なみだくんさよなら

レス458 HIT数 56841 あ+ あ-


2013/06/08 21:24(更新日時)

いつまでも沈んだままでは居られないので今までの悲しかった事、苦しかった事、嫌な思いをした事など少しずつ吐き出していきます。


気持ちが切り替えられますように…



No.1845759 (スレ作成日時)

投稿順
新着順
主のみ
付箋

No.1

現在結婚11年目。


8月の始めに妊娠が判った。
でもあまり嬉しくなかった。


うちには小学生が3人居るし、旦那の給料も少ない。
このままでは生活できなくなる…
はぁ…どうしよ。困った。


最後の出産から7年。
5年前から特に避妊はしていなかったけど出来なかったから、子供が出来ない体質になったんだと思っていた。
旦那はどうしても産んでくれと言う。


旦那と色々話し合った結果、産む事に決めた。これが最後の出産だ…


No.2

あまりに早く病院に行っても無駄だと解っていたから、計算して6週目に入った週に近所の産婦人科に行った。


診察してもらうと「う~ん…週数(計算)にしてはちょっと小さいなぁ…排卵日がズレてるだけなら良いんだけど、もしかしたら今週中に流産するかもしれないから、多く出血するようだったらすぐ来てください」と言われた。
そして何ともなければまた来週来るように言われた。


流産…
意外な言葉にビックリした。


No.3

1週間、出血したりお腹が痛くなったりするんじゃないかと、毎日ドキドキしながら過ごした。
でも何ともなかった。


1週間後、診察してもらうとやはり胎児が育ってないと言われた。
稽留流産と診断され、手術の話が出た時は頭が真っ白になった。


医師に「あなたのせいじゃないよ。胎児側に問題があって成長できなかっただけ。これはよくある事だから」と言われ、救われた気がした。


そっかぁ…じゃあ仕方ない事なんだね…と思いながら手術の日を決めた。
旦那の仕事が休みの日の8月30日に。


No.4

家に帰って旦那に話すと、すごく残念そうにしてたから「まっ、仕方ないよ。よくある事みたいだし。手術も簡単みたいよ」と明るく話した。


旦那が仕事(夜勤)に行った後、掻爬手術についてケータイで調べまくった。
ブログに書いてある体験談とかも読み漁って、手術の流れを覚えた。
怖い…手術嫌だな…


子供達には妊娠している事さえ話していなかった。
手術前日、旦那が仕事へ行った後に子供達に話した。
「あのね、母さんのお腹の中には赤ちゃんが居たんだけど、成長してなくて、明日、赤ちゃんを取り出す手術をする事になったんよ。手術したらしばらく安静にしてないといけないから、自分の事は自分でやるようにね。どうしても困ったら父さんに言ってね」


子供達はすごくビックリして質問責めにされた(笑)
答えられる事は答えて、後は適当に流した


No.5

手術当日。


子供達に「どうしても困った事があったら父さんに電話しなさいね。朝ご飯と昼ご飯は冷蔵庫に入ってるから。近所迷惑になるような事はしないように❗行ってくるね」と言って家を出た。


朝8時半。
旦那に付き添って貰って産婦人科到着。


前処置をして2Fの病室(個室)で休憩。
看護士さんにこれからの事を説明された。
10時半に最後のトイレに行ってもらって、処置室で点滴。
その後11時手術開始で、3時まで休んだら帰っても大丈夫です。


最後に「旦那さんは途中で帰られますか❓」と聞かれた。
考えてなかった…


少し話し合って
2時頃に子供達の様子を見にいったん帰って、3時頃(私が)連絡したら車で迎えに来る、という事になった。



No.6

もう、これは仕方ない事だと腹を括っていたから悲しいという気持ちはほとんど無かった。
不安な気持ちを紛らわすため、旦那とずっと喋ったりケータイでゲームをしていた。


そろそろ10時半。
言われていた通りトイレに行った。
旦那が冗談で「痛いからってギャーギャー騒がんでよ😁恥ずかしいから(笑)」と言ってきた。


「騒がんよ~😁麻酔で寝てるから手術されてる事に気付かんよ」と返したところで看護士さんが来て処置室へ。



No.7

処置室に入ってすぐ下着を脱いで台の上で寝るように言われた。
「じゃあ、点滴刺しますね」と言われ、左腕に針を刺されたけどすぐに「あ、ちょっと抜きますね~」と言われ抜かれた。
どうしたんだろう…


「血管細いのかな…ちょっと待ってね」と言われ、あちこち腕を触られた。
「ちょっと反対側の手も見せてね」と言われ、反対側も「う~ん細いね~💧」と言われながらあちこち触られた。


突然「点滴した事ある❓」と聞かれたので「5月に肺炎にかかって1週間毎日点滴に通ってました」と答えた。
「じゃあ、できるか~」と。


大丈夫なんだろうか…とドキドキしていると別の看護士さんが入ってきた。



No.8

「血管が細いからか、点滴がうまくできなくって…1回目漏れちゃったんですよね」
漏れたんだ…


「ちょっと手を見せて下さいね」と言いながら、後から入ってきた看護士さんが「あっここイケるわ」と一発でうまく刺してくれた。
ホッ💨良かった💦


左手には点滴、右腕に血圧計を巻かれ、足に手術用のカバーをかぶせられたところで医師が入ってきた。


医師の「じゃあ、始めますね~」の声で手術が始まった。



No.9

子宮を広げようとしてる感じで痛かったので「うっ」って言うと「麻酔入れますね」と言われ静脈麻酔が打たれた。
「○○さん、麻酔入れたからちょっと頭がボーッとしてきますからね」と医師に言われた。


体験談で麻酔が効く時に喉がスーッとすると書いてあったから「これがあのスーッとする感じかぁ」と思っていた。
その後、一瞬目の前がチカっと歪んだけどそれ以降何の変化も無し。


あれ❓確かすぐ眠くなるはずじゃ❓
後から効くの❓
えっ❓と思っている内に処置が始まった。


あまりの激痛にビックリした。
もしかして麻酔効いてないの⁉


No.10

器具を入れられる激痛。
ずっと我慢してたけど、あまりの痛さに我慢できなくて泣いてしまった。
局所麻酔されるのさえも激痛で涙が止まらない。


こんな時に限って、旦那の騒ぐなという言葉を思い出してしまった。
だから騒がずずっと泣いていた。
もう途中からは嗚咽に変わって息が吸えない状態になってた。


看護士さんに深呼吸するように言われてしようと思うのに深呼吸できない。


普段、低血圧の私。
上は90下は50代。
激痛のせいか、上が130まで上がった。



No.11

その後も処置は続き、吸引される音がしてきた。


あ…
私の赤ちゃんが吸い取られてしまった。
すごい悲しみが込み上げてきた。
痛みに加えて悲しさでずっと涙が止まらなかった。
その横で、深呼吸するように言ってきた看護士さんがずっと涙を拭いてくれていた。


今度は子宮に残ってるものをガリガリと出され始めた。
これがまたもの凄い激痛で息ができない程だった。
看護士さんに「もうちょっとで終わるから頑張って」と言われたけど、もう無理だと思った。


やっと処置が終わって医師に「終わりましたからね」と言われたけど、私は放心状態になっていた。
たった5~10分の手術なのに物凄く長く感じた。


医師が処置室から出て行く時に「ゆっくり休んで下さいね」と言ってきた。
私は涙声で「ありがとうございました」と言った。


No.12

「ここで少し休んでから部屋に戻りましょうね」と看護士さんに言われた。
いつまで経っても涙が止まらない私に、看護士さんがティッシュを渡してくれた。
「血圧計は付けてるけど、右手は使えるからね」と言って。


気を利かしてくれたのか、看護士さんが今度は上の子達の話に切り替えてくれた。
夏休みにどこか行ったかや、宿題の事。
お陰で随分気が紛れた。


10分くらい経ったから部屋に戻る事になった。
歩くと視界がおかしい。
YouTubeで覚せい剤を使用した時の視覚を試した事があるけど、正にそんな感じで周りがフワンフワンしていた。
麻酔効いてるんだ…
効くんだったらしっかり効いてくれよ…


病室に戻ると、旦那は持ってきていたPSPでゲームをしていた。
何だか怒りが込み上げた。


ベッドで横になると、看護士さんに点滴が無くなったら呼ぶように言われた。
もし寝てて呼べなかったら終わる頃に見に来ると言われ安心。
そのまま3時までゆっくり休む事に…


No.13

普段、旦那や子供の前では滅多に泣かない私。
旦那に泣き顔を見られたくなくてずっと旦那とは反対の方向を向いていた。


旦那が「手術今から❓」とアホな事を聞いてきた。
「もう終わったよ…」と答えると、ビックリした様子で「早っ❗点滴しに行っただけかと思ってた。そっかぁ…お疲れ様」と言ってきた。


私「手術ね、痛すぎて死ぬかと思った。あまりの痛さに泣いてしもうた」

旦那「でも麻酔したんでしょ❓」

私「したよ。でも全く効かなくってそのまま…」

旦那「えぇっ⁉そりゃ痛いわ❗今は痛くないん⁉」

私「うん。局所麻酔が効いてるみたい」

旦那「そうなん。じゃあ、また後起こして上げるからゆっくり休んで」

私「うん…」


No.14

その後寝ようと思ったけど、手術で体が興奮しているせいか、全く寝られなかった。


その間に色んな事を考えてしまった。
妊娠が判った時、私が喜ばなかったから赤ちゃんがそれに気付いて成長が止まってしまったのかな…
あの時喜んでたら違ってたのかな…


静脈麻酔がちゃんと効いて、痛みもなく眠りから醒めただけなら悲しいって感情はほとんど無かっただろうな…
私(僕)はここに居たんだよって痛みで知らせてくれたのかな…


せっかく来てくれたのにちゃんと産んであげられなくてごめんね…


罪悪感でいっぱいになった。



No.15

そんな事ばかり考えてしまい、また涙が止まらなくなった。


気を紛らわすためにケータイでゲームしたりお悩み掲示板を見ていた。


ふと気付くと、点滴が終わってるっぽい。
「ねぇ、これ点滴終わってるよねぇ❓」と旦那に聞いてみた。
旦那は、私はずっと寝てるものだと思ってたからビックリしてた(笑)


すぐに看護士さんを呼び、針を外してもらった。


しばらく旦那と話していると2時近くになってきた。
「そろそろ子供達の様子を見に帰る時間だね。宿題してなかったら怒っといてよ(笑)」と言って旦那に帰ってもらった。


産婦人科から家まで徒歩2分。
めちゃくちゃ近い距離なのに車で迎えに来てもらうよう言われてる。


2時半頃に看護士さんが来て「後10分くらいしたら歩く練習をして下さい」と言われた。
麻酔が切れてちゃんと歩けるかどうか試すらしい。


No.16

病室の真ん前にトイレがある。
泣き顔を洗い流すためとトイレに行きたくて手術から1時間経ったあたりから結構ウロウロしてた。
もう歩く練習をしなくても平気(笑)


とは言えず「はい」と一言。
「3時頃に診察室に入ってもらうようにするので、後で迎えに来ます。その時にご主人に連絡して下さい」と言われた。


3時過ぎに看護士さんと一緒に1Fに下りて診察室の前で待機。
階段を降りる時に手術がめちゃくちゃ痛かった事を看護士さんに話した。
「そっかぁ…痛かったかぁ」と背中に手をかけてくれた。


1Fに下りて旦那に電話した。
旦那は5分かからない内に来てくれたけど私がまだ。
診察室はおばあちゃんが入ってて話が長い長い(笑)


やっと呼ばれて診察室に。
医師からこれからの注意点や薬、1週間後の診察の話をされた。
そして最後にまた「あなたのせいではないですからね」と言われ終わった。


会計は1万4560円。
思っていたよりかからずビックリした。


No.17

家に帰ると子供達はゲームをしてた。
「ただいま。ちゃんと宿題したん❓近所迷惑になるような事しなかった❓」


上の子達はテレビ画面の方を向いたまま「うん、宿題したよ。近所迷惑な事もしてない」と。
下の子は「母さん、おかえりー」とひっついてきた。


「ゴメン、○○(下の子)。母さん、まだお腹痛いから抱っこできんのよ。さっき手術してきたばかりだから。今日、明日は母さん、布団の上で過ごすからなるべく静かにしてね」と言った。


「そうなん。分かった❗」と言って下の子はゲームの画面の方へ行った。
旦那も子供達の側に座ってた。


私はすぐ部屋着に着替えて布団の上に転がった。
気を紛らわせるためにずーっとケータイを触り続けた。


No.18

しばらくして、上の子が思い出したかのように旦那に話しかけた。
「赤ちゃんは❓赤ちゃんどうなったん❓」


旦那は「赤ちゃんは天国に行ったんよ。母さんが元気になったら供養しに行かんといけんね」と言った。
その言葉にめちゃくちゃ泣いてしまった。


旦那や子供達に泣いてる姿を見られたくなくて布団を頭からかぶった。
「うっうっ」とか言ってたから下の子が心配して「母さん、大丈夫❓」と来た。
「母さん、お腹痛いだけよ。父さんの所に居て」と言って旦那の所に行かせた。


しばらくして落ち着いたから顔を洗いに行った。
手術前はこんなに苦しい思いをするなんて全く思ってなかった。


No.19

夕方6時過ぎ。
前日の夜から飲まず食わずの状態が続いていたからお腹が空き始めた。
無性にお好み焼き(ソバ入り)が食べたくなって旦那に買ってきてもらった。


4分の1切り分けてもらって食べ始めると上の子が「母さん、手術痛かった❓」と聞いてきた。
「めちゃくちゃ痛かったよ💦」と答えた。


「もう赤ちゃんお腹に居らんのんよね❓取り出した赤ちゃんってどうなるん❓」


「……」答えられなかった。
また涙が溢れてきた。
急いでお好み焼きを掻き込んで布団へ向かって布団をかぶった。
お好み焼きの味が全く分からなかった。


旦那が上の子に「そんな事聞くな❗赤ちゃんは天国に行ったの❗」と怒っていた。



No.20

自分でもビックリするくらいショックが大きく、1週間毎日、子供と旦那が寝てから泣いていた。体重も3kg落ちた。
旦那は時々泣いてる私に気付いて背中をさすってくれる。


いつもよりベタベタひっついてきたり、笑わそうとしたり…旦那がすごく気を遣ってくれているのが分かる。


今日の午前中に産婦人科に行ってきた。
今のところ異常なし。
いつまでも沈んでたら旦那も疲れるから、そろそろ復活しないとな…


夜、泣いてる時に10年前の事も思い出してしまい、余計に泣いてしまう。
先日、その事で旦那を責めてしまった。
いつまでも引きずるのは良くないのに…


10年前にも私は流産した。
上の子が1歳の時。
多分、旦那はその時の罪悪感もあるから、今回、こんなに優しく接してくれてるんじゃないかと思ってしまう。


No.21

10年前の9月の始めに妊娠している事が判った。上の子が1歳1ヶ月の時。
すごく嬉しかった。


安定するまでは誰にも言わないようにしようと旦那と話し合ったから、誰にも言っていなかった。


上の子の経験から、5週目を過ぎてから病院へ行くことにした。
その頃はへんぴな場所に住んでいたから近くの病院までは徒歩と電車で30分かかる。
という事で、9月下旬の旦那の平日休みに車で連れて行ってもらえる事となった。


No.22

上の子が小さい頃は毎週~月2回、旦那の実家に泊まりで帰っていた。
旦那の実家までは高速で2時間。
一般道を通ると3時間近くかかっていた。
姑は1人暮らしで、寂しいだろうという事で孫の顔を見せたかったらしい。


診察に行く予定の前の週の金曜日。
私は風邪気味で熱も少しあり、しんどかった。
旦那が夜10時頃仕事から帰ってきて、今から実家に行こうと言い始めた。


「今日は体調悪いから行きたくない。しんどい。熱も少しあるし」と言ったけど
「大丈夫大丈夫。すぐ治るって。お母さん待ってるし」と半ば強制的に連れて行かれた。


着いたのは夜中1時過ぎ。



No.23

金曜夜~日曜夜まで2泊3日の予定。
着いてすぐ、子供のオムツを変えて少しだけ姑さんと話して寝た。


朝起きると部屋が凄い事になっていた。
前日夜は暗くて気付かなかったけど、部屋が滅茶苦茶。


姑さんは掃除片付けが苦手らしく、化粧品から服から何から足の踏み場が無いくらいに下に転がっていた。
台所も洗い物で溢れ返り、コップを借りようにも洗わないと使えない状態。
まぁ、いつもの光景だけど(笑)


姑さんが買い物に行ってる間に私が全部片付けるっていうのが当たり前になってきていた。
でもその日は体調が悪くて片付けるのもしんどかった。


子供が誤飲したらいけないと思い、仕方なく片付け始めた。


No.24

そんな中、旦那はゴロゴロして漫画を読んでいた。
子供の面倒を見てくれるわけでもなくくつろいでた。


腹が立って「しんどいんだからちょっとは手伝ってよ‼」と言った。
旦那は掃除機をかける時に物を少し移動させただけだった…


そして「何で俺がこんな事せんといけんのんよ」と言ってきたから、更に腹が立って「自分の実家でしょ‼そんなん私じゃなくてお母さんに言ってよ‼」と。
旦那に「じゃあ、もう掃除せんで良いわ❗」と言われたけど、子供が誤飲したら困るから無理。


その後、子供の相手をしながら食器洗いをして、お風呂掃除をする間だけ旦那に子供を見てもらっていた。
そこに姑さんが帰ってきた。


「あら~綺麗になったねぇ」の一言。
何だこの人…


No.25

お昼過ぎてから義妹が子供を連れて遊びに来た。
義妹は私の4つ下で結構仲が良かった。
(旦那と私は同い年)
メールや電話もしょっちゅうしてた。
最近、旦那さんとうまくいってなくて、その事も相談されたりしてた。


そして義妹の子はうちの子と同い年。
うちの子が7月生まれで義妹の子が10月生まれで共に男の子。
育児の事でもよく話をしていた。


義妹は1時間程居て、遊びに行くと言って子供を置いて出掛けてしまった。
義妹の子供は後追いが激しく、義妹が出て行った後、めちゃくちゃ泣いて大変だった


旦那は相変わらず漫画を読んでゴロゴロ。
姑さんは夕食の準備。
私は子供2人を抱っこしたりしてずっと相手していた。


義妹の旦那さんは夜勤だったらしく、それを良いことに義妹が帰ってきたのは夜中3時頃だった。
姑さんに後から聞いたけど、最近、こうやって預けて出掛けてしまう事が多くて困ってる…との事だった。


そんな生活が2日続いた。



No.26

夜7時頃になってお腹が痛くなってきた。
トイレへ行くと出血してた。


ビックリして旦那にコソっと出血している事を伝えた。
旦那は「そうなん。ちょっと休めば大丈夫じゃない❓ゆっくりしたら❓」と言ってきた。


腹が立ってしょうがなかった。
こんな状態でゆっくりできるわけないじゃん。子供達の面倒も見てくれないくせに。


その後「明日仕事でしょ❓まだ帰らんで良いの❓」と8時頃から何度も聞いた。
だけど旦那は帰りたくないみたいで、結局実家を出たのは夜中1時頃だった。


No.27

帰りの車の中で「出血、酷くなってきてるから明日病院連れて行って」と言った。
旦那は「明日は仕事だから無理」と一言。


「1日とは言わんから、午前中だけでもどうしても休まれん❓」と言ってみたけど
「無理‼自分の代わりに仕事してくれる人が居ないから」と返ってきた。


旦那「家で寝といたらその内治るんじゃないん❓」

私「いや、○○(上の子)が居るから寝られないんだけど。それより病院行きたい」

旦那「まぁ、寝ときゃ何とかなるでしょ。明日1日寝とき」

私「……分かった。もう何も頼まん‼」

旦那「何怒っとん❓(笑)」

私「もう話しかけてこんといて‼」


No.28

腹が立ったまま寝た。


朝方、お腹が痛くて出血も多くなっていたから旦那に「ごめん、やっぱり病院連れて行って。多分、救急でいけると思うから」と言ってみた。


でも旦那は「え~❓何時に帰れるか分からんからなぁ…今から仕事だから無理よ」


仕方なくその日は子供のお世話は最低限にしてずっと寝てた。
歩くと出血が増える気がして怖かった。


夜10時頃、旦那が帰ってきた。
「今から病院連れて行って」と言ったけどしんどいだの何だの言ってダメだった。
私は車の免許を持ってないから旦那だけが頼りなのに…


No.29

夜中2時頃。


物凄くお腹が痛くなった。
そして塊が出てきた。
これが多分、胎嚢なんだろうなと判った。
すごく悔しくて悲しくて泣いた。


旦那を起こして「赤ちゃん出てきてしまった」と泣きながら言った。
旦那は「そうなん……仕方ないよ」と言った。


『仕方ない』で片付けられたのが物凄く悔しくて泣きながら怒鳴った。
「何回も病院へ連れて行ってって言ったのに‼お母さんの所も行きたくないって言ったのに何で聞いてくれんかったんよ‼行ってなかったらこんな事になってなかったかもしれんのに‼行きたくないって言ったじゃん‼何も手伝ってくれんかったし‼それを仕方ないってどういう事よ‼」


我を忘れて夜中に怒鳴り散らした。



No.30

今日こそは病院へ連れて行ってと言ったけど、また無理と言われた。
もうこの人はダメだと思った。
その日は一切口を聞かなかった。


次の日の朝、今までの事を全部義妹に話した。
その日の午後、義妹が来てくれた。
義妹は「本当にごめんね。こんな事になってるって知らなくて…お兄ちゃん酷すぎるよね…」と涙を流してた。
「明日は○○くん(上の子)見とくから病院行ってきて」と言ってくれた。


病院へ行くと「完全流産ですね」と言われ処置される事もなくそのまま帰ってきた。


No.31

家に帰ると、義妹が子供達に離乳食を食べさせてくれていた。
お礼を言うと「こんな事くらいしかできんけど、また困った事があったらすぐ言ってね。お兄ちゃん全然アテにならないから。本当にごめんね」と言って帰っていった。


その夜、姑さんからも電話があった。
姑さんもすごく謝ってきた。
「○○(旦那)にしっかり言うから電話代わって」と言われ、代わるとかなり怒られてる感じだった。


でも私はまだ3人の事が許せてなかった。
特に旦那。
1ヶ月近く恨みながら泣き続けた。


3週間程経った頃に私の母にも流産した事を伝えた。
突然母が来てくれた。
母は新幹線で1時間半離れた所に住んでいる。


気分転換にと、あちこち散歩して水族館へ連れて行ってくれた。


母も昔流産した事があって、父がやはりうちの旦那と同じ様な対応をしたらしく泣いて暮らしたらしい。
母がこたつで大出血して怖かった事は覚えてるけどそれ以外は覚えていなかった。


気分転換のお陰か、いつまでもグズグズ言ってられないと思い、泣くのをやめた。
そして旦那と一緒に供養に行った。


No.32

それから半年以上経ったある日、妊娠が判った。
前みたいな事にならないように、今度こそは大事に大事に育てようと旦那と話し合って、旦那の実家へ帰るのも月1回にしてもらった。


姑さんはそれが気に入らなかったらしく「最近、あんまり来てくれないから寂しい」と言い出した。
私は少しムっとしたけど「また1ヶ月後に来るから」と笑顔で返した。


その頃の旦那は給料が少なく、旦那は結構な借金もあったから、(生活費と食費を合わせて)毎月1万しかもらってなかった。


足りないお金や私のケータイ代は、結婚前の私の貯金を崩して払っていた。
もちろん、旦那の実家に帰るための交通費やガソリン代もそこから。


結婚してから2年。
私の貯金はかなり減っていた。


No.33

妊娠8ヶ月の時、旦那が仕事で大きなミスをした。
それからすぐに転勤が決まった。
多分、ミスのせい(笑)
転勤先は新幹線で4時間の場所。


すると姑さんが「引っ越し作業を手伝ってあげる」と言ってくれた。
すごく助かると思って素直に嬉しかった。
だけどこの姑さんの手伝いが大変な出費になってしまう…


金曜日の夜に旦那の実家へ車で行き、土曜日の午後から姑さんを家に連れて帰り、その日の夜と日曜日の朝は作業。
姑さんはあまり作業はせず、子供を見てるだけ。


そして日曜日の夕方、姑さんを実家に車で送り届ける。
というのを1ヶ月間毎週繰り返した💧


食事はほぼ外食でこちらもち。
交通費、ガソリン代もかなりかかった…


引っ越し自体は会社からお金が出ていたから無料。新幹線は指定席で、引っ越し前日に会社で乗車券をもらっていた。


旦那や姑さんには悪いけど、姑さんの好意を余計な出費だと思ってしまった…


No.34

引っ越し当日。
後送る物は掃除道具と布団だけだった。
掃除は前日に全部終わらせ、布団を収納袋に入れ、引っ越し業者が来るのを待っていた。


他の荷物は数日前に送っていて、もう社宅に届いているとのこと。
やる事が無かったから姑さんとずっと話し続けていた。


引っ越し業者に荷物を渡し、会社に最後の挨拶に向かった。
旦那は上司や同僚に頑張れよなど言われていた。
上司に「奥さん、妊娠中なのに大変だったね。気を付けて」と言われながら餞別を頂いた。
少しして時間が迫ってきたから会社を後にして駅へ向かった。


No.35

駅に着いて15分くらいして電車が来た。
そこから45分程電車に乗り、大きな駅に。
新幹線の時間まで後40分。


姑さんと話をしながらお弁当やおやつを買った。
出発の時間が近くなると、姑さんは「何かあったらすぐ電話してきてね。毎日電話してきても良いから。お兄ちゃん(旦那)はアテにならんから何でも言ってね」と涙を流しながら言ってきた。


私もウルウルしながら「うん、うん」と頷いた。
普段、涙を見せた事がない旦那もちょっとウルっとしてた。


出発の時間になり、新幹線のドアが閉まった。
私と子供は姑さんが見えなくなるまでずっと手を振り続けた。


No.36

長い長い4時間だった。
子供が全く寝てくれず、ずっと相手をしていた。
お弁当やおやつ、おもちゃ、絵本で誤魔化していたけど飽きてしまい、少しだけ新幹線の中を散歩した。
旦那は景色を見たり寝たりして無関心。


そろそろ着く頃になってきた。
社宅ってどんな所だろうね✨と少しワクワクしてた。
「お迎え、来てくれるんよね❓駅広いんでしょ❓ちゃんと判るんかなぁ…」と言う私に対して、旦那は「判らんかったら電話する事になってるから大丈夫」と落ち着いていた。


駅に着いて言われていた出口を探した。
めちゃくちゃ広い…
それに人も多い。
「やっぱ東京は広いね…」


No.37

やっと言われていた出口を見付け、進んで行った。
旦那のケータイに担当の人から連絡があった。
「今、着いて出口を出たところです」
そのまま誘導されて、担当の人の所に行き着いた。


挨拶をし、担当の人と一緒に車の方へ向かった。
車は会社の軽だった。
車内は荷物と私達でいっぱいに…💧


「東京だからってあまり気負いしなくて良いよ。会社はほとんど地方から転勤で来てる人達ばかりだから。社宅にはもう荷物は運んであるから移動させる時は言ってね。夕方行くから」と言われた。


「分かりました。ありがとうございます」
へぇ~そうなんだぁ💡
地方の人達ばっかりなんだぁ。
ちょっと安心した。


No.38

「ここが会社と社宅ね」
20分程車で移動して、会社の駐車場に着いた。
結構大きな会社の横に大きな社宅が3棟あった。
でも、何だか古そうな感じ…


「住んでもらうのはここの5階ね。ここが集合ポストでここが警備員の居る守衛室。あっそうそう、社宅には門限があって社宅の玄関は夜10時になったら鍵を閉めるから入れないよ。10時を過ぎたら会社側の門に回って。朝は6時に開くから」


「そうなんですか💦分かりました」


部屋に着くと担当の人が鍵を出してドアを開けた。
そして鍵を渡してくれた。


No.39

入ってみるとかなり埃っぽかった。
床は埃で真っ白。
歩くと足跡がついていく(笑)
何年住んでないんだろ…


部屋は3Kで台所以外は6畳の和室だった。
もうすぐ家族が増えるから丁度良い広さだと思った。
でもその前に掃除だね…


担当の人とあちこちの部屋を見て回った。
玄関を入ってすぐの部屋を見た後、トイレとお風呂を見た。
トイレは和式の水洗トイレ💧
ちゃんとした脱衣場は無く、トイレの前が脱衣場。
お風呂はガスを手回しで着けたりする追い焚きのお風呂。


浴槽は何故か栓がされていて水が少し溜まっていた。
えっ💧いつから溜まってる水なんだろう…
担当の人が水を出しながら「あっ、ちゃんと出るね」と一言。
先に確認してなかったんだ…


台所に行くと水道の所に湯沸かし器が付いていた。
とっても昭和チックな社宅だと感じた。
台所のすぐ横には取って付けたような、公園のトイレにあるような洗面台が付いていた。


No.40

最後に残った2部屋を見ると家具がメチャクチャに置かれていた…


今から片付け頑張らなきゃな…
あっ、でも家具の移動を手伝ってくれるって言ってたから早く終わるかも👌


「これで全部屋の確認はできたね。ではまた夕方に来ます」と言われた。
「ありがとうございます。因みに、この社宅は築何年くらいなんですか❓」


「え~っと確か築50年くらいだったと思うよ」
50年⁉😱うそ~💦
「そうなんですか💦結構古いんですね」
「ハハっ」と笑って担当の人は去って行った。


旦那に「ちょっと聞いた⁉50年だって‼この建物大丈夫なん⁉😱」と言った。
旦那は「まぁ、大丈夫なんじゃない❓それにしても…すごい社宅だね…」と。
「うん……でもまぁ、住めば都って言うし頑張ろうね」と言って掃除を始めた。


天井は砂壁みたいな感じで砂が吹き付けてあって、どの部屋もあちこちヒビがいってる。
本当に大丈夫なんだろうか…
不安でいっぱいになった。



No.41

少し拭き掃除をした後、子供のオモチャと絵本をダンボールから探し出した。
「ちょっとここで遊んでてね」と子供を押し入れに入れて掃除掃除掃除。
とにかく掃除。
雑巾は洗ってもすぐ真っ黒になった…


その後、旦那と協力して家具を移動。
何とか寝転がれるスペースを確保できた。
更に玄関の近くの部屋にも家具を移動。
目の錯覚なのか、何かおかしい。
部屋が歪んで見える。
どう見ても部屋が玄関側に傾いてる…
天井には大きなヒビがあるし、いつか倒れるんじゃないかと不安になった。


そういえば着いたってみんなに電話してない事を思い出した。
早速姑さんに電話した。
「もしもし、お母さん❓連絡遅くなってごめん、着いたよ。3時頃着いて、今、荷物を解いてるところ。社宅すんごいボロボロで泣きそう」
本当に少しだけ涙が出た。
まさかこんなに古い建物だと思ってなかったのと、姑さんの声を聞いて安心したのと両方で。


少し話して旦那に代わった。
旦那はずっと、うんうん言っていた。
最後に「うん、頑張る」と言って電話を切った。


その後、私の親にも電話して着いた事を報告した。


No.42

随分片付いてきたから、両2軒隣と上下に引っ越しの挨拶に伺った。
隣の人は出てきたけど他の部屋の人は居ないのか出てこなかった。


隣の人は50代後半の夫婦で、旦那さんの方は来年定年。
定年後は地元に帰ると聞いた。
他の部屋の人には、仕方ないから手紙を書いてドアノブに粗品と手紙を入れた袋をかけてきた。


夜7時。
担当の人が来ない。
連絡もない。
忘れられてるのかな…
2人で家具を全部移動したからもうやる事は残っていなかった。


「お腹空いたね…」
まだ地理が分からず、スーパーもどこにあるのか分からない。
「確か1階にコンビニが無かったっけ❓」と言いながら窓を覗くと真下にコンビニがあった。
「ご飯買いに行こ」と言って、3人でお弁当を買いに行った。


お蕎麦があったから、その日の晩御飯は引っ越し蕎麦にした。
結局、担当の人は来なかった。


No.43

夜。
布団がまだ届いていなかった。
10月だったからまだそこまで寒くはなかったけど、敷き布団が無いと腰がキツい…


仕方ないからその日はラグを敷いて、その上で寝た。
来客用の予備の毛布は先に送っておいたからそれを使った。


翌日は日曜日。
前日、結構動いて疲れていたからゆっくりしていた。


午後からその辺を散策。
ショッピングモールが徒歩15分くらいのところにあった。
車は処分したし、自転車もナシ。
妊娠9ヶ月の私が2歳半の子を連れて歩いて通うのはキツいと感じた。


旦那と話し合って次の金曜日までは毎日コンビニ弁当を食べる事になった。
その週の土曜日から、私は出産で里帰りする事になっていたから。



No.44

里帰り先は私の母方の祖母の家。
私の実家は社宅から新幹線と電車で5時間半の距離。仕事以外の事はほとんどできない父しか居ない。
祖母の所までは新幹線で2時間半で母も居る。
引っ越したばかりだけど、私は里帰りの準備を始めた。


私の父と母は私が22歳の時に別居した。
うちの上の子が2歳の時だった。


母方の祖父は末期癌で何度も入退院を繰り返していた。
でもこの時は本当に危ない状態で、医師からも年が越せるか分からないと言われていた。
そんな中、父が母に早く帰ってこいと電話してきた。


PC関係が全くできない父。
文書作成も自分の仕事なのにできないからといつも母に頼んでいた。
それの期限が迫っていた。


母は父に、おじいちゃんがどうなるか分からない状態だから帰れないと言ったけど、父は酷く怒って帰るように言ってきた。
母は仕方なく「すぐ帰ってくるから待っててね」と言って祖父の元を離れた。


No.45

新幹線と電車を乗り継いで3時間半程で自宅に帰ってきた母。
帰ってすぐに病院から連絡があり、祖父が危ないと言われた。


母は文書作成をせず、急いで病院へ向かった。
病院に着いた時には祖父は息を引き取っていた。


祖父は、母が病院を出て少ししてから気分が悪いと言い始めたそうだ。
その後トイレに行くと言い、戻ってきたら吐血し始めた。
苦しみながらずっと母の名前を呼び続けながら亡くなっていった。


母はそれを聞いて泣き崩れたらしい。
あの時帰らなかったら…と、ずっと後悔し続けた。
そして父を恨んだ。


それから色々あり、母は父に黙って出て行った。
私は母の居場所を知っていたけど、父には言わないでと言われていたから父に聞かれても知らない振りをした。


母は1週間程ホテルで過ごし、その後母の実家へ向かった。


No.46

それでも責任感の強い母。
月1回くらいのペースで自宅に帰っては父の仕事と掃除をして祖母の元に帰って行っていた。


祖母はすごく細かくて厳しい人。
母が祖母の家で父の仕事を手伝っているとブツブツ言ってくるらしい。
その内喧嘩になる事が多くなってきたから母は近くに部屋を見付け、そっちへ移り住んだ。


母が移り住んだのは1LDKの部屋だった。
LDKが14畳で部屋は7畳。
結構広い。
母は1日置きに、祖母の様子を見に作ったおかずを持って通っていた。


No.47

週の真ん中あたりで里帰り先の祖母の家に荷物を送った。
そしてその週の土曜日の朝、旦那と駅に向かった。
母と祖母へのおみやげを買って新幹線の切符を買った。


旦那に「まだ慣れないだろうけど仕事頑張ってね。メールと電話するね」と言って新幹線に乗った。
私は寝てくれない息子の相手をずっとしていた…


駅に着いて少ししてから母が車で迎えに来てくれた。
「結構渋滞してたから遅くなっちゃった。ごめんね~」と言いながら荷物をトランクに乗せてくれた。
車の中では話題が切れる事なく母とずっと話していた。


30分程して祖母の家に到着。
「おばあちゃん、元気だった❓今日からお世話になります」と言いながら部屋に上がり、仏壇の前に行って手を合わせた。


「おじいちゃん、来たよ。○○(上の子)大きくなったでしょ。お供えここに置いとくね」
祖父が亡くなってまだ半年経っていなかった。

No.48

月曜日、紹介状を持って車で10分くらいの市民病院へ母に連れて行ってもらった。
祖父が入院していた病院で、私も1回だけお見舞いに来たことがある。


受付けを済ませ、診察。
母子手帳に37週と書かれていた。
週数がズレてる…
あれ❓っと思い「今、36週のはずなんですが…」と言うと、医師に「予定日から見たら37週だよ」と言われた。


紹介状を見せてもらうと、予定日が1日と書かれてあった。
前の病院では8ヶ月の終わりまでずっと予定日は10日と言われていた。


まさか「0」の書き忘れ…❓😨
それを訴えたけど、医師は紹介状の方を信じてしまった。
そこから週数がズレたまま、41週を迎えたけど出てこない。
(実際にはまだ39週)


結局、41週4日で促進剤を使い、出産となった。
母子手帳にもそう書かれているけど、実際は40週での出産。



No.49

入院中は母が上の子を預かってお世話してくれていた。
5日間の入院の後、私と下の子は祖母の家に帰った。
祖母は「○○ちゃん(私)お疲れ様。可愛らしい男の子やねぇ。おじいちゃんが生きてたらすごい喜んだ思うわ」と言った。


嬉しいような悲しいような…
反応に困った。


続けて「ありゃー、この子つむじが3つもあるわ。頑固になるでぇ」と💧
そしてオムツ替えの時に息子の太もものシワを見て「○○ちゃん(私)、次の子も男の子やわ。太もものシワが1本やったら男の子で2本やったら女の子って言われてんねん」


次の子はまた男の子なんだ…💧
男の子ばかりか…


No.50

毎朝ご飯を食べた後に祖母が次男の沐浴をしてくれた。
そしてお昼ご飯の時間まで祖母と話し、お昼を食べたら私は2Fに上がって寝てた。
話の内容はは大体、祖母が昔体験した話。


祖母とは子供の頃から盆正月の年2回しか会ってなくて、私や妹弟の受験がある年は行っていなかった。
私は17歳の時から行ってなくて、20歳の時に祖父のお見舞いで一度訪ね、それから2年以上経って祖父の葬儀で会った。


それから約半年振り。
こんなに長く一緒に居た事がなくて、気を遣ったりしてそれが結構ストレスだったりした。


No.51

出産後、祖母の家で過ごしてから4日目。
夜中に物凄い寝汗をかいてお腹に激痛が走った。
次男は夜中によくグズグズ言っていたからなかなか寝られないのと激痛で泣きそうになった。


結構ストレスを感じているからそのせいかもしれない…と思い、母が来た時に母の所に行きたいと言った。
いつまでも○○(上の子)を預かってもらうわけにもいかないし、と付け加えた。


という事で、5日目に母の所へ移動する事が決まった。
母の所に移動してからは祖母が毎日来てくれ、次男の沐浴をしてくれた。
祖母は次男を可愛い可愛いとすごく可愛がってくれ、私は嬉しかった。


No.52

旦那とはしょっちゅう連絡を取り合っていて、毎日メールをして2~3日に1回は電話をしていた。
子供達の写メもよく送っていた。


私の母は料理が上手で品数も多い。
時々旦那に、今日の晩御飯はコレ。と写メを送るとすごく羨ましそうにしてた😁
私の料理は…味付けはまあまあだけど、レパートリーが少ない(笑)


そんな感じで毎日を過ごし、母達にしっかりお礼を言って3月の終わりに自宅に帰った。
別れ際、祖母と母が「頑張ってね。またおいでね」と泣いていた。


No.53

社宅に帰ると、あまりのボロボロさに嫌気が差した(笑)
でも仕方ないか…と思い直し、家事に育児に忙しい日々が始まった。


旦那が「良いもん買ったよ」と突然押し入れをガサガサ。
何か薄い箱を取り出してきた。
開けてみると絵だった。


私「どうしたのこれ❓」

旦那「買った」

私「そりゃ解ってるよ。何で買ったの❓」

旦那「いや、良いかなぁって思って」

私「そう。で、どこに飾るの❓飾る場所なんて無いよ」

旦那「ははっ😁じゃあ、押し入れに入れとくわ」

私「ところで、それいくらだったの❓」

旦那「いくらだと思う❓」

私「10万くらい❓」

旦那「いや…80万…」

私「はっ⁉80万⁉何で⁉」

旦那「実はもう1枚あるんよ。こっちは120万」

私「はっ⁉120万⁉何考えとん⁉どうやって払うんよ‼絵なんて要らんじゃん‼」


帰って早々、衝撃的な告白だった。


No.54

旦那「今はこの金額だけど、10年程経ったらプレミアついて高く売れるらしいよ」

私「ふーん。で、ローンは毎月いくら❓」
旦那「3万円くらい❓」

私「生活できんじゃん‼これから子供達にお金かかるのに…」

旦那「何とかなるって」

私「ならんわ❗ほんとバカ❗」


だけど、その頃から旦那の給料が急に上がり始めて簡単に払えてしまった。
転勤して3ヶ月後、給料が20万円台後半になり、半年後には(社宅代を引いて)40万前後貰えるようになっていた。


転勤前とほぼ同じ仕事なのに、今までの2倍以上の給料。
結婚して初めて、貯金ができるようになった。
やっぱ住めば都かなと思った。


No.55

旦那がある日、下の子を連れて外出してくると言う。
どうしたのか聞くと「ちょっとね。あっちこっち連れて行ってあげようと思って」と言って、生後半年の子を抱っこ紐で前抱っこして出かけて行った。


夜になってやっと帰ってきた。
また絵を買ってきたと言う。


「何で❓今度はいくら❓」と聞いたら200万円と答えた。
「バカじゃないん⁉何でそんな絵に大金払うわけ⁉もういい加減にしてよ‼」と言った。


旦那はしばらく無言だったけど「もう買わんから…」と言った。
旦那に対して不信感でいっぱいだった。



No.56

しばらくして絵が家に届いた。
旦那に「クーリングオフしたら❓」と聞いたらそれはできないと言う。
何でできないのか聞いても「何でも」って返ってくるだけ。


腹が立って「じゃあ、私がクーリングオフする‼」と言うと「待って。それは危ないから関わらんといて」と言ってきた。


意味が解らず、どういう事か問い詰めた。


No.57

旦那の話によると、旦那は私が里帰り中にあちこち出掛けたらしい。


旦那がたまたま行った先で、外に立ってるお姉さんに「そこで絵の展示会をしてるんですけど少し見て行きませんか❓」と声をかけられたそうだ。


別に急いでるわけじゃないし、いっかぁと思ってお姉さんに着いていった。
色んな絵が飾ってあって「この絵とかどうですか~❓」と言われたらしい。
金額を見ると300万。
とてもじゃないけど買えない。


「いや~、そんなお金無いんで」と店を出ようとしたら腕を捕まれて「ローンでも大丈夫ですよ」と言われた。
「いや~…」とか言って交わそうとしてると男性店員が来て、おちょくりに来たのかと凄んできた。


机の方へ連れて行かれ、契約書を書いてもらうまで帰れないと脅され、旦那も粘ったけど弱い旦那じゃ無理で…結局計200万の絵を買わされ、来店から9時間後に解放された。


との事だった。


No.58

更に話は続き、ビックリするような事が起きていた。


その後、またそのギャラリーから旦那のケータイに電話がかかってきて絵を買えと言ってきていたそうだ。


旦那が無視していると、相手は会社の方に電話をしてきて「○○(名字)居ますか❓」と。
会社の人が「今居ない」と答えると、○○がお金を返さなくて困っている。早く返してもらいたいから電話してくるように言って、と相手は会社に嘘を流していた。


旦那は会社の人に嫌がられ、どうにかするように言われていたらしい。
仕方ないから子供を連れてギャラリーに向かったらしい。
旦那は「子供がグズったら帰れると思った」と言っていた。
旦那なりに考えたらしい。


No.59

ギャラリーに着くと契約書は既に用意されていてほとんど記入されていたらしい。


後は名前を書くだけ(印鑑を押すだけだったかな)の状態にされていた。
契約書を書いたらもう電話しないと相手に言われ、旦那はそのまま契約をしてしまった。


そんな事を聞かされて私はビックリした。
「何でもっと早く言ってくれんかったん❓買って8日以内だったらクーリングオフできるのに…」


旦那「心配かけたくなかった。○○ちゃん(私)は子供生まれたばかりだったし」


私「そうなん…分かった。じゃあ明日、消費者センターに電話で相談してみるわ」


旦那「うん…」


翌日、私は近くの消費者センターの電話番号を調べ、旦那から聞いた話を相談した。
でも本人から聞かないといけないとの事で土曜日に旦那は消費者センターに行く事になった。



No.60

旦那が消費者センターから帰ってきた。
どうなるのか聞くと「絵を返送した後、カード会社やギャラリーに連絡してくれるって。多分、お金もいくらか返ってくる」


私「そうなん…少し進めて良かったね」

旦那「うん…」


その後、絵を返送し、カード会社か何かに違約金を3万払った。
相手から始めに8万振り込まれ、その後120万が返ってくる事になっていた。


けど始めの8万が言われた日に入っておらず、消費者センターに連絡。
消費者センターから○日に入れるそうですと連絡があった。


その日、また入っていなかった。
また消費者センターに連絡。
数日後やっと入った。


今度は120万。
全く入らなかった。
何度も消費者センターに連絡した。
消費者センターの人も呆れながら「あの人達と関わりたく無いんですよね。毎回態度が悪くてこっちも困ってるんです」と言われた。


頼りの消費者センターにそんな事言われたらどうする事もできない…
旦那と話し合って、結局120万は諦める事にした。


No.61

その後も絵のローンを払い続けていた。
「もう一括で払おうよ」と提案し、残っていたローン48万円を一括で払った。


私「これでおしまいだね」

旦那「うん…」


清々しい気持ちになった。
その後、また私の妊娠が判った。
次男を出産してから初の生理が来たのが半年後。
それから2回、夜の生活があっただけなのになんと出来てしまった。
全くの予想外だった。


でもこの時は生活に余裕があったから嬉しかった。


No.62

この頃、絵以外に悩まされる事がもう1つあった。


次男が2ヶ月のある日、ピンポーンとインターホンが鳴った。
私と長男が出ると小さな子が2人居た。
「一緒にあそぼ」


私は2歳の長男を見て「どうする❓遊ぶ❓」と聞いた。
長男は「うん」と頷いた。
社宅内には公園はあるけど、遊具は全部壊れていて砂場くらいしか遊べない。
遊ぶ物が無いから…と家に上げた。
これが間違いだった。


遊びに来た子のうち、1人は5歳の男の子Tくん。かなり激しいやんちゃな子
幼稚園には通っていない。
もう1人は4歳の女の子Hちゃん。
大人しくて可愛らしい女の子。
来年、幼稚園に入るらしい。


玄関に入ってすぐの部屋に上がってもらった。
タンスと滑り台があるだけの部屋で、普段は着替えの時しか使ってない。
始めはお絵かきして遊んでいたけど、途中からTくんがうちの子を叩いたり蹴ったりし始めた。
戦いごっこらしい。


うちの子は泣いてもないし嫌がってもないからまぁ良いか…と見ていた。


No.63

その内、Tくんが「おばちゃん、喉かわいたー」と言い始めた。
「りんごジュースで良い❓」と聞いてみんなにりんごジュースを出した。


今度は「お腹空いたー」と💧
クッキーとゼリーがあったからそれを出した。
それを食べたら「もう無い❓」と勝手に冷蔵庫を開けてきた。


「あれちょーだい」とチョコを指差した。
チョコは旦那の好物で、仕事から帰ったらいつも食べてる。


「これ、おじちゃんのだから1つだけね」と1つ渡した。
「ジュースおかわり❗」
はいはい…


こんな調子で4時間程居た💧
Hちゃんの方はお行儀が良い。
ちゃんとお礼も言うし、いただきますやごちそうさまでしたも言う。
Tくんが散らかしたオモチャもちゃんと片付けてくれた。


Tくんが「明日もまた来るね」と言って2人で帰って行った。



え~💧明日もかぁ…


No.64

翌日、朝8時にインターホンが鳴った。
旦那が忘れ物でもして取りに帰ったのかなと思って出た。


ドアを開けるとTくんが居た。
「あそぼ」


げっ💦まだこんな時間なのに…早いなぁ…
私「ゴメン、○○(長男)まだご飯食べてるからまた後来て」

Tくん「分かった❗」


3分後、またインターホンが鳴った。
出てみるとまたTくん…


「もうちょっと待っててね💦まだ食べ終わってないから」

Tくん「分かった❗」


3分後また来た…
「……………💧入って待ってる❓」

Tくん「うん」

私「Tくん、来るの早いね💧」

Tくん「うん、お兄ちゃん達もう学校行ったから」

私「そっかぁ………💧」



これが土日以外ほぼ毎日繰り返された。


No.65

お昼時になったから
「Tくん、そろそろお昼ご飯の時間だから帰った方が良いんじゃない❓お母さん待ってると思うよ」

Tくん「うん…」

私「またお昼から来る❓」

Tくん「うん」

帰って行って10分程経った。
ピンポーン


旦那がお昼ご飯を食べに帰ってきたんだと思って出たらTくんだった。


私「あれ❓Tくん、ご飯食べたん❓」

Tくん「うん」

私「本当に❓○○(長男)、今食べ始めたばかりだからまだ遊べないよ」

「じゃあ待ってる」と言って勝手に部屋に入ってきた💧


長男の横に座って「早く食べろよ」と急かしてくる。
そして「俺が食べさせてやろう❗」と長男のフォークを取って食べさようとする。


飲み物を取りに少し目を離した隙に「俺が食べてやる」とTくんが長男のご飯を食べていた💧


「Tくん、もしかしてお腹空いてるんじゃないの❓」と聞くと「空いてない❗」と答える。


絶対、ご飯食べてないなと思った。


No.66

「Tくん、ご飯食べてないんだったら家でちゃんと食べないと。お母さん、作って待ってくれてるでしょ❓」

Tくん「家の鍵閉まってた」

私「そっかぁ💦お母さん、出掛けちゃってるのかな💧うちのお味噌汁で良ければ食べる❓」

Tくん「うん」

ご飯とお味噌汁とお茶を出してあげた。
ガツガツ食べてた。
かなりお腹が空いていたらしい。


しばらくうちで遊んでいると旦那がお昼で帰ってきた。
Tくんはまた来ると言って帰って行った。


旦那が仕事に行ってすぐTくんが来た。
見張ってたんじゃないかというタイミングで。


今度はHちゃんも一緒だった。
始めは長男のオモチャで遊んでいたけど、Hちゃんが赤ちゃん(次男)を触りたいと言い始めた。
Hちゃんのところはお母さんが妊娠中で、もうすぐ赤ちゃんが産まれるらしい。


Hちゃんは「可愛い」って言いながらほっぺをツンツンしたり手を触ったりしていた


No.67

その横でTくんが「俺の家にも赤ちゃん居るよ」と言った。


よくよく話を聞いてみると、Tくんの家は4人兄弟でお兄ちゃんとお姉ちゃんが学校に行った後、Tくんは水筒を持たされて外に出されるらしい。
家の鍵を閉められてお母さんと赤ちゃんは寝るそうだ。


そしてお兄ちゃん達が帰ってくるまで家に帰ってくるなと言われているらしい……


ビックリした。
子供の言うことだから勘違いはあるかもしれないけど…もし真実だったら…


トイレはどうしてるのか聞いたら「砂場でしてる」と答えた……💧


それ以来、毎日うちで遊ぶようになった。

No.68

もう、我が物顔で家に入ってくるTくん。
時々靴を履かずに裸足で来る事もある。
手も足も真っ黒。


「ちょっと待って❗」と言って抱っこしてお風呂に移動。
手と足を洗わせる。
「靴は❓」と聞くと「水溜まりの中…」
うちに来てない時は外で砂や虫を触って遊んで、雨の日は社宅の棟の中で遊んでるらしい。


水溜まりの中の靴を取りに行って洗ってドライヤーで軽く乾かしといた。


5歳にもなると知恵が付いて意地悪もしてくる。
次男のおしゃぶりを取って、わざと長男の口に入れる。
そして「おばちゃーん、○○くんが弟のおしゃぶりくわえてるー」と言ってくる。


いやいや、気付いてるって✋
でも長男には「コラ○○❗だめよ❗」と軽く言ってTくんには「教えてくれてありがとう」と言っておいた。


このイタズラ、しょっちゅうしてきた。
毎回消毒し直すのが面倒くさくなって、最後の方には「Tくんがやったの知ってるよ❗おばちゃん見てたもん❗悪いことしたらおばちゃん怒るよ❗」と言っていた。


No.69

Tくんは時々ヒドいイタズラもした。
2ヶ月の次男の耳元で「わっ‼」と叫んで大泣きさせたり、戦いごっこと称して長男の頭を何度も壁にぶつけたり…


目に余る行動が結構あったから、私も時々怒っていた。


旦那にTくんの事を話してみた。
すると旦那から意外な言葉を聞いた。
「その子かどうかは分からんけど、1日中外に居てあっちこっちの家を回って食べ物を分けてもらったり、悪いことばっかりして出入り禁止になってる問題児が居るらしいよ。会社ではかなり有名」


Tくんだと思った。


旦那にTくんのイタズラの事を話した。
旦那は次男を溺愛してたから、次男にしたイタズラに対してめちゃくちゃ怒った。
もう、家に入れるなと言われた。


No.70

私も、旦那の言うとおりだなと思い、もう家に入れるのは止めようと決めた。
来ても家に入れず、外で遊んでもらおう。


朝8時。
ピンポーン。
「Tくん、たまにはうちの子を連れて外で遊んでくれる❓」

Tくん「いいよ」


そしたらとんでもないことに、長男に外でオシッコする事を教えていた💧
そして長男の靴はTくんにオシッコをかけられていた…💧
更に長男を振り回して転かすというのを何度もやっていたから私は怒った。


「そんな事するんだったらもう遊ばんといて。○○ケガしてるし」
その日はそのまま帰った。


翌日、また朝8時にピンポーンと鳴った。
悪いとは思ったけど居留守を使った。
そしたらめちゃくちゃインターホンを押してきた。
それでも無視。


しばらくして静かになった。
ホッとしたのも束の間、1分くらいしてまたインターホンがめちゃくちゃ鳴った。


ここで出たら負けだと思い、ずっと無視し続けた。
8回くらい来たら来なくなった。


近所の方、インターホンうるさくてすみません😭


No.71

その日の午後、インターホンが鳴った。
Tくんだった。
開けるとサッと入ってきて勝手に部屋に上がり込んだ。
「勝手に入ったらダメでしょ❗手と足洗いに行くよ」


また手と足が真っ黒な状態で入ってきた。
廊下を雑巾で拭いた。


「おじちゃんがね、悪いことするんだったらうちで遊んだらダメって言ってるんだけど、良い子にできる❓」


Tくん「うん、できる」


と言ったけど、その後暴れて長男を突き飛ばし、洗面台の下に置いてあるラックに激突させた。
そのせいで洗面台の排水管が割れて水漏れ発生。
Tくんはうちを出入り禁止になった。


でも相変わらず毎朝8時に来てはインターホンの嵐。
居留守を使い続けたら毎日毎日来られて私はノイローゼのようになった。



No.72

Tくんがお昼に来た時、Tくんのお母さんに私の存在を気付かせようと思った。
祖母にゼリーの詰め合わせを送ってもらっていたから、それを10個袋に入れてTくんに持たせた。


「お母さんにいつもお世話になってますって渡してね」と言った。


「分かった」と言ってうちの長男と一緒に家に向かった。
なかなか帰ってこないから心配になってエレベーター前まで行ってみた。


そしたらTくんがゼリーを開けてほとんど食べていた💧
うちの子も1個食べていた。
ゼリーのカップや蓋はその辺に散らかしたまま。


「Tくん、おばちゃん、お母さんに渡してって言ったんだけど💧」


Tくん「お腹空いたから食べちゃった」


私「………そっかぁ💧」


作戦は失敗に終わった。



No.73

洗面台が壊れてから2日後、Tくんがお昼に遊びに来た。
旦那がお昼で帰ってきてる時だった。


勝手に上がろうとしたから、玄関で「今、おじちゃんが帰ってきてご飯食べてるよ」などと言っていた。
突然旦那が玄関に来て「お前がTくんか。うちの子にケガさせたり物壊したりして❗もう来るな❗」と言った。


Tくんはびっくりして走ってどこかへ行ってしまった。
それ以来、旦那が居る時間帯は絶対来なくなった。


旦那が平日休みの日にたまたま来たら「今日はおじちゃんお休みで家に居るよ」と言うとサッとどこかへ行ってしまう。
Tくんに疲れていた私にとって、旦那の存在はありがたかった。


No.74

Tくんの行動は日々ヒドくなっていった。
始めはインターホンを鳴らすだけだったのに、居留守を使うと窓をバンバン叩いたり「開けろー‼」と騒いだりするようになった。


玄関側の窓に付いてる柵によじ登っていつまでも猿のように遊んだり…
真っ黒な手で玄関のドアを叩きまくるからドアは手跡が沢山付いてた💧


毎日毎日続いたから本当に精神的にキツくなっていた。
たまに開けて「おばちゃん達、今から出掛けるから今日は遊べない。ごめんね」と言うと「準備ができるまで中で待ってる」と言う。


本当は出掛ける予定はなかったけど、出掛ける準備をしてTくんにバイバイと言い、近くの公園へ向かう。
家は全くくつろげなかった。
インターホンが鳴るとドキドキしてしまう


No.75

ある日、Tくん一家が引っ越しをするという話を聞いた。
本当に❓
部屋が狭くなってきたからおばあちゃんの家に引っ越すと言っていた。


……………やっと解放される✨
これでゆっくり寝られる✨
インターホンにドキドキする事もなくなる
わ~い✌


それから1ヶ月程してTくんを見掛ける事はなくなった。
長い長い半年間だった。


No.76

次男が3ヶ月の時、姑さんが1週間泊まりで遊びに来た。
姑さんには玄関横の部屋を使ってもらう事にした。
旦那と姑さんが居る間に次男のお宮参りに行こうと話していた。


姑さんは次男を抱いたままなかなか離さない(笑)
完母だったから、授乳とオムツ替え以外はずっと抱っこしてくれていた。
私は食事を作ったり長男と遊んだりしていた。
2日目は姑さんとショッピングモールに出掛けて一緒に買い物をした。
帰ってくるとまたすぐに次男を抱っこ(笑)


3~5日目は旦那の仕事が休みだった。
姑さんは旦那にあちこち行ってみたいと言った。
旦那は仕事で浅草の方を回っていたし、私が里帰り中にあちこち行ってたから少し地理に詳しくなっていた。


旦那は姑さんを連れて出掛けていった。
私と子供達は留守番。
翌日も同じ。
私は出産して数ヶ月だったから、まだどこへも行った事がなかった。
私も行きたかった。



No.77

夜、姑さんが楽しそうにしながら帰ってきたから、楽しかったか聞いてみた。
「楽しかったよ~。ここに住んどったらあっちこっち行けてええねぇ。ほら、今日撮った写真」と言って雷門の前で楽しそうにしている姑さんが写った写メを見せてもらった。


「雷門に行ったんだね~」
私は顔は笑いながらも心の中はイラッとしていた。
私…まだどこへも連れて行ってもらってない…


姑さんがお風呂に入ってる間に、私は旦那に、私もあちこち行ってみたい。どっか連れて行ってと言った。
旦那の返事は「え~💧またいつかね。○○(次男)がまだ小さいからどこも行かれんでしょ」だった。


私「レンタカー借りたら良いじゃん。歩くより負担かからないし荷物も沢山乗るよ」

旦那「レンタカー借りるのが面倒くさいし○○はまだ小さいからどこ行っても覚えてないわ」

私「………」



No.78

よく言うよ❗
長男が赤ちゃんの時は旦那の実家や旦那の祖母の家、旦那の伯母(姑さんの姉)の家、花火大会などのイベントにあっちこっち連れ回したくせに。
毎回夜泣きで大変だから、私の方が行く回数を減らして欲しいって何度も言ったくらいなのに…


それにお宮参りだってそう。
旦那と姑さんが張り切って遠くの神社に行くと言った。
私は近い場所で良いと言ったのに。
結局、長男が1ヶ月の時に姑さんの家から車で5時間かかる他県の大きな神社へ行った。
旦那は満足していたけど、私は疲れただけだった。


姑さんがお風呂に入ってる間、しばらく言い合いが続き、旦那と喧嘩になった。
姑さんがお風呂を上がったようだったから取り敢えず喧嘩は終了。
私は子供達の相手をしに行った。


No.79

翌朝。
今日は次男のお宮参りの日。
でも私はまだ旦那に対してイライラしていた。
姑さんとは楽しそうに出掛けるのに、私とは出掛けたくないのか…という気持ちが大きかったから。


旦那が「そろそろ行く準備しようか」と姑さんに言った。
姑さんも「そうだね」と化粧を始めた。


私は「私は行かない。2人で行けば❓」と旦那に言った。
旦那は一瞬、はっ❓みたいな顔をしていたけどスルーしてスーツに着替えていた。
姑さんも化粧をしたり着替えたり。


私は次男を着替えさせた。



No.80

姑さんも旦那も次男も準備完了。
でも私はまだ着替えていなかった。
「早く着替えて。行くよ」と旦那に言われたけど、私は「行かない。2人で行ってくれば良いじゃん。私は○○(上の子)と留守番しとく」と次男を旦那に渡した。


姑さんと旦那が「何言っとんよ❗」と言ってきた。
でも私の意志は固く、ずっと「行かない」と言い続けた。


姑さんは埒があかないと思ったのか、自分の部屋へ向かった。
旦那もそれに付いていった。
部屋の方から声が聞こえてきた。
「はぁー」と姑さんの大きな溜め息の後、「困った○○ちゃん(私)だねぇ。あんたも苦労しとるんじゃないん❓」と。
旦那は「まあね」とか言っていた。


その後、姑さんが「じゃあ、今日はナシにして、またあんたが休みの日にでも行きなさい」と言い、旦那も「そうするわ」と言った。


結局、その日はお宮参りへは行かず、(空気は重かったけど)普段通りに過ごした。
それから1週間後、家族4人で旦那が薦めてくれた水天宮へお宮参りに行ってきた。


No.81

そんな感じで1週間経ち、姑さんが帰る日になった。
私と子供達は近くの駅まで行って姑さんを見送り、そこからは旦那が姑さんを東京駅まで連れて行った。
3時間近くして旦那が帰ってきた。


東京駅までは20分くらいで着くからもっと早く帰ってくると思っていた。
まぁ、姑さんとの感動的な(笑)別れが長引いたんだろうと思っていた。


「遅かったね」と言うと、東京駅でご飯を食べてきたと言う。
私と子供達は食べずに待ってたのに…


この頃は旦那に対してイライラしてばっかりだった。


No.82

長男が3歳、次男が8ヶ月の時にまた妊娠が判った。
ケータイで調べたら一番近くの産婦人科まで徒歩30分くらい。
始めは旦那の平日休みに子供達を旦那に預けて通っていたけど、途中から旦那の仕事が忙しくなってしまって、子供を連れて検診に行かなくてはいけなくなった。


私は長男に結構手こずっていた。
すごく活発で、繋いでる手をパッと振り払ってどこかへ走って行ってしまう。
捕まえようとしても、本人は鬼ごっこをしてるかのように笑いながら逃げてしまう。


買い物へ行くとすぐに迷子。
1時間探し回ってやっと見付けても「母さん、どこ行ってたんよ❗」と、まるで私が迷子だったような言いぐさ。
何度注意しても同じ事を繰り返し、勝手な行動をしてしまう。
そんな子を連れて行くのはしんどかった。


妊娠8ヶ月の時。
また祖母と母の元へ里帰りした。
検診で男の子だと判り、それを祖母達に話すと、祖母が「やっぱりや~(笑)当たるもんやねぇ」と言っていた(笑)


No.83

母と私と子供達との生活が始まった。
やはり長男が落ち着かず、暴れる。
注意した事を何度も繰り返す。


私の母はかなり躾に厳しい人。
長男の目に余る行動に、母は毎日毎日長男を叱っていた。
そして私に「親の躾が悪い」と言ってきた


里帰りする前、私は次男の体にある大きな茶色いアザが気になっていて『子供の病気辞典』を読み漁っていた。
その中で『ADHD』というものを見付け、長男の症状によく似ているなと感じた。
その頃から長男はコレなんじゃないかな…と思い始めた。


母に「○○(長男)はADHDっていう障がいがあるんじゃないかと思うんよね。何度注意しても同じ事繰り返すし、常に落ち着きがないし…」と言ってみた。


でも母は「そんな事ないわいね❗あんたの躾が悪いだけ」と強く言ってきた。


No.84

あまりに母が私を責めてくるから私も辛くなって涙が出始めた。


「だったらお母さんが育ててよ‼私が何度注意しても怒っても全く聞かないんだから‼」


母は「何言ってるんよ‼自分の子でしょ⁉自分が好きで産んだ子でしょ⁉躾は親の仕事じゃない‼最後までちゃんと面倒見なさいよ‼」と。


私は言い返せず、部屋へ行った。
母は長男に「母さんは○○のせいで泣いてるんよ。○○がちゃんと母さんの言うこと聞かないから。もうお兄ちゃんなんだからしっかりしないとね」と言っていた。


No.85

それでも長男は注意しても同じ事を繰り返し、母から毎日叱られる日が続いた。
特に食事中。
じっとして食べる事ができない。
1口食べてはウロウロしようとする。
食べ終わるまで席を立たないように言っても、毎回食事の度に「手を洗いたい」「トイレに行きたい」と30分くらいの間に何度も席を離れる。


母もピシッと足を叩いたり「じっとしなさい❗」と言うけどダメ…
里帰りから帰る頃には食事の度にすぐ「吐きそう…」と言い、吐くようになった。
私は、長男は精神的にかなりキツくなってるんだなと感じていた。


No.86

長男が4歳の誕生日を迎える2週間程前の7月中旬に三男が産まれた。
次男を出産した病院は産婦人科が廃止されていたから、次男の時とは別の産婦人科での出産になった。


三男が産まれて3日後、医師にこの子は心疾患があると言われ、次男を出産した病院を紹介された。


心室中隔欠損症・心房中隔欠損症・うっ血性心不全と診断され、それから半年間、強心剤を処方。
穴の大きさはそれぞれ7ミリ。
強心剤が効かなかったら手術をする事になると言われた。


三男は1ヶ月になるまで3~5日置きに病院に通った。



No.87

里帰りから自宅へ戻り、ケータイで大きな病院を検索して、社宅から徒歩とバスで45分程の都立病院へ通うことになった。


毎週来るように言われたけど、仕事が忙しい旦那は平日に休みがなかなか取れない。
3人を連れて病院へ行くのはキツかった。
特に長男…
母に相談すると、毎週、母が来て上の子達を見てくれると言ってくれた。


それから母は、三男の病院の日は夜行バスで朝早くに来て上の子達を見てくれるようになった。
すごくありがたかった。



No.88

三男が3ヶ月を過ぎた頃から、通院は2週間に1回になった。
だけど風邪を引かせてしまうと、2~3日置きに行かなくてはいけなくなる…


長男は、里帰りから帰ってきてキツく叱る人が居なくなったからか、のびのびとし始めた。
食事の時も叱るのを減らすと吐く回数も減っていった。


でも母が来ている日は必ず吐いていた。
母はそれを気にしていた。
「○○(三男)の3~4ヶ月健診の時に子供の精神科が近くに無いか保健師さんに聞いてみるわ」と私は言った。


三男の健診の時に精神科の事を保健師さんに聞いてみると、保健師さんがどうしたのか聞いてきた。
私は食事中の事を話した。
すると、月1回臨床心理士さんが来て育児相談をやってるから話を聞いてもらったらどうかと言われた。


すぐに予約を入れた。



No.89

予約した日。


保健センターまでは歩くと50分くらいかかる。
三男をおんぶして次男をバギーに乗せて長男は私と手を繋いで歩く。
というスタイルで行こうと思ったけど、時間がギリギリだったからタクシーを使って向かった。


保健センターに着いて育児相談の部屋へ行った。
入ったら広いプレイルームだった。
部屋の1番奥の右と左に机が置いてあって女性がそれぞれ座ってる。
周りには保健師さんが3~4人居る。


座ってる心理士さんは2人で、来た順番で呼ばれていく。
しばらくして、私は左側の心理士さんに呼ばれた。


見た目は40代で、どこにでも居るお母さんって感じの人だった。
今までの事を話すと、叱るのを一切やめるように言われた。
そしてできた事を大袈裟に褒めてあげるように言われた。


私は今まで長男を怒ってばかりいた。
いつも困る事ばかりしてくる長男。
2歳頃から褒めていなくて褒め方が解らなかった。



No.90

心理士さんにどういうところを褒めたら良いのか聞いてみた。


「褒めるのは本人ではなくてその行動を褒めて下さい。例えば靴を揃える事ができたら`靴が上手に揃えられたね、スゴいね、さすがだね´という感じで」


「分かりました。やってみます」


その日はそれで帰った。
そっかぁ…褒めたら良いのか…


褒める事に関して色々思い出してみたけど私は母に褒められた記憶がない。
私は母が怖いから、なるべく怒られないように言うことを聞いていた。
でもしょっちゅう怒られてた(笑)


No.91

心理士さんに言われたように褒める事を増やしてみた。
褒められるとドーパミンが出て脳にすごく良い事も教えてもらっていた。


食事に関して、一切怒らないようにしたのは良かった。
吐く事無く、パクパク食べてくれるようになった。
ちょっとウロウロするけどそこはスルー。


長男を褒める作戦の方は始めはうまくいっていた。
でも途中から調子に乗り始めダメになってしまった。
褒めるとそれを過剰にやってしまう💧


1ヶ月後、心理士さんに報告した。
今度はご褒美作戦になった。
良い事をしたらシールを貼って、シール3つと飴を交換。


これはかなりうまくいった👍始めの内は…
途中からは自分で勝手に沢山シールを貼って「飴ちょうだい」と言うようになった。
悪知恵がついた…


No.92

1ヶ月後、心理士さんに報告。
今度は悪いことをしたら無視する事を教えてもらった。


悪いことをしている間は一切反応せず、ずっと無視する。
止めたら「止めてえらかったね」と話しかけてあげるという方法。


これは失敗💧
反応するまでどんどん行動がエスカレートして手に負えない状態に…


1ヶ月後、心理士さんに報告。
今度は罰を与えることを教えてもらった。あまりに悪い(耐え難い)ことをしたらお仕置き部屋に1~3分閉じ込める方法。


あと、出掛ける時は必ず家で約束をしてから出掛けること。
スーパーで走り回ったりしたら買い物を途中で止めて帰る事を伝える。
走り回るのを止めるんだったら買い物は続けられるけど、止めないなら帰るという選択肢を与える。
言うことを聞かない場合はどんなに泣いても徹底して帰る。


というちょっと厳しい方法を教えてもらった。
実践してみると、帰ってばっかりになって買い物がほとんど出来なかったという最悪な結果に…


それ以来、買い物は夜旦那が帰ってきてから旦那に子供達を預けて私1人で行くようになった。


No.93

そんな感じで半年間ずっと心理士さんとこんなやり取りをしていた。
そして半年後のある日、心理士さんにある本を薦められた。
本にはADHDという文字が書いてある。


心理士さんに「海外の本を日本語訳にしてあるんですが、ちょっと難しい子を持つ親のためのペアレントトレーニングの本で、困った行動に対して親がどういう行動を執れば良いかがイラスト入りで書いてあるんですよ。結構読みやすいので読んで行動に移してみて下さい。この子がADHDと言ってるわけではないですからね」と言われた。


本を読んでいると所々にすごい行動をとってる子のイラストがあって面白かった。
テーブルの上に上がって料理をメチャクチャにしてる女の子の絵とか、スーパーでコレ買ってとギャーギャー騒いでる男の子の絵とか…(笑)


すごく読みやすかった。


No.94

4月。
三男は8ヶ月になっていた。
心臓の穴は強心剤のお陰で少しずつ閉じ、手術はしなくて良くなった。
薬も強心剤から利尿剤に変わった。


長男は幼稚園に入園した。
入園式当日は旦那が仕事だったから、母が前日から来てくれていた。


朝、突然三男が38℃台の熱を出した。
三男は人見知り真っ只中だったし完母だったから母に頼めず…
仕方なく、私は次男と三男を連れて近くの小児科へ行き、母が長男の入園式に行ってくれた。


幼稚園では集合写真を撮ったらしい。
周りは若いお母さんばかり。
うちだけ`年をとったお母さん´だったらしい(笑)
母はその時50歳だった。
長男は全く気にしてなかったけど、母は長男が可哀想と言っていた。



No.95

5月の終わり頃、園長先生に話があると言われた。
時間を指定されていたから、その時間に下の子達を連れて幼稚園へ向かった。


幼稚園へ着くと園長室へ通された。
部屋には担任の先生と主任の先生と園長先生が。
座ると早速話が始まった。
「○○(長男)くんの事なんですけど…」


園長「小さい時からこんな感じですか❓」

私「はい…」

園長「こんな事言いたくないんだけど、ちょっとトラブルが多くて、私達では手に負えなくなってきてるんですよね」

私「そうですか…すみません。実は○○の行動に関して半年以上前から保健センターで臨床心理士さんに相談してきたんです。でもなかなか改善されなくて…」

園長「そうだったんですか…お母さんも大変な思いをされてきたんですね…私達は色んな子を見てきたから分かるんですが、○○くんは他の子とちょっと違う感じがするんですよね。そういう子を見てくれる教育センターっていう所があるので、ここに連絡してみて下さい。私からも話しておきますから」
と、メモを渡された。


No.96

私「あ、ここ…心理士さんからも先日ここへ連絡するよう言われました」

園長「そうなの❓じゃあ、話が早いわね」

私「帰ったら連絡してみます。○○がご迷惑をおかけしてすみません」

園長「いえ、気にしないで下さい。お母さんも頑張って下さいね」

私「はい…ありがとうございます」


帰って教育センターに連絡してみた。
次の土曜日に来るように言われた。


心理士さんからは、本を薦められた次の月に教育センターへ連絡する事を勧められていた。
口で言われただけだったから、そこがどんな所なのか分からないし、電話番号も分からなかったからそのままになっていた。


No.97

土曜日。
タクシーで教育センターへ向かった。
車ではすぐだけど、歩いて行くにはかなりキツい距離だった。


教育センターには心理士さんが沢山居た。
受付けを済ませるとすぐに呼ばれた。
若い心理士さんが行動を見ながら長男と遊んでくれている。
その間に私は他の心理士さんに出産時から今までの成長を話していった。


それから週2~3回通うように言われた。
幼稚園が終わった後、ここへ移動。
帰るのは夕方6時頃だった。


私はかなり忙しい日々になった。
長男の週2~3回の療育、月1回保健センターの育児相談、三男の病院。
旦那に構ってる暇は無かった。


No.98

長男が3歳頃から旦那の暴力が始まった。
長男が同じ事を何度も繰り返したり落ち着かないから、注意したり怒ったりしてた。
それでも聞かない長男。


始めは手や足をパシッと叩いたりする程度だったけど、それでも言うことを聞かないからどんどんエスカレートしていった。
パシッだったのがバシッに変わった。
叩く場所も頬とか背中に…


オモチャを出したら1人で片付けられない長男。
「一緒に片付けよう」と言って、私がほとんど片付けていた。
少し目を離すと、またオモチャ箱を全部ひっくり返す。
また「一緒に片付けようね」と私が片付ける。


目を離すとまた…
私は食事作りで手が離せなかったから旦那に片付けをお願いした。
旦那は「片付けられんのんだったら出すなよ❗」と言いながら長男にオモチャを投げつけた。


No.99

長男の泣き声に気付いて見に行った。
旦那がオモチャを投げつけたと言う。
旦那は「お前が片付けんからだろうが‼」と長男に向かって言った。


「だからってオモチャ投げつけんでも良いでしょ‼バカじゃないん⁉」と言って私は旦那をビンタした。


普段は温厚な私。
でも実は結構血の気が多い。
旦那が理不尽な事で子供を怒ってたり、あまりにヒドい暴力をしていたら、私が旦那の前に出て行く。
そして怒りながら旦那の顔を叩いたり殴ったりする。
結構強く。
青アザができるくらい。
私は高校生の時に女子プロレスにハマってて、本気でレスラーになろうか考えた時期があって鍛えてた(笑)


でも…
旦那にそんな事をされても懲りずにまたオモチャをひっくり返す長男💧
また旦那に怒られていた。


No.100

三男がお腹に居る時、義妹の結婚が決まった。妊娠7ヶ月の時だった。
結婚式の招待状が届いたから出席に○を付けて出した。


義妹は結局、始めの旦那さんとはうまく行かず、1年半で離婚してしまった。
子供は旦那さん側が引き取った。


結婚式前日、私は妊娠8ヶ月の終わり頃。
大荷物を持って旦那の実家へ向かった。
転勤してから1年半振りの実家。
姑さん達は長男の顔を見るなり驚いた。


実家へ帰る1週間前、やはりオモチャを全部出して片付けない長男に腹を立て、旦那がその辺にあるオモチャを投げつけた。
それがたまたま金属でできた硬いオモチャで、頭と顔に大きな傷ができた。
長男は頭と頬から出血し、私はもうビックリして、とにかくずっと止血したり冷やしたりしていた。


その傷ができた状態で行ったから、姑さんと義妹は旦那をメチャクチャ怒っていた。
義妹の旦那さんになる人は戸惑っていた。

No.101

私の出産が待っていたからうちは結構貧乏だった。
近くの産婦人科は出産費が55万~になっていたから、せめて60万は貯めないとね、と私と旦那は節約して必死に貯めていた。


そんな時に義妹からの幸せなお便りが(笑)
交通費往復2人で8万…イタイ…
うぅ😢
全部合わせると25万の出費💧
でも義妹の結婚式だしなぁ…


という事で相談したら、交通費片道出してあげると言われた。
良かった💦


結婚式前日、旦那の実家に着いて荷物整理をしていると、私がピンと髪留めを忘れてきた事に気付いた。
仕方なくデパートへ買いに走った。
お陰でその日の晩ご飯代が思いっきり飛んでいった(笑)


No.102

式も披露宴も滞りなく順調に終わったように見えた。


が…
突然、新郎と新婦が喧嘩を始めた。
新郎の友人ばかりを優先していたから義妹が不満を言い始めた。
そこから怒鳴り合いの大きな喧嘩に発展💦
新郎の親からは、義妹は我慢が足りないと言われ、義妹が号泣。
そのままその場を去ってしまった。


取り敢えず、もう夜10時を回っていたから私と旦那と子供達はホテルへ戻った。
そこに姑さんが来て「私じゃダメだから兄ちゃん来て」と言い、そのまま旦那は部屋から出て行った。


私と子供達はお風呂に入った。
私は妊婦だったから、普段、子供達は旦那がお風呂に入れてくれていた。
お腹が大きいから3人でお風呂に入ると狭い💧


子供達を出した後、私は1人でサッと入る事にしたけど、次男がなかなか寝ずグズグズ言い続ける。
何だか体も熱い。
熱が出てるっぽい。


体温計も冷やすものもない。
旦那も居ない…
仕方ないからタオルを濡らしておでこを冷やした。



No.103

次男の看病をしながら旦那の帰りを待ち続けた。
夜中1時になっても帰ってこない…


2時頃突然ドアが開いた。
旦那と義妹が入ってきた。
旦那が「俺じゃあ、大して話し相手になってやれないから○○ちゃん(私)、話聞いてあげて」と言ってきた。


えっ💧
そんな大役無理だよ💦
次男熱でグズってるし…


話を聞き始めた。
「新郎の親は何でも我慢しろって言う。私は今までずっと我慢してきた。これ以上何を我慢しろって言うんよ」と泣きながら言われた。


私「そうなん…相手が思ってる我慢と自分が思ってる我慢は違うからね。その差だと思うよ。でもそうやって責められるのはツラいよね」

義妹「私なんて居なくなれば良いんよね。居なくなったらみんな喜ぶわ。見て、これ今まで自殺しようと何回も付けた傷」
と言いながらリストカットの痕を見せてきた。

義妹「私、もう死んだ方が良いよね…」

私「そんな事言わんといてよ❗私は○○ちゃんが死んだら悲しいし死なないで欲しいよ」と泣きながら言った。

義妹「そう言ってくれるのは○○ちゃん(私)だけよ。ありがとう」



No.104

義妹は少し落ち着いてきたらしく、新郎の愚痴を言ってきた。


私はずっと、うんうんと聞いていた。
朝方4時。
義妹は「やっぱ戻るね。ありがとう。迷惑かけてごめんね」と言って帰って行った。


翌朝、バスで旦那の実家に戻った。
荷物の整理をしながらゆっくり過ごしていた。
夕方、義妹達が来た。
子供達を寝させた後、今後の事について色々話し合い始めた。


夜12時前になった。
私は前日もゆっくり休めてなかったから、先に休ましてもらう事になった。
疲れからか結構お腹が張って痛いくらいになっていた。


1時頃、私は横になってるだけでまだ寝られてなかった。
襖1枚挟んだ部屋でいつまでも話してるから寝るに寝られない。
それにまだお腹が張って痛い感じ。


そんな中、また義妹達の喧嘩が始まり、怒鳴り合いになった。



No.105

私は何故か急に息苦しくなって息ができなくなってきた。
お腹も張って痛い。


旦那が襖の隙間から見えたから呼んで、旦那に「お腹がさっきから張ってずっと痛い…」と言った。
旦那は「大丈夫❓」と聞いてきた。

私「多分…」

それを聞いていた姑さんが急に「全部私のせいだー❗赤ちゃんに何かあったらどうしよう」と泣き叫んだ。
そして「救急車呼ぼ❗」と言い始めた。


私は「出血や破水してるわけじゃないから大丈夫よ」と言ったけど「救急車呼んだ方が良い❗」と言ってくる。
私が「もうちょっと様子見てダメそうだったら病院連れて行って」と言ったら落ち着いた。


それでもまだ「全部私のせい」と泣き叫んでる…
旦那と義妹が「お母さんのせいじゃないよ」と何度もなだめていた。


No.106

義妹達の喧嘩が修まったせいか、お腹の張りと痛みがなくなってきた。
一安心。


旦那は「人騒がせな(笑)」と言っていた。


翌朝早くに旦那の祖母が来てみんなで一緒に写真を撮ったりした。
しばらく話したりしてると帰る時間になった。
駅までみんな付いてきてくれて最後の集合写真を撮った。
次男は結局熱が下がらず、おでこに冷えピタを貼った写真。


新幹線の出発の時刻。
みんな、見えなくなるまで手を振ってくれた。


あっ、交通費貰ってない💧
旦那と後で気付いたけど、まぁ、良いか💧で終わった。


その後、義妹達は1年で離婚。
御祝儀と交通費その他…イタかったんだけどなぁ…



No.107

教育センターへ行き始めてから1ヶ月経たない内に、幼稚園では加配の先生がついてくれる事になった。


その頃の長男は『1番』に拘っていた。
何でも自分が1番じゃないと気が済まなくて、1番になれなかったら相手の子の顔を殴ったり蹴ったりとヒドかった。
滑り台でも、自分の前に他の子が居ると上から突き落とそうとする。
非難訓練でも階段を1番に下りたいからと前の子を押す。


園長先生には「人を人とも思わない行動をする」と言われていた。
私は長男に何度も何度も口で教えていたけど、何とも思っていない様子。
他の子を怪我させた時にはバシっと叩いて教える事もあった。
それでも変わらない長男。


私は何度言っても同じ事を繰り返す長男に疲れていた。


No.108

旦那が休みの日。
夕方から買い物に出掛けた。
旦那が居るからと少し安心(油断)してショッピングモールに向かっていた。
旦那は次男と手を繋ぎ、私は三男を前抱っこして長男と手を繋いで歩いていた。


いきなりバッと長男が手を離し、走って赤信号の道路の方へ出てしまった。
幸い車は来てなかった。
魚屋さんの魚が見たかったらしい。


私は怒って「手を離したらダメじゃない❗車にひかれたらどうするの‼ひかれたら痛いし死ぬんよ‼絶対離したらダメ‼」と言いながら長男をバシっと叩いていた。


そこへ前から来たおばさん(何があったか見てない)が「子供をこんなに叱って可哀想に。最近の若い母親はこれだから」と言って通り過ぎて行った。


私はまさかそんな事を言われるとは思ってなくて一気に自信を無くしてしまった…
旦那は気にするなと言ってくれたけど、私はずっとこの言葉が脳裏に焼き付いて離れない…


No.109

教育センターでは始めはグループでの療育をしていた。
でも長男があまりに勝手な行動をするからグループから外されてしまった。
そして長男1人と心理士さん2人での療育が始まった。


長男は楽しいと思う事があると興奮状態になってなかなか止められない。
療育の中で砂遊びをしていたら、心理士さんに砂をかけるのが楽しくなって興奮状態になってしまった。
心理士さんの目や耳に砂が入っても止めず危ないという事でその日は療育中止。
そのまま部屋から出され、心理士さんは手当てをしてもらっていた。


夏休み前に月1回教育センターに来ている専門医に長男を診せてみないかという話が出た。
私はすぐお願いした。


No.110

専門医の居る部屋に通された。
専門医は長男の行動を見ながら次々と長男に話しかけていく。
長男は専門医が話しかける度にウロウロごそごそしながら答えていく。
専門医に「ADHDの傾向があるのは間違いないね」と言われた。


何だかホッとした。
やっぱりこの子はADHDなんだ…
更に専門医は幼稚園での様子や教育センターでの様子を聞いてきた。


長男は一度、幼稚園に生えてる木から塀に飛び移って塀を越えて脱走した事がある。
すぐに主任の先生が気付いて5人くらいで保護しに行った。
その事も伝えた。


専門医からは、危険行動が多いという事で入院を勧められた。
夏休みの間だけで改善されなければ、その後もずっと入院してもらって行動&薬物療法をしていくと言われた。


病院までは地下鉄を何度か乗り換えて2時間近くかかる場所にある。
診察は半年待ち…
すごく迷った。
4歳の子をしばらく預けるのは何だか酷な気がした。


No.111

帰って旦那と話し合う事にした。
専門医に、入院させようと思ったらここへ連絡してくるようにと資料をもらった。
そして「うちの病院ではなくても薬の処方はしてもらえるから、他の病院に通う事もできますよ」と言われた。


部屋を出た後、担当の心理士さんに「○○くんはADHDだけではない気がするんですよね…多分、他にも何かあると思います。もう発達検査も受けられるんで今度受けてみましょう」と言われ、発達検査の予約をした。


帰って旦那に話した。
旦那はすぐ「入院させろ」と言ってきた。
「○○の面倒見てたらこっちがおかしくなるわ❗」とも…


私はまだ迷っていた。
そして母にも相談した。
始めは躾が悪いと私を責めた母。
入院の話をしたらビックリしていた。
「そんなにヒドいの⁉」と。
「○○のためになるんだったら入院させた方が良いのかもしれないけど…可哀相よねぇ…まだ4年しか生きてないんだよ。お母さんが大好きな時期に母親と離されるなんて…」


母の言葉が胸に刺さった。
結局、三男を診てもらっている都立病院に通うことに決めた。
薬を飲ませて行動を見て、それでも変わらなかったら入院させようと思った。


No.112

発達検査の日。
なかなか集中できず、落ち着かないから2日に分けてした。


結果はADHDとアスペルガーの症状が強い広汎性発達障害だった。
長男が3歳の時に感じた違和感、私の疑いは当たっていた。


IQは116。
苦手な分野と得意な分野の差が激しい。
物の事はよく知っているけどグループ分けがほとんどできない。
飛行機についてはよく知ってるけど、それが動物なのか機械なのか聞かれたら解らない状態💧
5歳だけど行動面は1歳くらいの子と同じレベルだと言われた。


1年近く通った保健センターの育児相談。
結果を心理士さんに報告した。
色々アドバイスされた後、もう来なくても良いんじゃないかと言われた。
教育センターに任せましょう、と。


私はちょっと寂しくなった。
この心理士さんは私の事も凄く褒めてくれる。
このやり方を試してみたと報告したら「お母さん、そのやり方スゴく良いですよ❗頑張ってますね」と。
周りに頼れる人が居ない中での育児。
この心理士さんの言葉で私は随分救われてきた。


最後の日はいつもよりちょっとだけ長く居させてもらった。
そして「今までお世話になりました。ありがとうございました」と言って部屋を出た


No.113

9月。
保健センターへ通う事はなくなったけど、相変わらず忙しい日々は続いていた。


月2回長男の薬を貰いに都立病院。
月1回三男の都立病院。
週2~3回の教育センター。


8月の終わり頃に次男と三男が嘔吐下痢症にかかり、近所の小児科へもしょっちゅう行っていた。


長男も夏休みが終わり、幼稚園が始まった
朝、幼稚園へ連れて行くと加配の先生が変わっている。
なんか、3~4ヶ月でローテーションするらしい。


慣れない先生に大丈夫かなぁと不安になっていたけど、さすが40代のベテラン先生。
気を紛らわせたり、他の事に注目させるのがうまかった。
長男ものびのびしていた。


No.114

長男が都立病院で処方されていた薬は漢方薬(粉薬)だった。
匂いからして、大人でも吐きそうになる。
それを飲むように言われていた。


長男はなかなかこの薬が飲めない。
「ちゃんと言うこと聞くから薬飲まさんといて」とすごい表情で言ってきた。


夏休みの間は飲まさない日も結構あったけど、落ち着かず、下の子達にしょっちゅうちょっかいを出したり、良くない行動をした時に薬を飲ませるようにしていた。


しばらくするとこの薬を飲ませる事が罰のようになっていた。
涙目になりながら何度も「おぇッ」と言いながら飲む長男。


何だか可哀相になってきて、途中からは悪い事をしても飲まさないようにしていた。
でも旦那は容赦しない。


悪い事をする度に「飲め❗」と言って薬を渡す。
「お前がいらんことばっかりするからよ」と言いながら全部飲むまで見張っていた。


No.115

10月。
ある日、旦那が仕事から帰ってくると指輪を持っていた。
そして私に「要る❓」と聞いて指にはめてきた。


「どうしたのこの指輪❓」と聞いてもはぐらかす。
「この指輪、ブラウンダイヤじゃない❓50万以上すると思うんだけど、本当にどうしたの❓」と聞いた。


旦那は「まぁ、良いじゃん」と言う。
何だか怪しい…
私は「これ、高い物だから普段付けられるような物じゃないよ。しまっといたら❓」と言った。


旦那はティッシュに包んでどこかにしまっていた。


また別の日。
今度はオメガの時計を持ち帰った。
でも壊れていた。
「これ、どうしたの❓」と聞いてもはぐらかして答えない。
どこから持ち帰ったんだろう…
すごく気になる。


No.116

10月下旬。
旦那から『今日は帰れない。先に寝てて』とメールがあった。
すぐに『珍しいね。今まで帰らないって事はなかったのに。明日、気を付けて仕事行ってね』とメールを送った。


翌朝、長男を幼稚園へ連れて行って帰ってきて、下の子達に遅い朝食を食べさせていた。
そこにピンポーンとインターホンが鳴り、出てみるとガス屋さんだった。
お風呂のガスの調子が悪いと連絡していたから直しに来てくれた。


その後、少ししてまたインターホンが鳴った。
出てみると「こういう者です」と警察手帳を見せられた。


えっ❓と思ってる内に部屋に入ってきた。
ガス屋さんもこっちを見てる。
家宅捜索の紙を見せられて「今から家宅捜索します」と言われた。
私は意味が解らず、キョトンとしていた。


警察の方が「ご主人から何も聞いてませんか❓」と聞いてきた。
「はい…昨日、帰れないってメールが来ただけなんで…」


警察の方は「そうですか…」と言って本当の事を話してくれた。


No.117

旦那は指輪と時計を盗んで、時計を質屋に売ったらしい。
実名で売ったからすぐに身元が判って会社で逮捕されたそうだ。
指輪が家にある事も白状したらしく、家宅捜索をする事に…


その後、すぐに指輪が見付かった。
私や子供達が絶対触らない、旦那の物ばかり置いてあるスペースに隠してあった。
その場所も旦那が白状したらしい。


警察の方に「指輪触りました❓」と聞かれた。
「はい…」と答えると指紋を撮ったり写真を撮ったりされた。
写真を撮る時に下の子を抱っこしてたら、警察の方が「子供さんは写らない方が良いです」と子供を抱いて移動してくれた。


そして旦那が拘留されてる警察署やこれからの事、担当の刑事さんの事などを教えてもらって警察の方達は帰って行った。


頭の中は真っ白。
どうしよ…😢
バカ旦那…


ガス屋さんに「終わりました」と言われ、我れに返った。
ガス屋さんに見られてしまった…


No.118

ずっと
どうしよ…どうしよ…どうしよ…
と思っていた。
気付けば長男を迎えに行く時間。


長男を迎えに行った。
誰にも悟られないように明るくしないと❗
何事も無かったかのように普通に帰ってきた。
ため息ばかり出る。


教えてもらった担当の刑事さんに電話をしてみた。
でも今は席を外してると言われた。


仕方ないから時間を置いて再度掛け直してみると今度は出てくれた。


旦那は作業着を着てるから、私服を持ってくるよう言われた。
5時までに行かないといけない。
時間は4時半。
急いで準備して自転車に乗って持って行った。


警察署に子供達を連れて行くわけにはいかないと思ったから「すぐ帰ってくるから待っててね❗」と幼い長男と次男に留守番をお願いし、三男をおんぶして行った。


No.119

警察署に着いて担当の刑事さんと話した。


『子供3人居て、病院に通わないといけない子も居るのに何やっとんや❗これから奥さんがどんなに大変になるかとか考えんかったんか❗』とちょっとキツく言ったら泣いてたわ(笑)
まぁ、本人にはしばらく反省してもらいましょう
と言われた。


刑事さんのケータイ番号を教えてもらって何かあったら連絡するように言われた。
その日は旦那に会うことなく、そのまま帰った。


No.120

私は姑さん達や私の両親に迷惑をかけたくなくて1人で何とかしようと思っていた。


旦那が帰ってこない事に気付いた長男。
子供達には「父さんは仕事が忙しくて帰れないんだって。可哀相だねぇ」と話した。


今まで毎日旦那が子供達をお風呂に入れてくれていた。
私はいつも子供達を拭いて着替えさせるだけだった。


子供3人をお風呂に入れて拭いて着替えさせるのってこんなに大変なんだ…と気付いた。


夜、子供達が寝ると、ケータイで窃盗に関する事や拘留中に差し入れできる物を調べまくった。


旦那の逮捕から5日目。
気持ち的に辛くなってきた。
旦那の会社にも謝りに行かないといけないし、時計の弁償もしないといけない。


私はとうとう耐えられなくなり、姑さんに電話した。


No.121

姑さんは「何でそんなバカな事を…」と泣いていた。
そして私に離婚を勧めてきた。


その後、姑さんから話を聞いたらしく、義妹から電話がかかってきた。
私達に何かできる事はないか聞かれた。
できる事…特にない。
「今のところない」と答えた。


そして「お母さん、随分落ち込んでるんじゃない❓大丈夫❓おかしな気を起こさんように見ててね」と言った。


義妹は「分かった…またお兄ちゃんが迷惑かけて本当にごめんね」と謝ってきた。


「ううん…おやすみ」と言って私は電話を切った。


No.122

多分、ここは追い出されるんだろうなと思い、少しずつ引っ越しの準備を始めた。
旦那の逮捕から1週間して、私の母に電話した。


私「もしもし、お母さん❓話したい事があるんだけど…」

母「何❓また妊娠でもしたの❓(笑)」

私「ううん…実はね、旦那が1週間前に逮捕されたんよ」

母「はっ⁉何で⁉」

私「窃盗で。高価な指輪と時計を盗んで時計の方は売ったんだって…」

母「何をやっとんよ○○くんは⁉💢で、今は○○くんは警察署❓」

私「うん。家から歩いて40分くらいの○○警察署に居る」

母「そら困ったなぁ…分かった。大変な事になってるけど頑張るんよ」

私「うん…」


翌日、母が来てくれた。
そして警察署に一緒に行って刑事さんから詳しい話しを聞いてくれた。
私はその時初めて旦那と面会した。
涙が出そうになった。


No.123

姑さんは私に「迷惑をかけてごめんね、もう離婚しなさい」と何度も言ってくる。
荷物は服以外全部処分して私(姑さん)のところに来たら良いと言う。


家具や食器のほとんどは私の母や親戚がくれた物。
思い入れがあって処分なんてできない。
家電も買ったばかり。
旦那の物も処分しろと言うけど、私にはできない…


こんな事言ってられない状況かもしれないけど、私は全部残しておきたかった。


姑さんのところは2K(和室6畳と4.5畳)で5人が住むにはかなり狭い。
服だけ持って行っても多分、住めない。


母に、姑さんに離婚を勧められる事を話した。母は怒った。
「こんな事になってるのは誰のせいよ❗子供3人をあんた(私)に押し付けて終わりっていうわけにはいかない。責任とって最後まで子供を育ててもらわないと❗離婚はしたらダメよ❗」と言われた。


母の言葉を聞く前から、私は離婚をする気も姑さんの所へ行く気もなかった。


No.124

私は旦那と面会をするまでに何度か手紙を出していた。
そこに姑さんに何度も離婚をするように言われる事も書いておいた。


初めての面会の日、旦那は謝ってきた。
そしてお母さんが離婚を勧めてきても絶対離婚しないでほしいと言われた。


私はただ頷くだけだった。
面会は三男をおんぶして入った。
旦那の顔を見て笑う三男。
1歳3ヶ月の時だった。


母は刑事さんに「思いっきり叱ったって下さい。二度と同じ事をしないように」と言っていた。
刑事さんは笑いながら「はい、分かりました。キツく言います」と言っていた。


警察署から帰り、夕食の支度。
三男がグズり始めた。
体を触ると熱い。
熱が出た。


No.125

翌朝、(次男を連れて)長男を幼稚園に連れて行くのを母に頼み、私は三男を近所の小児科へ連れて行った。
意外なことに、あまりよくない状態だから大きな病院へ行くよう言われた。


帰ってすぐ母に話し、次男を母に見てもらって私は三男と都立病院に向かった。
母はこの日のお昼に帰る予定だった。


病院に着いてすぐ検査をした。
結果が悪くて入院する事になった。
母に電話で話すと驚いていた。
「入院準備をしてまた来ます」と看護士さんに言い、荷物を取りに帰った。
幸い、この都立病院は親がずっと付き添わなくて良い。


取り敢えず、3日分の服とオムツの用意をして持ってきた。
しばらく付き添って医師と看護士さんから話を聞き、帰ることにした。
看護士さんには、引っ越し作業をしないといけないからあまり来られないかもしれないと話しておいた。


三男がこんな状態だったから、母はもう1日居てくれる事になった。


No.126

翌朝、母が「○○(次男)を連れて帰ってしばらく預かろうか」と提案してくれた。
私はお願いした。
すぐに次男の荷物をバッグに詰めた。
そしてお昼頃に母は次男を連れて帰って行った。


しばらく長男と2人の生活。
長男が幼稚園へ行っている間に私は旦那の会社の幹部の人に呼び出されていた。
時間より少し前に会社へ向かった。


会社の人とこれからの事などを話した。
旦那が捕まった翌日に旦那は懲戒解雇になったらしい。
話の中で、子供が入院中で保険証を今すぐ返す事ができない事を話した。


会社の人は優しい人達だった。
保険証は子供が治ってからで良いし、社宅はすぐに追い出すような事はしないと言われた。
お金に困ってるんだったらどうして言ってくれなかったのか…なども言われた。


私は旦那がお金に困ってるなんて知らなかった。


会社に時計の買い戻し代を払うことになっていた。
刑事さんから金額は聞いていたから63万、用意して渡した。


No.127

旦那がお金が欲しかった理由を刑事さんから聞いた。


ビックリな事に、前に買った高額な絵の話が絡んでいた。
120万を諦めた1年後、旦那のケータイに電話がかかってきた。


詐欺団に騙された被害者の会とやらが詐欺団を相手取って訴訟を起こすと言う。
詐欺団から入手した被害者の名簿にアナタの名前が載ってたから連絡した、と言われたそうだ。


訴訟を起こすのにお金が必要で、1人1万円でお願いしてると言われた。
旦那はその話を信じて、指定された場所に行ったらしい。


で、相手を見つけたんだけど、やっぱりお金が足りなくて50万必要だと言われたらしいんだけど「そんなお金はない」と旦那が言うと、近くのア○フルに連れて行かれてそこで50万借りるように言われたそうだ。


「裁判に勝ったら絶対戻ってくるから」と言われ、借りた50万を渡すとそのまま相手は走り去ってしまったらしい。
相手の連絡先も聞かないまま…


No.128

後で旦那は騙されたと気付いたけど、時すでに遅し。
前の絵のこともあったから、私には言えなかったそうだ。


私は子供の事でいっぱいで旦那の異変に気付けなかった。
旦那は小遣い(3万)から払おうとしたけど追いつかず、今回の窃盗事件を起こしたらしい。


そういう経緯を知ってか、指輪の方は指輪が無事だったという事で被害を取り下げてくれた。


旦那は23日(だったかな)拘留されただけで帰ってきた。
私達が引っ越す3日前だった。
引っ越し先は私の実家。
父が住んでる家。
困っている私を父が迎え入れてくれた。


私の実家は2世帯住宅だけど、祖父母が亡くなって部屋がかなり空いていた。



No.129

三男は10日程で快復して退院できた。
入院から2日後に行くと、入院した時の服のままだった。
しかも結構汚れてる…
着替えは4枚入れてたのに…


オムツは変えてもらってるようだったけどおしりがかぶれていた。
看護士さん、忙しいんだろうね💧


三男の服を脱がし、体を拭いて着替えさせた。
お昼ご飯を食べさせて長男のお迎えの時間になったから「また来るね」と言って帰った。


また2日後行くと、点滴のテープのところがかぶれていた。
看護士さんに言ってテープの位置を変えてもらった。
三男ともう少し長く居たいけどすぐ時間になってしまう。


私にはやる事が沢山あった。
長男の送迎。
引っ越し作業。
幼稚園に辞める事を話したりあちこち手続きに行ったり。
旦那に差し入れも届けなきゃいけない。


体が3つくらい欲しい気分だった。


No.130

引っ越し5日前。
母が次男を連れて引っ越し作業の手伝いに来てくれた。
片付け上手な母。
どんどん荷物が片付いていく。


そんな中、姑さんから電話があった。
引っ越し作業は順調か聞いてきた。
「やる事が多くてはかどらん」と答えた。


姑さんは「まぁ、頑張りなさい。うちらは何もしてやれんから」と言ってきた。


それ(漏れた声)を聞いた母が怒って電話を代わるように言ってきた。
一瞬戸惑ったけどケータイを渡した。
「もしもし💢仕事休んででも手伝いに来たらどうですか❓💢娘1人でやるのは本当に大変だと思うんですよー💢口は要らないから手伝いに来て下さい💢人手が足りないんです💢」母が言った。


姑さんは、はぁ、はぁと返事し、最後にすみませんと言っていた。
母は「ほんまに💢口ばっかりで何もせんからつい言うたった。あんたの立場悪くなるのにね…ごめん💦」と。


2日後の夜、95%くらい片付いたところで母は帰っていった。
「後は簡単な物ばかりだから頑張ってね」と言って。


すごく助かった。


No.131

引っ越し当日。
朝7時半に業者が来た。
業者と言っても旦那の会社の人達だけど。


10人くらいの作業であっと言う間に部屋が片付いていく。
午前中に全て終わった。


私達は会社の人達に挨拶をして駅に向かった。
東京駅から新幹線に乗って私の実家へ向かう。


東京見物、もっとしたかったな…
3年居て、私は上野動物園と東京タワーと葛西臨海水族園しか行かれなかった。
車で10分くらいの所にディズニーリゾートがあったのに1度も行かれなかった。


私の実家へ着いた時、私達は貧乏になっていた。
時計のお金と引っ越し代と新幹線代で100万近く無くなり、旦那が懲戒解雇されたから給料が無くて貯金を崩して生活してた。
3年貯めた貯金は一瞬にして無くなった。

No.132

実家に着くと母が居た。
私達が住めるように家具を動かしたり部屋の掃除をしてくれていた。


母が父の所へ行ってちゃんと挨拶するように言ってきた。
私と旦那は「今日からお世話になります」と父に頭を下げた。


私の父は歯科医で開業医。
1Fは診療所と叔父がやってる技巧所。
2Fは4LDKだけど誰も使ってない。
3Fは3LDKで父はリビングを使ってるだけ
4Fは屋上。


使わない家具は2Fの部屋に置く事にして私達のスペースは2FのLDKと3Fのリビングの横の部屋(10畳)になった。
この部屋は私が子供の時に子供部屋として使ってた部屋。
妹と弟は大学生で他県に居たから机などの荷物は残っていなかった。


No.133

荷物を解いたり整理をして2日目。
疲れが出たのか、私と長男が突然高熱を出した。
私が子供の時にお世話になってた、家の前にある小児科内科で診てもらう事にした。


診察の時、先生に「○○くんは元気にされてますか❓」と言ってみた。
「誰かいのう❓」と聞かれたから旧姓を言った。
「あぁ❗○○ちゃんか❗大きくなって❗こんなに大きい子も居るん❓」とビックリした様子で言ってきた。


この先生の息子と私は同級生で、子供の頃はよく一緒に遊んでいた。
同じ習い事もしていて、帰りが遅くなるから母とおばさんが交代で迎えに来てくれていた。
「○○は元気にしとると思うよ。今、医大に行ってるわ」と教えてもらった。


検査結果はRSウィルスだった。
長男より私の方が炎症反応も症状も酷く、しばらく寝込んだ。
母は4日目に帰る予定だったのを、もう1週間延長してずっと居てくれた。


10日後、私の症状が随分快復してきたからと母は帰って行った。



No.134

旦那は失業手当てをもらいながら仕事を探すことになった。
失業手当てだけでは生活できないだろうと父が毎月10万渡してくれた。
そして母が帰る前に「みんなの食費はここから使いなさい」と買い物用にカードを渡してくれていた。


母が帰った翌日から、毎日父の朝、昼、晩御飯を作る事になった。
父は品数が多くないと嫌な人。
朝、昼は1~2品でも良かったけど、夜は5品以上のおかずが要る。
普段の私は、3~4品のおかずしか作っていなかった。


母は花嫁修業で料理専門学校に行ったりしたそうだけど、私は20歳の時にデキ婚をしたから料理はあまり覚えていなかった。
小学校の高学年頃から料理の手伝いを始めたけど、大体妹が切る係で私は炒めたりアクを取ったり味見をする係だった。


私は母が作る料理を見て、なんとなく作り方を覚えた。
ちゃんと教えてもらった事は一度もない。
私の料理の味付けは母に似せてるだけ。
レパートリーの少ない私には、毎日5品以上のおかずを作るのは大変だった。



No.135

いつまでも5歳の長男を家に置いておくわけにはいかない。
叔母(叔父の奥さん)が小学校の先生をしているから療育の事を聞いてみた。
この市には発達障害の子が通えるような施設があるのか、積極的に取り組んでいるかなど。


あまり聞かないし、積極的ではないと言われた。
そっかぁ…田舎の方ではまだあまり取り組めて無いんだね…
少し落ち込んだ。


実家がある町には、仏教の私立幼稚園が1軒と市立保育所が1軒あるだけ。
私は私立幼稚園の方に通っていた。
祖父の親戚が嫁いだお寺だったらしく、祖父が幼稚園に行かせるように言ってきたかららしい。


私は長男を市立保育所に通わせようと思った。
保育所の方は市との繋がりがあるから、きっと療育をしている施設とかをよく知ってるだろうと思ったから。


No.136

保育所に電話して年中さんに空きがあるか聞いてみた。
あると言う。
書類を取りに行って色々書き込んだ。
そして所長先生と担任の先生と話をした。


2人とも発達障害の子に対して凄く理解のある先生だった。
担任の先生は40代後半。
研修にもしょっちゅう行ってるらしい。
しかも療育園の先生が毎月来て指導してくれる保育所だと聞いた。


光が差した気がした。
そこの療育園の資料を貰い、帰ったら連絡する事に。
そして保育所へは、1月から2週間程慣らし保育をして、それ以降は3時に迎えに行く事に決まった。
次男三男は4月から通う手続きをした。


私は父の元で働く事になった。
とは言っても、子供をしょっちゅう病院や療育に連れて行かないといけないと思っていたから、掃除や電話番、銀行などに行ったりするだけの雑用係になった。


No.137

早速帰って療育園に電話してみた。
土曜日に来るように言われた。
療育園までは車で40分の距離。
私達には車が無かったから父に相談すると父が貸してくれることになった。


でも父は毎週土日は休診日で遊びに出掛けるのに車を使う…
父は「○○(叔父)が車2台持ってるから1台貸してもらうわ。大丈夫よ」と言ってくれた。


土曜日。
療育園へ向かった。
全く通った事が無い道。
地図通りに行っても迷う。
結構山の中にあった。


余裕を持って家を出たはずなのに、時間ギリギリに着いた。
プレイルームで他の先生が長男の相手をしてくれている間に、他の先生に長男が生まれてから今までの成長を話していった。
見た目は20代後半~30代前半の優しそうだけどしっかりした女の先生。


しばらくは毎週土曜日に通う事になった。
この担当の先生が、後々、保育所に毎月来てくれる先生だという事が分かった。
長男が卒園するまで毎月「今日、○○先生来てたよ」と嬉しそうに言ってきたから。


No.138

長男と三男の病院もそろそろ決めないといけない。


三男は旦那が診てもらっていた大学病院に行く事に決めた。
実は旦那と義妹も心室中隔欠損症で、義妹の方は穴が大きくて赤ちゃんの時に手術をした。
ただ、旦那の実家がある県内では手術できる病院が無く、隣の私が住む県の大学病院で手術を受けたらしい。


そして経過観察で旦那も義妹と共に20歳になるまでこの大学病院に通っていた。
だから三男もここで診てもらおうと旦那が言い出した。


ついでに長男もここで診てもらえないかと思い、発達障害の子を診てもらえる科が無いか電話で聞いてみた。
そしたらあると言う。


2人とも同じ日に連れて行った。
旦那は次男と三男を、私は長男を連れてそれぞれの科へ向かった。


No.139

三男の方は心臓の穴が随分小さくなってきていて2~3ミリくらいだと言われた。
半年に1回の通院で良いと言われ、私も旦那も喜んだ。


長男の方は、生まれてから今までの成長を話した後、今困ってる事を話してその対処法を教えてもらうという形で終わった。


思っていたよりかなり若い女の先生。
しかも美人で可愛らしい。
見た目25~6歳❓って感じ。
私とあまり変わらないくらいかな…


それからビックリな事も判明。
なんとこの先生の前の職場は、東京で長男が入院を勧られた病院だった。
しかも入院を勧められた時期と同じ時期に居たらしい。
もし入院してたらお世話になってたかも。


なんか運命を感じてしまった(笑)


No.140

病院までは車で1時間くらい。
いずれ父の所から引っ越す時がくる。
その時は病院の近くに引っ越そうと旦那と話していた。


だから旦那は病院に近い場所で仕事を探した。
そして家から50分くらいの所にある工場で働く事になった。


始めは電車で通っていたけど、研修期間が終わって残業が始まると、仕事は夜中の2時頃に終わる事もあった。
それから3時頃に帰ってきてお風呂に入って晩御飯を食べて4時就寝。
朝7時出勤という事が月に何度もあった。


いつまでも父の車を借りるわけにもいかないから、中古で激安だった7人乗りの車を買った。


旦那は疲れきっていた。
常に目の下にクマができ、ヨレヨレ。
でも給料は18万前後…


父にはまだ毎月10万もらって生活していた


No.141

旦那が仕事をし始めたから、療育も病院も私が電車やバスを使って連れて行く事になった。


私が住んでる町は田舎で、電車やバスは通学通勤時間以外は1時間半に1本しか出ていない💧
しかも電車とバスの時間はほぼ一緒で、電車に乗り遅れたからバス…というわけにはいかない💧


電車やバスを逃してしまうと次を待つかタクシーで2つ先の駅に行くか。
2つ先の駅からは1時間に4本電車が出ている。
2つ先の駅まではタクシーで15分程。
2000円くらいかかるから結構イタイ。


車だと40分くらいで着く療育園。
だけど車に乗れない私は
駅まで徒歩10分
電車で20分
バスで25分
歩いて30分
という感じで、計1時間半くらいかかっていた。


往復だけでクタクタ…
4月からは木曜日の夕方3時半から療育だった。
だから1時に保育所へお迎えに行って帰って来るのは夜7時前。
往復にこんなに時間がかかるとは…


No.142

病院までは電車1時間とバス10分くらいだったから、歩く事もあんまり無くてそんなに疲れなかった。
何よりも平地だし。


療育園は行きの30分ずっと登り坂を登らないといけなくて、夏なんかは死ぬかと思った(笑)


私の父と旦那の似ているところは温厚なところとあまり動かないところ(笑)
それ以外は、年齢も趣味も違うし職種も違うしであまり話題が無かった。
父が気を遣って話しかけても旦那は一言返して話を終わらせてしまう。


付き合ってる時からそうだったけど、旦那はコミュニケーション能力が低いというか何というか…会話を続けようとする気がない。
キャッチボールで例えると、うまくボールを投げられても取らないか落とすような感じ。


そんな旦那の姿にイライラした。
私は父が旦那に気遣っているのがよく分かっていたから。


旦那はそれに気付かない。
むしろ父と顔を合わせたくないらしく、休みの日は部屋にこもって父が居なくなるまで出てこなかった。


No.143

あまりの態度に私は旦那に注意した。
旦那は「あっそ。はいはい」という態度だった。
その後も全く改善されず、イライラした。


旦那はその後1年で会社を辞めた。
体力的にも精神的にも限界が来たらしい。
私も同じだった。
何時であろうと旦那が帰ってくるのを起きて待っていた。
朝は旦那より早く起きないといけない。
1時間くらいしか寝られない時もあった。


その頃から私はおかしくなっていった。
お経の幻聴が聞こえるようになったり、忘れ物が酷くなったり。
寝不足や父と旦那の関係でかなり疲れていたらしい。


1番困ったのは、家事がほとんどできなくなってしまった事だった。
朝、洗濯機を回して乾燥機に入れる以外の事が何もできない。
部屋から出るのも億劫。
保育所の送迎やゴミ出し、食器洗いは旦那にやってもらっていた。
私はずっと部屋でボーっと過ごしていた。


No.144

乾燥させた洗濯物がカゴに山積みになってグチャグチャ。
靴下も毎朝カゴをひっくり返して探さないといけない状態。
部屋は掃除してなくて汚くなっていた。
家の周りの雑草も伸び放題…
晩御飯はお惣菜ばかり。
ひどい状態になっていた。


父が「最近、部屋が汚いんだけどちゃんと掃除してる❓」と聞いてきた。
体調が悪くてできてないと答えた。
父もちょっとイライラしていた感じがした


長男に部屋の掃除を頼んで、毎日夕方に掃除機をかけてもらった。
さすが年中さん。
まるく掃除をしてくれてる。
端の方は汚いまま(笑)


でもしないよりはマシだと思って毎日大袈裟に褒めた。
そんな生活が続いたある日、母が来た。
「どしたんこの部屋⁉めちゃくちゃ汚いやん❗うわぁ😨あかんでぇ」と言われた。
続けて「あんた主婦やろ❓これくらいできて当たり前やで❗ちゃんとせな❗」と言われた。


No.145

私はただ「うん…」を繰り返すばかりだった。
そして「しようと思ってもなかなかできなくて…」と言った。


母は「しようと思ったらできるでしょう❗ただ怠けてるだけじゃない❗」と言ってきた。
母はいつもこんな調子で私を怒ってくる。
子供の時からそうだった。
母が言う事はいつも正論で、私がいくら言い返しても言い負かされる。
大人になってもそれは変わらない。


言いたい事はあるのにうまく言えない。
言ったとしても、私の気持ちは母には理解してもらえない。
私は悔しいのと悲しいのとで、母と喧嘩する度に泣いていた。


母と一緒に汚い部屋の大掃除をして、庭の草抜きをした。
それから2日程して母は帰って行った。


今度こそは部屋を綺麗なままで保とうと思ったけど、できなかった。
1週間くらい経つと、また部屋は汚部屋に戻っていった。


No.146

父の車をいつまでも借りるわけにはいかないから、父の車を借りるようになって3ヶ月くらいして中古の安い車を買った。


それから2ヶ月程経ったある日の休日。
家族で少し離れた大きな公園へ向かっていた。
旦那のケータイが鳴ったけど、運転中だったから出られなかった。


公園に着いて着信を見ると知らない番号。
しかも県外から…
何だろうね…と私のケータイでその番号を調べてみると、福島警察の番号だった。


旦那がすぐにかけ直してみると、警察の人が出た。
話を聞くと、大きな詐欺グループが捕まって、その被害者リストに旦那の名前があったと言う。
全国で荒稼ぎしてた悪質な詐欺グループだと聞いた。
捕まったのはなんと、あの東京のギャラリーで絵を売りつけたりした人達だった。


その詐欺グループの人は旦那の事を覚えていた。
赤ちゃんを抱っこして連れてきた人だと言ったそうだ。


でも結局、その人達からお金が返ってくることはなかった。


No.147

昨日、家族で出掛けてきた。
転勤前に住んでた所の近く。


フェリーに乗って島へ渡って、リニューアルオープンした水族館へ行った。
昔と随分変わっていて、子供達も楽しそうにしていた。


その後、今回のメインの場所、大きな神社に向かった。
神社でお参りした後、横にあるお地蔵さんの所へ行った。


もう泣かないと決めていたのに涙が出てきてしまった。
みんなには気付かれないようにしたけど、旦那は気付いていた。
横にあるお店で旦那にかざぐるまを買ってきてもらった。


前の子と同じ場所で水子供養をした。
手を合わせてる間、泣き崩れそうになる気持ちをグッと抑えた。


生まれ変わったら、今度こそ元気に、幸せに暮らせますように…


No.148

長男のやる事は子供の頃の私によく似ている。


私は子供の頃、忘れ物の女王だった。
時間割りをしてる時、持って行くものを全部確認して『完璧』って思っていても、毎日必ず1~2個忘れ物をしてしまう。
そして部屋も学校の机の中も常にメチャクチャ…


母に「何がどこにあるやら分からない❗汚いから片付けなさい❗」とよく言われた。私は整理はできないけど、どこに何があるかは分かっていた。
忘れ物をした時に学校から母に電話して「○○忘れたから持ってきて」と言うと、母は決まって「あんたの部屋はゴチャゴチャで見つけられんわ❗」と言ってきた。


でもある場所を言うと母はすぐに見つけてくれた。
いつもこんな調子…


長男は私と少し違っていて、どこに何があるかを分かっていない。
プリントを出すように言うと部屋中を探し回らないと見付からない。


私の経験を踏まえて長男に毎朝言うこと。
「○○(長男)の『完璧』はみんなの90%なんだからしっかり確認し直しなさい」


長男は今朝『完璧』と言って学校へ向かった。
後で部屋を覗いてみると連絡ノートが落ちていた…


No.149

私は子供の頃、匂いに敏感だった。
母が2Fで作る料理は、3Fに居ても何か分かった。


雨が降る前は必ず独特の匂いがしていた。
「母にもうすぐ雨降るよ。雨が降る匂いがする」と言うと1時間以内に必ず雨が降り出す。


玉ねぎを切ると、手に匂いが着く。
私はそれが嫌でまらなかった。
石鹸や洗剤で洗っても匂いが落ちない。
3~4日経つとやっと匂いが薄くなってくる。
匂いが薄くなるまでは、自分の手を匂う度に吐きそうになっていた。


ある時母に「こんなに鼻が良かったら香水を作る人になれるかもね」と言われた。
だけど私には香水の匂いがキツすぎて吐きそうになるから無理だと思った。


高校生になる頃にはこの敏感さは消えていった。
まだこの敏感さが残っていれば、洗濯物が雨に濡れる事は無いのに…とよく思ってしまう(笑)



No.150

長男は匂いに敏感ではなくて、服が濡れる事が嫌でたまらない子だった。


例えば、手を洗っていて水が1~2滴飛び散るだけで大騒ぎ。
グズグズ言って着替えると言う。
「水だしすぐ乾くから大丈夫」と言っても長男にはそれが通用せず、1日に6~7回着替えていた。
だから長男の服や下着は大量にあった。
治まったのは1年生になってからだった。


母の所に泊まりに行った時、母は長男に対して「着替えすぎ❗ちょっと濡れるくらい良いじゃないの❗」と怒っていた。
長男は濡れてるといつまでもグズグズ言うし、母は怒ってるし…困った💧


でも結局、着替えさせなかった。
少しずつ慣らしていく事にした。
いつかは慣れないと本人が困る事になるから…ということで。


No.151

長男が小学生になると、私が子供の時とあまりに同じ行動をするから、もしかして私は…❓と思い始めた。


発達障害や、精神科にかかるような病気や障害は体質(性質)が遺伝するというのを何かで読んだことがあったから、遺伝する事は知っていた。


私はずっと旦那を疑っていた。
子供の頃、活発だったと聞いていたから。
もしかしたら私かもしれない…


チェックシートが付いてる本を買ってきてドキドキしながらチェックしていった。


やっぱり…長男と同じ傾向だった。
私だったのか…
旦那を疑っていた事を反省した。


ADDかな…
それともADHD…どっちだろう…
ゴソゴソウロウロしてたら母に怒られるから大人しくしてただけなのかな…


No.152

中学生の頃、母によく「あんたは努力が足りない」と言われた。
言い合いになると「体だけ大人で中身は子供。幼稚すぎて話しにならんわ」と言われた。
「お母さんが中学生の時はねぇ…」と母がいかに色々やってたかを話される。


「私は私なりに努力してる❗幼稚って言わんといて❗私とお母さんは違う❗お母さんの考える努力と私が考える努力は違う❗」と泣きながら言い返していた。


母はよく幼稚と言ってくるけど、どんなところが幼稚なのか私には分からなかった。


私は物覚えが悪かった。
というより、自分の興味のあるもの以外はほとんど頭に入らなかった。


中学生の頃は
家庭教師週2回。
塾A週2回。
塾B週3回。
英会話週2回。
ピアノ週2回。
硬筆週1回。
これだけ習い事してたけど、成績は中の下か下の上辺りだった。


No.153

私は子供の頃、集中というのがあまりできなかった。
例えば、妹たちと宿題をし始めると、妹たちがちゃんと解っているのか気になって気になって仕方なかった(笑)


教えてと言われてもいないのに、少し考えてる様子を見せるとすぐに「ここはこうやるんよ」と得意げに教えていた。
妹たちは「解ってる❗一々話しかけてこんといて」と言っていたけど、何度も気になってつい答えを言ってしまう。
そんな感じでよく喧嘩になっていた。


そして、妹たちが宿題を終える頃、私はまだ半分も終わっていなかった。
1人で宿題を始めると、妹たちが何をしてるのか気になって部屋を覗きに行ったり、テレビを見たりしょっちゅうトイレに行ったり…と全く落ち着かない。


そんな姿の私を見て、母は「集中してやんなさい‼」とよく言っていた。


No.154

学校でもそれは同じだった。


体育をしてる子達がいると、気になって仕方ない(笑)
ずっとそっちを向いていたり、音楽をやってるクラスから歌が聞こえてくると頭の中でずっと歌っていたり。


虫が入ってくると気になって気になって全く授業に集中できない。
他の子同士が話してると何話してるんだろう…って気になったり。


その頃の私は空想の世界に居る事も多く、黒板の方を向いていても授業は聞いていなかった。
一番多かった空想は、自分は水の中に入っていて、水の中からボヤケた世界を見るというもの。


凄く深いプールのような、水が沢山ある場所で目を開けて周りを見てる状態。
空想だから息もできる。
すごくゆったりした世界。


時々、担任やクラスの子達の声が聞こえてきてハッと我に返る事がある(笑)
私はその水の中で過ごすのが好きだった。


No.155

長男が3年生くらいの時に母と喧嘩になった。
「あんたの部屋はいつ来てもメチャクチャ❗子供3人の母親なんだから、もっとしっかりせなあかんやろ❗子供ら可哀相やで」と。


「私は私なりにキレイにしてるつもり。お母さんの言うキレイと私のキレイは違う❗お母さんは几帳面で徹底的にやるからそう言うけど、私はそこまでできない❗お母さんと私は違う❗」と言い返した。


母は「どこがよ。ちっともキレイと思えるところなんて無いじゃない❗あんたは昔からそうだった❗掃除も片付けもロクにできんくせに口だけ一人前。ちょっとは成長しなさいよ❗」と言ってきた。


私はあまりに腹が立ってつい言い返した。
「じゃあ何で普通に産んでくれんかったんよ❗何で成長段階で気付いてくれんかったんよ❗ちゃんと療育受けてたら、私の人生変わってたかもしれんのに❗」


母は「はっ❓何言ってんの❓」と言ってきた。


No.156

私はチェックシートをチェックしていったら長男と同じ傾向だった事と遺伝する事を話した。


母はかなりショックを受けていた。
「まさか自分の子がそんな事になってるとは思わないでしょ…❓ちょっと変わった子だとは思ってたけど…」と言ってきた。


「私は○○(長男)が小さい時から他の子と何か違うって気付いたし、○○が変われるなら…と療育にも行ってる。私を変わった子だと思ったんだったら相談に行けば良かったじゃん…」


「お母さんは知らないかもしれないけど、私は大学に入ってから人とコミュニケーションを取る事ができなくなってきて、目を合わせる事もできなくていつも1人だったんよ。お昼ご飯はトイレで食べてたし。すごく悩んでた」


それを言ってからは母が私にガミガミ言う事は無くなった。
でも「こうしたら❓」と色々提案してくるようになった。
口で言うのは簡単。
やるのは私…


No.157

3年生で思い出した。
私は小学3年生の時、本気で死のうと思ったことがある。


多分、また姉弟喧嘩か何かで私は怒られてベランダに放り出された。
確か夜7時頃だったと思う。
その時「あんたみたいな子は要らんわ❗」のような事を言われ、母は食事作りに戻っていった。


妹や弟が先に私をバカにしてきても、私が手を出したからと、いつも私ばかりが怒られていた。
妹達は口が達者なのに対して、私は言い返すのが苦手。
口の前に手や足が出ることが多かった。


母の言葉を聞いて、だったら本当に死んでやろうと思った。
ただ死ぬのは悔しいから、母の目の前で死んでやろうと思って、ベランダのふち(20センチ程の広さ)に座って母が来るのを待っていた。3Fだから結構高い。


母が来るまで色んな事を考えた。
『お母さんは私なんか居なくても平気なんだわ。おばあちゃん、おじいちゃん、お父さんは悲しんでくれるかな…友達や担任の先生はお葬式に来てくれるかな…』


そんな事を考えていると母が来た。


No.158

母に「そんな所で何してんの❓いっつもいっつも…何で怒られてるか解ってる❓」と聞かれた。


私は「解らん。○○ちゃん(妹)達が悪くてもいっつも私ばかり怒られる。お母さんは私の事が嫌いなんでしょ❓もう私のこと要らんのんでしょ❓私、こっから飛び降りて死ぬわ」と泣きながら言った。


母が「やれるものならやってみなさい」と言ってきた。
私にはもう覚悟ができていた。
ベランダの壁の反対側に体を出し、ぶら下がった状態になった。
両手を離すと下へ落ちる。


母はすぐに私の腕をパッとつかんだ。
私を引き上げながら「バカやねぇ、お母さんは○○ちゃん(私)が憎いから怒ってるんじゃないんよ。○○ちゃんが可愛いから良くなってもらおうと思って怒ってるんよ」と言ってきた。


私は今まで人の言葉をすぐ真に受けて信じてきたけど、母の言葉は信じる事ができなかった。


母は私を怒る時は、いつも頭や頬を平手打ちしてくる。ハンガーや掃除機で叩かれることもあった。
母に怒られている時はいつも憎しみしか無かった。
私が大きくなったら絶対やり返してやる❗と常に思っていた。


No.159

そんな私でも、唯一私を褒めてくれる人が居る。同居している父方の祖母だった。


私は幼稚園に通っている頃から、患者さんや近所の人、知ってる人には必ず挨拶をするように言われていた。
それから、私が知らない人でも家族が挨拶をしていたり話をしていたら、その人にも挨拶するように、とも。
私は結婚するまでそれをずっと守った。


私の祖母は昔、小学校の教師をしていたから連日のように教え子や教師仲間だった人が訪ねてきていた。
他に趣味で絵を描いたり彫刻刀で彫り物をしていたから、その生徒さん達もよく訪ねてきていた。


私は外で祖母の知り合いに会ったら必ず挨拶をしていたから、祖母の知り合いが家を訪ねてきた時は私の話題を出して褒めてくれる。


お客さんが帰った後、祖母は私に「△△さんに、○○ちゃん(私)はいつも元気に挨拶してくれて、本当に良いお孫さんですねって褒められたよ。みんなにそう言われるんよ。おばあちゃん、嬉しいわ」と言ってくれた。


私はその言葉が嬉しくて、あっちこっちで挨拶しまくった(笑)


No.160

その日の出来事は母ではなく、祖母に話すことが多かった。
「ただいま」と、まず2Fの祖母の所へ向かって15分程話す。
その後3Fで母に「ただいま」と言ってランドセルを置いたりしていた。


祖母は足が悪く、移動する時は常に杖をついていた。
だから外出する事も滅多にない。
朝から晩までずっと定位置に座ってテレビに話しかけていた。
時々祖父と話すけど、話すとよく喧嘩になる。


祖父がゴチャゴチャ言ってる時は祖母はいつも黙って聞いてるだけだった。
母も同じ事をする。
私が「言い返したら良いのに」って言うと2人とも「倍になって返ってくるから黙ってるのが一番」と言っていた。


子供の頃は「嫌な事を言われたらすぐに言い返せば良い」と思っていたけど、大人になるにつれて「黙ってた方が良い時もある」って事を学んでいった。


No.161

私は祖母に使われるのが結構好きだった。
夕方、祖父母の食事をテーブルに運ぶのを手伝ったり、杖が使えない所で肩や腕を貸したり。
お遣いにもよく行っていた。


小学1年生の時に、祖母にりんごやカキ、ナシの皮の剥き方や切り方を教わった。
学校から帰ってきて、練習と言っては何個も何個も果物を切って家族に食べてもらっていた(笑)


他には、折り紙やあやとりや昔話を教えてらった。
祖母は根気よく私に色んな事を教えてくれる。


そして祖母はいつも私を褒めてくれる。
「○○ちゃんが優しい子に育ってくれておばあちゃんは嬉しいよ。いつもお手伝いしてくれてありがとう」


祖母だけが私の味方だと思った。


No.162

私は2年生あたりから太り始めた。
6年生の時は、いつも一緒に居るグループの子に「白ブタ」なんて言われた(笑)
グループの中にもう1人体格のいい子が居て、その子は色が黒いから「黒ブタ」(笑)


私が太り始めたのは多分、ストレスからだったと思う。
母は沢山料理を作るけど、私は結構好き嫌いが多く、今まではそんなに食べていなかった。
「どうしても食べられないんだったら後3口だけ食べて御馳走様して良いよ」とよく言われていた。


元々そんなに大きくない私。
2年生頃になると母が「しっかり食べなさい」と残すのを許さなくなった。
私は人参・じゃがいも・玉ねぎ・ねぎ・しいたけ・白菜、ごぼう、れんこん、大根が大嫌いだった。
それらが入ってるカレーやシチュー、水炊きは吐きそうになりながら食べていた。
特にホワイトシチューは大嫌いで、食べてて本気で吐いた事もある。


母が怒るから、仕方なく息を止めて丸飲みをしたり、水で一気に流し込んだりした。


No.163

母は子供の頃、体が弱くて好き嫌いも物凄く多かったらしい。
小学校も高学年になるまでは1年の半分くらい熱で休んでたと聞いた。


そして驚きだったのは、母は高学年の時に好き嫌いが激しすぎて夜盲症(鳥目)になったということ(笑)
それがあるから、私達にはしっかり食べてもらわないと❗と思って、嫌いな物でもちゃんと食べるように言ってた、と後から聞かされた。


あまりに母が食べろと言うから、私は丸飲みするクセがついた上に、ヤケになって嫌いな物もガツガツ食べるようになった。
それが原因で私はどんどん太っていった。


その頃、学校でも嫌な事が多く、それも併せてストレス発散のようにガツガツ食べていた。
担任の先生は40代後半(❓)で、割とひいきする先生だった。
多分、先生は私の事を嫌っていた…


No.164

担任の先生は気に入ってる子が周りに居ると楽しそうに話す。
でもあまり好きじゃない子が来ると急に冷たくなる。
私は冷たくされる側だった。


私の事が嫌いなんだろうなと思った瞬間は結構ある。


休憩時間が終わる頃、私は教室の前の手洗い場で手を洗ってハンカチで拭いていた。
そこに上の学年の子が八つ当たりみたいな感じで、急に私のお腹を殴ってきた。
相手はすぐに階段を上がっていった。
私はうずくまって泣いていた。
友達が「大丈夫❓」とお腹をさすってくれて、すぐに先生に言いに行ってくれた。
少しして先生が来たけど、先生は私が泣いてる姿を一瞬見て何もなかったように授業を始めた。


何も聞いてくれないの…❓
私は先生の事が嫌いになった。


No.165

別の日。
算数の授業中に隣の男子がちょっかいを出してきた。
私はずっと「やめてよ」と言い続けた。
その男子は、思い通りにならない私を思いっきりビンタしてきた。


この頃はまだ、母に怒られても頭をパーで叩かれる程度だった。
ビンタされたのは初めてでビックリしたのと痛さで泣いてしまった。
私はしばらくシクシク泣いていたけど、先生は私を無視。
何も無かったかのように授業を淡々と進めていく。


授業が終わっても何も言ってこない。
何で先生は私に何も言ってくれないんだろう…先生、私の事嫌いなのかな…


一番嫌だったのは
先生が昼休憩の間にみんなの机の中をチェックしていって、終わりの会の時に机の中が汚かった子はみんな、先生に机をなぎ倒されていく(笑)
私を含め、毎回6~7人の机が倒される。
みんなの前でキレイにしていかないといけない…すごく恥ずかしかった。


片付けが苦手な私は1年の間に6回くらい倒された。


No.166

3年生になると、担任は男の先生に変わった。30代の結構体格のいい先生。


先生の自己紹介が終わり、クラスの子も1人ずつ自己紹介をしていく事になった。
その間、先生は自分の机で工作。
みんなの自己紹介を聞いているのかどうかも分からない。


1メートルくらいの竹の棒にグルグルと色テープを巻いていく。
自己紹介が終わって、クラスの男子が「先生、何作ってるんですか❓」と聞いた。
先生は「叩き棒。これで言うこと聞かんヤツを叩く」と答えた。


みんな「えっ⁉💦」って顔をしている。
『この先生…怖い』が第一印象だった。


No.167

宿題を忘れたりすると、朝、みんなの前に出されてコンと叩き棒で頭を叩かれる。
私も何度か叩かれたけど結構痛い…


そんな中、毎日宿題をやって来ない男子が居た。
今思えばその子は多分、LD(学習障害)だったんだと思う。
その子は中学生になっても平仮名しか書けなかったし、「っ」が抜けてる事が多く、文章が読み辛い。
漢字の読み書きが全くできなかった。


ある日、先生は叩き棒を置いてその子に前に出てくるように言った。
「○○、出てこいや‼サッサと来い‼」
私も周りの子達もシーンとして、怖くてドキドキしていた。


その子が前に出て行くと、いきなり胸倉を掴んで「○○‼お前、いい加減にしろや‼毎日毎日宿題せずにどういうつもりじゃあ‼」と言いながら思いっきりビンタした。


倒れて泣いてるのに、更に「立てや‼」と言って、立ったらまたビンタされ、その子は教室の端っこに吹っ飛んだ。


もう怖くて怖くてたまらなかった。
誰かが何か悪い事をすると毎日そんな事が繰り返される。
私は家で過食嘔吐を繰り返していた。


No.168

親に言っても、先生がそんな事をするはずないと、あまり信じてもらえない。
他の親も同様だったらしい。
時代は昭和と平成の境。
先生からの体罰はまだ少し残ってる時代だったのかな…
みんな先生の顔色をうかがっていた。


運動会の練習が始まった。
私の隣はちょっと乱暴でよくちょっかいを出してくる男子だった。
私の腕を叩いて「痛い❓」と聞いてくる。
「そんなに痛くない」と言うと思いっきり叩いてきて「痛い❓」と聞いてくる。
「痛い…😥」と答えると満足そうな顔をする。


そんな感じでいつも叩かれたりつねられたりしていた。
その内、つねられた所が(爪を立てるから)皮が剥けて青アザができるようになった。


No.169

右腕いっぱいの青アザと皮が剥けてるのを母が見て「どうしたんコレ⁉誰がこんな事するん⁉」と聞いてきた。
「体育の時に○○君がやってくる」と言うと、母は担任に言うように言ってきた。


私は担任と話すのは嫌だったから「いや、いい…」と答えた。
母は「じゃあ、お母さんが先生に言ってあげるわ。コレはちょっと酷いから言わないと」と。
私は「いい。自分で言う」と言った。


翌日の夜、母に先生に言ったか聞かれた。
「まだ言ってない。先生忙しそうだったから今日は言う時間が無かった」


嘘だった。
言いたくない。
もし私が言って、その子がみんなの前で怒られるのを見るのは(怖いから)嫌だし、仕返しされるのも嫌だった。



No.170

母はどうしても言うように言ってくる。
仕方なく、翌日の放課後に担任に言った。
「先生、体育の授業の時、いつも○○君が叩いたりつねったりしてきて沢山傷ができてるんですが…」と青アザと傷を見せた。


先生はじっとこっちを見て一言。
「で、どうして欲しいんですか❓」


………どうして欲しいって…
まさかそんな事言われると思ってなくて言葉に困った💧
私「ちゅ、注意して下さい❗」
先生「分かりました」


それだけで終わった。
私の居る場所で注意している様子はなく、本当に注意したのか分からない。
やってきた本人も何事もなくケロッとしてるし…


凄く悩んだ私がバカみたいだった。


No.171

4年生になっても同じ担任だった。
相変わらず、LDだと思われる○○君はメチャクチャ叩かれていた。
私は他のクラスが羨ましかった。
他の先生はそんな叩いたりしないし、この先生以外は優しい女の先生ばかりだった。


4年生になってすぐ、クラスの男子が右手を骨折して入院した。
しばらく休んでたから、その子からクラス宛てに手紙が届いた。
左手で書いてるから結構読みにくい。
後ろに貼りだしてあったから、みんな休憩時間に読みに行った。


その時、1人の女子が「きったない字(笑)もっとうまく書けよ~(笑)」と言った。
その子は骨折した子と幼なじみで、小さい頃からずっと一緒に居る。
私はその女子と幼稚園から一緒で、結構仲が良かった。


終わりの会の時に『悲しかった事』のコーナーで誰かが「△△ちゃんが○○君の字を見て汚いって言ってました」と言った。


No.172

突然、先生が「△△‼ちょっと前に出てこいやー‼」と怒鳴った。
急にシーンとして、これはヤバいと思った


恐る恐る出て行く友達…
パッと胸倉を掴まれて「うまく書けん方の手で頑張って書いたのにその言い方は何じゃ‼」と言って思いっきりビンタされた。


「二度と言うな‼」と言われ、涙声で「はい…」と返事した。
席に戻る時、叩かれた方の顔は真っ赤になっていた。
△△ちゃん…私は胸が苦しくなった😢


その日の事を母に話した。
母はビックリしていた。
「△△ちゃん、叩かれたの⁉女の子なのに可哀相に。そんな叩く程の事じゃないのにね」と言った。


その後も、担任が生徒5人を居残りさせてたのを忘れていて、夜7時頃に学校へ問い合わせの電話があったり、担任からの体罰の話がチラホラ出ていた。
母親達は少しずつ私達の話を信じ始めた。


No.173

ある日。
先生は「出張で居なくなるから後頼む。喋っとるヤツが居ったら外で正座させても良いから」と日直に終わりの会を任せて出て行った。


その日の日直は先生に気に入られようと、先生の言いつけはしっかり(絶対)守る人達だった(笑)
隣の子に「ふぅ、先生居なくなったね」と言った瞬間に日直に注意され、椅子の上に正座させられた(笑)


授業中に喋ってるのが担任に見付かったら
1回目、椅子の上に正座
2回目、床に正座
3回目、教卓の横で正座
4回目、教室の外で正座
5回目、校庭で正座
という具合に、レベルが上がっていく。
でも先生が怖いから、2回目より先に進む子は居なかった。


隣の子に「正座になってしもうてごめん💦」と言った瞬間にまた日直に注意されて今度は床に(笑)
あぁ~もう日直~❗このくらい勘弁してよね😩


その後、私達以外に4人、床に座らされていた(笑)


No.174

学校に1人は居る、何でもかんでも先生に言いつける子。
そんな感じの子がうちのクラスにも居た。
その子がいつも終わりの会を長引かせる。


『嬉しかった事』のコーナーでは、友達がハンカチを貸してくれただの、○○さんがトイレのスリッパを揃えてただのと1人で3~4個言っていた。


そして『悲しかった事』のコーナーでも大活躍(笑)
ささいな事を1時間近く引っ張る。
○○君にバカって言われたとか何とか。


終わりの会で相手が「ごめんなさい」って言うのに「許しません。私は傷つきました」って(笑)
それが延々と繰り返される。
床で正座してる私達にはたまったもんじゃない。


後々、何言われるか分からないから、みんなこの子を避けるようになった。
何かあるとすぐに「終わりの会で言っちゃる‼」って脅してきてたし。
先生も怖かったけど、この子の発言も怖かった。


No.175

終わらない終わりの会(笑)
1時間近く経っても帰れない…
友達に「早く終わらんかねぇ…足痛い😣」と言った瞬間にまた日直に注意された(笑)
今度は教卓の横に正座(笑)
もぉ~日直~😭


他の子達も終わらない終わりの会に退屈して結構喋っていた。
それを注意して正座させる日直。
気付くとほとんどの子が正座していた(笑)

教卓の横には、私を含めて8人がズラっと正座(笑)
私の隣に正座していた男子が「もう帰ろうや~」と言った。
私もつられて日直に「もう終わりにした方が良いんじゃない❓」と。


注意されて教室の外に出された(笑)
融通が利かない日直(笑)


他の子達も「もういい加減にして帰ろ」と騒ぎ出した。
でも日直と終わりの会を長引かせる子がそれを許さない。


最終的に、私を含む6人が校庭に連れて行かれた(笑)
砂で足が汚れるからと、大きな鉄の柵を横にしたようなもの(溝の蓋みたいなやつ)の上に座らされた。


No.176

それを見ていた他の先生がこんな所に座ってどうしたのか聞いてきた。
担任に指示されたと日直が答えた。
その先生に「今日はもう遅いから帰りなさい」と教室に戻された。


時刻は5時前。
いつも終わりの会が終わるのは下校時間を過ぎたあたり。
「みんな帰って良いそうです」と日直が言って帰ることになった。


翌日、担任が前日の日直を怒っていた。
「誰が鉄板の上で正座させろって言ったんだよ⁉💢外でさせても良いって言っただけだ‼お前ら勝手な事するなよ‼💢」
校長からお叱りを受けたのかな…😁


学校へはよく4年○組は帰るのが遅いから早く帰して欲しいと連絡があったらしい。
私も終わりの会のせいで習い事に遅刻したり休んだりする事があった。


その後、担任もこの子が長引かせるって解っていたから「時間ないから後1人」っていう時にこの子が手を挙げても絶対当てる事は無かった(笑)


No.177

『生徒を鉄板の上に正座させた教師』
学校で有名な話になった。


私が5年生になった時、今度はその先生は妹のクラスの担任になった。
やはり妹達のクラスでも体罰があったらしく、みんながみんな口を揃えて先生がヒドく叩くと言った。


私の母も、私だけじゃなくて妹も私と同じ事を言うから、やっと今までの事を信じてくれた。


この先生は元々中学校で教師をしていたらしい。
中学校は不良だらけで体罰&厳しくするのが当たり前のようになっていた。


そんな中、この担任が何もやってない子(濡れ衣だった)を間違えてボッコボコにする事件を起こしたらしい。
ボコボコにされたのは、私の親友のお兄ちゃんだった。


それで少しは落ち着けという事で小学校で教師をする事になったらしい。
だから、変わらず暴力をしてる可能性はあるよ。
と親友のお母さんが私の母に教えてくれた


No.178

それを聞いて母は校長を交えて、担任に暴力は辞めてほしいと話しに行った。
担任は鼻で笑って「私がそんな事するわけないでしょ。私と子供どっちを信じるんですか❓」と言われた。


その後も暴力は治まらず、ついに他のお母さん達が教育委員会に言いに行った。
結果、その担任は県内の他の小学校へ異動になった。


教育委員会へ行くメンバーの中には母も居た。ただ着いてきてと言われて着いていっただけ。
なのに母が代表で言った事にされていた。


保護者の中にはこの担任を気に入ってる人も居た。
この担任は結構ひいきもしていたから、自分の言うことを聞く子は成績も良い。
そんな保護者から「○○先生を追い出してしまって‼あんな良い先生居ないのに💢」などと、弟が卒業するまで色々と酷いことを言われたらしい。
ずっと誤解されたまま…


No.179

主さんこんにちは!とても興味深い内容、読みやすい文章ですね。主さんの行動力、体力に感心してしまいます。これからもマイペースで更新して下さいね。たくさんの人が読んでいると思います😄

No.180

>> 179 こんにちは😃
読んで頂きありがとうございます。


子供の頃から文章を書くのが凄く苦手なんですが、読みやすいと言って頂いて本当にビックリしました。
嬉しいです✨ありがとうございます😃


更新は主に旦那が夜勤の時にしているので時々止まってしまってます。
すみません💦
また時間がある時に一気に更新しますね💡


No.181

私は細かい作業が大嫌い。
もつれた紐を解く事ができず、いつも祖母か父に「やって❗できん💢」と言って渡していた。
未だにそれは変わらず、今は旦那にやってもらっている(笑)


裁縫も大嫌いで、制服のスカートの裾がほつれていても平気だった。
母に女の子なんだから自分で縫うように言われたからやってみたけど、まっすぐ縫えない。
何度やり直しても同じ。
見兼ねた母が呆れながら縫ってくれた。


みじん切りも大嫌い。
いつまで経ってもできないし、物凄く時間がかかる。
だからいつも料理の手伝いは、妹が切る係で私は炒めたりする係。
小学生の時から何度も挑戦したけど、うまくできなくて母に「私にはできん❗」と言った。


母は「すぐに諦めずにやんなさい。そのくらいできないでどうすんの❗」と言ってきた。
私は泣きながら自棄になってやった。
みんなには簡単にこなせるような事が、私には結構難しかった。



No.182

髪の毛をくくるのも、高学年になっても母にしてもらっていた。
朝ご飯を食べてる間にいつも母がくくってくれる。


でもある日、「もう大きくなったんだから自分でくくりなさい」って言われた。
どうやってくくれば良いのか分からない。


鏡の前に行って母に教えてもらいながら何度も練習をした。
でもウマくできない。
妹は少し練習したらできるようになったのに…


私は何度やってもウマくいかない。
腕はダルいし髪は沢山抜け落ちてるし…でもできなくて悲しくて涙が出始めた。
母に「もうできん❗💢」と怒って言った。


母は「○○ちゃん(妹)はできてどうしてアンタはできんの❓くくれんのんだったらもう髪切りなさい」と言われた。
それから何度も練習したけど、その日はできなかった。
母に「本っ当に不器用やねぇ…」と呆れられた。


次の日も何度も練習をした。
やっとくくれた。
母に「やればできるじゃん」と言われて嬉しかった。
でもくくるのに凄く時間がかかってしまうから、朝は変わらず母にくくってもらっていた。


No.183

私は自分が不器用なのはよく分かっていた
このままだといけないと思って、4年生の時に手芸クラブに入った。


始めは縫い方から教えてもらった。
直線の上を波縫いしていくんだけど、まっすぐ縫えてない💧
ほどいてやり直してる私はどんどん遅れていく…
他の子達は玉止めを教わっていたけど、私はまだ波縫いが終わってない💧
そんな感じで毎回、私はみんなより少し遅れていた。


1学期の終わり頃にぬいぐるみを作る事になった。
不器用な私は何やら分からない物が出来てしまった(笑)
みんなは猫だったり羊だったりウマく作ってるのに…


私は紫色の『まっくろくろすけ』のような『ぷよぷよ』のような何だろう…貰っても全然嬉しくないような物になった💧


取り敢えず出来た物を持って帰って母に「クラブで作ったからあげる」と渡した。
母は苦笑いしながら「何これ…❓」って。


う~ん…
布でボールを作った事にした。
母は「自分で使ったら❓」と言ってきた。
えっ💧私が使うの…❓


仕方ないから祖母に「手の運動に使って」と渡した(笑)
祖母は「ありがとう」と言って受け取ってくれた(笑)


No.184

手芸クラブを1年間やってみたけど、やっぱり私には向いてないなと思って、5年生の時は科学クラブを選んだ。


初クラブの日に行ってみると、女子は私しか居なかった💧
うわぁ…やった…やってしまった…orz


でも科学クラブは凄く楽しかった。
アルコールランプでべっこう飴を作ったりスライムを作ったり。
私がうまくできなくても同じ班の6年生が手伝ってくれる。


もう1年やろうかと思ったけど、やっぱり女子が居ないのが寂しくて6年生の時はバドミントンクラブを選んだ。


私が4年生くらいの時に母がママさんバドミントンのサークルを作った。
母は高校生の時にバドミントンをやっていたらしく結構うまい。
母の友達や近所の人、バドミントン経験者の人が結構集まって、毎週日曜日に学校の体育館で練習をしていた。


私はそれについて行って母のラケットを借りて友達とやっていた。
だから私はバドミントンが結構好きだった


No.185

バドミントンクラブは女子ばかり。
友達は1人しかいない⤵
ママさんバドミントンで一緒の子が居ると思ってたのに居なかった。
他のクラブに入ったらしい…


クラブでは楽しみながら、母に追いつけるよう頑張ろうと思った。
その隣ではバトンクラブが練習をしてる。
バトンクラブには3~4年生の時に親友だった子が居る。


休憩中はよくその子と話してた。
バトンを貸してもらって回し方を教えてもらったり、ダンスを見せてもらったり。
6年生になると5月の連休にある大きなイベントのパレードに出してもらえるらしくて親友は頑張って練習をしていた。


5月。
祖母と一緒にテレビでパレードの中継を見てる時に親友を発見した。
「見て❗○○ちゃん出てる❗」
興奮しながら言った。


チアガールみたいな衣装にベレー帽をかぶってバトンをクルクル回してる親友。
スゴいなぁと思った。


No.186

5年生になるとまた男の先生だった。
でも3~4年の時の担任とは全然違い、優しそうな『お父さん』という感じの担任だった。


実際、その先生には奥さんと子供も居る。
奥さんが体の弱い人で入院してるとか言ってたような…
そのせいか、研修や出張以外でも休む事があって自習になる事が多い担任だった。
自習は月3~5日はあったと思う。


3~4年の時に比べれば落ち着いたけど、終わりの会を長引かせる子ともまた同じクラスになった。


私は5~6年生の時は5年生になって仲良くなった子達といつも4人で居る事が多かった。
1人は三姉妹の末っ子で、少し口が悪くて思った事をバンバン言ってくる。


2人目は、その子の親友で4人兄弟の2番目。しっかりしていて親友が言った事のフォローをする事が多い。


3人目は2人姉弟の長女。
普段は大人しいけど、男子に「ブス❗」ってよく言われてギャーギャー怒ってた💧
あだ名は『黒ブタ』(笑)


そして私は『白ブタ』(笑)
名付けたのは三姉妹の末っ子。


No.187

夏祭りにそのメンバーで行った。
母に夜9時に帰ってくるように言われていたけど、友達がまだ居たから私も残りたかった。
時間を過ぎてるのは分かっていたけど、結局10時過ぎまでコンビニの前で友達と話し込んでいた。


帰ると母が鬼の形相で玄関に居た💧
「早く帰んなさいって言ったでしょ💢おじいちゃんも心配して家の周りをウロウロしてるよ❗おじいちゃんに帰った事言っておいで❗」

「分かった💦」


祖父母に「ただいま」と言った。
祖父がもっと早く帰るようにとブツブツ言っていた。
はいはい、と聞いてサッサと3Fに上がった。


母に「アンタが帰るの遅かったら、お母さんがおじいちゃんから色々言われるんだからね❗分かってるでしょ⁉」


「うん…」


「明日はこんな事ないように❗」


「は~い」


No.188

朝起きるとメチャクチャ頭が痛い。
吐き気もする。
私「おはよう…頭痛い…」

母「昨日、帰るの遅かったらバチが当たったんよねぇ(笑)」

私「熱計ってみる」
37.8℃。

私「そんなに熱高くなかった。37.8℃」

母「今日は大人しく寝ときなさい。お祭りも今日は無しね」

私「うん…」


翌日になっても頭痛は酷いし熱もあったから病院へ連れて行ってもらった。
検査結果は髄膜炎だった。
検査をするのに腰に針を刺されて骨髄液を抜かれる。
何度も失敗されて涙が出てきた。


その頃は何故かうつらないとされている髄膜炎が流行っていて、病室が満室だと言われた。
入院できないから1ヶ月自宅療養をする事になった。


夏休み中の行事

学校からのキャンプ
母の実家への帰省
少年少女船の旅(種子島へ行く予定)
は全部キャンセル。


1ヶ月間ほぼ寝たきりの状態で過ごす事になってしまった…


No.189

6年生も同じ担任。
相変わらず自習が多い。
自習の時はみんな好き勝手な事をしていた


6月になると修学旅行があった。
行き先は京都と奈良と滋賀。
京都は平等院や金閣寺、清水寺に行った。清水寺では賢くなる水を飲んできた😁
全然効かなかったけどね(笑)
逆に効いててコレだったらヤバいわ~😱


奈良は東大寺へ。
東大寺は家族旅行でも来た事があった。
ここでも賢くなる穴を通り抜けたんだけどなぁ…おかしいなぁ…(笑)
ここの鹿はおじぎをしてくれる。
私が住んでる県にも鹿が居るけど、バッグを漁ってきたり鹿煎餅を全部持って行かれたりと結構荒い。
この差は何…💧


滋賀県は琵琶湖のすぐそばのホテルに泊まった。
あれ❓旅館だったかな💦
近くに遊園地跡🎡みたいなのがあった気がする。
そこの部屋の電気の紐がおかしくて、引っ張っても何かが引っかかってる感じで電気が消えなかった💧


先生に来てもらって何とか消してもらったけど、豆球にしたくて点けたらまた消えない💧
また先生に来てもらうことになった。
その後、宿泊メンバーの誰かがタオルを無くし、電気を点けるとまた消えない⤵
また先生を呼んだ。


最後はちょっと困ったけど、結構楽しい修学旅行だった。


No.190

秋。
終わりの会を長引かせる子と一緒にトイレから帰ってきていた。


私はその子に対して苦手意識はあったけど仲が悪いというわけではなかった。
逆にその子は私の事を気に入ってるらしくベタベタとひっついてくる💧


家も割と近かった事もあり、一緒に帰ったり遊んだりする事もあった。


その子と廊下を歩いていると、明らかにその子に向かって男子が「クサっ」と言ってきた。


確かにその子はよく臭っていた💧
猫を沢山飼ってたし、お風呂が付いてないアパートに住んでたし。
でもそれは禁句…
言ってしまったね😒
絶対終わりの会で言われるよ⤵
はぁ…また長引くのか…


などと思っているとその子が急に走ってどこかへ行ってしまった。
授業時間になっても帰ってこない。
どこ行ったんだろう…


担任にその子の行方を聞かれたけど「分かりません」と答えた。


No.191

5時間目の授業が始まって20分程した辺りでその子が帰ってきた。
母親を連れて。


「うちの○○に臭いって言ったのは誰ね⁉💢」とお母さんが体を震わせながら突然怒鳴った。
みんな「えっ❓💧」という感じでお母さんの方を見ている。


お母さんの姿は服はシワシワで髪はクチャクチャ。寝起きかな…という感じだった。


担任がすぐお母さんの方へ近付いていって「まぁまぁ、お母さん。職員室で話しましょう」と言って、担任とお母さんとその子は職員室へ向かった。
しばらく自習するように言われた。


みんなビックリしていた。
まさかお母さんを連れてくるなんて思ってもみなかった。


No.192

しばらくして担任とその子(名前はS)が戻ってきた。
お母さんは帰ったらしい。


終わりの会が始まった。
そしてやはり、悲しかった事のコーナーで男子が「クサっ」と言った話が出た。


「今日、○○くんが私に『クサい』って言ってきました」で始まった。

男子「言ってません」

S「言いました」

男子「言ってません」

S「証人もいるんです。言ったよねぇ❓△△さん」

えっ💦私⁉😱
みんな言ってないって言えみたいな顔で見てるし💦
うわぁ~どうしよ😨

私「う~ん…言ったのかなぁ…ちゃんと聞いてなかったから…ごめん💦」

S「言ったじゃん💢○○くん、謝ってください」

男子「言ってないから嫌です」

S「私には聞こえました」

男子「……ごめんなさい」

S「許しません。私は傷つきました」

男子「ごめんなさい」

S「許しません。心から謝ってるようには見えません」

男子「ごめんなさい」

S「いいよ。もう二度と言わないで下さい」

男子「はい」


その後、男子とSと私は職員室に連れて行かれて担任と話し合いをした。
男子には、思った事を何でも口に出してはいけないと言っていた。
Sには勝手に学校を抜け出さないように注意していた。
私には何も無し。ただ呼ばれただけだった


No.193

2月。
卒業式まで後少しっていう時だった。
突然Sのお母さんが亡くなった。


アルコール依存症か何かで内蔵がメチャクチャになってたと大人の人から聞いた。
私はお通夜の時もお葬式の時もSにずっと付き添っていた。


Sは終わりの会でいつもこんな感じだったから嫌ってる人が多く、友達という友達がほとんど居ない。


Sはずっと泣いていた。
私もその横で泣いていた。


Sは4人姉妹の末っ子。
それぞれ父親が違うからか、みんなバラバラに引き取られていった。
Sは県外に居る叔父さんに引き取られる事になって卒業してから引っ越していった。


ホッとした人も結構居たけど、私はこんな事になるならもっと優しくしておけば良かったと後悔した。
今どうしてるかなS…


No.194

私の実家がある町には小学校と中学校はそれぞれ1軒ずつしかない。
卒業式でみんな泣いても、中学校へ上がればまた同じメンバー(笑)
お別れするのは先生達や引っ越す人だけだった。


中学校には不良が居ると聞いていた。
「目を付けられんように気を付けるんよ」と三姉妹の末っ子にも言われていた。


中学校に上がると本当に不良と呼ばれる人達が居た。
3年生だった。
目立つのは一部の男子だけで、女子はいかにも不良って感じの人は居ない。
でも女子の中では『呼び出し』が健在でトイレに呼び出される人も居たらしい。


目立つのは6~7人の3年生の男子。
多分、不良最後の生き残り(笑)
上は短ランや長ランを着ていて、下はボンタン。赤や紫の靴下を履いている。
髪の毛は赤色だったり金色だったり茶色だったり。



彼らはよく授業をサボって校舎裏でタバコを吸っていた。
それを巡回してる先生が見つけて走って注意しに行ってる姿を授業中に眺めるのがちょっと面白かった。


No.195

中1の時の担任は30代の男の先生で、美術の先生だった。
ちょっと変わり者だけど真面目な先生。
その先生は不運な事に(笑)クラブの顧問でもあった。


5~6年生の時に同じクラスだった子と気が合い、中学生の間はその子が1番の親友になった。
中学3年間、一度も同じクラスにはなれなかったけど…


名前はKさん(名字)
結構美人。
でも髪が凄く短くてボーイッシュな子だったから、私はKくんと呼んでいた。
そして私のあだ名は『(パーマン4号の)ぶーやん』(笑)
時々『ツンパ』って呼ばれる事もあった。
これはメチャクチャ嫌だった💧


当時の週刊ジャンプの『変態仮面』が面白くてよく話題に出してたから
変態仮面➡パンツ仮面➡ツンパ仮面➡ツンパになったらしい。


(私が)小3~4年の時の担任にボコボコにされたっていうのがこの子のお兄ちゃん。


No.196

Kが一緒のクラブに入ろうと誘ってきた。
私は背が高くなりたくて、バスケやバレーを選ぼうと思っていたけど、Kは「料理部にしよ」と言ってきた。
すぐOKした。
中学生だし、料理もウマくならないとね👍


クラブ決めの紙を提出する日。
直前になってKが「やっぱり卓球部にしない❓」と言ってきた。
卓球かぁ…人がやってるのを見てたら楽しそうだしね👍
私はまた即OKして『卓球部』と書いて紙を提出した。


クラブの掲示板に初クラブの日程が書き出されていた。
当日、Kと体育館へ行ってみると3~4年生の時の親友も居た。
他の子達も仲が良い子ばかり。
めっちゃテンションが上がった✌


1年生は私を含めて9人。
その中に1人だけ私の苦手な子が居た。
4年生の時、すぐ注意して正座をさせ、最後に鉄板に座らせたあの日直(笑)


No.197

1年生の男子は6人居た。
普段、女子と男子は別れて練習をする。
部活中は私語禁止で、男子と話す事なんて滅多になかった。


顧問の先生が少し遅れてきた。
担任だった。


いきなり「やる気の無いヤツはサッサと辞めて他の部へ行けよ」と言ってきた。
ヒョエ~厳しい😱
私にとって卓球は、旅館とかでやってる楽しいイメージしかなかった。


3年生が練習してる姿を見せてもらうと、無言でピン球から目を離さずラリーを続けている。
何度も往復する球を見て、こんなに続くもんなんだぁと感心した。
でも………なんか陰気くさい(笑)


本当にやっていけるんだろうか…と心配になってきた。
Kを見ると、そんな先輩達を尊敬の眼差しで見てる。
Kはやる気満々って感じ。


1週間は仮入部だから嫌だったら辞められる。
取り敢えず、1週間、どんな感じなのかやってみる事になった。


No.198

女子の方の3年生は真面目な人ばかりで、ラケットの持ち方や素振りの仕方を熱心に教えてくれた。


私は左利き。
先輩の中に左利きの人が居なくて「えぇーどうやって教えれば良いんだろう…反対だから難しい💦」と言われてしまった💧


他の子達は素振りを始めたけど、私は2人の先輩に「こうかなぁ」とか言われながら持ち方を教わってる。
先輩の1人が顧問の先生に「このフォームで良いと思いますか❓」って聞いた。
顧問は「良いじゃろう」と一言。
みんなから随分遅れてやっと素振りを始める事ができた。


始めはちょっと…と思っていた卓球部だけど、実際にピン球を打ち始めてからは少しずつ楽しくなってきた。
Kは先輩の言う事を熱心に聞いてどんどん上手くなっていく。
その相手をする私も、そこそこ上手くはなった。


No.199

2年生には知ってる人が結構居た。
私は小さい頃から習い事が多くて、そこで学年男女問わず友達になる人が結構居る。


Kは真面目な3年生に可愛がられてたけど私はちょっといい加減な(笑)2年生に可愛がられていた。
Kは2年生のいい加減なところが嫌だったみたいで「先輩とは思えん。尊敬なんてできん」と言っていた。


2年生の男子の方に同じそろばん教室で仲良くなって、よく喋る人、Nくんが居た。
部活が終わってNくんと話してるとKが来て「誰❓誰❓ぶーやんの彼氏❓😁紹介して😁」と冗談交じりに言ってきた。


「違うよ(笑)同じ習い事で仲良くなったNくん。こっちは親友のK」と紹介した。
Kは「いつもぶーやんがお世話になってます」と母親のように挨拶した💧
それから私達は部活の休憩時間は3人で居る事が多くなっていった。


No.200

2年生の男子で知ってる人がもう1人居た
ピアノ教室が同じY。
この人………なんか変。


ピアノ教室では、生徒や先生の子供、合わせて30人くらいで毎年クリスマス会が開かれる。
Yの存在は前のクリスマス会や発表会で知っていたけど話したことは無かった。


6年生の時、クリスマス会の時間ギリギリになっていたから急いで先生の家に向かった。
先生の家までは走って30秒(笑)
もの凄く近い。


先生の家に着くと靴だらけで部屋に入るのも一苦労。
やっと靴を置けそうな場所を見付けてみんなの靴を飛び越えてその場所に着地。
靴を脱いで部屋に入ろうとした瞬間、手を引っ張られた。


後ろを振り返るとYが私の手を引っ張ってる。
「えっ❓💧」って思っていると「引っ張って。部屋に入れんから」と言われた。
そのままではバランスを崩すから、1度手を離して私は部屋に入った。
そこから手を出してYを引っ張り上げた。

No.201

その時はYの名前さえも知らなかった。
部屋に入ると先生が「いらっしゃい。空いてる席に適当に座って」と言ってきた。


空いてる席を見付けて座ると、Yが無理矢理私の横に入ってきた。
えっ💧何この人…💧
先生が「○○くん(下の名前)こっちおいでよ」と言ってくれた。
ホッ💨


それから2時間程、みんなのピアノを聞いたりゲームをしたりプレゼント交換をしたりでみんな楽しんでお開きになった。


小さい子から順番に外に出て行ったから、私は最後の方だった。
後ろにYも居た。


私はすぐ帰りたくて歩道がほとんどない道路沿いを歩き始めた。
歩くと家まで1分弱。
すぐにYが自転車で追いかけてきた。
中の道の方が安全なのに。


No.202

「ねぇ、今日楽しかったね」「ピアノいつから習ってるの❓」「兄弟何人居るの❓」「家どこ❓」など色々言ってくる。


しかもベッタリひっついてきて、肩を触ったりしてくる。
なんか気持ち悪い💦
適当に答えて「家、ここなんで…」と言って走って玄関に向かった。
Yはこっちを見て手を振っている。


私は苦笑いしてサッと頭を下げて家の中に入った。
帰ってすぐ母に「ピアノ教室に○○っていう人が居るんだけど、なんか変❗ベタベタひっついてきて気持ち悪い❗」と話した。


母に「あぁ、Yさんのところの子ね。男3人兄弟の末っ子で家の患者さんよ。女の子との接し方が分かってないだけじゃないかな❓仲良くしなさいね」と言われた。


仲良く………❓
いや…無理だわ💧
生理的に受け付けないというか、とにかく無理。


No.203

そんなYが部活中、私にすごく馴れ馴れしくしてくる。
何故か名字も呼び捨てにされる。
私、あなたと友達でしたっけ❓(笑)


Nくんが私に「あいつと友達なん❓あいつ変わった奴だよな…」と言ってきた。
「友達じゃない❗勝手に馴れ馴れしくされてるだけ❗」
ピアノ教室であった事を話すと
「分かるわー。あいつはそんな奴(笑)」と笑っていた。


それを聞いていたKはドン引き(笑)
そして私はもう1つ暴露した。


Yがピアノ教室で使ってるバッグ。
いかにもお母さん手作りって感じの物。
水色の生地に蝶や鳥や花が縫われていて、フェルトで大きな音符が3つ。
その下にひらがなで大きく○○○(下の名前)と刺繍されている。
中2でこのバッグは恥ずかしくないかい❓


当時『ずっとあなたが好きだった』っていうドラマの『冬彦さん』や『誰にも言えない』っていうドラマの『まりおさん』が流行っていて、Yのあだ名を勝手に○○さん(下の名前)と名付けた。
マザコンって意味で。
卓球部の1年生女子とNだけが呼んでいたあだ名。


No.204

秋。
文化祭の季節。
文化祭で歌う歌を決めなければいけなかった。
1曲は課題曲でもう決まっていて、もう1曲は自由曲。
何故か『いい日旅立ち』に決まった。


歌が好きな子は普通に歌う。
でも中学生にもなれば恥ずかしくて歌わない子も居る。
私は前者。


担任がある日キレた。
「歌う気がないんだったら帰れ❗もう歌わんでええわ❗」
そして美術室にこもって出てこなくなってしまった💧
日直が話しに行っても出てこない。


毎日HRの時に練習してたのに、翌日もその翌日も練習をする事なくそのままHRが終わってしまう。
そして担任は美術室にこもる。


その後の部活は気まずかった。
私が歌について何か声をかけるべき❓
スルーして良いの❓
部活の間、葛藤していた。


No.205

一応、担任に「歌の練習をしなくて良いんですか❓」と聞いてみた。
「お前らがやる気無いんだからこっちも知らんわ。勝手にやれば良い」と言われた💧


翌日、それをクラスの子に話して帰る時にみんなで練習を始めた。
3日程経って日直が美術室に「ちゃんと歌います」のような事を言いに行った。
やっと担任が見に来てくれた。


「お前らのやる気見せてもらうからな。やる気が無かったらもう来んから自分らで勝手にやれ」と言われた。
みんな真面目に歌った。


「始めっからそうやって歌えば良いんよ」
その日からまたHRの時に歌うようになった


文化祭では4クラス中2位だった。
4位だったら担任に絶対何か言われてたと思う。
セーフ👍


No.206

私は夏前に好きな人ができた。
同じクラブの2年生。その人も左利き。
私は眼鏡が似合う人が好きだった。
Kに「あの人カッコ良くない❓」って聞いたら「どんだけ目が悪いんよ😂」と言われた。
不細工と言いたかったらしい(笑)


Kとは好きな人のタイプが全然違う。
Kは活発でよく喋ってスポーツができる人が好き。
私は大人しくて眼鏡が似合って勉強がそこそこできて色白な人が好き。


Kに好きな人を告白したら、Kがわざとらしく私をその人にぶつけようとしたり、ひっつけようとするようになった。
KがNにも話して協力するように言った。


もう最悪😣
何してくれてんだか💧


Nが好きなアーティストとか趣味を聞いてくれてコソッと教えてくれた。
好きなアーティストは『XのYOSHIKI』らしい。
趣味は寝ること。


そっかぁ…
Xって…あの凄いメイクと髪型の人達…だよね❓



No.207

まずは共通の趣味かなって思って、母とビデオをレンタルしに行った時にXのアルバムを買った。
自分のお小遣いで初めて買ったのがそのCDだった。


母を車で待ってる間にCDを入れ替えて聞いてみた。
始めの曲は『紅』
衝撃的だった。
こんなのが好きなの⁉😱
声かすれてるしウルサい❗
何この歌⁉


帰ってから1曲ずつ聞いていった。
似たようなウルサい曲ばかり。
え~💧どうしよ💧
こんなのが好きって。
私は好きになれそうにないよ😥


それでも何度も何度も聞いてる内に慣れてきたのか少しずつ好きになってきた。
その1ヶ月後、WOWOWでXのメンバーのhideのライブをやるのを知った。
早速ビデオテープ(笑)を買ってきて録画しながら見た。


何かこの人カッコイイ‼
スゴくイイ‼


私はhideの事が好きになって毎日ビデオを見続けて歌を覚えた。
そしてhideのアルバムも買った。
録画した曲と同じ曲ばかり👍


No.208

その後、Xのアルバムも全部買った。
曲を聞いてて「これ、hideっぽい曲だな」と思う物はhide作曲だったり。
こっちでも作曲してるんだ~と、聞くのが楽しくなった。


夏が終わる頃には私はX JAPANのhideにハマっていた。
そして好きだった先輩の事なんてどーでも良くなっていた(笑)


その頃、同じくWOWOWで放送されていた女子プロレスにもハマっていた。
私の事をいつもメチャクチャ怒って叩いてくる母に技をかけて絶対勝つ❗とか思って日々鍛える(笑)
そして将来はプロレスラーになろうかと本気で思うようになった。


小さい頃、剣道をやっていた事もあって体力は結構ある。
腕立て伏せや腹筋は50回は当たり前にできるし、技も結構覚えてる。


小学生の間は大人しかった私だけど、中学生になってから、趣味が一気に過激になった。



No.209

2学期の終わりになると練習試合に出してもらえるようになった。
相手は隣町の中学校。
結構な頻度で練習試合をしてたから、隣町の中学生とも仲良くなっていった。


2年生になると女子が2人減って7人に。
3年生女子はいい加減な人が多いという理由で試合に出してもらえるのは2人。
2年生からは6人の計8人が試合に出してもらえる事になった。
男子は2年生4人と3年生4人の8人。


結構弱かった卓球部だったけど、試合で勝ってしまってなんと地区大会に行く事になった。


大会前日「お前ら絶対遅刻するなよ」と顧問の先生に言われた。
朝5時半駅前集合。
みんなぞろぞろと来た。


でも先生が来ない…💧
まさかの事態。
先生が寝坊していた😱
顧問の先生のところは子供が生まれたばかり。
夜泣きであまり寝られてなかったらしい💧


No.210

みんなが「試合に行けないよね。どうしよう…💧」とか言っていると、陸上部の先生が一緒に連れて行ってくれる事になった。
大会の場所は同じ場所だった。


先生が駅員さんに紙を見せて、みんな改札口を通っていく。
6時前の電車に乗って1時間半程して降りる駅に着いた。
それから更に30分程バスに乗り、会場に到着。


私達は陸上部の先生にお礼を言って体育館へ向かった。
強い学校のユニフォームを着た人達が沢山居る。
私達も適当な場所を探してユニフォームに着替えた。


しばらくして顧問の先生が到着。
「悪かったのう」と一言💧
それから少しして大会が始まった。


私は個人戦と団体戦の両方に出た。
始めの内は勝ってたけど、強い相手に当たって負けてしまった。
結果は5位か何かになった。


お弁当を食べて午後からも試合は続いた。

No.211

朝早くから来てたし、結構暑かったからみんなお茶はとっくに空っぽ。
目の前には自販機がある。


私はお茶を買って水筒に入れた。
Nくんはロング缶のコーラを買った。
ふざけて軽く缶を振ったりそれを見て笑ったりして、それぞれ談笑していた。
Nくんが缶をプシュっと開けた瞬間、先生が来た。


まるでコントのように、履いてたスリッパを片手に持ってNくんの頭をパコン🔥って叩いた。
私達は何が起こったのか分からずポカーン


「お前ら何やっとんや‼まだ○○(3年男子)の個人戦が終わってないじゃろうが。応援もせずに何ジュース買っとんや‼」と怒られた。


ヤバっと思ってみんな応援に行った。
個人戦で残ってた3年生男子は、3位になって終わった。
先生はまだ怒ってる。
私達を完全無視してくる。


No.212

みんな着替えて帰る準備ができた。


先生は真面目に応援してた人と試合をしてた人だけを連れてバス停の方へ向かう。
私達には「お前ら歩いて帰れ‼」と言ってきた。
すぐに(勝手にマザコンの)Yが「先生ごめんなさい。僕も連れて帰って下さい」と先生にベタベタしながらへつらっていた。


それを見た私達は「うわぁ😨何だコイツ」とドン引き。
先生は「お前も歩いて帰れ。知らん‼」とすぐ振り払う(笑)
Yは「先生❗先生❗ごめんなさい❗お願いします❗」と何度も言ってたけど、先生達はバスに乗って行ってしまった。
その姿にみんな爆笑。


Yは次のバスの時刻を確認し始めた。
バスで帰る気満々。


私達は「じゃあ、歩いて帰ろうか」と歩き始めた。
8人で歩くから心強い。


No.213

歩いても歩いても駅はまだまだ遠い。
バスで30分くらいだから相当な距離。


途中の自販機でジュースを買ったりしながらみんなダラダラと歩いていた。
私は遠足気分でちょっと楽しかった。


何時間か歩いたら駅が見えてきた。
夕方5時頃だったかな。
お腹空いたーってNくんがたこ焼きを買って食べ始めた。


そしてふと、Nくんが気付いた。
「うおぉ😱あそこ顧問座ってるじゃん❗」
その方向を見るとベンチに先生が座っていた💧


急いでたこ焼きを食べて先生の前に行った
先生が「お前ら、何で怒られとるんか分かっとるか❓」と言ってきた。

私「ちゃんと応援しなかったからです」

先生「それもあるけど、飲み物を買ったりするのは禁止だからじゃ❗」


初耳だった。
飲み物を買ったらいけないなんて知らなかった。
それはみんなも同じで「えっ❓そうなん❓知らんかった」と口々に言った。


No.214

先生は呆れて「当たり前じゃろ」と言ってきた。
そんな事言われても、500ml~1Lのお茶をスポーツしながら8時間以上保たせるのは難しいと思うんだけど。


その後、地元の駅に着いたのは夜7時前だった。
駅で解散。


帰って母に「飲み物買ったらダメなのに知らずに買ってめちゃくちゃ歩かされた💧あれだけのお茶じゃあ全然足りんわ。死ぬ」と言った。
母は私が家を出る前に飲み物代と言って千円渡してくれていた。


翌日、担任に呼び出された。
昨日あった事を教えてほしいって。
私は正直に話した。
担任も「飲み物を買ったらダメって決まりがあるんよ」と。
みんな知らなくて買ったと言ったら、次からは気を付けるように言われた。


朝会でも校長がその事に触れていた。
まさか飲み物1本でこんなに大騒ぎになるとは思っていなかった。


No.215

2年生になると、何故かKが嫌がらせをされるようになった。
よくシューズや靴が無くなる。


クラブが始まる前にシューズが無くなっていたり、クラブが終わって帰ろうとすると靴が無かったり。
私も一緒に何度も探した。
大体、校舎と体育館を繋ぐ通路の横の雑草の所やトイレ、ゴミ箱に捨てられていた。
誰がやっているのか全く分からない。


私は習い事があったから6時頃になっても見付からない時はKに「ごめん。もう遅いから帰って良いよ」と言われた。
「ごめんね😥」と言いながら仕方なく帰る私。
Nくんが後を引き継いで2人で探す。
そんな事が何度も続いた。


ある日、K以外の2年生の女子部員に囲まれて「KとNって怪しいよね。あの2人付き合ってるんじゃない❓」と言われた。
私は凄く鈍感だから、2人の事をそんな風に思った事がなかった。


No.216

Kに「みんながNくんと付き合ってるんじゃないかって言ってたよ。もしかして付き合ってんの❓😁」と聞いてみた。


「そんな事あるわけないじゃん❗😁みんなに付き合ってないって言っといて😉」と言われた。


私はその言葉を信じて他の子達に伝えた。
女子「そうなん❓でも絶対怪しいって」

私「ははっ😁そうかなぁ❓本人が違うって言ってんだから違うんでしょうよ👍」


みんな怪しんではいたけど、私の言葉で少し落ち着いたらしく、それ以来何も言わなくなった。


KとNくんは帰る方向が同じ。
いつも一緒に居たけど、友達同士での付き合いだと思っていた。
私って本当に鈍い。


No.217

秋。
修学旅行の季節。
2年生になったら仲の良かった子はほとんど他のクラスになって、女子は苦手な子ばかりになってしまった。
私はリーダーっぽい子や何でもズバズバ言う子、グループになって人の悪口ばかり言う子達が嫌いだった。


クラスの女子はほとんどそんな感じ。
でもそんな中にも、大人しくてまあまあ仲の良い子達が3人だけ居た。
この3人は仲良しで、いつも3人で行動をする。


修学旅行の班決めをしないといけない。
私はこの3人のところに無理矢理入れてもらう形になった。
私を含め、みんな幼稚園からの友達。
その内の1人は凄く可愛くて、男子から結構モテていた。


クラスの中にもこの子(Yちゃん)の事が好きな男子が何人か居た。
その中の1人がD。
最悪なヤツ。


No.218

Dと私は幼稚園が同じ。
Dは小さい頃から乱暴者で、よく他の子を殴ったり蹴ったりしていた。
私も何もしてないのに近くに居ただけでお腹をパンチされた事がある。
その頃から私はDの事が大嫌いだった。


Dがいじめたせいで、不登校になった人も3人以上居る。
でも本人はいじめた感覚は無いと思う。
遊びだと言って、休憩時間に執拗に殴ったり蹴ったりしてたから…


修学旅行当日。
バスに乗って移動。
私はYちゃんの隣に座っていた。
Dは後ろの方の席。
なのにDがうちの班の男子に「お前、席代われ」と言って私達の後ろの席に来た。


そして後ろから「Yちゃん❤」と呼んで話しかけてくる。
YちゃんもDの事を嫌っていた。
本当に嫌そうな顔をして答える。


Dは時々ちょっかいも出してきた。
Yちゃんの胸を触ろうとしたり、ハンカチ貸してと言って勝手に取り上げてベロベロ舐めようとする。(ハンカチは胸ポケットに入れてる)
本当、気持ち悪い。


No.219

旅行先は熊本と長崎。
あちこち見て回る。
違う班なのに、何故かDも一緒に行動しようとついてくる。
私もかなりイライラしてたから「いい加減自分の班に戻ったらどうなん❓自分の班があるでしょ❓」と言った。


D「うるさい❗お前に関係ないだろ❗」

私「ある❗ここは私の班だし、みんな迷惑してるのが分からんのん❓しつこかったら先生に言いに行くよ❗」

D「はっ⁉どこが迷惑⁉○○(うちの班の男子)迷惑してないよのぅ❓😒」

男子「いや………迷惑…」

拳を見せながら
D「何⁉お前今何て言った⁉」

男子「何でもないです💦」

D「分かった❗帰れば良いんじゃろ❗後で覚えとけよ😒Yちゃん、また来るわ」


Dは文句を言いながらも自分の班に戻って行った。


No.220

帰る日。
学校に戻るバスの中。
またDが席を代われと言っている。
Dが後ろの席に来た。


しばらくしたら今度は私に席を代われと言ってきた。
Yちゃんが嫌がる姿を見て私は断固拒否。
Dはかなりイライラしていた。


今度は私達の横の席の人に席を代わるように言っている。
通路側に居る私を挟んでDがYちゃんに話しかける。
「もう放っといてよ❗」と何度も言うYちゃん。


私もイライラして「いい加減にしたら❓Yちゃんが嫌がってるのが見えんのん❓しつこい‼」と言った。


Dがかなり怒って「お前殴ろうか❓お前何様なん❓この前から…ムカつくんじゃ‼」と言ってきた。

私「殴れば❓好きにすれば良いじゃん」

D「分かった。お前、絶対先生に言うなよ」

私「さあ、どうかね」

D「今から殴るからな」

私「だから殴れば良いじゃん」


No.221

顔を4発殴られた。
痛みに結構強い私。
あんまり痛くなかった。
私「痛くないわ(笑)」

D「先生に言うなよ❗」
先生が怖いのか…情けない。


Yちゃんは私が殴られる姿を見て泣き出した。
周りの3~4人が気付いただけで、担任も他の人も気付かない。
気付いた人とYちゃんが「大丈夫❓」と何度も聞いてくる。
「大丈夫。そんなに痛くなかったし👍」


Dは諦めたのか、Yちゃんにちょっかいを出さなくなった。


夜7時頃。
家の近くのバス停で降りて、友達と写真を撮ってワイワイ言いながら帰った。
家族に「ただいま」と言って沢山のおみやげを渡す。


祖父母にはお菓子。
父母にはお揃いの湯のみ。
妹弟にはキーホルダー。
叔父と従業員さん達用のお菓子も忘れずに買ってきた。


ちょっと予算オーバー㊙


父にはカラスミを買ってきてと頼まれていたけど、カラスミがどんな物なのか分からなかった私…💧
買えなかった。


No.222

翌日。
見事に顔が青くなっていた(笑)
青アザだらけ(笑)


母がビックリして「どうしたんその顔⁉」と言ってきた。
実はこんな事があって…とDが殴った事を話した。


母「DくんてあのDくん❓こりゃ酷いね。ちょっと先生に言わないと」

私「Dが言うなって言ってたから言わなくていいよ」

母「いやぁ…これは言わなあかんわ」


いつの間にか母が学校に電話したらしい。
Dが担任と他のクラスの先生に呼び出されていた。


Kも私の顔を見てビックリしてた。
「あんなバカは放っときゃ良いんよ。無視よ無視。それにしてもこの顔、可哀相すぎる😭」


クラスの班の男子にも「あんな酔っ払い相手にすんな❗あれは頭オカシイから」と言われた。


Dは調理実習の時、コッソリ料理酒を飲んだらしい(笑)
マズいだろうに(笑)


で、自分で酔った~ハッハーとか言いながらふざけてて先生に説教された(笑)
それ以来、クラスの男子からは酔っ払いと陰で呼ばれていた。


No.223

私は中2の頃から週2回、家庭教師に来てもらっていた。


初めて来た先生は20歳の男の先生だった。
何か陰気でオドオドしてる感じが…
でもまぁ、ちゃんと教えてもらえるなら…と気にしないようにした。


私は数学と理科が苦手だから、数学を主に教えてもらいたかった。
けどこの先生、社会が得意なのか、社会ばかりやろうとする。
確かに社会も苦手だけど。
それより数学…💧


テストは歴史なのに地理をやろうとする。
何なんだろう💧
母にやって欲しい科目をやってもらえない事を話した。
母は、もう少し様子見たら❓と。


テストが返ってきた。
歴史のテストは笑える点だった。
母「先生には社会を教えてもらってたハズなんですけどねぇ…ハハ…」


先生「これはいかんですねぇ😥」
いかんですねぇじゃないでしょ😩
テスト範囲の所をちゃんと勉強してないからじゃん💧


No.224

この先生、結構図々しいところもあった。


家庭教師の派遣会社と契約を切るように言ってくる。
派遣会社を通すと、給料のいくらかは派遣会社に払わないといけないらしい。
だから契約を切って全額こっちに回して欲しいみたいな事を言ってきた。


それと、勉強時間は2時間あって、1時間程すると母がおやつを出してくれる。
ケーキだったり、生菓子だったり色々。
そして勉強が終わる頃、「1人暮らしは大変でしょう」と母が晩御飯を運んでくる。
それを先生と私が2人で食べる。
それがいつもの事になっていた。


先生はいつも終わりの時間10分前になると勉強を終わらせて晩御飯を食べる準備を始める。
母は多めに作ってタッパーに入れて持ち帰るように言う時もあった。


私にはこの先生が、それが当たり前だと思ってるように見えた。
何か…この先生嫌…。
教えて欲しい所は教えてくれないし。


という事でチェーンジ‼
先生を変えてもらった👍


No.225

次に来た先生は19歳の女の先生で地元の人だった。


この先生は、英語と国語を主に教えてくれた。
数学もたまに見てくれる。
すごく楽しくて、先生が来る日が待ち遠しかった。


その頃、教育実習で大学生が学校に来ていて、この教育実習生と家庭教師の先生が同級生だという事が分かった。
その話で盛り上がった。


他にも、小中学校の先生で知ってる先生が居てまた話が盛り上がる。
好きな漫画を見せたり見せてもらったり。
お姉ちゃんが出来た感じがしてすごく嬉しかった。


今まではずっと先生が家に来ていたけど、ある日、先生が「うちに来てみる❓」と言ってくれた。
それ以来、週1回は先生の家で、残りの1回はうちで勉強をする事になった。


本当に楽しかった。
でも楽しすぎて雑談が多くて成績が上がらなかった💧
8ヶ月近く続けた辺りで、母に「先生を変えてもらうことにしたから」と言われ、その先生にはもう見てもらえなくなった。
すごくショックだった…


No.226

次に来た先生は19歳の女の先生。


主に数学を見てくれる。
雑談はほとんど無し。
解りやすく説明してくれるから、私にも理解できて成績が少しだけ上がった。


先生は分厚い問題集を持ってきていて、私はそれをどんどん解いていく。
ちゃんと勉強をするなら、私にはこの先生が合っていた。
この先生には中学校を卒業するまで見てもらった。


この時の私は
塾A 週2回
塾B 週3回
家庭教師 週2回
ピアノ 週1回
習っていた。


中学校を卒業してからはしばらく家庭教師はつけずに塾に通っていた。
次に家庭教師がついたのは高校3年生の時だった。


No.227

3年生になるとみんな進路とか決めてしっかり勉強をしている。


私は…
女子プロレスラーになるか(笑)仕事をするか迷っていた。
勉強嫌いの私。
中学を出たら働くつもりでいた。


Kも中学を出たら働きたいと言っていて「2人で一緒に働こうね。そして一緒に住もうね」と言っていた。
でも母に全力で止められた(笑)


母に高校へ行ったらどんなに楽しい事があるかとか色々聞かされた。
でもどれも魅力的じゃない。
働いたお給料で家を出てKと一緒に暮らす方が魅力的だった。


母に、人生そんな甘いもんじゃないとか色々言われた。


父は私の味方だと思っていた。
私の前では「好きにしたら良い」と言ってたから。
でも実際は違った。
母が「お父さん呆れてるよ。また○○(私)がバカな事言ってるわ。どうにかならんのんかって言ってるし」と言った。


父は私を怒らない。
私が何を言おうといつも笑ってる。
裏でそんな事言ってたなんて…
ショックだった。
裏切られたと思った。


No.228

母はいつも怒ってばかりだから母に本心を話す事はあまりなかった。
父は甘えさせてくれるけど、裏切られたという気持ちが大きくなって3年生になってからは父に本心を言うのを辞めた。


やっぱり私の味方は祖母だけ。
でも祖母も昔学校の先生をやってただけあって進学するように言ってくる。


私は3年の進路を決めるギリギリまで本気で働こうと思っていた。
担任と三者面談をしたら「この私立高校だったら推薦しますよ」と言われた。
母が笑いながら「この子、中学校出たら働くって言うんですよ(笑)先生、何か言ってやって下さい」と言った。


私は母の発言にイラっとした。
担任は「働くって大変な事なんぞ。ちゃんと分かっとるか❓」と聞いてきた。

私「はい」

担任「もう1回、しっかり話し合え」

私「はい…」


家族と話し合ってこの私立高校を推薦してもらう事にした。


No.229

選んだ高校は女子校。


A:特待生が居るクラス。
1クラス20人。
成績が上から3番目までは授業料免除。
上から10番までは授業料半額。
国公立の大学を目指すクラス。


B:授業内容はAと同じ。
1クラス30人。
四年制大学を目指すクラス。


C:ABより授業時間が少ない。
1クラス40人。
短大、専門学校を目指すクラス。


商業科:1クラス40人。
資格を取ったり就職できるように頑張るクラス。


私はBCコースの受験をする事にした。
Kも同じ高校を受験することになった。
Kもお母さんやお兄ちゃんに高校へ行くように言われたらしい。


No.230

受験日当日。
英語と国語は意外と簡単だった。
他はどうだったかなぁ…


面接は…めちゃくちゃ緊張した。
志望動機を聞かれた瞬間、暗記してたやつが吹っ飛んで頭真っ白。
自分でも意味の分からない事を口走ってて「あぁ…終わったorz」と思った。


塾で採点したら英語はなんと90点以上。
国語は80点以上。
普通のテストでもなかなかお目にかかれない点。
自分、スゴいじゃん‼と思った(笑)
「これAコースでも受かってたかもよ」と母に何度も言った(笑)


合格発表の日
家に合格通知が届いた。
「ヤッター‼受かった‼」


急いで祖母に見せに行った。
「良かったねぇ。早よお母さんにも見せておいで」と言われて急いで母に見せに行った。


母は「おぉ~❗受かったやん❗今日はご馳走にしようかねぇ」と言ってくれた。


嬉しかった。


No.231

ご馳走で思い出した💧


小学校6年のお盆休み。
母方の祖父母の家に来ていた。
祖父がプールに連れて行ってあげようと言うから、水着を持ってきてなかった私達姉弟は母に連れられて近所の商店街の水着屋さんへ行った。


そこでそれぞれ水着を買ってもらって、家に帰って祖父とプールに出掛けた。
更衣室で水着に着替えようとパンツを脱ごうとしたら、何か…パンツが赤茶色に…


えっ❓💧と思って恐る恐るもう一度見る。
やはり同じ色。


4年生の時に学校で女子だけ呼ばれて性教育があった。
でもそんなん随分先。
私には関係ない事と思ってまともに聞いてなかった。
だからどうすれば良いのか分からない💧


No.232

2つ下の妹に「ねぇ、これって生理なんかねぇ❓」と聞いてみた(笑)
妹が覗き込んで「そうなんじゃないん❓おじいちゃんに言った方が良いと思うよ」と言ってきた。


でも何て言ったら良いか分からないし、まぁ大丈夫だろうと思ってそのまま着替えてプールに入った。
(プールに居た方ごめんなさい)


2時間程遊んで帰って、母に「パンツに血がついてる。多分、生理だと思う」と話した。


母は「あらら💦いつなったん❓」と聞くから「プールに入る前」と答えた。

母「泳いだらあかんやん❗おじいちゃんに言うたら良かったのに」

私「何て言えば良いんか分からんかったんだもん」

母「おばあちゃん、私が使ってたパンツ残ってる❓」

祖母「ある思うよ」
押し入れをゴソゴソして毛糸のパンツみたいなのを発見。

祖母「これか❓」

母「そうそう。取り敢えずコレ履き❓」

私「うん」


No.233

母は子供の時、ガリガリだった。
おデブちゃんな私。

私「きっつ💦入らんわ」

母「アンタ太ってるからやで。アカンわ。新しいパンツ買ってくるわ」

祖母「ありゃ~入らんのかいな(笑)」


取り敢えず、持ってきていた普通のパンツに履き替えてナプキンを装着。
30分程して母が帰ってきた。
パンツ2枚と生理用品を持って。


祖母「今日はお赤飯炊かなあかんな」


夜、お赤飯が出された。
祖父と父がどうしたのか聞いてきた。
母が「○○ちゃん(私)なってん」と一言。父は「あぁ~❗」と。

祖父は「何❓」と。

母が「プールに入る前に大人の女性になってん」と言った。

祖父に「○○ちゃん(私)がか❓プール入る前に❓早よ言わな❗どうすることもできんが」と言われた。


何かめちゃくちゃ恥ずかしかった💦


私の事で学習した妹。
妹に生理が来た日。
母に「お赤飯は炊かんとってよ‼後お父さんにも言わんといてね‼」と言っていた。
妹の時はお赤飯は出てこなかった。
私の時と違って羨ましかった。


No.234

高校に通い始めた。
家が割と近かった5~6年生の時に仲が良かった友達と4人で待ち合わせをし、毎朝一緒に駅へ向かう。


電車で20分。
更にそこから20分程歩くと学校に着く。
私はBコース。『黒ブタ(笑)』と三姉妹の末っ子はCコース。
4人兄弟の子は商業科。
私は商業科の子と一番仲が良かった。
(KもCコースだったけど、Kの家はうちからかなり離れてるから、Kはいつも他の友達と学校へ行っていた)


その子に同じクラブに入ろうと誘われた。
今度はテニス。
学校から30分程歩いた所にテニスコートがあって、そこまで毎日歩いていかないといけない…


友達と見学に行った。
1年生は素振りと球拾いが主にやること。
入部届けを出す事になって、私も友達と一緒に出した。
顧問の先生は、Bコースの英語の先生。


No.235

私は帰って母に「○○ちゃんとテニス部になったからラケット買って~」と言った。
母は「ふーん」と言ってスポーツ用品店に連れて行ってくれた。
初心者だからと8000円のラケットを買ってもらった。


そして私はもう1つ、クラブに入部しようと思っていた。
それはそろばん部。
体育会系のクラブは毎日だけど、文化系のクラブは週1回だから掛け持ちができる。


私は小2くらいから中1までそろばんを習っていたけど、2級までしか取る事ができなかった。
1級も受けたけど、2回すべってそのままになっていたからどうしても1級が取りたかった。


そろばん部に見学に行ってみた。
先生は商業科の先生。
教卓でクラブとは関係ないテストの採点をしていた…
他の子達はタイマーをかけてひたすらパチパチやってて何だか陰気…


入部するのをやめた(笑)


No.236

翌日からクラブが始まった。
商業科の子は毎日6時間で授業が終わる。
でもA、Bコースは毎日7時間授業で、週2日は8時間授業。
8時間目が終わるのは夕方5時前だった。


それに対してテニス部は夕方5時まで。
全然間に合わない。
7時間目が終わって行っても4時半頃。
途中から行って準備運動や素振りをするだけじゃあ全然面白くない。
って事でずーっと行かなかった(笑)


英語(顧問)の先生が授業が終わったら時々私を呼ぶ。
「○○、お前たまにはクラブに顔出せよ。全然来んじゃないか(笑)」


「あ~…時間が無いんで。すみません。また時間がある時に行きます」
これを3年間通して、結局1度も行かなかった💧(笑)
ラケットはホコリをかぶった状態でいつまでもベッドの下に。


母が、ラケットせっかく買ったのに…勿体無い‼と怒っていた(笑)


No.237

入学してからしばらくは出席番号順に座らされた。
私は右から2列目の一番前。
両隣はもう友達ができてワイワイ言ってるけど、私は友達がまだできていなかった。


同じ中学出身の子は、4年生の時のあの日直だけ。ちょっと苦手…
私の後ろの子はムスっとしてて、全然笑わないし…💧
でも思い切って声をかけてみると、意外と普通に話してくれた。
名前はNちゃん。


Nちゃんの親友が休憩時間になる度に後ろの方から来る。この子はMちゃん。
私はMちゃんとタイプが似てるらしく、笑いのツボも同じで話すとよく盛り上がる。


私は毎日この2人と一緒に居るようになった。
出身中学を聞いてみると、隣町だった。
中学の時に練習試合をよくしてた学校。
「○○ちゃん知ってる❓練習試合の時によく一緒に話してたんだけど」と言うと、その2人の友達だった事が判明して、また盛り上がった。


No.238

NちゃんとMちゃんは幼稚園の時からずっと友達らしい。
だから何でも言いたい放題。
遠慮がない。


この2人と居るのが楽しくて、朝は同じ車両に乗って行くようにした。
帰りは方向が一緒の子みんなで帰るから10人くらいの大きなグループになる。


いつも乗る電車に乗り遅れた。
駅に着いて歩き始めると前にKが居る事に気付いた。
Kに声をかけて一緒に学校に向かう。


突然Kが「ごめん、ちょっと隠れさせて」と言ってきた。
どうしたのか聞くと、前にNが居るからと答えた。
続けて「私ら、中学校の時付き合ってたじゃん❓喧嘩別れみたいな形になったから気マズいんよね💦」と言ってきた。


えっ…💧
付き合ってたの❓
「付き合ってないからみんなにそう言っといて」って私に言ったのに❓
友達にそう伝えてしまった私の立場は❓


……ショックだった。
Kは私に嘘をつかないと思ってたのに…
裏切られたと思った。


No.239

ショックだったけど、顔に出さずに「そうなん…」とだけ言ってNが見えなくなるまでKを隠しながら歩いた。


それ以来、Kとはどんどん距離を置いていき、学校で会っても「おはよ」「バイバイ」としか言わない関係になっていった。
一緒に住もうと言うくらい仲が良かったのに…


それからすぐに春の遠足があった。
行き先は私が子供の頃から何度も行ってる島だった。
先月、水子供養に行った島。


島に着くと鹿が沢山居る。
その辺、フンだらけ💧
あちこち歩いてる内にお昼になった。
私はNちゃんとMちゃんと海の側の岩❓に座ってお弁当の用意をして食べ始めた。


そこに4人兄弟の友達が来た。
「こんな所に座っとん❓もぅ鹿だらけでゆっくり食べられんわ💢」って言うから笑ってると、横で何か変な感触が…


No.240

見ると私の真横に鹿が居て、私のお弁当を食べている😱💦
ギャー😨ってみんな逃げ出した。


最悪…
まだウィンナー1本しか食べてないのに…
おかずを鹿にほとんど食べられた⤵
友達は大爆笑。


仕方なく、残ってたご飯だけを食べた。
(2段弁当で良かった~💦)
うぅ~😭足りない…
ご飯にかかってた鮭フレークが有り難かった(笑)


帰って母に「鹿におかず食べられた💢」と言ったら「ありゃ~」と言いながら爆笑していた。


遠足にあの島は絶対やめた方が良い。
お弁当に限らず、食べ物を持ってたら追いかけられる。


そういえば、先月行った時は三男が服をかじられたらしい。
三男はその事を日記に書いていた(笑)


No.241

2年生になるとそろそろ進路を決めないといけない。
私は子供が好きだし、保母さんになろうかなぁなんて思っていた。
まぁ、なれなかったら家でアシスタントとして雇ってもらお…と安易な事も考えていた。


私の母は、少しでも私にプラスになるならと学校で役員をしていた。
そこで母が知り合った、私より1学年上の子の保護者。
ピアノの講師をしているらしい。


その人に「進路指導の先生はN先生が良いですよ。こっちから話しといてあげるからお嬢さんをN先生の所に行かせてみたらどう❓」と提案された。
N先生は娘さんの担任で50代の女の先生。
化学担当。


2年生になると、ビックリな事にこの先生が化学の先生になった。
初めての化学の授業が終わった後、先生に呼ばれて、翌日の昼休憩に進路指導室に来るように言われた。


翌日の昼休憩。
この先生の発言で私の人生は一気に変わった。
まさかこんな事になるとは…


No.242

軽い挨拶が終わったらすぐ本題に入った。
「で、どういう道に進みたいんですか❓」


私「子供の頃からピアノを習ってるので、それを生かして小さな子供達と触れあえるような仕事に就きたいと思ってます」
(保育士や幼稚園教諭という意味で言った)


先生「じゃあ、音楽の道に進むという事ですね。解りました。この辺では△△音大が有名ですよ。○○さん(この先生を紹介した保護者)はこの音大を出た方なので、色々と話を聞いたら良いですよ。こちらからも連絡しておきますから」
(先生は、ピアノの講師や学校の音楽の先生になると解釈)


私「はい。お願いします」
へぇ~。音大からも保育士や幼稚園教諭になれるんだぁ。知らなかったなぁ。
帰って母に音大を薦められたと話した。


No.243

私は小1からピアノを習っていたけど、本っ当に趣味程度でゆっくりゆっくり弾いていた。
普通の子が小3くらいで弾く曲を私は小6くらいで弾くという遅れ様。


素質がある子には厳しくする先生だけど、私は素質が無いから怒られる事がほとんど無かった(笑)
妹や弟は素質があったみたいで、よく怒られてたし、叩かれて椅子から落とされるなんて事もあった。


妹と弟は先生が怖いからと小4の時に辞めた。
私だけは怒られないから、ずっと続けていた。


私はかなり手が小さい。
小学生くらいの大きさしかないから、1オクターブがギリギリ届くくらい。
更に両手の小指の第一関節の骨が生まれつき内側に向いてるから小指が弱くてすぐヘニャってなる。
だから基礎の手の形を作るのに物凄く時間がかかった。


速く弾くのも苦手。
音に抑揚をつけたり曲に感情を入れたりするのも苦手。
先生に、歌うように弾いてと言われてもよく分からない。


No.244

そんな私が音大に行きたいと、ピアノの先生に母と話しに行った時は物凄くビックリされた。
「今から頑張っても間に合わないかもしれないよ❗死ぬ気でやらないと❗そんな覚悟ある⁉」と言われた。


「頑張ります」とだけ答えると、いきなり教本を増やされた。
今まで3冊しかやってなかったのが5冊になった。
「1曲、1週間~10日で仕上がるようにやっていくよ❗本気で頑張ってよ❗」と言われた。


週1回通っていたピアノ教室を、週3~4回通う事になった。
練習時間は週3時間くらいだったのが、1日4~5時間練習するように言われた。
先生は鬼のように厳しくなったし、練習時間が長い…
「頑張ります」とは言ったものの不安になってきた。


No.245

ある日、N先生を紹介してくれた保護者の方(Tさん)が学校を見学しに行きましょうと言って、音大に連れて行ってくれる事になった。


Tさんと母と私。
3人で電車に乗って行った。
1時間程電車に乗って、そこから30分程歩いたら学校が見えてきた。
学校があるのは街中。
隣には教会があって、そこで入学式や卒業式をする事を教えてもらった。


学校は見た目は大きな会社という感じ。
中に入るとすぐロビーで、ソファーが沢山ある。
奥の方はガラス張りで中庭が見える。
すごく綺麗。


ロビーの端の方にはグランドピアノが置いてあった。
時々ロビーコンサートをやるらしい。
だからソファーが沢山ある。


受付へ行って見学させて欲しいと申し出たらすぐに許可が下りた。
エレベーターに乗って色んな階へ行ってみた。


No.246

3畳程の練習室が何部屋もあった。
1つ1つの部屋にピアノ(アップライト)が置いてある。
練習室に入ってすぐの所に小さな機械があって、そこに練習室カードを入れないと電気が点かない仕組みになっていた。


上の方の階へ行くと広い部屋があった。
その内の1つからパイプオルガンの音がしてくる。
ノックして開けてみると、3人でパイプオルガンの練習をしていた。


Tさんが「せっかくだから弾かせてもらったら❓」と言ってきた。
パイプオルガンなんて触った事が無い。
どうやって弾けば良いんだろう…


取り敢えず、習い始めたJ.Sバッハの三声の曲を弾いてみた。
メチャクチャ響く。
上手な人達の前で下手くそな私が弾くのは恥ずかしかった。
パイプオルガンを弾いていた3人は宗教音楽コースらしい。


パイプオルガン良いなぁ…
これをジャンジャン弾いてたら絶対格好イイ👍
私は宗教音楽コースも受験する事にした。

No.247

別の日。
Tさんが今度は「私の後輩で、学校で助教授をしてる人に会わせてあげる」と言ってきた。


電車で2時間、更にそこから40分程歩いた場所にその助教授の家があった。
色々話していく内に、音楽理論とソルフェージュ(聴音と初見)、コールユーブンゲン(歌)を見てくれる事になった。


毎週日曜日の午後、ここへ通わなければいけない。
往復だけで5時間以上かかる。
あまりの距離に「嫌だなぁ…」と思った。
でもそんな事は言えない…💧
助教授とTさんにお礼を言った。


ピアノの先生に助教授に教えてもらえる事を話した。
先生は「良かったじゃない。そこの学校の先生に見てもらえるなんて」と喜んでいた


ピアノの先生には週1回、聴音と歌を。
週2~3回はピアノを見てもらっていた。
それに加えて助教授には週1回、音楽理論などを見てもらう。3時間みっちりと…


忙しい日々になってきた。


No.248

私は歌も苦手だった。
息が続かない。
変な所で息を吸ってしまうか、息が続かなくてブレスの直前が変な声になるかのどっちかだった(笑)


ピアノの先生が今度は歌の先生を紹介してくれた
そこへ週1回通う事になった。
夜8時からのレッスン。


ピアノや歌、音楽理論以外に塾にも通っていたから、毎日全く休む暇がない。
学校から帰ったら夜9時までピアノの練習をしていた。
そんな中、更に習い事が増える事になる。


ピアノの先生の先輩に月1回、ピアノを見てもらう事になった。
先生の先輩の家は電車で1時間。そこからバスで30分。
ちょっと遠い。
しかもレッスンは日曜日だと言う…助教授との勉強の日とかぶる。


No.249

朝6時半の電車でピアノの先生の家に向かって、レッスンが終わったらバスで駅まで戻る。
そこから1時間電車に乗って40分歩いて助教授の家に向かう。
帰ってくるのは夜9時頃だった。
習い事が重なった日曜日はヘトヘト。


この学校は受験が1回だけじゃない。
夏期講習、冬期講習、入試の3回受けられる。
その内、一番点数が高かったのを受験結果としてくれる。


しかも英検を持っていたら点数と見なすから英語の試験を受けなくても良い。
英検3級→60点、準2級→70点、2級→80点、準1級→90点、1級→95点
という具合。
私は2年の時に3級、3年の時に準2級を取った。


2年生の夏、夏期講習に参加する事になった。
同じ高校から来てる子が1人居た。
その子はピアノコースを受けるらしい。
私は音楽教育コース。


その子は学校でピアノ部に入っていると言っていたから、私も2学期にピアノ部に入った。


No.250

音大に行くと決めてから半年が経った。
今までのんびりだったピアノが一気に進んだ。
それまではあまり練習もしてこなかったのに急に練習するようになったせいか、手の甲が痛くなり始めた。
腱鞘炎になりかかっているんだろうとの事で、練習時間を少し減らす事になった。


痛みを気にしながら弾くから、手がウマく基礎の形にならない。
何だかどんどん下手になってる気がする。


何度練習しても同じ所でつまずく。
スランプというものが来てしまった。
教本が進まない。
1週間~10日で仕上げてた曲が、2週間経ってもできない事があった。
先生には怒られるし、ウマく弾けないしでかなり焦る。


辞めたいなと思っても、ここまで来たらもう辞められない。
前に進むしかなかった。


No.251

子供の頃はストレス発散や趣味で弾いていたピアノが、今度は逆にストレスになっていった。


でも嬉しい事もある。
小さい時、高校生や大学生のお姉さん達が弾いてた憧れの曲を自分で弾けるようになった。
相変わらず感情を込めて弾くのは下手だけど。


3年生になっても、忙しい毎日が続いていた。
そんなある日、Tさんから家庭教師の話が出た。
娘さんの家庭教師をしていた人に(英検を受けるために)英語を見てもらったらどうかと言われた。


その先生は帰国子女。
ご両親はお医者さんらしい。
母が見てもらえるよう頼んでくれた。
習い事がまた増えた…
習い事が2つ重なる日は週3回。


ピアノの先生の家は近いから、事情を話すと夜8時とか8時半からでもレッスンをしてもらえた。


家庭教師の先生は2ヶ月程経った頃に留学する事になって、あっと言う間に居なくなってしまった。


No.252

休む暇がほとんど無いと、たまに体調が悪くなる事もあった。
でも学校の友達と居る時間が楽しくて楽しくて熱があっても学校に行っていた。
お陰で高校は3ヵ年皆勤(笑)


入試の日。
入試も夏期講習や冬期講習とほとんど変わらない。
2年の時の夏期講習からもう5回目という事で結構慣れていた。
日程表を見ると、私は自分が受けるコースの中で1番にピアノを弾く事になっていた


ピアノの試験の部屋に入ると教授や学長が7人ズラッと座っている。
焦った💦
夏期講習や冬期講習では1人の教授が居るだけだったのに…


私は課題曲とピアノの先生が選んだ12分くらいのモーツァルトの曲(自由曲)を弾く事になっていた。
課題曲は緊張のあまり音がパラパラしてしまった💧



No.253

続いて自由曲。
ちょっと落ち着いてから弾き始めた。
イイ感じ👍
最後のテーマ(長調)に入る瞬間、何を思ったのか短調になってしまった😱
パニックで頭真っ白。
ヤバい💦
でも短調になった数秒後に「はい、良いですよ」と言われ、終わった。
ホッ💨


私がお辞儀をして部屋を出ると、何故か3人の教授も出てきた。
他の人は4人の教授に見られながらピアノを弾いている。
えっ💧何で私だけ7人…❓


その後も英語、国語、小論文。
それから聴音やコールユーブンゲン、歌と次々こなしていった。


最後に面接。
私は音楽教育コースと宗教音楽コースの両方を受けるから、両方の事を話さないといけない。
面接をする教授は学長や主任など合わせて7人。


No.254

ピアノの時もそうだったけど、こんなに人が多いと緊張する。


面接では、音楽教育の方はうまく自分の思いを話す事ができた。
でも宗教音楽の方は…関わった事が無いから実は何も分からない💧
前に何度かミサ曲を聞いた事があったからその歌が凄く良かった事と、見学に来た時にパイプオルガンに触れてみた時の感動を話した。


教授達は終始笑顔。
無事に終わった。


レッスン日じゃなかったけど、ピアノの先生に試験が終わった事を伝えに行った。
先生は「どうだった~❓緊張した❓」と聞いてきた。
続けて「○○ちゃん(私)は全然音大に行くようなレベルではなかったけど、それを承知で全力でやってきたもんね。もし受からなくてもそれはそれで仕方ないよ」と言われた。


私もそれはよく解っていた。
受験までの2年弱で小学生レベルから一気に高校生レベルに進んだ。
子供の時から音大を目指したり、コンクールに出てるような子とは全然違う。


No.255

合格発表の日。
なんと両方とも受かっていた。
私は第一志望の音楽教育コースの方に進む事にした。


ピアノの先生に報告すると泣いて喜んでくれた。
そして「合格して終わりじゃないんよ。ここからがスタートだからね。燃え尽きて終わってしまわないように頑張るんよ❗」と言われた。


一緒に受験したピアノコースの子も受かっていて、春から駅で待ち合わせして一緒に通うことになった。
高校の時の親友達も同じ市内の大学に合格していて、同じ電車で通うことになった。


クラスのほとんどの子が推薦入試を受けていたから早くに結果が判っていて、3年生最後の方は車の免許を取りに行ったり遊んで暮らしたり。
私は推薦枠が無い学校を選んだから、最後まで忙しくて遊ぶ暇も車の免許を取る時間も全く無かった。


No.256

教育コースは入学するとすぐに副楽器を決めないといけない。
弦楽器、管楽器、打楽器…色々ある。


私は息が続かないから、管楽器はまず無理だと思った。
打楽器…リズム感が悪いからチョット…
そうすると弦楽器しかない。
チェロの音が好きだからチェロが良いと思ったけど、意外と大きいから手が小さい私には難しいかも…
ヴァイオリンはキーキー高い音が苦手。


という事で、私はヴィオラを選んだ。
楽器屋さんへ行ってヴィオラを見せてもらった。
全くの初心者だから、自分に合った物をお店の人に探してもらった。
選んだのは20万円のヴィオラ。
深い音がして気に入った。


母が鼻の穴を広げながら「20万⁉大事に使ってよ😒」と言ってきた。
お店の人が使い方を教えてくれて軽く弾いてみる。
全然ウマく弾けない(笑)
ドラえもんのしずかちゃんがヴァイオリンを弾くのと同じような感じ(笑)


帰って嬉しくて弾きまくった。
父にうるさいからやめてくれと言われた😭


No.257

コース別に部屋に集められてコース主任の先生から、これからについての話しがあった。
音楽教育コースは18人。
当たり前だけど知ってる子は1人も居なかった。


周りを見るとみんなピアノが上手そう…
私と違って勉強や歌もよく出来るんだろうな…
そんな事を思いながら主任の話しに耳を傾ける。


資格やどういった仕事に就けるかという話しをし始めた。
在学中に教員免許を取ったら中学・高校の音楽教員になれる事が分かった。
教員免許を取らなくても、卒業して子供達に自宅でピアノを教えるピアノ講師になる事もできる。
カワイやヤマハなどの音楽教室で講師として働く事もできる。


最近は2年生辺りからパソコンの資格を取ったりして音楽とは全く関係ない所に就職する人も増えてきている。


仕事についての話しはそれで終わった。



No.258

あれ……❓
幼児関係の就職は❓
もしかして幼稚園や保育園の先生にはなれないの…❓


その時初めて気付いた。
幼稚園や保育園の先生という選択肢がない事に。
そして高校の時の進学指導の先生とちゃんと話が通じていなかった事に…


でも進んでしまったものは仕方ない。
もう後戻りはできない。


気付くと周りはみんな楽しそうに話したりしている。
学校のすぐそばに女子寮があって、他県から来てる子のほとんどがその寮に入っていた。だから寮の子は寮の子同士仲が良い。


他の子達もそれぞれ同じ高校出身だったりで、楽しそうに話してる。
私は1人ポツンとしてた。


教育コースでは仲の良い友達っていうのがすぐにはできなかった。
私はいつもピアノコースの友達と一緒に居て、その友達の友達、またその友達と一緒に行動していた。


No.259

ピアノコースの友達には声楽コースの子も居た。
私はその子と仲良くなって同じサークルに入った。
ドイツリートっていう、ドイツの歌を歌うサークル。
十数人中、4年生の男の先輩と私以外はみんな声楽コースの人達だった。
先生は声楽の先生で、旦那さんがドイツ人でドイツ語ペラペラ。


新入生歓迎会があった。
ピアノ、副楽器、サークルの計3回。
未成年だけど少しだけならと3回ともアルコールを注文した。


私は中学生の時に夜中に試験勉強をしていて、ちょっと休憩ってリビングに行った。
父と母がコタツで寝ていて、コタツの上にはワインと梅酒が置いてあった。
ちょっとだけ…と思って50mlくらいずつ飲んだ。
少しして、吐きそうになってトイレにこもった。顔色は青白い。
頭痛はするし最悪。勉強どころじゃない。
悪酔いというやつを経験した。


それ以来、アルコールは飲まないようにしていた。
また悪酔いしたら嫌だから…


No.260

サークルの新歓は声楽の友達と一緒に座った。
その子はアルコールを飲むのが初めてだと言う。
割と飲みやすいカシスオレンジを2人で注文する事にした。


友達は「おいし~🎵」って2杯、3杯と次々飲んでいく。笑い上戸なのか、ずっとヘラヘラ笑ってる。
先輩達も「大丈夫❓💧」と聞いてるし、私も「そろそろ止めといたら❓」と言っても「大丈夫大丈夫❗」と。
でも呂律が回ってない。
私は1杯目で顔が真っ赤になったからそれ以上は飲まなかった。


帰る時間になった。
9時近くになってたから駅まで路面電車で帰る事にした。
友達はフラフラしてる💧


路面電車の中で「お酒っておいしいね🎵」とヘラヘラ笑いながら言ってくる。
「そうだね」とか適当に相槌を打ちながら駅に向かった。


No.261

駅に着いてホームに向かった。
階段を降りてると電車がもう来てる事に気付いた。人もいっぱい居る。
「もう電車来てるよ」と言いながら私が先に乗った。


続いて友達が…
電車の段差につまずいて電車にドタァと倒れ込んだ💧
みんな「えっ❓💦」って感じで見てる。


友達はなかなか起きあがらずそのまま倒れたまま…
「大丈夫…❓」と引っ張り起こすと「大丈夫。何が起きたんか分からんかった。でも顔がひんやりして気持ちいいなぁって思って(笑)」と笑いながら答える。


………
「そうなん💧あんまり飲み過ぎるとそういう事になるから気を付けてね」

「うん」


アルコールで赤くなっていた私の顔は、恥ずかしさで更に赤くなっていたと思う。


友達は途中の駅で降りて帰って行った。
お父さんに迎えに来てもらうよう、電車に乗る前に言っておいて良かった。


No.262

私はその頃、人生で一番太っていた。
高校生の時からの不規則な食生活から抜け出せていなかった。
身長(m)×身長(m)×22=平均体重っていう計算式に当てはめると、平均体重より14kg重い。


6月頃にはしょっちゅう心臓付近が痛くなっていて「このままじゃ死ぬ❗本気でヤバい」と思い始めていて、夏休みに入ってすぐダイエットをスタートさせた。


朝起きてすぐ、ベッドの上で腹筋30回。
足上げ(足を30゜~60゜の往復)30回。
逆自転車こぎ30回。
腕立て伏せ30回
背筋10回。


歯磨き中は階段で踏み段昇降30回。
かかと上げ30回。


朝ご飯はヨーグルト、果物、野菜ジュースそしてビタミン剤。
朝食後はダンベル体操3種類、それぞれ30回。


お昼ご飯はゆで卵2個、野菜ジュース、ビタミン剤。


No.263

バレエを習ってる子がやってるような基礎練習❓(足を上げたりするやつ)を30回。


ラジオ体操。
昼ドラを見ながらダンベル体操3種類×30回。
首回し3種類3セット。


夕方。
起きてすぐのメニュー+ダンベル体操。
散歩1時間。


晩御飯は野菜多めで普通の量の食事。
お風呂に入る前にダンベル体操。


っていうのを1ヶ月続けたら9kg減った。
身体も締まって今まで着てた服がダボダボに。近所の人や親戚にも痩せたねと言われて嬉しくなった。


更にそこから半月程ダイエットを続けて3kg落として随分スッキリした。


結構髪も伸びてたから美容院に行って肩の上辺りまで切ってもらった。
「カラーリングします❓」と聞かれ、人生初めて髪を染める事にした。


美容師さんに「なるべく目立たない色でお願いします」と言うとダークブラウンを選んでくれた。
出来上がるとちょっと別人みたいでワクワクした。


No.264

帰って母に「見て❗染めてもらった❗」と言ったら「良いんじゃない❓あんまり目立たない色だし」と言ってくれた。


嬉しくて祖母にも見せに行くと「染めたんね⤵染めたら不良みたいでおばあちゃんは嫌だわ。○○ちゃんは黒い方が似合うよ」ガッカリした。
でも染めてしまったもんは仕方ない。
しばらくはこのままで居るよ。


夏休みが終わると、コースのみんなも髪型が変わったりカラーリングしたりと随分オシャレになっていた。
でもやっぱりコースの中で一番変わったのは私だった。


コースのほとんどの子に「痩せたね❗」「どうやって痩せたん⁉」「変わったね❗」などと言われた。
それから少しずつコースの子とも仲良くなっていった。


No.265

後期からはコースの子達と一緒に居る事が多くなった。
飲み会とかもよく誘われたけど、私は家が遠いから断ったり途中で抜ける事が多かった。


寮の門限は夜9時で、8時半までに寮に連絡を入れたら延長できる。
最終門限は夜10時。
寮生は10時までに帰れば良い。


他の子は家が割と近かったり1人暮らししてたから、深夜まで遊ぶ子も居た。


私はというと…
地元の駅に着く最終電車の発車時間は10時頃。
学校の近くに居る場合は9時過ぎには帰らないと間に合わない。


私はそれが不満だった。
学校の近くで1人暮らしがしたいと両親に話したら「自分の事もまともにできんのに1人暮らしなんてできるわけない」と言われた。
「どうしても1人暮らしがしたかったら寮に入りなさい」とも…


No.266

例え友達が居ても寮は嫌だった。
理由はルールや当番があるから。
掃除当番や食事当番、ミーティング、テレビを見る時間、門限など。
面倒くさい…


お昼は寮で給食があるから寮に帰らないといけないし、食事当番の人は配膳などしないといけないらしい。


部屋は6畳でベッドと机があるだけ。
こんな生活、私には無理だと思った。
だから1人暮らしがどうしてもしたくて仕方なかった。


前期は寮に居た子も、寮のルールなどが面倒くさくて後期からは1人暮らしにしたっていう子が5人居た。


でも両親は断固ダメだと言う。
その事で時々喧嘩になっていた。


大学生になってからの私の小遣いは月1万円だった。
その中からケータイ代を出すように言われてた。
当時は今みたいに割引プランはほとんどなく、基本料4千円前後+通話料で毎月7~8千円はケータイ代で無くなっていた。


実質、私の小遣いは2~3千円だった(笑)

No.267

母と喧嘩をした。
「自分の事もまともにできんくせに❗自分で稼げるようになって好きな事やんなさいよ❗」


私はその言葉にイラっとして、前から気になっていたアルバイト募集してるお店の前でお店の電話番号を控えた。
そして高校の時の友達に付き添ってもらってお店から数十メートルくらい離れた場所から電話した。


忙しくなさそうな時間に
「お忙しい時間にすみません。アルバイト募集の貼り紙を見たんですが…」と連絡した。


翌日面接を受けることになった。
履歴書を持って来て欲しいって言われたから、履歴書の用紙を買って写真を撮って着々と準備をした。


面接を受けたら、来週から来るように言われた。
私が選んだお店は駅に入ってるカフェだった。


帰って母に「私、アルバイトする事にしたから。面接も受かって来週から来るように言われた」と話した。


母「ふ~ん。水商売ね⁉」

私「違う❗カフェ。喫茶店」

母「あっそう。好きにすれば。でも本業は学業だからね❗」


No.268

12月からアルバイトを始めた。
社員さんは3人で、1人が店長、残り2人は副店長。
制服を着てお店に入ると、アルバイトの人はキッチンに2人、ホールに2人居た。
3歳上の人が私の教育係になった。


すごくよく気が付く人で、優しくて真面目で色々と教えてくれる人だった。
みんなからは『姉さん』と呼ばれていた。
姉さんは5人姉弟の一番上らしくて、面倒見も良い。


私は姉さんと私と1日違いで入った子と一緒になる事が多かった。
私と同い年の子は8人。
アルバイトが終わった後、更衣室で話したりするのが楽しくて、毎日でもアルバイトがしたかった。


その内、私も慣れてきて色んな時間帯に入るようになった。
一番苦手だったのは朝8時からのシフト。
6時半の電車に乗って行かないと間に合わない。


6時半からのシフトもあったけど、始発で行っても間に合わないから私は6時半のシフトには出た事が無かった。


No.269

8時からのシフトに入ると、30代後半の苦手なオバサンが居た。
口ばっかりで全く動かない💧


お客さんが来たら
「はい、おひや2つ出して❗」

お客さんが帰ったら
「はい、下げてテーブル拭いてきて❗」

料理ができたら
「はい、これあそこの席に持って行って」

ずっとこんな調子。
いつもお客さんが少なくなってきたら、姉さんや社員さん達に拭き掃除をするように言われてたから拭き掃除を始めると、私の横についてベラベラ喋ってきて邪魔をしてくる。


姉さんや社員さんには私語は禁止って言われてたけど、このオバサンの方が先輩だしずっと無視するわけにもいかず、軽く返事したりしていた。


社員さんが私の方を見て「○○(名字)ちゃん、口は良いから手を動かす❗」と言ってきた。
すぐ社員さんに「えっ❓私ですか❓💧だって○○さんが…」って言いかけたらまた社員さんが「はい、手を動かして」と言ってきた。


No.270

何だか腑に落ちなかったけど「はい」と返事をして掃除を始めた。


オバサンが帰る時間になった。
時間になったと同時に社員さんがすぐ「○○さんお疲れ様でした~」と言った。


オバサンはまたベラベラ喋り始めた💧
社員さんは苦笑いしながら「はい、お疲れ様です~」と言ってサッサと帰らせようとする(笑)


オバサンが帰った後「あの人いつもあんな感じなんよ。困っとんよね」と社員さんが私に言ってきた。
「さっき、私が掃除してたら横につかれてベラベラ喋ってきたんでどうしたら良いのか分からなくて合わせてたんです💦」と言うと「分かっとるよ。そんなん見てたら分かるし。あの人が喋ってきたら無視していいよ」と言われた。


キッチンに居るアルバイトの人達もこのオバサンを嫌ってるみたいで、結構冷たくあしらっていた。
姉さん以外の人はみんなこのオバサンを嫌ってるらしい。


No.271

私はそんなオバサンに好かれてるらしい💧
一緒のシフトになると必ず私に話しかけてくる。
そして持ってきたおやつやジュースをくれる。根は良い人なんだろうけど…


オバサンがベラベラ喋り始めると社員さんが助けてくれた。
社員さんが私に用事を頼んでオバサンから離す。


そんなオバサンが辞める事になった。
母親の介護で忙しいらしい。
最後の日に「これ、有名なお店のシュークリームなんよ」とみんなに持ってきてくれた。
私にも「後で食べてね」と言ってくれたけど、実は甘い物が苦手な私。
シュークリームは苦手を超えて嫌いな方だった。
笑顔で「有難うございます😃後で頂きますね」と言ったけど、結局食べられず他の人にあげた…


No.272

アルバイトを始めて3ヶ月くらい経った頃に、社員さんからキッチンでの仕事もしてみないかと言われた。
キッチンの人数が足りないらしい。
キッチンは6人+社員さん3人が入れ替わりでやってる。


それに対してホールの方は20人近く居たから溢れてる状態。
私は不器用だから不安だったけど、キッチンのアルバイトの人達が丁寧に教えてくれて作り方を覚えていった。


忙しかったり手の込んだ事は社員さん達がフォローしてくれる。
私はキッチンとホール、両方をするようになった。


普段は学校帰りの夕方5時~9時半までアルバイトしていた。
土日は朝8時からだったりお昼12時からだったり。


時々、朝8時~夕方6時やお昼12時~夜9時半までっていう2つのシフトが重なってる時もあってクタクタになっていた。


その分、給料の貰える額も上がる。
時給は700円。
学校が忙しい時期は月4万円くらいで長期休暇に入ると交通費込みで10万円くらい貰えた。


No.273

私はアルバイトを始めてからお小遣いを貰うのをやめた。
ケータイ代、化粧品、服、バッグ、靴、外食代は全部自分の給料から出すようになった。時々、定期券代も自分で払っていた。


春休みに入る頃、思いっきりアルバイトしようと思ってシフトの変更届けを出さなかった。
出来上がったシフト表を見ると、朝8時~夕方6時やお昼12時~夜9時半までのシフトが多かった。


よし❗頑張ろ❗って思っていた矢先、母が入院する事になった。
子宮筋腫の手術をするからしばらく家の事をして欲しいと頼まれた。


えっ…💧もうシフト表出来てるから今から変更は厳しいし…どうしよう😥
社員さんに母が入院する事を話しラストまでのシフトは他の人に代わってもらった。
夕方6時までのシフトには入る事になった

No.274

学校帰りに夕食の買い物をして帰宅。
すぐに掃除して夕食の準備。
食べ終わったら妹と洗い物。
それが終わったら洗濯。
母に頼まれてた町内会に配る封筒の準備。
1人で配りに行こうと思ったけど、父が着いてきてくれた。
夜12時、封筒配り(玄関ポストに入れるだけ)


翌朝、朝食準備。
学校➡帰宅
掃除、夕食準備。
妹と洗い物。
洗濯。


春休み。
父に朝食のみんなのパンを託して朝6時過ぎに家を出てアルバイトへ。
夕方7時半帰宅。
夕食準備
妹と洗い物
洗濯
⬆を1週間程続けていたら母が退院した。
母のお見舞いには1回行っただけだった。


私は母に対してイライラしていた。
もっと早く入院するって分かっていればシフトの調整だってできたのに。
春休みに入ってから入院したら良いのに何でまだ学校がある時に入院するかなぁ…


母は「ありがとう。助かったよ」と言ったけど私は素直になれなくて「ふん😠」っていう感じだった。


No.275

母が「アルバイトを休んで頑張ってくれたから、その分のお金渡しとくね」と言ってきた。


私はまだ素直になれなくて「要らない😠」と言った。
母は困った顔をしていた。


休日に父が珍しく私に買い物行こうと言ってきた。
デパートに連れて行ってくれて「何でも好きな物を買いなさい。この前、家の事を頑張ってくれたからご褒美」と言われた。


私はまた素直になれなくて「要らない」と言った。
父は「まぁ、そんな事言わんと。靴でも買ったら❓」と言ってきた。


私は「うん…」と言って適当に靴を見た。
でも欲しい物がない。
父は普段、買い物に来る人ではない。
そんな父がわざわざ来てくれてるし選ばないのも何だか悪い気がして、履きやすそうな安い靴を選んだ。


父「それで良いん❓」

私「うん」


私は親不孝物。
その靴は1回履いただけで後はずっと下駄箱の中で眠っていた。


No.276

私は大学1年の6月に初めて自分のケータイを持った。
ケータイ自体は高3の時から持っていたけど、そのケータイは家族の物でみんなが交代で使っていた。
家にあるケータイは2台。
同じ機種の色違い。


私は習い事で夜遅かったり遠くに行く事が多かったから、1台はほとんど私が使っていた。


その頃のケータイっていうのはまだインターネットは出来なかったし、画面もモノクロ。
でもショートメールの機能はあった。


私がケータイを持つのと同時に母も契約して、家にあった2台のケータイはそれぞれ妹と弟が使う事になった。


私は請求書に同封されてある広告に載っていた友達広場のような音声掲示板をよく利用するようになった。
色んな人と話すのが楽しくて、どんどんハマっていく。
利用する度に通話料がかかるから、請求額が一気に上がって1万を超えることが増えた。



No.277

利用を少し控えようと思って、相手の人達と番号交換をしてショートメールをするようになった。
ショートメールの送信料1回10円。
通話料よりは安い。
でも毎日何通もメールのやり取りをしていたらやはり結構な額になってしまう。
小遣い1万円から出すのはキツかった。


それでもメル友と話すのは楽しくて、常に3~5人のメル友が居る状態。


私は会ったりするのが嫌で、わざと県外の人とメールをするようにしていた。
そんな中、1ヶ月以上毎日メールしてた人が実は同じ県内の人だという事が判った。
やってしまった…orz


地域ネタで盛り上がる内に、突然会おうと言われた。
何とか誤魔化して逃げようとしたけど、結局会うことになった。
憂鬱…💧


No.278

相手は私より5歳上の23歳。無職。
20歳の時に国立大学を中退して、しばらくフリーターをやってたけどそのアルバイトも辞めて今は遊んで暮らしてると聞いた。


住んでる場所は私が通ってる大学のもう1つの校舎(普段通ってる学校とは違う地域にあって、週1回そこで授業を受ける)の近くに住んでると言う。


人通りが多い所が良いと思い、普段通ってる方の学校がある大きな駅で待ち合わせする事になった。
親にもメル友に会ってくると言って出掛けた。


お昼1時待ち合わせ。
時間になっても来ない…
毎日寝るのが朝方4時頃の彼。
まさか寝てるんじゃ…と思い、電話してみた。
出ない…💧


少し経ってまた電話してみたら今度は出てくれた。
でも寝ぼけた感じで「ごめん、今起きた」の声。
前日、寝坊せんといてよって言って「分かってるって」と言っていたのに(笑)



No.279

「じゃあ、今日は会うのやめよ。また今度ね」と言ったけど、彼は今からすぐ行くから待っててと言ってきた。


急いで来ても30分はかかる。
私は駅ビルで時間を潰すことにした。
30分経った辺りで待ち合わせ場所に行ってみたけどまだ来てないっぽい。
更に10分待っても来ない。


渋滞に巻き込まれてんのかなと思って電話してみた。
私「後どれくらいで着きそう❓」

彼「20分くらいかな❓」

私「えっ💧車混んでる❓」

彼「ううん。お風呂入ってたから遅くなった」

私「お風呂⁉そっかぁ…💧じゃあ、気を付けてきてね…」

彼「うん」

待ち合わせに遅れてんのにお風呂に入る余裕があるのか…💧


3時頃になってやっと来た。
今のケータイみたいに写メの機能が無い時代。
お互い、服装を教え合ったり車のナンバーを聞いていたからすぐに判った。
「遅れてごめん。二度寝してもうて。まさか寝坊するとは思わんかった。ハハっ💦」


No.280

まぁ、誰にでも失敗はある。
「気にしなくて良いよ👍」


彼が行きたい所あるんだけど…と言ってきた。
良いよ~と言って歩いて着いていく。
着いた場所は駅のすぐ近くにある場外競馬場だった。


初めて行く場所。
私は場違いな感じでかなり戸惑った。
彼「好きな番号言って」

私「3❓」
当たらなかったらしい(笑)


その後、また行きたい場所があると言われ車で移動する事になった。
着いた場所はデパートだった。
「サイズ直し頼んでて取りに来るの忘れてたんよね」


少しデパートの中をウロウロして食事をしようという事になった。
地下に友達と行った事がある海鮮丼屋さんがある。
しかもリーズナブルなお値段。
相手が無職だという事を考慮して、そこに行こうと提案した。


No.281

いつもはメガネをかけていない私。
授業で後ろの方に座る時くらいしかかけなかった。
視力は右が0.2で左が0.1。
曇ってる日や夜は見えにくいからバッグの中には常にメガネを入れていた。


当日は曇りだった。
車のナンバーが見えにくかったから、駅に着いてからずっとメガネをかけていた。


彼と一緒に食事をしてる時「メガネかけてたらAV女優みたいだね」って言われた。
ポカーン(゚Д゚)
そんな事初めて言われたわ💧


「そうなん❓💧」
私はAVなんて見たこと無いし、そんな事言われても反応に困る💧


彼「うん。教師ものとかそんなメガネかけてるから」

私「へぇ…💧」

彼「ねぇ、俺の第一印象どう❓」

私「う~ん。普通かな。想像してた通りと言うか、楽しいお兄さんって感じかな(笑)いつものメールでの雰囲気そのままだからね(笑)」

彼「そうなんじゃ~ハハっ(笑)」


No.282

時刻は夕方5時半過ぎ。
母から電話がかかってきた。
母「今どこに居るん⁉」

私「○○の地下のお店でご飯食べてる」

母「早く帰ってきなさいよ⁉」

私「うん。もう少ししたら帰るよ」


彼に、母から早く帰るように電話があったと話した。
彼「お母さん、心配性なんじゃね」

私「そうなんかなぁ」

彼「女の子だし、そうじゃろ❓俺なんか、親父に早く出ていけって言われてるからなぁ。親父は俺の事嫌ってるから」

私「そうなん…💧○○君は23歳だし、親はそろそろ定職に就いて欲しいって思ってるんじゃないの❓」

彼「そうなんよ。それは解っとんだけど今の生活から抜けるのがなかなかね(笑)」

私「ハハっ(笑)まぁ、頑張ってよ。まずは早寝早起きから始めないとね(笑)」


そんな感じでずっと話していた。
何でも話せるお兄ちゃんって感じがして、私はこの人とのメールが一番楽しくて毎日毎日メールし続けた。
相手は無職。時間はたっぷりある。


No.283

彼が車で家まで送ってくれる事になった。
駅までで良いって言ったけど、雨が降り始めて私は傘を持ってなかったから送ると言ってくれた。


6時頃、また母から電話があった。
母「今どこ⁉」

私「車で帰ってるところ。家まで送ってくれるんだって」

母「駅で降ろしてもらいなさい」

私「雨が降ってるから送るって言ってるけど…💧」

母「何を言っとんね⁉傘くらいコンビニででも買えるでしょ‼駅で降ろしてもらいなさい」

私「はい…」


私「ごめん、やっぱり駅で降ろしてもらえる❓お母さん、怒ってるっぽいから💧」

彼「もう暗いし1人で帰る方が危ないわ。厳しいお母さんじゃね(笑)ちゃんと家まで送り届けますって(笑)」

私「ハハっ(笑)ありがとう」


No.284

また10分程して母から電話があった。
母「ちゃんと駅で降ろしてもらった❓」

私「ううん、暗いから家まで送ってくれるって言ってて、まだ乗せてもらってる」

母「アンタはバカね‼駅で降ろしてもらいなさいって言ったでしょ‼」

私「あーはいはい❗分かった分かった❗」

私「ごめん、次の駅で降ろしてもらえる❓お母さんウルサくて💧」

彼「ホント厳しいね(笑)俺信用されてないなぁ(笑)じゃあ、家の近くの駅まで送るから、駅に着いたらお母さんに迎えに来てもらい❓」

私「うん。ありがとう」


その後も2~3分置きに何度も何度も母から電話があったけど無視した。
もうあまりにしつこいからケータイの電源を切った。


それから少しして家の近くの駅で降ろしてもらって彼にお礼を言って別れた。
すぐに駅の公衆電話から家に電話をする。


No.285

時刻は夕方7時前。
私「もしもしお母さん❓」

母「アンタは何を考えとんよ‼」

私「えっ…別に。ちゃんと言われた通り、次の駅で降ろしてもらって今駅に着いたところなんだけど。ケータイいつの間にか電池切れになったみたい」

母「サッサと帰ってきなさい」

私「うん。電車の時間がギリギリで傘が買えんかったんだけど…迎えに来てくれる❓」

母「自分で歩いて帰りなさい‼」
ガチャン🔥


私「はぁ…」
ずぶ濡れになって帰った上に、男の子と2人きりになるような事はするなと延々と説教された。
最悪…


その事を彼に話すと笑っていた。
じゃあ、どうやって恋人を作るんだ❓
厳し過ぎるって。


私は家に居るのが窮屈でたまらなかった。
他の子は大学生になったからと門限が0時になったり、泊まりOKだったり、あちこち遊びに行ったりしてる。
私は学校が休みの日は門限6時。
ゆっくりできない。


こんな家、早く出て行ってやるという思いが強くなった。



No.286

またメル友と会う事になった。
前は寝坊したし、自分の行きたい所ばかり行ったから、今度はちゃんと遊びに行こうと言われた。


一応、母にもまたメル友と会う事を話しておいた。
行き先を言わずに家を出ることは出来なかったから。
やはり母は良い顔をしなかった。
「明るい内に帰ってきなさいよ」と一言。

私「はい…」


待ち合わせ場所は前回と同じ。
今度は晴れてたからメガネをかけていなかった。
彼発見。
彼「今日はなんか雰囲気違うね」

私「今日はメガネかけてないからでしょ」


ゲーセンに行く事になった。
私は子供の頃からかなりのゲーセン好きで母にお小遣いを貰うと一気に全額使ってしまう子だった(笑)


対戦ゲームをしたりクレーンゲームをしたり…気付けば3千円くらい使っていた💧



No.287

ゲーセンを出てドライブする事にした。
ちょっと遠いけど、飛行場の近くの公園へ行って飛行機の離発着を見る事になった。


高速を使って1時間半程で到着。
彼は前の彼女とよく来ていたらしい。
私は飛行機を見るのは高校の修学旅行以来だった。
間近で見る飛行機は迫力がある。


夕方5時頃に母から電話があった。
母「今どこに居るん❓」

私「飛行場」

母「何でそんな所に⁉」

私「飛行機の離発着を見ようって連れてきてもらったんよ。スゴいよ‼」

母「あっそう。そろそろ帰りなさいよ」

私「うん」


私「お母さんから帰れコール(笑)」

彼「また⁉ホント心配性(笑)そろそろ帰ろっか」

私「うん」

彼「今日は家まで送り届けるからね」

私「うん、ありがとう」


母からの電話はその日はその1本だけだった。
家に帰って飛行機の素晴らしさを母に話した(笑)


そんな感じでこのメル友とは月2回くらいのペースで会うようになった。



No.288

12月になって私はケータイを変えた。


なんとインターネットができるケータイが出た。
その時はインターネットができるケータイは私が使ってるケータイ会社では3機種しかなかった。


しかもパケットじゃなくて繋げてる時間=通話料の時代。
もしネットに繋げたまま寝てしまったらビックリな請求額になる(笑)
確か始めの1分が3円でそれ以降は1分10円だったかな。
だから何度も1分ギリギリで接続を切って繋げ直すという作業をしていた。


そしてメル友の幅も広がった。
ネットで探すようになった。
ショートメールのメル友だけじゃなくてEメールのメル友を作っていった。


私が利用してたサイトでよく話が合う人が居た。
ケータイを変えた日も私と1日違いで年は1歳違い。
メル友は6人になった。


毎日メールをする人は時々遊ぶ人とこの人の2人。
他の人は週3~4日メールする程度だった

No.289

この人(Hくん)は私より1つ上で浪人生だった。
都内の某有名私立大学を受けるらしい。
私より知識が豊富で、雑学もよく知っている。色んな事を教えてくれた。


受験の結果は第一志望の大学はダメだったけど第二志望の大学は受かっていた。
第二志望の大学へ通うことになって、彼は上京した。


入学式の日。
サボったらしい。
私「何でサボるんよ😥大事な日でしょ💧」

H「何か面倒くさくなって💧」

私「それでも初日くらいは行った方が良かったんじゃない❓」

H「行かなくたって何とかなるでしょ」


Hはそれからすぐに、夜のアルバイトを始めた。
キャバクラのボーイ。
寝坊したりで学校をサボる事も多くなり、1ヶ月程すると学校へは全く行かなくなった。


学校から保護者に連絡が行って、お母さんとお姉さんに激怒されたと聞いた。
Hにはお姉さんが3人居て、みんな一回り以上歳が離れてる。


No.290

結局、Hは大学を退学する事になった。
何のために浪人してまで受験したんだか…


それから少しして、Hは歌舞伎町のホストになった。
時々ホストの苦労話を聞かされる。
グラスを割ったら店に5千円払わなきゃいけない。
客の指名が入らなかったらまたマイナスされる。


手取りが少ない。
普通に働いた方が絶対沢山もらえてる。
でも辞められない。
そしてナンバーワンホストがいかにスゴいかを延々と語ってくる。
俺はナンバー2に気に入られてるだのなんだの。


正直、そういう話を聞くのは面倒くさかった。
私には分からない世界。
きっと一生関わらないであろう世界。
「へぇ」「ふ~ん」「そうなん」「すごいね」を繰り返すばかりだった。


Hにとって、そういう話を聞いてくれる人は私しかいなかったらしい。
好きなだけ喋りまくってスッキリ。
私はストレス発散に使われていた(笑)



No.291

私が普段メールで話す内容はその日あった事や世間話ばかり。下ネタ禁止。
下心があると感じる人やチャラい人とは絶対メル友にはならなかった。
それには理由がある。


音声掲示板にハマっていた頃、私は最悪な人に引っかかってしまった。
相手は私より16歳上の34歳。
毎日電話で話すようになると、下ネタばかり話してくる。
私は元々下ネタは苦手だったから反応に困った。


「早く会って抱きしめたい」「いっぱい愛してあげる」など、更にもっと具体的な事も色々と言ってくる。
私は気持ち悪くて仕方なかった。


話を切り替えてもすぐに元に戻そうとしてくる。正直キツい…
そこで私はいつも「あっ、母が来たんで❗」と言って電話を切っていた。
この人と話すと疲れる…


始めは私から電話してたけど、下ネタばかりなのが嫌で私からは電話しなくなった。
すると相手の方からかけてくるようになった。


No.292

毎日決まった時間になると着メロが鳴り始める。
その度に私は動悸がして手に汗をかくようになった。


時々出ないようにすると、その後も何度か着信がある。
着信アリって文字を見るのも嫌だった。
そんな事が2ヶ月続いて、私はノイローゼのようになった。


耐えきれなくなってメル友に相談すると「もう電話かけてくんな❗私はテレクラじゃない❗ってハッキリ言え」とアドバイスされた。


勇気を出して「もう電話して来ないで下さい。そういう話ばかりで嫌なんで。いつも気持ち悪いと思ってました」と言った。


電話の向こうからずっと怒鳴り声が聞こえてくる。
怖くて手が震える私。


「もうかけて来ないで❗」と言って電話を切った。
その後も何度も着信があったけど無視し続けた。
5日程経つと彼から電話はかかってこなくなった。


私はこの事がトラウマになって、下ネタを言う人とは距離を置くようになった。



No.293

私のファーストキスは小学校1年生の時だった。
入学して少ししてから、休憩時間に同じクラスになった男子にいきなり抱きつかれてキスされた。


えっ💦誰この子❓
まだ名前も知らない子。


周りに居た数人の男子が「△△くんが○○ちゃん(私)の事好きなんだってー。だからキスしてあげて❗」と言ってる。


えっ…❓💧
「やだ❗」
そう言って私は校庭に走って逃げた。


その子と他の男子が追いかけてくる。
捕まってまたキスされてしまった…💧
それが毎日続いた💧


母に「△△くんが毎日追いかけてきてキスしてくる😥どうしたら良い❓」と聞いてみた。
母は「あら~○○ちゃんの事が好きなんよねぇ(笑)キスくらい良いじゃない(笑)」と言ってきた。


でも私は嫌で、参観日の時にその子のお母さんに「△△くんが毎日キスしてきて嫌だ」と話した。
お母さんは「ごめんね~注意しとくね。もしまたやってきたら言ってね」と言ってくれた。


回数は減ったけどやめてくれない。
時々、私はその子のお母さんに密告していた。


No.294

2年生になるとその子はキスして来なくなった。
代わりに同じ班になった子が毎日私の太ももを撫でてくるようになった。


家では時々父が私と妹のお尻を撫でてきてたから(性的にではなくて、父は子供のプリプリした可愛いお尻を触るのが好きだったらしい(笑))その感覚と同じだと思っていた。
「お父さんエッチ~」って言うと父はやめてくれる(笑)


私は授業中にしょっちゅう撫でられるのが嫌で「くすぐったいからやめてよ」と何度も言っていた。
相手は「触るくらい良いじゃん❗触らせろ」と言ってくる。


私は手でずっと阻止しながら「もうやめて」って言ったらビンタされてしまった。
これが前に書いた初ビンタの真相。


私はこの頃から、男の子(男の人)は女の子の身体を触るのが好きなんだという事に気付いていた。


No.295

もう1つ2年生の時。
帰る方向が一緒の男の子とほぼ毎日学校から一緒に帰っていた。
その子とは習い事も1つだけ同じ。


学校帰りに、廃墟の横にある(軽が1台しか入らないような)小さな駐車場で遊ぼって言われてついて行った。
その駐車場は周りからは死角になってて中に入って来ないと見えない。
「ここ座ろ」って言われて座った。


そして突然「目つむって」と言われた。
「うん」と言って目を瞑る私。
キスされた。


ビックリして目を開けるとこっちを見てて「まだ目つむってて❗」と言われた。
言われた通り目を瞑ると今度はキスしながら口の中に舌が入ってくるのが分かった。


ビックリして目を開けると真面目な顔をしてこっちを見てる。
「誰にも言わんといてね」と言われて、私は「うん」と頷いた。


その日はそれだけで帰った。


No.296

ほぼ毎日、学校帰りや習い事の帰りにその駐車場に寄るようになった。
もう、ディープキスは当たり前。
今思えば、その子は一体どこで覚えたんだって思う(笑)親の姿を見たのかな…💧


次第にエスカレートして、その子は私の制服のスカートの中やブラウスの中にも手を入れてくるようになった。
2年生なんてペチャパイなのに(笑)


さすがに毎日こんな事をされるのは嫌で、先に帰ったり、他の子と帰ったり、捕まりそうになって走って逃げ帰る事もあった。


3年生になったら違うクラスになった。
やっと解放されると思ったけど、習い事の帰りに無理矢理引っ張って連れて行かれる事も多かった。


大人に話してしまえば解放されるんだろうけど、2年生の時からずっとこんな事を続けてたなんて恥ずかしくて言えない。


私は習い事を辞める事にした。
辞める理由は、習い事が多くてしんどいという事にした。


No.297

しばらく自由だー‼と思っていた私(笑)


5年生の後半から新たに塾に通い始めた。
母が「今日から塾行くから準備して」と言ってきた。


私「え~今から~❓」
時刻は夜7時前で外はもう暗い。


母「近くだから歩いて行ける距離よ」
母と一緒に歩いて行く。
家から徒歩5分の所にある個人塾だった。


母「ごめんください。今日からお願いしてる○○ですが…」


先生に軽く挨拶をして部屋に入る。
先生は50代後半くらいの男の先生。
15畳くらいの部屋でそろばん教室と塾をやってるらしい。
部屋の前半分がそろばん教室で、後ろ半分には塾で使うコンピューターが3台置いてあった。


塾は、ヘッドホンを装着してコンピューターを操作して画面に出てきた問題を解いていく形だった。
先生は問題の入ってるカセットテープ❓を選んで交換するだけ。
解答を間違えると画面に説明文と答えが出てくるから先生に教えてもらう事は何もない。そんな塾だった。



No.298

部屋にはまだ塾で勉強をしてる人が居た。
中学生だった。
この塾は、来る時間は個人個人で分けられていて、○年生が○時と決まっていない。
だから時間帯が遅い私の横には、いつも中学生の男子2人が座っていた。


この塾を紹介したのは幼なじみ達のお母さんだった。
幼なじみは2人居て、2人ともここのそろばん教室に通っているらしい。
(そろばん教室は夕方からだから、やってるところを見た事がない)
幼なじみ2人のそれぞれの兄弟達もここの塾に通ってると聞いた。


勉強時間は1時間半。
週2回通うことになった。


2回目に行った日、中学生の男子が5人居た。
塾が終わって騒いで遊んでる人3人と勉強中の人2人。
その中には幼なじみのお兄ちゃんも居た。
なんか…嫌だなぁ…💧


先生に挨拶してコンピューターの前に座った。
先生が「今日は国語にしようか」とカセットテープを出してくる。
ヘッドホンを装着して国語を始めた。



No.299

7時半になったら、先生が「ちょっとご飯食べてくるわ。(塾が終わった3人に)アンタら早よ帰りんさいよ。それから○○さん(私)にちょっかい出さんように」と言って隣の自宅へ行ってしまった…


すぐに3人が私の周りに来て色々話しかけてきた。
他の2人も話に交じってくる。
嫌だなぁ…💧


幼なじみのお兄ちゃんと普通に話してたら「知り合いなん❓」って聞かれた。
お兄ちゃんが「○○(弟)の幼なじみよ」って答えてくれた。
それが分かると更に次から次へと話しかけてくる。
勉強が進まない…


15分程して、外から先生が帰ってくる足音が聞こえた。
みんな一斉に散らばって何事も無かったかのようになった(笑)


それがおかしくて私は笑いが止まらない。
先生が「アンタら○○さんに何もせんかったじゃろうねぇ」と中学生達の顔を見た。


「しとらんよ。さっ帰ろ」と言って3人は帰って行った。
8時になって残りの中学生2人も帰って行った。
残ってるのは私だけ…
しかもあまり進んでない。


本当は8時半で終わりなのに、その日は9時近くまで勉強をして帰った💧


No.300

毎回そんな感じで塾に通っていた。
6年生になる頃には私も随分慣れてきて、先生が居ない間に中学生達と話すのが楽しくなっていた。


そんなある日、変な空気になった。
突然「○○ちゃんって胸大きいよね」と言われた。


私はおデブちゃんだったから、6年生の頃にはBカップあっていつもスポーツブラをつけていた。
私「そう…かな…❓💧」

中学生「うん。ちょっと触らせて」


私はその言葉に固まってしまった。
「えっ……💧嫌……」

中学生「ちょっとだけだから(笑)」

私「無理…」
幼なじみのお兄ちゃんの方をチラッと見たけど何も言ってくれない。
どうしよう…先生早く帰ってきて‼


私の後ろに居た中学生が急に服の上から胸を触り始めた。
「あっ、結構あるわ(笑)」

私「やめてよ❗」


先生の帰ってくる足音が聞こえて中学生達がサッと散らばった。
いつものように、何事も無かったようにしてる。


私は今あった事を先生に言うべきか迷っていた。


No.301

みんなこっちを睨むように見てる…
私は先生に言えなかった。


それを良いことに、先生が夕食を食べに帰ってる間、中学生達は毎回私の身体を触るようになった。


始めは抵抗してたけど、段々感覚が麻痺して、触られても別に何とも思わなくなっていった。
「あー鬱陶しいなー」くらいにしか思わない。


そんな生活も6年生を卒業する頃に終わった。
私がその塾を辞めて別の塾に通うことになったから。


私が中1になったらその男子達は3年生だった。
時々私の所へ来てたけど、私は常に誰かと一緒に居るようにしてたから触られたりする事はなかった。
それでもたまに強引に手を引いて連れて行かれそうになる時もある。
そんな時は走って職員室前に逃げるか、KやNくんが助けてくれるかのどっちかだった。


高校に通うようになると電車で痴漢にあったりもした。
何でこんな目にばかり遭うんだろ…
最悪。


高校の時の友達がみんな「あー彼氏欲しい」とか言ってる中、私は『彼氏なんて要らない。どうせ身体が目的だよ。女子と居る方がめちゃくちゃ楽しいじゃん』とずっと思っていた。
男はみんな変態という偏見から(笑)


No.302

私が高校生の時から夢見てたこと。
大学3年の時にお見合いして、大学を卒業したら結婚(笑)
でも人生はなかなか思うようにはいかないものだ(笑)


大学1年の冬にまたもやメル友探しをしてる時に今の旦那と知り合った。
この頃はまだ『出会い系サイト』って言葉さえもない時代。


メールをしてみると何だかコミュニケーションが下手な人。
例えば「今日、バイトが終わるの遅くなって電車乗り遅れた」ってメールを送信。
何て返ってくるかな~と少し待ってたら一言「そうなん」とだけ。


えっ💧
キャッチボールしてんのにボール落とされちゃったよ😭
こんな具合で言葉のキャッチボールがうまくいかない。
何を送信しても大体「そうなん」「へぇ」の一言しか返ってこない。


質問は一問一答と言う感じだし、メールしてても全然楽しくない。
何なんだろこの人…
1ヶ月程メールのやり取りをして、そろそろフェードアウトしようかなぁなんて思ってる時に突然会おうと言われた。


No.303

彼は隣の県の人で同い年の人だった。
わざと県外の人を選んで会わなくて良いようにしてるのに…


「来るのにめちゃくちゃ時間かかるんじゃない❓💦やめといたら❓」とメールしたら「大丈夫」と一言。
いやいや…私が会いたくないんですが✋


ドタキャンしようと思ったけど、その日はバイトも入ってなかったし取り敢えず会うことにした。
待ち合わせ場所はまた大きな駅(笑)


車のナンバーを教えてもらって当日行って車を探した。
見つけた💡
でも中に人が居ない。


なんかバックミラーの所にぬいぐるみのような物がぶら下がってる…
割と大きな(当時流行ってた❓)たれパンダだった。
うわっ💧ドン引き😱


待ってもなかなか彼が現れない。
どうしたんだろうと思ってメールしたらお腹が痛くてトイレに入ってると返信が…


「お腹の調子悪いんだったら今日会うのやめとく❓」とメールしたら「大丈夫」と返ってきた。


しばらくすると後ろから声をかけられた。振り向くと…


No.304

変な格好をした人が立っていた(笑)


赤く染めた髪(黒の上から染めてるからあまり目立たない色)
『西部警察』の大門のようなサングラス
中学生の時に流行ったチェック柄のジャンパーにスーツの下(ズボン)
スニーカー


………えっ😱💧
もしかしてこの人…❓


「○○ちゃん❓」と聞いたら「うん」と答えた。
帰ろうかと思った。


取り敢えず、ドライブでもしようかって言うから「うん…」と言って車に行こうとすると、突然彼が「あっ、ちょっと待って❗またトイレ行ってくる。カギ持ってて❗」と車のカギを渡されてトイレに向かって行った。


うわぁ😱何このカギ…💧
ベッキーのケータイストラップみたいに色んな物がジャラジャラついていた💧
その中には何故か私が住んでる県で売られている○○○まんじゅうのキーホルダーもついていた。
ドン引き😱


こんな物を持たされて注目を浴びるのは嫌だったから、すぐバッグの下に隠して噴水の近くで座って待っていた。



No.305

しばらく待ってると戻ってきた。
すぐに彼にカギを渡して車に乗った。
どこへ行こうか…


彼はノープランだった💧
まだ時間が早かったから『まっぷる』を見ながら少し話し合って右隣の県へ行く事にした。
(彼が住んでるのは私が住んでる県の左隣の県)
私は右隣の県にある大きな公園に行きたかった。前に友達と行った時、スゴく綺麗だったからまた行きたいなと思って。
でも彼はそことは違う遊園地に行こうと言ってきた…


しばらく車を走らせて高速道路に乗った。
目的地までは4時間近くかかる。
その間会話は全く弾まない(笑)
一問一答。
私は話すのが結構好きな方だけど、この人と喋ってると全然楽しくなくて、時々寝たふりをしていた(笑)


目的地付近のIC。
高速代は私が出した。


遊園地に着いてみると人気が全くない(笑)
本当にやってるの❓という感じ…💧
入園料は2000円弱。



No.306

入園料の支払いどうするんだろう…
窓口へ行って「大人2人」と言った。
彼は財布を出す様子はない💧


私がチケットを2枚買って彼に渡した。
彼は「いいの❓」と一言。
財布出そうとしてなかったじゃん。始めから払う気なんてないんじゃないの~❓😒
と思いながらも「うん…」とだけ言った。


中に入ると外国の人達(園内スタッフ)がサンバ❓を踊っていた。
彼は巻き込まれないようにそそくさと逃げていった(笑)


うわぁ…中も人が少ない…💧
お客さんは、見える範囲には2~3組しかいなかった。
これはラッキーなの…か…❓


取り敢えず、観覧車に乗ることにした。
上から何があるか見ようという事で。
上から見ても動いてる乗り物が少ない(笑)
人がほとんど居ない。


「ねぇ、ここを出てやっぱり○○○公園に行かない❓」

「うん…そうだね…」


観覧車に乗っただけでその遊園地を出た。
入園料を払って15分後の事だった…💧


No.307

そういえばお腹も空いてきた。
近くにあったファミレスに入って昼食を摂った。
支払いは…またしても私。
彼は財布を出すのがめちゃくちゃ遅い。


私は会計の紙をレジに出す時には財布を出している。
彼は金額を聞いてからポケットから財布を出す。
そしてまた一言「いいの❓」


私はちょっとイライラしてたけど『これは今日だけ。今日が過ぎたらこの人とはサヨナラ。もうメールもしない』と自分に言い聞かせて「うん…」と言った。


彼は高校を出てすぐに働き始めて給料を貰ってる社会人。
私はアルバイトをしてる学生。
何で少しでも出そうという気にならないかなぁ…


その後、○○○公園へ行った。
そこでの入園料も私…
何でよ👊
まぁ、楽しめたから良いけど。


夕方、帰る事にした。
途中でガソリンスタンドに寄った。
その時の支払いも私…
もう怒りが込み上がり過ぎて笑いしか出なくなった(笑)


No.308

サービスエリアでちょっと休憩。
彼が飲み物買ってくると言って自販機に向かった。
私にも何か買ってくれるかな…と期待したけど自分の物しか買ってなかった(笑)
何だこの人…💧
ついでに帰りの高速代も私。


彼がその日使ったお金は、自分のジュース代120円だけ。
私が使ったのは3万円近くだった。
その月は学校が忙しくてバイトをあまり入れてなかったから給料は4万強しかなかった。ケータイ代を払ったらなくなる。
はぁ…💧


帰りは私の家の近くのコンビニで降ろしてもらった。
一応連れて行ってもらったお礼は言った。
「今日は楽しかったよ🎵ありがとう😃気を付けて帰ってね」と満面の笑みで言った。


心の中では「よし❗やっとこの人から解放された❗もう二度と会うことは無いわ😠メル友も終了❗」なんて思いながら(笑)


家に着いて仲の良いメル友2人に今日の事を話した。
よく会う方のメル友には「うわぁ😱財布代わりにされとる(笑)」と笑われた。


もう1人の方には「何だそいつ。有り得ないでしょ。半分返してもらいなよ」と言われた。


No.309

夜中1時頃。
メールが入ってきた。
よく会う方のメル友からだと思ってワクワクしながら見ると今日会った彼だった⤵


彼「さっき家に着いたよ」

私「お疲れ様😃今日はありがとう。楽しかったよ✨おやすみ」
もうメールしたくないからわざと「おやすみ」という言葉を使った。


しばらくしてまたメールが入ってきた。
彼「実は○○ちゃんの事が好きになってしまったんだよ。僕と付き合ってくれたら色々連れて行ってあげるし、しょっちゅう会いに行ってあげるから」


…………😱💧
うわぁ😨なんじゃこりゃー❗ドン引き😱
しょっちゅう会いたくないし付き合いたくもないわ😠


その日は彼にメールしなかった。
寝てたという事にした。


すぐメル友2人に相談。
2人とも絶対やめとけと言ってきた。
私も断る気満々😤


彼に「遠距離になるから付き合えないでしょ💧私も学校とバイトで忙しいし…そっちで彼女探したら❓」とメールしてみた。


No.310

少しして返信があった。
「大丈夫❗毎週会いに行くから❗来て欲しいって言われたら会社休んでも行くよ❗○○ちゃんが良いの❗」


ますますドン引き😱
先走り過ぎでしょ💧


私「じゃあ、もし断ったらどうする…❓」
彼「家探し出して火を着ける❗」


えぇーっ😱💦
何この人。発言が何かヤバい💦
どうしよう…
家族に迷惑がかかってしまう😥


私「分かった…じゃあ、取り敢えず3ヶ月付き合ってみて良かったらそのまま付き合うわ😥」


彼は納得してくれた。
「来て欲しい時はいつでも言ってね😃」


いや、一生無いと思います✋


メル友達にこの人と付き合う事になったと話した。(火を着けるだの言った事は話してない)
バカだと言われた😭


彼から「今度はいつ会える❓」とメールが入った。
取り敢えず、1ヶ月後と言っておいた。


相変わらずメールで会話が弾まない(笑)


No.311

その月に大学で仲良くなった同じコースの友達に一緒に夕食を食べに行かないか誘われた。
いや、むしろ付いて来てと言われた。


何かで知り合った人(4歳年上の男性)と一緒に食事をする事になったけど、1:1は嫌だから来て…と。
2:2で食事をする事になったらしいけどこの子の親友は用事があって行かれないらしい。


友達は派手な子で結構可愛い。
髪は金色に近い茶髪で化粧はいつもバッチリ。
スッピンに近い化粧ばかりしてる私とは大違い。


1年の入学式で、初めて彼女を見た時は絶対近寄れないタイプだと思っていて、前期は全く話す事がなかった。
後期に少し話す機会があって、話してみると意外と天然なところが多く、面白くてすごく話しやすかった。


それからどんどん仲良くなって一緒に行動する機会が増えていった。


その彼らとは学校帰りに会うことになっていた。
学校が終わって2人で待ってると歩いて迎えに来てくれた。


そこから少し離れたお店に移動して夕食をとることになった。



No.312

1人はずんぐりしていて(Dさん)、もう1人はスラッとしている(Sさん)
2人は会社の同僚らしい。
このDさんの方が友達を誘った人だった。


食事中、何故か友達はSさんに話しかけてばかり。
後でカミングアウトしたけど、友達の初恋の人によく似ているらしくて一目惚れ状態だったらしい(笑)
Dさんはちょっとムッとしている💧


私はDさんと話しつつ友達の様子をうかがっていた。
話の流れで、Dさんは私が住んでる町の隣町に実家がある事が分かった。
すごく親しみを覚えて、途中からどっちが田舎なのか競い始めて田舎自慢大会が始まった。


大きな街に住んでる友達とSさんはポカーン(笑)


食事の後は近くの駐車場に停めてあった車でゲームセンターに移動した。
食事代は払うと言ったのに彼らが出してくれた。金欠だった私には有り難かった。


ゲームしてる時も友達はSの近くをウロウロ(笑)
そしてお酒が入ってたからか、友達はSさんが初恋の人に似てるとカミングアウトした。


No.313

Sさんは良い顔をしなかった。
少し前に長く付き合っていた彼女と別れたばかりで、その彼女の事を引きずってるらしい。
友達の事など眼中に無かった。


友達はなかなか諦められない様子。
でもどうする事もできない…


終電の時間が近付いてきたから帰ることになった。
私と友達は駅まで送ってもらってお礼を言って帰った。


翌日、授業中に友達と昨日の事を話した。
あの後、Dさんとメールをしたらしく付き合う事になったらしい。


私「実は私も少し前から付き合ってる人が居るんだけど、変な人なんよね💧服装とか中学生の頃に流行った感じの物着てるし、変なサングラスかけてるし(笑)」

友達「マジで⁉ちょっと見てみたいわーその人(笑)」

私「いつかね。県外の人だから」

友達「そうなん⁉会う時は教えてよ~❓」

私「うん…💧」
嫌だ…こんな人紹介したくない…
友達は同じ月に付き合い始めたから親近感があるようで嬉しそうにしてる。


席が自由な授業の時はいつも隣同士で座って話ばかりしていた。


No.314

同じコースで一番仲が良い友達はこの子だった(Sちゃん)
Sちゃんにいつも話しかけてくる子(Nちゃん)とも仲良くなって、コース別に行動する時はいつもSちゃんとNちゃんと私の3人で居た。


Nちゃんはしっかり者。
何でもテキパキできる。
私とSちゃんはどちらかというとポワ~ンとしてて、大事な事もちゃんと聞いてなかったりする💧
毎回Nちゃんに後から聞いて慌てる2人。


同じ学年に男子は2人しか居ない。
その内の1人がNちゃんの彼。
いつも3人集まるとそれぞれの彼の話をしていた。赤裸々に…(笑)
友達2人の彼は普通なんだけど、私の彼は変わってる人だからいつも笑いのネタになっていた。


No.315

1ヶ月後、また彼に会うことになった。
憂鬱…💧(笑)
ちょっとはマシな格好で来るだろうか…


当日はまた大きな駅で待ち合わせをした。
すぐに車を発見して車に向かう。
バックミラーについてたタレぱんだはそのままだった…
髪も変わらず黒っぽい赤。
服装は…アウチっ🔥
まただよ💧


黒の超ロングコート(丈がくるぶしくらいまである)に例のサングラス。
マトリックスかい(笑)
そして今から思いっきり運動します❗って感じのスニーカー💧(運動靴)


中は前回と同じスーツの下(ズボン)にタイの人が着てるの❓って感じの微妙な模様のアロハシャツみたいな服。


……💧
私「その服、自分で買ったの❓」

彼「いいや、お母さんが前に買ってくれたヤツ。何で❓」

私「いや…別に💧もう少しマシな格好したら良いんじゃないかと思って💧」

彼「変❓」

私「うん、特にそのサングラス💧やめた方が良いと思う」

彼「気に入ってるんだけどなぁ…」

私「そうなん…❓💧」

彼「うん。んで、今日はどこ行く❓」



No.316

私「オープンしたばかりの(県外の)水族館に行きたいんだけど、どう❓」

彼「良いよ。じゃ行こっか」
車で3時間程かかる水族館へ行く事になった。


道中、私は隣に座ってる人がもっと格好良くて楽しくてセンスがイイ人だったら…とずっと現実逃避していた。


現実は…
運転中、全く会話が弾まない。
窓の外を眺めたり寝たふりを繰り返した。
しばらくしたら、暖房の効きすぎなのか暑くなってきた。
私「ねぇ、暑くない❓」

彼「そう❓」

私「うん、暑い」
私は、彼はエアコンの強さを緩めたり温度を下げるだけだろうと思っていた。
でも違った。


エアコンを切って窓を全開にされた💧
4月初旬。まだ結構寒い。
数分して今度は寒くなってきた。


私「ねぇ、寒くない❓」

彼「寒いの❓」

私「うん」


彼は窓を閉め、エアコンを強にして温度もMAXにした。

えっ⁉💦
それじゃあ、また暑くなるって💧


またすぐに「ねぇ、暑くない❓」と聞いてみた。

彼「はぁ~あ」
大きなため息のような声と共にエアコンを切って窓全開。


えぇ~~~😱
それしか選択肢ないの⁉💦
ビックリした出来事だった。



No.317

目的地に到着。
高速代は彼が出してくれた。
(良かった~💦今回も前回と同様私が払うのかと思った💧)


新しい水族館という事で人が物凄く多い。
駐車場は結構離れた所になってしまった。
そんな日に限って普段履き慣れない高いヒールの靴を選んでしまった私。
駐車場から入り口へ行くだけで足にマメ(水ぶくれ❓)ができて激痛だった😭


でも、せっかく来たんだからと我慢して歩いた。めちゃくちゃキレイ✨
水族館から道(橋)が続いてて海(日本海)の方へ行けた。
初めて見る日本海。
波が荒い事に驚いた。


私が住んでる地域で普段見てる海はあまり波が無い。
日本海を見て感動した。


夕方になったから帰ることにした。
入園料はまた私持ちだったけど、キレイな場所に連れてきてもらった事で全くイライラしなかった。



No.318

彼の運転で帰ってる時、彼は少し眠そうにしていた。
私は全く眠くなかったけど、会話が弾まないのと彼の「寝てて良いよ」という言葉で寝たふりを始めた。


その直後、スゴい音が😱
彼が運転中に眠ってしまってて道路の真ん中に立ってた車線を分けるポールを7~8本なぎ倒した💧
反対車線に車がいなくて本当に良かった💦


SAでちょっと休憩すると言って駐車場に車を停めた。
私に「大丈夫だった❓」などの言葉は一切なく、すぐに車を降りて車に傷が付いてないか確認ばかりしてる。


何この人…💧
人より車❓😒


傷はほとんど無かったらしく「大丈夫だった❗」と一言。
「よかったね。それより気を付けないと❗一歩間違えれば死んでたよ❗」


彼は「うん」と言ってははっと笑った。
笑い事じゃないっつーの💦
家族に彼が居る事も、今日ここへ来てることも話してないんだから。
死んだら身元不明者だわ❗


それ以降、私がどんなに眠くても、彼が運転してる間は絶対寝ないようにした。


No.319

この事を友達に話すと大笑い。
死にかけた事を話すと「もう車に乗るの辞めた方が良いわ~」と言っていた。


でも次も1ヶ月後に会う約束をしてしまった。
次が約束の3ヶ月。
私は彼と別れるつもりでいた。
彼の良いところなんて全然見当たらない💧


その頃の私は『メル友>彼』という感じで彼なんてどうでも良かった。
ハッキリ言ってしまうと彼の事が嫌いだった。
でも『家に火を着ける』という言葉が引っかかっていて、すぐにサヨナラする事ができなかった。


私は彼と付き合ってる事にはなってるけど時々メル友とご飯を食べに行ったりしていた。
もう1つの校舎での授業後、メル友と会う約束をしていた。
その時、Sちゃんも連れて行った。


3人でスイーツのお店へ行ってメル友オススメのワッフルを食べる事になった。
食べながらメル友が「この子バカじゃろ。変なヤツと付き合って」とSちゃんに言った。
Sちゃんは笑いながら「その彼の話聞いてると面白いですよ」と言った。


ははっ………💧
私は笑うことしかできなかった。



No.320

メル友「もっと他に男居るじゃろうに(笑)まぁ、あんたは普段の言動からして変な男に引っかかるタイプだと思うわ。」

私「ということは、○○くん(メル友)もということだね(笑)」

メル友「うっ💦俺はフツーよぉ✋」

私「えぇ~そう❓😒毎日朝から晩までパチンコしてるのって誰だったかなぁ❓😒」

メル友「うっ💦」

Sちゃんが苦笑いしてるからその辺でやめておいた。


お店を出る事になった。
私払うよって言ったけど、メル友が「ここは俺が✋女の子に出さしたら悪いじゃん。全く払わんような男と付き合ってる子も居るようじゃけどね(笑)」と言ってきた。
くぅ~🔥私のことじゃん😱


Sちゃんと私を家まで送ってくれることになったけど、Sちゃん家は私の家とは反対方向。
先にSちゃんを送って私は後で送り届けてくれることになった。


Sちゃんが帰った後、メル友が「Sちゃんめちゃくちゃ可愛いじゃん❗俺タイプだわ~」と言い始めた。
どうもSちゃんに一目惚れしたらしい(笑)


No.321

メル友「Sちゃんて彼氏居るん❓」

私「居るよー。付き合い始めたの2ヶ月前だけど」

メル友「もっと早よう紹介してくれたら良かったのに」

私「ははっ😁でもSちゃんが好きになるかは別よね(笑)」

メル友「絶対好きにならせるわ💨あ~早よ彼氏と別れんかな~」

私「別れんじゃろ。付き合い始めたばかりだし。っていうより、なんちゅーサイテー発言⁉😱」

メル友「あ~付き合いたい❗」

私「じゃあ、Sちゃんが別れたら教えてあげるわ✋」

メル友「そうして」


それ以降、メールで遣り取りする度に「Sちゃん別れたー❓」と聞いてくるようになった。
ウザすぎる…💧



5月の連休に彼と泊まりで遊びに行こうという話が出た。
行き先は神戸と大阪。
迷った。でもこれで最後と思い、OKした。


家族には大学の友達と泊まりで遊びに行くという事にしておいた。
神戸は高校の時の友達と行った卒業旅行以来。ちょっとワクワクした。


彼にホテルの予約とプランを任せた。
ホテルはすぐ予約が取れたとメールがあった。

残るはプラン。
大丈夫かなぁ…💧
まさかいつもと同様、ノープランじゃないよね…❓💧


No.322

彼との旅行の日。
待ち合わせ場所のいつもの大きな駅へ行くとすぐに彼の車を発見。


珍しく普通の服を着ている。
私「おはよー。今日はまともな格好してるじゃん❗」

彼「うん。服が変って言うから一昨日ユニクロに行ってマネキンが着てる服買ってきた。どう❓」

私「そうなん❓普段の○○ちゃん(彼)に比べたらかなり良い感じよ👌」


私はプレゼントを用意していた。
キーケースとハンカチ。


財布にしようか迷ったけど、母の入院などでバイトの給料が思いの外少なかったから財布を選ぶのはちょっとキツかった。
彼が使ってる財布は少し大きなスーパーなどで売ってる1000円の長財布。
社会人なんだからもう少しイイものを持てば良いのに…と気になっていた。


キーケースを選んだ理由は、車のカギにじゃらじゃらついてるキャラクター達を外して欲しくて。


ハンカチの方は、彼はハンカチを持ちあるかない人で、手を洗ったら服で拭く。
それを辞めてもらいたかった。


彼は喜んですぐにキーケースを付け替えてくれた。
ハンカチはポケットに。


準備完了。
出発。


No.323

彼とは3ヶ月間毎日メールで遣り取りしてるし、電話で何度も話したりしてるけど何故か話が弾まない。
話題を振ってもすぐに終わらせてしまう。
もしや話を盛り下げる天才か❓とさえ思う


道中はまた寝たふりをしていた。
時々、いかにも今起きましたという感じで起きたふりをしてみたり。
彼が途中で寝ないかずっと気にしていた。


車の中でかかってる曲は知らない曲ばかりだし退屈で仕方なかった。
後で分かったけど、彼はアニメオタクで声優大好き人間だった。
この時かかってた曲も全部声優さんが出したCDばかりで、普通に流行りの曲を聴いて生活してる人には分からないようなマイナーな曲ばかりだった。


私はX JAPANやGLAY、L'Arc-en-Ciel、スピッツ、椎名林檎、洋楽、クラシックなどの曲をよく聴いていたから、彼とは音楽の趣味が合わない。
聴いてる曲は「う~ん…何かちょっと…」という感じだった。


彼はカッコいい運転を見せたいらしい。
高速で160キロ以上出す大馬鹿者。
何度も「スピード出過ぎじゃない❓」と注意したけど変わらず同じスピードで走っていた…
でもオービスの近くでは減速(笑)



No.324

そして運転中は人格が変わる。
前の車が少し遅いと
「はぁ~💢もう❗何なんだよ❗さっさとどけよ❗トロトロしやがって」とかずっと言ってる…💧
しかも前の車に物凄く接近して煽る。
ぶつかるんじゃないかってくらい接近するから、こっちは怖くてたまらない。


「急いでないからゆっくり行けば❓そんな慌てなくても…」と言っても聞いてないような感じ。
この人、やっぱりヤバい人だわと思った瞬間だった。


普通に行けば、神戸まで4時間くらいかかるだろうと思ってたけど、3時間弱で着いてしまった。


ファミレスで昼食をとって六甲アイランドの方へ行ったりしながら少しウロウロ。
異人館へも行った。


予約したホテルに着くとかなりキレイなホテルで予約した彼自身が驚いていた。
部屋はツインルームで20畳くらいある広い部屋だった。
私はダブルは嫌だったからツインにしてもらった。(シングル2部屋でも良かったんだけどね😏)


普段から眠りが浅い私。
横に人が居ると寝られない。



No.325

部屋が少し寒く感じたからエアコンを付けた。
しばらくしてもあまり暖かくならない。
受付に連絡したらすぐホテルの人が来て見てくれた。
すぐに壊れてることが判明…💧
部屋を移ることになった。


通されたのはダブルベッドが置いてる8畳程の部屋だった。
嘘でしょ⁉😱最悪…
さっきの部屋と差が有り過ぎ。
エアコン壊れてても良いから、さっきの部屋の方が良いよ…
もう苦笑いしかできなかった。


夕食を食べに外へ出ることになった。
またファミレスへ。
ファミレスが大好きな私。


部屋へ戻ると彼はすぐに着替え始めた。
家から持ってきたジャージに。
修学旅行じゃないんだから…
部屋に浴衣があるでしょうに💧
とは思ったけど、彼は修学旅行以外の旅行はした事が無くて、勝手が分からなかったらしい。


私は先にお風呂に入ることにした。
30分程してお風呂を上がってカゴに入ってた浴衣を着た。



No.326

彼は私がお風呂に入ってる間に近くのコンビニへ行ってお酒を買ってきてた。
缶酎ハイ、カクテル、ビール、梅酒など10本以上ある。
誰がこんなに飲むのって感じ💧


今度は彼がお風呂に入ったけど、10分程で出てきた。早っ💨


2人で乾杯して飲み始めた。
私は梅酒を選んだ。
3分の1飲んだあたりで顔が真っ赤になって動悸がし始めた。
私は毎回お酒を飲むと途中で動悸がして息苦しくなる。


これはヤバいと思って「後あげるわ」と渡したら「まだ沢山残ってるけど、もういいの❓」と聞かれた。


「うん、悪酔いしたら困るでしょ❓」
そう言って彼は私の残りも飲むことになった。


普段はほとんどお酒を飲まない私。
他に何を買ってきたのか色々見てた。
『スクリュードライバー』飲んでみたい❗


彼が蓋を開けて渡してくれた。
私は一口味見したいだけだった(笑)
また「後あげる」と渡したら「また⁉」と言って彼は4本目を飲む事が決定した。
少しずつ残ったお酒が3本。


「もう全部混ぜて飲んでみたら❓」と言ったら本気でやった。
残したら勿体無いと言いながら彼は無理して全部飲みきった。
そしてダウンした(笑)


No.327

時刻は2時過ぎ。
寝ることにした。


でも私は横に人が居ると寝られない…
彼は壁側で私の方を向いて横になってる。
私は彼に背中を向けて横になった。
う~ん…寝られない。
仕方なく寝たふりを始めた。


私は今までの経験から、男の人はすぐにあちこちを触ってくると思ってた。
でも彼は私の背中にひっついてはくるものの、一切手を出してこなかった。
イイとこあるじゃん❗
本気でそう思った(笑)


朝、彼は頭痛がすると言う。
そりゃ、お酒沢山飲んだからねぇ…
私も全く寝られず頭がボーっとしてる。
(ずっと寝たふりを続けた)


朝食を摂った後、フロントに行って支払いをした。
1人7500円。安っ💨


まだ回りきってなかった異人館へ行ってその後プリクラを撮った。
2人とも目の下にはクマができていて酷い顔だった(笑)


未だにその時のプリクラが残ってる。
下の子が3歳の時に、今まで撮ったプリクラが入ってる缶を勝手に開けて電子ピアノに貼り付けてしまってた💧
今もピアノにひっついたまま(笑)


No.328

異人館を出てから大阪へ向かった。
次の目的地は海遊館。


海遊館といえば、初めて行った時の事を思い出す。
子供の頃、母方の祖父と両親と私達姉弟でオープンしてすぐの頃に行った。
真夏で汗が止まらない中、2時間以上並んだ。
祖父は後10分程で入れるって時にしびれを切らして帰ってしまうし、中は人だらけでよく見えない。
母が「○○が居るよ」と言っても人で見えないし暑いしでどうでも良かった。
ものすごく疲れた日だった。


今回はゆっくり見られるだろうとちょっとワクワクしていた。


その前に、私が入院中の祖父の所に寄りたいと彼に話した。
海遊館から病院までは車で15分くらいの距離。割と近い。
彼は承諾してくれた。


私はすぐ母に電話で祖父のお見舞いに行く事を話し、部屋の番号を教えてもらった。
和菓子屋さんでお団子を買って祖父の入院先の病院へ。
部屋に入ると祖母が見えた。
祖母がすぐに気付いて「あら、○○ちゃん来てくれたん❓おじいちゃん、○○ちゃんが来てくれたよ。○○ちゃんどうやって来たん❓1人❓」と次々聞いてきた。



No.329

「今、友達と4人で旅行中なんよ。近くまで来たから寄らしてもらったんよ。友達は今、駅で待ってくれてる」
そう言ってお団子を渡した。


祖母は「まぁまぁ、よく来てくれたねぇ。お饅頭でもお上がんなさい」とお饅頭をくれた。
祖父は随分痩せていた。
前はもっと大きかったと思ったけど。


私「おじいちゃん、元気そうだね」

祖父「私はいつでも元気ですよぉ~😁なのに退院させてもらわれへんのや。酒が飲めんのが辛いわぁ」

私「ははっ😁」


私は実は祖父が苦手。
まぁ、私が悪かったんだけど。


小2のお正月休み。
近所のお姉ちゃんと遊んでたんだけど、雨が降り始めたからうち(祖父の家)で遊ぼうって私が言った。
お姉ちゃん達に付いてきてもらって、祖母に家の中で遊んでいいか聞いたら良いと言われた。


2Fに上がってままごとセットを出してもらってお姉ちゃん達と一緒に遊んでると祖父が上がってきた。


その頃の私は悪い言葉を使うのが格好イイと思っていて「この人、うちのクソジジイ」ってお姉ちゃん達に祖父を紹介した。
私はそんなに悪い事だと思わずに言った。


No.330

祖父がすぐに近寄ってきて「何や今の言葉は❗」と言って思いっきりビンタされた。


ビックリしたのと痛いのとお姉ちゃん達の前なのにという色々な思いから、私は更に酷い事を言った。


「おじいちゃんの馬鹿❗もう二度と来んから❗もう絶対来ん❗」
そう泣き叫んだ。


祖父は1Fに下りていった。
お姉ちゃん達はビックリしてどうしたら良いの❓みたいな感じになってるし、私はしゃくりあげて泣いてるし。


下の階から祖母が祖父に向かって「どうしたん❓」という声が聞こえる。
祖父からは「クソジジイって言いよったから叩いた」という声が聞こえた。


母と祖母がすぐに上がって来た。
祖母はお姉ちゃん達に「今日はちょっと帰ってもらえるかな❓ごめんな。また明日遊んだってな」と言ってお姉ちゃん達は帰って行った。


母は私に「言って良い言葉と悪い言葉があるの分かるよね❓おじいちゃんに謝りに行くよ」と言ってきた。
でも私は祖父の事を本当に『クソジジイ』だとは思ってないし、格好イイ言葉だと思って言っただけ。
納得できなくて謝らなかった。


それ以来、私は祖父に対して壁を作ってあまり話さなくなった。
「二度と来ん❗」と言った割には年2回の帰省の時は必ず一緒に行ってたけど。


No.331

祖父母と15分程話して私は帰ることになった。
祖母が見送りに病院を出てついて来る…
「おばあちゃん、ここで良いよ。友達は駅で待ってくれてるから。おばあちゃん、元気でね。またね」
そう言って、まっすぐ進んでいった。


病院のすぐそばにある駅へ向かうと彼が駅の前に車をとめて待ってくれていた。
振り返ると祖母が手を振りながらこっちを見てる。
仕方ない…私は彼の車を素通りして駅の階段を上り始めた。
振り返るとまだ祖母が見てる…💧


うぅ…💧
階段を上りきって少ししたら祖母が居なくなった。
完全に見えなくなるのを確認して彼の車に向かった。
「ごめん、おばあちゃんが見てたから素通りした。おじいちゃん、痩せてたけど元気そうだったわ。さっ、海遊館行こうか」


彼は「うん」と一言。
海遊館へ向かった。


海遊館に着くと、前に行った時よりやはり人が少なくてゆっくり見られた。
お土産も買えたし満足。
家に帰ることにした。


帰りはSAで時々休憩しながらゆっくり帰った。
私の家に着いたのは夜8時頃。
彼にしっかりお礼を言って、彼は自分の家に帰っていった。
うちから彼の家までは車で3時間以上かかる。家はまだまだ先…お疲れ様。



No.332

祖母は勘が鋭い人。
私が駅に向かう行動を見ただけで、私が友達と来てるのではないと判ったらしい。


後で分かった事だけど、私が祖父母のところから帰った後、祖母が母に「○○ちゃんがお見舞いに来てくれたよ。友達と来たって言うてたけどあれは友達違うと思うわ。気ぃつけときや」と電話があったらしい。


母は「そんなことはないやろ」と否定したらしいけど、祖母の勘は当たっていた…


彼から夜中に「家に着いた」とメールがあった。
すぐにお疲れ様~とメール送信。
色々話してる内に、本題のこれからも付き合うかという内容になった。


私はOKした。
あちこち連れて行ってくれるし、手は出してこないしでイイ人に思えてきた。
会話もその内弾むようになるだろうし、ファッションセンスも指摘する内にマシになるだろう。
何よりも遠距離だから自分のペースを崩されることもない。
そんな事を思っていた。


彼は喜んで「次はどこへ行こうか」と聞いてきた。
私は福岡県を選んだ。
スペースワールドへ行ってみたかった。


No.333

次の月はスペースワールドへ行った。
また泊まりで。


私が子供の頃、父は従業員さんや歯科技工士の叔父達と一緒に慰安旅行でスペースワールドへ行った。
その時のお土産は宇宙食だった。
乾燥したイチゴみたいな物とか色々…
期待して食べてみたけど、あまりおいしいものではなかった。


私もお土産に宇宙食を買おうと思ったけど不評だったのを思い出してやめた。
代わりに焼き菓子を買った。


彼が遊園地に来るのは初めてで、色んな乗り物を見て足がすくんでいた。
前に行った遊園地では観覧車しか乗ってないから遊んだとは言えないよね…


彼はジェットコースターに乗って少し気分が悪くなったらしい。
一方、私は遊園地が大好きで、子供の頃は月1~2回地元の遊園地へ連れて行ってもらってた。
気分が悪そうな彼を誘ってまたジェットコースターに乗る。
彼は顔面蒼白になっていた(笑)


翌日は彼が薦めてくれたマリンワールド海の中道へ行った。
時間がもっと沢山あったら良いのに。
キレイな所だし楽しい。
2日間、とても充実していた。


会話も弾むようになってきたし楽しい。
でも私は彼に対して好きという感情は無かった。
ただの友達。そんな感じだった。


No.334

6月の終わり頃、授業中に友達と3人でゲームをした。
負けたら、友達が自分(私)になりすましてメールを送るという罰ゲームつき。
友達が負けたら私がメール作成して送信する。


まさかのまさか…負けてしまった…💧
自分が負けるとは全く思ってなかった💧
ケータイを渡すように言われ、渡すと友達2人で文章を作成していく。
2人とも笑ってる…


少しして「メール送信完了✌」と言う声がしてケータイを渡された。
送ったメールを見てみると…
『今度会う時Hしようね❤優しくしてね❤気持ちよくして~❤』と書いてあった。


うそっ😱冗談でしょ⁉
私は彼とは今の関係のままが良かった。
カラダの関係なんて持ちたくない。
うわぁ~最悪。
何してくれとんじゃ~😭💢


夜、彼が仕事が終わった頃にメールした。
「夕方送ったメールは勝手に友達が送っただけだから気にせんといて✋」


しばらくして返信があった。
「分かってるよ。いつもの文の書き方と違うから○○ちゃんじゃないと思った」


ほっ💨ひとまず安心。


でも友達が許さなかった。
「え~、ちゃんと実行しないと罰ゲームにならないじゃん。報告よろしく✋」


…………………💧
ぐはぁ😱


No.335

7月の始めに彼と会う約束をしていた。
場所は彼の家。
彼が「家に来てみる❓」と聞いてきたから「いいよ」と返事した。


彼は母親と4つ下の妹と3人暮らし。
父親のことは「まぁ、いいじゃん」と流されて教えてもらえなかった。


夕食を済ませてから夜8時頃、彼の家へ行った。
3Kの結構古いアパート。
玄関に入ると靴がゴチャゴチャしていて靴の置き場が無い…💧
取り敢えず、ドア付近に置いてジャンプして部屋に上がった。


「こんばんは、お邪魔します」と言いながら彼の後を着いていくと、台所に居たお母さんがこっちをチラっと見たらすぐ逃げて妹の方へ行った。


えっ💧どしたのこのお母さん…💧
「△△さん(彼)にいつもお世話になってる○○といいます。これ少しなんですが…」とケーキを渡した。


彼のお母さんは
「あっ、はい、はい、どーもね」と言ってまた妹の方にサッと行ってテレビを見てる妹とボソボソと話してる…


何なんだろう…💧


彼が「まぁ、その辺に座ったら」と言ってきた。
座ろうにも部屋が散らかっててどこに座れば良いんだろう…という感じ。
でも取り敢えず彼の横に座った。


No.336

お母さんに「何か飲む❓」と聞かれた。
「はい、お願いします」と答える私。


冷えたお茶が出てきた。
あれ…❓何だか…味が変…
烏龍茶のような…でも何か違う。
つい何茶か聞いてしまった。
烏龍茶を2回煮出したものらしい。
煮出し過ぎて味が変わってると言われた。


コップをよく見ると、ワンカップ酒のビンで、底がうまく洗えてないのか茶渋のようなドロっとしたものがついてた…
うわぁ…💧


見なかったことにしようと努力したけど、一口飲む度に吐きそうになる。
せっかく出してもらったんだから悪いと思って全部飲みきった。


この家にはテレビが2台あった。
2つとも19インチくらいのテレビ。
1つは台所、もう1つはお母さんの部屋兼食事をする部屋にあった。


このテレビを初めて見た時、かなり衝撃を受けた。
両方ともダンボールとセロハンテープで耳が作られてる。
そこに鉛筆とか消しゴム、耳かきが入ってた💧
なんとテレビ本体の左右にダンボールで小物入れが作られてた(笑)


綺麗に作れば見栄えも良いのに、適当に切ってセロハンテープをペタペタ貼り付けてるから汚く見える…💧


No.337

持ってきたケーキをみんなで食べながら色々話し始めた。
私の学校や親のこと、観光地のこととか。
妹は次々質問してきた。
高1の妹は年上の人と話す機会があまり無いし、お姉ちゃんができたみたいで嬉しかったらしい。


しばらくして、お母さんにお風呂に入るように言われた。
私は最後で良いって言ったけど、先に入るようにって。


「タオル洗濯機の上に置いとくから好きなだけ使いなさい」とフェイスタオルを10枚以上置いてくれた。
こんなに⁉😲


着替えと自分で持ってきたタオル、ボディソープやシャンプーなどを用意してお風呂に向かった。
お風呂に入ると湯船のフタがホコリとカビで真っ黒だった…💧


えっ💧真っ黒…
フタを外そうとフタの内側を触るとヌルヌルだった。
えっ💧ヌルヌルしてる💦
洗面器を使おうと持ち上げると垢まみれでザラザラ。
えっ💧垢じゃん💦


勿体ないけど、シャワーを使って頭と体を洗って湯船のお湯は浸かるだけにした。
お風呂を上がる前にお風呂のフタと洗面器をよく洗っておいた。


お風呂を上がって「お先に頂きました」と言うと、お母さんは今度は彼にお風呂に入るように言った。



No.338

私がお風呂に入ってる間に彼と私の布団が敷かれてあった。
ケーキを食べた部屋は夜になると座卓を台所によけてお母さんが布団を敷いて寝る。その隣の和室が彼の部屋だった。


彼の部屋はコンポとカラーボックスに入ったマンガとCDしかなくて殺風景。
妹の部屋は玄関を入ってすぐの所にある洋室だった。


お風呂上がりで暑そうにしてたら扇風機に当たるように言われた。
この家にはエアコンがない。
7月初旬だから部屋はムワンと暑くて汗が止まらない。
小さい頃からエアコンのある生活に慣れていた私には結構キツかった。


窓を全開にしてるから風は少し入ってくるけど、窓には網戸がない。
蚊が沢山入ってくるから3ヶ所で蚊取り線香が焚かれていた。
私はその時初めて蚊取り線香というものを間近で見た。
煙が意外と煙たくて咳込んでしまった。


私の家や母の実家はベープを使っていたから蚊取り線香を見ることはなかった。
しかもベープは祖父母が寝る時に使っていただけで、私たちは使った事がない。


蚊取り線香が燃えていく様子が何だか面白くて見入ってしまった。



No.339

彼がお風呂に入ってる間に妹が秘密の話をしてくれた。
彼が私に告白メールを送ってきた時の事。


彼は「何てメールを送ったら良いんだ」と言いながら部屋をウロウロして落ち着かない様子だったらしい。
15歳の妹に「この文で良いと思う」と何度も聞いたり(笑)
「お兄ちゃん、○○さん(私)のことが本当に好きなんだと思うよ」と言ってきた。


私は「そうなんだぁ…」と苦笑い💧
私は彼の事が好きではない。ただの友達としか思えなかった。別れようと思えばすぐ別れられる。そんな気持ちでいた。
好き20:80嫌い、こんな感じ。


続けて妹が「お兄ちゃんが好きになるの分かるわ~。○○さん優しそうだしキレイだし。頼りないお兄ちゃんだけど、これからもお兄ちゃんの事よろしくお願いします」と言ってきた。


取り敢えず笑って「こちらこそ」と言っておいた。


私は顔に自信がない。
父も母も昔からよくモテていて恋人に不自由した事が無かったらしい。
でも私は父と母に似ていない。
私は両家の祖母に似て残念な感じ(笑)
父は祖父似、母も祖父似。
昔の写真を見せてもらったけど、両家の祖母は美人でもないし可愛くもなかった💧


No.340

私の妹は父に似ていて、昔から可愛いとよく言われていた。
小学生の時から付き合ったりしてたし、ずっと恋人が居る感じ。
正に恋人には不自由してなかった。
勉強もできるし。
私は妹のことが羨ましかった。


でも妹は学校の先生や友達とトラブルになる事が多く、いつも友達関係で悩んでは胃が痛いと言っていて、昔から友達がほとんど居ない。


そんな妹に対し、私は友達とのトラブルはほとんどなくて友達が沢山居た。
母がいつも「友達には優しくね、仲良くするんよ」と言っていたから、その言葉の通り、友達には常に優しく接していた。
後、私は特別学級の子達と一緒に居るのも好きだった。
やはり母に「○○くん(同じクラスの子)は困ってる事が色々あると思うから手伝ってあげてね。優しくしてあげてね」と言われていた。


○○くんは自閉症の子で、クラスで授業を受ける時は横に加配の先生がついていた。
他の授業の時は特別学級に帰って行く。
○○くんは授業中に急に立ち上がって奇声を上げる事も多く、言葉もあまり通じてない感じだったけど、私はその子と居るのが好きだった。


No.341

○○くんが「嫌だ」という思いを伝える時は1~2歳の子がグズグズいうのと同じような感じで泣きそうだったり、つねったり噛んだりしてきた。


噛みそうになったら加配の先生がパッと止めに入って「○○くん、噛んだらいけません。噛んだら痛いんよ」と言っていた。
時々、先生が間に合わず噛まれる事もあったけど私は平気だった。


私は「あっ、嫌だったんだね。ごめんね」くらいにしか思ってなかった。
先生はすぐに気付いて「ごめんね、痛かったよね。保健室へ行って冷やしてもらっておいで」と言った後、○○くんを叱る。


私はこの先生の事も大好きだった。
私は大人になったらこの先生みたいになりたいと思っていた。


でも実際に(障がいは違えども)発達障がいのある息子と一緒に居るとイライラする事が多くて、なかなかこの先生のように穏やかに色々と教えてあげることができない事に気付いた。
そして接するのと育てるのはやっぱり違うんだなぁという事にも気付いた。


私の器は小さいから怒ってばかりだ…⤵
ごめん、息子。


No.342

彼がお風呂を上がってきた。
今度は妹が入る番。


妹がお風呂に向かうと、彼はお母さんに「ねぇ、耳かきして。耳が痒いんよね」と言った。


えっ💧耳を疑った。
20歳になったばかり(この日が誕生日)の人が母親に耳かきしてって…有り得ない。
そのくらい自分ですれば良いのに…
もしやマザコン…❓


お母さんは「はいはい」と返事して彼の耳かきを始めた。
うそ~😱うわぁ~💧
ドン引き😨


後で聞いたけど、彼は自分で耳かきをしたことがないらしい。
それは30歳を過ぎた今も自分でできないからと私に頼んでくる。


私が事故とか病気で死んだらどうするの❓と聞いてみると「どうしようかね(笑)」と言って終わらす。
本当にどうする気なんだろう…💧


ついでに、彼の髪を染めてるのもお母さんと聞いたり、お母さんとくすぐりあって楽しんでる様子を見た時、マザコンだと確信した。
そして彼は子供の頃からあまり怒られた事がないらしい。
私の母はすぐ叱ったり怒ったりするのに…


話の流れで、彼のお母さんは私の母より2学年上の48歳という事が分かった。
年は近いけど、私の母はこんなにじゃれ合ったりする事はしない。
彼の家族の仲の良さがちょっと羨ましかった。



No.343

3人で色々話してる内に妹がお風呂を上がった。
「なんか、お風呂がキレイになってる。フタがキレイになってた」
彼も「あっ、僕も思った」と言った。


妹が「もしかして○○さんが掃除してくれた❓」と聞いてきた。

私「うん、お風呂使わせて頂いたから」

お母さん「そんなの気にせんでいいのに~お風呂のフタなんてこの3年間1回も洗ったことないよ」

えっ💧えぇ~😱
どおりで…💧


妹「うそっ💦お母さん、ちゃんと掃除してよ❗」

お母さん「フタは使わんから別に洗わんでエエじゃないの」


…………💧


次はお母さんがお風呂に入った。
妹「3年も掃除してないとか有り得んじゃろ💧うちがたまたま部屋を掃除したら次からずっとやれみたいな事言うし、やって当たり前とか言うし、腹立つわ~」


この家は人がトイレやお風呂に入ってる間に悪口大会が始まる。
そして本人が帰ってくると何事もなかったかのように他の話をする。
私は作り笑いしかできなかった。


「ここを治した方が良い」という感じの悪い所も誰も指摘しない。
だから本音でぶつかり合うこともない。
長く一緒に居ると、仮面夫婦ならぬ仮面家族のように思えてきた。
きっと私がトイレやお風呂に入ってる間も言われてるんだろうな…



No.344

お母さんがお風呂を上がってから寝ることになった。


みんなそれぞれの部屋へ行った。
私は彼の隣の布団。
私は友達の「報告よろしく」という言葉が頭から離れず、迷っていた。
何故か『男に二言はない』みたいな気持ちになって「ねぇ、この前友達が送ったメール覚えてる❓」と聞いてみた。


彼は「うん」と一言。

私「あの内容の通りにしていいよ」

彼「えっ💦」

私「そういうゲームだから(笑)」

彼「えっ💧本当にいいの❓」

私「うん…」
本当は嫌だった。
別れられなくなる気がしたから…

でも気持ちは『男に二言はない』(笑)
女だけどね。


彼が初めて胸を触ってきた。
普通の人だったら彼とする事になったらどう思うんだろう…
私は触られる事に慣れてたからか、何とも思わなかった。


実は、私は彼以外の人と1回だけ経験がある。それはよく会っていたメル友だった。


彼と付き合う前に
「いつまでも処女だったら嫌じゃない❓俺が相手してやろうか❓(笑)」と冗談ぽく言われた。


私も冗談ぽく「良いよ👍」と言った。


メル友は驚いていた。
まさか私がそう答えるとは思ってなかったんだと思う。


No.345

「ホントに~❓」と何度も聞かれたけど、私はその度に「うん」とだけ答えた。


メル友が胸を触り始めた。
「あ~鬱陶しいなぁ」という感覚。


どんどん進んでいく。
胸以外を触られたりするのは初めてでドキドキし始めた。
私が初めてということもあってかなり時間をかけてくれるメル友。


でもなかなか入らない。
もう激痛で死にそう(笑)
でもOKしたからには我慢しなきゃ💦
そう思って耐えた。


何とか半分入ったけど、私が「もうこれ以上無理❗痛くて死ぬ❗」と言ったらやめてくれた。
「こんな痛い思いするなら、もう一生しなくても良い❗」と言うとメル友は笑っていた。


「また機会があれば(笑)」とメル友に言われたけど、それ以降メル友との『機会』はなかった。
たまに胸を触ってくる事はあったけど…💧


メル友との激痛を思い出すと、彼とするのも怖い。
しかも彼は初めてだから知識が乏しい。
それでも言ってしまったもんは仕方ない。


お母さんのイビキが聞こえ始めると彼はあちこち触りながら進み始めた。
いざ入れるとなるとやはり恐怖で体が拒否反応(笑)
少し入れるだけでも痛くてなかなか入らない。


何度か挑戦したけど、痛くてその日は諦めることになった。


No.346

私は前々から彼に「自立したら~❓マザコンなんじゃないの❓(笑)」なんて言っていた。


彼にそんな勇気は無いと思ってワザと言ってたのに、本当に1人暮らしをすると言って私が住む県に引っ越してきた。
ビックリした。


彼は学校から(私の家方面で)3つ目の駅の近くにある1Kの賃貸マンションを選んでいた。家賃は4万8千円。
荷物は全部自分の車に乗せて運んできたらしい。
7月下旬のことだった。


翌日は花火大会で、友達とダブルデートをする約束をしていた。


友達が浴衣を着るってきかない(笑)
私も浴衣を着るように言われていたから、母に浴衣を出してもらった。
浴衣は私が小6の時に母方の祖母が縫って作ってくれたもので、ピンクや黄色の蝶が描いてある。生地は藍色。
その時祖母に買ってもらった黄色の巾着も出してもらった。


私の身長は小6の時から8cm伸びただけだった。
下駄は靴屋さんに買いに行った。


母に「あんな遠い所まで浴衣で行くなんてアホやねぇ。足痛なるだけやのに」と言われながら浴衣を着せてもらった。
花火大会の会場は電車&路面電車で1時間半。更にそこから少し歩く。


母には友達と行くと言って家を出た。
彼の住むマンションに向かう私。
友達の家はそのマンションから歩いて5分の距離だった。



No.347

目的の駅に着く頃、彼に「もうすぐ着くよ」とメールした。


駅に着いて待っているとすぐに彼が来た。
駅前のコンビニでお弁当を買って彼と一緒に家へ向かう。
駅から徒歩10分かからない距離に彼の住むマンションがあった。


玄関を入ってすぐ右側にお風呂、その隣にトイレ。
左側の奥には小さなキッチンがあった。
更にその奥には7畳の洋室がある。
収納ケースが3個と布団、コンポ、小さなテレビ&ゲームがあるだけだった。


部屋はガラーンとしている。
どの家にも大抵ある洗濯機や冷蔵庫、電子レンジ、食器棚、テーブルは無かった。


「洗濯機無いけどどうするの❓」と聞くと「大丈夫」と言ってお風呂を指差した。
浴槽を見てみると少し水が溜まっていて、そこに服が入っていた。


彼が「これが洗濯機👍」と言った。
洗濯洗剤を溶かした水を足でグルグルかき混ぜたり、踏み洗いするらしい(笑)
昭和初期の生活だ…


コンビニ弁当を食べて1時間程して出掛けることにした。
友達とは3つ先の大きな駅で待ち合わせしてたから、集合場所に向かった。


No.348

大きな駅に着いたら友達と彼がもう来ていた。


友達は黒地に秋桜という感じの大人っぽい浴衣を着ていた。
凄く似合ってて綺麗だったから見とれてしまった(笑)


友達の彼(Dさん)が私の彼に「今日はよろしくね」と言ってきた。
「あっ、ハイ💦」としか言わない彼⤵
もうちょっと気を利かせて何か言ったら良いのに…


路面電車で会場に向かった。
早い時間だったけど結構人が多くて電車は満員に近かった。
いつものようにワイワイ楽しく話す友達と私。
寂しそうな男2人(笑)


話題を振ってみた。
「Dさんって工業高校に通ってたんですよね❓彼も工業高校行ってたらしいですよ」
Dさんは「そうなんじゃ~」と言って彼に色々話し始めた。
仕事の話とか色々。
でも彼は「はい」か「そうなんですか」しか言っていなかった…💧
おいおい、この先大丈夫か…
折角話しかけてくれてるのに。


No.349

会場に着いて少し歩くと屋台が沢山並んでいた。
Dさんが「ちょっと何か買ってくるわ」と言って行ってしまった。


友達は「あの人、多分、自分のもんしか買って来んよ。いっつもそうなんよね⤵」と行っていた。
Dさんが帰ってきた。
友達の予想は当たっていた(笑)


唐揚げを食べながらウロウロするDさん。
友達に「私達も何か買いに行こうか」と言うとDさんも着いていくと言う。
今度はみんなで屋台へ行ってかき氷やポテトを買った。


Dさんが「そろそろ行こうか」とDさんのお気に入りだと言う場所へ向かった。
Dさんは同僚と毎年見にくるらしくて良い場所を知っている。


着いた場所は花火を打ち上げる場所からかなり近い所だった。
花火が始まるとメチャクチャ大きくてビックリした。
今までこんな近くで見たことがない。
音もスゴイ迫力で心臓に響く。
友達も私の彼もあまりの迫力にビックリしていた。


夜9時。
あっという間に楽しい時間は終わって帰ることになった。



No.350

帰りの路面電車は人がいっぱいで乗れそうにない。
Dさんはそれを知っていて、花火大会会場近くに車を止めていた。
車で友達の家付近まで送ってくれることになった。


友達が私と一緒に後部座席に乗ろうとしたから、私の彼は助手席に乗ろうとした。
すかさずDさんが「お前は前だろ❗」と友達に言った。
2人とも天然過ぎる…(笑)
笑いが止まらない。


車で友達が住んでるところの駅まで送ってもらってそれぞれ別れた。
私はそのまま次の電車に乗って帰った。
彼は自分の住んでるマンションに。


私が乗った電車は終電だったから仕事帰りの人ばかり。
浴衣を着た私は浮いていた。
駅に着いて母に「迎えに来て」と電話したけど何だか怒ってて「行かない」と言うから仕方なく歩いて帰った。


帰って足を見ると、慣れない下駄で皮が剥けたり水膨れができて痛々しい足になっていた。
もう浴衣は二度と着ないと決めた(笑)


No.351

夏休み中、もう1人の友達と飲みに行くことになった。
またWデート。


4人で居酒屋に入って乾杯。
私と友達はカシスオレンジ。
友達の彼と彼はビール。


色々話しながら楽しく飲んでいた。
彼は結構お酒が好きで3回目の注文。
私以外はみんなお酒に強い。
私以外はみんな2杯目を飲んでいた。


彼がトイレに行ってくると言って席を立った。
友達の彼は私達と同じ2年生で宗教音楽コースの人。
学校の話しとか話題は尽きない。


しばらく経っても彼がなかなか帰ってこない。
友達が「様子見に行ったら❓」と言ってきたけど、私は「まぁ、その内帰ってくるでしょ」と言ってまた話し続けた。


それから少ししてまた友達が「トイレで倒れてるかもよ❓見てきたら❓」と言ってきた。
仕方なくトイレに向かう私。


閉まってるドアに向かって「ねぇ、居る❓大丈夫❓」と聞いたけど返答無し。
ノックしたらカチャっと鍵が開いた。


彼はトイレの前に座って「気分悪い」と言ってきた。
悪酔いしたんだと一瞬で分かった。


彼が吐きそうになってる時に背中をさすってたら「いいからあっち行って」と閉め出された。


No.352

せっかくさすってあげてるのに…
ムっとして私は席に戻って、彼が悪酔いしてトイレから出られないことを伝えた。
心配そうにする友達と友達の彼。


しばらく話してると彼が帰ってきた。
友達の彼が「大丈夫❓」と聞いても無言。
またトイレへ向かって行った。
心配してくれてるんだから何か一言くらいあっても良いのに…


そして彼がトイレから出てきたところでお開きにして帰ることになった。
友達と友達の彼は「大丈夫❓気を付けて帰ってね」と言ってくれたけど、彼は無視。


帰り道
「あんな態度はないでしょ❗心配してくれてるのに」と言うと「誰も心配して欲しいなんて言ってないじゃん。もう飲みに誘わんとって」と言われた。
最悪。何この人💢


それ以来、友達と一緒に遊びに行くことはなくなった。
こんな恥ずかしい彼を私の大事な友達に会わせたくないという思いが強かった。


私はほぼ毎日バイトや学校帰りに彼の家に寄るようになっていた。
彼は仕事で居ない日もあったけど、勝手に上がってご飯(コンビニ弁当)食べたりテレビを見たりゲームをして過ごしていた。
まるで自分が1人暮らしをしてるよう。
1人暮らしに憧れていた私にとってこの部屋は凄くいい場所だった。


暇になったら、部屋の片付けや掃除、彼の服をお風呂で洗濯(笑)することもあった。


No.353

2年生になると声楽の授業が変わった。
1年生の時は教育コース全員で2人の先生に教えてもらっていたけど、2年生からは1:1でのレッスン。
とは言っても、授業1時間(45分)の間に2人のレッスンをするから、1人あたり22~23分と決まっていた。


先生は30代後半~40代前半って感じの男の先生で、四国の大学の教授らしい。
週1回レッスンをしに私達の学校へ来ていると聞いた。


始めは優しそうな先生だと思っていた。
私は歌が苦手。
でも先生の言う通りにやってきて上達もしてきた。


前期のテストの時。
私は風邪を引いてしまって歌のテストの時に声が裏返ってしまった。
あぁ…


それから先生の態度が変わっていった。
やる気がないと言われたり、怒られてばかりだったり。
私は精一杯やってるつもりだった。


なのに先生に
「アナタの声は声楽に向いてません。
ブルースとか黒人の人達が歌うような歌の方が向いてます。
私はもうアナタに教えませんから。
そういう所に行ってレッスンを受けて下さい」
こう言われてしまった。


えっ💧
そんな事言われても…
私はどうしたら良いの❓
この先生のレッスンを受けないと単位が取れないんだけど。


No.354

次のレッスンの日程を決める時も先生は私に話しかけない。
もう1人の子ばかりに話しかけて私は眼中に無い様子。
私…どうしたら良いんだろう。
もう来るなってこと❓


次のレッスンの時、もう1人の子に言っていた時間に行くと誰も居なかった。
時間変更があったらしい。
でも私には言ってくれなかった。


私はもう単位が取れなくても良いと開き直って声楽のレッスンに行かなくなった。
でもやっぱり気になる。
他の授業も難しくなってついていけなくなりつつあった。


毎日鬱々とした気持ちで過ごす内に、本当は友達は私の事を嫌ってるんじゃないかというマイナス思考が始まった。
そう思い始めると止まらない。


私は嫌われるよりマシ…と友達と距離を取るようになった。
昼食はほぼ毎日トイレでササッと済ませ、学校を出て街を歩く。
学校に居るとみんなに笑われている気がするから居たくなかった。


街を歩いていても「あの人、私を見てる…私、変なのかな」というマイナス思考が止まらない。
人と目が合わせられなくなっていった。


バイト先でもやはりマイナス思考が止まらない。
みんな私の事を嫌ってると思い込んで、仲が良かった人達と距離を取った。


No.355

学校やバイト先から私の居場所は無くなった。
家にも私の居場所は無い。
ただ寝に帰るだけ。
唯一、彼の住むマンションが私の居場所だと思っていた。


彼は私が授業をサボっていても怒らない。
「大丈夫なん❓」と聞いてくるだけ。
彼の所に居るのが楽だった。


でもそんな生活は長くは続かない。
授業をサボったりしている事を、高校の時にお世話になってた教授がTさんに話したらしい。


Tさんから家に来るように連絡があった。
母と一緒にTさんの家へ向かう。
Tさんはニコニコと「学校は楽しい❓」と聞いてきた。


好きな授業もあるからそれは楽しいと話した。
そして声楽の先生の話をした。
Tさんは「何でもっと早く言ってくれんかったん⁉」と言って学校側に抗議してくれたらしい。


その声楽の先生は外されて、私は別の先生に見てもらえることになった。
前の先生はこの先生の門下生だった。
そんな事があったなんて…と謝られた。
そしてこの先生は私の祖母の親戚なのだそうだ。


先生が代わってから私はどんどん上達していった。
教え方がウマいし楽しい。
始めからこの先生だったらどんなに良かっただろう。


それから1ヶ月も経たない内に私の妊娠が発覚した。


No.356

すごく面白かったです(^o^)一気に読ませていただきました😤
続きが気になります…😤

No.357

>> 356 まとまりのない文章なのにここまで読んで頂いてありがとうございます✨


最近、更新が遅くなってますね。
すみません。
みんなが寝静まってから更新しようと思ってるんですが、眠気に勝てなくて(笑)


また更新していきますね😃


No.358

彼のマンションに行くようになって少しして、久々に彼とHすることになった。
でもあの痛みの恐怖が蘇る。
今日こそは最後まで❗と思うけど怖い…
あちこち触られ始めたら緊張と恐怖で体がこわばる。拒否反応。
でもこの痛みに耐えないと大人になれない気がする(笑)


今日は痛みに負けない❗と覚悟を決めた。


この日、初めて最後まで進めた。
その後2~3日は痛みと違和感が残ってて変な感じが続いた。
1度うまくいったら次からはあまり痛くなくて時々彼とHするようになっていった。


今思うと、私は何てバカなんだと思うけど避妊はずっと彼任せにしていた。
「ちゃんと着けた❓」と聞いたら「うん」と毎回返事があったから私はそれを信じていた。


でも実際は違った。
行為に慣れてきた頃、彼は私に気付かれないようにコンドームを外すようになっていた。
彼は、子供ができたら私と結婚できると思ったらしくてワザと外していたそうだ。


No.359

12月5日。
11月末に来るはずの生理が来ない。
毎月28~29日周期で来るのに…
まさかと思い、初めて妊娠検査薬というものを買った。
買う時は挙動不審だったから、変な人だと思われてたかも💦


彼のマンションへ行くと彼は仕事で居なかった。
この頃の彼は警備員をしていて、勤務時間はバラバラだった。


早速、検査薬の使用説明書を読んで使ってみた。少し待つと + 陽性反応が出た。


えっ💧
どうしよう💧
本当に妊娠してる…
どうしたら良いの…❓


色んな事を考えてる内に彼が帰ってきた。
すぐに「見せたいものがあるんだけど」と言って検査薬を見せた。
一瞬ビックリした顔をして「まさか本当にできるとは…💧」と言ってきた。


どういう事か聞いたら、彼が私と結婚したくてわざと子供を作ろうとしたという事を話してきた。


信じられない…
「何してくれとんよ❗私まだ学生よ❗結婚できるわけないじゃん❗親に何て言えば良いんよ❗」と怒鳴った。


No.360

彼は呑気に「まぁ、何とかなるって。僕がしっかり働いて稼ぐから大丈夫よ」と。


私はその言葉に少し心が揺らいだ。
せっかく来てくれた命。
私の子…
堕ろしたくない。
でも今は……


何よりも私はこの彼の事がそんなに好きじゃない。
例えるなら、同じクラスの隣の席の男子のような感じで、他の人よりちょっと仲が良いかなというだけ。
好きという感情はあまり無かった。


彼の
気の利かないところ
会話が続かないところ
空気が読めないところ
車の運転が荒い&下手なところ
服装etc…
嫌いな所は沢山あった。
でもそんな事は言えない。


取り敢えず、妊娠が本当かどうか確かめるために産婦人科へ行くことにした。
彼のマンションから車で10分程のところにある個人の産婦人科を選んだ。
2日後の朝、親に見つからないように保険証を持ち出して産婦人科へ向かう。


診察の結果、まだ小さすぎて分からないから来週来るように言われた。
それを彼に伝えて家に帰った。
親に見つからないようにそっと保険証を元の位置に戻しておいた。


No.361

次の週にまた保険証を持ち出して産婦人科へ向かった。
医師「妊娠してますね。6週目です。また来週来て下さい。少し出血してるので」

私「はい、分かりました」


6週目…本当にできてたんだ。
どうしよ…💧
嬉しそうな彼に対し、私はため息ばかり出る。
私の落ち込む姿を見て彼は「もう大丈夫だって❗僕が何とかするから❗」と言ってくる。


何とかって…
うちの家族、どうやって説得する気なんだろ。堅い家だからめちゃくちゃ厳しいと思うけど。


私も色々考えてる内にお腹の子は堕ろしたくないと思って、私の親には堕ろせない時期が来るまで黙ってることに決めた。


年末、彼の実家へ行った。
その時に子供ができた事を報告した。
彼のお母さんはすぐに「どうするの❓産むの❓」と聞いてきた。
私はなるべくそうしたいけど、私の親にはまだ言ってない。言ったとしても反対されるだろうという事を話した。


彼のお母さんは「産むんだったら応援するよ」と味方になってくれた。
その時に先月、彼の妹が子供を堕ろした事を聞かされた。
まだ15歳だった妹。母親になるには早過ぎるからと。


でもその3ヶ月後、妹はまた妊娠した。
今度は産むと言って。


No.362

主さんお元気ですか?体調など崩されてませんか?
きっと…お忙しいんでしょうね💦

前にもレスさせて頂いた者です。…気長に更新お待ちしてますぅ☺

再レスすみません💦🙇

No.363

>> 362 こんばんは😃
またまたレス有難うございます✨


旦那と子ども達が交代でインフルエンザにかかってしまい、なかなか思うように更新できず…すみません💦
私はまだかかってないので、感染らないか毎日ビクビクして過ごしてます(笑)
また落ち着いたら更新していきますね。


まだまだ寒い日が多いので暖かくして過ごして下さいね。
お気遣い有難うございます😊



No.364

>> 363 おはようございます😃

インフルエンザ…😱

大変ですね💦
主さんに感染りませんように…お母さんまでダウンしちゃったら大変です😨

お大事にしてください。皆さん早く元気になりますように💪

大変な時にお返事ありがとうございした☺

No.365

>> 364 ございした ❌
ございました ⭕

抜けてました…すみません😭

No.366

12月下旬に入る頃に産婦人科へ行くとまだ軽い出血があると言われた。
そしてなるべく身体を休ませるように言われた。
でも学校やバイトでなかなかゆっくりできない。
私は1月中旬でバイトを辞める事にした。


エコー写真を見ると不思議な感じ。
こんなにちっちゃいのが私のお腹に居るんだ…
色々考えたけど、私はどうしても中絶する気にはなれなかった。
中絶した時のリスクも前に人から聞いたことがあったし。


相手はあまり好きではない人。
だけど子どもにはそんなの関係ない。
私は子どもが成長して中絶できなくなる日まで家族には黙っていようと決心した。
そして私は家を出て行こうと思い、部屋の整理を始めた。


年が明けて少しした頃に、私は妹にだけ現在妊娠していて家を出て行こうと思う事、お母さん達には言わないで欲しいという事を話した。
そして妹が前々から欲しがっていた私のCDラジカセと椎名林檎のCDをあげることにした。


大学受験を控えていた高3の妹。
この時は「そうなん…気を付けてね」くらいしか言わなかったのに、それから何年も経ってから「私はあの時どんなに悩んだと思っとんよ❗受験生だった私にあんな話して❗馬鹿としか言いようがない❗」と責められた💧


No.367

弟にはもう要らなくなったからと、hideのアルバムをあげた。
その時高2だった弟は、黒夢とかが好きだった。弟はzilchのCDも持ってたからhideが好きなのかなと思って渡しておいた。
これで私は妹や弟に思い残す事は無くなった(笑)


その年は私の成人式があった。
去年の夏のある日、呉服屋さん❓が家に来て母と一緒に振袖の柄を選んだ。
私は着物に詳しくないから母と呉服屋さんが勝手に決めていく。
柄が決まったら今度は採寸。
母が「本当は19歳の誕生日の時に着物の喪服を作らないといけなかったんだけど、作れなかったから一緒に作ってもらっておこうね」と言って、急遽喪服も作ってもらうことになった。


それからしばらくして家に振袖と喪服が届けられた。
振袖を着させてもらったら何だかドキドキした。自分の着物✨嬉しかった。
白いファーショールも着いてて、気持ちいいってホッペすりすりしたり触りまくってたら母に「汚れる❗」と怒られた(笑)


喪服の方は着ずにそのまま仕舞われた。
それから10年以上、一度も出してないけど虫にかじられてないだろうか。


No.368

成人式まで後数日という時に、私は母と喧嘩をした。
私は拗ねて「成人式なんて出ない❗」と言って、家には夜11時過ぎに帰って寝て、朝は6時半頃の電車に乗ってバイトに行く生活を続けた。


バイトが終わったら彼のマンションに直行し、そのまま何時間も過ごしていた。
成人式の2日前、私は母に対してまだイライラしていた。
彼のマンションに居ると何度も何度も母から着信があったけど私は無視し続けた。


家に帰ったら母が「何で電話に出んのよ❗」と滅茶苦茶怒っていた。
(成人式用に)美容院を予約するのに翌日、私が何時に帰ってくるか分からないからその事を話したかったらしい。


でも私が電話に出なかったから前日セットの予約ができず、結局、当日の朝6時半に美容院へ行くことになった。


翌日、私がバイトへ行くと一番年上のパートの人から「昨日、○○さんのお母さんから店に電話があったよ」と言われた。
驚いていると「スゴいお母さんやね💧店長に色々文句言ったみたいよ」と教えてもらった。


うっそー😨
お母さん…何してくれてんの😱
私はすぐ店長に謝りに行った。


No.369

店長が「○○さんのお母さん、色々言ってくれたよ(笑)だから私はこんなバイトさせたくなかったんです❗だって(笑)あんな言い方してたら誰でも逃げ出したくなるし嫌になると思うわ。子供の事を全く考えてない発言ばかり。○○さん大変だね…」と。


私は、ご迷惑お掛けしてすみませんでしたと言って苦笑いするしかなかった。


店長や社員さん達はみんな40歳前後で小中学生の子どもが居る。
みんなお父さんって感じの優しい人達ばかり(時には厳しいけど)だった。
私はそんな店長達が居るお店の雰囲気が好きだった。


なのにその雰囲気を最後の最後でぶち壊した母。
私はその3日後にバイトを辞めることになっていた。
もう最悪。


その日は成人式の前日だったから母に早く帰ってくるように言われていた。
でも私は母の事が許せなくて、バイトが終わったら彼の所にずっと居た。
彼の成人式は午後からだから、翌日の朝帰るらしい。
私は朝10時から。


何度も何度も母から着信があったけど、私はまた無視し続けた。


No.370

帰ったら母がやはり怒っていた。
「早く帰るように言うたやろ❗ちゃんと約束守りぃや❗」

「約束してない…成人式行かんって言ったじゃん」

「まだそんな事言うて❗いい加減にしぃ❗」
そんなやり取りが続いた。
妹達はリビングの隣にある自分達の部屋に居る。喧嘩の声は筒抜け(笑)
父はこたつに入って眠そうにTVを見ながら「うるさいなぁ」という感じで私たちのやり取りを見ていた。


そして母が
「あんた、最近、生理無いみたいやけどまさか妊娠してるんとちゃうやろねぇ」と言ってきた。


えっ………💧耳を疑った。
母は洗濯する時に、私の生理用ショーツが2ヶ月程出てない事に気付いていた。


続けて「○○ちゃん(妹)はショーツ出てるのにあんたは出てない。おかしいやろ❓」


もうダメだ…
私は何を思ったのかヤケになって
「そうよ。妊娠してるよ。だから何❓」と言った。


その瞬間、母にビンタされた。
そして母が泣きながら父に向かって「だから言うたやろ❗この子妊娠してると思うって。お父さんは○○ちゃんに限ってそんなわけないって言ったけど、見てみぃ❗」


父は戸惑っていた。
そして父が私に「本当なん❓」と聞いてきた。


私が「うん…」と言った瞬間、母にビンタされたり殴られたり蹴られたりした。
母は泣きながら「お父さんはね、○○ちゃんを信じてたんよ」と言ってきた。
私は罪悪感でいっぱいになった。
私も涙が出てきた。


No.371

呆れたような困ったような何とも言えない目で私を見る父。
私はその場から消えてしまいたくなった。


母は「相手は誰ね⁉💢」「何歳❓」「あのメル友じゃないんね💢」と次々と聞いてきた。
そして時々暴言を吐かれる。
相手を今すぐ連れて来るように言われたけど「明日成人式だから隣の県の実家に帰ってる」と嘘をついた。


相手に電話しなさい❗と言われたから「もう寝てる」とか誤魔化したけどダメで…
電話をした。
母がケータイを取り上げて「私、○○の母です。話したいことがあるから明日、お母さんと一緒に来て下さい」と言って電話を切った。


その後、中絶するよう強く言われて私はずっと言い返したりしていた。
でも私は母には勝てない。
ずっと泣いていた。


朝方近くなったから、これからの話は成人式が終わってからにしようと言われ、布団に入った。
朝6時起床。
あまり寝られてないし、泣いたから目が酷いことになっていて、とても人前に出られる状態ではなかった。


顔を洗う時に目を冷やしたせいか少しマシになったような気がした。
軽く化粧をして美容院へ向かった。
美容師さんとアシスタントの人が「今日はおめでとうございます。素敵な1日になると良いですね」とにこやかに言ってきた。


私も笑顔でありがとうございますと言ったけど、気分はブルー一色だった。


No.372

1時間強で完成。
良い感じにできていた。


その後、家に帰って軽く朝ご飯を食べ、今度は8時半に予約してある着付けの美容室へ(笑)
おばちゃん2人がせっせと振袖を着させてくれた。


帯はどんなのだったか覚えてないけど、振袖は赤と黒の総絞り❓だった。
おばちゃんに「がに股でバタバタ歩かんのよ。しずしずとね」と言われ、少し歩く練習をさせてもらった(笑)。


母に車で連れて帰ってもらって、みんなに見せた。
祖母は「○○ちゃん、綺麗になってから」と喜んでいた。
祖父も「こりゃええわ~。よう似合っとるよ」と。


父、母、妹達は特に何も言わない。
何か気まずい。


文化ホールの方から声がし始めた。
(文化ホールの前に家がある)
カーテン越しに見てみると同級生たちが集まってきていた。


私が住んでいる町は小学校も中学校も町に1つずつしかない。
だから成人式は同じ小中学校の同級生だけが集まるようになってて、みんな知ってる人ばかり。


「そろそろ行ってくるね」と家を出たら母が付いてきてくれた。
私が仲が良かった友達を発見して話してたら母が「写真撮ってあげる」と、みんなを撮してくれた。


「みんな綺麗になったね~。○○ちゃん、大人っぽくなって~」と母も楽しそうにしていた。


今の時間が終わらなきゃ良いのに…
このまま時が止まってくれたら良いのに…
そんな事を思っていた。


No.373

式が始まった。
ホールで町長達の話を聞いた後、立食パーティーのため別の広い部屋へ移った。
友達と話をしながらワイワイやっていたけど、内心は帰るの嫌だな…と時々落ち込んだ。


成人式が終わってからもしばらく外で話してたけど、友達が帰ると言うから私も渋々家に向かった。徒歩5秒で家に着いた(笑)


はぁ…
気が重い…


帰ると母に「後で(写真館に)写真を撮りに行くからそのままで居なさい。ちょっとそこで待ってて」と言われた。


母は2Fに下りて祖父母に大事な話があると伝えに行った。
すぐに母が呼びに来て、父と私は2Fのビングへ行った。
祖父母はテーブルの席に着いていた。
その向かい側に父、私、母の順で座った。


母が「実は○○に子どもができたんです」
話し合いが始まった。
その言葉を聞いて祖父母は驚いた。
祖母は「○○ちゃん何で❗」と声を荒げて言ってきた。
祖父は顔に手を当てて「だからワシはアンタ(母)に子どもは任せられんと言うたんじゃ❗」と。


祖母は「早く堕ろしなさい❗」と言ってきた。
私は断固拒否。
祖父は泣いていた。
始めて見る祖父の涙。
どうしよう…私…何てことをしちゃったんだろう…


それから3時間程話し合いが続いたけど、埒が明かないということで、一旦休憩することになった。


No.374

休憩中に写真館へ行くことになった。
話し合い中、私は責められる事が多く、ずっと泣いていたからまた酷い顔になっていた。


何度も何度も顔を洗って心を落ち着け、化粧をし直した。
でもやっぱり目が赤い…


母と一緒に写真館へ行って写真を撮ってもらった。
後々出来上がった写真はやはり泣き顔だった💧
普通だったら家族に祝福されて笑顔になっているはずの写真。
私の写真は不安そうで泣きそうな顔になっていた。


帰ったら母に「相手の子は何時頃に来られるのか電話して聞きなさい」と言われた。
彼に電話したら後30分くらいで行けると言われた。


しばらく待っていると彼と彼のお母さんが来た。
応接間に入ってもらい、続いて父と私、母が入った。
彼のお母さんが手土産を渡してきた。
彼の母が軽く自己紹介をして、本題に入った。


父が「子どもができたらしいけど、これからどうして行こうと思ってるんですか」と質問した。


彼「○○ちゃんと結婚して一緒に子どもを育てていこうと思ってます」

父「ふ~ん。お母さんの方はどう思ってます❓」

彼母「できたら産ませてあげたいと思ってますが、立場など色々考えると難し…」


彼のお母さんが話してる途中で彼が突然、彼のお母さんにそれ以上言うなというように手を払い、睨んでイライラした様子を見せた。


No.375

彼のお母さんは黙った。


父が「もし結婚したとして、ちゃんと生活していけると思いますか」と次の質問をした。


彼「はい。僕は働いてるから大丈夫です」

父「どこで働いてるん❓」

彼「○○通運(運送会社)の○○支店です」
彼は、警備員をしていたショッピングセンターで運送会社の人と仲良くなり、一緒に運送会社で働かないかと誘われ、試験を受けたら合格したらしい。
1月の始めから運送会社で働き始めた。


父「おぉ。大手じゃん。お母さんはどう思います❓」

彼母「もし2人での生活が厳しいようだったら援助していこうと思ってます」

父「そうですか…」


時々、父は私にも質問してきた。
こんな感じで話し合いは続き、夜7時前になったから話し合いを終えることにした。
私は彼と彼のお母さんを見送るため、近くの駐車場へ行った。


その時に彼のお母さんに「大変だけど頑張るんよ」と言われた。
そして、もしかしたらこれが最後になるかもしれないからと、彼と私2人の写真を撮ってくれた。
彼はスーツ姿だった。
スーツ姿なんて初めて見るから何か変な感じだった。


彼のお母さんが「その振袖、よう似合って可愛いよ。綺麗にしてもらって良かったね」と言ってきた。


私は「うん😢」と言って2人にお別れを言い、彼とお母さんは帰って行った。


No.376

家に戻って2Fの片付けを手伝っていると祖母に「着物早く脱ぎなさい❗いつまで着てるんよ❗」と怒られた。


母に脱ぐのを手伝ってもらい、部屋着に着替えた。
その後、父に彼の印象を聞きに行った。
「素直で真面目そうだけど、あれはいらちだったのう」と母に向かって言っていた。
母も「お母さんが話してる時に止める行動は良くなかったよね」と。


私が「いらちって何❓」と聞くと母が「すぐイライラしたり、考え無しに行動する人のことよ」と教えてくれた。


それを聞いて確かに…と思った。
父と母は面接をする機会が多く、人の本質を見抜く力がある。
彼には「イライラするところを直した方が良いよ。うちの両親、そこを心配してるみたい」とメールしておいた。


それから毎日、話し合いが続いた。
祖父母や母と顔を合わす度に毎回毎回反対される。
それが1ヶ月以上続き、私もいい加減疲れてきて弱音を吐くこともあった。


祖母は自分の経験を出してきて「時には堕胎することも必要」と言われたり。
母にも泣きながら「本当は初めての子だから産ませてあげたいんだけど、今回だけは諦めて」と言われたり。
祖父は母を責めるし。
私の妊娠を機に家族はメチャクチャになった。


No.377

私は彼に何度も「もうダメかもしれん。毎日誰かに反対されてキツイよ」とメールした。


彼は「頑張って」としか言わない。
私はそれしか言わない彼に対してもイライラした。


母に「どうしても彼が良いの❓彼のどんな所が良いの❓」と聞かれた。
始めは優しいところが好きとか答えていたけど、何度か聞かれる内に本音を言った。
「相手は彼じゃなくても良かった。彼をそこまで好きなわけじゃない。だけど子どもは堕ろしたくない」と。
母は彼に対する私の気持ちに気付いてたんだろうか…


母は「好きでもない人と結婚しても幸せにはなれないよ。もう1度よく考え直してごらん」と言ってきた。


私がすぐに「じゃあ、彼とは別れて子どもを産む」と言うと「あんたはそれがどんなに大変な事か分かってない。わざわざ子供に辛い道を選ばせる親なんて居ないんよ」と言われた。


母は「今回は諦めて、大学を卒業してまた素敵な人と結婚したら良いじゃない」と言う。
それに対して私は「この子を中絶したら、この子と同じ子はもう二度と産まれない」と言って平行線だった。


No.378

最後のバイトの日。
おやつを買って「皆さんで食べて下さい」と渡した。
店長と社員さんには「うちの母がご迷惑をお掛けしてすみませんでした」と謝った。
そして「今までお世話になりました」と言って深々とお辞儀した。


社員さんは「○○さんはよく気が付くし、よく動いてくれてたから僕らも楽だったんよ。寂しくなるわ~。また遊びにおいで」と言ってくれた。
嬉しかった。
私の事、認めてくれてる人が居る。
一番会いたかった私の教育係だった姉さんはその日シフトに入ってなくて会えなかった。それだけが心残りだった。


その1週間後、制服を返しに事務所へ行く途中、事務所の隣にある更衣室に姉さんが居るのが見えた。
すごく嬉しくて話しかけた。
バイト先では唯一、私が妊娠していることを話してたから、その後どうなったかとか話を聞いてくれた。


姉さんは私の辛い気持ちとかに同調してくれた。
それだけで何だか救われる気がする。


姉さんは勤務時間になったからお別れを言ってお店に向かった。
聞いてもらったら何だか気持ちが落ち着いた。


その後すぐに社員さんに制服を返して家に帰った。


No.379

妊婦検診に行く日。
母に「妊婦検診に行くから保険証貸して」と言うと母は怒って「行かなくていい❗行かなくても死にはせん❗」と言われた。


仕方なく家で待機…
お腹の子は4ヶ月だった。
毎日学校か、家で話し合いの日々。
彼に会う事も禁止されていた。


成人式から1ヶ月後。
2月下旬に差し掛かる頃。
何故か急に父と母が結婚を許してくれた。
祖父母も仕方なく了承した感じ。
その時祖父に言われた言葉。
「絶対すぐお金が無いと言って頭を下げに帰るわ(笑)」


私はそれだけは絶対しないでおこうと心で誓った。


私は母に反抗することはあってもそんなに強く反抗することはなかった。
その私が珍しくずっと反抗してるから、もう何を言っても無駄だと思ったらしい。
お腹の子も大きくなってきてるから中絶するのも身体に負担がかかる。
母も色々考えて許すことにしたらしい。


私は彼にその事を報告し、翌日、妊婦検診を受けに行った。
行ったら医師に怒られた。
「初期検査何もやってないし、検診来ずに今まで何やってたんですか❗あなた人の命を何だと思ってるんですか❗」って😠
私はただ「はい💦はい💦すみません💦」と言うしかなかった。


検診では5ヶ月目に入っていて順調だということが分かった。
ホッ💨良かった。


No.380

母と話し合って、学校は3月の終わりまで通って辞めることにした。
辞める時は主任の先生に話して学長と面接がある。緊張するなぁ…


母が許してくれた週の休日、久々に彼と彼の実家へ行って報告した。
彼のお母さんは「良かったね。許してくれちゃったんだね。よく頑張ったね」と言ってくれた。


私は「うん。説得大変だったけど何とか許してもらえたよ」と。
彼のお母さんは彼に向かって「あんたしっかりせんといけんよ❗父親になるんよ❓分かっとる❓○○ちゃんこんなに頑張ったんだから❗」と言うと、彼「うん、分かってるって」と言っていた。


私はこの時知らなかったけど、彼には貯金もお金も無かった。
彼の給料は20万前後で、ローン6万、家賃4万8千、食費2万、光熱水費1万、ガソリン代2万、ケータイ1万、実家に3万入れてたからほとんどお金は残らなかったらしい。
知ったのは結婚して数ヶ月経ってからだった。


彼と結婚式の話になった。
彼はお金が無いから式は挙げずに入籍だけしようと言う。
私もそれに賛成した。
私の中では、結婚式は親戚や友達を招待したりと結構面倒くさそうと感じていた。


帰って母にその事を話すと「後悔するから結婚式は挙げなさい。お金はこっちで用意してあげるから」と言われた。


No.381

それからすぐに母に半ば強引に阪急ホテルへ連れて行かれた。
そして結婚式の日取りやプランをホテルの人と話したり衣装選びをした。
結婚式は3月4日。
後少ししか日にちがない。


招待するのは家族と親戚計15人までの小さな式を挙げることになった。
費用は50万+α。
金額は母が言わなかったからこの時はまだ知らなかった。
知ったのは結婚してしばらくしてからだった。


忘れてはいけないのは結婚指輪。
3月4日までに用意しないといけない。


彼にその事を電話で伝えた。
ついでに服装の事を聞かれたから母に聞くと、そんなかしこまった式ではないからみんな平服でということらしい。
それも伝えた。


翌日、私は彼に会いに行って結婚指輪をどうするか話した。
彼が「実家の近くに確か宝石店があったはず」と言い出し、急遽彼の実家へ向かう事になった。


彼の実家から少し行った所に時計と宝石のお店があったからそこへ入った。
私が選んだのは小さなダイヤがついたPtの指輪。
裏にはサファイアが埋め込まれていた。
彼の方にはダイヤはついてないけど、同じく裏にはサファイアが埋め込まれてある。左半分はピカピカで右半分はツヤ落とししたような感じの指輪。
すごく気に入った。



No.382

私が「これにしようよ」と言うと彼も了承してくれた。
値段は、私の方が約7万。
彼の方は約6万の計13万だった。


今まで見たドラマなんかで、結婚指輪って現金で払うものだと思っていた。
彼が払う時に足りなかったらいけないと思い、私はコッソリ15万持ってきていた。
でも彼は私が思っていた行動とは違う行動に出た。


彼はカードを出してお店の人に「12回払いで」と言った。
えっ💧
現金じゃないの…❓
12回払いって…この人、お金無いの❓💧
不安になってきた。
私が「払うよ」って出しても良いんだけど彼のプライドを傷つけるような気がして黙っていた。


文字入れに時間がかかると言われた。
出来上がるのは結婚式3日前らしい。
その日、彼は仕事で私は学校があるから彼のお母さんが受け取りに行ってくれることになった。


私は初めてブライダルエステというものを受けた。
元々肌は綺麗な方で、ニキビもほとんど出来たことがない。
そばかすは結構あるけど💧
せっかくやってもらったけど、いつもの肌との違いが分からなかった(笑)


No.383

私は手も小さいけど、爪も小さい。
だからブライダル用の付け爪を作ってもらった。
ピンク色の爪に白のビーズ❓で出来てるっぽい花が散らしてあって、春らしい感じになっていた。


選んだウェディングドレスは白だけど、お色直しのドレスはピンクだったから爪の色とよく合っていた。
ネイルなんて初めて付けるから何か変な感じ💦


3月4日。結婚式当日。
私は母に買ってもらった白のスーツを着て母とホテルへ向かった。


式は午後11時からだけど、セットや写真撮影は朝9時から。
私と母は時間通りに着いた。
でもまだ彼と彼の家族が来ていなかった。
電話したら後30分くらいで着くと言う。
先に私のメイクなどを始めてもらった。


メイクや髪のセット、ネイル。
3人がかりでやってくれるから速い💦
あっと言う間に私の準備ができていく。


私の準備が出来上がる頃、彼と彼の家族が到着。
急いで着替えて写真撮影。


私達が写真撮影をしてる時、母と彼のお母さんは違う角度から写真を撮りまくっていた(笑)


母と彼のお母さんはまだ慣れてないのもあってほとんど会話をしない…💧
ちょっと気まずい💦


No.384

その後、チャペルでリハーサル。
式まで後30分って頃には親戚がみんな控え室に集まってくれた。


彼の方は、彼のお母さん、彼の妹、彼の母方の祖母の3人。
私の方は、父、母、妹、弟、父方の伯母夫婦、父方の叔父夫婦&6歳娘の9人の計12人が部屋に居た。


私は顔は笑っていたけど、内心、本当に結婚して良いんだろうか…みんなに迷惑かけてしまった。みんな私の事をどう思ってるんだろ…やっぱり白い目で見てるんだろうか…嫌だな…なんて思っていた。


式が始まった。
初めて父と腕を組んで歩く。
「ヒールが高くて転けそうで怖いからしっかり腕持っといてね」と父にコッソリ言った。


彼の横に立った。
神父が言う言葉を真似して繰り返し言っていく。
彼は緊張してうまく復唱できず、何度か言い間違えた。
一番ビックリしたのは「神」に誓うところを「亀🐢」に誓ってしまった。
私はツボに入ってしまい、笑いが止まらない。
本当は緊張する場なんだろうけど、笑ってばかりでリラックスできた。


指輪の交換では、彼の指に指輪がなかなか入らなくて焦ってギュギュ~っと無理やり押し込んだ。


最後に結婚誓約書にサインした。
が、爪が邪魔してウマく書けない😱
字を習いたての幼児みたいなきったない字になってしまった😂


そんな感じで、なんとか無事にチャペルでの式は終わった。
もうグダグダ(笑)


No.385

チャペルから少し離れた所に外へ出られるドアがあった。
親戚はみんなそっちへ集まるように言われ行ってしまった。
私達は合図があったら外に出て前にある鐘を鳴らすらしい。


合図があったから外へ出ると、親戚が花とお米を投げてきた。
私達は2人で鐘を鳴らした。
ここで式は終了。


着て来た服に着替えて食事会が始まった。
母が彼に「せっかくみんな来てくれてるんだから何か言わな」と言った。
彼は「えっ❓💦何を言えばいいん❓」と言うから叔父が「軽くお礼言ったら良いんじゃない❓」と言った。


そういうのに慣れてない彼。
おどおどしながら立ち上がり「今日は集まっていただいてありがとうございました」と言って礼をした。
私も続けて礼をした。


父が「じゃっ、食べようか」と言ってみんなで乾杯をした。
みんなで話しながらの食事中、彼の家族は静かに食べている。
時々父や母、叔父が声を掛けたらそれに答えるだけ。
会話があまり続かない…
何だか気まずい💧


そんな時、母からのサプライズがあった。
少し大きなケーキが運ばれてきて、2人でケーキ入刀をする事になった。
残念な事にフィルムを使い切っていてそのの写真は撮れなかった。
切ったケーキは後で人数分に分けられてみんなでいただいた。


No.386

時間が経ち、お開きになった。
母が彼に「○○くん、締めの挨拶ね」と言うと、彼はまたえっ❓💦という顔をしていた。


「みなさん、今日は僕たちの結婚式に来ていただき本当にどうもありがとうございました。気を付けてお帰り下さい」みたいな事を言って、と私がコソっと言った。
彼はその通りに言って食事会が終わった。


ところで私はどっちに帰れば良いんだろうか。
自分の実家❓それとも彼の家❓
私の服や荷物は全部まだ実家にある。


母に「私、どっちに帰れば良いの❓」と聞いてみた。
母は好きなようにしなさいと言うから、取り敢えず私は彼の方に着いて行くことにした。
翌日は婚姻届を出しに行かないといけないし。
家族にお礼とお別れを言って彼の方へ向かった。


彼の車に乗り込んだ。
彼の車には、彼のお母さんと妹とおばあちゃんが居る。
おばあちゃんは亡くなったおじいちゃんの写真と位牌を持ってきていた。
おじいちゃんにも孫の結婚式を見せたかったみたい。


彼のお母さんは「良い式だったね。本当に良かった😢あっちの両親に感謝せんといけんよ」と言っていた。


妹は何だか愛想がない…ずっとふてくされてる感じ…どうしたんだ💧


  • << 389 彼の家に寄らずにそのまま実家へ向かったもんだから私の着替えは無かった💧 おまけに歯ブラシもない。 それに気付いたのは夜10時を過ぎていて、周りのお店は全部閉まっていた時だった。 彼のおばあちゃんを送って行った時に気付いていれば買いに行けたのに… 彼のお母さんにお風呂に入るように言われた。 でも着替えがない。 その事を彼に伝えると、彼のお母さんに「今日から家族なんだから何でも遠慮せずに言ってね。下着はこれ使いなさい」と未使用の薄いあずき色のオバサンパンツとタンクトップを渡された(笑) 有り難く使わせてもらうことにした。 ブラは自分の物をそのまま使った。 パジャマは彼が中学生の時に着ていた物を出してもらった。 歯ブラシは… 「夫婦なんだから兄ちゃん(彼)のを使いーね」と言われ、無いよりはマシと思い、オエッてなりながら歯磨きした(笑) 朝、お母さんは仕事で8時に家を出て行った。 「ゆっくりして行って良いから戸締まりだけはお願いね」とハヤシライスを作って置いていてくれた。 私は実は今までハヤシライスを食べたことが無かった。 名前は聞いたことがあったけど、一度も食卓に上がったことがなくて、どんな味なのか知らなかった。 初めて食べるハヤシライス。 めちゃくちゃ美味しかった✨

No.387

あっ😲
今書いてて気付いたけど、今日は私達の12回目の結婚記念日じゃ~ん😲
すっかり忘れてた😂


前は旦那からバッグや洋服などの🎁があったんだけど、それ、実はローンで買ってる事が判明💡
その支払いは生活費から出してる事も分かったから「生活が苦しくなるだけだからもう🎁しなくて良いよ」と言ったらそれ以来な~んにもしなくなりました(笑)


始めは旦那が小遣いで買ってくれてるのかなぁなんて思ってたから「そのバッグ高かったでしょ❓これで好きな物買って」と私からは1万渡してたんですよねぇ。
品物より現金が良いって言うから。
やられましたよ⤵


今日もいつもと変わらず平凡に過ごしたいと思います😏


No.388

辻ちゃんが出産した。
一昨日の夜から気になってて時々blogを覗いていた。


今日、無事に生まれたと報告があって安心した。
blogにはすごく可愛い子がupされている。
鼻が高くて優しそうな顔✨


辻ちゃんと同じ時期の妊娠だったから自分の事のように嬉しいよ😊
スクスクと元気に育ちますように🍀



No.389

>> 386 時間が経ち、お開きになった。 母が彼に「○○くん、締めの挨拶ね」と言うと、彼はまたえっ❓💦という顔をしていた。 「みなさん、今日は僕たち… 彼の家に寄らずにそのまま実家へ向かったもんだから私の着替えは無かった💧
おまけに歯ブラシもない。
それに気付いたのは夜10時を過ぎていて、周りのお店は全部閉まっていた時だった。
彼のおばあちゃんを送って行った時に気付いていれば買いに行けたのに…


彼のお母さんにお風呂に入るように言われた。
でも着替えがない。
その事を彼に伝えると、彼のお母さんに「今日から家族なんだから何でも遠慮せずに言ってね。下着はこれ使いなさい」と未使用の薄いあずき色のオバサンパンツとタンクトップを渡された(笑)


有り難く使わせてもらうことにした。
ブラは自分の物をそのまま使った。
パジャマは彼が中学生の時に着ていた物を出してもらった。


歯ブラシは…
「夫婦なんだから兄ちゃん(彼)のを使いーね」と言われ、無いよりはマシと思い、オエッてなりながら歯磨きした(笑)


朝、お母さんは仕事で8時に家を出て行った。
「ゆっくりして行って良いから戸締まりだけはお願いね」とハヤシライスを作って置いていてくれた。


私は実は今までハヤシライスを食べたことが無かった。
名前は聞いたことがあったけど、一度も食卓に上がったことがなくて、どんな味なのか知らなかった。
初めて食べるハヤシライス。
めちゃくちゃ美味しかった✨


No.390

彼の妹は、妹の彼と同棲していたから家には居なかった。
時々荷物を取りに帰ってくるらしい。


妹は高1。
でも入学してすぐ、いじめが原因で不登校になりそのまま行かなくなったらしい。
バイト先で知り合った彼と一緒に居る事が多くなり、しばらくして学校は退学したと聞いた。
妹の彼は私と同い年で大学2年生。


お昼前に準備、戸締まりして彼のマンションに帰った。
夕方、婚姻届を出しに行った。
この時は何も考えず、本籍は彼のおばあちゃんの家が良いだろうと、そこにした。
後々、戸籍謄本の取り寄せ(面倒くさい)が必要になるとは知らずに…


彼と2人の生活が始まった。
彼じゃなかった。旦那だ。
旦那は毎朝6時に家を出て、帰ってくるのは夜10時過ぎ。
毎日時間がありすぎて暇だった。


昼間に町探検してみようと、スーパーを探しがてら歩いてみた。
いきなり迷子………💧
結構道が複雑で行こうと思う場所に辿り着けない。


スーパーまでは徒歩20分くらいのはず。
屋根は見えてるのにそっちの方向へ進むと違う道に続いてて山の方へ行ってしまう…
どうなってんだろう😥


それを5日間繰り返してやっとスーパーに辿り着けた(笑)
それまでは駅前にあるコンビニかお総菜屋さんで買ってきていた。


旦那からは生活費を貰ってなくて、自分の貯金を崩して生活をした。
旦那はその事について何も言わない。
私はそれが(奥さんが貯金を崩して生活するのが)世間一般では普通の事なんだと勝手に思っていた(笑)


No.391

食事作りに慣れてない私。
作れるのは、バイト先で覚えた簡単なファミレスメニュー、野菜炒め、サラダ、和え物、煮物、おひたし、酢の物、カレー、シチューetc…こんなもんだった。
揚げ物は油がはねるのが怖くて出来ないからお総菜を買っていた(笑)


それでも毎日4~5品+果物を出してたから食費は月4~5万かかっていたと思う。


毎週末は旦那の実家に帰ることになっていて、それにかかるガソリン代や高速代も必要。
そんな生活だから出産費用なんて全然貯まらない。


私の口座にはバイトの給料と祖父母がくれた結婚祝い30万の40万弱があったけど、どんどん減っていった。


4月に入ってすぐ、義妹が入籍した。
妹の彼は学校を辞めてGSで働くと言う。
妹の彼は代々続く家の長男だから、親は妹の妊娠にも良い顔をしなかった。
でも妹の彼は責任を取ると言って入籍したらしい。
そして親からの仕送りは打ち切られた。


毎回旦那の実家へ行くと義妹夫婦が居た。
食費などの節約のためと、つわりが酷くてぐったりして動けないから実家に来ているらしい。


私はつわりはほとんど無く、めちゃくちゃ元気(笑)
ただ、某シャンプーの匂いだけがダメで、頭を洗う度に吐きそうになっていた。



No.392

私は自分の親に随分迷惑をかけたから、もうこれ以上頼りたくないと思っていた。
そんな中、5月の中旬に旦那が怪我をして職場の班長に担がれて帰ってきた。


翌日、病院へ行ったら足の骨が折れてる事が判明。
右足の足首の骨、左右両方が折れてぶらんぶらんな状態になっていた。
車椅子の操作に慣れてない私。
旦那は右足を真っ直ぐになるように固定されてたんだけど、曲がる時に失敗してガンガンぶつけてしまった。


その度に声にならない声で悶絶する旦那。
「気を付けろよ❗」と睨みつけてくる。
でも私は気を付けてもぶつけてしまって、自分って何て不器用なんだって可笑しくて笑ってしまった。
なかなか笑いが止まらない。


旦那は入院して5日後にボルトを入れる手術をすることになった。
私は姑さんと自分の親に電話でその事を伝えると、翌日、心配した私の両親がお見舞いに来てくれた。


手術前日、姑さんがマンションに来た。
一緒に病院へ向かって、旦那の姿を見た姑さんが泣き出した。
「こんな事になってから…」と。
夜、帰る時間になったから姑さんと病院前にあるショッピングセンターでお弁当を買って帰った。


2人で色々話しながら晩御飯を食べてお風呂に入って寝た。
そして翌朝、病院へ向かった。


旦那は余裕そうに「腹減った~」とか言っている。
こっちは心配してるのに❗
手術時間は3時間と事前に説明されていたから「頑張ってね」と言って指輪を預かった。
姑さんはまた泣いていた。
私もそれにつられて少し泣いてしまった。


No.393

3時間って結構長い。
始めは姑さんと話してたけど、話も途切れがちに…
手術室の前にある待合室にある雑誌は少ししかなく、30分程で読み終えてしまった。


そろそろ3時間。
出てくる頃かな…と思って待っていたけど一向に出てくる気配がない。
5時間近く経ってようやく出てきた旦那は顔は青白く、痛い痛い言っていた。
そのまま病室へ向かい、看護士さんにこれからの事や薬の説明があった。


旦那に「長かったね。どうしたん❓」と聞いたら、途中で麻酔が切れ始めたんよ…痛いって言ったら、血液を止めてるゴムバンドをずらしたり他の事で時間がかかったみたい。それにしてもめちゃくちゃ痛いわ」と凄い形相で言ってきた💧


脊椎麻酔も初体験だったらしく「死ぬかと思った。腰に鉄を入れられてるような痛みだった」と言っていた。


旦那はそのまま3ヶ月間入院することになった。しばらくしたらリハビリも始めるらしい。
治りが早かったらもう少し早く退院できるかも…とも言われていた。


私の出産予定は8月上旬。
旦那の退院予定は8月中旬。
この病院は総合病院だけど産科は無いから私は転院できない。
出産までに旦那は退院できるんだろうか…


No.394

旦那の入院で、甘い新婚生活は2ヶ月で終わった(笑)


仕事で朝は早いし帰宅も遅い旦那。
会話する時間がほとんど無かったから、私は旦那の事をあまり知らなかった。


結婚してから気付いたこと。
・旦那はアニメと声優が大好きで、寝る前は必ず決まったドラマCD(アニメ系)を聴いてクスクス笑いながら寝る。
私は毎日どん引き。

・持ってるCDは声優のものばかりで、私が知ってる人はあまり居ない。

・野菜が大嫌いでほとんどの野菜は食べられない。

・鶏肉は唐揚げ以外食べない。

・牛乳が大嫌いで少しでもミルクの味がする食べ物は食べない。

・歯磨きは週1~2回しかしない。

・お風呂は2~3日に1回etc…


面倒くさいものからゾッとするものまで色々あった。
私は旦那とは対照的に、好き嫌いはほとんどないしアニメはそんなに見ない。
お風呂やシャワーは1日1~2回で歯磨きも1日2~3回。
旦那に合わせるのは正直きつかった。


旦那が居なくなって私は念願の1人暮らしができた(笑)
好きな物食べて好きな事して、何でも好きなようにできる。
でもそんな夢のような生活はすぐ終わってしまった。


No.395

旦那が「毎日暇だし寂しいから来て」と言ってきた。
私は病院へは1日置きに通うつもりだったけど、旦那は毎日来るように言う。


片道徒歩30分の距離。
平地だけど、毎日行くのは面倒くさい💧
まぁ、こんな事滅多に無いし仕方ないか…と思い通うことにした。


旦那は注文が多い。
面会時間はお昼12時から夜8時まで。
その間、ずっと居るように言う。
更に「病院のご飯、鶏肉と魚ばっかりで嫌だ。何か作ってきて。食べれんからお腹空くんよね」と…💧


私は毎日、自分のお昼用にサンドイッチやおむすびを作って行ってたけど、旦那はそれを食べてしまう💧
代わりに私は旦那の牛乳と副菜をもらっていた。


今まで会話する時間なんて無かったけど、旦那の入院を期に色々話すようになった。


旦那の病室は6人部屋で、部屋に入ってすぐ左側が旦那のベッドだった。
旦那の隣のベッドと右側の奥(窓際)のベッドは空いていた。


向かい側の方は60代で、肋骨を骨折したらしく歩行器を使ってよくうろついていた。

その隣は50代で新生物なんたら❓で両腕がウィルスか何かにやられたらしい。
この方は奥さんが毎日来られていて、うちにもとても良くしてくれた。

左奥の方は2日程で退院して行ったから話すことがなかった。


No.396

そんなある日、新しい患者さんが入ってきた。
90歳くらいのおじいちゃんで耳が遠い上に声がデカい。


おじいちゃんは右奥のベッドを使うことになった。
このおじいちゃんは…色々とすごかった💧


お昼ご飯を食べてる時に、看護士さんが来ておじいちゃんに大きな声で話しかけた。
看「○○さーん、聞こえる❓今日はうん○出ましたか❓」

おじい「何❓うん○❓今日は出とらん❗」

看「昨日は出ましたかねぇ❓」

おじい「昨日もうん○は出とらん❗」

看「分かりました。じゃあ、先生にうん○が出る薬を出してもらいますから待ってて下さいね」

おじい「ふん(返事)」


翌日。
看「○○さん、昨日うん○出た❓」

おじい「昨日はうさぎのうん○みたいなのがコロコロ出た❗」

看「そうなんですね。今日は❓」

おじい「今日は出とらん❗」


こんな会話が毎日お昼ご飯の時にされていた。(昼食後に便秘薬を飲むらしい)


旦那は「あの人大きい声で毎日毎日うん○の話ばっかり…もう嫌だ💧食欲失せるわ」とよく言っていた(笑)


No.397

おじいちゃんは夜になると家に帰りたくなるらしく、大声で喚いたり暴れたりするらしい。
それが煩くてなかなか寝られないと旦那が言っていた。


おじいちゃんが暴れたり喚きだしたら隣の人がすぐにナースコールを押してくれるらしい。
看護士さん達がすぐに来ておじいちゃんをなだめたりするけどなかなか治まらない。


やっと落ち着いたと思ったら、今度はイビキがめちゃくちゃ煩くて寝られないって旦那が言っていた。
旦那があまりに疲れた顔で言うもんだから爆笑したけど、そこに居る人達はキツいよね(笑)


10日程してそのおじいちゃんは個室に移って行った。
それでも時々、別の部屋からうん○の話をしている大きな声が聞こえてくる…💧
ずっとドアを開けてるからだと思うけど。


真ん中のおじさんも向かい側のおじさんもおじいちゃんにはうんざりした様子で、奥さんによく愚痴を言っていた。
おじいちゃんは耳が遠いから聞こえてなかったみたいだけど。


そういえば、おじいちゃんのお見舞いに来てる人を見たこと無かったな…
家族は居なかったのかな…



No.398

私の近くに妊娠について聞ける人が居なかったから、私はお腹が張ってるという感じがよく分からなかった。
そして張るのはよくないという事も知らなかった。


旦那が居る病院へ行く時、いつもお腹がカチカチになって痛重いなと感じていた。
帰る時も同じだったけど、まっ、よくある事だからと全く気にしていなかった。


朝起きて布団干して、洗濯、掃除。
朝ご飯を食べたら昼食作り。
布団を取り入れて11時半に家を出て旦那の病院へ向かっていた。
病室ではずっとパイプ椅子に座ったまま。


時々車椅子を押して売店へ行ったり、屋上へ散歩しに行ったり、トイレに連れて行ったり。
お風呂に入れたりしていた。


妊婦検診へ行くと、医師に怒られた。
お母さんの体重は増えてるのに胎児の体重が増えてないって。
足もむくんでるから塩分を控え目にするように言われた。


医師に今の生活の事を話すと、お腹が張った時はとにかく横になって休むように言われた。
それと今も張ってるから帰ってゆっくり休むようにって。
この時初めて「これが'張ってる状態`なんだぁ」と知った。
また1週間後に検診に行くことになった。


旦那に検診の事を報告して、旦那の居る病院へは1日置きに通う事にすると話した。


No.399

でも旦那は寂しいらしく、毎日来てほしいと言ってくる。
あーもう面倒くさいなぁ💧
人のことより自分のことかよ…
取り敢えず、次の検診までは1日置きに行くと言い切った。


出産のことも考えないといけない。
旦那がこんな状態の中、陣痛が来て1人で病院へ行って出産するのは不安だった。
初めての事だからパニクると思うし。
何より陣痛ってどんな痛さなのか分からないし。気付かなくて自宅出産になったらどうしよう…
そんな事を考えていた。


母にその事を相談すると、病院の先生に話してこっちで里帰り出産したら❓と言ってくれた。
早速その事を旦那に話すと、旦那もその方が安心だからそうして、と。


次の検診ではやはり浮腫は治まらず、疲れたらすぐ横になるように言われた。
そして恐る恐る里帰り出産をしようと思うという事を話すと「今から❓出産予約間に合うの❓」と冷たく言われてしまった…
無言で居ると「まっ、仕方ないですね。紹介状書くから3日後に取りに来て」と言われ、取りに行った。



No.400

3ヶ月ぶりの実家。
凄いタバコの匂い…💧
旦那はタバコを吸わないけど、父はヘビースモーカー。
相変わらず煙たいリビング。


私が小さい頃「お父さん、煙たいからタバコ吸わんといて。どっかよそで吸ってー」と言ったら「うーん、それはできんねぇ。○○ちゃんがどっか行きんさい。お父さんは○○ちゃんが生まれる前からタバコ吸ってるんだから」とよく言われていた💧
何故かその言葉に納得して我慢していた。


そんな子供時代とは違い、今は父がタバコを吸い始めると空気清浄機をMAXにして父の真横に置く。
知恵がついた。


選んだ病院は実家から車で30分くらいのところ。
母が前に子宮筋腫の手術をして、その後も通ってる病院だった。


母に病院へ連れて行ってもらうと、担当の先生は母の手術をした先生になった。
先生は「○○さんの娘さんなんですか❗」と驚いていた。


診察してもらうと、胎児が小さめらしい。
ここでもなるべくゆっくりするように言われた。


No.401

本格的に里帰りをするのは出産予定日の3週間前にして、それまでは自宅で過ごすことにした。
里帰りする前に旦那の治療費を払って、旦那にはジュース代と言って1万円渡した。


予定日まで後数週間。
なのにベビー用品も出産用品もまだ何も用意していなかった。
母に「出産用品はもう用意できてるん❓」と聞かれた。
「まだ何も…」と答えると「アンタはバカね❗臨月に入ったらいつ産気づくか分からんのに。何も持たずに病院行くんね❗」と怒られた😂


母に買い物に連れて行ってもらって、私のパジャマからベビー服まで、最低限の物を全部買い揃えてもらった。
「○○くん(旦那)に出世払いしてや~って言っといてよ(笑)あっ、出世せえへん仕事か😁」と母は笑いながら言った。


7月下旬。
大学は夏休み。妹が帰ってきた。
私と妹が家を出た後、私が使ってた和室は弟の部屋になった。
だから私と妹は2人でリビング横の子供部屋を使うことになった。


母は決算月のため忙しく、ずっとピリピリしてる。
私と妹はとばっちりが来ないように、なるべく母に言われる前に行動した。


No.402

検診の日。
朝から何だか軽く腰の骨が痛い。
お腹が重いから腰に負担がかかってるのかななんて思っていた。


検診で子宮口が1cmくらい開いてることが分かった。
先生には「これくらいだったら今日出産って事はないと思うよ」と言われ安心。


会計を待ってる間も電車に乗ってる間も腰の骨が痛くて、向きを変えたり座り直したりとゴソゴソし続けた。


帰ってもなかなか治まらない。
時間を計ってみると10分置きに痛くなってる感じ。
もしかして…これが陣痛❓まさかね(笑)
ドラマで出産間際の人を見ていると、よく「うっ」ってお腹を押さえてる。
だから陣痛はお腹が痛くなるんだと思っていた。


夕食の準備をしている時に母に「陣痛ってどんな痛さ❓どこが痛くなるの❓」と聞いてみた。


母「お母さんはね、とにかく腰が痛くて、腰の骨を砕かれるんじゃないかって痛みだったわ~」

私「えっ❓腰❓お腹じゃないの❓テレビではお腹痛いってやってるじゃん」

母「ははっ😁実際はあんなんとちゃうよ。とにかく腰が痛かったわ~」

私「そうなん…。私、朝から腰が痛いんだけど。しかも10分間隔っぽい」

母「えっ⁉それ陣痛ちゃうの⁉えぇー😲」

私「先生は子宮口はまだ1cmしか開いてないから大丈夫って言ってたよ😃」

母「何言うてんの⁉お産が進んだら急に開く事あるわいね。病院に電話してみ」

私「そうなん…分かった」


No.403

緊張からかトイレに行きたくなって、母に「先トイレ行ってから電話かけるわ」と言ってトイレに向かった。


パンツを下ろすと軽く出血していてビックリ。
トイレから出たら母が病院に電話してるところだった。


母に小声で「少し出血してた」と言ったらそれも病院の人に伝えてくれた。
すぐ来るように言われたらしく、電話を切ってすぐ準備を始めた。
予定日まで後9日あるからまだまだだと安心してたのに。


母はすぐ祖父母と父に私を病院に連れて行ってくると話しに下に降りた。
続いて私が祖父母の所へ行くと、祖母が「頑張りんさいよ❗」と手を握ってくれた。


父に「行ってくるね」と言うと、父は「あーうん」と一言。
従業員さん達が「頑張ってね」と声をかけてくれた。


旦那とお姑さんには母の車の中で陣痛が来たとメールした。
夕方5時半頃の事だった。


病院に着くと陣痛室へ通された。
部屋には看護大生が数人居て、見学などの説明を受けた。
私についてくれた人は私と同じくらいの年なのに凄くしっかりしていて、痛みに耐える私の背中をさすってくれたりマッサージをしてくれた。


少しして着替えたり処置をしてもらったり忙しかった。
子宮口は4cm開いてるらしい。


まだまだかかるという事で浣腸された(笑)


No.404

いつも快便の私。
その日はもう出していたから出すものがなかった。
陣痛室の端っこにあるトイレへ連れて行かれたけど、浣腸液と爆音しか出ない。
看護大生も居るのに恥ずかし過ぎる😱


でもそれどころではなかった。
陣痛の痛みと浣腸の痛みのWパンチで便座から立ち上がれなくなってしまった。
「外からはゆっくりで良いですからね」という声が聞こえるけど、その声に焦る。
出血量も結構増えてきていたし、いきみそうになる。
立とうと思うのに痛すぎて立てない。
どうしよう…


気合いで最後の力❓を振り絞って何とか立つ事ができ、ようやくトイレから出られたけど「長いトイレだったなぁ」なんて思われてないかそっちの方が気になって仕方なかった。
出してないんだけど…💧


夜7時頃に夕食が運ばれてきた。
何とその日はステーキ✨
おぉ✨と思ったけど、5分置きの陣痛が辛くてあまり食べられなかった。


その頃、母は旦那を迎えに旦那が入院してる病院に行ってくれていた。
一応、立ち会い出産する事になってたから旦那は外泊届を出してこっちの病院に来るらしい。



No.405

そこへ仕事を終えた父と妹が来てくれた。
父「まだ産まれんのん❓お母さんは❓」

私「だいぶキツくなってきてるけどまだかかるみたい。お母さんは旦那さん迎えに行ってるよ」

父「えっ、○△くん来るん❓」

私「名前違う❗○○よ💧来るらしいよ」

父「ははっ😁そうだったかいな~💦○○くんね。足怪我しとんのに大丈夫なん❓」

私「さぁ。松葉杖、うまく使えるようになってるから大丈夫なんじゃないかね」

妹「○○ちゃん(私)、痛い❓」

私「めちゃくちゃ痛い😱痛さで死にそう」

妹「そうなんじゃ。まぁ頑張りんさい😏」
そんな会話をしてる所に母が旦那を連れて戻って来た。


母「○○くん、足しんどいやろうからここ座り❓」

旦「あっ、はい」

父「足大丈夫なん❓」

旦「はい。腫れも引いてきたんで」

父「そうなん。じゃ、お父さん帰るわ。まだ産まれんらしいから」
そう言って父と妹は帰って行った。


母も遠慮して10分程居て帰って行った。
産まれたら連絡してねと言って。


No.406

夜中になり、陣痛の間隔は2分になった。
痛さで寝られない。
ウトウトしては痛みで起こされる。
そんな私の横で旦那が寝始めた。


ちょっと起きてよ❗
痛くて寝られないから腰さすってー。
ここ❓とさする場所は明後日の方向。
イライラ…
痒いところに手が届かないような状態。


そこじゃない💢もっと下💢
ここ❓
違う💢
ここ❓
違う💢
ここ❓
イライラ…
もういい💢


旦「ねぇ、痛い❓」

私「痛いよ」

旦「どのくらい痛い❓」

私「めちゃくちゃ痛い💢」

旦「手で表して」

私「そんなの表せんわ❗💢」

旦「何怒っとん❓」

私「別に💢」
何この人。ホント役立たず。
居ない方が楽…


その後も陣痛は2分置き、子宮口は6cmまで開いたのに、朝方には陣痛が遠退いてしまった。
でもずっと10分間隔くらいで陣痛は続いていた。


旦那は自分の入院中の病院に産まれなかったと電話しに行った。


10時頃、母が来てくれた。
夜中の陣痛の事を話すと「そりゃしんどかったねぇ」と共感してくれた。
旦那が居るとイライラするけど母が居ると安心する。


この時は本気で旦那要らないと思った(笑)


No.407

腰が痛くて力が入らず、立つのもやっとの状態。
母が、廊下をウロウロしたり階段の上り下りをしてたらお産が進むと教えてくれた。


暇な時に階段の上り下りをしてみた。
2往復くらいしたら結構お腹が張るから休憩しながら何度もやった。


母は仕事があるからと旦那に買ってきたお弁当を渡して帰って行った。
旦那はお弁当を食べた後寝始めた。


私のご飯は産婦さんと同じものだから凄く豪勢。
旦那が羨ましそうに「俺の病院なんていつも鶏肉か魚ばっかり。換えてほしいわ」なんて言っていた。


夕方になるとまた陣痛の間隔が狭くなり始めた。
お産ラッシュらしくて、私が陣痛室に通されてから6人の方が出産して病室へ向かった。
病室はもう満室らしくて私は陣痛室から出られなかった。
陣痛室のベッドは4つしか無いのに陣取ってしまって申し訳ない気持ちになった。
今日こそは産まなきゃ❗


気持ちは焦るのに、居心地が良いのかなかなか出てきてくれない。


夜中、陣痛は1分置きになったけど子宮口は7cmから進まず、また産まれなかった。
また朝方になると陣痛が5分置きに…
旦那も私も寝不足でクマがヒドかった💧


朝、また母が来てくれた。
夜中の事を話すと、よっぽど居心地が良いんだわ~(笑)と笑っていた。



No.408

そこに先生が来た。
「お母さん(私)も随分疲れてきてるみたいだからそろそろ促進剤を使った方が良いかもしれませんね。どうされます❓」


母は先生からリスクなどの説明を聞いて、促進剤を使ったら❓と勧めてきた。
私もいい加減、キツいから促進剤を使ってもらうことにした。


朝10時頃に促進剤を点滴。
それから7時間後にやっと分娩台へ上がれた。
旦那が居るとイライラする。
どうでもいい質問ばかりしてくる。


分娩台の上で「立ち会い出産されますか❓」と最後の確認をされた。
独断で「いや、いいです」と断った(笑)
旦那はそれに対してムッとした様子が見てとれたけど、知らんぷりした。


なによりも陣痛が痛すぎて、私、シクシク泣いちゃってるし。


30分後。
2800ちょいの男の子が産まれた。
予定日より1週間早く。


処置してすぐ、外で待機していた旦那と母の所に赤ちゃんが連れて行かれた。


外から母の声が聞こえた。
何を言ってるかは聞き取れなかったけど、嬉しそうな声がしていた。


No.409

結局、出産にかかった時間は52時間弱だった。


出産した時、私についてくれていた看護大生は感動して泣いていた。
その横で指導の先生❓が「このくらいで泣かないの❗さっさと涙拭いてする事しなさい❗」と怒っていた。
コワ~😱💧


分娩台で2時間休んでる間に助産師さんがカンガルーケアをさせてくれた。
そしてその写真をめちゃくちゃ撮ってくれたんだけど、後で確認したら20枚近くあってビックリした。
ちょっと撮りすぎかな…💧


部屋に戻る事になったんだけど、足も腰も力が入らなくてうまく立てなかった。
助産師さん2人に支えてもらいながら何とか歩いて陣痛室へ行った。
まだ病室が空いてないらしい。


母が「お疲れ様。よく頑張ったね。赤ちゃんさっき見せてもらったよ」と声をかけてくれた。
旦那は無言のまま。
母が旦那に「何か言いや💧」と言いながらポンと背中を叩くと「えっ、あっ、お疲れ様」と小さな声で言っただけだった。


母「色白で綺麗な赤ちゃんだったね」

私「ホントに❓生まれたての赤ちゃんなんて見る機会が無いから色白かどうか分からんかったわ」

母「今日からお母さんだね。頑張るんよ」

私「うん」
旦那は無言…💧


旦那は母に連れられて入院中の病院へ戻って行った。



No.410

後で旦那から聞いた話。
あまりの眠さにボーっとしていて、子供が産まれてもピンとこなかったらしい💧
助産師さんに見せてもらった時の感想は「臭かった…💧」と言っていた。
そして初めて見る生まれたての子の汚れ具合とかに動揺したのだとか(笑)


それを聞いた私は「えぇっ💦そこ感動するところじゃないの⁉」と突っ込んだ。
母は私たちのやりとりを聞いて笑いながら「確かにちょっと臭かったね❗生臭かったわ」と言っていた。
私は疲れ切って感覚が麻痺してたのか、匂いが全く分からなかった。
そっかぁ…生まれたての赤ちゃんて臭いんだ。


そんな私も実は出産の感動はなかった。
うわっ😨何か動いてる💦
これが赤ちゃんが出てきて最初に思ったことだった💧
だから看護大生が泣いてることにちょっとビックリしてしまった。


旦那は母に入院中の病院に連れ帰ってもらった後、即爆睡したらしい。
夜7時から翌朝7時まで寝ていて、看護士さんに朝食で起こされたと言っていた。


私は翌朝、病室に移った。
出産ラッシュは、私が最後の方だったらしくて前に出産された方々は一気に退院したらしい。
部屋は新築の4人部屋。


私は部屋に入ってすぐ左のベッドだった。
お向かいさんは30歳の方で2人目を2日前に出産。上の子は3歳らしい。


お隣さんは40歳の方でやはり2人目、1日前に出産していた。上の子は中1らしい。
もう1つのベッドは空いていた。


そういえば、私が陣痛室に入ってる間に2人とも見かけた気がする(笑)


No.411

ロッカーに荷物を入れたりしてると、今まで付いてくれてた人とは違う看護大生(男)が来た。
これから退院するまでお世話させて下さいと説明を受けた。


この人、めちゃくちゃよく喋る。
しょっちゅう来られては話しかけられるからなかなか寝られない。
3日目にはお向かいさんとお隣さんが「何あの男。ちょっと喋り過ぎじゃろ。○○さん全然休む暇ないじゃん。可哀想に。指導の先生に言いんさい。私が言ってあげようか❓」などと言ってくれた。


私はその看護大生の立場が悪くなるんじゃないかと思って言えなかった…。


そんな中、お向かいさんが、始め私についてくれていた看護大生の人にこの看護大生(男)の文句を言ったら、指導の先生に報告したらしくて先生が謝りに来た。
実は、他の看護大生達(女)もこの看護大生(男)の事を嫌っていたらしい。
常に態度がでかく、これくらいも解らないの❓(笑)的な態度にみんなイライラしてたらしい。


私には別の看護大生(女)がついてくれて、退院までお世話してくれることになった。


No.412

母は毎日お昼過ぎに30分くらいだけお見舞いに来てくれた。
洗濯物を持って帰って洗って持ってきてくれる。


その時、毎回カットフルーツやケーキ屋さんのゼリーやプリンを持ってきてくれていた。
母はお隣さんやお向かいさんの物も買ってきてくれる。有り難い。
病院食でもおやつは出るけど、母が持ってきてくれるおやつは楽しみだった。


出産して3日後、旦那とお姑さんがお見舞いに来てくれた。
母子別室の病院だからガラス越しに赤ちゃんを見るようになっているけど、その時はまだ公開時間ではなく、病室でしばらく話していた。


旦那が「これお見舞い。好きでしょ❓」とすこんぶを渡してきた。
いや、好きだけどさ。
わざわざ今持って来なくてもいい品でしょうよ(笑)
とは言えず「うわぁ✨ありがとう😃」と言っておいた。
姑さんからは巨峰をもらった。
夜中、お腹空いた時に美味しくいただきました👍


公開時間になると、姑さんはガラスに張り付いてなかなか離れようとしない。
公開時間いっぱいまで居て、授乳時間になったら帰って行った。
旦那は外泊届を出したらしく、姑さんはそのまま自宅に泊まって翌日帰るらしい。


部屋、しばらく使ってないから埃だらけかも…しかも布団は1セットしかないし。
それがちょっと気がかりだった。


No.413

退院の日。
母が迎えに来てくれた。
出産に時間がかかったから会計は48万弱。
お金は母が立て替えてくれた。


帰りにドラッグストアへ寄ってオムツやミルクを買って家へ。
祖父母に赤ちゃんを見せた。
祖父母に渡そうとしたけど、怖くて抱けないと返された。
祖母も「色白で綺麗な赤ちゃんじゃね」と言ってくれた。


子供部屋には私が赤ちゃんの時に使っていた籐のゆりかごが出されていて、そこに寝させることになった。
従兄に貸していたベビーベッドを返してもらったら、部品が足りなくて組み立てられなかったらしい。


お昼休憩で父が上がってきた。
父に赤ちゃんを見せると「おっ、帰ってきたか」と赤ちゃんを見た。
渡そうとすると「よう抱っこせんわ」と返された。祖父母と同じ反応(笑)


母親って不思議。
妹と同じ部屋で寝ることになったけど、私は赤ちゃんが少しでもグズるとパッと目が覚める。
でも妹は気付かず爆睡。
母も赤ちゃんの声が聞こえたら目が覚めていたらしい。
出産すると赤ちゃんの声に敏感になるのかな。


No.414

昼間、赤ちゃんが寝てる間は部屋をウロついたりテレビを見たりして過ごしていた。
母にテレビを見る時間があったら少しでも寝るように言われた。


「産後はテレビも見たらダメなくらい体力が落ちてるんだから。今は良くても年とってから苦しむよ」と言われた。
そう言われても体力が有り余ってるのか寝られない(笑)
ケータイ触ってゲームしたりしてるのがバレて怒られた。
暇すぎる…


晩御飯を作るのを手伝おうとすると「○○ちゃん(妹)がするからあんたは座っときなさい」って…。
あー暇ー❗


そんな中、旦那とのメールのやり取りで長男の名前が決まって出生届を出しに行ってきた。
今まで名前が無かった子に名前が出来ると変な感じ。
その日から赤ちゃんを呼び捨てで呼ぶようになった。
○ーちゃんとか○○くんとかのニックネームが付けにくい名前にしてしまったから、呼び捨てで…。


そして旦那の退院の日も決まった。
8月中旬らしい。
それに合わせて、母が赤ちゃんが産まれたお祝いをしようと提案してくれた。



No.415

日取りは8月中旬の土曜日。
姑さんの仕事が休みの日を選んだ。
メンバーは旦那&姑さんと祖父母、父母、私、妹、弟の9人。


夕方5時半頃から食事会をしようということで、当日は夕方5時頃に来て欲しいと旦那にメールした。
料理も5時に届くように注文。
なのに旦那と姑さんは3時半頃に来た。
しかも手ぶらで。


まだ部屋は準備中だし料理も来ていない。
取り敢えず、ゆりかご&赤ちゃんを持って降りてリビングに運んだ。
父や祖父母が挨拶をしに来た。


姑さんは赤ちゃんを抱いて時々旦那に話しかけるだけ。
祖父母や父が話しかけても、あまり聞いてないのか変な返事が返ってきたりする。
母は台所で「お母さんどうしたん❓何か…変わったお母さんだね…」と言っていた。
私も「どうしたんかね…」と返すしかなかった。


料理が届いたから食事会を始めることになった。
妹と弟も降りてきて軽く挨拶を交わし、食事をした。


食事が終わった後、姑さんは赤ちゃんをずっと抱いていた。
赤ちゃんをずっと見つめたまま、誰かが話しかけてもあまり聞いてない様子。
旦那が見兼ねて姑さんの腕を掴み「ねぇ、話しかけられてるよ❗」と言うと我に返って返事をする。


何だか微妙な空気が流れていた。


No.416

夜8時半。
食後のデザートも随分減ってきていた。
父は毎週土日の夜は遊びに行くから、その日も8時頃に「僕は出掛けますが、ゆっくりして行って下さいね」と言って出かけて行った。


祖父母はいつも9時に寝るため、8時半には席を立つ。
「私達はもう寝ますので。お休みなさい。お気をつけてお帰り下さいね」と言って部屋を出て行った。


弟は自分の部屋でゲーム。
リビングに居るのは、旦那&姑さんと母、私、妹だけだった。


母と妹は台所で片付けをしている。
旦那&姑さんと私はテーブルで話をしていた。
母がコーヒーのお代わりを出してくれた。


そして私は部屋の外に呼ばれた。
母「そろそろ時間も遅くなってきてるし帰ってもらったら❓おじいちゃんおばあちゃんも気になって寝られへんやろうし」

私「分かった」


私「時間遅くなってきてるけど大丈夫❓帰るの遅くなるからそろそろ帰った方が良いんじゃない❓」

姑「明日休みだから大丈夫よ。そんな事気にせんでええよ」

旦「すぐ帰れるから大丈夫👍」


うっ、通じてない…💧


No.417

更に30分経ち、母は疲れたらしく「何かあったら呼んで」と私に言い、姑さん達には「ちょっと用事があるんで上に上がってきます」と言って3Fに上がって行った。


妹は台所に残って別の果物とコーヒーを出してくれた。


10時になっても帰らない旦那&姑さん…💧
私もいい加減疲れてきて「時間結構遅くなってるけど大丈夫なん❓」と聞いてみた。
流石に察してくれるだろうと思って。


姑「大丈夫大丈夫」

旦「まだ全然眠たくないし平気だけど❓」

オイオイ、マジですか💧


11時になっても帰らず、妹も流石に嫌になってきたらしい。
「○○ちゃん(私)後お願いね。私もう上に上がるわ。他の洗い物は全部終わらしてあるけん。お休みなさい」
そう言って妹は3Fに上がって行った。


入れ替わりで母が降りてきて部屋の外に呼ばれた。
「まだ帰ってないん⁉どうなっとんよ❗」

私「それとなく言っても気付かずにずっと居るんよ💧疲れた…」

母「お母さんも人の親なら産後は休まないかんって分かってるだろうに…分かった。お母さんから言うわ」


母「そろそろ時間も遅いですし、○○(私)も休ませようと思いますので…」


姑「あぁ、そうですね。兄ちゃん(旦那)そろそろ帰ろうか」

旦「え~。もう帰るん」

母「○○くん、月末に迎えに来てね。父親なんやからゲームばっかりしてたらあかんで」

旦「あっ、はい💦」


No.418

その後も姑さんは、赤ちゃんを最後にもう1回だけ抱かして欲しいと言って、赤ちゃんを抱っこしたままなかなか立ち上がろうとしなかった。
母は「じゃあ○○ちゃん、お見送りしてあげてね。お休みなさい」と言って上に上がって行った。


それを良いことに❓姑さんはそのまま居座って夜中の1時になってもまだ居た💧
母が降りてきてまた部屋の外に呼ばれた。
「ほんまにどうなっとんよ❗非常識にも程があるわ❗もしかして泊まるつもりなん⁉」と言ってきた。


「流石にそれは無いと思うけど。私も帰るように促してるし」


母が「もう○○(私)も赤ちゃんも寝させますので。おじいちゃん達もこの部屋の電気が消えないから気にしてるようなんでそろそろ…」と言うとやっと部屋から出てくれた。


2人が帰って行ったのは夜中の1時半頃だった。
旦那&姑さんと入れ替わるように父が帰ってきて、今帰って行った事を母が父に話すと父は驚いて呆れていた。


母はめちゃくちゃ怒って妹と文句を言い続けていた。
翌朝、祖父母の所へ行くと祖父母も呆れかえっていて、1時半に帰るなんて有り得ないと言われた。


家族みんなに責められるような目で見られるのが苦痛だった。
更に母にチクチク言われるのが嫌で、自宅に戻るのを1週間早めた。


No.419

>> 418 2日後、姑さんが帰ってから旦那に「うちの家族みんなが遅い時間まで人の家に居るなんて非常識って怒ってたよ⤵人の家にお邪魔した時は早めに切り上げないと💧」とメールした。


旦那からは「そうなん。誰も早く帰れって言わんからゆっくりしてただけなんだけどな」と返信があった。


………💧


旦那は礼儀があまり身についておらず、私や母が注意する事がよくあった。
始めの内は挨拶やお礼もまともにできてなかったから、母に「もう20歳過ぎてるし父親になるんやろ❓ちゃんと言うことは言わなあかん❗」と怒られていた。


母は旦那に対しても結構ズバズバ言う。
私に言う時よりは遠慮してる感じだけど。
姑さんはあまり怒らない人だったらしく、旦那は怒られ慣れていない。
だから旦那は私の母の事が怖くて苦手。


母は今は年1回実家に帰ってくる。
その時に30分程うちにも寄って行くことがある。
以前は月1~2回実家に帰ってきていた母だけど、祖母が認知症になってからは帰ってくる回数が急激に減った。


私も旦那も母が来ることが分かると、大掃除&片付けを始める。
私は普段掃除しないような所を徹底的にやり、旦那はPC周りやアニメ&ゲーム関係の物を必死に隠す。
母が来ると未だに緊張する。



No.420

主さん、はじめまして

偶然こちらの小説を読ませて頂き 引き込まれてしまいました

スゴく読みやすいし、内容も興味深く一気に最後まで読みきってしまいました

またお時間ある時に続きをお待ちしてます

子育て大変ですがお体に気を付けて下さいね


No.421

>> 420 おはようございます🌟
ここまで読んで頂き有難うございます。
ダラダラとまとまりの無い文章ばかりですみません💦


気付けばレスが400越えてて、どうやって終わらせたら良いんだろう…ちゃんと500以内で終わるんだろうか、とちょっと心配になってきてます💧


また時間ができたら更新していきますね。
お気遣い有難うございます😃


No.422

里帰りを終え、私は子供と一緒に自宅に帰った。
旦那はまだリハビリ中で会社を休んでいるため、1日中家に居る。


歩いたり車の運転はできるようになっていたけど、足の怪我はまだ完全に治ってはなくて、本当はもうしばらく休まなければいけない状態だった。
だけど会社から「4ヶ月以上休むようだったら会社を辞めてもらうことになる」と言われたらしく、9月の頭から復帰する事が決まった。


数日後、1ヶ月検診に行った。
2人とも異常なし。
ってことで、翌日から旦那の実家へ泊まりで遊びに行った。
旦那が4泊くらいしたいと言うからオムツや着替え、ベビー用品やタオルなど荷物が大量💦


姑さんの所へ着くと駐車場で待っていてくれた。
挨拶もそこそこに、赤ちゃんを見せると姑さんが抱っこしてアパート2Fの自宅へ連れて行った。
私と旦那は大荷物を持って追いかけるように部屋に上がった。


姑さんは前回と同じく、子供をずっと抱いていてなかなか離さない(笑)
授乳の時だけ渡される感じ。
まぁ、私もゆっくりできるから良いんだけど…。


初めての子だと、私も色々と神経質になってる部分があった。
赤ちゃんを触る時、親の私や旦那でさえきれいに手を洗ってから赤ちゃんを触るようにしていた。
なのに姑さんは手を洗わずに触る。
オムツ替えをした時も手を洗わずにそのまま抱っこ。


ほ乳瓶の洗い方も。
洗ってくれるのは有り難いんだけど、見てると雑な洗い方で消毒もいい加減…💧


帰省中、それらが気になって気になって仕方なかった。


No.423

翌日は伯母さん(姑さんの姉)とおばあちゃん(姑さんの母)の家に遊びに行った。
伯母さんは子供のことがよく分かっていて色々とアドバイスしてくれる。


伯母さんはしっかり者で、気付いたことはサッと行動に移す人だしメチャクチャ良い人。
この人が自分のお姑さんだったらなぁ…と何度思ったことか(笑)


おばあちゃんは優しい人。
いつ行ってもニコニコしていて怒ってる姿なんてほとんど見ることがない。
そして帰り際にいつも「これ持って帰りなさい」と買った物や畑で採れた物など色々な物をくれる。
食べ物とかは「いいよ、おばあちゃんが食べて」って断っても「子供達に食べさせてあげて。うちにはようけあるから」と言いながら渡してくれる。
とても有り難い。


それに対して
姑さん…あなたという人は…💧
冷蔵庫を開けて「ばあちゃん、コレもらって帰るよ❓」

ば「それ置いといて。夜食べようと思って買ってきたんよ」

姑「いいじゃん。貰ってくからね~」

ば「○○ちゃん(姑さん)ダメ❗ダメって言うとんのにー😥」

おばあちゃんはこっちを見て苦笑い。


こんなやり取りをよく目にしていた。
当時73歳だったおばあちゃんも現在85歳。
未だにこんなやり取りは続いてるらしい。


姑さんは仕事帰りにおばあちゃんの家に寄って夕食(おばあちゃん手作り)を食べて帰ることが多い。
2ヶ月程前におばあちゃんの家に遊びに行った時、おばあちゃんが「○○ちゃん(姑さん)はお皿も洗わずに帰るんよ。もうばあちゃんも85じゃけんね。しんどいわー」と私に漏らしてきた…💧


No.424

残りの2日はずっと家でゴロゴロして過ごした。
始めの2日間は持ってきたタライで子供をお風呂に入れたけど、残りの2日は姑さんにお風呂(湯船)に入れてもらった。
お風呂が熱めなのか、ゆでだこのようになって上がってきた息子が何か可愛くて面白かった。


帰る日、荷物が全部蚊取り線香の匂いになっていた(笑)
旦那は蚊取り線香の匂いが好きらしくて「あ~いい匂い」って言うけど、私はこの匂いがなかなか好きになれない。
燃えていくのを見るのは楽しいんだけどなぁ(笑)


家に帰ってから数日して、旦那の仕事が始まった。
始めはあまり動けないから補佐的な事ばかりだった。


2週間程して旦那の怪我の保険が下りた。確か50数万だったかな。
そこから母に立て替えてもらっていた出産費を返した。


この保険。
会社で入った保険なんだけど、契約したのは旦那が怪我をする10日程前だった。
本当に運が良かった。


班長に「家族が増えるんだから保険かけとかんと。何かあった時に困るのは奥さんだってこと分かっとるか❓」と言われて、会社に出入りしてる保険のおばさんに班長が話をしてくれたらしい。
それで契約した保険だった。


班長様、あの時は薦めて頂きありがとうございました。
大変助かりました。


No.425

始めは姑さんはただただ優しい人だと思っていた。
私の母のようにめちゃくちゃ怒ってる姿なんて見たことがないし。
それに姑さんは人生の先輩で大人だから礼儀とか全部身に付いてるものだと勝手に思っていた。


でもしばらくして、大人であろうと身に付いていない人も居るという事に気付かされた。


例えばお中元やお歳暮、季節の果物等を送っても「届いた」とかの連絡は一切無い。
お返しも無い。
お返しが欲しいとは思わないけど、一言何かあっても良いんじゃないの…と何度思ったことか(笑)


品物を送って1週間程して「品物を送ったんだけどちゃんと届てる❓」とこちらから連絡すると「あぁ、5日前に届いたよ。ありがとうね。ばあちゃんもありがとうって言ってたよ」と返ってくる💧
(おばあちゃんにも姑さんとは違う物を送ってる)
それが毎回だった。


姑さんに年賀状を出しても、始めの7年間は返ってこなかった。
おばあちゃんからは年賀状は毎年返ってくる。


始めの内はどうなってんの⁉とモヤモヤしていたけど、しばらくしてこれがこの家では普通なんだなと諦めた。
旦那も始めの内は「うちの親はどうなっとんや⁉毎回ごめん💦」と言っていたけど、途中から「毎回送っても何も言わんしお返しもないから、もう何も送らんで良いよ」と言うようになった💧


とは言いつつ毎回送ってるけど。


No.426

結婚して子供が産まれ、初めて迎えるお正月。
年末に旦那と喧嘩になった。


旦那の実家には毎週くらいの勢いでしょっちゅう行く。
私の実家は2~3ヶ月に1度くらいのペースで行っていた。
姑さんの所は泊まりで私の実家は日帰り。
距離的には私の実家の方が近いんだけど。


私の実家では、毎年お正月は1日の午前~お昼にかけて伯母夫婦、叔父家族、いとこ家族×2が来て20人くらいで過ごすから賑やかだった。
みんなが居る間、母と私と妹はお節料理やオードブル、お茶やジュース、果物やお菓子を出したりと忙しい。


そして気の合う人同士がそれぞれ話をしながら楽しく過ごして、みんな3時頃には帰って行く。
私はこのお正月もその中に入る気満々だった。
子供も産まれたからみんなに見せたいのもあって。


だけど旦那は「実家に帰るからそっちには行かないよ。お母さん待ってるし」と。
いとこ達には年1回お正月にしか会えないからどうしても行きたいと言ったけど、旦那はOKしてくれない。
「こっちも夜に集まってみんなでご飯を食べるから」と言われた。


旦那の方の集まりは
1日の夕方6時から夜9時頃までおばあちゃんの家に集まってご飯を食べるというもの。
伯母家族(伯母夫婦といとこ2人)と姑家族(姑、旦那&私&子供、妹夫婦&子供)が集まる予定。


「じゃあ、私の家をお昼過ぎに抜けて行ったら良いじゃん❗」と言っても面倒だから嫌と言われた。
何を言っても通じないからイライラと悲しさで涙が出てきた。


No.427

仕方なく電話で母にその事を伝えた。
母は「残念だけど仕方ないね。○○くんの方を優先しなさい。親孝行しっかりしておいでね。○○家のお節料理の味も教えてもらっておいで」と。


私は複雑な気持ちで「うん…みんなによろしくね」と言って電話を切った。
旦那には「次の年はこっちを優先してね」と言ったけど、次の年も同じ事で揉めて、結局旦那が譲らなくて同じ結果になった。
悔しくてまた泣いた。


年末、旦那の実家へ行くとお節料理の用意がまだされていなかった。
姑さんにお節料理の準備を手伝うと申し出たら「うちはお節なんて作ったことがないよ」と言われ拍子抜けした。
お雑煮だけは1日のお昼に食べるらしく、あとは普通のご飯だと聞いた。


私の実家では毎年5日くらいまではお節料理が続く。それでも余ってる時は7日くらいまで…
お節料理自体があまり好きではない私にとっては苦痛な日々だった(笑)


親戚も食べるから作る量も物凄い。
お節料理を作るだけで丸1日かかる。
中学生の頃から本格的に手伝うようになって、いつも朝8時頃から作業を始める。


延々と作り続け、近くのお寺から聞こえる除夜の鐘の音を聞きながら母に「いつになったらできる❓」とよく聞いていた。
もう少しもう少しと言われながら出来上がるのは夜中の2時とか(笑)
もう新年迎えてます💧
毎年、年末年始は苦痛で仕方なかった(笑)


旦那の実家。
お節料理が無い生活。
これはラッキーなの…か…❓


No.428

お雑煮も各家庭で具も味も違う。
姑さんの所は、大根、にんじん、ねぎ、お豆腐、おもちが入ってる。


私の実家は、ほうれん草、鶏肉、お豆腐、かまぼこ、おもちが入ってる。時々、生麩を入れてみたり。
私が作るのも私の実家と同じ具。
母が作る物と味は少し違うけど。
でも実は、私は姑さんの所のお雑煮の方が好き。
旦那は私が作るお雑煮の味が好きらしい。


夕方、少し早めにおばあちゃんの家へ向かった。
手伝えることは手伝おうと思って。
だけど伯母さんの方が先に来てて、おばあちゃんと一緒に料理を作ってた。
伯父さんといとこ達は後で来るらしい。


伯母さんは家で作った料理も沢山持ってきていた。
私達が持って来たのは、姑さんの所へ来る前に買ったアルコールとお茶、ジュースだけ。姑さんは手ぶら…💧


私が手伝おうとしたら伯母さんが「いいよ○○ちゃん(私)は赤ちゃん見ててあげて」と。
子供を抱っこしていた姑さんには「あんた早よ手伝いんさいや」と言ってきた(笑)


姑さんは「え~💧」って顔をしている。
姑さんが「うちは○ーちゃん(子供)を抱っこしとるけぇ、手伝えんわいねぇ」と言うと「親が2人居るんだから親が面倒見るわいねぇ。あんたは動きんさい」と。


ナイス伯母さん(笑)


渋々私に子供を渡して動き始める姑さん。
それでも私が動かないわけにはいかないと思い、子供を旦那に渡して手伝った。


No.429

おばあちゃんの家の電話が鳴った。
今時珍しい黒電話。
みんな忙しそうだったから私が出ると、妹からだった。
「あけましておめでとう。今年もよろしくね。で、何時頃に来れそう❓」


「今日、行かんことになったからみんなに謝っといて」と。
何だか元気がない。


どうしたのか聞くと、旦那さんと喧嘩して行かれなくなったと言う。
「そうなん…お母さんに代わろうか❓」と聞くと「いい」と。
この頃の姑さんと妹はあまり仲が良くなくて衝突も多かった。


「そっか…誰かに家まで迎えに行ってもらう❓」と聞いても「いい」と。


「会えないのは残念だけど、出産してまだ1ヶ月くらいしか経ってないんだからゆっくりしてね。何かあったら話聞くからまたメールして❓」


「うん、分かった…またね」
そう言って妹は電話を切った。


姑さんに妹から電話があった事を話すと、妹と旦那さんの悪口大会が始まった…💧


始めは姑さんと妹の旦那さんは仲が良かったんだけど、姑さんが空気を読まずに変な事を言ったり、聞こえてない振りをしたり非常識な行動が続いたため、妹の旦那さんが距離を置くようになった。


妹も姑さんに注意したりしてたけど、姑さんが旦那さんの悪口を言ってきたりでどんどん溝が…
姑さんの変わらない態度に旦那さんは姑さんを無視するようになった。
その内、姑さんも妹の旦那さんを無視するようになり、妹はほとんど姑さんの所に遊びに来なくなっていた。


No.430

少しして、伯父さんといとこ達が来た。
旦那のいとこは私達の6歳上(♂)と2歳上(♀)だった。


いとこ達は姑さんの事を「お姉ちゃん」と呼ぶ。
初めて聞いた時はビックリした。
いとこ達が産まれた時はまだ姑さんは結婚してなくて「お姉ちゃん」と呼ばせていたらしい。
昔からそう呼んでるから、もう呼び方は変えられないと言っていた。
還暦を過ぎた今も「お姉ちゃん」


伯母さんはみんなに気遣いできるし本当によく気が付くいい人。
そして話題も豊富で色々話してくれる。


姑さんに「あんた、さっきからずっと○ーちゃん(子供)抱いとるけど、孫は自分の子じゃないんだからちゃんと○○ちゃん(私)に返しんさいよ。あんたはおばあちゃんでしょ。せっかく来てくれたお嫁さんに嫌われるよ(笑)」と言いながらこっちを見た。


姑さんは「ええんよねぇ。毎日抱っこできるわけじゃないんじゃけん。うちが抱っこしとる方が○○ちゃん(私)も自由に動けて助かるんよね」と。


苦笑いする私。


伯母さんの考え方と私の考え方は似てる部分が多い。
共に長女だからなのかな。
私の想いを伯母さんが代弁してくれてる感じでスッキリする。



No.431

子供が4ヶ月の時。
旦那がたまには息抜きしようと映画に誘ってくれた。
子供は姑さんに預けて見に行くことになった。


ちょっと不安だったけど、子供は母乳寄りの混合でほ乳瓶にも慣れているから大丈夫だろうとのことで姑さんにお願いすることにした。
姑さんは快諾してくれた。


私の母は『子供が赤ちゃんの間はあちこち出歩かんと育児に専念しなさい。子供を預けて出掛けるなんてとんでもない』と言う人だから母に預ける事は出来ないし、遊びに行くなんて言えない。


映画を見に行くのは1年振り。
その頃何度もCMでやってた『ハリーポッターと賢者の石』が気になってて、ハリーポッターを見る事に決めた。


旦那に一番近い映画館までどのくらいかかるか聞いたら、30分くらいだと。
行く直前に授乳をして出掛けた。


道は渋滞してて、映画館に着くのに45分くらいかかった。
ショッピングモールに入ってる映画館だから人がかなり多い。
次の上映時間は20分後だったからすぐにチケットを買って中に入った。


映画って2時間くらいで終わるものだと思っていたけど、ハリーポッターは3時間あった。
見始めた頃はそんな事など知らず…


上映から1時間半経った頃、授乳時間が近付いてきていたから胸が張り始めた。
これはマズい💦と思いながらも後少しで終わると自分に言い聞かせ、痛みを我慢しながら映画を見続けた。



No.432

なかなか終わらない映画。
もう2時間経ってるのに…まだ終わらないの…❓
胸はカチカチパンパンでかなり厳しくなっていた。
あれほど見たかった映画にイライラ。


旦那に「胸がカチカチで痛くてもう無理。帰りたいんだけど…」と言ってみた。
旦那は「せっかく来たんだし後少しで終わるから最後まで見ようや」と。


うぅ…
途中から母乳がポタポタ垂れ始めて母乳パッドが重くなってきた。
しかもズレてブラと服が濡れてるし…💧
最悪😫


やっと映画が終わった頃には痛くて痛くて立てない程だった。
家に帰るまでまだ30分もある…
意識が遠のきそうになる。


ようやく家に着いて急いで部屋のドアを開けると、姑さんが子供にミルクを飲ませてるところだった。
しかももうほとんど残ってない😭
子供は飲み疲れて寝てるし💤


ギャー😱
やっと授乳できると思ったのに~💦
仕方なく絞ることにした。


触るだけでも痛くて痛くて旦那に八つ当たりしそうになる。
姑さんが居るからしなかったけど。


それ以来、授乳できない場所や映画館に行くのはやめた。
やっぱり母が言ってた事は正しかったのかな💧


子供の年齢が近いから、美容院も2年に1回くらいしか行ってなかった(笑)
前髪だけ時々自分で切って、横と後ろは放置。


そんな生活が懐かしい(笑)


No.433

うちの子供が6ヶ月の時、義妹の家に初めて行った。
義妹の子は3ヶ月。


義妹の家は、築浅の綺麗な社宅で部屋も割と広い2LDK。
義妹の旦那さんが居ない時間帯を選んでお邪魔した。


義妹はかなり疲れた様子だった。
子供が泣いてばかりだし、旦那さんに掃除をしろと毎日毎日何度も言われてしんどいらしい。


子供が泣く理由はすぐに分かった。
酷いオムツかぶれ。お尻は真っ赤で血が滲んでるように見える。
オムツ替えや排泄の度に泣き叫んでいた。


更に、いわゆる「抱き癖」というものがついててベッドや下に降ろそうものなら泣き続ける。
ずっと抱っこしてないといけない状態。


もう1つ気付いたこと。
赤ちゃんの口の中が白くなっていて、どうしたのか聞くと鵞口瘡(がこうそう)と言っていた。
「ガコウソウって何❓」と聞くと「カビらしい」と教えてくれた。


姑さんは「何でこんなになるまで放っとんね⁉ウチに早よ言えば病院について行くこともきたのに❗」と言い始めた。


義妹は「言えんじゃろ❓お母さんと○○くん(旦那さん)は仲が悪いから、お母さんに話そうとしたら○○くんの機嫌が悪くなるし、お母さんに頼るなって言われる」と。


姑さんと義妹は旦那さんの悪口を言い始めた。


旦那さんと私&旦那は同い年。
旦那さんは何でも自分で出来る人。
洗濯、掃除、片付け、料理。
子供のお世話だって上手にする。


義妹は掃除&片付けが(私より)苦手らしく義妹は綺麗にしたつもりでも、旦那さんが「ちゃんと掃除しろ❗」と怒るらしい。
だから義妹は1日に3回も4回も掃除機をかけてるのだとか。


No.434

更に気付いたこと。
部屋の壁に2ヶ所穴が空いていた。
聞いてみると旦那さんが殴った跡らしい。


旦那さんは自分で何でもできる分、あまり動かない義妹にイライラするようで怒鳴ってきたり、殴る真似をしてきたりするらしい。
怒りが収まらなかった時に壁を殴ったと聞いた。


私から見れば温厚で何でもできる羨ましい限りの旦那さんだったけど、DVの気があると知り、見る目が変わった。


義妹が疲れてることもあり、赤ちゃんの症状が良くなるまでは姑さんと居る時間を増やすという事に決まったらしい。
旦那さんも渋々承諾したのだとか。


義妹は旦那さんに対して冷めてしまったようで、実家に泊まることが多くなった。
義妹は熱しやすく冷めやすいタイプ。


子供が泣き始めたら「泣いとるけん、お母さん見いね❗」と言って姑さんに任せる。
そして自分は好きなことをする。


ミルクも離乳食もオムツ替えもお風呂も全部姑さんがしていた。
子供が「ママ」と言えるようになった頃、子供は姑さんに「ママ、ママ」と言うようになった。


姑さんが義妹に「○○ちゃんがママ、ママ言っとるよ。抱っこしてやりなさいね」と言っても「この子は私の事を嫌ってるからイイ。全然ウチに懐かんし。お母さんを母親だと思ってるみたいだからお母さんが育てれば❓」と言った…


姑さんは「何言うとんか❗あんたが母親じゃろうがね」と言ったけど「もうイイ。こんな子いらん。ウチは知らん」と言って夜だというのに出て行ってしまった。


帰ってきたのは夜中の3時頃。
それから義妹は子供を姑さんに任せてほぼ毎日夜遊びをするようになった。





No.435

義妹には離婚しない方が良いと何度も話したけど、義妹は気持ちが冷め切っていて何を言ってもダメだった。


子供は旦那さんが引き取ることで話が進められていた。
旦那さんを見ていると子供が大好きなのがよく分かる。
子供を上手にあやすし、子供が寝入るまでずっと抱っこしてる。
子供に対してイライラせず、ずっとニコニコしてる。
この子は旦那さんに引き取られた方が幸せになるだろうな…と思った。
この子が居なくなる約束の日まで後少し。


義妹の子供が1歳を迎えた日。
それが約束の日だった。
義妹達は離婚し、子供を旦那さんに引き渡した。
旦那さんはそのまま自分の実家に帰って行ってそれっきり。
連絡も一切取ってない。


子供と別れた日、義妹は泣いていた。
子供が大きくなって、もし私(義妹)に会いたいと言ってきても会わないほうが良いのかな。
私、母親失格だから会わす顔がないよ…



義妹は離婚してから通信制の高校に通う❓ことにした。
高校を中退してしまったからまた勉強したいって。
勉強をしながらアルバイトをしてお金を貯め、車の免許も取った。


当時まだ10代の義妹。
人生、何があるか分からない。


No.436

私の妹も、義妹と似ているところが結構ある。
母親に対して上から目線のところや、熱しやすく冷めやすいところなどそっくり。


実家に居る時、母と私の衝突も多かったけど、母と妹の衝突も多かった。
妹は結構ズバズバと言いたい事を言う。
口が達者だから私みたいに言い返せないで泣くことはほとんど無かった。


そんな事お母さんに対して言って良いの⁉と驚くような事でも平気で言う。
喧嘩でのやり取りを聞いているとドキドキする。


そんな妹は高校の時から大学1年の終わりまで付き合ってる彼が居た。
途中から遠距離になったけど、彼が何度も会いに行ってたみたい。


母と妹から彼の話を時々聞いていた。
妹の事がメチャクチャ好きで、面白いくらい妹に尽くす彼。
妹がお腹空いたと言えば食べ物を出し、喉が乾いたと言えばコップにジュースをついで妹に持たせる。
デートの時もお姫様扱い。
私からすれば、何て完璧な彼なんだ😂と思う(笑)


デートの時、妹が意地悪して「私のお母さんが付いてきても良いんだったら行く」なんて言ったことがあった。
彼はすぐに妹に母を誘うように言ってきたらしい(笑)


「○○くんが私らのデートに付いてきて欲しいって言ってたよ😁」って。
母は冗談で「良いよ」と返事したつもりだったけど、それは本当に実行された(笑)


No.437

彼はその日のデートプランを考えてきていた。
映画に行って、その後食事をして帰るというプラン。


彼と妹は同じ高校に通う同級生。
高3の時、彼は誕生日が来てすぐに車の免許を取りに行ったそうで車を持っていた。
聞いた話によると、彼は不便な島に住んでいるから車は必需品なんだとか。
朝は5時前に起きて歩きとバスと船で2時間近くかけて学校に通っているらしい。
いつもギリギリまで寝てる私や妹とは大違い(笑)


お昼過ぎに彼が車で家に迎えに来た。
それから母と妹と彼は映画館へ。
映画のチケットは彼が全員の分を払おうとしたらしいけど「親のスネをかじってる学生に払わせるわけにはいかない」と母が払ったらしい。


映画を見終えて今度はファミレスに。
そこでも彼が支払いをしようとしたらしくまた母が「そういう事は自分で稼ぐようになってからしなさい」と母が払った。
彼は払う気満々で来たらしく、結構な額を持っていたらしい。


最後に彼は母にお礼を言って、母にアドレスを教えて欲しいと言ってきた。
母は「この子はイイ子」だと思ったそうでケータイのアドレスを教えたみたい。


それ以降、時々、母にもメールが入るようになった(笑)
「今日は○○さんとデートしてきます。遅くならないように夕方には帰します」とか入ってくるらしい。
それ以外にも「今日は○○さんの元気が無いようなんですが、何かありました❓」など。


母と妹が喧嘩して妹の行動が把握できなくても、彼からのメールで筒抜けだった(笑)
素直で真面目でカッコ良くて尽くしてくれる彼なんてそうそう居ないと思う。
母も絶賛してたし(笑)


No.438

妹と彼は将来なりたい職業が同じだったこともあり、勉強も一緒にすることが多かった。


彼は妹と同じ大学に行きたくて、妹の第一志望の大学も受験する気だったけど、彼のおばあちゃんが「そんな都会に行ったら遊んでばかりで勉強しなくなるからダメ。学費は出さないよ」と言って許してくれなかった。
仕方なく、彼は妹の第一志望の大学を外すことにした。


妹と彼はそれぞれ3校受験することになっていた。
その内の1校(関東)は一緒になるように話し合ってたみたい。


それからしばらくして結果が出た。
妹は第一志望だけ合格。
彼は2校受かっていたけど妹と通うことが出来ないし、かなり遠い場所だからと浪人することを決めた。
(もったいない❗)


妹から聞いていたこと。
彼は浪人中、何度も妹の所に遊びに行ったり泊まりに行ったりしていたらしい。
母は「遊ぶのは許すけど泊まるのは許さない」というルールを作っていたけど破りまくる妹達(笑)


たまたま母が妹に用事でアパートに行ったら彼がアパートの前に居たらしい。
母が声をかけたらビックリした様子で「○○さんに会いたくなって来たんですが、まだ帰ってきてなくて。帰ってくるのを待ってるんです」と。
彼は5時間近くかけて車で来ていた。


母が「あんたは浪人生やろ❓こんな所で遊んどって良いん❓」と言うと、黙って下を向く彼。
「外で待っとくのも寒いやろうから中に入り❓」と言って合い鍵で妹の部屋を開けて勝手に中に入って行った。


No.439

夕方6時。
なかなか帰って来ない妹。
母が電話して彼が来てる事も伝えた。
妹は驚いていた。


妹は学校の友達と調べものをした後遊んでたらしい。
帰ってきてすぐに3人でご飯を食べに出掛けた。


彼は妹の所に泊めてもらうつもりだったようだけど、母が居るからできない。
しかも母は泊まる気らしい。
母は彼には「女の子の家に泊まるようなことをしたらアカン❗」と言い、妹には「男の子を簡単に家に入れたらアカン❗自分の立場を考えなさい」と説教した。


彼は仕方なく自分の車で寝ることにした。
春とはいえ、夜は寒い。
母は彼の車に毛布を持って行った。


翌朝、母は彼に「早よ帰りや」と言って帰って行った。
妹に聞いたところ、彼はそのまま2泊して帰ったらしい(笑)


それから半年程して、妹が一方的に彼を避けるようになった。
前はノロケ話ばかりしていた妹が彼の事をボロクソに言うようになった。


母がそうなった理由を聞いても「喧嘩しただけ」で済ます妹。
妹が彼からの電話やメールを無視するようになったから、母にメールが来る。
「○○さん、僕の事何て言ってますか❓」「まだ怒ってますか❓」など。


母は「彼が可哀相だから早く仲直りしてあげなさい。あんたの性格からして、こんなイイ子を逃すとあんた結婚できないよ」と言っていた。
私も同感だった。


でも後になって妹が教えてくれた理由を聞いて、複雑な思いになった。


俗に言う「危険日」に彼が避妊せずに無理矢理してきたらしい。
妹は「もし子供ができたら…」と考えたら怖くてその夜は泣き喚いた。次の生理が来るまで不安で不安で毎日泣いてた。
でもこんな事お母さんには言えないし…
そう話してくれた。


私は妹の気持ちも母の気持ちも分かる。
母が彼の話をする時は適当に相槌を打って流すことにした。


No.440

妹は別れたつもりでも彼はそう思ってなくて、何とか連絡を取ろうと母を通して探りを入れてくる。
彼が何度謝っても妹は許さない。


母が「許してあげなさい」とか何度も言ってくるから妹がついにキレて「もう別れたから❗放っといて❗もう気持ち冷めてるから❗」と言った。


母が彼に「もう何を言ってもダメみたい。あの子『こう』と言い出したら聞かないから」と言うと母や妹への連絡は収まった。


その後、彼は受験して別の大学に通うことになった。
彼は浪人した後、ストレートに卒業し、国家資格も取り関東の方で働いていると聞いた。


あれから10年以上経った今でも彼は妹の事が気になるのか、年1~2回くらいのペースで母に「○○さんは元気にされてますか❓」とメールが入るらしい。


母は妹達が何で喧嘩別れしたか知らないままだから、妹には内緒で妹の近況報告をする。


彼は物凄く真面目。
遅刻をしたことがない彼が1度だけ遅刻した事があったらしい。
それは目覚まし時計の電池が切れてた時だった。
彼がずっと愛用している目覚まし時計は妹が高校生の時に声を吹き込んだもの。
彼の誕生日に妹がプレゼントしたものらしい。


妹は大学卒業後、国家資格浪人生を長い間続けていた。
毎回2点~8点足りなくて落ちていたから悔しさが半端じゃない。
小言を言う母。
部屋に引きこもって出てこない妹。
でもこの春、ようやくそれも終わった。
彼と妹は同業者になった。


No.441

私達姉弟はメンタルが弱い方なのかもしれない。
私は20歳の頃に少し悩んだりしてたけど、弟も同じく20歳の頃に学校へ行かなくなってしばらく近く引きこもっていた。


弟がそうなった原因は意地悪な先生が居たからだと聞いた。
後2ヶ月で2年生も終わるという頃、先生が弟にだけレポートを毎日20枚出すように言ってきたらしい。
学校が終わるのが夕方6時頃。
それから帰ってやってたらしいけど、5日目くらいに間に合わなかったらしい。


レポート提出できなかったから、先生に単位をやらないと言われ、来ても無駄と思ったらしく休みがちになったのだとか。


授業日数が危なくなってきたからと学校から実家に電話があった。
それで弟が学校に行ってないことが発覚した。


妹と弟は同じ大学に通っていた。
電話に出ない弟を心配して、母が弟のマンションを訪ねても居留守を使って出てこない。
母は近くに住む妹に様子を見るように言うけど、妹と弟は似たもの同士の犬猿の仲。


妹は嫌々ながらも電話したり弟のマンションに行ったりする。
でもやはり弟は出てこない。
妹がブチ切れて部屋の前で「あんたいい加減にしんさいよ❗何で私があんたのためにここまでせんといけんのんよ❗ちゃんと学校行きんさいや❗」と叫び帰ったらしい。


両親と妹は話し合い、当時妹が付き合っていた彼(妹の2つ上)に説得してもらうことにした。
弟の友達に弟を呼び出してもらい、出てきたところで妹と彼が近くのファミレスに連行した。


彼が弟の話を聞いて、学校に掛け合ってくれたらしい。



No.442

妹の方は、何とか単位がもらえる方法は無いか、情報収集に走り回っていた。


弟の担当の先生から話を聞くと「単位をやらないとかレポートを20枚出せなんて言った覚えはない。○○くんが勝手に勘違いしてるだけでしょう」と言ってきたらしく、どっちが本当の事を言ってるか判らない状態だった。


単位は結局もらえる事になったけど、その話がうまく弟に伝わっておらず、弟は留年したと思い、次の学年の単位取得の手続きをしに行ってなかった。
そしてそのまま休み続け、また学校から実家に電話がかかってきた。


母が弟のマンションを訪ねると、青白い顔をした弟が居たらしい。
ずっと部屋に引きこもって食事もまともに摂ってない状態。


学校から電話がかかってきたことと、妹と妹の彼が学校に掛け合ってくれたこと。
単位がもらえて進級できてることを話すと弟は驚いていた。
学校に行ってなかったから進級できた事さえ知らなかったらしい。


取り敢えず今のままでは学校に迷惑がかかるからと、主任と話すことになった。
主任は妹の彼が掛け合ってくれた事など把握していた。
そういう事があったんだったらすぐに相談してくれたら良かったのに…と言ってもらえ、少し安心した様子の弟。


体調もまだあまり良くなさそうだからと、この年は休学することになった。
しばらくゆっくり休んで来年度からまた頑張るということで話がついた。


弟はその後は真面目に学校に行き、ちゃんと卒業できた。
国家試験にも合格し、数年前から父と一緒に働いている。



No.443

妹は大学卒業後、なかなか国家試験に受からず浪人生になっていた。


初めて受験に失敗した時は「彼が家に入り浸って勉強するから、私の勉強スペースがなかった。まぁ、今まで1回も挫折を味わったことがないから1回くらい落ちても良いでしょ」と…


2回目
「彼が(1回目の時の彼とは別の人)入り浸って勉強できなかった。帰ってと言っても帰ってくれなかったんだから仕方ないでしょ」


父と話し合って予備校に通い始めた。
節約とサポートのため、母が住んでるマンションに妹と弟が引っ越してきた。


3回目
「思ってたところと違うところが出たんよね。ちょっと難しかったわ」
そんな感じの言い訳はずっと続く…
弟はこの時合格し、別の場所に引っ越して行った。


この年も予備校に。
途中からサボり始めて、ネットゲームとチャットにハマり昼夜逆転生活。
母に小言を言われ、キレる毎日。
4回目、不合格。


母がキレてネット禁止に。
それ以来、妹は母とは一切口をきかなくなった。
部屋からは必要最低限しか出てこなくなり引きこもりのような状態に…


この年も予備校へ。
予備校に何年も受からない「主」が居るとバカにしていたけど、自分もそろそろヤバいと思い始め、バカにしなくなった。
5回目、不合格。


母から「20代も後半なのに掃除、洗濯、料理は全部親任せ。税金だって親。毎日遊んで暮らして良いご身分ですな~」など毎日小言を言われ、大喧嘩。
勝手にアルバイトの面接を受け、予備校に通いながらアルバイト。
6回目、不合格。


No.444

5回目受験の頃から祖母が一緒に住み始めた。
認知症が結構進んでいて、行動が危なくなってきたからだった。
妹は母に直接話すことはしないから、祖母が母と妹の橋渡し役になっている。
私が妹に母の話題を振ると、妹は母のことを「あの人」と呼ぶ。
親とは思っていない様子。


4回目の受験辺りから諦めた方が良いんじゃないかと私は思い始めた。
何年も同じ生活を続けていて、母にはずっと小言を言われ、可哀相になってきた。


母は母で思う事があるようで、私にグチグチと妹の愚痴を言ってくる。
ずっと聞いてる私。
否定も肯定もしない。
私は母の電話はいつも長い。
1時間は喋ってる。
旦那と子供達は呆れ顔(笑)


母ももう諦めさせた方が…という気持ちもあったみたいだけど、父が「後1回、後1回だけ」と言い、それを何度も繰り返してきた。
妹も精神的にかなり疲れてる様子。
解放してあげたら良いのに…と何度も思った。


7回目、不合格。
妹は30歳になっていた。
20代の楽しいはずの時間が全て勉強に費やされた。
私だったら耐えられず、諦めて逃げ出していたと思う。


ずっとこんな生活を続けてきたから今回もダメだと思って結果を聞くのが嫌だった。


8回目、合格。
いつもは母から「またダメやったわ」と連絡が入るけど、今回は父から電話がかかってきた。
よっぽど嬉しかったんだと思う。
父「○○ちゃん(妹)ねぇ、合格しとったらしいよ」

私「えっ⁉本当に⁉」

父「うん。そうらしいわ」

私「やったじゃん❗これからどうするか聞いた❓」

父「いや、まだ。でも大学に戻るんじゃないかねぇ」

私「そうなん❓じゃあ早速お祝いメール送っとくわ😁教えてくれてありがとう😃じゃあねー」


電話を切った後、すぐに妹にお祝いメールを送った。



No.445

私と妹はその辺で見かけるような仲が良い姉妹ではない。
私が結婚してからはなかなか会う機会もなくなり、今は年に1回会うか会わないか。会っても少し話すだけ。
メールも年2回、それぞれの誕生日くらいしか送らない。
長い時は3年くらい会ってない時期もあった。


だから仲良く一緒に行動してる姉妹や、何でも言い合えるような姉妹を見るとちょっと羨ましかったり…
妹と一緒に遊んでたのは、確か私が中学校に上がるまでじゃなかったかな。


それ以降はお互い塾や部活とかですれ違い生活。
同じ家に住んでいてもあまり顔を合わす事がなかった。


そんな妹へのお祝いメール。
何て送ろうかすごく迷った。
作成しては要らない部分を削る…の繰り返し。


取り敢えずお祝いメールと共に、弟は地元の大学病院で研修医をしたから、妹はどうするのか聞いてみた。
毎月、上の子の薬を貰いに大学病院へ行くから妹に会えるかなと思ってちょっとワクワクしていた。


でも妹からの返事は「出身校で研修医をやるから帰らん」だった。
残念。


母の誕生日が近かったこともあり、お祝いを送ることにした。
もちろん妹には内緒で。


買い物へは家族で行ったけど、プレゼント選びについてきたのは次男だけだった。
他のみんなはゲーセン。


次男と母の誕生日プレゼントを選んだ後、妹のプレゼントも選ぶ。
妹は昔から某キャラクターが好きだから、仕事で使えそうな某キャラクターのクリアファイルや持ち運び用のバッグなど色々選んだ。
次男があれもこれもと入れるからカゴの中はキャラクターグッズでいっぱい…💧


会計後、ラッピングしてもらうのにかなり時間がかかった💧


No.446

翌日、プレゼントを送るためのダンボール箱を買いに行った。
帰ってきてプレゼントをダンボールに詰めてる時にふと思った。


お母さんと妹にはプレゼントがあって、おばあちゃんには何も無かったらおばあちゃん悲しむだろうな…


翌日、祖母のプレゼントを買いに行った。
何が良いんだろう…
普段一緒に居ないから好みが全く分からない。
何色が好きなのかも分からない…どうしよう…
結局この日は何も選べず帰った。


3日後、また祖母の物を選びに来たけど迷ってばかりでなかなか決まらない。
そういえば昔、祖母が「エアコンがかかってる所は肩が冷える」と言ってたのを思い出した。
夏でも使えそうな薄い紫と白の模様が入ったストールを選んだ。


帰ってお菓子と祖母へのプレゼントとそれぞれへの手紙をダンボールに詰めた。
翌日は日曜日で母の誕生日。
郵便局は閉まっている…
母の誕生日に着くようにしたかったけど間に合わなかった。


月曜日の朝届いたらしく、電話がかかってきた。
母は仕事へ行く前にかけてきてくれた。


「プレゼント今届いたよ。ありがとう。早速使わせてもらうね。おばあちゃんのも気を遣ってくれたんだね、ありがとう。こんなに沢山…気を遣わんでいいのに。こっちの事はいいからお金は子供達に使ってあげてね。でもありがとう。あんたも忙しいやろうからもう切るね。また電話するわ」
そう言って母は電話を切った。


No.447

夜、私のケータイに妹から電話がかかってきた。
妹と話してる最中に家の電話が鳴った。
長男に出るようお願いすると、祖母からの電話だと口パクしている。


同じ家からそれぞれがウチにかけてきていて何だか笑えた。
私「今、おばあちゃんが家の電話に電話してきてるみたい」

妹「あっ、部屋の外からおばあちゃんの声がしてるわ」

私「○○(長男)がね、『どうしたら良いん❓』みたいな顔でこっち見てる(笑)」

妹「ははっ😁じゃあ、電話切るけん代わってあげんさい」

私「うん、そうするわ。じゃあまたね」

妹「うん。プレゼントありがとう。じゃあね」
妹との電話を切った瞬間、長男も電話を切った。


私「えっ❓💧何で切ったん💧」

長「ひーばあちゃんがもう切るねって言ったから…」

私「ひーばあちゃん何て言ってた❓」

長「何かよくわからんけど何回もありがとうって言ってた」

私「そう。じゃあかけ直さなくていっかー。電話出てくれてありがとうね」
祖母は長男を私だと思って一生懸命話してたんだと推測。
祖母は認知症が進んでいて、私のこともあまり覚えていない。


母の話によると、祖母の中では私は「優しい子」らしい。
私の顔は覚えてなくても「あの子は優しい子よね」と話してくるらしい。


今はまだ私のことを少し覚えてるみたいだけど、いつか完全に忘れてしまう日が来るのかな…


No.448

祖母の様子がおかしくなり始めたのは、祖父が亡くなって少ししてからだった。
始めは軽い物忘れだったから、母もそんなに気にしてなかったけど、症状は少しずつ進んでいった。


物忘れやなくし物が増え、同じ事を何度も言うし、言った事をすぐ忘れる。
同じ物を何個も買い、それを仕舞い込んでどこにやったか分からない状態。


家の鍵、通帳、印鑑、財布など大事な物をどこに仕舞ったのか分からなくなって母が取ったと言い始めた。


母が祖母の異変に気付いて病院で検査すると、認知症だと診断され、薬で症状を遅らせることになった。
でも祖母は薬の管理が出来ず、1日2回の薬を5回飲んでしまってたり、なくしたりで祖母自身も困惑していた。


祖母は昔の苦労話を毎日する。
自分が話した事を忘れてるから、何度も何度も同じ話を聞かされる母はうんざり。
祖母に対してイライラすることが増えていた。
母は「あんなにしっかりしてた人がこんなになるもんなんやなぁ…」となかなか受け入れられない様子。
1人だと心配だからと、母は祖母と一緒に住むことにした。


私は電話で母から話を聞く事くらいしかできないけど、それで母の気持ちが楽になるならと何時間でも話に付き合った。


現在の祖母は、母の事が時々分からなくなる。
ニコニコしながら「えらい長いことお邪魔してしまったようで、すみませんなぁ。私そろそろ帰らせてもらいますわ。ところであなたはどちらさん❓」と母に向かって言う。


5年以上住んでる場所なのに「早く帰らないと叱られる」とも言っているらしい。
母が「誰に叱られるん❓」と聞くと「さぁ…誰やったかなぁ…」との返事。
亡くなった祖父のことも忘れつつあるらしい。


No.449

祖母は、今までできていた簡単な作業もやり方が分からなくなって混乱する。
電子レンジや洗濯機、ウォシュレット、ケータイなど前は全て使えていた。


最近ビックリしたのは、近くの銭湯へ一緒に行った時だった。
私が子供の頃は何度も祖母に銭湯へ連れて行ってもらっていたから、祖母は勝手が分かってるはずなのに…
祖母はシャワーの使い方が分からなくて母に聞いていた。


母が教えてシャワーが出ても、また分からなくなったり、カランとシャワーを何度も間違える。


母が何度も教えてる内にイライラし始めたのが分かったから、母に代わって私が教えることにした。
母は後で私に「いつもああやねん…」と言っていた。


祖母は時々、母に「あんたに迷惑ばかりかけてしもうて…早よ死にたい。生きててもしょうがない。おじいちゃん、早よ迎えに来て」と泣くらしい。


母は「何言うとんよ。迷惑だなんて思ってないわいね。親子やろ❓」となだめる。


年に数回、母が仕事で帰られない時は、祖母はデイサービスでお世話になってる施設で2泊くらいする。
祖母は母に「ちゃんと迎えに来てくれる❓」と泣きそうな顔で何度も聞いてくるらしい。
母は「ちゃんと迎えにくるよ」と言って行くけど、毎回後ろ髪を引かれる思いをすると言う。


母は「おばあちゃんと居ると小さい子と居るみたいやわ」とよく言っている。
認知症になると、子供の頃の性格が出ると聞いた事がある。
祖母は今、子供に返っていってるんだろうか。

No.450

祖母が私によく言っていること。
『やる気になれば何でもできるのよ。頑張りや』


祖母は大人になっても読めない漢字が沢山あった。
だから小学生になった母や母の兄が祖母に漢字を教えてあげていた。
漢字もロクに読めなかった祖母だけど、工場で使う溶接の資格を取った。
勉強する本には全て母がふりがなをふったと聞いた。
祖母はそれが一番の自慢らしい。
「おばあちゃんでもできたんだから、○○ちゃんも頑張れば何でもできるよ」と言ってくる。


私が次男、三男の出産で祖母のお世話になった時、祖母は自分が子供の頃の話をよくしてくれた。


祖母が2歳の時、父親に好きな人ができて二重婚したらしい。
祖母の母親は祖母の父親を訴え、離婚し、祖母は父親の元に置いていかれた。


祖母はすぐに親戚に預けられ、1年生になるまで親戚の家で育った。
とても優しい親戚で、祖母は2人の事が大好きで、本当の親だと思っていた。
でも小学1年生になる頃、再び父親に呼ばれて、父親と再婚相手、その子供2人と一緒に暮らすことになった。


祖母が呼ばれた理由は子守りと家の手伝いだった。
祖母は朝、お母さんがお稽古で使う部屋(お母さんは和裁の先生)の掃除をした後、赤ちゃんを背負い、空の瓶を持って学校へ通っていた。
授業中、妹が髪の毛を引っ張ったり騒いだりして授業に集中できない。
妹が泣くと部屋から出ないといけなくて、まともに授業が受けられた日がなかったと聞いた。


空の瓶は、帰りに牛乳を買って帰るのに使う1リットルの瓶。
祖母は毎日重いものを持っていたせいか、背があまり伸びず、あだ名は「ちび」だったらしい。
そう言ってみんなにからかわれていたと言っていた。


No.451

学校から帰ったら、またお稽古の部屋の掃除をする。
ほうきで掃いて布で畳を綺麗に拭く。
時々、針が畳に刺さっていて気付かずに拭いて流血することもあったらしい。


そんな生活が数年続き、今度は祖母は丁稚奉公に出された。
お給料は全部父親に前払いで取られていて自分が使えるお金は一銭もなかったと言っていた。


奉公先の奥さんが良い人で、服も草履も買えなくてボロばかり着ている祖母を可哀相に思い、着なくなった着物や草履をくれたらしい。
でもそれは裏目に出た。
奥さんのものを使っている祖母は泥棒扱いされ、叩かれたり殴られたりと酷い目にあったらしい。


奥さんがすぐ誤解だと言ってくれたけど、他の人は「何でお前ばかり奥さんに可愛がられるのか」と怒り、ずっといじめられていたらしい。


父親に○○を買うお金を下さい。と手紙を書いたら必要最低限のお金だけが送られてくる。時々渋られたり。
そんな生活が何年も続いた。


その後、祖母は幼なじみだった祖父と結婚した。
幼なじみだから祖母の家庭の事情もよく知っている。
祖父は祖母の家族の事を嫌っていた。
一応親戚付き合いはするけど、あまり良い顔はしない。


祖母の妹たちは困ったことがあると祖母を頼ってくる。
でも祖母が困った時は知らん顔。
祖母が父親に会いに行くと、財産を取りに来たのか❗と再婚相手や妹たちに泥棒扱いされて追い返される。
そんな人達だけど祖母は家族だからと大事にする。


私が大きくなってもそれは変わらず、祖父や母が父親達とは縁を切るように何度も言っていたのを覚えている。
私が祖母の父親に会ったのは私が5~6歳の頃の1度だけ。


私の記憶にあるひいおじいさんは、浴衣を着てあぐらをかいてるガリガリの人。
縁側に座って、庭でウロウロしてる私を見てた。


庭に大きな蛇の脱け殻があって、それをもらって帰った。
それだけしか覚えていない。


No.452

祖母の妹たちに会ったのもそれぞれ1回ずつ。
やはり私が幼稚園に通っている頃で、祖母の妹は入院中でお見舞いに行った。


私の記憶では、2回とも太ったオバサンが病室で寝ていた。
祖母がオバサンの唇に何かを塗っていた。
「何でそんなの塗ってるん❓」と聞くと「唇が乾かんように蜂蜜を塗ってるんよ」と返ってきた。
へぇ~、唇が乾いたら蜂蜜を塗るんだ~。私も帰ったらしてもらお。
そう思ったのをよく覚えている。


祖母は妹たちのお世話をよくしていた。
出産のお世話もしたらしい。
母が小学生の時に、突然妹が妊娠したと転がり込んできてそのまま何年か住み着いていたと聞いた。
「表三畳裏三畳」と言われる狭い家に。
祖父は早く出て行くように言ったけど、妹はなかなか出て行かず…
相当厚かましい性格だったらしい。


祖母の妹たちは2人とも血液の病気で若くして亡くなった。
母から聞いた話によると、祖母の父親が好きになったのは父親のいとこだったそうで子供の血が濃すぎたから血液の病気になったらしい。
聞いたのが中学生くらいの時だったから、ちゃんとした病名は忘れた。


亡くなる前は祖母が付きっきりで看病してたけど、妹家族や母親からはお礼の言葉もなかったと聞いた。
何でみんな祖母に対してこんなに冷たいんだろう…


祖母が奉公で稼いだお金で学校へ行ったり生活してたのに。


No.453

祖母の父親が亡くなった時もそうだった。
祖母は亡くなった事を教えてもらえず、祖母の実家の近所の人に教えてもらったと言っていた。


急いで祖父母と母とで葬儀の手伝いに行ったらあちらの親族に「何をしに来たのか」と責められたそうだ。


葬儀など全てが終わった後「あんたらにやる財産なんて無い。もらえるとでも思ってた❓遺産放棄しなさいよ。用が終わったらとっとと帰れ」などと言って追い返されたと聞いた。
祖母は遺産放棄し、形見の品も何も貰えなかったらしい。


祖父と母と母の兄は相手に文句を言おうとしたけど、祖母がそれを止める。


そこまでして相手を守る必要がどこにあるんだろうか。
散々酷いことをされてるのに。
私には理解できない。


祖母は今まで生きてきた中で、幸せだと思える事はどのくらいあったんだろうか…


もうすぐ90歳になる祖母。
私と同じくらいの身長だったのに、いつの間にか縮んで随分小さくなった祖母。


後どれくらい生きてられるんだろう。
もっとおばあちゃん孝行しなきゃな。
夏休みに行く時は覚えてくれてるかな。
私の事忘れないで欲しいな。
毎日が幸せだと思える日々を送って欲しいな。
夏休み、おばあちゃんに何をしてあげようか…何をしたら喜ぶだろう…


いつまでも元気で居て欲しいな。



No.454

ここまで読んで頂き有り難うございます。


ダラダラと書いてる上に、時代もあっちこっち飛び、とても読みにくかったと思います。すみません。
思い出しながらなのであっちこっちフラフラしてしまって…💧


今では笑い話ですが、当時はなかなか人に相談できない内容もあったりで苦しんでました。
ここに書くことで気持ちも落ち着き、随分スッキリしました。
もう過去は引きずらないようにここへ置いて行くことにします(笑)


何度か頂いた励ましのお言葉、嬉しかったです。ありがとうございます。


そろそろ書くことが無くなってきたのでこの辺で終わります。
今までお付き合い頂きありがとうございました。


No.455

>> 454 えー終わりなんですか?残念です。

今の主さんは、ストーリーの中で出てきたご主人とお子さんと幸せに暮らしてるんですよね?


これからもお幸せに(^-^)/

No.456

>> 455 レスありがとうございます✨
はい。今は一応、家族みんなで仲良く暮らしてます🍀


自分に関する事は書く事がなくなってきていて、最近は私の周りの人の事ばかりになってて良くないかなと思い、終わらせてしまいました💧すみません💦


読んで頂きありがとうございました😃


No.457

私、主様が好きです😃

小説の終わりは寂しいけれど、お疲れさまでございました。

お祖母さまは苦労なさったようですが、きっと今は幸せですよ。

家族を大切になさって来たからこそ、皆に囲まれてニコニコしているのだと思います。


素晴らしい小説をありがとうございました。

No.458

>> 457 レスありがとうございます✨


すっ、好き!?😲
少し驚きましたが嬉しいです😃
祖母は今、幸せなんですかね。
そう言って頂いてホッとしました🍀


子供の頃は祖父母が居るのが当たり前だと思ってましたが、上の子が産まれてから2年間で3人亡くなってしまい、かなり後悔しました。
残ってる祖母は大事にしたいです。


素晴らしい小説だなんて💦
更新が遅い中、お付き合い頂きありがとうございました😃


投稿順
新着順
主のみ
付箋
このスレに返信する

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧