めんたいロック ザ・モッズ/ゴキゲンレディオ

レス191 HIT数 10704 あ+ あ-


2023/11/07 01:20(更新日時)

モッズのこの曲がなければBOOWYのonmybeatもJUN SKY WALKER(S)のすてきな夜空もカステラもピーズも
ビートパンクは存在しなかった

1981年ザ・モッズ/ゴキゲンレディオ
https://youtu.be/6ABv5Kni-Mg

23/02/23 19:30 追記
日本ロックロール、日本から見たアメリカロックロール満載!きっと歴史書になってる?はず?

7~めんたいロックって?ビートパンクって? ビートパンクバンドたち 31~80年代終頃のパンクからパンクの背景 45~アメリカLAメタル 53~アメリカロックンロールの始まり 58~60年代 イギリスの侵略 ビートルズ ローリングストーンズ  101~日本ロックンロールの始まり 江利チエミから60年代

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No.3599228 (スレ作成日時)

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No.151

1992年ポゴ3枚目アルバムPLEASE
PLEASE PLEASEより
デビュー前ブルーハーツよりすごい奴らと言われていたころインディーズでも音源にしてライブでも頻繁に演奏された曲

1972年13目シングルフーズ・フー・イン・マイ・ライフタイム〜人生の香り
https://youtu.be/Y6dEq55Q3Qo

モップスの場合微妙なヒットだが
ヒットした次の曲は全然違う方向の曲になるのはよくあること
結果論ではモップス場合失敗だった

楽器やコーラスをたくさん入れ壮大な世界観の芸術みたいな曲
この時代すごいとは思うが売れないだろうね

もはやバンドサウンドでもなく前曲とボーカルも変えたどりついたらいつも雨降りで掴んだファンを一気に手放してしまった

ここでオチつけてやめようかと思っていたけど解散も近いので最後までやるよ

1972年14枚目シングル御用牙
https://youtu.be/W5dOwZleXqQ

森の石松を題材にシングルを出してるので漫画原作時代劇主題歌の依頼があり作られたイレギュラーなシングルだと思う
作詞は原作の小池一夫

前のシングルは11月に発売されこの曲は12月発売
前年は3枚で72年は4枚のシングルが発売されている
調べてわけでもないが断定でいいかも

続く

No.152

1973年15枚目シングル気楽にいこう
https://youtu.be/Q0qsJDjoURg

作詞作曲はバラが咲いたのマイク真木
とぼけたカントリーフォーク

1973年16枚目シングル晴れ時々にわか雨
https://youtu.be/f_wH-H85lv4

やっとたどついたらいつも雨降りの感じを出した曲
一緒とゆうほど似てはないが
感想は人によるのだろうが出来がもう一つかな
インパクトがない

1973年17枚目シングルあかずの踏切り
https://youtu.be/wZexvwA3xME

井上陽水作詞で最後のシングルになる
明るいマイルドなハイウェイスター?
https://youtu.be/CfgGXWA4c-Q

ちなみに井上陽水バージョン
同年発売のアルバム氷の世界よりあかずの踏切
https://youtu.be/gvI98BnfL6Y

最後に面白い曲でモップスらしさは出せたんじゃない?

ラストアルバムも出さずこれで解散へ
モップスのシングル曲は東芝移籍後常に違うジャンルや曲調を解散までやり続けた

ギターボーカルの星勝はバンド存続中から井上陽水大ヒットアルバム氷の世界のプロデュース編曲を担当

続く

No.153

編曲家(現在のアレンジャー)として井上陽水のいっそセレナーデ リバーサイドホテル 安全地帯のワインレッドの心 恋の予感 来生たかおのセカンドラブ 夢の途中 浜田省吾の悲しみは雪のようになど
アレンジャーとしてヒット曲をだし活躍した 

モップスのシングル曲は星勝作曲が一番多いがバンド存続中も解散後も作曲したヒット曲はなかった

同じくギターボーカルの鈴木ヒロミツは夜明けの刑事のエンディングテーマを歌った

バンド存続中から時間ですよや夜明けの刑事など役者としてドラマ出演は多数あり映画戦国自衛隊などにも出演

バラエティー番組のレギュラーや司会など亡くなる2007年まで切れ目なくテレビ出演し続けた

モップスとしては90年代アメリカで再評価されデビューアルバムが発売されている

ロックはお金にならないと言われていた黎明期にチャートインしアメリカでも評価されているのに日本国内では最も無視されているバンドかもしれない

追伸
モップスを調べて改めてわかったことだが氷室京介のシングルにカップリングにたどついたらいつも雨ふりが収録されている

1988年2枚目ソロシングルディアアルジャーノン
https://youtu.be/o_lIVUhVqfU

カップリングたどついたらいつも雨ふり
https://youtu.be/7yotRRcUO_o

モップス終わり

2/3まで休むよ

No.154

管理人見てるかな?レス番100以降Googleに引っ掛からないんだよね
新しい見てる人がこの掲示板の客になるかもだし
100以降もクローラー巡回できるようにがんばってくれないかな?

再開しようか

モップスが日本語詞初のロックには違和感あるかな?
解釈は人それぞれだからね

他にはギターボーカル早川作詞作曲のジャックスだとも言われてる

1968年メジャーデビューアルバムジャックスの世界からマリアンヌ
https://youtu.be/7-fO14G4Rg0

同じく裏切りの季節(グルーミーフラワー)
https://youtu.be/mj6ODmHuPyk

マリアンヌはドアーズかな
裏切りの季節はアニマルズ?
サイケデリックではあるがロックかなのか?は別れるかも 

この貼った曲ではそこまで感じられないが絶叫する歌い方は後の日本パンクに影響を与えた

スターリンはマリアンヌをアレンジカバーし音源にしている

パンクと逆?のポストパンクの布袋寅泰も在籍していたオートモッドも同じてラブジェネレーションをライブで頻繁に演奏していた時期があり音源にもしている

バンドは2枚目アルバムの制作途中で解散
発売されたのは解散後だった
グループサウンズブーム頂点の時期だがセールスは全くダメだった

個人的には歌い方がな
薄くはなってるけどグループサウンズや歌謡曲の歌い方で残念

続く

No.155

日本語詞初のロックを年代順になってたのになぜ突然68年ジャックスが出たのか?って思った人もいるかもしれない

ごめん
また文字数制限で消し過ぎた
ロックとしては微妙でグループサウンズとも言えないから別枠で
それでは早川作詞作曲のジャックス~
みたいな流れだった

昨日の投稿みたら全く伝わってなかったから説明してみた

今回からロック黎明期を終わらせロックを初めてお金にした今も伝説のロックンロールバンドキャロル

72年4月にベースボーカル矢沢永吉が楽器屋にメンバー募集の張り紙をしジョニー大倉と出会う

ハンブルク時代のビートルズを見て革ジャンにリーゼントスタイルをジョニー大倉が提案したと自身の本に書かれいる

この時代ロックバンドは世界も日本も長髪に髭で
ロックンロール=革ジャンにリーゼントのイメージはキャロルが作った
と多くの記事に書かれているし

黎明期のロックバンド全部長髪ではっぴいえんどなど髭も多いが

個人的にはまるでビートルズのほんの一時期にインスピレーションを経てキャロルがこのスタイルになるのを強調しすぎるのはちょっと違うかなとは思っている

ジョニー大倉がアマチュア時代のビートルズがハンブルクツアーをしている写真を見てこのスタイルにしたのは事実だろうが

ビートルズはアマチュア時代のほとんどを革ジャンリーゼントスタイルでイギリスパブを中心に活動していた

続く

No.156

モッズスタイルのマッシュルームカットで3つボタンの細身のスーツにしたのはデビュー後
マネージャーが提案したと言われている

確かにアメリカでも50sロックンロール時代に革ジャン革パンがトレードマークで日本まで聞こえてくるような人気歌手やバンドはいなかったが

アマチュア時代のビートルズのスタイル
革ジャン革パンにバイクとゆうロッカーズはすでに50年代からあり日本にも伝わっていた

プレスリーは68年終わり頃に革ジャン革パンに黒髪リーゼントでのテレビ出演が再ブレイクのきっかけになり70年頃まで頻繁にこのスタイルを見ることができた
https://youtu.be/YQqbyOIpweo

当時日本で全くの無名であったアメリカマザーキャットか
アメリカで契約が終わりイギリスで全英9位のデイブクラークファイブのグッドオールドロックンロールを探せるくらい鼻が利いていのにプレスリーの再ブレイクを知らない訳もない

マザーキャット
https://youtu.be/sAXYA-Rko7o

デイブクラークファイブ
https://youtu.be/gW_4ghSikOw

ビートルズのハンブルクツアー写真だけのインスピレーションではない気はする

ただ世界はハードロック全盛期に入っていたこの時代に日本で革ジャン、リーゼント、ロックンロールを地でいったジョニー大倉はやはりすごい

続く

No.157

キャロルのアマチュア時代はまだライブハウスの無かった時代
古いロックンロールがジャズ喫茶で演奏させてもらえるわけもなく
活動の場所は夜のディスコなどしかなかった

最初は無名のディスコやゴーゴーバーで演奏したが有名ディスコのオーディションに受かり専属バンドへ
英詞で50sロックンロールのカバー曲がメインだった

オリジナル曲はデビューするまでやっていない
これがキャロルの短い下積み時代

1972年10月ブレイク後テレビに積極出演しなかったキャロルなのに意外かもしれないが素人参加がてきるテレビ番組へ矢沢永吉自ら電話しデモテープを送り合格
出演を勝ち取る

グッドオールドロックンロールやジョニーBグッドなどをテレビで演奏
このテレビ出演がきっかけとなりテレビを見ていたミッキーカーチスがスカウト

結果ミッキーカーチスがプロデューサーとなりメジャーデビューが決定した

矢沢永吉のメンバー募集の張り紙から僅か半年でメジャーデビューが決定したことになる
まさに成り上がりだか
デビュー前にもう暗雲は立ち込めていた

結成時は矢沢永吉とジョニー大倉の2トップだったキャロル
テレビ出演の前にジョニー大倉の精神状態の悪さが露呈し最初の失踪になった

デビュー前にキャロルの2トップは崩れ矢沢永吉主導へ
メジャーデビューまでの交渉はすべて矢沢永吉が行う

続く

No.158

プロデューサーをミッキーカーチスするか?同じテレビ番組に出演していた内田裕也にするか?ごちゃついた時期も他のメンバーは交渉の内容すら知らず

矢沢永吉から説明されたのはミッキーカーチスが具体的だったから決めたとだけ知らされたと言われている

キャロルのコンセプトをすべて作り
デビュー後2枚目アルバムまでほとんどの詞を書くのに立場を失ったジョニー大倉

ほとんどの作曲をして一人でバンドを主導する矢沢永吉
ツインボーカルでありバンド顔でもある
二人の対立は常にキャロルの弱点となる

1972年12月キャロルメジャーデビューシングル ルイジアンナ
https://youtu.be/UCACG2598Q0

デビューシングルはロックとして異例の10万枚を売上げた
ロカビリーブーム以来ロックンロールが一般人に受け入れられたことになる

ジュークボックス合わせツイスト!ロックンロール~

ロックに英語とは言えないカタカナ単語だが 日本語英語の微妙なごちゃ混ぜ詞が初登場

モップスでできていた語尾を伸ばしたり切ったり単語の中を伸ばしたりすることでできた英単語のような区切りにプラス

っを単語に入れ過剰に切ったり語尾を伸ばしながら巻き舌を入れる演出することでロックの攻撃性を日本語詞で初めて表現できた

今まで聞いてもらった日本語詞のロックで一番馴染んでいるだろう?

続く

No.159

ルイジアンナはohやyeahなどの感嘆詞で歌詞を繋いだり曲間を埋めたりした日本初とも言われてるが

個人的には無理があると思う
日本語感嘆詞のあぁなどが入る歌なら
思いつくレベルで戦中の軍歌にはあるし
調べてないが英米にもっと前からあるだろう

おぉキャロル ニールセダカ
https://youtu.be/G5dbXWH7Ix0  

プリーズミスターポストマン マーベレッツ
https://youtu.be/9jZyAnp6O8Y

ビーマイベイビー ロネッツ
https://youtu.be/jGS0GAWMXE4

これくらいはすぐ思いつく
ルイジアンナは日本語詞としてロック限定ならそうかも

ルイジアンナでデビュー後現在も類のないプロモーションが始まる
デビューシングルから毎月7枚連続シングルを発売
ルイジアンナは20日、2枚から毎月25日

1ヶ月1枚のシングル発売はCDが売れた全盛期の90年代でもなかったし
ランキング歌番組が高視聴率で一番シングルを売りたい80年代アイドルでも3ヶ月に1枚だった

矢沢永吉は自身の作った曲が100曲ストックがあると豪語していた
バンドメンバーすらデビュー前までそのストックを1曲も聞いた事がなかった
現在まで真偽不明

1ヶ月おき7曲連続シングル発売は100曲のストックでは足りないレベルだろう
個人的には本当だと思っている

続く

No.160

ルイジアンナは日本初のohやyeahなどの感嘆詞で歌詞を繋いだり曲間を埋めたりしたとも言われてるが

個人的には無理があると思う
日本語感嘆詞のあぁなどが入る歌なら
思いつくレベルで戦中の軍歌にはあるし
調べてないが英米にずっと前からあるだろう

おぉキャロル ニールセダカ
https://youtu.be/G5dbXWH7Ix0  

プリーズミスターポストマン マーベレッツ
https://youtu.be/9jZyAnp6O8Y

ビーマイベイビー ロネッツ
https://youtu.be/jGS0GAWMXE4

これくらいはすぐ思いつく
ルイジアンナは日本語詞としてロック限定ならそうかもね

ルイジアンナ発売後現在も類のないプロモーションが始まる
デビューシングルから毎月7枚連続シングルを発売
ルイジアンナは20日、2枚から毎月25日

1ヶ月1枚のシングル発売はCDが売れた全盛期の90年代でもなかったし
ランキング歌番組が高視聴率で一番シングルを売りたい80年代アイドルでも3ヶ月に1枚だった

矢沢永吉は自身の作った曲が100曲ストックがあると豪語していた
バンドメンバーすらデビュー前までそのストックを1曲も聞いた事がなかった

真偽不明だが1ヶ月おき7曲連続シングル発売は100曲のストックでは足りないレベルだろう
個人的には本当だと思っている

続く

No.161

ごめん、間違えて古いのアップしてアップ予定のを消してしまっていた
今朝気づいた
続き

プロデューサーのミッキーカーチスはデビューシングルの10万枚が大スターになるバンドだと確信したのか?
短命だが今までにないムーブメントを起こせると考えたのか?
どちらにせよよほどの自信がないとできないことではある

1973年1月2枚目シングルヘイタクシー
https://youtu.be/HKFzdboG7gc

この曲でキャロルの日本語英語ごちゃ混ぜ詞は完成した

一番だけ訳してみる
https://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=S00679

ここでタクシー探し 早く彼女に きつく抱き締めて 君のためなら 私の全ての愛をあなたに与える 君にあげるよ ダイヤモンドの指輪 ダイヤモンドの指輪 (私は)タクシーを待ち望んで 帰える

hold me tightだから彼女に対してお願いになる

I've been waiting for a taxi
タクシーを擬人化した英文になってる

中学生以下の英語能力だから全く自信はないので自分で調べてみてくれ

すごく文学的な詞とも受け取れるが多少意味が崩れても曲に合わせて英語をはめ込んでるだけだろう

ヘイタクシー以降のキャロルの日本語英語ごちゃ混ぜ詞はずっとこんな感じ

続く

No.162

ヘイタクシー直後は日本語英語ごちゃ混ぜ詞を積極採用する作詞家はいなかった
当然専門家の批判も音楽雑誌等ではあったのだろう

ヘイタクシー前になかったわけではないが73年から曲名に英語名詞や英語人名や英単語が激増する

グッバイマイラブ 恋のダイヤル6700 裸足のビーナス

それからニューミュージックやロック歌謡のヒット曲の日本語英語ごちゃ混ぜ歌詞から増えていき

80年代になるとアイドルポップスや歌謡曲も日本語英語ごちゃ混ぜ詞があたりまえになり
ジョニー大倉式の意味が崩れても曲にはめ込むことすら当たり前になった

ヘイタクシーでもう一つ

この曲を聞いてよくビートルズぽいと思う人も多いだろう
それはこの曲に似ているから

1963年プリーズプリーズミーよりI Saw Her Standing There
https://youtu.be/oxwAB3SECtc

高い音で歌いだしサビは歌いだしより低い
コーラス入れただけで初期ビートルズぽいが

確かにヘイタクシーを作曲した矢沢永吉はビートルズのこの曲を意識してオマージュしてると思うが

この曲は初期ビートルズの代表曲だけどビートルズぽくない曲なんだよね
ビートルズ的な進行とも違うし

同じロックンロールならもツイスト&シャウトの方がよほどビートルズぽい
https://youtu.be/b-VAxGJdJeQ

続く

No.163

何が言いたいかとゆうとキャロルはビートルズらしくないビートルズを目指していたのでは?

あくまでも個人的感想のキャロルだから
まだ他にもこう思える所があるからまた後で
次へ行こう

キャロルがテレビで演奏したのは東京周辺しか見ることができないローカル放送で、しかも夕方の30分のバラエティーギンザnow16回とデビューのきっかけになったリブヤングにライブで出演している
これも東京周辺のローカル放送

作戦なのか?この時期テレビに出ないポリシーはなく依頼されたのでただ出ていたのかは不明

全国放送で人気のあった歌番組に出演した形跡はない

噂レベルでは全国放送の番組収録に呼ばれたが途中で帰ってしまいそれから全国放送には呼ばれなくなったとか
真偽不明

1973年2月龍村仁とゆうNHKのデレクターがジョニー大倉が失神したキャロル初の野外ライブを見てキャロルに密着撮影を敢行

7月完成するがNHK上層部はキャロルは特殊すぎて19時台の視聴者にあわない、客観的でない、私的すぎる、不良を助長するなど否定し放送させなかった

龍村は記者会見や上映会を開きNHKと全面対決
結局龍村はNHKクビになりキャロルドキュメント映画を作り上映
今だにビデオやDVDなど映像化はされていない

これが影響して民放も含めた全国放送に出演できなかった可能性もある
地方ローカル局に出演はあるかもしれない

続く

No.164

73年中頃には暴走族チームだった岩城滉一、舘ひろしが所属していたクールスがキャロル親衛隊になる

ライブ会場に暴走族が集結して会場のホールを使わせてもらえなくなっていた事情もある

キャロル側から見ると会場警備だが不良暴走族チームを引き連れ全国を回るキャロルに厳しい目が向けられた
もしかするとクールスが原因で全国放送出演は絶望的だったのかもしれない

キャロルとクールスは解散ライブに密着したテレビ番組ギンザnowで放送され映像がビデオ化されている
https://youtu.be/d1x169OSYBk

同じ時代の吉田拓郎や井上陽水のようにテレビ出演は全面的にしないならわかるがデビューのきっかけはデレビ出演で

デビュー後東京周辺のテレビだけ出演した本当の理由を知りたいがかなわないだろう
成り上がりにもその辺の事情はなかったと思う
 
インタビューでは矢沢永吉がメインてしゃべりジョニー大倉が補助し黙って睨む自己プロデュース能力はこの時代ではすごい
 
1973年3月ファーストアルバムルイジアンナ

ヘイタクシーの続き
一般的にキャロルの音楽性は初期ビートルズと言われている

A面オリジナル日本語詞
B面英詞カバー曲で構成されている

1グッドオールドロックンロール 

2メンフィステネシー チャックベリー
https://youtu.be/w5ezeUM6c74

続く

No.165

3ワンナイト エルビスプレスリー
https://youtu.be/NKzQiRZBrLw

4トゥティーフルティー エルビスプレスリー(一番有名なのは)
https://youtu.be/48N7oFKKBZA

5ジョニーBグッド チャックベリー
https://youtu.be/8b3FGUcfbz8

ビートルズカバー ジョニーBグッド
https://youtu.be/6BUvtdz_r2E

6カンサスシティー リトルリチャード
https://youtu.be/H8YiUS1SSfk

ビートルズカバー カンサスシティ
https://youtu.be/ZDHOiRkmL-M

50sカバー曲はかなりあるビートルズだがこのアルバムでビートルズ音源にしてるのはビートルズらしいとは言えないジョニーBグッドとカンサスシティのだけ

69年グッドオールドロックンロールとバラードのワンナイト以外50sロックンロールなっている
グッドオールドロックンロールも含め全面50sのカバーみたいなもの

カバー曲を見ても初期ビートルズ色はほぼない

A面は1ルイジアンナ2ヘイタクシー3やりきれない気持ち4ホープ5恋の救急車6最後の恋人

ヘイタクシーを除いてあるとすればホープと恋の救急車だがビートルズ色は強いと言えない
コーラスあるからなんとなくはビートルズなんだが

続く

No.166

ホープ
https://youtu.be/nsBTssT7LAc

恋の救急車
https://youtu.be/c_GOvJkwmeU

矢沢永吉が書いた成り上がりにビートルズリスペクトが繰り返しあったこと、伝説扱いの川崎の楽器店でメンバー募集の張り紙

ビートルズとロックンロール好きなヤツ、求ム

これが過剰に強調されキャロルは初期ビートルズのストーリーができた可能性もあると思う

間違いではないので否定しないし矢沢永吉もジョニー大倉もその過剰なストーリーに乗っかったのでは?

キャロルがデビュー前から頻繁に演奏したジョニーBグッドをファーストアルバムで音源にしているのに注目したい

ロカビリーブームでカバーした歌手はいないので正確ではないかもだがチャックベリーのジョニーBグッドをカバーしたのは日本人初になると思う

66年にスパイダースが音源にしているがビーチボーイズのジョニーBグッドをカバーのカバーをしていてチャックベリーを題材に選んでいないから意味合いが異なる
https://youtu.be/3wK1S31hwwY

キャロルに近のは内田裕也&1815ロックンロールバンドが74年の大規模野外フェスワンストップフェスティバルのオムニバスアルバムで音源にしている
https://youtu.be/QACvuO4gLEs

続く

No.167

ジョニーBグッドは58年チャックベリーが歌い発売され全米8位の50sロックンロールを象徴する曲だが

50s時代のアメリカは黒人奴隷制度から続く大戦後の人種問題が表面化した頃

トイレは別で白人しか泊まれないホテルや飲食店は当たり前だった
もちろんアフリカ系黒人の大規模デモが何回もあり白人と黒人の目に見える区別は是正されていった

大統領を選ぶ選挙人の数(人種による1票の格差)白人黒人比率は80年代まで圧倒した白人優位だった

建国以来のキャッチコピー自由と平等の国アメリカはあくまでもキリスト教のカトリックとプロテスタントの平等

現在もアメリカ総人口の20%を占めるラテンアメリカ出身ヒスパニックは平等を求めているが

アメリカ在住ヒスパニックのほとんどは
現在も流入し続ける不法入国者や不法入国者の子孫なのは明確でアメリカを建国した白人VSヒスパニックが対立

表面上白人並みの権利を勝ち取った、現在は不法入国者の少ないアフリカ系黒人は白人VSヒスパニックに直接荷担せずポリコレ的ポジションから間接的にヒスパニックを支援する現状は日本人にとうてい理解できない摩訶不思議な様相を呈している

話しを戻すと50s時代のアメリカは黒人のロックンロールは黒人用のリズム&ブルージャンルチャートにされ総合チャートでは低い傾向で

続く

No.168

白人のロックンロールは白人用ジャンルチャートにされ総合チャートではリズム&ブルースチャート1位の曲がベスト10の中に1曲も入らないことは珍しくなかった

当時チャックベリーのジョニーBグッドは当時の白人のすら知らない人は皆無で
総合チャート8位程度のアメリカ国民の認知ではなかった

アメリカでチャックベリーのジョニーBグッドを国民のほとんどが知ってることを証明してるのが大ヒット映画バックトゥーザフューチャー

ビートルズ、ローリングストーンズなど当時のブリティッシュインべェイジョン、イギリスの侵略が音源にはしなくとも次々とライブ等でカバーしていく現象が起き65年前後チャックベリーは再ブレイクしている

問題は日本
キャロルジョニーBグッド
https://youtu.be/3IdiDGhQUOY

ネット検索よるとジョニーBグッドは73年頃は日本でメジャーではなくキャロルのオリジナルだと勘違いした人が多数だったとある

同じくアマチュア時代から頻繁に演奏されたグッドオールドロックンロールの日本発売はなかったし知名度もなかったからキャロルオリジナルと勘違いしてる人は多いだろうが

世界的50sロックンロールの象徴であり定番曲ジョニーBグッドが日本で知名度が低かったとも思えないんだが?

書いた人の思い込みかもしれないし73年当時を正確に表しているのかもしれない


続く

No.169

1956年ジーンビンセントビーバップアルーラ全米7位
https://youtu.be/-YxzcxtbkXI

この曲は日本で頻繁にカバーされているのでキャロルのジョニーBグッドまでは日本での知名度は高かったことになるが50sロックンロールの定番とまでは言えない

日本でも80年~90年頃アメリカネオロカビリーの影響や格安CDが発売され小さな50sブームが来るがビーバップアルーラは50sオムニバスの中に常に入る曲でもなかった

チャックベリーのジョニーBグッドを音源にしたキャロルが日本初カバーは間違いとしてもキャロルまで話題になったことはなかったことは事実

原曲は日本ロカビリーブームの頃のど真ん中の発売だし
黒人のグルーヴ感がだせなかったのだろうか?
黒人のリトルリチャードのルーシールは頻繁にカバーされてるんだが

一般人や音楽関係者までキャロルが音源にするまでジョニーBグッドを無視し続けた理由は不明

73年当時だけで見るとキャロルファンが10~20代がほとんどだったから50sロックンロールのチャックベリージョニーBグッドは知らずキャロルオリジナルと勘違いするのは仕方がないことかもしれない

1973年6月ファンキーモンキーベビーオリコン57位30万枚販売
https://youtu.be/YSCjNl_izQE

続く

No.170

白人のジャンルチャートはカントリー
戻る

キャロル最大のヒット曲でキャロルと言えばファンキーモンキーベビーが代名詞になってる

販売枚数30万枚で週間オリコン57位で売れてなく低く感じるかもしれないが

同じ73年6月発売郷ひろみの裸のビーナスは最高週間オリコンチャート2位で、週最高売上39万枚年間オリコンチャート16位
https://youtu.be/SHBUJ71YbcA

総販売枚数は不明だが2位郷ひろみと57位ほどの差は感じない
知名度のあるアイドルのセールスは発売1週目が重要で

キャロルの場合1週間単位で爆発した週がなく口コミ口コミで長期間低いペースで売れ続けることができた結果、週間オリコンチャート最高57位で当時の販売総枚数30万枚になり
7ヶ月連続発売の最後のシングルだったからと推測される

キャロルのファンキーモンキーベビーは
ロックはお金になると音楽業界すべてが気づいたきっかけの曲になったことは間違いない
矢沢永吉著書成り上がりにもロックをお金にしたのはキャロルと書いている

この時代イントロ最強レベル
シンプルでこれから始まる曲はどんな曲を数秒で表現できている

それとファンキーモンキーベビーの歌詞フレーズだよね
なんだろう?君はファンキーモンキーベビーって?
次の歌詞のイカれてるよだけど恋しい俺のあの娘
これがファンキーモンキーベビーの意味?

続く

No.171

2回被せてすごく考えらた詞?お笑いでゆう天丼効果まで狙った曲?
ファンキーモンキーベビーの歌詞フレーズは韻を踏んでる

女の子に対しての誉め言葉ではないような気がするけど何かしっくりはまるすごく考えられた詞かも
全部狙いか偶然かは不明

全部偶然で理屈ではなく感覚で完成させできた曲なら曲を考えた矢沢永吉も詞を考えたジョニー大倉もイントロを弾く内海利勝も天才としか言いようがない

脱線!ロックンロールイントロ最強レベル他の曲~

アジアンカンフージェネレーション 君という花
https://youtu.be/MIY3lM-jGkI

ミッシェルガンエレファント ゲットアップルーシー
https://youtu.be/C0X4wtMXYvg

レッドウォーリアーズ カジノドライブ
https://youtu.be/-bNa_mzcO1Y

イントロなんてすべては好みなんだよね
耳に心地良かったりギターリフを重視する人もいる
他楽器や電子音で壮大にすれば納得する人もいるだろう

キャロルのファーストアルバムルイジアンナはA面が日本語詞オリジナル曲
B面は英詞カバー曲

そのアルバムルイジアンナから丸3ヶ月しかたっていないのに
1973年7月2枚目アルバムファンキーモンキーベビー

アルバムファンキーモンキーベビーの構成はシングルで発売したA面B面6曲
オリジナル5曲

続く

No.172

ファンキーモンキーベイビー シングル
憎いあの娘 シングルB面
レディセブンティーン シングル
コーヒーショップの女の娘 シングルB面
恋する涙 アルバムオリジナル
二人だけ アルバムオリジナル
愛の叫び シングルB面
ハニー・エンジェル アルバムオリジナル
いとしのダーリン アルバムオリジナル 
彼女は彼のもの シングル
ミスター・ギブソン アルバムオリジナル
0時5分の最終列車 シングルB面

アルバムオリジナルは比較的遅い曲をチョイスしベストアルバム的構成

アルバムオリジナルでキャロルファン推しは憎いあの娘だと思う
https://youtu.be/E-6xmb26qcw

個人的にはミスターギブソンを貼りたかったがキャロルのミスターギブソンがユーチューブにない

代わりにいとしのダーリン
https://youtu.be/o8XD_KanNYA

ミスターギブソンはキャロルのハードロック
音質のいい試聴で捜してよ

アルバムファンキーモンキーベビーで矢沢永吉の100曲のストックを使い果たしてしまったと思う

100曲のストックが本当だったとすれば100曲中使える曲が2割以上あったらいい方だろう

1973年11月ジョニー大倉2度目の失踪

キャロルのドキュメンタリーが原因でNHKと揉めクビになった龍村仁の作った映画キャロルにはジョニー大倉失踪が描かれている

続く

No.173

今では考えられないがジョニー大倉失踪を公にしてジョニーが大倉復帰するときは記者会見まで開いている

当時テレビや週刊誌もジョニー大倉失踪を知っていたと思うがどう報道していたのだろう?
現在なら大騒ぎだと思う
ヤバい事件や事故の可能性もあるし

近年ではロックバンドカナブーンのメンバーが10日間失踪し脱退している

当時のジョニー大倉とは比較にならないほどの知名度だからそこまでの話題にはならなかったが

90年頃の若人あきら失踪は警察にも通報され大がかりな捜索も行われた
僅か数日だが大きな報道で覚えている人も多いと思う

ジョニー大倉は薬物のせいで自殺未遂とか言われているが2度目だしやはり精神状態が元から良くないのだろう
2回とも精神病院には入ってる
役者として活躍していた87年に7階ベランダから転落し自殺未遂と騒がれた

ジョニー大倉のいないキャロルルイジアンナ
https://youtu.be/3EnARRFJmIs

これはこれで成立してるがやはりジョニー大倉は必要だよね
一時期ギターでサミーが加入するがジョニー大倉が戻るまでの限定になった

ジョニー不在のまま3人でライブツアーへ
そのサミー加入後での収録だったと思う
調べたが出なかった

1974年2月シングル涙のテディボーイ
ライブ
https://youtu.be/kB5A0YRKcSg

続く

No.174

シングル 涙のテディボーイ
https://youtu.be/6aNqzu9X5qI

ライブの方がシングルジャケット
ジャケットには矢沢永吉と内海利勝しか写っていない

矢沢永吉作詞作曲でアレンジャーを入れ
他の楽器コーラスで壮大なイントロ
アルバムファンキーモンキーベビーからガラリと変わってる

今までより作り込んだ印象を受ける
イントロだけでなく曲の構成とゆうか
プロが絡むとこうなるんだって感じる

矢沢永吉ソロデビューシングルアイラブユーOKが見え隠れしてソロ初期の遅い曲な雰囲気がある

初ソロ矢沢永吉のコンセプトは涙のテディボーイでいこうか!
なーんて矢沢永吉は言ってはいない
勝手にそう思っているだけ

B面に映画主題歌でジョニー大倉が歌い作詞の番格ロックのテーマ
https://youtu.be/0JpZJz2I7yA

この曲もイントロや歌の入りすぐはロックバンド思えないがその後は50sバラード調

前録りのジョニー大倉の歌だけ生かして演奏は被せたのだろう

2曲とも遅い曲で作りがいい反面アルバムファンキーモンキーベビーまでのキャロルらしさ荒々しさは皆無

同じ2月中旬ジョニー大倉復帰
失踪から復帰まで3ヶ月弱かかっている

二度目の失踪でジョニー大倉の立場はさらになくなった
自身は復帰しても余計に窮屈で負い目も感じただろう

続く

No.175

矢沢永吉との関係は決定的により悪くなったが矢沢永吉もジョニー大倉を必要と考えたのは間違いない

記者会見を開きジョニー大倉の非礼を矢沢永吉が詫びキャロルに戻している

うろ覚えたけどジョニー兄はいません
ここにいるのはジョニー弟ですみたいな言い方の謎のセリフだったような
矢沢語録で見た記憶がある

復帰すぐにメンバー一緒に通ったのかは不明だがメンバー全員精神鍛練のため極真空手道場に入門している

1974年7月25日シングル夏の終わり
https://youtu.be/sbv42Nhpafs

涙のテディボーイと同じ路線で良くできた曲て矢沢永吉作詞作曲
ソロでもシングル発売している

B面泣いてるあの娘は初ボーカル内海利勝で作詞作曲
https://youtu.be/zntSL9UoWSY

このシングルではジョニー大倉は復帰してるはずなのにコーラスにすら存在感はない

1974年7月25日シングル夏の終わりと同じ日に3枚目アルバムでキャロル最後のスタジオアルバムキャロルファーストが発売される

全面新曲だけの初アルバムだからキャロルファーストだけの意味ではない

それぞれが作詞作曲をした曲をそれぞれが歌い1枚のアルバムにしている
矢沢永吉5曲 ジョニー大倉3曲 内海利勝3曲 ユウ岡崎1曲

ただしアルバム最初と最後の曲キャロル子供達に夢をは同じ曲のバージョン違い

続く

No.176

めんたいロックって何?
こないだ亡くなったでかくて九州弁のギタリストの人がそうだったっけ。
博多でロックしてたから明太子、ロックってことなのかな?

No.177

>> 176 めんたいロックは70年代半ばから福岡市、北九州市あたりで盛んだったロック文化のことです
音楽的にも共通点があり

50sロックンロールやブルースロックにパンクが混じったみたいな
ジャンル的にいえばジュンスカやユニコーンのビートパンクと同じです

アップビートみたいに全くそのめんたいロックテイストではないバンドも存在してるのに
めんたいロックとひとくくりにされてるのも面白い所です

1986年アップビート2枚目シングルバニティブランニュー
https://youtu.be/AcAbFeN11J4

その福岡からロックバンド次々とデビューしていった現象の意味にも使われます

古くは今やってるキャロルと世代に近いチューリップや甲斐バンドや
もっと古い井上陽水やフォークの長渕剛が拠点にしていた喫茶店照和から次々スターが誕生しました

その後のロック世代が次々デビューしたのがめんたいロックの現象です

言われている亡くなった鮎川誠さんはめんたいロックの元祖的存在で第一期めんたいロックといわれています

その鮎川誠のバンドがサンハウスです
1975年デビューしデビューライブでキャロルの解散した日比谷野音を満員にしてる規格外のバンドでした  

1000㎞以上離れた博多の田舎者が上京したてのメジャーデビューしたてで
東京周辺のファンに愛され注目されたバンドです

もっと書きたいのでまた次回

No.178

めんたいロックはパンクが混じったロックンロールと言いましたが76年セックスピストルズ誕生と同じ時期に博多にはパンクは存在したのです

第一期めんたいロックサンハウスと同世代山善のドリル
メジャーデビューはしてません
金持ち東京ロッカーズのSKEN リサード
貧乏関西ノーウェーブSSなどより早く

76年にインデーズでパンクを音源にして日本でパンクの元祖とゆう人もいます

パンクはロックの一部として派生ジャンルと考えることできますし

この時代で既存のロックでもフォークでもないニューウェーブ、新しい波の一部としてパンクを考えることもできます
パンクと真逆の電子音楽を使うテクノやディスコもニューウェーブの一つです

ニューウェーブ一部としてパンクを捕らえた後の世代に影響を与えたと言われる東京ロッカーズ
ロックの一部として捕らえたパンクの関西ノーウェーブのSS

1976年インデーズ山善ドリル
https://youtu.be/xL74UqhL1ko

これがパンクに聞こえる感性なら
セックスピストルズと同じ時間に博多にパンクはあったことなります

面白いでしょ?
鮎川誠のサンハウスにもパンクはまじってるような??
ヤードバーズストロールオンにそっくりだからヤードバーズ時代もパンクはあったのかな??
考えたらきりがないのでこの辺で

また次回

No.179

1975年サンハウスレモンティー
https://youtu.be/8jVeUlVm_b0

サンハウスはわずか3年の活動で解散
鮎川誠はシーナ&ロケットを結成
こっちのレモンティーが有名かな?
https://youtu.be/Ea_fbvtP_8U

その後第二期めんたいロックに受け継がれ
俳優陣内孝則のいたロッカーズ 
https://youtu.be/hsbM0E8WQms

俳優石橋凌のいたARB
https://youtu.be/5546ccQtwr8

第二期最強だと言われているルースターズ
https://youtu.be/650074FjhB4

そして第三期めんたいロックでめんたいロック完成形モッズ
https://youtu.be/KoZeUeH_TUU

ここで文化やジャンル的意味合いとしてのめんたいロック終わりその後の四期五期は福岡出身のロックバンドに対し適当に付けられた気がします

めんたいロックの語源は80年ルースターズがデビューするときキャッチコピーで使われた説が有力でめんたいロック元祖のサンハウス時代にはなかった言葉です

意味はピリリと辛い博多のロック
らしいですがルースターズは北九州市出身で明太子は福岡市の名物
ルースターズはめんたいロックのめんたいとは無関係だったことになります

めんたいロック終わり

No.180

キャロルに戻る
つまりは矢沢永吉作曲ジョニー大倉作詞の曲はない

そしてミッキーカーチスがプロデューサーではなくキャロルプロデュース

矢沢永吉が提案したのはメンバーが持ち寄った曲を1枚のアルバムするだった

そして勝手に個人的に思うのはアマチュア時代に作った矢沢永吉のストックではないアルバム
昔からある曲だと確認できるのは歌詞違いのふられた男だけ
https://youtu.be/uHFtGAlls-E

アルバムタイトルのキャロルファーストにはいろんな意味が込められた渾身のアルバムとゆうことになるはずだった

矢沢永吉 キャロル子供達に夢を カモンベイビー 甘い日々 ズッコケ娘 ふられた男 

ジョニー大倉 ヘイママロックンロール ビブロスピープル 雨のしずく

内海利勝 夢の中だけ 娘クーニャン 悪魔の贈り物

ユウ岡崎 素敵な天使

キャロル子供達に夢を
https://youtu.be/iQdrEr9OcUY

カモンベイビー
https://youtu.be/zPoWD7wCaBo

甘い日々
https://youtu.be/Uypkwb9eA7E

ズッコケ娘
https://youtu.be/62VpjpmmBCg

ふられた男
https://youtu.be/WTJWfJZcnIY

続く

No.181

ヘイママロックンロール
https://youtu.be/YcWuIGcaEEk

雨のしずく
https://youtu.be/vkj5vVBiWfE

夢の中だけ
https://youtu.be/NFJPTVVeFTA

ユーチューブにあるだけあげてみた
アルバムファンキーモンキーベビーを期待したファンは裏切られたかもしれない

客観視するプロデューサーもなく
なんのテーマもなく曲作って歌えだからこうなる

一番キャロルらしい曲はヘイママロックンロールでそこまでデキが良くないとゆうかアルバムの1曲に過ぎないレベル

ただ矢沢永吉は初期ソロそのままをやっている
矢沢永吉は未来はどうなるか?
この最後のアルバムキャロルファーストは予言書になった

キャロルファーストの後
矢沢永吉は多くのファンが求めているルイジアンナやファンキーモンキーベビーはもうやらないことは本人が言わなくてもここでわかっていた

矢沢永吉ソロのカモンベイビー 
ソロデビューシングルB面でデビューアルバム1曲目のセクシーキャット 
初1位になった時間よ止まれが入った3枚目アルバムの1曲目世話がやけるぜ 

この面白い並びの3曲が入った77年ライブ音源があった
のびきったテープで音は劇的に悪いが是非聞いて欲しい
https://youtu.be/PIWIqqvapM4

続く

No.182

このキャロルファーストから初期矢沢永吉の3曲を続けて聞いてみると
このキャロルファーストの矢沢永吉は初期ソロそのままの意味はわかってもらえると思う

ただ77年にもなると声はしゃがれて矢沢永吉独特のこぶしを使うようになっているので雰囲気は違う

ジョニー大倉も含め他のメンバーと矢沢永吉の軋轢はキャロルファーストで決定的なものになった

作詞作曲ボーカルをメンバーにふった矢沢永吉の狙いは他にあるのだろうが
いきなり作詞作曲ボーカルをやれと言われたメンバーはどう思うか?
配慮に欠け違うメッセージを与えたと思う
 
作詞作曲をやったことないメンバーがいきなり印象に残る詞や曲を作れるはずもない

ジョニー大倉が内海利勝ユウ岡崎の相談相手や先生となり手解きをした
想像だが矢沢永吉へのグチしか出なかっただろう
数年後にはいい経験ができた感謝に変わったと思うが

73年6月シングルファンキーモンキーベビーが30万枚のヒットしているのにも関わらず

調べて正確には出なかったが
1ヶ月後の7月アルバムファンキーモンキーベビーは10万枚行かないくらい売れた

1年後の74年7月アルバムキャロルファーストは当然セールスは期待される

同じく正確な枚数は探せなかったがアルバムファンキーモンキーベビーと同じ程度に終わり期待通りには売れなかったとゆうか
関係者はがっかりしたレベルだったと思う

続く

No.183

それどころか全曲オリジナル曲なのに一番ファンの印象に残らないアルバムになってしまった

解散ライブ日比谷野音のDVD
燃えつきるキャロル・ラスト・ライブ
よりセットリスト
二人だけBGMのみ
ルイジアンナ
ファンキー・モンキー・ベイビー
ズッコケ娘
憎いあの娘
グッド・オールド・ロックン・ロール
ヘイ・ママ・ロックン・ロール
愛の叫び
メンフィス・テネシー
ヘイ・タクシー
ハニー・エンジェルBGMのみ
スローダウン
涙のテディ・ボーイ
やりきれない気持
エニタイム・ウーマン
ファンキー・モンキー・ベイビー
エデンの東

今思いつくだけでジョニーBグッド ラストチャンス ユーリアリーゴッタホールドオンミー 夏の終わりなど入ってない曲もあるが

収録された曲の中でアルバムキャロルファーストからズッコケ娘とヘイママロックンロールの2曲しかない
キャロルファーストのビブロスピープルは解散ライブでやった気もする

メンバーも含めラストライブやDVDの作り手側もキャロルファーストの曲を選ばなかったことになる

売れなかった、キャロルらしさを出せなかったキャロルファーストに矢沢永吉以外メンバー初挑戦の苦労は報われず落胆しただろう
それはの怒りに変わったのかもしれない

イケイケだったらキャロルから今後キャロルで活動したとして先細りの不安が出た結果になった

続く

No.184

1974年10月ジョニー大倉内海利勝は矢沢永吉にキャロルを続けられないと解散を提案

続けられない理由がはっきりしない二人に対し矢沢永吉はお互いの将来のためにも
もう2~3年やろうと説得するが二人の意思は固くプロデューサーミッキーカーチスや事務所やレコード会社を含めた話し合いに移行

何度も話し合いの場は持たれるがジョニー大倉内海利勝の意思は固かった

解散前提の話し合いになってもジョニー大倉内海利勝側は最後のアルバムを作ることや解散全国ライブツアーも拒否

その流れで決定したのはシングルを出し解散のXデーは75年4月一回だけの解散ライブに決定

1974年12月10枚目の最後のシングルラストチャンス
https://youtu.be/cua1iXVZDAU

ジョニー大倉はこれ以上続けられないと様々な提案を拒否し続けたのにも関わらず矢沢永吉作曲ジョニー大倉作詞コンビが復活

この辺りが解散前後に矢沢永吉とジョニー大倉との間には大きな確執は無かった説の最大理由になっている

最初の解散話しの発売2ヶ月前に収録を終えていた可能性は限りなく低い

お金になる解散ライブツアーまで断る理由が矢沢永吉とジョニー大倉の大きな確執だとするならお互い顔も見たくないだろう

1曲作るならお互い長い時間一緒の時間が必要で顔も見たくない相手と思い出作りのために共同作業はしないと思うが?

続く

No.185

矢沢永吉はジョニーとは生き方が違うだけだと解散に対するコメントを残している

1975年4月日比谷野音で解散ライブ

曲は前に書いたので参考に

解散ライブのキャロルは神がかっていた
解散ライブなのに初期の荒々しいファンが求めるキャロルがいた

メンバーはハイテンションで動き回るメンバーでステージは狭く見えた

そのぶん演奏はいつものライブより雑だったがそれもまたよく、荒々しさを際立てた
特に矢沢永吉が最高だった

矢沢永吉とジョニー大倉の確執なんて微塵もなかった

解散ライブ ヘイタクシー
https://youtu.be/Wy5XkV_mipY

前にデキはそこまでよくなくアルバムの一曲にすきないと書いたヘイママロックンロールも名曲に感じるほど
https://youtu.be/YcWuIGcaEEk

解散ライブ最後に偶然爆竹の火が引火
キャロルの文字が燃え崩れ落ちた
https://youtu.be/6e5tBVwNa2E

アンコールのラスト3曲をいい音で

エニータイムウーマン 二度目のファンキーモンキーベイビー 火が着いた最後の曲ラストチャンス
https://youtu.be/S4r6KNreLXE

燃えつきたキャロルは伝説になった

2002年再編集のキャロル解散ライブ
画質がいい
https://youtu.be/8R1X_BLOO8A

続く

No.186

脱線
エニータイムウーマンは矢沢永吉作曲のキャロルの音源になってない曲で詞がまだついてないと思われる
矢沢永吉が適当英語で歌った曲
解散ライブのアンコールでやる曲ではないよね?

なぜ解散ライブで、それもアンコールで、一度も音源になってない、誰も知らない、詞も決まってない曲をバンドは選んだのだろうか?

矢沢永吉ソロはこんな曲をやるんだとのアピールでもない
キャロルが続いていたらこんな曲が出来ていたとアピールなのか?

1992年エニータイムウーマン31枚目シングル オリコン9位
ユーチューブにないのでティックトックあるが禁止ワードに引っ掛かり貼れない

グーグルから 矢沢永吉 エニータイムウーマン ティックトック

何故か17年後にソロシングルにしている

シングルエニータイムウーマンは矢沢永吉がアメリカ進出をあきらめサムボディーズナイトやピュアゴールドなど大ヒット曲が出て再ブレークした後のシングル

ピュアゴールド オリコン1位
https://youtu.be/UiP4wsEKj-E

戻ろうか

キャロルはここで終わったと思うだろうがキャロルはここから始まったと言っても過言ではない

井上陽水アルバム氷の世界が74年75年アルバムオリコン2年連続1位で74年75年の累計でアルバム日本初の100万枚を記録した

キャロル解散と同じ75年は年間52万枚を売上げた

続く

No.187

キャロル解散前の74年12月に発売されたベストアルバムキャロルゴールデンヒッツが75年年間アルバム19位に初のランクイン

週間では上位には来なかったが歌謡曲やフォーク全盛期に日本人のロックンロールが始めてチャート上位に入りガチで戦えた初の出来事になる

だがダウンタウンブキウギバンドの週間オリコン5週連続1位になった港のヨーコヨコハマヨコスカが入った
1975年2月アルバム続・脱どん底が年間オリコンで5位に入り霞む結果になってしまった

スモーキンブキやカッコマンブギなどは横浜銀蝿的コミックロックバンドの元祖でもあり

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカなど歌謡曲的扱いだったり語りのバンドでもあるのでロック、ロックンロールバンドとして売れたとも言えない面もある

ちなみに75年4月のシングル港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカの初回生産はカッコマンブギのB面扱い

スモーキンブギ
https://youtu.be/BBmOtNr8dqE
カッコマンブギ
https://youtu.be/A58IH7gEoM0
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ
https://youtu.be/r-7qgAzJtqM

この後のキャロルは解散したバンドであるが怒涛の発売ラッシュへ

1975年3月キャロル4曲入り
ルイジアンナ 涙のテディーボーイ
ファンキーモンキーベイビー 番格ロックのテーマ

続く

No.188

ちょっと嫌なことがあって書く気がなくなった
今まで見てくれた人ありがとうで、途中になってごめん

またどこかで違う形で再開するかも
そのときまた
会おう

見てくれてた人が幸運でありますように

No.189

めったに来ない共感ありがとう

SNSは嫌

アメブロも嫌

だってもっとも詳しく突っ込む奴いるだろう?

そこそこ過疎っててもGoogleのワード検索で上位になったらテンション上がるな

それに比例しない閲覧数はどうかと思うけど?

No.190

森やん、大丈夫かな?耳は良くなったの?

No.191

>> 190 検索してもらうとわかりますが2000年代に何回も病気になってます

ゆうか何回も病気報道が出てますし病気を理由にツアー中止報道が出てます

90年代もあったことなので個人的には気にしてません

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