♒ LЁGЁЙD Ⅲ ♒
前スレⅡに引き続き
今回も伝説・神話etc…
自分の興味有る事を
ひたすら綴るだけ🎵
(〃・艸)
⚠ 前回同様
①人での~んびり
遣りたいので 横レスは
ご遠慮下さいますよう
お願い致しま~す🙇
(。・・。)ノ゙ ヨロシク~🎵
新しいレスの受付は終了しました
📝 枕返しの続き 📝
栃木県下都賀郡大平町大中寺には「枕返しの間」と言う部屋がある。
かつて旅人がこの部屋に泊まり、本尊に足を向けて寝たところ、翌朝には頭の方が本尊の方へ向いていたと言い、大中寺の七不思議の①つに数えられている。
静岡県磐田郡では枕小僧と言う名の一種の霊とされ、身長約③尺(約90㎝)
で、①人で寝ていると枕を返す等の悪戯をすると言われる。
また香川県さぬき市の大窪寺では、寝ている間に枕元に枕小僧が立つと、体の自由が利かなくなると言う。
枕返しが人の命を奪うとも言い、石川県金沢のある屋敷には美女の姿の枕返しが出たと言うが、その屋敷の草履取りが屋敷の前で枕返しに笑い掛けられた途端に気を失い、そのまま死んでしまったと言う。
また和歌山県日高郡では、⑦人の木こりがヒノキの大木を切ったところ、その🌠にヒノキの精による枕返しに遭い、⑦人共死んでしまったと言う。
📝 フィクション作品
での枕返し 📝
🔍『ゲゲゲの鬼太郎』
では、夢の世界に住み、自分の領域に迷い込んだ子供を拐って食べるとされていた。夢を操る力を持ち、塩に弱い。またアニメ第③期では夢の世界の番人、アニメ第⑤期では子供の夢を壊す妖怪として描かれている。悪霊を食べる獏は天敵。
🔍『地獄先生ぬ~べ~』
では、自分の嫌な未来に行かせる妖怪だった(アニメ版では最終回に使われた)。
❤ マナナンガル ❤
マナナンガル(Manananggal)は、フィリピンのシキホル島に伝わる魔女。
昼間は人間の姿をしているが、🌠になると下半身を切り離し、背中に蝙蝠の翼を生やして空を飛ぶ。
そして人間を襲い血を吸うとされる。
📝 概 要 📝
大晦日、節分、庚申の日、夜行日(陰陽道による忌み日。正月・②月🐭、③月・④月🐎日、⑤月・⑥月🐍日、⑦月・⑧月🐶日、⑨月・⑩月♈日、⑪月・⑫月🐲日)の🌠に来世から現世へと現れ、首切れ🐎に乗って徘徊する鬼。
遭遇してしまった人は投げ飛ばされたり、🐎の足で蹴り飛ばされたりしてしまう。
その為かつては、人々は前述の出現日の🌠の外出を控えるよう戒められていた。
運悪く遭遇してしまった場合は、草履を頭に載せて地面に伏せていると、夜行さんは通り過ぎて行くので、この難から逃げる事が出来ると言う。
三好郡山城谷村政友(現・三好市)では髭の生えて一つ目の鬼であり、🏠の中でその日の食事のおかずの事を話していると、夜行さんが手を差し出しておかずをねだると言う。
夜行さんと首切れ🐎は必ずしも対になっているわけではなく、むしろ首切れ🐎単独での伝承の方が多い。
特に吉野川下流から香川県東部の地域に於いては、首切れ🐎に乗ったこの鬼ではなく、首切れ🐎そのものの事を夜行さんと呼ぶ。
─ 続 く ─
>> 6
─ 続 き ─
また徳島県では大晦日、節分の🌠、庚申の🌠、夜行日等は魑魅魍魎(ちみもうりょう)が活動する日とされ、夜歩きを戒める日とされた。
元来、夜行日とは祭礼の際に護神体を他所へ移す事を言い、神事に関わらない人は🏠に籠り物忌みをした。
その戒めを破り神事を汚したものへの祟りを妖怪・夜行と呼ぶ様になったとの説もある。
東京都八王子市にも夜行さんの話は伝わり、その土地の夜行さんは首無し🐎に姫君が乗る姿で見られる。
昔、八王子の滝山丘陵にあった高月城が敵軍の襲撃を受け落城寸前になったおりに、城主がせめて姫だけでも助けようとし、🐎に乗った高月城の姫が逃亡するが、🐎は敵兵に首をはねられ、首のないままで疾走し、そのまま天へと昇った。
それ以来姫と首無し🐎は八王子の深夜の町を徘徊していると言う。
─ 続 く ─
💛 山 姥 💛
山姥(やまうば、やまんば)は、奥山に棲む老女の怪。
🇯の妖怪で、🌋に住み、人を食らうと考えられている。
鬼婆(おにばば)、鬼女(きじょ)とも。
🌋の中に夜中行く当ても無くさ迷う旅人に宿を提供し、始めは綺麗な婦人の格好を取り食事を与える等するが、🌠寝た後取って食うと言われる。
グリム童話に出て来る森の奧に住んでいる魔女の様に、飢餓で口減らしな為に🌋に捨てられた老婆等の伝承が姿を変えたもの、姥捨て伝説の副産物と解釈する人もあるし、直接、西欧の魔女に当たるものと言う人もある。
📝 山姥の説話 📝
「山母」、「山姫」、「山女郎」とも呼ばれ、宮崎県真幸町の「ヤマヒメ」は、洗い髪して、良い声で歌うと言う。
岡山県の深山に存在する「ヤマヒメ」は、二十歳程の女性で、眉目秀麗で珍しい色の小袖に黒髪、出会った猟師が鉄砲で撃ったが、弾を手で掴んで微笑んだと伝えられる。
東海道や四国、九州南部の山地には、山姥と供に山爺がいるとか、山姥と山童が一緒に居ると伝え、山姥を「山母」、山爺を「山父」と呼ぶ事もある。
静岡県磐田郡の某家に来て休んだ「ヤマババ」は、木の皮を綴った物を身に纏った柔和な女で、釜を借りて米を炊いたが、二合で釜が一杯になったと言う。
特に変わったところも無かったが、縁側に腰掛けた時に床がミリミリと鳴ったと言う。
八丈島で言う「テッジ」(テッチ
とも)は、神隠をしたり、一晩中、あらぬところを歩かせたりするが、親しくなるとマグサを運んでくれたりする。
行方不明の子供を三日も養ってくれた事もある。
体に瘡(かさ)が出、乳を襷(たすき)の様に両肩なな掛けると云う。
─ 続 く ─
>> 10
─ 続 き ─
香川県では川にいる山姥を「川女郎(かわじょろう)」と言い、大水で堤が切れそうになると「🏠が流れるわ」と泣き声の様な声をあげると言う。
静岡県春野市(現・浜松市)熊切には「ホッチョバア」と言う山姥が伝わり、🌆に山道に現れる他、🌋から祭や祝い事の音が聞こえて来る怪異はこの山姥の仕業とされた。
説話では、山姥に襲われるのは🐮方、🐎方、おけ屋、小間物屋等の旅職人とか振売の徒であり、山道を歩き、山人との接触の多い彼等が、この話の伝搬者であったものと考えられる。
🐮に♓を積んで運ぶ男が、峠で山姥に遭遇し、追い掛けられる『牛方山姥』や『食わず女房』、山姥に追い掛けられた人間が、天から現れた鎖を上がって来た山姥が、そば畑に落ちて死ぬ『天動さんの金の鎖』等では、山姥は、人を取って喰うとする恐ろしい化け物である。
─ 続 く ─
>> 11
─ 続 き ─
一方、木の実拾いに出掛けた姉妹が出会う『糠福米福(米福粟福)』の山姥は、継母に虐められる心優しい姉なは宝を、意地の悪い本子である妹には不幸をもたらし、『姥皮』では、人間に福を授ける存在として山姥が登場する。
高知県では、山姥が🏠に取り憑くとその🏠が急速に富むと言う伝承があり、中には山姥を守護神として祀る🏠もある。
- << 14 ─ 続 き ─ 長野県程野の伝説では、猟に出た山神の兄弟が、お産に苦しむ山姥に出会うが、長兄オホヤマツミノミコトがこれを助け、七万八千の子を産み、彼に猟運を授けた。 🌋の中で出産に苦しむ山神や山姥、女に出会い、それを助けた人間が福をもたらされると言う伝承は全国各地に色々な形で伝えられるが、同様に、女神たる山神も、多産、また難産である事が知られている。 長野県の下栗では、一度に七十五人の子を産むと言う山神や、徳島県では一度男の肌に触れただけで八万近くの子を妊娠した山神等がいる。 宮崎県の千二百人の子を出産する🌋の女神また徳島や高知の昔話によると、山神の妻になった乙姫は一度に四百四人或いは九万九千もの子を産んだと伝えられている。 この様に、非常に妊娠しやすいと言う特徴、異常な多産と難産であると言う資質は、元来、🌋の神の性格であり、山姥が、山岳信仰に於ける神霊にその起源を持つ事を示している。 ─ 続 く ─
📝 山姥の正体 📝
この様な両義性を持った山姥の原型は、先住民族の末裔、木地屋やサンカと言った、山間を流浪する民であるとも、🌋の神に仕える巫女が妖怪化していったものとも考えられている。
土地によっては「山姥の洗濯日」と呼ぶ、水を使ってはいけないとか、洗濯をしてはいけないとする日があり、例えば北九州地方では、「山姥の洗濯日」は暮れの十三日又は二十日とされ、この日は必ず☔が降る為洗濯をしないと言う風習が残っている。
これは恐らく、☔を司る山神の巫女の禊の日であったものの名残りである。
また、『遠野物語』には、狂人、🌋の神に娶られる者、或いは山人に攫われる者と言った、山隠れする女が山姥になったと言う話が伝えられており、出産の為に女性が入山する習俗や、村落の祭にあたって選ばれた女性が🌋に籠ると言う、山岳信仰の習俗の名残りも認められる。
上述の様に、山姥は人を喰う恐ろしい鬼女の性格の背理として、柔和で母性的な一面も伝えられ、足柄山の金太郎を始め、多くの神童、若子の母でもあった。
─ 続 く ─
>> 12
─ 続 き ─
一方、木の実拾いに出掛けた姉妹が出会う『糠福米福(米福粟福)』の山姥は、継母に虐められる心優しい姉なは宝を、意地の悪…
─ 続 き ─
長野県程野の伝説では、猟に出た山神の兄弟が、お産に苦しむ山姥に出会うが、長兄オホヤマツミノミコトがこれを助け、七万八千の子を産み、彼に猟運を授けた。
🌋の中で出産に苦しむ山神や山姥、女に出会い、それを助けた人間が福をもたらされると言う伝承は全国各地に色々な形で伝えられるが、同様に、女神たる山神も、多産、また難産である事が知られている。
長野県の下栗では、一度に七十五人の子を産むと言う山神や、徳島県では一度男の肌に触れただけで八万近くの子を妊娠した山神等がいる。
宮崎県の千二百人の子を出産する🌋の女神また徳島や高知の昔話によると、山神の妻になった乙姫は一度に四百四人或いは九万九千もの子を産んだと伝えられている。
この様に、非常に妊娠しやすいと言う特徴、異常な多産と難産であると言う資質は、元来、🌋の神の性格であり、山姥が、山岳信仰に於ける神霊にその起源を持つ事を示している。
─ 続 く ─
>> 14
─ 続 き ─
山姥の産霊神的な特質を挙げるものとして、山姥の慘死した死体からは、様々なものが発生すると言う話がある。
例えば『牛方山姥』では、殺された山姥の死体が、💊、金等の貴重なものとなって牛方を金持ちにしており、また山姥の大便や乳が、錦や糸等の貴重な宝物や、不思議な力を持つ品になったと言う話もある。
『古事記』に登場するオホゲツヒメは、👃、💋、尻から食物を出し、自らの死体から蚕や稲、粟等の作物を生じさせ、イザナミ
も🔥の神を産んだ為に死ぬが、死の前に排泄物から、金鉱の神、粘土の神、水の神、食物の親神を生んでいる。
しかしながら、イザナミの境遇にも明らかな様に、母性を持った産霊神的な性格を持つ霊は、冷遇される傾向にある。
古来神話は色々な勢力の伝承神話を融合したものであり、反発しあう勢力の神が①つの神話にまとめられると、敵対する勢力の神を部分的ではあるがあまり良くは伝え様としないが、これは古事記にも既に見られる現象である。
─ 続 く ─
>> 15
─ 続 き ─
『三枚の御礼』は、小僧が山姥に追い掛けられ、山姥に向かって投げた御礼が、川や🌋等の障害物を出す話だが、この構造は、イザナミが、黄泉の国で、イザナミの姿を見てしまい、追い掛けられて逃げ帰ると言う神話をベース
にしており、地母神の劣化が、山姥と言う妖怪の本源と考えて良い。
イザナミは難産死してしまい、それが出雲と伯きの国境の比婆山に葬られたと古事記には記されているが、この「比婆山」が山姥の語源と言う指摘がある。
産鉄の神、金屋子神もこういった女神を冷遇する様な話が一部あり、美形の顔立ちではない為女性を嫌い、たたら場(古代製鉄場)を女人禁制としたとある。
「山の神」と言う既婚女性の別称もこのような説話の名残であると考えられる。
また、謡曲『安達原』の「黒塚」、諏訪千本松原の「舌長姥」等も山姥の一種である。
📝 金太郎の母 📝
山姥の伝承として有名なものに、足柄山の金太郎の母がいる。
金太郎は、名を坂田公時と言い、源頼光の四天王の①人となった人物である。
『今昔物語』では、976年、源頼光が上総国から上京した時、相模国足柄山に差し掛かったところで、向かいの🌋の険しい場所に赤い雲気を見付け、人傑が隠居しているものと、渡辺綱を遣わした。
赤い雲気の立ち込めていた場所には、老婆と二十歳程の童形の若者が茅屋に住んでおり、尋ねたところによれば、老婆はある日、夢の中に現れた赤い🐲と通じ、産まれた子がこの金時なのだと説いた。
頼光は彼を常人ではないと感じ、坂田公時と名付けて家臣としたと言われている。
📝 概 要 📝
一つ目一本足の爺の姿をした妖怪で、どんな獸でも簡単に噛み砕いてしまうと言われている。
土佐民俗学会発行による『近世土佐妖怪資料』によれば高知県を始めとする四国地方に伝承されており、身長が3~4尺(約90~120㎝)、全身に鼠色の短毛が生えており、👀は二つ目だが、片方が大きく片方が非常に小さい為、一つ目に見えるとある。
一つ目の伝承は、この一つ目に見える二つ目と誤解されて伝わったものとも言う。
猟師達はこの山爺を餌で手なずけ、狼を追い払うのに使っていたと言う。
普段は山中に住んでいるが、人里に現れる事もあり、約②㍍おきに⑫㎝ほどの大きさの丸い👣を残すと言う。
─ 続 く ─
- << 21 ─ 続 き ─ 土佐国の妖怪譚を綴った『土佐お化け草紙』には、🐎で荷を運んでいた男が山父(山爺)に荷を食べられ、終いには🐎まで食べられてしまったと言う話がある。 同じ四国の妖怪である子泣き爺の伝承のもとになったとも言われる。 同じ一つ目一本足の妖怪に、一本だたらが挙げられる。
>> 19
─ 続 き ─
特筆すべきはとてつも無く声が大きい事で、その叫び声は山中に響き渡り、天地を震えさせ、木の葉を落とし、石を動かす程と言う。
この大声で鼓膜を破られて死んだ者もいると言われる。
山爺はしばしば人間に大声比べを挑み、猟師が自分の声と見せ掛けて銃声を鳴らして負かすと言った昔話が四国各地に見られる。
また猟師は大声比べに備え、八幡大菩薩の弾丸と言う特殊な銃弾を常に携帯していたとも言う。
しかし銃声で騙された事に気付いた山爺は、蜘蛛に化けて相手の🏠に忍び込み、寝込みを襲って怨みを晴らすとも言う。
性格は、同じ🌋の妖怪で人を襲うとされる山姥等に比べると比較的大人しく、人に騙される事もあると言うが、子供や家畜を拐うと言う伝承もある。
また山姥同様、山爺も人に富をもたらすと言う説もある。
─ 続 く ─
💚 山 彦 💚
山彦(やまびこ)とは、🌋や谷で音を発した時、それが反射して返ってきて遅れて聞こえる現象。
音速が有限である為に起こる反響の一種である。
🌋の神が答えたものと考えて山彦、樹木の霊が答えたものと考えてこだま(木霊、木魂)と呼ばれる。
また、妖怪としての一面も持ち、🌋の中にいる妖怪がこの様な現象を引き起こすものと考えられ、その場合は幽谷響とも表記された。
高知県幡多郡橋上村(現・宿毛市)楠山では、昼夜問わず深山で突然恐ろしい声が聞こえる怪異をヤマヒコと言う。
💜 雪 女 💜
雪女(ゆきおんな)は、雪の妖怪。
「ユキムスメ」、「ユキオナゴ」、「ユキジョロウ(雪女郎)」、「ユキアネサ」、「雪オンバ」、「雪ンバ」(愛媛)、「雪降り婆」
(長野)とも呼ばれる。
「ツララオンナ」、「カネコリムスメ」、「シガマニョウボウ」等、つららに結び付けて呼ばれる事も多い。
📝 由 来 📝
雪女の起源は古く、室町時代末期の連歌師・宗祇法師による『宗祇諸国物語』には、法師が越後国(現・新潟県)に滞在していた時に雪女を見たと記述がある事から、室町時代には既に伝承があった事が分かる。
雪女は『宗祇諸国物語』をもとにしたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』「雪女」の様に、美しい女性として語られる事が多く、雪の性質から儚さを連続させ、類人猿の姿をしている雪男とは対照的である。
雪女が女(♀)であるのに対し、雪男は性別不明である。
雪女が雪と深い関係があるのに対し、雪男は単に雪の多い所に棲むだけである。
📝 逸 話 📝
伝承では、新潟県小千谷地方では、男のところに美しい女が訪ね、女は自ら望んで男の嫁になるが、嫁の嫌がるのを無理に♨に入れると姿が無くなり、男が切り落とした細い氷柱の片方だけが浮いていたと言う。
青森県や山形県にも同様の話があり「しがま女房」等っ呼ばれる。
山形県上山地方の雪女は、雪の🌠に老夫婦の元を訪ね、囲炉裏の🔥にあたらせてもらうが、夜更けにまた旅に出ようとするので、翁が娘の手を取って押し止めようとすると、ぞっとする程冷たい。
と、見る間に娘は雪煙となって、煙出しから出て行ったと言う。
また、姑獲鳥との接点も持っており、吹雪の晩に子供を抱いて立ち、通る人間に子を抱いてくれと頼む話が伝えられる。
その子を抱くと、(子泣き爺の様に)子がどんどん重くなり、人は雪に埋もれて凍死すると言う。
頼みを断ると、雪の谷に突き落とされるとも伝えられる。
─ 続 く ─
>> 25
─ 続 き ─
弘前では、ある武士が同様に雪女に子供を抱く様に頼まれたが、短刀を口にくわえて子供が頭の近くに刃がくるようにして抱いたところ、この怪異を逃れる事が出来、武士が子供を雪女に返すと、雪女は子供を抱いてくれたお礼と言って数々の宝物をくれたと言う。
抱きおおせた者は怪力を得るとも言う。
長野県伊那地方では、雪女を「ユキオンバ」と呼び、雪の降る🌠に山姥の姿で現れると信じられている。
同様に、愛媛県吉田では、雪の積もった🌠に「ユキンバ」が出ると言って子供を屋外に出さない様にする。
また、岩手県遠野地方では、小正月の1月15日、または谷の満月の🌠には、雪女が多くの童子を連れて野に出て遊ぶので、子供の外出を戒めると言う。
この様に、雪女を山姥と同じものとして扱う所も多く、多くの童子を連れると言う多産の性質も、山姥のそれに類似している。
─ 続 き ─
>> 26
─ 続 き ─
和歌山県伊都地方では、雪の降り積む🌠には一本足の子供が飛び歩くので、翌朝に円形の👣が残っていると言い、これを「ユキンボ」と言うが、一本足の童子は山神の使いとされている。
鳥取県東伯郡小鹿村の雪女は、淡雪に乗って現れる時に、「氷ごせ湯ごせ」
と言いながら白幣を振り、水を掛けると膨れ、湯を掛けると消えると言う。
奈良県吉野郡十津川の流域で言う「オシロイバアサン」、「オシロイババア」も雪女の一種と思われ、鏡をジャラジャラ引き摺って来ると言う。
これ等の白幣を振ると言う動作や、鏡を持つと言う姿は、生産と豊穣を司る山神に仕える巫女としての性格の名残であると考えられる。
実際に青森では、雪女が正月三日に里に降り、最初の🐰の日に🌋に帰ると云われ、🐰の日が遅い年は作柄が変わるとされていた。
─ 続 く ─
>> 27
─ 続 き ─
岩手県や宮城県の伝承では、雪女は人間の精気を奪うとされ、新潟県では子供の生き肝を抜き取る、人間を凍死させる等と言われる。
秋田県西馬音内では、雪女の顔を見たり言葉を交わしたりすると食い殺されると言う。
逆に茨城県や福島県磐城では、雪女の呼び掛けに対して返事をしないと谷底へ突き落とされると言う。
福井県でも越娘(こしむすめ)と言って、やはり呼び掛けに対して背を向けた者谷へ落とすと言う。
岐阜県揖斐郡揖斐川町では、ユキノドウと言う👀に見えない怪物が雪女に姿を変えて現れると言う。
山小屋に現れて「水をくれ」と言うが、求めに応じて水を与えると殺されてしまうので、熱い🍵ゆ出すべきとされる。
またこのユキノドウを追い払うには「先クロモジに後ボーシ
、蹄つけ履いたら、如何なるものも、かのうまい」と唱えると良いとかと言う。
─ 続 く ─
>> 28
─ 続 き ─
正月元旦に人間ドック界に雪女が来て帰って行く青森県弘前市の伝承や岩手県遠野市の、小正月または冬の満月の日に雪女が多くの子を連れて遊ぶと言う伝承から見ても、この様な人間界を訪れる日から雪女の歳神(としがみ)的性格を窺う事が出来る。
吹雪の晩に雪女を親切に持て成したところ、翌朝、雪女ら黄金と化していたと言う、「大蔵の客」系の昔話の存在も雪女の歳神的性格と無縁ではない。
雪女は子供を連れて出現する事も多い。
同じ様な子連れの妖怪、産女(うぶめ)の伝承とも通い合う。
山形県最上郡では産女を雪女だと伝えている。
小泉八雲の「雪おんな」の様に、🌋の猟師は泊まり客の女と結婚し子供が生まれ、うっかり雪女とのタブーを💋にした為、女は自分は雪女だと伝え姿を消すタイプの昔話のパターン
は新潟県、富山県、長野県に伝承があり、その発端は🌋の禁(タブー)を破った為に🌋の精霊に殺されると言う山人の怪異譚に多い。
雪女の伝説は、山人の怪異譚と雪女の怪異譚の複合により生まれたとする説もある。
─ 続 く ─
>> 29
─ 続 き ─
雪女の昔話は殆どが哀れな話であり、子のない老夫婦、山里で独り者の男、そういう人生で佗しい者が、吹雪の戸を叩く音から、自分が待ち望む者が来たのではと幻想する事から始まったと言える。
そして、その待ち望んだものと一緒に暮らす幸せを雪の様に儚く幻想した話だと言う。
それと同時に畏怖の感覚もあり、『遠野物語』にもある様に吹雪が外障子を叩く音を「障子さすり」
と言い、雪女が障子を撫でていると遅寝の子を早く眠らす習俗もある。
障子さすりの様なリアルな物言いにより、待ち望むものの訪れと恐怖とは背中合わせの関係であると言える。
また冬等の季節は神々の訪れであり、讃めなければ酷い事になり兼ねず、待ち望むと言ってもあまり信用してはならない。
なんにせよ季節の去来と関係した話と言える。
風の又三郎等とも何処かで繋がるのではないかと、国文学者・古橋信孝は述べている。
─ 続 く ─
>> 30
─ 続 き ─
雪女の正体は雪の精、雪の中で行き倒れになった女の霊等と様々な伝承がある。
山形県小国地方の説話では、雪女郎(雪女)は元は🌙世界の姫であり、退屈な生活から抜け出す為に雪と共に地上に降りて来たが、🌙へ帰れなくなった為、雪の降る月夜に現れるとされる。
江戸時代の知識人・山岡元隣は雪女は雪から生まれると言う。
物が多く積もれば必ずその中に生物を生ずるのが道理であり、水が深ければ♓、林が茂れば🐤を生ずる。
雪も陰、女も陰であるから、越後等では深い雪の中に雪女を生ずる事もあるかも知れぬと言っている。
🇯の伝統文化の中で、雪女は幸若の『伏見常磐』等に見られ、近世には確認できる。
近松門左衛門の「雪女五枚羽子板」があり騙され慘殺された女が雪女となり復讐する話である。
雪女の妖艶で凄慘な感じが上手く使われている。
昔話・伝承では青森、山形、秋田、岩手、福島、新潟、長野、和歌山、愛媛等で確認されている。
📝 小泉八雲「雪女」:
あらすじ 📝
武蔵の国のある村に、茂作と巳之吉と言う②人の樵が住んでいた。
茂作は既に老いていたが、巳之吉の方は未だ若く、見習いだった。
ある冬の日の事、吹雪の中帰れなくなった②人は、近くの小屋で寒さを凌いで寝る事にする。
その🌠、顔に吹き付ける雪に巳之吉が👀を覚ますと、恐ろしい👀をした白ずくめの美しい女がいた。
巳之吉の隣に寝ていた茂作に女が白い息を吹き掛けると、茂作は凍って死んでしまう。
女は巳之吉にも息を吹き掛けようと巳之吉に覆い被さるが、暫く巳之吉を見詰めた後、笑みを浮かべてこう囁く。
「お前もあの老人(=茂作)
の様に殺してやろうと思ったが、お前は若く綺麗だから、助けてやる事にした。だが、お前は今夜の事を誰にも言ってはいけない。誰かに言ったら命は無いとおもえ」
それから数年して、巳之吉は「お雪」と言う、ほっそりした美しい女性と出会う。
②人は恋に落ちて結婚し、⑩人の子供を儲ける。
お雪はとても良く出来た妻であったが、不思議な事に、何年経ってもお雪は全く老いる事がなかった。
─ 続 く ─
>> 33
─ 続 き ─
ある夜、子供達を寝かし付けたお雪に、巳之吉が言う。
「こうしてお前を見ていると、⑱歳の頃にあった不思議な出来事を思い出す。あの日、お前にそっくりな美しい女に出会ったんだ。恐ろしい出来事だったが、あれは夢だったのか、それとも雪女だったのか…」
巳之吉がそう言うと、お雪は突然立ち上がり、言った。
「その時お前が見たのは私だ。私はあの時お前に、もしこの出来事があった事を人に喋ったら殺す、と言った。だが、ここで寝ている子供達を見てると、どうしてお前の事を殺せようか。どうか子供達の面倒を良く見ておくれ…」
そう言うと、お雪の体はみるみる溶けて白い霧になり、煙だしから消えていった。
それ以来、お雪の姿を見た者は無かった。
📝 小泉八雲の「雪女」:
原典 📝
小泉八雲の描く「雪女」の原伝説に付いては、ここ数年研究が進み、島根の🏠に奉公していた東京都西多摩郡調布村(現在の青梅市中部多摩川沿い)
出身の親子から聞いた話が元になっている事が分かっている(英語版の序文に明記)。
この地域で酷似した伝説の記録が発見されている事から、この説は相当な確度を持っていると考えられ、秋川街道が多摩川を跨ぐ「調布橋」のたもとには「雪おんな縁の地」の碑が立てられた。
100年前は現在とは気候が相当異なり、中野から西は降れば大雪であった事から、気象学的にも矛盾しない。
📝 ランダの語義 📝
ランダは、本来「寡婦(かふ)」を意味する。
ヒンドゥーのサティーと呼ばれる慣習では、夫に先立たれた妻は、夫に従って死ぬのが理想とされる。
バリ・ヒンドゥーでも⑲世紀までこの慣習が続けられていた。
しかし、実際には、現世への思いが深く墓場にさ迷うケースも生まれる。
そんな寡婦は、時として子供を食べる羅刹の類であって、転じてバリでは、あらゆる恐ろしげな存在に対してランダの語が用いられる事になった。
📝 ランダとバロン 📝
ランダはバリ・ヒンドゥーの悪の側面を象徴しており、反対に善を象徴する神獣バロンと対を成す。
例え倒されても必ず生まれ変わり、バロンと終わりの無い戦いを続けるとされている。
また、シヴァの破壊的の面を表すドゥルガーの化身でもある。
👅を出し、浮き上がった肋骨に萎びて垂れた乳房を持つ老婆である。
ランダの像には、子に乳を与える姿と食い千切る姿が見られる。
ランダは基本的には人間に災いをもたらす魔術しか使えない。
しかし、誰かの温かい心に触れて良心に目覚める事か出来れば、人間を治癒する魔術をも行使出来る様になるとされる。
レヤック(Leyak)やチュルルク(Thurulck)等の使い魔達を従えているとされる。
❤ レヤック ❤
レヤック(Leyak)は、バリ島に伝わる魔女。
ランダに仕えるとされる。
レヤックは普通、異常に長い👅と大きな牙を持った姿をしている。
黒魔術を使い、生き物や物体に変身する。
特に赤ん坊や妊婦の血肉を好み、見付けては襲い掛かると言う。
📝 特 徴 📝
いずれも外見上は普通の人間と殆ど変わらない。
首が伸びるタイプは轆轤を回して陶器を作る際に粘土が長く伸びるように、異常に長く伸び縮みする首を持つ。
このろくろ首は🌠になると首を伸ばして、屋内にある行灯の油を好んで舐めるか又は人間や他の生物の精気を吸い取るとされる。
江戸時代以降、見世物小屋やお化け屋敷の定番的な存在となっている。
ろくろ首の名称は、妖怪研究家・多田克己によれば長く伸びた首が井戸なろくろ(重量物を引き上げる滑車に似ている事が由来とされ、推理作家・阿部主計によれば、🌂のろくろ(🌂の開閉に用いる仕掛け)を上げるに従って🌂の柄が長く見える事が由来とされる。
香川県大川郡長尾町多和村(現・さぬき市)の伝承では、首に輪の様な痣のある女性はろくろ首だと言う。
肥後国(現・熊本県)のしころ村では、絶岸和尚と言う僧が宿に泊まったところ、🌠に宿の女房の首が抜けて飛んでいるのを目撃し、次の日に元に戻った女を見ると首の周りに筋があったと言う。
─ 続 く ─
>> 42
─ 続 き ─
江戸時代の学者・山岡元隣は🇨の書物に記された幾つかの例をあげ、「こうした事は昔から南蛮では良く見られた事で天地の造化には限りなく、くらげに目がない等一通りの常識では計り難く、都では聞かぬ事であり、全て怪しい事は遠国にある事である」と言う。
基本的に女性である事が多いが、江戸時代の随筆『蕉斎筆記』には男の抜け首の話がある。
ある寺の住職が🌠寝ていると、胸の辺りに人の頭がやって来たので、それを手にして投げ付けると、何処かへ言ってしまった。
翌朝、寺の下男が暇を乞うたので、訳を聞くと「昨晩、首が参りませんでしたか」と言う。
来たと答えると「私には抜け首の病気があるのです。これ以上は奉公に差し支えます」と、故郷の下総国へ帰って行った。
下総国にはこの抜け首の病気が多かったとされる。
─ 続 く ─
>> 43
─ 続 き ─
ろくろ首を妖怪ではなく一種の異常体質の人間とする説もあり、伴高蹊による江戸時代の随筆『閑田耕筆』では、新吉原のある芸者の首が寝てる間に伸びたと言う話を挙げ、眠る事で心が緩むと首が伸びる体質だろうと述べている。
抜け首は魂が肉体から抜けたもの(離魂病)とする説もある。
岐阜県の明智町と岩村の間の旧街道に現れたとされるろくろ首は、🐍が化けたものだったと言う。
首が胴体から離れるタイプ
のろくろ首は、🇨の妖怪
「飛頭蛮」(ひとうばん、頭が胴体から離れて浮遊する妖怪)に由来するとも言われており、小泉八雲の作品『ろくろ首』にはこのいわゆる抜け首が登場する。
この抜けるタイプのろくろ首は、夜間に人間等を襲い、血を吸う等の悪さをするとされるが、首の抜けている間に胴体を隠す事で退治出来ると言われる。
👂を翼の様に使って空を飛び、虫を食べると言う話もある。
─ 続 く ─
>> 44
─ 続 き ─
また、首の回りの筋と言う前述の特徴も🇨の飛頭蛮と共通する。
また同様に🇨には「落頭(らくとう)」と言う妖怪も伝わっており、首が胴体からスポッと抜けて飛び回っている間は布団の中には胴体だけが残っている状態になる。
三国時代の呉の将軍・朱垣(しゅかん)が雇った女中がこの落頭だったと言う話が伝わっている。
👂を翼にして飛ぶと言う。
また秦の頃には南方に「落頭民(らくとうみん)」
と言われる部族民がおり、その人々は首だけを飛ばす事が出来たと言う。
また東南アジアではボルネオ
島に「ポンティ・アナ」、マレーシア
に「ペナンガラン」と言う、頭部に臓物が付いて来る形で浮遊するとも言うものである伝承がある。
妖怪研究家・多田克己は、🇯が室町時代から安土桃山時代にかけて南🇨や東南アジアと貿易していた頃、これ等の伝承が海外から🇯へ伝来し、後に江戸時代に鎖国が行われた事から、🇯独自の首が伸びる妖怪「ろくろ首」の伝承が生まれたものと見ている。
また、南米のチョンチョンも、人間の頭だけが空を飛び回ると言う姿をしており、人の魂を吸い取るとされる。
📝 ろくろ首の実話の
信憑性 📝
首だけが胴体を離れて飛び回るタイプは論外として、「寝ている間に人間の首が伸びる」と言う話は江戸時代以降『武野俗談』『閑田耕筆』『夜窓鬼談』等の文献に「実話」として度々登場する。
しかし言うまでもないなく、これ等の話は興味本位に書かれたものであり、科学的な検証に堪えうるものではない。
但しヒトの首は種々の要因によって数㌢から数十㌢伸びる場合がある。
健康な生体では主に慢性的な肩骨から肋骨の下垂によって引き起こされ、実際には頚椎の伸長は見られないものの、首が著しく長い外見を示す(タイやミャンマーの首長族等に見られる他、長期的に重い荷物を背負う労役者にも散見される)。
同様の現象は一時的な衝撃によっても瞬間的に引き起こされる例としてプロドライバーの道上龍は2002年に富士スピードウェイ
で場外クラッシュした際、シート
ベルトで抑えられた肩部が下がる形で首が平常時よりも30㌢伸び、結果として静止時には絶対に届かないステアリング部分に頭を強打し頬骨を骨折している。
実際に頚椎が伸びる場合は、頚椎脱臼や頚髄離断等を引き起こし、即死に至る事が殆どである。
─ 続 く ─
📝ろくろ首の描かれ方📝
ろくろ首は新吉原等の話等からおいらん遊女として描かれる場合が多いが、小泉八雲の怪談では、元は都人(みやこびと)で今は深山で樵をしている一族、と見せ掛けて旅人を食い殺す、と言う設定で描かれている。
💙 赤 足 💙
赤足(あかあし)は🇯の民間伝承として伝わる巨人伝説。
🌋の中にいるとされる。
身長が非常に高く、赤い足が頭上を通過する。
その足の大きさは巨人のようだと言う。
見越し入道は見上げる程大きいとされているが、赤足はそれ以上に巨大な事になる。
道を行く人の足にまとわり付いて歩き難くさせる妖怪との説もあり。
香川県塩飽諸島では、山道の辻等で赤い足を突き出して現れると言う。
また福岡県では、山中で姿を見せず綿の様なものを人の足に絡み付けると言う。
📝 概 要 📝
和歌山と奈良県の境の華無山脈では12月20日のみ現れると言い、この日は「果ての二十日」と呼ばれて厄日とされた。
華無の名の由来は「果ての二十日」に人通りが無くなるからだとも言う。
奈良県の伯母ヶ峰山でも同様に、12月20日に山中に入ると一本だたらに遭うと言い、この日は🌋に入らないよう戒められている。
こちらの一本だたらは電柱に目鼻を付けた様な姿と言い、雪の日に宙返りしながら一本足の👣を残すと言う。
また伯母ヶ峰山の一本だたらは、猪笹王(いのささおう)と言う🐗の霊が化けた鬼神を指す事もある。
🐗笹王は旅人を食い殺して人々から恐れられていたが、ある高僧が地蔵を勧請した事でこの凶行は止んだ。
しかし年に一度、12月20日だけは猪笹王が自由になるのだと言う。
人間を襲うと言う伝承が多いが、何故か🏣屋だけは襲わないと言われる。
─ 続 く ─
>> 52
─ 続 き ─
名称の「だたら」はタタラ師(鍛冶師)に通じるが、これは鍛冶師が重労働で片目と片足が萎える事、一本だたらの出没場所が鉱山跡に近い事に関連するとの説がある。
一つ目の鍛冶神、天目一箇神(あまめのまひとつかみ)の零落とした姿であるとも考えられている。
2004年春には、和歌山県田辺市の富田と言う地域の田で一本足の👣が発見され、「富田のがしゃんぼ」と呼ばれ、一本だたらやがしゃんぼ(かしゃんぼ)の復活かと話題になった。
奈良県吉野郡の松本工房では、一本だたらの伝承を元にした民芸品「一本だたらこけし」を2005年より販売しており、妖怪土産として秀逸な一品との声もある。
また、富山県上新川郡(現・富山市)、岐阜県北部の飛騨地方、岡山県都窪郡に伝わる妖怪の雪入道(ゆきにゅうどう)も一つ目と一本足の大入道で、雪の上に30㎝程の大きさの👣を残すと言うが、一本だたらと特徴が共通する事から、文献によっては同一の妖怪として混同されている。
📝 概 要 📝
🌊に出没し、多くは夜間に現れ、それまでは穏やかだった海面が突然盛り上がり黒い坊主頭の巨大なものが現れて、🚢を破壊するとされる。
大きさは多くは数㍍から数十㍍で、かなり巨大なものもあるとされるが、比較的小さなものもいると伝えられる事もある。
船👻のそれと共に、幻覚談が語り伝えられたものと思しいものが多く、両者の区別は明らかではない。
杓子を貸せと言って、🚢を沈めに来る船👻と海坊主とは同じとされる事もある。
しかし、概して船👻が時化と共に出現するのに対して、海坊主の出現には🌊の異常が伴わない事もあり(その場合は、大抵海坊主を見てから、天候が荒れ始める、🚢が沈むと言った怪異が訪れる)
、その為、何か実際に存在するものを見誤ったと言う可能性が指摘されている。
誤認したものの正体は🌊の生物の他、入道☁や大波など自然現象等が挙げられている。
─ 続 く ─
>> 56
─ 続 き ─
青森県下北郡東通村尻屋崎では、フカに喰われた人間が「モウジャブネ」になると言う。
味噌を水に溶かして🌊に流すと除けられる。
静岡県加茂郡で語られる「ウミコゾウ」は、👀の際まで毛を被った小僧で、釣り糸を辿って来て、にっこり笑ったと言う。
また蒙古高句麗と当てる紀州神子浜の鼬に似た「モクリコクリ」と言う小獸は、3月3日は🌋に、5月5日は🌊に出、人の形だが伸縮自在、現れてら消え、麦畑で🌠来る人の尻を抜くと言う。
クラゲの様な形で、海上を群れて漂うとも言う。
蒙古襲来の時、水死した霊魂と言われており、蒙古高句麗の当て字があるが、この場合、紀州に現れると言う事実を説明する事が出来ないので、蒙古襲来の故事を示したものではないと思われる。
河童との共通点が見られ、又、3月3日、5月5日と言う🇨から伝わった風習の日付から考えると、水死者の霊である事は間違いなさそうだが、武士ではなく、渡来人のそれではないかとの推測が立つ。
─ 続 く ─
>> 57
─ 続 き ─
愛媛県北宇和郡では、🌠、🌊が白くなって泳いで来るものを「シラミ」、又は「シラミユウレン」と呼び、漁師はこれをバカと言う。
しかし、バカと言うのが聞こえると、怒って櫓にすがり、散々な目に合わされると伝えられている。
佐渡島の「タテエボシ」は、🌊から立ち上る高さ20㍍もの怪物で、🚢目掛けて倒れ来ると言う。
寛政時代の随筆『閑窓自語』によれば、和泉貝塚(現・大阪府貝塚市)では海坊主が🌊から上がって③日程地上にいたとあり、🌊に帰るまでの間は子供は外に出ない様に戒められていたと言う。
随筆『雨窓閑和』では桑名(現・三重県)で、月末は海坊主がでると言って船出を禁じられていたが、ある船乗りが禁を破って🌊に出たところ海坊主が現れ「俺は恐ろしいか」と問い、船乗りが「世を渡る事程恐ろしい事は無い」と答えると、海坊主は消えたと言う。
同様に月末には「座頭頭(ざとうがしら)」と呼ばれる盲目の坊主が海上に現れると言う伝承もあり、人に「恐ろしいか」と問い掛け、「怖い」「助けてくれ」等と言って怖がっていると「月末に🚢を出すものではない」と言って消えると言う。
─ 続 く ─
>> 58
─ 続 き ─
江戸時代の古典『奇異雑談集』では「黒入道」と言う海坊主の記述がある。
伊勢国(現・三重県)から伊良湖岬へ向かう🚢で、先頭が独り女房舟の乗員の中に女性が①人しかいない事を言い、航海上の禁忌の一つとされていた。
を断っていたところへ、善珍と言う者が自分の妻を強引に乗せたところ、🌊で大嵐に見舞われた。
船主は🐲神の怒りに触れた、女が乗ったからだ等と怒り、🐲神の欲しがりそうな物を🌊に投げ込んだものの、🌀は納まらず、やがて黒入道の頭が現れた。
それは人間の頭の⑤-⑥倍程あり、👀が✨、🐎の様な💋は②尺(約60㎝)程あった。
善珍の妻は意を決して🌊に身を投げたところ、黒入道はその妻をくわえ、🌀は止んだと言う。
この様に海坊主は🐲神の零落とした姿であり、生贄を求めるとも言う。
東北地方では漁に最初に採れた♓を🌊の神に捧げる風習があり、これを破ると海坊主が🚢を壊し、船主を拐って行くと言われる。
─ 続 く ─
>> 59
─ 続 き ─
王大海による『海島逸志』では「海和尚(うみおしょう)」の名で記載されており、人間に似た妖怪だが、💋が👂まで避け、人間を見付けると大笑して見せるものとされる。
海和尚が現れると必ず暴風で🌊が荒れると言って恐れられたと言う。
これはウミガメの妖怪視との説もある。
海坊主に遭った際には敢えて驚きの声等を上げず、何も見ない振りをしてやり過ごさなければならないと言う。
また淡路島の由来町(現・州本市)では、🚢の📦の中で最も大切なものを🌊に投げ込むと助かるとも言う。
海坊主は姿を変えるとも言い、宮城県の気仙沼大島では美女に化けて人間と泳ぎを競ったと言う話がある。
岩手でも同様に言われるが、誘いに乗って泳ぐと直ぐに飲み込まれてしまうと言う。
愛媛県宇和島市では座頭に化けて人間の女を殺したと言う話がある。
また人を襲うと言う伝承が多い中、宇和島では海坊主を見ると長寿になると言う伝承がある。
─ 続 く ─
📝 近年の目撃談 📝
1971年4月。
宮城県牡鹿郡女川町の漁船・第28金比羅丸がニュージーランド方面でマグロ漁をしていたところ、巻き上げていた延縄が突然切れ、🌊から大きな生物状の物が現れ、船員達は化け物と言って大騒ぎになった。
それは灰褐色で皺の多い体を持ち、👀は直径⑮㎝程、👃は潰れ、💋は見えなかった。
半身が濁った海中の中に没していた為に全身は確認出来なかったが、尾をひいている様にも見えたと言う。
モリで突く準備をしていたところ、その化物は海中へと消えたと言う。
遠洋水産研究所の焼津分室の係員はこの目撃談を聞き、本職の漁師為が♓や🐳等の生物を化物と誤認する事はないとしている。
また目撃談では水面から現れた半身は1.5㍍程だったと言い、全身はその倍以上の大きさと推測される事から、この様な生物は聞いた事もないと話していたと言う。
この怪異談は、毎日新聞記事にも記載された。
❤ 夸 父 ❤
夸父(こほ)は、🇨神話に登場する巨人族。
北方の地に棲んでいたとされる。
成都載天(せいとさいてん)と言う🌋に棲み、②匹の🐍を耳飾りにし、②匹の🐍を手に持っていたと言う。
ある話では、夸父は☀を追い掛けて原野を走り、☀が沈む谷まで追い詰める事が出来た。
しかし、夸父は喉が渇いていたので黄河とい水の水を全て飲み干した。
それでも渇きが癒され無かったので、更に北に在る大沢(だいたく)と言う千里四方もある湖に行こうとしたが、その途中で死んでしまったと言う。
📝 概 要 📝
柳田国男は『だいだら坊の足跡』で🇯各地から集めたダイダラボッチ伝説を考察しており、ダイダラボッチ
「大人(おおひと)」を意味する「大太郎」に法師を付加した「大太郎法師」で一寸法師の反対の意味であるとしている。
📝 概要:名称 📝
「でいだらぼっち」、
「だいらんぼう」、
「だいだらぼう」、
「でいらんぼう」、
「だいらぼう」、
「だだぼう」等がある。
名前以外にも様々な派生が見られるが、何かをいようとするが失敗し、悔しがって去って行くと言う内容が多い。
通常は👀の数は言及されず🌋を運んだりする事から相当の巨体であるとされるが、一つ目とされる場合は、👀の数に言及されない場合に比較して概ね小型で⑩㍍程度である場合が多い。
足の数は何かを「一跨ぎ」
する表現が多い事から②本足と考えられるが、一つ目の場合は①本足とされる事が多く、一つ目入道或いは一つ目小僧と習合したものと考えられる。
📝 地名に関する伝承 📝
☝柳田国男の著書『妖怪談義』にで相模原市大沼に調査に行ったとの記述あり。その地ではダイダラボッチの伝説は無かったと落胆しているが、ダイダラボッチ伝説があるのは北に⑤㎞程ずれた鹿沼であった。
☝土地によって伝承される内容が異なり、作ったとされる🌋や沼も異なる。
☝東🇯の大きな🌋にまつわる伝承が比較的多い。
①🌋を作る・運ぶ
②富士山を作る為、甲州の土を取って土盛りした。その為甲州は盆地になった。
③上州の榛名富士を土盛りして作った。掘った後は榛名湖となった。榛名富士が富士山より低いのは、もう少し土を運ぼうとしたが夜が明け、途中で止めた為である。
④浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分に分けろと言った。富士山は了解し、だいだらぼっちか自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際に溢れた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はつい噴火してしまった。
─ 続 く ─
>> 67
─ 続 き ─
⑤西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし♎棒に②つの🌋を結わえ付け持ち上げると、筑波山の方は持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃で元々①つの峰だった筑波山は、②峰になってしまったと言う。
⑥足あと・手のあとを残す。
⑦上州の赤城山に腰掛けて踏ん張った時に窪んで出来た👣が水溜まりになった。木部の赤沼がそれである。
⑧長野県大町北部の青木湖、中網湖、木崎湖の仁科三湖はダイダラボッチの👣である。
⑨遠州の山奥に住んでいた巨人ダイダラボッチが、子供達を手に乗せて歩いている時に、腰位の高さの🌋を跨いだ拍子に子供達を手から投げ出してしまった。びっくりした子供達とダイダラボッチは泣き出してしまい、手を付いて出来た窪みに涙が流れ込んで浜名湖となった。
─ 続 く ─
>> 68
─ 続 き ─
⑩現在、東京都世田谷区にある地名「代田(だいた)」やさいたま市の「太田窪(だいたくぼ)」はダイダラボッチの👣である。
⑪静岡県のだいらぼう山頂には全長150㍍程の窪みがあるが、ダイダラボッチ
が左足を置いた跡と伝えられている。琵琶湖から富士山へ土を運ぶ途中に遺したものであると言う。
⑫相模原市の伝説ではデイラボッチと呼ばれ、富士山を持ち上げ違う場所に運ぶ途中、疲れたので、富士山に乗っかり休んだところそこにまた根が生えてしまい持ち上げようとするが、持ち上がらずその時踏ん張った所が今の鹿沼であると言う。
⑬小便をしようと飯野山(香川県中部)に足を掛けた際に山頂付近に👣が付いた。(現在もその跡であると言う伝説の👣が残っているが非常に小さい。)なお、その小便の際に出来たのが大束川と言われる。
⑭休む・洗う。
⑮榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った(ふんどしを洗ったと言う説もある)。
⑯羽黒山(栃木県)には人間が未だ誕生しない大昔、でいだらぼっちが羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗ったと言う言い伝えがある。
─ 続 く ─
>> 69
─ 続 き ─
⑰長野県塩尻市の高ボッチ
高原はダイダラボッチが腰を下ろして一休みした場所であると言う。
⑱人間を助ける。
⑲秋田県の横手盆地が湖であったので干拓事業を行った際、だいだらぼっちが現れて水をかき、泥を掬った為工事がはかどった。このだいだらぼっちは秋田市の太平山三吉神社の化身と考えられる。
『播磨国風土記』の託賀郡(多可郡)の条には👣が数多の沼になった大人(おおひと)伝説が記されており、『常陸国風土記』の伝説と同種であると考えられている。
同郡では製銅が盛んだった様で、金属生産と巨人と言う出雲国の例と共通点も見られる。
愛知県東海市の南側に加木屋町陀々法師(だだほうし)と言う地名があり、ダイダラボッチが歩いて移動する際に出来た👣が池になったとして伝説が残っている、名古屋鉄道八幡新田🚉西側にあった頃に埋め立てられて現在はその形跡はない。
📝 概 要 📝
秋田では鳥海山に棲んでいたとされ、🌋から🌋に届く程長い手足を持ち旅人を拐って食べたり、日本海を行く触れたを襲う等の悪事を働いていた。
鳥海山の神である大物忌神はこれを見かね、霊鳥である三本足の鴉を遣わせ、手長足長が現れる時には「有や」現れない時には「無や」と鳴かせて人々に知らせる様にした。
🌋の麓の三崎峠が「有耶無耶の関」と呼ばれるのこれが由来とされる。
それでも手長足長の悪行は続いた為、後にこの地を訪れた慈覚大師が吹浦(現・山形県鳥海山大物忌神社)で百日間祈りを捧げた末、鳥海山は吹き飛んで手長足長が消え去ったと言う。
また消えたのではなく大師の前に降参して人を食べなくなったとも言われ、大師がこの地を去る時に手長足長の為に食糧としてタブノキの実を撤いた事から、現在でも三崎山にはタブノキが茂っているのだと言う。
─ 続 く ─
💙 盤 古 💙
盤古(ばんこ)は🇨神話の上で重要な神。
宇宙開闢の創世神とされる。
道教が発展してくると、盤古の名前は「元始天王」
や「盤古真人」とも称される様になった。
盤古に付いての記述が始めて現れる書物は、呉代(③世紀)に設立した神話集『三五歴紀』である。
そこでは、天地が出来る以前の、🐣の中身の様に混沌とした状態から盤古が出現したと記されている。
また、斉(④世紀後半)の時書かれた『述異記』によると、天地が形作られたあと盤古は亡くなり、その死体から万物が生成されたと伝えられている。
例えば盤古の左目からは☀が、右目から🌙が、頭と体からは五岳(泰山等)
が生まれたと言う道具である(こうした神話の類似から、『リグ・ヴェーダ』の原始巨人プルシャが伝播したものだ、と言う学説もある)。
─ 続 く ─
📝 概 要 📝
夜道や坂道の突き当たりを歩いていると、僧の姿で突然現れ、見上げれば見上げる程大きくなる。
見上げれば見上げる程大きい事から見上げ入道の名前が付いた。
そのまま見ていると、死ぬ事もあるが、「見越した」と言えば消えるらしい。
見越した入道に飛び越されると死ぬ、喉を締め上げられるとも言い、入道を見上げた為後ろに倒れると喉笛を噛み殺されるとも言う。
九州の壱岐島では見越し入道が現れる前には「わら わら」と笹の様な音がするので、すかさず「見越し入道見抜いた」と唱えると良いと言う。
─ 続 く ─
>> 77
─ 続 き ─
西村白鳥による江戸時代の随筆『煙霞綺談』では見越し入道は人を熱病に侵す疫病神とされており、以下の様な話がある。
政徳時代、三河国吉田町(現・愛知県豊橋市)の商人・善右衛門が名古屋の伝馬町へ行く途中でつむじ風に遭い、乗っていた🐎が脚を痛め、善右衛門も気分を害してうずくまっていたところ、身長1丈3、4尺(約4㍍)もの大入道が現れた。
その入道はまるで仁王の様で、👀を鏡の様に光らせつつ善右衛門に近付いて来た。
善右衛門が恐れおののいて地に伏しついると、入道は彼を踏み越えて去って行った。
夜明けの頃にも善右衛門が民家に立ち寄り「この辺りに👺等の怪異はあるか」と尋ねると「それはミコシニュウドウと呼ばれるものではないか」との答えだった。
後に善右衛門は目的地の名古屋に辿り着いたものの、食欲が失せ、やがて熱病に侵され、医者の手当ても💊も効果なく、⑬日目に亡くなってしまったと言う。
─ 続 く ─
>> 78
─ 続 き ─
見越し入道の正体は不明とされる事が多いが、変化(へんげ)能力を持つ動物とする地方もある。
福島県南会津郡檜枝岐村の伝承では鼬が化けたものとされ、入道の巨大化につられて上を見上げると、その隙に鼬に喉を噛み切られると言う。
『宿直草』では鼬が化けたものとされ、狐が化けていると言う地方もある。
また前述の檜枝岐では見越し入道は提灯、桶、舵等を手に持っており、その持ち物こそが本体で、持ち物を叩けば入道を退治出来るとも言う。
長野県南佐久郡南牧村海ノ口、新潟県赤谷村(現・新発田市)、静岡県榛原郡上川根村(現・本川根町)、周知郡三倉村(現・森町)等では単に見越しの名で伝承されている。
上川根村ではその昔、②人の若者が夜空に幟の様なものが空を登って行くのを見付け、見越しだと言って驚いたと言う話がある。
また静岡県庵原郡両河内村(現・静岡市)ではお見越しとも言って、道端にいる人に小坊主の姿で話し掛け、話している途中に次第に背が高くなり、その様子を見続けていると気絶してしまうと言う。
─ 続 く ─
>> 79
─ 続 き ─
見越し入道の一種とされる妖怪は
次第高(しだいたか)、
高入道(たかにゅうどう)
高坊主(たかぼうず)
伸上がり(のびあがり)
乗越入道(のりこしにゅ
うどう)
見上入道(みあげにゅう
どう)等全国に伝わっている。
鹿児島県肝属郡百引村(現・曽於郡輝北町)や宮城県ではヤンボシと言う、大きな人影の様な見越し入道の伝承があり、坊主が首吊り自殺した場所に現れると言い、🌠の🌋で人を拐うとも言う。
妖怪をテーマとした江戸時代の多くの草草紙では、見越し入道は背が伸びると言う特徴が強調されるあまり、ろくろ首の様に首の長い特徴的な姿で描かれており、そのインパクト
のある容姿から、妖怪の親玉として登場する事が多い。
📝 特 徴 📝
その身体にはローマ神話のヤヌスの様に頭の前後に顔が②つ付いており、おまけに腕が前後一対の④本、足も前後一対の④本あったとされる。
背丈は①丈・⑱丈等様々。
手には弓矢、険を持っている。
動きは俊敏で怪力。
また、漫画等では超絶級の「化物」として描かれる事が多い。
岐阜県高山市丹生川町(旧・大野郡丹生川村)の千光時の本堂にある像は確かにあたまの前後に顔が付いている武将像だが、同じ寺にある円空作のそれは笑いの顔の肩の上に怒りの顔が並んでいると言う状態である。
📝 飛騨国の恩人 📝
日本書紀では朝敵として悪者扱いを受けているが、飛騨国のみならず、美濃国でも英雄、恩人と考えられ、信仰の対象となっている。
高山市丹生川町(旧・大野郡丹生川村)の千光寺や善久寺は、両面宿儺を開基としており、両面宿儺は飛騨国に仏教を伝えたとされている。
飛騨国、美濃国の多くの古寺でも両面宿儺を信仰対象としている。
また、飛騨国一之宮である水無神社は位山を御神体山とするのだが、祭神ははっきりしていない事から、両面宿儺が隠された祭神とする説もある。
📝 両面宿儺は誰か 📝
☝一説では両面宿儺は双生児や兄弟の象徴であり、古代史での双生児、大碓命小碓命(つまり日本尊命とその兄)の事と言う。また、別の説では仲哀天皇皇子の)かご坂皇子忍熊王兄弟と言う。どちらも美濃国飛騨国に関係が深い。
☝竹内文書では飛騨国は“日玉国”“日霊国”で記され、飛騨が高天原であり、位山がピラミッドと考えている。両面宿儺は飛騨を拠点とした大和朝廷に匹敵する国があったと考えられている。
📝 その他 📝
☝高山市丹生川町(旧・大野郡丹生川村)の特産品の野菜として、宿儺かぼちゃがある。
☝関連に付いて今のところ不明だが、近畿地方の和歌山市の千塚古墳群にある大日山35墳(6世紀前半)から前後両面の人物埴輪(頭部のみ)が出土して話題になった。この両面埴輪は貴人埴輪に多い下げ美豆良をしている。
📝 動植物や無機物と
相似の妖怪・精霊 📝
妖怪や精霊のうち、見た目や習性等が、人間以外の生き物、もしくは無機物と相似の関係にあると思われるものを示す。
また、それらのいずれにも分別不可能なものもこれを併せて記す。
(。・・。)💬
先ずは 動物により近似のものから✏します😊
❤ アカマター ❤
今のところ、あかまたーとは、次の②つを指しているものと思われる。
①あかまたーとは、🐍の一種であるアカマタが、若く麗しい漁師(又は美女)に化け、女性(青年)を言葉巧みに騙して殺害すると言う、沖縄の妖怪である。
②アカマター・クロマターとは、石垣島宮良(みやら)の豊年祭に登場する②柱の神様である。
⚠アカマタとは、沖縄の言葉でまだら🐍を指す。上記の妖怪、或いは神と、何らかの関連があると思われる。
ここでは②のアカマター・クロマターに付いて説明する。
📝 特 徴 📝
アカマターとクロマターの②柱の神は全体が草に覆われ、ずんぐりとしていて、だるまやフクロウの様にも見える。
背丈は180㎝程、アカマター
(赤面)とクロマター(黒面)は縦長の👃に丸い👀と細かいギザギザの歯で構成され👀と歯の両端に細長いヒゲもある。
👀と歯に✨が当たると反射して神秘的に輝くのが印象的である。
📝 祭りの内容 📝
🌆に何処からか現れ、村の一軒一軒を一夜掛けて回り、朝方に何処かへ消えてしまう。
先ず、数十人の太鼓隊が家々の門を潜ると、縁側から向かって左右に分かれて庭の周辺に登場し、太鼓を叩きながら歌いアカマターとクロマターを呼ぶ。
その後、アカマターとクロマターは門を潜り左右に分れ庭の中央に登場する。
アカマターとクロマターは棒を両手に持ち、威勢のいい太鼓隊の歌に合わせ、棒を叩いてユーモラスに踊る。
アカマターとクロマターは「なみだ」
と呼ばれる殺気(精霊が宿っている)だった者達に厳重に警護されながら移動する。
📝 祭りの背景 📝
この祭は⑦月頃に行われるが、通常は島民にも知らされず非公開となっており、謎の緊張感に満ちている。
写真撮影、スケッチ、模造等は禁止されている。
もしもその様な行為を村人に見付かった場合、生命の保障はされないとも伝わっている。
この村(宮良)の先祖は八重山諸島の小浜島からの移民であり、アカマターもまた小浜島から引き継がれたもの。
同じ八重山諸島の新城島(パナリ)の豊年祭りでも出現すると言う報告がある。
なお、小浜島ではクロマター
ではなく、シロマターである。
❤ 青鷺火 ❤
青鷺火(あおさぎび、あおさぎのひ)は、サギの体が夜間等に青白く発光するっ言う🇯の怪現象。
別名五位の光(ごいのひかり)。
「青鷺」とあるが、これはアオサギではなくゴイサギを指すとされる。
📝 概 要 📝
江戸時代の妖怪画集として知られる鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』や『絵本百物語』にも取り上げられ、江戸時代にはかなり有名な怪談であった事がわかる。
また江戸後期の戯作者・桜川慈悲功の著書『変化物春遊』にも、大和国(現・奈良県)で🌟青鷺を見たと言う話がある。
それによると、化け柳と呼ばれる柳の大木に毎晩の様に青い🔥が見えて人々が恐れており、ある☔の晩、①人の男が「☔の🌠なら🔥は燃えないだろう」と近づいたところ、木全体が青く🌟出し、男が恐怖のあまり気を失ったとあり、この怪光現象がアオサギの仕業とされている。
新潟県佐渡島新穂村(現・佐渡市)の伝説では、根本寺の梅の木に毎晩の様に龍燈(龍神が灯すと言われる怪火)が飛来しており、ある者が弓矢で射たところ、正体はサギであったと言う。
─ 続 く ─
>> 94
─ 続 き ─
ゴイサギやカモ、キジ等の山鳥は🌠飛ぶときに羽が🌟と言う伝承があり、目撃例も少なくない。
郷土研究家・更科公護の著書『光る鳥・人魂・火柱』にも、昭和③年頃に茨城県でゴイサギが青白く光って見えた話など、青鷺火の様に青白く🌟アオサギ、ゴイサギの多くの目撃談が述べられている。
サギは🔥の玉になるとも言う。
🔥のついた木の枝を加えて運ぶ、💋から🔥を吐くと言う説もあり、多摩川の水面に🔥を吐き掛けるゴイサギを見たと言う目撃談もある。
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』にも、ゴイサギが空を飛ぶ姿は🔥の様であり、特に月夜には明るく見え、人はこれを妖怪と見紛える可能性があるとの記述がある。
─ 続 く ─
📝 概 要 📝
外見はサメに似ており、尾びれに細かい針がおろし金の様に無数にある。
北風が強く吹くと現れ、近くの🌊を通り掛かる🚢を襲う。
その襲い方は実に巧みで、水を蹴散らして泳ぐのではなく、あたかも海面を撫でるかの様に近づき、人を襲うまで決して姿を見せない。
そして尾びれの針で人引っ掛けて海中に落とし、食べてしまう。
🚢に乗っている人は、磯撫での接近にまず気付く事は無い。
何となく🌊の色が変わったと思った時点で既に手遅れであり、仰ぐ様な風を感じると、それが海面から浮かび上がった磯撫での尾の起こした風である。
磯撫でが現れたと気付いた頃には、既に尾びれで捕らえられている結果となる。
🚢乗りにとっては決して防ぐ事の出来ない恐るべき存在であり、また♓を釣るはずの人間が逆に♓に釣り上げられてしまうと言う、皮肉な存在でもある。
─ 続 く ─
>> 98
─ 続 き ─
「磯撫で」の名の由来は、海面を撫でるかの様な現れ方が由来と言う説や、尾びれで人を襲う様子が撫でる様に見えると言う説がある。
三重県熊野市では、海辺に死人がいると「磯撫でに撫でられたのだろう」
と言われたと言う。
妖怪研究家・多田克己の推測によれば、この磯撫では想像上のものではなく、シャチの事を指しているとしている。
しかしシャチには磯撫での様な尾の針等は無いが、多田克己は、室町時代頃に🇯が🇨や東南アジアと貿易し始めた事から、東南アジアに進出した🇯人を現地のイリエワニを見て、そのイリエワニの背から尾に掛けての突起が、磯撫での尾の針等の表現に繋がったと推測している。
📝 同種の怪魚 📝
🔍影鰐(かげわに)
島根県邇摩郡温泉津町(現・大田市)に伝わる怪魚かつて🇯で「鰐(わに)」
は爬虫類のワニではなくサメ
を指していた事と同種、影鰐の「鰐」もサメの意味である。
出雲地方の🌊に棲む怪魚で、海面に映った🚢乗りの影を飲み込み、影を奪われた者は必ず死んでしまうと言う。
影を飲まれそうになった船夫が逆に影鰐を🔫で撃ち殺したところ、陸に上がって浜を歩いている時、影鰐の骨が足の裏に刺さって死んでしまったと言う。
💙 以津真天 💙
以津真天(いつまで/いつまでん)は、🇯に伝わる妖怪の一種。
戦乱や飢餓等で死んだ死体をそのまま放って置くと、死体の近くに止まり、「いつまで、いつまで」
と呪詛を込めて鳴き、死体を喰らう。
この「いつまで」は、死体をいつまで放って置くのかと言う意味である。
頭は鬼又は人間で、身体は🐲(又は🐍)、歯や爪は鋭く身長は⑤㍍を超えていると言う。
『太平記』巻⑫の「広有射怪鳥事」にその様子が描かれている。
それによれば建武元年(1334年)の秋、毎晩の様に紫宸殿(ししんでん)の上に怪鳥が現れ「いつまでも、いつまでも」と鳴いて人々を恐れさせていた。
公卿達は源頼政の鵺退治に因んで弓の名手に退治させようと考え、依頼を受けた隠岐次郎左衛門広有は鏑矢(かぶらや)で見事、怪鳥を射止めた。
なお『太平記』には怪鳥としか名がなく、「以津真天」の名は鳥山石燕がこの公有射怪鳥事を『今昔画図続百鬼』に描く際に名付けたものとされる。
💚 犬 神 💚
犬神は、狐憑き、狐持ち等と共に、西日本に最も広く分布する🐶霊の憑き物。
近年まで、大分県東部、島根県、四国の北東部から高知県一帯においてなお根強く見られ、狐の生息していない四国を犬神の本番であると考える説もある。
また、犬神信仰の形跡は、島根県西部から山口県、九州全域、更に薩南諸島より遠く沖縄県に掛けてまで存在している。
訛って「インガメ」、「イリガミ」
とも呼ばれる。
📝 犬神の由来 📝
犬神の憑依現象は、平安時代には既にその呪術に対する禁止令が発行された蠱術(こじゅつ:蠱道、蠱毒とも。特定の動物の霊を使役する呪詛(じゅそ)で、非常に恐れられた)が民間に流布したものと考えられ、飢餓状態の🐶の首を打ち落とし、更にそれを辻道に埋め、人々が頭上を往来する事で怨念の増した霊を呪物として使う方法が知られる。
また、🐶の頭部のみを出して生き埋めにし、又は支柱に繋ぎ、その前に食物を見せ置き、餓死しようとする時、その脛を切ると、頭部は飛んで食物に食い付き、これを焼き、骨とし、器に入れ、祀る。
すると永久にその人に憑き、願望を成就させる。
犬神は代々伝わり、他家はその🏠と婚姻関係を結ばないと言う。
─ 続 く ─
📝 犬神持ち 📝
犬神は、犬神持ちの🏠の納戸の箪笥、床の下、♒の中に飼われていると説明される。
他の憑き物と同じく、喜怒哀楽の激しい情緒不安定な人間に憑きやすい。
これに憑かれると、胸の痛み、足や手の痛みを訴え、急に肩をゆすったり、🐶の様に吠えたりすると言われる。
犬神の憑きやすい家筋、犬神筋の由来は、これらの蠱術を扱った術者、山伏、祈祷者、巫蠱らの血筋が地域に伝承されたものである。
多くの場合、漂泊の民であった民間呪術を行う者が、畏敬と信頼を得ると同時に被差別民として扱われていた事を示している。
と言うのも、犬神は、その子孫にも世代を追って離れる事が無く、一般の村人は、犬神筋と言われる家系との通婚を忌み、交際を嫌うのが普通である。
四国地方では、婚姻の際に家筋が調べられ、犬神の有無を確かめるのが習わしとされた。
犬神持ちの🏠は富み栄えるとされている。
一方で、狐霊の様に祭られる事による恩恵を🏠に持ち込む事をせず、祟神として忌諱される場合もある。
💜 牛 鬼 💜
牛鬼(うしおに、ぎゅうき)は、西日本に伝わる妖怪。
主に海岸に現れ、浜辺を歩く人間を襲うとされている。
- << 108 ─ 続 き ─ 高知県では、明和3年(1776年)の大干魃の年に岡内村(現・香美市)の次郎吉と言う👨が、峯ノ川にて牛鬼を目撃したと言う。 又、同県の民話では、ある村で家畜の🐮が牛鬼に食い殺され、退治しようとした村人もまた食い殺されていた所へ、話を👂にした近藤左近と言う武士が弓矢の一撃で退治した。 村人達は大喜びで、♐を引く真似をしながら左近の牛鬼退治の様子を話したと言い、これが同県に伝わる百手祭の由来とされる。 山陰地方から北九州にかけての沿岸では、牛鬼では濡女や磯女と共に海中から現れると言い、👩が👶を抱いていて欲しい等と言って人を呼び止め、相手が👶を抱くと石の様に重くなって身動きが取れなくなり、その隙に牛鬼に食い殺されると言う。 牛鬼自身が👩に化けて人に近付くとも言うが、姿を変えても水辺に写った姿は牛鬼のままであり、これによって牛鬼の正体を見破る事が出来ると言う。 ─ 続 く ─
📝 概 要 📝
非常に残忍・獰猛な性格で、毒を吐き、人を食い殺す事を好む。
伝承では、頭が🐮で首から下は鬼の胴体を持つか又はその逆、或いは🐮の首で蜘蛛の胴体を持っていたともされる。
又、山間部の寺院の門前に、🐮の首に人の👘姿で頻繁に現れたり、🐮の首、鬼の体に昆虫の羽を持ち、空から飛来したとの伝承もある。
海岸の他、山間部、森や林の中、川、沼、湖にも現れるとされる。
時に淵に現れる事が多く、近畿地方や四国にはこの伝承が伺える「牛鬼淵」
・「牛鬼滝」と言う地名が多く残っている。
和歌山県西牟婁群の牛鬼淵は、底が🌊にまで通じており、淵の水が濁ると「牛鬼」が居ると言われた。
ここの牛鬼は出会っただけで人を病気に至らしめたり、かげを嘗め取る事でその人を食い殺すと言う。
この様な時は「石は流れる、木の葉は沈む、🐮は嘶く、🐎は吼える」等と逆の言葉を言うと、命が助かると言う。
又この地の牛鬼は、😺の様な体と一丈(約3.3㍍)
もの尾を持ち、体が鞠の様に柔らかいので歩いても足音がしないと言う。
🍶が大好物なので、正月に🍶を供えると牛鬼に襲われずに済むとも伝わる。
─ 続 く ─
>> 106
💜 牛 鬼 💜
牛鬼(うしおに、ぎゅうき)は、西日本に伝わる妖怪。
主に海岸に現れ、浜辺を歩く人間を襲うとされている。
─ 続 き ─
高知県では、明和3年(1776年)の大干魃の年に岡内村(現・香美市)の次郎吉と言う👨が、峯ノ川にて牛鬼を目撃したと言う。
又、同県の民話では、ある村で家畜の🐮が牛鬼に食い殺され、退治しようとした村人もまた食い殺されていた所へ、話を👂にした近藤左近と言う武士が弓矢の一撃で退治した。
村人達は大喜びで、♐を引く真似をしながら左近の牛鬼退治の様子を話したと言い、これが同県に伝わる百手祭の由来とされる。
山陰地方から北九州にかけての沿岸では、牛鬼では濡女や磯女と共に海中から現れると言い、👩が👶を抱いていて欲しい等と言って人を呼び止め、相手が👶を抱くと石の様に重くなって身動きが取れなくなり、その隙に牛鬼に食い殺されると言う。
牛鬼自身が👩に化けて人に近付くとも言うが、姿を変えても水辺に写った姿は牛鬼のままであり、これによって牛鬼の正体を見破る事が出来ると言う。
─ 続 く ─
>> 108
─ 続 き ─
石見(現・島根県)でも同様に、🎣人の元に👶を抱えた怪しげな👩が現れ「この子を少しの間、抱いていて下さい」と言うので抱き取ったところ、👩が消えたかと思うと🌊から牛鬼が現れ、しかも腕の中の👶が石に変わり、剰りの重さに逃げる事が出来ないでいたところ、彼の🏠にあった代々伝わる銘刀が飛来して牛鬼の首に突き刺さり、九死に一生を得たと言う。
愛媛県に出没した牛鬼は顔が🐲で体が🐳だったと言う。
同じ「牛鬼」の名の伝承でも地域によって異なる事から、妖怪研究者・山口敏太郎は、水から上がって来る大型怪獣は全て「牛鬼」の名で呼ばれていたのではないかと述べている。
三重県では牛鬼は酷く祟るとされた。
かつて南伊勢の洞窟に牛鬼が居ると言われ、五ヶ所城の城主・愛洲重明が♐で射たところ、その祟りで正室が不治の病となってしまった。
重明は正室を疎んじて京から来た白拍子を溺愛する様になったが、これが元で正室の親元である北畑氏は愛洲氏と不仲となり、愛洲氏を滅ぼしてしまったと言う。
─ 続 く ─
>> 109
─ 続 き ─
室町時代の浄瑠璃で語られている「丑御前伝説」も著名である。
平安時代の豪族・源満仲の元に🐮の角と鬼の顔を持つ娘が生まれる。
娘は殺害される寸前に女官が救い出し山中で密かに育て、牛御前と呼ばれる様になる。
満仲は息子で妖怪退治の勇者・源頼光に始末を命じる。
牛御前は関東に転戦し徹底抗戦、隅田川に身を投げ体長30㍍の牛鬼に変身した頼光軍を滅ぼしたと言う。
この「隅田川の牛御前」の名は、後の鎌倉時代の
『吾妻鏡』にも見える。
それによれば建長3年(1251年)、隅田川より牛の様な怪物が現れ、浅草寺の食堂に入り毒を吐き、それを浴びた僧侶7人が死亡、24人が病気に侵されたと言う。
『新編武蔵風土記稿による記述づは、この怪物はその後、浅草の対岸にある牛島神社に「牛玉」と言う玉を残して姿を消す。
以後神社の社宝となり神として祀られたとあり、同社では狛犬ならぬ狛牛一対が飾られている。
又「撫で牛」の像があり、自身の悪い部位を撫でると病気が治るとされている。
─ 続 く ─
>> 110
─ 続 き ─
この牛鬼を、牛頭天王の異名と牛鬼の様に荒々しい性格を持つスサノオの化身とする説もあり、妖怪探訪家・村上健司は、牛御前が寺を襲った事には宗教的な対立が背景にあるとしている。
岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)に伝わる話では、神功皇后が三韓征伐の途中、同地にて塵輪鬼(じんりんき)と言う頭が八つの大牛姿の怪物に襲われて♐で射殺し、塵輪鬼は頭、胴、尾に分かれて各々牛窓の黄島、前島、青島となった。
皇后の新羅からの帰途、成仏出来なかった塵輪鬼が牛鬼に化けて再度襲い掛かり、住吉明神が角を掴んで投げ飛ばし、牛鬼が滅んだ後、体の部分がバラバラになって黒島、中ノ小島、端ノ小島に変化したと言う。
牛窓の地名は、この伝説の地を牛転(うしまろび)
と読んだものが訛った事が由来とされる。
牛鬼は他にも地名由来に関わっている場合もあり、山口県光市の牛島等は牛鬼が出た事に由来する。
─ 続 く ─
>> 111
─ 続 き ─
同じ岡山県では、『作陽志』に美作苫田郡越畑(現・苫田郡)の太平🌋に牛鬼(ぎゅうき)と名付けられた怪異が記されており、寛永年間中に20歳ばかりの村民の娘が、恍惚状態の内に一晩、鋳(カネ)
山の役人と自称する男子と出逢い、後に孕んで子を産むと、その子供は両牙長く生え尾角ともに備わり、厳として牛鬼の如くであったので父母怒ってこれを殺し、鋳(カネ)の串に刺して路傍に暴した。
昔はさしも大切に仕えた地方の神が、次第に軽ぜられてのちついに絶縁して、いつとなく妖怪変化の類に混じた経路を語っている、と民俗学者・柳田国男は牛鬼の怪異話の背後にある、鋳(カネ)と言う金属と鍛冶の🏠と不思議な懐胎の関係に付いて言及している。
「枕草子」に於いて「おそろしきもの」としてその名が挙げられており(148段)、また太平記に於いては源頼光と対決した様子が描かれている。
牛鬼の正体は老いたツバキ
の根と言う説もある。
🇯ではツバキには神霊が宿ると言う伝承がある事から、牛鬼の神の化身と見なす解釈もあり、悪霊を祓う者として敬う風習も存在する。
─ 続 く ─
📝 怪火としての牛鬼 📝
「牛鬼火」なる怪火の伝承もある。
新潟県や滋賀県でも簑火の類の怪火が牛鬼の名で伝わる。
関宿藩藩士・和田正路の随筆『異説まちまち』によれば、出雲国(現・島根県北東部)で☔続きで湿気が多い次期に、谷川の水が流れていて🌉の架かっている様な場所へ行くと、白い✨が蝶の様に飛び交って体に付着して離れない事を「牛鬼に遭った」と言い、囲炉裏の🔥で炙ると消え去ると言う。
また因幡国(現・鳥取県東部)の伝承では、⛄の降る晩に小さな蛍火の様な✨となって無数に蓑に群がり、払っても地に落ちまた舞い上がり着き、やがて蓑、🌂共に緑光に包まれると言う。
📝実在する牛鬼の遺物📝
徳島県阿南市の賀島と言う🏠では、牛鬼のものと伝えられる獣類の頭蓋骨が祠に安置されている。
これはかつて賀島家の先祖が、地元の農民達の依頼で彼等を苦しめる牛鬼を退治し、その首を持ち帰ったのだと言う。
福岡県久留米市の観音寺にも牛鬼の手とされるミイラがある。
康平年間(1063年)に現れた牛鬼のもので、🐮の首に鬼の体を持ち、神通力を発揮して近隣住民を苦しめ、諸国の武士ですら退治をためらう中、観音寺の住職・金光上人が念仏と法力で退治したものと言う。
手は寺へ、首は都へ献上され、👂は耳納山へ埋められたと言う。
耳納山の名はこの伝説に由来する。
香川県五色台の青峰の根香寺には、牛鬼のものとされる角が秘蔵されている。
これは天保年間に青峰で山田蔵人高清なる♐の名手に退治された牛鬼とされ、同寺に残されている掛軸の絵によると、その牛鬼は🐵の様な顔と🐯の様な体を持ち、両前脚にはムササビ又はコウモリの様な飛膜状の翼があったと言う。
現在では、諸々の問題により一般公開されておらず、ネット上どのみ公開されている。
📝 祭礼の牛鬼 📝
愛媛県の南予地方、特に宇和島市とその周辺の地域等に於いては、地方祭において牛鬼(うしおに)
と呼ばれる山車が町を練り歩く。
由来は前述の様に牛鬼を神聖視する説の他、伊予国の藤内図書と蔵喜兵ノ
尉と言う人物が牛鬼を退治したと言う話、徳島県海部郡の牛鬼を伊予の人物が退治したと言う話、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正が朝鮮の🐯を脅す為に亀甲車を作った話等、諸説もある。
─ 続 く ─
>> 116
─ 続 き ─
【形態】
基本形は竹組みの亀甲型の本体に、頭(正式名称:かぶ)と尾(同:剣)を取り付けたものである。
「かぶ」は、数㍍の竹の先に取り付けられ、反対側の先に取り付けられたT時型の取っ手(同:しゅもく)で自由に動かす事が出来る。
これを扱うのは名誉とされる。
「剣」は、本体内部でロープ
で結ばれている。
これを大勢が担いで練り歩く。
時に、「かぶ」と「剣」を激しく揺らぶらせ、また回転して、気勢を上げる。
但し、ぶつけあう、所謂「けんか」は全く行われない。
本体は大別して、棕櫚(シュロ)を被せたもの(これが原始系とされる)と、黒・赤等の布を被せたもの(発展系とされる)の二つのタイプがある。
大きさは棕櫚の方が小さめである。
発展系の中には金色に輝くものもある。
尚、「子供が牛鬼に頭を噛んで貰うと、賢くなる」と言い伝えがあり、担ぎ手が休んでいる時等は、近隣の者が子や孫を連れて来て、頭を噛んで貰っている。
─ 続 く ─
>> 117
─ 続 き ─
【祭りと牛鬼】
牛鬼は宇和島地方の祭の主役である。
特に、7月22日~24日に行われる和霊大祭では、宇和島市内のみならず、山間部や高知県側(西土佐村)からも牛鬼の出場がある。
宇和島市の職員や、各地区で牛鬼保存会が作られている。
又、秋祭りに於いても牛鬼が出る(小規模な地方祭や、西予市明浜町など)。
愛媛県を代表する祭りとして、新居浜市の太鼓台、西条市のだんじりと共に、各地のイベント等に出場する事がある。
宇和島市とハワイ州ホノルル市や愛媛県とハワイ州の友好姉妹都市の関係で毎年6月第1金・土・日にホノルル
で行われるまつりイン ハワイ
では、丸穂牛鬼保存会と宇和島市役所牛鬼保存会の有志が宇和島牛鬼保存会として参加している。
南予地方では神輿の先駆けと🏠の悪魔祓いの役をすると言う。
又、佐田岬地域、西予市三瓶町等でも、祭礼に牛鬼が登場する。
─ 続 く ─
❤ ヴリトラ ❤
ヴリトラ(Vrtra)は、
『リグ・ヴェーダ』等で伝えられる巨大な🐍。
その名は「障害」、若しくは「宇宙を塞ぐ者」を意味する。
インド神話のアスラの一人。
干魃を起こす悪🐲。
ヒラニヤークシャやヒラニヤカシプの父カシュヤパが神に対抗出来る生き物を授かる為に儀式を行い、この結果、🔥の中から誕生したのがヴリトラである。
その巨大な体で天から流れる川の水を塞ぎ止め、地上の7つの川を占領し、☀を暗黒に包んで地上を飢饉に陥れ、干魃を起こして地上の人間達を苦しめた。
彼はインドラ神を倒す為に生まれ、インドラの目前で巨大な🐲に変身して戦う。
インドラは一度ヴリトラに飲み込まれてしまうが、インドラは諸天の助けで、ヴリトラがあくびをしたところで逃げ出して来る。
そこでヴィシュヌ神の仲介により、和平条約が結ばれた。
─ 続 く ─
>> 120
─ 続 き ─
この時ヴリトラは「木、石、鉄、乾いた物、湿った物の何れによっても傷付かず、インドラは昼も🌠も自分を攻める事が出来ない」と言う条件を勝ち取った。
インドラはこの🐲を倒すため木、石、鉄、乾いた物、湿った物の何れでもない聖者の骨からヴァジュラ
(金剛杵)と言う武器を作り、それを使って昼でも🌠でも無い夕暮れ時に唯一の弱点である💋を攻撃し、ヴリトラを撃退した。
この功績により、インドラ
はヴリトラハン(ヴリトラ殺し)の異名を持つ。
ヴリトラが倒されると、宇宙の塞がれていた穴が開いて、地に大雨が降り注いだと言う。
しかしヴリトラは毎年甦るので、この戦いも毎年行われ続けている。
この戦いは自然現象を神格化したものとされていて、つまり乾燥した夏の象徴がヴリトラであり、それを倒すインドラは⚡と雨期の象徴である。
叙事詩『マハーバーラタ』では人型の神とされ、ここでもインドラに殺されている。
❤ 蟒 蛇 ❤
蟒蛇(うわばみ)
☝大きな🐍の事。
大蛇、或いは伝説上の生物おろち。
☝酒豪、大酒呑み(常習的かつ一度に大量の🍶類を摂取する人物)を指す俗語。大蛇が大きなものを丸飲みする事から。
💛 大 鯰 💛
大鯰(おおなまず)は、巨大なナマズの姿をした、🇯の伝説の生物。
地下に棲み、身体を揺する事で地震を引き起こすとされる。
古くは、地震を起こすのは🇯列島の下に横たわる、或いは🇯列島を取り囲む🐲だと言われていたが、江戸時代頃から、大鯰が主流になった。
鹿島神宮の祭神武甕槌大神(タケミカヅチオ)は、大鯰を要石で押さえ付ける事で地震を鎮めると言う。
但し、これは要石が鹿島神宮にあった事による後代の見付で、武甕槌大神は本来は地震とも大鯰とも無関係である。
💙 陰摩羅鬼 💙
陰摩羅鬼、陰魔羅鬼(おんもらき)は、🇨や🇯の古書にある怪鳥。
経典『大蔵経』によれば、新しい死体から生じた気が化けたものとされる。
充分な供養を受けていない死体が化けたもので、経文読みを怠っている僧侶の元に現れるとも言う。
📝 概 要 📝
古典の画図に於いては鳥山石燕の画集『今昔画図続百鬼』に描かれており、解説文には🇨の古書
『清尊録』からの引用で、姿は鶴の様で、体色が黒く、眼光は灯火の様で、羽を震わせて甲高く鳴くとある。
この『清尊録』には以下の様な🇨の陰摩羅鬼の話がある。
宋の時代の事。
鄭州(ていしゅう)の崔嗣復と言う人物が、都の外の寺の宝堂の上で寝ていたところ、自分を叱る声で👀を覚ました。
見ると、前述の様な外観の怪鳥がおり、崔が逃げると姿を消した。
崔が寺の僧侶に事情を尋ねると、ここにはその様な妖怪はいないが、数日前に死人を仮置きしたと言う。
都に戻った寺の僧に尋ねると、それは新しい死体の気が変化して生まれた陰摩羅鬼との事だった。
─ 続 く ─
>> 125
─ 続 き ─
🇯では江戸時代の書物
『太平百物語』に、『清尊録』に類似した陰摩羅鬼の話がある。
山城国(現・京都府)で宅兵衛と言う男が寺でうたた寝をしていると、自分を呼ぶ声で👀を覚ました。
見るとそこには怪鳥が居た。
驚いた宅兵衛が逃げ出して陰から様子を伺っていると、そのまま怪鳥は姿を消した。
宅兵衛が寺の長老に尋ねたところ、新しい屍の気が陰摩羅鬼になると大蔵経にあり、最近寺に仮置きした死人によるものだろうと言う事だった。
陰摩羅鬼の名の由来は、仏教で悟りを妨げる魔物の摩羅(魔羅)に「陰」「鬼」の字を付ける事で鬼・魔物の意味を強調したもの、若しくは障害を意味する「陰摩」と「羅刹鬼」の混合されたものとの説がある。
💚 攫 猿 💚
攫猿(かくえん)とは、🇨四川省の高山に棲んでいたと言われる。
🐵の様な怪物。
馬化(ばか)とも呼ばれる。
全身が毛むくじゃらで、身長は170㎝程あり、直立歩行していると言う。
攫猿には♀が存在せず、人間の女の中から主に美人を攫って女房にする。
女房にされた女は攫猿の子を産むと、子供と一緒に女の🏠に帰される。
しかし、子供が生まれない場合は帰してもらえず、やがて攫猿と同じ姿になり、人間だった記憶も無くなって、攫猿の社会と同化してしまうとされる。
📝 概 要 📝
出没地は特定されておらず、全国に出現すると言われている。
罪人が死ぬと、暗雲と大雨風と共に地獄から現れ、その者の葬式や墓場から亡骸を奪い去って行く。
☁の中から手が現れて死体を奪うとも言い、そうして持ち去られた亡骸は五体がバラバラに引き裂かれた無残な姿で、🌋等に捨てられたとも言う。
火車の出現は、その者が罪人である証とされ、人々は恐怖と同時に恥ずべき事と考えていた。
正体は😺の妖怪とされる事が多く、年老いた😺がこの妖怪に変化するとも言われ、猫又が正体だとも言う。
愛知県の日間賀島でも火車をマドウクシャと言って、百歳を経た😺が妖怪と化すものだという。
また長年飼われていた😺、古猫は火車になると広く信じられていて、別名「化車」とも言う。
葬式があると死体を奪いに来てその肝を食らうとの話は「弥三郎婆」の話でも語られている。
『北越雪譜』には「北高和尚の火車退治の話」が載っている。
─ 続 く ─
>> 129
─ 続 き ─
昔話「猫檀家」等で貧乏寺の和尚に可愛いがられていた😺が火車になり、長者の娘の葬式に現れ棺桶を拐おうとし、その怪現象を和尚が😺に教えられたお経で解決、無事に葬式を済ませた長者によって寺は栄える😺の報恩譚が伝えられている。
また播磨国でも山崎町(現・宍戸粟市)牧谷の「火車婆」に類話があり、この一帯では性格の悪い老婆を、化け😺の様な老婆との意味合いで「火車婆」
と呼ぶと言う。
葬式に限らず、日頃から人に忌み嫌われていた老婆が、便所へ行くと言って外へ出た時、急に空から黒雲が舞い下りそのまま連れ去られると言う事件があった。
人々は皆これを「魍魎だ」
と噂しあったが、妖怪漫画家水木しげるはこれを、火車と同じ類のものとしている。
火車から亡骸を守る方法として、山梨県西八代郡上九一色村(現・甲府市、富士河口湖町)で火車が住むと言われる付近の寺では、葬式を2回に分けて行い、最初の葬式には棺桶に石を詰めておき、火車に亡骸を奪われるのを防ぐ事もあったと言う。
─ 続 く ─
>> 130
─ 続 き ─
愛媛県八幡浜市では、棺の上に髪剃を置くと火車に亡骸を奪われずに済むと言う。
宮城県東臼杵郡西郷村(現・美郷町)では、出棺の前に「バクには食わせん」又は「火車には食わせん」と2回唱えると言う。
岡山県阿哲郡熊谷村(現・新見市)では、妙八(和楽器)を叩くと火車を避けられると言う。
火車は時には死者のみならず、生者をも襲ったと言う。
武州(現・埼玉県)である時、油屋安兵衛と言う者が急に「火車が来る」と言って倒れ、その10日後に死んだ。
その死に様は、下半身が腐って死ぬと言う壮絶な死に方だったと言う。
火車に類する妖怪として、岩手県遠野ではキャシャと言って、上閉伊郡綾織村(現・遠野市)から宮守村(現・同)に続く峠の傍らの🌋に前帯に巾着を着けた女の姿をしたものが住んでおり、葬式の棺桶から死体を奪い、墓場から死体を掘り起こして食べてしまうと言われた。
長野県南御牧村(現・佐久市)でもキャシャと言い、やはり葬列から死体を奪うとされた。
─ 続 く ─
🔍 考 察 🔍
🇯古来では😺は魔性の持ち主とされ、「😺を死人に近付けてはならない」
「棺桶の上を😺が飛び越えると、棺桶の中の亡骸が起き上がる」と言った伝承がある。
また中世🇯の説話物語集『宇治拾遺物語』では、獄卒(地獄で亡者を責める悪鬼)が燃え盛る🔥の🚗を引き、罪人の亡骸、若しくは生きている罪人を奪い去る事が語られている。
火車の伝承は、これ等の様な😺と死人に関する伝承、罪人を奪う🔥の🚗の伝承が組み合わさった結果、生まれたものとされる。
「家計が🔥の🚗」の「🔥の🚗」と言う言葉は、この妖怪が由来とされる。
❤ 火 鼠 ❤
火鼠(かそ、ひねずみ、ひのねずみ)は、🇨に伝わる怪物の一種。
火光獣(かこうじゅう)とも呼ばれる。
南方の果ての🌋の🔥の中にある、不尽木(ふじんぼく)と言う燃え尽きない木の中に住んでいるとされる。
一説に、崑崙(こんろん)
に棲むとも言われる。
体重が約250㎏の大🐭で、毛の長さは50㎝あり絹糸よりも細い。
🔥の中では身体が赤く、外に出ている時に水を掛けると死んでしまうと言う。
📝 火浣布 📝
火鼠の毛から織って作った火浣布(かかんふ)は、🔥に燃えず、汚れても🔥に入れると真っ白になると言う特別な布だったと言う。
この火浣布とは実際は、鉱物性繊維の石綿であると言われる。
『隋書西域志』によると、史国に「火鼠毛」が産すると言う。
史国とは昭武九姓の1つで、現在のウズベキスタンのシャフリサブスにあった都市国家である。
🇯の『竹取物語』で、かぐや姫が阿部御主人に出した難題が「火鼠の皮衣(ひねずみのかわぎぬ)」
である。
『竹取物語』では、火鼠の皮衣は天竺(インド)産であるとされている。
❤ 化 蛇 ❤
化蛇(かだ)は、🇨に伝わる妖怪である。
翼ある🐍で、洪水をもたらす。
河南省の川に数多く棲み、泣き喚く様な声で鳴き、空を飛んだり、水中を泳いだりしながら姿を見せると言われる。
山海経では、人面で翼を持ち、足の無い山犬の姿をしていると言う。
💛 片耳豚 💛
片耳豚(かたきらうわ)は、鹿児島県奄美大島に伝わる🐷の妖怪。
奄美の民俗研究家・惠原義盛の著書『奄美怪異段抄』に記述がある。
名前通り片耳の無い🐷の姿をしており、人間がこれに股の下を潜られると魂を抜かれて死んでしまい、辛うじて命が助かったとしても、性器を損傷して一生腑抜けになってしまうと言う、沖縄のマジムンに似た伝承がある。
現れる場所は一定しており、中でも奄美市の奄美市役所付近が最も知られ、他にも永田川等、2、3ヶ所の出没地があったと言う。
敏捷性が高いので捕らえる事は出来ず、濃いクレゾールの様な、♂の♑の強い匂いの様な嫌な匂いがすると言う。
他にも、両👂の無い🐷の姿をした耳無豚(みんきらうわ)、👀が一つしかない徳之島阿布木名のムィティチゴロ(片目豚の意)が伝えられており、これ等も同様に人間の股を潜って魂を抜き去る妖怪である。
─ 続 く ─
💙 禍 斗 💙
禍斗(かと、Huotou)は、🇨に伝わる怪物の一種。
その名は「🔥を食う獸」を意味する。
🐶に似た姿をしているが、🐶の💩を食べるのが好きで、🔥を吐き散らす。
勿論、禍斗が現れると至る所で火災が発生する。
その為、禍斗は火災を兆す怪物の一種とも考えられた。
又、禍斗の出現自体が、不吉そのものであるともされた。
本来、禍斗とは🇨の遥か南方に住むと言われる伝説の異民族の呼称であると言う。
💜 鬼 車 💜
鬼車(きしゃ、Kueiche)
は、🇨に伝わる怪鳥。
九頭鳥(きゅうとうちょう)とも呼ばれる。
ミミズクの様な姿で、頭が九個あり、人間の魂を吸い取るとされる。
本来は十個の頭を持っていたが、🐶に噛み切られたとも、古代・周王朝の宰相・周公旦の庭師に撃ち落とされたとも言われる。
そしてその無くなった頭から、常に血を滴らせていると言う。
鬼車は姑獲鳥の別名だとする説もある。
❤ 旧 鼠 ❤
旧鼠(きゅうそ)は、変化(へんげ)して何百年・何千年を生きていると言う🇯の🐭の妖怪。
中型犬程の大きさで、😺すらも食べるあと言われる🐭であるが、その反面、😺と交わり、血の繋がった子猫(後述)を育てる事もあると言う。
あるものは3千年余を生き続けているとされる。
📝 特 徴 📝
江戸時代の奇談集『絵本百物語』によれば、文明年間、ある🏠の厩舎に旧鼠が棲み付いていたと言う。
この化け物は、歳を重ねて妖怪と化し、更に3千年余りを生き永らえていると言う、怖ろしく大きな🐭であった。
その様な所へある日1匹の😺がやって来て旧鼠と交わり、やがて5匹の子猫を産んだ。
しかし母猫は、のち、毒を食って死んでしまう。
親無しとなった子猫達に対して旧鼠は、夜な夜なその元へやって来てこれ等の世話をし、😺達が無事に育った後に何処かへと姿を消したと言う。
また同書によれば、大和国(現在の奈良県)に居た旧鼠は、その毛色が赤白黒の三毛ここで言っている「赤」は、所謂通常に言う「三毛」の「茶」であろうか、と言うもので、いつも😺を食べていたと言う。
─ 続 く ─
>> 143
─ 続 き ─
その他、江戸中期の随筆『翁草(おきなぐさ)』には以下の様にある。
宝暦も初めの頃(1751年頃)の尾張国は愛知郡名古屋郷(現・愛知県名古屋市)での話。
毎晩の様に行灯の🔥が消える🏠があり、原因は何であるか調べたところ、夜中に旧鼠が現れて灯りに使う魚油を舐め取っていたと言う。
そこでこの化け物の🐭を退治すべく😺を用意して🌠を待ち、かくして旧鼠が現れた。
😺は旧鼠を威嚇して飛びかかる。
しかし旧鼠は😺の爪にかかる事なく、それどころか😺の喉に噛み付いて殺し、まんまと逃げ去ってしまった。
🏠の者は大いに驚き、改めてあちこち回って🐭退治の巧い😺を捜し当て、再び旧鼠に挑む事となる。
🌠が来て、いよいよ旧鼠と😺は睨み合う。
時が過ぎ、ついに堪り兼ねた旧鼠は動いて😺と組み合い争ったが、またもや😺を噛み殺して逃げ去ったと言う。
こうして人々は、諺「窮鼠(きゅうそ)😺を噛む本来は「窮鼠噛貍」「窮鼠(きゅうそ)も貍(ねこ)を噛む」詔聖『塩鐵論』。「貍」は「狸」の意であるが、古くは「😺」をも指した。尚、「窮鼠」は「追い詰められた🐭」の事であり、著者・桃山人はそれを「旧鼠」と掛けたまでの事。」を地で行く有り様を👀にしたとの事である。
❤ 牛魔王 ❤
牛魔王(ぎゅうまおう)は、🇨の四大奇書『西遊記』に登場する魔王の一人で、羅刹女の夫。
主人公の孫悟空とかつては義兄弟の仲で、天界に歯向かったが、後に三蔵法師の弟子となった孫悟空と芭蕉扇を巡って戦った。
孫悟空と義兄弟時、平天大聖と自称していた。
彼の弟である如意真仙と言う妖怪がいる。
💛 管 狐 💛
管狐(くだきつね)とは、伝説上・伝説の生物で、竹管の様な細い筒の中に住む、小さく細長い🇯の妖怪・妖精・精霊の一種。
容姿は、名前の通り狐の様な形をしている。
別名、飯綱(いづな)、飯綱権現とも言い、新潟、中部地方、東北地方の霊能者や信州の飯綱使い(いづなつかい)等が持っていて、通力を具え、占術等に使用される。
飯綱使いは、飯綱を操作して、予言等善なる宗教活動を行うのと同時に、依頼者の憎むべき人間に飯綱を飛ばして憑け、病気にさせる等の悪なる活動をすると信じられている。
狐憑きの一種として語られる事もあり、地方によって管狐を有するとされる🏠は「くだもち」と呼ばれて忌み嫌われた。
管狐は味噌が好きで、これに憑かれると人は味噌ばかり食べる様になり、病気の人は食欲か出る。
そして、憑かれると管狐の思惟を話す様になる。
─ 続 く ─
📝 概 要 📝
外観は球形に近い獸で、その名の通り🐭、又はヤマネに似ている。
人間に危害を加える様な存在には見えないが、山中で人間に出会うと、立ち止まってみるみる体を膨らませ、次の瞬間、鉄砲の様な轟音と共に自分の体を破裂させ、🍖や内臓を生々しく周囲に撒き散らす(破裂せずに周囲を飛び回って破裂音を鳴らすと言う説もある)。
この小玉鼠の信じられない行動は、マタギ達は🌋の神の怒りや警告として恐れており、この怪異に遭うと直ぐに猟をやめた。
無理に猟を続けても獲物が取れず、それどころか雪崩等の災害に遭う事もあったと言う。
祟られてしまった者は、🏠へ帰って「ナムアブラウンケンソワカ」と呪文を唱える事でお祓いを行う事が出来る。
マタギの間の伝承によれば、小玉流と言う流派のマタギ7人が🌋に入り、🌋の神の罰によって彼等の霊が小玉鼠に化身したと言われている。
💜 サムパーティ 💜
サムパーティ(Samp ti)は、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する🐤の王。
老齢の禿鷹で、ヴィンディヤ
山の山頂に棲む。
アルナとシュエーニーの子で、ジャターユの兄。
透視の能力を持つ。
かつてサムパーティとジャターユ
は、天に昇ってインドラ神を征服しようとした。
しかし☀に近付き過ぎて、ジャターユがその熱で弱まったので、サムパーティは自分の翼の下にジャターユを庇った。
その為サムパーティの翼は燃えてしまい、共に別々の場所に落下した。
サムパーティが落ちたのはヴィンディヤ山であり、死を決意したが、聖者ニシャーカラ
は何れこの地にラーマ王子の使いが訪れる時があり、その時に再び翼が再生して力が回復するだろう、と予言した為、死を思い止まった。
─ 続 く ─
>> 151
─ 続 き ─
その後、ヴィンディヤ山にヴァラナ(🐵)の一行が現れた時、サムパーティはこれを喰らおうとした。
しかし彼等がジャターユの死を口にした為、驚いて何者であるか訪ねた。
彼等は連れ去られたラーマ
の妃のシーターの捜索隊であると告げた。
そこでサムパーティは聖者の予言を思い出し、透視の力によってシーターを連れ去ったのはラークシャーサの王ラーヴァナであり、その居城はランカー島にある事を教えた。
するとサムパーティの翼は予言通りに蘇り、新しい赤い羽毛に覆われ、サムパーティは天に飛翔した。
このサムパーティの教唆によって、ハヌマーンは海原を飛び越えてランカーに忍び込んだ。
❤ ジャターユ ❤
ジャターユ(Jat yu)或いはジャターユス(Jat yusu)は、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する🐤の王。
老齢の禿鷹で、年齢は六千年を数え、ダンダカの森に棲む。
『ラーマーヤナ』ではアルナとシュエーニーの子とされるが、ガルダの子とされる事もある。
サムパーティの弟。
若い頃、サムパーティと共に天に昇り、インドラ神を征服しようとしたが、☀に近付き過ぎて、その猛烈な熱の為に力を失い、地上に落下し、その後ジャターユはダンダカの森に、サムパーティはヴィンディヤ山で暮らす様になったとされる。
後に、ダンダカの森にやって来たラーマ王子の友人となり、妃のシーターを守護する事を約束した。
ラークシャーサの王ラーヴァナがシーターを略奪した時、樹上で眠っていたジャターユはシーターの叫び声で👀を覚まし、ラーヴァナは♐で応戦したが、ジャターユが老齢の為に直ぐに疲れているのを見て、戦車で飛び去ろうとした。
ジャターユは追い掛けてその背中に傷を負わせ、また10の腕を食い千切ったが、ラーヴァナの腕は直ぐに再生し、剣で翼を切り裂かれ、地に落下して瀕死となった。
最後はラーマの腕の中で死に、火葬されて昇天した。
📝 概 要 📝
人語を解し、赤い顔をした人間の如き容姿で、🍶を好むとされている。
元来は礼記に「鸚鵡(オウム)
は能く言して飛鳥を離れず。猩々は能く言して禽獸を離れず」とあるのが出典で、後代の注でしばしばオランウータン等の大型類人猿に擬せられるが(猩々はオランウータンの和名の一つでもある)、一方で各種の説話や芸能によって様々なイメージが付託されて現在に及んでいる。
🍶を好むのは猩々の重要な特徴の一つであるが、これは🇯に於いて形作られたものである可能性が高い。
しかし、伝説の為、様々な説がある。
🇯では七福神の一人として寿老人の替わりに入れられた時代もある。
─ 続 く ─
>> 155
─ 続 き ─
🇯に於いては、岩手県、山梨県、富山県、兵庫県、和歌山県、山口県等の各地の伝説や昔話に登場する。
江戸中期に甲府勤番仕の著した地誌書『裏見寒話』では、山梨県の西地蔵岳で猟師が猩猩に遭って銃で撃った話があるが、その他の地域では猩猩は殆ど🌊に現れている。
富山県の氷見市や新氷見市や新湊市(現・射水市)
の🌊に現れると言う猩猩は、身長1㍍程で、🚢に上がって来て舳先に腰を掛けると言う。
時には6、7匹も乗り込んで来るが、船乗りが驚いて騒いだりすると猩猩は🚢をひっくり返してしまう為、船乗りは黙って船底に打ち伏したと言う。
山口県周防大島で言う猩猩は🚢幽霊の様に語られており、🚢に対して海底から「樽をくれ」と声をかけ、樽を投げ込まないと祟りがあるが、樽を投げ入れると🚢に水を入れられて沈められていまう為、樽の底を抜いて投げ込んでやると言う。
─ 続 く ─
📝民俗芸能:猩々祭り📝
旧東海道鳴海宿を中心とした地域で行われる祭り。
猩々人形が子供達を追い掛け、大きな赤い手でお尻を叩こうとする。
叩かれた子は夏病に掛からないと言う。
最近はお尻を叩かず、頭を撫でる。
猩々人形は赤い顔の面と上半身分の竹枠組みで出来ておりその上から衣装で覆う。
大人がこれを被ると身長2㍍以上の巨人となる。
💛 修 陀 💛
修陀(しゅうだ、Hsishe)
は、🇨の神話に登場する怪物の一つ。
巴蛇(はだ、Pashe)とも呼ばれる。
天帝が尭(ぎょう)であった時代に、南方の洞庭湖に棲んでいたとされている巨人な大🐍。
黒い身体に頭部は青く、全長が約1800mもあると言われている。
その巨大な身体で大きな津波を起こしては、漁民達を死に追いやり、多くの人々を苦しめた罪によって最後は退治されてしまったと言われている。
又、修陀は巨大な🐘を丸ごと飲み込んでおり、それから3年の月日が経ってから、消化されずに残った骨を吐き出した。
不思議な事に、その吐き出された骨は、腹痛を治す漢方薬になったと言われている。
💙 朱 厭 💙
朱厭(しゅえん、Chuyen)
は、🇨に伝わる怪物。
🐵に似た姿をしているが、首は白く脚は赤いと言う。
朱厭が現れた国は戦争に見舞われるとされる事から、兵乱を兆しす怪物の一種と思われる。
📝 概 要 📝
江戸時代の外科医・武井周作の著書『魚鑑』によれば、深山の土中には巨大な法螺貝が棲んでおり、これが山中に三千年住んだ末、大規模な地割れと共に土の中から抜け出し、更に三千年、🌊に三千年住んだ法螺が🐲に化身したものが出世螺だと言う。
🌋から出世螺の抜けた跡を「出世のほら」と言い、静岡県浜名郡新居町の遠州今切れの渡しも法螺の抜けた跡と言われる。
『東京近郊名所図会』によると、明治5年8月25日午後に激しい雷雨があり、道灌山(現・荒川区西日暮里)の北川の崖が崩壊し、これが法螺が抜けたものと評判になったと言う。
又、かつて和歌山県西弁婁郡西冨田村(現・白浜町)では村の大池から法螺が現れたと言う。
ある年に大水が発生した際、濁流の中に大きな黒い物体が流れて行くのを目撃した者がおり、その跡には池に洞窟が出来ていたので、法螺が抜けたものだと噂が立った事例がある。
この出世螺の🍖を食べると長生きをすると言われるが、実際にはその様にして長生きした人の話は確認されていない為、これが由来となって噂を付く事を「ほらをふく」と言う様になったとも言う。
─ 続 く ─
>> 162
─ 続 き ─
又、江戸時代には山岳を観察しながら暮らしていた山伏達が山中の法螺抜けの伝説を広め、崖等に自然に出来ている穴を「洞(ほら)」と呼ぶのも法螺(ほら)が抜けた穴と言う意味であり、そこから抜けた法螺が🐲となって昇天する等と話して回ったが、その途方もない話を当時の人々は嘲笑し、この事から噂を付く事を「ほらをふく」と言う様になったとも言う。
法螺貝が🐲に化身すると言う事は古典の文献や民間伝承にもある。
松浦静山の『甲子夜話』によれば、出世螺は雨龍とも言う蛟の一種であり、🐍に似て角と四肢を持つもので、山腹の土中に住んでいるが、🌋が震えて激しい雷雨が起きた時には🌋から飛び出す事があり、これを法螺抜けと言うとの記述がある。
この様な俗信は元は🇨から伝わったものらしく、17世紀初頭の🇨の文献
『五雑組』には、福建省で暴風の為に洪水が起きた際、人々は蛟が出現したのだろうと語ったと言う記述がある。
💜 人 虎 💜
人虎(じんこ)とは、🐯或いは半虎半人の姿に変身したり、🐯に憑依されたとも言われる獣人(伝説の生物)の一種。
虎人(ごじん)・🐯憑き
(とらつき)・ワータイガー(en
:weretiger)とも。
性別によって虎男・虎女とも呼ばれる。
📝 概 要 📝
インドから🇨に掛けてのアジア一帯に似た様な伝説があり、🐯が生息しない🇯でも🇨の影響によってその存在が信じられたと言う。
🇨・宋朝から清朝に掛けて執筆された志異・志怪等を記した説話集、『太平広記』・『古今説海』・
『唐人説薈』等に「人虎伝」として🐯に変身する男の説話が収録されている。
🇯の作家・中島敦は、
『唐人説薈』中の「人虎
伝」に取材して小説『山月記』を執筆して郷里の秀才の非哀を描出している。
インドネシア・ジャワ島では
マガン・ガドゥンガン
(magan gadungan)と言う
虎人の伝説がある。
諸説あるものの、「ンゲルム・ガドゥンガン」の魔法の儀式によって眠っている人の魂が体から抜け出して実体化されるとするものや持っている人間の親指程の大きさも無い腰布を🌠に腰に巻く事で魔法が発動されるとも言われている。
その魔法が発動されると、体が巨大化して全身が黄色と黒の🐯縞で覆われてやがて🐯の姿になり、夜中に人を襲って食する。
だが、これによって🐯になった者の呪いは解かれて、替わって襲われた者が呪いを受けて生き延びて🐯に変身して次の犠牲者を探す事になると言う。
─ 続 く ─
>> 165
─ 続 き ─
マガン・ガドゥンガンの上唇には窪みが無く、それによって探す事が出来ると言う。
マレー半島では、🐯憑きは家畜を襲い、特に🐔を好む。
この為、古来🐯憑きの疑いを掛けられた人は吐薬を飲まされて、羽毛を吐き出せば🐯憑きであるとして隣人・村人の手によって処刑されたと言う。
インドでは、川で水浴する男達を襲う虎女の伝説があり、絵画等の題材に用いられている。
又、ヨーロッパでも🐯人間(man tiger)と呼ばれる胴体は🐯で額から角を突き出した人間の頭部を持つと言う架空の動物がおり、紋章等に用いられた。
又、インドに住むと信じられていた怪物マンティコラの原型も🐯憑きの伝承に求める考えもある(2世紀のパウサニアスの説)。
📝 備 考 📝
😺科の動物が人間に憑依してその動物或いは人間の形態を一部残した獣人に変身すると言う説話・伝説は世界中に存在する。
ヨーロッパからロシアでは😺憑き(😺)、アフリカでは豹憑き(豹)・ジャッカル憑き(ジャッカル)、北🇺には山猫憑き(山猫)、南🇺にはジャガー憑き/ジャガー人間(ジャガー)の話が存在している。
📝 概 要 📝
この噂は、1989年から1990年に掛けて、主に小中学生の間でマスメディアを介して広まった。
その「目撃例」は、大別して以下の2種類に分かれる。
☝ 深夜の高速道路で、🚗に時速100㌔㍍のスピードで追い縋り、追い抜かれた🚗は事故を起こす。
☝ 繁華街でゴミ箱を漁っており、店員や通行人が声を掛けると、「ほっといてくれ」と言い返して立ち去る。
他にも「勝手だろ」「うるせえ」「なんだ、人間か」等の捨て台詞を言った。
💑に対して下品な言葉を吐いた。
6㍍以上ジャンプした、等のエピソードが流布された。
非常に足が速く、高速道路上の🚗がこの人面犬に追い抜かされると事故を起こす。
人面犬に噛まれた人間は人面犬になってしまう等の噂も立ち上った。
「顔は中年男性」だとも言われ、妖怪研究家・山口敏太郎は、リストラされて自殺した中年男性の怨念が🐶に憑依したものか、としている。
その「正体」にかんしては、「妖怪の類」・「遺伝子操作による生物兵器」・「『T市』と言う土地でのバイオテクノロジー実験による産物」・「環境汚染による突然変異」説等が、各々のシチュエーションにマッチした派生を伴い語られた。
霊的なものであり、強い霊感の持ち主しか見えないとも言われた。
📝伝承に見る「人面犬」📝
「人間の顔を持つ🐶」の民間伝承は、少なくとも江戸時代から存在する。
江戸時代の文人・石塚豊芥子の著書『街談文々集要』によれば、文化7年(1810年)6月8日に江戸の田戸町で、ある♀🐶の産んだ子犬の1匹が人間そっくりの顔であったと言う。
1人の興行師がこれを聞き付け、早速人面犬の見世物として売り出したところ、押すな押すなの大人気となった。
当時、「梅毒患者は♀🐶と性交すると治癒する」
との迷信があり、その結果、生まれたのがこの人面犬だと噂された。
同じく江戸時代の文人にして水戸藩士の加藤曳尾庵の著書『我衣』によれば、文政2年(1819年)4月29日、日本橋近郊で産まれた子犬が人面と言われ、江戸中の評判となって見物人が詰め掛けた。
曳尾庵が見物人から聞いた話によれば、🐵の様な顔付きだったと言う。
又、瓦版によれば前足が人間の足だったと言う。
「人面生物」に関する都市伝説は、他に件(くだん)
や人面漁がある。
─ 続 く ─
❤ 相 柳 ❤
相柳(そうりゅう、Xiang
-liu,Xiang-Yao)は、古代🇨神話に登場する怪物の一つ。
九つの人間の頭を持つ大🐍の姿をしているとされる。
共工に仕えており、体から毒水を出し、周囲の大地を汚染して行く。
又、その血も毒である為、英雄「禹」に退治された時に大量の血を流し、広範囲の土地を汚染したと言う。
📝 概 要 📝
🇨語では家猪は🐷、野猪が🐗を意味し、単に「猪」
と言えば通常は🐷の事を指す。
元代の「西遊記」の原型となる物語では、「猪」と近似した発音の「朱」を名字としていたが、名代に皇帝の姓が「朱」であった為、避諱によりもとの意の通り「猪」を用い、猪八戒となった。
元々は、摩利支天の配下・御車将軍を経て、天界で🌌の水軍を指揮する天蓬元帥だった。
女癖の悪さで知られ、酔った勢いで広寒宮の嫦娥(🌙に住む女神)に強引に言い寄った為、天界を追われて地上に落とされた。
人間に生まれ変わるはずが、誤って♀🐷の胎内に入り、黒🐷の妖怪となった。
その後、福陵山雲桟洞の卯二姐(妖怪)に婿入りするも死別し、人を喰う様になった。
ある日、天竺に経典を取りに行く人物を探していた観音菩薩と出会い、慈悲を乞うと、「猪悟能」と言う名と八斎戒を与えられた。
その後、鳥斯蔵国で商業を営む高翠蘭に婿入りし、好き放題やっていた所、観音菩薩の約束通り訪れた玄奘三蔵に弟子入りし、孫悟空、沙悟浄等と共に天竺まで経典を求めて旅をした。
道中に於いては敬虔な仏教徒として描かれ、煩悩と戦いながらも飲酒・生臭食・女犯を犯す事は無い。
🐷 一般的なイメージ 🐷
☝太鼓腹に長い🐽のある🐷の顔
☝怪力・好色・食欲旺盛
楽天的・嘘つき・欲が深
い・怠け者・愚か
☝武器ら釘〓(ていは)。
九本の歯を持つ熊手を思わせる馬鍬(まぐわ)風の農具で、太上老君の作。
その自由奔放で人間臭い性格から、🇨では孫悟空以上の人気を誇る。
又、🇨では「(猪八戒が人参果(架空の不老長寿の果実)をたべる)」(猪八戒は人参果の味が分からないので、物の価値や有難みを理解しない事、🇯の「😺に小判」「🐷に真珠」
と同義)等、猪八戒を題材とする諺も生まれた。
イスラム諸国で西遊記があまり読まれない理由は諸説あるが、猪八戒(イスラム教では🐷が忌み嫌われている)の存在がある為との説が有力視されている。
📝 名前の遍歴 📝
📛 天蓬元帥
(天帝の任命職名)
📛猪悟能
(観音菩薩が名付けた法
名)
📛猪剛鬣
(婿養子の際の自称)
📛猪八戒
(玄奘三蔵による通称)
📛浄壇使者
(釈迦如来の任命
仏に捧げられたお供え物の始末を一手に引き受ける-自分で食べてしまっても良い)
📝 その他 📝
🇯で初めて猪八戒を🐷であると正しく訳したのは、新聞記者・随筆家の弓館小鰐である。
東京日日新聞に連載され、1931年に改造社から刊行された弓館訳『西遊記』の中で使われた。
尚、それ以前の『通俗西遊記』(1858年)等に於いては、🐗であると訳されていた。
💙 鴆 💙
鴆(ちん、Zhen)は、🇨の古文献に記述現れている猛毒を持った🐤。
大きさは鷲位で緑色の羽毛、そして銅に似た色の嘴を持ち、毒蛇を常食としていた為その体内に猛毒を持っており、耕地の上を飛べば作物は全て枯死してしまうとされる。
石の下に隠れた🐍を捕るのに、💩を掛けると石が砕けたと言う記述もある。
📓 文献上の鴆及び
鴆の実在性 📓
韓非子や史記等紀元前の古文献では、この🐤の羽毛から採った毒は鴆毒と呼ばれ、古来よりしばしば暗殺に使われたと言う。
鴆毒は無味無臭なおかつ水溶性であり、鴆の羽毛を一枚浸して作った毒🍶で、気付かれる事無く相手を毒殺出来たと言う。
春秋時代、魯(ろ)の荘公の後継ぎ争いで、荘公の末弟の季友は兄の叔牙に鴆🍶を飲ませて殺したと言う(『史記』魯周公世家)。
又、秦の始皇帝による誅殺を恐れた呂不韋は鴆🍶を仰いで自殺した(『史記』呂不韋伝)等、古い文献に鴆による毒殺の例は数多い。
紀元前の文献では、鴆の生息したとされる地域は概ね江南(揚子江以南)であり、普代、鴆を揚子江以北に持ち込んではならないとする禁令があった。
宋代では取締りが厳しくなり、皇帝が駆除のため営巣した🌋ごと燃やせと命令をだしたとか、雛を都に連れて来ただけの男を雛と共に処刑されたといった記述がある。
南北朝時代を最後に文献上の記録が絶える事となるが、その頃の記録は文献毎にバラバラで統一性が無く、既に伝説上の存在になっていた様子が伺える。
─ 続 く ─
📝 鴆毒と犀角 📝
又、鴆毒の毒消しには犀角(サイの角)が有効と言う迷信がいつの頃からか信じられ、毒🍶による暗殺を恐れた🇨歴代の皇帝や高位の貴族達は、犀角で出来た杯を競って求めた。
かの犀角の毒消し効果に関する迷信は、鴆が記録から消え去った後は「あらゆる毒の毒消しに有効である」とか、「劇的な精力剤である」と言う形に昇華され現在に至っている。
故に、今日でもなお世界各地の漢方薬局では犀角が非常に高価で取引されており、その反動としてアジアやアフリカのサイは絶滅か危惧されるまでにその個体数を減らした。
現在、サイは全種が絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(ワシントン条約)や、生息する地域に位置する国家から厳重に保護されているにも関わらず、常に高価な角を狙う密漁者の手による射殺の危機に晒されている。
更にこの犀角にまつわる迷信は後に西洋に伝わり、ユニコーンの角は水を清めると言う別の迷信を生んだ。
💚 土蜘蛛 💚
土蜘蛛(つちぐも)とは、実在する蜘蛛の名前ではない。
以下の様な意を持つ。
①天皇に恭順しなかった古代の土豪の名前。
②🇯に伝わる巨大な蜘蛛の妖怪で、別名「八握脛(やつかはぎ)」「大蜘蛛」
。
③能の演目。
五番目物の鬼退治物。
又、海外の熱帯地方に生息する大型の地表徘徊性蜘蛛のグループオオツチグモ科は、これ等に因んで和名が付けられているが命名は後年近代に入ってからであり、直接的にはやはり無関係である。
📝 土蜘蛛(土豪) 📝
古代🇯に於ける、天皇への恭順を表明しない土着の豪傑等に対する蔑称。
陸奥、越後、常陸、摂津、豊後、肥前等、各国の風土記等で頻繁に用いられている。
例えば、「肥前国風土記」
には、景行天皇が志式島(しきしま、平戸)に行幸(72年)した際、🌊の中に島があり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、小近島の方には大耳、大近島の方には垂耳と言う土蜘蛛が棲んでいるのが分かった。
そこで両者を捕らえて殺そうとした時、大耳達は地面に額を下げて平伏し、「これからは天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物を差し出して許しを請うたと言う記事がある。
又、「豊後国風土記」にも、五馬山の五馬姫(いつまひめ)、禰宜野の打猴(うちさる)・頸猴(うなさる)・八田(やた)・國摩侶、網磯野(あみしの)
の小竹鹿奥(しのかおさ)
・小竹鹿臣(しのかおみ)
、鼠の磐窟(いわや)の青・白等の多数の土蜘蛛が登場する。
また一説では、神話の時代から朝廷へ戦いを仕掛けたものを朝廷は鬼や土蜘蛛と呼び、朝廷から軽蔑されると共に、朝廷から恐れられていた。
📝 土蜘蛛(妖怪) 📝
時代を経るに従い、土蜘蛛は妖怪として定着していった。
人前に現れる姿は鬼の顔、🐯の胴体に長い蜘蛛の手足の巨大ないでたちであるとも言う。
何れも🌋に棲んでおり、旅人を糸で雁字搦めにして捕らえて喰ってしまうと言われる。
🔍平安時代に奈良県の大和葛城山に棲んでいたとされる大蜘蛛で、神武天皇に滅ぼされた🌋の民の怨霊が妖怪となったものだと言う。
🔍14世紀頃に書かれた『土蜘蛛草子』では、京の都たで大蜘蛛の怪物として登場し、源頼光と渡辺綱によって退治されている。
その後、この土蜘蛛の住処からは水が湧き水を飲んだ者は土蜘蛛の祟りによって死んだと言われる。
又、付近の坂道(現・新宿区富久町7丁目付近)は「くもきり坂」と呼ばれる。
🔍又、似た妖怪に海蜘蛛がある。💋から糸を吐き人を襲うと言う。九州の沿岸に出るとされる。
🔍信濃(現在の長野県)に現れたとされる大蜘蛛は、普通の人には見る事が出来なかったと言う。人の生血を吸い、この妖怪に取り憑かれた息子を救う為に母親が戦い、見事退治したと言う。
📝 概 要 📝
『平家物語』等に登場し、🐵の顔、タヌキの胴体、🐯の手足を持ち、尾は🐍で(文献によっては胴体に付いては何も書かれ無かったり、胴が🐯で描かれる事もある)、「ヒョーヒョー」と言う、🐤のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。
一説には雷獣であるとも言われる。
又、出現したのは一般には平安時代後期とされるが、平安時代のいつ頃かは、二条天皇の時代、近衛天皇の時代、後白河天皇の時代、鳥羽天皇の時代等、資料によって諸説ある。
元来、鵺とは🌠に鳴く🐤の事であり、『古事記』『万葉集』にも名が見られる。
この🐤の正体は、現在ではトラツグミの事とするのが定説である。
この🐤の寂しげな鳴き声は平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえた事から凶鳥とされ、天皇や貴族達は鳴き声が聞こえるや、大事が起きない様に祈祷したと言う。
─ 続 く ─
>> 187
─ 続 き ─
『平家物語』にある怪物はあくまで「鵺の声で鳴く得体の知れないもの」
で名前は付いていなかった。
しかし現在ではこの怪物の名前が鵺だと思われ、そちろの方が有名である。
🎬「悪霊島」(原作・横溝正史)の有名なキャッチ・フレーズ、「鵺の鳴く🌠は恐ろしい」とはこの事である。
描写される姿形は北東の寅(🐯)、南東の巳(🐍)、南西の申(🐵)、北西の戌亥(🐶と🐗)と言った干支を表す獣の合成と言う考えもある。
『平家物語』や摂津国の地誌『摂津名所図会』等によると、鵺退治の話は以下の様に述べられている。
平安時代末期、天皇(近衛天皇)の住む御所・清涼殿に、毎晩の様に黒煙と共に不気味な鳴き声が響き渡り、二条天皇がこれに恐怖していた。
遂に天皇は病の身となってしまい、💊や祈祷をもってしても効果は無かった。
側近達はかつて源義家が♐を鳴らして怪事を止ませた前例に倣って、♐の達人である源義政に怪物退治を命じた。
─ 続 く ─
>> 188
─ 続 き ─
義政はある🌠、家来の猪草太との表記もある)を連れ、先祖の源義光より受け継いだ♐を手にして怪物退治に出向いた。
すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、義政が山鳥の尾で作った尖り矢を射ると、悲鳴と共に鵺が二条城の北方辺りに落下し、すかさず猪草太が取り押さえてとどめを差した。
その時宮廷の上空には、カッコウの鳴き声が二声三声聞こえ、静けさが戻って来たと言う。
これにより天皇の体調も忽ちにして回復し、義政は天皇から褒美に獅子王と言う刀を貰賜した。
退治された鵺はその後に付いては諸説ある。
『平家物語』等によれば、京の都の人々は鵺の祟りを恐れて、死体を🚢に乗せて鴨川に流した。
淀川を下った🚢は大阪東成郡に一旦漂着した後、🌊を漂って芦屋川と住吉川の間の浜に打ち上げられた。
芦屋の人々はこの屍骸をねんごろに葬り、鵺塚を造って弔ったと言う。
鵺を葬ったとされる鵺塚は、『摂津名所図会』では「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」とある。
─ 続 く ─
>> 189
─ 続 き ─
また江戸初期の地誌『芦分船』によれば、鵺は淀川下流に流れ着き、祟りを恐れた村人達が母恩寺の住職に告げ、ねんごろに弔って土に埋めて塚を建てたものの、明治時代に入って塚が取り壊されかけ、鵺の怨霊が近くに住む人々を悩ませ、慌てて塚を修復されたと言う。
一方で『源平盛衰記』
『閑田次筆』によれば、鵺は京都府の清水寺に埋められたと言い、江戸時代にはそれを掘り起こした為に祟りがあったと言う。
別説では鵺の死霊は1頭の🐎と化し、木下と名付けられて頼政に飼われたと言う。
この🐎は良馬であった為に平宗盛に取り上げられ、それを切っ掛けに頼政は反平家の為に挙兵してその身を滅ぼす事になり、鵺は宿縁を晴らしたのだと言う。
また静岡県の浜名湖西方に鵺の死体が落ちて来たとも言い、浜松市北区の三ヶ日町鵺代、胴崎、羽平、尾奈と言った地名は各々鵺の頭部、胴体、羽、尾が落ちて来たと言う伝説に由来する。
📝 史 跡 📝
🗾鵺塚(阪神芦屋駅近く
、松浜公園の一画)
『平家物語』で川に流された鵺を葬ったとされる塚。付近に掛かっている鵺塚橋の名はこの鵺塚に由来する。
🗾鵺塚(大阪市都島区)
『芦分船』で淀川下流に流れ着いた鵺を葬ったとされる塚。現在の塚は前述の通り1870年に大阪府が改修したもので、祠も1957年に地元の人々によって改修されたもの。
🗾鵺塚(京都府)
岡崎公園運動場付近。京都の清水寺に鵺を葬ったと言う伝承との関連性は不明。発掘調査の結果、古墳時代の墳墓である事が判明している。
🗾鵺池
二条城北方の児童公園にある池。頼政が鵺を射抜いて血塗られた矢を洗ったとされる。現在では池跡が親水施設状に改装されている。
🗾神明神社
(京都市下京区)
頼政が鵺退治の前にここで祈願し、見事退治した礼と言って矢尻を奉納したと言う。この矢尻は社宝とされ、普段は写真のみ展示されており、毎年9月の祭礼で実物が公開される。
─ 続 く ─
>> 191
─ 続 き ─
🗾矢根地蔵
(京都府亀岡市)
頼政が鵺退治の際、守り本尊である地蔵菩薩に願を掛けたところ、夢枕に地蔵が現れ、矢田の鶏山の白鳥の羽で矢を作るよう告げた。この伝承に因み、この地蔵は矢尻を持った姿をしているが、普段は非公開。
🗾長明寺(兵庫県西脇市)
この地は元は義政の所領地であり、寺の境内には義政による鵺退治の像がある他、寺の側の矢竹藪という竹薮は、頼政が鵺退治の矢に用いる竹を採取したと言われる。
上記の他、大分県別府市の八幡地獄にあったテーマパーク「怪物館」には鵺のミイラがあったと言い、他にも類のない貴重なものと言われたが、このテーマパークは現存せず、ミイラ
も行方も判明していない。
📝 概 要 📝
🐍の様だが、直径15㌢、体長1㍍位で、太さの割に短い。
頭の天辺に💋がある以外は👀も👃も無く、丁度柄の無い槌の様な形をしている。
時には人を喰うとされた。
奈良時代の歴史書『古事記』では草の女神カヤノヒメ
の別名とされ、山野の精とされた。
記紀神話にはカヤノヒメを🐍とする記述は見られないものの、夫のオオヤマツミを🐍体とする説がある。
後に仏教が普及すると、カヤノヒメが霧の神、暗闇の神、惑わしの神を産んだとされる事から、野槌は妖怪変化を産む神とみなされ、野槌自体も次第に妖怪視された。
又、仏教説話中にも取り入れられており、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』には、徳の無い僧侶は深山に住む槌型の🐍に生まれ変わり、生前に💋だけが達者で智慧の眼も信の手も戒めの足も無かった為、野槌は💋だけがあって👀や手足のない姿だとある。
─ 続 く ─
>> 194
─ 続 き ─
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』によれば、和州(現・奈良県)吉野川中の菜摘川(夏実川)や清明滝(蜻螟滝)で良く見掛けるもので、野槌の名は槌に似ているが由来とある。
深山の木の穴に住み、大きい物で体長3尺(約90㎝)、直径5寸(約15㎝)、人を見ると阪を転がり下って人の足に噛み付くが、阪を登るのは遅いので、出会した時には高い所へ逃げると良いと言う。
民俗伝承においては奈良県の他にも徳島県、北陸地方、中部地方に伝承されている。
又、鹿を一飲みにする、転がってくる野槌に当たると死ぬ。
野槌に見付けられただけでも病気を患ったり、高熱を発して死ぬとも言う。
鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』で、全身毛だらけの野槌が🐰を食べる様子を描いており、解説文で「草木の精をいふ」と述べ、その形状を『沙石集』からの引用で「👀も👃もなき物也といへり」と述べている。
─ 続 く ─
📝 概 要 📝
赤々とした鶏冠を持つ🐤で、💋から同じく赤々とした🔥を吐き出す。
この🔥は狐火等と同様に熱を伴わず、物を燃やす事はない。
普段は山奥の竹藪に棲んでおり、人前に姿を現さす事は滅多にないが、深夜には時折人の住む村に現れ、羽をぱたかせてバサバサと不気味な音を発てる。
「婆裟婆裟」の別名はこの羽音に由来する。
音に気付いた人が外を覗いても、姿は忽然と消えていると言う。
人に脅かす事はあるものの、危害を加えない。
江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には「食火鶏」(ヒクイドリ)の記述があり、🐔に似た姿で、燃え残りの木を食べる等と解説されており、波山はこれをモデルとしているとの説もある。
📝 概 要 📝
棲息地は🇨嶺南(広東・広西地方)の山林とされ、姿は🐵に似ており、大きさはタヌキかカワウソ程度。
👀が赤く、体色は黒っぽく、豹の様な模様がある。
尾は短い。
毛は👃から尾に掛けて青い毛が生えているのみとも言う。
夜行性で昼は動き回る事は無く、🌠になると木によじ登り、木々の間や岩間を滑空する。
その飛距離は、🌋の一つや二つを飛び越える程。
餌はクモ等で、香木の香も食べる。
人に捕らえられると、恥ずかしがる様な素振りをし、憐れみを請う様な仕草をする。
特筆すべきはその生命力である。
風狸は打ち叩くと呆気なく死んでしまうが、💋に風を受けただけで生き返る。
刀で斬っても刃が通らず、🔥で焼こうとしても焼けないと言う説もある。
但し、骨や脳を砕かれると生き返る事は出来ず、石菖蒲(サトイモ科の多年草のセキショウの事)で👃を塞いでも殺す事が出来るとされる。
─ 続 く ─
>> 201
─ 続 き ─
🇨の書『本草綱目』では、風狸は東南アジア産のヒヨケザルの事とされる。
🇯では、鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』、根岸鎮衛の『耳袋』、『和漢三才図会』等江戸時代の各種文献に名が見られる。
『和漢三才図会』では🇯にはいないとされているが、『耳袋』では🇯にも風狸の話があると記述されている。
それによれば、風狸はタヌキの一種とされており、ある種の草を抜き、梢に止まった🐤にかざすと、何故かその🐤が落ちて来るので、それを餌にしていると言う。
どんな草にその様な効果があるかは不明だが、ある者が風狸からその草を奪い、🐤を捕らえ様として木に登り、🐤に向かって草をかざしたところ、🐤と共にその者も木から落ちてしまったと言う。
📝 概 要 📝
山中に棲んでおり、怪力を有し、良く人間の女性を攫うとされる。
柳田國男の著書『妖怪談義』によると、狒々は猛獣だが、人間を見ると大笑いし、💋が捲れて👀まで覆ってしまう。
そこで狒々を笑わせて、💋が👀を覆った時に、💋の上から額を錐で突き刺せば、捕らえる事が出来ると言う。
狒々の名はこの笑い声が由来と言われる。
また同書では、天和3年(1683年)に越後国(現・新潟県)、正徳4年(1714
年)には伊豆で狒々が実際に捕らえられたとあり、前者は体長4尺8寸、後者は7尺8寸あったと言う。
北アルプスの黒部谷に伝わる話では、伊折りの源助と言う荒っぽい杣頭(樵の親方)がおり、素手で🐵や狸を打ち殺し、山刀一つで🐻と格闘する剛の者であったと言う。
ある時源助が井戸菊の谷を伐採しようと入った時、風雲が巻き起こり人が飛ばれてしまい、谷へ入れないので離れようとした途端、同行の樵が物の怪に取り憑かれて気を失い、狒狒の様な怪獣が樵を宙に引き上げ引き裂き殺したと言う。
源助も血塗れになり、狒狒は夜明け近くになりやっと立ち去ったと言う。
─ 続 く ─
>> 205
─ 続 き ─
この話では狒狒は風雲を起こしてその中を飛び回り、人を投げたり引き裂く妖怪とされる。
元は🇨の妖怪であり、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には西南夷(🇨西南部)に棲息するとして、『本草綱目』からの引用で、身長は大型のもので1丈(約3㍍)あまり、体は黒い毛で覆われ、人を襲って食べるとある。
又、人の言葉を話し、人の生死を予知する事も出来るとも言う。
長い髪はかつらの原料になるとも言う。
実際には『本草綱目』のものはゴリラやチンパンジーを指すものであり、当時の🇯にはこれ等の類人猿は存在しなかった事から、異常に発育した🐵類に『本草綱目』の記述を当てはめたもの、とする説がある。
知能も高く、人と会話でき、覚の様に人の心を読み取るとも言う。
血は緋色の染料となると言い、この血で👘を染めると退色する事が無いと言う。
又、人がこの血を飲むと、👹を見る能力を得るとも言う。
─ 続 く ─
💜 百 頭 💜
百頭(ひゃくとう)は、仏教説話に登場する怪魚。
外見は巨大♓だが、頭部は🐎、🐵、🐶、🐷、🐯、狐、♈、🐍等、各々異なる100の頭からなる。
元はカピラと言う名の人間の高僧だったが、仲間の僧達が、聖典を読み違える度に「馬頭」「猿頭」等と呼んで馬鹿にした為、その言葉の罪によってこの様な怪物に生まれ変わってしまったとされる。
海中で怪魚の姿で自分の行いを反省した百頭は、寿命が来て死ぬ寸前に釈迦に出会い、その心は慰められたと言う。
❤ 鵬 ❤
鵬(ほう、おおとり、Peng)は、🇨に伝わる伝説の🐤。
その体の大きさから、大鵬(たいほう、Dapeng)とも呼ばれる。
北の果てにある天の池には、鯤(こん)と呼ばれる、体が数千里にも及ぶ巨大な♓が棲んでいると言う。
その鯤が南の🌊へ向かう時に、巨大な🐤「鵬」となる。
九万里(約36万㌔)上空まで飛び上がって舞い、その翼は天地を覆い隠すとされる。
(但し、西遊記に登場する雲程万里鵬は「一飛び」
で九万里となっている)
荘子の『消揺遊篇』を始め、『西遊記』や『封神演義』等、数々の🇨小説にも登場している。
❤ 封 キ ❤
封〓(豕希、ほうき、Houki)は、🇨の神話に登場する怪物の一つ。
巨大な🐗の姿をしており、🇨の天帝が尭であった時代に、南方の楚の国に棲んでいたと言われている。
とてつもない怪力と乱暴な性格の持ち主であり、家畜を襲い、田畑を荒らすだけではなく、人間も食い殺し、多くの人々にとって恐怖の存在であったと言われている。
又、鎧の様に頑丈な毛皮で覆われている為、普通の武器では全く歯が立たない。
修陀を始めとする多くの怪物を倒した英雄によって、足に矢を打ち込まれて生け捕りにされ、🍖を切り刻み蒸し料理として天帝に献上されたと言われている。
💛 マジムン 💛
マジムンは、沖縄県や鹿児島県奄美諸島に伝わる悪霊の総称。
様々なマジムンが伝えられている。
動物の姿をしたマジムンに股をくぐられると死んでしまうので、決して股をくぐられてはいけないと言われる。
又、奄美諸島の一部ではハブの事をマジムンと呼び、伝承では神の使いであるともされ、マジムンの中では唯一実在する生物である。
📝 マジムンの種類 📝
🔍アイフラーマジムン
家鴨の姿をしたマジムン。
アフィラーマジムンとも。
🔍アカングァーマジムン
赤ん坊の姿をしたマジムン。
動物のマジムンと同じく股をくぐられてはならないとされる。
🔍牛マジムン
🐎の姿をしたマジムン。
🔍ウワーグワーマジムン
🐷の姿をしたマジムン。
人間に化ける事もあると言う。
🔍ミシゲー・マジムン
ミシゲー(しゃもじ)のマジムン
。他にナビゲー・マジムン(杓子のマジムン)等がいる。古くなった食器等がこの様なマジムンになるとされる。
🔍龕(がん)のマジムン
龕の精(がんのせい)とも言う。龕とは棺桶を担ぐ葬具の事で、これが🐮や🐎に化けて人を襲うと言う。又、人が死のうとしている🏠の前を龕の精が歩き回り、人の足音やギーギーと荷物を担ぐ様な音を立てると言う。
💙 蛟 💙
蛟(みずち)は、本来は、🐲の一種を表す漢字である。
🇯では「みずち」の訓が当てられたが、ミズチ(古語ではミッチ)は本来は、八岐大蛇(八岐大蛇は川の神とされる事がある)に代表される🇯の水神、蛇神、龍蛇神である。
ミズチのミズは水であり、チは霊的存在・霊力の意であるとされる。
🇯においては、本来の意味の蛟「みずち」と訓じ、ミズチと蛟は習合、混同される。
📝 蛟 竜 📝
蛟龍・蛟竜(こうりゅう、こうりょう)は、蛟と🐲、もしくは、『荀子』勤学篇によると、鱗のある🐲の事であると言う。
蛟竜と蛟は同義とされる事もある。
旧🇯軍の特殊潜航艇(回天に類するもの)に「蛟竜」と命名されたものがある。
又、時運に合わずに実力を発揮出来ないでいる英雄を蛟竜と言う。
🇨 中国の蛟 🇨
🐲の一種、或いは、その成長の一過程の様なものとされる。
本草綱目によれば、🐍体に四肢を有し、頭に角と赤い髭を持ち、背には青い斑点があり、体側は錦の様に輝き、腰から下は全て逆鱗となっており、尾の先に瘤、或いは肉環があると言う。
カキツバタを食べると気を吐いて蜃気楼を作り(その為、『蜃』と表記される事もある)、燕の子を好むとも言う。
述異記には「水に住むきは五百年で蛟となり、蛟は千年で🐲となり、🐲は五百年角龍、千年で応龍となる」とある。
淡水中にあって昇天の時を持っているとされ、山海経には、池の♓が二千六百匹を数えると蛟が来て主となるとある。
これを防ぐには、蛟の嫌うスッポンを放して置くと良いとされるが、そのスッポンを蛟と別称する事もあるのだと言う。
─ 続 く ─
💚 八岐大蛇 💚
ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)は、🇯神話に登場する伝説の生物。
八岐大蛇は、『日本書紀』での表記。
『古事記』では八俣遠呂智と表記している。
意味は諸説ある。
「オロチ」の意味として、「お」は峰、「ろ」は接尾語、「ち」は霊力、また霊力あるものの意などとする説もあるが、🐍の一種の古語である「ミヅチ」や、ヤマカガシを「ヤマカガチ」と古来言った件等に見られる様に「ち」とは🐍の意味と考える方が自然であろう。
8つの頭と8本の尾を持ち、👀はホオズキの様に真っ赤で、背中には苔や木が生え、8つの谷、8つの峰に跨がる程巨大とされている。
📓 神 話 📓
高天原を追放されたスサノオ
は、出雲国の肥河(斐伊
川)の上流の鳥髪(とりかみ、現・奥出雲町鳥上)
に降り立った。
川上から箸が流れて来たので、川上に人が居ると思って川を上がってみると老夫婦が泣いていた。
その夫婦はオオヤマツミの子のアシナヅチとテナヅチであった。
夫婦には8人の娘が居たが、毎年古志『古事記』では高志と表記。
越国とも出雲国古志郷とも考えられる。
或いはその時代製鉄の先進地帯で、出雲側から山越しするので吉備地方を古志としていため考えられる。
からヤマタノオロチがやって来て娘を食べてしまった。
今年もオロチのやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘のクシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫)も食べられてしまうので、泣いているのであった。
─ 続 く ─
>> 218
─ 続 き ─
スサノオは、クシナダヒメを妻として貰い受ける事を条件に、ヤマタノオロチ退治を請け負った。
スサノオはクシナダヒメを守る為にその姿を櫛に変えて髪に刺した。
そしてアシナヅチ・テナヅチに、強い🍶を醸し、垣を作って8つの門を作り、各々に醸した🍶を満たした酒桶を置く様に言った。
準備をして待っているとヤマタノオロチがやって来た。
オロチが酔ってその場で寝てしまうと、スサノオは十拳剣『日本書紀』においては剣の名称を「蛇の麁正(おろちのあらまさ)」
「韓鋤の剣(からさびのつるぎ)」「天蠅斫剣(あまのははきりのつるぎ)等と呼称している。
この剣は石上布都魂神社で祭られたが崇神天皇の代に石上神宮に納められたと言うが所在は不明である。
を抜いてオロチを切り刻んだ。
尾を切り刻んだ時、剣の刃が欠けた。
剣で尾を裂いてみると大刀が出て来た。
これは不思議なものだと思い、アマテラスにこの大刀を献上した。
これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)後の草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
─ 続 く ─
📝 解 釈 📝
記紀に見える神話には、動物神が人間神に倒されると言うアンドロメダ神話に代表される類型が見られる。
又、オロチは水を支配する🐲神を、クシナダヒメは稲田を表しているとみられている。
即ち、毎年娘を拐うのは河川の氾濫の象徴であり、それが退治された事は、治水を表しているとする。
また大蛇が毎年娘を拐って行ったと言う事は、神に対して一人の処女が生贄として捧げられていたと言う事であり、その野蛮な風習を廃しえた事も表している。
或いはこの当時、出雲国は実際に越国(北陸地方)
との交戦状態にあり、『出雲国風土記』には意宇(オウ)郡母里(モリ)郷(現・島根県安来市)の地名説話において「越の八口」を平定したと記されており、これがこの神話の原型ではないかと言う説もある。
高志=越とみる向きには、福井県に『高志(こし)
』『九頭竜(くずりゅう)
』と言う名称や地名が残っている事が挙げられる。
─ 続 く ─
>> 221
─ 続 き ─
天叢雲剣は出雲国の古代製鉄文化を象徴するとされている。
してみると天叢雲剣は鉄製であり、十拳剣が天叢雲剣に当たって欠けたと言う事は、対する十拳剣は青銅製であった事を類推させる。
当時としては最先端の技術であった製鉄、又はその結晶である鉄剣を「アマテラスに献上した」と言うのは、その頃の出雲と大和の関係を推し量る上で興味深いエピソードであると言える。
オロチの腹が血でただれているのは、砂鉄(或いは鉱毒)で川が濁った様子を表しているとする説もある。
又、たたら吹きには大量の木炭を必要とする為、川の上流の木が伐採しつくされた結果洪水が起きた事を象徴しているともされる。
後に宮中の天叢雲剣は入水した安徳天皇と共に失われるが、『平家物語』は、これを八岐大蛇が安徳天皇となって天叢雲剣を取り返しに来たとする。(天叢雲剣のその後の所在に付いては諸説ある)
─ 続 く ─
❤ 雷 獣 ❤
雷獣(らいじゅう)とは、落⚡と共に現れると言われる🇯の妖怪。
東🇯を中心とする🇯各地に伝説が残されており、江戸時代の随筆や近代の民俗資料にも名が多く見られる。
一説には『平家物語』に於いて源頼政に退治された妖怪・鵺(ぬえ)は実は雷獣であるとも言われる。
📝 概 要 📝
明治時代に近代化が進んで以来、雷獣は河童や人魚と言った妖怪・幻獣に比べると知名度が低下したものの、江戸時代には雷獣の知名度は非常に高かった。
航空技術のない当時の人々にとって、空とは全くの未知の世界であり、空の上がどうなっているかはあれこれと想像を巡らせるしかなかった為、空の上には未だ知られていない生物が住み、それが落⚡等の天変地異によって地上に落下するものと考えられ、雷獣の伝承が生まれたと言われている。
📝 概要:雷獣の姿 📝
雷獣の外見的特徴をごく簡単にまとめると、体長2尺前後(約60㎝)の仔犬、又はタヌキに似て、尾が7,8寸(約21~24㎝)、鋭い爪を有する動物と言われるが、詳細な姿形や特徴は、文献や伝承によって様々に語られている。
曲亭馬琴の著書『玄同方言』では、形は狼の様で前脚が2本、後脚が4本あるとされ、尻尾が二股に分かれた姿で描かれている。
天保時代の地誌『駿国雑誌』によれば、駿河国益頭郡花沢村高草山(現・静岡県藤枝市)に住んでいた雷獣は、全長2尺(約60㎝)余りで、イタチに類するものとされ、😺の様でもあったと言う。
全身に薄赤く黒味掛かった体毛が乱生し、髪は薄黒に栗色の毛が交じり、真黒の斑があって長く、👀は円形で、👂は小さく🐭に似ており、指は前足に4本、後足に1本ずつあって水掻きもあり、爪は鋭く内側に曲がり、尾はかなり長かったと言う。
激しい雷雨の日に☁に乗って空を飛び、誤って堕落する時は激しい勢いで木を裂き、人を害したと言う。
─ 続 く ─
>> 227
─ 続 き ─
江戸時代の辞書『和訓栞』に記述のある信州(現・長野県)の雷獣は灰色の仔犬の様な獣で、頭が長く、キツネより太い尾と鷲の様に鋭い爪を持っていたと言う。
長野の雷獣は天保時代の古書『信濃奇勝録』にも記述があり、同書によれば立科山(長野の蓼科山)は雷獣が住むので雷岳とも言い、そな雷獣は仔犬の様な姿で、ムジナに似た体毛、鷲の様に鋭い5本の爪を持ち、冬は穴を穿って土中に入る為に千年モグラとも言うとある。
宝暦時代の怪異奇談集『斉諧俗談』では、下野国烏山(現・栃木県那須烏山市)の雷獣はイタチより大きな🐭の様で、4本脚の爪はとても鋭いとある。
夏の時期、🌋のあちこちに自然に空いた穴から雷獣が首を出して空を見ており、自分が乗れる☁を見付けるとたちまち☁に飛び移るが、その時は必ず⚡が鳴ると言う。
─ 続 く ─
- << 230 ─ 続 き ─ 享和元年(1801年)7月21 日の奥州会津の古井戸に落ちて来たと言う雷獣は、鋭い牙と水掻きのある4本脚を持つ姿で描かれた画が残されており、体長1尺5,6寸(約46㎝)と記されている。 享和2年(1802年)に琵琶湖の竹生島の近くに落ちて来たと言う雷獣も、同様に鋭い牙と水掻きのある4本脚を持つ画が残されており、体長2尺5寸(約75㎝)とある。 文化3年(1806年)6月に播州(現・兵庫県)赤穂の城下に落下した雷獣は1尺3寸(約40㎝)と言い、画では同様に牙と水掻きのある脚を持つものの、上半身しか描かれておらず、下半身を省略したのか、それとも最初から上半身だけの姿だったのかは判明していない。 明治以降も幾つかの雷獣の話があり、明治42年(1909年)に富山県東礪波郡蓑谷村(現・南砺市)で雷獣が捕獲されたと『北陸タイムス』(北🇯新聞の前身)で報道されている。 姿は😺に似ており、鼠色の体毛を持ち、前脚を広げると脇下にコウモリ状の飛膜が広がって50間以上を飛行でき、尻尾が大きく反り返って顔に掛かっているのが特徴的で、前後の脚の鋭い爪で木に登る事もでき、🐣を常食したと言う。 ─ 続 く ─
>> 228
─ 続 き ─
江戸中期の越後国(現・新潟県)に付いての百科全書『越後名寄』によれば、安永時代に松城と言う武家に落⚡と共に獣が落ちたので捕獲すると、形・大きさ共に😺の様で、体毛は艶のある灰色で、日中には黄茶色で金色に輝き、腹部は逆向きに毛が生え、毛の先は二岐に分かれていた。
天気の良い日は眠るらしく頭を下げ、逆に風雨の日は元気になった。
捕らえる事が出来たのは、天から落ちた時に足を痛めた為であり、傷が治癒してから解放したと言う。
江戸時代の随筆『閑田耕筆』にある雷獣は、タヌキ
に類するものとされている。
『古史伝』でも、秋田に居たと言う雷獣はタヌキ程の大きさとあら、体毛はタヌキよりも長くて黒かったとある。
又、相洲(現・神奈川県)
大山の雷獣が、明和2年
(1765年)10月25日と言う日付の書かれた画に残されているが、これもタヌキ
の様な姿をしている。
江戸時代の国学者・山岡浚明による事典『類聚名物考』によれば、江戸の鮫ヶ橋で和泉屋吉五郎と言う者が雷獣を鉄鋼の籠で飼っていたっ言う。
全体はモグラかムジナ、鼻先は🐗、腹はイタチに似ており、🐍、ケラ、🐸、クモを食べたと言う。
─ 続 く ─
>> 228
─ 続 き ─
江戸時代の辞書『和訓栞』に記述のある信州(現・長野県)の雷獣は灰色の仔犬の様な獣で、頭が長く、キツネより太い尾と鷲の…
─ 続 き ─
享和元年(1801年)7月21
日の奥州会津の古井戸に落ちて来たと言う雷獣は、鋭い牙と水掻きのある4本脚を持つ姿で描かれた画が残されており、体長1尺5,6寸(約46㎝)と記されている。
享和2年(1802年)に琵琶湖の竹生島の近くに落ちて来たと言う雷獣も、同様に鋭い牙と水掻きのある4本脚を持つ画が残されており、体長2尺5寸(約75㎝)とある。
文化3年(1806年)6月に播州(現・兵庫県)赤穂の城下に落下した雷獣は1尺3寸(約40㎝)と言い、画では同様に牙と水掻きのある脚を持つものの、上半身しか描かれておらず、下半身を省略したのか、それとも最初から上半身だけの姿だったのかは判明していない。
明治以降も幾つかの雷獣の話があり、明治42年(1909年)に富山県東礪波郡蓑谷村(現・南砺市)で雷獣が捕獲されたと『北陸タイムス』(北🇯新聞の前身)で報道されている。
姿は😺に似ており、鼠色の体毛を持ち、前脚を広げると脇下にコウモリ状の飛膜が広がって50間以上を飛行でき、尻尾が大きく反り返って顔に掛かっているのが特徴的で、前後の脚の鋭い爪で木に登る事もでき、🐣を常食したと言う。
─ 続 く ─
>> 230
─ 続 き ─
昭和2年(1927年)には、神奈川県伊勢原市で雨乞いの神と崇められる大山で落雷があった際、奇妙な動物が目撃された。
アライグマに似ていたが種の特定は出来ず、雷鳴の度に奇妙な行動を示す事から、雷獣ではないかと囁かれたと言う。
以上の様に東🇯の雷獣の姿は哺乳類に類する記述、及び哺乳類を思わせる画が残されているが、西🇯にはこれ等と全く異なる雷獣、特に芸州(現・広島県西部)には非常に奇怪な姿の雷獣が伝わっている。
享和元年(1801年)に芸州五日市村(現・広島県佐伯区)に落ちたとされる雷獣の画は♋又はクモを思わせ、四肢の表面は鱗状のもので覆われ、その先端は大きな✂状で、体長3尺7寸5分(約95㎝)、体重7貫900目(約30㎏)あまりだったと言う。
弘化時代の『奇怪集』にも、享和元年5月10日に芸州九日市里塩竈に落下したと言う同様の雷獣の死体の事が記載されており、「五日市」と「九日市」等多少の違いがあるものの、同一の情報と見なされている。
─ 続 く ─
>> 231
─ 続 き ─
更に、享和元年5月13日と記された雷獣の画もあり、やはり鱗に覆われた四肢の先端に✂を持つもので、絵だけでは判別出来ない特徴として「面如蟹額有旋毛有四足如鳥翼鱗生有釣爪如鉄」と解説文が添えられている。
又、因州(現・鳥取県)には、寛政3年(1791年)5月の明け方に城下に落下して来たと言う獣の画が残されている。
体長8尺(約2.4㍍)もの大きさで、鋭い牙と爪を持つ姿で描かれており、タツノオトシゴを思わせる体型から雷獣ならぬ「雷龍」と名付けられている。
これ等の様な事例から、雷獣とは⚡の時に落ちて来た幻獣を指す総称であり、姿形は一定していないとの見方もある。
📝概要:その他の伝説📝
松浦静山の随筆『甲子夜話』によれば、雷獣が大きな🔥の塊と共に落ち、近くにいた者が捕らえようとしたところ、頬をかきむしられ、雷獣の毒気に当てられて寝込んだと言う。
又、同書には、出羽国秋田で⚡と共に降りた雷獣を、ある者が捕らえて煮て食べたと言う話もある。
江戸時代の奇談集『絵本百物語』にも「かみなり」
と題し、以下のように雷獣の記述がある。
下野の国の筑波筑波は下野ではなく常陸の地名であり、『絵本百物語』文中の「下野の国」は「常陸の国」の誤りとされる。
付近の🌋には雷獣と言う獣が住み、普段は😺の様に大人しいが、夕立雲の起こる時に猛々しい勢いで空中へ駆けると言う。
この獣が作物を荒らす時には人々がこれを狩り立て、里の民はこれを「かみなり狩り」と称すると言う。
二荒山付近でもこの獣を見る人がおり、江戸中期の学者・新井白石も随筆にこの事を詳しく記したと言う。
─ 続 く ─
📝 概要:雷獣の正体 📝
各種古典に記録されている雷獣の大きさ、外見、鋭い爪、木に登る、木を引っかく等の特徴が実在の動物であるハクビシンと共通する事、江戸で見世物にされていた雷獣の説明もハクビシンに合う事、江戸時代当時にはハクビシンの個体数が少なくて未だハクビシンと言う名前が与えられていなかった事が推測される為、ハクビシンが雷獣と見なされていたとする説がある。
江戸時代の書物に描かれた雷獣をハクビシンだと指摘する専門家も存在する。
又、🐶や😺に近い大きさであるテンを正体とする説もあるが、テンは開発の進んでいた江戸の下町等ではなく森林に住む動物の為、可能性は低いと見なされている。
落雷に驚いて木から落ちたモモンガ等から想像されたとも言われている。
イタチ、ムササビ、アナグマ、カワウソ、リス等の誤認との説もある。
─ 続 く ─
📝 遺物・史跡 📝
新潟県三島郡の西生寺の宝物館には、寺宝として伝わる雷獣のミイラがあり、一般公開されている。
その由来や伝承は不明だが、体長35㎝程の😺の様な姿で、大きく牙をむき出して威嚇する様な姿勢を取っている。
妖怪研究家・多田克己はこのミイラを見て「😺そのものだった」と語っている。
🇯には人魚や👹のものとされるミイラが多数あるが、雷獣のミイラは珍しい。
静岡県でも、ある旧家の蔵から「雷獣」と墨書きされた和紙に包まれたミイラ
が発見されており、やはり由来は判明していない。
岩手県花巻の雄山寺にも「雷神」と札の掲げられた獣のミイラがあり、雷獣と見なされている。
一見すると😺に似ているが、😺に比べると四肢が以上に長く、頭部に眼窩(がんか)が無い事から明らかに普通の生物とは異なる物と言われる。
滋賀県東近江市今代町の富士神社は、雷獣を祀ると言う全国でも珍しい神社であり、これには次の様な謂われがある。
─ 続 く ─
❤ 花 魄 ❤
花魄(かはく、Hua-po)は、🇨に伝わる木の精の一種。
3人以上が首吊り自殺した木に、自殺者達の生前の無念が凝り固まって誕生すると言われる。
掌サイズの大きさで、肌色の白い美女の姿をしている。
その鳴き声はインコに似ているとされる。
そのまま放っておくと干からびるが、水を掛けると元通りになると言う。
💛 木 霊 💛
木霊(こだま、木魂)は、樹木に宿る精霊、又はその宿った樹木自体を指して言う語。
前者は山中に敏捷に、自在に駆け回るとされる。
🌋や谷で音が反射して遅れて聞こえる現象である山彦(やまびこ)は、この精霊の仕業であるともされ、木霊とも呼ばれる。
後者は外見はごく普通の樹木であるが、切り倒そうとすると祟られるとか、神通力に似た不思議な力を有するとされる。
これ等の木霊が宿る木と言うのはその土地の古老が代々語り継ぎ、守るものであり、又、木霊の宿る木には決まった種類があるとも言われる。
古木を切ると木から血が出ると言う説もある。
怪比、獣、人の姿になるとも言い、人間に恋をした木霊が人の姿をとって会いに行ったと言う話もある。
鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』では「木魅(こだま)」と題し、木々の側に老いた男女が立つ姿で描かれており、百年を経た木には神霊が籠り、姿形を現すとされている。
八丈島ではこれをキダマサマ
と呼び、木を刈る際には必ず祭を行うと言う。
これ等の樹木崇拝は、北欧諸国を始めとする他の国々にも多く見られる。
📝 概 要 📝
人里離れた深山の谷間に人知れず生えており、人の顔そっくりな🌼を沢山咲かせている。
この🌼は単に外見が人に似ていりだけでなく笑ったりし、笑い過ぎるとそのまま落下する事もある。
言葉を話すとも言う。
『和漢三才図会』では南方産の木とされ、秋には人面子(じんめんし)と言う実がなると言う。
この実にも人の顔の様に👀、👂、👃、💋があるらしく、食べると甘酸っぱい味がすると言う。
又、奇談集『老媼茶話』では、千里(約4000㎞)先の西南にある国に、この様な人の顔の様な🌼の咲く木があると言うが、これは🇨の文献等の伝承によるものとされる。
又、昔は伝承とは別に、人間が何人も立ち木に登って物事を見物していた様子を、この木に例えて人面樹と呼んでいたとも言う。
💚 息 壌 💚
息壌(そくじょう)は、🇨に伝わる土の怪物。
息土(そくど)とも呼ばれ、絶えず増殖を続けると言う。
🇨神話の中では、天帝の至宝の一つとして、秘密の場所に隠されていたとされる。
天帝が尭であった時代、22年間も大洪水が地上を襲っていた。
この時に治水を命じられていた鯀(こん)と言う神が、息壌を盗み出して洪水を治め様とした。
盗んだ息壌の量は極僅かであったが、使った途端にどんどん増え、巨大な堤防を築く事が出来た。
治水は成功したかに見えたが、息壌を盗んだ事が尭にばれてしまい、鯀は殺されてしまった。
結局、工事は失敗したと言う。
💜 ケサランパサラン 💜
ケサランパサラン、又はケサランパセランは、江戸時代以降の民間伝承上の謎の生物とされる物体である。
外観は、タンポポの綿毛や🐰の尻尾の様なフワフワした白い毛玉とされる。
📝 概 要 📝
白い毛玉の様な物体で、空中をフラフラと飛んでいると言われる。
一つ一つが小さな妖力を持つ妖怪とも言われ、未確認生物として扱われる事もある。
名前の由来については、スペイン語の「ケセラセラ」が語源だという説、「袈裟羅(けさら)・婆裟羅(ばさら)」
と言う梵語が語源だという説、羽毛のようにパサパサしているからと言う説等があり、はっきりしていない。
穴の開いた桐の箱の中でおしろいを与える事で飼育でき、増殖したり、持ち主に幸せを呼んだりすると言われている。
更に、穴がないと窒息して死んでしまう、おしろいは香料や着色料の含まれていないものが望ましい、1年に2回以上見るとその効果は消えてしまう等と言われる事もある。
ケサランパサランを持っていると言う事はあまり人に知らせない方が良いと言われている為、代々密かにケサランパサランを伝えている🏠もあると言う伝説もある。
1970年代後半に、ケサランパサランは全国的なブームとなった。
この時ケサランパサランとされた物の多くは、花の冠毛から出来たものであった。
📝 正体:動物性 📝
山形県鶴岡市の加茂水族館ではケサランパサランと思われる物体を展示しており、その説明によれば、🐰等の小動物が、ワシ等の猛禽類に捕食された際に排泄される毛玉(ペレット)であると言う。
又、東北等の寒冷な地域に於いて、小動物が捕獲された際に残った毛皮の皮膚の部分が縮まり、毛を外側にして丸まったものとも言われている。
この他、🐮や🐎等と言った動物の胆石や結石等だと言う説もある。
📝 正体:植物性 📝
アザミやオキナグサ、ブタナ等と言った植物の🌼の冠毛が寄り集まって固まったものであるともされる。
綿状のカビだと言う説もあり、白粉を与えると増えると言うのはこの為だとも言われる。
又、ビワの木で良く目撃される事から「ビワの木の精」とも呼ばれている。
📝 動植物の化身 📝
(動物の化身)
本草学に基づき、裸蟲(ヒト)以外の動物を、蟲(虫)、介蟲(🐚と甲殻類)
、鱗蟲(♓と爬虫類)、羽蟲(🐤)、毛蟲(獣)に分けて記す。
☝蟲
🔍蜘蛛(クモ)
✏絡新婦(ジョロウグモ)
☝蟲
🔍蛤(ハマグリ)
✏蛤女房(ハマグリニョウボ)
☝鱗蟲
🔍岩魚(イワナ)
✏岩魚坊主(イワナボウズ)
✏白蛇(シロヘビ)
✏白娘子(ハクジョウシ)
☝羽蟲
🔍鶴(ツル)
✏鶴女房(ツルニョウボ)
☝毛蟲
🔍鼬(イタチ)
🔍獺(カワウソ)
🔍狐(キツネ)
✏妖狐(ヨウコ)
✏天狐(テンコ)
✏空狐(クウコ)
✏葛の葉(クズノハ )
✏佳蔵坊(ケイゾウボウ)
🔍狸(タヌキ)
✏分福茶釜(ブンブクチャガマ
✏茂林寺の釜(モリンジノカマ)
🔍貂(テン)
✏黄風大王(コウフウダイオウ)
🔍虎(トラ)、鹿(シカ)、
羊(ヒツジ)
✏三大仙(サンダイセン)
🔍猫(ネコ)
✏化け猫(バケネコ)
✏猫又(ネコマタ)
🔍狢(ムジナ)
(。・・。)💬
✏は…
個別に詳細を書きます😊
📝 動植物の化身 📝
(植物の化身)
🔍銀杏(イチョウ)
✏化け銀杏の精
(バケイチョウノセイ)
🔍柿の木(カキノキ)
✏タンタンコロリン
🔍椿(ツバキ)
✏古椿の霊(フルツバキノレイ)
(。・・。)💬
✏は…
個別に詳細を書きます😊
❤ 絡新婦 ❤
絡新婦(じょろうぐも)は、🇯各地に伝わる妖怪の一種。
美しい女の姿に化ける事が出来るとされている事から、「女郎蜘蛛」と表記される事も。
鳥山石燕の「画図百鬼夜行」では、🔥を吹く子蜘蛛達を操る蜘蛛女の姿で書かれている。
📝 概 要 📝
江戸時代、美女の妖怪(絡新婦)が男を人気のない小屋へ誘い琵琶を聞かせる。
男が美女の姿とその琵琶の音にうっとりとし、油断している隙に蜘蛛の糸を出し巻き付け、男を喰らうとされる。
絡新婦は元々はクモで齢400歳を向かえると妖力がついて、人間の女に化けるとされている。
その容姿は、見る者を魅了する程の絶世の美女だとされている。
『大平百物語』や『宿直草』等の江戸時代の書物にも、女に化ける絡新婦の名がある。
『宿直草』には「急なる時も、思案あるべき事」
と題し、以下の様に述べられている。
ある青年武士の前に19,
20歳の女が子供を抱いて現れ、子供に「あれなるは父にてましますぞ。行きて抱かれよ」と言い、武士が女の正体と妖怪を見抜いて刀で斬り付けると、女は天井裏へ逃げ込んだ。
翌日には天井裏に1,2尺の絡新婦が刀傷を負って死んでおり、その絡新婦に食い殺された無数の人間の死体があったと言う。
─ 続 く ─
>> 257
─ 続 き ─
『大平百物語』には以下の様な話がある。
美作国(現・岡山県)高田での夏。
孫六と言う者が🏠の縁側でうとうとしていると、50歳代程の女性が現れ、自分の娘が孫六に想いを寄せていると言い、自分の屋敷へ孫六を招いた。
そこには16,17歳の娘がおり、孫六に求婚した。
孫六は妻がいるので断ったが、娘は「母は一昨日貴方に殺されかけたにも関わらず、貴方の元を訪ねたと言うのに、その想いを無にするのか」とすがりついた。
孫六が当惑して逃げ惑っている内に屋敷は消え、自分の自宅の縁側にいた。
妻が言うには、孫六は縁側で眠っていたとの事だった。
夢だったかと思って周囲を見ると、小さなジョロウグモがおり、軒にはびっしりとクモの巣が張られていた。
孫六は一昨日クモを追い払った事をはっと思い出したと言う。
静岡県伊豆市の浄蓮の滝では、滝の主として絡新婦の伝説がある。
ある男が滝壺の側で休んでいると、無数の糸が脚に絡み付いて来た。
男がその糸を近くの切り株に結び付けてみると、株はメリメリと滝に引き込まれた。
絡新婦が男を滝に引き込もうとしていたのである。
─ 続 く ─
>> 258
─ 続 き ─
以来、里の人々は絡新婦を恐れてその滝に近付かなかったが、よその土地から来た木こりが事情を知らずにきを刈っていたところ、誤って愛用の斧を滝壺に落としてしまった。
木こりが斧を取り戻す為に滝壺に潜ると、美しい女が現れて斧を返してくれ「ここで見た事を誰にも話してはいけません」
と言った。
木こりは以来、言い付けを守りながらも胸に何かが支えた様な日々を送り、ある時の宴の席で、🍶をの勢いで一部始終を話してしまった。
胸の支えが取れた安心感で木こりは眠りこけたが、そのまま二度と👀を覚ます事は無かったと言う。
別話では、話し終えた木こりがまるで見えない糸に引かれるかの様に外へ出て行き翌日には浄蓮の滝の滝壺に死体となって浮かんでいたと言う。
─ 続 く ─
>> 259
─ 続 き ─
又、この浄蓮の滝の木こりの伝承には、悲恋物語とも言うべき別説もある。
それによれば木こりは滝壺で出会った女に恋をし、毎日のように滝に通うが、それにつれて体が衰弱していった。
近隣の寺の和尚は「滝の主の絡新婦に取り憑かれたのでは」と疑い、共に滝へ行って読経した。
すると滝から木こりへと蜘蛛の糸が伸びたが、和尚が一喝すると糸は消えた。
木こりは女の正体が絡新婦と知ってもなお諦めず、山の👺に結婚の許しを得ようとしたが、👺はそれを許さなかった。
なおも木こりは諦めず、滝に向かって走った。
すると彼は滝から伸びた蜘蛛の糸に絡め取られ、滝壺の中へと消えて行ったと言う。
絡新婦により滝に引きずり込まれそうになった人が切り株を身代りにすると言う伝説は各地にあるが、中でも仙台市の賢淵が良く知られる。
ここの伝説では切り株が水中に引きずり込まれた後、どこからか「賢い、賢い」と声が聞こえたと言い、賢淵の名はそれが由来とされる。
─ 続 く ─
📖 あらすじ 📖
昔々ある所に、1人の男が住んでいた。
ある時に男が🌊で漁をすると、とても大きな蛤が獲れた。
男は、この大きさ迄育つのは大変だったろうと、蛤を逃してやった。
しばらく後、男の元に美しい女が現れ、嫁に貰って欲しいと言った。
女はとても美味しい味噌汁を作ったが、何故か料理を作っているところを決して見ないよう、男に堅く約束させた。
しかし男は好奇心にかられ、どうすればこんな味噌汁が作れるのかと、ついに料理をしている所を覗いてしまった。
女は鍋の上に跨がり、何と鍋に小便を注いでいた。
男は怒って女を🏠から追い出した。
女は海辺で泣いていたが、やがて元の蛤となって🌊へ帰って行った。
📝 バリエーション 📝
📖一般には『鶴の恩返し』の様に蛤が女に化けたものとされているが、男が獲った蛤の中から女が現れたとする話もある。
📖子供向けのおとぎ話では料理の秘密の部分への配慮として、女が蛤となって鍋に身を浸していたと変更されている場合もある。
📖類話として、御伽草子に収められている「蛤の草紙」がある。
💛 岩魚坊主 💛
岩魚坊主(いわなぼうず)
は、大きな岩魚が化けた🇯の妖怪である。
江戸時代の随筆『想山著聞奇集』に美濃国恵那郡(現・岐阜県恵那市)の伝承の記述があるほか、福島県や東京都等、🇯各地の伝承に登場する。
📝 概 要 📝
釣り人が川で🎣をしている最中に、一人の坊主が現れて長話に興じる。
この近くは寺の土地なので🎣はあまりしない様にと釣り人に注意するが、釣り人は持っていたご飯を振る舞ったので、気をよくして坊主は帰って行った。
その後、とても大きな岩魚が掛かり、持って帰って捌いてみると、腹から坊主に振る舞ったご飯が出て来た。
と言う様な話である。
勿論、地域によって多少話の流れが異なるものの共通点としては、人間が坊主に食べさせたものが♓の腹から出て来ると言う事である。
📝 色々な
バリエーション 📝
釣り人は一人とは限らず、大勢で🎣を行う場合もある。
毒を流したり網を張って大量に♓を捕ろうとする所へ現れた坊主が殺生を戒めるが、坊主が立ち去った後にその漁法で大きな岩魚が掛かると言うケースや、釣り人の🎣場を聞いて帰って行ったが釣り人が🎣場を変えた途端に大きな岩魚が掛かるケース等、釣られない様に必死で化けた岩魚で祟る事も無いと言うケースが多い様である。
しかし中には釣られた後死骸から毒気が出て人が死んでしまうと言う話も存在する。
人間に化けた♓が人間に魚獲りを止めさせ様とする話は岩魚に限らず、ヤマメ、ウナギ等の話もあり、沿岸地方ではタラの話もある。
多くの場合、これ等は年老いた♓が妖怪となったものが多い。
或いは、旅の坊主が一夜の宿を借りた次の日、大雨で川が決壊しそうな時に旅の坊主が飛び出して行ったが、☔が止んでから川を見に行ってみると腹が破れご飯の覗いた大きな岩魚が土手の亀裂に挟まって川の決壊を止めていたと言う様な村を救った岩魚の話もある。
何れの話にせよ、最後に腹を割かれる事で坊主と岩魚を同一視させると言う流れであり、必ず死んでしまう可哀想な妖怪である。
💙 白 蛇 💙
白蛇(しろへび)とは、白化現象を起こした🐍である。
その稀少性により🇯各地で縁起の良い動物として信仰の対象となっている。
弁才天の使いとして富をもたらすものとして有名だが、水神としても有名である。
これはその他多くの蛇神と共通するものである。
諏訪神社の神使等、多くの神社・仏閣等で奉られている。
📝 概 要 📝
一般に「翁が罠に掛かった鶴を助け、その鶴が人間に化けて翁とその妻に恩を返す」と言うあらすじが浸透しているが、類似する話は🇯全国で報告されており、鶴が老夫婦の娘になったり、鶴を助けた人物が翁ではなく若者であったり、その若者と人間に化けた鶴が世帯を持ったりと話が若干違っている。
📓 物 語 📓
昔々、ある所に老夫婦が住んでいた。
ある冬の雪の日、夫が町に薪を売りに出掛けた帰りに、罠に掛かった一羽の鶴を見付ける。
可哀想に思った彼は、鶴を罠から逃してやった。
激しく雪が降り積もるその夜、美しい娘が夫婦の🏠へやって来た。
道に迷ったので一晩泊めて欲しいと言う娘を、夫婦は快く🏠に入れてやった。
次の日も、また次の日も雪はなかなか止まず、娘は老夫婦の🏠に留まっていた。
その間、娘は甲斐甲斐しく夫婦の世話をし、彼等を大そう喜ばせた。
ある日、娘が「布を織りたいので糸を買って来て欲しい」と言うので爺は糸を買って来た。
作業を始める時、娘は「絶世に部屋を覗かないで下さい」と夫婦に言い残した。
布を一反織り終わると、娘は「これを売って来て、また糸を買って来て欲しい」と夫婦に託した。
娘が織った布は大変美しく、忽ち町で評判となり、老夫婦は長者になった。
─ 続 く ─
❤ 妖 狐 ❤
妖狐(ようこ)とは、読んで字の如く狐の妖怪の事。
🇯各地に残る昔話に於いて狸等と並んで、人間や他の動物に変身する等して人を化かす。
稀に助けてくれた人間に恩返しをしたりもする。
封神演義等で有名な妲己に化けた千年狐狸精も、この類とされる。
📝 野狐と善狐 📝
狐霊には、大きく野狐(やこ)と言う、所謂野良の狐と、善狐(ぜんこ)と言う善良(とされる)狐の二つの種類がある。
善狐の中でも稲荷神の神使を御先稲荷と呼び、神に仕えるもので当然妖怪ではない。
妖狐とは野狐のみを指す。
又、野狐で人に危害を加えないものもあれば、善狐で性質のよろしくないものもある。
野狐と善狐は非常に仲が悪いとされる。
玉藻前に化けた白面金毛九尾の狐は、野狐の中でも人に危害を与えるランク
の高い妖狐として知られ、悪狐(あっこ)とも呼ばれる。
それ故九尾の狐を悪狐と呼ぶ場合もあるが、善狐でも九尾が9本あれば九尾である。
🇨では「山海経」に人を食うと言う九尾の妖狐が紹介される反面、古くは優れた王の出現の予兆ともされた。
📝 様々な種類の狐霊 📝
🔍赤狐(せきこ)
神道系。又は、通常の毛色の狐を「赤毛」と形容する場合がある。
🔍百狐
(びゃっこ、はくこ)
白い毛色を持ち、人々に幸福をもたらすとされる、善狐の代表格。稲荷神社に祀られている狐も、殆どが百狐である。阿倍野晴明の母親とされている狐も百狐である。神道系。
🔍黒狐(くろこ、こくこ)
黒い毛色を持つ。北斗七星の化身と呼ばれている。
🔍銀狐(ぎんこ)
銀の毛色を持ち、🌙を
シンボルとしている。金狐とは同様異質の存在である。仏教系。ダキニ天の化身とも。
🔍金狐(きんこ)
金色の毛色を持ち、日をシンボルとしている。銀狐とは同様異質の存在である。仏教系。ダキニ天の化身とも。
🔍九尾の狐
(きゅうびのきつね)
尻尾が9本生えて狐。
代表的な九尾の狐として、白面金毛九尾の狐が存在する。九尾の妖狐や、単純に九尾と呼ぶ事もある。
─ 続 く ─
📝 狐霊の進化 📝
狐霊は始め尻尾が1本しかないが、長い年月を掛けて妖力を増やし、それにより尾が裂けて一本ずつ増え、最終的には9本の尻尾を持つ「九尾の狐」となる。
故に九尾の狐とは妖狐の最終形態とも捉える事が出来る。
つまり、尾が多い妖狐ほど強い妖狐だと言える。
しかし妖狐は九尾になると、それ以上は目立った成長の兆しを見る事は出来ない。
❤ 天 狐 ❤
天狐(てんこ)は、神獣の一つ。
狐が1000年生きると天狐になれる。
千里の先の事を見通す。
尾の数は九本とも。
下に存在する、野狐、気狐の様に悪さをする事は無い。
更に生きて、3000歳を超えると空狐となる。
江戸時代には狐の最上位とされ、天狐・空狐・気狐・野狐の順と言われた。「善庵随筆」
尚、伏見稲荷大社の一ノ峯には、名を「小薄」と言う♂の天狐が、末廣大神として祀られている(但し、狐はあくまで稲荷神の神使であり、稲荷神では無い)。
長崎県の小値賀島では天狐は憑き物とされ、これに憑かれた者には🔮で何でも言い当てる等の神通力が備わると言う。
💙 葛の葉 💙
葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前。
葛の葉狐、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。
又、葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃『蘆谷道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』、及び翻案による同題の歌舞伎も通称「葛の葉」と呼ばれる。
📓 伝説の概要 📓
伝説の内容は伝承によって多少異なるが、概ね以下の通りである。
村上天皇の時代、河内国の人石川悪右衛門は妻の病気を治す為、兄の蘆谷道満の🔮によって和泉国和泉郡の信太の森(現・大阪府和泉市)に行き、野キツネの生き肝を得ようとする。
摂津国東生郡の安部野(現・大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた阿部保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際に怪我をしてしまう。
そこに葛の葉と言う女性がやって来て、保名を介抱して🏠まで送り届ける。
葛の葉が保名を見舞わっているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸と言う子供を儲ける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。
童子丸が5歳の時、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐である事が知られてしまう。
次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰って行く。
『恋しく尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉』
この童子丸が、陰陽師として知られる後の阿部晴明である。
─ 続 く ─
📝 関連エピソード 📝
🔍きつねうどん(きつねそば(たぬきとも言う))
の事を葛の葉の生誕の地とされる信太(信田)に由来し、しのだうどん(しのだそば)と言う。
🔍関西方面(特に近畿地方)の年配者には稲荷寿司を「しのだ」と呼ぶ人もいる。
🔍明治時代の曲芸に「信田妻」と言う、両手での同時筆記、筆を💋に加えての筆記等を売り物にした演目がある。
🔍南海本線高石駅と阪和線北信太駅は開業時、各々「葛葉」と「葛葉稲荷」と言う駅名であった。
🔍てなもんや三度笠の主人公・あんかけの時次郎は「泉州・信太の生まれ」と言う設定。
📓 物 語 📓
昔、鳥取にお城があった頃、池田の殿様に仕える「桂蔵坊」と名乗る狐がいた。
桂蔵坊は若侍に化けるのがうまく、江戸まで3日で行き帰り出来る優れた術を持っている為、殿様に大変可愛がられていた。
ある時、桂蔵坊は殿様から言いつかった仕事で江戸に出向いた。
お城からほど近い百谷の村に差し掛かった所、香ばしい良い匂いがして来る。
ふと見ると道の脇で焼き🐭を罠に仕掛けている百姓がいたので、侍に化けて訳を聞いてみたところ、畑を荒らす狐を退治するために罠を仕掛けているとの事だった。
江戸で用事を済ませた桂蔵坊がその村を通り掛かると、あの焼き🐭が良い匂いを放っている。
罠が仕掛けられていると知りつつも、匂いに釣られ我慢が出来なくなった桂蔵坊は焼き🐭に飛び付き、挟まれて死んでしまった。
池田の殿様は桂蔵坊をたいそう哀れがり、お城に中坂神社を造り桂蔵坊を祀ってやったという事である。
現在では鳥取県鳥取市の久松山の中坂神社に桂蔵坊が祀られている。
💬 備 考 💬
🔍江戸時代後期に著された『鳥府志』に、桂蔵坊の伝説は池田光仲の代の出来事であるとの言い伝えが紹介されている。
🔍中坂神社は鳥取城登山道の中腹にあり、🏯の守り神として知られる。
🔍桂蔵坊の女房は「立見峠のおとんじょろう」であると言われている。更に鳥取に伝わる化け狐3匹を加え、計5匹を因幡五狐(いなばごぎつね)と言う。
❤ 分福茶釜 ❤
分福茶釜(ぶんぶくちゃがま、ぷんぷくちゃがま)とは、群馬県館林市の茂林寺に伝わる伝説で、昔話として🇯中で語り継がれている。
文福茶釜とも表記する。
この伝説にはタヌキが現れ、化けて人を騙す場面が見られる。
江戸時代の赤本や絵本に、茶釜から顔や手足を出した狸の姿や🌂を持って綱渡りをする姿がデフォルメ
された事によって、そのイメージが広範にそして甚だしく笑話化されて伝えられてしまった。
元々は狐の恩返しをテーマ
にしたものであり『日本昔話大成』の中の「狐と博労」、「狐遊女」と同種の昔話である。
また分福茶釜は館林市の南方に古くからある茂林寺にある茶釜で、1394年~1428年の間に和尚である守鶴が愛用した。
この茶釜には一度水を入れると、一昼夜汲み続けても水がなくならないと言う伝説が伝えられている。
─ 続 く ─
📓 あらすじ 📓
貧しい男が罠に掛かったタヌキを見付けるが、不憫に想い解放してやる。
その夜タヌキは男の🏠に現れると、助けて貰ったお礼として茶釜に化けて自身を売って💰に換える様に申し出る。
次の日、男は和尚さんに茶釜を売った。
和尚さんは🏠に持ち帰って茶釜を水で満たし🔥に懸けた所、タヌキは熱さに耐えきれずに半分元の姿に戻ってしまった。
タヌキはそのままの姿で元の男の🏠に逃げ帰った。
次にタヌキは、綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開く事を提案する。
この考えは成功して男は豊かになり、タヌキも寂しい思いをしなくて済む様になったと言う恩返しの話である。
又、一説にはタヌキが守鶴と言う僧に化けて寺を守り、汲んでも尽きない茶を沸かしたとされている。
普通の物経(もののけ)は鉄を嫌うが、このタヌキはその鉄の茶釜に化けており金の精霊たる所以を表している。
📝 分 析 📝
基話の狐の恩返しを基にすれば、民俗学者・柳田國男によると、動物と人間の交渉を物語る昔話の根幹には「動物援助」の考えがあり、選ばれた人間に神の使いである鳥獣が富を与えるのだと言う。
そこで動物の危機を救ってやり報恩を受けるのを見ると、動物が献身的に尽くす好意も理解出来る。
動物援助から動物報恩に移行する過度的な様相を帯びた話と言える。
📝 内 容 📝
応永年間の事。
上州(現・群馬県)の茂林寺と言う寺に守鶴と言う優秀な僧がいた。
彼の愛用している茶釜は幾ら汲んでも湯が尽きないと言う不思議な釜で、僧侶の集まりがある時はこの釜で茶を振る舞っていた。
ある時に守鶴が昼寝をしている様子を別の僧が覗くと、なんと守鶴の股から狸の尾が生えていた。
守鶴の正体は狸、それも数千年を生きた狸であり、かつてインドで釈迦の説法を受け、🇨を渡って🇯へ来たのであった。
不思議な茶釜も狸の術によるものであったのだ。
正体を知られた守鶴は寺を去る事を決意した。
最後の別れの日、守鶴は幻術によって源平合戦の屋島の戦いや釈迦の入減を人々に見せたと言う。
この説話をもとにして、昔話の『分福茶釜』が創作されたと言われている。
💛 黄風大王 💛
黄風大王(こうふうだいおう)は、西遊記に登場する妖仙。
黄風怪(こうふうかい)とも。
その正体は霊山で得度した茶色毛の貂鼠(テン)で、瑠璃の皿に入った油を盗んだら灯明が暗くなった為金剛力士に捕まるのを恐れて逃げたもの。
黄風(俗には黄砂の強風)
を起こす三昧神風を得意とする。
八百里黄風嶺と言う🌋にある黄風嶺黄風洞(こうふうれいこうふうどう)
に棲んでいた。
三蔵法師を黄風大王の手下である虎先鋒(こせんぼう)に拐われ、虎先鋒は猪八戒が倒したものの、黄風大王の黄風に眼を痛めた孫悟空は、目薬を守護の神から貰った後、李長庚(太白金星)から黄風大王の風に対抗できるのは南二千里先の小須弥山の禅院にいる霊吉菩薩(れいきつぼさつ)だけだと知らされると、菩薩の元に行き助けを頼んだ。
霊吉菩薩は釈迦如来から授かった定風丹と飛龍寳杖のうち、飛龍寳杖を投げると八爪金龍が現れ黄風大王を捕らえる。
霊吉菩薩は正体を現した黄風大王がかつて暮らしていた霊山へと連れていった。
💙 三大仙 💙
三大仙(さんたいせん)は、西遊記に登場する妖仙達。
虎力大仙(こりきたいせん)、鹿力大仙(ろくりきたいせん)、羊力大仙(ようりきたいせん)の三人で、風と☔を呼ぶ五雷法の術を得意とする。
かつて水不足に瀕していた車遅国(しゃちこく)を五雷法の術により救い、国王から絶大な信頼を得て車遅国の国師になる。
妖怪である事を秘密にして、僧侶達を迫害していた。
三蔵一行が車遅国を訪れた際、三蔵を食べる為に術比べを挑む。
しかし、最終的に三人共に命懸けの術を悟空に妨害されて死亡。
その際に、死体も正体である動物の姿になる。
📝 虎力大仙 📝
🐯の精とも。
三蔵と雨乞いの術比べをするが、孫悟空が風を操る神々を威嚇し、四海龍王に根回しをした為に敗北する。
悟空と四海龍王を呼び出す術比べをするも負け、三蔵との座禅比べでもやはり悟空が三蔵に助力した為負ける。
どうしても負けを認めたくない為、悟空に首を斬られて生き返る術勝負を挑む。
先に悟空が首を落とされ、再生に成功する。
続いて虎力大仙が首を切り落とされるが、悟空が🐶の分身を使って虎力大仙の首を奪い取り、川に流してしまう。
首を元に元に戻せなくなった虎力大仙は命を落とし、死体も元の🐯の姿に戻った。
💚 鹿力大仙 💚
鹿の精とも。
虎力大仙と三蔵の座禅比べの際、体毛を南京虫に変えて三蔵に噛み付かせた。
しかし悟空に気付かれて失敗する。
虎力大仙が死んだ後、自らの腹を裂いて内臓を抉り出し再び戻す術を悟空に挑む。
悟空が先にそれを行い成功し、続いて鹿力大仙が内臓を取り出すが、悟空の分身が化けた鷹に内臓を持って行かれ、死亡する。
📝 羊力大仙 📝
♈の精とも。
虎力大仙が三蔵に座禅比べで負けた後、板を隔ててその向こう側に隠されている物を当てる隠板猜板(かくばんさいばい)の術を挑むが、悟空の作戦により敗北する。
虎力大仙、鹿力大仙の二人が悟空の術勝負に敗れた後、悟空を煮えたぎる油の入った釜で入浴する術勝負を挑む。
しかし、悟空に油を冷やすからくりを見破られ、そのまま煮えたぎったままの油の中に入る羽目になり、結局♈の油揚げになった。
💜 化け猫 💜
化け猫とは、😺が変化した妖怪の事である。
猫又と混同される事が多く、その区別は曖昧である。
🇯各地に化け猫の伝説があり、佐賀藩(鍋島藩)の化け猫騒動が特に有名である。
鍋島家の家臣、小森半太郎が異国種の😺を虐待したのでその😺は恨みを抱き、殿の愛妾、お政の方を食い殺して化身し御家に仇をなすが伊藤惣太等に退治されると言う筋である。
化け猫のイメージとして「行灯の油を舐める」と言うものがある。
怪談の文芸作品化が進められた江戸時代には、行灯の燃料としてイワシから採った安価な魚油が広く使われていた(煤の少ない菜種油は高価だった)。
言うまでもなく♓は😺の好物であるので、行灯なら明かりにその姿を浮かび上がらせ油を舐めると言うイメージが作られた。
夜行性で👀が🌟、血を舐める事もある、🐶と違って😺の行動を制御する事は困難である等の😺の神秘性に加え、又歴史上、化け猫へと変化していく過程で色々な動物の特徴を吸収して行き、🐍の執念さ、狐の女性の変身能力、狸の人を食らう凶暴性(かちかち山)が纏まって化け猫へと完成していったとされる。
📝 成り立ち・その他 📝
🔍😺が十数年も生きると神通力を持ち、人間等に化けられる。茨城県や長野県では12年、沖縄県国頭郡では13年飼われた😺が化け猫になると言い、広島県山県郡では7年以上飼われた😺は飼い主を殺すと言われる。
🔍猫又が更に年を経ると化け猫になる。逆に、化け猫が更に年を経ると猫又になると言われる事もある。
🔍恩義のある人間の恨みを晴らす為に、化け猫になる。
🔍地方によっては、人間に残忍な殺され方をした😺がその恨みを晴らす為、化け猫になり殺した人間を呪うと言う説もある。
🔍『化物一代記』と言う江戸時代のパロディーにも😺が遊女に化ける「化猫遊女」があり、客が寝てしまうと遊女はこっそり起き出して食べ物を盗み食いする絵が描かれている。夜中の行灯の油を舐めるシーンの原型とも言える。
📝 特 徴 📝
🔍通常は😺の姿をしており、二足歩行する事も出来る。
🔍人の姿に化ける事が出来る。
🔍尾が3本、又は7本ある、とも言われている(猫又は2本とされている)。尻尾の数は霊力の強を表す。
📓 伝 承 📓
🔍江戸時代の安永年間に、泉州(現・大阪府南部)
の堺に現れたと言う話がある。平瀬と言う武士の🏠に巨大な腕が突然出現した。この腕を切ったところ、大きな😺の手であったと言う。
🔍江戸時代の中頃、六九谷村(現・兵庫県姫路市)
に尼になった老婆がおり、そこの😺が飼い主に対し人の言葉を喋り、化け猫になる前にその😺を罠に掛けて殺し処分した。
🔍北陸地方の弥三郎婆話には、古猫が老婆を食い殺してその老婆になりかわる話がある。北海道・北奥羽地方の「三左衛門猫」(『日本伝説体系』)
等、弥三郎婆と類似した話が全国に伝わっている。
🔍播磨国山崎町牧谷(現・兵庫県宍粟市)にも、辛川某なる人が化け猫を退治した話が伝わっている。同様話は福崎町谷口にも伝わっており、金剛城寺で村人を困らせていた化け猫を寺侍が退治し、化け猫は茶釜の蓋や鉄鍋で矢や鉄砲玉を防いだ。
─ 続 く ─
─ 続 き ─
🔍新潟県では、坊主が法力で化け猫を退治して、守り本尊として祀ると、それからは人々の為に☔を降らせる神様になった、「妙多羅天女」の話が伝わっている。本尊阿弥陀如来の脇に祀られている「妙多羅天女」は、改心した弥三郎婆だと伝えられている。妙多羅の妙の字は猫(みょう)だと言う。
📝 語 源 📝
尾の先が二股に分かれている。
先端がさすまた状になっている程度から、根元から2本生えているものまで様々に描かれている。
人に呪いを掛ける時、その人を跨いで呪いを掛ける方法がある。
😺が跨いで呪いを掛けるから、猫またぎ、略して猫又とも言う。
こちらが語源であり、尾が二股に分かれていると言うのは後代(遅くとも江戸時代まで)の付与と言う説もある。
📝 概 要 📝
人語を解し、人語を話す。
人を喰い殺して、その人に成代わる事もあるとされ、このシチュエーションは南総里見八犬伝でも登場する。
又、♀の猫又は時折男の夢に現れ、精を奪ってゆくともされる。(夢魔)
黒猫の猫又が一番強力。
😺を虐めると祟られるとされている。
更にその猫又が修学を積んで、無限に生きられる様になったものを「猫〓(ねこすょう)」と言う。
😺は女性の暗号にもなっており、女性優位のフェミニズム的な意味での行為。
😺が女性的であるとする傾向は多くの文化でみられ、🇯でも同様であった。
尚、カナダにて尻尾の二つある😺の写真が撮られている。
📓 文献・伝承 📓
老いた飼い猫が化けると言う伝承は江戸時代以降に多く見られるが、それより古く鎌倉時代に遡ると、猫又は山中の猛獣として恐れられるものとされている。
藤原定家による『明月記』には、元福元年に南都(現・奈良県)で猫胯(猫又)が人を食い殺したと記述がある。
これは狂犬病の獣との説もある。
又、同じく鎌倉時代の作とされる『徒然草』第89段には、「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに……」の有名な話がある。
この様に山中の山猫の伝承は各地にあり、富山県の猫又山、福島県の猫魔ヶ岳等にも猫又の名が残されている。
❤ 化け銀杏の精 ❤
化け銀杏(いちょう)の精又は化け銀杏(いちょう)
の霊は🇯に伝わる妖怪。
手足や顔が黄色で、墨で染められた👘を着て、鉦を叩いて現れる。
イチョウの木は昔から不吉とされ、🏠に植えると不吉な事が起きると言われる。
妖怪漫画家・水木しげるは、与謝蕪村による『蕪村妖怪絵巻』にある「鎌倉若宮八幡いてう(銀杏)
の木のばけ者」を元にしてこの妖怪画を描いている。
蕪村のものは、妖怪研究家・湯本豪一によれば老木の精霊を図像化したものとされる。
新潟県佐渡市新穂大野には、以下のようなイチョウの精の伝説がある。
清水寺(せいすいじ)と言う寺の境内に雄のイチョウの木があり、落葉の季節には多くの葉が地面に落ちたが、なぜか1枚だけ地面に落ちずにどこかへ飛んで行った。
ある時、近くの農家に住む美しい娘の元に気品のある若者が現れ、一晩中話し込み記念にと言って小判を1枚残して立ち去った。
─ 続 く ─
💛 タンタンコロリン 💛
タンタンコロリンは、宮城県仙台市に伝わる柿の木の妖怪。
老いた柿の木が僧侶の様な姿に化けた妖怪で、柿の実を採らずに放置しておくと現れると言い、柿の精霊の化身とも言う。
ある言い伝えでは、沢山の実がなった柿の木のある🏠から夕暮れ時にタンタンコロリンが現れ、服の袂の中に柿の実を大量に入れて町の中を歩きつつ、柿の種を撒き散らす為に実をポトポトと落として行き、町を一回りした末に、元の🏠の前で姿を消したと言う。
現在の妖怪関連の文献の多くではタンタンコロリンの名で紹介されているが、これは青森県で、聞き分けのない子供を「タンタンコロリンが来るぞ」と言って叱った事との混同される。
このタンタンコロリンと同じものかは不明だが、佐々木喜善の著書『聴耳草紙』には「柿男」と言うものがある。
ある屋敷に仕える女が、庭に実る柿を見て何とか食べたいと思ったところ、夜中に真っ赤な顔の大男が現れ、尻を串でほじって嘗めろと言う。
言われるままにその男の尻をほじって嘗めたところ、甘い味がしたと言う。
📝 概 要 📝
鳥山石燕の『今昔画図百鬼』によると、老いたツバキの木に精霊が宿り、怪木と化して人をたぶらかすとある。
こうしたツバキの怪は文化時代から文政時代に掛けての怪談流行時において広く知られており、民間伝承が多く残されている。
現代に於いても、ツバキは花の落ちる様子が人の死を連想させる為、入院患者への見舞い花には禁物とされている。
この様に花に付きまとう怪しげなイメージが、妖怪伝承の生まれる元となったとの説がある。
─ 続 く ─
─ 続 き ─
山形県の怪談「椿女」
天明時代、山形の城下を2人の商人が歩いていた。
町を過ぎて峠道に差し掛かった頃、片方の商人の側にいつしか女が歩いていた。
女がその商人に息を吹き掛けると、商人の姿が🐝に変わってしまった。
女は横道で毒々しく咲いているツバキの木の中へ姿を消すと、商人が変化した🐝もそのツバキの花に吸い込まれた。
やがて花がポトリと落ちた。
もう1人の商人がその花を拾うと、🐝は既に死んでいた。
商人は花を持って寺へ寄り、和尚に事情を話した。
和尚が言うには、以前から街道を行く者が姿を消す話があり、その女の仕業に違いないと言う事であった。
和尚は🐝に刺された商人を生き返らす為に一心に経文を唱えたが、生き返る事はなかった為、🐝をツバキの花と一緒に土に埋めたと言う。
─ 続 く ─
>> 317
─ 続 き ─
📓秋田県の伝承
にかほ市象潟の蚶満寺の経異。
ある者が深夜に寺付近を歩いていたところ、境内にあるツバキの木が悲しげな声を発し、通日後に寺に不幸があった。
以降も同様に怪異が続き、いつしかそのツバキは寺の凶事を告げる「夜泣き椿」と呼ばれた。
このツバキは現存しており、樹齢700年に及び、寺の七不思議にも数えられている。
📓岐阜県の伝承
岐阜県不破郡青墓村(現・大垣市)での事。
同村の円墳を発掘した際、古い鏡や骨等が発見されたが、発掘者は祟りを受けて死んでしまった。
付近の者達は円墳を元通りにして、その上にツバキ
を植えた。
以来、🌠にその円墳の側を通るとツバキが美女に化けて路傍で光っていれと言われ、後にそのツバキは化け椿と呼ばれる様になったと言う。
📝 概 要 📝
約一反(長さ約10.6㍍、幅約30㎝)の白い布の姿を妖怪で、夜空を飛んで人を襲うと言う、首に巻き付いた顔を覆ったりして、そのまま窒息死させてしまう事もあると言う。
又、巻かれた反物の様な状態でぐるぐる回りながら素早く飛来し、人を体に巻き込んで空へ飛び去ってしまうと言う。
妖怪漫画家・水木しげるの説では付喪神の一種とされる。
ある男が家路を急いでいたところ、白い布が飛んで来て首に巻き付き、脇差しで布を斬り付けたところ、布は消え、男の手には血が残っていたと言う伝承もある。
出没の伝えられる地方では、子供が遅く迄遊んでいると「一反木綿が出るよ」と言って戒める風習もあったそうである。
古典の妖怪絵巻等には、描かれていない為に、かつては比較的無名な妖怪だったが、水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』に登場してから一躍、名が知られる事となった。
現在では同作での九州弁のトークと気のいい性格から知名度も高く、人を襲うと言う本来の伝承とは裏腹に人気も高い。
水木の出身地・鳥取県境港市の観光協会による「第1回妖怪人気投票」では1位に選ばれた。
─ 続 く ─
📝 近年の目撃談 📝
妖怪研究家・山口敏太郎の調査によれば、近年においても一反木綿を思わせる布状の飛行物体の目撃談は多い。
伝承地の鹿児島では、低空を飛ぶ白い布の様な物体が目撃されている。
同じ九州の福岡県では、🚅と併走する様に猛スピードで飛ぶ一反木綿が、🚅の乗客により目撃されている。
九州以外でも、東京都の東高円寺や荻窪でも目撃されている。
東高円寺では🐶の散歩中の女性が空を飛ぶ布を目撃し、しばし追跡したと言う。
静岡県である小学生が目撃したものは、透明なシーツ状でゆらゆらと動いており、全体の形状は長方形に近いが先端が尻尾状に細くなっていたと言う。
2004年には兵庫県のUFO
📹撮影の会が、六甲山上空に正体不明の布状の飛行物体を撮影した事例があり、その大きさは30㍍もの巨大なものだったと言う。
俳優・佐野史朗はドラマ『京極夏彦「怪」』の撮影中、撮影所の空に舞う一反木綿を目撃し、その姿は長く白い布状だったと言う。
📝 同種の妖怪 📝
🔍衾(ふすま)
佐渡島に江戸時代に多く出没したと伝わる一反木綿の一種。大きな風呂敷の様な姿の妖怪で、夜道等で何処からともなく飛来し、いきなら通行人の頭に被さって来る。どんな鋭い刀でも切る事は出来ないが、一度でもお歯黒を付けた歯なら噛み切る事が出来る。その為佐渡では、男性でもお歯黒を付ける慣わしがあったと言われている。
🔍布団かぶせ
愛知県佐久島。民俗学者・柳田國男の著書「フワッと来てスッと被せて窒息させる」とあるのみで、伝承が少なく謎が多いが、布団状のものが飛んで来て顔面に被さって窒息させるものとの解釈もある。
💜 雲外鏡 💜
雲外鏡(うんがいきょう)
は、特殊な鏡が長い年月を経たのちに変じたと言う、🇯の妖怪の一種。
浮世絵師・鳥山石燕の妖怪画集『画図百器徒然袋』に描かれている。
民俗学的知見から、鏡の付喪神(つくもがみ)と見られる。
📝 本来の雲外鏡:
石燕の雲外鏡 📝
化け物の正体を明らかにする「照魔鏡(しょうまきょう)」と呼ばれる鏡が、長い年月を経た末に妖怪化したものとされている。
『画図百器徒然袋』では、怪しげな黒雲(或いは、その様な意匠の鏡立て)を伴って公家の屋敷にあり、御簾(みす)の陰から半面のみ姿を見せる丸鏡として描かれており、その鏡面には邪(よこしま)な雰囲気を漂わせつつ👅を出してこちらに視線をくれる化け物の顔面が浮かび上がっている。
描き手の石燕は江戸時代中期の人であるが、この妖怪について多くを語らない。
しかし、後述する研究者の分析も併せ、幾つかの特徴から、江戸の武家文化ではなく京(平安京と言うべきか)の公家文化との関わりが強いとの憶測が叶う。
📝 本来の雲外鏡:
研究者の分析と知見 📝
妖怪研究家(作家)・多田克己等の著書においては、雲外鏡は、鏡の付喪神と解釈されている。
又、妖怪作品の多い漫画家・水木しげるによれば、旧暦8月(葉月)の十五夜に月明かりの下(もと)
で水晶の盆に水を張り、その水で鏡面に化け物の姿を描くと、鏡の中に化け物が棲み着く。
それが雲外鏡であると言う。
📝 今様の雲外鏡:
デフォルメ 📝
現代的大衆文化に基づいて著される妖怪図鑑や画集これらの著作物が対象年齢とする読者層は子供ばかりではない。
子供向け妖怪図鑑を読んで幼少期を過ごした人は、長じては大人向けの妖怪図鑑を手にする機会も多い。
では、雲外鏡は腹に鏡をつけた(腹が鏡になっている)化け狸狸の妖怪に付いては「タヌキ」が詳しい。
この様な姿の妖怪であるとか、自らの体に様々なものを映し出す事が出来る、等と解説される事が少なくない。
しかし、妖怪研究家(作家)・村上健司の指摘によれば、そのようなデフォルメされた形と能力を持った雲外鏡の原典は特撮映画『妖怪大戦争』に登場する古狸(ふるだぬき)様の雲外鏡当作品中の雲外鏡は、捻り鉢巻を締め、法被(はっぴ)をまとい、太鼓腹を抱えた巨漢の江戸職人風、或いは、江戸火消し風である。
にあり、以降のイメージはその影響下での二次創作物であるとされる。
📝 不可思議な鏡の
関連事象 📝
類似点が多いもの、及び、類縁ではないが「不可思議な鏡」と言う点での相似性が見られるものをここに示す。
🔍 照妖鏡(照妖鑑とも称)は、中国明代の伝奇『封神演義』に登場する、本来の姿を映し出す鏡。終南山の仙人・雲中子の宝貝(パオペイ。仙術の武具)で、 人に化けた魔物の正体を看破する事が出来る。妖怪化する以前の雲外鏡(照魔鏡)と類似点が多い。
🔍 浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)は、(🇯の)地獄の閻魔が亡者の善悪を見極めるのに用いる水晶製の鏡。
🔍 🇩民話であり童話である『白雪姫』に登場する魔法の鏡は、鏡の精が宿ったもの。しかし、強い自我を持っており、西洋占星術で用いられる水晶球を鏡に変えたようなところもあって、雲外鏡とは大きく異なる。
🔍 古代🇨や🇯に実在する「魔鏡」は、✨の屈折で像を映し出す仕掛けを持つ銅鏡(青銅鏡)である。隠れ切支丹鏡。
📝 概 要 📝
石燕の画図では、半透明の牛車の前面の、本来なら簾が掛かっている場所に、巨大な夜叉の様な顔、もしくは無念の形相をした女の顔を持つ姿で描かれている。
解説文では、「むかし加茂の大路をおぼろ夜に🚗のきしる音しけり。出てみれば異形のもの也。車争の遺恨にや。」とある。
「車争い」とは、平安時代に祭礼の場等で、貴族達が牛車を見物しやすい場所に移動させようとした際に牛車同士が場所を取り合った事を言う。
その事から現代では、朧車とはこの車争いに敗れた貴族の遺恨が妖怪と化したものであり、京都の加茂(現・木津川市)の大路で、朧夜に🚗の軋る音を👂にした人が🏠の外に飛び出して見ると、異形の妖怪・朧車がそこにいた、と解釈されている。
朧と言う言葉の通り、手で触れられる様なはっきりした存在感はなく、全体が半透明になっているとも言う。
─ 続 く ─
❤ からかさ小僧 ❤
からかさ小僧(唐傘小僧)
は、古い🌂が変化した妖怪。
「から傘おばけ」「傘おばけ」「傘化け」等とも呼ばれる。
水木しげる原作の「ゲゲゲの鬼太郎」の影響もあり比較的有名な妖怪である。
一般的には、軸を下にしてたたんだ状態で表現される。
🌂の軸が1本である事からこの妖怪も一本足で飛び跳ねる様にして移動する。
足に下駄を履いている場合もある。
🌂の部分が顔になっており、👀が一つ付いている。
この妖怪は特に悪さをしないのが特徴で、暗くなってから🏠の周りを飛び跳ね、人に出会うと大きな赤い👅を出して驚かす。
これだけで十分迷惑な存在であるが、直接危害を加えるわけでは無いので、妖怪の中では危険度の低い存在ではある。
余談だが、とぼけて良く👅を出して笑う。
こうした性格や行動に良く似た妖怪には、他に一つ目小僧が存在する。
一般に、悪さをしないと言われているが、鳥取県溝口町(現・西伯郡伯耆町)に出現する「幽霊傘(ゆうれいがさ)」と言う妖怪は例外の様で、強風の吹く日に人を大空に舞い上げると言う。
─ 続 く ─
📝 概 要 📝
古い🏮が上下にパックリと割れ、その割れた部分が💋となって長い👅が飛び出し、🏮の上半分には一つ目ないし二つの👀があるのが一般的な姿である。
🏮から手が生えている事もある。
妖怪漫画家・水木しげるの著書には、霊を吸い取る力があり、人を驚かしてその魂を吸い取る事もあると記述が見られるが、大変有名な妖怪である反面、具体的な伝承は殆ど残されておらしず、作家・村上健司はこれを絵画上でのみ存在する妖怪としている。
民間伝承にある妖怪ではなく、子供向けに創作された妖怪とする説もある。
古典の妖怪画においては、葛飾北斎の『百物語』にある「お岩さん」や、歌川国芳の『神谷伊右エ門 於岩のばうこん』等が知られる。
これは怪談『四谷怪談』において、四谷の女性・お岩が伊右衛門に殺され、そのお岩の霊が🏮に乗り移って怪異を現すと言う、歌舞伎の演出でも見られる「提灯お岩」を描いたものである。
📝 概 要 📝
夜道を歩いていると、👀の前が突然👀に見えない壁となり、前へ進めなくなってしまうと言うもの。
壁の横をすり抜け様としても、左右何処までも壁が続いており、よけて進む事も出来ない。
蹴飛ばしたり、上の方を払ったりしてもどうにもならないが、棒で下の方を払えば壁は消えると言う。
民俗学者・柳田國男が著書『妖怪談義』で「ヌリカベ」を記載して以来、塗壁の伝承が世間に知られ始めたものの、伝承が一部の地方に限定されている事から、かつては比較的無名な妖怪であったが水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』を通じて一躍、名が知られる事となった。
インパクトある巨体と大らかな性格で活躍する同作の効果で人気も向上し、「好きな妖怪ランキング」では常に上位にランキングされている。
─ 続 く ─
>> 339
─ 続 き ─
水木は著書において、第二次世界大戦での従軍中に南方のラバウルで塗壁と同じものに遭遇した体験談を語っている。
敵軍に襲われ、仲間とはぐれて深い森を1人で逃げ惑っている内に、コールタールを固めた様なものが前方に立ち塞がって行く手を阻まれ、右も左もその壁に囲まれて身動き出来ない。
途方に暮れている内に、疲労から数十分休んでいると、この壁は消えたと言う。
又、霊能者・宗優子によると、📺番組のロケーションで富士樹海に入った際、ロケ
隊の前に壁の様なものが立ちはだかったと言い、樹海での自殺者達がこれ以上進まぬ様にと壁を作ったのではと語っている。
大分県海部郡(現・佐伯市)に伝わる民話によれば、塗壁は七曲りと言う坂道に小豆とぎと共に現れる怪物で、🌠に歩いている最中に急に👀の前が真っ暗になるものだと言う。
正体は狸であり、人が着ている👘の後ろの結び目に狸が乗り、両手で人の👀を塞いで視界を奪うので、帯を前に結ぶとこの怪異は避けられると言われる。
─ 続 く ─
>> 340
─ 続 き ─
又1967年には民俗学者・丸山学により「カベヌリ」と言う妖怪の伝承が報告されている。
丸山の報告内容には伝承地の記載が無いが、大分県臼杵市で妖怪による町の振興を行う臼杵ミワリークラブの調査によれば、カベヌリは同市に伝承が残っているものであり、観光用に絵葉書まで売られている程有名なものとされる。
1968年の郷土史誌『臼杵史談』では、狸が陰嚢(いんのう)を一杯に広げて夜道を行く人の視界を塞ぐ怪異を大分県内各地で「狸のなぬりかべ」、香々地町(現・豊後高田市)
では「イタチのぬりかべ」、臼杵市では「ぬりかべ」ではなく「かべぬり」と呼び、その場に座り込むか、🚬に🔥を着けて一服するとこの怪異を避けられると言う。
又1978年の臼杵市教育委員会の民俗資料によれば、同様に狸や狐が陰嚢で人の視界を阻む怪異を「カベヌリ」としている。
又臼杵ミワリークラブの調査によれば、大分県内にはカベヌリではなく塗壁の伝承も多い事から、妖怪研究家・山口敏太郎は、カベヌリは塗壁と似て非なる妖怪なのではなく、単に名前が変化して伝承したのみと述べている。
─ 続 く ─
📝 概要:妖怪画 📝
塗壁の姿は、水木の妖怪画では👀と足の付いた壁の様に描かれているが、これはあくまで伝承を基にした創作であり、古典の画図に姿を描いたものは近年まで発見されていなかった。
江戸時代の妖怪譚『稲生物怪録』に、🏠の壁に👀と💋が現れて人を睨むと言う怪異があり、これを塗壁の祖形とする仮説もあった。
川崎市市民ミュージアムの学芸室長・湯本豪一の所有する妖怪画が、🇺のブリガムヤング大学の図書館に寄贈されている妖怪画と一致し、後者に「ぬりかべ」と名がある事から、これが塗壁を描いたものと発表された。
同画は享和2年(1802年)
に絵師・狩野洞琳由信が室町時代の絵などを参考に制作したもので、3つ👀の獅子か🐶の様な姿の妖怪が描かれている。
しかしこの絵巻の「ぬりかべ」と伝承上の塗壁は同一のものではなく、偶然名称が一致したとする説や、絵巻の名称が九州に流布して民俗語彙として採用されたとする説もある。
📝 同種の妖怪 📝
🔍塗坊(ぬりぼう)
壱岐島(長崎県壱岐市)。
人が山道を歩いていると前方に立ち塞がる灰色の化け物。棒で叩くか、路傍の石などに腰を掛けて一服しているとじきに消え去ると言う。
🔍道塞ぎ(みちふさぎ)
苗場山に1958年の夏の日の夕暮れに、ある老人が遭遇したと言う怪異。🎣の帰り道に突如、見た事もない大滝が現れて行く手を阻まれ、後方には見上げる様な大岩が現れ、そのまま滝と岩が自分へ迫って来て身動き出来なくなってしまったと言う。老人はその場で一夜を過ごす羽目になったが、夜が明けると共にこの怪異は消え去ったと言う。
💚 化け草履 💚
化け草履(ばけぞうり)は、🇯に伝わる付喪神の一種。
妖怪漫画家・水木しげるによる妖怪画では、大きな草履に手足が生え、鼻緒の付近に目玉が一つと、その下に💋がある妖怪として描かれている。
九十九年使われた草履に魂が宿り、百年目に妖怪と化したとされる。
仕事は主に捨てられた履き物に宿った霊の整理だが、履き物を粗末にする人間の🏠に懲らしめに来る事もあると言う。
民話研究家・佐々木喜善の著書『聴耳草紙』には、履き物を粗末にする者の🏠で、夜間に履き物が化け物となって「カラリン、コロリン、カンコロリン、まなぐ三つに歯二ん枚」と歌い出したと言う怪異がある。
水木しげるの著書においてはこれが化け草履の逸話とされるが、原典の『聴耳草紙』では単に「履き物」とのみ述べられており、草履かどうかは定かでは無い。
作家・村上健司はこれを民間の伝承ではなく、教訓の為に作られた昔話とみている。
📝 概 要 📝
琵琶が琵琶法師に変化した姿であり、付喪神(器物が変化した妖怪)の一種とされる。
体形は人間の様だが、頭部は琵琶であり、盲目の琵琶法師の様に👀を閉じて杖をついている。
鳥山石燕より以前、古くは室町時代の『百鬼夜行絵巻』に琵琶の妖怪が描かれている事から、作家・村上健司は、石燕は『百鬼夜行絵巻』を基に『画図百器徒然袋』の琵琶牧々を描いたと述べている。
📓 伝 承 📓
醍醐天皇の時代、「絃上(げんじょう)」と「牧馬(ぼくば)」と言う名の2つの琵琶が、宮中秘蔵の名器として伝わっていた。
特に玄上の方は、琵琶の下手な者が弾いても鳴らないと言う不思議な琵琶だった。
しかし後の村上天皇の時代、絃上が紛失してしまった。
しばらく後、雅楽家の源博雅が殿中にいたところ、琵琶の美しい音色が響いて来た。
博雅が音色の方向を辿って外へ出ると、そこには失われた絃上があった。
博雅が絃上の音色を追ってやって来た事を告げると、音色は止み、紐で吊るされた絃上が降りて来た。
絃上の持つ不思議な力に魅せられた魂が絃上を盗み、それを弾いて音色を奏でていたのであった。
『画図百器徒然袋』の解説文によれば、この絃上と牧馬が後に琵琶牧々へと変化したとされる。
❤ 文車妖妃 ❤
文車妖妃(ふぐるまようび)は、鳥山石燕の妖怪画集『画図百器徒然袋』にある🇯の妖怪。
文車(ふぐるま)とは内裏や寺なとで📖を運ぶ為の箱車で、失火等の非常時に備えるもの。
これが付喪神になったものが文車妖妃である。
江戸時代の怪談集『諸国百物語』には、ある寺の稚児が恋文を受け取り、それを捨てていたところ、恋文に込められた執念が鬼と化して人を襲ったと言う話があるが、同様に✉の執念が妖怪化したものが文車妖妃とも言う。
『画図百器徒然袋』には、壊れた文車から子鬼が出て来たり、それを持っていて恨んでいる顔をした女性として描かれている。
又、石燕は『画図百器徒然袋』の妖怪の題材の多くに『徒然草』等の文章を使用しているが、『徒然草』第72段に「多くて見苦しからぬは、文車の文、鹿塚の鹿」と言う一文があり、この「文車の文」から文車妖妃、「鹿塚の鹿」から鹿塚怪王が創作されたとの説もある。
❤ 目目連 ❤
目目連(もくもくれん)は、鳥山石燕の画集『今昔百鬼拾遺』にある🇯の妖怪。
荒れ果てた🏠の障子に無数の目玉が浮かび上がった姿で描かれており、解説文によれば碁打ち師の念が碁盤に注がれ、更に🏠全体に現れた物とある。
妖怪探訪家・村上健司はこれを石燕の創作物と指摘している。
山田野理夫の著書『東北怪談の旅』には「障子の👀」と題し、江戸の商人が津軽へ木材を買いに行き、宿代が勿体無いと言って空き家なに泊まったところ、障子に無数の👀が現れたが、商人は恐れるどころかこれ等の👀を集めて持ち帰り、眼科医に売り飛ばしたと言う話がある。
妖怪漫画家・水木しげるの次女は中学生の頃までは妖怪の存在に懐疑的だったが、中学の修学旅行先の旅館で目目連の現象に遭い、「やっぱり妖怪はいるんだな」と思ったそうである。
💛 木魚達磨 💛
木魚達磨(もくぎょだるま)は、鳥山石燕による『画図百器徒然袋』にある🇯の妖怪で、木魚の付喪神。
木魚が変化してだるま状になった姿として描かれており、解説文では木魚と同じ仏具の妖怪である払子守の同類とされる。
木魚は本来、♓が昼夜問わず👀を開けたままである事から、修行僧に対して不眠不休の修行を説く為に作られたものである。
又、だるまの顔の元となった達磨も、眠らずに9年間修行したと伝えられている。
それらの事から、不眠をテーマとして木魚とだるまを合成して描かれた創作妖怪とされる。
💙 輪入道 💙
輪入道(わにゅうどう)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』にある🇯の妖怪。
🔥に包まれた牛車の車輪の中央に男の顔が付いた姿をしており、その姿を見た者の魂を抜いて行くとされている。
「此所勝母の里」と書いた神を呪符として🏠の戸に貼ると、輪入道が近付く事が出来ないと言い、これは🇨の儒家の始孫・孔子の門人である曾子が「母に勝つ」の名を嫌って勝母の里に足を踏み入れなかったと言う『史記』「鄒陽列伝」での逸話が由来とされている。
石燕の輪入道は、延宝5年刊行の怪談集『諸国百物語』巻一「京東洞院かたわ車の事」で、京都の東洞院通に現れたと言う車輪の妖怪「かたわ車」の事を描いたものとされており、『今昔画図続百鬼』で別々の妖怪として描かれている片輪車と輪入道を同一のものとする解釈もある。
『今昔画図続百鬼』の輪入道は男性、片輪車は女性として描かれているが、寛保3年の雑書『諸国里人談』の刊行から片輪車が女性として描かれ始めており、『諸国百物語』の刊行年である延宝5年を起点として、同一のものである片輪車が、片輪車と輪入道という2つの妖怪に分岐したとの説もある。
📓 建国神話 📓
伝説によれば、後にアステカ
人となる様々な民のグループは、テスココ湖(Texcoco)を囲むアナワク谷(Amahuac)の北側からやって来たとされる。
アステカ神話では、北方から南進して来たメシカ/アステカ人の祖先(Aztlanと呼ばれる)は、7つのnahuatlacas(ナワトル語を話す種族、tlacaから来た、「人」)の末裔であり、それゆえに、彼らは「Azteca」と呼ばれたと言う。
彼等はテスココ湖の島に上陸した時、彼等は沢山の実(nochtli)を付けたノパル🌵に一羽のワシがとまっているのを見た(Tesozomocによる報告が誤訳された為、ワシが🐍を貪っていたと言う説が巷間に広まった。
しかし、最初のアステカ神話に於いては🐍に付いての言及は無い)。
この光景は、彼等が「そこに新しい🏠を作るべし」とされた予言の成就と見なされた。
アステカ人達はそこに大きな人工の島を造り、テノチティトラン(Tenochtitlan)と言う都市を築いた(そこは今日のメキシコシティーの中央部にあたる)。
この伝説は、現在のメキシコ
の国旗やメキシコの国章に描かれている。
─ 続 く ─
>> 357
─ 続 き ─
伝説によれば、テスココ湖に到着したアステカ人達は他の人々、特に古代トルテカ族から文明を学ぶ事を決めた。
アステカ人にとって、トルテカ族は全ての文明の発信者であり、「Toltecayotl」と言う単語は「文明」と同義であった。
アステカ神話は、トルテカ族と伝統的な都市トラン(Tollan)
に於けるケツァルコアトル神への信仰(それらは更に古い都市テオティワカン
(Teotihuacan)に由来する)によって識別する事が出来る。
アステカ人は彼等自身の伝統と、他の民族の持つ伝統を組み合わせて取り入れた為、幾つかの異なる創世神話を持っている。
それによれば、現在の世界の前には4つの時代があり、各々大災害によって終焉を迎えたとされる。
─ 続 く ─
>> 358
─ 続 き ─
現代(Nahui-Ollin)は第5
の時代(或いは5度目の創
世)であり、最も小さき
神ナナファトル(Nanahkatl)の
犠牲によって滅失を逃れた。
この最も控え目な神はその後、☀に変じたと言う。
この神話はテオティワカンと関連し、アステカ人が到着した時にはそこは既に破壊され放棄されていた。
他の神話では、🌏は♊の神テスカトリポカとケツァルコアトルによって創られたとされている。
テスカトリポカは世界を創造する最中に自らの足を失った。
その為この神は全ての似姿は、足のない姿、或いは骨をさらされた形で表される。
ケツァルコアトルは
「白いテスカトリポカ」と呼ばれる事もある。
💚 イツラコリウキ 💚
イツラコリウキ
(Itztlacoliuhqui,
Itzlacoliuhque)は、アステカ神話に伝わる霜の神。
明け方の冷え込みをもたらすとされる。
かつて、イツラコリウキはトラウィスカルパンテクートリと言う神であった。
しかし、☀な挑んで敗北し、今の姿に変えられたと言う。
又、テスカトリポカと同一視される事がある。
通常、ナワトル語であるイツラコリウキは「曲がった黒曜石のナイフ」と英訳される。
しかし、「全てを寒さにより曲げる者」或いは「植物殺しの霜」が正しいとする説もある。
💜ウィツィロポチトリ💜
ウィツィロポチトリ
(Huitzilopochtli)は、アステカ神話の☀神・軍神・狩猟神である。
その名は「蜂鳥な左足」又は「左(南)の蜂鳥」を意味する。
女神コアトリクエの息子であり、月神コヨルシャウキの弟である。
コアトリクエは、コアテペック山で羽毛の珠を拾った事により受胎。
それを知ったコアトリクエの子達は、母の懐妊に面目を潰されたと感じ、コアトリクエ
を殺害しようとした。
しかしコアテペック山で、完全武装したウィツィロポチトリが誕生し、「トルコ石の🐍」と言う🔥の玉を使ってコヨルシャウキを八つ裂きにし、兄弟の大半を滅ぼした。
ウィツィロポチトリの兄弟殺しは、アステカの版図の拡大を象徴していると言う。
蜂鳥を型どった頭飾りを着け、左足に蜂鳥の羽飾りを着け、五つの房の着いた盾と槍を持った戦士の姿で表される。
─ 続 く ─
❤ ウエウエコヨトル ❤
ウエウエコヨトル(Huehuecoyotl)
は、アステカ神話に於ける、音楽、ダンス、歌のトリックスター神。
その名は「老いたコヨーテ」を意味する。
他の神々を良く騙す。
又、自身の退屈凌ぎの為に、人間間の争いを誘発するとされた。
ショロトルと同一視される事がある。
❤ オメテオトル ❤
オメテオトル(Oneteotl)は、アステカ神話の創造神。
別名オメテクトリ(Ometecutli)又はオメシワトル(Omecihuatl)。
その名は「二面性の神」を意味し、対立する二つ(男と女、光と闇、秩序と混沌、静と道、是と非等)を兼ね備えた完全なる存在。
「身近なるものの神」、「環の中にいる者」、「我等の🍖の男神として女神」等多くの異名を持ち、神の中の神「万物の主」として崇められた。
ケツァルコアトルやテスカトリポカ等の神々を産み出した後、創造をやめ、世界を創造する役目を自身の子供(神)
達に譲った。
そして天の最上部で、神々と世界と人間が移ろいゆく所を、ただ静かに見守り続けていると言う。
💛 カンヘル 💛
カンヘル(Canhel)とは中米土着信仰とキリスト教信仰が融合した、天使的性格を持つ龍人である。
蝙蝠の羽、鉤爪を持つ姿で描写される。
アステカ創世神話と深く関連付けられている。
元々は🐍を象った杖を指す言葉が「カンヘル」であり、権力の象徴でもあった。
中米に於いてキリスト教を布教する際、原住民向けにキリスト教創世神話が作られた。
それによると、主はセルピヌスと言うカンヘルを作り出し、更に後世に生まれた四方を象徴する4匹のカンヘルを支配させたと言う。
この創世神話に於いて、カンヘルは本来なら蝙蝠の翼と言う👿的姿であるにも関わらず、キリスト教下の守護天使とも言える存在になった。
💙 ケツァルコアトル 💙
ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)は、アステカ神話の文化神・農耕神である。
又、風の神とも考えられた。
ケツァールコアトルとも呼ばれる。
マヤ文明ではククルカンと言う名で崇拝されていた。
📝 概 要 📝
古くは水や農耕に関わる🐍神であったが、後に文明一般を人類に授けた文化神と考えられる様になり、ギリシア神話に於けるプロメテウスの様に、人類に🔥をもたらした神ともされた。
特にトルテカ族の祖神として篤く崇拝されていたが、アステカ族の神話に取り入れられてからは、原初神トナカテクトリとトナカシワトルの4人の息子の1人として、ウィツィロポチトリ等と共に、創造神の地位にまで高められた。
「五つの☀の神話」の中では☀神としてのケツァルコアトル
の逸話も残されている。
神話では平和の神とされ、人々に人身供犠を止めさせたと言う。
それ故に、自身供犠を好むテスカトリポカの恨みを買い、トゥーラ(又はアステカ)の地を追われた。
この際、金星に姿を変えて天に逃れたとも言われ、ケツァルコアトルは金星の神ともされる様になった。
これは10世紀頃、ケツァルコアトルを名乗っていたトルテカの王が、人身供犠に反対してトルテカの首都を追い出された事件から創られた神話だとされている。
アステカにはケツァルコアトルへの人身供犠に付いての記録や遺跡等が多数あり、自身供犠に反対する神話が書かれたのはコルテスによる征服後だと推定されている。
─ 続 く ─
💚 コアトリクエ 💚
コアトリクエ(Coatlicue、コワトリクエ)とはアステカ神話に於ける地母神。
その名は「🐍の淑女」、或いは「🐍のスカートをはく者」
を意味する。
コアトリクエは、「全ての天の者を生む🌏の大母神」、或いは「南の⭐の生みの親」等の肩書きを持つとされる。
コアトリクエのスカートはとぐろを巻いた🐍で出来ており、人間の心臓と手首を繋ぎ頭蓋骨を吊った首飾りをしている。
そして手足に鉤爪がある。
そしてその食べ物は、人間を含むあらゆる生き物の生🍖である。
コアトリクエは、同時に子宮でも墓場でもある様な、「子供を飲み込む母親」を体現している。
ウィツィロポチトリ、シワコアトル、コヨルシャウキを産み出した神としても知られている。
💜 シペ・トテック 💜
シペ・トテック(Xipe Totec、Xipe、皮を剥がれた我等が主の意)はアステカ神話に於ける穀物神である。
シペ・トテクとも。
死と再生の神の一柱であって、農業、西方、疾病、春、金細工職人、季節の神である。
この男神は、自らの皮を剥いで人々に食料を与える。
🌽が発芽する時に種子の外層を失う事を象徴している。
皮を失った状態で、この神は金色の神として描かれて。
毎年、アステカ暦の二月、春分の頃の祭で複数の人々が生贄として選ばれた。
これ等の人々は人身御供を得る為の戦争で捕虜になった人々である。
生贄が生きたまま、その皮膚は殆ど全身に渡って慎重に剥かれ、彼等が死んだ後引き続いて行われる豊作を祈る儀式の中で司祭がその皮膚を着た。
幾つかの報告によると、生け贄の遺した大腿部の骨は🍖を綺麗に剥がされ、儀式の中で司祭がその骨を持ち、参列者に触るのに用いたと言う。
皮膚を剥離する方法や剥離した皮膚を着た司祭の姿が描かれた絵画や土偶が見付かっている。
❤ ショロトル ❤
ショロトル(Xolotl)は、アステカ神話の金星の神。
🔥と不幸の神でもある。
ケツァルコアトルの♊とされる。
脚が後ろ向きの🐶の姿をしており、その眼窩は空洞である。
かつて神々が☀を作り出そうとしていた時、多くの神々がその身を犠牲にしなければならなくなった。
ショロトルは嫌がったが、他の神々はこの世に☀をもたらす為に、その多くがその身を☀に捧げて行った。
斯くして☀は完成したが、ショロトルは仲間のいない寂しさに耐えられずに号泣し、余りの💧の量に両目玉まで流れ出てしまった。
その為、ショロトルには眼球が無いとされている。
別の説では、☀の生け贄になる事を嫌がり、水の中に逃げ込みアホロートル
(ウーパールーパー)になったとされている。
❤ センテオトル ❤
センテオトル(Centeotl、
シンテオトル(Cinteojtl))は、アステカ神話に伝わる🌽の神。
古代アステカ人にとって🌽は主食であった為、センテオトル
は広大な地位で崇拝されていた。
トラロックの庇護下にある神で、頭に🌽の穂を模した派手な冠を被った、若々しい生気に溢れた若者の姿で表される。
マヤ神話のヤム・カァシュにあたる。
💛 シワコアトル 💛
シワコアトル(Cihuacoatl、
Cihuac〓atl、
Chihucoatl、Ciucoatl)はアステカ神話に登場する女神で出産にも関係する地母神である。
名前の意味は「🐍の女」。
コアトリクエと同一の神とされる事がありその場合は美しい女性として描かれる。
しかしシワテテオの守り神とされる時は醜い姿で描かれる。
💙 チャルチウィ
トリクエ 💙
チャルチウィトリクエ
(Chalciuhtlicue、
Chalcihuitlicue)は、アステカ神話に登場する水の女神で、若さと情熱の女神でもある。
その名前は「翡翠のスカート
の女」、「高貴な緑の貴婦人」を意味している。
トラロックの妻或いは姉妹とされ、又、ケツァルコアトルの母であるともされる。
彼女は現在の前の時代、大洪水を起こして世界を滅ぼし、その時代の人間達を♓に変えたと言う。
この洪水によって大地の滋養が増し、新しい時代の命を育んだとされる。
チャルチウィトリクエは既に大地に存在する水の女神であり、☔の様な「天からの恵まれた水」の神は別に存在する(トラロック)。
尚、チャルチウィトリクエはテオティワカン文明期に信仰された女神であり、この文明が衰退すると、アステカの水の神はトラロックに統一されたと言う。
💚 テスカトリポカ 💚
テスカトリポカ(Tezcatlpoca)は、アステカ神話の主要な神の1柱である。
神々の中で最も大きな力を持つとされ、キリスト教の宣教師達によって👿とされた。
Tezcatlipocaは、ナワトル語でtezcatl(鏡)、poca(煙る)と言う言葉から成り、従ってその名は「煙を吐く鏡」を意味する。
鏡とは、メソアメリカ一帯で儀式に使用された黒曜石の鏡の事を示す。
📝 概 要 📝
その神性は、🌠の空、🌠の翼、北の方角、大地、黒曜石、敵意、不和、支配、予言、誘惑、魔術、美、戦争や争いと言った幅広い概念と関連付けられている。
この神の持つ多くの忌み名は神性の異なる側面を示している。
Moyocoyani
(モヨコヤニ、全能者)、
Titlacauan(ティトラカワン、
我等は彼の奴隷)、
Ipalnemoani(イパルネモアニ、
我等を生かしている者)
Necoc Yaotl(ネコク・ヤオトル、
両方の敵)、
Tloque Nahuaque
(トロケ・ナワケ、近くにいる者傍らにいる者の王)意訳して「天と地の所有者」と解釈する説もある。
テスカトリポカ以外の神にも用いられる。
Yohualli 〓 ecatl
(ヨワリ・エエカトル、🌠の風)9柱
の🌠の神のうち、Eecatl
(エエカトル、風)の⏰を司る神がItztli(イットリ、黒曜石)である。
姿は黒いテスカトリポカと同一である。
Ome acatl(オメ・アカトル、2の葦)Omacat(オマカトル)とも書く。
別の神と見なす説もある。
Ilhuicahua Tlalticpaque(イルイカワ・トラルティクパケ、天と地の所有者)トロケ・ナワケ同様、他の神にも用いられる。
Nahualpilli(ナワルピリ、高貴の魔術師)テスカトリポカはナワリ(変身)の名人とされる。
等がそれら忌み名である。
─ 続 く ─
>> 376
─ 続 き ─
通常テスカトリポカは、身体は黒く、顔に黒と黄色の縞模様を塗った姿として描かれ、しばしば右足が黒曜石の鏡か🐍に置き換わった姿で表現される。
これはアステカの創世神話に於いて大地の怪物と戦い、右足を失った事を表している。
時として胸の上に鏡が置かれ、鏡から煙が生じている様子で描かれる場合もある。
テスカトリポカのナワルはジャガー
であり、Nahualは「匿われた者」の意。
魔術使いの動物、神性のジャガー的の側面がTepeyollotl(テペヨロトル、🌋の心臓)と言う神とされる創世神話に於ける現在(第五)の世界は地震により終わると予言されている。
又、第一の世界を崩壊させたのは一匹のジャガーである。
次の2神もテスカトリポカの化身・忌み名として、同一視される。
Chalchiuhtotolin
(チャルチウトトリン、宝石の七面
鳥)は、祭りの際に
テスカトリポカを罪の象徴として♂の七面鳥で表したとされる。
Itztli(イットリ、黒曜石)は名前の通り、メソアメリカ地域の鏡・ナイフの材料である。
アステカの祭祀暦である
トナルポワリ暦でテスカトリポカは
トレセーナ「1のオセロトル(ジャガー)
」を司り、又アカトル(葦)の日の支配者である。
─ 続 く ─
>> 377
─ 続 き ─
ボルジア絵文書によると、
「1のジャガー」はケツァルコアトル、
「1のリザード」がYayauhqui
Tezcatlipoca
(ヤヤウキ・テスカトリポカ、黒い
テスカトリポカ)である。
又、葦の日の神は
Tezcatlipoca
Ixquimilli(テスカトリポカ・
イシュキミリ、👀に包帯を巻いたテスカトリポカ)である。
テスカトリポカの姿はオルメカ人やマヤ人に信仰された初期のメソアメリカの神々を思い起こさせる。
幾つかの類似点が、ポポル・ブフに書かれたキチェーマヤの神に存在する。
ポポル・ブフの中心的な神は、TohilHuracan、フラカン
の事を指す。
と言う黒曜石を意味する名であり、生贄を要求する神であった。
又、古典期マヤの統治と⚡の神である「神K」は、煙を出す黒曜石のナイフを額に付け、片足が🐍に置き換わった姿で描かれているManikin Scepter(人間型の笏)としても知られる。
今日では、K'awil
(カウィール)と読む事が判明している。
📝 ケツァルコアトルと
スカトリポカ 📝
テスカトリポカはしばしば、アステカの文化英雄である神ケツァルコアトルのライバルとされる。
創世神話の一つ「5つの太陽」に於いて以下記述、ラミレス絵文書による。
最初の世界はテスカトリポカが☀として支配していたが、52年周期が13回経過した(676年)後、ケツァルコアトル
によってテスカトリポカは大きな棒で殴られ水の中に放り込まれ、☀の座を交代した。
そこで彼はジャガーに変身して水から飛び出し、世界に住んでいた巨人を皆殺しにしてしまった。
2番目の世界はケツァルコアトル
が☀として支配したが、
52年周期が13回経過した
(676年)後、ジャガーに変身したテスカトリポカが現れケツァルコアトルを蹴り、☀の座から追い落とした。
この世界に住んでいた者達を強い風が運び去り、一部の残った者も🐵に変身させられた。
3番目の世界はトラロックが☀
として支配したが、52年
周期が7回経過した
(364年)後、ケツァルコアトルが
天から🔥の☔を降らせ、トラロックを☀の座から引き摺り下ろした。
4番目の世界はチャルチウィトリクエが☀として支配したが、大洪水によりこの世界に住む者は流され♓に姿を変えられた。
今の世界は第5の世界に当たる。
─ 続 く ─
>> 379
─ 続 き ─
別の創世神話に於いては、テスカトリポカ、ケツァルコアトル、ウィツィロポチトリ、シペ・トテックの4人の神が世界を創造したとされた。
彼等は各々黒、白、青、赤のテスカトリポカと言われた。
4人のテスカトリポカは、男女の二元性を表す始原神オメテクトリとオメシワトルの息子であり、世界と人と同様に、他の全ての神の創造者である前述のラミレス絵文書の神話では、Tlaclau
queteztzatlipuca(トラクラウ・ケテスツァリポカ、赤い煙を吐く鏡)、Que〓alcoatl
(ケツァルコアトル、羽根のある
🐍)、Omitecilt(オミテクトリ、
骨の神)の4人であり、両親である神もトナカテクトリとトナカシワトルである。
ケツァルコアトルっテスカトリポカの対立関係は、テスカトリポカがケツァルコアトルを騙し、トゥーラの支配者の地位から追いやったトピルツィン・ケツァルコアトルの伝説に於いても語られている。
しかし、興味深い事はケツァルコアトルとテスカトリポカは共同で異なるものを創造し、両者共生命の創造に関与したと見られる事である。
メソアメリカ地域宗教の専門家カール・タウベとメアリ・ミラーは、「何よりもテスカトリポカは衝突を通じての変化を具現化した存在である」と説話している。
─ 続 く ─
📝 テスカトリポカの
祭祀 📝
テスカトリポカの祭祀は、アステカ
太陽暦の5番目の月であるToxcatl(トシュカトル、乾燥)の期間に行われた。
祭りの準備は1年前から行われ、神官によってテスカトリポカに良く似た若い男性が選ばれた。
祭り迄の一年間、男性は宝石を身に付け8人の従者を付けられ、神の様な生活を送った。
最後の1週間に歌い踊り大いに食べ、4人の若い女性と結婚したショチケツァル、
シロネン、アトラトナン、ウィシュトシワトルの4神を模している。
祭り当日、男性は神本人の如く崇められ、自ら神殿の階段を昇り、神官はその胸を切り裂き心臓を取り出し☀への生贄とした。
生贄の死の直後、翌年の祭りの為に新しい犠牲者が選ばれた。
9番目の月の祭りである
Micailhutitontli(ミッカイルウィトントリ、死の小祝宴)、15番目の月の祭りであるPanquetzaliztli
(パンケツァリストリ、旗の掲揚)
に於いても祭られた同じ戦争の神として、メシカ族の祖先神ウィツィロポチトリと同一視されていた為。
─ 続 く ─
>> 382
─ 続 き ─
大英博物館に、テスカトリポカ
を表したと考えられる人間の頭蓋骨を基材にした黒曜石と翡翠のモザイクのマスクが所属されている。
マスクは1400年から1521年の間に制作されたと見られる。
1860年代にヘンリー・クリスティによって大英博物館に寄付された。
モザイクのはめ石はターコイズ
と亜炭で作られ、その👀は🐚のリングと黄鉄鉱で出来ている。
それらは30歳代と見られる人間の頭蓋骨の上に直接配置された。
歯は頭蓋骨そのままのものだが、上前歯4本が無くなっている。
頭蓋骨の後ろの部分は切断され、革が張られていた。
頭蓋骨と顎の部分は革で繋がれており、動かす事が出来る。
大きさは高さ19.5㎝、幅12.5㎝である。
恐らく着用者の腰の部分に付けられたと思われる。
マスクの発見場所は知られていないが、高位の神官か皇帝自身が使用したと考えられている。
📝 神話に於ける
テスカトリポカ 📝
アステカ創造神話の一つに、テスカトリポカとケツァルコアトルが力を合わせて世界を創造したと言う伝説がある。
創世が行われる前には、2神の前には🌊しかなく、Cipactli(シパクトリ、ワニ
の女神)と呼ばれる大地の怪物がいた。
怪物を引き付ける為にテスカトリポカは自らの足を餌にし、怪物はその足を食らった。
2神は怪物を捕らえ、その身体から大地を作った。
その後、人間が創造され、人々はシパクトリの苦痛を慰める為生贄を捧げる事になった。
この伝説によって、テスカトリポカは片足が無い姿で表される。
一方で他の創世神話に於いて、テスカトリポカが☀として世界を支配する事になったが、ケツァルコアトルは宇宙を敵に支配される事に我慢出来ず、テスカトリポカを打ちのめし空から追いやった。
怒ったテスカトリポカはジャガー
に姿を変え、世界を滅ぼした。
ケツァルコアトルは☀の座をテスカトリポカと替わり、世界の2番目の時代を開始する。
テスカトリポカはケツァルコアトルを打ち倒し、テスカトリポカの送った強風は世界を荒廃させ、生き残った人間は🐵に変身させられた。
─ 続 く ─
💜 テペヨロトル 💜
テペヨロトル(Tepeyollotl、
テペヨリョトル又テペヨリョトリ
(Tepeyollotli))は、アステカ神話に伝わる神。
🌠の神々の九柱の内の八番目で、その名は「山の心臓」を意味する。
地震、山彦、及びジャガー
の神で、☀に向かって跳ねるジャガーで現される。
テスカトリポカと同一視される。
❤ トナティウ ❤
トナティウ(Tomatiuh)は、アステカ神話に於ける☀神。
好戦的な戦神の側面を併せ持ち、当時のアステカの民は、捕虜をしばしばこの神への生け贄として捧げていた。
トナティウはこの世に5番目に誕生した☀とされている。
❤ トラウィスカル
パンテクートリ ❤
トラウィスカルパンテクートリ
(Tlahuizcalpantecuhtli
Tlahuiyxcalpantecuhtli
Tlahuizcalpantecutli)
は、アステカ神話に伝わる破壊神。
明けの明星(金星)の擬人化で、その名は「曙の主」
を意味する。
激しく燃え盛る槍(光線)
を投げ付ける姿で現される。
古代アステカでは、金星からの✨はからゆる災いをもたらすものとされ、金星の運行が熱心に研究されていた。
ある絵文書には、100年以上にも及ぶ天体の運行予測が記されていると言う。
かつて☀神トナティウが誕生した時、トナティウは神々に生け贄を求めた。
その事に腹を立てたトラウィスカルパンテクートリは、☀に向かって槍を放った。
しかし、☀に槍を跳ね返され、自身の頭に刺さってしまう。
その瞬間からイツラコリウキになってしまったと言う。
ケツァルコアトルの化身ともされる。
💛 トラソルテオトル 💛
トラソルテオトル(Tlazolteotl)は、アステカ神話に伝わる大地と愛欲を司る女神。
又、コアトリクエ等と並んで地母神としての性格も持つ。
その名は「不浄の女神」を意味し、🌽の女神達の母とも呼ばれる。
トラソルテオトルは、彼女に罪を告白した人々の死に際に彼等の元を訪れる。
そして、彼女はその者達の「不浄(罪)」を食べると言われる。
テスカトリポカに連なる者ともされている。
💙 トラロック 💙
トラロック(Tlaloc)はメソアメリカ
文明の宗教で広く信仰された、☔と⚡(稲妻)の神。
ヌウアルピリ(Nuhualpilli)とも呼ばれる。
トラロックは🌋の中の洞窟に棲むと考えられ、大地に含まれる水とも関係が深いと考える見方もある。
トラロックが干魃と☔を司っていると信じたアステカ人が、子供を生け贄として捧げていた事から、アステカ文明で信仰されていた☔の神として有名である。
その起源は先古典期終末期、紀元前1世紀のトラパコヤ遺跡出土の土器に🐍の様な稲妻を伴った姿で描かれているのが最古とされるが、更に古くオルメカ時代まで遡る可能性を主張する研究者もいる。
テオティワカンで主神、雨神としての信仰は隆盛をきわめた。
テオティワカンに於いてトラロックは、他の神々と混同されて来たが、大きな目玉と上唇、大きな歯を特徴としている事の他に最近の研究によって💋の中にジャガーの犬歯と睡蓮を表す文様を伴うトラロックAと大きさがほぼ同じ円錐形の歯を持ちサポテカの雨神コシーホに似た二又に分かれた👅を持つトラロックBと呼ばれる姿に掛かれている事が解明されて来た。
─ 続 く ─
>> 390
テオティワカンの衰退と共にその信仰も一時弱体化した。
一方で、テオティワカン人と交易をしていたマヤ文明でも引き継がれた☔の神はチャックと呼ばれる。
チャックの長い👃に対しトラロックは大き両眼と牙が特徴的である。
トラロックは🌼の女神であるショチケツァルと結婚したが、テスカトリポカが女神を連れ去った為、マトラルクエイェと再婚。
ウィシュトシワトル
(Huixtocihuatl)と呼ばれる姉がいる。
トラロック(Tlaloc)は「トラリ(Tlalli)」から派生したとされる。
Tlalliは「Tierra(大地)」
と「Octli(🍶)」の意である事から、文字通り訳せば「大地の(創り出す)🍶」
と言う意味である。
トラロックは天から恵まれた水の神であり、川の様な「既に大地に存在する水」
の神は別に存在する(チャルチウィトリクエ)。
💚ミクトランシワトル💚
ミクトランシワトル
(Mictlantecihuatl)は、アステカ神話の女神。
最下層の冥府ミクトランの女王にして、ミクトランテクートリの妻。
別名ミクテカシワトル
(Mictecacihuatl)。
死者の骨を使って当直するとされる。
ミクトランシワトルは、「死者祭宴の議長」、「死の夫人」等の異名を持つ。
💜 ミクトラン
テクートリ 💜
アステカ神話に於いて
ミクトランテクートリ
(Mictlantecuhtli、
“ミクトランの主”と言う意味)は最下層の冥府ミクトランの王にして死の神である。
妻のミクトランシワトルと共に窓の無い🏠に住んで死者を支配している。
ミクトランテクートリは、蜘蛛、フクロウ、蝙蝠、間際、北の方角に関連付けられ、血塗れの骸骨又は歯を剥き出した人として描かれる。
彼の頭飾りはフクロウの羽と紙の旗で飾られており、人の目玉の首飾りを付けている。
♊の神ケツァルコアトルとショロトル
は新しく人間を再生させる為に前の時代の人間の骨を盗み出した。
ミクトランテクートリは追い掛け、彼等は骨を落として行ってしまった為、創造された人間も背格好もバラバラ
となった。
💛 コヨルシャウキ 💛
コヨルシャウキ(Coyolxauhqui)
は、アステカ神話の大地と🌙の神。
「黄金の鈴」と呼ばれる。
コワトリクエの娘。
ある時、コワトリクエが父親不在で妊娠した。
それを恥に思ったコヨルシャウキは、その兄弟と共に母親を殺害しようと計画する。
しかし、やがて生まれたウィツィロポチトリによって、コヨルシャウキはその兄弟達と一緒に逆に殺されてしまった。
💚 ウエウエテオトル 💚
アステカ神話に於ける🔥の神で、非常に古い神格。
名前は「年老いた神」を意味する。
大きな儀式用の香炉を頭に載せた老人の姿で描かれる。
シウテクトリと同一視される事もある。
💜ウィシュトシワトル💜
ウィシュトシワトル
(Huixtocihuatl)は、アステカ神話に於いて、人々に「塩」をもたらす女神。
字義は「発明者」。
ウィシュトシワトル、アトラトナン、シロネン、ショチケツァルの4人の女神に扮した女性は、テスカトリポカに扮する若い戦士に仕える4人の内の一人であった。
この戦士は名誉と快楽を1年間傍受した後、365日暦の6番目の暦月にある「トシュカトル(渇いたものの意)」と言う祭儀で4人と一緒に生贄にされる運命であった。
365日暦の8番目の暦月にはウィシュトシワトルを祀る「テクイルウィントリ(神々の小さな祝祭の意)」と言う祭儀があった。
❤ イツパパロトル ❤
イツパパロトル(Itzpapalotl)
は、癒しと祝祭とゲームの神。
メソアメリカホップに位置する砂漠に住んでいたチチメカ人の主神で大地の神。
アステカの神体系に取り込まれた。
名前は「黒曜石の蝶」を意味する。
アステカの20ある暦日(センポワリ)の16番目「コスカクアウートリ(ハゲ鷹)」を司る。
ミシュコアトルの母親とされる。
ジャガーの鉤爪を持って描かれる時は、「暗黒の精霊」ツィツィミメの一人としての姿である。
💛マクイルショチトル💛
マクイルショチトル
(Macuilxochitl)は、音楽と踊りの神。
メキシコ中央部、アステカの快楽の神々の一人で、南を守護する五人の精霊の一柱。
名前は「五の花」を意味する。
アウィアトル、アウィアテオトルとも呼ばれ、ゲーム一般の守護神で、古代のボードゲームである「パトリ(現代のインド双六に似ている)」やゲームに関する祝祭全般を司る。
特に神聖な球戯(ナワトル語
でトラチトリ、マヤ語ではポク・タ
・ポク)と関連があった。
一般に、マクウィルショチトル、イシュトリルトン、ショチピリの3兄弟は、健康・快楽・幸福の三つの要素を体現するが、マクウィルショチトルは過剰な快楽と言う側面をより強調していたこの点において、アウィアテオトルと言う名称と特に結び付いている。
💙 マヤウェル 💙
マヤウェル(Mayahuel)は
リュウゼツランの女神、パテカトル
の妻。
アステカに於いてマゲイないしリュウゼツラン(アガペ・アメリカーナ)、又それから醸造されるプルケ酒の女神。
センツォントトチティン(酩酊する無数の神々)の「母親」。
センツォントトチティンを養う為に400の乳房を持つと考えられていた。
配偶神のパテカトルと共に「過剰な飲酒」を司る。
アステカの20ある暦日(センポワリ)の8番目の、トチトリ(ウナギ)の日の守護神であり、セ・トチトリ(1のウナギ
)の文字で表現される。
📓 神 話 📓
神話によると、🌽を始めとする食用植物を地上にもたらした神々が、その後に自分達を人間が称えたり踊ったり歌ったりする為の(又人間の快楽の為の)何かが必要だと考えた。
そこでケツァルコアトルはエヘカトル
の姿となって、若く美しい処女マヤウェルに、「始祖母」ツィツィミミトルに監視された空の住み家を離れて、自分と地上に降りて欲しいと口説いた。
二人は恋仲となり、抱き合って2本の絡まり合った枝を持つ木となった。
こうして結ばれた二人に激怒し、ツィツィミトルは木を二つに引き裂き、マヤウェル
の枝を壊し、その破片を手下の精霊ツィツィミメに食べさせてしまった。
無事だったエヘカトルはやがて元の姿(ケツァルコアトル)に戻ると、マヤウェルの骨を拾い集めて畑に植えた。
これが成長してマゲイになり、プルケ酒が造れる様になったのだと言う。
❤ パテカトル ❤
パテカトル(Patecatl)は、🍶の神、💊の神。
アステカの神で、メソアメリカ数多く存在するプルケ(マゲイの🍶)の神。
「酩酊する神々」
センツォントトチティンの象徴的な父親で、配偶神であるマヤウェルはセンツォントトチティンの象徴的な母親であり、センツォントトチティンの神々が養う為の400の乳房を持つ。
飲酒と酩酊の神であり、マゲイ(リュウゼツラン)の発酵した液体をプルケに変えたのがパテカトルとされている。
プルケは神々を祀る為に好んで大量に消費され、魔術的な力があると考えられていた。
アステカの20ある暦日(センポワリ)の12番目であるマリナリ(草)を司り、💊と治療の神でもあった。
治癒の神として薬草やペヨーテ及びその他の🍄を含む麻薬性植物と関連している。
💛 テクシステカトル 💛
テクシステカトル(Tecciztecatl)
は、古き🌙の神。
メソアメリカ中央部の汎的な「老いた🌙の神」。
男女両方の姿を持ち、豊穣の神であり、男の姿をする場合は🌙の象徴である白い貝殻を背中に背負った老人として表された。
アステカに於いて、5番目のの☀の世界、つまり現在の世界に於ける🌙を司る神。
本来、第五の☀になるのはテクシステカトルの役目だったが、その為には神々が起こした🔥に飛び込まなければいけなかった。
傲慢で強靭かつ頑固な神であったはずのテクシステカトルもこの時だけは尻込みして飛び込もうとしなかったが、テクシステカトルの♊の兄弟で、何時もは謙虚なひ弱なナナウアツィンが先に飛び込んだ。
これに恥じてテクシステカトルも続いて🔥に飛び込んだ。
こうしてナナウアツィンは☀に、テクシステカトルは🌙になった。
最初🌙は☀に負けない程明るかったが、神々の一人が🌙の顔に🐰(トチトリ)を投げ付けたので暗くなってしまったと言う。
従ってアステカでは🌙のクレーターは🐰の輪郭に見えると説明されていた。
💚 ト シ 💚
トシ(Toci)は、大地の女神。
呼称は我々の祖母を意味する。
古い地母神で、元来はワステカ(メソアメリカ北東部のメキシコ湾岸北部沿いに住んでいた民族)起源の女神だったとされている。
重要なアステカの神の一人で、神々の母テテオインナンと関係があり、時にはトラリルヨロ
(Tlallilyollo「大地の心臓」)とも呼ばれた。
収穫祭であるオチュパニストリ
で祀られた神である。
地母神としてのトシは、一方で助産婦と治療者の守護女神でもあり、メソアメリカ
のテメスカル(サウナの意)とも関わりがあった。
トラソルテオトル=トラエルクアニとも明白な関係があり、この女神のいでたち同様、しばしば黒い反転のある顔と綿の糸巻きを頭飾りにした姿で描かれた。
❤ シウテクトリ ❤
シウテクトリ(Xiuhtecuhtli)は、死の中の生命を司る神。
メソアメリカに於ける初期の神。
ウエウエテオトルと同一視される。
名前はアステカの言葉で「老いた者(長老)」ないし「老いた🔥の神」を指す。
その起源は、メキシコ盆地の先古典期(前2500年-前300年頃)文化ないし、湾岸地域に居たオルメカ人達の、例えば“第❓神”にあたると考えられている。
又、オトミ族(メキシコ盆地の北方から西方の地域に住むチチメカ紀元の人々)の間ではオトンテクートリないしショコトル
と呼ばれていた。
通常老人の姿で登場し、シワの深い皮膚や歯の無い💋を持ち、香炉を頭上に載せている。
又アステカのセンポワリ(暦日)の9番目のであるアトル(水)の守護神であり、「昼の神々」トナルテウクティンと「夜の神々」ヨワルテウクティンの一番目でもある。
アステカの18ある歴月(ベインテーナ)の最初の🌙「イスカリ(復活の意)」に祀られるのはシウテクトリである。
数字の「3」と関連し、メソアメリカの伝統的な日常道具である火鉢石の象徴である。
配偶神は🔥の🐍シウコアトルである。
─ 続 く ─
>> 414
─ 続 き ─
シウテクトリはまた、古くから世界に存在する巨大な柱だとも考えられていた。
その🔥は、ミクトラン(「我々の下にある場所」=自然死した者が行く地下世界の国)から始まり、トパン
(「我々の上にあるもの」=
神々の住む天界、ミクトラン(
地下)、トラルティクパケ(地上)
に対応するところの天上の事)にまで至ったと言う。
全ての家々の🔥が消され、新しい🔥が灯されるトシウモルピリア(「年を束ねる」
の意。現在の☀の存続を保証する為の盛大な再生儀式で52年毎に行われる)を統括したのは他でもないシウテクトリであり、大地に吸収された死者の魂を助けたのも、この神であったとされる。
💙 ショチピルリ 💙
ショチピルリ(Xochipilli)は、花の神、狩猟の神、祝祭と若い🌽の神。
メソアメリカ中央部の善神。
名前は「花の王」を意味する。
花の魂として、また夏の象徴として、若々しいトナティウの姿をとる。
若い☀神ピルツィンテクートリの恵み深く優しい側面を表すと言う。
ピルツィンテクートリと共にアステカ
の🌠の9つの⏰を表すヨワルテウクティンの3番目であり、又アステカの暦日(センポワリ)
の11日目であるオソマトリ(🐵)を司る。
又、センテオトルとも関係あり
、「センテオトル=ショチピルリ」(🌽=
花の王)の姿をとると、
トナルテウクティン(昼の神々)の7番目となる。
この神は外皮を剥ぎ取られた花で象徴される霊魂であり、赤ら顔の人物の姿をとる精霊としても表現される。
🌽(メイズ)の収穫を保証するセンテオトル=ショチピルリに対して人々を熱心に信仰した。
又、アステカの官能の神アウィアテオトルは彼の化身である。
─ 続 く ─
>> 417
─ 続 き ─
ショチピルリは兄弟であるイシュトリルトンやマクウィルショチトルと共に、健康と快楽と幸福を司る三柱を構成する。
ショチピルリがアステカの暦日(センポワリ)のうち11番目のオソマトリ(🐵)を司るのは、こう言った男性的な豊かさを象徴する事に関係していると考えられる。
ショチピルリや他の同類の神々を崇める儀式や祝祭では、大量のプルケ酒(リュウゼツランの一種から作られるアルコール飲料)が消費されたと言う。
更に、ショチピルリはその配偶神、或いは姉妹とされるショチケツアルと共にメキシコ盆地南部と西部の湖、特にショチミルコのチナンパ(湖の区切り泥を中に貯めた田んぼ)住民に人気があり、その神像は花や蝶等で飾り立てられた。
恐らく、古い先古典期から古典期にかけて汎🇺的に崇拝されていた神、つまり古典期の都市ティオワカン
で取り分け信仰され、肥満神として知られた神にとって代わったものだと考えられる。
これはサポテカではキアヘラガヨ
に相当する。
📓 ウガリット神話 📓
ウガリット神話は、シリアの地中海岸にあった古代都市ウガリットに保存さるていた粘土板文書に記されていた神話である。
内容は、同じセム系神話として旧約聖書等ととも共通する物が多い。
特に重要視されているのは、英雄神バアルの戦いと死、そして再生を描いたものである。
💜 アーシラト 💜
アーシラト(a rt)とは、ウガリット神話等に登場する西アジアの女神。
神々の女王とされる。
ウガリットに於いては最高神エールの妻であり、神々の母とされる。
アーシラトとは🌊を行く貴婦
人(rbt a rt ym)の略称で、神話には実際に彼女が海辺に暮らしている事が語られている。
別の呼称として神々の生みの親(qnyt ilm 直訳すると『神々の創造神』)
がある。
又イラト(ilt)とも呼ばれるが、これは本来「エール」の女性形で、普通名詞としては「女神」の意味。
しかし、女神の中の女神としてのアーシラトを指す言葉として、固有名詞的に用いられる。
又、このイラトと言う名はアラビアの女神アッラートの名と語源を同じくする。
旧約聖書にも異教の偶像神として登場し、ヘブライ
語形アシェラの名で現れる。
カナンでは豊穣神バアルの妻とされ、豊穣の女神として崇められた。
ヘブライ人達は当初この女
神を敵視したが
(出エジプト記第34章第13
節)、カナンの地に入植すると自らも崇め始め(士師記第3章第7節他)、聖なる高台と呼ばれるカナン式の礼拝所で祀った。
─ 続 く ─
❤ アスタルト ❤
アスタルトは、地中海世界各地で広く崇められたセム系の豊穣多産の女神。
崇拝地はビュブロス(Byblos
、現在のレバノン)等が知られる。
メソポタミア神話のイナンナ、
イシュタル、ギリシア神話の
アプロディテ等と起源を同じくする女神と考えられ、又、周辺地域の様々な女神と習合している。
📝 ウガリットに於ける
アスタルト 📝
ウガリット神話ではバアルの御名とも呼ばれ、同じくバアルの陪神である女神アナトと共に、バアルと密接不可分な陪神とされる。
しかし、神話では重要なヒロインであるアナトに対し、アスタルトは殆ど活躍しない。
アナトが麗しいと賛美される一方、アスタルトは愛らしいと賛美される。
イナンナ等が持っていた「愛と残酷の女神」の面はむしろアナトに受け継がれている。
この為、アスタルトとアナトは同一神の別の呼称に過ぎないとする説を唱える者もいる。
又、最高神エールの妻、或いはバアルの妻とする説もある。
📝 カナン地域に於ける
アシュトレト 📝
この女神はカナン等でも崇められており、旧約聖書にも、主要な異教の神としてヘブライ語形アシュトレトの名でしばしば登場する。
因みにこの女神の本来のヘブライ語名はアシュテレトである。
アシュテレトとはこれに「恥」を意味するヘブライ語ボシェトの母音を読み込んだ蔑称である。
宗教的に中立とは言い難い呼称だが、以下本節では聖書の記述に従いこう表記する。
アシュトレトの複数形アシュタロトは又、異教の女神を指す普通名詞として用いられた。
又、旧約聖書には地名としても出て来る(『申命記』第1章第4節他)。
この地域に於いてもウガリットと同様に軍神的性格は後退し、専ら豊穣・繁殖の神として崇められた。
この地域で出土するふくよかな体型の女神像の少なくとも一部はアシュトレトであると考えられる。
─ 続 く ─
>> 426
─ 続 く ─
豊穣神としてのアシュトレトは特にこの地域の農民にとって極めて魅力的であり、同じく豊穣神であるバアルと共に極めて熱心に崇拝された。
この地域に入植したヘブライ人達にとってもバアルやアシュトレトは魅力的であり、ヤハウェ信仰の脅威となる程の崇拝を受けた(『士師記』第2章第13節)。
又、旧約聖書『列王記』上第11章第5節には、晩年のソロモン王が妻達の勧めにより、アシュトレトを始めとする異教の神々を崇めた事が記され、この頃には為政者側に迄異教の神々への信仰が浸透していた事が解る。
それ以後もイスラエル王国の多くの王達はその信仰を容認した為、ユダヤ教聖職者から激しく攻撃された。
又、『エレミヤ書』に登場する女神天の王女も、彼女の呼称の一つと考えられている。
この旧約聖書に於けるアシュトレトが、後にヨーロッパのグリモワールに於いて👿・アスタロトとされた。
📝 エジプトに於ける
アースティルティト 📝
一方エジプト神話に取り入れられた際には軍神としての性格を残している。
古代エジプト語ではアースティルティト('tirtit)と呼ばれ、戦車に乗り、盾と槍等で武装し、二枚の羽で飾った上エジプト👑(白くて尖った形の👑)を被った女戦士の姿で表される。
系譜としてはプタハの娘とされ、特にプタハの聖地メンフィスで崇められた。
又、アナトと共に(バアルと習合した)セトの妻とされる。
又、軍馬の守護神とされる。
これはエジプトに元々🐎に乗ったり🐎の牽く戦車を使う習慣が無かった為で、彼女が外国由来の神である事を示す。
その信仰はエジプト第18王朝頃から始まったと考えられている。
この頃に記された神話『アスタルテ・パピルス』によると、彼女はエジプトの神々に再三貢ぎ物を要求する海神ヤム・ナハルと交渉したと言う。
アースティルティトはこれによってヤムの好意を得るものの、今度はヤムは彼女自身を引き渡す様にプタハに要求する。
結局神々は彼女の代わりに更に多くの貢ぎ物を捧げる事になったと言う。
つまりこの神話ではバアル
ではなくヤムが天と地の支配者となっている。
❤ アナト ❤
アナト('anatu)はウガリット神話の愛と戦いの女神。
嵐と慈雨の神バアルの妹とも妻とも言われる。
数々の戦いで多くの敵を殺した非常に好戦的な女神であり、ある時には腰まで血の海で浸される程の多くの人間を殺して回り、死者の頭や手を自分の腰に着けたと言う。
その一方で処女(btlt)の称号でも呼ばれており、バアルの姉妹の中で一番美しいとされ、兄バアルへの従順さと熱愛でも知られる二面性のある女神である。
こうした二面性のある性格から、同じく愛と戦いの女神であるメソポタミア神話のイナンナ/イシュタルと起源を同じくすると考えられており、同じくバアルの陪神であり語源的にその名をイシュタルと同じくするアスタルト
と同一視する説もある。
兄であるバアルを熱愛し、彼が「自分には専用の神殿が無い」と嘆いた際には、最高神エールの元に赴き、頭蓋を叩き割ると恫喝までして神殿を要求している。
実際にはこれは失敗しており、後にエールの妻アーシラト
に贈り物をして、神殿建設の願いを叶える。
─ 続 く ─
💛 エール 💛
エール('l、エルとも音写)はセム語派に於いて最も普通に用いられる神を指す言葉。
尚、エールはヘブライ語形で、
アラビア語形ではイラーフ
(il h)、ウガリット語形や
アッカド語形でイル(il)等と言う。
この名は恐らく「強くある」と言う意味の語根「' wl」に由来すると考えられている。
又、この言葉は普通名詞として「神」を指す他、神の中の神である最高神の名称として固有名詞的にも用いられる。
ウガリット神話の最高神イルや古代アラブの最高神アッラーフ
がこれに相当する。
ウガリット神話では、最高神イルはアーシラトやアスタルトの夫であらゆる神々の父と呼ばれ、最高神にして創造神である。
一般には、王権を象徴する角の付いた👑を頂き玉座に座った男性の姿で表される。
彼はまた神々の会議を招集し議長を務め、また神々の王を指名しまた自由に罷免する権限を持つ。
しかし年老いた神ともされ、事実上の主神はむしろバアルである。
そのせいか、神話に於いてイルはバアルには冷淡で、彼の敵対者であるヤム・ナハル
やモートを神々の王として擁立した。
─ 続 く ─
─ 続 き ─
旧約聖書にも
エール・エルヨーン(いと高き者)、
エール・オーラーム(永遠の神)等の名が現れるが、実際には殆どヤハウェの異名として用いられている。
イスラム教以前の所謂ジャーヒリーヤ時代のアッラーフは、カアバ神殿に祭祀されていた360の神々の最高神であり、特に緊急時の救済を司る神として崇められていた。
又、アッラート、マナート、アル・ウッザーと言う三女神の父とされていた。
💙 シャプシュ 💙
シャプシュ(?p?)はウガリット神話に登場する☀神。
女神とされる。
彼女は、天空を行き世界の全てを照覧する神であり、特に神話では物語の重要な転換点に現れて神々に助言をし、物語の進行を促す役割を演じる。
『バアルとアナト』の神話では、常にバアルの味方である数少ない神の一人である。
アナトの懇願を聞き届けて殺されたバアルの体を探し出した。
そしてバアルが復活してのち、バアルとの争いを続け様としたモートに「これ以上戦うつもりならイルが貴方から王権を取り上げるだろう」と脅迫。
モートはこれに恐れをなし、自主的にバアルにも王権を認める発言をして、手を引いた。
💚 バアル 💚
バアル(ウガリット語形b‘l
[ba‘alu])とは、カナン地域を中心に各所で崇められた🌀と慈雨の神。
その名はセム語で「主」を意味する。
「バール」「ベール」の表記も。
元々はハッド(hd[haddu])
と言う名であった。
この名は恐らく雷鳴の擬音と考えられる。
しかし、ハッドが主神即ちバアルと呼ばれ崇められているうちに、その呼称が固有名詞化し、後には専らバアルと呼ばれる様になった。
本来、カナン人の高位の神だったが、その信仰は周辺に広まり、旧約聖書の列王記下等にもその名がある。
又、エジプト神話にも取り入れられ同じ🌀の神のセト
と同一視された。
フェニキアやその植民地カルタゴ
の最高神モロクをバアル・ハラモン
と結び付ける説もある。
更にギリシアでもバアル
(Βαλ)の名で崇められた。
📝 ウガリット神話に
於けるバアル 📝
ウガリット神話では最高神イル
と全ての神々の母アーシラト
又はアスタルトの息子と呼ばれる。
又、ダゴンの子バアル
(b‘l bn dgn)とも呼ばれる。
勝利の女神アナトの兄にして夫。
又、アスタルトを妻とする解釈もある。
彫像等では、右手で矛を振りかざし、左手に稲妻を握る戦士の姿で表される。
豊穣神として崇められ、竜神ヤム・ナハルや死の神モート
の敵対者とされる。
ヤムとの戦いは彼が荒々しい自然界の水を征する利水・治水の神である事を象徴し、モートとの戦いは彼が慈雨によって実りをもたらし、命を養う糧を与える神である事を象徴する。
📝聖書に於けるバアル📝
旧約聖書の列王記では、
予言者エリヤがバアル
(バアルゼブル→ベルゼブブ。
語呂が似ていた為にわざとこう呼ばれた。これにより蝿の王となる)の予言者と争い、神の偉力を持ってバアル信者を打ち滅ばした事が書かれている。
又、人身供犠を求める偶像神として否定的に描かれ、「異教の男神」一般を広く指す普通名詞としてバアルの名が使われてる場合もある。
📝 グリモワールに
於けるバアル 📝
バアルは旧約聖書に現れる異教の神として👿学でも重視される。
ソロモンの小さな🔑ではバエル
(Bael)の名で現れる。
ソロモン72柱の魔神の1柱で、東方を支配する魔王アマイモン第一の配下にして、66の軍団を率いる序列1番の大いなる王で剣術の達人とされる。
🐸、😺、そして👑を被った人間の頭を持った蜘蛛の姿で現れ、しわがれた声で話す。
そして自分を呼び出した者に様々な事に関する力、必要であれば体を透明に出来る力を与えると言う。
又、一説にはあらゆる秘術の創造主で、本や書物に力を与えるとされている。
💜 モート 💜
モート(神話)(mt[motu])は、ウガリット神話に登場する🔥と死と乾季の神。
その名は文字通り『死』を意味する。
豊穣神バアルの兄弟にして、敵対者でもある。
モートとバアルの戦いは、雨季と乾季の入れ代わり、季節の移り変わりを象徴したものとされる。
彼の肉体は冥界そのものであり、その💋は天から地までを覆う冥府の門であり、全ての生き物はその💋を逃れられない。
更に神であるバアルでさえ彼には常には勝てず、乾期の間はその腹の中で屈辱に耐えると言う。
❤ ヤム・ナハル ❤
ヤム・ナハル
(ym nhr[yammu naharu])
はウガリット神話に登場する水神。
竜神とも考えられている。
「ヤム」とは本来ウガリット語で
「🌊」、「ナハル」は「川」を意味し、水害等を引き起こす荒ぶる水を神格化したものである。
ウガリットの神話文書では「王子たる海」(ym zbl)、
「裁き手たる川」( p nhr)
の対句で表現される。
又、「最高神イルの愛し子」
(mdd il)、「ヤウ」(yw[yawu
])等の異名を持つ。
この「ヤウ」と言う言葉の意味は定かでは無いが、ヘブライ人の神ヤハウェの名の略称「ヤー」と似ている事から、両者の間に何らかの関連があるとする説もある。
彼は、原初の混沌(カオス)
の神でもあり、荒れ狂う🌊の激しさのパワーを現す禍の神である。
7頭の🐲リタン(lth[l-t-nu]
聖書のレビヤタン)はヤムと密接に関連しており、🐍(b n[ba-a-nu])、🐲(tnn[tu
-un-na-nu])と言う語はリタンに付いて説明するのに頻繁に使用されている。
その為、ヤムとリタン(🐍、🐲)は同一の存在とも解釈される。
💛 ラシャプ 💛
ラシャプ(Rassap)は、西セム
系民族に伝わる疫病の神。
その名は「🔥をつける者、照らす者」を意味する。
別名レシェフ(Reseph)。
弓矢や死を司り、稲妻と悪疫をばら撒く為、「矢の王」の異名を持つ。
先の尖った👒を被り、斧又は棍棒と盾を振り回した姿で現される事が多い。
非常に凶暴な神であり、アナトの夫とされる事もあった。
ラシャプ信仰は広く、ウガリット・カナンは勿論、フェニキア、古代エジプト、キプロスでも信仰された。
人々はラシャプを祭る事により、逆に病を退けようとしたと言う。
ラシャプはその信仰の広さから、他の宗教に組み込まれる事も多い。
例えば古代メソポタミアでは、ネルガルやナムタルに結び付けられた。
古代エジプトではレシェフと呼ばれ、善なる軍神として崇拝された。
キプロスではアポロンと同一視されたと言う。
別名であるレシェフと言う単語は旧約聖書にも見られ、歴代名としても出て来る。
岩波文庫収録のヨブ記の日本語訳を行なった関根正雄はヨブ記5章7節にある「レシェフ」を他の言葉に置き換えずにそのまま訳出し、巻末の註釈に於いて上述の異教神として解説を加えている。
尚、新共同訳聖書だとこの部分は「火花」と訳されている。
📓 エジプト神話 📓
エジプト神話は、キリスト教とイスラム教が広まる以前にエジプト(古代エジプト)の人々によって信仰されて来た神々の体系、宗教を指す。
但し、古代エジプト人の信仰は、おおよそ3000年に渡った長い期間に、またその間に何度も変容を繰り返して来たので、一つの記事(それどころか、ある本を丸ごと一冊)使っても、概要以上を示す事は出来ないのが実情である。
一般にはヘリオポリスで信仰されていたヘリオポリス神話を基にして語られる事が多い。
📝エジプト九柱の神々📝
エジプト九柱の神々
(Enneadギリシア語で9の意味)は、エジプト神話の中のヘリオポリス創世神話に関わる九柱の神と女神。
ヘリオポリス九柱神、エネアドとも。
エネアド(Ennead)は、これ等の神々の集会を表記するにも用いられる。
📝 一 覧 📝
🔍アトゥム(Atum)
創造神、シューとテフヌトの父
🔍シュー(Shu)
ゲブとヌトの父
🔍テフヌト(Tefnut)
ゲブとヌトの母
🔍ゲブ(Geb)
オシリス・イシス・セト・ネフティスの父
🔍ヌト(Nuit)
オシリス・イシス・セト・ネフティスの母
🔍オシリス(Osiris)
🔍イシス(Isis)
🔍セト(Set)
🔍ネフティス(Nephtys)
一部、ラー、トト、
大ホルス、アメン・ラー
ホルス等が入れ替わる場合もある。
(。・・。)💬 個別の詳細は
後程✏します。
📝 信仰:神殿 📝
エジプトでは各地に神殿が建てられて神々が崇拝されていた。
神々の序列は地方によって異なり、ヘリオポリスに於いてはラー=アトゥムが主神として信仰されていたが、地方によってはプタハ等、別の神を人類創造の主神として崇めていた地域もあった。
その為各地方で各々の地域で信仰する神の社が建造された。
ファラオがエジプト神話に於いては重要な役割を占めておりホルスの跡継ぎと位置付けられていた為、国家によっても多くの神殿が建てられた。
その代表格と言えるのがアブシンベル神殿である。
📝 信仰:世界(創造) 📝
エジプトに於ける天地創造はやはり地域差があって一概に言えないが、ヘリオポリス神話に於いては広い海原からラー(アトゥム)が誕生し、独力で神々と世界を形作っていたとされている(創造神話)。
ヘルモポリスでは八位一体の虚無を表す神々(オグドアド)が世界創生の中心的役割を担った。
メンフィス周辺ではプタハが天地創造の主導的役割を果たし、彼は言葉と思念によって世界のあらゆる物を作り出したとされる。
エレファンティンではクヌムが主神として世界を形作った。
クヌムは粘土から人間を作り出した神として知られる。
この様に、天地創造の神話も地方毎に異なる。
📝信仰:世界(世界観)📝
エジプトに於いて天はヌトと言う女神であり、地はゲブと言う男神であった。
両者は夫婦であり、最初は隙間無くくっついていたが、父たるシュウ(湿気)
とテフヌト(空気)によって引き離されて現在の姿になったと言う。
ゲブはヌトに少しでも近づこうと山々を作り出したとされる。
古代エジプト人にとって地は平面であり、ナイル川によって分断された二つの大地と🌊により出来ていると考えられていた。
地の底には冥界があり、ラーは🌠ここを通って再び地上に現れるとされた。
📝 信仰:世界
(ナイル川) 📝
エジプト人の世界に於いてナイル川は重要な役割を果たした。
その為、神話でも多く登場する舞台の一つとなっている。
例えばオシリスがセトに騙されて棺に封じ込められた後、ナイルに流されたと言う説話がある。
ナイル川の洪水は“ヌビアの女主人”であるサテトによって起こされると信じられていた。
その為彼女はエジプトで崇敬の対象となった。
ナイル川の増水とシリウスの運行に一定の関連がある事が知られており、シリウス
(ソプテト)も神としての尊敬を受けた。
シリウスはイシスの魂と呼ばれており、この様なナイル川への関連性からサテトとソプテトは後に習合されるに至った。
📝 信仰:死後の世界 📝
エジプト神話に於いて、人間は肉体、バー(Ba,云わば魂)、カー(Ka,云わば魄)
の3つの要素から成り立っていた。
人が死ぬとバーは肉体から離れ冥界へ行くが、肉体がそのままであればカー
がバーと肉体の仲立ちをして再び此岸に戻ってくる事が出来るとされた。
その為肉体の保存が必要になり、ミイラ作りが盛んに行われた。
因みにバーは、人間の頭をした鷹の姿で現される。
💙 アトゥム 💙
アトゥム(Atum)はエジプト神話の男神。
アトム(Atom)、アテム(Atem)、
トゥム(Tum)、テム(Temu)とも。
原初の丘ヌンより出し、ヘリオポリス神学に於ける天地創造の神。
エジプト九柱の神々の筆頭格。
最初の独り神であった為自慰によって大気の神シューと湿気の神テフヌトを生み、更にこの2神から大地の神ゲブと天空の女神ヌトが生まれ天地が創造されたとされる。
後には☀神ラーと習合してラー・アトゥム神となる。
💚 アテン 💚
アテン(Aten)は、エジプトの☀神。
人間的形態である他のエジプトの神々とは異なり、先端が手の形状を取る☀光線を何本も放ち、光線の一つに生命の象徴アンクを握った☀円盤の形で表現される。
初期には従来の☀神ラーと同一視されるが、その後神性は薄れ、天体としての☀を表す様になった。
ツタンカーメンの父でもある、アメンホテプ4世が特に崇拝した。
アメンホテプ4世の治世に於いて、アメン信仰は全盛期を迎える。
だが、アメンを讃えていたエジプトの神官達がファラオをも凌ぐ権勢を誇った為に、王権を強化する目的でアメンホテプ4世はアマルナ宗教改革を断行した。
妻ネフェルティティの影響もありアテンを唯一神とし、自分の名も『アクエンアテン』に改めた。
しかし他の神々の祭祀を停止したりアメンの文字を削ったりする等、その改革があまりにも急激だった上に神官団の抵抗が激しく、最終的に宗教改革は失敗に終わる。
アメンホテプ4世アクエンアテンが失意のうちに亡くなった後、ツタンカーメン王の時代にアメン
信仰に戻り、アテン信仰は消滅した。
同時にアテンは、アマルナ改革以前の天体としての扱いに戻された。
─ 続 く ─
💜 アヌビス 💜
アヌビス(Anubis)はエジプト
神話に登場する冥界の神。
アヌビスと言う名前はギリシャ
人によるものであり、当時のエジプトでは「インプゥ
(Inpw)」と呼ばれていた。
リコポリスの守護神。
エジプトの中でも比較的に古い時期から崇拝されていた神で死者の神であり、🐶又はジャッカルの頭部を持つ半獣もしくはジャッカル
そのものの姿で描かれた。
これは古代エジプトに於いて、死肉を求めて墓場の周囲を徘徊する🐶又はジャッカルが死者を守っていると考えられたからである。
又、そもそもアヌビスはセト
のモデルとなった動物と同じく、ジャッカルや🐶と似てはいるが現在は絶滅してしまった別の🐶科の動物や全くの想像上の動物であるとする説もある。
その身体はミイラ製造時に防腐処理の為に遺体にタールをに塗り込み黒くなるのに関連して真っ黒だった。
アヌビスはセトの妻にして妹であるネフティス(この女神も死者やミイラとの関連が深い)が兄のオシリスとの不倫によって身籠った子で、セトが敵視していたオシリスの子であるから誕生後は直ぐにネフティスによって葦の茂みに隠された。
─ 続 く ─
>> 454
─ 続 き ─
オシリスがセトに殺された時はオシリスの遺体に防腐処理を施してミイラにしたとされ、その為アヌビスはミイラ作りの監督官とされ、実際にミイラを作ったり死者を冥界へと導く祝詞をあげたりする際にアヌビスの仮面を被って作業が行われた(このミイラ製造に携わる仮面を被った職人ないし神官はストゥムと呼ばれた)。
ひいては医学の神ともされている。
又、死んだ人間の魂(バー)を速やかに冥界へと運ぶ為に足がとても速いとされる。
又、オシリスが冥界の王となる以前の冥界を支配、管理しておりオシリスが冥界の王となった後も彼を補佐してラーの♎を用いて死者の罪を量る役目を担い、その様子はピラミッドの壁面等に描かれている。
❤ アーマーン ❤
アメミット(Ammit)は、古代エジプトで云われている幻獣の一種。
アーマーンともアミマッドとも言う。
冥界の転生の裁判にて、♎に掛けられた真実の羽(マアト)よりも重かった死者の心臓(バー)を貪り喰らう。
喰われた魂は二度と転生出来ない。
霊魂の不滅が信じられていた古代エジプトでは、それは永遠の破滅を意味していた。
壁面等では常に鎖に繋がれているが、それは束縛しないとこの世の全ての家畜の🍖を食べ尽くしてしまうからだと言われている。
📝 特 徴 📝
☝頭は鰐、鬣と尾と上半身は獅子、下半身はカバ。
☝性質は丈夫で、性格はかなり獰猛。
☝カバの足で立ち上がる事も出来る。しかし歩く事は出来ない。
☝最高級の🍖、🍷しか食べない。
📝アメミットのモデル📝
アメミットのモデルはそもそも大鰐であると言われている。
その証拠に古代エジプトでは、鰐を神獣として大切に飼っていたと記録が残っている。
それによれば、鰐は最高級の🍖を食べさせられ、🍷迄与え大きくさせられていて、死ぬとミイラを作ったと言う。
❤ アポピス ❤
アペプ(Apep)は、エジプト
神話に於ける悪の化身。
古代エジプト語での名は他に、アーペプ(アアペプ、Aapep)、アピペ(Apepi)、アペピ(Apipe)、アポペ(Apope)等が挙げられる。
古代エジプト語のヒエログリフ
は母音を明確に記述しない為、本来の発音ははっきりしない。
古典ギリシア語転記であるアポピス(,Apophis)でも良く知られる。
アポピスは闇と混沌を象徴し、その姿は主に大蛇として描かれる。
☀の運行を邪魔するのでラーの最大の敵とされる。
アポピスは世界が誕生する前の、ヌンに象徴される原始の水から生まれた。
元は☀神としての役割を担っていたが、それをラー
に奪われた為彼を非常に憎み、敵対する様になった。
時代が下るとその邪悪さの為にセトと同一視されたが、セトはアペプの天敵でもある。
📝 概 要 📝
元々はナイル川東岸のテーベ
(現・ルクソール)地方の大気の守護神、豊饒神である。
中王国時代第11王朝のメンチュヘテプ2世がテーベを首都としてエジプトを再統一して以来、末期王朝時代の第30王朝迄の1,700年余りに渡り、ラー神と一体化、「アメン=ラー」としてエジプトの歴史・文明の中心に位置し、エジプトの神々の主神とされた。
第12王朝の王アメン・エム・ハト、
新王国時代第18王朝の王トゥト・アンク・アメン等歴代のファラオの名にも含まれている。
エジプト最大の神殿であるカルナック神殿に祭られており、神殿の大列柱室等に見られる数々の壁面には、2枚の羽を冠した人物像として刻み込まれている。
又、牡羊として表現される事もある。
世界遺産第一号である。
アブシンベル神殿内の至聖所に座するその像は、第19
王朝のファラオであったラムセス
2世像と共に、春と秋の特定の日に1回ずつ、奥まで届く☀の✨によって照し出される様にする為に、天文学的計算に基づいた配置となっている。
📝 逸 話 📝
マケドニアのアレクサンドロス大王
は、エジプト入りを果たした紀元前332年、古代エジプトの偉大な文明にいたく感動し、自らを「アモンの息子」と称した。
又、神々の主とされる事から、ギリシア人はゼウスと、ローマ人はユピテルと同一視した。
📝 名祖・原典 📝
アンモナイト、アンモニウム塩、
アンモニア等の語源にもなっている。
アンモナイトは「Ammon(アモン神)+
-ites(…石)」から来ており、「アモンの石」の意。
他に日本語でも「アモン貝」
の異名がある。
又、アメン神を、ソロモン72柱
の1柱である👿アモン
(Aamon)の原典と見る説もある。
💚 イシス 💚
イシス(Isis)は、エジプト神話の女神。
イシスはギリシア語であり、古代エジプトではアセトと言った。
ヘリオポリス神話ではゲブとヌトの子供で、オシリスの妹であり妻、セト、ネフティスの姉でもあり九柱神の一角を担う(セトの妹とされる事もある)。
又、ホルスの母。
別の神話によるとラーの娘。
ナイル河畔のサイスに大規模な神殿があった事で知られる。
イシス信仰は、共和政末期にローマへ持ち込まれて発展し、ほぼローマ帝国全域で崇拝された。
イシスがホルスに授乳する様子等が、イエスの母・マリアへの信仰の元になったと言われる。
サイスのイシス神殿の銘文「我が面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」は真理の性格を表すものとして、ヨーロッパで好んで引用された。
ノヴァーリスの『ザイスの弟子たち』はイシス神殿の学生達を登場人物としたものである。
オシリス神話により献身的な母や妻としての印象が強いが、他の神話的物語では強力な魔術師的存在として描かれ、その力を用いて父ラーから支配権を強引に奪い取ったと言う神話も残っている。
💜 オシリス 💜
オシリス(Osiris)は、古代エジプト神話に登場する神の一柱。
イシス、ネフティス、セトの4兄弟の長兄とされる。
👑を被り、体をミイラとして包帯で巻かれて王座に座る男性の姿で描かれる。
同神話によれば、生産の神として又、エジプトの王として同国に君臨し、人々の絶対な支持を得たが、これを妬んだ弟のセトに謀殺された。
尚、この際、遺体はばらばらにされて、ナイル川に投げ込まれたが、妻であり、妹でもある、イシスによって拾い集められ、ミイラとして復活。
以後は、冥界の王としてここに君臨し、死者を裁く事となった。
その一方で、自身の遺児・ホルスをイシスを通じ後見して、セトに奪われた王位を奪還。
これをホルスに継承させる事に成功。
以降、現世はホルスが、冥界はオシリスが各々統治・君臨する事となった。
─ 続 く ─
💛 ゲ ブ 💛
ゲブ(Geb)は、
古代エジプト神話の大地の神。
ヘリオポリス神話では大気の神シューと湿気の神テフヌトの息子。
妹でもある妻、天空の神
ヌートとの間に、オシリス、イシス
セト、ネフティスを儲ける。
妻のヌートと抱き合っている所を無理矢理シューによって引き離され、天と地とが分かれたとされる。
この神話はエジプト神話の中でも特に有名で、横たわったゲブの上にシューが立ち、ヌートを支える図像は良く知られている。
💙 ケプリ 💙
ケプリ(Khepri)は、エジプト
神話に於ける☀神の一柱、もしくはラーの形態の一つであり、🌅を表す。
人間男性の体にフンコロガシ
を頭とする姿で表現される。
ころはフンコロガシが丸めた獸糞を倒立状態で押して運ぶ様が、☀の運行を象徴すると考えられた為である。
💚 セ ト 💚
セト(Set)、セトゥ(Seth)、
セテカー(Setekh)、
セティ(Setesh、Seti)、
ステカー(Sutekh)、
タイフォン(Typhon)とは、エジプト神話に登場する神。
オシリスの弟。
エジプト九柱の神々の一柱。
砂漠と異邦の神であり、キャラバンの守り神である一方で、砂嵐を引き起こしているのも彼である。
神話体系内で最も共通する添え名は『偉大なる強さ』。
荒々しさ、敵対、悪、戦争、🌀、外国の土地等をも象徴している。
ピラミッド文書の一つには、ファラオの強さはセトの強さであるとの記述がある。
サハラの民に信仰された神アシュ(Ash(god))とも関連がある。
セトはジャッカルの頭をした神であると思われているが、壁面等で表現されている彼の頭は実はツチブタのものである。
しかし全身が動物化して表現される時はさながらグレーハウンド犬の様である。
一般的に四角い両耳、先の分かれた尾、そして曲がって大きく突き出した👃を持ち、🐶、ツチブタ、ジャッカルの他、シマウマ、ロバ
、ワニ、🐷、そしてカバ等とも結び付けられている。
─ 続 く ─
>> 471
─ 続 き ─
この為、想像上の動物にわざわざ作ってセトに充てた、とする説も存在する(この様に、様々な動物を合体させて想像上の動物を作り神に充てる例は多く、他に、トエリスが挙げられる)。
神話によると☀神ラーとヌト
の間に生まれた、オシリス、
イシス、ネフティスに続く4番目の子。
王権獲得の為、母親であるヌトの産道を通らず、子宮を破って生まれ出て来たがオシリスより先に生まれる事が出来なかったとされる。
しかし、実際の父ラーではなくゲブであるとの説がある。
又、姉ネフティスを妻としたが、その息子アヌビスは兄オシリスとネフティスの不義の子であった。
🌀の神である事からウガリット神話のバアルとも同一視されアスタルト及びアナトが妻であるともされた。
当初セトは植物成長の神であるオシリスの逆として見られ、砂漠の王と言う立場になった。
又、生命を与える穏やかなOsririanナイル川とも対比され、荒れ狂う🌊にも例えられている。
更に空の神であるオシリスの子ホルスとも対比された事から、大地の事象に関連付けられた。
─ 続 く ─
>> 472
─ 続 き ─
彼の呼吸はミミズ等のゼン
虫を招くとされ、又、金属の鉱石は『セトの骨』と呼ばれた。
その類まれなる強さで暗闇と混沌を司る👿神アポピスを戦いで打ち破ったと神話に謳われた。
この様にセトは人気のあったホルスの立場を次第に取って代わり、紀元前3000
年代には特にナイル川下流部の下エジプトのファラオを後援する神として大いに崇められていた。
ところが時代を下るにつれオシリスがもっと重要な神と認知され始めた為、正反対の設定をされて来たセトは悪役の立場を背負わされ、遂には兄オシリスを殺すと言うエピソード迄が生まれた(オシリスとイシスの伝説)。
そして当然の如く親の敵討ちに乗り出すホルスの適役迄も請け負う羽目となってしまう。
こうして又新たに生まれたエピソードによると、セト
とホルスの左の👀を奪ったものの、ネイト(Neith)の強力な支援を受けたホルスは、セトの足の一つと両方の睾丸を根こそぎにし最終的に勝利した。
こうしてホルスは上下エジプトの支配者となった、と何とも哀れな末路に描かれている。
─ 続 く ─
>> 473
─ 続 き ─
殺されたセトは、オシリスの妻イシスに支配権を奪われた父ラーと共に地上の世界を去り地下世界に隠遁した。
地上には⚡の声として響くだけである。
地下世界の神としてセトは☀(ラー)を守り、🌠の間に死の世界を通過する者となった。
歴代王朝のファラオは、自身がオシリスとセト二人の最強神兄弟の相続人であり、ホルスとセト、つまりは上下エジプトの地位の合体であるとして、その権威を民衆に誇示していた。
第19王朝に入って、セトはある形で復権を果たす。
セトの名を冠したファラオが即位したのである。
セティ1世である。
「セティ」とは、「セト神による君主」と言う意味である。
又、第20王朝はセトナクト
(「セトによって勝利する」
の意味)と言う名のファラオ
が興している。
💜 セベク 💜
セベク(Sobek)は、
古代エジプトの神。
ソベクとも。
鰐又は鰐の頭を持ち、角・太陽円盤・羽を組み合わせた頭飾りを付けた男の姿で現される。
第12王朝や第13王朝の時代には特に熱心に信仰され、ソベクネフェル(ソベクは美しいの意味)やソベクホテプ
(セベクは満ち足りる)と言った王名の由来ともなっている。
後の時代にはラーと習合しソベク・ラーとなり☀神として崇拝された。
プトレマイオス朝時代にはギリシア神話のヘリオスと同一視されている。
❤ トート ❤
トート(トト、Thoth)は、古代
エジプトの神。
トート又はトトはギリシア語での名で古代エジプトではジェフティと言った。
書記と学芸の守護者で、文字(ヒエログリフ)の発明者とされる。
聖獣はトキとヒヒ。
ヘロドトスの『歴史』ではギリシアの女神アテナっ同一視され、エジプトで最も崇敬される神とされる。
多くの信仰を集めた神の為、その神話も多岐に渡り、神話によっては創造神としての性格も持つ。
同じくギリシアのヘルメス神とも同一視され、これが後に発展してヘルメス・トリスメギストスを生んだ。
又、ヘルメス思想では、エジプトの知恵はタロットに残されたと考えられた為、タロットはしばしば「トートの書」とも呼ばれた。
近・現代に於いてもトート(=ヘルメス)はオカルトで重要な存在であり、アレイスター・
クロウリーは「トートのタロット」を制作した。
又、タロットに関する論文である「トートの書」を執筆している。
但し、この本はトート神とは余り関係がない。
「大いなる導きヒヒ」と呼ばれると共に、ヒヒの姿で描かれる事もあるが、これはヒヒを聖獣とする知恵の神ヘジュウルとの習合による物である。
因みにヒヒは魔術の象徴でもある。
❤ ネフティス ❤
ネフティス(Nephthys、Neftis
、Neftys、Nepthys)は、エジプト神話に登場する女神。
エジプト名ネベトヘト(Nebet=
Het“🏰の女主人”の意味)。
🌠を司る女神。
オシリスとイシスとの妹、セトの姉と同時に妻。
セトに背いてオシリスの復活の為にイシスに協力し、死者の守護神となる。
死者の着る麻布を纏い毛髪がミイラが付ける鬘で出来ている。
セトと子供を作ろうとするが拒まれ、その代わりにオシリスを🍶で酔い潰して、彼との不倫によって身籠った。
この子供がアヌビスである。
セトには他にもアナトやアスタロト
と言った妻がいるとされる事もあり、その場合は彼女等と混同される事もある。
💛 バステト 💛
バステト(Bastet)は、
エジプト神話に登場する女神。
ラーの娘で頭が😺。
豊穣を司り、エジプトの町、ブバスティスを中心として篤く信仰され、町の近くには😺の大きな埋葬地があり、😺のミイラや彫像が大量に出土している。
しばしばセクメトと混同され、悪蛇のアポピスを退治した。
手には楽器「シストルム」と盾を持っている。
後にテフヌトと習合した。
又、別の逸話ではラーが年老いて、自分を信仰しなくなった人間に罰を与える為に自らの👀を抉って生み出したのが♂獅子神セクメトであったが、彼女は多くの民を惨殺し、流れ出た血を浴びる様に飲んでは踊り狂うと言う、あまりに苛烈な殺戮行為を繰り返した。
国の惨状を憂いた神々はラーにセクメトを止める様に進言し、ラーもそれに同意するがセクメトの激情は生みの親であるラーにも抑える事が出来なかった。
そこで神々は策を嵩じ、赤土を混ぜて血に似せた大量の🍺をセクメトに与え、酔ってしまった所をラーが彼女の「憎しみ」の感情のみを取り除いた、その結果生まれたのがバステトであるとされている。
これは、元来凶暴で、♌とその類を同じとする😺が市民と生活を共にし、🐭を退治する一種の守り神としてエジプトで親しまれていた事を示唆する物語とも考えられる。
💙 ハトホル 💙
ハトホル(Hathor)は、古代エジプト神話の愛と幸運の女神。
聖獣は牝牛。
ホルスの母で、時に妻ともされる(ハトホルと言う名の“ホル”の部分はホルスの事を表しているとされる)。
世界を生み出した天の♂🐮、鉱山の守護神、養育神、子供を守る女神等の多様な性格を持ち、イシス
に次いで広く崇拝された。
ギリシアではアプロディテと同一視され、しばしば♂🐮の頭部を持つ姿で表され、その頭部を用いた装飾柱はハトホル柱として知られる。
人の姿で現される時も頭に🐮の角が生えている。
又、アペプとの戦いの際にセクメトないしバステトを援護し、これを倒した為にこれ等の女神と同一視される場合もある。
💚 ババイ 💚
ババイ(Babi)は、マントヒヒの神格化。
オシリスの最初の息子で、死者及びその生殖能力を司る。
「死者の書」の中では、強力な力を持つ天の神であると共に、死者の内臓を食らう呪われし神としても語られる。
かつてはラーに直接謁見を望める程の高位神であったが、ラーの過ちに反逆の弓を引き冥界に落とされたと言う神話的な解釈がある。
オシリスとイシスの間の最初の子であるとも言われ、ニュアンス的には🇯の「ヒルコ」に近い部分もあるようだ。
現在は古王国時代から確認され、オシリス神話よりも古い伝承に属し、名前だけが新しい神話(=死者の書として纏められた神話)に組み込まれたと推測される。
ババイは荒々しく沸々の姿で描かれ、「耳が赤く、半身が紫」と色を指定されている。
性器を直立させた姿で描かれる事から、生殖に関係する側面もあったかもしれない。
📓 神 話 📓
ホルスとセトの戦いに於ける神話に登場。
☀神の宮廷に於いて、どちらをエジプトの王とするか決められない☀神ラーを並み居る神々の門前で非難し、ラーの激しい怒りを招いたとされる。
罰せられてはいるが、ババイの言った事は的を得ていたと思う。
その場にいた神々は皆、ラーが優柔不断だと思っていたに違いない。
ラーを非難した際、オシリスの息子と呼ばれているが、イシスの息子とは呼ばれていないのが不思議、冥界に落ちたと言うが死者の書で姿を見掛けた事もない。
色んな意味で謎の存在・ヒヒの姿なのでヘジュウルやトトと関係がありそうに思われるが、むしろ混沌の象徴としてセトの眷属に数えられる事がある。
💜 ホルス 💜
ホルス(Horus)は、エジプト神話に登場する天空と☀の神。
「ホルス」はギリシア語であり、古代エジプトでは「ヘル」と言った。
オシリスとイシスの子で、セトの敵対者である神としての神話が特に有名だが、神話によってはオシリス、イシス
、セト、ネフティスに続く5人目の兄弟となる事もある。
妻としてはハトホルが有名だが、その他の女神を妻とする事もある。
📝 概 略 📝
通常は隼の頭をした男性として表現されるが、母神イシスの膝に乗った幼児として表現されるものもあり、これはキリスト教に於ける聖母子像の原型とも考えられている。
ホルスは父神オシリスの後を継いで、現世の統治者となる。
従って、ファラオはホルスの化身とされ、複数付けられる王名の一つとしてホルス名がある。
又、ホルスは、ラーと習合したラー・ホルアクティ(Ra-Harakhte「地上のホルスたるラー」)を始め、様々な神との習合が見られる。
エジプトを象徴する模様として有名な「ウジャトの目」
とは、ホルスの目の事である。
因みにホルスの妻、ハトホルの名は「ホルスの🏠」と言う意味がある。
❤ マアト ❤
マアト(Ma'at)は、
古代エジプト神話の女神。
マァト又はマート等とも表記される。
「法」「真理」「正義」を司るとされる。
頭上にダチョウの羽を載せた姿で現される。
この羽は、真理の象徴とされ、死者の魂を量る為、♎の皿の一方におれた。
❤ マフデト ❤
マフデト(Mafdet)は、チーター
頭の女神。
法の下での裁きの執行、有毒生物からの保護を司る。
エジプト第1王朝以前から崇拝されていた女神。
🐍と♏を屈服させる、大型の猫科動物、イクニューモン
を象徴とする女神。
古い時代には、計量・数学の女神セシャトと姉妹もしくは♊とされ、同じ日を誕生日として祝われた女神である。
セシャトの姉妹だけあって、司法に関わり、マアトと親しい仲であったようだ。
又、豹の皮を着ているセシャト同様、こちらも、獣の皮を纏った女性の姿で表される。
セシャトがトートの妹とされ、マフデトから離れた中王国以降の信仰に付いては、あまり知られていない。
💛 マヘス 💛
マヘス(Maahes)は、獅子頭の戦争・天候神。
母系制とアメン高司祭の保護を司る。
殺戮の主人、🌀と風の主人、大いなる力と怒り持つもの。
珍しく♂の♌の神様。
エジプト北部、つまりナイルデルタ地方で信仰された。
ナイルデルタには元々♌は住んでいないので、珍しい動物として崇められたのかも知れない。
神殿では、実際に生きた♌を飼育しており、死ぬと丁寧に葬ったと言う。
マヘスは王の守護者であり、戦友であった。
♌は王の宮殿でも飼育され、王権の象徴でもあった。
実際に王が♌を従えている壁面があり、こちらの♌も、死ねばミイラ化して丁重に葬られたはずである。
但し、絶対数が少ない為か、今の所エジプトでは♌のミイラはそれ程多くは発見されていない。
エジプト王朝の末期、第22
王朝頃に広く信仰され、上エジプトでも崇められる様になった。
又、メロエの神、アパデマクと習合し同一の♌神となった。
♀獅子の女神であるセクメト
、時としてセクメトと同一視されるバステトが母親の役をつとめる。
📝 容 姿 📝
メルセゲルの形は様々だが、大抵頭部が女性のコブラとして描かれる。
元来は無毒の🐍が胴体だったようだが、後にコブラ
に変わった。
これは、神聖動物でもあった🐍の中でも、コブラへの信仰が最も厚かった為であると考えられる。
又、🐍の頭のスフィンクスとして描かれる場合もある。
📝 信 仰 📝
本来の勢力圏は西方のテーベの🌋だった様である。
そこには多数の大きなネクロバレーが掘られている。
この女神の名は中帝国時代から見付かるが、その信仰が広まったのは新帝国時代、特に第19王朝と第20王朝に於いての様である。
メルセゲルは民衆的信仰を集めていた様で、集合墓地等の近くに幾つもの礼拝堂が建てられた。
📝 同族関係 📝
彼女には如何なる家族も知られていない。
何故ならこの女神は、死者の町静寂から名を由来し、又、それによってメルセゲルと言う存在が生まれた為である。
但し、地位的にはレネウテト
やウレト=ヘカウと同等視される。
又、アヌビスの補佐役でもあった。
💚 ラー 💚
ラー(Ra)は、エジプト神話に於ける☀神。
語源は其の侭、「Ra(太陽)」。
隼の頭を持つ姿で描かれる事が多い。
後にアトゥムと習合し、ヘリオポリスでは最も重要な神とされる。
ヌンから生まれ、シューやテフヌト、バステトの父とされる。
又、セクメトはラーが人間を滅ぼす為にその👀から生み出されたとされる。
📝 ラーの変形 📝
ラーは☀神であり、古代エジプト人は☀の昇り沈みと共にラー自体も変形すると考えた。
🌅の時はタマオシコガネ
(フンコロガシ)の姿のケプリとして現れ、日中は隼の姿をして天を舞い、🌠は♂♈の姿で🌠の🚢に乗り死の世界(🌠)を旅するとされている。
これは☀の動きを神格化したものであるとされている。
💜 レシェフ 💜
レシェフ(Reshef)は、フェニキア
に於ける⚡と悪疫を司る神。
「レセフ」とも呼ばれる。
「矢の王」と称される。
これは病を沢山の矢を射る様に広範囲に撒き散らした事を表現していると思われる。
ただ、レシェフに祈る事によって反対に病から逃れる事が出来るとも考えられていた事もあった。
時に荒ぶる戦いの女神アナトの夫とされる事もあった。
細長い先の尖った👒を被り、斧、もしくは棍棒を振り回し、もう片方の手に盾を持っている姿で表された。
レシェフはエジプト神話にも取り込まれ、エジプトでは戦斧を振るう戦いの神とされた。
メソポタミアの疫病神ナムタルに相当する。
❤ コンス ❤
コンス(Chons,Khons)は、エジプト神話の神。
テーベではアメンとムトの息子として、又コム・オンボに於いてはセベクとハトホルの息子として、三柱神の1柱を担う。
幼児の髪型をしたミイラの姿、又は、ホルスと同じ隼の頭を持った姿で描かれる。
🌙の神である事からどちらの姿で描かれる場合であっても三日月と満月を組み合わせたものが頭飾りとして描かれる。
❤ ミ ン ❤
ミン(Min)は、エジプト神話の神。
豊穣の神であり、ファルス
(陰茎)を勃起した姿で描かれる。
頭には羽飾りを二つ着ける。
新鮮なレタスを切った時に出て来る乳白色の液が精液を連想させる事から、レタスが供物として描かれる事が多い。
💛 アケル 💛
アケル(Aker)は、地平線の神格化。
☀と2頭の獅子(昨日と明日)に囲まれた盥(タライ)型の大地で表現。
冥門と解毒も司る。
大地を司る神。
「二重スフィンクス」つまり、2頭の♌が背中合わせに座る姿で描かれる事が多い。
他にも、♌の頭部を持った2人の人物、♌の頭部が付いた土地として表される事もある。
アケルが象徴するのは、東西の地平線である。
地平線は、この世と冥界を隔てる境であって、アケルは☀神の冥界への旅に密接な関係を持っていた。
その為、☀船のマストを支える軸受け、アケルとしばしば同一視された。
💜 アンジェティ 💜
アンジェティ(Andjety)は、アンジェトの主神。
死者の統治、再生を司る。
ペル・ウシル、ギリシア語でブシリスの町の守護神。
この町の本来の名はジェドゥと言い、オシリス神も「ジェドゥの主」と言う名前を持つが、それは、このアンジェティ神との類似から来る名前らしい。
オシリスに能力を移行し、完全に消滅。
死せる王であるオシリスに対し、アンジェティは常に生きた王の姿(2本の羽根を着けている)で表されていた。
オシリスのエジプト語名が、ブシリスの町を表す「ウシル」である事から、このアンジェト
と言う名は“生きていた時のオシリス”を表す神名だったのかも知れない。
新しいレスの受付は終了しました
趣味掲示板のスレ一覧
趣味の話題はこちらで。ファッション👗、コスメ💄、ガーデニング🌵やジョギング🏃🏻♀️、ダンス💃🏻、釣り🎣、歌🎤など、自分と同じ趣味の仲間を掲示板で見つけよう❗
- レス新
- 人気
- スレ新
- レス少
- 閲覧専用のスレを見る
-
-
軽のガソリン代半分入れただけなのに3レス 205HIT 暮らしている人さん (30代 ♀)
-
トイレ事情です。8レス 222HIT 暮らしている人さん (50代 ♀)
-
GWなにする?5レス 198HIT 通りすがりさん (30代 ♂)
-
なぜ外国人は旅行するのか11レス 280HIT 暮らしている人さん (20代 ♂)
-
趣味と貯金について9レス 217HIT 動物愛好家さん (20代 ♀)
-
プラモデル🚗とクルマ🚗💨 No.7️⃣
⑭🚗👩💨💨💨♪(銭無平次)
166レス 671HIT 銭無平次 (50代 ♂) -
軽のガソリン代半分入れただけなのに
トラック🚚軽油1リットル120円 200リットル補給するたびに2万5千…(暮らしている人さん3)
3レス 205HIT 暮らしている人さん (30代 ♀) -
トイレ事情です。
あ、あたしは、自宅は洋式、 出先 和式トイレ水洗ばかり。 …(暮らしている人さん0)
8レス 222HIT 暮らしている人さん (50代 ♀) -
細木数子の占い29レス 7654HIT はむはむはむこ (20代 ♀)
-
タロット☆ワンオラクルで占いの練習にお付き合いくださる方68レス 2666HIT タロット (30代 ♀)
-
-
-
閲覧専用
好きなことが世間では低評価なのが辛すぎる10レス 152HIT 普通の人さん (30代 ♂)
-
閲覧専用
私鉄の駅名しりとり378レス 5256HIT マイライフさん (50代 ♂)
-
閲覧専用
車を持っていない人は、男女問わず貧乏な負け組ですか?38レス 919HIT 暮らしている人さん (40代 ♀)
-
閲覧専用
愛車の色について31レス 1100HIT 暮らしている人さん (30代 ♀)
-
閲覧専用
今観ているテレビ番組を書くだけのスレ500レス 4421HIT マイライフさん (50代 ♂)
-
閲覧専用
好きなことが世間では低評価なのが辛すぎる
他の誰かを陥れたり迷惑をかけるようなことでさえなければ、世間で高評価か…(普通の人さん10)
10レス 152HIT 普通の人さん (30代 ♂) -
閲覧専用
内向的な人のアウトドア趣味
ありがとうございます。 適度に交流できる趣味がいいなと思うのて、山歩…(暮らしている人さん0)
2レス 507HIT 暮らしている人さん (30代 ♂) -
閲覧専用
プラモデル🚗とクルマ🚗💨(旧:車あれこれ) ⑥
えーっと、突然ですが、110台目🚗が完成したのですが、作品の画像の投稿…(銭無平次)
490レス 3703HIT 銭無平次 (50代 ♂) -
閲覧専用
今観ているテレビ番組を書くだけのスレ
はじめてのおつかい(小心者さん4)
500レス 4421HIT マイライフさん (50代 ♂) -
閲覧専用
うさぎさん
脱走しようとしてるこゆちゃんがやんちゃで活発で可愛い💖💖💖💖💖感動を有…(あかさたな)
500レス 3349HIT マイライフさん (40代 ♂) 名必 年性必
-
閲覧専用
サブ掲示板
注目の話題
-
専業主婦の日常をどう説明したらいいか
子無し専業主婦です。 会う人、会う人に「いつも何やってるの?」と聞かれます。 なんて答え…
26レス 606HIT 匿名さん -
🔥理沙の夫婦生活奮闘記😤パート1️⃣😸ニャン
きゃは(*≧∀≦*) 結婚生活のスレットからこちらにお引っ越し💨 皆さん初めまし😊 結…
354レス 4103HIT 理沙 (50代 女性 ) 名必 年性必 -
子供を作る事は親のエゴ?
という言葉をたまに聞きますが、 どう思いますか?? 子供にとっては 勝手に作っておいて、産…
11レス 293HIT 育児の話題好きさん (40代 男性 ) -
彼女が欲しかったな…
出会いがないから諦めるしかないのかな。
10レス 279HIT 恋愛したいさん (30代 男性 ) 名必 年性必 1レス -
牛乳嫌いの我が子に困っています。
フルーツ全拒否、しかも牛乳を飲んでくれない2歳の娘に困っています。 いちごミルクとかにしてもダメで…
15レス 308HIT 匿名さん (30代 女性 ) -
何のバイトが向いてるんだろう…
お悩み解決掲示板でも同じスレを立てました。こちらでも意見を聞きたいと思って同じスレを立てました。何回…
9レス 238HIT おしゃべり好きさん - もっと見る