生き残った魔女

レス64 HIT数 22306 あ+ あ-


2013/10/04 15:17(更新日時)

領太とかえでは、学校帰りに不思議な家を見つける。
家の住人は、やがて領太の周りと、心の中に波紋を広げていく…






No.1813514 (スレ作成日時)

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No.1

遠くで、のんびりと鳴き続ける鳥の声がする。
風があたたかくなって、下校の時は、汗が出るくらいだ。
「おにいちゃん、待ってー !」
後ろから、妹のかえでが走ってくる。
僕は、早く家に帰ってテレビを見たいから、無視しようかと思ったけど、お母さんから、
「ちゃんとかえでの面倒をみてあげてね」と、いつも言われてるので、しぶしぶ、立ち止まる。
かえでが、僕に追いつき、黄色い上ばき入れにしがみつく。
「何すんだよ」
僕が上ばき入れをふり回すと、それがかえでの頭にあたって、
「じゃあ、お手手つないでよー !」と、泣き出してしまう。
めんどくさい… と思いながら、僕は、
「そしたら、これにつかまれ」と、上ばき入れにかえでをつかまらせる。



No.2

泣き虫のかえでは、しゃくり上げながら、左手でしっかりと上ばき入れをつかんで、ゆっくりと、僕の後から歩いてくる。
小学校に入って、やれやれ、これでやっと妹の世話から解放される… と思っていたら、なんだかあっという間に、こいつは、幼稚園を卒業して、小学校にやってきた。
「おにいちゃん、今日は、サッカーに行くの?」
「行かない。帰って、宿題する」
「ねぇ、アイス買って!」
「だめ!」
大きな声で言うと、また、かえでの目がうるんできた。僕は、イライラしてきて、この上ばき入れを放り投げようか、と思うけれど、ため息をついて、しかたなく、帰りみちを急ぐ。



No.3

「… アイス、食べたいなぁ」
「… 宿題する間、おとなしくできる?」
「うん」
「よし。帰って、ランドセル置いたら、アイス買って来てやる」
「私も行く!」
「そしたら買わない! おまえは留守番してろ!」
かえでが、怒って上ばき入れをぐいっとひっぱる。 僕も負けずにひっぱり返して、小さな妹の力が、強くなってることに気がついた。



次の日曜日。サッカーの試合でチームがボロ負けして、予定より早く終わったので、僕は、応援に来ていたかえでと、トボトボと家へ帰っていた。
「残念だったね、おにいちゃん」
「 …… 」
「ねぇ、ユニフォーム、やぶれてるよ」
「うるせーな」
「お母さんにおこられるよ」



No.4

かなりテンションが下がっていた僕は、憂うつな気持ちになり、少し足を早めた。スニーカーの底が、じゃりじゃり音をたてる。
車の通らない裏道を歩いているので、まわりが、すごく静かだ。
コンクリートでふたをしたみぞのわきに、小さな草がたくさん生えている。
しばらく歩いていると、かえでが、
「おにいちゃん」
と、声をかけてきた。話したくない気分だったので、そのまま黙って歩いていたけど、かえでの足音が後ろから聞こえてこないので、くるっ、と、ふり返ってみた。
赤いオーバースカートのかえでが、曲がり角に立っている。
「何やってるんだよ」
かけよってみると、かえでは、小さな人さし指で、 「このおうち、だれか住んでるの?」
と、向こう側を指さした。木造の家にはさまれて、小さな庭が見える。



No.5

「ここ、このあいだまで、空き家だったよな」
「うん。草が、いっぱい生えてた」
「誰か、住むことになったんだよ」
「こんなおうちだったんだ… 」
かえでが、とことこと、すい寄せられるように、その庭に向かって歩きはじめる。僕も、つられて、木戸のすき間から中をのぞく。 「かえで、中に入っちゃだめだぞ」
僕たちは、薄っぺらい木目の板にじっとおでこをくっつけ、古い一軒の家を観察した。
前に見た時は、もっとボロい家だったような気がする。
今、こうして見てみると、新しい茶色の細長い板が窓のまわりについていて、中のガラスの汚れがとれてきれいになってるので、なんだか感じがちがう。



No.6

「誰か、いるのかな… 」 僕がそう言った時、すっと、窓を何か影のようなものが横切った。
思わずギクッとして後ずさりして、かえでの足をふんでしまった。
「あいたっ!」
「あ、ごめん… 」
その時、草がじゃましてよく見えなかったけど、確かに、人影が見えた。髪の長い女の人みたいだった。 僕は、泣きべそをかきはじめたかえでの手をにぎった。
「帰るぞ」
「うっ… おにいちゃんが、足、ふんだ… 」
「いいから、帰るぞ!」とにかく一刻もはやくこの場を立ち去ろうと、僕とかえでは、帰りみちを急いだ。



No.7

かえでが早く歩けないから、うでをぐいっと引っ張ると、また、こいつは怒りだす。
「そんなにはやく歩かないでよー !!」
「おまえが寄り道するからだろ!」
「サッカーで負けたくせに!」
僕は、かえでのうでをふりほどいた。「じゃ、1人で帰れ!」
怒鳴った後、しばらく早足で歩いて、後ろめたい気持ちになって、かえでをふり返ると、あいつは、じっと、さっきの道ばたの所で立ちすくんでいる。
しかたなく後戻りして、うらみがましそうな顔のかえでの手をとる。
「ほら、帰るぞ」
そう言うと、やっと、かえでは歩きはじめた。



砂利道を1人で走ってたら、ころんでしまい、ズボンのひざが汚れてしまった。
土ぼこりをはらって、絵の具入れのバックを拾い上げ、ふと前を見る。
この間通りかかった時、あの家は、カーテンが開いてた。



No.8

どんな人が住んでるんだろう?
通行人が誰もいないのを確認して、そっと、木でできた門のかげから中をうかがう。
なんだか、何十年も前からあるような古びた家。前に見た時あちこちに空いてた穴は、目立たないように板でふさいである。
よく見ると、庭には、まだ雑草がけっこう生えている。
セイタカアワダチソウのような黄色い花をつけた変な草。その他いろいろ。
木戸のすき間を横にたどって見ても、それ以上、その家のことはよくわからなかった。


「ただいま」
「おかえり。領太、今日は宿題あるの?」
パートが休みのお母さんが、家にいた。
「うん」



No.9

「そう。それじゃ、留守番してて。かえでは?」
「みのりちゃんとかいう子の家で遊んでる」
「ふぅん。あとで、迎えに行ってくれる? 家、知ってるんでしょ?」
「 … 宿題すんでからでいい?」
「ええ。お母さん、ちょっと銀行にも行かないといけないし、今日は忙しいのよ」
僕は、黙って、ランドセルを台所の椅子の上に置き、テーブルの上の菓子パンの袋を破った。
「じゃあね。行ってくるからね。宿題、ちゃんとしなさいよ」
「うん」



No.10

パタンと、玄関のドアが閉まった。一人になった僕は、もくもくと、パサパサのパンを食べる。
テーブルの上のパンくずをはらって、ノートを広げる。
ランドセルの中から地図帳を取り出して、パラパラとめくって、学校で教わった山の名前を探す。
しばらく、社会科のテキストの問題を解いていたけど、なんだか眠たくなってきて、シャープペンシルをテーブルの上に置く。
地図帳を、パッ、と開いたら、外国の地図が、ページいっぱいに、のっている。



No.11

あー、遠くへ行きたいなあ、
聞いたこともない街の名前をたどっていると、電話のベルが鳴り響いた。
受話器を取ると、いきなり、
「あ、領太くん? かえでちゃん、眠たそうだから、迎えにきてねー 」
と、明るい声が飛び込んできた。たぶん、みのりちゃんのお姉さんだろう。
正直なところ、宿題がまだ途中なので、断りたかったけど、一方的に電話が切れてしまったので、しぶしぶ家の鍵を持って玄関に向かう。
なんだか、幼稚園の先生になった気分だ。
みのりちゃんの家に行くと、かえでは、かなり機嫌が悪くなっているようで、何かグズグズ言っていた。「もう、おうちに帰る…

玄関に集まってきたお姉さんたちが、心配そうに、 「かえでちゃん、おなかが痛いみたい」
と、かえでの手をひいてきた。



No.12

「帰るぞ」
僕が言うと、かえでは、わざとらしくおなかをおさえながら、「バイバイ」と、みのりちゃんたちに手をふった。
「ケーキと、バナナと、ジュース飲んだら、おなかが痛くなった… 」
「ふーん」 僕は、相手にしなかった。どうせいつもの仮病(けびょう)だ。
まだ、夕陽が出る前の明るい道を、てくてくと歩いて行くと、裏道の途中に、あの家がある。
かえでがなかなかこないので、しばらく立ち止まって、木戸のすき間から家をながめていた。
そういえば、小さい頃、このへんで、みんなと紙ひこうきを飛ばしたことがあった。たぶん、あの草むらのあたりに落っこちた紙ひこうきが、たくさんあったと思うんだけど、町内の清掃委員の人が、拾って捨ててくれたのかな…



No.13

そんな事を考えていたら、前から人がやってきた。 「こんにちは」
「こんにちは」
近所の人だと思って、あいさつして顔をあげたら、見慣れない女の人だった。 お母さんと同じくらいの年の人で、少しパーマがかかった濃い茶色の髪が、肩ぐらいまで伸びている。
もしかしたら、この人が―――
「今、学校の帰り?」
その人は、にっこり笑って、僕に聞いてきた。
「いいえ。妹の友達の家に行ってきて… 」
かえでは、いつのまにか僕のすぐ後ろにきている。 「妹さん? こんにちは」 「… こんにちは」
僕が答えようとすると、かえでが、
「おばさん、この家の人?」
と、聞いた。
「そうよ」
「いつ、おひっこししたの?」
「…… つい最近」
僕は、かえでの手をとって、「もう、帰るぞ」と言った。
夕陽がさして、あたりが明るいオレンジ色になっている。



No.14

「おにいちゃん、おなかいたい」
「いいから帰るぞ」
「おなか痛いんだったら、お茶飲んでいく? お薬は今ないんだけど、病気がよくなる中国のおいしいお茶があるのよ」
かえでの目が、輝いている。飲みたい、といわんばかりだ。
「おいで。中に入ったら?」
かえでが、とことこと、そのおばさんの後をついて中に入っていく。
僕は、あわてて、止めようとしたが、つられるように、結局家の玄関まで来てしまった。
セメント色の小さな玄関に、ぽつんと、女物の赤いサンダルがそろえてある。その横に、ほうりなげるように脱ぎすてた、かえでのビニールのサンダル。
奥のほうから、カタカタと何か音がしている。
僕は、ためらったけど、かえでの事が心配だったので、ゆっくりと、きしむ廊下を歩きだした。



No.15

せまい廊下のつきあたりに、台所があった。何か大きな丸いやかんの中から、こげくさい匂いがする。
「はい」
かえでが、おばさんから、小さな湯のみを受け取っている。
何のためらいもなく、一口お茶を飲むかえで。
「…… へんな味」
おばさんは、顔をゆがめて、ちょっと笑った。
「これはね、夏になると白い花が咲く草なのよ」
「おばさん、お花を育ててるの?」
「おばさんは、育ててないの。おばさんの、妹が、育ててるの。 …… お名前は? なんていうの?」
「かえで。おにいちゃんは、領太」
「そう」
窓から夕陽がさしこんで、木のかべが、明るい茶色になっている。
動きまわりながら湯のみのお茶を飲むかえでが、テーブルの影の中で見えなくなる。



No.16

どうしようかな… と思っていると、おばさんが、湯のみをさしだした。
「どうぞ。おにいちゃんも飲んだら?」
「いいえ… 僕は、おなか痛くないから」
「お茶だから、遠慮せずに飲んでいいのよ。お菓子も食べる?」
僕は迷ったけど、お茶だけはもらって飲むことにした。
お茶を渡してくれたおばさんのつめが、細く、白く、光っている。
この人は、どういう人なんだろう。どこから、やってきたんだろう。
近所にいるおじさんやおばさんたちとはちがう、なんだか、得体のしれない感じがする。
お茶を一口飲むと、確かに、ちょっと苦くてあまりおいしくなかった。なんだか、サイダーが飲みたくなった。



No.17

「おばさん、どこからおひっこししてきたの?」
かえでが、湯のみをテーブルに置きながら聞いている。
「遠い町よ」
「とおい町? 笹山町より、もっととおく?」
「もっと、ずーっと遠い町」
窓の外から、雑草が風に吹かれて、揺れてるのが見える。
僕は、ふっと、ここにいちゃいけない、と思った。 もしかしたら、このおばさんは、この家の人じゃないかもしれない。引っ越してきた後、そのまま残っている親せきの人とかかもしれない。
家の中が片付いて、この家の人が帰ってきたら、僕たちは、怒られてしまう。子供は、もう家に帰ってないといけない時間だ。
「帰ろう、かえで」
かえでは、赤いオーバースカートをひろげて、ぺたん、と、赤ん坊のように床に座り込んでいる。



No.18

「帰るぞ」
僕が強く言うと、かえでは、ゆっくりと立ち上がって、おばさんに聞いた。
「また、おうちにきてもいい?」
「いいわよ。また、学校の帰りにでも、おいで」
そして僕は、「おじゃましました」と言って、かえでの手を引っ張った。
「バイバイ」と手をふるかえで。おばさんは、湯のみをカタンと流しに置いて、「バイバイ」と微笑んだ。
開けっぱなしの玄関の外に出ると、夕焼けになっている。
赤い色がまぶしくて、ちょっと、目をつぶった。まぶたの裏がぼんやりする。 「おにいちゃん」
僕は、赤い夕焼けの中で、いつもの道を歩き始めていた。
「おにいちゃん」かえでが、ぐいっと、シャツをひっぱる。
「…… なんだよ」
「おなかいたいの、なおった」
「ふぅん」



No.19

僕は、ぼんやりと、宿題のことを考えながら歩いていた。
中国のお茶の味が、まだ舌の先にヒリヒリと残っている。
地図帳の中で、中国はどこにあったっけ?
ふりむくと、夕焼けの中で、僕とかえでの二つの影が、後ろからゆっくりとついてきていた。



翌日の、理科のテストは、56点だった。
「56点? どうしたの、領太。理科は、得意でしょう?」
お母さんは、朝から不機嫌そうだ。
「でも、クラスの中で、平均点より上だったんだよ」
「平均点とかじゃなくって」
コーヒーカップが、トン、と、緑のランチオンマットの上に置かれる。
僕は、そーっと、角砂糖をつまんで、2つ、コーヒーの中に入れる。



No.20

「80点めざしてがんばりなさいって、先生が、言ってくれたんでしょ?」
「…… うん」
「領太は、やればできるんだから」
さっきから、ずっと新聞を読んでいたお父さんが、「おい、コーヒー」と、カップをお母さんに渡す。お母さんは、す早くコーヒーをついで、トン、と、お父さんのランチオンマットに置く。
「お父さんからも、ちゃんと言ってよ。最近、この子、サッカーばっかりやって、宿題忘れたりすることがあるんだから」
「学校の事は、お母さんに任せる」
「あら、もうすぐ父兄参観もあるのよ」
「たぶん仕事だから」
「え? 今度は行けるって言ってたじゃない。私も、仕事入れちゃったわよ。この間、佐藤さんの奥さんと交替してもらったから、休めないわよ」
「時間ずらしてもらえばいいじゃない。店長さんにお願いして」
「簡単に言うけど… パートの仕事も人手が足りなくて大変なのよ」



No.21

お母さんの機嫌がますます悪くなりそうだったので、僕は、コーヒーカップとお皿を片付けながら、言った。
「別に、二人とも仕事なら、いいよ。どうせ、クラスの半分くらいしか来ないんだし」
お父さんとお母さんが、じっと、僕を見ている。お父さんは、ひろげた新聞を手に持ったまま、お母さんは、コーヒーポットを持ったまま。
こういうとき、二人とも、すごく顔が似ている。兄妹みたいに、とかいうんじゃなく、なんか、同じキャラクターの、フィギュアの人形同士みたいに。
「… でも、先生から、お母さんたちに、お話とかあるんじゃないかしら」
「わかんない。別に、そんなこと言ってなかったみたいだけど」
「まあ、ほんとに大事な話だったら、あらかじめそういう連絡があるだろう。仕事の都合をつけてでも来て下さいって。そうじゃないんだから、大丈夫じゃないか?」



No.22

お父さんがそう言っても、お母さんは、まだなんとなくすっきりしない表情をしてたけど、ちらっと時計を見た瞬間、その表情はふっとんだ。
「いやだ、もうこんな時間!? ほら、はやく支度して! かえで、はやく食べなさい!」
かえではといえば、おもしろくなさそうな顔で、もそもそとトーストを口にほおばっている。
「まだ食べてるの、かえで。学校に遅れるわよ」
せかされても、かえでの様子は変わらない。
ふてくされた顔つきで、ゆっくりとアゴを動かしている。朝、不機嫌なのは、お母さんゆずりだ。
僕も、朝はあまり好きじゃない。家族がみんなそろうからだ。
お父さんとお母さんは、いつも、なにかピリピリとした会話をやりとりしている。くすぶり続けて途切れてしまうバクダンの導火線のようだ。
お母さんは、黙って洗い物とかをしている時でも、そのピリピリ感を周りに漂わせていたりする。それで、なんだか、一緒に部屋の中にいたくなかったりする。



No.23

最近、家の中で一人きりになった時、ほっとして、心の中がスッとする。
かえでは ―― 最近だいぶ一人で遊ぶようになって、だんだんうるさくなくなってきた。
お人形の着せ替えなんかをしてるかえでの気配を感じると、少し、やわらかくてあたたかい気持ちになる。やっぱり、兄妹だからかな。
好きな女の子がそばにいても、こんな気持ちになんかなれない。ドキドキしてしまうだけだ。とても居心地が悪くなる。
やがてやっと朝ごはんを食べ終わったかえでが、相変わらずむすっとした顔で、のそのそ着替えをしている。お母さんにうるさくせかされながら、すっきりしない感じで、水色の長そでシャツに紺色のスカートというかえでの着替えが終了する。



No.24

僕はその間に、学校に行く支度を済ませ、さっさと玄関で靴をはく。
「おにいちゃん、待ってー!」と言うかえでの声に、少しだけうんざりする。
ふりきって行ってしまいたい気持ちを押さえつつ、もどかしく靴をはくかえでをじっと待ち、「行ってきます!」と、二人、もつれ合うように玄関を飛び出す。
かえでの全速力に合わせて、学校をめざす。走っていると、カタカタいうランドセルのリズムの中で、周りの風景が、次々と後ろへなびいていく。
チャイムの5分前に、校門へとたどり着いた。


No.25

その日の休み時間。トイレに行って、廊下を一人で歩いていたら、担任の、若い女の先生から呼び止められた。
「領太君、今度の父兄参観は、おうちの人、来るの?」
「いいえ」
「お父さんもお母さんも、お仕事?」
「はい」
「そう」
先生は、サラサラした長い髪を後ろで一つに束ね、ちょっと困ったような顔で腕を組んだ。お化粧は、あまりしていない。女子が、「先生、もっとオシャレしたら、きれいになるのにね」と、ウワサしているのを聞いたことがある。
でも、きれいな人って、どんな人なのか、僕にはよくわからない。
テレビの中で、「きれいですねぇ」と言われている女の人の顔を見て、そうかな、と思うことがよくあるからだ。



No.26

小さい頃、お母さんが、僕にとって、すべての女の人の中で「基本」となる存在だった。
にっこりと、やさしく笑ったお母さんの顔、それが、僕が初めて女の人を「きれい」だと思った顔なんじゃないかと思う。
そんなとりとめのない事を、僕は、先生が考えこんでいる短い間に、ふっと思った。思いめぐらした、のではなく、小さい頃の記憶が、パッ、と感覚的に、頭に浮かんだのだ。
「… ちょっと、お母さんと、お話したかったんだけどな」
やっと口を開いた先生は、困った顔のままだ。先生のまわりを、少し重たいオーラが取り囲んで、僕のほうにまで伝わってくる。
「…… 」 重たいオーラが伝染した僕の心が、固くじわじわと沈んでいく。
廊下や、教室のあちこちから、ふざけあうみんなの声が響いてくる。はやく、このいやな空気から逃れて、あの明るいところへ行ってしまいたい。



No.27

「領太君、最近、どの教科も成績が下がってるでしょ? ちょっと、心配なんだよね。サッカーに熱中するのもいいけど、勉強も、大事だからね」
「 …… 」
視界のはしに、友達の祐二の姿がうつる。すぐそこにいるのに、すごく遠くに感じる。
「領太君は、もともと頭はいいから、余計、そう思うんだよね。そういった事でお話したかったんだけど… しょうがないな、そのうち、また機会があれば、その時に… とにかく、勉強、がんばりなさいよ」
「はい」
返事をしたと同時に、チャイムが鳴った。解放の、チャイムだ。
でも、解放されたとたんに、また、教室の席に座って、先生の授業を受けないといけない。
授業って、時々ニュースで言ってる、「軟禁状態」なんじゃないかな、って思う。自分の自由が、取り上げられてしまって、強い相手(先生)の指示に、従わないといけないから。
その日は、算数とか、音楽とか、嫌いな科目ばかりで、なんだかしんどい気持ちで放課後になった。



No.28

サッカーの練習は休み。友達の祐二と、昨日見たアニメのヒーローたちの決め技について、しゃべりながら帰る。
「だからさぁ、あそこで、スペシャルバトルローリングダウンを使わなかったのが、失敗だったよなぁ… 」
そのうち、祐二の家へと続く曲がり角に着く。
「明日、コンパスいるんだっけ?」
「当分いるっていってたじゃん」
「方眼用紙もいるよな」「うん」
「あー、かったりぃなぁー、最近の算数、全然おもしろくねー、毎日サッカーだけやってたいぜ」
嘆く祐二。僕は、思わず笑って答える。
「ありえねー 」
「ありえねーな 」
僕たちは、顔を見合せて、ニッと笑い、「じゃ、バイ、」と、言って別れる。 やがて、近道へ入る。アスファルトの道から、じゃり道へと変わり、まわりも、木造の古びた家並みが多くなる。



No.29

しばらく歩くと、このあいだ中国のお茶をすすめてくれたおばさんの家にさしかかった。
今日は、いるのかな… と、何気なく門から中をのぞくと、おばさんは、庭に立っていた。最初、後ろ向きだったけど、僕がおばさんの姿を見つけた、その数秒後、ふいに、僕のほうをふり返った。
「 …… 」 僕は、門のこちら側で、ちょっとギクッとした。おばさんは、そんな僕の気持ちにおかまいなく、明るく声をかけてくる。
「あら、領太くん、こんにちは」
「こんにちは」
「今、学校の帰り?」
「はい」
「かえでちゃんは?」
「1年生だから、お昼までで帰りました」
「そう」
もうすぐ夕方だけど、まだ日射しは明るい。



No.30

おばさんは、ごわごわした白い長そでシャツのすそをジーパンの上に出している。このあいだより、少し顔の色が白っぽく見える。 「入ったら?」
「え?」
「今日は、ジュース出してあげる」
とまどいながら、僕の足は前へふみ出した。心の半分は、まだ警戒している。 「宿題があるから、帰ります」と言ってしまおうか、と、頭の中がぐるぐる回転する。
「さぁ。遠慮しないでおいでよ」
それでもまだ、玄関に近づこうとしない僕を見て、おばさんはちょっと笑い、 「じゃ、縁側で飲む?」と言った。
なんとなく、その笑顔を見てると、言われたとうりにしたほうがいいような気がして、「はい」と答え、うながされるまま、縁側へと向かう。
おばさんは、はだしにはいた青いサンダルをカタカタいわせて、玄関の中へ消えた。



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