神社仏閣珍道中・改

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旅人さん
2024/12/02 16:46(更新日時)

【神社仏閣珍道中】 …御朱印帳を胸に抱きしめ


人生いろいろ、落ち込むことの多い年頃を迎え、自分探しのクエストに旅にでました。
いまの自分、孤独感も強く本当に空っぽな人間だなと、マイナスオーラ全開であります。

自分は生きていて、何か役割があるのだろうか。
やりたいことは何か。


ふと、思いました。
神さまや仏さまにお会いしにいこう!



…そんなところから始めた珍道中、
神社仏閣の礼儀作法も、何一つ知らないところからのスタートでした。



なにせ初詣すら行ったことがなく、どうすればいいものかネットで調べて、ようやく初詣を果たしたような人間でありました。

そして未だ厄除けも方位除けもしたことがなく、
お盆の迎え火も送り火もしたことがない人間です。


そんなやつが、自分なりに神さまのもと、仏さまのもとをお訪ねしております。

もう何年経ったことか…。

相も変わらず、作法もなっていないままかもしれない珍道中を繰り広げております。


神さま仏さま、どうかお導きください。



No.4141834 2024/09/21 06:02(スレ作成日時)

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No.1 2024/09/22 01:21
旅人さん0 

拙い文章、そして、愚かな人間がおろおろしつつ日々暮らす様子をただただ書き連ねたこのスレをご覧くださっておられる方々に心から感謝を申し上げます。
本当にありがとうございます。



お彼岸という期間に新たなスレをスタートするにあたり、日頃なかなか伝えずにまいりました思いを綴ろうと思っておりましたところ、東北の地で線状降水帯の発生を伝えるニュースを伝え聞き、一刻も早くこの忌わしい帯が解けるよう祈っておりました。

そんな昨日、娘婿に頼まれ孫を預かるべく一日外出しており、帰宅してから初めて能登半島の災害を知りました。

おりしもニュースの少ない時間帯、もどかしさに開いたSNSで投稿される輪島の映像に、大きな衝撃を受けました。
震災の傷跡がまだ色濃く残る能登の地にまた新たな災害が…。
言葉を失うばかりです。

ただただもう祈ることしかできません。


どうか命が守られますように。

どうか一刻もはやく雨がやみますように、水が引きますように。
不安な日々がこれ以上訪れることが
ありませんように。

祈ります。
願います。

お彼岸という期間は、文字通りの彼岸、御仏の住まわれる世界に最も近い期間であるとのことで、願いが届きやすいと聞いております。

どうか日本で起きている自然災害が一刻も早く鎮まり、人々が一日でも早く日常の生活を取り戻せますように。


…能登半島において今回の大雨による被害を受けられた方々は、元旦に起きた地震の被害でまだその日常すら取り戻してありませんでしたのに。


能登、東北、そして茨城で被害をお受けになられておられる全ての方に心よりお見舞い申し上げます。

No.2 2024/09/23 23:30
旅人さん0 

【お彼岸】

〝暑さ寒さも彼岸まで〟
とはよく言ったもので、ついこの間まで夏日、それも真夏日の騒ぎをしていたというのに、今晩などは少し肌寒いくらいです。

ただこの慣用句で言うところの『彼岸』は一般的に言う【お彼岸】のことで、〝お〟を付けないと仏教的にはむしろ混乱してしまいそうです。

日本の仏教では、【此岸(しがん)】と【彼岸(ひがん)】という概念があり、
彼岸とは向こう岸、仏さまの住まわれるお浄土の世界(悟りの世界、あの世)を指します。


この、〝暑さ寒さも…〟で指すところのいわゆるお彼岸の期間、お中日を中心に一週間を指します。

私はこのお彼岸期間というのが七日間あることについて、これだけの期間があればどこかしらでお墓参りができるであろう、というものなのかと思っておりましたが、さにあらず、たしかにお墓参りをする期間でもありますが、残りの六日。
これは
『ご先祖様への供養を行い、仏教修行をすることで自分自身を見つめ直す時期』ということのようで、そんな仏教修行の一つ【六波羅蜜(ろくはらみつ)】といわれ、これは出家していない者たちに向けに説いた、悟りに至るための修行、といわれます。

【六波羅蜜】とは

・布施(ふせ)…施しをすること

・持戒(じかい)…規律を守ること

・忍辱(にんにく)…よく正しい心をもつこと

・精進(しょうじん)…目的に向かってたゆまず努力すること

・禅定(ぜんじょう)…常に平静な心をもち続けること

・智慧(ちえ)…智慧を磨き、智慧を働かせること

とされます。


…なるほどぉ。
六波羅蜜はちょうど六個六日間あるお彼岸に努めてこの六波羅蜜の教えを実践するということ?

あらあら、これは大変です。


No.3 2024/09/24 05:16
旅人さん0 

(続き)

世にシルバーウィークと称された秋の三連休後半も終え、お彼岸も終わった気がしてしまいますが、令和六年の秋彼岸は、【9月19日(木)から9月25日(水)】までの七日間ですので、まだお彼岸中であります。


…ちなみにこの三連休という言い方、三連休でない方も多いというのになぁと、私はあまり好きではないのです。
かといってシルバーウィークについては言語道断、今年の秋のそれに至っては敬老の日を含んでいたため、自分では若いつもりの私は、このシルバーをシルバーシートとかと同義のいわゆるお年寄りを指すものと勘違いして、何でも言い換えを考えてしまうのはどうかと密かに心を波立たせておりました。
そもそも三日間しかないのにウィークとかおかしいし。

まぁその点、このお彼岸は〝お中日〟である『秋分の日』の二十二日を中心とした前後三日の計七日間、文字通りウィークでありますが。


閑話休題。

このお彼岸を詠んだ松尾芭蕉の句があります。

>今日彼岸 
  >菩提の種を蒔く日かな


芭蕉はこの時節、菩提の種を蒔いて、悟りの世界へ渡る心掛け、実践を詠んでいます。

【菩提】とはサンスクリット語のbodhi(ボーディ)の音写であり、世俗の迷いを離れ、煩悩を絶って得られた悟りの智慧のことであり、仏の悟りの境地であります。
bodhiの漢訳は『智』『道』『覚』。
菩提を得た者こそが仏であり、これを目指す者が菩薩であるとされます。


この芭蕉の詠んだ菩提の種を撒く、〝心掛け・実践〟こそが前レスに書いた【六波羅蜜】を心掛けることであり、六波羅蜜の実践となりましょう。

……。


たかが一週間の間であるというのに、なかなか六波羅蜜の実践は難しく感じられ、己がいかに未熟者であるかを感じます。

心掛けるだけでも良しとするのが仏教であり、この芭蕉の句はまさにこの仏教の教えを端的にあらわしていると言えましょう。


芭蕉って凄いなぁ。
俳句って本当に奥が深い。


…あれ?
そこじゃないか。


でも本当に芭蕉の凄さ、俳句の奥深さをあらためて感じました。


そうかぁ…今日も六波羅蜜を、かぁ。
いや明日もだ。

…煩悩おばさんは今日も明日も悩むようです。


No.4 2024/09/26 05:52
旅人さん0 

【絵解き】

とあるお寺さんで、秋彼岸のお中日に絵解きをしてくださると知り、うかがいました。

そのお寺さんに伝わる、一般に地獄絵図と呼ばれる絵図をもとに法話をくださるので『絵解き』。
それも個別、なかなか得られる機会ではありません。

貴重なお話。
しかしながらここに書くことに抵抗があった私。
ここをお読みくださる方にそのお話を曲げずに、漏らさずに伝えることができる自信がかけらもないこと。


そして。

衆生が地獄に堕ちるようなことがないよう、地獄の恐ろしさを描かれた絵をもとにお話いただいたものですので、できればその絵をここにあげたい。
けれども、衆生の心に焼きつけられることを目的に描かれた地獄絵図は見ようによっては、今傷ついた心をお持ちになって、あるいはつらい思いを抱えて、ここミクルさんを訪れておられる方のお心に変に刺さったりはしないかと、私の中で葛藤がありました。

一回一回、その画像をアップしたのち、全く違う画像をはさむことによって、ここをお読みでない方の目に触れることは最小限に抑えられるのではないか、そんな考えに至りました。


【絵解き】と表題を入れたところはそうした絵がアップされていることをご了承、ご理解いただいた上でお読みください。


あまり時が経つと、こんなありがたい貴重なお話を、私は一つ漏れ二つ抜けと忘れてしまうので。
手のひらに乗せた砂よりも水よりも早く零れ落ちる私の記憶です。


No.5 2024/09/27 03:54
旅人さん0 

【絵解き】

仏教において、人が死後四十九日かけて歩くと言われる冥土を目指す道を歩くさま。
辺りは真っ暗で長く厳しい『死出の山』を登るとされます。


(一枚の絵図なため、他の場面の絵も混ざり込んでいます。
黒くたれこめる雲の上は『餓鬼道』の世界であります)

No.6 2024/09/27 03:55
旅人さん0 


睡蓮の花

No.7 2024/09/28 05:55
旅人さん0 

(続き)

この『死出の山』と称される死後四十九日間かけて歩く途中、七名の審判を受けるとされます。
それを仏教的にどう採るかは、宗派、あるいは個人の見解、何よりも地獄絵図を描いた作者によって異なるようであります。

だいぶ前にはなるかと思いますが、この珍道中録でも触れたことがございますが、
【十王】と呼ばれる死後の裁判官的な存在による裁きを受け、それによって死後の世界が決められる、というものと、
やはり七日ごとにお会いする御仏がおられるという説とがあり、
さらには混在するものもあって、なかなか絵解きも大変なようです。

といいますのも、日本に仏教が伝来するのは中国から、であって、この中国において【道教】と習合したからであります。
中国で道教と習合するにあたり、『閻魔王授記四衆逆修生七往生浄土経』が作られたといい、さらには十王信仰も生まれたといいます。


ではお釈迦さまのお生まれになられた地、インドにおいてはこの〝地獄絵図〟と呼ばれるものがないかというと、やはり存在していたと、実際にその地を訪れ学ばれた僧侶である、私に絵解きをしてくださった方がおっしゃっておられました。


では現在日本において伝わっている、いわゆる〝死後の世界〟についての考え方、教えは、というと、冒頭述べましたとおり、いくつかの説が存在しているようです。
それは同じ〝仏教〟であっても、宗派というものがあるということもあり、なによりもその寺に伝わる〝地獄絵図〟によるものが大きく作用してまいります。

なぜなら。
自分のお寺に伝わる〝地獄絵図〟にはっきりと十王の姿が描かれていたら、本来なら語りたい、死後の世界でお会いするとされる御仏、いわゆる【十三佛】さまを語ろうにも、十王が描かれ、しかも大きく役割が示されていたら、…それはなかなか難しいものとなりましょう。

なぜこのようなことになったかといえば、やはり日本においても仏教伝来前にあった教えとも結びつきましょう。
いわゆる大きな意味での神仏習合、であります。

ですが日本においては、どちらかというと平安末期において、仏教由来の末法思想や冥界思想と結びついたと考えられるようです。
そうした中、日本でも『地蔵菩薩発心因縁十王経』なるものが作られています。

このお経の中には『三途の川』や『奪衣婆』が登場しているといいます。

No.8 2024/09/29 01:40
旅人さん0 

【絵解き】

四十九日間の旅を終えて、たどり着いた川。
三途の川と呼ばれる川です。

ここには橋が描かれていますが、この川の渡り方はその人間の生きてきた生き方によって篩い分けられています。
そう、四十九日間死出の山を歩いてきながら受けてきた裁きによるものであります。


しかしながら。

そう解く説と、死してまもなくこの川に来るという説とに分かれるものもございます。

この先閻魔大王に会うとするならば、十王の裁きを受けるという説を採ると、辻褄が合わなくなるのです。
十王の裁きを受けて閻魔大王の前に来るとするならば、閻魔大王の裁きは三十五日、であるからです。
初七日=一七日、二(ふた)七日、三七日、四七日、五七日=三十五日、三十五日目に閻魔大王にお会いすることになっているからです。

この後六七日があって、七七日=四十九日となりますので、この死出の山を越えてから、という説ですと、このあとに閻魔大王に会うことになるので、十王の裁きを受けるという説ではおかしなこととなってしまうのです。

仏教で説くところの〝初七日忌には不動明王さまにお会いして過去を懺悔する〟、というものと大きなズレが生じてしまいます。


そもそも同じ仏教であっても、宗派によっては、説かれている死後の世界が大きく異なるのです。

浄土真宗においては死と同時にお浄土に生まれ、仏さまに成らせていただくという教えでありますので、こうした死出の山を歩くこともなければ、裁きを受けるということもなく、死後まもなく御仏のお導きでお浄土で仏となるという考えでありますので、当然この地獄絵図とは無縁となります。


まぁ、その辺は宗教的なものとなり、神道におけるもの、キリスト教におけるもの、その他の宗教におけるもの、さまざまな死後が説かれておりましょう。
そういった違いであると、私のような無宗教な者は、なんでも受け入れられ、逆に受け入れたくないものは避けて通れるというお気楽な考えでいられる存在でございます。


と、まぁ、今回そこについて触れだすとこんがらがります。

実際、この地獄絵図と呼ばれる絵をお持ちのお寺さんにおかれましても、きっと描いた作者とのズレのあるお寺さんもありましょう。


この図は、十王の裁きを受けるでなく、死出の山を越えて三途の川にたどり着いた、といったものが描かれているものでございます。

No.9 2024/09/29 01:42
旅人さん0 


花手水

No.10 2024/09/29 22:57
旅人さん0 

(続き)

この絵では三途の川に立派な橋がかかっているさまが描かれています。
歩いて、あるいは泳いで渡る人物は描かれてはいませんが、細い、おそらくは浅い川が手前に描かれ、橋の向こうはいかにも深そうな川が横たわるように見受けられます。

三途の川は、此岸(しがん=現世)と彼岸(ひがん=あの世)を分ける境目にあるとされる川とされます。

三途は仏典に由来し、餓鬼道・畜生道・地獄道を意味するとも聞きます。
このいわゆる彼岸、あの世への渡川・渡航は、オリエント起源の神話宗教やギリシア神話にまで世界中で見られるものであり、三途川の伝承には民間信仰が多分に混じっているとされます。
もちろんそれは三途の川と呼ばれはいたしませんが。


一説には、俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれるといいます。
これによれば、
善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、
軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、
重い罪人は『強深瀬』あるいは『江深淵』と呼ばれる深くて広い難所を渡る、とされているといいます。
またこの川には悪龍が住んでいるとも。

そして。
三途の川というと有名な【奪衣婆】が描かれています。
一般に三途の川には十王の配下に位置づけられる『懸衣翁』・『奪衣婆』という老夫婦の係員がおり、六文銭を持たない死者が来た場合に渡し賃のかわりに衣類を剥ぎ取ることになっており、文字通り『奪衣婆』が衣類を剥ぎ取り、その衣を木に掛けるのが『懸衣翁』。
この絵では懸衣翁は描かれていないように思えますが、この衣を木にかけると罪の重い人間は木の枝が大きくしなり、罪の軽い人間はその枝はほとんどしなることがないといいます。
これで三途の川を渡る場所が決められるとされます。
ただ、この絵だと明らかに三途の川を渡った後、奪衣婆に会っているように思われますが…。


このうちの奪衣婆は江戸時代末期に民衆信仰の対象となり、多く像や堂が造られたり、地獄絵の一部などに描かれたりしています。
一説には奪衣婆は閻魔大王の妻とする説もあります。

そして。

三途の川の河原は【賽の河原(さいのかわら) 】と呼ばれます。

No.11 2024/09/30 16:30
旅人さん0 

(続き)

注)ここでは先に挙げた地獄絵図について触れます。
三途の川の奪衣婆のそばにお地蔵さまが描かれているのにお気づきかと思います。
このお地蔵さまのおられるところは、俗に言われる【賽の河原】であります。
お子さまを亡くされた方は表現によってはお心の傷に触れることもあるかもしれないと思いますので、ここまででお閉じいただければと思います。








三途の川の河原は【賽の河原(さいのかわら) 】と呼ばれ、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされています。

ちなみにこれは俗信に基づくものであるとされ、本来仏教とは関係のないものと言われます。

しかしながらあまりにも世の中に浸透しておることから、当然この話を知らないお坊さんはおりませんし、
お寺さんにはかなりの数、慈母地蔵さまの像や水子地蔵さまの像がお祀りされています。
これらのお地蔵さまの御像はお子さんを亡くされた親の心に寄り添うべくお寺に祀られたことでありましょう。


賽の河原では亡くなった子供たちが親の供養のために積石塚または石積みの塔を作るべく石を積んでの修行をしており、この塚、あるいは塔を完成させると、現世にいる親の供養になるとされています。
しかし完成する前に鬼が来て塔、あるいは塚を破壊し、何度塔(あるいは塚)を築いてもその繰り返しになってしまうと言われています。

しかしその子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされています。

これは仏教の地蔵信仰と民俗的な道祖神である賽(さえ)の神が習合したものであるというのが通説であります。

お地蔵さまはたとえそこが地獄であろうと、どんなところにでも訪れ衆生を救済してくださる御仏とされています。

それゆえこの賽の河原にも子供を救いに来てくださっている、とされます。


以前購入した『関東百八地蔵尊霊場』という本があるのですが、そこの冒頭に『地蔵和讃』なるものが書かれていて、この和讃、賽の河原の様子がしかと描かれたもので、これを目にするたび胸が切なくなっていたたまれなくなり、本を閉じてしまいます。


百八と数が多いから、というのもありますが、この地蔵尊霊場めぐりに行こうと思えないのはこの和讃が載せられていることに起因していると言っても過言ではありません。

No.12 2024/10/03 13:50
旅人さん0 

【絵解き】

さて。この絵の中央に描かれているのが、地獄といえば、というくらいの閻魔大王さま。

これこそがお坊さんにとってなかなか難しい扱いとなる存在で。
この絵解きをしてくださったお坊さんも何度も口を濁すかのように語っておられました。


日本の仏教においては、人が亡くなられたのちの考えがいくつも枝分かれしておりまして、四十九日という考え方すらしない宗派もあるくらいです。
また同じ四十九日、十王の裁きを受けるパターンと、御仏のお導きを受けるパターンとに大きくは分かれます。

四十九日を仏教に基づいて語るならば、十王さまのお裁きではなく、七日ごとにそれぞれの日に定められている仏さまにお会いすることとなっています。
ゆえに、三途の川も存在しなければ、奪衣婆もおらず、この閻魔大王さますらも存在していないのです。

…困るでしょう?
なにせその存在しない閻魔大王さまが大々的に中央に描かれているのですから。

ちなみに。

初七日では不動明王さま。
二七日では釈迦如来さま。
三七日で文殊菩薩さま、
四七日では普賢菩薩さま。
五七日でお会いするのはお地蔵さま。
…ちなみに十王さまの裁きを受けるパターンですと、まさにここでお会いするのが閻魔大王さま、とされているのです。

六七日は弥勒菩薩さま。
七七日には薬師如来さまとお会いするとされています。

もちろん仏さまとお会いしている間もお裁きを受けていることは代わりはありません。

故人はそれぞれの御仏の前で生前(前世)の行いを懺悔し、御仏によっては智慧や、この死後の修行で得た悟りや徳を授けていただきながら死出の山を登って行くのです。


お坊さんは葬儀の席においてはこの故人の四十九日間の修行についての説法をされます。



もちろん、宗派によっては死後まもなく御仏が迎えに来られると説かれます。
この場合は迎えに来られる御仏の数が異なると聞きます。
それは上品(じょうぼん)の上生〜下品(げぼん)の下生の九通りがあり、楽器を奏でながらたくさんの御仏が迎えに来てくださったり、たった一人の仏さまが蓮座(亡くなられた方が乗る台)だけを持ってこられるという、生前の行いによって迎え方のランクがあるのだといいます。


No.13 2024/10/03 13:51
旅人さん0 


花手水

No.14 2024/10/03 14:34
旅人さん0 

(続き)

この地獄絵図、三途の川も、奪衣婆さまもおれば、十王の一人、閻魔大王さまも描かれています。

死後故人が四十九日までに歩まれる道や修行のお話を説かれたお坊さん、この絵解きをなさるときは結構ドキドキだと思うのです。


お寺さんによってはこうした地獄絵図のないところもあります。
死後すぐに成仏される宗派ではまさにそうでありましょう。
そうでなくとも地獄絵図を持たないお寺さんは多いかもしれません。

聡いお子さんにその矛盾を問われたらどう答えたら良いか非常に悩まれることでしょう。


しかしながら。

こうした地獄絵図で絵解きをし、あるいは閻魔大王の大きな像を前に、地獄極楽を説いて、子らに生前の善行を説くのもまたお坊さんの大切な説法、お仕事であります。

実際、こちらのお寺さんでは夏にこの地獄絵図をもとに、子どもたちに悪いことをせずに生きることの大切さを話しているとおっしゃっておられましたし、御本堂には大きな大きな(…たぶん…)丈六の閻魔さまの坐像が祀られています。
坐像の丈六、ですので二メートル四十センチ、となります。

これほどに大きな、恐い顔をなされた閻魔さまの御像は子どもたちにとっては本当に恐ろしい存在でありましょう。


地獄絵図を飾らずとも閻魔さまの御像が祀られでおりますので、こちらのお寺さんにとってはどちらも本当、なのです。

なのでお坊さんはこの絵図を前にして死後仏さまのもとで修行されることもちらっと述べつつ、閻魔大王の前で裁きを受ける話もされるのです。
この絵図に描かれた【浄玻璃の鏡】についてもきちんとその役割を語り、嘘をついてもここに生前の行いが映ってしまい、いかなる隠し事もできないこと、嘘をつくと舌を抜かれることも話しておられました。

長い長い仏教の歴史において、インドから中国に渡った時点でこの十王伝説はすでに組み込まれ、日本に伝来しておりますし。
人の正しい生き方、道を説くお坊さんという存在は、多少の矛盾点などよりも何より正しく生きることを説くのであります。

寺子屋などでさらに文字やら算術などをも、子らに教えていたのがお坊さんでありました。


また、かつては市中においてこの地獄絵を手に地獄の恐ろしさを語り、人として正しく生きることの大切さを説いていた尼さんもいたというお話もお聞きしました。








No.15 2024/10/03 22:05
旅人さん0 

【絵解き】

この閻魔さまの前にうっすらと描かれているものに、お坊さんのお話無くしては気づくことはできませんでした。

こう拡大すると微かに見えますでしょうか。
人が真っ逆さまに落ちていくさまが描かれています。

地獄絵図ではたった一枚の平面に地獄の様子を盛り込んで書くので、実際にはこのように閻魔さまが裁きをされている真ん前を落ちているわけではないのだと思います。

ひたすらひたすらただひたすらに落ちて落ちているのです。
しかもただただ真っ暗な空間なのだと伝えられているといいます。

落ちて、落ちて、落ちて。
底に着くまで実に二千年、真っ暗闇の中を落ち続けるのだといいます。
二千年ひたすら落ち続けることが罰なわけではありません。
二千年落ち続け、ようやく到達した地点で、ようやっと罰を受けることができるのだということなのです。




他にも地獄の責め苦の様子が描かれています。
舌を抜かれているさまを描かれているのは見えます。

針の山を登って行く様は見てとれましたでしょうか。


そう。
地獄は大きく分けて二つとなります。
それがそれぞれに分かれているのだといいます。
ここ。
ここ地獄は『八大地獄』なのだといいます。

そしてその八大地獄に対して、『八寒地獄】となるのだといいます。

そしてそれがまた八つの地獄にわかれます。

等活地獄
黒縄地獄
衆合地獄
叫喚地獄
大叫喚地獄
焦熱地獄
大焦熱地獄
阿鼻地獄

となるのだといいます。
上から罪の軽い順になるといいます。

この一つ一つに、十六の小地獄があるといいます。

書いているだけで気が遠くなりそうです

No.16 2024/10/03 22:12
旅人さん0 


手水鉢

No.17 2024/10/04 04:06
旅人さん0 

【絵解き】

お坊さんがまず語ったこのひたすら暗闇を落ちていく地獄は一番重い阿鼻地獄にあるようです。
阿鼻地獄にある、というよりは阿鼻地獄へ落ちる亡者というのが正しいのでしょう。
しかもこのひたすら落ちていく期間はもっともっと長く語られることもあるようです。

別名無間(むげん)地獄。
休む間もなく苦しみ続ける地獄であり、『阿鼻叫喚』の言葉の語源の阿鼻地獄となります。
阿鼻というのもまた『間がない』という意味といいます。
途切れることのない責苦を受け続けること432000000年といわれます。
またその責苦は他の地獄での責苦を全て足してさらにパワーアップしたものだというのです。

さすがに時間の関係で、ここはさらりと流しておしまいとされていました。
ネットで調べるとどんな人が落ちていく地獄であるか、どんな責苦を受けるのかは書いてあります。

私も見るには見たのですが…気が重くなるので割愛します。


小さくて見づらいですが、刀剣の刃が無数にあります。
刀剣の刃の山があるのは衆合地獄、上から三番目に重い地獄のようです。

刀剣の刃の山の上では女の人が誘っているといい、スケベな男はこれを追って刀剣の刃の山を登ってしまうのだと、お坊さんは語っておられました。
血だらけに描かれています。
途中で転落している姿もあります。
ようやく女の人のもとに到達しようかというところで女の人の姿は消え、いつの間におりたのか、今度は下で誘うのだと。

その繰り返しだとおっしゃいます。
そういう男性の堕ちる場所だと。
…私がここでそおっと夫の顔を覗いて見たのはいうまでもありません。
普通な顔で聴いていました。
そこには自分は堕ちないと思う顔でありました。
…ま、そうかもしれないな。


下の方には女の人ばかりが描かれています。
地獄はなんでも136もの種類があるといわれますが、女性専用の地獄があるようで。

一応は女性である私を前にして語りづらかったのか、あまり詳しくは語らなかったお坊さん。

描かれているのは灯芯で竹の根を掘る地獄と、その下に描かれているのはネグレクトをはたらいた母が落ちる地獄だと解説されました。

灯芯で、って…。
あの時代劇で見かけるお皿に油を入れてそこに糸をひたして灯とする、あの糸のことですか?
…どれだけ不毛な。









No.18 2024/10/04 04:09
旅人さん0 


花手水鉢

No.19 2024/10/04 13:58
旅人さん0 

【絵解き】

…この地獄絵にはもっともっと地獄のようすは描かれており、お坊さんもその地獄での様子を一つ一つこんな罪を犯してこういった責苦を受けているのだといった説明をしてくださいました。

しかしいざ実際こうしてレスするために文章にしたり、果ては不確かとなった記憶をたしかめるべくネットで調べたりすると、気が重く滅入ってしまうのです。

この地獄絵に描かれたものなどほんの一部に過ぎませんので、あと少し、あと少し語れば終わることなのです。

でももう食傷気味で。
絵を揚げるのも、ましてやそれを文章化するのも厳しいと思えて、無理だなぁと、

あと一つだけ、お坊さんが何を思ったのか丁寧に説明してくれた絵で終わりたいと思います。
もうこの絵は拡大もせず、原画のままを載せておきます。

一人の男性が身体が蛇の女性二人に巻つかれた絵があります。
これは妻と浮気相手の女性の顔だといいます。
ずっと体に巻きつかれたまま恨み言を聞く罪なのだといいます。

火車に乗った絵については「これは軽い罪の人です」とだけ。


そして。
この地獄においては死ぬことがない、死ぬことができないので、身体がめちゃくちゃに原型をとどめないほどになろうとも、また元に戻されて延々と同じ責苦を受けるのだといいます。

はあぁ…。


そして最低でも何百年単位、罪を償うべく地獄の処罰を受けたのち、人は転生するのだといいます。
もちろん最下層に落ちれば、限りなく永遠に近い年月をそこでひたすら責苦を受けながら過ごすので、転生の道はほぼ無いのでありますが。


…まぁ、せめて地獄では自分の犯した罪を素直に認めたいと思いました。
嘘をつけばさらに罪が加算されそうです。
そんな嘘通りっこありませんから。

閻魔帳とか浄玻璃の鏡やら、嘘など決して通せるものではありません。



この絵には上部に六道の絵が描かれています。
六道図ともいえましょう。

天道。
人間道。
修羅道。
畜生道。
餓鬼道。
そして地獄道。

どこへ行くか。


そう、それは御仏の元での修行か、
あるいは十王さまのお裁きか。


それを決めるのは実は他ならぬ自分自身、なのかもしれません。



No.20 2024/10/04 14:04
旅人さん0 


曼珠沙華

No.21 2024/10/05 00:04
旅人さん0 

【かつぎ地蔵】さま

さて。
調べてまいりました、群馬県は前橋市の市立図書館で。

こちらの司書さんは大変丁寧なお仕事をなさる、というか心にまで寄り添ってくださるかのお仕事をされる方で、それはもう痒いところに手が届くというか。
私の調べたい資料がバンバンと揃い、びっくりするほど能率的にかつぎ地蔵さまについて調べることができました。
ここをお借りしてあらためて御礼を申し上げます。


結論から申し上げますと、私の推測どおり、あのお地蔵さまはあの上新田という町のはずれを守るお地蔵さまであり、あのお地蔵さまをかつぐわけではありませんでした。

それではいざこのお地蔵さまをどのように?


…じつは、ですね。
それはさすがに図書館ではわからなかったのです。
前橋市の一町会に過ぎない行事のこと、そこまでの資料はありませんでした。
ならば公民館、とも思ったのですが、この地域の公民館は常時人が駐在しているわけではないようで、平日も含め二度ほど足を運んでみたのですが、どなたもおられず、どこにこのかつぎ地蔵さまが安置されているかまではわかりませんでした。

あとは…うーん、気になるところではありますが、運を天に任せるしかないようで。


ですが。
ですがですね、どういった形でかつがれるかはわかりました。

いわゆる〝御神輿〟。

神さまではありませんので、お地蔵さまの御輿と申しましょうか。
お神輿の中にお神輿におさまるくらいの小さな小さなお地蔵さまが、上新田町の〝かつぎ地蔵〟さまに特化するならば二体、安置されており、この御神輿、ならぬ御輿をかつぐのでありました。

しかも上新田町だけはなく、前橋市の一部で同じようにかつぎ地蔵さまの習慣が伝わり、調べられただけで四町会。
同じ前橋市内でも利根川沿い、もしくは少し離れてはいるものの、その間にある町会にもかつてはあったと仮説を立てれば、前橋市の東にその〝かつぎ地蔵〟の慣習があり、それはむしろ、まさにあの【佐渡奉行街道】に沿って、あるいはその町会に隣接した町会で行われている(いた)ことがわかりました。

そしてさらに興味深いことに、前橋市のみならず玉村町にも〝かつぎ地蔵〟の慣習があり、さらにいうならば玉村町もまた【佐渡奉行街道】であるということ。


どんどん壮大に(?)なってまいります。
ワクワクが止まりません。

No.22 2024/10/07 05:16
旅人さん0 

図書館で調べることには限界があることを知って、まずはこの、かつぎ地蔵を知ることとなった前橋市上新田町を歩いてみることといたしました。
と、いいつつも車を使うあたりが姑息というか…。

群馬県は免許保有率とか車の保有率が全国的にも一位二位を常に争うほどのクルマ大国、車が足代わりな県民性があるとか無いとかなので、生まれも育ちも群馬県民な私ども夫婦、歳を重ねるごとにその傾向はどうしても強くなります。

そうは言っても免許返納も視野に入れて、少しづつは歩く習慣を増やして行かなければいけないとは思い、日々努力しておりました私でありましたが、ここ数年動くとつらかった身体は、喘息の診断を受ける直前からもうズタボロでして。
今まで自転車でスイスイ出かけていたところももはや車の移動しか考えられないほどとなっており、そこにまた落ち込む私がいたりもするのですが…。


(以下、書いているうち愚痴となってしまいました。
ここまででお閉じください。)


呼吸器内科に受診するまでの三年間、胸部レントゲンには映らない、呼吸器内科の先生が驚くほどの大きな肺炎の跡があることにどこの内科を受診しても気づいてもらえず、気のせい扱い、果てはあからさまに精神疾患扱いまでするドクターまでおり、正直メンタル的につらい時を過ごしておりました。
肺炎の跡と書いてはおりますが、肺炎真っ盛りのときにすら気づいてもらえず、自己免疫だけで自然治癒させていた、ということです。

コロナには罹患せずここまで来ておりますが、あの病のせいでそれほどまで大きな肺炎にも気づいてもらえず、多くの患者を産み出すこととなったあの病のせいで薬の不足から薬すら出してもらえなかったわけで、いかにあの病が恐ろしいものであるかを痛感するのであります。


いくつか受診した内科医院あるいはクリニックの中には、コロナ検査をし症状だけ聞いて聴診器すらあてず、薬すら出さない医師もおりました。
コロナで無いことを確認したならば、そのくらいの診察をしても良かったのでは無かったのだろうか。
内科でありながら「今日は予約でいっぱいなので最短で二日後となります」
とまで受診者数を制限していたクリニックでありました。
しかも
「知っていると思いますが、呼吸器症状の関係の薬は不足してるので出せませんので」

つまりはコロナの検査だけでした。


はあぁ。


No.23 2024/10/07 05:42
旅人さん0 

(愚痴レスが続いております、すみません)



ようやく呼吸器内科にかかることができ、飛躍的に呼吸が楽になったのも数日。

今度は起き上がれないほどのだるさが。

喘息という疾患に最もポピュラーに使われる薬剤が私には合わず、その副作用に苦しむこととなったのです。

二週間後の予約まで待てず、電話で相談したところ、先生からわざわざ折り返しのお電話をいただき
「それはオーバードーズだわ、すぐにその薬剤を減らしていきましょう。日に三錠のんでいる薬を一錠だけ、寝る前に飲んで様子をみましょう。体内に残った薬の効果が落ちてくるまで少し時間が必要になるけど、必ず抜けてくるし、これは就学前くらいのお子さんの飲む量だから怖いだろうけどその量は飲んでいてね」

す、すごいなぁ。
薬の効果も、ですが、先生の対応の神なことといったら♡

薬の効果はまさに匙加減なんだなぁ。

その人その人の体格、体質でこうも副作用という効果を産み出すこととなる。

ちなみに最初から先生は
「子供の飲む量ですが、これで様子をみます」
と体格からの判断をされていてのことです。


なので今はお薬の調整中であり、副作用からの身体の立て直し中となります。


再来年の午年には秩父三十四観音霊場が一斉に御開帳となります。
元気に行くぞぉ〜!



No.24 2024/10/11 20:10
旅人さん0 


…信じられない光景を目にしました。

末法の世、ということですか。

とあるお寺の境内。
本堂の前、外にお護摩の席が設られていました。
弘法大師がその手に持つ【五鈷杵】という法具がその護摩壇に置いてありました。

護摩の場から席を外した僧。
出店に来ていた業者さんのところへ行くのがみえました。

その出店では商品の並べられたテーブルの前にポスターが貼られたベニヤ板が掲げられていました。

僧がそのポスターの顔写真の部分にパンチするのが見えました。
それだけでも品のない行いです。

しかしながらそれだけではなかった。
その僧の手にはよりにもよって『五鈷杵』が握られていたのです。

五鈷杵の尖った部分をポスターの顔に刺すような形で当てていたのでありました。

たしかに、かつて五鈷杵は武器でありました。
しかし法具となって久しく、ましてや真言宗のお寺では弘法大師の手に持つ五鈷杵は大切な大切な法具、であるはずですが…。


たとえ手に何も持たずとも、大の大人が大人気ない行動です。

しかしこの場合はもっと大きな意味をもちます。
僧が、たとえポスターの顔写真であっても、五鈷杵の先端を向けて刺すような行いを、人前で、人目も憚らず、とったということです。


昨年はこの僧、お数珠を地べたに置きました。


ここは本当に寺、なのでしょうか。
この方は本当に僧なのでしょうか。



尊敬する方の菩提寺であるため、大祭ということで伺っておりましたが、もう二度と、この寺に行くことはありません。


僧といえども人間であり、過ちを犯すことはあると、以前とある僧の横領事件を受けて思いはしました。

でもそれ以上にこの僧の行いは不愉快です。
人としての過ちではなく、僧として終わっています。

No.25 2024/10/14 05:36
旅人さん0 

昨日から七十二候の第五十候の菊花開(きくのはなひらく)なようです。

わが家の猫のそれよりも狭い、ネズミのひたいの庭の菊はまだまだ咲きそうにありません。
それでも酷暑であった今年の夏の陽射しにも気温にも負けることなく、青々とした葉を繁らせてくれています。


庭の菊たちはすべて花瓶の中で根の出たものを土に植えたもの。
小さな、新たな命のつながりに感動し感謝して、いそいそと土を買い求め「頑張ってこのまま根付くんだよ。毎日お水をあげるから頑張って」
たまに小さく口に出しているときもあります。(怪しい 笑)


そんなわが家の愛おしい菊たち。
お墓参りのときにご先祖さまに、と思うのですが、お彼岸にはつぼみもついていないし、十月の父の祥月命日にはまだ咲かず、十一月の義父の祥月命日には花の時を終える。

あまのじゃくな私の育てている菊たちは、どこか私に似てしまう?


あともう少しすると、私の好きな菊の香りいっぱいな庭になります。

No.26 2024/10/14 17:50
旅人さん0 

私がかつぎ地蔵について図書館に行って調べ、わからないことが出てきたのもありましたが、どんどんと壮大なこととなってきたと語っておりましたのを覚えておられますでしょうか。

早くにとりあえず書き出せばよいものを、なかなか気が向かず、体調も悪いこともあり、どうにも書くことができず。

それでも少しづつ呼吸器の不調はコントロールされるようなり、ここで書いておかないとお蔵入りさせてしまう不安を抱きだしました。


図書館の司書さんのお手を煩わせ、それどころか私に寄り添うように適切、的確な資料を揃えてくださったというのに、そこすらも書けていない。

いかんな。

…毎日思うのです。


重い腰をあげてみますか。
それでダメなら、…まぁそれはそれで仕方がない。

始めてみましょう。


まずは前橋市のどこの地域で『かつぎ地蔵』さまの習慣があるか。


それは私が調べたかぎりでは、【東(あずま)地域】。
…これがまた実におかしなことにこの東地区、前橋市の南西部にあるのです。

まずはこの謎解きから。

これは実は明治時代に、『東村』と呼ばれた村であったから、なのだそう。
それが昭和二十九(1954)年にこの東村が前橋市と合併して『東地区』となったから。


…なのだといいます。

さらにはこの東村にはあずま道(東山道=とうざんどう)という道が通り、このあずま道というのは実に奈良時代の官道(かんどう)であったといい、これは畿内から信濃・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)・奥州へと続くものであったといいます。

このあずま道がこの明治の合併で東村となった村々をを横断していたといい、そのため東(あずま)村と命名されることになったといいます。


以下に挙げる図が前橋市東(あずま)地区、となります。
あずま地区の郷土カルタの絵札になります。


No.27 2024/10/15 06:23
旅人さん0 

(続き)

この東地区、この『あずまカルタ』の地図ではわかりようもないのですが、利根川がこの地区の東側を流れ、さらには滝川と染谷川という川があります。
この滝川という川を含んだ町を『川曲町』といい、まさにこの滝川が実によくくねくねと曲がっており、
あずまカルタには
『滝川の曲がるところが川曲町』
と読まれているくらいであります。

この滝川、実はかつて人工的に造られた川であります。
江戸時代、いま総社町と呼ばれる場所を治めた総社城主秋元長朝によって開削がされた『天狗岩用水』からの流れをくむものであります。

天狗岩用水は利根川から取水して八幡川合流地点までの全長八キロ。
八幡川合流後また開削が進められたのがこの『滝川』であります。
滝川はこの川曲町で直角に近い曲がり方をしており、川曲町で滝川沿いを歩くとそれを実感できます。


滝川は二十一キロ延長され前橋市、高崎市、玉村町まで流れ、今もその土地土地の水田を潤し、利根川に合流するのです。

染谷川は榛名山麓を源流とし、この東地区では江田町を東西に二分して隣接する高崎市の大類町で井野川という川に合流しています。


…私が住んでいた地区は利根川の反対側で、川からはかなり離れた土地であったこともあり、この東地区というのもいま、この辺りを調べ歩いて知ったものであるくらい。

まぁ、ひとえに私がぼーっと生きているから、なのでありましょうが 笑。


かつぎ地蔵はこの東地区、そして玉村町にも残るものであるので、『佐渡奉行街道』沿いでもありますが、この滝川沿い、とも言ってもよいのかもしれません。

今は廃れて埋もれてしまった地域もあるかもしれないことを考えると実に興味深いものであります。

No.28 2024/10/15 13:20
旅人さん0 

本日は父の三十三回忌にあたる祥月命日であります。

とはいえなんら法要も営むことなく。
記憶にある人間が心のうちで手を合わせる、あるいは墓前に詣でる程度でしかありませんが。


この、父の眠る墓を祭祀承継をしてくれているのは父の弟である叔父の息子さん。
従兄弟、という存在になりましょうが、私はこの方のお顔すら拝見したことがなく、お寺さんによると三重県にお住まいになられているのだとか。

祖父母は彼にとっても祖父母であり、また彼の父親である叔父も一昨年に亡くなったようで、このお墓には彼にとっても祖父母と父親が眠っています。
直系の方々の法要は営むにしても、伯父の法要などはまず考えもしないのがごく当たり前なこと。


実の娘がおりながら、一緒に墓に入っている父も合わせて祭祀承継し、墓を守ってくれていることを、ただただありがたく、申し訳なくも思うのですが、両親が離婚して、母に引き取られた私ども姉妹。
私などは葬儀にすら出られなかったくらいであります。


だからこそこの三十三回忌、私にとってはとても大切な日に思えておりました。
とはいえ、檀家でもないうえに、そもそもその祭祀承継者の従兄弟にあたる方に許可を取ろうにも連絡先も知らず。

せめてもの思いを込めて写経し、それをお寺さんに奉納してまいりました。

心だけの、たった一人の三十三回忌でありました。


そんな父を御仏が哀れに思ってくださったのか、空は気持ちの良い秋晴れ。
絶好のお墓参り日和でありました。

No.29 2024/10/15 17:15
旅人さん0 

今日は旧暦九月十三日、十三夜です。

十七日がスーパームーンということもあり、見ることができる天気であれば大きな月でありましょう。

十五夜と十三夜、両方をお祀りしないと片見月といって縁起が悪いともいわれております。
そんなことを言われても、
(十五夜がお天気が悪くて見られなかった年は十三夜遠愛でてはいけないのか?)とおへその曲がったおばさんはずっと思って過ごしております。

この二夜の月(ふたよのつき)がそろって見られる年は縁起が良いとぐらいにしてくれると、ビビりであるためついつい縁起をかつぎがちなおばさんはこころ安らかに月を見上げることができるのですが…。


仏教では月待ちといい『十五夜』や『十三夜』などにそれぞれ仏さまが当てられていて、十三夜の本尊は【虚空蔵菩薩】さまであるとされます。

虚空蔵菩薩さまは、『十三』という数字に縁があり、毎月の縁日は『13日』、十三夜の月待ちの本尊さまであり、『十三参り』の本尊さま、十三佛信仰では十三番目=三十三回忌のご本尊さまとなり、まさに〝十三づくし〟の仏さまです。


あら?
では今日三十三回忌を迎えた父は十三夜でもあるため、より虚空蔵菩薩さまのご加護があるかしら。

三十三回忌は弔い明けとも言われますが、やはりそういう偶然の重なりには感謝してしまいます。


…でも虚空蔵菩薩さまのご加護が必要なのは、いい加減ボケの進んだ私なのだけれどな。

No.30

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No.31

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No.32 2024/10/16 16:26
旅人さん0 

三十三回忌に寄せて。


三十三回忌というのは人が亡くなってから三十二年目にあたります。
その年に産まれた赤ちゃんが三十二歳となっているということです。

実に偶然のことではありますが、まさにその年に、それも同じ月に息子が生まれています。

私の場合、父母が離婚しており、夫すらが父に会ったことがありません。
仮に父と母が離婚せず、ごく普通に父として、祖父として存在していたならば、たとえ数年であったとしても、いろいろな会話があって、思い出も生まれたことでしょう。
…まぁ、その年に産まれた息子は無理ではありましたが。


でもそれは叶わなかった。


私以外の誰一人、父の顔も知らず、声も知らず、名前すらも知りません(…たぶん)。


そんな三十三回忌。

私は私ども家族だけ集まって、小さくていいので法要を営み、父の三十三回忌をしたかったのです。
檀那寺、父の眠る墓のあるお寺さんがそれを良しとしないならば、そうした法要だけを営んでくださる日光輪王寺がございます。


しかし。

夫は「たしかにおじいさんではある。だけれど、うちの子は誰も会ったこともないのだから、無理に集まってまで法要をすることはない」
と。

それを聞いたとき、私の胸の中に冷たい空気がすぅーっと流れ込んだ気がしました。

あ、そうか。
やっぱりそうなんだ。

三十三回忌。
顔を見たこともない夫の祖父の法要には私も、子どもたちも当たり前に参列しました。
…当たり前だから。

そうか…。


思えば父が亡くなった年、義実家に行った際
「今年は喪中ですので年末年始のご挨拶とかは差し控えます」と言った途端、
「はあぁ?離婚してる父親が亡くなったんだから何にも関係ないだろう。堅苦しいことはいうんじゃない。少なくとも〇〇(=夫)や子どもたちは関係ないから、普通に正月を祝えばいいんだ!」
と義父が言い放ちました。

…夫も一言も反論しなかったんだったな。


…離婚したって、親権がどちらにあったって、父だよ。
父親であることは変わらないんだよ。
子どもにとって…私にとってどんな父親だったかすら知らずに、そんな叩き斬るように断言するのはもう言葉の暴力だよ。


あ、ちゃんと義父にそういった内容のこと、オブラートでくるみはしましたが、啖呵を切りましたよ、私。

…らしいでしょ? 笑。

No.33 2024/10/16 16:27
旅人さん0 

(続き)

義父に言ったくらいです。
当然、夫にも反論しました。
「顔も知らない祖父であっても、確実に血はつながっている。この法要に参列するしないは子どもたちの決めることで、参列する権利はある」
と。

でも、夫はたった半日であっても、子どもたちの時間をそれに費やさせることを許さなかったのです。
「やると決め、話せば必ず参列する努力をするから、(三十三回忌の法要を)やってもいいけど、子どもたちはやめておいてあげて」



…たしかに。
子どもによっては、土日に休みでない子もおり、そうしたら勤務希望をする必要もあり、時間をかけて地元に戻らなければならない子もおります。

親が離婚した子は、こんな歳になってですら、そんな言われようをされるんだなぁ。

少なくとも夫の〝家〟の考えは、そういったものなのだなぁ。


三十三回忌に当たる日の前日、夫は三連休でありましたが、お墓参りすらしようとは思わなかったようです。

…寂しかったなぁ。
たった一人の三十三回忌のお墓参り。

そしてそれ以上に寂しかったのは、夫がまるで私の心情を理解しようとはしてくれなかったこと。

もう親元を離れて、親と暮らしていた年数の倍以上の時を過ごした夫婦であっても、理解し合えない、理解してもらえないことってまだまだたくさんあるんだなぁ。

ま、他人同士が家族になるんだから、な。


はあぁ…。



父よ、私はあなたが好きだったよ。
よい思い出がたっくさんあるよね。
大切にしてくれた。

今日からはね、貴方は〝先祖〟なんだって。

ご先祖さま、私の子らと孫たちを、これからも守ってね。

No.34 2024/10/21 13:15
旅人さん0 

【艮神社(尾道市)】

広島県尾道市に鎮座されます【艮(うしとら)神社】さんへお参りさせていただきました。

広島駅から尾道駅まで移動して、そこからバスに乗って千光寺入り口(的な)で下車いたしました。





え“?

…いつもこちらをお読みくださっておられる方々はそう思われたことでしょう。
関東圏でさえろくに移動しない私どもが?と驚かれたことと思います。

これは娘夫婦からのプレゼント旅行でありました。
しかも娘の旦那さまのお母さまが広島市出身ということで、幼い頃はかなりこちらに来ていたという彼が同伴してくれての超豪華旅で。


ええ、奈良にいきたい、京都にいきたいと言いつつも一度も重い腰が上がったことのない二人が、それを超えての広島でございます。
自分たちすらがその現実を受け入れがたく、夢のように思いつつ時を過ごしたのでありました。


この艮神社さん。
千光寺さんという高台にあるお寺さんのお膝元に鎮座なされる神社さんであります。
実は事前には千光寺さんへの参拝は決まっていたものの、艮神社さんは計画にはなかったもの。
地図でみると真横に鎮座されている二つの寺社なのですが、千光寺さん、高台も高台、ロープウェイまである高台ぶりで。
しかもこのロープウェイ乗り場は微妙に艮神社さんよりも手前であり、ああ、この艮神社さんは行かれないのだろうな、と思っていたのです。

しかしながら。
「どうする?ロープウェイで行く?それとも艮神社さんへおまいりしてから?逆でもいいし、ロープウェイが無理そうなら、往復歩きでもいいし。…ロープウェイ、怖いんでしょ?」
と娘。


娘が働きはじめるにあたって始めた一人暮らしのあと、始めたこの神社仏閣珍道中。

そんなに寄り添ってくれてのスケジュールであったとは。


ありがたいことばかりの旅の始まりでありました。



No.35 2024/10/22 03:12
旅人さん0 

とはいえ…。

娘が離れて暮らすようになってから十年近い年月が流れている。
私がその間に眩暈の持病を持つようになったことも、片方の耳の聞こえに異常をきたしたことも、不整脈のあることも、喘息で定期的に受診し始めたことも何一つ知らない。

知らせずに済むなら知らせたくはない。
ただ、ともに四日間過ごすことで、どれだけのことがバレてしまうだろう。

一日三回内服している薬。

何より眩暈や不整脈、はたまた喘息の大きな発作でも起きてしまえば、知れるところになるどころか迷惑をかけることとなる。

そうならないように祈った。
事前にもたくさんたくさん祈った。

本当は自分のことを祈るのはよくはないと言われるのだが、今回ばかりは祈ることしかできなかった。


どの症状も出ることなく、内服している様子も見られることなく無事に四日間の旅を終えることができた。

帰ってから仏壇もどきに手を合わせ、御礼を申し上げた。

No.36 2024/10/23 04:57
旅人さん0 

(【艮神社】さんの続き)

思ってもいなかった『艮神社』さんへのお参りがかない、娘の旦那さまが一緒にいることも全て意識から飛んで、いつものように小走りするような足取りで神社へと向かってしまった私。

気づいたのは
「御朱印いただくのこっちみたいだけど?」
という、後方からの娘からの声、ででありました。

(あ、またやってしまった)

その時、すでに私は手水舎にまで行っておりました。

No.37 2024/10/23 13:25
旅人さん0 

(続き)

…この艮神社さんの手水舎をお護りになられているこの亀。

正しくは玄武(げんぶ)、でありましょうか。
ただ亀は万年とも言われております吉兆の動物でありますから、亀でもあながち間違いではないような気もいたしますが。

玄武であれば四方のうちの北方を守る霊獣であります。


一方【艮】は鬼門、北東の方位・方角、やはり北の方位であります。

しかしながら尾道市の南に位置する艮神社。
尾道市という括りがいつからのものか、かつては備後国、であったでしょうか?

この備後国にしても、山陽道にとっても、この艮神社さん、決して北方に位置してはいません。

何にとっての北?
何にとっての鬼門?

はて?。


ここを北とした時、南にあたるのは、…海くらい?

歴史であるとか、ここを治めた人物とか、国司とか、さぁーっぱりわからない私。

夫に
「ここって何にとっての鬼門なの?」
と聞いてみましたが夫にもわからないとのことで。


ま、まぁわからないこともあるって。
そこで考えることをぱっとあきらめた私。


それにしても。

この亀?玄武?
…ポケモンのカメックスに似てません?
まるでカメックス。

見れば見るほどカメックス。


ま、そんなこと娘の前、娘の旦那さんの前では言えません。


今あらためて写真の画像を拡大して見て、…やっぱりカメックスに似ているよう見える。

私の気のせい…かしら?

カメックス

No.38 2024/10/24 09:35
旅人さん0 

今朝、食事の支度をしながら付けておくテレビから、

「…人気アニメ「鬼滅の刃」の聖地として知られる神社の屋根の銅板が盗まれた…」

と聞こえてきた。

「えっどこどこ?バチ当たりな!ありえない!」
と夫。

「全国的に多発しているみたいだよ。足利市なんか結構あるみたいで樺崎八幡宮でもあったじゃない」
と、私が言うと同時に流れたのは…。

やはり同じく栃木県足利市に鎮座される【名草厳島神社】さんの見るも無惨な社殿のお姿で、二人は一瞬言葉を呑んだ。

「…栃木県足利市は23日、同市名草上町の厳島神社で、社殿の屋根の銅板が盗まれたと発表した。

市教委文化課によると、盗まれたのは縦15センチ、横56センチの銅板など約1630枚で、被害額は約65万円相当。
棟木部分など外すのが難しい場所以外、屋根全体から銅板がはぎ取られていた。
神社を管理する総代が9月16日、異状がないことを確認しており、その後の犯行とみられる。

この神社は人気アニメ「鬼滅の刃」の聖地として知られる国指定天然記念物『名草の巨石群』の指定地内にあり、社殿は1872年に再建されたもの。
駐車場からは600メートルほど離れているが、参道は途中まで舗装されている。

観光客が3日に気付き、同神社が4日、足利署に被害届を出した。…」

テレビのニュースの放送内容を録音して一部を書き起こしました。


はあぁぁ。

…無人だからな。

樺崎八幡宮さんと同じく、民家はそばにはほとんどないし。


神さまの鎮座されるお社の屋根の上にのぼって、畏れ多くもその屋根に葺かれた銅板を剥ぎ取って盗み去る!

無宗教であっても、〝畏れ〟という感覚は身に染み付いている。

はず。


来週からしばらく毎日雨の予報が続いています。
その間の雨漏りや傷みの進行はどうなのだろう。


とりあえず買い取ることをやめて。


それとも現物のまま外国へ?


私がここで憤慨したところで何も元には戻らず、何も解決はしないのだけれど。
…おばさんは猛烈に怒っています。

No.39 2024/10/24 14:37
旅人さん0 

(名草厳島神社さんの続き)


『…石段をのぼるのも拝殿が巨石群の上に建てられているから。
巨石群最大の御供石と、巨石の上に建てられた厳島神社。

落ちついた、装飾は一切ない建物が、巨石の上にまるで意志をもって座っておられるかのような┉ここを護ってくださっていることに喜びと誇りを持ってくださっておられるような威厳を持って、そこに鎮座されていました。
周りのいくつかの巨石の肌を静かに静かに、清らかな水がきらめきながら、岩肌を撫でるように流れています。その神々しさといったら┉。


こちらの厳島神社は、伝承によると、平安時代初めの弘仁年間(810年~824年)、空海上人が、水源農耕の守護として弁財天を祀ったのが始まりといわれているようです。白い蛇の道案内により、清水の流れる大きな岩の前に出た上人は、岩の前にすわり、経文を唱えて弁財天を勘請し、前に祠を建てられたといいます。

元禄六(1693)年、このそばにあります金蔵院住職が、領地検分の家老に、弁天宮の再建を願い出て、下附金三両でお舟石上に石宮を建立したのが本宮であるといいます。
明治の神仏分離令により厳島神社となっています。


一番大きな御供石は高さ約11m、周囲約30mといわれています。一見小さく見える上の三角状の笠石ですら、およそ3mもの高さがあります。
こう書けば少しはその大きさが伝わるでしょうか。その御供石の岩の隙間を通り抜けることを「胎内くぐり」と言っているようで、ここを通り抜けると子宝や安産に御利益があると信じられています。…』




2021年の8月にこちらにうかがったときの珍道中錄を一部貼り付けてみました。

直接そこに誘導できるような技を習得していればそれもよかったのですが、どうにもわからない。
そもそもが全文を読み直していただくほどの内容ではなく、一部ですが貼り付けてみます。

初めてこちらを訪れたときの私の感動が少しでも伝わりますでしょうか。



こちらもまた、大好きな、何度でも訪れたい神社さんの一社でありました。




(以前も貼った、鬼滅の刃の聖地とされる所以であろう岩であります)

No.40 2024/10/24 15:08
旅人さん0 

(名草の厳島神社さんの続き)

足利市で何件も起きている銅葺の屋根等の盗難事件。

これは盗む人間が一番悪いのはもちろんです。

でも現金化できるからこそ、何件も何件も起きるのだと思うのです。

つまりは十中八九、寺社のような特殊な建物から剥がして盗んできたと、一目でわかるものを、しれっと買い取る業者がいる、ということ、です。


その盗人にとっては、恰好の、無人の、銅という現金化できるお宝がつけられた建物に過ぎないのでありましょう。

一方、買い取りの際、買い叩いても、とりあえず現金化さえできれば良しとしている相手から、盗品を買い取って、…そこで加工して転売するのか、そのルートは皆目見当もつきませんが、儲けがあり、足がつかないルートを持っている、ということなのでしょう、こういった盗品を平然と買い取る業者は。


私、神社仏閣珍道中などとふざけたタイトルでずっとずっと文章を書いておりますが、決して信仰というに対してふざけている者ではありません。

ただ、確かに私の場合、そうした神社仏閣から、祈りの場から、離れたところで生活していた人物ではありますが、それを少しでも埋めるべく、神さま、仏さまにお詫びを申し上げながら巡礼しているものであります。

その祈りの場から距離を置いていても、知らないからこその畏れはありましたものの、むしろそこに憧れがあり、だからこその今の寺社巡りなのだと思っております。


そんなにも無宗教になれないのが、人なのだと思うのです。

思うのですが…こうした犯罪、いやあまたの犯罪がおこなわれるということは、そうではない、…ということなのでしょうか。

考えてもわかりません。


わかるくらいならもっと簡単に犯人は捕まることでしょう。


闇バイトという簡単にお金を稼げるという言葉に乗って、人を殺しているのに、「何年くらいで出所できますか?」と接見した弁護士に聞く人間が複数人いるといいます。


罪の意識というものが変化してきてしまっているのでしょうか。


そんな簡単に出所できないと言われて途方に暮れるという〝実行役〟と呼ばれる人たち。

指示に従っただけ、という意識、認識でしかないということ、なのでしょうね。


こうした闇の社会でなくなりますよう、祈ります。




No.41 2024/10/24 23:43
旅人さん0 

と。

本当は同じ足利市の、明るい話題をお知らせしようとしていたのです。

それは十一月一日から足利市で行われるイベント【足利灯り物語 2024】。


市内の足利学校、鑁阿寺、足利織姫神社、などで繰り広げられる灯りによるイベントで、

[足利学校]
・建造物や庭園をライティング
・あしかがフラワーパークの監修による花手水、和傘、竹灯りのライトアップ

[鑁阿寺]
・国宝鑁阿寺銘仙ラッピング
・推定樹齢550年の大銀杏をライティング
・本堂、一切経堂、多宝塔をライティング
・楼門内に安置される仁王像をライティング
・太鼓橋北側に大型六角銘仙灯りの設置
・参道に銘仙灯りを設置

[足利織姫神社]
・229段ある石段に、色とりどりに変色する銘仙灯りを設置
・社殿をライトアップ
・鳥居両脇に大型六角銘仙灯りの設置
こちらは他の会場よりも長い期間、また長い時間をライトアップされます。


コロナ禍前からあった恒例のイベントで、私どもも一度行ったことがあります。


…あのときはもっと寒かったなぁ。



その幻想的な灯りの織りなす異空間は、心躍り、そして心温まるものでありました。

あ、過去の写真はないです。
あったしても技術も、また機械(ガラケーVSスマホ)の性能が格段に違います。

関心を持たれ、夜のイベントとはなりますがお越しになりたいと思われた方がおられれば。

このイベント、夜からのものでありますのでお帰りは当然夜道となります。

お泊まりも良いかもしれません。
お泊まりは群馬県へどうぞ。

No.42 2024/10/25 05:36
旅人さん0 

(艮神社(尾道市)さんの続き)

おお、まさかのカメックスで終わり?と思われた方、まことに申し訳ありませんでした。

こちらの神社さんは〝艮〟という方角的な見方をするものなのか否かと、無い頭をひねっていたところに、カメックス、…ではなくて、もしかしたら玄武?と思われる石像に、やはり北を守っている?とさらにさらに首を傾げることとなり、いろいろ調べはじめてしまい筆が止まってしまった次第であります。


で。

まずは原点である、というか真実を伝えるご由緒書きにいこうということにいたしました。
…ええ、(まずはそこからだろう!)、そう思われますよね。

煩悩のかたまりであるおばさんは、最近、一粒で二度美味しいをのぞむところが高じて、ご由緒書きを見る前に妄想、…ではなくて、いろいろ考えてみてからご由緒書きを見るようになっておりまして。

まぁご由緒書きの無い寺社も数多くある故、そうした習慣が生まれてしまったこともあるにはあるのですが。


それでも神社さんを訪れる前には御祭神さまは調べます。
そうでないと失礼にあたると、そうした考えに至ったため、です。

もちろんそれ以外のことを調べて知っていて訪れた方がより深くその神社さんを知ることができ、もしかしたら一生涯で一度の参拝になるかもしれない神社さんなどは殊更そうした方が良いとは思うのですが、同時に先入観も生まれます。

知っていることワクワクする気持ちが減ることも無きにしも非ずで。

そうやって遠回り遠回りして、深く考えたり知ったりすることも楽しかったりすることもあるのです。


…まぁ、知らずに行って見落とすことが多いことがあるのも事実です。
調べて行っても忘れてしまっていることもあるくらいの人物ですし。

調べに調べてうんちくを語りたい人物との二人三脚でもありますし。



ああ、また前置きがこんなにも長くなってしまった (・_・;。

No.43 2024/10/25 20:18
旅人さん0 

(続き)

こちら【艮神社】さんは大同元(806)年の創建と伝えられ、それはお隣の千光寺さんと同じ年のことであるといいます。

古くは【多氣遠宮】・【建遠神社】と称されたといい、素戔男命さまをお祀りした神社であったといいます。
天延三(976)年に吉備津彦命さまが合祀され、1200年ごろ【幣多賀宮】との二社合祭、となったのだといいます。

のちに火災に遭い、文明七(1475)年、平盛祐が願主となって再建されたといいます。

その後も屋根を葺き替えたり、本殿拝殿を造立したりと、されたとあり、たびたび社殿の造営があったようです。




…おかしい。

艮神社さんのご由緒書きであるというのに、書かれていないのです。
艮神社と称されるようになった年月が。

No.44 2024/10/26 05:12
旅人さん0 

(続き)

艮神社さんのご由緒書きに、いつから艮神社を名乗るようになったかが記載されていない…。

まぁ、いたしかたないことなのかもしれません。

〝のちに火災に遭い、文明七(1475)年、平盛祐が願主となって再建された〟

と書かれておりますことから、この火災以前の資料全てが焼失してしまったのかもしれません。


特にどこかの鬼門を護るようにも思われないこの艮神社さん。

…。
…もしかしていずこかにご鎮座されます『艮神社』さんを御遷座されている?
それがいつの時代かの資料が神社のみならず鎮座されます尾道のどこにも残されていない、とか?


じつはね。
この尾道艮神社さんの〝艮〟の意味や、いつから艮神社さんと称するようになったかをネットで考察される方は多くおられました。
…それはそうですよね。
私のようにぼやーっとした人間でさえ不思議に思ったことなのですから。

みなさんいろいろ考えておられます。
それを読むのも楽しかったです。

で。
これが今現在私のたどり着いたところ、であります。

その先の、ではいずこの〝艮神社〟さんを遷座されたかとかも調べてはみました。

それは無理でしたね。
…艮神社さんが多すぎて。
全部の艮神社さんを調べて、そこにそうした記述が残されていないか、を調べることなんて、ネットの上でなんか到底無理ですから。

そもそもがきっと尾道の艮神社さんの歴代宮司さまがとうにあたられたことでありましょう。

でもわからないのでこのご由緒書きとなっているのだと思います。

全国には六十七社の【艮神社】があります。
そのうちの六十一社が広島県に鎮座されているという(あ、このカウント私がしましたのであまり当てにはならないかも。ご興味がありましたらカウントし直したほうが良いかもしれません 笑)。

そして各々の艮神社さんでお祀りされる御祭神さまは微妙に異なっておられる。

ということから、いつの時代かに、いずこかの〝艮神社〟さんを遷座されたのではないかという〝私なりの〟考えに至りました。
…曖昧ですけどね。

いやぁ、自分なりに調べて納得いくところでストンと落ちつけるのがいいんです。

先人たちが調べて調べてのこと。

この尾道艮神社さんのご由緒書を作られた方が書いた内容がすごく腑に落ちる。

そこまで自分なりに調べてみたから、いいんです。


No.45 2024/10/30 06:37
旅人さん0 

…ご無沙汰しております。

実は結構前に書いたんですが、画像の貼り付け時のほんの少しの指のズレで全て消えてしまった自分の不甲斐なさに立ち直れずおりました。

ほぼ千字、ノリノリで書き込んでの痛恨のミス(小説・エッセイスレだけ上限千字、なんです)。

日常でも少しずつの嫌なことが重なって重なって、あのノリノリの文章、自分でもなかなか気に入った出来だったものは到底書けそうになく。

すこしだけでも上昇してからリトライしようかと…。


こんなお天気ですのでみなさまどうぞ体調にお気をつけて、ご自愛ください。

No.46 2024/10/30 07:08
旅人さん0 

それにしても衝撃のニュースです。

…ことしに入ってそんなことが激増しておりますか。

…北海道のニュースです。

最近、彼女ができたと嬉しそうに話していたという被害者。
そのあまりにも残虐な、人を人とも思わない扱いに身震いしたものです。

しかしその犯人を知って心の底から震撼しました。
誰あろう、その彼女と呼ばれた女性の所業だったというのですから。

もうまさに世も末。

昔の世も末と言ったら、飢餓で死者が出るような状況で。そんな中では身包みを剥ぐようなことはあったかもしれないけれど。


いや、そんな簡単に世も末、とか言ってはならないよな。

誰もが苦しいこの時代であっても、道をたがわず歩む人の方が圧倒的に多い。

ほんの一部の人間の所業にそんな思いに至ってはいけない。


だが、やはり怒りと悲しみに身体が震える。

他の一連の闇バイトとか称された、強盗致傷、強盗殺人も。

No.47 2024/11/01 05:39
旅人さん0 

艮神社さんの左脇を進み、突き当たった場所に連なる路地を『猫の細道』と呼んでいます。

(…この間張り切って書いて消してしまったものは無理なので先に進むことにしました)



猫の細道にお堂がありました。
お地蔵さまがお祀りされています。
苔むしたりはしていないものの、目鼻立ちや衣、手の様子などがよくわからなくなっておられました。

あまりにも白いので、もしかしたら結構強い力で洗浄したりしたのかしら…と思ったくらいでした。

お詣りを終えて道を歩き出そうとすると、何やらポップな、ラミネート加工された貼り紙があります。

…。

えっ?
切り株から出てきたお地蔵さまぁ?


昔ここを開拓したときに切り倒した切り株からでてきたと?

なんでも昭和31年に建物を建てる際切り倒した切り株から出てきたとのことです。
もう少し以前の話なら、伝承かぁと思って通り過ぎるところです。

それでも半信半疑な私。
だめだめ!信じる者は救われる。(…あれ?これはキリスト教?)

それにしても。

木がお地蔵さまを包み込んで生育する…どれだけ気の遠くなるような年月がかかっていることでしょう。



猫の細道というくらいだから猫が多いかとワクワクしておりましたが、さほどはおりません。

むしろ至る所にペイントされた猫が目を引く路地のような細道でした。

小石。
壁。
石段。


福猫石神社なるものもありました。
かなり薄暗くてちょっと私には怖かったです。
神さまをお祀りしている、わけではなさそうで、この細道の至る所に置いてあった猫の顔をペイントした石がたくさん祭ってあるように思われました。


この細道にいる猫さんたちは飼い主さんがいるかもしれないので、写真にはおさめませんでした。


この先を少し行った広場に猫さんが悠々と過ごしていて、しかも人馴れしているので撫でさせてもらいました。

ひとしきり撫でて立ち上がると、娘が
「はいっ」
とお手拭きを手渡してくれました。


い、いやぁ、撫でさせてくれる猫は撫でるってものよ、苦笑。
…いろいろ手のかかる母ですみません。

No.48 2024/11/03 07:23
旅人さん0 

朔日…とはいっても厳密にいえばあくまでも太陽暦なので、〝おついたち〟、というのがしっくりくるかもしれない。

そんな一日の日。
夫が有給休暇をとっておりました。

月一の坐禅であったり朔日参りであったりと、一人で過ごす時にはそれなりに予定があるにはあるのだが、
「どこかに行こうか」
…甘美な響きでありました。

それでも神社さんにお詣りしたいことは譲らない。

いろいろ候補を挙げあい、日光の東照宮さんへお詣りすることといたしました。

「平日だから大丈夫じゃない?」という夫の言葉はどこまでも否定しつつ…。


日光もまだ紅葉には早かったです。


そして。
夫が言っていた「平日だから」が思いの外的中している道中に、正直驚きつつ、群馬県から栃木県へと入り、日光への一本道へと入っていきました。


でもさすがに駐車場は満車でありました。
…第一駐車場は。

第二駐車場はなんとガラ空き。


こんな日光は初めてです。



No.49 2024/11/04 03:42
旅人さん0 

(日光山 続き)

日光の輪王寺および東照宮の参道は広く、三車線分くらいはゆうにありますが、そこもがらがら。
…どうした?!

しかも時は秋、本当にどうしたというのでしょう。

まずは輪王寺さんへ。
入場券を買い求めて石段をのぼります。
チケットを見せて入ったところもほとんど人がおりません。今までならここは満員電車のそれくらいに押すな押すな…という方は一人もおられませんが、係員は「もっと奥までお詰めください!」と拡声器を使うくらいで(のちにスマートなピンバッチに変わりましたが)。

がら〜っ。
初めてゆっくりと参拝できそうです。

現在、世界遺産登録二十五周年ということで、初めて御開帳された仏像があります。

…初めて、ですよ?
二年ほど前に数年に一度御開帳される軍荼利明王さまのときは、そのまさに詰め込み日光方式でありました。
もはや不気味なくらいです。
係員の誘導もなければそこで必ず展開されるありがたいグッズの説明と販売もありません。
…ちゃんと今回初の御開帳となった五大明王象鼻の特別グッズも作られておりますし売店で販売もされていました。

どうした?! 日光!


(撮影禁止のため画像はお借りしました)

No.50 2024/11/04 15:34
旅人さん0 

(続き)

護摩堂を出て。
再び参道に戻ると…!!

…これぞ日光!

すごい人です。

それにしてもこんなにたくさんの人。人。人。


私たちそんなに長く三仏堂と呼ばれる輪王寺さんの御本堂にいたわけではありませんし、護摩堂でもそんなに長い時を過ごしたわけではないはずです。

個人の方々も。
ツアーの方々も。
修学旅行or校外学習の子供たちも。
私どもが三仏堂に入る前に見た光景が夢であったかのように思えてきます。

…今までで一位二位を争う混みようです。

東照宮の鳥居の内はもっと大変なことになっていました。
かつて休日に訪れたとき、くらい?いやそれ以上?

と、とりあえずチケット売り場に並びましょう。
前に並んでおられる方々も、そして後ろに並ばれた方々もみな外国からのお客さまでありました。


異国それも海を隔てた小さな島国である日本を目指して、お金を使い、時間を使って、わざわざお越しになった方々でしょう。

凄いなぁ。
そしてありがたい。

日本の文化に関心を持ってくださって、慣れない土地から土地へ、緻密なスケジュールを組んで、夢見た日本のさまざまな地を目指して。

中には車椅子の方もおられます。
移動はどれだけ大変だったでしょう。


「Excuse me.」
へっ?

後ろの方からお声がかかりました。

「How much なんちゃらticket?」

えっ、えっとぉ〜。
おばさん手で1、6、オー、オーとやってみました。
…わからないようです。

「ワンサウザンド シックスハンドレッド」
とほぼ日本語に聞こえる発音で答えたのは夫。
首をかしげるその方たち。

えっ?通じないの?

「Is this enough ?」
…と言ったのかどうか、女の方が一万円札を手にして首を傾げました。

「オッケー」

しかし。
この先にあるのは自動支払機。
大丈夫かな?


私たちの番が来ました。
なんだか日本人にもわかりにくい仕様です。
なんとか購入に成功しました。

そんな私どもは代わりに購入してあげられるかどうかも自信がなく。
せめてもの親切心で英語表示にしてその場を離れました。

「Nice! Excellent! Thank you.」

…いいえ、英語喋れなくてsorry。





(輪王寺でお授けいただいた切り絵御朱印)

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