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神社仏閣珍道中・改
神社仏閣巡り珍道中・改
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No.37 19/03/05 10:17
旅人
あ+あ-

前述のとおり、奥の院、じつに鍾乳洞になっておりました。


「開山以前より霊窟の鐘乳石は、自然に生れた[十一面観世音菩薩]の後ろ姿として拝まれておりました。
かつて下野の国司が子宝に恵まれないことから、この鍾乳洞に21日間籠り観音様に祈念したところ男子を授かり、この子が後に出流山を開祖し、日光山の開祖でもある勝道上人であったといわれております。
上人はこの尊像に深く帰依し、二十歳にしてこの霊窟で三か年修行、やがて男体山の登拝、日光山を開創したといわれております。
さらには820年、空海が勝道上人の徳を慕って参詣し、この岩窟への参詣だけでは難儀であろうと当山の銘木で千手観世音菩薩を造立。千手院として称えたのが、今の満願寺といわれている」


縁起から、この十一面観世音菩薩さま、子授け・子育て観音として多くの信仰を集めているとのことですが、奥の院への道のりはじつに1.5km。

以前奥の院が女人禁制だったこともあり、女性の方は山道にある女人堂でお参りをしたといわれております。そうは言っても女人堂までもそれなりに足元が悪く、私などは子授けを希望したとしてもここまでの参拝、考えなかっただろうなぁ。実際、「私は女人だからもうここで参拝させていただくのでいいと思う」と申したくらいでありますし。

無言で私を置いて歩き続ける夫。これは私にもきちんと参拝するようにという意思表示なのでしょう。((;д; ) 私にすれば足腰の悪い夫をいたわっての発言なのでありますが。┉多少は。

やっとたどり着いた奥の院も、本当にまだ見上げる位置にあり、つづら折りの階段を上ってようやくようやく、たどり着くものであります。
奥の院が鍾乳洞であることには本当に驚きました。。┉正直に、正直に申し上げれば、どう目を凝らしても、十一面観音さまだと認識できなかった私でありました。
ただ一つ、これだけのみごとな鍾乳石を崇め奉る気持ちだけは理解できます。本当に長い年月をかけてできた大きな大きな鍾乳石であります。
なんとも申しわけない未熟者の参拝で、正直すまない思いを抱きました。ですが珍道中、素直に今感じたことそのままを綴ることも大切なのではないかと思い、そのままを書き記しておきます。
┉いつの日か、素直に、ありがたい十一面観音さまと拝する日が来るかもしれません。



      平成三十一年三月三日   参拝


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