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ノンタ( 5ayN )
08/12/06 16:44(更新日時)

今までの、私の過去。過去に狂わされた現在を書きたいと思います。文章力がないので見苦しいですが、見てくださり心が開ければ、本当の自分が見つかればと思います

No.1158460 08/08/23 23:28(スレ作成日時)

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No.1 08/08/23 23:39
ノンタ ( 5ayN )

自己紹介から
私は怜27才、医療関係の仕事をしている。そして、母、私と双子の弟、下の弟、妹の五人家族だ。
私はあまり家族と過ごした記憶がない。思い出したくないのかもしれない・・・
小さい頃から?とくに今は人の顔色をみて毎日を過ごすことが多い。失敗したくない。怒られたくないと思いながら、こんな自分が嫌だ。助けて

No.2 08/08/23 23:42
ノンタ ( 5ayN )

私はいつからか家族の中でただ一人私だけ母から虐待されるようになった。身体的虐待、ネグレクト。今なら保護されるであろうけど、その頃は皆見て見ぬふり。私も知られたくなかった。

No.3 08/08/23 23:50
ノンタ ( 5ayN )

生まれたときから市営団地に住み、五才ぐらいまでは父とも暮らしてたんだと思う。父が居たときも叩かれたりしたが父が居なくなってから酷くなったような気がする。たぶん母も離婚、年子と言っても過言ではなく一人で四人もの子供を育てたんだから、ストレス溜めてヒステリックになるのも分からなくはない。とくに双子の弟が病気もちで入退院を繰り返したり、手術したりと大変だったんだろう。そのはけ口が私に来たのだ。双子なのに病気もせずに、普通に暮らしてた私が許せなかったのか、真意はわからないが

No.4 08/08/23 23:58
ノンタ ( 5ayN )

私は1240gと超未熟児でこの世に生をうけた。弟も食道閉鎖症、気管狭窄症という病気で生まれてすぐに母と離れ二人とも転院した。弟は転院先で手術し、成功し何ヶ月後には退院したが私は体重の増えが悪く弟よりあとに退院したのだ。その頃は両親一緒に親戚も私、弟を可愛がってくれてたのだと思う

No.5 08/08/24 00:05
ノンタ ( 5ayN )

私が一番の良い思い出に残ってるのは、三才ぐらいのときか夜中にお腹が痛く泣いてた私を 父が帰ってくるまでお腹をさすってくれてた事だ。その手が暖かくて安心できた。父が帰ってきてすぐに病院に連れていってくれた。しかし、その暖かかった手も数ヶ月も経つと凶器に変わってた。

No.6 08/08/24 00:14
ノンタ ( 5ayN )

ある日、兄弟がおやつを貰ってるのに、なぜか私だけ貰えない。なんで、別に悪い事してないよね?母が少し台所から離れたとき、ラムネが目に入った。こっそり子供部屋にもっていき、封を開けようとしたとき、母が部屋に入ってきた。
慌てて、後ろに隠すも、手を引っ張らればれてしまった。突然母が怒り狂った。そのラムネだと思ったものが薬だったのだ。怒り狂った母は私の生尻を真っ赤になるまで叩きベランダに、ほうり出した。その後の事は覚えてないが今となれば怒られて当たり前な事をしたんだなって思う。

No.7 08/08/24 00:31
ノンタ ( 5ayN )

それが、これからの虐待生活の始まりでした。ある冬の寒い日。歩いて保育園に行ってたが、母と弟は手袋をつけ、手を繋ぎ私を置いて足早に歩いていく。私は追いかけたが間に合わない。足がもつれ転倒しても振り向きもせず歩いていく。私は痛さと寒さで大声で泣いたのを覚えてる。ある日は兄弟皆が積まれてた布団で遊んでいたのに、私だけおもちゃの機関車を投げられ額が切れた。その時、さすがに母はまずいと思ったのか、タクシーで病院までいった。保育園の時の一番の思い出は、保育園で高熱を出したとき、母は忙しいと迎えに来てくれなかった。保母さん達は[弟君のときは急いで来てくれるのに]と言ってたのを覚えてる。その日は父が迎えに来てくれた。それから、父はあまり家に寄り付かなくなった。

No.8 08/08/24 00:35
ノンタ ( 5ayN )

酷い文章力で、すみません。思い出しながら書いてるので文章がバラバラで読みにくいとは思いますが、小説になってないと思いますが読んでくださる方に感謝し、頑張って書いていきます。末永くお願いします

No.9 08/08/24 01:02
ノンタ ( 5ayN )

保育園の頃は、優しかった母も居た。お腹をさすってくれたのは、もちろん近所の子と三輪車で遊んでたとき溝に落ちて大声で泣いたとき、すぐに家から飛び出してきて介抱してくれたこと、それぐらいしか思い出さないがこの頃は虐待されてるなんて思ってなくて母の事が好きで普通の生活を送ってるような気がしてた。今になってこの時から虐待を受けてたんだって思うまで。

No.10 08/08/24 01:35
ノンタ ( 5ayN )

一番酷かった小学生時代。入学式のときは私の体より大きいランドセルを背負い。教科書を入れたら後ろに倒れてしまい。母は心配そうに[大丈夫?]なんて言ってくれて嬉しかったのを覚えてる。でも嬉しかった思い出も、ここから先はない。初めての運動会のとき、棒に新聞紙を丸めたのを使って演技する種目があったんだけど、それを親に作ってもらって練習するんだけど弟だけ作って貰って私にはなかった。先生達はなんで弟が持ってきてるのにお前は持ってこないんだと毎回言われた。それから先生達には忘れ物をする子とレッテルを貼られた。二年生のときは、お風呂に入れてもらえなくて、この時代にシラミにかかった。この時の担任が良い人で放課後に私の頭ジラミを一つずつ取ってくれた。何十匹もいた。でも、そのことを一緒の学校にいた親戚のお姉ちゃんの元に連絡をし、おばちゃんから母へと知らされた。母は恥をかけたと私に言った。文房具を買って貰えない私は、こっそり財布から千円盗んだ。そして学校の向かいにあった文房具店で消しゴム、色鉛筆など買った

No.11 08/08/24 01:47
ノンタ ( 5ayN )

うちは貧乏だった。この頃の私は知らなかった。千円がなくなったことはすぐにばれ、最初から母は私が盗んだと決めつく担任に連絡が入った。母は嘘をつき怜の貯金箱からお金がなくなったとイジメられてるのか心配だと私が盗んだのが分かると実は家の財布から盗んだと担任に言った。その日先生はポケットマネーで私に千円を渡した。たぶん酷いことにならないようにということで出してくれたんだと思う。今でも先生のことは忘れません。
先生から貰った千円を持ち母が帰ってくるのを待った。
おかしい帰ってくるはずの兄弟が帰ってこない! 夜になり母とともに兄弟達が帰ってきた。殴られると思ったのに何もしてこない。皆して私を無視する。夕食も抜き、この家には私がいない存在になっていた。殴られたほうがましだ。

No.12 08/08/24 01:52
ノンタ ( 5ayN )

四年生になりクラブ活動が始まった。私はバスケットボール部に入りたかったが弟が入ったからと母に反対され音楽部に入った。その年の運動会。夏限定のチアガール部に友達に誘われ入った。母に反対されながら入ったが、放課後の練習に出させてもらえず、その年の運動会は散々だった。近所のおばさんには笑われ、母には、ダンスがめちゃくちゃやった。また恥かかせてと言われ落ち込んだ。

No.13 08/08/24 01:57
ノンタ ( 5ayN )

五年生になり、うちが貧乏だと思い知らされた。給食費、教材費を滞納してたのだ。集金袋を出すと殴られた。先生からの連絡帳に、お金を払わないと怜さんが肩身の狭い思いをしていますと、いらんこと書くからまた殴られた。そんなこと書かないでよ。私は何も思ってない。あんたがそんなこと書くから殴られたじゃないか。

No.14 08/08/24 02:04
ノンタ ( 5ayN )

私はいつも殴られ蹴られていた。母が側を通るだけで殴られ蹴られた。兄弟達はリビングでテレビ見てるのに私はテレビを見ることも許されず兄弟達と話す事も許されず八畳間で服やらゴミ、本で埋めつくされ足の踏み場もない部屋で電気も着けることを許されず一人でいた。必ず正座で。様子を見に来て本をみたり正座を崩してると殴られ蹴られた。私が目が悪いのは隠れ暗闇で本を見ていたせいだ。

No.15 08/08/24 02:08
ノンタ ( 5ayN )

トイレに行くことも許されなかった。ギリギリまで我慢して、トイレに行きますと言い駆け込むも外からドアを叩かれ、早よ、出てこいと言われる。ドアを開けるタイミングも重要だ、母が離れたのを確認してでないと開けたとたん殴られる、ドアをおもいっきり閉められ指を挟むこともある。

No.16 08/08/24 02:14
ノンタ ( 5ayN )

食事も私だけ違う。冷やご飯に卵焼きが定番だ。そのせいで今は卵焼きが食べれない。小学校の低学年までは、兄弟と一緒に食べてたが、もちろん兄弟は温かいご飯にいっぱいのおかず。たまに私の食事を忘れられることもあった。八畳間の部屋で呼ばれるのを待っていなければいけない。高学年になると廊下に正座で床にご飯を置かれ食べさせられるようになる。

No.17 08/08/24 02:17
ノンタ ( 5ayN )

高学年になると朝から洗濯物を干すように言われる。干してるあいだも遅いと殴られた。ゴミ捨ても私の仕事。重いから何回かに訳ていかなければならない。冬の朝はまだ暗いので怖くて仕方がなかった。怖がってるのを母はベランダから笑って見てた。

No.18 08/08/24 02:23
ノンタ ( 5ayN )

学校以外で外に出ることを許されなかった。友達、兄弟は外で遊んでるのに、私は掃除、洗濯をし家の中で過ごすしかなかった。母は必ず電話をしてくるので外で遊んでるとばれてしまう。このころの楽しみは隠れてテレビをみること!窓から映像がもれると、まずいのでカーテンを閉めて音量を下げて見てた。一回カーテン閉めるの忘れ母にばれ殴られたことがある。

No.19 08/08/24 02:25
ノンタ ( 5ayN )

昼間に寝ることも許されなかった。一度寝たときはめちゃくちゃ殴られ蹴られた。

No.20 08/08/24 02:35
ノンタ ( 5ayN )

夏休みは最悪だ。外にはいけず、家事をやらされ、何かあると殴られた。側にある物、箒、掃除器、缶などで。一番嫌だったのが昼飯だった。兄弟の弁当を母は作り仕事に行くんだけど、[私達、兄弟は小柄で少食なため]全部食べてないと帰ってから怒られる。兄弟もけっこう母に怒られ手を挙げただけで頭をかばうようになっていた。だから私に残った弁当を母が帰ってくるまでに食べろと言ってくる。私も最初は食べたことない物とか昼飯がなかったので嬉しくて食べてたけど毎日となると辛い。最終的に家の裏にある雑木林に捨てていた。

No.21 08/08/24 02:44
ノンタ ( 5ayN )

小学高学年から私の精神も、おかしくなってたんだと思う。なぜ私だけ、私なんて生まれてこなければよかった。生きてても仕方がない。と思うようになる。殴られ蹴られたあと八畳間の暗闇で頭を掻きむしり、床に頭を打ちつけたりもした。その光景を見た母は少し心配したみたいだが、その姿をみるたびまた、殴られた。家出も考えたがあとから見つかれば酷い目にあう事を想像しやめた。自殺も考えリスカやったりカーテンレール、ドアノブに紐をくくり首を吊ったが、なぜか私が死んだあとの母、兄弟の事を思うと死ねなかった。信じてたんだ。母が愛してくれてるって私が死んだら悲しむってだから私は悲しむ姿を想像したらできなかった。今となれば死んでたほうがよかったのかなと思うこともある。

No.22 08/08/24 02:57
ノンタ ( 5ayN )

>> 21 おばあちゃん。私達家族をいつも外食、旅行に連れていってくれた。でも私は外食が嫌いだった。いつもお寿司を食べさせてくれるんだけど私だけ母の命令でお寿司を食べることを許されず、いつも親子丼を食べさせられていた。だから親子丼も今は嫌いだ。おばあちゃんは母から虐められてるのなんて知らないから変わった子といつも言ってたが可愛がってくれた。でも双子の弟には男の子、長男ていうことで私より多くお小遣を渡してたのにはショックを受けた。どうせ、私なんて、私なんていない方がいいんだって捻くれた気持ちになった。

No.23 08/08/24 02:58
ノンタ ( 5ayN )

ここから、中学生、高校生編をお送りします

No.24 08/08/24 11:30
ゲスト ( 30代 ♀ XIQSh )

>> 23 続きを早く読みたいです。私も小さい頃から家庭環境に悩まされ、今は今でいろんな悩みや苦しみを抱えてます。
主さんの携帯小説を読み何か感じとれたらと思ってます。最後までお付き合いさせて下さい。

No.25 08/08/24 15:04
ノンタ ( 5ayN )

ゲストさんレスありがとうございます。私と同じような家庭環境で過ごされた方に、また今そのような環境で過ごされてる方に生きててよかったと思っていただければと書かせていただいてます。時間はかかりますが、これからの小説を何か感じながら見ていただければと思います。

No.26 08/08/24 22:05
ノンタ ( 5ayN )

中学生になった私。一番この頃の自分が嫌で消し去りたい。この頃から大人が信用できなくなり、嫌いになった。入学したての頃は、やんちゃな先輩に憧れ悪ぶってみたが体が小さい私にはぜんぜん似合わなかった。

No.27 08/08/24 22:17
ノンタ ( 5ayN )

中学では、小学校のときの友達も一緒で、それなりに楽しく過ごせると思ってた。家での出来事を忘れさせてくれる場所だと思ってた。しかし、中学校では成績のいい子、スポーツができる子に先生は期待を寄せ、私みたいな成績が悪い子には見向きもしなかった。 えこひいきされるようになった。私は部活にも行かせてもらえなかったので(運動部に入りたかったが反対された)友達皆が部活で汗を流してるのを横目でみながら、急いで家に帰るという毎日を過ごし、特別仲が良い友達もできなかった。それなりには学校では友達と好きなアイドルの話で盛り上がったり、騒いだりはしたが、なんか面白くなかった

No.28 08/08/24 22:30
ノンタ ( 5ayN )

私は中学校の先生が嫌いだ。上辺にしか人を見なくて中身を見ようとしない。見た目だけで判断する。ある日の球技大会。私は勉強もできなくて、走ることも苦手だったが、球技だけは友達が絶賛するほど上手かった。ドッジボールに出たんだけど活躍した。その光景を他の球技種目の審判してた担任は知らず三者面談の時に『お前は逃げ回ってただけだろ。ちゃんとしたのか』と母の前で言った。正直ムカついた。お前はなんにも知らないくせに・・・と
あるときは、班長になった私に『○○がリーダーからまとまらないんだ。まぁ、そのメンバーだから仕方がないか』
運動会でリレーのアンカーになり負けたとき『ため息をつき、アンカーにするんじゃなかった』など言われ傷ついた。大人、先生が信用できなくなった。

No.29 08/08/24 22:36
ノンタ ( 5ayN )

学校でも楽しいことはなく家に帰ってもこき使われ、殴られ蹴られという生活が続き、もっと死にたいと思う気持ちが強くなった。この頃の私は、以前のように笑わなくなり殴られても泣かないようになっていた。以前は殴られ、泣き喚いていると母が『また近所に聞こえるくらい、大袈裟に泣きやがって、そんなに痛いんかぁ。○○は可哀相って近所に思わせたいんやろ。皆言うてるは、またお母さんに虐められてる可哀相にって』と言われなからボコボコにされていた。この時の私は・・

No.30 08/08/24 22:46
ノンタ ( 5ayN )

この時の私は、自分なんてどうでもいい、このまま殺してくれたらいいのにと思い殴られ蹴られ、感情を表さないようにしていた。虚ろな目をし、どうにでもしてくれ状態だった。そんな私を見てよけいに腹を立て暴力は激しくなった。ある日顔に傷を作り学校に行ったが母には『ぼーっとしてたら壁にぶつかったと言っておけ』と言われた。でも私はそれじゃあ通じないだろうと先生には『デキモノができて』と説明した。しかし、道で先生と母が会い、私が言ってた説明と食い違うのに疑問にも思わず、そのままにされた。 この生活から抜け出したい。逃げ出したい

No.31 08/08/24 22:57
ノンタ ( 5ayN )

感情を出さないようにすると痛みを感じなくなった。その分無気力にもなり学校に行きたくなくなった。母が仕事にでるまで、団地の下の長い階段に隠れ時間を見計らい家に帰ったりもした。遅刻も増え早退もするようになった。そして家で一人でいるときは自分を傷つけ、顔を拳で殴ったり、腕を切り付けたりした。双子の弟が傷に気づき、『死ぬなよ』と一言だけ行った。小学生のとき、母にボコボコにされた後、下の弟から『お前が悪いからじゃ』と言われ大声で私が『死んでやる』と叫んだのを覚えてたのかもで知れない。私にとって兄弟は大切な存在だった。母がいないときは普通に話かけてくれ外で遊べない私と家でキャッチボールとかしてくれたり、音楽番組など録画して、こっそり見せてくれたりもしてたから、下の弟に言われた一言に傷ついたのだ

No.32 08/08/24 23:13
ノンタ ( 5ayN )

皆驚くかもしれないが、私は母、兄弟にも敬語を使っていた。名前を呼ぶときは、君、ちゃんをつけて呼んでいた。私は弟、妹から呼び捨てだ。友達から見たらおかしいなって思われていた。うちの家じゃ当たり前だ。
なんの楽しみもなく中学校生活が最後になる三年生のとき、私が変わるある出来事が起こった。保育園から一緒だった同級生の死だ。衝撃的だった。皆泣いた。もちろん殴られ蹴られても泣かない私までもが、人の死を目の前にし、泣いた。その子は心臓に病気があったのだ。私達同級生は知らなかった。普通に体育祭にでて運動していたからだ。あとで知ると皆と同じように動きたいとの思いで体育祭にでてたようだ。その時に私は気づいたのだ。私は甘えてるんじゃないのかって、その子は生きたくても生きられなかった。私は生きていけるのに自らの手で自分を傷つけ命なんてなくてもいいなんて思ってるなんて最低だって!軽々、死なんてを使ってる自分に腹が立った

No.33 08/08/24 23:31
ノンタ ( 5ayN )

それからの私は死という言葉を発しなくなった。暴力は振るわれ無気力なのは変わりなかったが・・死は選ばなくなったが自分を傷つけ生きてるって感じを確かめることは止めれなかった。そうこうしている内に高校受験を考える時期になっていた。将来なにになりたいんだろう?子供が好きなので保母さん、それか看護師。でも私は諦めていた。今の成績ではどの学校に行けないとわかってたし、以前クラスの男子に看護師になるって行ったら『お前がなれるわけないだろう』と言われキレてカッターナイフで自分を傷つけた(私は昔からキレたら抑えがきかなかった)友達が止めてくれその場はおさまったが、そんなことする私に看護師なんて向いてないと思い、高校進学、それ以前に卒業したらどうするかなんて考えもしてなかった。

No.34 08/08/25 00:30
ノンタ ( 5ayN )

突然、進路説明会(私は恵まれてるのか双子の弟がいたから学校の行事など母は来ていた)から帰ってきた母に呼ばれ『怜、看護師にならないか』と急だったのでびっくりしたが進路説明会に行き考えたのだと・・私はちょっと嬉しかった。私の将来のこと考えてくれてたんだと、自分も看護師になりたいと思ってたこともあるし、母からの薦め(反発することができなかったこともあり)もあり、衛生看護科がある高校に進学することに決めた。それからは受験勉強まっしぐらで、家で勉強ができない分、学校の休み時間をつかい成績の良い子に教えてもらい勉強した。

No.35 08/08/25 00:48
ノンタ ( 5ayN )

皆より私の受験日は早かった。他県の私立高校、昼間定時制の高校を選んだため、一番早く受験した。私がこの高校を選んだのには、私の成績ではこの学校しか受けれなかった。他県ということで、母から離れられる。小さい時からいた地元を離れ新たな私を見つけられればと思い選んだ。
受験の日、幼なじみの友達も受験するので、その友達とそのお母さんと新幹線に乗り受験会場に向かった。そのときに母が作ってくれたお弁当におにぎりが入ってたんだけど、それが最高においしかった。友達の分も作ってくれたんだけど、友達、そのお母さんにも『美味しい。さすがお弁当屋に勤めてるだけあるね。力が湧くね』と言われ私は泣きたくなるほど嬉しかった。合格発表まで、ドキドキした。落ちてたらこの先の人生どうしよう。また今までと変わらず悲惨な生活に突入するのだろうかと。発表の日が来た。合格発表は学校に封筒が届くんだけど母が、結果分かったらすぐに連絡するようにと十円玉を渡してくれた。昼過ぎに結果がわかり私は泣きながら母に『合格しました』と伝えると『よかった』と喜んでくれた。また母の温もりを感じれた。

No.36 08/08/25 01:01
ノンタ ( 5ayN )

卒業式。式の最中のことは覚えてない。泣いたのか泣いてないのか。ただこれで友達とはお別れなんだなって感じた。みんな『頑張りよ』と言ってくれた。式が終わりみんなで写真を取り巻くった。特攻服来た子もいたが、私達の年代は、今までにないくらい優秀だったみたいで、すごい不良はいなかった。しかし、この時も、私は惨めだった。みんなカメラを持ってるのに私だけ持ってない。撮られながら無理やり微笑んだ。帰りに友達が親と帰っていくなか、母はいなかった。先に私置いて帰っちゃったんだ。友達のお母さんが『怜、一緒に帰ろう。お母さん弟と友達と先帰るって、車には定員オーバーで乗れないし、男の子の中じゃ可哀相だから、おばちゃん、怜、頼むって言われてん』と
私はホッとした。暗くなった気持ちが明るくなり忘れられてなかったんだって!

No.37 08/08/25 01:14
ノンタ ( 5ayN )

卒業からは忙しかった。親戚への挨拶。荷造り。新しい布団、服など生活用品を買ってもらった。この時は暴力振るわれた記憶ない。いや卒業してからは身体的虐待はなくなった。私は母から離れる不安と新たな生活でウキウキしていた。
でも家計は厳しかったみたいだ。奨学金を受けるはずだったのに中学校の手違いで申請期限が切れていた。母は必死になって学校の先生に『怜が高校にいけなかったらどうするんだ』と電話した。三年の時の担任は受け持ちのクラスの子には甘く。 かわいかったのか、責任を感じ入学金を出してくれた。先生は怜にお金を、預けると言ったみたいだか母は、そこまでしていただくんだから私が受け取りにいきます。と学校へ来た。そのお金は私が成人したら分割で返すと言う約束で入学金をたてかえて貰った。ありがたい。感謝しています

No.38 08/08/25 01:21
ノンタ ( 5ayN )

高校の説明会。母と行った。緊張したけどガン飛ばしてくるやつがいるから負けじと睨み返してやった。その帰り母が言った。『私の隣にいた親子上手く行ってないみたいだね。一言も話さなかったし、離れてた。お母さんの目も冷たかった』となんか嬉しかった反面、お前もだよって思った

No.39 08/08/25 01:37
ノンタ ( 5ayN )

>> 38 私が行く高校は昼間定時制、看護科であり、かならずどこかの病院に就職しなければいけなかった。学校説明会が終わり学校からの紹介で30分ぐらいの医院に面接に行った。着くまで最悪だった。学校の事務員の説明が悪く。電車で行けは30分のところバスの行き方を教えられ1時間以上もかかり到着した。私は乗り物酔いをするほうで着いてすぐに吐いてしまった。母は事務員に怒り私の背中をさすってくれた。
面接を受け感じのいいところだったのでここに就職することに決めた。小児科、産婦人科、内科がある病院だ。

No.40 08/08/25 02:00
ノンタ ( 5ayN )

>> 39 とうとう家から出る日が来た。なぜか今まであった出来事がフラッシバックのようにでてきた。ここで書いたことはもちろん、幼い頃、3階のベランダから落とされようとした事、だから私は高所恐怖症だ。髪の毛が伸びてボサボサになり、美容院にも行けず自分で髪切ったこと。あの阪神大震災が起きた後、今まで子供部屋で寝てたんだけどそれ以降母も交え一緒に寝て、ことある事に寝てる私を踏んだこと、私には布団がなく、兄弟の布団と床の間に寝てたこと。しかも仰向けになれず、仰向けになるとお腹を見せることになるから本能的に横になってた。あとは私が寝るスペースがなく常に横にならないと寝れなかったこと。思い出すのは最悪な出来事ばかりだ。やっぱり母を恨んでいた。

No.41 08/08/25 02:07
ノンタ ( 5ayN )

母の車で、これから私が過ごす病院の寮まで行った。散々な目に合わされながらもなぜか母と離れるのが寂しかった。荷物を下ろし、婦長さんに挨拶をすませ玄関を出てこれで母とお別れというとき、母から手をだし、握手を求めてきた。私は戸惑ったが手をだした。しっかりと握ってくれて温かくて初めて母から私に触れてくれた。『頑張って』と、私はその場では『うん』としか言えなかったが、母が立ちさると、寂しくて部屋に戻り泣いた。

No.42 08/08/25 02:13
ノンタ ( 5ayN )

それから私は部屋の片付けをし広い部屋を見渡した。一人部屋だが広すぎる。今まで狭い部屋で家族五人で過ごしてたから、落ちつかなかった。家ではのけ者にされてたが家族が側にいたんだと思うと私はもしかして幸せ者だったのかもしれないと思った。三つ上の先輩は優しく数日間は、私が寂しい思いをしてるだろうと先輩の部屋で寝かせてくれた。人の温かさにふれ、安心して休めた。

No.43 08/08/30 23:01
匿名 ( ♀ GYmL )

一気に読みました。更新待ってます✨

No.44 08/08/31 12:20
ゲスト ( 30代 ♀ XIQSh )

再度すみません。更新楽しみに待ってます!

No.45 08/09/01 01:31
ノンタ ( 5ayN )

お待たせしました。この頃過去のことを思い出し何になるんだろうと思いなかなか筆が進みませんでしたが、見て下さる方がいて下さるので頑張って書いていきます。最後までよろしくお願いします

No.46 08/09/01 01:33
ノンタ ( 5ayN )

これから高校生活の始まり!友達、先生と上手くやっていけるか不安だ。
この生活で現在の暮らしを脅かすことも知らず、楽しみもあった。

No.47 08/09/01 01:41
ノンタ ( 5ayN )

入学前に病院の仕事が始まった。そこにいた学生は四人。うちの学校は一学年約70人、二組に別れA、B組に分かれて午前中、午後と週替わりに学校に行くことになっていた。私はA組。二、三年の先輩はB組四年生(定時制のため四年制)の先輩はA組とシフトが同じだ。その先輩が良くしてくれ何も分からない私に色々教えてくれた。礼儀、挨拶やら基本的なことだ。内気な私も気に入られようと頑張った。だから看護師さんにも医者にもそこの奥さんにも気に入られた。

No.48 08/09/01 01:46
ノンタ ( 5ayN )

入学式の日親友のAと待ち合わせ、教室に入った。工場で働いてる子がクラスの半数いたんだけど『おはよう』と大きな声で言ってきた。正直引いた。
入学式が終わり久しぶりに母とAのお母さんとAで食事に行った。何日ぶりかに逢ったのでうれしくてしゃべりまくった。周りから見ても普通の母子の会話。

No.49 08/09/01 01:54
ノンタ ( 5ayN )

学校での私は中学のときと違って、すごく明るかった。自分からも発言した。先生達も生徒が皆親元を離れて過ごしてるからか、温かく見守ってくれなんでも相談にも乗ってくれた。初めてのテストが返ってきたとき中学では取ったことない点数をとった。クラスで四位『頑張ったね』と先生が言った。得に頑張ったとは思わないが、クラス全体にあんまり頭が良い子がいなく私でもトップクラスにいれた。でも一番は母から離れ授業に集中できてたからかもしれない。

No.50 08/09/01 02:02
ノンタ ( 5ayN )

学校生活にも慣れたとき母から離れられた解放感なのか学校では伸び伸び好き勝手なことをしていた。調子に乗ってた。嫌いな先生の授業には何か言われると言い返し、教科書も開かず、友達とおしゃべりし授業妨害をしていた。案外楽しかった。それでも先生は厳しく怒らずにいてくれた。一年生の面談のとき『やることが子供だね~』と笑いながら言われた。学校ではそんな私でも職場では良い子ちゃん。門限も守ってたし成績もいいから真面目と思われていた。私はここを追い出されたら行くとこないから、そうしてた

  • << 51 職場では真面目な私も学校では羽をのばし、楽しかった。初めての給料日。母との約束で二万円は家に振込むとの約束で振込み、授業料などは残りの給料で払っていた。自分が好きなように使えるお金があると嬉しく友達とアイドルのシールや下敷きやらを買った。
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