冥途の土産にやり直すべき日を聞いて逝きます~さようなら~

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2023/05/23 15:04(更新日時)

桜の花が咲き誇る頃、妻が家を出て行った。

No.1695914 (スレ作成日時)

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No.1

大学を卒業した一人息子の就職祝いを
昨日したばかりだった。


『和典が独立したらあなたと別れようと
 ずっと心に決めていたんです。
 
 もう我慢する理由がなくなりました。
 離婚して下さい』


私が何を言っても
妻は全く聞く耳を持たなかった。

No.2

必死に抵抗する私を憐れむこともなく、
見下げるように妻は言った。


『よくもそんなことが言えますね。
 あなたは今まで一度だって
 私の話に真面目に耳を傾けてくれたことがありましたか?
 私は25年堪えました。
 これからはあなたが堪えて下さい』


ああ言えばこう言い、頑として妻は譲らなかった。


そのあまりの気迫に、半ば強引に私は判を捺した。

No.3

『初めて私がして欲しいことをして下さいましたね』


私にはもう用はないと言わんばかりに、
妻は大事そうに離婚届を封筒に入れた。


それからあっと言う間に
いろんなことが決まっていった。


私は妻が言うことをただ聞いているだけだった。



『財産はこれで全てですので、均等に配分したらこうなります。
 
 これとこれは私がいただき、あなたの分はこれです』


500万円の貯蓄とほとんど全ての家具。


これが均等に分割したという私の取り分らしい。

No.4

妻と息子と三人で暮らしていた賃貸アパートには、
これからは私一人が住み続けることになった。


『和典と話がしたい時は
 和典に直接電話して下さい。
 
 ではお元気で』

 
息子には電話をかけていいが、
妻には今後一切関わってはいけない。


早い話、そういうことだ。


妻がずっとこんなことを考えていたとは。

No.5

突然離婚を切り出されてから三日後の朝、
晴れ晴れとした顔で妻が家を出て行った。


第二の人生を自由に楽しみます!


私が言うのもなんだが、
今まで見たことがない清々しさとたくましさを
妻の背中に感じつつ、
私は強がる言葉の一つも言えずに
ただ彼女の後ろ姿を見送って鍵を閉めた。


私の転落人生の幕開けだった。

No.6

和典が独立し、後を追うように妻が家を出て行ってから二ヵ月後、


私は長年勤めてきた会社が倒産して解雇された。


それから職を探し続けて二年。


50歳半ば過ぎの使い古しの親父を雇ってくれる会社はとうとう見つからず、
500万あった貯金は100万になってしまった。


あー。
私の人生はもうお終いだ。


死のうかな。

No.7

いつからか芽生え始めた「死にたい」願望は


貯金が減っていくのに反比例して次第に強くなっていった。


もう死ぬしかないな。


やりたいことは全て、
別れた妻に我慢させられてきた人生だった。


私は大のパチンコと競馬好きだった。


やめる約束で結婚したが、やめられずに妻に内緒で続けていた。

No.8

和典を腹に宿した時、妻は私に土下座して言った。


『産まれてくる子供の為に
 パチンコと競馬をやめて下さい。
 お願いします』


床に頭をこすりつける妻を見て、
心に槍が刺さった思いだった。


私は自分の行いを心から反省し、
その日以来、パチンコと競馬を断った。

No.9

ただ、そうして抑えた欲望は度々夢の中で顔を出した。


札束片手に朝から晩までジャンジャンバリバリ。


一日中パチンコしてる夢。


馬券握って競馬場で叫んでる夢。


その夢を見た日の朝は、至極気持ちが良かった。

No.10

一度でいいから、


いつかあんな夢のような日を味わいたいものだと、


その日見た夢を忘れてしまわないように、


通勤電車の中で何度も思い返してニヤけたものだった。


何の制約もなく、思いっきり好きなパチンコがしたい...

No.11

この100万円でできるじゃないか!!


朝からパチンコ行って一日中玉を打って


100万使い果たしたら首吊って死ぬ。


なんて楽しいんだ。


結構簡単に自殺を決意できた。


これで思う存分パチンコができる。


何も楽しいことがなかった人生。


最後の最後にパチンコだけが許されたのか。

No.12

妻と離婚してから一度も和典と連絡をとっていない。


私は離婚後すぐに会社を解雇されてしまったし、


親父としての威厳とメンツを保つためにも


こちらから連絡するというのはどうも...。


かといって和典の方から連絡があった形跡もない。


長年育ててきた倅だが、家を出て行ったら息子なんてこんなもんだよな。

No.13

今更、男同士、何を話したらいいのかもよく分からない。


それに私が会社を辞めて失業中ということは彼等には知らせていない。


結局、電話で話すことって言ったら、


互いに「最近仕事はどうか?」くらいの話題しかない。


話しが途切れ、健康診断的な質問のやりとりが2、3続き、


間の悪い会話を無理矢理終えて受話器を置く。


そんなやりとりをするくらいなら、電話なんかしない方がお互い気楽だ。

No.14

いつも息子との会話はそういう不自然さ丸出しで途切れた。


その会話の間を取り持ってくれたのは妻だった。


今はもうその妻はいない。


息子と電話で話す勇気がない。


はあ。情けねえなあ。


迷惑かけられんし、情けない姿も見せたくない。


やっぱり私は黙って静かに死ぬしかないな。

No.15

まあなあ。


息子は息子で私ら夫婦のことについては、
まるで興味がない様子だった。


離婚することは妻が知らせたが、
特段驚きも見せなかったようだ。


和典は反対することもしなかった。


そんなものか。


もしかしたら、
妻は和典には前々から離婚の意思を伝えていたのかも知れない。


私だけか。何も知らなかったのは。


和典に聞いてみたいものだな。


一体妻は何が不満だったのか。

No.16

でも和典が離婚に反対しなかったということは、
私に非があったと和典も思っているということなのか。


母親というのは息子を手懐けるのがうまいもんだ。


私一人蚊帳の外。


和典と酒でも飲めたらなあ。


私は仕事の帰りが遅くて家に帰るといつも真っ暗だった。


和典とは親子らしい会話をしないまま過ごしてきてしまった。


だからもう、まるで話せない。

No.17

私なりに努力したんだ。


入学式に出てと言われれば駆けつけたし、
授業参観に同席してと言われれば行った。


小学生まではな。


和典が中学生になった頃から、なんだか恥ずかしくなってしまい、
全てを妻に任せた。


親父なんて、出る幕じゃないと思っていたからな。

No.18

そうこうしているうちにどんどん背が伸びて、
体つきも大きくなっていった。


妻ごしに、いろいろと報告を受けた。
相談ではなく報告だった。


部活での出来事、勉強のこと、友達のこと、進路、志望する大学...


和典が中学一年生の時だった。


コミュニケーションを図ろうと、
休日に私から和典を誘ったことがあったな。


よくドラマで見た、
男同士の夕暮れ時のキャッチボール。


一度やってみたかった。

No.19

日曜大工の店で野球ボールを買ってきて、
私は張り切っていた。


和典にとっても、いい思い出になればと。


少し恥ずかしかったが、思い切って誘ってみた。


『和典、ちょっと外の空地でキャッチボールでもしようか』


『あなた何言ってるの。和典はこれから塾なんです。
 和典、早く塾行く仕度しなさい』

No.20

こうして私の試みは、
ブーンと羽音をたてて気持ち良く飛んでいた蚊が、
後ろからいきなりたたき落とされたように、
秒殺で散った。


和典の目が点になって空中を泳いでいた。


私に誘われて、
あいつは明らかに困っていたようだった。


以来、そんな状況を味わうのが怖くて、
二度と和典を誘えなくなった。


結局、母親と息子が仲良くやってるならそれでいいと、
もう余計なことはすまいと思った。


今もそうだ。

No.21

下手に電話でもして、
和典にあからさまに迷惑な態度でもとられたら、
もうパチンコどころじゃなく、
私は即死したくなるだろう。


今まで同様、何も求めずにいた方がいい。


期待もしない。


あの二人は私のことなど忘れて、
達者で楽しくやってるんだろうから。

No.22

チロリロリン。チロリロリン。
(和典の携帯の着信音)


『もしもし?和典?』


『あ、母さん。何?』


『今度の日曜日、
 あなた仕事休みなんでしょ?
 家に彼女を連れて遊びに来なさいよ。
 
 母さんご飯作って待ってるから』


『またその話?
 だからいいよ、そんなことしなくて』

No.23

『いいから連れて来なさい。
 
 彼女の名前、美佐子さんて言ったっけ?
 美佐子さんは嫌いな食べ物とかあるの?

 美味しいビーフシチュー作っておくから』


『あーもうわかったよ...
 じゃあ連れて行くから』


『絶対に来なさいよ。
 待ってるからね』


プー。

No.24

はあ...


なんだかなあ...


親父と離婚してから、やたらと干渉してくるようになった。


鬱陶しい。


いい加減俺のことは放っておいて欲しいんだよな。


俺も独立して一人暮らししてるわけだしさ。


なんでこうもしょっちゅう電話がかかってくるんだよ...


日曜日に彼女を連れて行ったら、
母さんも少しは静かになってくれるか。


それが終わったら、
母さんからの電話には暫く出ないようにしよう。

No.25

日曜日。

『ねぇ。今日は映画観に行かない?』

『いいよ』

映画を観終わった後で、美佐子に伝えた。

『あのさ、母さんがどうしても
 美佐子に御馳走したいって言ってるんだ。

 今から母さんの家に一緒に行ってくれないか』

No.26

『えっ!
 でも私、こんな格好だし、
 そんなこと急に言われても...』

『その格好で大丈夫だよ。
 かしこまる必要ないし、気楽な感じでいいよ。
 
 母さんがわがまま言ってるだけだから。
 特別な意味は無いからさ』

『特別な意味は無いってどういうこと?』


美佐子の顔色が変わった。

No.27

『私が和くんのお母様に会うのに意味は無いの?』


『いや、そういうことじゃなくてさ...』


『私にとっては和くんのお母様に会うことは特別なことなのよ。
 ちゃんとした格好をして心の準備も必要なの。

 そんなに簡単なことじゃないわ』


『だからそんなに大したことじゃなくて、
 母さんがただ飯を食べに来て欲しいって言ってるだけなんだ。
 
 そういうことがしたいみたいでさ。
 君に会いたいって』


『大したことじゃないって...』


美佐子が泣きそうだ。


もうなんて言えばいいんだよ。

No.28

うつむいたまま美佐子が言った。


『お母様が私に会いたいって本当?』


『ああ。飯作って待ってるって』


『この格好で大丈夫?
 変じゃない?派手じゃない?』


『いいよ。すごくいいよ』


美佐子がにっこり笑った。
とりあえず機嫌は直ったみたいだ。
よかった。


美佐子を連れて
母さんの住むマンションに向かった。

No.29

『まあ。美佐子さん、可愛らしい方ね。
 和典にはもったいないわ。
 さあ、上がってちょうだい』


『はじめまして。今日はありがとうございます』


『いいのよ。堅苦しい挨拶はやめて、
 遠慮しないでゆっくりしていってちょうだい』


母さんはやけにハイテンションだ。


『今日仕事だったんじゃないの?』


『帰ってからビーフシチュー作っておいたのよ。
 今日あなたたちが来るのを
 とても楽しみにしていたのよ』


『ほら』


鍋の蓋を開けて、
俺たちに鍋いっぱいのビーフシチューを見せた。


『わあ。美味しそう』


いつも穏やかな美佐子が少しはしゃいでいる。

No.30

『お母さん、お手伝いします』


『まあ。お母さんなんて言われたらとても嬉しいわ』


『うちは女の子がいなかったから
 そんな風に言われるのが夢だったの』


『お母さん、お皿はこれでいいですか?』


女同士というのは、すぐに打ち解けるもんなんだな。


台所に女二人。


俺は何をすればいいんだか。


『俺もなんか手伝おうか』


『......』


聞こえないみたいだ。


とりあえずテレビでも見ていよう。

No.31

そうこうしている間に、
ダイニングテーブルにはたくさんの皿が並んだ。


『すごいな。母さんこれ一人で作ったの?』


『そうよ』


何種類もサラダがあって、果物もある。
どこかで買ってきた見慣れないパンやワインまで。


母さん、随分はりきったなあ。


最後に、見たこともない高級そうな皿に盛られたシチューが登場した。


『さあ二人とも、たくさん召し上がって』

No.32

『いただきます』と言って食べ始めてから15分。


母さんは減ったグラスのワインをつぎ、
サラダを足し、
空になった皿を流しに持って行ったり、
再びパンを焼きに行ったり、
慌ただしく動いている。


なんか落ち着かない。


人をもてなすことが慣れていないとか、
もてなしたことが随分昔のことで、
その感覚をもう忘れてしまっているのか。


『母さんも座ってゆっくり食べたら?』


『食べてるわよ』

No.33

『ほら美佐子さん、どんどん食べて。
 私一人だから、
 シチューを作っても食べ切れずに残ってしまうのよ』
 

『ありがとうございます。いただきます』


美佐子が2皿目を食べ始めた。


俺の頭の中に、ふとよぎった。


もし、もしも美佐子と結婚したとして、
結婚生活の中に母さんが介入してくるのは必至だろうな。


それもしょっちゅう。何かにつけて。


世話焼き度合が半端じゃないだろう。


ぞっとした。

No.34

俺でも耐えられないのに
美佐子は絶対に無理だろう。


このままでいいわけがない。


だいぶ時間がかかって美佐子の皿が空になりそうになると、
母さんは鍋を温めなおし、
また山盛りのビーフシチューを新しい皿に入れてもってきた。


『美佐子さんはたくさん食べてくれてうれしいわ。
 どんどん食べてね』


『あっ、すみません』


美佐子は3皿目のビーフシチューにスプーンを入れた。


『もういいよ、母さん。美佐子、苦しいだろ?』

No.35

『大丈夫。美味しいよ』


表情は笑っていたが、
明らかにいつも美佐子が食べる量を超えていた。


『うれしいわ。たっぷりあるからたくさん食べて』


『母さん、今日美佐子には急にお願いして来てもらったんだ。
 
 もし俺が前もって知らせていたら、
 美佐子も腹を空かせて来たんだけど。

 ごめんな、美佐子。

 それに元々美佐子は少食だし、
 俺が代わりにたくさん食べるから。

 母さん、俺の皿におかわり頼むよ』


『あら。美佐子さん、少食なの。
 遠慮しないでいいのよ。たくさんあるから。

 もし食べ切れなかったら、
 パックに詰めてあげるから持って帰りなさい。

 冷凍庫に入れておけば長持ちするから』

No.36

『ありがとうございます』


『ねっ。持って行きなさい。お母さんパックに詰めてあげるから』


美佐子が食べようとしていた3皿目のビーフシチューを奪って口にかきこんだ。


空になった皿に、
また山盛りシチューのおかわりが催促せずにやってきた。


もう4、5皿は食ってる。


母さん、どんだけ作ったんだよ...


鍋に残ったビーフシチューをたいらげることができず、
母さんはとうとう余ったシチューをパックに詰め始めた。


『母さんも食べれば?』


『母さんはいつも食べてるからいいのよ』


嘘だろうと思った。

No.37

大概、シチューを作る時は前日の晩から煮込んでる。


今日仕事から帰宅してから作ったというのは、
おそらく嘘だ。


きっと昨日の夜から張り切って作っておいたんだろう。


俺に電話してきたあの日から、
皿を新調したり
ワインを数本買ったり
いろいろと食材買ったりして
今日の日のために準備していたんだろう。


そこまでしてまで、どうして母さんは...


他にすることがないのか。

No.38

何か趣味でもあればいいのに、
いつも電話でする会話は俺のことばかり。


母さんが友達と旅行に行ったとか、
会社の人と何か楽しいことをしたとか、
そんな話はまるで無い。


これからは明るい人生が待っていて、
やっと自由になれる!
これからが私の人生よ!と
張り切って離婚した2年前の姿が、一瞬頭に浮かんだ。


確かに親父の文句を言うこともなくなったし、
イライラすることも減った。


自由になったのかも知れないが、
母さん、何か違わないか?

No.39

離婚して良かったのか。


俺が疑問に感じても仕方がないけど、
母さんはどう思っているんだろう。


目の前にいる母さんは、
寂しさをひた隠しにして、
懸命に明るく振る舞っている。
そんな気がした。


自然ではない。
そんな母さんの姿は、正直言って見たくない。


俺と美佐子の出会い、仕事の状況、最近の出来事...


母さんは自分のことを聞かれることを拒んでいる気がした。


俺たち二人の話題で、
一通り話が盛り上がった。


時刻が23時になろうとしていた。

No.40

母さんがどんどん質問してくるから、
なかなか話を止められない。


咳払いをして会話を止めた。


『母さん、明日仕事?』


『母さんは明日は休みよ』


『そっか。
 俺と美佐子は明日仕事だから、もう帰るよ』


『そう...』


俺と美佐子と二人で食器を片づけ、洗った。


その間、母さんはビーフシチューだけではなく、
余ったおかずもタッパーに詰めて、
開けなかったワインボトルと一緒に紙袋に入れていた。


そんなことしなくていいのに...

No.41

『また遊びに来てね。必ずよ』


『ごちそう様でした。
 ありがとうございました。
 おやすみなさい』


俺と美佐子が見えなくなるまで、
母さんはずっと俺たちを見送っていた。


その母さんの姿に、何とも言えない寂しさを感じた。


母さん一人を置いて帰る。


親不孝なことをしている気がする。


だけど俺は何も悪くはないはずだ。


もし、離婚なんかせずに
親父と二人でいてくれていたら、
俺はこんな気持ちにならなくて済んだのに。


心配させずに安心させてくれよ...

No.42

『お母様、優しくて素敵な方ね』


『ああ、そう?
 なんか最近会ってなかったから、急に老けた気がしたよ』


『そんなことないわ。お料理も美味しかったわ』


『でも今度はちゃんと前もって言ってね。
 私、緊張しちゃった』


『全くそんな風には見えなかったよ。
 母さんと仲良く喋ってたし』


『お母様、私のこと、どう思われたかな?』


『喜んでたと思うよ。また来てって言ってたし』


『そう?良かった』


『それより、今日は悪かった。気を遣わせたね』


『いいのよ。
 私も楽しかったし、
 お母様にお会いすることができて良かったわ。

 ところで、お父様はお元気なの?』


『親父?親父は...』

No.43

『和くんの口から、お母様の話はよく聞くけど、
 お父様の話ってしないじゃない?』


確かに。


親父たちが離婚したことは知らせてあったけど、
俺も親父とは疎遠になってるから、
あえて親父のことを美佐子に話すネタもなかった。


『しないわけじゃなくて、
 する話がないんだよね。
 小さい頃からあまり会話もしなかったし。

 親父はいつも帰りが遅かったから、俺は寝てたし。

 休みの日にどこかに行った記憶もないしさ。

 だけど母さんと離婚したら、
 親父とは男同士しかできない会話を
 自由に遠慮なく話せるようになれるんじゃないかって、
 少し期待はしてたんだ』


『だけど、その期待に反してどんどん疎遠になってしまってさ』

No.44

『親父とはさ、
 小さい頃からあまり会話せずに育ったから、
 心を通わす方法がわからないんだ。
 
 その日の天気とか体の具合とか、
 あまり意味のない会話をしたって仕方がないし』


『そう?
 私も両親と電話で話す時ってそんなものよ。
 いつも大体同じ会話してる。
 最近どう?とかね』


『他愛もない会話だけど、
 それだけで安心するのよ。
 だから何を話そうかなんて、
 深く考えて電話したりしないのよ』


『そうだよな。普通は』


『俺もそういう安心感が欲しいんだよな。
 親父に電話しようと思ったことも何度もあったけど、
 結局やめるんだよ。
 何を話せばいいのかわからなくて。
 会話が続かなそうでさ』

No.45

『本当は酒でも飲みながら、
 いろんなことを話せるようになりたいんだけどな』


『そうなのね。
 男同士ってそういうものなのかも知れないわね。

 でもお父様もきっと、
 和くんと同じことを思っていらっしゃるんじゃないかしら』


『そうかな』


『一度、俺が中学の時、
 親父がキャッチボールに誘ってきたことがあったんだよ。

 俺驚いちゃってさ。
 
 そんなこと初めてだったし、
 どう反応すればいいのかわからなくて。

 母さんに塾行けって言われて、
 結局キャッチボールはしなかったんだけどさ。
 塾に行った後も、そのことがずっと頭から離れなくて』

No.46

『あの寡黙な親父がそんなこと言ってくるなんて信じられなくて、
 その日やった勉強は、全く頭に入らなかったよ』


『親子でキャッチボールなんて素敵じゃない』


『結局やらなかったけどね』


駅に着いた。
改札口で美佐子を見送った。


親父と話がしたくなった。


電話してみようかな。


携帯片手に歩きながら考えた。

No.47

親父、元気か?


それしか思い浮かばないが、
勢いでその後の会話は
どうにかなるんじゃないか...


美佐子も
親との会話はそういうものだと言っていたし、
あまり考えずに気楽に電話してみたら、
案外どうにかなるものなのかも知れない。


母さんとの電話は、
いつも母さんが一方的に話すだけだから
こんなふうに考える必要もないのに。


相手が親父となると...


携帯画面に親父の電話番号を映し出したまま暫く歩いた。

No.48

だけど、親父はなぜ俺に連絡してこないんだろう。


もう2年以上も。


親父がどうしているのか、何も知らない。


母さんも、俺には親父の話はしない。


だから俺も、親父の話はしないことにした。


母さんには電話できなくても、
俺にはできるはずなのに。


疑問とともに、
じわじわと怒りのような感情が湧いて出てきた。


俺と話したくないのか?
それとも興味がないのか?

No.49

親父には幼い頃から裏切られ続けてきた。


それでも純粋に、たくさんのことを期待し続けた。


俺だけが、
電話で話したいなんて思っているのかも知れない。


どうせ俺のことなんて興味もなくて、
また素っ気ない態度で裏切られるのかも知れない。


期待したことを後悔することになるのかも知れない。


電話しなければ良かったと、思いたくない。


携帯画面に表示されている親父の電話番号を消して、


ズボンのポケットにしまった。

No.50

―白井常雄宅―


日曜日の昼下がり。


100万か...。


全部パチンコにつぎ込んでしまったら、
食べる物に困るなあ。


パチンコで一日使えるお金は、
おおよそ10万ってところか。


一週間で70万。

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