めんたいロック ザ・モッズ/ゴキゲンレディオ
モッズのこの曲がなければBOOWYのonmybeatもJUN SKY WALKER(S)のすてきな夜空もカステラもピーズも
ビートパンクは存在しなかった
1981年ザ・モッズ/ゴキゲンレディオ
https://youtu.be/6ABv5Kni-Mg
23/02/23 19:30 追記
日本ロックロール、日本から見たアメリカロックロール満載!きっと歴史書になってる?はず?
7~めんたいロックって?ビートパンクって? ビートパンクバンドたち 31~80年代終頃のパンクからパンクの背景 45~アメリカLAメタル 53~アメリカロックンロールの始まり 58~60年代 イギリスの侵略 ビートルズ ローリングストーンズ 101~日本ロックンロールの始まり 江利チエミから60年代
キャロル解散前の74年12月に発売されたベストアルバムキャロルゴールデンヒッツが75年年間アルバム19位に初のランクイン
週間では上位には来なかったが歌謡曲やフォーク全盛期に日本人のロックンロールが始めてチャート上位に入りガチで戦えた初の出来事になる
だがダウンタウンブキウギバンドの週間オリコン5週連続1位になった港のヨーコヨコハマヨコスカが入った
1975年2月アルバム続・脱どん底が年間オリコンで5位に入り霞む結果になってしまった
スモーキンブキやカッコマンブギなどは横浜銀蝿的コミックロックバンドの元祖でもあり
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカなど歌謡曲的扱いだったり語りのバンドでもあるのでロック、ロックンロールバンドとして売れたとも言えない面もある
ちなみに75年4月のシングル港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカの初回生産はカッコマンブギのB面扱い
スモーキンブギ
https://youtu.be/BBmOtNr8dqE
カッコマンブギ
https://youtu.be/A58IH7gEoM0
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
https://youtu.be/r-7qgAzJtqM
この後のキャロルは解散したバンドであるが怒涛の発売ラッシュへ
1975年3月キャロル4曲入り
ルイジアンナ 涙のテディーボーイ
ファンキーモンキーベイビー 番格ロックのテーマ
続く
脱線
エニータイムウーマンは矢沢永吉作曲のキャロルの音源になってない曲で詞がまだついてないと思われる
矢沢永吉が適当英語で歌った曲
解散ライブのアンコールでやる曲ではないよね?
なぜ解散ライブで、それもアンコールで、一度も音源になってない、誰も知らない、詞も決まってない曲をバンドは選んだのだろうか?
矢沢永吉ソロはこんな曲をやるんだとのアピールでもない
キャロルが続いていたらこんな曲が出来ていたとアピールなのか?
1992年エニータイムウーマン31枚目シングル オリコン9位
ユーチューブにないのでティックトックあるが禁止ワードに引っ掛かり貼れない
グーグルから 矢沢永吉 エニータイムウーマン ティックトック
何故か17年後にソロシングルにしている
シングルエニータイムウーマンは矢沢永吉がアメリカ進出をあきらめサムボディーズナイトやピュアゴールドなど大ヒット曲が出て再ブレークした後のシングル
ピュアゴールド オリコン1位
https://youtu.be/UiP4wsEKj-E
戻ろうか
キャロルはここで終わったと思うだろうがキャロルはここから始まったと言っても過言ではない
井上陽水アルバム氷の世界が74年75年アルバムオリコン2年連続1位で74年75年の累計でアルバム日本初の100万枚を記録した
キャロル解散と同じ75年は年間52万枚を売上げた
続く
矢沢永吉はジョニーとは生き方が違うだけだと解散に対するコメントを残している
1975年4月日比谷野音で解散ライブ
曲は前に書いたので参考に
解散ライブのキャロルは神がかっていた
解散ライブなのに初期の荒々しいファンが求めるキャロルがいた
メンバーはハイテンションで動き回るメンバーでステージは狭く見えた
そのぶん演奏はいつものライブより雑だったがそれもまたよく、荒々しさを際立てた
特に矢沢永吉が最高だった
矢沢永吉とジョニー大倉の確執なんて微塵もなかった
解散ライブ ヘイタクシー
https://youtu.be/Wy5XkV_mipY
前にデキはそこまでよくなくアルバムの一曲にすきないと書いたヘイママロックンロールも名曲に感じるほど
https://youtu.be/YcWuIGcaEEk
解散ライブ最後に偶然爆竹の火が引火
キャロルの文字が燃え崩れ落ちた
https://youtu.be/6e5tBVwNa2E
アンコールのラスト3曲をいい音で
エニータイムウーマン 二度目のファンキーモンキーベイビー 火が着いた最後の曲ラストチャンス
https://youtu.be/S4r6KNreLXE
燃えつきたキャロルは伝説になった
2002年再編集のキャロル解散ライブ
画質がいい
https://youtu.be/8R1X_BLOO8A
続く
1974年10月ジョニー大倉内海利勝は矢沢永吉にキャロルを続けられないと解散を提案
続けられない理由がはっきりしない二人に対し矢沢永吉はお互いの将来のためにも
もう2~3年やろうと説得するが二人の意思は固くプロデューサーミッキーカーチスや事務所やレコード会社を含めた話し合いに移行
何度も話し合いの場は持たれるがジョニー大倉内海利勝の意思は固かった
解散前提の話し合いになってもジョニー大倉内海利勝側は最後のアルバムを作ることや解散全国ライブツアーも拒否
その流れで決定したのはシングルを出し解散のXデーは75年4月一回だけの解散ライブに決定
1974年12月10枚目の最後のシングルラストチャンス
https://youtu.be/cua1iXVZDAU
ジョニー大倉はこれ以上続けられないと様々な提案を拒否し続けたのにも関わらず矢沢永吉作曲ジョニー大倉作詞コンビが復活
この辺りが解散前後に矢沢永吉とジョニー大倉との間には大きな確執は無かった説の最大理由になっている
最初の解散話しの発売2ヶ月前に収録を終えていた可能性は限りなく低い
お金になる解散ライブツアーまで断る理由が矢沢永吉とジョニー大倉の大きな確執だとするならお互い顔も見たくないだろう
1曲作るならお互い長い時間一緒の時間が必要で顔も見たくない相手と思い出作りのために共同作業はしないと思うが?
続く
それどころか全曲オリジナル曲なのに一番ファンの印象に残らないアルバムになってしまった
解散ライブ日比谷野音のDVD
燃えつきるキャロル・ラスト・ライブ
よりセットリスト
二人だけBGMのみ
ルイジアンナ
ファンキー・モンキー・ベイビー
ズッコケ娘
憎いあの娘
グッド・オールド・ロックン・ロール
ヘイ・ママ・ロックン・ロール
愛の叫び
メンフィス・テネシー
ヘイ・タクシー
ハニー・エンジェルBGMのみ
スローダウン
涙のテディ・ボーイ
やりきれない気持
エニタイム・ウーマン
ファンキー・モンキー・ベイビー
エデンの東
今思いつくだけでジョニーBグッド ラストチャンス ユーリアリーゴッタホールドオンミー 夏の終わりなど入ってない曲もあるが
収録された曲の中でアルバムキャロルファーストからズッコケ娘とヘイママロックンロールの2曲しかない
キャロルファーストのビブロスピープルは解散ライブでやった気もする
メンバーも含めラストライブやDVDの作り手側もキャロルファーストの曲を選ばなかったことになる
売れなかった、キャロルらしさを出せなかったキャロルファーストに矢沢永吉以外メンバー初挑戦の苦労は報われず落胆しただろう
それはの怒りに変わったのかもしれない
イケイケだったらキャロルから今後キャロルで活動したとして先細りの不安が出た結果になった
続く
このキャロルファーストから初期矢沢永吉の3曲を続けて聞いてみると
このキャロルファーストの矢沢永吉は初期ソロそのままの意味はわかってもらえると思う
ただ77年にもなると声はしゃがれて矢沢永吉独特のこぶしを使うようになっているので雰囲気は違う
ジョニー大倉も含め他のメンバーと矢沢永吉の軋轢はキャロルファーストで決定的なものになった
作詞作曲ボーカルをメンバーにふった矢沢永吉の狙いは他にあるのだろうが
いきなり作詞作曲ボーカルをやれと言われたメンバーはどう思うか?
配慮に欠け違うメッセージを与えたと思う
作詞作曲をやったことないメンバーがいきなり印象に残る詞や曲を作れるはずもない
ジョニー大倉が内海利勝ユウ岡崎の相談相手や先生となり手解きをした
想像だが矢沢永吉へのグチしか出なかっただろう
数年後にはいい経験ができた感謝に変わったと思うが
73年6月シングルファンキーモンキーベビーが30万枚のヒットしているのにも関わらず
調べて正確には出なかったが
1ヶ月後の7月アルバムファンキーモンキーベビーは10万枚行かないくらい売れた
1年後の74年7月アルバムキャロルファーストは当然セールスは期待される
同じく正確な枚数は探せなかったがアルバムファンキーモンキーベビーと同じ程度に終わり期待通りには売れなかったとゆうか
関係者はがっかりしたレベルだったと思う
続く
ヘイママロックンロール
https://youtu.be/YcWuIGcaEEk
雨のしずく
https://youtu.be/vkj5vVBiWfE
夢の中だけ
https://youtu.be/NFJPTVVeFTA
ユーチューブにあるだけあげてみた
アルバムファンキーモンキーベビーを期待したファンは裏切られたかもしれない
客観視するプロデューサーもなく
なんのテーマもなく曲作って歌えだからこうなる
一番キャロルらしい曲はヘイママロックンロールでそこまでデキが良くないとゆうかアルバムの1曲に過ぎないレベル
ただ矢沢永吉は初期ソロそのままをやっている
矢沢永吉は未来はどうなるか?
この最後のアルバムキャロルファーストは予言書になった
キャロルファーストの後
矢沢永吉は多くのファンが求めているルイジアンナやファンキーモンキーベビーはもうやらないことは本人が言わなくてもここでわかっていた
矢沢永吉ソロのカモンベイビー
ソロデビューシングルB面でデビューアルバム1曲目のセクシーキャット
初1位になった時間よ止まれが入った3枚目アルバムの1曲目世話がやけるぜ
この面白い並びの3曲が入った77年ライブ音源があった
のびきったテープで音は劇的に悪いが是非聞いて欲しい
https://youtu.be/PIWIqqvapM4
続く
キャロルに戻る
つまりは矢沢永吉作曲ジョニー大倉作詞の曲はない
そしてミッキーカーチスがプロデューサーではなくキャロルプロデュース
矢沢永吉が提案したのはメンバーが持ち寄った曲を1枚のアルバムするだった
そして勝手に個人的に思うのはアマチュア時代に作った矢沢永吉のストックではないアルバム
昔からある曲だと確認できるのは歌詞違いのふられた男だけ
https://youtu.be/uHFtGAlls-E
アルバムタイトルのキャロルファーストにはいろんな意味が込められた渾身のアルバムとゆうことになるはずだった
矢沢永吉 キャロル子供達に夢を カモンベイビー 甘い日々 ズッコケ娘 ふられた男
ジョニー大倉 ヘイママロックンロール ビブロスピープル 雨のしずく
内海利勝 夢の中だけ 娘クーニャン 悪魔の贈り物
ユウ岡崎 素敵な天使
キャロル子供達に夢を
https://youtu.be/iQdrEr9OcUY
カモンベイビー
https://youtu.be/zPoWD7wCaBo
甘い日々
https://youtu.be/Uypkwb9eA7E
ズッコケ娘
https://youtu.be/62VpjpmmBCg
ふられた男
https://youtu.be/WTJWfJZcnIY
続く
1975年サンハウスレモンティー
https://youtu.be/8jVeUlVm_b0
サンハウスはわずか3年の活動で解散
鮎川誠はシーナ&ロケットを結成
こっちのレモンティーが有名かな?
https://youtu.be/Ea_fbvtP_8U
その後第二期めんたいロックに受け継がれ
俳優陣内孝則のいたロッカーズ
https://youtu.be/hsbM0E8WQms
俳優石橋凌のいたARB
https://youtu.be/5546ccQtwr8
第二期最強だと言われているルースターズ
https://youtu.be/650074FjhB4
そして第三期めんたいロックでめんたいロック完成形モッズ
https://youtu.be/KoZeUeH_TUU
ここで文化やジャンル的意味合いとしてのめんたいロック終わりその後の四期五期は福岡出身のロックバンドに対し適当に付けられた気がします
めんたいロックの語源は80年ルースターズがデビューするときキャッチコピーで使われた説が有力でめんたいロック元祖のサンハウス時代にはなかった言葉です
意味はピリリと辛い博多のロック
らしいですがルースターズは北九州市出身で明太子は福岡市の名物
ルースターズはめんたいロックのめんたいとは無関係だったことになります
めんたいロック終わり
めんたいロックはパンクが混じったロックンロールと言いましたが76年セックスピストルズ誕生と同じ時期に博多にはパンクは存在したのです
第一期めんたいロックサンハウスと同世代山善のドリル
メジャーデビューはしてません
金持ち東京ロッカーズのSKEN リサード
貧乏関西ノーウェーブSSなどより早く
76年にインデーズでパンクを音源にして日本でパンクの元祖とゆう人もいます
パンクはロックの一部として派生ジャンルと考えることできますし
この時代で既存のロックでもフォークでもないニューウェーブ、新しい波の一部としてパンクを考えることもできます
パンクと真逆の電子音楽を使うテクノやディスコもニューウェーブの一つです
ニューウェーブ一部としてパンクを捕らえた後の世代に影響を与えたと言われる東京ロッカーズ
ロックの一部として捕らえたパンクの関西ノーウェーブのSS
1976年インデーズ山善ドリル
https://youtu.be/xL74UqhL1ko
これがパンクに聞こえる感性なら
セックスピストルズと同じ時間に博多にパンクはあったことなります
面白いでしょ?
鮎川誠のサンハウスにもパンクはまじってるような??
ヤードバーズストロールオンにそっくりだからヤードバーズ時代もパンクはあったのかな??
考えたらきりがないのでこの辺で
また次回
>> 176
めんたいロックは70年代半ばから福岡市、北九州市あたりで盛んだったロック文化のことです
音楽的にも共通点があり
50sロックンロールやブルースロックにパンクが混じったみたいな
ジャンル的にいえばジュンスカやユニコーンのビートパンクと同じです
アップビートみたいに全くそのめんたいロックテイストではないバンドも存在してるのに
めんたいロックとひとくくりにされてるのも面白い所です
1986年アップビート2枚目シングルバニティブランニュー
https://youtu.be/AcAbFeN11J4
その福岡からロックバンド次々とデビューしていった現象の意味にも使われます
古くは今やってるキャロルと世代に近いチューリップや甲斐バンドや
もっと古い井上陽水やフォークの長渕剛が拠点にしていた喫茶店照和から次々スターが誕生しました
その後のロック世代が次々デビューしたのがめんたいロックの現象です
言われている亡くなった鮎川誠さんはめんたいロックの元祖的存在で第一期めんたいロックといわれています
その鮎川誠のバンドがサンハウスです
1975年デビューしデビューライブでキャロルの解散した日比谷野音を満員にしてる規格外のバンドでした
1000㎞以上離れた博多の田舎者が上京したてのメジャーデビューしたてで
東京周辺のファンに愛され注目されたバンドです
もっと書きたいのでまた次回
矢沢永吉との関係は決定的により悪くなったが矢沢永吉もジョニー大倉を必要と考えたのは間違いない
記者会見を開きジョニー大倉の非礼を矢沢永吉が詫びキャロルに戻している
うろ覚えたけどジョニー兄はいません
ここにいるのはジョニー弟ですみたいな言い方の謎のセリフだったような
矢沢語録で見た記憶がある
復帰すぐにメンバー一緒に通ったのかは不明だがメンバー全員精神鍛練のため極真空手道場に入門している
1974年7月25日シングル夏の終わり
https://youtu.be/sbv42Nhpafs
涙のテディボーイと同じ路線で良くできた曲て矢沢永吉作詞作曲
ソロでもシングル発売している
B面泣いてるあの娘は初ボーカル内海利勝で作詞作曲
https://youtu.be/zntSL9UoWSY
このシングルではジョニー大倉は復帰してるはずなのにコーラスにすら存在感はない
1974年7月25日シングル夏の終わりと同じ日に3枚目アルバムでキャロル最後のスタジオアルバムキャロルファーストが発売される
全面新曲だけの初アルバムだからキャロルファーストだけの意味ではない
それぞれが作詞作曲をした曲をそれぞれが歌い1枚のアルバムにしている
矢沢永吉5曲 ジョニー大倉3曲 内海利勝3曲 ユウ岡崎1曲
ただしアルバム最初と最後の曲キャロル子供達に夢をは同じ曲のバージョン違い
続く
シングル 涙のテディボーイ
https://youtu.be/6aNqzu9X5qI
ライブの方がシングルジャケット
ジャケットには矢沢永吉と内海利勝しか写っていない
矢沢永吉作詞作曲でアレンジャーを入れ
他の楽器コーラスで壮大なイントロ
アルバムファンキーモンキーベビーからガラリと変わってる
今までより作り込んだ印象を受ける
イントロだけでなく曲の構成とゆうか
プロが絡むとこうなるんだって感じる
矢沢永吉ソロデビューシングルアイラブユーOKが見え隠れしてソロ初期の遅い曲な雰囲気がある
初ソロ矢沢永吉のコンセプトは涙のテディボーイでいこうか!
なーんて矢沢永吉は言ってはいない
勝手にそう思っているだけ
B面に映画主題歌でジョニー大倉が歌い作詞の番格ロックのテーマ
https://youtu.be/0JpZJz2I7yA
この曲もイントロや歌の入りすぐはロックバンド思えないがその後は50sバラード調
前録りのジョニー大倉の歌だけ生かして演奏は被せたのだろう
2曲とも遅い曲で作りがいい反面アルバムファンキーモンキーベビーまでのキャロルらしさ荒々しさは皆無
同じ2月中旬ジョニー大倉復帰
失踪から復帰まで3ヶ月弱かかっている
二度目の失踪でジョニー大倉の立場はさらになくなった
自身は復帰しても余計に窮屈で負い目も感じただろう
続く
今では考えられないがジョニー大倉失踪を公にしてジョニーが大倉復帰するときは記者会見まで開いている
当時テレビや週刊誌もジョニー大倉失踪を知っていたと思うがどう報道していたのだろう?
現在なら大騒ぎだと思う
ヤバい事件や事故の可能性もあるし
近年ではロックバンドカナブーンのメンバーが10日間失踪し脱退している
当時のジョニー大倉とは比較にならないほどの知名度だからそこまでの話題にはならなかったが
90年頃の若人あきら失踪は警察にも通報され大がかりな捜索も行われた
僅か数日だが大きな報道で覚えている人も多いと思う
ジョニー大倉は薬物のせいで自殺未遂とか言われているが2度目だしやはり精神状態が元から良くないのだろう
2回とも精神病院には入ってる
役者として活躍していた87年に7階ベランダから転落し自殺未遂と騒がれた
ジョニー大倉のいないキャロルルイジアンナ
https://youtu.be/3EnARRFJmIs
これはこれで成立してるがやはりジョニー大倉は必要だよね
一時期ギターでサミーが加入するがジョニー大倉が戻るまでの限定になった
ジョニー不在のまま3人でライブツアーへ
そのサミー加入後での収録だったと思う
調べたが出なかった
1974年2月シングル涙のテディボーイ
ライブ
https://youtu.be/kB5A0YRKcSg
続く
ファンキーモンキーベイビー シングル
憎いあの娘 シングルB面
レディセブンティーン シングル
コーヒーショップの女の娘 シングルB面
恋する涙 アルバムオリジナル
二人だけ アルバムオリジナル
愛の叫び シングルB面
ハニー・エンジェル アルバムオリジナル
いとしのダーリン アルバムオリジナル
彼女は彼のもの シングル
ミスター・ギブソン アルバムオリジナル
0時5分の最終列車 シングルB面
アルバムオリジナルは比較的遅い曲をチョイスしベストアルバム的構成
アルバムオリジナルでキャロルファン推しは憎いあの娘だと思う
https://youtu.be/E-6xmb26qcw
個人的にはミスターギブソンを貼りたかったがキャロルのミスターギブソンがユーチューブにない
代わりにいとしのダーリン
https://youtu.be/o8XD_KanNYA
ミスターギブソンはキャロルのハードロック
音質のいい試聴で捜してよ
アルバムファンキーモンキーベビーで矢沢永吉の100曲のストックを使い果たしてしまったと思う
100曲のストックが本当だったとすれば100曲中使える曲が2割以上あったらいい方だろう
1973年11月ジョニー大倉2度目の失踪
キャロルのドキュメンタリーが原因でNHKと揉めクビになった龍村仁の作った映画キャロルにはジョニー大倉失踪が描かれている
続く
2回被せてすごく考えらた詞?お笑いでゆう天丼効果まで狙った曲?
ファンキーモンキーベビーの歌詞フレーズは韻を踏んでる
女の子に対しての誉め言葉ではないような気がするけど何かしっくりはまるすごく考えられた詞かも
全部狙いか偶然かは不明
全部偶然で理屈ではなく感覚で完成させできた曲なら曲を考えた矢沢永吉も詞を考えたジョニー大倉もイントロを弾く内海利勝も天才としか言いようがない
脱線!ロックンロールイントロ最強レベル他の曲~
アジアンカンフージェネレーション 君という花
https://youtu.be/MIY3lM-jGkI
ミッシェルガンエレファント ゲットアップルーシー
https://youtu.be/C0X4wtMXYvg
レッドウォーリアーズ カジノドライブ
https://youtu.be/-bNa_mzcO1Y
イントロなんてすべては好みなんだよね
耳に心地良かったりギターリフを重視する人もいる
他楽器や電子音で壮大にすれば納得する人もいるだろう
キャロルのファーストアルバムルイジアンナはA面が日本語詞オリジナル曲
B面は英詞カバー曲
そのアルバムルイジアンナから丸3ヶ月しかたっていないのに
1973年7月2枚目アルバムファンキーモンキーベビー
アルバムファンキーモンキーベビーの構成はシングルで発売したA面B面6曲
オリジナル5曲
続く
白人のジャンルチャートはカントリー
戻る
キャロル最大のヒット曲でキャロルと言えばファンキーモンキーベビーが代名詞になってる
販売枚数30万枚で週間オリコン57位で売れてなく低く感じるかもしれないが
同じ73年6月発売郷ひろみの裸のビーナスは最高週間オリコンチャート2位で、週最高売上39万枚年間オリコンチャート16位
https://youtu.be/SHBUJ71YbcA
総販売枚数は不明だが2位郷ひろみと57位ほどの差は感じない
知名度のあるアイドルのセールスは発売1週目が重要で
キャロルの場合1週間単位で爆発した週がなく口コミ口コミで長期間低いペースで売れ続けることができた結果、週間オリコンチャート最高57位で当時の販売総枚数30万枚になり
7ヶ月連続発売の最後のシングルだったからと推測される
キャロルのファンキーモンキーベビーは
ロックはお金になると音楽業界すべてが気づいたきっかけの曲になったことは間違いない
矢沢永吉著書成り上がりにもロックをお金にしたのはキャロルと書いている
この時代イントロ最強レベル
シンプルでこれから始まる曲はどんな曲を数秒で表現できている
それとファンキーモンキーベビーの歌詞フレーズだよね
なんだろう?君はファンキーモンキーベビーって?
次の歌詞のイカれてるよだけど恋しい俺のあの娘
これがファンキーモンキーベビーの意味?
続く
1956年ジーンビンセントビーバップアルーラ全米7位
https://youtu.be/-YxzcxtbkXI
この曲は日本で頻繁にカバーされているのでキャロルのジョニーBグッドまでは日本での知名度は高かったことになるが50sロックンロールの定番とまでは言えない
日本でも80年~90年頃アメリカネオロカビリーの影響や格安CDが発売され小さな50sブームが来るがビーバップアルーラは50sオムニバスの中に常に入る曲でもなかった
チャックベリーのジョニーBグッドを音源にしたキャロルが日本初カバーは間違いとしてもキャロルまで話題になったことはなかったことは事実
原曲は日本ロカビリーブームの頃のど真ん中の発売だし
黒人のグルーヴ感がだせなかったのだろうか?
黒人のリトルリチャードのルーシールは頻繁にカバーされてるんだが
一般人や音楽関係者までキャロルが音源にするまでジョニーBグッドを無視し続けた理由は不明
73年当時だけで見るとキャロルファンが10~20代がほとんどだったから50sロックンロールのチャックベリージョニーBグッドは知らずキャロルオリジナルと勘違いするのは仕方がないことかもしれない
1973年6月ファンキーモンキーベビーオリコン57位30万枚販売
https://youtu.be/YSCjNl_izQE
続く
白人のロックンロールは白人用ジャンルチャートにされ総合チャートではリズム&ブルースチャート1位の曲がベスト10の中に1曲も入らないことは珍しくなかった
当時チャックベリーのジョニーBグッドは当時の白人のすら知らない人は皆無で
総合チャート8位程度のアメリカ国民の認知ではなかった
アメリカでチャックベリーのジョニーBグッドを国民のほとんどが知ってることを証明してるのが大ヒット映画バックトゥーザフューチャー
ビートルズ、ローリングストーンズなど当時のブリティッシュインべェイジョン、イギリスの侵略が音源にはしなくとも次々とライブ等でカバーしていく現象が起き65年前後チャックベリーは再ブレイクしている
問題は日本
キャロルジョニーBグッド
https://youtu.be/3IdiDGhQUOY
ネット検索よるとジョニーBグッドは73年頃は日本でメジャーではなくキャロルのオリジナルだと勘違いした人が多数だったとある
同じくアマチュア時代から頻繁に演奏されたグッドオールドロックンロールの日本発売はなかったし知名度もなかったからキャロルオリジナルと勘違いしてる人は多いだろうが
世界的50sロックンロールの象徴であり定番曲ジョニーBグッドが日本で知名度が低かったとも思えないんだが?
書いた人の思い込みかもしれないし73年当時を正確に表しているのかもしれない
続く
ジョニーBグッドは58年チャックベリーが歌い発売され全米8位の50sロックンロールを象徴する曲だが
50s時代のアメリカは黒人奴隷制度から続く大戦後の人種問題が表面化した頃
トイレは別で白人しか泊まれないホテルや飲食店は当たり前だった
もちろんアフリカ系黒人の大規模デモが何回もあり白人と黒人の目に見える区別は是正されていった
大統領を選ぶ選挙人の数(人種による1票の格差)白人黒人比率は80年代まで圧倒した白人優位だった
建国以来のキャッチコピー自由と平等の国アメリカはあくまでもキリスト教のカトリックとプロテスタントの平等
現在もアメリカ総人口の20%を占めるラテンアメリカ出身ヒスパニックは平等を求めているが
アメリカ在住ヒスパニックのほとんどは
現在も流入し続ける不法入国者や不法入国者の子孫なのは明確でアメリカを建国した白人VSヒスパニックが対立
表面上白人並みの権利を勝ち取った、現在は不法入国者の少ないアフリカ系黒人は白人VSヒスパニックに直接荷担せずポリコレ的ポジションから間接的にヒスパニックを支援する現状は日本人にとうてい理解できない摩訶不思議な様相を呈している
話しを戻すと50s時代のアメリカは黒人のロックンロールは黒人用のリズム&ブルージャンルチャートにされ総合チャートでは低い傾向で
続く
ホープ
https://youtu.be/nsBTssT7LAc
恋の救急車
https://youtu.be/c_GOvJkwmeU
矢沢永吉が書いた成り上がりにビートルズリスペクトが繰り返しあったこと、伝説扱いの川崎の楽器店でメンバー募集の張り紙
ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム
これが過剰に強調されキャロルは初期ビートルズのストーリーができた可能性もあると思う
間違いではないので否定しないし矢沢永吉もジョニー大倉もその過剰なストーリーに乗っかったのでは?
キャロルがデビュー前から頻繁に演奏したジョニーBグッドをファーストアルバムで音源にしているのに注目したい
ロカビリーブームでカバーした歌手はいないので正確ではないかもだがチャックベリーのジョニーBグッドをカバーしたのは日本人初になると思う
66年にスパイダースが音源にしているがビーチボーイズのジョニーBグッドをカバーのカバーをしていてチャックベリーを題材に選んでいないから意味合いが異なる
https://youtu.be/3wK1S31hwwY
キャロルに近のは内田裕也&1815ロックンロールバンドが74年の大規模野外フェスワンストップフェスティバルのオムニバスアルバムで音源にしている
https://youtu.be/QACvuO4gLEs
続く
3ワンナイト エルビスプレスリー
https://youtu.be/NKzQiRZBrLw
4トゥティーフルティー エルビスプレスリー(一番有名なのは)
https://youtu.be/48N7oFKKBZA
5ジョニーBグッド チャックベリー
https://youtu.be/8b3FGUcfbz8
ビートルズカバー ジョニーBグッド
https://youtu.be/6BUvtdz_r2E
6カンサスシティー リトルリチャード
https://youtu.be/H8YiUS1SSfk
ビートルズカバー カンサスシティ
https://youtu.be/ZDHOiRkmL-M
50sカバー曲はかなりあるビートルズだがこのアルバムでビートルズ音源にしてるのはビートルズらしいとは言えないジョニーBグッドとカンサスシティのだけ
69年グッドオールドロックンロールとバラードのワンナイト以外50sロックンロールなっている
グッドオールドロックンロールも含め全面50sのカバーみたいなもの
カバー曲を見ても初期ビートルズ色はほぼない
A面は1ルイジアンナ2ヘイタクシー3やりきれない気持ち4ホープ5恋の救急車6最後の恋人
ヘイタクシーを除いてあるとすればホープと恋の救急車だがビートルズ色は強いと言えない
コーラスあるからなんとなくはビートルズなんだが
続く
73年中頃には暴走族チームだった岩城滉一、舘ひろしが所属していたクールスがキャロル親衛隊になる
ライブ会場に暴走族が集結して会場のホールを使わせてもらえなくなっていた事情もある
キャロル側から見ると会場警備だが不良暴走族チームを引き連れ全国を回るキャロルに厳しい目が向けられた
もしかするとクールスが原因で全国放送出演は絶望的だったのかもしれない
キャロルとクールスは解散ライブに密着したテレビ番組ギンザnowで放送され映像がビデオ化されている
https://youtu.be/d1x169OSYBk
同じ時代の吉田拓郎や井上陽水のようにテレビ出演は全面的にしないならわかるがデビューのきっかけはデレビ出演で
デビュー後東京周辺のテレビだけ出演した本当の理由を知りたいがかなわないだろう
成り上がりにもその辺の事情はなかったと思う
インタビューでは矢沢永吉がメインてしゃべりジョニー大倉が補助し黙って睨む自己プロデュース能力はこの時代ではすごい
1973年3月ファーストアルバムルイジアンナ
ヘイタクシーの続き
一般的にキャロルの音楽性は初期ビートルズと言われている
A面オリジナル日本語詞
B面英詞カバー曲で構成されている
1グッドオールドロックンロール
2メンフィステネシー チャックベリー
https://youtu.be/w5ezeUM6c74
続く
何が言いたいかとゆうとキャロルはビートルズらしくないビートルズを目指していたのでは?
あくまでも個人的感想のキャロルだから
まだ他にもこう思える所があるからまた後で
次へ行こう
キャロルがテレビで演奏したのは東京周辺しか見ることができないローカル放送で、しかも夕方の30分のバラエティーギンザnow16回とデビューのきっかけになったリブヤングにライブで出演している
これも東京周辺のローカル放送
作戦なのか?この時期テレビに出ないポリシーはなく依頼されたのでただ出ていたのかは不明
全国放送で人気のあった歌番組に出演した形跡はない
噂レベルでは全国放送の番組収録に呼ばれたが途中で帰ってしまいそれから全国放送には呼ばれなくなったとか
真偽不明
1973年2月龍村仁とゆうNHKのデレクターがジョニー大倉が失神したキャロル初の野外ライブを見てキャロルに密着撮影を敢行
7月完成するがNHK上層部はキャロルは特殊すぎて19時台の視聴者にあわない、客観的でない、私的すぎる、不良を助長するなど否定し放送させなかった
龍村は記者会見や上映会を開きNHKと全面対決
結局龍村はNHKクビになりキャロルドキュメント映画を作り上映
今だにビデオやDVDなど映像化はされていない
これが影響して民放も含めた全国放送に出演できなかった可能性もある
地方ローカル局に出演はあるかもしれない
続く
ヘイタクシー直後は日本語英語ごちゃ混ぜ詞を積極採用する作詞家はいなかった
当然専門家の批判も音楽雑誌等ではあったのだろう
ヘイタクシー前になかったわけではないが73年から曲名に英語名詞や英語人名や英単語が激増する
グッバイマイラブ 恋のダイヤル6700 裸足のビーナス
それからニューミュージックやロック歌謡のヒット曲の日本語英語ごちゃ混ぜ歌詞から増えていき
80年代になるとアイドルポップスや歌謡曲も日本語英語ごちゃ混ぜ詞があたりまえになり
ジョニー大倉式の意味が崩れても曲にはめ込むことすら当たり前になった
ヘイタクシーでもう一つ
この曲を聞いてよくビートルズぽいと思う人も多いだろう
それはこの曲に似ているから
1963年プリーズプリーズミーよりI Saw Her Standing There
https://youtu.be/oxwAB3SECtc
高い音で歌いだしサビは歌いだしより低い
コーラス入れただけで初期ビートルズぽいが
確かにヘイタクシーを作曲した矢沢永吉はビートルズのこの曲を意識してオマージュしてると思うが
この曲は初期ビートルズの代表曲だけどビートルズぽくない曲なんだよね
ビートルズ的な進行とも違うし
同じロックンロールならもツイスト&シャウトの方がよほどビートルズぽい
https://youtu.be/b-VAxGJdJeQ
続く
ごめん、間違えて古いのアップしてアップ予定のを消してしまっていた
今朝気づいた
続き
プロデューサーのミッキーカーチスはデビューシングルの10万枚が大スターになるバンドだと確信したのか?
短命だが今までにないムーブメントを起こせると考えたのか?
どちらにせよよほどの自信がないとできないことではある
1973年1月2枚目シングルヘイタクシー
https://youtu.be/HKFzdboG7gc
この曲でキャロルの日本語英語ごちゃ混ぜ詞は完成した
一番だけ訳してみる
https://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=S00679
ここでタクシー探し 早く彼女に きつく抱き締めて 君のためなら 私の全ての愛をあなたに与える 君にあげるよ ダイヤモンドの指輪 ダイヤモンドの指輪 (私は)タクシーを待ち望んで 帰える
hold me tightだから彼女に対してお願いになる
I've been waiting for a taxi
タクシーを擬人化した英文になってる
中学生以下の英語能力だから全く自信はないので自分で調べてみてくれ
すごく文学的な詞とも受け取れるが多少意味が崩れても曲に合わせて英語をはめ込んでるだけだろう
ヘイタクシー以降のキャロルの日本語英語ごちゃ混ぜ詞はずっとこんな感じ
続く
ルイジアンナは日本初のohやyeahなどの感嘆詞で歌詞を繋いだり曲間を埋めたりしたとも言われてるが
個人的には無理があると思う
日本語感嘆詞のあぁなどが入る歌なら
思いつくレベルで戦中の軍歌にはあるし
調べてないが英米にずっと前からあるだろう
おぉキャロル ニールセダカ
https://youtu.be/G5dbXWH7Ix0
プリーズミスターポストマン マーベレッツ
https://youtu.be/9jZyAnp6O8Y
ビーマイベイビー ロネッツ
https://youtu.be/jGS0GAWMXE4
これくらいはすぐ思いつく
ルイジアンナは日本語詞としてロック限定ならそうかもね
ルイジアンナ発売後現在も類のないプロモーションが始まる
デビューシングルから毎月7枚連続シングルを発売
ルイジアンナは20日、2枚から毎月25日
1ヶ月1枚のシングル発売はCDが売れた全盛期の90年代でもなかったし
ランキング歌番組が高視聴率で一番シングルを売りたい80年代アイドルでも3ヶ月に1枚だった
矢沢永吉は自身の作った曲が100曲ストックがあると豪語していた
バンドメンバーすらデビュー前までそのストックを1曲も聞いた事がなかった
真偽不明だが1ヶ月おき7曲連続シングル発売は100曲のストックでは足りないレベルだろう
個人的には本当だと思っている
続く
ルイジアンナはohやyeahなどの感嘆詞で歌詞を繋いだり曲間を埋めたりした日本初とも言われてるが
個人的には無理があると思う
日本語感嘆詞のあぁなどが入る歌なら
思いつくレベルで戦中の軍歌にはあるし
調べてないが英米にもっと前からあるだろう
おぉキャロル ニールセダカ
https://youtu.be/G5dbXWH7Ix0
プリーズミスターポストマン マーベレッツ
https://youtu.be/9jZyAnp6O8Y
ビーマイベイビー ロネッツ
https://youtu.be/jGS0GAWMXE4
これくらいはすぐ思いつく
ルイジアンナは日本語詞としてロック限定ならそうかも
ルイジアンナでデビュー後現在も類のないプロモーションが始まる
デビューシングルから毎月7枚連続シングルを発売
ルイジアンナは20日、2枚から毎月25日
1ヶ月1枚のシングル発売はCDが売れた全盛期の90年代でもなかったし
ランキング歌番組が高視聴率で一番シングルを売りたい80年代アイドルでも3ヶ月に1枚だった
矢沢永吉は自身の作った曲が100曲ストックがあると豪語していた
バンドメンバーすらデビュー前までそのストックを1曲も聞いた事がなかった
現在まで真偽不明
1ヶ月おき7曲連続シングル発売は100曲のストックでは足りないレベルだろう
個人的には本当だと思っている
続く
プロデューサーをミッキーカーチスするか?同じテレビ番組に出演していた内田裕也にするか?ごちゃついた時期も他のメンバーは交渉の内容すら知らず
矢沢永吉から説明されたのはミッキーカーチスが具体的だったから決めたとだけ知らされたと言われている
キャロルのコンセプトをすべて作り
デビュー後2枚目アルバムまでほとんどの詞を書くのに立場を失ったジョニー大倉
ほとんどの作曲をして一人でバンドを主導する矢沢永吉
ツインボーカルでありバンド顔でもある
二人の対立は常にキャロルの弱点となる
1972年12月キャロルメジャーデビューシングル ルイジアンナ
https://youtu.be/UCACG2598Q0
デビューシングルはロックとして異例の10万枚を売上げた
ロカビリーブーム以来ロックンロールが一般人に受け入れられたことになる
ジュークボックス合わせツイスト!ロックンロール~
ロックに英語とは言えないカタカナ単語だが 日本語英語の微妙なごちゃ混ぜ詞が初登場
モップスでできていた語尾を伸ばしたり切ったり単語の中を伸ばしたりすることでできた英単語のような区切りにプラス
っを単語に入れ過剰に切ったり語尾を伸ばしながら巻き舌を入れる演出することでロックの攻撃性を日本語詞で初めて表現できた
今まで聞いてもらった日本語詞のロックで一番馴染んでいるだろう?
続く
キャロルのアマチュア時代はまだライブハウスの無かった時代
古いロックンロールがジャズ喫茶で演奏させてもらえるわけもなく
活動の場所は夜のディスコなどしかなかった
最初は無名のディスコやゴーゴーバーで演奏したが有名ディスコのオーディションに受かり専属バンドへ
英詞で50sロックンロールのカバー曲がメインだった
オリジナル曲はデビューするまでやっていない
これがキャロルの短い下積み時代
1972年10月ブレイク後テレビに積極出演しなかったキャロルなのに意外かもしれないが素人参加がてきるテレビ番組へ矢沢永吉自ら電話しデモテープを送り合格
出演を勝ち取る
グッドオールドロックンロールやジョニーBグッドなどをテレビで演奏
このテレビ出演がきっかけとなりテレビを見ていたミッキーカーチスがスカウト
結果ミッキーカーチスがプロデューサーとなりメジャーデビューが決定した
矢沢永吉のメンバー募集の張り紙から僅か半年でメジャーデビューが決定したことになる
まさに成り上がりだか
デビュー前にもう暗雲は立ち込めていた
結成時は矢沢永吉とジョニー大倉の2トップだったキャロル
テレビ出演の前にジョニー大倉の精神状態の悪さが露呈し最初の失踪になった
デビュー前にキャロルの2トップは崩れ矢沢永吉主導へ
メジャーデビューまでの交渉はすべて矢沢永吉が行う
続く
モッズスタイルのマッシュルームカットで3つボタンの細身のスーツにしたのはデビュー後
マネージャーが提案したと言われている
確かにアメリカでも50sロックンロール時代に革ジャン革パンがトレードマークで日本まで聞こえてくるような人気歌手やバンドはいなかったが
アマチュア時代のビートルズのスタイル
革ジャン革パンにバイクとゆうロッカーズはすでに50年代からあり日本にも伝わっていた
プレスリーは68年終わり頃に革ジャン革パンに黒髪リーゼントでのテレビ出演が再ブレイクのきっかけになり70年頃まで頻繁にこのスタイルを見ることができた
https://youtu.be/YQqbyOIpweo
当時日本で全くの無名であったアメリカマザーキャットか
アメリカで契約が終わりイギリスで全英9位のデイブクラークファイブのグッドオールドロックンロールを探せるくらい鼻が利いていのにプレスリーの再ブレイクを知らない訳もない
マザーキャット
https://youtu.be/sAXYA-Rko7o
デイブクラークファイブ
https://youtu.be/gW_4ghSikOw
ビートルズのハンブルクツアー写真だけのインスピレーションではない気はする
ただ世界はハードロック全盛期に入っていたこの時代に日本で革ジャン、リーゼント、ロックンロールを地でいったジョニー大倉はやはりすごい
続く
日本語詞初のロックを年代順になってたのになぜ突然68年ジャックスが出たのか?って思った人もいるかもしれない
ごめん
また文字数制限で消し過ぎた
ロックとしては微妙でグループサウンズとも言えないから別枠で
それでは早川作詞作曲のジャックス~
みたいな流れだった
昨日の投稿みたら全く伝わってなかったから説明してみた
今回からロック黎明期を終わらせロックを初めてお金にした今も伝説のロックンロールバンドキャロル
72年4月にベースボーカル矢沢永吉が楽器屋にメンバー募集の張り紙をしジョニー大倉と出会う
ハンブルク時代のビートルズを見て革ジャンにリーゼントスタイルをジョニー大倉が提案したと自身の本に書かれいる
この時代ロックバンドは世界も日本も長髪に髭で
ロックンロール=革ジャンにリーゼントのイメージはキャロルが作った
と多くの記事に書かれているし
黎明期のロックバンド全部長髪ではっぴいえんどなど髭も多いが
個人的にはまるでビートルズのほんの一時期にインスピレーションを経てキャロルがこのスタイルになるのを強調しすぎるのはちょっと違うかなとは思っている
ジョニー大倉がアマチュア時代のビートルズがハンブルクツアーをしている写真を見てこのスタイルにしたのは事実だろうが
ビートルズはアマチュア時代のほとんどを革ジャンリーゼントスタイルでイギリスパブを中心に活動していた
続く
管理人見てるかな?レス番100以降Googleに引っ掛からないんだよね
新しい見てる人がこの掲示板の客になるかもだし
100以降もクローラー巡回できるようにがんばってくれないかな?
再開しようか
モップスが日本語詞初のロックには違和感あるかな?
解釈は人それぞれだからね
他にはギターボーカル早川作詞作曲のジャックスだとも言われてる
1968年メジャーデビューアルバムジャックスの世界からマリアンヌ
https://youtu.be/7-fO14G4Rg0
同じく裏切りの季節(グルーミーフラワー)
https://youtu.be/mj6ODmHuPyk
マリアンヌはドアーズかな
裏切りの季節はアニマルズ?
サイケデリックではあるがロックかなのか?は別れるかも
この貼った曲ではそこまで感じられないが絶叫する歌い方は後の日本パンクに影響を与えた
スターリンはマリアンヌをアレンジカバーし音源にしている
パンクと逆?のポストパンクの布袋寅泰も在籍していたオートモッドも同じてラブジェネレーションをライブで頻繁に演奏していた時期があり音源にもしている
バンドは2枚目アルバムの制作途中で解散
発売されたのは解散後だった
グループサウンズブーム頂点の時期だがセールスは全くダメだった
個人的には歌い方がな
薄くはなってるけどグループサウンズや歌謡曲の歌い方で残念
続く
編曲家(現在のアレンジャー)として井上陽水のいっそセレナーデ リバーサイドホテル 安全地帯のワインレッドの心 恋の予感 来生たかおのセカンドラブ 夢の途中 浜田省吾の悲しみは雪のようになど
アレンジャーとしてヒット曲をだし活躍した
モップスのシングル曲は星勝作曲が一番多いがバンド存続中も解散後も作曲したヒット曲はなかった
同じくギターボーカルの鈴木ヒロミツは夜明けの刑事のエンディングテーマを歌った
バンド存続中から時間ですよや夜明けの刑事など役者としてドラマ出演は多数あり映画戦国自衛隊などにも出演
バラエティー番組のレギュラーや司会など亡くなる2007年まで切れ目なくテレビ出演し続けた
モップスとしては90年代アメリカで再評価されデビューアルバムが発売されている
ロックはお金にならないと言われていた黎明期にチャートインしアメリカでも評価されているのに日本国内では最も無視されているバンドかもしれない
追伸
モップスを調べて改めてわかったことだが氷室京介のシングルにカップリングにたどついたらいつも雨ふりが収録されている
1988年2枚目ソロシングルディアアルジャーノン
https://youtu.be/o_lIVUhVqfU
カップリングたどついたらいつも雨ふり
https://youtu.be/7yotRRcUO_o
モップス終わり
2/3まで休むよ
1973年15枚目シングル気楽にいこう
https://youtu.be/Q0qsJDjoURg
作詞作曲はバラが咲いたのマイク真木
とぼけたカントリーフォーク
1973年16枚目シングル晴れ時々にわか雨
https://youtu.be/f_wH-H85lv4
やっとたどついたらいつも雨降りの感じを出した曲
一緒とゆうほど似てはないが
感想は人によるのだろうが出来がもう一つかな
インパクトがない
1973年17枚目シングルあかずの踏切り
https://youtu.be/wZexvwA3xME
井上陽水作詞で最後のシングルになる
明るいマイルドなハイウェイスター?
https://youtu.be/CfgGXWA4c-Q
ちなみに井上陽水バージョン
同年発売のアルバム氷の世界よりあかずの踏切
https://youtu.be/gvI98BnfL6Y
最後に面白い曲でモップスらしさは出せたんじゃない?
ラストアルバムも出さずこれで解散へ
モップスのシングル曲は東芝移籍後常に違うジャンルや曲調を解散までやり続けた
ギターボーカルの星勝はバンド存続中から井上陽水大ヒットアルバム氷の世界のプロデュース編曲を担当
続く
1992年ポゴ3枚目アルバムPLEASE
PLEASE PLEASEより
デビュー前ブルーハーツよりすごい奴らと言われていたころインディーズでも音源にしてライブでも頻繁に演奏された曲
1972年13目シングルフーズ・フー・イン・マイ・ライフタイム〜人生の香り
https://youtu.be/Y6dEq55Q3Qo
モップスの場合微妙なヒットだが
ヒットした次の曲は全然違う方向の曲になるのはよくあること
結果論ではモップス場合失敗だった
楽器やコーラスをたくさん入れ壮大な世界観の芸術みたいな曲
この時代すごいとは思うが売れないだろうね
もはやバンドサウンドでもなく前曲とボーカルも変えたどりついたらいつも雨降りで掴んだファンを一気に手放してしまった
ここでオチつけてやめようかと思っていたけど解散も近いので最後までやるよ
1972年14枚目シングル御用牙
https://youtu.be/W5dOwZleXqQ
森の石松を題材にシングルを出してるので漫画原作時代劇主題歌の依頼があり作られたイレギュラーなシングルだと思う
作詞は原作の小池一夫
前のシングルは11月に発売されこの曲は12月発売
前年は3枚で72年は4枚のシングルが発売されている
調べてわけでもないが断定でいいかも
続く
1972年7月12枚目シングルたどついたらいつも雨降り
https://youtu.be/-A4Snwsd_Q8
吉田拓郎がアマチュア時代コンテストに出場したときのフォークを吉田拓郎が楽曲提供する形で詞や曲名を変えてモップスで発売した
モップス最大のヒット曲でオリコン23位
聞いてもらうとわかるが重めな音のギターイントロではあるが
これがロックだ!とゆう感じはなく曲も詞も自然に流れていく
作詞作曲吉田拓郎だからフォークの雰囲気はあるがじゅうぶんロック
疲れはてて~など各区切りが英単語の区切りと同じになりロックに乗っている
裏声から本来の声になる使い方などこの後のロックや歌謡曲絶大な影響を与える
この曲でモップスの日本語歌詞ロックは完成しバンドの代表曲へ
モップス覚醒の曲になった
個人的には日本語で歌われた初のロックだと思っているし
後に大ヒットする甲斐バンドなどロック歌謡の始まりの曲になった
ちなみにフォークな吉田拓郎のたどりついたらいつも雨降り
1972年7月アルバム元気です。から
https://youtu.be/RZLl3Tt3isQ
他にもうじきつよしのコドモバンドやビートパンクで取り上げたポゴもカバーしていてリスペクトしている後輩ロックバンドも多い
ポゴのたどり着いたらいつも雨降り
https://youtu.be/2h0akwpmmwA
続く
モップスはロックは日本語で歌うのか?英語で歌うのか?論争のとき内田裕也と同じ英語で歌う側で
ロックに日本語詞は乗らない派であった
7枚目シングルは前に取り上げたご意見無用
1971年8枚目シングル月光仮面
https://youtu.be/OXogPvluTY0
ロックよりブルースが全面に出た曲
歌詞もふざけたコミックソングだが日本語がブルースに乗っている
完成したとは言いにくいが
こぶしを入れたりビブラートを駆使する歌謡曲の歌い方ではない
真面目歌詞のロックな月光仮面を音源しなかったのは歴史的なモップスの痛恨のミスかもしれない
歴史的評価された可能性もある
ライブでお遊びでやっていた月光仮面がファンにウケてシングル曲になりチャートには入らなかったがこの当時話題になっている
月光仮面の影響で9枚目シングル森の石松
やこの曲もコミックバンド化した
世間がコミカルなモップスを求めたのだろう
1972年10枚目シングルなむまいだあ─河内音頭より
https://youtu.be/lspaj1_oBZY
1972年11枚目シングル雨
https://youtu.be/t_Zw4sVk9xg
ハードロックなイントロから始まるバラード
イントロの好みは別れるだろうが曲の完成度が高く70年代の曲とは思えない
これもしっかり曲に日本語が乗っている
続く
1969年通算4枚目移籍初シングル 眠り給えイエス
https://youtu.be/N4ACP9VnRl0
当時CMの作曲で有名だった郷伍郎が作曲
事実上先生を迎え作曲したシングルが発売された
ロックでもなく移籍しないとできなかったような曲でもない
移籍第一弾だったから売りたかったのか?いろんな意味で不明な曲
移籍初回はレコード会社主導だったのかもしれない
1970年5枚目シングルジェニ・ジェニ'70
https://youtu.be/y9at7oo_6Ao
英詞だがモップスのこの時やりたかったロックなんだろう
日本でロカビリーブームから何度もカバーされた50sロックンロール
サイケデリックは多少残るが前年メジャーデビューしたレッドツェッペリンの影響を強く感じる曲
1969年アルバムレッドツェッペリン1からコミュニケーションブレイクダウン
https://youtu.be/ZnfgRfhdpeQ
70年代アメリカは大きなジャンルとしてハードロック全盛期に入る
1970年6枚目シングル朝日のあたる家
https://youtu.be/nOwNbWQQ3i0
ビクター時代バンドがやりたいと懇願していたアニマルズの朝日のあたる家
これもロカビリーブーム時代に何度もカバーされている
この曲も英詞
ツヅク
次元の曲だと思うだろうが
アメリカには1920年代からトーキングブルースとゆうジャンルはある
ラップの先祖の一つだと言われている
https://youtu.be/18ehShFXRb0
モップスのオリジナリティではない
モンキーズのカバーをやらせたいレコード会社ビクターとはデビューから常に対立
日本初のサイケデリックバンドとしても全く上手くいかなかった
そして68年にはアメリカでもビートルズなど大物バンドはサイケデリック色を無くした時代へと変わる
バンドは方針転換をせざるを得なかった
そしてヒット曲の出ないバンドに対し先生(作曲家)を付ける提案をバンドと事務所は拒絶
ビクターと関係は修復不可能になり契約終了へ至りそして東芝へ移籍
ビクターとの関係が最悪だったことは73年モップスが東芝からのベストアルバム発売でビクター時代の音源は使わず(使わせてもらえず)再録音している
バンドがデビュー曲を入れたベストアルバムを出す場合、新しいファンへ当時の雰囲気を伝える目的や
バンドとして活動した歴史の始まりでもあるから当時のまま発売したい
通常古巣のレコード会社も版権を持っいるからベストアルバムを新しいレコード会社から発売する時は協力した方が利益になるが
それすらしない(できなかった)関係だったと言える
続く
1967年モップス メジャーデビューシングル朝まで待てない
https://youtu.be/atlOM7PoEEs
この次の年テンプターズのエメラルドの伝説を大ヒット出した村井邦彦が作曲
村井は若手GS専門作曲家として活動していた
ロックが全面に出てるわけでもなくサイケデリックなのかもよくわからず
歌いかたも歌謡曲でいかにもGS的な曲
キャントウエイト(can't wait 意味:待ちきれない ) ドアを閉ざして キャントウエイト お前は俺の キャントウエイト 冷たく拒むことはないだろう
このさびには歌詞の日本語と英語のごちゃ混ぜが出来ていたりする
日本語文の中に繰り返しのcan't waitを挟んだ詞で物足りない中途半端ではあるが
バンドと事務所は事務所押しの若手作詞家阿久悠と若手作曲家を使い日本初のサイケデリックバンドを目指すで一致していた
モップスのデビューシングルが阿久悠の初仕事となった
1968年2枚目シングルベラよ急げ
https://youtu.be/F5vvEkxVEeg
スパイダースのギター大野克夫が作曲
イントロはサイケデリックだが後は残念
同年3枚目シングルお前のすべてを
https://youtu.be/CSLK0A3gvNs
作曲を村井に戻す
本格的サイケデリックロックに日本語詞の朗読を乗せた曲
続く
直訳した王様の存在で90年代にはその違いもなくなる
ロック名曲の詞が一般欧米人にこう聞こえてることを日本人も理解した
王様曰く何曲も発売したが大物アーティストや所属するレコード会社など周囲から抗議や苦情は来たことはないらしい
1995年王様 メジャーデビューシングル?アルバム?深紫伝説
https://youtu.be/SlYiZR6BsnY
話しを戻す
英詞側ではない日本語詞でオリジナルをやった側のモップスを掘ってみよう
アマチュア時代アニマルズなどのブルースやりゴーゴー喫茶などで活動していた
サイケデリックに興味を持っていたホリプロの方針と一致
スカウトされた
前書いた山口富士夫のダイナマイツ、サニーファイブと今までのグループサウンズバンドと趣向の違う3バンドがホリプロから同年メジャーデビューする
1967年サニーファイブ メジャーデビューシングル太陽のジュディー
https://youtu.be/edML02Tyjrs
統一したユニホームでジャズ喫茶、プールやデパート屋上で演奏したり、スーツ着用でナイトクラブでの営業をする機会が多かった当時のグループサウンズバンドだが
この3バンドは他のグループサウンズからは外れた売り方だった
モップスはヒッピー風のバラバラの衣装でサイケデリックを全面に出した演出でジャズ喫茶、米軍キャンプなどで活動した
続く
頭脳警察と共に有名なのが村八分
差別用語満載なライブをやっていたのでメジャーから声がかかることはなかった
1972年村八分ライブ
https://youtu.be/OjE64YTn81c
村八分はグループサウンズバンドのダイナマイツ山口富士夫が作ったバンド
1967年ダイナマイツ メジャーデビューシングル トンネル天国
https://youtu.be/8FGJMUxnr78
さび以外はロックでいい
GSの中ではなかなかロック
ロックに日本語詞を乗せられない時期ロックは日本語で歌うのか?英語で歌うのか?論争が起きていた
この時代ロックは英詞だとゆう作り手側が圧倒的に多く
その代表だったフラワートラベリンバンドをプロデュースした内田裕也は日本語詞はロックには乗らないからやらないと言い切った
数少ない日本語詞側のはっぴいえんどのメンバーはロックに乗る日本語歌詞のロックを作りたいと宣言した
この影響で邦楽ロックを聴く一般人ですら90年初頭の長きに渡り
ロックが生まれたロック文化を持つ欧米人がやる英詞ロックが本物で
日本人が作ったロックを日本語で歌うのはチープな偽物ロックとゆうイメージがついてしまう
英詞を日本語翻訳された歌詞を見て欧米人は繊細で日本人の書く詞は幼稚だと勘違いする人も大勢いた
音楽に乗せないので文字制限もないし翻訳し意訳たのは日本人なのに
続く
1970年吉田拓郎 メジャーデビューシングル イメージの詩
https://youtu.be/Jp24mwqQ9WQ
この歌いかたも吉田拓郎が初めてやったように書いてる物もあるが60年代からあった
こぶしを使ったり歌謡曲的歌いかたはしてないがエレキギターのロックに詞が違和感なく乗っているとは感じない
日本の情緒をを詞にしたり軽い反骨精神を詞にしたり新しい日本ロック作ろうとはしているが
詞にはさびらしいさびもなく伝えたい芯になる部分も感じられなく曲に乗せる歌詞ではない
当時全く売れてないしアルバム3枚の4年弱の活動期間だった
日本ロックの創始者扱いはメンバーが後のビッグネームばかりだからと思っている
はっぴいえんどの前身バンド
1969年エイプリルフール メジャーデビューアルバム エイプリルフール
https://youtu.be/Z24s7xZH3pA
短い詞はあるもののインストロメンタル?アルバム
1971年モップス7枚目シングル御意見無用
https://youtu.be/cnP5OAeSjPY
モップスもグループサウンズ出身バンド
1972年頭脳警察メジャーデビューアルバム頭脳警察1
https://youtu.be/u_MEMt7zumw
頭脳警察はフォークの反体制革命思想をロックでやった
続く
英詞バンドはその後もメジャーデビューしていて70年代珍しいことではなかった
1976年紫 2枚目アルバムインパクト
https://youtu.be/RD-dpXhxjoo
デビューアルバムも同年に発売されているがユーチューブにフルアルバムがあった2枚目だから載せただけ
アマチュア時代米軍基地のある沖縄で米軍向けに演奏しアメリカ人から評価されていた
もう一つの流れは日本語のロック
1970年はっぴいえんどメジャーデビューアルバムはっぴいえんど
https://youtu.be/I5Uo2UXGNbI
はっぴいえんどのメンバー説明はいらないだろ?
作詞作曲して日本語歌詞の日本ロック創始者にはっぴいえんど名前をあげる人が一番多いと思う
クラプトンのいたクリーム的サイケなロックに西海岸のロックを取り入れカントリーやフォークを織り交ぜている感じ
曲そのものはエレキギター中心でドアーズのようにオルガンを入れて新しい日本ロックに挑戦しているが
そのままクリーム的ロックをやった前年デビューのブルースクリエイションより特別新しいロックとまでは言えない
個人的に頂けないのは日本フォークの独特な歌いかたと詞の作り方
早く歌い単語を短くしたり単語の中や語尾を不自然に伸ばして曲に乗せたり派手にやってる感はないがフォークと同じだと感じる
続く
https://youtu.be/d2AjeDh2SIk
1969年ゴールデンカップス カバー曲
ルーシール
https://youtu.be/n9z7dkgm8dk
ウォーキングブルース
https://youtu.be/9JDJWuaRHpk
1970年ミッキーカーチス&サムライ ドイツメジャーデビューアルバム メトロノーム
https://youtu.be/nhnBbMjLvZM
1971年フラワートラベリンバンド アメリカカナダメジャーデビューアルバム サトリ
https://youtu.be/hIjshrNAO6c
1972年フライドエッグ メジャーデビューアルバム ドクターシーゲルのフライドエッグマシーン
https://youtu.be/IjNQc2pgZbs
フィンガーズとゆうGSブームからあったメンバー全員ボンボンでテクニシャン
インストロメンタルバンド
そのフィンガーズギターが作ったバンド
ベースに高中正義、ドラムにつのだひろ
この時代の英詞バンドでは最強かな
オリジナリティーのなさはしかたない
ゴールデンカップスはグループサウンズからの転向でライブは先生の書いた売れた曲はやらず独自アレンジしたカバー曲ばかりしていた
ミッキー吉野や柳ジョージが在籍したバンド
ミッキーカーチス&サムライは日本語詞のアルバムが多い
続く
1968年テンプターズ2枚目シングル神様お願い!
https://youtu.be/IUwIfXgXOoM
所属していたレコード会社はビクターと提携していたオランダに本社があるフィリップスレコード
ビクターレーベルとは別にフィリップスレーベルから発売された
この2つのグループサウンズバンドと大ヒット曲がなければ日本の作詞作曲するバンドやシンガーソングライター誕生はもっと遅かったのかもしれない
ロックが中心にならなかったグループサウンズブーム以降で72年までの短い期間を日本のロック黎明期だと言われいる
黎明期に生まれたロックだけを指してもいないが70年代の一部ロックをニューロックと言った
解釈は様々でアメリカのハードロックが完成した以降のレッドツェッペリンあたりをニューロックと呼んだり
リズム&ブルースやサイケデリックではない日本独自のロックをニューロックと呼んだり
他の意味もある
個人的には好きな言い方ではなく漠然としていてどんな解釈もできる前の時代の否定でしかない
日本のニューロックと呼ばれたロックはチャートの表舞台に出ることができない時代でもあった
フォーク初期のようにアンダーグランド化し2つの流れに別れる
一つは前も出た英詞ロックバンド
1969年ブルースクリエイション メジャーデビューアルバム ブルースクリエイション
続く
日本のロックに入ろうか
少し前に書いたグループサウンズブームから
グループサウンズバンドのほとんどの作詞作曲は外部のプロに任されていた
各地のジャズ喫茶で人気のあったアマチュアコピーバンドをスカウトしたり組ませてデビューさせたりしたので作詞作曲能力のあるバンドはほぼなかった
沢田研二のいたタイガースでさえシングル曲の作詞作曲はない
プロデュースしていたすぎやまこういちが作曲とプロデュースをしていた
グループサウンズブームの最大の功績は作詞作曲をバンドや歌手本人ができる
レーベルが大手レコード会社各社にできたきっかけを作ったこと
65年エミージャクソンの涙の太陽でも言ったが今でゆうプロデューサー、当時の作曲する先生が付かないとメジャーレコード会社からデビューすることはできなかった
その慣習を打ち破るため湯川れい子はエミージャクソンを海外物を発売するレーベルから
英詞で歌わせる逆輸入歌手としてメジャーレコードデビューさせたくらい
それを打ち破ったのはスパイダースや萩原健一のいたテンプターズ
スパイダースのかまやつひろしは前に取り上げたので省略
テンプターズのギター松崎由治の才能がレコード会社に認められメジャーデビュー
デビューシングルから作詞作曲を任される
神様お願い!を42万枚を売上げ大ヒットさせた
3枚目エメラルドの伝説46万枚に次ぐ販売を記録
続く
90年代半ばから終わりになる頃は激動の時代
その後はキャッチーな時代から大衆にウケた曲は難しくなり、わかりづらくなる時代に変わる
尖った各ジャンルが融合する曲がヒットする時代へ
でも当時の若者にとって聞き難くなったりカラオケで歌い難くなったとかではなかった
1999年ドラゴンアッシュ グレートフルデイズ
https://youtu.be/zSYP29oFBk0
そんな意味での大衆ウケは後戻りすることなく続いた
受け手の大衆は知識や新しい物への感覚が向上した部分も大きい
他にはヒップホップのリズムを多くの日本人が取れるようになったことも大きいかもしれない
この90年半ばを境に何が歌謡曲で何がジャンルの曲か判別不可能になる
演歌以外の日本人が歌うすべてをJ-POPと呼ぶようになりJ-POPは60年代の歌謡曲の意味に戻ることになる
負の部分は難しくわかりづらい曲がヒットしたことにより皆が同じ曲を聞く時代が終わる
世代間格差や個人の趣味趣向の違いが大きくなりすぎてしまい分散しCDも売れない時代へ突入
2000年代に入るとまた80年代のようなアイドル全盛時代がまた始まる
一応これくらいは抑えていた方がいいと思ったので去年までの復習の意味も交えて書いてみた
時代は前までと被ることもあるがアンダーグランドになった日本のロックを次回からやろうかなと思っている
続く
個人的にはキャンディーズは地味にバックバンドがスゴいのでそこに注目してほしい
調べてないが能力の高いバックバンドを固定した初のアイドルだと思っている
そして80年代半ばからのバンドブーム
本物はテレビに出ない文化が変わりはじめた
このスレッドタイトルにもなってる日本独自のビートパンクは、歌謡曲を取り入れたマイルドパンクと言い替えてもいい日本ロックの大衆化の代表的存在で
そのビートパンクの頂点だったジュンスカ、ユニコーンなどはテレビ出演に抵抗があると思えないバンドだった
バンドブーム後は尖ったロックは衰退
ミスチル、ウルフルズ、シャ乱Qなどロックだとか歌謡曲だとかでは括れないバンドが主流になり
本物はテレビに出ない文化はここで消滅したのかもしれない
1996年ウルフルズ ガッツだぜ
https://youtu.be/ATU0gXzMsLw
同じ時期の小室哲哉プロデュースやプロが曲も詞も作るビーイング系や新たなジャンルヒップホップがチャートインしすべてのジャンルでアイドル的ではないキャッチーな楽曲が売れた
1991年T-BOLAN 離したくない
https://youtu.be/FjG4A3_whXY
1994年イーストエンドユリ ダヨネ
https://youtu.be/ZF99pK_go9g
続く
フォークのスターになった吉田拓郎や井上陽水
ニューミュージックでは山下達郎
ライブでは集客するがレコードは売れなかった浜田省吾など
70年代になると本物はテレビに出ず大衆に迎合しないとゆう文化が生まれた
それとは逆に70年後半辺りから逆にロック歌謡
レイジー 赤頭巾ちゃんにご用心
https://youtu.be/tRVfaGN_MIA
レイジーはラウドネスの前身バンドでデビュー前はヘビーメタルバンドだった
売れたら好きにさせてやると口説かれ渋々この形でデビュー
シンセサイザーを使ったテクノ歌謡など本来のジャンルから大衆に受け入れやすく歌謡化した新ジャンルも登場
新ジャンルは頻繁にテレビ出演した
ちなみにテクノ歌謡はシンセサイザーを使う曲でこの時代テクノの要素が無くてもテクノ歌謡と言われていた
テクノ歌謡はテクノの要素がじゅうぶんなYMOの君に胸キュンが代表
https://youtu.be/24bRSUeITXc
マキ上田 あいつはインベーダー
https://youtu.be/BSbG58DWovQ
テクノの要素は怪しいところ
キャンディーズもテクノ歌謡に含められることもあるが
時代的には1980年YMOライディーン以降のシンセサイザーを使う曲の認識でいいと思う
キャンディーズ 春一番
https://youtu.be/RTipNzw4CiI
続く
ふりむかないでが日本人作詞作曲で日本人が歌う初の純国産ポップスになる
内容はカバーかオリジナルかはわからないような50sアメリカンポップス
当時作詞作曲歌のすべてが日本人のこの曲も和製ポップス扱いだった
個人的に初の純国産ポップスは51年のミネソタの卵売りでも良さそうな気もするが東京ブギウギなどと差別化できないのだろう
https://youtu.be/wRHJmiXpHDw
この曲もほとんどジャズで日本独自のオリジナリティは全くないがよくできた曲だとは思う
1970年代初めグループサウンズブーム後本格的アイドルブームが訪れた辺りからアイドルが歌う曲をポップスとゆう言い方が始まる
1971年天地真理 水色の恋
https://youtu.be/GwxfzmWSvqo
60年代は学生運動などの影響で反体制革命ソングでアンダーグランドだったフォーク
https://youtu.be/U3t_E6Rs8xU
思想的意味合いのない吉田拓郎の登場でフォークが商業的に売れるようになった頃で水色の恋はほぼフォーク
この後は歌謡曲のジャンルは早いスピードでより細分化していく
フォークは歌謡曲じゃない、ロックは歌謡曲じゃない、ニューミュージック歌謡曲じゃないなど各ジャンルのファンや歌手やグループも歌謡曲と言われることを嫌がる時代にも突入
続く
歌謡曲ってなに?
歌謡曲とは欧米の影響を受けた大衆向けの曲と言っておこう
1960年辺りまで演歌やロックやジャズやフォーク何でも歌謡曲だった
wikiを見ると1920年からある言葉だが戦後歌謡の総称が歌謡曲でいいと思う
1937年灰田勝彦の真赤な封筒
戦前戦中は流行歌と記載される場合が多い
https://youtu.be/fQ47HMnR7b0
昭和の戦前戦中は流行歌=戦後になると歌謡曲
この認識で大きな間違いはない
演歌は日本の伝統曲だろ?と思う人もいるだろうが明治の開国以前からある民謡や長唄やどどいつが欧米の影響を受け誕生したのが演歌で初期は世相風刺や思想が歌詞になっていた
1960年初めから解釈が大きく変わる
演歌と歌謡曲は切り離され歌謡曲はムード歌謡や和製ポップスなどと細分化されるが演歌以外を大きく歌謡曲と習慣は残った
和製ポップスとはロカビリーブーム後作詞、作曲、歌唱のいずれかが日本人によるものであれば和製ポップスと言われた
ほとんどが欧米から持ち込まれた曲なので後に和製ポップス自体カバーポップとも言うようになる
1962年可愛いベイビー 中尾ミエ
https://youtu.be/cMRElEqYQrA
同年ザピーナッツ ふりむかないで
https://youtu.be/DywWRCDyMQ4
続く
1995年中森明菜 トーキョーローズ
https://youtu.be/PVJhCXwG79I
プロデューサーにストレイキャッツのブライアンセッツァー、演奏はマジックでロカビリーファンはテンションあがる曲
1999年布袋寅泰 バンビーナ
https://youtu.be/lwOWS02RoEw
日本のロカビリーブーム終わり
つぎは何やるか決めてないけど
ロックにこだわらなくてGSもっと長くやってもよかったかもね
沢田研二とか萩原健一とかキャラクターもいいから
でもロカビリーブームは歌謡曲ばかりになって長すぎたと反省してるよ
また年明けのいつか再開するよ
もしかして年末年暇潰しに見てる人にはタイミング悪かったかな?
暇なひとは過去レスでも見てね
スパークスゴーゴーとかアメリカの50sとかオススメかな
お盆頃始めたかな?
こんなことやるはずじゃなくて始めて
おかげで半年たったよ
今回のロカビリーブームみたいにグダグタのときもあるのに
今年最後までつきあってくれてありがと
できるだけ面白い企画なんか考えてみる
それじゃよいお年を~また来年な~
バイバイ~
エミージャクソンの涙の太陽をどう思うかだよね
あれがロックならこれもロックでいいんじゃない?
当時の作詞作曲のかまやつひろしは何がロックなのかを理解していた数少ない日本人だったと思う
グループサウンズブーム以降のロックは
アンダーグラウンドの音楽として少数向けにに発展していった
アメリカ60年代のようにガレージロックやブルース系やファンクがチャート上位になる現象は日本では起きなかった
ロックンロールが再び表舞台に出るまで初回日劇ウエスタンカーニバルから20年近くの時間が必要だった
脱線ばかりだったけど日本のロカビリーブームがテーマだったので最後にロカビリーテイストの歌謡曲やお馴染み曲を
1981年沢田研二 ストリッパー
https://youtu.be/kTljhurK_z8
1991年吉川晃司 バージンムーン
https://youtu.be/z7BN0d1Goa0
もうロック歌手として定着してた頃の曲
1992年マジック 東京バーニングタウン
https://youtu.be/oyz68PELL1Q
マジックはロカビリーバンドでテレビドラマ刑事貴族のオープニング曲なので曲だけは知ってる人も多い 1:57~
1988年中森明菜 タトゥー
https://youtu.be/HetQrkfjMB8
ホーン入りでハリウッドショーみたいでもある
続く
タイガースのシーサイドバウンドからグループサウンズブームが始まった
1968年オックス ガールフレンド
https://youtu.be/33XhDL48rhQ
同年テンプターズ 神様お願い!
https://youtu.be/IUwIfXgXOoM
この年がグループサウンズブームは頂点になり69年まで続いた
グループサウンズブーム全体で100以上のバンドがメジャーレコードデビューしている
70年代入ると一気に収束する
グループサウンズブームの代表的存在だったタイガースでさえ71年1月に解散している
ロックバンドスタイルで歌謡曲をやる意味がないのだろう
ロックに興味あるファンが離れ取り巻きのファンは他に移った
グループサウンズ誕生と同時期に男性アイドルグループジャニーズが誕生していて68年にはフォーリーブスがデビューしてるので女性ファンはアイドルに流れたのかもしれない
ロカビリーブーム後のロックはどうなったのか?
グループサウンズブームには英詩フリフリ以外にロックと言える曲もあったがグループサウンズブームがこちらの方向に向かうことはなかった
1967年スパイダース バンバンバン
https://youtu.be/ar9qMlAU_T0
日本初の作詞作曲日本人で日本語で歌った初のロックと言えるかもしれない
個々の感性によるが
続く
グループサウンズは以前紹介した65年インストロメンタルバンドだったスパイダースがボーカルに田辺昭知を迎え歌入りのフリフリを発売したことに始まる
1966年ビートルズ来日公演がきっかけに
なりグループサウンズブームの中心バンドか誕生したことになってるが
代表曲の多くはベンチャーズの影響を受けた日本独自の歌謡曲だった
同年ジャッキー吉川とブルーコメッツの青い瞳がヒット
https://youtu.be/oV7u5hsGDvI
グループサウンズとゆう名前はこの辺りで誕生したと言われている
1967年タイガースが僕のマリーでメジャーレコードデビュー
僕のマリー
https://youtu.be/w9aWATP9gxI
同年シーサイドバウンドが大ヒット
https://youtu.be/J6Ps9kFsPxA
イントロあたりはリバプールサウンドで曲に入るとビーチボーイズのサーフィンUSAの雰囲気
サーフィンUSAの元曲がチャックベリーなので50sロックンロールにも近いが歌謡曲の印象は否めない
1963年ビーチボーイズ サーフィンUSA
https://youtu.be/K35KSrxsRvo
当時リバプールサウンドばかりやるバンドもいたのだろうがムーブメントはファンが作るものなので受け入れられなかったのかもしれない
続く
話しを戻そうか
日本人が歌う日本語のロックンロールは
その後どうなったか?
ロックンロールが現在まで中心になることはなかった
再びロックが注目される時代が来るのはずっと先になる
1960年アメリカでベンチャーズがデビューしウォークドントランが全米2位になる
https://youtu.be/dzL3jvnmqPM
すぐに日本でもヒット
ビートルズデビュー前は日本で最も有名なアメリカのバンドだったかもしれない
1962年寺内タケシとブルージーンズがデビューしシャボン玉ホリデーなど人気番組に出演するようになる
これがきっかけで日本でエレキブームに
1965年寺内タケシは世界3大ギターリストに選ばれアメリカのエドサリバンショーから出演依頼がくるほどまで世界的有名になった
よって多忙が続き病気で長期療養になり脱退へ
https://youtu.be/XUAe1ekeZOk
映画若大将シリーズも初回作にエレキは出て来ないが加山雄三がエレキギターを弾き歌う映画になってしまう
https://youtu.be/DhJYJH9XyNc
ここでエレキブームがピークを迎える
中高生でエレキギターをさわりはじめた世代がグループサウンズバンドの中心へ
続く
ただカナダではチャートインしカナダのバンドとは共演ライブはしている
プロデュース以外もワールドロックフェスティバルを開催しジェフベックやニューヨークドールズを来日させるなどプロモータにもなる
映画コミック雑誌はいらないなど主演級の特別な俳優としても評価され
東京都知事選に出馬したりお騒がせのキャラは亡くなる間際までワイドショーの常連でもあった
東京都知事選政見放送
https://youtu.be/3BLp1IUEkik
尾藤イサオが歌うアニマルズ悲しき願いの日本語詞カバー曲は新たな男性70年代ザ歌謡曲の王道を作ったと言える
もう一度貼ろうか
https://youtu.be/TCeNQ9EE36w
絶唱型と呼ばれる歌手の先駆者になる
西城秀樹 激しい恋
https://youtu.be/GpqeHW8yzmY
尾崎紀世彦 また会う日まで
https://youtu.be/dXEFeL3YzUI
松崎しげる 愛のメモリー
https://youtu.be/52Ihn0tVeIk
共通点は目立たないこぶしやビブラートを駆使し熱唱する特徴は尾藤イサオそのまま
今でゆう当時の歌うま歌手は正しいく歌うより演歌風ではないこぶしやビブラートを使いこなせるイメージがついてしまう
印象的短い単語のサビを中心にした詞の作り方はここからかもしれない
続く
その後はレイジー(ラウドネスの前身バンド)を見出だしたり俳優として戦国自衛隊に出演
人気バラエティー番組ハローヤングやNHK歌番組の司会にも抜擢された
晩年はコーネリアスなど若手と積極交流して楽曲提供やライブ参加している
時代を嗅ぎ分ける臭覚に長けている息の長い芸能人になった
佐川満男はゴンドラの唄などがヒットし紅白歌合戦にも出演
その後しばらく低迷するが69年ムード歌謡曲今は幸せかいがヒット
https://youtu.be/6JFMuTMYItk
一時期芸能界を離れ大阪で150席の巨大クラブを経営
後のロス・インディオスに初代の女性ボーカリストシルビアが佐川経営のクラブで歌っていた時期もある
晩年は役者としてかーネーションやまっさんなど出演
多数のドラマや映画で活躍した
内田裕也は歌手としてヒットはなかったが自らが作ったバンド
フラワートラベリンバンドのプロデュースした。
フラワートラベリンバンドは同年アメリカメジャーレコードデビューする
ロックバンドとしてのアメリカメジャーレコードデビューは日本人初
1971年フラワートラベリンバンド日米加メジャーデビューアルバムサオリより
サオリパートⅡ
https://youtu.be/S6_oE_hlT_Y
アメリカレコードデビューはクリエイションより5年早いが全米ツアーなどはしていない模様
続く
テレビアニメのサイボーグ009や銀河鉄道999は主題歌
テレビ時代劇必殺シリーズはサウンドトラック全編の作曲している
サイボーグ009オープニング曲誰がために エンディング曲いつの日か
https://youtu.be/ARhmCPmapnU
意外にも作詞はほとんどなく作詞したヒット曲はない
ミッキーカーチスはミッキーカーチス&サムライを結成してイギリス、西ドイツなどでメジャーレコードデビューを達成しヨーロッパライブツアーも行った
1971年ミッキーカーチス&サムライで河童
https://youtu.be/wc6mZrDqQlg
ザヒットパレードの司会や俳優としても、レコードレーベルを立ち上げガロや矢沢永吉がいたキャロルのプロデューサーなど多彩な活躍をした
1972年ガロ学生街の喫茶店
https://youtu.be/SFtJJt9TO18
3人ひろしのかまやつひろしは俳優で数作の映画出演の後スパイダースに加入
ボーカルギター作詞作曲としてバンドの重要なポジションを得た
あの頃君は若かった、バンバンバン、なんとなくなんとなくなどかまやつひろし作詞作曲のスパイダース代表曲は多い
ソロ活動ではフォークブーム初期から存在感があり吉田拓郎作詞作曲の1975年我が良き友よは歌手としてヒットした
https://youtu.be/U95amoam-2M
続く
日劇ウエスタンカーニバル出身者は競作が多くダイアナなど何人がシングルレコードとして発売したのか不明なくらい多い
ロカビリーブーム期には全面カバー曲で日本オリジナルのロックンロールはないし、なぜか50sロックンロールの王道チャックベリーのジョニーBグッドなどをカバーし音源にしてる人はいない
日劇ウエスタンカーニバルはその後も続いてるがロカビリーブームはおそらく2年程度で終結している
ロカビリー3人男の時代で終わっていると考えていい
70年代に天地真理やフィンガー5やピンクレディなどが大ブームになるが正味2年程度のムーブメントに終わる礎を築いてしまった
59年の3人ひろしの時代になるソロデビュー曲は50sポップス、ロックンロールを発売も減り多くは歌謡曲へ転身していてる
3人ひろし以降は日劇ウエスタンカーニバル出身者とゆうだけでソロデビュー曲は50sポップス、ロックンロール要素すらなくなった
日劇ウエスタンカーニバル出身者はその後の芸能界に大きな足跡を残した
ロカビリー3人男の平尾昌晃は元祖男性アイドルと言えるし
その後歌謡曲の歌手としてヒットさせた
カナダからの手紙や作曲家として五木ひろし、小柳ルミ子などに提供した大ヒット曲は何曲もある
1974年アンルイスグッドマイラブ
https://youtu.be/yrzIN0RuZ0s
続く
元曲は1965年アニマルズ悲しき願い
全米3位
https://youtu.be/IC6uXVGVnq0
尾藤イサオと言えばあしたのジョーの主題歌でお馴染み
https://youtu.be/HmbG85pw8qM
まだロカビリーブームの日劇ウエスタンカーニバル出身者はいるが、きりがないのでこのへんで終わろう
日劇ウエスタンカーニバルから始まったロカビリーブームを総括してみる
ロカビリーではなくその曲の多くはエレキギター中心のロックバンド編成で50sポップスの楽曲を中心にカバーし披露されていた
また復習
ロカビリーとはウッドベースをバチバチならしながら50sロックンロールをしゃくりあげる歌い方で歌い演奏すること
70年代後半からストレイキャッツを中心にネオロカビリーブームを牽引したロバートゴードンのロカビリーブギー
https://youtu.be/KHMf9cOTEjc
ウッドベースじゃないような…
初期ストレイキャッツもウッドベースじゃないからまぁいいか
歌い方だけ参考に
日本のロカビリーブームにロカビリーは関係ない名前だけだったがリーゼントにロックンロールファッションや演奏スタイルなど50sロックンロールは再現できている
英詞と日本語詞を分けた構成で英語日本語をごちゃ混ぜにした現在の歌詞と大きく違う
続く
できた!
この時代しかたないことだが前半のギターがベンチャーズすぎるかな
エミージャクソンの涙の太陽もそうだけど残念なポイントを言えばね
人それぞれの感性だから個人で感じたらいいと思う
英詞ではこの3つあたりが個人的に
日本人初のロック、ロックンロールと言えると思う
尾藤イサオ
父は落語家で当時は有名人
61年から1年間アメリカにロックの武者修行に行き、帰国するとロカビリーバンドの一員になり日劇ウエスタンカーニバルに出演
和製プレスリーの愛称でソロデビュー
1964年匕首(あいくち)マッキーがメジャーデビュー曲だがユーチューブにない
元曲は全米9週連続1位で最優秀グラミー賞曲
その元は1955年ルイアームストロングが歌っている
1959年ボビーダーリンでマックザナイフ
https://youtu.be/VYFA-GniK4U
その後1964年日本発売のクリフリチャード寂しいだけじゃないのカバー
https://youtu.be/eDy5MaqQsaU
デイブクラークファイブのカバーなど発売していて他の日劇ウエスタンカーニバル出身者とはソロデビュー後の音楽性は大きく違う
58年初回日劇ウエスタンカーニバルから7年たってるのが大きな要因
1965年悲しき願いがヒット
https://youtu.be/TCeNQ9EE36w
続く
エリッククラプトンのいたクリーム的なロックンロール
海外に通用した初の?日本人バンドのクリエイションの母体バンド
アメリカでレコードデビューもしているし全米ツアーもしているし、この時代の日本でロックではあり得ないと思われてた日武道館も満員にしている
クリエイションは内田裕也がプロデュースしている時期もある
アルバムでちょっと長いが是非全部聞いて欲しい
他はグループサウンズブーム前の田辺昭知とスパイダース
先に日本語詞でシングル発売され演奏にもロックの要素は薄めで歌い方は歌謡曲
典型的後のグループサウンズの曲になってる
作詞作曲も日本人で歌も日本語で初の日本のロックと言いたい所だが歌謡曲的歌い方やイントロの民謡みたいな3拍手拍子やサビの曲調もロックとしては許容できない
作詞作曲かまやつひろし
1965年スパイダースメジャーデビュー曲
フリフリ
https://youtu.be/fOD5vC_7xKE
元々スパイダースはエレキギター中心のボーカルのいないバンドでフリフリが初のボーカル入り音源になった
作詞作曲かまやつひろし
1966年アルバムザスパイダース・アルバムNo.1から英語版フリフリ
https://youtu.be/CMVmlgaBZic
英詞のこちらならロックのポイントは押さえると言える
個人的にだが
続く
1974年マンジョキロックンロール作詞城悠輔 / 作曲加瀬邦彦 演奏歌内田裕也&1815ロックンロールバンド
https://youtu.be/artSQ_YUXMM
1971年に始まった子供向け番組まんがジョッキーのために作られた曲で74年とwikiにあるがその前から発売されていた可能性が高いかな?
日本人作詞作曲歌演奏でメジャーレコード会社から発売された日本初の日本語詞ロックンロールだと言われている
どこからがロックの線引き問題もあるし時代的にも真偽不明
ひょうきん族で使われた安岡力也が歌うホタテのロックンロールの元歌
ロックンロールと限定せずロックで括ると英詞なら作詞湯川れい子/作曲編曲中島安敏
歌のエミージャクソンは祖父がイギリス人のクォーター
1965年エミージャクソン涙の太陽
https://youtu.be/Fx7q_oTMIq0
曲調はロックだし演奏もロックバンド編成でギター中心
サビあたりは歌謡曲進行だが全体的仕上がりはロックでいいと思う
プロデューサー、この時代では先生がいないとデビューできない通例を打ち破るため日本人が歌う洋楽としてデビューさせたので英詞他には
1969年ブルースクリエイションでアルバムブルースクリエイション
https://youtu.be/d2AjeDh2SIk
シングルは発売せずアメリカ的売り方
続く
1958年シェブウーリーロックを踊る宇宙人
https://youtu.be/GKl4uN1LzNk
佐川ミツオ
神戸や大阪のジャズ喫茶に内田裕也とツインボーカルのバンド人気になりスカウトされ上京
日劇ウエスタンカーニバルに出演していたバンドのボーカルへ
1960年佐川ミツオ二人の並木道でメジャーデビュー
https://youtu.be/6UXm_eVQQnk
ニールセダカが来日公演の時佐川ミツオにプレゼントした曲でニールセダカ自身は1962年悲しきクラウンのB面として発売している
https://youtu.be/JG-q8eY0c6o
元曲は大正時代の1915年カバー曲
1961年ゴンドラの唄がヒット
https://youtu.be/E-lyoQkA9i8
内田裕也
佐川ミツオと同じであまりいない関西出身
佐川ミツオとは違うバンドで日劇ウエスタンカーニバルに出演
1963年ひとりぼっちのジョニーでソロメジャーデビューだがユーチューブにない
1961年イギリス歌手ジョンレイトンのひとりぼっちのジョニー全英1位
https://youtu.be/gKzWTGS810Q
ロカビリーブーム全体ではイギリスヒット曲のカバーは珍しいがこの時代辺りから変わり目ではあった
その後はエルビスプレスリーなどを積極的にカバーし発売するがヒット曲はない
続く
ハニーナイツはかまやつひろしと分裂した後1968年ジャズな妖怪人間ベムの主題歌を発売している
https://youtu.be/24BD_hR0uaA
3人ひろしは水原弘がレコード大賞を取り異質なので守屋浩で新しく3人ひろしになったとか?
かまやつひろし抜きで3人ひろしだったとか?そもそも4人ひろしだったとか?いろんな説がある
当時3人ひろしとゆうニックネームの知名度は高いがそれぞれ解釈が違ったのかもしれない
この4人に共通するのが日劇ウエスタンカーニバルなどに出演したときは違うバンドのボーカル
かまやつひろしだけがロカビリーブームを引きずりバンドでメジャーデビューし50sポップスのカバー曲を発売している
他の3人はウエスタンカーニバル出身とゆう触れ込みでソロデビューし歌謡曲を歌い大ヒットさせている
そんな意味ではかまやつひろしが一番異質だったのかもしれない
それ以外の日劇ウエスタンカーニバル出身者は
清野太郎
ロカビリー3人男と同世代でエルビスプレスリーに会って自分の歌を聞かせた人
で、日本で初めてエレキギターを弾いた人と言われている
1958年ダイアナでソロデビューだけとユーチューブにない
1958年清野太郎ロックを踊る宇宙人が代表曲
https://youtu.be/U8J9SWyNB6A
元曲はアメリカで6週連続1位になった大ヒット曲
続く
1959年守屋浩ソロジャーデビュー曲檻の中の野郎たちでユーチューブには後のセルフカバーしかない
日劇ウエスタンカーニバル出演後同名の映画で歌手役者同時デビューしている
映画檻の中の野郎たちはロカビリーブームのスターがすべて出ている
1959年映画檻の中の野郎たちより黄昏のビギン
https://youtu.be/7NVRklT8gP4
1959年僕はないちっち
https://youtu.be/y0MBGZBifRM
2枚目シングルの僕はないちっちが大ヒット
その後数曲のヒット曲を出してホリプロの社員になり幹部までなった
1960年かまやつひろしとハニーナイツメジャーデビュー曲殺し屋のテーマ/皆殺しの歌
この曲がユーチューブにないため原曲と思われる映画音楽
https://youtu.be/17nlnm0PSwI
かまやつひろしはメジャーデビューの年の60年におぉキャロル、悲しきインディアン、カラーに口紅など発売
他の3人とは違い50sポップスをカバーしている
一番ロカビリーブーム的ではあった
かまやつひろしとハニーナイツおぉキャロル
https://youtu.be/jCPpS9VuEVk
1959年ニールセダカおぉキャロル
https://youtu.be/jCPpS9VuEVk
他の3人とは違い大ヒットといえる曲はない
続く
日劇ウエスタンカーニバル初期のスター
ここに上げた3人はロカビリー三人男と呼ばれた
日劇以外でもウエスタンカーニバルとの名前で全国を回った
地方でもすごい集客だったようだ
山下敬二郎ダイアナの販売枚数は不明だが大ヒットしたらしい
平尾昌章の監獄ロックは10万枚で初期日劇ウエスタンカーニバルはセールス的には?になる
イカ天ブームみたいなもので知らない人は全く知らないみたいな感じかもね
ロカビリー3人男以降の日劇ウエスタンカーニバルは3人ひろしの時代へ
この時代からすでにロックンロール要素はなくなっている
1959年井上ひろしソロメジャーデビュー曲雨は泣いている
https://youtu.be/BSr6mKAZ67E
1960年雨に咲く花が大ヒット
https://youtu.be/ucYeL2buvRI
日劇ウエスタンカーニバルに出演していたバンドのボーカルの後ソロデビュー
1959年水原弘ソロメジャーデビュー曲黒い花びら
https://youtu.be/wQ8dWD-sy5g
大ヒット曲になり新人なのに第1回レコード大賞を取った人
その後レコード大賞と新人賞が別になった
のど自慢でスカウトされ所属事務所の意向で日劇ウエスタンカーニバル出演バンドのボーカルへ
その後ソロデビュー
のど自慢からソロデビューの経歴も異質といえば異質
続く
日劇ウエスタンカーニバルの翌月3月
1958年メジャーデビュー月影のなぎさ/小熊のテディ
https://youtu.be/0wBXPk81Aew
外国人作詞作曲で月影のなぎさはロックとはかけ離れてるのでユーチューブは小熊のテディ
エルビスプレスリー/テディベアのカバー
https://youtu.be/89MihWd6zKk
本家エルビスは映画のシーンなのでジャズバンド編成だが原曲もこんなだった気もする
ミッキーカーチスの小熊のテディはロックバンド編成で今までとは逆になってる
このシングルは売れてはない
ミッキーカーチスのヒット曲は雪村いづみとデュエットしたニールセダカのカバー恋の片道切符で紅白に出演
その後結婚したがすぐに離婚
1960年雪村いづみミッキーカーチス/恋の片道切符
https://youtu.be/LWb9O9CPDhk
暗い歌謡曲の仕上がりで歌謡曲の歌い方になってる
1959年ニールセダカ/恋の片道切符
https://youtu.be/kZgQeSlxBDQ
本家ニールセダカはB面でアメリカではヒットしていない
日本はA面で発売し日本の文化放送のラジオチャートでは年間7位を記録
そりゃカバーされるよね
山下敬二郎、平尾昌章もカバーし60年に発売している
続く
聞いてもらうと50sロックンロールから分かれたファンクだとわかると思う
ファンクやソウルが一番影響をうけたのが白人の讃美歌にあたる黒人のゴスペル
意外に思う人もいるだろうがアメイジンググレイスもゴスペル
ソウル的ゴスペルのアメイジンググレイス
https://youtu.be/WZJtU03FAAA
白人と黒人のトイレまで違った当時アメリカでファンク、ソウルを商業的成功しジャンルが確立したのが60年代で
そのきっかけの一つがロックンロールの雰囲気が残るジェームスブラウンのアウトオブサイト
その先祖がリトルリチャードのルーシルになる
長々と脱線ごめん、日本のロカビリーブームに戻る
1957年嵐を呼ぶ男に出演したときの平尾昌章
https://youtu.be/9Uf_q_CLU8g
山下敬二郎は落語家の柳家金語楼(きんごろう)の息子で裕福
平尾昌章は国立音大教授の息子で裕福
ミッキーカーチスも日英混血同士の両親でオランダ王室など通訳のとして裕福に育つが戦時中は上海に避難
実父は失踪
これがもしドラマなら極貧生活だが義父と帰国しても裕福で御坊っちゃま成城大学を中退している
大学在学中から駐留米軍や朝鮮戦争に行く連合軍キャンプを慰問で回りジャズ等を歌った
全くの無名のまま日劇ウエスタンカーニバルに参加
続く
日劇ウエスタンカーニバル直前の1月にダイヤモンズのカバーリトルダーリンでソロデビューしていたがヒット曲とは言えなかった
日劇ウエスタンカーニバルの直後の3月
に発売された監獄ロックは10万枚のややヒット
この時代20万枚程度がヒットの目安
1958年監獄ロック/平尾昌章
https://youtu.be/pD6ntJgf5ek
1957年監獄ロック/エルビスプレスリー
https://youtu.be/FAM5_dpV33E
本家エルビスプレスリーはピアノホーンありのロックバンド編成に対して平尾昌章はジャズバンド編成
以降山下敬二郎のダイアナを競作で発売したりリトルリチャードのルーシルをカバー発売している
1957年リトルリチャード/ルーシル全米21位
https://youtu.be/dz1WLcUMHUE
ロカビリーとは言えないがロックンロールの王道ではある
平尾昌章バージョンは探せなかったがこの選曲も渋い
50sロックンロールの後に再び評価され50sロックンロールの定番になった
ファンク、ソウルの要素もあり60年代ジェームスブラウンの時代に開花しビートルズなどイギリスの侵略ではないアメリカを象徴するジャンルになった
1964年ジェームスブラウン/アウトオブサイト
https://youtu.be/7PtI_xVfuUM
続く
シンガーソングライターやバンドでも10年以上第一線で活躍する人は稀な使い捨て時代が長く続いた
ロカビリーブームで日劇ウエスタンカーニバル出身第一号のヒット曲はロカビリーでもまたロックンロールでもなかった
第1回日劇ウエスタンカーニバルの2ヶ月後の4月
1958年山下敬次郎バルコニーに座って/ダイアナ
https://youtu.be/QL7CqLT8k9Y
1957年ポールアンカ/ダイアナ全米2位
https://youtu.be/odRDHvip1IU
最回プレスはB面で本家より遅いバラード?
サックスがイントロを飾るのは本家と同じでコーラスが入り全面日本語詞
演奏はギターベースドラム中心の簡単なロックバンド編成だと思う
本家は木琴?ピアノ?の短音が全面に入っている
浜村美智子までとは違いジャズバンド編成ではなくなってる
ユーチューブにあるレコードジャケットは小阪一也時代とは違いリーゼントで50sロックンロールスタイル
曲は有名50sポップスで違うけどだんだん50sロックンロールに近づいてるだろ?
ロカビリーブーム前と後で一番大きく違うのはファッションかもしれない
山下敬二郎のダイアナはロカビリーブームの最大のヒット曲になった
日劇ウエスタンカーニバルで唯一レコードデビューしていた有名人?平尾昌章は
バンドのボーカルとして一部の人に知名度はあった
続く
ジャンル問わず歴代の歌が並外れて上手い素人には真似のできない歌手がチャートを賑わせた
諸外国もアメリカとほとんど同じ状況で日本だけが特別
日本では日劇ウエスタンカーニバル以降演歌など一部のジャンルに限られ
歌だけを純粋に評価される時代はほとんどなかった
あえてあげるならMISIAとか
歌が上手いだけではないけどね
一部ジャンル以外並外れて歌が上手い理由でいい楽曲に恵まれチャートに頻繁に登場してる歌手の名前は浮かばないし
歴代シンガーソングライターでもある程度、プロならこれくらいは、他に比べると上手い、くらいで詞重視曲重視雰囲気重視は否めない
アイドルならよりその傾向が強く
ビジュアルや現在なら踊れるなど歌が上手いより重視される項目の方が多いかもしれない
その結果チャートには歌唱力がいらないカラオケソングが溢れ
近年では誰でも歌え誰でも踊れるようなアイドルグループ系列がチャートを独占するブームが10年続く歴史的にない出来事まで起きた
その状況を海外メディア学芸会と称した
やっと一般の趣向が細分化して歌が並外れて上手いや特別楽器が上手いなどが濃いファン付く時代になったのかもしれない
育てることを怠り安易に素人を発掘し
急仕上げでデビューさせ
若く旬の時期だけ歌手をやり
飽きられたら知名度を生かし女優俳優やテレビタレントに転身する
続く
ほとんどの出演者は実績のないアマチュアでインディーズイベントにすぎなかった
それでもチケットを求める熱心なファンが行列を作り熱烈な常連は親衛隊を結成していた
それに目を付けた起業間もない渡辺プロダクションは興行にしようと画策するが
最初に持ちかけた浅草国際劇場にキャパ4000人に断られる
東宝グループ傘下の日劇キャパ4000人が閑散期の2月開催を条件に会場提供に合意
日劇ウエスタンカーニバルが誕生
キャパ4000人のホールなのに
たった1週間で45000人を動員する特大イベントになる
ロックンロールや50s中心なのは数年で形を変えながら20年58回もの長寿イベントになった
日劇ウエスタンカーニバルその後の功罪は大きい
功の部分はほぼ無名だった出演者が次々にスターになった
その後はホリプロスカウトキャラバン、スター誕生、イカ天、おニャン子クラブ、モーニング娘が誕生したアサヤンなど素人発掘オーディションイベントやテレビ番組を作りだし誰もがスターになる礎を築いた
罪の部分はアメリカだと
古くはフランクシナトラ
https://youtu.be/MyEK3f8aXRs
近年ではテイラースウィフト
https://youtu.be/OGDkg3QiJmk
ロックならジャニスジョプリン
https://youtu.be/bn5TNqjuHiU
など
続く
ちょっと文書おかしかった
ヒルビリーの説明ところ
このヒルビリーを取り入れたロックンロールがロカビリー
その次の動画の白人のカントリー要素を取り込んだ白人的ロックンロールと言ってもいいがカントリー要素がだいぶ勝ってる
ロカビリーとは違う
ウッドベースがあるくらいで演奏かえたらカントリーポップス
ロカビリーテイストの黒人的(ブルース)ロックンロール
https://youtu.be/0hD53Sh-cG4
https://youtu.be/q7QRG_5avmk
ヒルビリーの要素がないのでしゃくりあげたりしない
歌はブルース的なのはなんとなくわかるだろ?
演奏はロカビリー的ではある
カントリーもヒルビリーだけじゃなく
ブルーグラス他もあるし
カントリーのブルースグラス
https://youtu.be/h0oEq0bMnyA
もしかして余計混乱したか?
いろいろ詰め込んだら説明になってないな
ロックンロールが日本で理解された浜村美智子の監獄ロックの後に戦後最大のムーブメントロカビリーブームになる
ロカビリーブームの発端は1958年起業間もない渡辺プロダクションが仕掛けた日劇ウエスタンカーニバルだった
日劇ウエスタンカーニバル前から
ウエスタンカーニバルは存在していたが東京ビデオホールキャパ400人程度のホールとジャズ喫茶数件のイベントだった
続く
デビュー直後は三人娘を凌ぐ大人気ぶりだったがカリブソングよりジャズが好きなど発言する破天荒なキャラクターが災いしすぐに飽きられてしまった
その後結婚し一時期芸能界を離れた
1972年韓国のヒット曲黄色いシャツの男をカバーがヒットして30枚万を売り上げた
https://youtu.be/kLdXBv20mjU
現在もお元気だそうでなにより
2018年ライブバナナボート
https://youtu.be/vsoFfAUVWIE
2021年ダンスを披露
https://youtu.be/6UKSbEELsx0
ここで少しおさらい
前にも書いたがロカビリーとは何か?
これがすべてではないがしゃくりあげる歌い方でウッドベースをバチバチならす演奏を取り入れたロックンロール
https://youtu.be/QyO0xoa8JKU
この動画じゃちょっとしゃくりあげるがわかりにくいな
でもほどよい動画がないんだ
アメリカのヒルビリー山村地方で歌われたカントリーの一種の歌い方を取り入れたロックンロール
https://youtu.be/tHZem_bv0eA
数分なんでブルーヨーデルまでは聞いて欲しい
なんとなくヒルビリーがわかると思う
白人のカントリー要素を取り込んだロックンロール
https://youtu.be/AbcTj5-q1TM
続く
この曲から日本のプロデューサー、当時先生がロックンロールを理解したように感じる
1957年の紅白歌合戦で雪村いづみビーバップアルーラと共に先に披露され翌年のレコード発売になった珍しいケース
ここでロックは日本でジャンルとして確立され根付いた
海外から持ち込まれた現在まで続く音楽文化として発展したのは戦後初の出来事になる
日本でジャズ文化は浸透していたが、江利チエミのロックアラウンドザクロックから僅か2年でアメリカ50sロックンロールをある程度吸収できたスピードの早さには驚く
この時まだ戦後12年しかたっていない
相変わらず日本と英語の別構成のままの詞で詞としてつまらなさは残るが
音楽的にはロックンロールが完全していて日本初のロックンロールと言えるかもしれない
歌詞は現在も日本語英語のごちゃ混ぜを批判する評論家などもいるので
これはこれで成立してるのかも
個人的には日本語英語を全面分ける詞に意味を感じないしノリの面で分断されるデメリットは大きいと思う
浜村美智子は江利チエミ、雪村いづみと大きく違いモデル出身で歌手経験はなかった
雰囲気が合うとの理由でバナナボートをカバーする企画に抜擢
発売1ヶ月で18万枚を売り上げ販売総数は100万枚を越える
1957年メジャーデビューシングルバナナボート
https://youtu.be/M7yOYRu_vtQ
続く
ロックンロールではないテネシーワルツのような遅いブルージーな3拍子を強調したジャズ演奏のこの曲が全米1位なのでアメリカですらこの時代のジャンル分けは適当なのかも
他にも音源のない作詞作曲が日本人の謎なロックン桜やジェリーリールイスの原曲がわからないようなカバー火の玉ロック
https://youtu.be/huk2r9mXvQ4
ジェリーリールイス/火の玉ロック
https://youtu.be/wYpOYEXuR1A
演奏はジャズだがしゃくりあげる歌い方のロカビリーはできてたりする
1958年にもロックンロールのフジヤマママを発売している
https://youtu.be/2KMAo_CYgBA
邦題になってるから気づかないだけで他にもロックンロールはあるかもしれない
雪村いづみも美空ひばり、江利チエミと同じ年に生まれていてメジャーデビュー曲想い出のワルツの大ヒット以降三人娘と言われて日本初のアイドルグループとして映画等で活躍した
1959年渡米
テレビ番組に積極出演し高評価をへて翌年2回目の渡米には12都市を1年かけて公演する全米ツアーを成功させた
日本人初のアメリカ国民雑誌LIFEの表紙になっている
ビーバップアルーラ以降のロックンロールは
1958年浜村美智子/監獄ロック
https://youtu.be/Ny1w0CfBiWg
続く
ステージ、テレビ出演予定は詰まっていたそう
1999年映画ぽっぽやの中で高倉健演じる主人公がテネシーワルツの口笛から江利チエミのテネシーワルツに繋がるシーン
https://youtu.be/OaMC8FDJUuI
江利チエミ終わり
江利チエミのロックアラウンドザクロックの後はジャンルがロックンロールとして披露された
1956年小坂一也とワゴン・マスターズ
ハートブレイク・ホテル
https://youtu.be/IyWC7BWLMuE
この曲でこの年の紅白歌合戦に出演で日本にロックンロールとゆう言葉も浸透したがロックンロールが何かはわかっていなかったと言われている
1957年雪村いづみ/ビーバップアルーラ
https://youtu.be/ulh3o4vwXgE
小坂一也の頃にないロックンロールのグルーヴ感が少しだけあるし歌い方も良くなってるが演奏がジャズバンド
まだジャズとして認識している
1956年全米7位のヒット曲だがビーバップアルーラを選んだ辺りはかなり渋い
ビーバップアルーラの前にロックアンドロールワルツとゆう謎の曲もある
全米1位になった曲もカバーしている
雪村いづみバージョンがユーチューブになかったので元曲を
ケイスター/ロックンロールワルツ
https://youtu.be/FWosiGsjoss
続く
日本語版カモナマイハウス
https://youtu.be/6mj_tRAgV_w
ゴメンナサイ/ プリティアイドベイビーでアメリカのレコード会社からメジャーデビューをはたしラジオチャートにランクインされた
確認できなかったがアメリカレコードデビューしラジオチャートにランクインしたのと
白人対象のホールでステージに立ったのは戦後日本人初かもしれない
戦前はオペラ歌手三浦環(たまき)が欧米でレコードデビューし蝶々夫人役主演し白人対象のホールで何度も歌っている
美空ひばりや笠置シズ子が日系米軍や在住日本人向けにアメリカ公演を先にやっている
ゴメンナサイは白人に媚びた仕上がりになって日本では封印されている
アメリカ収録発売されたプリティアイドベイビー
https://youtu.be/VvyOZ_LNKRo
デビューしたった3年で日米通算28枚目のシングルロックアラウンドザクロックに至る
江利チエミがロックンロールを歌ったのはこの曲だけだった
映画、舞台、テレビ出演、歌手と今でゆうマルチタレントとして活躍
その後高倉健と結婚し流産
以降子供ができなかった
家政婦として近づいた異父姉から工作を受け離婚
異父姉の使い込みにより4億円以上借金を背負った
人間不信になり一人暮らしへ
1982年脳卒中により嘔吐物を詰まらせ急死
続く
1955年江利チエミ/ロックアラウンドザクロック
https://youtu.be/mP-u2-HUafc
英語の上手い下手の意味ではなく中学生英語みたいに発音を略さず歌詞を全部発音しているのは印象的
歌詞は英語部分と日本語部分を完全に分けサビを英語にするなど日本語と英語をごちゃ混ぜにした現在の歌詞の構成と大きく違う
現在でゆうプロデューサー、この時代では先生になるがこの曲をジャズと捕らえロックンロール要素を綺麗さっぱり無くしている
このカバー曲が音楽的には国内のロックンロールの始まりとは言えないかもしれないが
アメリカロックンロールの元祖を僅か1年後カバーしてレコード音源にしている歴史だけで日本初のロックンロールと言っていいと思う
日本初のロックンローラーとして江利チエミをちょっとだけ掘っておく
美空ひばりの同じ年に生まれる
1948年頃からわずか12歳でアメリカ進駐軍のキャンプ地を親子で回りジャズを歌った
オーディションに落ちまくる日々も続く
1952年テネシーワルツでメジャーデビュー
https://youtu.be/yqV5aUESqaQ
この時代23万枚を売り上げる大ヒット
1953年渡米しハリウッドのパレディアムでの白人対象のステージでサイドバイサイド カモンナマイハウス 上海などすべて英語で歌った
続く
国内ロックンロールの始まりでもやろうか
本土には戦争被害のほとんどなかったアメリカと事情が異なる
真珠湾攻撃から約4年間敵国、つまり欧米の大衆文化は入って来なかった
1945年敗戦
正確には敗戦前から、特に欧米文化が怒涛のように国内に入る敗戦後からはもっとジャンル等は間違って解釈されていた、ような…
ジャズ、ブギウギ、ブルース…全部適当のような気がする
1937年淡谷のり子/別れのブルース
https://youtu.be/d3wPTUQk3EE
なぜこの曲がブルースなのか?歌謡曲にしか聞こえないんだが?
他にも曲名にブルースと付く歌謡曲にブルースはほとんど感じない
1947年笠木シズ子/東京ブギウギ
https://youtu.be/6SfpSymF0MI
自分の思うブギウギはこんな感じ
https://youtu.be/KvFwLi9ox2s
このブギウギなんてジョニーBグッドだよね
https://youtu.be/v8IQ5fvMhm0
同じなんだろうか?東京ブギウギは演奏がジャズバンドだからジャズには聞こえるが?
この戦前戦後辺りの定義はジャズすら曖昧で海外の音楽をすべてジャズと呼んでいた
そんな国内でロックンロール始まったのは50sロックンロールの元祖でもあるビルヘリーとコメッツのロックアラウンドザクロックのカバーだった
続く
10年に及んだミック、キースの対立後も相変わらずなストーンズだった
昨年チャーリーワッツが死去
現在初期メンバーはミックとキースだけになったがまだバンドは今年結成60年を迎えワールドツアーをしている
ストーンズの歴史はまだ続いている
50sロックンロールのカバーやスキッフルから始まり年代によって変化続けているのがわかったと思う
バンド内は60年代後半からずっと様々な問題を抱えても前に進んでいるバンド
現在3人しかいなくなったが
またストーンズにしかできないロックンロールでスーパーヒットを飛ばす未来を期待している
最後に
スタジオアルバムの最新になるのかな?ファーストアルバムのようにカバーアルバムになってる
全曲カバーは初だそうだ
ファーストもセカンドも3曲がオリジナル
最後のアルバムではないとも発表している
エリッククラプトンやダリルジョーンズも参加
2016年アルバムブルー&ロンサム全米1位より一曲目
ジャストユアフール
https://youtu.be/Tm_FMzWVplU
久しぶりに聞いたがこれぞストーンズって曲
スーパーヒット飛ばせとか言ったけど
存在してるだけでいいや
ローリングストーンズ終わり
ちょっとお休みするよ
一週間くらいかな
またね
何故か衝撃展開
アルバム発売とワールドツアーを発表
この時はファンやメディアも全面的に信用はしてはいなかった
発売されないとか、ただのアドバルーン、解散アルバムでは?などいろんな噂が流れたが本当に和解のアルバムになった
1989年アルバムスティールホイールズ全米3位からシングルミックストエモーションズ
https://youtu.be/loNey3n6uuE
これ一曲でいいだろ?
これまでの80年代アルバムには最新のストーンズを見せるみたいな印象があったがこのアルバムから消えセールスも好調だった
ミックストエモーションズの歌詞でミックとキース和解の象徴的存在になった
ロックンロールと言ってもいいがポップに仕上げ今までにない新しいストーンズの方向を見せてくれた
1990年ローリングストーンズ初来日公演
会場のすべてがドームで追加も含めた10公演満員御礼
もちろんいい席ではないが意外に簡単に取れたとゆう人も多かった(自分の周囲談)
異常なプラチナ化はしなかった模様
ワールドツアー後ビルワイマン脱退
ごちゃつくので書いてなかったがチャーリーワッツの薬物依存のせいでダーティワークのワールドツアーがなくなっていた
アルバムスティールホイールズ以降もキースがアルコール依存に陥ったり
ミックとキースの小競り合いも何度かあった
当然キースは激怒
インタビューでミックをこき下ろした
ミックも応戦
1985年移籍第一弾はストーンズのアルバムではなくミックのソロであった
不仲でこの順番はしかないかもしれないが他のメンバーの気持ちを考えると・・
関係は壊れていても契約でローリングストーンズとしてアルバムを出さなければならない
1986年アルバムダーティワーク全米4位からハーレムシャッフル
https://youtu.be/RXVTKZSsKOw
シングルカット
ワンヒット
https://youtu.be/dx2WRQLSIew
ミックとキースの不仲がピークのためロンウッドが中心になり仕上げるしかなかったアルバム
ミックがソロ活動で多忙だったためキースの意向が強く反映されているが音的には一番80年代らしいアルバムになった
ハーレムシャッフルの代表曲は出てるがストーンズ史上最低と評価する人も多い
このアルバム発売後ビルワイマン、チャーリーワッツもソロ活動開始
1988年キースもソロでアルバムを発売
新バンドを結成して全米ツアーまでやった
ミックは1987年2枚目ソロアルバムを発売し翌年ワールドツアーを行いストーンズより前に日本公演までしている
お互いやられたらやり返す挑発行為もエスカレート
ミックとキースのメディアを通した舌戦は何年も続きバンドも解散状態で活動はなかったが…
続く
これ以外の曲はロックンロール要素は薄く80年代風にアレンジされてるが主に70年代の曲なのでこの時代の異質なアルバムになっている
アルバムカットシングル友を待つ
https://youtu.be/MKLVmBOOqVU
ハングファイヤー
https://youtu.be/3xbtlW16Gts
1983年アルバムアンダーカバー全米4位よりシングルアンダーカバーオブザナイト全米9位
https://youtu.be/DVJkfXeTs9Q
トゥーマッチブラッド
https://youtu.be/DW9czZfH_EM
ミック主導でミックが当時一番やりたかったことをやったアルバムだと言われている
打ち込み?でラップやディスコなど他のいろんなジャンルも取り入れたアルバム
全盛期の第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの新しい勢力と最新のストーンズでガチンコ勝負に挑んだがセールスも評価も今一つだった
このアルバムが最後でレコード会社を移籍
移籍交渉していたのはミック
メンバーに伝えずソロでアルバム2枚を出すことを契約に入れていた
メンバーに対して本人からでなくメディアを通してソロ活動を宣言したようなもの
ミックからすれば巨額の移籍金が入りメンバーにも悪い話しではないと判断したのだと思うがキースと対立中に相談無しでソロ活動はさすがにまずい
続く
キースがカナダから出れなかったり
薬物治療していた2年以上バンドを一人で支えバンドの方向まで変えて売れ続けるのに成功しているミックジャガー
誰も口出しをさせなくし誰のゆうことも聞かなくなった
勝手に変えた方向や王様化したミックを受け入れられないキースリチャーズ
対立は当然のことだったのかもしれない
このアルバム辺りからアメリカは音楽はMTV有線放送でPVを見る時代に入る
自分たちが60年代ビートルズ中心にブリティッシュインベイジョン、イギリスの侵略で旋風を起こしたが
80年代第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン、二度目のイギリスの侵略でカルチャークラブ、デュランデュランなど新しい勢力からおびやかされる立場になった
1981年アルバム刺青の男全米1位から
シングル
前に貼ったロックンロール
スタートミーアップ
このアルバムも前作と同等に売れた
ミックとキースの不仲のため曲ができないため
プロデューサーが過去のアルバムから漏れた未発表曲の音源から多重録音して曲の雰囲気を作り直し1枚のアルバムにしあげた
シングルスタートミーアップもアルバム女たちのアルバムから漏れた曲
80年代ロックンロールの名曲と言われていてバンドの代表曲だが77年の音源
後日談でミック、キース共に気にいっていてライブでは頻繁に演奏する曲
77年アルバムには入れなかった曲なのに…
続く
スタントミーアップじゃなくスタートな
ビアンカと別居中にジェリーホールと恋人関係になりジェリーとの交際条件が薬物を止めるなのでこのアルバムの年にはシラフになっていることは間違いなさそう
キースリチャーズは1977年トロント空港でアニタが薬物の断片を発見され逮捕
キースの宿泊先へ警察が踏み込み20グラム以上の薬物が発見される
押収された薬物が大量のためパスポートを取り上げられ判決が出るまでカナダ国内から出ることがでなかった
密輸売人として起訴され最悪終身刑の可能性まであったが温情判決が下されまた収監を逃れた
ここで薬物依存治療始め脱薬物に成功する
キースが収監される可能性を考え判決前に発売したアルバム
1978年女たち全米1位からシングルミスユーも全米1位
https://youtu.be/hic-dnps6MU
ローリングストーンズがシングル1位になった最後の曲
ディスコと呼ばれるジャンル
この時代ロックからのディスコはローリングストーンズが代表格
他の大物バンドはクイーンが有名
1980年アルバムエモーショナル・レスキューからシングルタイトル曲
https://youtu.be/9iw_BE_X9sA
一番売れたアルバムはこれみたい
前作に続いてディスコの継続のアルバム
ここからミックとキースの関係が泥沼化の始まり
続く
フィンガープリント・ファイル
https://youtu.be/V_M6lccMzek
強いて言えば遅い曲は多いくらいで
前作にはないロックンロールに回帰し
アルバムも1位にはなったがストーンズのやるロックンロールは飽きられていた
このアルバム以降バンドの代表するロックンロールはスタントミーアップくらいしない
https://youtu.be/SGyOaCXr8Lw
ロックンロールバンド、リズム&ブルースバンドとも言えなくなる
バンド内はイッツオンリーロックンロールの頃ボロボロだった
相変わらずの薬物まみれ
アルバム完成後貢献を無視されバンドの将来を悲観したミックテイラーは脱退してしまう
この後当たり前のことだが売れることを求められたバンドだから変わる必要があったし変わることを求められた
ロックンロールではなくなったこのあたりでローリングストーンズを終わろうかと思っていたが薬物の結末などあるからもうちょっとだけおまけでやることにする
1976年アルバムブラックアンドブルー全米1位からシングル愚か者の涙
https://youtu.be/B-2MenrnR2U
ソウルやレゲエなど多ジャンル化する
アルバムまるごとおしゃれ路線
イッツオンリーロックンロール頃のミックの薬物依存は後日談で確認されているが
この後薬物依存から自力で立ち直った可能性が高い
続く
1973年アルバム山羊の頭のスープ 全米1位より悲しみのアンジー
https://youtu.be/RcZn2-bGXqQ
ハートブレイカー
https://youtu.be/6AlnVx1EAvM
ロックンロールが消えたアルバム
68年のジャンピングジャックフラッシュ以来シングルはロックンロールだったが
シングルも貼った2曲でロックンロールとは言えない
微妙な曲もあるがロックンロール??
ダンシング・ウィズ・ミスターD
https://youtu.be/9hw1SKn5eFM
個人的にはおしゃれ路線のアルバム
キースよりミックテイラー中心に思えた
翌年予定の日本公演に向けプロモーションで来日したミックは薬物を理由に日本政府から入国拒否されてしまう
このアルバムの発売2ヶ月前キースとアニタが薬物所持で逮捕されたがまた収監は逃れた
1974年アルバムイッツ・オンリー・ロックン・ロール 全米1位から
タイトル曲
https://youtu.be/JGaBlygm0UY
シングルイッツオンリーロックンロールは10位にも入ることができなかった
イッツオンリーロックンロール以外も悪くはない
イフ・ユー・キャント・ロック・ミー
https://youtu.be/mphSvuLGAQo
前のアルバムからのおしゃれ路線も継続した
続く
1967年ミック、キース、ブライアンの3人は最初の薬物逮捕の気晴らしに旅行に出た
同行していたアニタはブライアンの部屋で喧嘩になり暴力を振るわれたとキースの部屋に逃げ込んだ
次の日キースとアニタは勝手に帰った
薬物で行動がおかしく、もうバンドの地位を失っていたブライアンとバンドの中心だったキース
恋人まで取られブライアンの居場所はバンドに完全になくなる
ブライアン2度目の逮捕が決定打となりライブツアーでアメリカ入国を拒否されてしまう
ライブ同行もしない、レコーディングにも来ないブライアンは脱退を選ぶしかなかった
アニタはブライアンの死後キースの恋人としてバンド内に入り込むことに成功する
楽曲制作にも関わるようなりバンドにとって重要人物へ
最も売れたホンキートンクウイメンはアニタとバンドの共作と言われている
このアルバム制作の頃には3人供に立派な薬物中毒者になっていた
アニタは専属シェフの娘に薬物を注射し起訴された
この後のキースとアニタの起こす薬物事件は年代に沿って書いていく
キースとアニタの最後は子供を設けるが結婚には至らず1979年にキースと住む家に17歳の少年を連れ込み少年はアニタの目の前で拳銃自殺する事件を起こしキースとの関係は解消された
アニタはブライアンから始まり10年以上バンドを翻弄し続けた悪女として現在も名高い
続く
後のロンウッド時代がいいとゆう人も多い
このアルバムからメジャーレコード会社離れストーンズレーベルを設立しマネージャーと決別するために泥沼の時期の始まりでもあった
離れる間際レコード会社から急に契約でもう1枚シングル発売が残ってると言われて
当て付けに発売できないような卑猥な歌詞の曲を提供した
もちろん当時発売されたシングルは別の曲
だが80年代になってドイツで4枚組のアルバム発売のおまけ的役割で付くシングルにこの曲が入ってしまい音源に残ってしまった迷曲
コックサッカーブルース
コメント欄に和訳された歌詞がある
https://youtu.be/X4XPHfxhWWM
1972年アルバムメインストリートのならず者 全米1位より
ダイスを転がせ
https://youtu.be/j9hkUpvUMmE
勝手に何でもありなアルバムと思っている
今までのストーンズを詰め合わせたようなアルバム
相変わらずの黄金期だがレコーディング中に薬物の売人が出入するなどミック、キース供に薬物依存が深刻化
レコーディングは進まず最悪でドラムのチャーリーワッツは途中でレコーディングを放棄している
諸悪の根元はアニタ・パレンバーグ
キースの恋人でブライアンジョーンズの元恋人でもありブライアンを廃人にしたのもアニタだった
続く
ホンキートンクウイメンの別バージョン
カントリーホンク
https://youtu.be/8Fx_VjKjJ3I
この感じのアルバム
ブライアンの最後に関わったアルバムになるがたった2曲だけの参加だった
この時代シングルはバカ売れでバンドの代表曲は出てるしアルバムセールスも悪くない
サティスファクションの初期と分ける必要はないかもだがまた黄金期に入った言っていいのかもしれない
このあたりからまたバンド全体に薬物が蔓延しはじめた時期でもありいろんな事件が起こりはじめた
このバンド特有でもないが誰かが悪者になってた間は上手くいっていたが悪者がいなくなると壊れはじめる
プラス薬物
ミックジャガーの彼女が薬物で逮捕されたのが始まりになる
1971年アルバムスティッキー・フィンガーズ全米1位からブラウンシュガー
https://youtu.be/XodXAr-xL1M
https://youtu.be/DPYyoZFer60
ブラウンシュガーは先行シングルで発売された
ブラウンシュガーも上げた3曲と同じくらいの超代表曲
ストーンズで最も売れアルバムかもしれない
ホーンのサポートが入るようなる
名盤との評価が高いアルバムで新加入したギターのミックテーラーもキースリチャーズとのコンビもいい
演奏でゆうと最強の時代に入る
あくまでも好みの問題な
続く
ファンの聞きたいストーンズとバンドの方向と見えない壁ができてしまっていた
見えない壁を取り除いたロックンロール回帰のシングル
1968年シングルジャンピングジャックフラッシュ 全米1位
https://youtu.be/qGd7SkdETro
同年のアルバムベガーズバンケットは全米5位
悪魔を憐れむ歌など代表曲は出ているが
https://youtu.be/Jwtyn-L-2gQ
シングルジャンピングジャックフラッシュのヒット後のロックンロール回帰かと思われたアルバムだったがロックンロール色は強いとは言えなかった
シングルは2曲連続のロックンロール回帰になる
1969年ホンキートンクウイメン
全米1位
https://youtu.be/l7uDO2dL7-E
調べてないけど米英以外を含めるとストーンズで一番売れたシングルでは?
サティスファクション、ジャンピングジャックフラッシュ、この曲はストーンズの中でも絶対はずせない曲
よってこの3曲の入ったベスト盤は後の世代のストーンズ入門編のような存在になる
1969年スルー・ザ・パスト・ダークリー
ブライアンジョーンズへの追悼アルバム
同年アルバムレット・イット・ブリード 全米3位
アルバムタイトル曲レット・イット・ブリード
https://youtu.be/4EaYdwLDCew
続く
1968年90年代まで封印され誰も見ることができなかった映画ロックンロールサーカスがブライアンの最後の姿だったのかもしれない
映画ロックンロールサーカス
https://youtu.be/CWpOSvcMzYc
その後はもう戻れない所まで来てしまいバンド活動にも一切参加しなくなる
1969年メンバーはブライアンのバンドへの貢献を認め一時金やバンドが存続する間毎月の慰労金を支払うことを提示
ブライアンは説得に応じ音楽性の違いで脱退すると記者会見で発表した
会見後まもなく新居のプールに浮かんでいるのを発見された
16歳のとき14歳を妊娠させ高校中退
ストーンズの方向性を決めたりマネージャー業をしなくなったきっかけも女
薬にのめり込み一緒にやってたのも女
メンバー内の決定亀裂が起きた事件も女
女にだらしなかったブライアンの第一発見者もまた女だった
バンドに戻ると薬物事件はミックは有罪の保護観察、キース証拠不十分の不起訴と収監は逃れたがバンドは社会から非難を浴びた
夜をぶっとばせ、ルービーチューズデイのバンド代表曲も出たり
1967年シングル夜をぶっとばせ
(B面ルービーチューズデイ)
https://youtu.be/l61MFiIeuVM
セールスが極端に落ちたわけでもないがアルバムアフターマスからだんだんサイケデリック色が強くなり他ジャンル化も進んだ
続く
ごめん
ノット・フェイド・アウェイを作詞作曲したバディーホリーはエディコクランと一緒に交通事故で亡くなってる
それと動画あった
黒くぬれ 全米1位
https://youtu.be/flSmiIne-4k
ブライアン発案のギターとシタール(インドの弦楽器)の民族音楽的なイントロから始まる早いロックは好評を得た
ブライアンは低下した地位を戻す居場所を見つける
1966年4枚目アルバムアフターマス全米2位よりシングルカット曲 マザーズリトルヘルパー
https://youtu.be/MbjCVJX_hgE
前作ディッセンバーズチルドレンが
上手くいっていたのに路線を変えたアルバム
初めての全曲オリジナルだがストーンズがやるべき方向ではなかったような気がする
ブライアンだけのせいではないが
このアルバムでブライアンが居場所をいろんな他の楽器に求め、自ら演奏しギターを弾かなくなった結果もう一人ギターを入れなければ成立しなくなってる
このアルバムからストーンズにブライアンは必要なのかメンバーは疑問を感じるようになる
1967年ブライアン、ミック、キースは薬物使用で逮捕
薬物に対し厳しかったイギリスで逮捕されたのもよくなかった
特にブライアンはメンバーとの確執からブライアンは薬物依存してしまう
ブライアンも薬物更正施設に入り復帰を目指したがまたイギリスで逮捕
続く
同時は当時ね
ここからローリングストーンズは1年以上先に売れてたビートルズに追い付いてスーパーバンドへ
最初だけでだんだん売れなくなっていったほとんどのブリティッシュインベイジョンのバンドと逆の売れ方をした
サティスファクションの大ヒット後
1965年シングル一人ぼっちの世界 全米1位
https://youtu.be/QYgJZ79FmBo
妖しい雰囲気のサティスファクションの次の曲はポップ化する
これもストーンズ的ロックンロールと言えると思う
元から友達同士だったミックジャガーとキースリチャーズが演奏するブライアンジョーンズの天才的ギターに憧れ新バンド結成の意思を伝えブライアンは快諾
ブライアンはデビュー前のストーンズのマネージャー的な仕事までやりバンドの方向まで決めてバンドリーダーになる
いい加減な性格が災いしこの状況は長くは続かなかった
デビュー後ステージで中心に立ちギター、ブルースハープ、タンバリンなどを演奏
カバー曲ばかりやってた時期のストーンズではそれでもよかった
ミックジャガー、キースリチャーズ作詞作曲二人の主導で連続1位
作詞作曲のできないバンドリーダーのブライアンジョーンズの地位は大きく低下した
1966年シングル黒くぬれ
https://youtu.be/oHJ4ZPoS7T4
イントロ部分のシタールはブライアンが演奏
続く
ノット・フェイド・アウェイのB面がアイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
スキッフルのとき出したアメリカ版ファーストアルバムザローリングストーンズの1曲目の曲
しかも1957年クリケッツの曲で50sロックンロールで出た飛行機事故でなくなったバディーホリーの作詞作曲
https://youtu.be/kbsEvyX8xAo
1964年ファーストアルバムザローリングストーンズ 全米11位
バンドの代表曲もなくオリジナル曲は3曲でカバー曲の多くは50s
1965年2枚目アルバムザローリングストーンズNo.2 からタイムイズオンマイサイド
https://youtu.be/sEj8lUx0gwY
バンドを代表するバラードだがカバー曲
ここまでのストーンズは50sロックンロールのカバーやビートルズからの提供曲の印象が強くブリティッシュインベイジョンの中のバンドでも異質だし大きな成功とも言えない
1965年シングルサティスファクション
全米1位
https://youtu.be/nrIPxlFzDi0
同時ではきっと革命だよね
イントロ、歌の入り方、飾りのない曲の構成、全体の妖しい雰囲気
この時代のどれとも似てないし同じカテゴリーに入る曲はない
ストーンズのロックンロールと言えば誰も文句ないけど
これ一曲で見たらロックンロールからも抜け出ている
続く
>> 83
こんにちは
BOOWYもそんな所ありましたがBUCK-TICKは特定のジャンルに拘らなかったバンドとして初だと思います
打ち込みにしたり電子音使ったり新しいことどんどん取り入れました
それでファンが離れて失敗したバンドなんてたくさんあります
今の売れてるバンドは逆で特定のジャンルを持たない電子音のバンドが多いです
まぁ、そこを追及しすぎるとバンドじゃなくてもいいよね?
みたいに思ってしまいますが
BUCK-TICKは今の売れてるバンドの先をいってましたね
今もアルバムだせばオリコン上位に来ますからすごい、
悪の華頃は世界観作るのに重点を置いてる感じがしました
ずっと後のビジュアル系なんて曲やアルバムを売るとかでなく
世界観だけを売ってるような所がありますから
レディースルームはそのままLAメタルやってました
そのままLAメタルやって知名度あったのはレディースルームだけです
モトリークルーやポイズンに近くて親近感あるはずです
あの時代それはそれはモテたでしょうね
ヨシキのローディーだったのはしらなかったです
自分は人間関係とかはあまり知らないなぁ
バンド同士の人間関係やアメリカ大物バンドとの対談とかも面白いので思いついたらまた書いてください
>> 82
こんばんは
ありがとうございます
ビクターのCDラジカセ
重低音がBUCK-TICKする!のキャッチコピーね
覚えてますよ
Just onemore kissの頃でまだ櫻井敦司さんが金髪で髪を逆立てていた時のですね
今井寿さんの謹慎明け 悪の華から今の黒髪ロング
雑誌の音楽と人の常連さんですよ
マグミのレピッシュ懐かしいです
スカとかレゲエミュージックぽい曲だった様な
BUCK-TICKはアーティステック
楽曲がカラフル
格好良過ぎたため
LUNA SEAみたいに我慢して商業主義に乗れなかったですね
ルナフェスには参加してますけど(笑)
レディースルームはエックスの直の後輩です
亡くなった東京YANKEESのウメさん
とレディースルームのジョージはヨシキさんの
ローディーでしたから
酸素ボンベ買い出し行ったり
ちょっとPOISONとかモトリー・クルーぽい
ティストもありました
ジョージはニッキーシックス崇拝者で
ボーカルの百太郎はPOISONのブレットマイケルと対談で同じ女にモテるバンドと言ってましたから
>> 81
レスありがとう
うざいなんてとんでもないです!
面白いって感じてくれたらめちゃ嬉しいです
自己流なんでいっぱい間違ってると思います
wikiでだいたい書いてることばかりなんで大して詳しくないです
最近は踊るグループの方がモテモテですけど20世紀はロックバンドがモテモテでした
今の踊るグループがちょっと悔しくて一世風靡したビートパンクから初めてみました
1日1レスしかかいてません
たまに休んでますが
自分もレピッシュがCMしてた(その前がBUCK-TICKだったかな?)ラジカセ買って、社会人になってすぐオンキヨーのオーディオをフルローンで買いました
BOOWYとかブルーハーツとかメジャーバンドやると知らないことがバレるんで微妙なバンドばかり取り上げてます!
レディースルームに反応してくれるなんて一番嬉しいパターンかも
今さらですがもっと詳しくやっとけばよかったなぁ
もっとライブ行っとけばよかったなぁ
50sや60sはちょっとストライクゾーンから外れてるかもですが
この曲知ってる~とか感じてください
なんなら残り900もあるんで知ってること語ってくださいよ
あまり見学者もいませんけどね、、
はじめまして横から失礼します
めっちゃ詳しいですね
楽しく懐かしくて世代ドンピシャの邦楽洋楽アーティスト
バンド 夢中で視聴してライブ参戦した
バンドちらほらみられ
ちょっと熱く為りましたよ
BOOWYのB.BLUEは Beat Emotionの一曲目
私が小6時
シングルカットは2曲目の
ONLY YOUのがうけて売れた記憶在ります
Just a heroはわがままジュリエットがシングルカット
わがままジュリエット
は私のBOOWY初体験 小5の11月だった筈
私は10歳氷室さんは23歳で新婚だった筈
まだまだレコードの時代 ビクターの巨大スピーカーで聴いて爆発しておりました
アクシアのテープ はサンバディズナイトの頃の矢沢永吉さん
CDプレーヤーのCMは最初がAIWA?アイワの
ボン・ジョヴィのバッドメイシン
BUCK-TICKがビクター
レベッカがSONYのLiberty
私は中3時にLiberty購入しました
レディースルームの初武道館も観てるし
ストーンズ ドーム3デイズ行ったし
ジキルはギターのケンとベースの名前失念と
武道館の通路で会いましたよ(笑)
氷室さんは20回以上ライブ行っております
私は最終的に八百枚CD保有していたので
ドンピシャかぶるので
あ^^;
うざかったら、ごめんなさい 確認し消します
今回からリズム&ブルースバンド
ローリングストーンズ
60年代は終わり
そう言えば最近ロックでリズム&ブルースって使わないね なぜ?
ローリングストーンズ取り上げなかったのには訳がある
だから脱線ぎみになる
今までのブリティッシュインベイジョンのバンドには イギリス時代を出してないが特別説明のために
1963年イギリスデビューシングル カモン
50sのチャックベリーのカバー
https://youtu.be/0UWd4CZSvnc
1963年2枚目シングルアイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
https://youtu.be/NbTtP6j-oyg
なんとなくロックンロールとして微妙でもあり
ビートルズからプレゼントされた曲でもある
1972年アルバムマイルストーンズのアイ・ウォナ・ビー・ユア・マンなら文句なくロックンロールかな
客席から隠し撮りみたいな90年あたりと思われるライブ
https://youtu.be/vz7dAtjPQa4
ちなみにビートルズの1963年2枚目アルバムウイズザビートルズからアイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
https://youtu.be/RWmTgXuvJYo
1964年アメリカデビューシングルノット・フェイド・アウェイ
https://youtu.be/P6RWnGQ3XqQ
これがアメリカデビューシングル
続く
10年以上違うこの2曲を比べるのはナンセンスだが
初期イギリスガレージロックのキンクス、ユー・リアリー・ガット・ミーはカッターでアンプを傷つけ音にひずみを出してコーラスワークや合唱を入れたに対して
パブロック代表のドクターフィールグッドはギターのカッティング多用しコーラス無しでボーカルのみ
素人にでもわかるほど演奏は何倍も上手い
時間あったら聞き比べてくれ
演奏以外に曲の構成など違いはあるがやってることは変わらないと感じる
パブロックは70年代日本の初代めんたいロックになりサンハウスに大きな影響をあたえ
その後もそのままパブロックをやったミッシェルガンエレファント
1997年ゲットアップルーシー
https://youtu.be/C0X4wtMXYvg
ドクターフィールグッド風ブルーハーツのマイクパフォーマンス
シーダズイッツライトの最初の短いギターソロは横浜銀蝿など多くのバンドのギターソロに受け継がれたように感じる
日本への影響は各時代にある
ドクターフィールグッドはプロトパンクにも分類されイギリス初期パンクのピストルズ、クラッシュの先祖にあたる
もちろんこれだけの要因ではないが情報元はほとんど雑誌やレコードだったのにも関わらず
1978年同時にラモーンズのアメリカパンクとピストルズ、クラッシュのイギリスパンクが生まれた流れを見ることができる
続く
でもこの解釈なら
メジャーデビュー前のビートルズはどこで演奏していたのか?ってことになる
ミスターポストマンで載せた動画バックビートはビートルズのデビューまでのエピソード映画で主にパブバンド時代が描かれている
労働者階級が行くパブでロックンロールが演奏されるのは普通のことだった
個人的解釈でロックンロールだけにしぼると、50sロックンロールが衰退中に新しい時代に対応できなかった50sバンドが食べるために大量にイングランドに流れ活動の場が労働者階級のパブになった
パブで演奏されるロックンロールの行き着いた先がガラの悪い酔っぱらいでもわかりやすいガツンとくる50sの雰囲気を消したガレージロック風に進化
その影響でブリティッシュインベイジョンの若いバンドが続々と誕生し
その中で初期イギリスガレージロックのキンクスがユー・リアリー・ガット・ミーをアメリカでヒット
なんならジャンルとしてアメリカはガレージロック、イギリスはパブロックと分けてもいい
これだとガレージロック風以外のパブロックのつじつまは合わないが、現在も代表的なパブロックバンドにドクターフィールグッドを上げる人がほとんどだと思う
1975年ドクターフィールグッド イギリスメジャーデビューアルバムダウンバイザジェッティよりシーダズイッツライト
https://youtu.be/iHm7uIC84YM
続く
キングスメンのルイルイは元は50sロックンロールで世界で一番カバーされ音源になっていると言われる曲
ソニックスもカバーしている
この曲がガレージロックの先祖の一つになることがすごい出来事で、キンクスはこの曲でユー・リアリー・ガット・ミーのリフを思いついたと言っている
酔っぱっらてると思われる歌い方で演奏も高校生程度
これがビートルズがアメリカで売れる前全米2位の大ヒット曲
カバーなので新しいとも言えずコミカル
要素で売れたのか?
日本に当てはめると自宅録音した一発録りのような、つたない発音のエマニエル坊やがヒットしたようなもの?
https://youtu.be/aORnFukL6c8
アメリカガレージロックのその後は書いたように70年代終わりのラモーンズの初期パンクに発展した
イギリスガレージロックはそのままパブロックになった
パブロックで検索すると
wiki等では無名だったフォーク、カントリー、ブルース、ロックをやるアメリカ出身バンド 、エッグスオーバーイージーが70年代初頭にジャズしか演奏されなかった有名パブタリホーで演奏されたのが始まりみたいに書かれてはいる
これもジャンルではなく現象
wikiに書かれているのはイギリスの有名パブですら70年初頭ロックバンドが演奏した…とゆう意味だと思う、、
パブで演奏されるならジャンルは何でもよかったことになる
続く
そこに満足できないファンはシンプルにガツンとくるガレージロックか、後期ヤードバーズやクリームの技術が必要な幅のある初期ハードロックに別れた
ガレージロックを検索するとアメリカで始まりブリティッシュインベイジョンの影響を強く受けたみたいな書き方になっている
個人的にはアメリカガレージロックとイギリスガレージロックの2つガレージロックでいいと思う
アメリカガレージロックはこんなの
ソニックス
1965年ヒア・アー・ザ・ソニックスから
ストリキニーネ
https://youtu.be/YXtuKsbORVY
アメリカとイギリスの違いはアメリカガレージロックはパンクの先祖扱いされてプロトパンクに分類される場合が多い
ガレージパンクと呼びアメリカガレージロックはなかったことにして元祖パンクに分類する場合もある
この時代はあまり売れなかったのも特徴の一つ
シーズなどはサイケデリックの元祖でもある
1966年Pushin' Too Hard
https://youtu.be/IReb27tFqMg
アメリカもイギリスもガレージロックの先祖は同じ
この曲ですべてが始まったとかでもない
他にも先祖はいる
1963年キングスメン ルイルイ
https://youtu.be/OtuTte76nYc
https://youtu.be/PTafqd7gx4A
続く
ロックンロールとかハードロックとかジャンルは自分なりの感覚でいいんだよ
コードとかもただの一つの目安なだけで
最後までやったとゆうか、最後すら詳しくできてないのに長くなってしまった
ビートルズは脱線だった
ビートルズやったらストーンズもやろうか
誰が見ても別格の2バンドだから
その前に50sロックンロール後の60年代ロックンロールを終わりにしたい
思いついたこと忘れ始めたから
60年後半になるとモータウンのおしゃれ系の時代が始まったりフォークリバイバルや全ジャンルサイケデリックの影響が出て多様化する
ここで出たクリームやドアーズなんか出て来たりロックンロールで括れない時代が来て純粋にロックンロールと言える曲は大きく減少
ここでも60年代終盤になるとハードロックの話しばかりになっただろ?また時代の変わり目
純粋にロックンロールと言えるガレージロックになる
ガレージロックとはここでも書いた1964年キンクスのユー・リアリー・ガット・ミーみたいな曲
もう一回載せる
https://youtu.be/fTTsY-oz6Go
下手とか始めたてのバンドの意味合いも含んでいる
難しくないシンプルなロックンロール
歴史的にはロックンロールの初代で最も繁栄した50sロックンロール衰退しほぼ消滅する。
その多くのファンをリバプールサウンド寄りのキャッチーなロック引き継いだ
続く
1968年9枚目ホワイトアルバムの続き
レボリューション
https://youtu.be/AFckPkukF7g
早いハードロックやヘビーメタルの元祖的扱いの曲
聞いて欲しいからロックンロールに入れてみる
ヘルタースケーター
https://youtu.be/9p9UficlHnQ
1968年シングルレディマドンナ
https://youtu.be/uLRiGX3L-kw
1969年10枚目アルバムイエローサブマリンより
ヘイ!ブルドック
https://youtu.be/M4vbJQ-MrKo
1969年11枚目アルバムアビイロードより
カムトゥゲザー
https://youtu.be/45cYwDMibGo
1970年12枚目アルバムレットイットビーより ルーフトップコンサートゲットバック
https://youtu.be/txk0j8JVKbI
余談ね
ロックンロールとしては物足りないけど
1963年2枚目アルバムウイズザビートルズよりプリーズミスターポストマン(カバー)
https://youtu.be/Jzy4R8EbWJ4
これならロックンロールにいれようかって気にもなる
映画バックビートより
プリーズミスターポストマン
https://youtu.be/8eRqUUp5JwI
続く
今回上げなかった初期の50sのカバーやエニータイムアットオールみたいな曲も含めたらかなり多くなる
https://youtu.be/WuB7F-gRdJo
1963年1枚目プリーズプリーズミーより
ツイスト&シャウト
https://youtu.be/b-VAxGJdJeQ
1964年4枚目アルバムフォーセールより
カンザスシティ(カバー)
https://youtu.be/cet97WIq4Aw
ロックンロールミュージック(カバー)
https://youtu.be/rBrH9EWZ-Bc
リバプールサウンドとロックンロールの相性はよかったがアルバムラバーソウルからシタール(インドの弦楽器)など使いシャンソンを取り入れるなど多ジャンル化し、リボルバーからサイケデリックになったと言われてる
サイケデリックとロックンロールは相入れない所があるけどタックスマンはサイケデリックと上手く噛み合ったロックンロールだと個人的に思う
1966年7枚目アルバムリボルバーより
タックスマン
https://youtu.be/gMdcE8jdz70
このアルバムからサイケデリック要素がなくなりロックンロールが戻ってきた
1968年9枚目ホワイトアルバムより
バックインザU.S.S.R.
https://youtu.be/nS5_EQgbuLc
続く
個人的にビートルズで昔から気になってることがある
ビートルズ米英メジャーデビューアルバムプリーズプリーズミー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)
日本発売はなんと76年どうゆうこと?
日本でアルバムタイトルビートルズが発売されてるけど2枚目ウイズザビートルズの曲も入ってプリーズプリーズミーが入らないよくわからない選曲
気になってたことすら今まで忘れていて今まで調べもしなかったけどね
今回調べると
これがビートルズボリューム1
のタイトルが出てきて来日記念アルバムみたい
何故か曲順やジャケットが変更されていて似非ステレオで不完全きわまりない
アメリカではイントロデューシング・ザビートルズ とミートザビートルズの2枚のプリーズプリーズミーが存在してるのは知ってたけど販売権問題が長引いた?
まぁいいや、もどろうか
最後にビートルズのロックンロールを年代別にピックアップしてみる
ビートルズはロックンロール色は薄いと思われてるだろうがけっこうある
続く
サージェントペパーズ以降はジョンとポールと対立が激化
アイデアポールの曲が完成すると共同名義の曲になった
ジョンに主導権があったから
そこにポールが対等を求めるようになった
印税の配分と名誉に不満があるポールとビートルズは俺のジョンのバランスの悪化が表面化
ジョージもジョンに不満があった
メンバー関係修復の最後チャンスだったゲットバックセッション
ポールが企画したがロックンロールへ戻ろうはメンバー共通の思いだった
ファンの前で演奏するライブ日も決めドキュメンタリー映画撮影も兼ねていて余裕の無い日程も失敗の原因
映画のサウンドトラックとアルバムの2枚組で進行していたが編集作業をしていたジョンが投げ出してしまった
ゲットバックセッションの中のルーフトップコンサート
ドント・レット・ミー・ダウン
https://youtu.be/NCtzkaL2t_Y
ゲットバックとレットイットビーをシングルで発売し一時的にお蔵入りした後
解散後プロデューサーの手で編集されアルバムレットイットビーとして発売
1969年ラストアルバムアビイロード
メンバー内で解散が決定してから作られたアルバム
1971年裁判の判決で解散決定する
90年代に発覚したことだがアビイロード収録の後メンバーは再度集まりゲットバックセッションの収録に参加していた
2度も何故投げ出したのか?気になる
続く
ビートルズを中心としたとか言いながらビートルズは最初出て来ただけだから少しやろうか
ビートルズは多忙を極めた中世界ツアーをやり他国に入る度に本人たちの関係ない所で問題が起きたり、行動制限され嫌気がさし67年から自分たちの音楽はライブでは再現できないとの理由を発言しすべてのライブ止めた
ちなみに日本公演でもホテルに缶詰にされている
短時間抜け出したみたいたが
音楽的にもアルバムリボルバー辺りになるとリバプールサウンドは薄まりヘルプみたいな多くのファンにとってイメージ通りの曲はなくなる
1966年ペーパーバックライター
https://youtu.be/yYvkICbTZIQ
次のアルバムサージェントペパーズロンリーハーツクラブバンドになるとメンバー自身がビートルズのイメージを打ち消したようなアルバムになった
たぶんシングルカットはなかったような…
ただの好みで代表曲を載せるが異論はあるだろうな
1967年ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ
https://youtu.be/NXXkq7l-wZg
https://youtu.be/l7x-0c9jl4Y
こんな理由が重なりビートルズが全世界でキャーキャー言われ類の無い大成功したアイドル時代はアメリカで抱きしめたいがヒットした63年年末がスタートとするがわずか2年で終わることになる
続く
ファーストアルバムから売れていて完成されてるし方向性も一貫してる
当然ヤードバーズの頃最初に元祖ハードロック、トレインケプトアローリンを弾いたのもクラプトンだし
早いハードロックではないけどハードロックは完成してる感じはする
ライブの動画にもはいってるけど最後にクリーム名曲の一つ
クロスロード
https://youtu.be/7HfkSzsyh1E
ヤードバーズ フー クリームには格落ちするけどこのバンドもブリティッシュインベイジョンに入れて欲しかった
個人的にこの時代好きなバンドの一つ
クリーム解散後にエリッククラプトンとエリートバンドに参加したのはこのバンドを1967年に脱退したボーカルスティーブウインウッド
1965年スペンサーデイビスグループ
キープオンランニング 全英1位
https://youtu.be/kamXvqoL_JA
1966年アメリカデビューシングル Gimme Some Lovin' 愛しておくれ 全米7位
https://youtu.be/RSIj_yhj7hg
スティーブンウインウッドはソロもやってチャート上位に来たり90年代あたりは頻繁に来日もしていた
興味ある人は検索を
だいたいこれくらいが50sロックンロールが終わりビートルズを中心としたロックンロール全貌かな
最後はいつもハードロックの話しがオチでごめん
続く
この時代の歴史に残るようなバンドで3ピースバンドは珍しくベースとギターがボーカル
歴史的功績のある世界的有名バンドだがエリートバンドにありがちな軋轢で活動期間は2年、スタジオアルバム4枚で解散した
クリームでエリートバンド継続に挫折したエリッククラプトンは再びエリートバンド結成になりゆきで参加してしまうが半年超で解散
その後すぐまたバンドを作りこのバンド名義で愛しのレイラ世に出した
https://youtu.be/gFhnhvtMX98
またすぐに解散
解散後すぐ3年に及んだ薬物治療が始まった
クリームのウリはライブ
初期は予定調和のない即興で1曲を10分にするなど先の見えないライブは観客を沸かせた
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/27916
エリッククラプトンがこんなに素晴らしいプレイはこれ以降できないんじゃないか 満足した
そう思ったフィラデルフィアのライブではなくイギリスのライブだが同じ年のライブ
1時間の長い動画だけど最初のホワイトルームくらいは見てくれ
解散直前の1968年ライブ
https://youtu.be/-_gC2V_nbK8
クリームでエピソード以外の音楽的なことや商業的なことで話すことないんだよね
ファーストアルバムから完成されてるし
方向性も一貫してる
続く
キンクスやヤードバーズも初期はブルースを基調としたバンドだったのが大きな違いと言えるかもね
1969年4枚目ロックオペラトミーからの中期は当時流行りだったサイケデリックを取り入れパワーポップな曲は無くなりハードロック路線へ
ピンボールウイザードリー
https://youtu.be/288cvHTOn_k
1970年初ライブアルバムライブ・アット・リーズでは本人たち曰くヘビーメタルは完成していたとゆう
時間あるならフルで聞いてみて
https://youtu.be/KiWG11Ldk4Q
前に書いたようにアメリカは日本と違いハードロックとヘビーメタルの線引き曖昧なのでニュアンスは伝わりにくいかもしれないが1曲目からハードロックではある
元から不仲だったがドラムの死によるメンバーの亀裂、薬物、ギターがソロ活動ヒット曲を出すなどいろいろな条件が重な米英共にチャート上位のまま1982年解散
解散一つ前アルバムフェイス・ダンシズから クワイエット・ワン
https://youtu.be/waVqaZWeOhs
クリーム
ヤードバーズデビューの直後、売れ線狙いの曲を演奏させられ嫌気がさして脱退したエリッククラプトンを中心に実績のあるメンバーが集まったエリートバンド
エリートバンドの初代と言ってもいいと思う
続く
ちなみに90年代と思われるエアロスミスのトレインケプトアローリン
https://youtu.be/98XL03W9CN4
1966年ジェフズブギー
https://youtu.be/K9yqA_8uMk4
ジェフペックが前バンド時代から頻繁に弾いてたお遊びのように聞こえギターの概念が変わった(?)曲
1968年バンドは解散
ヤードバーズを母体にしたレッドツェッペリンが始まった
本格的ハードロックの時代に突入し時代はまた変わった
次にフー
デビュー時はパワーポップと言われた
デビューアルバムマイジェネレーションからザ・キッズ・アー・オールライト
https://youtu.be/afam2nIae4o
キンクスのユー・リアリー・ガット・ミーのよりキャッチーな初期ガレージロック
マイジェネレーション
https://youtu.be/qN5zw04WxCc
フーはパンクの先祖とも言われている
理由はパンクと同じくブルースの要素がないから
ビートルズ的な曲だがセックスピストルズもカバーした
サブステイテュート 恋のピンチヒッター
https://youtu.be/eswQl-hcvU0
ブルースが主体となりカントリーやジャズなどが融合したのがロックンロール
そのブルースの要素だけをとり除いた曲、つまりブルース的コード進行がなかったのが初期フー
続く
続き
1967年クリーム サンシャイン・ユア・オブ・ラブ 全米5位
https://youtu.be/HbqQL0J_Vr0
1968年ホワイトルーム 全米6位
https://youtu.be/V5BF1V1pbTs
フーは1965年アルバム マイジェネレーションでアメリカデビュー
クリームは1966年アルバム フレッシュクリームでアメリカデビューしている
ヤードバーズは65年にアメリカでヒット曲を出してるのでブリティッシュインベイジョン入れてもいいとは思う
1966年ストロールオン
https://youtu.be/9_mBYbJsUBQ
キンクスのユー・リアリー・ガット・ミー と同じくガレージロックでパブロックの元祖に聞こえる
1965年トレインケプトアローリン
https://youtu.be/WRVPAfGqCeY
https://youtu.be/dkqKO7GQGXc
ファーストスタジオアルバムからある曲で解散まで頻繁に演奏された
50sロックンロールのジョニーバネットのカバーでストロールオンと歌詞違いの同じ曲
この曲でヤードバーズがハードロックの元祖と言われてる由縁の曲でもある
理由はギターのリフにあると言われているが無視していい
ギターリフまで言い出すと理解できるのは経験者か、楽器まで興味を持ち調べてる人に限られるから
続く
ゾンビーズ続き
ポップな曲からメロディ優先の曲もあった
1曲1曲でジャンルすら変わったと言ってもいい
1965年テル・ハー・ノー 2枚目シングル 全米6位
https://youtu.be/q4nmxz5bQhk
1968年タイム・オブ・ザシーズン 全米3位
https://youtu.be/GC5NelnaCXc
シーズ・ノット・ゼアに戻って完成度を上げたような曲
バンドはこの時解散していたのに全米3位
上げたバンドの特徴はキンクスのような新しさとゾンビーズホーリーズのような先が見えない進行(何度か聞かないと歌えないような曲)が特徴だと言えるのかな
66年のホーリーズまで出してこのバンドたちを出さないのはダメだと思う
ホーリーズはブリティッシュインベイジョン、イギリスの侵略と言われたバンドの中には入っているが、ここで上げる3組は入ってない
基準もよくわからないし当時のアメリカやイギリス、後付けの日本の解釈などなどで主張も違うと思う
ビートルズを中心としてで考えると選ばれないバンドかなと個人的感想
1965年ヤードバーズ アメリカデビューシングル フォーユアラブ 全米6位
https://youtu.be/HU5zqidlxMQ
1967年フー アイ・シー・フォー・マイルズ 全米9位
https://youtu.be/Q0iqg2UanEc
続く
ホーリーズ バスストップだけ見るとリバプールサウンド寄りだがファーストアルバムではブルースや50sロックンロールのカバーばかり
50sロックンロール後のロックンロールにその前のベンチャーズやアニマルズの曲は価不能だと思うが外すのはまずいだろ?
リバプールサウンドのイギリス出身のバンドもアメリカ出身バンドも50sロックンロールと変化は小さかった
リバプールサウンド寄りではないイギリス出身バンドは50sロックンロールと明らかに違う
キンクスのユー・リアリー・ガットミーはハードロックの原型とも言われてバンヘイレンなど後のハードロック、ヘビーメタルバンドにカバーされている
また初期ガレージロック、パブロックの元祖的な扱いもされてる
アメリカ2枚目シングル オール・オブ・ザ・ナイト 全米7位
https://youtu.be/fOGMRnKl5co
翌年の全盛期ライブの後にメンバー内で暴力事件を起こし病院に担ぎ込まれアメリカに4年の間出入り禁止になって第一線から退いたが新しい変化にチャレンジし続けた
メンバーチェンジ繰り返したりメジャーレコードから契約を切られたりしながらも1998年まで存続
ゾンビーズは天才肌で何が飛び出すかわからないような所がある
1曲に2~3曲詰め込んだような地味な転調をしている曲がウケたが日本のGSバンドがカバーしたポップな曲もある
また続く
イギリス出身バンドはリバプールサウンドだけでなく意外に本家アメリカのブルース、リズム&ブルースを基調にしたバンドも多数いた
50年代のイギリスでスキッフルと呼ばれたジャンルが流行った影響でもある
スキッフルを短く説明できるほど詳しくないから検索を
1964年ローリングストーンズ アメリカデビューアルバムの1曲目 ノットフェイドアウェイはスキッフルだった
https://youtu.be/P6RWnGQ3XqQ
時代は違うけど初期Tレックスもスキッフル
https://youtu.be/WffuNGC4vUg
イギリス出身バンドでリバプールサウンド寄りではなかったバンドを上げてみよう
1964年アニマルズ 陽のあたる家 全米1位
https://youtu.be/21_0CDho78M
※アメリカ伝統曲のカバー
1964年キンクス アメリカデビューシングル ユーリアリーガットミー 全米7位
https://youtu.be/fTTsY-oz6Go
1964年ゾンビーズ 米英デビューシングルシーズノットゼア 全米2位
https://youtu.be/_2hXBf1DakE
1966年ホリーズ バスストップ アメリカ3枚目シングル 全米5位
https://youtu.be/VPv3_a_70ag
次回へ続く
50sロックンロールが終わりビートルズ登場前後の60年代のアメリカ出身のロックンロールを上げていこう
1960年ベンチャーズ ウォークドントラン 全米2位
https://youtu.be/dzL3jvnmqPM
※デビューシングルはザリアルマッコイ?
1960年 ミラクルズ ショップアラウンド 全米2位
https://youtu.be/dA5509mcQd8
※4人のダンスボーカルグループだがロック的
1962年ジョンリーフッカー ブーンブーン
https://youtu.be/WS7_e9LdvDI
※調べると60年61年など記載されてるが音源(同名アルバム)になったのは62年のよう
1963年トラッシュメン サーフィンバード全米4位
https://youtu.be/9Gc4QTqslN4
1965年マッコイズ ハングオンスルーピー全米1位
https://youtu.be/DO2Y2sGZ1dk
ミラクルズなどボーカルグループに新しさは感じるが全体ではビートルズと同じく50sロックンロールの延長だと思う
マッコイズのような曲にもビートルズ的ハーモニーを使うアメリカ出身バンドも多くなった
単純にロックンロールの幅が広がった
元祖ラストダンスは私にのドリフターズは久々に聞いたので載せてみる
https://youtu.be/Xp_wA1-ObNE
初期ビートルズよりは50sロックンロールの匂いがするだろ?
68年からはイギリス戻り50sロックンロールもやった
日本の一部世代や一部ファンには超名曲
オリジナルの始まりで50sロックンロールメドレー
ジミーヘンドリックスがプロデュースしたバンドもやった名曲
誰がオリジナルとか野暮なことは言わないことにする
1969年デイブクラークファイブ グッドオールドロックンロール 全英8位
https://youtu.be/gW_4ghSikOw
1969年キャットマザー&ザオールナイトニュースボーイズ グッドオールドロックンロール
https://youtu.be/sAXYA-Rko7o
1973年キャロル ファーストアルバムルイジアンナより グッドオールドロックンロール
https://youtu.be/2PGWB4aox9o
デイブクラークファイブはこの曲で解散
1970年モアグッドオールドロックンロール
https://youtu.be/OIpmNlkPVhQ
50sロックンロールを蹴落としイギリスから侵略してきたビートルズと並ぶ人気のだったバンドはイギリスに戻って50sロックンロールで再び注目されたが、次の新しい時代の波を乗り越えることができなかった
そして自分たちが蹴落とし有名になるまで何度も何度も繰り返し聞いた50sロックンロールで最後を迎えた
ごめん、また文字制限で消しすぎてしまった
前回63年から65年までの5バンドを上げた理由は?
この時代ポップなプリーズプリーズミーのようなリバプールサウンドと言われた
イギリス出身のバンドを選んでみた
近いけど年々変化したのがわかるようグラデーションをつけてみた
これを書かないと意味わからないね
それと最後に次回はデイブクラークファイブからと書いたのは
5バンドの中でデイブクラークファイブだけは2~3曲チャートインしたら消えてしまったリバプールサウンドのバンドではない
ここからスタートしようか
デイブクラークファイブは67年までアメリカで活躍
64年はビッツ&ピーセンスで全米4位
65年はオーバー&オーバーで全米1位など2年間連続シングル曲すべて全米20位までには入っていた
ビッツ&ピーセンス
https://youtu.be/IgNOBFE_za0
オーバー&オーバー
https://youtu.be/RCVhWXOp1mE
アメリカではビートルズだけではなく大量のバンドがイングランド全体から押し寄せチャートを独占してしまう
この現象をブリティッシュインベイジョン、イギリスの侵略と呼びジャンル的にはイギリス出身バンドの曲全体を大きくブリティッシュビートと呼んだ
1963年ジェリー&ペースメーカーズ
ハウドゥユードゥイット 全米1位
https://youtu.be/c9VqmZ21DuE
1963年デイブクラークファイブ グラットオールオーバー 全米6位
https://youtu.be/DjvbEoufK7g
ビコーズ
https://youtu.be/3HWlCY7RuW4
1964年サーチャーズ
ラブポーションNo9 全米3位
https://youtu.be/4Q4rl0jFwGE
1965年ハンマーズハーミッツ I'm Henry The Eighth I Am ヘンリー8世君 全米1位
https://youtu.be/V_QyQxVzUlo
1965年ウェインフォンタナ & ザマインドベンダーズ ザゲームオブラブ 全米1位
https://youtu.be/AlPR77Ruorw
63年はほぼ初期ビートルズでだんだん変わってはきている
共通点は短命だったこと
2~3曲チャートインすると忘れ去られたこと
次回はデイブクラークファイブから
せっかくだから詳しく書いてみる
エディコクランはギターリストとしての評価が高かったが16歳でカントリーデュオとしてデビュー
カントリーデュオではソロより成功していたと言ってもいいくらい
そしソロになり
ソロデビューシングルバルコニーに座ってが全米18位
https://youtu.be/QxNqQVCOUhc
やりたかったロックンロールができる環境が整う
1957年から年3~4枚のシングルを出すが思ったように売れなかった
1958年B面だったサマータイムブルースが自身最大のヒットで全米8位
同年のカモンエブリイバディは全米35位と売れてるとは言えなかったが1959年イギリスで発売されると全英6位とイギリスで大注目されてしまう
エディコクランは1958年辺りから50sロックンロールは皆飽きてると思うようになり1959年ジーンビンセント、バディホリーを誘って(?)欧州に拠点を移したことになってる
58年は50sロックンロールがジョニーBグッドが発売されたピークの年
57年も売れてなかったエディーコクランが衰退をなぜ感じたのかは不明
チャートやヒット曲ではわからない当時の人が感じる何かはあったのだろうか?
亡くなる前のエディーコクランはロックンロールに疲れてたのは確かなようだ
次回は戻るよ
曲を貼るだけの回もあってよさそうだね
前回は気にいってる
50sロックンロールの次世代のはずだった、いなくなった5人の代表曲を貼り忘れていたので少し戻るよ
1958年リッチィーバレンス(享年17歳) ラバンバ
https://youtu.be/hto-UMuYkwk
1958年ビッグホッパー(享年29歳)
歌手とゆうよりラジオDJが歌った感じ
シャンティリーレース
https://youtu.be/UstF_z2jkQQ
亡くなった年に発売されたホワイトライトニングはジョージジョーンズが歌い全米1位(動画はビッグホッパー)
https://youtu.be/3NMklxiE6xw
1957年クリケッツ バディホリー(享年23) ザットルビーザデイ
なhttps://youtu.be/9mDGcxbAusg
1958年エディコクラン(享年22歳)
サマータイムブルース
https://youtu.be/1C38Zevwyx4
同年カモンエブリイバディ
https://youtu.be/LRjlZ8x2uQM
1956年ジーンビンセント ビーバップアルーラ
https://youtu.be/-YxzcxtbkXI
前回書き間違い
ジーンピンゼント→ジーンビンセント
マージ川、マージビート→マージー川、マージービート
ジーンビンセントは正確には交通事故で重症を追ったが復帰はしている
次回に続く
1957年エルビスプレスリー ハートブレイクホテルやリトルリチャード ロングトールサリー 1958年ジョニーBグッドなど現在のお馴染みの曲が登場
50sロックンロールはピークへ向かう
1958年エルビスプレスリーはベトナム戦争へ
1959年にリッチィーバレンスなど3名が飛行機墜落で死亡
1960年に交通事故でエディーコクラン死亡、ジーンピンゼント重症とチャートインの実績がある次世代を担うスターたちが次々といなくなり50sロックンロールは急速に縮小し終わりを迎え時代が変わる
1963年ビートルズメジャーデビュー
すぐにアメリカ上陸し大ヒット
新しいロックンロールの始まりが来る
デビューアルバムプリーズプリーズミーでビートルズが考えたロックンロール
I Saw Her Standing There
https://youtu.be/oxwAB3SECtc
いろいろ進化をあげることは可能だが50sロックンロールのまだ延長と言える
イギリス出身のビートルズがウケのは
アルバムタイトル曲でコーラスハーモニーを重視したキャッチーな曲プリーズプリーズミー
https://youtu.be/q3NTVkHwD5I
日本だけはリバプールサウンド、マージビートと呼びまたまたジャンル的に扱ってしまう
当然イギリス都市や川周辺だけの現象やジャンルではないから間違いではある
個人的にはロックはパンクやヘビーメタルなどすべてのロックの総称として扱っている
ロックンロールはその中の一部としてのジャンルとして扱う
ロックンロールは時代やバンドの受け止め方で常に変化していて聞き手にの感性にもよるかな
歴史は50sロックンロールから始まる
一番古いロックンロールは諸説ある
1954年エルビスプレスリーのデビューシングル ザッツオールライト
https://youtu.be/Y44F_cG-u00
同年ビルヘイリー&コメッツのロックアラウンドザロック
https://youtu.be/zju6KbP_1xY
1955年チャックベリー デビューシングル メイベリーン
https://youtu.be/v124f0i0Xh4
黒人の歌い方を初めて白人のエルビスプレスリーができて
ジャズ的でバンド編成もジャズだがビルへイリー&コメッツが50sロックンロールとして完成され一番古い
チャックベリーはで初めてのロック的コード進行やギターソロでいいと思う
混同しそうなのがロカビリー
超簡単にゆうと50sロックンロールをウッドベースをバチバチ鳴らす演奏で語尾をしゃくりあげる歌い方
白人の南部カントリーの歌い方でもある
エルビスプレスリー トゥティフルッティ
https://youtu.be/48N7oFKKBZA
シンプルにロックンロールでいこうか
最初から言っておくがロックンロールとは何?言われても正解がない
ロックとロックンロールは同じか?そうでないか?それすらはっきりしていない
わかってるのはロックンロールはロックすべての原点だけ
ラモーンズに注目してみたい
1976年イギリスメジャーデビューしているセックスピストルズを全く知らないのに同年ニューヨークから同じ初期パンクでデビュー
デビューアルバムは当時全く売れなかった
ちょっと売れ知名度も上がった5枚目アルバムは敏腕プロデューサーから
ただのちょっと売れるアルバムを作るのか?
歴史に残りヒットするアルバムを作るのか?そう口説かれ
メンバーの複雑なったロックからシンプルロックンロールに戻ろうとの思いと合致
タッグを組むことになる
敏腕プロデューサーはメンバーのこめかみに銃を突きつけたり滅茶苦茶な人だったと言われいる
その5枚目アルバムからEND OF THE CENTURYから題名もロックンロールへ戻ろうを表した曲
Do You Remember Rock 'n' Roll Radio?
https://youtu.be/Gi9a7IdRiBI
1979年初期パンクスターラモーンズが考えたシンプルロックンロールはこれになる
本当に全米7位とヒットし現在は名盤と言われている
ロックンロールって何?を少し考えてくれ
バットボーイズのキーワードでGDフリッカーズが出て投稿がきっかけで久しぶりにユーチューブでいろいろ聞きいたよ
何年か前?10年以上前?までユーチューブにGDフリッカーズほとんどなかったから聞けなかった
A REBELLIOUS HEROEもそうだけど
なかなかパンク
LAメタル、バットボーイズと思わせていろいろやってたんだ
アルバムごとに明確な詞の世界があり
チェンジーズでは政府や世相への反逆
トラベリンバンドではブルーハーツみたいな青春パンクみたいな
当時は何も気づかなかったな
今はユーチューブにいっぱいあるから
聞いてみて
アルバムトラベリンバンドから
LAメタルぽい曲
HEY! BAD FRIEND
https://youtu.be/UdSNQx3jNQ4
175Rがやってそうな青春パンク
馬鹿馬鹿しだろ
https://youtu.be/qW71Va01A2o
セレクトゲーム
https://youtu.be/RzR3rNqgNm8
199X
https://youtu.be/2HCPLCcsEIg
RadioG.D
https://youtu.be/woZj0sauvVg
ライトなミックスチャーができてる…
ギターがパンク趣味?
日本のバンドブーム世代やるね~
近況報告な
次回なにやろう?何も決めてないけど
LAメタルがジャンルとするならデビュー前ロサンゼルスで活動したバンドしかLAメタルにならないのはおかしい
ボンジョビ1984年メジャーデビュー
音楽的にLAメタルとはちがう歌謡曲の匂いもしていた
朝倉未稀がカバーしドラマ主題歌となっているが
デビューアルバムから同名曲Runaway https://youtu.be/s86K-p089R8
メジャーデビューアルバムが日本だけ売れたのでスタジアムフェスに参加
金髪ド派手なイケメンがパフォーマンスで見せるキャッチーなロック、まさにLAメタル真骨頂だった
https://youtu.be/IBL-uCgWEbc
日本国内ではLAメタルみたいなバンドでもジャンルとしてLAのメタルと呼ばれることは当時も現在もない
ZIGGY、GDフリッカーズ、レディースルームなどが当時のLAメタルぽいバンド
これらのバンドはバットボーイズと呼ばれた
バットボーイズはジャンルとか現象を飛び越えてさらに大きな枠?不良のロックの総称
本国アメリカでもバットボーイズと呼ばれた元祖はLAメタルと同じくまたモトリークルーだった
ZIGGY I'M GETTIN' BLUE
https://youtu.be/wpZ2EKCwy58
GDフリッカーズ A REBELLIOUS HEROE
https://youtu.be/GEwU_YIN_Hw
LAメタルを日本ぽくジャンル的にゆうとそれぽいキャッチーなハードロックは昔からあった
1973年エアロスミスデビューアルバムからママキン
https://youtu.be/D_lEQoNM70A
ブルースやロックンロールが多少勝ってるし演奏のアレンジも違うが83年頃に発売されてたらLAメタル扱いされただろう
LAメタル扱いされたりされなかったりのガンズ&ローゼスはカバーしている
神扱いされてるエアロスミスだかこのアルバムは発売当時の評判はよくなかった
ヤードバーズからのハードロック誕生当時からこれに近い曲は多々あると思う
同じくLAメタルのドッケン
1985年In My Dreams
https://youtu.be/VvyBiHGr2b8
グラムロックだったスウィート
1974年Fox On The Run
https://youtu.be/qBdFA6sI6-8
全体の曲の作りも違うが特にイントロ部分はスウィートに近くないか?グラムロックと言えないこともない
アメリカは日本よりもハードロックとヘビーメタルの垣根は低しこれとゆう線引きはでないにしても、当時のLAメタルが新しいジャンルと考えるのは無理がある
日本で80年代ヘビメタブームと言われた時があった
聖飢魔IIがデビューした頃
もしかすると日本でゆうヘビメタはLAメタルだったかもしれない
1983年2枚目アルバムShout At The Devilは全米17位とロックが売れないのにヒットする
モトリークルーはこのアルバムで独自のスタイルを確立
アルバムからシングルカット
Looks That Kill
https://youtu.be/9wPHxQMgdKs
モトリークルーインディーズ時代の活動拠点だったロサンゼルスにメジャーデビューを目指す次のモトリークルーが集まり次々とデビューしていく
その中から最も成功したのがラット
1984年ファーストフルアルバムOut Of The Cellar 全米7位
デビューシングルRound And Round
https://youtu.be/0u8teXR8VE4
インディーズ時代は激しいロックは盛んではなかったロサンゼルス活動しド派手なレザーファッションでノリを重視したキャッチーなハードロック次々とデビューしチャートインした
ド派手な次世代ロックスターを見るため女の子がライブハウス前の通りに集まった
この現象がLAメタル
元の言葉が隠語だったため造語らしい
真実はわからない
現象だったのに日本の雑誌がLAメタルはジャンルのように扱ったので数々の誤解や説明できないことが起きてしまう
個人的には一番LAメタルと思う曲
シンデレラ シェイクミー
https://youtu.be/ptPekKOigkQ
音楽雑誌などのせいで誤解が生まれたジャンルは他にもある
時代背景と当時の状況から
80年代初頭アメリカでチャートを独占いたロックの衰退がはじまり
カルチャークラブ、デュランデュランなどイギリス出身でおしゃれなファッション、ロックを感じないポップな曲のバンドやグループ
マドンナ、シンディローパーやダンスをしながら歌うマイケルジャクソンなどがブームになりチャートを独占するようになった
それはケーブルテレビの音楽チャンネルMTV影響でMTVはPVだけを1日中アメリカ全土に放送した
時差もあるし一極集中もしていないアメリカは日本のように東京のキー局で作ったテレビ番組を全国一斉に見る環境ではなかった
同じ歌番組を見て真似て全国の同じ世代の子供がみんな踊れるなんてことはあり得なかった
MTV誕生で全土へ人気に応じて同じ曲が繰り返し流れた
アメリカ人は音楽を初めて全国民で共有し聞く物から見る物に大変革が起きた
大変革が複数のジャンルも生み出し音楽の進化は急加速
見せるロックや進化したロックも誕生することになる
見せるロックの元祖はモトリークルー
この曲が始まりになる
1981年モトリークルーToo Fast For Love
https://youtu.be/iVDRwNMYJdE
天海祐希 石田ゆり子 UFO https://youtu.be/o0ocJgHgOk0
何をやろうか?
今回は歴史でもやろうか
めんたいロックモッズのゴキゲンレディオが先祖となりBOOWYのオンマイビート
ビートパンクが始まったことになってる
その当時オンマイビートがゴキゲンレディオに似てるとか新しいジャンルが始まったとか、そんな実感は皆無だった
バンドブーム時代にビートパンクは定着していくが当時めんたいロックとビートパンクのジャンル的違いはなかった
呼び方ではパンクと差別化したビートパンクとゆうなんだかわからなった方がめんたいロックを飲み込んでしまった
めんたいロックとゆう言葉ができたのは諸説あるが1980年ルースターズとゆう福岡で活動してたバンドがメジャーデビューしたときつけられたキャッチプフレーズみたいな説が有力
元々当時次々とメジャーデビューしていく福岡のロックカルチャーを表現した言い方でジャンル名ではなかった
ノリ(ビート)を重視した軽いパンクを表すのにめんたいとか意味がわからない
語感も悪いからジャンル名として使えない
まるで同じジャンルに2つの言い方がある
めんたいロックとビートパンクの違いは?なんて面倒なことになったのだろう
このバンドブームの一時期を表す時しかビートパンクも使われなくなってしまい今はビートロックの呼び方が主流だ
ルースターズ デビューシングル ロジー
https://youtu.be/5Sa2KKSaP5c
ベースを弾きながらメインボーカル取るバンドは1990年まで矢沢永吉のキャロル、ピーズ、ロックバンドと言えないALFEEを入れても3組しかいない
これだけでも高い演奏技術がわかる
過去にビーモダンでベースを弾きながら歌うことはあったがベースを弾きながらメインボーカルとゆう離れ技を当時のスーパースター奥田民生の前で成功したことが最大の収穫だったかもしれない
エピックソニーで作れる最後のチャンスを使ったのは3人だけで作った新バンドスパークスゴーゴーのデビューアルバムだった
1989年4月ビーモダン解散からデビューアルバム発売までたった1年3ヶ月の出来事
3枚目アルバムに入っているルーシーはPUFFYもカバー、西川貴教はラジオ番組オールナイトニッポンのエンディングに使用している
デビューシングルブルーボーイ
https://youtu.be/eBUwCcbGRIE
アルバムからルーシーはムーンフェイス https://www.nicovideo.jp/watch/sm14600035
奥田民生のアコースティック版
ルーシーはムーンフェイス
https://youtu.be/npUcrWFTN7A
デビュー30周年メンバーのコメントと
4:45~アコギブルーボーイ
https://youtu.be/TDsN-ABr9pA
長編スパークスゴーゴーはおしまい
ユニコーンの休養期間ため予定を入れてなかった奥田民生と旧ビーモダン3人を連れ急きょロサンゼルスへ
奥田民生とゆう当時のスーパースターもいるが売れるか?失敗するか?不明なのにアルバム制作とレコーデングでロサンゼルスとは時代が良すぎる
ロサンゼルスのスタジオ入りしたとき
受付でバンド名は決まってないと告げるとThe Band Has No Nameと書かれ
これがバンド名となる
レコーデング中、ディレクター松浦もバンドに加入してしまうほどのできの良さ
完成したのは6曲入りのミニアルバムになった
エピックソニー主宰番組、テレビ東京イージーアゴーゴーに出演する
あとはイベントに一回したのみ
ユニコーンはCBSソニー、ビーモダンはエピックソニーのソニーグループ内問題になりアルバム発売を待たず解散へ
ネットのない時代プロモーションもしない、イージーアゴーゴーの視聴者とコアなユニコーンファン以外誰もしらないThe Band Has No Nameのデビューアルバムは売れなかった
CBSとエピック統合によりソニーグループ内問題はなくなるが再活動できたのは単発で2回、正式には2012年からになる
イージーアゴーゴーより
The Band Has No Name(バンハズ)
Something Wild
https://youtu.be/XbF-R691TXQ
全く売れてはないがシングル6枚、アルバム4枚を出したところで急に解散してしまう
ボーカルの体調不良が原因と言われているが真実は不明
新人ロックバンドとメジャーレコード会社との契約は年に一度年必ずアルバムを出すのが条件で3年契約が結ばれることが多い
ビーモダンの場合6年契約を結んでた可能性が高い
ソニーと後アルバム2枚の契約が残っていた
ボーカル以外の3人のメンバーバンド存続させることを決意する
アルバム2枚のチャンス中、アルバム1枚をゲストボーカルを迎え新しいアルバムを出すことにかけた
ゲストボーカルは誰でもいい訳でもなく
他事務所、レコード会社に所属しているボーカルは不可
かといって全くの新人を選ぶ時間もない
ソニー系列の中から選ぶ必要があった
ソニーでメジャーデビューしていた中からボーカル探しにセッションを繰り返した
その中で相思相愛になったのが当時アルバム服部でビートパンクバンド最強クラスになっていたユニコーン奥田民生
エピックソニーのディレクターで元ツイストのギター松浦が取り持った縁だった
奥田民生をボーカルに迎えビーモダンで解散前から予定のあったフェスにアマチュアバンドモダンズとして参加
ZIGGYやブルーハーツなどのヒット曲を演奏
https://youtu.be/55J8X6j-rfU
これがソニー上層部を説得するには十分な結果となる
チェッカーズの涙のリクエストが大ヒットした2年後
1986年ビーモダンとゆうバンドがエピックソニーからメジャーデビューした
メンバーは全員北海道倶知安(くっちゃん)人口2万人未満の田舎の町出身でまだ10代だった
ソニーのプロデューサーが高校出たての北海道の田舎町の子をさらっていったとか言われていた
メンバーがデモテープを送ったのか?ソニーのオーディションに参加したのか?
もしかしたら札幌のマイナーアマチュアコンテスト参加したのかもしれないが一流レコード会社エピックソニーの目に止まる可能性は低いだろう
真実は知らない
ソニーのプロデューサーがさらった理由もわかる
無名の10代と思えない演奏技術の高さだった
この演奏技術さえあればいつかは売れる
そう思わせるにはじゅうぶんだったのかもしれない
ビーモダンデビューシングル
次の汽車に乗って
https://youtu.be/EzPlzU7rT4k
デビューアルバムも上京する心理や田舎の情景、都会への憧れを題材にした曲
同じエピックソニーのモッズのツアーサポートバンドをデビュー間もないビーモダンが担った
大事に育てようとソニーの姿勢うかがえる
シングル、アルバムを出す度にあか抜けていきある意味ロックバンドらしくなっていった
Are you happy?
https://youtu.be/2a-huqGuLA4
本線?脱線?
いろいろありがとう
ビートパンクバンドはあと一つで終わるよ
あと一つはただの俺がファンだから長めにやろうかな
ないかもだが質問や取り上げてなさそうなバンドがあれば遠慮なくレスしてよ
88年~91年ビートパンクって何?
これがなんとなく確定した時代からビートパンクが終わるまでにメジャーデビューしたバンドをあげてみた
脱線して他ジャンルあつかった方が多かったかもね
忘れてるバンドや弱小レコード会社でメジャーデビューした知られていないビートバンドはまだあったと思う
もう思い出せない
メジャーデビューしたビートパンクは意外に少ないなとか思った人もいるかもしれないけど
全ジャンルのロックバンドが1年にメジャーデビューする数をビートパンクバンドだけで越えている89年、90年もある
バンドブームのおかげでもあるが、日本だけしか流行らなかったパンクの一種だと考えると音楽の歴史から見ても稀な出来事だと思う
アメリカでブームだったLAメタル寄りで人気だったのはZIGGYくらいで、メタルはXが大ヒットしたあと消滅に向かう
バンドブームでも他のロックジャンルは、1ジャンル1バンドくらいに対しビートパンクはジュンスカ、ブーム、ユニコーンなど頂点に数バンドいて、その後に続くメジャーデビューするバンドも多かったことになる
また違う脱線
マッドカプセルマーケッツ
本当は当時のパンク状況をやってたとき
アグレッシブドックスの前に出したかったが忘れた
アグレッシブドックスと同じミックスチャーバンド
メジャーに15年在籍しオリコン10位以内も達成している
驚くのはインディーズ時代の1990年クラブチッタ川崎でレッチリの初来日公演の前座をしている
レッチリ自体がいろいろあったバンドで日本人気のピークは2000年の手前くらいだが初来日公演はクラブチッタ川崎スタンディング…
キャパミスでは?
とにかくレッチリ前座はすごい
1991年メジャーデビュー
すごいのは3枚同時シングル発売
レコード会社や事務所の力の入り方はロックバンドにはないアイドル的待遇
1994年5枚目アルバムパークはオリコン19位
じわじわ売れてくる
1996年の次のアルバムでオリコン10位
2001年9枚目アルバム010はオリコン5位
2004年10枚目最後のアルバム出して2006年活動休止
1991年メジャーデビューシングル
あやつり人形
https://youtu.be/OrbVWwZVQ_Q
1994年シングル 神歌 オリコン70位
https://youtu.be/jVePNEV-Dpg
2004年シングル スケアリー オリコン7位
https://youtu.be/w5Zhvwmi7B8
脱線
パンク基調はかまいたち、カラーくらい
ビジュアル系の多くはメタル基調でその
メタル基調かだんだん崩れ、例えば淫靡な世界感や欧州貴族風な雰囲気が個性になり
後の世代はその個性から入っていきビジュアル系が固まっていった
ビジュアル系は後の世代になるほどジャンルでバンドを現すことができないノージャンル化傾向が強くなる
初期ビジュアル系LUNA SEAはデビュー当初はメタル基調の匂いが残る代表的な存在だが
1991年にインディーズで出したアルバムにはパンクかも?と思う曲がある
例えばこのアルバムの代表曲プレシャス https://youtu.be/dup0wsl6PMM
実はLUNA SEA登場前のこの時代ビジュアル系先祖たちはメタル基調とそれ以外で二分されていた
BOOWY、ZIGGY、BUCK-TICKなどがそれ以外の先祖になるがこの時の一時的なもので消滅へ向かう
1989年メジャーデビュー
ジャスティーナスティー
https://youtu.be/DA-GWQX9jn8
1991年メジャーデビュー
T.M.Revolution西川貴教がボーカル
ルイマリー レイニーブルー
https://youtu.be/AsRSskj3kBE
1991年メジャーデビュー
ストロベリーフィールズ ビーナス
https://youtu.be/lSHGAoABZec
カラー
ビートパンクやや外れるが聞きやすい早いパンク
その早いパンクはメロコアの先祖とも言われ
ビジュアル系の先祖でもある
売れた実績はないが後の世代に与えた影響は大きい
ノリを重視し観客を煽る激しいライブがウリ
反面演奏は上手いのにボーカル歌が下手で声が悪いバンドとも言われていた
1989年メジャーデビュー
そのウリでもある激しいライブがメジャーデビュー直後災いになる
キャパに合わない小さなライブハウスだったため将棋倒しが起き観客の中学生が死亡
バンドは責任を取らされ半年間活動停止させられ
メジャーデビュー直後の活動停止はバンドにとっては挽回不可能な死刑宣告と同じ
事故が起きたライブハウスは観客を入れすぎたことが原因とされ閉店に追い込まれたと思う
この時代はなんでもありで観客の入れすぎなんてどのライブ会場もやってたのに事故後正論を突き付けられ裁かれたバンドとライブハウスだった
事故後は激しいライブを封印されアルバム1枚を出し再びインディーズへ
1994年にテクノダンス系に変えるが1997年解散
1989年インディーズで1位になったアルバムタイトル曲でもある
フールズ!ゲットラッキー! https://youtu.be/fJBFLQmX-iA
1989年 新潟放送 新春スタジオライブ
https://youtu.be/ANMx5g0zb3A
再び本線へ
その前に前回はごめん、文字数制限あるから消して投稿したら意味が変わってた
レディースルーム、ジギル、イザムのいたアイオンなど次々とメジャーデビューでビジュアル系の知名度も上がった
と書いたけれど
1991年その3バンドはあくまでもビジュアル系先祖でまだビジュアル系は全く浸透してなかった
その1991年にショックスとゆう音楽雑誌にビジュアル系の言葉は初めて使われ徐々に浸透していった
アリオンと書いてたけどアイオンが正解
今までも間違いは多々ありスルーしてるけど意味がかわったから初訂正してみた
今回はかまいたち
後のビジュアル系はメタルテイストや80年代流行った洋楽のようなジャンル分けできない曲が多いがこのバンドはビートパンク
歌詞にコミカル要素も入ったビジュアル系先祖としてはかなり特殊
メジャーでのスタジオアルバム発売は2枚
オリコン10位、15位とセールスは健闘
1990年メジャーデビューシングルはアニメのエンディング曲
でもわずか丸一年で解散している
かまいたち以降ビートパンク基調でメジャーデビューしたビジュアル系はいない
1990年デビューシングル はちゃめちゃ姫 オリコン14位
https://youtu.be/g59Ykozt820
妖怪ロック 自由の女神
https://youtu.be/Mh9Imc9UJfk
違う脱線に突入
ビートパンクが絶好だった頃
ひっそりとビジュアル系が育っていた
ビートパンクが始まった頃と同じくその時代定義はなかった
1989年にイカ天出身オーラやカブキロックスがデビューしたときはビジュアル系のジャンルは存在なかった
Xのデビュー時は完全にヘビーメタル
BOOWYやBUCK-TICKはビジュアル系に間接的影響くらいだろう
同じくらいの影響は他にもいると思う
1990年キーマンとなるのはデランジェ
系統のジャンルはなくデビューアルバムはオリコン5位の大ヒット
今のビジュアル系のイメージで売れた直接的先祖になる
メジャー在籍はたった1年でスタジオアルバムも1枚だけで解散
1991年からレディースルーム、ジギル、イザムのいたアリオンなど次々とメジャーデビューしビジュアル系の知名度も上がった
今のビジュアル系と違うところはメタルファンなどもついていて男のファンも多く抱えていた
1992年LUNA SEAメジャーデビュー
デビューアルバムオリコン9位
ビジュアル系のイメージが決定付けられた
デランジェ
https://youtu.be/k2wF1-xs5Og
レディースルーム
https://youtu.be/WEWDS2B8q4g
ジギル
https://youtu.be/KVPdBmdhPm4
また脱線
トレーシーを通して当時のメジャーデビューまでの状況はどうだったかを考えてみる
トレーシーは結成し3年でメジャーデビューしていて活動拠点は神戸だった
ビートパンクでデビューしたバンドは
ホコ天やライブハウスで実績を積んだ東京周辺がほとんどで福岡、北海道が数組づつ
ソニーの社内オーディションでデビューしたインディーズ実績のないユニコーンもいた
本格パンクを多く生んだ大阪はキャッチーなビートパンクを好まない土地柄
トレーシーは東京や大阪の洗練も不十分なままポストBOOWYとして大々的に売り出されたのは不幸だったのかもしれない
関西は他府県で結成してもほぼ大阪で活動しバンドブーム後も神戸はガガガSPやサウンドスケジュール、京都はくるりくらいしか思い浮かばない
チキンジョージやタクタクなど有名ライブハウスがあるのに不思議な現象でもある
バンドブーム時代はバンドにプロが口出しするのをファンは嫌がった
プロデューサーはついてるが素材を生かしたプロデュース
あれこれ口を出してたらブルーハーツは出てきてないだろう
だからインディーズで実績がそれなりにないと売れるのは難しかったのかもしれない
サウンドスケジュール ピーターパンシンドローム
https://youtu.be/9-dWOEvYf9A
くるり 東京
https://youtu.be/9osrk5jXCUY
脱線から戻ろう
BOOWY解散後ポストBOOWYとして最初に扱われたのがBUCK-TICK
インディーズ時代販売、集客など桁違いの実績を残した
1987年インディーズ時代どれほどすごいかを示すような内容のビデオ販売で例のないメジャーデビュー
メジャーデビューから1年少しの期間でアルバム3枚目がオリコン1位、CM出演、武道館ライブ、レコード大賞新人賞とバンドとして目標とするすべてがでできてしまった
人気絶頂まで到達もしてないまだ2年目の1989年違法薬物使用でメンバーが逮捕され半年の謹慎
謹慎明け東京ドームを満員にしたりまたオリコン1位になるもテレビ等のメディアから存在しない扱いになる
そこでポストBOOWYとして別格でデビューたのが
トレーシー
インディーズでの実績はほぼない
当然新宿ロフトグラスでワンマンはやってるだろう
この辺りはBOOWYと共通している
メジャーデビューしたすぐ夜ヒットに出演や雑誌の表紙などただの新人バンドではなかった
最初は追っかけファンはいたものの固定ファンは付かずポストBOOWYにはなれなかった
1990年デビューアルバムからダーティボーイ
https://youtu.be/ogV-5j7uyxA
2枚目アルバムからラッドウェイフリーウェイ
https://youtu.be/n2PB8PXyui8
脱線の最後は
この時代のパンクバンドが違うジャンルを取り入れ変化していった集大成
ソドム、ガスタンク、コブラなとを見てわかると思うがこの時代はパンクから脱却し次の新しいジャンルに移行するバンドよくあることだった
ただしソドムやコブラがその後目指した横ノリのハウスと融合したり、ダンスパンクが新しいジャンル化することもなかった
縦ノリ横ノリの融合した新しいジャンルは現在の日本でも一般化してない
アグレッシブドックス
1980年代結成時のハードコアからに変化して
1990年のメジャーデビュー時はハードコアにメタルやビートを取り入れ
その後もラップや横ノリ要素も入れ他のジャンルも取り入れた独自のハードコアを確立
洋楽ロックでよく言われたミックスチャーバンドになる
洋楽で一番有名なのはレッチリかな?
今でも日本でミックスチャーは珍しい
2000年代になるとドラゴンアッシュや山嵐と親交が深くイベントやツアーなどで数々の共演している
メジャーデビュー後インディーズのからの発売もあったがメジャーでアルバムを2010年頃まで出していた
1990年デビューアルバムから初期の代表曲
ドゥーイットユアセルフ
https://youtu.be/TCtEGuakM6Q
1999年アルバム ウィネバートレードから同名曲PV
https://youtu.be/CI85lFvQ8ls
まだ続き
オイ!パンクを日本でやり売れてしまったのが
コブラ
1980年代前半から活動していてインディーズでも有名だったバンド
この頃からオイ!パンクをやっていた
1987年にコブラで一度メジャーデビューしているがパンクとは無関係
1990年にアルバムOi Oi Oiで再デビュー
ボーカル、ベースはスキンズそのままのファッションで胸には日の丸
シンプルな曲で反逆や反体制ではない歌詞
日本で本家イギリスオイ!パンクを忠実にやったところはそれだけで価値があるのにオイ!パンクのルーツを知らない雑誌や評論家は右翼パンクや子供向けジャリパンクと酷評もされたが
オイ!パンクはこの時代にウケた
再デビューアルバムオリコン9位
CDが売れる時代になってるけどデビュー同時のブルーハーツ超えでブルーハーツと同じく武道館ライブもしている
3枚目ミニアルバムは大幅路線変更
聞きやすいオイ!パンクではなくなり英詞の曲でファンは離れてしまった
解散後はボーカルベースがハウスに転向したりまた違うメンバー集めてインディーズでコブラを始めたり現在はボーカルは姿を見せることはなくなった
1990年2枚目アルバムにも入ってる初シングル曲 オレたち
https://youtu.be/0Hp5dyH1-YE
3枚目ミニアルバム
https://youtu.be/3ALQBuDou7o
その中でもっともっと複雑になるのがオイ!パンク
日本にいるとオイ!は掛け声だけかと思うが
イギリスの上流階級は歌詞で文学的言葉遊びを好む
その真逆の労働者階級は上流階級へ対し当て付けのようにフットボール由縁の短いオイ!をサビにした
イギリスはスコットランド、ウェルズ、イングランドの3ヵ国の連邦国家
オイ!はロンドンがあるイングランドの国民が大好きだったスカから始まり
オイ!パンクになる
オイ!パンクはスキンズと呼ばれる人たちに好まれセックスピストルズなどの労働者階級の代弁を否定してもいる
オイ!は労働者階級の掛け声でもあるし
セックスピストルズなどの労働者階級の反逆を否定しイギリスの階級社会を肯定もしているから日本から見ればよくわからない複雑怪奇でもある
セックスピストルズは髪を立て奇抜で反逆だがオイ!パンクは坊主または坊主に近い短髪でポロシャツやMA1ジャケットのスキンズファッション
パンクもイギリス社会もオイ!パンクも俺がずいぶん前に勝手に解釈したものだから真実が知りたければ他も検索するように
イングランド国民が大好きだったスカ
スペシャルズ
https://youtu.be/medasoiCFiA
オイ!の創始者とも言えるスキンズたち
https://youtu.be/eA88x1ARX3Y
また続き
パンクの背景から入ろうか
クラッシュ、セックスピストルズが誕生したイギリスは階級社会
エリザベス女王を頂点に貴族>貴族に近い裕福層>ホワイトカラーまでが上流階級>ブルーカラーの労働者階級
日本とは違い逆転不可能な社会構成
階級によって行く学校から行く店まで
すべて違う
一度も働いたことがない規格外の金持ちの貴族や準ずる裕福層がいっぱいいる
日本のようにホワイトカラーとブルーカラーが一緒に食事する居酒屋とか存在しないし社員食堂でホワイトカラーとブルーカラーが昼ご飯を食べることもない
お金があっても労働者階級が貴族のお店で買い物なんてしない
ブランド店の大衆化で崩れてきてはいる
そんな社会は上流階級と労働者階級で対立が起き
常にその対立により新しい文化が始まる
その一つがパンク
BOOWYは『日本でパンクなんて(笑)』
名言を残して脱パンクした後にスーパースターになったのはわからなくもない
前回続き
ブルーハーツの成功は業界関係者周辺には不思議たったと思う
メジャーデビューの年に武道館ライブを成功させ3枚目アルバムトレイントレインはオリコン1位を達成
一発屋ではないスーパースターの地位を築いた
初期パンクはクラッシュ、ピストルズ、ラモーンズの登場から10年たっていて
それらしいバンドはデビューしている
それなりに成功したバンドもあった
なのにこの時代に初期パンクのスターがでてしまった
レコード会社も事務所も次のブルーハーツを探していて
ビートパンクは勿論、各種パンクもその対象だった
そこで目をつけられデビューできたのが
ライダース
このバンドはレコード屋でもパンクのコーナーに堂々と置いてあり
本人たちもパンクをやっていると繰り返しいっていた
ブルーハーツと同じ初期のパンク
ブルーハーツが和製クラッシュなら
ライダースは和製ラモーンズ・くねくねしないピストルズ
ブルーハーツは青春の自分の中の葛藤を歌詞をパンクに乗せたのに対し
ライダースは本来の欧米パンクのように反逆や孤独を歌っていた
1988年デビューアルバムライダースより
ソーパッション
https://youtu.be/755DqScP7eE
デビューアルバムにはない 2枚目アルバムの曲かな? ブレイングマイセルフ
https://youtu.be/xYhh05YtnG8
久しぶりに脱線してみる
パンクはイメージが悪くて定義がほとんどなかったビートパンクに詰め込まれたと前に書いたけど
1980年代終頃のパンクはどうなったのか?
もちろん存在していた
問題を起こしたバンドはホールやライブハウスから追放されたしラジオ、テレビでは存在してない扱いにされた
社会的にもパンク=危険、危ない人のイメージは薄れていて
時代も髪を立てるのが流行ったりラバーソウルやドクターマーチンの靴やパンクファッションやアクセサリーを一般人も取り入れた
一般的ではなかったがハードコアパンクやノイズパンクを好むファンも一定数いてあぶらだこはパンクのジャンルでメジャーデビューした
前世代からいたインディーズにいたソドムは新しいジャンルダンスパンクでメジャーデビューした
先にメジャーデビューしていたガスタンクはヘビーメタルを取り入れ
ハードコアパンクなのかヘビーメタルなのかよくわからない存在になっていった
ソドムはインディーズの1980年前半はハードコアパンクで後半は打ち込みやハウスを取り入れた
インディーズ1986年
https://youtu.be/QZ-phvQnUI0
1991年メジャーデビュー後
https://youtu.be/sUAVcKpQgyM
1988年 ガスタンク
https://youtu.be/q302K158PkY
新しいイヤホンがちょっと高いくせに合わなくてイライラしてた最近なんだけど
今日電車に乗ってたんだ
約一時間
当時怒髪天なんて一回もいい思ってなかった
ファーストアルバムは聞いたけど
それからここに書き込むのに怒髪天を調べてここで理屈こねまわした
電車に乗ってユーチューブ開いたら怒髪天が勝手に降りてきた
その降りてきた怒髪天を偶然再生したのね
始まりは相変わらずいいと思ってなかったコミックバンドのピエロが笑わそうと必死に頑張ってて
2曲目にはテンション上がってニヤニヤしてきて
3曲目にはカッコいいロックスターが画面にいた
40分の動画だけど全部見た
あっとゆう間だった
もしもお金払ったライブハウスでその場にいたら大満足だっただろうなぁ
近況報告な
怒髪天のめざましライブ
https://youtu.be/9ItgZK24NPc
ザ・ポゴ
このバンドも比較的ロックンロールよりかな
インディーズ時代超有名ライブハウスでもチケット入手困難で
インディーズで出したシングルも即日完売
比べられたのは先にデビューしたブルーパーツ
ブルーパーツよりスゴいバンドがいる!
ポゴの印象だけが先走った
アイドル的人気!インディーズでやり残したことがない実績と
2つの顔を持ったバンド
アイドル追っかけのようなファンを維持しながら
ロックを追及しないといけない
2つの目的を達成を求められた珍しいバンド
メンバーチェンジを繰り返した苦悩が見える
1989年デビュー
インディーズ時代超エリートだったのに
デビューしたら立ち位置不明な中途半端
作品を出す度にオリコン順位を下げた
1993年に解散
理由は最高の作品ができたから
いろいろあったとは思う
今は絶賛活動中
インディーズ時代からあるどんなバンドか表してる曲
1989年 デビューシングル カップリング リトルボーイ オリコン59位
https://youtu.be/6Fnnh2O576I
怒髪天
当時は全く売れなくて有名になったの15年くらい前だけどね
2014年に武道館アーティストの仲間入り
不遇の時代は長かった
事務所はすぐに倒産し1991年にメジャーデビューしてもアルバム1枚しか出せず弱小レコード会社へ移籍
アルバム1枚を出してインディーズに逆戻りし1996年~1999年まで活動休止
復活して数年でメジャーに帰り咲く
一番有名なのは桃屋CM?
この商品が売れすぎて数日でCM中止になるほど
https://youtu.be/L7K8W7a3XCQ
楽曲提供した関ジャニ∞のもんじゃいビートは本人達より有名だろうね
PVもあるみたいだからシングルだと思う
ジャニーズ厳しいよ、動画ない
https://youtu.be/jZXByp8zBlo
まぁこんなバンド
最近の曲はユーチューブにあるから検索してみて
デビューアルバムの曲は動画にないんだ
今は男の悲哀や応援歌を歌うリズム&演歌ロックとか言われてるけど
ロックバンドとしては当時からコミカルだったし男の悲哀も応援歌もパンクに乗せてやっていたんだよ
ボーカルは今俳優業が忙しいみたい
デビュー前のインディーズ時代の曲
酒燃料爆進曲
https://youtu.be/cpIBuzNoncU
美学
https://youtu.be/eyAi0RYpfBE
ザ・ウェルズ
同じホコ天出身で先にホコ天卒業したジュンスカの弟分と言われていた
やってることは完全にビートパンクだけどジュンスカとは違う印象
ジュンスカビートパンクに何か足してるとゆうか、合う言葉が見つからない
ホコ天では人気だったし有名ライブハウスでも集客できてたし
かなり期待されメジャーデビュー
その期待の高さはプロデューサーが佐野元春が表している
デビューシングルからCMタイアップ付き
これもすごい
でも売れるまではいかなかった
メジャーレコード会社に3年の短い在籍期間に驚異のスピードで6枚のアルバムを出している
バグなどもそんな感じでアルバム出してるのでバンドブーム終わり近くでは珍しくないのかも
本人達が3年で解散を決意してないとして
契約切れで辞めざるえなかったとするなら
レコード会社もあと3年待てば違う形で売れることはあったのかも
バンドブームも完全におわってるし待てないだろうな…
このバンドもまた活動を再開している
現在は不明
1990年デビューシングル ハッピーマン
https://youtu.be/esU_-eIISNw
一番耳にした曲でこのバンドの代表曲
これもシングルなってると思うし何かのタイアップ曲だったと思う
いつもの時間に何時もの場所で
https://youtu.be/GFfHIWVJ1Sg
わかってるって、
今回は知ってそうなバンドにするよ
ここを見てマニアックすぎとか思ってるんじゃないの?
いくらバンドブームでもこの辺りの時代にジュンスカやユニコーンクラスに売れた有名ビートパンクなんてないからさぁ…
ミンクス
その時代に生きてたら誰もが
このサビを一度くらい耳にしてると思う
探したけどオリコン上位ではないみたい
ナショナルのCMに使われたりテレビ番組でオープニング曲になったり
みんなが思うモロのビートパンク
ジュンスカ路線で期待を裏切らないと思う
10代向けかな
たぶんデビューシングルでデビューアルバムミンクスにも入ってる曲
だいたいの人が知ってるのもこの1曲だけ
でもわりと長くメジャーレコード会社にいてアルバム5枚?7年くらい?活動したと思う
アルバムミンクス以降ボーカルが変わった記憶があるんだが定かではない
現在も活動中
1989年 パッシュ
https://youtu.be/HryznNwg-NQ
横道坊主にロックンロールよりとか言ったけど
今回のバンドはパンクの要素どこにある?特にリンク貼った曲にはない…
どっちかってゆうとキャロルとかの進化型?
ソリッドボンド
後期のイカ天キング
第5期めんたいロックとも言われてた
めんたいロック繋がりで選んでみた
ストレーキャッツもパンカビリーとか言われてたからまぁいっか
保留とか言われて特別枠からせっかくイカ天キングになったのに
メジャー契約できたからイカ天キングを自主降板したいい人達
黙ってればばれなかったのにね
どんなに急いでもメジャーデビューは半年後なのに
バンドブームがほぼ終わってデビューしてるからデビュー後全く売れなかった
スタイルはずっと前のキャロルだしね
確認はしてないけどまだ不定期でやってるみたい
1991年デビューアルバム ソリッドボンドからバンドを代表する曲
うん?デビューアルバムの時は曲名ちょっと変えてるし
もしかしたらユーチューブ投稿者のミスかな?
マッドマンブルース
https://youtu.be/0_4oaLpuGg0
横道坊主
ロックンロールがかなり多めなビートパンク
横道坊主に出会った頃はもっとパンク寄りが好みだったので印象はよくなかった
虎舞竜のロードみたいな匂いもするし
特にリンク曲は
その時期過ぎると独特の世界感あっていいねって思うようになった
な~んて
レビューみたいなの書いてしまった
バンドとして売れはしなかったが
このボーカル映画かVシネマで駄作に主演してたような
一回だけ
思い出せない…
横道坊主も現役でやってるよ
この1曲は初期をよく表してると思う
1989年デビューミニアルバム ダーティマーケットからアンダーザUK https://youtu.be/zVOrd18e1Dg
ビートパンクに入れられたラフィンノーズとかウィラードとかまた別枠で扱うよ
らしくないバンドも選ぶかもだけどビートパンクの定義がなんとなく決まってからデビューしたバンドに限定するから
ニューロティカ
いきなりバンドブームほぼ終わりの時代まで飛ぶけど早めに登場させとく
この少し前にデビューしたBUCK-TICKみたいなもので
インディーズ時代にワンマンでホールを埋めるとかすごい集客を繰り返してたのがニューロティカ
最初のフェス出演もインディーズ時代
デビュー前は伝説級
一年早くデビューできてたらまた違ったかもね
まだニューロティカとして今もやってると思う
1990年デビューシングルア・イ・キ・タ オリコン28位
https://youtu.be/_7fxtf5j0V4
バンドブームも同じことが言える
BOOWYシングル ビーブルー、オンリーユーは1986~1987年
BOOWY解散宣言も1987年
レベッカ ブレンズは1985年
バンドブーム前期が1987~1989年で
イカ天ホコ天がブームになり
CDが売れるようになった
バンドブーム後期が1989年初期~91年
初期からはトータル5~6年くらいで
バンドブームは後期だけの2年とゆう人もいる
今回から適当にビートパンクバンドを上げてみよう
初回はアンジー
難しいバンドで定義が決まった頃のビートパンクとゆう人もいるし
福岡出身なので第4期めんたいロックとゆう人もいる
売れたとは言えないがバンドブーム期全般に存在感のあったバンド
1988年デビューシングル 天井裏から愛を込めて
https://youtu.be/60ljI_uRA7I
とっちらかったので復習から入ろうか
1981年第3期めんたいロックのモッズ ゴキゲンレディオが直接の先祖になり
1982年BOOWY オンマイビートでビートパンクが始まったと言われている
当時オンマイビートは全く売れていない
日本でパンクのジャンル名称は前世代のパンクバンドせいでイメージが悪く
パンク色がある曲やバンドは全部ビートパンクのジャンルに詰め込まれた
ビートパンクはこのずっと後に定義付けられるが
和製クラッシュの初期ブルーハーツまでビートパンク扱いだった
だんだんCDショップにビートパンクコーナーもでき一般に名前も定着し始めた頃
1989年ユニコーン、ブームなどビートパンクバンドがオリコン上位に入り始める
その時ホコ天イカ天も話題になりバンドブームが頂点に
同じ年ジュンスカもオリコン上位へ
ジュンスカがビートパンクのイメージを決定付ける
ビートパンクが10代専用アイテムになり
バンドブーム頂点とあいまってビートパンク人気は最高潮に
ビートパンクはジュンスカ前ジュンスカ後に分けて考えてもいいかもしれない
ビートパンクはノリのロック
観客はリズム(ビート)に合わせて首を上下に揺すり拳を突き上げ飛びはねたくなる
曲にもよるけど
ディスコやクラブ系とは真逆の縦ノリ
この時代この縦ノリと違う疾走感のあるロックバンドも流行っていた
横ノリで踊れるほどではないけど拳を突き上げたくもならないロック
カラオケやドライブに最適みたいな
当時女性ボーカルバンドはここに集中していた
疾走感の言葉選びはボキャブラリー不足なのでちょっと違うかもしれない
聞いてもらうのが一番早いので聞いてみて
1989年 プリンセス プリンセス
ダイヤモンド オリコン1位
https://youtu.be/IKjRLKQo7O0
1990年 リンドバーグ 今すぐキスミー オリコン1位 ドラマ主題歌
https://youtu.be/WfTkaKqQbGA
1990年 ノーマジーン
ゲットアチャンス イカ天出身 オリコン9位
https://youtu.be/3hLCDv2kZfI
1990年 ピンクサファイア
PSアイラブユー イカ天出身
オリコン2位 ドラマ主題歌
https://youtu.be/H3X7DLgV4u0
この女性ボーカルバンドの疾走感?のファンの多くも女性だった
バンドブーム後ビーイング系に引き継がれロック色を消したZARDを生み出す
これも多くのファンは女性だった
また脱線
この時代の流れでは
1 イカ天はビートパンクバンドを選ばなかった
クスクスやオーラなどアイドル路線バンドやサイバーニューニューやカブキロックスの色物はいたがビートパンクバンドでイカ天キングはいない
審査員の評価だけの勝ち抜きコンテストだから曲や演奏テクニック勝負になるビ当時の流行りでノリ重視のビートパンクは高評価は得られない
ビートパンクバンドではないけどパンク色があるバンドはいたよ
2 ホコ天にもビートパンクにも女性ボーカル有名バンドはいない
ホコ天に集まる人の多くは女性ファンだったからね
女性ボーカルではウケない
アイドルの追っかけみたいな感じ?
これがこの時代流れだけど
ビートパンクに女性ボーカル有名バンドはいないのは何故?
次回はこれをフォーカスしてみよう
1990年 クスクス 世界で一番幸せな日
https://youtu.be/tWFIMNLEwwg
1989年 オーラ ドリーミングナウ
https://youtu.be/WeEg9T8sAqo
脱線からもどると
同じ年ビートパンクでジッタリンジンよりもっとすごい
歴史から消されバンドがいた
プロモーションもほとんどせずデビューアルバムがオリコン3位
それはカステラの世界の娯楽
早稲田大学のサークルで集客しているバンドがあると話題になりあっさりソニーからデビューが決まる
ソニーもコンテストで入賞した実績もないし有名ライブハウスの顔でもなかったカステラにもちろん期待していなかった
そして有名大学在学中
テレビコマーシャルあったっけ?、全国FM局回りもせず、CD発売イベント回りもしていない
大学生なのでライブハウスで積む経験もデビューまでの苦労話しもない
あるのは大学生のノリ
サークルイベントで客を集めた実績と多少のインディーズでのライブ
アルバム世界の娯楽が売れた後もう売れることはなかったが
何もせずオリコン3位の奇跡を起こしたのがカステラ
1989年デビューシングル
ビデオ買ってよ ライブ映像
https://youtu.be/PhLfH2udUro
ちゃんと聞きたい人向けにインディーズ版CD音源 ビデオ買ってよ
https://youtu.be/tPvFeOPVZpM
ちょっと脱線
1991年バクがデビューシングルで7位とかこの少し前まで歌謡曲中心で一発屋自体存在しない日本のロックバンドでは考えられない出来事だった
ちょっと前に書いたけどブルーハーツのデビューアルバムですら31位
BOOWYのデビューアルバムは2000枚と言われている
バンドブームで大成功したプリプリもレベッカもブルーハーツと同じでデビューアルバムは売れてはいない
それを打ち破ったのがジッタリンジンと言われている
早い時期のイカ天キングで話題性もあったしイカ天キングのタイトルも申し分ない
売り方によってはロックバンドでもデビュー曲から売れると今後の方向が決まったと言われてるバンド
1989年デビューシングル オリコン9位
エブリデイ
デビューアルバムドキドキはオリコン5位
エブリデイと言いたかったけどユーチューブになかったから替わりに
にちようび
https://youtu.be/ULPWG114A0w
夏祭りもプレゼントもビートパンクと言えなくもないので当時はビートパンクコーナーで売ってたかもしれないが
パンク色はあまりないのでビートパンクからはちょっと遠い
ジュンスカ以上のアイドル路線だったビートパンクバンド3
ヒューズ、ブルーボーイと違いビートパンクアイドル路線でメジャーデビュー後も売れたバンドバク
バクもホコ天でアイドル的人気を集め90年にデビューは決定していたがメンバーの一人が死亡
メンバー追悼をストーリーにして翌年デビュー
1991年デビューシングルぞうきん
オリコン7位
https://youtu.be/2Zn7CJfoxPc
デビューアルバムもオリコン3位
でも売れたのはこれだけ
約2年間シングルアルバム共に乱発
アイドル路線に嫌気がさし解散
はっきりとしたビートパンクバンドアイドル路線はこれくらいかな?
ジュンスカ以上のアイドル路線だったビートパンクバンド2
ビートパンクとゆうかポップスやジャニーズ要素の強いバンドブルーボーイ
このバンドもホコ天出身でインディーズのホコ天時代が有名だった
高1からホコ天でキャーキャー言われいた
卒業して1993年シングル小さな恋でデビュー
デビュー後は一度も流行ってないけど一番有名な曲は1994年悲しみを笑顔でかな?何かのタイアップ曲だった気が…
https://youtu.be/NkArv5FB2iQ
ほぼ解散前のシングルだけどビートパンクもやってたよ
ホコ天ブームもバンドブームも完全に終わってからだけど
1996年アフレンドイズゴーイング
https://youtu.be/uz-y10TDitY
ヒューズと同じくデビューのホコ天時代はは凄かったバンド
ジュンスカ以上のアイドル路線から攻めてみようか
そう言っても今のところ頭の中では3バンドしかないがその一つ
ホコ天出身でインディーズの頃が有名だったかもしれない
1990年ヒューズ ボーイズ&ガールズ
https://youtu.be/uvKNhMnR864
久しぶりの雨上がったらまぁまぁ暑いじゃねぇの?
お盆だしの続き
ユニコーン、ブーム世代でビートパンクのイメージを決定させたのがジュンスカ
これがビートパンク!ってここで決まった気がする
ビートパンクって誰が思い浮かぶか?
知ってる人にインタビューするときっとジュンスカって答える人が一番多い
ジュンスカはビートパンクでここからバンドブームが終わるまでの短い期間だったけど時代を作った
10代にアイドル的人気がありジュンスカ以降ビートパンクも10代のアイテムになる
ビートパンクだけでなくホコテンブーム、イカ天ブームも重なりバンドブームもここが最高潮だった
ジュンスカもホコテン出身だったよね?
ジュンスカ以外はまた今度
1988年デビューシングル素敵な夜空
https://youtu.be/j4ilSuE1EiE
個人的に一番ビートパンクだなって思う曲
1988年デビューアルバム全部このままでからマイジェネレーション
https://youtu.be/Ly79Cy-d1d0
一番売れたのは1991年4枚目シングルスタートかな?
https://youtu.be/aimx26Fghm4
お盆だしpart4
パンクってゆうと前世代が作ったイメージ悪いジャンルになるし
ビートパンクってジャンルを作ってそこによくわからないパンクテイストの曲やバンドは押し込んじゃえ!
みたいな勢いで始まったジャンルとしてのビートパンク
一般的に認識されたのはこの時代から
1987年デビューアルバムブームでデビューしたユニコーン
1989年シングル大迷惑
https://youtu.be/9vEw-r3mmfk
ちなみにデビューアルバムのブームはビートパンクではなく
全体の仕上がりは横乗りバントのデュランデュランみたいでした
ピンクプリズナー
https://youtu.be/kofAvj8UJ0M
ザ・ブーム
1989年デビューシングル君はTVっ子
https://youtu.be/faTFX1S7dQs
ザ・ブルームハーツ
1987年デビューアルバムザブルーハーツ
ちなみにリンダリンダなど有名曲も入っってますがデビューアルバムはオリコン31位とセールスはいまいち
ささる人にささっただけで
ブルーハーツが知られた後てもパンクなのに3枚目アルバムあたりはビートパンクのコーナーに並んでたっけ
デビューアルバムザブルーハーツから
個人的趣味で
未来は僕らの手の中
https://youtu.be/43IkT2K3_QA
1980年代のビートパンクってこんな感じ
お盆だしpart3
そしてBOOWYの登場
1982年アルバムモラルでデビュー
イメージダウン、ノーニューヨーク、オンマイビートなどスーパースターになったて東京ドームでもやった曲
ラストパンクヒーローデビューと華々しくデビューしたけど全く売れなかった
この時はまだビートパンクジャンルはなかった
BOOWYがブレイクしたのは1986年4枚目アルバムジャストアヒーローから
同じ年に出したシングルビーブルーで知られる存在になった
ジャストアヒーローやビーブルーくらいになるとパンク色は一切ないのにビートパンクのコーナーにBOOWYが並ぶようになる
現在の評価ではBOOWYはビートパンクが定着させたと言われている
ちなみにBOOWYが1位になったのは次のアルバムビートエモーションから
この時解散は決まっていたけどあまりに布袋色が強すぎて解散前にもう一枚出すことになったとか
本当にBOOWYがスーパースターになり伝説扱いになるのは解散ライブラストギグス以降だった
BOOWYが一番ビートパンクだった頃の曲
デビューアルバムモラルから
オンマイビート
https://youtu.be/CykLMKhuVJ4
イメージダウン
https://youtu.be/dN-9kD4HZVc
お盆だしpart2
何回も出てきた
ビートパンクってなによ?って思う人もたくさん居るだろう
実はビートパンクって定義がなかった
1981年はまだめんたいロックと呼ばれ
ビートパンクと呼ばれ始めたのは…
たぶん誰も知らないかもしれない
当時の日本でパンクのイメージが悪すぎた
日本のメジャーデビューしたパンク元祖はアナーキー
この頃はまだパンクのジャンルだった
1980年アナーキーメジャーデビューシングル ノットサティスファイド
https://youtu.be/YGtP9GkJ2Dw
1982年スターリンメジャーデビューシングル ロマンチスト
https://youtu.be/r3OMoHX7qzA
1984年スタークラブメジャーデビューシングル ハローニューパンクス
https://youtu.be/cm5yapKw1GY
事件を起こしたりライブがめちゃくちゃで唾かけあったりライブ中暴動起きたりラジオディレクター殴ったりパンクのイメージは最悪
インディーズにはじゃかたらなどもっと過激ライブを売りにしていたバンドも多数いた
一般人にとってパンクとは絶叫する音楽を大音量で鳴らし暴走族より危ない人の最悪イメージ
お盆だし
ビートパンクが誕生するまで影響を受けた曲を紹介しよう
スレの最初で言ったようにビートパンクに直接影響を与えたのは第3期めんたいロックのザモッズのゴキゲンレディオ
セックスピストルズなど洋楽パンクに影響を受け
アメリカストレーキャッツなどロカビリー再ブームの影響も受け
クイーンなどが出身の70年代イギリスパブ文化などもその一つ
それらの掛け合わせで洋楽にない日本独自に発展したのがめんたいロック
そのめんたいロックとは別にビートパンクに影響を与えたと思われるのが当時日本のヒット曲メーカーだった横浜銀蝿
ビートパンクのコミカル要素は真面目にこのバンドが原点じゃない?
チャックベリーとも違うしどこか歌謡曲の匂いのするアメリカ50sロックンロールが根底にありビート感あふれたこの曲
1981年 横浜銀蝿 かっとびロックンロール
https://youtu.be/hQxBpeBVoDM
暑い…
バンドブームも終わってまたバンドブームが来そうだった1999年
そのあたりはGLAY全盛期
そのもう少しあと175R ガガガSPなんかの青春パンクが短い期間流行り
他にもドラゴンアッシュやライズなども出てきて小さなバンドブームが来ます
GLAY以外にポルノグラフィティやヒステリックブルーが流行っていた
そんな時代のビートパンクっていったら失礼かな?
本格ハードコアバンドって人もいるね
不思議なバンドでシングルは出さず(出してるかも)ラモーンズやトイドールズからプロデュースされてたこのバンド
今日も暑いから女ボーカルが合うよね
ロリータ18号 マイケル卍…なんだっけ?
まぁいいや、聞いてくれ
https://youtu.be/qxIy7AcPxIQ
すいません、ブラボージョニーは今夜もhappyendのアルバムが途中からかかってしましました
ブラボージョニーは今夜もhappyも世紀末チルドレンも爆竹ガールもいい曲なのでまたの機会に聞いてみてください
では改めて
ケンジ&トリップ HOTニキメチマエ
https://youtu.be/hvzZi5c2ZlQ
いやぁぁ
今日も夕方なのにまだまだ暑い!
もう嫌気がさしてる人も多いのでは?
そんなあなたにやる気の出る曲を
まだ人の不幸は大好きさ~とか歌ってたBOOWYもまだパンク色があった1987年
当時もっと売れてたのがケンジ&トリップス
ボーカルケンジはパンクスターでした
そんなケンジ&トリップスの熱いの魂の1曲
HOTニキメチマエ
https://youtu.be/5CQ2wy9GAfg
日曜日夕方に
明日月曜日かぁなんて憂鬱な人もいらっしゃるでしょ?
そんなあなたにノー天気なバカな曲を1曲
1989年のバンドブーム終わりが近い時代の曲です
ビートパンク寄りの曲ですがロックンロール要素も強いです
Theピーズ バカになったのに
https://youtu.be/MI5IAuXkc5Q
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