彷徨う罪

レス262 HIT数 107520 あ+ あ-


2012/10/29 01:21(更新日時)





一番…罪深いのは誰ですか?




No.1793785 (スレ作成日時)

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No.101

「動くな…!」


後頭部に当たる堅い感触…。


(またかよ…)


俺はその場で手を挙げて、後ろを振り返った。


「…思ったより早い帰宅だな。
飼い猫が心配で、捜査に身が入らないか?」


「家に何の用だ?」

ったく、何でコイツは常に銃を持ち歩いてんだよ…!


条例違反も甚だしいぞ…!


「澤田 零の確保だよ…彼女を連行するのが俺の仕事だ。」


「…さわだ?」


案の定、高瀬は目を丸くして驚く。

頭の中では、零と澤田 修也の関係を目まぐるしく探っている事だろう…。


「零は、「澤田 修也」の妹だ。
お前の仇の妹だ…。」


「なっ…んだと?」

顔面蒼白のお前を見て思うよ…

(さぁ、零を憎め。)と…

恨んで憎悪を募らせろ…


そして、彼女を手放せ…!


「岩屋…お前は、何者だ?」


…また、その質問か。

俺は溜め息を吐いて、スーツの内ポケットから「手帳」を出した。


「警視庁公安部の岩屋 聖二です。
どうも、初めまして高瀬さん♪」


「…公安だと?」


「えぇ、俺は公安の捜査員なんですよ。まぁ…色々と聞きたい事もあると思いますが、今日は取り急ぎ零の確保をしないといけないもので。」


高瀬が動揺している間に、俺はインターホンに手を伸ばして押した。


「貴様っ!」


銃口が額に当たって奴の手が震える。


「ここで撃つな…零に見つかるぞ。」


俺は、高瀬を睨んでそう放つ。

奴も悔しそうに「クソっ!」と吐いて銃を下ろした。


その時、玄関のドアの施錠音が聞こえた。


「はい?」


俺はすかさず、ドアを開く。

出て来た高瀬の部下を羽交い締めにして、頭に銃を突き付ける。


「…高瀬さんっ!
これは一体どういう事っすか?!」


「岩屋っ!!」


「動くなよ?長岡、 零を呼べ。」


俺は、長岡の耳元で囁く。

「イヤだ!」


長岡も刑事の端くれか…以外と強情だ。

なら仕方ない。


「零ーッ!!」


俺は玄関先から思いっ切りデカい声で零を呼んだ。

No.102

「彼女なら、今…浴室ですよ。」


苦痛に顔を歪ませながら長岡が答えた。

風呂か…厄介だな。

「どうする?岩屋。
俺に撃たれて死ぬか?それとも、長岡を解放するか?
…岩屋、お前の目的は何だ?」


高瀬は銃を構える。

これ以上、高瀬を刺激出来ない。

零…早く出てこい!

「岩屋、お前ら(ハム)が零を狙う理由はなんだ?
あのバーも、アルファムも全部…零を探る為の潜入捜査だろ?」


さすがは高瀬だ。

俺が公安だと知った途端に、全部が潜入だったと理解している。


「公安の捜査は外部機密だ。
刑事課に情報は漏らさない。
そんなルールがある事は、お前も熟知しているだろ?」


「知ってるよ。
お前ら、ハムの汚ねぇ手口なんか嫌というほどにな…!」


汚い手口ねぇ…

それがなんだ。


こっちは、そうやって国民の安全を守ってきたんだよ。


多少の犠牲なんか目を瞑るさ…。


「銃を下ろせ、高瀬!
お前は、立派な銃刀法違反だ。
処罰の対象だぞ!」

「お前は違うって言うのか?岩屋。」


高瀬は口元を緩めて俺を睨む。


あぁ…そうさ、俺は違う。


「俺は、上(上司)から携帯の許可がおりてる。
それに…今は勤務中だ。
お前とは立場が違う。」


早くその銃を下ろせ…!

発砲なんかしてみろ
確実に、お前は死ぬぞ…高瀬!


「…やめて。」


長岡に向けた銃を持つ手に、そっと別の手が添えられる。


ゆっくりと横を見ると、そこに彼女がいた。


「零…!」


零は、強い眼差しで高瀬を見つめる。


「零、そいつ(岩屋)から離れろ!」


零は、タンガリーシャツとスキニーパンツを履いていた。


あの日、俺と会った時と同じ服装だ。

長い髪からは雫が垂れていて、足元は裸足だった。


「高瀬、銃を下ろして…。」


零は、ヒタヒタと高瀬に近寄って銃の前に立ちはだかる。


「零…お前っ!」


「…芽依を殺したのは私の兄だった…。 あんたの愛する人を奪ったのは…私の…っ…」


零…もしかして…お前は、高瀬を愛しているのか?

だから、涙をながすのか…?


あんなに、弱い所を他人に見せる事を嫌がっていたのに…。

お前は…高瀬を…

愛してるって言うのか…?

No.103



零の言葉に、高瀬の瞳が迷いに揺れていた。

零は、そんな高瀬の迷いを見逃さない。

「零、俺と一緒に来い…!」


俺は、長岡を解放して零に手を伸ばす。

「ダメだ!
行くな、零…!」


俺と高瀬の間で、零は戸惑い迷う。


胸元をギュッと掴んで、俺と高瀬を見合う。


「零、こっちだ!
お前は高瀬の仇なんだぞ!」


今の彼女には残酷過ぎる物言いだ。


だけど、これしか彼女を奴から奪う方法はないのだ。


「高瀬、ごめんね…」


ほらな…思った通り、零は俺の手を掴んだ。


「…零!」


高瀬の声に耳を塞いで零は走る…。


俺と一緒に、手を取って…


どんなにお前を傷つけても

俺は、この手を放さない。


どんなに、お前を苦しめて泣かせても…

俺は、お前を放さないから。


耐えろよ…零!


これから、お前が味わう地獄も

全部、俺が半分受け持ってやるから…


お前を守ってやれるのは、俺だけだから…


必ず、耐えてくれ…!

No.104

すっ凄い!

おもしろ過ぎる✨

もう凡人の私の想像の域を超えている

意見を聞いてストーリー修正はいらないと思います

ゆいさんのストーリーで読みたい

そんな感じです

これからの展開が楽しみです

やっぱり高瀬ラブ❤です⤴
岩屋が裏組織の人じゃなくてよかったo(^-^)o

No.105

ごめんなさい💦

興奮しすぎて本編にレスしてしまいました

ゆいさん、みなさん、すみませんでした😫💦


No.106

⚠こちらは本文ではございません🙇

コロさん、大興奮✨ありがとうございます☺

そんな反応が、私を動かしてくれています😊✨
迷いや、書き続ける戸惑いを打ち消してくれています😃

いつも、ありがとうございます🙇✨

⚠次のページより本文を再開いたします🙇

No.107

車に零を押し込んで、高瀬のマンションを見上げる。


奴が追ってくる気配は無かった。


(諦めたか…。)


もしくは、戸惑い過ぎて身体が動かないのか…。


どちらにしろ、俺には好都合だ。


「クシュッ…!」


運転席に乗り込むと、零が身体をさすりながらくしゃみをした。


「これ、着てろ。」

俺が差し出した上着を、零は素直に受け取って、自分の肩に掛ける。


「…何で、髪を乾かしてこなかったんだよ。」


呆れ顔で放つが、零はぶっちょう面で俺を睨んだ。


「あんな風に玄関先で揉めてたら普通、焦ってそれ所じゃないでしょ?!」


…確かに。


俺は、零の言い分に肩を竦める。


でも、あれは…


「高瀬が悪いんだぜ?
あいつ、血の気が多すぎだろ。」


「店長も同じでしょ?
人に追跡機まで仕込んで…服を脱ぐまで気付かなかったよ…!」


「…悪かった。」

零は腕を組んで、外に顔を背ける。


彼女が怒っているポーズだ。


「あれ、踏んづけて壊したから!」


「…そうか。」


…マジかよ。

あれ、夜なべして手作りで作ったんだぜ?


それなりに愛情込めたのに…なんてね。

「店長、あんた一体何なの?
柳原の部下?
私を連れ戻す為に後を付けて来たの?」

「そのスーツの内側に入ってる、黒い手帳出してみろよ。」

俺は前から視線を逸らずに、零が羽織る上着を指差した。


零は、言われた通りにポケットを探る…。


「警察手帳…?!」

零さん、声が裏がえってますよ…。


「そう。実は、俺も警官なんだよね。」

おちゃらけて、ワザと照れ笑う。


「ふざけんなっ!」

その瞬間、零は助手席の窓を全開に開けた。


「ちょ…!待て!」

止める隙も無く、零は「手帳」を外に投げ捨てた。


「わぁーーッ!!
お前ッ!!」


手帳なくしたら懲戒免職~ッ!


マジで、シャレになんねぇ…って!!


俺は、だだっ広い空き地脇に車を停車させた。

No.108

「あ~…もう、マジかよ!!」


小さなペンライトの灯りだけを頼りに、生い茂る草村を掻き分ける。


「おい、零!
お前もサボってないで探せよっ!!」


膝を抱えて座り込む零に向かって叫んだ。

「…お前なんか、大っ嫌いだ…!」

「あん?」


ボソッと呟いた一言を聞き逃さずにはいられない。


俺は、零に近寄って隣に座った。


「てめぇ…殺すぞ?」


俯せてる零の顔を、両手で無理やり上げて睨む。


零は静かに涙を流して、俺を鋭く睨み返した。


俺は、彼女のその強い眼差しが好きだった。

誰にも屈さない挑むような強い瞳。


その、余りにも美しい瞳に惹かれた。


だけど、今は…

憎たらしいよ。


お前は、俺を許せないんだろ?

高瀬とお前にした仕打ちに傷ついているんだろ?


「…そんなに、高瀬が好きなのか?」


あぁ…聞いちまった。

俺のバカヤロー。


零の揺れて潤む瞳に、答えなんかいらねーよ。


分かりきった質問なんかしてアホだ…。

「店長…私、高瀬とセックスしたよ。」

………そうか。


「そうか…。」


俺は零の頭をポンポンと軽く叩いて、草村に消える。


地面を這って、唇を噛み締めながら草を払いのける。


憎らしさ

憎悪

深い…嫉妬に苛まれながら…


行き場のない怒りを
胸の内にしまい込む…。

No.109

零と初めて出会った日の事は、今でも鮮明に覚えてる。


お前はまだ、中坊のガキだったな。


あのボロい雑居ビルの屋上で、お前は足場の終わりに立っていた…。


俺は、その頃…「SP」から「SAT」の移動の話が出ていて、目標もないのに命を張る事の意味を考えていた。


公安部にスカウトされたのは良いが…誰かのボディガードや、テロリストやハイジャッカーと戦う事に、何の意欲も魅力も感じていなかった。


むしろ、信念すら無かった。


たまに、この雑居ビルの屋上に来ては寝転がって、くすぶった気持ちを切り替えながら仕事をこなしていた。


その日も、いつもの様に休憩時間を満喫していただけだった。


「何だ…?あいつ。」


タバコを吸おうと起き上がった時、今にも飛び降りそうな女子中学生が視界に入った。


「おいおい、自殺か?」


イジメの標的にされて、人生に嫌気がさしちゃったか?


…ああいう奴って、飛び降りた後の事とか考えてないんだろうな…。


誰が地面の掃除や、グチャグチャになったお前の身体を回収すると思ってんだよ…。


人の迷惑も考えて行動しろよ。


例えば、丈夫なゴミ袋に入って密封してから飛び降りる…とか?


…なんて、呑気に考えてる場合じゃないな。


一応、警察官なんだし、ここは一つ説得を…―


そんな事を思った時だ…


少女は、制服のブレザーを脱ぎ捨てて空に放った。

その後も、リボン、Yシャツ、靴に靴下と、なんの迷いも躊躇も無く脱ぎ捨てていく…。


そして…白いキャミソールと紺のプリーツのスカート姿になると、空を仰いで両腕を伸ばした。


そがまるで、天使が飛び立つ様な姿に見えた。


…ガラにもない。


俺は、一瞬にしてその「少女」に眼と心を奪われたんだ。

No.110


そして…お前は、黒いパーカーを着て深くフードを被った。

俺を惑わす、天使か悪魔か…


スニーカーの紐を結びながら、ふと俺に気付いたお前は…


「今日、卒業式だったの!
ねぇ、「卒業おめでとう」って言ってくんないかな?!」


そう…叫んだよな。

俺は固唾を飲んで、お前に応えたよ。


「卒業おめでとう!」


あんな風に…心からの祝の言葉を、誰かに贈った事なんて無かった。


「ありがとう!」


きっと、誰にも言われない「おめでとう」をお前は欲しがったんだろう。


フードから覗いた口元は、満足気に笑っていた。


「お前、名前はーッ?」

「零っ!」


れい…


「れい、卒業おめでとう!!」


これが…お前との最初の出逢いだ。

No.111

俺は、SATの入隊をキッパリと断った。


別に、特殊部隊に入らなくとも出世する道は幾らでもある。

当時、ノンキャリでは異例な早さで「巡査部長」の地位にいた俺は、更に高見を目指して「警部補」の昇格試験を受けた。


難関と言われ、その狭き門を突破するのは、相当な努力と根気を要した。


俺には、一つでも高い地位が必要だった。


そうしないと、この縦社会の組織では、自分の思い通りに動く事は不可能だからだ。


どうしても、解明したい事件があった。

警察に入った理由…

それは、その事件の真相を求める為。


その為なら、どんな努力だって惜しまない。


偉くなって、誰にも文句を言わせない。

俺は、必ずこの手で忌まわしい過去にケリをつける…。

No.112


その後も零とは、あのビルの屋上でよく会った。


そこが、互いの気に入った場所だったからだ。


零は高校にも入らず、施設も出てバイトだけで一人暮らしをしていた。


「お前、なんのバイトしてんの?」


「んー?ショーパブみたいなとこ…。」

ショーパブって…

お前、まだ15だぞ?

雇う所があるとしたら、マトモなとこじゃねぇ。


「ショーパブねぇ…風俗とか、援交まで手を出すんじゃねぇぞ?」


「…あんたは、私を買う?」


冗談混じりで言ったつもりが、零にジッと見つめられると

「買わない」とは即座に言えなかった。

そのくらい、零には魔性的な魅力があったのだ。


「買わねーよ、お前みたいなガキなんか!」


赤面しそうな顔を背けて、やっとこ言えるレベルだ。


「だろ?
誰も、私みたいなガキ買わねーって!」

ケタケタ笑うお前の横で、俺は胸を痛める。


「分かってんなら、二度と誰にもそんな事言うなよ?」


お前の肩を掴んで睨んだのは、ただの独占欲だ。


誰にも触れさせたくない…

そう思わせる願望。

俺は、確実に零…

お前に、惚れていた。

No.113


零と知り合って、3ヶ月くらい経った頃だ。


「岩屋、お前…六本木界隈を仕切ってる柳原を張ってみないか?」


上司から、潜入捜査の話を持ちかけられた。


「柳原って…あの? 超大物じゃないっすか!」


柳原は、裏社会の「ドン」だ。

政治をも動かす程の闇の帝王は、警察本部ですら懸念して野放し状態にあった。

「柳原の組織を一発検挙出来たら箔が付くし、その辺りも一掃されて、だいぶ周りがキレイになるだろう。
臭いものに蓋するより、生ゴミは腐る前に燃やした方が衛生的だろ?」


「本部」に出来ないなら「公安」でやるしか無いって事か…

「どうだ?岩屋。
お前、この仕事引き受けるか?」


「はい。面白そうだし、引き受けますよ。」


俺は、上司から案件を手渡されて笑う。

その日から、柳原の組織に入って奴のシマで、Barを開く許可を貰った。


正直、こんな簡単に柳原の懐に入れるとは思わなかったが、柳原は俺の眼を見て「気に入った!」と意味深に笑ってみせた。


何を考えてるか分かんねー、クセもん狸だ。


柳原に挨拶を終えると、その店で零を見かけた。


ショーパブって「アルファム」だったのかよ…。

また、とんでもねー所で働いてるな…。

何度か店に顔を出して分かった事だが、零を施設から引き取って面倒を見ていたのが、この柳原だ。

柳原の、零に対する執着は異常だった。

彼女が、どんな面倒を起こそうと、柳原は目くじらを立てずに金を積んで尻拭いをしてきた。


そして、連絡役を常に彼女の側につけて、24時間体制で監視している。


柳原にとって、零が特別な存在なのは明らかだった。


柳原を知る上で、零は重要なキーパーソンになる…。

そう思った俺は、零の素性を調べるようになった。

No.114


昼間は、零が育った施設に行って7歳から15歳までの経歴を探る。


彼女に7歳以前の記憶が無い事は、この時に初めて知った。


ある日突然、貧弱した状態で施設前で倒れ込んでいた彼女を、職員が発見したと言うのだ。


警察に行って調べても、彼女の身元は割れなかったそうだ。

当時の話を聞いて、俺はある考えが浮かんだ。


前々から気になっていた彼女の名前…

「零(レイ)…」


俺は、この名前に心当たりがあった。


と言っても、確信に基づく根拠は無かったが…


13年前の連続殺人事件の裁判で、犯人が呼び続けた名前が
「レイ」だった。


その名前が、ずっと心に引っかかっていた。


もしかしたら、彼女がその「レイ」なのではないか?


だとしたら、棚からぼた餅とは正にコレだ。


失われた記憶の秘密を紐解く様に、俺は事件記録や裁判記録を探った。


そして、一枚の写真に目を奪われた。


「藤森 芽依…?」

その名前は知っていたが、顔を見たのは初めてだった。


「零だ…」


なんで…どういう事だ…?


震える指で、藤森芽依と零の写真を見比べる。


「同じじゃねぇか。」


同一人物と言っても過言じゃない。


ここで、疑惑が確信に変わった。

幼少時代、澤田 修也のいたカトリック系の養護施設には、もう一人彼の妹がいたという…。


「澤田 零」


俺は、零の写真をもう一度見つめてほくそ笑んだ。


「やっと、見つけた…。」


お前が、(レイ)だったんだな。


追い求めた事件の真相を掴めると思うと、

嬉しくて興奮すらした。

No.115


5年間…俺は、彼女の側にいた。


その間、柳原の指示を受けて汚い仕事もさせられた。


人殺しだ…。

何人か、闇に葬れと命令された。


人気の無い深夜の倉庫…昼間は海外から、たくさんのコンテナが運ばれてくる。

「ひぃぃぃっ~!! た、助けてくれ…!」


ロープでイスに括り付けられた男に向かって銃口を向ける。

男は、脂汗を額に浮かべて身体を震わせた。


「柳原に、殺せって言われたんだよね~。
お前みたいな腐れ野郎なんか死んで当然だぜ?」


「あぁっ…た、頼むよ…見逃してくれ…」


性根の腐った奴でも、流す涙はあるのだ。

「…死んで海に沈められるのと、ブタ箱に入って死んだ様に暮らすのと、どっちが良い?」


男の濁った瞳が大きく見開く。


「どっちだ!」


パンッパンッ…ー!!

俺の怒鳴り声を打ち消す銃声…。


男の足元に二発撃ち込む。


乾いた煙が、男を包んで恐怖を与える。

「コルトM1911…9mm45口径のハンドキャノンだ…デカいだろ? この距離ならお前の頭の半分は吹っ飛ぶかもな?」


銃口から上る煙を吹き消して、男の頭に突き付ける。


「や、やめてくれ…ブタ箱でもいいっ…さ、サツに突き出してくれ…!」


涎と鼻水を垂らし、懇願する男の髪を掴み上げて目線を合わせる。


「佐野 龍一。
麻薬及び向精神薬取締法違反で逮捕する。」


「は、はぁ…?」


間抜け面の情けない顔の男に手錠を掛けて、外で待たせていた部下に引渡す。


俺がこうして行った「殺人」は、この5年間で8件だ。


どいつも、ブタ箱で死人として静かに息を潜めながら暮らしている。


「岩屋さん、お疲れ様でした!」


部下の二ノ宮は、俺と同じ潜入捜査官だが表向きは柳原んとこのチンピラだ。


だから、格好も金髪のスカジャンという…ゴテゴテのスタイルだ。


「中の硝煙反応消しておけ…。」


二ノ宮の肩をポンと叩いて、俺はその場から立ち去る。


手に付いた火薬と金属臭を、タバコの煙でごまかして夜の闇へと消えて行く…。

No.116


もう少しで、柳原の組織を検挙する材料が揃う。


零に関する秘密も徐々に分かってきた。

あと少し…

ほんの少し…


そんな時に、あいつが現れた。


俺の地道な努力を踏みにじるかの様に、土足でズカズカと入り込んで来た。


何よりも


俺と、零の間に入り込まれた事に苛立った。


土に汚された手を見つめては、押し寄せる悔しさに拳を握る。


膝を抱えてすすり泣く彼女を見ては、この胸をえぐる様な痛みが走る。


それは…零と高瀬が運命的な糸で繋がっているからだ。


その糸を断ち切る事が出来るとしたら…

俺は、どんな手を使えば良い?


きっと、どんな手を使ったとしても…


泥塗れのこの手で…

お前達を引き裂いてやる。

No.117



高瀬から、零を取り戻す。


ライトに照らされた黒く光る手帳を手に、メガネのブリッジ部分をクイッと押し上げる。


夜空の分厚い雲に雷光が走る。


湿った風が埃臭い。

「零、行くぞ。」


腕をつかみ上げられて睨む彼女を、力任せに立ち上がらせた。


「いつまでも、ビービー泣いてんなよ?」


零は、無言で俺の手を振り解こうと歯を食いしばる。


「…あんたなんかっ!」

「俺なんか何だ?」

後悔に堕ちるくらいなら…


「大っキライ!!」

掴んだ腕を引き寄せて、零の腰を抱く。

密着した身体を引き離せないようにキツく抱きしめた。


「何すんだよっ…! 放してよ!」


(放してよ…?)


お前はいつから、そんな女らしくなった?


俺に抱き寄せられたくらいで、怯えるように身体を強張らせるな。


瞳を揺らすな。


「男を知ったら、男が怖くなったか?」

零の身体が固くなった。

図星だと認めた証拠だ。


後悔に堕ちるくらいなら…

この雷(いかずち)に撃たれて

地獄へと堕ちた方がマシだ。


「零、もっと俺をキライになれ…っ!」

「んっ…!!」


彼女の髪に指を潜らせて、その唇を奪う。


抵抗しようと所詮、零は女だ。


俺の力の前では無力な一人の女…。


お前は、俺の女だ。

好きじゃなくても良い…

嫌いになって憎んでも良いから


無関心でいる事だけは許さない…!

No.118

次第に、零の身体から力が抜けて柔らかくなった。


俺の首に腕を回して、舌の先が口内に入って絡まる。


甘く滑らかな感覚に酔いしれて、正気を保つ自信も無い。


遠退いて行く理性を取り戻したのは、直ぐに走った唇の痛みだった。


「痛っ…て!」


零は、涙を溜めながら俺を威嚇する。

今にも、瞳からこぼれ落ちそうな涙を流さないよう、必死に俺を睨む。


俺は口元を指で拭って、親指に付いた血を舐めた。


零のそんな態度ですら、可愛いと思ってしまう。


どうしようもなく、愛おしいと思ってしまう。


かなりの重症者だ。

「車に乗れ、零。」

俺は両手を挙げて「降参」のポーズをとりながら零を促す。

彼女は、俺の態度に安堵の溜め息を吐きながら、大人しく車の助手席に乗り込んだ。


急に降り出した雨が、フロントガラスに無数の雫を打ち付けて物凄い速さで流れて行く。


俺達は、無言でその景色を見ている。


ガラスに反射して映る零に、雨が重なって涙を流している様にも見えた。


まるで、心の中で流れているはずの涙を映しているみたいだった…。

No.119


「…ここに連れて来てどうするの?」


車から降りると、零は警視庁を見上げる。


「今、修也の解放を要求する殺人事件が起きてる。
修也が解放されたら、あいつは必ずお前と接触するだろ?
だから、お前を公安部で保護するんだ。」


「修也の解放…?
高瀬が私を囲ったのも、それが理由って事?」


「…だろうな。」

頷きながら、零の肩を抱いて中へと入る。


制服警官が次々に敬礼をする横を通り過ぎて颯爽と進む。


「店長は敬礼しないの?
なんか、感じ悪いね。」


別に、デカい面してる訳じゃない。


「俺は、他の刑事達とは異質だからな。 愛想を振りまいて、顔を覚えられるのは困るんだ。」


零は「ふ~ん…」と、俺の言った事を理解出来ない様子で相槌を返した。


「この中って、随分と広いんだね…。
内部が入り組んでてまるで、迷路みたい。」


「簡単に占拠されたり、逮捕した取り調べ中の犯人に逃げられないようにワザと複雑な造りにしてんだよ。
特に公安部は、特定されにくい場所にあるから。」


「特定されにくい場所?」


首を傾げる零に、自然と笑みがこぼれる。


「そう、隠し部屋。 因みに本部は警視庁内にないしね。」


「それ、ホントかよ…。」


呆れ顔の零をよそに悪戯っぽく笑う。

(さて、真実はどうでしょう…?)


「あっ…。」


零が、突然歩みを止めた。


その視線の先に、三河 多香子がいる。

こっちに向かって、細いピンヒールを鳴らしながら歩いて来る。


俺と零を視界に捕らえると、三河は艶やかに微笑んだ。

No.120


三河は、片方の耳に髪を掛ける。


「本当によく、ここで会うわね…名梨さん。」


「…そうだね。」


零は、三河と目を合わせないで答えた。

高瀬との事で、後ろめたさがあるのか…

三河が放つ色気に怖じ気づいたのか。


「あ、岩屋主任!」

三河が来た方向から、俺の部下が手を振って近寄って来た。

「主任?」


零が俺を見上げて、疑問符を浮かべる。

思えば、零と過ごした長い年月…


俺は彼女に、本当の自分をさらけ出した事は無かった。


ずっと、偽りの姿で接していたのだ。


当たり前だが、零は俺の事を何も知らない。


だから、今…ありのままの俺で零の側にいたいと願うのだ。

やっと…俺のままでいられる。


「前田、先に彼女を連れて行ってくれ。」


「あっ…はい。」


不安気な零の背中を押して部下に委ねた。


「…じゃぁ、行こうか?」


渋々、前田については行くが何度も振り返って俺を見つめる零に、俺は「大丈夫」だと微笑んで見送った。


彼女の姿が見えなくなるまで、笑顔は保つ。


「聖二先輩でも、そんな風に笑うのね…。」


三河の言葉で俺は、口角を元に戻した。

「亮も聖二先輩も、何故あの娘に捕らわれるのかしら。
先輩なんて、普段近寄りもしない本庁にまで足を運ぶのだからよっぽどね…。」

三河は、腕組みをしながら不機嫌そうに頬を膨らます。


三河は三河で、零に対して嫉妬しているって事か…。


プライドが高い、良い女でいるのは疲れるだろうな。


高瀬に醜態を曝してでも、弱い女でいたら良いのに。


「お前、ちゃんと高瀬を張れよ?
なんの為に、公安の下っ端から犯罪対策本部に押し上げてやったと思ってる?」

メガネを光らせて三河を見る。

三河の色香なら、簡単に高瀬を落とせると見込んだものの…

彼女の余裕の無い様子を見れば、俺の思惑が外れたとしか言いようがない。


「先輩は、どうして亮を目の敵にするの?
ずっと、不思議だったわ…。
聖二さん…亮を、昔からずっと嫌ってたでしょ?何故?」


三河は、俺の胸元を掴んで瞳を潤ませる。


「…何故?」


高瀬は…

あいつは…


「世界で一番、自分が可哀相な奴だと思ってるからだ。」


「…え?」


そういう奴に、吐き気がする程イラつくんだよ。

No.121


「それって、どういう意味…?」


怪訝そうな表情を浮かべた、三河の耳元に唇を近づける。


彼女の首筋から、ホワイトジャスミンのセンシュアルな香りが漂って来た。


「高瀬を溺れさせろと言ったが、
誰も、奴に溺れろとは言ってないぞ。
しっかり、手綱を引いて自分の男を管理してろ…!」


俺は、三河にそう囁く。


三河は、唇を噛んで俺を睨み付けた。


「悔しかったら、女の維持を見せてみろ。
簡単に男を寝取られてんじゃねーよ。」

「え…?」


傷付いた三河の顔を見て、俺もつくづく情けない男だと思った。


零と高瀬の事は、三河に何の罪もないのに…


俺は、三河に八つ当たっている。


自分がこんなに、女々しい野郎だったなんてガッカリだ。


「亮と彼女の事を言ってるの…?」


軽い放心状態の三河を横目で見て、俺は脚を前に進めた。


背中で、三河の悲しみに満ちた視線を感じながら…

零の元へと向かって行く。

No.122


鉄格子のついたトラ箱に、零は収監されていた。


「主任、すみません。
ボスの命令で彼女を此処に入れておくようにと…」


閥が悪そうに、前田は俺の顔色を窺う。

「…仕方ないだろ。」

仕方ない…。


そう、思っていても
この胸は痛む…。


小窓から漏れる僅かな月明かりを見上げて、哀し気に歌う零の姿が切ない。


自由にしてやりたい。


彼女は、いつだって捕らわれの鳥だ。


「♪Moon River, wider than a mill~♪」

「この歌…ムーン・リバーですよね?」

「そうだな…」


静かで殺伐とした空間に、天使の歌声は響く…。


前田も監視も、息を呑んで零の声に耳を傾け聴き惚れた。


ムーン・リバー…


Moon River, wider than a mill.

(月の光が水面を揺らいで一筋の広い道を作り出す。)


I'm crossing youin style some day.

(僕はいつの日かそこを越えてみせるよ。)


Oh, dream maker, you heart breaker.

(君は僕に夢を与えて、無惨にそれを打ち砕く。)


Wherever you're goin'I'm goin'your way.

(それでも僕はどこへ行ったとしても、僕は君の側にいる。 何処へでもついて行くよ。)


零の歌うその曲に、修也が重なる。


これから始まる決戦のプロローグに相応しい選曲だと思った…。

No.123


――…


「こんな所に閉じ込めてごめんな…。」


岩屋は、本当に申し訳無さそうに謝った。


「一晩だけ此処で我慢してくれ…。」


そう…肩を落とす。

そんな彼の姿を見たら、もう…腹など立てられない。


岩屋は、心から私を気にかけてくれている。


私が無言で笑って頷くと、彼は眉を下げて優しく微笑む。


そんな岩屋を、今まで見た事など無かった。


ムカついているハズなのに、大嫌いだと思ったのに…


何故だか、胸がギュッとした。


あのキスの時…


私は、確かに岩屋を求めてた…

高瀬が好きなのに

岩屋を求めてしまった自分の節操の無さに呆れる。


「…仕事片付けたら、また来るから。」

それなのに…鉄格子越しに握られた手を、私は振り払えない。


彼の後ろ姿を追って、「行かないで欲しい。」と願ってしまう…。


私は、一体なんなの?


どうして、こんなに気持ちが揺らぐのか…


戸惑いと自分に対する失望で心がザワつく…。


膝を抱えて、昇る月を見上げた。


同じ鉄格子の中でも、此処はまだマシだ…。


修也も、同じこの月を見ているだろうか…?


彼もまた…私と同じ様に、鉄格子の中で膝を抱えているに違いない。


冷たい檻の中…


この月明かりが差し込んで、彼を淡い光で包み込んでくれます様に…

No.124



修也の事を考えると、おのずと高瀬の事も考えてしまう…。

高瀬は、私を恨むのかな…。

もう…あんな風には、私を愛してはくれないのだろう。


寧ろ、後悔しているかも知れない。


「高瀬に嫌われたかも…」


看守に聞こえないくらいの小さな声で呟く…

それでも、口をついて出てしまう言葉。

もう…高瀬に会えない。

会わせる顔もないし、彼も私の顔なんか見たくはないハズだ…。


涙が出てきそう…

こんな場所じゃ、余計に悲観的になってしまう。


膝に顔をうずめて、必死に涙をこらえる。


すると、どこからか『カツコツ…』とヒールを鳴らす音がした。


耳を澄まして、その音に集中する…


音は此方に向かって段々と大きくなっていく。


…三河のヒールの音だ。


そう確信すると同時に、トラ箱と呼ばれる保護室の鉄製扉が開らかれた。


看守は、三河を見るや否や直ぐに立ち上がって敬礼をする。

「ご苦労様。
ちょっと、彼女と話があるの…少しだけ席を外してくれる?」


淑やかに微笑みかけられた看守は、頬を赤らめてそそくさと外に出て行った。


三河みたいな女に、コロリと騙される男なんて星の数程いるに違いない。


高瀬もその一人…な訳ないか。


「名梨さん…じゃないのよね。
本当は、『澤田さん』っていうのよね?」


三河は、穏やかな笑みを作って見せるが、眼の奥は笑っていない。


美しい顔立ちなだけに、その冷たさが余計に恐ろしく感じる。


「亮の『昔の彼女』の写真を見たわ…。 貴女、彼女にソックリだった。
亮が、貴女に惹かれる理由が分かるわ…中身なんてどうでも良いのよ…貴女に写る彼女を見ていたいだけ。」


三河はジリジリと歩み寄って、鉄格子の柵に手を掛ける。


顔を近づけて、私を睨む。


「ハッキリ言って、亮が愛しているのはその顔だけよ!
貴女自身になんて興味が無いの…だから、その気になっているのならお門違いもいいとこだわ。」


わざわざ、看守をどけて言いたかった事はそんな事か…。


三河は、もう少し大人で頭が良くて、余裕のある女だと思っていたのに…

何だかガッカリだ。

『顔だけ』よ…

そんなの、言われなくても分かってる。

でもね…三河


「顔だけでも愛されるなら、何も愛されないよりマシだよ。」


私は、あんたの事言ってんの。

No.125

「そう…、彼ってベッドの中ではとっても優しいでしょう?
普段はあんなに自分勝手で乱暴なのに…。
女の喜ばせ方をよく知っているのよね…あんな風に抱かれたら、貴女だって勘違いもしたくなるわよね…。」


…高瀬が優しい?

三河の言ってる事に疑問が浮かぶ。


だって…

私の時は

『優しい』って言うよりも…


「なんか、高瀬も余裕が無いって感じの抱き方だったけど?」


激しくて情熱的な『アレ』だったと思う…。

こっちが処女だろうとお構い無しで、どこまでもドSな男だと思ったくらい。


三河は優しく抱かれるのか…

私は、高瀬に愛されていないから荒々しく身体だけを求められたのだろうか…。

そう考えると気持ちが沈む。

恨めしそうに三河を見上げたが、すぐに私はそんな考えを吹き飛ばした。


三河の嫉妬を剥き出した悔しそうな顔に、意地悪くも優越感を覚えたのだ。


愛されていないからじゃない…


愛されていたから、あんな風に求められたのだと確信した。

高瀬の余裕を無くすほどに、求められたのだと。


「高瀬は、私に夢中みたいね。」

それが分かった今、簡単に彼女を傷付ける言葉が出てくる。

「貴女って恐ろしい娘ね…。
愛くるしい笑顔の裏で、私を平気で苦しめようと目論んでいる。
でもね…これだけは覚えておいて?お嬢ちゃん。」


三河のしなやかな指が、私の鼻筋をなぞる。


甘い吐息と、流し目で見つめる彼女の色気で、背中がゾクリとなる。


「亮は、絶対に貴女とは結ばれない。
それから、聖二さんともね…。
貴女を取り巻く男はいずれ、み~んな貴女から離れて行くわ。」


勝ち誇ったように放つ三河に、何も返せない。


打ち負かす言葉を探す間にも、その指は私の唇をなぞって胸の谷間へと滑り落ちて行く。


「本当、子ども。 女の私に身体を触られるのも怖いのね…震えて怯えている内は、女として認められないわよ?
子猫ちゃん。」


…悔しい。

三河は私より饒舌だ。


「一生、檻の中で暮らせば良いのよ。」

強張る身体を抱き寄せられ、耳元で囁かれた一言に頭がカッとなった。


邪魔な鉄格子が無ければ、腕力で三河を叩きのめせるのに…!


だけど、今の私はただ唇を噛んで、三河の後ろ姿を見送るしか出来なかった。

No.126


『亮とは結ばれない。』


柵を握って、三河が残した言葉の意味を考えた。


警察官は、犯罪履歴のあるの者と、その親族に当たる者との結婚を禁止されている…


前に、そんな事を耳にした記憶がある。

三河はその事を言っているのか…?


結婚って…

高瀬が、そんなの私とする訳ないじゃん。

馬鹿らしい…。


「あり得ね~よ…」

鼻で笑って、ため息をついた。


そんな「普通」の生活なんて、とっくの昔に諦めてるよ。


バカ三河…

私と張り合うレベルが、同じ土俵とでも思ってんの?


私は…あんたのいる土俵にすら上がれないのに。


あんたなんかに言われなくても、自分の立場は分かってる。

あんたはこの柵の向こう側の人間…


私とは住む世界が違うんだよ。


何が悔しいって

その違いが悔しいのよ…。


生まれた環境の違い。


それだけは、どう足掻いたって変えられないでしょ?


…そうでしょ?

ねぇ、神様……

No.127

――…


頭の中で、整理仕切れない情報がグルグルと巡って、俺をイラつかせる。


「高瀬さん、車飛ばし過ぎですよ!」


長岡を無視して舌打ちだけを返すと、アクセルをベタ踏みしながら先行車両を追い越す。


注意をされると、意地でもその逆を貫き通す癖は昔から治らない。


俺を止めたきゃ、「もっと、スピードを上げろ!」とでも言えば良い。


「ひぃぃぃ~ッ!
どうか、ネズミ取りに引っ掛かりませんよ~に…!」


シートベルトをギュッと掴んで、長岡は目を瞑り神に祈る。

確かに…それはそれで、面倒だ。


「長岡、警報ランプだして上に点けろ。」


「はぁ?!ムチャ言わないで下さいよ! 緊急性もないのに、一般路を占拠出来ません!!
大体、このスピードで窓から半身出すなんて嫌ですよッ!」

「つべこべ言わずに、さっさとやれ…! さもないと『巡査』に降格して、交番勤務にしてやるぞ!」

俺は機嫌が悪い時には、つまらない冗談を言わない。


長岡は、それをよく知っている。


だから、「あ゛ぁ~~ !!」と怒りを露わにて、投げやりに俺の言う事を聞くのだ。


「こぇぇぇぇ~ッ…!!」


長岡の、本気でビビりながらランプを設置する様子を見て、満足感を得る。


「マジで、ドS!! 人が捨て身の覚悟でやってる隣で普通、爆笑しませんよね?!」


「俺って、変態なんだよ。」


ニヤケた口元をなぞって、口角を元に戻す。


「…知ってます!」

あれ…今のは冗談だったんだけどな。

No.128


長岡のお陰で、どうしようもなくイラついていた心が落ち着いた。


少しずつ、冷静さを取り戻して事の成り行きを考えた。


零が修也の妹だという事実を突き付けられて、頭がパニックになった。


俺は芽依と零が、何等かの血因関係があるのではないかと踏んでいたから。


岩屋の言っている事が事実なら、自ずと「修也」と「芽依」も血因関係が結ばれている事になる…。

だとしたら…あの二人は…


考えたくも無い

その先の恐ろしい結末…。


自然と、ハンドルを握る手に力が入る。

汗ばんで、滑べりそうになる。


「高瀬さんっ!前!!」

長岡の叫び声にハッとして、俺は急ブレーキを踏んだ。


目の前には本庁の壁が迫る。


思いっきりハンドルを切って、車体をドリフトさせながら一回転させる。


車は後ろ向きに、壁スレスレで止まった。


「は…はは…死ぬかと思った…」


長岡は顔を引きつらせて薄ら笑いを浮かべる。


俺も、ハンドルにうつ伏して深い安堵のため息を吐いた。


いやぁ…久しぶりにマジでヤバいと思った。


それでも、最大のスリルを味わって高揚感が湧いた。


「意外と楽しかったな。」

「…バカなんじゃないッスか?!」


ケタケタと笑いながら、車を降りて中に入る。


緩まった顔を引き締めて、俺は岩屋の姿を探す。

No.129



岩屋のいる公安部はどこだ?


部の場所は分かるが、岩屋みたいな特殊班は外部に漏れないよう周到にその存在を隠す。


どこに零を幽閉しているのかは検討もつかないが、もし本庁にいるとしたなら、ひとまずはトラ箱にでも入れるんじゃないか…。


「高瀬さん、下手に公安を探る様なマネしたら上が黙っていませんよ?」


…分かっている。

だが、このまま指を加えて大人しく引き下がる訳には行かない。


「長岡…管理官の所に行って、『澤田 修也』の接見許可証が出てるか確認取ってきてくれ。」


「…はい。」


これ以上は、長岡を巻き込めない。

心配そうに見つめる長岡に微笑んで、俺は敵陣へと突き進んだ。

No.130

何カ所かあるトラ箱のうち、公安部で使用しているのはどこか…?

ヤマを賭けてみる。

「亮…?!」


狭くてジメジメとした地下の細い廊下で、多香子と鉢合わせた。


「お前、こんな所で何してる?」


閥の悪そうな多香子の顔を覗き込んで、問いただす。


多香子は眉間にシワを寄せて、キッと俺を睨み付ける。


「なぜ、あの子を抱いたの?」


俺の質問を無視して、逆にストレートな質問を投げてよこした。


多香子の態度で、この先のトラ箱に零がいると確信する。


「亮、なんとか言ってよ…!
どうして、私を裏切る様なマネが出来るの?」


切れ長の美しい瞳に、涙が浮かぶ。


「俺には、貞操観念が無いんだよ。
そこに、抱きたいと思った女がいたから抱いただけ…」


パンッ…!という音と共に、左頬に熱い痛みが走った。

「嘘つき!
貴方って、本っ当に最低よ…!」


こぼれ落ちる涙を拭って、多香子は走り去った。


…嘘つき。


平手打ちされた頬に手を当てて、

「嘘じゃねぇよ。」
と、ポツリと吐いてふてくされる。


殴られた時、多香子は俺が避けなかった事に対して驚いた顔をしていた。


避けられるハズがない…。


まともに喰らってやるしか、多香子に対して償う方法が解らないから。


ジンジンと熱を帯びて痛む頬が、多香子を傷つけた証なのだ…。

だから今は…その痛みを噛み締めながら、愛おしい女の所へと会いに行こう。


零…

俺は、お前を拒んだりはしない。

だから…お前も俺を拒むなよ?

No.131

「それで、良いな?岩屋。」


ボスの作戦に、俺は渋々…無言で頷いて返した。


「後は任せる…上手くやれ。」


ポンと叩かれた肩に、ズッシリと気の重たさがのしかかる。

メガネを外して、目頭を押さえながら深いため息を吐く。


「大丈夫ですか、主任…。」


俺の様子を気にかけて、前田は気遣ってくれる。


「あぁ、大丈夫だ。
悪いけど、さっきのボスの件…頼んだぞ。」


ハンカチで、レンズに付いた汚れを拭き取って再びメガネを装着する。


「はい、分かってます。
主任、メガネ似合いますよね。
主任のスーツ姿、久々に見ましたよ。」

「はは…俺も久しぶりに自分の刑事姿見たよ。バーテンの制服とコンタクトに慣れてたから、疲れるわ。」


ネクタイなんて、何年振りに絞めたのか…やり方を忘れかけてた。


「二ノ宮も、近いウチに戻してやんねーとな…。」


俺が零を連れて組織を抜けたと、柳原に伝わるのは時間の問題だ。


二ノ宮にしわ寄せが来る前に、彼を本庁に戻してやらなければ。


「彼女(零)の搬送準備が整い次第、二ノ宮に帰還するよう連絡しておきます。」


「そうしてくれ。」

「それから…一課の高瀬係長の事なんですが、捜査本部から外す様に上に圧力かけときましょうか?」


前田の提案に、俺はしばらく考えて首を横に振った。


「いゃ…、あいつを捜査から外しても意味ないだろ。
あいつは、意地でも今回の捜査に食らいついて来るだろうからな…。」


「そうですね…。」

高瀬なら例え、警察をクビになったとしても、しがみついて来るだろう。


あいつは、そういう男だから…。


目的の為なら手段を選ばない。


俺と一緒で、冷血で残酷な手を使ったとしても…


真実を突き止めようとするだろう。


良いさ…高瀬。


此処まで来いよ

真っ向勝負だ。

受けて立ってやる…

No.132



「じゃぁ…行ってきますね。」


前田が何人か部下を引き連れて、俺に挨拶を送った。


手には、手錠と薬品の瓶。


「あぁ、宜しくな。
彼女が暴れても手を出さず、なるべく早く眠らせてやってくれ…。」


「…はい。」


零を想うと、俺は自らの手で彼女を苦しみの渦へと放り込む事は出来なかった。

とてもじゃないけど、泣き叫ぶであろう彼女を見る事なんて出来ない。


愛してさえいなければ…

こんなに、心を痛める事など無かっただろう…。


「零…」


どうか

良い子に眠ってくれ。


深い眠りに陥って…

次に目覚めた時

俺は、お前の救いになりたい。


お前を苦しめるのも、そこから救い出すのも…


全て…俺だけに許される特権が欲しい。

零…俺は…


どうしょうもなく

お前が欲しいよ…。

No.133


――…


三河が去った直後、数人の男達が檻の中に入って来て、私を取り押さえた。


「放せっ…!」


手首と足を捕られて身動きがとれない。

「大人しくしろ…!」


男が取り出した手錠に、私は恐怖心が募ってパニックを起こした。


『やめてぇ!』
そう叫んだ口を、薬が染み込んだハンカチで塞がれ意識を無くす…。


ダメ…

眠りたくない。


夢に堕ちたら

私は記憶を取り戻してしまう…


消し去ってきた

悲しい出来事を思い出してしまう…


恐怖を…

この身に刻み込まれた痛みを…

思い出してしまう…

手首に感じる冷たい感触と、繋がれた絶望を知らせる音が耳について


私は…


声を張り上げて泣き叫んだ。


悲鳴を上げながら


修也の元へと引きずり込まれる…


私と、彼の…


恐ろしい時間が呼び覚まされる。

No.134


「レイ、おいで。」

暗いトンネルの向こう側で、彼は私に手を伸ばす。


その手を取る時にはいつも、私は幼い頃の自分に戻っていた。


「修ちゃん…?」


見上げた修也の横顔は、どこか遠くを見つめている。


「どこに行くの?
修道院に帰らなくていいの?」


夕暮れの川沿いを歩いて、薄暗くなる空に不安が募った。


私は、もと来た道を振り返りつつも、修也の顔色を窺う。


「レイ、早く歩いて…!
アイツらに見つかる前に逃げるんだ!」

「…アイツら?」


額に汗を浮かべて、足早に歩く修也に焦りが見える。


普段はとても温厚で、常に優しい微笑みを浮かべている彼が見せたその真剣な眼差しに、私はとても嫌な予感を抱いた。

「修ちゃん…どこに行くの?」


懸命に修也の歩幅に合わせて、そのスピードに付いて行く。

「ダメだ…追い付かれる!
レイ、走るよ!」


グィと手を引っ張らて、私はバランスを崩す。


大きな石に躓いて転んでしまう。


「レイっ!」


膝から流れ出る鮮血…


私は、うずくまって泣いた。


痛くて、修也が怯える『何か』を恐れて泣いた。


「…ごめん、レイ。 僕のせいで、君をこんな目に…」


「修ちゃん…!」


抱き寄せられた身体が温かかった。


ふわりと香る、彼の匂いが好きだった。

なぜだろう…


修也は、私にとって「神様」の様な存在だ。


絶対的な、無償の愛を捧げる相手だった。


まるで、彼が居ないと生きて行けない程に…


「もぅ…ダメだ。」

修也が、そう言って私を強く抱きしめる。


数台の黒い車が私達を囲んで、中から見知らぬ男達が出てきた。


私達は引き離されて、それぞれ別の車に乗せられた。


口を塞がれて、手足はロープで縛られる。


「…この子が、標識番号ゼロか?」


「はい、抹殺対象で間違い有りません。」


車内で交わされる会話を聞いても、一体何の話しをしているのか解らない。

ただ…私は、この人達に殺されてしまうのだろうと幼心にも思った。


それよりも気になったのは、修也の安否だった…。

No.135


修也は無事なのだろうか…?


痛いことされてないかな?


彼は、殺されたりしないよね…?


私は、自分がそうされる心配よりも修也の事が心配で仕方がなかった。


「車から降ろせ。」

隣に座った男の合図で、私は抱きかかえられながら何処かへ運ばれた。


視界を奪われているからか、耳に全神経が集中した。


砂利を踏む微かな音や、ガラス破片を蹴飛ばす小さな気配ですら耳に入った。


「扉を開けろ。」

「はい。」


轟々と、重たい扉が開かれる音が恐怖心を駆り立てる。


私を抱えた男は、ひたすら靴音を鳴らして歩く。


どんな建物なのだろうか…?


随分と広い所なのだろう。


「檻を開けて、このガキを綱げ。」


固いコンクリートの地面に置かれて、足のロープが外された。


縄でこすれた足首に 痛みが走った。


その足首を捕らえれて、「何か」をハメられる。


冷たくて重たい。


足を前に出そうとしたが、動かない。


身体をよじって前に進もうとしても、ビクともしないのだ。

猿轡で塞がれた口から漏れる悲鳴。


声無き声で泣き叫んでも、誰にも届かない。


その日から、人間扱いなどされなくなったのだ。


もぅ…私は、人間ですら無かった。

No.136



どの位の日にちが経ったのか…。


手は縛られ、目も塞がれたまま…時間や日にちの感覚も掴めないでいた。


差し投げされた菓子パンを、犬の様に這って食べる。


口は自由になったが、声は出なくなった。


私は、言葉を無くしてしまったのだ。


嗅覚だけで、食べ物や水を嗅ぎ分けて貪る…。


惨めだが、必死に生きようと足掻いていた。


「レイ…?」


大半を眠る事に費やしていた私の耳に、あの柔らかい声が降り注いだ。


気怠い身体を起こして、声のする方へと顔を向ける。


目隠しが外されて、ぼやける視界に修也の笑顔が微かに見えた。


「あっ…あっ…」


彼の名前を呼びたいのに、言葉が出てこない。


「良いよ…分かってる。
何も喋らなくて良い…大丈夫。」


「…うっ…うぅ…」

修也は私を抱き寄せて、後頭部を撫でる。


久しぶりに感じる人の体温と鼓動の音。

この時…修也の身体から血の匂いが漂ってきた。


生臭い…鉄っぽい臭い。


驚いて、思わず修也の顔を見たが、彼はいつもと変わらない微笑みで私を見つめ返す。


「もう、大丈夫だよレイ。
僕が、君を守ってあげるからね…」


そう言って、再び私を抱き締める。


修也が、私を守る為に何をしていたのか…


直ぐには理解出来なかったが、少しずつ彼は、狂気に満ちた瞳を浮かべるようになった。


時には、衣服や手に血痕を付けて、私の元へと戻って来た事もあった。


「何をしているの?」


そう聞きたくても、言葉が出ない。


「ねぇ…レイ、歌って?」


修也がそう言った日…

初めて私は、彼の苦しみを理解したのだ。

No.137



彼は顔を覆って泣きながら、人を殺したと告白した。


「女の子がね…泣いていたんだ…。
『このままじゃ、嫌だ…ねぇ、助けて…?』って僕にしがみついて来た…。
僕は…っ!僕は…彼女を…っ!」


拳を握って震わせながら…修也は涙を流した。


嗚咽を漏らす口元から、涎が糸を轢いて垂れる。


修也の苦しみが…心の叫びが…痛い程に伝わって、私は歯を食いしばった。


鼓動が早まって、声を振り絞った。


「き…ら…き…ら…」


その声に、修也が反応して私を見る。


『お願い…声を出して』


祈るように、喉へと手を持って声帯を押す。


「き~ら…き~ら…ひ~か…る~…」


「レイ…?」


修也の瞳に、星が写る。

私が、彼の絶望を救ってあげよう…。


「修ちゃ…んの…願い事を…かな…えて…あげ…る。」


そう、彼に微笑んだ。


「レイ…それなら…いつか…いつか、僕を…」


私は、その時の彼を忘れない。


忘れてはいけなかった…。


澄んだ瞳の輝きを…

彼との約束を…


忘れるべきでは無かったのだ…


そうでしょう?修也…


アナタは今…果たされない約束に腹を立てているのよね?

ごめんね…


もう少しだけ…待っていて…

No.138

――…


地下の一番古いトラ箱に、零はいた。


電気は消された状態で、看守の姿も見当たらない。


異様な空気が放つ中で、俺は彼女に近寄る。


綱がれた手錠は、彼女の手首を傷つけていた。


眠らされていても、無意識に手錠を外そうともがいている。


「やめろ…零…」


その手を取って握る。


それでも、ガンガンと鉄格子に当てがいながら血を流す。


俺は、檻のスペアキーを取り出してカギを開けた。


中に入って、零に寄り添う様に寝そべる。


「もぅ、よせ…やめてくれ…!」


願うように、後ろから彼女の身体を抱いて、手首を取り押さえた。


小刻みに震える肩と、すすり泣く声…


悪夢にうなされながら、零は「ごめんね…」と譫言を繰り返した。


柔らかい髪の毛から漂うあの香り…


「ごめんな…」


壊れそうな零を抱いたまま…

俺も、「芽依」に謝った。


「ごめんな…芽依」

俺…この女を守りたい。

いつか、この檻から自由を得て自分の人生を歩める様になるまで…

しっかりと歩んで行けるまで

それまでは…零の側にいさせて欲しい。

No.139


「…嗅ぎ付けるのが早いな。」


外部からの光が、僅かに暗闇を照らす。

その人影を、目を凝らして見る。


「岩屋…?」


「正解。」


岩屋はヤンキー座りで、零に掛けられた手錠を外す。


ポケットからハンカチを取り出して、彼女の傷口にそれを巻き付けて縛る。


「出て来いよ、高瀬。」


いつになく真剣な奴の眼差しに、妙な胸騒ぎを覚えた。


俺は、零の身体を起こして胸に抱く。


「岩屋、お前…零に何をするつもりだ?」


「公安って、怖ぇ所でさ…簡単に自白剤とか打っちゃたりすんだよ。
それは、零も例外じゃない。」


…自白剤って!


「お前、正気かよ! 下手すりゃ零は廃人…最悪、死ぬかも知れないんだぞっ!!」


だいたい、記憶の無い零に何を自白させるって言うんだ…!

まさか…


俺は、零の顔を見た。

うっすらと汗が浮かかんだ彼女の額を撫でる。


「…記憶が戻っているのか…?」


いつから…?

俺から離れた理由はそれか…?


「岩屋…答えろ。
お前、零に何をした…!」


岩屋は俺をジッと見て、意を決めたかのように口を開いた。

「零は…深い眠りに就く事で、断片的に記憶を取り戻している。
最近は、その周期が短くなっていて思い出す記憶も多くなって来た。
おそらく…その眠りから目覚めた時には、全ての記憶が戻っているはずだ。」


「…それで、自白剤を投与するって言うのか?」


「あぁ、そうだ。」

「お前ら、マトモじゃねぇよ…!」


他の犯罪者達と何ら変わりない違法な手口だろ…。


自白剤は劇薬だ。

毒性の強い薬物なんだ…精神的に弱っている零には耐えられない。


俺は零を強く抱き締めて、岩屋を睨んだ。

No.140

岩屋は、もの悲しげな表情で俺達を見つめる。


「零は、耐えられるよ。
彼女の精神力の強さは並みじゃない。
俺は…数年間、彼女をずっと側で見てきたんだ。」


零に向けられた瞳の優しさに、俺は岩屋の想いに気付いた。

「岩屋…お前、零に惚れてんのか?」


だったら尚更、お前の考えが理解出来ない。


好きな女の苦しむ姿を見るなんて…

この俺ですら無理だ、そんなの堪えられない。


「好きだよ。
零を愛してる…だから、俺は彼女を信じてる。
零の強さを信じてるんだ。」


「…信じる?」


「あぁ…この事件を片付けて、零を自由にしてやりたい。
その為には、多少の苦しみを乗り越えなければならない…零なら、その苦痛も乗り越えられる。」


「岩屋…何でお前は、そんなにこの事件に拘るんだ?
好きな女を苦しめてまで…どうして…」

「高瀬、俺とお前は13年前に出会ってたんだ。
覚えてないだろ?
お前は、自分の事で必死で殻の中に閉じこもってたんだからな。」

岩屋の放った言葉の意味が解らない。

13年前に出会っていた…?


それって…あの事件当時の頃か?


「いつ?どこで…?」


「澤田 修也の初公判の日…俺もあそこに居たんだよ!
遺族席に座って、お前と同じように、憎き犯人を睨み付けてた…!」


遺族席…って

お前…だって、被害者の名前に『岩屋』なんて居なかったぞ…?


「不思議なんだろ? 俺の両親は、事件後に離婚した。
『岩屋』は母方の姓だ…。」


「お前も…遺族?」

澤田 修也に、大切な家族を奪われた被害者……?

No.141

「佐々木 真理…。 二人目の被害者は俺の姉だ。
当時はまだ、女子大生だった。」


佐々木 真理…

捜査記録に載っていたその名前は、しっかりと覚えている。

彼女が…岩屋の姉さんだと?


「お前の上司は、その事を知っているのか?」


俺の質問に、岩屋はフッと儚げに笑った。


「俺は工科大出身でさ、密かにプラスチック爆弾とか作って、テロを企ててた知能犯だったんだよ。」


岩屋の告白に、更なる衝撃を受けた。


「テロを起こそうとしたのは、澤田の一件が理由か?」


「そうだよ。
理不尽な法律の壁をぶち壊して、武力行使で世間に矛盾を知らしめたかった。
何とも浅はかで、愚かな考えだった。
…あの頃は、家族をメチャクチャにされた怒りや悲しみ、憎しみを国や世間のせいにしてた。
そんな俺を救ってくれたのは、警視総監だった。」


「警視総監…?!
警察のトップが何でっ…」


言いかけた所で、俺はある事件を思い出した。


あれは、9年程前だ…

成田空港で、爆弾テロ騒動があった。


ジャンボ機に、大掛かりなプラスチック爆弾が仕掛けられた事件。


爆破処理班の到着が、テロリストの陰謀で行く手を阻まれて大幅に遅れたんだ。

手をこまねいた本部は、秘密裏で、ある民間人の協力を要求した。


「日工科大の首席だった学生。当時、名前は伏せられたが…たった一人で、爆弾を処理した天才がいたと聞いた。
あれは、お前が…?」


岩屋は、ズボンのポケットに手を突っ込んで失笑しながら立ち上がった。


「…皮肉だろ?
自分のしようとした愚かさを、身を持って知るハメになった。
俺には、誰からの感謝も賞賛も浴びる資格はない。
しばらくは殻に閉じこもって腐ったね…そんな様子を見た警視総監は、俺を本庁に呼んで洗いざらい話しをさせたんだ。 姉の事、テロを企てた事を全部含めた上で…俺を公安部にスカウトしてきた。」

「警視総監直々にスカウトって…すげぇ話だな。」


でも、納得出来るよ。

岩屋は身体能力も高いし、頭もずば抜けて良い…

組織としては、喉から手が出る程の逸材だ。


それに…敵に回すには恐ろし過ぎる。


今、俺の目の前にいる男は…そんな男だ。

No.142



公安の刑事とは知らず、六本木界隈に名を馳せていた時から、岩屋は切れ者だと思っていた。


出来る事なら関わりたくない…唯一、俺が苦手意識を持った相手だ。


「警察に入った時、俺はお前と再開して、正直嬉しかったよ。」


岩屋は俺の目を見て、意外な胸の内を明かした。


「俺達、ここで会った事あんのか?」


そんな記憶は、身に覚えが無かった。


「いゃ、チラッと見かけただけ…と言った方が正しいな。
だけど、俺はお前を覚えていたから、修也を…あの事件を探る者として、同じ志しを持ってるお前が警察にいた事を嬉しく思った。」


黙って話を聞いていると、急に岩屋の顔が曇り始めた。


「…だけど、お前は事件の真相を追求して行く事よりも、失った恋人の影を求めて嘆いているだけの奴だった。」


落胆が混ざった鋭い眼差しに、言い返す言葉も無かった。


俺は、常に芽依が殺された理由だけを求めていたから…。


「事件全体の全貌を探るより、お前は恋人と修也の事だけ…自分の都合だけで、事件を見ていただろ?
俺だって、最初はそうだった…だけど、この事件はそれだけでは語り尽くせない深い陰謀がある。
高瀬…今のお前に、零は守れない。

大人しく、彼女をコッチに引き渡せ。」

岩屋の手が伸ばされると、零を抱き締める俺の腕に、一層と力が入った。


「嫌だと言ったら?」


「お前が拒んでも、零が傷付くだけだ。
本気で零を守りたいと願うなら、高瀬。 …お前も全力で、修也を取り巻く事件と向き合えよ。

そして、俺に追い付いて来い…!
勝負を受けて立つのは、それからだ!」

「ぐっ…!」


悔しいが、最早反論など出来ない。


俺は奥歯を噛み締めて、零を抱き上げながら檻の外へと出た。


そして、岩屋の腕に零を引き渡す…。


奴に抱かれる零を見て、自分の非力さを恨んだ。


「高瀬、ついでに俺のケツポケットのスマホ取ってくれ。」

悔し紛れに、突き出されたケツを蹴飛ばしてやりてぇ…。


岩谷は掴めない奴だ。

冷たい表情を浮かべたと思えば、コロリとおちゃらけた屈託の無い笑顔を浮かべたりする。


…調子が狂う。


言われた通りに、俺は奴のケツポケットからスマホを取り出した。


「それ、やるよ。
俺からの電話は必ず出ろよ?」


そう…ニヤリと笑って、岩屋は零を連れて出て行った。

No.143



――…


「高瀬係長に、あんな情報を与えて良かったんですか?」


表で俺達のやり取りを聞いていた前田が、呆れ顔で俺に問いた。


なぜ、高瀬に助言紛いな事を言ってしまったのか…

自分でも理解出来ない。


ただ、大切そうに零を抱きかかえたアイツを見ていたら…何となく気持ちが重なった。


いいゃ…そうじゃないな。


高瀬の、零への想いが本気だと分かったから…フェアで戦いたいと思ったんだ。

きっと、そんな感じだろう。


「あんなの、情報を与えた内には入らないだろ。
高瀬を野放しにするより、奴の行動を把握していた方がやりやすいってだけだ。」


「それで、盗聴器搭載のスマホを手渡したんですか?
バレて、壊されませんかね…。」


もちろん盗聴器が仕込んである事に、高瀬は気付いてるさ。

だけど、アイツは使うよ。

零が此方側にいる以上、俺とのパイプは繋いでいたいはずだからな。


「防弾・防水加工してあるから大丈夫だろ♪」


「…どんだけですか!」


そんだけです!


「よっと…!」


前田との会話に綻ばさせて一瞬、力が抜ける。


ずり落ちそうになる零を抱え直して、外に待たせた車に向かった。


「手錠…可哀想な事しちゃいましたね…。」


血の滲んだハンカチに視線を向けて、前田が呟く。


手錠を掛けた本人も、辛かっただろう。

「いちいち、心を痛めてたら公安の捜査員なんて務まんねーぞ?」


綱がれて暗闇に放置される事で、零は過去の忌まわしい記憶をフラッシュバックさせる。


いわば、ショック療法の一つでボスが下した命令だった。


「岩屋主任が一番、堪えたんじゃないですか?」


俺は、無言の苦笑いで返した。

それが答えだ…。

No.144

――…


岩屋から手渡されたスマホ…。

奴の事だ、どうせ盗聴器でも仕込んであるのだろう。


ご丁寧に、機種まで俺が使ってるのと同じ物を用意しやがって。


2機のスマホを見比べてると、ダウンロードしているアプリですら周到にコピーされていた。


あいつ、(岩屋)俺のストーカーなんじゃねぇの?


失笑しながら、そんな気味の悪い事を思っていると、岩ホ(岩屋手製スマホ)が鳴った。


表示は、長岡になっている。


オイオイ…マジかよ。


「はい、高瀬。」


カモフラージュかと思って出たが、相手は正真正銘・長岡本人からだった。


「高瀬さん、接見許可証が手に入りました。
明日の午前中に『澤田』との面会が可能だそうです。」


「そうか…分かった。」


「今から戻る」と伝えて、俺は通話を切った。


岩屋の野郎…回線まで変えやがった。

とことん、俺の動向を探る気でいやがる。


「…上等だよ!」


そう、振りかぶって自分のスマホを鉄格子の中に投げ捨てた。


勢いよく壁に叩き付けられて、液晶が粉々に割れ飛び散る。

『俺に追い付いて来い!』


発破をかけられて、黙ってなどいられない。


「すぐに追い付いてやる…!」


俺を焚き付けて、本気にさせた事を後悔させてやるよ。

No.145


翌朝、クローゼット内の姿見で身支度を整えていると、岩ホが鳴った。


腹を括ってからは何の躊躇も無い。


俺は表示も気にせずに、それを耳に当てる。


「はい、高瀬。」


ズラリと並んだネクタイを指でなぞって選ぶ。


「高瀬、例のDNA照合の結果が出たぞ。」


その声と、『DNA』というフレーズで指を止めた。


「…今から向かう。」


慌ててクローゼットを閉めると、そのまま走って玄関に向かった。


エントランスの自動ドアですら、こじ開けて車まで急いだ。

バックミラーに映った首元―…ネクタイをし損ねた事に、そこでやっと気が付いてYシャツのボタンを3つ開けた。


アクセルを踏むと、エンジンが火を吹くように「ブゥオン!」と唸りを上げる。

すべすべのアスファルトに、タイヤがキュルキュルと滑りながら地上へのカーブを曲がる。


フロント硝子に朝日が差して、一瞬だけ目が眩んだ。


その光の中で、零の正体を知る恐怖が湧いてきた。


知りたいけど、知りたくない。


そんな心境だった。

怯む気持ちがあるのに、この右足はアクセルをベタ踏みしている。


気持ちとは裏腹に、身体は勝手に彼女を求めている様だった。


俺の血肉が、細胞が…フツフツと沸きだって何かを駆り立てた。

No.146

科捜研に着くと、俺は一目散に河野の研究室へと向かった。

汗はかきにくい体質なのに、額から頬を伝う雫が流れた。


そんな状態だから当然の如く、息切れして一声も出ない。


ただ、肩を上下に揺らすだけ…。


そんな俺を、いつになく険しい顔で河野は出迎えた。


そして無言のまま、検査結果の入ったファイルを差し出す。

向けられた視線が強くて、俺は河野の瞳から目が離せない。

指先がファイルに触れた時…河野はパッと、それを上に掲げた。


そして、眉間にシワを寄せながら

「お前、このサンプル(毛髪)をどこで手に入れた?」

と緊迫した様子で訊いてきた。


タダ事じゃない…

それだけは、伝わる。


「芽依の…彼女の血族者だったか?」


出した指を引っ込められず、硬直したまま震える声で言った。


河野の目がピクリと動いて、口元が歪んだ。


「藤森 芽依の血族者…?
バカ言うな、このDNAは彼女そのもの…同一者だ。」


河野の放った言葉に、俺は奪うようにファイルを取った。


目を凝らして、2枚の書類を見比べる。

『99・9%一致で同一人物の物と照合する』


結果を記す一行を読んで、手から紙が滑り落ちた。


ヒラヒラと舞う紙切れを見て、身体を震わせる。


芽依は…確かに13年前に死んでいる。

遺体解剖もしたし、それは揺るぎない事実だった。


大体…歳が合わない。


零が芽依本人だとしたら、彼女の本当の歳は俺と同じ33だ。

とてもじゃないけど、それは有り得ない。


零はどこからどう見ても、あどけなさの残る19歳の少女だ。

何よりも、事件当時20歳だった芽依が、突然7歳の幼児の姿になるなんてのは現実的じゃない…。


「高瀬、お前の周りで一体、何が起きてるんだ…!」


口元を手で覆いながら、河野は俺の肩に手を掛ける。


俺は脚の力が抜けて、その場に座り込んだ…

重なった2枚の書類が…未開の境地へと俺を手招く。


『地獄への招待状』
それを手にしてしまった今…

もう、後戻りは赦されない。


「澤田 修也」が嘲笑いながら俺を待つ。

『亮くん、僕は此処にいる…。
君が僕に会いに来る日を、ずっと待っていたよ…』


そう…手招きされている気がしてならなかった。

No.147


「河野…同じ人間が、時間差を得て同時に生きるって…有り得るのか…?」


俺は、かすれた声で発した。


全身の水分が蒸発していく感覚―。

視線はただ一点に集中する。


ハァ…と、河野から重たい溜め息が漏れた。

額に手を当てがって、苦悩を浮かべる。

そして、徐に口を開いた。


「有り得ない事じゃない…。
だけど、絶対に有ってはならない事だ…!」


そうだ

そうだよな…。


俺は、河野の言わんとした事を理解して小さく何度も頷いた。


「高瀬…これは、人として決して手を出してはならない神をも冒涜した行為だ。」


「…俺は、神や仏は信じない。」


「そうじゃなくて…人間が侵してはならない禁忌を、破った奴がいるって事だよ!
その書類は世界を震撼させて、如いては日本を破滅に追いやるカードにも成りかねないんだぞ…!」

科学者の河野は、俺以上に事の深刻さを熟知している筈だ。

白衣を靡かせ、落ちつきなく頭を抱えながら目の前をウロつく。


時折、イラつい様子で舌打ちもする。


そんな河野に、心底申し訳ない気持ちが湧いてきた。


「すまない、河野…。真相が解るまで、この事はお前の胸にだけしまっておいて欲しい。」


「お前、それ本気で言ってんのか?」


見過ごせない事態なのはよく分かっている。


だけど…ちゃんと真相を掴むまでは周りに騒がれたくない。

辛い秘密を共有する苦しみを、親しい友人に強いたげてしまう罪悪感はあったが、どうしても譲れないものもある。


「本気だよ。」


瞳に力を入れて、じっと河野の目を見た。


河野は一層と眉をひそめて、大きく呼吸をする。


「お前のマガママをきくのも、今回で最後だ。」


差し出された手を握ろうとした時、河野は付け加えて

「絶対に、真相を追求して事件を解決しろよ!」

と放った。


俺は、河野の右手にガッチリと握手して
「必ず…!」と誓いをたてた。

No.148


そして…その足で、澤田が収監されている医療施設へと赴いた。


厳重な警備体制を牽かれてはいるが、見た目は他の大病院と何ら変わりない外装。


大門にいるライフル銃を常備した警察官に、『接見許可証』を渡して施設の中へと入った。


日本の中に、こんな場所があるなど誰が思おうか…。


「警視庁捜査一課の高瀬係長ですね。
どうぞ、お待たせ致しました。」


広いロビーのソファーに腰掛けて待っていると、横から白衣姿の医師らしき男が現われた。


男の後ろには更に、3人の制服警官が「休め」のポーズで仁王立ちしている。


「私は、澤田 修也の担当医をしています…小平です。」


「どうも…早速ですが、澤田と面会できますか?」


堅苦しい挨拶は抜きにして、一刻も早く澤田に会いたかった。


「もちろん、大丈夫ですよ。
さぁ、此方です。」

手招かれて、暫くその後を付いて行った。


施設の中では、白装束の患者達がウロウロと自由に歩き回っている。


虚ろな目で、飾られた花の絵を眺める者…。

壁に自身の頭を打ちつけている者…。

奇声をあげて小走りに走り回る者…。


ここには、スタッフ以外にマトモな人間はいないようだ。


「あぁして、自由に出回っている患者は、我々に危害を加えたりしませんのでご安心を。」


異様な空気に気を取られた俺を勘ぐって、小平医師は微笑で見せた。


「さて…問題は、この先です。」


『関係者以外立ち入り禁止』


真っ白い大きな自動ドアの前で一行は立ち止まった。


俺の後ろを張ってた警官が、銃の安全ロックを解除して構える。


「高瀬さんも自身の銃をお持ちですよね?
今出せとは言いませんが、『もしも』の場合も考えておいて下さいね。」


意味深な言葉を残して、小平医師はカードキーをドアの横に設置されたセンサーに差し込む。


赤く点滅していたボタンが青色に変わる。


そして、くっ付いていたドアが双方に別れた。


「この先は、隔離病棟です。
つまり、我々に危害を齎す可能性のある重病者施設になるので気を付けて下さい。」


鉄格子の並んだ廊下からは、怒号の様な奇声と鉄をガンガンと打ち鳴らす音で響き渡っていた。


「決して、鉄格子に近寄らない様に。」

引き寄せられて、耳を噛み千切られた職員がいました…と、小平は続けて言った。

No.149



生唾をゴクリと飲んで、足を前に進めた。


収監されている重病者が、俺達を威嚇する様に睨み付ける。

殆どの者が、人間らしい言葉を無くして唸りをあげるだけだった。


「薬に溺れた人間の成れの果てです…辛うじて、人の形をしているだけの獣なんですよ。」


小平医師の言う事に頷いて、その獣達の前を通り過ぎて行く。


「あっ、言い忘れてました。」


急にピタリと歩みを止めるから、小平の後頭部に鼻を打ちつけた。


俺は鼻をさすって、不機嫌に「何スか!」と問いた。


小平は振り返って、悪びれる様子もなく
「澤田 修也を見ても驚かないで下さいね。」
と言った。


「驚く…?」


「実は、彼は不思議な事に歳を取らないんです。」


は…?

淡々と、ばか気た事を抜かす小平に呆れ顔を向ける。


「あ~…誤解しないで下さいね。
歳は重ねているんですよ?
ですから、彼は今年で31歳になる青年で間違いないのですが…見た目も中身も、事件当時の18歳の頃まま変わっていないんです。」


頭の片隅に、法廷で会った時の奴の顔が浮かんだ。


中性的な顔立ちの、18歳にしては幼く見えた奴の姿…。


まさか…あの頃と変わってないなんて事が、本当にあるのだろうか?


「意味が解りません…中身とは、精神的な事ですか?」


「勿論そういった意味も含めてですが、肉体的にも老いていかないんです。
彼は、当時から癌に侵されていました。 ですが、治療すらしていないにも関わらず癌は進行してない。
体内時計が完全に止まってる状態です。」


不気味でしょう?と、小平は笑う。


異常者と長い時間を共に過ごすと、そいつも一緒に狂ってしまうのかも知れない。

小平を見て、率直にそう思った。


「早く、案内して下さい。」


「あ、はいはい。」

薄気味悪い笑みを浮かべた小平は、サッと我に返って再び歩みを進めた。


長い通路を渡ると、突き当たりに一際広い鉄格子が目に入った。


膝を抱えて丸まった白い背中が、靴音に反応して少しだけピンと伸びる。


「彼が、澤田 修也ですよ。」


まだ、かなり離れた場所から小平はその背中を指差した。


ここからは、一人で行けって事か…


チラッと小平を見て、目で確認を取る。

小平は口角を上げると、掌をスッと澤田の方へと向けた。

No.150



ホテルのドアマンが客を招き入れる時の様なポーズを施されて、俺は一歩ずつゆっくりと澤田に近づいて行った。


靴音を鳴らす度に、心臓が大きく鼓動を打つ。


白い背中が、スゥっと立ち上がる。


俺の緊張は頂点を向かえていた。


「澤田 修也…。」


名前を呼ぶと、奴はゆらりと身体を振り向かせた。


小平は驚くなと言ったが、それは無理だった。


俺の目の前には、初公判で姿を現した時のまま、何も変わっていない『澤田 修也』がいた。


澤田は…未だに少年だった。


まるで、幽霊だ…。

「久しぶりだね…亮君。」


穏やかさで満ちた微笑みに、悪寒が走る。


「俺を覚えてるのか?」


俺の質問に、澤田は「もちろんだよ。」と頷いて返す。


「君が僕に会いに来るのを、ずっと待ってたよ。」


何もかもが異様だった。

広い鉄格子の中、人畜無害そうな少年と、一台のベッド…それらを囲む数台の監視カメラ。


「芽依の事も覚えているか?
お前が、最後に殺した女だ。」


澤田は再び頷く。


「芽依を忘れた日は無いよ…。
芽依は…僕の全てだったから。
今も、僕の中では生き続けているんだ…。」


胸元を掴んで、幸せそうに瞳を閉じ語る澤田を、俺は冷めた気分で見つめた。


そうでもしないと、走り寄ってその胸座を掴み上げてしまいそうな衝動に襲われるから。


「何故、芽依を殺した?」


澤田の見た目が、普通に歳を重ねて老いていれば…こんなに苦しく、怒りに駆られる事も無かっただろう。


奴のいる檻の中はタイムマシーン…


澤田は、それに乗ってやってきた過去の残存だ。


俺を…13年前の憎しみの渦へと引き戻す。


「亮君、芽依は君の事をとても深く愛していたんだよ…?
僕に、君との事をよく話して聞かせてくれた…。
君を語る芽依は…本当に幸せそうで…美しくて…」


そこまで話すと、澤田から微笑みが消え、虚しさを宿した表情へと変わった。


「…可哀想だった。」

「可哀想?」


『何が?』と、身を乗り出そうとした時―…


「レイは、芽依のような美しい女性に成長したかい…?」


不意に投げかけられた『零』の名前に、身体がピタリと動かなくなった。


芽依のような…

そのフレーズに、俺は目をつり上げて澤田を睨み付けた。

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