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義母は良い人だけど、ここが嫌だ。
彼氏との宗教の違い

彷徨う罪

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ゆい( W1QFh )
12/10/29 01:21(更新日時)





一番…罪深いのは誰ですか?




No.1793785 12/05/16 23:36(スレ作成日時)

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No.201 12/07/24 15:47
ゆい ( W1QFh )



強い風に乗った雨粒達が、雨戸に打ち付けられる。


魔物達が家を取り囲んで、窓や壁を叩いて訪問を知らせるみたいな音。


閉め切った和室には、互いの漏れる吐息と、私の切なさを含んだ甘声。


『優しく出来ないかも。』

その言葉とは裏腹に、聖二はどこまでも優しかった。

私に触れる、彼の手や唇‥重ねる肌の温かさ…

全てをフワリと撫でるような、そんな柔らかい優しさを感じた。


胸が張り裂けそうなくらい、強い情熱を放った痛みとは違う

愛情と優しさに包まれた、胸を割くような切ない痛みがある事を知った。


この痛みも、やっぱり涙を流さずには耐えられない程の痛みだった…。


だけど、一つだけ言えるとしたら

それは多分…


私の脚を舐めながら、挑発するような視線を送る聖二に対して芽生えた

『征服感』


内側から滲み出た黒くて醜い感情。


「…良いね。
お前の、その挑む様な瞳が好きだよ…。」

聖二の色気に身体が火照る…

思考は遠退いて行くのに対して、反対に身体の芯の感覚は研ぎ澄まされて行く…。

自分が何をしているのか、何をするのか分からない。


頭の中で、言う

『もっと、聖二を支配して私の中で溺れさせなさい。』―と。

どうやって?

その声は私の声なのに、彼女に怯える私がいる。

黒いワンピースの女…


彼女が私に耳打ちする。


『私の美しい脚を彼の身体に絡めてあげれは?
ポールに巻き付く様に彼に絡めば良いのよ。』


艶やかな唇が、甘く囁やく。


…無理、私には出来ない。

男を虜にして、溺れさせるなんて出来ない…。


『…そう?
だったら、代わってあげる。』

彼女が私の頬にキスをする…

眠い…

身体が熱い…

彼女の顔がぼやけて私が消える。

彼女は誰…?


妖艶に微笑んで、聖二に深く口付けする。

助けて…

助けて…聖二…


それは、私じゃない。

「やっと、会えたな…オディール。」


唇を放した聖二が、彼女を睨む。

「…私を、知ってるの?」

「よ~く、知ってるよ。
黒鳥のオディールだろ?」


二人は知り合い…?

うっすらと、二人の不思議なやり取りを見ながら‥私は眠りに堕ちた。

No.202 12/07/25 04:01
ゆい ( W1QFh )

――…


『彼女』が、片手で長い髪をかきあげて横目で俺を見る。

零は、そんな魔性を秘めた仕草をしない。

男を誘うような視線は送らない。


「ねぇ…聖二。
私に会えて嬉しい?」


こうして、腕を首に回して上目遣いで見つめたりしない。


『彼女』は…


修也の言っていた、『黒鳥(オディール)』奴がそう呼ぶ…レイだ。


事件の全貌を握る、もう一人の零だ。


修也は言った。


レイはブラック・スワン…

この世で最も美しく、危険な女だと―。

「もっと早くに、お前と会えると思ってたけどな。」

「零に自白剤を打った時とか?
それで、私が出てくると思った?」

「あぁ、意外にしぶとかったな。」


レイが妖しく微笑む。

「しぶといのは、零の方よ…。
あの娘、弱い癖に強がるから、なかなか出て来れなかった。」

「零の強情の強さを甘くみると、痛い目にあうぞ?
レイ…お前には、訊きたい事が沢山あるんだ。」


「裸で取り調べする気?」


レイが脚の指先で、俺の胸板をなぞる。

零の可憐な容姿を使いながら、彼女は俺を誘惑する。

俺の理性をぶち壊そうと妖艶に誘う。


「脚フェチなのね…刑事さん。」

「そうだな。
お前の誘惑に負けそうだよ。」


レイは、俺の言葉に満足気に笑って脚を高く上げた。


「正直な人って大好きよ。
良いわ、あなたの尋問に答えてあげる。」

俺は、彼女の足首を掴んで身体を引き寄せた。


「お前、人を殺したか?」


少しの沈黙の後で、レイは微笑みを浮かべた。


「えぇ、殺したわよ?
この手で何人もね…。」


口角を上げてクスクスと笑う。

「ほら、この手で。」と掌を目の前に掲げる。


「私を逮捕する?
愛おしい零を逮捕出来るの?
裁きを受けるのは、私じゃなくて零なのよ?
罪を知らない彼女を、檻に閉じ込めて一生の自由を奪う気?」

「お前自身で、裁きを受けるべきだ。」

「そう…なら、彼女を殺さないと無理ね。
私が、完全に彼女を乗っ取らないとダメなの。
どっちにしても、私は死刑よ。
あなたは、零を殺す事を選ぶのね。」


危険な女。

修也…こいつは、危険なんじゃない。


ブラック・スワン

最悪な女

正に、「悪女」だよ。


お前が作り出した

本物の悪魔だ…。

No.203 12/07/26 21:26
ゆい ( W1QFh )


「お前…、零をどうするつもりだ?」

「‥どうって?
元々、この身体は私のものなのよ?
『零』は記憶を無くした自分が都合良く作り上げた幻想…ニセモノ。
本物の人格者は私の方よ。
私の意思が強ければ、零は消える…。」

「消える…?」

「そう…でも、あなたが私を捕まえなければ、このまま零を生かしてあげるわ。
あなたの可愛い大切な『白鳥』の命は私の手の中。」


零の本当の主人格がレイ…?

犯した犯罪を忘れる為に作り上げた偽物が「零」だと?


信じられない。


茫然とする俺の唇に、レイの唇が触れる。

「ねぇ…零が出来ない厭らしい事をしてあげる。」

不意に走った下半身の痛みに眉をしかめる。


「ここ…舐めてあげようか?」


「は‥なせ…っ!」

「放していいの?
ここはちゃんと、私に反応してるのに…。」

「うるせー‥!
さっさと、放して‥零を…俺の、白鳥を返せ!」


「…つまんない男。 高瀬 亮の方が、よっぽど良い男ね。
あの人が零の心を折ってくれたおかげで、私が出て来れたんだもの…感謝しなきゃ。」


高瀬が…?

やっぱり、あいつにこっぴどく捨てられたショックで零の意思が弱くなったんだ。

強い悲しみか、憎しみによってレイが引き出された。

そういう事だろ…?

自白剤でも落ちなかった零を打ち負かしたのは、高瀬への強い想い。

零は‥それほどまでに、高瀬を愛していたんだ。


「零を返せ…!」

「レイは、私よ!
あの娘は弱虫な白鳥…オデット。
…ねぇ、知ってる?
『白鳥』の湖のオデット姫は、王子の愛に裏切られて自ら死を選んだのよ?
私が手を下さなくても、このオデットも死ぬかもね…。
あなたも一緒に彼女と息絶える?
王子様…」

そこまで言うと、レイは勝ち誇った顔を歪ませてパタリと倒れ込んだ。


「おい…?おいっ!」

肩を揺さぶって呼吸を確認すると、彼女は寝息を立て始めた。

どうやら、レイでいられる時間もまだ短いみたいだ。

次に目覚めた時…

それが、『零』ではなく『レイ』だったら…と恐怖心が湧いた。


穏やかに眠る彼女を抱いて、俺は祈りを込める。

どうか…

どうか…

また、零に会えます様…

No.204 12/07/26 21:49
ゆい ( W1QFh )



――…


いつもの悪夢。

…でも、何かがいつもとは違う。

拳銃を握った手が、聖二に向けられる。

銃を構えるのは私だ。

うぅん、そうじゃない…。

あれは…私じゃない!

誰?芽依…?

引き金をひいて、弾かれた弾丸が聖二の胸を撃ち抜く。


発砲音と同時に飛び散る血に、私は悲鳴をあげた。

聖二の名前を呼んで泣き叫ぶ。


黒い女は、そんな私を笑いながら見下して、もう一度…引き金をひく。

その弾丸は、次に私の頭を撃ち砕いた。

流れるBGMは、チャイコフスキーの『白鳥の湖』。

足元に溜まる血だまり…

重なりながら息絶える二人を眺めて

私は世界の絶望を味わった…。

No.205 12/07/26 22:32
ゆい ( W1QFh )


目を覚ますと、私を見つめる聖二の瞳と目が合った。


「おはよ。」

そう朝の挨拶をして、涙袋を拭う。

聖二の指に付いた水滴を見るまで、私は自分が泣いていた事に気付かなかった。

「おはよう。」

聖二の腕に包まれた気恥ずかしから、少しだけ照れ笑って挨拶を返した。


あの悪夢が単なる夢だと分かっている。

だって、あんな恐ろしい事が現実で起こるはずがないのだから。

だから…大丈夫。

何も起こらない。


けれど、起き上がった聖二の背中に浮かんだ爪痕を見て、不安が募った。


彼の綺麗な背中に刻まれた深い傷。

それは…私が付けたもの?

覚えていない…。


「私…昨日、なんか変だった…?」

シャツを羽織る聖二に、恐る恐る訊いてみる。

彼は笑って、「別に、何もなかった。」と答えた。


聖二は、嘘や、はぐらかしたい事があるとおちゃらけて笑う。


だから、とっさにそれが嘘だと分かってしまうのだ。


「私が眠っている間…何か変な事とかおきてない?」

うまく説明が出来ない。

睡眠時間が長すぎて、その間に深夜徘徊とか…何かそれに近いような事をしいるんじゃないか…

それを、なんて言って表せばいいのか解らない。


「なんもねーよ。
可笑しなヤツだな。」

…また、笑った。

やっぱり…何かある。

もし、あの夢が現実になったら…

胸騒ぎがした。


聖二を失うのは絶対に嫌…!

彼を危険な目に合わせられない。


私は、サルエルパンツを履いた聖二の背中に抱き付いた。


「零…?」

「私…柳原の所へ帰る。」

一瞬、聖二の呼吸する背中の動きが止まった。


もう…あなたの側にはいられない。

No.206 12/07/27 03:03
ゆい ( W1QFh )


「柳原の所へ戻ったら、こうして会う事は二度と出来なくなるぞ?」

「…分かってる。」

「次に会う時は敵同士かも知れねーんだぞ?」

「うん…。
だけど、私は聖二や高瀬の敵にはならない。
アルファムに戻って、あんた達が探りを入れてる柳原の秘密を手に入れてみせる。
警察の役に立つ様にうまくやるから…。」

足りない頭を振り絞って、聖二から離れる為の言い訳を作り上げる。

警察が私を囲う理由がそこにあるなら、聖二は‥いや、刑事の岩屋ならこの理由で、私が柳原の元へと帰る事を承諾するはずだ。


「…二度と、会えないかも知れねーんだぞ!」


振り向いた聖二の瞳からは、涙がこぼれていた。

彼の泣いた顔を見たのは初めてだった。

「また、会えるよ…。
情報を手に入れたら、必ず聖二に連絡するから…」


「そうじゃなくてっ!
~っ…そうじゃないんだよ!」


強く抱きしめられる。

彼の腕が、息が出来ないくらいに力を込めて私を抱きしめる。

「泣かないでよ…。 私に出来る事があれば、何でもしたいの。
絶対に…あんた達の役に立つから…」

聖二の背中をさすって、この傷が早く癒える様に祈った。

そして…

1日も早く

私を忘れられたら良いと思った。


「お前は、俺に会えなくなっても寂しくないのかよ!」

そんなの…

決まってんじゃん…!

「寂しいよ…。
すっげー、寂しいよ。
だからさ‥寂しくて、恋しくて、どうしょうも無く聖二に会いたくなったら、警視庁に110番してもいい?
聖二は、私からのその電話に出てくれる?」


「バカか、お前は!」

バカだよ…。

だって、中卒の落ちこぼれだもん。

戸籍がなくて高校に行けないって知った時、これで勉強しなくてすむとホッとしたんだから。

「…バイバイ、警視庁公安部外事2課の岩屋警部補。」

あの黒革の手帳で、聖二の正体を知った時…私は騙されてた悔しさと同時に、どこかで嬉しい気持ちもあったんだ。

岩屋が、裏社会に生きる人間じゃなくて良かったと安心した。

その意味が、私と生きる場所が違うと知らされても…

私は、あんたが太陽の下で生きる事を許された人間だと分かって嬉しかった。


だから、

この別れは辛くない。

私達は、元の場所に帰るだけ…

今度は、ちゃんと笑って「さよなら」を言える。

笑顔で去れる…

No.207 12/07/27 03:29
ゆい ( W1QFh )


鼻を啜って、目頭を押さえながら崩れた岩屋を置いて、私あの家を出た。


もう…聖二とは呼ばない。

高瀬にも、岩屋にも未練は残さない。

私は、自分の為にアルファムに帰って組織や修也の事を調べる。

そして、私の空白だった人生に決着を付けてやる…!


電車に揺られながら、襲い来る睡魔に負けじと始発でガラガラの車内のドア側に立って耐えた。


重たい瞼をこじ開ける度に、『誰か』の舌打ちが聞こえる。

だからこそ、必死に目を開ける。

負けたくない!

負ける訳にはいかない!


私は、これから一人で闇の世界に立ち向かう。

弱って、そこに堕ちてしまわないように戦い続ける…!

『やれるものならやってみれば?
もぅ誰も、あなたを助けになんて来ない。』

その内なる声に、確信した。

私の中で、別の私がいる…。


私を憎む

彷徨う魂…

No.208 12/07/27 08:45
ゆい ( W1QFh )


その魂は、いつか私を食い潰すだろうか…?

私に悪夢を送り続けていたのは『彼女』だ。

一体、いつから私の中にいたのか…。


水面がゆらゆらと輝く。

ここは、修也と最後に訪れた河川敷だ。

私と修也が、人間でいられた最後の場所。

「ちょっと、そこのお嬢さん?」

肩をトントンと叩かれて振り向くと、河川敷の住人らしき男が茶色い小さな紙袋を私に突き出した。

「…なに?」

怪訝そうに尋ねると、男は顎でクイッと向こう岸を指した。

「あっちの人から、あんたにコレを渡す様に頼まれたんだ。」

あっちの人…?

男が示した向こう岸に目線を戻す。

「ほら、確かに渡したからな。」

有無を言わさずに紙袋を手渡される。

私は、立ち去る男を見なかった。

川を挟んだ反対側の岸に立つ、もう一人の男に気を取られていたからだ。


前に夢に出てきた、狐のお面を被った男…

これは夢?

それとも現実?

狐はパーカーのフードを取ると、ポケットからウォークマンらしき物を耳に装着した。

ヘッドホンを指差し、私にその指を向ける。

私は、紙袋を開けてみた。
中には、SONYのウォークマンが入っていた。

イヤホンを耳に付けて、プレイボタンを押す。


ピアノの旋律にのって、女性のシンガーが美しい声で歌う。

♪~Twinkle,Twinkle, little Star.
How I Wonder what you are!~♪

(きらきら光る小さなお星様
あなたは一体、何者なの?)

♪~Up above The world so high,Like a diamond in the sky.
Twinkle,twinkle, little star,How I wonder what you are!~♪

(世界の空の遥か彼方で、ダイヤモンドの様に輝く小さなお星様よ…あなたは、一体何者なの?)


「…修也?」

曲を聴きながら、私は狐男に向かって掠れた声で彼の名前を呼んだ…。

No.209 12/07/27 19:57
ゆい ( W1QFh )

――…


その日は、朝から妙な胸騒ぎがしていた。

刑事の勘か

それとも、単なる虫の知らせか…


今、俺は目の前で繰り広げられている惨劇に、呆然と立ち尽くしている。


「酷すぎる…!」

黒煙が立ち上る中で、負傷した施設内の患者やスタッフ達がパニックを起こして逃げ惑う。

いくつもの白衣が血に染まって、命からがら中から這い出て来たのが伺えた。


そんな光景に、長岡は口元を覆ってショックを露わにした。

バタバタと、警官や、消防の救急隊らが息を切らせて走りまわる。

閉門された大門の外には無数のマスコミや、野次馬で溢れ返っている。

「信じられまんよ‥。
まさか…警察の医療施設が爆破されるなんて…!」

地獄絵図を眺める長岡の身体は、固く硬直していた。

「中に入るぞ。」

「正気ですか?!
危険ですよ高瀬さんっ!」


慌てふためく長岡をキツく睨み付けて、俺はその足を進めた。

「高瀬さんっ!!」

「中の消火作業はほぼ完了してる。
お前も刑事ならビビってないで俺に付いて来い。」


どうしても、確かめなきゃならない事がある。

「長岡、タイカク(帯革・拳銃を吊すベルト)を外して銃を構えろ。」


目と喉を痛める様な火薬臭にまみれて、煤のはった室内へと入る。


袖で口を覆いながら、あいつが収監されていた場所へと向かう。

No.210 12/07/27 21:07
ゆい ( W1QFh )


「高瀬さん‥俺、超ビビってますよ…。」

顔を引きつらせて、苦笑いを浮かべる長岡に、
「俺もだよ。」と言って返した。

視界が悪い中で、感覚だけを頼りに進んだ。

数日前に来たばかりだ、奴の居場所は覚えている。

非難誘導を済ませた施設内は、殺伐としていた。

到着してから、小平の姿をまだ一度も確認していない。


「火薬臭がきつくなってきましたね…起爆元が近いんでしょうか?」

「多分な…」

手探りで壁を辿ると、見覚えのある巨大なドアが口を開けた状態で俺達を待ち構えていた。


白かったこのドアも、今や無惨に黒い煤で汚されている。


「用心して行こう。」

そこはスプリンクラーが作動していて、視界は幾度かクリアになった。


そして見えてきた、凄まじいほどの血痕の量…。

「一体、ここで何人の死傷者が出たんでしょうか…」

「この間ここに来た時は、ざっと20人くらいは収監されていた。」

「20っ!?」

驚き、声を荒げる長岡の口に、俺は掌を向けた。

もうしばらく離れた澤田の檻の方角で、人影がチラついたのが見えたからだ。


後ろに付いた長岡へと無言の合図を送る。

互いに銃の安全装置を外して胸の位置へと構え直した。


ジリジリと気配を消して、歩みを進める。


やがて、黒っぽい武装した男らしき影が横切るのが確認できた。


驚いたのは、その人数の多さだ。

No.211 12/07/29 00:15
ゆい ( W1QFh )


アサルトスーツ(戦闘服)を着た男達の数は、ざっと数えても十数名はいる…。

しかし、背中に入った『MPD(警視庁)』の文字と、上腕部の『Police』の刺繍ワッペンで身内と判断できた。


俺と長岡は、安堵の溜め息を吐いて構えた銃を下ろした。


「高瀬さん‥あれって、SITかSATですかね?
かっこいいなぁ~!」

長岡は、初めて見るアサルトスーツの警官達に瞳を輝かせる。

本庁の刑事達でさえ、特殊部隊を直接拝見する機会はめったにない。

完全防備の黒っぽい突入服に、憧れるお巡りは少なくないのだ。

男なら、特殊部隊の勇士を一度で良いから間近で見てみたいと思うものなのだろう。

長岡も、そんな一人だ。


「あれは、SITでもSATでもねぇよ。
スーツの背中に、どっちもそんな文字入ってないだろ?」

「あぁ…確かに。」

「それに、SITを要請したなんて連絡は受けてねぇし。」

「そう言えば…高瀬さんって、SITの要請権限がある人なんですよね…。」

「なんだよ?」

疑いを含んだ眼差しで、俺を見る長岡に、冷めた視線を返す。

「いや…高瀬さんがあまりに破天荒過ぎて、たまに貴方がキャリアの偉い人だって事を忘れるんですよ。」

「うるせーな。
無駄話はいいから、行くぞ…!」

「はい…」

拳銃を帯革に収めて、俺達はまた武装集団の方へと歩みを進めた。

No.212 12/08/02 18:04
ゆい ( W1QFh )


スプリンクラーから降り注ぐ水を避けながら、澤田がいた檻へと近づく。

「何者だ!!」

さすがにそこまで迫れば、アサルトスーツの一人に前を遮られるのは当然だ。


「警視庁捜査一課の高瀬だ。」

「同じく、捜査一課の長岡です。」


俺の階級が記された警察手帳を見て、アサルトスーツの男は一瞬だけ足を後退させた。

その動作で、この男が俺よりも下の階級だと言う事が解る。

それでも警戒姿勢を崩さないのは、コイツの上司がすぐ近くにいるからに違いない。

コイツの上司は…おそらく俺と並ぶ階級か、それ以上の権力をもつ者なのだろう。

「捜査一課であれ、調査中の現場に立ち入るのはご遠慮願いたい。
こちらの案件はテロリストによる犯行の為、管轄が公安部に委託されています。」

公安部…。


「そんなの関係ねぇよ。
こっちだって、出動の要請が出てるんだ。
能書きはいいから、お前の上司と話をさせろ。」

「それは、無理です。どうか、お引き取願います…高瀬警部。」

「ああ?」

謙虚な態度で、退出を促す男の胸元を掴んで睨む。

こんな防御に出ても、男は抵抗を見せない。

あくまでも岩になるつもりらしい。


「高瀬さん…ここは、一度引いて出直しましょう!
どうせ、澤田は逃走したんです…!」


長岡はそう言って、俺と男の間に入る。

俺は「チッ」と舌打ちを放って、男を解放した。

「どうした?」

騒ぎを聞きつけたのか、男の背後から同じアサルトスーツ着た、もう一人の男が顔を覗かせた。


「主任…」

直ぐに、そう呼ばれた男と目が合った。

「あれ?高瀬さんじゃないですか。
刑事課にも要請かかっちゃいました?」
「市民通報からだよ。」

「それは、こちらのミスですね‥刑事課への出動皆無の連絡が遅れたみたいだ。 すみません、せっかくご足労頂いたのに…」

「ミスだと?
ふざけんなよ、岩屋…!
この案件を、俺達が指を食わえて大人しく傍観してると思うのか?」

「指をしゃぶってでも、大人しくしてもらわなきゃ困るんだよ。」


互いに譲らない、強い眼差しが火花を散らす。


「調子に乗るなよ? コスプレ変態野郎。」

「コスプレじゃねぇし‥俺の班は、定期的にSATとの合同訓練を受けてますからね。 ある意味このアサルトスーツは、俺らの正装でもあるんですよ?」

岩屋のチームは公安の戦闘要員か。

No.213 12/08/03 23:59
ゆい ( W1QFh )



「お前は“何でも屋”だな。」

たっぷりと、皮肉を込めて言い放った。

「言い方は気に入らないけど、確かに、何でも出来るからね‥俺は。」

岩屋から返ってきたもの言いが、まるで俺が無能だと言っている様で腹が立った。

「岩屋、俺は公安の圧力なんか怖くねぇ。
お前達の組織が何であれ、俺には全くもって関係ない。」

「高瀬さんがそうでも、あなたの上司は違うんじゃないですか?」

…岩屋、お前は解ってない。

「お前は、組織というものの見解を間違ってるよ。

俺達は、敵同士でもなんでもない。
刑事なら、求める正義は同じはずだ。」

岩屋の肩を軽く叩いて、ヤツの横をすり抜けると、俺は檻の中へと足を踏み入れた。

広い空間の中に、ポツリと置かれたシングルベッド。

その上にはシーツを被された、人の形をした膨らみがある。

そのシーツに手を伸ばした時、岩屋の部下に手を止められた。

だが、それを無言で岩屋が静止する。

ヤツの揺るぎない瞳の奥には、気高き炎が宿っていた。

それを横目で受け止めて、再びシーツに手を掛けて捲り上げた。

「…小平。」

それは、変わり果てた澤田の主治医の遺体だった。

小平の額には、銃弾が通った痕。

後頭部の傷口を見れば、短銃で至近距離から撃たれた事が解る。

「銃弾は見つかったか?」

白手袋をはめながら、誰ともなく訊いた。

「使用された銃は、制服警官から奪ったニューナンブだ。」

酷く、落胆した低い声で岩屋が言った。

俺の頭に、ここで警護に着いていた二人の警官の姿が思い浮かんだ。

「…殺られたのか?」

警官が、銃を奪われ使用されたという事は死を意味すると言っても過言ではない。

「一人は、爆風に飛ばされて重傷…もう一人は、犯人と揉めあった挙げ句に銃殺された。」

岩屋の拳が震えている…。

部下を失った悔しさは計り知れない。

仲間の命を奪われた悲しみや、痛みは言葉で表す事など出来ない。

岩屋の心情を察しながら、俺は小さな声で「そうか…」と頷いた。

No.214 12/08/04 00:38
ゆい ( W1QFh )


岩屋は、俯いたまま黙っていた。

俺はベッドから離れて、火薬の煤が付いた冷たい壁に手を当てた。

指の腹で壁をなぞる。

すぐに、微かな凹凸を感じ取った。

手袋を外して、違和感があった所を爪で掻く。

テープか何かが貼ってある。

「岩屋、この壁一面にテープが貼ってある…!」

「え…?」

慎重に爪先で粘着部分を剥がすと、その部分だけ白い文字が浮かび上がる。

「なんだ…?」

疑問符を浮かべた岩屋も走り寄って、壁のテープを剥がし始めた。

両端から、二人でテープを剥がして行く…。


「‥これは…?」

「メッセージ?」


呆然と立ち尽くす、二人の前に浮かび上がった文字……



『Wander a Sin.』

「高瀬、これって…どういう意味だ?」

白い壁一面に浮かんだ英語文字…

意味は……


「彷徨う罪。」

「さまよう…罪?」

檻を抜けて自由を得た…罪が、俺達に宣戦布告をした。

本当の戦いが、ここから始まる…

No.215 12/08/07 04:44
ゆい ( W1QFh )


澤田の足取りがつかないまま、数日が経った。

警察管内の医療施設が爆破テロにあうという、前代未聞の大事件に、マスコミや世間がわいた。

連日出る週刊誌には、こぞって警察をバッシングする記事が書かれた。

その中に、澤田に関する記事は一つもない。

なぜなら、警察がヤツの逃走をひたすら隠していたからだ。

連日の殺人事件も、ハッキングによる殺人予告も、今回の爆破テロも全て…澤田に関する事件は、世間に漏らされる事は無かった。


捜査は、機密裏に進められていた。

そして、この一連の事件は『大規模事案』として刑事部と、公安部の双方が投入される合同捜査となった。

これは、稀とも言われる『警察庁長官』直々の命令だった。

捜査本部には、刑事部と公安部の捜査官を含めて400人はいる。

特に刑事部は本庁の捜一だけではなく、所轄の刑事も含まれている為に人数が多い。


「公安は、掴んだ情報を共有しない!」

捜査会議中、こんなセリフが幾度となく投げかけられた。

公安は、刑事部からありったけの情報を搾取しておきながら、自らの情報は提供しないというのは有名だ。

時には、情報を隠蔽する事すらあった。

そのお陰で、双方の溝が深まり捜査は難航した。

そんな苛立ちで、余計に捜査が進まない。

悪循環だった。


岩屋は、あの爆破テロの日を境に姿を見せなくなった。

捜査会議に参加しない所を見ると、捜査から外されたのではないかと思った。

主任という立場でテロを阻止出来ずに、部下までも殉職させた‥岩屋が責任をとらされた理由は十分にある。

それでも、リーダーシップに長け、部下からの信用が厚い岩屋がいたら…

今のこの最悪な状況は改善したのではないかと口惜しい気持ちでいっぱいだった。

No.216 12/08/07 05:41
ゆい ( W1QFh )



いがみ合いの会議を抜けて、俺は千葉にあるあの家を訪ねた。

ここに来るのも二度目だな。

正直、零には会いたくないが、岩屋を訪ねる為には鉢合わせも仕方ない。

意を決めて、磨り硝子の引き戸を叩いた。


しばらく待ってみるも反応が無い。

「留守か…?」


そう思って塀に囲まれた庭先に周ると、縁側に横たわる岩屋を見つけた。


「おいっ…!!」

慌てて、奴の側に駆け寄って肩を揺さぶった。

「…ん?
…は?高瀬…?」

スエットに黒のタンクトップで髪はボサボサ。

いつものイタリア製の細身スーツで決め込んだ岩屋とは想像が出来ない姿だった。

「…こんな時に、呑気に昼寝とはいい気なもんだな。」

あくびをして、腕を伸ばす岩屋に放つ。

「俺は今、謹慎中なんだよ。
昼寝くらいさせろ‥」

謹慎…?

あぁ、なる程な。

そう、納得しながら庭先から広い居間を見渡す。

零の姿も気配も感じない。

「零なら、もう居ないぜ?」

相変わらず勘の良い奴だ…。

「いないって…?」

「アルファムに戻った。」

「…は?お前、澤田が零に接触する危険性を分かってて帰したのかっ!!」

咄嗟に、岩屋の胸ぐらを掴んだ。

零の笑顔が、頭の中で切り裂かれる。

「…零をぼろ雑巾のように捨てたお前が言うなよ。
あいつが、どんな想いで柳原の所に戻ったと思ってる…?」

掴んだ拳を荒っぽく引き離すと、岩屋は俺を睨んだ。


「高瀬さんが、零をズタズタに傷つけたお陰で、彼女は死ぬかも知れないってのに…」

「澤田に殺される可能性があるのに帰したお前には責任が無いのか?」

「責任…?
それならあるよ。
俺は、レイが出てくるのを望んでた。
そして、“彼女”に会って初めて後悔したんだよ。
自分が刑事であることに…」

「…何の話だ?」


「零を追い詰めて傷つけて…苦しめた。 もう二度と、零は俺達にあの屈託のない笑顔は見せない。」

悲しみに暮れる岩屋だが、俺には奴の言っている意味がよくわからない。

苦悩を浮かべて腐る理由が分からない。

「零を愛する事で、刑事である事を後悔して悔やむくらいなら、そのまま警察を辞めろ。」

俺は、自分には下せ無かったもう一つの選択肢を、岩屋に向けて言った。

一時の甘い恋に溺れて、何もかもを失う幸福を…

お前は、手に入れるか?

No.217 12/08/07 21:09
ゆい ( W1QFh )



「そんなん無理だよ、高瀬さん…。
だって俺は、根っからの刑事だもん。」

“だもん”…ってお前はガキかよ。

「…だから嫌なんだ。 零を一番に想えない自分が不甲斐なくて、冷たい人間だと思い知らされるんだ。」

「それは、俺も同じだよ。」

岩屋の気持ちは分かる。

俺も同じ…零を一番に考えてやれない。

『愛してる』と言っておきながら、それを全うする事すら出来ない。

「だけどさ、高瀬さん。
あいつは…零は、そんな冷たい俺達を一番に考えて想いやって身を引いたんだよ。
零は…そのせいで、黒鳥に食い潰されるかも知れないのに…」

「黒鳥…?
何だ、それは?」

岩屋は、その先を口を紡いで話さなかった。

黒鳥…

そのフレーズで思い浮かぶのは、チャイコフスキーの『白鳥の湖』だ。

あの有名なバレエ楽曲。

美しい白鳥に扮した黒鳥が、彼女を陥れて死に追いやる悲恋の物語。

その黒鳥が、零とどう結び付くのか…

「なぁ、岩屋。
謹慎が明けたら捜査本部に戻って来いよ。
今の本部には、お前の力が必要なんだ…。」

「俺、非合法なやり方も正当化してやるよ?
無能な刑事部の連中は相手にしないかも…」

俺を見上げて向けた、岩屋の光る瞳。

「上等だよ。」

俺は、岩屋に向かって中指を突き出すと、ニンマリと笑った。

No.218 12/08/08 12:54
ゆい ( W1QFh )



約束通り、その3日後に岩屋は捜査本部に現れた。

「公安部主任の岩屋です。
今回の案件は、僕の指揮で皆さんに動いてもらいます。」

お決まりのイタリア製のスーツで、メガネのブリッジ部分を上げながら飄々と話す。

その生意気な態度に、憤慨するベテラン刑事達の揶揄が飛び交う。

『ブケホ(警部補)の分際で総指揮だと?!
ふざけるな!!』

『部下を殉職させた、不甲斐ない若僧の下で働くなんてごめんだ!!』

…どれも、岩屋にはキツい言葉だった。

「僕が至らない奴かどうかは、皆さんの業績次第ですよ。
僕よりも優秀で良い働きをした方が出れば、僕は自分の力量の足りなさを反省するでしょうね。」

「「何だと?!
くそガキがっ!」」

「…少なくとも、この数日で重要な手掛かりを見つけた方はいますか?」

メガネ越しの鋭い視線と、的を付くような厳しい問いかけに、一瞬にしてベテラン刑事達は黙り込んだ。

そんな周りの様子に、俺は顔を伏せながら笑いを堪えた。

「どうやら、いない様ですね…。」

「貴様はどうなんだっ!
貴様は、謹慎中だったと聞いてるぞ!
一番役立たずだったのは貴様の方だろう!!」

「「そうだ、そうだ!!」」

オッサンらは汚い唾を飛ばして、必死で岩屋の揚げ足を取る。

「…何だか、公安の岩屋主任が気の毒ですね。」

長岡も眉をしかめながら、ボソリと俺に耳打ちする。

「まぁ、見てろよ。」

顎先をクィッと岩屋に向けて長岡に静観を促す。

「僕は、休暇中に宿題として自由研究をして来ましたよ。」

「自由研究…だと?貴様、ふざけるな!」

怒りのこもった会議書類が宙を舞う。

岩屋は緩めた口元を締めて書類を投げた刑事を睨んだ。

そして…


「俺は、マジだよ…くそジジィ共!」

そう放って手元のダンボール箱を開けた。

奴の気迫と、ダンボール箱から覗いた無数のプラスチック爆弾に、そこにいる全員が息を呑んだ。

No.219 12/08/22 00:15
ゆい ( W1QFh )



ダンボール箱をひっくり返して出てきた爆弾に、会議室は瞬く間にパニック状態となった。

中には我先にと身を縮めて頭を机の下へと潜らせる者もいた。

「あ、コレね‥起爆装置ないんで爆発しません。」

岩屋が口元を歪めてしたり顔を浮かべた。

それを聞いた連中は気まずそうに、ざわざわと文句を言いながら元の席に着いく。

まるで、何事も無かったかの様にだ。


「これは、事件に使用されたのと同形のプラスチック爆弾です。
俗に言う、時限爆弾ね。

仕組みは、金属パイプの中に火薬を詰めて両端を固く密閉しただけの単純な造りで、材料さえ揃えれば半日~1日で出来ちゃうお粗末な物です。」

「時限爆弾‥って、起爆装置は何だったんだ!」

「お粗末と言うには言葉が過ぎるぞ!
死傷者の数を知っての発言かっ!!」

(うるせーなぁ…黙って人の話を聞けよ。)

俺は、次第にイラつきながら野次を飛ばす刑事達を睨み付けた。

だが、岩屋は顔色を変えずに淡々と話を進める。


「起爆装置は、携帯電話でしょう。
遠隔操作が可能で、誰もが手に取る物だから人のいる場所でも怪しまれない。

死傷者の数が多いのは、仕掛けられた爆弾の数が多かったからです。」

あの日…


岩屋は俺に語った。

この事件の見解を…

No.220 12/09/01 14:59
ゆい ( W1QFh )


縁側に胡座をかきながら、庭先の松の木を見つめる。

そんな岩屋を俺は立ち竦んで見ていた。

「事件現場に設置された爆弾は、全部で8個だ。
そのうちの一つだけ、他と使用された火薬とケースが違う物だと分かった。」

「それは、どこに設置されてた?」

岩屋は一呼吸置くと、目線を俺に戻した。

そして、

「修也の監獄室だ。」

そう、シッカリと答えた。

「つまり、澤田は自分の部屋に爆弾を仕掛けたと?」

「あぁ、修也の頭脳は並みじゃない。
病院内に協力者がいれば、監視カメラの隙を作らせた影で爆弾を制作するなんて事は容易なはずだ。」

元々、澤田には仲間なり協力者がいる事は分かっている。

警視庁に送られた犯行声明がそれを示している。

しかし、なぜ自分の部屋に設置したのか…

檻を壊す為か?

負傷してでも逃げたかったのか?

でもそれは、あまりにもリスクが高い逃走方法だ。

それに、小平を殺害する必要も無いだろう。

そもそも、何故形状の違う爆弾を用意したんだ?

考えれば、考える程に解らなくなった。

「高瀬、難しく考える必要は無いんだ。」

余程、難しい顔を浮かべていたんだろう‥

岩屋はフッと笑って庭に降りた。

長くて丈夫そうな木の枝を手にとって地面に何かを描く。

それは、あの重病患者を収容している場所の内部図だった。

No.221 12/09/04 23:35
ゆい ( W1QFh )



「他の7個の設置場所は此処と、此処。
奥の監獄室へと続く、あの長い廊下に這うように設置されている。」

岩屋は、その場所を丸で囲む。

「‥まるで、爆弾同士が導火線みたいな役割を果たしているな。」

俺は腕を組ながら配置図を眺めた。

「高瀬さん、御名答だよ。
犯人達の目的は、修也を逃がした後の後片付けだ。
この場にある全ての監視カメラを破壊する為の爆弾に過ぎない。」

「監視カメラをぶっ壊す為だけに、あれだけの死傷者を出したって言うのか?」

だから、澤田の部屋にだけ火薬の量が多めに入れられてたのか…。

小平の遺体には爆風を浴びた跡は無かった。

恐らく、爆発が起きる前に澤田は小平を殺害し、建物のどこかに隠れ潜んでいた。

そして、爆発の騒ぎに紛れ込んで逃走。

小平の遺体は、爆発の後であの場所に運ばれた…。

犯人はどうして、わざわざそんな面倒な事をしたんだ?

見つかるリスクを考えれば、遺体は放置した方が良かったはずなのに。

「岩屋、監視カメラには一体、何が映っていたんだろうな?」

俺の問いに、岩屋は首を傾げて「さぁ?」とお手上げのポーズをして見せた。

「セキュリティー管制室のパソコンも、ハッキングされてウィルスに食い潰されてたし。」

「流石のお前でも、復元は無理か?」

「無理だね。
まず、侵入経路が中東のサーバーからアクセスされたもんだったし。
足跡探すのも不可能だよ。」

「…海外のマザーホストの使用か。」

澤田…

お前、これから何をしようとしているんだ?

自由になって空を仰いだ今…

お前は、何処へと彷徨う?

No.222 12/09/05 16:04
ゆい ( W1QFh )



俺は再び、会議室で事件の概容を説明する岩屋を見た。

「この事件は、大規模な組織によるテロです。
主犯は澤田修也、もしくは、それを崇拝する熱狂的な彼のファンでしょうね。
そして、恐らく彼らの狙いは13年前の婦女暴行殺人事件に関わった犯人への復讐…。」

「「復讐…?!」」

またも、ざわついた会議室で岩屋はメガネを光らせた。

「皆さんや、世間にとったら“今更”かもしれない。
だが、澤田にとっては違う。
ずっと、冷たい檻の中でヒシヒシと復讐の炎を燃やしていた。
そして、新たな惨劇を生む事でしょう。」

「…新たな惨劇?」

「何だ…それは?」

「実は、13年前の事件の犯人達は全員、うち(公安)で保護しているんです。
復讐の対象者を奪われた澤田が、次に何を仕掛けてくるかは解らない。」

当時、少女達を金で暴漢した犯人達は、その罪そのものの時効をむかえていた。

今じゃタダの一般人だ。

せめて、あと3年早くリストが見つかっていれば…と悔しさが溢れる。

岩屋は、最後までリストの出所を明かさなかった。

公安の機密主義を通す所は相変わらずだ。

「澤田を全国指名手配します。我々、警察の威信に懸けて奴の逮捕に全力をあげましょう。」

「「解散!!」」


一斉に、士気を夥た刑事達が椅子を引いて立ち上がる。

俺も、背広の襟を正してドアへと手を掛けた。

ふと、目が合った岩屋は俺に中指を突き出して笑った。

“かかって来い”

「上等だ…!クソガギ。」

俺は鼻で笑って、会議室を後にした。

No.223 12/09/05 16:42
ゆい ( W1QFh )

――…

霧のかかった河川敷で、狐が私に手招きをする。

「修…也…?」

恐怖から全身が強張った。

金縛りにあったみたいに動かない足を、必死で後ろに引く。

「いや…っ!」

動け!私の右足!

凭れそうになる足を、草原に絡まる足を懸命に動かした。

冷や汗が背中をなぞる…。

息を切らせて逃げた、狐の反対側。

「ゼロ。」

「きゃっ!!」

行く手を阻む黒い人影にビクついて、胸を押さえた。

「…mouse?」

深いフードから覗く彼の口元。

「良かった…mouse…っ」

彼に近寄ろと手を広げた時、私は彼に腹を一撃された。

不意に走った痛みと、戸惑い。

「な…んで…?」

空が歪んで、意識が朦朧とする。

「ごめんね‥ゼロ…。」

倒れる私の身体を受け止めて、mouseはそう呟いた。

「ありがとう、mouse。
よくやったね。」

穏やかな男の声に視線を向けると、そこには狐が立っていた。

白いシャツの裾と、細い赤髪が風にそよそよと揺れている。

狐は片っぽの手をズボンのポケットに入れて、もう片方の手で自分の顔に触れた。

狐の面が外される…

日の光が、彼の顔を照らして私は目を潜めた。

「レイ、やっと君を見つけた。」

それは…

紛れもない

私の…神様だった。

逃れようのない、絶対的な存在。

私を支配する恐怖の象徴。

澤田修也…その人だった。

No.224 12/09/05 21:23
ゆい ( W1QFh )


意識を失い眠りながらも、身体がフワフワと何かに優しく包まれている感覚がした。

何だろう‥この感覚…とても懐かしい。

伝わる体温と匂い。

修也の背中…?

こんなに彼の背中は広かっただろうか‥

それに、ずいぶんと大人っぽくなった。

フっ…当たり前か。
あれから、13年も経っているんだ。

そう言えば、修也は聖二と同い年じゃない?

それにしては修也は幼い。

まるで、私と変わらないくらいの年齢にしか見えない。

何故…?

腕に雫が垂れた。

修也の全身が汗ばんでいるのが分かる。

もう、子どもじゃない私を背負って歩くのは辛いだろう…。

ただでさえ、修也は虚弱体質なのに…

「…修ちゃん…身体‥大丈夫?」

独り言だった。

きっと、声にも出していない程の無意識な独り言。

「大丈夫だよ、レイ。」

私は、彼の声を聞いた気がして「良かった…」と微笑みながら漆黒の闇に堕ちた。

その闇の底には、“彼女”が私を待ち構えている。

怪しい笑みを浮かべながら、私が落ち行くのを待っている…

No.225 12/09/06 21:40
ゆい ( W1QFh )


気が付くと、そこは見覚えのある場所だった。

煌びやかなシャンデリアが幾つもぶら下がってキラキラと揺らめく。

天蓋の付いたフカフカなベッド。

指先を動かせば、シルク製のシーツがスルスルと心地よく滑る。

ここは‥アルファムのVIP室だ。

大物政治家が、たまにお気に入りの女の子を金で買って、この部屋で一夜を過ごすのだ。

柳原は裏で、高級売春をさせている。

私が何故、この部屋に…?

目覚めて、まだ正気でいられた安堵は一瞬にして消え、別の不安が過ぎった。

身体を起こして周りを見た。どうやら、この部屋には他に誰もいないみたいだ。

「逃げなきゃ…!」

立ち上がって、真鍮のドアノブに手をかけた時に思った。

逃げるって…一体、どこに?

ここがアルファムである以上、私はもう、何処にも行けないのだ。

そもそも、私はどうやって帰ってきたのだろう…

修也が私を此処へと連れて来たのだろうか‥?

「…何の為に?」

このドアの向こう側に、その答えがあるのだろうか。

思い切ってドアノブを引っ張るが、外からカギが掛かっていて開かない。

「閉じ込められた…」

また、鳥籠の中に入れられた鳥に逆戻りだ。

私は溜め息混じりに薄く笑って、ベッドに腰掛けた。

じっとしていれば、誰かしらこの部屋に来るだろう。

私は、その人物を待つこ事にした。

それが、柳原でも、見知らぬ政治家でも、修也でも…

意を決めて待つ。

No.226 12/09/07 16:56
ゆい ( W1QFh )



――…


「どうして、俺がお前とバディ組まなきゃなんねーんだよ。」

俺は、助手席でパソコンをいじくる岩屋に向かって不満をぶつける。

「上からの命令だ。 刑事課と公安の捜査が食い違うのを避けるためだろ。」

淡々とパソコンを打ちながら、岩屋はそう返す。

「フン、どうせ俺達(刑事課)の監視も含んでるんだろ?」

「まぁね。
否定はしねぇよ。」

捜査のペア組みで、俺は岩屋と組み合わせられた。

元々、俺と組んでいた長岡は、岩屋の部下の前田とペアになった。

紳士的で聡明な前田と組んで、長岡は嬉々として仕事に打ち込んでいる様子だった。

一方の俺は、こき使う手下がいなくなって何かと不便だ。

「岩屋。
お前、俺よりも下の階級だよな?」

「そうですよ、高瀬警部。」

「なら、俺の部下だよな?」

「………。」

この野郎、無視かよ。

カチャカチャとボードを打つ音が車内に響く。

『スカした顔しやがって…。』

「岩屋、スタバ行ってコーヒー買って来いよ。」

岩屋は、手を止めて俺を睨んだ。

「捜査中は総指揮官である俺が、貴方の上司になるでしょ? 高瀬さん、スタバ行ってコーヒー買って来て下さいよ。

カフェモカのtoolで、バニラをトッピングしてもらって。」

「あん?」

「何すか?」

車内でのガンの飛ばし合い。

わき見運転もいいところだ。

No.227 12/09/09 23:16
ゆい ( W1QFh )



「カフェモカバニラトッピングのTallと、エスプレッソお待たせ致しました。」
赤いランプの下で、ニッコリと微笑む好青年から、2つのカップを受け取る。

そして、更に満面の笑顔を向ける岩屋に、カフェモカバニラを手渡した。

「高瀬さん、ご馳走さまです。」

奴はそれを受け取ると、嬉しそうに鼻歌混じりでカップの蓋を開けた。

何をするのかと様子を窺うと、奴は徐にドバドバとカップの中にセルフサービスの蜂蜜を入れ始めた。

「どんだけ甘党なんだよ‥気持ち悪りぃ。」

「こちとら、頭使うんでね。
脳を活性化するには糖分が一番です。
高瀬さんも、カッコ付けて渋いもん飲むよりコッチにしたら?」

「…お断りだ。」

俺は、岩屋に冷たい視線を送って車内に戻った。

「んしょっ、と!
あちちッ!」

程なく戻った岩屋から、甘いバニラの香りが漂ってきた。

マジで、胸焼けしそうだ。

「所で、一体どこに向かってるんですか?」

再び、キーボードを打ちながら岩屋が尋ねてきた。

「澤田と零と芽依が生まれた場所…?」

キーボードの音が止まる。

岩屋が手を止めたのだろう。

俺は、ただ前を見て運転している。

「そうすか…。」

岩屋は、それだけ言うと他に何も訊かなかった。

そして、キーボードの打ち込みを始める。

俺がその場所に向かうのは何年振りだろう。

数年…いや、もっとか?

スーツの内ポケットには一通の封筒。

それは、昨日の夜中に取りに行った『ガサ状』だ。

No.228 12/09/13 01:20
ゆい ( W1QFh )



車を40分程走らせて着いた場所…

「藤森製薬?」

車から降りた岩屋が、巨大なタワービルを見上げて言った。

「行くぞ。」

俺は、気後れしている岩屋を掠めてビルの中へと入って行った。

磨き上げられた大理石のフロアーを抜けエレベーターボタンを押す。

「受け付けを通さなくても良いんですか?」

「社長にアポを取ってあるから大丈夫だ。」

8台あるエレベーターうち、左端のドアが開いた。

すかさず、最上階を押して誰も乗り込んで来ないうちにドアを閉める。

「高瀬さん、ここってアレですか?」

岩屋の言う“アレ”とは、多分“アレ”の事だろう。

だから、俺は「そうだ。」と頷いて返した。

最上階のフロアーは、赤い絨毯がひかれていて更に高級感が漂っている。

飾られた、立派な百合から広がる香り。

百合は、芽依が好きだった花だ。

突き当たりの応接間の観音扉を開く。

「待っていたよ、亮君。
久しぶりだね、元気にしていたかね?」

ロマンスグレーという言葉がピッタリと似合う中高年の男性が、革張りの椅子にもたれ掛かっている。

「ご無沙汰しております。
…親父さん。」

藤森製薬会社の社長‥『藤森 竜夫』

この男性が、芽依の父親だ。

「芽依の一回忌以来だから、もう十数年振りになるのかな?」

「はい…此処に来るまで、だいぶ時間が掛かりました。」

「いや。
君が毎年、芽依の命日に墓参りしてくれてるのは知っているよ‥娘の好きな花を手向けてくれているだろう?」

親父さんはそう言いながら、手で俺達に座りなさいと合図を送る。

「それはそうと亮君、そちらの方は?」

「警視庁捜査一課の岩屋です。
高瀬さんの部下で、お供させて頂いております。」

俺が口を開く前に、岩屋はニセの警察手帳を出した。

まさか、“公安”とは言えないよな。

「亮君の部下か‥それは、大変でしょうね。」

冗談混じりに笑って場を和ませる。

その優しい目元が、やはり芽依に似ている。

強いては‥笑った時のアイツにも…。

「今日は、単純に遊びに来てくれた訳ではないのだろう?」

親父さんの確信に突く様な物言いに、俺は意を決めてポケットからあの紙を取り出した。

No.229 12/09/13 16:11
ゆい ( W1QFh )



「藤森製薬会社の捜査差押え許可状です。」

紙を広げた状態で、親父さんに見せる。

親父さんは溜め息混じりに「何の?」と問いた。

刑事を10年やっていれば分かる。

この反応は…

「クローン技術規制法違反容疑です。」

黒だ。

「そうか君は…」

親父さんは目線を下ろして一点を見つめる。

「待って…!
亮さん…っ!!」

隣接する社長室から突然、芽依の母親が姿を現した。

「琴代…良いんだ。」

夫に寄り添う様に、彼女は涙を流している。

「全てを話してもらえますか?」

二人は互いに見つめ合ってから、重たい口を開いた。

芽依の出生の秘密を…

それに纏わる修也と、零の秘密を…

No.230 12/09/13 17:26
ゆい ( W1QFh )



あれは、36年前…

琴代は、双子の姉妹を授かった。

そんな喜びもつかの間、双子のうち一方が発育不全で命を落とす可能性が出てきた。

更に悪い事が重なる。

詳しい検査で、双子が結合双生児だと言う事が分かったんだ。

エコーでは確認出来ないくらいの微妙な繋がりだった。

胎児のギリギリの成長を待って帝王切開で出産を望むのがベスト。

何人もの医師がそう、私達夫婦に言った。

私もその方が良いと琴代に促した。

もちろん、助けられる命は一つだ。

しかし、琴代はそれを拒んだ。

発育不全でも、ゼロに近い可能性でも、二人を産む事を希望したんだ。

それは、母体のダメージを大きくする決断だ。

私は、琴代にある提案をした。

胎児の細胞を採取して、保存しておく事だ。

いずれ、落とした命を君がまた産めば良いと安易な発想で提案したんだ。

精神的に追い詰められた私達夫婦は、そんな恐ろしくも馬鹿げた発想に魂を売ってしまった。

しばらくして、琴代の胎児から核細胞を取り出す手術を内密で行った。

執刀医は医師免許を持つ、若手の研究者『松井 直也』
彼は、天才的才能の持ち主だった。

この手術は、15分程で無事に終了した。

正直、この時点では私に罪の意識は無かった。

細胞を取り出して保存しておく分には、何ら問題はない。

研究材料としてやる細胞採取行為に、違法性などないからだ。

こうしておけば、琴代も気が済むだろうと軽視していた部分もある。

No.231 12/09/13 18:26
ゆい ( W1QFh )



そして…28週で琴代は双子を出産した。

二人は、腰の一部の皮膚が繋がった状態だった。

内臓の結合がないのが幸いして分離手術は無事に終わった。

しかし、出産から20分後に双子のうち、妹の方が術中に死亡した。

やはり、発育が姉よりも数倍遅かった為だ。

一方の姉の方は、術後元気に母乳を飲んだりと、生きる力に漲っていた。

愛おしい我が子に目を細めていると、不意に琴代が優しく微笑みながら、
「次は、あなたの妹を産んであげるからね…。」と囁いた。

琴代の不適な笑みに、私は背筋が凍る様な寒気が走った。

そして…

私達に最大の不幸が、その日の夜にやって来た。


姉の方も、突然に亡くなったのだ。

琴代は泣き叫び、私も酷く落胆した。

私達は、寄り添う様に泣き崩れた。


赤ん坊に縁が無かったのかと、自分の不幸を嘆いた。

それから2年近く経った頃…

琴代が、私に言って来た。

「あの子の細胞を私に返して。」

最初は、何の事だか理解出来なかった。

日々の忙しさにかまけて、子どもの事を忘れていたからだ。

だが、琴代は違った。

外に出れば、赤ん坊を連れた母親が目に入る。

自分もそうだったはずだと妬み、恨む気持ちに支配されていたのだ。

私には、そんな妻が痛々しく思えた。

だから、松井博士に頼んだ。

あの手術に関わった人間は少ない。

また極秘で、細胞核を琴代の未受精卵に移植する手術を行った。

松井博士はあの時、我々には内緒で二人分の細胞核を採取していのだ。

本来なら、発育不全の妹の方だけを採取する様に頼んだのだが…

不満を漏らすと、彼は「万が一の為に、少しでも健康な方の細胞を取って置いた方がいいと思いまして。」と言った。

それを聞いた琴代は、それならばと姉の細胞を移植する事を望んだ。

その細胞の入った試験管には、『壱』とだけ記されている。

もう一つの試験管には、『零』と…

私達の子供は、壱と零という番号標識で管理された人工的に作られた命だった。

No.232 12/09/13 20:16
ゆい ( W1QFh )



更に1年後…琴代は、無事に子どもを出産した。

あの日、名前を与える間もなく亡くなった彼女が蘇った。

私は嬉しかった。

失った人間は帰らない…そんな当たり前の常識を覆したのだ。

赤ん坊を腕に抱いて、自分が神の様な選ばれた人間だと思えた。

「芽依…この子の名前だ。」

「めい…?」

「芽吹く命…という意味を込めた。」

「芽吹く命…とても、良い名前だわ。」

私達夫婦は、芽依を授かって元の幸せを取り戻した。

芽依は愛らしく、すくすくと育った。

私達は、それだけで満足だった。

しかし、あいつは違った。

No.233 12/09/13 20:45
ゆい ( W1QFh )


「あいつ…?」

突如、険しい顔をして親父さんが黙りこんだ。

膝の上に組んだ拳が震えている。

「“あいつ”とは誰の事ですか?」

再度尋ねると、親父さんは絞り出すように声を出した。

「松井 直也だ…」

松井博士は、芽依のクローン成功を世界中に発表しようと私に促してきた。

当時はまだ、クローン技術が曖昧なものだったし、広くは認識もされていなかっただろう。

無論、『クローン技術規定法』などという法律も無かった。

私は、彼の提案を却下した。

せっかく授かった娘を、世間の曝し者にしたく無かったからだ。

松井博士は、ならばと一人の赤ん坊を連れて私の前に現れた。

「その子は?」

「僕の子どもです。 あ、正確には僕自身ですが。」

「…?どういう事だ?」

彼は不適に笑い、自らのクローンを恋人に産ませたと語った。

私はその告白に、全身の血の気が引いた。

最悪だ…。

「君は…なんて事をしたんだ…!」

彼は天才だが、奇才でもあった訳だ。

「副社長、僕と貴方は同じ穴の狢ですよ?
ご自分のした事は棚に上げるおつもりですか?」

「違う!!
私とお前とは違うだろう!」

私は憤慨したが、彼の言う通り…私達は同じ鬼畜だった。

彼もまた、自分が神だと信じて疑わなかったのだ。

なんとも愚かな…

彼は、着々とクローン人間成功の論文を書き綴っていた。

芽依の事を知られるのも時間の問題だと諦めていた頃…

松井博士は、アメリカ行きの飛行機事故で命を失った。

幸か不幸か、彼の論文も研究データも、一緒に消滅した。

神はまだ私を‥私達を見捨てていない。

奇しくも、私は自分の行いを反省するチャンスを失った。

彼が残した自らのクローンは、私の研究室で密かに育てた。

松井博士の恋人も一緒に隔離した。

芽依の出生の秘密を知る者は、一人残らず私の管理下に置いたのだ。

特に、日々‥あの男に似てくる『修也』には、恐怖すら感じていた。

修也は、若干8歳で細胞の培養学を熟知していた。

元の頭の良さと、育った環境が、彼をオリジナルよりも遥かに優秀にしてしまったようだ。

No.234 12/09/15 01:04
ゆい ( W1QFh )



まだ幼い彼には、執着していた細胞核があった。

私や、職員の目を盗んでは取り出して見つめていた試験管。

深夜にたまたま、研究室の廊下を通りかかった時だった。

月明かりを浴びせて、試験管を覗き込む彼の笑顔。

奇しくも美しい少年の横顔に、私は足を止めた。

しかし、彼の手に収まる試験管に目を向けて、思わず後退りしてしまったのだ。

彼が愛おしそうに見つめる“それ”が、私のもう一人の娘…『零・ゼロ』だった。

彼が何を思い、零を見つめていたのかは分からない。

ただ、私は彼を恐れ嫌い、そして遠ざけた。

潰れかけていた修道院に、多額の寄付をして修也と母親の見受けをしてもらった。

厄介払いだが、私には彼の行く末を見届ける責任がある。

常に監視は置いた。

そして、平穏な日々を送っていたとある日…

教会の神父から、耳を疑う様な事を聞いた。

修也の母親が赤ん坊を身ごもったと…ー

彼女は頑なに、相手が誰であるかを明かさない。

教会の職員が、彼女の異変に気付いた時には既に妊娠7ヶ月に入っていた。

堕胎は不可能だ。

そして、彼女は女の赤ん坊を出産した。

しかし、難産が災いして彼女は命を落としてしまった。

遂に、誰の子どもなのかを知り得る事はできなくなってしまった。

修道院に行き、赤ん坊を見て思わず私は口元を押さえた。

驚いたというか…

地獄に突き落とされる絶望感が私を襲う。

忘れる訳がない。

私は‥彼女を13年も前に抱いているのだ。

いや…正確には彼女を抱いたのは、これが初めてだ。

16年前に死した彼女を、私は抱く事が出来なかったのだから…

込み上げてくる熱い涙を感じながらも、私には芽依の事しか頭に思い浮かばない。

同じ遺伝子を持つ人間が、二人も存在してはならない。

娘の芽依は、13歳になったばかりだ。

もしも‥この赤ん坊が、娘の将来に暗雲を齎すとしたら…?

『ダメだ…!
何が何でも、芽依を守らなくては…!』

そして、私は赤ん坊を教会内に隠す事をまたもや金を積んで頼んだ。

11歳の修也は、そんな私を滑稽な顔付きで見ては笑った。

それを横目で見ながら、私は研究室へと急いだ。

『零』と記された細胞は、そのまま試験管に入っている。

すぐにさま、以前に採取した芽依の血液サンプルと、その細胞核をDNA鑑定した。

No.235 12/09/23 20:43
ゆい ( W1QFh )


検査結果は、案の定とでも言うべきか…

芽依のDNAとは一致しなかった。

つまり、私が調べた『零』の細胞核は入れ替えられた偽物だったのだ。

修也はどのタイミングでそれをすり替えて、母親に移植したのだろうか…?

設備の整わない教会では、まず移植手術は出来ないハズだ。

一体、どこでどうやって…?

謎は深まるばかりだ。

「パパ…?」

頭を抱える私の背後から、愛おしい声が聞こえる。

振り返ると、私を心配して眉を顰める娘がそこにいた。

私は咄嗟に作り笑いを浮かべて、「おいで」と芽依に手を差し伸べる。

「何か心配事…?」

そう、訪ねる芽依の髪を優しく撫でた。

「何でもないさ。お前こそ、こんな夜更けにどうした?」

「ママが、お夜食をパパに届けるようにって…」

芽依は肩に下げたトートバックから弁当箱を取り出した。

「芽依、ありがとう。
一人で来たのか?」
「ううん、内野さんに車を出してもらって…あと、亮も一緒だから大丈夫よ。」

「そうか…」

微笑む娘を前に、私は思った。

芽依を守る為なら、何でもしよう‥と。

例え、この手が汚れようと構わない。

夜叉にだってなれる。

私は…零を始末しようと考えた。

彼女の出生届けは提出していない。

ならば、産まれて来なかったも同じ。

生きている証拠もなければ、死した証拠もない。

私は、念密に計画を立てまたもや金で殺し屋を頼んだ。

闇雲に、金で誰でも動く様な殺し屋ではなく、その筋のプロにだ。

それでいて、社会的にも顔を効かせられる裏社会のトップに頼んだ。

彼に全てを託して、私はやっと、修也と零から解放されたと安堵した。

芽依が…

修也に殺害されるまでは……

No.236 12/09/23 21:21
ゆい ( W1QFh )

『亮…!』

涙する親父さんの前で、俺の名を呼ぶ芽依の笑顔が浮かんだ。

この人が守りたかったもの…

それは、俺も同じだったハズなのに…。

「藤森 龍生、クローン技術規制法違反容疑で逮捕する。」

冷たい手錠を、尊敬していた人に掛ける。

幼い頃から家族同然の付き合いで、物心付いた時には、『もう一人の父』として慕っていた。

「すまなかった‥亮君…。」

この人の後悔の念が、痛いくらいに伝わる。

自らの愚かな行いで、大切な娘を失ったのだ。

「ふざけるなっ!!」

途端にそう、怒鳴りながら岩屋が親父さんの胸座を掴んだ。

「やめろっ…!岩屋っ!」

俺は必死に岩屋を止めた。

「零を始末しようと考えただと?!
あいつが今‥今までどれだけ辛い思いをして生きて来たと思ってんだっ!!」

「よせっ!」

怒りに駆られた岩屋を制御するのは難しい。

ハッキリ言って、腕力は五分五分だ。

岩屋の身体を止めるだけで精一杯の俺は、奴の口を塞げない。

だから、親父さんの顔は強張って、希望の眼差しを岩屋に向けるんだ。

それは…

決して出してはならない欲になる。

「…れい?
あの子は‥まだ、生きているのか…?」
縋る様に岩屋にしがみ付く親父さんに、ようやく岩屋は身体の力を抜いた。

怒りにまかせて放ってしまった失言に、「チッ」と舌打ちをして返す。

「教えてくれ…!
あの子は…私のもう一人の娘は生きているのか?」

もう一人の娘…

俺は、親父さんの肩を抱いて

「貴方の娘は、死んだ芽依だけです。
他にはいない。
最初から、存在していないんです。」

そう、言った。

零は…芽依の代わりであってはならない。

もう二度と、誰もそれを望んではいけないんだ。

「藤森さん、行きましょう。」

そして、俺も二度とこの人を親父だと思い、そう呼ぶ事はしないだろう…。

No.237 12/09/24 01:35
ゆい ( W1QFh )



年老いて、小さくなった彼の背中を押して応接間のドアを目指した。

俺が空ける間もなく、ドアは開いた。

目の前で血相を変えて息を切らす男に、俺は一瞬だけ肩を竦めた。

「亮…お前っ!
一体、何のつもりだっ!」

男は俺の肩を掴んで、血走った目を向けた。

「父さん…」

この人こそが、俺の実の父親だ。

父は、藤森氏にかけられた手錠に酷く憤慨していた。

「勝手に家を出て、刑事になったかと思えば…お前がやりたかった事がコレかっ!!」

「…………」

何と答えれば良いのか分からずに口を紡いだ。

やりたかった事…

真実が知りたかった。

芽依が犠牲になった事件の真相。

それだけが、俺の生きる目的だった。

それなのに…

真実は、あまりにも残酷だった。

「亮っ!
お前は、何も分かっちゃいない!
藤森さんが、社会にどれだけ貢献してきたか!
日本経済を支える藤森製薬が、こんな事で業績を落としてみろ!!
路頭に迷う人間がどれだけ出るか、どれだけの経済悪化を招くのか!!」

父は、藤森製薬の顧問弁護士だ。

両家は互いに、曾祖父からの古い付き合いがある。

俺が、かつて弁護士を目指していたのも家業を継ぐ為だった。

今なら解る…

どうして、俺が芽依の許婚だったのか…

父は、芽依の出生の秘密を知っていたはずだ。

将来、芽依がその事で何らかの罪が課せられた時…それを法律で守るのが、俺の役目だったのだろう。

俺は、芽依の為ならば決死の覚悟で彼女を守るからだ。

きっと、藤森氏を守ろうとする今の父と同じ様に…

「…罪は罪です。
父さんの言い分は、裁判で聞きます。」

「亮っ…貴様!
藤森氏が、核細胞を移植した当時には、今の規制法は無かった!
それなのに、今更彼に何の罪が課せられるというのだ!」

「そのツケが、今頃回って、沢山の死傷者を出すテロを生み出した!!
そして……っ」

そして…

一人の少女が、それに立ち向かおうと今も苦しみながら戦っている…!

それは…

傲れたエゴで作り出された人間の叫びだ。

No.238 12/09/24 10:03
ゆい ( W1QFh )



――…

どのくらい時間が経ったのか…?

ここには時計がない。

戯れに寝るだけの部屋は、絢爛豪華な内装とは裏腹に、他の娯楽を味わう物が一切ない。

ベッドに横たわり、眠る事を拒む。

睡魔に抗うのに抓った腕には、幾つもの痣が出来た。

その広がった痣を眺めていると、ドアの鍵がカチリ…ッと施錠される音がした。

私の肩は跳ね上がり、鼓動が早くなる。

重たい扉が少しずつ開いて、廊下の光がペルシャ絨毯の色を鮮やかに見せた。

恍惚とした人影に、私は怯える。

スラリとした細いシルエットと、ふわふわとした柔らかい毛質。

ドアが閉まると、途端に部屋は薄暗くなった。

“彼”が、私に近寄って来る。

その表情は見えないけど、微笑んでいる様にも感じた。

「レイ…。」

ベッドに私以外の身体がのしかかって、スリングが沈む。

彼の長くて細い指が、私の長い髪に絡まる。

「ずっと、会いたかった。」

近づく彼の顔に、思わず瞳を固く閉じた。

「怯えないで…。 レイ、君は僕だけのもの…。」

「やめて…」

やっと発した一言が震えた。

彼は、私を引き寄せて抱き締めた。

「やめて…修也…」

「嫌だよ‥。
レイ、僕は君を愛しているんだ。
もう、絶対に離れない…。」

それは…まるで、愛しい恋人に贈る様な言い方だった。

兄妹の再会を喜ぶ感じとは程遠い。

「私達…兄妹でしょ…?
あんたは、私の兄よね…?」

修也の唇が、私の首筋をなぞる…。

こんな事‥
普通じゃない!

「…兄妹なんかじゃない。
君は、ずっと昔から僕の“恋人”なんだ。
愛おしい、僕だけのオディールさ。」

“兄妹”じゃない?

私は…彼の妹じゃないの?

オディールって何の事‥?

「訳が分かんない。 あんた…正気?」

「‥僕が正気だった事なんて、ただの一度もないよ…。」

そう言って、修也は私の身体ごとベッドに沈んだ。

No.239 12/09/25 01:35
ゆい ( W1QFh )



「や…っ、離せっ!」

「嫌だっ!」

「離してっ!!」

修也の肩を押し上げて、力すぐで彼を突き飛ばした。

高瀬や岩屋に比べれば、修也なんてひ弱だ。

私は、修也を睨み付けて威嚇する。

「…悪い子だ。」

修也の腰から出された黒い塊。

それは、私に向けられた拳銃だった。

「…私を殺すの?」

「レイ、僕が求めているのは今の君じゃ無いんだ。
『計画』の遂行には、君ではダメなんだよ…。」

計画の遂行…?

「今の私じゃダメって、どういう事‥?」

向けられ銃口に、身体が反応して後ろに仰け反る。

修也は銃のロックを解除して、引き金を引いた。

鼓膜が割れそうな衝撃音で、私の耳が悲鳴をあげた。

顔を掠めた銃弾に、恐怖感が募る。

「外したね…。」

『今度は外さない。』とでも言わんばかりに、修也は私の頭を掴んで枕へと顔をうずめた。

抵抗しても、大声で叫んでも、無駄だった。

私は、彼の持つ銃に怯えて身体が動かない。

悲鳴は枕で遮らる。

「じっとしていれば、直ぐに終わるよ。」

後頭部に突き付けられた拳銃…

それは…私の辛くて恐ろしい記憶を呼び覚ます。

その間にも、修也は片手で私の衣服を剥ぎ取っていく。

もぅ、一層の事‥死んでしまいたいと思った。

その引き金を引いて、私を楽にして…

『可哀相な零…。』

あぁ…またあの声がする。

『私が助けてあげましょうか?』

辛い‥怖い…

『大丈夫‥その苦しみを味わっているのは、貴女じゃない。』

私じゃない?

『そう、貴女じゃなくて私だから‥貴女は、何も心配しないで大丈夫よ…』

苦しんでいるのは、私じゃないの?

『そうよ…だから、零?
貴女は私の中で安心して眠りについていれば、何も怖い事なんて無くなるわ。』

私は…そこに行ける?

『えぇ…この手を取って。』

私は、伸ばされたその白い手を握った。

“彼女”の赤い唇が微笑んで、私は暗い地の底へと堕ちて行く…。

No.240 12/09/25 03:26
ゆい ( W1QFh )



「修也、痛いわ。」

「レイ?」

サラサラのストレートヘアーが邪魔くさい。

猫っ毛なのだから、巻いたりしないと鬱陶しいったらない。

「零を封じ込めたわ。
これで、貴方の目的は叶うはずよ。」

「…良かった。」

「分かったなら、私から離れて。
それから、むやみに撃たないで…頬スレスレだったわよ?」

「ごめんね‥距離感を掴むのが難しくて。」

私は、修也の手から銃を取って引き金を弾いた。

銃声と共に、修也の頬から赤い血が伝う。

「ホント、距離感が難しいわね…」

掠った傷口に唇を付けて、修也の血を拭う。

「やり過ぎかな…?」

修也は苦笑いを浮かべて『後悔』を口にしたけど、私はそんな彼に対してクスッ…と笑った。

「何にでも、誤算はつきものよ。」

零が、『高瀬 亮』を愛してしまった事なんか特にね…。

それを修也に言わないのは、私の微かな仕返し…。

小さくて、大きな‥
悪足掻きだわ…

No.241 12/09/28 09:40
ゆい ( W1QFh )


――…

「藤森氏は不起訴になりますよ。」

事情聴取を終えて、デスクについた高瀬に言った。

罪に問われた所で、彼にとったら罰則金の一千万なんて端金に過ぎない。

俺は、相変わらず不機嫌だった。

零を消そうとしていた人間が、彼女の実の親だと知ったからだ。

あの日、屋上で求められた祝福の言葉を‥あいつは、他の誰にも捧げられる事なく生きてきた。

産まれた時にですらだ…。

あいつに残された時間は、あと、どの位だろう。

あんな風に手離してしまった事を、今更ながらに後悔している。

「岩屋、藤森が言っていた裏社会のトップって柳原だよな?」

「自供したんじゃないの?」

吐き捨てる様に、雑な返事を返した。

分かりきってる事を言うな。

この苛立ちを、ガキみたいな態度で高瀬に八つ当たる。

奴は、そんな俺を鼻で笑うから、余計に腹が立った。

「澤田は、アルファムにいるだろう。
きっと、そこが決戦の場になる。」

「修也は、もう零と接触しているはずだ。
高瀬、急がないと零は消されるぞ。」

「…消される?」

怪訝そうな顔を向けて、高瀬が俺に問う。

「前から気になってたけど、お前‥一体何を隠してる?
澤田の本当の目的は何だ?」

修也の目的…

それは、恐らく…

「アルファムに行けば解る。」

本当にこれが、最終決戦だ…!

No.242 12/09/28 10:14
ゆい ( W1QFh )



毎週金曜は、仮面の日だ。

俺と高瀬は、タキシードに身を包んでアルファムに潜入した。

公安で用意した運転手付きのリムジンで、さながら若手実業家気取りで中へと入った。

久しぶりに来たアルファムは、変わらず煌びやかで目映い光を放っている。

「お前…恐ろしい位に仮面が似合うな。」

「高瀬さんも、よく似合ってますよ。」

俺達は黒服のボーイに案内されて、ステージから程近い席に座った。

もし、零がステージに立つ事があるなら、この場所は彼女が客にアピールサービスを施す定位置になる。

俺達はドンペリを流しながら、零の登場を待った。

「酔うなよ?」

高瀬が、小馬鹿にしたような口調で俺に言った。

…ナメんじゃねぇよ。

「俺は、ザルですよ。」

だてに、BARの店長してた訳じゃありません!

「高瀬さんこそ、突入の瞬間に、千鳥足なんて事ないようにして下さいよ。」

「バカか、俺だってザルだよ。」

お互い、つまらない酒飲みっすね…。

そんなやり取りをしている中、ステージが真っ暗になった。

響き渡る歓声と、拍手。

中央のスポットライトが当たると、そこには零が微笑んでいた。

No.243 12/09/28 10:41
ゆい ( W1QFh )



彼女は、オフショルダーの黒いドレスに身を包んでいた。

胸元のスパンコールがキラキラと輝いて、シフォン生地の裾から彼女の美しい脚が覗く。

「やっぱ、別人に見えるな。」

隣で高瀬がポツリと呟く。

ステージ上にあがる零は、確かに妖艶になる。

だが、それは演技…単なるパフォーマンスに過ぎない。

零は今まで、あんな大人っぽい衣装を着た事はない。

真っ赤なルージュなんて引かない。

丁寧に巻いた髪を、下ろして舞うことなんて無かった。

あれは…レイだ。

姿形だけで判断している訳じゃない。

あの目元…。

そして、口元…。

作り上げられた妖艶ではない。

この色気は、確かに俺を惑わした“彼女”だ。

その瞬間‥俺は、落胆した。

『間に合わなかった』のだと…―

俺の愛おしい零は、消えてしまったのだと…―

美しくポールに巻き付く彼女を見て、俺は泣き叫びたかった。

『零』と何度でも名前を呼んで、抱き締めて、彼女を取り戻したかった。

零……

俺が会いたかったのは、お前だったのに…

No.244 12/10/01 12:23
ゆい ( W1QFh )



―3年前…

俺は公判以来、再び修也と会った。

「リストはどこだ?」

連続婦女暴行殺人事件関連の、犯人の時効が迫っていた。

婦女暴行罪の時効は10年。

あと、3ヶ月の猶予しかない。

「僕は、そんな物は知らない。」

絶対に口を割らない修也に対して、俺は出来る限りの時間を割いて奴に会いに行った。

なるべく事件とは関係ない軽い世間話から始まって、次第に修也も俺に興味を持ち始めた。

鉄格子前に胡座をかいて話をすると、いつしか修也も体育座りで会話をするようになった。

「君は、僕を憎んでいるんだろ?」

唐突に、修也は俺に対してそう訊いてきた。

憎んでいる…。

その一言に、なにを想って返せば良いのか…。

「…全て、お前が悪いとは思ってねぇよ。」

本心だった。

諸悪の根元は、修也じゃない。

身勝手で、クソ汚ねぇ大人達の欲望が招いた惨劇だ。

「君も、同じ事を言うんだね。」

「誰と?」

俯きながらポツリと言った修也の顔が物悲しい。

そして、その時に思った。
修也はきっと、誰かに慰められながら寄り添われた相手がいた事を…。

修也は、決して孤独では無かったはずなんだと…。

No.245 12/10/01 19:32
ゆい ( W1QFh )


それは“誰”だ?

いくら修也が零に依存していたって、幼い零には修也を支える事なんて出来ない。

まさか…『彼女』か?

「修也、お前…」

「僕は、誰にも言わない。
そして…誰にも言わせない。」

上機嫌だった修也の表情に、陰りが見えた瞬間だった。

『誰にも言わせない』とは、修也の他にその事を知っている人物がいるって事か…。

俺の脳裏に零が浮かんだ。

だが、零は記憶を無くしている。

その謎を紐解くには、零の記憶を呼び覚ますしかないのか‥。

俺は、意を決めて修也に零の事を話した。

「お前の妹と出会ったよ。」

その一言は、修也の興味を一番ひいた様だ。

奴は、鉄格子に顔をギリギリまで近づけて俺に尋ねた。

「レイは、どんな女の子になった?!」

期待と、不安を秘めた奴の瞳。

「どんなって…顔は、『藤森 芽依』そのものだ。
彼女を覚えてるだろ?
性格は、素直な天の邪鬼だな。」

「素直な天の邪鬼? レイ、僕を覚えてた?」

「いいや…零には記憶がないんだ。
幼少時代の事は、何も覚えてない。」

「そう…なら良いんだ。
悲しい頃の記憶なんて無い方が幸せだ。」

修也は、ふぅ‥と、安堵の息を漏らす。

奴のそんな態度に、妙な違和感が走った。

これは、刑事の勘にしか過ぎないが、これが結構当たる。

「修也、お前…零に何かしたのか?」

俺が問うと、修也の口角がゆっくりと上がった。

No.246 12/10/02 00:39
ゆい ( W1QFh )



「レイが覚醒した時に、僕らの罪が暴かれる…レイは、耐えかねる仕打ちを受けて悪魔になったんだ。

岩屋さん、レイはとても危険な女の子なんですよ…だから気を付けて。」

『僕は、貴方に死んで欲しくはないから…。』ニヤリと、不適な笑みを浮かべて修也は付け足した。

この時、俺はある仮説を思い浮かべた。

零は防衛反応から、事件の主犯格を殺害してしまったのでは…?

そして、そのショックで記憶を無くした。

それから、多分…

零にはそれ以前に多重人格の疑いがある。

そうすれば、修也の言っている話しの辻褄が合う。

ただ、今一つ解らないのは‥

「何故、零は『藤森 芽依』と似ている?」

「それは…彼女達が同じ遺伝子を持っているからさ。
レイは、僕が造った芸術品なんだよ。」

修也の白くて滑らかな質感の肌は、不気味な程の美しさを放つ。

奴は…人間とは言い難い、静かな狂気に満ちた怪物だ。

零は…今でも、その怪物に捕らわれている哀れな鳥なのだ。

「岩屋さんには、レイがまるで、白鳥の様に美しく見えるんでしょう?」


白鳥?

初めて、零に出会った日の事を思い出した。

俺には、彼女が天使にも悪魔にも見えたんだ。

だけど、彼女と過ごす時間が増えれば、零は俺にとって、ただの愛おしい可愛い女でしかなかった。

「レイは、汚れのない白鳥なんかじゃない。
美しさで群集を騙す黒鳥なんだよ。
僕だけの…愛おしいオディールなんだ。」

黒鳥…

零の消された記憶には、最悪な結末しかない。

修也の口から出るのは、そんな不安を煽るものばかりだった。

No.247 12/10/06 13:36
ゆい ( W1QFh )



今、俺の目の前にはレイがいる。

冷たい瞳で、こっちを見ている。

結局、修也からリストを聞き出す事は出来ず、犯人達の時効は成立した。

今は全員、警察の管理下にはあるが単なる保護…罪は咎められない。

無論、その中には俺の姉ちゃんを暴行した奴もいる。

でも俺は、そいつを探らなかった。

知ればきっと、そいつを殺してしまうからだ。

そう思った時、自分の人間臭さを思い知った。

高瀬の様に、自分の家族や周りを裁く強さは俺にはない。

まだまだ、自分はガキだったと少しだけ高瀬に負けた感じがした。

「あいつ…何か、おかしい。」

高瀬の横顔に目を向けた瞬間だった。

何かを感じとった奴が、独り言のように呟いた。

そして、舞を終えたレイが舞台に足をついた。

歓声と拍手に包まれながら、客席テーブルをまわる。

ゆっくりと、彼女は俺達に近寄って微笑みを浮かべた。

「…仮面の下は、だぁれ?」

テーブルに肘を乗せて、頬杖をつきながら俺達を交互に見比べる。

No.248 12/10/07 01:51
ゆい ( W1QFh )


黒目がちな瞳をパチクリと瞬きさせて、此方を見つめる。

その仕草は、零と重なるのに…。

「高瀬さんと、岩屋さんでしょう?」

レイはそう言って、俺の仮面に手をかける。

ゆっくりと、視界が広くなって行く。

「当たり…」

「……っ!」

視界いっぱいにレイの顔が飛び込んだ。

そして、彼女はいきなり俺の唇に口付をした。

俺は、彼女の唇の柔らかさを感じつつも、隣にいる高瀬の視線を気にした。

「…大好きよ、聖二。
また会えて嬉しい。」

レイは微笑みながら、ベロア素材のソファーに腰掛ける俺の膝元に座る。

「レイ…お前っ!」

惚れた弱みだ。

彼女の行動の一つ一つに、心臓が跳ね上がる。

戸惑いながらも抵抗をしないのは、それ以上の喜びを感じているからなんだ。

…バカだ。

彼女の思惑なんて、端っから分かりきっているのに。

ほら、見ろ。

こんなに容易く、胸ポケットから銃を奪われて手を挙げているんだからな。

隙だらけの俺のせいで、高瀬は銃を取り出すタイミングを失った。

「高瀬さんも手を挙げて後ろに回して!」

「零…お前…」

「動かないで!
少しでも動いたら、聖二の心臓を撃つわよ!」

こんな状況でも、俺はレイの太ももを覗き込む。

…ガーターベルト。

ちょー…セクシーなんですけど。

No.249 12/10/08 22:03
ゆい ( W1QFh )


「こんな時でも、気になるのは私の脚?」

揶揄するようにレイが笑う。

「…すけこまし野郎。」

レイが俺に、抱っこちゃんスタイルで座っているのが気に入らないらしい高瀬は、大人げない憎まれ口を叩く。

「レイちゃん、背中が痒いんだけど…」

手を挙げて身動きが取れない。

「代わりに腕を回して掻いてよ。」

苦渋な表情を浮かべて、身体を傾ける。

「仕方ないわね…、下手な真似はしないでよ?」

レイは溜め息を吐いて、俺の拳銃を頭に突き当てる。

身体をより密着させて、背中へと片腕を伸ばす。

「今だ!!」

俺は叫び、レイの身体を押し倒す。

銃声が耳を掠めて、何も聞こえない。

「総員確保ーっ!!」

高瀬がレイの手から俺の銃を奪い取るのを確認してから、もう一度、大声でそう叫んだ。

客に扮した刑事達が、一斉に立ち上がって銃を構える。

今夜のアルファムには、一人も本物の客はいない。

全員が、潜入捜査員だ。

それに気付いた店側の用心棒達も、わんさかと奥から出てきた。

華やかなステージは、一瞬にして騒然とした格闘場へと変貌した。

「離してっ!」

「大人しくしろっ!」

暴れるレイを、高瀬が押さえ付ける。

その隙に、俺は柳原と修也の姿を探した。

耳は相変わらず、キーンとした耳鳴りにやられている。

俺の銃は、重量のあるメガハンドだ。

上手く避けたのは良いが、下手すりゃ聴覚は暫く戻らないかも知れない。

コレで、いきなり修也が後ろから攻撃してきたら…本気でヤバい。

そんな最悪な事を考えると、つい笑ってしまう。

…確実に俺は、恐怖を感じている。

死ぬ事なんて、怖くは無かったハズだ。

だけど、実際…

死を間際に感じるともの凄く怖い。

なぁ、姉ちゃん…

今更だけど、姉ちゃんの恐怖や絶望を思い知ったよ。

怖かっただろうな…

ごめんな。

ちゃんと守ってやれなくて、ごめん…。

こんな事言ったら、小突かれるかもしれないけど…

姉ちゃん、

俺を守ってくれ。

ばぁちゃんと二人で、そこから俺を見守ってくれよ?

No.250 12/10/12 16:24
ゆい ( W1QFh )


――…

「離してっ!!」

針先の様に尖った眼差しで、零が睨む。

掴み上げた手首を後ろに回して、固定する。

すると、酷く腫れ上がった零の中指が視界に入った。

岩屋のコルトは、「ハンドキャノン」と言われる大型の拳銃だ。

細指で引き金を弾いても、その衝撃で指を痛めてしまう。

寧ろ…よく撃てたよな。

色々な意味で。

ソファーの背もたれを貫通して、壁に埋め込んだ弾丸を見る。

壁は、天井までひび割れていた。

あんなので頭を撃ち込まれたら、脳みそ飛び散らして即死だな。

避ける自信はあったとは言え、岩屋の勇気には感服する。

「お願いっ…亮!」
下でもがく零の声に、俺は再び視線を彼女に戻した。

彼女はうっすらと涙を浮かべて、潤んだ瞳を俺に向けていた。

「亮、痛いわ‥お願い…離して。」

懇願する零に、俺は今まで感じて違和感が何であるかが分かった。

「お前は、誰だ?」

零は、こんな芝居を打たない。

強がりなアイツは、こんな風に弱々しくは縋らない。

色仕掛けを仕込まない。

何より…俺を下の名前で呼んだりはしない。

俺に、芽依を連想させる仕草も、言動も取らない。

それが…本物の零だ。

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