なみだくんさよなら

レス458 HIT数 56839 あ+ あ-


2013/06/08 21:24(更新日時)

いつまでも沈んだままでは居られないので今までの悲しかった事、苦しかった事、嫌な思いをした事など少しずつ吐き出していきます。


気持ちが切り替えられますように…



No.1845759 (スレ作成日時)

投稿順
新着順
主のみ
付箋

No.101

私の出産が待っていたからうちは結構貧乏だった。
近くの産婦人科は出産費が55万~になっていたから、せめて60万は貯めないとね、と私と旦那は節約して必死に貯めていた。


そんな時に義妹からの幸せなお便りが(笑)
交通費往復2人で8万…イタイ…
うぅ😢
全部合わせると25万の出費💧
でも義妹の結婚式だしなぁ…


という事で相談したら、交通費片道出してあげると言われた。
良かった💦


結婚式前日、旦那の実家に着いて荷物整理をしていると、私がピンと髪留めを忘れてきた事に気付いた。
仕方なくデパートへ買いに走った。
お陰でその日の晩ご飯代が思いっきり飛んでいった(笑)


No.102

式も披露宴も滞りなく順調に終わったように見えた。


が…
突然、新郎と新婦が喧嘩を始めた。
新郎の友人ばかりを優先していたから義妹が不満を言い始めた。
そこから怒鳴り合いの大きな喧嘩に発展💦
新郎の親からは、義妹は我慢が足りないと言われ、義妹が号泣。
そのままその場を去ってしまった。


取り敢えず、もう夜10時を回っていたから私と旦那と子供達はホテルへ戻った。
そこに姑さんが来て「私じゃダメだから兄ちゃん来て」と言い、そのまま旦那は部屋から出て行った。


私と子供達はお風呂に入った。
私は妊婦だったから、普段、子供達は旦那がお風呂に入れてくれていた。
お腹が大きいから3人でお風呂に入ると狭い💧


子供達を出した後、私は1人でサッと入る事にしたけど、次男がなかなか寝ずグズグズ言い続ける。
何だか体も熱い。
熱が出てるっぽい。


体温計も冷やすものもない。
旦那も居ない…
仕方ないからタオルを濡らしておでこを冷やした。



No.103

次男の看病をしながら旦那の帰りを待ち続けた。
夜中1時になっても帰ってこない…


2時頃突然ドアが開いた。
旦那と義妹が入ってきた。
旦那が「俺じゃあ、大して話し相手になってやれないから○○ちゃん(私)、話聞いてあげて」と言ってきた。


えっ💧
そんな大役無理だよ💦
次男熱でグズってるし…


話を聞き始めた。
「新郎の親は何でも我慢しろって言う。私は今までずっと我慢してきた。これ以上何を我慢しろって言うんよ」と泣きながら言われた。


私「そうなん…相手が思ってる我慢と自分が思ってる我慢は違うからね。その差だと思うよ。でもそうやって責められるのはツラいよね」

義妹「私なんて居なくなれば良いんよね。居なくなったらみんな喜ぶわ。見て、これ今まで自殺しようと何回も付けた傷」
と言いながらリストカットの痕を見せてきた。

義妹「私、もう死んだ方が良いよね…」

私「そんな事言わんといてよ❗私は○○ちゃんが死んだら悲しいし死なないで欲しいよ」と泣きながら言った。

義妹「そう言ってくれるのは○○ちゃん(私)だけよ。ありがとう」



No.104

義妹は少し落ち着いてきたらしく、新郎の愚痴を言ってきた。


私はずっと、うんうんと聞いていた。
朝方4時。
義妹は「やっぱ戻るね。ありがとう。迷惑かけてごめんね」と言って帰って行った。


翌朝、バスで旦那の実家に戻った。
荷物の整理をしながらゆっくり過ごしていた。
夕方、義妹達が来た。
子供達を寝させた後、今後の事について色々話し合い始めた。


夜12時前になった。
私は前日もゆっくり休めてなかったから、先に休ましてもらう事になった。
疲れからか結構お腹が張って痛いくらいになっていた。


1時頃、私は横になってるだけでまだ寝られてなかった。
襖1枚挟んだ部屋でいつまでも話してるから寝るに寝られない。
それにまだお腹が張って痛い感じ。


そんな中、また義妹達の喧嘩が始まり、怒鳴り合いになった。



No.105

私は何故か急に息苦しくなって息ができなくなってきた。
お腹も張って痛い。


旦那が襖の隙間から見えたから呼んで、旦那に「お腹がさっきから張ってずっと痛い…」と言った。
旦那は「大丈夫❓」と聞いてきた。

私「多分…」

それを聞いていた姑さんが急に「全部私のせいだー❗赤ちゃんに何かあったらどうしよう」と泣き叫んだ。
そして「救急車呼ぼ❗」と言い始めた。


私は「出血や破水してるわけじゃないから大丈夫よ」と言ったけど「救急車呼んだ方が良い❗」と言ってくる。
私が「もうちょっと様子見てダメそうだったら病院連れて行って」と言ったら落ち着いた。


それでもまだ「全部私のせい」と泣き叫んでる…
旦那と義妹が「お母さんのせいじゃないよ」と何度もなだめていた。


No.106

義妹達の喧嘩が修まったせいか、お腹の張りと痛みがなくなってきた。
一安心。


旦那は「人騒がせな(笑)」と言っていた。


翌朝早くに旦那の祖母が来てみんなで一緒に写真を撮ったりした。
しばらく話したりしてると帰る時間になった。
駅までみんな付いてきてくれて最後の集合写真を撮った。
次男は結局熱が下がらず、おでこに冷えピタを貼った写真。


新幹線の出発の時刻。
みんな、見えなくなるまで手を振ってくれた。


あっ、交通費貰ってない💧
旦那と後で気付いたけど、まぁ、良いか💧で終わった。


その後、義妹達は1年で離婚。
御祝儀と交通費その他…イタかったんだけどなぁ…



No.107

教育センターへ行き始めてから1ヶ月経たない内に、幼稚園では加配の先生がついてくれる事になった。


その頃の長男は『1番』に拘っていた。
何でも自分が1番じゃないと気が済まなくて、1番になれなかったら相手の子の顔を殴ったり蹴ったりとヒドかった。
滑り台でも、自分の前に他の子が居ると上から突き落とそうとする。
非難訓練でも階段を1番に下りたいからと前の子を押す。


園長先生には「人を人とも思わない行動をする」と言われていた。
私は長男に何度も何度も口で教えていたけど、何とも思っていない様子。
他の子を怪我させた時にはバシっと叩いて教える事もあった。
それでも変わらない長男。


私は何度言っても同じ事を繰り返す長男に疲れていた。


No.108

旦那が休みの日。
夕方から買い物に出掛けた。
旦那が居るからと少し安心(油断)してショッピングモールに向かっていた。
旦那は次男と手を繋ぎ、私は三男を前抱っこして長男と手を繋いで歩いていた。


いきなりバッと長男が手を離し、走って赤信号の道路の方へ出てしまった。
幸い車は来てなかった。
魚屋さんの魚が見たかったらしい。


私は怒って「手を離したらダメじゃない❗車にひかれたらどうするの‼ひかれたら痛いし死ぬんよ‼絶対離したらダメ‼」と言いながら長男をバシっと叩いていた。


そこへ前から来たおばさん(何があったか見てない)が「子供をこんなに叱って可哀想に。最近の若い母親はこれだから」と言って通り過ぎて行った。


私はまさかそんな事を言われるとは思ってなくて一気に自信を無くしてしまった…
旦那は気にするなと言ってくれたけど、私はずっとこの言葉が脳裏に焼き付いて離れない…


No.109

教育センターでは始めはグループでの療育をしていた。
でも長男があまりに勝手な行動をするからグループから外されてしまった。
そして長男1人と心理士さん2人での療育が始まった。


長男は楽しいと思う事があると興奮状態になってなかなか止められない。
療育の中で砂遊びをしていたら、心理士さんに砂をかけるのが楽しくなって興奮状態になってしまった。
心理士さんの目や耳に砂が入っても止めず危ないという事でその日は療育中止。
そのまま部屋から出され、心理士さんは手当てをしてもらっていた。


夏休み前に月1回教育センターに来ている専門医に長男を診せてみないかという話が出た。
私はすぐお願いした。


No.110

専門医の居る部屋に通された。
専門医は長男の行動を見ながら次々と長男に話しかけていく。
長男は専門医が話しかける度にウロウロごそごそしながら答えていく。
専門医に「ADHDの傾向があるのは間違いないね」と言われた。


何だかホッとした。
やっぱりこの子はADHDなんだ…
更に専門医は幼稚園での様子や教育センターでの様子を聞いてきた。


長男は一度、幼稚園に生えてる木から塀に飛び移って塀を越えて脱走した事がある。
すぐに主任の先生が気付いて5人くらいで保護しに行った。
その事も伝えた。


専門医からは、危険行動が多いという事で入院を勧められた。
夏休みの間だけで改善されなければ、その後もずっと入院してもらって行動&薬物療法をしていくと言われた。


病院までは地下鉄を何度か乗り換えて2時間近くかかる場所にある。
診察は半年待ち…
すごく迷った。
4歳の子をしばらく預けるのは何だか酷な気がした。


No.111

帰って旦那と話し合う事にした。
専門医に、入院させようと思ったらここへ連絡してくるようにと資料をもらった。
そして「うちの病院ではなくても薬の処方はしてもらえるから、他の病院に通う事もできますよ」と言われた。


部屋を出た後、担当の心理士さんに「○○くんはADHDだけではない気がするんですよね…多分、他にも何かあると思います。もう発達検査も受けられるんで今度受けてみましょう」と言われ、発達検査の予約をした。


帰って旦那に話した。
旦那はすぐ「入院させろ」と言ってきた。
「○○の面倒見てたらこっちがおかしくなるわ❗」とも…


私はまだ迷っていた。
そして母にも相談した。
始めは躾が悪いと私を責めた母。
入院の話をしたらビックリしていた。
「そんなにヒドいの⁉」と。
「○○のためになるんだったら入院させた方が良いのかもしれないけど…可哀相よねぇ…まだ4年しか生きてないんだよ。お母さんが大好きな時期に母親と離されるなんて…」


母の言葉が胸に刺さった。
結局、三男を診てもらっている都立病院に通うことに決めた。
薬を飲ませて行動を見て、それでも変わらなかったら入院させようと思った。


No.112

発達検査の日。
なかなか集中できず、落ち着かないから2日に分けてした。


結果はADHDとアスペルガーの症状が強い広汎性発達障害だった。
長男が3歳の時に感じた違和感、私の疑いは当たっていた。


IQは116。
苦手な分野と得意な分野の差が激しい。
物の事はよく知っているけどグループ分けがほとんどできない。
飛行機についてはよく知ってるけど、それが動物なのか機械なのか聞かれたら解らない状態💧
5歳だけど行動面は1歳くらいの子と同じレベルだと言われた。


1年近く通った保健センターの育児相談。
結果を心理士さんに報告した。
色々アドバイスされた後、もう来なくても良いんじゃないかと言われた。
教育センターに任せましょう、と。


私はちょっと寂しくなった。
この心理士さんは私の事も凄く褒めてくれる。
このやり方を試してみたと報告したら「お母さん、そのやり方スゴく良いですよ❗頑張ってますね」と。
周りに頼れる人が居ない中での育児。
この心理士さんの言葉で私は随分救われてきた。


最後の日はいつもよりちょっとだけ長く居させてもらった。
そして「今までお世話になりました。ありがとうございました」と言って部屋を出た


No.113

9月。
保健センターへ通う事はなくなったけど、相変わらず忙しい日々は続いていた。


月2回長男の薬を貰いに都立病院。
月1回三男の都立病院。
週2~3回の教育センター。


8月の終わり頃に次男と三男が嘔吐下痢症にかかり、近所の小児科へもしょっちゅう行っていた。


長男も夏休みが終わり、幼稚園が始まった
朝、幼稚園へ連れて行くと加配の先生が変わっている。
なんか、3~4ヶ月でローテーションするらしい。


慣れない先生に大丈夫かなぁと不安になっていたけど、さすが40代のベテラン先生。
気を紛らわせたり、他の事に注目させるのがうまかった。
長男ものびのびしていた。


No.114

長男が都立病院で処方されていた薬は漢方薬(粉薬)だった。
匂いからして、大人でも吐きそうになる。
それを飲むように言われていた。


長男はなかなかこの薬が飲めない。
「ちゃんと言うこと聞くから薬飲まさんといて」とすごい表情で言ってきた。


夏休みの間は飲まさない日も結構あったけど、落ち着かず、下の子達にしょっちゅうちょっかいを出したり、良くない行動をした時に薬を飲ませるようにしていた。


しばらくするとこの薬を飲ませる事が罰のようになっていた。
涙目になりながら何度も「おぇッ」と言いながら飲む長男。


何だか可哀相になってきて、途中からは悪い事をしても飲まさないようにしていた。
でも旦那は容赦しない。


悪い事をする度に「飲め❗」と言って薬を渡す。
「お前がいらんことばっかりするからよ」と言いながら全部飲むまで見張っていた。


No.115

10月。
ある日、旦那が仕事から帰ってくると指輪を持っていた。
そして私に「要る❓」と聞いて指にはめてきた。


「どうしたのこの指輪❓」と聞いてもはぐらかす。
「この指輪、ブラウンダイヤじゃない❓50万以上すると思うんだけど、本当にどうしたの❓」と聞いた。


旦那は「まぁ、良いじゃん」と言う。
何だか怪しい…
私は「これ、高い物だから普段付けられるような物じゃないよ。しまっといたら❓」と言った。


旦那はティッシュに包んでどこかにしまっていた。


また別の日。
今度はオメガの時計を持ち帰った。
でも壊れていた。
「これ、どうしたの❓」と聞いてもはぐらかして答えない。
どこから持ち帰ったんだろう…
すごく気になる。


No.116

10月下旬。
旦那から『今日は帰れない。先に寝てて』とメールがあった。
すぐに『珍しいね。今まで帰らないって事はなかったのに。明日、気を付けて仕事行ってね』とメールを送った。


翌朝、長男を幼稚園へ連れて行って帰ってきて、下の子達に遅い朝食を食べさせていた。
そこにピンポーンとインターホンが鳴り、出てみるとガス屋さんだった。
お風呂のガスの調子が悪いと連絡していたから直しに来てくれた。


その後、少ししてまたインターホンが鳴った。
出てみると「こういう者です」と警察手帳を見せられた。


えっ❓と思ってる内に部屋に入ってきた。
ガス屋さんもこっちを見てる。
家宅捜索の紙を見せられて「今から家宅捜索します」と言われた。
私は意味が解らず、キョトンとしていた。


警察の方が「ご主人から何も聞いてませんか❓」と聞いてきた。
「はい…昨日、帰れないってメールが来ただけなんで…」


警察の方は「そうですか…」と言って本当の事を話してくれた。


No.117

旦那は指輪と時計を盗んで、時計を質屋に売ったらしい。
実名で売ったからすぐに身元が判って会社で逮捕されたそうだ。
指輪が家にある事も白状したらしく、家宅捜索をする事に…


その後、すぐに指輪が見付かった。
私や子供達が絶対触らない、旦那の物ばかり置いてあるスペースに隠してあった。
その場所も旦那が白状したらしい。


警察の方に「指輪触りました❓」と聞かれた。
「はい…」と答えると指紋を撮ったり写真を撮ったりされた。
写真を撮る時に下の子を抱っこしてたら、警察の方が「子供さんは写らない方が良いです」と子供を抱いて移動してくれた。


そして旦那が拘留されてる警察署やこれからの事、担当の刑事さんの事などを教えてもらって警察の方達は帰って行った。


頭の中は真っ白。
どうしよ…😢
バカ旦那…


ガス屋さんに「終わりました」と言われ、我れに返った。
ガス屋さんに見られてしまった…


No.118

ずっと
どうしよ…どうしよ…どうしよ…
と思っていた。
気付けば長男を迎えに行く時間。


長男を迎えに行った。
誰にも悟られないように明るくしないと❗
何事も無かったかのように普通に帰ってきた。
ため息ばかり出る。


教えてもらった担当の刑事さんに電話をしてみた。
でも今は席を外してると言われた。


仕方ないから時間を置いて再度掛け直してみると今度は出てくれた。


旦那は作業着を着てるから、私服を持ってくるよう言われた。
5時までに行かないといけない。
時間は4時半。
急いで準備して自転車に乗って持って行った。


警察署に子供達を連れて行くわけにはいかないと思ったから「すぐ帰ってくるから待っててね❗」と幼い長男と次男に留守番をお願いし、三男をおんぶして行った。


No.119

警察署に着いて担当の刑事さんと話した。


『子供3人居て、病院に通わないといけない子も居るのに何やっとんや❗これから奥さんがどんなに大変になるかとか考えんかったんか❗』とちょっとキツく言ったら泣いてたわ(笑)
まぁ、本人にはしばらく反省してもらいましょう
と言われた。


刑事さんのケータイ番号を教えてもらって何かあったら連絡するように言われた。
その日は旦那に会うことなく、そのまま帰った。


No.120

私は姑さん達や私の両親に迷惑をかけたくなくて1人で何とかしようと思っていた。


旦那が帰ってこない事に気付いた長男。
子供達には「父さんは仕事が忙しくて帰れないんだって。可哀相だねぇ」と話した。


今まで毎日旦那が子供達をお風呂に入れてくれていた。
私はいつも子供達を拭いて着替えさせるだけだった。


子供3人をお風呂に入れて拭いて着替えさせるのってこんなに大変なんだ…と気付いた。


夜、子供達が寝ると、ケータイで窃盗に関する事や拘留中に差し入れできる物を調べまくった。


旦那の逮捕から5日目。
気持ち的に辛くなってきた。
旦那の会社にも謝りに行かないといけないし、時計の弁償もしないといけない。


私はとうとう耐えられなくなり、姑さんに電話した。


No.121

姑さんは「何でそんなバカな事を…」と泣いていた。
そして私に離婚を勧めてきた。


その後、姑さんから話を聞いたらしく、義妹から電話がかかってきた。
私達に何かできる事はないか聞かれた。
できる事…特にない。
「今のところない」と答えた。


そして「お母さん、随分落ち込んでるんじゃない❓大丈夫❓おかしな気を起こさんように見ててね」と言った。


義妹は「分かった…またお兄ちゃんが迷惑かけて本当にごめんね」と謝ってきた。


「ううん…おやすみ」と言って私は電話を切った。


No.122

多分、ここは追い出されるんだろうなと思い、少しずつ引っ越しの準備を始めた。
旦那の逮捕から1週間して、私の母に電話した。


私「もしもし、お母さん❓話したい事があるんだけど…」

母「何❓また妊娠でもしたの❓(笑)」

私「ううん…実はね、旦那が1週間前に逮捕されたんよ」

母「はっ⁉何で⁉」

私「窃盗で。高価な指輪と時計を盗んで時計の方は売ったんだって…」

母「何をやっとんよ○○くんは⁉💢で、今は○○くんは警察署❓」

私「うん。家から歩いて40分くらいの○○警察署に居る」

母「そら困ったなぁ…分かった。大変な事になってるけど頑張るんよ」

私「うん…」


翌日、母が来てくれた。
そして警察署に一緒に行って刑事さんから詳しい話しを聞いてくれた。
私はその時初めて旦那と面会した。
涙が出そうになった。


No.123

姑さんは私に「迷惑をかけてごめんね、もう離婚しなさい」と何度も言ってくる。
荷物は服以外全部処分して私(姑さん)のところに来たら良いと言う。


家具や食器のほとんどは私の母や親戚がくれた物。
思い入れがあって処分なんてできない。
家電も買ったばかり。
旦那の物も処分しろと言うけど、私にはできない…


こんな事言ってられない状況かもしれないけど、私は全部残しておきたかった。


姑さんのところは2K(和室6畳と4.5畳)で5人が住むにはかなり狭い。
服だけ持って行っても多分、住めない。


母に、姑さんに離婚を勧められる事を話した。母は怒った。
「こんな事になってるのは誰のせいよ❗子供3人をあんた(私)に押し付けて終わりっていうわけにはいかない。責任とって最後まで子供を育ててもらわないと❗離婚はしたらダメよ❗」と言われた。


母の言葉を聞く前から、私は離婚をする気も姑さんの所へ行く気もなかった。


No.124

私は旦那と面会をするまでに何度か手紙を出していた。
そこに姑さんに何度も離婚をするように言われる事も書いておいた。


初めての面会の日、旦那は謝ってきた。
そしてお母さんが離婚を勧めてきても絶対離婚しないでほしいと言われた。


私はただ頷くだけだった。
面会は三男をおんぶして入った。
旦那の顔を見て笑う三男。
1歳3ヶ月の時だった。


母は刑事さんに「思いっきり叱ったって下さい。二度と同じ事をしないように」と言っていた。
刑事さんは笑いながら「はい、分かりました。キツく言います」と言っていた。


警察署から帰り、夕食の支度。
三男がグズり始めた。
体を触ると熱い。
熱が出た。


No.125

翌朝、(次男を連れて)長男を幼稚園に連れて行くのを母に頼み、私は三男を近所の小児科へ連れて行った。
意外なことに、あまりよくない状態だから大きな病院へ行くよう言われた。


帰ってすぐ母に話し、次男を母に見てもらって私は三男と都立病院に向かった。
母はこの日のお昼に帰る予定だった。


病院に着いてすぐ検査をした。
結果が悪くて入院する事になった。
母に電話で話すと驚いていた。
「入院準備をしてまた来ます」と看護士さんに言い、荷物を取りに帰った。
幸い、この都立病院は親がずっと付き添わなくて良い。


取り敢えず、3日分の服とオムツの用意をして持ってきた。
しばらく付き添って医師と看護士さんから話を聞き、帰ることにした。
看護士さんには、引っ越し作業をしないといけないからあまり来られないかもしれないと話しておいた。


三男がこんな状態だったから、母はもう1日居てくれる事になった。


No.126

翌朝、母が「○○(次男)を連れて帰ってしばらく預かろうか」と提案してくれた。
私はお願いした。
すぐに次男の荷物をバッグに詰めた。
そしてお昼頃に母は次男を連れて帰って行った。


しばらく長男と2人の生活。
長男が幼稚園へ行っている間に私は旦那の会社の幹部の人に呼び出されていた。
時間より少し前に会社へ向かった。


会社の人とこれからの事などを話した。
旦那が捕まった翌日に旦那は懲戒解雇になったらしい。
話の中で、子供が入院中で保険証を今すぐ返す事ができない事を話した。


会社の人は優しい人達だった。
保険証は子供が治ってからで良いし、社宅はすぐに追い出すような事はしないと言われた。
お金に困ってるんだったらどうして言ってくれなかったのか…なども言われた。


私は旦那がお金に困ってるなんて知らなかった。


会社に時計の買い戻し代を払うことになっていた。
刑事さんから金額は聞いていたから63万、用意して渡した。


No.127

旦那がお金が欲しかった理由を刑事さんから聞いた。


ビックリな事に、前に買った高額な絵の話が絡んでいた。
120万を諦めた1年後、旦那のケータイに電話がかかってきた。


詐欺団に騙された被害者の会とやらが詐欺団を相手取って訴訟を起こすと言う。
詐欺団から入手した被害者の名簿にアナタの名前が載ってたから連絡した、と言われたそうだ。


訴訟を起こすのにお金が必要で、1人1万円でお願いしてると言われた。
旦那はその話を信じて、指定された場所に行ったらしい。


で、相手を見つけたんだけど、やっぱりお金が足りなくて50万必要だと言われたらしいんだけど「そんなお金はない」と旦那が言うと、近くのア○フルに連れて行かれてそこで50万借りるように言われたそうだ。


「裁判に勝ったら絶対戻ってくるから」と言われ、借りた50万を渡すとそのまま相手は走り去ってしまったらしい。
相手の連絡先も聞かないまま…


No.128

後で旦那は騙されたと気付いたけど、時すでに遅し。
前の絵のこともあったから、私には言えなかったそうだ。


私は子供の事でいっぱいで旦那の異変に気付けなかった。
旦那は小遣い(3万)から払おうとしたけど追いつかず、今回の窃盗事件を起こしたらしい。


そういう経緯を知ってか、指輪の方は指輪が無事だったという事で被害を取り下げてくれた。


旦那は23日(だったかな)拘留されただけで帰ってきた。
私達が引っ越す3日前だった。
引っ越し先は私の実家。
父が住んでる家。
困っている私を父が迎え入れてくれた。


私の実家は2世帯住宅だけど、祖父母が亡くなって部屋がかなり空いていた。



No.129

三男は10日程で快復して退院できた。
入院から2日後に行くと、入院した時の服のままだった。
しかも結構汚れてる…
着替えは4枚入れてたのに…


オムツは変えてもらってるようだったけどおしりがかぶれていた。
看護士さん、忙しいんだろうね💧


三男の服を脱がし、体を拭いて着替えさせた。
お昼ご飯を食べさせて長男のお迎えの時間になったから「また来るね」と言って帰った。


また2日後行くと、点滴のテープのところがかぶれていた。
看護士さんに言ってテープの位置を変えてもらった。
三男ともう少し長く居たいけどすぐ時間になってしまう。


私にはやる事が沢山あった。
長男の送迎。
引っ越し作業。
幼稚園に辞める事を話したりあちこち手続きに行ったり。
旦那に差し入れも届けなきゃいけない。


体が3つくらい欲しい気分だった。


No.130

引っ越し5日前。
母が次男を連れて引っ越し作業の手伝いに来てくれた。
片付け上手な母。
どんどん荷物が片付いていく。


そんな中、姑さんから電話があった。
引っ越し作業は順調か聞いてきた。
「やる事が多くてはかどらん」と答えた。


姑さんは「まぁ、頑張りなさい。うちらは何もしてやれんから」と言ってきた。


それ(漏れた声)を聞いた母が怒って電話を代わるように言ってきた。
一瞬戸惑ったけどケータイを渡した。
「もしもし💢仕事休んででも手伝いに来たらどうですか❓💢娘1人でやるのは本当に大変だと思うんですよー💢口は要らないから手伝いに来て下さい💢人手が足りないんです💢」母が言った。


姑さんは、はぁ、はぁと返事し、最後にすみませんと言っていた。
母は「ほんまに💢口ばっかりで何もせんからつい言うたった。あんたの立場悪くなるのにね…ごめん💦」と。


2日後の夜、95%くらい片付いたところで母は帰っていった。
「後は簡単な物ばかりだから頑張ってね」と言って。


すごく助かった。


No.131

引っ越し当日。
朝7時半に業者が来た。
業者と言っても旦那の会社の人達だけど。


10人くらいの作業であっと言う間に部屋が片付いていく。
午前中に全て終わった。


私達は会社の人達に挨拶をして駅に向かった。
東京駅から新幹線に乗って私の実家へ向かう。


東京見物、もっとしたかったな…
3年居て、私は上野動物園と東京タワーと葛西臨海水族園しか行かれなかった。
車で10分くらいの所にディズニーリゾートがあったのに1度も行かれなかった。


私の実家へ着いた時、私達は貧乏になっていた。
時計のお金と引っ越し代と新幹線代で100万近く無くなり、旦那が懲戒解雇されたから給料が無くて貯金を崩して生活してた。
3年貯めた貯金は一瞬にして無くなった。

No.132

実家に着くと母が居た。
私達が住めるように家具を動かしたり部屋の掃除をしてくれていた。


母が父の所へ行ってちゃんと挨拶するように言ってきた。
私と旦那は「今日からお世話になります」と父に頭を下げた。


私の父は歯科医で開業医。
1Fは診療所と叔父がやってる技巧所。
2Fは4LDKだけど誰も使ってない。
3Fは3LDKで父はリビングを使ってるだけ
4Fは屋上。


使わない家具は2Fの部屋に置く事にして私達のスペースは2FのLDKと3Fのリビングの横の部屋(10畳)になった。
この部屋は私が子供の時に子供部屋として使ってた部屋。
妹と弟は大学生で他県に居たから机などの荷物は残っていなかった。


No.133

荷物を解いたり整理をして2日目。
疲れが出たのか、私と長男が突然高熱を出した。
私が子供の時にお世話になってた、家の前にある小児科内科で診てもらう事にした。


診察の時、先生に「○○くんは元気にされてますか❓」と言ってみた。
「誰かいのう❓」と聞かれたから旧姓を言った。
「あぁ❗○○ちゃんか❗大きくなって❗こんなに大きい子も居るん❓」とビックリした様子で言ってきた。


この先生の息子と私は同級生で、子供の頃はよく一緒に遊んでいた。
同じ習い事もしていて、帰りが遅くなるから母とおばさんが交代で迎えに来てくれていた。
「○○は元気にしとると思うよ。今、医大に行ってるわ」と教えてもらった。


検査結果はRSウィルスだった。
長男より私の方が炎症反応も症状も酷く、しばらく寝込んだ。
母は4日目に帰る予定だったのを、もう1週間延長してずっと居てくれた。


10日後、私の症状が随分快復してきたからと母は帰って行った。



No.134

旦那は失業手当てをもらいながら仕事を探すことになった。
失業手当てだけでは生活できないだろうと父が毎月10万渡してくれた。
そして母が帰る前に「みんなの食費はここから使いなさい」と買い物用にカードを渡してくれていた。


母が帰った翌日から、毎日父の朝、昼、晩御飯を作る事になった。
父は品数が多くないと嫌な人。
朝、昼は1~2品でも良かったけど、夜は5品以上のおかずが要る。
普段の私は、3~4品のおかずしか作っていなかった。


母は花嫁修業で料理専門学校に行ったりしたそうだけど、私は20歳の時にデキ婚をしたから料理はあまり覚えていなかった。
小学校の高学年頃から料理の手伝いを始めたけど、大体妹が切る係で私は炒めたりアクを取ったり味見をする係だった。


私は母が作る料理を見て、なんとなく作り方を覚えた。
ちゃんと教えてもらった事は一度もない。
私の料理の味付けは母に似せてるだけ。
レパートリーの少ない私には、毎日5品以上のおかずを作るのは大変だった。



No.135

いつまでも5歳の長男を家に置いておくわけにはいかない。
叔母(叔父の奥さん)が小学校の先生をしているから療育の事を聞いてみた。
この市には発達障害の子が通えるような施設があるのか、積極的に取り組んでいるかなど。


あまり聞かないし、積極的ではないと言われた。
そっかぁ…田舎の方ではまだあまり取り組めて無いんだね…
少し落ち込んだ。


実家がある町には、仏教の私立幼稚園が1軒と市立保育所が1軒あるだけ。
私は私立幼稚園の方に通っていた。
祖父の親戚が嫁いだお寺だったらしく、祖父が幼稚園に行かせるように言ってきたかららしい。


私は長男を市立保育所に通わせようと思った。
保育所の方は市との繋がりがあるから、きっと療育をしている施設とかをよく知ってるだろうと思ったから。


No.136

保育所に電話して年中さんに空きがあるか聞いてみた。
あると言う。
書類を取りに行って色々書き込んだ。
そして所長先生と担任の先生と話をした。


2人とも発達障害の子に対して凄く理解のある先生だった。
担任の先生は40代後半。
研修にもしょっちゅう行ってるらしい。
しかも療育園の先生が毎月来て指導してくれる保育所だと聞いた。


光が差した気がした。
そこの療育園の資料を貰い、帰ったら連絡する事に。
そして保育所へは、1月から2週間程慣らし保育をして、それ以降は3時に迎えに行く事に決まった。
次男三男は4月から通う手続きをした。


私は父の元で働く事になった。
とは言っても、子供をしょっちゅう病院や療育に連れて行かないといけないと思っていたから、掃除や電話番、銀行などに行ったりするだけの雑用係になった。


No.137

早速帰って療育園に電話してみた。
土曜日に来るように言われた。
療育園までは車で40分の距離。
私達には車が無かったから父に相談すると父が貸してくれることになった。


でも父は毎週土日は休診日で遊びに出掛けるのに車を使う…
父は「○○(叔父)が車2台持ってるから1台貸してもらうわ。大丈夫よ」と言ってくれた。


土曜日。
療育園へ向かった。
全く通った事が無い道。
地図通りに行っても迷う。
結構山の中にあった。


余裕を持って家を出たはずなのに、時間ギリギリに着いた。
プレイルームで他の先生が長男の相手をしてくれている間に、他の先生に長男が生まれてから今までの成長を話していった。
見た目は20代後半~30代前半の優しそうだけどしっかりした女の先生。


しばらくは毎週土曜日に通う事になった。
この担当の先生が、後々、保育所に毎月来てくれる先生だという事が分かった。
長男が卒園するまで毎月「今日、○○先生来てたよ」と嬉しそうに言ってきたから。


No.138

長男と三男の病院もそろそろ決めないといけない。


三男は旦那が診てもらっていた大学病院に行く事に決めた。
実は旦那と義妹も心室中隔欠損症で、義妹の方は穴が大きくて赤ちゃんの時に手術をした。
ただ、旦那の実家がある県内では手術できる病院が無く、隣の私が住む県の大学病院で手術を受けたらしい。


そして経過観察で旦那も義妹と共に20歳になるまでこの大学病院に通っていた。
だから三男もここで診てもらおうと旦那が言い出した。


ついでに長男もここで診てもらえないかと思い、発達障害の子を診てもらえる科が無いか電話で聞いてみた。
そしたらあると言う。


2人とも同じ日に連れて行った。
旦那は次男と三男を、私は長男を連れてそれぞれの科へ向かった。


No.139

三男の方は心臓の穴が随分小さくなってきていて2~3ミリくらいだと言われた。
半年に1回の通院で良いと言われ、私も旦那も喜んだ。


長男の方は、生まれてから今までの成長を話した後、今困ってる事を話してその対処法を教えてもらうという形で終わった。


思っていたよりかなり若い女の先生。
しかも美人で可愛らしい。
見た目25~6歳❓って感じ。
私とあまり変わらないくらいかな…


それからビックリな事も判明。
なんとこの先生の前の職場は、東京で長男が入院を勧られた病院だった。
しかも入院を勧められた時期と同じ時期に居たらしい。
もし入院してたらお世話になってたかも。


なんか運命を感じてしまった(笑)


No.140

病院までは車で1時間くらい。
いずれ父の所から引っ越す時がくる。
その時は病院の近くに引っ越そうと旦那と話していた。


だから旦那は病院に近い場所で仕事を探した。
そして家から50分くらいの所にある工場で働く事になった。


始めは電車で通っていたけど、研修期間が終わって残業が始まると、仕事は夜中の2時頃に終わる事もあった。
それから3時頃に帰ってきてお風呂に入って晩御飯を食べて4時就寝。
朝7時出勤という事が月に何度もあった。


いつまでも父の車を借りるわけにもいかないから、中古で激安だった7人乗りの車を買った。


旦那は疲れきっていた。
常に目の下にクマができ、ヨレヨレ。
でも給料は18万前後…


父にはまだ毎月10万もらって生活していた


No.141

旦那が仕事をし始めたから、療育も病院も私が電車やバスを使って連れて行く事になった。


私が住んでる町は田舎で、電車やバスは通学通勤時間以外は1時間半に1本しか出ていない💧
しかも電車とバスの時間はほぼ一緒で、電車に乗り遅れたからバス…というわけにはいかない💧


電車やバスを逃してしまうと次を待つかタクシーで2つ先の駅に行くか。
2つ先の駅からは1時間に4本電車が出ている。
2つ先の駅まではタクシーで15分程。
2000円くらいかかるから結構イタイ。


車だと40分くらいで着く療育園。
だけど車に乗れない私は
駅まで徒歩10分
電車で20分
バスで25分
歩いて30分
という感じで、計1時間半くらいかかっていた。


往復だけでクタクタ…
4月からは木曜日の夕方3時半から療育だった。
だから1時に保育所へお迎えに行って帰って来るのは夜7時前。
往復にこんなに時間がかかるとは…


No.142

病院までは電車1時間とバス10分くらいだったから、歩く事もあんまり無くてそんなに疲れなかった。
何よりも平地だし。


療育園は行きの30分ずっと登り坂を登らないといけなくて、夏なんかは死ぬかと思った(笑)


私の父と旦那の似ているところは温厚なところとあまり動かないところ(笑)
それ以外は、年齢も趣味も違うし職種も違うしであまり話題が無かった。
父が気を遣って話しかけても旦那は一言返して話を終わらせてしまう。


付き合ってる時からそうだったけど、旦那はコミュニケーション能力が低いというか何というか…会話を続けようとする気がない。
キャッチボールで例えると、うまくボールを投げられても取らないか落とすような感じ。


そんな旦那の姿にイライラした。
私は父が旦那に気遣っているのがよく分かっていたから。


旦那はそれに気付かない。
むしろ父と顔を合わせたくないらしく、休みの日は部屋にこもって父が居なくなるまで出てこなかった。


No.143

あまりの態度に私は旦那に注意した。
旦那は「あっそ。はいはい」という態度だった。
その後も全く改善されず、イライラした。


旦那はその後1年で会社を辞めた。
体力的にも精神的にも限界が来たらしい。
私も同じだった。
何時であろうと旦那が帰ってくるのを起きて待っていた。
朝は旦那より早く起きないといけない。
1時間くらいしか寝られない時もあった。


その頃から私はおかしくなっていった。
お経の幻聴が聞こえるようになったり、忘れ物が酷くなったり。
寝不足や父と旦那の関係でかなり疲れていたらしい。


1番困ったのは、家事がほとんどできなくなってしまった事だった。
朝、洗濯機を回して乾燥機に入れる以外の事が何もできない。
部屋から出るのも億劫。
保育所の送迎やゴミ出し、食器洗いは旦那にやってもらっていた。
私はずっと部屋でボーっと過ごしていた。


No.144

乾燥させた洗濯物がカゴに山積みになってグチャグチャ。
靴下も毎朝カゴをひっくり返して探さないといけない状態。
部屋は掃除してなくて汚くなっていた。
家の周りの雑草も伸び放題…
晩御飯はお惣菜ばかり。
ひどい状態になっていた。


父が「最近、部屋が汚いんだけどちゃんと掃除してる❓」と聞いてきた。
体調が悪くてできてないと答えた。
父もちょっとイライラしていた感じがした


長男に部屋の掃除を頼んで、毎日夕方に掃除機をかけてもらった。
さすが年中さん。
まるく掃除をしてくれてる。
端の方は汚いまま(笑)


でもしないよりはマシだと思って毎日大袈裟に褒めた。
そんな生活が続いたある日、母が来た。
「どしたんこの部屋⁉めちゃくちゃ汚いやん❗うわぁ😨あかんでぇ」と言われた。
続けて「あんた主婦やろ❓これくらいできて当たり前やで❗ちゃんとせな❗」と言われた。


No.145

私はただ「うん…」を繰り返すばかりだった。
そして「しようと思ってもなかなかできなくて…」と言った。


母は「しようと思ったらできるでしょう❗ただ怠けてるだけじゃない❗」と言ってきた。
母はいつもこんな調子で私を怒ってくる。
子供の時からそうだった。
母が言う事はいつも正論で、私がいくら言い返しても言い負かされる。
大人になってもそれは変わらない。


言いたい事はあるのにうまく言えない。
言ったとしても、私の気持ちは母には理解してもらえない。
私は悔しいのと悲しいのとで、母と喧嘩する度に泣いていた。


母と一緒に汚い部屋の大掃除をして、庭の草抜きをした。
それから2日程して母は帰って行った。


今度こそは部屋を綺麗なままで保とうと思ったけど、できなかった。
1週間くらい経つと、また部屋は汚部屋に戻っていった。


No.146

父の車をいつまでも借りるわけにはいかないから、父の車を借りるようになって3ヶ月くらいして中古の安い車を買った。


それから2ヶ月程経ったある日の休日。
家族で少し離れた大きな公園へ向かっていた。
旦那のケータイが鳴ったけど、運転中だったから出られなかった。


公園に着いて着信を見ると知らない番号。
しかも県外から…
何だろうね…と私のケータイでその番号を調べてみると、福島警察の番号だった。


旦那がすぐにかけ直してみると、警察の人が出た。
話を聞くと、大きな詐欺グループが捕まって、その被害者リストに旦那の名前があったと言う。
全国で荒稼ぎしてた悪質な詐欺グループだと聞いた。
捕まったのはなんと、あの東京のギャラリーで絵を売りつけたりした人達だった。


その詐欺グループの人は旦那の事を覚えていた。
赤ちゃんを抱っこして連れてきた人だと言ったそうだ。


でも結局、その人達からお金が返ってくることはなかった。


No.147

昨日、家族で出掛けてきた。
転勤前に住んでた所の近く。


フェリーに乗って島へ渡って、リニューアルオープンした水族館へ行った。
昔と随分変わっていて、子供達も楽しそうにしていた。


その後、今回のメインの場所、大きな神社に向かった。
神社でお参りした後、横にあるお地蔵さんの所へ行った。


もう泣かないと決めていたのに涙が出てきてしまった。
みんなには気付かれないようにしたけど、旦那は気付いていた。
横にあるお店で旦那にかざぐるまを買ってきてもらった。


前の子と同じ場所で水子供養をした。
手を合わせてる間、泣き崩れそうになる気持ちをグッと抑えた。


生まれ変わったら、今度こそ元気に、幸せに暮らせますように…


No.148

長男のやる事は子供の頃の私によく似ている。


私は子供の頃、忘れ物の女王だった。
時間割りをしてる時、持って行くものを全部確認して『完璧』って思っていても、毎日必ず1~2個忘れ物をしてしまう。
そして部屋も学校の机の中も常にメチャクチャ…


母に「何がどこにあるやら分からない❗汚いから片付けなさい❗」とよく言われた。私は整理はできないけど、どこに何があるかは分かっていた。
忘れ物をした時に学校から母に電話して「○○忘れたから持ってきて」と言うと、母は決まって「あんたの部屋はゴチャゴチャで見つけられんわ❗」と言ってきた。


でもある場所を言うと母はすぐに見つけてくれた。
いつもこんな調子…


長男は私と少し違っていて、どこに何があるかを分かっていない。
プリントを出すように言うと部屋中を探し回らないと見付からない。


私の経験を踏まえて長男に毎朝言うこと。
「○○(長男)の『完璧』はみんなの90%なんだからしっかり確認し直しなさい」


長男は今朝『完璧』と言って学校へ向かった。
後で部屋を覗いてみると連絡ノートが落ちていた…


No.149

私は子供の頃、匂いに敏感だった。
母が2Fで作る料理は、3Fに居ても何か分かった。


雨が降る前は必ず独特の匂いがしていた。
「母にもうすぐ雨降るよ。雨が降る匂いがする」と言うと1時間以内に必ず雨が降り出す。


玉ねぎを切ると、手に匂いが着く。
私はそれが嫌でまらなかった。
石鹸や洗剤で洗っても匂いが落ちない。
3~4日経つとやっと匂いが薄くなってくる。
匂いが薄くなるまでは、自分の手を匂う度に吐きそうになっていた。


ある時母に「こんなに鼻が良かったら香水を作る人になれるかもね」と言われた。
だけど私には香水の匂いがキツすぎて吐きそうになるから無理だと思った。


高校生になる頃にはこの敏感さは消えていった。
まだこの敏感さが残っていれば、洗濯物が雨に濡れる事は無いのに…とよく思ってしまう(笑)



No.150

長男は匂いに敏感ではなくて、服が濡れる事が嫌でたまらない子だった。


例えば、手を洗っていて水が1~2滴飛び散るだけで大騒ぎ。
グズグズ言って着替えると言う。
「水だしすぐ乾くから大丈夫」と言っても長男にはそれが通用せず、1日に6~7回着替えていた。
だから長男の服や下着は大量にあった。
治まったのは1年生になってからだった。


母の所に泊まりに行った時、母は長男に対して「着替えすぎ❗ちょっと濡れるくらい良いじゃないの❗」と怒っていた。
長男は濡れてるといつまでもグズグズ言うし、母は怒ってるし…困った💧


でも結局、着替えさせなかった。
少しずつ慣らしていく事にした。
いつかは慣れないと本人が困る事になるから…ということで。


投稿順
新着順
主のみ
付箋
このスレに返信する

小説・エッセイ掲示板のスレ一覧

ウェブ小説家デビューをしてみませんか? 私小説やエッセイから、本格派の小説など、自分の作品をミクルで公開してみよう。※時に未完で終わってしまうことはありますが、読者のためにも、できる限り完結させるようにしましょう。

  • レス新
  • 人気
  • スレ新
  • レス少
新しくスレを作成する

サブ掲示板

注目の話題

カテゴリ一覧