とある家族のお話

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2020/05/27 16:47(更新日時)

私はまり。


5年前に離婚し、現在シングルマザーで小学3年生の息子が1人。


父親は肺がんを患い、闘病の末4年前に他界。


母親は精神疾患を患い、現在精神病院に通院中。


遠方に住む兄の亮介と義姉の千佳さん。


中学3年生の姪と、中学1年生の甥がいる。


2つ下に同じ市内に住む弟の圭介。


私と同じくバツイチで、現在は1人暮らし。


息子のよき遊び相手になってくれる。


弟の子供は元妻が引き取っているが、しばらく会っていないそうだ。


私の母親は、多分だがかなり前から精神疾患があったと思われる。


父親が他界してからひどくなった。


病名は「妄想性障害」


特に被害妄想が酷く、妄想で警察を呼んだり近所の方々にご迷惑をおかけしてしまう様になったため、社会福祉の公的窓口に相談し、現在通っている精神病院の先生にお願いし、強制入院に至った。


母親本人はおかしいと思っていないため、入院する時はとても大変だった。


現在は退院している。


入院する時は近所に住む弟と相談し決めたが、母親には未だに恨まれている。


兄夫婦には電話やLINEで伝えていた。


母親は、兄と弟の嫁をいびりにいびった。


弟の離婚は、母親が大いに関係している。


義姉は遠方に住む事で離婚はしないで済んだ。


私達兄弟が母親を何度止めてもいびりは止めない。


母親は悪い事はしていない、私は正しいと、止めれば止める程興奮し罵詈雑言を言い放つ。


妄想が激しいため、妄想で話をするが母親本人は事実だと思っているため、違うんだよ!と言っても聞き入れてくれる事はない。


否定すれば嘘つき呼ばわりするな!お母さんは正しい!と怒鳴る。


仕方なく合わせれば、やっぱりそうだ!と益々妄想が本当の事だと思い込む。


とても難しい。


でも、私の実母である。


父親がいない今、私達兄弟が母親をみなければならない。



こんな家族のお話です。












No.3034511 (スレ作成日時)

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No.1

私の元夫とは職場結婚だった。


小さな運送会社の事務員として、高卒で入社した。


その会社の配車やシフト等を作成していたのが元夫の雅樹だった。


事務職の中堅社員で、私より8つ年上で当時26歳。


新人の私は、事務所の清掃から始まる。


先輩事務員の立花さんに色々教わりながら仕事を覚えていく。


立花さんはとてもおっとりとした性格で、なかなか覚えられず必死だった私にも「焦らなくていいからね。ゆっくりでいいから!わからない事は何度でも聞いて。一気になんて覚えられないし、失敗して覚える事もあるんだし」と言ってくれて、優しく丁寧に教えてくれた。


おかげで何とか半人前位になったある日、私と他の新米運転手さんや新米事務員のために歓迎会を開いてくれる事になった。


「新人には頑張って欲しい」


そう言って社長主催の歓迎会だった。


その時の幹事が元夫の雅樹だった。


「加藤さんはまだお酒飲めないからジュースかお茶だよね?」


私はまだ高校卒業したての当時18歳。


当然お酒は飲めない。


「居酒屋とかより、バーベキューみたいな感じの方がいいよね?緊張するだろうから、外で気楽にやろうか!ね!」


笑顔でそう言われて、未成年の私にも気を使ってくれた。


運送会社だから敷地は広い。


強制参加ではなかったが、ほとんどの人が参加した敷地内での歓迎会。


立花さんと社長の奥様ともう1人の先輩女子社員の田中さんとでバーベキューの下準備。


私も手伝おうとしたら「はいはい!本日の主役は座ってなさーい!」と追い返された。


社長の乾杯の後、従業員で楽しくバーベキュー。


この時、雅樹と色々話した。


雅樹は聞き上手だった。


皆いい人達ばかりで楽しかった。


市内の端にある、周りは畑しかない場所だから多少騒いでも問題はない。


いい会社に入ったと実感した。


この頃はまだ実家から通勤していた。


田舎の小さな市のため、職場の近くにバス停などない。


車必須の地域なので免許も取り、ローンを組んで車を買った。


まだ入社したてでお給料も安かったし、ローンの支払いもあるため就職しても実家にいた。


弟はまだ高校生。


母親のヒステリックが弟に向かうのを守りたかったのもあった。














No.2

母親は否定される事を嫌う。


自分が全て正しいと思っている。


私達兄弟3人が子供の頃、母親が運転する車で
あるスーパーに行った。


だいたい私が助手席、兄と弟が後部座席に座る。


兄と弟が後部座席でふざけだして騒ぎ始めた。


私が後ろを振り返り「うるさいよ」と言った瞬間、強い衝撃があった。


母親が一時停止を無視して、本線を走っていた車にぶつかった。


お互い、速度は出ていなかったため幸い大した怪我はなかったが、母親の車のボンネットは壊れ、相手のワンボックスの側面は大きく歪んだ。


相手のワンボックスの運転手は若い男性。


車から降りてきて、母親と何かを話していたが突然母親が「私は悪くない!あんたがブレーキをしっかり踏めば起きなかった事故だ!」と言い出した。


そして兄と弟に「あんた達が騒ぎ出したから気が散ったんだ!騒いだあんた達のせいでお母さんは事故を起こした!だからあんた達が悪い!謝れ!」


相手の運転手さんは「おばさん、何言ってるの?あんたが一時停止を無視したから俺の車にぶつかったんでしょ?」と言っていたが、母親は私は何も悪くない!の一点張り。


男性が呼んだ警察が到着。


警察にも私は悪くない!と言っていたが、一時停止を無視した母親が注意をされていた。


自分の味方じゃない警察に悪態をつく母親。


「私が払った税金で食べてる分際で偉そうに文句言うんじゃない!年上の人に対する態度じゃない!」


「悪いのはこの人と騒いだ子供達だ!私は何も悪くない!」


もちろん通用する訳がない。


警察官が説得を試みても全く聞く耳を持たない。


全て悪いことは人のせい。


いい事はお母さんのおかげ。


テストで100点を取った。


やっぱりお母さんの子だね。


徒競走ビリだった。


お父さんに似たんだね。


おとなしい私はお母さんの子。


うるさい兄と弟はお父さんの子。


でもたまに私が何か悪いことをすればお父さんの子になった。


父親は高卒、母親は短大卒。


だからなのか、父親を下げる発言をしていた。


「お父さんは高卒だから、常識を知らない。大学まで行って常識を知る。短大卒業した私は常識を知る。だからお母さんに口答えする事は許さない」


高卒の私はいつも言われた。







No.3

私の離婚理由も母親が大いに関係している。


雅樹は夫として、父親として頑張ってくれていた。


私が26歳、雅樹が34歳の時に結婚。


結婚を機にお世話になった運送会社を辞めた私。


皆から祝福されて幸せだった。


結婚する時にお互いの両親や兄弟に挨拶に伺う。


雅樹は会社員の父親とスーパーでパートをしている母親、看護師をしている姉がいるごく普通の一般家庭。


ご両親もお義姉さんも気さくなあたたかな家族だった。


嫁いびりもなく、娘の様に迎えてくれた。



お義姉さんもご結婚されていて、市役所勤務のお義兄さんがいた。


子供はいなかった。


パグ犬を飼っていてとても可愛がっていた。


お義姉さんとは10歳、お義兄さんとは一回りの年の差があった。


あたたかい家庭に嫁に来れた。


雅樹と結婚して良かった。


心からそう思った。


結婚の挨拶を我が家にする日。


父親、母親、兄と弟と私と雅樹。


母親は矢継ぎ早に雅樹に質問をする。


「ご両親はお仕事は何をされてるの?」


「ご兄弟は?」「貯金はいくらあるの?」


「お給料はいくら?」等々。


雅樹が答えると必ず見下す。


「お母様、スーパーでパートなんて学がないの?」


「公務員なんて人の税金で食べてるんだから私達が食べさせているみたいなものでしょう」


「お姉さんが勤めている病院ってやぶ医者で有名じゃない。恥ずかしくもなくよく働いているわね。総合病院に行きなさい」


「貯金額は家族になるんだから皆知るべき」


家族皆で母親を止めたが、雅樹の表情は険しかった。


実家に行く前に雅樹には母親の事は伝えていた。


しかし雅樹の想像以上だったみたいだ。


申し訳ない。


恥ずかしい。


結婚式を挙げる話をした時も、母親は全て仕切り出した。


お金は出さないが口は出す。


結婚式の下見について来たがり、断ると烈火の如く怒り罵る。


「どうして母親の私に相談しない!勝手に決めるなんて許さない!勝手に決めるならお母さんは結婚式には行きません!」


「嫁になる母親が決めるのは常識なんだ!そんな事も知らないで恥ずかしくないのか!」


私は人前結婚式希望。


母親は日本人は和が当たり前だと神前結婚式希望。


もめにもめた。





No.4

雅樹のご両親と私の両親と私と雅樹で、結婚式について話し合う事にした。


母親は相変わらずの意見。


嫁の母親が決めるのが常識!母親に相談し、母親が決めた結婚式を挙げるのが当たり前。


雅樹のお義母さんは「娘の時は私達は娘夫婦に好きにさせましたよ?式を挙げるのは本人達なんですから…」


すると母親。


「だからスーパーのパート勤めなんて知識がないのよ。好きにさせた結果どう?どうせ若者向けの変な結婚式だったに決まってるわ」


そう思い込むと母親の中では事実に変換する。


未だに雅樹の姉の結婚式は変な結婚式だと思っている。


雅樹のご両親は大人の対応だった。


「全てお任せしますので」


後日「お母さん、大変ね」とは言われたが、それ以上は何も言って来なかった。


結局、結婚式は私達の意見を取り入れた。


雅樹の友人が営んでいる小さなお洒落なレストランを貸し切った。


総勢40名程の小さな規模。


お互いの予算もあり、ご友人も色々都合をつけて下さり、多少のわがままも聞いて下さり「俺からの結婚祝い」だと予算以上のもてなしをして下さった。


ウエディングドレスとタキシードは貸衣装屋さんで借り、ウェルカムボードは二人で手作り。


運送会社の方々、お互いの家族、親戚、友人達に祝福され一生添い遂げる約束をしたはずだったが…。


離婚した時に母親が「結婚式でお母さんの言う事を聞かないから離婚するんだ。恥ずかしい」と言われた。


結婚生活の全てに於いて、些細な事でも必ず母親が割り込んできた。


新居を探すのも母親が口を出す。


家具家電も母親が勝手に決めて来る事もあったがお金は出さない。


連絡なしに突然来るのは当たり前、合鍵要求。


合鍵は断ると合鍵を渡すまで毎日突撃してきて罵詈雑言。


雅樹が折れ、母親に合鍵を渡すといない間に勝手に入りダメ出し。


こうなるのがわかっていたから合鍵は渡したくなかった。


雅樹のご両親には合鍵は渡していない。


来る時は連絡をして欲しいと言えば「娘の家に行くのに何故いちいち連絡をしなければならないのか?お前はいつからそんなに偉くなった?」


「お前は実家の鍵を持ってるでしょ?ならお母さんもお前の家の鍵を持って自由にしてもいいだろう」


全てに於いてこうして必ず反論される。


No.5

雅樹との結婚生活は、平凡だが楽しかった。


寿退社をしてからはしばらくの間、専業主婦をしていた。


結婚するまで実家暮らしだったため、結婚当初は家事もコツをつかむまでは大変だった。


優しい雅樹は、焦げたハンバーグも味付けに失敗した野菜炒めも「次頑張ろう!俺も手伝うし」と決して怒ったりせずに食べてくれた。


雅樹は私にとって人生初めての彼氏で初めての人だった。


学生の頃は目立たない、いるのかいないのかわからない様な地味子だった。


好きな人は出来たが、片想いで終わる。


告白なんてとんでもない。


こんな私が告白したところでOKされるはずなんかない。


自分に自信がなかった。


学生の頃は吹奏楽部に所属していた。


パーカッションを担当していた。


1つ上の先輩でチューバ担当の菊地先輩の事が好きだった。


見た目はカッコいい訳ではなかったが、同じバンドが好きだった事、家が近所でたまに一緒に帰る事もあったから。


帰り道に昔からある駄菓子屋があった。


一緒に帰るとそこで菊地先輩が必ずビンにビー玉が入っている昔ながらのラムネを買ってくれて一緒に飲んだ。


部活の事や部員の話、好きなバンドの話をしたりした。


好きだった。


一緒に帰って一緒にラムネを飲んで話しているだけで楽しかった。


でも好きだと言えなかった。


言えないまま卒業した。


淡い青春の想い出。


そんな私が雅樹から付き合って欲しいと言われた時は、今何が起きているんだろう…と頭がフリーズした。


人生で初めて告白された。


仕事が終わり帰り支度をしていたら雅樹が「ご飯でもどう?おごるよ」と私に声をかけて来た。


「ありがとうございます」


実家暮らしだった私は自宅に電話し、ご飯は食べて帰ると電話に出た弟に伝える。


「俺の友達がやっているレストランがあるんだ」


後に結婚式でお世話になったレストランに向かった。


場所は知っていたが入るのは初めてだった。


「いらっしゃいませ」


若い女性店員さんが笑顔で迎えてくれた。


女性店員さんは雅樹の顔を見て「あれ?オーナーの…?」と言い、雅樹が「そうです」と笑顔で答えると「今、オーナー呼んできます!」と言って席に案内された後に裏に入って行った。
















No.6

すると入れ替わりに、コック服を着た坊主頭の背が高い男性が笑顔で出て来た。


「おう!久し振り!」


そう言いながら雅樹に挨拶をした後に笑顔で私を見る。


雅樹が「同じ職場の加藤まりさん。せっかくだから山本のところで一緒に食べたくてね」


「ありがとう!サービスするよ」


「忙しいところ悪いな」


「いいんだよ、今度ゆっくり飲みに行こうな!加藤さん、ゆっくりしていって下さい」


雅樹には右手をあげ、私には笑顔で軽く会釈して裏に消えた。


雅樹とオーナーの山本さんは、小学校から高校まで同じ学校の同級生。


雅樹は高卒で運送会社に就職したが、山本さんは調理師専門学校を出てから有名なフランス料理屋さんに修行に入り、若くして店を持つまでに腕を磨いたそうだ。


ちょっと高いイメージだったが、以外に手頃な価格で本格的なフランス料理を楽しめるお店だった。


山本さんのご厚意で濃厚なプリンをサービスして下さった。


帰る時は忙しく山本さんに直接お礼を伝える事は出来なかったが、会計を担当してくれた店員さんにお伝えした。


その後、駐車場に戻り雅樹にごちそうしてくれたお礼を言う。


「ありがとうございました。とても素晴らしい料理でした。ごちそうさまでした。また明日」


そう言って車に乗り込もうとした時に「ちょっと待って!」と雅樹が言う。


「加藤さん!俺と付き合ってくれませんか?」


突然の告白。


「…はい?」


「前から素敵な方だなと思っていました。今日はかなり勇気を出して食事に誘ったんです。迷惑なら諦めます。」


「いえ…迷惑とかでは…」


フリーズした私にはこれが精一杯だった。


しばらくの沈黙。


それまで雅樹は優しい先輩という存在だった。


繁忙期、配車のシフトがうまく作れないと「あー!」と言いながら髪をくしゃくしゃとしながら一旦席から消える。


戻って来てから乱れた髪のまままたパソコンとにらめっこ。


「うーん」


「あっ、そっか!」


「いや、ダメだ」


独り言を言いながらコロコロ変わる表情が面白かった。


そんな雅樹を思い浮かべながら「ちょっと時間下さい」と伝える。


「わかったよ。ごめんね。じゃあまた明日会社で」


そう言って雅樹は帰って行った。








No.7

突然告白され、驚きと嬉しさとでアドレナリンが出ていたのかその日は眠れなかった。


ほとんど寝ていない状態だったが、全然眠くない。


いつもより早く出勤。


立花さんが続けて出勤。


「おはようございます」


「あっ!加藤さんおはよう!今日は早いね」


「そういう立花さんも早いですね」


「昨日さー、彼氏とデートの約束をしていたから仕事を途中で切り上げちゃって。だからその分早く来て終わらせてしまおうと思って。あっ、課長には内緒ね」


「今日私が当番なので掃除全部やりますから、課長にはバレない様に頑張って下さい!」


「加藤さん!ありがとう!お礼は必ず!」


そう言って、デスクで早速仕事に取りかかる。


トイレ掃除、ゴミ箱のゴミ回収、お客様用出入口と裏にある従業員用出入口の掃き掃除、応接室のテーブルを拭き床を掃く。


火曜日と金曜日にはモップがけ。


汚れが強い場合は都度モップがけ。


給湯室の掃除。


生ゴミを捨て、お客様用のお茶の在庫確認。


湯呑み等洗い物があれば片付ける。


この仕事を当番の事務員が交代で二人でやる。


立花さんと私が当番だったが、今日は全て私がやる。


社長は誰よりも早く出勤している。


掃除が全部終わり、社長にご挨拶とお茶を届けに社長実に向かう。


「失礼致します。おはようございます。お茶をお持ち致しました」


「加藤くん、おはよう」


「おはようございます」


「今日は10時にトラック協会の方が来るからよろしく頼むよ」


「はい。失礼致します」


社長はこうして何か一言必ず言う。


一仕事が終わり、事務所に戻ると雅樹が出勤していた。


ドキッ。


一気に心拍数があがるのがわかる。


目が合う。


私はそれだけで顔が真っ赤になるのがわかった。


「加藤さん、おはよう」


いつもの笑顔の雅樹。


「お…おはよう…ゴザイマス…」


何故か後半片言になる。


次々出勤する従業員。


いつもの賑やかな1日だ。






No.8

ダメだ。


雅樹が気になって仕方がない。


多分、必要以上に雅樹を見ていたと思う。


気になり過ぎて仕事に身が入らない。


隣に座る立花さんが何かを察した。


椅子を近付けて来て小声で「昨日、長谷川さんと何かあったとか?」とニヤニヤしながら言って来た。


「えっ?」


「大丈夫、誰にも言わないから」


「何故わかるんですか?」


テンパっていた私は自ら暴露してしまう。


「何故って、加藤さんみていたらバレバレよ(笑)お昼、楽しみにしてる!」


そう言って席に戻った。


立花さんは信頼が出来る。


決してスピーカーみたいにペラペラ話す人ではないし、これまでも仕事に関して色々相談をさせてもらった頼りになる先輩。


お昼、立花さんに相談してみようかな?


心拍数の上昇も落ち着き、立花さんが残していた仕事も終わり、ちょっと早目に立花さんの車に乗り職場から一番近いファミレスに入る。


ランチを注文し、一息つくと早速立花さんが「さあ、話してみようか?」と笑顔で切り出した。


昨日の夜に雅樹から声をかけてもらい、友人経営のレストランで食事をし、ごちそうになった後に駐車場で突然告白された事。


今まで生きてきて、告白されたのも彼氏となる存在も初めてでどうしたら良いのかわからない事、もろもろを話した。


そして一言。


「実は長谷川さんが加藤さんの事を好きなのは知っていたよ」


「えっ」


「ちょっと前に言われた事があるの。加藤さんって彼氏とかいるのかなーって。ほら私、加藤さんと仲良くさせてもらってるでしょ?給湯室で来客の片付けをしていたら、長谷川さんから声をかけて来てね」


「はぁ」


「加藤さんから彼氏の話とか聞かないし、いるとも言ってなかったーって言ったの。そしたら「ありがとう」って言って行っちゃった。長谷川さん、いい人だと思うよ!だってうちの会社で長谷川さんの事を悪く言う人いないし。実際気配り出来るし、仕事も頑張ってるしね。相手も加藤さんならきっと職場の皆も祝福してくれると思うよ!」


「はい」


私も昨日から雅樹を意識し始めたって事は好きになってきているのかもしれない。


立花さんは「応援するよー!お祝いって事で今日はごちそうするよ!さっ、休憩終わっちゃう!行こ!」


さっと伝票を取りレジに向かった。







No.9

立花さんに話せて良かったのかな。


何か雅樹への想いが急スピードで膨らんでいく感覚。


その日の仕事終わり。


雅樹より先に仕事は終わった私は、雅樹の仕事が終わるまで待っていた。


ドキドキが止まらず、手が震えて来た。


次々従業員が出て来た。


最後の方に雅樹が出て来た。


「あれ?まだいたの?」


「…長谷川さんを待ってました」


ちょっとの間があり「ご飯行く?」と言ってくれた。


「…はい」


街中の美味しいと有名の中華料理屋さんに向かった。


小さく間切りされた小上がりに通された。


家族で何度か来た事がある。


この店の八宝菜がすごく好きなため迷わず八宝菜セットを頼む。


「ここの八宝菜、小さい頃から食べていて大好きなんです」


「美味しいよね。じゃあ俺も同じのにしようかな?」


店員さんが注文を聞き下がった。


「あの…」


私が話そうとすると雅樹が「今日は楽しみましょう」とにっこり笑う。


ヤバい。


何だろう。この眩しい笑顔は。


私、完全に惚れちゃってる?


注文していた飲み物が先に来た。


続いて八宝菜セットが来た。


あれ?どうしてだろう。


大好きなのに、とても美味しいのに入っていかない。


胸がいっぱいになっていた。


箸が止まる私を見て「食べないの?」と心配そうに声をかけて来た。


「あの…」


「はい」


雅樹が私の問いかけに答えて箸を置いた。


「よろしくお願いします」


「えっ、本当に?マジで?」


「はい」


「今日、振られると思って覚悟して来たんだよ…ヤバいヤバい!本当に?」


「はい」


「ありがとう!」


「こちらこそ」


「えっ?」


「えっ?(笑)」


「じゃあ今日は初デート?」


「…デートですか」


「あれ?違うの?」


デートって聞いて急に恥ずかしくなってしまった。


「可愛いね。そういうシャイなところ」


「今まで男性とお付き合いした事がなくて、どうしたらいいのかわからなくて」


「そうなの!?えっ、じゃあ俺が初彼氏?」


「彼氏…はい、そうなります。よろしくお願いいたします」


こうして雅樹とのお付き合いが始まった。






No.10

家族には付き合い当初は、雅樹の事は内緒にしていた。


理由は、兄が大学生の時に「彼女が出来た」と言って彼女を連れて来た。


同じ大学に通う彼女。


真面目そうな清楚な感じで、長い黒髪がサラサラしていた。


日曜日だったため家族全員自宅にいた。


あらかじめ兄が彼女を連れて来るとは聞いていたが、私と弟は兄がどんな女性を連れて来るのか興味津々で待っていた。


うちで食事をするという事で母親が台所で朝から忙しそうに動いていた。


「まりー!圭介ー!あんた達も少し手伝って!」


「はいはい」


私と弟が部屋から出て台所へ。


兄が好きだからと唐揚げや卵料理、エビフライ等の料理が用意されていた。


時間ぴったりに兄と彼女が来た。


当時、高校生の私と中学生の弟が玄関までお出迎え。


「はじめまして」


彼女がご挨拶。


「はじめまして、妹です」


「弟です」


同時に自己紹介。


「あがって下さい!」


「ありがとうございます」


居間に通す。


ソファーに座っていた父親が立ち上がり挨拶をする。


すると台所から母親が登場。


「はじめまして」


「あの!これ、よろしければ皆様でお召し上がり下さい!」


そう言って手土産を母親に渡した。


母親は笑顔で受け取り、早速中身を開ける。


中身はカステラだった。


「えっ、何この安っぽいカステラ」


この一言で一瞬空気が凍りつく。


父親が「失礼な事を言うな!気持ちで持って来て頂いたものだろう!」と母親を叱るがどこ吹く風。


「いらないものはいらないわ。いらないものを持ってこられても迷惑だから返すわ」


兄が怒鳴る。


母親は「亮介!この女は私達家族をこんな安っぽいカステラの価値しかないと見下してるんだ!敬う気持ちがあるなら、鰻とか霜降り肉とか高級品が常識だろう!」


父親がひたすら彼女に謝っている。


彼女は涙目。


すみません、すみませんとひたすら頭を下げている。


「お母さん、ここのカステラ美味しいよ?そこそこ高いし。お母さんカステラ好きじゃん」


「何をバカな事を言ってるんだ!敬う気持ちがカステラか!バカにしないでちょうだい」


そう言って台所に戻った。


兄は台所に戻った母親をひたすら怒鳴る。


折れない母親。





No.11

「母さん!何なんだよ!いつもいつもケチばかりつけやがって!何が敬うだ!そんな価値なんか一ミリもないだろ!カステラは母さんが好きだからと一緒に選んだんだよ!何が鰻だ!ふざけんな!」


「母親に向かってそんな口の聞き方するなんて10年早いんだよ!誰のおかげで大学に行けてるんだ?ここまで育ててやった恩を仇で返すなんて!今まで育ててやったお金全部返せ!」


「うるせーんだよ!クソババア!」


彼女は泣き出してしまい、父親と弟は兄と母親を止め、私は泣いている彼女の近くにいた。


とりあえず泣いている彼女を居間の隣の和室に連れていく。


「母親が本当にすみません」


ひたすら謝る私。


居間からはまだ兄と母親が言い合っている声が聞こえる。


彼女もすみませんと謝る。


彼女は何も悪くない。


本当に申し訳なかった。


彼女も兄も落ち着き、ご飯は食べずに帰って行った。


彼女はこれ以降、二度とうちに来る事はなく、兄とも別れた。


後から聞いたが、彼女は卵アレルギーだった。


兄から母親に彼女は卵が食べられないと聞いていたが、母親は食べず嫌いだと思い込んでいた。


ご飯食べなくて本当に良かったよ。


食べられる物が一切なかった。


何も知らなかった私達。


兄と彼女の好物だと思ってたから。


そんな過去があり、家族に彼氏が出来たとは言い出せなかった。


しかし、すぐにバレた。


仕事が終わり帰宅すると、弟がニヤニヤしながら「ねーちゃん、なかなかやるじゃん」


「何が?」


「あれ彼氏?仲良さそうにご飯食べてるの見たけど?」


「えっ、いつ?」


「昨日。何が仕事だよ、デートじゃねーか」


弟は私をからかう。


小さな田舎街だと食事に行く場所も限られるため、知り合いの遭遇率は都会よりダントツに高い。


仕方がない事だが、よりによって弟とは。


「しばらくお母さんには黙っていて」


「わかってる」


弟も思うものは一緒なのだろう。


本当に母親には言わずにいてくれた。


この時、弟にも彼女がいた。


後に妻になる人、今は元妻になってしまう人。


弟は離婚した時はショックの余り仕事を休んで引きこもった。


弟は本当に元妻と子供を大事にしていた。


憔悴した弟は見るに耐えなかった。











No.12

弟は工業高校を卒業してから、地元の会社に就職。


就職してからはしばらく実家にいたが、母親と大喧嘩してからはすぐに会社の近くにアパートを借りた。


母親は毎日の様に弟のアパートに行くも、合鍵は絶対に渡さなかった。


しかし母親は大家に掛け合い、弟に黙って合鍵を作ってしまった。


やはり言い分は「息子の家に来て何が悪い」と悪いとは思っていない。


弟が帰宅したら母親が座っていて、ゴミ箱まで漁り彼女との時に使用した避妊具を拾い上げて般若の様な顔で待っていた時は背筋が凍りついたと言っていた。


ゴミ箱まで漁り、息子の様子を知りたがる母親。


母親なら子供の全てを把握するのは当たり前だと。


プライバシーなんて一切ない。


実家にいた時も、子供宛に来た郵便物は容赦なく全て開封。


机に鍵をかけただけで怒鳴られた。


日記も平気で読まれるため書かなくなった。


門限は高校卒業まで18時。


学生の時は余り友人もいなかったので私は大した困らなかったが、吹奏楽部の演奏会前とかは遅くなる事もあった。


すると学校に連絡。


そしてクレーム。


後半は顧問の先生から帰りが遅くなりそうなら「加藤、そろそろ帰りなさい」と言われる様になった。


高校から自宅まで自転車で10分。


弟や兄は郊外にある工業高校だったため、自転車で30分かかった。


兄と弟は悪天候の時はバスで通学していた。


そのためバス代を稼ぐためアルバイトOKだったが、私はバス通学する距離ではないためバイト禁止だった。


ただ、夏休みや冬休みのみの期間限定の門限に間に合う時間のアルバイトは許された。


自由がなかった。


今みたいにラインとかはなかった当時はパケ代も通話代も高い時代。


携帯電話を持っている学生はいなかった。


電話は基本自宅。


話をしていると母親が聞き耳を立てている。


兄や弟は私と違い、学校では人気者だったため友達も多かった。


よく門限を破って怒鳴られていた。


18時は遊びたい盛りの男子には確かに早すぎる。


バイトだと言って出掛けても、嘘はすぐバレた。


子供3人、もういい大人になっても母親の監視みたいなのは続いた。


No.13

弟の元妻であるめぐみちゃん。


弟と同じ年で私の高校の後輩だった。


部活は違うし学年も違ったが、面識はあった。


弟の彼女として紹介された時に、お互いにあれ?知ってる?となった。


自由奔放だった当時の弟をうまく手綱を引いてくれる様な人だった。


仕事は街中にある雑貨屋の雇われ副店長で、従業員のシフト管理と在庫確認と発注といった裏方の仕事がメインだと言っていた。


共通の友人の紹介で知り合い付き合う事になった。


弟はめぐみちゃんの事が可愛くて仕方がない様子。


デレデレだった。


当時、まだ既婚者だった私。


雅樹にも紹介。


兄夫婦にも紹介。


結婚秒読みだった時、入籍前にめぐみちゃんの妊娠が発覚。


ちょっとだけ順番が逆になってしまったが、翌月入籍した。


弟夫婦の希望で結婚式は行わず、写真だけ撮り、後は本当の身内のみでの食事会にする予定だった。


それに反対したのが母親。


「亮介もまりも結婚式を挙げた。圭介だけ挙げないのは親戚に何て言われるか。しかも先に赤ちゃんが出来たとか世間体が悪い」と案の定口を出して来た。


弟とめぐみちゃんは希望は変える気はない事、お腹の赤ちゃんのためにも無理はしない事を伝えた。


すると母親「結婚式は挙げなさい。無理していなくなる赤ん坊はそれまでの命なんだよ。あんた達は若いんだから、これからいくらでも子供は作れる」と言った。


めぐみちゃん、かなり引いていたのは見てわかった。


弟が「母さん、今何て言ったかわかるか?」


「何よ、間違った事は言ってないじゃない」


「俺達は結婚式は挙げない。親戚の見栄のために挙げるとか意味わかんないわ。お腹の赤ちゃんは全力で守る」


「お母さんの言うこと聞きなさい!圭介はこんな聞き分けがない子じゃなかった!この女が圭介に入れ知恵してるんだな!とんでもない女だよ!」


そう言って立ち上がり、めぐみさんのほっぺたを平手打ちした。


弟が反射的に母親の頭を殴った。


「めぐみと子供に何かあったら絶対許さない」


するとヒステリックに騒ぎ出した。


「みんなでお母さんを悪者にして楽しいか!お母さんはあんた達の事を思って言っているだけだ!言うことを聞け!」


この時から母親のめぐみちゃんに対する態度は酷くなっていった。












No.14

私は雅樹が初めての相手だった。


雅樹は過去に何人かお付き合いをした女性がいたみたいなので、深くは聞いてないが経験はあるだろう。


私のファーストキスは高校2年の時、相手は女子。


同じ吹奏楽部の子でその子はクラリネット担当。


クラリネットにも興味があった私は彼女のクラリネットを吹いてみたくなったが、ちょっと抵抗があった。


「吹いてみる?楽譜は読めるよね?」


「うん、でもちょっと抵抗が…」


「えー?私別に病気ないよー?」


「いや、そうじゃなくて」


「あー、間接キスになるから嫌なのかなー。じゃあ直接チューしたら大丈夫じゃない?」と言われ、その場でチュッとされた。


「よし、これで大丈夫!」


「えー」


もちろん彼女に全くの悪気はない。


そんな程度しか経験がない私。


大浴場の女風呂でも恥ずかしくなってしまうのに、好きな男性の前で裸なんて…しかもスタイルがいい訳でもないし、胸もない。


雅樹と付き合って1ヶ月半が過ぎた。


日曜日で雅樹が自宅の近くまで迎えに来てくれて朝からデートをした。


まだ先輩後輩の関係が抜けていなかった私は、半分敬語、半分タメ口という感じだった。長谷川さんと呼んでたし。


お昼を食べて、どうしようか?と話していたら雅樹が「一緒に行ってみたいところがあるんだけど…いい?」って言われて、何の疑いもなくOKした。


車はどんどん街から離れていく。


見えて来たのはラブホテル街。


あっ。付き合うってそうなるよね。


一気に心拍数があがる。


どうしようどうしようどうしよう…


「…いいかな」


雅樹が聞いてきた。


下を向き頷くしかなかった。


雅樹の事は大好き。


でも20歳越えても男性経験がないのは引かれるかもしれない。


出入口にゴム製の大きなのれんみたいなのを抜けてホテルの駐車場に入る。


雅樹の後ろをついていく。


ネオンギラギラの階段をあがると、部屋の写真と共に押しボタンがある。


テレビで見た事はあった。


雅樹が「どこにする?多分パネルに電気がついているのが空いてる部屋だよね?」


良く見ると、半分のパネルの電気が消えていた。


ボタンを押すとパネルの電気が消え、ロボットみたいな声で「いらっしゃいませ」と言われて、その部家に向かった。







No.15

部屋はちょっと広めのワンルームみたいな感じで、白で統一されていた。


初めてのラブホテルが珍しく、あちこち開けては覗き込む。


トイレは普通だけどお風呂は広かった。


洗面所も十分な広さがあり、バスタオルやガウンが置いてある。


部屋に戻り扉を開けると、ビジネスホテルみたいにポットや電子レンジがある。


グラスも2つ。


冷蔵庫を開けると、無料の小さな缶のお茶が2本入っていた。


冷蔵庫の上にはアダルトグッズが販売してある機械があった。


思わず扉を閉めた。


雅樹はソファーに座り笑っていた。


「面白かった?隅から隅までくまなく見てたね!そんな姿を見ていて面白かった(笑)」と笑う。


恥ずかしい。


雅樹は大人だなー。


「何か飲む?」


雅樹がさっき私が開けた冷蔵庫の前に立っていた。


「無料のお茶がありました」


「これでいいの!?コーヒーとかもあるけど?」


「無料のお茶で大丈夫です」


「あははー!かなり緊張しているでしょ?」


笑いながら雅樹は私を見る。


「緊張してます。初めてなので」


「…えっ?まじめに?」


「はい、今まで男性経験が全くないです。20歳越えて初めては引きますよね、すみません」


「そんな事ないよ!まり!大事にする!ずっと俺といて欲しい!」


初めて男性とキスをした。


また心拍数が上がる。


緊張し過ぎて過呼吸になりそうだよ。


「シャワー入る?一緒に入ろうか?」


「無理です!」


「可愛いなぁ(笑)俺、ちょっとシャワー入って来るね」


その間、テレビをつけた。


いきなり裸の女性のアップがテレビ画面いっぱいに写っている。


思わず消した。


どうしようどうしようどうしよう…


またテレビをつけた。


裸の男性と女性が重なりあっている。


また消した。


そうか。


これから私はこういう事をするのか。


またつけた。


良くリモコンを見ると切り替えボタンがある。


押してみると、いつもお茶の間を楽しませてくれるいつも見るテレビ画面になった。


再放送の2時間ドラマ。


何故かホッとする。


そうこうしているうちに雅樹がシャワーからあがった。


ガウン姿の雅樹。


あれ?長さ短くない?










No.16

「あー、さっぱりした!髪まで洗っちゃったよ」


少し長めの髪にパーマ。


「シャワー入って来たら?さっぱりするよ」


「…行って来ます」


脱衣場に向かう。


雅樹が入った時のあたたかさが残る。


雅樹みたいに髪まで洗うと、自宅に帰った時にバレる可能性がある。


化粧は直せるが、髪は直せない。


アメニティの中を見たらシャワーキャップがあった。


それを被る。


美容室でこんなのを被っている人をたまに見掛けるなーなんて思いながら鏡の中の私を見る。


髪以外、キレイさっぱりした。


バスタオルで体を拭く。


バスローブを手に取り悩む。


バスタオルをまいて行けばいいの?


それともガウン?


ガウンの下は下着着けるの?


裸の状態でガウンを羽織るの?


わかんない。


雅樹はガウン着ていたからガウンだよな。


えっ、雅樹はパンツはいてた?


どうしたらいいの?


雅樹に聞く?


いや、それもおかしい。


しばらく悩んだ末、裸の状態でガウンを羽織る事に決めた。


シャワーキャップも取り、ガウン姿でソファーに座っている雅樹の隣に座る。


ふとテレビを見ると、さっきチラッと見たアダルトチャンネルが写っていた。


雅樹も大人の男性だもん。


みるよね。


兄や弟の部屋でも隠してあるの見つけた事あるし。


母親にバレない様に奥にしまいこんであげたけど。


思わず雅樹と一緒にみる。


しばらく私も雅樹も無言だった。


するとテレビが消えた。


部屋の電気は私がシャワーしている間に雅樹が暗くしていた。


「まり、おいで」


部屋の真ん中に鎮座しているベッドに行く。


もう雅樹に身を任せる!


雅樹は多分慣れてる。


それなりに経験はありそうだ。


モテそうだもんな。


本当に私なんかでいいのかな。


すごく優しくリードしてくれる。


うまく緊張をほぐしてくれる。


避妊具つけるの慣れてるな。


そりゃそうだよな、8歳も年上だもん。


でも幸せだよ、私。


愛する雅樹と1つになれた。


何回も愛してるって言ってくれた。


何だろう。


何か壁がパーっと外れた感じがする。


急に雅樹に近付けたみたいな。


でもやっぱり恥ずかしい。


そんな初めての体験談。

No.17

翌日。


普通に仕事がある。


この日は先輩事務員の田中さんと立花さんが当番だから、私は通常出勤。


「おはようございます!」


「加藤さん!おはよー!いいところに来たー!助けてー!」


給湯室から田中さんの声がする。


「どうしたんですか?」


慌てて給湯室に向かう。


田中さんがお茶の在庫を確認していたら、茶葉の入れ物を丸ごと全てひっくり返してしまい、給湯室の小さな台所と周りに大量の茶葉が散乱していた。


田中さんも頭からかぶり、髪の毛に大量の茶葉がついていた。


「ちょっと待っていて下さい!今、ほうきとちり取り持って来ます!」


急いで掃除用具のところに向かい、ほうきとちり取りを持って給湯室に向かう。


田中さんが「ごめんねー朝から、本当信じられない!いやだもー!ブラウスの中にもお茶がいる!」


給湯室の入り口のカーテンを閉めて、田中さんはブラウスを脱いだ。


細かい茶葉が体全体についている。


「田中さん!今、タオル取って来ますから待っていて下さい!」


今度はタオルを持って取りにバタバタ走る。


「ちょっと濡らして背中拭きますね」


「ありがとー」


ブラジャー状態になっている田中さんの背中を濡れたタオルで拭く。


女性同士だから問題はないだろう。


遅れて立花さんが来た。


カーテンの向こうで「大丈夫?」と心配そうに声をかけて来た。


給湯室はほぼ事務員しか使わないため、男性社員に見られる事はないだろう。


髪についた茶葉はなかなか取れない。


田中さんは諦めて「今日1日ご一緒するわ」と茶葉を頭に残しながら仕事をした。


事務員3人で茶葉の片付けをしていたら遅くなり、気付いたら始業時間を20分も過ぎていたが、そこまでうるさく言われる会社ではないので、3人一緒に静かに事務所に戻る。


給湯室で騒いでいたから、何かあったんだろうな、くらいだろうか。


田中さんの髪には茶葉がついてるし、察する人はわかるだろう。


席に戻ると既に仕事をしていた雅樹と目が合った。


昨日の事がよみがえり照れながらパソコンに目を落とす。


今ある茶葉はほとんどひっくり返してしまったため、お客さんが来たらお茶を入れられない。


それに気付いた私と立花さんが近所のスーパーまでお茶を買いに行く事になった。



No.18

その日の夕方、会社に一本の電話が入った。


たまたま雅樹が電話を受けた。


電話で話しながら雅樹の顔が急に険しくなる。


「加藤さん!2番出て!」


雅樹が私に電話を取る様に大きな声で言う。


えっ?私?


「あっ、はい」


受話器を取り2番を押す。


その様子を雅樹はじっと見ていた。


弟からだった。


「ねーちゃん、仕事中に申し訳ない」


「圭介?どうした?」


「父さんが仕事中に事故を起こして総合病院に運ばれたんだ」


「うそ…」


「さっき出た人にも伝えたんだけど、ねーちゃんこれから病院に来れるかな」


「わかった、今から行く」


電話を切り、部長に事情を説明。


隣の立花さんと田中さんには直接事情を説明。


「早く行って!後は私達がやるから!」


立花さんと田中さんはそう言ってくれた。


部長も「すぐに帰りなさい」と言ってくれた。


チラッと雅樹の方を見た。


口パクで「行け」と言っていた。


制服のまま急いで総合病院の救急外来に向かう。


母親と弟がいた。


「兄ちゃんは?」


「今向かってると思う」


「お父さんは?」


「今手術中」


険しい顔で弟が答える。


母親は椅子に座り無言のまま。


程なくして兄も来た。


家族4人、無言が続く。


兄は廊下をうろうろ。


落ち着かない。


弟もしきりに立ったり座ったりを繰り返す。


母親はじっと目をつぶり動かない。


私も落ち着かない。


手術室の中が騒がしくなった。


不安が襲う。


父親の手術をした医者が出て来た。


遠くまで歩いて行った兄が小走りで戻って来た。


「加藤さんのご家族の方ですか?」


「はい、そうです」


兄が答える。


医者の話をまとめると、出血は酷いが命に別状はない。頭を強く打っているので脳の精密検査をします。


あばら骨2本骨折。

前歯損壊、顔面裂傷。


父親は集中治療室に運ばれていた。


生きてて良かった!


色んな管がつけられ酸素マスクをしているが、今は麻酔で寝ていると説明を受けた。


寝ている父親をじっと見つめる母親。


唇をかみしめていた。


涙をこらえて居るのかもしれない。







No.19

時刻は22時を過ぎていた。


医者や看護師さんからも、とりあえず今日は帰宅して下さいと言われたため、各々帰る事にした。


母親は弟と一緒に帰宅、兄と玄関先でちょっと話し別れた。


車まで戻ると、私の車の隣に雅樹の車があった。


私の姿を見ると、車から降りてきた。


雅樹の姿を見ると、今まで我慢していた涙腺が崩壊し泣いた。


雅樹は私が落ち着くまで、黙って抱き締めてくれていた。


泣き止み、落ち着いて来た。


化粧も取れてぐちゃぐちゃな顔の私。


雅樹の車の助手席に乗り込む。


「親父さん、どうだった?」


雅樹は優しくゆっくり話しかけてくれた。


「弟さんから電話をもらって、親父さんが事故を起こして総合病院に運ばれたので姉に伝えてもらえますか?って言われた時はびっくりしたよ」


ああ。だから雅樹は総合病院だとわかったのか。


帰る時には急いでいたし、病院しか言ってなかったはずだから。


「心配で来てみたら、加藤さんの車が停まっていたから、出てくるまで待とうと思って」


「こんな遅くまで…申し訳ない」


「でも親父さん、命に別状がなくて本当に良かった。親父さんも今が一番辛い時だけど、きっと元気に回復してくれるだろうから!加藤さんも頑張って!」


「ありがとうございます」


また泣いた。


私は制服のまま、雅樹はスーツのままだから、雅樹はずっと無意識で私をまりではなく加藤さんと呼んでいた。


私も気付かなかったが、途中で雅樹は気付いたらしく「俺、ずっと加藤さんって言ってたわ。制服のままじゃ仕事抜けないな」


「明日、休むか?」


「…」


「田中さんが、加藤さんに恩返しします!加藤さんがしばらく休んでも任せて下さい!と宣言していたぞ?今朝何かあったのか?」


「ふふ」


思わず笑ってしまった。


「大丈夫です。明日出勤します。ありがとう」


「無理しなくて大丈夫だぞ?」


「本当に大丈夫!明日、田中さんと当番だから心配だし出勤しますよ。長谷川さんもいるし」



「そろそろ長谷川さんって呼び方やめないか?会社以外では」


「…雅樹」


「そう、俺は雅樹だ。親父さんも助かったし、まりの顔も見れたし、明日も仕事だから俺帰るけど…本当に大丈夫か?」


「大丈夫」


雅樹を見送り、私も帰宅した。







No.20

父親が一般病棟に移った。


母親は、ほぼ毎日父親の病室にいた。


私も行ける時は、仕事帰りに父親の様子を見に行った。


雅樹に会える時間は減ったが、雅樹は「親父さん優先で」と言ってくれていた。


うちの会社が繁忙期に入る。


毎日残業続きになり、しばらく父親のお見舞いも行けなかった。


日曜日。


仕事は休み。


母親は今日も父親の面会へ。


昨日、仕事が終わってから雅樹からボソッと「明日、時間取れる?10時に自宅近くのいつもの場所に迎えに行く」」


そう言われていたから、10時に待ち合わせ場所に向かう。


雅樹が待ってた。


運転しながら雅樹が「俺、一人暮らしを始めようと思って」


私もだが、雅樹も実家暮らしだった。


「今日部屋探ししようかなーって。まりにも一緒に選んで欲しいなーって思って。そうしたら今よりまりに会える様になるし、またいっぱいキス出来るし(笑)」


顔が真っ赤になる私。


「そういうところ可愛いよなー(笑)」


父親の事や仕事が忙しいのもあり、雅樹とは郊外のラブホテルでの初体験以来、何もない。


駅前のチェーン店の不動産屋さんに入る。


「いらっしゃいませ!こちらにどうぞ!」


爽やかな男性が迎えてくれる。


カウンター席に案内された。


雅樹が受付票みたいな紙に書き込む。


営業の男性が私に「奥様ですか?」と言って来た。


雅樹が「いえ、まだ奥様ではないんですけど」と答える。


「失礼しました!でも新しい部屋って気になりますよね?」


雅樹が受付票を書いている間、営業の男性は笑顔で話をしてくる。


雅樹の希望は荷物が多いという理由で2DKで駐車場付き、お風呂トイレ別。


階数は何階でも、市内であればどこでもOK。


こだわりは特にない様だ。


営業の方が候補として5つの部屋の間取り図を持って来た。


1つに、私の自宅から徒歩2分位のところにあるアパートがあった。


雅樹が「ここ見てみる?ここなら、まりの家近いし会えるね」


そこと、もう1つは比較的会社に近いところの2つに候補を絞り案内された。


自宅近く乗り込むアパートは多少古いが内装はキレイだった。


会社近くは新しいが、駐車場が狭い。


雅樹は、自宅近くのアパートに決めた。















No.21

この時はまだ、職場で私と雅樹が付き合っている事は立花さん以外知らない。


立花さんも誰にも言わないという約束は守ってくれているし、私達も必要最低限の会話しかしないしむやみに仲良くしていない。


仕事とプライベートは完全に分けたいという雅樹の意見に私も同意。


たまに目が合ったりするが見つめ合う訳ではない。


雅樹の引っ越しの日。


この日は手伝いに行きたかったが、会社の同僚2人が手伝いに来るとの事で、私は雅樹には会わずに母親と一緒に父親の病院へ向かった。


病院に向かう時は雅樹のアパートの前を通る。


うちの会社の2tトラックと同僚2人の姿が見えた。


2人は私には全く気付いていない。


夕方、私は先に病院から自宅に戻った。


雅樹に連絡をしてみる。


同僚は帰って今は1人だと言うので、早速雅樹の新居に向かう。


まだ段ボールだらけの部屋。


少しは出したのか空箱も何個かある。


「手伝いますよ」


「悪いね」


とりあえず、仕事に必要なものと着替えとスーツと寝るスペースだけは何とかしたい。


2人で黙々作業をする。


すると部屋のインターホンが鳴る。


「えっ、誰!?」


顔を合わせる。


モニターを見たら手伝いに来てくれていた同僚。


「ヤバい、牧野だ!靴とカバンを持ってあっちの部屋に隠れて!」


慌てて靴とカバンを持って奥の部屋の段ボールの後ろに隠れた。


玄関先で話している声が聞こえるが内容まではわからない。


ちょっと経ってから「まり、牧野帰ったからもう大丈夫だよ」と雅樹の声が聞こえた。


牧野さんは財布が見当たらないから、部屋に落ちてないか?というものだった。


ちょうどドアの裏側に落ちていた。


あって良かった。


母親にバレない時間帯ギリギリまで片付けを手伝った。


20時までが面会時間だから、いつもその時間までは病院にいる。


「そろそろ帰ります」


「今日はありがとう!助かったよ」


「片付けが落ち着いたら、まりとゆっくり出来るな」


そう言って抱き締めてくれてキスされた。


「愛してるよ、まり。おやすみ!また明日!」


母親が帰宅前に自宅に戻った。










No.22

永年勤務していた、雅樹と同じ部署の片山さんという男性社員が定年する事になった。


雅樹の上司になる。


社長からも信頼があった片山さんは、会社でも社長の次に力があると言ってもいい位の立場の人だった。


私も色々お世話になった。


片山さんはお酒は全く飲めないが、送別会を開いた。


目に涙をいっぱいためて、お別れの言葉。


社長も社長の奥さんも泣きながら片山さんとの別れを惜しんだ。


片山さんの後に入社したのが、28歳の真野さん。


大変キレイな女性。


若い男性社員が「真野さんって美人だよな」
「華がある!」「長谷川いいなー」とひそひそ話している。


雅樹が真野さんについて教える事になっていた。


「華がなくて悪かったわねー」


隣の立花さんが私にコソッと男性社員の話しに反応。


「真野さん、確かにキレイな方ですもんね」


私が答える。


「加藤さん、ヤキモチ妬かないの?」


「うーん、全くないと言ったら嘘ですが仕事ですから仕方がないです」


「まぁーねー」


小声でヒソヒソ話す。


昼休憩。


私と立花さんと田中さんの3人で、雅樹の隣のデスクにいる真野さんの所へ行く。


「ご挨拶が遅れました!事務員の田中です!」


田中さんが先頭を切る。


「同じく立花です!」


「加藤です。よろしくお願いいたします」


雅樹が黙って見ている。


真野さんは立ち上がり「こちらこそご挨拶が遅れまして。真野久美子と申します。よろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げてくれた。


「お昼はどうされますか?私達3人、そこのスーパーの中にあるマックに行くんですけど、真野さんお昼用意されていないなら一緒にどうですか?」


田中さんが真野さんを誘う。


「ありがとうございます。でも、お弁当を持って来てしまいまして…」


「あっ、そうなんですね!じゃあまた次に機会があった時は是非お昼ご一緒しましょう!」


「ありがとうございます」


真野さんは深々と頭を下げた。


手足が長くて顔が小さい。


モデルさんみたいだ。


同じ女性でもこんなに違うんだなー。


真野さんを間近で見てそう思う。













No.23

事務員3人、スーパー内にある小さなフードコートみたいな場所にあるマックでお昼ご飯。


突然、田中さんが「何かさー、長谷川さんと真野さんってお似合いのカップルみたいじゃない?真野さん美人だし、長谷川さんも悪くないじゃない?」と言い出した。


立花さんは目を丸くして一瞬私を見る。


私はハンバーガーを持ちながらフリーズした。


田中さんは続けて「私のデスクの通路挟んだ前が真野さんと長谷川さんでしょ?視界に入るんだよねー。片山さんはたまにオヤジギャグ言って笑わせてくれたりして楽しかったけど、最近彼氏にフラレた私には美男美女カップルが視界の先に入るのはツラいのよ」と一気に話す。


田中さんは私と雅樹が付き合っているのを知らないので仕方がないが、真野さんと雅樹がお似合いのカップルと言っていたのが、ちょっとツラかった。


立花さんが「まぁ、真野さんは入社したばかりだし長谷川さんも教えなきゃならないしね。真野さんがある程度仕事覚えたらそうでもなくなるんじゃない?」と話す。


多分、私へのフォローだ。


田中さんは私に「ねー、加藤さんは彼氏いるの?」と聞いてきた。


「…いや、今は特に」


嘘をついた。


珍しく立花さんが焦っている様に感じる。


「立花さんは彼氏と長いでしょー?結婚すんの?」


田中さんが立花さんに話を振る。


立花さんは「うーん、どうだろうねー。今はまだ結婚は考えてないかな?」と答える。


「私、来月でもう31歳だよ?あーあ、周りは結婚していくし焦るわー」


田中さんはそう言いながらシューズを飲み干した。


田中さんは何も知らないから仕方ないのはわかっている。


わかる。


でもたまにヒヤッとする爆弾を落とされる。


今はまだ、雅樹との関係を隠しているが、爆弾を落とされたらバレてしまいそうで怖い。


昼休憩も終わり事務所に戻る。


若い男性社員何人かが真野さんの近くにいた。


雅樹はデスクにはいない様子。


田中さんの言葉が離れない。


雅樹と真野さんがカップルに見えてしまいつらくなってしまった。







No.24

その日の夜、雅樹は学生時代の友人達と飲みに行く予定だったため、私は真っ直ぐ自宅に帰る。


「ただいま」


「お帰りなさい」


母親が返事をする。


「まり、今週末からしばらくの間、美枝子おばさんのところに行くから、その間お父さんの事を頼める?着替えとかなんだけど」


「いいよ。美枝子おばさん、何かあったの?」


美枝子おばさんとは母親の姉。


「ヘルニアで入院する事になったんだって。ほら、美枝子おばさん一人でしょ?来てくれないか?と頼まれたんだよ」


美枝子おばさんの旦那は10年前に他界し、子供(私のいとこにあたる)は飛行機か新幹線利用の遠方に住んでいる。


「わかったよ」


「着替えて来なさい」


「はいはい」


部屋着のジャージに着替える。


ご飯を食べるが食欲がない。


「何か疲れたから、お風呂入って早く寝るわ」


「そう?おやすみ」


お風呂に入り一息つくと、昼間に言われた田中さんの言葉がグサグサと来る。


涙が出て来た。


至って普通な地味な私より、男性なら10人中10人、絶対真野さんを選ぶよなー。


スタイルいいし、顔も美人だし、いい香りしたし、仕事も経験者だから覚えも早いだろうし。


雅樹もあんな美人が近くにいたら気持ち変わるよね、きっと。


ひがみが出て来た。


自分に自信がないから、すぐにネガティブな方向に進む。


小さい頃からの悪いクセ。


クラスのカーストではいつも一番下の位置。


コミュニケーション能力もなかったから友達は出来なかったが、ひとりでいるのは嫌いじゃない。


高校に入ると、みんな彼氏だー!彼女だー!と楽しそうにしていたけど、私は片想いで終わり、部活に打ち込む毎日。


吹奏楽部員とかは話す人もいたが、学校帰りに一緒に出掛けて遊びにいくという事も余りなかった。


だからといって勉強が出来た訳でもない。


数学、英語、化学はいつも赤点ギリギリ。


歴史と地理と古文だけは人並みだった。


一度だけ古文のテストで98点という点数をとった。


クラスで1番だった。


目立つ事が苦手な私はその日目立ってしまい嫌で嫌で仕方がなかった。


そんな私だから、彼氏なんて出来る訳ないよね。


雅樹という彼氏も夢でも見ていたのかな。


そんな気持ちのまま就寝した。








No.26

週末土曜日。


母親が美枝子おばさんのところに行った。


「もしかしたら1週間位あけるかもしれない。お父さんの事頼むね」


出勤前に母親を駅まで送る。


「うん。大丈夫。気をつけて」


母親を見送ってから出勤。


うちの会社は土曜日は通常営業。


休みは日祝と盆正月。


今日、仕事が終わったら雅樹のアパートで一緒に夜を過ごす予定。


付き合ってから初めての泊まり。


楽しみにしていたが、こんな時に限って会社でトラブルがある。


トラックが事故を起こした。


事故トラブルは雅樹の部署の担当のため、雅樹と上司である部長と2人が事故現場まで向かった。


この日、田中さんは急性胃腸炎のためお休み。


立花さんと「田中さんの分も頑張ろう!」と2人で仕事に取り掛かる。


それでも立花さんはこそこそと話しかけて来る。


「今日ね、彼氏の誕生日なんだ!」


「そうなんですか?おめでとうございます。何かお祝いするんですか?」


「長谷川さんの友達のお店を予約したの!前に加藤さん話していたでしょ?行ってみたくなっちゃって」


「すごく良かったですよ!楽しいお祝いになるといいですね!」


「ありがとう!加藤さんは長谷川さんと過ごさないの?」


「仕事が終わったら長谷川さんのアパートで一緒に過ごす予定ですが、事故トラブルで部長と行っちゃいましたからどうなるか…」


「早く帰って来るといいねー。長谷川さんとはうまくいってる?」


「はい!立花さんのおかげです」


「なら良かった!今日はお互い楽しみがあるから仕事終わらそ!」


そう言いながら席に戻った。


会社の電話が鳴り私が取る。


電話の相手は雅樹だった。


「加藤さん?」


「はい」


すると小声になり「今、部長いないから手短に」


「はい」


「今日、もしかしたらちょっと遅くなるかもしれないから、先に俺のアパートに行ってて。鍵は今朝、まりの机の引き出しに入れたから」


「わかりました」


あくまでも事務的に返す。


更に小声になり「部長来た」


そして「お疲れ様です。牧野さんか千葉さんに繋いで下さい」


「わかりました」


保留にし、牧野さんに取り次いだ。


ふと隣の立花さんを見たが、私と雅樹の会話だとは気付いていない様子。


ドキドキした。

No.27

「加藤さん!お疲れ様ー!」


「お疲れ様でした!」


定時過ぎ、立花さんは消える様に帰って行った。


まだパソコン見てる人、帰る準備してる人。


定時過ぎのいつもの光景。


雅樹と部長はまだ帰って来ない。


急いで帰っても仕方ない。


給湯室に行き、従業員が使ってそのまま置いてあった湯呑みやコーヒーカップを洗う。


すると真野さんが来た。


「お疲れ様です」


「あっ、真野さん、お疲れ様です」


「長谷川さんと部長が戻りませんが、帰宅しても大丈夫なんでしょうか?」


「大丈夫ですよ。待っていてもいつになるかわかりませんし」


「ありがとうございます」


「いえ。私もここが片付いたら帰りますので」


「では帰ります。お疲れ様でした」


「お疲れ様でした」


真野さんはお辞儀をして更衣室に行った。


そうだよね、上司が戻らないのに帰っていいのか不安になるよね。


やっぱり改めて見ても美人だなー。


今日、雅樹と晩御飯何を食べようかなー。


まだ雅樹の部屋は片付けきれていないし、うちで何か作るかな。


でも作れるものは限られる。


カレーにしよう!


カレーなら作れる!


鍋ごと持って行けるし!


よし、そうと決めれば帰ってから準備だ!


洗い物も終わり、机の引き出しを開けるとポンと置かれた鍵があった。


にやける私。


何人か残っていたが「お疲れ様でしたー!」と言って会社を出て、真っ直ぐスーパーへ。


イモはうちにあったな。


玉ねぎもあったな。


雅樹が会社で良く飲んでいるコーヒー、私が好きなお茶、お菓子他もろもろ買い物し帰宅。


台所に直行し米セット。


早炊き機能って便利ー!


早速カレー作りに入る。


カレーだけは誉められる唯一の料理。


気合いが入る。


雅樹に初めての手料理。


あともう少しというところで自宅の電話が鳴る。


母親だった。


「まり、帰ってたの?」


「今さっきね」


「美枝子おばさん、2週間位入院するみたいだから、それまでお父さん頼むね。毎日じゃなくても大丈夫だから」


「うん、明日お父さんのところに行ってみるよ」


「うん、じゃあね」


電話が切れる。


帰っているのか確認したかったのだろう。


電話に間に合って良かった。




No.28

急いで作ったから、いつもと何か違うけど仕方ない。


炊き上がったご飯を大きめのタッパーに詰める。


カレーは小さな鍋で作ったから、このまま持って行こう!


泊まりの準備。


最近、やっと携帯電話を持ち始めた。


雅樹とお揃いの機種にした。


雅樹から電話が来た。


「まり?お疲れ」


「お疲れ様です」


「今、会社に着いたから、これから書類作成してから帰る」


「はい」


「晩飯どうする?」


「カレー作ったから一緒にどうかな?と思って」


「まじで?まりのカレー食べられるの?急いで帰るから!じゃ!」


切られた。


あと30分くらいはかかるかな。


着替え持ったし、カレーも持った。


玄関の鍵を閉めて、歩いて雅樹宅へ。


まだまだ散らかっているし、生活用品も全部揃ってはいないけどだいぶ部屋らしくなっていた。


カレー、結構重たかった。


手が痛い。


台所に鍋とまだあたたかいご飯を置く。


居間はだいぶ片付いたみたいだが、奥の部屋がまだ段ボールが残っていた。


片付けてあげたいけど、勝手にあけたら怒られるかな?


居間の他に部屋が2つ。


雅樹が学生の頃に趣味でやってたというギターを見つけた。


元吹奏楽部。


多少は弾ける。


楽器自体が久し振り。


ギターを弾いてみる。


高校の学祭の時に練習して披露したバンドの曲を弾いてみた。


意外に覚えてるもんなんだなー。


楽しくなって来た。


知っている曲を色々弾いて遊んでいた。


「まり!ただいま!まりってギター弾けるの?意外!初めて知ったよ」


「おかえりなさい。ごめんなさい、勝手にギターで遊んでました」


「全然いいよ!結構うまいじゃない。ちょっとの間聞いてたんだけど、気付いてくれないから声かけた(笑)」


「ごめんなさい」


「いいの!いいの!何かいいね。帰って来てまりが部屋で待っててくれるのって」


照れる。


「部屋、全然片付かなくて」


「仕事しながらだし仕方ないよ」


「まりのカレー楽しみで帰って来たんだ!早速食べない?お腹すいた!」


「台所借りますね」


「自由に使って!俺、ちょっと着替えてくるね」


「はーい」


何これ。


めちゃくちゃ楽しくない!?






No.29

「いただきます」


雅樹と向かい合わせになりカレーを食べる。


「うまいよ!マジでうまい!」


「本当に?」


「本当!いやぁ今日頑張って良かったー!」


雅樹はあっという間に間食した。


「ごちそうさまでした」


私は台所を借り後片付け。


洗い物をしている私に後ろから雅樹が「何か新鮮!初めてだもんね、夜一緒に過ごすの。新婚初夜みたいだね」


何か照れる。


「まりとなら幸せに過ごせそうだな」


照れまくりひたすら無言。


後片付け終了。


雅樹の隣に座る。


雅樹はテレビをつけてお茶を飲んでいた。


「お酒飲まないの?」


「うーん、半々かなぁ?気分だよね。今日はまりと一緒に過ごすし、酔っ払ったらもったいない気がして」


気になる事を聞く。


「あのね、新しく真野さんが入って来て雅樹がついて教えているでしょ」


「うん」


「真野さん、美人でしょ?」


「まぁ、キレイな人だよね」


「ずっと一緒だから心変わりするんじゃないかって心配で…」


「確かに真野さんはキレイで仕事を覚えるのも早いけど、だけどあくまでも会社の人。特別な感情はないよ」


「真野さんが入社した日、お昼に私と田中さんと立花さんと3人で真野さんに挨拶に行ったの覚えてます?」


「うん」


「あの時、3人でマックでお昼食べて」


「うん。言ってたね」


「その時に田中さんが長谷川さんと真野さんってお似合いのカップルみたいだー!美男美女カップルだー!って言ってて…何かショック受けちゃって」


「田中さんは俺達の事を知らないから仕方ないよ。俺からまりに告白して付き合うってなって、俺の中では真野さんよりまりが日本一可愛い女性だと思っているよ」


「ありがとう。でも私となんかつり合わないんじゃないかって思っていて」


「俺の女はまりだけ!心配すんなって。だって俺、本当にまりの事が大事だし愛しているんだよ?」


「ありがとう」


「まりはしっかり約束を守ってくれている。会社ではきちんと一線ひいて先輩として立ててくれて接してくれている。甘えて来たり、なれなれしくして来ない。だから会社でもいい関係でいられる。社内恋愛ってバレたらどうしても相手を思い浮かべてしまい仕事しにくくない?ありがとう」


嬉しい。












No.30

雅樹と初めてゆっくり語り合った。


「雅樹ってモテたでしょう」


「そんな事はないよ」


「田中さんも立花さんも雅樹の事を誉めてたし」


「ありがとう」


「雅樹って部活って何をしていたの?」


「小学校と中学校は花のサッカー部。高校は帰宅部。まりは?」


「私は中高吹奏楽部一筋」


「あー。だからギター弾けるのか」


「だいたいの楽器は基本はわかるけど、演奏は出来なくて。だからパーカッション」


「かっこいいじゃん!すごいね!」


「あのね、聞いても大丈夫?」


「ん?なに?」


「どうして私だったのかなと思って」


「理由?うーん、可愛いなと思ったから」


「初めて言われました」


「今までの男に見る目がなかったんだよ。可愛いよ?おとなしいけど仕事は真面目に頑張ってるし、失敗しても言い訳しないできちんと謝るし、優しいし、気配り出来るし。こんなにいい女いないよ?」


「そんなに誉められると、お世辞でも嬉しいです」


「あっ、敬語禁止にしよう。名前は雅樹と呼んでくれる様になったけど、敬語は堅苦しい。今からダメー!(笑)」


「えー」


「プライベートは彼氏なんだよ?」


「はい」


「ほらほら!敬語!(笑)」


「うーん、難しい」


ふと時計を見ると、夜中1時を過ぎていた。


「まりといると、時間が過ぎるの早すぎ!そろそろ寝る?シャワー入ろうか、一緒に」


「さらっと一緒に入るとか言わないで!恥ずかしい」


「まりとイチャつきたい!だってあれからお預けだったんだもん。またまりと抱き合いたいけどなかなかゆっくり会えなかったから我慢していたんだよ?」


「…」


「よし、入ろうか。電気は消すから」


「…わかりました」


「また敬語!(笑)」


そう言いながら私をお風呂場に連れていく。


結構強引だな。


強引さに負けて一緒に入る。


「まりって結構スリムだよね」


「そんな事はないよ、胸ないし」


暗いからほんのりお互いの姿が見える位。


だからそう見えるだけだよ。


「ダメだ、我慢出来ないよ、まり」


そう言って後ろから襲われた。


えっ、私まだ2回目だよ?


そんないきなり後ろから来られてもどうしたらいいのかわからないよ?











No.31

綺麗に体を洗う。


お風呂から上がる。


そのまま無言で裸のまま寝室に連れて行かれる。


ベッドに押し倒される。


雅樹の真剣な顔が真上にある。


ドキッとした。


「まり。結婚しないか?そして一緒に住まないか?」


「雅樹…」


「俺、こんなに女の人を愛した事がないんだ。まりの事が好きすぎておかしくなりそうなんだ。離れたくない。ずっと俺の側にいて欲しい」


そう言ってキスしてきた。


何回も何回もキスしてきた。


3回目が始まる。


何度も何度も愛してると言って優しく包んでくれる。


私の事を本当に愛してくれているのが伝わる。


仕事の時の雅樹とは全く違う。


中に出された。


でもいいやって思った。


翌朝。


隣に雅樹の姿はなかった。


「おはよう、起きた?寝顔も可愛いね」


「…おはよう」


「今日、親父さんの病院に行くんだろ?」


「うん」


「昨日、激しかった?髪の毛爆発してるよ?」


そう言って笑っている。


「…シャワー借りる」


「どうぞー」


いつもの雅樹。


シャワーを借り、持って来たメイク道具で化粧をする。


髪を乾かし適当に結ぶ。


「おっ、加藤さんおはよ!いつもの加藤さん(笑)」


仕上がった私を見てからかって来た。


「まり、すっぴんだと印象がちょっと変わるんだね。眉毛がなくなるけど、すっぴんも可愛いよ」


恥ずかしい。


「女の人って大変だよなー。毎日今のルーティーンでしょ?俺なんか起きてからシャワー浴びたら10分もあれば十分だもんな」


「朝ごはん食べる?お腹すかない?パンならあるよ?」


「食べようかな?」


「昨日はまりが作ってくれたから、今日は俺が何か作るよ!って言っても目玉焼きくらいしかできないけど(笑)」


「ありがとう」


雅樹はパンを焼き、目玉焼きを作ってくれた。


「いただきます」


普通の食パンだけど、すごく美味しく感じる。


面会時間は13時から。


今はまだ9時半を過ぎたところ。


「面会時間、13時だからそれまで一緒にいてもいいかな?」


「もちろん!俺も今日はそれまでまりといたい」


隣に座ってくっついてみる。


肩を寄せキスされた。


幸せな時間が過ぎた。


















No.32

母親がいない間、雅樹と半同棲生活をした。


多少の着替えと荷物を雅樹のアパートに持って来た。


仕事終わってから一旦自宅に帰り、翌日の仕事着を準備し、母親からの連絡を待ち、終わってから雅樹のアパートに行き一緒に寝る。


朝は雅樹のアパートから出勤。


雅樹が仕事で遅くなりそうな時は、父親の病院に行ったり自宅で洗濯をしたりしていた。


仕事で遅くなった時以外の夜はほぼ毎晩抱かれた。


最初は痛かったものが、痛くなくなった。


痛くなくなると、雅樹を前より大胆に受け入れられる様になった。


母親が帰って来る前日は日曜日。


「明日からは、まりがいなくなるんだ…」


朝から猿並にやりまくった。


愛しまくった。


感じまくった。


ずっと裸でくっついていた。


翌朝。


仕事もあるし、持参した荷物も片付けて一旦自宅に帰りたかったため5時過ぎに起きた。


それに気付いて雅樹も起きた。


「まり、今日でしばらく会社でしか会えなくなるなー寂しいなー」


そう言って後ろから襲われた。


終わってから「今度はいつ、まりを抱けるかなー」と言われた。


「もう十分したよ。今までの分もこれからの分も」


「だってSEXしてる時のまり、すごく感じまくってくれてたまらなく好きなんだよ。最高な時間はもう終わりかー」と言いながら渋々ベッドから出る雅樹。


一旦自宅に戻り、シャワーを浴び通勤服に着替えて準備をし出勤。


いつも通り雅樹も出勤。


「加藤さん、おはよう」


「おはようございます」


お互い仕事のスイッチに切り替える。


仕事をしていたら、立花さんがいつも通り椅子ごとスーっと近付き、小声で「最近、加藤さんと長谷川さん、同じ香りがするんだよねー。シャンプーなのかな。気付いてた?」


「本当ですか?」


「うん。気を付けて」


「ありがとうございます」


「結構、気付く人は気付くからね」


「はい、気を付けます」


「同じ香りって事は、そういう事かー!って思って、ごめん勝手に想像して一人で笑ってる(笑)」


「大丈夫です」


「仕事戻りまーす」


そう言って立花さんは席に戻った。


































No.33

真野さんの歓迎会が開かれた。


幹事は雅樹。


駅前の居酒屋。


社長は所用で来る事が出来なかったが、代わりにお金は出してくれた。


足りない分は自腹ねー、私は行けないが真野くんにはこれからも末永く頑張って欲しいと社長。


主役の真野さんの隣の席の争奪戦が始まる若い男性社員。


見ていると面白かった。


立花さんも田中さんも笑いながら見ている。


すると真野さん「お世話になっている長谷川さん、隣大丈夫ですか?」と雅樹を隣に来た。


「俺、幹事で忙しく動くから落ち着かないよ?」


雅樹が真野さんに伝えるが、真野さんは「大丈夫です」と言っている。


いつもいる雅樹が近くにいた方が、緊張は少しとけるよね。


私は端っこの席に座る。


その隣に立花さん、その隣に田中さん。


歓迎会が始まった。


次から次、飲み物からつまみまでどんどん店員さんが運んで来る。


端の席の私は来たものをどんどん流し、空いたグラスや食器を下げて、個室の入り口に置く。


立花さんも田中さんも手伝ってくれる。


男性社員はお酒も入り盛り上がっている。


真野さんは雅樹と何やら話している。


すると酔っ払った若い男性社員が「えー何々?何をこそこそ話してるのー?長谷川ー!真野さんを独り占めすんなよー」


真野さんは「長谷川さんは本当に丁寧に色々教えて下さって感謝しています」と雅樹に笑顔。


やだ、美人は何しても美人だなー。


酔っ払った男性社員が「長谷川ー!お前うらやましいぞ!」と雅樹の頭をぐしゃぐしゃしている。


田中さんは「美人は特だよねー、いいなー。私も美人に生まれたかったなー」


ビールを飲みながら私と立花さんに話しかけて来た。


田中さんはほろ酔い状態。


「私だってね、頑張ればまだまだいけるんだからね!」


「私の事を振ったあのやろうを見返してやるんだから!」


田中さんはまだ傷心中。


かなりみんな酔っ払ってきた。


雅樹は幹事だからかひたすらお茶を飲んでいる。


私はカクテルを少し。


お酒は余り飲めない。


酔っ払った男性社員。


真野さんに絡みだした。


「うわー」


立花さんと私とその様子を見ていた。


真野さんは迷惑そう。


雅樹がやんわりと止めた。


必ずいるよね、こういう人。











No.34

私はひたすら、片付けたり来たものを回したり。


「加藤さん!ビールを3つ頼んで!」


「はい!」


「加藤さん!ハイボール2つ!」


「はい!」


すっかり私は雑用。


立花さんも手伝ってくれるし、別に雑用でも全然大丈夫。


田中さんは酔っ払っている。


フラれて日は経ってないし、飲んで少しでも前を向ければと思って、酔っ払った田中さんの愚痴を聞いていた。


雅樹が「加藤さん、ごめん、おしぼり頼んでもらえる?」


「はい!」


酔っ払った男性社員が飲み物をひっくり返してしまった。


私はおしぼりを店員さんに頼みに行く。


「長谷川さん、おしぼり持って来ました」


「ありがとう!そっからおしぼり投げて!」


「はい!」


密集しているため、雅樹の場所まで行くのはちょっと大変。


それが一番早かった。


冷静に判断し、幹事として色々仕切る雅樹に惚れ直す。



すると真野さん「長谷川さんって、彼女いるんですか?」と雅樹に聞いた。


ドキッ。


雅樹は「いるよ?どうして?」


真野さんは「あー、やっぱりいらっしゃいますよね。長谷川さんって素敵な方だから、彼女いるのかなと思いまして」


「普通だよ、褒めてくれてありがとう」


雅樹はそう答えていた。


それを聞いていた立花さんが「まさかとは思うけど、真野さん、長谷川さんを狙っている訳じゃないよね?」と私に言って来た。


「ヤバいですね」


「もしヤバい状態なら、私出来る限り協力するからね」


「ありがとうございます」


雅樹は真野さんに興味はないと言っていたが不安になって来た。


そういえば真野さん、今日ずっと雅樹の横にいるもんな。


すると男性社員が「真野さん、長谷川と付き合っちゃえば?お似合いだと思うよ?」と言う。


「いえ、そんな」


「真野さんも長谷川も独身なんだし、問題なくね?」


雅樹が「ほらほら飲み過ぎ!お茶飲めお茶!」と男性社員に自分のお茶を差し出した。


真野さんの反応。


まさか本当に雅樹を狙ってないよね?











No.35

二次会。


1/3の人は帰ったが、残りの皆は二次会に参加。


カラオケだった。


主役の真野さんも、立花さんも田中さんも二次会に参加。


もちろん幹事である雅樹もいる。


雅樹は同じ部署の同期でもあり、引っ越しを手伝ってくれた牧野さんという人と仲がいい。


牧野さんは仕事にはすごく厳しいが、普通に話せば優しくて面白く、雅樹も信頼している同僚。


2人で飲みに行ったりもしている。


真野さんはここでも雅樹の横に座っている。


ちょっとだけヤキモチ。


出来上がっている男性社員が「自分、歌いまーす」と選曲。


盛り上がる一曲。


これを皮切りに次々誰かが曲を入れていく。


田中さんも「私も歌う!」と一曲。


田中さんは声が通るから聞いていて気持ちがいい。


私は目立つのが嫌いなため聞き役に回る。


「加藤さんは歌わないの?」


隣にいた牧野さんが声をかけて来た。


「私は皆さんの歌を聞いている方が楽しいので…」


「俺とデュエットしない?」


「えっ!?」


「一曲フルを一人で歌う訳じゃないし、俺はジャイアン並の超がつく酷い音痴だから、加藤さんが自信ないとかなら絶対自信もてるよ!」


先輩からのお誘い、断るわけにいかない。


「わかりました」


「何がいい?」


「これからわかります」


「よし、じゃあこれで」


牧野さんは選んだ曲を入れる。


余り牧野さんとは話した事はなかったが、ちょっとだけ色々話をした。


「真野さんってキレイな方ですよね」


「そうだねー、モテそうな感じだよね。でもね、何か影があるというか、闇があるというか、なんて言えばいいのかわからないけど…」


「はい?」


そこで選曲した曲が入った。


「この曲だーれー?」


誰かの声が聞こえる。


牧野さんが「俺と加藤さん!」


「はいよー」と言われてマイクが2本回って来た。


歌っている間、雅樹は飲み物を頼みながらも笑顔でこっちを見ている。


「加藤さん、普通にうまいじゃん!」


「とんでもない、お恥ずかしい」


牧野さんがお世辞でほめてくれる。


「おーい、牧野!ちょっと手伝って!」


雅樹が牧野さんに手招きしている。


「今行くー」


そう言って牧野さんは雅樹の隣に座る。




No.36

いよいよ歓迎会もお開き。


3次会に行く人、帰る人に別れた。


田中さんも立花さんも帰るチーム。


私も帰る事にした。


田中さんと立花さんは帰り道は同じ方向。


私は真逆。


カラオケの前で2人と別れた。


「じゃあ加藤さん!またねー!田中さんは責任もって送り届けるから!」


「よろしくお願いします!お疲れ様でした!」


近くにいたタクシーに2人が乗り込むのを見届け見送った。


ふと雅樹を見ると、同僚達と笑いながら立ち話をしている。


真野さんも一緒。


私は歩いて帰ろうかなー。


そこまで遠くないし。


「じゃあ、私も帰ります。お疲れ様でした!」


「加藤さん!お疲れー!気を付けて帰んなよー」


同僚達が声をかけてくれた。


雅樹は私を見ていたが、私はぺこりと会釈して、マイペースで歩く。


ほろ酔いだからなのか、歩くのがとても気持ち良い。


うちまではゆっくり歩いて20分ちょっと。


車ばかり乗っているからたまに歩くのはいい感じ。


途中にある自動販売機でペットボトルのお茶をしている買い、飲みながらマイペースで歩く。


雅樹が住むアパートがちょっと先に見えて来た。


「もう少しで家だなー」


その時、すごい勢いで後ろから車が来た。


「こんな路地でスピード出してたら危ないじゃん!」


ちょっと左にカラダをよける。


その車は雅樹のアパートの駐車場に入っていく。


そしてこっちに向かって「まり!まり!」と言う声が聞こえる。


雅樹だった。


「あー!間に合った!もう家に着いちゃったかと思って飛ばしたよ」


「危ないよ」


「携帯に電話しても出ないしさ」


ちょっとふてくされてる。


「ごめん、全然気付かなかった」


「とりあえず無事に帰れて良かった。少しだけ、うちに来ない?」


「うん」


雅樹の部屋に入る。


玄関に入ってすぐに抱き締められた。


「またしばらく抱き締められないから」


そしてキスをされた。


「お酒のにおいがする」


「ちょっとだけ飲んだから」


小さく笑い合う。


「上がる?」


「今日はエッチなしだよ」


「わかってるよ(笑)」


「お邪魔しまーす」


見慣れた部屋。


とても安心する空間。





















No.37

「あー!疲れたー!」


雅樹はそう言いながらソファーに座り、上半身を後部に反らして伸びをした。


「まりも色々雑用やってくれてありがとな」


「立花さんも田中さんも一緒にやってくれたし全然大丈夫」


「まりの歌声、初めて聞いたけど普通にうまいね」


「そんな事ないよ、ありがとう」


「今度は2人でカラオケ行ってみようか?」


「そうだね。あのね雅樹」


「なに?」


「ずっと真野さん、雅樹の隣にいてちょっとヤキモチ妬いちゃった」


「ヤキモチ妬いてくれるの?」


「真野さんに狙われてない?」


「みたいだねー」


「えっ?」


驚く私。


「さっき、まりが帰るって言って歩いてったじゃん?その後俺も牧野達に「またな!」って言ってすぐに別れたんだよ」


「うん」


「近くの駐車場に車を停めてあったから、その駐車場に向かったんだよ。まりが家に着いちゃう前に追い付かなきゃ!と思って、ちょっと早足でね」


「うん」


「そしたら後ろから真野さんが「長谷川さん!良かったらこれから2人で飲みに行きませんか?って言われたんだ」


「うん」


「いや、俺彼女いるし、女性と2人きりで飲みには行けないし行きたくないとはっきり断ったんだ」


「うん」


「そしたら「長谷川さんの事が好きなんです」って言われた。


「…で、雅樹は何て言ったの?」


「俺は彼女の事を愛しているから、真野さんの気持ちには答えられない。今のは聞かなかった事にするからまた月曜日、また会社で会おうって言った」


黙る私。


「だって俺、まり以外の女性に興味ないもん。でも真野さんには辞めてもらうのは困るからそう言った」


「真野さん、月曜日来ても雅樹の顔を見たらツラいね」


「でも、のらりくらりかわして勘違いされるより、真野さんとは付き合えないよ!っていうのをはっきりさせないとね」


「同僚としては大事にしたいよ?指導係としてはね。せっかくだいぶ仕事も覚えたし」


「あのね、カラオケの時に牧野さんがね、真野さんの事を影があるというか、闇があるというかみたいな事を言ってたんだ。意味わかる?」


「あー、余り笑わないし表情がないんだよな。だからそう感じるかもね」


「そうなんだ」


「私、そろそろ帰るね」


「うん」


キスをして別れた。



No.38

月曜日。


「おはようございまーす」


「加藤さん!おはよう!」


いつもの朝。


更衣室に向かうと田中さんがいた。


「あ、加藤さんおはよう!この間は酔っ払っちゃって迷惑かけてごめんね」


「おはようございます。いえ全然迷惑なんてかかってないので大丈夫です」


「久々に飲んだわー。おかげでぐっすり眠れたし今日からまた頑張るわ!」


少しは傷心から立ち直ったみたいでよかった。


「おはようございます」


「あ、真野さんおはようございます!」


田中さんが挨拶。


「おはようございます」


真野さんが挨拶をする。


田中さんが「今日私当番だったの忘れてさっき来たんだよね。もう立花さんが掃除始めてるから行くわ!」


そう言って足早に更衣室を出て行く。


真野さんと2人きり。


何か気まずい。


「真野さん、この間は歓迎会お疲れ様でした。楽しめましたか?」


気まずくて目を見られないため、着替えながら無言も変な感じだから話をふる。


「はい、私のために歓迎会をして頂き感謝しています。仕事で返していきたいと思っています」


「頑張って下さい」


「ありがとうございます」


いつもと変わらない感じの真野さん。


「真野さんってここに入る前は何をされていたんですか?」


こんなにキレイな人だから興味があった。


「東京でモデルの仕事をしていました。とは言ってもアルバイトで、ちょっとしたものですが…」


「あー、やっぱりそうですよね。そんな感じしました。モデルさんとかすごいですね。でも何故こんな田舎街に?」


「高校までこっちなので」


「地元なんですね?こんなにキレイならモテますよね」


「いえ、そんな事はないです。普通にフラれますし」


「…そうなんですか?」


「はい。素敵な方にはやはり彼女がいるみたいです」


「なんかすみません、色々聞いてしまって」


「全然大丈夫です」


真野さんと一緒に並ぶと背が高いのがわかる。


170cmは間違いなくある。


私は160cm。


10cmちょっと違うだけで、こんなにウエストの位置って変わるものなのかな?


幼児体型の私と元モデルの真野さん、同じ人間とは思えない。


うらやましいなー。













No.39

私と真野さんが一緒に事務所に入ると、先に出勤していた雅樹が私達を見て、一瞬目を丸くして動きが止まった。


「長谷川さん、おはようございます」


真野さんが挨拶。


「おはよう。加藤さんもおはよう」


「長谷川さん、おはようございます!」


めちゃくちゃ笑顔で答えてみた。


雅樹は一瞬、顔がひきつる。


性格悪いがなかなか面白い。


立花さんと田中さんも戻って来た。


今日1日が始まった。


のんびりとした会社なのですごく気楽に働ける。


今日も相変わらず雅樹と真野さんは隣同士。


「加藤さーん」


立花さんがいつも通り椅子ごとスーっと隣に来た。


「何か今日は雰囲気違うね、真野さん」


今更だけど立花さんって、結構鋭い人なのかな。


「あの…立花さんにお話があるんです」


「よし、聞いてあげよう!お昼にねー」


そう言って、またスーっと椅子ごと席に戻る。


昼。


田中さんは今日はお弁当持参。


立花さんに話がなければ立花さんとお弁当を買って来て食べたいところだが、今日は適当な理由を言って、前にも来たファミレスに行った。


ランチを頼む。


「さあ!話してごらん!」


立花さんは満面の笑顔で聞いてきた。


真野さんの歓迎会の時に真野さんが雅樹に告白した事、雅樹が彼女がいるからと断った事、聞かなかった事にするから月曜日に会社で会おうと言った事を伝えた。


「そんな感じしたんだよねー、心配は本当だったね」


「そうなんです」


「でも長谷川さんって偉いよね。きちんと断れて。男子ってあんな美人に言い寄られたら下心芽生えるんじゃないの?男子って、上半身と下半身は別の生き物って言わない?」


「聞いた事はあります」


「いや、もちろん世の男子全てがとは言わないけど、そういう人が多いよね。長谷川さんがそれだけはっきり言ったんだったら心配ないんじゃない?真野さんも割り切れたから今日来たんだろうし。でもあの場で長谷川さん、はっきり彼女いるよ?って言っていたのにねー」


「ですね」


「彼女いるの知ってて告白って、よっぽど自信があったのかな、わかんないけど」


「まぁキレイだし、自信はあるかもですね。東京でモデルされてたみたいだし」


「そうなんだ、だろうねー」


立花さんと話すと安心する。




No.40

母親が突然「まり、最近あんた何かお母さんに隠している事あるでしょう」と言った。


「…何もないよ」


「彼氏でも出来たか?」


「どうして?」


「母親だもの、わかるわよそのくらい。あんた最近雰囲気変わったし、帰るの遅いし」


バレたか。


「うん、まぁ」


すると矢継ぎ早に質問が始まる。


「名前は?」「仕事は?」「どこに住んでいる?」「親兄弟は?」「結婚する気はあるのか」他もろもろ。


「連れてこい!連れて来るまでは会うな」


「いや、それまで会うなとかそれは無理」


「何故だ!今すぐにでも連れてこい!」


いや待て、もう22時を過ぎている。


「お母さん、今何時だと思ってんの?今すぐなんて無理だよ」


「子供じゃないんだから起きてるだろ!」


「いやいや、普通に迷惑でしょう」


「連れて来なかったら、明日お前の会社に行って長谷川出せ!って呼び出してやる!」


「待って、それはやめて」


「じゃあ今から連れて来い」


「理由は?」


「どんな男なのかを見極めてやる」


「今じゃなくても…」


「いいや、今すぐにでも連れてこい!格好なんかどうでもいい。今すぐ来ないならそんな男は認めないし明日会社に行く!」


言い出したらこの母親は本当に会社に来る。


それは困る。


「…ちょっと待って、連絡するから」


「今、目の前で連絡しなさい。どうせお母さんを悪く言うつもりなんだろうから」


「いや、ないから」


「いいから今すぐ連絡しろ!」


ヒステリックになって来た。


落ち着かせるためには言う事を聞くしかない。


私は母親の前で雅樹に電話をする。


すぐに出た。


「あれ?まり?珍しいね、こんな時間に。どうしたの?」


「…あのね、申し訳ないんだけど、今すぐうちに来れる?」


「えっ!?今?何かあったの?」


「うん…お願い、今すぐうちに来て」


「…わかった。今行く」


何かを察した様子の雅樹。


電話を切る。


「今来るって」


「そりゃそうでしょう。男は女から来てと言われたらすぐに行くものだ」


「じゃあ女も?」


「女は支度に時間がかかる。待たせておいても問題ないだろ。遅く行っただけでグチグチ文句を言う様な男はろくな男じゃない」


母親理論は、いつもぶっ飛んでいる。



No.41

母親が突然「今日、やっぱりいいわ」と言い出した。


「は?」


「眠たくなってきたし、何かあんたと話していたら疲れちゃった」


「えっ、何それ」


「何か文句あるのか?母親に向かって何を言ってるんだ!」


「わかった、わかったから」


「また今度、気が向いたら会ってあげるわ。お母さん寝るわ」


そう言って寝室に入って行った。


勝手過ぎない?


慌てて部屋に戻り雅樹に電話。


雅樹は既に玄関前にいた。


「もしもし、本当にごめん」


雅樹は小声で「ちょっと待って、玄関から離れるから」と言って無言になる。


「母親にバレてしまって、今すぐ連れて来なかったら明日会社に行って長谷川出せ!って呼び出してやるって怒って…うちの母親の事だから本当に行きそうで怖くて。本当にごめん」


「玄関からお母さんの怒鳴っている声は聞こえていたよ。だからそこで状況は察した。大丈夫。謝らないで。でも、いつかはきちんとご両親にご挨拶に行くから」


「本当にごめん。もう少し私が強く言えればいいんだけど、情けないけどこの年にもなって母親が怖いの」


涙が出てきた。


「泣かないで!本当に大丈夫だから。今日はこのまま帰るね。また明日会社で会おう。もしお母さんが本当に来ても、俺が対応するから大丈夫。俺、トラブル対応慣れてるから。余り話していると、ほらまたお母さん大変になったら困るから切るね」


「ありがとう、おやすみなさい」


「おやすみ」


雅樹に対して申し訳ない気持ちと雅樹の優しさと自分自身の情けなさとで涙が止まらなかった。


翌朝。


泣いたせいで目が腫れぼったい。


アイメイクを濃いめにしてごまかす。


「まりー!まだ仕事行かないのー?遅刻するよー」


母親が居間から叫んでいる。


「今行くー!」


そう言いながら玄関で靴を履く。


母親が玄関に出てきた。


「行ってらっしゃい」


「…行って来ます」


何か気分が落ち込んでいる。


通り道にあるコンビニに寄る。


コンビニで飲み物を見ていたらりんごジュースが飲みたくなり1本買う。


車に乗り込み、りんごジュースを飲む。


少し気分が変わる。


少しだけカーオーディオのボリュームをあげる。


好きなバンドの曲。


「今日も頑張ろう!」


1日が始まる。






No.42

「おはようございます」


「おはよー!」


いつもの朝。


「加藤さん、おはよう」


後ろから雅樹が来た。


「おはようございます」


「今日も頑張ろうね」と言って、私の背中を軽くポンポンと2回叩いた。


「はい、ありがとうございます」


雅樹が会社で私を元気付けてくれるために、たまにしてくれる。


以前仕事で失敗して上司に怒られた時にこれをしてくれた。


何か元気が出た。


会社に来たら雅樹に会える。


彼氏としては会えないけど、先輩後輩として同じ空間にいれる。


私を抱いてくれている時の雅樹は本当に優しくて、でも可愛くて、そんな雅樹の会社でのキリッとした表情も大好きで。


一緒に仕事出来るのが一番嬉しいし楽しい。


だから、どんな事があっても雅樹との約束通り完全に仕事とプライベートを分けている。


この時間を壊したくないから。


たまに長谷川さんではなく、雅樹と言いそうになる時もある。


だから最近は少しだけ雅樹と呼ばない様に意識して話をしている。


午前中いっぱい、本当に母親が会社に来るんじゃないかとヒヤヒヤしていたが来なかった。


午後からは父親の病院に行くため、来る事はないだろう。


無事に1日終わった。


立花さんと田中さんとで終業後も3人でちょっと雑談をしていた。


ふと雅樹を見ると、事務所の奥の方で真野さんと2人で何かを話している。


気にはなるが見ないふり。


立花さんがそれに気付き、私に見えない様にしようと「さて、帰るか!」と立ち上がる。


続いて田中さんも立ち上がり「そうだねー!帰ろー」と身支度を始める。


「お先に失礼しまーす!」


「お疲れ様ー!また明日!」


雅樹より先に会社を出る。


今日はまっすぐ自宅に帰る。


母親の機嫌がいい。


「お母さん、何かいい事でもあったの?」


聞いてみた。


「お父さんの退院が決まったのよ」


「そうなの?いつ?」


「来週の火曜日」


「良かったね」


「本当に良かったわよ。一時はどうなるかと思ってだけどね。顔の傷は残ってしまったけど命があるだけで十分だよ」


「そうだね」


そっか、退院が決まったのか。


本当に良かった。


帰って来たら、退院祝いに美味しいものでもごちそうしようかな?



No.43

父親が退院した。


長い入院生活だった。


顔には痛々しい傷が残り、痩せ、すっかり老け込んでしまったが、久し振りの我が家に嬉しそう。


仕事から帰ると父親がいた。


「お父さん、おかえりなさい」


「まり、ただいま」


久し振りの我が家に嬉しそうな笑顔。


母親が嬉しそうに台所でご飯支度をしていた。


「まり、着替えたらご飯にしましょう!」


「うん」


部屋着に着替える。


着替える間に、別に住んでいた兄と弟も来た。


久し振りの家族5人での食卓。


懐かしい。


父親が好きな和食がメイン。


体にも優しいし、和食は好き。


父親のささやかな退院祝い。


母親が暴走する事もなく、楽しい時間が過ぎた。


家族団らんも終わり、兄と弟も帰る。


父親も早目に就寝。


私は母親の後片付けを手伝った。


「まり、もういいよ、明日も仕事なんだから早くお風呂入って寝なさい」


いつになく優しい母親。


「うん、おやすみ」


父親は退院後もしばらくは自宅療養。


会社に行くのはしばらく先。


朝。


父親と母親が食卓に座っていた。


「おはよう」


「おはよう、朝ごはんあるよ」


「昨日食べ過ぎて、余りお腹すいてないんだ」


「そう」


父親が「まり、仕事に行く時間だな。いってらっしゃい」と笑顔。


「うん、いってきます。お父さん、無理しないでね」


「大丈夫だ」


やっぱり父親がいる家は安心する。


母親と2人きりは、精神的にちょっとキツいところはあった。


いつまでも元気でいて欲しい。


今日は当番のため、いつもより早目の出勤。


立花さんと一緒。


「おはようございまーす」


「加藤さん、おはよう!」


「あれ?立花さん、髪切ったんですか?」


「そうなの!結構バッサリ切ったんだー!軽くなって楽になった!」


胸くらいまであった髪がボブになっていた。


私も美容室に行きたいな。


だいぶ髪も伸びて来たし。


後から出勤してきた田中さんも立花さんを見て「髪切ったの?似合うじゃん!何か新鮮!」


「ありがとう!」


髪を切ると、気分も変わるよね。


私も今度、美容室行こうかな。


No.44

その日も朝から通常勤務。


皆、いつもの業務につく。


私と立花さんは、窓を背中にしてデスクがある。


田中さんは他の業務もあるため1つ離れた場所に席がある。


幹線道路沿いに事務所が建っている。


隣街との連絡道路のため、周りは畑だがそれなりに交通量もある。


反対側の窓からは畑が見える。


いつもブラインドをしている。


私達の席の左斜めに雅樹達の部署が通路を挟んでこちらを向いて座る形。


その向かえが田中さんの席。


お互い窓を背中にしている状態になる。


私達から見る窓の景色は畑、雅樹達の窓からは道路が見える構図。


閑散期だったため、平和な時間が流れていた。


仕事がない訳ではないのでパソコンとにらめっこしていた。


すると突然、雅樹が「危ない!」と叫んだ。


反対側の席の人達が「加藤さん!立花さん!逃げて!」との声。


「えっ!?何?」と思った瞬間、私達の後ろの窓ガラスが割れて、衝撃と共にダンプが突っ込んで来た。


「キャー!!」


立花さんの声が聞こえる。


体に強い衝撃を感じたが、バリバリバリ!ゴリゴリゴリ!と言う轟音が聞こえて視界が暗くなる。


何が起きているのか全くわからない。


事務所は大パニック。


「加藤さん!加藤さん!」


「立花さん!大丈夫!?」


「加藤さん!どこ?加藤さん!?」


「立花さん!?」


みんな私達を呼んでいるが声が出ない。


雅樹の声が聞こえる。


「加藤さん!加藤さんどこ?」


かなり焦った声。


視界は暗いまま。


自分が今、どんな状態なのかわからない。


パトカーと救急車の音が近付いて来るのはわかった。


体が動かせない。


何かの物が私を押し付けている。


というか私の体にめり込んでいる感じ。


苦しくなって来た。


助けて。苦しいよ。


嫌だ、まだ死にたくないよ。


雅樹と離れたくないよ。


遠くで救急隊員と思われる声が聞こえる。


私はここにいるよ!


でも声が出ない。


ダメだ、苦しいよ。


雅樹、私もうダメかもしれない。


もっと一緒にいたかったよ。


心から愛してるよ。


今までありがとう。


一緒に過ごした時間は最高に楽しかったよ。


さようなら。


……














No.45

あー。


何だろう。


体が動かせない。


頭が重い。


体を動かそうとするとお腹と背中に痛みが走る。


視界はぼやけるが光は感じる。


「加藤さん、目がさめました?」


「うー、あー」


うまく話せない。


ボーっとする。


周りのあちこちから、色んな機械の音が聞こえる。


酸素マスク。


あれ、生きてる?


病院の集中治療室にいた。


しばらくして、聞きなれた声がする。


家族の声。


「まり!?わかるか!?」


「ねーちゃん!」


「あー、うーん」


やっぱりうまく話せない。


「良かった、まり!」


母親の声。


「俺も頑張った、お前も頑張れ」


父親の声。


あ。立花さんは?


立花さんの悲鳴を聞いてから、どうなったのかわからない。


そもそも私は今、どういう状態なんだろ。


ただただ身体中が痛い。


頭の整理が出来ない。


ダメだ、眠たくなって来た。


目を閉じる。


何となく苦しさを感じて目がさめる。


「加藤さん、おはようございます。わかりますか?」


「あー」


看護師さんと思われる女性の声。


やはり、うまく言葉が出ないしボーっとしている。


相変わらずあちこちから機械の音が聞こえる。


そしてまた眠りにつく。


何日間、ここにいたのかわからない。


少しだけ、意識がはっきりして来た。


「加藤さん、わかりますか?」


低い男性の声。


お医者さん?


「はい…」


「痛みはありませんか?」


「あります」


「苦しくないですか?」


「はい」


色々質問された。


でも少し話すと苦しく感じる。


とりあえず、生きているのはわかった。


良かった、また雅樹に会える。


雅樹に会いたい。


看護師さんが「加藤さん、部屋移りますよ」


と言って、何人かの看護師さんが私が寝ているベッドを押す。


2人部屋の個室。


でも隣には誰もいない。


「今日からしばらくこの部屋になりますよー」


1人の看護師さんがそう話しながら忙しなく動いている。


とりあえず、少しは回復したという事なのかな。


看護師さん達も部屋から出ていき、私一人になった。


不安に襲われたが、また雅樹に会える事を楽しみにぼんやりと天井を見つめた。

No.46

家族が来た。


「まり、大丈夫?」


「集中治療室から出れて良かった。しばらく入院になるよ」


家族から話しかけられる。


うん、うんと返事をする。


父親と母親が一旦、病室から出た。


するとすぐに弟が「ねーちゃんの彼氏って、長谷川さんっていう人?」と言って来た。


「うん」


「長谷川さん、一昨日うちに来たんだ。父さんの病院の日で父さんも母さんいなくて、俺がちょうど実家にいたんだ」


「うん」


「その時に、ねーちゃんと付き合っている長谷川ですって挨拶されて、お見舞いに行きたいけど今は行けないので、何かあればこちらに連絡して下さいって言って、名刺をくれた」


「うん」


「そしてねーちゃんの現状を聞かれたからそのまま伝えた。そしたら「これ、まりさんのハンドバッグです。まりさんに渡して下さい。あと、まりさんの目が覚めたら、いつになってもずっと待っているから安心して下さいと伝えて下さい。あと立花さんは別の病院にいますが無事ですとも伝えて下さい」って言ってた」


勝手に涙が出る。


立花さんも無事だった。


本当に良かった。


怪我の具合は不明だが、またいつか一緒に笑いあえる日が来る。


雅樹、会いたいよ。


顔を見るだけでいい。


雅樹の顔が見たいよ。


「とりあえず、ねーちゃんのハンドバッグは俺が預かっているから、必要になったらいつでも言って」


「ありがとう」


涙が止まらなかった。


兄がポケットからハンカチを出して、私の目の回りを無言でガシガシ拭く。


「痛いよ、兄ちゃん」


「まぁ、早く怪我を治すんだな」


兄が言う。


弟が「ねーちゃんの彼氏、いい人だね。かっこいいし」


「そうでしょ、自慢の彼氏」


「のろけかよー!うぜー!」


兄と弟がそう言って笑う。


父親と母親が病室に戻って来た。


しばらく家族でいたが、夜も遅くなって来たため「まり、また来るよ」


そう言って帰って行った。


雅樹、ありがとう。


すごく嬉しいよ。


私、また雅樹に抱き締めてもらえる様に早く怪我を治すよ。


雅樹には会えないけど、雅樹の存在が一番の励みになる。


頑張るよ。























No.47

何日間か経った。


酸素マスクが取れた。


体も少しずつ動かせる様になった。


あばらを骨折しているため、起き上がるのは少しツラい。


母親がお見舞いに来ていた。


まだ余り食べられないため、24時間ずっと点滴。


すると病室のドアをノックする音が聞こえた。


母親が「はーい」と言って、病室のドアをあける。


うちの会社の社長と奥様だった。


母親は初対面。


「加藤さんのお母様ですか。遅れました。私社長の藤田と申します。隣は家内の恵子です」


母親は「いつも娘がお世話になっております。どうぞお入り下さい」と言って通してくれた。


「加藤くん、具合はどう?」


社長が声をかけて下さる。


起き上がりたいけどうまく起き上がれない。


「無理しなくていいのよ!横になっていて!」


奥様がそう言って、起き上がろうとした私を止める。


「加藤くん、何も心配しないでゆっくり治してくれ。病院代も給料も。事務所が今機能していないから会社は休みにしている。来ていた仕事は他の会社にふる結果になったが、何より大事な従業員2人も大怪我をしているんだ。いつでも加藤くんが戻って来るのを待っているよ」


「ありがとうございます」


私は横になりながらお辞儀をする。


母親が「まりは何故、こんな大怪我を負わなければならなかったのか、ご説明して頂けませんか?」とちょっと強い口調で社長に言う。


社長が話し出した。


あの時、幹線道路で対抗車線を走るトレーラーの運転手が脇見をしていて、反対車線に入って来たのを避けようとしたダンプが避けきれずに、そのまま会社に突っ込んだ。


ブレーキは踏んだが間に合わなかったと。


私は衝撃で飛ばされた時に、自分のデスクの下に押し込まれる状態になり、反対側の部署の方までデスクの下にいる状態で押し出され、つぶされる寸前で止まったとの事。


苦しかったのは、いつも座っていた椅子が私の体にめり込んでいた。


私はデスクの下で血だらけの状態で気絶しているところ発見されて、この病院に運ばれたそうだ。


だから暗かったのか。


もしかしたら死んでいたかもしれない。


私や立花さん以外にも、近くにいた何人かが怪我をした。


大きな事故として、地元のニュースにもなったらしいが、私は眠っていたので知らない。






No.48

社長と奥様がお見舞いに来て下さってから、会社の同僚達がお見舞いに来てくれた。


その度に、いつもいる母親が対応してくれた。


田中さんがお見舞いに来てくれた。


私の姿を見た瞬間「加藤さーん!無事で本当に良かったー!」と言って、横になっている私の手を強く握りぶんぶん振りながら号泣。


「田中さん、ちょっとあばらに響きます」


「だってー、どんなに心配したか!」


そう言って、手を強く握りずっと号泣。


母親は部屋から出て行った。


「デスクの下で血だらけで動かない加藤さんを見た時に、血の気引いたんだよ!私なんて、足が震えて立てなくなっちゃって。泣くしか出来なくて。そしたら長谷川さんが加藤さんのところに飛んでって、加藤さんにずっと大丈夫か?大丈夫か?って声をかけてて」


「…そうだったんですね」


「ピクリとも動かない加藤さんが、救急車で運ばれて、どんなに心配だったか!」


「すみません」


「加藤さんは何にも悪くないじゃん!」


そう言ってまた泣いた。


私が田中さんに「立花さんは?」と聞いた。


「立花さんは、ダンプが突っ込んで来るちょっと前に少し離れられたんだけど、ダンプに押し出されたデスクの間に挟まれて骨盤骨折したの。幸い、内臓とかに損傷はなかったみたいだけど、ずーっと痛い!助けて!って泣きながら言ってて、牧野さんと千葉さんが必死に立花さんを引っ張り出そうとしていて」


「そうだったんですね」


「加藤さんのところに来る前に、立花さんのところに行ってきたんだけど、骨盤以外は大丈夫!って言って笑ってた。加藤さんの事、すごく心配していたから、今度立花さんのお見舞いに行った時に、大丈夫そうだよ!って伝えておくね!」


母親が戻って来た。


「いつも、まりがお世話になって、良かったらお茶買って来たのでどうぞ」


「ありがとうございます、お気遣いなく。こちらこそいつも加藤さんにお世話になりっぱなしで…でもせっかくなので、お茶頂きます!」


「どうぞ」


母親は笑顔で田中さんに買って来たお茶を渡す。


田中さんは人見知りしない気さくな性格。


母親とも楽しそうに話してくれている。


「お母さん、加藤さん、お邪魔しました!」


母親が「またいつでもどうぞ」と笑顔でお見送り。


田中さん、ありがとう。









No.49

少しずつではあるが、痛みも落ちついて来て、起き上がる事が出来る様になった。


そして事故以来、初めて自分の顔を鏡で見た。


ガラスで切ったのか、細かい切り傷がある。


若干、むくんでいる気がする。


今日は父親の病院の日のため、母親は来ないと言われていた。


弟が来た。


「おっ、ねーちゃん起き上がれる様になったの?」


「うん、何とかね。今、入院してから初めて自分の顔を見たけど酷いね」


「事故直後は3倍位酷かったよ」


「本当に!?酷いね」


「というかねーちゃんに会わせたい人を連れて来たんだけどいい?」


「えっ、誰?」


弟が入り口まで行き「どうぞー」と部屋に招き入れる。


「久し振り」


久し振りの雅樹の姿。


「雅樹!えっ?どうして圭介と一緒に?」


私は弟と一緒に来た事に驚いた。


「弟さんから連絡くれたんだ。「今日は母親は姉の病室にはいないと思うから、姉と会いやすいと思いますよ」って」


「圭介、考えてくれてたの?」


「だってさー、ねーちゃん長谷川さんに会いたいんだろうなーと思って。事故ってから会ってないって言ってたし。母さんがいると、ほら…ね。この間母さんが今日は父さんの病院の日だからまりのところに行けないって言ってたし、今日しかチャンスなくね!?と思って、俺から長谷川さんに連絡したんだ」


すると雅樹が「お姉さんと会わせてくれる機会を作ってくれて本当にありがとうございます」と弟に深々と頭を下げた。


弟は「いえいえ、姉とごゆっくり。俺はちょっと下の売店に行って本でも読んでますから」と言って消えた。


「まり、久し振り」


「雅樹、会いたかったよ。でも久し振りに会ったのにこんな姿でごめん」



「格好なんかどうでもいいよ。でもまり、本当に良かった」


雅樹は私の手を強く握った。


「あばら折れてるって弟さんから聞いた。大丈夫か?」


「まだ痛いけど、やっと起き上がれる様になったの」


「俺、まりが血だらけで意識がない状態で見つかった時、まりの事しか考えられなくて。生きていてくれ!頼むから!助けてやれなくてごめん!って思って。胸が締め付けられる位つらかった」


そう言って唇をギュッと噛み締めた。









No.50

「この間、田中さんがお見舞いに来てくれた時に、私が血だらけで見つかった時に雅樹が真っ先に私のところに来てくれて大丈夫?って声をかけてくれてたって言ってた」


「必死だったんだよ。だって、大事な人が目の前で血だらけで意識なく倒れているんだよ?放っておける訳ないじゃん!」


「ありがとう。でも、もしかしたら今回の事でうちらの事バレたかなぁ?」


「…でも…あの状況なら助けない彼氏はいない!」


「ありがとう」


「あっ、そうそう、この間立花さんのお見舞いに行って来たんだ」


「立花さん、どうだった?」


「立花さん、俺らの事知ってるんだね」


「ごめん。でも立花さんなら信用出来ると思って」


「いや、俺もまりに告白する前に立花さんにまりの事、ちょっと聞いてたから大丈夫(笑)。で、立花さんすごくまりの事を心配していた。「加藤さんの様子はどう?」って。自分も骨盤骨折しているのに、本気で心配してくれて」


「今度行った時には大丈夫!と伝えて。余り心配かけちゃうとすごく申し訳ない。立花さんがいてくれたから、私は今の私達があるって思っているの。先輩なんだけど、姉みたいな。立花さんに私達の事を言ったのはごめん。でも…」


「大丈夫。立花さんは信頼出来る人だよ。だから未だに俺らの事、誰も知らない」


「うん」


「まりを責めてる訳じゃないから安心して」


そう言って笑う雅樹。


「もうさ、何かもう会社のみんなに俺は加藤まりと付き合ってます!って言っちゃった方が楽になるんじゃないかなって思ったよ。だから俺は真っ先にまりのところに駆けつけました!って(笑)」


2人で笑うが笑うと痛い。


「会社、どうなるの?」


「んー、存続はするよ。今、事務所建て直してるんだ。道路から離れた場所に。今回の事故で保険金入るし。まりや立花さんの医療費や給料保証も保険で賄えるからご心配なく」


雅樹と一緒に過ごす時間は、あっという間に過ぎていく。


弟が戻って来た。


「お邪魔しますよ。俺、何かもう立ち読みも飽きちゃった。長谷川さん、俺帰りますけどどうしますか?乗って行きます?」


「ありがとうございます。じゃあ余り長居もあれだから俺も帰るかな。まり、また来るから!」


2人で一緒に帰って行った。


圭介、雅樹、本当にありがとう!





No.51

そんな私も医療の力と治癒力でどんどん回復をしていき、歩ける様になった。


売店に行ってみたり、病院の玄関先にちょっとだけ出て外の風を浴びたり。


気分が少し変わる。


この日も父親の病院の日。


雅樹が来てくれた。


雅樹の姿を見ると安心する。


不思議な力をもらえる。


雅樹が「退院したら退院祝いをしよう。何か食べたいのある?」


「うーん、何だろ?お寿司かなぁ?病院に入ってから、食べてない気がする」


「よし、決まり!お寿司食べに行こう!とは行っても高級なところは無理だけど(笑)だから早く治せよ!待ってるから」


「うん、ありがとう」


「昨日は立花さんのお見舞いに行って来たんだ。退院も近いらしい」


「本当に!?良かったー!」


「立花さんがに加藤さんも歩ける様になったよと伝えたら立花さんも同じ様に喜んでくれていたよ。そしてまりに「お互い退院したら、また前みたいに楽しく話したいね!って加藤さんに伝えて!」って言ってたよ」


そうだね、また前みたいに立花さんと一緒に話したり、ご飯食べたりしたい。


田中さんと3人でまたわいわいしたい。


顔の傷は、ちょっとだけ縫ったおでこには残ってしまったけど、後はきれいになってくれた。


部屋のドアがノックされて誰かが入って来た。


田中さんだった。


「あれー?長谷川さんお疲れ様です。来てたんですか?」


「田中さんお疲れ様。昨日は立花さんのところに行って、今日は加藤さんのところにと思ってね」


「そうだったんですね!立花さんもだいぶ元気になって来てたので良かったですよねー!」


「本当に。じゃあ俺は帰るよ」


長谷川さんが席を立とうとしたら田中さんが「えー?帰るんですか?用がないならもう少し3人で一緒にいません?久し振りに長谷川さんとも話したいし」


「用は特にないけど…」


「じゃあ座りましょ!加藤さん、今日はお母さんいないの?」


「今日は父親の病院の日で一緒にそっち行ってるから来ないんです」


「そうなのー?加藤さんのお母さんと前に話した時にカステラ好きだって言ってたから買って来たの!一緒に食べようと思ったのに残念」


「ありがとうございます」


いつもの田中さん。


うちらの関係には気付いてない様子。


しばらく3人で色々話していた。


楽しかった。

No.52

私の退院も決まった。


リハビリも頑張った。


母親と「もう少し退院だね」と話していた時に部屋のドアがノックされた。


母親が対応する。


「あら、田中さん。この間はカステラごちそうさま。せっかく来てくれたのにいなくてごめんなさいね。どうぞ入って!」


「いえいえ、今日はもう1人いますが一緒にいいですか?」


「もちろんです。初めまして。まりの母です。どうぞ入って!」


「ありがとうございます」


誰だろ?


声がよく聞こえない。


「加藤さん!久し振り!」


そこには笑顔の立花さんの姿が。


「立花さん!退院したんですね!」


笑顔の立花さんと抱き合った。


涙が出てきた。


心配だった立花さんが退院して、わざわざ来てくれた。


「一昨日退院したの。そして田中さんにお願いして連れてきてもらったの。加藤さんに会いたかったよー!」


「私もです!」


田中さんが「久し振りに3人揃ったね!」と泣き笑い。


笑顔だった立花さんも泣いていた。


母親が病室から出ていく。


3人でずっと話していた。


母親が「お茶どうぞ」と言って、売店で買って来たお茶を田中さんと立花さんに渡す。


「ありがとうございます!頂きます!」


そう言って、2人でお茶を飲む。


母親が「まりは会社で迷惑をかけてない?迷惑をかけているなら、叱りつけて下さいね」
と2人に話しかける。


「迷惑だなんてとんでもない!加藤さん、しっかりしているし、仕事も正解かつ早いし、先輩であるはずの私達の方が加藤さんに迷惑かけて申し訳ないくらいですよー」


母親が私と雅樹の事を知らない田中さんに、雅樹の事を話すんじゃないかと、ずっとヒヤヒヤしていた。


心配は本当になった。


「うちの娘、長谷川さんって人とお付き合いしているみたいなんだけど、どんな方なのかしら」


「お母さん、ちょっと!」と母親を止めたが、田中さんはちょっとの沈黙の後「…えっ?そうなんですか?」と言って私を見た。


「田中さんも知らないお付き合いを娘はしていたのかしら。はしたない娘でごめんなさいねね」


「えっ、加藤さん、長谷川さんと付き合ってるの?えっ、いつから?」


驚いた様子を見て本当に知らなかったみたい。


母親、頼むから余計な事を言わないでよ。











No.53

既に知っている立花さんは苦笑い。


田中さんは「立花さん、知ってた?」とふる。


「…知ってた」


「うそー!本当に!?長谷川さんと付き合ってたんだー!お母さん、長谷川さん、すっごく紳士的でいい人ですよ!会社でも中堅層で社長からの信頼もあるし、私たち部下にも優しいですし、長谷川さんなら絶対大丈夫ですよ!」


田中さんは一気に話す。


「びっくりしすぎて頭が追い付かないよー、長谷川さんかー。あっ、だから事故の時に真っ先に加藤さんのところに飛んでったのか。お母さん、長谷川さん、加藤さんが事故で血だらけで倒れていた時に長谷川さん、ずーっと加藤さんに声をかけていて、あの状況であれだけ動ける人はなかなかいないですよ!加藤さんとお似合いです!」


「そうなんですね」


母親は黙って聞いていた。


バレちゃったな。


田中さんはこんな感じだからちょっと不安だけど…


「立花さんも退院したばかりだし、負担かけられないから私達行くね!」


田中さんが言う。


「長谷川さんの事はみんなには…」


「大丈夫!大丈夫!信じて!」


立花さんと田中さんを下の出入口まで見送る。


田中さんは「私にも言ってほしかったなー。全然知らなかったー。大丈夫。私達3人の秘密にしよう!誰にも言わないから!」と言っていた。


2人を見送り部屋に戻る。


母親に「そうやって余計な事を言わないでよ」と言うと「田中さんも知らない付き合いって、何かやましい事でもあるんだな」


「やましい事は何もないよ」


「じゃあどうして堂々と付き合わない」


「色々あるんだよ」


「色々って何だ!」


怒り出した。


面倒くさくなったため、母親が言う言葉に適当にうん、うんと聞いていた。


退院する日が来た。


母親と兄が来てくれた。


兄が荷物を持ち、母親が退院のための手続きをしてくれる。


久し振りの我が家。


父親が「まり、おかえり」と笑顔。


「ただいま」


弟は仕事のためいない。


仕事が終わったら来てくれるみたい。


弟には感謝しないとね。


ささやかな退院祝い。


弟が預かってくれていたバンドバッグを返してくれた。


事故現場にあったままだったから、中身は無事だがボロボロになっていた。


カバン、買い換えるか。


気に入ってたんだけどな。


No.54

会社の新事務所が完成。


前の事務所よりかなり広く、やはり新築、何よりきれい。


旧事務所跡は事務所従業員用の駐車場に変わった。


全事務所従業員のうち、あの事故のせいで5人辞めてしまったが、田中さん、立花さん、私の3人は戻った。


真野さんも雅樹もいる。


久し振りにみんなに会う。


同僚達から「加藤さん、立花さん、大変だったけど元気になって良かった」


「心配したよー」


「なー、マジで加藤さん死んじゃったかと思ったよ。でも無事でよかったわー」


「おかえり」


色々声をかけてくれてた。


私も立花さんも、各々お見舞いのお礼を伝える。


机もパソコンも椅子も制服も新しくなった。


社長が「今日から新社屋でのスタートです。立花くんも加藤くんも、大怪我をして大変ツラい思いをさせてしまったにもかかわらず、わが社に戻って来てくれました」と言って拍手をして他の従業員も拍手。


隣同士並んでいた私と立花さんは2人で周りにぺこぺこと頭を下げる。


兄が退院祝いで買ってくれた新しいハンドバッグ、同じく弟が買ってくれた長財布も持って新しい席へ。


まだ変に動くと、神経痛みたいな痛痺れた感覚になる。


立花さんも長時間座るのがちょっとツラいとの事。


適度に休憩を交えながら仕事をする。


トラックの運転手さんが点呼に来る。


その時に顔見知りの運転手さんからたまたま近くにいた私に「大丈夫?」と声をかけてくれた。


「大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」


「いやいや、聞いた時はびっくりしたよ。無理するんじゃないよ、大事にね」


「ありがとうございます。いってらっしゃい!お気をつけて」


笑顔で軽く手を上げて事務所を出て行った。


その後も私や立花さんは、色んな運転手さんに心配して声をかけてくれる。


皆さんの優しさが本当に嬉しい。


この気持ちを一生懸命、仕事で返していこう。


田中さんが「今日、加藤さんも立花さんも時間ある?」と声をかけてきた。


「あるよ?」と立花さん。


「私も大丈夫です」と私。


「長谷川さんも誘っていい?」と田中さんが私に聞く。


「はい」


「じゃあ長谷川さんにも聞いてみる!」


そう言って雅樹のところに行くも、すぐ帰って来て「大丈夫だって!」と笑顔で小声で言って来た。

No.55

田中さんは雅樹に見せた小さなメモを見せて来た。


今日の夜、お時間ありますか?
お時間あるなら、お食事に行きませんか?
立花さんと加藤さんも来ます。
場所はまた後で知らせます。


すると下に雅樹の字で「OKです」と書いてある。


既に私も立花さんも行く前提で作ってあったメモを見て笑う。


雅樹には田中さんには母親のせいでバレてしまった事は伝えてある。


田中さんが退院祝いをしてくれる事になった。


定時少し前に場所が決まり、田中さんが給湯室まで移動し予約の電話を入れた。


「突然ごめんね。何か2人の顔を見たらどうしても今日、一緒にご飯食べたくなっちゃった!給料日後だしね!」


「ありがとうございます」


私は田中さんの気持ちが嬉しかった。


場所が決まり、また田中さんが雅樹にメモを持って行く。


そして見せてくれた。


場所は南町のお店です。
18時45分に予約を入れましたので残業はしないで下さい。
お店で待ってます。


下には長谷川の印鑑が押されていた。


書類に印鑑を押している最中だったらしい。


何かメモを見ていたら面白くなり3人で笑う。


私達は定時である18時ぴったりに退社し、更衣室で着替えて各々の車で南町の店に行き雅樹を待つ。


会社から車で5分くらい。


18時40分。


雅樹の車が駐車場に入って来た。


スーツ姿の雅樹。


「ごめんお待たせ」


「お疲れ様でーす!長谷川さん、突然すみませんでした!」


田中さんが雅樹に言う。


雅樹は「大丈夫、誘ってくれてありがとう。入ろうか?」と店の入り口のドアを開けてくれた。


そこは洋風居酒屋の様なところ。


お酒もあるが、ソフトドリンクの種類も豊富にある。


私の隣に雅樹、向かえ合わせで立花さんと田中さんが座る。


広めの個室だから、ゆったり座れる。


飲み会が先に来た。


私と雅樹はウーロン茶、立花さんはオレンジジュース、田中さんはカルピス。


「退院祝いだからお酒抜きでいきたいと思いまーす!ジュースだけどかんぱーい!」


田中さんが乾杯の音頭を取る。


頼んだメニューが次々来た。


みんなで取り分けながら楽しく食事。


お酒は飲んでないのに飲んだ時みたいな明るい食事会。









No.56

「ところでさー、加藤さんと長谷川さんっていつから付き合ってるの?」


田中さんが突然、私に話を振ってきた。


「結構前からです…」


「加藤さんのお見舞いに行った時に、加藤さんのお母さんから聞いて、本当にびっくりしたんだから!全然知らなかったー!結婚するの?」


その話には雅樹が答える。


「いずれ結婚も考えているけど、今はまだ加藤さんも退院して間もないし、落ち着いた時にとは思っているよ」


すると田中さん「すごーい!加藤さんの事、本当に考えてくれているんですね!加藤さんって私より全然後輩なんだけど、すごくしっかりしていて、気が利いて優しくて、先輩であるはずの私がいつも甘えてしまっていて。可愛い妹みたいな感じなんです。

あの事故の時も、1番年上である私が立花さんと加藤さんを助けてあげないといけないのに、震えて泣くしか出来なくて。あんな修羅場の中でも、真っ先に加藤さんのところに飛んでった長谷川さんはかっこよかったです。本当に加藤さんの事を大事にしているんだなって」


最初明るく話していた田中さんは、話しているうちに泣きそうになり、そう言って黙ってしまった。


雅樹が「田中さん、ありがとう。俺はあの時、本当に必死で加藤さんの事しか考えられなくて。でも、田中さんはあの後、がれき状態の中、泣きながら加藤さんや立花さんのカバンや荷物を探してくれたり、2人のご両親に電話をしてくれたり、夜遅くまで色々対応してくれた。立派だと思うよ。十分先輩としてやってくれたと思う」


田中さんは泣き出してしまった。


「不安で仕方がなかったんです。いつも一緒に働いていた2人があんな形で事故に巻き込まれて、立花さんと加藤さんがどうなってしまうのか、私が出来る事ってそれ位しかないから…」


隣にいた立花さんが涙目で田中さんの背中をさする。


「だから2人が戻って来てくれて、また3人一緒に働けるのが本当に嬉しくて。だから突然だったんですがこの場を設けたくて」


私も泣いていた。


きっとずっと田中さんは苦しかったのかもしれない。


自分だけ助かってしまった。


そう思って過ごしていたのかもしれない。


いつも明るい田中さん。


私の事を、立花さんの事を、真剣に思ってくれる素敵な先輩ですよ!


いい食事会、ありがとうございます!







No.57

日曜日。


仕事は休み。


父親は会社の部下の結婚式のため不在。


母親は、退院してすっかり元気になって遊びに来ていた美枝子おばさんと出掛けた。


美枝子おばさんから「お母さんから聞いたわよ?事故、大変だったわね。お見舞いに行けなくてごめんなさいね。これ、退院祝いだから」と言って、私が好きなブランドのお洒落なハンドバッグを頂いた。


「ありがとうございます!結構高かったですよね?」


「おばさんのところ、息子しかいないでしょ?おばさんにとってまりちゃんは可愛い女の子だもの。お見舞いに行けなかったお詫びも込めてね。よかったら使ってよ」


「ありがとうございます!大事にします!」


思わぬプレゼント。


兄からもらったハンドバッグは通勤で使っている。


これはお出かけ用にしよう。


母親とおばさんを見送ってから、私は雅樹のアパートに向かう。


雅樹は笑顔で迎えてくれた。


退院してからは仕事帰りにちょっとだけ寄る事もあったが、ゆっくり過ごすのは本当に久し振り。


「夕方までなら大丈夫だから」


「うん。それまでまりと一緒にいれるなら十分!俺、ずっとまりを待ってたんだ。今すぐにでもまりを抱きたい!」


早速キスをされた。


ベッドに連れて行かれて、そのまま押し倒された。


事故で出来た傷が増えた。


「ちょっと傷があるから…」と見えない様にしたが雅樹は「まりを助けてくれた傷だ。眩しく感じるよ」そう言ってくれて少し気が紛れた。


久し振りに雅樹に抱かれた。


まだ午前中で部屋が明るくて、傷があって、久し振りの裸はちょっと恥ずかしかったが、雅樹が優しくしてくれると、そんな事も気にならなくなった。


「まり…ずっとこうして会いたかった。しばらく会えなかった時は苦しかった。でもこうしてまたまりと愛し合える。最高に幸せだよ…」


「雅樹…私もずっと会いたかったよ」


今までの分もいっぱい愛し合った。


「まりとの子供が欲しい…」


そう言って、今回も中に出す。


でも雅樹とは初めての時だけは避妊具をつけたが、後はずっと中に出しているが子供が出来ない。


タイミングとかもあるのかもしれないが、子供が出来てもおかしくない位、SEXはしていた。


私も雅樹との赤ちゃんが欲しかったから。








No.58

終わってからシャワーで髪以外をきれいに洗い、化粧と髪を直して着替えた。


雅樹も私が帰る準備をしている間にシャワーに入る。


シャワーから上がり、パンツ一枚で出てきた雅樹。


「着替えて来るからちょっと待ってて!」


そう言って寝室に入って行く。


帰るまではまだ少し時間はあるため、ソファーに座っていた。


そして着替えた雅樹が小さな紙袋を持って来た。


「まり、これ」


恥ずかしそうに紙袋を私に渡して来た。


中には小さな箱と細長い箱と1個ずつ入っていた。


「開けてみて」


小さな箱の中には指輪が2本。


細長い箱にはネックレスが2本。


「えっ…?」


「1つは俺の。1つはまりの。指輪は事故の前にしばらく俺んちで一緒にいた時に、眠っているまりの指のサイズを勝手にはかったんだ」


「これ、つけてみて」


そう言って小さな方の指輪を取り出し、私の左手薬指にはめてくれた。


「結婚しよう。俺、まりを幸せにする。今回の事故で改めて思ったんだ。まりに会えなかった間は、本当につらかった。こんな時だからこそ、まりの側にいてあげたいのにいてあげられない。結婚したら、ずっと側にいてあげられる。逆に俺が何かあった時は、まりがずっと側にいて欲しい。長谷川まりになって下さい!」


プロポーズをされた。


最高に嬉しかった瞬間だった。


「こんな私ですが、よろしくお願いします」


そして今度は私が雅樹の左手薬指に指輪をはめた。


2人で左手をあげる。


少し細めのシンプルな指輪。


雅樹の長い指には最高に似合っていた。


指輪を外し、指輪の中を見てみる。


私の指輪には私の生年月日が西暦から刻まれていて、ローマ字でMASAKI&MARIと印されていた。


雅樹の指輪にも同じく雅樹の生年月日とMASAKI&MARIと印されていた。


「本当なら、結婚した日とか何だろうけど、いつになるかわからなかったし、悩んだ末に生年月日にした。会社にはまだつけていけないから、デートの時に指輪つけようか」


「ありがとう、雅樹。本当に嬉しい」


嬉し泣き。


「せっかく化粧直したのに、また直さなきゃいけなくなるぞ(笑)」


そう言って笑う雅樹。


夢の中にいるみたい。


こんなに幸せでいいのかな。











No.59

ネックレスを開けてみる。


シルバーのネックレス。


「これもペアなんだよ?」


そう言って取り出した。


小さな小判型のチャームにお互いのイニシャルであるMの字が刻まれて、訳せないけどMの下に英語がかかれている。


裏にはMASAKI&MARIの文字。


「ネックレスなら会社にお互いつけていってもバレないだろ?まりは、今も可愛いのつけてるし。これもまりが入院している間に、何か会えない寂しさをまぎらわせてくれるものがないかって探していて見つけたんだ。ネックレスなら1番心に近いし、いつも一緒にいるみたいな気がするかなって」


「つけてみるね」


「俺がつけるよ」


「今つけているやつは外して?」


「りょーかい!」


雅樹がネックレスをつけてくれた。


「おっ、いいじゃん!似合ってるよ!」


私は化粧ポーチから手鏡を出して見てみる。


可愛い。


つけていたネックレスを外して私に手渡す。


そして今度は私が雅樹にネックレスをつける。


「どう?」


雅樹が聞いてきた。


「更にかっこよくなったよ」


「もう俺、何があっても外さないもんね!」


2人で笑う。


「こんなに素敵なものだから、高かったでしょ?」


「ちょっとだけ奮発した(笑)でも、大好きなまりにプレゼントするんだもん。俺、頑張った!また明日から仕事頑張るわー」


そう言って笑う雅樹。


指輪はしばらく雅樹の部屋で保管。


「そろそろ帰るね」


「うん。また明日会社でね」


玄関先でキスをして帰宅。


ネックレスはつけていても、私がいつもつけているのもあり、親にもわからないだろう。


案の定、全く気付かれなかった。


翌日。


会社で会った雅樹は、ネックレスをつけているのが見えた。


思わず小さな小判をギュッと握る。


今日は立花さんは、病院に行ってから出社。


まだまだ通院は続く。


私もだけど。


田中さんが「立花さんから連絡があって、病院混んでて出社するの、お昼近くになりそうだって!」と伝えて来た。


「わかりました」


「今日は何か忙しくない!?お客さんが多いからそう感じるのかなー。さっき来たお客さん、ちょっとかっこよくなかった?目の保養!癒されたわー」


いつもの田中さん。


思わず笑ってしまう。






No.60

兄が結婚式を挙げる事になった。


入籍は先にしていて、既に上の子供も生まれていたが、今更なんだけど…と少し照れながら兄が結婚式の報告。


義姉の千佳さん。


余り会った事もないし、余り話した事もない。


兄が余りうちに連れて来ない。


連絡先は聞いているが、連絡をした事がない。


私もだけど、千佳さんもどちらかというとおとなしいタイプ。


会話しても続かない。


そんなおとなしいタイプの千佳さんは、母親からのいびりには言い返さずにぐっと耐えるタイプ。


された事を兄に伝えて、兄が母親を叱る。


すると母親が千佳さんに会った時に「お前は旦那の母親を陥れるために、平気で旦那に嘘をつき悪く言う鬼嫁」と言っていびり抜く。


それじゃあ、うちには来たくないよね。


上の子が生まれた時、帝王切開だった。


陣痛が来ても子宮口が開かず、陣痛促進剤も使い約2日耐えたが、それでもダメで医師の判断で緊急帝王切開になった。


千佳さんは目一杯頑張った。


赤ちゃんも頑張った。


それなのに母親は、帝王切開をした千佳さんを叱った。


「まともに出産も出来ないなんて恥ずかしい!うちの長男の嫁が帝王切開だなんて。もっとまともな嫁がよかったよ。たいした嫁でもないくせに、亮介に偉そうに入れ知恵ばかりしやがって」


まだ動けない千佳さんに怒鳴る。


一緒にいた兄が母親に怒鳴り、病院から追い返し、千佳さんに近寄らない様にさせた。


私は兄と一度だけ千佳さんと赤ちゃんに会いに行った。


赤ちゃんを抱っこさせてもらった。


タオル地の赤ちゃん用のバスローブみたいな服を着てぐっすり眠っていた。


全体的に兄に似ている気がする。


鼻は兄と全く同じ形をしている。


遺伝子ってすごい。


可愛い。


「はじめまして、まりおばさんだよ」


私は抱っこしている姪に色々話しかける。


笑顔になる。


兄も千佳さんも赤ちゃんを抱っこして色々話しかけている私を見てニコニコ笑っている。


赤ちゃんって不思議な魅力がある。


皆を笑顔にしてくれる。


兄と千佳さんにお別れし帰宅。


私も雅樹との赤ちゃんが欲しいな。


強く思った日。


兄と千佳さんの結婚式。


土曜日のため、会社に休みを申請。




















No.61

兄の結婚式前日。


私は仕事帰りに雅樹のアパートに寄った。


その日は会社都合で、14時過ぎに強制退社。


母親には定時だと伝えて、雅樹のアパートに。


「明日、お兄さんの結婚式なんでしょ?準備とかしなくても大丈夫?」


「私が主役という訳じゃないから、明日1日あれば大丈夫」


「確かにね(笑)でも、いつかはまりが主役の結婚式したいね」


「うん」


この日は生理だったためお預け。


雅樹がノートパソコンを開く。


「なあ、まり。今度一緒に旅行でも行かないか?ここ行ってみたくて」


そう言って、パソコンのモニターを見せて来た。


きれいな海にきれいな景色の写真がいっぱい。


「そうだね、行ってみたい」


「まりと一度も旅行に行った事ないもんな。行ってみたいよなー」


「うん」


付き合って2年が過ぎていた。


2人でくっついて、パソコンのモニターを見て、ここもいい!これ美味そう!とか言いながら旅行の計画をたてる。


本当に行けるかどうかわからないけど、行けたらいいねって言いながら。


気になるファイルを見つけた。


「これ何?」


「えっ?あっ、何でもないよ。あれー?何でここにあるの?消したつもりだったのにおかしいなー。消すよ消す!」


ん?


ますます気になる。


「まず見てみようか?」


「いやいや、見なくていいよ。たいしたものじゃないから。消すから!大丈夫!久し振り過ぎて忘れていただけなんだよ!大丈夫大丈夫!」


焦っている雅樹。


私はマウスを奪い取り見てみる。


元彼女との写真だった。


楽しそうに写る、元彼女と雅樹。


「きれいな人だね」


「いやいや、大丈夫だから」


「…未練があるの?」


「ないない!本当にただの消し忘れ!」


ちょっとヤキモチ。


写真の中には若い雅樹ときれいな元彼女。


「まりに告白する1年も前に別れたし、今はどこで何をしているのかもしらないし、本当にただの消し忘れだから!闇に葬るから!」


そう言って、ファイルごと消去。


「…そうすると、私が新卒で入社した時に付き合っていた彼女って事だね」


「意地悪しないでー!ごめんって」


雅樹、かっこいいし、過去に彼女いたっておかしくない。


今が関係ないなら別にいいよね。




No.62

でも、ちょっと気になって元彼女の事を聞いてみたくなった。


私の知らない、雅樹の過去。


「ねえ、元彼女さんっていくつだったの?」


「どうして?」


「聞いてみたくなったから」


「もう昔の話だし…」


「昔の話だから聞いてみたいの。有名な「桃太郎」みたいな昔ばなしの感覚で」


「えー、でもまり、嫌じゃない?」


「現在進行形なら嫌だけど、昔の話なんでしょ?なら全然問題ないよ?話したくなかったら別にいいけど、私に元彼氏という存在がいないから、元彼女ってどんな感覚なんだろうなと思って」


「なるほど。うーん…友達の紹介っていうので知り合って。でも余り長く付き合ってないよ。1年くらい?色々あって別れたんだ。それから会ってないし、本当に何しているのかも知らないんだ」


「そうなんだね。もし街とかでばったり会ったらどうする?」


「うーん、話したくないから逃げる(笑)」


「逃げちゃうの?嫌いなの?」


「うん、余り会いたくないかな。だから今、残っててびっくりしたんだよ。本当に消し忘れてたから」



「へぇー。どうして好きだった人を嫌いになっちゃうんだろ」


「ぐいぐい来るね。やっぱり気になる?」


「なるよね。雅樹の過去はね」


「まぁ、結論から言えば、彼女の浮気と束縛とヒステリーかな。で、俺が嫌になった。まぁ、いいじゃん。今の俺にはまりがいるし、それでいいんだよ」


余り聞かない方が良さそう。


「ところでさ、まりは子供欲しいなーって思う?」


「思うよ。雅樹との子なら」


「俺、もう30代に入って、今子供出来たとしても子供が成人した時には定年近い年になるんだなーって思ってさ。小学生の子供がいる友達もいるし、俺の子供って可愛いだろうなーって。まりとなら世界一可愛い子供が出来るだろうなーって」


「うん、私も雅樹との子供欲しいよ」


「いつかは来てくれるよね、俺達のところに。来てくれるためには…もっとまりを愛さないとダメだな(笑)」


そう言って笑っている。


姪は可愛い。


子供は好き。


赤ちゃんだった姪が泣いても笑っても可愛かった。


自分の子供なら、きっと可愛いだろうな。


私も思う。


雅樹との子なら、世界一可愛いと。















No.63

兄の結婚式。


午前中に予約していた美容室で髪をセットしてもらい、化粧もお願いした。


父親は朝からスピーチの練習をしながら、礼服を着る。


母親は着物の着付けと髪のセットのため、私とは違う昔から付き合いがある近所の美容室に行った。


弟は直接結婚式会場に向かうとの事で、式場で会う形になる。


私は以前に親戚の結婚式の時に買ったワンピースを着る。


母親が着付けから戻って来た。


タクシーに乗り、両親と共に兄の結婚式場へ。


新郎側の控え室。


既に弟がいた。


美枝子おばさんを始め、親戚のおじさん、おばさん、いとこ何人かもいた。


美枝子おばさん以外は久し振り。


「あらー、まりちゃん?すっかり大人になってー」


親戚のおばさんが声をかけて来た。


「お久し振りです」


「まりちゃんは結婚しないのー?」


「まぁ、そのうちに」


そんな話をしていたらいとこが「お前の会社にダンプ突っ込んで、お前ともう一人怪我したんだって?ニュース見た時はびっくりしたよ。また会えて良かった」と話しかけて来た。


母親側のいとこの中では1番年上。


小さい頃に祖父母の家に行った時によく一緒に遊んでもらった。


大人になってからは会えてなかったが、久し振りに会えて元気そうで何より。


披露宴前に新郎新婦両家の身内と家族写真。


私は後ろが良かったが、皆に「おい!妹!お前は1番前だ!」といとこが叫び、親戚皆爆笑。


いい笑顔の記念写真になる。


兄の披露宴が始まる。


身内以外、知っている人はいないが、新郎新婦のそれぞれの会社の方々、友人、皆があたたかく新郎新婦を祝ってくれる。


姪は、新婦の妹さんの横の子供用の椅子に座って、振ると音がなるおもちゃで遊んでいた。


後半、ママが恋しくて泣いてしまった姪は、ママと同じ様ながウエディングドレス姿でママに抱っこされていた。


新婦からの感謝の手紙、父親が朝から一生懸命練習していた親族代表のお礼の言葉。


いい披露宴だった。


親族として来て下さった皆様にお酌をしに伺ったり、お酌をされたり。


少しほろ酔い。


両親や年配の親戚は帰った。


二次会に誘われる。


余り乗り気ではなかったが、主役の2人からの強いすすめで弟と共に参加。


いとこ達も来ていた。







No.64

新婦である千佳さんの友人が営んでいる、お洒落なバーだった。


レンガ調のシックな内装。


店内の奥にはダーツもある。


大人のイメージのお店。


滅多に飲み歩く事はないため、こういうお店は何となく緊張する。


「亮介さん!千佳さん!ご結婚おめでとうございまーす!今日はお二人を祝して、お店は貸し切りにしてまーす!私からのプレゼントで、今日は飲み放題、ダーツ遊び放題、カラオケ歌い放題でご提供しますので、皆さんで楽しんで下さい!」


オーナーである千佳さんの友人がご挨拶。


各々頼んだ飲み物が若い店員さんから手渡される。


「かんぱーい!」


「かんぱーい!」


二次会が始まるが、どこに行けばいいかわからず弟の近くにいたが、すぐに弟が知り合いを見つけていなくなってしまった。


「どうしようかな」


人に話しかけるのが苦手な癖が出る。


いとこのところに行こうかな。


でも余り話がないしな。


帰りたーい。


早めに切り上げて、雅樹に会いに行こうかなー。


なんて考えてカクテルを飲んでいたら「加藤さん?」と話しかけられた。


振り返ると男性が1人。


「…はい?」


誰だろ?


「あー、やっぱり加藤さんだ。俺、高校の同級生の林琢磨!覚えてる?」


高校時代を思い出す。


あー、いたなー。


3年間同じクラスだったな。


余り話す事はなかったけど、記憶にはある。


「隣いい?」


カウンター席で1人でいた私。


「どうぞ」


「何か雰囲気変わらないねー!懐かしいなー」


「はあ」


「加藤さんの妹だったのか!今、お兄さんと同じ職場の同じ部署で働いているんだ。加藤さんは何してるの?」


「そうなんだ。私は運送会社の事務してる」


「何か相変わらず真面目な感じが事務って感じ(笑)飲んでる?」


「お酒は余り飲めなくて」


「せっかくのお兄さんのめでたい席だもん。飲みなよ」


「うん、飲んでるよ」



林くんは余り話さない私相手に色々話しかけて来る。


高校の同級生の話で少しだけ盛り上がる。


誰々は今何してるとか、先生の話とか。


懐かしいな。


勉強と部活の思い出しかなかったけど、他にも色んな事を思い出す。


修学旅行とか学祭とか。


若かったなー。











No.65

「加藤さんって、結婚してるの?」


「してないけど彼氏はいるよ。林くんは?」


「俺も彼女はいるけど結婚はまだなんだ。でも今の彼女とは別れようと思っていて」


「どうして?」


「何かさ、すごいわがまま放題で俺の事を奴隷か何かだと思われているのか…」


「うん」


「例えば、デートの約束をしていたのに急な仕事が入って遅くなる事があったんだ。だから「今日は遅くなる」って連絡したらすごい剣幕で「ふざけんな!今すぐに私を迎えに来い!待たせるな!」って怒鳴って来てさー。こっちだって行きたいけど、仕事だもん仕方ないじゃん」


「あるね、そういう時」


「でしょ!?で、それでも頑張って早く仕事を切り上げて急いで彼女のところに向かったんだ。約束の時間からは1時間ちょっと過ぎちゃったんだけど、迎えに行ったら「もうデートする気がなくなっちゃったー、彼女がせーっかく楽しみにしてたのに、仕事を優先させるなんて信じられない!」って言って追い返された」


「すごいね、彼女」


「で、俺が何かちょっと言ったらDVだなんだって騒いで、彼女を優先させて優しくして、彼女の言うことを聞くのが彼氏でしょ!?って言って来る」


「大変だね」


「じゃあ彼女っていうのは何なんだって聞いたら、彼女は彼氏に言うことを聞いてもらって甘やかされて可愛くいる事!とかよくわからない持論を言われて…」


「…別れたら?」


「この間、別れ話をしたんだ。そしたら「私の何がいけなかったの?私、悪いところを直すから!反省するから!チャンスをちょうだい!」って泣きながら言うから、そこまで言うならと思って、一回別れ話を撤回したんだ」


「うん」


「最初は少し良かったんだけど、やっぱり元に戻った。喉元過ぎれば何とかだよね。参ったよ。そもそも私のどこがいけなかったの!?と聞いてきた時点でわかってなかったって事だよな」


何か色々大変だね。


雅樹が色々あるんだよって言ってた意味が何かわかった気がする。


何だろ。


お互いの思いやり?


自分!自分!じゃダメだって事だよね、きっと。


「ちょっと加藤さんに愚痴ったらすっきりしたわ。ありがとう。明日また別れ話をしてくる」


「話を聞くくらいしか出来なかったけど、頑張って」


そして林くんは一緒に来ていたメンバーの元に戻って行った。

No.66

二次会もお開き。


弟は知り合いと一緒に飲みまくって酔っぱらっていた。


「ねーちゃんは帰るの?俺はまたこいつらと飲みに行ってくる!」


「あんた飲み過ぎなんじゃないの?人様に迷惑かけたらダメだよ」


「りょーかいでーす!」


そう言って敬礼ポーズ。


「お姉さん、圭介借りて行きますねー」


「どうぞどうぞ。楽しんで来てね」


「あざーす!」


酔っ払い軍団はワイワイ騒ぎながら、夜の街に消えていく。


兄と千佳さんが出口でお礼の言葉を来てくれた皆さんに声をかけていた。


「まりは帰るのか?」


兄が言って来た。


「うん。圭介は酔っ払ってたけどまだ友達と飲むんだって言ってたけど、私は帰るよ」


「さっき、酔っ払い圭介を見送ったよ(笑)今日はありがとな。気を付けて帰れよ。もう母さん達は寝てる時間だろうが、会ったら明日の昼間に顔を出すと伝えてくれ」


「わかった」


千佳さんは、千佳さんの友人と話していた。


軽く会釈をすると千佳さんは私の方を見て「まりさん、今日はありがとうございました。気をつけて帰って下さいね」と笑顔で声をかけてくれた。


「ありがとうございます」


また軽く会釈をして店を出た。


そよ風が気持ちいい。


もう深夜0時過ぎ。


この時間なら、いくら明日が休みだとはいっても雅樹は寝ているだろうな。


ふと携帯を見ると10分前にメールが来ていた


「まり、余り飲み過ぎるなよ(笑)」


一言入っていた。


まだ起きてるのかな。


メールをしてみる。


「今、二次会終わったよ!これから帰る」


するとすぐに電話が来た。


「まり!」


「あれ?まだ起きてたの?」


「うん、明日休みだと思って録りだめしていたDVDをみていたら、こんな時間になってた(笑)これからちょっと来る?迎えに行こうか?」


「えっ、遅いし悪いよ」


「大丈夫!大事なまりが夜道襲われたら大変!今どこ?街?蕎麦屋あるよね?そこの前で待ってて!」


切られた。


二次会会場から蕎麦屋まで歩く。


蕎麦屋に着いたら、ちょうど雅樹も来た。


「ありがとう」


「ぜーんぜん大丈夫!まりのためなら喜んで!」


笑顔の雅樹。







No.67

「今日のまり、俺が知っているまりじゃない!女性ってすごいね!」


「いやいや、今日は髪も化粧もプロ仕様だから。服だっていつもと違うしね」


「すっぴんのまりも可愛いけどね(笑)」


「やだ…」


「あははー(笑)」


雅樹が運転しながら笑う。


雅樹のアパートに着いた。


「どうぞー」


「お邪魔しまーす」


「お茶飲む?麦茶ならあるけど」


「うん、ありがとう」


「座ってて!今持って来るから」


「うん」


雅樹のアパートでの私の定位置であるソファーの右側に座る。


テーブルの上にはDVDのリモコンと飲みかけのお茶が入っているコップ、柿の種の袋が置いてある。


「あー、ごめん。今片付ける」


「大丈夫。すぐ帰るし」


「お兄さんの結婚式、どうだった?」


「うん、良かったよ。久し振りに親戚の人達にも会えたし、二次会では同級生に会ったし」


「同級生?」


「うん、高校の時に3年間同じクラスだった林くんって男子」


「男子!?ヤキモチ妬くなー、いいなー、まりと飲めて」


「えっ?」


「だって俺、まりと会社以外で飲んだ事ないもん」


「そういえば。ご飯はあるけどね」


「まさか、そいつと何かあった訳じゃないよね?」


「ある訳ないじゃん(笑)」


「そうだよねー(笑)」


「でも、ちょっと2人で話してた。兄ちゃんと同じ部署で働いているみたいで、向こうから声をかけてくれて。声をかけてくれるまで林くんだって知らなくて。ちょっと高校の思い出話をしてから、彼の彼女の話を聞いてびっくりしちゃって…」


私は、林くんから聞いた彼女の話をした。


「あははー、俺の元カノみたいなやつだな(笑)ちょっとタイプは違うけど。その林くんっていう同級生の気持ちはわかる」


「そうなの?」


「別れた方がいいよ。もたないよ」


「私も別れたら?って言った」


「正解!別れろ!そして俺みたいにいい女性を見つけろ!ってアドバイスしてあげたい」


「残念!連絡先交換してないや」


2人で笑う。


「そろそろ帰るね。また明日連絡する」


「わかったよ、おやすみなさい」


玄関先でキスをして別れた。























No.68

お酒も入っていたせいか、お風呂に入ってさっぱりしたら急に眠たくなり爆睡。


起きたら10時を過ぎていた。


居間から、テレビの音が聞こえる。


親は起きているみたい。


「おはよう」


水を飲みに居間を通り台所へ。


母親が「二次会は楽しかった?」と聞いてきた。


「うん。楽しかったよ。あっ、そうだ。兄ちゃんが今日の昼間顔を出すから伝えておいてって言ってた」


「あらそう。わかった」


私は顔を洗い、歯磨きをして台所で水を飲み、冷蔵庫に入っていたミニトマトを2個つまんで入れておいたペットボトルのお茶を持って部屋に戻る。


ぐっすり眠ったおかげで、とてもスッキリしている。


部屋のオーディオの電源オン。


部屋着のまま、好きな音楽を聞いてのんびりするのが好きな時間。


携帯を開くと雅樹からメール。


機械オンチの私は、携帯の使い方を覚えるのには苦労した。


やっと携帯がある生活が日常になって来た。


「まりはまだ寝てるかな。俺は今日、床屋に行ってくる。まりはゆっくり休んで!」


そういえば「髪が伸びてうっとうしい!」って言ってたな。


明日、どうなったか楽しみに出勤しよう。


普通のカップルなら、不倫とかの訳ありじゃない限り、休みだと手を繋いでデートしたりするんだろうけど、うちらは会社の人にバレない様にするためと私の母親に遠慮して余りデートはしない。


たまに仕事帰りに食事をするが、デートは雅樹のアパートにいる事がほとんど。


でも、付き合ってからずっとそうだから、そういうものだと思っていた。


会社では平日毎日会えるし。


彼氏は雅樹が初めてのため、他と比べようがない。


たまには一緒にどっか行きたいなーとは思うけど。


部屋で部屋着でベッドの上でゴロゴロしてる1日。


あー、そういえば、明日までに作らなきゃならない書類があったな。


今やっておけば明日楽だなって思っていた時に、居間から母親と兄の怒鳴り声が聞こえる。


様子を見に行くと、千佳さんが泣いている。


また母親が何か言ったんだろうな。


「どうしたの?」


「ちょっとまり!この女、私に反抗したのよ!」


結婚式翌日にこれか。


話を聞いても千佳さんは悪くない。


ちょっと否定したらこれだよ。














No.69

翌日の朝。


当番だった私は、早目に出勤。


すると来客用の出入口に、若い女性と母親と見られる女性が立っていた。


私は解錠し「まだ始業時間ではないのですが…どなたかとお約束されてましたか?」と答えた。


奥から同じく当番だった立花さんが走って来た。


すると母親と思われる女性が強めの口調で「こちらの会社に西野っていう人がいるでしょ?出してちょうだい!」と言って来た。


私は立花さんと顔を合わせる。


「あの失礼ですが…」


立花さんが言いかけたところで、母親が「いいから早く連れて来なさいよ!」と更に強めの口調に変わる。


困った。


西野さんは今、出張中。


うちの営業の人。


妻子がいるはずだが…?


「あの、今西野は出張中でして…」


立花さんがそう答えると「嘘おっしゃい!土日挟む出張なんて聞いた事がありません!」
とまくし立てる。


「そう言われましても…相手先からその指定で来ていましたので…」


そう説明をしても「この会社は娘を弄んだ男をかばうのか!」「娘が可哀想だとは思わないのか」とか言ってわかってくれない。


娘の方は泣いている。


その騒ぎに出勤して来た牧野さんと雅樹がこっちに来た。


「どうかされましたか?」


牧野さんが聞くと母親は「いいから早く西野を出せ!」と牧野さんを怒鳴り付けた。


雅樹が私と立花さんに「後は俺達が対応するから、仕事戻って大丈夫だよ」と声をかける。


私達と入れ違いに、雅樹や牧野さんと同じ部署の千葉さんも来た。


朝からこんな騒ぎになり、次々出勤してきた従業員が「何事!?」と雅樹達3人と親子を遠巻きで見ている。


千葉さんが事務所に戻って来て、西野さんに電話を掛ける。


ちょっと話した後、また親子のところに戻り、千葉さんが手振りを交えて何かを親子に伝えている。


「ちょっと、どうしたの?」


後ろから出勤してきた田中さんが私達に声をかけて来た。


事情を説明。


話を聞いた田中さん。


「あれって、西野さんにストーカーしていた女じゃない?」


「はっ?どういう事?」


立花さんが反応。


「西野さんと一回だけ一緒に営業に行った時に言ってた。すごく変な女に付きまとわれて困ってるって」


まさか、そのストーカー?







No.70

西野さんは年齢よりも若く見えた。


営業の人らしく、清潔感があって笑顔も爽やかな人。


私達に仕事を頼む時も、決して偉そうにしない。


いつも奥様手作りの愛妻弁当を持参。


以前に「俺の妻が作ったクッキーなんだけどみんなで食べて」と事務員3人分持って来てくれた。


休憩の時に頂いたが、甘さ控えめの美味しいクッキーだった。


雅樹よりも先輩になる。


誰にでも優しく、偉ぶらない西野さんはきっとモテるんだろうな。


田中さんは以前、営業にいた。


うちは引っ越しを請け負う仕事もあるため、お見積とかで伺う際、お客様が女性の場合、知らない男性に抵抗を感じる事もある。


そのため、女性の一人暮らしのお客様には基本的に女性が伺う。


田中さんは入社時は営業にいたが、どうも私は向いていないと思って、私が入社前にいた事務員が辞めたため、社長に直談判し、営業から事務員に変わった。


だから、営業部の女性社員が足りない繁忙期にたまに営業に行かされる時がある。


私も立花さんもずっと事務。


その田中さんが一度、西野さんと一緒に営業に行った時に、お昼を食べようとマックに入った。


マックを食べながら西野さんさんが「困った事があってね…」と言って、そのストーカーの話を言っていたらしい。


原因は良くわからないという。


でも多分、どっかで接点があったんだろうが記憶にはないと。


営業部の人達は皆知っているみたいで、次々に仲間内で何かを話している。


30分はいただろうか。


親子は帰って行った。


雅樹を始め、牧野さんも千葉さんも朝から疲れ顔。


ドラマや小説だけの中だと思っていた。


ストーカーって本当にいるんだ。


後から聞いたが、お腹の中には西野さんとの子供がいる。私が何度も携帯に連絡をしたが繋がらなくなったから会社に来たと言っていたそうで。


もちろん妊娠なんて事実はないし、連絡が繋がらなくなったのは鬼の着信で怖くなった西野さんが携帯丸ごと変えたから。


西野さんは私の事を愛しているはずなのに、愛し合っているのに、どうして邪魔をする!


そう言って、泣きながら暴れだしたため、千葉さんが押さえたが、暴力するのかお前は!と母親が千葉さんに怒鳴る。


西野さん、どうするんだろ。


大変だな。













No.71

ある日の朝。


田中さんと立花さんが当番のため、私は通常出勤。


「おはようございまーす」


すると田中さんと立花さんが「加藤さん!ちょっと来て!こっちこっち!」と2人がいる給湯室前で手招き。


何だろう。


私は足早に2人の元へ向かう。


「どうしたんですか?」


すると田中さんが小声で「さっき、佐々木部長と真野さんがキスしてるの見ちゃったのよ」と言って来た。


「…見間違いとかじゃなくてですか?」


「いやいや、あれが見間違いなら、私眼科行って調べてもらうわ。立花さんも見たよね?」


すると立花さんが「見た見た!ヤバイでしょ、会社でキスって」と小声で言う。


「でも佐々木部長って、奥さんいましたよね?」と私が言うと、田中さんが「別居してるって言ってなかった?」と答える。


「真野さん、営業の名前何でしたっけ…山田さん?と付き合ってるって聞きましたけど…」


すると田中さんが「あれ?総務の鈴木さんと付き合ってるんじゃなかった?」と驚く。


「そういえば、総務の福田さんと一緒に掃除道具部屋の前にいるのを見た事があります。焦ってる風に見えたので、見なかった事にして素通りしましたが…」


私がこの間見た事を伝える。


立花さんが「真野さん、ヤバイんじゃない?あちこち会社の人に手をつけてるの」と言う。


田中さんが「長谷川さんは賢いわ。巻き込まれなくて良かったよ」と私を見る。


田中さんにも雅樹が真野さんに告白された事は伝えてある。


田中さんが「あんな美人に言い寄られたら、男なら嬉しいよね。下心があれば尚更」と何とも言えない表情。


もしそれが本当なら、とんでもない事。


時間になったため、私達は何も悪い事はしていないが、見ちゃいけないもの、聞いちゃいけないものを共有した3人一緒にこそこそと事務員に戻る。


雅樹がチラッと私達を見る。


私は席に座り、真野さん、佐々木部長、山田さん、鈴木さんと席順に見る。


佐々木部長は何となく機嫌が良さそうに書類に目を通している。


あんな美人と朝からキスしていたら、そりゃ機嫌も良くなるよね。


でも、会社ではやめて欲しいなー。











No.72

お客様が来たので、お茶を入れに給湯室に向かう。


新しくなってから給湯室はちょっと広くなり、奥に2畳位の物置部屋が出来た。


そこに、お客様の湯呑みやコーヒーカップがある。


湯呑みを取りに行こうとすると、声が聞こえる。


ここは私達事務員くらいしか入らない。


立花さんも田中さんも席にいる。


「…誰?」


こっそり扉をあける。


電気はついていないため真っ暗。


「はあ…はあ…ん…」


えっ、何?


誰かこの部屋で何かしてるの?


電気を点けた。


そこには真野さんと福田さんが下半身丸出し、真野さんはスカートをまくりあげている立ちバック状態で繋がっていた。


私はびっくりしすぎて声が出ない。


ただ黙って立ちバック状態で繋がっている2人を見るしか出来なかった。


「あ、えっ?加藤さん!?」


福田さんと真野さんが慌てて離れて服を着出す。


「えっとー。すみません。ごめんなさい。お邪魔しましたー!」


我に返った私は、慌てて2人に謝り給湯室を飛び出し事務所に戻り席に座る。


ドキドキしている。


心拍数があがっている。


手が震えている。


見ちゃいけないものを見ちゃった。


どうしよう。


でもお客様にお茶を出さない訳にいかない。


隣の立花さんが私の様子がおかしい事に気付き「どうしたの?」と聞いてきた。


「あの、すみません。代わりにお客様にお茶お願い出来ますか?」


「ん?うん、いいけど…」


立花さんは代わりに給湯室に向かう。


まだドキドキが止まらない。


ふと雅樹を見る。


雅樹がパソコン越しに私を見ているのがわかる。


思わず下を向く。


真野さんが戻って来た。


真野さんが私に近付く。


ドキン!


心拍数が更に上がる。


「加藤さん、ちょっといいですか?」


真顔の真野さん。


「はい」


私は立ち上がり、思わず福田さんの席を見ると、真顔で軽く会釈された。


えっ、何?


怖いよ。








No.73

普段、打ち合わせとかで使う小さな会議室に連れて来られた。


「加藤さん」


「はい…」


真野さんの顔が見れない。


「さっき見た事は誰にも言わないで下さい」


「…言うつもりはないです」


「約束してもらえますか?」


「あの…聞いてもいいですか?」


私は下を向きながら真野さんに質問。


「はい。何でしょうか?」


「福田さんとお付き合いをしているんですか?」


「付き合ってませんよ」


「えっ、じゃあ佐々木部長は?今朝キスしてたんですよね?」


「佐々木部長とも付き合ってませんよ」


「えっ、じゃあどうしてそんな事を…」


「セフレです。体だけの関係です」


淡々と答える真野さん。


「でも会社でそんな事しなくても…」


「会社ってスリルないですか?」


「そんな理由で…」


「みんな私から声をかけたら、面白いくらい近付いて来るんです。好きな人にフラれた腹いせみたいなものです」


「えっ?」


私はここでやっと真野さんの顔を見る。


「加藤さんには言いますが、私、長谷川さんの事が好きなんです。未だに。でも長谷川さんは振り向いてくれない。いつかは振り向いてもらおうと努力したつもりでしたが無理でした。それでも諦めきれなくて、でも長谷川さんにわざとくっついてみたりするんですが、全く私に興味を持ってくれなくて。

そこで長谷川さんと仕事上で良く話す佐々木部長を取り入れれば、長谷川さんに近づけるかもしれないと思って部長と寝ました。
鈴木さんと福田さんと山田さんからは告白されましたが、私は長谷川さんの事が好きなので断りました。でも体だけの関係も楽しいし、長谷川さんに抱いてもらえないうっぷんを彼らに晴らしてもらっています」



「…そうなんですか」


言葉を失う。


怖い。


「だから、とりあえず今日の事は見なかった事にして下さい。お願いします」



「…はい」


「戻りましょ?加藤さん」


そう言って、さっきの真顔と売って変わって満面の笑みの真野さん。


怖い怖い。


どうしたらいいのだろうか。


私は真野さんと時間差で事務所に戻った。












No.74

席に戻るも、仕事が手につかない。


真野さんを見る。


何事もなかったかの様に仕事をしている。


雅樹と同じ部署だから、席が近いのは仕方がないにしても…気分はよくない。


雅樹を見る。


パソコン越しに私を見ている。


目が合う。


真顔だった雅樹がふと笑う。


少しホッとする。


まさか真野さん、私と雅樹の関係を知っている?


だからあんな風に私に言った…?


あー!やっぱり仕事が手につかない。


ダメだ。


ちょっとお茶でも買って来よう。


小銭を持って従業員出入口にある自販機でお茶とコーヒーを1本ずつ買う。


ちょっと混乱した頭をすっきりさせたくてコーヒーを飲む。


新しい事務所になっても相変わらず立花さんの席は隣のため、以前の様に椅子ごとスーっと私のところに来る。


「何があったのかな?」


小声で聞いてきた。


私も小声で「話すと長くなります」と返す。


「昼休み終わりそうなくらい長くなる?」


「終わらない様に話をまとめておきます」


「りょーかい!」


そう言って、また椅子ごと席に戻った。


昼休み。


いつもの様に事務員3人でお昼を食べる。


今日は、話があるといつも向かう会社近くのファミレスに来た。


田中さんも私の様子がおかしかったのは気付いていたみたいで、2人で「何があったか話してみよう!」と笑顔。


2人には話そう。


そう思って、福田さんと真野さんが給湯室の物置でエッチな行為をしていた事、真野さんに会議室に呼ばれて話していた事を一気に話した。


さすがの2人も絶句。


田中さんは口が開いていた。


そして「真野さん…すげーな」と田中さんがボソッと言う。


「今朝、佐々木部長とキスして、何時間か後には福田さんとやっちゃってるって事だよね?」


「というか真野さん、長谷川さんの事諦めてなかったの!?」


「多分、長谷川さんと加藤さんの関係は私達しか知らないと思うし、加藤さんに宣戦布告って事はないと思うんだよねー。2人は会社でいちゃつく事も全くないし。余りデートもしないんでしょ?バレようがないよね」


立花さんと田中さんがそれぞれ話をする。


私は黙って聞いている。


お昼も終わり事務所に戻ると、福田さんが気まずそうに私を見る。


真野さんはいなかった。




No.75

昼からの就業前、携帯を開いてみる。


携帯禁止ではないが、私が余り見る習慣がない。


雅樹からメールが来ていた。


「何かあったか?今日は俺、定時で帰れそうだから、仕事終わったらうちに来るか?」


「そうします。私も定時で終わらせるから、終わったら雅樹のアパートに行きます」


メールを送るとすぐに「了解」の一言が返ってきた。


隣でその様子を見ていた立花さん。


「目の前にいるのにメールだもんねー。会う約束でもしたの?」


「はい」


「じゃあ早く仕事切り上げなきゃね」


「そうですね。頑張ります」


定時になった。


雅樹は帰る準備をしている。


すると牧野さんが「長谷川!今日飲みに行かないか?」と声をかけていた。


「悪い!俺、今日どうしても外せない用があって!」


「なんだ残念。またの機会だなー。千葉でも誘うかな?」


「おー、千葉のやつ、彼女と別れたばかりだから慰めてやれよ」


「そうするわ。おい千葉!今日付き合え!」


「喜んでー!」


千葉さんが席から叫ぶ。


私も帰る準備。


田中さんが「私も帰ろー」と帰る準備を始める。


立花さんも準備。


着替え終わり、3人一緒に会社を出る。


「お先に失礼しまーす!」


「お疲れ様!また明日ねー!」


真野さんはまだデスクにいた。


従業員出入口近くで3人でちょっと話す。


田中さんが「これから長谷川さんに会うの?」と聞いてきた。


「そうです」


「そっか。ゆっくり話した方がいいかもね。色々と」


「そうします」


「じゃあまた明日ねー!お疲れ様ー」


「お疲れ様でした!」


田中さんと立花さんと手を振ってお別れ。


車に乗り込む。


私の車は、このまま自宅に帰って停めると母親にバレるため、雅樹のアパートのちょうど影になる来客用のスペースに停める。


ここだとまず覗き混まない限りバレない。


雅樹の車は既に定位置に停まっていた。


私は雅樹の部屋のインターホンを押す。


笑顔でスーツ姿の雅樹が迎えてくれる。


まだ仕事姿の長谷川さん。


「お疲れ様、入って」


「お疲れ様です。お邪魔しまーす」


まだ加藤さん。


雅樹に抱き締められキスをされる。


雅樹とまりに戻る瞬間。










No.76

雅樹が「俺、ちょっと着替えて来るから座ってて!」


「うん」


そう言って私の定位置に座る。


ちょっとしてから部屋着に着替えた雅樹が来た。


「何か飲む?」


「今日、昼間会社で買って残っているお茶があるから大丈夫」


「オッケー」


そう言って雅樹は冷蔵庫から雅樹の愛用のコップに麦茶を入れて持って来た。


そして私の隣に座る。


「今日、何があった?」


早速聞いてきた。


私が余りにもすごい顔をしていたから心配していたらしい。


「あのね…」


今日あった出来事、真野さんに言われた事全てを話した。


「真野さんが急にいなくなって戻って来ないと思ったら…まさか、福田さんとねー。それはびっくりしたな」


「腰抜けるかと思った。だってまさか会社でそんな事してるなんて誰も思わないし。しかも直前に田中さんと立花さんから、佐々木部長とキスしてたって聞かされて。頭が混乱しまくってて」


「…確かに真野さん、俺に胸とか当てて来ていた。最初は気のせいだと思ったよ。でも余りにも近いから「ちょっと近いよ」と言った事はある。胸が大きくあいた服を着てきた事があってね。目のやり場に困るから注意した事もある。でもそんな服を着てきて、俺を狙ってたって事なのかなー」


「…人様に見せつけられる豊満な胸でうらやましい限り」


私がボソッと呟く。


「俺はまりくらいがちょうどいいなー(笑)」


そう言って、視線を私の胸に落とす。


「なくてごめんなさいねー」


「俺が好きなんだから、それでいいんだよ」


そう言って笑う雅樹。


「でも俺、真野さんは確かに美人だとは思うけど、そうやって色んな男に声をかけまくってやりまくっている女、本当に嫌い!本当無理!俺にはまりがいる。それで十分」


そう言ってキスをされる。


「だってさ、興味ない女に胸見せられても、どうでも良くない?まりも興味がない男にモノ見せられたらどう思う?」


「…気持ち悪い」


「だろ?男の本能的にはつい見てしまう事はなくはないけど…でもどうでも良くない?」


「うん」


「ただ迷惑なだけ。俺、きちんと真野さんと話してみるよ。大丈夫。俺を信じて。このままの状態でいられるとみんなにも迷惑がかかる。会社でやっちゃってるのは、ちょっとなー」


雅樹は引いた笑いになっていた。




No.77

翌日、雅樹は真野さんを、前に私と真野さんが話した会議室に呼び出した。


私は雅樹と真野さんが帰って来るまで落ち着かなかった。


仕事はする。


でも上の空。


当番で一緒だった立花さんには伝えてある。


「気になるよね」


いつの間にかすぐ隣にいた立花さんに小声で話しかけられた。


「そうですね…」


「長谷川さんなら大丈夫だって!信じて待とう!」


「…ですね」



「ほらほら、ボーっとしてたら仕事終わらないよ?今日、田中さんの分も頑張らないといけないんだから」


田中さんは営業に駆り出されている。


朝会った時に文句を言っていた。


「私、営業嫌だって言ってるのにー。スーツじゃなくて制服来て会社にいたいよー!嫌だよー!」


ギリギリまで文句を言って、時間になり仕方なく営業に向かって行った。


2人で見送った。


「そうですね。営業頑張っている田中さんの分も頑張らないと!」


「そうそう!」


立花さんはそう言って席に戻る。


しばらくしてから、雅樹が戻って来た。


そしてまた消えた。


私の携帯がカバンの中でブルブル震えた。


普段は滅多に手に取らないが、今回ばかりは気になって仕方ないためすぐに携帯を開く。



雅樹からのメールが来ていた。


「真野さんとはしっかり話をしたから、もう大丈夫。安心して!」


詳しい内容はわからないが、話し合いはいい方向に向かったんだろうな。


立花さんにメールを見せる。


「良かったね!とりあえず安心だね!」


「ありがとうございます」


立花さんと話をしていると、真野さんが戻って来て私を見る。


でもすぐに視線を反らした。


話の内容は気になるが、とりあえず良かった。


雅樹も戻って来た。


いつも通りの風景。


翌日。


真野さんは会社に来なかった。


理由は「高熱」


その翌日も休んだ。


雅樹に聞いた。


「真野さんと何を話したの?」


「ストレートに言ったよ?俺は真野さんに興味は全くないし、付き合う気もない。胸を押し付けられたり、セクシーな服を来て俺を誘っているのかも知れないけど無駄だよ?俺は他の男と違って、下半身しっかりしているから彼女にしか反応しない。迷惑だからやめてほしいって」


熱の原因はこれかな。














No.78

真野さんと福田さんは、よく会社で隠れて行為をしていたが、結構頻繁に行為が行われていたのか、他の人たちにもバレた。


あっという間に噂が広がり、社長の耳にも入る。


社長は激怒し、福田さんと真野さんは解雇された。


佐々木部長はバレていなかったため免れた。


会社ではいちゃついてはいなかったため、皆にバレる事はなかったが、関係のあった山田さんや鈴木さんもは気まずそうにしている。


あえて言う必要はないので黙っていた。


美人過ぎるのも、ある意味損なのかな。


真野さんがいなくなって、新しく入って来たのは男性社員。


真面目そうな人だった。


いつもの平和が日が戻る。


しばらく営業にかり出されていた田中さんも事務に戻る。


「あー!やっぱり落ち着く!制服最高!」


ずっとスーツだったため、久し振りの制服に喜ぶ田中さん。


「もうしばらく営業ないって!いなかった分頑張るからね!」



またいつもの3人での仕事。


そんな中、立花さんからカミングアウト。


「彼氏と結婚する事になりましたー!」


「おめでとう!」


「おめでとうございます!」


「ありがとう!この間、彼氏からプロポーズされて…そして今、お腹の中に赤ちゃんがいるの」


「えー!!!」


田中さんと一緒にハモる。


「すごーい!立花さん、本当におめでとう!」


「ありがとう。結婚しても会社は辞めるつもりはないけど、出産ってなったら産休もらう事になっちゃうけど…」


「何の心配いらないよ!私と加藤さんがいるもん。大丈夫大丈夫!ねっ、加藤さん!」


田中さんが私を見る。


「はい!大丈夫です。体冷やさないで下さいね。つわりとかツラそうなら、無理しないで私達に遠慮なく仕事振って下さい!そして休んで下さいね!」


「本当に!ツラかったらいつでも言ってー!」


「ありがとう」


立花さんが結婚。


そしてお母さんになる。


立花さんの嬉しそうな顔。


私も嬉しくなる。


もう少しで妊娠4ヶ月になるらしい。


大事な時期。


会社にも報告済み。


入籍だけして、結婚式はまだ未定との事。


立花さん、本当におめでとうございます!





No.79

「次は加藤さんかー。いいなー。私は相手すらいなーい」


田中さんが言う。


「長谷川さんと結婚しないの?もう長いよね。ていうかさー、長谷川さんも加藤さんもすごいわ。私なら絶対にバレる自信あるもん。アイコンタクトとかして、給湯室とかでいちゃついてそうだもん(笑)そういうの一切ないし、近くにいた私がずっと知らなかったくらいだもん」


立花さんが「でもヒヤッとする事はたまにあったけどねー」と言って笑う。


「私も、2人に負けないくらいかっこいい彼氏を見つけるんだから!見てろ!まず、その前に痩せなきゃなー。最近、お腹出てきたし、腰回りヤバイし」


シュンとする田中さん。


「大丈夫ですよ!田中さんなら、絶対素敵な彼氏出来ますよ」


私が言うと「頑張る!かっこいい彼氏見つけて、2人の前でいちゃついてやるんだから!(笑)」そう言って叫ぶ。



雅樹にプロポーズされたけど、まだ具体的な話しはしていない。


いつかは結婚をする予定だけど、焦らなくてもいいのかな?


土曜日。


母親には「田中さんとご飯食べて帰る」と伝えている。


入院以来、母親は田中さんの事がお気に入り。


田中さんには申し訳ないが、母親を納得させるのに名前を使わせてもらっている。


ちょっとトラブルがあり、珍しく雅樹より後に仕事が終わる。


雅樹から携帯にメールが来ていた。


「うちで待っているから頑張って!」


私は退社し、車に乗り込み雅樹に電話。


すぐに出た。


「今終わった。これから向かって大丈夫?」


「オッケー!今日、まりに会わせたい人がいるんだ。一緒に待っているから」


誰だろ?


とりあえず、真っ直ぐ雅樹のアパートへ向かう。


部屋のインターホンを鳴らす。


既に部屋着に着替えていた雅樹が出て来た。


「お疲れ様!大変だったね。入ってー!」


玄関を見ると、私のではない女性用のスニーカーがある。


ちょっと緊張しながら部屋の中へ。


髪をアップにし、ジーンズにパーカーというラフな格好をした小柄な女性がいた。


女性は「こんばんはー!初めまして。雅樹の姉の由里子って言います。雅樹からお話しは伺ってます。よろしくね!」と笑顔でご挨拶。


雅樹のお姉さん。


姉がいる、とは聞いていたが突然過ぎて心の準備が出来てないよ!










No.80

「初めまして。雅樹さんとお付き合いさせて頂いています加藤まりと申します」


緊張しながらもご挨拶。


お姉さんが来てるなら、何か手土産用意して来たのに!


「すみません、何も用意していなくて…」


私が言うと「大丈夫!大丈夫!そんなの全然問題ないよ!今日、ちょっと用があってたまたまこっちに来ていたから、ついでに雅樹のところに寄っただけなの。そしたらこれから彼女来るって言うからさ、会ってみたくて待たせてもらっていたの」


お姉さんが話す。


よく見たら、やっぱり似ている。


目がそっくり。


「なかなか紹介してくれないんだもん。実家で会った時にも、彼女出来たんだって言ってただけでそれっきりだもんねー」


良く話すお姉さん。


「あなたが事故に会った時の雅樹、大変だったんだからー」


雅樹は「それ以上はいいから!ねーちゃん!」と焦って止めたが、お姉さんは構わず話す。


「大変だったんでしょ?ニュースで見たよ。雅樹の会社にダンプが突っ込んだってニュースで見たから心配になって仕事終わってからここに来てみたのよ。そしたら「まり!まり!」って言いながらワンワンって泣いててさー。話を聞いたら意識なかったって」


「恥ずかしいから頼むからやめてくれ!」


「どうしてよ。誰だって心配するじゃない。私一応、看護師のはしくれだよ?何かアドバイス出来るならしたいじゃん」


へぇー。


看護師さんなんだ。


入院している時に、たくさんお世話になったな。


そんな事を思いながら、長谷川姉弟の会話を聞いていた。


「ねぇ、まりさん?」


お姉さんが私に話をふる。


「はい」


「今日、お会い出来て良かった。雅樹の事よろしくね!」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


「お邪魔したね。まりさん、また今度ゆっくり会いましょ!雅樹!まりさんと仲良くするんだよ!じゃーねー!」


そう言って帰って言った。


「うるさいねーちゃんでごめんね。ほっといたらずーっとしゃべってるんだよ」


「明るいお姉さんでいいじゃない。やっぱり似てるね。目とか口元とか」


「よく言われる。まりも弟さんと似てるよね」


「やっぱり兄弟だね」


そう言って笑い合う。


















No.81

立花さんのお腹もだいぶ目立って来た。


入籍し、苗字が立花さんから岡村さんに変わった。


順調に赤ちゃんは成長しているみたいで良かった。


お腹に手を当てて「だいぶお腹の中で動いているのがわかるの!」と言う立花さんは既にママの顔。


「性別はわかったんですか?」


「うん、男の子の可能性が高いって!」


「そうなんですね!」


もう少ししたら立花さんは産休に入る。


田中さんと相談し、2人で何かお祝いをあげる事になった。


雅樹にも話したら、雅樹も一緒にという事だったので休みの日に3人でショッピングモールに買い物に出掛けた。


田中さんはしきりに「2人の邪魔してごめんねー」って謝っていたけど、私も雅樹もこういう機会がなければ一緒にこうして出歩かないので、逆に田中さんに感謝。


ベビー服コーナーで、田中さんと2人で「これ可愛くない!?」


「可愛いですね」


「これなんかどう?」


「こんなのもありますよ!?」


とか言いながら見て歩く。


そんな2人の保護者の様に、後ろからちょっと離れて雅樹がついて歩く。


悩みに悩んで子供服と、スタイや産着セットみたいなのを買い可愛く包んでもらう。


そして、3人でショッピングモールの中にある
レストランでちょっと遅めのお昼ご飯。


日曜日のため、家族連れが多い。


田中さんが周りの家族連れを見て「何かいいなー」と呟く。


「私さ、母子家庭で父親がいなかったから、休みの日も母親ずーっと仕事でいなくて、寂しかったから家族連れ見ていたらうらやましくて。でも母親には感謝してるよ?ちょっとひねくれたけど、ちゃんとに大人になりましたよ!ってね。今度母親と旅行でも行ってみようかな?と思って」


「いいじゃないですか!お母さんと旅行」


「たまには親孝行しようかなーって思って、今度の連休に温泉でも行こうかな?ってお金貯めてるの!」


「楽しめたらいいですね」


「早く嫁行けーってうるさいから、温泉入ってる時くらいは静かになってくれるでしょ?(笑)」


雅樹も楽しそうに田中さんと話している。


食事をしてから田中さんとお別れ。


「私は帰るから、後は2人でごゆっくり!また明日ね!」


そう言って田中さんが買ったプレゼントを持ってショッピングモールの駐車場で別れた。





No.82

私達も雅樹のアパートに帰る。


「今日は田中さんと色々と見れて楽しかった!」


私が雅樹の車の助手席に乗って、運転している雅樹に話しかける。


「2人の後ろで2人を見ていて、俺も楽しかった」


「田中さんには感謝だね」


雅樹も「そうだね」と答える。


雅樹のアパートに到着。


雅樹と愛し合う。


いつもよりも激しい気がする。


終わってから「まり、今度の連休、うちの実家に行かないか?まりを紹介したい」と言って来た。


「えっ?実家?」


「まりと結婚前提に付き合ってるって紹介するんだよ。ダメ?」


「ううん。私も雅樹のご両親にきちんとご挨拶したいし」


「じゃあ決まり!親には連絡しとく」


「うん」


時間ギリギリまで雅樹と愛し合う。


今月末で立花さんが産休に入る。


田中さんが、立花さんのお腹を撫で「元気に生まれておいでね。お姉さん達も早く会えるのを待っているからね!生まれたらお姉さん達と一緒に遊ぼう!」とお腹の赤ちゃんに話しかける。


私も立花さんのお腹を撫でる。


「楽しみに待ってるね」


立花さんは笑顔。


部長から小さな花束を受けとる。


「立花くん、元気な赤ちゃんを生んで、素敵なお母さんになった立花くんを待っています」


「ありがとうございます」


立花さんは目に涙を浮かべてご挨拶。


退社前に、更衣室で片付けをしていた立花さんに、私と田中さんから以前買っておいた赤ちゃんへのプレゼントを手渡す。


田中さんが「私と加藤さんと長谷川さんの3人から。気に入ってくれるといいけど。立花さんの席はずっと私達で守り続けるから!安心して元気な赤ちゃんを生んでね!赤ちゃんが生まれたら会いに行くから!」と話す。


私は横でうんうんと頷く。


「ありがとう!また絶対に戻って来るから!」


立花さんは泣いていた。


私も田中さんも涙目。


立花さんがいない間はちゃんと大変にはなるけれど、立花さんも元気な赤ちゃんを生むために頑張る。


私達も頑張らないとね。







No.83

立花さんがいなくなった会社。


寂しい。


いつも何か話しかける時に、椅子に座って椅子ごとスーっと隣にやって来るが、今日からはそれもない。


多少の荷物は残っているが、ほとんど物がなくなった立花さんのデスクを見る。


来週から立花さんの産休の間のアルバイトの人が来て立花さんの席に座る予定。


静かな時間。


昼休み、田中さんと一緒にいつものマックへ。


「立花さんがいないと寂しいねー」


「ですね」


「でもママになって戻って来るまでの辛抱!新しくアルバイトで23歳の子が来るって言ってたけど、どんな子だろうね。仲良くなれたらいいね」


「そうですね」


そんな話をしながら田中さんとのお昼。


そして、新しいアルバイトの子の初出勤の日。


私と田中さんは立花さんがいないため、毎日朝の掃除をするため、早目に出勤していた。


従業員出入口でキョロキョロしている小柄な女性を発見。


私に気付くと「あの、今日からお世話になる事になります渡辺といいます!」と近寄って来て挨拶をしてくれた。


「初めまして。加藤といいます。よろしくお願いいたします。早速ですけど、更衣室に案内しますね」


「はい!」


真面目そうな感じの子。


私と同じにおいがする。


奥にいた田中さんが気付いてこっちに走って来た。


「初めましてー!田中といいます。今日から私が色々と教えていくのでよろしくね!」


「今日からお世話になる渡辺といいます!よろしくお願いします!」


そしてペコリとお辞儀をする。


更衣室で制服のサイズを合わせる。


「えー、渡辺さん7号着れるの!?細っ!」


田中さんが驚く。


「私なんて13号だよー!ダメだー痩せないと!加藤さんは何号?」


「私は11号です」


「加藤さんも細いもんね」


「いえいえ。田中さんは胸があるからですよ。私ないですもん」


田中さんはFカップ。


うらやましい。


私はBカップ。


少し分けてほしい。


制服に着替えた渡辺さんと3人で会社案内。


次々に従業員が出社。


渡辺さんを見て、皆挨拶をする。


男性社員が「ちっちゃいねー!身長いくつ?」と渡辺さんに聞く。


「152センチです」


私と約10センチ違うのか。


小さい女性って可愛い。







No.84

渡辺さんは、すごく一生懸命頑張っていた。


田中さんや私がお願い事をしても、すごく丁寧にやってくれる。


2週間を過ぎた頃、渡辺さんはだいぶ慣れて来たのか、笑顔も見える様になった。


美人だった真野さん程ではないが、若くて小さくて細くて可愛らしい渡辺さんに男性社員が何人か集まる。


「今度、一緒に食事でもいかない?」


「ちっちゃくて可愛いねー!」


「普段は何してるの?」


渡辺さんは「いえ…」とか「はい…」とかしか返さない。


田中さんが「こらこらこら!口説くな!」と取り巻く男性社員を追い払う。


「おー怖い怖い」


そう言いながら男性社員が離れる。


「ごめんねー!ちょっと変なのいるけど、大半は皆いい人達だから!何かあったらすぐ私に言って!」


「ありがとうございます」


渡辺さんがペコリとお辞儀をする。


渡辺さんはいつもお弁当を持参。


小さなお弁当箱を持って来る。


田中さんがそのお弁当箱を見て「そんなんで足りるの?」と聞く。


「はい!」


「えー!私だったらそれに豚汁大盛くらいなかったら全然足りない!だから細いのかー」


「余り食べられなくて」


「女の子はそれ位が可愛いよー。私が食べ過ぎなんだわ」


そう言いながら笑っている。


私も渡辺さんのお弁当では全然足りない。


私も多分、豚汁つける。


渡辺さんがいつもお弁当のため、最近は私も田中さんもお弁当にする。


とはいっても、出勤途中のコンビニで買ったり、ほか弁屋さんで買ってきたりのもの。


たまーに作って持って行くが、朝は少しでも寝ていたい欲求に負けてしまう。


渡辺さんと3人でお昼ご飯。


色々話す。


渡辺さんの学生の頃はいつも一人でいたから、学生時代の友達が余りいないという話に「私もそんな子でしたよ」と答える。


似た様な境遇に親近感がわく。


きっと渡辺さんなら仲良くやっていけそう。


立花さんが復帰するまでの期間限定だけど、それまで楽しく仕事が出来たらいいなと思う。














No.85

棚の上の書類を取りたいけど取れない渡辺さん。


ぴょんぴょん跳ねるが取れない。


私が行こうとすると、近くにいた千葉さんが「これ?」と言ってファイルを取ってくれた。


「ありがとうございます!」


渡辺さんがペコリとお辞儀をする。


千葉さんが「頑張ってるね」と笑顔で渡辺さんに話しかける。


「ありがとうございます!頑張ります!」


そう言いながらまたペコリとお辞儀をする。


何か可愛い。


「すみません、取れなくて取って頂きました。今の方はどなたでしたっけ…まだ名前が覚えられなくて」


申し訳なさそうに私に聞いてきた。


「今の人は、千葉さんっていう配車を担当したり、事故とかのトラブルの時に対応する部署の人。あそこがその部署で…」


私はそう言って、雅樹や千葉さんがいる部署を指差す。


雅樹がこっちを見た。


渡辺さんが雅樹に頭を下げると、雅樹は笑顔で軽く頭を下げる。


「今の方も同じ部署の方ですか?」


「そう、同じ部署の長谷川さんっていう人ですよ」


「ありがとうございます!名前が覚えられなくて…すみません」


「いえいえ、最初は誰でもそうです」


私も名前を覚えられなくて大変だったから気持ちはわかる。


佐藤さんが3人いるし、同じ名前の人もいる。


田中さんが基本的に教えているが、ちょっとした事は私も教えていた。


失敗もした。


その度に、こちらが申し訳ない位に謝る。


田中さんが「失敗して覚えていくんだから、次は気を付けよ!私もそうだったし、加藤さんだって最初は結構ミスして怒られたよー」と励ます。


「そうです。私もよく怒られました。でも渡辺さんはパソコンのスキルあるし、全然大丈夫ですよ!」


私も渡辺さんに話しかける。


「ありがとうございます!以後気を付けます!」


「頑張ろう!」


「はい!」


素直でいい子だな。


ふと渡辺さんの手元を見る。


ブレスレットをしている。


「おしゃれなブレスレットですね」


私が渡辺さんに聞く。


「これ、亡くなった祖母の形見なんです。私、おばあちゃん子だったので、いつもつけていたこのブレスレットがどうしてもほしくて母からわけてもらいました」


「そうなんですね」



やっぱり可愛い。




No.86

私の誕生日。


20歳を過ぎてから、子供の頃の様に喜ぶ事もないが家族に祝われる事もない。


ただ、毎年ケーキとちらし寿司は必ず食卓に出て来た。


本当は雅樹と過ごしたいが、雅樹は千葉さんと出張中。


3日間の出張だが、会社にいないのは寂しい。


でもメールはくれていた。


「誕生日おめでとう!今日は一緒に祝う事は出来ないけど、日を改めて一緒に祝おう!」


そのメールだけで十分嬉しい。


実家で誕生日。


とはいっても普通の食卓。


母親のちらし寿司は見た目はシンプルだけど美味しいから好き。


食べ過ぎたなー。


太るなー。


きっと渡辺さんの1日の食べる量を夕飯一食で食べた気がする。


最初、私も少し太って来た気がする。


つい会社にあるおやつをつまんでしまう。


誰かの出張のお土産とか、取引先の方々から頂いたお菓子とか、いつも何かしらのおやつが置いてある。


今日はパウンドケーキが置いてあり、つい食べてしまった。


少し控えよう。


明日は雅樹が帰って来る!


夕方には駅に着くと言っていたな。


楽しみに会社に行こう。


翌日。


予定より少し早目に雅樹と千葉さんが帰って来た。


思わずにやける私。


雅樹の元気な姿が何より嬉しいプレゼント。


千葉さんが「お土産買って来たから、皆さんでどうぞー!」と美味しそうなスフレが入っている箱を開ける。


また太りそう。


でも食べちゃう。


渡辺さんにも1つ渡す。


「せっかくなんで頂きましょ!」


「ありがとうございます!」


雅樹が席に座っていると安心する。


早速、仕事に取りかかる雅樹。


パソコン越しに私を見て軽く微笑む雅樹。


お帰りなさい。


心の中で呟く。


その日の夜、仕事帰りに雅樹のアパートに寄る。


出張で疲れているだろうから、少しだけ滞在。


「洗濯しなきゃ!」


雅樹はスーツケースから洗濯物を引っ張り出す。


「面倒くさいなー。でもやらなきゃなー。出張は疲れるから行きたくないよ。まりとも会えなくなるし」


ぶつぶつ文句を言いながら洗濯を始める。


少しの滞在で帰宅。


ちょっとでも雅樹に会えて良かった。










No.87

雅樹のご両親に会うと約束していた連休。


朝から緊張して早くに目が覚めた。


母親には「田中さんのところに行く。連休だから泊まって来る」と伝えてあるが、一応田中さんには言ってある。


もし、何らかの形で母親から何か言われたら口裏を合わせて欲しいと。


「オッケー!その時は任せて!」と快く受けてくれた。


雅樹の実家は隣町。


とはいっても町並みは町境を越えても続いているから離れたところではない。


例えで言うなら、東京都の渋谷区から新宿区に移動しました。


みたいな感じだろうか。


こんなに都会ではないが。


普通に隣町同士通勤するし。


雅樹のアパートから車で20分位。


閑静な住宅街にある一軒家。


雅樹はずっと車の中で「大丈夫!大丈夫!」と言ってくれていたが、緊張しまくりで脈が飛んでる感じ。


玄関前で深呼吸。


雅樹が「チャイム押すよ」と言う。


「はい、大丈夫です」


つい敬語。


チャイムを鳴らすと、犬が吠えた。


雅樹のうちで飼っている大事な家族。


ドアが開く。


お姉さんとお母様と吠えながらも犬が出迎えてくれた。


雅樹が「彼女連れてきた。加藤まりさん」


玄関先で紹介された。


「は…は…じ…まして…加藤です…」


緊張の余り挨拶を噛みまくる。


「どうぞ上がって下さい!」


お母様が笑顔で言って下さるが、足が震えてうまく靴が脱げない。


お姉さんが「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?気楽に気楽に!はい!深呼吸!」


そう言われて深呼吸。


何となく落ち着いた気がする。


居間に通された。


広めのリビング。


出窓が大きくて明るい。


お父様が迎えて下さる。


「初めまして。雅樹の父です」


「初め…まして…加藤と申します」


また噛む。


「あの…これ、よろしければ…」


来る途中に寄った和菓子屋で、好きだと言っていたどら焼きを渡す。


「そんな気を使わなくてもいいのに。かえってすみませんね。ありがとう」


お父様とお母様が受け取って下さり、居間の奥の和室にあるお仏壇に備えた。


うちの母親とは大違い。


兄の時には「鰻だ!霜降り肉だ!」と騒いだ母親。


母親とは何もかもが違っていて、快くどら焼きを受け取って頂けて、ちょっとだけ緊張がほぐれた。



No.88

お母様がコーヒーを出して下さる。


色々聞かれて答えたが、緊張で余り覚えていない。


失礼な言動はしてなかったはず…。


ずっとにこやかなご両親。


少しずつ緊張がほぐれていくのがわかった。


でも手汗、脇汗ががすごい。


雅樹が「俺、彼女と結婚しようと思って」とご両親に伝える。


「8歳も年下だけど、しっかりしているし、彼女と付き合っていて奥さんにするなら彼女しかいない!って思ったんだ」


ご両親は「真面目そうだし、可愛らしい子じゃない。いいと思うよ。まりさん。本当にうちの息子でいいの?30越えたおじさんだよ?」と聞いて来た。


「雅樹さんとお付き合いさせて頂いて、本当に私も雅樹さんとずっと一緒にいたいと思っています」


すると、ダイニングテーブルの方にいたお姉さんが「彼女、本当にいい子だよ?雅樹にはもったいないくらいだわ」と言って来た。


ご両親は「息子の事、よろしくお願いしますね。何かあったら、すぐに言ってね。生んだ責任者として叩き直してあげるから!」と言って笑っていた。


雅樹が「大丈夫!俺は優しいぞ?なっ?まり」と言って私を見る。


「はい、本当に優しくて大事にしてくれています」


お姉さんが「ねえ、何かこの部屋暑くない!?」と言って、ダイニングテーブルの横の窓を開けた。


皆で笑う。


何かいいな。


こんな家族。


愛犬が足元に来た。


名前はきなこちゃん。


可愛いシーズー犬。


前髪を赤いリボンで結んである。


お姉さんが「まりさんが来るから、この子もおしゃれして、今日は赤いリボンで決めてみた」ときなこちゃんを抱っこして、リボンで結んで上にピョンと伸びた毛を触る。


可愛い。


「雅樹、晩飯はどうする?」


お父様が雅樹に聞く。


「いや、今日はもう帰るよ」


「そうか。まりさん、またいつでも遊びに来て下さい」


「ありがとうございます」


玄関までご両親とお姉さんと、お姉さんに抱っこされたきなこちゃんが見送りに来てくれた。


「今日はありがとうございました」


私がお礼を伝える。


「またいらっしゃい」とお母様。


「またね!」とお姉さん。


丁寧にお辞儀をして玄関ドアを閉める。















No.89

雅樹の車に乗り込む。


「緊張したー!でも、すごく素敵なご家族」


「もう、まりも長谷川家の一員だよ!」


「ありがとう。私、変な事言ってなかった?緊張し過ぎて前半覚えてないの」


「変な事は言ってないけど、噛みまくって何言ってるかわからない時はあった(笑)」


「いやだ、ごめん」


「初めて会うんだもん。そうなるよ。俺もまりのご両親にお会いする時は、もっとヤバイぞ!」


そう言って笑う。


「遅くなったけど、まりの誕生日祝いと退院祝いで寿司食わない?まり、寿司食いたいって言ってたよね?近くにうまい寿司屋があるんだ」


そう言って、お寿司屋さんに向かう。


「いらっしゃいませ。2名様ですか?」


和服を着た上品な中年の女性が席に案内してくれた。


他にも何組かお客様がいた。


席に着くと雅樹が「まりは何が好き?」と聞いてきた。


「シメサバ…っていうかそういう系統以外なら何でも」


「シメサバ嫌いなの?」


私は小声で「あたってから食べられないの。怖くて。焼けば大丈夫」と答える。


「なるほど。俺は魚卵系が苦手なんだよな」


「イクラも?」


「うん。魚卵系以外なら何でも!さて、どうしようか」


「私はこれにしようかな」


「えっ?これでいいの?」


「だって、この海鮮丼、いっぱい具材がのってて美味しそうだよ?」


「うーん、イクラがのってる…」


雅樹はしばらく悩んで決まったみたいで「すみません…」と右手をあげる。


すぐに、先程の女性が来た。


雅樹は私と同じ海鮮丼の写真を指差し「あの、これ、魚卵抜きって出来ますか?」と聞く。


「大丈夫です」


「じゃあ、これの魚卵抜きと抜かない普通のやつ1つずつと、このお寿司セットをお願いします」


「かしこまりました。お待ち下さいませ」


女性は深々と頭を下げて、裏に入る。


「まりとこうして食事するのも久し振りだな」


「そうだね」


「いつもうちだもんなー。そうだ!今日、これからプチ旅行行かない?って言ってもこの時間だから、そんな遠くは行けないけど」


「うん」


「じゃあ決まり!海見ない?前に行ってみたいねって行ってたじゃん」


「行きたい!」


「よし!決まり!」


雅樹と初めてのプチ旅行に行く事になった。





No.90

すごく美味しい海鮮丼。


一緒に、別で頼んで運んで来たお寿司セットのイクラの軍艦巻きを、私の前に無言で持って来た。


私はイクラは好きだから、喜んで頂く。


代わりに光り物の魚を雅樹の前に持って行く。


2人で笑う。


完食。


「今日はまりへのお祝いなんだから、財布はしまいなさい。業務命令!」


「わかりました。長谷川さん」


「素直でよろしい、加藤さん」


また笑う。


楽しい。


海に向かう途中にあったコンビニで飲み物を買い、ちょっとした峠道を越え、1時間程で海が見えて来た。


「わぁ!海なんて何年振りだろう!」


私が久し振りの海に興奮。


海沿いの道路に出た。


窓を開けると、波の音が聞こえる。


ちょっとした駐車スペースがあり、そこに車を停める。


雅樹が海を見ながら、軽く伸びをする。


私は雅樹の隣に行き、一緒に海を見る。


海と岩場しかない場所。


遠くに町並みが見える。


「まりとこうしたデートって初めてだね」


「そうだね。いいものだね」


「まりと結婚したら、いっぱいまりと色んなところに行きたいなー」


「私も」


今日は前に雅樹が買ってくれた指輪を、お互いの左手薬指につけている。


「いつかはこの指輪を堂々と会社につけていきたい」


そう言って左手をあげる。


夕方になってきた。


ちょっと走るとお土産屋さんがあり、せっかくなので見てみる。


可愛いキーホルダーを見つけた。


「初プチ旅行記念にペアで買ってみる?」


「買ってみる。私から日頃の感謝を込めてプレゼントする」


「マジで?」


「うん。どの色がいい?」


「俺はグリーンかなぁ?」


「じゃあ私はピンクで。すいません!これ下さい!」


私は店員さんに声をかけてお会計。


個別で小さな紙袋に入れてくれた。


「このテープが貼ってある方がピンクです」


店員さんが説明してくれた。


「ありがとうございます」


店を後にする。


「これからどうしようか?暗くなってきたし。初めて以来のホテル行く?」


「えっ?泊まり道具、雅樹のアパートにあるよ?」


「後ろの席にあるよ。俺のも」


「いつの間に!?…じゃあホテル行ってみようかな」


道路沿いにあったラブホテルに入った。








No.91

ここのホテルは、フロントさんがいた。


とはいっても、顔は見えない。


小さな小窓みたいなところから女性が「こちらのお部屋にどうぞ」とカードキーを渡して来た。


「右側のエレベーターで3階まで御上がり下さい。降りてすぐ右手にお部屋があります。ご宿泊でよろしいですか?」


フロントさんが聞いてきた。


雅樹が「はい」と答えると「前料金になります」と言ってお金を入れるトレイを小窓から出す。


雅樹がお金を渡すと、お釣りと共に割引チケットをもらう。


「ご宿泊は翌朝10時までです。ご不明な点はフロントまでご連絡下さい。ごゆっくりどうぞ」と言って、小窓が閉まる。


雅樹と一緒にエレベーターに乗り言われた3階に着いた。


すぐに右側に部屋があった。


部屋番号のところが点滅していた。


きれいな廊下。


でも少し薄暗い。


カードキーを差し込む。


「ひろーい!」


部屋が2つある。


アパートでいう、区切られていない1LDKみたいな部屋。


手前に大きなテレビにテーブルとソファー、が向き合っていて、奥の部屋にベッドがある。


シンプルだけど、白と黒を基調としたシックなおしゃれな部屋。


お風呂も広い。


「きれいな部屋だね」


雅樹が部屋を見回す。


私はまた色々開けて見ていた。


ここでも、大人のおもちゃが販売していた。


雅樹が「使ってみる?」と聞いてきた。


「使わない」と即答。


「世界が変わるかもよ」


「使いません!」


あははーと笑う雅樹。


「やっぱりまりは可愛いよ」と笑いながら私を見る。


テレビをつけた。


通常のテレビ番組が放送されている。


歌番組だった。


途中で買った飲み物と、ちょっとした食べ物を出して、テーブルに置く。


雅樹が「お風呂にお湯をためて来るよ。せっかくだし、ゆっくりお風呂に入ろう!」


そう言って、お風呂場に向かいお湯を出す。


「お湯がたまるまで時間かかりそー」と言いながら帰って来た。


「今度は温泉旅館に泊まって、ゆっくりしたいね」


「そうだね。でも雅樹と一緒なら、どこでもいいかな」


「いや、やっぱりまりは可愛い!」


そう言って抱き締めてくれた。













No.92

雅樹と8歳違うため、流行りの歌も聞いている時期が違う。


私が中学生の時に流行っていた歌は、雅樹は社会人になっている。


こういう時に、ちょっとした年の差は感じるが、それ以外は余り気にならない。


お風呂のお湯がたまった。


「一緒に入ろ!風呂場の電気消したら、お風呂が青く光るよ!見てみて!」


雅樹は脱衣場から叫ぶ。


浴槽の下の方から青い光が出て、お湯が青く照らされていた。


「きれいだね」


「きれいだから一緒に入ろうよ!」


そう言って、私の来ていたブラウスのボタンに手をかける。


脱がされた。


脱衣場も暗くし、湯船の青い光が私達を照らしている様に感じる。


軽く流してから、一緒に向かえ合わせで湯船に浸かる。


しばらく向かえ合わせで入っていたが、雅樹が「まり、俺に背中向けてこっち座って」と言って来た。


雅樹が足を開き、私はその足の間に入り、雅樹に背中を向けた状態に変えた。


後ろから雅樹が抱き締めて来て、何回も首筋にキスをした。


「あっ…」


雅樹の手は私の胸に。


「まり…」


そう言いながら優しく胸を触る。


そして片手は下に。


「まり…可愛いよ」


「あっ…雅樹…」


雅樹の長くきれいな指が私を優しく撫でて来る。


私は思わずのけ反る。


既に雅樹のものが大きくなっている。


「ダメだ!無理!」


そう言って湯船から洗い場に行き立ちバックで挿れて来た。


洗い場にある鏡が私達をうつしている。


それに気付いた雅樹は、私を四つん這いにさせて鏡の前に。


そして後ろから私の一番感じるところを撫でながら挿れて来た。


「まりの感じている顔が良く見えるよ」


そう言いながら、後ろからガンガン突いてくる。


「恥ずかしいよ…でも…雅樹…気持ちいい…」


「俺もだよ」


そして中に出す。


それから洗いっこして、裸のまま奥にあるベッドに行きまた愛し合う。


また猿並みにやりまくった。


感じまくった。


中に出しまくった。


可愛い雅樹の寝顔。


「長谷川さん」では絶対に見れない姿。


「加藤さん」では見せてくれないけど「まり」にだけ見せてくれる、可愛い雅樹。


あー。


連休も終わりかー。
























No.93

翌朝。


「腰がいてー!昨日、やり過ぎたかなぁ」


雅樹が腰をおさえている。


「そうかもね」


「俺も年なのかなー、20代の時みたいにいかないや」


私は帰る準備をしながら、腰の痛みを訴える雅樹と話す。


「腰が痛いなら、もうしばらく出来ないね」


「そんな事はない!まだまだまりと愛し合いたい!」


おじいちゃんみたいに腰を曲げている雅樹。


「大丈夫?」


「大丈夫!」


真っ直ぐな気をつけ!の姿勢になる。


時刻は朝8時半過ぎ。


余り寝ていないが、不思議と眠くない。


雅樹の帰り支度は終わっている。


「明日からまた仕事かー。頑張るかー。でもまだ、まりとのプチ旅行を楽しむ時間はある!今日もいい天気だよー!」


部屋の窓を開けて、外の景色を見る。


昨日、間近で見ていた海が見える。


ちょっと小高い山の上にホテルがあるため、遠くまできれいに見えた。


ホテルを出て、気ままにドライブ。


結構賑やかな街に来た。


道の駅があった。


せっかくなので見てみる。


港町らしく、魚介類がたくさん売られている。


地元の人と思われる人もいた。


干物も売っていた。


瓶に入った珍味みたいなのを買った。


余り買うと母親にバレてしまう。


そこからぐるっと回って、一周する形で雅樹のアパートに帰って来た。


帰宅したのは夕方。


「ずっと運転、お疲れ様でした」


「おー、ありがとー!ちょっと疲れたけど楽しかったよ」


「私も。…指輪を返す時間だよ」


「あーあ。いつになったらずっとつけていれるのかなー」


雅樹と一緒に箱にしまう。


ちょっとだけ指輪の跡がついている。


「あーあ。明日から仕事だよ。加藤さんに戻っちゃうのか。まりのままでいてほしいのに」


「そうですね、長谷川さん」


「まりー、まだもう少し彼氏でいたいよー」


「私もいたいけど、そろそろ帰らないと」


「そうだよなー。また明日会社で」


「うん。腰大事にしてね」


「大丈夫!じゃあまた明日ね!」


玄関先で恒例のキス。


そして後ろから帰宅。


部屋に戻ったら、何か疲れが出てきた。


でも心地好い疲れ。


今日は早目に寝よう。





























No.94

翌朝。


当番のため、いつもより早い出勤。


一仕事を終え、事務所に戻ると、ちょうど雅樹が出勤したところだった。


腰をさすっている。


まだ痛いのか。


すかさず千葉さんが「腰痛いのか?昨日、女とやり過ぎたんじゃねーのか?」と笑いながら突っ込む。


千葉さん、正解!


一昨日だけどね。


「そうかもなー」


雅樹が答える。


「お前、女いるの!?」


「どうかなぁー?(笑)」


「何だよー、いるなら紹介しろよー」


「お前の頭は女しかないのかよ(笑)」


「俺、あいつと別れて人肌が恋しいんだよ。誰か紹介してくれよー」


そんな会話をしていた。


渡辺さんも田中さんも揃った。


休憩の時に田中さんが「長谷川さんのご両親のご挨拶、どうだった?」と聞いてきた。


「素敵なご家族でした。きちんとご挨拶も出来たし良かったです」


「お母さんから連絡もないし、来る事もなかったよー」


「あっ…そうだ、田中さんにお土産があります」


そう言って、道の駅で買った瓶に入った珍味を渡す。


「えっ?どっか行って来たの?」


「長谷川さんのご両親にご挨拶した後に、長谷川さんとちょっと一泊して長いドライブに行って来ました」


「そうなんだ!お土産ありがとー!」


喜んでくれた。


雅樹とペアで買ったキーホルダーは、車の鍵につけた。


雅樹は会社ではまず出す事がない、自宅の鍵につけてくれた。


昼休み。


渡辺さんと田中さんと一緒にご飯。


田中さんが「渡辺さんは彼氏いるの?」と渡辺さんに聞く。


「今はいません…」


「一緒だねー!どうして別れたか聞いてもいい?」


「フラれました。他に好きな人が出来たって言われてしまいまして…あっ、今はもう吹っ切れてますので大丈夫です」


「私もフラれたのー!お互いいい人見つけようねー!フッた男を見返してやろーぜ!」


「はい!」


そして、2人は好きな男性のタイプとか、好きな芸能人の話をして盛り上がっている。


私は笑顔で2人の話を聞く。


ちょっと楽しい昼休み。


午後からも仕事頑張ろ。










No.95

立花さんが、無事に出産したとの連絡が来た。


元気な男の子。


予定日よりも1週間程早く生まれた。


私と田中さんは早速一緒に、立花さんが入院している産婦人科に行った。


旦那さまがいた。


立花さんが「同じ会社で同じ事務をしているし田中さんと加藤さん」と私達を旦那さまに説明。


旦那さまが「いつも嫁がお世話になってます」とご挨拶。


私達もご挨拶。


初めて立花さんの旦那さまにお会いしたが、優しそうで爽やかな印象。


久し振りに会った立花さん。


切迫早産でずっと入院していたらしい。


知らなかった。


赤ちゃんとご対面。


田中さんは、手のアルコール消毒液をびしゃびしゃになる位に噴射し、ごしごし手をすりあわせる。


私もしっかり消毒。


可愛い。


手も指もちっちゃくて可愛い。


たまに口がモゴモゴ動く。


田中さんが赤ちゃんを抱っこしメロメロになっている。


「可愛すぎてヤバい…一瞬で君に心を奪われてしまったよ」


恋愛ドラマとかで出てきそうだな。


私も立花さんも、その言葉に笑う。


旦那さまも笑っている。


私も抱っこさせてもらう。


「可愛い…」


笑顔になる。


そしてゆっくり赤ちゃんを立花さんに。


田中さんが「出産って痛いんでしょー。鼻からスイカが出てくるとかって言うじゃん。どうだった?」と立花さんに聞く。


「痛いっていうか、私の場合お腹より腰がずっと痛重くて…うーん、あの生理痛の痛みの100倍くらいの痛重さって感じ?」


「100倍!?私なら死んじゃう!立花さん、頑張ったねー!」


「陣痛がマックスだった時は、もう唸るのが精一杯だったけど、生まれて産声を聞いたらあの痛みを忘れてしまうんだよねー。でも、赤ちゃんが出てきてから、あそこを縫うんだけど、それが痛くて」


それを聞いた田中さんは、酸っぱいものでも食べたかの様なすごい顔になっていた。


出産って本当に命懸け。


だから母親は強くなれるんだ。


立花さんが赤ちゃんを抱っこしている姿はかっこいいママ。


まだ縫ったところが痛くて、まともに歩けないし座れないと円座のクッションを敷いて、ベッドに座っているが、そんな痛みがぶっ飛んでしまうんだよね。


立花さん、おめでとうございます!








No.96

私の両親が結婚30周年を迎えた。


真珠婚というらしい。


私達子供3人で話し合い、旅行ツアーをプレゼントした。


わがままな母親が、見ず知らずの人達と一緒に団体旅行が出来るか不安はあったが、以前から行ってみたいと行っていた有名観光地。


3泊4日の旅行。


両親はすごく喜んでくれた。


父親も有給休暇を申請。


旅行前日。


旅行バッグに嬉しそうに荷物をつめて用意する両親。


「あれもいるかもしれない、これもあれば便利」と荷物が膨大な量になっている母親に対し、父親はリュック程度の荷物。


対照的な2人。


出発の日は金曜日。


私達3人で車で30分程にある空港まで見送る。


私は午前中だけ有給を取り、兄と弟は1日有給を取る。


帰りは兄が迎えに行く予定。


地方空港のため、主要空港の様に広い訳ではない。


ロビーで旅行代理店の旗を持って待つ若い女性添乗員さんがすぐ目に入る。



父親が添乗員さんに近付き「参加する加藤ですが」と話し掛ける。


すると添乗員さんは名簿をチェックし笑顔で「加藤様2名様ですね!お待ちしておりました!」と言って、色々旅行について話している。


母親も近くで話を聞いている。


私と弟は、ちょっと離れた場所から両親を見守る。


兄は車を目の前の降車場から空港内の駐車場に移動しに行く。


添乗員さんの回りには、同じツアーに参加するのであろう、キャリーバッグや旅行バッグを持った人達が楽しそうにグループ毎に別れて話をしている。


兄が戻って来た。


添乗員さんが「ツアー参加のお客様!こちらにお集まり下さい!」と周りの方々に声をかけると、皆集まる。


結構参加者は多い。


年配の方々が多い印象。


私達3人の近くに、私達と同じ様に少し離れた場所で団体を見ている人達が何人かいる。


私達と同じ様に見送りに来たご家族だろう。


いよいよ飛行機の搭乗時刻。


両親が私達の方を向いて大きく手を振る。


私達も笑顔で大きく振り返す。


両親達が乗った飛行機を見送った。


兄の車に乗り帰宅。


私は真っ直ぐ会社に向かった。


お父さん、お母さん。


旅行、楽しんで来てね!



















No.97

私は両親が旅行中は、雅樹のアパートで過ごす。


両親が旅行に行った初日。


雅樹は残業のため、帰宅が21時くらいになるとメールが来たため、それまで自宅にいた。


雅樹と晩御飯を食べようと、料理本を見ながら雅樹が好きな餃子を作っていた。


すると自宅の電話が鳴る。


母親からだった。


「まり?今ね、旅館で晩御飯食べ終わってロビーにいるんだけど、晩御飯に蟹がついていたの!美味しかったわー!これからね、お父さんとお風呂に行くんだけど、露天風呂があるみたいだから楽しみで!楽しい旅行ありがとうね」


少し興奮気味に楽しそうに話す母親。


無事に旅館に着いて、旅行も楽しんでいるみたいで何より。


「楽しんで来てね」


「ありがとう!あんた達に沢山お土産買って行くからね!じゃあお風呂に行ってくるわ」


「うん」


いい親孝行が出来たかな?


さて、餃子作り途中だ。


うまく包めないけど、見た目おかしいけど、愛情はいっぱい入っているはずだから許して雅樹!


料理本を見ながらやっているはずなのだがうまくいかない。


焼き具合だけはうまくいった。


私の携帯が鳴る。


「まり?今終わったー!今どこ?」


「今は自分ちにいるよ?帰って来るなら、雅樹のアパートに行こうかな?」


「まり?ちょっとだけ自宅にお邪魔していい?」


「親いないから別にいいけど、どうして?」


「俺、まりの部屋、一度も見た事がないから見てみたい。こういう時じゃないとお邪魔出来ないから」


「ちょっと散らかっているけど…」


「問題ない!モデルルームみたいにピシッとなってると落ち着かない(笑)いつものまりの部屋が見てみたい」


「うん。待ってる」


「じゃあ、着いたら連絡する」


そういえば、雅樹は私の部屋に来た一度もないな。


ちょっと散らかっているから、来るまでの間に片付けよう。


毎月購入している読みかけて開いたままの雑誌をしまい、乱雑に置いてある化粧道具やドライヤーを整える。


やだ!下着干したままだ!


慌ててタンスにしまう。


ベッドを整える。


余りものはないが、雑然としてる。


子供の頃からの部屋だし、仕方ないよね。


雅樹からの連絡。


「着いたよ!」


「今降りるね」


玄関の鍵を開けると笑顔の雅樹。








No.98

「お邪魔します」


「どうぞ」


「玄関から先は初めてだから、何か緊張するなー。あれ?いいにおいがする」


「雅樹と食べようと餃子を作ったの。形おかしいけど」


「まりが作ってくれたの?食べたい!でもまずまりの部屋が見たい」


「散らかってるけど、どうぞ。こっち」


部屋は2階。


私が先に階段にのぼり、後ろから雅樹がついてくる。


特別古くもなく、新しくもないごく普通の家。


上には部屋が3つ、下には居間と客間の4畳半の和室と両親の寝室がある。


私の部屋は、階段をのぼってすぐの6畳の部屋。


「どうぞ」


部屋のドアを開ける。


「へぇー!」


雅樹がキョロキョロと見回す。


「女の子の部屋って感じ」


「一応、女の子だからね」


興味津々の雅樹。


タンスを開けたら、いつも私が会社に着ていく服が並んでいる。


「あっ!この服、良く会社に着てきてるよね?」


「うん。気に入ってるんだ」


「あっ!これも良く見るー!何かいいなー!もっとまりを知れる!」


「CDも結構持っているんだね。あっ!これ俺も好きな曲が入ってる!」


「まりの全てが入っている部屋だもんなー。まりのベッド、可愛いじゃん!これ、抱き枕?俺も抱き締めていい?まりのにおいがするー!変態みたいだなー俺(笑)」


スーツ姿で私の抱き枕をギューとしている雅樹。


何か面白い。


「一気に疲れ飛んだわ。また、来る機会があればなー。この部屋に男を入れた事はある?」


「兄ちゃんと圭介と父親くらい。まだ小学校くらいの時にいとことかは来た。他人は入れた事はないよ」


「そっかー」と何故か笑顔。


「ご飯食べない?うちで食べてく?誰もいないし」


「そうしようかな?まりが作ってくれた餃子食べたい!」


「見た目悪いし、期待はしないでね」


「大丈夫だって!お腹すいた!」


居間に行く。


居間と台所の間に、いつも食事を取るダイニングテーブルがある。


「ちょっと狭いし、散らかっているけどどうぞ」


私は雅樹をダイニングテーブルに案内し、ご飯の準備をする。


その姿を見て「ますますまりとの結婚が楽しみになってきた!」と子供みたいにはしゃぐ雅樹。


餃子と一緒に作った油揚げの味噌汁とご飯を雅樹のところに持って行く。












No.99

「いただきます!」


雅樹は餃子を食べる。


「うまいよ!まり!」


そう言って、頑張って作った見た目の悪い餃子を食べてくれる。


嬉しい。


私も食べる。


まあ、悪くはない。


料理本、ありがとう。


味噌汁も、まあ悪くはないかなって感じ。


あっという間に完食。


「にんにくは入ってないから、明日会社でも気にしなくても大丈夫だよ」


「気を使ってくれてありがとう!マジでうまかったよ!ごちそうさま!」


「おそまつさまでした。私、ちょっと片付けるから、雅樹はその間ゆっくりしてて!」


「手伝おうか?」


「大丈夫だよ」


私は、食べ終わった食器を洗う。


雅樹は、旅行前に父親が読んでいた新聞を開いて見ている。


「今日、何か面白いテレビやってるかなー」


テレビ欄を見ている。


「明日は晴れ!しばらく雨降らないみたい!」


雅樹は見ているものをそのまま伝えて来る。


「へぇー。この間のコンビニ強盗、捕まったんだ。45歳の無職の男だって!45歳で無職って、彼に何があったんだろう?リストラとかかなぁ?」



「あそこの工事してる道路、来月開通だって!」


「おっ!うちのトラックが写ってる!高山さんじゃん!いい宣伝になるなー」


そんな感じで、ずっと話している。


片付けが終わった。


もう22時半を過ぎていた。


「遅くなっちゃったね。片付け終わったし、雅樹の家に行こうかな?」


「そうだね。泊まりのバッグどれ?持ってくよ」


「ありがとう」


火の元を確認し、電気を消して、玄関の鍵を閉める。


雅樹は車はアパートに停めてきたため、歩いて雅樹のアパートへ。


「今度は私がお邪魔します」


「どうぞー」


安心する雅樹の部屋。


「明日も仕事だから、先にシャワー入ってくるわー」


そう言って雅樹は、すぐにお風呂場に向かう。


私はその間に、いつもの部屋着に着替えて、軽くメイクを落とす。


雅樹がお風呂場からパンツ一枚で出てきた。


「まりもどうぞー」


「じゃあ、私も借りるね」


歯ブラシとタオルは置かせてもらっている。


シャワーを浴びてスッキリ。


そして雅樹と愛し合った後に一緒に眠る。


幸せな時間。




















No.100

いつもの朝のルーティーン。


6時過ぎに起きて、ボーっとしながら台所で水を飲み、眠気が覚めたら軽くシャワーに入る。


そして朝の情報番組を見ながら化粧をし、髪をセットし、出勤用の服に着替える。


そして8時ちょっと前に家を出て、途中のコンビニに寄ってから出勤。


雅樹は7時前に起きてからコーヒーを飲み、シャワーをして、あがってから髪をセットし、スーツに着替える。


髭剃りはシャワーの時にする。


今日は当番ではないため、通常出勤。


雅樹と少しずらして出勤。


私が先に出る。


スーツ姿の雅樹に見送られる。


「会社で待ってます。長谷川さん」


「また後でね、加藤さん」


お互い仕事モードに切り替えるためキスはなし。


端から見たら不思議かもしれないが、私達はずっとこうだったため、当たり前になっていた。


「おはようございます!」


「加藤さん、おはよう」


いつもの朝の雅樹との挨拶。


田中さんがボソッと「いつも思うんだけどさー、見ていて面白いんだよねー、長谷川さんと加藤さんのやり取り。知ってるから。知らなかったら全然普通だけどね。感情的にはどんな感じなの?たまに会社で、彼女としての感情が出ちゃう事はないの?」と小声で言って来た。


「長谷川さんはスーツに、私は、出勤用の服を着た時点で仕事モードに切り替わるので、会社では先輩後輩になれます。ずっとそうなので…多分、会社で彼女になる事はないと思います」


「そこがお互いすごいよね。感心するよ。2人を見ている私は、色々楽しめて面白いけど(笑)仲良くやんなよ!」


「はい!ありがとうございます!」


「ねぇ。ちょっと下ネタな話をしていい?」


「何ですか?」


「長谷川さんとは、もうやる事はやっちゃってるよね。長谷川さんってS?M?」


「えっ!?どうしたんですか?」


「どうしても気になるのよ。どっちかなって」


「…どちらかと言えばSですかね」


照れながら答えてしまう私。


「あー、やっぱり。そんな気がしてた!ありがとう!今日も楽しく仕事出来そう!頑張ろうねー(笑)」


笑顔の田中さん。


なんだかんだ私には言いながらも、他の人には黙っていてくれている田中さんが楽しく仕事出来るなら…


ごめん、雅樹。

















No.101

日曜日は、朝から雅樹とイチャイチャ。


雅樹が「もう俺達、付き合って結構経つけど、倦怠期っていうのがないね。ずっと付き合いたての時みたいな感覚。不思議だなー」と言う。


「そうだね。雅樹とこうして会う機会が限られているからかな」


「結婚して毎日いても、絶対変わらない自信はあるけどね」


「私も」


「具体的に結婚の話を進めようか?会社に言う時期もあるし、タイミングもあるし」


「うん。結婚しても会社は辞めたくないけど…楽しいし」


「…でも、俺はまりには家にいて欲しいかな?」


「どうして?」


「会社で会えなくなるのは寂しいけれど、俺のために家庭に入って、俺を支えて欲しい気持ちが強くて。あと、会社にバレた後はやりにくいのもあるし…。まりが会社で、一生懸命頑張っているのはもちろん知ってる。田中さん達とも仲良くしてるし…でも、やっぱり家にいて欲しい」


「うーん…考えておく」


「わがまま言ってごめん。でも俺、まりがどうしても会社を辞めたくないって言えば尊重する」


「うん、考える」


「結婚したら、子供は欲しいな。男の子がいいな!でも、女の子も可愛いなー。まりはどっちが欲しい?」


「雅樹との赤ちゃんなら、どっちも可愛いと思う」


「でも、結構子作り頑張っているつもりだけど、なかなか出来ないね。ずっと中に出してるのに。頑張りが足りないのかな?まりへの愛が足りないのかな?」


「余り頑張ると、また腰が痛くなるよ?まだ籍入れてないから、籍入れたらもしかしたら出来るかもしれないし…赤ちゃんがまだ早いよ!って言ってるのかも」


「でも早くまりとの子供が欲しいなー!よし、頑張るよ!まりー、またまりとSEXしたくなっちゃったよ…」


そう言ってまた襲われた。


雅樹と付き合うまで男性経験がなくて、私は多分このまま処女として人生を終えるんだろうな、と思っていた。


雅樹と付き合い、処女を雅樹にあげてからも雅樹は私を変わらず愛してくれる。


事故で怪我が増えても変わる事はない。


本当にこの人と出会えて良かった。


雅樹がいなければ、違う人生だった。


多分、こんな私をこんなに愛してくれる人はいなかったと思う。


雅樹とのSEXは最高に幸せな時間。


ありがとう、雅樹。


私、一生雅樹についていくからね!










No.102

立花さんが復職する事になった。


渡辺さんは、頑張りが認められて、ちょうど空きが出た総務部で社員として働く事になった。


部署は変わってしまうが、同じ会社の一員として、これからも一緒にいられる。


部署が変わってから、時間帯が合わずに以前の様に話す機会は減ったが、それでも時間があれば私や田中さんのところに来てくれる。


少しふくよかになっていた立花さん。


今までの制服が「きついのよ…」と言って、ワンサイズ上の制服を着る。


「妊娠で6キロ太って、生まれたら痩せる!って思って頑張ったつもりだったんだけど…制服は残酷だね」


会社の皆も「立花さん、お帰りー」と歓迎。


立花さんも嬉しそう。


子供さんは保育園に入れて、立花さんのお母さんや旦那さま協力の元、復職した。


渡辺さんが立花さんにご挨拶。


「はじめまして!立花さんがいない間、こちらでお世話になっていた渡辺と申します!」


「はじめまして。話は伺っていました。部署は変わってしまうけど、これからもよろしくね!今度よかったら、みんなで一緒にご飯食べたいね!」」


「はい!田中さんにも加藤さんにもすごくお世話になりました。機会があった時はよろしくお願いいたします!」


ペコリとお辞儀をして席に戻って行く。


田中さんが「すごくいい子なのよ。可愛いし。辞めちゃうのもったいないなーって思ってたから良かったよ。ねっ、加藤さん」と話す。


「そうですね」


私が答える。


また前みたいに隣から椅子ごとスーっと、私の隣に来た。


懐かしく感じる。


「長谷川さんとはうまくいってるの?」


「おかげ様で何とか」


「この感じだと、まだバレずにうまくやっているみたいだね」


「はい!」


「あのさ、これ、どうやるんだっけ?」


「あぁ…これはこうです」


「そうだそうだ!思い出した!ありがとう!」


久し振りの仕事で忘れてしまった様子。


立花さんなら、すぐに思い出すんだろうな。


赤ちゃんか待ってるから、前みたいに仕事が終わってから話す事も少なくなったし、会社帰りにご飯を食べる事もなくなったが、立花さんが復帰して戻って来たのは嬉しい。





No.103

雅樹が風邪を引いて、会社を早退した。


前日から、喉が痛くてだるいと言っていた。


咳をしていたためマスク姿の雅樹。


熱もあるのか、顔が赤かった。


雅樹は喘息の持病を持っている。


風邪を引くと、必ずと言っていい程、喉が痛くなり声がかすれて、変な咳をする。


出勤した時に、辛そうな雅樹に牧野さんと千葉さんが「病院に行け」と言って、半強制的に帰された。


田中さんと立花さんも雅樹の心配をしてくれている。


雅樹にメールをする。


「大丈夫?心配だから、仕事終わってから雅樹のアパートに行くね。何か食べたいものとかあれば教えて欲しい。買って行くよ」


すぐに返事が来た。


「ありがとう。でも、まりに風邪をうつしちゃうかもしれないから悪いよ」


「こんな時は私を頼って!」


「ありがとう」


「何か欲しいものある?」


「じゃあ甘えて。ポカリとゼリーみたいなさっぱりした食べ物が欲しい。希望するなら、ミカンとかの柑橘系がいいな。あとシンプルなバニラアイスが食べたい。それかガリガリ君。お金は後で払うからお願いします」


「お金はいらない。わかった、仕事が終わったら買って行くからね。それまでゆっくり休んで」


「ありがとう。心配かけてごめん。仕事頑張って」


「じゃあまた後でね」


早く仕事を終わらせたい。


それが伝わったのか、田中さんと立花さんも協力してくれて、定時ぴったりに帰宅。


車に乗り込み、雅樹にメール。


「今仕事終わったので、これから買い物をして向かいます」


すぐに返事。


「ありがとう」


私は通り道にあるスーパーに寄り、雅樹が言って来たポカリやゼリー、アイス等を買い急いで雅樹のアパートに向かう。


「アパートに着いたよ」


メールをする。


「鍵は開けてる」


私はそのまま雅樹の部屋に入る。


「お邪魔します」


寝室からマスク姿で、おでこに冷えピタを貼った雅樹が、咳をしながら起きてきた。


「ごめんな、まり」


咳をする。


「辛いなら話さなくていいから!大丈夫。買ってきたやつ、冷蔵庫に入れておくからね!頼まれてないけど、お茶と冷えピタとレトルトだけどお粥も買ってきたから、食べれる時に食べてね」


「ありがとう」


また咳。


ツラそうだ。










No.104

「熱あるの?」


雅樹は話さず、右手の親指と人差し指をコの字を作る。


少し熱があるのか。


首を触ってみる。


かなり熱い。


氷も買って来ていて良かった。


「雅樹はベッドで寝ていて!今、タオルを氷で冷やしてあげるから待ってて!」


雅樹は大人しく寝室に向かう。


洗濯機の横にタオルを置いてある。


その中から一枚タオルを出して、洗面器一面に氷を入れてタオルを濡らし、冷えピタをはがしておでこと目の上に乗せる。


雅樹はかすれた声で「ありがとう」と言う。


「しゃべらなくていいよ。気持ちいいでしょ?」


雅樹は右手をあげた。


「熱計るね」


居間のテーブルの上にあった体温計を雅樹の脇にさす。


39,2度。


「ちょっとじゃないじゃん!薬はあるの?」


雅樹はまた右手をあげた。


おでこに乗せたタオルは、すぐにぬるくなる。


何度もタオルを取り替えた。


雅樹が、うとうとと眠り始めた。


病院に行ったみたいだし、薬が効いているのかな?


私は雅樹に置き手紙をして、合鍵で鍵を閉めて帰宅。


夜中1時過ぎ。


何となく目が覚めた。


トイレに行き、台所で水を飲み部屋に戻る。


携帯を開くと、1時間程前に雅樹からメールが来ていた。


「まり、ありがとう。いつの間にか寝ちゃったみたいでごめん。一眠りしたら、少し楽になって来たよ。まだ喉は痛いけど。着替えてまた寝ます。明日も休むと牧野には伝えてある。明日も休ませてもらって、早く風邪を治すから」


もう寝てるかな。


メールは返さず、そのまま就寝。


翌朝。


雅樹から新たなメールは来ていなかったが、私がメールを送る。


「雅樹、おはよう。具合はどう?熱は下がった?今日も仕事帰りに寄ります。迷惑なら言って下さい」


すぐに返事が来た。


「まり、おはよう!もう少しで出勤時間だね。熱は少し下がってさっき計ったら37,3度だったよ。喉の痛みと咳は変わらないけど。今はまりが買って来てくれたポカリを飲んでる。ありがとう。まりの顔を見たら元気になるかな。待ってる。仕事行ってらっしゃい!」


熱が下がっただけ良かった!


ちょっとだけホッとする。


「行ってきます」


返事を返すと「(^з^)-☆」の顔文字が来た。


ゆっくり休んでね。





No.105

この日も定時ぴったりに退勤。


車に乗り込み、雅樹にメール。


「今終わった!何か欲しいものある?」


「ポカリ飲んじゃったから、もう1本欲しいな」


「買って行くね!」


私はまた昨日寄ったスーパーで、容量が1,5Lのポカリを2本買い雅樹のアパートへ。


「鍵は開けてる」


メールが来ていたため「お邪魔しまーす」と声をかけて部屋に入る。


マスク姿の雅樹が、かすれた声で「お疲れ様」と私のところに来た。


声はかすれているけれど、昨日よりは良さそう。


「熱は?」


私が聞くと、雅樹は首を左右に振る。


「下がったの?」


すると今度は首をたてに振る。


「良かったね!」


すると雅樹は右手の親指を出す。


「まだ喉は痛いんでしょ?」


今度は右手の親指と人差し指でコの字を作る。


咳をする。


まだ出勤は無理だな。


「今日、牧野さんと千葉さんが「長谷川は明日も無理だろうなー。あいつ喘息出たら、いつもツラそうだからな」って言ってたよ。連絡したの?」って聞いたら、また親指を出した。


話すと辛いため、ジェスチャーで答える雅樹。


「明日も休んで、しっかり治してね」


するとかすれた声で「ありがとう」と言って、手を合わせた。


「明日は田中さん、営業に行っちゃうから忙しいの。だから来れないかも知れないけどメールはするから!」


雅樹はマスク越しに笑顔になっているのがわかる。


そして首をたてに振る。


「風邪うつしちゃうかもしれないから」


かすれた声で雅樹が言う。


そして咳。


「もう帰るね。あったかくして寝てね」


また親指を出した。


結果、雅樹は日曜日を含めて4日会社を休んだ。


土日は雅樹に会いに行けなかったが、メールでは現状報告をしてくれた。


「咳と若干の息苦しさはあるけど、月曜日から会社に行くよ。マスクして。多分仕事たまっているだろうし、牧野や千葉達に、これ以上迷惑はかけられないから」


「わかったよ。明日会社でね」


咳が取れるまでは、もうしばらくかかるかもしれないけど、他は落ち着いてくれて良かった。











No.106

月曜日、雅樹が出勤してきた。


かすれていた声は、だいぶ元に戻っていた。


良かった。


牧野さんと千葉さんが雅樹のところに行き、何かを話して咳をしながら笑っている。


私が田中さんや立花さんとの仲がいいみたいに、雅樹は牧野さんと千葉さんと仲がいい。


いい仲間に恵まれている。


ある程度は、雅樹の部署の人達がわかれて、雅樹の分の仕事はしていてくれたらしいが、配車は面倒くさいのか、雅樹が来るまでそのままにされていたらしい。


2週間先までは作ってあったため、雅樹が休んだ時に配車で困る事はなかったが、雅樹が咳をしながらパソコンとにらめっこする。


「やっといてくれても良かったんだぞ?」


雅樹が千葉さんに言う。


千葉さんが「せっかくのお前の仕事、わざわざ残しておいてあげたんだよ。ありがたく思ってくれ!」と言って笑っている。


雅樹が「あー!病み上がり、頭が回らん!」とマスク姿で髪をぐしゃぐしゃとする。


私が好きな仕草。


そして、どっかに消えてまた戻って来た。


また会社に雅樹が戻って来た。


安心する。


やっぱり雅樹の席が空いてると寂しい。


立花さんが、スーっと隣に来た。


「長谷川さん、まだ咳はしているけど復帰して良かったねー。珍しく休んでたから心配したのよ?」


「ありがとうございます」


「早く咳も取れたらいいねー」


「ですね」


「うちの子も鼻垂らしてるの。風邪、流行っているみたいだから、加藤さんも気を付けてね」


そう言って、またスーっと席に戻る。


子供の頃から、余り風邪はひかない。


バカだから?


バカ過ぎて、ひいているのもわからないのかな。


だから、たまに風邪をひくとすごく辛い。


でも、しばらく風邪ひいてないな。


ひかないために、あったかくして休もう。


仕事は繁忙期に入る。


毎日、残業が続く。


立花さんも子供さんのお迎え時間限界まで残ってくれる。


間に合わない時は、おばあちゃんに電話して頼む。


いいママしてるんだろうな、立花さん。


いつも息子さんの話をしてくれる時はママの顔だもんな。


うらやましいな。


さっ、繁忙期。


頑張って乗り切ろう!


No.107

今の職場は大好き。


田中さんや立花さんとも仲良くさせてもらい、一緒にお昼を食べたり、仕事で困ったら相談させてもらってアドバイスをもらったり、誰かが早く帰りたい時の連帯感。


あうんの呼吸で、それぞれの仕事を回していく。


3人で笑ったり、泣いたりした事もあった。


私にとって田中さんと立花さんは、先輩でもあり、お姉さんみたいな存在でもあり。


こんなに恵まれた職場はないと思う。


何より、毎日会社で雅樹の顔が見れる。


でも、今回雅樹が風邪を引いて辛そうにしていた時、雅樹の側にいてあげたい、支えてあげたい。


強くそう思った。


私は立花さんの様に、仕事をしながら家事に育児に、と頑張れる自信がない。


私は、大好きな、最愛の雅樹を支えていきたい。


雅樹の様にマメな性格でもないし、不器用だし、人見知りだし、料理は得意ではないけど、雅樹のために料理も頑張るし、何よりずっと一緒にいたい。


今まで、色んな制限があって、会う時間も限られていたし、私が事故に巻き込まれて入院していた時も、本当は雅樹に側にいて欲しかった。


私が家庭に入れば、雅樹に何かあった時は、ずっと側にいられる。


決めた。


私、結婚したら仕事辞めて家庭に入る。


専業主婦として、外で働く雅樹にとってくつろげる、休まる家庭を作りたい。


平凡でいいから、普通な家庭を作りたい。


今までも何度か雅樹は風邪からくる喘息で苦しそうにしていた事はあった。


でも、いてあげられなかった。


こんな私の事を愛してくれて、大事に思ってくれる雅樹。


雅樹の笑顔が好き。


配車のシフトで煮詰まると、髪をぐしゃぐしゃとする仕草が好き。


エッチしている時に、たまに可愛くなる姿も好き。


細くて長い指も好き。


仕事している雅樹の姿はかっこいい。


ちょっと丸い、雅樹の字も好き。


ちょっと意地悪した時の困った顔も好き。


寝顔も好き。


仕事モード中の「加藤さん」って言っている雅樹も好き。


雅樹の全てが好き。


こんなに好きな雅樹を支えていく決心がついてからは、結婚まで一気に話が進んでいく。












No.108

私の両親に話をする事にした。


日曜日で、父親も休み。


母親が怖かったけど、意を決して、居間でテレビをみていた両親に話し掛ける。


「お父さん、お母さん、ちょっと話があるんだけど…」


母親が「何よ、そんなに改まって」と言う。


「ちょっといい?」


私は、両親の前に座る。


父親がテレビを消した。


私は深く深呼吸。


そして「私、結婚しようと思って」と言う。


両親は私を見て、少し沈黙。


母親が「前に言っていた男か?まだ続いてたのか?」とちょっと声を強める。


父親が「お前、ちょっと黙れ」と母親を制止する。


そして父親が「まりにそういう人がいるのはお母さんから聞いていた。お前も、もう大人だ。ただ、急に結婚したいと言われて「はい、わかりました」とは言えない。相手の人ときちんと話をしたい。どんな人なのか。今日とは言わないが、相手を連れて来い。それならだ」と話す。


「わかった、じゃあ来週の日曜日に連れて来てもいい?」


父親に聞く。


「大丈夫だ」


すると母親が「お父さん、私は反対だよ!どんなやつかも知らない男と…」と言う。


すると父親が「だから日曜日に相手を連れてくるって言ったじゃないか!お前はいちいちうるさい!人の話を良く聞け!」と母親に怒鳴る。


「まり!あんたのせいでお父さんが怒ったじゃないか!謝れ!」


母親が私に怒鳴る。


父親が「お前がうるせーんだよ!」と言って、鍵を持って玄関のドアをバシーン!と強めに閉めて、どっかに出掛けた。


母親が「お前が結婚したいとか言うから、お父さんが怒ったんだ!そんな男になんか会いたくない!」と怒鳴り、両親の寝室に入っていった。


うーん…どうしよう。


父親は多分、近くのコンビニか本屋だろう。


父親は読書が好き。


寝室にも、本がたくさんある。


私も外出し、近くのコンビニに行くも、父親はいなかった。


本屋だな。


本屋に行くと、駐車場に父親の乗用車が停まっていた。


本屋の駐車場で携帯を取り出し、雅樹に電話をかける。


すぐに雅樹が出た。







No.109

「もしもし、雅樹?」


「ん?まり、どうした?」


雅樹は昨晩、牧野さんと千葉さんと、真野さんの後に入った坂田さんと4人で飲みに行っていたからか、寝起きの声だった。


「ごめん、寝てた?」


「ん-、昨日、牧野達とちょっと飲みすぎたのかなー、若干二日酔いで…悪いね」


「じゃあ、後の方がいい?」


「いや、大丈夫だよ。どうした?」


「あのね…」


さっき両親に結婚しようと思っている、という事を伝えた事、来週の日曜日に雅樹を連れていくと言った事、今、両親が言い合って家を出た父親を追いかけて本屋の駐車場にいる事を話した。


雅樹は黙って話を聞いてくれていた。


「わかった。来週、ご両親にご挨拶に行くよ。今、親父さんが本屋にいるんだろ?親父さんとまりと一回ゆっくり話した方がいいね。まり、これから親父さんと二人で話して来なよ」


「…うん。じゃあちょっとお父さんのところに行ってくる。お父さんなら、きっとわかってくれると思う」


「うん。俺は今日、部屋の片付けと洗濯で出掛ける予定ないから、また連絡して」


「うん。じゃあまた後でね」


雅樹と電話を切り、本屋に入る。


父親が立ち読みしていた。


「お父さん…」


父親に声をかけると、父親が振り向く。


「なんだ、まり。来たのか」


「ねぇ、お父さんと2人でちょっと話がしたい」



「結婚の事か?」


「…うん。色々」


「わかった」


父親は読んでいた本を本棚に戻し、車に戻る。


そして「そこの喫茶店に行くか?」と本屋の斜め向かいにある喫茶店を指差した。


「うん」


車を喫茶店に移動。


父親と喫茶店に入る。


「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」


年配の男性がカウンターから笑顔で迎えてくれた。


一番奥の席に座る。


娘さんと思われる、年配の男性に似た若い女性が、注文を聞きに来た。


父親が「コーヒー1つ」と言う。


「まりは?」


「うーん…じゃあオレンジジュースで」


女性が「コーヒーとオレンジジュースですね!お待ち下さい!」と言って下がる。


女性が水と一緒に持って来たおしぼりでガシガシと顔を拭き、「はー」っと一息つく父親。


いるな-。


おしぼりで顔を拭く人。


そう思って、顔を拭いている父親を見る。






No.110

女性がコーヒーとオレンジジュースを持って来た。


絞りたてジュースの様な、果肉も入った濃いジュースだった。


美味しい。


父親もコーヒーを飲む。


少し無言が続く。


「まり、こうしてまりと2人で話す事って、今まで余りなかったな」


父親が話す。


「まだ子供だと思っていたけど、まりももう20歳越えてるんだよな。結婚してもおかしくはない」


「うん」


「お父さんはずっと仕事人間で生きてきたから、お母さんに家の事やお前達の事を任せていた。でも、お父さんも定年近くになって来て…亮太も結婚して孫も出来て、気付いたら皆大きくなっていた感じなんだよ。まりの話も少し聞いてあげれば良かったな」


「お父さん…」


「あのな、まり。お母さんは昔はあんなんじゃなかった。俺が仕事を理由に、家の事をして来なかったお父さんが悪いんだ。子供達の事で相談があると言われても、余り話を聞いてやらなかった。お母さんは、自分で色々と抱え込んでいたんだな。まり、悪かった。今ならわかるんだよ。もっと家族にも愛情を向けてあげられていたら良かったなと」


「…」


「まりが結婚したいと聞いて、始めは驚いた。まりがそういう話をするのは初めてだったし。まりなりに考えて出した事なんだろうから。でも、親なら娘には幸せになってもらいたい。どんなやつなのか、まりを幸せにしてくれるやつなのか、しっかり目を見て話したい。お母さんはきっと寂しいんだよ」


「…」


何を話していいかわからず黙る私。


普段は余り話さない父親。


無口というのか、寡黙というのか。


その父親が、ずっと話している。


心配してくれている。


両親はお見合い結婚だと聞いていた。


父親が「お母さん、若い時は可愛らしくてな。まりによく似ているよ。まりが生まれた時は朝方でな。亮太をばあちゃんに預けて、お父さんはずっとお母さんについていた。あれからもう26年か。早いな」と懐かしそうに言って少し微笑む。


私は父親の話を黙って聞く。


「今度の日曜日、待っているよ。お前は彼氏のところに行かないのか?俺は家に帰る。行くならお母さんには適当に言っておく。晩飯までには帰って来い。あと、どれくらいお前と一緒に飯食えるかわからないからな」


「ありがとう」


父親と喫茶店の駐車場で別れた。



No.111

喫茶店の駐車場で雅樹に電話をかけた。


「もしもし、雅樹?」


「親父さんと話したの?」


「うん。今日は夕飯までなら父親公認で会いに行けるから、これから行っていい?」


「もちろん!待ってる」


私は雅樹のアパートに向かい、インターホンを鳴らす。


普段着姿の雅樹が笑顔で玄関を開けてくれた。


洗濯直後らしく、部屋の中は柔軟剤の香りがしていた。


「柔軟剤を入れようとしたら、ドバドバって入っちゃって(笑)結構柔軟剤の香りがするけど、どうぞー」


そう言って笑っている。


私もたまにある。


「Yシャツもクリーニングに出したやつを取りに行ったし、洗濯も終わったし、もうどこにも行かないし、二日酔いも良くなったからゆっくりまりといれるよ」


「ありがとう」


雅樹がコップにお茶を入れて持って来てくれた。


「日曜日、緊張するなー。まりのご両親って何が好き?」


「父親はバナナが好き。毎朝食べてるから」


「手土産をバナナっていう訳にいかないじゃん(笑)」


「あっ、手土産ね。普通に好きな物だと思った」


「そういえば、お母さんはカステラ好きだって言ってたよね?カステラにしようかな?」


兄の時を思い出す。


「文句言われるかも…」


「あっ!新しく出来たケーキ屋でバナナのパウンドケーキ売ってたよ?うまそうだったから、それなんかどう?」


「うん…ありがとう」


「親父さんとゆっくり話せた?」


「うん。まりの相手とじっくり目を見て話したいって言ってた」


「緊張するなー」


「私も」


「でも、まりとの結婚を認めてもらいたいし、俺頑張るよ」


「父親は大丈夫だと思うけど、母親が…」


「うーん、でも多分大丈夫じゃないかなぁ?まだお会いした事はないからわからないけど」


「今から謝っておく。多分失礼な質問しまくるし、あり得ない事を言ってくると思う。ごめんなさい」


「大丈夫だって!」


そう言って、私を抱き締めてくれた。


そしてキス。


「今日はしないよ?生理だし」


「えー?(笑)そんなに俺、猿かなぁ?」


「うん(笑)」


2人で笑う。


しばらく雅樹の部屋でゆっくりしていたが、そろそろ帰る時間。


「また明日、会社でね」


キスをして帰宅した。




No.112

月曜日、いつもの会社。


立花さんは、子供さんが熱を出したと休む。


田中さんと立花さんの分も頑張る。


昼休み、田中さんと一緒にご飯を食べる。


「今度の日曜日に、長谷川さんが私の両親に挨拶に来る事になりまして」


「へぇー、いよいよ結婚かぁ。結婚したら会社どうするの?」


「辞めて、家庭に入ろうと思いまして」


「辞めちゃうの?それは寂しい。立花さんみたいに両立したらいいじゃん」


「うーん、この会社好きだから悩みましたけど、この間長谷川さんが喘息が出てツラそうだった時に、側にいたかったんですがいれなくて。専業主婦になれば、長谷川さんに何かあってもずっと側にいられる。その気持ちが強くて。立花さんみたいに両立する自信がないし…」


「そっかー。本当は加藤さんに辞めて欲しくないけどねー。長谷川さんと結婚。いいなー!うらやましい!私も結婚したい!こんな私でも、好きだよって言ってくれる物好きいないかなー」


「田中さんなら、絶対いい人出来ますよ!」


「慰めてくれてありがとー。長谷川さんに聞いてみて?独身のいい男、誰かいない?いたら紹介してって(笑)」


「聞いてみます(笑)」


「絶対聞いてよ!?長谷川さんの友達ならいい人そうじゃん!しばらく男性と手も繋いだ事がないから、心に潤いがなくてね。このまま枯れ果てたくない!愛が欲しいー!しばらくエッチもしていないからクモの巣張りそう(笑)」


田中さんもアラサー。


いい人なのにな。


面白いし。


今度、雅樹に聞いてみようかな。


その日の夜。


仕事帰りに、母親からお使いを頼まれたため、帰り道にあるスーパーに寄った。


頼まれた物を見ていると、反対側から歩いて来た見た事がある人が視界に入った。


「あれ?」


そう思い振り返ると、真野さんの件で解雇された福田さんが、派手な格好をした女性といちゃつきながら買い物をしていた。


女性は細くて、パンツが見えそうな超ミニスカートに胸が半分見えている様な体の線がはっきりわかる服。


福田さんも茶髪のチャラ男みたいになっていた。


会社にいた時は黒髪でビシッとスーツを着ていたのに。


人って、こんなに変わるんだ。


私には気付いていない。


元気そうで何より。























No.113

日曜日。


雅樹が私の両親に挨拶をする日。


前日、仕事が終わってからちょっとだけ雅樹のアパートに寄った。


「明日11時に予定しているから、10時半位に来るね」


「わかった。やべー、緊張するー!服はやっぱりスーツなのかな…固いかな」


雅樹はクローゼットを開けて、服を物色し始めた。


引っ張り出しては、首をかしげてまたしまう。


「やっぱりスーツかなぁ?」


「結婚の挨拶だから、スーツでもいいとは思うけど…私は雅樹のスーツ姿は見慣れているし、長谷川さんモードに切り替えやすいから、私はスーツを推す!」


「じゃあそうする。気に入っているスーツがあるんだ。これにしようかな?ネクタイはどうしよう」


今度はネクタイを選び出した。


一緒に悩んでネクタイを決めた。


手土産は雅樹が仕事帰りに、言っていたバナナのパウンドケーキを買ってきてあった。


雅樹のアパートに来る約束の時間である10時半。


インターホンを鳴らすと、前日一緒に選んだスーツとネクタイを着用し、緊張した顔をした雅樹が玄関を開ける。


「長谷川さん、おはようございます」


私が言うと、雅樹は「まりー!変じゃない!?大丈夫?」といつもスーツ姿では絶対言わない言葉が返って来た。


何か新鮮。


「かっこいいですよ!長谷川さん」


私は笑顔で答える。


「長谷川さん…切り替えはやっ!待って、待って!ヤバくない!?」


緊張からテンパっている様子。


「私も雅樹のご両親にご挨拶に行った時はそうだった。雅樹のお姉さんが言ってたよ。はい!深呼吸!」


「…少し落ち着いた」


「そろそろ行こうか」


「そうだね。よし、加藤さん、行こうか」


雅樹と一緒に自宅に向かう。


玄関前に着いた。


雅樹に「私が今、先に入るから」と言うと、雅樹は真顔で頷く。


ドキッ。


何か、かっこいい。


今まで見た事がない表情。


私も頷き、玄関に入る。


「お父さーん!お母さーん!長谷川さんを連れてきたよ!」


居間から父親が玄関に来た。


雅樹を見て「まりの父です。いつもまりがオセワニなって…」と挨拶をする。


「初めまして。まりさんとお付き合いをさせて頂いております長谷川と申します」


雅樹は深々とお辞儀をする。


それを雅樹のとなりで見ている私。

No.114

父親もちょっと緊張しているのか、お世話にを噛んだ。


「どうぞ上がって下さい」


父親が雅樹に声をかける。


「お邪魔致します」


雅樹が靴を揃えて父親に続く。


私は雅樹のすぐ後ろについていく。


母親が台所で、出してくれるお茶の準備をしていた。


雅樹が「初めまして。まりさんとお付き合いをさせて頂いております長谷川と申します」と母親に挨拶をする。


母親は「どうも。あなたがまりと付き合っている長谷川さんなのね。話は伺っております」と真顔で答える。


そして、雅樹を上から下までじっと見ている。


雅樹が「つまらないものですが、よろしければ…」と隣にいた父親にパウンドケーキを渡す。


父親は「お気遣いなく」と受け取り、母親に「せっかくだから皆で頂こう」とお菓子の箱を母親に渡す。


すると母親は「本当につまらないものね」と一言。


雅樹の顔を思わず見るが、表情は変わらない。


すぐに父親が「せっかく頂いたのに、何を言ってる!」と母親に言うと、母親はおとなしくなった。


母親がお茶を持って来た。


「どうぞ」


母親が仏頂面で雅樹にお茶を置く。


雅樹は「ありがとうございます」と頭を下げる。


ちょうどここで遅れると連絡があった兄と弟が一緒に来た。


雅樹は兄と弟にも丁寧な挨拶。


兄と弟が席に座るないなや、雅樹に質問をしては見下す事を言う。


雅樹は、ずっと表情は変わらないが、テーブルの下の握りこぶしに力が入っているのはわかった。


母親が暴言を吐く度に、父親と兄と弟と私で母親を制止するが、そのうちにヒステリックになり、もうお手上げ状態。


罵詈雑言の嵐になり、父親が母親をひっぱたき、寝室へと連れていく。


寝室から、両親の怒鳴りあっている声が聞こえる。


兄が「わざわざ来て頂いたのに申し訳ありません。今日はちょっと、母親の虫の居所が悪かったみたいで…」と雅樹に謝罪。


続けて弟も「母親はこんなんですが、姉の事は嫌いにならないで下さい。俺、長谷川さんの事を勝手にお兄ちゃんみたいだなと思って、今までも何度かお会いしていましたが、今日お会いできるのを楽しみにしていました。母親が本当にすみません」と謝罪。


雅樹は「いえ…お気になさらず」と言って兄と弟に頭をあげる様に声をかける。


最悪だ。









No.115

兄が「帰るなら今のうちです。まり、長谷川さんと一緒に一旦出ていけ。あとは俺らに任せろ。とりあえず行け!」と私と雅樹の背中を押す。


弟も雅樹に頭を下げながら「また連絡させてもらいます」と言って「ねーちゃん!早く!」と私と雅樹を玄関まで行く様に促す。


私と雅樹はとりあえず玄関の外に出た。


中からは、怒鳴り声がする。


近所迷惑にならなければいいけど。


「ごめん、雅樹。本当にごめんね」


私はひたすら雅樹に謝罪。


雅樹は「うーん。想像以上だったかな?でも、まぁ…何て言ったらいいのかわからないけど…とりあえずお会い出来て良かった」と話す。


表情は少し固い。


本当に申し訳ない。


「でも、まりを愛している気持ちは変わらないよ!大丈夫!」と笑顔を見せてくれた。


「とりあえず、俺んちに行かない?」


「うん」


2人で歩いて雅樹のアパートに向かう。


雅樹は無言。


泣きそうになる私。


部屋に入る。


「雅樹、本当にごめんね」


我慢していた涙がこらえきれなくなってしまった。


「まり、泣かないで!大丈夫だから」


雅樹は箱ティッシュを私に渡して来た。


そのティッシュで涙を拭きながら泣いていると、後ろから抱き締められた。


「まり、一緒に住もうか?」


「えっ?」


「今日、ご挨拶をさせてもらってそう思ったから。とりあえずここに来る?そして新居を一緒に探そう。大丈夫。俺は何があってもまりを守るし、まりの側にいるって決めたんだ」


「雅樹…ありがとう」


「こんな事を言うのは、ちょっと心苦しいけれど…まり、少しお母さんと離れた方がいいかもしれない。まりがお母さんを見る顔…お母さんが色々言って親父さんやお兄さん、弟さんが止めてくれていた時の顔、能面の様に表情が全くなくて、ちょっと心配になっちゃって」


そんな顔をしていたのか。


「俺は専門家でも医者でもないから詳しいのはわからないけど、まりはお母さんと離れた方がいい。このままなら、いつかまりは壊れる」


「…」


「まり、一度親父さんと話す機会が欲しい。作ってくれないか?いつでもいい。都合は親父さんに合わせる。平日でも時間は作る」


「…わかった」


「まり、大好きだよ」


更に雅樹は私を後ろから強く抱き締めた。







No.116

しばらくして、私の携帯が鳴る。


兄からだった。


「お母さん、とりあえず落ち着いた。まりは、もう少し長谷川さんといた方がいいかも。今、長谷川さん、近くにいる?いるなら代わって欲しい」


「わかった」


雅樹に「兄ちゃんが代わって欲しいって…」と伝えて、携帯を雅樹に渡す。


「お電話代わりました。長谷川です」


雅樹は「はい」とか「いえ…」とか言っている。


そして雅樹の携帯番号を聞かれたのか、雅樹の携帯番号を教えている。


そして私に「まりに代わってだって」と言って、携帯を渡して来た。


「もしもし」


「まり、とりあえず長谷川さんとしばらくいろ。また連絡する」


「わかった」


そう言って電話を切る。


雅樹が「お兄さんも弟さんも、みんなまりの事を大事に思ってくれているんだね。いい兄弟!俺も兄貴が欲しかったなー」と言って来た。


「兄ちゃんと何を話したの?」


「うん?まとめると、今日は本当に申し訳ない。まりの事をよろしくお願いいたします。電話番号聞いてもいい?の3つかなぁ?」


「そうなんだ」


「あともう少し、まりの側にいてあげて下さいって言われた」


「そっか」


「なー、まり」


「なーに?」


「先に婚姻届書いちゃおうか」


そう言って、雅樹は婚姻届を出してきた。


「いつ用意してたの?」


「この間」


「ドラマとかでは見た事があったけど、初めて本物見た!」


「俺も。これ、市役所に出して受理された瞬間からまりは長谷川まりになるんだよ」


「そうだよね…大事だね。長谷川まりか。何かいいな」


雅樹が婚姻届に名前を書く。


続けて私も名前を書く。


「あれ?印鑑?まり、持ってる?」


「仕事用のカバンだから、多分印鑑入ってる。ちょっと待って」


カバンを探すと、三文判が出てきた。


「あった、仕事用のやつだけど」


「俺も仕事用のやつならある」


次々にお互いに空欄を埋めていく。


書き終わる。


最後にお互い印鑑を押す。


雅樹の丸い文字。


読みやすい丁寧な字。


私は、角張った字。


何か対照的な2人の字。


「保証人はどうしようか?」


「普通は誰何だろ?親?」


「わからない」


保証人以外は完成した婚姻届。


2人で笑い合う。










No.117

再び、兄からの着信。


「もしもし」


「まり、もう帰って来ても大丈夫だ。明日からまた仕事だろ?」


「うん。今、お母さんって何してるの?お父さんは?」


「母さんは風呂に入って、父さんは今、会社の人と電話で話してる」


「そっか、あのね。兄ちゃんに頼みがあるの。長谷川さんが、一度お父さんと会う機会が欲しいって言ってるの。日時はお父さんの都合に合わせるからって。兄ちゃんからもお父さんに言って欲しくて」


「あっ、今父さん電話切ったから代わるわ」


「うん」


電話の向こうで兄が「まりから」と言うのが聞こえた。


「もしもし」


「お父さん、私。まり」


「今、長谷川さんと一緒か?」


「うん、お父さん、あのね、長谷川さんが一度お父さんとお話をさせて下さいって言ってるの。一度でいいから長谷川さんに会って欲しくて。お父さんの都合いい時でいいから」


そう言って、思わず雅樹を見る。


雅樹は手を合わせて、お願いします!と口パクで伝えて来た。


「…わかった。火曜日はどうだ?」


雅樹を見て「火曜日!」と口パクをする。


雅樹は手で大きく丸を作る。


「大丈夫だって。何時に?」


「仕事終わってからにするか?じゃあ19時に駅前の居酒屋前で待ち合わせよう。伝えておいてくれ。お前も来るのか?」


「まだわからない」


「わかった。そろそろ帰って来い」


「うん」


兄の携帯だけど、そのまま切る父親。


雅樹に「明後日火曜日の19時に駅前の居酒屋前で待ち合わせようって言ってた」と伝える。


雅樹は「火曜日の19時ね、ありがとう!」と早速手帳を出して記入している。


「お父さんにお前はどうする?って聞かれたんだけど、私はどうしたらいい?」


「一緒に行こう!」


「わかった。そろそろ帰って来いって言われたから、今日は帰るね。今日は本当にありがとう」


「いやいや、こっちこそ機会を作ってくれてありがとう!じゃあまた明日、会社で」


キスをして帰宅。


母親がちょうどお風呂から上がった時だった。


「…ただいま」


「おかえりなさい、ご飯あるよ?」


「うん、食べる」


母親の機嫌は悪くない。


晩御飯はカレーライス。


兄と一緒に食べる。


弟はもう自分のアパートに帰宅していていなかった。




No.118

兄は、今日はうちに泊まって、明日の朝早くに帰るらしい。


私が心配なんだと言っていた。


兄ちゃんは私の部屋に寝る。


嫌だ、と言ったが、ベッドの横に布団を敷かれた。


自分が使っていた部屋は物置になっているため、片付けるのが面倒だ、と言うのが理由。


兄はいびきがうるさい。


しかも寝付きが素晴らしくいい。


だから、兄より先に眠りにつくためには30分は早くベッドに入らなくてはならない。


一緒に寝ると、どう頑張っても、兄より先に寝付くのは不可能。


布団に入ると、瞬時に眠れる特殊な能力を持っている。


私は結構、布団の中でウダウダしているタイプ。


うらやましい。


寝る前に兄と少し話す。


「長谷川さん、いい人だね。父さん言ってたよ。いい男だって。俺もそう思う。芯があるというか、母さんがあんな暴言を吐いても、取り乱す事なく、真っ直ぐ親を見て、しっかり話してくれる。いい男をつかまえたな」


「ありがとう」


「まりはおとなしくて人がいいから、変な男に引っ掛かるんじゃないかって思っていたよ。さすが俺の妹だ。でも俺、兄貴だけど年下になるのか。何て呼べばいい?」


「何でもいいよ」


「下の名前何だっけ?」


「雅樹」


「じゃあ、雅樹さんかなぁ?嫌かなぁ?」


「いいと思うよ」


「弟になるのに年上って、何か変な感じがする」


「そのうちに慣れるよ。千佳さん元気?」


「元気だよ!まりによろしく伝えてって言ってた」


「なかなか会わないからね。うちに来たくないだろうし」


「そうなんだよな。仕方ないけど。でも俺が一人で来る分には文句は言われないからまだいいけど」


「あのね、私、ここを出て、長谷川さんと一緒に住もうと思って」


「ああ、いいと思うよ。長谷川さんち、近いんだよね?でも、一緒に住むなら、ちょっと離れた方がいいぞ」


「うん。そうする」


「明日早いから、そろそろ寝るわ」


「あっ、待って!私が寝るまで待って!」


「何でだよ」


「兄ちゃん、いびきうるさいから!」


「じゃあ、今すぐ寝ろ!俺は寝る」


電気を消された。


あー。


間に合わなかった。


もういびきかいて寝てるよ。


でも、兄ちゃん、色々ありがとう。


おやすみなさい。



No.119

火曜日。


朝、父親が母親に「今日はまりとご飯を食べて帰る。たまには親子でゆっくりさせてくれ」と話していた。


事情を知る兄が母親の気を引くため、今日は子供達を連れて、うちに来ると言っていた。


もちろん、千佳さんの協力もある。


母親は「今日は亮介が子供を連れて一緒に来るから、私は孫達と遊んでいるから、ゆっくりして来たら?」と話す。


いつも通り仕事をし、就業時間になる。


定時少し過ぎ、雅樹は帰り支度を始めていた。


牧野さんが「長谷川、帰るのか?」と声をかける。


「悪いな、今日ちょっと用事があって。これ、明日の朝一でやるから、ここに閉まっておいてくれないか?」


「わかったよ、お疲れ」


「頼むわ。悪い。お疲れ」


そう言って雅樹は退社した。


私はもう一息。


立花さんは「ごめんね、子供の迎えの時間があるから帰るね!」と言って帰り支度をしていた。


「大丈夫です。お疲れ様でした」


立花さんは田中さんにも声をかける。


田中さんも笑顔で「お疲れ様!」と言って手を振る。


終わったー!


ふと事務所にある時計を見ると18時15分。


まだ全然間に合う。


まだ仕事をしていた田中さんに声をかける。


「帰りますね!」


「お疲れ様!私、明日から営業でしょ?これ終わらさないと地獄が待っているから、今日ちょっと頑張ってから帰る。気を付けてねー」


田中さんは笑顔で手を振る。


更衣室に戻り着替えて、メイクを少し直す。


車に乗り込み、携帯を開くと雅樹からメールが来ていた。


「先に行っているから」


返信をする。


「今から行きます」


「了解」


すぐに返信。


待ち合わせ場所の居酒屋に向かう。


駐車場に入ると、雅樹の車がある。


隣に停める。


雅樹の姿は車にいなかった。


出入口を見ると、スーツ姿の雅樹がいた。


すると、ちょうどスーツ姿の父親が雅樹の元に向かっていた。


雅樹は父親にお辞儀をする。


私も慌てて2人のところに行く。


「ごめん!」


すると父親が「まり、俺も今来たんだ。入るか」と言う。


雅樹が入り口の扉を開けてくれる。


掘りごたつの個室に通された。


少し賑やかな店内。


私と雅樹が横並び、父親が正面に座る。


No.120

3人共、車で来ているため、皆お茶を頼む。


「長谷川さん、楽にして」


父親が言うと「ありがとうございます」と言うけど、余り動かない。


とりあえず、お茶で乾杯。


「お疲れ様でした」


何か、会社の上司と来たみたい。


適当に父親にお任せで頼んだ食べ物が来た。


「長谷川さん」


父親が言う。


「はい」


「先日はうちの家内がご迷惑をかけてすまなかった」


「いえ…」


雅樹が緊張しているのが伝わる。


「私も、長谷川さん、あなたとゆっくり話をしてみたかった。私は会社で部長として、色んな人達を見てきたつもりだ。長谷川さん、あなたはきちんと相手の目をしっかり見て話してくれる。家内があの様な状態になった時も、真面目に対応してくれた。若いのに、しっかりとした青年で、大したものだ」


父親は雅樹を見てゆっくり話す。


「会社で見ていても、今の若いのは根性がないやつが多い。ミスを叱ると、会社に来なくなる、言い訳ばかりする。でも、その中でもしっかりしてるやつ、根性あるやつが残る。長谷川さんみたいな人が、私の部下なら信頼出来るだろうと。そう思うよ」


雅樹は黙って父親の話を聞いている。


「まりが、結婚したいと言った時は驚いたよ。今まで、男の気配が全くなかったからな。家内からは聞いてはいたが、長谷川さんには悪いが、まりが騙されているのではないか?と思った。でも、長谷川さんを連れてきた時に、子育ては間違えてなかった、男を見る目は正しい子だと安心したんだよ」


「ありがとうございます」


雅樹が緊張しながらも返事をする。


「まりは、子供の頃から大人しく、余り自分の気持ちを言わない、親である私も、娘が何を考えているのかわからない様なちょっと難しい子だけど、本当にうちの娘でいいのか?」


雅樹にきく。


「はい。私はまりさんの全てを愛しています。一生をかけて守ります。まりさんが会社の事故に巻き込まれた時、ずっとまりさんの側にいてあげられなかった事、近くにいたのに助けてあげられなかった事は、今でも悔やんでいます。まりさんと結婚したら、どんな
事があってもまりさんを守ります。お願いします。まりさんとの結婚を許して下さい!」


雅樹は少し下がり、その場で土下座をする。


私は、2人の会話を聞くしか出来なかった。








No.121

それを見た父親。


「長谷川さん。頭を上げて下さい」


雅樹は正座のままゆっくり起き上がる。


そして「結婚しても、喧嘩する事もあるだろう。生活をしていく上でお互い不満に思う事もあるだろう。子供が生まれたら、2人だけの生活とは違い子供優先の生活に変わる。結婚しても日々変化はある。俺は仕事を言い訳にして家内に家庭の事、子供の事を任せっぱなしになっていた。苦労させてしまった。若い頃は、まだ遊びたい気持ちもあった。

結婚をすると言う事は、相手を思いやり、助け合い、お互いに成長しあって1つの家族を作る。それだけの責任がある。まりはまだ夢見心地なところはあるが、しっかり長谷川さんがまりをうまく引っ張って行って欲しい。私みたいにならない様に、しっかり頑張って欲しい。話し合いは大切。まりの話も聞いてやってな。娘の事をよろしくお願いいたします」


父親はそう話すと、雅樹に頭を下げた。


「お父さん…」


雅樹は「いやいや、お父さん!頭を上げて下さい!」と慌てて父親の元に行く。


それから、近いうちに一緒に住もうと思っている事や、結婚したらこうしたい、とかの話をした。


父親は理解してくれた。


父親の気持ちも聞けた。


余り話さない父親が、ゆっくり言葉を考えながら、真剣に話してくれた。


雅樹の真剣さも父親には伝わった。


兄も弟も、雅樹の事は気に入ってくれた。


問題は母親。


前に父親と2人で話していた時に、母親は寂しいんだよ、と言っていたけど…。


確かに母親は誰かに依存する傾向がある。


性格が災いして友人が1人もいない。


父親が仕事でいなかったから、私達子供が拠り所になっていたのかも。


だから、全てを知りたくて、全てを支配したくて。


逃げない様に。


自分の近くに置いておきたくて。


でもいて欲しいのは、母親の言う事を聞く人形の様な存在で、反抗する人はいらない。


ただ、話を聞いて、うんうんと頷いているだけの人が欲しくて。


都合いい人が欲しくて。


だから子供の頃からいつも「お母さんの言う事を聞け!うんうんと聞いて、素直にしていればいいんだ。反抗するな。お母さんを否定する人は許さない!」と言われて育ったんだ。


父親はそんな母親を見て、俺のせいだと後悔しているのかもしれない。












No.122

お開きになり、私と父親は一緒に帰宅。


雅樹とは、居酒屋の駐車場で別れた。


帰宅すると兄と一緒にまだ小さかった姪がいた。


父親を見ると、「じじー」と言って、姪が父親のところに走って来た。


父親は一瞬で、さっきまでのまりの父親からじいじに変わる。


「おー!まだいたのかー!」


デレデレになっている。


子供の成長って早いね!


しばらく見ないうちに、こんなに大きくなっちゃって。


まりおばさんも嬉しい。


姪は私の事は「まり」と言う。


多分、兄がそう言うからだと思うが、おばさんと言われるより名前の方がずっといいから、そのままにしてある。


「まりも、おかえりー!」


姪が私の方にも来てくれた。


「ただいまー」


やっぱり私もこの笑顔にデレデレになる。


少し姪と遊ぶ。


「もうそろそろ帰るかな?こいつ眠そうだし」


そう言って、兄は姪を抱っこする。


ちょっと眠そうになっている姪。


もう21時だもんね。


眠たいね。


遅くまでありがとね。


「まり、バイバイ」


眠そうにしながらも手を振ってくれる。


可愛い。


母親は上機嫌。


孫といっぱい遊んで楽しかったらしい。


「まり!お父さんが出たら、さっさとお風呂入っちゃいなさい!」


「うん、入る」


私は部屋着に着替えて、軽くメイクを落とす。


携帯を開くと、雅樹からメールが来ていた。


「今日はありがとう。親父さんと色々話せて良かった。いいお父さんだね」


「こちらこそ、時間を作ってくれてありがとう。牧野さんがやってた仕事、明日の朝一の会議で使うやつでしょ?間に合うの?」


「多分大丈夫!だって、まりのお父さんと話す時間の方が大事だったの!ある程度は会社でやって、残りは持ち帰って来たから、これからちょっとやっちゃうよ。明日、牧野に昼飯でもおごる(笑)じゃ、また明日!」


「おやすみなさい。私はこれからお風呂入って寝ます」


「(^-^)/」


携帯を閉じ、お風呂に入る。


今日はゆっくり入ろう。


気分が晴れやか。


ぐっすり眠れそう。













No.123

私と雅樹は、本格的に一緒に住む方向で話を進める。


父親は了承してくれたが、渋る母親。


「まりまでいなくなったら、子供ら誰もいなくなる!せっかく育ててやったのに、まりまでいなくなるのか!何か欲しい物買ってやるから、うちにいなさい!」


父親が制止するが、相変わらずどんどんヒステリックになる。


「あんな男なんかより、お母さんの方が大事なんだよ?まりは母親を捨てるのか!男に狂ってはしたない!」


「まりは、そんな子じゃない。あの男がまりに入れ知恵をしているだけなんだ!目を覚ませ!」


「結婚なんて反対だ!ここにあの男を連れてこい!まりに近寄るなって説教してやる!」


「どうしても男と住みたいなら、合鍵は寄越しなさい!まりが住むなら娘の部屋だ!合鍵を渡すのは当たり前だ!」


こんな感じで、何を言っても聞いてくれる事はない。


父親は「彼は、いい男だ!許してやれ!」と言うが、「お父さん!あの男にいくら積まれたんだ!」と聞く耳持たず。


ため息しか出ない。


全然私の話を聞いてくれず、勝手に思い込みで話をしては、その話がヒートアップし、ヒステリックになる。


母親の頭の中で、雅樹は私をいい様に騙し、たぶらかす、ろくでもない男になっているみたい。


挨拶まで来てくれたのに。


何度も話し合いをしようとしたけど、毎回ヒステリックに終わるため、疲れてしまった。


父親が「まり、お母さんには俺が説得する。まりは、長谷川さんとうまくやりなさい」と言って終わった。


日曜日。


引っ越しの話や、これからの事を話すため、私は雅樹のアパートへ。


「まり、ここを引っ越して、新しく部屋を借りようか?ここだったら多分…毎日お母さん来るよ?」


「…うん」


「一昨日の仕事帰りに、コンビニで賃貸の雑誌買って色々見ていたんだ。そしたら、結構良さそうなところがあったんだ」


そう言って雑誌を開く。


間取り図と外観写真がたくさん載っている。


会社の近く、街の近く、雅樹の実家がある隣町、色んな地域があるが、うちの近くはあえて避ける。


「今度の休み、この不動産屋さんに行ってみない?実際、色々見てみない?」


雅樹が雑誌に載っていた不動産屋さんを指差す。


「うん」


「よし、決まり!」


次の休みに不動産屋さんに行く約束をした。






No.124

翌朝、当番のため、早目の出勤。


すると、事務所の隣にあるトラック乗務員の休憩室の前に救急車が停まっていた。


同じく当番だった田中さんと一緒に様子を見に行く。


社長と奥様も、心配そうに様子を見て、トラック運転手さんと何か話している。


既に出勤していた、他の従業員も皆救急車の方を見ている。


すると、トラック運転手として永年勤務していた50代の宮原さんという方が、苦しそうにしながらタンカーに乗せられていた。


田中さんが「宮原さん、苦しそうだけど大丈夫かな…」と小声で私に話しかけて来た。


「ですね。心配…」


同僚の橋本さんと、社長と話していた久保さんが一緒に救急車に乗って病院に行った。


私達の後ろに、牧野さんと雅樹がいた。


「シフト変わるな。宮原さん、今日どこ便だっけ?」


「橋本さんと久保さんは定期便。宮原さん、今日から地方便じゃなかったか?」


2人で話している。


「牧野、時間間に合わないから、とりあえずお前、地方便頼むわ。俺は定期便、至急組み直す」


「オッケー」


そう言って、慌てて席に戻りシフトを直し、乗務員の休憩室と事務所を往復している。


救急車で運ばれた宮原さんも心配だけど、トラックを待っている取引先に迷惑はかけられない。


後に出勤してきた千葉さんも含め、3人で忙しそうにしていた。


千葉さんと目が合う。


「加藤さん!悪い!これ、向こうに持ってってくれる!?」


雅樹がざっと手書きしたシフト表を渡された。


「わかりました!」


私はシフト表を乗務員の休憩室に持って行く。


「お疲れ様です。シフトです」


入ってすぐにあるホワイトボートに、雅樹が書いたシフト表を磁石でくっつける。


既に出払った人達もいたけど、残っていた乗務員さん達が、一斉にシフトの前に集まる。


少し遅れて、田中さんが「地方便のシフトです!変更になった方もいると思いますが、今日はこれでお願いします、との事です!」と言って、牧野さんが手書きしたシフト表をホワイトボートに張り付けた。


運転手さん達が「あー、俺こっちかー」「やべー、俺もう行かなきゃ間に合わないじゃん!」とか言いながら各々急なシフト変更にも対応してくれた。


宮原さん、大丈夫かな。
















No.125

雅樹達の部署は、朝からずっとバタバタとしていた。


田中さんが電話を取る。


そして「牧野さんか長谷川さん!久保さんから電話です!3番です!」と取り次ぐ。


牧野さんが電話に出た。


電話を切ってから、牧野さんと雅樹と千葉さんの3人で何やら話している。


牧野さんが席を離れ、それまでのんびりしていた坂田さんが急に忙しそうにする。


雅樹が部長と何か話している。


立花さんがスーっと横に来た。


「宮原さん、大丈夫だったのかな」


小声で話す。


「心配ですよね」


「何でもなかったらいいね」


「そうですね」


宮原さんが運ばれてからしばらくしてから話を聞いた。


宮原さんは心筋梗塞だった。


幸い、異変が起きてからすぐに救急車を呼んだ事で命は助かったけど、しばらく入院するという。


助かって本当に良かった。


しばらく休んで、また元気に会いたい。


健康診断は毎年行う。


でもやはり、年一回の健康診断だけではなかなか病気も見つかりにくい。


前回の健康診断は問題はなくても、その後に問題が出る可能性はある。


おかしいな、と思ったら、すぐに病院に行った方がいいと思った。


医者に問題ないと言われれば安心する。


その日の夜。


雅樹にメール。


「今日はお疲れ様。宮原さん、無事で何より」


すぐに返信。


「宮原さんには色々わがまま聞いてもらったり、無理を言ったりして迷惑をかけて来たけど、いつもいいいよいよって快く仕事を引き受けてくれて感謝しているんだ。本当に無事で良かった」


「宮原さん、優しいもんね」


「ちょっとシフト焦ったけど、何とか回せて良かったよ。乗務員みんなにも感謝」


「雅樹も牧野さんもかっこよかったよ」


「ほめてくれてありがとう(笑)大変だったんだぞ?」


「お疲れ様でした」


「落ち着いたら、宮原さんのお見舞いに行って来るよ」


「うん。ゆっくり休んで、また戻って来て欲しいね」


「そうだね」


雅樹とのメール。


今日は本当にお疲れ様でした。











No.126

この日は平日ど真ん中の祝日。


会社は休み。


雅樹は、雅樹の実家に行くと行っていた。


うちは父親も休み。


のんびりとした時間が流れていた。


昨日、私も仕事帰りにコンビニで賃貸の雑誌を買って来た。


ベッドの上で見てみる。


結構、色んな部屋があるんだなー。


でも田舎だから都会に比べると、家賃は安い。


新築2LDKで7万円~8万円くらい。


田舎者の感覚では、家賃8万円は恐ろしく高く感じる。


部屋を見回す。


そして、絶対持っていきたいもの、そうじゃないものを頭で考える。


私は雅樹の様に荷物が多い訳ではない。


小さい頃からの部屋だから、雑多に物はあるけど、持っていくとしたら、多分そんなに多くない。


大きな物は、気に入ってずっと使っている鏡台と、タンスくらい。


ベッドはどうしようかな。


雅樹と相談かな。


今日は洗濯。


天気もいいから、ベッドカバーと枕カバーも洗おう。


洗い終わり、ベランダの物干し竿にベッドカバーと枕カバーを干す。


すると母親が「お父さんと買い物に行って来るから」とスーパーに向かう。


「いってらっしゃい」


見送ってから部屋に戻ると、雅樹からメールが来ていた。


「まり!おはよう!今、実家にいるんだけど、まりと一緒に住みたい話をしたら、親父が保証人になってくれるって言ってたから、安心して部屋を探せるよ!」


「おはよう。ありがとう。お父さんにお礼をお伝え下さい」


「まりは今、何してるの?」


「洗濯してた。親は買い物に行ったから、今は一人で部屋にいる」


「そっか。まりに会いたいけど、日曜日まで我慢だね。楽しみにしてるから!今日は俺、実家で飯食って帰る」


「わかったよ!私も今日は部屋を片付けたりしているよ。そうだ、私のベッドってどうしたらいい?新居に持ってく?」


「一緒に寝るからいらないでしょ?俺は今のベッド、実家に置いとくし。新居に引っ越したら、ダブルベッド買おうか(笑)」


「オッケー(笑)」


「じゃあまた後でね!」


ますます、一緒に住むのが楽しみになった。


部屋が決まったら、カーテンとかベッドとか、雅樹と見て歩こう。


一緒に選んで、素敵な部屋にしたい。


くつろげて、楽しい空間にしたい。


夢は膨らむ。











No.127

日曜日。


約束の10時に雅樹のアパートに向かう。


徒歩2分の距離だけど、母親の目があるため車で来た。


いつものところに車を停める。


雅樹は駐車場で待っていた。


「おはよう!早速行こうか?」


「うん」


雅樹の車の助手席に乗り込む。


不動産屋に到着。


「いらっしゃいませ!」と若い女性が迎えてくれた。


「こちらで少しお待ち下さい!」


奥のカウンター席に案内される。


すると、入れ替わりで、40代位の男性が笑顔で出てきた。


名刺をくれる。


店長と書いてある。


雅樹が「雑誌を見て来たんですが…」と言って買った雑誌を持って来た。


店長さんは「はい!ありがとうございます!2LDKのお部屋をお探しなんですね?恐れ入りますが、こちらにお名前、ご住所、電話番号をお願い出来ますか?」とB4サイズの用紙を雅樹に渡す。


雅樹が名前や住所等を書く。


その間に店長さんが、雅樹が書いた紙を見ながらパソコン作業。


書き終わると、店長さんが「ありがとうございます!」と言って、用紙を改めて見る。


「お2人でご入居ですね?ご結婚ですか?」


「その予定です」


「おめでとうございます。新居ですからね。お2人の新しい生活のお役に立てる様に、私も全力でお部屋探しのお手伝いをしますので、何でもおっしゃって下さい」


店長は笑顔。


「ありがとうございます。今日、中とか見たいんですが大丈夫ですか?」


「全然大丈夫ですよ!他にも条件ぴったりなところがあるんですが…一緒に見てみます?」


そう言って店長さんが何枚か間取り図を書いた、部屋の詳細が書かれた紙をカウンターに出して来た。


「ここなんかどうでしょうか?近くにスーパーもありますし、長谷川さんの会社も近そうですし便利な場所ですよ」


「そうですねー。悩むなー。まりはどうする?」


「これ、全部中見れますか?」


私が店長さんに言う。


「大丈夫ですよ!じゃあ、早速ご案内しますね。準備しますので少しお待ち下さい」


店長さんは一旦裏に入り、部屋の鍵とファイルを持って出てきた。


「私の車でご案内します。どうぞこちらへ」


裏の駐車場に行く。


高そうな乗用車。


私と雅樹は後部座席に乗り、1つ目の物件に向かう。



















No.128

1日で4部屋を案内してくれた。


雑誌に載っていた物件以外も見た。


その中でも築浅で、オートロック、駐車場はちょっと狭いけど、3階建てのマンションの2階の一番奥の角部屋にひかれた。


街から少し離れているが、私の自宅からは全くの反対側、会社からは近いところ。


あと雑誌で見た、リビングが16畳もある広い部屋。


ここは街からも近くて便利な場所。


オートロックのところに比べれば古いけど、内装はしてあるため部屋はとてもキレイ。


雅樹が店長さんに「一旦、持ち帰っても大丈夫ですか?」と話す。


店長さんは笑顔で「大丈夫ですよ!ただ、結構人気の部屋なので、出来れば早目にお返事下されば助かります」と答える。


雅樹は「今日か明日までには連絡します」と返事。


店長さんに見送られ、雅樹の車に乗る。


ちょっと離れた公園の駐車場に移動。


車の中で話をする。


「まりは、どの部屋が良かった?」


「私は、このオートロックか、このリビングが広いところ」


「同じだね。オートロックの方がセキュリティは安心だよね。でもリビング広いのもいいなー。この部屋は、全体的に広いんだよなー。悩むなー」


「そうだね。でも場所的にはオートロックの方がいいと思う。うちからちょっと距離はあるし、会社近いし」


「そうだよなー。会社まで2~3分くらい?通勤楽でいいよなー。オートロックの方にする?」


「オートロックの方がいいかもね。母親の事も考えて…」


「確かに。じゃあオートロックの方にしようか?キレイだったしね。でも駐車場狭くなかったっけ?」


「私の車は軽だから問題ないけど、雅樹の車は大きいからね。ちょっと狭いかもね。でも寄せれば2台停められると思うけど…」


私は車種とかいわれても詳しくないけど、雅樹はRV車に乗っている。


「オートロックにしよう!よし、そうと決まれば、不動産屋さんに戻ろう!」


決断が早い。


でも私に無理矢理押さえ付ける訳ではなく、意見をきちんと聞いてくれる。


不動産屋さんに戻ると、ちょうど店長さんがいた。


「オートロックの部屋に決めます!」


店長さんは「早いお返事ありがとうございます。ではこちらへ」とカウンター席に案内してくれた。














No.129

敷金や仲介料とかの入居に伴うお金は2人で折半で礼金はなし。


保証人は雅樹のお父さん。


部屋の借り主は雅樹。


この日、不動産屋さんから真っ直ぐ雅樹の実家に向かう。


不動産屋さんから「これから、まりを連れてくー。保証人の件で!」とご実家に連絡。


ご両親と、きなこちゃんが出迎えてくれた。


今日はお姉さんは来ていない。


雅樹が不動産屋さんからもらった間取り図をテーブルに出して、オートロックの部屋の説明をしている。


ご両親はうんうんと聞いている。


そして、保証人の欄にお父さんが署名、捺印。


住民票とかの必要な書類は、明日用意してくれると言って下さった。


まだ緊張する雅樹の実家。


きなこちゃんはテーブルの周りをぐるぐると回りながら、たまに吠える。


可愛い。


時刻は16時過ぎ。


ご両親が「晩御飯一緒にどう?」と誘って頂いたが、雅樹が「今度またゆっくり来るよ」とお断り。


見送ってくれたご両親にご挨拶をして、雅樹の車に乗り込む。


「まり、そろそろ帰らないとお母さん心配するだろ?」


「うん、心配っていうか…うるさくなる?」


「とりあえず、帰ろうか」


「うん」


「いよいよ、まりとの新居だなー。今の部屋ともお別れとなると、ちょっと寂しいなー。結構まりとの思い出もあるしね。たくさんまりと過ごした部屋だし。あっ!そうそう、明日は仕事終わったら親父の書類を取りに実家行くよ。で、明後日ちょっと会社抜け出して、不動産屋さんに行って来る」


「私は、どうしたらいい?」


「まりは会社で真面目に働いていてくれればいいよ(笑)」


「お金はどうしたらいい?」


「うーん、とりあえず俺が一括で不動産屋さんに払うから、まりはいつでもいいから俺にちょうだい!本当は、俺が全額払いたいんだけどなー。貯金頑張って来たし」


「ダメ!私の部屋でもあるんだから、私も払うの!そこはしっかりしておかないと!雅樹ばかりに負担をかけられない!」


雅樹にそこまで甘える訳にいかない。


ここはきちんとしたい。


雅樹のアパートに着いた。


「じゃあ、また明日会社でね!」


車を降りる前に車内でキスをして帰宅。


No.130

母親が入浴中、父親に新しく部屋を借りた事を伝えた。


「そうか。まりもとうとう家を出るのか。寂しくなるが、長谷川さんなら安心だ。今度、長谷川さんのご両親にもご挨拶をしたいと思っている」


「長谷川さんに聞いてみるよ。すごくいいご両親だよ。お姉さんもいい人で…」


「長谷川さんと話していると、しっかりとしたご両親なんだろうとわかるよ」


「うん」


「部屋の鍵をもらったら、一度部屋を見させて欲しい。まりの新居だからな」


「うん」


「まりも結婚か」


寂しそうに笑う父親。


母親がお風呂から出てきた。


「まり、いいわよー!」


頭にタオルを巻いてパジャマ姿の母親。


変なスイッチが入らなければ、いい母親だと思う。


料理は上手だし、小さい頃は、私のワンピースを作るくらい裁縫上手だし、それなりにキレイ好きだから、部屋も余り散らかっている事もないし、ちょこちょこ良く動く。


老眼になってからは、裁縫は少し遠退いたが、私の服のちょっとしたほつれ直しとか、サイズ直しは老眼鏡をかけながらやってくれていた。


洗濯もアイロン掛けも今は私自身のものは、自分でやるが、アイロン掛けを教えてくれたのも母親だった。


私が働く様になってからは「社会人なんだから、自分の弁当くらい自分で作れ」と作ってくれなくなったが、高校卒業までほぼ毎日作ってくれた。


出産以外で入院した事がない事が自慢の母親。


ぎっくり腰と風邪以外で寝込んでいる姿は余り見た事がない。


いざ、母親と離れて暮らすとなると、当たり前だった事が当たり前じゃなくなるんだな。


帰宅したらご飯が出来ていて、お風呂が沸いていて。


今更ながら、母親に感謝。


これからは私が雅樹のために、一生懸命頑張る番。


しばらくは仕事をしながらになるけど、雅樹との生活を大事にしていきたい。


翌朝。


「まりー!遅刻するわよー!」


化粧がうまくいかず、まだ鏡とにらめっこしている私。


「気に入らない」


「まりー?なにしてんのー?」


「今行くー」


準備をして玄関に行く。


「遅かったじゃないの」


「化粧が気に入らなくて」


「そんなの自己満足だよ。他人は誰も気付きやしないよ。はいはい、いってらっしゃい!」


「…行ってきます」


いつもの朝。



No.131

今日は大雨。


朝の情報番組で、雨は昼前には止むと言っていたが、信用出来ない位、ザーザーとすごい勢いで雨が降っている。


車のワイパーを一番激しく動かしても、意味がない位。


ここ最近、晴れが続いていたから畑には恵みの雨かもしれないが…一気に降りすぎ!


いつも寄るコンビニに着いた。


駐車場から店までのちょっとの距離でもかなり濡れてしまう。


雨が激しくアスファルトに打ち付け、靴も濡れてしまう。


お昼のお弁当と、お茶2本とグミを買う。


会社に着き、駐車場から走る。


従業員の出入口に入った瞬間、ツルン!と滑り、すぐ前にいた坂田さんに思いっきり体当たり。


坂田さんは、いきなり後ろから体当たりを食らった状態になり、2人で出入口で派手に転ぶ。


「坂田さん!ごめんなさい!すみません!大丈夫ですか?」


私はすかさず坂田さんに近付く。


坂田さんは足をさすりながら「大丈夫です!大丈夫です!」と言っている。


「本当にすみません!」


坂田さんのスーツが濡れてしまった。


本当に申し訳ない。


後ろから、千葉さんが「加藤さん!派手に転んでたねー(笑)大丈夫?坂田も大丈夫か?」と言って笑っていた。


すぐ後ろにいた雅樹も「大丈夫?膝、血出てるよ?あーあ、加藤さんのお弁当、すごい事になってるよ」と、転んだ拍子にぶっ飛び、ひっくり返してしまったお弁当を拾ってくれた。


出勤してきた他の部署の人達何人かにも見られて恥ずかしい。


「すみません!ありがとうございます!」


私は雅樹からお弁当をもらう。


大丈夫。


見た目はぐちゃぐちゃだけど全然問題ない!


坂田さんは「加藤さんは大丈夫ですか?膝、出血してますよ?ちょっとびっくりしただけですから。僕は本当に大丈夫ですから!」と言って、血が出てしまった膝を見ている。


そして「ちょっと待っていて下さい!絆創膏持ってるんで!」と言って、坂田さんのカバンから絆創膏を何枚か出して私にくれた。


「ありがとうございます。早速貼って来ます!本当に朝からすみませんでした!」


「気にしないで大丈夫ですよ!」


坂田さんは笑顔。


坂田さんにお辞儀をして更衣室に直行。


膝に絆創膏を貼り、破れてしまったパンストを取り替える。


朝からやらかしてしまった。







No.132

事務所に入ると、坂田さんが私のところに来た。


「さっきは本当にすみませんでした」


私が坂田さんに再び謝罪。


「本当に大丈夫ですからね!あの、俺も良く指を切ったりとかちょっとした怪我、良くするので絆創膏を持ち歩いていて、たくさんあるので、少し加藤さんにお渡ししようかと思いまして」


坂田さんがまたふと私の怪我した膝に目をやる。


絆創膏から血がにじみ出していた。


「そんなにいっぱい…坂田さん、困りませんか?」


「大丈夫です!まだあるので。あっ、手のひらも血がにじんでますよ?気を付けて下さいね」


「あっ、本当だ!気付かなかった。ありがとうございます!」


坂田さんは会釈をして席に戻る。


雅樹がパソコン越しに、私達をジーっと見ているのがわかった。


その様子を見ていた立花さんが、スーっと隣に近付き「長谷川さん、ヤキモチ?長谷川さんの目、怖いよ」と言って来た。


「いやいや、そんなんじゃないですよ」


「転んで、坂田さんに体当たりしたんでしょ?不可抗力とはいえ、若い独身男性と密着していたら、ヤキモチ妬くよねー(笑)」


「やめてくださいよー」


「坂田さん、優しいのね。たくさん絆創膏もらったんだから、また転んでも心配ないね(笑)」


そう言って笑いながら席に戻った。


雅樹を見る。


目はモニターを見ているが、口元が笑っている。


お昼。


ひっくり返してしまったお弁当。


袋の中で汁漏れしていたが、美味しく頂いた。


田中さんが「あー!見たかったなー!加藤さんが転んだところ!ちょうど給湯室の物置にいて見れなかったー!」と悔しそうに言う。


立花さんが「私も奥にいて見れなかったー!残念!」と言って笑う。


2人共当番だったため、ちょうど掃除をしていた時間だった。


慰めてくれているのだろう。


「膝、しばらく痛いかもねー」


田中さんが言う。


「そうですね。仕方ないです」


昼休憩終了前に携帯を開く。


雅樹からメールが来ていた。


「膝、大丈夫か?坂田とずいぶん仲がいい様で(-_-)」


やっぱりヤキモチ妬いてたの!?
















No.133

夜は雅樹はご実家に引っ越しの書類を取りに行く。


晩御飯も実家で食べてくるらしい。


私は真っ直ぐ帰宅。


母親がすぐに膝の怪我に気付いた。


「まり、膝どうした?」


「今朝、会社で転んじゃって」


「気をつけなさいよ!ご飯出来てるよ!お父さん、残業だって」


「そうなんだ。着替えて来るよ」


着ていたスカートが少し汚れていた。


良く見たら、ブラウスの袖の部分が破れていた。


転んだ時に破ったのかなー。


部屋着に着替えてから「お母さん、ブラウス破っちゃった」と破れた部分を見せる。


母親は「どれ」と言って、ブラウスを見る。


「こんなのすぐ直る。あんたはご飯食べちゃって!その間に直しておくから」


そう言って、ブラウスを持って寝室に入っていった。


テレビをみながら、ひとりでご飯。


今日は煮魚と野菜炒めと豆腐の味噌汁。


あと、塩辛とかのりの佃煮とか、ご飯のお供がある。


テレビはクイズ番組が入っていた。


食べ終わり、茶碗や食器を台所に持って行き、自分で自分の分を洗う。


洗い終わり、冷蔵庫に入れておいたペットボトルのお茶を出して飲む。


「ふぅ」


一息つくと母親が「ほら、直ったよ」とブラウスを持って来た。


破れたところがわからなくなっていた。


「ありがとう」


「ブラウスもスカートも洗っておきなさい。」


「うん、そうする。気にいってるし」


お風呂に入る前に洗濯機を回す。


お風呂に入ると、膝がしみる。


お風呂から上がると、洗濯が終わっていた。


部屋に干し、髪を乾かしているとメールの着信音。


雅樹からのメール。


「帰宅した!親父からもらって来たよ!明日は午前中、ちょっと会社抜けるからね!明日は転ぶなよ(笑)」


すぐに返信をする。


「お疲れ様でした!明日は多分大丈夫。今、お風呂に入ったら膝がしみて痛かった。でも坂田さんからもらった絆創膏がいっぱいあるから大丈夫(笑)」


「(`ω´)」


顔文字が送られてきた。


「私は雅樹だけだよ」


「知ってる」


「また明日ね!おやすみなさい」


「おやすみ、愛してるよ!(^з^)-☆」


私はまだ、顔文字の使い方が良くわからない。


雅樹は良く使う。


何か可愛い。


無事に1日が終わる。








No.134

無事に新居の鍵をもらった。


大家さんのご厚意で今月分の家賃は無しだと不動産屋さんの店長さんが言っていた。


色々とご協力をしてくれた店長さんには感謝。


おかげで素敵な部屋を借りる事が出来ました。


仕事が終わり、雅樹と一緒に部屋を見て回る。


まだ何にもない部屋だけど、これから雅樹と一緒に作り上げていきたい。


10畳の居間にカウンターキッチン。


居間を挟んで左右に6畳の部屋が2つ。


1つの部屋は、一面押し入れがあり、もうひとつの部屋には壁の半分がクローゼットと2面に大きな窓。


脱衣場は広い。


両手いっぱい広げても届かない。


洗濯機置き場と洗面台と洗面台の横に扉つきの棚がある。


お風呂は普通のユニットバス。


トイレはシャワートイレ。


ベランダもあり、そこそこ広い。


ベランダからは、隣の家の屋根が見える。


オートロックのため、まずマンションの扉を開けたら鍵がある。


来客は部屋番号を押す。


すると、うちのインターホンが鳴る。


インターホンの隣に、扉のドアロック解除ボタンがあり、それを押すと扉の鍵が開く。


万が一停電の時の手動切り替えも教えてもらった。


階段を上がり、一番奥が私達の部屋。


雅樹が今使っている冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、テレビ、電子レンジ、ソファー、テーブル等はそのまま使う。


カーテンはサイズが違うため買い換える。


居間に敷くラグマットも買いたい。


雅樹が「日曜日、見に行って見ようか?」と嬉しそうに話す。


「うん。そうだね」


「俺とまりの部屋だー!」


「うん!楽しみだね!」


物が何もないため、声が反響する。


日曜日。


家具屋さんをのぞく。


ダブルベッドに興味津々の雅樹。


「まりと一緒に寝るなら、この位あればゆっくり寝れるね!」


そう言って、ダブルベッドに腰掛けた。


「ちょうどいい固さだよ?でも高いねー、15万もするよ?」


「高っ!まだ向こうにもあるよ?見てみよ!」


さすがにベッドに15万円も出せない。


マットも合わせて7万円というベッドを見つけた。


「さっきの半分の値段だよ?何が違うのかな」


雅樹はまたベッドに腰掛けた。


「うーん、良くわかんないや」


そんな感じで2人で見て歩くのも楽しい。






No.135

雅樹が今のアパートの期限が今月中のため、先に引っ越しをする事になる。


雅樹は仕事が終わってから荷造りをする。


お姉さん夫婦が手伝いに来てくれて、着々と荷造りをする。


退去の日。


雅樹は有給休暇を取り、朝から荷物を運び出す。


自分の会社を使う辺りが雅樹らしい。


雅樹もトラックの運転は出来る。


以前に「こう見えて、トレーラーもバスも運転出来るんだぞ!」と言っていた。


トラックだけ借りて、運び出すのは自分達。


今回はお姉さん夫婦と圭介が手伝ってくれた。


私はこの日は普通に勤務。


前日に圭介から聞いた。


圭介から私の携帯に電話があった。


「ねーちゃん、長谷川さん明日引っ越すんだろう?俺、手伝いに行くから」


「えっ?何で知ってるの?」


「俺、長谷川さんと結構連絡してるんだよ。知らなかった?」


「そうなの!?全然知らなかった」


「ねーちゃんが入院した時から良くしてもらってたんだ。兄貴より兄貴らしいよ(笑)」


「びっくり」


「長谷川さんのお姉さん夫婦も来るって言ってたー」


「うん…」


「いつも良くしてもらってるから、せめてものお礼に手伝いに行くよ。ねーちゃんの時も俺、手伝いに行くから!ねーちゃんが長谷川さんの引っ越しの手伝いに来れない事情も聞いてる。俺に任せろ!ねーちゃんの分も頑張るから!」


「ありがとう」


雅樹と圭介、仲良かったんだ。


雅樹も何も言ってなかったし、全然知らなかった。


兄貴より兄貴らしい。


確かにそうかも。


圭介なら、お姉さん夫婦ともうまくやってくれそう。


私、まだお兄さんに会った事がないのに、先に弟が会うって…。


雅樹がいない会社。


今頃、引っ越し頑張っているのかな?


昼休憩。


雅樹からメールが来た。


「今頃、3人でご飯かな?弟さんが来てくれて本当に助かった。ありがとう」


「いつの間に圭介と仲良くなってたの?知らなかったよー」


「まりに言ってたと思ってた(笑)一段落ついたから、俺らも昼食うよ。仕事頑張って!」


「うん。雅樹も引っ越し頑張って!」


立花さんと田中さんが「ラブラブだねー」と冷やかしてきた。


「そうですよー(笑)」


「うわー、急に暑くなったわ(笑)」


そう言いながら3人で笑う昼休み。

No.136

私も引っ越しに向けて、着々と準備をする。


この頃には母親も、私の引っ越しに渋々ながら了承してくれていた。


私の車に詰められるちょっとしたものは仕事が終わってから、ちょこちょこ運んだ。


既に新居にいた雅樹も手伝ってくれた。


日曜日。


いよいよ、部屋の大きな物を運び出す日が来た。


兄と弟が手伝いに来てくれた。


兄が軽トラックを借りてきてくれた。


持って行く荷物も、軽トラックで十分なくらいしかない。


ずっと使っているお気に入りの鏡台と、タンスとチェスト、あと、みかん箱程度の大きさの段ボールが15個くらい。


細かいものは私の車に積む。


荷物を乗せてブルーシートを上からかけて、きつくロープで縛る。


兄が「男3人ならすぐに終わる」と余裕の表情。


兄と弟が軽トラックに乗り、私は自分の車に乗り、実家を後にした。


両親は寂しそうに見送ってくれた。


新居に着くと、雅樹も加わり、どんどん荷物をおろしていく。


そして、私が言った場所に荷物を置いてくれる。


「まり、ここでオッケー?」


「うん、ありがとう」


荷物を下ろし終わる。


雅樹が「一緒にご飯どうですか?」と手伝ってくれた兄と弟に声をかける。


兄が「そうですね、一緒に食べましょう!俺、ラーメンがいい!」と言うと、弟も「兄ちゃん!気が合うねー、俺もラーメン食べたかったんだよ」と話す。


私も久し振りにラーメンが食べたい。


雅樹が笑いながら「じゃあラーメン屋に行きましょう!俺、車出しますね」と車の鍵を持ち外へ。


雅樹が運転、私は助手席、兄と弟は後部座席に座る。


兄が「いい車ですねー」と雅樹に話しかける。


「いえいえ、もう結構長く乗っているので、あちこちガタ来ていて」


「キレイにしてる!俺の車なんて、恥ずかしくて人乗せられないよ」


「誰乗せるんだよ(笑)」


弟が突っ込む。


「千佳と子供だよ」


「ふぅーん」


「何だよ」


「千佳さん以外の女じゃねーの?」


「いる訳ねーじゃねーか」


後ろがうるさい。


何か懐かしい。


雅樹は笑いながら話を聞いて運転している。


ラーメン屋さんに到着。






No.137

兄と弟と雅樹は、ラーメン以外にライスと餃子付き。


私はラーメン単品、雅樹の餃子を1個だけもらう。


良く食べる男3人。


それだけ頑張って手伝ってくれたって事だよね。


ありがとう。


男3人で楽しそうに話ながら食べている。


兄が「まりのどこが良かったんですか?」と雅樹に聞く。


「全部です」


「まり、小さい頃から冷めたやつなんですよ。俺とこいつが部屋でゲームやって騒いでたら「うるさい!」の一言を言うために、わざわざ来る様なやつですよ?」


「だってうるさかったんだもん」


「兄ちゃんの声がでかいんだよ」


弟が言う。


「お前に言われたくねーよ」


兄が言う。


兄と弟で、子供の頃の話をする。


雅樹は笑顔で話を聞いていた。


「男兄弟っていいですね。俺は姉しかいないからうらやましいです」


兄が「俺は兄貴が欲しかったです。無い物ねだりですよね」と言って笑う。


弟が「俺はもっとかっこいい兄ちゃんが欲しかったなー」と言うと、兄が「悪かったな」と突っ込む。


そして「俺、長谷川さんが兄になってくれるの嬉しいです。うちの兄ちゃんよりかっこいいし」と雅樹に言う。


兄は「否定はしない。俺、年下だけど一応兄貴になります。こんな兄貴ですが、よろしくお願いしますね」と言う。


雅樹は「いいお兄さんですよ!こちらこそよろしくお願いいたします」と答える。


兄が「何て呼んだらいいんでしょうね」と雅樹に聞く。


「雅樹でいいですよ」


「雅樹!いや、なんか抵抗があるな…雅樹さんだな」


弟が「まーくんでいいんじゃね?」と言って笑う。


雅樹は「じゃあまーくんで」と答える。


楽しい食事も終わり、車に戻る。


ラーメン代は手伝ってくれたお礼に私が支払う。


帰って来た。


兄が「じゃあ、俺達帰ります。まり、また何かあればいつでも言ってくれ!雅樹さん、まりの事、よろしくお願いいたします」と雅樹にお辞儀する。


弟も「俺、明日仕事終わったら実家行くから、一緒にねーちゃんの部屋の掃除を手伝うわ。運び出したままだろ?」と私に言う。


「ありがとう」


母親からの防波堤になってくれる様子。


兄と弟は軽トラックに乗って帰って行く。


私と雅樹で見送った。









No.138

部屋に戻る。


「楽しくていい兄弟だね」


「うるさくてごめんね、あの2人揃うとずっとあんな感じなの。特に圭介!お調子者だから…」


「楽しかったよ。仲良くしていきたいし」


「私もお姉さんと仲良くしたいもんね」


「ねーちゃんもうるさいよ?ずっとしゃべってるし(笑)」


2人で笑う。


「今日からまりとの生活かー!よろしくね」


「こちらこそ」


「とりあえず、明日の仕事に困らない程度に片付けようか?」


「そうだね」


雅樹と2人で黙々片付ける。


気付いたら18時半を過ぎていた。


「結構頑張ったんじゃない?だいぶ部屋らしくなって来たよ?」


「そうだね」


「まだご飯作れる状態じゃないから、飯食いに行かない?」


「そうだね」


簡単に晩御飯を食べて帰宅。


とりあえずまだベッドがないため、シングルの布団を2組並べる。


「今日は疲れたから、お風呂に入って早目に寝ない?ある程度、困らない程度には出したし」


「そうだね」


そして、夜は雅樹に抱かれる。


久し振りの雅樹とのSEX。


「これからは毎晩まりを愛せるね。愛してるよ、まり」


「私も…」


まだ段ボールだらけの部屋で愛し合う。


1週間も経つと、段ボールはなくなり、部屋も人様の家の様な感覚から、自分の家だという感覚になって来る。


カーテンもラグマットも買い、買ったダブルベッドも届いた。


田中さんと立花さんから、引っ越し祝いで玄関マットとキッチンマットをもらった。


雅樹も「いいじゃん!」と喜んでくれた。


おしゃれで可愛い柄に、私もすぐに気に入る。


もう少しで付き合って4年が経つ。


雅樹が私に告白をしてくれた日。


この日に入籍しようと決めた。


入籍となると、会社にも報告をしなければならない。


私の退社も伝えなければならない。


バレてしまう瞬間だけど、逆に今までバレてない事がある意味奇跡。


入籍する日まで黙っておく。


入籍してから退社する事を伝える事にした。


田中さんと立花さんには報告。


入籍を喜んでくれたと同時に、退職には寂しそうにしていた。



















No.139

一緒に住む様になって、1ヶ月が過ぎた。


毎日が楽しかった。


部屋もすっかり片付いた。


雅樹が「ただいまー」と帰宅。


私が「おかえりなさい!」と迎える。


場合により、逆もある。


朝、出勤前に米を炊飯器にセット、18時に炊き上がる様に予約。


料理のレパートリーは少ないため勉強中。


失敗も多かったが、雅樹は文句を言わずに食べてくれた。


たまに、雅樹が早く帰った時は晩御飯の準備をしてくれた。


この日はお互い仕事で遅くなり、仕事帰りにスーパーで待ち合わせて、一緒にスーパーを見ていたら、後ろから「長谷川と加藤さんじゃね?」と言われて、2人一緒に声がした方を振り返った。


スーツ姿の牧野さんがいた。


牧野さんも仕事帰りに、晩酌用のお酒とつまみを買いに来ていた。


雅樹は無言で牧野さんの側に行き、牧野さんの肩を抱き、こそこそと何かを話す。


牧野さんは「うんうん」と頷いている。


私は何となくいちゃいけない気がして、押していたカートと共に、ゆっくり2人から離れる。


すると、雅樹が私に手招きをしている。


私は牧野さんに軽く会釈をしながら、カートごと2人の元に戻る。


「牧野さん、お疲れ様です」


「お疲れ様!という事で加藤さん!」


「…はい?」


「これからご自宅にお邪魔しますよー!明日は休みだし(笑)」


バレたか。


「俺、独身彼女無しの寂しい一人暮らしなの」


「はあ…」


「突然ごめんねー!飲もう!酒とつまみを買って行こう!」


そう言って、牧野さんが買おうとしていた発泡酒の6本セットを3つ、チューハイ、惣菜コーナーで適当につまみやおかずをかごに入れる。


牧野さんが、レジで財布を出そうとしている雅樹の財布を雅樹から奪い、雅樹の上着ポケットに勝手にしまい、雅樹がしまわれた財布を出すも、その間に牧野さんが自分の財布からクレジットカードを出し会計をしてしまった。


「牧野、俺が出すよ。この間も飲み代出してくれただろ?」


「俺からの引っ越し祝いだよ。遅くなったけど」


「…悪いな」


「その代わり、今日はゆっくり話をしよーぜー」


そのまま牧野さんはうちに来た。













No.140

「お邪魔しまーす!おー、いい部屋だねー」


牧野さんはキョロキョロと見ている。


私はそのまま台所に行き、買って来たものをお皿に取り出したり、箸やグラスを用意する。


「加藤さん!そんな気を使わなくていいよ!いきなりだったし、ごめんね」


牧野さんがネクタイを緩めながら、台所にいる私に声をかける。


「牧野、スーツこれに掛けろ。そして、これ着ろ。スーツがシワになるぞ」


雅樹がハンガーと雅樹のTシャツとジャージを持って来た。


「悪いね、加藤さんの前で着替えるのは申し訳ないから、奥の部屋借りていい?」


「こっち来い」


雅樹が奥の部屋に連れていく。


着替えた2人が出て来た。


私はその間に、テーブルにお酒やつまみを準備する。


私もブラウス、スカートの通勤服から、ジーンズとTシャツに着替える。


牧野さんが「加藤さんのジーンズ姿って初めて見た!新鮮!」と何故か喜んでいる。


牧野さんが「では、2人を祝して乾杯!」と発泡酒が入ったグラスを上げた。


何かテンションが高い牧野さん。


雅樹も発泡酒、私はお茶。


牧野さんはこのまま泊まりだな。


来客用の布団、後で敷いておこう。


牧野さんと話している雅樹は、長谷川さんなんだよなー。


「会社で2人の事、知ってる人いるの?」


牧野さんが言う。


私が「同じ事務の田中さんと立花さんは知ってます」と答える。


「加藤さんと2人、仲良いもんね。長谷川は?」


「…俺は誰にも言ってない」


「俺には言ってくれたって良かったのにー」


「お前が1番危ないんだよ!」


「そんな事ないぞ!俺は約束を守る男だ。いやー、俺、ずっと長谷川と毎日仕事してたのに全く気付かなかった!すげーなお前ら」


感心された。


「いつから付き合ってんの?」


「もう少しで4年になります」


「4年!?マジかー。すげー!で、どっちから付き合ってって言ったの?」


興味津々な牧野さん。


雅樹が照れ隠しで「そんな事はどうでもいい。飲め」と牧野さんに発泡酒を注ぐ。


「加藤さん!長谷川はいいやつだよ!ずっと一緒に働いて来て、長谷川がいたから俺も頑張って来れたんだよなー。でも、色々あったなー」


「まぁな」


雅樹が相づち。











No.141

「俺、長谷川の前の彼女も知ってるけど、加藤さんと対照的だもんな」


雅樹は「前の彼女の話はいいから!」と止めるが、牧野さんは構わず話す。


「加藤さん、ごめんね。俺、加藤さんと余り話した事ないけど、真面目で一生懸命頑張ってる子だなーって思ってたよ。長谷川の彼女が加藤さんで良かったと思ってる。だから…俺も何か嬉しいよ。結婚式呼べよ」


牧野さん、ありがとうございます。


聞いてみる。


「長谷川さんの前の彼女さんってどんな感じの方だったんですか?」


牧野さんは「気になる?」と聞く。


私は「はい!」と即答。


「見た目は可愛い子だったよ?名前はえみちゃんって言ったっけ?」


雅樹は諦めたのか、黙って発泡酒を飲んでいる。


えみちゃんって言うんだ。


写真では見たけど、確かに可愛い。


「加藤さんがうちの会社に入った時にバーベキューしたの覚えてる?あの時いたんだよ?」


「そうなんですか!?」


「バーベキューの後半に「雅樹を迎えに来ましたー!」って言って、それからずーっと雅樹にくっついて離れなかった(笑)」


「同じ会社の方だったんですか?」


「全然?普通にいたけど(笑)」


「知らなかったです」


「毎日、彼女が会社まで送り迎えしてたんだよ。退社時間になったら、彼女の車が来るから「長谷川!お迎え来たぞー」って言われてた」


「へぇー」


「だから、なかなかこいつを飲みに誘うとか出来なくて、たまに誘うと一緒についてきちゃう様な子だったんだよ」


「そうなんですね」


「あと、結構な頻度で目の下にクマ作って出勤してたんだ。気になるじゃん?聞いたら「昨日寝てないんだよ」と言って、昼休みに昼も食わないで良く休憩室で寝てたわー。俺、いつも長谷川を起こしに行ってた。で、また退社時間に彼女が迎えに来るっていうね」


あー。


前に雅樹が言っていたことがわかった。


だから、仕事とプライベートの区別をはっきりしたかったのか。


入社した時の雅樹は、確かにいつも顔色悪かった記憶はある。


「だから俺、てっきり長谷川は女に懲りて彼女いないもんと思ってた。だからびっくりしたんだよ。まさか加藤さんと付き合ってたなんて」


「そうだったんですね」


雅樹は無言のまま。



No.142

「最初は、彼女が会社に来たりした時は冷やかしたりしたよ。でも、長谷川を見ていると心配になるくらいだんだん疲れきっていったんだ。多分だけど、こいつ優しいから強く言えなかったんじゃないかなぁ?」


「…」


何て言っていいかわからない。


「でも、今は加藤さんっていう彼女がいるし、加藤さんは、そんな感じじゃないし、だから安心したよ」


「…ありがとうございます」


「長谷川、知ってるか?総務部のやつ、加藤さんを狙ってるぞ(笑)」


雅樹は「知ってる。聞いた事ある。でも俺の彼女だ!誰にも渡さない!」と言ってグラスに入った発泡酒を一気に飲み干す。


牧野さんは「いいねー!飲め飲め!」と言って、発泡酒を雅樹のグラスに注ぐ。


私は一旦、食べ飲み終えたお皿や発泡酒の缶を下げに台所に行く。


新しいグラスとお皿、冷蔵庫に入れておいた買って来た惣菜をお皿に移して持って行く。


牧野さんも雅樹も結構飲んでるな。


でも、何か楽しそう。


仲いいもんね。


下げてきた食器を洗いながら2人を見る。


牧野さんが「何かごめんねー!手伝う?」と聞いてきた。


「大丈夫ですよ!ゆっくり飲んでいて下さい!」


「ラブラブの2人の部屋にお邪魔しちゃって悪いとは思ってるんだよー」


結構酔ってるな、牧野さん。


布団、敷いてくるか。


私達の寝室ではない部屋に布団を敷く。


私がテーブルに戻る。


「加藤さん!俺も千葉と同じく彼女いないんだよー!誰か紹介してくれよー!2人を見ていたら羨ましいなって来たー!」


「残念ながら…」


「俺も結婚したいよ。仕事終わって帰っても、誰もいないし暗くてさ。何の楽しみもない。テレビ見て、飲んで、シャワーして寝るだけの毎日だよー?俺、このまま死んでいくのは嫌だよー」


「牧野さんなら、いい人すぐに見つかりますよ!」


「だといいけどねー」


雅樹が「お前、彼女といつ別れた?」と牧野さんに聞く。


「半年くらい前?いや、もっと前かな」


「頑張れ!」


「おう、頑張るよ!誰かいないかなー」


田中さんも、いつも「誰かいないかなー」って言っている。


「田中さんとかどうですか?」


「田中さんかー。悪くないけど、何かずーっとしゃべってるイメージ(笑)」


確かに。







No.143

時刻は夜中0時半を過ぎた。


牧野さんって、結構お酒強いんだ。


酔ってはいるけど、比較的しっかりしている。


雅樹はちょっと眠そう。


「牧野さん、今日泊まって行きますよね?こっちに布団敷いてありますので、自由にこっちの部屋、使って下さいね」


「加藤さんは気が利くなー!優しい!ありがとー!」


「いえ…」


「俺の彼女だもん。気が利いて優しいのは当たり前じゃないか!なっ、まり!」


「お前、加藤さんの事をまりって呼んでるの!?」


「だって、加藤さんの下の名前、まりだもん」


会社の人の前で、初めて名前で呼ばれた。


ちょっと嬉しい。


「私、ちょっとシャワーしてきます…」


寝る前にシャワーだけでもしないと気持ちが悪い。


「ごゆっくりー」


牧野さんが私に手をふる。


シャワーして、化粧も落としさっぱり。


シャワーから出ると、まだ2人は飲んでいた。


雅樹が「先に寝てても大丈夫だよ。俺は牧野ともう少し飲む」と眠そうな顔をして言って来た。


「飲みすぎない様にね」


「加藤さん!ごめんね。もう少しだけ長谷川借りるね」


「どうぞごゆっくり。私は寝ますね。おやすみなさい」


「おやすみー!」


雅樹と牧野さんがハモった。


翌朝。


雅樹はクッションを枕にして、牧野さんと敷いた布団で一緒に寝ていた。


2人は爆睡中。


時刻は朝8時少し前。


牧野さん、朝御飯食べるかな。


一応、作っておこう。


しばらくして、雅樹が起きてきた。


「おはよう」


「おはよう!二日酔いではない?大丈夫?」


「大丈夫だけど、酒が残っている気がする」


「昨日、結構飲んでたからね。何か飲む?」


「お茶が欲しい」


私はカウンターキッチンの前に立っている雅樹にグラスに麦茶を入れて渡す。


一気に飲み干す。


「軽くシャワー入って来るわ」


そう言って、替えの下着を持って行く。


雅樹がシャワーをしている間に、牧野さんが起きてきた。


「おはようございます」


「あっ、加藤さんおはよう」


まだボーっとしている。


「何か飲みますか?」


「コーヒーとかあれば…」


「インスタントコーヒーであれば用意出来ますよ」


「ありがとう」


牧野さんは、ソファーに座る。










No.144

「お待たせしました」


コーヒーを牧野さんに持って行く。


「ありがとう、加藤さん」


ボーっとしながらコーヒーを飲む。


「長谷川さんはシャワーしてます。良かったら、牧野さんも入っていきますか?」


牧野さんに声をかける。


「ありがとう。借りようかな?」


「わかりました。タオルとかは用意しておきますね」


「加藤さんはいい奥さんになりそうだね。長谷川の同僚として、友人として、長谷川の事…頼むね」


「こちらこそ」


「昨日は突然だったのにごめんね」


「いえ…私も楽しかったです。今まで余り牧野さんと話した事がなかったので、お話出来て良かったです。またいつでも遊びに来て下さいね」


「ありがとう」


雅樹がシャワーから上がった。


「牧野、おはよう」


「おはよう、加藤さんの許可を得たから、俺もシャワー借りていいか?」


「いいよ。使って。あっ、俺の新品のパンツ出しておくか?サイズMだけど入るか?」


「悪いな、大丈夫、俺もMだから」


「後で持ってく。ジャージとかはそのまま着ていけ」


「すまないね、じゃあ借りるよ」


私は、予備で買っておいた歯ブラシを牧野さんに渡す。


牧野さんがお風呂に入っている間に、バスタオルとパンツを用意しておく。


「雅樹、ご飯用意してあるけど、牧野さん食べるかな?」


「3人で食うか。今日はゆっくりしような。色々やってくれてありがとう。まりは良く気付き動いてくれて嬉しいよ」


「牧野さんには私もお世話になっているし、たいした事は何もしていないけど、雅樹の彼女として、出来る事をしただけだし」


牧野さんがシャワーから上がった。


「お前、早いな」


「そうか?でもちゃんと洗ったぞ?」


「加藤さんがご飯作ってくれたけど食べるか?」


「加藤さんの料理食べられるの!?食べない理由はないよね?」


「じゃあ準備しますね」


焼き魚と、卵焼きと、ほうれん草のおひたしと、ミニトマトと豆腐の味噌汁とご飯と麦茶。


「たいしたものではありませんが」


牧野さんが「いいなー。こういうの」とご飯をみて呟く。


「いただきます!」


3人で朝食。







No.145

色々話ながらの朝食。


牧野さんが「加藤さん、長谷川と結婚したら辞めちゃうんでしょ?」と聞いてきた。


「はい、その予定です」


「辞めちゃうなんてもったいないね。いればいいのに」


すると雅樹が「俺の希望でもあるんだよ。それを加藤さんが受け入れてくれたんだ」と話す。


「そうなんだー。寂しくなるね。でも加藤さんに会いたくなったら、遊びに来るわ」


「いつでもどうぞ(笑)」


「…あー。それ、ペアなんだ。似た様なのつけてんなーって思ってた」


雅樹のネックレスを見る牧野さん。


「いいだろ(笑)」


「いや、羨ましくなんかない!」


3人で笑う。


ご飯を食べ終わってからも、しばらく牧野さんはうちにいて、雅樹と仕事の話とかをしていた。


13時過ぎ。


「そろそろ帰るかなー。お邪魔しました!ジャージとTシャツは今度会社に持って行くわ。ありがとな!」


「おう、パンツはやるから大事に履いてくれ」


「宝物にするよ。加藤さんもありがとう。また明日会社で」


「はい!」


玄関先で牧野さんを見送る。


スーツを抱えて帰って行った。


「まり、牧野のやつ、前の彼女の話とかしてたけど…ごめん」


「ぜーんぜん!だって聞きたかったし。聞けて良かった」


「まぁ、何だ。色々あったんだよ」


「そうみたいだね。だから雅樹が仕事とプライベートはしっかり線引きしたかったんだなーと納得した。聞いていい?何故、寝ないで会社行く事になったの?」


「…うん、色々」


「色々?」


「まぁ、うん。色々(笑)」


「あー。朝までずっと彼女と一緒にいて、朝まで抱いてっ!とか?寝る時間があったら私といて!とか?何かあったら朝までギャーギャー言われたり?」


「…まぁ、そんな感じ」


少し困った顔の雅樹。


「だって、1番最初に雅樹とホテルに行った時に、慣れてるなーって思ったから。その元彼女さんって左利きだった?」


「何で知ってるの?」


「なんとなく。私も雅樹も右利きだけど、左側から来る事が多いから。クセになってるくらい元彼女さんとやってたんだなーと思って」


「今も?」


「うん」


「意識した事がなかった。ごめん」


「大丈夫。ただそう思っただけだから」


牧野さんの話で、色んなものがつながった気がした。



No.146

その日の夜。


雅樹は昼間、私が言った事を気にしていたのか、いつもと違うSEX。


「気にしなくていいのに。何かごめんね。そんなつもりで言ったんじゃないの。私はいつもの雅樹が好きだよ」


「いや!直す!もう一回やる!」


またキスをしてきた。


雅樹は正常位で挿れている時に、私の左手をギュッとするくせがある。


それで、もしかしたら元彼女さんは左利きなのかな?と思っていた。


でも今回はそれがなかった。


終わってから「クセに気付いた。だからなくした!」と言ってギュッと抱き締めてくれた。


翌朝。


いつも通り会社に雅樹とは時差出勤。


今日は当番のため、私の方が先に出勤。


スーツ姿の雅樹に見送られる。


「いってらっしゃい!今日は俺が晩御飯作るよ」


「いいの?」


「うん。大丈夫。だから真っ直ぐ帰っておいで」


「ありがとう!行って来ます。また会社でね」


「行ってらっしゃい!」


今日は立花さんと一緒に当番。


牧野さんが出勤してきた。


「あっ、加藤さんおはよう!」


いつもの牧野さん。


「おはようございます」


「今日も頑張ろうねー!」


そう言って、私の肩をポンポンと叩いた。


「はい!」


続いて雅樹も出勤。


「加藤さん、おはよう」


「おはようございます」


ニコッと笑って事務所に入って行く。


掃除も終わり、立花さんと一緒に事務所に戻る。


先に事務所にいた田中さんが「おはよー!」と私達に声をかける。


「おはようございます」


「おはよー!」


すると牧野さんがこっちを見た。


一昨日、田中さんとどうですか?と言ったからなのか、田中さんを見ている。


「あー、月曜日ってダルいよねー。彼氏でもいれば張り合いがあるのになー。昨日、母親と銭湯に行ったんだー!久々に広い風呂で気持ち良かったよ!」


田中さんがデスクで伸びをしながら話す。


私は牧野さんを見る。


牧野さんと目が合う。


牧野さんはニコッと笑って席に戻る。


もしかして、牧野さん、田中さんを狙ってる?


それなら、全力で応援しますよ!









No.147

その日の夜。


雅樹が親子丼を作ってくれた。


とても美味しい。


味噌汁はインスタントだけど、作ってくれた事に感謝。


インスタントの味噌汁、美味しいし。


牧野さんは会社でも普通に接してくれた。


ご飯を食べながら「あのね、牧野さんって、田中さんを狙っているのかな。今日、田中さんの事を見てたけど…」と雅樹に話し掛ける。


雅樹は「そうみたいだね。まりが言ってから意識し出したみたい。今日言ってた」と話す。


「田中さんと牧野さん、お似合いだと思うけどな。雅樹はどう思う?」


「似た様な感じだから合うかもね」


「今度、セッティングしてみない?」


「楽しそうだね。いいね!」


雅樹も乗り気。


翌日。


立花さんに「実は…」と、土曜日の夜にスーパーで買い物中に牧野さんとばったり会って、2人の関係がバレた事、うちに来て泊まっていった事、牧野さんが田中さんを狙っている事を話す。


そして雅樹の前の彼女の事も聞いた事も話した。


立花さんは前の彼女の事を覚えていたみたいで「忘れていたけど…いたねー!そうそう!毎日長谷川さんを迎えに来ていたわ。見た目も派手な人だったから、最初、加藤さんの事を聞かれた時はびっくりしたんだ。長谷川さんって、派手な感じの人が好きなんだって思ってたからねー」と話す。


「そんな事よりも…牧野さん、田中さんを狙ってるの?いいじゃん!私もセッティング協力する!」


すごく乗り気な立花さんと一緒に飲み会をセッティング。


参加者は、私と立花さんと田中さんと、雅樹と牧野さん。


立花さんはこの日は、旦那さんに息子さんを預ける。


旦那さんも「たまには息抜きしておいで」と快くオッケーしてくれたと言っていた。


今週末の土曜日に、飲み会を開く事になった。


一旦帰宅後の19時半からの飲み会。


飲み会当日。


私と雅樹は一緒にタクシーで待ち合わせ場所の居酒屋前に向かう。


私達が1番乗り。


店の入口で待っていたら、立花さんが旦那さんに送ってもらっていた。


運転席にいる旦那さまに会釈をすると、旦那さまが笑顔で運転席から助手席の窓を開けて「いつもお世話になっています」と会釈をしてくれて帰って行く。


少し後に田中さんと牧野さんもそれぞれタクシーで来た。


そして皆一緒に店内へ。




No.148

「いらっしゃいませー!」


元気に若い男性店員さんがお出迎え。


「予約していた加藤なんですけど…」


すると男性店員はレジにあるバインダーを見て「はい!加藤様、お待ちしておりました!ご案内致します!」と言って、1番奥の個室に案内してくれた。


自然に、女性チーム、男性チームに別れて向かい合わせで座る。


男性店員さんが「お先にお飲み物をお伺い致します!」と注文を取る。


男性2人と田中さんは生ビール、私と立花さんはカクテルを頼む。


そして、男性チームと女性チームに別れてメニューを見る。


田中さんが「お腹すいた!いっぱい食べる!これ美味しそう!あっ、これも良くない?」と言いながら、メニューを決めていく。


飲み物も来て乾杯。


「お疲れ様でしたー!」


牧野さんが「ぷはー!うまい!だから仕事終わりの一杯がやめられないんだよなー!」と言っている。


ジョッキを見ると、もう半分飲んでいる。


田中さんも「わかりますー!最高ですよね!」と言って、牧野さんを見る。


「今日、飲み会があるから頑張ったんだよねー!」


牧野さんが言う。


雅樹が「いつもあんな感じで頑張れば、シフトも楽なのになー」とぼやく。


「俺、いつも頑張ってるぞ?ねっ、女性陣!」


すると田中さんが「牧野さん、頑張ってますよー」と棒読み。


「何だよー、俺働いてないみたいじゃん(笑)」


「そんな事ないですよー!」


田中さんが言う。


いつも率先立って話に入る田中さん。


食べ物も来て、飲み物もおかわりが来て、盛り上がって来る。


田中さんが「今日いるメンバーが1番楽しい!また是非皆で飲みましょー!でも、加藤さんいなくなるのか…でも、呼ぶからねー!」と言いながら、私の背中をとんとんと何度か叩く。


そして小声で「牧野さんって2人の事、知ってるの?」と聞いてきた。


私も小声で「知ってます、全部」と答えると「あっ、良かった。ヤバい!余計な事言っちゃった!と思って焦った!」と話す。


「大丈夫です」


すると牧野さんが「あれー?田中さんと加藤さん、何を話しているのかなー?」と聞いてきた。


田中さんが「牧野さんの悪口です(笑)」と冗談を言って笑う。


「えー?俺の悪口?俺、悪いところないからなー」


そう言って笑っている。









No.149

田中さんが「牧野さんって独身ですよね?彼女いるんですか?」って聞いた。


牧野さんは「いないよー?寂しい一人暮らしだよ?」と言う。


「私は寂しい実家暮らしです(笑)立花さんも加藤さんも落ち着いちゃったので、もう羨ましくて(笑)」


「俺もだよー、長谷川の野郎、いつの間にか加藤さんと付き合ってるし。知ったの先週だよ?びっくりしたわ」


私と立花さん、雅樹は黙って2人の会話を聞いていた。


そして「田中さん、俺と付き合ってみない?」とさらっと告白。


田中さんが「…えっ?今何と?」と聞き返す。


「俺の彼女になってくれない?最初はお試しでいいから」


田中さんが軽くパニックになっている。


隣にいた私に「ねぇ、今牧野さん、私に彼女になってくれないって言ってた?それとも、私の耳がとうとうおかしくなった?」と言って来た。


「耳は正常です。みんな彼女になってくれないか?と聞こえてます」


「えっ!えっ!?今日ってエイプリルフールでしたっけ!?それともどっきり!?」


そう言って、変な格好のままフリーズした。


私も立花さんも雅樹も、そんな田中さんを見て顔がにやけている。


牧野さんが「そんなに嫌かなぁ。傷付くなー」とボソッと言う。


田中さんは「いやいやいやいやいや!牧野さん好きです!大丈夫です!全然大丈夫です!」とよく分からない返事。


立花さんが「田中さん、ちょっと落ち着こうか」と言って、ビールをすすめた。


ジョッキ半分あったビールを一気飲み。


ふぅ。


田中さんが一息つく。


「牧野さんってデブ専ですか?私、デブだし、可愛くないし、何にも出来ないですよ?」


「田中さんは全然デブじゃないよ?明るいし、一緒にいて楽しそう。寂しい俺を慰めてよ」


「やだ、ちょっと夢みたい!本当に?加藤さん本当?これ現実?」


「現実です」


「…でも私、長谷川さんと加藤さんみたいにうまくやる自信ないけど…」


「俺は別にバレても仕方ないかな?と思ってる。こいつらが上手すぎなんだよ」


そう言って、私と雅樹を見る。


雅樹は下を向いて笑っている。


立花さんが「じゃあカップル成立って事でカンパーイ!」とグラスを掲げる。


「カンパーイ!」


戸惑う田中さんは、乾杯の様子を黙って見ていた。













No.150

田中さんは、結構酔っ払っている。


牧野さんが「大丈夫?」と寄り添う。


「いいじゃない。何か、牧野さんかっこいい」


立花さんが、田中さんを介抱する牧野さんを見て感心している。


雅樹は「牧野って、不器用だけど、好きな女は大事にするよ」と2人を見ている。


「田中さん、前の彼氏にフラれてから、ずーっと誰かいないかなー、寂しいなーって言ってたから、牧野さんと幸せになって欲しいですね」


私が言う。


立花さんが「そうだねー。今度は牧野さんとの、のろけ話を聞きたいね(笑)」と言って笑う。


3人で、田中さんと牧野さんを見守る。


飲み会もお開き。


立花さんは「私はそろそろ帰るわ!今日は楽しかった!また機会があれば、このメンバーで飲みたいね!じゃあまた会社で!」とタクシーに乗って帰って行く。


田中さんの酔いが少しさめた様子。


「大丈夫ですか?」


私が田中さんに聞く。


「ごめーん、飲みすぎちゃった!でも大丈夫!」


牧野さんが「送る!」と宣言する。


私に「田中さんちってどこ?」と聞いてきた。


「西町です。ボーリング場の裏の方です」


「うちからそんなに離れてないな。今日はこんないい機会を作ってくれてありがとう!田中さんを送ってくよ。じゃあまた会社で!」


そう言って、客待ちで停まっていたタクシーに乗り込む。


2人が乗ったタクシーを雅樹と2人で見送る。


田中さんにはサプライズ状態になった飲み会。


楽しかった。


田中さんと牧野さん、うまくいくといいな。


月曜日。


当番だった立花さんと田中さんが奥で話している。


「おはようございます!」


私が挨拶。


すると立花さんが「加藤さん!来て来て!」と手招き。


そして、給湯室に入る。


立花さんが「正式に牧野さんと付き合う事になったんだって!」と嬉しそうに話す。


「おめでとうございます!」


私も嬉しい。


そして田中さんが恥ずかしそうに「あの飲み会の後にタクシーの中で、手をギューっ!とされてキュンキュンしちゃって、真っ直ぐ牧野さんちに行っちゃった!」と話す。


立花さんが「という事は…?」と言うと「やっちゃった」と照れる田中さん。


展開早いなー。





No.151

給湯室で3人で話し込んでたら、時間を少し過ぎてしまった。


3人で、静かに事務所に入る。


各々席に着く。


牧野さんがうちらの方を見る。


田中さんは牧野さんの方を意識して、あえて見ない様にしているのがわかる。


雅樹はパソコン越しに、私達3人の様子を見ている。


立花さんがスーっと寄って来て「今日は面白い様子を見れそうだね」と言って来た。


私も「そうですね」と、つい顔がにやける。


田中さんが営業部に呼ばれた。


指示書を持って戻って来た。


「明日から今週いっぱい営業行けだってー!嫌だよー!ここにいたいよー」


田中さんがぶつぶつ文句を言いながら、明日から伺うお客様の住所を調べ出した。


立花さんが「田中さん、この仕事こっちに回して!加藤さん!これとこれお願い出来る?」と田中さんの分の仕事の割り振りをする。


「はい!それもらいます!」


この瞬間、事務がちょっとバタバタとする。


その様子を、牧野さんと雅樹が見ているのがわかる。


昼。


いつもの様に事務員3人固まってお弁当を食べる。


今日は田中さんの話もあるため、いつもより3人密着して食べる。


雅樹と牧野さんはそんな私達を横目で見ながら、一緒にご飯を食べに行った。


「田中さんが明日から営業行ったら、牧野さん寂しいですね」


「何で今営業なのー!?牧野さんの顔を見て仕事したい!」


「2人見ていて面白いのになー」


「ですね!2人共、思いっきり意識してるのバレバレですよ(笑)」


「ねー、加藤さん!どうしたらいいのか教えてー!ダメだー!多分、すぐにバレる」


「今頃、長谷川さんと牧野さんも同じ様な話をしているかも(笑)」


そんな話をしながらのお昼。


午後から、田中さんはしばらく打ち合わせで営業部に行くため、席にはいない。


立花さんがまたスーっと来た。


「付き合って2日目くらいのカップルが、今週いっぱい、いきなり会えなくなるって、仕事とはいえちょっと可哀想」


「ですね」


「営業って帰り遅いもんね。お客様の都合に合わせるから。22時帰宅とか良くあるもんね。まぁ、直帰出来るけど」


「だから田中さん、あんなに嫌がってたんですね」


田中さんが戻って来た。


「嫌だなー」


一言呟いて席に戻る。





No.152

この日は残業。


携帯を開くと雅樹からメールが来ていた。


「先に帰ってる。あと牧野もいる。牧野が弁当買って来てくれたから、晩御飯は気にしないで!頑張って!」


これは早目に仕事を切り上げたい。


立花さんもまだ残業していた。


キリがいいところで打ち切る。


立花さんに小声で「今、うちに牧野さんが来ているみたいなので帰ります」と耳打ち。


立花さんはモニターを見ながら敬礼ポーズ。


田中さんは営業部に行っているため、声をかけずに退社。


うちのマンションの来客用駐車場に牧野さんの車が停まっている。


「ただいまー」


部屋に入るとスーツ姿の牧野さんと雅樹が「お疲れ様!」とハモる。


「田中さん、まだ営業部にいましたよ?」


「明日から営業みたいだねー」


「今日、めちゃくちゃこっち見てましたね(笑)」


「そりゃーそうでしょ(笑)というか、事務員3人、いつもあんな感じなの?今まで余り意識して見てなかったから気付かなかったけど…」


すると雅樹を「いつもあんな感じ。暇さえあれば3人集まって何かしゃべってる。で、いつも立花さんが加藤さんの隣に移動して何かしゃべってる」と話す。


全部見られてる(笑)


「でも団結力は感心する。田中さんが急に営業の仕事が入っても、いつも今日みたいに立花さんが瞬時に仕事を割り振りして、加藤さんが暗黙の了解で、言われなくてもわかって動く。これはすごいと思う」


ほめられた。


牧野さんも「それは今日見ていて思った。すごいよね。俺達、付き合い長いけどあんなに瞬時に仕事を割り振りして、暗黙の了解で動くの無理」と言ってくれた。


嬉しい。


続いて牧野さんが「今日の昼、3人でくっついて弁当食べながら話していたけど…何か聞いた?」と聞いてきた。


「はい!色々と…」


「あー。なら話は早いね。今日は2人に相談があって来たんだ。腹減ったから、弁当食いながらでもいい?」


「温めますね」


私はお弁当を電子レンジに持って行く。


温めたお弁当を順番にテーブルに持って行く。


一緒にコップに入れたお茶も持って行く。


「加藤さん!ごめーん、しょうゆも!」


牧野さんがテーブルから叫ぶ。


「はーい!」


しょうゆも持って行く。


「いただきます」


お弁当を頂く。






No.153

「いきなりなんだけどさー」


牧野さんが話し出す。


「俺、飲んだ日に田中さんとやっちゃったんだよね」


私は聞いていたため驚かなかったが、雅樹はむせていた。


「早いな。いきなりかよ」


「だって、我慢出来なかったんだもん。酔っ払ってるし、何か可愛かったし。目の前にいいなーって思う女が酔っ払って一緒にいるんだぞ?お前ならどうする?」


「…まぁ、気持ちはわかる」


「だろ?で、やっちゃってから付き合ってって言ったらオッケーしてくれた」


「順番、逆じゃないか?」


「まあ、細かい事は置いといて…。で、本題なんだけどさ。お前らみたいに会社にバレない様にするにはどうしたらいい?田中さんとは、年齢的にも真剣に考えていこうかなーと思ってるんだ」


「うーん…俺は加藤さんと付き合うってなった時に、仕事とプライベートは完全に分けたいという話はしたんだ。でも俺ら、しばらく加藤さんも俺に敬語使ってたし、呼び名もしばらく長谷川さんと加藤さんだったし、最初は仕事の延長みたいな感じ」


「そうなんだ。どうやったら分けられる?」


「俺の場合は、スーツを着たら仕事モードに入るから、加藤さんを彼女じゃなくて、後輩としか見れなくなるんだよね。加藤さんも制服着たら、事務の加藤さんになるし」


「私は最初は、長谷川さんを見たらドキドキしました。でも、そんな時は深呼吸をしました。仕事とプライベートを分けると約束していたので、この会社での長谷川さんとの時間を壊したくない、私は仕事をしに会社に来てるって自分に言い聞かせていました。そのうちに、それが普通になりました」


「でも、パソコン見ているふりして、加藤さんを見ている事もあったかなぁ?前の事務所はちょうどずれてたけど、今はいい角度になった(笑)」


「俺は田中さんが正面なんだよ(笑)前にお前がいるけど、少しずれてくれてるからありがたい。…割り切るって事なのかな。田中さんの事は大事にしていきたいと思っているから、俺も仕事モードに切り替えられる様に頑張るよ」


「職場でイチャイチャしなくても、帰って来たらいくらでもイチャイチャ出来る。割り切りだな。頑張って。慣れるよ」


「ありがとう。でも明日から営業でいないんだよな…お前らはいいよなー!」


牧野さんはそう言ってお茶をグイっと飲む。







No.154

翌朝。


田中さんはスーツで出勤。


私と立花さんが当番から帰って来ると「行きたくなーい!」とだだっ子みたいになってこっちに来た。


「約束10時なんだよねー。まだちょっと時間があるから、それまでちょっといる!」


その言葉にまた3人で席の隅っこに固まり小声で話す。


「昨日、牧野さん、うちに来ましたよ?」


「言ってたー!どうやったら長谷川さんと加藤さんみたいにバレないか相談したって」


「そうなんです。頑張って下さい!うちらからバレる事はありませんから!」


立花さんは、うんうんと頷いている。


「今、会社で会えなくても、仕事が終わったら会えます。営業で会社にいなくても、牧野さんは田中さんに頑張って来てほしいと思っています。私達も全力で応援します!今が辛抱の時です!」


「加藤さんが言うと説得力あるわ。頑張る!行って来る‼️」


「頑張って!」


その様子をやはり気になるのか、雅樹と牧野さんが見ている。


「田中さーん!」


営業の人に呼ばれた。


「行って来る!」


「行ってらっしゃい!」


私と立花さんは手を振ってお見送り。


席に戻るとすぐに立花さんが椅子ごと来た。


「田中さんなら大丈夫!牧野さんもほら、田中さんを目で見送ってたし、絶対大丈夫!」


「そうですね!私達は、田中さんの分も頑張りましょうね!」


立花さんは席に戻った。


昼休み。


立花さんと2人でお弁当。


すると坂田さんが「お疲れ様です!これ、良かったら食べて下さい!実家からいっぱい送られて来たんですが、食べきれなくて」と言って、かごいっぱいに入ったブドウをくれた。


「ありがとうございます!いただきます!」


立花さんと2人でお礼を言う。


食後にブドウを食べる。


「美味しい!」


でも食べきれないため、給湯室にある冷蔵庫に保管。


昼休みも終わり、仕事に取りかかる。


ふと牧野さんを見る。


何かを考えているのか、パソコンを見てはいるが手が動いていない。


雅樹が私の視線で気が付いたのか、振り返り牧野さんと何かを話している。


田中さんの席を見た後に、また仕事に取りかかる牧野さん。


田中さんも営業で頑張っているはず。


気持ちがわかるだけに、見ているとちょっとツラくなる。







No.155

田中さんと牧野さんのお付き合いも順調な様子。


田中さんからのろけ話を聞いては、冷やかしたり喜んだり。


今のところは、会社にもバレずにうまくやっている様子。


私達の入籍する日、退社を会社に報告する日も近付いて来た。


やっぱり寂しい。


でも一度決めた事。


退社を報告しても、最低1ヶ月は残るけど。


そんなある日の昼休み。


立花さんが「実は、第2子を授かりましたー!」とお腹に手をあてる。


「わぁ!おめでとうございます!」


「おめでとう!」


「今、4ヶ月に入ったところ」


「息子さんもお兄ちゃんですね!」


田中さんが「私もいつかママになりたいな」と言って、チラッと牧野さんを見る。


「なれますよ!牧野さんも優しいパパになりそうですし」


「そうだよね、なれるよね。子供好きだから、私も早くママになりたい!年齢的にもちょっと焦る」


「私もいつかは長谷川さんとの子供が欲しいです」


「私も加藤さんもママになったら、ママ友会みたいなのしたいねー!」


「いいねー!」


賑やかなお昼。


その日の夜。


雅樹に「立花さん、2人目を授かったんだって!」と報告。


雅樹も「おめでとうと伝えて!」と喜ぶ。


「俺らも子供欲しいなー。なかなか出来ないけど」


「そうだね。でもいつかは赤ちゃん授かるよ!」


「今日も子作りしようかー」


その日も雅樹とSEX。


気になっていた左手のくせは抜けていた。


普通、これだけやりまくっていたらマンネリするのかもしれないが、私達には不思議とない。


会社に報告する前日。


入籍前夜。


雅樹が「一緒に報告しに行こう」と言う。


明日は当番ではないけど、早目に出勤してまず社長に報告しようと話す。


そして総務部に報告。


しまっていた婚姻届を出してきた。


保証人の欄は、お互いの父親に書いてもらった。


明日、出勤前に市役所の時間外窓口に婚姻届を出す。


雅樹が前に買った指輪を出した。


「明日からは、堂々とつけられるね」


そう言って、私の左手薬指に指輪をはめる。


私も雅樹の左手薬指に指輪をはめる。


念願の結婚指輪。


いよいよ結婚。


加藤で過ごす最後の夜。


明日からは長谷川になるんだ。


嬉しい。

No.156

入籍当日の朝。


4年前の今日、雅樹が私に告白してくれた大事な日。


この日がなければ、今の私達はいない。


朝早く目が覚めた。


まだ朝4時半。


雅樹はまだ寝ている。


ベッドから起きて、台所で水を飲む。


パジャマのまま、ソファーに座る。


雅樹と付き合って来た、色々な事を思い出す。


事故に巻き込まれて入院していた時の事や、私の親に挨拶に行ってくれた時の事、父親と話した時の事、雅樹の前のアパートでの事、処女を雅樹にあげた時の事、他にも色々と思い出す。


今日、婚姻届を出したら旦那になるんだ。


こんなにいい旦那さん、世界中を探してもいないよ。


ちょっと強引なところがあって、ちょっとエッチなところはあるけど、優しいし、頼りになるし、スーツを着て仕事している姿はかっこいい。


だから、会社で雅樹に会いたくて、この時間のために約束を守り続けた。


でも、今日からは長谷川まりとして、雅樹の妻として、しっかり雅樹を支えて頑張っていきたい。


そのためにも、大好きな会社を辞めて、雅樹との家庭を守りたい。


会社を辞めたら、あのいつもの髪をくしゃくしゃとする好きな仕草は見れなくなるかも知れないけど、でも、会社以外で私だけに見せてくれる雅樹の笑顔を大事にしたい。


「まり、おはよう。早いね」


雅樹が起きてきた。


「ごめん、起こした?」


「いや、俺も目が覚めちゃった。今日はいよいよ入籍の日だね」


「うん。何か、今までの事を思い出してて…雅樹が4年前の今日、私に告白してくれてなかったら、今の私達はないなって思って」


「俺、あの時、すごく勇気を振り絞って良かった。心臓が口から飛び出て来るんじゃないかっていう位ドキドキしていて。でも、まりがオッケーしてくれたから今がある。ありがとう。これからもよろしくね」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


2人でお辞儀をする。


「ちょっと早いけど、市役所に行く準備しようか」


「うん」


私は準備に雅樹より時間がかかるため、先にシャワーに入る。


そして朝のいつもの支度。


化粧をして、ちょっとのびてきた髪を束ねて、通勤服に着替える。


雅樹もいつものスーツ姿。


違うのは、お互いの左手薬指に光る結婚指輪。


雅樹の車に乗り市役所に向かう。






No.157

開庁前の市役所の裏口。


年配の男性警備員さんがいた。


「すみません、時間外窓口ってどこですか?」


雅樹が警備員さんに声をかける。


「どういったご用件でしょう?」


警備員さんは私達にたずねる。


「市役所が開いている時間に来れないので、婚姻届を提出しようと思っているのですが…」


雅樹が答える。


「そうですか、ご結婚ですか!おめでとうございます!こちらにどうぞ」


警備員さんは笑顔で時間外窓口に案内してくれた。


ドアを開けてすぐに腰くらいまでの引き窓があり、窓越しに40代くらいの男性がいた。


警備員さんが「婚姻届を提出したいそうです」と笑顔で40代くらいの男性に伝える。


男性は「婚姻届ですね、お預かりします。もし何か不備がありましたら、ご主人の携帯へのご連絡で大丈夫ですか?」と言う。


雅樹は「はい」と言いながら、婚姻届を出す。


男性はざっと婚姻届を確認し「確かにお預かりしました。市役所が開きましたら、住民課に責任持って引き継ぎます。本日は以上になります。おめでとうございます」と笑顔。


「よろしくお願いいたします」


外に出ると、先程の警備員さんがちょっと遠くから笑顔で会釈。


私達も会釈し、車に戻った。


「なんかあっさりだったね」


私が言う。


「そうだね。でもこんなもんでしょー。今日から、まりは俺の奥さんか!たまらん!」


出勤には、まだちょっと早い。


一旦、帰る事にした。


出勤時間が近付くに連れ、ドキドキしてきた。


「どうしよう…緊張してきた」


「大丈夫!俺がいる!」


私を抱き締めてくれる。


「まず、社長に報告しよう。それから事務的手続きがあるから、総務にもいかないとな。全てバレる瞬間だけど」


「事務的手続きなら、私でも出来るんだけどなー」


「そうだった!確かに!自分でやる?でも、書類の提出は総務だよ?」


「あっ!渡辺さんがいる!渡辺さんに渡せば、間すっ飛ばして直接部長までいけるよ?」


「それで行こう!」


本当はダメだけど。


少し気楽になる。


出勤時間になる。


別々に出勤。


今日は、田中さんは営業でいないため、毎日当番は大変という事で、掃除をするエリアを縮小して、当番は立花さん1人。


奥に立花さんがいた。










No.158

「おはようございます」


「あれ?当番じゃないのに早いね…あっ、今日か!」


立花さんには全て言ってある。


「もう少しで長谷川さんも来ます。さっき、婚姻届出して来ました!」


立花さんは「おめでとうー!」と言って、私を抱き締めてくれた。


「ありがとうございます!」


立花さんと熱い抱擁をしていたら雅樹が出勤してきた。


「立花さん、おはよう」


「長谷川さん!おめでとう!やだ、なんか涙が出てきた」


立花さんは笑い泣きをしている。


立花さんは4年間、ずっと私達を見守ってくれていた。


私が入社してからを合わせると約8年間、立花さんの産休を除き、ずっと一緒にいてくれた。


色々相談したり、共に笑ったり、泣いたりしてきた。


真っ先に結婚の報告出来た。


「やだ、もう指輪してる!見せてよ!」


私と雅樹は一緒に左手を出す。


「いいじゃん!2人共似合ってる!幸せになるんだよ!」


「ありがとうございます!」


立花さんはポケットからハンカチを取り出し、涙を拭いている。


「これから社長に報告してきます」


「さっき、奥さんも来ていたから一緒にいるはず。いい報告だから、社長も奥さんもきっと喜んでくれるよ!」


「はい!行って来ます!」


「行ってらっしゃい!」


雅樹は私と立花さんの話を隣で笑顔で聞いていた。


社長室前。


深呼吸。


雅樹を見る。


私を見て頷く。


緊張する。


雅樹が社長室のドアをノックする。


「どうぞー!」


奥様の声。


先に雅樹が「おはようございます。失礼致します」と先に社長室に入る。


続いて私も入る。


社長が「おはよう。2人でどうした?」と不思議顔。


奥様も社長の隣で私達を見ている。


雅樹が「突然のご報告になりますが、本日私長谷川と加藤まりさん、入籍させて頂きました」と言う。


社長は驚きの余り目を見開きフリーズ、奥様は「え?入籍?」と言って驚きなのか言葉を失う。


「はい。結婚致しました。そのご報告を直接社長と奥さまに、と思いまして」


「…いやー。突然過ぎてびっくりしたよ」


社長が言う。


「あの、それに伴い私加藤、辞めさせて頂きたいと思いまして」


私が言う。


奥様が「えっ?加藤さん、辞めちゃうの?」とまた驚く。







No.159

緊張で手汗がすごい。


「社長や奥様を始め、皆様には大変お世話になり、辞めるのは心苦しいのですが、家庭に入る事に致しました」


そう言って頭を下げる。


雅樹も一緒に頭を下げる。


「…そうか。加藤くんが辞めてしまうのは残念だけど、そう決めたのなら、私達は君たちを心から祝福するよ。加藤くん、気が変わったらいつでも戻っておいで」


「ありがとうございます!」


そう言ってまた雅樹と頭を下げる。


奥様が「加藤さん、本当に残念。ずっと頑張ってくれていたから…」と言って下さった。


本当にありがとうございます。


「午前中だけでもダメかしら?」


奥様がそう言って下さる。


「ありがとうございます。でも…決めましたので」


「考えてみて!返事はいつでもいいわ。ねっ!」


「ありがとうございます」


社長が「会社の皆は君たちの事を知っているのか?」と聞いてきた。


雅樹が「仲良くさせて頂いているごく一部の者には伝えてありますが、ほとんどは知らないと思います」と答える。


「そうか。とりあえず西田くんには伝えておく。手続き関係は直接西田くんに話をしてくれ」


「ご配慮、ありがとうございます」


雅樹がお礼を伝える。


社長が言う西田くんとは総務部長である西田部長。


余り接点がなく、私は話した事は挨拶程度だけど、人望があり、社長も信頼している。


前にいた片山さんが辞めてからはこの会社の従業員で一番勤務歴が長い。


社長と奥様への挨拶を終えて、社長室から出る。


立花さんとスーツを着た田中さんが給湯室からこっちを覗いている。


田中さんが「加藤さーん!」と言ってこっちに走って来た。


「おめでとー!」と言って抱き締めてくれた。


「ありがとうございます!」


「立花さんから今日入籍したって聞いたのー!私、そろそろ行かなきゃならないんだけど、その前にどうしても直接おめでとうを言いたくて待ってたの!長谷川さん!加藤さんとお幸せに!」


「田中さん、ありがとう」


雅樹が答える。


「じゃ、行って来ます!」


田中さんは足早に会社を出る。


私と雅樹と立花さんと3人で事務所に入る。


まだ皆は知らないため、普通に「おはよー!」と声を掛け合う。











No.160

雅樹が席に着くと、早速牧野さんが雅樹に話しかけている。


千葉さんが雅樹の指輪に気付いた様子。


そして驚いた様子で目を丸くして私を見た。


私は軽く会釈。


多分、今聞かされて驚いたと想像出来る。


男3人、一斉に立ち上がり事務所の奥に行き、何やら話している。


いつも私達事務員がやっているのを雅樹が見ている立場だけど、今日は珍しく逆になる。


皆、背が高いから迫力あるなー。


立花さんが隣に来た。


「千葉さん、今知ったんだね」


「そうみたいです」


「私達も集まって話してるのって、あんな感じなんだね(笑)」


「そうですね。あれより少しこじんまりしてる感じですかね?」


「そうだね(笑)今日のお昼、ファミレス行かない?結婚祝いでおごるよ」


「ありがとうございます!」


お昼休憩。


立花さんとファミレスに向かおうとしたら、千葉さんと牧野さんが「今日、俺らとお昼どう?」と声をかけてきた。


立花さんと顔を見合わせる。


立花さんが「ぜひ」と言う。


千葉さんが車を出してくれる。


千葉さんの車は大きいから5人余裕で乗れた。


立花さんと行く予定だったファミレスに着いた。


私と立花さんが横並び、私の向かいに雅樹、立花さんの向かいに千葉さん、隣に牧野さんが座る。


各々メニューを注文する。


千葉さんが早速「長谷川、加藤さん、結婚おめでとう。俺、今朝知ったからびっくりしたよ」と話す。


「付き合っているのも知らずにいきなり結婚報告だよ?びっくりするよね。なぁ、牧野!」


「…いや、俺は知ってた」


「何だよ!立花さんは?」


「…私は付き合い当初から知ってました」


「マジかよ!俺だけ知らなかったのかよ!長谷川!お前、俺だけのけ者じゃねーか!」


そう言って、雅樹の肩をパンっと叩く。


雅樹は「だって、お前の驚く顔が見たかったんだもん」と言って笑っている。


「驚いたよ。多分人生で1番驚いた。マジで全然知らなかったから」


そう言って、私と雅樹の顔を交互に見る。


「今度、遊びに行っていい?」


千葉さんが私に言う。


「いつでもどうぞ」


「でも新婚家庭にお邪魔するって勇気いるな」


牧野さんが「俺、お邪魔して飲んだくれて泊まっちゃったよ(笑)」と言って笑う。




No.161

ご飯が来て、皆で食べる。


私と立花さんはパスタ、男3人はランチセットを食べる。


食べながら牧野さんが「俺もここにいるメンバーが知ってて、お前に言ってない事がある」と千葉さんに言う。


「お前もか!お前は何だよ」


「俺、今営業に行っている事務の田中さんと付き合ってるんだ」


千葉さんがむせる。


「マジかよ。何だよ、俺。ちょっと待て。落ち着け。頭が追い付かないぞ?俺はなんにもないぞ?あれ?」


混乱している。


そんな千葉さんを見て、みんな面白そうに笑う。


主に千葉さんがしゃべっていたお昼時間だったけど楽しく食事が出来た。


千葉さんと牧野さんが2人で払ってくれた。


雅樹も財布を出すと、千葉さんが「お前は閉まっとけ」と言っていた。


私達にも「加藤さんは結婚祝い。立花さんは付き合ってもらったお礼」と言っていた。


千葉さんが牧野さんに「お前、100円多く出せ!100円足りない!」と話している。


余り話した事はなかったけど、千葉さんって面白い。


見た目は結構強面だけど。


会社に戻る。


雅樹が西田部長に呼ばれて、一緒に別室に行く。


手続き関係かな?


入籍当日、仕事も終わり帰宅。


雅樹はちょっとだけ残業。


入籍祝いは今度の日曜日に、雅樹と1番最初に食事をした、雅樹の友人が経営しているレストランを予約している。


実家に電話をかけた。


父親が出た。


「お父さん?私、まり」


「おー。仕事終わったのか。何か久し振りだな」


「ちょっと忙しくてね。今日、長谷川さんと入籍したんだ。保証人、書いてくれてありがとう」


「いや。いいんだ。そうか。おめでとう。仲良くやってるか?」


「うん。今度、お母さんとうちに遊びに来て」


「ありがとう。お母さんにも伝えておくよ」


「うん。とりあえず入籍の連絡をしたくて」


「わかった」


「じゃあまた連絡するね」


「おー。じゃあな」


電話を切る。


父親とはいつもこんな感じ。


さて。


雅樹が帰って来る前にご飯作ろう。


冷蔵庫を開ける。


そうだ、安売りで買った豚肉がある。


野菜と炒めよう。


雅樹が帰って来るまでに作ってしまおう。


今日から雅樹の妻。


恥ずかしくない様に頑張らなきゃ!





No.162

入籍はしたけど、今までと余り変わらない。


ただ、色々なところに名前変更の届け出をしないといけないのが、ちょっと面倒だった。


免許証やクレジットカード、通帳、他もろもろ。


でも「長谷川まり」と書かれた名前を見ると嬉しくなる。


長谷川さんと呼ばれなれなくて、何度かわざわざ声をかけに来てもらう事もあり申し訳ない。


そのうちに慣れるんだろうな。


日曜日。


雅樹と入籍祝いで予約していたレストランへ。


私は4年振り。


雅樹は牧野さんや千葉さん、友人達と何回か来ていた。


奥から山本さんが出てきた。


「あれ?彼女?お久し振りです」


覚えていてくれた。


「ご無沙汰しております」


ご挨拶。


雅樹が「実はこの間、入籍したんだ」と話す。


「そうなんだ!おめでとう!お祝いで飲み物サービスするよ。何がいい?」


「車だから」


「じゃあ、いい紅茶があるんだよ。従業員に言っておくから飲んでって!飲み放題にしておくわ。ゆっくりしてって!」


「ありがとう」


前とは違う料理。


美味しく頂く。


「何か思い出すね。初めて来た時」


「そうだね。でも俺、余り覚えてない。緊張してたから」


「そんな感じ、全くなかったよ?」


「ガチガチだったよ」


2人で笑う。


店員さんが「オーナーからです」と言って、デザートを持って来た。


小さな丸いシンプルなチーズケーキ。


上には「HAPPY WEDDING」とチョコで書かれていた。


雅樹は優しく微笑んで「あとでお礼言っておく」と言って、半分に切り分けた。


粋なサービス。


嬉しかった。


お店の店員さんにもお礼を言い、店を後にする。


自宅に帰ると、私の携帯が鳴った。


田中さんからだった。


焦った様子。


「もしもし?加藤さん?田中です。ごめんね、休みなのに」


「お疲れ様です。何かあったんですか?」


「私、今日営業で休日出勤で、今会社にいるんだけど、さっき社長が突然倒れて救急車で運ばれたの!今、近くに長谷川さんいる?いるなら代わって欲しいの!」


「わかりました!ちょっと待って下さい!」


慌てて雅樹に代わる。


「田中さんから。社長が倒れたって」


「えっ?」


雅樹も慌てて電話に出る。










No.163

雅樹は電話を切ってから「会社に行く」と上着を着る。


「私も」


雅樹の車で一緒に会社に向かう。


走って来た田中さんに雅樹が「社長は?」と聞く。


「さっき、救急車で運ばれて、奥さんも一緒に行きました」


「今、会社に誰がいるの?」


「若い営業が何人かしかいなくて。さっき、牧野さんにも電話したので、今向かっていると思います。どうしていいかわからなくて」


「ありがとう」


雅樹は会社に入って行く。


営業部の何人かが「お疲れ様です」と雅樹に声をかける。


「社長って、どこの病院に運ばれたの?」


「ちょっとわからないです…」


「和也さんに電話した?」


「していないです…」


若い営業の人達も、どうしたらいいのかわからず、動く事が出来ない。


雅樹は和也さん、社長の息子に電話をかける。


その時に牧野さんがジーンズにパーカー姿で入って来た。


「社長は?」


田中さんに聞く。


「さっき、運ばれたけど、どこの病院かもわからなくて」


私を見る。


「加藤さんがいるって事は、長谷川もいるよね。長谷川どこ?」


「今、あそこで和也さんに電話してます」


牧野さんは雅樹を見つけ駆け寄る。


雅樹の電話が終わる。


雅樹と牧野さんが、何か話している。


牧野さんが若い営業の人達に「今日はもう帰っても大丈夫だよ。びっくりしたよね。あとは俺らで対応するから大丈夫!お疲れ様」と優しく声をかける。


営業の人達は申し訳なさそうに帰って行く。


事務所には、私達4人。


「加藤さん、私達はどうしたらいいと思う?」


「とりあえず、長谷川さんと牧野さんが対応してくれているので指示を待ちましょう」


「社長ね、事務所に入って来て「休みなのにご苦労様!」と言ってたの。そしたら急にうなり出して倒れて…近くにいた私ともう1人が声をかけたんだけど反応がなくて、慌ててもう1人が社長室にいた奥さんを呼びに行って、私は救急車を呼んだ」


田中さんは少し震えている。


「でも、どうしたらいいのかわからなくて。それでまず牧野さんに電話して、でも牧野さん1人だと大変だと思って、長谷川さんにも来て欲しくて、でも長谷川さんの番号知らなかったから加藤さんに電話したの。ごめんね」


「全然大丈夫です」










No.164

会社の鍵は社長が持っている。


予備は和也さんが持っている。


鍵がない限り、いくらセキュリティがしっかりしているとはいえ物騒。


無人には出来ない。


雅樹が「加藤さん、悪いんだけど、西田部長の番号調べてくれる?」と言って来た。


「わかりました!」


自分のパソコンを開く。


名簿が入っている。


「これです」


メモを渡す。


雅樹が「ありがとう」と言って西田部長に電話をする。


しばらくして、会社の電話が鳴り、田中さんが取る。


「牧野さんか長谷川さん!和也さんから電話です!2番です!」


牧野さんが出た。


雅樹の電話が終わる。


「とりあえず、西田部長、これから会社に来てくれるみたい」


私達に言う。


牧野さんの電話も終わる。


「和也さん、何だって?」


「和也さんも、鍵持ってるし、一旦会社に行くと言っていた。今日は帰って大丈夫だと。社長は総合病院に運ばれたって」


私や父親が事故の時に入院していた病院。


この地域では1番大きな病院。


話しているうちに西田部長が来た。


「お疲れ様です」


「君たちが対応してくれて助かった。あとは私が代わるから帰りなさい。あと、明日は君たち休んで大丈夫だ。休日出勤扱いにする」


「でも…」


「頑張ってくれたんだから、明日はゆっくり休みなさい。加藤さんも田中さんもゆっくり休んで。お疲れ様」


「わかりました。ありがとうございます。では明日、お休み頂きます」


雅樹が言う。


「そうしてくれ」


西田部長が言う。


私達4人は帰る事にした。


入れ替わりで和也さんが来た。


「お疲れ様、中に誰かいるの?」


「お疲れ様です。西田部長がいます」


牧野さんが答える。


「連絡くれてありがとう。こっち終わったらまた病院に行くよ。お疲れ様」


挨拶をして会社を出る。


「今日はごめんなさい」


田中さんが謝る。


雅樹が「何も謝る事何かないよ。連絡くれなかったら、西田部長も和也さんも来る事はなかった。こちらこそありがとう」と田中さんに言う。


牧野さんも「田中さんの判断は正しかったよ。ありがとう」と労う。


明日、休みになった。


立花さん、1人になっちゃうな。
















No.165

対応していた雅樹も牧野さんもかっこよかった。


若い営業の人達も、目の前で突然社長が倒れてパニックになったんだろうな。


そんな若い営業の人を労い、自分達が出来る範囲で2人で対応して。


私には出来ない。


だから、中堅層の中でも上司から信頼があるんだろうな。


社長はクモ膜下出血。


幸い一命はとり止めたが、長い療養期間に入る。


社長に代わり、奥様と和也さんが社長代行になる。


和也さんは社長そっくり。


見た目も、話し方も。


社長より背は大きくて体格もいい。


確か45歳位だったはず。


仕事も、社長の代わりにバリバリこなす。


気前もよく、残業で残っている人達によくコーヒーをごちそうしてくれた。


威張ってふんぞり返る訳でもなく、社長同様従業員を大事にしてくれる。


私の退職の日が近付く。


そんな中、立花さんが切羽早産で入院する事になった。


田中さんは、営業に行く。


渡辺さんが私の退職に伴い、総務部から戻って来たけど、渡辺さん1人でこなすのは無理がある。


退職を延長し、立花さんが戻って来るまで在籍する事にした。


雅樹も了承済み。


田中さんも立花さんもいない。


私が渡辺さんより先輩になる。


今までは先輩2人に甘えていたけど、今は私が頑張って渡辺さんに仕事を割り振りしないといけない。


出来るのかな。


不安になるけど、立花さんと田中さんの留守を守らなければ!


私が難しい顔をして、パソコンを見ていた。


すると雅樹が私の席の横を通った時に、自販機で買った缶コーヒーをポンとパソコンの横に置く。


私が煮詰まると、コーヒーを飲むのは知っている。


私は雅樹を見た。


雅樹は笑顔で右親指を出していいね!ポーズをする。


渡辺さんはパソコンを凝視しているため気付いていない。


ありがとう、雅樹。


頑張るよ。


渡辺さんが「加藤さん!これってどうするんでしたっけ?」


「これは、こうです」


「ありがとうございます!」


その様子を雅樹はパソコン越しから見ている。


家に帰ると雅樹が「頑張ってるね。惚れ直すよ」と言って来た。


「立花さんも田中さんもいないから、もういっぱいいっぱい。退職のびちゃったけど…頑張るから!」


雅樹は笑顔で頷く。







No.166

田中さんの営業期間も終わり、事務に戻って来た。


「やっぱり制服最高!」


「おかえりなさい!」


「ただいまー!」


牧野さんも嬉しそう。


早速、田中さんが「加藤さん、ちょっとちょっと」と私を田中さんの席の近くに呼ぶ。


2人で顔を近付けてこそこそ話し。


「あのね…ここだけの話なんだけど…」


「なんですか?」


「もしかしたらなんだけど…」


「…はい」


「赤ちゃん出来たかも」


「えっ、誰がですか?」


「私」


「えっ?」


私は思わず牧野さんを見る。


牧野さんは不思議そうにこっちを見ている。


雅樹も私達を見る。


「ずっと生理が来ていないの。営業で色んなお宅に伺って、お茶を出してくれるんだけど、どうもお茶のにおいが気持ち悪くなるの。思い過ごしかもしれないんだけど…」


「…病院に行きました?」


「まだ行っていない」


「あっ、ドラッグストアで妊娠の検査出来るやつ売ってましたよね?今日の昼休みに一緒に見に行ってみます?それで検査して反応が出たら、病院に行くとか…」


「そうしてみるかな。でもまだ付き合ってそんなに経ってないし、牧野さんが逃げてしまうんじゃないかって不安で」


「大丈夫ですよ!牧野さんは、そんな人じゃないですよ!とりあえず、昼休みに一緒にドラッグストアに行きましょう!」


「ありがとう」


昼休憩開始ぴったりに、田中さんと私と2人で駐車場まで猛ダッシュ。


私の車に乗り、会社近くのドラッグストアに向かう。


妊娠検査薬を見つけた。


一回用と書いてあるものを買う。


田中さんはそのまま、ドラッグストアのトイレに向かう。


しばらく、トイレ近くにある椅子に座り、田中さんを待つ。


携帯を開くと雅樹からメールが来ていた。


「田中さんと消えたな。どこ行った!?」


「今、近くのドラッグストア。事情はまた後で」


すぐに返信。


「田中さん、具合悪いの?」


「まあ、そんな感じ。また後で連絡する」


「了解」


携帯を閉じる。


田中さんはまだ出てこない。


心配になる。


それから待つ事数分。


田中さんがトイレから、何とも言えない表情をして出て来た。


「どうでしたか?」




No.167

「赤ちゃん出来てた。陽性反応が出た。説明書と検査薬を3回見直したけど、やっぱり陽性反応だった」


「出来てたんですね」


「牧野さん、何て言うかな。拒否されたらどうしよう。でも私、牧野さんとしかしてないし、間違いなく牧野さんとの子供なんだけど…」


不安そうな田中さん。


「大丈夫です。前に牧野さんがうちに来た時に、田中さんの事は真剣に考えてるって言ってました。長谷川さんも、牧野さんは不器用だけど、好きな女は大事にするって言ってました。大丈夫です。絶対牧野さん、喜んでくれますよ!」


田中さんは涙目になっている。


「絶対大丈夫ですって!」


私は田中さんの背中をさすりながら、雅樹に連絡をする。


すぐに出た。


「もしもし、今大丈夫?」


「大丈夫。どうした?」


「今、近くに牧野さんいる?」


「一緒に飯食ってる。目の前にいるぞ?」


「牧野さんと2人?」


「そうだけど…」


「今、どこでご飯食べてるの?」


「会社近くのスーパーの中のマック」


「今から行っていい?」


「うん?いいけど…」


「じゃあすぐ行く!」


電話を切り、田中さんと車に乗り、移動1分のスーパーへ。


雅樹と牧野さんを見つけた。


「隣いい?」


「うん」


雅樹と牧野さんは、ドタバタしている私達を見て呆気にとられてる感じ。


「牧野さんにお話があります」


私が言う。


田中さんは下を向いて黙っている。


牧野さんは姿勢を正し「なに?」と答える。


私は田中さんに「田中さん!」と言って、背中を軽く叩く。


雅樹は黙って見ている。


田中さんが「牧野さん…私、牧野さんとの赤ちゃんが出来ました」と下を向きながら話す。


雅樹は目を見開き驚き、牧野さんは「えっ?本当に?」と言って黙った。


「今、加藤さんと一緒にドラッグストアに行って、妊娠検査薬で調べました。陽性反応が出ました。不安だったので、加藤さんについてきてもらいました」


牧野さんは「結婚しよう!だって俺との赤ちゃんが今、お腹にいるんだよね?家族が出来るんだよ!」と言って喜んだ。


田中さんは嬉しそうに笑う。


あんなに念願だったママになれるんだよ!


田中さん、おめでとう!

No.168

その日の夜。


雅樹が「牧野の方が先にパパになるのかー」とポツリ。


「何で俺ら、子供出来ないんだろ?」


「うーん、わかんない」


「だって、ずっと中に出してるんだよ?そろそろ出来てもいいと思うんだよなー。何か悪いのかなぁ?」


「こればかりは、授かり物だからね」


「そうなんだけどさー」


確かに今まで、ずっと中で出しているし、私もピルとか飲んでいる訳でもなく、2人共子供が欲しい。


でも出来ない。


でも、しばらくは夫婦2人でいるのもありかな。


田中さんはつわりが酷かった。


いつも元気だった田中さんが、つわりが辛いため、昼になると女子更衣室の奥にある休憩室で寝ていた。


私が田中さんを起こしに行く。


青白い顔をして起きてくる。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃない」


「帰りますか?それともここで寝てますか?今日、部長いないから夕方までならサボれます」


「でも、まだ仕上げてない…」


「田中さんのパソコンを貸してもらえれば私やります。デスクとパソコン借ります。営業の方は開きません。メールも開きませんので安心して下さい。渡辺さんにも少し頑張ってもらえれば終わります。部長が帰って来そうなら声をかけます。だから休める時に休んでいて下さい」


「…ありがとう。じゃあお言葉に甘えて寝てる」


「おやすみなさい」


私はそのまま田中さんの席に座り、田中さんの仕事をする。


渡辺さんに「ごめん、これも一緒にお願い出来ますか?大変なら言って下さい」と言うと「大丈夫ですよ!」と快く引き受けてくれた。


田中さん、相当調子が悪いのかな。


全然進んでいない。


よし、全部終わりそう。


休憩返上でパソコンと向かい合う。


目が疲れて来たな。


ちょっと目をつぶる。


渡辺さんが「これ出来ました!」と頼んでいた仕事を終わらせてくれた。


「部長が帰って来たら渡すのでここに置いておいて下さい。後で確認します」


「はい!」


渡辺さんは仕事が早い。


助かる。


通路向かいに座っている雅樹が、珍しく話しかけて来た。


「少し休んだら?」


「大丈夫です。これだけ終わらせたら楽になるので」


牧野さんも田中さんの席に座って難しい顔をしながら仕事している私を心配そうに見ている。





No.169

事務員の責任者的な要の立花さんがいない。


営業と兼用とはいえ、大きな仕事は田中さんがやっている。


その2人がいない重圧。


私が何とかしなきゃ。


2人がいなくても、仕事は次々入って来る。


頑張らないと。


渡辺さんにもかなり無理を言っているのはわかる。


でもそうしないと回らない。


目が回りそう。


「ダメだ、ちょっとコーヒー買って来ます」


向かいの席の雅樹が「仕事、こっちに回せ。出来る事は俺らも手伝う」と言ってくれた。


千葉さんが私のところに来た。


「加藤さん、少し休みな。これなら俺らも出来るから大丈夫」と言ってくれた。


「ありがとうございます。でも千葉さん達の仕事もありますよね…」


「あるけど急ぎは終わったから大丈夫。加藤さんと渡辺さんだけなら無理がある」


「ありがとうございます…」


千葉さんが笑顔で「少し休んでおいで」と言って、私の肩をポンポンと叩いた。


雅樹を見ると「コーヒー買って一息付いてきなよ」と言ってくれた。


私は渡辺さんにも声をかけたけど、渡辺さんは「私はこれが終わったら休憩頂きますので大丈夫です!」と言っていた。


田中さんも心配なので様子を見に行く。


寝ている。


少し休めているみたいでよかった。


従業員出入口にある自販機で、いつも飲んでいるコーヒーを飲んで、ちょっと出入口の外に出てみる。


風が気持ちいい。


畑の土のにおいがする。


伸びをする。


ずっと座っていたから、ちょっと伸びをすると気持ちがいい。


何か、退職しそびれたな。


本当なら、もう退職している予定だったんだけど、でもこの会社が好きだから退職するその日まで頑張る!


事務所に戻ると、渡辺さんが「とりあえず一区切りついたので、私もちょっとお茶買って来ますね!」と言って自販機に向かう。


やった!


田中さんの仕事終わった!


あとは田中さんに確認してもらえたら終わり。


ふと雅樹を見る。


パソコンと私が渡した書類を交互に見ながらたまに首をかしげている。


そして後ろにいる牧野さんに何か聞いている。


慣れない事務の仕事に戸惑っているのかもしれない。


私もシフト作れと言われてもわからない。


そろそろ部長が戻る時間。


田中さんをお越しに行こう。


No.170

「田中さん!具合どうですか?そろそろ部長帰って来ますよ!」


「うーん…少し良くなったかな?ありがとう」


田中さんは顔は青白いものの、さっきよりは良さそう。


「戻りましょ」


「うん」


ちょっと崩れた髪と化粧を簡単に直す。


席に戻ると、終わった仕事にびっくりしていた。


「終わりましたよ。一応確認だけお願いします」


「えっ?加藤さんがやってくれたの!すごい!私なんかより全然いい!ありがとう!」


オッケーが出た。


良かった。


渡辺さんも「お疲れ様です!これも終わってまーす!」と、出来た書類を田中さんのデスクの上にドン!と置いた。


「渡辺さんも手伝ってくれたの?ありがとう!」


「営業の仕事だけはわからないので残してあります。あとはこちらにお願いしていまーす」


私は向かいの席の男3人に手を差し向ける。


坂田さんも巻き込まれていた。


千葉さんが「お前も手伝え」と坂田さんに仕事を渡す。


「えっ?俺、わからないですよ?」


困惑する坂田さん。


「大丈夫だ。お前ならいける。頼んだぞ!クレーム、返品は受け付けない!」


「えー?ちょっと待って下さいよー」


ちょっと強引な千葉さん。


牧野さんも雅樹も千葉さんも、巻き込まれた坂田さんも、自分の仕事を後回しにして頑張ってくれている。


牧野さんが「よっしゃ!終わった!」と掛け声。


雅樹も「俺も終わったー!加藤さん、確認よろしく」と言って、牧野さんがやってくれた書類も一緒に手渡してくれた。


みんなの助けもあり、無事に終わった。


田中さんが「本当に皆さん、ありがとうございます」と言って、ペコペコお辞儀をしている。


雅樹が「田中さん、無理しないでね。困った時はお互い様」と笑顔で話しかける。


千葉さんも「頼りにならないかもしれないけど、こういう時は言って!」と答える。


牧野さんも「本当にありがとう」とお辞儀をしている。


土曜日。


牧野さんと千葉さんがお酒を持ってうちに来た。


前日に行くとは聞いていたけど…。


なに?このビールの量。


段ボール2箱もあるよ?


食べ物も何日分?


冷蔵庫に入りきらないよ?


何日間か、うちにいるつもりなんだろうか。


雅樹もすごい量にちょっと引いていた。








No.171

「なかなかいい部屋じゃん!いいねー、新婚さんっぽい!」


千葉さんがキョロキョロ部屋を見回す。


「俺、3回目だけど、相変わらずキレイにしてるねー」


「お前、もうそんなに来てるの?」


「邪魔しにな(笑)」


「本当だよ!新婚だぞ?加藤さん、邪魔ならこいつ追い出していいからね!」


「お前もだろ(笑)」


そう言って笑う。


「全然大丈夫ですよ。でも凄い量ですね」


牧野さんが「田中さんから(笑)この間のお礼だって」と言う。


「田中さんの具合はどうですか?」


「今はちょっと落ち着いているみたい。田中さんが「今日は行けないけど、この間のお礼だから、いっぱい飲んでねー!体調が落ち着いたら遊びに行かせてね」って加藤さんに伝えてって言ってた。あと、このお茶、加藤さんがいつも飲んでるから箱買いしてって!って言われて買って来た」


こんなにたくさん…。


会ったらお礼言わないと。


今日は一旦帰ってからうちに来たので、牧野さんはスウェット上下、千葉さんはアディダスのジャージにTシャツを着ていた。


私はグラスや取り皿、箸を用意し、買ってきてくれたつまみやおかずをテーブルいっぱいに出しまくる。


ビールは先に冷えているやつから出して、どんどん箱から出して、冷蔵庫に入れまくる。


かなりの量のため、雅樹も手伝ってくれた。


「お疲れ様ー!」


男3人はビール、私はお茶。


千葉さんが「加藤さんは飲まないの?」と聞いてきた。


「余り飲めないので、今回は田中さんが買ってくれたお茶を飲みます」


「そっか。会社の飲み会でも余り飲まないもんね」


「はい」


牧野さんが「俺らだけごめんね」と言う。


「全然大丈夫ですよ!気にせず飲んで下さい。私はいっぱい食べますから」


「おー!食べて食べて!」


牧野さんは色々すすめてきた。


お腹も空いたし、たくさん頂きます。


食べながら、空いたお皿を下げて、次々つまみやおかずやビールを出していく。


雅樹も手伝いに来てくれた。


「ありがとう」


千葉さんが「羨ましいな!いいねー」と冷やかして来た。


牧野さんが「俺も一番はじめに来た時に同じ様な事を言ってた気がする」と言っていた。


言ってた!


でも今は田中さんがいるもんね。




No.172

千葉さんが「牧野、田中さん、妊娠してるんだろ?結婚しないのか?」と聞いた。


「するよ。結婚式はまだ考えてないけど、入籍は今月中にはするよ。順番が逆になっちゃったけど」


「やる事やってたら…まぁ…男と女だしな。そうなるよな。でもお前ら早くね?付き合って1年経ってないだろ?」


「うん。でも田中さん、いい子だよ。素直なんだろうな、きっと。よくも悪くもすぐ口に出ちゃうけど」


確かに。


「何か、今まで飲みに行ったりしてた2人が一気に結婚ってなって、俺、どうしたらいい?なかなか飲みにも誘えなくなるし…つまらん」


千葉さんがいじけ始める。


雅樹が「牧野が1番始めにうちに来た時は、俺達見てうらやましい!俺、ずっと1人で寂しく過ごすの嫌だ!って言ってたんだけど、今はもう少しで父親になるんだぞ!千葉もすぐ出会いがあるよ」と言う。


牧野さんが「お前は理想が高すぎるんだよ。現実見ろ」と千葉さんに言う。


「見た目は前にいた真野さん辺りがいいよね。あっ、でもあんな感じでやりまくってる女は引くな。料理も出来て、家事も出来て、3歩下がって歩いてくれる様な人がいいな。仕事から帰ったらあったかいご飯とお風呂があって…」


「お前、一生無理だわー」


「何でだよ!絶対どっかにいる!」


「そういえば、前に言ってた女どうしたんだよ」


「彼氏いたんだよ」


「残念!」


男3人で話している。


千葉さんが「加藤さんの前で悪いけど、お前らずるいぞ!女いて!俺だって男だ!たまには女を抱きたい時がある!でも相手がいないんだ!どうしたらいいんだ!俺は!」と言い出し、グラスに入ったビールを一気に飲み干す。


「見つけるしかないなー」


「もう誰でもいいよ。誰かいない?人間であれば文句言わないよ」


「頑張れ」


「冷たいなー」


そんな会話を聞きながら、私はもくもくご飯を食べる。













No.173

千葉さんが「そういえば、この間、お前の前の彼女に会ったぞ」と雅樹に言う。


私はご飯を食べながら聞き耳を立てる。


雅樹が「どこで?」と聞く。


「飲み屋にいた。駅前のスナック」


「あー」


「高校の同級生と飲みに行ったんだよ。そいつがそこのママと知り合いで、連れてってもらったんだ。そして、ついた子がお前の元カノだった」


「そうなんだ」


「俺は最初わからなかったんだよ。向こうが気付いて「雅樹の会社の人ですよねー」って言って来た」


「…で、何か話したの?」


「色々聞いてきたよ?お前の事。でも、俺も色々お前らの見てきてるから、適当に流しておいた」


「ありがとう」


「まだ雅樹は同じ会社にいるんですかー?とか、今、誰かと付き合ってたりしますー?とか、私の事を覚えていてくれたら連絡くれる様に伝えて下さい!私、番号変わってないのでー!でも、雅樹は変えたみたいで繋がらなくてー!って言ってた」


「…」


「番号教えて欲しいって言われたけど、俺、今手元にないからわからないって断った」


「悪いな」


「良いんだ、別に。ただびっくりはしたけど。あっ、加藤さんごめんね」


「全然大丈夫ですよ」


「もしかしたら…あの感じだし、気を付けた方がいいかもなー。本当につい最近だから」


「…わかった」


「まぁ、飲もうや!何かあったら俺に言え!」


「わかった」


雅樹はちょっと渋い顔をしていた。


「ところで加藤さん」


急に話をふられた。


「はい」


「長谷川は優しくしてくれる?」


「はい?」


「いや、何か色々とねー」


雅樹が「お前は、何を聞いているんだ!加藤さん、聞き流そうねー」と千葉さんの話を阻止する。


「私、片付けしますので!ゆっくり飲んでいて下さいね!」


私は立ち上がり、空いた食器を台所に持って行き、洗う。


牧野さんが別の話をふる。


会社では見れない3人の姿。


私は食器を洗いながら、3人を見る。


スーツを脱いだら、仲の良い友達になる。


仕事しているみんなは素敵だけど、プライベートは楽しい。


きっと飲みに行った時はこんな感じなんだろうな。






No.174

牧野さんの携帯が鳴る。


田中さんからだった。


牧野さんが「加藤さんに変わってだって」と言って、牧野さんの携帯を私に差し出す。


私は台所に移動。


「もしもし!加藤です!お疲れ様です!今日はあんなにたくさん、ありがとうございます!」


「いいのいいの!本当は私も加藤さんちに行きたかったんだけど行けなかったから、せめてものお礼!楽しんでる?」


「はい!千葉さんがちょっと酔ってきてるみたいで面白いです」


「楽しんでるみたいでよかった!牧野さんも相変わらず飲むでしょー」


「飲んでますね。今日牧野さんはどうされます?送りますか?」


「迷惑じゃなければ加藤さんちで一晩預かって(笑)私、夜中にも気持ち悪くなって吐いちゃう事があって、その度に牧野さんを起こしちゃうの。だから、今晩だけでもゆっくり出来ると牧野さんも少しは違うかな?と思って。枕とタオルケットだけあれば、彼は多分どこでも寝れると思うからお気遣いなく(笑)」


「了解でーす!多分、千葉さんもこのまま泊まると思うので、男3人、まとめて面倒みますので任せて下さい(笑)」


「ありがとー!よろしくね!」


「田中さんも体調お大事にして下さいね」


「ありがとう!」


「じゃあ、牧野さんに代わりますね!おやすみなさい!」


「おやすみー」


牧野さんに携帯を返す。


牧野さんは少し田中さんと話して電話を切る。


千葉さんが「田中さん?」と牧野さんに聞く。


牧野さんが「そう」と答える。


「いいよなー。心配してくれる人がいて。俺なんか、携帯鳴らないぞー?鳴る時は会社の人が変なイタ電しかないぞ?」


「鳴るだけいいじゃねーか」


「まぁなー。あっ、牧野!お前よく見たらキスマークついてるぞ!いつやったんだ!」


「4日前」


「俺が残業頑張ってた時じゃねーかよ!俺は仕事頑張ってんのに、お前は田中さんと頑張ってたのかよ!」


ちょっとそっち系の話になる。


私に話をふられる前に、奥の部屋に布団を敷いて来よう。


押し入れから布団を2組出す。


枕を2つ並べる。


今日は多分、雅樹もこっちに寝るのかな?


枕が2個しかないため、クッションを一つ置いた。


よし、これで酔いつぶれても大丈夫。






No.175

だいぶ酔ってる千葉さん。


でも怒鳴ったり暴れたりする訳でもなく、ダル絡みする訳でもなく、ちょっと下ネタ系に走るけど、言っているだけで迷惑をかけられていないので問題はない。


雅樹と牧野さんが、うまくおさえながら飲んでいる。


千葉さんからしたら、彼女がいない仲間だと思っていた2人が相次いで突然結婚、牧野さんに至っては父親になるという事に、ついていけていないところはあるのかもしれない。


千葉さんは身長が大きい。


多分180センチ以上はあると思う。


177センチある雅樹より全然大きい。


牧野さんが雅樹と同じくらい。


体もガタイが良く、顔も強面。


パッと見はちょっと怖い。


仕事では気にならないけど、プライベートではちょっと口が悪い千葉さん。


でも、何か憎めない。


2人を祝福したい!という気持ちは伝わる。


たまたま同じ時期になってしまった雅樹と牧野さんの結婚。


千葉さんも素敵な伴侶を見つけて欲しい。


時刻は1時ちょっと前。


先にシャワーしていた私は、ある程度の片付けも終わり、寝るだけの状態。


昼間は仕事だったため眠たい。


「先に寝ます。千葉さん、牧野さん、ゆっくりしていって下さいね!」


「加藤さん、ありがとう!おやすみー」


私は先にベッドに入る。


寝ていたら、雅樹がベッドに来た感覚で目が覚めた。


「あれ、今日はこっちで寝るの?」


「うん。まりと寝たい」


「牧野さんと千葉さんは?」


「2人共寝たよ。まりを抱きたい」


「えっ?だって千葉さんも牧野さんもいるよ?」


「2人共爆睡してるよ。大丈夫。静かにするから」


そう言ってキスされてパジャマを脱がしていく。


声が大きくならない様に自分が着ていたパジャマを口に充てる。


雅樹が挿れている時に、牧野さんか千葉さんがトイレに起きた様子。


雅樹は挿れたまま動きが止まる。


そして部屋に戻ったのを耳で確認してから再開。


終わってパジャマを着ていたら「俺、まりを大事に出来てる?」と聞いてきた。


「どうして?」


「いや、何となく。今日もまり、可愛かった」


「…寝るよ」


「うん。おやすみなさい」


雅樹が腕枕をしてくれる。


安心する。


そのまま就寝。











No.176

目が覚めた。


時刻は朝7時半過ぎ。


雅樹はまだ隣で寝ている。


静かに起き上がり、居間に向かう。


ある程度、雅樹が台所に持って行ってくれていて食器やグラスは水に浸かっていた。


多少散らかっていたけど全然大丈夫。


奥の部屋を覗くと、千葉さんと牧野さんが布団で爆睡していた。


千葉さんは、掛け布団を抱き抱えて寝ていた。


軽くシャワーしてから片付けよう。


シャワーに入りさっぱり。


私のドライヤーはいつもは鏡台に置いてあるけど、そこでドライヤーをかけたらうるさいだろうと、洗面所にある雅樹のドライヤーを借りた。


化粧したいけど、面倒くさくなり、千葉さんと牧野さんの手前、マスクで顔を隠す。


台所に行くと、すごい数のビールの空き缶がある。


既に片付けてある空き缶を合わせたら45リットルのゴミ袋がいっぱいになる。


「どんだけ飲んだんだろう」


笑いが込み上げる。


雅樹が下げてくれた食器やグラスを洗い、テーブルに散らかっていた物を片付けて、テーブルを拭く。


落ち着いた。


冷蔵庫を見ると、まだ買って来てくれたおかずやビールが入っている。


「どうしようかな」


おかずは朝御飯で出せる物は出して、皆で食べよう。


ご飯を炊く。


豆腐の味噌汁を作る。


すると千葉さんが起きてきた。


寝癖がすごく、爆発していた。


眠そうにあくびをしながら「加藤さん、おはよう!」と朝の挨拶。


「おはようございます!」


千葉さんは喫煙者。


「ベランダ借りるね」


「はい」


私も雅樹もタバコを吸わないため、気を使って携帯灰皿持参で、爆発した髪のままベランダでタバコを吸っている。


昨日も合間にベランダに行ってはタバコを吸っていた。


兄もそうだけど、寝起きはタバコが吸いたくなるのかな。


牧野さんはタバコはやめたと言っていたため、今は吸っていない。


雅樹も起きてきた。


「おはよう」


「おはよう、千葉さんは起きてベランダでタバコを吸ってるよ」


「なんだあいつ、髪爆発してんじゃん(笑)」


そう言って笑っている。


牧野さんはまだ寝ている。


普段は田中さんを心配して寝てないもんね。


少しでもゆっくり休んで欲しい。






No.177

千葉さんが一服から帰って来た。


「長谷川、おはよう」


「おはよう、お前の頭すげーぞ」


「天パだからしゃーないんだよ」


そう言って髪をぐしゃぐしゃっとする。


「牧野はまだ寝てるのか?」


そう言った瞬間、牧野さんが起きてきた。


「…おはよう」


まだ眠そう。


ソファーに座ってボーっとしている。


「牧野さん、コーヒー飲みますか?」


「…加藤さん、ありがとう。もらいます」


「千葉さんは飲みますか?」


「ありがとう。もらおうかな」


「長谷川さんも飲みますか?」


「ありがとう」


千葉さんが「加藤さん、長谷川の事、長谷川さんって呼んでるの?加藤さんも長谷川さんになったのに?」と不思議顔。


「いえ…何か千葉さんと牧野さんがいると会社にいる感覚になってしまって」


「切り替えがすごいよね。それだもん、バレないよなー」


爆発した頭で話す。


インスタントコーヒーを淹れて3人に持って行く。


テーブルで3人、コーヒーを飲みながら話をしている。


牧野さんは少し目が覚めたみたい。


雅樹、千葉さん、牧野さんの順番でシャワーに入る。


シャワーに入ると、千葉さんの髪も落ち着いた。


「朝御飯食べますか?昨日、買って来て頂いたものがあるので、それを準備してますが…」


「母親以外に朝御飯準備してもらうなんて何年振りだろう!食べるよー!長谷川、加藤さん、いい奥さんだな!大事にしろよ!」


「当たり前だろ」


雅樹が答える。


牧野さんも「食べてから帰るかな?」と言う。


田中さんの事、心配だよね。


朝御飯を持って行く。


「頂きます!」


皆で朝御飯を食べる。


「牧野も田中さんに作ってもらってるの?」


「今はご飯を炊くにおいがダメみたいで、朝はパンばかりだけど、作ってはくれるよ?」


「いいよなー。牧野も田中さんの事、大事にしろよ!」


「ありがとう」


朝御飯も食べ終わり、牧野さんも千葉さんも帰り支度をする。


「長谷川、加藤さん、今日はありがとう!また明日会社で!」


「はい!また明日!牧野さん!田中さんに明日も調子悪いなら無理しないで休んで下さいねって伝えて下さい!」


牧野さんは「ありがとう、伝えておくよ」と笑顔。


2人は帰って行った。



No.178

雅樹がテーブルにある、朝食の後片付けを手伝ってくれる。


「ありがとう」


「いいよ、手伝う。まり、何かごめんね」


「何が?」


「いや、何か俺、まりに色々押し付けてしまっているんじゃないかなって思って」


「どうしてそう思うの?そんな事はないよ?」


「まり、余り自分の気持ちを話さないし、合わせてくれているし、ここ最近会社で頑張っているまりを見て、やっぱり会社辞めたくないんじゃないかな?と思って。この間、田中さんが具合悪かった時のまり、すごくかっこよく見えた。輝いていたんだ。こんなに輝いている「加藤さん」を辞めさせていいんだろうか?って思って」


「今は立花さんも田中さんもいないし、私が何とかしなきゃ!っていう重圧はあるよ。渡辺さんは仕事早いし正確だから助かっているけど…田中さんや立花さんとのお別れは寂しいけど、体調が落ち着いたらいつでも会えるし、牧野さんや千葉さんはまたいつでも遊びに来てもらってもいいし…」


「俺、この間の事からずっと考えてたんだ。牧野や千葉にも気を使ってくれて、俺が会社で働きやすい様に頑張ってくれているのがわかる。だから、俺のわがままでまりを潰したくないなって」


「今は、立花さんも田中さんもいないから仕方がないけど、渡辺さんも戻って来たし、渡辺さんなら私以上に仕事出来るし、いい子だし大丈夫!」


「…ありがとな、まり」


ギュッと抱き締めてくれる。


雅樹、悩んでいたのかな。


退職を決めた時は、まさか田中さんが妊娠するとは思ってなかったし、立花さんも入院するとは思っていなかった。


2人がいないから、私と渡辺さんの2人で留守を守るしかない。


立花さんと田中さんが元気に戻って来るまでは頑張るけど、私は雅樹を支えていく気持ちは変わらないから。


そういえば。


今まで1度も雅樹と喧嘩ってした事がない。


雅樹が激怒している姿を見た事もないし、私も余り感情をむき出しにはしない。


小さい頃からの癖なのかな。


母親に怒られたくなかったし。


余り自分の気持ちは言わないで、私と合わせる癖はついている。


でもこれでも思っている事は言っているつもりなんだけどな。


ごめんね。


きちんと話すよ。


でも私は大丈夫だよ。






No.179

田中さんはつわりのため、有給消化してしばらくお休み。


立花さんは退院の目処が立っていない。


しばらく渡辺さんと2人で頑張る日々が続く。


どうしても困った時は、田中さんに電話をしてアドバイスを聞く。


そんなある日の夕方。


渡辺さんが「長谷川さーん!松本さんっていう若い女性が、来客用の出入り口にいますけど、お約束してますか?」と言って、雅樹に話しかけた。


その瞬間、千葉さんと牧野さんが2人同時に、来客用の出入り口にダッシュした。


私は雅樹を見た。


雅樹は無言で真顔で固まっている。


渡辺さんは「?」という顔をしながら席に戻る。


元彼女が来た。


そう感じた。


この間、千葉さんが言ってたな。


気をつけた方がいいって。


千葉さんが戻って来た。


雅樹に何かを耳打ちして、今度は従業員用出入り口に向かう。


雅樹は一瞬目をつぶり、目を開くと一瞬私を見て、千葉さんの後を追いかけた。


牧野さんが戻って来た。


私は牧野さんに席からこっそり右小指を見せると、私にうんうんと頷く。


やっぱりそうだ。


気になる。


私はこっそり給湯室に入る。


比較的出入り口から近いため、話はある程度は聞こえる。


給湯室は、事務員以外めったに出入りしない。


「やーん!雅樹にやっと会えたー!この人に会社入って騒ぐよ!って言ったら雅樹に会えた!電話変えたんでしょ?教えてよー!」


「仕事中だから帰ってくれないか?」


「えー?せっかく来てあげたのに、酷くない?」


「俺はお前に会いたくないし、用はない」


「そんな照れなくてもいいって!私、彼氏と別れてさー、やっぱり雅樹が1番いい男だってわかったのー!よりを戻そうよ!ねっ!」


「俺、結婚したんだ。だから迷惑」


「またまたー!そんなはずないじゃん!雅樹は私だけ愛してるって言ってくれてたじゃん!」


「お前がそう言わないと寝かせないし会社行かせない!って言うから言っただけ。お前の事は何とも思ってない」


「意味わかんなーい!私は、雅樹が好きなのに。会社に来ないと雅樹に会えないし、また前みたいに送り迎えしてあげるから!あっ、また前みたいに私と一緒に住も!」


同棲してたのか。


今知ったよ。




No.180

牧野さんが来た。


「頼むから帰ってくれ。今度来たら警察を呼ぶ」


「じゃあ電話番号教えて!」


「無理」


「じゃあ雅樹が仕事終わるまで待ってるから一緒に帰ろ!」


「いい加減にしてくれ」


雅樹の声が変わる。


「前は私の言う事をいつも聞いてくれたじゃん!雅樹らしくないよ?疲れているなら私が癒してあげるから!ねっ!前みたいにイチャイチャしたら気持ちも戻るって!」


隣で黙っていた千葉さんが雅樹の何かの変化を察する。


「えみちゃん、ちょっと外に出よう」


「どうして?」


「…いいから外に出ろ!」


「嫌だよ!どうして?」


千葉さんは上履きのサンダルのままえみちゃんの左腕を掴み、強引に力ずくで外に連れ出す。


外で何か元彼女が騒いでいる。


私は「家政婦は見た」状態。


出るに出れなくなった。


雅樹が無言で立っている。


表情は後ろ姿のためわからない。


牧野さんと雅樹は黙ったまま立っている。


千葉さんが戻って来た。


雅樹の肩を叩く。


事務所に入ろうとした時に、また元彼女が入って来た。


「雅樹!待ってるからね!」


その瞬間、雅樹は彼女の胸ぐらを掴み、玄関横の壁にドン!と押す。


「2度と会社に来るな」


聞いた事がない低い声で静かに話す。


さすがの元彼女も黙った。


怖い。


初めて雅樹が怒っている姿を見た。


雅樹が元彼女から離れる。


元彼女は静かになり帰って行った。


千葉さんが「だから外に出ろって言ったのにー」とぼそっと言う。


男3人、静かに事務所に戻る。


戻るタイミングを逃す。


でもいつまでもここにいる訳にいかない。


恐る恐る席に戻る。


雅樹がこっちを見る。


ニコっと笑う。


雅樹があんなに怒るなんて。


普段優しい人が怒ると怖いって本当なんだ。


いつもの雅樹からは想像出来ないくらい、背中がザワザワした。


千葉さんは雅樹の変化を察知、牧野さんは万が一の場合に備えて横に待機。


それだけ元彼女って、ヤバい人だったんだろうな。


でも、元彼女の行動は、これで終わらなかった。














No.181

その日の夜。


雅樹と晩御飯を食べていた。


雅樹が元彼女が会社に来た事は言わないため、私も給湯室から見た事を言い出せずにいた。


でも、いつもより口数は少ない雅樹。


私も余り話さずご飯を食べる。


「ごちそうさまでした」


晩御飯を食べ終わり、私は洗い物をしていた。


雅樹が「今日、会社に元カノが来たんだ」と話した。


「うん。知ってる」


「えっ?」


「だって、全部給湯室から見てたから」


「マジで!?」


「ごめんね、どうしても気になったから。渡辺さんが雅樹に来客だと言ったのに、千葉さんと牧野さんが走って行けば察するよね」


「あー…いつからいつまで見てたの?」


「従業員用出入り口に移ってからは最初から最後まで」


「…そうなんだ」


そう言って黙った。


「何かごめん」


私が謝る。


「まりは何にも悪くないから謝る必要ないよ」


「付き合っている時も、あんな感じだったの?」


「…まぁ」


「そっか…」


「何で今頃…もう5年以上は経っているのに」


雅樹が困っている。


「わかんないけど…彼氏と別れたからーって言ってたから雅樹を思い出したとか?」


「そこまで聞こえてたの?」


「うん…やっぱりごめん」


「…まりは、俺と元カノが話していてヤキモチ妬かないの?」


「全然。イチャついてた訳じゃないから」


「そっか。見苦しいもの見せて悪かったね」


「怒った雅樹を初めて見た」


「あー。ちょっとね、キレちゃった」


「私達、喧嘩した事がないし、雅樹がキレてる姿を初めて見たからびっくりした」


「ごめん、話が通じなくてイライラして」


「わかってる。でも彼女さん、あれだけ雅樹がキレてたからもう来ないんじゃないかな?」


「…だといいけど」


この日の雅樹はいつも以上に激しく私を抱く。


元彼女を払拭しようとしているのか、いつもより何倍も激しかった。


いつもは何か話すが、今日は無言。


息づかいだけが聞こえる。


雅樹が「まり、愛してる。愛してるよ…」と言って、いつもより奥にぐっと押し付けて中に出した。


今日はこれでも十分愛を感じた。


雅樹、おやすみなさい。











No.182

事件が起こる。


元彼女が会社に来て3日程経った。


雅樹と帰り時間が一緒になり、近所のスーパーに向かった。


会社から真っ直ぐ来たため、車は各々乗って来ていた。


駐車場で待ち合わせして、スーパーに入ろうとしたら「雅樹ー!」と声が聞こえた。


声がする方を振り返ると、元彼女が笑顔で手を振ってこっちに走って来た。


「やっぱり雅樹だー!やっぱり運命なんだよ!会いたかったー!」


元彼女さんは雅樹に抱き付いたが、雅樹はすぐに振り払う。


すぐ隣に私がいるが、彼女の視界には入っていないのか、存在自体ない事になっているのかわからないが、完全無視で雅樹に近付く。


「2度と来るなと言ったはずだ」


「会社には行ってないよ!」


「帰れ」


「雅樹と一緒なら帰る」


「迷惑だ」


「別に騒いでないよ?」


…はぁ。


雅樹はため息をつく。


「もうお前の存在が迷惑なんだよ。頼むから消えてくれ」


「私、透明人間になれないよ?」


「そういう意味じゃない!」


私は見ているしかない。


すると彼女が私を見た。


「あんた誰?私の雅樹をとらないでよ」


「…」


「早く帰れ!」


雅樹が声を荒げる。


「あんたがいるから、雅樹は騙されているのよ。こんな地味なくそ女に雅樹は渡さない!死ねばいいのよ」


そう言って近付いて来たと思ったら、太ももの辺りに電気が走る。


熱い。


カーっと熱くなる。


小さなミニサイズのナイフが太ももに刺さっていた。


「…えっ?」


「あんたが私の雅樹を取ったんだ!罰だ罰!ザマーみろ!これで邪魔物はいなくなる!」


そう言って笑っていた。


雅樹は彼女を突飛ばし、私に駆け寄る。


私は立っている事が出来ず座り込み、ナイフを取ると血が吹き出す。


駐車場での騒動に野次馬が集まっている。


「まり!まり!大丈夫か?」


誰かが呼んでくれたのか、パトカーが何台か来た。


警察官が走って来た。


「どうしました!?」


雅樹が「この女が彼女の太ももを刺しました」と少し取り乱しながら話す。


彼女は「この女が私の男を盗ったんだ!だから成敗してやったんだ!」と叫ぶ。









No.183

彼女は警察官に取り押さえられていた。


雅樹は、立てなくて座り込む私を抱き締めて泣いていた。


「まり、ごめん…本当ごめん…」


誰かが救急車を呼んでくれたのか、救急車が来た。


私は頭の思考回路が完全に停止していたのか、今、この自分の出来事がまだ理解出来ていない。


ただ、太ももから流れ出す血を眺めていた。


腰が抜けたのか立ち上がれない。


救急隊員が私をタンカーに乗せる。


雅樹も一緒に救急車に乗る。


雅樹はずっと泣きながら「大丈夫か?」と言っている。


頭が痛くて具合が悪い。


血圧が下がっている感覚はある。


救急隊員が、足の手当てをしている姿が視界に入る。


病院に着いた。


待機していた看護師さん達があわただしく動いている。


何か声をかけられているけど、よくわかんない。


手が血だらけになっているのはわかる。


結婚指輪も血だらけになっていた。


気が着いたら、病院の綿のガウンみたいな服を着ていた。


点滴が視界に入る。


すると、真っ赤な目をしたスーツ姿の雅樹が覗き込む。


「目が覚めた?」


麻酔かな。


体が重い。


でも太ももの傷は余り痛くない。


続いて弟の圭介が覗き込む。


「…あれ?圭介?」


「ねーちゃん、起きた?」


「どうして圭介がいるの?」


雅樹が「俺が呼んだ」と言う。


「ねーちゃんが刺されたって言うからびっくりしたよね。仕事放り出して来たよ」


よく見たら、弟もスーツを着ている。


「母さん達はまだ知らない」


「そっか」


看護師さんが来た。


「目が覚めたみたいですね。痛みはどうですか?」


「今は余り感じないです」


「今、先生呼んで来ますね」


「はい」


それからすぐに40代くらいの眼鏡をかけた女医さんが来た。


「長谷川まりさんですね」


「はい」


「幸い、深さはそうでもありませんでしたが、切れた幅が広かったので20針縫いました」


分かりやすく説明してくれた。


「ただ、出血が結構ありました。きちんと処置しましたので大丈夫ですよ」


「ありがとうございます」


雅樹に「ご主人ですか?」と聞く。


「はい」


「警察の方がいらしてます。入室許可はしています」


そう言って女医さんは部屋を出て行く。





No.184

女医さんと入れ替わりで、何人か刑事さんが入って来た。


「お辛いところ、本当にごめんなさいね」


そう言ってドラマとかで見る警察手帳をパカッと開く。


弟が足元のレバーをぐるぐる回し、上半身を起こしてくれた。


「長谷川雅樹さんは、どちらでしょう?」


年配の刑事さんは雅樹と弟を見る。


雅樹が「私です」と答える。


刑事さんが「こちらは?」と弟を見る。


「私の実弟です」


私が答える。


弟は軽く会釈。


「早速なんですけどね、長谷川さん、今回の刺された時の事を教えて頂きたいんです」


雅樹が事情を説明してくれた。


刺した相手は元彼女、3日程前に会社に突然やって来た事、スーパーの駐車場でばったり会って、ちょっと話したらいきなり私の太ももを刺した事、嘘偽りなく全て話した。


年配の刑事さんの後ろにいた若い刑事さんが一生懸命メモをとっている。


「長谷川さん、あのね、不倫とかしてました?」


「してないです!全く身に覚えないですよ!刺した相手は日にちまでははっきり覚えてませんが、もう5年も前に別れてます。別れてから一切会っていませんし、連絡先も消して、私の携帯は変えました。3日程前に会社に来たのが、別れてから初めて会いました」


「うーん、わかりました。また来ます。大変な時に申し訳ない」


そう言って帰って行った。


弟が「不倫してたんすか?」と雅樹に聞く。


雅樹は「してない!事実無根!誓ってない!」と全力で否定。


弟は「でも、警察の人、不倫疑ってますよ、不倫のもつれみたいに思われてそう」と真顔で話す。


「迷惑な話だ」


「ねぇ、私ってすぐ退院出来るの?」


「しばらくいるよ」


「えっ?私が休んだら、渡辺さんが1人になっちゃう!それはダメ!」


「明日から田中さんが戻るから大丈夫」


「本当?少しよくなったんだ」


「…さっき、牧野に電話したら、田中さんが出てくる事になった。田中さん本人とも話したけど体調はいいらしい」


「そうなんだ」


「入院当日の今日だけは夜もいれるらしいんだ。俺、一旦帰って、まりの必要な物を持って来るよ。服も血だらけだし」


大きな透明の袋に入った私が着ていた服。


想像以上に血だらけで驚く。


もう、この服はダメだなー。気にいってたんだけどな。




No.185

雅樹は一旦帰宅。


「ねーちゃん、母さんには伝える?長谷川さんに絶対罵声浴びせるのは目に見えてるけど」


「頼むから、今は止めて!彼、今ちょっと…ね、わかるでしょ?」


「元カノが、自分の嫁さん刺しちゃったんだもんな。複雑だな」


「頼むから言わないで。事後報告にする」


「わかった。黙っとく。ねーちゃん、1週間くらいは入院だって。抜糸まで」


「そんなに!?」


「新婚早々、災難だったな。同情するよ」


「ありがとう」


「あんた、仕事大丈夫!?」


「うん、多分」


「明日も仕事でしょ?帰りなよ」


「うん。長谷川さんが来たら帰る。びっくりしたでしょ?いきなり刺されて」


「びっくりし過ぎたら、人間って思考回路が停止するんだね。余り覚えてない」


「だよな。ちょっと指を切っただけでびっくりするのに、20針縫う怪我だもんな」


「また傷が増えちゃったよ」


「呑気だな」


「相手は刑務所入るのかな」


「どうなんだろうね。これって傷害罪だよね?暴行罪?」


「わかんない」


「とことん訴えてやれよ。刺されたんだぞ?」


「うん」


「ねーちゃん、大丈夫か?頭働いてるか?ショックデカいよなー」


「うん」


「…心配だな」


「多分、大丈夫」


「縫ったところ、痛くないの?」


「何でかわかんないけど、今は余り痛くない。薬が効いているのかな?」


点滴を指差す。


「かもなー」


雅樹が戻って来た。


「まり!とりあえずまりがいつも使っているタオルとか歯ブラシとか持って来た!後は着替えも。あと必要なものは、明日準備するよ」


「仕事は?」


「牧野に事情を説明したんだ。明日は休めって言ってくれたから休む事にした。だから今日は病院泊まって、明日もいる。あっ、まりの車はちゃんとうちに帰ってるから心配しないで!」


「ありがとう」


弟が「じゃあ、俺帰るよ。明日また来るから。長谷川さん、お願いします」と雅樹にお辞儀。


「今日はありがとうございました。気をつけて」


雅樹が圭介を送り出す。


「俺、ずっと側にいるから!まり、本当に申し訳ない」


雅樹が私の頭を撫でながら、ずっと側にいてくれた。









No.186

雅樹はずっと居てくれた。


私は、いつの間にか寝てしまったみたいで、目が覚めると、外が明るい。


雅樹も奥の簡易ベッドみたいなところで寝ていた。


「おはようございます!長谷川さん。検温のお時間です」


看護師さんが入って来た。


そのうち声で、雅樹が起きた。


「36,7度ですね。痛みはどうですか?」


「少し痛み出してます」


「先生に伝えておきますね」


点滴も取り替えて、部屋を出て行く。


雅樹が「まり、おはよう」と声をかけてきた。


ちょっと眠そう。


「おはよう、帰って少し寝てきたら?」


「大丈夫。縫ったところ痛いの?」


「少しね。でも大丈夫」


雅樹は近くに来て、また私の頭を撫でる。


「前回のまりの入院の時はいてやれなかったから、今回はずっといてあげたい」


「ありがとう」


「俺のせいでまりが刺されたんだ。また、まりを助けてあげられなかった。申し訳ない」


「いきなりだもん。逃げられなかったし、どうしようも出来なかったよ。でも、足以外は大丈夫!」


「まり…」


「顔を洗って来たらいいよ。私はタオルを濡らして来てくれるとうれしいな」


「わかった!待ってて!」


雅樹はタオルを濡らしに行き、顔を拭いてくれた。


「ありがとう、気持ちいいよ」


さっぱりした。


しばらくお風呂はダメだろうしね。


雅樹は、頭を撫でてくれたり、手を握ってくれたり、話しかけて来たり、ちょっとしたお使いに行ってくれたり、ずっと近くにいてくれた。


面会時間になると、スーツ姿の千葉さんが来た。


「今朝牧野から聞いた。加藤さん、怪我大丈夫?」


「ありがとうございます。大丈夫です」


雅樹は、ベッドの下のレバーをぐるぐる回し、起こしてくれた。


「でも無事で良かった。意外に元気そうだね」


「足以外は元気なので」


「無事で何より。会社ではすごい騒ぎになってるぞ。長谷川の不倫相手が加藤さんを刺した事になっているから訂正して歩いてる」


「そんな事になってるんだ」


「俺らより前にいるやつは、あの女の事を知ってるから同情しているけどな。長谷川、会社帰ったら、部長に呼ばれるかも。俺と牧野、部長に呼ばれたから」


「あー。わかった」


雅樹は答える。










No.187

仕事が終わる時間になると、牧野さんと田中さんが一緒に来てくれた。


「加藤さーん!」


田中さんが飛び込んで来た。


「大丈夫?牧野さんから聞いて、心配で心配で…!」


そして泣き出した。


「大丈夫です!足以外は元気です」


「あの女、信じられない!加藤さんを刺すなんて!でも、無事で良かったー!」


奥で牧野さんと雅樹が話している。


牧野さんが「加藤さん、大変だったね。大丈夫?」と言って来た。


「大丈夫です。ありがとうございます」


「田中さん、今日仕事になってなかったよ。ずっと加藤さん大丈夫かなって言ってて」


牧野さんが言うと「だって、刺されたんだよ?今、加藤さんの姿を見るまでどんなに心配だったか!」と田中さんが牧野さんに言う。


「加藤さん、赤ちゃんがびっくりしますよ!私は大丈夫です」


私が言うと「加藤さーん!」と言って抱きついて来た。


「会社では、長谷川さんが不倫している事になってるし、長谷川さんはそんな人じゃない!って言っても、ひそひそ話しているやつがいて頭にきちゃう!」


田中さんは怒っている。


「あの女、絶対許さない!」


牧野さんが「今日、総務部のやつと田中さん、喧嘩してたんだよ。へらへらと「加藤さんって長谷川さんの不倫相手に刺されたとか、すごいよね。長谷川さんって、なかなかやるよね」って言われてて、田中さんがぶちギレて喧嘩してた。止めるの大変だった」と話す。


「だって、あの言い方はひどい!刺されたのは事実だけど、長谷川さんは不倫する人じゃない!あいつの事嫌いだし、もう我慢出来なかった!ほんと嫌い!性格悪すぎる!」


こんなに怒っている田中さんは初めて見た。


こんなに私達のために怒っている。


「俺、明日会社に行った方が良さそうだね」


雅樹が言う。


「俺も千葉も協力するよ。とりあえず明日は会社来い」


牧野さんが言う。


「何より部長が心配していたから、一回部長と話した方がいいと思うよ」


「ありがとう、そうする」


その後もしばらく牧野さんも田中さんもいたが、2人で帰って行く。


雅樹が見送った。









No.188

翌日、雅樹は会社に行った。


おしっこの管も取れた。


歩いて行きたいけど、歩くと痛い。


何より、縫ったところが開くんじゃないか?って思って怖い。


松葉杖を病院から貸してもらい、片足でけんけんしながら移動。


デイルームみたいな場所に自販機と椅子とテーブルがあり、そこに座って置いてあった雑誌を見ていた。


するとちょっと離れた場所に座っていた、入院患者と思われる年配の女性が話しかけて来た。


「お姉ちゃんはどうしたの?骨折でもしたの?」


「いえ、ちょっと足を怪我をしまして…」


「あらそうなの。若いのに可哀想だねぇ…」


「いえ…そちらはどうされたんですか?」


「私は、膝の手術をしたんだよ。もう年だから、なかなか直らなくてね。お姉ちゃんは若いから、すぐに退院出来るよ」


「ありがとうございます。膝、お大事になさって下さいね」


「ありがとう。お姉ちゃんって、あそこの部屋の人?」


「そうです」


「前に警察来ていなかった?何か事故に巻き込まれたの?」


「…まぁ、そんな感じです」


「物騒な世の中だよねぇ。気をつけるんだよ」


「ありがとうございます」


「私は部屋に戻るよ。もう少しで孫がお見舞いに来てくれるんだ」


「そうなんですね!いいですね。お孫さんも心配でしょう」


「孫って言っても、もう社会人なんだけどね。お姉ちゃんくらいかな?じゃあ、またね」


「はい!」


よいしょ!の掛け声と共に年配の女性は、笑顔で会釈して部屋に戻る。


入院患者同士話すのはよくある光景。


ここに座って見ていると、色んな入院患者さんがいる。


年配の方が多い印象。


年配の方同士話をしていたり、面会に来た方とここで話していたり。


「そろそろ部屋に戻るか」


松葉杖をつきながら部屋に戻る。


ベッドに横になるのも時間がかかる。


「…暇だな」


テレビをつける。


ワイドショーをやっていた。


いつの間にか夕飯時間になり、配膳された。


今日のメインは煮魚。


栄養がしっかり考えられているんだなー。


私も雅樹に、こうして栄養を考えて作れる様に参考にしよう。


ハンドバッグから、いつも入れている小さなノートとボールペンを出し、メニューを書き込み、テレビを見ながら晩御飯を食べる。








No.189

食べ終わった頃に、仕事帰りの雅樹が来た。


「まり!ただいま」


「お疲れ様でした」


「晩御飯食べてたの?」


「うん。今日は煮魚だった。これから配膳の人が下げに来てくれるみたい」


「俺もお腹すいたな。帰りに適当に食べて帰るよ」


「松葉杖ついてだけど、歩ける様になったんだよ!」


「まりは頑張ってるね」


「今日、会社でどうだった?」


その時に配膳の方が入って来た。


「失礼しますー。長谷川さん、終わりました?」


「はい!ありがとうございます!」


「下げますよー」


そう言って配膳の方が食べ終わった食器を下げてくれた。


雅樹が「会社に行ったら、みんな一斉に俺を見て、やりにくかったなー。部長に呼ばれて、今回の事を話した。騒ぎになった事を謝罪した。騒ぎの原因は俺だしね。まぁ…仕方ないな。会社にプライベートを持ち込むなって怒られた。でも部長には理解してもらえたし、わかってもらえる人もいるし、騒ぎたいやつは騒いでいればいいんだよ」と言って悲しく笑う。


何か辛くなる。


雅樹、何にも悪くないじゃん。


その時、部屋のドアをノックされた。


雅樹が対応した。


出入り口で話している声がする。


私が松葉杖を使ってドアのところに行く。


50代くらいのご夫婦がいる。


「あの…どちら様でしょうか?」


すると旦那さんが「この度は、娘が大変な事を!本当に申し訳ございません!」と言って謝罪してきた。


奥さんの方が「警察にいる娘に代わりまして、謝罪に伺いました。松本えみの母です」と言って、深々と頭を下げた。


「…どうぞお入り下さい」


「失礼致します!」


元彼女のご両親。


元彼女のお父さんが松葉杖をついて立っている私の足元で土下座をしている。


続いてお母さんも土下座。


「本当に申し訳ありませんでした!」


何度も何度も頭を床に擦り付け、お母さんは泣きながら土下座をしている。


雅樹は黙って見ている。


「いえ、そんな…頭を上げて下さい」


私が言うも、ご両親はずっと頭を下げている。


「治療費、入院費全てこちらで負担します!入院にかかった全ての費用も全て負担します!慰謝料もお支払します!なので、あつかましいのは承知のお願いです!示談にして頂けないでしょうか?」












No.190

「娘が長谷川さんにした事は、決して許される事ではありません!でも、やはり娘にも将来があります!どうか、示談にして頂けないでしょうか!お願いします!」


「…とりあえず、頭を上げて下さいませんか?」


私が言う。


雅樹は唇をギュッと噛んで無言。


「急な話で、突然言われてもちょっとわからなくて」


両親は床に正座の状態。


「…こちらにおかけ下さい」


丸椅子が2つ並んでいるところをさした。


雅樹が話す。


「ご無沙汰しております。以前は色々とお世話になりました」


「長谷川さん、この度は本当に申し訳ない事をしました。娘が長谷川さんと寄りを戻す!と話しておりましたが、まさかこんな事になっているとは思っておらず…」


「私は今、結婚しまして、妻と普通に暮らす予定でした。しかし、今回大事な妻をえみさんが刺すという事件を起こしたばかりに、私達夫婦、会社にもえみさんは多大な迷惑を掛けました。ご両親のえみさんを思う気持ちもわかりますが、私は大事な妻にこの様な事をしたえみさんを許す事は出来ません」


淡々と話す雅樹。


「確かに以前はえみさんとお付き合いをして、ご両親にもご挨拶をさせて頂きました。しかし、今はえみさんと別れてから5年も経ちます。突然会社に来て騒いだり、妻を刺した事で、私は一生懸命働いて来た会社で今、針のむしろ状態です。お互いに別々の道を進むと決めて別れたはずです。今更こんな事になるとは思いませんでした」


黙るご両親。


「妻の入院費、治療費、働けなかった分のお給料等も含めて然るべき機関に相談させて頂き、後日ご請求致します。しかし示談に乗る気は一切ありません。妻への真摯な謝罪なら受け入れます。しかしえみさんを示談にしてほしいための謝罪なら、お引き取り下さい」


うつむいたまま黙るご両親。


雅樹の目が怖かった。


私はただ、黙っているしか出来なかった。


元彼女のお父さんが持っていたセカンドバッグから封筒を出してきた。


「300万円あります。治療費、入院費、こちらから出して下さい」


雅樹に手渡すも「お受け出来ません。後日、ご請求致しますので、そちらからお願いします」と返した。






No.191

元彼女のご両親は、300万円が入った封筒を無理矢理に雅樹に渡すも、雅樹は頑として受け付けない。


「これ以上は不要です。お引き取り下さい」


そう言ってお辞儀をする。


ご両親は何か言いたそうにしていたけど、そのまま帰って行った。


「あー!」


雅樹が、さっきまでご両親が座っていた丸椅子に座り、髪をぐちゃぐちゃっとしながら叫ぶ。


「俺は、どうしたらいいんだよ!」


そう言って、膝で握りこぶしをぐっと作り,下を向き目をつぶる。


こんな雅樹、見たことがない。


「雅樹…」


「まり、ごめん。本当にごめん」


「…」


何も声をかけられない。


そのまま沈黙が続く。


雅樹が「…また明日来るよ」と言う。


「…うん」


私は返事をする。


雅樹は無言で私をギュッと抱き締めて帰って行く。


胸が苦しくなる。


涙が出てくる。


スーツ姿の弟が来た。


「あれ?長谷川さんはいないの?ねーちゃん、長谷川さんと喧嘩でもしたの?」


私は圭介に、さっきまで元彼女のご両親が来ていた事、雅樹が話した事をざっくり伝える。


弟は黙って聞いている。


「俺、ちょっと長谷川さんと会って来る。また来る」


そう言って部屋を出て行く。


消灯時間になっても眠れない。


そして涙が出てくる。


翌朝。


看護師さんの「検温の時間ですよ」の声で目が覚める。


「おはようございます」


「36,5度ですね。点滴も交換しますね」


「はい」


毎朝の仕事を淡々とこなす看護師さん。


朝御飯の時間。


余り食欲がない。


配膳の方が「あら、全然食べてないじゃない。大丈夫?」と心配してくれる。


「何か、食欲なくて…すみません」と私が言うと「これだけでも飲みなさいよ?」と言って、朝御飯についていた紙パックの牛乳を置いていった。


担当の女医さんが、看護師さんと一緒に来た。


「おはようございます。痛みはどうですか?」


「今はだいぶ良くなりました」


「ちょっと傷口見せて下さいね」


そう言って、病院着をめぐり傷口を見る。


「だいぶいいですね。金曜日、抜糸しましょう」


「抜糸したら帰れますか?」


「問題なければ帰れますよ」


「ありがとうございます」


早く帰りたい!













No.192

ちょっと暇な時間になる。


一階にある売店に行ってみる。


松葉杖を使い、けんけんではなくゆっくり歩く。


少し突っ張った様な痛みがある。


エレベーターで一階に降りて、売店を覗く。


イラストロジックの本を見つけた。


たまにやると面白い。


鉛筆と小さな消しゴムも買う。


一緒にペットボトルのお茶と、いつも会社で食べてるグミを買った。


買い物袋をぶら下げて、ゆっくり歩いていると、後ろから「あれ?加藤さん?」と声をかけられた。


ゆっくり後ろを振り返ると、兄の結婚式で会った私服姿の林くんがいた。


「どうしたの?入院してるの?」


「ちょっと足を怪我してね。林くんはどうしたの?」


「ずっと腰が痛くて、有給取って検査に来たんだよ」


「終わったの?」


「いや、まだあるんだけど、次の検査まで40分くらい待つから、売店でも行ってみるかなと思ってたら、加藤さんがいたんだよ」


「そうなんだ」


「大丈夫?荷物持つよ?」


「大丈夫、ありがとう」


「加藤さんが良かったら、そこの椅子に座らない?」


売店を出てすぐの出入り口のところに、ちょっとした休憩スペースみたいなところがある。


そこに移動し、買い物袋を林くんに持ってもらい、松葉杖を使ってゆっくり座る。


「何か辛そうだね」


「まだ抜糸していないから、突っ張った様な痛みがあるんだ。でも今朝、先生から金曜日に抜糸って言われたんだ!」


「良かったね!足、どうしたのか聞いていい?」


「うん。刺された」


「はっ?刺された?」


驚く林くん。


そりゃそうだ。


でも嘘じゃないもん。


簡単に事の経緯を説明。


「大変だったね。でも傷も深くなくて良かった」


「ありがとう。そういえば、兄ちゃんの結婚式の時に話していた彼女とは別れられたの?」


「おかげ様で!今はフリーなんだ。しばらく彼女はいいかな?」


「私はちょっと前に結婚して、今は長谷川なの」


「おめでとう!人妻かー。あっ、でも知らない男と話していたら、旦那さんが怒らない?」


「ここで同級生と話しているだけだもん。怒らないよね(笑)」


「確かに(笑)」


「何階に入院してるの?」


「5階の外科と整形外科病棟」


そんな話を林くんとしていた。





No.193

林くんが呼ばれた。


「あっ!俺、呼ばれてる!じゃあ加藤さん、また!」


「うん」


林くんは手を振って、呼ばれた場所まで行く。


私も手を振る。


私は立ち上がり、買い物袋を持って、またゆっくりと歩き、病室に帰って来た。


グミを食べる。


ガムが余り好きではないため、グミをよく食べる。


程よい弾力があるグミが好き。


グミを食べながら、買ってきたイラストロジックを開く。


簡単なやつから解いていく。


久し振りにやるイラストロジック。


面白くなり、もくもくやっていた。


「長谷川さーん!お昼ですよー!」


配膳の方がお昼ご飯を持って来た。


「あれ?もうお昼なんですか?」


「そうですよー!」


お昼ご飯はお蕎麦だ。


「頂きます」


少し食欲も戻り、テレビを見ながらお蕎麦を食べる。


薄味だけど美味しい。


ご飯も食べ終わると、昨日眠れなかったからか、急に睡魔が襲う。


いつの間にか寝てしまっていた。


ふと、人の気配を感じて目が覚めた。


雅樹がいた。


「あっ、まり起きた?起こしたら悪いと思って、静かにしていたつもりだったんだけど、起こしちゃった?ごめんね」


いつもの雅樹。


「あれ?今日は早いんだね」


「うん。今日仕事休んだ」


「そうなの?」


「ちょっと色々、用事を足したくてね」


「そっか」


「売店行って来たの?イラストロジック、面白いよね」


「うん。売店まで歩いてみたの。ちょっと突っ張った様な痛みはあるけど、大丈夫だった!あとね、今朝先生が、金曜日に抜糸しましょうって言ってたの。抜糸して問題なければ帰れるって!」


「やった!もう少しじゃん!」


「うん。早く帰りたい!」


雅樹は笑顔で私の頭を撫でてくれる。


お風呂に入れてないから、ちょっと抵抗はあるけど、でも嬉しい。


雅樹の「用足し」についてはふれない。


時期が来たら、雅樹から話してくれると思うから。


今日は、いつも以上に雅樹と一緒にいれる。


雅樹の大好きな笑顔。


見ているだけで元気になる。


仕事終わりに、牧野さんと田中さんも来てくれた。


田中さんが「私、牧野になりましたー!」と言って、結婚指輪を見せてくれた。


「おめでとうございます!」


私も嬉しい。


No.194

退院の日。


雅樹は休みを取り、病院まで迎えに来てくれた。


精算も終わり、車に乗り込む。


久し振りの我が家。


雅樹はキレイに片付けていてくれていた。


「やっぱり我が家が一番だね!」


「そうだろ?片付けておいたんだぞ!」


「ありがとう」


ソファーに座る。


落ち着く。


「まり、今日はゆっくりしたらいいよ。晩御飯は退院祝いでピザでもとろうか?」


「ピザ食べたい!」


「よし、決まり(笑)」


そして雅樹が「まり、足の傷見せて」と言って来た。


スカートだったため、ちょっとまくって太ももを出し、ガーゼを取る。


まだ生々しい傷跡。


雅樹は険しい顔をして傷を見る。


「でもね、時間が経てば、だいぶ目立たなくなるって、先生が言ってたよ!」


「…」


雅樹は黙った。


私も黙る。


「ありがとう」


私はスカートをおろす。


ついでに、もらって来た塗り薬を塗り、ガーゼを取り替える。


その様子を黙って見ている雅樹。


股を開くから、ちょっとだらしない格好になってしまう。


でも仕方ない。


雅樹が「まり。俺、弁護士の先生に相談してきたんだ。圭介くんの紹介」と話す。


弟が病院に来た日。


「長谷川さんに会いに行って来る」と言っていた日。


圭介は雅樹に電話をした。


うちで会う事になり、圭介がうちに来た。


知り合いに弁護士の先生がいる、と言ってその場で圭介が電話をしてくれた。


弁護士の先生は休みだったが、圭介の紹介なら、という事で時間を作って会ってくれた。


そこで色々相談をした。


示談にはしない。


でも、現状は実刑ではなく、執行猶予の可能性が高いかもしれない。


それなら2度と雅樹に近付かない様に何とかしてほしい。


私の入院費や治療費を請求したい。


そういった事を相談した。


弁護士の先生は力になってくれる事になったから、向こうとの話し合いは弁護士の先生を介して話をする事になると。


直接、元彼女には会いたくないし、もう金輪際関わりたくない。


弁護士という力強い味方が出来た。


何かあれば、弁護士の先生から雅樹に連絡が入る事になっていた。













No.195

職場に復帰。


刺された私に、興味半分で色々聞いてくる人もいたが「覚えてないです。忘れました」で貫いた。


歩き方はちょっとおかしいけど、別に困る事はない。


部長に別室に呼ばれた。


雅樹を見る。


雅樹が頷く。


部長が「加藤くん。大変だったね。もう大丈夫なのか?」と話す。


「はい、大丈夫です。ご心配とご迷惑をおかけしました」


「長谷川くんにも話したんだが、来年、うちの会社の支社が出来るんだ。長谷川くんと一緒に支社に移ってもらう事は出来るか?」


「えっ…左遷ですか?」


「いや、栄転だ。支社長は私がなる予定なんだが、仕事が出来る長谷川くんには私を助けてもらいたいと思っている。その妻である加藤くんにも、事務員として支えて欲しい」


「でも私、退職予定ですし…」


「和也さんの希望でもあるんだよ。支社が出来る話は前からあったが、やっと本格的に動く事になったんだ。起動に乗るまで頑張ってもらえないかと」


「…考えてみます。長谷川さんとも相談してみます」


「実は、今回の事で会社に迷惑をかけたと、長谷川くんが辞表を提出してきたんだ」


「えっ!?そうなんですか?」


知らなかった。


「でも、長谷川くんが辞めてしまうのは非常に残念だ。そこでこの話をさせてもらった。もちろん和也さんや奥さんも了承している」


「ありがとうございます」


「まだ皆には話していない。私は君たちを信じて話をした。考えておいてくれ。辞めるのはいつでも辞められる」


「はい」


「無理せず、ゆっくり仕事に戻りなさい」


「ありがとうございます」


怒られると思って、びくびくしながら部長と一緒に来たけど、まさかの話に驚いた。


雅樹、辞表を出してたんだ。


でも部長はそんな雅樹を引き留めて、直接和也さんと奥さんに掛け合ってくれた。


感謝しかない。


支社が出来るまでは、本社になるここで頑張れって事なんだよね。


雅樹の不倫の話は鎮火しつつあるけど、皆の興味が私に向かっている。


とりあえず、この期間を我慢出来れば、支社に移れる。


それまで「覚えてない」で通そう。




No.196

その日の夜。


雅樹に聞いた。


「今日、部長から聞いた。辞表を提出してたの?知らなかった」


「うん。何か、何もかも嫌になって」


「そっか…」


「でも部長、こんな俺でも引き留めてくれた。支社が出来るから、そっちで俺をしっかり支えてくれって言われた時は嬉しかった」


「うん」


「こんな俺でも、仕事は一生懸命頑張って来たつもりでいたけど、今回の事で何もかも終わったと思ったんだ。まりの事も心配だったし、精神的にヤバかった」


黙って話を聞く。


「会社に行けば、心ない一言は言われるしな。でも、牧野や千葉、田中さんも俺の事を色々とフォローしてくれた。有り難かったよ」


「…うん」


「まりがいない席を見て、何度も落ち込んだよ。俺のせいでって自分を責めたよ。でも、圭介くんが明るくてね。助けられたよ」


かなり思い詰めていたんだな。


「圭介くんが「ねーちゃんは太もも刺されたくらいじゃびくともしませんよ!大丈夫です!ねーちゃんなら!あー見えて体だけは丈夫ですから!」と言って彼なりに励ましてくれた。元気出たよ」


ありがとう、圭介。


「まり。俺、まりの支えになれてるのかなぁ?」


「雅樹は十分私の支えになってくれているよ!私も目一杯、雅樹を支えていきたいし、ずっと一緒にいたい。一緒に乗り越えていこうよ!私達は絶対大丈夫!」


「ありがとう、まり」


雅樹はギュッと私を抱き締めて、キスをしてくれた。


「本当にありがとう」


大丈夫だよ。


雅樹には私がいる。


私には雅樹がいる。


牧野さんだって、千葉さんだって、田中さんや立花さんもいる。


お互いの家族もいる。


みんなに助けられながら、助け合いながら、頑張っていこうよ。


今はちょっとした壁にぶち当たっているけど、私達なら乗り越えられるよ。


絶対大丈夫!


「…まりを抱きたい!でも抱けない!つらいなー!」


いつもの雅樹に戻った。


太ももの傷のガーゼがきちんと取れるまではお預け。


傷口開いてしまいそうで怖い。


そんなホラー、耐えられないよ。



No.197

立花さんが、予定日より1ヶ月ちょっと早く第2子を出産。


でも母子共に元気。


田中さんと一緒に、面会に行く。


立花さんがいない間に色んな事があった。


田中さんの少し出たお腹を見て驚き、私の太ももの傷を見て、更に驚く。


切迫早産で入院していたため、余り余計な心配はかけたくなかったし、田中さんは立花さんを驚かせたかったみたいで、会う時まで黙っていた。


「私がいない間、いったい何が起きてたの?ついていけないんだけどー!」


立花さんが赤ちゃんを抱っこして叫ぶ。


田中さんが立花さんの赤ちゃんを見る目は既にママの顔。


優しい笑顔で赤ちゃんを抱っこ。


「次は田中さんの番ですね」


私が言うと、立花さんが「陣痛は痛いよー(笑)」と笑いながら言う。


田中さんは「牧野さんとの子供だもん!頑張る!」と笑顔。


私も赤ちゃんを抱っこ。


可愛い。


旦那さんと上の子が、立花さんの病室に来た。


旦那さんにご挨拶。


もう上の子はすっかりお兄ちゃんになってる!


早いなー。


私が抱っこしていた赤ちゃん。


お兄ちゃんに見せようと思ったけど、私はまだうまくしゃがめないため、立花さんに赤ちゃんを渡す。


「優斗!おいで!」


お兄ちゃんに声をかける。


お兄ちゃんは、赤ちゃんの頭を小さな手で優しく撫でながら「可愛い」と笑顔。


「優斗くんもお兄ちゃんだね!」


「うん!」


嬉しそうに返事をする。


いいな。


幸せな気持ちになる。


立花さんは体調を見ながら仕事復帰する。


家に帰ると、雅樹が晩御飯を作ってくれていた。


「立花さんの赤ちゃん、可愛かった!癒されてきた」


「それは良かった」


雅樹が作ってくれたご飯を食べながら、色々話す。


私がずっと立つとまだ足が痛いので、洗い物も雅樹がしてくれた。


「ありがとう」


「これくらいならいつでも!」


こんなにいい旦那いないな。


私は幸せ者だよ。








No.198

会社に出勤すると、ちょっと苦手な総務部の女性が話しかけて来た。


「加藤さん、刺された太ももの傷見せてよ」


そう言って、ニヤニヤしている。


「何故見せる必要があるんですか?」


「私が見たいから」


「見てどうするんですか?」


「どうもしないわよ」


「じゃあ見せません。見せ物ではないので」


「長谷川さんと結婚したからって生意気なのよ!」


「あなたに言われる筋合いはありません」


すると、いきなり私の頬を叩いた。


「なんで、あんたみたいな女が長谷川さんと結婚してるのよ!」


どうやら雅樹の事が好きだったらしい。


雅樹、モテるな。


騒ぎに何人がの人が集まる。


「叩いて気が済むならどうぞ」


パシーン。


また叩かれた。


ちょっと痛い。


すると奥にいた牧野さんがこっちに走って来た。


「何をしているの?」


「ほっといてもらえますか!?」


私を叩いた人がヒートアップしている。


彼女の周りにいた人が止めに入る。


また叩かれた。


3回目。


さっきよりは痛くない。


でも頬がじんじんしている。


雅樹が出勤してきた。


騒ぎに気付き、こっちを見ている。


「どうしたの?」


彼女の周りにいた人達が「よくわかんないですけど、彼女が加藤さんの頬を何回か叩いていて…」と雅樹に報告。


雅樹は「何故、加藤さんの頬を叩いたの?理由を教えて」と聞く。


黙る彼女。


「何か理由があったんでしょ?理由を教えて」


雅樹が言うも、彼女は黙ったまま。


「とりあえず加藤さん、席に行きなよ」


近くにいた総務部の人に言われて、私はその場を離れた。


頬が痛くなって来た。


田中さんと渡辺さんが当番から戻って来た。


「どうしたの?」


「彼女に頬を叩かれました」


「えっ!?何で?」


「いきなり、太ももの傷を見せてよって言われて断ったら、なんであんたみたいな女が長谷川さんと結婚してるのよ!生意気なんだよと言われて叩かれました」


「何だそれ。意味わかんない」


とりあえず騒動はすぐ落ち着いたけど、しばらく頬がじんじんしていた。


交通事故に巻き込まれた気分だよ。











No.199

前からこの人、どうも好きじゃない。


年は2つ上なんだけど、私と同期。


名前は平野さん。


部署も違うし、滅多に話もしないから同期とはいえ全然知らない。


私が一生懸命作った書類を平気でなくしたり、あんたより私が上という考えで意地悪してくる。


席も離れているし、流せば問題はなかったが、今回の様に叩かれたりしたのは初めて。


私も言い返したのは初めてだけど。


田中さんは「何、あの女。事務を見下してさ。私もきらーい。あの女と仲がいい川上さんと喧嘩したんだよ。長谷川さんが不倫してるって騒いでいた時ね。あーいう性格にはなりたくないわ」と怒っている。


向こうも平野さんと川上さんがこそこそ話している。


昼休み。


平野さんと川上さんが珍しく、私の席に来た。


雅樹も田中さんも見ている。


「ちょっと加藤さんに話があるの」


「何でしょうか?」


「ちょっと来てくれる?」


「ここでは話せない話ですか?」


「いいから来てくれる?」


「どう言った話ですか?」


「いいから来いよ」


田中さんが「私も行く。あんた達も2人いるんだから問題ないよね」と一緒についてきてくれた。


更衣室に連れて行かれた。


田中さんが私の後ろで何かもぞもぞしている。


「ねぇ加藤さん、不倫相手に刺された時ってどんな気持ち?」


川上さんが笑いながら言う。


「あんたさ、何私に歯向かってんの?だから不倫されて刺されるんだよ」


平野さんが言う。


「私なら不倫なんてさせないけどなー。長谷川さんが可哀想!」


「用件はそれだけですか?」


「あんた、いつ辞めんの?早く消えてくれない?目障り」


平野さんが言う。


「私は別に仕事では迷惑かけてませんが」


「あんたが嫌いなの。長谷川さんと結婚してから調子に乗りやがって」


「別に乗ってませんけど」


「そういう態度が気に入らないんだよ。生意気なんだよ」


そう言って、私をドンと突き飛ばした。


私はよろける。


「刺された傷みせろ」


足をつかまれた。


「ふっとい足!」


平野さんと川上さんが笑っている。


「やめて下さい」


「口答えすんな。早くみせろ」


すると田中さんがすごい勢いで私の前に周り、足をつかんでいる川上さんの髪を無言で引っ張り引き離す。

No.200

「何するんだよ!離せよ!痛いって!」


川上さんが私の足から手を離し、田中さんに力いっぱい引っ張られている髪を押さえる。


田中さんは、見た事もない様な怖い顔をしている。


それを見て平野さんが「牧野さんとやりましたっていうその腹で調子に乗んなよ!」と言って、お腹を蹴ろうとした。


田中さんは、川上さんの手を離し、平野さんを突き飛ばした。


えっ!?


田中さんって…昔、やんちゃしてた時があったとは聞いていたけど…喧嘩慣れしてる?


田中さんが「あんたらさ、もう大人なんだから、小学生みたいないじめ、やめたらいいよ。恥ずかしい。川上さん、もう30歳越えて言うのも恥ずかしいんだけど、私の事覚えてる?あんたとよくロータリーで集まっていたじゃない」と言う。


田中さんはレディース上がりだった。


川上さんは「…あっ!」と言った。


田中さん、今はすっかり大人しい姿だが、川上さんの怯えた様な目で昔は相当怖かった事がわかる。


「もう20年以上前だけど、あんた相変わらずだねー。気付いていなかったみたいだから黙ってたんだけど。これ以上、加藤さんに何かした時は、ボイスレコーダーに一部始終録音したやつがあるから、西田部長にぶちまけてやる」


それで私の後ろでもぞもぞしていたんだ。


いつもの面白い、明るい田中さんではなく、声も低く、目が鋭い。


そして平野さんに「あんたさ、そんな性格で長谷川さんに好かれようなんてバカじゃないの?身の程知れば?不倫の噂流したの、あんたなんでしょ?西田部長にぶちまけてられたくなかったら、一人一人に訂正して歩けよ!私がくだらない噂流しました。ごめんなさいって」と言う。


怖いよ、田中さん。


そして「加藤さん、こいつらほっといて戻ろう!」と、いつもの田中さんになる。


「…うん」


事務所に戻ると「お腹すいたー!ご飯食べる時間ないじゃん!加藤さん!ストックしてあるカップ焼きそばあるから、一緒に食べよー!」と、机の下から、カップ焼きそばを2つ出して、給湯室に向かいお湯を入れに行った。


田中さんって、敵に回すと怖いよ。


普段の田中さんからは想像つかない。


それから、総務部の2人から嫌がらせされる事は、一切なくなった。


見下していた事務員が、実は怖かった。


近寄れなくなるよね。





No.201

それからすぐに、平野さんと川上さんが会社を突然辞めた。


しかも、電話で「昨日付けで辞めます」という酷い辞め方。


社会人として、それはちょっとどうなんだろうか?


総務部は突然2人辞めたため、忙しそうにバタバタしていた。


田中さんが「うるさいのいなくなって良かったねー!総務部は大変そうだけど」と総務部を見て話す。


「総務部自体に恨みはないから、もし何か手伝って!って言われたら手伝うつもり!」


「私もです」


「その時は頑張ろうねー!」


「はい!」


田中さんのお腹もだいぶ大きい。


「お腹の中で、ぽこぽこ動くの!たまに、横腹辺りがむにって押し付けられてる感じがして、もう既に可愛いの!」


「性別はわかったんですか?」


「女の子かなーって先生が言ってた!」


「会える日を楽しみにしてます!」


「私も楽しみー!」


いつもの田中さん。


もう少ししたら、田中さんも産休に入る。


私も、刺された傷のガーゼが取れた。


結構酷い傷跡だけど、雅樹は顔色一つ変えない。


「やっと、まりを抱けるのかなー(笑)」


「でも、ちょっと不安」


「試してみる?」


そう言って襲われた。


久し振りの雅樹とのSEX。


雅樹は足を気遣って、いつもより優しい。


痛みはない。


大丈夫そう。


やっと雅樹との平穏な結婚生活を取り戻した気がする。


会社でも、穏やかな日々が過ぎる。


ある日の朝礼。


和也さんが支社が出来るとの話をした。


場所は隣町。


雅樹の実家がある町。


支社に行くメンバーが発表された。


話の通り、部長が支社長。


雅樹と牧野さんは支社、千葉さんと坂田さんは本社。


私と田中さんは支社、立花さんと渡辺さんは本社。


夫婦でペアにしてくれた。


立花さんとは離れてしまうんだ…。


寂しい。


他にも本社チーム、支社チームにわかれてメンバーが発表された。


足りない人員は募集をかける。


うちから支社まで車で20分くらい。


通えない距離ではない。


いよいよ支社への移動へ向けて動く。



No.202

年末に会社の忘年会があった。


やはり、私と田中さんと立花さんと渡辺さん、雅樹、千葉さん、牧野さん、坂田さんのグループがまとまり座る。


坂田さんと渡辺さんが隣同士で座り、楽しそうに話している。


立花さんが「若いっていいねー」と言って2人を見て微笑む。


田中さんが「加藤さんもまだ20代だよね?」と私を見る。


「はい、一応…」


私が答える。


このグループで、私と渡辺さんと坂田さんは20代、他のメンバーは30代。


「あれ?加藤さんって、まだそんなに若かったの?落ち着き過ぎ!」


千葉さんが笑う。


「また俺だけのけ者にされた!どうして俺だけ本社なんだよ!」


千葉さんが怒っている。


「お前まで支社に行ったら回らないだろ!」


「俺も支社に行きたいなー!…何か寂しくなるよ」


立花さんが「私もですー。千葉さん、のけ者同士で仲良くやりましょ!」と話す。


千葉さんは「立花さんよろしくー」と笑顔。


田中さんが「別れちゃうけど、たまにはみんなでご飯でも食べよー!」と話す。


「そうだねー!」


田中さんは年内でちょっと早目の産休に入る。


しばらく会えなくなる。


年末年始休暇。


結婚して初めてのお正月。


お互いの実家に顔を出す。


私の実家。


母親は上機嫌。


「長谷川さん、いらっしゃい」


「明けましておめでとうございます、お義父さん、お義母さん」


「久し振りよねー。たいしたものじゃないけど食べていって!」


お正月らしい料理が並ぶ。


弟もいた。


「明けましておめでとう、圭介くん」


「おめでとうございます。兄はもう少ししたら来ます」


「そうなんだ。せっかくだしお義兄さんにもご挨拶したい」


「千佳さんは来ませんけど、子供達は来ます」


雅樹は苦笑。


しばらくして兄が来た。


2人目の甥っ子も一緒だった。


姪っ子が、可愛いリュックを背負っていた。


「あけましておめでとーございまーす」


姪っ子からの可愛い挨拶。


私がお年玉をあげる。


「まり!ありがとう!」とニコニコしている。


雅樹が「まりって言わせてるの?」と聞いてきた。


「違うよ!いつの間にかまりって言われてた。おばさんより良くない?」


そう言うと雅樹は「確かに!」と言って笑う。


No.203

父親、母親、兄、姪、甥、弟、私、雅樹という大人数での昼御飯。


母親が色々取り分けてくれる。


雅樹のお皿に、いくらが乗ったお寿司がある。


雅樹が私を見る。


母親に「いくらが嫌いです」とは言えない。


私が食べる。


母親が上機嫌のおかげで楽しく過ごす。


空いたお皿を下げる母親に「お母さん手伝うよ」と声をかける。


「悪いわね」


兄が「母さん!ふきんある?ジュースこぼした!」と叫ぶ。


姪っ子ちゃんが飲んでいたジュースをひっくり返してしまった。


「まり、これ持ってって」


「わかった」


兄は甥っ子を抱っこしているため動けない。


私と雅樹でこぼれたジュースを拭く。


「まり、ごめんなさい」


姪っ子ちゃんがシュンとして謝る。


「大丈夫大丈夫!」


私は姪っ子ちゃんの頭を撫でて優しく声をかける。


雅樹を見て「お兄さんだーれー?」と聞いてきた。


雅樹が「まりの旦那だよ」と言うと「旦那ってなぁに?まりと結婚したの?」と聞いてきた。


女の子ってませてる。


でも可愛い。


「そうだよ、まりと結婚したんだよ。雅樹って言います。よろしくね」


「まさき?」


「そうだよ」


「保育園にも、まさきって言う人いるよ!まさき先生!」


「同じ名前だね」


「じゃあまさきだね」


雅樹は姪っ子ちゃんと話している。


それから雅樹は「まさき」と呼ばれる。


「ねぇ、まさき!一緒に遊ぼ!」


「ん?何して遊ぶ?」


すっかり姪っ子は雅樹になつく。


兄も「すっかり懐いたな」と微笑ましく見ている。


子供にもモテるのか。


母親の片付けも落ち着き、少し話をする。


刺された事は両親にはまだ言っていない。


兄は知っている。


弟が「しばらく実家にいるわ。ねーちゃんの部屋に置いてあるベッド借りるわ」と話す。


「いいよ」


布団もあるし、ちょっと直せばすぐ寝れる。


そろそろ雅樹の実家にも行く時間。


「向こうの家にもご挨拶に行くから、そろそろ行くよ。雅樹、そろそろ…」


姪っ子ちゃんと遊んでいた雅樹に声をかける。


姪っ子が「まさきも、まりも帰るの?」と寂しそうに雅樹に言う。


「ごめんね。また一緒に遊ぼうな」


「うん!」


可愛いバイバイをしてくれた。







No.204

車に乗ると「子供は可愛いな」と話し、笑顔の雅樹。


「遊んでくれてありがとう。すごく喜んでたみたい」


「懐いてくれて嬉しかったよ」


「私は、きなこちゃんに懐いてくれるといいな」


「きなこはまりの事は大好きだよ」


そんな話をしながら雅樹の実家に向かう。


ご実家に着く。


ご両親にお義姉さん夫婦に、きなこちゃんもいた。


お義兄さんとは初対面。


ご挨拶をする。


「弟さんと似てるね。面白い弟さんだね」


「ご迷惑をおかけしませんでしたか?」


「全然!楽しかったよ」


案内されて椅子に座る。


雅樹のご両親もお義姉夫婦は、私が刺された事は知っているみたいで、お義姉さんが「傷口見せて」と言って、お仏壇がある部屋に私を連れていく。


ふすまを閉めて、私はスカートをまくりあげて、パンストを脱いだ。


看護師であるお義姉さん。


「だいぶ傷口は治って来てるね。もう少し経てば、この辺の赤いのは落ち着くはずだよ!これは痛かったでしょう」


「刺された時はそんな感じはなかったんですが、縫ってからが痛かったです」


「可哀想に…まりちゃんを刺したのって、雅樹の前の彼女だよね?」


「はい」


「何度か会った事はあったけどね。余り馴染めなかったから、雅樹は彼女の何がよくて付き合っていたのかわからなかった。あっ、ごめん。パンストはいて大丈夫だよ!」


「はい」


スカートをパンツラインギリギリまで上げてパンストをはいている瞬間に、お義兄さんがふすまをガラっと開けて、何かを話しかけようとしたが、私のパンストをはいている姿を見て目を伏せて、下を向き静かにふすまを閉める。


お義姉さんと2人で笑う。


「タイミング!」


お義姉さんがそう言ってゲラゲラ笑っている。


パンストもはき終わり、お義姉さんと一緒に部屋を出る。


お義兄さんが「さっきはごめんね。見てないから!大丈夫だから!」と焦りながら謝って来た。


私は「大丈夫です!」と笑顔で答える。


お義姉さんはまたゲラゲラと笑う。


雅樹は頭に「?」が浮かんでいる様子。


こちらもお正月らしい料理が並ぶ。


美味しく頂く。


太りそう。


でも美味しい料理。


ごちそうさまでした。




No.205

私の実家に行く前に、神社へ初詣に行った。


カップルや家族連れで賑わっていた。


おみくじをひく。


2人共「大吉」


雅樹が「今年はいい1年になるといいね」と言う。


「そうだね」


「まりの今年の目標は?」


「うーん、何だろ?…事故なく、怪我なく、雅樹と生活する事かなぁ?雅樹は?」


「仕事を頑張る。まりとの子作りも頑張る(笑)」


「今年じゃなく、毎年じゃないの?(笑)」


2人で笑いながら、おみくじを張ってあるロープに巻き付ける。


「寒いから、手が冷たくてうまく巻けない」


私が言うと、雅樹が代わりに巻き付けてくれた。


甘酒の無料配布があり、雅樹と一緒に甘酒を飲む。


「温まるね」


「そうだね」


飲み終わると、近くにあったゴミ箱に紙コップを捨てて、駐車場まで歩く。


その時、雅樹が私の手を握って来た。


「去年まではこうして、手をつないで歩いた事が余りなかったから」


恥ずかしそうに手を握る。


そういえば余りなかったな。


会社の人に見られるのが怖かったから。


でも、今は手を繋いで歩ける。


ちょっとした幸せ。


雅樹の実家から私達の部屋に帰ると、ポストに年賀状が届いていた。


会社関係や、親戚、知り合い、友達。


年賀状だけはやり取りしている人もいる。


立花さんの年賀状は、子供達の写真入り。


可愛い兄弟。


牧野さんと田中さんの年賀状は、私達と同じ様に結婚の挨拶も兼ねた年賀状。


名前のところに(旧姓 田中)と印刷されているのを見て、思わず微笑む。


私も(旧姓 加藤)になっている。


結婚したんだなーと改めて思う瞬間。


千葉さんは、シンプルな年賀状。


裏に一言「今年もよろしく!また遊びに行くから待ってろよ!」と書いてある。


またいつでも遊びに来て下さい!


雅樹が「疲れたなー!シャワーしてくる」と言ってお風呂場に向かう。


雅樹が出た後に私も入る。


ベッドに入ると、雅樹が「今年もよろしくー!」と言って襲って来た。


今年最初の雅樹とのSEX。


まだ足を気遣ってくれる。


傷が増えちゃったけど、雅樹は変わらない。


今年はいい1年になります様に。


No.206

会社が始まる。


田中さんが産休に入ったためいない。


いつも賑やかな田中さんがいないため、静かに感じる。


私は、田中さんがいた席に移動。


雅樹が通路を挟んで、真正面にいる。


「よろしくお願いします」


「よろしく」


雅樹が笑顔で答える。


立花さんとは、少し離れたため、前みたいにスーっと来る事はなくなったが、真正面に雅樹がいる席。


前は余り聞こえなかった牧野さんや千葉さんとの会話も聞こえる。


机の引き出しを開けると、田中さんが使っていた文具が少しある。


ホッチキスを出すと、牧野さんとのプリクラが貼ってある。


嬉しそうな田中さんの笑顔と、ちょっとふざけている牧野さんの顔。


思わず笑みが出る。


支社に移動する者は、移動に向けて少しずつ準備をしていく。


雅樹も、牧野さんも準備を始める。


千葉さんが「坂田ー、本社勤務の俺らはゆっくりやろうぜー」と言う。


坂田さんは「はい!」と元気に返事。


牧野さんが「千葉、少し手伝え」と言う。


千葉さんが「俺、お前らみたいに支社に行かないもんねー。長谷川に頼んだらいいんじゃないですかー」と子供みたいにいじけて言う。


雅樹が思わず笑う。


聞こえていた私も思わず笑う。


千葉さん、可愛い(笑)


和也さんが入って来た。


「社長が来週、戻って来る事になりました!皆様のご尽力のおかげです。ありがとう」


拍手が起こる。


社長は、退院後もしばらく自宅療養していた。


元気に復帰するんだ。


本当に良かった。


ここの席は、トラックの運転手さんが点呼に来るカウンターが近い。


カウンターにいる、運行の伊藤さんという50代の男性との席も近い。


伊藤さんが話しかけて来る。


「今度そこの席、加藤さんになったの?」


「田中さんが今、産休なので、その間はこの席です」


「田中さんは明るくて楽しかったけど、加藤さんは真面目に頑張る子だよね。おじさん感心するよ」


「ありがとうございます」


「これあげるから頑張りなさい」


そう言って、一口チョコの小袋ひとつくれた。


「ありがとうございます」


ちょっと話していると、伊藤さんの娘さんと私が同世代だった事がわかる。


だから何となく、口調がお父さんみたいなのか。




No.207

運転手さんが続々点呼に来ると、カウンターが忙しくなる。


伊藤さんともう1人、小沢さんという40代の男性2人が忙しそうに対応する。


コースの確認、アルコールチェッカーでの確認。


アルコールチェッカーに引っ掛かるとトラックを出せない。


たまーに反応してしまう運転手さんがいた。


でも、ほとんどの運転手さんは反応する事はない。


高校の吹奏楽部で一緒だった同級生も、トラック運転手として、いつの間にか入社していた。


カウンターの向こうから「加藤!おはよう!」と手を振る。



その声に、雅樹がカウンターを見る。


「あれ?斎藤くん?いつ入社したの?」


「昨年12月の頭だよー!前から似た人が事務所にいるなーって思ってたんだよ」


「そうなんだ。ごめん、今まで気付かなかった」


「いいのいいの!じゃあ俺、行って来るわ!」


「行ってらっしゃい!」


斎藤くんは笑顔で手を振り、出庫していく。


雅樹が「誰?」と聞いてきた。


「高校の同級生。吹奏楽部でも一緒だったんだ」


「ふぅーん」


すると牧野さんが「長谷川、ヤキモチか?」と冷やかして来た。


雅樹は「違うよ」と言う。


今度は千葉さんが「加藤さん!もっと長谷川にヤキモチ妬かせてやれよ!」と言って笑っている。


「うるさい!」


雅樹がパソコン画面に目を移す。


牧野さんと千葉さんは笑っている。


話を聞いていた伊藤さんが「若いっていいねー。新婚だもん、そういう時期だよね。私はもうヤキモチなんて妬いてくれる事も妬く事もない寂しい人生だよ」と言って笑っている。


それから伊藤さんと、ちょこちょこ話す様になる。


お菓子をもらったり、お茶を買ってくれたり可愛がってくれた。


優しいおじさん。


何かやっぱりお父さんみたい。


伊藤さんと話している分には、雅樹は何も言わない。


ただ、たまにカウンター越しに同級生の斎藤くんと話していると、こっちを見ている。


大丈夫。


斎藤くんと、どうにかなる事は100%ないから安心して!


彼は高校の時からあんな感じなの。


牧野さんや千葉さんがそんな雅樹を見て、いつも雅樹に突っ込む。


それが面白かった。


でも、支社に行ったら、この光景が見られなくなるのか。







No.208

私が、カウンター前を軽く掃除をしていたら、斎藤くんが点呼をしに来た。


「おっ、加藤!おはようさん!」


「あっ、おはよう」


「お前、何かちょっとあか抜けたなー!高校生の時は、存在感なかったけど(笑)」


「存在感なかったのは否定しない(笑)そうかなー?たいした変わってないと思うけど」


「化粧かなぁ?可愛くなったよ(笑)」


「ありがとう。そんなにほめても何も出ないよ?」


「そういえば、今度、同窓会があるみたいだよ?」


「そうなんだ」


「お前、来ないの?前の同窓会の時も来なかったじゃん」


「うん。余りそういうの得意じゃなくて」


「一緒に行かない?多分、お前の実家に案内状行ってるはずだよ?」


「幹事は誰?」


「確か、土屋のはず」


「あー、懐かしい、土屋くんか。土屋くんって今、何してるの?」


「前の同窓会であった時は、実家のクリーニング屋を継ぐって言ってたなー」


「そういえば、クリーニング屋だったね」


ふと視線を感じると、雅樹がじっとこっちを見ている。


牧野さんが隣で笑っている。


伊藤さんが「ほらほら!時間だぞ」と斎藤くんに声をかける。


「あっ、本当だ!じゃあ加藤、またね!」


「うん。行ってらっしゃい!」


手を振り、席に戻る。


席に戻ると、牧野さんが「いやー!こいつ面白かった!ヤキモチ妬きすぎて怒ってんの!」と言って笑っている。


雅樹がじっと私を見ている。


「…あいつと一緒に同窓会に行くの?」


「行きません」


「一緒に行きたいなら、別に行ってもいいんだよ?」


「行きません」


牧野さんが「ヤバい!腹痛い!」と笑っている。


雅樹はムッとした顔で仕事をする。


そんなにヤキモチ妬かないで!


自宅に帰ってからも「あいつ、まりの事が好きなんじゃないの!?」と怒っている。


「大丈夫!有り得ないから!」


「まりは俺の嫁だ!浮気は許さん!」


「浮気はしません!私も雅樹だけ!」


「よろしい、許してやろう(笑)」


「ありがとうございます(笑)」


ヤキモチを妬いてくれるって事は、それだけ好きでいてくれてるって自惚れてもいいのかな?


私は雅樹だけ!


絶対裏切る事はしないから安心して!





No.209

圭介から連絡が来た。


「今日、実家に行ったら、母さんからねーちゃんに同窓会の案内状が来ているって言われて預かったんだけど、これから行ってもいい?」


「いいよ」


「じゃあ、これから行くわ。長谷川さんはいるの?」


「いるよ。今、シャワーしてる」


「わかった。じゃあ後で」


電話を切る。


雅樹がパンツ1枚の姿で「あー、さっぱりしたー!」と言って、お風呂場から出てきた。


「今ね、圭介から電話があって、これから来るって」


「そうなの?じゃあ何か着るかー」


そう言って、スウェットを着た。


インターホンが鳴る。


モニターに、圭介のアップの顔が見える。


「どうぞー」


雅樹がオートロックの鍵を開ける。


玄関のチャイムが鳴る。


「圭介くん、こんばんは!入って入って!」


「お邪魔しまーす」


普段着の圭介。


「ねーちゃん、これ。開封はされてた(笑)」


「だろうと思った」


同窓会の案内状が入った、開封済みの封筒を私に手渡す。


雅樹が「同窓会…」と言って、封筒を見ている。


「ねーちゃん、同窓会に行くの?」


「いかなーい」


「そうなの?」


「余りそういうの得意じゃないから」


「ねーちゃん、飲まないしなー。俺なら喜んで行くけど」


「あんたはねー、こういうの大好きだもんね」


「その通り!(笑)」


「ご飯は?」


「実家で食った」


「そう」


雅樹が姉弟の話を聞いている。


「ねーちゃん、刺されたところはどう?」


「うん、まあ。もう痛みはないしね。ただ、傷はまだちょっとグロいかも」


「そうなんだ。見てみたいけど、いくらねーちゃんとは言え、ねーちゃんのパンツを見るのは抵抗があるからやめとく(笑)」


「そうして(笑)」


雅樹が「圭介くん、お茶でも飲まない?」と言って、ペットボトルのお茶を1本差し出す。


「ありがとうございます。頂きます!」


圭介はさっそくお茶を飲む。


「長谷川さん、あれからどうなりました?」


「圭介くんには感謝しかないよ。弁護士の先生、きちんと対応してくれたよ」


雅樹は圭介と話し始めた。


No.210

雅樹の元彼女は、執行猶予がついた。


示談には一切応じなかった。


弁護士さんを通して、賠償請求をした。


二度と私達に近付かない様に、接見禁止命令。


私も雅樹も、何度か警察にも弁護士事務所にも行った。


法律は難しくてよくわかんないけど、元彼女と2度と会う事がなければ、それでいいや。


そんな話を圭介にした。


「とりあえず、解決したの?」


圭介が言う。


「全てではないけど、まぁ、もう落ち着いたかな?」


「それなら良かった」


「圭介くんには本当に感謝だよ。ありがとう」


「俺は何にもしてないです」


「今度、食事でも」


「ぜひ!俺、明日早いんで、そろそろ帰ります」」


「圭介!ありがとね」


「ねーちゃん、足お大事に。じゃあ長谷川さん、また連絡します」


「わかったよ」


圭介は帰って行く。


雅樹が勝手に同窓会の案内状を見ている。


「会費、5千円だって」


「行かないもん」


「本当に行かないの?」


「うん」


「どうして?」


「興味がないから。友達も余りいなかったし」


「あの運転手は?」


「斎藤くん?別に全然。ただ同じクラスで同じ部活だったってだけだし。同じパーカッションだったから、他のパートの人よりは話したけど、でもそれだけ」


「本当に行かないの?」


「うん」


私はその場で欠席に○をした。


「5千円あったら、雅樹と美味しいもの食べに行く」


「…そっか。じゃあ今度、この会費で2人でうまいもの食べような」


「うん。私もシャワーしてくる」


私はお風呂場に向かう。


今日は、渡辺さんからもらった、いい香りがするボディーソープを使ってみる。


いい感じ!


気分が変わる。


さっぱりしてシャワーから上がる。


雅樹は、ソファーに座り、お茶を飲みながらテレビを観ていた。


もう少ししたら、毎週観ているドラマが入る。


雅樹は、私がドラマを観ている間、テーブルでノートパソコンを開いている。


平和な日常。


ずっと続けばいいな。
















No.211

平和な日々が流れる。


仕事行って、帰って来て雅樹とご飯食べて、一緒に寝て、SEXして。


一緒に買い物行ったり、デートしたり。


テレビを観て笑ったり、感動したり。


喧嘩もしない。


お互い思いやり、大切にして、尊敬している。


たまに千葉さんが来ては飲んでいく。


酔うと連発する千葉さんの下ネタにも、すっかり慣れた。


田中さんから、子供が生まれたと連絡が来た。


立花さんと雅樹と一緒に、仕事帰りに牧野さんと田中さんの赤ちゃんを見に行った。


牧野さんに似ている女の子。


立花さんが慣れた様子で赤ちゃんを抱っこ。


「やっと会えまちたねー」


赤ちゃん言葉で話しかける立花さん。


田中さんが「立花さんはすごい!あの痛みを2回も経験したんだよね?私はもう無理!」と言って、ドーナツクッションに座っている。


牧野さんは立ち合った。


出産の瞬間は、田中さんより泣いていたらしい。


「マジで感動したんだよ。ヤバかった。長谷川も、子供が出来たら立ち合ったらいいよ。人生変わるわ」


牧野さんが力説。


赤ちゃんを抱っこさせてもらう。


可愛いよー!


あれ?


泣きそうになってる。


田中さんに「泣きそうになってる!」と言って、赤ちゃんをママに。


田中さんに抱っこされると、泣きそうになっていた赤ちゃんは泣かない。


やっぱりママは偉大。


牧野さんと田中さんは幸せそうに赤ちゃんを見ている。


牧野家に新しい家族の誕生。


田中さんが、ママになった。


前の彼氏に振られてから、誰かいないかなーって言っていた頃を思い出す。


私も2人に続きたい!


雅樹も赤ちゃんを抱っこ。


でも、どうしたらいいのかわからない様子。


不恰好に抱っこしている。


でもすごく優しい顔で赤ちゃんを見ている。


「牧野、お前に似てるな」


「将来は美人になるぞ!」


牧野さんもパパの顔。


ほっこりとする。





No.212

社長が会社に戻って来た。


少し痩せたけど、若干後遺症は残っているけど、社長が戻って来てくれた事が嬉しい。


ちょっと不自由な社長に変わり、和也さんが指揮を執る。


支社の社屋も完成した。


隣町の町外れ。


作りは本社に似ている。


中を見学する。


まだ何もないからか、すごく広く感じる。


人員が揃うまで、今いる社員で回して行く。


募集をかけると、色んな方々が本社に面接に来る。


部長と和也さんが面接。


緊張している面接待ちの方々。


こっちにも緊張が伝わる。


私と総務部の女性の松山さんと2人で、面接に来た方々の受付をする。


男性、女性、若い方もいれば、30代、40代の方もいる。


会社では1番広い会議室が面接会場。


松山さんが「何か、入社した時の事を思い出しますね」と小声で話しかけて来た。


「そうですね。私も面接の時は緊張しました」


私が答える。


「私もです」


ふと面接待ちをしている、メガネをかけた男性が視界に入る。


あれ?


この人、どっかで見た事がある。


でも思い出せない。


誰だっけ?


モヤモヤする。


その男性を凝視する。


すると男性が視線に気付いたのか、私を見て軽く会釈する。


うーん。


あっ!


思い出した!


高校の時に、私と同じ様に存在感がなくて、私と同じ様にいつも1人でいた人だ!


名前、何だっけ。


私と違い、確か頭は良かったんだよな。


大学に進学したんだよな。


何故、うちみたいな小さな会社に就職希望なんだろう。


そんな事を考えながら、彼を見ていた。


採用になれば、新年度から入社になる。


あっ!もし会えたら斎藤くんに聞いてみよう。


彼なら知っているはず。


面接も終わり、私も松山さんも仕事に戻る。


雅樹が「たくさん来ていた?」と聞いてきた。


「たくさん来てましたよ!男性も女性も、年齢層も色々」


「そっかー」


その時に、早番から帰って来た斎藤くんがカウンターに来た。


「あっ!ねぇ!斎藤くん、ちょっと待って!」


私の声に「どうした?加藤」と言って私を見る。


私は裏からカウンターの向こう側に行く。


また雅樹がジーっと見ている。





No.213

私は、斎藤くんとカウンター前の隅っこに行く。


「あのね、聞きたい事があって」


「なに?」


「同級生で、私と同じ様に存在感なくて、いつも1人でいた頭が良かった男子って、名前なんていったっけ?」


「えー?」


斎藤くんは、ちょっと考えている。


「あっ、もしかして渋谷か?」


「そうだ!渋谷っていった!ありがとう!」


「渋谷がどうかしたのか?」


「余り大きな声で言えないけど、今日面接に来てた」


「そうなの?あれ?あいつ大学、東京行ってそのまま東京で就職したんじゃなかったっけ?こっちに帰って来たのかな?」


「そうなんだ。ありがとう」


「あいつ、バツイチだって話だけど、まぁプライベートな事は、仕事には関係ないよな。俺も実はバツイチなんだ」


いきなりの驚き発言。


「そうなの!?」


声が大きくなる。


「あっ、ごめん、つい」


「いいよ。色々あるんだよ。加藤はまだ仕事中だろ?俺は帰るから、もう少しちゃんと働けよー!」


「ありがとう!お疲れ様」


斎藤くんは手を上げて帰っていった。


席に戻る。


雅樹が「旦那の前で、あんなに他の男とくっついて話すんだー」と言って来た。


牧野さんが笑っている。


千葉さんが「加藤さん!いいよいいよ!もっとやれ!」と笑っている。


すっかりいじられている雅樹。


立花さんも渡辺さんも笑っていた。


仕事が終わり帰宅。


雅樹が「絶対あいつ、お前の事を狙ってる!」と言う。


「まさかー」


「いいや、獲物を狙う目でまりを見ていた!」


「大丈夫だよ」


「…ちょっと待てよ?まりもこんな気持ちだったんだよな。真野さんの時や、元彼女の時」


「うーん、どうかなぁ?でも真野さんの時は、そんな感じだったかなぁ?モヤモヤはした」


「ごめんよー!」


「気付いてくれたか(笑)」


その日も雅樹に抱かれる。


「まり、俺から離れないでくれ。俺が全力でまりを大事にするから。余りヤキモチを妬かせないでくれー!」


そう言って、激しく私を抱く。


モヤモヤした気持ちを晴らす様に。











No.214

支社への移動が始まる。


支社へ移動する者は忙しくなる。


田中さんはまだ産休中だけど、田中さんの物もまとめる。


まだ日にちはある。


本格的に完全に移動するまでには、産休から戻る予定。


千葉さん、坂田さんも重たい物は手伝ってくれた。


トラック運転手さんも分散される。


増車はするけど、いきなり一気に増やす事は出来ないため、とりあえずベテラン勢はしばらくの間は支社勤務になる。


以前倒れた宮原さんも支社チーム。


元気になって頑張っていた。


斎藤くんは本社残留。


それを聞いた雅樹は、安心した様な顔をしていた。


最近、生理痛が酷い。


女性として生まれたからには仕方がないものではあるけど、生理の時は憂鬱になる。


前は、そうでもなかったんだけどなー。


色々あったから疲れもあるのかな。


腰が痛重い。


ちょうどこの時は生理2日目。


立花さんに「顔色悪いよ?大丈夫?」と聞かれた。


「すみません、今生理で…ちょっと生理痛が酷くて」


「薬はあるの?私、持ってるからあげようか?」


「ありがとうございます。でも、今朝飲んだので大丈夫です」


「無理しないでよ!手伝ってあげるから」


「ありがとうございます」


渡辺さんも「私も生理痛酷いので、気持ちわかります!手伝いますから、何でも言って下さい!」と言って、色々手伝ってくれる。


ありがたい。


自宅に帰っても生理痛がつらい。


雅樹が「大丈夫か?」と聞いてきた。


「飯食える?」


「うん」


「俺、何か作るから少し休んでなよ。顔色悪いよ」


「ありがとう」


私はソファーで少し横になって休む。


雅樹がご飯を作ってくれた。


目玉焼きとウィンナー、昨日私が作って余って冷蔵庫にいれておいた少しの煮物と鶏肉を焼いたやつをチンして出してくれた。


「たいしたもの作れなかったけど」


「全然、ありがとう」


頂きます。


食欲はある。


雅樹が用意してくれた晩御飯を食べる。


後片付けも雅樹がしてくれた。


早目に就寝。



No.215

田中さんが戻って来た。


「ただいまー!」


「おかえりなさーい!」


3人が集まる。


でもこうして一緒にいれるのもあと少し。


1日、1日、3人との時間を大事にしながら働く。


いよいよ、本社勤務最終日。


立花さんと渡辺さんと一緒に働くのも最後。


本社に来たら会えるが、こうして揃うのは最後。


「明日からは田中さんも加藤さんもいないのか…こんなに寂しいんだね」


立花さんは涙を浮かべている。


立花さんの涙に、私も田中さんも涙が出てくる。


渡辺さんが「田中さん!加藤さん!本当に今までお世話になりました!支社に行っても、何かある時は本社に来るし、今度お会いした時は「渡辺も成長したな」って思ってもらえる様に、立花さんを頼りに頑張りますので、支社に行っても頑張って下さい!」と言って、プレゼントでハンカチをくれた。


「渡辺さん、ありがとう」


私も田中さんも涙腺が崩壊。


雅樹も牧野さんも、遠くからその様子を見ていた。


立花さんも「私からも2人にプレゼント」と言って、可愛いポーチをくれた。


「ありがとうございます!」


「支社に行っても、また皆でご飯行こ!もちろん、長谷川さんや牧野さんも一緒に!」


立花さんが笑顔になる。


「お互いの情報交換も大事だしね」


田中さんが言う。


他の部署の人達も、最後のお別れをしている。


千葉さんと坂田さんも、雅樹や牧野さんとお別れ。


坂田さんも涙を見せていた。


今日は土曜日。


日曜日を挟んで、月曜日から支社勤務になる。


雅樹も、ちょっと寂しそう。


でも、これからは支社の要として、部長の元で働く。


私も、田中さんともう1人、明日からの新入社員と3人で頑張る。


月曜日。


新しい支社。


社長に代わり、和也さんが朝の挨拶と共に新入社員の紹介と、配属される部署を発表する。


渋谷くんがいた。


採用されたんだ。


まさかの事務員採用。


理由は、田中さんは子供が小さい、私は新婚でいつ赤ちゃんが出来るかわからない。


事務員不在を避けるために、1人男性を配属するとの事。


事務員兼配車係になる。


本社でいう、伊藤さんや小沢さんみたいな仕事。


配車係には、牧野さんも兼用でやる事になっている。













No.216

1番カウンター側に渋谷くん。


隣に私、その隣に田中さんの席がある。


向かいには本社と同様、牧野さんと雅樹、そして新入社員の高橋さんという男性と、新山さんという女性が配属された。


高橋さんは、牧野さんや雅樹と同年代くらい、新山さんは私より1つ上。


高橋さんは、同業種転職で即戦力、本社時代の千葉さんの位置、新山さんは坂田さんの位置。


新山さんは雅樹の部署の事務的存在。


渋谷くんに挨拶。


「同じ事務員の田中です!」


私も田中さんも、会社では旧姓を名乗る。


ずっとそうだったので、支社でもそうなる。


「加藤です」


渋谷くんが「渋谷です。よろしくお願いいたします」と挨拶。


私が「あの、私、高校の同級生の加藤まりです。覚えてますか?」と聞いてみる。


雅樹が「また同級生!?」と言って渋谷くんを見た。


渋谷くんが「そうなんじゃないかな?と思ってました。面接の時に」と言う。


渋谷くんは気付いていたんだ。


田中さんが「同級生なの?」と聞いてきた。


私が「はい。高校の」と答える。


「そうなんだ!偶然だね!じゃあ全くの初対面ではないから、やり易いんじゃない?」


「…頑張ります」


渋谷くんが答える。


田中さんが指導係。


渋谷くんに一から色々教えて行く。


支社には、本社にはいない掃除の方がいた。


50代後半くらいの、少しふくよかな女性。


この方が掃除をしてくれる事になったので、事務員の当番がなくなった。


松山さんや高橋さんも、雅樹や牧野さんに色々教わりながらメモを取ったり、頷いたりしている。


新しい仲間が増えた。


私も先輩になる。


しばらくは忙しい日々が続く。


支社の軌道に乗るため、皆一生懸命頑張る。


忙しさもあり、余り渋谷くんとは話さないまま。


渋谷くんも田中さんに教わりながら、慣れた感じでパソコンを打つ。


支社勤務から1ヶ月余り。


だいぶ支社のメンバーにも慣れて来た。


支社で歓迎会を開く事になった。


幹事は、営業部の中堅社員2人。


営業の方らしく、爽やかに「歓迎会やりまーす!是非ご参加下さい!」と言って、ビラを配って歩く。


日時は来週の土曜日。


雅樹も私も参加する。








No.217

自宅で雅樹と新人さんの話しになる。


高橋さんも、松山さんも頑張ってくれている、と話が話す。


雅樹が「新山さんって、シングルマザーなんだって。小学生の子供さんと2人で暮らしてるって言ってた」と話す。


「へぇー。そうなんだ」


「高橋さんは、前の会社でも同じ様な仕事をしていたから、やり方だけ教えればすぐ覚えるし、俺も牧野も助かっているよ」


「高橋さんって、どうして前の会社を辞めたの?」


「倒産したんだって。知らないで出勤したら会社に張り紙がしていて入れなかったって言ってた。従業員、皆知らなかったみたいだよ?気の毒だよな」


それは気の毒。


「松山さんはずっと、パートをしていたけど、正社員になりたくてうちに来たらしい。うち、結構融通きくから、シングルマザーにはいいかもな」


「そうだね」


急に子供さんの学校から連絡が来るかもしれないし、うちの会社なら対応してもらえる。


「なぁ、まり。事務の同級生はどうだ?」


「まだ余り話してないし、基本的に田中さんが教えているし、よくわかんない」


「前のトラックの同級生とは全然違うタイプだね」


「うん。私と同じく、いつも1人でいる人だったからね。すごくおとなしいよ。頭はいいけど」


「そんな感じがする」


「でも、皆いい人で良かった!」


「そうだね」


歓迎会の日。


支社長を始め、上司も参加の歓迎会。


部署毎に別れて座る。


新人さんの自己紹介から始まり、次々自己紹介をしていく。


終わると拍手。


渋谷くんの番になる。


「…渋谷雄大です。よろしくお願いいたします」


一言で終わる。


支社長の乾杯で歓迎会が始まる。


田中さんは子供さんを田中さんのお母さんに預けて来た。


やはり、ここでも雅樹と牧野さん、私と田中さんで集まる。


渋谷くんは、1人で料理を食べて、1人で飲んでいる。


田中さんが「渋谷さん!飲んでる?もうなくなるじゃん!次は何飲む?」と話しかける。


田中さんの社交性には脱帽。


田中さんと渋谷さんが話している。


牧野さんが「あの社交性は才能だと思う。誰とでも仲良くなるし、分け隔てなく接する姿は、我が妻ながらすごいと思う」と言う。


私もそう思う。


私の母親とあんなに仲良くなるんだもん。


すごいよ。


No.218

二次会は、前に兄の結婚式の二次会で来たお店。


上司は一次会で帰り、二次会は比較的若い人達。


田中さんは、帰ると言っていた渋谷くんを無理矢理連れて来た。


「主役は二次会参加しないとダメだよー!」


渋谷くんと一緒にいる田中さん。


雅樹が牧野さんに「ヤキモチ妬かないの?」と聞いた。


「いつも、あんな感じだから全然」


多分、雅樹ならヤキモチ妬いてるだろうな。


田中さんがこっちに来た。


「渋谷さんね、ちょっと話してくれる様になった!加藤さん、同級生でしょ?みんなも一緒に話ししない?」


そう言って、私と雅樹と牧野さんを連れて渋谷くんのところに行く。


田中さんが「渋谷さーん!ねぇ、加藤さんって高校時代、どんな感じの子だったの?」と渋谷くんに話しかける。


「加藤さんが、渋谷さんは頭が良かったって言ってたよー!私、勉強出来なかったから、賢い人って尊敬するー!」


「いえ…あぁ、加藤さんって、すごく地味な子でしたよ?でも学祭の吹奏楽部の出し物で、ロックバンドの曲をコピーして、ギターを弾いていた時は、すごいなと思いました」


田中さんが「加藤さん、ギター弾けるの!?すごいね!」と私を見る。


「いえ、初心者です。あれは仕方なく練習をして弾ける様になっただけです」


雅樹が「前の俺の部屋でギター弾いてたじゃん。なかなかうまかったよ?あれから聞いてないけど」と言う。


「渋谷さんは何部だったの?」


「…陸上部です」


私が「そうそう!渋谷くん、砲丸投げで全国大会に行ったはず。すごくないですか?」と話す。


田中さんが「全国大会!?すごいじゃん!」と渋谷くんの肩をパン!と叩く。


「いえ…行っただけで予選敗退でした」


「なかなか全国なんて行けないよ?渋谷さんも加藤さんもすごいわー。私は何にもなーい!」


田中さんがいなければ盛り上がらないであろう会話。


渋谷くんは、田中さんのおかげで少しずつ心を開いて来ているのがわかる。


途中で松山さんと高橋さんも入って来た。


雅樹が「松山さんはお子さん大丈夫なの?」と聞く。


「近所に妹がいるので、妹に子供をお願いして来ました。妹にも子供いて仲良くしているし、今日は妹の家にお泊まりしてます」


「そうなんだ。じゃあいっぱい飲んでも大丈夫だね」


田中さんが言う。

No.219

まだ、松山さんも高橋さんも少し緊張しているのかおとなしい。


その時「田中さーん!加藤さーん!」という声が聞こえた。


振り返ると、立花さんと渡辺さんがいた。


2人共、手を降りながらこっちに走って来た。


「ちょっとー!何でー!」


田中さんが立花さんに抱き付く。


渡辺さんが「今日、本社でも歓迎会だったんです!で、千葉さんがここで二次会をやってるはずだからって教えてくれたので、行っちゃおう!って話しになって、本社の方の二次会行かないで、こっちに来ました!」と話す。


牧野さんが「千葉は?」と聞く。


「千葉さんも多分、坂田さんと一緒にこっち来ているはずです!」


渡辺さんが言う。


立花さんが、高橋さん、松山さん、渋谷くんに「本社勤務の立花と言います。こちらは渡辺さん。以前、田中さんと加藤さんと一緒に働いていたの。よろしくお願いします」と挨拶。


3人は「こちらこそ」と挨拶。


少しして、千葉さんと坂田さんが来た。


雅樹と牧野さんも嬉しそうに千葉さんと坂田さんのところに行き、何かを話している。


やっぱり、このメンバーいいな。


隣にいた渋谷くんが「本社って、面接に行ったところだよね」と聞いてきた。


「そうだよ」


「何か、いいね。仲間って感じがする」


「渋谷くんも、高橋さんも、松山さんもみんな仲間だよ!」


高橋さんと松山さんは2人で話し出した。


私は渋谷くんと立花さんと渡辺さんの元に。


「彼、支社の新入社員で渋谷くんって言って、私の高校の同級生なんです」


立花さんが「そうなの?加藤さん、真面目な子でしょー!仲良くしてあげてね」と渋谷くんの肩を叩く。


しばらくみんなで話をする。


支社に移った何人かも立花さん達に気付いたみたいで、こっちに来て話している。


すごく楽しい時間だった。


解散となる。


出入り口から少し離れたところで話していたけど、立花さんが「そろそろ帰るかな。今日は2人に会えて良かった!」と言って笑っている。


渡辺さんも「私も会えて良かったです!」と笑顔。


「じゃあ、またねー」


手をふって、2人はタクシーに乗って帰って行った。


雅樹と牧野さんさんと千葉さんと坂田さんは、4人で飲む事になった。






No.220

田中さんは牧野さんに「私は帰るよ!お母さんに子供お願いしてるし、泣いてたら困るから!ゆっくり飲んできて!」と言う。


牧野さんは「わかったよー」と言って、手をあげる。


「加藤さんは?」


田中さんが聞いてきた。


雅樹が「一緒に行くか?」と誘う。


千葉さんも牧野さんも「加藤さんも来なよ」と誘ってくれた。


隣にいる渋谷くん。


「渋谷くんも行く?」


雅樹と牧野さんも「一緒に飲もうや」と誘ってくれた。


田中さんが「じゃあ、月曜日に会社で!千葉さん!坂田さん!牧野さんをよろしくお願いします!また会いましょう!バイバイ!」と言って、タクシーに乗って帰って行った。


前に千葉さんと雅樹と牧野さんが並んで歩き、私、渋谷くん、坂田さんがその後ろを歩く。


坂田さんが「皆さん、元気そうで何よりです」と話しかけて来た。


「本当にそうですよね。つい1ヶ月くらい前なんですけど、すごく昔の感覚になりますよね」


「千葉さんがずっと寂しそうにしています。新しく入った人と余り合わないみたいで…」


「そうなんですか?」


「長谷川だったらなー、牧野だったらなー、っていつもこぼしてます」


「ずっと一緒にやって来てましたからね。そうなりますよね」


渋谷くんは黙ってついてきている。


たまに雅樹が後ろを振り返り、私達を見る。


千葉さんがよく行くというバーに入る。


カウンターに横一列に座る。


千葉さん、牧野さん、雅樹、私、渋谷くん、坂田さんの順番。


千葉さんが「お前ら、本社に戻って来いよー!寂しいんだよ!」と言っている。


雅樹が「本社はどうだ?新人入ったろ?」と聞く。


千葉さんが「入ったけど、全然仕事しないんだよ。俺、一生懸命教えてるんだぞ?なっ、坂田!」と1番端に座っている坂田さんに声をかける。


坂田さんが「千葉さん、すごく丁寧に教えてますね」と答える。


「だろ?なのに、次の日になると何にもわかってないんだよ。何十回も教えた!でも出来ません!わかりません!って言われるんだよ。どうしたらいい?」


牧野さんと雅樹に話をふる。


「お前の事、怖いんじゃねーの?」


牧野さんが言う。


「俺、お前らが見たら気持ち悪いと思うくらいに優しく教えてるぞ?これ以上優しくするのは無理だ!」


色々愚痴を言う千葉さん。


No.221

「いくつのやつ?」


雅樹が聞く。


「22歳の新卒」


「あー」


牧野さんと雅樹がハモる。


千葉さんが「そのくせ、定時になったら「帰りまーす」とか言って帰るんだよ。全然使えない!おかげで俺も坂田も毎日残業!シフトは進まんし、今、俺1人でシフト作ってるんだぞ!」と愚痴を言う。


「だから一回、怒ったんだ。やる気出せって。そしたらすぐに部長に「千葉さんにパワハラされました」って言いに行きやがって、俺が部長から怒られるんだぞ?」


坂田さんが「俺は部長に言いました!でも「新人なんだから」って言って取り合ってくれなくて」と話す。


牧野さんが「大変だな、お前」と慰める。


千葉さんが渋谷くんに「新入社員の前でごめんね」と謝る。


渋谷くんは「いえ」と答える。


渋谷くんが私に「本社の人だよね?」と聞く。


「うん。前に長谷川さんや牧野さんと一緒に働いていたの。配車ね」


「そうなんだ」


「渋谷くん、大丈夫?余り飲んでないみたいだけど」


「…加藤さんしか話せる人いなくて、緊張してる」


「大丈夫だよ!みんな優しいよ?」


「うん。でも先輩達の話も聞けて良かったよ」


「ところで渋谷くん、東京にいたんじゃなかったっけ?」


「いたんだけど…離婚して帰って来た」


前に斎藤くんが言ってたのは本当だったんだ。


「そうなんだ。子供はいたの?」


「1人いる。女の子」


「そっか。会えてるの?」


「離婚してから会ってない」


「…何かごめんね。色々聞いちゃって」


「いや、いいよ」


雅樹が話を聞いていたのか「渋谷くん、次は何を飲む?」と聞いてきた。


「ありがとうございます。同じので」


雅樹がマスターに飲み物を注文。


「加藤さんは子供いないの?」


「うん。まだいない」


「離婚原因って聞いてもいい?」


「うん。向こうの不倫。どうしても許せなかった。娘も俺の子じゃなかったし。それがわかった時はショックだったけど、戸籍上は俺の子だよね」


「そっか。ごめん」


何だか申し訳なかった。


これ以上は聞かない様にしよう。


雅樹は私と渋谷くんの聞いていたのか、難しい顔をしていた。










No.222

「加藤さんは幸せそうで何より。田中さんもいい人だし、何か俺、この会社に入ってやっと色々と吹っ切れそうだよ」


「渋谷くん…」


「俺って、人に強く言えないんだ。知ってると思うけど」


「うん」


「前の奥さんが浮気しているのは知っていたんだけど、強く言えなかったんだ。舐められてたのかもしれない。でも好きだったから、色々耐えたよ」


「うん」


「で、娘が生まれて、母親してる前の奥さんを見て、俺、父親になったんだ、頑張らないとと思っていたんだけど、娘が成長するにつれて俺に全然似てなくて。でも聞けなくて。黙ってDNA検査をしたら、親子の関係を否定された」


黙る私。


「それがどうしても許せなかった。だから離婚して帰って来たんだよ。今は、どうしているのか知らない」


「そうなんだ…」


「ごめん、俺酔ってるのかも。暗くなっちゃったね」


坂田さんが「俺、今日はじめましての人間なんですけど、頑張って下さい!この会社、俺も入って本当に良かったと思っています。本社と支社で離れてますけど、また機会があったら飲みませんか?」と言って来た。


「ありがとうございます」


「加藤さんも田中さんも、本当にいい人達ですよ!きっと大丈夫です!吹っ切れますよ!」


坂田さんが優しく渋谷くんに話す。


「これ、俺の携帯番号です。良かったらいつでも連絡下さい!」


坂田さんは、渋谷くんに名刺を渡す。


「ありがとうございます」


渋谷くんも名刺を渡す。


私は、2人のやり取りを見ていた。


飲み会もお開き。


かなり酔っている千葉さん。


坂田さんが「俺、千葉さんを送っていきます!」と言って、タクシーをつかまえる。


雅樹が「月曜日、タクシー代千葉に請求してやれ!」と言うと、坂田さんが「介抱代も上乗せしておきます!」と笑う。


体が大きい千葉さん。


タクシー乗るのも一苦労。


千葉さんと坂田さんを見送る。


牧野さんと渋谷くんも、各々タクシーに乗って帰宅。


私達も帰宅した。

No.223

雅樹がタクシーの中で「渋谷くんの話し、ごめん、聞いてた」と言う。


「彼も大変だったんだな。多分、同級生っていうので、気が緩んでまりに話したのかもな」


「高校時代は余り話した事はなかったんだけどね」


「他の人よりは話しやすかったんだろ。今度、ゆっくり話でも聞いたらいいよ。話せばすっきりする事もあるだろうし」


「いいの?」


「本社のあの運転手ならダメだ!っていうけど、彼なら心配なさそう」


「今度、食事にでも誘ってみるかな?」


「そうしなよ」


自宅に着いた。


もう深夜3時過ぎ。


この日は、2人でゆっくり就寝。


朝、目が覚めたら10時を過ぎていた。


雅樹は起きていた。


「おはよう!今日もいい天気だぞ!」


ベランダをガラリと開ける。


「洗濯日和だね」


ぐっすり寝たからか、目覚めもすっきり。


シャワーする前に、洗濯機を回して洗濯。


洗濯物を干して、掃除機をかける。


そして朝昼兼用のご飯を作る。


ご飯を食べてから雅樹は、奥の部屋で持ち込んだ仕事に取りかかる。


私は、お昼の後片付けをしてから、雅樹の邪魔をしない様に静かに過ごす。


平和な日に感謝。


たまにはこうしてゆっくり過ごす休日も悪くない。


夕方、雅樹が奥の部屋から出てきた。


「終わったー!」


そう言って、あくびをしながらのびをする。


「晩御飯、何食べる?」


「久し振りに、まりのカレーが食べたい!」


「オッケー、じゃあカレー作るね」


カレー作りを始める。


雅樹が後ろから私を抱き締める。


「幸せだな、俺達」


「うん」


「今日は頑張ろうかなー!子作り!」


「考えておく」


そう言いながらも、夜にはちゃんと雅樹を受け入れる。


終わってから「まりとのSEXの時間が、最高に幸せだよ。まりの気持ちよさそうに感じてる姿、たまんないんだよなー!」と言ってキスをされる。


恥ずかしい。


「…だって、気持ちいいんだもん」


「俺も最高に気持ちいいよ。もう一回気持ちよくなろう!エロいまりをもう一回見たい!」


また襲われた。


中で出す。


中に出す瞬間の「まり、出ちゃうよ」って言う雅樹がいつも可愛い。





No.224

牧野さんが1週間、本社に出向する事になった。


千葉さんからSOSが来た。


田中さんが「本社、大変そうみたいだもんね」と言う。


牧野さんから話を聞いたのかな。


支社も軌道に乗り始めた。


業績も順調に伸び始め、新入社員達もだいぶ仕事に慣れて来た。


渋谷くんも一生懸命頑張っている。


すぐに辞めてしまう人もいたけど、ほとんどの人は頑張っていた。


渋谷くんに「どう?だいぶ慣れた?」と聞く。


「おかげ様で」


「今度、一緒にご飯でも行かない?」


「えっ?2人で?」


「うん」


「長谷川さんも一緒に?」


「渋谷くんがそう望むなら。嫌なら無理にとは…」


「行く」


「いつならいい?渋谷くんの都合に合わせるよ」


「加藤さんが良ければ今日でもいいよ。毎日暇してるから」


「じゃあ、今日ご飯行く?」


「2人だと長谷川さんに悪いから、長谷川さんも一緒に…」


「気を使ってくれてありがとう。後で長谷川さんに聞いてみるね」


「うん」


聞いていた田中さん。


「渋谷さんとご飯行くの?」


「うん、田中さんも行きます?」


「ごめん、今日子供が鼻垂らしてて、早く帰ってあげたいんだ」


「そうなんですね」


「楽しんできて!」


今日は保育園には行かずに、田中さんのお母さんが子供さんをみていてくれているらしい。


ママは大変。


「牧野さんもお風呂入れてくれるし、オムツも変えてくれるし、本当に助かる!いいパパしてくれてるよ!」


「いいパパですね」


「子育ては大変だけど、楽しいよ!」


「私もママになりたいです」


「加藤さんなら優しいママになりそう!」


田中さんも、きっといいママしているんだろうな。


牧野さんも優しいから、きっと田中さんを助けながらいいパパしているんだろうな。


夜、私と渋谷くんが待ち合わせ場所であるレストランの前に着いた。


雅樹は少し遅れる。


「長谷川さんは少し遅れるって言ってた。先に食べててって言っていたから、先に入る?」


「うん」


店内に入る。


「いらっしゃいませ!2名様ですか?」


「後でもう1人来ます」


「かしこまりました!ご案内しますね」


店員さんが、小上がりに案内してくれる。







No.225

私と渋谷くんは、テーブルを挟んで座る。


店員さんに「もう1人が来てから食事の注文でも大丈夫ですか?」と聞く。


「大丈夫ですよ!」


「では、すみません、先に飲み物をお願い出来ますか?」


「かしこまりました」


渋谷くんとウーロン茶を頼む。


すぐにウーロン茶が来た。


「お疲れ様でした」


静かに乾杯する。


「渋谷くんは、今実家にいるの?」


「今はね。でも兄夫婦が同居してるから、近いうちにどっかで部屋を借りるよ。何か、居ずらくて」


「そっか」


「加藤さんって、今どこに住んでるの?」


「本社の近く。支社に移ったから遠くなっちゃったけど」


「そうなんだ」


「今日は急にごめんね」


「いいよ、家に帰っても居場所ないし、かえって有り難いよ」


「ご両親も、渋谷くんが帰って来て、喜んでいるんじゃない?」


「…そうでもないよ」


その時、雅樹が店員さんに案内されて私達のところに来た。


渋谷くんが立ち上がり「長谷川さん、お疲れ様です」と挨拶。


「お疲れ様、気を使わないで座って!」


「ありがとうございます」


雅樹は私の隣に座る。


店員さんが「ご注文がお決まりになりましたらお呼び下さい」と言って下がる。


メニューを選びながら、雅樹が「食べていてくれて良かったのに」と言う。


「渋谷くんが「先輩である長谷川さんより先にご飯は食べられない」って言ってたから、一緒に待ってた」


雅樹は笑い「そんな気を使わなくていいんだよ!気楽に行こう!今日は同級生とその旦那っていう立場での食事なんだし、ねっ!」と渋谷くんに話しかける。


「いえ、誘って頂いて、先に食べるのは…加藤さんも同級生ですが先輩になりますし…」


ちょっと緊張している様子。


雅樹が「渋谷くんは真面目なんだね」と話す。


メニューも決まり、各々注文。


「渋谷くん、戻って来てから、離婚についての事はご両親には話したの?」


私が聞く。


「全部は話してない。浮気された事と娘の父親じゃなかった事は言ったけど…余り興味なさそうだった」


「どういう事?」


「理由はどうあれ、離婚して帰って来るなんて情けないとは言われたけど、今、俺より兄貴のところの子供の事で頭がいっぱいみたいで…」


うつむく渋谷くん。




No.226

「俺の1番上の姪っ子、今年小学生入学なんだ。帰って来た時は、孫に色々買ってあげないといけなかった時期みたいで、俺の話より、孫の幼稚園卒園と入学式の方が大事だったみたい」


「お兄さんは何人お子さんいるの?」


「4人。1番下が、この前生まれた。小1、年中、2歳、0歳」


「賑やかだね」


「毎日、すごいよ。足の踏み場ないし、うるさいけど可愛いのは可愛い。だから俺も甥っ子、姪っ子達に色々買ってあげたり、休みの日は一緒に遊んだりしてるんだけど、兄貴の奥さんに毎回嫌みを言われる」


ご飯が来た。


食べながら話をする。


「俺がいるから、俺の部屋が使えない。帰って来る前は物置として使ってたけど、帰って来て部屋が使えないから狭い!ってずっと言われてる。だから近いうちに引っ越すって言ったら、全員に「その方がいい!」って言われて」


「…何か色々、ごめんね」


「いいんだ。俺はずっとこんな感じだから。両親もいつも兄貴ばかりで、俺はいつもかやの外だったし。こんな俺でも結婚して、家族を持って、やっと家族が出来たと思って喜んでいたら、ずっと嫁に裏切られてたとか…笑うよね。娘が生まれた時は嬉しかったんだけどなー。俺の子じゃなかったけど」


そう言ってフッと悲しそうに笑う。


雅樹は黙って聞いている。


そして「明日からしばらく有給あげるから、明日にでも部屋を探しなさい。引っ越しトラックと人員については、今晩にでも牧野と千葉に都合つけてもらえる様に話しておくから。お金がないなら、給料天引きにしてもらえるはずだから、話を通しておく。社員価格になるから、他に頼むより安い。行動に移そう。仕事は加藤さんと田中さんに甘えて、まずは今の状況から抜け出そう」と話した。


「引っ越しのお金が足りないなら、俺が貸してやる。毎月少しずつ返してもらえれば、それでいい。今は保証人なしでも入れる物件もあるみたいだし、不動産屋さんも色々協力してくれるはずだ」


「長谷川さん、そんなつもりで…」


渋谷くんが恐縮する。


「俺は渋谷くんの上司でもある。真面目に頑張っている部下を助けたい。加藤さんも何かあれば協力する」


私もうんうんと頷く。


「ありがとうございます…俺、こんなに人に優しくしてもらった事ないから…」


渋谷くんは泣いていた。


No.227

「俺もこの会社で、色んな人に助けてもらって今がある。いっぱい迷惑もかけたし、悔しい思いもした。でも、俺の上司や同僚達に、本当に助けてもらった。今度は俺が上司になり、部長に助けてもらった時みたいに悩んでいる部下の力になりたいんだ。加藤さんの同級生なら、尚更力になりたい。渋谷くんにはこれからも頑張ってもらいたいし」


「ありがとうございます!」


渋谷くんはお礼の言葉を連呼しながら泣いている。


翌日から今週いっぱい、渋谷くんは有給を使い休んだ。


田中さんには事情を説明。


「そうだったんだー。何か渋谷くん、いつももの悲しげな感じだったんだよね。これでいい方向に進んでくれるといいね!でも、そんな事を言えちゃう長谷川さんってカッコいいよねー」


「カッコ良かったです」


「のろけかーい!引っ越しが決まったら、渋谷くんに何かお祝いあげようか?」」


「そうですね!」


翌日の夜に、雅樹の電話に渋谷くんから電話があった。


雅樹が電話を切り「渋谷くんの部屋決まったって!支社の近くの1LDKだって言ってたよ」と私に伝えて来た。


トラック代は給料天引きにしたけど、入居費用代は渋谷くんが出したため、雅樹が出す事はなかった。


雅樹が千葉さんに電話をする。


「土曜日に無理矢理入れてもらった!オッケーだったよ。千葉に「土曜日、飯おごれよ」って言われたから、土曜日は千葉と飯食って来るわ」


「わかった!私は土曜日、渋谷くんの引っ越しを手伝いに行って来ようかな?」


「オッケー」


土曜日。


定時で仕事が終わる。


雅樹は千葉さんとご飯を食べに行くため、牧野さんに「千葉と飯に行って来るから帰るわ」と伝える。


牧野さんは「俺は行けないけど、千葉によろしく伝えて」と言う。


雅樹は「了解」と言って退社する。


私も帰る。


田中さんは牧野さんの仕事が終わるのを待っている。


「最近、私の車、調子悪くて。買い替えかなー?だから今日は一緒に出勤しちゃった!牧野さんが終わらないと帰れないの。早く終わらないかなー」


そう言って、自分の席で牧野さんが終わるのを待っていた。


「私は帰りますね」


「加藤さん、お疲れ様!」


田中さんが笑顔で手をふる。


牧野さんも「お疲れ!また月曜日!」と笑顔で答えてくれた。



No.228

教えてもらった渋谷くんのアパート。


住宅街にある、静かな場所。


2階建てのちょっと古いアパート。


ちょっと迷ったけど無事にたどり着いた。


今日行く事は、雅樹経由で伝えてある。


部屋は1階。


102と書かれた部屋の前。


チャイムを鳴らすと、渋谷くんが出た。


「加藤さん、ありがとう。どうぞ入って」


「お邪魔します」


玄関に入るとすぐ右側にトイレがあり、隣に脱衣室とお風呂がある。


居間は6畳程で、奥にも6畳くらいの部屋があった。


物は余りない。


段ボールが10個程と、ゴミ袋に入れられた衣類、奥の部屋にタンスが2個とカラーボックスが3個。


居間には今まで使っていたと思われるこたつと2人掛け用のソファー、テレビとテレビ台、パソコンデスクと、パソコンデスクの上にデスクトップのパソコンが置いてあった。


あとはまだ何もない。


丈が短いカーテンがかかっていた。


冷蔵庫も洗濯機も電子レンジも炊飯器もない。


「荷物ってこれだけ?」


「うん。これで全部」


「何か手伝う事はある?」


「これだけだし、特にないよ。でも来てくれてありがとう」


「ゴミ袋に入っているやつは?」


「あれ、スーツ類。段ボールに入れれなくてゴミ袋に入れて運んだ」


「スーツ入れる、ケースみたいのなかった?」


「あったけど、俺の服はこれで十分。ケースなんてもったいない」


「シワになっちゃうよ?片付けよう?どこにしまえばいい?」


「ありがとう、こっちなんだ」


備え付けの小さなクローゼットがあり、そこを差す。


私は、ゴミ袋からスーツを出して、整えてからクローゼットにしまう。


ネクタイも乱雑にゴミ袋に入っていたから、一本一本取り出してハンガーにかけた。


空になったゴミ袋が3枚。


「終わったよー」


「ありがとう!」


渋谷くんは、ゴミ袋3枚を回収しに来た。


「明日は家電を買いに行こうかな?と思って。リサイクルショップでも見てくるかな?それとも新品がいいのかな」


「考えるだけで楽しいよね」


「何か俺、長谷川さんと加藤さんに背中を押してもらえて、本当に感謝している。なかなか勇気が出なかったんだ。これからこの部屋から人生の再出発する感じ。頑張るよ」


「うん。頑張って」









No.229

「加藤さん、本当にありがとう。長谷川さんにお世話になった分、月曜日からは仕事で一生懸命恩返しをしていくよ」


「長谷川さんも喜ぶと思うよ」


「うん。頑張るよ。やっと俺の居場所を見つけた感じ」


渋谷くんは、今までとは違う生き生きとした顔になっていた。


「余り長い間いると、長谷川さんに申し訳ないから、今日はもう大丈夫だよ!スーツありがとう」


「そう?まだ全然手伝うよ?」


「俺も一応男だよー?襲うかもしれないよ?(笑)」


「わかりました。帰ります(笑)」


「長谷川さんを裏切るつもりはないから安心して!冗談だから」


「わかってるよ」


笑う渋谷くん。


今まで余り笑った顔は見た事がなかった。


雅樹は千葉さんとご飯を食べて帰る。


私は、適当に家でご飯を済ますか。


でも、作るのはちょっと面倒になって、通り道にあるコンビニに入った。


お弁当でも買って帰ろう。


仕事帰りの人達で、ちょっと込み合うレジ。


高校生と思われる女の子と、40代くらいの女性2人があわただしくレジで対応。


すると私の前のおじさんが高校生に突然ぶちギレた。


「お前、こっちは急いでるんだよ!早くしろよ!」


「すみません!ちょっとお待ち頂けますか?」


「店長出せや!お前じゃ話しにならん!」


高校生は涙目になっている。


ぶちギレているおじさんが、スピードくじで商品が当たったけど商品が見当たらず、一生懸命探している高校生に早くしろよ!とぶちギレていた様子。


周りにいたレジ待ちの人が、おじさんを見ている。


高校生に代わり、隣でレジをしていた女性が対応。


「私が店長です。お話を伺います。うちの従業員がご迷惑をおかけして申し訳ありません」


「お前らの従業員は、くじの景品のものの場所もわからないのか!どんな教育をしているんだ!」


「申し訳ありません」


「商品がないなら、この分の金くれや」


すると、私の後ろにいた5~6歳くらいの女の
子が「どうして、このおじさん怒っているの?マイはおもちゃなくても、あんなに怒らないよ?」と大きな声で話した。


隣に並んでいたサラリーマンが「プッ」と吹き出す。


私もつられて吹き出す。


おじさんは後ろを振り返り、何か怒鳴って帰って行く。


女の子、よくやった!

No.230

雅樹が意外に早く帰って来た。


私は、ご飯も食べて、シャワーもしてパジャマに着替えて、ソファーに座ってお茶を飲みながらテレビを見ていた。


「おかえりなさい!」


「ただいまー!」


「早かったね」


「ご飯だけだからね。中華料理屋に行って来た」


「あそこ美味しいもんね」


「シャワーしてくるよ」


「行ってらっしゃい!」


雅樹は、話をしながら着替えてシャワーをしにいった。


「さっぱりー!」


雅樹がシャワーから上がる。


冷蔵庫を開けて、お茶を取り出してソファーに座っている私の隣に来た。


「渋谷くんの部屋に行って来たの?」


「行って来たよ!ちょっと迷ったけど。でも住宅街で静かなところだった」


「部屋はどんな感じ?」


「玄関入ってすぐに右側にトイレとお風呂があって、6畳くらいの居間ともう1つ同じくらいの大きさの部屋があったよ。ちょっと古いアパートだけど、住みやすそうな部屋」


「そっかー。良かった良かった」


「長谷川さんに背中を押してもらえて感謝してます。月曜日からは仕事で一生懸命恩返しをしていきますって言ってた」


「そっかー。彼にとって少しでも前向きになれたのなら、それで良かった」


「滞在時間はちょっとだったんだけど、少しだけ手伝って来た。家電が何にもないから、明日家電を買いに行くって言ってた」


「家電を一気に揃えるのは、なかなか難しいけど、揃ったら部屋でゆっくり出来るさ」


「そうだね」


「…渋谷くんとは何にもなかったよね?」


「ある訳ないじゃん(笑)」


「だよねー(笑)」


早目に就寝。


翌朝。


朝御飯を食べ終わり、私は片付けをしていた。


雅樹は、布団をベランダに干してくれていた。


その時に、雅樹の携帯が鳴る。


渋谷くんだった。


電話を切ってから「お礼の電話だったよ。彼、本当に真面目で丁寧だよね。こっちが恐縮してしまうよ」と言っていた。


月曜日。


渋谷くんもいつも通り出勤。


雅樹のところに行き「今日からより一層頑張っていきます。よろしくお願いいたします」と挨拶。


雅樹も挨拶。


いつもの朝。


今日も1日頑張っていこう!






No.231

私はそろそろ退職の時期について、考え始める。


本当なら、既に専業主婦になっている予定だった。


支社も軌道に乗ったし、当初から軌道に乗るまでという話しだった。


今、家計は私が管理している。


雅樹が全ての通帳と印鑑を私に預けている。


雅樹はおこづかい制だけど、特に不満は言わない。


お互いクレジットカードは持っているが、常識的な範囲でおさまっている。


私のお給料とボーナスの大半は貯金に回せた。


贅沢をしなければ、雅樹のお給料だけでも十分やっていけるのがわかったし、ある程度の貯金も出来た。


借金もないし、お互いの車のローンもない。


私が辞めても大丈夫。


私は雅樹に相談をする。


「私の退社の時期について、本格的に考えようと思って」


「そうだよなー。延びに延びちゃったもんな」


「雅樹のお給料だけでも十分やっていけるのもわかったし、会社も軌道に乗ったし、そろそろいいかな?と思って」


「来月は知っての通り繁忙期だから、再来月末付けにする?再来月末なら落ち着くし、新しい事務員も今から募集したら、まりが退職する頃にはだいぶ仕事も覚えてくれるだろうし」


「うん。明日にでも支社長にそう伝える」


「わかった」


このまま在籍をする選択肢もあった。


でも、私が家に入って雅樹を支えたい気持ちは変わらないし、仕事が終わって帰って来てご飯を作って、掃除して…という家事をするのが本当に大変だった。


立花さんや田中さんは本当にすごいよ。


更に子供のお世話もあるんだもんね。


心から尊敬します。


翌朝、田中さんに退職の事を伝える。


「えー!辞めちゃうの!?」


「はい。本当は入籍した時に辞める予定だったのですが延びちゃった感じです」


「このままいよーよー!やだよー!」


田中さんがだだっ子みたいに言う。


「でも決めたので…」


田中さんが黙る。


「…加藤さんがそう決めたのなら!」


笑顔になった。


「ありがとうございます!退職するまでは全力で頑張ります!」


「頑張ろうねー!」


渋谷くんも雅樹も私達の会話を黙って聞いていた。





No.232

退勤時間。


田中さんは今日も牧野さん待ち。


田中さんに急かされて、急いで仕事を切り上げようと頑張っている。


「ほら!早く早く!」


「待って!今、やってるから!」


「菜々子とババが待ってるから、早く帰るよ!」


「わかったからちょっと待ってって!」


雅樹が「手伝うよ」と言う。


田中さんが「長谷川さん!優しい!さすが!」と雅樹をほめる。


雅樹が笑いながら牧野さんの仕事を手伝う。


「私は先に帰りますね!」


田中さんに声をかけた。


「加藤さん!お疲れ様!長谷川さんにはお礼しておくから!」


今日は、田中さんのお母さんの誕生日だと言っていた。


だから早く帰りたいんだろうな。


雅樹も「先に帰ってて」と私に言う。


私は先に帰る事にした。


駐車場に行くと、渋谷くんが待っていた。


「あれ?帰ったんじゃなかったの?」


「加藤さん、辞めちゃうって本当?」


「うん。本当は入籍したら辞める予定だったんだけど、色々あって今まで延長していたの。部長にも伝えたし、再来月いっぱいで退職するよ」


「そうなんだ…何か残念だね」


「そう言ってくれてありがとう!でも、まだ2ヶ月あるから、それまではよろしくね!」


「…うん」


何か言いたそうな渋谷くん。


「どうかしたの?」


「…いや、大丈夫。じゃあまた明日」


「お疲れ様!」


渋谷くんは自分の車に乗り込み帰って行く。


私も車に乗り込み帰宅。


そういえば、再来月に車の車検だな。


もう結構乗っているから、あちこちがたが来ているけど、とりあえず車検が通れば、あと2年は乗れる。


そんな事を考えながら晩御飯を作る。


今日は魚にしよう。


買っておいた魚を焼く。


焼きながら肉じゃがを作る。


そして昨日作って残っていた玉子サラダ。


目を離していたら、魚が少し焦げた。


「大丈夫!大丈夫!食べられる!」


自分に言い聞かせる。


雅樹が帰宅。


「ごめん…魚、少し焼きすぎた」


「食えれば大丈夫!」


失敗しても、いつも優しい雅樹。


文句も言わずに食べてくれる。





No.233

繁忙期に入り、慌ただしい毎日。


残業続き。


帰宅の時間も20時とか21時とかになり、ご飯もスーパーの半額のお惣菜とかお弁当とかになる。


雅樹も疲れているはずだけど、お惣菜でも文句は言わない。


「まりも仕事で疲れてるだろうから、気にしないよ!」


でも、休みの日や、早く帰れる日は頑張って作った。


洗濯も仕事が終わってから洗い、夜や早朝に掃除機は迷惑だと思い、お手軽モップでフローリングの掃除。


ラグマットは、コロコロをかける。


雅樹は、お風呂掃除をしてくれる。


洗濯物を干し終わり、お風呂に入るともう23時を過ぎていたりする。


明日も仕事。


雅樹が先にソファーで寝てしまう事もあった。


「雅樹のYシャツ、クリーニングに出し忘れた!」


慌てて、雅樹のYシャツにアイロンをかけたりする事もあった。


もうぐったり。


そんな毎日が続いていたある日。


私の交代の事務員が入社した。


田中さんと同じ年の岸田さんという女性。


田中さんは顔見知りだったらしく「あれ?久し振り!」と話している。


話を聞くと、田中さんがうちの会社に入る前にいた会社の人との事。


田中さんは、うちに入る前は、パチンコ屋さんの事務をしていた。


岸田さんはホール。


しかし、そのパチンコ屋さんが閉店する事になり、田中さんはうちの会社に転職、岸田さんは別の会社に行ったが、自主退職してうちの会社に来た、という事を聞いた。


「世の中狭いねー!小さな街だから、知り合いが来てもおかしくはないよね!」


田中さんが言う。


知り合いという事で、田中さんも安心した様子。


渋谷くんも挨拶。


岸田さんも田中さんに似た感じの人で、人見知りもなく明るい人。


「岸田と言います!よろしくお願いします!」


笑顔の岸田さん。


感じいい人で良かった。


これなら人見知りの渋谷くんでも、楽しく仕事が出来そう。


田中さんが仕事を教え、私の仕事は渋谷くんが引き継ぐ。


田中さんは岸田さん、私は渋谷くんについて色々教える。


渋谷くんは、前職も事務だったため、引き継ぎも楽に終わった。


繁忙期も脱出し、落ち着いた頃。


私の退職の日も近い。











No.234

退職する2日前に、久し振りの本社に行った。


懐かしく感じる。


初めまして、の方々もいてご挨拶。


立花さんと渡辺さんを見つけた。


席は以前と変わらなかった。


「立花さん!渡辺さん!」


私は2人の席に行き、声をかけた。


立花さんが「加藤さん!」と言って立ち上がり「久し振り!元気だったー!?」と笑顔。


渡辺さんも「加藤さん!お久し振りです!」と笑顔。


それに気付いた千葉さんも坂田さんも声をかけてくれた。


少し話してから「明後日の31日で退職する事になったので、今日は本社にご挨拶に来ました」と話す。


立花さんは「聞いたー。でも結婚したら辞めるって話していたもんね。そっかー。明後日かー。寂しくなるね。でも、加藤さんが決めた事だから、応援するよ!しっかり長谷川さんを支えてね!この間、長谷川さんが本社に来た時にも、ちょっと話したんだけど、たまにはみんなで食事でもしよう!って言ってたんだ。なかなか時間合わないけど実現させよう!」と笑顔で話してくれた。


「はい!是非!」


千葉さんも「また長谷川家に遊びに行くわー!また会う時まで元気で頑張れよ!」と言ってくれた。


坂田さんも渡辺さんも「お食事、楽しみにしていますから!お元気で!」と送り出してくれた。


「皆様には、本当にお世話になりました。明後日で退職しますが、また皆様に会える日を楽しみにしています。本当にありがとうございました!」


この本社であった色んな事を思い出して涙目になる私。


立花さんは泣いていた。


「元気でね」


「ありがとうございます」


最後のご挨拶を終えて、社長室に向かう。


やはり社長室は緊張する。


深呼吸をし、ドアをノック。


「どうぞー!」


和也さんの声がした。


「失礼致します」


社長が社長席に座り、和也さんが隣に立っていた。


「退職のご挨拶に伺いました」


「加藤さんの事は、我が社の為に一生懸命頑張ってくれたと聞いています。とても残念だけど、今までお疲れ様」


和也さんが労いの言葉をかけて下さる。


社長も「加藤くん、今までご苦労様。大変な時もあったが、乗り越えてくれた君に感謝する」と言って下さった。


残念ながら奥様は不在だったけど、最後に社長にご挨拶出来て良かった。


本当にお世話になりました。



No.235

退職の日。


田中さん、牧野さんを始め、今までお世話になった方々に最後のご挨拶をする。


支社長から支社のみんなに「今日で加藤さんは退職致します。長い間、事務員としてずっと頑張って来てくれました。いなくなるのは残念ですが、最後は加藤さんを笑顔で見送りたいと思います。今までお疲れ様」と言ってくれた。


その後、支社長に呼ばれ、自腹で3万円分ものギフトカードをくれた。


「加藤くんには無理言って、ここまで頑張ってもらった。少ないが私からの感謝の気持ちだ。長谷川くんには、これからも頑張ってもらいたい。加藤くんに長谷川くんを支えてもらい、我が社のために裏方として頑張ってほしい」


「ありがとうございます!支社長には本当にお世話になりました」


「もし、また働きたくなった時は、いつでも戻って来なさい」


「ありがとうございます」


最後に田中さんと涙の熱い抱擁、渋谷くんと牧野さんとは握手をして会社を後にした。


制服は後日、クリーニング後に返却。


もし何か忘れ物があったら、雅樹が持ち帰って来る事になっている。


「今日で終わりかー」


駐車場で会社を見る。


寂しいけど、決めた事。


明日からは雅樹の妻として、しっかりサポートをしていこう!


翌月にはお給料と、少しだけど退職金が入る予定。


手続きも今日全て終わった。


退職金が入ったら、連休に温泉でも行ってゆっくりしたいな。


雅樹は普通に仕事のため、まだ会社にいる。


今日はちょっと時間あるし、頑張ってご飯作ろうかな。


スーパーに買い物に行く。


雅樹の好きな鶏の唐揚げと、キャベツが安いからロールキャベツでも作ろう!


食材を買い、うちに帰る。


すると、雅樹宛に宅急便が来た。


差出人は、何かの会社。


「雅樹、何か通販で買い物でもしたのかな?」


荷物を受け取り、雅樹が帰って来るまで奥の部屋に置いておく。


雅樹から「今日は定時で帰れる」とのメールが来る。


よし、それに合わせて鶏の唐揚げと、ロールキャベツ作っちゃおう!


私の愛用書である料理本を開く。


そのうちに見ないでも作れる様になりたいな。







No.236

雅樹が帰宅。


「おかえりなさい!」


「ただいまー!今日、唐揚げなの?うまそう!」


「あっ!そうだ、今日雅樹宛に宅急便が来てたよ?向こうの部屋に置いてあるよ」


「ありがとう!」


雅樹は着替えも兼ねて、奥の部屋に入る。


バリバリバリ!と段ボールを開ける音がする。


私はその間に、ご飯の準備をする。


着替えた雅樹が、何かを持って来た。


席に座ると「まり、今までお疲れ様!」と言って、私が前から欲しいと言っていた好きなブランドのハンドバッグだった。


「店に行ったら取り寄せだって言われて、今日届く様にお願いしていたんだ。退職記念っていうのも何かおかしいけど、今までお世話になりました!って気持ちを込めて」


「ありがとう…」


「実はみんなからなんだ」


「えっ?そうなの?」


「牧野と千葉と坂田と、田中さんと立花さんと、渡辺さんと俺。みんなで話し合って、まりが欲しいと言っていたハンドバッグをプレゼントする事にしたんだ。あとこれも」


そう言って、寄せ書きを書いた色紙をくれた。


真ん中には、立花さんの字で「加藤さん、今までありがとう!」と大きく書かれていて、牧野さん、千葉さん、坂田さん、田中さん、渡辺さん、渋谷くん、松山さん、高橋さん、岸田さんが一言ずつ書いてくれていた。


嬉しい。


涙が溢れて来た。


こんなに嬉しい素敵なプレゼント。


「そしてこれは俺から。小遣いからだから、たいしたもんじゃないけどねー」


照れくさそうに包み紙を私に渡して来た。


包み紙を開けると、お洒落なエプロンが入っていた。


「まりが、こんなエプロンをしてご飯を作ってくれたらいいなー!と思って選んでみた」


大きな花柄のエプロン。


「ありがとう…大事にする」


「ご飯食べよ!冷めちゃう!」


「うん」


胸がいっぱい。


サプライズで、こんなに素敵なプレゼントを用意していてくれたなんて。


本当にありがとう。







No.237

翌朝。


私は雅樹を笑顔で送り出す。


「行ってらっしゃい!」


「今日から「加藤さん」はいないけど、まりのためにも今日からまた頑張って来るよ!」


「うん。頑張って!行ってらっしゃい!みんなにありがとうと伝えてね」


「うん、じゃあ行って来ます!」


玄関までお見送り。


今日から専業主婦。


専業主婦初心者の私は、まだ時間配分がうまく出来ずに、午前中に家事が終わってしまった。


テレビをつけたら、いつもは見れなかった主婦向けのワイドショーとか、再放送のドラマが入っていた。


みんなからもらった寄せ書きを見る。


田中さんからの「ずっと仲間だよ!加藤さん!愛してるよー!ママじゃなくてもママ友会やるよ!」の一言を見て思わず笑みがこぼれる。


「さて、晩御飯は何にするかなー」


冷蔵庫を開ける。


昨日残った唐揚げでお昼ご飯を食べる。


食べながら、今日はさっぱりしたものがいいかな?と思い、料理本を開く。


あっ!これなら私にも作れそう!


色々見ながら晩御飯を決める。


雅樹からメールが来た。


「田中さんが、まりのロッカーの忘れ物を見つけてくれたから、今日持って帰るよ。ハートがキラキラしているポーチ」


「あっ!忘れてた!多分、ロッカーの棚の上にあったやつだと思う!ありがとうと伝えて」


「了解」


中身は生理用のナプキン。


いきなり来た時用に置いておいたやつ。


中身を見られたら、ちょっと恥ずかしい。


テレビを観ていると、好きなバンドのボーカルが女優さんと熱愛!というニュースが流れる。


「へぇー、意外な組み合わせ」


ちょっと驚く。


真野さんも美人だったけど、芸能界ってきっと真野さん以上にキレイな人がたくさんいるんだろうな。


この女優さんも美人だもんな。


実際に会ったら、テレビで観る以上にキレイなんだろうな。


そんな事を考えながらテレビを観る。


平和な日常。


「あれ?もうこんな時間!」


晩御飯作りにとりかかる。


仕事を頑張る雅樹のために、私も頑張る!





No.238

色々奮闘しながらも、専業主婦をする。


そんなある日、チラシに不動産情報が入っていた。


表面は賃貸の物件、裏面は売り物件として中古住宅やマンション、新築物件等が載っていた。


「自分の家かー。憧れはあるな」


色々みてみる。


支社の近くに一戸建てが売り出されていた。


気になりみてみる。


築6年で、間取りは3LDK。


居間が15畳に、キッチンが別で4.5畳、居間の隣に和室があり、2階には6畳と8畳の部屋が2つ。


庭もある。


いいなー。


でも、そう簡単に買えるものではない。


憧れはあるけど、今の部屋も気に入っているし、しばらくはここにいてもいいかな?


子供が出来るかもしれないし、お金も貯めておかないと。


今日は土曜日。


珍しく雅樹が早く帰って来た。


「今日は早かったね」


「月曜日から出張だってさー。1週間」


「結構長いね」


「出張なんて久し振りだよ。部長と1週間はきついなー。だから今日は早く帰って来た(笑)」


「そうなんだ」


「出張前に、まりにいっぱい癒してもらう(笑)」


そっか、来週いっぱい、雅樹はいないのか。


ちょっと寂しいなー。


その夜は雅樹とSEX。


日曜日も朝から雅樹とやりまくる。


「明日からまりをしばらく抱けなくなる。だからその分、愛しまくる!」


明るいうちから、全てが見える状態で愛しまくる。


雅樹は疲れたのか、パンツ一枚の状態で寝てしまった。


可愛い寝顔。


来週までお預け。


私はベッドから出て、裸のまま着替えを持ってシャワーを浴びる。


シャワーから上がると、服をベッド脇に置きっぱなしなのに気づく。


下着姿でこっそり寝室に戻る。


雅樹がもぞもぞと動いた。


「ん…まり、どうした?」


「ごめん、起こした?」


「まり、愛してるよ。今日のまりも可愛かった」


「恥ずかしい」


「ねぇ、まり。今そこでブラ取ってみて」


「えっ?どうして?」


「とってよー、まりのおっぱい見たいの」


「さっきまでいっぱい見たし、いっぱい触ってたじゃん」


「とらないなら俺がとる!」


雅樹は慣れた手付きで片手でホックを外す。


もう一回始まる。


明日からいないんだもん。


その分、いっぱい愛し合おうね。


No.239

雅樹が1週間の出張に行く。


「まり、今日から1週間いないけど、留守の間頼んだぞ」


「うん。大丈夫」


「しばらくいないからって浮気するなよー!よくあるじゃん!旦那の留守中に…って」


「大丈夫だよ。そんな相手もいないし。雅樹しかしないよ!」


「昨日はいっぱい愛し合ったから、俺も大丈夫!部長じゃ、浮気のしようがないしね(笑)」


2人で笑う。


「じゃあ行って来ます!」


「行ってらっしゃい!」


雅樹を見送る。


1週間、会えない。


いない間、掃除はしっかりするけど、ご飯は私1人だし、適当に済ますか。


一緒に遊びに出かけるっていう友人もいないし、家でゆっくりしよう。


夜になり、お茶としょうゆがない事に気付き、スーパーに買い物に行く。


たまには違うスーパーに行ってみようかな。


久し振りに別のスーパーに行くと、仕事着姿の斎藤くんがいた。


「あれ?斎藤くん?」


「おー!加藤、久し振り!お前、辞めたんだって?」


「辞めたよー!今は専業主婦してる」


「長谷川さんは元気?」


「元気だよ!今日から出張行ってるけど」


「じゃあ自由じゃん!あっ!これから一緒に飯食いに行かね?長谷川さんいないんでしょ?俺、1人暮らしだから、寂しく1人で飯食うより加藤と食った方がうまいし。おごるから!」


悩んだ。


雅樹に斎藤くんとご飯食べたなんて言ったら、きっとヤキモチ妬くだろうな。


「俺の事、信用してないだろ」


「えっ?」


「顔に出てる。嫌ならいいよー」


「いや、別に嫌とかじゃ…」


「よし、じゃああそこのファミレス行く?」


「うん…」


「買い物途中だろ?終わってからでいいからファミレス来いよ。駐車場で待ってるから」


「お茶としょうゆを買いに来ただけだから…」


「俺、終わったからこのままレジ行くから。じゃあ駐車場で」


「…はい」


斎藤くんは足早にレジに向かう。


私も必要なものは、かごに入っている。


私もレジに向かう。


会計を済ませて、スーパーの駐車場に出る。


車に乗ると、雅樹から携帯に着信があった。


折り返す。


No.240

すぐに雅樹が出た。


「もしもしまり?どっか出掛けてたかー!?」


「ごめん、お茶としょうゆがなくて買い物してたら気付かなくて、今携帯見たの!」


「そっか、じゃあ今はスーパーかどっかにいるの?」


「うん。スーパーの駐車場。さっきスーパーで斎藤くんとばったり会って…ご飯に誘われて…」


「斎藤って、あのチャラい運転手か!危険だな。で、行くの?」


「うーん…」


「行って来たらいいよ」


「えっ?」


「俺も会社の同僚とは言え、女性と昼御飯食う事もあるし、別にいいんじゃない?まりの事信じてるし、束縛とかしたくないしな。ゆっくり飯食って来なよ」


「雅樹がそう言ってくれるなら…」


「大丈夫だよ!同級生と飯食うだけだろ?問題ないじゃん」


「うん。雅樹はご飯食べたの?」


「もう少ししたら、部長と行って来るよ。おっさん2人だから、多分ラーメン屋とかだろうけど(笑)ホテルの近くにラーメン屋あったし」


「ホテルは街中?」


「賑やかなところにあるよ」


「そうなんだ」


「そろそろ部長と待ち合わせ時間だから、ちょっと行って来るわ。まりも、同級生とゆっくり飯食って来いよ!じゃあまた後で!」


電話を切る。


雅樹もいいって言ってくれたし、斎藤くんとご飯行って来よう。


ファミレスでご飯食べるだけだもんね。


ファミレスの駐車場に向かうと、ファミレスの出入り口近くで私を待っていた斎藤くんを見つける。


斎藤くんの車の隣に車を停める。


「ごめん、お待たせ」


「全然大丈夫。入るか!」


2人でファミレスに入る。


席を案内される。


当時はまだ禁煙席と喫煙席にわかれていた時代。


斎藤くんは喫煙者。


私は吸わないけど、別に煙は気にならない。


喫煙席に座る。


回りでタバコを吸っている人はいたけど、ある程度換気をしているため、別に気にならない。


「加藤はタバコを吸わないんだっけ」


「吸わないけど気にならないから大丈夫」


「悪いな」


「気にしないで」


そう言って斎藤くんは早速タバコに火を点ける。


メニューを見る。


「私は、チーズハンバーグセットにしようかな?」


「うーん、俺はステーキセットにする!肉食べたい!」


注文し、セットのドリンクバーを取りに行く。


No.241

斎藤くんはコーラ、私はウーロン茶を席まで持って行く。


「加藤と飯なんて初めてだね」


「そうだね」


「女と飯に行くなんて、離婚してからないわー」


「そうなの?モテそうだけど」


「俺が?ないない!そんなモテるなら、寂しい一人暮らしなんてしてないって!」


「いつ離婚したの?」


「うーん、1年半前くらい?」


「そうなんだ、早い結婚だったんだね」


「20歳で、でき婚したからね」


「そうなんだ」


「女って難しいよなー」


「元奥さん?」


「そう。まぁ、俺も悪かったんだけど」


そう言って離婚理由を話す斎藤さん。


途中でご飯が来た。


食べながら話をする。


「子供、双子なんだ」


「そうなの?」


「女の子ね。可愛いぞ、俺に似て」


「斎藤くん、整った顔しているもんね」


「そうか?お世辞でも嬉しいわ。デザート食うならごちそうするぞ(笑)」


「ありがとう(笑)」


「…嫁が、双子産んでから4ヶ月ぐらい実家に帰ってたんだ。里帰り出産で」


「うん」


「嫁の実家が車で1時間半くらいのところだったんだけど、毎週末通ったんだよ」


「うん」


「最初は良かったよ。でもだんだん、嫁の様子がおかしくなって来たんだ」


「というと?」


「行っても「今日は会う気分じゃない」とか言われたり、子供達にも会えずに突き返されたり」


「うん」


「いきなり双子の育児だから、大変だと思って、俺も色々協力したかったんだけど、子供達のおむつを替えたり、ミルクをあげたりしても文句ばかり。「やり方が違う」と言うから聞いたら「考えろ」って言われるし、ゲップを失敗して娘がミルクを戻したら「使えねー、仕事増やしやがって」と俺が何かすれば文句ばかり」


「うん」


「で、聞いたのよ。「俺の何が気に入らないんだ?」って。すると「存在そのものが気に入らない」って言われて、頭にきたわけよ。それでも子供に会いたいから通ったんだよ。そしたらある日、俺に塩ぶっかけて「2度と顔を見せるな!キモいんだよ!」って言われて、とうとう俺がぶちギレた」


「…うん」


「嫁を殴っちゃたんだよなー。初めてだったよ。女に手をあげたの。そしたらDVだ!警察呼んで!って言われてね。実際には呼ばれなかったけど」





No.242

何か色々大変。


「嫁も気が強かったから、かなり激しい言い合いになったよ。向こうの両親が止めに入ったけど関係なかったなー。それから嫁は実家、俺が住んでたアパートで別居してたんだけど、結局離婚したよ。一緒に住んでた期間より、別居の方が長いっていう結婚生活だったなー。ごめんな、新婚のお前に離婚の話とか。加藤って、黙って話を聞いてくれるから、ついペラペラしゃべってしまう」


「話を聞く事くらいしか出来ないけど」


「加藤が独身だったら、俺、加藤に付き合ってって言ってたかも」


「えっ?」


「実は、高校の時、お前の事いいなー!って思ってた。いやー、青春だな!学生時代に思い切って告白していたら違っていたかなー。だから会社で会った時は、一瞬運命じゃないか?と思ったけど人妻なんだもんなー。残念」


「ごめん」


「別に加藤は何にも悪くないよ。俺が勝手に言ってるだけだから。旦那、長谷川さんだもんなー。勝てないわー」


何故かドキドキしている。


「長谷川さん、本社の新入社員がお気に入りだよ。長谷川さんが来たら、ひそひそ話しているのは見た事はある。千葉さんって言ったっけ?背のデカい強面の人。あの人が、長谷川さんが本社に来たら、ボディーガードみたいについて歩いているわ」


「そうなんだ」


「加藤は今、幸せか?」


「うん」


「そっか。その幸せを大事にしろよ。同級生として見守っているわ」


「ありがとう」


「人妻に手を出す勇気はないしね。この気持ちは心にしまっておくよ。今日はありがとう。付き合ってくれて。デザート食うか?これなんかうまそうじゃね?」


「太りそう…」


「大丈夫大丈夫!俺もデザート食うから、一緒に太ろう!」


店員さんを呼び出す。


「これ2つお願いします」


「少々お待ち下さい。お皿下げますね」


店員さんは食べ終わった食器を下げる。


すぐにデザートが来た。


「結構うまいな!」


「そうだね」


デザートも完食し帰る事に。


ごちそうしてくれたため、お礼を言う。


「俺から誘ったんだし、いいって。楽しかったよ」


「私も。ありがとう」


駐車場で車に乗り込もうとした瞬間、斎藤くんが後ろから私を抱き締めた。


「…これは浮気になる?」


ヤバい、何でドキドキしてるの?

No.243

「…ここまでなら」


「これ以上は?」


「…ダメ」


「…わかった」


斎藤くんは離れた。


「これ以上いたら、加藤を襲ってしまいそうだからやめとく。今日はありがとう。じゃあまた」


そう言って、車で帰って行った。


まだドキドキしている。


男性に免疫がない私。


雅樹以外の男性にこんな事をされたのは初めて。


ここまでなら浮気にならないよね。


斎藤くんと2人で会うのはやめておこう。


雅樹を裏切れない。


ドキドキはおさまったけど、少しの罪悪感。


家につく。


「はぁ…」


ソファーに座る。


携帯を見ると、雅樹から着信が2件。


折り返す。


すぐに出る。


「まり!楽しかった?」


「…うん。ありがとう」


「どうした?」


「何でもないよ?雅樹がいないからちょっと寂しくて」


「帰ったら、またいっぱい愛し合おう!だから我慢して待っててね!」


「うん。明日も部長と仕事頑張って!帰って来るの待ってるから」


さすがに斎藤くんに後ろから抱き締められました、とは言えない。


今日は早く寝る!


シャワーに入り、パジャマに着替えて、ベッドに入る。


いつもは隣に雅樹がいるけど、しばらくいない。


「明日は雨って言ってたから、家でおとなしくしてよう」


色々考えているうちに就寝。


斎藤くんの事は考えない様に、あえて忙しく動く。


外は土砂降りの雨。


窓に雨が激しく打ち付ける。


雅樹からメールが来た。


「今、そっち大雨警報出てるってラジオのニュースで聞いたけど大丈夫?」


「土砂降りだよ!でも、私はずっと家から出る予定はないから大丈夫。そっちの天気は?」


「こっちは曇ってる。今にも降りだしそう!」


「気をつけてね」


「ありがとう(^^)v」


それにしてもすごい雨。


ちょっと怖く感じる。


簡単にご飯を済ませ、テレビをつけながら片付けをする。


そんな生活が1週間。


今日は雅樹が帰って来る!


今日のご飯は何にしようかな。


雅樹がくれたエプロンをしながら、料理を頑張る。


雅樹が帰宅。


「ただいまー!」


「おかえりなさい!」


雅樹が私にキス。


無事に帰宅。


またいつもの日常が帰って来た。




No.244

出張に着ていた雅樹のスーツをクリーニングに出そうと、ポケットをあさっていたら、名刺が出てきた。


ん?キャバクラ?


接待にでも使ったのかな?


まぁ、仕事で行ったのなら別に何とも思わない。


裏には、女の子のものと思われる携帯番号が書いてある。


休みで家にいた雅樹に名刺を見せる。


「キャバクラ行ったの?これ、ポケットに入ってたけど」


「あれ?捨てたと思ったけど入ってた?接待で行ったんだ。変な誤解はしないで!」


「別に仕事なら何とも思わないから。キャバクラって、女の子と飲むんでしょ?」


「うん…まぁ」


「変な気起こさなかった?」


「起こす訳ないじゃん!」


「でも、男だしね。ずっと部長の顔を見ていたら息抜きしたくなるよね(笑)だって部長の顔、怖いもん」


「誤解はしないで!仕事だから!」


焦っている雅樹。


「わかってるよ!」


私が笑うと雅樹も笑う。


「やっぱりまりの笑顔は癒される。明日からまた頑張ろうと思える。明日は朝一で本社に行かないといけないんだー。面倒くさいな」


「雅樹って、本社に行ったら、千葉さんがずっと一緒について歩くの?」


「何で知ってるの?」


「斎藤くんとご飯行った時に言ってたから。千葉さんが雅樹のボディーガードみたいだって言ってた」


笑う雅樹。


「確かにデカいし強面だし、ボディーガードみたいだよなー!例えが面白い(笑)」


「明日も千葉さんに守ってもらってね」


「そうするよ(笑)ところで、まりは同級生と何にもなかったよねー」


「うーん、どうかなぁ?」


「マジで!?」


驚く雅樹。


「大丈夫!雅樹を裏切る様な事はしてないよ!ファミレスでご飯食べて話していただけ!」


「だよねー」


安心した様な顔の雅樹。


後ろから抱き締められた事と、ちょっとドキドキしてしまった事は、墓場まで持っていこう。


もう斎藤くんとは2人きりで会わないから。






No.245

斎藤くんとの事も忘れかけてたしばらくしたある日の昼下がり。


昨晩のおかずの余りで、テレビを観ながらご飯を食べていた時に、私の携帯が鳴った。


登録されていない、知らない携帯番号。


「誰だろ…」


不審に思いながらも電話に出た。


「はい…もしもし」


「あっ、加藤?俺、斎藤です」


「斎藤くん!?何で私の番号知ってるの?」


「…ちょっとね。今大丈夫?」


「大丈夫だけど…」


「俺、来月1日付けで支社に行く事になったんだ。しかも事務に入る。上司は長谷川さんになる」


トラックに乗っていた人が事務職に入るのは、珍しい事ではない。


支社長も部長も、千葉さんも、元々はトラック運転手。


雅樹も、松山さんが再婚して旦那さんの転勤で辞める話はしていた。


松山さんの後に斎藤さんが入るのか。


「でも、どうして事務職を希望したの?」


「支社の事務職が足りないって話を聞いて、なら俺がなる!って手を挙げたんだ。俺も前職事務だったし。長谷川さんの下に入るのは本当に偶然」


「そうなんだ」


「渋谷もいるんだろ?」


「うん」


「仲良くさせてもらうよ。色々と」


「えっ、何か怖い」


「大丈夫。でも、俺、やっぱり加藤が好きだわ。旦那に宣戦布告しちゃおうかな?」


「やめて」


「冗談だよ(笑)とりあえずご挨拶と思ってね」


「…はい」


不安しかない。


斎藤くん、雅樹に変な事言わないよね。


その日の夜に雅樹が「あのまりの同級生の運転手、来月から松山さんの後に入るんだって!」と話して来た。


知ってる。とは言えず「そうなんだー」と答えた。


とうとう、その日が来た。


雅樹が出勤前に「今日からまりの同級生と一緒だよ。どんなやつなのか楽しみにしているよ」と言う。


「…詳しくはわからないけど、前職は事務していたって言ってたから、基本的な事はわかるんじゃないかな?頑張って!」


「そっかー!なら仕事覚えるのは早いかもね!じゃあ行って来ます」


「行ってらっしゃい!」


雅樹を玄関で見送る。


大丈夫かな。


不安が駆け巡る。


雅樹が帰って来るまで落ち着かない1日だった。






No.246

雅樹が帰宅。


「ただいまー!」


「おかえりなさい!今日、斎藤くん、どうだった?」


「おー、彼、チャラい奴かと思っていたけど、なかなかいい奴!一回教えた事は次には確実にやるし、パソコンも慣れてる。牧野もほめてたよ。渋谷くんとも仲良く話していたし。田中さんが「あれ?斎藤さんってよく見たらいい男じゃん!」って言って喜んでいたよ(笑)」


「そうなんだ」


「牧野は「悪かったな、いい男じゃなくて」ってぶつぶつ言ってたわ(笑)」


「想像出来る(笑)」


2人で笑う。


この様子なら心配はなさそう。


良かった。


このまま平和に過ごしてもらえるといいな。


願いが叶っているのか、何事もなく時が過ぎていく。


取り越し苦労だったのかな。


私は相変わらずの主婦業。


早いもので、結婚してから4年目に入ろうとしていた時。


雅樹が突然「家でも買おうか」と言い出した。


前に、牧野さん、千葉さん、田中さん、立花さん、渡辺さん、私、雅樹の7人で飲み会を開いた。


坂田さんは用事があり参加出来なかった。


久し振りに皆に会った時に、牧野さんと田中さんが「家を買った」という話をしていて、後日、雅樹とお祝いを持って行った事があった。


郊外の住宅街にある家。


広い玄関。


14畳あるという居間に、6畳のキッチン。


居間の隣に4畳半程の和室がある。


2階に上がると、6畳程の部屋が3つに上の部屋にもトイレがついていた。


雅樹が「いい家じゃん!」というと、牧野さんが「中古だけどね。じいさんになるまでローンを払う事になるけど、住んでいたアパートと似た様な家賃だったし、思い切って買う事にしたんだ」と話す。


田中さんも「買って良かったと思う。私もばあさんになるまで頑張って働くし!」と笑顔。


牧野家は2人目の子供も生まれて、4人家族になっていた。


幸せそうな牧野家を見て、雅樹も影響されたのかな。


「俺も、もう結構いい年になってきたし、家を買うなら今かなと思ってね」


ちょうどチラシで入ってきた不動産情報を見る。


前に私が見ていた時にあった支社近くの家は掲載されていなかったが、今度の休みに、不動産屋さんに行ってみる事にした。





No.247

不動産屋さんに行く。


50代くらいの白髪が混じる男性が対応してくれた。


頭金はいくら出せるのか、という話をしてから、仮審査を通してもらう。


何と通過した。


毎月の支払い額、金利の変動がない一定のもの、私達の希望を色々聞いてくれる不動産屋さん。


何度か不動産屋さんに通い、ある程度の目処が立ち、物件を見て歩いた。


全て中古住宅だったけど、皆築年数も新しく、比較的キレイな家だった。


雅樹の実家から車で5分程のところに、日当たりも良く、庭もあり、住みやすそうな住宅があった。


近くに少し大きめの公園、コンビニ、交番があった。


少し行くと雅樹の母校でもある小学校、中学校があり、スーパーもある。


キッチンとお風呂場は、新品がついている。


カウンターキッチンで、居間が見渡せる。


キッチンも広い。


居間も広い。


居間の隣に4畳半の和室がある。


2階は階段を登ると、小さな踊り場みたいなところがあり、3畳程のベランダへ行く窓がついている。


2階には8畳の部屋が2つ、4畳のクローゼット
があった。


雅樹も私も気に入る。


雅樹が「ここなら、俺の実家が近いから、もし万が一何かあっても安心だし、何より会社が近くなる。ここにしない?」と私に言う。


私も、今まで見た中で一番気に入った家。


「ここに決めます!」


頭金と必要な書類は後日持って来る話をして帰宅。


「あの家、良かったよなー」


「そうだね」


「審査も大丈夫だったし、後は購入に向けての準備だな」


「うん」


「俺も会社抜け出して手伝うから!」


「ありがとう」


何度か不動産屋に通ったけど、無事に家を購入出来た。


入居前に、ハウスクリーニングの方がきれいにしてくれて、ピカピカの新居。


今住んでいるマンションに退去の連絡。


今回の引っ越しも会社のトラックを使う。


牧野さんと渋谷くんが手伝いに来てくれる予定。


千葉さんは「俺、その日、親戚の結婚式でいけないんだ。手伝えなくて悪いな。その代わり、引っ越し祝いは盛大にやるから!」と言っていた。


ありがとうございます。


いよいよ、新居に引っ越す日程も決まった。








No.248

私も雅樹も、お互いの実家に連絡。


唯一、反対したのが私の母親だった。


母親は、勝手に色々思い描いていたみたいで「旦那の実家の近くは絶対にダメ!」


「どうしてお母さんに相談もなく、勝手に家を買うんだ!」


「まりは、うちの近くに住んでもらう予定で、知り合いに話を通していたんだよ!」


「今からでもキャンセルして、こっちに来なさい!」


騒ぎまくる。


「今からキャンセルなんて無理に決まってるよ」


私が言う。


「無理じゃない!何て言う不動産屋?お母さんがキャンセルしておくから教えなさい!」


「そんな電話で簡単にキャンセルなんて出来る訳ないじゃん!」


「お母さんは、あんたのためを思って、知り合いに安く家を譲ってもらおうとしていたのよ!いいからそっちに引っ越せ!」


「無理だよ…」


母親が言う知り合いって言うのは、近所に住んでいる地主さん。


ご迷惑をおかけしたんじゃないか?と不安になり、その方のご自宅に菓子折りを持ってご挨拶に行く。


私が小さい頃から、色々と可愛がって頂いた。


「母がご迷惑をおかけしたのではないかと思い、謝罪に伺いました」


すると奥さんの方が「まりちゃん、そんな気を使わなくていいのよ!ただね…ちょっと無理なお話しだったので困ってはいたのよ」


「本当に申し訳ありません」


話を聞いたら、地主さんだから、色々一軒家やアパートを持っているため、その中の一軒家を100万で娘に譲れ!と言うものだった。


しかも一番新しい家。


地主で金はあるんだろうから、ない人から金は取るな。近所のよしみでそのくらい融通きかせてくれてもいいだろう!と言っていたらしい。


無茶苦茶だよ。


100万で家を譲れって…。


何度も謝罪。


地主さんご夫婦は、すごくいい人。


本当に申し訳ない。


母親の暴走は、最近ちょっと酷くなって来ている。


雅樹のご両親は、すごく喜んで下さった。


「近くなら、何かあっても助け合えるわね」


雅樹のお義母さんは、そう言ってくれたのに、うちの母親は…。


雅樹に話すと、何とも言えない微妙な顔をしていた。


そりゃそうだよな。





No.249

新しい我が家。


牧野さんも渋谷くんも、忙しいのに引っ越しを手伝ってくれた。


渋谷くんが「いい家だね」と言って、部屋を色々見ている。


牧野さんも、渋谷くんと一緒に部屋を見て歩いている。


「風呂きれいじゃん!」


「システムキッチンじゃん!加藤さんも料理、楽しくなるね!」


「庭広い!これならみんなでバーベキューでも出来そうだね!」


色んな事を言いながら見て歩く。


「そうだね、今度バーベキューでもしたいね!」


雅樹が言う。


近所迷惑にならない様に楽しめれば。


引っ越しも落ち着き、ご近所に挨拶まわり。


左隣は古い空き家。


右隣は、私達と同じか少し上くらいのご夫婦と、小学生のお子さんが2人。


「隣に引っ越して来ました長谷川と申します」


雅樹と2人でご挨拶。


とても感じ良いご夫婦。


「ご丁寧にありがとうございます。うちは男の子2人がうるさい盛りで、ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いいたします」


「いえいえ!子供さんが元気なのはいい事です!お気になさらず!」


居間から、子供たちの騒ぐ声が聞こえていた。


その隣の家にご挨拶。


町内会長さんのお宅だった。


60代~70代前半と思われるご夫婦。


「隣の隣に引っ越しできた長谷川と申します。色々ご指導頂ければ…」


「いやー!若い夫婦が引っ越して来てくれて嬉しいよ。今、若いのは隣の合田さんと、うちの裏の馬渕さんくらいだからねー。後はみんな年寄りばっかりだよ。一応ね、町内会長やっているから、何かあったら私に言ってもらえれば!よろしく」


そう言った後、早速町内会費の徴収と、ゴミに関しての注意などの説明を受ける。


「年に何回か、町内のごみ拾いをやったり、そこの公園で花見をしたりする予定なんだ。若い人にも参加してほしいし、手伝って欲しい」


「はい、喜んでご協力させて頂きます」


雅樹が笑顔で答える。


お話好きのご主人。


奥様は最初に顔を出して下さったが、家の電話が鳴ったため、居間に引き返した。


皆、いい人そう。


他の方々にもご挨拶。


2軒程留守だったけど、皆、笑顔でご挨拶をして下さった。










No.250

前の部屋を借りた時はおとなしかった母親。


家を買った途端、いきなり来る事が増えた。


何の連絡もなく、本当に突然来る。


自分の母親、入れない訳にいかない。


「お母さん、来るなら一言言って欲しいんだけど…」


「どうして娘の家に来るのに、いちいち連絡しなきゃならないんだ!いつからお前はそんなに偉くなったんだ!」


雅樹もいる。


雅樹が「お義母さん、ご連絡頂ければきちんとおもてなし出来ますし…」と言うと「別にそんなおもてなしなんて望んでない。私が来たいから来て、何が悪い!」と話を聞いてくれない。


そう言って、部屋中を見て歩き、タンスの中まで見て歩く。


「お母さん、やめて」


「親が娘のものを見て、何が悪い!やましいものでもあるのか?」


「そうじゃなくて、雅樹のものもあるし…」


「だから何だ、他人でもあるまいし」


雅樹は黙って見ている。


「なんだこれ、趣味悪いカーテンだねー。お母さんがいいの買ってつけてあげるから、玄関の鍵を寄越しなさい」


「いや、それは…」


「親が娘の家の鍵を持ったらダメな理由はないだろ。あんたの旦那は仕事でいないんだし、あんたに何かあった時にどうする?」


「でも、雅樹のご両親には合鍵渡していないし…」


「近いんだから必要ないだろ!市内じゃなくて隣町に家を買ったんだ。鍵を渡して親を安心させるのが常識だろう!」


「今、合鍵ないし…」


「どっちかのをくれればいいだろ!1人が持っていれば合鍵作れるだろ!どこまでバカなんだ!お前は!合鍵をくれるまでは帰りません!」


困った。


私は雅樹を見る。


「わかりました、お母さん。鍵を渡します。ただ約束をして欲しい事があります」


雅樹が言う。


「本当に必要な時以外は入らないで下さい。申し訳ないですが、ここは私とまりさんが買った家です」


「わかったわよ、偉そうに。早く鍵を寄越しなさい!」


雅樹が自分の鍵を渡す。


「約束は守って下さいね」


母親は鍵を受けとると、無言のまま玄関に行く。


鍵が本物かを確かめている。


本物だとわかると「また来るわー!」と言って帰って行く。









No.251

しかし、約束なんて守る母親じゃない。


2日に1回ペースに突然来る。


2階にいて下に降りると母親がいるという事が多くなる。


「用もないのに、来るのやめて。約束したよね?」


「いつそんな約束したのよ。嘘ばっかり言って、お母さんをそうやって悪者にして楽しいのか!」


はぁ…。


ため息が出る。


すると母親が「しーっ」と人差し指を口元に充てる。


「なに?」


「この部屋に盗聴器がついているのよ」


「は?」


「あいつの手下が、あんたを狙っているんだよ」


「ちょっと意味がわからないんだけど」


「最近ね、あの地主のおやじがうちを狙っているのよ。うちが欲しくて、色々と嫌がらせをして私達を追い出そうとしてくるから夜も眠れないんだよ」


「どんな嫌がらせ?」


「朝、どんなに探しても見つからなかったお父さんの靴下が、次の日にタンスの下にポンと置いてあったり、タオルに変な液体をかけられて色が変わっていたりするんだよ」


あれ?


言っている事が何かおかしいぞ。


「お母さん、本気で言ってる?」


「お母さんをばかにするのか!」


「いや、そうじゃなくて、それは事実なの?」


「疑うならうちに来なさい!まだまだ嫌がらせをされた証拠があるんだから!」


「わかった、実家に行くよ」


私は、母親の車に乗り、実家に向かう。



母親の運転は怖い。


昔からだけど、信号待ちで待つのが嫌いなため、ショートカットするんだけど、他人の敷地を勝手に入って抜けて行ったり、いきなりウィンカーもあげずに曲がったり、車線変更したり、ぶつかりそうになったらクラクションを鳴らしまくる。


ひやひやしながら乗っていた。


実家に着く。


その問題のタオルを見せてもらう。


「…これ、どう見ても漂白剤じゃない?」


すると母親は「やっぱりあのおやじは、うちのタオルに漂白剤をかけたという事がわかっただろ!」


「いや、そうじゃなくて、お母さんが洗濯の時に…」


「お母さんがそんな事をする訳がないだろ!お前もあのおやじの手下か!お父さんの靴下だって、何であんなところにあるんだ!おかしいだろ!」



前から、言っている事がおかしいとは思っていたけど、しばらく会わないうちに酷くなっている気がする。





No.252

とりあえず、雅樹にメールをする。


「今、実家にいるんだけど、理由は後で話すから今日、ちょっと遅くなる。ごめんね」


すぐに返信が来た。


「お義母さんの事かな?了解。落ち着いたら連絡下さい」


もう少ししたら、父親が仕事から帰って来る。


帰って来たら、家に勝手に入って来る事を伝えよう。


もうやめてほしいと。


母親はずっと騒いでいるが聞き流す。


すると、圭介が来た。


「あれ?圭介どうしたの?」


「今日、代休なんだ。ちょっとね」


圭介を見た母親は「圭介も見なさい!こんな嫌がらせをされたんだ!まりは、全然信じてくれないんだよ!」と騒いでいる。


「母さんさ、もしそれが本当なら不法侵入じゃん!警察に相談してみたら?」


圭介が言う。


「タオルを証拠で持って行けばいいよ。勝手に家に入って来て、嫌がらせでこんな事をされましたっていいなよ、警察に」


お母さんが「あとね、鍋にこんな白い粉みたいなのをつけられたのよ。舐めてみたら苦いんだよね。変な薬を鍋に塗られたのよ!」と言って、いつも使っている片手鍋を圭介に見せる。


「じゃあ、それも持って警察に行こう。その白い粉はなんなのか調べてもらおう」


「そうしようかしら?圭介、警察に連れてってもらえる?」


「いいよ」


「まりなんかより、圭介の方が理解してくれるわ。やっぱりあんたがおかしいのよ!」


そう言って、母親はタオルと鍋を持って、圭介と一緒に警察署に向かった。


うーん…。


携帯を見ると、雅樹からメールが来ていた。


「圭介くん、着いたかな?」


あぁ、やっぱり雅樹が圭介に連絡をしてくれていたんだ。


「ありがとう、今、圭介と母親は警察署に行ってる。今は実家で父親が帰って来るのを待ってる」


「警察署?」


「うん、理由は後で。とりあえずごめんね。ありがとう」


「(^-^)/」


それから程なくして、父親が帰宅。


父親に、母親が2日に1回ペースで合鍵を使って勝手に家に入って来て迷惑している事、合鍵を渡した経緯、今、圭介と母親がタオルと鍋を持って警察署に行っている事を話した。


父親は黙って私の話を聞いていた。








No.253

父親は、母親が置いていった鍵の束から、うちの鍵を外し、私にくれた。


「お母さんの車の鍵は、しばらくお父さんが預かる。どっかに行く時は、お父さんが運転して一緒に行動する様にする。ただ、お父さんも仕事をしている。もし、いない間に何かあれば、お父さんに連絡を寄越しなさい」


「わかった。ありがとう」


ちょっとホッとする。


圭介と母親が帰宅。


母親は怒っている。


「警察まで私をばかにして!お父さんからも警察に連絡してちょうだい!」


すると父親。


「警察はお前をばかにはしていないだろ。ただお前の言い分が通らなかったから怒っているだけだろ?」


「まり!お前はお父さんに何を吹き込んだ!出ていけ!」


持っていた片手鍋で頭を叩かれた。


圭介が「早く帰れ!」と言って、母親を止めている。


この母親の顔、嫌いだし怖い。


怒りに満ちて、嫌み満載ぶちまけて暴力的になる母親の顔。


兄や弟では力が敵わないから、私を標的にしてくる時の顔。


本当に小さい頃から嫌い。


大っ嫌い。


私は、バンドバッグを持ち、玄関に飛び出す。


でも、足がない。


時間は20時を過ぎている。


雅樹に電話をする。


すぐに出た。


「ごめんね、仕事終わってた?」


「今は家にいる。まりの車があったから家にいるもんだと思ってたけど、いないんだな。お義母さんの車で帰ったの?」


「うん。今、母親に鍋で頭を叩かれて出ていけ!って言われて、出てきたんだけど帰れなくて」


「今から迎えに行くから、あの前の待ち合わせ場所まで行ける?」


「うん、大丈夫」


前の雅樹が住んでいたアパートの前を通る。


懐かしい。


雅樹が停めてあった駐車場には、軽自動車が停まっている。


新しい住人さん。


色んな思い出があるなー。


そう考えながら、雅樹が部屋を借りる前に待ち合わせ場所として使っていた場所に着いた。


人通りは余りなく、夜はちょっと薄暗い。


たまにバス停から歩く人を見掛けるくらい。


雅樹が来てくれた。


「ごめんね、お待たせ」


「大丈夫。ありがとう」


私は雅樹の車の助手席に乗り込む。

No.254

「ご飯食べたの?」


雅樹が私に聞く。


「ううん。食べてない」


「俺も食べてない。何か簡単に食ってくか?」


「…うん」


牛丼屋に入り、簡単にご飯を済ませる。


学生や、サラリーマン風の人で賑わっていた。


自宅に戻る。


雅樹に事の経緯を説明する。


そして、鍵は返って来た事、何かあれば父親に連絡を、と言う事も含めて全て話した。


「これで、しばらく来なきゃいいけど…」


「うーん、まりの母親だから何とも言えないけど、タンスやクローゼットの奥まで開けられるのはちょっとね…」


「ごめん、そうだよね」


「まりが悪い訳ではないんだ。でも…うーん」


もう嫌だ。


今は母親に恨みしかない。


お願い!


もうこれ以上、かき回さないで!


もううちに来ないで!


雅樹にも、かなりの精神的負担をかけている。


これで収まる訳はなく、翌日、母親は何とタクシーでうちまで来て、玄関で騒いでいる。


「鍵を返せ!入れろ!」


あぁー!ダメだ!


ノイローゼになりそう。


「お願いだから帰って…」


「じゃあ、鍵を寄越せ!」


「タクシー代は出すから帰って!」


「鍵を寄越せ!」


「帰らないと、お父さんに連絡するよ!」


「いいよ!お母さんは何も悪い事はしていないだろ!あんたの家の盗聴器を見つけなきゃならないんだよ!」


私は父親に電話をする。


父親の会社も、そう遠くない。


父親がうちに来た。


母親をビンタしているのが聞こえる。


でも、私は玄関を開けない。


涙がぼろぼろ出てきた。


息も少し苦しくなる。


もうやめて!もうやめて!…お願い、もう来ないで…!


私は、呪文の様につぶやく。


しばらく、玄関から動く事が出来なかった。


翌日も母親はタクシーでうちに来ては、玄関で「鍵を寄越せ!」とドアをドンドン、ガチャガチャやりながら、外で叫んでいる。


また父親に連絡。


父親がまた母親を連れて帰る。


もう、ダメかも、私。


精神的に耐えられないかも。


でも、私の母親なんだ。


雅樹に迷惑をかけている。


雅樹との距離を少し感じる。


もうダメかな。


私達。








No.255

「まり?」


雅樹が私を呼ぶ。


「なに?」


「さっきから呼んでいるんだけど…」


「…ごめん」


「まり、少しお義母さんから離れようか?」


「えっ?」


「4日間、有給が取れたんだ。旅行行かない?」


「旅行?」


「うん。勝手に決めちゃったんだけど…来月もしかしたらクレジットカードの請求、ドンと来るかもしれないけど許してくれ。ボーナスも入ったしね。少し気分変わるんじゃない?」


「雅樹…」


「気分を変えてから、お義母さんの事を考えよう」


「いつから?」


「明後日から」


「急だね」


「ここしか有給無理だった。温泉旅館とったぞ!ゆっくり温泉に入ってのんびりしよう!」


「ありがとう」


少し気持ちが落ち着く。


旅行当日。


朝6時に家を出発。


新幹線に乗るため、駅まで向かう。


私達の街は田舎だから、新幹線は停まらない。


新幹線が停まる駅まで電車で向かう。


駅に車を置いておいても、新幹線や在来線利用なら格安で最大6泊まで停めておける。


新幹線なんて何年振りだろうか?


雅樹と隣り合わせで座る。


私は窓側、雅樹は通路側。


車窓も楽しみながら、2人で駅弁を食べる。


最高に楽しい時間。


本日の目的地、東京。


東京は大人になってから来た事がない気がする。


田舎者の私は、人の多さに驚く。


雅樹は仕事で何度か来ているため慣れた様子。


東京駅。


今日は東京に一泊。


切符売り場に行く。


路線図を見てもよく分からない。


雅樹は、切符売り場で切符を買って来た。


「俺もよく分からないから、駅員さんに聞いてきた。電車乗り場こっちだって」


エスカレーターに乗る。


へぇー。


都会の人って、みんな左側に寄って乗るんだ。


すると右側から急いでいるのか、かけ上がる人が何人もいる。


田舎はこんなルールはないから、エスカレーターも自由。


何もかもが違う東京に驚く。


電車に乗る。


そこそこ込み合う車内。


車窓はずっとビルばかり。


隣の駅までの間隔が短い。


あっという間に今日泊まるホテルの最寄り駅に着いた。


人の流れに逆らわずにそのまま改札を抜けたが、ホテルとは全く違う出口。


そんなハプニングもいい思い出になりそう。





No.256

まだチェックインまでには時間があるため、駅にあるコインロッカーに荷物を入れる。


どこを見ても、人の姿。


建物も高い。


見上げて歩く。


まだスカイツリーが出来る前。


私の中で東京といえば聞いた事があるのが、東京タワー、渋谷のハチ公、浅草、新宿歌舞伎町、高尾山くらい。


小さい頃は、富士山は東京にあると思っていた生粋の田舎者。


せっかくだからと行ける範囲で雅樹と色々いってみる。


歌舞伎町を見て「すげー!」


東京タワーを見て「デカっ!」


渋谷のハチ公を見て「…何か小さい」


そんな感じで楽しめた。


チェックインの時間になったため、荷物を預けていた駅まで戻り、荷物を取り出す。


泊まるホテルはちょっとだけ良さそうなホテル。


フロントには若い男性がいた。


「予約していた長谷川です」


フロントの男性はパソコンを見て「長谷川様2名様ですね。お待ちしておりました」と言って、雅樹に名前を書く紙を渡す。


用意された部屋は15階。


フロントから、カードキーをもらい、エレベーターで15階まで行く。


「わぁ!素敵!」


東京のビル群、街並みがキレイに見える。


「きれいだね」


私が言うと雅樹が「夜景もキレイそうだね」と言う。


何もかも嫌な事は忘れてしまいそう。


雅樹がベッドに横になる。


「やべー!気持ちいいぞ!」


私も雅樹の隣で横になる。


見つめ合って笑う。


楽しい!


ご飯前にシャワーして、さっぱりしたところで雅樹とSEX。


旅先という事もあり、開放的な気分になる。


しばらくベッドでイチャイチャしていたが、段々暗くなり、窓からの景色は夜景に変わって行く。


「わぁ!キレイ!」


私がベッドから夜景を見る。


雅樹が「夜景を見ながら、もう一回しようか!」と言って、部屋の電気を消して、夜景を見ながらもう一回。


それからまた軽くシャワーをして着替えて、ホテル近くのお洒落なレストランで夕食。


そして部屋に帰って来てからまたSEX。


この旅行だけで、雅樹と何回SEXしたかわからない。


今まで以上に愛し合った。


母親のせいで少し離れた気持ちを取り戻す様に。


何回も何回も抱き合う。




No.257

旅行から帰って来た。


雅樹は会社の人達にもお土産を買ったため、色々整理している。


私もスーツケースの中身を整理。


洗濯物を出して、化粧品とかは元の位置に戻す。


私は携帯を開く。


母親から着信が20件以上入っていた。


急に現実に引き戻された。


雅樹には言わない。


「はー!疲れたけど、楽しい旅行だったね!」


雅樹が言う。


「うん、本当に楽しかった!ありがとう!」


「こちらこそ」


「明日仕事行ったら休みだー!頑張ろう!」


そう言いながら、雅樹はシャワーをしにお風呂場に行った。


旅行から戻って来てから、母親が来る事はしばらくなかった。


精神的にも少し落ち着く。


雅樹も笑顔が増えた。


また平和な日常が戻って来た。


新婚当初に比べれば、回数は少し減ったけど雅樹とは愛し合う夫婦生活。


そんなある日。


いつもの様に雅樹とのSEX。


変わらないはずなんだけど、何となく違和感。


すごく気持ちがいいんだけど、いつもとちょっと違う。


翌朝。


雅樹を送り出してから、昨日の違和感について考える。


あれ?


そういえば、生理っていつ来たっけ?


カレンダーを見る。


もうしばらく来ていない事を知る。


もしかして…妊娠した?


私はドラッグストアーに車を走らせる。


以前、田中さんが買ったやつと同じ妊娠検査薬を2本買う。


失敗もあり得る。


急いで帰り、トイレに直行。


説明書を読む。


なるほど、おしっこをかけるのか。


平坦なところに置いて、とりあえずトイレから出る。


10分後。


トイレに行き、検査薬を見る。


はっきりと陽性のところにラインが入っていた。


私、妊娠した!


お腹に雅樹と私の赤ちゃんがいるんだ!


念願だった赤ちゃん。


ずっと出来なくて、諦めかけていた赤ちゃん。


嬉しい!


私は雅樹にメールをする。


「今日、雅樹に大事な話があるので、早く帰って来て下さい」


10分後くらいに「大事な話?気になるから早く帰ります!」と返信。


雅樹もきっと喜んでくれるよね。


私は思わずお腹に手を当てた。




No.258

雅樹は定時ぴったりに「帰る!」とメールが来た。


今日は晩御飯は、ちらし寿司にした。


うちでは、めでたい時は、いつもちらし寿司だった。


ちょっと贅沢に海鮮ちらし寿司にしてみた。


「ただいまー!」


「おかえりなさい!あれ?今日はずいぶん豪華な晩御飯だね!話しって何?」



「まず着替えて来なよ。ゆっくり話そ!」


「わかった!待ってて!」


雅樹は、普段着に着替えて戻って来た。


「えー?何々?ずっと気になってたんだ!」


「実はね…赤ちゃんが出来たの!」


雅樹は一瞬無言になり「…本当に?」と言う。


「うん。今日、妊娠検査薬で陽性反応が出たの!月曜日に産婦人科に行ってみようと思って」


「マジで!?本当に?」


「うん」


「やったじゃん!まり!」


雅樹はすごく喜んでくれた。


「やっと俺達のところにも赤ちゃんが来てくれたんだな!」


「うん」


「まりとこんなに子作り頑張っていたけど、ずっと出来なかったから、諦めていたんだ。良かったよ…本当に良かった!」


雅樹は涙を浮かべていた。


私も30代になっていた。


雅樹はもう何年かで40代。


「来年の今頃は、家族が増えているよ!」


私が言うと雅樹が「嬉しいよ!早く会いたい!」と言って、私のお腹を優しく触る。


「えっ?じゃあもうまりとSEX出来ないの?」


「そんな事もないと思うけど…」


「俺、ずっとまりとSEX出来なかったら死んじゃうよ!子供だって、生まれる前にパパが死んだら可哀想じゃん」


「お腹が張ったりとかしたらヤバイかもしれないけど、わかんないや」


その日はいつになく優しいSEX。


いつも以上に優しく愛撫をしてくれる。


「これからママになるまりに、いっぱい気持ちよくなってもらいたいから!おっぱいも赤ちゃんにとられる前に、俺がいっぱいまりのおっぱいに吸い付いてやる!」


「あっ、ダメ…」


「いっぱい気持ちよくなって…いっぱいいっちゃって。感じているまりは最高に可愛いよ」


今日の雅樹はすごくエロい。



No.259

月曜日、産婦人科に行く。


受付を済ませて、空いていた椅子に座る。


ドキドキした。


産婦人科に受診するのは、人生初めて。


看護師さんに呼ばれて、別室みたいなところで名前、住所の他に、最後の生理はいつか?子供が出来ていたら生みますか?とか聞かれて素直に答える。


そして、採血と血圧測定、「尿検査します」と採尿用の紙コップをもらいトイレへ。


また席で待っている様に言われて待合室に戻る。


名前が呼ばれて、診察室に入る。


40代くらいの先生。


愛想よく「おはようございます」と挨拶してくれる。


さっき、看護師さんが書いていた紙を見てから「ちょっと下着を脱いで、こっちに来て下さい」と言われて、診察室の隣の足を開くベッドに案内された。


スカートをはいていたため、パンツだけ脱いで、スカートをまくりあげて足を開くベッドに乗る。


初めてだからちょっと抵抗があったが、顔が見えない様にウエストの辺りにカーテンがひかれる。


機械を入れられる。


先生が「力を抜いて下さいねー!楽にして!」とカーテンの向こうで声をかけるが、緊張で思わず力が入る。


「足の傷はどうしたの?結構な傷だね」


カーテンの向こうから聞かれたため「ちょっと怪我をしました」と答える。


診察が終わり、また再び診察室の椅子に座る。


「長谷川さん。おめでとうございます。妊娠していますよ。3ヶ月に入ります」


そう言って、エコー写真をもらった。


「これが赤ちゃんです」


先生に言われて、小さく白く写る我が子を写真で初めて見る。


「これは頂けるんですか?」


「もちろんです。どうぞお持ち帰り下さい」


そして「妊娠おめでとうございます」と書かれた冊子みたいなのと、次回の診察日が書かれた紙と、エコー写真と、出産予定日が書かれた紙をもらう。


会計の時に、女性から「役所で母子手帳をもらって来て下さいね!その時に一緒に診察の補助金が出る紙もくれるはずですので、次回からは母子手帳とその紙を一緒に持って来て下さい!」と言われた。


早速役所に行き、母子手帳をもらう。


会計の時に言われた診察の補助金が出る紙も一緒にくれた。


自宅に帰る。


出産予定日は来年。


エコー写真を見る。


にやける私。


雅樹が帰って来たら見せよう。



No.260

雅樹が帰宅早々「産婦人科、どうだった?」と聞いてきた。


「もう少しで3ヶ月に入るって!」


「そっかー!いやー、こんなに嬉しい事はないよ!まり、体大事にして、無理な時は休んでいていいからね!つわりとか大丈夫?」


「うーん、今のところはそんなに…田中さんがつわりがひどかったけど、人によるのかな?」


「楽しみだな!」


日に日に少しずつ大きくなっていくお腹。


雅樹とのSEXの回数は激減したけど、雅樹は「子供とまりのために我慢するよ」と我慢してくれている。


お互いの両親にも赤ちゃんが出来た事を報告。


すると母親が「まりが赤ちゃん生むまで、我が家に住む」と言い出した。


雅樹と2人で全力で止めた。


それでも母親はうちに来る。


うちに来ては、子供の名前を勝手に決めてきたり、和室を勝手に模様替えをしたり、母親の荷物を勝手に持って来たり。


うちに来たら朝から晩までずっといる。


話をすれば、地主さんや兄の嫁さんの千佳さん、他の人の悪口ばかり。


うちに入れなければ、近所迷惑になる様な声で騒ぎまくる。


私がご飯を作れば「まずい」と文句、作らないと「来てやってるんだから、ご飯くらい出せ」と文句。


雅樹にも「父親になるんだから、もう少し落ち着いたらどう?チャラチャラお洒落なんてしないで、この服を着なさい!」と、父親が着る様な服を着る様に強制。


「本当は娘にはもっと若い旦那が良かったのに、仕方なく許してやったんだから。なかなか妊娠しなかったから、絶対に種が悪いと思ってたけど、これでやっと役に立ったな。少しは使えるみたいだね」


雅樹の表情が段々変わっていくのがわかる。


「…お義母さん、申し訳ないですが、帰って頂いてもよろしいですか?」


声が低い。


「何であんたに指図されなきゃならないんだ!娘の家なんだから、私がいたっていいだろう!むしろあんたは他人なんだから、お前が出ていけばいいだろう!」


「お母さん!お母さんが帰れ!勝手に人の家に居座るな!荷物を持って帰って!」


私が母親に叫ぶ。


「まりまで、亮介と同じ様に結婚したら相手にくだらない事を吹き込まれて変わってしまったんだね。お母さんの事を敬う事の出来ないそんな男なんてさっさと離婚しなさい!」


私は気付いたら、母親を思いっきりビンタしていた。


No.261

「まり!目を覚ましなさい!あんたはこの男に騙されているんだよ。あんたの事を本当に思っているのはお母さんなんだよ?なのに、そんな母親をビンタするなんて!」


そう言って、私のお腹を殴った。


すると雅樹が「お義母さん、お言葉ですが、今何をしたかわかりますか?お腹の子を殺そうとしたんですよ?殺人ですよ?わかりますか?」と言って、母親の腕を掴み、そのまま玄関まで引きずり出す。


「母親に向かって何をするんだ!暴力していいと思っているのか!」


雅樹は無言で母親を玄関の外に連れ出し鍵を閉めた。


外で騒いでいたが静かになった。


雅樹は「まり、大丈夫か?ごめん、お義母さんを力ずくで追い出す事をして」と険しい顔はしているものの、謝罪をする。


するとインターホンが鳴りモニターを見ると、隣の家のご主人だった。


雅樹が対応。


「今、長谷川さんのお母様がうちにみえまして、娘婿に暴力を振るわれて追い出された!鍵を開けてもらえる様に、説得して欲しいとおっしゃっていて少し興奮されている様なんですが…」


隣の家にまで迷惑をかけている母親。


自分の思い通りにならなければ、思い通りになる様に卑怯な手も平気で使う。


私達が困ろうが関係ない。


自分の思い通りになればそれでいい。


雅樹が「本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません」とお隣さんに謝罪。


玄関を少し開けた瞬間、扉が一気に開き、鬼の形相をした母親が入って来た。


雅樹はひたすらお隣さんに謝罪。


私は父親に連絡をし終わったところ。


もう少しで父親が来る。


それまでの辛抱。


母親は怒りの頂点だったのか、目に入って手に取った靴べらで私の背中を何度も叩く。


「痛い!やめてよ!」


必死でお腹を守る私。


父親が玄関から入って来た。


母親から靴べらを奪い取り、今度は父親が靴べらで母親の背中を思い切り叩く。


「痛い!何すんのよ!」


母親が叫ぶ。


「お前が今、まりにしていた事はこういう事だ!しかもまりはお腹に赤ちゃんがいるんだぞ!赤ちゃんに何かあったらどうするんだ!」


「そんな赤ちゃんは縁がなかっただけだよ!また作れば問題ないじゃないか!」


「お前は命を何だと思っているんだ!」


父親が怒鳴る。


No.262

父親が激怒して、母親を力ずくで抑えつけている。


もう還暦を過ぎた両親。


「やめて!お願いだから…!」


雅樹が止めに入る。


父親が「お前はおかしい!狂ってるんだよ!どれだけ人に迷惑をかければ気が済むんだ!いい加減にしろ!」と怒鳴る。


「狂ってんのはまりとこの男だよ!私は間違ってない!」


「まだ言うか!ふざけんな!」


雅樹が「やめて下さい!」と必死に止めるが、父親が怒り狂っているため、かなりの力で母親を押さえつけていて雅樹も太刀打ち出来ない。


何か、お腹が張ってきた気がする。


赤ちゃん、びっくりしてるのかな。


「やめてー!」


私は絶叫。


「お母さん!もう2度とうちに来るな!もう嫌!お母さんの存在がストレスにしかならないの!もし今度来たら、刺すかもしれない!そのくらいもう嫌なの!早く帰って!帰れ!」


初めて雅樹の前でブチキレた。


「早く帰れよ!もし離婚ってなったら一生恨む。言ってる事おかしいんだよ!盗聴器?変な液体?バカじゃないの?被害妄想で回りを巻き込んで、迷惑をかけて楽しいか?小さい頃から、お母さんの言う事は正しい!逆らうな!って言って、ずっと押さえつけて来たもんな!良く言ってたもんね。10年経てばまりも分かるって。もう30年以上経ったけど、お母さんの言ってる事、やっている事、理解出来ないんだよ!それだけ自分がおかしいの、早く気付けよ!

子供が生まれても、絶対お母さんには会わせない。殺そうとしたんだもんな!また作ればいい?やっと出来た子供なんだよ。私が守るべきなのはお母さんじゃなくて、お腹の子供と雅樹なんだよ!私の事をボロクソ言うのはまだいい。雅樹の事をボロクソに言う権利なんてないんだよ。お母さんのせいで、私達夫婦がどれだけ迷惑かかっているかわかるか?死ねばいいのに!早く消えろ!」


私はそのまま2階の寝室に入り、号泣した。


雅樹が私を追いかけて来た。


「まり!」


「来ないで!」


もう色んな感情がぐちゃぐちゃになっている。


初めて雅樹の前でぶちギレてしまった。


もう無理だった。


ストレスが限界だった。


お腹が張る。


寝室の隅っこで、電気もつけずに泣く私。


もう、きっと雅樹にも嫌われた。


母親がいなければ、楽しい妊婦生活が待っていたのに。





No.263

居間が静かになった。


私は泣き止み、黙って隅っこに座ったまま放心状態になっていた。


ドアがノックされる。


「まり、大丈夫か?入ってもいいか?」


雅樹が優しく声をかけながら、寝室に入って来た。


電気をつけようとしたけど「つけないで」と私が言うと、つけないで私の前に座った。


「まり、ご両親は帰ったよ」


「…うん」


「…大丈夫か?」


「…うん」


雅樹も放心状態の私に、何て声をかけていいかわからない様子。


私の頭を撫でる。


「まり、俺は大丈夫だよ」


その言葉に、また涙がこぼれ落ちる。


「まりは今、大事な時期なんだよ?ママになるんだよ?一緒に頑張ろ?」


「雅樹、ごめんね、本当にごめんね」


もう涙が止まらない。


雅樹は黙って泣き止むのを待ってくれた。


「…お腹が張ってきてるんだ。ヤバイかな」


「えっ?まり、ベッドに入って休みなよ。大丈夫?赤ちゃん、びっくりしちゃったかな。もし本当にヤバい様子なら病院に行こう!」


「…ちょっと横になって休んでみる」


「うん。俺はいない方がいいかな?下にいるから、何かあったらすぐ呼んで」


「ありがとう」


雅樹はまた私の頭を撫でて、居間に降りていく。


私はベッドに横になりながらお腹をさする。


少し目立つ様になったお腹。


今、お腹の中で聞いていたよね。


ごめんね。


こんなママでごめんね。


また涙が出る。


そのうちに寝てしまった。


目が覚めた。


枕元の時計を見ると、AM4:48と表示されている。


隣を見ても雅樹はいない。


居間に降りていくと、和室に来客用の布団を敷いて寝ていた。


母親に勝手に模様替えをされて、良くわかんない置物まで置いてある部屋。


私は洗面台についている鏡を見る。


泣きはらした目。


顔も何となく浮腫んでいる。


ブサイクな顔。


普段もブサイクだけど、10倍くらい更にブサイクな顔。


このままシャワーに入ろうかな。


シャワーに入る。


さっぱり。


シャワーから出ると、雅樹が起きていた。


眠れなかったのかな。


かなり眠そうな顔をしている。






No.264

「雅樹、おはよう」


「おはよう、まり。お腹の張りはどう?」


「うん、夜よりはマシになったけど、まだ張りはある」


「病院に連絡してみる?出血とかはあるの?」


「出血は今のところないかな?」


「心配だよ。俺、今日仕事休むから一緒に病院に行こう!」


「でも今日、病院の日じゃないよ?」


「病院に連絡してみよう!24時間対応ってこれに書いてあるよ?」


雅樹は、妊娠がわかった時にもらった冊子を開き、病院に電話をした。


「電話代わってだって」


雅樹が電話を私に渡す。


「もしもし、お電話代わりました」


看護師さんと今の状況について話す。


「今日、病院に来れますか?んー、朝一なら多分先生あいていると思うんですけど」


「わかりました。今日の朝一に伺います」


電話を切り、雅樹に「今日の朝一で診てもらえるって」と伝える。


「わかった、俺も一緒に行く」


でもまだ時間は早い。


「俺もシャワー入って来る。まりは動かなくていいから、ゆっくりテレビでもみてて!」


「ありがとう」


雅樹がシャワーをしに行く。


病院に行く時は化粧はせずにマスクで行く。


洗いっぱなしの髪をセットする。


ちょっと動くとお腹が張るし、何か具合が悪い。


おとなしく座っていよう。


雅樹もシャワーから上がり、髪もセットされていた。


お互い着替えたら、すぐに出掛けられる状態。


雅樹が「朝御飯食えるか?」と聞いてきた。


「余り食欲がない。雅樹が食べるなら用意するよ?」


立ち上がろうとしたら、雅樹が「いいから座ってろ!俺もそんなにお腹はすいてないんだ。昨日買ってきたメロンパン食うよ」と言って、昨日雅樹が仕事帰りに買ってきたメロンパンを食べる。


メロンパンと麦茶という組み合わせの朝御飯。


そろそろ時間になり、雅樹が私の軽自動車に乗り病院に向かう。


その方が車の乗り降りが楽だろう、という雅樹の判断。


病院に着いた。


受付を済ます。


いつも、そこそこ混んでいる病院。


名前が呼ばれて、診察室に入る。


雅樹も一緒に入る。


「旦那さんですか?」


「はい」


雅樹は答える。


診察結果を先生が言う。


「切迫早産ですね。このまま入院しましょう」



No.265

ちょうど妊娠6ヶ月に入った20週の時。


まさかの入院。


ストレスかな。


相当なストレスがかかっていたのかな。


雅樹は、早速入院準備のため、一旦自宅に帰る。


ここの産婦人科は、2階が産科でお産した方々と赤ちゃんが入院している病棟、3階が婦人科で入院している方々。


私は3階に入院になる。


お産の方はピンクの病院着、婦人科の方は、薄明るいグリーンの病院着を着る。


私は、トイレ以外は絶対安静。


張り止めの点滴を打たれる。


病室は広く、4人部屋だけど狭く感じない。


私と同じく切迫早産の方が同じ病室だった。


4人部屋だけど、私を入れて3人。


ベッドのまわりはカーテンで仕切られている。


雅樹が戻って来た。


入院する時に必要だと書いてある紙を持って、一つ一つ確認する雅樹。


「これは、これでいいんだよね?これはちょっと悩んだけど、こっち持って来た!」


「うん、ありがとう」


「まさかの3回目の入院だね」


雅樹が言う。


「3回共まさかの入院だけどね」


「確かに」


雅樹は妙に納得する。


母親に知らせない限り、ここに来る事はないだろう。


ちょっとストレスから解放される。


同じ病室の方々にご迷惑はかけられないため、静かに雅樹と話す。


雅樹が「ごめん、ちょっと会社に電話してくる」と言って、病室から出ていく。


赤ちゃんがちゃんと育つまで、お腹の中で頑張ってもらわないと!


雅樹が戻って来た。


「牧野が明日も休んで、加藤さんの側にいてやれって言ってくれたから、明日も来れるよ!」


看護師さんが来た。


入院手続きのため、雅樹が看護師さんと一緒に病室から出ていく。


しばらくして戻って来た。


「看護師さんに「もし、まりの実母が来ても、絶対に部屋に入れないで下さい」と伝えたから」


「ありがとう」


母親がいない、来ない。


これだけで、大半のストレスは軽減される。


ただ、トイレ以外歩けない。


トイレは斜め向かいにある。


病院内を歩く事も出来ない。


ただ、ベッドの隣に小さな冷蔵庫があるため、雅樹にあらかじめ飲み物とか買ってきてもらえれば大丈夫かな?


あと雑誌があればなー。


絶対安静の入院生活が始まる。





No.266

入院してから4日経った。


仕事終わりに、雅樹と一緒に牧野さんと田中さんがお見舞いに来てくれた。


田中さんは空気を読んだのか、いつものテンションではなく、静かに入って来た。


「お久し振りです!」


「加藤さん!久し振り!長谷川さんから聞いたよー!大丈夫?赤ちゃんのためにも今が辛抱の時だよ!暇潰しにどうぞ」


そう言って、たくさんの雑誌やマンガ本を買って来てくれた。


「リサイクルショップで買ってきたから、遠慮なく読んで!」


「こんなにたくさん、ありがとうございます。お金払います。いくらでしたか?」


「いーのいーの!加藤さんには、これから頑張ってもらわないといけないんだから、ホンの気持ち!前に立花さんが切迫で入院した時に、雑誌は神だったって言ってたのを思い出してさー、昨日仕事終わってから、牧野さんと買いに行って来たんだ!」


「ありがとうございます」


牧野さんからも「今はゆっくり休んでね。長谷川の事は何も心配しなくても大丈夫だから!」と言ってくれた。


「ありがとうございます」


田中さんが耳元で「加藤さん、少し太った?」と言って来た。


「はい」


「私も」


そう言って笑う。


「余り長居も悪いから、そろそろ行くね!加藤さん、ゆっくり休んでね!じゃあね!」


そう言って、牧野夫妻は帰って行く。


雅樹が「見送って来る」と言って、一緒に病室から出ていく。


雅樹が戻って来た。


「牧野さんと田中さんにお礼言っておいて」


「もちろん!まり、調子はどうだ?」


「相変わらず。トイレしか行けないし、暇だよ」


「一応、圭介くんとお義兄さんには伝えてあるから」


「ありがとう」


「早く家に帰りたいな。あれからお母さん、家に来る?」


「いや、来ない」


「なら良かった」


「まりはゆっくり休め。何も気にするな!じゃあ、そろそろ面会時間終わるから帰るね。また明日来るよ」


「うん。おやすみ!」


雅樹が帰る。


帰った後は、急に寂しくなる。


消灯までまだ時間はある。


早速、買ってきてくれたマンガ本を読む。


少女マンガ。


胸キュンシーンに、私も高校生の時に、こんな恋愛したかったなー。


そう思いながらマンガを読む。


今みても、なかなか面白い。


No.267

翌日、朝御飯を食べている時に、私の携帯がピカピカ光っているのに気付く。


携帯はサイレントにしているため、音は鳴らない。


「誰だろ?」


携帯を開くと、斎藤くんからのショートメール。


「久し振り。切迫で入院してるの?お見舞いは行けないけどお大事に」


「おはよう。久し振り。ありがとう」


返事をする。


すぐに返信。


「俺は相変わらずです。長谷川さんと仲良くね」


「はい。斎藤くんも早くいい人見つけてね」


「ありがとう。仕事に行って来ます」


「行ってらっしゃい!」


その後に、斎藤くんのメールアドレスが送られてきた。


とりあえず保存はしておこう。


先生の回診。


内診をされる。


「お腹の張り、だいぶ落ち着いた?」


「はい」


「だからって、動き回ったらダメだよー」


「はい」


「ゆっくり休んでね」


「ありがとうございます」


入院中は本当に本は神だ。


する事がないから、ずっと本を読んでいる。


同じ病室の人同士は、余り話をしない。


煩わしくなくて、私にはちょうどいい。


ご飯食べて、昼寝して、本を読んで寝る。


みたいな入院生活。


約1ヶ月の入院期間。


先生の許可も出て、無事に退院。


約1ヶ月振りの我が家に帰る。


何か、家に感じる違和感。


何だろ。


でも変わりはない。


気のせいかな?


雅樹は会社を休んで、病院まで来てくれた。


「まりはゆっくり休んでて!」


「ありがとう」


雅樹は色々してくれた。


ご飯作りや掃除などの家事もやってくれた。


母親が来ない安心感から、私も雅樹も落ち着いている。


早いもので、もうすぐ臨月。


お腹の子がいつ生まれてもいい様に、少しずつベビー用品を用意していく。


おむつや産着、布団、ある程度は揃えた。


あとは田中さんや立花さんから雅樹を通してお下がりをもらう。


有り難い。


出産予定日まで1週間。


今まではお腹の中で、うにょうにょ動いているのがわかったけど、余り動かなくなった。


本にも書いてあった。


赤ちゃんも出産準備に入った証拠だと。


いよいよ会えるね!


No.268

予定日より5日早い朝。


ちょうど朝御飯の準備をしていたその時に、お腹の中で何かがはじける感覚がした。


「えっ?なに!?」


その声に雅樹が「どうした!」と台所に来る。


「わかんないけど…多分破水した」


「えっ!?」


下半身が濡れていく感じがする。


雅樹が病院に電話をする。


「今すぐ来て下さい!だって!」


雅樹は仕事に行くつもりでスーツを着ていたが、そのままの姿で病院に向かう。


まとめておいた入院の荷物を持って、私の車に乗り込む。


シートが濡れたら大変だとバスタオルを敷いて、その上に座る。


病院に着く。


雅樹が裏口に車をつけて、中に入って行く。


すると看護師さんと一緒に病院から出てきた。


看護師さんが「歩けますか?大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。


「大丈夫です」


まだ痛みはない。


「俺、車を移動してから行くから!」


雅樹はそう言って、車に乗り込み移動させに行く。


看護師さんと一緒にエレベーターに乗り、2階の産科病棟に向かう。


一番奥にある小さな部屋に通される。


陣痛から分娩が移動しないでそのままこの部屋で可能。


5部屋あり、1部屋が「使用中」の札がかかっていた。


部屋には名前がついていて、私は「ひまわり」と書かれた部屋。


他は「さくら」「ゆり」「ばら」「チューリップ」と花の名前がついていた。


私は早速着替える。


雅樹が入院する荷物を持って部屋に来た。


看護師さんが「旦那さんは立ち会い希望でしたか?」と雅樹に聞く。


「はい」


「あの、立ち会いする旦那さん、途中で具合が悪くなって倒れてしまう方も結構いらっしゃるんですが、その辺りは大丈夫ですか?」


「大丈夫です」


ベッドがある部屋に移動する。


しばらくして、大便がしたい感覚がじわじわ来る。


雅樹が「俺、ちょっと電話してくるから!」と言って、一旦部屋から出る。


看護師さんに「すみません、大便がしたい感覚が…」と言うと「赤ちゃんが下がってきているので、押されてそういう感覚になりますよ」と言われた。


じわじわと陣痛が襲って来る。


腰が鈍い痛みに襲われる。


雅樹はずっと近くにいてくれた。


看護師さんがたまに様子を見に来てくれる。


いよいよ出産が近い。





No.269

病院に来てから6時間が経過。


陣痛がじわじわから一気に激痛に変わる。


唸る私。


雅樹は「頑張って!」と私の手を握る。


私は陣痛の波が来る度に、雅樹の手をぐっと握る。


「あー!痛い!」


「まり!頑張れ!」


雅樹の手は赤くなっている。


先生が来て内診。


「うーん、まだ子宮口4センチくらいだね。でも今日中には生まれるよ」


えっ?まだかかるの?


先生の話を聞いて、まだ出産までいかない事を知る。


雅樹は、トイレと電話以外はずっといてくれた。


病院に来て、12時間が経過。


雅樹も少し疲れた様子。


「まり、頑張れ!俺は、近くにいてあげる事しか出来ないけど」


そう言いながら、私の顔の汗をタオルで拭いてくれる。


先生が来た。


ちょっとあわただしくなる。


「長谷川さん!頑張って!赤ちゃんの頭が見え始めましたよ!」


返事をする余裕がない。


ただただ、陣痛の痛みに耐える。


「はい!いきんで!そうそう!もう一回!」


いきんでは唸る。


「もう少し!頑張って!はい!いきんで!」


その時に、ヌルンと出た感覚がした。


「おめでとうございます!男の子ですよ!」


まだ泣かない。


一瞬不安になる。


「ふえ…ふえ…」


泣いた!


ちょっとしてから、今さっき生まれた我が子を看護師さんが見せてくれた。


まだ濡れていて、所々に若干血がついている。


雅樹は生まれる瞬間から号泣している。


私も赤ちゃんを見た瞬間に涙が出てきた。


赤ちゃんはそのまま、どこかに連れていかれた。


雅樹が「まり!良く頑張った!感動したよ。ありがとう!ありがとう!」と言って目を真っ赤にしている。


さっきまで、あんなに陣痛で苦しかったのに、今はそうでもない。


お腹に手を当てる。


あんなにパンパンで固かったお腹が、ぶよぶよとしている。


赤ちゃんが青いバスタオルに包まれて、キレイになって戻って来た。


「はじめまして!よろしくね!」


赤ちゃんを抱っこした看護師さんが私達に言う。


そして私の隣に寝かせてくれた。


ぐっすり眠っている我が子。


雅樹と2人で赤ちゃんを見る。


無事に生まれた。










No.270

我が子に優真と名付けた。


優しく真っ直ぐに育って欲しい、との願いを込めて。


良くミルクを飲み、良く寝て、泣き声は元気ないい子。


母乳も、おっぱいが小さいからか、有り難い事に出なくて困るという事もなく、優真は母乳で元気に育ってくれた。


雅樹も、おむつを替えてくれたり、沐浴してくれたりと育児に協力をしてくれた。


ただ繁忙期になると、残業続きで出来る事も限られてしまったが、積極的に頑張ってくれていた。


慣れない育児に奮闘する毎日。


1日があっという間に過ぎていく。


父親には生まれた事は伝えたけど、母親には直接言ってない。


牧野さん夫妻、立花さん、千葉さん、坂田さん、渡辺さん、渋谷くん、斎藤くん、高橋さん、支社長他、会社の皆様からお祝いを頂く。


お返し物を買いに行くのは雅樹に任せた。


兄と弟、雅樹のご両親、お義姉さん夫妻からもお祝いを頂いた。


千佳さんが、甥っ子のお下がりをたくさんくれた。


まだ大きなサイズだけど、結構新しい服もあり有り難く頂戴する。


生まれてから早いもので1ヶ月が経ち、1ヶ月検診に向かう。


私も優真も問題ないと言われて一安心。


1ヶ月検診が終わり、性交渉はオッケーと言われ、出産してから初めて雅樹とSEXをした。


痛かった。


優真を生んでから、余り雅樹とSEXする事も少なくなる。


前はやりまくっていたけど、今は1ヶ月に数回あるかどうか。


育児優先で私は優真と和室で寝て、雅樹は一人でベッドで寝る生活に変わって行く。


優真が隣に寝ている状態でのSEXは、どうしても優真が起きないだろうか?とか考えてしまい、前みたいに雅樹を受け入れる事が出来なくなってしまっていた。


雅樹もそんな私を見て、前ほど私を抱く事もなくなる。


雅樹は結構、性欲が強いから、きっと我慢しているんだろうな。


本当は前みたいに雅樹を受け入れたいけど、どうしても受け入れられない。


ある日。


私と優真が寝ている和室に雅樹が来た。


「まり…俺、爆発しそうなんだ。久し振りにSEXしよ?」


「でも今、優真寝たばかりだし…」


「じゃあ口でして。もう我慢出来ないよ…」


前はそんな事言う人じゃなかったのに…。






No.271

雅樹が愛撫もなしに、無言で私のパジャマの下だけ脱がして、いきなり挿れて来た。


「待って!やめて!」


雅樹は私の足を開いて力強くつかみ、無言挿れながら腰を振ってくる。


上半身はパジャマを来たまま。


「ダメ!ちょっと待って…」


「あー、まり、気持ちいいよ…」


いつもならたくさん愛撫もしてくれるし、たくさんキスもしてくれる。


こんなにいきなり挿れて、裸じゃない状態のSEXは初めて。


いつもの「まり、出ちゃうよ…」っていう言葉もなく「はぁ…」っていう吐息と共に腰の動きが止まる。


中で出した。


終わってから雅樹が「ごめん、我慢出来なかった」と言って、ティッシュで拭いてからパンツをはいてそのまま寝室に行ってしまった。


雅樹、どうしたの?


いつもの雅樹じゃない。


それからも、私を愛してくれるSEXではなく、性処理みたいなSEXが続いた。


キスなし、愛撫なし、いきなり挿れてきて無言で腰をひたすら振り続けて中に出して、すぐに寝室に行く。


この頃から、雅樹が変わって来た気がする。


「雅樹、最近どうしたの?」


私が休みで家にいた雅樹に声をかける。


「別に何でもないよ」


「だって、最近、私とのSEXに愛を感じないから」


「そんな事もないと思うけど?」


「最近の雅樹、ちょっとおかしいよ?」


「…なぁ、まり」


「なに?」


「もうすぐ優真も1歳になるよな?」


「うん」


「まりは優真を生んでから、何か変わってしまったんだよな。俺とSEXしていても、前みたいに感じてくれなくなったし、優真ばかりで全然俺とSEXしてくれない。夫婦生活がないのって、離婚事案にもなるんだよ?」


「だって、いきなり挿れて来て、無言で腰を振ってるだけだよ?私、何にも気持ち良くないし」


「じゃあ、めちゃくちゃ気持ち良くしてやるよ」


そう言って、優真の前でその場で押し倒された。


「ダメ!優真見てるよ!」


「まだわかんないよ」


キスされる。


服を脱がされる。


雅樹が怖い。


抵抗出来ないよ。


居間のソファーで裸でSEX。


下半身を触られる。


「まりもイケよ。優真の前で女になれよ。気持ち良くなれよ!」


下半身を触られながら雅樹がバックで挿れてきた。




No.272

「あぁ…ダメ、いっちゃうよ…気持ちいい…」


「もっと気持ち良くなれよ!」


雅樹はガンガン後ろから突いてくる。


でも優真が気になる。


そんな私を止める様に、私の感じるところを触って来る。


「優真じゃなくて、俺だけ見てくれ!今、俺とまりは愛し合っているんだよ。優真にもパパとママはこうして愛し合って優真が生まれたんだよって見せてやるんだ」


気持ちいい。


力が抜けて立てなくなる。


雅樹は私をラグマットの上に寝かせて正常位で腰を振ってくる。


「まり、すごい濡れてる。エロいよまり。もっともっと気持ち良くなって」


「あぁ…雅樹…」


優真を生んでから、こんなに乱れまくったSEXは初めてだった。


「まり、愛してるよ…」


「私も愛してる」


たくさんキスをしてきた。


「まり、出ちゃうよ…」と言って、中に出す。


優真を見ると、この間買ってあげたおもちゃに夢中になっていた。


終わってから「雅樹…寂しかったの?」と聞く。


「…うん、でも今のSEXでまりの気持ちが離れてないのはわかった。突然ごめん。服着ようか?」


いつもの雅樹に戻った。


それから、優真が寝てから、雅樹と愛し合う様になった。


前みたいに性処理みたいなものではなく、いつもの優しいSEX。


優真は大事。


でも雅樹も大事。


子供が起きている時にSEXしたのは、この1回だけだけど、優真も成長してくると気付く様になるんじゃないだろうか?


たまに雅樹の実家に優真を預けて、ホテルで朝からやりまくる事もあった。


お互いの気持ちを確かめ合う。


雅樹はもう40歳になるのに、性欲は衰えない。


優真はすくすく育ってくれる。


歩く様になり、目を離せられなくなる。


ちょっと目を離すと、部屋はおもちゃが散乱している。


片付けている目の前で、おもちゃが散乱。


雅樹のご両親にとっては初孫。


可愛くて仕方がない様子で、いつも色んなおもちゃを買ってくれる。


雅樹が「甘やかさないで!」と言っても「ジジババの楽しみを奪わないで!」と言ってはおもちゃや服を買ってくれる。


雅樹のお父さんも定年退職し、優真と遊ぶのを何より楽しみにしている。







No.273

優真が2歳になった。


色々話す様になり、益々可愛くなる。


いたずら盛りであり、自我も出て来て手を焼くけど、やっぱり可愛い我が子。


ちょっときつく叱りつけて泣く優真。


寝ている姿を見て「ちょっときつく叱り過ぎたかな?」と反省する日々。


雅樹は優しいけど、叱るところは叱る。


優真がパパに叱られて、泣きながら「ママー」と歩いて来る姿は可愛すぎる。


そんなある日。


母親が「孫に合わせろ」と突然やって来た。


「嫌だ」


「何故だ!」


「殺そうとしたから」


「お母さんがいつそんな事をしたんだ!そうやってお母さんを悪く言うのは止めなさい!」


「会わせたくなったら行くから」


「そう言うけど、全く来ないじゃないか!」


「お父さん呼ぶね」


私は父親に連絡。


「俺が本屋に行ってる間に、また行ったか!今向かう」


しばらく外で騒いでいたが、父親が来るとおとなしくなった。


私は、優真がお腹にいる時にされた事を許す気はない。


いくら母親でも。


ただ、全く会わせないのは可哀想だろうと、数ヵ月に一回程度、実家に連れていくのはせめてもの情け。


父親には会わせたいし。


そんなある日。


天気が良かったため、優真を連れて近くの公園までお散歩しに行く。


優真は色々な物に興味を持って、あちこち寄り道をしながら公園まで歩く。


私の携帯が鳴る。


斎藤くんからのメールだった。


「加藤、心して読め。長谷川さん、女いるぞ」


「まさかー!悪い冗談はやめて」


すると雅樹と女が会社の駐車場でキスしている写メが添付されてきた。


血の気がひくのがわかる。


手が震える。


「嘘だよね?合成だよね?」


「お前も支社の駐車場の景色、覚えてるだろ?」


確かに、支社の裏の2階建ての建物が写っている。


「これは誰が撮ったの?」


「俺。加藤に黙っていようと思った。何かの間違いじゃないかと思った。でも加藤の事を思って知らせた。相談なら乗るぞ」


嘘だよね?


だって雅樹、優真の事を可愛がってくれてるし、あれから雅樹とはちゃんと愛し合っているよ?


何かの間違いだよね?




No.274

「ただいまー!今日のご飯は麻婆豆腐かー!着替えてくる!」


そう言って着替えに行く。


いつもの雅樹。


優真が「パパー!」と言って、雅樹の後をついていく。


「優真ー!パパと一緒に風呂入るか!」


「うん!」


その様子を見ていて、斎藤くんが何か誤解をしてるんじゃないか?


たまたまそういう風に写メが撮れただけだよ。


雅樹が会社の駐車場で、他の女とキスする訳ないじゃん!


きつい冗談言うなー!


これは雅樹には黙っておこう。


聞き流しておこう。


「まり!ご飯食べたら、優真と風呂に入って来るよ!」


「わかったよ!」


「パパとおふろ!」


「なー。パパとお風呂入るんだもんな!」


「うん!」


日常の家族の会話。


私が余計な事を言って、この日常を壊したくない。


ぐっと我慢。


それからも変わらない日常。


優真も今度で3歳。


スーパーに買い物に行った時に、幼稚園の来年度の園児募集の張り紙を見つけた。


毎週木曜日に、親同伴で幼稚園で遊べる事が出来ると書いてあったから、記載されている電話番号に電話をかけてみる。


「本格的に幼稚園に入園前に、子供が慣れる様に週1回、幼稚園の広場を解放して、幼稚園の先生の手遊びや絵本の読み聞かせ、ちょっとした体操等をやっています、よろしければ今度の木曜日いかがですか?」


「是非お願いします!」


名前と連絡先を告げ、木曜日の10時までに来園する約束をした。


雅樹に話してみると「優真も同じ年齢の子供達と遊ぶのも、楽しいだろうし、連れていってみたらいいよ!友達も出来るかもしれないし」と大賛成。


これで少しでも慣れたら、来年度はこの幼稚園に入園する方向で考えてみる。


木曜日。


「優真ー!今日は楽しいところに行くんだよ!」


「ママもいく?」


「もちろん、ママも一緒に行くよー!」


上靴とタオルを持って来て下さい、と言っていたので、上靴とタオルを持って幼稚園に向かう。


園庭の門が開いていた。


近くにいた先生に「お電話させて頂いた長谷川なんですが…」と聞くと「長谷川優真くんですね!」と言って、しゃがんで優真に「こんにちは!」と挨拶。


優真は少し恥ずかしがり、私の足の後ろに隠れる。









No.275

先生が「優真くん、あそこでね、これから楽しい楽しいお話が始まるんだよー!ママと一緒に見てみよっか!」と優真に優しく言う。


優真は気になるのか、足の横から顔を出して様子を見る。


「ママと一緒に行って見よう!」


すると優真が私の顔を見た。


「優真、行ってみよっか!楽しいお話が始まるんだって!」


「いく!」


先生は「どうぞー!」と言って、私達を案内してくれた。


他にも親子が15組程来ていた。


会釈をしながら、後ろの空いている席に座る。


若い先生2人が紙芝居を読んでくれた。


主人公のタヌキがとても可愛い絵。


分かりやすく、とても楽しい紙芝居。


優真を見ると、真剣に紙芝居を見入っている。


紙芝居が終わると、きている親子で簡単な指遊び。


優真は楽しそうに指遊びをしている。


約2時間、楽しい時間を過ごす。


帰り際に、幼稚園のパンフレットをもらった。


先生も明るいし、幼稚園も新しいし、雰囲気もいい。


しかも給食が出るらしい。


少し幼稚園代は高めだけど悪くない。


何より優真が「またきたい!」と言っていた。


来週も来る約束をし帰宅。


夜に雅樹に幼稚園のパンフレットを見せる。


毎月、誕生日会や何かのイベント、運動会、親子バス遠足、お遊戯会、夏祭り、色んな行事もある。


雅樹も「良さそうなところだね。何より優真が楽しそうに話していた。検討してみようか?」と話す。


それからも優真と、毎週木曜日の午前中は幼稚園に行っていた。


何度か行くと、優真もすっかり慣れて、いつも最後にする体操はすっかり覚えて、家でもする様になった。


何より楽しそう。


それが一番の決め手になり、この幼稚園に入園申込書を出す。


人気がある幼稚園みたいで、入園申込書を出す時は行列が出来ていたけど、優真の様にプレで通っている子や、上の子が通っている、又は通っていた子は優先入園が出来る。


優真が幼稚園に通う様になれば、少しは自分の時間が出来るかな?


美容室に行ったり、のんびり買い物したり。


積極的な子ではないけど、とても優しい子。


自分の気持ちを伝えるのが苦手で、うまく言えない時は泣いたり怒ったりする事もあるけど、お友達と遊ぶ様になれば少しは変わってくれるかな?






No.276

優真が幼稚園に入園前は、色々作らなきゃいけないものや、用意しなきゃいけないものがあり、あわただしい日々だった。


なかなか雅樹との時間も取れなかった。


上靴やハンカチ、水筒、ランチョンマット、色々準備に走り、他に家事もして、優真が寝てから慣れないミシンと格闘。


大変だったけど息子のために必死だった。


昼間は優真との時間を大切にしたかったから、夜にミシンを使っていた。


雅樹も理解してくれていると思っていた。


もちろんまたSEXの回数も自然と減っていく。


私が忙しそうにしているのを見て、気を使ってくれていると思っていた。


雅樹が浮気をしていた。


斎藤くんが言っていた事は、本当だった。


優真の入園式の2日前。


頑張って作っていたものも全て完成し、後は入園式を待つばかりの時。


私もスーツをクリーニングに出して、靴も買って、入園式に備えていた。


優真が寝てから、久し振りに雅樹とSEXをした。


挿れている時に「まな、愛してるよ」と言った。


私はまり。


雅樹は名前を違っている事に気付いていない。


終わってから聞いてみた。


「どうして今日、私としたの?」


「したかったから」


「まなさんと?」


「えっ?」


「私の名前、間違えてたよ」


「聞き間違えじゃないの?」


「名前を?」


「…」


以外にあっさり浮気がばれ、認めた。


「まり、ごめん」


「いつから?」


「…まりが入院した辺りから」


「誰?」


「会社の取引先の人」


「ふぅーん。その人の事を考えながら私とやってたんだ。だから名前間違えたんだね」


「違う!」


「もう3年も裏切られてたのかー!」


「まりが、俺の事を構ってくれないから!」


「だから浮気したと」


「寂しかったんだよ」


「…言い訳なら聞くけど?」


「…ごめん」


ここで、ふと退院した時の違和感を思い出す。


女を部屋に連れ込んでいたから!?


最低。


雅樹がそんな人だったなんて。


私は服を着て、荷物をまとめる。


入園式に持って行く一式も全て持ち、そして優真を抱っこして車に乗り込む。


優真は寝惚けている。


雅樹が追いかけて来たけど無視。


逃げる様に車を走らせた。





No.277

10分程車を市内に向けて走らせると、河川敷があり、そこの駐車場に車を停めた。


優真は睡魔に勝てないのか、チャイルドシートに乗ったまま爆睡している。


私は寝ている優真を見て、号泣した。


時間を見ると23時過ぎ。


斎藤くん、起きてるかな。


メールをしようと携帯を開くと、雅樹からの着信で履歴が埋まっている。


今は雅樹と話したくない。


斎藤くんにメールをしようとしても雅樹から着信が続く。


ひらすら無視。


「まだ起きてますか?」


斎藤くんにメール。


すぐに返信。


「起きてるよ。どうした?」


「ちょっとだけ、電話していい?」


するとすぐに斎藤くんから電話が来た。


「加藤?どうした?こんな時間に…」


「ごめん。ちょっと話がしたくて…」


そう言うと涙が止まらなくなった。


「どうした?今、どこにいる?長谷川さんと何かあったの?迎えに行こうか?それともうちに来る?散らかってるけど」


号泣し、私は話が出来ない。


「…加藤、長谷川さんの事か?浮気認めたとか?」


その言葉に「うん」と泣きながら返事。


「…俺んち来て、ゆっくり話を聞いてやるよ」


「…子供もいるけど」


「別にいいよ。来いよ。大丈夫。子供の前で加藤を襲ったりしないから」


斎藤くん家の住所を教えてもらう。


そんなに離れていない。


ちょうど本社と支社の間くらいの場所。


結構キレイなマンション。


「着きました。斎藤くんの車の前に停まってる」


「今行く」


すぐに斎藤くんが部屋から出て来た。


「車、こっち停めて」


言われた場所に、車を移動。


後ろの座席にいる息子を抱っこしてくれる。


荷物を持って、斎藤くんの部屋に入る。


「お邪魔します」


「散らかってるけどどうぞ」


雅樹以外の男性の部屋に入るのは初めて。


男性の部屋らしく、雑然としているが、別に足の踏み場がない訳でもなく、色んなものが所々にごちゃと置いてある。


1LDKの部屋。


優真は寝惚けている。


「ママ、おしっこしたい」


斎藤くんが「こっち」とトイレに案内してくれて電気をつけてくれた。


優真と一緒にトイレをして、部屋に戻る。


優真は「ママ、眠たい」と言って、私の膝を枕にしてまた寝てしまった。


No.278

「可愛いね。加藤に似てるね」


斎藤くんは優真を見て微笑む。


「何歳?3歳位だよね?」


「うん。明後日入園式なの」


「だからあんなに荷物があったのか。ところで、長谷川さんと喧嘩したの?」


「喧嘩って言うか…ちょっと言いにくいんだけど…意外な感じで浮気がばれて、長谷川さんが認めた」


「どうした?長谷川さんとやってる最中にばれたとか?」


「どうしてわかるの?」


「だって、そんな感じしたから」


「…やってる最中に、違う女の名前を言われた」


「きついねー」


「で、聞いたらあっさり認めた。この子の出産する時には、女いたんだね。斎藤くんが前に送って来た写メ、嘘だと思ってた。でも本当だった。あんなに大好きだったのにな。3年も裏切られてた」


「会社でも、ちょっと様子がおかしい時があるんだよ。牧野さんも様子がおかしいのは気付いているはず。でも長谷川さん、うまいんだよ。だからまだ浮気している事は誰も知らない」


「そうなんだ」


「俺なら加藤を絶対悲しませたりしないんだけどなー。行くところないなら、うちにいる?俺は構わないし、会社にも言わないし。その代わり、加藤を襲うかもしれないけど」


「…」


「まだ人妻だもんな、息子もいるし。出来ないよ」


「人様に見せられる体じゃないの。傷だらけだし、出産でお腹たるんだし」


「でも長谷川さんとはやってるんだろ?」


「…一応旦那だし」


「お前、少し寝れば?」


「斎藤くん、明日も仕事なんでしょ?」


「あれ?聞いてない?明日から今週いっぱい支社を改装するから、支社休みでその間、本社で回すの。だから俺は明日と明後日休みなんだ」


「そうなの?初耳」


「長谷川さんも明日と明後日、休みのはずだよ?」


「聞いてない」


「あれー?俺、余計な事を言ったみたいだね」


「…」


「さっきから、ずっと加藤の携帯、ブーブー言ってるぞ?長谷川さんじゃないのか?」


「今は話したくない」


「俺と一回やってみる?そしたら長谷川さんの事を許せるかもしれないよ?」


「いや…それは…」


「さっきまで長谷川さんとやってたんだもんな。無理だよね。俺はいけるけど?」


「…」


ヤバい、斎藤くん、私の傷付いた心の隙間にグイグイ入って来る。


負けそう。

No.279

「長谷川さんの事はまだ好き?」


「わかんないよ。気持ちがぐちゃぐちゃ」


「今はどうしたい?」


「…わかんない」


「明後日、優真くんの入園式なんだよね?優真くん、楽しみにしているんでしょ?パパも一緒にって思っているんでしょ?」


「…うん」


「そしたらまず話し合いじゃないの?これからどうするのか、どうしたいのか、しっかり話し合った方がいいよ。第三者を交えて。お前、弟いたよな?入ってもらえるなら入ってもらえば?俺が行くと、ややこしくなりそうだから」


「…うん」


「逃げてたって何の解決にもならないよ?辛いかもしれないけど、優真くんのためにも頑張らないと!」


「ありがとう」


「まずは今日はゆっくり休め。狭いけど。俺の布団使え!一応休みの日には干したり洗濯したりしてるから汚くはないはず」


「いいよ、私はここで優真と寝るから?」


「俺と優真くんと寝ようか?あっ、ちょっと俺、シャワーしてきていい?ちょうどシャワーしようと思ってたところにお前から電話来たんだよ。お前も入るか?やった後は入った方がいいぞ(笑)」


「うるさい!早くシャワーしてきなよ」


あははー!と笑いながらシャワーをしに向かう斎藤くん。


優真の寝顔を見る。


ぐっすり眠っている。


この子は一回寝ると、朝までなかなか起きない。


斎藤くんの誘惑に負けそうになるけど、斎藤くんに電話した時は、ただ話を聞いて欲しくて勢いで来ちゃったけど…よく考えたら男の部屋に来るって事は、そうなっても仕方ないよね。


雅樹も他の女とやっていた。


私がもし斎藤くんとしちゃったら…同じになってしまうって事か。


雅樹を許す?


許せる?


私が斎藤くんとやったら許せる?


雅樹は私が斎藤くんとしちゃったのがわかったらどう思う?


優真は?


優真のためにも雅樹に戻った方がいいよね。


パパ大好きだもんね。


でも、今は雅樹と話したくないし顔も見たくない。


このまま斎藤くんの家にずっといる訳にもいかない。


どうしたらいいの?


考えていたら、斎藤くんがシャワーから上がった。


「加藤も入れば?使い捨てなら歯ブラシもあるよ?」


「…ありがとう」


「優真くんは俺が見てるから入っておいでよ」


シャワーを借りる事にした。




No.280

シャワーをする。


結構斎藤くんって、きれいにしてるんだ。


お風呂場も脱衣場も意外にすっきり片付いている。


フェイスタオルを勝手に借りて、体を洗う。


雅樹とのSEXを思い出し、ごしごし洗う。


今は雅樹の全てを洗い流したい。


中に出されたものも洗い流したいが、それは無理。


とりあえず洗いまくる。


あれからずっとつけているネックレス。


結婚指輪。


見ると、雅樹の笑顔を思い出す。


涙が出てくる。


ダメダメ!


顔を洗う。


よし!


すっきりした!


シャワーする時に持って来たバッグから替えの下着を取り出す。


一緒にいつも着ている、ダボッとしたスウェットに着替える。


「ありがとう!さっぱりした!優真は起きなかった?」


「大丈夫だったよ。加藤のスウェット姿って初めて見る。可愛いじゃん」


「そんなに誉めなくても」


「優真くん、ここじゃあ可哀想だから、もう一組布団あるから敷いておいたよ。俺は加藤と寝るから、優真くんにはここでゆっくり寝てもらおう!」


「私は優真と寝るから、斎藤くんはゆっくり一人で寝なよ」


すると斎藤くん、優真を敷いた布団に寝かせてくれてから、部屋の電気を消す。


「加藤、俺は加藤の事が好きなんだよ。でも長谷川さんの奥さんだからずっと我慢してきた。でも、今回加藤が俺を頼ってくれて本当に嬉しかった」


そう言って抱き締められた。


「前回はこれでお預けだった。今日はこの先も解禁して」


「…」


キスされた。


すごく優しいキス。


何度もキスされた。


私も胸がキュンとなる。


斎藤くんを受け入れた。


斎藤くんの布団に入る。


キスされた。


「加藤、本当にいいの?俺、最後までやっちゃうよ?止めるならまだ理性がきいてる今だよ?」


「…任せる」


「もうダメだ!加藤!今まで我慢してきた分、めちゃくちゃにしてやる!」


そう言ってまたキスしてきた。


そして首筋にもキス。


スウェットを脱がされ、ブラもキスしながら片手で外す。


雅樹以外の男性とは初めてのSEX。


雅樹とは全然違う。


やっぱり斎藤くんも女慣れしている感じがする。









No.281

「…挿れちゃうよ?」


「うん」


「本当にいいの?」


「我慢出来るの?」


「出来ない、挿れるよ?…あぁ…加藤の中、あったかくて気持ちいいよ」


「あぁ…私も、斎藤くんのが入っているのがわかる…」


斎藤くんが腰を振る。


「加藤、愛してるよ。俺、ずっと加藤とこうしたかった…気持ちいいよ」


「私も気持ちいい」


「長谷川さんと、どっちが気持ちいい?」


「…斎藤くん」


腰を振りながらたくさんキスをしてくる。


私も応える。


「ねぇ、女の子ってここを触るともっと気持ちいいんでしょ?」


斎藤くんは挿れながら、一番敏感なところを触る。


「やだ…ダメ」


思わずのけ反る。


「ヤバい、加藤エロ過ぎ、長谷川さんはいつもこんなエロい加藤を見ていたのか…たまんねーよ。こんなにいい女なのに」


激しく突いてくる。


「ヤバい、俺、出る!どこに出す?」


「中でいいよ」


「マジで?中に出していいの?」


「お願い、中に出して」


「本当に中で出すよ」


「うん」


斎藤くんは一瞬抜こうとしたが、私がギュッと腰を押さえて中に出した。


「中に出しちゃったよ?」


「いいよ」


「お前エロ過ぎ」


「そんな事ないよ」


雅樹よりやっている最中、よくしゃべる。


雅樹とは違う男性とやってしまった。


相手が変わると、同じSEXでも全然違う事がわかった。


新鮮に感じる。


今まで雅樹しか知らなかったから、ちょっと不思議な感覚。


きっと雅樹も私以外の女とやっていて、新鮮に感じた事だろう。


「不倫しちゃったね」


斎藤くんが言う。


「長谷川さんはいいなー。加藤を嫁さんに出来て。浮気するくらいなら、俺に譲ってくれないかなー!俺は絶対加藤を悲しませない自信があるんだけどなー」


「斎藤くん…」


「エッチしている時の加藤ってヤバいね!俺、女を抱いたの離婚以来だよ」


「そうなの?」


「だから加藤の中で暴発したじゃん!多分すごい事になってるよ」


キスをしてくる。


「もう一回する?」


「えっ?」


「だって…触って」


斎藤くんの物が大きくなっていた。


斎藤くんも私の下半身を触る。


「もう一回挿れていい?」


「…うん」


もう一回始まった。


No.282

2回目が終わる。


「加藤とのエッチは、今回が最初で最後かな、きっと。長谷川さんのところに戻るなら、俺との事は、墓場まで持っていけ。離婚するなら、またチャンスありかな?」


「わからない…けど、今回の事は誰にも言わない。墓場まで持って行く。でも斎藤くんとエッチして、また違う人とする感覚を発見出来た」


「えっ?どういう事?」


「私、長谷川さんしか知らなかったから」


「マジで?じゃあ、長谷川さんに処女あげたって事?」


「…うん」


「そうなんだー。じゃあ俺が2人目って事か?」


「そうなる」


「へぇー、何かすごいね」


「何が?」


「だって、初めての相手と結婚して、子供生んだって事だよね?」


「うん」


「すごいね!俺の元嫁は処女じゃなかったなー」


「人それぞれだしね」


服を着て、そのまま就寝。


優真の「ママ!」っていう声で目が覚めた。


「優真!おはよう!おいで!」


優真は笑顔で私が横になっている横に入り込んできた。


「パパは?」


「今日はママのお友達のところに来ているから、パパはいないよ?今日はおうちに帰ろうね!」


「うん」


斎藤くんが、隣でモゾモゾ動いた。


「パパかー」


斎藤くんが呟く。


「俺がパパになりたいよ…」


また隣で呟く。


優真が「だーれー?」と斎藤くんに言う。


「ママのお友達だよ!よろしくね!」


斎藤くんが起き上がり、優真に挨拶。


「ママのおともだち?」


「そうだよ!明日から幼稚園だろ?ママみたいにお友達いっぱい作れよ!」


「うん!幼稚園ね、たのしみなの!ママみたいにいっぱいおともだちつくるよ!」


「いい子だね!優真くんは」


「うん!」


ほめられて嬉しそう。


「オレンジジュース飲めるか?」


「のめるよ」


「じゃあ、今用意してあげるからいい子出来るかな?」


「できる!」


「よし!じゃあいい子で待ってろよ!」


「うん!」


斎藤くんは優真にジュースを入れてくれた。


「優真!なんて言うの?」


「ありがとうございます!いただきます!」


「おー!えらいねー!どういたしまして」


笑顔の斎藤くん。


きっと、子供は好きなんだろうな。


No.283

携帯を見る。


夜中2時過ぎまで、雅樹の着信で埋まっていた。


ちょうど斎藤くんとやっていた時。


優真は持って来たおもちゃで遊んでいる。


「斎藤くん。何か色々ありがとう」


「何が?」


「何か、色々救われた気がする」


「なら良かった。また何かあったら、いつでも連絡してこい!メールと発着信は消しとけ」


「うん」


「連絡先は消すなよ」


「大丈夫」


「いいママしてるな。いい子に育つよ」


「ありがとう」


「加藤の背中と足と横腹と腕の傷は、俺の思い出として残しておくよ。裸にならないとわからないから」


「うん。私も斎藤くんの太ももの内側にあるタトゥーは思い出として残しておくよ」


「そうだね(笑)」


「優真!そろそろおうちに帰ろうか?お片付けしようー!」


「おうちに帰るの?」


「帰るよー!ママのお友達にバイバイして!」


「バイバイ」


「うん、バイバイ!」


「ありがとう。じゃあまた」


「うん。頑張って!」


笑顔で玄関先まで見送ってくれた。


車に乗り込み、駐車場から出る。


近くのコンビニの駐車場に車を停める。


携帯を開く。


今さっき、また雅樹から着信があった。


「ふぅ…」


深呼吸をして、雅樹に電話をかける。


すぐに出た。


「まり?やっと繋がった!どこにいるの?」


「ちょっと出先。ねぇ雅樹。今日時間あるならゆっくり話がしたい」


「大丈夫。帰って来てくれる?待ってるよ。優真は?」


「ちゃんといるよ。ご心配なく」


「わかった。待ってる」


「今、市内だから、15分から20分くらい」


「待ってるよ」


電話を切る。


その後、優真と一緒にコンビニに入り、お茶とコーヒー、優真のジュースを買い、車に乗り込む。


コーヒーを飲み「よし」と気合いを入れる。


今なら雅樹を許してあげれる。


私も同じだから。


仲直りしよう。


そう思い、自宅に向けて車を走らせる。


自宅に着くと、雅樹が玄関で土下座をしていた。


「まりさん!この度は本当に申し訳ありませんでした!女とは切りました。もう絶対に裏切りません!どうか許して下さい!」


眠れてなかったのか、目の下のくまが酷い。






No.284

「パパ、どうしたの?」


優真がびっくりしている。


「…雅樹、とりあえず入ろうか」


私と優真が先に居間に入り、後から雅樹が居間に来た。


優真に「今、パパとママ、大事なお話をするから、こっちのお部屋で遊んでいて!」と言うと「うん!」と言って、和室に入って行く。


優真を見るため、和室のふすまは全開にして、私と雅樹が向かい合わせで座る。


何か、雅樹の事を見ても、余り何も感じない自分がいる。


あんなに好きだったのに。


あんなに浮気されて悲しかったのに。


雅樹は、唇を噛み締めてじっと座っている。


「まり…ごめん」


「何に対して?」


「浮気した事」


「女とは切ったんでしょ?」


「はい」


「一つ聞いていい?」


「はい」


「私が入院している間、この家に女連れ込んだ?」


「はい」


「どこでやったの?」


「ベッドです」


「何回連れ込んだの?」


「数えてませんが、4~5回はあります」


「そうですか…楽しかったですか?」


「いえ、まりに罪悪感はありました」


「でも、女との関係は切れなかったと」


「すみません」


「もし、私が同じ様に他の男とやっていたとしたら、どう思う?」


「嫌です。嫌という権利はないですが」


「もう2度と浮気をしないと誓える?」


「誓います!もう2度としません!」


「あと、私が浮気をしていたら私を抱けますか?」


「…他の男との事を想像して、ヤキモチでうまく抱けないかもしれません」


「でも、雅樹は他の女を抱いた手で私も抱いていたって事だけど」


「正直、ばれないでうまくやれると思っていました。まりは優しいから大丈夫、と根拠のない自信と自惚れがありました。本当にすみません」


「…わかりました。今回は許します。本当に女と切れている、という条件で。今日以降に女と会った場合は、次はありません」


雅樹は「ありがとう!ありがとう!」と何度も謝罪をしていた。


でも、何だろう。


どうでもいいやっていう気持ちも芽生えて来ている。


優真のパパ、という感情しかない感じ。


私も罪悪感はあるけど…。


再構築しよう。


でも、しばらく雅樹とのSEXは受け入れられないかもしれない。


No.285

優真の入園式も終わり、優真は毎日元気に幼稚園に行く。


幼稚園に行きたくない!という事もなく、帰って来てから、楽しそうに幼稚園での出来事を話してくれる。


雅樹も、仕事から帰って来たら、一生懸命幼稚園の話をする優真の話をうんうんと聞いている。


優真が寝てから、雅樹が誘って来た。


余り乗り気じゃなかったけど誘いに乗る。


斎藤くんとしてからは初めての雅樹とのSEX。


驚く程、覚めた私がいた。


雅樹は「まり、俺はやっぱりまりしかいないよ…愛してるよ」と言ってキスをしてくるが、何とも思わない。


ただ、体は反応する。


雅樹が挿れて来た。


気持ちはいいが、冷静に腰を動かしている雅樹に合わせている私がいた。


今なら、前の様に下半身だけ脱いで、愛撫なしの雅樹が出すだけのSEXの方がいいかも、とも思った。


雅樹への気持ちが覚めたのかな。


雅樹が中に出す。


「まり、今日も可愛かったよ」


そう言ってキスをしてきた。


でも、他の女ともこうしてやってたんだろうなー。


何の気持ちもないSEXって、何かむなしい。


体だけは反応するけど。


優真のパパとして、再構築していくと決めたからには雅樹とのSEXも受け入れなければならない。


でも段々と苦痛になり始めて来た。


そうなると、雅樹も段々誘わなくなって来た。


ある日。


雅樹が珍しく、会社の書類を忘れた。


支社に電話をする。


牧野さんが電話に出た。


「牧野さん?加藤です。ご無沙汰しています」


「あれー?加藤さん?長谷川、今日休みだよ?有給とってるよ?」


「あの…長谷川さんが書類を忘れたので、電話をしたんですけど…今朝、普通に出勤して行ったんですけど…」


すると小声になり「昼休み、ちょっと抜け出すから話出来る?支社近くの喫茶店、わかるよね?」と話す。


「はい、大丈夫です」


「じゃあお昼にね」


「はい」


もう、雅樹とはダメかもな。


雅樹はモテるだろうし、性欲強いし、私がもう雅樹を受け入れられない。


女には困らないだろうし、もういっそのこと離婚して、優真と2人で生活する方がいいのかな。


仕事探さなきゃな。




No.286

牧野さんとの待ち合わせ場所である、喫茶店に着いた。


まだ昼休みちょっと前。


牧野さんが来るまで、車の中で待つ。


携帯を開くと、斎藤くんからのメール。


「牧野さんと会うの?俺、牧野さんの隣の席だから、昼に会うの聞こえた。牧野さんは多分、長谷川さんの女の事は知ってるはず。聞いたらいいよ」


「ありがとう。私、もう長谷川さんを受け入れられない。再構築をしようとしたけど、また裏切られた。もう無理かなぁ」


仕事中のはすだけど、すぐに返信。


「離婚するの?」


「それも視野にいれてる」


「そっか。とりあえず今日、牧野さんに話を聞いてもらえ。今、牧野さん向かったわ」


「ありがとう」


昼休憩時間少し前。


牧野さんが来た。


「久し振り!ごめんね、呼び出して」


「いえ、大丈夫です。こちらこそ時間作って頂きありがとうございます」


「いや、一回加藤さんと話をしてみたかったから。とりあえず入ろうか?」


「はい」


一緒に喫茶店に入る。


牧野さんが「昼だから、俺ちょっとこのセット食べながらでいい?」と言ってきたので「どうぞどうぞ。私はジュース飲みます」と答える。


「何か一緒に食べない?お腹すいてないならパフェとか」


「じゃあ、チョコレートパフェにします」


店員さんを呼び、メニューを注文。


「早速なんだけど、一体長谷川家は何があったの?あんなにラブラブで幸せそうだったのに」


「どこで狂っちゃったんでしょうかね」


「長谷川が「加藤さんの母親がちょっと苦手」とこぼしてた。お母さんと何かあったんだろ?その辺りから、長谷川の様子がおかしくなって来たんだよ」


「…そうなんですね」


「加藤さん、切迫で入院していたでしょ?その時に、総務のやつらに飲みに誘われたんだよ。俺は行かなかったけど、どうやらその飲み会で知り合った女が取引先の女で、長谷川の事を気に入って、加藤さんがいない隙間に入ってきたみたいで…ずるずると続いていたみたい」


「そうなんですか」


「長谷川は、俺も男だし、あんな誘惑されたら負けるよなって言ったんだよ。真野さんの時にあんなに誘惑されても反応しなかったやつが、そう言ったんだよ。その時に、加藤さんとうまくいってないのかなって、心配になってね」





No.287

あれだけ母親に暴言吐かれたら、確かにメンタルやられるよな。


実の娘で、あれだけキレたんだもん。


雅樹の気持ちが離れたのも、母親のせいだったのか。


「加藤さん、何か今の女と付き合ってから長谷川も少し変わった気がする。今の長谷川、余り好きじゃない。ちょっと下世話な話をするけど、長谷川との夫婦生活はどうなの?」


「最近は余りないです。浮気が発覚してからは私が受け入れられなくて。それでも少しは頑張ったんですが…」


「そうだよな。気持ちはわかるよ。妊娠している時の浮気って辛いよね」


「あの…ちょっと言いにくいんですが、浮気がばれたのも、私とやってる時に違う女の名前を言われて…」


「うわ、引くわー。長谷川、ヤバいじゃん。もういっそのこと、長谷川と離れてみたら?冷却期間っていうの?ちょっと離れて生活してみるのもありだよ!」


「でも私、会社辞めてから専業主婦で来たから…」


「会社に戻って来る?支社が嫌なら本社に掛け合う?」


「でも…やっぱりちょっとやりにくいですよ」


「そっかー。でも割り切って戻って来たら?前みたいに「長谷川さん」「加藤さん」で乗りきれるよ。こんな田舎街なら、仕事っていったって大したないし。そしたら前みたいに戻れるかもよ?あの時が一番楽しかったし」


「考えてみます」


「まずは仕事探そう!頑張ろう!支社長にさりげなく聞いてみてあげるよ」


「ありがとうございます」


「戻ってきたら、うちのも喜ぶと思うし、俺も協力するし」


「ありがとうございます」


確かに勤務していた会社は、小さい割に福利厚生はしっかりしている。


有給も育休もとりやすいし、ある程度の融通もきく。


もし優真が幼稚園からお迎えの電話が来ても抜けやすい。


他の会社は知らないけど、一からより仕事はやり易いかも。


もし雅樹と離婚しても、付き合っていた時みたいに「長谷川さん」「加藤さん」で通せば乗りきれそう。


斎藤くんもいるし。


今日、女とやりまくって帰って来るのかな。


それでもいいや。


知らなかったふりをしておく。


喧嘩したくないし。




No.288

雅樹は19時過ぎにスーツ姿で帰って来た。


知らないふりして「お帰りなさい!」と言う。


「ただいまー!今日のご飯はなに?」


いつもの雅樹。


「今日は魚。優真のリクエスト!ママと一緒に選んだんだもんねー」


優真は「うん!パパと食べようと思って、ママとおさかなえらんだんだよ!」と雅樹に近付く。


雅樹は「そうか!優真が選んでくれたのか!じゃあきっと美味しいお魚だな!」と言って、優真の頭を撫でる。


優真は「うん!パパと食べる!」と雅樹に笑顔を見せる。


ご飯を食べて、お風呂に入り、優真を寝かせる。


「ねぇ雅樹、話があるんだけど」


テレビをみていた雅樹に声をかける。


「なに?」


「ごめん、こっちに来てくれる?」


雅樹はテレビを消して、テーブルに来た。


「あのね、私達、ちょっと今、色んなものをかけ違えた状態になっていると思うの。それでね、ちょっとお互いに考える期間として、別居してみない?」


「えっ?別居?優真は?」


「優真は私が一緒に連れていきます。そして私も仕事をしようと思って。別居となると働かないと生活出来ないし」


「どこで働くの?」


「まだわからないけど、復職しようかな」


「えっ?会社に戻って来るの?それはダメだよ」


「ダメな理由は?」


「…戻ってきても、今仕事ないし」


「休日出勤してるのに?また前みたいに「長谷川さん」「加藤さん」で、仕事での付き合いでいいじゃん。昔からいる人は、皆それでわかっているし、新しい人は知らないんだから、それを通せば…」


「そんな簡単なもんじゃないよ」


「じゃあ私と優真、生活出来ないよ」


「他にもあるだろ」


「例えば?」


「スーパーとか、コンビニとか、掃除の仕事とか…」


「主婦ならね、いいと思うよ?でも、私はそうじゃないの。生活があるの」


「別に別居なんてしなくても…」


「…今のままなら、私は雅樹とやっていく自信がありません。雅樹を嫌いになりたくないから別居したいの。この家のローンもあるから雅樹に負担をかけたくないから、私も働いて生活をしていきたいんです。お互いに良い方向に進めるための前向きの別居です。もし、これで別の方向に進んでしまったら、離婚も視野に入れて考えます」

















No.289

「まり…でも行くあてはあるのか?」


「これから探します。私は、雅樹とずっと一緒にいたくて、一生雅樹なら幸せに暮らせる、そう思っていた。でも、私の母親のせいで、雅樹の気持ちが離れていってしまい、浮気した。許そうと思った。でも…今日、有給とってたんだね。誰とどこに行っていたの?前に言ったよね?次はないよって」


黙っているつもりだったけど、話しているうちに悲しくなってきてしまい、つい言ってしまう。


「…ごめん。まり」


「誰とどこに行ってたの?」


「…」


「何故言えないの?女と切れてなかったのかな?あの土下座は幻だったのかな?もう女とは切った!2度とこういう事はしないから!って言ってたのは幻聴だったのかな?」


「…ごめん、まり、違うんだ」


「じゃあなに?」


「彼女に別れ話をしようと思って、今日会いに言ったんだ…でも、別れてくれなくて…別れるなら死んでやる!って言われて…」


「私を刺した女と一緒じゃん。また私、刺されるの?」


「違う!そうじゃない」


「じゃあなに?」


「…それで、仕方なくずっと一緒にいた」


「で?別れたの?」


「いや…その…」


「別れてないんだ。で、結局その女とやりまくってきたんじゃないの?」


「…」


「否定はしないんだね」


「ごめん」


「他の女とのSEXは、さぞかし良かっただろうね。私とのSEXには飽きたかな?愛を感じないから、刺激が欲しくなったかな?」


私はあくまでも冷静にしていたつもりだったけど、何故か笑いが込み上げて来た。


「あははー!雅樹って、嘘つけないんだよねー。だから雅樹が言えば言う程、私を追い込んでいるの気づかないんだよねー!私より、まなちゃんの方がいいんだよねー!何かウケる!あんなに私の事を愛してくれていた雅樹は、もういないんだよねー!」


雅樹は壊れて笑っている私を黙って見ている。


「まり…」


そう言って、私を抱き締めようとした。


「触らないで!さっきまで他の女を抱いていた手で私や優真を触らないで!」


私は雅樹から離れた。


多分、すごい顔をしていたんだと思う。


雅樹はその場から動かなかった。


私はずるかった。


私だって、斎藤くんとやっていたのに隠した。


雅樹だけ悪者にした。





No.290

雅樹は、そのままどこかに出掛けた。


女のところにでも行くのかな。


行けばいいよ。


その女とやりまくってきたらいいよ。


私なんかより、ずっといい女なんだろうから。


私は、優真と2人で生きていくよ。


雅樹なんていらない。


楽しい思い出もいっぱいある。


でも、それを全て打ち消すくらい浮気というのは強力な一撃。


一瞬で楽しかった思い出も壊された。


飾ってあった結婚式の写真、色々出掛けた時の写真、全て写真たてごと床に叩きつけた。


あれからずっとつけていたネックレス、結婚してからずっとつけていた指輪も床に叩きつけた。


ずっと大事にしていたけど、もういいや。


スカートをまくりあげ、元彼女に刺された傷を見る。


一生消えない傷。


私は傷口を一回パンと叩いた。


消えればいいのに。


この傷口を見たら思い出すから。


押し入れにしまっていたアルバムも全部引っ張り出して、ごみ袋に突っ込んで、そのまま放置した。


泣くわけでもなく、怒っているわけでもなく、ただ淡々と雅樹との思い出を消し去りたかった。


雅樹はその日は帰って来なかった。


翌日。


私は優真を幼稚園に送り出した後、荷物をまとめた。


元々、そんなに荷物は多くない。


実家から持って来たタンスと鏡台は捨てるつもりで荷物をまとめる。


行くあてはない。


斎藤くんにはこれ以上迷惑をかけられない。


実家にも帰れない。


いっそのこと、このまま優真と遠くに行こうかな。


優真を幼稚園に迎えに行くまで、まだ時間はある。


私が独身の時に貯めていた通帳を開く。


引っ越しとかでちょっと使ってしまったけど、まだ残っている。


ちょっとだけおろして、引っ越し費用にしよう。


その時に私の携帯が鳴る。


雅樹のお義姉さんからだった。


「もしもし?まりちゃん!昨日、職場の人から美味しいメロンをもらったんだけど、いるならこれから届けに行ってもいい?」


「…はい」


「まりちゃん?どうしたの?何かあった?」


いつもと違う私に気付いたお義姉さん。


「とりあえずこれから行くから!」


実家にいたみたいで、すぐにうちに来た。


部屋の中と私の様子を見て「まりちゃん、何があったの?言って!」と言ってきた。









No.291

「まりちゃん?雅樹と何かあったの?どうしたの?」


「…何でもないです」


「何でもない訳ないでしょう!話して!」


「…雅樹さんに他の女がいました。優真が生まれる前からの付き合いみたいです」


「本当なの?」


「はい、本人は認めました。一回は許しました。でもすぐ裏切られました。昨日も話し合いをしようと思っていましたが、私が感情的になってしまい、雅樹さんが出て行ったきり、昨晩から帰って来ていません」


「まりちゃん、大丈夫?」


「大丈夫です」


多分、私の目がヤバかったのだろう。


「…大丈夫じゃないみたいだね。くそやろうが!まりちゃんをこんな目にあわせやがって!」


お義姉さんが雅樹に電話をかけた。


「雅樹!あんたは何をやっているんだ!今すぐに帰って来い!帰って来なければ会社に乗り込むぞ!わかったか!」


すごい声で雅樹を怒鳴り付けている。


お義姉さんがご両親にも電話をかけている。


ご両親もすぐにうちに来た。


私は、ソファーにボーっと座っている状態。


散乱した部屋。


「まりちゃん?」


お義母さんが私に声をかける。


「…はい」


「まりちゃん…!」


お義母さんが突然泣き出した。


あれー?


どうしてお義母さんが泣いているのだろう。


お義父さんは、黙っている。


お義姉さんが「あのバカ、まりちゃんをこんなにして、絶対許さない」と怒りをあらわにしている。


お義姉さんが、ご両親に私が話した事を説明している。


その時に、雅樹が帰って来た。


そして土下座。


「申し訳ありませんでした!」


お義姉さんが「お前は、まりちゃんをこんなに悲しませやがって、何してるんだよ!」と言って、土下座している雅樹の髪をつかみあげ、雅樹の頭を振り回している。


「ねーちゃん!ごめん!」


「私じゃない!まりちゃんに謝れ!」


「痛いって!」


「うるさい‼️まりちゃんの心に比べれば、お前の痛みなんてくそだよ!恥を知れ!」


「わかったから離してくれ!」


「うるさい!黙れ!」


お義姉さんがぶちギレている。








No.292

お義父さんが「雅樹、まりさんの苦しみがわかるか?あそこを見てみろ」と言って、私が叩きつけて粉々になった写真たてが散乱し、近くにずっとつけていたネックレスと結婚指輪が転がっているスペースを指差す。


お義姉さんが雅樹から離れ、雅樹がじっとその場所を見ている。


「あれがまりさんの今の気持ちだよ。わかるか?わかるのか?」


お義父さんが怒鳴る。


「一時の快楽に溺れた結果、全てを失うって事だ!まりさんがどんな思いでいたかわかるのか?お前はまりさんや優真、私達をも裏切った。まりさんは一回は許したそうじゃないか。何故また裏切る?昨日も帰って来なかったそうじゃないか!どこへ行っていたんだ!女か!」


黙ったままの雅樹。


そんな雅樹にしびれを切らしたのか、お義父さんが雅樹を殴った。


「見損なったよ。育て方を間違えた様だ。まりさんから本当に許してもらえるまで2度とうちには来るな!」


お義母さんは、ずっと泣いている。


お義父さんが「まりさんと話がしたい。おい、優真の迎えはお前がいけるか?」とお義母さんに言う。


お義母さんは「私が行きます。うちで優真をみてますから」と言う。


お義姉さんが「私もまりちゃんと話がしたい」と言う。


雅樹はずっと黙ったまま。


お義母さんが「私、そろそろ優真の迎えに行って来ますね。まりさん、優真がよく遊んでいるおもちゃ、借りていくわよ?」と言って、置いてあったおもちゃをいくつか袋に入れて持って行く。


ダイニングテーブルに、私とお父さんが横並び、私の迎えに雅樹、雅樹の隣にお義姉さんが座る。


お義父さんが「まりさん、ゆっくりでいい。答えて欲しい」と私に言う。


「まりさんは、雅樹の事を許す気はある?」


「…一回許したので、次はないです」


「それでいい。離婚も考えているという事でいいんだね?」


「…はい。優真の親権は私がもらいます」


「もちろんだ。この男はただの戸籍だけの父親だ。父親を名乗る資格はない。ただ戸籍は父親だ。優真の養育費はしっかり優真に払う様に私達も責任を持つ」


するとお義姉さんが「まりちゃん!こんなやつ、離婚でいいよ。慰謝料もしっかりまりちゃんと優真にも払わないと。雅樹の相手からも取れるんだよね」と話した瞬間、雅樹が「いや…相手は、ちょっと…」と言って来た。







No.293

お義父さんが「お前、今の状況がわかっているのか!」と一喝。


話し合いの結果、私と優真は、お義父さんのご友人が所有している小さなアパートの一室をお義父さんの計らいで一時的に借りる事が出来る様になった。


家賃は私の生活が落ち着くまで雅樹が支払う。


慰謝料は雅樹の相手にも請求。


市役所勤務のお義兄さんのつてで弁護士さんを紹介してもらう事になった。


雅樹には慰謝料と養育費を請求。


この家には雅樹が住む。


離婚は決定になる。


雅樹に「離婚してから今の女と一緒になりたいと言ったとしたら、親子の縁を切る」と言うお義父さん。


雅樹が「俺、家のローンとまりの家賃払って、養育費と慰謝料まで払ったら何も残らなくなる」と言っていたが「お前が浮気した結果だろ。そんな事を言っている時点で反省の色なしだな。まりさん、この事も弁護士さんにきちんと話しなさい」と言う。


「雅樹、浮気をするという事は、こういう事だ。お前が撒いた種だ。きちんと責任を取りなさい。もう元には戻れない。後悔しても遅い」


お義父さんが言うと、黙ってしまった。


「お義父さん、お義姉さん、こうなってしまったのは私や私の母親のせいでもあります。雅樹さんばかりが悪い訳ではありません。優真の父親としては合格でした。優真から父親を奪う形になるので心苦しいのですし、私がもっと頑張れば、我慢すれば良かったのかもしれません。離婚しても、優真には会わせます」


お義姉さんが「雅樹、まりちゃん、本当にいい子なんだよ?雅樹の事を本当に大事に思ってくれていたんだよ?出産だって、命懸けで雅樹との子供を生んでくれたんだよ?たまに私がこの家に来た時も、何より雅樹や優真の事を考えて、話してくれていたんだよ?雅樹の女トラブルに巻き込まれて刺された時だって、雅樹の事を悪く言わなかったし。こんなにいい子を悲しませた罪は重いわ」と言ってくれた。


雅樹はただ黙っていた。


もう雅樹への気持ちは完全に冷めていた。


それから離婚届けを出すまでにはちょっと時間がかかった。


弁護士さんのところに行ったり、引っ越したりあわただしかったのもあるが、私は元いた会社に復帰したのもある。


牧野さんが直接、社長と和也さんに掛け合ってくれた。


私はまた支社所属になった。









No.294

引っ越し先のアパートは1LDK。


少し古いけど、優真と2人で暮らすには文句なしの部屋。


ありがたい。


まだ何もない部屋。


タンスと鏡台は、後日業者さんと取りに行く予定。


雅樹と買った家には何年も住まないでお別れする事になったけど、雅樹と一緒に暮らすならこのアパートの方がいい。


優真が「ママと2人?パパは?」と言って来た。


まだ幼稚園児の子供に、何て説明しようか悩んだけど「パパはお仕事が忙しくなるからしばらくいないの。だから優真はママと2人で一緒にここに住むんだよ」と説明した。


いずれはわかる事だけど、今の優真にはまだ難しい。


幼稚園は以前妊娠比べたら離れたけど、支社に行く途中にあるため問題ない。


働く事になった事と離婚をする事は、お便りで優真の先生に伝えて、延長保育に申し込んでくれた。


19時厳守だけど、延長保育分幼稚園代は上がるけど、シングルマザーとして働く身としては、この有り難い制度を活用させてもらう事にした。


復職する2日前。


斎藤くんに連絡をした。


「会社に戻る事にした」


「長谷川さんと離婚するんだろ?だから加藤が戻るって聞いてびっくりした」


「斎藤くんは相変わらず長谷川さんと同じ部署?」


「同じだよ。多分、加藤の席は俺の真向かいになる。渋谷の隣」


「そうなんだ」


「右隣が牧野さん、左隣が長谷川さん。いやー、長谷川さん、どんな顔して加藤と顔を合わすんだろ」


「大丈夫、私はうまくやる自信はある」


「俺はどうしたらいい?」


「普通にしてて。墓場まで持っていくんでしょ?」


「何か女って強いね」


「優真を1人で育てるっていう覚悟があるから」


「俺も出来る事があれば協力するよ」


「ありがとう」


斎藤くんとは頻繁にやり取りをしている訳ではないが、何かあれば連絡している。


あれから、斎藤くんの家に行ってないし、会ってないし、SEXもあの日だけだけど、私の心の支えになっていた。


いよいよ復職の日。


優真を幼稚園まで送り、支社に向かう。


牧野さんに感謝。


そして、また私を使ってくれた社長と和也さんに感謝。


ひと荷物を持って、支社の中に入る。


「懐かしい!」


色んな事を思い出す。





No.295

3分の2は知らない人になっていたが、逆に都合がいい。


支社長がいた。


「支社長!ご無沙汰しておきます。加藤です。またお世話になる事になりました。よろしくお願いいたします」


支社長は挨拶もそこそこ、いきなり「ちょっとこっちにいいか?」と別室に呼ばれた。


小さな会議室に入る。


「長谷川くんと離婚するって本当?」


「はい。短い結婚生活で…せっかくご祝福下さったのに申し訳ないです」


「いや、それはいいんだけど…大丈夫なの?長谷川くんがいたらやりにくくないの?」


「全然大丈夫です。私は。彼はわかりませんが。でも絶対にご迷惑をお掛けする事はありません」


「聞きにくいんだけど…離婚理由って長谷川くんの不倫って聞いたんだけど…」


「私の辛抱が足りなかったんです。あと支社長にお願いがあるんです」


「なに?」


「昔からいる方々は仕方ないですが、私を知らない方々に、私と長谷川さんが夫婦だったと言う事は黙っていて欲しいんです。だから、普通に今日から入る新人です!みたいな感じでお願いします」


「デリケートな部分だし、あえて言うつもりはないよ」


「ありがとうございます」


「でも、加藤くん、見た目は余り変わらないけど雰囲気変わったね。前はおとなしい感じだったけど、たくましくなったというか、強くなったというか」


「シングルマザーですから!頑張ります!」


「何かあったら私に言いなさい」


「ありがとうございます!」


支社長と一緒に部屋を出ると、早速マスク姿の雅樹がいた。


多分、私に表情を見せたくないんだろう。


支社長が私を見る。


私は支社長にニコっと笑顔を向ける。


支社長と話しているうちに、続々従業員が従業員が出社していた。


「加藤さーん!」


ひときわ大きな声で私を呼ぶ。


「田中さーん!戻って来ちゃいましたー!」


「お帰りー!」


「ただいまですー!」


事務席で抱き合う。


マスク姿の雅樹と、向かいの席にいる牧野さんには見慣れた懐かしい光景だろうが、斎藤くんは目を丸くして私達を見ている。


田中さんが「更衣室の場所変わってたでしょー?改装した時に奥に追いやられたの!制服大丈夫だった?」と話す。


「見て下さい!サイズ変わらないんですよ!」


私は両手を広げる。



No.296

「加藤さん、すごいじゃん!」


「ちょっとだけ頑張りました!」


そして懐かしのこそこそ話。


「ねぇ、長谷川さんと離婚するんでしょ?大丈夫?」


「大丈夫です!もう吹っ切れたし、付き合っていた時みたいに割り切って頑張ります!牧野さんが復帰の後押しをしてくれた事には本当に感謝しています」


「牧野さんから聞いて、目玉飛び出ると思ったくらいびっくりしたのよ。もし何かあったら言って!私も牧野さんも加藤さんの味方だから!」


「ありがとうございます」


渋谷くんに「田中さん、加藤さん、そろそろ時間ですよー」と言われて振り返る。


牧野さんは笑顔、斎藤くんは半笑い、マスク姿の雅樹は目線が怖かった。


田中さんがまたこそこそと「長谷川さん、怖いよ?」と話す。


「大丈夫です」


私は雅樹に宣戦布告。


ニコっと笑顔を返す。


雅樹はじっと見ている。


斎藤くんも見ている。


支社長から簡単に紹介された。


「知っている人もいるかもしれませんが、今日から事務で頑張ってくれる加藤まりさんです」


「加藤です。よろしくお願いします!」


従業員が拍手をくれる。


私は早速席に座る。


久し振りのデスク。


変わらない。


田中さんが立花さんみたいに、椅子ごとスーっと隣に来た。


「本当は、今の私の席が加藤さんだったの。でも、長谷川さんの真向かいじゃやりにくいと思って、向かいと隣に同級生を配置したから」


「ありがとうございます」


「渋谷くんも、斎藤くんも高橋さんも面識あるし、牧野さんは知っての通りだからやり易いでしょ?」


「楽しみにしてました」


「また頑張ろうね!」


「はい!」


すると渋谷くんに「私語多いですよー」と注意された。


「はーい」


2人で返事をして、田中さんは席に戻る。


斎藤くんが笑いをこらえきれなかったみたいで「俺、毎日この漫才みたいなやり取りを見なきゃいけないんですか?」と言って笑っている。


牧野さんが「そのうちに見慣れるよ。多分今日から毎日こんな感じだから」と言って笑っている。


雅樹は相変わらずこっちをみているが、マスクをしているため表情はわからない。









No.297

忘れている事もあったけど、渋谷くんや田中さんに教わりながら、何とか感覚を戻そうと必死の初日。


昼休憩。


私も田中さんもお弁当。


前みたいに密着しながら、こそこそ話す。


「今までやってみて、長谷川さんの存在ってどんな感じ?」


「別に普通です。ただの先輩です」


「前と同じ感じ?」


「前とは気持ちが違うので見方は変わりましたが、会社では先輩です」


「そっかー。私さ、どうしても気になって長谷川さんを見ちゃうんだよね。顔はパソコンに向いているんだけど、視線はずっと加藤さんを見てるの」


「長谷川さんは復帰に反対してましたからね」


「だろうね」


「でも私は大丈夫です!楽しいですよー!またこうして田中さんと仕事出来るし」


「私もー!俄然やる気出るわ。ところで、刺された傷って今は何でもないの?」


「見てみます?」


私は弁当箱を机に置いて、周りに男子がいないのを確認してからスカートをめくりあげる。


「結構な傷だね」


そう言って田中さんがスカートをめくりあげている時に、牧野さんと斎藤くんが帰って来た。


「何してんの?何で加藤さんのパンツ見てるの?」


牧野さんが私達を見て驚く。


斎藤くんはすぐに傷口を見ているとわかったみたいで何も言わない。


「嫌だ、ちょっと!私、変態みたいな言い方しないでよ!」


田中さんがあわてて私のスカートを直す。


牧野さんと斎藤くんが笑っている。


雅樹は渋谷くんと高橋さんとご飯に行った様子。


田中さんが牧野さんに「ねぇ、長谷川さん怖いよ」とこそこそ話す。


「今は仕方ないよ。気にするな」


「長谷川さんは加藤さんの復帰には反対だったって加藤さん言ってた」


「そりゃそうだろ」


こそこそのつもりでも、私と斎藤くんには聞こえている。


私は斎藤くんを見る。


「頑張れよ」


「ありがとう。今日連絡する」


「わかった」


小さな声で私達も話をする。


雅樹達も帰って来た。


各々席に座り、午後からの仕事に入る。


何とか無事に初日が終わる。


時間は18時を少し回ったところ。


男性陣はまだパソコンを見ている。


私と田中さんは「子供の迎えがあるので失礼します!」と一緒に言う。


雅樹は無言でこっちを見る。






No.298

牧野さんは笑いながら「お疲れ様!」と挨拶。


斎藤くんは「俺も終わりましたー!」と言って伸びをした。


私は着替えて、優真を迎えに行く。


延長保育初日で慣れていなかったのか、迎えに行った時に玄関で先生から「優真くん、ずっと「ママ来ない」って泣いていて…」と教えてくれた。


私の姿を見た優真は嬉しそうに先生に「ママ来た!ママだよ!」って言って私に向かって走って来た。


「優真!リュックと帽子は?」


「あっ!」


そう言って、あわててリュックと帽子を取りに一旦戻る。


先生に挨拶をして車に乗り込む。


「今日、ママおそかったね!」


そう言ってふてくされている。


「ごめんね、ママお仕事始めたから、これからずっと遅いよ」


「えー?」


「でもママ、頑張って働かないと優真におもちゃ買ってあげられないよ?」


「…じゃあがまんする」


「ごめんね、優真。ママといたいよね、でもママがお休みの日はずっとママが一緒だから、それまで頑張ろうー!」


「おー!」


後ろの席で、右手をあげる優真。


「今日は何食べたい?」


「アイス食べたい」


「アイスはご飯じゃないよ?」


「うーん、じゃあカレー!」


「カレーか。よし、帰ったらママ作るから待っててね!」


「うん!」


他愛ない親子の会話。


自宅に着き、早速カレー作り。


優真は早速おもちゃで遊び出す。


仮面ライダーのおもちゃがお気に入り。


一人で戦いごっこをしている。


カレーが出来た。


「暑いから、フーフーして食べるんだよ?頂きます」


「いただきまーす!」


親子2人でのご飯。


幸せな時。


幼稚園であった事を一生懸命話してくれる。


私はうんうんと聞きながらご飯を食べる。


一緒にお風呂に入り、一緒に寝る。


21時半過ぎ。


優真はぐっすり眠っている。


私は斎藤くんにメールする。


「お疲れ様。電話しても大丈夫?」


すると斎藤くんから着信。





No.299

「加藤、お疲れ様。優真くんは寝たの?」


「うん、ぐっすり寝てる」


「だいぶ2人暮らしには慣れたか?」


「おかげさまで、まだやっと家電が揃い始めて来たばかりだけど」


「そっか。ところで、会社では前も田中さんといつもあんな感じだったの?」


「そうだよ」


「加藤も田中さんも嬉しそうに話していたし、何より楽しそうだったから安心したよ」


「懐かしかった。最初、会社に入った時は色々思い出したけど」


「そうだよな。なぁ、加藤」


「なに?」


「俺と一緒に暮らさない?」


「えっ?」


「だって、そこ期間限定なんでしょ?」


「まぁ」


「なら、うちに来なよ。ここ狭いけど、親子2人来てもなんとかなるよ?」


「いやいや、これ以上斎藤くんに迷惑かけられないし、話を聞いてもらえるだけで十分だよ」


「俺の彼女になってよ」


「えっ?」


「俺の側にいてよ。加藤と優真くんを大事にするから」


「まだ離婚成立していないし…」


「じゃあ離婚したら彼女になってくれる?」


「考えておく」


「何だよ、俺フラれたの?」


「違うよ」


「じゃあ、俺の彼女になってくれるっていう事で。会社にバレない自信はある」


「本当に?」


「隣、長谷川さんだぞ?バレたら俺、会社辞めなきゃ」


「確かに」


「今日、長谷川さん、マスクして余りしゃべらなかったね」


「多分、私に表情見られたくなかったんじゃないかなぁ?」


「さすが奥様!わかってるねー(笑)」


「やめてよ」


「あはは!加藤と話していると楽しいよ」


「私も」


「今度の土曜日、俺んちに来ない?」


「それってお泊まり?」


「うん。もちろん優真くんも一緒に」


「という事は?」


「うん、そういう事。俺とするの嫌?」


「嫌じゃない」


「加藤、エロくなるしな(笑)」


「やめて」


「だって今日、田中さんにパンツ見せてたじゃん!俺にも見せてよ(笑)」


「違うから!」


「じゃあ明日また会社で」


「うん」


「土曜日、待ってる」


「わかった」


斎藤くんとの電話。


楽しい時間。


土曜日、会いに行こう。






No.300

土曜日。


土曜日は幼稚園自体は休みだけど、お弁当持参で預り保育をしてくれている。


朝5時過ぎに起きて、優真のお弁当作り。


その余り物で、私のお弁当を作る。


優真がお気に入りの仮面ライダーのお弁当箱に、優真が好きなものを詰める。


シャワーして準備して、優真を起こす。


優真の寝癖が酷かったから、寝癖を直し、幼稚園の準備をして、2人で車に乗り込む。


幼稚園で優真を見送り出勤。


雅樹と出勤が重なる。


「おはようございます」


「…おはよう。加藤さん、ちょっといい?」


「私的な事ならまた後でメール下さい」


私は、そう言って更衣室に向かう。


総務部の人がいた。


「おはようございます」


「おはようございます、ねぇ、加藤さんって長谷川さんの元奥様なんですよね?」


「…仕事と何か関係ありますか?」


初めて会話をする人。


いきなりの会話がこれか。


「離婚の原因って、やっぱりまなとの不倫ですか?」


この子、雅樹の相手を知っているのか。


「まな、長谷川さんと結婚するって言ってましたよ?」


「そうですか。お好きにどうぞ」


「何とも思いませんか?」


「別に何とも。まだ籍は抜いてないので、今は出来ないと思いますけど」


「早く離婚してあげてもらえます?」


「今は無理です」


「未練があるんですか?まなに、長谷川さんを取られて捨てられたくせに、良く戻ってこようと思いましたね」


「あなたに何の関係がありますか?」


「まなにも慰謝料請求とか、がめついおばさん、お金いっぱい入って、さぞかし懐が潤っているんじゃないですか?何かおごって下さいよ」


「お断りします」


私は淡々と着替えながら話をする。


すると奥から田中さんが出てきた。


田中さんのロッカーは一番奥にある。


田中さんが「あんたさ、長谷川さんの浮気相手の友達?」と言って来た。


「浮気相手じゃないですよ?新しい奥さんの友達です」


「長谷川さん、あんたの友達と結婚はしないんじゃないかなぁ?」


「どうしてですか?まなと結婚するために長谷川さんが離婚してくれたって、まなが言ってましたよ?」


「あんたみたいな友達がいる、まなって女のレベルもしれてるよ」





No.301

「どういう意味ですか?」


「長谷川さんもバカだねー。こんなレベルの女が原因で加藤さんと別れるとか」


「ばばあがうるせーよ」


「くそがきは黙れ」


あぁ。


こんな感じの子なのか。


本当にバカだな、雅樹は。


田中さんと更衣室を出る。


「今のやつ、ちょっと録音しちゃったんだよねー!盗聴だからヤバいけど、ちょっと長谷川さんに聞かせてみようか?反応がみたい」


席に行くと、雅樹も斎藤さんも牧野さんもいた。


田中さんが一旦席に戻り、イヤホンを引き出しから取り出す。


聞いてから、雅樹のところに行き「長谷川さん、ちょっと聞いて欲しいものがあるんですけど…」と言って、雅樹の耳にイヤホンをつけた。


雅樹は黙って聞いている。


斎藤くんも牧野さんもその様子を黙って見ている。


聞き終わり、イヤホンをとると無言で机に左肘をつき、左手でおでこと目を覆った。


マスクをしているから、表情はわからない。


田中さんが「さっ、仕事しよう!」と言って、席に戻って来た。


私は雅樹を見た。


泣いている様にも見える。


雅樹は立ち上がり、どこかに行った。


私の携帯が鳴る。


雅樹からのメール。


雅樹がいない席をチラッと見る。


その時に、一瞬斎藤くんと目が合う。


「まりさん。俺は毎日、反省の日々です。優真にも会いたいです。さっきの会話は今朝ですか?本当にバカだなと思いました。一度会社以外で会って話しませんか?」


返信をする。


「養育費はしっかり払ってくれているので、雅樹さんが希望したら優真には会わせます。でも、よりを戻す事は、一切考えていません。浮気相手とお幸せに。あと、早目に離婚届けを提出したいのでよろしくお願いいたします。ここは会社です。公私混同はご遠慮下さい」


斎藤くんがパソコン越しに、黙って私を見ているのがわかる。


しばらくして雅樹が戻って来た。


私を見る。


そして仕事を始める。


私が復帰にしてから、雅樹の声って余り聞いていない。


前はもっと牧野さんとかと話していたのに。


不倫してから、周りの人達も雅樹と少し距離を置いている様に感じた。


でも自業自得だよね。





No.302

立花さんが本社からの用事で支社に来た。


「田中さーん!加藤さーん!」


立花さんが手を振りながら私達のところに来た。


「加藤さんが戻って来たのは聞いたよー!お帰りなさーい!」


「ただいまですー」


懐かしい!


久し振りの3人集合。


牧野さんが「この3人が集まると、色々思い出すなー」と言って笑顔で見ている。


斎藤くんも雅樹も見ている。


3人、また隅っこに移動してこそこそ話。


立花さんが「長谷川さんと離婚したんだって?びっくりしたよ」と言って来た。


「厳密に言うと、まだ離婚届は出してないので、戸籍上はまだ夫婦ですが、今は別に住んでます」


「あんなにラブラブだったのにねー。何か残念だけど、前を向いて頑張ろう!」


「ありがとうございます」


「やりにくくないの?」


「私は大丈夫です。ただ長谷川さんはやりにくそうです」


「だろうねー。千葉さんも心配していたよ?」


「お礼を言っておいて下さい」


「ところでさ、今朝ね、更衣室で加藤さんに喧嘩売る総務のやつがいてね」


そう言って、こそこそと田中さんが立花さんの耳にイヤホンをつける。


今朝の会話を立花さんが聞いている。


「何これ!?」


つい声が大きくなる。


3人一緒に後ろを振り返る。


男性陣が皆こっちを見ている。


また男性陣に背中を向けて、こそこそ話。


「女ヤバくない?」


「そう!こんなやつに浮気されたんだよ?長谷川さんもバカだよねー」


「色々あったんですよ」


「でもさ、加藤さん、元彼女に刺されても長谷川さんと仲良かったのに、よっぽど許せなかったんだね」


「優真が危ない時に合コンみたいなのに参加して、妊娠中に他の女と会っていて、一回許して、もうしない!女とは切った!とか言ってたのに切れてなくて、もう無理だって思いました」


「妊娠中の浮気って許せないよね。わかる。それでも一回許した加藤さん、偉いわー」


「でも無理でした」


「でも、今は優真くんがいるし、何かあったら私も田中さんもいるから、加藤さん頑張って行こうね!」


「ありがとうございます」


「ママ友会やろ!みんなママなんだし、子供同士会わせたい!」


「いいですね!」


やっぱりこのメンバーと話していると楽しい。








No.303

その日の夜。


私と優真で、斎藤くんの家に来ていた。


斎藤くんがピザを頼んでくれて、3人でピザを食べる。


「優真くんはピザ好きか?」


「うん!大好き!だって美味しいから!」


「そうだね、美味しいよね」


「パパも好きだよ!パパね、おしごといそがしくていないんだ。でもママがいるから寂しくないよ!」


「そっか」


斎藤くんが答える。


優真は口の回りがケチャップで真っ赤になっている。


「優真!お口拭こうか」


ティッシュを渡すと、自分で口を拭く。


でも取りきれていない。


斎藤くんが拭いてくれる。


シャワーを借りる。


優真と一緒に入り、一緒に出る。


優真がすっぽんぽんの状態で居間に行く。


「優真!どこ行くの!まだだよ!パンツとシャツ着るよ!おいで!」


優真が脱衣場に戻って来た。


シャツとパンツを着せる。


私もTシャツとスウェットの下をはき、居間に向かう。


「何かいいね。優真くんが素っ裸でこっち来た時は面白かった(笑)」


「ごめんね」


「いいんだよ」


眠そうな優真。


斎藤くんが布団を敷いてくれて、そこで寝かし付ける。


優真は眠かったのか、すぐに寝た。


居間にいた斎藤くん。


「優真、寝たよ」


「早いね」


「よっぽど眠かったみたい」


「なぁ加藤」


「なに?」


「今日、来てくれてありがとう」


「どうしたの?」


「嬉しかったから」


斎藤くんが隣にぴったりくっついた。


キスされた。


電気を消され、その場で押し倒された。


薄明かりの中、斎藤くんの顔が真上にある。


「俺、浮気しない自信あるよ?だって、本社時代から、ずっと加藤の事が好きで今の今まで何年も加藤を思い続けているんだ。俺は長谷川さんみたいに、加藤を悲しませる事は絶対にしない。俺の彼女になってよ」


「…離婚が成立したらね」


「それでもいい。彼女になって」


「…はい」


「もう加藤とする事はないと思っていたけど、またしてもいい?」


「…うん」


またキスされた。


首筋にキスされた。


「あれ?そういえば今日はネックレスしてないね」


「うん。いいの」


そのまま服を脱がされた。





No.304

斎藤くんは、雅樹と違う優しさで私を愛してくれる。


そして良くしゃべる。


「挿れるよ?…あぁ…加藤の中って、すごいあったかくてすごい気持ちいい…」


腰を動かす。


「俺、こんなに幸せな気持ちになるSEXって加藤が初めてだよ。本当に好きな女とのSEXってこんなにいいんだ…」


「私も…」


「ねぇ、もし子供が出来たら生んでくれる?」


「うん」


「じゃあ、中で出していい?」


「うん」


激しく突いてくる。


腰を振りながら「ヤバい、出る。中でいい?」と言う。


「あぁ…うん、中に全部出して」


「出すよ!いくよ!」


腰の動きが止まり、ぐっと奥に腰を突き出す。


「はぁ…全部奥に出しちゃった」


そしてキスをしてきた。


「最高に幸せだったよ」


「私も」


「このまま、ここに住んじゃえよ」


「そういう訳にいかないよ」


「だって俺の彼女だよ?ずっと一緒にいたいじゃん」


「まだ長谷川だもん」


「いつ離婚するの?」


「今月中には離婚届けを出す予定」


「じゃあ出したら、こっち来いよ」


「…優真を会わせるのに、長谷川さんと会わなきゃいけないけど」


「優真くんの父親なんだから、それは別にいいんじゃね?」


「理解してくれるなら」


「普通に「今日、優真を会わせに行く」って言ってくれれば全然大丈夫。だって会わせるだけでしょ?問題ないじゃん」


「ありがとう」


「じゃあ決まりだな。それまでに部屋を片付けておくよ。それとも、広いところに引っ越す?俺、そろそろ引っ越ししようと思ってたから丁度いい」


「でも…」


「加藤が仕事に育児に頑張っているのを見て、俺も何か出来る事がないかなぁ?と思って、色々考えてたんだよ。そしたら俺が加藤と優真くんと一緒に住めば、少しは加藤の負担が減るんじゃないか?って思った。金銭的にも精神的にも。もっと俺を頼れよ」


「…ありがとう」


「頑張り過ぎると疲れてしまうぞ。俺で良かったらずっと側にいるから」


今は心の支えになっているのは間違いない。


斎藤くんの優しさに涙が出る。


雅樹がいなくなった心の隙間は、斎藤くんでいっぱいになっていた。







No.305

雅樹と優真を会わせる約束をした日曜日。


私は、住んでいた買った家に行った。


ちょっと配置は変わったけど、他は余り変わらない。


前に比べて、物は多少雑然としていた。


優真は久し振りのパパに喜ぶ。


雅樹も、久し振りの我が子に嬉しそう。


庭先で2人で楽しそうに遊んでいる。


私はちょっと離れた場所で2人を見守る。


軽く部屋を見回すが、女の気配はない。


寝室に行って見ても、女を連れ込んだ形跡もない。


「別れたのかな?」


今日は離婚届けをもらう約束もしている。


優真が汗びっしょりになって居間に戻って来た。


「おしっこしたい!」


一緒にトイレに行く。


掃除はしてある。


雅樹もそれなりに掃除はする。


トイレが終わると、また庭に出て雅樹と遊ぶ。


雨が降って来た。


雅樹と優真は一緒に居間に戻って来た。


「優真!汗すごいよ?お着替えしよう?」


そう言うと「一緒にシャワーしてきていいか?たまには優真と入りたい」と言う。


「…いいよ」


「よし、優真!パパとシャワーするか!」


「うん!」


「あっ、これ優真の着替え」


私は雅樹に優真の着替えを渡す。


「オッケー」


雅樹は優真の着替えと自分の着替えを持って、優真と一緒にお風呂場に行く。


冷蔵庫を開ける。


余り食料は入っていない。


麦茶と缶コーヒーが何本かと、ちょっとした調味料、玉子とコンビニの惣菜が何個かしか入っていない。


野菜室は、じゃがいもと玉ねぎとトマトしか入っていない。


本当に女と別れた?


懐かしい台所。


余り調理した様子もない。


たまにはカップラーメンでも食べているのか、やかんがコンロの上に置いてある。


このやかん、デザインが気に入って買ったやつだな。


使っていた愛用していた鍋もそのまましまってある。


良く使っていたお皿、スプーンとかももそのまま。


この家を買った時に買った食器棚。


あの時は、こんな日が来るなんて思わなかった。


あんなに楽しく選んでいたのに。


ずっと雅樹と一緒にこの家で暮らす予定だった。


幸せが続くと思っていた。


雅樹が1人暮らしの時からずっと使っているソファーにテーブル。


見ていたら色んな想いが込み上げてしまい泣いていた。



No.306

雅樹と優真がシャワーから上がった。


泣いている私を見て、優真が「ママ、どうしたの?お化けでも見たの?」と言って、私の側に来た。


「何でもないよ!」


私は優真を抱き締めながら涙が止まらない。


「ママ?」


「ごめんね、優真!ごめんね」


雅樹は黙って泣いている私を見ている。


そして「優真、ちょっとママとパパ、お話しするから、こっちでテレビみてようか?」と言って、テレビをつけて、置いていった優真の大好きな仮面ライダーのDVDを入れた。


優真は早速DVDをみている。


しゃがんで泣いている私に「まり」と言って、私の背中をさする。


「ごめん、まり」


「…」


「俺、本当に女とは切った。まり、本当に俺はバカな事をしたと心から反省したんだよ。まりが会社に戻って来て、田中さんと楽しそうに仕事して、立花さんが来た時に3人固まって話をしているのを見て、まりと付き合っている頃を思い出した。あんなにまりの事が大事で大好きで、優真が出来た時もあんなに喜んでいたはずなのに、俺の過ちでこんなにまりを苦しめてしまった。もう2度と浮気はしないと言っても信じてもらえないかも知れないけど、もう一度だけチャンスが欲しい。まりのために、優真のために頑張るから」


黙る私。


「俺、一生かけてでも信頼を取り戻す様に頑張るから。本当に大事な人を裏切る事は絶対にしない。だから戻って来てくれないか?」


「でも私、もう雅樹とは出来ない」


「それでもいい」


「そしたらまたやりたくなって他に女作るじゃん」


「二度と他に女は作らない」


「でも前は一回許して、またすぐに裏切った。信用出来ないし、もう雅樹に愛情はないの」


「今すぐに信用してもらうのは無理なのはわかっている。これから信用してもらえる様に死ぬ気で頑張るから見ていて欲しい」


真剣な眼差しで話す雅樹。


気持ちが少し揺れる。


今、斎藤くんが支えになっている。


でも、雅樹の事をもう一度許そうと思っている私もいる。


雅樹と戻っても、雅樹とする事はないと思う。


でも、夫婦なんだよな。


「…ちょっと時間を下さい」


「いつでもうちに来いよ。メールでいいから連絡ちょうだい。ご飯用意して待ってるから」


「…わかった」





No.307

私は、どうしたらいいんだろう。


優真の事を考えたら、雅樹の元に戻るのがいいのかもしれない。


でも今、私の今の気持ちは斎藤くんにある。


月曜日、仕事でパソコンを見ながら色々考えていたら、マスク姿の雅樹がポンと私に缶コーヒーを持って来てくれた。


多分、頭が煮詰まった顔をしていたのだろう。


「飲みなよ」


「ありがとうございます。頂きます」


そう、私の頭が煮詰まるとコーヒーを飲むのを覚えていてくれた。


斎藤くんは黙って見ている。


日曜日に雅樹と優真を会わせに行くのは伝えたが、よりを戻したい話をされた事は黙っていた。


コーヒーを飲みながら「よし、まずこの仕事をやってしまおう!仕事仕事!」と気持ちを切り替え、パソコンをみる。


雅樹も斎藤くんも、必要以上の事は話さない。


特に斎藤くんはバレない様にすごく気を使っているのがわかる。


昼前に取りかかっていた仕事が終わった。


だいぶ仕事もスムーズに捗って来た。


昼休憩。


田中さんとお弁当。


「加藤さん、何か今日は疲れているみたいだけど大丈夫?」


「大丈夫です。実は、昨日長谷川さんと息子が会う日で久し振りにプライベートで会ったんです」


「うん」


「そしたら、女とは切ったからよりを戻したいと言われまして。一生かけて死ぬ気で信用してもらえる様に頑張るから!もう一回チャンスが欲しいって、真剣に言ってて…」


「戻るの?」


「ちょっと時間を下さいって言いました。はい、わかりました、戻りましょうっていう訳にもいかず」


「そりゃそうでしょう」


「でも、一応はずっと夫婦でやって来ていて…何て言うか、優真のパパでもあるし、もう長谷川さんに気持ちはないけど…優真のために戻った方がいいのか、それとも優真と2人で頑張って行くか悩んでまして」


「本当に女と切れたのかな」


「昨日、部屋に行った時は女の気配はなかったですけど…」


「確かに、前に不倫している時の長谷川さんは常に携帯を片手にしながら仕事していて、暇さえあれば電話をしに行ってたんだけど、今はそれが一切ないんだよなー。本当に別れたのかもね」


「そうだったんですね」


「あっ、それとも彼女に「嫁が職場に戻って来るから連絡出来ない」って言っているだけかも!」


「有り得ますね」






No.308

「仮に戻ったとしても、多分長谷川さんを疑いながら生活をしていく事になりそうで。そんなのうまくいくわけないですよね」


「あっ、ねぇ、今度の土曜日辺りに突撃してみたら?次の日休みだし、女連れ込んでいる確率高そう!「あれ?連絡してなかったっけー?」とか何とか言って」


「やってみようかな?」


「もし、それで女がいたら戻る必要なんてないし、いなければちょっと様子を見てもいいかも。1つの基準としてね。1回しか使えない手かもしれないから、次の手はまた考えよう!」


「ありがとうございます!やってみます!」


ずるい私は、斎藤くんの事は一切田中さんにも言わなかった。


「どうだったか、月曜日に教えてねー!」


「わかりました!」


「相変わらず仲良いねー」


牧野さんが戻って来て、私達に声をかける。


「加藤さんとラブラブだけど、ヤキモチ妬かないでね(笑)」


田中さんが牧野さんに言う。


「妬いちゃうかもなー(笑)」


牧野さんがそう言って笑う。


「加藤さんが戻って来てくれて、また前みたいに雰囲気が明るくなった気がする。今まで結構静かだったから、このエリア」


牧野さんの部署と事務のエリアを囲う様な仕草をする。


「長谷川の不倫の一件で、ちょっと色々あってね、雰囲気余り良くなかったんだ」


田中さんが隣で頷いている。


「俺達も長谷川に裏切られた気持ちになってね。加藤さんとの事を知ってるだけに。だから加藤さんが心配だねって、こいつとも話していたんだ。でも、加藤さんに長谷川の不倫の事を言っていいのかどうなのかわからなくて…そこで、あの復帰前の書類忘れた件での加藤さんからの電話。これは何とかしなきゃ!と思って呼び出したんだ」


「そうだったんですね。ご心配おかけして申し訳ないです」


斎藤くんが戻って来た。


「なぁ、斎藤も思うだろ?」


「何がですか?」


「加藤さんが戻って来てから、雰囲気変わったよな」


「あー。変わりましたねー。明るくなりました。毎朝見る漫才は面白いですし(笑)」


朝からうるさい私と田中さんに、渋谷くんの冷静な突っ込み。


「同級生から見た加藤さんはどう?変わった?」


田中さんが斎藤くんに話を振る。


雅樹の時もそうだけど、知らないとはいえ、こうしてたまに爆弾を落とす。








No.309

斎藤くんは「うーん、どうですかね?こんな感じじゃないですかね?高校生の時も、部活一生懸命頑張ってましたし。あっ、でも見た目は本当に地味でした(笑)今はだいぶ垢抜けましたけど」と言って笑っている。


田中さんが「そうなんだー!」と言って笑っている。


「斎藤くんって、今彼女いないんでしょ?いい顔しているのに何でなんだろう?」


ドキッ。


「いやー、田中さん!そんないい顔じゃないですよー!良くいる日本人顔ですって。田中さんって目が悪くなったりしてません?」


「メガネかなー」


「そうかも知れませんよ?」


「おかしいなー、視力はいいはずなんだけど」


「仕事に育児に頑張っているから疲れてるんですよ!ご家族でゆっくり温泉でもどうですか?」


「いいねー!たまには温泉行って、ゆっくりしたいねー!」


かわすのうまいな。


土曜日。


私は田中さんの作戦を実行する。


私は「子供の迎えがあるので帰ります!」と
定時で退社し、真っ直ぐ幼稚園に優真を迎えに行き、一旦帰って、昨日のうちにあらかじめ作っておいた晩御飯を仕上げる。


時計を見ると19時過ぎ。


もう帰ってるな。


私は優真と一緒に、作ったご飯を持って雅樹のうちに向かった。


雅樹の車はある。


居間の電気はついている。


間違いなくいるのを確認してから、玄関のインターホンを優真に鳴らしてもらう。


優真が背伸びしてインターホンを押しているため、モニターには誰も映ってない。


「はい」


雅樹の声がした。


「パパ!」


「優真!?」


モニターが切れて、あわてて雅樹が玄関を開けた。


仕事から帰って来て、そんなに経ってないのか、まだネクタイがないワイシャツ姿。


「あれ?今日来る日だっけ?」


「連絡してなかったっけ?今日、仕事終わったら行くよってメールしたと思っていた」


「あれ?来てなかったよ?」


「ごめん、それなら送ったつもりになっていたのかも。お邪魔してもいい?」


優真が開いた扉から、玄関の中に入る。


私も後から入り玄関を見る。


女の靴はない。


慌てている様子もなく「さっき、コンビニ経由で帰って来たばかりだから、ちょっと散らかっているけど…」と言って迎えてくれた。


今のところ、怪しい様子はない。



No.310

テーブルの上には、コンビニのお総菜が袋に入ったまま置いてある。


「今日、ご飯作ってきたんだけど一緒に食べる?」


「作って来てくれたの?俺、ずっとコンビニとかスーパーの惣菜ばかりだったからめちゃくちゃ嬉しい!久し振りに、まりのご飯が食べられる!着替えて来る!」


そう言って、ダッシュで階段をかけ上がる。


すぐに戻って来た。


私は、タッパーに入れて持って来たご飯をお皿にあけてチンをした。


「たいしたものじゃないけど」


優真はもう食べていた。


雅樹は「まり、ありがとう…久し振りのまりのご飯…家族でのご飯…嬉しいよ」と言って涙を流す。


「あれ?パパないてるの?」


優真は不思議そうに雅樹を見る。


「ママのご飯が美味しくてね。優真と一緒にご飯食べられるのが嬉しくてね」


「ママのご飯おいしいよ!優真はママのカレーがすき!」


「パパもだよ」


どうやら本当に女と別れた様子。


私がいる間は、一切携帯を触らなかった。


ご飯の後、台所で洗い物。


雅樹と優真は、一緒に怪獣ごっこをして遊んでいる。


雅樹も優真も楽しそう。


片付けも終わった。


「雅樹、余ったご飯、お皿に移して冷蔵庫に入れておいたから、明日にでも食べて」


「ありがとう。まり、今日泊まっていかないか?」


優真が「今日、パパと寝たい!」って言って騒いでいる。


「泊まりの道具、持って来てないよ?」


「じゃあ、持って来る?」


「…今日は帰るよ」


「まりが嫌なら、何もしないから。優真もこう言ってるし、久し振りに家族3人で寝ないか?」


「…わかった。取りに帰る。優真をみていて」


「わかった」


私は、優真と私の着替えを取りに一旦家に帰る。


荷物をまとめて、車に乗り込む。


携帯を見ると、斎藤くんからメールが来ていた。


「お疲れ様、今日は忙しいみたいだから、また連絡します」


着信履歴を見たら、2回程斎藤くんから電話が来ていた。


斎藤くん。


ごめん。


今日は雅樹のところに行きます。


返信をする。


「ごめんなさい。今、気付きました。また連絡します」


すぐに返信。


「わかったよ。おやすみなさい」


優真が待ってるから、急いで雅樹の家に向かう。






No.311

家に着き、玄関の鍵を閉めて居間に向かう。


怪獣ごっこで汗だくの2人。


「ママー!パパとおふろに入る!」


「わかったよ」


私は持って来た優真の着替えをカバンから取り出す。


私もその間に着替える。


和室に入り、押し入れを開ける。


私がゴミ袋に突っ込んでいたアルバムがきれいに戻されていた。


布団を2組、和室に敷いた。


今日はここで寝よう。


2人がシャワーから出てきた。


「まりも入って来なよ。さっぱりするぞ!」


「ありがとう。入ってくるね」


久し振りのこの家でのシャワー。


私が使っていたシャンプーはなくなっていたけど、雅樹のシャンプーを使う。


何か、懐かしい香り。


雅樹の香り。


雅樹に抱かれている時、いつもこのシャンプーの香りに包まれていた。


シャワーを止めて、鏡の中の私を見る。


そして、太ももの傷を見る。


脇腹の傷を見る。


傷だらけの私。


こんな傷だらけで妊娠線もお腹に残る私より、そりゃ若くてキレイな女の子の方がいいよね。


胸だって私より大きいだろうし。


斎藤くんも、きっと傷だらけでびっくりしただろうな。


好きでこんなに傷だらけになった訳ではないけど。


シャワーから上がる。


洗面台でドライヤーをかけて、居間に向かうと和室から雅樹と優真の話し声が聞こえて来た。


幼稚園であった事を話している様子。


嬉しそうに話を聞く雅樹。


優真が「ママも来たよ!ママ!」と言って、私のところに来た。


優真が「ママ?またここでパパとママと優真で一緒にくらそ?パパがいないと寂しいもん。パパ、いっぱい遊んでくれるしたのしいもん!」と言った。


「優真…」


優真からしてみたら、いきなりパパがいなくなって、ママと2人になった感じだから、すごく寂しかったんだろうな。


パパ大好きだもんね。


「ねぇ!ママ!またパパと一緒にくらしたい!」


「うーん…」


返事に困っていたら雅樹が「パパね、ちょっと悪い事をしちゃったから、怖い鬼さんにね怒られていたの。その鬼さんがいいよって言ってくれたらまたパパに会えるよ!」と優真に言った。


心の中で「鬼って私の事?」と思いつつ聞いていた。



No.312

ずっと遊んでいた優真は、疲れたのか眠そう。


右に私、左に雅樹、間に優真を挟んで優真を寝かせる。


可愛い寝顔。


すぐにぐっすり眠ってしまった。


優真が寝たのを確認した雅樹が、優真を間にしたまま話しかけて来た。


「なぁ、まり」


「なに?」


「今日はありがとう」


「突然みたいになってごめんね」


「いや、いいんだ。もしかしたら女がいるんじゃないか?ってチェックするためにいきなり来たのかと思ったけど、ただの連絡し忘れ
なんだもんね」


なかなか鋭い。


「今日は本当に楽しかった。前は当たり前だったのに、今日は家族の有り難さと楽しさを心から感じたよ」


「そう」


「当たり前が当たり前じゃなくなって、こうして改めてまりと優真の存在の大きさを知ったよ」


黙って話を聞く私。


「久し振りにまりのご飯も食べた。やっぱりまりのご飯は美味しいよ」


「ありがとう」


「やっぱり、離婚はやめてよりを戻さないか?」


「でも、きっと雅樹はこの生活が前みたいに当たり前になった時に、同じ事をするんじゃないか?っていう恐怖はある。ずっと雅樹を疑いながら生活をしなきゃいけなくなるのは嫌」


「今すぐに…とは言わない。考えて欲しい。優真もあーやって言ってたし」


「しばらく別居は続ける」


「…なぁ。まり。もう俺の事を受け入れられなくなっているんだよな?」


「うん」


「他に好きなやつでも出来たのか?」


「どうして?」


「いや、何となく」


「そっか」


「好きなやついるの?」


「どうかなぁ?」


「いるの?」


「私は優真が一番大好き」


嘘ではない。


優真が一番大事で一番大好き。


「2番目は?」


「田中さんかなぁ?」


「そっか、俺、田中さんに負けたのか」


「ごめんね」


ふふっと笑う雅樹。


「やっぱりまりはいい女だよ」


「今頃気付いたの?(笑)」


「キスしたい」


「ダメ」


「キスだけ」


「絶対それ以上するのわかっているからダメ」


「どうしたらキスさせてくれる?」


「私の気持ちの整理がつくまで」


「どのくらい?」


「わからない」


「そっか」


「今日はもう寝よう?」


「うん。おやすみ」



No.313

朝早かったから眠たいんだけど眠れない。


雅樹も、布団の中でもぞもぞと動いている。


「雅樹、起きてる?」


「起きてる」


「今は何を考えてたの?」


「今日みたいな時間がずっと続いてくれたらいいなーって思って」


「そっか」


ちょっとお互い無言の時間が続く。


「私、ちょっと水を飲んでくる」


「俺も」


2人で布団から出る。


優真はぐっすり眠っている。


薄明かりの中、台所で2人で水を飲む。


台所にコップを置く。


すると雅樹が私を抱き締めた。


「まり。やっぱり俺はまりが一番大好き」


「そのまなっていう子にも同じ事を言ってたんでしょ?」


「違うまり。本当にまりが俺にとって一番の女だよ」


「信用出来ない」


すると雅樹が腕に力を入れた。


「愛してるのはまりだけなんだよ。本当なんだよ…」


無言の私。


でも前なら、こうして抱き締める以前の話だった。


触られるのも苦痛だった。


こんなに抱き締められたら、気持ちが雅樹に戻ってしまいそうになるという事は、少しは雅樹の事を許し始めているのかな。


こんなにフラフラした気持ちでいいのかな。


私も離婚していないのに斎藤くんとやった、という雅樹への罪悪感はある。


「ねぇ雅樹?」


「なに?」


「キスまでなら許してあげる」


「本当に?」


「それ以上はダメだけど」


雅樹は私をまた再びギュッと抱き締めてからキスをした。


何度も何度もキスをしてきた。


「まり。愛してる」


そう言ってキス。


何十回とキスをした。


雅樹の下半身に変化が起きているのはわかるが、それ以上はしてこない。


「眠れる?」


「まりに許してもらえるまでは我慢する」


「そっか」


「うぅ…でもまりを抱きたい」


「我慢するんでしょ?」


「…我慢する」


「じゃあ寝ようか?」


「…うん。意地悪しないで!頑張って我慢するから!もうちょっとだけキスしていい?」


そう言ってキスをしてきた。


首筋にも何回もキスをしてきた。


「そこはダメ」


「だってキスはいいって言ったじゃん」


「私が首筋弱いの知っててキスしたでしょ?」


「俺も我慢してるから、まりにも我慢してもらおうと思って」


「…意地悪」


No.314

結局、優真が寝ている横で雅樹とSEXしてしまう。


雅樹は私が気持ち良くなる場所は知っている。


ガンガン責めて来る。


何度もいかされる。


「やっぱりまりとのSEXが最高だよ」


「あぁ…雅樹」


体は雅樹とのSEXを覚えている。


感じまくる。


体は正直だ。


「あぁ…出ちゃうよまり」


好きな雅樹だ。


中に出す。


終わってから「月曜日、会社で会うの、何か恥ずかしいね」と雅樹が言ってきた。


「そうかもね。ちょっと照れるかもね。そうだ、マスク取れば?」


「取るかな」


「どうしてマスクしてるの?」


「表情を見られたくないから」


「だろうと思った」


「まりが戻って来た初日からしている」


「バレバレじゃん」


「だって、まりが戻って来てどんな顔をすればいいのかわからなかったから」


「確かにねー。私が戻ってすぐの時の雅樹の目、怖かったもんなー」


「どうしたらいいのかわからなかったんだよ」


「月曜日からマスク取る?」


「取る」


「また前みたいに楽しく仕事出来たらいいね」


「そうだね。ありがとう、まり」


キスをされた。


翌朝。


優真は寝癖をつけながら、朝から仮面ライダーに夢中。


雅樹は、優真と一緒に仮面ライダーを見ている。


「かっこいいねー!優真も大きくなったら仮面ライダーになる!」


「そうか!優真ならなれるかもな」


冷蔵庫の中にある玉子で目玉焼き、じゃがいもと玉ねぎの味噌汁、コンビニで雅樹が買って来ていた野菜サラダをバラバラにして、トマトを切って乗せた。ご飯は炊いた。


「優真!雅樹!朝御飯食べるよ!」


雅樹は、この簡単な朝食を見て「懐かしい…」
と感動している。


「冷蔵庫にあるものだったから、これだけだけど」


「十分だよ!ありがとう」


何か、結婚当初みたい。


幸せだったあの時みたいな時間が流れる。


優真がお茶をひっくり返した。


「あららら、ちょっと待って!」


ふきんを持ってきて、雅樹にパス。


優真は「ごめんなさい」とシュンとしている。


雅樹は、優真の頭を撫でながら「次は気をつけろよー」と優しく言う。


今、すごくいい家族の時間。












No.315

昼御飯は、近くのファミレスに行く。


私達と同様、家族連れの人達がたくさんいた。


何より優真が楽しそう。


その後にショッピングモールに行き、子供向けの遊び場で優真を遊ばせ、優真の服を買い、ちょっとプラプラして、雅樹が住む家に帰って来た。


私が「今日は楽しかった。ありがとう」と言うと、雅樹は「こちらこそ」と笑顔。


優真が「パパとおわかれ?」と聞く。


雅樹が「ごめんな、優真。またパパと遊ぼう!」と優真の頭を撫でる。


「パパは、いつになったら鬼さんゆるしてくれる?」


「多分、近いうちに許してくれるよ!だから今日はママと一緒に帰ろうね!」


「パパ!悪さしたらダメだよ!」


その言葉につい吹き出す私。


「ねー、悪さしたらダメだよねー」


私も言う。


雅樹は「もうしないよ。だから鬼さんが許してくれるまで待っててね!」と言う。


「わかった!ちゃんとごめんなさいしないとダメなんだからね!」


口調が私だ。


「はい!わかりました!」


雅樹が笑いながら言う。


雅樹に見送られ、自分のアパートに着いた。


「優真!また明日から幼稚園だから、ママ準備するからね!」


「うん!これで遊んでもいい?」


「いいけど、ちゃんとお片付けしてね」


「はーい!」


優真は早速、おもちゃを引っ張り出して遊んでいる。


洗濯をしながら携帯を見る。


斎藤くんからメールが来ていた。


「長谷川さんと会って来たの?」


斎藤くんに電話をかけた。


すぐに出た。


「あー。やっと電話出来たわー」


「ごめんね」


「長谷川さんと会ってたの?」


「うん…」


「いや、別にいいんだけど。今日、ショッピングモールで見掛けたから」


「そうなの?」


「セールやってたじゃん?スニーカー欲しくて行ったんだよ。そしたら長谷川さんと加藤と優真くんを見掛けた。楽しそうにしてたね。幸せそうな家族に見えたよ」


「そうなんだ…」


「寄りを戻すの?」


「どうして?」


「いや、見ていてそんな気がしたから。優真くん、楽しそうにしていたし。戻るなら戻りなよ。加藤との事は胸にしまっておくから。話くらいならまた聞いてやるぞ」





No.316

月曜日。


優真を幼稚園に送ってから出勤。


今日は、なかなか優真が起きなくて朝からバタバタだった。


会社の駐車場に着いてから一息着く。


「ふぅ。今日も頑張るか!雅樹は今日、マスク取ってるかな?」


そんな事を思いながら、車を降りた。


「加藤、おはよう」


振り返ると、斎藤くんがちょうど車から降りたところだった。


「おはよう」


「ちょっとだけいい?」


「なに?」


「今日の夜、うちに来れる?」


「優真を迎えに行ってからなら…」


「全然それで大丈夫。ちょっと加藤に話があるんだ」


「わかった。じゃあ後で」


斎藤くんは、軽く右手を上げて先に会社に入って行く。


「おはようございまーす」


席に行くと、渋谷くん以外は出勤していた。


雅樹はマスクを外していた。


「あれ?渋谷くん、どうしたんですか?」


「おばあちゃんが亡くなったらしいの」


田中さんが答える。


「あら…そうなんですね」


「今日は2人よー!頑張らないとねー!」


「はい!」


その時に「おはよー!」と言って、立花さんが走って来た。


「おはようございます!」


「おはよー!」


自然と3人、円陣の様に男性陣に背中を向けて、隅っこでこそこそ話。


立花さんが「今日、長谷川さん、マスク取ってるじゃん!」と話す。


田中さんも「そう!しばらくマスクしていたのに。加藤さん、話しなさい」と私に言う。


「土曜日、子供と一緒に長谷川さんの家に行き泊まって来ました」


「えっ?寄りを戻したの?」


「まだわかりませんが、仲は前よりは改善されました」


「長谷川さんとやっちゃった?」


「…はい」


「へぇー、そこまで改善出来たなら、寄りを戻せるんじゃない?」


「でも、やっぱり頭の片隅にある浮気という現実は抜けないので悩んでます。前は触られるのも嫌だったんですけど…まぁ、そんな感じです」


「浮気した事実は消えないからね。でも、やっぱり加藤さんと長谷川さんってどうしてもセットなんだよなー」


「わかる!」


「長谷川さんと加藤さんがいい方向に行くといいね。息子さんのためにも。ごめんね、私本社戻るわ!」


立花さんは「それじゃーねー」と言って、颯爽と帰って行く。


私と田中さんは笑顔で見送る。




No.317

私がトイレの帰りに、雅樹の机にメモをポンと置く。


「昨日、言い忘れてました。来週の土曜日、優真の親子遠足があります。休み申請お願いします。次回、優真に会えるのはこの日でお願いします」


斎藤くんは、私が雅樹にメモを渡した時にチラっと雅樹の方を見たが、そのまま仕事をする。


今日は何故かわからないけど、入れ替わりでお客様が来るため、田中さんと2人でお客様にお茶出しをする。


昼休憩。


お客様がいたので、田中さんと別れての昼食。


私が早めに入り、田中さんが遅れて入る。


今日も時間がなかったため、コンビニのおにぎりとカップラーメンのお昼御飯。


斎藤くんが「加藤!奇遇だねー!俺も今日、カップラーメンとおにぎりなんだよ」と言ってコンビニの袋から取り出した。


「気が合うねー」


私が言うと「同級生だから?」と斎藤くんが笑いながら答える。


「一緒に食おうぜー!渋谷!席借りるぞ!」


お葬式でいない渋谷くんに断り、渋谷くんの席に座る斎藤くん。


牧野さんが「同級生同士、仲良く食って!何かいいよね、同級生って。昔の話とかたくさんあるでしょう」と笑顔で言って来る。


「結構ありますよー!渋谷もいたら3人で盛り上がりたいところですけど」


「斎藤くん、結構モテモテだったんですよ?ねー、斎藤くん。バレンタインチョコのおこぼれをもらったら、本命チョコでめちゃくちゃ長いラブレターが入っていて、読んじゃった私がすごい罪悪感でー!」


「高2の時だよなー!次の日、加藤がわざわざ俺に持って来てくれたんですよ。一瞬、加藤からのラブレターだと思いました(笑)渋谷も意外とチョコもらってたんだよなー」


「そうそう!渋谷くんは後輩女子から人気があったよね。いやー!懐かしい!」


牧野さんも雅樹も、そんな話を聞きながら笑っていた。


牧野さんと雅樹と高橋さんはお昼に行く。


田中さんはまだ帰って来ない。


斎藤くんが周りに誰もいないのを確認して「加藤、俺引っ越す事にしたんだ」と話す。


「そうなの?」


「加藤の部屋、そろそろ期限だろ?うちに来いよ。部屋が決まったら合鍵を渡す。昨日は電話であーやって言ったけど無理だわ。心にしまえない。側にいて欲しい。今日、その事が言いたくて。でも夜も来て。あっ、牧野さんが帰って来た。同級生に戻るぞ」


No.318

夜、仕事が終わってから、優真を迎えに行ってから、真っ直ぐ斎藤くんの家に向かった。


斎藤くんの車がある。


前に停めたスペースに車を置いてから斎藤くんに電話をする。


「もしもし、斎藤くん?着いたけど…」


「俺も今帰って来たところ。部屋に来て!」


「今、行くね」


優真を連れて、斎藤くんの部屋に行く。


「入って」


優真が「こんばんは!」と挨拶。


「こんばんは!」


斎藤くんも笑顔で挨拶してくれた。


「優真くん、オレンジジュース飲むか?」


「飲む」


斎藤くんは、オレンジジュースを入れてくれた。


そして「弁当で良かったら食わないか?帰りに買って来たんだ」と言ってほか弁をテーブルに置く。


優真用に、子供向けのお弁当も買ってくれていた。


「お金払うよ?」


「いや、いいよ。弁当くらいごちそうさせてよ」


「ありがとう」


優真がお弁当をうまくあげられない。


斎藤くんが開けてくれた。


「頂きます!


優真はお腹が空いていたのか、もくもく食べている。


「あっ、ママ!これ、前にパパと一緒に食べたやつと同じだね!」


ファミレスで食べたお子さまランチについていたプリンと同じものがついていた。


「そうだね」


斎藤くんはちょっと寂しそうな顔。


「優真くんはパパ好きか?」


「うん!パパね、今ね、悪さして鬼さんにね、怒られてるから会えないの。ちゃんとごめんなさいするまでダメなんだって」


斎藤くんが吹き出す寸前の顔をしている。


「そっか。パパ悪さしたのか、ダメだね」


「うん、ちゃんとごめんなさいしないとダメなんだよ!パパがね、ちゃんとごめんなさいしたらまたパパとママと一緒にすめるよって言ってた」


斎藤くんが「優真くんはパパと住みたい?」と聞く。


「うん!パパ、一緒に遊んでくれるし優しいもん!」


「そっかー」


斎藤くんはお弁当を食べ始めた。


私は、優真と斎藤くんの話を聞きながら食べる。


優真が「ママ…ごめんなさい。のこしちゃった。もったいないオバケくる?」とシュンとしている。


斎藤くんが「多かったの?」と聞く。


「うん。幼稚園でものこしちゃったから、もったいないオバケ来るよね」


泣きそうな優真。








No.319

斎藤くんが「じゃあ、これ、おじさんが食べてあげるから、もったいないオバケは来ないよ?」と優真に言うと「ほんと?」と顔が明るくなる。


「大丈夫。もったいないオバケが来てもやっつけてあげるから!」


「うん!」


「そうだ、優真くんって仮面ライダー好きなんだよね?映画あるけど見る?」


「みる!」


「じゃあ今、おじさんが用意してあげるから待ってて!」


斎藤くんは、テレビをつけてDVDをセットしてくれた。


「ママ!みていい?」


「いいよ」


早速優真は仮面ライダーに夢中になっている。


「中古なんだけど、優真くんが好きだって言ってたから前に買っておいた」


「ありがとう」


「優真くん、パパ大好きなんだね」


「パパとしてはいいパパだと思う。やっと出来た子供だから、可愛いんだよね、きっと」


「優真くんが言ってた鬼って加藤の事?」


「そうなんじゃないかなぁ?長谷川さんがそう言ってた」


「加藤は戻りたいの?」


「わからない」


「この間って長谷川さんのところに泊まったの?」


「…うん」


「じゃあ、まだ夫婦なんだし、やる事はやったんだよね」


「…」


「そうだよなー、夫婦だもんなー。本当は俺、加藤をこうして部屋に誘っちゃダメなんだよなー。長谷川さんと出来るなら戻っちゃえば?」


「でも、まだ信じられない」


「俺も今は加藤の不倫相手になるけど」


「そうなるよね」


「俺、何かこのまま不倫相手でもいいかなって思って来た。それでも加藤といれるならいいかなって。でも…ヤキモチ妬くよな。俺は日陰の存在だから、堂々と加藤とデート出来ないし」


「…」


「会社では同僚として接するよ?大丈夫」


「私、斎藤くんがいたから頑張って来れた。今の心の支えは斎藤くんなの。斎藤くんの事が好きなの。優真の事は大事。でも斎藤くんも大事なの。長谷川さんは優真のパパ、これだけなの。優真のパパとして、これからも付き合いはあるけど…でも…家族として一緒にいるのは悪くないかもって思っている私もいて…」


何かすごい勝手だよね、私。


斎藤くんとも一緒にいたいけど、雅樹とも家族でいたいって言っている。


許されないよね。


人として。






No.320

「加藤も俺の事を好きでいてくれてるの?」


「うん」


「長谷川さんに気持ちは?」


「前みたいな気持ちはない。浮気された直後の様な嫌悪感はなくなったけど」


「長谷川さんと俺、どっちが好き?」


「斎藤くん」


「じゃあ一緒に住もうか?」


「えっ?」


「長谷川さんと離婚しなよ。優真くんのパパだから会いに行くのはいいよ。でも離婚しなよ。付き合っている時は良かったけど、結婚相手としては合わなかった。それだけだよ。優真くんの事を考えたら離婚を躊躇するのはわかるよ。でも、パパには変わらないと割り切れれば、踏み込めるよ」


「…」


「加藤は優真くんのママだけど、加藤まりって言う1人の女性でもあるんだよ。あっ、長谷川か。まぁいいや。ママである加藤も輝いているけど、1人の女性としてもいい女だと思う。シングルマザーになっても、優真くんは今は寂しいかもしれないけど、大きくなった時に絶対わかってくれる。長谷川さんを疑いながら生活するより、適度に離れた方がいい事もある。

母親である以上、母親であれ、母親が女になるな、子供を生んだなら子供を第一に、離婚したなら自己責任、子供に寂しい思いをさせるな。そうかもしれない。でも、考え方も人それぞれ。1人で頑張っている人もたくさんいるけど、頼れる人がいたら頼っていい。男にのめり込んで、子供を虐待とか放置は論外だけど、加藤は優真くんの事も一生懸命考えている。だから、長谷川さんとの離婚も躊躇しているんだろ?」


黙って話を聞く私。


「俺の場合と状況が違うから何とも言えないけど、離婚したら気持ちは変わる。そしたら視野が狭くなっている今よりは、少しは変わるかもよ?やっぱり長谷川さんがいいと思えば戻ればいいし。まぁ、後は決めるのは加藤だけど」


「…そうだね」


「あくまでも俺の持論ね。世間的に見たら、不倫相手の都合がいい解釈だと思われるだろうけど」


「…」


「今の部屋の退去期限もあるし、俺、部屋を決めて来るよ。ここだとやっぱりちょっと狭いもんな。俺ももう少し広い部屋に引っ越したかったし。ここ、離婚してからずっと住んでるし、いい機会だよ」


優真はずっと仮面ライダーに釘付け。


この時に、私の携帯が鳴る。


圭介からだった。




No.321

「ごめん、弟から。出ていい?」


「いいよ」


私は電話に出る。


「もしもし、どうしたの?」


「ねーちゃん、長谷川さん、やらかしちゃったねー」


「誰から聞いた?」


「誰からも聞いてないけど見た」


「いつ?」


「結構前。最近ではない」


「どこで?」


「街で、長谷川さんを見掛けたから声をかけたら、ねーちゃんじゃない女といた」


「そうなんだ」


「街中のホテルから仲良く出てきたから、わざと声をかけた。びっくりした様な顔をしていたよ。俺は友達と飲みに行ってて、居酒屋から2件目に行く途中だったんだよねー」


「うん」


「一生懸命言い訳してたよ?覚えてないけど」


「そうなんだ」


「でも、ねーちゃんにこんな事言えないじゃん?だから黙ってた」


「そっか」


「でさ、この件でしばらく長谷川さんとは連絡していなかったんだー。そしたらさっき、長谷川さんから連絡があったんだ。ねーちゃん、別居してるんでしょ?優真も一緒に」


「そう」


「俺、言っちゃったんだ。ねーちゃんと離婚してほしいって」


「えっ?」


「何かさ、話を聞いていたらねーちゃんのお腹に優真がいた時からなんでしょ?寂しかったとか何とか言ってたけど不倫していい理由にならないよね。で、ねーちゃんが一回許しても女と切れてなかったんでしょ?その時点でヤバいじゃん。あーあ、俺、長谷川さん、そんな事をする人だと思わなかったからショックだわー」


「ごめんね。圭介にまで心配かけて」


「ねーちゃん、もっとしっかりしなよー」


「ごめん」


「で、前の職場に戻ったんだって?」


「うん…ねぇ圭介、あんたはどこまで聞いてるの?」


「多分全部、長谷川さんから聞いた。長谷川さんも誰かに話を聞いてもらいたかったのかなー。でも俺、嫁の弟だぞ?ねーちゃんの味方しちゃうよね」


「そっか」


「離婚!離婚!長谷川さんはやむ無しみたいな感じだったから、離婚には応じてくれるんじゃね?」


「そっか」


「あと、ねーちゃんに伝えなきゃいけない事がある」


「なに?」


「父さん、癌だって。抗がん剤治療が始まるよ」


「…え?」


No.322

「肺がんだって」


「うそ…」


「何かおかしいと思って病院に行ったら、癌だったらしいよ。もう少しで入院になるから、仕事終わってからでも優真連れて行ってあげたらいいよ。あっ、親には長谷川さんとの事は言ってないから」


「わかった」


「ねーちゃん。今、大変な時に父さんの癌がわかって、精神的にきついかもしれないけど、父さんまだ元気だし、きっと良くなると思うから、余り気落ちしないで!優真の前だけでも明るいママでいろよ。寝たら泣いてもいいから」


携帯を持つ手が震えているのがわかる。


「…うん、ありがとう」


「長谷川さんに父さんの癌の事は、一応伝えてはあるから連絡行くかも」


「わかった」


圭介との電話を切る。


斎藤くんが「何かあったの?」と聞いてきた。


「お父さん、癌だって言われた」


「えっ?」


「肺がんだって。もう少しで抗がん剤治療で入院するって…弟が長谷川さんには伝えてあるから連絡行くかもって…」


「マジか…」


「あと、弟が飲みに行っている時に長谷川さんと女が街中のホテルから出てきたのを見て、わざと声をかけたら、色々言い訳してたって。で、さっき長谷川さんから連絡があって全部聞いたから、離婚して下さいって言ったって。長谷川さんもやむ無しみたいな感じだったから、今なら離婚に応じてくれるかもって言ってた。あと心配してくれてた。余り気落ちしないで、優真の前では明るいママでいろよって。寝たら泣いてもいいからって…」


「いい弟さんだね」


「どうしたらいいんだろう…お父さんが癌…」


「今は癌も治る時代じゃん!絶対加藤のお父さんなら乗り越えてくれるって!」


「そう願いたい」


「明日、優真くんを連れてお父さんに顔を見せて来いよ」


「うん」


優真が「ママ、眠たくなってきた」と目をこすっている。


もう21時半になっていた。


「優真くん、そろそろ帰ってママと寝ようか?」


「お布団に入りたい」


「優真、ごめんね、眠たいね、帰ろうか?」


「うん」


斎藤くんが優真を抱っこしてくれて、車に乗せてくれた。


「ありがとう」


「気をつけてな」


駐車場で斎藤くんに見送られて自宅に着く。


頑張って優真を抱っこ。


優真は眠いからか不機嫌。


着替えだけして布団に入るとすぐに寝た。




No.323

斎藤くんに電話をする。


「今日はありがとう」


「優真くんは寝た?」


「布団に直行だった(笑)」


「加藤、大丈夫か?」


「優真いるし大丈夫」


「こんな時こそいてやりたい。今から行くから待ってて!」


切られた。


10分後。


「多分、加藤ん家近いと思うんだけど、どこ?」


「近くに何があるの?」


「自販機がいっぱい並んでる、小さな商店がある」


「そこの交差点を右に曲がってから2本目を右に曲がったらうちがある。白い小さな古いアパートで、私の車が停まっているからわかるはず。今降りるね」


電話を切り、斎藤くんが来るのを駐車場で待つ。


すぐに斎藤くんの車が見えた。


ジェスチャーで「ここに停めて」と言うと、斎藤くんは従う。


ジャージ姿でリュックを背負い、片手にスーツを抱えていた。


「ごめんね、押し掛けて」


「大丈夫。狭いけどどうぞ」


「お邪魔します」


物が余り無い部屋。


壁には、優真が書いた「パパとママ」「くま」の絵が張ってあり、ひらがなの表もある。


「優真くん、絵がうまいね」


「ありがとう、喜ぶよ」


優真の様子を見に行くと、ぐっすり寝ている。


「明日も仕事なのに…」


「加藤と一緒にいたい」


「ありがとう」


「シャワー借りていい?」


「どうぞ」


「一緒に入る?」


「入りません」


「だよねー(笑)」


男の人って、一緒にお風呂に入りたいものなの?


お風呂場の電気をつける。


「タオルはここに置いておくね。ごゆっくり」


「ありがとう!」


斎藤くんはシャワーする。


でも、斎藤くんが来てくれて良かったかも。


1人なら泣いていた。


斎藤くんがシャワーから出てきた。


「アヒルと像のじょうろ、懐かしかった(笑)うちにもあったなー」


「100均のやつね」


「そうそう!でも子供は喜ぶんだよね(笑)」


「私も入って来るかな?」


「優真くんを見ているから入って来なよ」


「ありがとう」


私もシャワーに入ってさっぱり。


優真は明日の朝だな。


その日も、斎藤くんとSEXをする。


SEXしている間は、何もかも忘れられた。










No.324

翌朝、斎藤くんがいる事にびっくりしている優真。


「あれー?どうしてうちにいるの?」


「優真くんに会いたくて来ちゃった」


斎藤くんは、優真に言うと喜んでいた。


私は優真とシャワーして、その後に斎藤くんがシャワー。


優真の幼稚園の準備、私は仕事に行く準備。


「こら!優真!靴下はきなさい!あれ?ランチョンマットどこ?あった!優真!これ靴下はいたらお片付けして!」


既に準備が終わっていた斎藤くん。


「格闘だな…」


「そうなの!毎朝こんな感じ。優真!靴下おかしくなってる!」


靴下を直し、幼稚園のスモッグを着せて、リュックと帽子を被せる。


斎藤くんとは、駐車場で別れる。


「私は、幼稚園に送ってから行くから!また会社で!」


「バイバイ!」


優真が斎藤くんに手を振る。


斎藤くんも笑顔で手を振る。


幼稚園に優真を連れて行き、途中のコンビニに車を停めてお昼ご飯。


昨日、斎藤くんと頑張ったからなのか、いつもより起きるのが遅くて弁当作るまで時間がなかった。


「おはようございまーす」


出社すると、田中さんと斎藤くんが話をしていた。


田中さんが「加藤さん!おはよう!」と近付いて来た。


その時に、軽く首を傾げる。


「どうしました?」


田中さんが私と斎藤くんを隅っこに連れていく。


そして小声で「あんた達、同じ匂いがするんだけど…シャンプー?整髪剤?かな。どういう事が説明してもらえるかな?」と言って来た。


斎藤くん、私の整髪剤使ったんだな。


田中さんにバレた。


「まあ、理由はゆっくりと」


斎藤くんが小声で言う。


「加藤さんとそういう関係なの?」


「ちょっと色々ありましてねー」


「その色々を聞いているのよ」


「長谷川さん、こっち見てますよ?また後でゆっくりと」


私と田中さんは雅樹を見る。


雅樹がこっちを見ている。


「長谷川さんにバレると、色々ややこしくなると思うので、後でゆっくりお話しします」


「じゃあ昼休憩に」


席に戻ると田中さんがスーっと私の隣に来た。


「斎藤くんとそういう関係なの?長谷川さんと離婚成立したの?」


「離婚はまだです…」


「ヤバくないの?」


「色々ありまして…」


「みんな、どうしちゃったの?」



No.325

昼休憩。


私と斎藤くんと田中さん以外、席を外したのを確認した後に、お弁当を食べながら田中さんが「さあ!お姉さまに話してごらんなさい!」と言う。


「いつから?」


その問いに斎藤くんが「俺、高校生の時から加藤の事が好きだったんですよ。だから本社で会った時は運命だと思いました。でも、こういう関係になったのは、最近ですよ」と話す。


「でも、まだ加藤さん、離婚していないよね?」


「加藤が長谷川さんの浮気を知った日に、泣きながら俺に電話をくれたんです。俺、加藤に頼られた事が嬉しくて。長谷川さんの奥さんだったから、加藤を好きな気持ちを胸にしまっていたんですけど、我慢出来ずにそうなりました」


「加藤さんもどうして…」


「長谷川さんに裏切られた事は、本当にショックでした。しかも最中の時に違う女の名前を呼ぶとか、もうどうしても無理で…。それまでも何回かですが連絡をしていた斎藤くんを頼ってしまいました」


「加藤さん…」


「斎藤くんのおかげで一回、長谷川さんを許そうと思いました。でもまた裏切られました。その時も色々相談にのってもらって…」


「私に言ってくれれば良かったのに…」


「田中さんに迷惑はかけられないと思って。それまでも色々お世話になって、牧野さんにもたくさん迷惑をかけていたので…」


「でも、籍を抜いていない以上、不倫になるよね。加藤さんは離婚するんだよね?」


「はい」


「うーん…斎藤くんも、加藤さんとそういう事になって、万が一の時は責任取れるの?」


「はい、もちろんです…俺、本気で加藤を助けたくて。確かにちょっと暴走してしまって加藤とそういう関係になっちゃいましたけど、泣いている加藤を放っておけなかったんです。でも俺、加藤が長谷川さんのところに戻るならそれでもいいと思っていました。子供の事を一番に考えて、どうしたらいいのか。一緒に考えて来たつもりです。加藤の事が好きだからこそ、俺は裏方で加藤を少しでも支えていきたいと思っていました。今もです。加藤は今のところのアパートが期間限定で、もう少しで切れるんです。金銭的にも助けてあげたくて、一緒に住む話しもしていて…離婚は多分、もう少しですると思います。そしたらいずれは一緒にやっていきたいと思っています」







No.326

田中さんはずっと「うーん」と唸っていた。


「とりあえず、加藤さんは長谷川さんとの離婚だね」


「はい」


「斎藤くん」


「はい」


「離婚してからにして欲しかったなー。でも、もうそうなっちゃったなら仕方ないから、特に長谷川さんにバレない様にうまくやんなさいよ」


「はい」


牧野さんが「おっ?今日は斎藤、事務と昼か?」と言って来た。


「はい、お姉さまのありがたいお話しを拝聴しておりました」


「あら、嫌だ!私を神扱いにしてくれるの?」


「田中さんは神々しい神っていうより七福神の恵比寿様みたいですよね」


「どういう意味よ!」


「親しみやすいって意味です(笑)」


「体型の事を言われてるのかと思ったじゃないのー(笑)最近、太ったのよー」


「そんな田中さんも素敵ですよ!」


「嫌だ!ちょっと牧野さーん。この子いい子だわー」


会話を聞いて、みんなが笑っている。


土曜日。


優真の親子遠足。


雅樹も有給を取り、一緒に来た。


結構、お父さん達も参加している。


バスに乗り、ちょっと離れた大きな公園に着いた。


クラス毎に別れて、親子でじゃんけんゲームをしたり、親子でビニールシートでボールを運ぶゲームをやったり、楽しい遠足。


朝早く起きて、頑張って作ったお弁当。


雅樹も優真も、美味しいとたくさん食べてくれた。


親子遠足も終わり、一旦雅樹の家に帰って来た。


優真は疲れたのかお昼寝中。


離婚届をもらう。


離婚の取り決めとして、雅樹は養育費は支払う。


優真には月2~3回は会わす。


その時は、私と優真が雅樹の家に来る。


優真の誕生日は一緒に過ごす。


幼稚園のイベントには可能な限り参加する。


離婚をするから、女は自由だけど、私達が来ている時だけは遠慮してほしい。


雅樹も納得をしたため、離婚届をもらう。


「俺、女はもういいや。俺はまりと優真がいれば、来てくれればそれでいいよ。もしかしたら、離婚して離れてみて、お互いに必要に感じる事があるかもしれないし」


「そうだね。それまでにお互いが独身ならね」


「前向きの離婚だもんね」


「そうだね」


「また来るから、さようならではないよ?ただ、籍を抜いただけ。家族であるには代わりないから」


「そうだね」




No.327

「ところで、親父さん、肺がんなんでしょ?」


「うん」


「最後にお見舞いに行きたいだけど」


「母親いるけど」


「病院ならそこまで騒がないでしょ?」


「多分」


「親父さんには本当にお世話になった。こんな結果になってしまったけど、最後にお見舞いに行きたい」


「父親の体調がよくなるまで、離婚の事は言わないで。抗がん剤治療を頑張っている父親に心配かけたくない」


「わかった。優真が起きたら行こうか」


「うん」


「なぁ、まり。今日、泊まっていかないか?長谷川家でいられる最後の夜だから」


「荷物持って来てないよ?」


「親父さんの病院の帰りに取りに行こうか」


「わかった」


優真が起きた。


時刻は16時過ぎ。


1時間位お昼寝をしていた。


「優真!これからママのジジのところに行くよー」


「ママのジジ?病院?」


「そうだよ」


「行く!」


3人で父親が入院している呼吸器科病院に向かう。


「お父さん」


「おぉ、まり。優真!長谷川さんもわざわざありがとう」


「いえ、お義父さん、具合はどうですか?」


「何か、食欲がなくてね」


抗がん剤で、ふさふさだった髪の毛は抜け落ち、落武者みたいな髪になっていたが、癌と闘っている証。


でも子供は容赦ない。


「ジジ、髪の毛なくなってるよ?」


「ジジはね、今、病気と闘っているんだよ」


「お母さんは?」


「今、着替えを取りに圭介と一緒に一旦、家に帰っているよ」


「そうなんだ」


「長谷川さん、まりはちゃんと主婦してますか?」


「はい、いつも家族のために頑張ってくれてますよ」


「そうですか。優真は幼稚園楽しいか?」


「うん!今日ね、遠足でパパとママと一緒に行って来たの!」


「楽しかった?」


「うん!」


ニコニコしながら優真を見る父親。


「今日はお母さん戻る前に帰るよ」


「わかった。じゃあ長谷川さん。また!」


雅樹は笑顔で父親に会釈し、優真はバイバイして帰る。


滞在時間は数分だったけど、母親が来る前にどうしても帰りたかった。


荷物を取りに、私のアパートに向かう。


優真と雅樹は駐車場で待っててもらい、泊まりの荷物を準備して、再び雅樹の車に乗り込む。




No.328

晩御飯はカレーを作る。


初めて雅樹に作った料理がカレーだったから、最後の料理もカレーにした。


「まりのカレー、好きだったな」


「初めて雅樹に作った料理もカレーだったよね」


「そうだね…思い出すな」


「ママ!おかわり!」


「優真!すごいね!まだ食べるの?」


「うん、だってママのカレー美味しいもん!」


「たくさん作ったから、いっぱい食べてね」


優真にカレーを盛る。


「俺もおかわり!」


「はいはい(笑)」


雅樹の分も盛る。


長谷川家、最後の団らん。


でも離婚してもこの家には来るけど。


今日、雅樹の家に行く事は、斎藤くんには伝えてある。


カレーを食べ終わり、私は洗い物、雅樹と優真はお風呂に行った。


その時に斎藤くんに「今日、離婚届けをもらいました。あと今日、泊まって帰ります」とメール。


すぐに返信。


「長谷川さんとやったりする?(涙)」


「どうかなぁ?(涙)」


「まだ夫婦だもんなー。離婚届けを出してからは断れよ」


「今日もしないよ」


「本当かどうか、明日確かめようかな(笑)ま、とりあえず優真くんの近くにいてやれよ。じゃあ、明日戻って来たら連絡よろしく」


「わかった」


携帯をしまう。


雅樹と優真がお風呂から上がる。


私も入る。


もう気持ちは吹っ切れている。


離婚して、雅樹も私も再出発。


会社では会うけど、雅樹も吹っ切れた様子で、だいぶ笑顔で話してくる様になった。


斎藤くんとの事は知らないはず。


今日も和室で優真を挟み、優真を寝かし付ける。


優真が眠りについた。


雅樹が「まり。最後だから…最後に妻としてのまりを抱きたい」と私の隣に来た。


雅樹に気持ちはないけど、家族としての情はある。


私を女にしてくれた雅樹との夫婦としては最後のSEX。


受け入れるしかなかった。


もう昔みたいに猿みたいにする事はないけど、ゆっくりゆっくり、夫婦としての最後のSEXをする。


処女をあげた雅樹。


好きだった時は幸せだったよ。


優真も出来たし、色んな悦びを教えてくれたね。


でも、これで最後。


雅樹も最後だと悟ったのか、最後に出す瞬間の時には私をギュッと抱き締めて「まり。ありがとう」と言っていた。





No.329

終わってから、雅樹が一言。、


「まり。俺以外にSEXした事ある?」


「どうして?」


「何か、そんな気がしたから」


「してたって言ったら?」


「相手が気になる」


「してないって言ったら?」


「ほっとする」


「どっちだろうね」


「してるな。誰だ、相手は誰だ!」


「知らなーい」


「でも、仕方ないよな。俺だって他の女としてたんだから」


「そうだね。これからは心置きなく好きなだけ女とやりまくれるよ。良かったね。私も違う男とやりまくろうかなー」


「まり…そんな事言うなよ」


私をギュッと抱き締めて来た。


「挿れないから、触っていていい?」


雅樹が私の体を優しく触ってくる。


好きだった細くて長い指で、胸やお腹、背中、太もも、下半身とゆっくりゆっくり触って行く。


「まりのこの体が好きだ。でももう触れない。だから満足するまで触っていたい。体の傷も好きだった。まりの体の一部だから」


「あっ…雅樹、ダメだよ」


「感じていていいよ。いっぱい触りたい」


下半身を触って来た。


「あれ?まり。すごい濡れてるよ?」


ゆっくり優しく触って来る。


「雅樹…これ以上はダメだよ…」


「挿れないよって言ったじゃん。まり、こんなに濡らしたらダメだよ」


乳首を舐めてきた。


あぁ…もうダメ。


「挿れて下さい…」


「挿れないよ」


「…意地悪しないで…」


「じゃあ、次に優真との面会の時にもまりを抱けるなら挿れてあげる」


「…えっ…」


「じゃあ挿れない」


「あっ…ひどい…」


「あと、まりとやった人教えて」


「…えっ…」


「教えてくれたら挿れてあげる」


「…次に会う時も…雅樹としますから…挿れて下さい」


「あと、誰とやったの?」


「…やってないからわかりません…」


「本当に?」


「…はい」


「本当にまた会った時もSEXしてくれる?」


「…しますから」


「じゃあ挿れるよ」


「ああぁ…」


ヤバい、雅樹にまんまにはめられた。


こんなんじゃ、私、雅樹のセフレに成り下がってしまいそう。


どうしよう…


体は離れられない気がする。




No.330

月曜日。


いつもより早く起きて、役所の時間外窓口に行き、離婚届を提出、受理された。


優真が、ひらがなで「はせがわゆうま」と書ける様になっていたため、会社では加藤だけど、プライベートはそのまま長谷川を名乗る事にした。


会社に行き、田中さんに「さっき離婚届けを出してきました」と小声で報告。


雅樹には目で合図。


雅樹はニコっと笑う。


何か企んでいる様な雅樹の顔。


次は絶対しないもんねー!


耐えてやる。


口をギュッと結ぶ。


斎藤くんが、目の前で私にメールを打ったいる。


サイレントにしている私の携帯がピカピカ光る。


時間差で、携帯を開く。


「今日、離婚届けを出したんだよね?」


返信。


「出したよ!」


また時間差で斎藤くんが返信。


「長谷川さんとやったっぽいな」


「今日からは他人なので、もうしません」


「もう、って事はやったんだな。俺とはしばらくお預けなのに!」


思わず口元が緩む。


「今日からは彼女です。よろしくね」


時間差で斎藤くんが見る。


私を一瞬だけみて、口元が緩む。


今月いっぱいで、今のアパートを出なければならない。


斎藤くんが、今の部屋を出て、あえてちょっと遠くにあるマンションを借りた。


一緒に住むため。


もちろん優真も。


斎藤くんは、自分の子供に会えないからか、すごく優真を可愛がってくれる。


優真も懐いている。


優真は雅樹を「パパ」、斎藤くんを「お兄ちゃん」と呼んでいる。


引っ越し当日は日曜日。


明日には部屋を引き渡さないと行けないため、うちの会社ではない業者に頼み、一気に荷物を持って行ってもらう。


斎藤くんも、1人で引っ越しを頑張る。


同じ日に引っ越し。


住んでいた部屋に戻り、掃除をして、近所に住んでいる雅樹のお義父さんのご友人に菓子折りを持ってご挨拶。


一応、部屋を確認してもらう。


でも住んでいた期間は短いため、比較的キレイな状態で引き渡せた。


雅樹が家賃を払っていたが、雅樹がきついと音をあげたため、私がまともにお給料をもらう様になった時点で私が払う事にした。


住んでいた家の引き渡しは終わった。


斎藤くんに連絡をしてみる。


「頼むー!手伝ってー!」


優真と斎藤くんが住んでいた部屋に向かう。



No.331

長年住んでいた部屋は、掃除が大変そう。


ある程度の掃除が終わった。


優真も手伝ってくれた。


備え付けの棚を軽く拭こうとしたら写真が1枚出てきた。


2歳くらいの双子の女の子が同じ服を来て、可愛い笑顔で仲良く写っている。


斎藤くんに似てる。


斎藤くんの子供たち。


「これ、出てきたよ」


斎藤くんに渡すと、黙って写真を見てからリュックにしまう。


斎藤くんは明日、有給をとっている。


私までとってしまうとバレる可能性があるため私はあえて水曜日に休みを取った。


「何か、飯食って帰るか?」


「まだうちでは作れないしね」


「優真くんは、何か食べたいのないの?」


「うーん…そば!」


「そば?渋いね(笑)えー?蕎麦屋ってあったっけ?」


「あー。前に西町にある蕎麦屋に行った事があるわ」


行ってみるも、残念ながら閉まっていた。


「残念!あそこのラーメン屋に行く?同じ麺だし」


ラーメン屋で晩御飯を食べて、新居に帰宅。


もう20時を回っていた。


とりあえず3人寝れるスペースを確保するべく、布団を敷く部屋の段ボールをどけて行く。


明日使う幼稚園道具や、私の仕事道具とかはあらかじめ出してある。


「あー。何か疲れたなー」


「そうだね」


「俺、明日休みだから、用足しをしながらちまちま片付けているよ」


「うん、ありがとう」


「いやー、すごいね。加藤と一緒に住めるんだよ!?こんな幸せな事はないよ」


「よろしくね」


「こちらこそ」


ふと優真を見ると、疲れてしまったのか、そのままの格好で自分で布団に入って寝ていた。


「手伝ってくれたから、優真くんも疲れちゃったね」


「斎藤くんのお子さんも可愛いね」


「可愛いんだけど、全然会ってないからわかんないわ。もう小学生だとは思うけど、何の連絡もないしね」


でも、我が子には会いたいよね。


「俺には加藤に似た可愛い優真くんがいるしね。口元は長谷川さんだけど(笑)」


「そうだね(笑)」


「なぁ加藤」


「なに?」


「長谷川さんと離婚した事、後悔してない?」


「どうして?してないよ」


「ならいいんだけど…俺を選んでくれてありがとう」


「私も斎藤くんの事が好きだから一緒にいたいしね」


「ありがとう」


No.332

部屋もだいぶ片付けて、部屋らしくなった。


2LDKの部屋。


お互い、余り物がなかったため、比較的さっぱりとしている。


斎藤くんは、雅樹程性欲がないのか、毎日は求めて来ないけど、優真が寝てから週1~2ペースでSEXはしていた。


もう若くないし、それくらいが丁度いいのかな。


田中さんの忠告通り、シャンプーもボディーソープも全部別々にした。


今日は土曜日。


離婚してから初めて雅樹に優真を会わす日。


一泊する。


「絶対長谷川さんとやるなよ」


「大丈夫」


「でも、100%の確率でやってんじゃん」


「戸籍は夫婦だったからね」


「いや、男と女だ。間違いは絶対起こる。日帰りは無理なの?」


「優真が楽しみにしてるのよ…」


「うーん…わかった。信じる」


「ごめんね」


「日曜日、待ってるから早く帰っておいで」


「うん、早めに帰るね」


優真も斎藤くんにバイバイをしている。


「行ってらっしゃい!」


「いってきまーす!」


車に乗り込み、雅樹の住んでいる家に行く。


今日は雅樹がご飯を用意すると言っていた。


車もあるし、居間の電気もついている。


優真がインターホンを鳴らす。


「はーい」


雅樹が玄関を開けてくれた。


いつもと変わらない。


女っ気が全くない。


「今日はピザを取った!」


「やったー!ピザだ!」


優真は大好きなピザに大喜び。


3人でピザを食べ、雅樹と優真はお風呂に入る。


私は後片付けをする。


冷蔵庫を開ける。


相変わらずすっきりした中身。


比較的小綺麗にしている部屋。


久し振りに2階に上がって見る。


寝室以外は物置部屋になっていた。


寝室は変わらない。


たまに布団は干しているみたいで、変な匂いもなかった。


やはり女っ気は一切ない。


下に降りる。


脱衣場から雅樹と優真の楽しそうな話し声が聞こえる。


私もお風呂に入る。


お風呂から上がると、雅樹と優真が一緒に和室に布団を敷いていた。


「あっ!ママ!今ね、パパと一緒にお布団敷いていたんだよ!」


「えらいねー」


頭を撫でてあげると、嬉しそうにしている優真。


いつもと同じく、優真を挟み布団に入る。





No.333

優真が寝た。


すると雅樹が、優真の向こうで「まり、男いるの?」と聞いてきた。


「どうして?」


「今日、優真とお風呂に入っている時に言ってたんだよ。「ママのお友だちのお兄ちゃん」って」


「あー」


「誰?男?」


「うん。そうだね」


「俺の知ってる人?」


「どうして聞くの?だって離婚したんだもん。関係ないよね」


「いや…そうだけど…」


「俺のまり、だったのが急に俺じゃない男の存在が現れて動揺してるとか?」


「…そんな感じ。そいつとはやったの?」


「男と女だからね、雅樹もやるでしょ?」


「まり…俺無理だよ」


「何が?」


「まりが他の男に抱かれているの想像したら、胸が苦しくなるよ」


「私も、雅樹が私を抱いている時に、別の女の名前を呼ばれた時は苦しかったけどね」


「…ごめん」


「もう終わった事だから、別にいいよ」


無言が続く。


「どうして、こうなったんだろうなー」


「雅樹が浮気したからでしょ」


「そうなんだけど…」


「あの過ちがなかったら、私もずっとこの家で専業主婦してたと思う。元は私の母親のせいで、雅樹の気持ちが一瞬でも私から離れてしまったせいなんだけどね。あんな母親じゃなければ、今だって幸せにやってたと思うけど…」


雅樹は泣いている。


「俺が悪かったんだよな。もっと気持ちを強く持っていれば良かったんだよ…」


「実の娘の私でさえ、きつかったもん。雅樹だけが悪い訳じゃないよ」


「まり。本当にごめん」


「もういいよ」


「なぁ、まり」


「なに?」


「男って、斎藤か?」


「どうして?」


「そんな感じがしたから。良く見てるじゃん。お互いに」


「そう?」


「俺と付き合っている時と同じ感じなんだよ。まりと斎藤」


「そう見えるの?」


「うん」


「そっか」


「どうなの?」


「…そうだよ、斎藤くんだよ」


「やっぱりなぁ。そうだと思ったよ」


「つらかった時に助けてくれた。雅樹が浮気に走ってドン底にいた私の心の支えになってくれていた」


「ずっと付き合ってたの?」


「違うよ?付き合ったのは離婚してすぐだよ」


「そうなんだ…斎藤か」


「田中さんしか知らないから黙っていてね」


「わかったよ」




No.334

「雅樹は彼女作らないの?」


「もう女はいいや」


「そっか。でも雅樹ならやりたくならないの?」


「もう、俺40代だよ?さすがに落ち着くよね」


「やりたくなったら、どうしてるの?」


「1人でするしかないよね」


「本当に女いないんだね」


「いないよ。もういらない。まり以外抱けないよ」


「私は斎藤くんがいるから無理だよ。浮気になるから」


「あー。俺が浮気相手になるのか」


「そうだね」


「…俺、もうダメかもしれない」


「どうして?」


「いずれは、またまりと戻れるかもと思って頑張っていたから。何か、俺が浮気相手になるのかって思ったら、心が折れた」


「私は雅樹が浮気している時は、そんな感じ」


「こんなにつらかったんだな」


「やっとわかった?」


「ごめん…」


「…」


黙る私。


ちょっと可哀想な事を言ってしまったかな。


「ちょっと水を飲んでくるね」


「うん」


私は起き上がり、台所で水を飲む。


「ふぅ…」


また戻ると、雅樹が私の寝ていたところにいた。


「しないよ?」


「いいよ。ただ一緒に寝たいだけ」


「…わかった」


私は、雅樹の隣に寝る。


雅樹は私の髪を撫でてくれる。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


だからといって寝れない。


雅樹の胸の中にうずくまってみる。


「まり…」


抱き締められた。


「やっぱり俺、まりの事を愛してる。斎藤には取られたくない」


そう言って、更にギュッと抱き締める。


「斎藤とのSEXは幸せか?」


「…うん」


「そっか…俺とは?」


「…同じくらい幸せだった。初めての相手だったし」


「今、襲ったら受け入れてくれる?」


「体は受け入れると思う。気持ちはわからない」


「またまりに好きになってもらうにはどうしたらいい?」


「わからない。でも情はあるよ。家族としてのね。斎藤くんにはない感情」


不意にキスされた。


「家族って言葉、すごくあったかくていいね。まりに嫌われてはいないと言うのがわかって良かった」


「そうだね。嫌いにはなれないかな」


「ありがとう」





No.335

「まり、ちょっとだけ触っていい?」


「やりたいの?」


「やりたい」


「素直だね」


「うん」


また不意にキスされた。


そして、パジャマの下から下半身を触って来た。


「ダメ」


ちょっと抵抗。


すると私が一番弱いところを触って来た。


ずるい。


「これ以上はダメだよ」


雅樹は無言でパジャマのボタンを片手で外して行く。


乳首を舐めてきた。


「あっ…」


「まり、すごい濡れてるよ…斎藤の時も、こんなに濡らしてるの?エロいな、まりは」


「やだ…やめて…」


「やめていいの?」


「はぁ…ダメ」


下半身は丸出し。


上半身は前が全開の状態。


ぐいぐい攻めてくる。


「あぁ…雅樹、気持ちいい…」


「斎藤にもこんな姿を見せてるんだろ?斎藤より気持ち良くさせてやるよ」


いかされる。


斎藤くんに対してのヤキモチだ。


それを私にぶつけて来ているんだ。


雅樹が挿れて来た。


「あぁ…久し振りの感触…」


少し腰を動かすとすぐ抜いた。


「斎藤といつもやる体位は?」


「…正常位」


無言のまま、また挿れて来た。


「斎藤より、俺とのSEXがいい?」


「雅樹の方が気持ちいい」


「本当に?」


「うん」


ガンガン突いてくる。


私がいきそうになると腰の動きを止める。


「…いや…」


「いきたい?」


「…うん」


「じゃあまた今度してくれる?」


「…わかんない」


「じゃあ抜く」


「ダメ…お願い、いかせて」


「エロいな」


「次も雅樹としますから…」


「斎藤ともするんでしょ?」


「…多分」


無言で突いてくる。


そして「…出していい?」と言う。


そして中で出す。


はぁ…。


ダメだ。


また雅樹とやっちゃった。


雅樹は「やっぱりまりは最高だよ」と言って抱き締めてくれる。


「斎藤へのヤキモチ、全部爆発させたから、月曜日は斎藤と話していてもヤキモチ妬かないよ?浮気相手からの宣戦布告だ!俺から離れられない体にしてやる!見てろ!斎藤!」


少し元気になったみたい。






No.336

こんなんじゃダメだ、私。


斎藤くんを裏切ってるじゃん。


私、雅樹と同じ事してるじゃん。


快く送り出してくれて、私を信じて待ってくれている斎藤くん。


このままなら、絶対私に嫌気がさしてフラれてしまう。


でも、雅樹に仕込まれた体が雅樹とのSEXを受け入れてしまう。


どんな顔をして帰ればいいんだろう。


自己嫌悪。


帰る時に雅樹が「帰ったら、斎藤に会うのか?」と聞いてきた。


「…うん」


すると雅樹は「俺はまた、いつでも待ってるからな、フラれたら戻って来い」と言って来た。


「フラれないもん」


「斎藤に俺とやった事がバレたらどうしようって顔をしてるぞ(笑)」


「何でわかるの?」


「何年ずっと一緒にいたと思ってる?まりの事はわかるよ。俺からは言わないよ?俺は大人だ。あとはまり次第。黙っとけ」


「うん」


「じゃあ月曜日に」


「うん」


「パパ、また遊ぼうね!」


「優真!またな!」


雅樹は優真の頭を撫でる。


斎藤くんが待つマンションに着いた。


荷物を持って部屋に入る。


「加藤、優真くんおかえりなさい!」


「ただいまー!」


優真が答える。


「どうした加藤、疲れた顔してる」


「何か疲れた。これからご飯作るね」


「疲れたなら大丈夫!冷凍食品だけど、パスタがあるからそれで!俺やるから片付けてなよ」


「ありがとう」


「優真くん、一緒にお風呂に入る?」


「うん!昨日はね、パパと入ったんだよ?お兄ちゃんはパパしってる?パパね、カッコいいんだよ!いっしょにいっぱいあそんでくれるんだよ!だからね、パパのこと大好きなんだ!でもね、お兄ちゃんも好き!やさしいから!」


一生懸命話す優真。


斎藤くんは笑顔でうんうんと聞いている。


「斎藤くん。ごめんね、長谷川さんに会った直後だから興奮して…」


「いいよ、別に。優真くんのパパなんだから。よし、今日はお兄ちゃんと入ろう!」


「うん!」


優真と斎藤くんは一緒にお風呂に入る。


私はその間、一泊した荷物を片付ける。


パジャマを見て、雅樹との夜を思い出す。


「はぁ…」


パジャマを脱衣かごに入れる。


荷物を片付けて、一息つく。


斎藤くんと優真がお風呂から上がる。







No.337

冷凍食品のパスタだけだと寂しいため、簡単に野菜サラダを作る。


手抜きしまくり。


「頂きます」


優真はまだ1つは多いため、半分は斎藤くんが食べる。


後片付けをして、やっとゆっくり出来る時間。


「加藤って、すごく一生懸命家事をしてくれるんだね。たまには手抜きでいいんだよ?そんなに頑張らなくていいんだよ?いい奥さんをやっていたんだね」


「そんな事はないよ?私なりに出来る範囲でやってるだけだし」


「俺の元嫁は、専業主婦だったけど、部屋は片付けないし、料理もレトルトとか惣菜が多かったなー。でも加藤は働きながらもきちんと作ってくれる。だから、たまには今日みたいな冷凍食品でも全然大丈夫だからね!俺は料理は余り出来ないけど、片付けとか掃除なら出来るから!」


「ありがとう」


「加藤といると落ち着くよね。心地いいっていうか何ていうか。加藤自身、余りうるさく話さないし、俺の事も考えてくれてるのもわかるし」


「斎藤くんには本当に感謝してる。こんな私を好きでいてくれて、色々考えてくれて、優真の事も可愛がってくれて。斎藤くんとの時間を大事にしたい」


「元嫁がすごく気が強くてヒステリックだったから、家にいても休まらなかった。同じ女でも、こうも違うのか!って思う」


「争い事が嫌いなだけ。ずるいんだ、私」


「加藤は何にもずるくないよ」


「明日から仕事だし、今日は早く寝よう!」


「うん」


雅樹の話しは一切しなかった。


何かを感じ取ったのかもしれない。


翌朝。


いつもの朝。


「優真!幼稚園行くよー!あれ?帽子はどこやったの?あったあった!はい!かぶる!リュック背負う!」


「ママー、おしっこしたい」


「えっ?早く行っておいで!」


「やだ!ママと!」


「はいはい、ちょっと待って」


その様子を支度が終わった斎藤くんが見ている。


「お母さん、頑張って!」


斎藤くんも手伝ってはくれるが、やはり最後は私がやる。


駐車場で斎藤くんと別れる。


「じゃあ会社で!」


「バイバイ!」


優真が斎藤くんに手を振る。


いつもの1日が始まる。



No.338

会社に出勤し、更衣室に行くと、雅樹の浮気相手の友人と同じ総務の若い子が派手な喧嘩をしていた。


私のすぐ後に田中さんも入って来た。


「はいはい、喧嘩はやめやめ!どうした?」


田中さんが仲裁に入る。


若い子が「この女、私の彼氏を寝取ったんです!」と泣いている。


彼氏とは、営業部の若手の子で可愛い顔をしている男の子。


浮気相手の友人は「あんたが構ってあげないから、私が癒してあげただけじゃない!あんたより私の方がいいって言ってくれたんだから!」と叫んでいる。


類は友を呼ぶ。


田中さんが浮気相手の友人に「あんたさ、本当に頭悪いんだねー。人のもの取ったらダメだって小学校で習わなかった?」と言う。


「ちょっと声をかけたらついてきた翔太が悪いじゃん!本当にこの女を好きなら断ればいいじゃん!」


「ちょっと喧嘩してたのよ!まさかその隙にあんたが翔太を寝取るなんて!」


「あんたは所詮、寝取られるしかない女なんだよ!」


私は浮気相手の友人に近付き、思いっきりビンタをした。


「ばばあ!何すんだよ!」


「あなたみたいな女を見てると虫酸が走る」


「あっ!あんたも、まなに旦那寝取られて離婚したんだもんねー!仲間じゃん!」


それを聞いた田中さんが、女の胸ぐらを掴み「あんたみたいな生ゴミにもならない様な屑に、加藤さんをばかにする権利はないんだよ。人の男を取るしか能がないヤリマンが調子に乗るなよ」とにらみをきかし、ドスが聞いた低い声で女に言う。


めちゃくちゃ怖い。


そして、髪を掴んで壁に一回叩きつける。


女は田中さんの怖さに涙目になっている。


髪を掴みながら「男を取ってすみませんでしたって謝れ」と言う。


「でも…」


「でもじゃねーよ!謝れ!」


田中さんが怒鳴る。


若い子は黙ってその様子を見ている。


「お前さ、人の事をばかにし過ぎ」


黙る女。


女の腕を掴み「事務所行こうか」と言って無理矢理連れていく。


若い子と私も一緒についていく。


怖い顔の田中さんに無理矢理腕を捕まれて事務所に入る女。


総務の古い人は「あーあ、田中さんを怒らせて」とひそひそ話しているのが聞こえる。


事務所の奥にいた斎藤くんや雅樹達もこっちを見ている。





No.339

営業にいた翔太くんは、状況を飲み込んだのか、青い顔をしていた。


田中さんが「ちょっと来い」と翔太くんを呼ぶ。


「はい」


青い顔をしてこっちに来た。


「話し合え」


そして、若い子に「こんなやつ、別れなさい」と優しく言う。


女は泣いていた。


総務って、相変わらず癖がある人が多い。


総務の人達も、何となく状況を察したのか、女を白い目で見ている。


この女、これで会社の男関係で揉めたのは3回目だった。


田中さんが「着替えられなかったじゃん!加藤さん、戻ろう!」と私に声をかける。


再び更衣室に向かう。


「田中さん、怖かったです」


「そう?軽くジャブ程度だよ?あんな若い子に本気で行くわけないじゃん」


着替えながら話す田中さん。


あれでジャブ!?


本気でいったらどうなってるの!?


怖すぎる…。


制服に着替えて田中さんと一緒に事務所に入る。


何やら総務部では揉めている様子だけど、私と田中さんは素通りして席に向かう。


「おはようございます」


「おはよう!何だかわからないけど、朝から元気だねー」


牧野さんが言う。


「田中さん、怖かったです」


「お姉さまを怒らす人が悪い!仕事するよー」


田中さんは席につく。


雅樹は含みのある微笑みで私を見ている。


無視!無視!


斎藤くんには、雅樹にバレた事は言っていない。


以前に比べると、また牧野さんと雅樹が話をする様になった。


牧野さんもだいぶ、雅樹への怒りがおさまって来たのかもしれない。


田中さんが大きなあくびをする。


斎藤くんが「吸い込まれそう」と言って笑っている。


ちょっと平和な時間。


そんな時に会社に電話。


斎藤くんが電話を取る。


「加藤、幼稚園から電話。3番」


「えっ?幼稚園?」


思わず声をあげる。


優真に何かあったの?


焦りながら電話に出る。


私は電話で話しながら雅樹を見る。


雅樹は真剣な顔をして、パソコンの手を止めて私を見ている。


斎藤くんも私を見ている。










No.340

「お電話変わりました。優真の母です」


「お母さん!本当に申し訳ありません!」


焦っている先生。


「すみません、優真に何かあったんですか?」


「優真くん、園庭の砂場にあるロープで出来た小さな階段のところで転んで、ロープでおでこをぱっくり切ってしまいまして、今他の先生がついて、救急車で病院に運ばれまして…本当に申し訳ありません!」


泣きそうになる。


心臓がバクバクしている。


受話器を持つ手が震えている。


「どこの病院ですか!?」


その言葉に雅樹が私のところに来た。


周りのみんなも私を見ている。


「総合病院です」


「今、病院に向かいます」


雅樹が「優真に何があった!?」と聞いてきた。


「幼稚園の砂場にあるロープでおでこをぱっくり切って救急車で運ばれたって…」


「病院は?」


「総合病院」


田中さんが「2人共、すぐ行って!」と言う。


私と雅樹は一緒に、雅樹の車に乗って総合病院に向かう。


優真!


涙が止まらない。


体が震える。


無言で運転する雅樹。


病院に着き、雅樹と走って救急外来に行くと、エプロンをした先生2人が「長谷川さん!申し訳ありませんでした!」と謝罪。


雅樹が「優真は!?」と聞くと「今、ここの処置室にいます」と指をさす。


中からかすかに優真の泣き声が聞こえる。


私は処置室のドアをノックする。


中から「はい」と声が聞こえる。


「すみません、長谷川優真の母です」


そう言うと、処置室の扉があく。


「お母さんですか?」


「はい」


「どうぞ入って下さい」


「父親もいます」


「お父さんもどうぞ」


雅樹と2人で中に入る。


優真が「ママー!ママー!」と言って泣いている。


着ていたスモッグは血だらけになっていた。


「優真!」


「ママー!」


動こうとする優真を「動かないで!」と言いながら医者が優真のおでこを縫っている。


12針縫った。


優真はベッドから起き上がると、靴下のまま泣きながら私のところに走って来た。


「ママー!ママー!」


泣きすぎて、泣きじゃくりをしている。


私は優真を抱き締める。


「怖かったね。痛かったね。頑張ったよ、優真」


雅樹が先生から話を聞いている。






No.341

優真のおでこには、大きなガーゼが貼ってある。


「傷が目立たない様にしたつもりですが、若干痕は残るかもしれません。途中経過もみたいので、また今度の金曜日に連れて来て下さい」


「わかりました」


「優真くん、頑張ってましたから誉めてあげて下さい」


「ありがとうございます」


医者にお礼を言う。


それから看護師さんから、傷口の消毒の仕方や、傷口に貼るテーピングみたいなやつをもらい、説明を受ける。


雅樹と私は看護師さんの話を聞く。


処置室から出ると、幼稚園の先生達が優真に「優真くん、ごめんね、怖かったね」と言って泣いていた。


おでこに大きなガーゼを貼って、血だらけのスモッグ姿の優真。


先生達の「ごめんね」に「いいよ」と答える。


園長先生が来た。


「長谷川さん、本当に申し訳ありませんでした!」


90度にも腰を曲げて謝る園長先生。


「スモッグは新品ですぐにご用意します!砂場のロープの階段は、今日中に撤去致します!年度内の幼稚園代は頂けません!全ての保証も致します!」


何度も何度も頭を下げる園長先生と2人の先生。


一度、幼稚園に伺う約束をして、先生達は帰って行く。


「優真、とりあえずスモッグ脱ごうか」


雅樹が優真のスモッグを脱がす。


中に着ていた服は、スモッグのおかげで汚れていなかった。


「パパもいっしょだったの?」


「パパもママも同じところで働いているんだよ」


「そうなんだ」


雅樹が「まり、優真連れて一旦帰れ」と言う。


「でも、会社に全部置いて来ているから…」


「持っていってあげるか?…それとも斎藤に持たすか?」


「一旦、優真を連れて会社に行く。そして支社長に事情を説明して休む」


「わかった」


雅樹が運転して、後部座席に私と優真が座る。


おとなしい優真。


怖かったね。


私は斎藤くんにメールをする。


「これから優真を会社に連れていきます。バレたらヤバいので、私達の姿が見えたら隠れて下さい」


「わかった。優真くんは大丈夫だったの?」


「おでこを12針縫った」


「可哀想に、痛くて怖かっただろうね」


「だから、今日これから支社長に話をして、ちょっとお休みをもらおうかと思って」


「わかった」



No.342

会社に着く直前に、斎藤くんにメール。


「間も無く着きます」


「はい」


雅樹が優真を抱っこして車からおろす。


私と手を繋いで会社に入る。


「パパとママの会社だから、静かにしていてね」


「うん」


優真は返事をする。


事務所に入ると、みんな私達の方を見る。


田中さんが走って来た。


優真のおでこのガーゼを見て「可哀想に…痛かったね」と優真に言う。


私が「ちょっと支社長に休みをもらえないか話して来ます」と言うと、田中さんが「私、優真くんをみていてあげるから、支社長に話して来なよ」と言ってくれた。


私と雅樹は一旦席に戻る。


斎藤くんの姿はない。


田中さんがこそっと「消えたよ。多分鍵と携帯を持って行ったから車にいると思う」と教えてくれた。


優真に「ここ、ママの席だからここに座って待っていられる?」と聞くと「パパがいい」と言っている。


雅樹が私の席の隣に丸椅子を持って来た。


「優真、これでいいか?」


「うん」


「隣のお姉さんも遊んでくれるよ」


「お姉さんね、優真くんが喜ぶマジック知ってるんだよ?見る?」


「見る!」


さすが2児のママ。


私はこの間に支社長に今日の話をする。


とりあえず今日明日と金曜日は休みをくれた。


「子供さんといてあげなさい」


「ありがとうございます」


支社長を出る。


席に戻ると、渋谷くんも牧野さんも高橋さんもみんなで優真を囲んでいた。


「ありがとうございました」


雅樹が「休み取れた?」と聞いてきた。


「今日と明日と金曜日は休みが取れました」


「なら良かった」


「優真!今日と明日はね、ママお休み取れたから、これから帰ろうか」


「パパは?」


「パパはお仕事」


「パパも!」


泣きそうになっている優真。


「パパはお仕事だから、ママと帰ろう?」


雅樹が言うと、優真は「パパもいっしょじゃなきゃやだ!」と泣き出した。


牧野さんが「今日くらい、一緒にいてやれ。怖かったんだろうから、パパも一緒にいて欲しいんだろ。あとは斎藤と高橋くんと俺でやるから」と雅樹に言う。


「ありがとう…じゃあ優真、パパも今日帰れるって。だから一緒に帰ろうか」


「パパもいっしょなら帰る」


私と雅樹は帰り支度をして、優真と会社を出る。


No.343

雅樹が「俺んちに来るか?」と言う。


「そうだね。私も車だから、優真と一緒に雅樹のところに行く。ちょっと幼稚園に電話してから行くから待ってて」


「わかった、先に帰ってる」


雅樹は先に車を出した。


私は斎藤くんにメールをした。


「帰ります」


すぐに返信。


「知ってる。後半はずっと裏から見てたから。長谷川さんも一緒に帰るんだろ?優真くんといてあげてな」


「見てたの?ごめんね、とりあえず長谷川さんのところに行きます。今日は帰るから」


「わかったよ」


それから幼稚園に電話をする。


明日、幼稚園に行くという事と、優真のリュックと帽子は一晩預かってもらいたい事を伝える。


ご了承頂いたため、車を出す。


後ろを見ると、優真がチャイルドシートに座りながらぐっすり眠っていた。


雅樹の家に着いた。


一旦車を玄関前につけて雅樹を呼ぶ。


「ごめん、優真寝ちゃったから手伝ってくれる?」


「今行く」


雅樹が出て来て優真を抱っこして、和室に連れていく。


私があわてて布団を敷く。


優真を寝かせる。


雅樹が「悪い、俺着替えてくるわ」と言って、2階にあがって行く。


その間に車を移動させて、和室に戻り寝ている優真の頭を撫でる。


雅樹が降りてきた。


「優真、びっくりしたんだろうな」


「そうだね、頭だから血はすごい出るし、痛いし、怖いし、ママもパパもいないし…すごく頑張ったと思う」


「でも、まだこの怪我で済んで良かった。病院に運ばれたって聞いた時は、生きた心地がしなかったよ」


「本当、優真を見るまで震えが止まらなかった」


2人で寝ている優真を見ながら話をする。


「しばらくうちにいない?」


雅樹が言う。


「どうして?」


「優真が落ち着くまで」


「うーん…」


「パパにいて欲しいって言ってくれたんだ。いてあげたいんだよ」


「うーん…でもなー」


「優真のパパは俺だよ?斎藤じゃない」


「そうだけど…」


「俺は優真のために一緒にいてあげたいんだよ」


「…わかった。じゃあ着替え取って来るよ」


「優真の着替えなら、うちにあるよ。この間、いつうちに来てもいい様に買ったんだ」


優真の好きな仮面ライダーのパジャマの上下とシャツとパンツをタンスから出して来た。


No.344

「優真、喜ぶよ」


「結構するんだな、キャラクターものって」


「そうだよ」


「でも、息子のために選んでいるって楽しかった」


「そっか」


「まりは、これ着ろよ」


私が忘れていったTシャツ記事の上下。


「何故か、俺のタンスの中に入ってた。洗濯してあるから綺麗だよ」


「下着の替えがない」


「…ちょっと待ってて」


袋に入った新品の下着を持って来た。


「さすがに買いに行くのは恥ずかしかったから、ネットで買った。サイズは合っているはず」


「わざわざ買ってくれたの?」


「いつも着替えを取りに帰るの面倒だろ?だから一組くらいうちに置いておいてもいいかなーと思って。開けてみて」


私が好きなデザインの下着の上下。


「いつも、そんな感じのつけてただろ?ちゃんと見てるんだぞ(笑)」


「ありがとう。でも今日帰るって言っちゃったんだよな」


「帰るって何?一緒に住んでるの?」


ヤバい。


つい言っちゃった。


「実は…」


「早くない?」


「私の部屋が期間限定だったし、その時にそういう話になって…」


「ふぅーん」


雅樹がヤキモチを妬き出した。


「斎藤に今日は長谷川のうちに泊まって、SEXしてから帰りまーすって言っとけ」


「バカじゃないの?言える訳ないじゃん。それ目的じゃないでしょ?優真のためでしょ?」


「そうだよ。やっぱりあいつ、まりの事を狙ってたんじゃないか!本社にいた時からどうも好きじゃなかったんだよなー」


「事務所に来てから誉めてたじゃん」


「仕事は確かに覚えは早かったよ。でもまりを女にするのも早いやつだな!」


「だって、雅樹とは離婚したもん」


「そうだけど早すぎないか?まだそんなに経ってないじゃん!」


「しー!優真起きるよ」


黙る雅樹。


「なぁ、まり」


「なに?」


「優真と一緒に戻って来てくれよ」


「戻らない」


「斎藤がいなくても?」


「わからない」


「はぁー」


雅樹は深いため息をつく。


「今日も、まりを抱いていい?」


「やっぱり帰る」


「帰らないで」


「じゃあしない?」


「わからない。まりが我慢出来るならしない」


「私は出来るよ?」


「ほぉ。言ったな?」


優真がもそもそ動く。


起きたかな?

No.345

「…ママ?」


「ん?起きた?ママもパパもいるよ?」


「おしっこしたい」


「おいで」


優真をトイレに連れていく。


まだ少し寝惚けている優真。


おでこのガーゼが気になるのか触る。


「触ったらバイ菌入って、腫れちゃうよ?」


「やだ」


「じゃあ触らない」


「うん…これ取っていい?」


「ダメだよ」


「取りたい!」


「ダメ」


そんなやり取りを雅樹が見ている。


優真が起きて、おもちゃで遊び出した。


しばらくの間は、激しい運動が出来ないため、怪獣ごっこはお預け。


私は、斎藤くんにメールをする。


「今日は優真の希望で、長谷川さんのうちに泊まる事になりました」


「そうだろうと思った。わかった」」


優真は、だいぶ元気になって来た。


「今日は、ママが優真の好きなもの作ってあげる。何食べたい?」


「うーん…?」


しばらく悩んでから「カレー食べたい!ママのカレー美味しいもん!」と言う。


刺激物ダメって書いてあったけど、カレー大丈夫なのかな…。


雅樹が「唐辛子大量とかならヤバいかもしれないけど、少しなら大丈夫じゃない?」と言う。


カレーの食材を3人で買いに行く。


雅樹も優真と手を繋ぎながら、楽しそうに私の後ろからついてくる。


つい、色々と買ってしまう。


帰ってからカレー作り。


優真向けに甘口カレー。


雅樹は優真と一緒にトランプで遊んでいる。


「おー、優真勝ったー!」


「パパ!もう一回やろ?」


「よし、もう一回やろうか?」


「うん!」


微笑ましい光景に、思わず顔の筋肉も緩む。


「はーい!カレー出来たよー!片付けて!」


「はーい」


雅樹と優真はトランプを片付ける。


3人でご飯。


「頂きます!」


優真も雅樹も、もくもく食べている。


「優真!やっぱりママのカレーは美味しいね!」


「美味しいね!」


「ありがとう」


食べ終わり、片付けが終わってから優真のおでこの傷の消毒をする。


優真が不安そうな顔をしている。


「大丈夫だよ!」


お風呂に入り寝る支度をして、布団に入る。


「ねぇママ?」


「なに?優真」


「このままずっと、パパとママと優真の3人でここにいたい」




No.346

雅樹が「パパも、このまま優真とママといたい」と言う。


「パパはまだ鬼さんにごめんなさいしてないの?」


「ごめんなさいはしたよ?あとは鬼さんの「いいよ」を聞くのを待ってるんだ」


「じゃあ、それが終わったらまたいっしょにいれるの?」


「そうだよ。優真は今、ママとママのお友達のお兄ちゃんと一緒にいるんだろ?」


「うん、そうだよ」


「お兄ちゃんの事は好き?」


「好きだよ!お兄ちゃんね、すっごく優しいんだよ!まえにママが泣いていた時に、お兄ちゃんがママの事をいいこいいこしてた」


その言葉に雅樹が私を見る。


「パパとお兄ちゃん、どっちが好き?」


「うーん…どっちも好き!」


「そっか、優真、もう寝ようか?」


「おやすみ!」


「おやすみ」


優真が寝た。


雅樹が「斎藤がまりにいいこいいこしていたの?」と聞いてきた。


「…前にね」


「俺も、まりをいいこいいこしたいなー」


「私じゃなくて、優真にいいこいいこしてあげなよ」


「今日、まりが我慢出来たらしなくてもいいって言ってたよな?我慢出来るか試そうか?」


「いや、いいよ。雅樹は明日も仕事でしょ?早く寝なよ」


「明日は俺も一緒に幼稚園に行くから、牧野に言っておいた」


「そうなの?」


「だから、ゆっくりまりを攻められる」


雅樹が隣に来た。


「斎藤くんを裏切れないよ」


「別れて戻って来いよ。まりは、俺じゃなきゃダメなんだよ。だって、今までも俺を拒否しようと思えば拒否できたのに、俺とSEXして感じまくってたろ?あんなに感じまくっているまりは、俺しか知らないと思っているから」


キスされた。


抵抗出来ない様に、雅樹の左手で私の手を押さえつける。


右手で着ていたTシャツをまくりあげる。


体が雅樹を求め始めている。


抵抗はやめた。


このまま雅樹を受け入れる。


心は斎藤くんにあるのに、体は雅樹を求めてしまう。


あぁ…ダメ、気持ちいい。


「…もっと奥まで突いて」


「あぁ…まり、気持ちいいよ…愛してる」


付き合っていた時の様に、お互い本能のままやりまくる。


感じまくる。


最低だな、私。




No.347

それからも、生活の基盤は斎藤くん。


優真との面会の時は雅樹の家に泊まる生活を過ごす。


斎藤くんは、雅樹の事は何も言って来ない。


私も言わない。


斎藤くんは私が面会で雅樹の家に泊まる度に雅樹とSEXをしているのは気付いているのかもしれないけど、何も言わない。


優真のおでこの傷は、抜糸も終わり順調に治って来ている。


元気に幼稚園に通っている。


たまに、優真を連れて父親のお見舞いに行く。


父親は薬のせいか、すっかりおじいさんになっていた。


痩せていた。


でも優真を見ると笑顔になる。


雅樹と面会の時は、たまに雅樹も一緒にお見舞いに行く。


離婚をした事は知っている圭介がいる時もあるが、お互い父親の前では普通に接する。


父親はゆっくりと癌が進行していた。


痩せて弱って行く父親を見ると、胸が苦しくなる。


父親も母親も、まだ私と雅樹が離婚したのは知らない。


斎藤くんはまだ父親には会った事はないけど、色々と心配をしてくれる。


闘病中の父親。


極力、心配はかけたくないからと父親の前では常に笑顔でいた。


母親も毎日、父親の病院に通っては父親の側にいる。


優真も年長さんになっていた。


父親が「優真、ジジが優真にランドセルを買ってあげるよ。一緒に選びに行こうな」と言って笑顔。


もう退院出来ない事は、何となくわかっていた。


でも、ここで泣いたら父親に気付かれてしまう。


「ありがとう!」


目一杯の笑顔で答える。


雅樹も「親父さん、すっかりおじいさんになっちゃったな」と寂しそう。


仕事が繁忙期に入る。


毎日残業が続く。


幼稚園のお迎えも、いつもギリギリになっていた。


斎藤くんも毎日残業が続き、ちょっと大変な時期だったけど、お互いの協力もあり頑張った。


雅樹と付き合っていた時みたいに余り一緒に外出する事もなく、休みでも家にいる事が多い。


雅樹も田中さんも黙っていてくれたのもあり、会社の皆には斎藤くんとの事はバレずに来ている。


変わらない斎藤くん。


いつもありがとう。







No.348

ある時の就寝時。


斎藤くんが「加藤ってさ、これからどうしようと思ってんの?」と聞いてきた。


「どうして?」


「俺さ、加藤と生活してきて、すごく一生懸命加藤が俺のために頑張ってくれているのは本当に嬉しいんだ」


「うん」


「でも、長谷川さんの事を割り切ろうと思っても割り切れなくなって来ている自分がいる…優真くんの父親だから、会わすのはわかる。でも、泊まっている時に長谷川さんとやってるんだろ?」


「…」


「わかるよ。そりゃーね。でも割り切れなくなってきた。俺と結婚したら、長谷川さんと切ってくれる?」


「えっ?」


「俺、あんまりしないし、加藤が欲求不満を長谷川さんにぶつけているのかなって。加藤は長谷川さんが好きなの?それとも長谷川さんとのSEXが好きなの?」


「好きなのは斎藤くん」


「じゃあ、どうして長谷川さんとしちゃうの?俺さー、いつも加藤が優真くんと長谷川さんのところに行った日の夜に「今頃、長谷川さんと加藤、頑張ってるんだろうなー」って思いながらゲームしてるんだ。何かむなしいよね。俺って何なんだろって。俺が毎日、加藤としたら長谷川さんとしない?」


「斎藤くん。ごめんなさい」


「加藤、長谷川さんが初めての相手だって言ってたもんね。体が長谷川さんを求めているの?俺だけじゃ満足しないって事だろ?俺、長谷川さんみたいにモテる訳でも、女をたくさん抱いて来た訳でもないから、加藤を満足させてあげられないかもしれないけど、気持ちは誰にも負けてないと思ってた」


黙る私。


「俺、加藤との事を真剣に考えているからこそ、どうしても長谷川さんの事が割り切れなくて。今までの事は過去として流す。でもこれからは長谷川さんとしないで欲しい。俺と結婚しない?」


キスされた。


「バツイチ同士だけど。俺、長谷川さんみたいにSEXうまくないけど、加藤を離したくないんだ。こんなに女性を愛した事がないんだよ…だから尚更、加藤が長谷川さんとしてると思うと苦しいんだよ。俺から離れないでくれよ…」


斎藤くんがまたキスしてきた。


「長谷川さんって、どんなキスするの?どんなSEXするの?激しいの?優しいの?加藤が離れられないSEXなんだろ?」


ちょっと乱暴に私の服を脱がせて来た。



No.349

「加藤は俺の女なんだよ…大事な人なんだよ…なのに、他の男に抱かれてるのかよ…」


斎藤くんが私をギュッと力強く抱き締める。


「俺、もう耐えられないよ…もう長谷川さんとはしないでくれよ…俺だけ見ていてくれよ」


斎藤くんはいつになく激しく私を抱く。


「長谷川さんとはいつもこんなに激しくしてるのか?あー!ダメだよ、加藤、俺おかしくなりそう!」


そう言って腰を振る。


「俺だけじゃダメか?加藤をこんなに愛しているのに…!」


「斎藤くん…」


キスをされる。


「加藤の中に全部ぶちまけてやる!」


そう言って、腰の動きが止まる。


しばらくして「もう一回するぞ」と、また腰を振る。


「ちょっと待って…」


「何でだよ、長谷川さんとは何回してるんだよ…どうして俺はダメなんだよ…加藤…いや、まり。まりの事が好きなんだよ…」


ドキッ。


初めて斎藤くんにまりって言われた。


「俺とのSEXじゃ満足しないんだろ?満足するまで、まりを抱き続けるよ…」


いつもは優しい斎藤くん。


こんなに乱暴な斎藤くんは初めて。


何度も私を抱く。


「まり、いけよ、感じろよ。長谷川さんの時はもっと乱れてるんだろ?俺にもエロいまりを見せてくれよ」


「あぁ…斎藤くん」


「名前で呼んで?」


「…智也」


明け方まで斎藤くんとSEX。


翌日は仕事。


余り寝ないまま仕事に行く。


お昼を食べると、すごい睡魔に襲われる。


斎藤くんも襲われた様子。


私は机で伏せて仮眠。


斎藤くんは車で寝ていた。


田中さんに起こされる。


「加藤さん?もうそろそろ起きよう?」


「あっ、はい…起きます」


まだボーっとしている。


「あれ?斎藤がいないぞ?あいつどこ行った?」


渋谷くんが探している。


雅樹からメール。


「お前ら、昨日遅くまで頑張ってたのか!?」


「ごめんね」


雅樹は、ムスッとした様子で斎藤くんを起こしに車に向かう。


斎藤くんが雅樹と帰って来た。


眠そう。


今日は早く寝ようね。




No.350

その日の夜。


斎藤くんと優真とご飯を食べていると、圭介から電話が来た。


「どうした?」


「ねーちゃん、今って大丈夫?」


「ご飯食べてるとこ」


「じゃあ食い終わってからでいいから折り返して」


「別に今でもいいよ?大事な話し?」


「大事な話し」


「じゃあ今聞く」


「ねーちゃん、来週の月曜日って休みか半休取れる?出来れば長谷川さんも」


「どうしたの?」


「父さん、もうダメなんだ。緩和ケアに入る。月曜日の10時にモルヒネ打つよ。家族で一応…ね」


「えっ…モルヒネ?」


「そう。先生からの話しもあるから月曜日10時に病院に来て。長谷川さんとは離婚した事、父さんまだ知らないから、長谷川さんにも来て欲しい。父さん、長谷川さんの事が大好きだから」


「わかった、長谷川さんにも聞いてみるよ」


「頼むね」


「千佳さんは?」


「さすがに来るんじゃね?わからないけど」


「わかった」


電話を切る。


斎藤くんが「弟さん?」と聞いてきた。


「うん…お父さん、もうダメなんだって…月曜日10時にモルヒネ打つから、離婚した事を知らない長谷川さんを連れて病院に来てって」


「ご両親、離婚知らないの!?」


「ちょうど父親の癌が見つかった時期と重なって、闘病中の父親には心配かけたくなくて言ってなかったの」


「そっか…それは仕方ないな」


「ごめん…長谷川さんに電話してもいい?」


「そういう理由なら構わないよ。優真くん、見ていてあげるから大丈夫」


「ありがとう」


私は奥の部屋に移動し、雅樹に電話をする。


「あれ?まり、珍しいね。どうしたの?」


「今って話して大丈夫?」


「大丈夫だよ?家だし、誰もいないし」


「あのね、今、圭介から電話があってね…」


「うん」


「お父さんが…」


言った瞬間、ダムが崩壊した様に涙が止まらなくなった。


「まり?大丈夫か?」


雅樹が電話の向こうで叫んでいる。


私の変化に斎藤くんが部屋に来た。


「加藤?どうした?」


携帯を持って、涙が止まらない私。


斎藤くんが、意を決した様子で私から電話を取り、雅樹と話す。


「長谷川さん。お疲れ様です。斎藤です」







No.351

斎藤くんは、私にも会話がわかる様にスピーカーに切り替える。


雅樹は一瞬の間があり「…お疲れ様」と話す。


「先程、加藤の弟さんから電話がありまして、加藤のお父さんが月曜日の10時にモルヒネを打つ事になったそうなので、離婚を知らない長谷川さんも一緒に来て欲しいという事で、今話せない加藤に代わり、長谷川さんにお話をさせて頂きます」


「えっ?モルヒネ!?」


「はい、緩和ケアに入るみたいです」


電話の向こうの雅樹は無言になった。


「俺が言うのも変な話しですが、長谷川さん、行ってあげて下さい。お願いします。俺は行けないので」


「…斎藤、今加藤さんは?」


「泣いていますが、少し落ち着いたみたいです」


斎藤くんは私を見る。


「優真は?」


「テレビをみています」


「斎藤、ありがとう、今、加藤さんとは電話代われる状態か?」


「はい、代わりますね」


斎藤くんは私に携帯を渡す。


「…もしもし」


スピーカーから普通に戻っていた。


「まり?大丈夫か?斎藤から聞いたよ」


「…うん」


「月曜日、休みを取るから一緒に病院に行こう」


「うん」


「まり、大丈夫だ。泣くな」


「ありがとう」


「じゃあ明日会社でな。支社長には言っておけよ、俺も月曜日休みたいから俺からも言うけど」


「うん、じゃあ明日ね、おやすみ」


「おやすみ」


電話を切る。


優真が「ママ、どうしたの?」と聞いてきた。


「大丈夫だよ!ママね、優真を見たら元気になった!」


残っていたご飯を食べる。


斎藤くんは、私以外の食器は台所に運んでおいてくれた。


翌日。


田中さんに話をする。


「えっ…お父さん、まだ若いでしょ?60代?」


「はい」


「まだまだ若いじゃん!」


「ちょっと前まで嘱託ですが現役で働いていましたから、ショックですよね。あと、離婚と同時期に父親の癌が見つかったので、父親に心配かけたくなくてまだ離婚した事を言ってないんです。だから、月曜日に長谷川さんも一緒に行きます」


「そっか…わかった!少しでもお父さんの側にいてあげて!優真くんを見たら、もしかしたら復活するかもしれないし!」


「ありがとうございます」


私は支社長にも話し、来週いっぱいお休みをもらう事にした。


No.352

月曜日。


父親は個室に移されていた。


目の前には「塩酸モルヒネ」と書かれた札がかけられた機械がある。


どうやら股関節から入れられる様子。


母親、兄夫婦、弟夫婦、私、雅樹が揃う。


優真は幼稚園。


別室に呼ばれ、話をされた。


母親が「主人はいつまで生きれますか?」と先生に聞く。


「何とも言えませんが…10日くらい、と申しておきます」


目の前の卓上カレンダーを見る。


今月で父親とお別れって事?


皆、無言。


雅樹も口をギュッと結んでいる。


先生が席から離れると、母親が看護師さんに「最期まで、家族が一緒に過ごす事は出来ますか?」と聞く。


「ベッド代、1日500円差額はかかりますが、ご了承頂ければ同室可能ですよ」


「はい、大丈夫です」


「では今、同意書持って来ますので、ちょっと待っていて下さいね」


そう言って一旦いなくなる。


母親は、この日から病院に泊まり込む。


父親は、モルヒネのせいか、幻覚を見る様になる。


壁に誰かいる。


天井から何か降ってくる。


お前の背中に針が刺さってる。


雅樹も一緒にお見舞いに行くも「長谷川くんの後ろに誰かいるんだよ…どうして気付かないんだ!」と怒っている。


私が「お父さん、誰もいないよ?」と言うと、天井を見つめる。


父親は横になると膝を立てて寝る。


好きな野球をテレビでみている時は、楽しそうにしている。


お見舞いの帰り、私は泣いた。


雅樹が何も言わずに、背中をさする。


私は毎日、優真を幼稚園に送ってから病院に向かう。


母親が夜通し父親の側にいるため、昼間は私と交代。


母親は一旦家に帰る。


もちろん病院だから、プロの方々はいるが緩和ケアだからか、家族との時間を大事にしてくれた。


父親の酸素濃度は3。


膝を立てて、幻覚を見ながらテレビもみる。


母親が夜に使っている簡易ベッドに腰かけて父親を見る。


「まり、長谷川くんとは仲良くやっているのか?」


「やってるよ」


「そうか、優真は元気か?」


「今日も元気に幼稚園に行って遊んでいるよ」


「優真も来年、小学生だもんな。ランドセルを買ってやる約束をしたから、早く元気にならないとな」


涙をこらえながら「そうだね」と答える。





No.353

日に日に父親の酸素濃度は高くなっていく。


父親が余り膝を立てる事も、好きな野球をみる事もなくなる。


天井をジーと見つめては寝ている。


私が病院に来ると、父親は熱を出したみたいでタオルが父親のおでこに乗っていた。


母親が「まり、お父さんのタオルを取り替えてあげて」と言う。


氷が入っている洗面器にタオルを入れて、軽く洗い、また父親のおでこにのせてあげる。


寝ている父親。


その日は別室に部屋を借りて、兄、弟、私、母親、私の4人でこれからの事を話し合う。


優真は斎藤くんにお願いをした。


もう長くない父親。


明日か、明後日には天国に旅立ってしまいそうな状態。


兄が「明日、葬儀屋に連絡してみる」と言う。


「父さんにはまだまだ生きていて欲しいし、たいした親孝行もしていない。でも、これが現実だ。父さんはもう長くない。覚悟は決めた。加藤家として、恥ずかしくない様にしっかり父さんを見送りたい。母さんも、圭介も、まりも、最期は父さんを天国で不安にさせない様に見送ろう」


母親は泣いている。


圭介も私も無言。


皆で父親の個室に向かう。


「まり、長谷川くんと仲良くするんだよ」


「亮介、圭介、お母さんを頼むよ」


「お母さん、今までありがとう」


これが父親からの最期の言葉になる。


翌日、優真を幼稚園に送ってから父親の病室に向かうと、酸素濃度は8になっていた。


いつもしていた立て膝もせず、下顎で息をする様になっていた。


私は、雅樹にも来て欲しくて、会社に電話をかけると斎藤くんが出た。


「加藤です。お疲れ様です」


「加藤?斎藤です」


「斎藤くん?あのね、もう父親ダメかもしれないの…」


電話の向こうで黙る斎藤くん。


「長谷川さんに電話代わってもらっていい?」


「…はい」


保留音が鳴る。


すぐに雅樹が電話に出た。


「雅樹、お父さん、もうダメかも。これから来れるなら来て欲しい」


「ちょっと待ってて」


雅樹は受話器を置いて、遠くで牧野さんと何やら話している声が聞こえた。


「もしもし!?加藤さん?牧野です!お父さん、どんな感じ?」


「今、酸素濃度は8になってます。下顎で息をしている状態です」


「今、長谷川向かったから!」


「ありがとうございます」


電話を切る。

No.354

兄、弟、私と雅樹、母親が病室に集まる。


酸素濃度は10になる。


母親が父親の隣に座り、下顎で息をする父親の毛が抜け落ち、剥げた頭を泣きながら優しく撫でている。


私達は立って、ただ黙って見ている。


父親の息をする様子が変わる。


看護師さん達が入って来た。


少しずつ遅れて医者も入って来た。


父親の呼吸が、少しずつゆっくりになっていく。


そしてため息の様に「ふぅ」と息をすると、呼吸が止まった。


先生が父親の脈や瞳孔を見る。


時計を見て「15時50分、ご臨終です」と一言。


母親は「お父さん!」と叫び泣いている。


兄と弟は、父親の横に立ち、泣いている。


私はまだ受け入れられずに、呆然としている。


雅樹も泣いていた。


看護師さんが「これから着替えますので、一度ご家族の方は退室願いますか?」と言うと、母親が「追い出すのか!」と看護師さんに怒鳴る。


兄と弟が泣きながら母親を力ずくで部屋から連れ出す。


私は雅樹と一緒に部屋を出る。


私は力が抜けて、その場にへたりこむ。


兄と弟が、どこかに電話をしている。


雅樹が「まり。大丈夫か?」と目を真っ赤にしながら、私を支える。


「あっ…会社に電話しないと…優真の迎えもある…」


私は雅樹と一緒に電話可能な場所に移動し、雅樹が電話をしている私の近くにいる。


会社に電話をかけると、また斎藤くんが出た。


「加藤です。お疲れ様です」


「斎藤です」


「父親が今、亡くなりました」


黙る斎藤くん。


そのまま保留音になると田中さんが出た。


「加藤さん!?田中です!」


「田中さん、すみません、少しお休みもらいます」


「加藤さん…お悔やみ申し上げます。何もしてあげられなくてごめんね…」


「いえ、取り急ぎご連絡しました。また連絡します」


「支社長には私から伝えておくから!あと、可能なら長谷川さんを一回会社に返して。すぐに返すから」


「わかりました。伝えます」


電話を切る。


「田中さん、何だって?」


「一回、会社に長谷川さんを返して、すぐに返すからって言ってた」


「わかった。一旦会社に帰る。またまりに連絡する」


雅樹は一旦会社に帰って行く。








No.355

父親は家には帰らずに、真っ直ぐ葬儀会場に向かう。


葬儀会場で用意してくれた布団に寝かされている父親。


枕元に線香が焚かれている。


兄と弟は、葬儀会場の人と話をしている。


母親は、一旦自宅に帰る。


兄に「お前、優真の迎えとかあるだろ?一旦帰れ。喪服とか用意して、優真連れて戻って来い。とりあえず、長谷川さんは一応身内として親族席にいてもらうしかないから言っておいて」と言われた。


兄も離婚の事は知っている。


私は一旦帰る事にした。


真っ直ぐ優真を幼稚園に迎えに行き、先生に事情を説明、しばらく休む事を伝えた。


斎藤くんに電話をかけると、すぐに出た。


「もしもし、喪服を取りに一旦帰るね」


「加藤、何て言っていいかわからないけど…待ってる」


「ありがとう、とりあえず優真と一旦帰るね」


「わかった」


喪服を取りに帰ると、斎藤くんは神妙な顔をして「おかえりなさい」と言う。


斎藤くんの顔を見ると、泣いてしまった。


斎藤くんは黙って抱き締めてくれた。


優真は泣いている私に「ママ、どうして泣いてるの?」と不思議顔。


斎藤くんが「ジジ、死んじゃったの」と言うと「ジジ、死んだの?」と、まだピンと来ていない様子。


私が少し落ち着いた。


「長谷川さんが一旦会社に帰って来た時に、葬儀会場は聞いた。明日の通夜には顔を出すから。多分、牧野さんや田中さん、渋谷辺りと一緒に行くと思うから、時間がわかったら知らせて」


「わかった」


「長谷川さんが支社長と話していたよ。一応親族として葬儀に出ると、話したみたいだし」


「一応ね。母親の建前ね」


タンスから喪服を引っ張り出す。


黒のハンドバッグと黒の靴を用意するが、黒のパンストがない。


途中のコンビニで買って行こう。


優真も上下黒っぽい服を用意する。


子供なら、これでいいかな。


「父親を見送ったら、また戻って来るから」


「うん、ゆっくり見送ってあげて」


部屋を出る。


雅樹に電話する。


「もしもし、雅樹?」


「まり?今どこ?」


「一旦帰って来て、喪服と会場で着る服を取りに帰って来た」


「そっか」


「兄ちゃんが明日雅樹は、とりあえず親族席に座れってさ」


「気を使ってくれてありがとう」








No.356

ずっとバタバタしていた葬儀。


でも無事に父親を見送る事が出来た。


繰り上げて初七日法要も終わり、父親が自宅に帰って来た。


小さくなってしまった父親。


雅樹との結婚の時を思い出す。


最期まで、雅樹と離婚をしたのを知らないまま、最期に「長谷川くんと仲良くするんだよ」の言葉を遺して天国に旅立った父親。


楽しみにしていた、優真のランドセル姿も見れなかった父親。


父親の遺影を見て、涙が出る。


母親は脱け殻の様になって、黙って父親の前に座っている。


「お母さん、今日泊まっていく?」


「いや、いい。お父さんと2人にさせて欲しい」


兄夫婦、弟夫婦、私と雅樹と子供達は、その言葉を聞き、母親を残してそれぞれ自宅に帰る。


私は、雅樹の家に車を停めていたため、雅樹の車で雅樹の家に向かう。


「少しあがってく?」


「うん」


優真と一緒に、雅樹の家に上がる。


「まり、うちに親父さんが写っている写真が何枚かあったんだ。持っていきなよ」


そう言って、写真を持って来た。


雅樹と私の結婚式の写真や、実家に行った時に撮った写真、笑顔の父親が写っている。


中でも、結婚式の時に、両親2人だけで撮った写真があった。


着物姿の母親と、正装している父親。


この写真の父親の顔が、好きな笑顔だった。


「ありがとう」


雅樹が微笑む。


するとまた涙が止まらなくなり、雅樹の胸で号泣した。


雅樹も涙目で私を抱き締めてくれた。


雅樹と父親の想い出が辛かった。


もう少し、時間が経てば父親の死も受け入れられる様になるのかな。


斎藤くんは普通に仕事。


帰って来るのは早くても18時半過ぎ。


雅樹が「まり、斎藤が帰って来るまで、うちにいれば?」と言ってきた。


「1人よりも、誰かといた方が気持ちも違うんじゃない?」


優真は靴下を脱ぎ、くつろぎ体制に入っている。


「そうしようかな」


雅樹が麦茶を持って来てくれた。


「ありがとう」


「無事に見送れて良かったな」


「うん。雅樹もありがとう」


「俺も親父さんにはお世話になったから、見送れて良かった。お兄さんと圭介くんに感謝しないとな」


「そうだね」


雅樹と久し振りにゆっくり話をする。




No.357

葬儀場で、圭介に呼ばれた。


「ねーちゃん、長谷川さん、俺に色々話していたよ、ねーちゃんの重要性。ねーちゃんとよりを戻したいんだ!って。聞いていて、ねーちゃんへの本気度が伝わってきた。一回の過ちも本当に心から反省したと見た。兄貴とも言ってたんだけど、ねーちゃんが許せるならよりを戻せば?」


「うーん」


「でもねーちゃん、男いるんでしょ?一緒に住んでるんでしょ?一回俺と兄貴に会わせてよ」


「いいけど…どうして?」


「長谷川さんよりねーちゃんの男にふさわしいかどうか面接する」


「面接って…」


「だって長谷川さん、すごく周りに気を使ってくれて、誰よりもこの葬儀で動いてくれている。長谷川さんにとったら、誰なのか全くわからない親戚の人達にもきちんと対応してくれて、俺や兄貴も本当に助かっている。こんな風に出来る人はいないよ?確かに、浮気はひどい裏切りだけど、ねーちゃんが許せるなら戻った方がいいと思う。だから、それ以上の男なのか会わせてよ」


ハードルが高いな。


「相手に話してみる」


「落ち着いた時にでも」


「うん」


こんなやり取りがあった。


離婚したとはいえ、雅樹のご両親もお義姉さん夫婦も、通夜に参列して下さった。


離婚したから関係ないはずなのに。


雅樹は会社でも周りに気を使える人ではある。


仕事も出来る。


見た目も悪くない。


ただ、下半身に問題がある。


私は雅樹に「圭介に私とよりを戻したいって話をしたの?」と聞くと「した」と即答。


「お兄さんも圭介くんも、俺の浮気は許してくれた。あとはまり次第なんだけどなー。いい事を教えてやるよ」


「なに?」


「営業の松田さん、斎藤を狙ってるって聞いた」


「えっ?松田さん?」


営業イチ可愛い子じゃん。


「勝つ自信ある?」


「ない」


「じゃあ戻って来いよ(笑)」


「斎藤くんは、雅樹みたいに浮気しないもん」


「どうかなぁ?」


「やめて」


「とりあえず、今日はそろそろ仕事が終わる時間だから帰んなよ」


「うん」


優真と2人で雅樹を家を出る。


今日は余ったお寿司が晩御飯。


親戚の方々が「ほれほれ!持っていけ!」と言って、余ったお寿司をたくさんくれた。


お寿司と共に帰宅した。








No.358

斎藤くんが「おかえりなさい」と迎えてくれた。


まだ帰って来たばかりなのかスーツ姿。


「ただいま。今日、お寿司いっぱい持って帰って来たから晩御飯で食べよ」


「ありがとう、着替えてくる」


「私も着替える」


お互いに部屋着に着替える。


大きな使い捨て容器に、たくさん入っていたお寿司。


「頂きます」


優真は玉子と納豆巻きとかっぱ巻きとサーモンとホタテが好き。


そればかり狙って食べている。


「斎藤くんって、お寿司で何が好き?」


「俺は、何でも食べるなー」


「好き嫌いがなくていいね」


「加藤は食べられないのあるの?」


「私はしめさばが苦手」


「そうなの?うまいよ?」


「当たってから苦手になって…」


「あー、そういうのあるよね」


優真が、口の回りを海苔だらけにして「ママ!お腹いっぱい!」と言ってきた。


「たくさん食べたね!」


「うん!美味しかった!ごちそうさまでした!」


「優真!お口を拭いて!」


「はーい」


ウェットティッシュで口を拭く。


「遊んでいい?」


優真が持って行ったリュックから携帯型ゲーム機を取り出した。


「あれ?どうしたの?」


「健ちゃんからもらった!」


「健ちゃん?」


私が「兄の子供。新しいの持ってるからって1つくれたの」と言うと、斎藤くんは「良かったなー!楽しいか?」と優真に言う。


「うん!」


優真は夢中にゲームをしている。


子供はこういうのは覚えるのは早い。


もう使いこなしている。


後片付けをして、一息をつく。


シャワーして、さっぱり。


「加藤、お疲れ様」


「ありがとう」


私は今週いっぱい忌引で会社は休み。


優真は明日から幼稚園、斎藤くんは普通に仕事。


雅樹も明日から仕事に行く。


「明日は、優真を幼稚園に送ったら実家行って来るよ」


「わかった。実家でゆっくりしてきなよ」


「ありがとう。ところで斎藤くんってモテるんだね」


「ん?モテないよ?どうして?」


「営業の松田さん、斎藤くんを狙ってるって聞いたよ?」


「前に一回付き合ってって言われた」


「そうなの?」




No.359

「でも、悪いけどあんまり好みじゃないんだよな。あーいう感じの子。顔は可愛いけどね。俺には加藤がいるし」


「珍しいね」


「何が!?」


「松田さんって人気あるじゃん」


「あるみたいだねー」


「10人なら10人、松田さんを選ぶよね」


「物好きもいるんだよ(笑)」


「私がいなくても断った?」


「どうして?」


「いや、どうかなーと思って」


「それはわかんないけど…断ってたかな」


「私みたいなバツイチ子持ちじゃなくても、こんなにこそこそ付き合わなくても、松田さんなら可愛いし、堂々とデート出来るし、斎藤くんと釣り合うと思うんだけどな」


「俺に松田さんと付き合って欲しいの?」


「そうじゃないけど…」


「ヤキモチを妬いてくれているなら大丈夫だよ!心配ないから。加藤、ゆっくり休みなよ。寝ようか?」


「うん…」


「優真くん!明日からまた幼稚園だから寝るよー!ゲームは終わり!」


「えー?」


優真は不満そう。


「あー、そんな事してるなら、お化け来て連れて行かれるよー」


「やだ!寝る!」


優真が走って布団に入る。


私は、優真がやっていたゲーム機を充電し、電気を消して寝室に向かう。


優真を寝かし付ける。


斎藤くんも寝息をたてている。


いつもの日常に戻る。


翌朝、斎藤くんを送り出し、優真を幼稚園に送り、実家に向かった。


圭介がいた。


母親は「まり、おはよう、優真は?」と言って来た。


「幼稚園に行ったよ?今、送り出してきた」


「あら、そうなの。あと、これ、まりに渡しておくよ」


そう言って、茶色い封筒を私に渡して来た。


父親の字で「優真 ランドセル」と書いてある。


「お父さんがね、ずっと優真にランドセルを買ってあげたいんだって言っててね…優真の入学式を本当に楽しみにしていたんだよ」


中を見ると8万円が入っていた。


「お父さん…」


父親の遺影を見る。


「これで、優真にランドセルを買ってあげるからね。優真もきっと喜ぶよ。お父さん、ありがとう」


涙が止まらなくなっていた。








No.360

父親の四十九日法要も終わり、一段落がついた。


土曜日、優真が雅樹のご実家に泊まりに行く事になった。


雅樹のご両親にしてみたら、優真は唯一の孫。


優真の事が可愛くて仕方がない。


仕事が終わってから、優真を幼稚園に迎えに行き、前日に用意していた着替えを入れた仮面ライダーのリュックをもたせて、雅樹の実家に行く。


インターホンを鳴らすと、ご両親ときなこちゃんがお出迎え。


優真もきなこちゃんが大好き。


「優真くん!待ってたよー!」


ご両親は満面の笑み。


優真には離婚してからも会わせていたため、優真も抵抗なく、きなこちゃんと一緒に雅樹の実家に入って行く。


「まりさんも上がって?」


少しだけお邪魔する。


お義姉さんがいた。


「まりちゃん!久し振り!」


「ご無沙汰しておりました」


ご両親とお義姉さんに、改めて父親の通夜に参列して下さったお礼を伝える。


奥で優真は、きなこちゃんと遊んでいる。


「まりさん、遠慮しないで何か困った事があれば私達に言って?」


「ありがとうございます」


本当にいいご両親とお義姉さん。


「明日の夕方に迎えに来ます。それまで優真をお願い致します」


私はお辞儀をし、優真とお別れした。


私からは雅樹にご実家に優真を連れてきている事は伝えていない。


あとはご両親の判断。


私は、斎藤くんが待つ部屋に戻る。


実は今日、斎藤くんと2人で車で1時間程の地元の温泉旅館に一泊する。


「ただいま、優真を預けて来た」


笑顔の斎藤くん。


「優真くん、泣いていなかった?」


「大丈夫!笑顔でバイバイしていたよ」


「なら良かった。じゃあ遅くならないうちに行こうか!」


「うん」


斎藤くんと、初めての一泊。


初めての2人だけの夜。


いつも優真が一緒だったけど、今日だけは2人。


斎藤くんも楽しそう。


旅館に着いてから、部屋に荷物を置いて早速夕食会場へ。


見た目にも華やかな美味しい夕飯。


斎藤くんがカメラで色々撮りまくる。


一緒に売店を見る。


「これ可愛いね」


「ペアで買っちゃおうか?」


お揃いでキーホルダーを買う。


優真へのお土産も2人で選ぶ。


新婚みたいにずっと手を繋ぐ。






No.361

売店からロビーに向かう。


すると、斎藤くんが「加藤、ちょっとこっち来て」と手を引っ張られた。


私は斎藤くんを見ると、ちょっと離れたところにいる1組のカップルを目で追っている。


私も斎藤くんが見ているカップルを見る。


ちょっと強面の男性と腕を組み、男性に笑顔を見せている、背は高めの少しふくよかな茶髪の女性。


「知り合い?」


斎藤くんに聞く。


「元嫁…やっぱりあいつと付き合ってたんだ」


「えっ?元嫁?」


まさかの元嫁。


男も知り合いの様子。


私とはタイプが全然違う。


どちらかというと派手な感じの女性。


気が強いと話していたけど、そんな感じはする。


斎藤くんは、黙って元嫁カップルを見ている。


そして私と繋いでいる手をギュッと握る。


「…加藤、部屋に戻ろうか」


「…うん」


私と斎藤くんは、エレベーターに乗り部屋に戻る。


部屋には布団が2組、並べて敷かれていた。


その隣によけてあったテーブルの座椅子に座る。


「お茶入れようか?」


「ありがとう」


テーブルに置いてあった蓋付きの丸い円柱型の入れ物から、お茶のティーバッグを取り出し、ポットのお湯を入れて、斎藤くんに渡す。


「どうぞ」


「ありがとう」


お茶を飲みながら、ちょっと無言の時間。


私からは何も聞かないし話さない。


私は、普段着から浴衣に着替えた。


斎藤くんが浴衣に着替えた私を見て「風呂入るか!ここデカい露天風呂があるみたいなんだ」と言って来た。


「今日も仕事だったし、ゆっくり入って来ようかな?」


「そうだね。今日は優真くんもいないし、たまにはゆっくり1人で入って来なよ」


2階に大浴場がある。


エレベーターを降りると、左側についたてがあり、有料でマッサージを受けられるスペースが男女別である。


そして、右側にはお風呂から上がった人々が各々くつろぐスペースがあり、その向こうに大浴場があった。


斎藤くんと、くつろぎスペースで待ち合わせをしてそれぞれ大浴場に向かう。


のれんをくぐり、引き戸を開けると広い脱衣場。


洗面台にドライヤーや綿棒、ティッシュ、消毒済みという帯に巻かれたブラシもあった。


浴衣を脱ぎ、お風呂道具を持って大浴場に。


No.362

小さなお子さんから、ご年配の方まで、皆さん温泉を楽しんでいる。


優真くらいの男の子も何人かいた。


今度は、優真も一緒に連れて来ようかな?


優真がいないのは、ちょっと寂しい。


露天風呂に入る。


星空がキレイ。


とても気持ちがいい。


癒される。


「はぁー、気持ちがいいな」


少しぬるめのお湯。


私の体が傷だらけだからか、チラっと見ている人もいたが気にしない。


背中には、ダンプの事故で負った無数の傷跡がある。


パッと見は、知らない人は「ん?」と思うかもね。


別にいいの。


仕方がないもん。


化粧も取り、頭も洗い、キレイさっぱり。


お風呂からあがると、もう斎藤くんが上がって、生ビールを一杯飲んでいた。


「加藤!加藤も飲むか?めちゃくちゃうまいぞ!」


「私も一杯だけ飲もうかな?」


私も一杯飲む。


斎藤くんと乾杯。


回りは少し賑やか。


飲み終わり、お酒が弱い私は少しほろ酔い。


部屋に帰って来たら、布団が恋しくなり、浴衣姿のまま布団に横になった。


「あー!何かいいね。気持ちいい!お風呂も最高だったし、今度は優真も連れてみんなで来たいね!」


斎藤くんも気付けば、隣の布団に横になっていた。


「そうだねー!今度は優真くんも連れて家族旅行だね」


家族旅行。


そういえば優真、家族旅行って1度も連れて行ってあげた事がないかも。


遊園地とか動物園とかはあるけど、どっか旅館やホテルに泊まった事はない。


「なぁ、加藤」


斎藤くんが横になりながら私に話しかける。


「なーに?」


「俺、優真くんのパパになれるかな」


「えっ?」


「長谷川さんは本当のパパなんだけど、俺も優真くんのパパになりたい」


「なれるよ」


「加藤、俺、加藤とこうして付き合って、長谷川さんの事でも色々あったけど、やっぱり加藤への気持ちは変わらないんだ。俺はやっぱり加藤が好き。吹奏楽部にいた時からずっと好き」


「斎藤くんはドラムうまかったもんね」


「加藤、パーカッションなのにドラム叩けないって面白いよな(笑)」


「学祭のコピーバンドでドラムやってた時は、女子にキャーキャー言われてたね」


「加藤もギターうまかったじゃん」


ちょっと楽しい昔話。





No.363

「もう高校卒業してから10年以上経つけど…お互い違う相手と結婚して離婚して、今こうして一緒にいるんだよ?絶対運命だって!」


「そうなのかな」


「だって俺、ずっと加藤の事が好きだったんだもん」


「違う人と結婚したじゃん」


「うまくいかなくて別れたじゃん。いいんだよ、あいつはあいつであの元彼とうまくやってんじゃん」


あの強面の人、元彼なんだ。


「高校時代の彼氏だったはず。もう別に関係ないからいいんだけど」


「でも、さっきちょっと寂しそうな顔をしてた」


「気のせいだよ。だって加藤と初めての一泊だよ?優真くんには申し訳ないけど、今日はママは俺だけのものだ」


キスしてきた。


斎藤くんに抱かれる。


こんなに傷だらけの体にも嫌な顔を1つしないで、私を愛してくれる。


いつも優真が隣にいて、起きない様にしていたが、今日は優真はいない。


ずっと愛しまくった。


翌朝。


ちょっと早く目が覚めた。


斎藤くんも起きた。


寝起きに斎藤くんが後ろから抱き締めて、後ろから挿れてきた。


「おはよう、加藤」


「いきなり…?どうしたの…」


「朝から挿れたくなった。だって加藤だって濡れてるじゃん」


朝早くからまた斎藤くんと始まる。


終わってから「俺、幸せ過ぎて死んじゃうわ」と私をまた抱き締めた。


「死んじゃったら嫌だ」


「まだ死なない!ずっとこうしていたいけど…せっかくだし朝風呂行かない?」


「うん」


昨日着ていた浴衣はシワになってしまったため、また新たに浴衣をクローゼットから出す。


朝は男女が入れ替わっていた。


うーん!温泉最高!


お風呂から上がり、待っている斎藤くんに声をかける。


途中にある自販機でお茶とコーヒーを買い、部屋に戻る。


私服に着替えて朝食会場へ。


バイキングだ。


好きなものを取り、朝からたくさん食べる。


私は焼きたての文字に負けてパン。


斎藤くんはパンとご飯、両方持って来ていた。


色々話ながら楽しい朝食。


部屋に帰り、帰る準備。


荷物をまとめて、忘れ物がないか確認。


「また一泊したいね」


「そうだね」


部屋を出る前にキス。


部屋を出て、フロントで精算していると「あれ?智也?と元嫁が声をかけてきた。


No.364

「どうも」


斎藤くんが挨拶。


元嫁が私を見る。


軽く会釈する。


多分、170センチくらいありそう。


軽く見上げる。


「やだー!同じところに泊まってたの!?嘘でしょ?新しい彼女?」


「だったら何?」


「何か冷たいねー、久し振りなんだし、何か優しくしてくれても良くない?」


「…子供達はどうした?」


「2人でちゃんと留守番してるよ?」


「子供達だけで留守番してるのか?」


「もう小学生だよ?2人で留守番くらい出来るじゃん」


「心配じゃないのか?」


「うるさいなー!ねぇ、新しい彼女さん?」


私に話を振る。


「こいつ、本当に口うるさいし、すっごく面倒くさいやつだよ?今だってグチグチグチグチさー。あっ、でもあなた真面目そうだもんね」


「はぁ…」


「部屋が散らかっているから片付けろ、だの、ちょっと子供達と寝てたらグチグチうるさいしさー、子供いるんだもん、仕方ないじゃん!」


「子供達を理由に、何にもしてなかっただけだろ?彼女も子供いて働いているけど、お前みたいなだらしない事はしてないぞ」


「えっ?子供いるの?」


「彼女のな」


「あんたもバツイチなの?」


「はい」


私が答える。


「私のお古で良かったらどうぞー(笑)顔は好きだったけど、顔だけだったなー。私、あの人と再婚するんだー!」


そう言って強面の人を見る。


「子供達は?」


「あー見えて、可愛がってくれているから心配なく。子供達はあんたの事なんて覚えてないわよ。あんたよりあの人に会っている時間長かったし」


黙る斎藤くん。


「おー怖い怖い、怒られる前に行くわー!」


小走りで強面の人のところに行き、旅館から出ていく。


斎藤くんを見る。


唇をギュッと噛んでいるが、すぐに「加藤、俺たちも行こうか?悪いな、見苦しい女で」と言う。


「斎藤くん…」


斎藤くんが「俺には優真くんがいるよ。俺の子供は優真くんだけだよ」と言ってニコっと笑う。


切なくなる。


胸が何かに握り潰されたみたいに苦しくなる。


あんなに「俺に似て可愛いんだ」って言ってたのに。


「いつになるかわからないけど、娘達に会う事があっても恥ずかしくない親父になっていたらいいな」って言っていたのに。








No.365

少し遠回りをして、キレイな景色が見える駐車場に車を停めた。


回りは誰もいない。


斎藤くんが、車から降りて大声で「あぁー!」と叫ぶ。


私は黙って斎藤くんを見ている。


泣いていた。


「子供達はあんたの事なんて覚えてないわよ」


その言葉が、斎藤くんをこうさせてしまっているのはすごくわかる。


会っていない、とは言っていたけど、またいつか会えるかもしれないと思って頑張っていた斎藤くん。


何て言葉をかけたらいいのかわからなかった。


「…加藤、ごめん。せっかくのデートなのに」


「大丈夫」


これが精一杯の言葉だった。


深呼吸をする斎藤くん。


「加藤、空気が美味しいぞ。気分が変わる」


私も深呼吸。


「本当だね」


「ここで嫌な事はリセット」


「うん」


「せっかくだし、何かうまいもんでも食って帰るか?優真くん、待っているし早目に帰ろう」


「そうだね」


私達は、また車に乗り、通り沿いにあったコンビニで飲み物を買いドライブをする。


途中出ていく見つけた山菜料理屋さんに入る。


この辺で採れた山菜を天ぷら等にして出しているお店。


有名なお店なのか、車が何台も停まっていた。


「せっかくだから入ってみようか?」


「そうだね」


店内に入る。


結構混みあっている。


山菜天ぷらそばセットを注文。


お蕎麦も美味しく、お土産用として販売されていたお蕎麦とつゆセットも購入。


優真にも食べさせてあげたい。


夕方、無事に帰宅した。


私は優真を迎えに行く。


斎藤くんは「片付けているよ」と言って留守番。


雅樹の実家に電話。


お義母さんが電話に出た。


「お義母さん、優真をみて頂きありがとうございます。これから迎えに行きますので…」


「あら、まりさん、まだ優真がいれると思って、今お父さんとお姉ちゃんときなこの散歩に行っているのよ。今出掛けたばかりだから、うちで待ってる?」


「わかりました、これから伺います」


私は雅樹の実家に車を走らせる。


まだ散歩からは帰って来ていない様子。


「まりさん!どうぞ上がって!」


「ありがとうございます。お邪魔します」


待たせてもらう事にした。




No.366

優真の荷物は片付けられていて、全てリュックに入っていた。


「まりさん?優真の机は私達が買ってあげてもいいかしら?」


お義母さんが話して来た。


「優真くんが「ランドセルは死んだジジが買ってくれる」って言っていたから…雅樹からも亡くなられたお父様がランドセルを買うのを楽しみにしていた、と聞いたから、お父さんとじゃあ私達は机だね、と話していたの」


「いえ、そんな…」


「だって私達にとっては、唯一の可愛い孫なのよ。私達にも入学祝いさせて欲しいわ」


「ありがとうございます」


話していると、玄関が賑やかになって、優真が「ママ!」と言って走って来た。


お義父さんが居間に入って来た。


「お邪魔してます」


私はソファーから立ち上がりご挨拶。


お義姉さんは、きなこちゃんを連れてお風呂場に直行。


きなこちゃんの足を洗っている。


「ママ!帰るの?」


「そうだよ!帰るよ!」


「パパ来たんだよ?」


「そうなの?」


「きなこと散歩行く前に帰っちゃった」


「パパ、明日からまたお仕事だからね、仕方ないよ」


「うん、そうだね」


「はい、リュック背負って!」


ご両親にお礼を言う。


玄関に行くと、きなこちゃんを抱っこしたお義姉さんが、ジーンズの裾を膝までまくった姿で出てきた。


「あれ?もう帰るの?」


「はい…明日からまた仕事も幼稚園もあるので…」


「そっか。またおいで!優真くん、またきなこと遊んでね!」


「うん!」


きなこちゃんも吠えた。


お礼を言い、斎藤くんが待つ自宅に帰る。


「ただいまー」


「おかえり!優真くん、楽しかった?」


「うん!きなこといっぱい遊んだ!」


「きなこ…?」


私が「飼っているワンちゃん」と答えると「
そうか、ワンちゃんといっぱい遊んだのか!」と笑顔。


「今日はお兄ちゃんと一緒にお風呂に入るか!」


「うん!」


早速、優真と斎藤くんは着替えを持ってお風呂場に行った。


ふとゴミ箱を見ると、斎藤くんの子供達の写真が何枚か捨ててあった。


私は拾って、斎藤くんが開ける事はない私のタンスの中にしまった。


子を思う、親の気持ちは一緒だよ。


会えなくても、斎藤くんの子には変わらない。


私が代わりに大事に写真を持っておくね。

No.367

この頃から、母親のおかしな言動が始まる。


夜中に私の携帯が鳴る。


時刻は夜中の2時半過ぎ。


何事かと飛び起きて、電話に出る。


斎藤くんも起きる。


「お母さん!?こんな時間にどうしたの!?」


すると小声で「今、うちに誰か入って来てるんだよ…」と話す母親。


「えっ!?警察呼べばいいじゃん」


「警察呼んだら逃げちゃうだろう?絶対あのおやじなんだよ…家が欲しいからって嫌がらせばかりしてくるんだよ…」


そう、母親が言う「あのおやじ」とは、実家近くに住んでいる地主さん。


「お母さん、鍵はしてあるの?」


「玄関に、ドアが開くとブザーがなる装置みたいなやつはついている。ビニールテープで部屋に人が入らない様にくくりつけているよ。玄関の電気も、この間圭介に人感センサーがついているやつに変えてもらったのに、それを反応させないで入って来るんだよ…どうやって入って来るんだろうか?」


「本当に誰かいるの?」


「お前はお母さんが嘘をついているとでも言いたいのか?」


「そうじゃない…何か盗られたの?」


「お父さんの写真がないんだよ」


「お母さんが見ていて、どっかに置き忘れたとか?」


「お父さんの大事な写真を置き忘れる訳がないでしょう!」


母親は、物を置き忘れる。


でも、普通なら探すが、この行程が中抜けして「ない=盗られた」になる。


多分、父親の写真もどっかにポンと置いたやつを忘れてしまい、ない=盗られたになっている様子。


明日も仕事。


毎回毎回、こんな感じで夜中に起こされる。


ある日。


会社に電話が来た。


斎藤くんが電話を取る。


斎藤くんが「加藤…警察から、2番」と私に言う。


斎藤くんも、いつも母親の電話で起こされているため、ちょっと寝不足が続いている中での警察からの電話。


斎藤くんには母親の事は話している。


雅樹は、母親の事は良く知っているので、警察からの電話でピンと来た様子。


「はぁ…」


私はため息をついて、警察からの電話に出る。


「加藤千恵子さんの娘さんで間違いないですか?」


「はい」


「私、生活安全課の田沼と申します。ちょっとお母様の事でお話がありますので、署に来て頂く事は出来ますか?」


「…これから伺います」

No.368

田中さんが「警察!?誰か何かあったの?」とびっくりしている。


「ちょっと母親が…警察にいるみたいで。事情は後日説明します。警察に行って来ます」


斎藤くんと雅樹を見ると、小さく頷く。


警察署に着いた。


何も悪い事はしていないけど、ちょっと緊張する。


警察署に入ると、通りがかった制服姿の若い警察官に「どうされました?」と声をかけてきた。


私は事情を説明すると、待っている様に言われて、すぐに電話をくれた田沼さんが来た。


「わざわざごめんなさいね、ちょっとよろしいですかね?」


署内の小部屋みたいなところに連れていかれた。


「早速なんですけどね、お母様がおっしゃっている事は事実なんですかね…夜中に誰かが入って来て、写真を持っていったり、変な液体をつけられたりするからと、被害届を出すと警察署に来ましてね」


「すみません」


「ご自宅にも伺ったんですよ。ですが、玄関ドアにはセンサーもあるみたいですし、あの音を鳴らさずにご自宅に入るには、物理的に不可能なんですよ…窓も壊された形跡もありませんでしたし」


「はい…」


「大変、申し上げにくいんですけど、お母様…そういった機関を受診されるといいかもしれません。被害届は受けずに、お母様にはパトロールを強化しますと伝えてあります。本日はこのままお母様とお帰り下さい」


「ご迷惑をおかけしました」


私は田沼さんに一礼。


母親が待つ部屋に案内された。


「お母さん、帰るよ」


「あんた、仕事は?」


「抜け出して来たんだよ、帰るよ」


素直に従う母親。


車に乗り込む。


私の運転にケチをつけ、やる事言う事に文句ばかり。


「今、行けたのに」


「そうやって頬を触ってたら、頬の筋肉垂れ下がって不細工になるからやめなさい」


「ほら!タイミング悪いから、赤になっちゃったじゃないの」


ずっと後部座席でグチグチ言う。


悪口が始まった。


「こうしてお母さんがいない間に、あのおやじはうちに入りたい放題」


「そのうちに証拠を絶対掴んでやる」


「うちの権利書が危ない!まり!早くして!」


はぁ…。


ため息をつく私。


これからずっと、こんなのが続くと思うと、おかしくなりそうになる。







No.369

母親を実家まで送り届ける。


「これから、会社に戻るから」


「まり、やっぱりいない間にあのおやじ入って来たんだよ!見なさい!お父さんの写真がこんなところに落ちてた!わざとらしい…」


テーブルの下に父親の写真があった。


「…お母さんが落としたんじゃないの?」


「どうして、大事なお父さんの写真を床に置かないといけないの?あんたも、あのおやじとグルか!出ていけ!」


塩をまかれて追い出された。


疲れた…。


毎回夜中に起こされて、ちょっと一言言ったらこれか。


会社に戻る。


「すみませんでした」


私は抜け出した事を皆に謝る。


田中さんが「加藤さん、大丈夫?何かすごく疲れているみたいだけど…」と言って来た。


「大丈夫です。すみません」


そう言うものの、連日の寝不足と今回の事で疲労困憊の私。


目の前が一瞬、真っ暗になる。


「加藤さん!?」


「…大丈夫です」


ダメかも。


夜中の電話を断ったら「お前はお母さんの事が心配じゃないのか!」と怒鳴られ、出ないと、夜中に雅樹のうちに行ったり、私が出るまでひたすら携帯を鳴らす。


雅樹から夜中に「お母さん、今うちに来てる。圭介くんにお願いするから」とメールが来る。


雅樹にも迷惑をかけている。


目の下にひどいクマが出来ていた。


優真にもつい当たってしまう事もあり、寝た優真に謝る事もあった。


斎藤くんも色々と協力はしてくれるけど、寝不足はきつそう。


「申し訳ないけど、加藤のお母さん、なかなかエグいね」


そう斎藤くんに言わせてしまい、こちらが申し訳なくなる。


雅樹にも「お母さん、相変わらずみたいで」と言わせてしまう。


寝不足で頭は回転しない。


疲れてもいる。


優真にも当たってしまい申し訳ない。


どうしたらいいんだろ。


気付いたら、私は手首を切っていた。


不思議と痛くない。


左手首から流れ落ちる血を黙って見ていた。


斎藤くんが異変に気付き起きてきた。


「加藤!?何してんの!?」


慌てる斎藤くん。


私は、その場に倒れ込む。


気がついたら、左手首に包帯が巻かれて、病院のベッドにいた。
















No.370

斎藤くんと優真がいた。


「ママ!ママー!」


パジャマ姿の優真が泣きじゃくりをしながら泣いている。


斎藤くんが「加藤!?大丈夫か?」と心配そうに優真と手を繋ぎながら私を見ている。


あぁ。


手首を切っちゃった。


現実逃避しちゃった。


斎藤くんも優真もいるのに、自分の事しか考えられなかった。


「ごめんね」


幸い、怪我の程度は生死をさ迷うものではなく、5針縫ったけどそのまま帰宅。


また体に傷が増えちゃった。


タクシーでうちに帰る。


私は倒れたため、斎藤くんが救急車を呼んだらしい。


優真は私から離れない。


私は、優真の頭を撫でる。


斎藤くんは「大丈夫か?」を繰り返す。


心配かけてごめんなさい。


家に着く。


もう朝を迎えていた。


斎藤くんが「今日は、加藤も優真くんも休め」と言う。


斎藤くんは、ほとんど寝ていないはず。


「俺まで休む訳にいかないでしょ。でも、半休取って昼には帰るよ」


「本当にごめんなさい」


「幼稚園にだけは連絡しておいて。加藤の事は田中さんに伝えておく」


「ありがとう…」


「ゆっくり休んでなよ。俺はもう少ししたら仕事行く準備するから」


斎藤くんはそのまま、ほとんど寝ないで仕事に行く。


優真は私の隣でぐっすり寝ている。


「優真、ごめんね」


寝ている優真の頭を撫でる。


涙が出てきた。


私は、何をしてしまったんだろう。


優真に可哀想な思いをさせてしまった。


ママが死んでしまうんじゃないか?と心配で心配で仕方なかったよね。


ママ、優真のためにも頑張らないと。


幼稚園に電話をして、休む事を伝える。


優真の隣でうとうとしていたら、枕元で携帯のマナーモードがブーブーいっている。


見ると母親から。


「もういい加減にして!」


私は携帯をサイレントに切り替えた。


それからうとうとするが熟睡が出来ない。


携帯を見ると、母親からの着信が8件来ていた。


そして、会社から着信。


電話をすると、田中さんが出た。


「加藤です。今日は…」


話している途中で「斎藤くんから事情は聞いた。会社にお母さんから電話が来ていて、今長谷川さんが電話対応中。今日は昼で斎藤くんも帰るから、ゆっくり休んで」と小声で話す。


No.371

精神的に追い込まれていた。


人の事は考えられない母親。


これだけ周りに迷惑をかけていても、自分の欲求を通す。


通らないと罵詈雑言。


父親が亡くなって、1人になって、年金で生活しているから時間は関係ない。


1人で寂しいのはわかる。


心細いのもわかる。


でも、傍若無人で人を近付けない様にしているのは母親。


だから、兄夫婦は母親が簡単に行けない地域まで引っ越した。


弟も結婚してから余り実家に近付かなくなった。


だからなのか、娘である私に異常な執着をみせる。


私がおとなしいから?


黙って、母親の人の悪口や罵詈雑言を聞いているから?


母親の話は、人の悪口か文句しか話さないから全くつまんない。


私が話しても全て否定から入る。


「お前には10年早いからお前にはわからない」


10年経てば「お前も母親になればわかるだろうが、今はわからない」


母親になった。


「お前は子供は1人しか生んでないから、お母さんの苦労はわからない」


こんなんじゃ、一生わかる事はないだろうな。


「あんたに相談がある」


そう言われて話を聞く。


でも、自分が思っている通りの答えが出ないと「やっぱりお前にはわからない」


自分の意見を言うと「一人前な口をきくな」


黙って母親の話を聞くと「やっぱりお前は話がわかる」


相談ではなく、母親の中では決定事項。


ただ、うんうんと聞いてほしいだけ。


そして、やっぱり自分は間違えていないと思いたいだけ。


どんな思い込みでも、妄想であり得ない事を言っていても、自分は全て正しい母親。


雅樹と付き合っていた時も、緊急の時以外では会社に電話をしないで、と言っても会社に電話をかけてきて「帰りに牛乳を買って来て」といった電話をかけてきていた。


母親にとっては、牛乳がないのが緊急だったのかもしれないけど、そういう意味じゃない。


優真が生まれてからずっと伸ばしていて、記念に切った髪の毛は小さな筆にして残しておきたいと考えていたのに、ちょっと私が買い物に行っている間に「伸びていたから」との理由で勝手に切られていて、ゴミ箱に捨てられていた。


文句を言うと「子供の髪の毛を切らないお前達が悪い!」と切れた。


そんな母親、もう嫌だよ。




No.372

斎藤くんが帰って来た。


優真は起きて、ゲームをしていた。


「少しは寝れた?」


「うーん…」


「今日、長谷川さんが、加藤のお母さんと話していたけど、あの長谷川さんでも大変そうだったよ。落ち着いたみたいだけど…」


「本当にごめんなさい」


「加藤は何にも悪くないよ?コンビニだけど、昼飯買って来た。食欲あるか?」


「ありがとう…でも、ごめん、余り食欲ないんだ」


「大丈夫!グラタンだから、お腹空いたら食べて!優真くん!お兄ちゃんとご飯食べようか?優真くんにもグラタン買って来たよ!グラタン好きだよな!?」」


「食べるー!」


優真は笑顔で斎藤くんのところに行く。


「加藤は少し寝なよ」


「でも斎藤くんも寝てないでしょ?」


「俺は大丈夫だから!おやすみなさい」


「よし、優真くん!ママは少し寝るから、静かにしような」


「はーい」


居間では2人でお昼ご飯を食べている。


私はいつの間にか眠っていた。


居間に行くと、斎藤くんもスーツから普段着に着替えて居間でクッションを枕にして寝ていた。


優真は、斎藤くんの隣で静かにゲームをしていた。


優真に「こっちにおいで!」と言って、寝室に呼ぶ。


ゲームを持って、おとなしく私の側に来た。


斎藤くんにタオルケットをかけてあげる。


ぐっすり眠っている斎藤くん。


本当にごめんなさい。


しばらくして「あれ?俺、寝ちゃってたの?ごめんごめん」と言って、斎藤くんが起きた。


「布団でゆっくり寝た方がいいよ」


「大丈夫!少し寝たし!加藤が心配だし」


「ごめんなさい」


「謝らないで!俺は、側にいてやる事しか出来ないから」


その日から、夜中に母親に起こされる事はしばらくなくなる。


雅樹にもお礼を言う。


「前に言ったでしょ?俺、トラブル対応慣れてるって」


笑顔で言ってくれた。


酷い母親に、最初は気持ちが対応出来なかった雅樹も、今回は電話という事もあり、うまく対応してくれた。


ありがとう、雅樹。



No.373

手首の傷は、余り目立たなくはなっていたけど、最初の頃は優真の服を見に行った時に見付けた、可愛いリストバンドをつけていた。


いつもの日常に戻っていた。


ある日、ふとお風呂上がりに鏡を見ると、白髪が増えた事に気付く。


「年とったなー」


もう30代後半に入る。


白髪も増えるよね。


雅樹も40代半ば。


おじさんにはなったけど、体型もちょっとくせっ毛も余り変わらない。


優真が小学生になった。


父親が買ってくれたランドセル。


雅樹のご両親が買ってくれたピカピカの机。


入学式では、校門の前で可愛いスーツ姿でランドセルを背負って、はにかみながらピースで写真を撮る。


「親父さんに見せたかったな」


一緒に来ていた雅樹がボソッと私に言う。


「きっと天国から見ていてくれてるよ」


「そうだな」


体育館で入学式が始まる。


雅樹がビデオカメラを向ける。


6年生に手を繋がれ、大きなお兄さんと一緒に緊張した表情で入場してくる優真。


入場の途中で私達を見つけて、恥ずかしそうに手を振った優真。


幼稚園で一緒だったお友達も何人か同じクラスになり、楽しそうに話している。


入学式が終わり、一旦雅樹の実家に顔を出す。


お義母さんは優真のスーツ姿に「まりさんのお父さんに見せてあげたかったわね」と涙を浮かべている。


お義父さんは「今日から小学生か、いっぱい勉強して、いっぱいお友達作るんだぞ!」と笑顔で優真に優しく話す。


「うん!」


優真も笑顔で答える。


そして、一旦雅樹の家に行く。


雅樹が撮った入学式の様子を、パソコンにおとしてからDVDにしてくれた。


「帰ったら、お兄ちゃんにも見せるんだ!」


「そうか」


雅樹は笑顔。


雅樹は女はいないけど、優真のためにこの家を残すとずっとここに住んでいる。


「一人だと広すぎるんだけど、優真がいずれ大きくなった時に、優真の居場所として思ってもらえれば」


そう言って、頑張ってこの家を維持している。


「まりも、斎藤と喧嘩したら、いつでも来ていいんだぞ?」


しばらく雅樹の家に泊まっていない。


優真に会わす時は、最初に優真が雅樹の実家に泊めてから、ずっとそうしている。


だから雅樹が実家に行って、優真と会っている。





No.374

そういえば、斎藤くんのご家族の話しって聞いた事がない。


「ねぇ、斎藤くん」


「なに?」


「お付き合いさせてもらっているし、斎藤くんのご家族に一応、ご挨拶をさせて頂こうかな?と思って…」


「いや、いいよ」


「どうして?」


「俺、両親いないから」


「えっ?」


「俺、施設育ちなんだ。だから両親の事、写真と名前しか知らないの」


「…ごめん」


「加藤に言ってなかったし、別にいいよ。高校に入ってからの3年間は、おばさん家で居候させてもらったけど、いい人だったから、今でもたまに連絡はする」


「ごめん…」


「おばさんの話だと、俺の両親って俺が2歳くらいの時に自殺したらしいんだけど、よく知らないや」


知らなかった。


高校の時の斎藤くんは、本当に明るくて人気者で、そんな感じは全く感じなかった。


まさか、ご両親がそんな形で他界されてるとは思わなかった。


「おばさんは母親の妹になるのかな?俺、兄貴がいるけど、施設出てから何してるか全然知らないし、連絡も取ってない。だから俺、本当に1人みたいなものだから、挨拶とか全く気にしなくていいよ」


「ごめん…」


「全然大丈夫。ずっとそれが当たり前でここまで来てるし、俺自身余り気にしてないから」


斎藤くんがタバコに火をつけた。


喫煙所は換気扇の下。


「俺さ、前はなんのために生まれて来たのかなーってよく思ってたよ。でも、今は加藤と優真くんと出逢うために生まれて来たんだって思ってる。だから、加藤と優真くんとのこの生活を壊したくないんだ」


「斎藤くん…」


「何があっても加藤と優真くんを守りたいし、ずっと側にいたいし、いてあげたい。加藤も優真くんもずっと側にいてほしい。それが俺が生まれて来た役割かなー?なんてね。だから何でも頼ってほしい。お母さんの事も、一人で抱え込まないで!」


「ありがとう…」


「なぁ、加藤。籍を入れるのはいつでもいいから、ずっと側にいてよ」


「ずっといる」


「俺、加藤といたら今まで感じた事のない安らぎがあるんだ。こんなに家に帰るのが楽しみな時間って、今までなかったから幸せなんだよ」


「ありがとう」


「これからも仲良くやっていこうな」


「そうだね」


抱き締められた。


ずっと側にいさせて下さい。




No.375

2週間に1回の土曜日、優真は雅樹の実家にお泊まりに行く。


雅樹が、実家に行く事もあるし、雅樹の家で優真と2人で一緒に寝る事もある。


優真が泊まりに行く時は、笑顔で優真を送り出してくれる。


この日は、私は斎藤くんとデートをする。


優真がいたら行けない、斎藤くんのご友人がやっている飲み屋さんに行く。


「おー!智也!久し振りだな!」


カウンターから、俳優さんに似た爽やかなイケメンが斎藤くんに声をかける。


カウンターだけの小さな店だけど、落ち着いた雰囲気のお店。


「なかなか来れなかったけど、今日は彼女を連れて来たんだ。加藤さん」


一緒にいた私を友人に紹介。


「はじめまして!俺は智也とは小さい頃からの友人の飯田って言います。よろしく!」


そう言って、お店の名刺をくれた。


同じ施設にいたみたいで、年も一緒で仲が良かったらしく、唯一今でも施設時代からの付き合いがある友人だと話していた。


カウンターを挟んで、2人で楽しそうに話をしている。


「加藤さんだっけ?ごめんね、智也、俺とばかり話しちゃって。お詫びで好きなの一杯ごちそうするよ。何がいい?」


「いえいえ、お気になさらず。私は2人の会話を聞いているだけでも楽しいですから!」


「はじめましてのご挨拶!同じやつでいい?」


斎藤くんも「こいつの気が変わらないうちに飲んでおきなよ」と話す。


「あっ…じゃあ、同じので」


友人は「はいよ!」と言って、同じカクテルを作ってくれた。


「ありがとうございます。ごちそうさまです」


友人は私を見て「こいつから話を聞いてるよ。同じ高校の同級生なんだって?」と聞かれて「はい」と答える。


「こいつ、ずっと加藤さんの話をしていたんだよなー。覚えてるか?卒業式の日に「告白しとけば良かったー!」って言って俺ん家に来た事(笑)」


斎藤くんに話を振る。


「覚えてるよ(笑)でも、今こうして俺の彼女なんだよ。人生って何があるかわからないよな」


「いいよなー。俺は工業高校だったから、女子余りいなかったもんなー。むさ苦しい高校生活だったよ…野球部だったから坊主だったし(笑)」


思い出話で盛り上がっている。






No.376

「加藤さん、こいつの事、お願いしますね!本当にいい奴なんですよ!」


「こちらこそ」


楽しい時間を過ごさせてもらう。


お店を出る。


久し振りにお酒を飲んだ。


斎藤くんも、余り飲まない。


手を繋ぐ。


30代半ば過ぎた2人が手を繋いでデートとか、ちょっと恥ずかしいけど、お酒が入っているから気にしない。


少し街中を歩く。


泥酔してフラフラしている人、盛り上がっている団体、キャッチの人、色んな人がいる。


「こうして、加藤と飲みに来る事なかったもんなー。でも、あいつには加藤を紹介したかった」


「楽しい人だったね」


「唯一、気が合うやつでね。あいつがいてくれたから施設でも楽しかったんだ。喧嘩もしたけど、今となればいい思い出だよ」


斎藤くんは笑顔で話す。


そして、そのまま街外れにあるラブホテル街に行く。


カップルがすれ違う。


みんなイチャイチャしている。


ホテルの前で、我慢しきれなくてチュッチュしているカップルもいる。


「たまには…ね?場所を変えて加藤を抱きたい」


「…うん」


斎藤くんとラブホテルに来るのは初めてかもしれない。


小綺麗なホテルに入る。


土曜日という事もあり、部屋も高い部屋が2つしか空いていなかったけど、思い切って空いている部屋のパネルのボタンを押す。


自販機の様に、パネルの下から鍵が出てきた。


部屋は5階。


エレベーターで5階に行く。


一番奥の部屋の明かりがついている。


部屋に入る。


結構広くてキレイな部屋。


すると斎藤くんが抱き締めて来た。


無言のまま、抱き締めてくれる。


しばらくそのままでいる。


「加藤…愛してる」


胸がキュンとする。


キスをされた。


そして、一旦ソファーに座る。


「今日は楽しかった」


「私も」


そう言いながら、斎藤くんはタバコに火をつける。


斎藤くんがタバコをふぅーと吐き出す。


「タバコ、やめようかな」


「そんな簡単にやめれるものなの?」


「やめられない。でも加藤は吸わないじゃん?」


「私は気にしないから大丈夫だよ?」


「だって、キスをしたらタバコ臭いじゃん」


「大丈夫」


2人で笑う。


静かだけど、2人だけのゆっくりとした時間。



No.377

斎藤くんがタバコを消して立ち上がり、部屋の冷蔵庫を開ける。


「何か飲む?俺はコーラ飲むかな?」


「私は、水でいいよ」


フリードリンクで入っていたペットボトルの水を取り出す。


「水でいいの?お茶もあるよ?」


「水で大丈夫」


「何か加藤のそういうところ好き」


「ありがとう」


斎藤くんは、コーラを引き抜き持って来た。


一口飲んでから、お風呂を見に行く。


広い。


「ねぇ、聞いていい?」


斎藤くんが言う。


「なに?」


「長谷川さんと一緒にお風呂って入った事ある?」


「えっ?どうして?」


「いや、どうなのかなーと思って」


「斎藤くんは、元奥さんと入った事はあるの?」


「ないよ?」


「本当に?」


「うん、ない。加藤は?」


「…ある」


「今日は俺と一緒に入ってみない?広いし、2人一緒でも大丈夫そうじゃない?いつも優真くんと入っているから、今日は加藤と俺と一緒に入ろうよ」


「恥ずかしいよ…」


「長谷川さんとは入れて、俺とは入れないんだー」


「入ります!入るから!」


「じゃあお湯ためてくるね!」


斎藤くんは浴槽の蛇口を開く。


「たまるまで時間かかりそー」と言いながら戻って来た。


テレビをつけると、まだ以外に早い時間だった事がわかる。


「まだ11時前なんだね」


「飲みに行くのが早かったからね」


斎藤くんがリモコンで色々チャンネルを切り替えていたら、アダルトチャンネルが入った。


ちょうど最中の場面。


斎藤くんが「こういう女性って、いくらぐらいもらってるのかなー」とボソッと言う。


「やっぱり結構もらっているんじゃないかなぁ?」


私が答える。


「やっぱり斎藤くんも、こういうの見るの?」


「男だからねー、興味はあるよ?前は持ってたし」


「だよね」


「でも、画面越しの知らない女の子じゃなくて、加藤のこういう姿をリアルにモザイクなしで見れるから、それで俺は満足(笑)」


「やだ…やめて」


恥ずかしくなる。


あははーと笑う斎藤くん。


「お湯見てくる!」


斎藤くんはお風呂場に行く。


「だいぶたまったよー!入ろっか!」


「…はい」


私もお風呂場に向かう。




No.378

何度も斎藤くんに裸は見せているが、やっぱり恥ずかしくなる。


斎藤くんは全く気にせずにそのまま裸で洗い場に向かう。


細マッチョの体。


私は少し太ったし、年齢と共に色んなところが重力に勝てなくなって来ているたるんで来た体。


やっぱり恥ずかしい。


「電気、消すね」


「いいよ」


消しても薄明るい。


私は先に化粧を落とし、体を洗いっこする。


ボディーソープのヌルヌル感がちょっとエッチな感じになる。


「俺の触って」


斎藤くんの反応している物をボディーソープがついたまま触る。


「あぁ…」


どんどん反応していく。


「しばらく加藤としてないもんな…」


「うん…」


斎藤くんも私を触って来る。


泡だらけで斎藤くんに抱きつく。


洗い流し、洗い場で立ちバック。


やっぱりこうなるよね。


「ヤバい、いつもより興奮する。俺、もう出ちゃうよ。どうしたらいい?」


「任せる」


斎藤くんは外に出した。


「中は、あとでのお楽しみ」


一緒に浴槽に入る。


向かい合わせで座る。


私が恥ずかしくて下を向いていると「加藤のそういうところ可愛いよね」と言って笑っている。


上がってから、体を拭いて、裸のままそのままベッドに行く。


部屋の電気を消す。


枕元のパネルの明かりのみになる。


お酒のせいもあり、斎藤くんとやりまくる。


斎藤くんはSEXしている時だけ「まり」と呼ぶ。


私も「智也」と呼ぶ。


終わってから腕枕をしてくれる。


翌朝。


寝起きにいきなり襲われる。


「今日は優真くんがいないから!」


そう言って、後ろから攻めてくる。


時間ギリギリまで部屋にいる。


朝、シャワーをして化粧をして、着ていた服を着る。


精算し、人気のいない出口から外に出る。


いい天気。


昼間の飲み屋街は余り人がいない。


朝昼兼用で、近くのファーストフード店に入りハンバーガーを食べる。


斎藤くんが大きなあくび。


ボソッと「昨日、加藤と頑張り過ぎたかなー」と呟く。


「そうかもね」


2人で笑う。


タクシーで家に帰り、優真を迎えに行く準備。


優真を迎えに行く。


斎藤くんは留守番。




No.379

今日の迎えは雅樹の家。


雅樹は「優真、今昼寝しちゃってるんだよ。どうする?起こす?」と聞く。


私が迎えに行く前に、きなこちゃんと雅樹とお義姉さんと優真と一緒に公園で遊んだらしい。


「もう、結構寝てるの?」


「1時間までは経ってない。40分くらい?」


「起きるの待ってるかな」


「わかった。これ、優真の荷物。全部入れてあるから」


雅樹は優真のリュックを私に渡す。


「ありがとう」


「優真、学校楽しいんだって。先生大好きなんだって。色々学校の事を話してくれるよ」


「そっか」


「まりってさ、優真が俺のところに来てる時って何してるの?」


「ゆっくりさせてもらってるよ?」


「まぁ、たまにはそういう息抜きは必要だよね」


「ありがとう」


「斎藤とやりまくってるとか…?」


「…もう若くないからね、そんな事もないよ?」


昨日、やりまくったクセに嘘をつく。


「ふぅーん。斎藤はいいよなー。帰ったらまりも優真もいて、まりの飯も待ってるんだからなー」


「今度、優真がお泊まりの時に、何か作って持って来てあげるよ」


「まりも一緒にうちに来ない?」


「何にもしない保証ないもん」


「だって俺、しばらくしてないもん」


「しばらくって?」


「前にまりとして以来。俺、女はいらないって言ってたじゃん。もう前みたいなのは無理だなー」


「落ち着いたんだね」


「まぁね。大人になったんだよ」


「…ママ?」


優真が起きた。


「優真?起きた?ママと帰ろう!明日からまた学校あるから、帰ったら準備しないと」


「そうだね、ママと帰る」


優真が起きて、私達の方に来た。


「またパパと遊ぼうな!」


「うん!」


雅樹に見送られ、自宅に帰る。


「ただいまー!」


「優真くん、おかえりなさい!楽しかったか?」


「うん!きなことパパとお姉ちゃんと一緒に遊んだよ!」


「そっか!良かったな!」


雅樹のお義姉さんは「お姉ちゃん」と呼ばせている。


いつもの賑やかな夜。


斎藤くんが「今日は早く寝ようねー」と優真に言っている。


昨日、余り寝れなかったもんね。


やっぱり35歳を過ぎてくると、夜はしっかり寝ないと次の日は結構辛くなる。


若い頃は寝なくても全然大丈夫だったのに。



No.380

翌日。


激しい雨が降っていたため、優真を学校に送ってから出勤。


道路が混んでいたのもあり、会社に着くのがギリギリになってしまった。


更衣室から事務所に行くと、事務所の奥で斎藤くんが松田さんを始め、若い営業の女性社員何人かに囲まれていた。


田中さんが近寄る。


「私もさっき出勤したら、あんな状態だったんだよね。まさか告白されてるとか?」


「前に断ったって言ってましたけど…」


「断れない様に、仲間を引き連れてるとか?私、支社に来てから、滅多に営業に行かなくなったから彼女達と接点ないしなー。聞くのもおかしいしねー」


もやもやする。


始業時間になり、斎藤くんが席に戻って来た。


斎藤くんにメールをしてみる。


「何かあったの?」


「後で話す」


気になるから、今聞いたのに。


昼休憩。


松田さんが、斎藤くんの席に1人で来た。


そして小声で斎藤くんに耳打ち。


雅樹は黙って聞き耳を立てている。


斎藤くんと松田さんは、2人でどっかに行った。


田中さんも2人を目で追っている。


「付き合っちゃうとか?」


「…斎藤くんが松田さんを選ぶなら、それはそれで彼が選んだ事なので、私は身を引きますよ」


私みたいなバツイチ子持ちより、若くて可愛い松田さんの方が絶対いいに決まってる。


会社にいるため、気が張っているからか涙は出ないが、もやもやは収まらない。


田中さんとご飯を食べていても、田中さんの話が入って来ない。


もし、斎藤くんと松田さんが付き合うなら、引っ越さなきゃな。


私は住まわせてもらっている身。


斎藤くんに懐いている優真には可哀想な思いをさせてしまうけど、一生懸命優真をフォローしなきゃ。


顔に出まくっていたのか、田中さんが「加藤さん、まずは夜にでも斎藤くんに話を聞いたらいいよ」と言って来た。


「そうですね」


斎藤くんが戻って来た。


私を見る。


私は下を向く。


「加藤、大丈夫。夜に詳しく話をするから」


斎藤くんからのメール。


「わかりました」


もやもやしたまま仕事をする。


斎藤くんは普通に仕事をしている。


仕事が終わり、優真がいる学童まで迎えに行き、晩御飯の材料を買い帰宅。


斎藤くんも帰って来たばかりでスーツ姿で部屋で待っていた。


No.381

帰宅し、着替えて早速晩御飯の準備に取り掛かる。


「加藤、何か手伝おうか?」


「大丈夫、昨日ある程度準備してあるから、優真見てて」


「いつもありがとな」


御飯を作りながら「ねぇ、斎藤くん、今日は何があったの?」と聞く。


「たいした事じゃないよ。付き合ってって言われたから断った。そしたら、お昼を一緒に食べてくれたら諦めますって言われたから一緒にお昼に行っただけ」


「本当にそれだけ?」


「うん、お昼に隣で食べたいって言ってたから、いいよって言ったら、手を握って来た。でもお昼食べにくいから「手をよけて」って言ったら泣いちゃった」


「営業の人達に囲まれていたけど…」


「女って、あーいうの面倒だよね。周りが「こんなに斎藤さんの事好きなんだよ?」とか「付き合ってあげなよ」とかうるせーし、「彼女いるから」って断っても「その人より、絶対松田さんの方がいいって!」って、何を根拠に言ってるのか知らないし、もうあーいうの嫌だわ。俺の気持ちなんて完全無視じゃん。無理だな」


「そうなんだ…」


「前にも言ったけど、あんまり好みじゃないんだよな、松田さん。何で俺なんだろ?松田さんなら、他にも若いのいるだろうし…不思議だ」


斎藤くん、私も不思議だよ。


別に可愛くもない、地味なアラフォーバツイチ子持ちの私のどこがいいんだろう。


しかも、元旦那が隣の席で上司とか、やりにくいだろうし、斎藤くんならもっといい人いるんじゃないかなと思う。


でも、こんな私でも好きでいてくれている。


優真の事も可愛がってくれている。


私も斎藤くんが好き。


「なぁ、加藤」


「なに?」


ご飯の後片付けをしている私に、斎藤くんが話し掛ける。


「優真くんが寝たら、ちょっと話があるんだ」


「…わかった」


何だろ。


斎藤くんは、優真と一緒にお風呂に入る。


私は、片付けも終わり、優真のランドセルを開けて、ファイルに挟まっている学校からのプリントや優真が学童でやってきた宿題を見る。


「参観日かー」


参観日の案内のプリント。


午後から半休を取るしかないかな。


宿題を見る。


漢字がすごい事になっている。


何となくの形は出来ているけど、上下が逆だったり、出るところが出ていなかったり。


お風呂から上がったらやり直しだな。

No.382

優真と斎藤くんがお風呂から上がった。


優真が早速ゲームをしようとゲーム機を取る。


「優真!宿題間違いだらけだよ?やり直し!」


私が言うと「えー?」と不満そうな返事。


「算数は合ってるんだけど、漢字が違うよ?良く見て書けば間違いにわかるよ、頑張ろ!」


「だって、漢字嫌いだもん」


「嫌いでも頑張らないと!はい!」


私は宿題のプリントと筆箱をテーブルに置く。


「終わったら、ゲームやっていい?」


「9時にちゃんと寝ると約束する?」


「する!」


「じゃあ、宿題ちゃんと直してからならいいよ」


「うん!」


優真は素直に宿題の間違えたところを直していく。


「ママ!終わったよ!」


近くにいた斎藤くんが見てくれる。


「うーん、これだけ違う!これ、上と下が逆だな。良く見てごらん?」


「あっ!本当だ!」


優真はまた消しゴムで消して書き直す。


「これでいい?」


「これで100点!」


「やった!じゃあゲームをやっていい?」


「ちゃんと片付けてからね」


「はーい」


プリントをファイルにしまい、ランドセルを片付けて、ゲームを始める。


斎藤くんが「1年生だからまだわかるけど、もう少し難しくなると、教えられる自信がない。もう少し勉強しておけば良かったよ(笑)」と言う。


「私も!因数分解とか訳わかんなかったもん」


「俺も(笑)」


「吹奏楽部の2人だから、音楽は大丈夫だな」


「そうだね(笑)」


2人で笑う。


「優真!そろそろ寝る時間だよー!」


「はーい!」


約束の時間になる。


まだ私が一緒じゃないと眠れない優真。


でも、兄に似たのか、寝付くのは早い。


「優真寝たよ」


換気扇の下でタバコを吸っていた斎藤くん。


「おー、相変わらず早いな」


タバコを消して、こっちに来た。


「話しってなに?」


私が聞く。


「今日って何の日か知ってる?」


「えっ?今日?」


ごめん、わからない。


黙っている私に、斎藤くんが「加藤は知らなくて当たり前なんだけど、実は今日、俺の両親が命を絶った日なんだ」と言う。


「…えっ?」


「そう、命日。記憶にないからね、そんな重い感じではないんだけど」


黙る私。











No.383

「高校生の時に、おばさんから聞いた。俺、両親の愛情って知らないんだよ。記憶もないし。だから、父親って何をするのかわからなかった。前は父親になりきれずに終わったし。でも優真くんと一緒にいて、息子への気持ちってこんな感じだったのかなーって思ってた」


何て言えばいいんだろう。


「何で2人揃って自殺なんてしたんだろうなー。俺は絶対優真くんを残して死ねないよ」


「斎藤くん…」


「何かさー、俺、優真くんに色んな事を教えてもらっている気がするんだ。まだ行事とかは行った事はないけど、楽しそうに話す優真くんを見てね、父親ってこうなんだよって事とか色々教わっているよ。血の繋がりはないけど、本当の父親も知っているけど、俺は優真くんの父親になった気でいるんだ。だから、今度、加藤の家族に会わせてよ」


「弟ならすぐにでも…」


「いいよ。弟さんに都合合わすからいつでも」


「わかった。近いうちに連絡してみる」


「あとさ、こんなの買ってみたんだけど…」


そう言って、仕事用のカバンからちょっとシワになった小さな紙袋を取り出した。


「開けてみて」


小さなダイヤがついたネックレスだった。


「俺、女の人にプレゼントってどんなのがいいのか良くわからないんだよ。元嫁はブランド品ばかりだったし、こういうプレゼントをした事がなくてね。でも、加藤ってネックレスをしているイメージがあって選んでみた」


「ありがとう…」


「俺、両親に「俺はまりと優真っていう大事な人も出来た。天国か地獄かはわからないけど、お前らの息子は幸せになってやるからそこから見てろよ!お前らの分も生きてやるからな!」って意味で、今日プレゼント。つけてみて」


早速つけてみる。


「おっ!似合うじゃん!やっぱり俺、センスいいなー(笑)」


「ありがとう…嬉しい」


「長谷川さんみたいに、女の子の事をわかっていれば苦労しないんだけど、俺、こう見えて一途なんだよなー」


「結婚したじゃん」


「元嫁との話しは話すと長くなるんだよ。でも俺はずっと加藤と優真くんだけを愛していくんだ!」


「私も…ネックレス、大事にする」


「優真くんにはこれ」


そう言って、前から欲しいと言っていたゲームソフト。


「優真、喜ぶよ」


斎藤くん、ありがとう。



No.384

優真の参観日。


半休を取り、私だけ学校に行く。


すると、帰りに同じクラスの女の子のお母さんが話しかけて来た。


「優真くんのお父さんって、カッコいいですよね」


「そうですか?ありがとうございます。優真が聞いたら喜びます」


「あんなにカッコいいお父さんなら、自慢じゃないですか?」


何だろ、この人。


今まで余り話した事がないのに、急に話しかけて来たと思ったら雅樹の話し。


離婚している事は、先生にしか言ってないから夫婦だと思って話している。


「うちの結愛も、優真くんのお父さんの事をカッコいい!って気に入っちゃって。ほら、私、離婚してるじゃない?」


「はぁ…」


「たまに遊びに行かせてもらってもいいかしら?」


「はい?」


うちは斎藤くんと住んでるエリアの小学生で、雅樹が住んでる家は学区が全く違う。


何を言ってるんだろ。


「ちょっとそれは…」


「いいじゃない!ちょっとお邪魔してお話しするだけよ。子供同士も遊べるし。そうと決まれば、今晩お邪魔していい?うちから近いよね」


「いや、困ります」


本当に困る。


「どうして?」


「いや、普通に困ります」


「とりあえず、今日行くから!じゃあ!」


お母さんはそのまま子供を連れて、急ぎ足で帰って行く。


いや待て。


来られるのは非常に困る。


そもそも何なの?


本当は、優真と帰る予定だったけど、優真には学童に行ってもらう事にして、私は学校から少し離れたコンビニの駐車場に移動して、斎藤くんにメールをする。


「仕事中ごめん。さっき優真の同級生のお母さんに、優真のお父さん(長谷川さん)に会いたいから、今晩お邪魔しますっていきなり言われて非常に困っているんだけど、どうしたらいいと思う?」


すぐに返信。


「ごめん、何か意味が良くわからないから、5分後に電話をする」


「はい」


動揺していて、意味がわからないメールになってしまった。


斎藤くんからの電話を待つ。


5分後ぴったりに電話が来た。


「仕事中、ごめんね。今はどこ?」


「車の中」


「あのね、早速なんだけど…」


さっきあった事を話す。


斎藤くんは黙って聞いている。

No.385

「何だ?そのお母さん、ヤバくね?」


「そうなの。どうしよう」


「来たら、俺が対応してやるよ。一応、加藤と優真くんは隠れていなよ」


「ありがとう」


「一応、ヤバいお母さんがいるっていう事を長谷川さんに言っておけば?優真くんに何かあっても嫌だし」


「そうだね」


「今、事務所に帰ったら、長谷川さんに加藤に電話する様に伝えておくけど?」


「斎藤くんがいいなら」


「いいよ。じゃあまた後で」


斎藤くんと電話を切ってから10分後に、今度は雅樹から電話が来た。


「まり?どうした?」


「ごめんね、仕事中」


「いいよ、ちょうど一区切りついたし。斎藤が「加藤が連絡ほしいそうです」と言って来たから、何かあったのかと思って。今日、参観日だったんだろう?」


「うん、実はね…」


ヤバいお母さんの話をした。


すると雅樹が「あー」と言う。


「知っているの?」


「やたら俺の事を見てくるお母さんがいたんだよなー、多分あの人かなぁ?」


「最初の参観日?」


「そう、優真の一番最初の参観日、日曜日だったから俺も一緒に行った時。あの時に「よろしくお願いしますね」って声をかけられたから、優真の同級生のお母さんだからと思って「こちらこそ」って返した」


「どんな感じの人だった?」


「うーん、余り覚えてないけど、茶髪のパッと見は派手な感じの痩せてる人」


「そう、その人」


「いやー、何か怖いね。今日、うちに避難する?」


「でも…」


「優真だけでも避難させる?今日金曜日だし、明日学校休みだよね?俺は仕事だけど、仕事中は優真を実家に預けてもいいし。仕事終わったら、まりが優真を迎えに行けばいいよ。俺は斎藤の家には行けないから、斎藤に対応してもらうのは申し訳ないけど…」


「わかった」


「優真に変なトラブル見せたくないし、そうしなよ。とりあえず仕事終わったら連絡する」


「ありがとう」


「何なら、まりも優真と一緒に泊まってもいいんだぞ?」


「やめとく」


「そんな即答じゃなくて、もう少し考えてくれてもよくない!?」


「変に期待させてしまうと申し訳ないからね」


「冷たいなー。まぁいいや。じゃあまた後で」


「うん」


電話を切る。



No.386

斎藤くんにメール。


「今、長谷川さんと話をして、優真に変なトラブルを見せたくないって事で優真だけ長谷川さんのところに避難させる事にしました」


すぐに返信。


「わかった。対応は俺に任せて!」


「ありがとう」


今ならまだ来る事はないよね。


私は一旦帰宅し、優真の荷物をまとめていつものリュックに入れる。


晩御飯の準備をする。


お礼に雅樹の分も作る。


そろそろ学童に優真を迎えに行く時間。


雅樹と優真の分の晩御飯をタッパーに入れて、優真のリュックと一緒に持って行く。


優真を迎えに行き、雅樹の家に着くと同時に雅樹から電話が来た。


「まり?今どこ?」


「今、雅樹の家に着いた」


「俺も今終わったから、これから行くから。斎藤も一緒に会社出たよ」


「わかった」


優真に「今日はね、パパのうちにお泊まりだよ?」と言う。


「ママは?」


「ママは帰る」


「どうして?」


「ママはちょっと用事があるんだ」


寂しそうな優真。


雅樹が来た。


優真は「パパ!」と笑顔で雅樹のところに行く。


「ごめんね、これ、優真の荷物と…優真と一緒に食べて」


雅樹に優真のリュックとタッパーに入った晩御飯を渡す。


「晩御飯作ってくれたの?」


「急いで作ったから、ちょっと味がまとまってないかもしれないけど」


「まりが作ったやつは何でもうまいよ!ありがとう!」


喜んでくれた。


「とりあえず、私行くね。また後で連絡する」


「わかった、優真の事は任せておけ!本当は俺がしっかり対応したいんだけど…」


「仕方ないよ、大丈夫。じゃあ」


私は家に帰ると、スーツ姿の斎藤くんがいた。


「今、優真を長谷川さんのところに預けて来た」


「本当に来たらヤバいからね」


「優真はちょっと寂しそうな顔をしていたから申し訳なくて」


「仕方ないよ」


斎藤くんと話していると、部屋のインターホンが鳴った。


インターホンを見ると、本当に優真の同級生のお母さんが来た。


かなり露出した服を着ている。


「加藤、奥の部屋に行け。姿は見せるな」


「わかった」


私は奥の部屋に隠れる。


斎藤くんがインターホンに出る。


「長谷川さーん?私ですー!古川結愛の母ですー」






No.387

斎藤くんが「すみません、うちは長谷川ではないのですが」とインターホン越しに話す。


すると「えっ…?」と言って黙るお母さん。


「いや、そんなはずはないです。この部屋に優真くんとお母さんが入るのを見ましたから」


「人違いでは?」


「そんなはずはないです。とりあえず開けてもらえませんか?」


「開けません。騒ぐなら迷惑なので警察呼びますけど」


「いや、絶対に長谷川さんちです!」


斎藤くんは無言で玄関を開ける。


「…あれ?」


私は様子を奥の部屋からバレない様に覗く。


「だからうちは長谷川ではないです」


「…すみませんでした」


そう言って、お母さんは斎藤くんをじっと見る。


そして、結愛ちゃんを連れて帰って行った。


斎藤くんがドアを閉める。


「あっさり帰ったね」


「ありがとう」


するとまたインターホンが鳴った。


見ると、結愛ちゃんのお母さん。


「まだ何か?」


斎藤くんが対応する。


「あの…」


「はい」


「もう一度だけ、顔を見せてもらってもいいですか?」


「嫌です」


「何か、カッコいいなと思いまして…また来ていいですか?」


「お断りします。今度来たら警察呼びますけど?」


「…失礼します」


今度は本当に帰って行く。


「…怖いね」


斎藤くんが呟く。


まさかとは思うけど、今度は斎藤くんを狙ってる?


雅樹にメールをする。


「本当に来て、今帰った」


「マジかー。電話は無理?」


「別に構わないけど」


すぐに電話が来た。


斎藤くんが「長谷川さん?」と聞いて来たから「そう」と返事。


「出なよ」


「うん」


電話に出る。


「どうだった?」


「斎藤くんが対応してくれたから、すぐに帰ったよ」


「そうか、騒がれたりとか被害はなかった?」


「大丈夫だったよ」


「なら良かった」


「優真は?」


「今、ゲームをしてる」


「そっか」


「優真はこのまま俺が見るから大丈夫。明日、出勤前に実家に連れて行くから」


「わかった。おやすみ」


「じゃあ明日な!」


電話を切る。


でも、これで終わらなかった。




No.388

翌日、仕事に行こうと、斎藤くんが先に玄関を出たら「おはよーございまーす!」と玄関前の廊下から声がした。


斎藤くんが、声の方を振り返ると、結愛ちゃんのお母さんが笑顔で立っていた。


私は思わず、玄関からすぐ横にある物置に逃げ込む。


斎藤くんは困惑。


「あの…ご用件は?」


「これからお仕事なんですか?」


「そうですけど、何か?」


「あのー、やっぱりカッコいいですね!一目惚れしちゃいました。付き合って下さい」


「お断りします。あの…急いでるんでいいですか?」


私は出るに出れない。


「そんな事言わないで下さいよー!付き合えば私の良さがわかりますからー!」


とりあえず、斎藤くんが玄関の鍵を閉めて駐車場に歩いて行く。


この時、優真がいなくて良かったとホッと胸を撫で下ろす。


結愛ちゃんのお母さんの声が聞こえなくなった。


除き穴から様子を見る。


すると、反対側からいきなり目が見えてびっくりする。


会社に行けない。


このままなら遅刻しちゃう。


郵便受けを外から開ける音がする。


でも、カバーがついているため、中の様子は見れない。


ドアと郵便受けをずっとガチャガチャしている。


どうしよう。


すると、誰かが来た。


「何をしている?」


「彼氏の家なんですけど…」


「ちょっと来てもらっていい?」


除き穴から様子を見ると警察の方だった。


斎藤くんが呼んだ様子。


結愛ちゃんのお母さんが何かを言いながら、警察に連れて行かれる。


声がしなくなり、私は玄関から出る。


周りを見渡す。


誰もいない。


私は、玄関に鍵を閉めてダッシュで駐車場まで行くと、斎藤くんが警察の方と話をしていた。


私は、雅樹に電話をする。


すぐに雅樹が出た。


「ごめん、今日ちょっと遅れるかも」


理由を話す。


「わかった。時間差で出勤してこい。後はこっちでうまくやっとく」


「ありがとう」


結局、私は30分遅れ、斎藤くんは1時間遅れで出勤。


田中さんに事情を説明。


「そのお母さん、ぶっ飛んでるねー!先生にも一応、言っておいたらいいよ」


「はい、そのつもりです」


朝から面倒なトラブルに巻き込まれた。





No.389

その日の昼休み。


携帯に何かあった時のために、と思って登録しておいた担任の先生に電話をかける。


「いつもお世話になっております、長谷川優真の母です」


「優真くんのお母さん、こんにちは!何かありましたか?」


昨日と今日あった事を話す。


先生は「いやー…大変でしたね。わかりました、ご連絡ありがとうございます。ちょっとお時間頂けますか?学校でも対応しますので」と言って頂いた。


その日の夜も、優真は雅樹のところにお泊まり。


斎藤くんが今日も優真はうちに来ない方がいいと言ったから。


幸い、その日から結愛ちゃんのお母さんは来る事はなかった。


いつの間にか、転校していった。


もう来る事はないだろうけど、結愛ちゃんがちょっと可哀想に思う。


平和な日常が戻る。


ある土曜日。


圭介から電話が来た。


「ねーちゃん、今大丈夫?」


「大丈夫だよ」


「いきなりだけど、俺も離婚した」


「えっ!?どうしてまた…」


「ちょっと会って話したい。明日は時間ある?」


「あるけど…」


「明日、ねーちゃんちに行っていい?あっ、でも男がいるのか」


「ちょっと待って」


近くにいた斎藤くんに「弟から電話で、明日うちに来ていい?って言ってるけど…」と言うと「いいよ」との返事。


「いいって言ってる。ちょうどこっちも圭介に会いたいし、おいでよ」


「わかった。明日の11時頃は大丈夫?」


「大丈夫」


「じゃあ明日」


電話を切る。


斎藤くんが「俺も弟さんに会いたかったし、ちょうど良かった」と笑顔。


優真はお泊まりには行かずに、家でゆっくりしている。


「優真!明日圭介兄ちゃんが来るって!」


「やったー!」


優真は、いつも遊んでくれる圭介が大好き。


翌朝。


圭介が来る前に、軽く部屋を片付ける。


時間より、少し早目に圭介から電話。


「ねーちゃんちって、ここでいいの?」


「今降りる」


駐車場に行くと、圭介の車があった。


車を停める場所を教えて、一緒に部屋に行く。


「斎藤くん!弟来たよ!」


玄関から呼ぶと斎藤くんが玄関に来た。


「初めまして。斎藤といいます。どうぞ上がって下さい」


「初めまして。弟の加藤圭介といいます。お邪魔します」


挨拶をして部屋に入る。

No.390

「圭介兄ちゃん!」


「おー!優真!ちゃんと勉強頑張ってるか?」


「頑張ってるよ!」


「そうかー、優真は偉いなー」


「今日、めぐちゃんとみなみはいないの?」


「いないんだー、ごめんなー」


優真と圭介が話をしている。


私が、斎藤くんと圭介に麦茶を出す。


優真はゲームに夢中。


私は、斎藤くんの隣に座る。


圭介が黙って斎藤くんを見ている。


「どっかでお会いした事あります?」


圭介が斎藤くんに聞く。


「どっかで見た事あるんだよなー…」


しばらく無言。


斎藤くんも黙って圭介を見ている。


「あっ!もしかしたら久保田さんの…」


圭介が言う。


斎藤くんが「そうだ!思い出した!前の会社の取引先の加藤さんだ!」と圭介を見る。


「やっぱり!その節はお世話になりました」


圭介が言う。


「こちらこそ」


斎藤くんが言う。


どうやら斎藤くんが前の会社で、圭介と接点があったみたいで、それがわかってからお互い緊張が少し和らいだ様子。


「いやー、まさか姉の彼氏とは。あの時って結婚されてませんでした?」


「してました。既に別居してましたけど」


「そうだったんですね」


何か話がよく見えないけど、仲良く話し出す2人。


「ねーちゃん、彼氏知ってたわ。世の中狭いね」


「そうだね」


「すごく感じいい人だったんだよなー。斎藤さんかー、いいんじゃない?でも、こんな事を言うのは申し訳ないけど、長谷川さんと何となく雰囲気似てるね」


「そう?」


「顔とかは全然違うけど、何ていうか…雰囲気
だね」


「俺、長谷川さんと似てるのかなー」


斎藤くんが言う。


「あー、そっか、同じ会社だって言ってたもんね。やりにくくないんですか?」


「俺は全然、席隣だし」


「マジっすか!?席隣とか、俺が彼女の元旦那が隣とかなら嫌だなー」


「なかなか楽しいですよ(笑)」


斎藤くんが言う。


仲良くなってくれて良かった。


「ところで、圭介。離婚したって…あんなに仲良かったのに…」


「…母さんなんだよ。母さんさ、一回病院に連れて行かない?絶対おかしいよ。父さんが死んでから、輪をかけて酷くなって…」








No.391

「斎藤さんの前で話すのは申し訳ないんだけど、長谷川さんとねーちゃんの離婚も、母さんが理由もあるでしょ?」


「…まぁね」


「俺も同じなんだよ。母さんが突撃してきては、めぐみを苦しめた。俺が仕事に行っている間にうちに来ては、タンスの中を片っ端から開けて見て歩き「やめて下さい」とめぐみが言えば罵詈雑言、子供の名前は勝手に決めてきては、その名前で子供を呼んだり、勝手に部屋の模様替えしたり…」


「あー。うちも似た様なもんだったわ。それで一旦、長谷川さんの気持ちが離れてしまい、女に走ったんだよなー」


斎藤くんが「そうなの?」と私を見る。


「そうなの。母親が全てかき回したの」


「俺もそうなんだ。そんな母親にめぐみが拒否反応を起こす様になって、家のチャイムが鳴っただけで呼吸困難みたいに苦しくなる様になっちゃって…みなみを連れて、実家に帰った。何度かめぐみとみなみに会いに行ったんだけど、俺を見ると母さんを思い出して苦しくなるからって言われて、離婚届けが送られて来たよ。この間、出して来た」


「そっか…」


「俺は2度と結婚もしないし、女も作らない。仮に次に付き合うとしたら、母さんが死んでからかな。もう、めぐみみたいに大事な人を苦しめたくない。俺、本当にめぐみとみなみが大事だったから、離婚届が送られて来た時はショックが半端なかったよ。守ってやれなくてごめんなって」


「離婚前に、うちに来なくなったと思ったら、圭介のところに行ってたのか」


「長谷川さんにも申し訳ない事をしたと思ってる。斎藤さん、ごめんね。俺、ねーちゃんと長谷川さんをずっと見てきて、母さんがあんなんじゃなかったら、多分ねーちゃんと長谷川さんはまだ夫婦だったかもしれないと思ってさ。だからといって浮気はダメだけど」


斎藤くんは黙って話を聞いている。


優真は相変わらずゲームに夢中。


「で、ねーちゃんに相談」


「なに?」


「この間、兄貴とも話してたんだけど、母さん、一回精神科に連れて行こうと思って」


「素直に病院に行くと思う?」


「行く訳ないじゃん。だから色々兄貴と調べたんだよ。そしたら市役所に社会福祉協議会っていうところがあって、相談に乗ってくれるって。ねーちゃん、一回一緒に母さんの事を行ってみない?」


No.392

「圭介と休み合わないじゃん」


「合わないんじゃなくて、合わせるんだよ。ねーちゃん、いつなら休み取れそう?」


私は斎藤くんを見る。


「木曜日は?うるさい部長いないし」


圭介が「木曜日なら、俺も大丈夫。ねーちゃん、木曜日に市役所行こう!」と言って来た。


「わかった。明日会社に聞いてみる」


「頼むよ。ねーちゃん」


「兄ちゃんは?」


「兄貴、来月まで長期出張中らしいんだよ」


「そうなんだ」


「親父も、こんなに早く逝かなくても良かったのにな」


斎藤くんが「お父さんが「俺の事をいつまでも悲しむな」って言ってるのかも。お母さんも、もしかしたら苦しんでいるかもよ?自分の中で、おかしいと思っていても、どうしようもないのかもしれない。だから、きっとお父さんが遺した試練なのかも。乗り越えろって。」と言う。


「斎藤くん、ありがとう」


「俺、家族がいないから、家族で悩むって事がないからね。よくわからないところはあるけど、俺が出来る事は何でも協力するよ」


圭介が黙って斎藤くんを見ている。


「そろそろ昼だし、何か食べませんか?この間、宅配弁当のチラシが入ってたんで頼んでみません?」


斎藤くんが圭介に聞く。


「前にここ、頼んだ事ありますけど、まあまあ美味かったですよ!」


「じゃあ頼んでみようかな?優真くん!お弁当、何がいい?」


ゲームをしてる優真を呼ぶ。


「うーん…」


悩んでいる優真。


「これ!チーズハンバーグ!」


「優真くんはこれだな!加藤は?」


私と圭介が反応する。


「あっ!そうだった、加藤がもう1人いた!」


そう言って笑う。


「ねーちゃん、加藤さんに戻ったの?」


「違うの、斎藤くんとは同級生だから、ずっと加藤って言われているの」


「そうなんだ、加藤さん」


「あんたも加藤さんでしょ?(笑)」


「何かいいねー、姉弟って。面白いよ。顔も似てるし。ねっ、加藤さん(笑)弁当選ぼうや」


各々選んで電話をする。


30~40分位でお届けしますと言われたので待つ事にした。


待っている間は、たまに圭介が優真にちょっかいをかけている。


ゲームの邪魔をされて怒る優真。


「たまには勉強しろよー、優真!」


「してるもん!」


楽しい時間になる。




No.393

しばらく圭介はうちにいた。


「俺、引っ越そうと思って」


「どこに?」


「まだわかんないけど…また遊びに来てもいい?」


「もちろん!ね、斎藤くん」


「いつでも歓迎するよ!」


「俺、1人だから寂しいんですよ。斎藤さん、今度飲みません?ねーちゃん、今度斎藤さん借りていい?」


「どうぞー」


「優真!お兄ちゃん帰るからな!」


「帰るの?」


「今度、ゆっくり遊ぼうな!」


「約束だからね!約束は守らないとダメなんだからね!」


「ねーちゃんに口調そっくり(笑)じゃあまた!弁当ごちそうさま!」


圭介が帰って行く。


斎藤くんが「何か、いい弟さんだね。顔は似てるけど、タイプ違うね」と言う。


「そうなの」


「でも会えて良かった!今度は機会があればお兄さんにも会ってみたい」


「そうだね」


「弟さんは、長谷川さんと仲良かったの?」


「良かった」


「結構、長谷川さんの事を話していたからね、そうかな?と思って」


「今でも、たまに連絡は取っているみたい。友人としては楽しいらしい。10歳も歳が離れているのに」


「友人として仲良くするのはいいんじゃない?」


夜、布団に入ってから、雅樹との結婚生活を色々回想していた。


すると斎藤くんが「加藤、起きてる?」と聞いて来た。


「起きてるよ」


「加藤としたい」


「えっ?」


「ダメ?」


斎藤くんが体を私の方に向きを変える。


私を抱き寄せる。


「今、長谷川さんの事を考えてなかった?」


「何でわかるの?」


「聞こえたから」


「口に出てたの?」


「口に出てないけどわかるよ。結構、加藤ってわかりやすいから」


私の髪を撫でる。


キスをしてきた。


「俺だけ見ていてよ」


斎藤くんの真っ直ぐな眼差し。


斎藤くんが私を激しく抱く。


良くしゃべる斎藤くんが余りしゃべらない。


息づかいだけが聞こえてくる。


「智也…」


「まり…愛してるよ…はぁ…出していい?」


私の繋いでいる手をギュッとしてから、中で出した。


その後「ごめん、ヤキモチ」と言って、私をギュッと抱き締めた。


「好きなのは斎藤くんだけだよ。もう長谷川さんとは何にもないし」


「俺のまりだ!」


斎藤くんの腕枕で就寝した。

No.394

木曜日。


斎藤くんと優真を送り出してから、食べ終わった朝食を片付けて、掃除機をかけてから市役所に行く準備をする。


圭介とは市役所に10時に待ち合わせ。


9時50分くらいに市役所に着いたけど、圭介はまだ来ていない様子。


自販機でペットボトルのお茶を買い、一口飲むと圭介が来た。


「ごめん、ねーちゃん!ちょっと遅れた!」


「大丈夫、私もさっき来たから。圭介も飲む?」


もう1本買ったペットボトルのお茶を渡す。


「ありがとう!ちょうど買おうかと思ってたんだよ」


そう言ってお茶をごくごく飲む。


市役所の1階奥にある、社会福祉協議会と書いてあるエリアに着いた。


圭介があらかじめ連絡をしていてくれていたらしく、吉川さんという40代くらいの女性が担当になった。


母親のこれまでの言動を、事細かに私と圭介で説明。


吉川さんは、聞いた事を丁寧に書いていく。


正直、精神科の門を叩くのは若干抵抗があった。


でも、この社会福祉協議会を通じて、地元でも大きな精神科を紹介してもらい、吉川さんも一緒に一度精神科の先生とお話をする機会を作ってくれる事になった。


その入り口として、65歳以上の独り暮らしの方を対象とした、福祉の取り組みがあり、それを理由に吉川さんが母親と会うという事になった。


私か圭介が、何か適当な理由を作って実家に行き、その時間に合わせて吉川さんが自宅を訪問。


まずは母親にバレない様に、吉川さんが母親と面会をする事になった。


ここで変に母親に構えられてしまうと、精神科の受診が難しくなる。


母親本人は何ともないと思っているため、警戒心を和らげる意味もある。


私より圭介の方が性格的にいいだろう、という判断で後日、圭介が実家に行き吉川さんを待つ形にした。


実家に行く日にちは、ちょうど1週間後の来週の木曜日の午後2時。


最近の私はは、特別な用事がない限り母親と連絡もしていないので、私から気付かれる心配はない。


圭介なら、実家に行ってもうまくやってくれそうだし。


きっとうまくいく。


母親をだます形になり心苦しいけど、こうしないと母親は一生このまま過ごす事になる。


少しでもいい方向に行ってくれれば…。







No.395

翌週木曜日、私まで実家に行くと母親に怪しまれるため、私は午後から半休を取り自宅で待機していた。


圭介から連絡があれば、すぐにでも実家に行ける様に。


15時半過ぎに、圭介から電話が来た。


「もしもし、ねーちゃん?」


「圭介、どうだった?」


「母さん、吉川さんに妄想話をしていたよ」


「そっか」


「吉川さんは、決して母さんを刺激する事はなく、うんうんって話を聞いていた。話を合わせて「防犯カメラつけてみたらどうでしょうか?」とかって言ってた」


「お母さんは何て?」


「地主のオヤジが実家の鍵を持っているから、夜な夜な入って来るから、まずは鍵を変えるんだって。盗聴もされているから調べてもらいたいと。携帯から変な電波が出ていてオヤジに家を調べられているから、携帯は持ち込まないで欲しい、警察に相談しても何もしてくれない。人をキチガイ扱いする、と言う事を言っていた」


ため息が出る。


「あと、めぐみや長谷川さん、千佳さんは実家の財産を狙っているよそ者、うちの子達は皆騙されているとも言っていた。だから、俺が離婚した事を言ったら「やっと目を覚ましてくれたか!」と喜んでいたわ」


実家に財産なんてない。


父親もご先祖様も一般庶民。


父親の方の祖父は旧国鉄職員、祖母は専業主婦だった。


母親の実家は米農家。


ごくごく普通の農家。


母親の兄が農家を継いでいて、たまにお米とか自宅で作っているトマトやほうれん草等を送ってくれるけど、決して富豪ではない。


父親の生命保険が入ったけど、何千万と入った訳ではない。


母親の貯金は知らないけど、誰も親のお金はあてにもしていないし、もらう気もない。


でも何故か母親はそう思っている。


「吉川さんに母親の妄想話は聞いてもらえたし、俺も吉川さんも実家を出て、近くの公園の駐車場でちょっと話した。後日、俺の携帯に吉川さんから連絡が来るから、来たらねーちゃんにも連絡する。一応、兄貴にも夜にでも連絡しておくわ」


「わかった。ありがとう」


圭介との電話を切る。


とりあえず、吉川さんに任せてみよう。


色んな方々とお会いしている分、母親への対応もうまくしてくれるはず。


でもプロである吉川さんでも苦戦する。


自己防衛、正当化するために必死の母親は一筋縄ではいかなかった。

No.396

仕事は幸い閑散期だったため、比較的休みがとれやすい。


田中さんには事情を説明。


渋谷くんも協力してくれて、圭介と市役所に行ったり、吉川さんと話したりの日々。


火曜日の午後に、精神科の先生と吉川さんと精神保健福祉士の方と病院で話す事になった。


吉川さんと病院の駐車場で待ち合わせて、吉川さんと圭介と私の3人で病院内に入る。


精神科って、ちょっと独特の雰囲気。


ご年配の方の認知症病棟と一般病棟に別れていた。


病院奥にある、3畳程の個室に案内された。


精神科の先生と精神保健福祉士の方に、母親の事を話す。


認知症と統合失調症を疑われた。


この頃の母親は、家の権利書や実印等の大事なものを地主のおやじに狙われていると言って、圭介に預けていた。


冷蔵庫の食べ物や、通帳、インスタントラーメンまで「変な液体を入れられて苦くなるから、家に置いておけない」と言って、旅行カバンに入れて、常に持ち歩くためいつもすごい荷物になっていた。


味覚障害もありそう。


話し合いの結果、本人の同意なしで家族の同意で入院出来るシステムを選んだ。


医療保護入院となる。


強制的に母親を車に乗せて、強制的に病院に連れてきて入院する事になる。


来週の月曜日、母親は入院する形になった。


直前まで母親には伝えない。


その日はどうなるかわからなかったため、優真の学童の迎えは斎藤くんにお願いをした。


斎藤くんに話をする。


「お母さん、入院って結構大変なの?」


「話し合いの結果、そうなった」


「優真くんの事は、俺に任せて!加藤は、お母さんの事に専念しなよ」


「ありがとう」


「色々大変だと思うけど、無理しないで。何でも言って!」


「ありがとう」


斎藤くんに少し甘える事にした。


正直、気持ちがいっぱいいっぱいだった。


優真の事、仕事、母親の事、1日24時間では足りないくらいの毎日だった。


圭介や兄と電話したり会って話したり。


お父さん。


天国から見守っていてね。


子供達3人で、母親を助けていくからね。





No.397

母親が入院する前日の日曜日。


圭介がうちに来た。


斎藤くんと優真も出迎えてくれる。


圭介が優真にお菓子とジュースを買って来てくれた。


喜ぶ優真。


早速お菓子を食べる。


他に私達にもパウンドケーキを買って来てくれた。


月曜日の10時に、精神科のワゴン車で先生と看護師さん、吉川さんが一緒に実家に来て、言い方は悪いけど母親を拉致する形で病院に連れていく。


母親の気持ちは全く無視だけど、こうするしかなかった。


私も圭介も仕事は休む。


この日は私も圭介と一緒に実家に行く。


私も圭介も不安な気持ちはあるし、母親に罪悪感はある。


でも、こうするしかないと圭介と2人でお互いに言い聞かせた。


月曜日。


出勤前に斎藤くんに「何かあれば、すぐに連絡して。携帯にはすぐに出れる様にしておくから」と言ってくれた。


優真も斎藤くんと一緒に登校。


「優真、今日の学童のお迎えはお兄ちゃんが行くからね」


「うん!」


「今日、プリントちゃんと先生に渡すんだよ!」


「知ってるー」


「じゃあ、行ってらっしゃーい!」


「行って来まーす!」


優真とハイタッチ。


すっかりお兄ちゃんになった優真。


たくましく感じる。


2人を見送り、朝御飯の片付けをして、実家に行く準備をする。


緊張してきた。


少し早目に家を出て、圭介に連絡をする。


ちょうど圭介も家を出るところだった。


実家で待ち合わせる。


一緒にインターホンを鳴らすと、鬼の様な形相をした母親。


「あのオヤジがまたお父さんの物を持って行った!お父さんが大事にしていた時計がないの!」


そう言って大騒ぎをしていた。


圭介が「探したの?」と言うと「探したわよ!」と怒鳴る。


「あと、まり!あんた、お母さんの財布からお金抜いたでしょ!返しなさいよ!お母さんは知ってるんだから!早く返しなさいよ!」


心当たりが全くない。


そもそも滅多に実家に来ない。


理由を聞く。


「前にうちに来た時にお母さんのカバンを触ったのを見た!」


「あー、ちょっと邪魔な位置にあったからよけただけだよ」


そう説明しても聞き入れてもらえず、それが母親の中でカバンを触る=財布からお金を盗んだに変換されていた。


No.398

外で、精神科の先生を始め、男性看護師さんや吉川さん達6人が大きなワゴン車で待機しているのがわかった。


私がお金を盗ったと思っているので、私に対して罵詈雑言を言い放つ。


圭介が、母親が私に攻撃している間に、精神科の方達を自宅に招き入れた。


驚く母親。


「あんた達は誰?」


「精神科の医師の平内と言います」


「精神科!?呼んでないわよ!」


暴れる母親。


「私はどこも悪くない!お前は何でもない私をキチガイ扱いにして、金儲けをしたいだけだろ!?」


男性看護師さん2人が、暴れている母親を落ち着かせる様にするも更に暴れる母親。


母親からしてみたら、突然現れた人達。


そりゃ、びっくりするのはわかる。


でもこうしないと絶対、入院は無理なのがわかっていた。


私と圭介は、その様子を黙って見ているしか出来なかった。


母親が「圭介!まり!あんた達からも何か言いなさいよ!お母さんは何でもないからって!」と怒鳴るが、黙る私と圭介。


そんな私達を見て「お前らもグルか!」と怒鳴る母親。


ごめんなさい。


こうするしかなかったの。


私も圭介も、悩んで考えて相談した結果、これが最善の方法だったの。


兄も賛同してくれている。


私も圭介も兄ちゃんも、もうこれ以上、お母さんの妄想に、罵詈雑言に、巻き込まれたくないの。


しばらく暴れていた母親だった。


近くにいた男性看護師さんは、母親に爪で引っ掛かれたり叩かれたりしていたけど、痛がる素振りもなく、淡々と母親を落ち着かせる。


母親は諦めたのか、大人しくなった。


「わかったわよ。行けばいいんでしょ?でも私は何でもないから、すぐに帰って来るから!」


そう言って、精神科の車に乗り込んで行く。


吉川さんが「一緒に病院に来て下さい。自家用車で構いませんので。病院で待ってます」と言って、ワゴン車に乗り込み、車が発車。


私と圭介は、自宅の鍵を閉めて、圭介の車で病院まで追いかけた。


病院に着くと、受付の女性に確認。


2階のナースステーションに行く様に言われる。


2階に上がると、扉があって隣にインターホンがある。


インターホンを押すと看護師さんが対応してくれた。


「あの、今入院した加藤千恵子の息子なんですけど…」


「今、鍵を開けますね」








No.399

看護師さんに鍵を開けてもらい、ナースステーション内に入る。


ガラスの向こうに、閉鎖病棟に入院されている方々が廊下を歩いていたり、雑談をしているのが見える。


看護師さんが入院同意書を持って来た。


圭介が書く。


母親が着ていたパーカーは返された。


紐がついているから、が理由。


色々説明を受ける。


お見舞いも可能だけど、持ち込んではいけないものもたくさんある。


帰る前に母親と会わせてもらう。


ナースステーションの隣に扉があり、看護師さんに鍵を開けてもらう。


4畳半程の広さの部屋の隅に、丸見えのトイレがあるくらいで何もない部屋。


病院のパジャマの様な服を着て布団に横たわる母親。


圭介が「気分はどう?」と母親に問いかける。


すると母親は「気分悪い。あんた達の顔も見たくない」と言って背中を向けた。


圭介と目を合わせる。


「今日は帰るね」


私が母親に声をかけた。


入院の手引きに書いてある、入院に必要なものを取りに一旦実家に帰る。


多分、長い入院になる。


父親のお仏壇も掃除しないと。


冷蔵庫に入っているものは、賞味期限がヤバいものは持ち帰った。


着替えとかを持ち、再び病院に行く。


今回は面会はしないで、荷物だけを看護師さんに預けた。


母親はこれから色々検査があるみたい。


後日、診断の結果は「妄想性障害」


完治はする事はないけれど、少しでも落ち着いてくれる事を願って…。


その日は、圭介と2人でちょっと遅めのお昼ご飯をファミレスで食べた。


私も圭介も余り話さない。


複雑な気持ちは一緒。


圭介は今回、色々やってくれた。


圭介自身も離婚直後で大変な時だった。


でも、合間を縫って母親のために色々動いてくれた。


ありがとう。


母親がアポなしで突撃してくる恐怖は入院中はない。


圭介にとって、それだけでも気持ちが休まる。


離婚してからも雅樹の家に行っていた母親。


雅樹にも迷惑をかけた。


このまま穏やかに日々が過ごせるといいな。


圭介とファミレスで別れる。


緊急連絡先は圭介になっている。


もし何かあれば、病院からの連絡は圭介に入る。


「何かあったら連絡するわ」


そう言って圭介は帰って行く。



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