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ネグレクト・・子供の心

レス265 HIT数 82913 あ+ あ-

りう( ♀ KHeGh )
10/05/23 21:53(更新日時)

私はなんの為に産まれてきたんだろう。
親の義務ってなんだろう。







私が記憶にあるのは、幼稚園の頃からです。

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No.1308890 10/04/28 22:30(スレ作成日時)

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No.1 10/04/28 22:34
りう ( ♀ KHeGh )

うちの家は幼稚園に入るのも年長の1年だけです。
それまでは公園で遊んだりするだけの毎日。
たくさん友達ができると期待に胸を膨らませた幼少期。
今となっては辛い思い出としか残ってません。

No.2 10/04/28 22:37
りう ( ♀ KHeGh )

母は30才で私を産みました。
私が幼稚園に入る頃ではまだ十分若いと思いますが、年齢よりもはるかに歳をとっていて、幼稚園に入る時に周りのお母さん逹とは明らかに違って見えました。

No.3 10/04/28 22:42
りう ( ♀ KHeGh )

容姿だけではなく、日常的な出来事もまた周りのお母さん逹とは違いました。
私は腰まで髪の毛があり、同じクラスメイトのように可愛く髪をして欲しかったのですが、してもらった事はありません。
いつも輪ゴムで2つにくくってもらってました。
友達からよくからかわれました。

No.4 10/04/28 22:47
りう ( ♀ KHeGh )

なんで輪ゴムなん?
お母さん買ってくれへんの?
貧乏なんやな。

毎日言われた言葉です。
幼稚園に行く前の朝ごはん。
食べた事ありません。
作ってくれませんでした。
それは私がこの家を出ていくまで作ってくれる事はありませんでした。
幼稚園に行くと出席のシートを張ると飴をくれました。
それがお腹を空かせた私には嬉しかった。

No.5 10/04/28 22:53
りう ( ♀ KHeGh )

発表会があると役を決めて必要な材料や衣装は自宅で用意する幼稚園でした。
私は犬の役。
服は無地の茶色。
母に頼んでも、
うちにはない!そんなの先生に何とかしてもらえ!勝手に発表会決めたんは幼稚園やろ!
でした。
結局、先生が用意してくれて発表会にでました。
発表会も餅つきも母来ませんでした。
父親もいますが、母に続き子供は作るだけの人で、ギャンブル命な父親です。

No.6 10/04/28 23:01
りう ( ♀ KHeGh )

幼稚園で必要な小物入れや上靴等、たった1年でも替えが必要になりますよね。
特に成長期の子供には靴は何度も買い換えるもの。
小さくなって痛くなっても買ってくれない。
かかとを踏んではけ!と言われ、
先生にはかかとを踏んじゃダメと言われ痛くてもきちんと履かなくてはならなくて辛かった。
水疱瘡になった時に、いつまでも家におるな!明日から幼稚園にいき!と言われ、連れて行かれるもまだ完全に治ってないと先生に言われ、
私をみた母は私に・・あんたが早く治さんからやろ?と舌打ちしてきました。

No.7 10/04/28 23:10
りう ( ♀ KHeGh )

長くて好きだった髪もショートカットにされました。
理由は鬱陶しい。
髪をくくるのが嫌でした。
私が長くしていた理由は当時欲しかったリカちゃん人形が買ってもらえず長い髪への憧れでした。
玩具を買ってもらった事もありません。
新品の服も年に一度。一枚だけでした。
日頃の服は親戚の子供のお下がりでした。サイズもまちまちで同じ歳の子達とはかなり違った服装でした。
私はこの家で唯一の女の子だったんですけど。
上に兄がいますが私立の幼稚園で服や食事はきちんとありました。

No.8 10/04/28 23:18
りう ( ♀ KHeGh )

日常的生活は、私だけご飯が三食ありませんでした。
小学校に入ると月の半分以上は夜ご飯なしでした。
理由はお前の食べ物はないでした。
皆が寝てからご飯を握って食べてました。
卵を焼いたりすると音がして母が起きてしまうから。
そして怒られるから。
夜な夜なご飯を食べた事に気がつくと翌日の夜にはご飯も空にする母です。
お風呂も1週間に一度くらいか2週間に一度しか入らせてもらえませんでした。

No.9 10/04/28 23:28
りう ( ♀ KHeGh )

私が病気になっても病院に連れていってはくれませんでした。
小学校も行こうが行くまいがどうでもよく、行かなくても家にはいないで欲しいと母はよくいってました。
夕方帰りが遅くても何も言わない。
私は空気のような存在。
私のお世話はしたくないし私のお世話の事でしか怒らない。
集金がいるとか学校で何かがいるといった事です。
母は私に興味がないのです。
私がどんな容姿をしてようが、私の事で学校から指導されたりしようがまるで他人のような態度。
自分に害を及ぼす私が嫌いなんです。

No.10 10/04/28 23:39
りう ( ♀ KHeGh )

小学校の3年生の頃、私の頭にはシラミが湧いてました。
学校から連絡を受けた母は一言・・
汚いな。と言いました。
学校へ行くと保健室に呼ばれました。
そこにいた先生が、
頭の虫、綺麗にしてあげるから、頭洗おうか!といってきました。
私がどのような生活を送っているのか先生逹は皆知ってたんだろうと思います。
当時の私は髪はいつもベトベトでわからないようにといつも1つにくくってました。
制服も一着しかなく絵の具や垢でブラウスは汚かった。

No.11 10/04/28 23:45
りう ( ♀ KHeGh )

保健室の給湯器で頭を綺麗に洗ってもらってシラミパウダーをふる。
それが何日も続きました。
毎日頭をお湯で洗ってもらえる。
こんな当たり前の事が私にはなかったので凄く嬉しかった。
お風呂に入らせてもらえない私は夏の暑い日我慢できなくて夜な夜なベランダで水浴びした事もありました。だから暖かいお湯が嬉しかったな。
でもこれがきっかけで学校ですら居場所を失う結果になるなんて思ってもいなかった

No.12 10/04/29 05:51
KANON ( ♀ VD8Yh )

やるせない気持ち、苦しい気持ちで読んでいます😢

主さん…今は幸せに暮らしていますか?

No.13 10/04/29 13:37
りう ( ♀ KHeGh )

>> 12 レスありがとうございます。
自分で思いだしながら書いてますが、よく生きてこれたなぁって思います。
私の現在はまた最後に書かせてもらいます。
そういって頂けて凄く嬉しいです

No.14 10/04/29 13:41
りう ( ♀ KHeGh )

毎日、休憩時間に保健室に呼ばれ教室に戻ると授業が始まっている。
髪も濡れていたし、クラスメイトからするとなんで?という疑問があったと思います。
私は団地暮らしで同じクラスにも同じ団地の子がいます。
私の頭にシラミがいるという話はどこからか漏れて たちまちいじめに合いました。

No.15 10/04/29 13:50
りう ( ♀ KHeGh )

シラミやってぇ~汚いなぁ~。
風呂入ってないんやろ?
寄ったら移る。
汚れ。気持ち悪い。
と毎日陰口が聞こえてきました。
直接いってこないいじめは今も昔も変わりませんね。
でも叩かれたり、何かされた事はなく、家と一緒でクラス全員からの無視でした。
でも学校には行きました。
だって給食があるから。
いじめられる事より空腹でいる方が辛かったからです。
その頃の学校はまだ口座振り込みではなく集金袋に集金をいれ朝先生に渡す時代でした。
当然、集金を母が出してくれた事もなく、朝、皆の前で、○○さん(私)集金まだですか?と言われ、私は忘れましたしか言えませんでした。
周りからは払う金がないんやろ!なんで給食食べてんな!と毎月のように言われました。

No.16 10/04/29 13:53
りう ( ♀ KHeGh )

しかしある時から、学級費だけでいいと先生に言われました。
なんか奨学金制度みたいなのを使ったみたいです。
数百円なら母は出してくれましたが集金袋からは小銭の音しかならないとまたいじめられました。
ある日、先生が放課後残るようにといってきました。

No.17 10/04/29 14:08
りう ( ♀ KHeGh )

先生が、○○さん、制度を使っているから数千円戻り金が出てるんやしな。このお金はあなたのお母さんにかえさなあかんのやけど・・。
先生は何やら考えながら私にこう言いました。
○○さん!欲しいものないか?文具しか無理やけど戻り金で欲しいもの買って残りをお母さんに返すから!と。
私は戸惑いました。
お母さんに怒られますと答えました。
先生は、大丈夫や!
これはあんたの為のお金や、このままお母さんに返してもあんたの為に使ってくれる事はないと思うと先生は寂しげにいいました。
なんだか嬉しかった。
涙がでた。
しばらくして、
先生・・私、鉛筆削り欲しい。下敷きも鉛筆もノートも・・。
先生はそっか!じやぁそれ頼んだるよ。
お母さんの事は先生に任せとき!
また数ヶ月したら戻り金がくるからその時またたのもな!って行ってくれました。
人の暖かさが身にしみて号泣したのを覚えています

  • << 20 しかしそれも1年で終わりました。 母は私を叱ることはなかったけど、学校で買ってくれるなら私が買わなくてもいいわな!って言われたくらいです。 母は私の前でお母さんと自分の事を言わない。私と言います。兄の前ではお母さんなぁ~なんですけどね。 私は次に何を買おうか考えていたのに何も知らされなかった。 文具がなくなると母にお願いして買ってもらってました。 母の機嫌がよく、給料日の翌日にいうようにしてました。 その別の日なんかにいうと、金がかかるやつ!知らん!と言われた。 鉛筆がもう持てないくらい小さいんです。消しゴムもないんです。 決して粗末に使ってないのに、私はお金がかかるんだろうかと思ってました。 買ってもらえないので学校の落とし物入れからもらってました。 そうして日々必要な文具を手にしていた私にはたった1年でも学校で買えて良かった。
  • << 91 本当に…私も、涙が止まりません。まだ途中までしか読んでませんが、今現在の主さんが、幸せでいて欲しいと思います。また、これから未来の主さんが、末長く幸せであって欲しいと思います。 …では、先に読み進めます。

No.18 10/04/29 14:34
みき ( 30代 ♀ Mv87h )

胸が苦しくって涙が溢れてきます。

今、娘が風邪で熱出して看病してますが、咳が出ている娘の背中をさする位しか出来ないけど、それすらしてあげない親の下に産まれた子… 1人で苦しんでる子が世の中に居ると思うと 切ない気持です。


主さんが今は幸せになってる事を祈りながら読ませてもらいます。

No.19 10/04/29 15:55
りう ( ♀ KHeGh )

レスありがとうございます。
優しいお母さんですね。
病気をすると心細くなるものです。
傍にいてくれるだけでお子さんは幸せなはずですよ。
まだまだ過酷になっていきますが良かったらまたいらして下さい。

No.20 10/04/29 16:05
りう ( ♀ KHeGh )

>> 17 先生が、○○さん、制度を使っているから数千円戻り金が出てるんやしな。このお金はあなたのお母さんにかえさなあかんのやけど・・。 先生は何やら考… しかしそれも1年で終わりました。
母は私を叱ることはなかったけど、学校で買ってくれるなら私が買わなくてもいいわな!って言われたくらいです。
母は私の前でお母さんと自分の事を言わない。私と言います。兄の前ではお母さんなぁ~なんですけどね。
私は次に何を買おうか考えていたのに何も知らされなかった。
文具がなくなると母にお願いして買ってもらってました。
母の機嫌がよく、給料日の翌日にいうようにしてました。
その別の日なんかにいうと、金がかかるやつ!知らん!と言われた。
鉛筆がもう持てないくらい小さいんです。消しゴムもないんです。
決して粗末に使ってないのに、私はお金がかかるんだろうかと思ってました。
買ってもらえないので学校の落とし物入れからもらってました。
そうして日々必要な文具を手にしていた私にはたった1年でも学校で買えて良かった。

No.21 10/04/29 16:31
りう ( ♀ KHeGh )

これが小学3年生までの話です。
でも次の四年生から本当のネグレクトの怖さを知る事になりました。
当時、私は団地に住んでいるといいましたが、まだ私生活の詳細はのせてなかったのでお話します。今からお話する事は私が家を出るまでかわりません。

No.22 10/04/29 17:03
りう ( ♀ KHeGh )

家は2DKの団地でした。
1部屋は両親、もう1部屋は兄と私です。でも押し入れの中が私の部屋です。
兄がその部屋を1人で使っていて私は押し入れに布団をしいただけ。このスペースが私の居場所です。
もちろんタンスも机も、持ってません。
布団の端に畳んだ衣服を重ねてあるのみです。
幸い母は洗濯だけはしてくれました。
染み抜き等はしてくれなかったので白い服は洗っても汚いままなのでなるべく白い服はきてません。
記憶にある時から、布団は万年床でした。だから直接布団に寝ると身体中がダニに噛まれて痒かったので何か上に敷いてないと寝れませんでした。
自分が大きくなってきたころから自分で布団を干せるようになったのでよく干しました。
どんなに叩いても埃がなくなる事はありませんでした。

No.23 10/04/29 17:09
りう ( ♀ KHeGh )

押し入れにはふすまの替わりにカーテンがしてあります。
テレビは兄の部屋にあるもののみたいテレビは見れないし、扇風機やヒーターも兄用にあるのみ。
冬はいいんですが夏は扇風機が私の方に向かないし、押し入れだしで寝るに寝れない。
夏場の私はとても不潔ですよね?
基本的に私は押し入れで過ごします。
みんながご飯食べてる時もお風呂に入ってる時もいつも誰からも相手にされる事なく押し入れでいました。

No.24 10/04/29 17:15
りう ( ♀ KHeGh )

その時の気持ちをいうと・・なんとも言えないほど悲しかったです。
いつもお腹は空っぽなのに隣の部屋からご飯の臭いとみんなの話し声が聞こえてきます。
よく泣きました。
いつもうちは貧乏だから私のご飯や服とかまでお金が残らないんだ・・ 。
お風呂もお湯がなくなるからなんだ・・と都合よく考えてました。
そうゆうふうに思わないと生きていけませんでした。

No.25 10/04/29 17:23
りう ( ♀ KHeGh )

家でも私は飯使いでした。
母が私を呼ぶときは必ず用事を頼むため。酒を買ってこい。
コンビニ行ってこい。です。
お使いを頼まれ出したのはちょうど3年生くらいからです。
それまでは家事手伝い程度でした。
雨が降っていても夜遅くでも買いにいかされました。
頼まれたものが見つかるまで何軒も店を回らさせられました。
空腹で辛くても、母や兄の頼む、お菓子やジュースを買いに行かされる。
これが1番辛かったです。
次第に名前を呼ばれる事に恐怖を覚えだしました。

No.26 10/04/29 17:26
りう ( ♀ KHeGh )

この時、わずか9歳です。
そしてここから四年生の話です。
私は四年生に入った頃から体に異変がおき始めました。

No.27 10/04/29 18:31
りう ( ♀ KHeGh )

当時はわからなかったのですが、今かんがえれば、よく貧血を起こす子になってました。
しかし幼い私は貧血とは知らずお腹が空いてるから気持ち悪いんだと思って母がいないうちになんの味もない白いご飯を必死に食べました。そうすると体調はよくなったので。
まさに単純です。
あまりにも酷い貧血を起こすと嘔吐してそのまま倒れる事がしばしばありました。体には悪寒がはしり少しでも身体を動かすと吐きそう、しゃべる事もできずトイレの前で倒れてました。
すると母が一言。
何、しんどいふりしてんな!わかった。お前明日学校やから仮病つかってんやろ?
でした。
涙目で横たわる私に母がはなった一言。
初めて【死にたい】と思いました。
しばらく経つと少し動けました。
過呼吸になりながらやっと押し入れに帰りました。
ここまで酷くなると寝るしかない。
寝たら治ると信じてました。
明くる日、体調は優れないものの良くなってました。あまり酷い時は寝ながら嘔吐した事もあります。これも度々起こるようになりました。
後は胸や肋骨、関節等の痛みがでてきました。
息ができないほど痛くなることもよくあり、長くて一時間ほどで治ります。

No.28 10/04/29 22:43
りう ( ♀ KHeGh )

小学校の高学年になると成長過程で大人顔負けのエネルギーをつかいます。
身体も急成長する。
いわゆる育ち盛りです。
それなのに、満足に食事を与えてもらえないとどうなるか。
常に栄養不足。
身体の中は飢餓状態であり、肉体にもその影響はでます。
まさに私がその状態でした。
人間は飢餓状態に陥ると起きている事すらエネルギーをつかう為、脳は生命を維持する為眠らせようとします。
私は休みになると10時間以上は寝てました。

No.29 10/04/29 22:50
りう ( ♀ KHeGh )

貧血も家でしかなりません。
特に夏休み、冬休みと長い休みが続くとよく起こりました。
理由はもちろん給食がない。1日ほとんど何も口にできない。
そんな日々が続くからです。
でもそんな中で唯一救いだったのは少ないですが二人の友達でした。
よくご飯を食べさせてくれたり、パンをくれたり。
時にはお風呂も使わせてくれました。
だけど毎日とはいかないです。
あまりこれ以上迷惑はかけれないし。
でも前のようにご飯だけを食べるだけでは持ちませんでした。

No.30 10/04/29 22:55
りう ( ♀ KHeGh )

お金を稼げない。
お金がないと食料が買えない。
買えないと食べれない。
私はいけない事だとはわかっていたけどどうしても空腹に耐えきれず万引きをした事もあります。
しかも何度も。
生きる為には盗むしかなかった。
食べなくては身体が動かなくなる。
豊かな国に産まれたはずなのに、まるで異国のスラムの子みたいです。

No.31 10/04/29 23:02
りう ( ♀ KHeGh )

食料以外に万引きした物もありました。
それは下着です。
下着だけはお下がりはありません。
女なのでオリモノで下着が汚れる事はよくありますよね。
私は下着を三枚しか持ってませんでした。
いつかってもらったか覚えていないほど汚くて小さくなってました。
何度も買って欲しいとお願いしましたが、無理でした。
足の付け根部分が小さくて痛くなると下着のゴムを切ったりしました。
でも無理があります。
私には盗む以外方法がなかった。

No.32 10/04/29 23:06
りう ( ♀ KHeGh )

ある時、万引きが見つかり捕まりました。
母が呼ばれました。
怒られると思っていました。
でも店にきたのは友達のお母さんでした。
お母さんね、来れないみたいでたのまれたんよと困ったようなめんどくさいような顔をしてました。
友達のお母さんに誤りお店も許してくれて家に帰りました。
怒られるだろうと思ってた。

No.33 10/04/29 23:13
りう ( ♀ KHeGh )

家に帰るとテレビを見てる母。
来れないは嘘でした。
私を見るなり一言。
捕まるくらいならやるなよ!どんくさ。要領悪いんじゃ!でした。
忘れてました。
母が私を怒るなんてないのを。
興味がなかったんだった。
悪いことして子供に怒るのは躾です。
その子の為に怒るんです。
私の為に母が怒ってくれた事は一度もありません。
私は怒られる事になれていません。それは今でもです。
すぐ泣いてしまいます。

No.34 10/04/29 23:18
りう ( ♀ KHeGh )

身体の不調は続きました。
食事をとっていれば貧血にはなりませんでしたが、胸や肋骨、身体のあちこちが急に痛くなる。
お腹いっぱい食べれないは続きました。
小学校の6年生になった頃、生活は相変わらず変わらない。
でもそろそろ反抗してやろうと思うようになりました。

No.35 10/04/29 23:23
りう ( ♀ KHeGh )

まずはいじめから。
陰口をたたかれると三倍にして言い返しました。
男子の場合は文句を言われたら殴りました。
周りが変わらないなら自分が変わるしかないと強く思いました。
誰も陰口は言わなくなったけど嫌われている事に変わりはない。
でも一人にはなれてます。
群がってその中でしか行動できない人間より一人の方が自由だと思ってました。
次は家です。

No.36 10/04/29 23:30
りう ( ♀ KHeGh )

でも家に対する反抗はすぐに実行できませんでした。
虐待された経験のある人にはわかると思いますが、洗脳されてるんです。
逆らえない。捨てられたくない。虐待する人が絶対の存在なんです。
捨てられたくないは子供によくみられる傾向です。
私もそうでした。
文句を言えば捨てられるのではないか。
いつか愛してもらえるんではないか。
そんな気持ちがあるからです。
反抗するようになったのはもう少し先です。
またお話します。

No.37 10/04/29 23:33
りう ( ♀ KHeGh )

ちょうど6年生の頃に生理がきました。
私はガリガリで生理がくるなんて思ってもいなかったが身体がなれていたのかきました。
この先どんなに痩せても生理が止まる事はありませんでした。

No.38 10/04/29 23:40
りう ( ♀ KHeGh )

小学校を卒業するとさらなる悲劇が。
中学校はお弁当でした。
どうしよう・・。
初めてお弁当がいる日。
母が珍しくお金をくれました。
私はコンビニ弁当をわざわざ普通のお弁当箱に詰めて持っていきました。
翌日から毎日300円くれるようになりました。
パン1つにジュースを買って昼ご飯にしてました。
母はお弁当を作りません。
遠足の時や運動会の時もでした。
その時は父にお金をもらいお弁当を買ってました。

No.39 10/04/29 23:46
りう ( ♀ KHeGh )

でもお金をくれたのは1週間だけでした。お弁当がなければ学校にいけない。
また食べれない。
私は母の財布からお金を盗るようになりました。
お弁当を作る材料もなかったし。
でも母から盗んだお金を遊びに自分の物につかった事はありません。
ただただお弁当や夜ご飯にだけ使いました。私の中の罪悪感でしたから他に使えなかった。

No.40 10/04/29 23:52
りう ( ♀ KHeGh )

部活も初めは必ずどこかに入らなくてはいけなくて、適当に入部して翌日退部しました。
入りたい部活はありましたけど、部活をするにはまたいろいろ揃えなくてはならない。
到底買ってもらえないのはわかっていたので帰宅部になりました。
学年で一番初めの帰宅部が私でした。
中学校に入ってからは勉強も頑張って居場所を作りたくて必死でした。
でも二年生のある日から、私は変わりました。
理由は母です

No.41 10/04/30 00:00
りう ( ♀ KHeGh )

二年生のある日。
珍しく酔っ払って帰ってきた母。
私に話しかけてきました。
「私なぁ~あんたを産むつもりなかったんよなぁ~。お父さん以外に好きな人おって、妊娠したんやけど、産むわけにいかんからおろしたらものすごい罪悪感がでてもてなぁ~。その人とは別れたんやけど、そうこうしてるうちにあんたができて、お父さんの子やで~あんたは。でもあんた下ろしてあの人の子、生んどきゃ良かったわ~」
と言われました。
父への愛情はすでになかったようで、愛してない男の子どもより好きな人の子どもを産みたかったようです

No.42 10/04/30 00:08
りう ( ♀ KHeGh )

そうだったんだ。
薄々わかってた。
でも認めたくなかった。
お母さん・・やっぱり私の事いらなかったんだね・・。
だから私を可愛がってはくれなかったんだね・・。
ぎゅって抱きしめてくれた事ないよね。
用事がない時は私の名前呼んでくれなかったね。
頭を撫でてもらったことも褒めてもらった事もないよね・・。
お母さん・・
ごめん・・本当にごめんなさい。
産まれてきてしまってごめんね・・。
ただ愛して欲しかっただけなんだよ・・。
これもわがままだったね・・。
ごめん。

No.43 10/04/30 07:27
りう ( ♀ KHeGh )

私は今までの事を考えながらショックを受けていた。
私は全否定されたんです。
その後の記憶はありません。
起きると押し入れの中でした。
夜だったはずが朝でした。
夢だったんではないかと思いたかった。
隣の部屋に行ってみた・・。
母はテレビを見てました。
私に気がついた母は、
あんた、分かってると思うけど、高校なんて行かさへんで。あんたにかける金なんてない。学校卒業したら出ていってや。あっそれと仕事しても家にはお金いれなあかんよ。面倒みてあげてたんやからな!
朝の挨拶もないまま、母は私にこう言った。
言葉なんて出なかった。
家から出ていってもお金を家にいれろなんて・・。
面倒みてあげただなんて・・。
私の姿をみてよくそんなこと言えるものです。
中学二年・・
身長158センチ体重36キロ。あばらは常にういていた。
お腹も骨盤より内にへっこんでる。
上からみてもお腹は月のような形にくぼんでた。
顔色も青白く栄養不足で肌もかさかさ。
これが私です。

No.44 10/04/30 07:37
りう ( ♀ KHeGh )

私は今まで母に反抗した事はありませんでした。
でも、捨てられる恐怖をもつ必要も、もうない。
元からいらないのだから。
私は母に・・
昨日の話、ほんまやってんな。
いらんのやったら産まんかったら良かったやろ?
私は【あんた】の玩具じゃない。
こんな風に育つくらいやったら、産まれてこんほうがましやったわ。
卒業したら出ていくよ。
と言いました。
初めて反抗しました。
母は驚いた顔してました。

No.45 10/04/30 07:49
りう ( ♀ KHeGh )

そしてすぐ制服に着替えて家を出ました。
学校に行かず近くのマンションの非常階段に座りました。
なんだか気持ちは複雑でした。
ショックと言えてスッキリとこの先の不安。
とりあえず家に帰りたくなかった。
まず登校拒否してる友達の家に行った。
小学校からの少ない友達である優ちゃん。
中学校は別々になりましたがよく遊んでました。
優ちゃんの家でいろいろ話しました。

No.46 10/04/30 08:05
りう ( ♀ KHeGh )

優ちゃんは私にご飯やお風呂を貸してくれた友達です。
優ちゃんもいじめられっ子でした。
いつも1人でいる優ちゃんに声をかけた私。
群れてるより1人ぼっちになってる人に声をかけるのは今でも変わりません。
同じように仲間外れにされても全然気にしないのです。
優ちゃんは泣いてました。
なんでなん?可哀想・・と言って。
私は優ちゃんに助けてもらおうなんて思ってません。
私達はまだ中学生です。
何も行動を起こせる年齢ではないし、経済力もない。
まだ親の保護下なんです。
だから優ちゃんには私の話を聞いて欲しかっただけです。
でも優ちゃんはご飯を食べさせてくれました。

No.47 10/04/30 12:31
りう ( ♀ KHeGh )

優ちゃんの家を夕方出ました。
帰りたくないといってもお金も行くとこもない。
帰るしかなかった。
家に帰る前に母から盗んだお金で食べ物を買って食べました。
母がたまに作ってくれたご飯。
でも食卓を囲んだ事はない。
私だけいつも押し入れに持っていき布団の上において三角座りで食べてました。
これがきまりなんです。
躾はされたことがなく、友達の家でご飯を食べた時、椅子の上で三角座りをした私をみてびっくりされたことも。
学校では普通にすわるんですけど、学校以外では椅子に座る経験がなくて、家の中では常に三角座り。
落ち着くんです。
足を曲げてると。
でもさすがに人前での作法は学びました。

No.48 10/04/30 14:31
りう ( ♀ KHeGh )

家に帰ってもいつもの無視でした。
母との出来事をきっかけに私は学校に行かなくなった。
なっても高校へはいけない。
勉強する意味がない。
そう思ってました。
日中は人気のない場所でひっそりと過ごしました。
夜はコンビニや本屋によく行きました。
そんなある日、見覚えのある女の子に声をかけられました。
同じ学年のけいちゃん。
ほとんど喋った事はなかったし、学校にもあまり来ていない子です。
いわゆるヤンキーちゃんです。

No.49 10/04/30 14:41
りう ( ♀ KHeGh )

その日をきっかけにけいちゃんと毎日一緒にいました。
けいちゃんの家に泊まったりご飯食べたり、服もけいちゃんがくれました。
ご飯には困らなかった。
けいちゃんの先輩やナンパ男におごってもらったりしていたので。
当然、経験もしました。
付き合ったりしてもすぐ私がふってました。
誰かに愛されたくて
付き合ったりしましたが、態度が冷たくなると捨てられる恐怖から別れを告げてました。
ホントに好きだったのかわかりません。
好きという感じがわからない。
行為をしても感じた事はない。
行為をすれば別れを告げれないと思っていた。
その依存のような考え方の反面、すがり付くのが嫌だった。
行為も好きではなかった。
何がしたいのか、よくわからない私でした。

No.50 10/04/30 14:47
りう ( ♀ KHeGh )

当然家に帰る事もあまりありませんでした。
三年生なった頃、仕事をしようとおもいました。
少しでもお金を貯めないと卒業したら出ていかなくてはいけない。
遊んでる場合ではないと急に思いました。
年を16歳と嘘をついて、調理補助の仕事につきました。
仕事は大変だけど、楽しかった。
働けば報酬がある。
頑張れば評価される。
初めて居場所を見つけられた気がしました。

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