代案なき発言は意見ではない

レス15 HIT数 5635 あ+ あ-


2014/04/20 23:25(更新日時)

問題点を指摘するだけなら誰でも出来る。
その問題点を埋める為の代案を出して初めて意見として確立する。

私は上記のような考えを持っています。
ひとつの仕事のやり方が何の穴も問題点もない事は稀で、どこかに問題点はほぼ存在していると思います。
その穴を埋めて改善するとすれば、問題点を指摘するだけじゃなく
「〇〇という穴を埋めるためにこういうやり方に転換してみてはどうか?」
等の代案が必要だと思います。
それが思いつかないのであれば、少なくとも現時点では現状のやり方が最も問題点が少ない最善の方法であるのだと。

「もっと合理的なやり方があるはずだ」
と、問題点の指摘と具体性のない漠然とした発言のみで、改善策の提案や代案を持たない人がいます。
具体的にどうすれば良いかという策がないまま、問題点のみ指摘する無責任さに苛立ちを感じる自分に落ち込みます。

私が偏っているのでしょうか?
問題点の指摘のみでも、それは意見として成り立つのでしょうか?
どういう考え方をすれば、代案なき発言を素直に受け入れられるでしょうか‥。

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No.2082417 (スレ作成日時)

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No.1

問題点の指摘が 始まりで解決策や代案は次の段階。
ひとつひとつ進めないと 問題点指摘と代案をセットで求めるより効率良いのでは?
代案がないなら発言するな‥なんて言ったら誰も何も言えなくならない?

No.2

「代案無き反対は非建設的で無意味であり、物事を決定する妨げになる」という考えは、分からなくはありません。
しかし、問題点に気が付いたとしても、それをどうすれば良いかまですぐに思い付いて、それらをまとめて全て発言できる人は稀だと思います。

つまり、

A:「代案無き反対は非建設的で無意味であり、物事を決定する妨げになる」

という一方で、

B:「代案無き反対でも、問題点をその場にいる全員で認識・共有するのには役に立つので、議論する助けになる」

という考えもあると思います。問題点をその場にいる全員で認識・共有すれば、1人であれこれ考え込むより、問題点の解決はずっとしやすくなると思います。

「物事の決定」か「物事の議論・推敲」か、どちらに比重を置くかで使い分ける事が重要なのかも知れません。



ちなみに、Aを選択した場合、議論のペースはほぼ間違いなく発案者(案の主導者)が握れると思います。その代わり、その案で失敗した場合、(表立ってどうこう言われる事は無いでしょうが)会議の参加者は、発案者に対して強い嫌悪感を覚えるでしょう。それらが積み重なると、最終的にはグループ全体の士気の低下につながります。
また、そもそも会議中に迂闊に発言できないため、「やる気はあるけど、瞬間的な頭の回転はそんなに早くない」という人の場合、「私が発言しても、代案がその場ですぐ出せない以上、どうせ会議は発案者のペースになる。発言したら、会議に水を差しているように思われる」という事で、疎外感を感じる人が出てくる可能性も高いです。

一方でBを選んだ場合、グループの問題解決能力やコミュニケーション力が高ければ、非常に中身の濃い案がまとまる可能性が高いです。その反面、それらの能力が低い場合は、ただの小田原評定やつまらない口喧嘩の応酬で終わる可能性もあります。

No.3

>>1
レスどうもありがとうございます。
問題点の指摘が第一段階、確かにそうですね!
その後の対策は丸投げ‥となるとやはり納得できない気持ちが出て来てしまうのですが、
「じゃあ、どうすべきか」
を、一緒に考えるように心掛ければいいのかな。
考えが固まってしまってたので参考になりました。 
ありがとうございます!

No.4

>>2
レスどうもありがとうございます。

なるほど、納得しました!
「問題点の認識・共有」という考え方ですね。

Aパターンでの士気の低下は一番避けたいことですし、かと言ってBパターンの「認識・共有」だけで終わってしまっても意味がない。
会議の進行に余裕を持って、指摘された問題点を次回の議題に持っていけば、それぞれが考える時間を持てますね。

問題点の指摘は「認識・共有」の意識を心掛けます。
参考になりました。
どうもありがとうございました!

No.5

例えば 原発事故の問題を例とするなら

原発事故がいかに重大な問題であるかや 放射能による汚染がいかに深刻な問題であるかは 大抵の人なら誰でも理解は出来ることでしょう

なので それらの 重大 深刻な問題に対して 例え具体的な解決法は専門家にしか分からなくても

事故に対する問題を 問題として指摘し それを何とかしなさいと言うことは 当然のことであり 自然なことでもあるのです

具体的な代案は 専門家に任せるしかない問題であり 専門家以外には 代案は示せない問題であろうと だからと言って 代案が示せない人間は 問題を問題と言う資格がないのかと言えば それは違うし

例え具体的な提案や代案は示せなくても 問題を問題として指摘する権利は 具体的な提案や代案を示せない人にも 当然あるのだと言う風に理解されてみてはいかがでしょうか

No.6

問題点を指摘して1人で代案考えて従わすのは単なるワンマン独裁的。

問題点を提起して携わるもの皆で考え、納得しながら万全を尽くすほうがより民主的だよね。

No.7

>>5
レスどうもありがとうございます。

原発のように、
「解決策は専門家にしか分からない」
「解決策を作り出す為の問題点をリストアップする」
という段階や状況下であれば、問題点の指摘は重要な参考意見になると思います。

しかし、それが専門家ではなく会議出席者の全員が解決策を考えられるものであれば、問題点の指摘のみで以降の策を丸投げするのは違和感があるのです‥。
策を練るのは問題点を探し出すよりはるかに大変な作業であり、能力の高さも求められます。
問題点や穴を見付け、その後の対策は人任せ‥が定着してしまえば、無責任な指示者という実際の労力と立場が逆転した状況が心理的に生まれてしまう畏れがあると感じます。

そういった危惧はやはり残りますが、代案がない者には発言権がないような偏った意識を持ってしまってたことは確かですね。
反省します‥。
問題点の指摘をどう展開するかを考えて、もっと発言の権利をしっかり受け入れたいと思います。

違う視点からのアドレスは心強いです。
どうもありがとうございました!

No.8

>>5
レスどうもありがとうございます。

原発のように、
「解決策は専門家にしか分からない」
「解決策を作り出す為の問題点をリストアップする」
という段階や状況下であれば、問題点の指摘は重要な参考意見になると思います。

しかし、それが専門家ではなく会議出席者の全員が解決策を考えられるものであれば、問題点の指摘のみで以降の策を丸投げするのは違和感があるのです‥。
策を練るのは問題点を探し出すよりはるかに大変な作業であり、能力の高さも求められます。
問題点や穴を見付け、その後の対策は人任せ‥が定着してしまえば、無責任な指示者という実際の労力と立場が逆転した状況が心理的に生まれてしまう畏れがあると感じます。

そういった危惧はやはり残りますが、代案がない者には発言権がないような偏った意識を持ってしまってたことは確かですね。
反省します‥。
問題点の指摘をどう展開するかを考えて、もっと発言の権利をしっかり受け入れたいと思います。

違う視点からのアドレスは心強いです。
どうもありがとうございました!

No.9

>>6
レスどうもありがとうございます。

確かに、1人で問題点を指摘して解決策を考えて従わせる流れは独裁者ですね。

理想を言えば
・問題点の指摘
・問題点をカバーする代案提案
のセットから、ディスカッションを開始する流れなのですが、それを一度で完了しようと無駄に焦って苛立ちを感じていたのかもしれません。

問題点の指摘を共有できたら、それに対する代案や解決策も全員が宿題として考える。
全員で最終決定ひ導けるように、気持ちにワンクッションおくよう心掛けます。

参考になりました。
どうもありがとうございました!

No.10

代案が思い付いたから現状の問題点が見えてくるものだと思ってます。


具体的で効果的な代案でなくても、『こんな風に…』程度(それが結果的にボツ案になろうとも)の提案も出来ないなら、発言する意味ないと思います。


No.11

以前の職場で上司に
「そんな意見は聞きたくない、建設的な意見が聞きたい」
「そんなことを言ったらキリがない」
等と言われたことがあります。
当時私は、私の意見が通らなかったことに憤りを覚えました。
当時のことを考えると20代前半で若く言われたときに「何かを一緒に考え、行動できる上司であったり同僚なのか?」という点に収束しました。そこに私は憤りを覚えていたんだと自己分析しました。

毎回のように、代替案がないのならと切ってしまうと「あー、この人に言っても意味が無いな」と思いいうことすら諦めてしまう。結果モチベーションは上がりません。漫然と溜まっていくフラストレーションが感情論からか正論から来るのか、はたまたもっともらしいことにくっつけた常識という都合のいい解釈だったり、とにかくチームとしては機能しませんでした。
この先はないなと思い、その職場は辞めました。今は当時の判断が正解だと思っています。

あなたが言うのは正しい。
ただ、すぐ代替案を提示できる人間もいればそうじゃない人間もいる。
そして、一定数いるのは
問題点を指摘し相手を否定することが正しいことと思っている人間がいること。(代替案は二の次)
一方でしょうもない感情論から発露する意見だと思って聞かない人間もいること。(聞く気がない)

「代案なき発言」の問題点の根源が感情論なのか正論から来るのか切り分けて考えてください。
これはかなり根気が入ります。はっきり言って疲れます。

人は感情論で動きます。
正論は正しいけれど誰も動きません。責任のなすりつけ合いになったときに自分に火がかからないとわかれば動く人間もいるでしょう。
それを面白く無いとあなたは思うでしょう。
話を聞いて一緒に考えて行動してあげなさい。
その中に一人ぐらいは理解や納得を示せる人間が出てくるはずです。
そうなったらきっと仕事は楽しい。
楽しいけれどそういう人間と仕事ができるのは短い時間だ。
そういう人間は自分の可能性を見出しあなたの元を離れるからだ。
いつだって、神経図太い奴が幅を利かせているからね。しょうもない奴ばかり残る。


No.12

>> 11 【人は、正論や理屈では動かない。利害と感情で動く】

……正に、その通りである。

No.13

>>10

レスどうもありがとうございます。
お礼が遅くなってしまってすみません。

私もそう思います。
少なくとも問題が見えたなら、そこには
「こうなればもっといいのに」
という考えがあると思うのです。
「もっと合理的な‥」
という漠然としたものではなく、対象となる問題点に対する希望のようなもの。
それもひとつの代案だと思います。

直ぐに実現出来るものではなくても、その希望が良いものであれば、実現に向けて具体化する手立てを考えることも出来る。
その希望すらないものを意見として受け入れることが出来なかったので、同じ考えを聞かせてくれて心強く感じました。
どうもありがとうございます。

No.14

>>11

レスどうもありがとうございます。
お礼が遅くなってしまってすみません。

感情論から来るものか正論から来るものか。
確かにその通りですね。
それを見極めないと対応のしようもないし、理解も出来ない。
その為には自分がまず感情から来る正論ではなく、仕事の内容に対する正論をしっかり持っている事が大切じゃないかと思いました。
感情論は話を詰めていくとどこかで破綻や矛盾が出て来るものだと思うのです。
自分がそれらを削ぎ落として考えることが出来なければ、相手の発言がどちらから来ているか判断は出来ない。

難しいですね。
感情論から来るものであっても その感情が私情から来ているのか、仕事に対する不満や疑問から来ているのかも理解しないといけないですし‥。

参考になりました。
どうもありがとうございます。

No.15

代案なき問題点の指摘を投げ掛けられたら、「あなたはどのような考えをお持ちか?」と、流れに織り交ぜて問いかけてみてはいかがでしょうか。

建設的な意見だったり信頼できる同僚なら、お互いの知識や経験からいい議論ができるでしょうし。

単に、自分の責任を減らしたい・業務を押し付けたい・手柄が欲しい、そんな理由なら「そぅですね~難しいですねぇ~」って笑顔でスルー。

強行に押し付けてきたらたいがい怪しい。
リトマス試験紙ですね。


それと、指摘と代案をセットで提案するのは…
その相手による!!

厄介なヤツだと、協議の前に上司に根回してイヤと言えない状況作るし。
何の会議かと思えば、デキ上がった話を不意打ち的にブッ込んできたり。
低次元の話だけど実際あるんですゎ。


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