薄茶色のセロファン
あこがれのトム先輩をめぐる学生たちの思惑。
くり返される毎日の中で、「私」と女子と先輩たちとの追いかけっこは、続いていく。
普段トム先輩に眉をひそめている先生達も、腕組みをして、じっと作品を見つめ、何も言わず帰っていった。真剣に見ている人もいれば、あきらかにトム先輩目当てのやかましい女の子集団もいた。様々な種類の制服に身を包んだ女の子たちが、その作品をくいいるように見つめ、なにかパワーを授かっているかのごとくその場にたたずみ、やがて去っていった。
午後に入ると、急に人が来なくなり、美術室の中はひしめき合う作品たちがとり残されて、がらんと静まった。
1時から体育館でビンゴ大会が始まったので、みんなそっちに行ってしまったらしい。
私は、1枚目のビンゴカードが早々とハズれたので、なんだかバカバカしくなって、一人体育館を抜け出した。
あんなとりとめのない喧騒の中にいるよりも、トム先輩の作品のそばに、少しでも長くいたい。
やっぱり、アート展には、誰もいない。
中に入っていくと、様々な絵画や、彫刻や、版画の作品たちが、私を出迎えてくれた。
お母さんの胸像、静物画の版画、大きなキャンバスに描かれたもつれあうサッカー部員…
写実派の部長は、写真のような絵を三枚描いていた。
3年生の、アメリカから来てる留学生の女生徒の絵と、校庭のソテツの木と、60年代のレコードがバラバラに重ねられたテーブルだ。
涼子の作品は、キャンバスの上に、写真のネガが幾重にも一直線に貼り付けられて、黒っぽい下地には、涼子のアップらしい顔のラインが浮かび上がっている。写真部の彼氏と共同制作したというのが、一目瞭然だ。
やっぱり、あのコ、ナルシストだ。
そんなことを思いながら、そのとなりにある自分の作品に目をやる。
「Him」というタイトルの作品は、青っぽい。夢の中に出てくるような青色だ。外国の俳優とかアイドルを見ながら描きあげたその少年は、少しうつむき、口の前で両手を組んでいる。
教頭が、この絵を見て、「このモデルは、ジェームス・ディーンかい?」とたずねた。私は、「いいえ、ちがいます」と答えた。教頭は、「ふうん、そうか… 君も一度、『エデンの東』を見てみるといいよ」と言って、立ち去っていった。
ふと、誰かが入ってきた。窓から、おだやかな秋の風が吹いてくる。
ふり返ると、トム先輩だった。トム先輩は、金褐色の髪を揺らしながら、いつになくナイーブでやさしい表情で、ずっと前からそこにいたように、自然にたたずんでいた。
「その絵のモデル、オレってゆーの、ホント?」
また、こんな風に突然に、この人は、私の心を揺さぶってくる。
でも、なんてそれが、心地いいんだろう。あきらかに、さっきまでとは、空気の質が変わっていくのがわかる。
「……ちがいますよ」
「そっか。オレもこれ見て、なんかちがうなって思ったんだ。じゃ、この人は、ゆず子ちゃんの理想の男性?」
「それも、ちょっとちがいます。どこにもいない人なんです」
「I see。そうだね。彼は、どこにもいない」
そう言って、トム先輩は、じっと私の絵「Him」を見つめた。その瞳が、今まで見たことのない、深くてまっすぐな瞳だったので、私の胸は、チリチリと、熱くなっていった。
「トム先輩」
「はい」
こちらを見たトム先輩の顔は、いつもバカ騒ぎしている時の子供じみた顔じゃなく(そういう顔も、すごく好きだけど)、私にだけ向けられた、遠く、落ちついた表情だった。
「私、トム先輩のこといつも見つめてて、憧れて、トム先輩の姿を見れるだけでしあわせで… 入学式のときから、ずっと、見てました。いままでいろいろ、イヤなこととかたくさんあって、自分に自信がなくて、学校やめたい、とか考えたこともあって、でも、いまこうしてここにいることができるのは、きっと、トム先輩がいたからだと、思うんです─」
想いが、言葉となって、こぼれおちていく。だんだんと声がふるえていき、ふみしめた足から、小刻みに力が抜けていく。
トム先輩は、整った顔で、私のたどたどしい告白を、きちんと聞いてくれていた。
「私、トム先輩が、この学校からいなくなっても、ぜったいに、トム先輩のこと、忘れません」
そこまでいうと、なんだか泣きそうな気持ちになった。
「好きな人ができても?」
ふいに、トム先輩のこげ茶色の瞳が、キラッと光る。
「好きな人ができても… 忘れません。トム先輩は、特別なんです」
「そうか」
トム先輩は、私から目をそらし、ゆっくりと、自分の作品の前に移動した。
なんだか、うつむいたその表情は、笑っているように見えた。
そして、トム先輩は、しばらく作品を見つめたあと、おもむろに右手をのばして、かぶせてある薄茶色のセロファンを、左下から、はがしはじめた。
驚いた私が声をあげることもできずにいる間に、セロファンは、ピリピリと10㎝四方ほど破られてしまった。あとに残った作品の左下に、四角い空間ができる。
「はい、これは、ゆず子ちゃんにあげる」
「でも… もったいないです…」
「いいよ、気にしないで。どうせ、これが終わったら、ファンの子たちにバラバラにして、あげるつもりだから。それで、あんな分けやすい作品作ったんだ」
私は、おずおずと右手をさし出し、セロファンを受けとった。トム先輩から受けとる時、パリッという音とともに、先輩の指先にふれた。
次の一瞬、トム先輩の指が、私の右手の指を、かるく、やさしく、包み込んだ。やさしい指だった。トム先輩の体温が、わずかなふれあいの中でいちどきに私の中に流れ込んできて、体の奥がほてってきた。
「オレも、美術部で、ゆず子ちゃん見てて楽しかったよ」
私は、泣き笑いのような顔になった。
「オレがいなくなっても、学校、やめんなよ」
そう言って、トム先輩は、手をブレザーのポケットに突っ込み、あっさりと部室を出ていった。その時は、いつものおどけた表情に戻っていた。
一人になった私は、手の中のセロファンを、空に透かした。顔に近づけるほど、まわりの風景が、ゆっくりとセピア色に染まっていった。
やがて、寒い季節が過ぎ、センター試験も終わり、トム先輩たちが学校からいなくなる日がやってきた。
卒業式の日、小松さんは、別の男の人と手をつないで帰っていった。
トム先輩のまわりには、ずっと、女の子がまとわりついていた。
それでも、涼子のお兄さんの力添えで、黄色いフリージアを渡すことができた。トム先輩は、笑って、「花屋になれる」と言い、セカンドバックに入れた色とりどりの花束の群れの中に、私のフリージアを差し込んだ。
その時撮った私とトム先輩のツーショットの写真は、今でも、私の一人暮らしの部屋のタンスの上に飾ってある。にっこりと笑うトム先輩、すこしだけはなれて、泣きべそをかく私。
そして、もう一つのフレームの中に、あの時の、薄茶色のセロファンが、たいせつに入れてある。写真よりも、このセロファンを見つめていると、あの頃のせつない気持ちをありありと思い出せる。
トム先輩を、見かけたという人がいた。夜の新宿の街角で、アロハシャツを着て、金髪になって、ビラを配っていたという。
「あの人、もうあの頃のトム先輩じゃないよ。違う人になってたよ。ゆず子、あんたのために言うけど、今のトム先輩の姿を、見に行ったりしないほうがいいよ」
その人は、私にそう言った。でも、私はそれを聞いても、心が揺らぐようなことはなかった。あの薄茶色のセロファン、あの時のトム先輩が、私にとってのトム先輩のすべてなのだから。
どうしようもなく落ち込んだとき、私は、セロファンを見つめて、新たな力をもらう。
舞い上がりそうにうれしいとき、写真の中のトム先輩を見つめ、一緒に笑いあう。
私には、今、たいせつな人がいる。彼はもうすぐ、この部屋を訪れるかもしれない。
彼がはじめてここに足をふみいれる前に、この写真とセロファンは、絶対に彼が見つけられない場所に、移しておこうと、思う。
〈 END 〉
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