コスモスの行方

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2017/04/20 00:35(更新日時)

私は耳に障害があるから聞こえが悪い

厄介な事に全く聴こえないわけでもない故に誤解されやすい

補聴器を着ければ普通の会話が出来るがへたをすると隣の人の話がよく解らない事がある

今も普通の会社で働いています。たくさんのストレスを抱えながら

そんな私の話です

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No.2459151 (スレ作成日時)

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No.1

小学校に上がる時に初めて補聴器を着けた


私は3歳ぐらいまでは普通に聞こえていたそうだ


小学校1年の時父が交通事故にあった

隣街に自転車で仕事に行く途中に車にはねられたのだ


学校に親戚の叔父さんが迎えに来て父が運ばれた病院に連れていかれた



父は顔中を包帯でぐるぐる巻きにされてベッドに横たわっていた


みんなベッドをかこんで呆然と立ち尽くしていた



No.2

それからしばらくして保育園の妹は母親の元に残り

私は母親の妹である親戚のおばさんの家に預けられた


おばさん達は特に私に気を使うでもなく普通に過ごしていた


そこの家にはなぜかドラムセットが置いてあった


聞けば高校生の息子さんがたまにドラムを叩いているらしかった


叔父の書斎がある部屋があった

ある日書斎に入って大きな机を見ているとノートになにやら数字が書き込んであるのが目に入った


私は人が入って来ないことを確認するとノートに書き込まれていた数字を消しゴムで消して違う数字に書き替えた


数日しておばさんに書斎のノートに何か書いたか?ときかれてが私は知らないと答えた


No.3

それからなぜかその部屋を通るたびに胸がちくちくしてそれ以来書き込んだりする事はなかった


私がいる間はドラムセットが叩かれるがなかった


このドラムセットが今もあるのかはわからないがこの持ち主である



私のいとこは60歳を過ぎた今もなぜか独身である



いつの間にか私は家に戻された


叔母さんの家にいたのは多分夏休みの間だけだったのだろう


家の父は首の後ろが痛むのか鉄製ベッドが頭の部分が高くなっていて斜めになっていた



その頃妹は保育園に行っていて食パンをよく残してきていた



この食パンは仄かに甘く美味しかった



だからこの食パンを半分分けてもらうのが楽しみだった

No.4

それからしばらくは父は入退院を繰り返していた


家は貧しくなり生活保護を受けるようになった


担任に教室の後ろに呼ばれて体育靴を貰ったりするのが子供心に嫌だった



今は現金で通帳振り込みになっているらしい



近所にもそうやって靴など貰っている男の子がいた



その子の家は兄弟が多く父親がいなかった



ある日学校から貰った歯医者の無料治療の紙を鞄に入れっぱなしで期限が過ぎてしまい


なんでもっと早く出さなかったの!と母親にこっぴどく叱られた

No.5

それからしばらくして親戚の叔父さんのつてで父は働きに行くようになった




自転車で通う父の後ろ姿を母は不安そうにいつまでも見送っていた



いつの間にか母はバイクの免許を取った



暫くして母は朝早くに新聞配達と牛乳配達をするようになった



隣の家の人はあんたのお母さんのバイクの音で朝は目が覚めるよ!と言われた



家は相変わらず貧しかった

No.6

私は学校では耳が悪いせいか忘れ物が多かった


授業の予定が替わったりする話がよく聞こえていなかったんだろうか




家までは往復15分かかる。よく家まで取りに行っていた


今日は何を忘れたの!家にいる母は呆れていた



それでものんびりした時代のせいか特にいじめられる事はなかった



通知表にはこんな言葉が書かれていた



耳が悪いのによく頑張っています。褒めて上げて下さい。




知ってか知らずか親に褒められた事はなかった



補聴器を服の下の腰にぶら下げてクラスの皆に必死でついていっていた

No.7

そんな私も中学生になった



中学校に進学する時、不安だった私は母親に



中学校に入ったら耳が悪いから聞こえなかったら不安だから1年生の時は友達のMちゃんと同じクラスにして欲しいと言っていた



それが通じたのかわからないけどMちゃんとは同じクラスになった



当時の中学校は5つの小学校の集まりだった。




Mちやんがいてくれたお陰でいつの間にか中学校生活にも馴染んでいった

No.8

中学校の授業には英語がある



アイ パブ ア ペン!




隣の教室から聞こえてくる声に負けじと大きな声が出せたのは最初のうちだけだった



発音が複雑になりイントネーションも難しくなってきた



家で英語の発音の練習をするがいまいち違うような気がする



それならばと英語の文字を綺麗に書けるよう英語の文字を書いて練習をした




英語の時間が苦痛で仕方がなかった




それでも何とか3年に進級出来た




3年になると進学の問題が出て来た




母は私が中学校に進学すると近くの会社にバイクで通勤するようになった




父は相変わらず入退院を繰り返していた




父には家には高校に行く金はないからな!と言われた




私は高校に行きたかった、でも無理を言えなかった





母が隣街に洋裁を教える各種学校があって




そこは授業料が安いらしいからそこに決めたらいいがね!




とにかくあんたは耳が悪いから手に職をつけんといかんがね!




それで私の進学は決まってしまった




私と同じレベルの子は公立の普通高校に進学したのに




その子が羨ましかった

No.9

私と同じ学校に入ったのは同級生で2人だけだった



その子は和裁のクラスで私は洋裁のクラスだった




大手百貨店に仕入れる服や着物を学校の生徒が作っていた



だから授業料は安く毎月3000円だった




申し訳程度に数学とか社会とかの授業もあった



社会科の先生はおじいちゃんで社会が好きな私は学年で5番以内にいつも入っていた




担任からはコユモスさんは普通高校に行ったら良かったのにね!とよく言われた




洋裁にはあまり気が乗らなく、服の注文はさっぱりだった



No.10

新しく入学してくる生徒達の制服を作るのは卒業生の役目だった




皆と同じように私も新入生の制服を作った




このポケットもう少し何とかならないの!担任はヒステリックに私にそう言った




私は早々に就職が決まっていた。その会社は入学祝金として5万円が支給された




同じ会社には学校から6人が入社すると言う事だった




久しぶりに会った友達は大手の自動車関係の会社に決まったと嬉しそうだった




2人して喜び不安ながらも期待に溢れて未来をみつめていた

No.11

とにかく通勤が大変だった


隣街まで電車に乗っていき少し歩くと会社のバス乗り場があった



そこからバスで会社まで30分の道のりだった




新入社員は全部で男女合わせて20人位いた




そして新入社員の研修が始まった



何もかも目新しく新鮮で楽しかった




ただ同じ学校の出身社ばかりでいつも固まって行動しているのが苦になった



それも3ヶ月も経つと気にならなくなった



家では母と気の強い妹の仲が悪くなり毎日喧嘩が絶えなかった




ある日妹が自殺騒ぎを起こして救急車で病院に運ばれた




畳に血の後が残り妹の苦悩が滲みていた




一命はとりとめたものの妹は高校に行かなくなり次第に家の中が暗くなっていった








No.12

私は働くようになってから家に食事代として2万円入れていた




そして妹にはこずかいとして3000円を渡していた



ある日いつものように給料日に妹に3000円を上げると




妹はそれをポイとほかった




妹を刺激してはいけないと思いそのまましておいたら




いつの間にか落ちていたお金がなくなっていた




そうしているうちに妹は家に帰らなくなった




すると父は私にお前は姉さんなんだからもっと妹の話を聞いてあげてくれば良かったのにと言った




(お父さん私は社会人になったばかりで仕事を覚えるのに大変だったんだよ)




心ではそう叫んでいた

No.13

それから数日が過ぎたある日隣の家に遊びに行った



隣の家には夫婦と小さい子供が3人いて私にはよくなついていた



ご主人は自動車関係の会社に勤めていて係長をやっていた



当時は景気が良くて自動車関係の会社は忙しくて残業続きで人を募集しているとの事だった




私は思わず「そこの会社で働きたいんだけど面接を受けるにはどうしたらいいの?」と聞いた




「コスモスちゃんがうちの会社で働きたいのなら会社の人事の人に詳しく聞いておいてあげるよ!」との事だった




その会社は家から歩いて30分の所にあった




今の会社には早く辞める事を言わなくてはいけない、、とても人に相談できる事ではなかった



その時は父は体調を崩して入院していた



そうだ!父が退院したので父の面倒を見なくてはならなくなったと言う事にしよう




暫くして隣の人がコスモスちゃん、会社の面接の日が決まったよ!と言ってきた

No.14

少しでも早く話した方がいい、、私はドキドキしながら上司に家の事情で仕事を辞めたいと話をした



会社に入って半年が過ぎていた



通勤に疲れて同じ職場に若い人が居なくて話し相手が居なかったのも原因だったのか、、今思えば世間知らずの私だった




その日のうちに人事に呼ばれた。私はドキドキしながら事情を話した



人事の人は「よく判った!」と言いながら納得していないようだったそして「もう少し考えてくれないか?」とも言われた



(そりゃあそうでしょう入社祝い金を5万円出して雇ったのに半年で辞められたら)そう思ったが




私の辞めると言う気持ちは変わらなかった



No.15

うんうん、それから?

No.16

それから数日が過ぎたある日また会社の人事に来るように言われた



人事の担当の人は「事情はよく解った」と言いながら手元の書類に目を通していた





何気なく書類がチラッと見えた。そこには**調査証みたいな文字が見えた



家の事情を調べたのだろうか、、





「しかし普通はお母さんがお父さんの面倒を見るものだと思うがね」




「そうですね。でも母は今の会社に勤めて長いし直ぐにはやめられないと言う事で、、」




「そういう事なら仕方がないね。こちらの方で後の手続きはやっておくから」




「申し訳ありません。よろしくお願いいたします」







複雑な思いを抱えながら私は部屋を出た

No.17

それからしばらくして私は会社を辞めた。



周りの人達に挨拶をしたのかどうか何故かその辺りの記憶が全くと言っていいほど思い出せない。




父や母に会社を辞めた事を話したが隣人の会社に面接に行くと言ったせいか特に何も言われなかった。




もっとも父も母も自分の事で精一杯だったのだろう。






隣の家の係長さんの会社の面接当日になった。




受付で面接に来た事を告げると暫く待たされた。





ドアをノックする音に慌てて席を立つと「掛けて下さい。」と言われた




「A係長から紹介があったコスモスさんですね?」「はい」私は緊張しながら答えた




履歴書を見ながら前の会社をどうして辞めたのか、どんな仕事をしていたのかいろいろ聞かれた




「結果はまた連絡いたします。今日はこれで結構です。」








No.18

それから3日ほどして『採用』通知が来た。




「やったー!」




私は素直に嬉しかった。とにかく頑張ろうと思った




隣にも報告に行ったら「心配してたのよ良かったわね」と喜んでくれた。




初出勤の日が来た。久しぶりに緊張していた。




職場に連れていかれて自己紹介をして「宜しくお願いします」と頭を下げると皆も頭をさげてくれた






同じ職場には私と年が近い若い人が多かった








1週間もするとどこから来たの?から始まりいろいろ話をするようになり仕事にも慣れてきた







会社には自転車で通勤していた。遅刻しそうになると隣の係長に乗せて貰って行ったりした





お昼は一緒に社食で食べに行く同僚も出来た





職場の結束が固く皆仲が良くて楽しく仕事が出来た。毎日が楽しかった




仕事を変わって良かったと思った

No.19

それから1年が過ぎた頃だったろうか



私は仕事でミスをした。元気がない私に佐藤さんが気にする事はないよ!これから気をつけてやるんだよ!と気づかってくれた




佐藤さんは私の事をKちゃんと呼んでいた。知らず知らずのうちに周りの人達もKちゃんと呼ぶようになった




会社にはいろんな行事があった。運動会、花火大会さすが大企業は違うなと思った。




会社の皆でみかん狩りに行く事になった




車を持っていない私は佐藤さんの車に乗せて貰う事になった




佐藤さんは子供を連れて来ていた。「よろしくね!」と言うと恥ずかしそうにしていた。

No.20

みかん狩りではなくてぶどう狩りだった(._.)




佐藤さんの子供は女の子でみいちゃんと言った。3才だった。佐藤さんが取ったぶどうを持ってはキャーキャー言いながらみんなの間をあちこち走っていた




その姿が可愛くて皆でニコニコ見つめていた




3時ぐらいになるとみんな帰り支度を始めたので私も職場の同僚とぶどうを3、4房持っては帰る事にした




帰りもまた佐藤さんが送ってくれた。車を降りる時に「ありがとうございました。みいちゃんバイバイ!」と言うとバイバイと可愛らしく手を振った




それからは残業になるとたまに佐藤さんが送ってくれるようになった





私はいつの間にか佐藤さんの事を意識し始めていた。

No.21

佐藤さんは仕事中に隣になると「Kちゃん、綺麗だね!」とか「可愛いね!」とたまに言ってきた





「またー子供だと思って」と私は返していた






その年の忘年会の帰り佐藤さんに同僚と送って貰う事になった





同僚が先に降りると佐藤さんは黙ったままだった





「Kちゃん少しドライブしようか、、」





佐藤さんはそういって車を走らせた





カーステレオから静かに音楽が流れていた





そして駐車場に車を止めると肩に手を回してキスをしてきた





私は佐藤さんに抱きついた





すると胸のボタンを外そうとしてきた




私は「ダメ!」




と言うと手を放して運転席のシートにもたれた





そして静かに煙草に火をつけた





No.22

沈黙だけが過ぎて行った




「帰ろうか?」




「、、、」






佐藤さんは静かに車を走らせた





そして私の家に着いた





「ありがとうございました。おやすみなさい」





佐藤さんは笑顔で「おやすみ!」と言った





私はテールランプが見えなくなるまで佐藤さんの車を見送っていた





職場には若い人が多かった。綺麗な女の子は若くても結婚しているか彼氏がいたりした





寮に入っている同僚は門限が厳し過ぎるとよくこぼしていた





職場では佐藤さんとは相変わらずに軽口をたたいては日が過ぎて行った





そんな頃社食に一緒に行く同僚から焼入れの人がコスモスと話がしたいと言ってるよ





と言われた、「ふーん誰だろう?」





次の日お昼休みに言われた場所に行くと男の人が立っていた



No.23

見た事がない人だった同じ会社なのに





「あの、、」





「来てくれてありがとう、名前はコスモスって言うんだね」




「社食でいつも見てた、、」




「え、、」




「その、、社食でコスモスさんの事いつも見てた」





「今、好きな人いるの?」





佐藤さんの顔がチラッと浮かんだ





「特にいないけど、、」





「オレと付き合ってくれない?」





(顔を見ると優しそうだし)




「うん、いいわ」





「じゃあ電話番号教えてよ。電話するから」






当時は今みたいな便利な携帯電話なんてなかった





「もう時間がないから行くわ!オレは松本って言うんだ」





あっけに取られた私をおいてその人は去って行った





いつから私を見ていたんだろう






私の恋はここから始まった

No.24

次の日、夜8時過ぎぐらいだったと思う家の電話が鳴った



慌てて私は電話を取った




「もしもしKです!」




「もしもし、Kさんですか?松本ですけど」





「はい、私です、、」




「もうご飯済んだの?少し話してもいいかな?」




「はい、大丈夫です、、」




「よろしくお願いします。嫌になったら言っていいからね」




「嫌だなんて、、そんな事ないです。ただ驚いてるだけです。」





「オレは寮に入っているから長電話は出来ないけどね」




「そうなんですか?知らなかったです」




「他の奴等も電話の取り合いしとるし、まあこれは冗談だけど」




「あはは、そうなんだ大変なんだね」




15分ぐらい話をしていたら




「もうそろそろ切るわ!また電話するわ!じゃあね」




「はーい、待ってます。おやすみなさい」




「おやすみ!」






もっと話がしたかった




寮の電話番号聞いてなかった事に気がついた

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