俺のいきざま
昭和17年4月3日
戦時中の疎開先で、俺は生まれた。
そして…
平成26年3月19日…
俺の人生の幕は降りた。
このお話は、両親や祖母、親戚から聞いた出来事を元に娘側から文章にして行きます。
曖昧な部分や、途中の記憶が無かったりするので、思い出しながら、言葉を足しながら綴って行けたらと思っています。
実話ですが、私の生まれる前の事もあるので多少の矛盾が出て来る事もあると思いますが、御了承願います。
かなり、ゆっくりの更新になると思いますが完結に向けて頑張りますので、宜しくお願いします。
16/01/11 20:31 追記
ё迷の小部屋ёです
http://mikle.jp/thread/2200885/
感想等いただけると嬉しいです(о´∀`о)ノ
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戦後…
家族で疎開先から地元に戻り、少しの間は本家で世話になっていた。
食べ物や衣類等ままならない時代だが、本家は割と裕福だったようだ。
俺達兄弟と同年代の従兄弟が3人居た。
ある日、叔父が従兄弟達に半紙にくるまれた綺麗な金平糖を配っていた。
従兄弟達は大喜びで、外に遊びに出掛けた。
今度は俺達兄弟にくれるんだとワクワクしながら待っていた。
「おまえ達、手を出しな」
兄貴と俺は両手を出して待っていたが、手のひらに貰った金平糖は三粒…
「おまえらの親父の葬式までしてやったんだから、貰えるだけでも有り難いと思うんだぞ」
叔父は話ながら部屋を出て行った。
それでも、甘いものに飢えていたから嬉しかった。
俺は一気に金平糖を口の中に放り込み、あっという間に平らげた。
しかし、兄貴は一粒づつ大切に食べて居た。
それを見た俺は、子供ながらに後悔したのを覚えている。
多分、羨ましそうに兄貴の手のひらを見ていたのだろう。
「昶、一粒やるよ」
兄貴が俺の手に綺麗な色の金平糖を一粒置いてくれた。
「あんちゃん、ありがとう!」
そんな俺の姿を見た兄貴は、笑いながらこう言った。
「うまいな!」
「うん」
俺より3歳年上の兄貴は、気は小さいが優しい性格なんだ。
本家の口利きで、親戚の土地と建物を借りて俺達家族は引っ越しをした。
以前住んでいた家は、もう住めるような状態ではなかったようだ。
婆ちゃんとお袋、俺達兄弟は3部屋と台所と小さな蔵がある家で暮らし始めた。
家族4人が住むには充分な広さだ。
庭も広く、柿や梅、びわやざくろの木があり裏には竹藪があった。
木に実がなったり、たけのこが出たら好きにしても良いと言われて居たので季節毎に美味しい物を食べる事が出来た。
昔は珍しい訳ではなかったが、今思うと贅沢だったと思う。
当時は幼稚園や保育園等はなかったので、小学生になるまでは出来る限りの家の手伝いをした後、庭で走り回ったり、木登りをしたり近所の友達や従兄弟達と川や田んぼの端で遊んだ。
貧しい時代で、どの家庭も苦しかったが、家は稼ぎ頭の親父が居なかったから、お袋は朝から晩まで男に混ざり俺達のために働いてくれた。
食べ物はあっても、やはり多少の現金は必要だった。
家事や俺達兄弟の面倒は婆ちゃんがみてくれていた。
恩給制度が出来たのは、戦後暫く経ってからだったようだ。
小学生になった俺は父親が居ない事で、ててなし子とからかわれたり、虐めに合うようになった。
兄貴が小学校に通い出してから、年中泣いて帰って来たのはこれが原因だったんた。
気の弱い兄貴は、やられても泣き寝入りだった。
しかし、俺はどんなにやられてもその場で泣く事はしなかった。
悔しさと悲しさいっぱいの時は、庭の木のてっぺんに登り夕方暗くなるまで泣いて、気が済んだら下に降りていた。
なかなか帰らない俺を探していた婆ちゃんと兄貴は、俺の顔を見るなり安心して怒る。
「昶、おまえ泣いただろ?」
「泣いてねーよ!」
「目の回りが真っ黒だぞ」
「ゴミが入って擦っただけだよ!」
見え見えの嘘をついた。
それからは、帰りが遅いと兄貴が木の下で待っていた。
そして、泣いた泣かないの会話の繰り返しになった。
父ちゃん、一目で良いから父ちゃんに会いたかったよ…
少しで良いから、父ちゃんと話がしたかったよ…
この願いは一生叶う事はなかった。
夏になると、毎日のように近くの川で遊んだ。
橋から飛び降りると言う、子供が考えそうな事だ。
俺は小さいながらも、負けず嫌いだったから兄貴に負けるもんかと夢中になり飛び降りた。
運悪く飛び降りたところには、大きな石があり穴を打った。
息が出来ないくらいの痛さだったが、泣くのはみっともないと思い我慢して帰った。
翌朝、俺の体に異変が起きた。
動けないし、体は痛いし、ぐるぐる目が回る。
高熱が出て飯も食えなかった。
川で怪我をした時にばい菌が入り、破傷風になってしまったのだ。
遠くから、お袋が呼んでいる声が聞こえるが返事も出来ないくらい苦しかった。
3日以上も同じ状態が続き、俺の顔は小さく蒼白くなって来て、お袋は俺の命を一瞬諦めたようだ。
既に意識もなくなっていた。
医者に掛かる金もない…
そんな時、風の噂で聞いたのか、隣街から馬車で医者がかけつけてくれた。
「この子はお国のために戦った軍人さんの息子だから、私が診察しましょう」
当時、一万円もする注射を数日間通って打ってくれた。
「先生、家はそんな高額な注射代は払えないんですよ…」
「何言ってるんですか!素晴らしい父親を持っている息子さんです!私が好きで治療をしているんですよ」
そう言って、気持ちながらの金も受け取らなかった。
この頃は破傷風になってしまったら、殆ど助からないとされていた。
元気になってから、お袋がこの事を詳しく教えてくれた。
この時思った。
親父が居ない事は寂しいけれど、恥ずかしい事ではないんだ。
誇れる事なんだと…
こうして俺は一度目の命拾いをしたのだ。
まだ危ない目に合い、死ぬと思った事もあるが、もう少し後に話をしようと思う。
小学3年生頃から、上級生からの虐めが始まった。
毎日の様に袋叩きで、帰る頃にはボロボロになる。
畜生ーっ!
親父が居ないだけで、何でこんなにやられるんだよ。
俺は木のてっぺんで、泣いた後考えた。
数人でやられたら敵うわけがない。
よし!ひとりひとりの家を回ってやる。
先ずは一番強い相手の家に行き、両親に事情を話して1対1で戦わせてくれと頼んだ。
そいつの親父は理解してくれて、相手を呼んだ。
「おまえは下級生によってたかって暴力を振るったんだな?」
「…」
黙って俯く上級生。
「悪かったな、ふたりでやりなさい」
相手の親父に言われ、俺は真っ直ぐ見据えた。
そして、向かって行った。
無我夢中で殴り合いをして、相手が降参したところで、親父さんが間に入ってこう言った。
「おまえの負けだ!これからは卑怯な真似をするな!」
うなだれる上級生は黙って頷いた。
その後、数人の家も全部回り、みんなやっつけてやった。
こてんぱんにしていたら、 見かねた親は俺に謝って来た。
「うちの坊主が悪かった!このくらいで勘弁してやってくれないか?」
俺は黙って、そいつの家を出て帰った。
全員やっつけたのに何故か、俺の気持ちは満たされなかった。
もっと強くなってやる!
そう心に決めて、翌日から新聞配達をし、金を貯めて柔道を習い始めた。
何か目的があるわけでもなく、ただ強くなりたかった。
俺の回りは徐々に変わって行った。
毎日、待ち伏せしていた上級生が揃って謝りに来て態度がコロッと変わり、後ろから歩いてくる。
「昶さん!一緒に行こうぜ」
うぜー。
散々やっといて呼び捨てから、さん付けかよ。
俺が黙って歩くと、数人が黙って着いてくるのだ。
止めてくれよ…俺の中ではもう終わってんだよ。
毎朝、迎えにも来るようになった。
「あーきらさーん!」
奴らの声が聞こえる。
「昶、友達が迎えに来てるよ」
お袋が俺を呼んで居るが、朝飯を食って裏から出てひとりで学校に向かった。
面倒くせーな…
俺は団体で動く事は嫌いなんだよ。
それでも毎日懲りずに迎えに来る…そいつらの兄弟も混ざり段々人数が増える。
兄貴と同級生の奴等は、俺の機嫌を伺っていたらしい。
兄貴の名前は利雄。
「としちゃん、昶さんは?」
「昶なら先に行ったよ」
この頃から兄貴への虐めも無くなっていた。
俺は学校で一番強いとされてしまい、それもウザかった。
俺達兄弟の成績は悪くはなかったが決して褒められるような数字ではなかった。
しかし、運動神経は良かった方でお袋は毎年の運動会を楽しみにしていた。
徒競走、リレー、騎馬戦等では負ける事はなく全て一等賞の俺達に、お袋は何時も優しい顔で言う。
「母ちゃん、運動会だけは鼻が高いよ」
毎年同じ事を聞きながら、お袋と婆ちゃんが作って来てくれた握り飯をがっつきながら食っていた。
心の中では嬉しくて、笑って居たかったけれど照れ臭くて、弁当を食ったら直ぐに駆け出し鉄棒で大車輪をしていた。
母ちゃん素直になれなくてごめんな。
こんな俺の気持ちは、お袋は解って居たのだろう。
小学生最後の年
6年生になった俺は、同級生と連るんだり遊ぶ事はなかった。
変わらず、新聞配達をしながら柔道を習っていた。
兄貴は、中学生になり野球部のキャプテンになり頑張っていた。
俺も野球が得意だったので中学生になったら、野球部に入ると決めていた。
6年生の夏休みに、俺はちょっとした事件を起こしてしまった。
明るい時間から酒を飲み、酔っ払って訳が解らなくなった。
開通したばかりの国道の、ど真ん中で大の字になり寝てしまったのだ。
当時は自動車を所有している家庭は少なかったけれど、俺のせいで通行止めになり警察のお世話になった。
もちろん電話等ない。
近所の人が、あの家の息子じゃないかと、お袋に知らせに行ったようだ。
「昶!全く!馬鹿息子が!」
駆け付けたお袋に怒られているが、寝ぼけていた俺は何で怒っているのか解らずに怒鳴り散らした。
「うるせー!うるせーんだよ!」
後に、話を聞いた俺は当然謝る事もせず…
「何の事だよ!」と威張っていた。
国道沿いに住む家庭から噂は流れ、俺は決して誉めらる事ではない事をしてしまったと、少しだけ後悔した。
中学校入学と同時に、野球部に入部した。
夕方暗くなるまで練習に打ち込みヘトヘトになり帰宅する。
時には1000本ノックで倒れるまでしごかれた事もある。
当時は真夏でも水は飲むな!と言われて居たから、俺を含めぶっ倒れた奴は沢山いた。
今の時代だったら、水分補給無しは大問題だろう。
学校生活は、適当で勉強は全くせずに授業中の重要点だけを頭に叩き込んだ。
時にはサボり、街に出て映画を観たりラーメンを食いに出たり、一服したり…
威張れる事ではないが、はっきり言って不良だった。
今はヤンキーと言うのだろうか。
それでも部活の時間になると、学校に戻り練習の時間は惜しまなかった。
その甲斐あって、1年生からレギュラーを貰えた。
内野手のセカンドで、打順は確か5番だったと思う。
兄貴が居たから、上級生からは可愛がられていた方だと思う。
その上級生の中には、小学生の時に喧嘩をした奴もいたんだ。
呼び名は、相変わらず昶さん…同級生もみんな苗字か名前のさん付けだ。
俺って、そんなに怖いのか?と思ったりしたが、あまり深くは考えず直ぐに忘れた。
中学2年生になり、念願のサードと4番バッターを貰う事が出来た。
相変わらず、野球だけは真面目に出て授業は適当だ。
喧嘩も良くしたが、いくらやっつけても気が済まない。
気が済まない理由も解らなかった。
恐らく、この頃から血の気が多かったのだろう。
2年生の時に、新任の音楽教師が入って来た。
理由は定かではないが、俺は音楽教師に目の敵にされていたようだ。
ある日、理不尽な事で因縁をつけられ、今まで我慢していた俺の気持ちに火が着き爆発した。
「何なんだ!てめーはっ!」
叫んだ瞬間に、一番後ろの席から教壇の後ろの黒板まで椅子を投げ飛ばしていた。
でかい音と、俺の言動にびっくりした音楽教師は、震えた声でこう行った。
「今日は自習にします」
言い捨てるように、教室を出て行ってしまった。
教室内は物音ひとつもない程、静まり返ってしまった。
ばつが悪いのと、頭に来ていた俺は教室を飛び出し学校の裏で一服した後、街に出掛けて時間を潰していた。
そして、部活が始まる前に学校に戻り何事もなかったかのように練習を始めた。
学校の裏は、俺を含め何人かの一服場所になっていた。
後から聞いた話だが、兄貴も一員だったらしい。
中学生が数人で他群ろをして、煙草を吸うなんて事は、もちろん悪い事だが学校の先生達は恐らく知っていたのだろう。
今より、校則も厳しくない時代で暗黙の了解とされていたと思う。
授業が面白くなかったり、音楽の時間はひとりで一服天国だ。
時々、小学生に入る前くらいの男の子が遊びに来て、手に持っている動物ビスケットをくれた。
動物の形のビスケットにいろいろな色の砂糖が塗られているシンプルなお菓子だ。
あの頃は、お菓子等は豊富になかったが、俺も子供の頃は缶に入っている動物ビスケットをポケットいっぺーに入れて遊びに出掛けたもんだ。
男の子の手のひらから、2~3個貰い一緒に食った。
「美味いよ、ありがとうな」
俺が声をかけると嬉しそうに笑う。
口数は少ないが、良くなついてた。
数人で居るときは、現れないのに俺がひとりの時には必ず近くに来て、自分のお菓子を差し出してくれた。
可愛いじゃねーか!
時々、ジュースを買ってやると嬉しそうにお礼を言う。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「おう!またな」
校内に入るまで手を振り、見送ってくれた。
あの時の坊主は今頃どうしているのだろうか。
平和に暮らして居ることを願うよ。
因みに、音楽の時間に問題を起こしたり授業に出て居なかったから俺の音楽の成績は1だった。
当たり前か…
まあ、仕方ない。
中学3年生の夏の大会では、かなり良い成績で野球の強い高校から、推薦入学の話を貰った。
俺は迷った。
正直、野球の強い学校で自分の力を試したかったのだ。
しかし、兄貴も同じ学校から声をかけられていたのに本人が断ってしまった。
「俺は勉強も嫌いだし、煙草が吸いたいから働く」
兄貴が言っている事は本当だと思ったが、早く社会に出て家計を助けたかった気持ちが強かったんだと思う。
当時は中卒は珍しい話でもなかった。
俺だけ高校に行っても良いのだろうか…
考えながら家に帰り、お袋と兄貴に相談をしたのだが、思いもよらない話が出ていて頭が混乱してしまった。
「昶の好きにすれば良いんじゃないか」
兄貴は賛成してくれたが、お袋から養子の話を聞かされた。
「昶、千住の叔母さんの家に行く気はあるか?」
つまり、子供に恵まれなかった叔母夫婦の養子に行かないか、と言う話だ。
そう言えば、子供の頃は叔母さんに良く言われていた。
「昶、叔母さんちの子にならないか?」
俺は冗談だと思って聞き流していたが、叔母とお袋の間で話が持ち上がっていたらしい。
そうだよな…
次男坊の俺が、高校何かに行っても何の役にも立てないしな…
俺が養子に行けば、千住からまとまった金が入って来るのだろう。
「昶、どうする?」
俺には断る理由もないし、断れなかった。
「行っても良いよ」
俺が答えた数日後、千住の叔母さんが嬉しそうにやって来た。
「昶、本当に来てくれるの?」
「ああ」
俺は素っ気なく答えた。
千住の家は、建設業を営んでいて跡継ぎになるために学校で勉強をしながら、下積みで稼業を手伝うらしい。
「家の近くに、建築の高校があるから試験受けような」
叔母さんは絶えず笑顔で話す。
昼間は仕事、夜は定時制の学校に行くみたいだ。
まだ実感もないし、他人事の様に叔母さんの話を聞いていた。
受験は、簡単なものであっという間に終わり、校門を出て直ぐに一服をした。
投げやりになっていた俺は、高校に落ちてもかまわねーや、何て思いながら校門の前から離れずに煙草をゆっくり味わっていた。
結果は合格。
4月から、定時制の高校に入る事になった。
3月の卒業式を終えて、俺は千住の家に行った。
翌日から、下積みとして稼業を手伝う事になり作業場に行ったが、空気が重い。
気のせいか?
叔父が俺を紹介して、挨拶をしたまでは良かったのだ。
「今日から、ここで働く事になった昶だ、みんな仕事を教えてやってくれな」
叔父が話終えた後、挨拶をした。
「よろしくお願いします」
叔父が奥に下がり、作業場に残された俺は何をすれば良いのか解らずに、近くの奴に話しかけた。
「あの、何をすれば良いですか?」
無言…
他の奴等に聞いても同じ反応で、初日はただ立っている事しか出来なかった。
高度成長期の頃だったから、弟子は沢山いた。
翌日は、誰よりも早く仕事場に行き、掃除をしたり道具を揃えたりしながら出勤してくる奴等を待っていた。
8時前になると、ひとりふたりと仕事場に入って来る。
「おはようございます」
出来るだけ、はきはきした声で挨拶をしたが、ちらりと見るだけで誰も挨拶を返してくれない。
当然何も教えて貰えるはずもなく、何も出来ない。
「誰だ!道具をいじったのは!」
「はい、俺です」
「勝手な真似してんじゃねーよ!」
「すみません」
右も左も解らない俺は、生まれて始めての屈辱感を味わったのだ。
1週間程、同じ状態が続いた。
翌週になり、作業場のボス的な奴がぼそっと話しかけてきた。
「おい、小僧突っ立ってないで、こっちに来な」
俺は言われた通り、ボス的な奴の近くに行った。
「とりあえず、俺のやる事をみてろよ、一度教えたら次はないからな!」
「はい」
その日から、しばらくの間ボスの側で仕事を見ながら基本的な事を教えて貰った。
「俺達のような仕事はな、人の仕事振りを盗みながら覚えるんだ」
始めて社会に出た俺は、このボスの言葉を一生忘れる事はないだろうと思った。
そして、1ヶ月も過ぎた頃には基本的な事は、ひとりで出来るようになっていた。
数ヶ月が過ぎ、毎日同じ事の繰り返しに少し嫌気が指して来た。
ボスは必要最低限の事しか話さないし、他の職人は変わらず無言なままだ。
半年程、我慢をしたが堪えられなくなって来てしまった。
もう辞めちまうかな…
でも、俺の場合は他の社員とは違い、違う職に着きたいからとか、独立したいから辞めたい…何て理由は通用しないのだ。
仕事と学校には惰性で行っていたが、とうとう気持ちが持たなくなってしまった。
間違えがあったり、物がなくなったりしたら全て俺のせいになる。
もう無理だ…
行き詰まり、親父の墓参りに行った。
墓の前で30分くらい、親父に語りかけたが、返事何かあるわけないよな…
その晩、俺は決心した。
風呂敷も、適当な鞄も無かったから自分のジャンバーに数日分の下着をくるみ、置き手紙をして千住の家を出た。
夜逃げみたいなものだろう。
逃げ出す事はもちろん、黙って出るのは少し気が引けるから置き手紙を残しわずかな着替えが入ったジャンバーを肩にぶら下げて、地元に戻る仕度をした。
置き手紙の内容は…
『今日、親父の墓参りに行った。相談したら親父に出て行っても良いと言われたから、俺は出て行く』
こう書き残し学校ではなく、駅に向かって歩き出した。
歩き出したは良いが、このまま実家に帰るわけにはいかないよな。
俺は養子縁組をしてお袋の姉、つまり叔母夫婦の家に行ったのだ。
どの面下げて帰れば良いんだよ…
帰れないよな…
財布の中は、わずかだが半年間の手間賃が入っている。
衣食住は、世話になっていたから、煙草を買うくらいで金は使わなかった。
でも、これくらいの金じゃ自活もできねーよ。
駅の前で一服しながら、しばらく考えていると前からボスが俺の方に向かって歩いて来る姿が見えた。
「昶、こんなところで何してるんだ?学校はどうした?」
「ちょっと、いろいろ考えてて…」
俺のジャンバーを見て何かを察したらしい。
「ガキが駅前で煙草何か吸ってんじゃねーよ」
「はい…」
「まあ、いいさ!1本くれよ」
俺はポケットから煙草を取りだし、ボスに渡してマッチで火を着けた。
「なあ、昶ー辛いか?」
何も答えられない俺に、ボスは話を続けた。
この日、始めて名前で呼ばれた。
何だか皮肉だよな…
「出て行くのか?」
「はい、そのつもりです」
「親父さんとおかみさんには、行って来たのか?」
「いえ…」
「お前の気持ちは、何となく解るよ、奴等はさ、昶に嫉妬してるんだと思うぜ」
「親父さん達に、職場の事話してないんだろう?」
「はい……」
「俺らみたいな、雇われ職人は親父さんに認めて貰うために必死なんだよ…一人前になれば自分で1から商売を始めるんだ」
ボスはゆっくり煙草をふかしながら、話を続ける。
「俺達に比べて、おまえは先が決まってる、先々安泰だろうから、みんな妬いてるんだよ」
そんな事で嫉妬何かするか?
「決めるのは、おまえだから俺は止めないよ」
ボスは俺の言葉を待っている様子だった。
「ひとつ聞いても良いですか?」
俺はボスに話しかけた。
「良いよ」
「どうして俺に仕事を教えてくれたんですか?」
「どうしてだろうな…俺は基本的に仕事は教えないんだ」
ボスは考えながら、ゆっくり話してくれた。
「1週間おまえの態度を見て、目が違うと思ったんだ」
「目ですか?」
「ああ、昶の目は鋭いよ、みんなの仕事を良く見てたじゃねーか」
ボスは自分のポケットから煙草を出し、俺に差し出した。
俺は会釈をしてマッチで火を着けた。
「それにな、俺の手先を隈無く見てたよな」
「はい」
「あの時、見込みがある奴だと思ったんだよ」
そんな風に思ってくれていたとは知らなかったから、びっくりした。
「驚いたか?」
俺の顔を見たボスは愉快そうに笑った。
「なあ、一軒付き合えよ」
ボスに飲みに誘われた。
「はい」
俺は黙ってボスの後ろを着いて行った。
数分歩いて、こじんまりした居酒屋に入った。
「とりあえずビールで良いよな?」
ボスは瓶ビールを注文して、俺のグラスに酌してくれた。
俺もボスのグラスにお酌をする。
お疲れ様の乾杯をした後、ボスが話しの続きを始めた。
「それで、おまえはこれからどうする?戻る気はないんだろう?」
「はい…戻る気はありません」
「ひとりで生活するのは大変だぞ、金も必要だし、実家には戻れないんだろ?」
「そうなんですけど…」
「まあ、昶なら就職に困る事はないと思うぜ、社員寮がある会社もあるし」
その手があったか!
「でもな、保証人やら面倒くさいぞ、もし何かあったら訪ねて来い」
ボスは紙に住所を書いて俺に手渡してくれた。
「ありがとうございます」
「さあ、もう難しい話しはやめだ!飲もうぜー昶は酒豪何だろ?」
「いえ、たしなむ程度です」
「嘘つくんじゃねーよ!」
ボスは軽快に笑った。
その笑いにつられて俺もやっと笑う事が出来た。
2時間程飲んで、ボスと別れ電車に乗った。
ボスは帰り際にも『何かあったら来いよ、今日の事は誰にも言わないし、親父さん達にも黙ってるからな』と言ってくれた。
この人と離れるのは寂しい。
始めて仕事を教えて貰って、今日話をした事で俺の事を心配してくれているのも解った。
しかし、俺の決心は変わらなかった。
ボスの住所が書いてある紙は、ボロボロになるまで財布の中に入れていたが、その後再会する事はなかった。
電車に揺られながら、いろいろ考えてみたが何の案も出てこない。
これからの身の振り方を考えなくてはならないのに、どうにもならないよな…
そうこうしている内に、地元の駅に着いてしまった。
実家には帰れない…
明日になれば、千住から連絡が行くだろう。
他に行くあてがあれば迷わず行くが、中学を卒業してから、知り合い何か居ないし、とりあえず地元の友人を頼るしかない。
中学校の近くに同級生が住んでいたので、訪ねてみる事にした。
「昶さん!どうしたんだよ?」
友人はびっくりしていた。
「いろいろあってよー、泊めてくれねーか?」
「良いけど、俺何かの家で良いのか?」
「おまえんちが良いんだよ」
本当は、何処でも良かったが友人の機嫌を損ねたらまずい。
「家で良ければ、何日でもかわまわいよ」
「わリーな」
先ずは、寝泊まりする場所を確保した。
この頃から、ずる賢さを覚えた。
半年分の手間賃で、この先の事を友人宅でゆっくり考えようと思っていた。
数日間は、俺の奢りで遊んだり酒を飲みに出掛けていた。
金の力って凄いんだな。
あっという間に、数人でつるむようになっていた。
友人がポツリと話しかけて来た。
「なあ、昶さん」
「なんだ?」
「何だか雰囲気変わったな」
「そうか?俺は変わってねーよ」
友人は話を続ける。
「まあ昶さんは昶さんなんだけどよ、なんつーか大人になったような…上手く言えないけど野球部でキャプテンやってた時とは違うな」
「そりゃ、そうだろ、もう野球部じゃねーし」
そう…俺は中学3年になったと同時にキャプテンになったのだ。
その頃は、1学年先輩のキャプテンが次の代のキャプテンを指名する事になっていた。
俺をキャプテンにしてくれた先輩は厳しかったが、面倒見が良くていろいろ教えて貰った。
その先輩が1年生の時に俺の兄貴がキャプテンだった訳だが、決して贔屓目ではなく目に止めてくれていたと聞いた。
兄弟共、キャプテンを務める事は始めてだったらしい。
その時の事を思い出し、遠い目になる。
俺を選んでくれた先輩は、進学していたし疎遠になっていたので、もう会わないだろうと思っていたが、先々再会する事になるなんて、この頃の俺は思ってもみなかった。
「やっぱり昶さん変わったよ」
友人が声をかけて来たが、今の俺は、そんな事はどうでも良かった。
「だから、変わってないよ、1杯飲みに行こうぜ!」
「そうだな!今日は俺が奢るよ」
「それじゃ、御馳走になるよ」
仲間と数人で街に繰り出した。
数人で居酒屋で飲んでいたら、斜め向かいの男がこっちを見ている。
睨んでいると言った方が正しいだろうか。
「あの男、さっきから俺達の事をずっと見てるぜ」
仲間のひとりが、心細そうに言った。
俺は関係ないと、敢えて視線を合わせなかった。
それが気に入らなかったのか、トイレに立った時に男に喧嘩を売られた。
「おまえら!ガキのくせに偉そうに飲んでんじゃねーよ!」
俺は、売られた喧嘩は買うのだ。
「偉そうなのはどっちだよ!俺らは普通に飲んでるだけじゃねーか!」
「何だと!てめー表に出ろよ」
男が凄む。
「望むところだよ!」
表に出ようとしたら、友人が心配そうな顔をしている。
「大丈夫だよ、おまえら待ってろ」
俺は男の後ろを着いて行き、店の外に出た。
男はいきなり殴りかかって来て、俺の顔に一発パンチを浴びせた。
少しよろけたが、向こうが先に手を出したんだから遠慮はいらねーよな。
俺は相手の胸ぐらを掴み、パンチを仕返した。
それからは、もう滅茶苦茶だった。
お互い譲らないし、俺も負けたくない。
暫く、その状態が続き男が尻餅を着いたところで降参してきた。
「参ったよ、お前強いなーいくつだ?名前は?」
喧嘩が終わると、男は腫れた顔ながらも笑顔になっていた。
「16歳、昶」
「昶か、俺は服部って言うんだ、悪かったな、今日は連れの分も含め俺が奢るよ」
そう言い、男は俺達の伝票を持ち会計を済ませて出て行った。
店内に戻ったら、仲間がポカーンとした顔になっていたのでちょっと笑ってしまった。
「何笑ってんだよ、顔腫れてるじゃねーか」
「大丈夫だよ、他の店で飲み直そうぜ!今日は、おまえの奢りなんだろ?」
「それは構わないけど、結構腫れてるぜ…血も出てるし」
俺は血の着いた口元を袖で拭いた。
「アルコール消毒すれば治るよ」
俺の性格を知って居る友人は黙って着いてきて近くの居酒屋に入った。
「あっ!」
さっきの服部が連れとふたりで飲んでいた。
会釈をして店を出ようとした俺に服部が声をかけて来た。
「よお!昶、遠慮しないで入れよー今こいつに昶の話をしていたんだ!今日はおまえらの分は全部俺の奢りだ!」
「ありがとうございます」
服部は稼業のガラス屋を手伝っていて、もうすぐ19歳になると行った。
連れの人は俺を見て、穏やかな笑顔でこう行った。
「随分、威勢が良いんだってな」
「いえ…」
「まあ、いいじゃねーか、飲もうぜ!」
服部は機嫌良く飲んでいる。
その場は楽しく飲み、夜中にお開きになった。
帰る頃には『服部さん』『昶』と呼び合うようになっていた。
しかし、俺は見逃さなかった。
服部さんのシャツの袖口から、ちらりと墨が見えていたのだ。
幕末時代では、鳶職や危険を伴う仕事をしている人は、刺青を入れるのは当たり前とされていたと聞いた事があるが、おそらく今時刺青を入れているのは…あちらの世界の人だろう。
友人宅に戻り、親父さんの酒をくすねてみんなで飲んだ。
「昶さん、服部さんて最初はすげー怖かったけど、優しくて面白い人だな」
仲間のひとりが興奮しながら話す。
「そうだな、でも俺が居ない時は挨拶程度で、余計な話はするなよ」
「何でだよ?面白い人じゃねーか」
「そうだけど!深入りするな!」
俺は強い口調で話して、寝転んだ。
「解ったよ」
納得をしていない顔をしながらも、渋々と約束をした。
こいつらを、やくざもんと関わらせるわけにはいかないからな…
もちろん自分もだ…
俺は心の中で呟いた。
数日たったある日、友人が申し訳なさそうに話しかけて来た。
「昶さん、家の親がさ、いつまで友達を置いとくんだって言うんだ…」
ここに来て、しばらく厄介になっていて俺もそろそろ出ようかと考えていたところだった。
「ああ、随分世話になって悪かったな」
「ごめんな…」
「おまえが謝ることじゃねーだろ」
話ながら、手早く荷物をまとめた。
この時は手頃な鞄や着替えを買っていたので、千住から持って来たジャンパーも鞄に入れた。
「行くあてあるのか?俺、誰かに聞いてみるよ」
「いや、何とかなるよ、ありがとうな」
「時間が経てば、大丈夫だから!また泊まりに来てよ!」
「おう、またな」
俺はこいつを一生忘れないだろうと思いながら、友人宅を出た。
玄関先まで、見送ってくれた友人は本当に心配そうで泣きそうな顔になっていた。
「そんな顔するなよ、一生会えない訳じゃねーし、また飲みに行こうな」
友人は黙って頷いた。
「それじゃ、行くよ、親御さんの留守中で悪いけど宜しく伝えてな」
「解ったよ…」
俺は駅に向かって歩き出したが、100㍍くらいのところで友人が叫んだ。
「昶さーん!」
友人の吉田が手を振りながら呼んでいる。
「絶対、また来てなーっ!」
俺は笑いながら、手を振り替えし歩いた。
吉田…ありがとう…ずっと見送ってくれていたんだな。
今も、おまえの視線を感じるぜ。
また歩き出したが、涙が出そうになったので空を見上げた。
半分霞んだ空の色は綺麗だったよ。
一宿一飯の恩…
義理は返せるが、恩は一生返せない…
返し続けるしかないのだ。
吉田が困った時には、真っ先に駆け付けると心に決めた。
吉田の家から駅までは、ゆっくり歩いても10分程で着く。
なんとかなるとは言ったものの、行く宛もないんだよな。
さて、どうするかな…
一服しながら考えてみたが、どうする事もできねーし、とりあえずは、いつも遊んでいる街に出てみよう。
夕方だったから、帰宅するサラリーマン達の姿もちらほら見かける。
電車に揺られ、10分程で終点だ。
いつもの街の駅で、また一服をしていたら後ろから声をかけられた。
「昶さんかい?」
振り向くと、小学生の時からの幼馴染みの床屋の清坊だった。
「よお、久しぶりだな!元気か?」
俺が話しかけると清坊は目を丸くした。
「どうしたんだよ?金持ちの親戚の家に養子に行ったって聞いてるぜ」
「でかい声出すなよ、まあ、いろいろあってよー清坊時間あるか?」
「帰るだけだから大丈夫だけど」
俺は居酒屋に誘った。
「清坊、俺がこっちに来てる事は誰にも言うなよ」
「解った」
「絶対だぞ、約束出来るか?」
清坊は頷いた。
千住を黙って出て来て、吉田の家で世話になっていた事を話した。
「そうか…大変だったな、しかし水臭いじゃねーか!何で俺んとこに来ないんだよ?」
「おまえんちに行ったら、実家にばれるだろーが!」
「あっ!そうか…」
「それで、行く宛あるのかよ?」
「ねえな」
即答した俺の顔を見て、清坊は笑った。
その笑いにつられ俺も笑った。
「うちじゃ、まずいから友達にあたってやるよ、今日は家の離れで泊まれよ」
「清坊に迷惑かけらんねーよ」
有り難い話だが、俺は断った。
「1日くらい大丈夫だって!離れには滅多に人は来ないし、俺ら良く泊まり合いしてた仲だろ」
ここまで言ってくれているし、熱心に話を聞いてくれる清坊の気持ちに甘える事にした。
「わりーな…」
「昶さんは俺の命の恩人だろ」
数時間、居酒屋で飲んで昔話に花が咲いた。
俺達が、小学校1年生の時の事だった。
夏に兄貴や従兄弟、友達と川で遊んでいたら、泳げない清坊が足を滑らせて川に落ちて溺れそうになったのだ。
あの頃の川は濁りもなく、水流も早かったので清坊は手足をバタバタさせながら沈みかけていた。
俺はとっさに川に飛び込み、清坊を抱えながら泳いで川の縁まで上がった。
「清坊っ!大丈夫か?」
「大丈夫…」
苦しそうにしていたが、意識はしっかりしていた。
そして、誰かが清坊の家に事情を話に行き、念のため医者に診て貰ったが何ともないと聞き安心したのを覚えている。
後日、清坊の両親が俺にお礼を言いに訪れ、当時ではなかなか変えかなったクレヨンと鉛筆1ダースと画用紙をくれた。
貧乏だった家は、真新しいクレヨン等は買って貰えなかったから、子供なりに嬉しかった記憶も蘇る。
今だったら、警察から感謝状でも貰えるはずだよな。
思い出しながら笑うと、清坊も笑いながら改まって言った。
「昶さん、あの時はありがとうな、俺まともにお礼も言えなくてよ」
「子供の頃の話だろう、忘れたよ」
照れ臭くなり、日本酒を追加した。
程よく酔いも回った頃、清坊の家の離れに向かった。
駅からは歩いて、7分~8分くらいの距離で改札を降りて曲がり角はひとつしかない。
先々この辺りは一等地となったのだった。
清坊の家の離れに着いた。
「昶さん、ちょっと待っててな」
小声で言う清坊に頷き、離れの部屋に入りあぐらをかいて座った。
見回して見ると、昔とは随分様変わりしていた。
部屋の奥にはドラムまである!
あいつんちは昔から裕福だからな、なんて思っていたら清坊が布団を抱えて入って来た。
「これ使ってよ、俺んちは結構友達が来るから怪しまれないよ、この部屋ならバレないし飯は俺が適当に運んで来るから、しばらくここに居れば良いんじゃねーの?」
「有り難い話だけど、いくらなんでも俺の実家と近すぎるだろ、歩いて10分もかからないんだぜ」
俺の実家は清坊の家より駅には遠いが、知り合いが多すぎるのだ。
「だよな…とりあえず酒とつまみ持って来たから少し飲もうよ」
「ありがとうな、おまえドラムやってんの?」
清坊はドラムの方を向き、情けない顔をしながら話始めた。
「欲しくて親に買って貰ったんだけどさ、最初は何人かでグループ組んで練習してたんだけど、みんな学校や仕事の付き合いやらで自然と集まらなくなってさ…俺もやめちゃったよ」
「そうか…」
俺は数分黙って考えてから清坊に言った。
「ドラムまた練習しとけよ!俺、ギターやりたいんだよ、金貯めてギター買うから一緒にやろうぜ!」
「本当に?」
清坊は嬉しそうに目を輝かせた。
「ああ、いつとは約束出来ねーけど、とりあえず短期で手間賃が良い仕事探すからさ」
俺は、少し興奮していた。
翌日の朝になり、清坊が握り飯とコッペパンを持って入って来た。
「これ朝飯な、昼はパンで我慢してな、俺3時過ぎには帰って来るからそれまで、ここに居てな」
「充分だよ、それじゃ、ゆっくりさせて貰うよ」
「明るい内に出るとヤバいから暗くなってからの方が良いよ」
「気使わせてすまないな」
「良いんだって!幼馴染みだろ」
お互い照れ臭くなりそっぽを向く。
「それじゃ、行って来るわ」
「おう!気をつけてな」
清坊は稼業の床屋を継ぐために、理容師の学校に通っていた。
先々、清坊は一人前の理容師となり40年近く、俺の髪をカットする事となる。
ひとりになった俺は、再び寝転んで仕事や住むところをどうしようかと考えていた。
昼になり、容易してくれたコッペパン3つを平らげ、いつの間にか眠ってしまった。
「昶さん!」
清坊の声で目が覚めた。
「わりー、寝ちまったよ」
「そんなの構わないけど、ちょっと良い話を貰ったんだ、昶さんが良ければ行ってみないかと思ってよ」
「どんな話だ?」
俺は起き上がり、聞く態勢をとった。
「俺の学校の友達で、隣街で親が床屋をやってる奴が居るんだ、まあ俺んちと同じ感じなんだけどな」
「うん、それで?」
「女の従業員で、出産する人が居てさ、復帰するまで手伝ってくれないかって言ってるんだよ」
「俺、何も出来ねーけど良いのかよ?」
清坊は身を乗り出して、話の続きをして来た。
「大丈夫!昶さんの事情は粗方話してあるし、掃除や雑用になるけど住み込みで数ヵ月来て欲しいって」
俺の顔色を伺いながら、清坊は返事を待ってくれた。
「素性を明かさなくて良いのかよ」
「それは、大丈夫だと思うよ、この辺に知り合いも居ないだろうし、下の名前だけ解れば良いってよ」
「そっか、行ってみようかな」
「本当に?今夜そいつと会う約束してるから、昶さんも一緒に行こうぜ」
清坊の気遣いが、とても嬉しかった。
「ありがとうな、おまえと偶然街で会えて助かったよ」
清坊は嬉しそうに笑った。
「あそこなら俺も遊びに行けるし、休みの日は夜にでもここに来いよ、コソコソするのは嫌かもしれねーけど」
「もう慣れたよ」
俺は笑ながら答えた。
「そっか、お茶持って来るから、陽が落ちるのを待って出ようぜ」
「解ったよ」
この日も昔話等を沢山して、夜になってから清坊の家を後にした。
清坊の友達の家へと向かう。
隣の駅だったが、確かに俺の実家とは無縁だった。
「はじめまして、清司君の同級生の森田正和です」
清坊の名前は【清司(せいじ)】と言うのだ。
「はじめまして、俺は…」
言葉に詰まった俺の様子を察してくれたようだ。
「下の名前だけで良いですよ、何なら偽名でも良いし」
いくらなんでも偽名では申し訳ないから、平仮名で【あきら】と紙に書いた。
「あきらさんですね、今親父を呼んで来るから待ってて」
森田正和が親父さんを呼びに行っている時、ちょっと不安になり清坊に話しかけた。
「おい、これで良いのか?」
「大丈夫だって!まさやんは、あれこれ詮索するやつじゃねーから」
数分後、親父さんが現れた。
「やあ、うちで良かったら数ヶ月手伝って貰えないかな?」
優しそうな親父さんで安心した。
「はい、何をすれば良いですか?」
「殆どが雑用になるんだよ、お客さんの会話や床に落ちた髪の毛の掃除、カミソリをあてる前の蒸しおしぼりの用意なんかで、後は仕事している内に覚えられるよ」
親父さんは、お茶を一口飲み、話を続けた。
「住み込みで、飯と風呂付きで、月3000円でどうだろう?仕事振りを見てからまた考えるよ」
ラーメンが30円、納豆が5円で食える時代だったから悪い話ではない。
短期だから保証人もいらないと言うのだ。
やるしかない!
「よろしくお願いします!」
俺は頭を下げた。
森田正和の親父さんは、ホッとしたような顔になった。
「いやー良かったよ、募集しているんだけど、なかなか条件にあった人がいなくてね」
「こちらこそ助かります、ありがとうございます」
俺は再び頭を下げた。
「今夜から泊まってくれて構わないよ、部屋等は息子に聞いてくれな」
親父さんは、話ながら出て行った。
「昶さん、良かったな!」
清坊がニコニコしながら喜んでくれた。
「あきらさん、部屋に案内するよ、俺の事は名前で呼んでくれても良いよ」
「それじゃ、まさやんで」
俺達は、握手をしながら笑った。
「部屋は、ここなんだよ、狭くて悪いんだけど…」
陽当たりの良さそうな四畳半だった。
「とんでもない!こんな俺に1部屋貸してくれるなんて有り難いですよ」
部屋の次は、御手洗いや風呂場を案内して貰った。
「ところで、清司とあきらさんは晩飯食った?」
「まだなんだよ、腹へったな」
清坊が正直に答えた。
「近くに美味いラーメン屋があるんだけど、どう?」
「昶さん、どうする?」
「もちろん行くよ」
男同士の話は早い。
3人で数分歩いてラーメン屋に入った。
「親父が、御馳走してやれって金くれたから好きなの頼んでよ」
まさやんは、話ながらビールを頼んだ。
おっ!酒飲むんだな。
「俺達もビール頼んで良いですか?」
「もちろん!同い年なんだから、敬語いらないよ」
「ありがとう」
3人で、軽く飲んでから、さっぱりとした醤油ラーメンを食った。
「それじゃ、昶さんまたなーまさやん明日学校でな」
店を出たところで、清坊は帰って行った。
まさやんと俺は、清坊を見送り部屋に帰った。
「あきらさん、風呂入ってよ」
まさやんが、進めてくれた。
「まさやん、先に入ってくれよ」
「俺は、夕方入ったから大丈夫だよ、最後の残り湯で悪いんだけど…」
「いやいや、風呂に浸かれるだけで有り難いよ」
「そう言って貰えると助かるよ、俺は先に寝るから風呂出たらあきらさんも休んでな」
まさやんは、自分の部屋に戻って行った。
俺は風呂場に行き、ゆっくりと湯に浸かった。
のんびりと浸かり、頭も体もきれいに洗ってさっぱりして部屋に戻った。
さて、明日からは仕事だし寝るかな。
用意してくれていた布団は、干してくれてあり、とても気持ちが良かった。
ひとりで眠る事が、こんなに贅沢なんだと、この日初めて思った。
翌朝、まさやんのお袋さんが用意してくれた朝飯食ってから、親父さんに店の中を案内してもらい、ある程度の仕事を教えて貰った。
「始めは、床の掃除をしてくれれば良いよ」
「はい!俺に出来る事なら何でも言い付けて下さい」
「頼もしいな」
親父さんは、笑いながら剃刀の刃を研ぎ始めた。
~カランコロン~
店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ、今日はどうしますか?」
「いつも通り任せるよ」
どうやら常連さんらしい。
「はい、形は変えずに切りますよ」
「頼むわ、新しい従業員入れたんだ?」
「和代ちゃんが休んでる間、頼んだんだよ」
俺は常連さんに挨拶した。
「あきらです、よろしくお願いします」
「頑張ってな、ここの親父は優しいからな」
常連さんは笑いながら話しかけてくれた。
初日のお客さんは数人で終わり、店を閉めた。
俺は床の掃除と、道具を揃えて親父さんに話しかけた。
「他にやることはありますか?」
「いや、今日は良いよ、平日だからこにのくらいだけど、日曜日は結構混むからよろしくな」
「はい、頑張ります」
親父さんは、優しい笑顔になり、こう言った。
「あきらも、いろいろあると思うけど出来る事をやれば良いんだよ、飯食って風呂入れな」
余計な詮索をしない、親父さんの言葉がとても有り難かった。
居間に入ると、お袋さんが晩飯を用意してくれていた。
「お疲れ様、大した物はないけど沢山食べなさい」
こんな俺に、優しく接してくれる事が嬉しかった。
同時に、食卓を囲んでいる、まさやんの事がうらやましいとも思っていた。
親父がいて、お袋がいて、兄弟が居る。
当たり前の事かも知れないが、親父を知らずに育った俺は、こんな家庭が理想だったんだ。
晩飯を済ませ、風呂に入ったら思っていたより疲れていたようで、あっという間に眠りについた。
1ヶ月程経った頃、俺はお客さんの顔を触るまでになった。
親父さんが散髪した後に、柔らかいブラシでお客さんの顔に飛んだ髪を丁寧に優しく払うのだ。
それから、髭を剃る時の石鹸の作り方も教えて貰った。
なるほど、これなら肌を痛めずに済むんだな。
他の細かい仕事は、親父さんの動きを見ながら少しずつ覚えて行った。
初給料を貰った俺は、安い中古のギターを買い、自己流で練習した。
清坊と約束したからな。
練習は、昼休みの僅かな時間と、夜はたまに清坊の家の離れを使わせて貰った。
「昶さん、すげーよ!短期間でこんなに弾けるようになるとは思わなかったよ」
清坊は嬉しそうに、興奮しながら喜んでくれた。
清坊とふたりで当時流行っていたグループサウンズの真似事をして、遊んでいた。
まさやんも、巻き込みベースをやって貰う事になり、俺達は一生懸命練習した。
清坊とまさやんは、真面目に学校に行っていたし、俺も休む事なく仕事をしていたから、周りは仲良くやってるんだろうと思っていたみたいだ。
この時覚えたギターが近い将来、違う世界で弾くことになるなんて…
この時の俺は、想像も出来なかった。
まさやんの親父さんの床屋で、働き初めて3ヶ月程経った頃、親父さんから話があった。
「あきら、和代ちゃんが後1ヶ月くらいで戻って来るんだよ」
そうだ…俺は臨時の従業員だったんだっけ。
出て行かないといけないな。
「あっ!はい、和代さんが戻る頃には他の仕事を探して出ていきますから」
「いやいや、そんな話じゃないんだよ」
頭の中が『?』でいっぱいになった。
そんな俺の顔を見た親父さんは、優しい笑顔で話を続けた。
「理容師になる気はないか?」
「えっ?」
「おまえは仕事も丁寧だし、手先も器用だから向いていると思うんだ」
いきなりの話に黙り混んでしまった。
「直ぐに決めなくても良いよ、もしその気があるなら学校にも通わせるし、しばらく家に居てくれて構わないからな」
胸が熱くなった。
素性も明かしていない俺を、こんな風に考えてくれていたなんて思ってもみなかったからだ。
「ありがとうございます、でも…」
親父さんは、『でも…』の続きは聞かずに『ゆっくり考えてくれ』と行ってくれた。
「ありがとうございます」
とても有り難いし、俺には贅沢過ぎる話だが、そこまで甘えるわけに行かない。
心の中では、和代さんが戻る頃には出ていこうと決めていた。
仕事と、住む場所を探さなくてはならない。
千住を出るときにボスが言っていた、寮のある会社を探そうと思った。
保証人は、まさやんの親父さんに頼んでみるかな。
いや、図々しいよな…
床屋は月曜日が休みだから、職探しを始めよう。
とりあえず、街に出て求人を見ながら、寮か住み込みの仕事を探してみるが、なかなか思うように見つかる訳もなく…
都内に出ないと無理なんだろうか。
また来週にでも探す事にして、居酒屋で少し飲んでから帰ろうと思った。
一時間ちょっと飲んで、まさやんの家に帰ろうと、切符を買って改札に入ろうとしたら、後ろから俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「昶!」
やべー!
油断していた。
一番会いたくない奴と目が合ってしまった。
「何やってんだ!こんなところで!」
「………」
兄貴だった。
「お袋も、千住の叔母さんも心配してるんだぞ!」
捲し立てる兄貴に少し腹が立って来た。
「解ってるよ!うるせーな」
「うるせーじゃねーだろ!とりあえず1度家に帰って来いよ」
今更帰れる訳ねーじゃねーか!
「兄貴、とりあえず何処か店に入ろうぜ」
「解った」
兄貴と俺は、駅から一番近い居酒屋に入った。
俺達兄弟は、向かい合わせに座り日本酒を注文した。
当たり前だが、一応兄貴の方が歳上だから、俺からお酌をした。
兄貴が俺に酌をしようとしたが、強がってしまった。
「良いよ、自分で注ぐから」
思っていた通り、兄貴は今まで何をしていたか、今は何処に住んで居るのか聞いてきた。
「今は、知り合いのところで、住み込みで働いてる」
清坊の名前を出す訳には行かないから、詳しくは話さなかった。
「みんな心配してるんだぞ、とにかく家に帰って事情を話せよ」
「今の職場に、後1ヶ月くらいは居ないといけないから、その後帰るよ」
「そんな呑気な事言ってる場合じゃねーだろ!おまえ、中3の授業料使い込んだんだろ?卒業式の後、学校の先生が家に来て、お袋が全部払ったんだぞ」
そうだった…
あの頃は、今のように銀行振込等なかった時代で、授業料は生徒に持たせる事が当たり前だった。
俺は、お袋から金を貰い学校に持って行く振りをして全部使い込んだのだ。
学校も1年間もの間、何も言って来なかったんだな。
貧しい時代だったからだろうか?
考えながら黙り混む俺に、兄貴はまだ、ごちゃごちゃ言って来る。
うるせーな…
1年間の授業料くらい、千住から入った金で十分払えただろうが。
「とにかく今すぐ帰れねーから」
それだけ言って、金をテーブルの上に起き先に店を出て、走って駅の改札に行き電車に乗った。
会計を済ませている兄貴には追い付かれずに済みほっとした。
口が軽い兄貴には、口止めをしても無理だから、今日中に俺が近場にいる事はお袋の耳に入るだろう。
お袋、ごめんな…
それから、俺を可愛がってくれた婆ちゃん…
千住の家に行く時に泣いてくれたよな…
婆ちゃん…ごめんな…
兄貴を撒いた俺は、電車の中でいろいろな事を考えていた。
まさやんの家に帰り、風呂に入り布団に寝転んだ。
どうするかな…
勝手な行動をしていた俺は、いずれ実家に謝りに行かなければならないとは思っていた。
まさやんが、飯も食わなかった俺の様子を見に来たみたいだ。
「あきらさん、入るよ」
「おう!」
片手に握り飯を持ちながら、部屋に入って来た。
「これ、お袋が持って行けってさ、腹が減ったら食いなよ」
「ありがとうな」
まさやんは、他愛ない話をしてから出て行った。
何かあったとは感じているみたいだが、何も聞かずに居てくれる事が有り難かった。
翌日からは、職探しは中断して床屋の仕事を頑張った。
清坊にだけは、ある程度の事を話した。
「昶さんの兄貴、俺んとこ来たよ、心配してるって…知らないって言っといたけどな」
おしゃべり兄貴のやりそうな事だ…
「清坊、わりーな」
「元々は俺が言い出したんだから、昶さん謝るなよ」
「…」
黙り混む俺に、清坊は笑いながらドラムとギターを指差した。
「練習しようぜー」
暗い顔ばかりしてらんねーや!
「よし!やるかー」
ふたりで、一時間程練習をしてから飲みに出掛けた。
駅前だと、また兄貴や近所の奴等に見付かるかもしれないから少し歩き、こじんまりとした店に入り、ほろ酔いになってから帰った。
このままだと、みんなに迷惑をかけてしまう。
和代さんが戻って来たら、実家に行こう。
もう逃げも隠れもしないと、心に決めた。
兄貴と遭遇してから半月程経った頃、和代さんが赤ん坊を抱いて店に訪れた。
赤ん坊は可愛い顔で眠っていた。
「はじめまして、あなたがあきらくん?」
「はい、はじめまして」
「旦那さんから聞いてるよ、手先が器用で見込みのあるやつだって自慢してた」
和代さんは穏やかな優しい顔で話しかけて来た。
「理容師になる気はないの?」
「あの…まだ考えていて…」
俺は、あやふやな返事しか出来なかった。
「そう、良く考えてね、私が戻った時に一緒に仕事が出来たら嬉しいな」
和代さんは、ニコニコ話ながら奥に入って行った。
嬉しい話だが、やっぱり俺には無理だ…
事情を話せば、厄介な事になるし迷惑もかけてしまうだろう。
数日後、親父さんに自分の気持ちを聞いて貰った。
「親父さん、俺にはもったいないくらい気にかけて貰って嬉しいし、有り難いんですけど…」
「やっぱり無理か?」
「はい、すみません」
親父さんは、無理強いはしなかった。
「まあ、気が変わったら、いつでも来てくれな!残り10日だけど、頑張って仕事してくれればいいからな」
「はい、ありがとうございます」
月末まで、出来る限りの事をして、親父さんとおかみさんにお礼をしてから荷物をまとめ、まさやんの家を出た。
最後の給料は、茶封筒に五千円入っていた。
まさやんの家を出てから中を見た俺は、びっくりしたが今更引き返せない。
…親父さん、ありがとう…俺は心の中で何度もお礼をした。
さて…実家に行かないとな…
その前に、清坊に会って行こう!
まさやんの家から、一駅だしゆっくり歩いて行く事にした。
国道沿いを真っ直ぐ歩くこと20分、清坊の家が見えて来た。
この頃は、離れには自由に出入りしていたから勝手に入り清坊が帰って来るのを待った。
小一時間待っていると、清坊が顔を出した。
「昶さん、今日はどうしたんだよ?」
俺の荷物を見た清坊は心配そうに、こう言った。
「やっぱりまさやんの家から出たんだな…実家に行くのか?」
「まあな…気乗りしねーけど…清坊、まさやんの家にいた事は黙っててくれるよな?」
「当たり前だろう!今までだって誰にも言ってねーからよ」
「助かるよ」
「何、水臭い事言ってんだよ、何かあったらいつでも来いよ!」
清坊は笑ながら、俺の肩を叩いた。
俺は、離れに置かせて貰っていたギターを肩にぶら下げて実家まで歩いた。
何て言って入れば良いのか考えていたら、勝手口からお袋が出て来た。
「昶!今まで何処にいたんだい?利雄から話は聞いてたけど探しようがなくてな…とにかく家に上がれな」
お袋は優しかった…怒られた方が良かった…
「かあちゃん、ごめんな…」
「謝る事はないよ、飯まだなんだろ?」
「ああ、ばあちゃんは?」
俺の問い掛けに、お袋は困った顔になった。
「ばあちゃんな…体悪くして寝てるんだよ…」
「えっ!」
兄貴の奴!何で肝心な事言わねーんだよ!と怒りを覚えたが…そうだ…俺、逃げたんだった。
家の中に入り、ばあちゃんの様子を見に行く。
「ばあちゃん!」
ばあちゃんは、台所の隣の部屋で寝込んでいた。
「昶?…昶なのかい?」
「そうだよ!ばあちゃん、心配かけてごめんな…」
俺は布団の横に座り、ばあちゃんの顔を覗き込んだ。
何だか様子が変だ。
「ばあちゃん、どうしたんだよ?何処か痛いのか?」
「ちょっと体の節々が痛くてね、最近目も悪くなって来て…年だから仕方ないんだよ」
そう言えば、目は開いているものの、焦点が合っていないような気がする。
「大丈夫か?飯は食えるのか?」
「ああ、かあちゃんがやってくれてるよ」
料理上手なばあちゃんが、台所仕事も出来なくなったのか?
「そうか、何か食いたい物あるか?」
「そうだねえ、バナナ食いたいけど高いからな」
そう言いながら笑った。
「わかったよ、近々買って来てやるからな」
「ありがとうな、気持ちだけで充分だよ…ばあちゃん少し寝るから飯食って来な」
今では手軽に手に入るバナナは当時は高級品だったのだ。
「ああ…ゆっくり休んでな」
部屋を出た俺は、思っていたより調子が悪そうな、ばあちゃんの姿にショックを受けた。
後でお袋に聞いてみよう。
お袋は、煮物と味噌汁を温めてくれていた。
お袋が用意してくれた飯を黙って食った。
お袋は、結婚前は裕福で女学校に通っていたらしく殆ど家事はしなかったと聞いた事がある。
料理は、殆どばあちゃんに任せて働いていたお袋は決して料理上手とは言えなかったが、久しぶりの実家の味は優しかった。
「なあ、ばあちゃんの体悪いのか?」
飯を食い終わった後、お袋に聞いてみた。
「そうだね…リュウマチが進んで来てな…目もかなり悪くなって、医者が言うには全盲になるのも時間の問題だって…」
「そんなに悪かったんだな…」
ばあちゃん…
「仕方ないんだよ…原因もわからないって言われたしな…」
「そうか…」
「なあ、昶…千住には戻らないんだろ?」
不意の問いかけに、言葉が詰まる。
「…ごめん…戻らない…」
「そうだよな、千住も心配してるから明日にでも連絡するよ」
数日後、千住の叔母さんから手紙が来た。
学校は休暇扱いにしていたけれど、退学の手続きをすること。
辛い思いをさせて済まなかった。
気が向いたら、いつでも遊びに来なさい。
こんな内容だったと思う。
お袋に手紙を渡した。
「千住で嫌な事があったんだな…昶の気持ちも知らないで悪かったな」
「………」
そんなに優しくしないでくれよ…
「そうだ、戸籍は昶が学校を卒業するまでは、そのままにするって話ていたから、家から動いてないよ」
驚いた…中学を卒業してから養子として行ったと思い込んでいた俺は、叔母やお袋の気持ちも知らずにいたんだ。
夕方になり、兄貴が定時で帰って来た。
玄関に俺の靴があったのを見たらしく、血相を変えて台所にやって来た。
「昶!おまえ何やってたんだよ、探したんだぞ!」
「あの時は逃げるような事して悪かったと思ってるよ」
「無事なら良いんだよ、ばあちゃんに会ったか?」
「ああ、あんなに体を悪くしてるなんて思ってなくってよ…」
「そうだよな、ばあちゃんはいつも昶の事心配してたよ」
俺は胸が詰まって何も言えなくなった。
察した兄貴は話題を変えて、これからの事を聞いて来た。
「とりあえず、早く仕事を見付けるよ」
「宛はあるのか?」
「無いけど割の良い仕事探すから」
「そうか、まあ数日はゆっくりしろよ」
兄貴は安心したのか、飯を食いながら笑った。
まさやんちで稼いだ金の半分をお袋に渡して、手持ちの分は仕事が見つかるまで財布に収めることにした。
「昶、無理しなくて良いんだぞ」
お袋が心配そうな顔をしていた。
「無理なんかしてねーよ」
「ありがとうな」
お袋は、ぐちゃぐちゃな封筒に入った金を仏壇に置き、線香をたてた。
実家の布団は、千住にいた頃の物より薄かったが、久しぶりにゆっくり眠ったような気がした。
朝になり、ばあちゃんの様子を見に行く。
お袋が朝飯を用意していた。
「ばあちゃんの飯、俺が持ってって食わせるから」
「そうかい、悪いな」
お盆に乗せたお粥と味噌汁に、芋の煮物と漬物を持って、ばあちゃんの部屋に行った。
「おはよう!ばあちゃん、朝飯持って来た」
「昶、すまないね」
「何言ってんだよ、水臭いな」
ばあちゃんはゆっくり起き上がり、ゆっくり食べ始めた。
目はまだすこし見えているみたいだが、不便を感じているのは直ぐに解った。
「ばあちゃん、ゆっくりで良いんだからな、味噌汁熱いから俺持っててやるよ」
ばあちゃんは少し恥ずかしそうにしながらも、俺が口元に持って行くと、目を細めながら美味そうに食った。
「美味いや、ありがとうな」
「全部食えたな、俺仕事探しに行って来るから待っててな」
「解ったよ、気を付けるんだよ」
朝飯を済ませて、仕事を探しに出る事にした。
兄貴は既に、出勤して行ったようだ。
「かあちゃん、俺出掛けて来るけど何か必要なもんあるか?」
「特にないよ、少しゆっくりしたらどうだい?」
「やる事ねーし、暇だから仕事探しに行って来る」
俺は電車に乗って街に出た。
街に出たものの、千住から出て来た時と同じで、宛もないし割に合う仕事はなかなか見つからない。
やっぱり甘かった。
夕方近くまで、探して見たが無理だった。
今日は帰ろう。
そうだ!ばあちゃんに土産買って行こう。
駅の近くにある八百屋でバナナを買う事にした。
八百屋の親父は、元気よく話しかけて来た。
「おっ!にいちゃん、景気良いね!」
「景気なんか良くねーよ、病気のばあちゃんにやるんだ」
「そうか、ばあちゃん悪いのか」
「良くはねーな」
「ばあちゃん孝行してな」
親父は端数はいらないよと笑った。
「毎度どうもね!」
毎度じゃねーよ、初めて来たんだからよ…と言いそうになったが心に溜めて電車に乗った。
ばあちゃん喜んでくれるかな?
俺はばあちゃんの反応を楽しみにしながら、バナナを持って家に帰った。
「ただいま」
誰も居ないのかな?
お袋は買い物か近所にお茶でも飲みに行ったのかもしれない。
ばあちゃんの部屋を覗いたら、気持ち良さそうに寝ていたので俺も横になった。
歩き疲れたせいか、いつの間にか眠っていた。
「昶、晩飯だよ」
お袋の声で目が覚めた。
1時間くらい眠っていたみたいだ。
「ばあちゃん起きてるのか?」
味噌汁を温めていたお袋に聞いてみた。
「起きてるよ、晩飯持って行こうと思ってたんだよ」
「俺持って行く!土産もあるんだ」
「バナナか!ばあちゃん喜ぶよ」
お盆に乗せてある飯と一緒に持ち、ばあちゃんの部屋に行く。
「ばあちゃん、俺だよ」
「ああ、おかえり」
「晩飯だよ!後な、バナナ買って来たんだ」
俺は皮を剥き、ばあちゃんの手に持たせた。
「ありがとうな、ありがとうな」
ばあちゃんは何度も礼を言いながら、憧れのバナナを美味そうに食い始めた。
「美味いや、甘くて柔らかくて本当に美味いや」
少し照れくさい。
「まだあるから、明日また食ってな」
他愛ない話をして、部屋を出て台所に戻った。
「かあちゃん、少し飯残しちまったよ、俺が先にバナナ食わしちまってさ…ごめんな」
「良いんだよ、ばあちゃん喜んだだろ?」
「ああ、滅多に食えないしなー良かったら、かあちゃんと兄貴も食ってよ」
「良いのか!ありがとな」
帰宅していた兄貴は喜んでいた。
ばあちゃんの嬉しそうな『美味いや』の言葉を聞きたくて俺は時々バナナを買って帰った。
半月経っても仕事は見つからず、少しやけ気味になって来てしまった。
まだ学生の清坊とまさやんを誘い、バンドの真似事をしていた。
金を出し合い、必要な物を買って、清坊の家の離で練習したり酒を飲んだりしていた。
今で言うとニートだな…
離れでは物足りなくなり、外で演奏しようと誘ったら、ふたりとも乗って来た。
田んぼのあぜ道で、アンプまで引いてガンガン音を鳴らした。
周りは田植え等で忙しく、同年代の奴等は田植えを手伝っていた頃だ。
案の定、近所で陰口を言われ、お袋も肩身が狭かっただろうな…
この時の俺は、そんな事はお構いなしに、当時流行っていたグループサウンズの真似事をしていたのだ。
俺はギターとボーカルもやっていた。
数日後、音を鳴らしている時に、たまたま通りかかった男に声をかけられた。
「よお!昶じゃねーか!」
「戸張さん!」
戸張とは、以前喧嘩をして仲良くなった服部さんの連れだ。
この再会で、俺の人生が大きく変わる事になる。
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