地獄に咲く花

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2013/11/10 23:01(更新日時)

地球温暖化が進んで人類滅亡も近い世界での、ある子供達の物語。

13/03/21 00:30 追記
※このスレッドは前編となっています。中、後編は以下のURLよりお入り下さい。

中編
http://mikle.jp/thread/1242703/

後編
http://mikle.jp/thread/1800698/

尚、このスレッドはレス263よりサイドストーリーとなっております。もし中、後編を御覧になる場合はこちらも読むことをお勧め致します。

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No.1159506 (スレ作成日時)

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No.201

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…

再び地鳴りが辺りに響く。風が吹きすさび、『マルコー』を中心に空気の渦が出来ていく。砂が舞い踊り風景は褐色に包まれた。その向こうに、ジュエルは見た。

「あれは…翼?!」

砂嵐に浮かび上がる、影。それは大きな翼の形をしていた。ロイもそれを見る。

「馬鹿な!さっきまで骨しかなかった!」
「っ…!まさか、飛ぶのか!」
ゴゴオオオオオォ!!

風が一層強くなり、瓦礫が音を立てて吹き飛ぶ。もはや、『マルコー』を囲む風は竜巻と化していた。ロイはそれを睨んだ。

「まずいな。今飛び上がられたら攻撃の手段がなくなる。それに、あの勢いだとまた真空波が起こるかもしれない。さっきとは比べ物にならないやつだ。」
「くそ。どうしたらいい!…………?」
「ジュエル。どうした?」
「あそこに…」

ジュエルが指を差していたのは『マルコー』の肩の辺りだった。砂のせいで微かにしか見えなかったが、そこには確かにいた。

「グロウ!」

風に遊ばれる銀髪を押さえている姿があった。それを見て、ロイはニッと笑った。

「ジュエル!俺たちも行くぞ!」
「でも、あの竜巻を越えられるのか?」
「超えるんじゃない。利用するんだよ!」

No.202

そう言うやいなやロイは竜巻に向かって走り出す。ジュエルは少し躊躇したが、意を決してそれに続いた。竜巻はますます巨大になっていく。

そして2人は、『マルコー』の間近に着いた。今足を地面についているのがやっとなくらいの強風が2人に当たっていた。ロイは呼吸を1回整えて、呼ぶ。

「グロウー!!!聞こえるかー?!」

かなりの大声で叫んだつもりだったが、風の音でかき消されてしまう。駄目かと思ったその時。

ピリリリリリリ。

突然ロイのポケットから音がした。

「!…そうか、携帯で!」

すぐさま取り出して開く。やはりそれは、グロウからの着信だった。ロイがボタンを押して、ピッという小さな音がする。

『ロイ。ジュエル。早くこっちに来た方がいいです。』
「分かってる。竜巻に乗っていく。手を貸してくれないか。」
『はい。急いでください。』

プッ。

グロウはそれで切ったようだ。
ロイも携帯をポケットに突っ込む。

「ジュエル、先に行け。グロウが待ってる。」

ジュエルの頬に一筋の汗が流れた。だが、もう躊躇っている暇はないと、自覚していた。

「分かった。ロイも…早く来るんだぞ。」

それだけ言って、ジュエルは地を蹴った。

No.203

ゴオオオオォォォォ!!

ジュエルは一瞬にして竜巻に呑み込まれた。うまく『マルコー』に飛び移ることを試みようとするが、体の自由が全くきかない。ただ飛ばされることしかできないので、ジュエルは焦りを感じていた。

「くっ…グロウ、どこだ!」

すると。

シュルルッ
「!」

ジュエルの胴に何かが巻きついた。それは、ワイヤーだった。

ぐんっ
「ぐ…」

ジュエルは思い切り腹を締め付けられる感覚に襲われる。
ワイヤーに引かれているのだ。風の力に逆らいながらなのでゆっくりだったが、着実に『マルコー』に近づいていった。
そして

トッ

やっとグロウのもとに辿り着いた。グロウのワイヤーはシュルッという音と共に左手のワイヤークロウに戻っていった。ジュエルは咳き込む。

「すみません、少々乱暴でした。傷が開かないといいんですが。」
「ゲホ…大丈夫だ。傷も。」
「さて。もう一人、ですね。」

そう言いながらグロウは下を見た。
だが。

バサ バサ バサ
「!…」

翼が大きく羽ばたき始める。グロウは珍しく無表情になった。

「間もなくですね。」
「…ロイ!」

No.204

ジュエルもグロウも、ロイの姿を探すが、砂嵐が邪魔でなかなか見つからない。

ゴゴゴゴ…
「ぅあ!」
「っ!」

2人の足場が激しく不安定になる。『マルコー』が宙に浮いたことが感覚で分かった。落ちないように、慌てて自分の体を支えた。

「遅かった…か!」

ジュエルが悔しそうに呟いた時だった。

「!」

不意にグロウが何かに気付いた。そして

バシュッ!

ワイヤーを発射した。それは風を切り裂いて、弾丸のように飛んでいく。ジュエルは少し驚いた後、ワイヤーの先を見据えた。

「!!」

人影が見える。ワイヤーは先程と同じ様に、腹に巻きついているようだ。さらに目をこらすと、こちらを見てニッと笑っているのが分かった。

「ロ…」

ジュエルがその名前を呼ぼうとする。しかし。




「ゴォアアアアアァァァ!!!」



もう聞き慣れてしまった『マルコー』の奇妙な叫びが、ジュエルの声を掻き消した。
そして、次の瞬間。



ゴオオオオオオオオォォォォォォ!!!!

一気に上昇した。
空が、物凄い速さで近づく。

「っ!ああぁぁ!!」
「…くっ」

2人は押しつぶされそうな程の風の抵抗を受け、思わず声を上げた。

No.205

ドドドドドドド!!

地上を見てみると、激しく砂埃が上がっていた。地面は音を立てて割れていき、土も、瓦礫も、何もかもが吹き飛んでいく。そこにいたらどうなっていたかは全員予想できた。

「何てこった…」
「くっ。」

グロウが微かに呻いていた。ジュエルは、はっとしてグロウに目を移す。手から伸びるワイヤーの先に、ロイがうなだれていた。風力によって重さが増しているのを、グロウは片手で支えているのだ。

「グロウ!」

ジュエルはすぐにワイヤーを掴んだ。だが。

ザザ!
「っ!」

切れるような痛みに思わず手を放す。そして両手を見ると、血に染まっていた。

「このワイヤーを下手に扱わない方がいいですよ。今こうしてロイを傷つけないでぶら下げているのも結構骨が折れます。」
「くそ!どうすれば!」

ジュエルは焦る。ロイが、相当苦しいであろうことを理解していたからだ。ロイは、さっきの自分の数倍締め付けられているに違いない。そう感じていた。

自分には、何も出来ないのか。もどかしさがジュエルの心を包み込んでいく。

「ジュエル。」
「?」
「…デカブツの方を、頼んでもいいですか。」

グロウの声はとても静かだった。

No.206

グロウはジュエルのことを察していたのかもしれない。そう。今のジュエルに出来ることはそれしかないのだ。

「分かった。」

ジュエルは頷いた。そして『マルコー』に致命傷を与える方法を考える。両手の剣を握りしめた。

(ただ斬っても、再生されるだけだ。どうすればいい…)

そこに。

ヒュ!

風を切る音と共に、黒い影が勢いよく『マルコー』を追い抜いた。それと同時に『マルコー』の上昇が止まる。

(!…あれは、ハヤトか!)
バキバキバキ!

『ハヤト』の右腕が肥大化していく。
そして『ハヤト』は攻撃を再開した。

「ガアァ!!」
ドゴォン!!
ザバザバザバ!

まず右腕を『マルコー』の腹に打ち込む。その次に、左手の長く鋭い爪で打ち込んだところを薙いでいった。

しかし。

「…?」

ジュエルは眉を潜める。
『マルコー』がそれに反応していなかったからだ。ジュエルは『マルコー』の胸に大きな穴を空けた、『ハヤト』の力を思い出す。

(どういうことだ…さっきまでハヤトの攻撃は通用していたはずだ!)

「オオオォォォ」
バサ バサ バサ

『マルコー』は大きく翼を羽ばたかせた。再び、辺りに強風が巻き起こる。

「!」

No.207

『ハヤト』は風に煽られ、身動きが取れなくなった。そこで『マルコー』は動く。腕を振り上げて…

バギイィ!!

殴った。『ハヤト』の身の丈程もある拳で、正面からだった。どんなに強力なものだっただろう。
『ハヤト』が力無く地上へ頭から落ちていくのを、ジュエルは見た。

(風の結界…か。翼がある限り、奴は風を自由に操れる。)

そこで、ジュエルは気がつく。

(翼…そうか!翼を落とせれば!)

即座に振り向くと、今も羽ばたいている巨大な2対の翼があった。今『マルコー』はほぼ水平になって飛んでいるため、背中の上少し行けば翼の根元まで着く。ジュエルは飛ばされないようにゆっくりと立ち上がり、そこまで行こうとした。
だが。

シュルルル
「!」

何かが進む道を遮った。それは『マルコー』の尾…触手だった。

ビュビュビュビュ!

それらが一斉に溶解液を噴射する。ジュエルはこの不安定な足場で、完全に避ける術はない。
防御の体制を取るしかなかった。屈んで、腕を顔の前で交叉させた。

ジュジュワ!
「っ!」

体の数カ所に、焼けるような痛みが走る。だがジュエルはすぐ動いた。

「邪魔だ!」

2つの銀が光る。
まずは触手を片付けるようだ。

No.208

ジュエルは襲い来る触手を斬っていく。
しかし、やはり風の勢いでその速さは鈍っていたので、悪戦苦闘だった。
その上

ガックン
「え?!」

ぐらつく。『マルコー』が振り落とそうとしているのだ。この激しい飛行から、次には宙返ることが予想できた。

「っ!」
ザクッ!!

ジュエルはとっさに、剣を『マルコー』に深く突き刺した。


そして。


ゴオオオォォォォォ!!!
「くぅ…!」

天地が逆になった。
ジュエルは突き刺した剣に掴まっていたおかげで、何とか落ちずにすんだ。元に戻るまで耐えることが出来たが…
そこで気付く。

「!!グロウ、ロイ!」

2人の姿がない。ジュエルよりも迂闊には動けない状態だったので振り落とされてしまうことは容易に想像出来た。

「く…このおぉぉぉ!!」
ダッ!

ジュエルは剣を引き抜き、翼に向かって勢いよく飛び出していった。


大きく動く程、転落する危険性があったが…もう構っていられなかった。
剣が少しでも翼に届けば、斬ることができる。それだけを考えて踏み出していく。

あと、1メートル。

「届けえええぇぇぇ!!!」

ジュエルは腕を千切れる程に伸ばした。

No.209

その瞬間。ジュエルには、目に見えている風景全てがスローモーションになったかのように見えた。体がなかなか前に進まないこの不思議な感覚に、ジュエルは苛立った。
剣が翼に届くまで、

あと10センチ。

7センチ。

3センチ。

…1センチ。

「うっぉおおおお!!」



ザン!!!!

閃光が煌めく。
そして大きく、鋭い音が響き渡った。

…ジュエルは両手に剣を持って、翼の位置を通り越したところにいる。辺りは時間が止まっているかのように静かになり、あんなに鬱陶しかった風も、今では止んでいた。



そして 時が 動き出す。





バキ!バキバキバキ!!!
「ゴアアァァァァああぁ」

叫び声と共に。
『マルコー』の両翼が、根本からねじ切れた。居場所を失ったそれらは、少しゆらゆらと空中で迷った後、下へと落ちていった。そして、当然『マルコー』も。

「アアぁぁぁァ!!」

落ちる。堕ちていく。
ジュエルは何も支えがなかったため、宙に投げ出された。
ジュエルの視界全てが、空の青で支配される。

「…?」

だがその中に、小さく黒い影が見えた。それが何か理解する前に…

はっきりと声が聞こえた。



「さぁ、血祭りに上げましょう。」

No.210

太陽の逆光で分かりにくかった顔が、見えてくる。声の主であるグロウだった。ジュエルの落ちる速度より速く、降下しているようだ。

ひゅっ!

グロウが、ジュエルを追い越す。一瞬見えたグロウの表情はやはり笑顔だった。

そこに。

「よージュエル!」
「え」

高い声が聞こえた。どこから聞こえたのだろうと思っていると、

ひゅっ!

また1人、ジュエルを追い越していった。その人物は振り返って、ジュエルに親指を立てて見せていた。

「ロイ?!大丈夫か?!」
「ジュエル、サンキュな。後は任せろ!」

そう言った後、ロイも『マルコー』へ向かっていく。
ジュエルは少しきょとんとしていたが、やがてフッと表情を和らげると、着地の体勢に入るのだった。



ドオオォォォォ…ン

『マルコー』が大きな砂ぼこりを立てて、地面に背中から突っ込む。
そこにグロウは、来た。

どっ!
「ギゅ…」

『マルコー』の剥き出しの腹に、上からの蹴りを入れてやる。重力で重さを増した、強力な蹴りだ。『マルコー』は一瞬呻いた。

グロウは、ここで右手のワイヤーソードを構える。そして何とも言い難い、ひんやりとした笑顔で、こう言った。



「いい加減くたばりやがれ。」

No.211

ワイヤーソードは太陽光を反射してギラギラと光を放っていた。グロウはそれをゆっくりと振り上げる。…その光景はとても神々しいものに見えたが。

次の瞬間に、それは失われた。

ザバァ!!!

『マルコー』の腹を大きく切り開いた。よく手術でメスを使って体を切る丁寧さなどは、欠片もなかった。グロウは、赤い雨を浴びながら、さらに左手を用意する。

バシュッ!
ひゅひゅひゅん!

ワイヤーは、ついさっきできた“穴”から『マルコー』の体内へと侵入した。

「…!」

そこでグロウは強い手応えを感じたので自分の目で何があるのか確かめることにする。

ザクッ!

またワイヤーソードで“穴”を広げた。そして…そこで見えたものに、グロウは感嘆する。


「へぇ…こんなところにいたんですね。マルコーさん?」





5本のワイヤーが絡まっているのは、人の形をした肉塊だった。但し、人の形なのは上半身だけだ。下半身は内臓らしきものに埋もれていて、そこから無数の管が伸びている。管は周りにある筋肉などに繋がっていた。

「このデカブツは、ただの着ぐるみ。そういうことでしたか。」

グロウはじわじわとワイヤーを引く力を強める。

No.212

ギチッギチッ
「グ、グ…」

ワイヤーの締め付けに、人型の肉塊はくぐもった声を上げた。グロウは容赦なくワイヤーを引く。引く。引く。

バキバキ!ブチ!
「グギャアァォ!」
「っはぁ!!」

ブチィ!!

グロウの一喝で、肉塊はついに嫌な音を立てて内臓から離れたのだった。千切れた管は、中に流れていた液体を外に放出させ、ますます景色は赤に彩られた。

「さて、あとは好きに料理して下さい。ロイ。」

ぐんっ…ぐんっぐんっ

思い切り引いたワイヤーの先には『マルコー』本体の上半身があった。グロウは片手で、それをハンマー投げのように回した後。

ブン!!

『放った』。
ワイヤーを瞬時に手に戻したのだ。『マルコー』はロイの方に勢いよく飛んでいった。

…ロイは立っていた。言葉もなく。

キイィン…

『マルコー』が来る。
ロイはそれを…

「…!」
ドガッ!

上に蹴飛ばした。
『マルコー』が空高く舞い上がったところで、ロイはそれにゆっくりと1挺の銃を向ける。右手の銃だった。その時、そっと呟く。


「…終わらせるんだ。この、連鎖を。」


ドンドンドン!!!

No.213

連続で撃った3発の弾は、全て『マルコー』の胸を貫いた。3点を線で繋げば、ちょうど正三角形になりそうだ。

『マルコー』は体を重力に任せ、力なく地に落ちていこうとする。だがロイには、そうさせる気はなかった。一旦銃を腰にしまい、

たっ!

地を蹴って跳び上がった。ロイは『マルコー』に向かっていく。『マルコー』は落ちることでロイに近づいていく。
…2点が重なったとき。

がしっ!

ロイは、片手で『マルコー』の首を掴んだ。
その後、

「ハヤトおおぉ!」
ブン!!

力一杯、それを斜め下の方に投げた。


『マルコー』が行くその先には、『ハヤト』がいた。瓦礫の山の上で、今までの激しい動きが嘘のように…静かに、ただそこにいる。

分かっているのかもしれない。
今こそ全てにケリをつける時だということを。


…動き出した。



バッ!

『ハヤト』は、『マルコー』が来るのを待ったりはしなかった。もう翼はぼろぼろだったが、弾丸のような速さで、一直線に空中を飛んでいく。


「オオオォォオオアアァ!!」


叫びにも聞こえる、大きな声を上げて。



ドヅッ!!!!




とどめを、さす。

No.214

辺りは、静寂に支配されていた。

…3人は、見届けた。ハヤトの渾身の一撃を。

そして、ある場所に集った。
そこは、円形に凹んでいる地面の淵。底には『マルコー』が仰向けに倒れている。胸に3つの銃痕、腹に大きな穴を開けて。
地面からは煙が上がっていた。ついさっきまでは平らで、強い衝撃によって変形したことが分かる。ジュエルは、呟いた。

「終わった…か。」

だが。

「…………ケッケケケケケケケ」
『?!』

その奇妙な笑い声に一同は息を呑んだ。

「マぁダだぁ!!」
シュルルル!!

『マルコー』の千切れた下半身の部分から大量の触手が伸びて、ロイに向かっていく。避けられるスピードではない。

「ロイ!」
「っ!」

ロイは身構える。
その時、左腕を前に突き出した。

パシッ!!
「くっ…」

触手は、ロイの左腕に絡みついた。それはギリギリと左腕を締め付ける。潰してしまいそうな勢いだ。
『マルコー』を見る。顔の半分だけが人間になっていて、ニィ…と口の切れ込みを深くして笑っていた。

「人、造生物の細胞は…人間の肉体を吸収することで…その再生力を増す。クリ…ストファー。その体、オメガ遺伝子ごと吸収させてもらうぞ!」

No.215

ジュワァ!!
「っあ!!」

ロイの左腕を包む触手の隙間から、勢いよく白煙が上がった。即座に2人は各々の武器で触手を断ち切ろうと、ロイに駆け寄る。だが。

「?!」
ザッ

始めにジュエルが足を止めた。グロウも遅れて止まる。
何故なら、ロイが右手を真っ直ぐこちらに向けていたのだ。手のひらを見せていることから、近寄るなという合図だと、一目で分かる。

「くっくっくっく…」

ロイはうなだれたまま、低く笑い始める。そこにいる全員が同じことを思った。

「…何を笑っている?」

『マルコー』は半分の顔のままで、不快な表情を浮かべた。ロイは笑いながら、ゆっくりと顔を上げた。

「まさか、自分で引っかかってくれるとは思わなかったよ。」
「何だとおぉ?」
「…喰うがいいさ。この細胞を!」

その言葉が終わった瞬間、『マルコー』に異変が起こった。





どくん。

「うぉ?!…ぐおあぁぁ!!」

突如として、悲鳴を上げた。そして苦しみ、悶える。その姿を見て、ロイはますます笑む。

「ちゃんと効果がある。多分、お前は合成獣の細胞から出来た人造生物なんだろうな。」
「…!まさかっ…!!」

No.216

「お前なら分かるはずだ。合成獣の細胞同士を合わせたら…どうなるか。」
「まさか…まさか!合成獣の細胞を…自分に使っただとオオォ!!」
「おかげでサヤを救うことができた。だがお前の場合は違う。今のお前は完璧な人造生物。この細胞はお前にとって毒にしかならないだろう。」
「キ…サ…マ…!!」
「さぁて。どうなるかな!!」

ロイは左腕をさらに突き出した。
触手の吸収を『マルコー』は抑えることが出来ない。触手は、ひたすらに喰うことだけを本能としているようにロイの左腕を喰い続けていた。そして…『マルコー』は狂ったような声で叫んだ。

「貴様ああああぁぁぁぁ!!!」

その途端、触手がぶわっと『マルコー』全体を包み込んだ。中からくぐもった悲鳴が聞こえる。

「ロイ!奴は暴走するぞ!!」
「ち…やっぱ一筋縄じゃ行かないようだな。」

シュシュシュシュ!!

さらに大量の触手がロイに向かってきた。ロイが思わず後ずさった、その時だった。

バッ!!
「?!」

黒い影が、ロイの視界を遮った。触手は目標を変えて、それに巻きついていく。下半身と上半身は、あっと言う間に見えなくなった。

No.217

「?!ハヤト!!!」

一瞬で、ロイは起こったことを理解した。そう。それは『ハヤト』だったのだ。あっと言う間に全身が触手に飲み込まれてしまったが、触手の間からかろうじて手だけ見えてるのをロイは見逃さない。

「馬鹿野郎!!」

グチャ!!

ロイは乱暴に、右腕を蠢く触手に突っ込んだ。そしてハヤトの手を必死に探す。

ジュウウゥゥ…!!
「ぅぐ…!!!」

また白煙が上がった。
右腕には細胞が行き渡っていない。なので、左腕の数倍痛みを感じる。しかし、そんなことには構っていられなかった。
そして。

パシッ!

ロイは掴んだ。
人間らしい、暖かく、滑らかな皮膚の感触はない。骨が剥き出しの、ごつごつしている手だった。だが、それでもロイは感じた。これはハヤトの手だということを。


あの時と、同じ。


「…二度も死なせてたまるかよ…!言っただろう?俺は、お前が消えるのは嫌だ。嫌なんだ!たとえ人造生物になっても。お前は、俺の!!」




『友達ダトデモ、言イタイノカ?』




「え…?」

突然頭の中に強く響いた自分の声に、ロイは思わず声を上げた。

No.218

…その声はさらに言った。

『ソモソモ…ハヤトヲコンナ目二遭ワセテキタノハ、誰ダ?両親ヲ殺セトソソノカシ、ハヤトヲコノ地獄ヘノ扉ヘ導イタノハ、誰ナンダ?』

(…!)

ロイは、自分の目の前が真っ暗になった気がした。同時に、背中にぴったりとくっついている気配を感じる。さっきまで全くそんなものは分からなかったのに、まるでずっとそこにいたように感じられる不気味な気配。触手がロイの両腕を引っ張っているので、振り向くことも、耳を塞ぐことも出来ない。ただ…その言葉を聞くことしか出来なかった。

『友達トシテノ資格ナンテ在ルワケガナイダロウ?』

気配が、足音も立てずに動く。
それは背中から離れて、ロイのすぐ隣に来た。だがら、首を少しそっちに動かせば見ることが出来る。…汗が頬を伝った。

『オ前ニハ、ハヤトヲ救ウコトナンテ出来ナイ。…最初カラナ。』

ロイはぎこちなく、隣にいる『何か』を見た。大体その姿は声で想像がついていたが、ロイは息を呑む。


…それは、自分の姿だった。ここまでは予想通り。
しかし、今の自分より、少し背が低い。服装も違っていた。薄汚い、上下白い服。無地の上で、71という数字だけが目立っていた。

No.219

それと、もう一つ。体中が煤だらけだ。服も顔も、黒く汚れている。ロイには、すぐに理解できた。その煤は、手榴弾の爆発でついたものだと。

(これは…!)

もう一人のロイ…クリストファーの眼差しは、死者のように淀んでいたが、口は三日月のようにニイィと笑っていた。
その三日月はさらに歪んで、言葉を紡いだ。

『…また無駄に足掻いてる。そこから他人を不幸にしていることに、何で気づかない?』

そう言いながら、ロイの右腕に手をかざした、その時。

グチュグチュ!!
「?!」

触手が激しく蠢き始めた。そしてロイの右腕は急速に触手の渦へと吸い込まれていく。

「く…止めろ!!」

ロイは必死にハヤトの手を引くが、無駄だった。左腕に絡んでいた触手も、ハヤトを包むそれと一体化し、強い力でロイを引き寄せているのだ。なす術は、ない。

クリストファーは、そのままロイの体がどんどん埋まっていく光景を見て、呟いた。


『いない方がいいんだ。こんな疫病神は。』






体が、物凄く熱い。ジュエルの声が聞こえるが、何と言っているのか分からなかった。
薄れていく意識の中、最後に聞こえた『疫病神』という言葉が…やけに強く頭に残っていた。

No.220

あれから何分、何時間経ったのだろう。

「…………。」

ロイは目を覚ました。何もない闇の中でうずくまっていた。…あれに飲み込まれてからどうなったのかは分からないが、取り敢えず自分の意識は存在していた。

そこでまず思い出したのは、クリストファー、いや…内なる自分の言葉だった。



疫病神。
そう。俺は、疫病神だ。
それはずっと心の奥に隠していたコト。
ずっと気づいていない振りをしていた。

だけど、そんなことをしたって、現実は変わらない。

俺は…ハヤトに、殺しという一生背負って行かなければならない十字架を負わせた。殺しは良くないというハヤトの言葉を、それしか虐待から逃れる手段がないと押し切って…実行に移してしまった。
そこから全ての連鎖は始まったのだ。

あの刑務所に入れられて、ハヤトは人間を止めさせられた。
サヤはどんなに悲しんだだろう?ハヤトはどんなに苦しかっただろう?

俺だけ母の手によってのうのうと生き延びて。そして今。また、同じことを繰り返している。


「俺は…ここに居てもいいのか?」


ロイは闇の中で呟いた。

No.221

その時だった。ひどく透き通った声が聞こえたのは。

『クリス。』

その声は、ロイを包み込むように…とても優しく響き渡った。ロイはのろのろと顔を上げ、立ち上がって闇の中を見回す。けれどそこには誰もいない。だから声でそれが誰なのか判断するしかない。

声はまた響く。


『いや。今は、ロイ…だったかな。』
「ハヤト、なのか?」

その返事はすぐに返って来なかった。その代わり、辺りに異変が起こっていた。その異変にロイは思わず、閉じそうだった目蓋を開ける…。

「ぁ…」



さっきまで闇しかなかった空間に、無数の光が散りばめられていた。まるで自分が1人、星の海に放り込まれたと思えるような、とても神秘的な光景だった。

そして幾数の星が動く。それはロイの前に集まっていき、何かを形作っていくようだった。小さな光が集まり、大きな光となるその眩しさにロイの目が眩んだ、その時。

「そうだ。」

声は、やっと返事をした。同時に光の眩しさは段々弱まっていった。

ロイが、再び目を開き、目の前を見ると

…そこに、黒い瞳の少年が立っている。真っ直ぐロイを見つめていた。

「俺は、お前が疫病神だなんて一度も思ったことはない。」

No.222

「え…?」
「今ロイが考えてること、俺には手に取るように分かるよ。」

ハヤトは、これまでに見せたことのないような、とても穏やかな表情をしていた。ロイは少し驚いた様子だったが、すぐに俯き、しばらくの間を置いた後、重く口を開いた。

「…俺は、結局何も出来なかったんだ。あの時はお前とサヤを助けたつもりになっていたけど、違う。ただ…地獄に引きずり込んでいただけだった。」
「……。」
「俺は…お前と会わない方が良かったのかもしれない。」
「………。」
「いや、むしろ。……生まれてこない方が、良かったのかもしれないな。」

ハヤトはロイの言葉を黙って聞いていた。でも、そのうちスッと目を閉じて、ゆっくりと首を左右に振った。そして…静かに、告げる。

「俺はロイと会えて、嬉しかった。…結果なんてどうでもいいんだ。ロイは、俺を必死で助けようとしてくれた。俺を想っていてくれた。」

そう言って、ハヤトはロイの肩に右手をそっと置いた。

「…?」

その時、ロイの脳内に1つの映像が浮かんだ。

夜、激しい雨、路地裏…

いくつかの断片は、またロイの記憶を呼び覚ましていく。

「出会った時から、ずっと…」

No.223

…そこに響くのは、雨音だけ。
風景は良く見えない。2、3本の背の高い電灯が、消えそうな光で頼りなく辺りを照らしているだけだ。その電灯の光で見えるものと言えば、乱雑に置いてある大小様々なダンボール箱や、山積みのごみ袋。そこに食料を求めて、既に朽ちているごみを漁るカラスぐらいだった。

ここは、誰も通らない。誰からも忘れられているようにさえ思える…狭く、汚い路地裏。

気がつくと、ロイはその道の真ん中に立っていた。雨は激しく降りしきっているのに、何故か濡れることはない。


(ここ、は…)


その時、後ろから濡れた地面を歩く音が聞こえた。ピチャ、ピチャ、というひそやかな音だった。ロイは振り向いて、暗闇の向こうに目を凝らす。

「…………。」

そして、その姿は電灯の光に照らし出されてきた。



まず、始めに見えたのは泥だらけの素足。次に所々派手に破れている上、血で汚れている白い服だ。原型はとどめていないが、入院着を思わせた。顔は、ずぶ濡れになって垂れている茶髪が邪魔でよく見えない。ただ分かることは…それが少年だということだ。

ロイは、脳から勝手に滑り出した言葉を呟いた。

「これは…『俺』…?」

No.224

ロイは直感的に思った。これは過去の自分、クリストファーだと。両親に捨てられて1人で生きてきた…あの自分だと。
しかしやけに息が荒い。それに、よく見れば体中痣だらけだ。足は重く、引きずるように歩いている。その手には、1個の缶詰めがだけが握られていた。


(…思い出してきた。この日、俺は工場から食糧を盗もうとして、失敗して…連中にたこ殴りにされたんだっけ…。)


クリストファーはロイの脇を歩いていく。
ロイはクリストファーを目で追っていく。
互いの距離は間近だったのに、目が合うことはなかった。

ロイは、自然とクリストファーの後ろについていっていた。その背中を見つめてロイは何かを感じたようだったが、複雑なそれは言葉で言い表すのは難しかった。




ピチャ。
「?………!」

不意に、息を呑む音と共にクリストファーの足が止まる。…ある一点を見つめていた。


「おい。お前、大丈夫か…?」

そして、クリストファーはしゃがみこんだ。


…壁にもたれて俯いている、黒髪の少年に向かって。


クリストファーが何度呼びかけても反応はない。どうやら意識がないようだ。

No.225

その少年は、同じくボロボロだ。体の至る所に切り傷らしきものがあった。殴られたような痣もたくさんある。そして、何よりクリストファーが驚いたのは

「!」

少年の首だった。
そこには、縄の痕がついていた。首を締められたことが一目で分かる。その酷い痕に、クリストファーは眉根を寄せた。微かに息はあるが、この雨の中放っておけば最悪の場合死ぬだろうことが予想できる。

「…………。」




その時だ。クリストファーに、ある気持ちが生まれたのは。その気持ちは、人として当然のことのはずなのに…クリストファーは戸惑いを感じているようだった。
ロイも、それを思い出す。



こんな所で誰かを助けている余裕など、ないのではないか。



今まで、クリストファーは自分が生きることしか考えたことはなかった。自分さえ助かれば、他人はどうでもいい。だから孤独だ。誰かと関わることなんて、ない。


そうだ。そうやって生きてきた。


それなのに、何故?


「…チッ」

少しして、クリストファーは少年の体を起こし、背負った。
そして、また歩き始める。さっきと同じ方向に。
ゆっくり、ゆっくりと。


…ロイは、遠ざかる背中を眺めていた。

No.226

風景が、霞んでいく。
辺りは色を失い、雨音も消えていった。
静かに崩れゆく世界の中で、ロイは独り言のように言う。

「…俺はこの時、お前に会ったのか。」

そして、周りは完全に闇に包まれ、何も見えなくなった。




『そう。』
「…!」

その透き通った声で、ロイは目を開いた。すると、黒髪の少年…ハヤトが、目の前で自分の肩に手を置いていた。

「この時、出会った。」
「…俺、寝てたのか?」
「まあな。」
「……。」

ロイは少しだけ恥ずかしくなり、黙り込む。ハヤトは軽く声に出して笑っていた。その後、ハヤトの笑い声が小さくなっていき、少しの間が出来た。

星の海を、静寂が支配する。それはつかの間の、少しだけ和らいだ雰囲気を壊してしまうようだった。

ハヤトは、ロイの肩から手を離して、視線を逸らす。

「俺は…ロイがいなければ、本当に独りだった。」

ハヤトはあさっての方向を見てから、そっと呟いた。

「ロイは、もう覚えてないかもしれないな。何で、俺があんな所で倒れていたのか。」
「覚えてる。…両親の、虐待だろ。」

ロイは躊躇して言葉を紡いだ。


「いや、それだけじゃない。」
「え?」

No.227

「街の奴らだ。…あの日は殺されかけた。」
「街の、奴ら?」
「あぁ。最低な両親のお陰でな。」

ハヤトは、ロイに目を合わせないまま、少し下を向いた。そして吐き捨てるように言う。

「家が情報屋だった。人の秘密や弱みを捜査して売る、汚い職業だ。そして…そんな事をやっているうちに、アイツ等は脅迫者にまで成り下がった。民間、警察、国家。ありとあらゆる所で、脅迫を繰り返していた。」
「……。」
「だから、ルノワール全体の恨みを買ってる。それが、俺に降りかかって来ただけのことだ。両親は俺達を道具としか見てなかったから、勿論助けてくれることはなかった。」
「そんな。じゃあ…!」



そこで、ハヤトはゆっくりとロイを見た。笑顔が、幾数の星の光で蒼く照らし出されていた。儚いような、切ないような。しかし、ひどく優しい…笑顔が。



「言っただろ。俺は、本当に…………独りだった。」



ロイは何も、言えない。どんな言葉をかけていいのか、分からない。

「ハヤト…。」
「辛かった。悲しかった。独りでは何もできない。妹を守ることさえ、できない…。」

ハヤトは、その両手に握り拳を作っていた。

No.228

「俺は救われたんだ。」

そこでハヤトは、まるで自分の表情を隠すように、ロイから顔を背けた。

「俺は忘れない。ロイがあの時ボロボロになってまで手に入れた、1個だけの缶詰め…笑って俺に差し出してくれたことを。自分が生きるための…とても貴重なものだったはずなのに。」


その時不意に、ロイは自分の右手に固く冷たいものが握られているのを感じた。さっきまで何も持ってなかったはずだ、と思いながらも右手を見てみる。

…そこには、缶詰めがあった。色も形も、あの日手にした時とそっくりだった。

(え?)




顔を上げると、いつの間にかまた風景が変わっていた。薄暗い、よく分からない場所だ。ただ分かったのは、そこに少し驚いた表情をして自分を見ている、ハヤトがいたことだけだった。


そして… 自分は 右手に持っているものを…







「本当に、本当に…嬉しかった。ロイだけが…」

言葉が途切れ途切れになる。
熱いものが、込み上げて来て。
溜まっていたものが溢れ出してくる。
ハヤトは、それを抑えることが出来なかった。

そして堰をきったように言った。

「ロイだけが…俺に、手を差し伸べてくれたんだ!」

No.229

ロイは全てを思い出した。
ハヤトとの出会い。サヤとの出会い。互いに励ましあって生きてこれたこと。一緒に笑い会えたこと。まるで、灰色しかなかった風景に鮮やかな色がついたように、それまでの日々とは全く違うものだった。
どんなに苦しい時でも、乗り越えることが出来た。…独りでは、ないのだから。

ハヤトは涙を流す。それは孤独という名の闇を打ち破る存在に巡り会えた、喜び。

ロイも涙を零す。
その時になって、やっと気づくことができた。

自分の気持ちに。


「たとえロイが、この結果を招いたのだとしても…かまわない。ロイは俺を『生かして』くれたんだ。死んでいるも同然だった、俺を…。」

そう。
自分も寂しかったのだ。
そばにいてくれる人間が、欲しかった。

ハヤトは続ける。

「…友達になってくれた。」
「!」

ロイはハヤトの言葉に、息をのんだ。

「俺は、ハヤトの友達でも、いいのか…?」
「ああ。たった1人の、友達だ。そして、俺はロイの友達。そうだろ?」
「ハ、ヤト…。」

ハヤトは再びロイに笑顔を向けた。

「だから。友達の前で、生まれてこないほうが良かったなんて…悲しいこと、言わないでくれ…。」

No.230

自分の犯した罪を、赦してくれる。
こんな自分を、友達と言ってくれる。
ロイの心の中で、何か暖かいものが溢れ出ていた。言葉に出来ない、何かが。

だから、ロイは真っ直ぐとハヤトを見て、自分も優しく微笑み返した。そして…その最も単純な一言で自分の気持ちを表現したのだった。




『有り難う。』




バッ!!!

突然、一面の星空が眩しい光に包まれた。光は全ての闇を切り裂き、真っ白な空間を作り出す。ロイの目は、眩んだ。

「くっ…」
「道は、開いた。」

その声でロイはうっすらと目を開けて、ハヤトを見た。ハヤトの体は、白い光に包まれている。どんどん光は強くなり、その姿が見えなくなっていくようだった。

「ハヤト!」
「さあ。目を醒ますんだ。俺がアイツを抑えている間に。」
「な…」
「早くしないと、ロイまで取り込まれる!…ロイには、まだ待っている人間がいる。こんな所で死んではいけない。」

その言葉で、ロイの脳裏にジュエルとグロウの面影がよぎった。ロイは、少し沈黙する。

だが、その時だった。

ガシッ!

ロイは右腕を伸ばし、掴んだ。
今にも消えてしまいそうな、ハヤトの腕を。

「!…ロイ!」
「…行かせない。」

No.231

「お前にだって、いるじゃないか。待たせている奴が。俺だって、その1人だ。」
「!」
「言ってることとやってることが、滅茶苦茶なんだよ。…お前は。」

ロイは力強くハヤトの腕を引っ張った。

「もう…繰り返さない!」











「…?」

ジュエルは一旦両手の剣を降ろす。静かになったそれを見て、眉を潜めていた。

「暴走が、止まった?」

…『マルコー』の動きが止まったのだ。それは、ロイとハヤトを呑み込んでから5分程後のことだった。

「ロイが、実験動物の細胞がどうとか言ってましたけど。あの人造生物は恐らくその塊でしょう。それを喰ったわけですから、効果は高いかもしれませんね。」
「じゃあ、あの2人は…もう…」

ジュエルは、最後まで言うのを止めた。言いたくなかった。

辺りはそのまま静寂に包まれた。


と、思われたが。


「?」

ジュエルは何かに気づいた。それは本当に微かなものだったが、確かに感じ取ることが出来た。

「どうしました?」
「何か、聞こえないか。」

グロウも聴覚に集中して、聞き取ることができた。『マルコー』の中からだった。
地の底から沸き上がってくるような声。それは段々大きくなっていくようだ。

No.233

声は、はっきり聞こえて来るまでに至った。それでジュエルは声の主が誰であるかを理解した。

「この声は…ロイ?!」
「やれやれ。つくづく、生命力の強い人ですね。」

グロウが言った後、2人の前にある触手の塊は一変した。



「ォォォォヲヲヲオオオオ!!!!!」
ブチブチブチ!!
ズシャアアアァ!!!

獣の叫びのような凄まじい声とともに、蠢いていた何十本もの触手が千切れ、液を吹き上げた。その飛沫は激しく飛び散り、赤い霧を作り出す。

霧の中、ジュエルは見た。中心に立っている、血塗れのロイの姿を。…1人の、裸の少年と一緒だった。うなだれている少年の腕を自分の肩に回す形で、ロイは少年の体を支えていた。

ジュエルは、思わずロイの名前を叫び、まずそこに駆け寄ろうとする。



だが。

ザッ

ジュエルは 足を止めた。

(え?)

ジュエルは一瞬、何故自分が足を止めたのか分からなかった。しかし足はそれ以上動こうとはしない。

「!」

グロウも、異変に気づいたようだった。グロウが見たのは…ロイの左腕だった。

「ロ、イ…?」

ジュエルは無意識に呟く。同じく、ロイの左腕を見て。

No.234

ロイの左腕は…人間の形を失っていた。黒く変色した皮膚の下にある筋肉は、異常に肥大化している。そして、巨大な手の平の先にぶら下がっている、5本の鋭く尖った爪からは、ベットリとついた血が滴っている。
その爪で大量の触手を断ち切ったことが、容易に想像できた。

ロイの息はとても荒く、肩を激しく上下させていた。その時、一番近くにいたジュエルの姿がロイの目に映った。

「ジュ、エル…!」
「!」
「こいつを、ハヤト…を!俺から遠ざけろ…!!」

ロイは腹から絞り出すように、精一杯の声を出した。しかしジュエルは少し躊躇する。

「ロイ…大丈夫か?」
「いいから、早く!!!」
「…っ!」

その一喝で、ジュエルはロイの元に走った。そして素早く、ロイのすぐ隣にいる少年の手を引き、背負う。あとは、後ろに跳びずさった。

ジュエルは少年を瓦礫の陰に寝かせ、その傷だらけの体を見る。

(キサラギハヤト、か。もう虫の息だぞ…)

その時。

「グ…ォァアアァア!!」

また、獣じみた叫び声が聞こえてくる。ジュエルは舌打ちをした。

恐れていた事態が、こんなにも早く起こってしまった。

No.235

ジュエルは、一旦ハヤトを置いて、ロイの所に戻る。そこには…

「ゥォォォオオアアァ!!!」
ドガ!ドガッ!!ドガッ!!!
ガラガラガラ…

狂ったように左腕を振り回すロイがいた。地面を砕き、時々辺りにある廃屋の壁などを壊し、瓦礫の山を増やしていた。





「…ははははははは。」

突然、無機質な笑い声が聞こえた。ジュエルはちらりとそちらの方を見る。…『マルコー』だった。見れば、下半身からどんどん砂と化していっていくようだった。その中まだ残っている上半身が言う。

「素晴らしい…素晴らしいぞ、クリストファー。我が息子よ!お前の細胞の中に確かに感じたぞ…あの心地いい感触。オメガ!人造生物の細胞に侵されることなく、尚残っているその遺伝子!!」
「…………?」

ジュエルは眉を潜めた。

「残念ながら私は見届けることが出来ないようだ。しかし今に始まる。」

『マルコー』は、もう上半身も砂になり、首だけになった。


「輝かしい、終末の時が!!………はははははははは………」





その一言を最後に。『マルコー』という存在は、完全にこの世から消え去った。

No.236

ぶわっと風が巻き起こった。…砂は宙を舞い、虚空の彼方へ消えていく。

「………。」

グロウはただ黙って、それを冷めた目で見つめている。
ジュエルは訳の分からない話に、呆然とする事しか出来なかった。

(………オメガ、遺伝子?)



ドッ

その時、乾いた音が響いた。その音でジュエルは我に返る。即座に振り向き、探した。そして

「!」

見つける。前に倒れているロイの姿を。左腕は、大きく脈打っていて今にも再び暴走を始めそうだった。ロイは、まるで言うことを聞かせようとしているかのように、左腕を右手で押さえていた。

「ち…くしょう…治まれぇ…!!」

走りだそうとしたジュエルの肩に、グロウが後ろからぽんと手を置く。

「落ち着いて下さい。言うまでもありませんが、左腕を切り落としても無駄ですよ。」
「…分かってる。そんなこと、やりたくもない。」
「じゃあ、もう気づいてるんですね?唯一の解決法に。」
「…?」

グロウはある方向を見た。
…瓦礫の山があった。だが、目的はそれではない。瓦礫の裏には、ハヤトが。

「…っ!」
「細胞には細胞、ですよ。」

No.237

ジュエルは、グロウに向き直った。

「ロイはキサラギを命がけで助けた。その意味が無くなってしまう。」
「でも他に細胞の素はありませんよ?早くしないと、ロイは完全に腕に乗っ取られるでしょう。」
「くっ……」




「待って。」




『?』

後ろから突然高い声が聞こえ、ジュエルとグロウは振り向いた。古びたブラウス、プリーツスカート。ショートカットの黒髪を風になびかせ、その少女は静かな表情をしてそこに立っていた。ジュエルは少し驚く。

「キサラギ…サヤ。まだ、ここにいたのか?」

ジュエルの問いに、サヤはゆっくりと頷く。

「ずっと、見ていました。」
「…よく無事でしたね?大したものです。」

グロウは何か面白いものを見るような目で言った。しかし、サヤの表情は揺らがない。ルノワールに来て最初に見た彼女とは、全く違う雰囲気を纏っていた。

「兄さんが、守ってくれましたから。」

サヤはそっと呟くと、ロイの方に歩き始めた。

「おい!迂闊に近づくと…!」

ジュエルが止めようとしたが、サヤは無視して歩みを進めた。

「私にだって…出来ることがあるはず。」

No.238

目が霞む。鼓動がうるさい。体中が痛い。体力が全て左腕に吸い込まれていくような苦痛にロイが悶えている中、上から声が降ってきた。


「クリストファー。」
「…!」

ロイはそれに反応し、首を持ち上げようとする。しかし体が言うことを聞かないため、それだけの動作をするのにもかなり時間がかかった。ロイのぼやけた視界に、微かにサヤの顔が映る…。

「サヤ…?」
「クリストファー、私。」

サヤはぐっと言葉を呑み込んだ。それから少しの間ができた。ロイは掠れる声で訴える。

「サヤ、近付くな…今すぐ離れろ…っ!」

しかしサヤはロイの言葉に応えることも離れることもしない。黙って、左のブラウスの袖を捲り上げ始めた。そして剥き出しになった腕を、ロイに見せる。

「!」

一部ではあったが、青黒い痣のようなものが、ズクンズクンと脈打っていた。

「まさか、消し切れて…いなかった…?!」
「…違う。分かるの。あの時クリストファーがくれた細胞は、今も私に宿っていた細胞を打ち消してくれている。これももうじき消えるわ。」

サヤはしゃがみ、目の高さをロイに合わせて…言った。

「だから、今のうちに。」

No.239

「お願い。私の血を使って。」
「…っ!」

サヤの腕を見たときから、彼女が次に何と言うかは大体分かっていた。しかし、やはりロイは動揺を隠せなかった。
そう。今自分の左腕を治まらせるには、細胞を含んだサヤの血を…取り込むしかない。しかも、サヤの体に残っている細胞は僅かだ。自分の細胞の量と釣り合わせるには、大量の血が必要になるだろうことが予想できた。

「止めろ。そんなことしたら……くっ!」

ロイは上半身だけ起こすが、すぐにバランスを崩す。それを、サヤがすぐに支えた。軽いロイの体を仰向けにし、そっと自分の膝に載せた。

「私ね…全部思い出した。兄さんが、私をあの竜巻から守ってくれた時に。兄さんはあんな姿になっても私を守ってくれた。………それで分かったの。もう、手遅れだったんだって。私は兄さんとクリストファーを止められなかったんだって…。それは私に出来たはずのことなのに……出来なかった。」

その時サヤの顔は逆光でよく見えなかったが…ロイは見た。

彼女の目に溜まった、涙を。

「だから今度こそ。私は、私の出来ることをしたい。もう後悔なんてしたくないの!」

「サヤ…」

No.240

サヤの目からこぼれた雫が、1滴。2滴。音もなくロイの頬に落ちる。
ロイはもう動けなかった。サヤの顔を、かろうじて開いている目で見つめていることしか出来ない。

「だから。」

その中、サヤはロイの腰のあたりに手を伸ばした。真っ直ぐと進むその手は、何かを取ろうとしているようだった。
…ロイの腰にはベルトが巻かれているだけだ。そこで彼女に取れるものは1つしかない。

それは、ベルトにさしてある
1本のナイフ。

「…!」
「だから…せめて。」

シャキン


サヤはロイのナイフを抜き取る。それをそっと自分の首にあてて…言った。


「これくらいのことは、させて。」





その時。
ロイは、時が凍りついたように感じた。風で舞い上がる砂埃も、少し遠くにいるジュエルとグロウも。そして、目の前のサヤも。
動きが止まっている。



このまま時が動き出せば、確実にサヤは死ぬ。
…ロイはそれしか思わなかった。それが原動力になったのかもしれない。


止まった時の中、動かないはずの自分の右腕が動いた。

それは自然と、サヤのナイフを持つ手に伸びていく。
ゆっくり、ゆっくりと。


そして

No.241

パシ。

その音は大きめに響いた。
ロイが、サヤの右腕を掴んだのだ。自分の行動を止めたそれに、サヤは少し驚いた顔をしていた。ロイは息を切らしながらも、強い力でサヤの右腕を握りしめる。

「ったく…もうこんなの…見飽きたぜ。」
「…。」
「サヤ。ついさっき…俺は、気付いたんだ。この狂った世界に来てしまったのは…誰のせいでもない。」

ロイは、言葉を紡ぐ。途切れ途切れに。時折呻きながらも。ただ、サヤに伝えたかったのだ。


「皆…『生きたかった』だけ。普通に…生きていたかっただけなんだ!」


「!…」

サヤは、微かに息をのむ。

「ハヤトも、サヤも。世の中の全てに見捨てられ…いつ殺されてもおかしくない世界から、本当に抜け出したかった。…そうだろ?…だからハヤトとサヤは両親殺しを止めきれなかった。そして…俺は、失いたくなかった。力を合わせて…生きてきた仲間を。独りで…野垂れ死ぬのが、怖くて。ただただ…必死になって…。」
「クリス…。」



ロイは 少し沈黙した後


精一杯の笑顔をサヤに向けた。



「1人で、責任を感じるのは…、もう止めようぜ。そんな必要は、もうないんだ…。」

No.242

「それにまだ終わったわけじゃない。やり直せるんだ。俺達が生きている限り…。だから、」


ロイは意識が朦朧とする中、自分の手をサヤの手に重ねて…優しく引く。サヤの腕は、既に力をなくしていて、簡単にナイフを首から下ろすことが出来た。


「サヤも生きて…俺も生きる。もちろんハヤトも一緒だ。そのために…少しだけ。…少しだけ力を貸してくれないか…?」


サヤは、手に持ったナイフを見る。手の甲から感じられるロイの温もりで、再び目の奥が熱くなるのを感じた。
…そして。

「…………。うん。」

微笑んで、頷いた。
その声を聞いて、ロイはゆっくりと目を閉じる。

「…有り難う。」






サヤはナイフを動かす。

それで 自分の左腕に 
スッと傷をつけた。

血が吹き出る左腕を
ロイは ぐっと引き寄せ、

その傷に 口を…







「…。静かになりましたね。」

…グロウは、遠い2人の姿を見ていた。そこからはサヤの背中と、それに少し隠れるロイの体しか見えない。

「一体何をしているんでしょう?」

ジュエルもそれを見ていたが

「…さあな。」

やがて、背を向けた。

No.243

その後の記録


兵士達の死闘によって、ルノワールは人造生物による完全壊滅を避けることに成功。ニトロ爆弾も、使用はせずに済んだ。
ルノワールの住民全員を地下に避難させることで、死者0人、重傷者2人、軽傷者6人と人命の被害も最小限に留めることが出来た。

また、KKの調査により、人造生物繁殖及び群襲来の主謀者はマルコー=ガーラントと発覚した。マルコーは地下研究施設で、20年前に途絶えたはずの研究、実験を続けていたらしい。後になり地下研究施設はKKによって爆破されたが、そこから多数の合成獣の死骸と人造生物を集めたと思われる特殊電波発信機が発見された。動機についての詳細は不明。
KKは、マルコーを危険人物と確定して処分したが、ルノワール住民は、信頼ある国の責任者と唯一の医者を失ったことにひどくショックを受けたようで、各地で起こった騒動の鎮圧には長時間を要した。我が国はこれに対して、医療チームの派遣と新たな指導者確立のための援助を行うことを決定したが、1部の住民の反発は未だ治まることがなく、完全に治めるのは難しいことが予想された。

No.244

…朝の柔らかな光が、開いた窓から差し込み、そこから入り込んだそよ風がカーテンをふわりと揺らした。

「………。」

ロイが、目を醒ます。
まず見えたのは白い天井だった。ロイはしばらくそれをぼうっと見つめているだけだったが、近くで寝息が聞こえたのでそちらに目を移した。すると、椅子の上でサヤが眠っている。その左腕には包帯が巻かれていた。

「……サヤ。」

ロイは重い半身を起こして、呼びかけた。それが返ってくるのは期待していなかったが、

「…ん…」

小さく声が聞こえた。だから、ロイはベッドから少し乗り出してもう一度その名を呼んだ。

「サヤ。」



サヤはうっすらと目を開ける。そして、ゆっくりとロイの方を見た。

「…クリストファー?」
「サヤ…無事で、良かった。」

ロイがそう言うと、サヤは一呼吸おいた後

微笑む。


「それは、こっちの台詞でしょ?」


「…。」

朝日に照らされたその笑顔のあまりの暖かさに、ロイは一瞬身動きが取れなくなったような気がした。サヤはそんなロイを見て、

「腕、まだ痛む?」

と聞く。

「………。いや…。」

ロイは視線を逸らした。

No.245

「!」

その時、ロイは今更のようにその事に気付き、自分の左腕を見た。それは、ちゃんとした人間の形をしていた。
サヤは言う。

「腕が元に戻ったと同時にクリストファーは気を失ったの。…覚えてない?1週間も眠ってたんだよ。」
「……。」



どくん。



「でも、本当に良かった。あのまま目を醒まさないかと思った。腕も…もう大丈夫、だよね?」
「……………。」



どくん。



その鼓動は、さっきからロイの中で聞こえていた。ロイは、左手を握ったり開いたりしてみる。

…直感的に思った。



完全には治っていない。
まだ細胞は生きている。


でも。

「あぁ。もう、大丈夫だ。」

ロイはそれを口に出したりはしなかった。サヤのとても嬉しそうな顔を、壊したくはなかった。それにもっと重要なことがある。



「そうだ…ハヤトは。ハヤトはどうなったんだ?」
「!…」

サヤは一瞬言葉を詰まらせる。
そして、少しだけ俯いた。
ロイはその動作を見るだけで、血の気が引く感じがした。それ以上聞くのがとてつもなく…怖い。

「無事、なのか…?」
「…………。」


長い沈黙の後、帰ってきた答えは。

No.246

「…別の部屋に、いるよ。」

それを聞いた直後、ロイはベッドから跳ね上がった。

「本当か?!じゃあ、」

そう言いながら床に足をつけて、立ち上がろうとしたが…かくんっと膝が折れる。

「う、わ!」
「クリストファー!」

そのまま前に倒れそうになったのを、サヤが何とか支えた。その後ロイの体をベッドにゆっくり戻す。

「まだ無理しちゃだめだよ。今起きたばっかりなんだから。」
「っ…すまない。」
「それに、今は…。」

また、サヤは黙り込む。
ロイはそんなサヤの様子に眉を潜めた。

「サヤ?」
「………。」



その後もサヤはしばらく何も口にしなかったが、

やがて意を決したように話し始めた。



「…兄さんの、体のほうは奇跡的にヒトの細胞が残ってて、今それを増やすように治療してるそうなの。でも、脳の損傷が…酷いらしくて。お医者様の話では…もう意識を取り戻すのは…………」


サヤはそこで言葉を切る。…限界だったのだ。しかしその後にどういう言葉が続くのかは、十分に理解できるものだった。


そして ロイも言葉を失った。

No.247

2人は 沈黙する。

今では珍しい鳥の鳴き声が聞こえた。風が僅かな木々をゆらす爽やかな音も、よく聞こえる。麗らかに降り注ぐ日差しにさえ、音があるように感じられた。


「………でもね。」


そんな透き通った空間に、サヤの小さな囁きが響き渡り、ロイは俯いていた顔を上げた。

「兄さんは目を醒ますよ。だって、聞こえるから。」
「…?」

サヤは窓の方を向いていた。そこから入ってきた風が、サヤの前髪をそっと揺らす。

「兄さんの、声が。私の名前を昔みたいに優しく呼んで…きっと戻ってくるって。きっと3人で全てをやり直そうって。だから、私は待つよ。いつか兄さんは…帰ってくるから。」
「…………。」

ロイはしばらく呆けた顔をしていた。

しかし、やがて目を閉じると…ふっと笑った。

「ハヤトも言ってたな。そんなこと。」
「え?」
「言ってたんだよ。サヤが自分を呼ぶ声が聞こえるって。」
「兄さんが…?」
「ああ。きっと、サヤが呼んだから。ハヤトはサヤを守ることができたんじゃないかな。」
「私が…呼んだ…。」

ふとロイも窓の外を見て、言った。

「今、俺にも聞こえた気がするよ。あいつの声が。」

No.248

上を見れば淡い青が空を埋め尽くしている。時折吹く風が、とても涼しい。

ここは、ある庭だった。芝生が地面を敷き詰めていて、何本か木も生えている。後ろには大きな白い建物が立っていた。
建物の前の所々にはベンチが置いてあって、そこに座っている人影が…1つ。
ジュエルだった。

目を閉じていた時、後ろから芝を踏む音が聞こえてくる。振り返る気は起こらなかった。それが誰なのか、予想はついていたからだ。

「おはようございます。ジュエル。」

予想が裏切られることはなかった。

「…おはよう。グロウ。」
「こんな所にいたんですか。不用心ですよ?またルノワール住民に襲われるかも。」
「ここは俺達の国で厳重に管理されてる。」
「用心はしておくものです。…ところで。まだロイは目を醒まさないのですか。」

ジュエルは白い建物のほうに振り返り、見上げる。

「……そうらしいな。」

その拍子にグロウの姿も目に入り、

「…」

ジュエルは少し沈黙した。目の前にいる人物は…大きな帽子にサングラス。それに長いコートを着ていた。夏なのに、とても暑苦しそうな格好だった。

「用心ですよ。」
「…むしろ不審だぞ。」

No.249

「そうですか?けっこう気に入ってるんですけど。…似合ってません?」
「…………。」

グロウが帽子のつばをクイッと上げてみせる。ジュエルはどう反応していいのか分からず、ただ黙って見ているだけだ。
だから、グロウは次の話を切り出すことにした。

「それはそうと。明日の早朝、僕達軍はルノワールを出発するらしいですよ。」
「…ロイはどうするんだ?」
「お構いなしです。目を醒まさないなら僕達で『ヴィマナ』まで運ぶしかないですね。」

やれやれ、という感じでグロウは肩をすくめて見せた。

「まあそんなわけで。…大して見る場所もないでしょうが…最後にルノワールを回って見るのもいいんじゃないですか?」

ジュエルは1つ溜め息をつくと、グロウから目を離し、地面に目を落とした。

「………俺はいい。ここでロイを待ってる。」
「そうですか。暇だと思いますけどね~…。じゃあ僕は行ってきます。」
「その格好。少し直していけよ。」
「……。ジュエルがそう言うなら仕方がありません。」

グロウはそう言うと、その場から立ち去っていき…ジュエルが残される。

ジュエルは再び風の音に耳を傾け、口を開くことはなかった。

No.250

太陽が真上まで上る頃。…重い音をたてて、病室の扉が横にスライドした。ジュエルは扉の奥にある姿を見て言う。

「ロイ…起きたのか。」

ロイはベッドに半身を埋めながら、驚いた顔をしてそこに立っているジュエルを見た。軽く片手を振って、

「おはよ。」

と挨拶した。

「腕は。…大丈夫なのか。」
「あはは。やっぱ見舞いにくる人間っていうのは、みんな同じことしか言わないな。」

ロイは両手を組み、思い切り前に伸ばしながらそう茶化した。ジュエルは扉を閉める。ベッドに向かって歩き、間近な所まで行ったところでピタリと止まった。

「……。大丈夫なのか、と聞いている。」

ジュエルは溜め息をついて、重く呟く。その重さに、ロイは少し反応したようだ。沈黙し、何かを考えている。ジュエルは答えを急かすことなく、じっと待っていた。

そして。

「ジュエルとグロウには…話しておくべきかもしれないな。」
「…………。」

ロイはその切り出しで話し始めた。自分の腕に細胞が混じった経緯。それによって誰が助かったか。また、腕が完全には治ってないということも。

ジュエルは何も言わず、ただ静かに耳を傾けていた。

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