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たかおの婚活
たかお。年齢40。教師。独身。
親は資産家でおぼっちゃん育ちだったが、親のしいたレールにのって、おとなしく学校に通い、素直に勉強なんてできやしなくて、盗んだバイクで走りだし、校舎の窓ガラスを壊してまわって、ヤンキーとなる。
その後更生して教師となり十数年。そんなたかおの物語。
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私立オサール高校。ラサール高校のとなり。
一年生の島田健介はトイレの便器にしゃがんでいた。今日は登校初日。入学式だ。
トイレ正面の壁には、でかでかと「あいうえお」表が貼ってあった。天井を見ると「九九」の表が、これもでかでかと。
「ちっ! 勉強勉強、クソぐらいゆっくりさせろや」
健介はケツポケットからタバコを取り出すと、ライターで火をつけた。
「ふ~っ 肺が生き返りやがるぜ」
「ばかやろーーーー!」隣の個室から大声が響いた。
「ばかとはなんでえ、ばかとは。びっくりさせんな。むせるじゃねえか」
「うるせえ。煙なんかたてやがって。奴が、奴がくる」
「奴、奴ってなんでえ」
「なんだオメエ、奴をしらないたあ、新入りけ!?」
「今日は入学式だろ。俺は今日はいったばかりの新一年生だよ」
「一年だあ!? 一年がいきなり便所でタバコかよ。ふざけやがって。口のききかたもなってねえし。なんなんだ」
「ああ、すいません。いきなりばかなんて言われたんで。先輩相手に生意気しようとは、自分は思っておりません。となりでウンコしてるのが先輩かもしれんってことを忘れてました。ついこないだまで中学で最上級生だったもんすから」
その時、コンコンと便所のドアをたたく音がした。
「誰だよ。待ってろよ。まだウンコもタバコも途中だよ」
健介はドアに向かって言った。
となりの個室の男が声をあげた。
「この音は! 来た、来ちまったよ。めんどくせえ奴が! めんどくせえ。ほんとにめんどくせえよ」
「めんどくせえ奴? ああ、そういえば先輩、さっき奴がどうのって言ってたっすね。奴って誰すか?」
「GTOさ」
先輩がボソリと言った。
「じ、じーてぃーおー? じーてぃーおーって、あのGTOっすか? この学校にいるんすか? やった。来たくなかったけど、来てよかった。自分、鬼塚先生ファンなんです」
健介は尻もふかず立ち上がると、勢いよくドアを開けた。
「マンガは全巻読みました! 握手してください」
手を差し出した健介の目の前には、分厚い胸板と広い肩幅、太い腕を持った男がいた。男は歌を口ずさんでいた。
「♪盗んだバイクで走りだす~~るるるっるるるる、るるるっるるるる~~」
(じ、GTOが歌ってる。GTOって歌下手なんだな。ダンスは最高なのにな。尾崎が好きなのかな。EXILEじゃないんだな)
健介は憧れの人に出会った緊張で、顔を上げられなかった。
「♪行儀よーく真面目なんてできやしなかった~~るるる~~るるる」
(メドレーかい! 下手だし、るるるで歌詞ごまかしてるし)健介は思わず顔を上げた。
いかつい顔。黒ぶち眼鏡。七三に分けて整髪料でがっちり固めた髪型。
「こんなの、こんなの、GTOじゃね~~~~~~~!!!!!」
「くそ、いい加減なこと言いやがって。GTOなんていないじゃないか! 先輩だからって、純真な後輩をだまくらかして楽しいのかよ。つーか、ズボン下げたまんま出てきちゃったよ。尻も拭いてないよ。どうするんだよ」
健介は怒りにまかせて、先輩のいる個室のドアを蹴飛ばそうとした。ずり下がったズボンが足にからまって、床のタイルに体がたたきつけられた。
「ちくしょう……ちくしょう。悔しいよ、自分、悔しいよ」
その時トイレットペーパーを持った太い腕が健介に差し出された。
「これで拭きな」
「えっ……」
健介は腕の主を見上げた。いかつい顔の黒ぶち眼鏡の奥の目が優しく笑っていた。
「これで尻を拭きな。そのチョコレート色の美しく輝く、尻の間にこびりついたものを拭き取るのは惜しいけど、拭いていいぜ。拭きたいんだろ」
「え………」
健介は、おずおずとトイレットペーパーを受け取った。
(なんだ、優しそうな人だな。チョコレートがどうのって、ちょっとわけわかんないけど)
「あ、ありがとうございます! 自分、うれしいっす。こんな便所の床の上で、下半身裸で、うんこつけたまんまではいつくばって、みじめで……悔しくて……自分……自分……」
「いいから早く拭きな。お前のチョコレート色に輝く生産物が、悔やし涙で汚れちまう前にな」
「は……はい。拭かせていただきます」健介は、受け取ったトイレットペーパーで尻を拭いた。拭き終わったペーパーを手に持ったまま、ヨロヨロと立ち上がり、トイレに流そうとした。
「待ちな」
いかつい男が健介を呼び止めた。
健介の方に上に向けた手のひらを差し出した。
「それは、こっちによこしな」
「え……でも」
「いいからよこすんだよ」
「は……はい」
健介はペーパーを男にわたした。
男はペーパーを開くと、両手で目の前に掲げてまじまじと見た。
「美しい」
「え! それウンコっすよ。美しいってマジっすか。でも、そんなまじまじ見られて、自分ちょっと恥ずかしいっす」
健介は、ポッと頬を赤らめた。
「お前、今なんて言った」
「え?」
「それウンコっすよ。 美しいってマジっすかって言わなかったか」
「はい、言ったっす。だってウンコっすよウンコ。汚ならしいウンコっすよ。美しいなんてありえないっす。自分、勉強はできないけど、それぐらいわかりますよ。常識っす」
「バカ野郎」
男の平手が健介の頬にとんだ。ビンタの衝撃で健介の体は壁にたたきつけられた。
「げっ!」
健介は痛みで頬をおさえた。何かが手に触れた。それはトイレットペーパーだった。トイレットペーパーが頬にくっついていた。ウンコが接着剤の役目を果たしていた。
(そう言えば今日のウンコちょっと粘っこかったかも)
「つーか、ペーパー持った手で殴るんじゃねええええええっっっっ!!!!」
普段、目上はたてるタイプの健介だったが、この時ばかりは思わず声を荒らげた。
健介は泣いた。今日は昼間っからやけに涙がでてくらあ。健介は鼻をかんだ。
(しまった、うっかりウンコで鼻かんじゃった。ちくしょう……ちくしょう…… )
「俺は幼い頃、お坊ちゃんだった」
GTOは懐かしそうな目をして、便所の天井を見あげた。「俺の父親は金持ちで、俺は何不自由なく育てられた。欲しいものは何でも買ってもらえた。家にはメイドさんが何人もいて、俺の好物のオムライスをいつもふーふーして、あーんしてくれたもんさ」
「え! いいな、タダで。自分が行きつけのメイド喫茶ならふーふーあーんは、一回千円っすよ!」
「でもよ」GTOは、健介の叫びを無視して語り続けた。「俺は、そんな生活に飽き飽きしてた。俺の中に流れる血は、自由を求め続けていた。家の中には金とメイドはあったが、自由はなかったんだ。父親は俺を溺愛するあまり、俺を過剰に拘束した」
「金とメイド。金とメイド。金とメイド」健介は、うっとりと繰り返した。「自分は、金払ってメイド」現実はいつも健介に冷たかった。
「ある時期から俺はグレた。俺はメイドを捨てて、自由を探しに家を出たんだ」
「もったいない! で、ウンコとそれと何の関係が! どうして自分はウンコつきペーパーでビンタされなくてはならなかったのでしょうか!」
田茂は、トイレでじっとしゃがんでいた。ドアの向こうでは、GTOと新入りのタバコ野郎が、ガタガタやっている。田茂のトイレは和式便器だった。足がしびれてしかたなかったが、田茂は耐えていた。まきこまれたくない。
「♪お昼休みはウキウキうんち。あちこちクソしていいとも。お昼休みはウキウキうんち。あちこちクソしていいとも」田茂は、笑っていいともの替え歌を口ずさんで、気をまぎわらせていた。田茂は、この歌が好きだった。歌っていると、なんだか元気がでてきて、つい叫んでしまう。
「クソしていいとも!!」田茂は北斗の拳のラオウの如く、天に右拳を突き上げて、立ち上がった。しびれた足がもつれた。
(いいとも!! じゃねーし)
心の中でのり突っ込みし、後悔の念を抱きながら、田茂はトイレのドアによろけてぶつかり、大きな音をたてた。
「ん?]GTOは、音のしたドアを見た。「クソしていいとも!!だと。もしかしてそこでクソしてるのは、タモリか」GTOは嬉しそうに笑った。GTOは、田茂のいる個室のドアを開けようとした。カギがかかっていた。「おっ、カギがかかってるな」GTOは、さらに嬉しさを増した笑顔で歌うように言った。
「何がそんなにおかしいんっすか? タモリってあのタモリっすか? いやいやいやいやいや。自分はもうだまされないっす。さっきGTOで若者の純なあこがれを打ち砕かれたばかりっすから。タモリがこんなところでクソなんかしてるわけがないっす。自分、勉強はできないけど、それぐらいわかるっす。GTOはわかんなかったけど、高校に入って一日でちょっと賢くなったっすね」健介は得意そうに鼻の下をこすった。
GTOは健介を見た。
「何言ってやがる。タモリはタモリじゃねえか。ウチの生徒だよ。ところでお前の名前、まだきいてなかったな。なんていうんだ。新入生か? 見ない顔だよな。入学式出なくていいのか?」
(いや、入学式出れてないの、ほぼあんたのおかげだし。一服したら出るつもりだったし。だまされたし、なぐられたし、ウンコつけられたし)健介は、心で毒づきながらも、顔には出さず、胸をはって大きな声で言った。「島田健介っす」
健介は、自分の名前が好きだった。友達は、健介のことを健スケベと呼んだが、そんな時健介は、健スケベじゃねえ。健康なスケベだよと、爽やかに返すのだった。健介の中では、健康なスケベは、他人に誇れる素晴らしい性質なのだった。健介は、いまさら言うまでもないが、バカであった。
「シマケンか」
(シマケンって……マツケンじゃねーし)
「まあ、入学式なんてもんは、大人たちの敷いたレールだからな。出なくていいんだ。ちょうどいいから教えてやる。いいか。このカギ。このドアにかかっているカギな。これも大人たちの敷いたレールなんだよ」
GTOは、ドアノブをつかんだ手に力を込めた。
「レールは、壊すためにある!!!」
ドアが紙のように裂けてちぎれた。
「す……すげえパワーっす」
健介は、さっきビンタされた頬をなでた。生きててよかった。
「見ろよ」GTOは得意そうに叫んだ。「カギかければドアは開かないなんていう、大人たちがしいたレールの上の常識なんてもんは、俺にかかればこんなもんよ」
裂けたドアの向こうでは、田茂が青ざめた顔をして、うずくまっていた。「な……な・な・なんという。なんという横暴。教師が学校のトイレのドアを壊していいのか」
「壊していいとも~~~っ」GTOは楽しくてたまらないらしい。スキップをふんで、右手を二、三度突き上げる。「タモリ、お前はホントにつまらん奴だな。教師が学校のドアを壊しちゃいけないなんていうのは……」
「わかってますよ。大人たちのしいたレールなんでしょ」田茂は、銀縁メガネを中指でズリ上げると、やれやれといった顔で、頭を振った。「でもね、先生。あなただって大人なんだ」田茂は、しびれた足を両手でさすった。「ちっ、私としたことが」田茂は、悲しげにうめいた。「しびれちまった両足に、今日もウンコがふりつもる」
「な……なんすか、それ」健介が口をはさんだ。「意味がわかんないっす」
田茂は、メガネの奥の鋭い目差しで、健介を見た。「中原中也だよ、後輩」田茂は、おもむろにトイレットペーパーをちぎると、自らの汚れた尻を拭いた。「私は、詩が好きでね。中也は昭和の有名な詩人だよ。覚えておきたまえ、後輩」
「中也なんて全然知らないっす。そんな詩人がいるんすね。ウンコっすか。先輩、インテリっすね」
「まあ、中也の詩について言えば、ちょっと私なりにアレンジを加えてはいるんだが……本来、ウンコなんて言葉は中也の詩には……」田茂は、立ち上がるとパンツとズボンを引き上げた。
「こいつはいつもこんな感じだ」GTOは、あきれ顔で言った。「こんな奴だから、俺はこいつをからかうのが好きでな」GTOは、ニヤニヤと笑った。「こいつはな、学年トップなんだ」
「が……学年トップ。先輩、すごいっす。自分トップなんてなったことないっす。トップレスな人生っす」
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