関連する話題
神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編(ふたたび)
神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編
神社仏閣珍道中・改

神社仏閣珍道中・改

No.25 19/02/27 07:50
旅人
あ+あ-

今回参拝させていただいたのがその【織田家七代の墓】のあります、
【崇福寺】さんであります。


┉こうして出来上がった小幡藩は、織田家七代に亘って続き、二代信昌により藩政が固められました。
五代信右の頃藩財政が赤字となり、七代信邦の時に幕府による尊王論者弾圧事件に連座して蟄居され、弟の信浮が家督を相続し出羽高畠藩に移されました。
これにより織田家の小幡藩藩主は実質七代で終わり、その後は松平家が藩主を継ぎ、廃藩置県まで藩は続きます。

「織田家七代の墓」はその後もここ、群馬県甘楽町に残り、奉られてきました。

もともとは、さきに記した旧領主小幡家の菩提寺でもあり格式も高い寳積寺さんが菩提寺でありました。
四代信久が急に廃寺であった崇福寺を三年間で改築し、臨済宗に改めて菩提寺とし、寳積寺から先三代の墓石をここに移したのだそうであります。しかしその後1758年に焼失、再建後の1871年に失火により全焼してしまったようです。墓石の破損はその時に生じたものと言われているようです。
現在の崇福寺さんは墓所に隣接して建っておりますが、元々は墓所の前にある広い土地にあったようであります。

ここ織田家の墓所にはには信長の次男信雄を初代として七代が葬られています。崇福寺境内には二代信良と七代信富を除く十代信美までと、四代小幡藩主信久の実父高長に位牌が祀られた「織田氏位牌堂」もありました。


┉正直、織田宗家にあたる墓所を守るお寺としては小さなお寺さんであります。境内に陸続きに建つお家は何軒かあったのですが、ご住職のお住まいかどうかわかりませんでした。それでもご位牌を祀る位牌堂があるおかげで、参拝させていただくと必ずその立派なご位牌も拝することができます。

元々の寺跡地は現在公園を造る工事をすすめていました。
賑わうことがよいことかどうかはとにかく、公園ができる頃にはお寺さんも少し変わっていかれるのかもしれません。




    平成三十一年 二月二十三日   参拝

25レス目(500レス中)

新しいレスの受付は終了しました

関連する話題

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧