかちな私は我慢してたけど、毎回、田舎から出て来るから遅くなるんだろうとは思うけど。
イチが案内してくれたのは、地元では珍しいイタリアンのお店だった。
緊張で話もできない私が男の人の前で食事だなんて。食が進まない。
サイドメニューはバイキングだったのに。
それに比べてメール男とイチは、男らしくガツガツ食べていた。うらやましい食管。
夕方から私と友達は習い事があったから朝の駐車場まで送ってもらった。
忘れちゃいけない、最後のお仕事。
「明日バレンタインデーなんでチョコ買って来たんでどうぞ」
それが精一杯だった。イチにだけあげるわけにもいかないから、メール男の分も用意はしていた。
友達には話してなかったから、悪いなと思いながらも、友達はメール男に頼まれて来たと言って気にしないでと言ってくれた。
何か申し訳なかった。
スクールが終わって携帯を見たら、新着メール一件。
イチからだった。
昨日は楽しかったね。また遊ぼう。
明らかにやる気のないメール内容。
わざわざメールしてくれなくてもよかったのに。すでに夕方だった。
ほどなくして、メール男からメールが来た。「皆で遊園地行こうよ」
遊園地が苦手な私。
しかも季節は冬。寒いよ~。が心の本音
メール男はイチが私のことを気になってるらしいから皆で遊園地に行こうよってことだった。
ほんとかよって思いながら承諾した。
職場の同僚は行けないらしく、女友達と一緒に4人で行くことになった。
遊園地に行く予定の次の日はバレンタインデーだった。なぜか私は、チョコレートを買いに行っていた。
渡せる勇気なんてあるんだろうか、私に。よく思われたいだけかもしれない。
当日、やっぱり寒かった。しかも雪がひらひら。誰だよこんな日に遊園地だなんて決めたのは。
朝からイチが車で職場まで迎えに来てくれて、順番に車で拾って遊園地へ向かった。
車の中、前日のサッカーの話題で盛り上がっていた。
私は、サッカーには詳しくても話に入れず黙ったままで外を眺めていた。
やっぱり会話は苦手だなって思いながら、寝たふりをした。
最悪な女です。
メール男が「寝てるよ」って騒ぎだした。
遊園地に着いて、水系の乗り物に皆で乗ることになった。
私は、イチの隣には座らず、メール男とも距離を置いて座った。
これまたついてない女。
水もろ浴び。
ジーンズ少々と靴が濡れた。
あーあ。また恥をかいた。
遊園地はうちらと、中国からの観光客の皆さんぐらいだったので、一通り乗ったらランチに移動した。
夜も深まり、やっとお開きになった。
やっと帰れると思う反面、これで終わりかとなぜか寂しい気持ちになっていた。
合コンの定番らしいアドレス交換が始まった。赤外線機能もない時代。一生懸命、イチのアドレスを暗記して打ち込む自分がいた。
次の日、私は新しく出会いを求めて習い事を始めた。
ウエアーを買いに行った時、メールが来た。
どうやらアドレス交換したら次の日にメールするのが礼儀らしい。イチの友達からメールが来た。
自分の中では過ぎたことだったから返信するのもめんどくさいと思った。
とりあえず、返信したら、またすぐ相手からも返信が来た。
めんどくさい男だ。
イチに対しても、前日には、ちょっといいかもと思っていたが朝になったらすっかり冷めていた。
メール男は、イチからメール来たか確認してきた。メールなんてきてなかったから、そのまま伝えたら、俺から言っとくとメールが来た。
お前は保護者か?
それから、私はスクールに行った。
コーチは学生で私より明らかに若い。同期はおばちゃんばっかり。どこに行ってもおばちゃんか~。
ため息がでた。
世の中おばちゃんの割合ってどのくらい?
カラオケに着いても恥ずかしくて同僚に帰らせてとお願いしたけど、ここで帰ったら後悔するよと説得され、とりあえず、部屋に入った。
皆すでに盛り上がっていてパフェを食べたり飲んだり歌ったりしていた。
また隅に一人ぽつん。
その時「何か食べる?」と声をかけてくれたイチ。そのあと当時流行ってたあるあるネタをしてくれた。
音がうるさくてよくわからなかったけど、その日、初めて笑った。
それから、私は、職場では、頼りにされ後輩も入って来て、おばちゃんがいない若手だけの固定メンバーになった。
仕事が暇な時間は恋バナしたり、皆でご飯に行ったり和気あいあいと楽しくやっていた。
私より年上だけどかわいい女の子が入ってきて、男友達が結構いるらしくあっさり紹介するよと食事会を開いてくれた。
お酒飲めないし、複数男子と会話なんて無理な私は、イケメンなんて一人もいないのに、緊張で具合が悪くなってしまった。
恥ずかしい。早く帰りたい。トイレにこもった私。
あつしとしゃべれたのも会って三回目でやっとぐらい、それほど、男との会話に慣れてない私。
服装もなぜかカシミアのピンクのカーディガンにジーンズと冴えない格好だったし、浮きまくりの、場違い。
次はカラオケ。
移動途中に職場の同僚が私の好みを男性陣に話してくれて、食いついたのがイチだった。
それから一度だけ食事に行った。付き合ってないからもちろん割り勘。
久しぶりにあったから話題はたくさんあった。
あつしは就職が決まったらしい。有名な大手メーカーらしい。会社名は頭だけしか教えてくれなかったけど、最終選考に残るだけでも難しかったと自慢していた。
もちろん4月から県外に行くといい、もともと地元ではなかったから、卒業すればいなくなることはわかっていた。
素直に寂しくなるねと言ったら、「そう言ってくれるのは○○だけだよ」と言ってた。
調子良すぎ。
私が着いて来るとでも思ったのか、どこの県に行くかは教えてくれず、俺と結婚しても幸せになれないと語っていた。
そしていつの間にかあつしは去って行った。
それから数年後、あつしの名前で検索してみたら、会社のホームページに若君ホープとして載っていた。
今は中国と日本を行き来してるらしい。
ちゃっかり彼女を連れてこっちに来たプライベート写真まであった。
それから仕事に没頭して男なんてどうでもよかった。
先輩とご飯を食べに行き、閉店まで語り合ったり、それなりに充実。
2ヶ月経ったころ、あつしからのメールで「ごめん、送って行けない」 と書いてあった。
こいつ誰かと間違ってると思いほっとけばよかったけど、冷たい女と思われたくなくて、
間違ってるよと返信した。
「ごめん、間違ったみたい。後輩を空港まで送る約束してたから」
ってあんた車持ってないじゃんとツッコミたかった。
「元気?仕事終わった?」 と聞かれたから 元気だよとだけ答えた。
人肌恋しい季節になっていた。
会社をやめて2週間目のことだった。
まだ離職票もできてなくて継続扱いにしてもらった。
何だよこの展開と自分で思った。
親は喜んでいたけど。
結局、私にはこの病院しかないんだなと思ったら、ふっ切れてめきめき料理が上達した。
病院では珍しいISOのやり方についていけなくなったおばちゃん達は、次々辞めて行った。
会うこともないと思いながら、あつしに 元の会社に戻ったことをメールした。
メールは便利だとつくづく思った。
あつしからは「よかったね。がんばれよ」と二言。
電話は係長からだった。
「就職は決まったか?」 まだですが。
「だったら最初の職場に戻ってくれんか?」
なんて勝手な会社だ。私が、元の職場に戻してほしいと頼んだ時は所長に無理と言われたのに。
もともと人気のない忙しい職場だったからおばちゃんが続くわくないと思っていたら案の定、やめたらしい。
引き継ぎできなかったため私に声がかかった模様。
即座にOKをした。
二回目の別れ。
まぁ当然だ。
私のことなんて好きになってくれる男なんてどこにもいないんだ。そう思うことにした。
仕事も失い、男も失い。家での居場所も失い。どこまで不幸なのか。
今まで有給休暇もなかったし、たまに遊んでもバチなんて当たらない。そう思い、久しぶりに一人でショッピングに明け暮れた。
そんな時間もつかの間。
着信。
私は、その当時でいうプータローになった。
もちろん、あつしとうまくいくわけがない。
研究室にいるとわかっていても気になる私。あつしと仲良しな女の先輩もいると聞いていた。
また重い女の始まり。学習能力がない私。
電話は出てくれるまでかけたし、メールぐらい返信してみたいに。
家でも、会社辞めてたった一週間で両親にさっさと働けと言われた。
痩せて心配してた頃の親はどこへ行った。
友達と別れた後、あつしの部屋に寄った。
私は、友達に彼氏を紹介するとか初めてで照れもあった。
あつしは、友達が自分をどうだったと言ってたかを気にしていた。
だから「好みじゃないと言ってた」と伝えたらがっかりしていた。
友達は私より明らかに美人だしモテる女だった。
それからしばらく、私は、新しい施設の仕事に追われ、朝早くから夜遅くまで、疲れていた。
体重も減り、ご飯も食べたくないほど追い込まれた。
慣れない私の言うことを聞くわけがないおばさん達。施設長からのクレーム。委託会社勤務の私は以前より立場の悪い部署だった。
その頃あつしは、研究や論文に、就職活動。と言っても大学院だから、不景気でも企業が欲しがるらしい。
順風満帆な男だ。
私は会社を辞めることにした。
付き合ったと言っても何も変わらなかった。
私は通勤に車が必要になり車を買った。
車を選ぶ時に車好きなあつしの意見を参考にして買った。
とてもかわいい車。
のちに爆発的なヒット車になる。
出始めに買ったのでとても目立った。
まだ運転に慣れてないのに無防にも、友達とあつしを乗せて山へ行った。
その頃のあつしは、後輩に乗ってた車をあげてモンキーで学校へ通ってた。
車を買った私が都合よかったのかな。
あつしと別れたけど友達ならいいみたいなことになった。
まだ好きだった私はそれでもよかった。
たまに部屋に遊びに行ってご飯食べたり、仕事の愚痴聞いてもらったり。
泊まることはなかったけど、どう考えても付き合ってるのと一緒じゃんと思っていた。
重くない女になればいいんだ。
今度はあっちから告られる女になろうと思った。
メイクもバッチリ、服装もその頃流行ってたローライズをはき、自分なりのアピール。
そのうち、仕事でも成果がみられたためか、配置換えで栄転になった。
うれしくて、あつしにも報告。今までの仕事が影ならばこれからの仕事は光と言った感じ。
その話を延々と言ったら今度は、あつしのツボにハマったらしい。
「また付き合ってみる?」とメールが来た。
その時、振ってればかっこよかった私。
結局寄りを戻した。
私は、家に着いて母親に言った。
「もう別れたから、文句ないでしょ」
私は小学生の頃、好きな男の子がいた。回りの友達はお母さんに初恋の男の子の話をしたら喜んでたよって学校で聞いたので、
何のためらいもなくお母さんに話した。
返ってきた言葉は、「学校は勉強する所でしょ!子供の癖に大人みたいなこと言わない」 っていう冷たい言葉だった。
私は将来、子供が生まれたら、子供の恋を応援できるような母親になろうと思った。
きっと彼氏ができたことがうれしくて母親にしゃべったからこんな結果になったんだと後悔した。
仕事が終わって携帯を開いた。
新着メール1件。
長い内容だった。
「昨日いろいろ考えたんだけど、まだ好きかどうかもわからない。付き合うの早過ぎたのかもしれない。俺も、一人の時間が欲しいし、○○の気持ちが重過ぎる。別れてほしい」
と書いてあった。
重い女。重い両親。
別れることを私は両親のせいにした。
まだ一ヶ月しか経っていなかった。
「付き合ってすぐに結婚ってそれ重くない?俺まだ学生だし結婚なんて考えてないんだけど」
それが彼の正直な気持ち。
私も結婚なんて考えてなかった。
でも両親は極端な性格だから、許すはずない。
結婚しないなら付き合うな、口では言わないけど妊娠したらどうする。みたいな考え。
次の日、朝から家に帰り、母親の説教。
私は、無視して仕事に行った。
やっぱり親からだった。
もともと厳しい両親だったから、男の家に泊まるなんて許してくれるはずもない。
早く帰ってきなさい!。いい加減にしなさい。 の連続。
雰囲気ぶち壊し、電源を切った。
あつしは心配してくれていた。帰らなくて大丈夫なの?と言われ、大丈夫大丈夫って。
その後、つい私は、うちの両親厳しいから付き合ったら結婚すると思ってるんだよ。って軽い気持ちで言ってしまった。
夜になって、メールが来た。
「今日は楽しかったよ。また遊びに行こう」という、あつしからのメールだった。
もう二回目はないと思ってたから正直うれしかった。
それからしばらくは、電話でお互いのことを話して長電話になって親に怒られた。
今まで真面目にやってきたんだからという親への反抗でもあった。
三回目に会った時、付き合うことにした。彼氏が人生で初めてできたことがうれしくて舞い上がった。
私の顔はかわいいとか美人とは言えないけど、スタイルには自信があった。
いつでも脱いじゃうぞ~みたいな。
あつしには処女ではないと話した。結局どれも未遂だったんだけど。
あつしとは付き合ってるから、すんなりできた。セックスってこういうものかって。
仕事が休みの日は、毎回あつしの家に行ってた。とにかくHがしたかった。
色んなことを教わった。
少女漫画でしか知らない世界だったけど現実はもっとすごいんだ。みたいな。
初めて泊まる日、仕事帰りに迎えに来てくれた。リュック姿の私を見て、どなた?と思ったらしい。
しかもその日作ったのはカレー50人分。ドン引きだよね。
それから、夕食の買い出しに出かけた。
豆腐ハンバーグを作ってあげようと思ったのに、緊張のあまり生姜を買い忘れて激マズ。
それでも全部食べてくれた。
今度は絶対おいしいの作るからって心の中で思った。
21時から着信の嵐。
しばらく出会い系にはこりて、普通の生活に戻った。
仕事ではガミガミ上司に言われ、おばちゃんばっかりの職場にうんざりしていた。
現場を踏まないと国家試験が受けれなかったからひたすら我慢。
でも家に帰ってもつまらないし、仕事ばかりしてもね~って感じで再び出会い系の道へ。
今度こそ彼氏見つけるぞ~~って思ってた私。
たまたま平和そうな名前の出会い系で、あつしと出会う。
大学院生で家庭教師のバイトをしていた。インテリに弱い私は、胸キュン。古い言葉ですが。
アパートに一人暮らしと聞いてたので行きやすかった。
あつしは、車を持ってたので、初めてあった日に地元でも有名な観光地に出かけた。
水が綺麗な場所で、あつしはいきなりタオルを出して顔を洗おうとして私はビックリ。
回りにそんな人いませんけど~と心の中でつぶやいた。
回りを気にしないその性格になんかいい奴かもと思った。
それから結構人気のカフェでランチ。いちおデートコースを考えてくれてたらしい。
デートしたことなかった私は、緊張してたけどうれしかった。私なんかのためにって。
部屋に帰って、どうせするんだよねって思ってたら、「ごめん今からバイトあるから帰ってくれるかな」って言われた。
きっとこれで終わりかって感じで、がっかりして帰った。
カラーリングしてオシャレにセットしてもらったら、世界が変わった感じで急にモテる気がして、私って単純。
出会い系に手を出してしまった。
それまで処女だったから早く捨てたかったし、よさ気なら誰でもよかった。
一人目は、近所の有名大学の男。親には嘘をついて会いに行き、初対面なのに泊まった。
泊まったけど結局できなかった。痛過ぎて拒否。
それで相手の男が豹変しなかったから今思うとヒヤヒヤ。
何回か冷やかしに遊びに部屋に行ったら しないなら来ないでと言われた。
それもそうだ。
怖いもの知らずな私は、キャバクラの送迎をしてるという男と知りあった。
家は街中だったから 近かったけど、朝に来てと言われとりあえず近くまで行ってみた。
アパートの前に立ってるのが見えて思わず逃げた。やっぱり怖い。
誰も近くにいなかったし、おもしろ半分でアパートに入った。
部屋についても会話もなく、無言。
今となっては顔も覚えてないけど、とりあえずブツを触ってみた。
その男はいきなり私の中に入ろうとして 私が嫌がったから処女とわかったみたいで、やめてくれた。
そのままとりあえず帰った。
その後キャバクラの店長達がアパートに来ると言ってたから鉢合わせしなくてよかった。
家に帰って血が。
ガーン。
私は、二十歳で就職し病院の調理場で働いていた。
高校は女子高、大学も女子大と全く男とは無縁の学校生活。
もちろん、彼氏なんていなかったし、付き合ったこともなかった。
毎日、とりあえず働いて、ご飯行くのも職場の先輩(女)だけ。先輩も彼氏はいなかったから、気楽でよかった。
22歳になり仕事にも慣れ、彼氏も欲しいな~って思うようになった。
自分でもずっと髪型がダサいし黒髪をどうにかしたいとずっと思ってて友達に相談して美容室を紹介してもらった。
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