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No.24 19/02/27 00:18
旅人
あ+あ-

群馬県に織田家。


ぼーっと生きてる私、おそらく夫が夫にならなければ知らなかった事実┉この場合は史実ですかね┉です。
あの誰もが知っている織田信長の子孫が群馬の地に移り住み、そこ┉群馬県甘楽郡小幡を治めていたなんて!夫に初めて連れてきてもらったときは本当に本当に驚いたものでした。
群馬県民なら誰もが知る【上毛かるた】にすらあつかわれていないのです。まあ、上毛かるたの成り立ちを知った今、それもまた当然だったことのようなのですが┉。


戦国時代のスーパースターとも言える織田信長。
本能寺の変で長男信忠と共に討たれ、信長の孫秀信の死をもって織田家は滅亡したかのように思われますが、フィギュアスケートの織田信成氏の登場で、信長の子孫がクローズアップされましたが、
信長の次男信雄が、信長には縁遠い関東の、世界遺産となった富岡製糸所に程近い、群馬県甘楽町を治めていたということでありました。

秀吉の小田原征伐後の1615年、織田信長の次男・信雄には大和宇陀藩と上野甘楽郡が与えられ、信雄は大和に入り、上野甘楽郡は信雄の四男で信長の孫にあたる信良に任せ、小幡藩を立藩させたということであります。
小幡藩立藩にあたり信雄は藩邸に付属する庭園の築庭を命じましたということで、いま、その跡地が【楽山園】という、その趣を残した庭園となっています。小幡藩の城下町もその当時を偲ぶことのできるところを残した、素敵な昔ながらの町並みであります。



ここに連れてきてもらった時は、もう子供たちが育ち巣だったあとのこと。
たしかに子供にはおもしろくもない庭園ではありましょうが、いずれ大きくなったとき必ずや心に残ったものになったと思うのに、
不器用な夫はそんな自分の知識や興味ある歴史を語ることなく、子育ての頃はまさに企業戦士のごとく仕事優先で、休みの日は全力で(?)休むような人でありました。(あ、いまもまだまだ現役でありますが)

もっと子供たちに伝えて欲しかったな。本当に惜しんでも惜しみきれないことであります。
群馬県に織田信長の子孫が移り住んでいた、なんて知ってることってすごい知識だと思うし、誇らしい史実じゃないのかなぁ。┉凡人、どころかおバカな私にはわからないけど。



    ┉続きます。



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