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ストロベリー( bAF01 )
15/03/08 14:46(更新日時)

気にかかる話など、

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No.1848612 12/09/12 09:55(スレ作成日時)

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No.251 12/11/28 12:40
ストロベリー ( bAF01 )

続き


そして、奥さんがお見舞いに来た時に、

彼が奥さんと一緒に温泉に行きたがっていたことや、

本当に奥さんに感謝しているという彼の想いを伝えてあげました。


ふと、黙って聞いていた奥さんが彼の方を見ると、


彼の口が歪んで鼻水と涙で

顔中がぐちゃぐちゃになっていました。




奥さんは泣いている彼の涙をゆっくりと拭いてあげると


「私は今が一番、幸せよ

1日中どこにも行かないあなたのそばに

ずっと一緒にいられることが今まであった?


こんなに一緒にいられる時間持てて、

私は今が一番、幸せ。


迷惑とも苦労しているとも、ちっとも思わない」


と泣きながら、震える声で彼に話しかけました。


その後の男性はこれまで見たこともないような穏やかで優しい顔つきになりました。




その1週間後、彼は奥さんに見守られながら静かに亡くなりました。


看護師さんは

「私もこの夫婦のようになりたいと思って、

この時に彼の奥さんが自宅の庭から摘んで来たバラをいただいて

私の家の庭に植えたんです。


毎年、咲いてくれる花を眺めながら、

伝えなければ伝わらない想いがあることを忘れないようにしています」

と話してくれました。




病気になってからでは伝えられないこともあります。




身近な人に、自分の感謝の気持ちを忘れずに伝えることが大切です。

~~~

出典

[悔いのない生き方に気づく24の物語]

中山和義 著(フォレスト出版)より






No.252 12/11/28 19:46
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用

【似顔絵セラピー】№1189


上柳昌彦氏の心に響く言葉より…


「ケンイチさん」… 本名、岡村賢一さんは、25歳。

これまでにおよそ1万人もの方の似顔絵を描いて、その腕前を、病院に入院中の患者さんの「癒し」や「励まし」に応用しています。


高校を出て進学したのは、名古屋芸術大学のデザイン学部のイラストコース。

オープンキャンパスの日、にわか似顔絵屋さんをやってみたのです。

これがなかなかの好評でした。

これをキッカケにケンイチさんは、大学祭やイベントで、さまざまな似顔絵を描くようになりました。


今年の2月には、アメリカの似顔絵団体が主催する大会の、色を使わずに描く白黒部門に出場。

120人ほどの似顔絵画家が、5日間ホテルにこもって、ひたすらお互いを描き合う。

できた作品を、どんどん貼り出す。

その作品を画家同士がお互いに投票するという熾烈なコンテストです。

ここで25歳のケンイチさんは見事、優勝を勝ち取ったのです。


似顔絵の面白さというのは、その人の特徴をとらえて大げさに描くことです。

けれども、その特徴が本人にとってはイヤなことだったり、コンプレックスだったりすることもあります。

そういう場合は、周りの人は笑っても本人は笑いません。


ケンイチさんは、心に誓います。

「本人が笑って喜んでくれる似顔絵を描こう。風刺ではなく、いいところをとらえて描くことを旨としよう」


入院病棟には、重度の患者さんもいます。

ですから、できるだけスピーディーに仕上げなければなりません。

また、顔色が悪かったり、病気で頬がこけてやつれてしまった人もいます。

それをそのまま描いても、何にもなりません。


ケンイチさんは、患者さんの職業や趣味を聞いて、その人が人生の中で最もピカピカに輝いていたころのものを絵の中に描き入れることを考えました。

建設業で活躍していた人には工事現場にちなんだもの。

カラオケの先生には音符などを描き添えると、笑顔の輝きが増すことも分かってきました。


普段はほとんど表情を失っていた認知症のおばあさんは、自分の似顔絵を見て手をたたいて喜んでくれました。


週末医療の病室では、ご主人が元気だったころの仲良く寄り添う二人を描きました。

付き添いの奥さんの涙が止まりませんでした。


ケンイチさんは、言います。




No.253 12/11/28 19:47
ストロベリー ( bAF01 )

続き


「元気が出る絵、希望が沸く絵というのは何だろう?まだまだ分かりませんが、それを極めていきたいですね。そして似顔絵セラピーが一つの文化になるのが、僕の夢なんです」

「上柳昌彦のお早うGood Day!」(2007年11月27日放送)

『80点コロッケ 涙があふれて心が温かくなる話』ニッポン放送




似顔絵は、ブラックジョークとも似ている。

ある種のタブーやネガティブなことをデフォルメして笑いにする。


しかし、まわりにはウケたとしても、風刺された本人は笑えない。

人が喜ぶのは、根っこにトゲがなく、心の底から笑えるようなポジティブな明るさだ。


自分の特技を使って、人に希望を与え、元気にさせることができたら最高だ。




No.254 12/11/29 18:44
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用

【悪条件で練習する方がいい】№1191


エミール・ザトペック氏の心に響く言葉より…


「悪条件で練習する方がいい。レースのときに大きな安心を得られるからだ」(エミール・ザトペック)


エミール・ザトペックは、「人間機関車」という異名をとったチェコ・スロヴァキア(現在のチェコ)出身の陸上選手だ。

1952年に開催されたヘルシンキオリンピックの、5000メートル、1万メートル、そしてマラソンの3種目で金メダルを獲得した。


重要なプレゼンテーションを行なうときには用意周到な準備をするのが常識である。

だが、いくら綿密な準備と予行演習をしても、本番になってまったく役に立たないことがあるだろう。


たとえば、パソコンが使えなくなったり、データが消失したり…。

こんなトラブルをおこすのは、なぜか一流の設備を持った大企業が多い。

一流の設備を持っていれば、どんなトラブルにも対処できそうなものだが、実際にはその反対が多いのだ。

一流の設備に慣れてしまうと、悪条件のもとでは、普段の実力の半分も出せなくなってしまうのである。


自分の職場の環境について、劣悪だと嘆く人は多い。

しかし、その劣悪な環境で、一流の設備を持った会社の人間と同じ仕事をこなせれば、彼らと闘うときには必ず優位に立てるのではないだろうか。

「そのときのため」と考え、劣悪な環境で力を磨くことが、実力につながるのだ。

『心を強くする指導者の言葉』PHP



東京オリンピックでレスリングは金メダルを5個取った。

それは、当時のレスリング協会、八田一朗会長の、厳しくて、ユニークな選手育成のたまものと言われている。

たとえば、外国に遠征に行ったとき、「夜眠れずに調子が悪かった」というような言い訳をさせないため、合宿所では夜寝るときも、電気や、テレビ、音楽をつけっぱなしにしていたという。

どんなところに行っても、どんな状態になっても、寝れるように訓練したのだ。


スポーツだけでなく、経営も、勉学も、整えられた環境でぬくぬくと育つと、ヤワな人間が育ってしまう。

ちょっとした環境の変化でも、自分の実力を発揮できない。


普段から自分を追い込んで、野生のたくましさを身につける必要がある。







No.255 12/11/30 08:49
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用


【5%の成功者】№1192


西田文郎氏の心に響く言葉より…


「5%の成功者」は、そうでない人たちと比べ、最初からどこかが違っているのです。

「この人なら必ず成功する」

そう感じさせる何かを彼らは、はじめから持っていたのです。


私に、「いずれ成功するぞ」「いつか頭角を現すぞ」と予感させ、やがてその通りに成功していく人たちの心には、ある共通の質(心の質)が備わっていました。

それは次のようなものです。


①実現が難しそうな「大きな夢」を描く。

②物事に素直に感動し、感激できる。

③自分の役割に真剣に、またがむしゃらに取り組める。

④努力を努力と思わない。

⑤悪い結果は、自分の責任と思う。


一方、私がどんなに力を入れて指導しても、また本人がいかに努力しても、なぜか成功しない人たちに共通する心の質とは…

①未来の目標より、いまの快楽のほうに引かれる。

②物事に感動し、感激することが少ない。

③いま成すべきことに、がむしゃらになれない。

④努力することは苦しいことだと思っている。

⑤不平不満を口にし、自己正当化ばかり考える。

『5%の成功者の「頭の中」』知的生き方文庫



幕末の志士、坂本竜馬は次のような言葉を残している。

「何でも思い切ってやってみることですよ。

どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから」


人生、開き直れば、ふつふつと勇気がわいてくる。

そして、がむしゃらになれる。


夢を語る人は、感性豊かで、明るい。

愚痴や泣き言をいう人は、自己中心的で、暗い。


夢を追い求める冒険的な人は、いつも感動と感激を忘れない。

1回しかない人生、一途一心に努力する人でありたい。




No.256 12/12/02 16:21
ストロベリー ( bAF01 )

「魂が震える話」より引用


夜中の3時、ジェーンは突然かかってきた電話に、ベッドから飛び起きました。


こんな時間に電話がかかってきたということは、危篤状態になっている入院中の娘・モニカに緊急事態が発生したのかもしれません。


案の定、病院の医師からの電話でした。


モニカが待ちに待った移植用の肺がいまヘリコプターで病院に運ばれており、1時間後に移植手術が始まるので、すぐ病院に来てほしいとの連絡でした。


ジェーンは急いで夫と一緒に病院に駆けつけました。


今が最も希望に満ちた時であり、それはまた、娘を失う可能性がもっとも高い時でもあります。


しかし、手術をしないと、娘の命はもう長くはなかったのです。


ヘリコプターはまだ到着していませんが、病院の中はすでに準備万全でした。


今は1分1秒がとても貴重なもので、一人の命が亡くなると同時にもう一人の命が救われるかどうかは、創造主の賜りを仰ぐしかない、と誰もが分かっています。


手術の成功を信じているモニカの顔を見て、ジェーンは少し安心しました。


しかし、モニカの身体についている設備、酸素マスクと多くの測定機器を見て、ジェーンはやはり不安を拭い去ることができませんでした。


娘の命を続けさせるためには、これらの機器がすべて正常に働かなければなりません。


生まれた時、モニカは健康な赤ちゃんでした。


頑固で気性が激しい子でしたが、とても頭がよく、しかも小学校から高校までずっとスポーツの達人でした。


しかし、大学に入ってから頻繁に風邪を引くようになり、大学院に入ってからはますます病弱になりました。


司法試験に合格した後、弁護士として1日も働いたことがありません。


彼女の肺は次第に壊死していきました。


最初、小さな酸素バッグを携帯すれば間に合いましたが、徐々に大きい酸素ボンベから離れられなくなりました。


とうとう、終日イスかベッドに座っていることしかできなくなっていました。


手術を終えた医師の目は希望に輝いており、ジェーンにこう話しました。


「今までこんなにぴったりの移植をしたことがありません。


肺の大きさはまるでモニカのために設計されたようなものです。


さらに不思議なのは、各種の生理条件、例えば肺の生存に必要な数十種類の検査値も完璧に合っています。




No.257 12/12/02 16:22
ストロベリー ( bAF01 )

続き
まるで神様がモニカのためにもう一つの完璧な肺を作ったかのようです」


ジェーンは私の診療所に来て手術の経過を語った時、ずっと感激の涙が止まりませんでした。


ジェーンもモニカも古くからの知り合いで、私も心からこの親子のために喜んでいます。


「肺の提供者を知っていますか」と聞いたら、ジェーンは「分かりません」と答えました。


2週間後、ジェーンは真っ青な顔をして、再び私の診療所を訪れました。


モニカの容体が悪化したのかと思いきや、彼女は意外なことを教えてくれました。


「モニカにはジェニファーという幼馴染の友達がいました。


二人は何でも一緒に行動し、けんかをしたことが一度もありませんでした。


ジェニファーはモニカより明るくて、スポーツがとても得意で、自転車、水泳、ランニング、何でも優秀でした。」


「しかし、私はモニカの父と離婚して引っ越しをしました。


二人の子供にとって、永遠の別れのようなものでした。


仕事が見つかり引っ越しを決めたので、二人の子供を無理やり引き離す形になってしまったのです。


モニカはずっと悲しんでいました。


健康状態が悪化したのはジェニファーと別れてからでした。


二人はそれからも手紙のやりとりをしていましたが、モニカの体調が悪くなってからは、二人の連絡も途絶えてしまいました。


ジェニファーから送られた最後の手紙には、彼女は今ある慈善募金のためにトライアスロンの準備をしていると書いてありました」


「ところが、昨日そのジェニファーの両親から手紙が届いたのです。


驚く事に、トライアスロンの試合の最中、ジェニファーは、自転車で転んで体が遠く吹き飛ばされ地面に落ちたとき、頭を岩に強くぶつけ、意識不明になってしまったという事でした。


その後、20日あまり経っても意識が戻らず、医師からは植物人間と診断されました。


そしてその後まもなくジェニファーは、この世を去りました。


しかし、彼女がトライアスロンに参加した理由は、モニカが一日も早く健康な肺を持てるように募金したいからだ、と書いてあったそうです」


ジェニファーが亡くなったのは2週間前の深夜3時で、それはちょうどジェーンが電話で起こされた時刻でした。


そうです…モニカの身体の中で元気に働いているのはジェニファーの肺だったのです


No.258 12/12/02 16:23
ストロベリー ( bAF01 )

続き


モニカは、まるで自分の肺のように少しの不具合もなく、親友の肺が自分の身体の中で元気に生きているなんてこと、知るはずもありませんでした。

_______


人と人を結ぶ「縁」


縁あって出会うのでしょうね。




No.259 12/12/02 16:42
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用


【まず先に与えること】№1194


さい ふうめい氏の心に響く言葉より…


仕事やお金は人が運んできます。

私たちが「運がいい」と感じるときは、他から何か刺激を受けたときです。

ということは「運」は人によって運ばれてくると考えていいでしょう。

人がよってこない人には、運は訪れないのです。


では、どうすれば人がいいチャンスを自分に持ってきてくれるのでしょう。

人は自分一人では幸福を手に入れることはできません。

大切なことは、待っていても誰も与えてくれないということです。

まず先に与えて、その結果与えられる。

つまり、人に何かを与えた人にだけチャンスは訪れるのです。


ただし、人に与えたときに何か見返りを求めてはいけません。

求めると裏切られることが多いのです。

したがって、与えることそのこと自体が自分に運をもたらすことだと考え、それだけで自分の気持ちが高揚し、幸福を感じられるように持っていくのです。

この「与える」という端緒なしに幸運を手に入れることはできません。


この法則は「好いて・好かれる」という局面にも当てはまります。

人に好かれている人は、まず、好いているのです。

自分が誰も好きになっていないのに、人に好かれようとするのは「自然の理」に反します。

運の無駄遣いなのです。


また、人はチャンスだけでなく、災いも人が運んできます。

ということは、与える相手は運の引き寄せ方を知っている相手がいいのです。

周りを見渡していると、運の悪い人は運の悪い人に与え、それが理由で災いを背負い込んでいる嫌いがあります。

『運をつかむ人のがす人』産能大学出版部刊



天国と地獄では、長い長い箸で食事をするという。

天国にも地獄にも、山のように山海の珍味が食卓にあるが、なぜか地獄の住人たちはガリガリにやせていて、文句と不満で充満している。

しかし、天国の住人はいつもニコヤカで、栄養もたっぷりとれている。

天国の住人たちは、長い箸で互いの口に食事を運ぶが、地獄の住人たちは箸が長すぎて自分の口には入らない。


「うばい合えば足らぬ

わけ合えばあまる

うばい合えばあらそい

わけ合えばやすらぎ」(相田みつを)


人に何かを与え続ける人には、いつか幸運がやってくる。







No.260 12/12/02 16:55
ストロベリー ( bAF01 )

とある話…

2500年前のお釈迦様の弟子で

シュリハンドクというお坊さんがいまして、


これが朝聞いたことを夕方には忘れている

という程度のもんじゃなくて、

自分の名前すら覚えられなかったといいます。



皆から馬鹿にされるし、そんな自分が情けなくて

お釈迦様に相談したところ「心配することはないよ」

と言われて、



1本のホウキを渡し、「これで綺麗にしなさい。」

ただし、お釈迦様は掃除の際にこの言葉を言い続けなさいといいます。



それは・・・「心清くあれー 心清くあれー」

と言いながら 掃除せよ と言われたそうです。


素直なシュリハンドクは、それから何年にもわたり、

師匠のお釈迦様の言うとおり 「心清くあれ~」

「心清くあれ~」 といいながら


バカな自分にはこれしかないと掃除の修行に

励んだそうです。



来る日もくる日もただひたすらお掃除に励みました。



数年たち、ある町でお釈迦様の有名なお弟子さんの説法会が開かれます。



多くの青年たちが楽しみにその日を待ちます。


しかし、当日近くなって有名なお弟子さんはこれなくなりました。


青年たち多くは落ち込み、良い話聞ける予定だったのに残念がっていると、

代わりの他の弟子が来るという連絡が入りました。


その弟子の名前はあのシュリハンドクだったのです。



町の青年達は 怒りました、笑ってる者もいます。



なんで、お釈迦様はあの大馬鹿のシュリハンドクなんか来させるんだろう?


「自分の名前すら覚えられない弟子なんか

来てもらって、説法されても いい迷惑だ」


よし、みんなでここは1つ、シュリハンドクがみんなの前で説法し始めたら、


みんなで 「大馬鹿シュリハンドク!帰れ―」

と大声かけて、恥をかかせてやろう


当日、、、

大勢の町の方が集まってます。


青年達は前の方に陣取って、シュリハンドクが登場するのを心待ちに待ってます。



「よし、みんな いいか、シュリハンドクのバカが

話始めたら一斉に罵声するぞーー」

と青年の1人がいいます。


そして、いよいよ シュリハンドクが現れます。


しかし、、、


その姿は、いやに神々しく、

穏やかな顔に満ち溢れています。



青年達の目の前を通り、

青年達は息をのみます。。。





No.261 12/12/02 16:55
ストロベリー ( bAF01 )

続き


シュリハンドクは・・

静かに目を閉じたまま口を開きます。



青年達は 「今だ!!」 と

罵声をかけようとした瞬間・・・・・・


シュリハンドクは

「 心清くあれ~ 心清くあれ~」


「心清くあれ~心清くあれ~ 」


そのやさしく、美しい響きに

青年達は ハッ とします。


そして、、青年達みんなは その言葉に


ジーーンと胸を貫かれます。


そして、、

ハラハラと 涙を流してしまいます。


涙をながしている時も

「心清くあれ~」 「心清くあれ~」


とシュリハンドクは

ただひたすらに続けたそうです。


とうとう、青年達の涙声につられて、

その会場の全員がシュリハンドクの

言葉が心に響いてしまい、、


反省の涙を流したそうです。


会場のみんなはなぜお釈迦様が

シュリハンドクを越させたのかを理解し

素直さとは何かを学んだようです。



・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

素直さ。

大切です。。


一所懸命、ひたすらに続けることで

誰かの心に響くことになるのですね♪


~~~




No.262 12/12/02 17:27
ストロベリー ( bAF01 )

100人の1歩より引用


そなたの秘蔵の宝物はなにか?


ある日、関白・秀吉が、諸大名の前で、


「わしは、天下の有名な宝を、ほとんど集めた」

と言って、指を折りながら刀や茶碗の名を挙げ、自慢を始めた。



やがて、徳川家康に向かって、

「そなたの、秘蔵の宝物は何か?」

と問いかけた。



家康の答えは意外だった。


「ご存じのように、私は三河の片田舎で育った武骨者ですから、

珍しい宝物は持っておりません。


ただし、私のためならば、火の中、水の中へも飛び込み、

命懸けで働いてくれる部下を五百人ほど持っております。


この五百人を召し連れると、

日本中に恐ろしい敵はありませんので、

この部下たちを第一の宝と思って、

平生、秘蔵しております」



さすがの秀吉も、顔を赤らめて、一言も返事ができなかったという。


秀吉と家康の考え方の違いを表すエピソードですね。



・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

自分のことを想ってくれる人がいます。

大切にしましょうね!




No.263 12/12/03 09:17
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用


【間抜けの構造】№1195


ビートたけし氏の心に響く言葉より…


間抜けなやつ、というのは、いつの時代にもどこの世界にもいる。

でも、間抜けには愛嬌というか、どこか憎めないところもある。

本人はいたって真面目な場合が多くて、笑わせてやろうとか受けを狙おうみたいな作為はあまり感じられない。

本人が真面目であればあるほど、傍から見ていると間抜けに映るわけで、そこになんとも言えないおかしさがある。


辞書を引くまでもなく、間抜けというのは「“間(ま)”の悪いやつ」のこと。

特においらのような芸人にとって、“間”というものは死活的に重要で、逃れることができないもの。

漫才でもコントでもテレビのフリートークでも“間”を外したら一発で台無し。

だから、今さら大声で言うことではないかもしれないけど、“間”を制するものはお笑いを制する、とっても過言ではない。


お笑いだけじゃない。

映画や絵画や音楽といった芸術、野球やサッカーや相撲といったスポーツ、踊りや茶道といった芸事、そして人生にいたるまで、あらゆるジャンルにおいて、“間”というものは、決定的に重要なものだ。

考えてみれば、日本人は、「床の間」や「茶の間」といった空間に馴染(なじ)んできたし、「間に合う」「間尺に合わない」という慣用句もあるくらいだから“間”というものを大事にしてきた民族だと思う。

どうやったら“間”というものをコントロールできるのか、人生においていかに“間”を活かすか。

“間”もへったくれもない、こんなギスギスした時代だからこそ、それは結構重要なことだと思っている。

『間抜けの構造』新潮新書



歌舞伎や落語などで、一瞬の“間”あると余韻が残る。

絵画や庭などでも、何もない空間があることにより、そこにかえって広がりや余韻を感じさせる。


“間”の取り方の上手な人は、待つことのできる人。

ヘタな人は、人のことを考えずに、一方的に話をしたり、ひとりよがりに自分だけ楽しんでしまう。


“間”を知る人は、粋で余韻がある。






No.264 12/12/03 14:12
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用


【もし、高杉晋作がいなければ】№1193


童門冬ニ氏の心に響く言葉より…


「リーダーいかんで組織はどうにでもなる」

このときに大事なのがリーダーにおける“エレイントメント現象”である。

それは、リーダーがその職場で“気流”になり、“つむじ風”になれ、ということだ。

その職場で、リーダーは自分が率いる人間たちを巻き込めるような新しい気流を起こせ、ということである。

しかも、この気流を起こすにはつぎの3つのEが必要だといわれている。


①つまらない仕事を面白く(エンターテイメント)する。

②暗い職場を明るく楽しく(エンジョイメント)する。

③一人ひとりの構成員に仕事の意義を感じさせ興奮(エキサイティング)させる、つまり、生き甲斐を感じさせる。


この3つのリーダーシップの発揮によって、新しい気流が巻き起こってくるということだ。

歴史の上でも、人が人に影響を与え、また人が人から影響を受けた例は数限りなくある。

それも、日本では戦国時代や幕末明治維新のような激動の時代にこういう例が多い。

『男の器量』知的生きかた文庫



1863年、長州藩は、関門海峡を通る外国船に砲撃を加えた。

しかし、その翌年、イギリス、フランス、アメリカ、オランダ4カ国の17隻からなる連合艦隊から、長州藩は大規模な攻撃を受け大敗した。

そして、講和となったが、イギリスは山口県下関市の南端にある彦島の租借を提案してきた。


その時、長州藩の交渉の全権を任されたのが、当時24歳だった高杉晋作。

その2年前、イギリスの租借地となっていた香港の屈辱的な惨状を見ていた高杉は、その提案を断固として受け入れなかった。

のちに伊藤博文は、「高杉があの時、租借問題を拒否していなければ、彦島は香港になり、下関は九龍半島になっていただろう」と語ったという。


「おもしろきこともなき世をおもしろく」

とは、29歳で亡くなった高杉晋作の有名な辞世の句。


「リーダーいかんで組織はどうにでもなる」

どんな状況になっても、新しい気流を起こせる人は最高のリーダーだ。





No.265 12/12/03 14:50
ストロベリー ( bAF01 )

1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。



当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、

また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、

ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。



翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。



俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと持っていったお菓子のみで腹を満たした。


弁当の中身は道に捨ててしまった。


家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、

親父は俺が全部食べたんだと思い涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、

「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」


と本当に嬉しそうな声と顔で言った。


俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。


でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。


親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。


さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。


でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。


流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。


で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。


でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。


結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。



翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。



親父は去年死んだ。


病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら


「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」


とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。



弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる

No.266 12/12/04 09:04
ストロベリー ( bAF01 )

我勝道と凡事徹底より引用



【考え方の癖】

みんなと話していると、考え方の癖があることに気づく。
それは、格闘塾の3つの掟にしているひとつ、人生七変化の法則が当てはまる。

考え方がマイナスの人で、プラスの言葉を使っているのを見たことがない。

人生七変化の法則は、
言葉⇒考え方⇒行動⇒習慣⇒性格⇒出会い⇒人生
という人生が変わっていくまでの変遷を説いたものだ。

考え方がマイナスの人は、どうしてもマイナスの言葉を使っている。
だから、ずっと波及して、マイナスの人生になる。

自分の考え方の癖をプラスに変えたい人は、プラスの言葉を使わなければいけない。

人生はいろいろある
いろいろあるたびに、ムカツイたり、怒ったりしていては、あかん。
人生は、ムカツイたり、怒ったり、愚痴や不満を言ったりして、良くなることは絶対にないからだ。

自分の人生を変えたければ、目の前の人が笑顔になるような言葉を使うのだ。
そんな素敵な言葉を使うということは、一番誰が素敵な言葉を聞いているか?
そうだ、自分なんだ。
自分がたくさんステキな言葉を使うようになると・・・、当然、素敵な人生が手に入るのだ。

考え方、行動、習慣、性格、出会い、人生なんて、変えられるんだよ。
それは、使っている言葉を積極的にすればいいだけのことだ。

いついかなる時も積極的な言葉を使うこと

素敵な言葉を使って、目の前の人、回りの人の心に灯をつけてあげる。
すると、自然と自分の回りは明るくなり、自分の人生も輝き出すのだ。

さぁ、たった一度の今日という日を人生最高の一日にするために、
当然、爆走しかないでしょう!

いくよ!いくよ!

『キミの未来は今日作られる』

今日も熱く明るく元気に笑顏で、人に温かく生き切ろう。

そして今日が今までの人生で最高の一日になるように努力を惜しまないこと。

今日も、喜愛と輝愛で、元気出していこう!

『いってらっしゃい!』

「ポン!」(肩を叩いた音)

==========

今日も、我勝道を極めるべく、自分の弱い心、怠け心に負けぬように、凡事徹底を貫こう

===========

今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう
(三重県伊勢市「修養団」中山靖雄先生のお言葉)

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No.267 12/12/04 09:12
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人の心に灯をともすより引用



【良いことを信じつづける】№1196



植西聡氏の心に響く言葉より…


東北のあるところに、どうにもこうにも手がつけられない不良少年がいました。

高校を中退して以来、定職に就くこともなく、恐喝やケンカばかりしていたのです。

心配になった母親が占い師にみてもらったところ、「息子さんは、いずれ極道の道を行くことになるだろう」と言われ、大変なショックを受けました。


しかし、母親は気を取り直し、「占い師にみてもらったら、おまえは将来、仕事で大成功をおさめるらしいよ」と、息子にわざとウソの告白をしました。

すると、息子は大いに発奮し、「東京で一旗あげてみせる」と母親に宣言し、上京することを決心しました。

それから30年経った今、息子は極道の道を歩むどころか、年商40億円を誇る造園会社の社長として大成功をおさめるにいたりました。


この話を通して言いたいのは、占いが当てにならないこともさることながら、良いことを信じつづけると、人生の流れが確実に良い方向に変わるようになるということです。

良いことを信じつづけると、心の中にプラスのエネルギーが生まれるようになります。

それが充満すると、成功や飛躍・発展につながるラッキーな現象が引き寄せられるようになるのです。

『運気をつかんで離さない人の習慣』徳間ポケット



斉藤一人さんは、「風水や、方位などを気にする人がいるが、今あなたのいるところがよい場所であり、よい方角。そんなことを気にするより、今いる場所に感謝するほうが大事」と言っている。

占いや方位、名前の画数、あるいは、仏滅や大安などにこだわりすぎると、生き方が窮屈になる。

それより、それらを逆手にとり、自分に都合のいいように解釈した方が、成功する確率が格段に高くなる。


言葉は、「言霊(ことだま)」。

善き言葉を大事にすれば、善き事がやってくる。


良いことを信じつづけけて、良き人生を歩みたい。





No.268 12/12/07 14:56
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人の心に灯をともすより引用


【優しい言葉をかけてほしい】№1199


高野登氏の心に響く言葉より…


マザー・テレサの、この言葉はご存知ですね。

「愛の反対は憎しみではない。それは無関心である」


誰だって自分の存在を無視されるのは辛いもの。

嫌われても憎まれても、自分の存在が認められている分、まだましなのです。


では、相手に「私はあなたに関心を持っていますよ」ということを伝えるにはどうしたらいいのでしょう。

答えは簡単です。

相手に言葉で伝えること。

優しい言葉で伝えてあげることです。


ある100歳のおばあちゃんの言葉です。

「お金もいらない。

着物もいらない。

命だってもういらない。

でもお願い。

優しい言葉をかけてほしい」


100年生きてきて、最後に彼女が欲しかったものは優しい言葉だったのです。

それなら100年も待たないで、今日から周りの人に優しい言葉をかけてみませんか。


「あなたに会いたくて来たよ」「あなたと過ごせて、とても嬉しい」「あなたといると、とても楽しい」「あなたで、本当によかった」「すべてあなたのおかげです」「本当にいいお仕事、していますね」「うわあ、すごい、よくできたね」「どうすれば、あなたのようになれるかな」「嬉しい。でも頑張りすぎないでよね」「すごく美味しい。おかわり!」


どれも何気ない一言ばかりです。

それで相手の気持が癒されるのなら、どんどん口にしたいですね。


そしてもっといいことに、それを言っている自分自身が、実はどんどん輝いてくるのです。

優しさという心の筋肉が、強く大きくなっていくからなのでしょうか。

『「また、あなたと仕事したい!」と言われる人の習慣』(高野登・志賀内康弘)青春出版社



「愛語よく回天の力あり」(道元禅師)

道元禅師は、優しい言葉は世界をも変える力を持っている、と語っている。


愛語とは、一人一人を大切に思い、優しい言葉、思いやりのある言葉をかけること。

人が死んでもずっと残るもの…

それが、その人が、人々に与えた喜びや悲しみ。


だからこそ…

どんな人にも、やさしい言葉をかける人でありたい。





No.269 12/12/07 15:14
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人の心に灯をともすより引用



【50年存続する会社】№1198


藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


「不易流行」

不易(ふえき)とは、変わらないということである。

時代がいくら変わっても不変なものがある。

また変えてはならないものがある、ということである。

流行とは、時とともに移り変わっていくもの、また変えていかなければならないもののことである。


以前、こういう話を聞いた。

ある人が地方都市に旅行し、市役所の人に古くからある神社を案内してもらった。

その神社は50年前に修復を行い、100の会社が協賛、寄付をしてくれた。


さて、50年経ったいま、そのうち何社が残っていると思われますか、と市役所の人に質問された。

残ったのは、たった1社である。

それも業態を変えて、残ったのである。


では、100年後に生き残れるのはどれくらいか。

1000社のうち2、3社が定説である。

生存率0.2、3%。

企業という生命体を維持発展させていくことがいかに難しいかをこの数字は示している。


ちなにみ日本には200年以上続いている会社が3000社ある。

韓国はゼロ、中国は9社だという。


何百年も続く老舗を観察すると、共通のものがあるように思える。


一つは創業の理念を大事にしていること。

その時代その時代のトップが常に創業の理念に命を吹き込み、その理念を核に時代の変化を先取りしている。


二つ目は情熱である。

永続企業は社長から社員の末端までが目標に向け、情熱を共有している。


三つは謙虚。

慢心、傲慢こそ企業発展の妨げになることを熟知し、きつく戒めている。


四つは誠実。

誠のない企業が発展した験(ためし)はない。


いずれも不易の基をなすものである。

その不易を遵守(じゅんしゅ)していくところに生命の維持発展がある。

『月刊 致知 2013年1月号』致知出版社



「棒高跳びのバーは常にあげられてゆく これを超えねば競争場裡より去らねばならぬ」

とは、経営難に陥っていた東芝を建て直し、その後経団連の会長になった土光敏夫氏の言葉だ。

時代の変化という、バーの高さに対応できなければ、会社の存続はできない。


変えることと、変えてはいけないこと。

「不易流行」の心を持ち、いつまでも長く続く企業を目指したい。





No.270 12/12/07 15:21
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人の心に灯をともすより引用



【免疫力を高めるには】№1197


精神科医、樺沢紫苑氏の心に響く言葉より…


UCLAの演劇学科で行なわれた実験があります。

被験者は、これまでの人生で起こった最も気がめいることについて一日中考え、それを科学者の前で演技しながら表現する、というものです。

実験の間、被験者はスタニスラフスキー方式の練習をしました。

これは、おびえる場面であれば、おびえたものの記憶を詳細にたどり、実際におびえた感情を引き出しながら演じるというものです。


もう一方のグループには、幸せな記憶だけを思い出して演じてもらいました。

その後2つのグループから数回採血し、免疫機能を継続的に調べたところ、楽しい記憶を思い出したグループの免疫細胞は数も多く、活発でした。

それに対して、気がめいる記憶を思い出したグループは、免疫細胞の数が著しく低下し、その活動性も低くなり、感染症にかかりやすい状態になっていたのです。


「悲しい」「苦しい」「つらい」ことをイメージするだけで、わずか1日で免疫力が低下するという身体の変化があったのです。

これはつまり、ストレスを受けるか受けないかは、あなたが実際にストレスを受けているかどうかが問題ではなく、あなたの頭のなかが「苦しい」と感じているか、「苦しい」で埋め尽くされているかによって変わってくるということです。

『「苦しい」が「楽しい」に変わる本』あさ出版


アメリカの心理学者、ウィリアム・ジェームズとカール・ランゲの有名な言葉がある。

「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」

泣くことを演じれば、心も悲しくなり、元気もなくなる。


医学博士の安保徹氏は「免疫低下の大きな原因の一つはストレス」だと言う。

ストレスは、自らが感じ、自分でつくるもの。


幸せな記憶を常に思い起こし、自己免疫力を高めたい。





No.271 12/12/08 07:58
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人の心に灯をともすより引用


【小さなチャンスを見逃さない】№1200


おちまさと氏の心に響く言葉より…


「自分には、なかなかチャンスが巡ってこない」という悩みを持っている人に、共通していることがあります。

それは、大きなチャンスだけを、チャンスと思い込んでいること。


偶然知り合った有名企業の社長から「うちの会社で働いてみないか」と誘われたり、アルバイト先のオーナーから「君に店を一軒任せたいと思っているんだよ」と言われたり…。

そういうのをチャンスだと考えている人が多いんですね。


こうした一攫千金型のビッグチャンスは、人生のうちにそう何回も訪れるものではありません。

ですから、こんなチャンスだけを待っていては「いつまで経ってもチャンスが巡ってこない」のは当たり前のことです。


僕たちに訪れるチャンスの多くは、もっとささやかなものです。

例えば、今は主役級を務めているハリウッドの俳優だって、駆け出しの頃は通行人役から始めている人が少なくありません。

でも、通行人役だって、役がもらえるだけでチャンスなんです。


通行人役でチャンスをものにしたら、次はひと言だけセリフのある役、次は主人公の友達役というように、少しずつステップアップを重ねる過程で、ある日、注目を集めて主役に抜擢されるときがくるのです。

だから小さなチャンスをバカにしてはいけません。

小さなチャンスを積み重ねる中から、大きなチャンスが生まれていくのです。

世の中の99%の人が、チャンスというものは大きなチャンスだけだと誤解しているのです。

『99%の人が見逃しているチャンスのつかみ方』KKロングセラーズ



小さなチャンスを見逃すことは、目の前にある当たり前の幸せを見逃すことと似ている。

チャンスを見逃さない秘訣は、今の自分の立ち位置を低くすることだ。

目線を少し低くし、期待値を下げること。


期待しないものが、思いがけず手に入った時の喜びは大きいが、熱烈に願ったことが成就しなかったときの落胆はさらに大きい。

日々感謝の気持で暮らせば、小さなチャンスを見逃さない。





No.272 12/12/10 11:58
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【聞いてくれて、ありがとう】№1202


阿川佐和子氏の心に響く言葉より…


私は10年ほど前から、農林水産省などが主催する「聞き書き甲子園」という仕事を続けています。

これは、全国の高校生100人がそれぞれ、森で働く名人100人のところを一人で訪ね、「聞き書き」をしてレポートをまとめるという活動です。

森の名人とは、木こり、造林、炭焼き、枝打ち、椎茸作りなどに従事する職人のことですが、1昨年前からは範囲を広げて、川や海の名人にも加わっていただくことになりました。


高校生に課されたノルマはけっこう過酷です。

まず、見ず知らずの名人(ほとんどが60歳以上の高齢者)に電話をし、訪問する日を決め、当日は電車やバスを乗り継いで、森の奥へ一人で出かけ、「初めまして」と会った瞬間からテープを回してインタビューを始めるのです。

助けてくれる大人はいません。

インタビューを終えると自宅へ戻って、自分でテープ起こしをし、要点を拾い上げ、名人の一人語りのかたちでレポートをまとめます。


「大変だったけれど面白かった」と応える高校生の横で、嬉々とした表情を浮かべているのは、高齢の名人たちだったのです。

「最初、こんな孫みたいな若い高校生に、何を話せばいいんだか、何の役に立つんだか、わかんねかったけど、会って質問されているうちに、うれしくなっちゃってね。

だって、家族も知り合いも、誰も自分の仕事のことなんかに興味を持ってくれないからね。

こんなに自分の話、長くしたことねえもんな」


もはや「跡継ぎなどいらん!この仕事は自分でおしまい!」と豪語する名人たちが、「聞いてくれて、ありがとう」と高校生に感謝を述べている姿を見て、私は涙が出てきました。


素直な気持で好奇心の赴くままに人の話を聞いたとき、聞き手は自分の記憶や気持をそこに重ね合わせ、必ず何かを感じとるはずです。

そして、聞かれた側もまた、語りながら改めて自分の頭を整理して、忘れかけていた抽斗(ひきだし)を開け、思いも寄らぬ発見をするかもしれません。

『聞く力 心をひらく35のヒント』文春新書



本当は、人は自分のことを話したくてウズウズしている。

特に自分が今、もっとも関心のあること、力を入れていることなどを、ズバッと聞いてくれたら話は止まらない。


他人から認められ、共感されることほどうれしいことはない。

その反対が、無視や無関心


No.273 12/12/20 19:18
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人の心に灯をともすより引用
【相手のメリットになることをやろう】№1212


作家の中谷彰宏氏の心に響く言葉より…


自分のメリットより、相手のメリットで付き合うことが大事です。


例えば、自分がセールスする立場で考えてみるとよくわかります。

親しくなりたい相手もセールスの仕事をしていたとします。

そのとき、やるべきことは「どんな商品があるんですか?」と、相手の商品パンフレットを見せてもらうことです。

ここで、自分の商品パンフレットを「見てください」と相手に出してしまってはダメなんです。

ほとんどの人が、自分から仲よくなろうとして、どうしても自分のことばかりを話そうとします。

これは、まちがったイニシアチブの取り方です。


お互いに飲食店を経営している人同士なら、「今度、自分の店に来てください」と言うのではなく、相手のお店に自分から足を運ぶのです。


笑福亭鶴瓶さんは、知らない人と仲よくなる天才です。

僕は知らない人に話しかけることが苦手なので、鶴瓶さんの番組をよく観察するようにしています。

そうすると、とんでもなく細かい気くばりを自然にやっていることに気づきました。


『家族に乾杯』という旅番組で、鶴瓶さんは街で出会ったお店の家族に話しかけるときに、こんなふうに言っています。

「あ、それ、おいしそうやな。1個ちょうだいな」

まず、相手の家族がやっているお店のものを買って食べます。

そして、おいしそうに食べながら、世間話をするのです。


これが並のレポーターだと、「あの、家族に乾杯という番組なんですが、ご家族は何人でやられているんですか?」と、自分が聞きたいことを話しかけます。

すると、相手のほうも構えてしまって、あまり話が広がりません。

鶴瓶さんは、自然に聞く側にまわって、いつの間にか家族から面白いネタを引き出しています。

相手のペースにさせて、自分がイニシアチブをとるということもできるのです。


「自分を売り込むことをやめて、相手のメリットになることをやろう」

『仕事を見直す 25の質問』サンクチュアリ出版



「魅(み)は与によって生じ、求(ぐ)によって滅す」という、無能唱元氏の言葉がある。

魅力は、与えることによって生まれるが、欲しいと求めた瞬間に消滅する。


人付き合いも同じで、誰かと仲よくなりたかったら、自分から先に相手に与えること。



No.274 12/12/21 11:19
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用


【ロケットの打ち上げ】№1213


古川武士氏の心に響く言葉より…


「ロケットが上昇する最初の数分間、数キロで必要としたエネルギーは、それから後の数日間、約70万キロに及ぶ旅をするために使用したエネルギーをはるかに上回るものであった」


ロケットを打ち上げる際の難関は大気圏を抜けることです。

大気圏を抜けるのには膨大なエネルギーが必要です。

それは重力が地上に引き戻そうとするからです。

しかし、いったん宇宙空間に出てしまえば、重力の法則から開放され、少ないエネルギーで進むことが可能になります。


これを習慣に置き換えると、重力が習慣引力になります。

つまり、隙あらばやめさせようとする引力です。


よって、大気圏を抜けるまでが習慣化のプロセスにあたります。

宇宙空間は、習慣化された状態にたとえられます。


つまり、いったん習慣化されれば、非常に少ない労力で続けられるというのは、無重力の宇宙を少ないエネルギーで進めるロケットと同様なのです。

『30日で人生を変える「続ける」習慣』日本実業出版社



豊臣秀吉の家来に、曽呂利新左衛門という人がいた。

ある時、新左衛門が手柄を立てたので、「そちの望みのものは何でもやろう」と秀吉は言った。

新左衛門は、「米を1粒からはじまり、次の日はその倍の2粒、3日目はその倍の4粒、というように、1ヶ月間ちょうだいしたい」とお願いした。

秀吉は、「なんだそんなものでよいのか、欲のない奴よ」、と簡単に承諾した。

しかし、その数がとんでもないことになることに途中で気づき、頭を下げ、別の褒美と変えてもらったという。


現代のお金で考えてみると、1円、2円、4円、8円、と倍々で30日間もらうということだが、26日を過ぎた頃から急激に増え、なんと30日目には5億3687万0912円となる。

それら全てを合計すると、30日間でなんと、10億7374万1823円だ。


これは、習慣の継続と似ている。

努力の成果はすぐには出ないが、あるときを境に爆発的に伸びるときが必ずくるということだ。


いいことを続ければ、いつか大きな花が咲く。







No.275 12/12/21 11:52
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人の心に…【 リスクをとろう】№1207


ロビン・シャーマ氏の心に響く言葉より…


これだけは請け合います。

人生のたそがれどきを迎えて、死の床につくとき、あなたがいちばん後悔するのは、負ってきたあらゆるリスクではありません。

あなたの心を満たす最大の悲しみは、避けてきたすべてのリスク、つかまなかったすべての機会、立ち向かおうとしなかったすべての恐怖でしょう。

いいですか、恐怖の向こうには自由があるのです。


時代を超えた成功の原則に焦点を合わせてください。

「人生は数字のゲームにすぎません…リスクを負えば負うほど、報酬は多くなります」。


あるいは、古代ギリシアの悲劇詩人、ソフォクレスの言葉を借りれば、「運は勇気のない者にはめぐってこない」ということになります。

人生をまっとうするためには、もっとリスクを負い、恐れていることをしてください。


やっかいな状況に強くなり、いちばん抵抗のない道をすすむのをやめるのです。

もちろん、人があまり通っていない道を歩けば、いろいろなものに爪先をぶつける確率は高くなるでしょうが、どこかに行くにはその方法しかないのです。


フランスの小説家でノーベル賞をとったアンドレ・ジードは、「長い間岸を見失う勇気がなければ、新しい大陸を発見することはできない」といっています。

充実した人生を送る秘訣は、安全を探すことに日々をついやすのではなく、機会を追いもとめることに時間をさくことです。


私はセオドア・ルーズベェルト元大統領のことばを書斎にかかげています。


大切なのは評論家ではない。

実力者がどのようにつまずいたか、善行家がどこでもっとうまくやれたかを指摘する人物はいらない。

顔を泥と汗と血でよごしながら、実際に現場で闘っている男。

勇ましく立ち向かっている男。

何度も判断をあやまって、期待にそえない男。

おおいなる熱意と献身についてわかっていて、りっぱな大義に身をささげている男。

最善の場合は、最終的に大成功をおさめた喜びを知っている男。

最悪の場合は、たとえ失敗したとしても、勝利も敗北もしらない、冷たくて臆病な連中とは違う、あえて勇敢に立ち向かって結果として失敗した男。

そういった男たちをこそ、称賛すべきなのだ。

『3週間続ければ一生が変わる』海竜社



人のアラを探し、批評ばかりする評論家は、自らリスクを取ることをしない。

No.276 12/12/21 11:53
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続き



どんないい話を聞いても、「でも」、「だけど」、「そうは言っても」と否定から入る人間は、決して自分からやろうとしない。


「ボクシングを見ている奴はいろいろなことを言うが、リングで戦っている奴を褒(ほ)めろ」(セオドア・ルーズベルト大統領)

外野で騒ぐだけの人間を黙らせる言葉は、「自分でやってみろ!」。


リスクを恐れずに挑戦する者だけに幸運がめぐってくる。




No.277 12/12/21 12:01
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人の心に灯をともすより引用


【組み合わせたら】№1208


ポール・スローン氏の心に響く言葉より…


1999年、『アバ・パーテル』というタイトルのCDが、バチカンで制作された。

教皇ヨハネ・パウロニ世がラップにとてもよく似たリズムに乗せて、メッセージや祈りの言葉を伝えようとしたCDだ。

ローマカトリック教会のような伝統のある保守的な組織でも、こんな突飛な組み合わせが思いつける。


組み合わせを考える習慣をつけよう。

ふたつの商品を見たときに、それらを頭のなかで組み合わせてみるという習慣だ。


誰かが時計とベルを見てひらめいたのが、アラーム付き時計だったのかもしれない。

誰かが消しゴムと鉛筆を使っていて、「鉛筆の端に小さな消しゴムがついていたら便利だな」と思いついたのが、消しゴム付きの鉛筆だったのかもしれない。


同じことは誰にでもできる。

いっしょに使われているものでも、そうでないものでもかまわない。

「組み合わせたら、どうなるだろう?」と胸のなかでつぶやく習慣をつけよう。


人と会って、商売の話になったら、互いの商売をどう組み合わせられるかを考えてみる。

趣味の話になったら、互いの興味をどう組み合わせられるかを考えてみる。

商品でも、サービスでも、マーケティングでも、どんなことでもかまわないので、次に創造的なアイデアが必要になったときには、まったく異なるものを組み合わせて、何が生まれるかを試してみよう。

これは定評のある発想法だ。

【ポール・スローンの思考力を鍛える30の習慣】二見書房



携帯電話は組み合わせの宝庫だ。

電話の機能を中心に、メール、カメラ、音楽、手帳、時計、メモ、テレビ、地図… と限りなく色々なものが組み合わされている。


最近では、雑貨やアパレルのお店にカフェが併設されているところも増えてきた。

また、書店が、CDや雑貨を売っているところも多い。


異質な組み合わせは、大きなビジネスチャンスとなる。

「組み合わせたら、どうなるだろう」という視点を常に持ち続けたい。




No.278 12/12/22 12:01
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人の心に灯をともすより引用


【何がなんでも始めることだ】№1214


ジョン・C・マクスウェル氏の心に響く言葉より…


私はよく本の書き方について質問を受ける。

「僕も先生のように本をたくさん売って、人に影響を与えたい」と彼らは言う。

「それはいいことです。今までにどんなものを書いたの」と尋ねると、たいてい「まだ何も書いたことはありません」という答えが返ってくる。


それでも激励の意味を込めて、「それでは、今何を書いているの」と訊くと、「まだ実際には書いていませんが、アイデアはたくさんあります」と答える。

そして、学校を卒業したら、来週になったら、来年になったら、もっと時間ができるという話になる。

この説明を聞いたとたん、この若者は本を書くことはないだろうと思う。


100冊以上のウエスタン小説を書き、2億3000万部以上を売った作家ルイス・ラムーアは、

「何がなんでも書き始めるのだ。蛇口をひねらなければ、水は流れ始めない」

というアドバイスを残している。


望むだけでは足りない。

やる気があるだけでも足りない。

能力があるだけでも足りない。


自分から進んで行動してこそ、成功できるのだ。

『「戦う自分」をつくる 13の成功戦略』三笠書房



バスケットボールのスター選手、エド・マッコリーは、バスケットボール・キャンプで子どもたちにこう言ったという。

「今いい加減にプレーをしている奴は、今もどこかに必ず全力で努力している同レベルの選手がいることを覚えておけ。

将来そいつと対戦する日が来たら、絶対お前の負けだぞ」


「明日から努力する」、という人間は明日も同じことを言う。

毎日の少しずつの努力の積み重ねの分しか、人は前に進まない。


だから…

「何がなんでも始めることだ」

自分がなまけているこの瞬間も、コツコツと努力を続けている人はいる。




No.279 12/12/22 12:19
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用


【二つの質問】№1209


斎藤一人さんの心に響く言葉より…


死んだらどうなるか…。

オレは小さい頃、神さまに見せてもらったことがあるの。

死ぬとね、二つしか質問されないからね。


1つは、「人生を楽しみましたか?」って。

もう1つは、「人に親切にしましたか?」。


この2つしか聞かれないんだよ。

だけど、この2つは同じなんだよ。

人生を楽しみましたか?…って、他人(ひと)に喜ばれると、人はすごくうれしくて楽しいんだよ。


人間、生きてて、なにがうれしい、ってさ。

ゴルフで、ポンって、穴にボールが入ってくれるのも、うれしいだろうけど、

「あんたがいてくれて、しあわせだよ」とかね。

「あなたと同じ時代に生まれてしあわせだ」とか。

そうやって言われたら、いちばん幸せだよね。


「自分は人からどんなふうに思われてもいいんだ」って言うけど、嫌われたら、しあわせじゃないよね。

だから、しあわせって、追求したらね。

追求すればするほど、人に喜ばれることが、「しあわせだ」ってことがわかるよね。


人間ってさ、自分の魂が成長したときに無上の喜びを感じるものなんだよ。

『人生が楽しくなる「因果の法則」』PHP研究所



仏教には、「浄玻璃(じょうはり)の鏡」という言葉がある。

人が死んだときに、人の一生が、一瞬にして映し出される鏡のことだ。


悪いことをしたり、人を傷つけたりしたことがあると、それを見て身もだえするほど苦しくなるが、その別名を地獄と言うそうだ。

反対に、人の喜ぶことを多くし、人に感謝される人生を歩んでいると、うれしくて楽しくて、えも言われぬほど心地よくなるが、その別名を天国というそうだ。


人の喜ぶことを多くし、人に感謝される生き方を目指したい。





No.280 12/12/22 12:52
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用


【己の品性を高める】№1210


伊集院静氏の心に響く言葉より…


正岡子規は明治元年に生まれた。

時代が大きく変わろうとする時である。

子規の親友、夏目漱石こと、夏目金之助も同じ年に生まれた。

時代が激しく変わる中で、二人は寄席で落語、講談を聴いたり、芝居小屋で浄瑠璃を見て愉しんだりしている。


二人が互いを認めたのは、たとえば寄席で落語を聴いていても、大声で茶化すなど、人の品性の卑しい行為を嫌悪した点である。

もう一点は、喀血を若くして経験し、死を、自分の生の間近に見た子規と、ノイローゼ気味で、初中後(しょつちゅう)体調が良くなかった漱石も己の生涯を考えたからである。

27、8歳の若者が、それをきちんと考えたのである。


サッカーの日本代表がオーストラリアと対戦する試合をテレビで観た。

サッカーは引き分けだったが数人の選手のインタビューを見聞きした。

…ああ、これでは野球は衰退してしまう。

と思った。


サッカー選手のコメントは日本語がきちんとしており、しかも話の軸が見えた。

ひどいのはプロ野球選手である。

なぜそうなったか?

時代と環境にちやほやされたからである。

若い時にそれをされるとよほど性根、己と時代を見る眼がないと置かれた立場に気付かない。

『別れる力』講談社



「粗にして野だが、卑ではない」という言葉がある。

元国鉄総裁、石田礼助の国会答弁の時の言葉だ。


若いときは、荒削りで勢いもあり、洗練されていない。

しかし、だからと言って、下品で卑しくていい訳ではない。


真の人格者は、知識や頭脳が優秀な人ではなく、品性が磨かれた人だ。

若い時から、己の品性を高めたい。





No.281 12/12/23 20:06
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百人の一歩より引用


去年のクリスマスは、とてもつらかった。


家族も親友も、はるか遠い故郷のフロリダにいた。

私は一人、寒いカリフォルニアで働き続け、体調もくずしていた。


私の職場は、航空会社のチケットカウンター。

その日はクリスマス・イブ。


私は昼夜のダブルシフトぶっとおしで勤務していたが、夜も9時をまわり、内心みじめでならなかった。


当番のスタッフは2、3人いたものの、乗客の姿はまばらだった。


「つぎのお客さま、どうぞ」カウンターごしに声をかけると、柔和な顔をした老人が杖をついて立っているのが見えた。

老人はそろりそろりとカウンターまで歩いてくると、

聞きとれないほどの小声でニューオリンズまで行きたいと言った。


「今夜は、もうそっちへ行く便がありません。

明日までお待ちいただくことになりますが」

と言うと、その老人はとても不安げな顔になった。

「予約はしてあるのですか」「いつ出発のご予定だったのですか」などと聞いてみたが、

聞けば聞くほどいよいよ困った様子で、ひたすら「ニューオリンズに行けって言われたから」と繰り返すばかり。

そのうち、いつくかのことがわかってきた。

老人はクリスマス・イブだというのに、義理の妹に

「身内のいるニューオリンズに行きなさい」と車に乗せられ、この空港の前で降ろされたらしい。

彼女は老人に現金をいくらか持たせ、「中へ行ってこれで切符を買いなさい」と言って立ち去ったのだ。


私が「明日もういちど来ていただけますか」と聞くと、

「妹はもう帰ってしまったし、今晩泊まる所もない。

このまま、ここで待つことにします」と言った。

これを聞いて、私は自分が恥ずかしくなった。


私はクリスマスの夜に一人ぼっちのわが身を憐れんでいた。

でも、クラレンス・マクドナルドという名の天の使者が、こうして私のもとにつかわされ、

一人ぼっちとはどういうことか、本当の孤独とはどんなものかを教えてくれている。

私の胸は痛んだ。


私はただちに「ご安心ください。万事うまくやってあげますからね」と彼に伝え、

顧客サービス係に明朝一番の便を予約してもらった。


航空運賃も年金受給者用の特別割引にし、差額は旅費の足しにしてあげることができた。

一方、老人はくたびれ果てて立っているのもつらそうだ。




No.282 12/12/23 20:07
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続き



「だいじょうぶですか」とカウンターの向こうに回ってみると、片脚に包帯を巻いている。

こんな脚で、衣類をぎっしりつめこんだ買い物袋を下げて、ずっと立ちつくしていたのだ。

私は車椅子を手配し、みんなで老人をその車椅子に座らせたが、見ると脚の包帯に少し血がにじんでいる。

「痛いですか」と聞くと、老人は「心臓のバイパス手術をしたばかりでね。

そのために必要な動脈を脚からとったんだよ」


なんということだ!

老人は心臓のバイパス手術を受けたばかりの身体で、

ニューオリンズ行きの切符を買えと路上に放り出されたのだ。

付き添いもなく、たった一人で!


こんな状況に出くわしたのは初めてだった。

何をしてあげたらいいのだろう。

私は上司の部屋に行き、どこかに老人を泊めてあげてほしいと相談した。

上司はすぐさま、ホテル一泊の宿泊券と、夕食と朝食の食事券を出してくれた。

カウンターにもどった私は、ポーターにチップをわたして、

「この方を階下までお連れして、シャトルバスに乗せてあげて」とたのんだ。


車椅子の彼のうえに身をかがめて、ホテルのこと、食事のこと、旅の段取りをいまいちど説明しながら、

彼の腕をとんとんと叩いて励ました。


「すべてうまくいきますからね」


いざ出ていく段になると、老人は「ありがとう」と頭を下げて、泣きだした。


私ももらい泣きしてしまった。


あとになって、上司の部屋に礼を言いに戻ると、

彼女はほほ笑んで言った。


「いいわねえ、こういう話。

その人は、あなたのためにやってきたクリスマスの使者だったのよ」


~~~

出典

[心のチキンスープ7]

ジャック・キャンフィールド他著

ダイヤモンド社

p4 より






No.283 12/12/23 20:16
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用



【些細な振る舞いから】№1215


山内昌之氏の心に響く言葉より…


北条早雲の孫である氏康は、北条5代の中でもとくに優れた器量を持っていた。

同時に、人の器量を見抜く目も備えていた。


ある日、氏康と氏政親子は共に食事をしていた。

氏政は飯が盛られた茶碗に味噌汁を一度かけ、量が足りないと見るやもう一度かけた。

この様子を見た氏康は、息子の器量のなさを嘆いたという。


「食事という毎日のことでありながら、飯にかける汁の量を一度で量ることができないとは…。

このような些細な見積もりもできない者に、家臣や領民の心中を推し量ることなどできないだろう。

北条はわたしの代で終わるに違いない」


じつの息子に対してあまりに手厳しい人物評だが、氏康の不安は的中する。

父の跡を継いだ氏政は、のちに豊臣秀吉と敵対したことですべての領地を失った。


このエピソードは、人材の力量は仕事の成果だけでなく、日常の些細な振る舞いからも判断できることを示唆している。

『リーダーの英断』日経ビジネス文庫



人の力量や器は、何気ない些細な言動や行動に現れる。

日常のとるに足らないような言動にはその人の素(す)がでるが、意識した振る舞いは飾ることができるからだ。


森信三先生はこう語った。

「学校の再建はまず紙屑を拾うことから。

次には靴箱のカカトが揃うように。

真の教育は、こうした眼前の些事(さじ)からスタートすることを知らねば、一校主宰者たるの資格なし」


つまり、目の前に落ちている紙屑を拾うことができなかったり、脱いだ靴をそろえることができない人は、どんな偉そうなことを言ったとしても、人物ではないということだ。

眼前の些事をおろそかにせず、何事にも真剣に取り組む人でありたい。




No.284 12/12/24 13:59
ストロベリー ( bAF01 )

100人の…これは僕の友だち、ポールの話である。


ある年のクリスマスイブのこと、

ポールは、兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらった。


ポールがオフィスから出てくると、街でよく見かける少年が、

そのピカピカの新車のまわりを歩き回っていた。


よほどその車が気に入ったらしく、ポールに話しかけてきた。


「この車、おじさんのかい?」

「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」

と、うなずきながらポールは答えた。


少年はそれを聞いてひどく驚いた様子だった。

「えっ? おじさんの兄さんがくれたって?

おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?

うわあっ、すごいな? ぼく・・・」


と、少年は何かを言いかけたが、そのまま口をつぐんでしまった。


少年は、「ぼくにも、こんな兄さんがいたらなあ」

と言いたかったのだろう、とポールは思った。


ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。

「ぼくね、おじさんの兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」


ポールは、まじまじと少年の顔を見つめていたが、

自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。


「この車に乗ってみるかい?」

「本当? ウン」


車を走らせてまもなく、少年の目はキラキラと輝き始めた。


「おじさん、ぼくの家の前まで乗せてくれる?」

ポールは思わずニヤッとした。


きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。


しかし、その憶測はまたもやはずれた。


「あそこに階段がついている家が見えるだろう?

そこでちょっと待っててくれる?」

少年は車を降り、駆け足で家に入っていった。


しばらくすると家の中から、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。


少年が身体の不自由な弟を背負って出てきたのだった。


弟を階段の一番下に座らせ、車がよく見えるように弟の身体を支えた。


「ほらバディー、見てごらん。さっき言ったとおり、すごい車だろ。


そこにいるおじさんの兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。

それも、まるっきりタダでくれたんだって。

お前も、待ってなよ。


兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前にやってやるからね。


そしたら、いつも話してるクリスマスのきれいな飾りを、

No.285 12/12/24 14:03
ストロベリー ( bAF01 )

続き



その車に乗って見に行こうね」


それを聞いたポールは何も言わずに車を降りると、

少年の弟を抱き上げ、新車の助手席に座らせた。


目をキラキラ輝かせた少年もその横に乗り込むと、三人はドライブに出かけた。


本当にすばらしいクリスマスのドライブだった。


このクリスマスの日、ポールは聖書のみことばをしみじみ感じたのである。


『受けるよりは与えるほうが幸いである』


~~~

出典

[こころのチキンスープ]

愛の奇跡の物語

ダイヤモンド社より




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    ___ ・・・・・。
   / ― \
  /ノ (●) \
 |(●)  ⌒) |
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  \_ ⊂ヽ∩\ 
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   | /   \_ノ
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No.286 12/12/24 22:16
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用


【ちょっとした勇気があれば】№1216


石川起子さんの心に響く言葉より…


冬休みに入って間もなく、電車に乗りました。

アルバイトで疲れ、少し人間関係がイヤになっていたとき…ふと前を見ると、右手の不自由なおじさんが乗ってきて、私の左側に座りました。

そして、片手で一生懸命本を読み始めました。


ちらっと横目で見たら、1ページ1ページめくるのが大変そうで、思わず片手をサッと出して本のはしを持ってあげました。

黙って見ていられなくなってしまって、役に立ちたいと思ったからです。

おじさんは遠慮して、

「あっ、大丈夫ですよ」

と言って、すぐに読みかけの本をしまって、しばらくうつむいてしまったのです。


次の駅に着いたとき、おじさんは目に涙を浮かべながら、

「やさしんですね…」

と言ってくれました。

胸のどこかでじーんとした喜びがありました。


その直後、下車するようだったので、勇気を出して、

「がんばってください!」

と言えて、また、じーんとした熱い思いがこみあげてきました。

“埼玉県新座市 石川起子(16歳)”

『涙が出るほどいい話 第六集』河出書房新社




人に話した言葉は、実は、自分に話している。

なぜなら、口の一番近くにあるのは、他人の耳ではなく、自分の耳だからだ。


だから…

相手を罵倒すれば、自分を罵倒しているのと同じ。

相手を励ませば、自分を励ますのと同じ。


「困っている人に言葉をかけていますか?

そんな人に対して何が出来るだろうか?」(デール カーネギー)


ちょっとした勇気があれば、人に優しく、親切にすることができる。




No.287 12/12/25 09:39
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用



【ハンサムウーマン、新島八重】№1217


「新島八重 ハンサムな女傑の生涯」の中から、心に響く言葉より…



その個性から、「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサムウーマン」「悪妻」など、さまざまに語られる新島八重。


会津藩の砲術師範・山本家に生まれた八重は、幼いころから力持ちで負けず嫌い。

兄に教わった砲術を、近所の子どもに教えていました。


八重のふるさと・会津若松は、戊辰戦争で官軍に包囲されます。

八重は城内に入り、鉄砲を手に奮戦しますが、衆寡敵せず、会津藩は降伏します。

この戦争で、八重は父と弟をはじめとする多くの縁者を亡くします。


八重と婚約した新島襄は、彼にとって「アメリカの母」であるハーディ夫人に宛てた手紙の中で、彼女の写真を同封した上で、

「彼女は決して美人ではありません。しかし、私が彼女について知っているのは、美しい行いをする人(person who does handsome)だということです」

と、紹介しました。

要するに襄は、容姿よりも、八重の美しい心根に魅かれたのです。


キリスト教教育の夢を叶えるため、多忙を極める夫の同伴者として、八重は献身的に襄を支えます。

「厳格」・「慎重」な夫に対し、「快活」・「豪縦」な妻という、真逆の性格を持った二人でした。


襄はその死に際し

「グッドバイ、また会わん」

と言い残したといわれています。

襄にとって、八重は終生「我最愛ノ友」でした。

『新島八重 ハンサムな女傑の生涯』(同志社同窓会・編)淡交社



新島八重の夫、新島襄は同志社の創設者だ。

八重は、若い頃一度結婚し、襄とは二度目の結婚だったが、襄が47歳と若くして亡くなったため、結婚生活はわずか14年間だった。


襄は、妻に「八重さん」と声をかけるが、八重は夫を「襄」と呼んだ。

アメリカ教育を受けた襄は、妻に限らず、生徒・女中・用務員に対しても「○○さん」と呼びかける人であったという。


戊辰戦争のときは、髪を断ち、弟・三郎の形見の袴を着て男装していた八重。

負けず嫌いで、勇敢で、しかも変化を恐れない柔軟な心も持っていた。


明治には、魅力あるハンサムウーマンがいた。







No.288 12/12/28 07:27
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともすより引用

【先生のひとことで、救われたんだよ】№1220



プロボクサー内藤大助氏の心に響く言葉より…


ひどいイジメだった。

胃潰瘍ができた。

毎日毎日、恐怖が続いた。

いまもそのトラウマが残っている。


僕がボクシングを始めた理由。

それは、中学のときのイジメだ。


相手に仕返しするためじゃない。

自分の身を守るため。

パンチを打つのではなく、相手のパンチをよけるため。

僕は強くなりたいと思った。


僕は北海道の豊浦町で生まれた。

家は貧しかった。

サビだらけのトタン板で囲われた木造二階建て。

窓は木枠でできていたけれど、きっちり閉まらない。

毎年、冬の寒さをしのぐため、ビニールを打ち付けて、窓をふさいでいた。


僕には父親の記憶がない。

僕が生まれてすぐに離婚したらしい。

母親は、自宅の離れで食堂兼民宿を営み、朝から晩まで忙しく働いた。

なにも買ってもらえなかった。


中学時代当時の僕は、身長が140センチくらい。

相手は170センチ以上あるやつもいて、喧嘩してもかなわないと思った。

僕は笑いのものされ、使いっぱしりをさせられ、それでもご機嫌をとり、媚を売りながら生きていた。

母親には隠していたけれど、ある日、お腹が痛くて病院に行くと、胃潰瘍ができていた。


中学三年になって、さらにイジメはエスカレートした。

モノを隠され、靴を捨てられ、服を脱がされた。

もう、限界だと思った。

カラスやスズメ、虫でもいい、人間以外のものになりたかった。

学校に行きたくなかった。


そのとき、佐々木先生が異変に気づいてくれた。

先生は、小さくて、運動神経がよくて、サッカー部の顧問。

歳は25歳くらい。

生徒との距離が近くて、冗談が通じるやわらかい雰囲気を持ったひと。


その佐々木先生がホームルームで、こう切り出した。

「最近、誰かが、誰かをからかっている。

特定のひとに、ひどいことをしている。

誰がやっているか、思い当たるひとは手をあげろ!」


誰も答えない。

すると先生は、大声であいつの名を呼んだ。


「おまえのことを言ってんだよ!!」


シーンとなった。

僕は、ビックリした。

すごいと思った。

こんな大人もいるんだと思った。

先生が叫んでから、イジメはおさまった。


僕は、ボクシングを始めた。



No.289 12/12/28 07:27
ストロベリー ( bAF01 )

続き




不思議なことに、強くなると、やり返そうという気持がなくなった。


「先生のひとことで、救われたんだよ」

フライ級の日本一になって北海道に帰ったとき、先生にそう言った。

先生は、変わらぬ優しい笑顔で、小さくうなずいた。

『心がギュッと強くなる本 大切な人への手紙23通』PHP研究所




人はちょっとしたひとことで、明るくもなれば、暗くもなる。

そして、たったひとことで命が救われることもある。


「いつだって、私はあなたの味方」

「泣きたかったら思いきり泣いてもいいんだよ」

「君がいてくれるだけで幸せ」

「どんな時でも君のそばにいるよ」


勇気を与えてくれる「ひとこと」、発したい。





No.290 13/05/06 14:25
ストロベリー ( bAF01 )

【勝ち負けより、人間をつくる】№1149


日体大、渡辺公ニ氏の心に響く言葉より…


昨年の4月に指導を頼まれて、まずは2週間という約束で横浜まで、日体大陸上部の練習を見に行きました。

合宿所で一緒に寝泊りしたのですが、選手たちは夜中の12時近くまで起きている。

古い木造二階建ての寮でしたから、話し声が聞こえるんですね。

これじゃいかんと思って、結局そのまま8月いっぱいまで住み込んで、夜10時半消灯、朝5時半起床、これを徹底させました。


また、驚いたのはグランドへ行ったら、立派なオールウェザー(全天候型)なんです。

ところが、もう草が茫々(ぼうぼう)。

「おまえたちは入学してからグランド整備したことあるか?」と聞くと「1回もありません」と。

私は「陸上で一番大事なのはグランド整備。次が生活態度、その次が目標、目的を持った練習なんだ」と言って、毎朝15分間のグランド整備を始めました。


練習メニューは監督に一任して、私は口出ししない。

ただ、態度が悪いとかだらしない時にはとことん注意しました。

学生には煙たがられたと思いますよ。


でも、徐々に記録が伸びていった時に初めて「ああ、先生は僕のこと考えて叱ってくれたんや」と分かってくれたようです。

最初は食堂などで顔を合わせると避けていた学生たちも次第に向こうから声を掛けてくるようになりました。


まあ、もともと力は持っていたと思います。

けれど、だらしない生活で、魂がないような練習しかしてなかった。

そこを変えていったというだけですよ。


選手としての勝ち負けなんか大したことではなくて、部活動は人間をつくるところ、要するに人生の勝利者をつくるところだと思ってきました。

選手として優秀だった人が優秀な人間になるとは限らない。

部活動を通じて謙虚さや素直さ、感謝の気持、責任感や協調性を身につけることができれば、世の中のどこへ行っても通用する。

それが私の指導の根底にありました。


日体大の前は、西脇工業という高校で指導していたのですが、私が赴任した当初、西脇工業は卒業したらみんな就職していました。

ならば必ず箒(ほうき)を握れる人間に育てないかんと。

社会に出たらまず、箒を握って自分の仕事場を掃除する。

仕事が終わったら後にもう一回掃除をして、窓を閉めて帰る。

そうしたらどこへ行っても可愛がられる。



…続き

No.291 13/05/06 14:34
ストロベリー ( bAF01 )

…続き



そういう子に育てようと思って部活動を指導してきました。


だから兵庫県一になるとか、日本一になるとか、そんなことは考えていませんでした。

しかし結果として、西脇工業なんか誰も行きたくいと言われていたのに、いまでは地区の中で一番志願者の多い高校になりました。

それも、優秀な生徒が集まってきている。


“弱小チームから日本一への道”

『月刊致知 2013年6月号』“水野彌一&渡辺公ニ・対談”致知出版社



渡辺公ニ氏は、昭和13年生まれ。

日体大を卒業し、43年に当時荒れていた、県立西脇工業高等学校に赴任、陸上で学校を建て直そうと、陸上部を創った。

幾多の困難を乗り越え、全国高校駅伝の男子で最多の計8回優勝を成遂げた。

その実績を買われ、昨年、74歳で日体大のコーチとして招聘された。

日体大は、昨年(2012年)の箱根駅伝では創部史上最低の19位だったが、今年の正月はなんと30年ぶりに総合優勝。

招聘され、たった1年での快挙だった。


日本の武道や、茶道、といった「道」には、必ず「型」がある。

型は、挨拶や、礼儀、歩き方や、立ち方等の、立ち居ふるまいまで決まっている。


武道では、「守、破、離」と言われるが、型が出来ないかぎり、「守」の段階からは先には進めない。

型が出来て初めて、それを応用することができ、さらにそこから離れ独自の世界を築くことができる。


型は、仕事で言うなら、「整理」、「整頓」、「清掃」、「清潔」、「しつけ」という5S。

どんなに優秀なスポーツ選手であっても、挨拶やしつけといった基本の型ができてなかったら、社会では通用しない。


スポーツであれ、仕事であれ、勝負にこだわる前に、まずは人間力を磨きたい。




No.292 14/06/04 12:36
匿名292 

ああ、読み終わっちゃった・・

No.293 15/01/29 13:02
ストロベリー ( bAF01 )

申し訳ありません

No.294 15/02/02 08:52
ストロベリー ( bAF01 )

【笑顔はつくらなければならない】№1986


石川洋氏の心に響く言葉より…


私にとって大事に励ましてくださる方で、かとうみちこさんという女性がおります。

この人は高校生のときに、無腐性壊死という、助からない病気を患いました。

今はそれを克服して、立派に活動している方でありますけれど、このかとうみちこさん、自分で治したと言ったらちょっと言いすぎかもしれませんけれども、発想の転換で病気を治したと言っていました。


「かとうさん、もうちょっと病院にいなさいよ」という言葉を振り切って、病院から家に帰ったそうです。

病院で死にたくはないと思ったんでしょう。


お家に帰って、お兄さんが

「みちこ、退院だから、記念で写真撮ろう。笑顔で撮ろうよ、笑いなさい」

と言って、笑って撮った写真。

その写真を大きく引き伸ばして、私に見せてくれました。


「この顔を見てください。笑おうね、笑うよと言って撮った写真。泣いているでしょう」

と言いました。

「だから、笑顔はつくらなければならない。

それが私の人生の第一歩でした」

とおっしゃいました。


人生の隠し味という詩を作っています。


「からいお塩はおいしいお汁粉の隠し味

No.295 15/02/03 09:05
ストロベリー ( bAF01 )

人の心に灯をともす…より
【バカになるほど、本を読め!】№1987


神田昌典氏の心に響く言葉より…


意識の高い人の本の読み方には、変化が見られる。

それは、「知識創造」「価値創造」型の読書をする人が増えているということだ。


その理由は、世の中で付加価値をつけられる人のスキルとセットが変化したこと。

旧来型の読書をしても、評価されなくなったことにある。


旧来型の読書というのは、本に書いてある知識をしっかりと頭にに入れ、それを必要なときに正しく迅速に引き出せるようにする、というものだった。

かつての知識人というのはこういう人だったわけで、たとえば、マルクスの『資本論』を読破し、その内容を正確に語ることさえできれば、大学教授や評論家として社会的地位を得られたわけだ。


ビジネスでも、そうした「旧来型の読書」型の人材が求められていた。

たとえば役所や銀行では、何よりも正確性が求められる。

そのため、書いてあることを記憶する能力のある人、たとえば東大生などの受験エリートがもてはやされたわけだ。


ところが、その「正確な知識を提供する」役目は、今やコンピュータにとってかわられてしまった。

No.296 15/02/03 09:08
ストロベリー ( bAF01 )

イン・フォメーションとは、外からの情報を受け入れて自分の中に認識を形創ること。

それに対し、エクス・フォメーションとは、自分の内にある認識を、外へ形創っていくことだ。


イン・フォメーションは、世の中から求められている自分を作っていく行為であるのに対し、エクス・フォメーションは自分が求めている世の中を創っていく行為といえる。

後者を常に意識した行動をとることが、これからの時代は何よりも求められる。


『バカになるほど、本を読め!』PHP




スティーブ・ジョブズの有名な言葉に次のようなものがある。

「多くの場合、人は形にして見せてもらうまで、自分は何が欲しいのかわからないものだ」


そして、ジョブスは、次のような、ヘンリー・フォード(自動車王)の言葉を好んで引用していたという。
 
「もし顧客に、彼らの望むものを聞いていたら、彼らは『もっと速い馬が欲しい』と答えていただろう」


多くの人は、今の延長線上にあることしか想像できない。

突拍子もない発想や非常識な考え方は、最初から考えようともしない。


だからこそ、これからますます「知識創造」「価値創造」型の読書をすることが必要とされる。

既存の常識の枠を超える発想を生み出すためにも…


バカになるほど、本を読みたい。

No.297 15/02/03 17:45
匿名292 

やった🐱

No.298 15/02/06 11:12
ストロベリー ( bAF01 )

【あえてへたにやる】№1990


スティーヴ・チャンドラー氏の心に響く言葉より…


うまくできるか自信がないために、何かをやらないということがある。

この典型的な例が、作家に見られる「ライターズブロック」という現象だ。

これは、作家がどうしても書けなくなってしまう、心理的な障害のことだ。

重症な場合は、心理療法士の助けを借りることもあるほどだ。


この「ブロック」という現象が起こるのは“うまく書けない”という思いこみが書こうとする手を止めることが原因だ。

こんなときは、作家の中の悲観的な声がこうささやいているのだ。

「書けることなんてまったく思いつかないだろう?違うか?」


この現象は、作家に限らず、私たちの多くが経験する。

たとえばメールの返事を書くとき、気の利いた文が思いつかず、ずるずると先延ばしにしてしまうのも同じことだ。

この状態から抜けだすのにセラピーは必要ない。

こういったときに自信を取り戻す方法は簡単だ。

「あえてへたに書く」

と決めればいいのである。


文章を書くときのコツは、とにかく書きはじめることだ。

たとえそれが最低の出来でもかまわない。

「どんなに優れた文章も、たいていはひどい出来から始まる」

と小説家のアン・ラモットは言う。


一度行動を起こせば、エネルギーを高めるのも、仕事の質を上げるのも簡単だ。

私たちはしばしば、うまくできるという保証がなければ、怖くて実行することができなくなる。

そしてその結果、何もしないで終わるのである。


G・Kチェスタトンは、この状況を憂慮し、こんな言葉を残している。

やる価値のあることなら、へたにやる価値もある。


私はセルフモチベーションのセミナーで、受講者に「来年の目標を書く」という宿題を出すことがよくある。

長さは半ページ。

ごく簡単にできる宿題のはずだが、実際は、驚くほどたくさんの人が、この宿題にもがき苦しむ。

たった半ページ分が書けない理由は、“正しい目標”を書こうとするからだ。

ここで書いた目標が、一生を決めるかのように悩んでしまうと、一文字も書くことはできない。

そこで私は、彼らに向かってこう言う。

「とにかく何か書いてください。嘘でもいいのです。自分の目標でなくたってかまいません。とにかく何か書けばいいのです」


No.299 15/02/07 12:16
ストロベリー ( bAF01 )

【病気は気付き】
志賀内泰弘氏の心に響く言葉より…
沖縄に島袋勉さんという友人がいます。
彼は、「義足のランナー」として知られています。
2001年4月10日午後10時5分頃、島袋さんは千葉県船橋の電車の踏み切りで事故に遭いました。
意識が戻った時、彼は両足を失っていたのです。
そのうえ脳の機能障害も起こしてしまい、つい先ほどの出来事さえも忘れてしまう状態になってしまいました。
人の顔が二つも三つにも見えたり、めまいに襲われることも。でも、彼はあきらめませんでした。
妹さんのサポートを得て、猛烈な、かつ過酷なリハビリを始めたのです。
切断された部分に包帯を巻くと、義足を装着できなくなります。
包帯なしで義足をはけば、猛烈な痛みが襲います。
それでも「傷の痛みは怖くない。怖いのは歩けなくなることだ」と歩行練習を続けました。
歩くだけではありません。
彼は「走る」ことにも挑戦します。
そして、義足をはいてホノルルマラソンを完走してしまったのです。
当然のことながら、猛烈な痛みとの戦いがありましたが、なぜ彼は、その戦いに打ち勝つことができたのか。
そこには、お母さんの一言があるといいます。
病院でリハビリをしている時、お母さんに電話をしました。
すると「痛い?」と聞かれました。
傷の周辺を氷で冷やし、痛み止めを飲み、坐薬まで使って痛みに耐えているのです。
「そりゃ痛いよ」と答えました。
するとお母さんは、
「そんなに痛い思いをして、何も学ばなければただのバカだよ。アハハハハ」
と笑って言ってのけたのでした。
島袋さんは、「自分は何を言ってもらいたかったのだろう」と自問したそうです。
「痛いでしょう。大丈夫?」といった同情の言葉を期待していたのでした。
その時、ハッと気付いたそうです。
「これがいけないんだ」と。
長く病院生活を続けていると、同情の言葉にすっかり慣れてしまう。
この時から、日々の努力の中から何かを学ぼうとす意識するようになり、周囲の光景がいろいろな色に変わって見えるようになったといいます。
人は、辛いことがあると失望します。
「なんて私は不幸なんだろう?」と思います。
一つ何かを失うと、人生が真っ暗闇で、すべてを失ったような気持ちに陥ってしまう。
そこで、大切なことまで見失ってしまうのです。

No.300 15/02/07 12:18
ストロベリー ( bAF01 )

マイナスの出来事にも必ず「意味」があります。

その意味に気づくと、マイナスの出来事すらプラスに思えて「ありがとう!」と感謝できるようになります。


私自身にも一つ、思い当たることがありました。

大病をした時のことです。

生死をさまよいながらも無事、回復して退院できました。

しかし、治療の後遺症に苦しみ、「もう俺の人生は終わりだ」と落ち込んでいました。

そんな時、あるお医者さんに言われました。


「病気は気付きです。なぜそうなったのか、気付いて学ぶことが大切です。何かを気付かせるために、神さまがあなたを病気にしてくださったのです」


その言葉のおかげで、自分の考え方や心の持ち方を変える努力をするようになりました。

そうして初めて感謝の心がわかったのです。

すると、病気にすら感謝できる。


あなたの目の前にも、「ありがとう」と言える「幸せ」がいっぱいあるはずです。


『他人と比べない生き方』フォー・ユー





「病気」も「事故」も「失敗」も「挫折」も、苦しいこと辛いことなど、自分の意に沿わないことや嫌なことはすべて、何かの気付きのために神さまがプレゼントしてくれたこと。

その中には必ず、自分が成長するための何か学びがあるからだ。

そこから学ぼうとしない人は、他人やまわりのせいにしたり、愚痴や泣き言や文句を言い続け、そしてそのことをずっと許さない。


どんなことからも学ぼうとする人には「感謝の心」がある。

そして、病気や事故といった辛いことからだけでなく、日ごろの当たり前のような小さな幸せにも感謝ができる。

「歩くことができて幸せ」「仕事ができて幸せ」「食べることができて幸せ」そして「生きていて幸せ」、と。


すべてのことは学びの場と、感謝の念で日々過ごしたい。



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