[クローバー]キンモクセイ[クローバー]

レス324 HIT数 103315 あ+ あ-


2015/07/23 03:12(更新日時)

あの時ああすれば…。もっと違った未来があったのか…。

後悔なんてしたくない…一度きりの人生だから。



はじめての携帯小説で未熟な文章ですが時間のある時に少しづつ更新したいと思います☺読んで頂ければ幸いです。


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No.1776650 (スレ作成日時)

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No.251

電話を切ったあと無性にひろくんに会いたくなった。

声だけでもいい。ひろくんの声が聞きたい。

電話をかけようと…番号をプッシュし、途中でやめた。

私から電話をもらっても、困るだろう。

就職活動がんばっているのかなぁ。

以前、ひろくんからもらった、ヒロ・ヤマガタの絵を見つめていたら、涙が溢れてきた。

ひろくん、ひろくん、会いたいよ…。

「馬鹿だないずみは…。」って、言って笑って欲しい。

うんん、なんにもいらない、ただひろくんのまっすぐな瞳、その姿を見ていたい。

ベッドにうつ伏せになり、枕を濡らした。

まだこんなにも好きだ。でもひろくんには、私は、必要ない。

そう、きっと必要ないんだ。

一人の夜はとても長く、女々しく、おいおいと泣きながら、眠ってしまった。

No.252

🎵 あなたのいない右側に、少しは慣れたつもりでいたのに、どうしてこんなに涙が出るの…。
もう叶わない想いなら、あなたを忘れる勇気だけほしいよ…。🎵


職場のオリエンテーションやらなにやらで、バタバタと毎日が過ぎるおかげで、メソメソした気分が、半分で済んでいるのだろう。

一人前のナースになりたい。

悲しみの感情をそうやって転嫁させて、何とか、やり過ごしていた。


今日は国家試験の合格発表だった。

同じマンションの同期の子が「いずみも受かってたよ!ウチらの代は全員合格よ!」と教えてくれた。

ホッと一安心。

両親と、妙子、それからひろくんに、伝えなきゃ。

いや、ひろくんは…やめておこう。

未練たらたら、下心ありありに思われて、今の私…ちっとも魅力ないじゃない。


結局、その日すぐに、両親と妙子に電話をかけた。

リエにはエアメールを書いた。


翌日、仕事を終え帰宅し、いつもの様にマンションの玄関のポストをのぞく。

たいていはダイレクトメールだ。

今日は一枚の官製ハガキが入っていた。見覚えのある文字…。

ハガキを持つ手が震えた。



No.253

『前略。
国家試験合格おめでとうございます。

晴れてナースとして病棟に立つわけですが、医者の不養生と言う言葉もあります。夜勤などの勤務は大変かと思いますが、体に気をつけてがんばって下さい。

私も、就職活動の傍ら卒論に取り組みがんばっています。

毎日帰りは9時近くになりますが、なんだかんだと楽しく過ごしております。

それでは。武田宏之。』

ひろくん!!

あぁ…ひろくん。

新聞で名前、探してくれたの?

昨日の消印、すぐにハガキくれたんだ。ありがとう。

でも…電話じゃなくてハガキなんだね。

行儀しい、よそゆきの文章は、もう他人ってこと…ね。

嬉しさと、素直に喜べていない自分とが入り交じりしばらく、マンションの入り口に突っ立っていた。

お礼の電話しても、おかしくないよね?

それとも、電話じゃないって事は、今は、話たくないのかな…。

ぐるぐると思考は駆け巡りひろくんの事で、頭の中が一杯になった。

部屋に戻って荷物を下ろし再びハガキを読み返す。

『合格おめでとう』の文字は赤いペンで囲ってある。 なんとも几帳面なひろくんらしい。

クスクスと笑いが込み上げてきた。

やっぱり、夜、電話してみよう…。


No.254


ドキドキ…。トゥルルル…の呼びコールで待っている間ってどうしてこんなに緊張するんだろう。

トゥルルル…五回目、時刻はすでに10時半。

ひろくんのお母さんか妹の香織ちゃんが出るかも…。

まだ帰っていないのかな…。次に出なかったら電話を切ろう。

私は、手にしっとり汗をかいていた。


「もしもし…。」
ひろくんの声だ!

「あっ、こんばんは。お久しぶり…。」

「あぁ、久しぶり」

「あの…ごめんなさい、寝てた?。」

「いや、風呂から出たところ。」

「そうなんだ…。ハガキありがとう。」

「いずみ、ホントに良かったな。まずはスタートラインだ。」

「うん。そっちはどんな感じ?」

「まぁ、ぼちぼちな。なんとかなりそうだよ。こっちに帰って来たりするのか?」

「バタバタしていて、まだ今月は一度も…。」

「そっかぁ~、社会人は大変だよな。」

「そんなことない。ひろくんこそ、毎日遅くまでがんばっているみたいで…体壊さないでね。…あの…今度、会える?」

やだ、何聞いちゃっているの私!!

「……ゴメン、会えないよ。」

「そうだよね、忙しいでしょうし…。あっ、いや、忙しくなくても、ねぇ、ほら、今更、会うのも変だよね…。」


No.255

バカだな私。ハガキを貰ったからって舞い上がっちゃって。

ひろくんは、まだ就職活動の真っ只中なのに。いやいや、別れた彼女から“会いたい”なんて言われても…ね。

そう自分に言い聞かせようと思っていた。

少しの間のあと、ひろくんは、言葉を選ぶよう「連絡するから、いずみ、待っててくれないか?必ず連絡する」と抑揚なく言った。

「…えっ?あっ、うん。」

なになに?なによ?

突然の返答にどぎまぎしてしまった。
“待ってろ”なんて、のぼせてしまうじゃない。

いやいや、連絡を待てって意味だわ、多分。

だって、ひろくんは、“まだ好だ”とか“電話、嬉しいよ”とか言ってないじゃない。

ハガキの内容だって他人行儀だし…。

多分、私に気を使ってくれたんだ。そういうところ、ひろくんは、優しい。

よし、明るく返さなくては。

「うん。ひろ…、武ちゃん、落ち着いたら連絡待ってるね。じゃあお休みなさい。体に気をつけて。」

「うん。お休み。そっちこそ、体、気をつけてな。じゃあ。」

受話器を置いた後に、電話をかけた事を少しだけ後悔した。

お礼の電話のハズが、なんだか困らせてしまったかなぁ…。

最後は“いずみ”じゃなくて“そっち”か…。

二人の縮まらない距離をはっきり感じてしまった。


No.256

私からは、電話はかけない。そう決めた。

期待しない…自分が傷つかないように、と心のどこかにバリアを張っていた。

新しい生活を大切にしなくっちゃ。

いろんな思惑が巡る。

“ひろくん”なんて呼んじゃいけない、“武ちゃん”と“いずみちゃん”に戻らなきゃ…。



「だってさぁ、“そっち”だよ…。そっちって言い方ははないよね、どう思う妙子?」

「まぁ、武ちゃんは頑固だから就職決まるまで電話とかかけて来ないだろうね」

妙子の就職のお祝いに、創作料理バーに二人で来ていた。

ベトナム風生春巻きを摘まみながら、私の相談を妙子が聞いてくれていた。

「なんだかんだ言いながら、いずみは、武ちゃんをずっと待ってるんでしょ?我慢しなさい」

妙子がお姉ちゃんの様になだめる。

ピシャッと言われると弱いなぁ。そうするしかないもんね…。


楽しい食事とお酒だった。

私は、病棟で働き始めてからずっと緊張の連続で疲労もたまっていた。


「ご馳走様~、いずみ。今日はありがとね」

「こっちこそ、楽しかった。決まって良かったよ。」

「このあと、実家に帰らないの?」

「うん。明日休みだから少し引越しの片付けする」

「そっか、また電話するね、じゃあ」

「じゃあね。」

No.257

トゥルルルル…トゥルルルル…。

翌朝、9時近くまで朝寝坊をしていた私を起こしたのは妙子からの電話だった。

「もしもし、いずみ。まだ寝てた?ごめん。」

「ああ、妙子、昨日は…」

私の言葉を遮って妙子は続けた。

「教えて欲しいの。お父さんが血を吐いたみたいなの…。」

「えっ!?」

寝ぼけ眼(まなこ)は一気にふっ飛んだ。

「それで、今どんな具合?意識はあるの?何時頃、どのくらいの量?」

「良く分からないけど、今は、元気にしてる。朝食前に歯みがきしたら、げっ~って胃液に混じって吐いたらしく、量は分からないの。“夕べ飲みすぎたかな~、今日はお粥にしておくか”なんて言いながら、今、お粥煮てるの」

妙子の声は、冷静だが電話の向こう側でおそらく青い顔でいるだろう。

「なんにも食べたら駄目だからね!私、今から行くから、妙子、休日対応してくれる病院探して。それから、お父さんの具合に注意して、急に気分が悪くなったりしたら、救急車呼ぶんだよ!」

「うん。分かった。」

「大丈夫だからね。しっかりね、妙子!」

私は、身支度を整えると急いで駅へ向かった。


No.258

妙子から“市民病院が休日の受診対応可能だから行ってくる”との連絡が入った。

私は、実家へ立ち寄ると、ティッシュにタオル、スリッパとビニール袋、ホテルでもらった歯ブラシなどを手早くまとめ、車で市民病院へ向かう。


救急外来の待ち合い室に妙子の姿はなかった。

守衛に妙子の父の名前を聞いたが、入院患者にはいないと言う。

私は、おそらくまだ検査に行ってるのだろう…と内視鏡センターへ向かう。

途中の自動販売機で、フルーツジュースを二本買った。

廊下の椅子に座る妙子の姿があった。

「妙子、大丈夫?」

「あっ、いずみ。わざわざ、仕事お休みなのにゴメンね。」

「何言ってるの、それよりも、おじさん、どうなの?」

「まだ検査結果が揃わないと分からない。」

「うん。そうじゃなくて、本人はどんな様子?」

「あぁ、意外と元気にしてる。“半年前に市の検診は受けてるからなぁ”って」

「そっか。妙子、飲みなよ。何にも食べないで来たんでしょ?ほら、甘いものとって、喉、潤して。」

「ありがとう。」

二人でジュースを飲み終えてしばらくすると、「桑島さんのご家族の方。」と内視鏡センターのナースから呼ばれた。



No.259

「桑島さん!」再びナースから中に入るように催促された。

妙子は、私の腕をグイッと引っ張ったので、私も妙子の家族と言う事で同席させてもらった。

医師はあれこれ説明を始めた。後ろでナースが頷きながら時々メモをとっている。

「胃の粘膜が荒れていて、潰瘍になっていたので、そこからじわじわと出血していたようです。血の止まる水薬を蒔いので、出血は止まるでしょう。気になる部分がいくつかあったので、摘まみ取って検査に出します。しばらくは食事は摂れない為に入院してもらいます。」

40代半ばくらいの眼鏡のひょろりとした医師は、きっぱりとした口調で締めくくった。

妙子は、ほっとした様子とこれから父親の容態がどうなっていくのか、とで不安が入り交じった表情で説明を聞いていた。

説明の後、廊下へ出るとストレッチャー(移動寝台)に乗せられて、病棟へ向かう妙子の父の姿があった。

「おじさん…。」検査着を着ているからか、久しぶりの妙子の父親はずいぶんと痩せていた。

「いずみちゃん、いろいろと悪いな。」ゲホッ、ゲホッ。

妙子の父は胃カメラの後の喉の麻酔がまだ効いているようで、ムセながら話していた。

「おじさん、何言ってるの、こんな時に。入院してしっかり治して下さいね。」


No.260

「いずみ。お父さん…。癌とか…。そういう可能性ある?」
妙子は静かな口調で聞いてきた。

私は、「うん。どうだろう…。検査の結果が出ないとなんとも…。」

就職したばかりとはいえ、職業柄、下手に“大丈夫だよ”なんて無責任なセリフは言えなかった。

妙子の家には何度もお邪魔して、妙子のお父さんの事も良く知っていたから、親戚のおじさんの事のように、心配になった。



それから、妙子とお昼を食べて実家に車を戻し、横須賀に帰った。

マンションの部屋に着くと疲れがどっと出た。

留守番電話のランプが点滅しており、再生ボタンを押すと“こんばんは萩原です。お久しぶり、いずみちゃん、元気かなぁ?ハガキもらったまま、なかなか連絡しないでゴメンね。ゴールデンウィークに後輩たちの部活の試合を見に防大にいきます。少し、会えないかな。また連絡します。”

萩原さんからだった。しかもほんの5分位前のものだった。

手帳を開き、来月の仕事のシフトをると、空いている日はいくつかあった。連絡をしようと思ったが、やめた。

疲れていた。また連絡くれるって言ってるし…。

ゆっくりお風呂に入り汗をながす。

ベッドの上で、ひろくんからもらったハガキを読み返す、枕の下に入れて眠りについた。

No.261

ひろくんからのハガキは、私にとってお守りがわりだった。

なんとなく、ひろくんからは、もう二度と連絡がこないような気がしたからだ。

“無事に希望どおり、就職が決まりますように…。”

私には、彼の夢を応援する事しか出来ないのだと思う。


数日後、萩原さんから、電話があった。

久しぶりにゴールデンウィークに会う約束をした。広島の実家に寄ってから来るそうだ。

しばらくぶりの萩原さんとの電話で、気持ちが弾んだ。


一方、妙子の父親はあれから入院している。そろそろ生検の(胃粘膜を採取した)結果が出る頃だろう…。


今の私は看護師としては、なんにも出来ない。ただ妙子の話を聞くだけ。

それが歯がゆかった。

妙子は、小学生の時に母を亡くしていたので、兄と交代で父親の看病に当たっていた。


「いずみ…。父の生検の結果が出たの。お兄ちゃんと聞いてきた。13箇所検査に出して、11箇所から悪性度の高い細胞が見つかったって…。胃ガンってことみたい。」妙子からの連絡だった。

「そうだったの…。おじさん本人には?」

「うん。先生からは『癌になる可能性が高いから、早めに手術で胃を取り除きましょう』って…。明日、外科に転科するんだって。」

No.262

「めぐみさん、聞いてもいいですか?胃ガンでオペが適応となると、多臓器には転移がないか、ステージが進んでいないんですよね?」

食堂で昼休憩中、同じ病棟の先輩に聞いてみた。

「なぁに?急に」

「いえ、知り合いが胃ガンで入院しているんです。」

「う~ん、そうとも限らないわ。進行ガンで、ツモール(腫瘍)が大きくなって、消化管閉塞を起こしてしまう場合や、消化器からの出血などのリスクが高い場合はマーゲン(胃)全摘をする事もあるから。」

「そうなんですか、でもそれって、延命だけって事ですよね?」

「まぁ、広い意味ではね。でもオペしなければ1ヶ月。オペすれば3年なんてケース、本人と家族がどう捉えるかよねぇ…。」

「…そうなんだ。」

めぐみさんは病棟の先輩で主任補佐をやっている。

実習中も指導者として関わってくれた。“佐藤”の苗字が二人いるので“めぐみさん”としたの名前で呼ばれていた。

仕事は出来るし、優しいし。患者うけはもちろん、ドクター達からも評判は上々だ。

「まぁ、いろんなケースがあるから詳しいムンテラ(医師からの患者への説明)を聞いてみないとなんとも言えないけど…。私、先に病棟に戻るわね!」

めぐみさんは、そう言いながら立ち上がり、片手で食器をもちながら、片手で私の肩をポンと軽く叩いて行ってしまった。


No.263

神様…妙子のお父さんを、助けてあげてください。私の大好きな妙子を悲しませるような事はしないでください。

患者さんの家族の気持ちが少しだけわかる気がした。

まして命に関わる病気であれば…。
本当に神様がいるのなら、どうか願いを叶えて欲しい。

何より早くに母親を亡くした妙子が、同じような悲しみを味わいませんように…。


以前に、母親の死について妙子から聞いた事があった。

肺癌と診断された時にはすでにかなり進行しており手遅れの状態だったと。

父と兄はその事を知っていたが、当時、小学6年生だった妙子は母親が末期であることを知らされていなかった。

『退院したらパン屋さん、やろうって、言っていたの。お母さんの病室ににパン作りの本なんて届けたりしていたのに…馬鹿みたい。お兄ちゃんもお父さんも知っていたのにさ…。』と。

ふとその話と、その時の妙子の様子を思いだし、目頭が熱くなった。

妙子は滅多に泣かない。でも本当は繊細で、感受性の強い女性なんだ。

傷付かないように、予防線をはって、泣くと言う感情を封印しているのかも知れない。

強くて賢い女性だ。が故に、妙子の事を良く知らない人からは冷たいと思われてしまうのだろう。

「ぼっ~としていないで、ほら仕事、仕事。」年輩のベテランナースにまくし立てられ休憩室を後にした。

No.264

「緊急入院くるよ、小久保さん、手伝って!56歳の男性、SAH(ザー)だって。アンギオしてからオペ出し!分かった?」

男性のくも膜下出血の入院。オペ(手術)前にアンギオ(血管造影)検査で動脈瘤の確認するんだ…。

専門用語ばかりで、頭の中は混乱していた。

病棟に立ってまだ1ヶ月だが、毎日、4~5名の緊急入院があるウチの病棟は猫の手もかりたいほど忙しく、“新人です”など悠長に構えている余裕はないのだ。

「点滴スタンドと酸素準備できました」部屋の準備をしたことを報告する間もなく「同意書もらってきて。落ち着いたら、家族に入院手続きしてもらう様に案内して。それから輸血取りに行って。」

「ハイ!」

一年生の私は、患者さんの容体の判断や術前、術後の管理などの看護は出来ない。精一杯、今、出来る事をやろう。

ナースコールの対応をしていると「早く、言われたとおりやって!使えないなぁ。」

先輩ナースはイライラした様子で私に厳しい言葉を浴びせる。

“辛い時こそ人は成長している時”“人生の困難な場面を微笑を持って担当してください。”どちらもひろくんが、実習でめげていた私に言ってくれた言葉だ。

ひろくんは、こうやって私を支えてくれていた。

うん、めげずに頑張ろう。私は、厳しい言葉にしょんぼりせずに仕事に集中した。

No.265

ゴールデンウィークに入った。ウチの病棟の新人ナース6名はまだ夜勤の頭数に入れないので、カレンダー通りにお休みをもらえた。

妙子のお父さんは術前の検査が終わり、連休明けに手術が決まった。

検査の結果、いくつかのリンパ節に転移が見つかった。

めぐみさんから教えてもらった通りのようだ…。

それでも、手術をして家に帰れるのなら…。




5月に入り連休初日は雨だった。今日は萩原さんと夕方から会う日だ。

「いずみちゃん、久しぶり。元気だった?」

「萩原さんこそ、元気そうで。あ~、今日は飲んじゃおうかな」

「あはは、付き合うよ。いずみちゃん飲みっぷり良いからなぁ。」

ドキドキ感はないがこの人の穏やかなな笑い声が好きだ。一緒にいると安心する。

今日は萩原さんに甘えちゃおう。美味しいものを食べて、飲んで、愚痴を聞いてもらって…。

明日からの元気をもらおう。

ねぇ、ひろくん。じっとひろくんを待っているだけの女より、気のおけない男友達と飲みに行ったり、毎日、明るく過ごしている方が魅力的だよね。

心の中でつぶやいてみた。私、言い訳をしているみたいだ。なんで?


No.266

「萩原さん、何飲んでるの?一口飲ませて。うん、これ美味しい。スミマセ~ン。おんなじのください。」

「いずみちゃんは相変わらずだな。」

「なぁに。食いしん坊で、大酒飲みって事?」

「いや、ウチは両親も教師だし、姉貴も公務員だろう、いわゆる優等生の一家でね。いずみちゃんみたいに自由にいろいろな事を表現出来るのっていいなって思うよ」

私だって臆病者でもっと自由に自然にできたら…って思うよ。そう言いたかったが飲み込んだ。

「ありがとう。萩原さんといると安心する。」

「うん。僕もいずみちゃんといると安心するよ」

「じゃあ、例えばさ、一緒の布団に入っても、安心して二人とも直ぐに寝ちゃうかもね。」

「…。それはどうかな、僕も男だからね。」

うわっ、萩原さん。冗談のつもりが。そんな真面目に返答されたら…。

自分から言っておきながら、少しだけ恥ずかしくなってしまった。

「ちょっとトイレに行ってくるね」

恥ずかしさをごまかす為に、席を立った。

トイレの鏡で自分の姿をまじまじと見る。口紅を引きなおす。

やだ、私、萩原さんを意識しちゃってる?

駄目だ。酔っ払ってるんだ、これじゃあ、ひろくんを待てないただの寂しい女じゃないの。

No.267

席に戻ると、胸の内を悟られない様に、ニッコリとびきりの笑顔をつくった。

萩原さんは“ん?”と言った表情をしている。

「どうかした?」

「うんん。なんでもない。萩原さんと飲むお酒はたのしいなぁて。」

「そりゃ、良かった。いずみちゃん、ダーツやった事ある?」

「ダーツって的に刺すゲームの?」

「うん、そうだよ」

「ないけど。」

「じゃあ、米軍基地の近くのバーに行こう。ダーツ出来る店知っているから」

そう言われて、場所を変えて飲み直した。


ショッキングピンクやブルーのネオンに彩られた外装、オレンジ色の店内と黒と白タイル張りの床ががガラス越しに見える。

ドアを開けるとバドワイザーの瓶を片手に白人が三人がピンボールのスコアを競いあっている。

萩原さんがダーツ…不思議。なんか少し似合わない。萩原さんもこういう不良のたまり場みたいなお店くるんだ。

考えてみたら、私、萩原さんが何を好きで、何が嫌いで、どんな音楽を聞いて、何に感動するのか、ぜんぜん知らなかった。

二人でカウンターのハジに座るとビールとラムコーク、ビーフジャーキーが目の前に並べられた。

袖をまくり、ダーツの投矢のラインに姿勢よく立つ萩原さんは決まっていた。


No.268


シュタッ。
萩原さんの放ったダーツの矢はど真ん中ではないが、ほぼ中心に近い位置に刺さっていた。

「うわぁ、凄い!」

「いずみちゃんもおいでよ、教えてあげるよ」

「いいよ。ここで見てるから」

「何言ってるのさ、早くおいで。」

「無理、無理。私、こういうの超下手なの。」

「へぇ、いずみちゃんも、尻込みする事があるんだ。『やりたーい』とか言ってすぐに来そうなのにな。あはは」

今日の萩原さんはいつもよりもおしゃべりだった。

私も萩原さんの笑顔に誘われて、カウンター席を離れダーツの的の前に立った。

「まず、肩幅位に足を開いて直角に立つんだよ。よくスナップを利かせて」

萩原さんは私の後ろに立ち、肩を支えて手首を持ち、サポートしてくれた。

シュタッ。「やった、刺さった」中心からはだいぶ離れていたが、的に刺さった事がうれしかった。

「いずみちゃん、凄いじゃん」

「凄いなんて、ほとんど萩原さんが投げてくれたみたいな感じじゃない」

「よし、じゃあ今度は、一人で投げてごらん?」

「うん。やってみるね」

シュタッ。
ダーツの的どころか周りのコルクボードのずっと下の方で、へたすれば床に刺さりそうだった。

No.269

「うわっ、スミマセン。」思わず、床をキズつけたと思い、マスターに頭を下げた。

慌ててダーツの矢を拾い上げる。

カウンターの中のマスターはグラスを丁寧に拭いたりながら、身振り手振りで外国人のお客と話していて、こちらの様子にはお構い無しだ。

「あはは、いずみちゃん、あはは。」

「もう、だから嫌だって言ったじゃん。そんなに笑わなくたって」

上手くいかなたった事を、まるで萩原さんのせいにしている。

カッコ悪いような、恥ずかしいような、頭にくるような…。いい感じに酔っ払っていたので、感情表現がストレートだった。

それから萩原さんのダーツの腕前を、軽食をつまみながら眺めていた。

「防大の友達から教わったんだ。ダーツと一緒に麻雀もね」

真剣な眼差しで矢を放ち、刺さった矢を回収しながら、萩原さんは話しを続ける。

私も気を取り直し、再チャレンジし、店を出る頃には、的の一番外には刺さる様になっていた。


「あ~、楽しかった。」二人でぶらぶらと、話しながら歩いていたら、私のマンションに辿りついていた。

「じゃあ」

「うん。もう終電も終バスもないね。萩原さん、泊まるところどうするの?」

「今晩はサウナかビジネスホテルにでも泊まるよ」

「泊まるだけならウチに泊まっていく?」


No.270

女友達を家にあげる様な感覚で声をかけてしまった。

萩原さんは決まりが悪そうに「…。無理しないでいいよ。いずみちゃん」と言っている。

無理してる?そう思われるのが嫌で「大丈夫だってば~!」とオートロックを開けて、萩原さんの腕を中に引っ張った。

「狭いけど、この部屋、気に入ってるの。上がって。」

「じゃあ、お邪魔します。」

「麦茶でも入れるね。ハイ、バスタオル、シャワー浴びるでしょ?待ってね、どっかに予備の歯ブラシあったと思う」

「適当にやるから、いずみちゃんも座って。」

1LDKの部屋に二人きりになり、何だか落ち着かない。私もシャワーを浴びたかった。

「いずみちゃん、先にシャワー浴びる?」

「いいの?お客さんを差し置いて、じゃあ、お言葉に甘えちゃおう。」

先にシャワーを浴び、浴室から出るとお客さん様のピンクの花柄の布団を床に敷いた。

ふくらはぎが重くて、ベッドの上で揉んでいたら、萩原さんがシャワーから上がってきた。

彼の裸を見ない様にクルリと背を向けて、「麦茶、入れ直すね」とそそくさとキッチンに向かう。

うわぁ、何だか意識しちゃっう。“泊まって行って”なんてなんで言っちゃったんだろう。


No.271

振り返ると萩原さんの逆三角形の背中が見えた。背筋すごい…。職業柄、鍛えてるんだものね。

決してゴツゴツしていない、しなやかな筋肉が背中を被っていた。

いけない、いけないと思いなおし、まだ生乾きの自分の髪の毛をタオルでバサバサと拭き取った。

「いずみちゃん、疲れちゃったの?足ダルいの?揉んであげるよ、ほら」

「いいよ」

「ハイ、うつぶせになって、襲ったりしないから大丈夫だよ」

「知っていますよ~。襲われるほどの美人じゃないし」

「そんな事は言ってないよ…。」

グイグイと揉まれて少し痛かったが気持ち良かった。

「いだだ…。」

「ゴメンね、痛い?」

「う~ん。痛いけど、気持ちいい…。あたた…。」

マッサージしてくれていた手が止まった。
「いずみちゃん…。」

「なぁに?」

「あのさ…。キスしてもいいかな?」

「……。」

沈黙が嫌だ。何か言わなきゃ…。萩原さんの事、傷つけたくない。

良い言葉を探そうとすればするほど焦ってしまう。

短い沈黙の間、湯上がりのシャンプーの匂いだけが漂っていた。

No.272


「ゴメンね、うつぶせのままのいずみちゃんに向かって。あっ、冗談だよ、冗談。」と言いながら、まるで漫画のように頭に手をやりポリポリと掻く姿が、ちょっと可愛いく思えた。

萩原さんはこんな事、冗談で言う人じゃないよね…。

私が困らないようにそうやってごまかして見せて…。


「…うん。いいよ。」私は、身体を仰向けにして目をつむった。

萩原さんは私の耳の横から、髪を何度か掻きあげて…アゴに手をかけた。

はじめは優しく、フレンチキスを二回。

私が嫌がっていない様子を確認すると、舌を絡めて濃厚に長いキス。

ときめきとは違うけど、なんとも言えない安堵感を覚えた。

やがてキスは耳元や首筋に…。

“分からないよ。僕だって男だからね”
数時間前に居酒屋で聞いたセリフが頭をかすめる。

胸を唇で愛撫され「あぁ…」思わず声が洩れた。

「あぁ、駄目…。」

「いずみちゃん、感じてるの?嬉しいよ…。」

この人はこうやって、私が喜んでいるか、いつも気にかけてくれている…。

これ以上は駄目だ。私、萩原さんの気持ちに答えられないもの…。石井さんの時みたいにドライになれない…。

萩原さんが私を好きな事も、こうやって求めていた事も薄々知っていた…。

なのに、なのに私は、日だまりの様な萩原さんの優しさに甘えながら、今も、ひろくんをずっと求めているんだ…なんてひどい…。



No.273

萩原さんも男性だった。電気を消して、Tシャツをぬぐ。

私の身体のあちこちにキスをすると、私の下着を下げて、すでに濡れている秘部を指でまさぐり、確認した。

萩原さんの硬くなったモノが私の太ももに当たっていた。


カラダは正直だ、萩原さんの指に、唇に、私は反応している。二人とも息づかいが荒くなる…。

このまま、甘い快楽に酔ってしまいたい衝動にかられた。



やっぱり、駄目!!


「萩原さん…。萩原さんの事大好きだけど…。ごめんなさい、私、気持ちがここにないの。それでもいいなら…。」

“それでもいい”と彼は言わなかった。

「いずみちゃん…。まだ、彼が好きなの…?」

私は、返事はせずにコクリとうなづいた。

萩原さんだからこそ、駄目だ。

以前に石井さんに抱かれた時に妙子に“寝たのが、萩原さんじゃなくて良かった。”と言われた事を思い出した。

萩原さんは私にタオルケットをかけて「参ったな、いずみちゃん、正直だな…。」と言い、ベッドのしたのお客さん用の布団にゴロリと仰向けになった。

ホントに勝手だが、今すぐに私から萩原さんにキスして、優しくしたかった。

中途半端な優しさは相手を傷つける…イヤ、私はもう、萩原さんを傷つけているんだ…。

こんなのって男として、屈辱的だよね。


No.274


どうして、こんなに自分勝手な私みたいな女に萩原さんは優しくしてくれるんだろう。

どうして、好きでいてくれるんだろう。

私は、どうして、ひろくんじゃなきゃ駄目なんだろう…。

私は、その気もないのに、気を持たせるような人種の女の人が大嫌いだ。

なのに、萩原さんの気持ちを知りながら、“友情”という隠れ蓑(かくれみの)を着飾って、萩原さんとの関係をごまかしているのは私自身だった。


スー、スー…。萩原さんの寝息が聞こえてきた。

萩原さんも疲れているんだ。私は、眠ってくれた事に少し安心した。

寝息を立てている彼に、薄い布団をかける。
聡明な顔立ちをじっくり見る。改めてまじまじと見たことなかった。

明日の朝になっても今までの様にいられるのだろうか?

それは都合の良い話か…。

なんでも聞いてくれる萩原さんの事も失いたくなかった。

でも、きっと仕方ないよね…。

あれこれ考えてながら、いつの間にか眠ってしまった。


No.275


私の方が早く目覚めた。
「萩原さんおはよう、簡単なのしかないけど。」

ソーセージとスクランブルエッグと冷凍いんげんをサラダにのせたグリーンサラダにした。

まもなく彼も起きるといつもと変わらない表情で、「あぁ、いずみちゃん、おはよう。」

「顔洗ったら?はい」

タオルを渡すと私は熱いアールグレイティーをいれた。



「美味しそうだな。」

萩原さんはワンプレートのモーニングセットに満足したようだった。

もともと、長女で、もてなす事が好きなので、こういうのは苦じゃない。

「新婚さんみたいだな…。」ボソッと萩原さんは言う。

この人はどこまでも、正直で気のいい人なんだ…と私は心からそう思った。

「新婚さんかぁ。じゃあ、私、いいお嫁さんになれるかな?」私は冗談まじりで軽く返した。

「あぁ、なれるよ。貰い手がなかったら、僕がもらってあげるから。」

冗談なのか本気なのか分からないが、萩原さんはニコニコと笑っていた。

何故か罪悪感はなかった。都合がいい解釈かもしれないが、罪悪感を持つ事自体が萩原さんを侮辱しているような気がしたからだ。

私もニッコリと笑って返した。


食事を済まして片付けをすると「そろそろ帰るから」と萩原さんが言うので、私は駅まで送る支度をしていた。

トゥルトゥル…トゥル…。ちょうどその時、電話が鳴った。

「もしもし、いずみ…?」

No.276

「あたし、リエだよ。」

「リエ?久しぶり!オーストリアから…じゃないよね…?」

国際線の通話とはトーンが違う。

「今こっちにちょっとだけ、帰ってきているんだけど、いずみに会いたいなぁって思ってさ。」

『いずみちゃん、下に下りてるよ』玄関から萩原さんの声がする。

私は受話器の口を手で押さえながら、『うん。すぐに行くねぇ。』と返した。

「ごめんね。タイミング悪かった?誰か来てた?」

「うんん、友達。」

そうだ、嘘じゃない。萩原は大切な“友達”だ。でも、後ろめたさは否めなかった。

「いずみ、急だけど、今日会えない?無理かな?」

「今日これから…?うん、大丈夫。」

ちょっと考えてから、返事をした。

リエとこれから、横浜で会う事になった。


「萩原さん、ごめんね。友達から電話がかかってきて…。」

「そうだったんだ。気にしないで話ていて良かったのに。」

「うん、大丈夫。用事すんだから。」

「いずみちゃん、今日休みって言ってたよね?横浜のみなとみらいの辺りでも、ぶらぶらしながら、昼飯でも食べない?」

「えっ?あぁ、それが…。」

「用事出来た?」

そうだ、夕べは私、“明日は休みで一日ヒマです”なんて言っちゃったんだ…どうしよう。

No.277

困った様子でいると、萩原さんは「あっ、いいんだ。また今度ゆっくり…。」と話を終えようとした。

なんだか、申し訳ない思いでいっぱいになった。

「萩原さん、あのね、高校時代の友達と会うんだけど、良かったら一緒に…。」

「えっ?僕も一緒でいいの?」

「うん。」

「いつも話している、妙子ちゃんかな?」

「うんん、ほら、オーストリア行ってるって話したリエって子」

「あぁ、天然キャラのリエちゃんか」

この2人の話は良くするので、覚えていたらしい。

リエも萩原さんが一緒に行く事に問題はないだろう。

私と二人きりで会いたい…ってガラでもないし。

自分勝手な都合だが、それが一番いい。萩原さんは私と二人きりがいいの?いやいや、これ以上は考えない事にしよう。

駅までぶらぶらと歩き、電車に乗って横浜駅まで向かった。

リエとの待ち合わせの時間まで、少し間があったので、本屋に立ち寄った。

萩原さんも私も、めいめいの好きなジャンルのコーナーへ行き、パラパラとめくりは戻していた。あっという間に待ち合わせの時間となった。

No.278

「リエ、お帰り!」私はリエを見かけると駆け寄って軽くバグをした。

「いずみぃ、久しぶり!!元気にしてた?」二人とも大興奮だ。


「あっ、リエごめんね、実は萩原さんも一緒なの。今、広島からこっちに来ていて…。」

「えっ?…あの、はじめまして、西川です。」
リエはびっくりはしていたが、不快には思っていない様子だ。

「リエちゃんの話、いずみちゃんから聞いているよ。こちらこそ、萩原です。」

お互いに名前だけは私から聞いているが…改めてこの人なんだ…と言った具合の挨拶だ。

三人でどこかお店でお昼にしようと、ぶらぶら歩きはじめた。

「いい人そうだね」と小言でリエは私に耳打ちする。

私は二回、コクリコクリと頷いた。

妙子も萩原さんとは会った事がない。

リエが妙子のお父さんの話をはじめた。「妙子から聞いたけど、吐血したり大変だったってね…。今月手術だったっけ?」

私は妙子やお父さんに失礼のない範囲で簡単にあれこれと説明をした。

萩原さんはわざと聞いていないフリをしているようだった。

お店に入る前に駅地下のプロムナードにある女子トイレに二人で入った。

「武ちゃんはもういいの?」と案の定、リエが聞いてきた。

どこから、なんて話そう…。

No.279

鏡を見ながら、リエは口紅を引き直している。

「しばらく、一人にさせて欲しい…ってさ。」

「しばらくって?」

「武ちゃんが、就職が決まるまで…。うんんもっと先かも…。よりを戻せる保障もないけどね…。」

私は、バックからヘアワックスを出して毛先に薄くつけ、髪を整えながら話を続けた。


「武ちゃんの事はずっと好き…。私の片思いでもいいんだ。」

「そっかぁ、ホントに好きんだね。諦めないって大事よ。実は私も、秋から就職が決まって。スチュワーデスになれる事になったの!」

「えっ!!ホントに!」
思わず声を荒げてしまい、トイレに入って来たご婦人が、びっくりした様子でこちらを睨んだ。

私は、バツが悪そうに軽く会釈をした。

萩原さんを待たせている事を思い出し、そそくさとトイレを後にした。


「萩原さん、お待たせ、ごめんなさい。」

「いいんだよ。女性は化粧直したり時間かかるんでしょ。その点、男は気楽だから良かったよ。」

萩原さんはいつも優しい…。心の中でそう思いながら、興奮を押さえつつ話をした。

「あのね、リエ、秋からスチュワーデスになるんだよ!凄いでしょ?」

「やだ~。いずみっていつもそう。自分の事みたいにはしゃいじゃって。」


No.280

「へぇ~、凄いねぇ。リエちゃんは語学が堪能なんだ。」

「それほどでもないけど…。」

「どこの航空会社?」

「キャセイパシフィック。秋から香港です。」

萩原さんとリエは、さっき会ったばかりとは思えないほど、親密に会話を交わしている。

「リエ!国際線なの?今度は香港に行くの?」

「うん。夢が叶うチャンスだもん。」

「そうだよね。リエなら、たとえ北極でも南極でも行きそう。」

「アハハ(笑)いずみちゃん、そりゃいい。」

「萩原さんはパイロット候補生でリエは、スチュワーデスかぁ、二人ともカッコイイなぁ。」


立ち話で盛り上がりながら、この後、中華街で飲茶にする事になった。


リエからオーストリアの土産話など聞いているウチに…あっという間に夕方になった。

相変わらずリエは、大食いでさすがの萩原さんも、びっくりしていた。


萩原さんがトイレに席を立った。
「萩原さんって、いい人だね。いずみは萩原さんじゃ駄目なの?萩原さんはいずみの事、すごく気に入ってるの分かる。」

「…うん。ありがたいんだけどね。まだ武ちゃんが私の心の中にずっといるの。私がね、武ちゃんに会いたいって言ったら“今は会えない。待っていて欲しい。”って言われた事、信じて待っていたいの。」


No.281

リエに向かって言っている言葉は、全て自分自身に投げ掛けた言葉だった。

時々、萩原さんの優しさに甘えてしまいたくなる自分を言い聞かせているんだ。

もう、ひろくんとはどうにもならないんだ…。
けれど、思い出にしがみついて、彼の発した一言を信じていたい、今はそういう風にしか出来ないもの。

リエと萩原さんのやりとりを聞きながら、自分の胸の内を確認していた。



中華街で食事をとり、横浜駅に戻って来てからそれぞれ別れた。

「今日は、楽しかった。ありがとう」

「うんん、こちらこそ、気をつけて帰ってね」

他愛ないやりとりを交わして帰路についた。

リエも自分の夢に向かって、つき進んでいるんだな。こころ無しかずいぶん綺麗になった様に思えた。

別れ際の萩原さんのまっすぐな眼差しが、嬉しくもあり、今の私には少しだけ辛い。

まだ、夕方の6時だった。

帰ったら妙子に電話してみようか、お父さんの具合はどうだろう?妙子自身は大丈夫か?

世の中は、ゴールデンウィークで浮かれているが、妙子は看病で大変なのが容易に想像出来た。



No.282

歩道の緑は一層濃くなり、日差しも強さを増していた。

“平年より10日ほど遅く、沖縄地方は梅雨入りしました”と天気予報のアナウンサーが言っている。

妙子の父親は、胃の全摘出手術を終え、来週に退院の予定だ。


あれから、ひろくんからは連絡はなく、毎夜、彼を思ってはセンチメンタルになる生活から、幾らか現実的になっていた。

職場でも新人としてのチェックリストの見直し日々の業務に追われ、せわしなく過ごしていた。

来月のシフトで、新人六人をどう割り当てるか、看護師長が主任へ相談していた。

夜勤かぁ…。
新人はいきなり頭数に入れないので、プラス一名の人数としてシフトが組まれた。

そうなると日勤の人数の確保が厳しので、看護師長は頭が痛いようだった。

“まったく、あんた達が早く一人前にならないと、アタシ達が有給休暇をとりにくいんだから、がんばってよねぇ!”そう、声を荒げるのは、佐藤のおばちゃんナース。

とは言うものの、看護師長はなかなかのもので、新人が、少しづつ仕事を覚えてきた事を主任に確認すると、昼間の人数を減らし、上手に休みを割り振っていた。

No.283

妙子の父親の退院日に、上手く休みが取れた為に、退院の手伝いをする事にした。

妙子の家の車は平日は、お兄さんが、仕事に乗って行ってしまう為に、私が車で行けば少しは助かるだろう。



「いずみ~!ありがとう、ホントに助かる。」

「役に立ててよかった。」

車で迎えに行くと、妙子はホントに喜んだ様子で迎えてくれた。

病院に向かう途中、お父さん話を聞くと、胃を全摘したものの、やはりすでにリンパ節に転移があり、予後は厳しいだろう…と。

医師からは半年、もし早ければ3ヶ月…との説明もあったそうだ。

妙子はうっすら涙を滲ませながら話してくれた。余命については本人は知らない。


病院につくと、妙子の父はすでに普段着に着替えており、ポロシャツの胸のポケットにはサングラス、まるでこれからドライブにでも行くかのような笑みでベッドサイドに座り、テレビを観ていた。

「いずみちゃん、お休みのところ悪いね。入院時にもいろいろとお世話になっちゃってさ」

「いいんですよ。妙子のお父さんは身内も同然ですから」

「うれしい事言ってくれるなぁー。」

妙子のお父さんは、私に対してよりも家に帰れる事を喜んでいるんだろうな…まずは退院出来て良かった。


No.284

妙子の父と荷物を家で降ろし、お茶をご馳走になった。

お父さんは少し疲れたようで、横になり休んでいるうちにウトウト眠ってしまった。

「そうだ!いずみ、武ちゃんのところ寄って行くの?」

「どうして?」

「どうしてって、武ちゃんから連絡来たでしょう?就職決まったって。」

「えっ!!」

「連絡ないの?昨日、TSUTAYAにDVDを返しに行ったら、武ちゃんを見かけて、少し前に就職決まったって言ってたけれど…。いずみは知ってると思ってわざわざ聞かなかったし、あまり時間なかったからさ…。」

なんで?なんで連絡くれないの。待ってろって言ったくせに!この感情はなんだろう。腹が立つだけではない。やっぱり…とどこかで自分に言い聞かせてるもう一人の自分がいる。

ひろくんがどう思っていようと、私はずっと好きでいたい…。ぐらぐらする自分の心に鎖をつなぎ、どこにも行かないようにしたかった。

「妙子、私、武ちゃんから聞いてないの。」
「えっ?!」

「いずみ、ごめん。てっきり連絡あったと思って。」

「妙子が、謝る事じゃない。私もいつまでも未練ばかりじゃ、駄目かな…。そうそう、GWにリエが帰って来てたの。萩原さんと三人でお茶したんだ。また年末に帰ってくるって言ってたから、妙子には連絡しなかったんだけど。突然の連絡だったしね」

No.285

場所が妙子の家だったこともあり、冷静さを装ってはいたが、帰りの電車の中では、何故?なんで?と言う疑問符でいっぱいになった。

『待ってろよ』と言う男性のセリフ、その後、連絡が途絶える…。なんて事は世の中、はいて捨てるほどある話で私達もその一組なのかもしれない。

いや、ひろくんと私はそんな関係じゃない。少なくともひろくんは、そんな人じゃない。

きっと、何か事情があるんだ。もう少し連絡を待ってみよう。

うんん、明るく『妙子から聞いたよ。就職決まったんだってね』と私から連絡をしてみようか…。

頭の中がいっぱいで、危うく乗り換え駅を乗り過ごすところだった。


マンションに戻り、簡単な夕飯を済ませゆっくりとお風呂に浸かる。

ひろくんに会いたい!声が聞きたい!衝動にも近い心の叫びだった。

けれど、、連絡が来ないと言う事は、もう過去の女に思われているのかな…。もしかしたら面倒くさい女に思われているのかも…。

相手への強い思いはマイナスの思考を生む。たいていの人は臆病だから、失う事が恐い…みんなきっとそうだろう。

みんなきっと…。

お風呂から上がり、結局、電話をする事もできずに、深い眠りの中に落ちていった。


No.286

今日も同じような一日が始まる。

パパッと朝食を済ませ、洗濯物を干し観葉植物に水をやり、徒歩3分ほどの勤務先の病院へ向かう。

妙子からひろくんの就職が決まったと聞いてから1ヶ月以上、連絡はこない。

雨の日が多くなり関東地方も梅雨本番を迎えていた。

ひろくんへの思いは変わらなかったが、どうする事も出来なかった。

仕事も一人で患者さんを担当し、行う事も多くなり、毎日、忙しかった。


マンションへ戻るとクタクタだったが、夕飯くらいは自分で作りたい。簡単にパスタにした。サラダを添える。残りのレタスは明日の朝食に…。

テレビのバラエティ番組を見ながら一人で夕飯を食べ、月刊エキスパートナーシングをパラパラとめくり、“急変時の対応”の特集の欄を熱読していると電話が鳴った。


「ハイ、もしもし」

「武田です」

「ひろくん!!」

「うん、俺。久しぶり。」

「うん、俺って…。私から電話しようと思っていたんだから…。」

ドキドキしている。頬が紅く染まるのが自分でも分かるくらいだ。

何を喋っているのか自分でも分からないけれど、無意識にいつもの様に会話をしていた。

No.287

「就職、内定もらえたんだ。」

「おめでとう。うん、妙子から聞いた。武ちゃん就職決まったって。1ヶ月も前じゃない」

「あっ、妙子ちゃんに会った時には徳田建設で、本命じゃない方だよ。今日の昼間、藤堂土木から連絡があって、正式に内定もらえたんだ。」

そうだったんだ…。それで、連絡くれなかったんだ。

「藤堂土木!ずっとひろくんが言ってたところじゃない。すごい!徳田建設も大手だけど。」

「うん、有難い話だよ。まぁ、俺を採用する気があるなんて、どっちも見る目があるなぁ。」

「ぷっ、ひろくん言うね~。でもホントに良かったね。」

「これで、いずみに追いつける。いずみはひと足先に国家試験受かったもんな」

「別にどっちか先とかって…。」

「いや、お互いの存在が励みになってるだろう?俺達、ライバルみたいなところあるじゃないか」

ライバル…かぁ。もう彼女じゃないんだものね…。何を期待していたのだろう私…。

“もう一度やり直そう”ってセリフかな…。違う、ひろくんがこうやって連絡くれたんだからいいじゃない。


「ねぇ、お祝いしよっか?」

「いずみのおごりで?」

「ハイ、 もちろん。お給料でご馳してあげる」

「じゃあ来週の土曜日」

「うん、ちょうど土日はお休み。」

「分かった、また電話するよ。」


No.288

来週の土曜日かぁ…その日は私の誕生日。

電話で何にも言ってなかったし、忘れちゃってるよね、きっと…。

ひろくんにとっては、なんでもないただの土曜日なんだ。

ライバル…って事はやっぱり友達ってことだよね。

その一言がとても引っかかっていた。


そうだ、妙子に電話しよう。
お父さんは元気にしているって言っていたけれど、どうだろう?

先週の電話の感じだと、胃を切除した割には、食欲もまぁまぁで、落ち着いているみたいだけど。



「もしもし、妙子、おじさんの具合は変わりない?」

「あっ、いずみかぁ…ちょうど私も連絡しようと思っていたところ。」

「何かあった?」

「うん。鎮痛剤があまり効かないらしく、夜中も眠れない事もあって、病院に相談したら“明日から入院して痛みのコントロールをしましょう”って。」

「そうなんだ。おじさん、気持ちが沈んでいない?」

「うん、それは大丈夫みたい。お母さんの事があったからか、私の前では無理しているのかもしれないけど…。」

「おじさんもだけど、妙子も辛いね。」

「心配してくれてありがとう。いずみの方はかわりない?武ちゃんから何か連絡あった?萩原さんとは連絡とってるの?」



No.289

「うん、ひろくんから連絡あった。」

「で、なんだって?」

「就職決まったって。」

「知ってたよねぇ、いずみに連絡するのを、もったいぶって」

「違うの。妙子と会った時に内定貰えていたのは徳田建設で本命じゃなかったの、昨日、藤堂土木から正式に内定もらえたって。」

「やっぱりねぇ。いずみは武ちゃんにとって、今も特別なんだ。」
妙子はなんでもお見通しと言った口調で話している。

「ううん、ライバルだって、私には、負けたくないみたいな…。」

「ライバルって…。武ちゃんがそう言ったの?」

「うん。あぁ、そうなんだなぁって…。」

「あの格好つけが!だいたい、武ちゃんもいずみが必要だって素直に言えばいいのに。」

「やだ、多分そんなんじゃないよ。ひろくんの事を良く知っているから、私には、話やすいんだよ。」

私はわざとトーンを抑えていた。

「それで?」

「それでって?」

「やり直そうとか、それっぽい話にはならなかったの?」

「ならないよ。ただ、来週の土曜日会おうって事になったの」

「来週の土曜日っていずみの誕生日じゃん!」

「違うんだってば!内定のお祝い。妙子、さっきからさぁ、期待しちゃう言い方しないでよ。」

No.290

“期待しちゃうような言い方しないでよ!”それは妙子に対する軽い八つ当たりだった。

自分でも分かっていた。

「あ~ぁ。まぁね、いずみと武ちゃんには、二人にしか分からない微妙な関係があるんでしょうよ。
この際だから、はっきり言うけどね、アタシは、武ちゃんでも萩原さんでもどっちでもいいの。いずみの事を大事にしてくれて、いずみがハッピーならね…。」

「妙子…。」

ずけずけ言うけれど、ホントに妙子はこれ以上ないくらいの良い友達だ。

受話器の向こうの言葉が心に染みた。

「うん。分かった、ありがとう。」

「じゃ、いずみの誕生日プレゼントは今度会った時にね。あっ、今度と言えば、リエが再来月に帰ってくるかもだってさ。年末って言っていたけど、香港に行く前に日本に寄るって…多分8月下旬かな。」

「ホントに?」

「香港行きの事でオーストラリアの彼と、もめているらしい」

「なにそれ?!この前会った時には一言も言ってなかったけど…。」

「うん、最近の事らしいよ。私も、おととい聞いたばかり。」

「そっかぁ。」

「また、リエから聞き出さなきゃ。ゆっくり話そう。」

「うん。妙子、お父さんの事で何かあったらいつでも言って!夜中でもだよ!じゃあ。」

「ありがとう、じゃあ。」

No.291

「香港か、ところで最近鳥インフルエンザはどうなった?」
「知らん」

No.292

>> 291 ☆スレ主のハナです☆

本編の内容を読み、レス下さる方がいるなんてビックリです…😲

ありがとうございます☺

ヒット数が増えるので、もしかしたら、はじめから読んで下さっている方がいるのでは!?などと期待して書いております(笑)

気まぐれな更新で、申し訳ない限りですが…。きちんと完結はしますので(^-^;)

実はもう、完結への構想は出来ております。


おやおや、本編から逸れてしまいすみません💦

この場をお借りして、読んで頂いている方がいらっしゃいましたら、心からお礼を申し上げます☺

朝晩はめっきり寒くなりました。皆様も体調にお気をつけ下さいませ。

No.293

約束した日は朝からそわそわしていた。

クローゼットから、洋服を次々に引っ張り出しては鏡に向かっていた。

“ひろくんにとってはただの土曜日”だってば…。もう一度、自分に言い聞かせて、はやる心を落ち着かせようとしていた。



部屋の掃除や近所で日用品の買い物をしてから、マンションを出た。

実家に寄ったが母はおらず、父が珍しく家におり、新聞の詰め将棋の欄を読んでいた。

「おぉ、いずみ、帰って来ていたのか?」

「うん。お父さん、夕方から仕事?」

「いや、今日は休みだ。どうだ、仕事は順調か?」

「うん。まぁね、厳しいなって感じる事もあるけど、まだまだ覚える事ばかりだから…仕方ないよね。」

「厳しいのは、命を扱う仕事だから、当たり前だな。体に気をつけて頑張りなさい。友達と待ち合わせか?」

「うん。出かけてくる。」

「若いから息抜きも必要だな。」

何故か“武ちゃんと出かけてくる”とは言えなかった。父とひろくんとも三人で一緒に飲んだ事もあり、私とひろくんが別れた事も知っていたからだ。

ひろくんが、別れた彼女とチャラチャラ会うような男の人に思われたくなかった。


No.294

「久しぶり…。」

「うん。久しぶり…。」

4ヶ月ぶりの再開だった。相変わらずひろくんは格好良くて、少しドキドキしていた。

「いずみ、少し痩せた?」

「あっ、ちょっとだけね」

会話を交わすとドキドキも薄れる。

「内定のお祝いに何か用意しようと思ったんだけど、何がいいかわからなくて…。」

「ありがとう。気持ちだけで嬉しいよ。それに今日は、いずみのおごりだろ?」

「まぁね。」

何か用意しようと思っていたのはホントだ。でも別れた彼女からのプレゼントなんて…もらっても困るよね。

駅から出て、ショッピング街を二人で歩くと、ある店の店先にブルーのストライプの女性物のブラウスが飾ってあった。

「うわぁ~、カワイイ。こういうブラウスいいよね、ちょっとは大人っぽく見えるかも。」

思わずはしゃいで、服の上に当ててみた。入口からすぐのところの大きな鏡に向かって立ってみる。

「ひろくん、どう思う?似合わないかなぁ~。あぁ、買っちゃおうかなぁ~。」

「気に入ったの?」

「うん。前からこういうの、一枚欲しかったんだぁ」

昔に戻ったみたいだった。ひろくんのそばに駆け寄り腕でも組みたい気分だったがそれはやめよう…。もう今は彼女でもなんでもないんだから…。

No.295

「それ、買ってあげるよ、誕生日のプレゼント。今日、いずみの誕生日だろ?」

「えっ!?」

「ひろくん、あっ、えっと、いいよ。自分で買うよ…。」あまりにも嬉しく素直にありがとうが出てこない。

「いいよ。買ってあげるよ」

「いいの?…ありがとう。」

なんだろう、ひろくんの前ではいつも自分に自信がない。好きだから不安なの?好きだから失いたくない?

誕生日覚えていてくれて、なんでプレゼントまでくれるの?

ひろくんの気持ちはまるでわからなかった。


それから、少し洒落た居酒屋に行き、カウンターの奥の席で二人でお喋りしながらビールやカクテルを飲んだ。

「いずみは仕事どう?」

「まぁね。怒られてばっかり。元気でカバーしてる」

「そっかぁ。」

「ひろくんは、大学は卒論進んでいる?前に気になるって言ってた女の子達とは?」

流れで、言ってしまってからしまった!と思ったが、まぁいい。

「卒論はなんとかね。女の子?忙しくてね…なかなか。」

上手くはぐらかされた気がした。

「いずみこそ、防大の彼とはどうなのさ。」

「もう、卒業したから横須賀にはいないよ。」

「…そうなんだ。」

ひろくんは、表情を変えずに一言だけいうと、モヒートのミントの葉だけ残して、飲み干した。

No.296

あれっ?ここ、さっきの居酒屋のトイレ…?

うっぷっ…、気持ち悪い、まだ吐きそう。

えっと、私、お店で飲んでいて…ひろくんと一緒にいたような。
記憶が曖昧だ。

大好きなひろくん…。

「ひろ…くん…。」ポツリ一人でつぶやいてみた。



「大丈夫か?いずみ?シャワー浴びたら少し酔いが醒めるよ。」

なんで、返事が返ってくるの?

かなり酔っ払ったみたいで記憶がない。

ここホテル?!やだっ!なんで?

駄目だまだ酔っ払っている…。

「うん。シャワー浴びる、ゴメンね、ゴメンね。私ってば…またひろくんに、迷惑かけちゃってる。」

「いずみにしては、今日はそんなに飲んでいない方なのに、こんなに酔っ払って…。疲れてたの?」

フラフラしながら頷いたり、首をかしげたりしながら、洋服を脱いだ。

多分、ひろくんと一緒だから安心したし、久しぶりで緊張していたのかも…。

浴槽にはお湯がはってあった。熱めのシャワーのあと少しぬるめのシャワーをたっぷりかけた。お化粧を落としながら顔を洗う。

バスダブの中にジャボンと頭まで潜った。

1234…567…89…10。潜りながらゆっくりと数えた。少しづつ意識がしっかりしてきた。

No.297

「大丈夫?」ひろくんが浴室のドアを開けた。

私は気がつかなかったが、長い時間、浴室にいたらしい。

お風呂から上がるとのぼせてよろけた。目の前が真っ暗になった。立ちくらみだ。

ひろくんが慌てて駆け寄り、よく冷えたミネラルウォーターをコップについでくれた。

私はそれを飲むと、乾いた植木に水をやるようにスーッと身体の細部にまで水が回る気がして、ようやくしっかりしてきた。

「もう一杯もらえる?」

「ほら、飲みなよ」

「ありがとう。」

ひろくんは、先にシャワー浴びたらしくバスローブ姿だ。


酔っ払う事はしょっちゅうあるけれど、記憶を無くした事は今まで一度もない。

「今何時?あの…、私、覚えていないんだけど。なんでここにいるの?」

「いずみ、すげぇ酔っ払っていて、フラフラだったから、タクシーで帰そうと思ったんだよ。そうしたら、『駄目!今夜はひろくんとずっと一緒なんだから』って言うからさ…。」

部屋のテレビのリモコンでチャンネルをいじりながら、私に状況を報告してくれた。

それを聞いて、ちょっぴりハズカシイやら、お酒の勢いで素直になれてよかったのか…。

私はベッドの端にちょこっんと腰をおろした。

No.298

バスタオルで、髪の毛をバサバサと乾かしていると、ひろくんが前に立ち、「貸してごらん」と私から、バスタオルを取り上げて、大きな手で乾かしてくれた。

本人に伝えた事はないが、バレーボールをやっていたその大きな手、長い指が私は好きだった。

子供みたいに髪の毛を乾かしてもらい、とても心地よかった。

「はい、おしまい。」
バスタオルを外しながら、ひろくんがそう言う。

「ありがとう」と私が言うと、「いずみ…。」と肩に両手をかけられキスをされた。

優しく唇が触れ、舌と舌が絡みあう。

あぁ、この感触…。ひろくんだ…。どんなにひろくんに触れてもらう事を望んでいただろう。

私の気持ちを確認したかのように、ベッドに押し倒された。そのまま唇は首筋や胸を愛撫し、指で秘部をまさぐられた。

「あぁっっ」

思わず声がもれてしまう。気持ちいい…どうしよう。

ねぇ、ひろくん、彼女じゃないけど、抱くの?単なる遊び?疑問が頭をかすめる。

けれど、次の瞬間、そんな事はどうでも良くなった。

「いずみ…。声出していいよ」

「あぁぁぁ、ひろくん、駄目…。今、動いちゃだめ」

正常位でピッタリと奥まで挿入された。抱きしめられて、のけ反ってしまう。


No.299

「いずみの気持ちいいところは、全部知ってるよ。ほら、我慢しないで。」

「…あっんっ…。」

半年ぶりのひろくんとのエッチ、なんて気持ちいいの。

でも、愛のないセックスはいや。遊びのつもりなのか、気の迷いなのか、ひろくんの気持ちを聞きたかった。

「ねぇひろくんてば…こうやって酔っ払った子のお願いを聞いて、ホテルに泊まっちゃうんだ。」

「それを言うなら、酔っ払うといずみは、男にひょこひょこ付いて行くわけ?」

ニヤリとしながら、ひろくんは聞き返してきた。

「ひろくんだからでしょ!」

「じゃあ、俺も、いずみだからだ。」

これは、答えになってるの?


「いずみ、気持ちいいだろ?」

「うん…。」

「やっと素直になったね。多分、これから、卒業まで忙しくなるから、こうやって、度々いずみの事も、気持ち良くしてあげられないな」

「ひろくん、私…。」
“私たち、また付き合えるの?”とは、怖くて聞けなかった。

そのかわりにひろくんが口を開いた。

「こうやっていると、お互いの気持ちが分かるよな。付き合ってるとか、付き合っていないとか関係なくないか?おいで。俺に任せて」

私は目の前のひろくんだけを感じ、身を任せた。


No.300

肌と肌を触れ合わせると、気持ちが伝わる…。

ひろくんも私と同じ気持ちだと信じたい…。

「ハァ…ハァ…。」息づかいが荒くなる。

「んっ…あっ…。いずみ…。」あぁ、ひろくん!!片手はひろくんの背中に、もう片方の手はシーツをくしゃくしゃとわしづかみにした。


二人共に絶頂に上りつめた後、抱きしめられて、トクン、トクン…相手の胸の鼓動を肌で感じるのが好きだ。

男の人は、ここまでが快楽のピークらしいが、女性はこの後の余韻を楽しめる。幸せな余韻…。

うつ伏せになり、ゴロリと仰向けになっているひろくんを見る。

女でよかった…。おそらくこの心地良さは男性には分からないだろう…。

ぼんやりとした思考の中で“付き合ってるとか関係ないよな…”その一言がテレビ画面のテロップ表示のように流れる。

良い意味で言ってくれたのか、それとも…。

もう一度、仰向けになっているひろくんを見つめると、愛しいさが込み上げてきて、それは深い意味を持たない事に思えてきた。

少しの仮眠の後、ひろくんは、もう一度私を抱いた。

「ひろくん、ホントに?疲れてないの?」

「いずみとだから疲れない。俺についてこいよ。先にバテるなよ。」

今度は、ケタケタと笑いながらの楽しいセックスだった。


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