シオモテ

《一話》

「…黒野と申します。以後、お見知りおきを」

昼下り、突然やってきたセールスマンは清々しいほどの笑顔で名刺を差し出す。しかし、アパートの住民は彼の話に機嫌を害したのか、頭をかきむしりながら溜め息をついた。

「あんたねぇ。俺を馬鹿にしてるのか。夢のような商品って…今時、小学生でもくいつかねぇぞ」

田平勝彦、35歳、製造業の派遣社員である。収入は不安定、彼女いない歴も年齢＝である彼ははっきり言って、人生爛漫とは言い難かった。この古びたアパートに住み込んで早数年、今まで色々な会社が、教材だの浄水器だの…売り付けにきたが、目の前の男は真顔で、夢を叶えてくれる商品を売りにきたのだと言う。田平が警戒するのも無理はない。これほど胡散臭いセールスは他にはないでだろう。

「そうでしょう。そうでしょう。お客様、疑われる気持は分かります。いい大人が《夢》など戯言を言っているのですから、ですが！本当に我が社の商品で貴方様の人生が変わるのです！」

「……」

声をあらげるセールスマン。田平は、黒野の馴染みやすそうな人柄に、ついつい抵抗なく玄関に入れてしまったのだが、招き入れたことを今更ながら後悔していた。

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>> 1 《1-2》

「分かった。分かった。おたくの商品の凄さは十二分にな！俺も暇じゃねぇんだ！出て行ってくれ！」

「お客様、せめて、商品を見てからでも。どんな夢でも叶えて見せますので」

戯言についに我慢の限界を超えた田平は黒野を外へと押し出す。詐欺ならばもっと現実味がある話に出来ないのであろうか、こんな話に騙されるのは生粋の馬鹿ぐらいだろう。田平はまさか、自分があんな話にひっかかるほど馬鹿な人間に見られたかと思うと無性に腹が立つのであった。

「いい！二度と来るなよ！」

怒りを通り越し、半ば呆れながら、外から戯言を繰り返す黒野に罵声を浴びせる。

「お客様！サンプル品を外に置いておきますので、良かったらお使い下さい…」

固く締められたドア越しに黒野はそう最後に叫ぶとコツコツとリズムが良い足音を立てながら去っていった。

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>> 2 《1-3》

「アイツ、こんなものを置いていきやがって」

田平は黒野がいなくなったのを覗き窓から確認し、ゆっくりとドアを開ける。ドアノブにはドリーム社と書かれた袋が、ぶら下がっていた。

躊躇することなく袋を手にとり、捨てようとするのだが、なぜか、ふと、田平の手が止まる。不思議な感覚が襲い、その手は袋の中身に伸びていた。

袋には小包が一つ入っており、包装にはこう書かれていた・・・

《服用後、一時間の間、他人の心の声を聞くことができます。飲みやすい錠剤タイプ。３粒入り。》

「くくっ」

文章に目を通すうちに田平は笑っていた。少年時代の淡い記憶がよみがえり、当時、夢見た話のようで、おかしくて堪らなくなったのだ。

もはや怒りなど忘れ、小包の中身が気になってしょうがなくなり、気づけば小包を開いて、錠剤を手にしていたのだった・・・

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>> 3 《1-4》

「いつからだろうなぁ。こんな事が、バカバカしくなったのは…」

少年時代に誰しもがもっていた純粋な心。しかし、社会の荒波に呑まれていく中、皆、知らないうちに失ってしまった心。

人は経験を積むことによって成長していく。だが、時に経験は先入観を植え込み、創造性を乏しくさせ、その者の考えを狭めてしまう。

無理だの。

不可能だの。

初めから出来ないと決めつける。

社会の常識にとらわれ、疑いを持ってしまう。

しかし、もしも、その疑い、否定してしまった物事が本当だった…出来るとしたら…人はどうするのであろうか。

「こんなもので…人の心の声がきけるわけない…ないよな」

風邪薬と何ら変わらない錠剤を手の平で転がしながら呟き、田平は一気に錠剤を飲み込む…

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