灰色のマールァス
第一章 邪神の申し子
広大な海と深い森に囲まれたアリオン王国には、特殊な人間が暮らしている。
まず、彼らは死しても土に還らない。
その屍は砕けて砂となり、風に舞って消え去れば、後には血も骨も毛髪一本すら残らないのである。
次に、彼らは魔法を使う。
ただし、神より授けられしその力を、“魔”などと呼ぶ者は一人もいない。
それは聖なる力、国神アリオンの恵みの力――祈術・アリアネフと、彼らは呼ぶ。
灰色の旅人は、この国で生まれた。
こてこてのファンタジーを書こうと思います🙇
ファンタジー好きな方、気軽にどうぞ。
筋の通った批判は歓迎、感想・激励は大歓迎、誹謗・中傷はスルーさせていただきます🙇
一生懸命書くので、暖かく見守っていてください。
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【プロローグ】
マールァスはしきりに辺りの様子を伺いながら、長い廊下を進んでいた。
等間隔に並ぶ細長い窓から、青白い月の光が差し込んでいる。
屋敷の中はしんと静まり返っていて、彼の落ち着かない足音だけが、床板をせわしなく軋ませていた。
――とにかく、ここから出なくては。
そもそも、ここはどこだ?
なぜ俺はここにいるんだ?
さまざまな疑問が、絶えず彼の脳内を支配している。
だが、答えは記憶の中にない。
ふと窓の前に立ち止まり、外を眺めた。
草が伸び放題になった庭には、枯れたバラの垣根や、水の澱んだ噴水といった、かつての栄光の残骸と思しきものたちが、静寂と夜色に染まっている。
濃い影を落とす広葉樹が枝を広げ、その向こうには、葦に覆われた高い壁がそびえていた。
それらの景色を透かして、ガラスに映る自分の姿。
肩まである黒髪は首元で外側に跳ね上がっていて、瞳は翡翠に似た深い緑色である。
月明かりのせいなのか、実際の肌の色なのか、顎の尖った細面は陶磁器のように白かった。
自分で言うのもなんだが、病的である。
おまけに簡素な白いローブを身に付けているので、マールァスはなおさら心地が悪かった。
「まるで死人だな……」
カタン――……
どこかで物音がした。
マールァスは顔を上げ、闇に続く廊下の先を見据えた。
「誰かいるのか?」
彼の声だけがむなしくこだまする。
不安と期待に駆られながら、彼はそちらに向かって歩みを進めた。
やがて、マールァスは馬蹄型の扉に行き着いた。
半開きになった扉をすり抜けて中に入ると、そこは目がくらむほど天井の高い、大広間だった。
カツーンカツーンと足音が響き、天井に吸い上げられていく。
広間の中央あたりで、何かがもぞもぞと動く気配がしていた。
「う、うう……ん……」
かすれるような呻き声。
その声に聞き覚えがあり、マールァスは思わず声を上げた。
「じいちゃん!?」
マールァスは床にうずくまる人影に駆け寄った。
闇の中に薄っすらと輪郭が見える。
彼は夢中でその顔を抱き、呼び慣れた名を呼んだ。
「シオルじいちゃん」
「おお……マールァス。よかったのう……」
老人は搾り出すような声で言った。
間違いなく、それはマールァスの祖父・シオルであった。
マールァスは身内の者を見つけて安堵すると同時に、とてつもない不安に襲われた。
「しっかり。魔物にやられたのか? 一体、何がどうなってるんだ」
彼の困惑した声が広間に響く。
だが、老人はにわかに首を振った。
「何も心配することはない」
「でも――」
「夜が明けたら、お前はここを去れ。まっすぐ、南へ」
「じいちゃんは?」
しかし、シオルはそれには答えなかった。
そのかわりに、枯れ木のような手で懐を探り、マントの内側から、手のひらサイズの長方形をした小箱を取り出した。
「これからは、これがお前を導くじゃろう」
箱は冷たくて硬い金属製で、ズシリと重たい。
マールァスはそれが何なのかを知っていた。
「占いカード……ペンゼル」
そのカードは、シオルがいつも肌身離さず持ち歩いている大切な物である。
シオルの化身とも言うべきそれを託されることが、どういう意味を示すのかは、言わずとも知れたことだった。
「まって、じいちゃん。お願いだ、説明を――」
「もう……時間がない……すまぬ」
抱いている老人の身体が、ふっと軽くなる。
「だめだ、いくな!」
マールァスはシオルの細い肩を抱きしめた。
同時に、老人の身体から風が吹き出し、二人の衣服を激しくはためかせる。
その風に乗って、砂が――死の気配が、マールァスの頬をチリチリと引っ掻いていた。
「よいな、マールァス。何者にも所属してはいかんぞ……!」
最後の言葉が、力強く発せられた。
刹那、シオルの身体はブワッっと無数の砂粒となり、闇の中にキラキラと輝きながら舞い上がった。
そして、大気に紛れるように、静かに消えていった。
風が吹き止み、再びあたりに静寂が訪れる。
マールァスは残されたシオルのマントを抱き、顔をうずめたまま、じっと動かなかった。
その手にはシオルの形見・ペンゼルが、きつく握り締められていた。
1.奇術師の遺産
青々とした空に細波が立っている。
のどかな日和のもと、王都メネフィはいつもと変わらぬ風景を見せていた。
市場では季節がもたらす果実や野菜、他の町から運ばれてきた魚などが売買され、街の中央にある円形広場では、老若男女が思い思いの昼下がりを過ごしている。
楽しげに合奏する街角楽団の姿も見え、実に賑やかだ。
その雑踏を抜けた高台の住宅街を、若い女が歩いていた。
スッと吹き抜けた風が、首もとの毛先を持ち上げる。
その時初めて、リリアは自分が少し汗ばんでいることに気付いた。
気候は決して暑くはなかったが、さすがに半日歩き通しでは身体も熱る。
彼女は短いアイボリーのマントの下に、白い長袖シャツ、濃紺で袖なしの上着を重ねてまとい、細い腰を太い皮のベルトで締めていた。
ズボンを詰めたブーツを高らかに鳴らしながら、彼女はその両袖を肘まで捲り上げた。
道の左右には、立派な造りの屋敷が土地を持て余すように建ち並んでいる。
裕福層の民が暮らす、高級住宅街なのだ。
再び、風が縮れたショートヘアを躍らせる。
もう秋だ、と、リリアは思った。
やがて、勾配の急な石段が現れた。
目的地はこの上だ。
>> 5
――それにしても、あの変わり者がこんな住宅街に住んでいるとは。
リリアは内心思いつつ、周囲を見渡した。
立派な建物、日当たりの良い庭、のどかな人々の暮らしが垣間見える。
彼女が会いに来た人物には、とても似つかわしくない光景だ。
その変わり者、名前をドドトパンボッチェという。
かつては占師として王城にまで仕えた偉大な人物だったが、何を思ったか職を捨て、怪しげな呪術の研究に取り付かれた、まさに変わり者である。
もっとも、リリアは彼のことを情報でしか知らない。
彼女が彼を訪ねるのは、任務なのである。
しかし、誰もが頷く「変人」と聞かされれば、誰しもが怪しげな世捨て人を想像することだろう。
リリアも漏れず、そう思っていた。
階段の先を見上げると、広葉樹がうっそうと枝を広げている。
突如として森が現れたかのようだ。
なるほど、やはり普通の家に住んでいるわけではなさそうである。
リリアは歩みを速め、石段を登りきった。
左右に木々を携えた小道が続き、その向こうに鉄格子の門が見えた。
門の前に立ったリリアは、そっと中の様子を伺った。
手入れの行き届いた芝が広がり、奥の花壇には白いバラが咲いている。
木造の屋敷は重圧な造りで、二階建てだった。
門にベルはなく、リリアは中に入ろうと取っ手に手をかけた。
カシャン!
「っ!――」
思わず、その手を引っ込める。
門に宿っていた強力なアリアネフが、彼女の手をはじき返したのだ。
「なるほど、拒むのね」
リリアは挑戦的な光を目に宿して、屋敷を仰ぎ見た。
「だけど、私も任務で来ているの。引き下がれないわ」
そう言うと、彼女の身体から風が吹き起こった。
その背中に、白い純白の翼が広がる。
屋敷の窓から、その様子を伺っている影があった。
「へぇ」
感心する声は、まだ若い男のものだ。
リリアはバサッと翼をはためかせ、虚空へ舞い上がった。
ざわざわと木の葉が揺れる中、難なく門を飛び越えて庭に侵入する。
彼女は建物の入り口までつぅっと滑空し、戸口の前に降り立った。
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