とある話より…

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2015/03/08 14:46(更新日時)

気にかかる話など、

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No.1848612 (スレ作成日時)

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No.51

【ゴールしたときが始まりのとき】№1129


アルボムッレ・スマナサーラ師の心に響く言葉より…


景気がいいとき、商売が繁盛しているとき、ものごとがいい方向に着々と進んでいるとき、人は舞い上がって、気を緩め、安心感に浸ります。

ところが、状況は急に変わります。

平和ボケした人はピンチに対応できないので、いざというときに失敗の憂き目を見ることになります。


この世のすべてが変わり続ける真理、「無常」を知っている人は、つねに状況を観察をしているので、有事のときの対応のしかたを発見できます。

だから、失敗もしません。


男女を例にとると、「永遠の愛」を誓って結婚した二人は、安心し、怠けるようになります。

やがて無残にも、永遠であるはずの愛は壊れてしまいます。

無常を知っていれば、結婚後も努力します。

お互いの愛を継続するには、いたわりあわなければならないことがわかっているからです。

そんな二人ならば、ピンチも一緒に乗り越えられます。


結婚は婚姻届を出したら終わりではありません。

「永遠の愛」なんて、ウソっぱちなのです。

『こころを清らかにする言葉』イースト・プレス



この世の中のあらゆるものは、ひとしく同じところにとどまることなく、常に変化し続けている。

つまり、永遠不変のものはない。

このことを、仏教では、「無常」という。


無常を説くお釈迦さまは、「何かをやって成功したら、次にはそれを捨てなさい」と、おっしゃっている。(同書より)

一つの成功にとらわれていては、新たな発想ができず、次の段階へのスタートがきれないからだ。

だから、ゴールしたときが、まさに始まりのとき。


商売にしても、人間関係にしても、うまくいっているときに人は慢心し、努力を怠(おこた)るようになる。

どんなときも、「人生は今日が始まり」、の気持ちで日々精進をしたい。


No.52


昔の人の教えです♪

_______


【人は山に躓く(つまずく)なくして垤(てつ)に躓く】


「人間は山のような大きなものではなく、蟻塚のような小さなものにつまずく」(『淮南子』)


些細なことだからと軽く見てかかったばかりに、後で「しまった」と思うことが多い。


人間はなぜ、小さなことでつまずくのか。


大きなことは誰でも難しいことがわかっている。


だから、緊張感を持って取り組むので、かえってつまずくことが少ない。


その点、小さなことは「こんなこと、わけもない」と、なめてかかる。


そういう心の隙がつまずきの元になるのである。

_______

「中国古典」の教え

守屋 洋 著

フォレスト出版より

No.53

昭和48年の夏、長者原登山口に捨てられていた子犬を、バスの切符売りの方が面倒を見るようになりました。

はじめは白い毛が半分抜け落ちて皮膚病にかかっている痩せた犬でした。

お弁当を分けてもらえるからか、登山客と一緒に山を登るようになったのです。


ある日、九重連山に慣れていない夫婦が道迷いをしたときに、

白い犬が長者原登山口まで連れて行きました。


命拾いをした夫婦は、飼い主に犬の皮膚病を治してくださいとお金を置いていきます。

それから皮膚病も完治して、その犬は立派な秋田県のメスということがわかりました。

この時期がガイド犬「平治号」の誕生でした。


名前の由来は、平治岳にちなんで命名されたもので、

それから飼い主と一緒に何度も訓練を重ね、

体格もしっかりしてきて頼もしいガイド犬になっていきました。


平治はとても気持ちが優しい犬だったようで、

人に向かって吠えたり、噛んだりは決してしませんでした。

登山客のペースに合わせて、ゆっくりと先頭を進んでいきます。

分かれ道になると必ず、立ち止まって待っています。


登山客が小屋で休憩しているときも、決して中には入らず外に座って待ちます。


そして言葉が解るかのように目的地まで連れて行ったそうです。


ガスにまかれた人、吹雪で立ち往生している人、夜の登山の同行など、

たくさんの人の救いと励ましになってきました。


月日は流れ、13年目の頃から急激に平治が衰えて行きます。

人間にしてみると老人です。

耳も遠くなり、足を引きずるようになります。


平治は山が好きなのでいつまでも登ろうとします。


しかし、ある日、三俣山の急勾配でどうしても登ることができなくなりました。


その時、平治はとても悲しげな目をして同行した登山客を見ていたそうです。


昭和63年8月3日の早朝。

平治は星生キャンプ場で倒れました。


飼い主が飛んで駆けつけたときには、手足を震わせながら瀕死の状態でした。


平治は前日、登山客を山に案内して必死で星生キャンプ場まで連れて帰って力尽きたようです。


飼い主は一旦、職場に戻り昼過ぎに再び平治の元に戻ったとき・・・


平治は既に力尽きていました。

周りのキャンパーや登山者は、泣き崩れました。


飼い主は

「長い間、ご苦労だったなぁ、ありがとう平治」

心の中でつぶやきながら登山口まで、

No.54


宇宙からのメール…


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No.55


【誤った余裕】

人生で成功したかったら、「手抜き」をしないことだ。

手抜きは油断から生まれる。
相手を、目の前の事を、過小評価することで生まれてくる誤った余裕だ。
「こんなんで、相手に勝てるだろう」
「こんなんで、相手も満足するだろう」
が油断を呼ぶのだ。

油断防止のために、どうするか?

「そこまでやるか」と回りの人がつぶやく位のレベルまでやるのだ。
密度で勝ち、時間の長さで勝ち、量で圧勝するのだ。

「そこまでやるか」、この気持ちを全てに込めることができれば、必ずうまく行く。
この境地に入れれば、相手は感動する。
いや、感動を通り越して、感涙する。

そのためにも、「そこまでやるか」の根底にあるのは、本気の本鬼!

目の前のことを一生懸命にやる鬼
目の前にひとを一生懸命に喜ばす鬼

鬼になって、目の前のこと、目の前の人のために、動き回るだけなのだ。

「人生は短い。手抜きをしている暇なんてない」

人生最高の一日のために、熱く熱く熱く!

『キミの未来は今日作られる』

今日も熱く明るく元気に笑顏で、人に温かく生き切ろう。

そして今日が今までの人生で最高の一日になるように努力を惜しまないこと。

今日も、喜愛と輝愛で、元気出していこう!

『いってらっしゃい!』

「ポン!」(肩を叩いた音)

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今日も、我勝道を極めるべく、自分の弱い心、怠け心に負けぬように、凡事徹底を貫こう

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今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう
(三重県伊勢市「修養団」中山靖雄先生のお言葉)

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No.56

人生で最も大切なことを三つに絞り、それに優先順位をつけるとすれば、一番が「引き」、二番目が「運」、三番目が「力」であるとの考えから、この言葉は生まれたのです。

「引き」とは、辞書によれば「引き立て、自分の希望を達するためのてがかり・縁故・つて」と説明されています。

つまりは、自分を引き立ててくれる人や組織の力を指すと考えていいでしょう。


人の一生は、そのほとんどが引きからスタートします。

最初は親や親族の人たちからの引きから始まり、次第に友人・知人へと引きは広がっていきます。

この引きがあるかどうかで、人生は決まっていきます。

なぜならば、引きはやる気のある人が手にできるものであり、そのことが分かった人は自分がやる気を持続することで、次なる引きを得られるはずだと無意識のうちに悟っているからです。

ですから、「引きは機関車、運や力は客車」と言っても過言ではありません。

引きに恵まれれば、運も力もついてくることになります。


どんなに仕事に対する自信があっても、「あの人を引き立ててやろう」というほかからの引きがなければ、仕事は手にできません。

その引きを得るには、普段から、どんな仕事でも手を抜かず、誠心誠意やり抜き、相手の期待以上の成果を示すことが大前提となります。


そのうえで、自分に仕事を割り当ててくれた人に対して心から感謝し、その気持ちを手紙やはがきに託して先方に届けるという行為を示すことです。

そうした行為を重ねているうちに、「仕事を頼むなら、あの人だ」というほかからの引き(好意的な推薦)を得ることができるようになります。

『やる気再生工場塾』ぱるす出版



イチロー選手が大学時代、夜中、合宿所に幽霊が出る、との噂が出たことがあった。

調べてみたら、野球の練習が終わって選手達がクタクタになって寝静まった後、イチロー選手が一人で黙々とバットの素振りをしていたということが分かった。

人一倍努力し、それをひけらかさないイチローを監督が認めない訳がない。


上司や、監督から引きがある人は、手を抜かず、誠心誠意の努力を重ねる人だ。

自らを必要以上にアピールする人ではなく、黙って結果を残す人。

そして、引きがある人は、恩人や両親や周りの人に対し、常に感謝の念を持っている。


「一引き、ニ運、三力」

感謝の多い人は、人から好かれ、まわりから引き立てられる

No.57


ホンダの創業者、本田宗一郎氏はある日、代表の座を降りました。


その後、宗一郎氏は全国行脚の旅に出ます。


全国のホンダの営業所、工場を訪れ社員一人一人に挨拶し、

握手を交わしたいと言い出したのだ。


それが社長を辞める際の唯一の願いだった。



飛行機、車、新幹線を乗り継いで、

全国どころか外国も含め、1年半ですべてを回りきった。


ある工場で宗一郎氏と握手する前に急いで走り去ろうとするものがいた。


「どうした?」


そう呼び止めると


「手が汚れているから」


と油で真っ黒になった手を隠しながらもぞもぞしている。



だが宗一郎氏は、


「いいんだよ、それでいいんだ」


と彼の真っ黒な手を握り締めた。



「働いている手じゃないか、

立派な手だ。


俺はこういう手が一番好きだ」



そういいながら涙ぐむ宗一郎氏と一緒に社員も涙を流した。



・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

熱い気持ちになりますね!


「人間というものは、面白いものであり、

不思議なものであり、

必要のない人間というのはいないのである。」


by本田宗一郎


No.58

【人間だからできること(52) 蓄電と積善】

「猛暑だ、電力不足だ、計画停電だ…」
原子力発電所再稼働のため、国をあげて危機感を煽(あお)っていた夏が終わりました。
ご承知のとおり、再稼働は強行されましたが、結果的には、原発はなくても電力は十分に足りていました。

夏が訪れる前の偏向した“煽り”に対して、総括や反省をほとんど示すことのない電力会社、何事もなかったかのように知らん顔で政権の動向に没頭する政治家、マスコミの諸氏…。
彼らにとっての「生きる意味」とは何なのでしょう?
それぞれの人生に、人として生まれてきた、心からの清々しさ、爽やかさはあるのでしょうか?

強弁、開き直り、他罰、傲岸…そうした言動を駆使する首長が、東でも西でも大衆から支持されている現実に、大きく首をひねり続けているのですが、それらは人として恥ずべき態度なのだ、という心を、私は持ち続けていたいと思います。

さて…
電力不足が問題となるそもそもの原因は、
「電気は貯めることができない」
という、その性質によるものです。
(もちろん最大の要因は「電気の使い過ぎ」ですが)
この「発電~即消費」という在り方を、ガスや水道やガソリンなど、他のライフラインに当てはめて考えてみると、それはとっても大変なことで、電気というエネルギーの持つ宿命を感じずにはいられません。

ところで今、「電気は貯めることができない」と言いましたが、実際には乾電池や蓄電池などの方法がありますので、もう少し正確に申し上げると、
「電気は少量なら蓄えることができる。だが、その恩恵に浴し続けるためには、常に発電し、充電、蓄電を繰り返さなければならない」
ということになりましょうか。

で、今回お伝えしたいのは、この電気の持つ特質が、私たちの「人格・人間性」にも当てはまるのではないか、という考えであります。

『易経』の中に、「積善の家には必ず余慶あり」という有名な文句があるように、私たちはそれぞれの内面に、「善」を積んだり、「徳」を蓄えたりすることが、確かに可能です。
しかしながら、それら〈善なる徳性〉は、「一度積めばそれでよし、未来永劫に蓄えられる」というものではありません。

電池が、使えばなくなるように、善や徳も、人間関係の中で消費されます。
蓄電されたバッテリーに放電作用があるように、過去の善行も、為した後、放置したきりでは、知らぬ間に失われていきます。
……続く、、、

No.59

携帯電話と同様に、我々の「人格・人間性」も、日々充電を心がけていないと、必ず“電池切れ”になってしまいます。

繰り返しになりますが、「積善の家に余慶」が生じるのは、善を継続して積み重ねた結果であり、年令相応の「人徳・品性」が備わっている人とは、30代、40代、50代…と、常に徳を養い続けてきた人なのです。

「電池=電気の池」とは、非常に興味深い言葉です。

季節に見合った、爽やかで涼やかな人となるために、心の中に「善の池=善池(ぜんち)」を、イメージしてください。
人と接する時、己が務めに勤(いそ)しむ時、胸中のその池より、善が溢れ出るのを感じてください。
そして、「善力不足」に陥らぬために、お互いに日々「発善」を心がけましょう。

「充善」の完了した小さな「善池」を携行し、目の前にいる人の役に立つことが、我々がこの世に生まれてきた意味だと考えます。


No.60

【 選ばれる会社と選ばれない会社】№1132


藤村正宏氏の心に響く言葉より…


ユニクロやH&Mみたいなファスト・ファッションの流行や、家電量販店の乱立。

安売りが当たり前の世の中になってきています。

モノを「モノ」として売っている限り、価格競争になってしまうのは必然。

大激変の時代には、商品やサービスにフォーカスするマーケティングではなく、体験価値をしっかり伝える「エクスペリエンス・マーケティング」が有効になるのです。


体験というのは商品やサービスではなく、「コト」です。

さまざまなコトを発信していると、そこに関係性が生まれやすくなる。

関係性はモノだけでは生まれません。

だって、人は、同じものを買うのなら「関係性」の深い店から買うからです。


保険に入るとき、自動車を買うとき、税理士さんを頼むとき、美容院を選ぶとき、もしあなたの知り合いがそれらを売っていたら、見ず知らずの人より知り合いから買いますよね。

ごくごく簡単にいうと、これが「関係性」ということ。


モノが世の中に行き渡って、人口が減少傾向になると、モノは売れなくなります。

世の中にモノやサービス、お店があふれ、ライバルとの差別化も難しくなっています。

この流れは、加速することはあれ、元に戻ることは決してありません。


じゃ、もうモノは売れないのでしょうか。

そんなことありません。

この不景気だといわれているときに、繁盛している会社や店はたくさんあります。


安売りするのではなく、「体験」を売るチラシで情報を発信して、圧倒的に売上を上げているスーパー。

既存顧客を大切にして関係性を深めることで、売り込まなくても注文が殺到するケーキ屋さん。

衰退業態といわれる中、技術よりも「思い出」を売ることで、業績を伸ばし続けている写真館。


あなたのお客さまは、モノやサービスが欲しいわけではないということです。

そのモノを買うことによって、どういうステキな生活が手に入るのか、どういう体験が起こるのか、どういう嬉しいことがあるのか。

その商品の先にある、「体験」を発信しなければモノは売れない、ということなんです。


どんなに不況になっても、髪を切る人はいます。

不景気になっても家を建てる人はいるし、外食する人はいるのです。

……続く、、、

No.61

今、世の中で起きていることは、選ばれる商品と選ばれない商品、選ばれる店と選ばれない店、選ばれる会社と選ばれない会社。

それが明確になっているということなんです。

『やっぱり!「モノ」を売るな!「体験」を売れ!』実業之日本社



映画の「男はつらいよ」の寅さんの、「体験」を売る話がある。

寅さんが、なんの変哲もない消しゴムつきの鉛筆を売るシーンだ。


「おばちゃん… オレはこの鉛筆を見るとな、おふくろのこと思い出してしょうがねえんだ。

不器用だったからねぇ、オレは。

鉛筆も満足に削れなかった…。

夜おふくろが削ってくれたんだ。

ちょどこの辺りに火鉢があってな。

その前にきち~んとおふくろが座ってさ、白い手で『肥後守(ひごのかみ)』を持って、スイスイ、スイスイ削ってくれるんだ。

その削りかすが火鉢の中に入って、ぷ~んといい匂いがしてなあ。

きれ~に削ってくれたその鉛筆をオレは、落書きばっかりして、勉強ひとつもしなかった。

でもこれぐらい短くなるとな、その分だけ頭がよくなったような気がしたもんだ」


しみじみとした寅さんの話は続き、それを聞いていた家族みんなが鉛筆を欲しくなる。

(以上、本書より)


体験には、心が温かくなるようなストーリーや、どうしても欲しくなるような価値や、意味がある。

しかし、価格も、機能も、性能も、それはただ単に無機質な「モノ」でしかない。


「モノ」ではなく、「体験」を売って、選ばれる会社になりたい。


No.62



あの、諸葛孔明さんが息子さんに宛てた手紙をご紹介させて頂きます。

_______


徳と才能を備える者の行いは、心静かで安らか、精神が集中し、エネルギーのバランスを保つことから来る。


人は心と身体を修養し、自分の行いに気をつけ、精進しなければならない。


もし人が世俗の名利に淡白でなければ、己の志が見えなくなるだろう。


心身が穏やかでなければ、大きな理想を成し遂げることはできない。


学習したなら必ずそれを吸収し、能力を高めるには刻苦勉励しなければならない。


努力を怠れば、才能と智慧が伸びることはない。


もし己の志が明確でなければ、勉学をしても成就することができないだろう。


享楽を追及し、怠慢で散漫であれば、精神を奮い立たせることはできない。


浮ついて短気な者は、己の気質をコントロールすることができない。


彼は年を重ね、志も退化していき、結局、何も成し遂げることができない。


最後には社会にとって何の価値もない人間となる。


その頃にはやるべき事もなく、自分の小さな世界に閉じこもって、自分が出来なかったことを嘆くのみだ。

_______


諸葛孔明さん、厳しいお言葉ありがとうございます。


心と身体の修養と、己の気質をコントロールすること!


大切なことですね♪



【希望の世界よ、待たせたなっ!】



「言葉の中に、話し手の心の状態と人格と気質が見える」


by プルタルコス(古代ギリシャの哲学者・著述家)


No.63

【甕(かめ)の如き胆力】№1134


松原泰道師の心に響く言葉より…


個人が危険な目にあう災難があるように、日本の国にも、国家・国民全体が受けた危難がたびたびあった。

それを「国難」という。

今世紀に受けた第二次世界大戦の敗戦は、わが国が受けた最大の国難である。

それまでは、国難といえば「元寇(げんこう)」が挙げられた。


鎌倉時代の末期に近い1274年に、当時の中国を支配していた元の国王フビライが、日本に使者をよこして、日本の入貢を要求したが、鎌倉幕府はこれを拒否して、使者を帰した。

フビライは怒って日本の国に攻めよせ、壱岐(いき)や対馬など日本の領土が一時元軍に侵略された事件を「元寇」と呼ぶ。

「寇」は「あだをする・攻め入る・人や財産を殺したり奪ったりする」意味である。


当時の幕府の最高指導者は執権職の北条時宗(ときむね)である。

このとき時宗は23歳の青年だった。

翌75年に重ねて日本の入貢を要求した元の使者を、彼は鎌倉の由比ガ浜で斬る。


81年、時宗が30歳のとき元軍の第二次来襲を受ける。

このときの元軍は前回にも増した15万の大軍の侵入だが、彼は沈着にこれを迎え撃ち退却させた。

勝利を得た大きな原因に、突如大風が吹いて多くの敵船を沈めたいわゆる「神風(かみかぜ)」が挙げられる。

しかしすべてを天の佑(たす)けとするのは当たらない。

上下一致団結の愛国心と、勇猛な将兵の努力が、よき指導者のもとで実を結んだからである。


時宗は、自分から進んで戦争を計画したのではない。

元のフビライから仕掛けられた日本民族の危機に、彼は止むなく起ったまでだ。

彼は元寇の役が終った3年後に、33歳の若さで没した。

彼はこの国難に心身をともにすり減らしたのである。


時宗が師事した一人に、彼が中国の宗から招いた禅僧の無学祖元(むがくそげん)がある。

ある日、彼は祖元に「私は臆病(おくびょう)でこまる。気が小さくてこまる」と悩みを訴えている。

的確に自分を「小心・臆病」と認知できたら、その人はすでに小心者でも臆病者でもない。

このとき、時宗はすでに、「甕(かめ)の如(ごと)き胆力(たんりょく)」を自分の中に据(す)えたと見るべきであろう。


祖元は「莫煩悩(まくぼんのう)」(煩悩するなかれ)と三文字を書いて時宗に与えた。


……続く、、、

No.64

自我への偏愛を捨てよということである。


そして、第二次来襲のときに、「驀直進前(ばくじきしんぜん)」とだけ告げる。

あれこれとおもいわずらわず、ただまっすぐに進め…と。

「莫煩悩」を積極的に展開すると、「驀直進前」となる。


思いあがりを恐れる小心があれば、逆境も悲運もみな頭を押さえてくれる良き師となる。

病み、悩む体験によって、すこしでも自分を深め、高めたいとの気が起きたら、病中や逆境にありながら、しかも病気や逆境をその人は超えているのである。


病気や逆境に成り切って、はじめて煩悩が起きても煩悩が作用する余地がなくなる。

莫煩悩や驀直進前、とはそういうことである。

『人生の極意』PHP文庫



藤田東湖が吉田松陰に贈った言葉がある。

「国難襲来す。

国家の大事といえども深憂(しんゆう)するに足らず。

深憂とすべきは人心の正気の足らざるにあり」

(感奮語録より)


正気が足りないとは、気力と気迫がなくなることだ。

個人の病気やトラブル、また会社の危機、あるいは国難にあっても、それは同じこと。

むしろ、心配すべきは、危難そのものではなく、人々に気力と気迫がなくなってしまうこと。


できることなら…

甕(かめ)の如き胆力を身につけたい。


No.65


『履物並べから学んだ人生観』

田村一二 氏



私は六人の息子を持っているわけですが、

彼らがまだ小さいとき、どうしても履物をきちんとそろえられなかった。



叱っても、そのときはそろえるが、

すぐに元通りに戻ってしまうのです。


それで、私が尊敬する糸賀一雄先生にお尋ねしました。


「しつけとはどういうことですか」と。

先生は、


「自覚者が、し続けることだ」


とおっしゃる。


「自覚者といいますと?」


と聞くと、



「それは君じゃないか。

君がやる必要があると認めているんだろう?


それなら君がし続けることだ」



「息子は?」



「放っておけばいい」


というようなことで、家内も自覚者の一人に引っ張り込みまして、実行しました。



実際にやってみて、親が履物をそろえ直しているのを目の前で、

息子がバンバン脱ぎ捨てて上がっていくのを見ると、

「おのれ!」とも思いました。



しかし、糸賀先生が放っておけとおっしゃったのですから、仕方ありません。



私は叱ることもできず、腹の中で、

「くそったれめ!」と思いながらも、


自分の子供であることを忘れて、

履物をそろえ続けました。



すると不思議なことに、ひたすらそろえ続けているうちに、

だんだん息子のことも意識の中から消えていって、

そのうちに履物を並べるのが面白くなってきたのです。



外出から帰ってきても、もう無意識のうちに、

「さあ、きれいに並べてやるぞ」と楽しみにしている自分に気がつきました。


さらに続けていると、そのうちに、

そういう心の動きさえも忘れてしまい、

ただただ履物を並べるのが趣味というか、

楽しみになってしまったのです。



それで、はっと気がついたら、

なんと息子どもがちゃんと履物を並べて脱ぐようになっておりました。



孔子の言葉に、


「これを楽しむ者に如かず」というのがありますが、

私や家内が履物並べを楽しみ始めたとき、

息子はちゃんとついてきたわけです。



私事で恐縮ですが、ここに教育の大事なポイントの一つがあると思います。



口先だけで人に、


「こら、やらんかい」


とやいやいいうだけでは、誰もついてきません。



自分が楽しんでこそ、人もついてくるんだという人生観を、私は履物並べから学んだ次第です



No.66

【見事に格好よく生きる】№1133


牟田学氏の心に響く言葉より…



人間が人間に惚(ほ)れこむのは、魅力のせいである。

魅力があるから、その人に心酔してついていくのだ。

魅力は、事業や人生に成功するうえで、リーダーにとって不可欠の要素だ。


その魅力の根源はどこにあるかと突き詰めると、性格に辿(たど)り着く。

性格こそ、魅力を構成している根源である。


男と女が恋をする。

初めは顔だとか、体とかに魅(ひ)かれるものだ。

しばらくすると、その人の持つ知識や、経験から出ている性格に魅かれるようになる。


特に、年をとってくると、性格こそ一番の魅力である。


もともと愛とは、この魅力に魅き込まれることをいう。

魅力とは、その人の性格であるから、性格を磨く以外にない。


性格が深く、広く、そして強くなければ、他への愛は生まれない。

特に、リーダーや、男は、優しくないと魅力がない。

強くなければ優しくなれないし、優しくなければ強い心を保てない。


学問も、思想も、事業も、政(まつりごと)も、幸福になりたいという人間の情の満足のためにある。

人を不幸にするものは、学問でも、思想でも、事業でも、政でもないし、長く続かない。


性格を鍛え、象(かたど)るものは、具体的には世界観を磨くことであり、たくさんの場数を踏むことが大事である。


だから、見事に格好よく生きることが、私の人生哲学である。

みっともないことはしない。

『打つ手は無限』サンマーク出版



みっともないことをする人は、格好悪くて、魅力がない。

格好悪い人は、自分より弱い立場の人に威張ったり、実力もないのに見栄をはったり、少しうまく行ったらすぐに調子に乗るような人だ。


本当の格好よさとは、スマートであることではなく、「素・朴・愚・拙」(感奮語録より)で生きることだ。

素とは、何も飾らない魅力。

朴とは、泥臭い朴訥(ぼくとつ)とした魅力

愚とは、バカになれる魅力

拙とは、要領はよくないが、実直で不器用な魅力。


「素・朴・愚・拙」の人は、深くて、厚みがあって、重みがあって、そして味がある。


二度とない人生…

この世を、見事に格好よく生きたい。


No.67


成功哲学の祖といわれている“ナポレオン・ヒル”さんの著書よりご紹介させて頂きます。


_______


ゴールドラッシュの時代のこと、


ダービーという人が、コロラド州に金脈を持っていました。


金脈からは金がたくさん出ましたが、それもしばらくのことで、やがてさっぱり出なくなったように思われました。


ダービーはもう少し奥まで、またもう少し深くまで掘ってみました。


しかし金は少しもとれませんでした。


そのため、掘るのをやめ、採掘の道具と金鉱を数百ドルである探鉱者に売りました。


ところが、この探鉱者は、ダービーが掘るのをやめた場所から三フィート(約九〇センチ)と離れていないところで、数百万ドルの価値ある金脈を掘り当てたのです。


この出来事によってダービーの人生は変わりました。


金脈からわずか三フィートのところで作業をやめてしまったという過ちを、ダービーは決して忘れませんでした。


数年後、ダービーは言いました。


「あれは、不幸に見えて結局は幸福をもたらすものになった。


僕は、どんなに大変な状況であっても、あきらめないで頑張り続けることを教わった。


もっと早くに学ぶべきだったが、今じゃどんなことでもあきらめないで頑張れるようになっているよ」

_______

「巨富を築く13の条件」

ナポレオン・ヒル 著

きこ書房より



_______


このダービーさんは、金脈を掘り当てなかった時の経験があって良かったと言っています。


あきらめそうになったとき、このお話を思い出して頂けたらと思います♪


もの凄く困難が押し寄せてくるときは、あと一歩の所まで来ていることが多いそうですよ♪



【希望の世界よ、待たせたなっ!】



「逆境には必ずそれよりも大きな報酬の種が隠されているものだ」


by ナポレオン・ヒル(アメリカの成功哲学者)


No.68


がんばろう!日本!
『敷島の大和心の雄々しさは 事あるときにぞ現れにける』

一緒にがんばろう!
東北のみんな!

==========

【我勝道】
(がしょうどう)
自分の弱い心、怠け心に負けないこと

【凡事徹底】
(ぼんじてってい)
誰にもできることを
誰にもできないくらいに
続けること

==========

Dream as if you'll live forever, live as if you'll die today.
永遠に生きるがごとく夢を見て、今日死ぬがごとく生きろ


自分の目標や夢が明確になると、
人間、どこからともなく力が湧き出て、やる気がでてくる。

そして、やることによって、ますますやる気が出てくる。

待っているだけではやる気は出てこないものなのだ

だから、まず、この夢が叶う三原則を守ることだ

1)絶対に叶うと決める
2)絶対に諦めない
3)絶対にやり続ける

まず、自分の夢は叶うと決めてしまったら、
決まっているんだから、不安や心配になる必要はない。

そして、不安や心配になる暇がないほど、諦めずに、やり続ける。

やり続けていると、必ず壁にぶち当たる。
それは、神様からの問題集だ。
キミが本当にやる気があるのか、試しているのだ。
この問題集をクリアできると、神様は背中を押してくださる。
その資格がキミにあるのか、試しているのだ。
だから、「わぁ、シンドイな」、「ムズいなぁ」、「辛いなぁ」と感じた時には、
「キタ~~~!」と喜ぶべきなのだ。
ようやく神様から試されるレベルまでに成長したと。

そして、腕まくりして、自分には、こうつぶやく
「神様、私を試していますね。いよいよ面白くなってきたぜ!」

そして、目の前の壁を叩き潰し、乗り越えていくのだ

夢が実現するまでには、この壁が何度が現れる。
でも、同じやり方で、壁を乗り越えて、必ず夢を実現させるのだ。

今夜も、夢の実現に向けて、勉強三昧だ!

今日一日しっかりと生きた証(あかし)を残すために、もうひと頑張りだ!
 
今日が今までの人生で最高の一日になるように、寝るまで努力を惜しまないこと!

===========

今日も、我勝道を極めるべく、自分の弱い心、怠け心に負けぬように、凡事徹底を貫こう!

===========

今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう

No.69


【習慣という引力】


習慣には強い引力があります。


この引力は敵にもなり、味方にもなります。


例えば、後回しの習慣(癖)がある人は、つい「まあ、後でいいか」となります。


しかし、後回しの習慣をすぐやる習慣に変えると、逆に
後回しにすると気持ち悪くなります。


人間(脳)は非常に適応力のある生物で、大概の事は慣れてしまいます。

*ちなみに習慣を変えるには21日(30日説もあり)続ければ習慣になるみたいです。

21日もと考えるか、(長い人生で)たった21日でと考えるかです。


No.70


これの続きは?

気になります。

No.71

すみませんNO41の続きは?です💦

No.72

俺もこのスレ好きで見てるんですが41だけ謎です💦

No.73


NO.41…の続き、、、、





・・・鳥居ではなく、文字の方へ。

「お」

そのまま次の文字へ。

「い」

次の文字へ。

「で」

そして鳥居に戻りました。

A君「おいで・・・?」

意味がわかりませんでしたが、C君が早く終わりにするように言いました。

A君「あぁ、ええと・・・こっくりさん、ありがとうございました。」

これでこっくりさんは終了です。

C君「A、気分はどうだ?」

A君「うん・・・なんか楽になった気がするかな・・・」

私「まだ、何か見えるか?まだ居るのか?」

A君「居ない・・・さっきまで居たとこには居ない。何も感じないし、もう平気なのかな。」

C君と私はホッとしました。

A君もやっとぎこちないですが笑顔を見せてくれました。

その後、3人で外で食事をし、また近いうちに会おう、と言って解散しました。

しかしもう会うことはできませんでした。

その次の日のニュースで、A君が飛び降り自殺をしたことを知りました。

前日にA君と会っていた、ということで警察が私のところに来ました。

現場の状況と、遺書らしきメモ書きから自殺と断定したそうですが、その内容がどうも分からない、ということでした。

そこには一言だけ、こう書かれていました。

「Bが呼んでるから、いってくる」

私の話は以上です。

呪いというのは本当にあるのでしょうか。
私は霊を見ていませんし、こっくりさんも、A君が自分自身も知らない潜在意識で十円玉を動かしていただけかも知れません。

しかしその後にB君が事故で死に、それによりA君が長い間苦しみ、最後に死んでいった、というのも事実です。

これは呪いによるものです、と言っても、私は否定できません。







No.74

>> 73
😨怖っ!

ありがとうございます。
NO41どうして続きがなかったのかな?

No.75

>> 74
NO41どうして続きがなかったのかな?


↓↓↓↓↓

そうですね……
つまり……、、、、
    ___ ・・・・・。
   / ― \
  /ノ (●) \
 |(●)  ⌒) |
 |  (_ノ ̄  /
 |      /
  \_ ⊂ヽ∩\ 
   /  (_ \\
   | /   \_ノ








    ___ ぁあ~
   / ― \あの続き…
Σ /ノ (〇) \知らない
 |(〇)  ⌒) |ほうが
 |  (_ノ ̄  /よかった
 |      /かも…
  \_ ⊂ヽ∩\ 
   /  (_ \\
   | /   \_ノ



No.76

我勝道と凡事徹底より


【自分のために勉強しないこと】

本を読んだり、勉強したり、一番身につく方法がある。
それは・・・「自分のために勉強しないこと」なのだ。

こんなお話がある。

小学生の女の子がいた。
その子は、全ての科目よく出来るのだ。
「どこかの塾で勉強しているのか?」
「優秀な家庭教師がついているのか?」
塾へも行っていなければ、家庭教師もついていない。

彼女の母はその女の子にこう話していたそうだ。
「お母さんは勉強が嫌いであまりしてこなかったから、いま、知らないことがいっぱいあるの。お前が学校へ行って習ったことをお母さんに教えて頂戴」

すると、その女の子は、「お母さんに教えてあげなくちゃいけない」と、授業をシッカリ聞いて、毎日お母さんに今日習ったことを報告していたそうだ。
それが復習となり、成績が良かったのだそうだ。


人のために勉強すると身につくのだ。

自分のためにやると、言い訳がしやすくなるのだ。
人間は言い訳をする天才だから。
しかし、誰かのためにやると、言い訳が言いにくくなり、言えなくなる。
すると、確実に実行できてしまうわけだ。

勉強のわからない友達がいたら、積極的に教えてあげよう。
役立つ話、面白い話があったら、ドンドン友達に教えてあげよう。

教えるためには、それがわかっていなければいけない。
教えることは復習にもあり、知識が整理され、
一番自分のためになるのだ。
そして、教えることで感謝もされる。

友達はライバルではない、戦友なのだ。
ひとりで合格してもひとりでしか喜べない。
みんなで合格すると、みんなで喜べるのだ。

仲間は、受験の苦しみを半減し、
合格の喜びを倍にしてくれるために、キミの周りにいてくれるのだ。

そして、キミの勉強はキミの将来のためにするのではなく、
将来出会う人を幸せにするためにするのだ。

みんなで合格すると、楽しいで!
Together Everyone! みんな一緒に合格だ!

『キミの未来は今日作られる』

今日も熱く明るく元気に笑顏で、人に温かく生き切ろう。

そして今日が今までの人生で最高の一日になるように努力を惜しまないこと。

今日も、喜愛と輝愛で、元気出していこう!

『いってらっしゃい!』

「ポン!」(肩を叩いた音)

==========

今日も、我勝道を極めるべく、自分の弱い心、怠け心に負けぬように、凡事徹底を貫こう

No.77

【夢とそして根拠のない自信だけ】№1135


西田文郎氏の心に響く言葉より…


「最初にあったのは、夢とそして根拠のない自信だけ。

そこからすべてが始まった」


これは孫正義さんが若き日を振り返って語った名言ですが、まさにこれは「その気」の法則を表していると言っても過言ではありません。

この若き日の孫さんは脳が「快」でプラス思考です。

孫さんはこの初心があったからこそ、ソフトバンクが今のような大企業に世長したのだと思います。


では、なぜあなたは「その気」になれないのか。

はっきり言いましょう。

あなたが「その気」になれないのは成功体験が少ないからです。

さらに、「もともと自分はツイていない」「どうせ自分には無理だ」といった失敗体験に基づいたネガティブな思考に支配されているからです。


言い訳、嫉妬、責任転嫁、イヤイヤ行動するなど、それでは「その気」は生まれてきません。

自分でツイていない、と言えば言うほど、ツキは逃げていきますし、自分でマイナスの言葉を言うことは、脳に「自分はツイていない」と思い込ませて、さらにツイてない脳へ強化していることになるわけだからです。


脳はとても優秀で、過去の体験データから「こんなこと無理だ」とか「できるわけない」といった結論もすぐに出してしまいます。

ですから、過去に成功体験が多くある人ほど自信が持てますし、失敗体験が多いとどうしても弱気になります。


しかし、ご安心ください。

実は脳の条件付けを変更するのは案外簡単です。

肯定的な脳を作るためには、プラスのデータを入力すれば脳は錯覚します。

本当にあったことと、イメージなのかを区別することができないのです。


ですから、ウソでもいいので、「自分はツイてる」「この失敗があって本当に助かった、次回に活かせる」「今度はもっと上手くできる」など、口に出して言ってみます。

内心信じられなくてもいいのです。

口から出た言葉が耳を通して脳に入力され、それを繰り返し行うことで脳はだまされ、「次にもっと上手くするにはどうしたらいいのか」など考え始めます。

つまり何度も繰り返しプラスのイメージを入力することで、扁桃核の判断を肯定的に切り替えられるのです。

『その気の法則』ダイヤモンド社



何度失敗しても、「最後は自分は絶対にうまくいく」、というような根拠のない自信を持っている人は、いつか必ず成功する

No.78


南蔵院の林覚乗住職のお話です


~~~


戦後間もない頃、日本人の女子留学生が

アメリカのニューヨークに留学しました。


戦争直後の、日本が負けたばかりの頃なので、

人種差別やいじめにもあいました。


そして、とうとう栄養失調になってしまい、

病院に行ったところ、重傷の肺結核でした。


戦後まもないころ、肺結核は死の病と言われていました。


医者からは

「モンロビアに行きなさい。

そこには素晴らしい設備を持った療養所があるから」

と言われました。


飛行機がまだ発達していない時代、

ロサンゼルス近郊のモンロビアは、

ニューヨークから特急列車で5日間もかかる距離でした。


当時、汽車賃さえない彼女は、恥ずかしい思いをして、

知人や留学生仲間に頼み込み、カンパしてもらい、

列車のお金を集めた。


しかし、食料までは手が回らず、

3日分を集めるのがやっとでした。


治療費は、日本にいる両親が、

家や田畑を売り払ってもなんとかするから、

という言葉を証明書代わりに、列車に乗ります。


列車では、発熱と嘔吐が続き、満足に食事もできなかったが、

それでも、とうとう3日目には、食料がつきてしまいます。


そして、最後に残ったお金を出し、

車掌にジュースを頼みました。


ジュースを持ってきた車掌は、

彼女の顔をのぞきこみ「あなたは重病ですね」と言った。


彼女は、「結核となってしまい、モンロビアまで行く途中ですが、

そこまで行けば、もしかしたら助かるかもしれない」

ということを正直に話をします。


車掌は、「ジュースを飲んで元気になりなさい。きっと助かる」

とやさしい言葉をかけてくれました。


翌日の朝、車掌が

「これは私からのプレゼントだ。

飲んで食べて、早く元気になりなさい」

と言って、ジュースとサンドイッチを持ってきてくれました。


4日目の夕方、突然車内に放送が流れた。


「乗客の皆さま、この列車には日本人の女子留学生が乗っています。

彼女は重病です。ワシントンの鉄道省に電報を打ち、

会議してもらった結果、

この列車をモンロビアで臨時停車させなさい

という指令がきました。

朝一番に止まるのは、

終着駅のロサンゼルスではありません」


これは、現在で言えば新幹線を臨時停車させるくらい大変なことです。




……続く、、、、

No.79

次の日の夜明け前に、モンロビアに臨時停車し、

他の乗客に気づかれないように静かに駅に降りたところ、

そこには車椅子を持った看護婦さん達が数人待機していてくれた。


車椅子に乗せてもらい行こうとしたら、

なぜか列車がざわざわしているので、

振り返ってみてびっくりします。


一等、二等はもとより、全ての列車の窓と言う窓が開き、

アメリカ人の乗客が身を乗り出して口々に何か言っていた。


最初は、日本人である自分に何か嫌なことを言っているのかと思ったが、

そうではなかったのです。


名刺や、住所や電話番号を書いた紙切れなどに、

ドル紙幣をはさんだものが、

まるで紙吹雪のように、投げられた。


「死んではいけない。きっと助かるから、安心しなさい」、

「人の声が聞きたくなったら、私のところに電話をかけてきなさい」、

「手紙を書きなさい。寂しかったら、いつでもいいよ」

と口々に声をかけてくれていたのです。


彼女は、4.5メートル先に停まっている列車が涙で見えなかったという。



結局、3年間入院したが、

その間、毎週毎週、見知らぬアメリカ人が見舞いに来てくれたが、

これも列車の乗客だった。


そして、3年間の膨大な手術費と治療費を払って出ようとしたら、

乗客の中の一人のお金持ちがすべて匿名でお金を払った後だった、という。



・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

心に響きます。


たった一人が

人を想い行動すること


その連鎖が世の中を照らすのでしょうね。





No.80

【夢とそして根拠のない自信だけ】№1135


西田文郎氏の心に響く言葉より…


「最初にあったのは、夢とそして根拠のない自信だけ。

そこからすべてが始まった」


これは孫正義さんが若き日を振り返って語った名言ですが、まさにこれは「その気」の法則を表していると言っても過言ではありません。

この若き日の孫さんは脳が「快」でプラス思考です。

孫さんはこの初心があったからこそ、ソフトバンクが今のような大企業に世長したのだと思います。


では、なぜあなたは「その気」になれないのか。

はっきり言いましょう。

あなたが「その気」になれないのは成功体験が少ないからです。

さらに、「もともと自分はツイていない」「どうせ自分には無理だ」といった失敗体験に基づいたネガティブな思考に支配されているからです。


言い訳、嫉妬、責任転嫁、イヤイヤ行動するなど、それでは「その気」は生まれてきません。

自分でツイていない、と言えば言うほど、ツキは逃げていきますし、自分でマイナスの言葉を言うことは、脳に「自分はツイていない」と思い込ませて、さらにツイてない脳へ強化していることになるわけだからです。


脳はとても優秀で、過去の体験データから「こんなこと無理だ」とか「できるわけない」といった結論もすぐに出してしまいます。

ですから、過去に成功体験が多くある人ほど自信が持てますし、失敗体験が多いとどうしても弱気になります。


しかし、ご安心ください。

実は脳の条件付けを変更するのは案外簡単です。

肯定的な脳を作るためには、プラスのデータを入力すれば脳は錯覚します。

本当にあったことと、イメージなのかを区別することができないのです。


ですから、ウソでもいいので、「自分はツイてる」「この失敗があって本当に助かった、次回に活かせる」「今度はもっと上手くできる」など、口に出して言ってみます。

内心信じられなくてもいいのです。

口から出た言葉が耳を通して脳に入力され、それを繰り返し行うことで脳はだまされ、「次にもっと上手くするにはどうしたらいいのか」など考え始めます。

つまり何度も繰り返しプラスのイメージを入力することで、扁桃核の判断を肯定的に切り替えられるのです。

『その気の法則』ダイヤモンド社



何度失敗しても、「最後は自分は絶対にうまくいく」、というような根拠のない自信を持っている人は、いつか必ず成功する

No.81


都市伝説より…①


 「いよー!面白いもん手に入れたぜ~」

「え?なになに?」

俺の名前はカツミ。今、俺たちは友人であるマサキの家にいる。

マサキは陽気でみんなのムードメーカー。

そして、そのマサキに好意を持っているミナミ。
ミナミはマサキに負けず劣らずの明るさで友達もかなり多い。

そして、ミナミの幼馴染のアカリ。アカリは控えめだが言いたいことはズバッと言う性格のため、嫌われることも多々ある。

そして、もう一人はユウキ。ユウキは暗くほとんど喋らない。だが、家は結構なお金持ちらしい。

------


「一年前、うちの大学の生徒が無人島で7人全員死んだって事件あったよな?」

「あぁ、あったな。それがどうした?」

「実は、その事件の模様を映したビデオがここにあるんだよな~♪」

「マジで?!」「えぇ~うっそー」「怪しい」「・・・ホントに?」

みんなそれぞれ勝手なことを言っている。。。

「まぁ、とりあえず観てみようぜ~」

ビデオが再生されると初めは普通の旅行のようだったが、その夜に一人の死体がみつかるとそこからはパニック映画のようだった。みんな震え、怯えている。

そこから次々と死体で発見されていき、結局はカメラマンと一人の少女が残った。少女は言う。

------



No.82


都市伝説…②


「あなたが犯人なんでしょう?!私が犯人なわけないもん!それに、こんな状況でビデオ撮ってるなんておかしいわよ!」

「違うおれじゃない!これは警察に証拠として、渡すために・・・」

少女は最後まで話をを聞かずに外に飛び出していった。それをすぐ追いかけるカメラの男。

そこで、急に画面が黒くなり次には無残な少女の死体と首吊り自殺をしたと思われる、カメラの男が映っていた。そこでビデオは終わった。

「すげぇだろ?これ警視庁に勤めてる兄貴が密かにダビングして、おれにくれたんだ。」

「確かこの犯人はカメラの男で、後から遺書も見つかったらしいね。ビデオが警視庁に届けられて事件が発覚したとか。」

「そうだよな。あんま覚えてないけど(笑)・・・・ん?どうしたカツミ?何か考え込んでるようだが」

「いや・・・、その話聞いておかしいなと思ってな・・・。」

------


「ここは、無人島だろ?7人全員死んだってことは一体誰がビデオを警察に送ったんだ?まさか、勝手にビデオが羽生えて飛んでいったわけじゃあるまいし。」

「そういえばそうだな。・・・そういえばこの事件の無人島ってユウキの家の所有物じゃなかったっけ?何か知ってるか?」

そういってユウキの方を見たが、顔が真っ青だ。俺は直感的に何かを感じた。

「まさか、ユウキ・・・・お前・・・」

<了>

------
2ちゃんねるで広がり続ける都市伝説。アナタも飛び込んでみませんか?
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No.83


あなたの知らない世界より




▽米オハイオ州
死刑囚が、肥満を理由に刑執行の延期を求める申し立てを行った。
体重過多のまま薬物注射による死刑が執行されれば「ひどい苦痛が長く続く」ことになると訴えている。
州刑務当局によると、来年1月16日に死刑執行が予定されているロナルド・ポスト(Ronald Post)死刑囚(53)は、武装強盗の際にホテル従業員を殺害したとして死刑判決を受け、28年間獄中にある。
体重は現在、220キログラム超。ポスト死刑囚の弁護団は前週行った申し立ての中で、死刑囚の「体力や健康状態の特異さを考慮すると、死刑執行によって彼が深刻な肉体的・心理的苦痛を受けるリスクがかなり高い。
絶命するまで拷問のようなひどい苦痛が長く続くことになる」と主張している。
同死刑囚の法定代理人を務めるジョセフ・ウィルヘルム氏は、「肥満を理由に執行延期を求めているわけではない」としつつ、ある麻酔科医がオハイオ州の死刑執行方法について「ポスト死刑囚には合わない」「絶命まで最大16時間かかる」と判断したと説明。
残虐で異常な刑罰を禁止している米憲法修正第8条に違反すると訴えた。
オハイオ州では、死刑執行は薬物注射のみ。
AFPが入手した申立書のコピーによれば、弁護団は4年前に州大学病院の医師がポスト死刑囚に注射をしようとした際、針がきちんと刺さらず3回失敗した例があることや、死刑執行台が同死刑囚の体重に耐えられない可能性を指摘。
さらに、ポスト死刑囚はエクササイズで減量を試みたが、関節障害で運動ができず「エクササイズ用自転車は体重が重すぎて壊れてしまった」などと訴えている。
同死刑囚は胃バイパス手術の申請をしたが認められず、また重度のうつ病のために減量も困難だという。




No.84


上昇志向雑学より




【どっちかな?】


やれなかった、やらなかったどっちかな


(相田みつを)


すごい短い文章で、1文字違いですがまったく違うことだと思います。


たぶん年をとったときに


「やれなかった」


はいい思い出まではいかないかもしれませんが、


「やらなかった」


よりは充実していると思います。


やらないで後悔するよりやって後悔したほうが、人生のいいネタになるんじゃないかな。



No.85

恐怖より…①


■開かずの間

僕が怖い思いをしたのはお盆で、母方の実家。

その家は建て替えたためもう存在しないが、今となってよく考えるととても奇妙な家だった。

一階は普通の日本家屋なのだが、2階の造りがどうもおかしい。

二階に上がるためのメインとなる階段と、裏口から入ったところにひっそりと設えられた細く急な階段。

メインの階段は気味が悪いだけでそれ以外は何も無かったが、細い階段から見上げる二階は妙に暗く、子供心に恐ろしかったのを覚えている。

で、肝心の2階なのだが、まずあがりきったフロアの隅に、古い火鉢や茶碗、タンスなどがまとめおきされており、掃除もほとんどさておらずとても不気味だった。。

そして、奥が部屋となるわけだが、ゆったりとした間取りの一階とくらべ、3~4畳程度の狭い部屋が7つ(か8つ)もあり、手前の2部屋を除いて誰も使っていなかった。

昼寝をしていた僕が目を覚ましたは18時半過ぎ。

家にいたのは僕と婆様だけでやることがない。

ロータリースイッチ式のテレビをつけては見たが、特に面白い番組もない。

退屈しのぎに、「何か飲み物ない?」尋ねてはみたが、何もないという。

サイダーを二本買ってくるように頼まれた僕は600円もらって外へ出た。

夕焼けがとても赤かったことを覚えている。

鮮やかな緑色をした、1L入りのサイダー(スプライト)のビンを自販機から取り出し、冷たいそれを両脇に抱えながら家の前に着いた僕は、なぜかすっと二階を見上げた。

見上げると、普段は開いてるのを見たことがない二階の鎧戸が開いており、そこから白い顔をした女の人が見下ろしている。

よくみると、顔が白いんじゃなくて、白粉で塗り固めた着物を着た人だった。

その人は僕を見るとにこりと笑いかけ、袖を振った。

なぜか猛烈にぞっとした僕は、急いで家に入ると、婆様に誰かが二階にいると伝えた。

「そがんことあるはずなかやっか」

と言われ、夕食ができてるから手を洗って来いと婆様。

「いや絶対居た!」

という僕に、

「なら見てこんね?」

と婆様。

怖がりと思われたくなかった僕は、仕方なく二階にあがることにした。

双子ソケットに二球はまって光っているとはいえ、二色光は余りにも暗すぎる。

一段踏むたびにギシギシ音を立てる階段にビビリつつ、僕は15段ほどの階段を上りきった。

、、、、

No.86


恐怖より…②


階段に一番近い部屋のふすまは開いていて、そこから夕日の残光が弱弱しく天井に向けて射している。

つばを飲み込むと、僕は這うように奥の部屋に向かった。

女の人が顔を出していたのは一番奥の部屋で、僕は夕日の残光を背に、暗い廊下をそこに向かってすすんだ。

廊下は階段同様に、歩くたびにみしみしと音を立てる。

奥の部屋に付く頃には四本足だった僕はそこでやっと二本足になって、ふすまの取っ手に手をかけた。

さすがに一気に開けるのはためらわれたので、音を立てないように、ゆっくりとゆっくりと開いた。

10cmほど開けただろうか。

中を覘いてみたが真っ暗な部屋の中、わずかに藍色の光が見えるのは、鎧戸の隙間だろう。

隙間に近づけた顔に閉め切った夏の部屋特有の熱気と臭い。

そしてそれに混じる畳の香り。

何もなさそうなので思い切ってふすまを開いたが、婆様の言ったとおり何も無かった。

誰もいなかった。

なら、僕が見たのはなんだったのだろう。

釈然としないままふすまを閉めると、僕は一階に降りるために廊下を歩き出した。

と、5歩も歩かないうちにぽんと肩をつかまれた。

ぎょっとして振り向くと先ほどの女の人が見下ろしている。

白粉の匂いがした。

「こりゃ。覘いたらいかんやろ」

僕は声も出ないまま、その手を振り解き、一階へと駆け下りた。

婆様と、ちょうど帰ってきたばかりの叔父にこれを伝えて探してもらったが、やはり何もいなかった。

僕の体験はというと、「夢か寝ぼけていた」で済まされてしまった。

ちなみに、僕は建て替えるまで、その家の二階に上がることは無かった。









No.87


宇宙からのメッセージより




じぶんを
ほめること


きょう
一日を振り返って

じぶんのこと

おもいかえして
みてください


じぶんが

ここ イケてたな~

よかったな~

と おもうところを

おもいだして

いっぱい
ほめてくださいね



これを
ず~っと
つづけて いくと


・・・


あなたは

上司や
部下や
旦那様や
奥様や

お友達や
お母さん
お父さん
兄弟
姉妹の

よいところ
素晴らしいところも

ふしぎと
みえてきますよ~


じぶんほめ上手は
他者 ほめ上手


だれもが
素晴らしいところを
もっています


あなたと似てる部分もあれば
あなたと違う個性を
もっているひとも
います


へんなところを
みつけて
不快になるなら

面白いところ
素晴らしいところ
個性をみつけて
いくと
一緒にいるとき

ここちよい時間に
なると

あなたの
幸せ時間は
倍増していきます




じぶんのよいとこ



いつも

かんじて

ほめてあげよう


そうして

ほかのひとの
素晴らしいとこ

いっぱーい
みつけて

素晴らしいところを

あなたは
~がすばらしい~

と つたえましょう




お互い

幸せ に

なる よねー



(^O^)/




〇〇〇〇〇〇〇






第四回ゆるし学講座

じぶんを
まんま受け入れ
慈しみ
承認する

それは
あなたのもつ
可能性を
拡大すること

使命を生きること

に つながっていきます~


その力を
つけていきましょう~
(^O^)/


自身のかかっている魔法(思いこみ・観念)をみつけ

浄化させること



より
自由に生きやすくなります


ぜひ
一緒に ゆるしのひとに
なりましょう~


(^O^)/





No.88


あの日・あの時 10 月5日より


1989年

ダライ・ラマ14世のノーベル平和賞受賞が決定。



83年

ポーランドのワレサ委員長にノーベル平和賞が授与。



80年

山口百恵が日本武道館で最後のステ-ジ。

白いマイクをステージに置いた瞬間涙が溢れ出ました。って、私はいくつだ?(^^;



74年

銀座と新宿で土曜歩行者天国開始。



62年

ビートルズのシングル『ラブ・ミー・ドゥ/P.S.アイ・ラヴ・ユー』がリリース。



No.89


【出会いの質を変えるには】№1136


作家の宮本輝氏の心に響く言葉より…


昔、ある人から「俺は50を過ぎた人間の情熱しか信じない」と言われたことがあるんです。

35歳の時でしたけれど、その時は意味が分からなかった。

まるで35歳の自分が否定されたような気がしてね。


で、いよいよ50歳になる直前ぐらいになって、ようやく、「ああ、そうか」と。

50年ですから、どんなに平々凡々と暮らしてきた人でも、やっぱりいろんな経験をしていますよ。

思い通りにいかないことばっかりだっただろうし、病気もしただろうし、人に裏切られたこともあるだろうし。

そうやって生きてきた人間の持つ「力」というものがあるんですよ。


僕は子供の頃から人よりいろいろな経験をしてきたと思っていました。

父親が事業に失敗して貧乏したり、女性問題を起こしたり、それで母親がアルコール依存症になったり。

最後は愛人のところで倒れて、僕が親父の借金を背負うことになって浪速(なにわ)の金融王みたいな連中から逃げ回ったこともあります。

作家になった後も病気(パニック障碍や結核)になったりと、まあ濃い人生を送ってきたと思っていましたが、やっぱりまだまだ洟垂(はなた)れ小僧だったなと思いましたね。


人よりいろいろな経験はしてきたかもしれませんが、僕自身は深刻になったり、人生を悲観することはなかったんですね。

そしてどこかに「10年先か20先か分からないけれど、必ずこれが自分の宝物に替わる」と思っていたところがありました。


出会いというのは、偶然ではないと思うんですね。

これは動かしようのない一つの法則性があって、どんな人に出会うかは自分次第なんですよ。

そう思いません?


運の悪い人は知り合う人もやっぱり運が悪いんですよ。

やくざの下にはやくざが集まる。

性悪(しょうわる)女は性悪男とくっつく。

これは不思議なものです。

仮に性格のいい人と付き合っても、次第に離れていきます。


それを分かりやすい言い方をすると、「命の器」だと僕は言うんです。

人と人は、その人の最も核となるもの、基底部を成している傾向性が共鳴し合う。

要するにどんな人に出会い、縁を結んでいくかは、その人の「命の器」次第ということです。

そして、その出会いの質を変えるには、自分が変わるしかないんです。

“人生、山河あり”より
『致知 2012年

No.90


ドイツの画家、版画家である

『アルブレヒト・デューラー』

氏の描いた「祈りの手」のエピソードに感動しました。

~~~

いまから500年ほど前、ドイツのニュールンベルグの町に

「デューラー」と「ハンス」という若者がいました。


2人とも子沢山の貧しい家に生まれ、

小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。 

2人は版画を彫る親方の元で見習いとして働いていましたが、

毎日忙しいだけで絵の勉強ができません。


思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、

絵の具やキャンバスを買うお金もままならないほど貧しく、

働かずに勉強できるほど余裕はありませんでした。


ある時、ハンスがデューラーに1つのことを提案しました。

「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。

でも、僕にいい考えがある。

2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で勉強しよう。


1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けるんだ。

そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が勉強できるから、

もう1人は働いてそれを助けるのだ。」


どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。

「デューラー、君が先に勉強してほしい。

君の方が僕より絵がうまいから、

きっと早く勉強が済むと思う。」

ハンスの言葉に感謝してデューラーはイタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。


ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。

デューラーは「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい」

とハンスのことを思い、

寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。


一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで重いハンマーを振り上げ、

今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。

1年、2年と年月は過ぎていきましたが

デューラーの勉強は終わりません。

勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。

ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」

との手紙を書き、

デューラーにお金を送り続けました。

数年後ようやくデューラーは

ベネチアでも高い評判を受けるようになったので故郷に戻ることにしました。

デューラーは「よし今度はハンスの番だ」と急いでニュールンベルクの町へ帰りました。


2人は再会を手を取り合って喜びました。


、、、、、

No.91

ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としました。

そして、泣きました。


なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、

絵筆がもてない手に変わってしまっていたのでした。



「僕のためにこんな手になってしまって」

と言って

デューラーはただ頭を垂れるばかりでした。


自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。


彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。


その罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーは、

「何か僕に出来ることはないだろうか」

「少しでも彼に償いをしたい」

という気持ちになり、

もう一度、ハンスの家を訪ねました。


ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。

でも、確かに人がいる気配がします。

小さな声も部屋の中から聞こえきます。

デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。


するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が目に入りました。


ハンスは歪んでしまった手を合わせ、

一心に祈っていたのです。


「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。

自分を責めています。


神さま、どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。


そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。


あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」


デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。


デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと思っていたハンスが、

妬み恨むどころか、自分のことより、デューラーのことを一生懸命祈ってくれていたのです。


ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、

祈りが終わった後、彼に懇願しました。


「お願いだ。君の手を描かせてくれ。

君のこの手で僕は生かされたんだ。


君のこの手の祈りで

僕は生かされているんだ!」



こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった

「祈りの手」が生まれました。


・・・━━━☆・
今日の1歩
・・・━━━☆・

素敵なお話です(ToT)


友を想い

友の為に祈る。


素敵ですね♪







No.92


我勝道と凡事徹底より



がんばろう!日本!
『敷島の大和心の雄々しさは、ことある時にぞ現れにける』

一緒にがんばろう!
東北のみんな!

==========

【我勝道】
(がしょうどう)
自分の弱い心、怠け心に負けないこと

【凡事徹底】
(ぼんじてってい)
誰にもできることを
誰にもできないくらいに
続けること

==========

【人間は不完全な生き物】

順調に今日まで来た人よりも、、なかなか伸びない成績にやきもきしている人の方が当然多いのが、現状だ。

でもね、でもね、

自分をダメだと思わないこと

完璧を求めてはいけない。

完璧な人間なんて、この世の中には存在しない。

そして、生きている価値のない人は一人もいないのだ。

今の自分を許してあげよう。

今までほんと頑張ってきたじゃないか。


今日は、残りの人生の最初の日なんだ。

今日から、本気の本鬼でやり直せば、まだ、間に合う。


一番怖いのは、諦めることだ。

諦めたり、止めたりすることで、良くなる人生なんてないからね。


いいね、粘り強く、粘り強く、攻め続けるのだ。

今日に集中し、今日やれることを力の限りこなすのだ。

だから、凡事徹底なんだ。
誰にもできることを誰にもできないくらいにコツコツコツコツやる

寝る前に、「よく頑張った!」と自分を褒めてあげられる今日一日を過ごすことにしよう。

そのためには、熱く熱く熱く熱く、人一倍熱く、今日を生き切るのだ。


『キミの未来は今日作られる』

今日も熱く明るく元気に笑顏で、人に温かく生き切ろう。

そして今日が今までの人生で最高の一日になるように努力を惜しまないこと。

今日も、喜愛と輝愛で、元気出していこう!

『いってらっしゃい!』

「ポン!」(肩を叩いた音)

==========

今日も、我勝道を極めるべく、自分の弱い心、怠け心に負けぬように、凡事徹底を貫こう

===========

今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう
(三重県伊勢市「修養団」中山靖雄先生のお言葉)

===========




No.93


大好きな斎藤一人さんの著書よりご紹介させて頂きます♪

_______


バチカンって何も売ってないんだよ。


キリストって死んでから二千年たつ。


それでも、世界中から人がくるんだよ。


それって、なんでですか?


って言ったとき、キリストの言ったことがステキだったんだよ。


だから、人間、ステキに生きたほうがいいんだよ。


それで、誰だって、ステキに生きられるんだよ。


ステキとは、言ってることに「愛と光」があればいいの。


わかるかい?


リストラされてな、辞めることが決まったら、辞めるしかないんだよ。


だけど、そのときに、仲間の悪口も言えるんだよ。社長の悪口も言える。


でも、「お世話になりました」も言えるんだよな。


「みんな、仲良くしてくれてありがとね」とか。


「近所にきたら、遊びにくるからね」とか。


ところで、自分の言ってること、ステキですか?って。


うらみごとを言うほうが、いいんですか?って。


人があなたのためを思って、一冊の本を紹介してくれた、そのとき、


「オレ、本、読まない人なんだ」って言うのと、


「オレ、本、読まないけど、社長が言ってくれるんだから、オレ、読むよ」って。


どっちのほうがステキですか?


何かあったときに、あなたの言ってること、ステキですか?って。


いつも本出しても読まない人が、「悪かったよ」って、


「オレに、本読めって言ってくれるの、あなただけだから、読んでみるよ」って言ったとき、「こいつ、違うぞ」と思うもんな。


わかるかい?


人間って、もっともっと、ステキになれるんだよ。


ステキになれば、人生、変わるんだよ。

_______

「知らないと損する不思議な話」

斎藤一人 著

PHP研究所より





No.94

あの日・あの時 10 月6日より


86年

海部俊樹、無投票で自民党総裁選に決定。



84年

岡本綾子全英女子オ-プン選手権で優勝。


有楽町の日劇跡に(マリオン)開業。



81年

エジプトのサダト大統領がイスラム原理主義運動集団により暗殺。



74年

「宇宙戦艦ヤマト」テレビ放映開始。



No.95

【自分の顔に責任を持つ】№1137


作家の佐藤愛子氏の心に響く言葉より…


「自分をいい男だと自負している男に、いい男がいたためしがない」

これが私の持論である。

ハンサムは己の顔を忘れなくてはいけない。

忘れたときからまことのいい男になって行く。


醜男(ぶおとこ)もまた、自分の顔を忘れなければならない。

忘れたときから彼もまた、いい男になるのである。


たまたま、「いい男とは何か?」と質問するハイミスがいて、私は答えた。


「キリストを見よ、釈迦を見よ、はたまたソクラテスを見なさい。

昔から聖人偉人といわれる男はすべていい男に生まれたのではなく、いい男になったのです。


昔、フランスの革命政治家ミラボーは、ひどいアバタ面でした。

ある貴婦人がミラボーを尊敬するあまり、肖像画を下さいというと、ミラボーは言下にいいました。


『虎をごらんなさい。

虎にアバタがあると思えば私の顔になります』と。


ミラボーは女に好かれること無類で、彼のまわりにはいつも女がつきまとっていたといいます。

これぞ、いい男の代表というべき人物ではありませんか。

男の顔は男の人生を語るものです」


“男友だちの部屋”(エッセイ)

『ああ面白かったと言って死にたい』海竜社



第16代アメリカ大統領であったリンカーンの有名な言葉がある。

「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持ちなさい」


ある支援者の一人が、「この男を使ったらどうか?」と閣僚に推薦してきた。

しかし、リンカーンは彼と会ったが、採用しなかった。

後で、なぜ彼を採用しないのか、と支援者から詰問されたとき答えたのが、「顔が悪すぎる。40歳を過ぎたら自分の…」というこの言葉だ。


人間、40歳も過ぎれば、その人の品性や知性や、考え方がそっくり顔に表れる。

まさに、男の顔は履歴書だ。

と、同時に、これは女性にも当てはまる。

いくらお化粧で隠したとしても、その品性や卑しさといった心根は顔に出る。


「いい男に生まれたのではなく、いい男になったのが、聖人偉人」

年を重ねて人生を語れるような、いい顔でありたい。




No.96



母が認知症になった。


施設には入れずに、自宅で介護を続けてきた。


施設の見学には行ったが、

母をそこに入れることが不憫に思えた。


3年後。


懸命な介護にもかかわらず、母の認知症は進んだ。


その頃には私も介護に疲れ、少しのことでイラつくようになっていた。


ある日、家の庭に野良猫がやってきた。

母は猫を指差し、「あれは何だい?」と訪ねてきた。


私は「あれは猫だよ。」と、少し冷たく答えた。

母は1分もしないうちに私に訪ねた。

「あれは何だい?」

「母さん。さっき言っただろ?あれは猫だよ。」

私は少しイライラしていた。


母はまたすぐに言った。

「ねぇ、あれは何?」


私は感情にまかせて母を怒鳴った。


「母さん!何度も言ってるだろ!あれは猫だよ!!分からないの!!」

母は恐れるような眼で私を見つめ、それからは黙っていた。


その後すぐに、私は母を施設に入れることにした。


母の荷物をまとめるために部屋を整理していると、古いノートが何冊も出てきた。


パラパラとめくって中身を見ると、それは母の日記で、


私を産んでから数年間、毎日のように書かれたものであった。


私はハッとした。


それを読んでも母を施設に入れる気持ちは変わらないと思ったが、

なんだか申し訳ない気持ちになって、なんとなく読み始めていた。


内容はありふれたもので、

『私が初めて〇〇をした。』というようなことがほとんどであった。


私は大した感動をすることもなく1冊目を読み終えると、

2冊目の日記を読み始めた。


6月3日。


もうすぐ4歳になる息子と公園に行くと、


1羽のハクセキレイが目の前に飛んできた。


息子は「あれは何て言う鳥?」と、


私に何回も何回も訊いてきた。


私はその度に

「あれはセキレイって言うんだよ。」

と、言って息子を抱きしめた。



何度も訊いてくれることが、

私をこんなに穏やかにしてくれるなんて。


この子が生まれてきてくれてよかった。


ありがとう。


読み終わった私の目には涙があふれ、

母のもとに駆け寄り、

やさしく抱きしめながら泣きじゃくった。



母は、そんな私をただやさしく撫でていた。



No.97



我勝道と凡事徹底より




がんばろう!日本!
『敷島の大和心の雄々しさは、ことある時にぞ現れにける』

一緒にがんばろう!
東北のみんな!

==========

【我勝道】
(がしょうどう)
自分の弱い心、怠け心に負けないこと

【凡事徹底】
(ぼんじてってい)
誰にもできることを
誰にもできないくらいに
続けること

==========

【今を充実させる】

人生とは、一日一日の積み重ねを言う。
そして、我々はこの今、この現在にしか生きられない。
強いて言うと、今一瞬一瞬の積み重ね、その集大成が人生なのだ。

この瞬間にやれることをやり続けることでしか、人生は拓いてはいけないのだ。

「今」を思う「心」=「念」

自分自身を信じて、今に全力を注ぎ込むこと、それが「信念」の体現なのだ。

先のことを思い煩うことなく、過去を後悔することなく、この今一瞬に全てを注ぎ込むのだ。

未来を心配しても、胃を痛めるだけだ。
過去を後悔しても、ため息がでるばかりだ。

それは、心が現在にないからだ。

肉体は、現在しか生きられないのだ。
心は、過去も現在、未来と自由に飛んでいける。
だから、ややこしくなるのだ。

人生は今、一瞬の積み重ねなのだ。
だとしたら、今をどう充実させるかで一生が決まる。

心と肉体を今、現在に、この瞬間に集中させるのだ。

今日を人生最高の一日にする努力が合格へキミを誘ってくれる。

今日も、当然、熱く熱く熱く生き切ろう。

『キミの未来は今日作られる』

今日も熱く明るく元気に笑顏で、人に温かく生き切ろう。

そして今日が今までの人生で最高の一日になるように努力を惜しまないこと。

今日も、喜愛と輝愛で、元気出していこう!

『いってらっしゃい!』

「ポン!」(肩を叩いた音)

==========

今日も、我勝道を極めるべく、自分の弱い心、怠け心に負けぬように、凡事徹底を貫こう

===========

今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう
(三重県伊勢市「修養団」中山靖雄先生のお言葉)




No.98

【余計なひと言】№1138


福田健氏の心に響く言葉より…


言ったほうがよい、これは言うべきだと思ったとき、キチンとものを言うのは大切なことである。

ただ、言うべきことを言うのと、つい言いたくなって、余計なことを言うのとは、同じではない。


たとえば、ある人が中年女性に対して、

「いつもお若いですね」

と、ほめる。

すると、横から口をはさむのが、「余計なひと言」を発する人で、

「気だけはね」


仲間と飲みに行き、ついでにカラオケの店に入る。

後輩が上手に歌うのを見て、先輩がひと言言う。

「仕事をやっているときとは大違いだな」

せっかくいい気分で歌った後輩をイヤな気持にさせる、「言わなくてもいいひと言」である。


会話の途中で、

「キミはなにも知らないだろうが」

と、言い出す者がいる。

言われたほうは、

〈知らなくて悪かったな〉

面白くない気分にさせられる。


どうせ言うなら、

「キミも知っていると思うが」

これなら、相手も素直に、

「実はよく知らないんだ」

「じゃ、説明しよう」

となる。


余計なひと言を口にする人は、どこかで相手を見下している。

すなわち、コミュニケーションの水平感覚が育っていない人である。

そうした優越感の裏にはコンプレックスが隠れていたりする。

『人は「話し方」で9割変わる』経済界



よけいなひと言で、相手の気持を冷やす人がいる。


失敗したことを素直に伝えたとき、「だからダメだって言ったじゃない」

感動した講演を聞いた後、内容を話したら、「そういうのって、何だか宗教ぽいよね」

一生懸命ダイエットした人に、「急にやせるとリバウンドが怖いんだよね」

ニヤニヤしながら、女性に向って、「最近ちょっとふっくらしたんじゃない」



わざと嫌な事を言ったり、余計なひと言をいう人は…


「劣等感がある人」

「上から目線で、自分が偉いと思っている人」

「そいうことで笑いが取れると勘違いしている人」

「満ち足りていなくて、あまり幸せではない人」


いつも、愛のある言葉で、相手の気持ちを温かくする人でありたい。




No.99




NTT西日本コミュニケーション大賞より

藤崎マリア(ペンネーム)作

~~~

【その日、届いたサプライズ。】


「あゆみ、こっち向いて!」 

小さい頃から、振り向くといつも父はカメラを構え、

ファインダーごしの私を見てくれていた。

数々の賞を獲得し、趣味の写真が転じて写真店を始めた父。


父の写真はいつも「人」そのものにスポットを当てた、素晴らしいものだった。


母から聞いた話では、長女の私が生まれたことが相当嬉しかったらしく、

私のアルバムは、

「あゆみ、生後1日目。ザンネン! ついてない!」

のモノクロ写真から始まって、毎日父のコメントとともに、数十冊にもなっていた。

いい加減なところはいっぱいあったけれど、


いつも明るく楽天的な父は誰からも好かれていた。


家族も大切にしてくれ、とりわけ私は子どものころから”パパっ子“で、

大きくなってからも腕を組んで歩くほど父が大好きだった。


「パパ、私が大きくなったら私の花嫁姿の写真は、絶対パパが撮ってね!」


「もちろん、オレの自慢の娘の花嫁写真は、オレが必ず撮ってやるからな。」 


子どもの頃から、この、同じ会話を数え切れないくらいしてきた。


私を「自慢の娘」と言ってくれるパパが、本当に大好きだった。


時が経ち、そんなパパに「この人と結婚します」と紹介する時が来た。


父は、泣きそうな顔をして声を震わせながら、

「幸せにしてもらえ。」

とひと言だけ言ってくれた。


すでに挙式が決まり、案内状を出し終わった頃、母から電話があった。


「もしもし、あゆみ? お父さんが……

お父さんが脳梗塞で倒れて意識不明なの……」


「えっ……?」

口から心臓が飛び出しそうになりながら病院に駆けつけた時、

ICUの中の父は人工呼吸器でかろうじて命をつなぎとめていた。 


呼びかけても、呼びかけても、ピクリともしない。


「どうして? なんでなの? 私の花嫁姿、撮ってくれるっていったじゃない!

目を覚ましてよ!

パパ、パパ、お願い、ねぇ、パパ、お願い……」


大好きな父と歩くはずだったヴァージンロード……。


最高の写真を撮ってもらえるはずだった私のウェディングドレス姿……。


意識は戻ったけれど、もう、歩くことも、カメラを持つことができない父は、






No.100


結局結婚式に出席することはできなかった……。



披露宴当日。

どうしても、父にお礼が言いたかった。


わがままばっかり、心配ばっかりかけてきたことを謝りたかった。

そして、なにより花嫁姿を見て欲しかった。 


祝福の喜びの中で、その場に父がいない淋しさで私は一生懸命涙をこらえていた。


終宴の間近の花束贈呈の時、会場が突然真っ暗になった。


次の瞬間、前方のスクリーンに、病床の父が写し出された。

カメラを手に包帯でくくりつけ、

「あゆみ、結婚おめでとう。」


という父の絞り出すような声に会場がどよめいた。


「パッ、パパ……?」


父の傍らに置いてあるノートパソコンに、

花束を持って立つ、私のウエディングドレス姿が映っている。


それは、父との約束をなんとか実現させてやろうと、

夫になる彼が私に贈ってくれた、最高のサプライズだった。 

カメラを持って、Webカメラを覗き込む父が、

「ふたり並んで、一番いい顔をして。」


と震える指でシャッターを押してくれた。

「カシャッ」


絶対、無理だと思っていた父との約束……。


会場とスクリーンの中のパソコンから流れる私の声。


「お父さん、今までわがままで心配ばかりかけて、ごめんなさい。


そして育ててくれて、本当にありがとう。

これから、この人と幸せに生きていきます。

本当に、ありがとうございました。」


それから半年後、父は天国に行ってしまった。


その時私と父を繋いでくれたWebカメラは今では、母と息子たけしとのコミュニケーションツールになっている。


「ばあちゃん、いつもばあちゃんの後ろに飾ってある写真って、ボクのパパとママ?」


人生を写真一筋で生きてきた父の最後の一枚……。


それは、パソコンのモニターの中で微笑む私と主人の結婚写真だった。


不可能に思えた夢を〝素敵なサプライズ〟というカタチで実現してくれたインターネット。


息子が大きくなったとき、それは、どんなサプライズを届けるのだろう……。







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