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神社仏閣珍道中・改
神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編
神社仏閣巡り珍道中・改

神社仏閣珍道中・改

No.23 19/02/26 10:55
旅人
あ+あ-

寳積寺さんは修行道場として栄えたお寺さんだったようであります。

境内には大きな、┉直径三メートルくらいでしょうか(┉違っていたらごめんなさい)イビツな半球の、人が手足を広げてゆったり寝られるほどの岩がありました。その岩にはなんとも物騒な【天狗の腹切り石】という看板が掲げられています。
1563年に寳積寺合戦という戦さがあったようで、
そのとき外敵と応戦した僧侶が二メートルを超える巨体であったようで、当時としてはずば抜けて大きなその身体つきから天狗の異名で呼ばれ、そのときその方がこの岩の上で切腹されたということで、そのことから天狗の腹切り石と呼ばれて今なお供養されているようであります。
また、その合戦の折、諸堂に火を放たれたようで、現在の御本堂はそのためその後築かれたものとなるのでしょうか。

その岩はもともと僧侶たちが座禅などを行う、修行の中心の地であったということであります。


また、当時この辺りの城主から寵愛をうけた女性の壮絶な秘話、【お菊さま伝説】。言葉を失うほど壮絶な最期を遂げられておられました。若冠19歳。
その美しさや聡明さ、片時も離さないほどのご寵愛から奥方や他の腰元の妬みをかい、城主の留守に山中で、石で造られたものに毒蛇やムカデとともに閉じ込められて亡くなられておられます。その恐怖たるや、想像を絶するものであります。
そのときの城主は小田原攻めの際行方知れずとなり、小幡家は絶えてしまったようです。
その後織田信長の孫がこちらの城主となったようで、その菩提寺ともなったようであります。

参道石段の脇には【身代り地蔵さま】が優しい笑みをたたえてたたずんでおられます。その昔、薬などない時代に、その身を薬のかわりとして削られて、背部は大きな空洞となっておられ、頚も大きく削られておられました。あまりにも痛々しいお身体の石仏さまであられました。その痛ましいお姿に心痛めた方が、お地蔵さまに三角巾で包帯をされていたのがまた印象に残りました。


そこここに植えられた垂れ桜の頃には早すぎではありましたが、足元に咲く色鮮やかな福寿草の黄色が、心なごませてくれた、寳積寺さんでありました。



   平成三十一年 二月二十三日   参拝

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