地獄に咲く花~I'll love you forever~
例え、世界が限りなく終わりに近づいて。
目の前の全ての事象が存在意義を失いかけたとしても。
私はこの世界を愛し続けるでしょう。
だって
世界というものは、こんなにも美しいのですから。
――A.omega
※このスレッドは後編となっています。初めて御覧になる方は以下のリンクから前編、中編を読むことをお勧め致します。
前編
http://mikle.jp/thread/1159506/
中編
http://mikle.jp/thread/1242703/
ウゥゥーーーン
バシュシュシュシュ!!!!
低い電動音を上げた後、一斉に発射された数十発のミサイル。それは空へ勢いよく炎を吹き上げながら飛んでいくのかと思いきや、違った。それらは一旦低空の時点で滑らかに減速すると、
ゴォウンッ!!!
大きな衝撃波を残して、目にも止まらぬ速さで一直線に飛んでいった。煙も無く、空気と重力を簡単に切り裂きながら、上層部からスラムの上空を一瞬にして駆け抜けていく。それぞれのミサイルは事前に定められた1点を確実に狙って発射されたようで、その軌道がぶれることは全く無かった。計算どうり、始めの1発が『国』から3km程先にある群の中心へと向かい――
そして、『国』はその色を変える。
カッ…!!
ドドドゴゴオオオオオォォォン!!!!!
一変した。真っ白な閃光で辺り一面何も見えなくなった後、真っ赤な景色へと。強力に圧縮された大量のニトロを搭載したミサイルが今までに無いような凄まじい轟音を上げて連続的に爆発したのだ。飛行する無数の人造生物を巻き込んで。そして1つに融合した爆風が赤い光に包まれた『国』全体に襲いかかる!
ゴオオオオオォォォッ!!!!
バキバキバキ!!
物凄い、重力の固まりだった。スラムの脆い煉瓦の建物などはひとたまりもなく吹っ飛んでいく。
ゴゴゴゴ…!
パリンパリーン!!
ジュエルが1人残っている教会の室内は、音を立てて細かく揺れた。幸い建物自体の強度は高く、側面にある小さな窓ガラスが割れただけですんだようだ。ブワッとした熱気が割れた窓から室内に飛び込んできて、ジュエルの髪を揺らす。
だが、これだけの被害で済まないことは誰の目から見ても明白であった。上層部ではまたジェームズの罵声が上がっていた。
「第二波だ!急げ!!!」
人造生物の群は黒煙に包まれていて、そこから何十体か同時に地へ落ちていくのが筋になって見えたが、煙をかいくぐって再びこちらに向かってくるのが殆どだった。まだ百分の一も落とせていない。そんな状況に彼は戦慄せずにはいられなかった。大きな舌打ちが鳴る。
「了解、第二波用意!」
プシューー!!!
ガンッガンッガンッガン
応じの声が上がると、地面にある沢山の正方形の自動扉が開いて、そこから先程と同じミサイルが同じ数だけ順々に素早くせり上がってきた。数人の兵士は発射口の脇に取り付けてあるモニターで瞬時に照準を合わせる。
「ぅてぇええーー!!」
間髪入れずに、ジェームズは手を振りかざした。
バシュシュシュシュ!!!!
…ゴォウッ!!!
ドゴオオオオオォォォン!!!!
…ゴオオオオオォォォ!!!
轟音、そして衝撃波による重力に兵士達は呻く。中には悲鳴を上げる者もいた。再度スラムの瓦礫が増えた上、更に上層部の中心にも危機が迫っていた。見れば、街の中でも一際高くそびえ立つビルがゆっくりと少しうねるように揺れている。
そのビルの最上階には――2人の人間がいた。
どちらもスーツ姿の初老の男だ。1人は、どっしりとした木の机の後ろにある黒い立派な作りの椅子に座っていて、1人はその横…すぐ近くに立っていた。
ガタガタ!
ガシャン!!
小洒落た洋室のアンティークの本棚やスタンドが次々に倒れる。積み重なった書類や本は全て床に散乱し、一瞬で足の踏み場も無くなるほどになってしまった。
「…やはり、この運命を避けられはしなかったようですね。大統領。」
立っている方が少しもよろめかないで、老いた、とても静かな視線を向けた。椅子に座っている無表情の男、即ち大統領に。
「そのようだな。」
「貴方が…あの時あの男に手を貸した時から、こうなることは決まっていた。あんな研究に手を出さなければ、こんなことにはならなかったでしょうに。」
「悪いが。私は君のように悔やむつもりはない。何故なら――私は、今まで最善の選択を繰り返してきたからだ。」
大統領は焦る様子もなく、ただはっきりと告げた。
揺れが収まった後も、2人は静かな会話を続けた。
「研究の援助をしなかったところで我々が迎える未来は同じだろう。それに、まだ希望が完全に消えたわけではない。」
「ですが、戦力の差は明らかです。とても生き残れるとは…」
「――いや。寧ろ、我々は希望に向かう道の始まりに立った。そう言ってもいいかもしれない。」
言っていることが明確に読みとれない、ということもあったが。片方の男は怪訝そうに眉を潜めた。
「希望とは何ですか?」
「勿論。我々がこの母なる星に生き続け、未来を構築していくことだよ。」
「…お言葉ですが、……」
流石に半ば呆れたように文句を言おうとしたところで、気付く。いつの間にか、大統領が自分に視線を向けていた事に。たったそれだけのことだったのに、男は言葉を失ってしまった。
威圧感だろうか、それともまた違ったものなのかは分からない。だが大統領の視線というものに潜んでいる力がとてつもなく強大なものであることは十分に理解していた。男はごくりと生唾を呑み込む。
「ロバート、君は優秀な秘書だ。今までもこれからも。君が十分すぎるくらい『国』を把握している事を、私は知っている。だがどれだけ優れていようとも――君が知らないことも『国』には存在する。ただそれだけの事なんだよ。」
「?…」
ドドドド…ゴオォォン!!!
部屋にまた轟音の一部が響き渡ると同時に、窓からカッと光が射し込む。その中で、大統領は口の端を上げて言った。
「オメガプロジェクトが、今になって本当の意味で始まろうとしているのだよ。あの『SALVER』によって、多量のオメガが地球に送り込まれた時から。」
「…『SALVER』ですか。先程は驚きました。彼らがオメガプロジェクトの鍵を握っていたという事を、貴方がご存じだったなんて。」
「はは。あの組織の裏でマルコーが手を引いていたことなど、始めから分かり切っていたさ。人造生物を研究する良い口実、カムフラージュじゃないか。オメガの研究にもとても適した環境だった。
オメガの還元は私が行うつもりだったんだが、どうやら子供らがしくじったようだ。向こうの先手を止められなかった上に、まさかあのパンケーキまで台無しにしてくれるとは…予想していなかった。まあ、最終的に『SALVER』を全滅させてくれたわけだから、結果はいい方だと思っているがな。」
大統領の冗談めいた軽い笑い声に秘書のロバートがつられて笑う様子はない。彼はただ頬に汗を伝わせ、畏れ多いような眼差しをそこに向けるだけだった。
「つまり、貴方はKKを使って『SALVER』――いいえ、マルコーの技術を自分のものになさろうとしていた。…そうですね、ここまでくれば何となく理解できたような気がします。
私が何を知らなくて、貴方が何をご存じなのか。」
すると大統領は満足そうに笑う。
「そうとも。君や、表には知られていない、『あるもの』が存在する。我々の地球の命運を左右する――最後の鍵だ。」
「最後の、鍵。」
ロバートはゆっくりと言葉を繰り返す。一体これから大統領の口から何が話されるのか。決して聞き逃すまいと、そこに真剣な眼差しを向けた。
「君は覚えているか?あの研究に携わっていた3人のうちの1人、リタ・アルティマという男を。」
「ええ。確か天然物化学を専攻していた、研究者でしたね。」
「実際はそんなにちっぽけなものじゃない。…いいか、その男は天才だったんだ。」
「…天才、ですか?」
ロバートは少し驚く。まさかそんな言葉を大統領という男から聞けるとは思っていなかったからだ。
知っているのだ。彼はこれまでに自分以外の他人を、本当の意味で賞賛したことなど無い。たとえ形だけを繕ったとしても、自分の方が全てにおいて上であるという自信は常に持ち、示している。その自信によってこの座まで登りつめたと言ってもいいくらいだ。
いつだって、他人を見下して生きてきた。どこまでもずる賢く、狡猾に。そんな彼が、今は違う。ただ当たり前の事実を述べるように、こう言った。
「そうだロバート。彼は、紛れもなく天才だったよ。この地球における全ての物質と現象、そのミクロからマクロ…全てを把握していたと言っても過言じゃない。彼の知識と技術はとても我々に計り知れたものではなかった。」
「……。」
「それらを全て利用して、彼は作りあげたのだ…『あるもの』を。」
「巨大装置だよ。地球全体のオメガを意のままにコントロール出来る。……通称、リタ・コンピューター。」
また外からまた爆発音が聞こえ、その後部屋全体が沈黙に包まれた。爆風が、建物の外壁を叩く音だけを残して。
「『SALVER』には模倣品があったと聞いているがね。オリジナルの製造技術はそれとは比べものにならない。オリジナルは固定された形など持たない、ナノ金属の技術が取り入れられている。そのため形はおろか、機能も変幻自在だ。オメガの流れをコントロールすることも、取り込んで莫大なエネルギーを生産することも可能だろう。あるいは――それを利用して最強の兵器を形作ることも。」
「!、それは…」
「勿論他にも可能性は無限大だ。まあ、ここまで言えば分かるかね。」
ガタリ…
大統領は立ち上がる。
「つまり。それを手にする者は、世界の全てを統べる力を持つということだ。そして、枯渇したオメガが満たされた今この時こそ…それを活用するにふさわしい!」
そう言い終えると、彼は傍らにあった大きな黒い金庫の前に立った。扉についているボタンに長い暗証番号を打ち込み、そのレバーに手をかける。
そして重い扉が開かれる。大統領は中に入っていたものを取り出し、ロバートに突きつけた。
「…これは?」
戸惑うロバートに構わず、大統領は薄い笑みを浮かべて問いかけた。
「君も、見るか?世界の再生を。」
人間と人造生物の戦争は初め、ミサイルや光電子砲で一方的に遠距離攻撃を仕掛ける人間側が優勢な様に見えた。しかし徐々に距離が詰められるにつれ人造生物の大群は攻撃に怯むことを忘れ、その膨大な数と再生能力で『国』の領域へと攻め込んでいったのだ。
その後、怒声が悲鳴に変わるのにはさほど時間はかからなかった。
人間は引き続き兵器で応戦を試みたが、電力も火力も大半は遠距離時の攻撃で消費しきってしまった。その上『国』の内部で繰り広げられたため、『国』は必然的に火の海と化した。
スラムも上層部も。1度体勢を崩されたら、終わりだった。兵士は必死の抵抗も虚しく、皆殺され喰われていく。あるいは兵器の流れ弾や、爆発に紛れて死んでいった。それによって声が強制的に掻き消されるまで、喧噪と爆音が一瞬でも収まることは無かった。最後まで人々は抵抗することを止めず、生きようとしていたのだ。
だがそれは3日目の夕方で途絶え、
沈黙する。
人造生物達は食物が無くなったのを確認すると、どこかへ飛び去ってしまった。その後に残ったのは煤けた廃墟や瓦礫と、どこかでちろちろと燃える小さな火だけ。スラムと上層部は等しく荒れ果て、その境目を失い――そして大統領は、秘書と共にどこかへ姿をくらました。
つまり、この日
『国』は完全にその存在を失ったのだった。
やがて、夜が訪れる。
――教会は、奇跡的にその形を保っていた。天井に大きな穴が空いていたり、床に散らばった瓦礫に大量の椅子が押しつぶされていたりしているものの、奥の大扉周辺は何ともなっていない。
辺りは薄闇に包まれていて、天井の穴から月光が音もなく差し込んでいる。ジュエルはちょうどその真下、瓦礫の上に座って上の方を見ていた。その姿は満天の美しい星空を仰いでいるように見える。だがやはり、彼の瞳に光は宿っていない。
彼の片手には、赤い血がこびり付いた剣が握られていた。
よく見れば周辺の瓦礫の陰に、無数の半分砂と化した人造生物の死骸が転がっているのが分かる。
その時、
ギイィィ……
突如無音がつんざかれた。それはジュエルの真後ろ、教会の入口からだ。どうやら、来客のようだった。
「……ほう。」
低い声が響き渡る。以前もそうだったが、この教会に来る者など殆どいない。ましてや『国』が滅ぼされた今、ますますその人物は限られてくる筈。だからマリア以外の者が訪ねてくるなんて、とても意外だったのかもしれない。
ジュエルはゆっくりとそちらに振り返った。
「生きていたか。君達も死んでしまったのかと思っていたが…」
足音が響くとともに、徐々に薄闇に姿が浮かぶ――それはかつて『国』の大統領と呼ばれていた、1人の男だった。
だがこの日の彼からは威厳というものが感じられない。何か酷く疲れた様子で、よく見れば身に纏っているスーツが所々煤けていたり、体にはいくつか赤い傷が出来ているのが分かる。彼は立ち止まると辺りを一瞥した。
「やはり流石だよ。きっと君達3人が戦場に加わっていればもう少し時間が稼げただろう。それに私の秘書も死なずに済んだかもしれない。まぁ…行き着く結果は変わらないがね。」
皮肉っぽい言葉を吐くと、再び彼は歩き出す。足場がフローリングから瓦礫の山に移るとかなり進みにくそうにしていたが、何とかジュエルの脇を通り抜け、そのまま真っ直ぐに進んでいった。
「……。」
一体、彼が今更こんなところに何をしに来たのか。ジュエルは黙って、よろめきながら歩く彼の後ろ姿を見送る。そうしてやがて目に入ったのは――閉ざされた、奥の大扉だった。
ジュエルは、
僅かに息を呑む。
彼は瓦礫の山を抜けると、すぐに祭壇に辿り着く。そして、その後ろにある扉の前に立ちレリーフに触れようとした。
しかし、
「…何をしに来た。」
響いた掠れ声に彼は手を止め、そちらに横目を向ける。彼の目に映るジュエルはどこまでも無表情だ。そこに座ったまま、こちらを退屈そうに傍観しているように見えないこともない。
「…それを開くつもりなのか。」
「ああ、そうだ。」
「止めておいたほうがいい。どうせ、ろくな事にはならない。」
「何故だね?」
「1度閉ざしたものを、もう1度開く必要はないだろう?それに、その扉は開かない。」
ジュエルが淡々とした口調で止めようとするも、彼は鼻で笑った。そしてポケットからあるものを取り出してみせる。
「確かにこの扉は1度封印されているようだ。だが私はこの扉を開くことが出来るのだよ。」
「……。」
「苦労して研究所から手に入れた甲斐があったというものだ。こんな何の変哲もないクッキーが、あんなに厳重なセキュリティーにかけられていた時には驚いたがね。」
彼が持っていたのは、小さな木製の円盤だった。確かに見た目はクッキーにも見えるが、完全な円ではなく微妙に湾曲しているようだ。それに、表面には複雑な形のレリーフが彫り込まれている。
「この扉を開いた者は『資格』を得ることが出来る。それは誰も為しえなかったことだ。」
「…『資格』?」
「世界の全てを掌握する資格だよ。」
そこまで言うと、彼はジュエルに背を向けて扉に向き直り、そして再び扉に手を伸ばす。先程そっと撫でるように触れたが、今度は違った。
ガッ
彼は扉の中心から左右対称に彫り込まれている、あるレリーフに両手の指をかける。深い彫り込みであったので指はいとも容易く引っかかった。彼はそこで十分な手応えを確認すると、
グイ!
内側に両手を捻った。するとゴトリ、という音と共に掴んでいた部位が回転し――そこで何か仕掛けのようなものが作動したのか、軽い音を立てて彼が掴んでいる部位が外れた。小さな正方形の扉のパーツが、2つ。
ゴトッゴトッ!
彼によって床に捨てられる。結果、扉の表面には2つの窪みが出来たことになる。左右両方に、それぞれ1つずつ。
「…かつて、1人の男が目指していた事だ。人の力では決して叶わなかった、自然界の力をコントロールする。」
次に彼は、生じた窪みにパーツをスライドさせる。同時に生じた新しい窪みにまた別のパーツをスライドさせる。それはよくあるシンプルなパズルと同じ仕組みだ。どうやら彼はそれを解こうとしているようだった。
「即ちそれは、人の域を抜けて神の領域に達すると言うことだ。」
しかしパーツの数は普通のパズルとは比べものにならない。大体片方で50パーツ以上ははあるだろうか。しかもはっきりとした絵が出来る仕組みでもないらしく。それはかなり複雑な上答えの見えない、難解なパズルと言えた。
彼はそれをものともせず次々とパーツをスライドさせていく。まるで最初から導かれる答えを知っているかのように、一瞬でもその手が止まることはない。
その間ジュエルは動かず、一心不乱になっている彼の姿を見守っていた。
扉の先にあるものがろくなものではないと分かっているなら、彼を力で止めることも出来ただろう。しかし何故か、実行に移すことを出来ないでいた。
体が、硬直するのだ。
立ち上がろうとする両足も、剣を握ろうとする右手も、途端に動かなくなる。理由は皆目見当もつかない。無意識なのか、それとも自らの意志なのか、それさえもはっきりと分からない。だからジュエルは為す術もなく葛藤に苛まれるのみだったのだ。
やがてその葛藤は、理由が分からないという事に対する苛立ちへと変わっていく。何故彼を止めることが出来ないのか。そもそも何故自分はこの期に及んで、再び剣を振るってまで生きているのか。それはまるで自分とは違う意志が心の中に潜んでいるかのようで、その気持ち悪さにジュエルはしばらく眉間にしわを寄せた。
だが最終的には、全てどうでもいい事だという答えに落ち着かせた。今更自分が何をしたとしても、何をしなかったとしても――彼の言うように今から迎える結末、未来は変わらない。そう感じたからだ。
既にジュエルの精神は疲弊しきった状態だった。だからその答えに行き着く事はとても簡単で、自然だったのかもしれない。
そして。
「これで、終わりだ。」
カチリ、と最後のパーツが音を立てる。2枚の扉を隔てた中心部分で4枚のパーツが組み合わさり、微妙な楕円形の窪みが出来上がっていた。すると、彼はこれまでに浮かべたことの無いような歓喜に歪んだ表情を浮かべた。
「私は地球を甦らせ、本当の意味での支配者となるのだ。それは未来永劫語り継がれ、残存する。…おおぉ…ッこの日をどんなに夢見て待ち望んでいたか!」
「……。」
「待ち焦がれていたかッ!!」
彼の声が部屋中に大きく反響する。胸ポケットから先程のピースを取り出し振りかざすと、彼は汚らしく唾をまき散らしながら叫んだ。
「人間が再び繁栄する事などオメガの力を持ってすれば容易いこと!その暁には…我が種族は永遠、絶対の支配者となるのだ!!…クッ、ハハハハハ!!」
その振りかざしたピースを――
「今こそ!!」
カッ!!
出来上がった窪みへ押し込んだ。…寸分の狂いもなく、ぴたりとはまった。
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!!!!!!
仕掛けの解ける音は轟音と言っても過言ではなかった。まるで扉全体が蠢くかのように扉全体のパーツが次々に回転し、反転していく。彼の哄笑が響く中――
木製の扉の裏は白い大理石で出来ているようだった。同じく、美しい幾何学的なレリーフが彫り込まれている。パズルの一部でなかった端の部分もあっという間に回転していき、古めかしく見えていた扉は、真新しさを帯びた白い扉へと変貌を遂げていった。
…ガチャ…!
そして最後のパーツが回転し、隠されていたもう1つの扉が露わになる――すると、途端に重苦しい沈黙した空気が戻ってきた。先程の轟音との差があまりにも大きいので、3人は時が止まったような錯覚にとらわれる。
しかし、
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……
止まった時の中で、扉だけが動き出した。重い石が擦れる音を発しながら、徐々に、徐々に。左右に開いていく。扉の向こうに広がる闇が、顔を出す。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……
ガァン…!!!
こうして封印された扉は、
彼の手によって開かれたのだった。
「……やった。」
呆然としていたのだろうか、彼がこぼしたのは少ししてからだった。
「やった…やった…!」
そのまま、
「おおおおぉ!!!」
雄叫びを上げて駆け出した。巨大な闇へ一直線に。その場には走り去る足音だけが残された。
ジュエルはというと、いつからか両膝を寄せて顔面をそこに埋めていた。扉が開いていても、瞼を固く閉じて。
だが――
「ジュエル。」
「!」
すぐ近くで聞こえたその呼び掛けに、ジュエルは息を呑むと同時に目を見開く。そして反射的に首を持ち上げ、声のした方を見てみると――
「開かれたのですね。」
いつの間にか、そこにはマリアがいた。ジュエルのすぐ後ろの瓦礫に立っていた。今まで音も気配も無かったのに。彼女は全くと言っていい程驚いている様子なく、ただぽっかりと開いている暗い入口をその瞳に映していた。
いつからそこに?そうジュエルが問いかけようとした時カツリ、とブーツのヒールが音を立てる。彼女は何も言わずに前に歩き出したのだ。
「……。」
自分の傍らを通り過ぎる彼女を一通り目で追う。すると、ジュエルはよろりと立ち上がった。
それと殆ど一緒に。
ボボボボッ
扉の向こう側の闇が、何かが燃える音と共に掻き消された。これは、複数の蝋燭の明かりだろうか。煌々と照らし出されているとはとても言えないものではあったが、ジュエルとマリアの位置からでも確認出来た。即ち、扉の向こうにもう1つの部屋が在る事を。そして、そこから
「…どういうことだこれは!!」
突然、怒号が響いた。
「どこだ!!どこにある!!」
一体向こうで何があったのか。しかしマリアが歩みを止める事はなく。ジュエルも何かに引き寄せられるように、距離は大分離れながらもそれに続いた。
今、全員が扉の向こうへ。
向こう側にある部屋はかなり広い、聖堂のような部屋だった。部屋の両端にずらりと並んでいる燭台が照らし出している。全体は滑らかな碧色の石で作られていて、その色が荘厳さと共に静けさを醸し出していた。
壁と高い天井には一面に様々な人間や動物の絵が描かれていたり赤い字が刻まれていたりしていて、とても視界に収まりきるものではない。そして、突き当たりには大きな階段がある。階段は1番奥の踊場に行ってから右上の方向に続いており、この部屋にある細い通路のような2階に繋がっている。何のために2階があるのかは推測できないが、吹き抜け構造になっていることから2階のどこからでも1階が見渡せるようになっているようだ。
「どこだ!!コンピューターはどこにある?!!」
彼はその部屋の中心で、1人まくし立てている。高い天井と石造りのせいか、やたらと五月蠅いくらいに声は響いていた。その中で、ジュエルはぼそりと、聞こえないくらいの声で呟く。
「…ここは、何だ?」
するとマリアは振り向かずに即座に答えた。
「サンクチュアリですよ。
この教会の、聖域です。」
「無駄ですよ大統領。貴方が探しているものは、ここには有りません。」
「何だとぉ…?!?!」
彼は2人に背を向けていたところでぎぎっと首を捻り、血走った目をマリアに向ける。その様子はもはや極限状態だ。いつ何をしても可笑しくない。だがそんな彼に、マリアは歩み寄った。両手を前に重ね、聖女らしい優雅な足取りで。
「貴様ァ、あれをどこへやった!!」
「どこへもやっていませんよ。私は、何もしていません。」
「嘘をつけ!!私は確かに見た。20年前のあの日、分解されたコンピューターがここに運び込まれていくのを、扉が閉ざされたのを!!」
「……ええ、確かに。あれはここに収められました。」
「見たことか!!ならば!扉が閉ざされた後、教会のお前等が隠した事しか有り得ないだろうがァ?!!!」
クスッ
彼女は笑った。小さい声だったけれど、確かに笑った。そのことがかなり意外だったらしい。彼とジュエルは中央のマリアをそれぞれ正面と背中から凝視する。背中からは彼女がどんな笑みを浮かべているのか分からない。しかし、正面からの彼には見えている。
すると、変化は起こった。
彼の表情から憤怒の色が消えていき、それと反比例するように、みるみるうちに青ざめていく――
そしてマリアは一言、告げた。
「貴方が探している場所は、ここではないのです。」
「うあ、あぁ…っ…!」
彼はよろよろと後退った。その途中で、足がもつれて後ろに不様にも尻餅をつく。彼の視線の先には、マリアの眼球があった。
文字通りの、丸い眼球だ。瞼など無いに等しいと言っても問題ない。さっきまで確かに在った筈なのに、瞼が見開かれていったと思ったらいつの間にか無くなっていたらしい。更に――その全体がとろりとした赤に染まっていって。
「?!、まさか!…まさかお前はぁ…あ…あの時の?!!」
ニタリ、と口の切れ込みが深まる。
べリリリリ!!!
布の裂ける音だったか、皮膚の裂ける音だったか判別はつかない。どちらも裂けたのだから混じった音だったのかもしれない。ジュエルはその見覚えのある光景に、声にならない声をあげた。
血に塗れた、白い翼が出現したのだ。マリアの背中から服を突き破って、身の丈以上もある大きな翼が。
バサリ
翼は1度緩く羽ばたくと、空気を切ってマリアを完全に包み込むように収束した。それから少しだけ沈黙して、再び大きく広げると――
マリアは、別の存在になっていた。
「…そう、ここではない。だがこの扉が開かれてこそ、本当の場所へと通じている。だから感謝しよう。貴方の、その下らない野望に。」
「?!」
ジュエルが見たのは、白い後ろ姿だった。背は高く、細身の20代男性と言ったところだろうか。翼に大半隠れてはいるが、全身に真っ白な衣服を纏っているのが分かる。
「貴方の役目は、あの鍵の保管。更に、然るべき時に扉を開くこと。貴方はそれを見事に実行した。」
「ひ、ぃ…」
白い人の、肩までかかっている銀髪が少しなびいた。
「………。今まで大変お疲れ様でした。でもまさか、こんなに綺麗にやってくれるとは思っていませんでしたよ。…ねえ?」
そして不意に、白い人が振り返る。ジュエルにはそれがやけにスローモーションに映った。大きな翼が空気を揺らすと同時に、辺りにふわりと無数の羽毛が舞う。その向こうにあったのは、よく見知った顔だった。
「――ジュエル――」
白い人はにこりと微笑む。少し大人びていたが、その微笑みは確かにグロウのものと一緒だった。瞳は勿論、赤い。最後にグロウと刃を交えた時と、全く同じだ。
ジュエルはしばらく驚愕に目を見開いていた。しかし、やがてそれを治めると苦々しく発した。
「お前は、誰だ…?」
「おや、少し会わないうちにもう忘れてしまいましたか?あれは言った筈ですよ。『また会える』と。」
「グロウは…死んだ。」
「だから、こうも言ったじゃあないですか。あれと僕は同じものです。あれは僕が作り出した、ただの分身でしかありませんからね。」
「…お前じゃない…。」
ジュエルの言葉に『グロウ』はすぅっと目を細める。
「やれやれ。折角再会出来たというのに。まあ…無理もありませんが。」
それだけのことなのに、浮かべている笑みが酷く冷気を帯びたように思えた。
「それとも――同じ姿でないと理解しにくいですか?」
すると『グロウ』はおもむろに下を向く。同時に、両方の翼がまた彼を包み込んだ。ジュエルは勿論それを止める術を持たない。間を置いてそれが解放された時。
バサリ。
「っ!!!」
ジュエルは凍り付く。
黒い服、10代半ばの銀髪の少年。ジュエルがこれまでに見てきた姿で――『グロウ』は顔を上げ、呼びかけた。
「…ュ…ェ…。」
しかし大半は声にならず、ヒュゥという空気の漏れる音にしかなっていなかった。その理由は、明らかである。
喉が、裂けているのだ。見れば傷口から大量の血が流れ、綺麗な碧の床を汚していた。更に目や口からも血がごぽりと溢れ、それでもやはり変わらず、笑みを浮かべている。そして再び何か喋ろうとしたのか分からないが、今度はヒューという音だけが鳴った。
「ぅ…ぐっ!」
ジュエルは思わず口元を抑え、崩れるようにその場にうずくまった。
「ゲホ…ゲホゲホッ!!」
「ひ、ヒィ」
『グロウ』がその様子を見下ろしている間、後ろで元大統領――彼が密かに逃げだそうとしていた。よろけながら立ち上がった後何とか気付かれまいと足音を殺し、そろりそろり出口へと向かう。…まだ気付かれていない。高鳴る鼓動と呼吸を必死にこらえて1歩1歩少しずつ、確実に進んだ。
そして遂に出口の縁についた瞬間。彼は思わず口の端を上げた。このまま逃げ出せる、生き残れるという確信が持てたのだろうか。最後に、彼はもう1度『グロウ』の方を見る。
完全に背の翼に隠れて顔は見えない。大丈夫だ、気付いてない。そう心中で歓喜した瞬間
ボタ、
「…え。」
始め、彼は持ち物を落としたのかと思った。すぐ近くで何かが落ちる音がしたのだから、それが人間の自然な思考だ。だがそれは可笑しいと彼はすぐに気づく。
自分は何も持っていない筈なのに、一体何を落としたのか?と。
「…え?」
そこには左腕が落ちていた。肩からもぎ取られたような、生々しい腕が。
彼の空っぽになったスーツの袖の肩の部分が、あっと言う間に濡れていって――
「ぁ…ああああああ!!!」
彼はようやく現実を把握した。
彼の体はそれからすぐにもう1本の腕が千切れ落ち、
ボギッッ!
両足が有り得ない方向に折れ曲がったところで、また大きな悲鳴が上がった。身体の支えを失った彼は勢いよく血の池中にに倒れこみ、同時にベシャリという汚い音が大きく鳴り響く。『グロウ』がそちらに目を向けたのはそれからのことだった。
バサリ
「これ以上醜態をさらしてーーどうしようというのですか。」
例のように一瞬で元の白い人姿に戻り、苦痛に激しく呻く彼を嘲った。
「ぁああ……何故だ、何故!この私が死ななければならない?!」
「役目を失った人間など、生きている意味がないということですよ。あとは元在った場所に還るだけの価値しかない。」
「……ぐううぅおぉ………っ!!!」
彼は顔を真っ赤にして、喘ぎとも怒号ともつかない声を上げた。
「認めない……この私がこんなところで死ぬなど!!私はーー」
ベシャッ!!
途中で遮られた言葉は、二度とは続かなかった。出来上がったばかりの肉の山を『グロウ』は冷めた様子で眺める。
「こんなものが『流れ』から生まれたなど、信じたくないものだとは思いませんか?まあそのお陰で、こうした処理が楽なのですがね。」
「それは勿論、貴方にも言えること。」
ジュエルはゼェゼェと何回か背中を揺らすと、空っぽの胃をひっくり返し終える。そして頬に冷や汗を浮かべながら、何とか自分に向き直る『グロウ』を見上げた。
その跪いて肩を上下させる姿がどう見えたのか、『グロウ』は無表情で沈黙する。それから少ししてジュエルに合わせるように片膝を折った。結果、ジュエルと『グロウ』の顔は間近で突き合わせとなる。
「本当は今すぐにでもあの男と同じにしてあげたいところなんですがね。…どうやらそうもいかないみたいです。」
「……」
「同じなんです。貴方にも役目がある。貴方は、それを果たさなければならない。何故ならーーこれは貴方がたのけじめなのですからね。」
キィン…と赤い瞳が更に赤みを帯びた。
「この永久的に続く生命の螺旋を終わらせるのは、貴方がたであるべきなんです。螺旋を閉じることができれば、もう誰が憎み合うことも、苦しむことも無い。」
その時、ジュエルは微かに息を呑む。いつの間にか、彼はとても静かな口調になっていた。
「だから貴方が終わらせて下さい。
貴方にしか、出来ないことなのです。」
それは真剣な説得のようにも聞こえる。いさめているとさえ思えるかもしれない。それを聞いているうちに、ジュエルは段々と頭がぼんやりとしていくような感覚を味わった。
『グロウ』の曖昧な言葉が意識の中でぐるりと弧を描いた。終わらせるべき螺旋とは、何か?それを終わらせる事ができれば、本当にこれ以上苦しまなくて済むのか?何かを失う悲しみも、ない?
そう思ったとき、一瞬にして数々の景色が脳裏に浮かんだ。『国』、ルノワール、ゴーストタウンーー水槽で目覚めた時から、今この時までの全ての景色。そこでの出来事、出会った人間、人間で無くなった者達を、ジュエルは思い出した。
彼らは確かに、苦しみながら生きていた。それぞれ悲しみを抱えながらも、必死に、這いずるように生きていた。その先にあるのは死という終着点しかないと分かっていても、生きていた。
何のために?
ふとそんな疑問が生まれる。
ああそうか、そこで理解した。つまり今目の前の彼が言っているのはそういうことなのだと。生命というものは、結局意味を持たない存在でしかなかったということなのだと。そしてジュエルは確かにそうかもしれない、と感じる。所詮自分の生を生き抜いて現実という世界を見届けたとしても、あとに残るものは何もないのだから。そう自覚しなおすと、今こうしていることも酷く無意味に感じられた。
『グロウ』はそれを終わらせろと言っている。恐らく、二度と生命が生み出されないように、苦しみが繰り返されることがないようにと。
完全な無の先にある、揺らぐことのない安らぎを得るために。
「貴方は最後の望みなんです。この『地球』全ての。同時に……彼女の願いなのです。」
すると、ジュエルはその乾ききった口を開いた。
「……どうすればいい?……」
「……貴方だけが、知っています。」
グロウはスッと膝をあげると、奥の階段の方に目をやる。
「あの男がいった通り、20年前。まだ人造生物と呼ばれる存在が放たれる少し前のこと。ある人間が自分の作り出したものをここに封印したのです。僕の力を凌駕するほどの膨大なエネルギーを秘めた、機械を。ーーリタ、貴方のことですよ。」
「……、」
「結果的に今までそれが作動することはありませんでしたが…あるまじき事です。人間の力で『流れ』を操作しようなどと。ですが、僕はこの『地球』に具現化したことで本来の『流れ』を操作する力が大きく削がれてしまった。ですからもうこれを使わせてもらうしか、手段がないのです。」
「……。このまま放っておいたって、全部終わるんじゃないのか。」
「いいえ。やがて外殻が荒廃しきったとしても、内部の『流れ』は生きています。貴方達の言葉で言えばオメガ、でしたか。その循環は長い時を経て再構築され、また無用な生命が繰り返される事になるでしょう。今は制御が失われているとはいえ、その自己再生能は確かなものです。
『地球』を完全に破壊しなければ、螺旋は終わりません。」
「お前は…何者なんだ?」
『グロウ』は少しだけ沈黙すると、
「…ただの人造生物です。今となっては。」
再びジュエルに微笑んでみせた。
それ以前は、そうですね。これはよく使わせてもらう表現なのですがーーオメガの意思、といったところでしょうか。」
その時一瞬、ジュエルの瞼が小さくはねた。少し遠くから見れば殆ど無反応にも見えたが。
「唐突過ぎましたか?それとも信じられないでしょうか。かつて貴方が予想していた事が見事に当たっていたというのに。………まあ、どうせそれも『記憶にない』のでしょうが、確かに在ったんです。オメガという媒体から生命の循環を意図的に維持している存在は。
僕は常にオメガの中に生き『地球』全土のオメガを掌握してきた。
だからすぐに気付きました。ある日突然、僕らの世界にとんでもない異物が放り込まれた事に。…凄まじい力。エネルギーを伴った異物が、ね。」
最後の一言と結び付くもの。それはこの2人の間では1つしかなかった。『グロウ』はそこから導き出される答えを、告げる。
「そう、あの男の求めていた場所はここではなく。地底のオメガの内部、なのですよ。『地球』に具現化し意思でなくなった今では、その場所に直接足を運ぶことは叶いませんがーー」
『グロウ』はジュエルから視線をはずし再び向こう、階段の方をを見た。
「…何故かあの力が、この部屋にある。」
「『地球』破壊出来るほどの力ですから、あの分厚い扉を通しても簡単に認識出来ました。僕は始めからこの力を利用させてもらうつもりで、ここにいても不自然ではないような人間になりすまし、ずっと扉を見張りながらその理由を探していたのです。
そこで分かったのは、リタがオメガを操作出来うる何かをこの部屋に収め、扉を閉ざしたということだけ。ですがこうして扉を開いてみても、中には何もありはしなかった。…当然ですよ。あれはオメガの中にあったのですから。
つまり。あれは何らかの方法によって、この部屋を通じてオメガの脈に送り込まれたことになるんです。
その方法を知っているのは、」
バサ!
『グロウ』は翼を急に大きく広げた。更にジュエルに1歩歩み寄り、その顔をかなり近くから覗き込むように背中を屈める。
「…貴方だけなんですよ。」
その時『グロウ』の長い髪が何本かが、見上げているジュエルの頬に当たった。
「見せていただきたいものです。貴方の作り出した、オメガを操る力というものがどのようなものなのか。そのためにあれだけの下準備をしたのですからね。」
「下、準備…?」
「オメガの供給を、十分なものに。そのために2人程犠牲になってもらいましたが。」
「!」
「今となっては大したことではないでしょう。どうせ、これから全て終わらせようというのですから。」
再び間近に迫った『グロウ』の微笑みは
少し赤く染まった影に覆われていた。
「…お前…、っ!」
何かを言いかけたところでジュエルは突然右腕を掴まれぐい!と強く引っ張られる。『グロウ』は一呼吸ほどおいてから、そのまま引き寄せたジュエルの左耳に囁きかけるように呟いた。
「もうすぐ終わります。楽になれますから。」
持ち上げられた状態が苦しいのか、あからさまに甘い言葉のせいか。ジュエルは微かな呻きをあげる。が、それと同時に腕が離された。鋭気が殆ど無いのに急に体を支えられるわけもなく、ジュエルの体は硬い床に倒れ込む。
「貴方が教えてくれるだけでいいんです。その方法を。一体どうやって、この部屋からオメガに通じるのですか?」
「……俺は……」
「ああ、心配しなくても大丈夫です。忘れているのなら僕が思い出させてあげます。脳も『流れ』から出来ているのですから。海馬などの記憶中枢を限界まで活性化させることくらいは、出来るでしょう。」
赤い目が、光る。すると途端に、
「?!」
ジュエルは脳の深部のような所に激痛を感じた。
「ぅ…あああああ……ぁ!!」
頭の中を掻き出され、乱暴にまさぐられるような。そんな形容しがたい痛みにたまらず悲鳴を上げ、体全体を折り曲げる。『グロウ』は薄い笑みを浮かべてその様子を見下ろしていた。
「さあ全て僕に教えてください。
貴方の作ったものは何ですか?どんな形ですか?それはどんな機能で『地球』を破壊出来るのですか?どのようにしてそれを『流れ』に移したのですか?
さあ………さあ!」
その時だった。
ーー無駄なことをーー
「?」
『グロウ』は思わず眉を潜める。誰も声を発してはいない。音すらない。なのに聞こえた。背後からか、正面からか。あるいは頭の中から聞こえたのかも分からない。ただ、言葉だけが確かに伝わってきたのだ。それによって気が散ったせいか、ジュエルの呻きが少し止まる。
今の現象は何か。『グロウ』が推測する前に、更におかしなことが続いた。
ヴヴヴヴヴヴ…………
低い電子音。そして振動が生まれ、空気全体が大きく震え始めた。
「……。何だ?」
『グロウ』が疑問を口にした、その瞬間ーー
バヂッ!!!!!
「?!」
鋭い音と共に、『グロウ』の脇にどこからか放電のような大きな青い光が閃いて消えた。それは1度だけで終わると思ったが、そうではなく。始め途切れ途切れに同じような光が四方に走り、丁度降り始めの雨のように、段々と連続的になってその激しさを増した。
バヂバヂバヂバヂ!!!!
「…っく…ぅ」
そうして部屋一杯が眩しい青に包まれると、ジュエルも霞む目で何とかその光景を見る。事が起こったのは、それから間もない頃だった。光の走るうるさい音に混じって、それは恐ろしく聞こえてきた。
「ギャウオオォォ……!オオオオォォォ……!!」
獣の咆哮に似ていたが、何の声かははっきりと分からない。
「!」
それが響いた瞬間『グロウ』はジュエルを脇目に即座に身構え、その姿を人間から完全な人造生物の姿へと変えた。
左右の二重になった翼が、バッと威嚇するように張りつめる。白目も黒目もない真っ赤な2つの眼球が見開かれ、裂けた口がぐわりと歪な牙を向いた。まだ姿の見えない、その存在を迎えるために。
「グギャアアォ!!ギャアアァ!!!」
少しもしないうちに叫びはどんどん大きく聞こえてくる。こちらに確実に近づいてきているのだ。そこで、2人は分かった。声は階段の踊り場付近から聞こえて来ている。ジュエルがその1点に注目したその瞬間
空間が歪み、ひび割れた。
ーーそして。
バギイいいいぃイイィィィン!!!!
聞いたこともないような音を立てて、割れた。
辺りには一気に強い重力が押し寄せ、
青白い光が数度に渡ってフラッシュする。
幸いジュエルは腕を顔にかざしたので目を潰されることは無かった。
「…?…」
光が全て収まった頃、恐る恐る腕を外してみると。
「…なっ…?!」
その映像はジュエルの網膜を通し、一瞬にして脳裏に焼き付いた。
あの叫びの主が、『グロウ』と対峙していたのだ。
それは童話に出てくるドラゴンというものによく似ているーー魔獣だった。全身が黒い鱗に覆われていて。大きな翼と、黒光りする鋭い爪が印象的な魔獣だった。
「グギャアアォオオオオ!!」
巨体と言うほど大きな体ではないが、相手を威圧するには十分であった。金色の瞳の魔獣は、長い尾を不気味にうねらせながら背中を屈め『グロウ』に激しい咆哮を浴びせかけている。
見れば、その真後ろの空間には穴が開いていた。恐らく先程出来たばかりのものだろう、穴の縁はノイズのような低音を発しながらぶれている。ジュエルは必死に目を凝らし、その向こうを見ようとした。
だが、向こうは闇が広がっているばかりで何も見えない。それに、穴はどんどん狭まっているようだった。ジュエルが立ち上がる間もなくーーいや、ジュエルは立ち上がることが出来なかったのだ。肉体的にも精神的にも、両足に力を入れる余裕など無い。みるみるうちに穴が塞がっていくのを見送ることしか出来なかった。
そうして、穴は30秒もしないうちに完全に塞がる。
「ギャアアアアアォオオオオ!!!!!」
「っ!」
その時、耳をつんざくような声にジュエルの意識が無理やりそちらに引き戻された。魔獣は今すぐにでも『グロウ』に襲いかかりそうだ。だが『グロウ』はただでさえ裂けている口の端を更に広げ、それに向かって嘲笑しながらこう言った。
『いきていたか
そのチで』
「…え?」
ジュエルが小さく発したのとほぼ同時に、
「ガアアアアアァアアアア!!!!!!!」
魔獣は大きく翼を広げ、四肢で床を蹴って『グロウ』に咬みかかった。
ゴオッ!
部屋の中に風が巻き起こった。ジュエルは正面から押し寄せる空気の固まりにぶち当たり、後ろにのけ反りそうになる。その時に『グロウ』が2対の翼を広げ、高く飛び上がったのが見えた。どうやら魔獣の牙は空ぶったようだ。そのまま『グロウ』は空中であの赤い目を魔獣へと向ける。
すると、
ボギボギ!
魔獣から鈍く、骨の折れる嫌な音が聞こえた。その変化はーー背中の左翼に起こっていた。左翼全体が、縮れていくように可笑しな方向に曲がっていくのだ。
ボキリ!
続いて右翼にも『グロウ』の力は及んだ。同じ様に、音を立てて縮れていく。そうして魔獣の両翼の原型はあっという間に失われていった。一瞬で肉の山と化した元大統領と同じ。これで魔獣はもうその翼で飛ぶことが出来なくなった
と思われたが、
「ギャアアアアア!!!」
魔獣が首を上げ、また1度空気を揺るがす叫びを上げると
「?!」
ジュエルは驚愕した。
バキバキバキ!!!!!
破壊された翼が、戻っていくのだ。まるでビデオテープの映像が逆再生されているかのように。折られた箇所が順に再生していきーー最後には何事もなかったのように翼は元の形を取り戻した。
そして魔獣はぎょろりと『グロウ』に眼球を向ける。『グロウ』は無表情にそれを見下ろし、双方の目は再び真っ直ぐに合った。
魔獣が低い唸りを上げながら翼を数度大きく羽ばたかせた。飛ぶつもりだ、ということが一目で分かる。魔獣が飛び立てばどうなるのか。誰にも具体的には分からないが、激しい争いになるだろうことは予測が容易かった。
『グロウ』は宙に浮いたままスッと両腕を広げる。真っ直ぐに伸ばしきり丁度十字架の形になると『グロウ』の周り、半径5m程の空間が蜃気楼のように揺らいだ。
ガラガラガラ…!
すると真後ろにあった壁の表面が崩れる。そこで生じた無数の破片は床に落ちること無く、宙の『グロウ』の周りに集まっていき、
キィン!
破片は全て小さな槍のようなものに変化した。これも目の力なのか。それぞれの尖った先端が一斉に真っ直ぐに魔獣の方を向くとーー
シュッ
キュドドドドド!!!!!
空をきって、それらは弾丸のように魔獣に降り注いだ。凄まじい破壊力なのだろう、爆音と共に大理石の床から大きく砂埃が舞い、ジュエルは小さな悲鳴を上げた。魔獣の姿は砂埃によってあっという間に覆い隠されていき、部屋全体もかなり視界が悪くなっていく。
ドドドドドドドドドドドド!!!!!!!!
そうなっても砲撃はまだ続いていた。新たな破片が撃ち込まれているのか。『グロウ』は魔獣を飛び立てさせまいとしているに違いない。こんなものに巻き込まれたら、どんな生物もひとたまりもないことは明らかだった。
1分程して、やっと弾幕が途切れた。もうもうと灰色の煙が立ち上る中、ジュエルはその場に手をつき呆然としていた。起こった衝撃によってパラパラと周りの壁が小さく崩れる音がしたが、魔獣の叫びは聞こえない。
魔獣は、死んでしまったのだろうか。…あれはどこから、何故ここに現れたのか。『グロウ』の発した言葉の意味は何か?緩い緊張感に包まれながらジュエルは、遅い思考で思い返した。
黒い、魔獣。
生きていた、黒い魔獣。
「……?!?!」
突然、頭の中に電撃が走ったような気がした。ぼんやりとしていた意識が一気に覚醒し、縮瞳する。そして愕然とした。
…まさか、そんなことあるはずが無い!
2、3度繰り返しそう思いながらも、ジュエルは魔獣のいた方を凝視した。今となると、視界が悪いことがとてつもなくもどかしかった。
(あれは、
あいつはーー!)
その時!
…ゴオオオオオオオォォォォォ!!!!!!
「!!!」
先程とは比べ物にならない旋風が巻き起こった。少し気を抜けばたちまち吹き飛ばされてしまう。その風は部屋全体に吹き荒れ、物凄い勢いで入口から煙が出ていった。そうして半分程晴れた煙の上に
あった。
宙に飛び立ち、その牙で『グロウ』の下半身に喰いついているーー全身を石の槍に貫かれた魔獣の姿が。
あまりの出来事に、ジュエルには一瞬時が止まって見えた。モノクロに染まった風が、砂塵が、彼らが。そこに固定されて、1枚の絵が脳裏に焼きついた。
直後。
ドゴオオオオォォォン!!!!!
魔獣は軌道をアーチ状に傾けた後、その先の壁に頭から突っ込む。勿論『グロウ』をくわえたままである。
ガラガラガラ…ドシャアアァ!!!
魔獣の頭を飲み込んだ壁はやはり耐えきれずに大きく崩れ、地面に落ちると新たな砂煙が上がる。また視界が奪われると思われたが、その前に白い何かが見えた。
「!」
それはゆらりと宙を舞う、『グロウ』の姿だった。下半身は噛み千切られてなくなっている。苦しんでいる様子はないものの、魔獣からは離れようとしているように見えた。『グロウ』は突っ込んだ瓦礫から首を引き上げようとしている魔獣へちらりと目配せすると、
バッ
入口へと飛んだ。吹き荒ぶ風に乗り、目にも止まらぬ速さで開かれた扉の間を駆け抜ける。その上彼の姿は舞い散る砂塵に覆い隠され、あっという間に見えなくなってしまつた。
「……」
ジュエルはそれから声も上げず、『グロウ』の逃げ去っていった方をただただ呆然として見つめたーー
ガラガラ…パラパラ……
少しして崩れ落ちる瓦礫の音が収まった頃だっただろうか。ジュエルははっと気がついた。即ち『グロウ』が逃げ去った今、この場に残されたのは、魔獣と自分だけだということを。
「!…」
ジュエルがぎこちなく立ち上がり視線を移すと、煙の向こうで大きな影がゆっくりと動くのが見えた。はっきりとはしなかったが、あの魔獣であることに間違いはない。更に、重い足音がこちらに近づいているのが分かる。
ジュエルは、動かない。
殺される可能性だってあった。
その恐怖もあった。
しかし動かなかった。
待っていた。
ドス……ドス……
やがて白い霧のようなもやの中から黒い肉体と金色の瞳が徐々に浮かび上がってくる。そしてついに、魔獣はジュエルの前に姿を表した。
「…………」
それからしばらく声を上げること無く、沈黙の中で互いに見つめ合った。それ以上近付くことも無い。
何となく、ジュエルは自分と魔獣との間に見えない壁を感じた。分厚く、決して破られることの無い。近付くことも、声を通すことも出来ない…そんな無慈悲な壁に、ジュエルは不意に悲しみを覚える。
だけど、信じたかった。
きっとその壁は、打ち破れる。
きっと声は届く。
ジュエルは、そう信じたかった。
「お前……ロイ、なのか。」
確信や証拠はない。もしかしたら事実などどうでもよくて、ただ都合のいい想像に身を任せたかっただけなのかもしれない。だがそんな疑念にかられても、ジュエルは食い入るように魔獣の瞳を見上げた。残された希望に手を伸ばし続けたのだ。
「答えてくれ……」
この魔獣が言葉を発せられるとはとても思えない。今も鳴き声すら上げず、訴えかけてくるジュエルを静かに見返しているだけ
だったが、
ーー違うーー
「!!」
魔獣は、ジュエルの問いに答えた。ただし『グロウ』が言葉を発した時とは違う。口を全く開いていないのに、聞こえてきたのだ。
見た目にそぐわない高く透き通った声。思わずテレパシーのようなものだと思ってしまいそうだが、違う。それはちゃんと聴覚を通して聞こえてきたものだと分かっていた。
ジュエルは目を閉じて神経を聴覚に集中してみる。
キィイ……………ン………
微かに、あの音が耳に残っていた。
そして
ーーロイじゃないーー
一瞬、ジュエルの視界が音もなく白に染まった。砂煙の白ではなく、どちらかというと光に近いが、よく分からない。それが現実世界で起こったものなのか、それとも白昼夢の出来事なのか?
その白が消え失せた時、
「…え、」
ジュエルは信じがたい光景を目にすることとなる。
忽然と。さっきまで在った魔獣の姿が、消えていた。ーー代わりに、彼がいた。
ぼんやりとしていて、輪郭がはっきりとしない。だから「いた」というよりも、ここにある聖堂の風景に浮かび上がっていた、と言ったほうが正しいのかもしれないが。
ジュエルはこの感覚に覚えがあった。地に足がついていないような、現実がうまく捉えられないような、この感じ。
それは、オメガが見せる幻。
「迎えに来たんだ。君を。」
幻である彼は、あたかも本当に存在しているかのようにジュエルに話しかける。実際のところ彼は今も魔獣の姿のままなのであろう、ということは『感覚』を思い出した時点で分かっていた。しかしジュエルは、同時に彼が魔獣の真実の姿なのだろう、ということも何となく理解出来たのであった。
何故なら、魔獣となった人間にはっきりとした心当たりがあったからだ。
こうして改めて見ると、彼は本当にロイによく似ている。滑らかに光るその金髪以外は殆ど同じ。雰囲気も、背丈も、薄い病院着から分かる細い体つきも。
「……ジル、フィール………」
ジュエルがその名を呼ぶと、彼は静かに頷いた。
「僕がこうして君の前にいるということは、やっとその時がきたんだ。
君が、決断する時が。」
ジルフィールは今まで言葉を口にしたことがなかった。だが今は、細い声でも寧ろはっきりと明瞭に話しているように聞こえる。その差の激しさにジュエルは違和感を覚えざるを得なかった。
これがあのジルフィールなのかと。
『鍵』の片割れとして、無言のままロイと共に消えていったーー
「お前、どうやって…」
聞きたいことは山積みだったが、まずそれしか出てこなかった。やがて砂塵が徐々に床に落ちてもやが消えていくと、薄く白光りするジルフィールの姿が聖堂の碧い壁を背に映し出される。やはり今にも消えてしまいそうな印象を受けるが、もう少しだけ線が把握出来るようになった。
ジルフィールは少しだけ俯く。
「ロイの血のおかげで、僕は消えずに済んだ。」
「血…?」
「君はその瞬間を見たはず。ロイはオメガに消えた。そしてそのオメガを使って、2つの『鍵』だった僕らは1つに統合された。そうしてロイと一緒になった僕もそのまま消えていく筈だったんだ。…完全な『鍵』として。だけどその直前で目を覚ましたのが、このロイの中に眠っていた獣さ。」
「!」
「僕らは獣に肉体を奪われた。だけど獣はオメガの同化作用に抵抗する力があったから、消えることはなかった。……だから、生きて君の前に来れたんだよ。
それからオメガの海に転送されてしばらくさまよっているうちに、こうしてオメガの幻影を通して君と話せるほどにもなった。
それは全部、奇跡だった…。」
確かに見ていた。あの『SALVER』の深部で起こったことを、ジュエル今でもはっきりと思い出せた。
最後の時、ジルフィールの左半身は黒い組織と化した。それがロイの左腕と同じものだったという強い印象を、よく覚えている。だが、それは今でも理解の範囲を大きく越えていることだった。
(僕ら、ーー?)
「ジル、もしその話が本当なら…教えてくれ。今、ロイはどうなっている?あいつの意識は、お前の中に生きているっていうことのか?それともお前と一緒に生きているのは、その獣の体だけなのか…?」
「、……。」
その問いに対する答はジュエルの予想通り、すぐには出てこないようだった。ジルフィールは何かを考え込むように口元に指を当て、視線をそらす。それから少し口に出すのを躊躇するように瞼を伏せ、ジルフィールぽつりとこぼした。
「意識がある可能性は……ゼロに近いと思う。今ここにあるのは僕の意識だけだから。」
「やっぱり…そうなのか。」
「でも、もしかしたらーー」
「え?」
ジュエルは思わずどきりとする。
しかし、その内ジルフィールは力無く首を振るのだった。
「………。ごめん、何でもないよ。」
「とにかく、その奇跡が起こった今。僕は、僕に与えられた役目を果たすことが出来る。この時のために母さんは僕を眠らせて君達に見つけさせた。
そう、リタ。君が失ったものを取り戻させるために。そして君が本当にすべきことを知るために。」
「お前、知っていたのか。」
「最初から全部知っていたよ。本当は意識を取り戻せたら、すぐに君に伝える筈だったんだ。だけどそれは叶わなかった。」
「精神崩壊…だな。」
「冷凍カプセルに体は耐えても、脳は耐えきれなかったのかもしれない。まあ、元々あれはこの年齢で使えるものでもなかったしね。
賭けは承知の上だった。」
「………。そこまでして、ルチアは俺に思い出させようとしていたのか。自分の息子を、危険にさらしてまで。」
「思い出させようとしたのは、母さんじゃないよ。かうての…君自身の、最後の願いだ。」
「俺の?」
「本当は、君も分かっていたんじゃないのかい?君はこんな絶望的な状況になっても、ここまで生き残ってきたんだ。
命を捨てるという選択肢もあったのに。これも、奇跡の1つなのかもしれないね。」
「、…」
「母さんは、償いたかっただけだったんだ。」
「…償う?」
ジルフィールはその一言に静かに頷く。
「でも、母さんにはそれしかなかったから。それしか、生きていく支えにならなかったから。だから…僕はこうすることを選んだんだ。」
「何を、償いたかったんだ?」
「……先に言っておくけど、償いたかった罪は君に対してのものじゃないよ。寧ろ、君は共犯者の側といってもいいからね。」
さらりとした口調はどこかジュエルを責めているようにも思える。だがそれが何の事だか分かる筈もなく、ジュエルは困惑するばかりであった。
「母さんが誰に、何を償いたくて、君の願いを成し遂げたかったのか。簡単な話だよ。」
「どういう、ことだ。」
「母さんが償いたかったのは。…本当の母さんに対してだ。」
「ーーえ?」
その時、ジュエルは一瞬にして混乱した。ジルフィールが発した言葉の意味が、分からなかったのだ。直接的に言葉を理解しようとしても、アンジェリカから聞いた話を必死に思い出し、情報を探ろうとしても。辿り着く結論は同じだった。
「お前…一体何を言ってるんだ?」
「やっぱり、覚えてないのか。でも君は間違いなく知っていたよ。母さん…ルチア・ミスティは、20年前のあの日まで2人存在したっていうことを。他でもない、君が…クローンを作り出したんだからね。」
ジュエルは、確かにルチアが2人いたことを知っていた。その1人がロイとジルフィールの母親で、自分達強化人間を生み出した張本人でもあることも。
一方はあの日生き残り、3人の研究者の1人として知られた。そしてもう一方はあの日人造生物と共に消え失せた。アンジェリカの話では、ジルフィールという少年の話は1度も出てくることはなかった。勿論、ロイのことも。だから2人が生まれたのはあの日の後。マルコーとの間に産み落とされたことになる。
すなわち、ジルフィールの言っている『母さん』とは生き残った方のルチアである可能性が極めて高いというわけだ。だが、そのルチアは『本当のルチア』に償いたかったという。ーーすると、可笑しくなるのだ。
何故なら、ルチアのオリジナルは生き残った方の筈なのだから。
辿り着いたのは1つの、確かに簡単な結論。ジルフィールはその直後、それと全く同じことを静かに告げた。
「20年前のあの日、生き残ったのは。…クローンのほうだった。」
その時、
「、!」
どくんっと突然ジュエルの鼓動が飛び跳ねた。
この感覚には覚えがある。この気持ち悪さはーー何度めのことだろう。
「母さんは、クローンだった。だから、償いたかった。本当の母さんの存在を奪った罪を。」
「……なに…いって、」
「母さんはいつだって君のことを想ってた。だけど、クローンはオリジナルのコピーだから。本当の母さんだってそうだったに違いないって、いつも言っていたよ。例え肉体を胎児に還元されて、記憶を失っていたとしても。間違いなくその想いを抱えながら。存在が入れ替わったまま、消えてしまったんだって。」
意識が小刻みに震え、ぶれていく。その中にアンジェリカが話していた、1人の金髪の少女の姿が浮かんだ。ゴーストタウンに現れた幻影が話しかける。
私を
迎えに来て。
「あの日、本当は君は死ぬ筈だった。父さん…マルコーに殺されて。…実際、外ではリタ・アルティマは死んだことになっているみたいだったしね。でもそうして生きていられるのは、母さんが助けたからだ。君はオリジナルと同じ様に胎児に還元され…強化人間のジュエルとして生まれ変わった。
2つの意味で。母さんは君を失うわけにはいかなかったんだ。
1つは勿論、そのままの意味。君を想っていたなら、助けない筈はないから。
そして2つ目は、君に望みを託したかったから。君なら、消えた本当の母さんを助けることが出来るかもしれないという、望みをね。」
ジルフィールは1人、落ち着いて語るように続けた。
「つまりそれこそが、今君がすべきことだ。君は、責任を取らなければならないんだ。あの空中都市で、『彼』に聞いたかもしれないけど。」
「…責任?…何の?」
「今目の前に見えている現実。その現状は、君自身が招いた結果だ。それは今の君にはあまりにも厳しい事かもしれないけれど、揺るがない事実だから。」
その後ジルフィールは不意にこう問いかける。
「ねえ、君は知ってる?本当の母さんがどこへいってしまったのか…」
少しだけ微笑みを浮かべて、まるで謎かけをいたずら程度に楽しむかのようだった。勿論、ジュエルがつられて笑うことなど決してない。だけど、知るわけがないとどうでもよさそうに言い放つことも出来なかった。音もなく激しく交錯する記憶は、ジュエルにあることを思い出させる。
それは、アンジェリカへの誓いだ。
ジルフィールが言ったことは、彼女の願いに等しかった。1度でいいから『ルチア』に会って欲しい。それだけが、彼女が最後に残した願い。彼女の涙を見た時、ジュエルは誓った。『ルチア』を探しだして、きっと会うことを。それがどう今の現実に影響してくるのかはーーまだ見えてこない。
だが。
ジュエルは目を閉じる。
「あいつなら、知っているのかもしれない。」
「…あいつ?」
ジルフィールは更に答えを導き出させようとする。答は、もう知っているようだったが。
「お前が、さっき追い払った奴だよ。」
そして、
「半分当たり。」
また少し笑いかけるとそこら辺に転がっていた大きな瓦礫の1つの近くに近づき、腰を下ろした。
「グロウは、一番始めに地球上に現れた人造生物だ。じゃあこれが何を意味するかは分かる?…人造生物がどうやって生まれたか、考えてみれば分かるよ。それを君は聞いている筈。」
ジュエルは一瞬その言葉に違和感を覚えたが、そこでは聞かなかった。
「『ルチア』の体を依り代にして。」
「…もう半分、当たり。」
『彼女を、連れていきます。』
雨の中に立つ、グロウの姿が脳裏に蘇る。
「そういうこと、か…」
「そう。」
「どうでもいいが、どうしてお前はそんなに知っている?ルチアのクローンに眠らされた後、精神崩壊していた筈じゃないのか。それに、お前は見てきていないことも知っている。俺が20年前の話を、アンジェリカから聞いたことも。」
「まあね。ただ、教えてもらったんだ。」
「誰に?」
「…さあ。」
ジュエルは眉を潜める。
「僕にも分からないよ。その時朦朧としてたかもしれないし。オメガの中にあった、言葉にできない何かだとしか言えない。ただあの人は全てを知っていてーー願っていた。」
「…オメガの意志か。」
「え?」
低い呟きに、ジルフィールは初めて目を丸くした。
「言ってた、グロウが。自分は、オメガの意志なんだと。オメガには…意志があるんだって。」
「彼が言ってた?」
「きっと、同じ様なものなんじゃないか。」
その時、ジュエルは肩を小さく揺らして1度だけ笑った。笑うのは随分と久方ぶりだったが、それはただの失笑でしかない。
呆れているのか、極度の疲労から殆どの事がどうでもよくなっているのか。その笑から読み取ることは難しいが、それからジュエルは力無くジルフィールの方から視線をはずし、何となく高い天井を仰いでこう言った。
「何だかもう…訳が分からないな。全部が、全部。…まるで現実感がなくて、地に足がついてる気がしないんだ。今この時も思ってる。20年前から今までのことは、夢でしか無いんじゃないかって。」
「………。」
「でも、覚めない。いつまでたっても。この教会でもずっと待ってみたけど、やっぱり駄目だった。」
「…分かっているのだろうけど、一応言っておくよ。今さら、この夢から覚めることは叶わない。残念だけどね。ただ1つ方法があるとしたら、それは君が死ぬことだけだ。」
「ああ、分かってる。……でも。」
「でも出来なかった。」
「…、……」
「もしかして、今ならその理由が分かる?」
天井に描かれた何人もの天使が一斉にジュエルを無表情に見つめる。ジルフィールはそれに加わって、問った。
「どうして、君は生きるんだい?」
ジュエルはしばらく口を開かず、何も答えかった。すると、さっきまで喧騒に包まれていたこの聖堂が、まるで本来の姿を取り戻したようであった。ぼんやりとした明かりに映し出される一面の碧い空間は、澄んだこの静寂によく合っている。その中心で、ジュエルはゆっくりと目を閉じるのだった。
「思った以上に、……居心地がよかったのかもしれないな。」
「こんな荒れ果てた世界が?」
「どんな世界だってよかった。独りじゃないなら。共に生きようとする、仲間がいるなら。…ここには、居場所があったんだ。その場所があまりに居心地がよくて、だからーーそれが失われた今でも、いつか戻ってくると信じてるのかものかもしれない。」
「、…」
「そんな事あるわけもないのに。」
捨てるような呟き。それに対してもジルフィールは相変わらず淡々と、静かに問いかける。
「なら…もし戻ってきたとして、君はどうするつもりだい?」
それは、ジュエルにとっては少し意外な問いだったのかもしれない。微かに息を呑んで、ジルフィールに再び目を向ける。しかしながらその問いの答を出すのには、全くといっていいほど時間はかからなかった。
「全部やり直すよ。俺達が、本当の意味で生きていくために。」
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