とある話より…

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2015/03/08 14:46(更新日時)

気にかかる話など、

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No.1848612 (スレ作成日時)

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No.201

我勝道と凡事徹底より引用

Expect life to be fair
人生が公平であると思え


生まれも育ちも顔も形も違うのに、何が公平なのか?

それは、「時間」と「言葉」は、誰にでも与えられているからだ。
そして、このふたつの使い方は、全てキミに任されているからだ。

時間をいかに有効的に使うか。
前向きな言葉をいかに使うか。

これだけなのだ。

だから、人生は公平なのだ。

時間は、命の別名だ。
自分の命がいつ正確に終わるか知っている人はいない。
そして、自分が時間を操作できるのは、今この瞬間だけだ。
未来を作れるのは、今、この瞬間だけだ。
だから、無駄に使わないように、計画を立てて、
それをしっかりと守ればいいのだ。

言葉は、全ての基本だ。
「人生七変化の法則」を思い出してもらいたい。

言葉を変えると、考え方が変わる
考え方が変わると、行動が変わる
行動が変わると、習慣が変わる
習慣が変わると、性格が変わる
性格が変わると、出会いが変わる
出会いが変わると、人生が変わるのだ。

だから、言葉を積極的な言葉に一新する
それを凡事徹底していくと、人生が変わってくる

言葉を変えて、時間の使い方を変えると、人生が変わる。
ということは、人生は思い通りに操作できるということだ。

自分の生きたい人生を思い描き、思い通りの人生を手にしよう。

今夜も、時間を1分1秒まで有効に使い、前向きに積極的に勉強三昧に徹するのみ。

今日一日しっかりと生きた証(あかし)を残すために、もうひと頑張りだ!
 
今日が今までの人生で最高の一日になるように、寝るまで努力を惜しまないこと!



No.202

人の心に灯をともすより引用
【言葉にならない】№1162


本田健氏の心に響く言葉より…


親子や恋人同士でハグし合う(抱きしめあう)のは、外国の文化では当たり前になっているところが多くあります。

日本では、公衆の面前で抱きし合うのは、よほど熱烈なロマンス状態の恋人か、酔っ払ったサラリーマンぐらいでしょう。

十代のころ、アメリカの友人と世間話をしていたとき、私が「父親とハグしたことがない」というと、信じられないという顔をされました。

日本では、ハグどころか、握手する親子も珍しいでしょう。


でも、その後の人生では実は一度だけ、父親と真剣にハグしたことがあります。

私は大恋愛の末結婚した女性と26歳のときに離婚しましたが、その報告のために、神戸の実家に戻ったときのことです。

数日滞在しましたが、あまり会話もないままに、もう東京に帰る朝になりました。


いよいよ出発というとき、あまりしゃべらない父が急に握手を求めてきました。

そういうことをしない人だったので、正直びっくりしました。

差し出された彼の手を取ると、父は私を思い切り自分のほうに引きよせ、抱きしめてくれたのです。

それから「心配するな」とだけ、絞り出すような声で、ぼそっといいました。


それまで、何度も父子の縁を切るといって怒鳴られ、実際に3度勘当され、また私もそんな父に猛反発したりして、お世辞にもいい関係とはいえませんでした。

でも、抱きしめられたとき、父の不器用な愛を感じました。

それが、父との最初で最後のハグでした。


そのときは、あまりの驚きに何も感じられませんでした。

けれど、新幹線に乗ってしばらくすると、気がつかないうちに、涙が後から後から流れてきました。

まわりを気にする余裕すらなく、ただただ子供のように泣きました。


その父も、私が無事に新しいパートナーと幸せな結婚をし、最初の孫娘が生まれるのを見届けるようにして、旅立ちました。

『きっと、よくなる!』サンマーク出版



心の底から悲しんでいるとき、空虚な慰(なぐ)めの言葉は、かえって悲しさが増すことがある。

だから、相手のことを真剣に考えれば考えるほど、掛ける言葉が見つからない。


「悲しみは言葉にならない、深すぎて」という、北山修氏の詩がある。

言葉にならないときは、ただ抱きしめたり、手を握るだけでいい。


「心配するな」、「大丈夫」…

No.203

人の心に灯をともすより引用
【必要なのはチャンスだけ】№1164


真山知幸氏の心に響く言葉より…


チャップリンは6歳にして貧しい人々の施設「貧民院」に入所したため、まともな学校教育を受けることができなかった。

芸人だった父は酒乱で、チャップリンが1歳の時に離婚。

安いアパートの屋根裏部屋での生活は、母の歌手としての収入だけで成り立っていた。


チャップリンが始めて舞台に立ったのは5歳のとき。

急に舞台で声が出なくなった母が、観客からの激しいヤジで袖に引っ込まざるを得なくなり、その代役として舞台に送り込まれたのが、そもそもの始まりだった。

わずか5歳で舞台に立たされるなんて、緊張して泣き出してもおかしくない状況だが、チャップリンはオーケストラの演奏をバックに、当時流行していた曲を堂々と歌い始める。

歌の途中で、客席からお金が次々に投げ込まれると、チャップリンは「お金を拾ってからつづけます」と歌を中断してお金を拾い始めた。

すると観客は大笑い。

その後も、ダンスからモノマネまでエンターテイメントの才能を発揮した。


母の喉は回復することはなく、この舞台を最後に引退。

生活はさらに苦しくなり、仕送りを気まぐれに送ってきていた父親も37歳で他界してしまう。

その後、母も病に倒れるなど、次から次へと人生の困難が、若きチャップリンに降りかかってきたのだ。


チャップリンは自伝で、次のように書いている。

「新聞売り子、印刷工、おもちゃ職人、ガラス吹き、診療所の受付、等々と、あらゆる職業を転々としたが、その間も、俳優になるという最終目標だけは、一度として見失わなかった」


チャップリンは仕事と仕事の合間に、俳優事務所を訪ね歩いていた。

いくつかの寸劇を行ないながら、大きなチャンスが巡ってきたのは、17歳のときだ。

イギリスの劇団のオーナーから『フットボール試合』という芝居で、ハリイ・ウェルドンという当時人気を博したコメディアンと同じ舞台に立つチャンスを与えられたのである。

「どうだ、『フットボール試合』でハリイ・ウェルドンの相手役がやれるかね?


突然、転がり込んできたチャンス。

チャップリンは戸惑うことなく、堂々とこう答えた。

「ええ、私に必要なのは、チャンスだけです」


オーナーも初めはどこまでやれるのか半信半疑だったが、2週間のテストの結果、チャップリンは見事合格した。

No.204

続き
主演を完全に食ってしまうほどの活躍ぶりで、評論家たちはこぞってチャップリンを絶賛。

大型新人の登場は、大きなインパクトを与えた。


チャップリンが秀でていたのは、いつでも「チャンスさえあればやれる」ように準備をしていたことだ。

さまざまな職業で生活資金を稼ぐ一方で、舞台で場数も踏み、経験を積んでいた。

環境や他人のせいにすることなく、ただ自らの才能を信じて前に進み続けたのである。

『君の歳にあの偉人は何を語ったか』星海社新書



急に舞台の主役が倒れ、急遽、主役の代役ができるのは、主役のセリフと演技を覚えていた人だけだ。

「幸運とは、準備がチャンスに出合うこと」(オプラ・ウィンフリー)


チャンスは、夢や希望がない人にはやってこない。

夢や希望がなければ、チャンスがやってきて、もそれに気づかないからだ。

そして、チャンスに気づく人は、失敗を恐れず夢に向って行動する人。


「必要なのはチャンスだけ」

将来の夢に向ってコツコツと準備を整え、必死の努力を重ねたい。



No.205

100人の1歩より引用

それでもあきらめなかった偉人




[エイブラハム・リンカーン]


1832年の春にビジネスのトラブルから無職になり、

その後1835年には恋人のAnnを亡くし、

かなりの打撃を受ける。



1832年に州議会に立候補したが落選し、

それから数えて合計8回の選挙に落選する。


結婚してからは次男を病気で亡くしている。


 ↓

第16代アメリカ合衆国大統領。


アメリカ国民に最も愛された大統領でもある。



[ウィンストン・チャーチル]


2ヶ月早い未熟児として生まれる。


子供の頃のチャーチルは反抗心旺盛で、よく罰を受けていた。


寄宿学校に入れられ両親はあまり訪ねて来ることはなく、

父親ともあまり話をしたことがないとチャーチル自身が後に述べている。


子供の頃には言語障害があり、何年もの間苦労した。


寄宿学校を出てから士官学校に入るのに3度も落ちている。


1922年、1929年と選挙で敗北。


 ↓


イギリスを第二次世界大戦を勝利に導いた戦時内閣の首相である。



[ルイ・パスツール]


パスツールは大学在学の頃、平凡な学生であり、

化学の成績は22人中15番目であった。


 ↓


狂犬病やコレラのワクチンを発明した生化学者、細菌学者である。



[チャールズ・ダーウィン]


医師の道になじめずあきらめた時、

彼の父親に「動物を捕まえることしか脳がない」と言われた。


彼自身の自伝にはこう書かれている。


「父親や師範からはごく平凡な子供と思われ、

どちらかというと一般の知性レベルに達していないと思われていたようだった。」


 ↓


進化論の方向性を確立し、生物学で重要な功績を残した自然科学者である。



[トーマス・エジソン]


彼は小学校の教師に

「学習する知能がなさすぎる」と言われ、

仕事は2度「生産性がなさすぎる」と解雇され、


電球の発明に1000度の失敗があった。



後にインタビューで記者に

「1000回失敗したという気持ちはどういうものですか」と尋ねられ、


「1000度の失敗をしたわけではない、1000のステップを経て電球が発明されたのだ」

と答えた。


 ↓


発明王の異名を持つ発明家。



No.206

続き
[ローランド・メイシー]


ニューヨークの店が成功するまで彼は7度の失敗をしている。


 ↓


全米を中心に431店舗を展開する一大デパートチェーン・メイシーズの創始者である。



[アルベルト・アインシュタイン]


彼は4歳になるまで話すことができず、

7歳まで文字が読めなかった。


両親は彼の知能が低いと思い、先生の一人は彼のことをこう表現した。


「精神的に遅れており、社会性はなく、いつまでもとりとめのない空想にふけっている」


学校を退学になったあとチューリッヒの学校から入学を拒否されている。


後になんとか読み書きができるようになった。


 ↓


相対性理論を築きあげた理論物理学者。


20世紀最大の天才と言われる。



[グレアム・ベル]


彼の作ったベル電話会社は当初、

運営に行き詰まり、10万ドルでその権利をウェスタン・ユニオンに譲ると申し出た。


その申し出は「電気のおもちゃを作る会社で何ができるのかね?」と冷たく拒否された。


 ↓


後のAT&Tとなる。


アメリカ合衆国最大手の電話会社である。



[ジークムント・フロイト]

フロイトはヨーロッパの科学者の集まりの演壇で、

初めて自論を披露したときブーイングを受けた。


 ↓


精神分析学者。精神力動論を展開した。



[チャールズ・シュルツ]


子供の頃から恥ずかしがりで一人で時間を過ごすことが多かった。


高校のイヤーブックスタッフに描いて提出したマンガは全て却下された。


 ↓


スヌーピーで知られる代表作「ピーナッツ」の漫画家



[ヘンリー・フォード]


自動車会社が成功するまでに7度の失敗、5度の破産をしている。


 ↓


自動車会社フォード・モーターの創設者



・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

成功した人でも打ちひしがれるような思いや困難があったのですね。


それでも、「あきらめなかった」

それをも楽しんで「乗り越えた」


感銘を受けました!


No.207

人の心に灯をともすより引用
【良い男選びの条件】№1166


磯田道史氏の心に響く言葉より…


小林一三(いちぞう)は阪急電鉄の創設者。

沿線を総合開発する鉄道経営法をあみだし、日本中の鉄道会社が彼の経営を模倣した。

さらに、演劇や映画を企業化するノウハウを独創。

宝塚少女歌劇も始めた。


小林は宝塚の舞台に惜しい女優でもその結婚引退を引き止めなかった。

良い結婚相手の選び方まで指南している。


小林のいう「良い男選び」は簡単だ。

どんな職業でもいい。

結婚相手はその仕事自体が好きなのか。

成功したい出世したいから、やむなく仕事をしているのか。

そこを見ろ、といった。


出世や成功を目的に働く人は、いきおい不平が多くなる。

<自分の職業を重荷の如く考へて、その辛さ、苦しさ、割の悪さを並べ立てるやうな青年を決して選んではなりません>

自分の職業が好きで楽しみ夢中になって働く人を選べ。

ただ、仕事ばかりの人は人間生活が狭くなるからいけない、ともいった。


趣味の広い人がいい。

1つの趣味に凝り固まって他に見向きもしないのは無趣味と同じ。

<趣味の広い青年は、家庭生活を楽しむことのできる青年です>

といっている。


結婚相手の選び方など人それぞれだろうが、楽しく働いている人のほうが、相手に選んで幸福な生活を築きやすいのはたしかだろう。

『良人(おっと)を選ぶなら、自分の職業を楽しんで、邪念なく、朗(ほがら)かに働く青年を選びなさい』(小林一三)

『日本人の叡智』新潮新書


これは、良い男や、良人(おっと)を選ぶためだけの基準ではない。

男女や年齢を問わず、友人や付き合う人を選ぶ時の、大事な目安でもある。


会社員であろうが、経営者であろうが、今携わっている仕事に楽しみや面白さを見つけられなければ、日常の生活や友人関係においても、楽しさを見つけることはできないだろう。

欠点やあら探しばかりする人は、どこへいっても同じことをする。


夢中になって時間を忘れるほど仕事に熱中する。

しかし、それだけではダメで、趣味も含めて、広範囲の事柄に興味や関心がある。

すると、余裕ができて、邪念なく、朗らかに働くことができる。


自分の職業が大好きで、夢中になって働く、視野の広い人間でありたい。




No.208

人の心に灯をともすより引用
【真のサービスマンをめざす】№1167


ゼットン代表の稲本健一氏の心に響く言葉より…


飲食業界に飛び込むのは簡単。

学歴や職歴がなくても、飲食店で働くことはできます。

でも、長く続けるのは、根っからのサービスマンじゃないとできない。


「人を楽しませたい」という強い思いが必要です。

これは誰にでも備わっているわけではない。

サービスマンとは職業ではなく、人の性質。

もっと言えば、生き方です。


店にいる時はお客さまに気を遣うけれど、家に帰ったら横柄になる。

それは本物のサービスマンではありません。

店だろうが、家だろうが、24時間サービスマン、命が果てるその瞬間までサービスマン。

そんな人をめざしてほしいと思います。


飲食店は忙しい。

その中で

「あの人、いま楽しそうじゃないな。一言かけてみよう」

「お皿が汚れてるから、すぐに替えないと」

「グラスが空だからお酒を注ぎに行かなきゃ」

と、さまざまなことに気を回さなければならない。

一日中、気を張っていなければならないのが飲食業です。


ヘトヘトになって帰る時にも、守衛のおじさんに笑顔で「お疲れさまでした」と声をかけ、家に帰ってからは常連さんに「今日はありがとうございました」とメールを書いておく。

そんなことを楽しめる人が真のサービスマンであり、飲食業に選ばれる人です。

この才能のある若い人たちには、どんどん飲食業に入ってきてほしい。

そして、真のサービスマンをめざしてほしいと強く思います。


そして才能のある人は、継続できるように自分を磨くこと。

笑顔を忘れないこと。

『飲食業はもう二度とやらない』柴田書店



サービスマインドは、飲食業に従事する人だけに必要なわけではなく、いつでも、誰にでも必要なこと。

サービスマインドのある人は、気配りや、人を喜ばせようとする気持を持っている、真のサービスマンだ。

いくらお店でニコニコしていても、近所の人や業者の人に対して、横柄で挨拶もしなかったり、外では不潔でだらしない格好だったりしたら、サービスマンは失格だ。


人の価値や値打ちは、仕事の場だけで評価されるわけではなく、プライベートの場でもしっかりと見られていることを知らなければいけない。

むしろ、仕事を終わった後の、気を抜いた時間の方が、その人の本当の姿が分かる。


No.209

人の心に灯をともすより引用
【人として格が高い人】№1165


渋谷昌三氏の心に響く言葉より…


「役職にもついて、偉くなった女性って、口のきき方がなんとなく男みたいになるのね。私は気をつけなきゃ」といったのは、知人のキャリア志向の強い女性です。

このような「口のきき方」になるのは、たぶん「男性並み」に仕事をしていることを無意識のうちにもアピールしようとした結果、それこそ「男性並み」の威張った命令口調が身についてしまったということなのでしょう。


しかし、この「男性並み」というのは、偉くなった者は、ある程度ふんぞり返って、下に厳しくしなければなめられるという、古いタイプの上司の姿にも見えます。

少々乱暴な言葉で指示をとばしたほうが、「できる自分」を演出できると思っているからかもしれませんが、それは、バブル期のイケイケドンドンの頃のようにも思います。


本当に仕事のできる人には、ある共通点があります。

それは、相手が上司であれ部下であれ、どんな人にも「やわらかく対応する」ことです。


人の上に立てば、命令したり、注意したりとそれなりに偉そうな言葉を使わなくてはいけないと思っていると、周りの人は少しずつ距離をとろうとし、いずれ敬して遠ざけるようになります。

そいう「上司言葉」を使い慣れてくると、知らず知らずのうちに部下の心は離れ、それは仕事がスムーズにいかない原因ともなっていきます。


心がけたいのは、丁寧なもののいい方を忘れないように自分にいい聞かすことです。

部下の人格を尊重し、きちんと対応してこそ、上司の評価があがるというものです。

いつの時代でも、人に対するときの丁寧さ、行儀のよさは大事なことで、そういったことで人望も違ってきますし、いざというときには人間の品が問われるのです。

『「なぜか人に好かれる人」のたったこれだけの技術』新講社


偉そうにしている人は、まわりからは滑稽(こっけい)に見え、恥ずかしいことが分からない。

上から目線の偉そうな言葉を使ったり、命令口調でいわなければ、自分の権威が保たれないのを、まわりは見抜いている。

虚勢を張っている、「張子(はりこ)の虎」だ。


自分に自信があり、真に実力がある人は、命令口調ではなく、静かな口調でやさしく話しても、内容が伝わり、徹底され、それが実行される。

「弱い犬ほどよく吠える」、だ。


No.210

我勝道と凡事徹底より引用

Every day show your family "how much you love them" with your words, with your touch and with your thoughtfulness.
言葉や心遣いで、どれだけ感謝しているか、毎日家族に伝えよう

仙台に住むあるご夫婦がいた。
大きな地震のあと、家から逃げなくても大丈夫だろうと、自宅に留まった。
近くまで津波が来ているからと、二階に上がった。
すると、旦那さんが、「大切なアルバムだけは持ってこよう」と一階に降りていった。
そこへ津波がやってきて、旦那さんを飲み込んだ。

奥さんは、二階の窓から、旦那さんが流された方向を見て、旦那さんを探した。

濁流の中、旦那さんは奇跡的に水の中から顔をだすことが出来た

もし、キミがその旦那さんだったら、どういう行動を取るだろうか?

私なら、「助けてくれ~!」と叫ぶかもしれない

その旦那さんは、なんと奥さんに向かって「ガッツポーズ」をして、
笑顏で手を振って水の中に消えていったと言うんだ

この話を伺って、嗚咽を止めることができなかった。
また、思いやりの体現だと思った。

思いやりとは、相手の立場になって、モノを考え行動できること

旦那さんがもし「助けてくれ~」と叫んでいたら、
残された奥さんは、最後に見た旦那さんの姿が忘れられず、
そして、「どうして助けてあげられなかったのか」と、
残りの人生を悔やむことになっただろう。

しかし、旦那さんが「ガッツポーズ」で笑顏で最後の姿を残したからこそ
奥さんは、残りの人生、後悔なく生きていけるだろう。

旦那さんのガッツポーズには、
今までありがとう!幸せだった!という意味も込められていただろう。
旦那さんの笑顏で手を振って水の中に消えた姿には、
僕の分まで長生きして、人生楽しむんだよという意味も込められていただろう。

何気ないこの日常の生活こそが宝物なんだね。

だからこそ、愛を体現しよう。

愛とは、思いやり
思いやりとは、相手の立場になってモノを考えて行動できること

そんな大人になるために、



No.211

>> 210
凄い愛情ですね…

No.212

人の心に灯をともすより引用
【一流アスリートのコメント力】№1168


杉山芙紗子氏の心に響く言葉より…


スポーツ選手が勝利した時は、気分も高揚してますし、嬉しい気持ちで一杯なので、その時の態度は意識せずとも「いいもの」になります。

勝者のオーラに包まれた彼らは、毅然として爽やかなアスリートの姿を体現しているからです。

しかし、トップレベルの選手になればなるほど、対外的なコメントを求められる場面が多くなり、負けた試合でも容赦なくそれがやってきます。

しかし、そうした局面でも、彼らの態度は一貫しているのです。


負ければ誰でも悔しいし、情けない。

アスリートはみんな負けず嫌いな人達なのです。

負けた試合の後は、相当に悔しい思いをしていたはずです。

それでも彼らには、負けた時でも客観的に自分を振り返り、それをコメントできる力がある点では共通しています。


ゴルフの石川遼選手のフィジカルトレーナーである仲田健さんから聞いた話なのですが、ある日、石川選手は仲田さんとの雑談の中で、

「僕は今、ゴルフの調子がいいし結果もでているので、インタビューも多いし、みんなにちやほやされている。

でも、いつまでも続くとは限らないし、いろいろな人に感謝することも忘れてはいけない。

いつも謙虚でありたい。

だから、もし自分が生意気な口を利いたり、そういう態度が出たら注意してほしい」

と告げたそうです。

石川選手が頭角を現してきたのは、まだ彼が高校生の時でした。

その当時からすでに、彼の口からは大人も舌を巻く程の立派なコメントが常に出てきていました。


また、テニスの杉山愛選手はある時、「あなたにとってテニスとは何ですか?」と質問されて、こう答えていました。

「テニスは私にとって、自分探し&自分磨きのツールです。

どんなスポーツでも仕事でも、普段の生活が全てその中に出てしまうと思うのです。

テニスはテクニックだけ磨いてもコート上でいいパフォーマンスはできないし、人々に感動や勇気を与えることもできません。

一人の人間として、女性として、充実した生活を送っていることが、いいテニスプレーヤーになることの基本だと思います。

強いプレーヤーになることも大事かもしれませんが、もっと大切なことは、チャレンジし続け、それを通して自分磨きをすることだと思います」





No.213

続き、、、
また、宮里藍選手も

「賞金だけを追うビジネスとして割り切ったゴルフをしている選手には感動や夢を与えることはできません」

と言い切っていました。

『一流選手の親はどこが違うのか』新潮新書



杉山芙紗子(ふさこ)さんは、娘であるテニスの杉山愛さんのコーチで、現在も多くのジュニア選手を育成している。

一流のアスリートたちの育ち方には共通点があると杉山さんは言う。

それは、アスリートたちは小さいうちからスポーツを始めているので、スポーツが家族の共通の話題であり、重要なコミュニケーション手段となっていたこと。

家庭には対話が常にあり、コミュニケーション力がそこで磨かれていったという。


小さな頃から、あるスポーツを突き詰めた一流のアスリートたちは、若くして自分なりの哲学や倫理観、そして価値感ができあがる。

独自の深い哲学があるからこそ、素晴らしいコメントを発することができる。


一つのことを徹底し極めた人の言葉には、普遍的な真理がある。

仕事や生き様を通して、自分を磨き、独自の深い哲学を身につけたい。




No.214

「魂が震える話」より引用

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。


でも、絵が上手な子だった。


彼は、よく空の絵を描いた。


抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。


担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。


冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。


N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。


私はN先生が大嫌いだった。


クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、全校集会で先生のお別れ会をやることになった。


生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。


先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。


お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。


私は、A君の言葉を忘れない。


「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」


A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。


水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。


放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。


その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。


N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。





No.215

「無題」

 オレは小さい頃、家の事情でばあちゃんに預けられていた。

当初、見知らぬ土地に来て間もなく当然友達もいない。
いつしかオレはノートに、自分が考えたすごろくを書くのに夢中になっていた。

それをばあちゃんに見せては

「ここでモンスターが出るんだよ」

「ここに止まったら三回休み~」

ばあちゃんはニコニコしながら

「ほうそうかい、そいつはすごいねぇ」

と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。

やがてオレにも友達が出き、そんなこともせず友達と遊びまくってたころ
家の事情も解消され、自分の家に戻った。

ばあちゃんは別れる時もニコニコしていて

「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」と喜んでくれた。

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 先日、そのばあちゃんが死んだ。89歳の大往生だった。

遺品を整理していた母から、「あんたに」と一冊のノートをもらった。

開いてみると、そこにはばあちゃんが作ったすごろくが書かれてあった。
モンスターの絵らしき物が書かれていたり、何故かぬらりひょんとか妖怪も混じっていたり。
「ばあちゃん、よく作ったな」

とちょっと苦笑していた。

最後のあがりのページを見た。「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に

「義弘(オレ)くんに友達がいっぱいできますように」

人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。

ばあちゃん、死に目に会えなくてごめんよ。そしてありがとう。

<了>




No.216

我勝道と凡事徹底より引用
Live your life so that your epitaph could read 'No regret'
墓石に「我が人生に悔いなし」と書けるように生きる

後悔しない人生とはどんな人生だろうか?

自分自身が満足できるように、
自分の責任で、自分が本当にしたいことをすること

これが続くと、後悔しない人生に辿り着く。

しかし、現実は、やりたいと思ったことが出来ない。
その感情が高まると、ストレスになる。

しかし、全てのことは可能なのだ。
それを止めているのは、自分で作る限界

人生というものは、今この瞬間の連続ではないのか
人生というものは、今この瞬間を体験し続けることなのではないか

だとしたら、過去も未来も、全て今この瞬間の意識が作り出している出来事

だから、今この瞬間を精一杯に生きることで、過去と未来の執着から自由になる。

現実の世界では、行動することだけが結果を産み出す
だとしたら、いかに行動する時間を増やすことができるかが勝負の分かれ目。

人生とは、今この瞬間を味わうゲームと考えよう。
今この瞬間の使い方で、思い通りの未来が手に入る。
だとしたら、今この瞬間を精一杯に生き切るしかないだろう。

今夜も当然激烈に勉強三昧だ。

今日一日しっかりと生きた証(あかし)を残すために、もうひと頑張りだ!
 
今日が今までの人生で最高の一日になるように、寝るまで努力を惜しまないこと!

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今日も、我勝道を極めるべく、自分の弱い心、怠け心に負けぬように、凡事徹底を貫こう!

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今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう

(三重県伊勢市「修養団」中山靖雄先生のお言葉)

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No.217

人の心に灯をともすより引用
【人類を生き残らせた心の仕組み】№1170


明治大学教授の石川幹人氏の心に響く言葉より…


チンパンジーは、下位の雄が、上位の雄に接近すると怒りの感情を発動させていまいます。

仲間内で、それを回避するために、するのが毛づくろいです。

チンパンジーの体毛にはノミやシラミが生息していて、それをとってもらうのは気持がいいのです。


上位の雄は、下位の雄に毛づくろいをさせることで、階層関係を確認します。

また、もめごとが起きると、毛づくろいをしあうことで、それを鎮静化します。

それ以外にも、愛情や友情を確認する場面でも、終始毛づくろいをしています。

毛づくろいという共通価値を介して、肯定的感情を広め、協力集団としての群れを確固たるものとしています。


チンパンジーが毛づくろいで肯定的感情を伝播しているとしたら、人間はどうしているのでしょう。

人間は言語を使っているのです。

対話的な言語を中心に、表情やしぐさを交えて肯定的感情を伝播しているのです。


友人が「楽しい」とか「うれしい」と言っていれば、じぶんも自然と楽しくなってくるでしょう。

また、「なんでそんなに楽しいの」と聞いて、その楽しさを共有することもできるしょう。

そうして人から人へと、肯定的感情が伝播するのです。


では、勝利のおたけびのように、いっせいに伝播する仕組みはあるのでしょうか。

「楽しいぞ」と叫んでも、遠くの人への伝播効果は薄いでしょう。

なんといっても、伝播効果がすぐれて高いのは「笑い」です。


笑い声を聞いたり笑い顔を見たりすれば、自分も自然に「にやっと」してしまいます。

笑いは、大集団でもすぐに利用できる特性をもっています。

大勢で取り囲んで、誰かがおもしろい話をするのを聞いたり、滑稽なしぐさをするのを見たりすれば、皆がいっせいに笑います。

同期して笑うことは、観衆の共感をかなりたかめるにちがいありません。


アメリカでは「有能なリーダーにはユーモアが欠かせない」と言われていますが、笑いによる共感を適切に利用できる能力を重視した言葉だと思います。

人間関係には、コミュニケーションのくい違いや、否定的感情がたびたび発生します。

そのときユーモアは、それを笑いに転化し、一同に肯定的な感情を喚起するのです。

『人は感情によって進化した』ディスカヴァー



No.218

続き
動物にも笑いはあると言われるが、人間ほど表情筋が発達していないため分かりにくい。

むしろ、争いを起こさないための服従や劣等の表情やしぐさが見られるという。


人類は、「言葉」や「笑い」という、他の動物より圧倒的に有利な武器を手に入れたことなる。

これが、「肯定的な感情を伝える」ことにより仲間同士が助け合ってきた人類の歴史であり、人類を生き残らせた心の仕組みの一つだと言える。


「言葉」や「笑い」は、人間を人間たらしめている最も大切な道具。

人類に与えられたこの優れた力をもっと磨き、己のコミュニケーション能力を高めたい。




No.219

100人の1歩より引用
わたしたちは生きていくなかで、

失敗を繰り返しながらも学ぶことのほうが多い。


幼い頃のわたしたちは、とつぜん立ち上がって

そのまま歩いたわけではない。



車の運転でも、初めてハンドルを握って

いきなり名ドライバーなどということはありえない。


思いきりやってみればいいのだ。



初めてやってみて思ったほどうまくいかなくても、

かまわないではないか。


自分にとってもっとも大切なことに

全力を注いで、取り組み続ければいい。


大事なのはここから何をするかだ。


ここをスタート地点として、

よりよい人生が始まる、


限りないチャンスと

すばらしい経験にあふれる人生が始まると思えばいい。



~~~

出典

「腐ったバナナを捨てる法」

ダニエル・T・ドルービン 著
小川 敏子 訳

サンマーク出版より



No.220

都市伝説@2ch82より引用
「無題」

 横浜での話だったと思う

中学生くらいの男の子と母親が信号待ちをしていた
見るからに大切に育てている息子

でもマザコンチックであったり、教育ママ的でもなく、微笑ましい関係が見ただけで判る、そういう親子

信号待ちをしていた親子に車が突っ込んだ
車は息子だけを轢き、母親は呆然と立ちすくんでいた

周囲の人々が、車の下敷きになった息子を助け出し、救急車を呼び、辺りは人々が取り囲み騒然とした

------

 息子の腕はちぎれ、足は関節がいくつも出来たように折れ曲がっている
その顔は苦痛に歪んでいる

助かるかどうかは判らないが、とりあえず今は生きている

すると母親が突然叫んだ

「殺しましょ、ね、殺しましょ。このまま生きていても苦しいだけだし、
腕もどっかいっちゃったし、足も変だし、殺しちゃいましょうよ、ね、ね、ね!!」

周囲の人々に訴えかける。

救助活動をしていた市民が母親に「お前それでも母親か!」と言っても

「殺しましょ。もう一回車で轢いてよ!」

その後は救急車が来て、どうなったかの顛末は判らない

<了>

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No.221

「魂が震える話」より引用
ある晩、ネズミが桶の中に落ちた。


とびあがって出ようと、最初は、おおいに努力したが、桶が深くてとても無理だった。


そこで今度は、桶の側を食い破って出ようとかじり始めた。


しばらくやっても、どうも側の木が厚くて硬くて食い破れそうもない。


あわてたネズミは、場所をかえて、またかじる。


ところが、やっぱりだめだった。


そこでその場所をあきらめて、また次の場所に移った。


しかし、ぶ厚い木は、なかなか、食い破れそうもなかった。


さんざんに、報われることのない努力をしたネズミは、とうとう明け方近く、心身ともに疲れはてて、むなしく死んでいった。


はじめ、かじり始めた箇所を、最後までかじり続けておれば、桶の側の板に、通りぬける穴ができたものを。


世間には、このネズミを笑えない人が多い。


一つのことに失敗して、また他のことに失敗し、転々と自分の仕事をかえてゆく人は、薄志弱行といわれる。


もっとも、人間というものは強いものではない。


迷うことなく自分の道に進んでゆくということは、なかなかに難しい。


固い意志と、たゆまぬ努力が必要だ。


迷えば迷うほど努力がむだになると知ったら、最初に熟慮して決断し、断固努力で突きぬけるがよい。


入り口のほうは、とても入る余地のないようにこんでいる満員電車でも、奥へ入ってゆけば案外すいているものだ。


入り口がふさがっているからといって、断じて絶望してはならない。


西洋の、ことわざにあるではないか。


『転がる石には、苔が生えぬ』

_______


「新装版 光に向かって100の花束」

高森 顕徹 著

1万年堂出版より


_______


短期的にみたら、掘る場所を変えるのは得策かもしれないけど、


長期的にみたら、あまり得策とはいえません。


その穴を深く掘る!


凄く大切なことだと考えさせられました♪



【希望の世界よ、待たせたなっ!】



「足下を掘れ、そこに泉あり」


by ニーチェ(ドイツの哲学者)



No.222

人の心に灯をともすより引用
【笑うことと悲しむこと】№1169


五木寛之氏の心に響く言葉より…



明るく振る舞い、よく笑うほうがいい。

けれども性格的に無理な人もいるでしょう(笑)。


ただ、いろいろな外国の本なんか読んでいて面白かったのは、脳は人間の感情を支配しているけれども、結構騙(だま)されやすいともいうんです。

だから人と明るく談笑したり、大笑いできないような人は、一人鏡に向かって「アハハッ」と口を開けて笑うといいそうです。

すると脳はその楽しそうな顔を見て、あぁこの人はいま喜んでいるんだなと錯覚するらしい。


喜び上手というのはとても大事です。

だけど同時に悲しみ上手も大事なんです。


最近はグリーフケアといって、人の悲しみに寄り添うことの大切さが論じられるようになりましたが、悲しい時にはちゃんと悲しむこと、泣くっていうことが大事なんです。

戦後よくなかったのは、なんでもプラス思考で、笑うこと、ユーモア、明るい気持ち、前向きと、そんなことばかり持てはやしていることです。

でもそれは車の片方の車輪でしかない。

もう片方の深く悲しむ、嘆く、涙をこぼすことも大事なんです。


本居宣長も説いています。

人間は長く生きていると必ず悲しいことに出会うんだと。

悲しいことに出会ったら悲しいと思え。

ごまかさずに真っ直ぐ見据え、あぁ私は今悲しい、悲しいって声に出して言え。

人にも語れ、空に向って拝みもせよ。

それが昇華されて素晴らしい歌になるんだと。


ちゃんと悲しむということは、笑うことと同じように大事なことなんです。

“大人の幸福論”より

『月刊致知 2012年12月号』致知出版社



喜怒哀楽の感情が豊かな人は、人生を愉(たの)しむことができる人だ。

うれしいときには笑い、不正なことに憤(いきどお)り、悲しいときには涙を流し、楽しいときにはともに愉しむことのできる人。

喜怒哀楽の感情を抑え込んでしまうと、それはスタンプを集めるようにたまっていき、いつか爆発する。



『災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候(そうろう)。

死ぬる時節には死ぬがよく候。

是(これ)はこれ災難をのがるる妙法にて候』(良寛禅師)


良寛さんは、災難をのがれる唯一の方法は、どんなにひどい状況になろうと、そこでジタバタせず、すべてを受け入れ、淡々と生きることだと言った。



No.223

100人の1歩より引用
「NTT西日本コミュニケーション大賞」より


とても感動するお話です

~~~


私は昨年入院していました。


風邪が悪化して肺炎になり、

せっかくの春休みなのにベッドに横になり天井を眺めるだけの生活が続きました。


そんな時祖父がかねてより約束していたノートパソコンを買ってくれました。

業者さんにパソコンの設定をしてもらいパソコンは私の物になりました。


友達とメールをしたり趣味のサイトをのぞいたり、気がまぎれるせいかせきに悩まされることもへっていきました。


入院して数日が過ぎ、いつものようにサイト巡りをしていると、あるサイトが目にとまりました。


「上手な絵だなぁ」

そっとクリックしてサイトを開くととても上手で細かく描かれた絵が画面いっぱいに表れました。


教室の絵。

女の子と男の子が何人も描かれていてみんな楽しそうに笑っていました。

学校がなつかしい。

早く友達に会いたいなぁ。

そう思いながらそのサイトの絵を見てまわりました。


最後にサイトの管理人さんのコメントが置いてあるのを見つけました。

「私は今病院にいます。

このサイトでは学校や制服の子達を描いてきたけど、

本当は学校に行ったことがないんです。


だから憧れをいっぱい詰めてサイトを作りました。


もうすぐ手術なので更新はおやすみです。

応援して下さるみなさんありがとう。

病気が治ったら、高校生ですよ!

普通の学校とはちがうけど、とっても 楽しみです」


そうなんだ。

この人の描く絵が目にとまったのは、願いが詰まっているからなのかも。

メールしてみようかな。

サイトのメール欄に精一杯の応援とお友達になりたいことを書き込み、送信。

返事はすぐに来ました。



「初めまして。私達同い年なんだね。

ちょっとびっくりだね。


私も入院してるんだけど、なかなかよくならなくてね。

来週手術を受けるんだ。

退院したら会うことがあるかも!?」


私はうれしくなってキーを打つ。

友達がふえた。


「もしかしたら同じ学校だったりして!会えるといいなぁ。

今はまだ寒いけど、暖かくなったらいっしょに外に行こうね」


いつまで待っても返信はありませんでした。

何か変なこと書いたかな。

怒らせちゃったのかな…。


それから一週間後。

あの子からメールが来ました。


No.224

続き
急いでメールを開きました。


「私の初めてのお友達へ。

私、もう治らないかもしれない。

いっしょに遊びたかったけど、ごめんね。


もうキーボードも打てない。

お姉ちゃんにかわりに打ってもらってるんだ。


サイトを見て。

あなたのために書いた最後の絵、置いてあるから。


このメールが届いたなら、私はもういない。


でもあなたを見守っています。


忘れないで、さようなら。


そしてありがとうー」


私はぼやけていく画面をずっとにらみつけていました。


ゆっくりとあのサイトを開くと、

二人の女の子が仲良く手をつないで、


笑っていました。


ほんの少ししか話せなかったけど、


彼女は私の人生でとても大事な存在になりました。  

友達として大事なのはいっしょにいる時間ではないのです。


私達のきっかけを作ってくれたあのサイトは、

今も彼女の夢をのせて輝き続けています。





No.225

人の心に灯をともすより引用
【あえて人と違った道をゆく】№1171


植西聡氏の心に響く言葉より…


江戸時代の近江商人に、松居遊見(ゆうけん)という人物がいました。

一代で莫大な財産を築いた近江の大商人です。


当時、近江商人たちは全国を行商して歩きましたが、その多くは東海道をナワバリにして商売をしていました。

東海道にある宿場町は人口が多く、また裕福な人たちが住んでいましたから、商売をするにあたっての条件が良かったのです。

しかし、松居遊見は東海道へは行きませんでした。

彼は中仙道へ行商をしに行ったのです。


中仙道は山間地で、人口も少なく、住んでいるのは裕福ではない百姓ばかりです。

そんな悪い条件の地を自分から好き好んで行商しにいく松居遊見を、他の近江商人たちは「なんて愚かなんだろう」と笑いました。

しかし実際には、松居遊見は、東海道へ行商に行く商人たちよりもずっと多いお金を稼ぎ出すことに成功しました。


その理由は簡単です。

中仙道へ行商に行くのは松居遊見ぐらいでしたから、彼はそこで上がる利益をほとんど自分一人で独占することができたのです。


一方、東海道には、たくさんの商人たちが群がるように押し寄せていきます。

ですから、いくらそこには裕福な人がたくさん住んでいるといっても、ライバルたちとそれらのお客を取り合いますから、結局商人一人が得られる利益は減ってしまうのです。

松居遊見はそれを見抜いて、あえて悪い条件を選び取ったのです。

『「求めない」ほどうまくいく』RHブックスプラス


有名な相場の格言がある。

「人の行く裏に道あり花の山 いずれを行くも散らぬ間に行け」

俗説では、千利休の作とされている。


人のやらないこと、人と違う道を選択することが、成功の秘訣だという。

しかも、そのチャンスは限られているので、早くやることが肝要(かんよう)。


「群れずに、己(おの)が道をゆく」

人と違ったことを恐れない人でありたい。




No.226

「魂が震える話」より引用
昔、ある王さまが自分の後継者を選ぶために、3人の王子たちを呼んでこう言いつけました。


「おまえたちの宮殿を1週間以内に何かでいっぱいにしてみよ。ただし、使える費用はコイン1枚だけだ」


3人の王子たちは、その無理難題に頭を抱えました。


3人とも大きい宮殿に住んでいましたし、コイン1枚では買えるものも限られています。


いったいどんなもので大きな宮殿を埋め尽くせばいいのか。


さて、王子たちはどんな策をとったでしょう。


1週間後、王が王子たちの宮殿を検分する日がやってきました。


一番目の王子は、コインで安いワラを買い集めて、宮殿に運び入れていました。


でも、ワラは広い宮殿の3分の2までしか埋まっていません。


これでは条件をクリアしたことになりません。


王は不満顔で次の王子の宮殿に向かいました。


二番目の王子は、なんと町中のゴミをかき集めて、ゴミで宮殿をいっぱいにしていました。


ゴミなら費用もかかりませんし、いくらでも集められると考えたわけです。


しかし、いくら条件を満たしたとはいえ、せっかくのきらびやかな宮殿を汚いゴミの山にするとは言語道断。


王はあまりの強烈なにおいに眉をひそめ、ますます不機嫌になって宮殿を後にしました。


三番目のいちばん若い王子がやったことはちょっと変わっていました。


宮殿にモノを運び込むのではなく、宮殿からありとあらゆるものを運び出し、宮殿内の壁や床をピカピカに磨き上げていたのです。


王は夜になって、三番目の王子の宮殿を訪れました。


広く静まり返った部屋のなかには何ひとつモノがなく、ただ、それぞれの部屋や廊下の燭台(しょくだい)に火がともされ、その光がピカピカの壁や床を照らして神秘的な輝きを放っていました。


王は王子に言いました。


「なんという荘厳な美しさだろう。だが王子よ、予(よ)は何かで宮殿をいっぱいにせよと申しつけたはずだ。その約束はいったいどうなったのじゃ」


王子は微笑みながら答えました。


「いえ、王さま、宮殿内はどこもかしこも灯りで照らし出されています。私は光で宮殿をいっぱいにしたのです」


その答えに王は満足し、この三番目の王子を後継者に決めたということです。

_______

「大富豪インド人のビリオネア思考」

サチン・チョードリー 著

フォレスト出版



No.227

「魂が震える話」より引用
受ける喜びより与える喜び。


この事実は幼児にもあてはまることが、カナダのブリティッシュコロンビア大学の3人の心理学者による新しい研究で判明した。


パブリック・ライブラリー・オブ・サイエンス(PLoS One)に掲載された研究論文によると、


2歳未満の幼児は、お菓子をもらうことより与えることの方に喜びを感じるという。


さらに、単にお菓子を与えるより、自分の持ち物を分けるときの方が、喜びが高いという結論も出している。


大人が人を助けるときに満足感を得ることを測定した最近の研究結果を裏付けるものであり、


自腹を切っても社会のために貢献しようとする心理の解明にもつながる。


今回の研究は、幼児が人に与えることに喜びを感じることを示す初めてのものだ。


「幼児は本来、自分本位と思われがちですが、実際は、与えることの方に強い幸せを感じるということが観察されました」。


共同研究論文の筆頭執筆者ラーラ・アクニン(Lara Aknin)博士は語る。


研究では、金魚の形のビスケットなどのお菓子を幼児に与え、数分後、ひとつをぬいぐるみに与えるよう促した。


さらに、追加のお菓子を幼児に手渡し、ぬいぐるみに与えるよう促した。幼児の反応は録画され、録画をもとに幼児の幸福度を7段階で評価した。


アクニン博士は次のように述べる。


「幼児が自分のお菓子を分け与えることに最大の喜びを感じているということが、最も興味深い結果でした。


自分にとって何でもないものを手渡すときより、自分の大切なものを人の利益のために譲るときの方が、幸せを感じるのです」

_______

大紀元日本の記事より


_______


与える喜び、


遺伝子に組み込まれていたんですね♪


もっともっと、与えていける人になっていきます♪



【希望の世界よ、待たせたなっ!】



「与えることだよ!

ただひとつのほんとの喜びは 与えることだ!」


by チャールズ・M・シュルツ(アメリカの漫画家、スヌーピー作者)



No.228

人の心に灯をともすより引用
【ブランド人になれ!】№1173


トムピーターズ氏の心に響く言葉より…


1950年代。

恵まれた連中は、大学を出て、有名企業に就職した。

そして、波風を立てず、面倒なことに巻き込まれなければ、順調に出世できた。

「お仕事」を聞かれたら、胸を張って会社の名前を答えた。


子供たちは大きくなり、家を離れ、結婚し、孫が生まれる。

55歳になり、65歳になり、めでたく定年。

40年余りの涙ぐましい忠勤が報われ退職金がたっぷりでる。

あとは年金でのんびり暮らすだけだ。

これが第二次世界大戦後の人生設計だった。


しかし、1975年頃から世の中がおかしくなってくる。

外国企業との競争がはじまり、アメリカの絶対優位が崩れ、コンピューターが単なる計算機ではなくなってくる。

そして、世の中はてんやわんやの大騒ぎになった。


だれの机の上にもコンピューターが置かれるようになり、それがネットワークで結ばれるようになり、電子データ交換が普及し、そして、インターネットの時代が来た。

それまでレイオフといえば、だいたい重厚長大産業の話だったが、その波はついに時代の最先端をいく企業まで呑み込んだ。

ライトサイジング(規模の適正化)といえば聞こえはいいが、実態は人員整理にほかならない。

しかし、いくら呪ったところで、時計の針は戻らない。


そう、これは革命なのだ。

ホワイトカラーの9割以上が、今後10年から15年以内に、煙のように消えうせるか、昔日の面影をとどめないほどに姿を変えるだろう。


だけど…

おもしろい時代が来ると、私は思う。

考えただけで背筋がぞくぞくする。

思う存分、自分の力を試せる時代が来ると、私は思う。


先が見えないときは、誰だって恐ろしい。

しかし、何をやるかはすべて自分で決められるようになったのだ。

こんなうれしいことはないと、私は思う。


要は気がまえである。

会社勤めを続けるとしても、個人事業主のように考え、行動しよう。

個人事業主は独立独歩、頼りになるのは自分の腕だけだ。

その腕をつねに磨いていかなければ、明日にでも食いっぱぐれる。

個人事業主の売り物は、自分の実績と自分のプロジェクトしかない。


だれにも頼らず自分の力で生きていける人を、私は「ブランド人」と呼びたい。



No.229

続き
ひとめで違いがわかるもの、お客さんの期待を裏切らないもの、人の心を癒すもの、グッとくるもの…それがブランド人である。

『ブランド人になれ!』阪急コミュニケーションズ


トムピーターズ氏はブランド人の世界をこう表現する(同書より)。

■人びとの記憶に長く残る仕事をする。

■日々、切磋琢磨し、達人を目指す。

■すったもんだがあるから人生は楽しい。

■意識して、変人と付き合う(カッコいい人からカッコよさを学ぶ)


その反対の人は…

■やれと言われたことだけをやる。

■書類とにらめっこして、時間をつぶす。

■ごたごたはもうたくさん。

■新しい友だちはいらない。ほっといてくれ。



時代の変化は激しい。

特に、この何年かの変化は、過去何十年かに匹敵するほどの変わりようだ。

日本が絶対優位にあると思っていた、家電業界も軒並み赤字。

新聞やテレビの退潮。


インターネットが出てきてからは、世界が一変した。

今安泰といわれている大企業も、何年か先には無くなっている可能性は大いにある。


その自衛策としては、自分をブランド化し、自分で自分を守るしかない。

ブランド人といえば、今までは、芸能人や歌手、俳優、政治家、評論家、作家、といったマスコミに出る有名人だけだった。

しかし現代はインターネットの進化により、たとえ無名であっても、誰もが自分をブランド化し、自分の価値を高めることができる時代となった。


自分を磨き、自分を高め、価値あるブランド人となりたい。




No.230

100人の1歩より引用
[心を暖める座布団]


しなの鉄道の大屋駅。

明治29(1896)年に開業した際の旧国鉄時代の木造駅舎がそのまま使われている。


その待合室の3つのベンチに久留米絣(かすり)の座布団12枚が敷いてある。


座布団は25年前に始めて置かれた。


駅員もだれが置いていってくれたか、知らなかった。


翌年の夏、ある女性が座布団を洗濯のために回収に来て、初めて真相が判明した。


駅前で写真館を営んでいる女性で、

冬の夜、冷たい風の吹き込む駅舎に

「せめて座布団を」と置いたのが始まりだった。



大家族だった家には当時、使わなくなった布団がたくさんあった。


仕事の合間を使って、その布団の綿を、

これまた着なくなった久留米絣の着物の布地に入れて、座布団を作った。


大屋の駅や町、空気が好き。


古くて素朴な大屋駅には、絣がよく似合うと思いました。


女性は70歳になった今も、年一回の座布団の洗濯と補修を続けている。


今年も座布団を持って行くと、観光客の男性が

「こんな所に住みたいな」とつぶやいた。

嬉しかった。


そこに気持ちを置かせてもらっているだけ。

どうってことない。


大屋に来て心が休まればいい。


高校一年の男子生徒は

「毎日使うけど、知らなかった。

感謝しないといけませんね」


駅員の山辺真一さんも

「木のいすじゃ冷たくて座れない。

今ではあって当たり前になったけど、ありがたいことです」



この女性は、新聞記事でも名を明かしていない。

~~~

心温まるニュースより

・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

人知れず・・・

誰かの為に。


いいですね♪心温まります

~~~



No.231

100人の1歩より引用
頑固オヤジは

ある飲食店のオーナーです。


この頑固オヤジは人の話しは聴かない。


頭ごなしに怒鳴りつける。


言い出したらきかない。


とにかく頑固なんです。


でも若いスタッフは頑固オヤジのことを慕っているんですね。


どうしてだと思います?


コーチングスキルとして

お伝えしたような



傾聴とか承認とか一切しないんですよ。


どうして若いスタッフは

頑固オヤジを慕うんでしょうか。


その理由はこうなんです。



頑固オヤジは

店が退ける深夜になって家に帰るスタッフの姿を

必ず店の外に立って見送るんですね。


決して声には出さないけれど


「気をつけて帰れよ。無事に帰れよ」


って、心で強く願いながら

姿が見えなくなるまで見送るんですって。



次の日

スタッフが出勤してくると

態度はぶっきらぼうだけど

「今日もいい顔してるな。よく来たな」

って、強く心で感謝するんですって。



相手のことを

心から思う気持ちがあれば


極論を言うと

テクニックなんて必要ないんですね。



頑固オヤジの話は

そんなことを私に教えてくれました。


~~~

出典

「3年後なりたい自分になれるドリームマップ」

秋田稲美著

大和書房より


・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

テクニックもいいですが、

相手を想う気持ちや愛があればこそですよね♪


大切にしていきます。




No.232

人の心に灯をともすより引用
【「買いたい!」スイッチ】№1175


小阪裕司氏の心に響く言葉より…


そもそも人間はどのように価値を認識するのだろうか。

それを考えるいい題材がある。


「エモーション・ド・テロワール」というフランス産ワインがある。

講演会では、客席の方々にこのワインボトルの写真を見ていただき、第一のスライドをお見せする。

そこには商品名と価格(3800円)、フランスワインであること、赤はフルボディであることが示されている。

そして「今このワインが飲みたいという気持がわき上がっている方はどれぐらいいらっしゃいますか」と尋ねる。

会場に5、600人いても、手を挙げるのはたいいがい1人か2人だ。

そこが店だとすると、このワインはほとんど売れないことになる。


次に、「このワインはジュヴレ・シャンベルタン、ヴォーヌ・ロマネ、シャンボール・ミュジニ、マルサネという、4種類の葡萄を使用しています」

これで飲みたくなるかというと、やはりならない。

会場の方に再度挙手をお願いすると、多少は増えることもあるが、先ほど1人か2人だったのが7、8人になる程度だ。

このように商品説明を語っても「買いたい!」スイッチは押されない。


次に、あるダイレクトメールのスライドを映す。

「今、フランスのワイン界で、天才と呼ばれているワイン醸造家がいます。

それは『ヴァンサン・ジラルタン』さんです。

有名なワイン評論家ロバート・M・パーカーJr.も『彼のワインを見つけたら走って買いに行け』と言っているほどです。

ところが、そんな彼がフランス政府に逆らって世に送り出したワインがあります。

それが、このワインなのです」


会場のスライドでこの文面をお見せすると、たいがい6割ぐらいの方が挙手をしてくれるようになる。

「買いたい!」スイッチが押されたのだ。


しかし、ここで私は、DMを上手に作ろうと言いたいわけではない。

ここで重要なのは、人はどのようにして価値を認識するかということである。

『価値創造の思考法』東洋経済新報社



小阪裕司氏は、こう語る。

「どうして私が今、あなたから、この商品を買わなきゃいけないの?」

というのが、お客さんからの究極の質問だという。

この質問に答えられなければ、お客さんに買う動機は発生しない。



No.233

続き
人は、理由がなければ行動しない生き物であり、行動する理由とはすなわち「動機」のことだ。


スペック(仕様書、性能)という、値段やグラム数、産地などを列挙したところで、お客さんに買う気は起こらない。

買うには、行動を起こさせるような理由が必要だ。


どんなに素晴らしい商品でも、お客さんにその価値が伝わらなかったら、この世にないのと一緒。

人に伝える技術を磨きたい。




No.234

人の心に灯をともすより引用
人生は今日が始まりの気持で】№1176


S・スマイルズの心に響く言葉より…


「学問をはじめるのに遅すぎることはない」ということわざがあるが、これを裏づけるのにふさわしい人物の名前は、たくさんあげることができる。

ヘンリー・スペルマン卿は博学な学者であったが、科学を学びはじめたのは50歳代のことであった。

フランクリンが物理の研究に専念しはじめたのも50歳を過ぎてからであった。

ドライデンとスコットが詩人として認められるようになったのは40歳代で、イタリアの文学者ボッカチオが、文学者として出発したのは35歳だった。


このように、世間でいう“人生の盛り”を越えた年齢になってから未踏の分野に敢然と踏み出し、その道で大成した人々の例は枚挙にいとまがない。

「私はもう歳だから、学ぶなんてとてもとても…」などというのは、意思の弱い怠け者の、哀れな繰り言でしかない。


長い人生は、先を争ってカッコよく駆け抜ける必要はない。

急ぐ必要はない。


日々こつこつと、天から与えられた仕事に励み、自己修養を限りなく積みつつ、降りかかる困難を克服して前進する強い意志をもち続けていれば、自分が打ちたてた目標に必ず到達する。

しかも、世の中のために役立ったという充実感を、心ゆくまで味わうことができるのである。

【スマイルズの信念が自分をつくる】三笠書房


「人生は今日が始まり 昨日まではリハーサル 今日から本番」(田中真澄)

学問も、仕事も、はじめるのに遅すぎることはない。

なぜなら、気づいたときが、スタートのときだから。


そして、常に、人生は、「今とここ」だけだ。

ほんとうは、昨日もなければ、明日もない。


人生は今日が始まり、の気持で毎日を過ごしたい。






No.235

人の心に灯をともすより引用
【積極性を身につけるには】№1177


笠巻勝利氏の心に響く言葉より…


【積極性を身につけるには】

①積極的に生きることを信条とする

②ものごとを明るく考える

③できないということばは使わない

④明確な目標を持つ

⑤心身を健康に保つ

⑥何事においても人に負けない意識をもつ

⑦常に人より早く行動を起こす

⑧歩くときは足早に歩く

⑨できるだけ元気のよい声を出し、否定用語は使わない

⑩失敗を恐れない



こんな話がある。

「イタリアの片田舎の村にすばらしい美人がいた。

みんなは高嶺の花で、どんなすてきな人と結婚するのだろうと思っていたところ、つまらない男と結婚をしてしまった。

みんなはどうしてあんなつまらない男と結婚したのか知りたくて、代表を立てて訊きにいった。

その答えは、その男だけが美人の女性にプロポーズした唯一の人間であったからだった」

『金運・幸運・仕事運』PHP文庫



「チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ」 (本田宗一郎)


何もしなければ、失敗もしないかわりに成功もしない。

「それは出来ない、無理」と言って何も動かない人は、コツコツと努力する人にいつか抜かれる。


できるかできないかは、やってみなければ分からない。

失敗を恐れない、明るく積極的な人でありたい。







No.236

てんつくラブレター~言葉の力は無限やねの巻~より引用


知ってる?

知ってる?

「飲み物に声をかけると味が変わる事」

東京アホ学に向かう新幹線の中からワンダフルアフタヌーン!

この前、ゆの里に行って来て水のことを教えてもらった。

水はいろんな情報を吸収し、それを運んでいるんやって。

だから、人間は空気の中にある水を吸って、また水を吐き出してるねん。

その証拠に窓ガラスに息をかけるとガラスが曇るやろ。

そう、自分の中の水が窓ガラスについてん。

そして、凄いのがそこには自分のいろんな情報が入っているということ。

凄いやろ、水って。

そこで、実験してん。

これ、面白いからやってみて。

ただ、メルマガやブログを読むんじゃなくて実践してや。

まずは、アイスコーヒーを買ってきて、それからグラスを二つ持って来て。

別にオレンジジュースでも日本酒でも焼酎でもいいよ。

(待ってます)

(待ってます)

(待ってます)

持って来た?

その飲み物を二つのグラスに分けて入れる。

そして、まずは両方、飲もう。

もちろん、それは一緒の味やんか。

そこで、今度は片一方だけのグラスを持って言うねん。

「私の体に一番、優しい味になってね」

「私の体に一番、優しい味になってね」

「私の体に一番、優しい味になってね」

そして、伝えた方を飲んでみて。

さらに、違う方のを飲んでみて。

ほぼ、みんなこの時点で味が変わっているから。

それは、自分の中の情報がこの飲み物の中に入っていって、その情報がコーヒーの中にある成分と反応するねん。

そして、また、元に戻って同じ味になってねって言うとまた、元の味になるねん。

人間は70%が水と言われている。

さらに脳は90%が水と言われている。

だから、いろんな言葉に共鳴していく。

愚痴をたれても人生。

笑っても人生。

ならば、喜びや愛の言葉をいっぱい使おう。



No.237

人の心に灯をともすより引用
【自分をえらんで生まれてきたよ】№1181


「いんやくりお」君の心に響く言葉より…



雲の上から、お姉さんとお兄さんを見て、

「どの人がやさしいかなあ」って、

見ていた。

それで、ママのところにした。

ママなら、心のことを

わかってくれると思ったら。



生まれる前、ぼくは

すごく強い赤ちゃん忍者で、

しゅりけんで、51人やっつけて、

「もうママは、だいじょうぶ」って思ってから、

おなかの中に入った。

ママのこと、

かかしみたいに、守っていた。

ぼくは、ママを守っているんだよ、

いまも。



赤ちゃんが病気のときは、

「苦もあれば、後から楽もある」ということを、

神さまが、伝えてくれている。

だから、心配しなくていい。

赤ちゃんが生まれたおうちには、必ず、楽がある。

というか、生きているものには、必ず、楽がある。



赤ちゃんは、どのお母さんにするか、

どんな体にするか、どんな性格になるか、

自分で決めて生まれてくるのが、ふつうだよ。

僕が病気で生まれたのは、

病気で生まれる子や、お母さんちを、励ますためだ。

だから、ママは、

ぼくの言葉を、みんなに教えていい。


ぼくは、病気だったから、

幸せなんだ。

ぼくは、病気だったから、

心の言葉が話せるんだ。

だから、いつか、心の幸せを配る

サンタさんになるんだ。



ぼくがかわいいのは、

ママがぼくを守るためだよ。

ぼく、かわいがられるために、

生まれてきたんだよ。

ママは、かわいがってくれると思ったから。



人は必ず、喜びをもっている。

たとえば、生きる喜び。悲しめる喜び。

じつは、悲しめるというのは、

幸せなことなんだよ。

いろいろな気持ちは、ぜんぶ幸せなんだ。

悲しめる喜びというのは、

悲しんだ後、またハッピーになるでしょ。

そのハッピーは、前のハッピーより、

もっと大きいハッピーになる。

だから、悲しみって、たいせつなんだよ。



人は、みんなに

いいことをするために、生きている。

それを、「自分の仕事」という。

みんなのために

働かないと、仕事とは呼ばない。

「自分の仕事」がなければ、

生きていけない。

『自分をえらんで生まれてきたよ』サンマーク出版



印鑰理生(いんやくりお)君は、現在11歳

No.238

続き

お母さんの表現によれば、「ちょっぴり個性的な心臓と肺をもって、この世に生まれてきた」。

入院は30回以上 になるという。

この詩は、りお君の小さい頃からのおしゃべりを、お母さんがまとめたもの。


人は、みんな「自分」を選んで生まれてきた。

頼まれてこの世に出たわけではない。


そして、いいことをするために生きている。

人の喜びのために働く人生をおくりたい。




No.239

人の心に灯をともすより引用

【前座の修行】№1180


人間国宝の講談師、一龍斎貞水氏の心に響く言葉より…


我々は前座修行の時代に、お客様や目上の人、師匠や先輩に対する礼儀から勉強します。

あるいは、楽屋でお茶を汲んだり、師匠の着物をたたんだりする仕事から任される。


最近弟子になった若い連中の中には、こんなことを言う人もいます。

「寄席でしゃべりたくて芸人になったのに、なんで楽屋でお茶汲みやらなきゃならないんですか」

言いたくなる気持は分かりますが、こっちも意味なくそんなことをさせているわけじゃない。

本当はお茶だって自分でいれた方が美味いし、着物だって自分でたたんだ方が安心できる。


それをあえて前座修行の若い連中に任せているのは、そういう些末な仕事でも、心を込めて一生懸命にやる人間かどうか。

そこに、思いやりがあるかないか。

それを見たいからだし、そういう人間を育てたいからなんです。

そこから磨かれている人間かどうかということが、人前で話をするときの魅力の差として、必ず出るからなんです。


お茶汲みひとつにも、雑巾がけ一つにも、その人の人間性が現れているものです。

それと同じものが、話し方の中にも出るんです。

『心を揺さぶる語り方 人間国宝に話術を学ぶ』生活人新書



人は、その人の肩書や役職ではなく、日頃の些細な行動や言動で判断され、評価されることが多い。

掃除や雑巾がけを一生懸命にやらない人は、往々にして仕事も手を抜いたり、いい加減にしたりする。


若いうちに理不尽な体験を多くした人は、人としての幅があり、魅力的な人が多い。

他人の気持がわかるからだ。


どんなに些細な仕事にも、一生懸命な人でありたい。





No.240

人の心に灯をともすより引用

【「でも」と「だけど」】№1179


植西聡氏の心に響く言葉より…


ダイエットのためにスポーツ・ジムに通いはじめたと友だちに話したら、「でも、いくらジムに行っても食べる量を制限しなければ、やせないんじゃない?」と言われてしまった。

そういうとき、たいていの人はちょっと不快な気持ちになります。


夏休みにグアムへ家族で旅行に行ってきたと同僚に話したら、「だけど、向こうだって暑いんでしょう。暑いときに暑いところに行くのは、どうかなあ」と言われた。

こんなときも、これまたたいていの人はちょっと不快になります。

「これ以上、この話をするのはよそう」と思う人もいるでしょう。


なぜでしょうか。

それは、「でも」とか「だけど」と言われると、自分の考えや体験を否定された気になることと関係しています。

誰に対しても、口グセのようにそういう言葉を用いていると、周りから、「あの人は私が言うことにいつも異を唱える」と思われるようになってしまうでしょう。


人と話すときは、話題の主導権を相手に譲り、それに同調・共感するくらいの気持ちでいるといいのです。

それだけのことでも、対人関係はガラリと改善されるものです。

『「いいこと」がいっぱい起こる鏡の法則』王様文庫



相手に同調し、共感するのに最もよい方法は、田中真澄氏の提唱する、「うなずき」、「相づち」、「驚き」という傾聴の3動作の実践だ。


講演会などで、聴衆のうなずきが多いと講師は話をしやすい。

心の底からの「ああ、そうなんだ」「なるほど」という相づちの言葉は、相手をほっとさせる。

驚きの表情で感嘆して聞いてくれると、最高の味方を得たような気持ちになる。


「でも」と「だけど」はやめて、傾聴の3動作の実践をしたい。





No.241

人の心に灯をともすより引用
【ナンバー2理論】№1182


西田文郎氏の心に響く言葉より…


「会社を潰すのは社長であり、会社を大きくするのはナンバー2である」

会社の命運は、トップである社長にかかっています。

しかし会社という組織が成長できるかどうかのカギを握っているのは、トップよりナンバー2なのです。


その理由は簡単です。

「目標」も「戦略」も、また「マネジメント」も、実際に社員を動かしてそれを模範となって実行し、形にするのはナンバー2であり、ナンバー2の責務だからです。

また、それができる人のことをナンバー2と呼ぶのです。


経営では、考えて決断するだけでなく、確実に達成し、間違いなく現実化し、しっかり定着させなければならない。

だからこそ優秀なナンバー2が必要なのであり、会社の成長・発展は、ナンバー2にかかっているのです。


企業の規模に関係なく、社長というのは会社の最高意思決定機関であり、最高経営責任者(CEO)です。

そして、会社のナンバー2は最高業務執行責任者(COO)なのです。


ナンバー2とは、文字通り「二番目」という意味です。

と言っても、ナンバー1より劣るとか、実力でかなわないという意味ではありません。

ナンバー2のほうが実力的には明らかに上である。

世の中にはそんなケースはいくらでもあり、それでうまくいっている会社も多いのです。

『№2理論 最も大切な成功法則』現代書林



ナンバー2として最もよく知られているのがホンダの藤沢武夫氏。


「私は戦前から、だれかをとっつかまえて、いっしょに組んで自分の思い通りの人生をやってみたいと思っていました。

その場合には、私はお金をつくって物を売る。

そして、その金は相手の希望しないことには一切使わない。

なせならば、その人を面白くさせなければ仕事はできないにきまっているからです。

大きな夢を持っている人の、その夢を実現する橋がつくれればいい。

いまは儲からなくても、とにかく橋をかけることができればいい」『経営に終わりはない』(藤沢武夫)

(以上、同書より引用)


斎藤一人さんは、「社長一人喜ばせられないなら、世の中に出てもうまくいかない」と言っている。

それは、社長にコビを売ったりおべんちゃらを言うということではなく、会社の大きな夢や目標に向って進むことがトップが一番喜ぶことになるからだ。


No.242

人の心に灯をともすより引用
【「まめさ」と「早さ」】№1178


山崎拓巳氏の心に響く言葉より…


「モテる男」は、「かっこいい男」ではなく、「まめな男」だとよく言われます。

しかも、「まめ」であることは、非常に簡単なんです。

いきなり宙返りをしろと言われても、ムリですよね。

ある期間練習しないといけない。

しかし、「まめさ」とは誰もが持っている能力で、しかも今すぐできる能力です。

「よし!まめにしよう」と思った瞬間から、復活できるのです。


「まめさ」と「早さ」を掛け合わせた面積が、成功の面積になると、僕は思っています。


つまり、

成功=「まめさ」×「早さ」


「早さ」とは、社会的信用のない人が人の信用を獲得する、もっとも簡単な方法と思います。

たとえば、何かをお願いした場合、「すぐにお送りします」と言って、早急に対応してくれる人がいます。

「そんなに急いでいないのに悪いなぁ」と思った後、「こいつはできるやつだ」「こいつは将来いけるかも」と感じるものです。


「まめさ」と「早さ」を兼ね備えれば、信用される人間になります。

その瞬間から、絶好調になれます。

成功への扉が開くのです。


とくに情報量が多い昨今。

放っておいても情報が集まってきます。

そういう世の中では、まめさが欠けると、すぐに忘れ去られてしまいます。


だからこそ、逆にチャンスが生まれます。

早く、まめに連絡を入れてみましょう。


まめな人は、相手の印象に残りますよ。

まめな人は、人に好かれますよ。

『世界一やさしい 成功法則の本』知的生き方文庫



ネットや携帯が急速に普及した現代では、「スピード」は大きな武器となる。

メールや問い合わせに対する、返信や対応の速さだ。

リアルの世界でも、宅急便やクリーニングのように、速さを極めただけで、大きな商いとなる。


森信三先生は世俗的な雑事、雑務の処理の切り抜け方は、「スグサマ着手」、「即刻、処理」以外にない、と語っている。

後に延ばさず、すぐに取り掛かり、その場で処理する。

完璧でなくても、8割程度できればよしとする、というのがコツだ。


まめで、スピード感あふれる人は、人から信用される。




No.243

「魂が震える話」より引用

北条氏第3代目当主“北条 氏康”さんが、


嫡男の氏政さん(次期当主)と食事を伴にした時、


北条の家は我が代にて終わるだろうと言ったそうです。


その理由がこうです。


「氏政が食べるのを見ていると、飯に汁をかけるのに二度もかけてちょうどよい量にし、食べている。


人間は誰でも日に二度は毎日食事をするのであり、食事に慣れていないなどということはない。


毎度のことでありながら、飯に汁をかけるのに一度で適量をはかることができず、もう一度かけてやっと適量にするとは、愚かなことだ。


毎日朝夕することさえ見積もりができぬ者が、他人の心中を推し量り、目利きすることなどできるはずもない。


他人に対する目利きができなければ、人材を得ることもできない。


今日は戦国の世であり、自分が明日にも死ねば、周囲より名将たちが乱入してきて氏政を亡ぼすこと間違いない。


それで、北条の家も自分で終わるだろうと言ったのだ」


事実、戦国大名としての小田原北条氏は滅んでしまいました。


何気ない行動の中にこそ、自分が出てしまうのかもしれませんね・・・


しょうゆ、


1発で決めていきます!!!



No.244

人の心に灯をともすより引用

【人を許すということ】№1188


中嶋真澄氏の心に響く言葉より…


写真家のK氏はある写真雑誌の編集者から、その雑誌の特集記事に掲載するための写真を数点貸してほしいと依頼を受けました。

掲載されれば、もちろんK氏の名前も出るし、ギャランティも支払われます。

快くフィルムを預けたK氏のもとに、やがて掲載誌が送られてきたころ、「じつは…」と担当編集者から電話がかかってきました。


「どうお詫びすればよいのかわからないのですが、お預かりした貴重なフィルムを紛失してしまいました」というのです。

編集者は返送用の封筒に入れたフィルムをかばんのなかにしまい、そのかばんごと電車の中に置き忘れたらしいのです。


「なんて無責任なんだ」K氏は激怒し、電話口でひたすら平謝りの担当編集者を責めました。

「預けた写真はもう一度同じものを撮ろうと思っても、二度と取れるものではないんだ。

きみも写真雑誌の編集者なら、それぐらいのことはわかるだろう」、そして追い討ちをかけるように「それ相応の謝罪と賠償をしてもらわなくては困る」と言ったのです。


すると、担当編集者は切り出しました。

「そのことですが、編集長とも相談の結果、こちらの雑誌で連載というかたちで当分の間、先生のお写真を毎回掲載させていただき、そこに上乗せする形で今回の償いをさせていただけないかということなのですが…」

それは必ずしも悪い条件ではなかったのですが、K氏は「そんな口約束が守れるとは思えない。だいたいきみが担当をはずれればそれで終わりだろう。冗談じゃない。きちんと責任をとって、賠償金を支払ってほしいね」


K氏が腹立ちまぎれもあり相当な金額を提示したので、担当編集者は困り果て、「もう一度、編集長に相談します」と言って、打ちひしがれた声音で電話を切りました。

それから、数日後のこと。

K氏のもとに、晴れ晴れとした声で担当編集者から電話がかかってきました。

「フィルム、見つかりました。がばんを届けてくれた人がいたみたいで、駅から電話があって… かなり日にちががっているのに不思議です…」


K氏のもとには無事、フィルムが戻ってきて一件落着。

しかし、K氏が平謝りの担当編集者を責めたてた事実は残り、その後、その雑誌社からの写真掲載の依頼は一切なくなってしまいました。




No.245

続き

そして、数年後、K氏はあまり自分の写真が売れなくなり、どこか売り込むところはないかと苦労していたとき、そのときの担当者があの雑誌の編集長になっているのを知ったのでした。

もし、あのとき寛容に編集者を許していたら…

『成功する人はみんなやっているのに誰も気づいていない人間関係99の法則』徳間書店




「後世への最大遺物」(内村鑑三)という本の中に、カーライルの話がある。

カーライルはイギリスを代表する言論人だが、何十年もかけて「フランス革命史」を書き上げた。

たまたまその原稿を見つけた友人が絶賛し、一晩家に借りていった。

しかし次の朝、そんなことを知らない家のお手伝いが、暖炉の火付けに丁度いいと、それを燃やしてしまったのだ。

カーライルはそれを聞き、絶望的になって10日ほどは、何も手につかなかった。

しかし、もう一度思いなおし、自分を鼓舞して再び書き直し、その本を世に出したのだ。


すでに終わってしまったこと、元に戻らないことを、怒ったり、悔やんだり、ネチネチと文句を言っても、何も変わらない。

人の過去のミスを責め立て、それでよくなることなど一つもない。


人のミスを許す人は、心の広い人から好かれる人だ。





No.246

100人の1歩より引用

自分には、

自分にだけ、与えられた道があると思う。


どんな道かは知らない、

ぜったいに、ほかの人には歩めない。


自分だけにしか歩めない道があると思う。


しかも、その道は、二度と歩むことのできない、かけがえのない道だ。


その道は広い時もある。


せまい時もある。


のぼりの時も、くだりの時もある。


坦々とした時もあれば、

かきわけ、かきわけ、汗する時もある。


この道は、

はたして歩いて行ってよいものだろうか。。


悪いものだろうか。


思案に、押しつぶされそうになる時が何度もある。


そして、なぐさめを求めたくなるような時も何度もある。


しかし、

しょせんはこの道しかないのだ。


あきらめるというのではない。


いま、立っているこの道、

いま、歩んでいるこの道、

とにかく、この道を休まず歩むことにしよう。


自分だけにしか、歩むことのできない大事な道なのだから。


自分だけに与えられている

かけがえのない

この道なのだから。


他人の道に心うばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、

道は少しも開けない。


道を開くためには、まずは、歩まねばならぬ。


心をさだめ、いっしょうけんめいに歩まねばならぬ。


それが、たとえ遠い道のように思えても、

休まず歩む姿からは、必ずあらたな道が開けてくる。


深いよろこびも生まれてくる。


この道が果たして良いのか悪いのか、

思案にあまるときもあろう。


しかし、所詮はこの道しかないのではないか。


よく、「迷わず進め」という人がおります。


わたしは、

こういうはなしには違和感をおぼえます。


本当に迷わずに進むという順調な道を歩む人は数少ないと思うのです。


わたしは、やはり、みんな迷いつつ進んでいくものだと思います。


迷いつつ、進んでいくけれども

結論は、

道をはずさずして進んでいく。


そしてゴールインする、

こういうことになるのではないかと思うのです。


それが、わたしは人生というものではないかという感じがします。


・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

自分にしか歩めない道を

かけがえのない道を


いま、歩いているのですね☆

~~~



No.247

人の心に灯をともすより引用

【幸せのかくし味】№1187


美輪明宏氏の心に響く言葉より…


今すぐ幸福になる方法、常に幸福感を味わえる方法があります。

それは簡単なことです。

つまり、どんなことでも何でもよいから〈感謝すること〉を自分の中に、まわりに探して見つけることです。

「見える、ああ有り難い」、「聞こえる、ああ有り難い」、「話せる、ああ有り難い」、「手足が動く、雨風をしのげる天井や壁のある所で寝起きができる、ああ有り難い」、「着るものがある、食べ物がある、ああ有り難い、幸福だなあ」等々。

もしそれが「えっ、それが何で?どうして?」と理解できない人は、一度それ等の病気をしたり、ホームレスになったりして一切を絶ってみれば、有難味や感謝する気持が、感覚でよく身に沁(し)みてわかります。

ちょど断食の行のように、水絶ちの後、最初に飲んだ水の美味しさ有り難さは、日常では忘れているものです。

普段は「こんなまずいものが食えるか」と思っていた一汁一菜の食事が、「こんな旨い粥がこの世にあったのか」と思うほどです。


ですから世の中で忌み嫌われている、病気や貧困や不安やトラブルという〈負〉の部分は、実は幸福を感じるためのバロメーターなのです。

断食の行とは世の中のあらゆるものを感謝する心を芽生えさせるための行なのです。


肉親をはじめ多くの人に愛されてきた人は、愛されることの嬉しさ、有難さ、幸福感を、それが当たり前だと思い、鈍感になっています。

しかし親にも他人にも愛されずにきた孤独な人は、誰かからほんの少し愛されたり優しくされただけでも、大変な喜びを感じたり、有難味を、また幸福感を味わうことができるのです。


〈白〉の白さを際立たせるには、その〈白〉の傍(かたわら)に黒い色のものを置けばよいのです。

苦労した事が多く、苦しみの深さが深ければ深いほど、幸せが訪れた時、それがどんなにささやかな幸せでも、大きな幸福感として満喫出来るものなのです。

『ああ正負の法則』PARCO出版


すべてのことは、それを「当たり前」と思った瞬間に、感謝がなくなる。

今、仕事があること、住む家があること、手足が動くこと、そして生きていること…


「ビリがいるから1位がいる」(相田みつを)

勝ち続けて、どん底を味わったことのない人は、人の悲しみや痛みがわからない。


禍(わざわい)の後には、必ず幸せが来る

No.248

人の心に灯をともすより引用

【一日一笑日記】№1186


精神科医の斎藤茂太氏の心に響く言葉より…


「笑いのセンスをもっと磨きたい」というあなたの面白さに磨きをかける、簡単な方法があります。

「一日一笑日記」をつけるのです。

つまり、一日の生活の中で、いちばん「可笑しい」と感じたことを、毎日日記につけておくのです。

さほど笑いのない毎日でも、振り返ってみれば、可笑しいことのひとつやふたつは必ず見つかるものです。

街で出会った可笑しな人、自分の失敗談、他人の失敗談、可笑しな夢、可笑しな本やテレビのネタなど、身近な珍事件から探してみましょう。


場合によっては、一日一笑どころか、あっという間に、一日五笑くらいになってしまうかもしれません。

その瞬間は青ざめるような失敗も、客観的に見つめると、可笑しな事件にすぎないことがよくあります。

そんなあなたの体験のひとつひとつが貴重な財産となり、笑いのネタとなります。


日記をつけるときに笑い、昔のページを見ては笑い、とくり返し笑っているうちに、自然と笑いのセンスが磨かれていきます。

日頃から面白いことを探して笑っていれば、そのうち人にもユーモアを振りまけるようになるでしょう。


この一日一笑日記の発案者である私の知人は、マジメ人間ですが笑いのセンスは一流です。

しかも、毎日必ず一回は笑っているだけあって、非常に健康体です。

毎日笑っているから自然治癒力が知らず知らずのうちに高まり、病気知らずの体になっているのでしょう。

『「一緒にいてほっとする人」のこころの習慣』青春文庫



多くのお笑い芸人は、「ネタ帳」というものを持っている。

「ネタ帳」とは、ギャグや、コント、オモシロネタ、自分のドジ話等、思いついたらすぐに書くメモ帳のことだ。


発明王のエジソンは、極度の「メモ魔」だったと言われ、ペンと紙を常に携帯していた。

メモには、発明に関するものばかりではなく、ジョークや日常の些細な事など、多岐にわたっているという。

このエジソンのメモは「エジソンノート」と呼ばれている。

また、レオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタインもメモ魔として有名であった。


「ジョークがうまくなりたいな」などと、ただ思っているだけでは、絶対にユーモアのセンスは磨かれない。

具体的に行動することで、ユーモリストになることができる。



No.249

人の心に灯をともすより引用

【新聞紙の札束】№1185


医学博士、佐藤富雄氏の心に響く言葉より…


イメージトレーニングとは、頭の中で理想の部屋をつくることだけではありません。

想像体験を習慣化することで、あなたが望むあらゆる願望は、内容いかんにかかわらず、すべて実現の方向へと近づいていけます。


私のセミナーに参加してくれていたあるご婦人のユニークな想像体験を紹介しましょう。

その体験のユニークなところは、頭の中で何かを想像するだけでなく、実際の行動にイメージを持ち込んだことです。

彼女は、なんと新聞紙で300万の札束をつくり、どこへ行くにも持ち歩いたのです。

そして、「私は高級ハンドバッグに300万をしのばせている裕福な女」と自分に言い聞かせ、リッチな気分を満喫していました。

そうすれば必ず裕福になれると信じていたのです。


そうした行動を続けて半年ほどすると、現実に変化が起こってきました。

彼女は内職の仕事から一転、親しい人のすすめで、健康食品を販売する仕事をスタートさせたのです。

そしてわずか3年ほどで、それまでの経済状態をみるみる好転させてしまいました。

銀行口座には300万どころか、さらに多額の預金がつくられました。


想像体験の威力を実感した彼女は、それからも、新聞紙の札束を手放しませんでした。

5年、10年と経過し、今では豪邸のほかに別荘も建て、高級外車も乗り回しています。

『願えばかなう「思い込み」の魔力』KKベストセラーズ



人は、関心のないことは目に入らない。

「お金なんて興味がない」「つつましく暮らした方がいい」「お金は汚い」と思っている人は、お金には縁がない。

お金に関心がないからだ。


経営者でも、利益や儲けに関心がなく、趣味やボランティアばかりに目がいっている人は、利益を出すことができない。

あまりガツガツとお金のことをいうのは品がないが、さりとて仙人のように無関心なのも問題だ。


お金に限らず、自分の夢なり目標を、より具体的に、鮮明に、イメージできることが、その実現につながる。

より具体的に、ありありと、夢をイメージしたい。





No.250

100人の1歩より引用

[無表情のわけ]




検査で喉頭がんと診断された年配の男性がいました。


しかし、彼は医師からの手術の説明にはまったく耳を傾けないで

「最後まで手術をしないで戦う」

と言って、手術の治療を拒みました。


新聞記者だった彼にとって、声を失う手術を受けると取材ができなくなるからでした。


しばらく、入院した彼はその後、手術をしないで自宅で療養することになりました。


しばらくして、彼が再び、入院することになりました。

病状が悪化してしまったので、手術をする必要があったからです。


痩せて、水さえも飲むことができなくなって、苦しそうに呼吸をしていた彼の姿を見て、

看護師さんは

「こんな状態になるまで自宅で過ごしていたのか…」

と彼の意思の強さに驚きました。

気管切開の手術を受けることになった彼は、看護師さんに

「負けました。病に負けました」

と一言だけ話をしました。


気管切開の手術を受けると声をだせなくなるので、これが彼の最後の言葉でした。


彼は若い頃から熱血新聞記者としえ仕事一筋で生きてきました。

全てを仕事にかけるような人生でした。

そのために、息子さんや家のことは全て奥さんに任せっきりだったようです。


以前に入院した時に看護師さんに

「取材、取材でいつも飛んで歩いているから、女房には苦労をかけた。

定年になって仕事を退いたら、取材旅行ではなくて、夫婦水入らずで温泉旅行に行きたい。

女房に楽をさせることがこれからの私の生きがい。

これからは女房との時間を大切にしたい」

と話していたそうです。


やがて、彼はガンの進行のために首から下の神経麻痺が起こり、手足が動かなくなりました。


彼の奥さんが時間のある限り、彼に付き添っていましたが、彼の顔からは笑顔が無くなって、

無表情になり、一点をみつめたまま、誰の言葉にも反応しなくなりました。


奥さんに

「主人が最近、全然、話を聞かなくなり、笑わなくなりました。

何を話しても無反応で夫が何を考えているか分かりません。

どうかなってしまったんですか?」


と相談された看護師さんは


「これからは女房との時間を大切にしたい」


と彼が言っていたのを思い出して

彼のこの気持を声が出せない彼の代わりに

伝えてあげようと考えました。




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