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母の呪縛

レス137 HIT数 53944 あ+ あ-

ゆうこ( ♀ JpYFh )
10/11/04 09:02(更新日時)

子供を出産したのを機に、自分の過去のトラウマと向き合ってみようと思いました。
私自身の為にも、これから私と共に成長してくれる子供の為にも。
読んでいて不快になる内容かもしれませんが宜しければお付き合いいただけると嬉しいです

No.1160079 09/05/31 14:24(スレ作成日時)

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No.1 09/05/31 14:29
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

当時父と母は母の父に結婚を反対されていた。
父は戸籍上父親がいなかったから。
父の母は所謂お妾さんだった。
父と父の弟は父親が違っていた。
父と母は結婚するために子供を作った。父22歳母23歳だった。

No.2 09/05/31 14:36
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

子供ができた。産む。と聞かされた母の父(祖父)は初孫だったこともあり、二人は無事入籍をした。
だが、二人は若く、結婚するためにだけ作った子供。
母は自分の実家で出産すると、祖父に、
「共働きしないと生活できないから」
と産まれたばかりの娘を押し付け、東京に戻ってしまった。
祖父は初孫を可愛がってくれた。
名付けも、付き合いのある神社の神主さんに付けて貰った。
それが私、ゆうこです。

No.3 09/05/31 14:42
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

両親は丸四年、迎えに来なかった。
迎えに来た時には、妹が出来ていた。
母は私を祖父から引き取るより、妹を出産し、育てることを選んだ。
やっと迎えに来てくれた頃には、私の居場所は既になかった。
幼稚園も途中編入でなかなか友達も出来ず、東京での新しい生活に馴染めずにいた。

No.4 09/05/31 14:51
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

小学校に上がった頃から、父の不倫が始まり、両親の仲はギクシャクしていった。
めったに家にいない父。
たまに、帰ってくると、箸の持ち方から、ひとつひとつを細かく、チェックし、正座二時間の刑等をやらされた。
父がいなければいないで、母は妹ばかりをかまっていて、私には目もくれなかった。
母と妹はおやすみのキスをいつも私の目の前でしていた。
とても疎外感を感じていた。
私はこの家族にとって何なんだろう。
学校から帰るのが嫌だった。

No.5 09/05/31 15:01
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

毎年夏休みになると、私だけが長く祖父に預けられた。
祖父は可愛がってくれたが、祖母はボケてしまっていて、よく私を虐待していた。
虐待と言っても、殴る蹴るではなく、言葉での虐待だった。
しかし、時にはこちらの方がより深い傷を残すこと、発覚しずらい為、エスカレートしていくことが往々にしてあるらしい。
祖母はまず、
「私はじいさん(祖父)に無理やり犯されて、子供ができた。嫌々結婚させられた。近寄るとお前も犯されるよ」
と言って私と祖父とを切り離した。
私は゛犯された゛の意味がわからないなりに、恐怖し、夜は祖母と枕を並べた。

No.6 09/05/31 15:10
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

そこで、祖母は寝物語にいつも同じ話をした。
「ゆうこは両親から捨てられたんだ。お前の母親が産んだけど、いらなくて困っていて、お前が可哀想だと思って私が育ててやったんだ。お前の母親は金も寄越さないで預けっ放しにした。お前を育ててやったことで私は親戚からも非難されたんだ。感謝しろ」と。
そして祖母は
「おばあちゃん、こんな私を見捨てないで育ててくれてありがとうございました」
と泣いて感謝するまで寝かせてくれなかった。
私はやっぱり捨てられたんだ。いらなかったんだ。
母親に問い質す勇気もなく、小さな私はどんどん孤独になっていった。

No.7 09/05/31 15:19
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

後日談
祖母がボケるきっかけは、当時1歳だった私を遊びに連れて行くことを理由に、祖父からお金を引き出していた祖母。
実は若い男に貢いでいたらしく、私を連れて、ホテルに行っていたようで、ある日ホテルに備え付けのポットをひっくり返し、私は右足首に火傷を負い、そこから、不倫や貢いでいたことが発覚し、親族会議で責められたことから、自衛のためにぼけ始めたと聞いた。
火傷のあとは、今も私の足に残っている。

No.8 09/05/31 15:29
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

そんななか、父は新しく出来た女性と同棲を始め、帰ってこなくなった。
当然、生活費も入れなくなった。
お金に困った母は、水商売を始めた。
学校から帰る頃には出勤していていなかった。
朝は寝ていて、顔も合わせなかった。
食事は、
朝:買い置きしてある菓子パン
夜:ご飯は私が学校から帰ってから米をとぎ、炊いていた。おかずは近所付き合いのあった家庭にお金を渡して頼んでいて、時間になると
「出来たから取りにおいで」
の電話で分けてもらいに行っていた。
おかずの入った皿や、お味噌汁の入った小鍋を下げて道を歩くのがつらかった。近所にクラスメートもいたから。

No.9 09/05/31 15:40
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

ある日、私は友達と遊ぶ約束をしていた。
その当時は
お風呂掃除
ご飯炊き
皿洗い
が毎日の仕事だった。
ご飯は、お米を研いだ後、30分水に浸けてから炊く。
と言われていたが、友達を待たせていたので研いですぐ、スイッチを入れて遊びに行ってしまった。
ご飯はうまく炊けず、妹は文句を言い、翌日、母と近所のおばさんにいいつけた。
母はとても怒り、竹製の布団叩きで私の尻や背中を力任せに叩きのめした。
母は小柄で痩せていたので、叱られると必ず、布団叩きの出番だった。
叱られた理由で一番多かったのは兄弟喧嘩。
理由も聞かず、お姉さんのくせに、と言っては叩かれた。

No.10 09/05/31 16:08
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

でも、布団叩きより嫌だったのは、体罰を近所のおばさんに母が頼むことだった。
近所のおばさんは、体格がよく、布団叩きで叩かれると座ることも出来ないくらいに尻や背中に無数のミミズばれができた。
布団叩きよりも、もっと恐かったのは、お灸だった。
足の親指の爪にもぐさを乗せて火を付けられ、動かないように、羽交い締めにされる。
大人になり、何故、物で叩いたり、人に頼んだりしたかを聞いたことがある。
曰わく、
「疲れるし、手で叩くと手が痛くなるから」
そういえば、よくいろんなものが飛んできたり、蹴られたりもしたな

No.11 09/05/31 16:16
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

小学校の頃、両親は離婚まで話が進展していた。
母は、
「お父さんとお母さん、別れることになりそう」
と私と妹に話した。
それから
「ゆうこはお父さんとこいってね。私が二人引き取って生活するの無理だから」
と、あなたはいらない。という事実を突きつけられた。
父は最初から子供を引き取る気はサラサラなく、私は途方に暮れた。
結局、この時には離婚まではいかなかったものの、この一件で私は改めて、親から望まれていなかったことを再確認させられた。

No.12 09/05/31 16:27
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

小学校六年生の時、別居していた父が、私と妹を連れて上野動物園に行くと言い出した。
子供の頃、親に連れて行って貰った場所と言えば、駅前のパチンコ屋と後楽園の場外馬券所位だったので、嬉しかった。
電車に乗り、動物園に着いて・・・
見知らぬ若い女性が手を振っている。
誰❓
父は
「職場の友達」
とだけ言った。
私は、今一緒に暮らしている人なんだろうなとは思ったが、口には出せなかった。
何も気づかない無邪気なふりをして、精一杯おどけてみせた。
その時の女性の台詞が今でも忘れられない。
「打ち解けてくれるか心配だったけど、案外、簡単なのね」
子供が気を使い、大人がそれに気づかない

No.13 09/05/31 16:35
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

父は私達におもちゃを買い与え、母に、女性のことを口止めした。
言われなくたって、母に言える訳なかった。
ところが、妹が
「お父さんのお友達のお姉さんも一緒で楽しかったよ」
としゃべってしまった。
母は、今住んでいる家に帰っていった父を自転車で追いかけて行った。
暫くして帰って来た母は、私が黙っていたことに対し、怒り狂っていた。
案の定、妹にはよく話してくれた。と誉め、私は
裏切り者とか、親不孝とか、罵詈雑言を浴びせられた。
話すべきだったのか、黙っているべきだったのか、今でもわからない。

No.14 09/05/31 16:47
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私が中学に上がって暫くしたころ、父が例の女性と別れ(後から聞いたことだが相手女性は当時19歳母より私の方が年が近かった)突然うちに帰って来た。
両親は話し合い、やり直すことにしたらしい。
だが、父は失業していて、母は水商売を続けていた。
そのことでよく喧嘩していた。
よく父は子供達がいる前で
「酔っ払い相手に手握らせて一万なら、いっそソープにでも行って稼いでこい」
と怒鳴りつけていた。
母はそんな父に、自分の実家に家族で戻り、やり直すことを提案した。
私は行きたくなかった。正確には祖母の顔を見たくなかった

No.15 09/05/31 16:58
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

だが私が中学二年に上がる時、一家揃って祖父の家に引っ越しをした。
母はパートを探して仕事を始めていたが、父の仕事はなかなかみつからなかった。
元々祖父と父は折り合いが悪く、父は、
「田舎じゃ仕事もみつからない」
と言い、単身東京に戻り、仕事につくと言い出した。
父は東京に戻り、仕事と新しい相手とをみつけたらしく、それから程なく両親はあっけなく離婚した。
祖母は痴呆が進行し、私は家にいる間、暇さえあれば
「お前を育てたばっかりに」
と罵られるようになっていった。
家族は誰も助けてはくれなかった

No.16 09/05/31 17:15
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

その冬、ストレスから始めてアトピーが出始めた。
当時、私は体があまり丈夫ではなく、年に一度は胃痙攣を起こし、また、必ず、風邪から高熱を出して、数日寝込むことがよくあった。
私が寝込むと決まって母は
「医療費だってばかにならないのに」
「なんで看病しないといけないの」
と言い、高熱で歩くこともままならない私を放置して飲みに行ってしまったこともあった。
高熱で喉が渇いていた時、水一杯汲むことすら拒まれたこともあった。トイレの手洗い水を泣きながら飲んだ。惨めだった

No.17 09/05/31 17:23
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

中学三年になり、進路を考える時がきた。
私は当時、法律の勉強をして、検事になりたかった。
だが、母は、美容師になれの一点張りだった。
美容師が家にいれば、ただで出来るから、と言う理由だけで。
私は始めて反抗した。
妥協案として、公立に行くこと、高校より上の学校へは行かすことが出来ないこと。
私は県立の工業高校への進学が決まった。

No.18 09/05/31 17:31
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

高校入学と同時に私はバイトを始めた。
お小遣い等学校以外の出費は出してもらえなくなったから。
それでも、バイトは楽しかったし、自分で働いたお金で、友達とお茶したり、洋服を買ったりするのは、新しい楽しみになった。
高校入学と同時に毎日のお弁当作りも自分ですることになった。
授業も専門過程は面白かった。
元々理数系は好きだったから。
バイトや友達とバンドの練習等で家には寝に帰るだけになった。
唯一楽しかった時期だった。

No.19 09/05/31 20:39
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

もうすぐ高校卒業。
私はコンピュータ実習が楽しかったので、プログラマを希望した。
就職先は東京にあるソフトハウス。
やっと、祖母の呪いの言葉と母の責め苦から解放される。
嬉しくて仕方なかった。

No.20 09/06/02 14:01
ゆうこ ( ♀ JpYFh )


無事卒業し、仕事が始まった。
覚えること、勉強することは沢山あったが私はとても充実していた。
実家からは安否を問う電話の一本もなく、仕事に打ち込んだ。
住まいは社員寮。
六畳一間にトイレとミニキッチン。
同期と二人で一部屋だった。
お風呂は共同で門限は10時。
洗濯機は洗濯室にあるものを使う。
毎日仕事から帰ると簡単な夕飯を作り、食事を済ます。
会社には三食食べられる食堂があり、安いのだが、メニューがワンパターン。
最初の一週間で飽きてしまった。
同期の友人のもとには心配した親御さんからの心尽くしの宅急便が10日と空けず送られてくる。

No.21 09/06/02 14:15
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

友人達は
「またこんなに送ってきて、食べきれないよ」
とぼやきながら、よく、お裾分けしてくれた。
そのうち、あまり気の合わないグループの子達に、私には一度も実家から宅急便が届いていないことを気付かれた。
頂いたお裾分けもかなりの量になっていたこともあり、いただきものをするのも気が重かった。
そんなこともあり、私は早く寮を出て、一人暮らしをするのを目標として、仕事を頑張り、貯金を心がけるようになった。
実家にいたころも妹と共同の部屋で、夜遅くまでレポート等をやっていると、妹からまぶしくて眠れないと年中苦情を言われていた。
だから初めての自分だけの空間。
憧れを現実にするために頑張れた

No.22 09/06/02 15:11
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

丁度その頃、妹が高校受験の準備をしていた。
入学した高校は、私立の普通科。
私には、私立も普通科もダメ。
そんなお金ないから県立落ちたら、中卒で就職でもしながら、夜間か美容師の学校行け(実際にはアトピーがあり肌が弱かったので美容師は無理だった)と言われてたのに。
妹は県立を受験するだけの成績もなかったので、その高校へは単願で入ったと(他の学校は受験しません。受かったら必ず入学しますという成約をした受験でまず落ちることはない)
その後妹は高校卒業後、あんなにダメと言われていた私立の専門学校にも入学させてもらい、すぐ一人暮らしも始めていた

No.23 09/06/02 15:22
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

就職して一年近くたった頃、祖父が大腸がんで手術を行う。という連絡が入った。
祖父だけは、私を可愛がってくれていたので、手術に合わせて仕事の休みを貰い、初めて帰郷した。
手術前日から数日間実家に帰り、病院にお見舞いに行ったり、家のことを手伝ったり(その頃には祖母の痴呆が進行していて徘徊等まで行うようになっていたので一人に出来なかった)していた。
幸い、癒着もなく、手術は成功し、術後も順調だった。
そのことと反比例するように、祖母は私の顔を見る度に、昔の呪いの言葉を吐き続けた。

No.24 09/06/02 15:32
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

曰わく、
お前は親に捨てられた。
そんなお前を育てたばっかりに、私は不幸になった。と。
私は東京でやっと、自分の居場所をみつけだしていた。
友人も恋人も出来、仕事も順調だった。
だから、もう、祖母の呪いの言葉に脅えて涙ぐむこともなくなっていた。
そんな私がふてぶてしく見えたらしく、とうとう、祖母はキレて、お風呂の残り湯をいきなり頭からかけられ、
「出ていけ、この疫病神❗お前がいなきゃうまくいってるのに❗死ね❗どこかで野垂れ死ね❗」
と怒鳴りつけられ、おけや洗面器を投げつけられた。
なんで私がここまでされないといけないの❓

No.25 09/06/02 15:42
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

ここまでされないといけないような何をしたというの❓
私は気がついたら包丁を握っていた。
祖母はそれを見て、嬉しそうに
「ぎゃ~助けて~ゆうこに殺される」
と喚き始めた。
さすがの大騒ぎに近所の人が何事かと、様子をみにきていた。
祖母の痴呆と奇行は近所でも有名だったが、さすがに冬なのにずぶ濡れで包丁を握っている私を見て、驚いたらしく
「ゆうこちゃん何してるの❓どうしたの❓何があったの❓」
と、声をかけられた。
祖母は近所にも、私に言っていたことと同じことを喋って回っていたのでその話は有名だった。
そして私はどうやら影で同情されていたらしい。

No.26 09/06/02 15:53
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

多分、大まかなことを理解したらしい近所の人に
「ゆうこちゃん、大丈夫だから落ち着いて。びしょ濡れよ、着替えしないと風邪ひくわよ」
そう声をかけられ、私は包丁を台所に戻した。
びしょ濡れでやけに寒いことに今更ながら気づき、着替えをするために二階に上がろうとした。
「大丈夫❓」
まだ心配そうに声をかけてくれたおばさんに向かって、大丈夫です。大騒ぎしてごめんなさい、と言うつもりだったのに出てきた言葉は
「私、生きていちゃいけないんでしょうか❓」
だった。
今、冷静に考えるといきなりそんなこと言われた近所のおばさんもいい迷惑だったろうな、ごめんなさい。ですよね

No.27 09/06/02 17:06
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

そんな祖母の行動を母は知っていた。
私が母に言ったこともある。
が、祖父に言う訳でもなく、
「なんで一々私がどうにかしなきゃいけないの❓気にしなければいいだけでしょ」
と、辛い気持ちを汲み取ってはもらえなかった。
私は着替えを済ますと、荷物をまとめ、祖父の病院に向かった。
「おじいちゃん、どう❓」
「ゆうこか、どうした❓」
「うん、具合が落ち着いてきたなら東京戻ろうかと思って、仕事もたまってるし」
「そうか。面倒かけたな」
「ううん、じゃあ、ちゃんと静養してね」
病床についてる祖父には言えない。
母に言っても無駄。
私は黙って実家を後にした

No.28 09/06/02 17:18
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

東京に戻ってきた私は、実家でのことを忘れようと、たまっていた仕事を片付けた。
貯金もやっと引っ越しが出来る位になり、アパートマンション情報を読むのが楽しみになった。

あれこれ悩んで、私は、杉並区の外れにある古いアパートを借りることにした。
古かったがその分広く、何よりも家賃が安かった。
六畳と広めの台所、トイレと、シャワーだけがついていた。
まだ19歳の社会人一年生が借りれる部屋等限られている。
私は初めての自分の城に満足していた。
引っ越し荷物は、布団と洋服、ラジカセと簡単な調理器具、少しの食器位だった。
洋服は、バッグに詰め、他のものは宅急便に頼んだ

No.29 09/06/02 17:29
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

テレビも炊飯器もレンジもなかったが、少しづつ自分の好きなものを選んでいける楽しみがあった。
その頃、東京には、あの小学生だった頃、夕飯のおかずを作ってくれたおばさんがいて、時々、抜き打ちで様子を見にきていた。
ある日曜の午後、恋人が遊びにきていて一緒にお昼ご飯を食べていた。
食事が終わり、彼がトイレに入ると呼び鈴がなった。
「は~い」
と返事をしてドアを開けるとおばさん夫婦が立っていた。
私は、
「鉢合わせか、やばいかも」
と思い、一瞬固まった。
おばさん夫婦は、お構いなしに、上がってきた。

No.30 09/06/02 17:40
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

案の定、トイレから出てきた彼とおばさん夫婦は、鉢合わせしてしまった。
彼をみるなりおばさん夫婦は、私と彼を怒鳴りつけた。
母にも連絡が行き、私は、どうしょう、という気持ちと、もう働いていて自活しているのに何故こんなに監視されないといけないのだろうか❓という疑問がごっちゃになっていた。
後日、改めておばさん夫婦に呼び出され、彼と一緒におばさん宅の最寄り駅の喫茶店へ行った。
おばさんは、私に騙された、と言い、彼にいきなり請求書を突きつけた。
私は、訳がわからず
「おばさん、これなに❓なんで❓」
と聞くと
「あんたが、遊びにきた時に出してやったご飯の材料費とか様子見に行った交通費とかだよ」
と言われ、呆然とした。

No.31 09/06/02 17:58
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

確かに、よく、遊びにおいで、一人暮らしだと大変だろうからご飯食べにおいで。と何回か声をかけてもらってその言葉に甘えたことも何度もあった。
「でも、この金額」
いくらなんでも高い気がする。
それに、なんで私じゃなく、彼に請求するの❓
と、隣に座っていたおじさんが彼に向かって口を開いた。
「お前さぁ、芸者のみずあげの相場知ってるか❓」
は❓芸者❓みずあげって何❓
何が言いたいのかわからず私と彼は黙っておばさん夫婦を見つめていた。
すると、おじさんが
「芸者が、お得意様の旦那様に処女を買って貰う値段だよ。何百万もかかるんだ、安いもんだろ❓」
愕然とした。
私は芸者じゃないのに。
それに、この人達、私を売る気❓
私の意志は❓もし大人しく、言うことを聞いていたら、私どうなっていたの❓

No.32 09/06/02 18:07
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

この、母が一番の友人だというおばさん夫婦がとても怖くなった。
おじさんは彼に
「何日に払える❓」
と聞いてきた。
「払わなかったら親に連絡して親に払わすから」
と言う。
彼は
「なんとか、借金してでも何日には払います」
と言った。
今から考えれば、立派な恐喝なんだと思うけれど、当時21歳と19歳ではそこまで頭がまわらなかった。
彼は本当にどこからか借金して言い値を払ったらしい。
私の初めてのお付き合いも呆気なく終わった。

No.33 09/06/02 18:49
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私はおばさん夫婦が恐くなり、会社の上司にお願いして、新しい引っ越し先の保証人になってもらい、母にも新しい住所を告げず引っ越しした。
正直言ってお金も厳しかった。
新しく、冷蔵庫や洗濯機が欲しかったが我慢。
それより、自分の身を守る方が先だった。
彼とも別れ、引っ越しも一段落した頃、友人に誘われて転職をした。
社会人になって一年半が経っていた。

No.34 09/06/02 18:57
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

転職して落ち着いた頃から、私は眠れなくなっていた。
仕事が忙しく疲れている筈なのに。
ウトウトと寝つきだすと夢を見る。
母が、祖母が、吸血鬼になって私を襲おうと追ってくる。
私は一生懸命逃げるが、街はまるでゴーストタウンのように、人影はなく静まり返っている。
私は助けを求めて逃げ回るが、二人に捕まってしまう。
あわや、と言うところで目が覚める。
心臓はバクバクしているし、パジャマは寝汗を吸ってべったりと肌に張り付いている。
着替えをし、水を一杯飲む頃には、眠気はどこかへ行ってしまっていて、朝まで寝付けない。

No.35 09/06/02 19:17
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

このままだと仕事にも支障が出る。
病院に行った方がいいのかな❓
眠れないのは何科へ行けばいいのだろう❓

No.37 09/06/03 20:20
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

>> 36 ともさん
ありがとうございます🙇
お声をかけていただけると励みになります。
少しずつでも、更新していきたいので読んでいただけると嬉しいです

No.38 09/06/03 23:03
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

さんざん悩んで、とりあえず内科へ行った。
もし、内科じゃなければどこへ行けばいいか、お医者さんなら教えてくれると思ったから。
前に風邪と軽い胃炎の時に診てもらったことのある先生に相談した。
「最近ずっと、なかなか寝付けなくて、やっと眠れたと思ったらいつも同じ悪夢で目が覚めてしまって、朝まで眠れないんです」
「そういうのは精神科とかでよく眠れる薬を処方してもらうといいよ」
精神科かぁ。
確か、隣の駅から少し歩いたところに、大きい病院があったから、そこで相談してみよう。
そう決心すると少し気持ちが軽くなった気がした

No.39 09/06/03 23:13
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

会社が休みの土曜日に、早起きして、普段は降りない隣の駅に向かった。
どこかで見た看板と自分の記憶を頼りに暫く歩く。
少し迷ったが割とすんなり病院についた。
受付で初診の旨を伝え、保険証を出す。
問診表を渡されて症状を記入する。
精神科なんて初めてなので少しドキドキした。
待合室で待ってる人達を眺めて、なんか普通の人達だなぁと思う。
ここが精神科ではなくて内科の待合室といわれてもなんの違和感もない(偏見申し訳ありません)
暫く待っていると、やっと名前を呼ばれた。

No.40 09/06/03 23:27
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

診察室に入ると、思ったより若い先生が、私の記入した問診表に目を落としていた。
「今日は、眠れないんですね?ただ単に眠れないだけですか?」
「あ、いえ、眠れなくなってから、しょっちゅう同じ夢を見るようになりました」
そういって私は、祖母と母が吸血鬼になり、追い回される夢の話をした。
先生は、熱心に聞いてくれて、私の話が終わると、
「それは、単なる夢ではなく、不眠になった原因があるかもしれないから、順を追って原因を探していきましょう。根本的な原因を突き止めないと」
そういわれてホッとした。
夢の話なんかして関係ないよ、と笑われるかもしれないと思っていたから

No.41 09/06/03 23:45
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

それから、私は、睡眠導入剤と安定剤を二週間分処方してもらい、二週間後の予約をして帰宅した。
その夜、私は少しドキドキしながら、睡眠導入剤と安定剤とを飲み、布団に入った。
暫くすると、すーっと引き込まれるような眠気におそわれ、意識しないで眠りについた。
翌朝、薬のせいか、少し頭がぼーっとするけど、久しぶりに寝た!という気がした。
こんなに簡単に解決するなら、もっと早く、病院行けば良かったかも。等と思える位眠れたのが嬉しかった

No.43 09/06/04 09:44
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

>> 42 チョコランチさん
ありがとうございます🙇
赤ちゃんがいるので更新は不定期になりますが、完結目指して頑張ります。
励ましありがとうございます🙇

No.45 09/06/06 10:53
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

>> 44 匿名主婦さん
暖かいお言葉、ありがとうございます🙇
完結まで頑張って更新(歩みは遅いですが)したいと思ってますので、また読んでいただけると嬉しいです

No.46 09/06/06 12:17
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

暫くは、薬のおかげでよく眠れたので、調子もよくなっていった。
が、それも束の間のことで薬に体が慣れ、何かの引き金で元に戻ってしまう危険性にこの時私はまだ、気付いていなかった。
そして、その引き金は、自宅にいるときにやってきた。

部屋の電話がなる(その頃お給料や賞与で部屋の中を少しずつ整えていき、やっと電話がひけたところだった)
出てみると珍しく母からだった。
母は自分の用があるときしか連絡して来ず、半年一年連絡がないこともザラだった。
その母から電話❓
私は嫌な予感がした。
案の定、妹が高校を卒業し、専門学校へ進学するため一人暮らしをすることになったという。

No.47 09/06/06 12:28
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

ついては、一人暮らしで色々揃えるから、なんかお祝いを、とのことだった。
私は❓❓❓だった。
だって、私が就職する時、唯一用意したのは布団だけ。
それもおじいちゃんが買ってくれたし、最初のお給料が出るまでの生活費だって大半がバイトで稼いだ分。
おじいちゃんがお祝いとして、お小遣いをくれただけだった。
私だって進学したかったのに、高校までしか出せない。と言われて諦めたのに。
妹より私の方がずっと成績よかったのに。
アパートの保証人だって、そういうのは嫌いだと言って引き受けてくれなかったのに、妹には、アパートも借り、全て揃えて進学の為の一人暮らし。

No.48 09/06/06 12:32
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

この差はなんだろう❓本当に、祖母の言うとおり私は厄介者なの❓
何かをして欲しかった訳ではない。
ただ私は、母に愛されてる、必要とされ産まれてきた、と信じられる何かが欲しかっただけだった。
しかし現在に至るまで、一度もそれを示してくれることはなかった。

No.49 09/06/07 23:50
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

その頃から私は、薬によって解放された筈の悪夢が復活し始めていた。
薬は中途半端に効き、夢から覚めても頭がぼーっとするようになってしまった。
夢の中の母は言う。
「そんなんだからあんたは、誰からも本気でなんか相手にしてもらえないのよ」
夢の中の祖母は言う。
「お前は親ですら、捨てたくなるような厄介者だ。産まれてこなければよかったのに」
私はまだ若く、自己を確立できる術を持っていなかった。
父は私達を捨てて新しい女を取った。
母からも祖母からも疎ましがられ、そんな様子を見て育った妹は私を否定する。
次第に私はただの夢に追い詰められていった

No.50 09/06/08 00:34
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

その不安定さは、当時付き合っていた、彼に対しても現れるようになった。
本当は私を好きな訳ではなく、何かがあってとりあえず自分と付き合っているだけなんじゃないか❓
こんな私だから、簡単に捨てられて当たり前。
肉親ですら、あぁなのだから他人が私と付き合ってなんのメリットがあるんだろう❓
という気持ちと、簡単に捨てられるのは耐えられない気持ちとが入り混じってよく、喧嘩になった。
私の悪い癖は、捨てられたくない一心から、自分からすぐ別れを切り出すところだった。
別れたくない、と言われれば、私を必要としてくれている、と安心出来たし、別れを承諾されたとしても振ったのは私という体裁があったから。

No.51 09/06/08 00:45
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

今考えると自分の安心の為に、相手を試すようなことばかりしていた。
最低の彼女だったと思う。
夜もまた、うまく眠れなくなり、安らげる筈の恋人との付き合いも、言葉の裏まで考えてしまい、ほとほと疲れてしまっていた。
仕事だけは順調だったのが救いだった。
仕事では、やっと見習いPGから、クライアントを任せてもらえるようになり、忙しいながらも充実していた。
好事魔多し。
クライアントとの打ち合わせの際、事前に聞いていた内容と食い違いが出、トラブルになってしまった。
先方の担当者は
「だから女の子には無理なんだよ」
というようなことを言われ、頑張っていい関係を築いてきたつもりの私を突き落とした。

No.52 09/06/08 00:56
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

そんな時、私は、やはり自分はダメなんだ、結局捨てられるんだ、母の言うように。
そんな思いで呼吸すら、苦しくなっていた。
過呼吸も発症するようになっていた。
家族関係、恋人との仲、仕事のトラブルと、続き、疲れきっていた。
いつものように、薬を服用し、ベッドに横になった。
なかなか、寝付けない。
意識すればなお一層目が冴えてしまう。
そんな状況に業を煮やした私は、もらってきたばかりの睡眠薬と安定剤を泣きながら飲み続けた。
大量に飲んだらどうなるか、なんて考えつかなかった。
ただ夢を見ずにぐっすり眠りたかった。

No.53 09/06/08 13:41
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

ぼんやりとした頭でノロノロと目を開けた。
目に入ったのは、見慣れぬ白い清潔な天井。
え❓ここはどこ❓
ぼーっとする頭でなんとか状況を把握すべく起き上がろうと。
両手がベッドに縛りつけられている。
右腕には点滴の管。
よくよく気がつくと鼻にも違和感がある。
どうやら病院のベッドに横になっていることはわかった。
わからないのは何故病院にいるのか❓
少したつと看護婦さんが入ってきた。
「あら、目が覚めたのね。後で先生のお話があるから」
と言って、縛られていた手首の紐をほどいてくれた。
「鼻の管とお小水の管は後で抜くから、まだ横になっていてね」
と言われ、鼻の違和感の理由がわかった。
わからないのは何故、病院なのか❓

No.54 09/06/08 13:52
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

恐る恐る、看護婦さんに聞いてみる。
「あの~ここは❓」
「ああ、○○救急センターよ。あなた、睡眠薬の大量摂取で意識不明で運ばれてきたのよ。覚えてないの❓」
やっと思い出した。
とにかく眠りたくて家にあった睡眠薬を片っ端から飲んだことを。
ただわからないのは私は一人暮らしなので、誰が119番したのかということ。
それについて訪ねてみると
「なんでも、あなたとその日連絡をとるはずのお友達が、何度電話をしても出ない。最近、睡眠薬や安定剤を服用しているから心配だって、119番通報したんですって」

No.55 09/06/08 14:07
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

ようやく納得できた。
週末、共通の友人の舞台を観に行こうと約束していたんだ。
そんなことを考えているうちに医師と母とが、病室に入ってきた。
「気がついたようだね。君は3日も意識がなかったんだよ」
そして、胃洗浄を行ったこと、飲んだ薬の量が正確にわからないので後から何かの後遺症が残るかもしれないこと。
それから、ここは救急センターなので、症状が落ち着いたらかかりつけの病院に転院すること等をきかされた。
その後看護婦さんに鼻とお小水の管を外してもらい、翌日の転院まで休むように言われ看護婦さんも部屋から出て行った。

No.56 09/06/08 14:17
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

病室には私と母との二人になった。
「お母さん、ごめんなさい」
自分がやらかしてしまったことの大きさに私は母に謝った。
「本当にいい迷惑だよ。警察からは電話が来るし、東京に出て来なきゃいけなくなって余計な出費はするし、本当にいい迷惑だよ」
私はこの期に及んでまだ何か、暖かい言葉を期待していたのだろうか❓
吐き捨てるような母の言葉に打ちのめされた。
一年以上振りに聞く母の声はいつにも増して冷たかった。

No.57 09/06/08 14:29
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

翌日、転院の為、車椅子のまま、車に乗った。
母は何も言うことはないらしく無言だったし、私もどう、声をかければいいのかわからなかったので、無言のまま、窓の外を見ていた。
病院に着くと、私は病室に案内され、母は先生に呼ばれ、診察室へと行った。
先生は、今までしてくれたカウンセリングの内容をかいつまんで母に説明したらしい。
私が祖母に言葉の暴力により、虐待されていたこと。
自分と妹に対する母の温度差。
常に、自分は親にすら捨てられた価値のない存在なのかと苦しんでいたこと。
それらが、原因の過呼吸や不眠症、不安定な精神状態等の諸症状の説明。

No.58 09/06/08 14:39
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

母は私の症状に対する話には興味がなかったようで
「ばかばかしい。あんな惚けた年寄りの言うことわざわざ真に受けて、バカじゃないの」
の一言で片付けた。
それよりも母の気をひいたのは、当時、母が甲状腺の病を患っていたことを先生が見抜いたことだったようだ。
私のこれからより、母の症状を見抜いたことの方が重要だったらしく、その話だけを繰り返していた。
退院の日が決まり、やっと母と離れられる、とホッとしたのもつかの間、母は
「この話をおじいちゃんにしたら、とりあえず連れて帰り、少しゆっくり静養させてやれっていわれたから帰るよ」
と不機嫌そうに言った。

No.59 09/06/08 14:53
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私は慌てて
「アパートにある荷物とか、しばらくうちにいるなら着替えとかいるし」
と言い訳をして、帰るのを遠まわしに拒否した。
冗談じゃない。
母や祖母がいて、なんの静養になるんだ❓
原因はわかってるんだからわざわざ、悪化するようなところに行きたくない。
私が帰りたい場所は私が築き上げたあのアパートだけだ。
だが、母の言った言葉が私を更に打ちのめした。
「え、アパートなんて引き払っちゃったよ、おじいちゃんが連れて帰ってこいって言ったし」
「は❓じゃ家具とかは❓」
「あぁ、リサイクルショップに売っちゃったよ。あんた安物ばっかりだったね。たいした額にもならなかったよ」
その代金は未だにもらってないどころか、金額さえ教えてもらっていない。

No.60 09/06/08 15:15
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

病院代の精算をするからと、退院時に母に財布も取り上げられた。
私が働いて少しずつ築き上げた自分のお城もなくなった。
私には選択の余地がなく、渋々実家に帰った。
祖父は喜んでくれたが、私は一度は脱出成功した場所に戻ってくるのは本当に辛かった。
また、東京に戻る為には、とりあえずお金を貯めなくちゃ。
アパートも引き払われ、家財道具も処分されてしまった今、お金を貯めて東京での基盤を作り直すことが最優先の気がした。
とりあえずバイトでも探そうか、と考えていた時、母から
「いつまでもふらふらしてないで少しは働いたら❓食費とかのあんたの生活費だってばかにならないし」

No.61 09/06/08 15:26
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

確かに、実家は祖父の持ち家だから家賃はかからないにしても、いい大人が、実家暮らしで食費も入れないのは情けないかも。
生活費の大半は祖父の年金から出ていたから、余計に気になった。
「そうだね。とりあえずなんかバイト探そうかと思うんだけど」
と母には返事をした。
それから数日後、バイトを探して求人情報を眺めていた私に母は切り出した。
「知り合いに、いいバイトを聞いたよ。短時間で曜日も選べるし、割がいいよ」
「へぇ、そんな好条件あるんだ❓」
といいながら、その求人情報を眺めた。
○×企画というところの募集だ。
私は連絡先を聞き、電話を入れてみた。

No.62 09/06/08 15:38
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

その求人情報だけでは、具体的な仕事の内容や時給は明記されていない。
電話口で、仕事の内容を聞いてみた。
お客様相手のサービス業とのこと。
私は面接を受けることにした。
面接場所は雑居ビルの事務所。
ヘンなところで面接するなぁ。と思いつつ、スーツ姿の男性(マネージャーだったらしい)と向かい合わせに座った。
その人は座って履歴書をみるなり
「いや~。君は可愛いし、若いからすぐ、稼げるようになるよ。訛りもないし」
稼げる❓
もしかして水商売とか❓
「えっと、なんの仕事なんですか❓サービス業としか聞いてないんですけど」
と聞くと驚く答えが返ってきた

No.63 09/06/08 16:05
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

「え❓聞いてないの❓ここソープだよ」
は❓
私は挨拶もそこそこに急ぎ、家に帰った。
母はパートから帰宅していた。
「お母さん、面接行ったけど、びっくりしたよ。ソープだったの」
母も驚くと思っていた。
「そうよ。せっかく時給のいいところ探したのに、断っちゃったの❓」
は❓
特に、切羽詰まった金策をしなくちゃいけないわけでもないのにいきなり、親が娘に風俗やれと❓
「だって、普通のバイトだと家にお金入れたらほとんど残らないんじゃない❓」
いくら取る気なんだ❓

No.64 09/06/08 16:26
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

祖父にはバイトの面接に行く旨は言っていたので、合わないみたいだから断った。とだけ告げた。
祖父は、まだ体が本調子ではないのだから、焦らずゆっくりすればいいと言ってくれた。
今回の件で、祖父は祖母の仕打ちを初めて知り、唯一私の為に心を痛めていてくれてた人だった。
そんな祖父の態度が母は気に入らなかったらしく、
「私には、そんな風に言ったことないのに。なんであんただけそんなに甘いの❓」
今思えば母は、大人になりきれていなかった。
娘と同じ土俵の上で、張り合っていたのだと。
自分の子供としてではなく、一人の女として、敵視していたのだと。
後に気づくことになる

No.65 09/06/08 16:38
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私はこの件以来、母と話すのが、苦痛となっていった。
それと同時に普通の親子関係を築けるかも。という希望もすっぱり捨てた。
私は、求人情報で、本社が東京にある、ソフトウェア会社の地元で支社がある会社を探した。
入社して、東京本社に異動させてもらう為だ。
二社あった。
どちらも求人していたので面接に向かった。
一社は、Uターン希望の人を募っていたので入社しても、異動はまずないとのこと。
もう一社は、東京本社でも人手が足りないとのことで、希望すれば、早いうちに、本社に異動できると言われたので、入社を決めた。

No.69 09/06/09 23:03
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

>> 66 再レスです。こんばんは😄 続き読みました… 更新頑張って下さい!でも無理しないで下さいね✨ ありがとうございます🙇
赤ちゃんがいますので更新は不定期になりますが、完結まで頑張りたいと思ってます。
励まし嬉しいです。
ありがとうございます。

No.70 09/06/09 23:49
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

>> 67 読みました。 今は幸せですか?? ありがとうございます🙇

はい
幸せになりたいし、今の大切な家族を幸せにしたいと思ってます。
今現在までを更新していくつもりなので、良かったらまた読んでやってください

No.71 09/06/09 23:51
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

>> 68 😃読ませて頂いてます😉これからも📝頑張って下さい💪😊 ポチさん
ありがとうございます🙇
これからも頑張って更新していくつもりなので良かったらまた読んでやってください

No.73 09/06/10 10:08
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

>> 72 マナさん
ご意見ありがとうございます🙇
感想スレ立ち上げさせていただきました。
これからも頑張って更新していくつもりなので宜しくお願いします

No.74 09/06/10 10:10
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

皆様、拙い小説を読んでいただきありがとうございます🙇
この度、ご意見感想スレを新たに立ち上げさせていただきました。
皆様のご意見感想いただけると嬉しいです。
宜しくお願いします

No.75 09/06/10 10:23
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

入社してしばらくは、今本社と共同で取りかかっているシステムの要件定義を把握するため、毎日書類の整理におわれた。
システム概要も固まり、正式なチームを本社にて、発足することになり、私は、本社異動への辞令を受けた。
家に帰り、異動の話をすると、母は
「ふ~ん、どこへでもいけば」
とだけ言った。
祖父は、反対して、しばらく地元にいてほしいが、祖母と一緒にいると休まらないのかもしれないな、と寂しそうにつぶやいた。
おじいちゃん、ごめんなさい、でも、母や祖母のそばにいるのが苦痛なんだ。
自分がどんどん惨めになっていってしまう。

No.76 09/06/10 10:32
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

数日後、私は東京に向けて、新幹線に乗った。
ちょうどその頃、妹が専門学校を中退して、実家に戻ってくることになっていた。
半年もたなかった。
何しに行ったんだろう❓
妹のいい加減さに腹が立った。
顔を合わせずに済んだのは不幸中の幸いだった。
妹は、母の影響を受け、私の顔を見ると、何か言わずにいられなくなるようだった。
私も妹と顔を合わせていたら、中退のこと等嫌みを言ってしまいそうだったから。
今は、余計なもめ事をする体力も気力もなかったから

No.77 09/06/10 11:55
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

今から考えると、母も父も、家庭を築くにはまだ、子供だったのだろう。
親であることより、自分の欲望を優先させ、家庭を捨てた父。
自分の感情の赴くまま、罵声を浴びせ、自分が末っ子で損をしたという思いが強かったばかりに、妹には甘かった母。
惚けてしまい、自分の妄想の中でだけ生きていた祖母。
家庭という形をとっていても中身は完全に瓦解していたと思う。
けれど、自我の確立されていない子供にとって、親とは、絶対的な立場にいた。
私は、社会に出、数年が経っていたが、母の冷たい視線に出会う度、そわそわと落ち着かない、身の置き所のない気分にさらされた

No.78 09/06/10 12:02
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

その頃私は、早く三十代になりたかった。
親に左右されることなく、仕事もバリバリこなし、自己の確立が出来、悩み事も減って充実した日々が送れるような気がしていた。
こんなに悩み、迷い、自分を信じられないのは自分がまだ、いろんなことをわかっていないガキだからと。


今、三十代になり、結構経ったが、あの頃より、自分の未熟さを痛感して、実年齢と精神年齢のギャップに苦笑いしている。

No.79 09/06/10 12:17
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

東京に戻った私は、とりあえず、会社が用意してくれている寮に入った。
寮といっても民間の安アパートを借り上げて、社員に安く提供しているものだ。
しかし、私にとっては自分一人の安心出来る場所だ。
そういえば、高校を卒業してすぐ入った寮では、同期が何人もいて、皆が揃いも揃って、ホームシックにかかっていたのを不思議に感じていたことがあった。
私はホームシックどころか、解放された喜びで、うきうきしていたのに。
私は不思議と子供の頃から、ホームシックというものにかかったことがなかった。

No.80 09/06/10 12:30
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

東京に戻ってからは、順調で、仕事は忙しかったが、楽しかった。
仕事の関係で、あるハードのメーカーが主催するソフトウェア開発者向けの講習会があった。
そこで知り合った4つ年上のエンジニアに付き合いを申し込まれ、交際が始まった。
後から考えればこの付き合いは、古傷を抉ることにしかならず、益々若い時の私のある傾向を強めるだけだったのだが、その時は、特に付き合ってる人も好きな人もいなかったので、軽い気持ちで付き合い始めてしまった。

No.81 09/06/10 12:40
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

彼は、明るく、男女問わず友人が多かった。
彼の友人にも紹介してもらったり、皆で遊びに行ったりと、初めの頃は楽しかった。
そのうち、付き合っているのが、私だけではないことが耳に入るようになってきた。
他にも彼女がいた。
しかも複数。
怒るより、なんだか納得してしまった。
父だってそうだった。
泣かない為には、私も「保険」をかけなきゃ。
その頃、仕事で一緒だった男性の一人からアプローチされていたので、返事は曖昧にしたまま、食事等を何回かした。
男だって女を都合よく使っているんだから、それを女がしても悪くない。
今から考えると、最低な上、人を信用できずにびくびくしていたな、と思う。

No.82 09/06/11 13:19
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

付き合っていた人とも、食事を何回かした人とも、付き合いを止めるきっかけがつかめず、なんとなく続いていた。
そんなある日、会社に中途採用のエンジニアTさんが入社してきた。
同い年で、酒好きのTさんとは歓迎会の席でかなり打ち解けた。
仕事帰り等に飲みに誘われることも増えて、何度目かの飲みの帰りに、お酒の勢いも手伝って、彼の家に泊まった。
私は正直に、付き合っている人がいるけど何股もかけられている話までした。
彼は、そんな奴止めて自分と付き合わないか❓と言ってきた。

No.83 09/06/11 13:30
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私は、正直、男の人を全面的には信じられなかったし、複数の同時進行のうちの一人というのに、堪えられなくなってきていた。
なのにすっぱり別れなかったのは、私一人いなくなったところで、あの人は大した痛手にならないことを知っていたから。
そして、そのことにも堪えられなかったから。
別れるなら、相手に痛手を負わせるか、しまった、と思わせるようにしてからにしたかった。
沢山付き合ったうちの一人、その他大勢、になりたくなかった。
今にして思えば、当時付き合っていた誰にも、心を許していなかった。
自分が好きというより、相手が自分に対してどう思っているかばかりを気にしていた

No.84 09/06/11 13:38
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

今ならわかる。
相手の好意ばかりを欲しがり、自分の気持ちを相手に表さない者が、一途に思われるわけがないって。
ただ、あの頃の私は、自分の気持ちや思いを相手に伝えることは、自分の弱みを握られることのような気がしていた。
母は、父にベタ惚れだった。
だから簡単に浮気をし、浮気に飽きるとなんの疑いもせず、父は帰ってきていた。
まるで母が忠犬のように、尻尾を振って待っていることが当たり前のように。
だから父は浮気を繰り返すんだと思っていた。
母に女としてのプライドのない人だとも思っていた。
私はそんな風に男に扱われる女にはならないとも

No.85 09/06/11 13:49
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

間違った認識と自分の身に合わないプライドを持ち合わせていた私は、付き合っている時、どうしたら相手より、優位にたてるかばかり考えていたような気がする。
そんな間違った認識で、付き合いを続けている私と、とりあえず、他の男性を切らせたい彼との取り合わせは、どう考えてもうまくいくわけがなかったのに、彼は他の男性を切る為の切り札を簡単に切ってしまった。
「結婚しよう」
と。
実は、私はこの言葉に弱かった。
最初に付き合った人が、おばさん夫婦に言われるがまま、お金を払った話はしたが、その後彼は、まるで払ったお金が手切れ金のように、私から離れていった。

No.86 09/06/11 13:59
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

今考えれば離れていくのは当たり前だったと思う。
まるで美人局だったから。
私と付き合いを続けていたら、どんな理不尽な要求されるかと思えば、離れていくのは当然。
ただ、この頃の私は、おばさん夫婦からも彼からも、傷つけられた気がして、誰かに本気で愛されたかった。
人の情だとか、人を愛することだとか、何一つわからないまま、ただ、誰かに愛されたかった。
そして、愛情を確認する為の手っ取り早い方法が、結婚だった。
若かったとはいえ、なんて安易な思考回路をしていたんだろう。
あきれかえるやら、情けないやら。

No.87 09/06/11 14:12
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私はプロポーズに対して首を縦にふった。
付き合いをなんとなく続けていた人にも、結婚の報告をした。
何股に対する最大の報復のつもりだった。
母にも、結婚の報告をした。
その頃、祖父は他界してしまっていたので、誰も反対する人や、心配してくれる人はいなかった。
知り合ってから、たった3ヶ月で私達は籍を入れた。
母はたった一言二言だけ
「これから何があっても前みたいにうちに警察から連絡がくることはないのね(結果的に自殺未遂となったあの件を根に持っていたらしい)あ~肩の荷が降りたわ。付ける熨斗もないけどこんなので良けりゃ遠慮なくどうぞ」

No.88 09/06/11 14:22
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

相手のお義父さんは喜んでくれたが、お義母さんは、私と一言も口をきいてくれなかった。
二人共まだ若く、一人暮らしをしていたから、新居に引っ越しをしただけで、挙式も披露宴もしなかった。
入籍して暫くたつと当時いた会社が経営困難に陥った。
またしても転職。
そんななか、新たな問題が持ち上がっていた。
結婚相手には、義両親の他に、妹が一人いた。
なんでも、引きこもりで、何年も学校にも行かず、働きもしていないそうだ。
会ったことはない。
なぜなら、私は、結婚相手の実家にお呼ばれしたことがなかったから。
結局、離婚するまでの数年間、いったことも住所すら知らないままだった

No.89 09/06/11 14:32
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

この結婚は、結局、たった数年で破局した。
とにかく、姑の借金には、ほとほと、閉口した。
給料日直後、夏季、冬季の賞与時期、必ず姑から電話が来る。
私が出ると
「○○は❓」
とだけ。
電話をかわると毎回、お金の無心、そのことで、喧嘩はしょっちゅうだった。
彼は、姑からの電話や、その後の喧嘩の時、必ず酒を飲んだ。
朝だろうが昼だろうが、構わず。
姑に強く断ることもできず、喧嘩といっても、一方的に私が、文句をいうだけ。
喧嘩どころか、話し合いにも応じず、ただ酒に逃げていた。
疲れきっていた私が、離婚を考えるまで、そう時間はかからなかった

No.90 09/06/11 14:41
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

ちょうどその頃、妹は、二つ目だか三つ目だかの専門学校を中退し(たしかトリマーの学校だった)ペット関連の仕事につきたいから紹介してくれ、と言って来た。
私は、内心(なんでこんな時だけ)と思いながらも、専門学校を入っては中退を繰り返すことを止めるきっかけになるなら、と、知り合いに頼み(知り合いの知り合いが、ペットショップのチェーン店の社長だった)妹を面接してもらった。
知り合いからの紹介だからと、資格もない妹を、見習いとして、中途採用すると言ってくれたのに、妹は、母を通して、やっぱり上京するのは嫌だし、お給料が安いから、そんなんじゃ一人暮らしも満足に出来ないから嫌だと、いきなり断ってきた

No.91 09/06/11 14:49
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私は母に珍しく、怒った。
間に入ってくれた人の面子を潰す気か、上京は最初からわかっていたことだし、資格もないんだから見習いなら、給料が安いのは、当たり前だろう、と、だが、母は、仕方ないでしょ、やっぱり嫌だって言うんだから。
と一言で片付けてしまった。
いい年した大人に、どんだけ甘いんだ❓と呆れて、頼みは二度ときくまい、と心に固く誓った。
また、ある時は、珍しく、妹から電話が来た(このことで実家から電話が来た時は大抵ろくなことがないという法則を学んだ)

No.92 09/06/11 15:08
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

「お姉、お母さんが癌だって、手術するから、暫く帰ってきてくれる❓」
「大変じゃない、手術や入院はいつ❓」
私は、上司に訳を話し、とりあえず一週間の有給休暇をもらって数年ぶりに実家に帰った。
祖母は、祖父が他界すると、すぐ、
「面倒みきれない」といって母が施設に入れてしまっていた。
実家の名義は、叔父だったが(叔父は子供の頃二階から落ちて頭を打ち、障害が残ってしまった為祖父が後々困らないように家を残したと言っていた)叔父も同じように施設に入れてしまっていた。

No.93 09/06/11 15:48
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

母の病院にいくとすぐ、医師から説明があった。
母の癌は乳癌で、ステージは第一期、手術さえすれば、治癒すること。
早期の発見だった為、再発もあまり心配ないこと。
癌はまだ小さく、転移もないため、手術自体も比較的、短時間ですむこと。
私と、叔父Ⅰ(母は4人兄弟の末っこ、叔父Ⅰが長男障害の叔父が次男因みに長女の叔母は痴呆症の為、来なかった)は、「お母さん、大袈裟な」とばかりに、目を見合わせた。
何しろ、癌だ、手術だと、自分ではなく妹に、親戚中に連絡させたのだ。
手術中の付き添いや手術後も一晩だけ付き添いはいるが、一人で十分と言われてしまった。

No.94 09/06/11 15:56
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

「それなら、妹で十分だったんじゃない❓わざわざ一週間もいなくてもいいよね❓」
「妹はバイトがあるから、それに入院中の洗濯物とかしてもらいたいし、妹の夕ご飯もお願いね」
はい⁉
いい年して自分の晩飯の面倒もみれないの❓
それに、私も仕事休んでいるんですが💢
「お姉ちゃんは有給あるでしょ❓妹はバイトだから休んだら給料引かれちゃうんだよ」
何もしていないのに疲れた。
もはや、考え方が違いすぎるまでになってしまっていた。
自分の家庭がゴタゴタしているのに、私は何しているんだろう❓
情けなくなった

No.95 09/06/11 16:03
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

とりあえず、手術当日は叔父Ⅰと一緒に立ち会い、その晩も私が泊まり込んだ。
因みに、妹は、心配する程大手術ではないから、とバイトに行ってしまった。
一晩泊まり込み、お昼すぎ、母の洗濯物を抱えて帰宅すると、妹からの置き手紙。
「お姉へ
私の洗濯物もついでに、一緒に洗っておいて。
夕飯はカレーがいい」
呆れてものが言えないとはこのことだ。
母はどれだけ甘やかしてきたんだ❓
呆れながらも洗濯をし、夕飯の買い物に行く。
情けない気持ちでとりあえずカレーを作る。

No.96 09/06/11 16:13
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

夕方、妹が帰ってきた。
「お姉、お腹すいた」
あんたは小学生か❓
はいよ、とカレーを出す。
妹は一口二口食べると、
「辛い💢」
と言ってスプーンを投げ出した。
「食べないの❓あをたが作れって言ったんでしょう」
「こんな辛いの食べれない。なんでバーモントの甘口じゃないの❓もういらない」
私はその一言で完全にキレた。
「ふざけるんじゃないわよ、手伝いにもこないどころか、余計な仕事まで押し付けて、作ってもらったご飯にケチまでつけて。あんたは何様なのよ‼」
「お母さんがいないからお弁当までは我慢してんじゃないの」
そういうと妹はぷいっと顔を背け二階の自室に上がってしまった。

No.97 09/06/11 16:21
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

次の日、私は乾いた洗濯物を母に届けると、昨日のカレーの話をして、今日には東京に戻ると告げた。
母は
「そんなことくらいで、大人げない」
と鼻で笑っていたが私はもう、この親子が他人より遠い存在になった気がした。
「妹はこだわりの人だから」
等と言う母。
なんで二人共、ごめんねやありがとうが言えないの❓
自分は大変なんだからやってもらって当然。と言う顔をしている二人に、もう、振り回されたくなかった。
就職の時に、二人の頼みは一切聞かない。と誓った筈なのに、またお人好ししてしまった

No.98 09/06/11 16:32
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

ウンザリしながら、新幹線に乗る。
こうなって来ると、往復の交通費の自腹さえ惜しくなってしまう。
女二人で、心細いだろう等と心配した私が馬鹿みたいだ。
そうじゃなくても色々大変なのに。

離婚話は難航していた。
彼に離婚したくない理由を問うと、
「面倒くさい」
とだけ言った。
彼は、離婚の手続きから、一人になった後の家事まで、全てをひっくるめて、面倒くさい。と言ったのだ。
私は、何なんだろう❓
一番身近な、家族にさえ、家政婦扱い。
本当に、自分が惨めでたまらなかった

No.99 09/06/17 01:52
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私は離婚後も生活に困らないようにと、フルタイムで働いていた。
元旦那までが私の稼ぎをあてにするようになり(その頃にはSEとして高卒女にしてはかなりいい給与をいただいていた)嫌気がさしていた私は、
「夏の賞与殆ど出ないって」
と言ってみた。
「え~、なんだよ、それ❓」
は❓自分は、会社が倒産しそうで、賞与どころか、残業手当てもカットされてるのに❓
私は、埒のあかない離婚話に風穴を開けるつもりで、別居に踏み切った。
面倒くさがる元旦那を置いて、アパートを借り、後からもめたくなかったので、家財道具は持ち出さず、着替え等の個人的なもののみで、出て行った。
その頃、一緒に仕事をしていた気の合う同僚から、告白をされた。
3つ年下で独身の彼。
私は最初、からかわれているのかと思った。
けれど、そのうち、彼の、駆け引きなしの真っ直ぐな気持ちが、私の気持ちを揺らしていった。
別居中だということは、同じチームの人達は知っていた。
私は彼の気持ち、彼への気持ちを、汚したくなかった

No.100 09/06/17 02:06
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

だから、彼に告げた。
「知ってるとおり、離婚を前提にした別居中なの、中途半端は嫌だし、親が不倫して嫌な目にもあってきたから不倫だけは無理、でも、きちんと離婚して全て片付いたら、あなたの気持ちに答えたい、待ってくれる❓」
賭だった。
彼が後腐れなく遊びたいなら、この台詞は重いだろうと思った。
でも、同時に私は誰かに必要とされたかった。
仕事面では、私を必要としてくれていたクライアントや若い技術者はいたけれど、一人の人間として、誰かに切実に必要とされたかった。
肉親からも必要とされず、自分の家庭を築き上げたかったのに、元旦那からも必要されなかった。
結婚の失敗は自分のせいというのも大きいし、また、その事実が私を打ちのめしてもいた。
腹を割って話せる友人はいたけれど、やはり、安心できる、体の力を抜くことができる相手が欲しかった。

No.101 09/06/17 02:23
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

勿論、誰でもいいという訳ではなかった。
変なところで潔癖な私は、相手の気持ち、自分の気持ちの両方がリンクしていないとどんなに相手に欲っされても、相手に飛び込んでいけなかった。
自分の一番欲している「私を切実に必要としてくれる人」であっても。
彼はどうなんだろう❓
私は彼に確かに惹かれているけれど。
「待つよ。ゆうこさんが納得できるまで。離婚して、一人になったら堂々と一緒にいられるんだよね❓その日まで待つよ」
涙が出そうになってしまった。
初めてプロポーズされた時より嬉しかった。
私は、離婚話を進める努力をした。
向こうも私が、何も持たずに別居したのを見て、離婚は本気なんだと悟ってくれたらしく、思ったよりはスムーズに話は進んだ。
離婚届を提出し、戸籍も住民票も一人ぼっちになった。
離婚話が出てから、一年半が過ぎていた

No.102 09/06/17 03:03
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

会社の総務に連絡をして、姓が変わったことを告げた。
それから私は、彼への電話を入れようと携帯の電話帳を開いた。
何度かメールのやりとりはしたけれど、あえて、電話はしなかった。
それをけじめのつもりにしていた。
やはり、電話をかける勇気がなく、メールで報告した。
「全て終わりました。」
とだけ。
彼は、それでわかってくれたらしく、すぐに電話をくれた。
「会いたい。いいんだよね❓」
彼は、文句も言わず、私を信じて半年待っていてくれた。
「うん」
涙が出た。
この人なら、信じられる。
誠実な、真っ直ぐな彼なら。
心底そう思った。
私達は、付き合い始めた

No.103 09/06/22 03:14
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

離婚したことを一応母にも、報告だけはしようと思った。
母自身、離婚経験者だからやはり反対されるか、もしかしたら労ってくれるか、等と考えながら、実家の電話番号を打つ。
自分の考えがとことん甘いことを知らされるとも知らず。
「あ、お母さん?私、色々あって、離婚したの」
そういった私に、母はとんでもないことを言い出した。
「あら✨占いの○○先生が言った通りだわ。よく当たる占い師がいてね、上の子は、離婚の相が出てる、再婚もなく、独り身のまま年老いていく。って言ってたのよ~当たったわね✨」
と嬉しそうに言い出した。
それから
「うちの姓(父の姓を離婚後も使っていた)って、後家の相があって、結婚運悪いから、改名した方がいいって言われたんだけど、役所行って手続きしようとしたら(母の旧姓に母と妹を変えようとしたらしい)そんな理由で改名は受け付けられません、て言われたのよ。私や妹の運勢が悪くなってもいいのかしらね💢」
はい?
アタマダイジョウブデスカ?
娘の離婚をこんな理由で喜ぶ親、こんな理由でいきなり役所に改名しようとしていく、こんないい大人がいるのか?
頭が痛くなってきた

No.104 09/06/22 03:54
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

一人暮らしを始めて、また、私は、働きながら、少しずつ家財道具を揃え始めた。
離婚する時、私は何も持って出なかった。
姑のせいで貯金もなかったから財産分与等の面倒くさいこともなかった。
また、何もない部屋からの出発。
彼と付き合い始めたが、二人共、仕事柄帰りが遅く、平日はなかなか会えなかった。
そのうち、仕事帰りにうちに来るようになった。
彼は自宅通勤だったから、そのうち、1日おきに、うちと自宅とに帰るようになった。
彼は、不便だろうと、学生時代に一人暮らししていた時の、電子レンジ等を持って来てくれた。
彼は、親に付き合っている人がいるからと言って、うちに通っていたらしい。
自宅だからと心配していた私に話してくれた。

No.105 09/06/22 04:08
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

当時、会社内で仲が良かった数人でよくグループで遊んでいた。
彼もグループの一人だった。
私達の付き合いは、最初のうちは、グループの誰にも内緒にしていた。
けれど、そのうち、私はグループの仲間から告白されたり、彼もグループの仲間からモーションかけられたりしたので、付き合って丸一年を期に一緒に暮らすことにした。
まずは、彼のご両親にご挨拶。
彼は私が年上でバツイチだと言うこともご両親に話したと言っていた。
彼のお義母さんは、とてもにこやかに私を迎え入れてくれた。
「息子が半ば住み着いてて大変だったでしょう?」
と、笑ってくれた。
正直、この時点では、私は結婚を考えてはいなかった。
彼は年下だし、きちんとした家庭に育った、まっすぐないい人だったから、私は似合わないと思っていた。
若くて可愛らしい、きちんとした家庭の初婚のお嬢さんが似合うと思っていた。
だったら一緒に暮らすなよ、とツッコミが入りそうだが、そこが私の弱さだった。
そう思う反面、彼の優しさ、包容力に甘えてしまっていた。

No.106 09/06/22 04:27
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

引っ越しを控えて、仲の良かったグループの友人に付き合っていることと、一緒に暮らすことを告げた。
みんな、びっくりしていた。
びっくりしながらも、祝福してもらえて、嬉しかった。
仲の良い人には話したが、会社には、まだ内緒にしていた。
その時には、彼とは、違うチームだったし、出向していた企業も別々だったので、他の人には気づかれなかった。
一緒に暮らして一年。
平日はお互いに仕事が忙しく、帰って寝るだけだったけれど、今まで感じたことのない安らぎを、毎日の生活に感じていた。
彼は口下手だったし、甘い言葉も言わない人だったけれど、大切にしていてくれているのは感じていた。
毎日の暮らしのなかで、少しずつかけがえのない人になっていった。
そんなある休日。
もう、一緒に暮らして一年だね。等と話している時に、彼から
「ちゃんと結婚しよう」
とプロポーズをされた。
思いがけない一言だった。
今まで知っていた男性というのは、結婚に消極的で、現状維持が楽だと考える人が多かったように思う。
私は、結婚を焦っていた訳ではないし、現状がお互い楽だと思っていたから

No.107 09/06/22 04:44
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

けれど彼は、一緒に暮らしてみて、こいつとなら、この先やっていけると思ってくれたらしい。
それなら、きちんと籍も入れて、一緒に生きていきたいと、言ってくれた。
私は、正直、戸惑った。
わざわざ、年上のバツイチ女を選ばなくても、お似合いの若い可愛らしいお嬢さんの方がいいのではないかと思っていたから。
彼は言ってくれた。
付き合うだけなら、好きだけでいいけど、生涯を共にするなら、好きだけではなく、信頼できる相手でないと。と。
私は何も言えなくなって小さく頷いた。
休日を選んで彼のご両親に改めて、ご挨拶。
ご両親は、喜んでくださり、きちんとお式も挙げるよう、言ってくれた。
最初の結婚は、入籍しただけだったけれど、お式を挙げるなんて、少し恥ずかしかった。
ご両親は
「私達が結婚した時、主人の親御さんがね、お式を挙げてくれたの、だから、お式は私達に任せて、きちんと挙げてね」
とまで言ってくれた。
こんな私を受け入れてくれた。
すごく嬉しかったし、お義母さんの心遣いが身にしみた。

No.108 09/06/22 04:56
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

彼は、ホテルのブライダルフェアをまずは見に行こう、と言ってくれた。
結婚という節目だから、と母に報告するため、実家に電話を入れた。
「今、付き合っている人がいて、結婚することにしたから」
「ふ~ん、それで?」
まぁ、娘の幸せを両手をあげて、喜んでくれる人ではないことは、わかっていたので驚かないから。
「で、相手のご両親の勧めもあって、お式挙げることになったから」
「は?あんたバツイチの日陰者のクセにそんな派手なことすんの?みっともない。だいたい、あんたに使うお金なんかないからね」
そこまで言いますか?
「いや、お金出せとは言わないから」
と言っても
「式の為に上京しなきゃいけないんでしょ?交通費だってバカにならないのに」
なぜ母がこんなに不機嫌になったかは、彼が、挨拶に行く、と言い出し、数年振りに実家に帰ってから判明する

No.109 09/06/22 05:16
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

実家に帰ると、母と妹、そして、産まれたばかりの赤ちゃん❓
妹は、既婚者と不倫した挙げ句、婚外子を出産していた。
「私聞いてないよ」
「お姉に言えば、反対するでしょ?」
当たり前です。
しかも、不倫相手が「お義姉さんに挨拶したい」とか言ってうちに来てるし。
なぜ、一回りも年上の既婚者に「お義姉さん」と呼ばれなければいけないの❓
いや、結婚してるとか、これからするとかなら、話は別ですが?
母はなぜか、上機嫌で、既婚者をさして
「晩酌に付き合ってくれたりするのよ」
「養育費とかも、ちゃんと入れてくれるし」
中小とはいえ、社長さんですからね。
「私も、いい年だから、これで(養育費のこと)仕事を減らせたし」
妹は働いてないらしい。
しっかりしてくださいよ。
揃いも揃って、堂々と。
何か、色々違う気がするけど、ツッコむ気力はありません。
「式に彼も呼ぶんだよ」と母。
「あ~是非、招待状はこちらに送ってください」と名刺を差し出す不倫相手。
「あ、そうだ、式には、あの近所だったおばさんも呼びなさいね」
なんで、招待客について意見されてるのかな❓

No.110 09/06/22 05:33
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

あまりのことに、脳がバーストしている私に向かって
「それにしても、バツイチの日陰者のクセに式挙げるなんてみっともない。妹が色々辛い思いしてるのにこれ見よがしに式挙げるなんてほんと、いい年して思いやりのない子だこと」
妹が不倫して未婚の母になったの私のせいじゃないし、そもそも知らなかったし。
と言っても無駄なんだろうな、こっそりため息をつく。
母は、私が式を挙げるのが、よほど腹に据えかねるのか、文句は続く。
「だいたい、私達みたいな、純粋で、自分の気持ちに嘘のつけない不器用な人間ばかり損をするのよね、あんたみたいなずる賢い計算高い女は、ちゃっかりと再婚して式まで挙げて。うちは私も妹も不器用だから、式を挙げるような計算高い結婚なんてできなかった」
とても、惨めで情けない気分。
妹は無職。
母は仕事を減らし、パートに切り替えていた。
過分な養育費が毎月振り込まれていたから。
妹は、生きることに不器用で、親思いだという。
離れて暮らし、何年も会話すらなかった月日が、お互いの常識までかけ離れていた。

No.111 09/06/22 05:48
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

不倫相手が、会話を振ってくる。
「じゃあ、新婚旅行とかも、決まってるんですか❓」
実は決まっていた。
こんな機会でもなければ、長期休暇は取れないからと、海外へ。
でも、黙っていたほうが良さそう。
「ええ、まあ、一応海外へ」
彼が返事してしまった。
母はますます不機嫌になっていく。
「ほんと、思いやりのない子、そんな無神経なことじゃ、誰からも相手にしてもらえるわけないでしょうよ」
と言いつのる。
元々、実家に泊まるつもりではなかったので、早々に実家をお暇することにした。
彼に対してとても恥ずかしかった。
私と母とでは、常識とか、モラルとかの考えが決定的にズレている。
なんか言っても無駄っぽい。
暗澹たる気持ちで実家を後にした。
その後も、母は、半年後に迫ったお式に関することにあれこれ、注文ばかり付け始め、母にかなり振り回されることになる。

No.112 09/06/22 06:07
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

母の注文はとにかく、高飛車に言ってくる。
「私の着る留め袖借りておいてよ」
「疲れるから前日から上京するから、後、式当日も泊まるからホテルは二泊とっておいて」
「近所のおばさんと一緒に行くからホテルはツインを二泊にして」
「妹はわざわざ、赤ちゃんまで連れて行くんだからベビーシッター頼めないの❓」
等等
いや、もう、勘弁してください。
話のついでに、妹の不倫が心配なので、それとなく、聞いてみる。
相手には、中学生の息子さんがいるという。
私は、父が私生児だった為に、母が結婚を反対されたことや、結局父が浮気して、家庭を壊したこと等について、妹は同じことをしている。
相手の息子さんも多感な時期なのに配慮がない。
私生児だった父が苦労したこと。
その苦労を知っていて、妹の不倫や出産に対して、多額の養育費を条件に許したことに対して、母と妹とは、深刻な、今まで以上の深い溝ができた。
お式が済んだら、もう二度と顔を合わせることもなくなるだろう、と薄々感じていた。

No.113 09/06/22 06:21
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

式当日。
母は、とにかく、文句ばかり言っていた。
「なんで、姑より安っぽい留め袖にしたのよ」
「あっちの姑、意地悪そうね」
彼のご両親が、会社の上司にお酌しに行っていても知らん顔で、お酒を飲んで内輪だけで盛り上がっている。
殆ど宴会のノリだ。
頭が痛くなってきた。
不倫相手のことは、周りには、妹の旦那と紹介している。
もう、手に負えない。
情けなさに涙が出そう。
もう、世間体など気にしないで、縁を切ろう。
私には、一言も話しかけてこない。
意地悪そうな姑、と言っただけ。
私は、そんなことないよ、優しいいい方だよ。と伝えたら、ふん、とだけ言って去っていった。
お母さん、なぜ、そんなに私が憎いんですか❓
実の親に不幸を望まれる子供がどれほど惨めかわかりますか❓
ただ、あなたは、自分や可愛い妹より、私が幸せになるのが許せないんですよね。

No.114 09/06/22 06:33
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

母と暮らした時間は、短かった。
赤ん坊の時は、祖父に育てられたし、両親の元に戻った時には、もう、妹が産まれたばかりだったし。
その後は、父の不倫駆け落ち騒動があり、母は水商売に入り、すれ違いの生活だったし。
離婚後は母の実家に戻り、私は、祖母と顔を合わせたくなかったから、殆ど家にいなかったし。
高校卒業と同時に家を出て、帰省も殆どしなかった。
母には、妹がいれば良かった。
私は、長い間、心の寄りどころさえなかった。
結婚さえも、相手に必要とされていたわけではなく。
私はずっと探していた。
産まれてきた理由を。
私を必要としてくれる人を。
結局、母からは、最後まで、もらえなかったけれど。
親だけが、くれるものではないと、やっと理解できた。

  • << 118 これで終りですか?

No.124 09/07/29 09:24
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

言霊さん
母と娘さん
ターナーさん
ありがとうございます。
また、先日母がらみでゴタゴタが少しありまして、読み直すのが辛くて、なかなか更新できませんでした。
母と娘さん
わかってくださり、ありがとうございます。
ターナーさん
ご忠告ありがとうございます。
子育ては本当に難しいですね。
自分なりのベストを模索しながら、頑張ってみます

No.125 09/07/29 09:44
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

続き

新婚旅行から帰って来て、まずは旦那のご両親に報告。
結婚休暇もそろそろ終わり、という頃、母から電話。
珍しいな?と思い電話に出ると、開口一番
「お土産まだ❓届いてないんだけど」
はい…?
送ってませんが?
「海外行くなんて、身の程知らずなことした上、お土産も送ってよこさないなんて、常識知らず!あんたには人に感謝するって気持ちがないの?そんな情けない奴じゃ、すぐ捨てられるんじゃない」
と、暴言を一方的にまくし立てると、電話は切れた。
何がしたいんだろう?
私が大人になれば、少しは母が理解出来るようになるかと思ったけれど、やはり理解出来ない。
私の常識と、母の言う常識は益々ズレていく。
やはり、母を理解したいと思うのは無理があるみたいだ。

No.126 09/07/29 10:00
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私は、自分が親になる自信がなかった。
こんな私じゃ、やはり、いつかみんなに見放され、旦那からも捨てられるかもしれない。
いつも不安が消えなかった。
私はまた、不眠症を発症していた。
このままじゃ、仕事にも差し支える、また、病院通いが始まった。
安定剤と睡眠薬を服用している間は、妊娠出来ない。
ピルも再開する。

旦那は、子供好きなのに、妊娠が怖い。
旦那は、長男で跡継ぎなのに、妊娠が出来ない。
なのに、旦那も旦那のご両親も、子供のことは、口にしないでいてくれた。
今から考えると、本当に、周りの人達に恵まれ、大切にしてくれる人達も沢山いるんだっていうことがわかる。
けれど、今までの私は、人の好意を嬉しいと思う反面、いつ嫌われるかにビクビクしていた。

No.127 09/07/29 10:15
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

私は、母に対して、もう限界だった。
ゆっくりと時間をかけ、信頼関係を築こうと努力してくれる旦那に申し訳なかった。
そんな生活を母に脅かされたくなかった。
だから、私は母に、もう、連絡は取らない旨を伝えた。


そうして、旦那と暮らし、仕事をし、友人との時間を持ち、少しずつ、自分を好きになれるようになっていった。
今では、自分が好きではないけれど、これが、自分、そしてこんな自分でも、好いてくれて、一緒にいてくれる旦那や友人がいる。
大切にしていきたい人達がいることに、不安だけではなく幸せを素直に感じられるようになっていった。
本当に、旦那と友人には、感謝です。

そういう心境の変化があったおかげで、安定剤や睡眠薬は減り始めた。
定期的な服用はしなくてもよくなり、苦しい時(結婚式前後は酷くて母の声を聞いたり顔を見たりするとパニックの発作が出る程だったので)や眠れない時だけの頓服に切り換えることが出来た。

No.128 09/07/29 12:11
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

結婚して、母と縁を切ってから5年経ち、やっとうまく呼吸が出来るようになった。
安定剤や睡眠薬を殆どやめたと同じ時期に、ピルもやめた。
産婦人科の先生も長期の連続服用はあまりよくない、と仰っていたし。
もう、大丈夫。
旦那は心から信頼出来る人だし、旦那のご両親も旦那の妹さんもよくしてくださる。
仕事も順調だし、チームリーダーにも抜擢され、益々張り切っていた。
そんな日々を送っていたある日。
朝から、胃がムカムカ、体もだるくて。
そう、妊娠していました。
旦那も、旦那のご両親も、とても喜んでくれた。
出産や育児に不安はあったけれど、自分のお腹に宿った命に対して、素直に喜んでいた自分にびっくりした

No.130 09/09/24 00:05
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

>> 129 ありがとうございます。
これから先は書くのがキツくて延ばしてしまってました。
今の幸せに逃げ込んでいました。
あまり長くありませんが読んでいただければ励みになります。
ありがとうございます

No.131 09/09/24 00:14
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

やはり妊娠していた。
旦那も喜んでくれたが、旦那のご両親もとても喜んでくれた。
私の年齢を考え半ばあきらめていたよう。
振り返ってみれば、孫の話をしなかった旦那のご両親。
気を使ってくれていたと思います。
検診にいくたび、大きくなる赤ちゃんに、喜びと同時に不安がよぎる。
私はちゃんとこの子を愛せるのか?
今後20年、この子につくせるのか?
親子の愛ってなんだろう❓
余計なことを色々考えたせいか、切迫早産で入院になってしまいました。

No.132 09/09/24 00:17
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

切迫早産の上、逆子がなおらず、予定より早い手術。
無事、元気な女の子の出産。
涙が止まりませんでした。

No.133 09/09/24 00:26
ゆうこ ( ♀ JpYFh )

お義母さんは喜びのあまり、知り合いに片っ端から連絡を入れたそうです。
しかし、私の母からは
「縁を切った娘たわから関係ない。祝いなんかは送らないから期待するな」と
この会話が発端で、旦那のお義父さんは私をせめました。
通常親が子を捨てるなんて考えらんない、何をやらかした嫁なんだ。と。

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