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神社仏閣珍道中・改

No.235 19/07/03 19:53
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鎌倉幕府を倒し、【建武の新政】をうちたてた【後醍醐天皇】に反旗ををひるがえした【足利尊氏】は湊川(みなとがわ)に勝利して京都を制圧し、後醍醐天皇は比叡山へと逃れました。

しかし比叡山で籠城を続ける事が不可能と判断した後醍醐天皇は、皇太子の恒良(つねよし・つねなが)親王に皇位を譲り、自らは尊氏とかりそめの和睦します。
恒良親王と異母兄の尊良親王を新田義貞に託して北国へと落ち延びさせます。

敦賀に入り、越前金崎城(福井県敦賀市)で本拠を構える義貞でしたが、翌・延元二年・建武四年(1337年)三月、足利軍の猛攻を受けて、金崎城は陥落してしまいます。
この時、たまたま援軍要請のために杣山城(そまやまじょう=福井県南越前町)にいた義貞と、その弟【脇屋義助】(わきやよしすけ)は難を逃れましたが、留守を預かっていた義貞の長男【義顕】と尊良親王が自刃し、なんとか脱出した恒良親王も、ほどなく捕えられてしまいます。

金崎城の陥落後は、世は足利一色に傾いていきますが、義貞は杣山城に陣取って全軍を再編成し、再起をはかります。

それを受け尊氏は、越前国府(越前市)に攻撃軍を派遣、しばらく、両者のこう着状態が続きますが、延元三年(建武五年・1338年)二月に、ついに、義貞が国府を落とします。

義貞軍は、さらに支城を次々と攻略、たちまちのうちに越前の大半を制圧します。やがて五月に入り、義貞は、足利軍の総司令官である斯波高経(しばたかつね)の籠る足羽城(あすわじょう=福井市)の攻略に取りかかります。

越後(新潟県)に本拠を置く新田勢も越中(富山県)へと侵出し、高経ら足利軍を挟み撃ちの態勢、足羽城の陥落は時間の問題と思われていました。

延元三年(建武五年・1338年)閏七月二日、高経の呼びかけに応じ、足利方についていた平泉衆徒の立て籠る藤島城(福井市)を攻撃中、義貞は全軍の指揮をとりながら、状況などを視察し、一進一退を続ける現状に、苛立ちを感じはじめたのでしょう。
義貞は、藤島城の最前線の現状を確認すべく、わずかに50騎ほどの馬廻りの者を連れて、現地へと視察に出向きます。

しかし、その時、たまたま救援のために藤島城に向かっていた足利配下の300騎と遭遇してしまうのです。






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