失意から這い上がれ
前回の日記『女嫌い激増のワケ』では、大地震を予言し、3ヵ月後に、東日本大地震が起きた。
予言日は、昨年のクリスマスだった。
人類の欲望エスカレートにより、いま地球は悲鳴をあげている。
人生とは何か、目標とは何か、喜びとは何か。
正解なき今の時代だから、改めて問いたい。
タグ
新しいレスの受付は終了しました
簡単に、前回の日記を要約すると、こうだ。
人類は約200年間で、7倍の繁殖をした。
当然、資源は底をつき始めているし、環境は急速に悪化した。
その代わり、科学は驚異的に発展し、貨幣経済機能が進化した。
人々は、金を求めて、大都市に集まる。大都市では、貨幣を獲得するための競争が繰り広げられている。
そして貨幣を獲得できた人間と獲得できない人間との格差は拡大しつつある。
獲得した人間は、あまりに不道徳に使いまくる。不道徳な人間は、社会の勝ち組として、他へ影響を与えているのだ。
こうして荒廃してしまった地球は、やがて怒り狂うはずだ。とりわけ日本は世界最大の成金国家である。
地球の大気圏が膜で覆われるほど、エネルギーを消費したのだから、そりゃあ異変も起きる。
異変が起きてみれば、反省もできるが、むしろ欲望を優先するのが人間の悲しさといえる。
東日本大地震の被災者の方々が、気温0度の中、避難所暮らしを強いられているから、我々もエアコンは我慢しようとするが、あまりに冷え込めばやはりスイッチを入れてしまうものだ。
電力が足りないとなれば、節電に協力するが、電車が減れば大クレームだし、商店街は大ブーイングになる。
『積極的に経済を活性化させようぜ』と、再び金儲けを始める。
当然の話なのだ。
今の社会は、そういうメカニズムで動いているのだから、わざわざ我慢比べができるほどの人格者は少ない。
贅沢な人間は、後戻りしたくても、もはやできないのだ。
民放テレビ局は、調子の良さでいえば、他に類をみないほど、ドライな存在といえる。
災害発生時は、どのチャンネルをみても全部、災害一色だった。
だが、視聴率が落ち着いてくると、再び、お笑い芸人とスポンサー様の登場となった。
地震発生から、まだ1ヶ月も経過していない。
むしろ放射線物質は、これからが危険性を高めていくというのに、テレビでは、美味しそうに海鮮特産物を食べて騒いでいる。
若い女の子は、スイーツをペロペロと舐めては、ニコッと笑うから、とっても可愛い。
そう。
あれはあれ、これはこれなのだ。
被災者のことを聞かれれば深刻な表情もできるけれど、それよりも自分のことで忙しい。
『いま、アタシにできることは、精一杯やることなんです』
今回の震災は『想定外』だった。港も船も、学校や病院も、家屋も、畑も水田も家畜小屋も、工場も事務所もスーパーも交通機関も、予想していなかった。
そのはずだ。
たぶん、思い違いかもしれないが、敢えて言わせてもらう。
本当に、電力会社の原子力事業が悪いのか?
原子力事業のリスクマネジメントが不足していたのか?
先導するマスコミに操られた国民は、電力会社を叩いて叩いて叩きまくる。
これから先、電力会社の責任問題が大きなテーマになる。被災者の声を武器に、国民はマスコミと共に、電力会社を追い込むだろう。
しかし、想定外だったのは、みんな同じではないのか。
『地震や津波は天災だが、原子力事業は人災だ』そういう論理かもしれない。
ひょっとしたら、そうかもしれないが、ならば、西日本の電力会社は、早急に電気代を10倍にすべきだ。
十分な電気代を請求して、万全なリスク対策を講じるべきだ。
国民は、10倍の電気代でも、喜んで支払うはずだから…。イヤなら、電力供給量を制限すればよい。
それにしても、電力会社が発電機ストップにより、致命的な運命に追い込まれるとは皮肉な話だ。
国民が選んだ代議士たちが、原子力政策を実行し、電力会社がそれを遂行した。
リスク対策は、世界トップクラスと言われていた。
ここまでは、一見、スムーズに見える。
ところが、地震一発で、大騒ぎとなった。
『こんなことになるとは…』と、とたんに責任者を探し出して、吊し上げる。
責任者は作業員に言う。『直ちに、手動で蒸気を抜け』『悠長なことを言っている場合ではない』
言うほうは簡単だが、原子力建て屋へ入っていく人たちはたまったものではない。
『早くなんとかしろ』
国民は騒ぐ。
マスコミは面白がって、稼ぎまくる。
結局、原子力政策は、地震大国にマッチしていなかった。
しかし、エアコンを止める国民はいない。
『電力会社はデータをなぜ出さないのだ』
国民は、電力会社を疑う。何か隠し事をしているのではないかという疑念を抱く。
マスコミは、またも面白がって、『情報はきちんとオープンにしてほしいものです』
電力会社は、渋々とデータを公表する。
それを見た国民は、『本当か? ニセのデータではないのか?』
マスコミは、さらに面白がる。『なぜデータを初めから出さなかったのでしょうか』
求めては疑い、疑っては求める。そこには信頼関係はない。
国民の目は鋭い。けして油断しない。
なぜかというと、国民は慣れているからだ。
日頃から、パートナーに浮気され、子供に裏切られ、相手を疑うことに関してはプロフェッショナルなのだ。
疑っては携帯電話を盗み見る。疑ってはPC履歴を確かめる。
そして、相手からの謝罪を求めるのだ。
だから、疑い続ける。
エネルギー保存の法則によれば。
エネルギーは形を変えているだけ。
地球の人口が異常に増えたのは、地球のエネルギーが人間に変わったのだ。
つまり食料や資源が人間に利用されて人口が増えたのだ。
何も前世から生まれ変わったのではない。
性欲食欲によって無制限に増えようとする。
生物の性格なのだ。
戦争で人口が減らなければだいたい百億人が限界らしい、
宇宙から地球を見た場合、
ただの物質から生命が発生して人類まで進化してきたが、
この先どんな進化が起こるか?
欲が悪いのではない。
生命の進化がそうさせているのだ。
天災は時々あっても神のしわざではない。
宗教に利用されることはあっても
結局最後に残った人類が次の進化の生物になることは間違いない。
つまりどんなことがあっても生き残ることだ。
温暖化で、たったの1℃気温が上昇しただけで、雨期が遅れて、雨が降らないために、無数の動物や虫や植物が死ぬんだそうだ。
たったの1℃だけだ。
他にも、様々な影響があるに違いない。
海水だって、空気だって、風だって、すごく影響を受けるんだと思う。
山も川も森も海も、次第に姿を変えてゆくに違いない。
そうすると、日本人が大好きなマグロも牛肉も、影響を受けて、変質するかもしれないし、生産量が減るかもしれない。
でも、食べたい。
それが日本人だ。
食べられないとわかると、人びとは騒ぐ。そう簡単にはあきらめないから問題だ。
すぐに、代わりになるものを調達し始めるか、あるいは人工的に生産し始める。
欲望のメカニズムは、脳裏に刻まれたときに転がり始め、転がりながら、人間は成果を喜ぶ。
そして、1℃だけ気温が上昇する。
人が、肉や魚を食べたり、ワインやピールを飲む様子を、ぼんやりと見ていた。
口を開けてほおばり、モグモグと噛んで、味わう。唾液と混ざり合って、ジューシーな味覚を堪能している。
清潔なテーブルクロスや食器、ナイフやフォーク、雰囲気を作るためのカーテンやBGM、丁寧な接客応対…。
日本に住んでいると、大半の人が、そんな晩餐を楽しむ。
結構なことだ。
これ以上ないというほどの快適性を求めてきたのだから、ここまで到達したのは結構なことなのだろう。
ただし、それは、その状態を維持し続けられればの話だ。
もし、その状態を失えば、もはやレベルの低下は地獄へと変わる。
享受するのは結構だが、失ったときに文句を言っても、誰も助けてはくれない。
いま、地震・津波・原発・風評などの被災者に対する同情が集まっている。
テレビや政治家も、総力を挙げて支援をバックアップしている。
一般市民たちは、共鳴する。『気の毒だ』『もっと急げ』『もっとたくさん』と、声を揃えて叫ぶ。
人間の感情とは、不思議なものだ。頭では、矛盾を理解していようとも、心が行動を起こしてしまう。
交通事故に遭遇した児童も、自殺に追い込まれた中年も、乳ガンと闘う女性も、孤児院の子供たちも、頭の中から消える。
そして、阪神・淡路の被災者のことも忘れてしまう。
それが人間の感情なのだ。テレビ局はそのことをよく知っている。タレント事務所も同じだ。政治家は得票数を念頭に動く。
断言してもよい。あと一年もしたら、人々はこう口にしているだろう。
『また震災の話かよ。もう飽きたよ』
間違いない。
それが日本人だ。
ついに、生活保護受給者が200万人を突破した。
生活支援付きの基金訓練を受講している人を加えたら、300万人は超えるだろう。
大阪では、人口1000人当り50人が該当するという。
平均年収だって、みるみる減ってきている。
みんなで選んだ政権政党は、いまや国民に裏切られてボコボコになっている。
国民は、働かずとも、お金をくれる政党を選んだわけだが、そんなことばかりしていたものだから、みんな生活保護窓口に並ぶようになった。
贅沢に慣れっこになっている日本国民は、文句を言い続ける。
『俺たちを殺す気か』
彼らは、時給1000円の仕事などする気はない。
国民年金の納付率が大変なことになっている。
免除者を含めると、4割われ間近なんだそうだ。つまり、払っていない人のほうが多い。
たしかに、公的年金はこれほどの高齢社会では成り立ちにくい。たぶん、中学生でもそう思うはずだ。
なのに、大人は何もしない。研究や議論ばっかりやってる。
趣味じゃあるまいし、早くやり直してほしい。それでなくても、事務処理はヘマ続き。
ジャーナリストやマスコミは無能なので、民意を伝えられない。
『とりあえず納めた保険料だけでも、すぐ返してくれよ』
そんな騒ぎにもなりかねない。
政府は、払えるヤツから巻き上げて、払えないヤツは逃がす。
しかも、『カネをくれ』と言われれば、どんどんキャッシュを渡している。
なぜ、せめて働かせないのか…。(まあ、人による問題はあるが)
そんなこんなで、税金・健康保険料、社会保険料、年金などを一元化して巻き上げるらしい。
ますますマジメに働く人は追い込まれていく。
二極化時代の庶民は、餌食にされる。
ブロガーも、ゲーマーも、視聴者も、愛読者も、みんな利用されてしまう。
彼らは、皆様楽しんでいるつもりかもしれないが、少数の主催者は莫大な利益を上げている。
とりわけ、ブロガーと反復ゲーマーは哀れな存在といえよう。
彼らが熱中すればするほど、連鎖的に利用者が増殖し、Webサイトの価値が高まっていく。
そして、知らず知らずのうちに、カネを吸い上げられ、少数の富裕者を太らせる。
意味の薄い楽しみを反復する人間には、向上はない。徒に月日が流れるのみなのだ。
何百万人という利用者は、労働よりも、暇つぶしに明け暮れる。
親の年金があるうちは、働かずとも生きていける。
彼らは、ひとときもケータイを手放さない。
オーストラリアの社会保障制度はかなり充実している。
だから、若者も老後を心配していない。仕事だって、ちょっとイヤなことがあると転職だ。
では老人はどうかというと、豊かな老後生活の中に、目標を失い、あろうことか自殺する人が出るのだそうだ。
日本の社会保障制度は貧しい。だから、孤独死する老人も出始めた。
若者は、仕事を選び、モバイルゲームやネットゲームに明け暮れる。
高度に満たされた社会には罠(わな)が待ち受けている。
『満たされないという幸福』というものが、人間社会には存在するのだ。
豊かで便利になった現代において、人間は幸福をつかんだ。
枯渇するほどのエネルギー資源を使い、肉や魚をたいらげて、世界を飛び回り、情報通信を駆使してきた。
でも、幸福には際限がなかった。幸福をつかむと、すぐに次の幸福を追い求める。
キリがない。
もはや労働を避け、日常の家事を嫌い、もめ事やコミュニケーションを遠ざける。
その結果、失業は増え、無意味なゲームに落ち、目標を失う。
生きている人間は、生きながらにして、死に体になりつつある。
安楽と快楽を目標にすると、人間は死に体になるのだ。
その理由は、交感神経と副交感神経のバランスにある。
相互の神経が補完し合わない人間は、廃人と化すのだ。
だから、幸福な自殺者が相次ぐ。
高度な社会保障制度は、実は極めて危険な幸福である。
安楽と快楽を求める人びとが急増し、エンターテイメント業界は若者の関心を引きつける。
エンターテイメントこそが『人生のすべて』。
みんなから憧れを持たれて、楽しんでもらえて、人気を集め、チヤホヤされたい。
男の子も、女の子も、エンターテイメント業界の新星としてデビューすることを夢みる。
アイドルかもしれないし、作曲家かもしれないし、ゲーム制作者かもしれない。
役者かもしれないし、スポーツ選手かもしれないし、芸能記者かもしれない。
とにかく、遊びの世界をめざす。
エンターテイメントの世界とは、簡単に言えば、遊びにすぎない。
人びとの余った持ち金を狙う。あの手この手で、話題盛り上げをスキャンダルを探す。
その刺激を、バカな国民に売るのが商売だ。
国民は、この輝く世界から刺激と喜びを得る。みんな遊んで暮らしたいから飛びつく。
こうして、社会保障費は増大する。ストレスに弱く、コミュニケーションに弱い人びとを量産するのだ。
死に体と化した人びとを生み出していく。
エンターテイメントに歯止めをかける人はいない。みんな楽しみたいから止めない。
だから、人々はなだれ込んでいく。その中から、輝くスターやアイドルが生まれる。
それをみた人々は、スターやアイドルをめざす。こうしてエンターテイメントで世界は埋め尽くされた。
エンターテイメントの刺激度は日々高まっていくしかない。ありきたりの刺激はすぐに飽きられてしまう。
欲望が、新しい欲望を開発し、さらなる欲望を求める世界がエンターテイメントだ。
企画者も、演出家も、スタッフも、プレイヤーも、宣伝会社も、営業マンも、流通業も、みんな遊びを追求する。
供給された商品やイベントは、作品とか楽曲とか被災者救援とか…美しく飾り立てられて世の中に流れる。
人々は、購入して遊ぶ。評論して楽しむ。遊んで、遊んで、遊んで、人生を過ごす。
働かずとも、親の年金がある。働かずとも、生活保護がある。
エンターテイメント業界が総力を上げて生み出した作品には、わが娘の尻の穴が映っている。どこかのオヤジが群がっている。
そして、パッケージにはこう書いてある。
『売上の一部は、恵まれない人への支援金として寄付します』
ファンは、心を打たれる。
かつてのスターは、選ばれし者であった。いまも変わりないが、変わった部分がある。
かつてのスターたちは優れていた。優れているかどうかの競争を勝ち抜いてスターの座を獲得したのだ。
ところが、今は違う。劣っていてもスターになれる。
いや、目立っているだけでもスターになれる。
いや、度胸があればスターになれる。
話題性があればスターになれるのだ。
従って、エンターテイメントの世界は、玉石混交の世界に変わった。
だから、かつてのスターたちは活躍の場を明け渡す必要が出てきた。
メディアは、利益効率のよいスターを起用するようになった。
その結果、優れていることは絶対的ではなくなった。
利益にならないスターは切り捨てられる。
限られた活躍の場に、様々なスターたちが乱入したことで、エンターテイメント世界は、混乱期に突入した。
スターたちは、ファンに夢や希望や勇気を与える。
『俺も』『あたしだって』『いつか』と、ファンたちは、エンターテイメントの中に何かを見いだす。
だから、宗教に似ている。人々の心を洗脳しうるパワーを持っている。
金正日だって、サダム・フセインだって、ビンラディンだって、仲間内ではスーパースターだ。
たまたま、日本人は明治維新や第二次世界大戦を経て、日本文化の大半を西洋流に転換したから、金正日やサダム・フセインやビンラディンが嫌いなだけだ。
イスラム教やキリスト教や共産主義などの思想を持たない民族、それが日本人特有のキャラクターを形成している。
見よう見まねで、思考せずにここまで来た。
考えてみれば、主義主張のない国民なのだ。場当たり的にその時々の事案に騒ぐ。
だから、物事を決定する場合に、拠り所がない。
快適で、安楽で、快楽が多ければ、それでよしとする人間の集まりなのだ。
エンターテイメント業界が、利益主義になればなるほど、理念のない日本人は迷う。
もともと物事の判断尺度がないわけだから、その都度、検討しなければならない。
せいぜい『常識的に』という判断尺度しかないのだ。
エンターテイメント業界は、利益になればなんでもする。それが彼らの『常識』だから。
そうこうしていると、エンターテイメントの唯一の機能である夢や希望や勇気が汚れていく。
毎日毎日、たい焼きクンみたいに働き続けて、稼ぐよりは、スターになるか、悪役を真似て、窃盗でもしたほうが手っ取り早いということになりかねない。
怪盗ゲームというのがあるらしい。仲間と結託して、弱い奴を見つけて袋叩きにするゲームだ。
金があれば有利に戦えるし、弱い奴から金品を強奪すると、ますますリッチになれると教えてくれる。
エンターテイメント業界は、理念なき日本人を餌食にしやすい。
Googleの子会社にYouTubeという動画サイトがある。
違法投稿が後を絶たない動画投稿を売り物にしている。
一時は、月間一億と言われる回線コストを維持していたが、収入源がハッキリしなかった。
オフィシャルな特権プレーヤーもまだ少なかった。それが今や、名だたる企業が利用している。
合衆国大統領選でも活用されるほどだ。
しかし、今でも違法投稿の巣窟に変わりない。違法投稿をする者と防衛する者のいたちごっこ状態なのだ。
エンターテイメント業界は、こうした混沌の中で進行している。
もはや、何でもアリなのだ。
YouTubeをエクスプローラでみられないようにすれば、GoogleはMicrosoftを弱体化できるという噂もある。
今年に入り、Microsoftは、なんとかという(ど忘れした)ネット型電話を買収し、巻き返しを狙う。
恐ろしいまでの主導権争いだ。(Skypeでした)
ど忘れするような奴には、とてもついて行けないスピードで世の中は変化している。
話は脱線するが、とんでもない事件が起きた。
『ごめん、メルトダウンかもしんない』
メルトダウンみたい…って…、妙に落ち着き払って言われても困る。
よく聞いてみると
『原子炉冷やそうと思って水入れてたんだけど、水かさが増えないのね。地下に漏れてたみたいなんだわ』だそうだ。
なんかマンガみたいだから、大阪から西側の人たちは、ひょっとしたらズッコケタかもしれない。
東の人間は、たまったものではない。(漏れてたんだけど、たまったものではない)
そもそも地震が想定以上だったっていうのは、実は、同情している。
政府に言われて、言われた通りにしてきたんだろうし、被害地域だって、再三の教訓の中で、リスク料も受け取ってきたんだろうから…。
それは置くとして、『原子炉の電源がイカレました』とか『建屋の中が見れません』とか、マジかよって思う。
この時代に、『真っ暗で見えません』って…。
『たぶん漏れてます』とか…。
シロウトの感想でゴメンナサイ。
最近は、よくわからないことだらけで、何事にも確信が持てない。
この前も、数名でニュースサイトを閲覧していると、こういうニュースが掲示されていた。
『ヤクザがネットで高収入アルバイトを募集したところ、30人の女子高生が応募、900人の客の相手をした。儲けは、女子高生とヤクザが2:1で分けた』
こりゃあ売春だ。さぞかし、青少年のあり方に問題が殺到すると直感した。
ところが、結果は全く違った。
『良心的なヤクザだ』
『廉価で優れた商売』
『もっと続けてくれ』
『全員ハッピーだろ』
一斉に、ヤクザに対する同情が、何百も集まったのである。
世の中は、激変した。
『ヤクザが女子高生を集めて売春をさせ稼いだあげく検挙された』
さて、このニュースの突っ込みどころとしては、いくつかあると思う。
・ヤクザはけしからん
・客はけしからん
・どんだけ儲けた?
・いくらで買った?
・配分は?
・警察をどう思う?
・女子高生の儲けは?
・応募状況は?
・処分は?
いろいろあるとは思うが、世間的には、『女子高生はそんなバイトに精を出してるのか』となるのが大半の意見かと推測した。
なのに、安くてとても良いサービスだというのが半分であり、ヤクザならもっとピンハネすべきだというのが半分だった。
要するに、見る側からしてみると、正しいかどうかの基準などはどうでもよく、割安かどうか、楽しいかどうかが基準なのだ。
もっと言えば、いまさら女子高生のあるべき姿など、問題にはならないという状況なのであろう。
女子高生であれば、売春しても驚くほうがおかしいというのが常識になってきた。
むしろ、次のような意見がチラホラしていた。
『女子高生も大人扱いして逮捕すべき』
つまり、女子高生=売春=犯罪者=逮捕のロジックであり、運がよけりゃ設けりゃいいし、ツキがなけりゃ捕まればいい。
そんな考え方なのであろう。
ともかく、おいしい思いをみんなしたいのだ。
こんな話もあった。
仕事の関係の男性知人に彼女ができたというので、写真をみせてもらった。
まあ、社交辞令もあり、『カワイイじゃないか、よかったな』とほめた。
ところが彼はこういうのである。
『まあ、関係ないっすけどね』
関係ないってことはないと思ったので、意味するところを聞いた。
『関係ないってどういうこと?』
彼は答えた。
『だって、付き合ってるだけだし、そのうち別れるわけですから』
『別れるの?』
『そりゃあ、別れますよ』
『いつ?』
『それはいつかです』
昔は、結婚前提でお付き合いしたものだが、今は別れる前提でお付き合いするわけだ。
『とかなんとか言って、そのうち結婚したりしてー』と、古典的なボケをかましたところ、
『冗談じゃないっすよ。結婚なんかしたら終わりっすよ』ときた。
なるほど、ならば売春婦は多いに越したことはない。
少しわかってきた。
エンターテイメントは時代を反映している。反映して先取りをしなければ新しいものは生まれない。
だから、エンターテイメントをみていれば、時代がわかる。
そして、エンターテイメントのありようが時代をコントロールする。
我々は、無意識にそれを受入れては、新鮮なものを求めている。
もしも、それについていけなくなったり、理解に苦しんだりすれば、旧世代人として整理されていく。
こうして、時代は常に引き継がれていく。
それが間違っていようが、新しい世代は新しい価値を求めて生きている。
だから、いつか理解に苦しむときがやってくる。
このギャップの処理方法が、法律や制度や教育や倫理なのだ。
新しい世代が求めるものを否定的にとらえれば厳しい社会の枠組みが形成されるし、逆に迎合するのであれば放任される。
常に、欲望がエスカレートすると考えると、強面の大人は新世代の敵となる。
さらに、欲望世代自体が大人になると、欲望のエスカレートには拍車がかかる。
エンターテイメントを観察していると、欲望の変化具合とその時代の大人の姿が見えてくる。
科学の進歩とともに、欲望はエスカレートしていく。
快適さは、無限に求められる宿命にあるから、人々は次第に、我慢強さを失っていく。
最もパワフルな人類は、不便で過酷な環境下に生息した。
そして、経済的発展へ向かうとき、強力なハングリー精神を発揮した。
やがて、安定期を迎えたとき、人類は科学的で医学的な補完を手に入れて、快適型の長寿命を実現したのだ。
つまり、ベースの生命力が弱まった代わりに、不足部分を科学と医学が補っている。
これを総合的に評価すれば、長寿命という魔法を実現させたという意味では、プラスなのかもしれない。
また、欲望の実現度も飛躍的に高まったからプラスかもしれない。
ただ、旧世代から新世代をみたとき、固有の感情が湧いてくる。
老人は死期が近づくと必ずこうつぶやく。
『昔はよかった』
『昔はよかった』
そう語り継がれることには、原理がある。
昔のどこを指して、『よかった』と思うのか、つまり、昔のほうがよかった点があるのだ。
換言すると、今のほうが悪いと感じる点があるとも言える。
それは、一言でいうと、時代に感性が適応していた昔は楽しかったのだ。
早い話が若い頃は楽しい、そういう意味とも思える。
現象面を具体的に比較すれば、昔と今でいろいろな優劣がつくかもしれないが、たぶんそういう話ではないような気がする。
若い時は、かなり楽しいのだ。街に出るだけで楽しいし、友人と話すだけで楽しい。
金を使うのも楽しいし、恋愛も楽しい。何をやっても、楽しい。
それだけ感性が研ぎ澄まされていたのだ。
だから、若いときは、はしゃぐ。ノリがよく、はじけるし、飛びまくる。
程度の差はあれ、そういう時代が誰にでもある。
『昔はよかった』とは、実は、『昔のオレは楽しかった』なのである。
農業や水産業に、製造業が加わり、サービス業が加わる。
サービスは、ITという画期的なツールを踏み台にして、情報通信を飛躍的に進化させた。
力持ちは不要になり、根性も影を潜めた。どれもこれもクリックで解決する。
原子爆弾だって、ボタンを押せば済む。おじいちゃんがチョイとボタンを押せば、世界は終わるのだ。
だから、男は男らしい必要はないし、女も男の仕事をやる。
要するに、根本的に激変を続けているのが現代なのだ。
この激変スピードに旧世代がついていけるはずはない。
CSVでFLASHプログラムを書き込んだら、アニメがゲームで動く。
旧世代は、紙芝居で遊んでいたし、紙に書いた週刊マンガを読んでいたから、インターネットゲームをみると、たまげる。
腰を抜かすというのではなく、目を白黒させてしまうのだ。そして『?』疑問符だけが浮かび、立ち去る。
だから『昔はよかった』と言うのだ。
もちろん、無理してついて行こうとする。
しかし、かなり疲れる。
実際、昔に戻りたいかと聞けば『戻りたい』と言うかもしれない。
しかし、たぶん彼らが昔に戻ったとしても、再び現代に帰ってくるはずだ。
なぜか。
既に、欲望がエスカレートしてしまっているから耐えられないのだ。
それに、不便さにも耐えられない。
例えば、タテヨコ計算を集計用紙に書いたあとで、間違いに気づいたら、消しゴムで消して、もう一度、電卓で計算し直して、鉛筆を削ったりしながらやり直さなければならない。
エアコンがなくて、扇風機を回しても涼しくないので、冷やした麦茶をガブガブ飲んだり、誰かを誘ってプールへ行かなければならない。
コンビニがないから、毎日、遠くのスーパーまで買い物へ行かなければならない。
つまり、昔に戻ったところで、もはや我々は通用しない。
通用しないどころか、何もできないし、文句ばかり言うから、大ブーイングされて、かなりの嫌われ者になるだろう。
だから、やっぱり現代に帰ってくるのだ。
『昔はよかった』という言葉は、裏返せば『今はダメ』という意味であり、『自分はどこにも居場所がない』という意味になるのだ。
時代の変化スピードが速くなればなるほど、旧世代がついていけなくなるから、陳腐化しやすい。
従って、旧世代たちは、なんとかブレーキをかけようとする。
新世代はお構いなしに、時代を塗り変えようとする。
実は、このギャップが重要なのだ。
人間関係は、テンポが違うと、どうしようもないほどストレスになるのだ。
引退したマラソンのキューちゃんやボクシングのガッツ石松だって、絶対に我々とは一緒にトレーニングしないだろう。
要は、旧世代たちは、いつかお荷物になる。
だから、ブレーキをかけようとする。言い換えれば『ちょ、ちょっと待ってよ』という。
歴史は、そうやって進行してきた。
キューちゃんやガッツ石松だってそうなんだから、北島康介や石川遼クラスになると、当然ながら旧世代とは巨大ミスマッチが起きる。
次元が異なる世代は、同居することができない。
仕方がないので、現代を嘆くか、必死で勉強するか、なんとか仲間に入ろうとして、おかしな大人を作ってしまう。
若者たちへの迎合現象がこれだ。
旧世代が無能であればあるほど、致命的についていけないから、新世代にゴマをする。
新世代にしてみれば、どうでもよい話なんだが、文句をつけられるよりはマシだから適当にあしらう。
まるで、孫にこずかいを渡して、子供夫婦にゴマをするじいちゃん、ばあちゃんみたいなものだ。
孫に渡すプレゼントは、年寄り趣味で評判が悪いため、キャッシュにしてくれと言われる。
つまり、時代が進むスピードが速いと、旧世代を大量発生させる作用があり、社会を二極化してしまうのだ。
わかりにくくなったが、急激なレベルアップは、落ちこぼれを作りやすいということだ。
旧世代と新世代の間には、避けることができない宿命がある。
その点、エンターテイメントは人々に優しい。
社会に疲れたり、ついて行けなくなった人を受け入れてくれる。
音楽も、映画も、お笑いも、ただボンヤリ楽しめばそれですむ。
難しいことは一切ない。誰でも堪能し満喫できるはずだった。
ところが、この世界にも、急激な変化が訪れている。
音楽は聞いても歌詞の意味がわからなかったり、映画は過激すぎて心臓に悪かったり、お笑いは賑やかすぎてうるさかったり…。
楽しめない。心から安らげない。
エンターテイメントは、脱落した人々を救うはずだった。しかし、今やカネにならないことはやらない世界になった。
カネを払えば、特別に趣味に合ったものを用意してくれる。
万人向けのエンターテイメントは、テレビだろう。
テレビならば、好きな番組を選んでみてればよいから、どんな人でも利用できる。
ただし、双方向番組でないかぎり参加はできない。見るだけだ。
だから、テレビには大多数の国民が集まる。逆に、多忙な人はテレビには集まらない。
ところが、テレビ番組も、あまりに若向けなものは旧世代に冷たい。
次々と、新人が登場したり、トレンディーな組立だったり、ガチャガチャと騒がしかったりすると、旧世代はみるのを諦める。
やはり、落ち着いた静かな番組だけを選ぶようになっていくのだ。
こうして、好みは細分化し特殊化していく。
それを制作して提供する送り手側と、ただ受け身でボンヤリ見る側にわかれていく。
受け手は、ワガママに要求を出す。次第にサービスは高度化せざるを得ない。
女性議員などは、人気を得たい一心で、消費者サイドに立って苦情を受け付けるように指導する。
送り手は、だんだん儲からなくなり、次の手を考える。受け手は一瞬喜ぶが、すぐに飽きてまた苦情を出す。
こうして小刻みなエンターテイメントのアイデアが乱発され消えていくのである。
受け手がカネを持っているうちは、繰り返される。
テレビという媒体は、ことほど左様に視聴者を誘導しやすい。
楽な受け身のメディアしか選択できない層を相手にするから、一方的な洗脳が自在に可能なのだ。
視聴者は、信頼する評論家や芸能人の言葉を崇拝する。
だいたいの人々が、情報ルートを新聞かテレビに頼っているわけだから、わりと簡単に世論を誘導できるのである。
だから、近く消費税を話題に上げたければ、金持ちスポンサー付きで番組を作れば、消費税の関心を高めることができる。
災害被災地に直接的な支援をさせたければ、気持ちに訴えて募金させることも可能だ。
要は、スポンサーがつけばテレビはウハウハ状態になる。
特別なことがないときは、国民に野球やサッカーを見せておけば楽しんでいる。音楽やドラマなども国民は大人しく遊んでくれるツールといえよう。
金が動けば、国民も動く。しかし、インターネットはそうもいかない。好き勝手に、国民が情報発信できるからだ。
だから、従順な国民はテレビ、急進的な国民はインターネットと分かれ始めているのが実情といえる。
そして、各々が細分化されてきたため、全体のコントロールが困難になりつつあるのだ。
進化する無数の技術が、身の回りに存在するようになった。
問題は、それらの技術を利用するにも、知識が必要だということである。
いかに便利な技術がたくさん開発されていようが、まずその存在自体を知らないことが多い。
この段階で、早くも旧世代の人々は脱落していく。知らなければ、利用のしようがない。
例えば、パソコンだって、携帯だって、デジカメだって、スマートフォンだって、電化製品だって、何から何まで、どんどん進化している。
このうちの一つか二つだけでも、知っていれば、知らない人とは人生が格段に違ってくる。
なのに、知らない人は知らないままであることが多い。
まずもって、知ろうとしないスタンスの人も少なくない。
『難しいことは苦手』みたいな感覚だと思う。あるいは『面倒くさい』という感覚かもしれない。
だから、もっと、もっと、もう一回くらいもっと便利になった段階で利用を開始するかどうかみたいな人たちだ。
それはそれで、ある意味シアワセなんだろう。
いわゆる一般大衆のうちの旧世代とは、そういう層を言う。
一般大衆のうちの旧世代は、だんだんと増えていく。
団塊と呼ばれる昭和22年~24年生まれは、60代半ばであり、25年や26年あたりも60歳を超え始めてきている。
これより上の人々は言うに及ばす、だいたいは旧世代であろう。
これらの人たちは、もはや新しいことには手を出しにくい。
むしろ、知識は持っているけれど、これまでやりたくとも、なかなかやれなかったことに興味を持っている。
例えば、趣味とか、旅行とか、特定の勉強とか、そういうものだと思う。
言い換えると、新しい時代が生んだ新しいことには、ワケも分からずに手を出しにくい。
ということは、新しい技術やシステムによって、これまでやりたかったことがスイスイと快適にやれるのが好ましいのだ。
ただ、それとても、情報がなければ昔ながらのアナログな方法をとるであろう。
もう一つのグループは、ネットに巣くう連中だ。
既に述べた旧世代とは違い、彼らは急進的な立場をとる。
理由は不明だが、ネット上での発言は、匿名がほとんどだから、責任がない。
つまり、言いたい放題になりがちなんだと思う。YouTubeなどのコメントをみても、不必要なほど批判的だし、茶化したものが多い。
たぶん、彼らは、騒ぎが起きるのが楽しいのではないだろうか。
現実の立場も、無責任領域の人種だと思うし、投げやりな人生を送っている者が多いのかもしれない。
ネットに、建設的な積み上げを望んではいけないのだ。
このミクルもヒドいもんだ。もし、これが平均的な国民の姿だとしたら、国としての存在価値は薄い。
結論的にいえるのは、国民そのものも二極化しており、ゴミ領域が拡大していると想像している。
ネットとは、中国の都会みたいなものだ。一歩裏道に入れば、貧民街なのだ。
みんな一歩一歩、人生を進んでいる。
スタンスは、人によって、いろいろだ。
これといったスタンスを持たない人もいる。
結局は、想像力の差だろう。10年後の自分の姿に目標設定できて、一歩一歩近づけている人は、それなりに成果を得る。
『明日、イイことないかなぁ』という人は、運次第だ。
宝くじみたいなものだから、10年間買い続けるのもいいだろう。
そして、例外なく旧世代を迎えたり、ひきこもりになったりしても、ノンキに過ごせたのだから仕方がない。
ただし、オリンピックでメダルを取る人には、そういう人はいない。
何故、このようなわかりきったことを書いているかというと、信じがたい事実を書きたかったからだ。
信じがたい事実、信じがたい現実とは、実はこれらの『旧世代とネット世代の同一化』についてなのだ。
不思議な話に聞こえるかもしれないし、科学的に実証されているわけでもない。
しかし、驚愕の真実だと思っている。
結論から、先に書こう。『旧世代』と『ネット世代』は同じなのだ。
いや、『旧世代』に『ネット世代』は追いついているといったほうが理解しやすい。
急激な時間スピードにより、『ネット世代』は、『旧世代』の情報量の吸収を超えてしまい、バーチャルな経験値が追いついてしまったのである。
その結果、さまざまな社会的な変化が起きているのだ。
それを促進したのが、エンターテイメントの急速な進化だ。
見た目は若い『ネット世代』は、60年分の情報量と経験値を得てしまった。
信じがたい事実とは、人類の精神的老化が起きているという事実なのだ。
意味不明な説明だが、旧世代とネット世代とは、精神的にも、経験値的にも、情報量的にも、類似しているのだ。
人類史上このようなことは起きたことはない。
20代や30代のネット世代が、60代を超えた旧世代と類似した人類であるという現象は、実は、コンピューターとエンターテイメントがもたらしたと思っている。
いま、例えば簡単な料理をすると考えてみよう。
普通は、無知な人間は、料理の手順やコツを知らないし、調味料の種類や入れる量などもわからない。
つまり、知識もないし、スキルもないうえ、誰かに教えてもらいながら、さらに失敗しながら覚えるものであった。
ところが、コンピューター通信を使えば、材料、手順、コツがたちどころに理解できる。
苦もなく料理は完成する。料理の経験値を得られる。
こうして、昔の人間であれば長い時間を要していた知識とスキルを、短時間で身につけることができるから、すぐに大人に追いつけるのだ。
実は、この超スピードは大きな問題を内包している。
以前なら、誰かに教えてもらったり、図書館で文献を探したり、何度も試行錯誤を繰り返していたことが、瞬時に解決する世界がコンピューター世界だ。
これにより、人類は飛躍的な進化を遂げた。
日本にコンピューターが普及し始めたのは、1995年頃だった。当時のパソコンのディスプレイに、『Windows95』と表示されていた。
あれから、まだ15年くらいしか経過していないから、人々はコンピューターの便利さは実感しているものの、恐怖を知らない。
コンピューターがもたらした『影』の部分とは、人生の短期化なのだ。
小学生や中学生の頃、都会に遊びに行くと、観るもの全てが新鮮だった。
初めて見る都会は、心をワクワクさせたものだ。
このワクワク感こそが、人間の経験値だ。そして、二度、三度と経験を深めると、ワクワク感は消滅する。
今や、オーロラだって、クジラだって、すぐに映像で見られるから、本物をみたときの感動は薄い。当然ながら、予想がついているからであり、確認したにすぎないからだ。
要するに、疑似体験を重ねていると、様々な事柄においての感動が弱まる。
だから、実体験者と疑似体験者の差が『大きいのに小さい』のだ。
文才がなくて、うまく言えないが、両者の差は、手間の差と感動量の差だけであり、知識・経験値・情報量においては、パソコン世代に軍配が上がる。
実を言うと、これは極めて危険な現象なのである。
日本人は相当ヘンな国民なので修正不可能だが、このまま行くと、困った事態になる。
国債発行額も、年金制度も、高齢社会も、法人税も、災害復旧も、生活保護も、どれもこれも大変な問題であるが、たぶん一番厄介な問題になるであろう。
それは、若者たちの老人化だ。
それでなくても、日本人というのは、かけっこさせては全員並んでゴールさせたり、学芸会は全員かわりばんこで主役をさせる民族なのだ。
競争に敗北すると劣等感を抱き、その後の人生に悪影響を与えると考えている。
人間は、負けたり、失敗するからこそ、這い上がるということを知らない。知らないというか、目をそらしている。
だから、弱い。
みんな匿名掲示板で、心情を爆発させるだけで、面と向かって戦わなくなった。
その傾向に拍車がかかる。
様々な苦労を経て感動を味わうというプロセスは、思っている以上に重要だ。
いわば、狩猟の基本ともいえるし、農耕のステップともいえる。オスとメスの性愛だってそうだ。
何事もホイホイと成功してしまうのは有毒行為といえる。
前記したように、人間にはそもそも交感神経と副交感神経が走っていて、相互に刺激し合ってこそ健康を保てる。
そういう仕組みなのに、短距離走は一番、演劇は主役なんてことを簡単に味わってしまえば、むしろ後が大変だ。
一番になれるのが当たり前なのに、なれないとき、『キレる』ことになる。
不満が抑えられなくなる。
第一の弊害は、我慢できない人間を乱造するという点だ。
昔は、『キレる子供たち』と話題にされたものだったが、今や大人も、カッとして愚かな行為に走るようになった。
短距離走や学芸会だけでなく、パソコンには同様の性質がある。(実証はされていませんが)
だから、タバコやお酒と同じように、パソコンも二十歳からにしたほうがホントはよい。
しかし、そんなことをしたら、東南アジアの連中に負けてしまうから、仕方ないのだが…。
もっと怖いのは、生殖にまつわる弊害だ。
パソコンからは四六時中常に電磁波が出ていて、精子を半減させているというレポートもあるが、生理的のみならず、精神的・経験的な弊害がある。
インポになる。
男性ならば、みんなわかると思うが、少年時代から青年期にかけて、エロ本やエロDVDを入手する。
苦労して、入手したエロ材料は、手が震えるほど興奮するものだ。
男は、その頃の興奮を経て、次第に大人の男性になっていく。
しかも、その興奮レベルを常に味わいたいがために、エロを追求して人生を歩む。
良い悪いは別にして、そういう仕組みにできている。
だから、似たような割れ目だろうが、似たような乳首だろうが、ただの布キレにすぎない下着を見たがる。
通常、普通に考えれば、だいたい似たようなものであることは理解しているにもかかわらず、職を失おうが、家族に軽蔑されようが、牢屋に入ろうが、電車の中で痴漢をしたがるのだ。
女性からみたら、バカだと思うかもしれないが、そういうメカニズムなのだ。
ところが、女性が歓迎するかどうかは知らないが、これまた無感動な現象がパソコンによってもたらされた。
だいたい話の流れは、見えるだろうし、前回の日記でも詳しく書いたから簡略化して説明する。
パソコンで、十代の早くから見慣れてしまうと、その感動量は、数年で60代のじいさんと同レベルに達してしまう。
簡単に言えば、マヒする。
男性は、十代だけで3000から5000回の自慰を繰り返す。まるでサルのように、生殖器をしごきながら青春期を過ごしている。
よく『おまえはサルか』という罵倒があるが、みんな自分たちがサル並みであることを薄々承知しているのだ。
しかし、理性が働き、ルールを守ったり、誠実を示すために抑制をかけ、むやみに犯罪を起こさない。
女性と違って、男性が浮気をしないということは、かなり立派というか、すごい忍耐力なのだ。
それだけ誠実な男性というのは価値がある。いや、あったといえる。
単純に、男女同列に比較するバカが多いが、雲泥の差がある(無論、女性にも淫乱は存在するので、淫乱女が浮気を我慢するのはスゴイといえる)。
つまり、ほぼ全ての男性と、一部の淫乱女は、理性によって、なんとかサルにならずに済むが、やはり九割は欲望に負ける。
だから、男女の世界は成り立っていたと言っても過言ではない。
ところが、この図式が壊れ始めているのだ。
夢のない表現を使うとしたら、男女の関係は性愛的欲情にすぎない。
欲情しない男女関係はたくさん存在するし、崇高な尊敬心が含まれている場合もたくさんあるけれど、根本は欲情だと思う。
その証拠に、表面的なビジュアルを抜きにして、パートナーは選択されない。
これは生理的なものであり、もともと備わった本能だと思う。
その上で、長い間、生活を共にするために必要な人間性とか信頼性とか、考え方とか、センスなどを加味していく。
女性の場合であれば、男性の経済力も重要なファクターといえる。
とはいえ、男性の九割はサルである。サルであるからこそ、パートナーを選ぶ。
サルでなければ、特段パートナーなど不要な代物なのだ。
長らくそういう関係性があったにもかかわらず、最近は、パートナーなしで生涯を終える者や途中で投げ出して別れてしまう者が続出している。
しかも、その比率は、とても無視できないほどに高まった。
その原因を聞くと、男性九割に異変が起き始めたのだという。
パートナーに手を出さない。パートナーとレスになる事例が夥しいのである。
男性九割は、サルを廃業したのだろうか?
いや、そうではない。単一のパートナーとの欲情ができなくなったのだ。
実は、パソコンが普及してからの現象なのだ。
男性九割は、サルであるにもかかわらず、単一パートナーに満足できなくなった。
別の言い方をすると、単一パートナー以外の女性を手軽に確保しやすくなったという言い方もできる。
結婚という手段を経ることなく、メスがたやすく手に入る時代が到来した。
従って、オスは、結婚して扶養してという負担から解放された。
この傾向は、あまりに急激に進んだ。その背景には、他の要因も重なった。
かといって、オスが完全にサルを廃業したわけではなく、単一パートナーだけでは物足りなさを感じているにすぎない。
こうなってくると、メスも一大事だ。ますますメスとしての魅力を磨くか、自立の道を目指すかを決めなければならなくなった。
少子化問題も、クローズアップされている。クローン研究も急ピッチになった。
時代はますます予想外の展開を示しているのである。
オスの変遷は何も特別な事象ではない。
戦国時代なら国内での殺し合いに長けているのが頼もしかったし、昭和初期は外国を侵略する男性に価値があった。
戦国復興時は肉体労働者が、経済成長期はホワイトカラーが、高度成長期は金持ち若大将が、そして、バブル後は優しい男性が、平成突入期には家事を分担する男性に注目が集まった。
ずっと男性は、女性の評価方法に伴って変化を続けてきたのだ。
だから、男性の変化は全く不思議な現象ではない。
しかし、今回だけは様子が違う。女性の評価方法を無視しているのだ。
なぜかというと、女性の獲得が容易になったから、女性の視線を気にする必要がないからである。
現代において、女性を意識する男性とは、よほど女性に縁がないか、経済力が乏しいか、保守的な地域に住む男性たちか、子供好きだけだろう。
彼らは、古典的な既成概念の切り替えができずに、従来の発想の中で生きている。
だから、たとえ結婚しても失敗の確率を高めることになる。
世の流れは、ますます激流になっていく。
男性たちは、長い歴史において、ずっと女性からの視線を意識して生きてきた。
だから、時代に応じて変化する女性による評価方法に適応するようにしてきた。
強い男が好きと言われればそうしたし、優しい男が好きと言われればそうした。家事を分担制にしてほしいなら、そうした。
ところが、男性の経済力が圧倒的に高評価になると聞いた時点で、どうにもならない壁にぶつかった。
というのは、経済力というのは、人間性ではなく属性なので、努力だけではなかなか実現させにくい。
だから、愛する女性が、金持ちボンボンに奪われる。金持ちボンボンには逆立ちしても勝てないという現象に直面した。
速い話が、生まれながらにして、男性の価値は定まってしまうのである。
『あたしの条件は、年収1000万円以上』と、決められてしまうと、エントリーできないのだ。
こうして、男性の無力感が生まれた。無力な男性たちは、パソコンや二次元やアイドルへと流れ込んだ。
見飽きるほど、商品化された女性を眺めているうちに、女性とのコミュニケーションは希薄化してしまった。
一方、女性側もこうしたオタク的男性たちを軽蔑したため、男女の距離は開きに開いた状態となり、アンマッチな世代に、単身者が急増するに至った。
少数の優れたオスをめぐり、多くの女性による受入態勢が確立した。
当然、趨勢的には、さながら一夫多妻制のような展開となった。
そのため優れたオスにとってみれば、まさに『入れ食い状態』となり、不誠実で当たり前の流れが完成した。
従って、男女交際は、結婚前提のお付き合いは激減して、別れる前提のお付き合いが台頭してきた。
優れたオスにとってみれば、メスの一匹や二匹はたいした問題ではなくなったのだろう。
一方、優れていないオスは、メスなど、どこ吹く風となり、二次元やグラビアやメイド喫茶や風俗で楽しむことになった。
こうして男性九割のサルたちは、無事に落ち着くところへ落ち着いたのだが、新たな展開が勃発した。
『草食』をなじる大ブーイングが起きたのだ。
引きこもったオタッキーめがけて、女性たちが『草食傾向』を罵倒したのである。
押しても引いても、攻めてこないオスたち。強く迫れば逃げてしまうし、そっとしておくと膠着状態が続くだけ。
当然、オスたちはメスを扶養する気はまるでない。
やがて、ついにメス世界に氷河期が到来した。
結果的に、メスたちも焦ることになった。
しかし、合コンや出会い系や婚活市場へ出てくるオスたちは、若干型落ちのクォリティーとなり、アンマッチが生じた。
まだ、鍛え直せば使えそうなオスたちは、草食化して無反応だ。
かといって、有能なオスたちは、若い綺麗どころがキープしている。
二十代前半を遊びまくったり、仕事に没頭しているうちに、安売り品しかなくなってしまったのだ。
『アイラブユー』という言葉がある。
昔は、求愛のときに切り札的に使った言葉である。かけがえのない相手にだけ使うと、尾崎豊も言っている。
しかし、いまそんな使い方をする男性は少ない。『アイラブユー』と言えば、『セックスしようよ』という意味合いに変わってしまったのだ。
そして、メスたちは遊ぶ自由を勝ち取った。
当然といえば当然の話でしかない。
女性が自立を叫び、社会進出したのだから、それに伴って、男性は『幸せにするよ』と言わなくてよくなった。
流れとしては、当たり前の流れと言える。
まだまだ、専業主婦に落ち着きたい女性も残っているし、まだまだ、愛する女性を幸せにしたいという男性も残っている。
しかし、単身者は着実に増えていることをみると、これからはバラエティーが多彩になっていくのだと考えられる。
そんな中で、不誠実が流行るのは、本質を見えにくくしてしまう。
その原因が、パソコンなのだ。解答を即答してくれるパソコンは、スピーディーな展開が真骨頂だから、人々はゆったり感を忘れて、ハイピッチの展開を好むようになった。
要するに、飽きっぽくなった。
良い悪いはともかくとして、ここで『昔はよかった』といえば、時代に乗り遅れている証拠かもしれない。
総理大臣だって、つぎつぎに仲間から裏切られ、捨てられる時代なのだから。
昨日まで信頼していた相手が、突然、手のひらを返す。
こんなことは、一昔前なら、ドラマ以外では、まず起こり得なかった。
職場でも、夫婦間でも、親子でも、友人同士でも…。
なぜだろう。
考えられることはいくつかある。なのに、その原因を探究する人は少ない。なぜなら、自分には起こらない問題だと信じているからだ。
これまで仲間を裏切る行為は、人間として最低の行為だとされてきた。
まるでマフィアのように、用が済めばお払い箱にする一般人が急増しているのだ。
こうなると、役に立たない人間は、どこにもすがることができなくなる。
メリットがなくなれば邪魔者扱いというのでは、おちおち夜も眠れない。
これは、大リーガーや格闘家のようなプロの世界のルールなのだ。
つまり、稼げない選手は切る。ドライなやり方。
それが浸透し始めている。稼げないなら、稼げる奴と組む。
どこかで、似たような話をした。そう、女性が男性を選択する際の条件だ。
『あたしの条件は年収1000万円以上』
アタシノジョウケンハ1000…。
稼げない奴に用はない。このフレーズが出てくる背景には、功利的な判断がある。
メリットがあるかどうかを考えた末の言葉であるということ。
メリットとは、金だ。
たくさん稼ぐかどうか、安く動くかどうか、そういう判断が下されている。
それほど、金の力がモノを言う世の中になったということだろう。
たしかに、金があれば、ほとんどの悩みから解放され、好きなことだけを追求する自由が得られる。
そうなったら、気持ちに余裕が生まれて、周囲に優しく接することができる。
金がこれほど重要視されるに至った歴史的背景には、金融機関が提唱する『財テク』発想がある。
同じ金でも、A社で運用するか、B社で運用するか、C社で運用するかによって、リスクとパフォーマンスが変わる。
しかも、デリバティブといわれる金融技術を駆使すればレバレッジが働き成果をコントロールできるのだ。
オプション取引やヘッジ取引やアービトラージ取引などを複雑に組合せて、さらに商品バスケットにしてしまえば、素人には何が何だかわからなくなる。
金融サイドからみれば、在庫一掃セールだが、投資家には、最先端金融商品だといえばよい。
この種のビジネスは、実はコンピューターが実現させた。
毎日、裁定取引が繰り返される背景には、功利的判断が働いている。
時代の激流に逆らうことは、なかなか難しい。
客観視すると『昔はよかった』というのに、逆らえば置いて行かれる。
これを時代に流された状態という。
みんな欲望を満たしたいのだから、ブレーキをかけると消される。
換言すると、『人生は損得だ』が多数派で、『いや、損得に固執するな』が少数派だから、そりゃあ多数派が大勝利するに決まっている。
多勢に無勢なのだ。
特に、日本はバブルを経験しているため、シニア世代がお金大好き文化である。
シニアというのは、口は動くが、体は動かない。もう引退しているから、言いたいことを言うだけで、役には立たない。
従って、時代には流されるしか、選択肢はない。
唯一、自分らしく生きたいのであれば、なんらかの方法で、国籍意識を捨て去るしかない。
だいたい日本人なんてブランドは、もう古い。適当に、離脱してイイとこどりすればよいのだ。
やや暴走したが、打算で動く人間には、いつか裏切られる。
ということは、穏やかな日々は、永遠にやって来ない。
時代の流れから距離を置く方法を発見した者が勝ちなのだ。
ハイスピードで変化する時代。打算と裏切りが潜むマネー時代を、嘆くことなく、いかに泳ぐかは、わかっていても簡単ではない。
マリオカートをやるように、自分流のコツをみつけることが求められる。
ただ、なんとなく糧を稼ぎ、なんとなくコミュニケーションを重ね、なんとなく家庭を築いていると、とんでもない迷路に入る。
もう昔とは違うのだ。男性だって、腕力が売り物ではなくなった。今は頭脳を駆使して金を稼いだ奴が生き延びる時代だ。
前回の日記でも書いた通り、人生はジャングルに生きる動物となんら変わらない。
安全な場所に身を置き、知恵を使って仲間を集め、技術を駆使して獲物を捕獲する必要がある。
ハイスピードのため、ますます生存競争が激しく感じるはずだ。
日本国民が大絶賛で投票した民主党が、ダマしあい、裏切り合いのドタバタを繰り広げている。
金をバラまくから、なんとか首の皮がつながってきたが、沖縄をダマし、福島第一の冷却を止め、そして、今回は仲間をダマし撃ちだ。
ハトさんも、ピエロ扱いされ、カッコ悪いことになった。
ハト『カンちゃん、このままじゃ不信任通るよ』
カン『それは困ります』
ハト『じゃあ、辞めるって約束したら手を引くよ』
カン『わかりました。辞めます』
ハト『そうか。で、いつ辞める?』
カン『メドがつき次第』
ハト『よし、わかった』
不信任否決。
カン『ウソだぴょーん。辞めないもんね』
ハト『貴様、ダマしたな』
カン『ははは、バカめ』
これは完全にコントだ。我々は、夢を見ているに違いない。
裏切りの時代とは言ったが、いくらなんでも、いいオッサンがここまでやるとは思えない。
さすがは、日本国民の代表たちだ。
ダマされないようにするには、どうしたってコミュニケーションを制限せざるを得ない。
ウソをつかれりゃ、誰だってダマされる。
従って、イヤな予感がしたら、距離を置くしか方法はない。
ウソをつきやすい性格、状況、属性を持つ人を疑って生きていかざるを得ないわけだ。
それは、ともかくとしても人付き合いを狭めて、生きるなんて、危ない世の中になったものだ。
以前なら、愛する人を探すのが人生であったのに、今は、疑わしい人を避けて生きるのが人生なのだ。
テレビでは、高そうなスーツを着て、ブランド物ネクタイをしめ、豪華なメガネをかけたニュースキャスターが『我々も節約を心がけて、被災者の気持ちを少しでも…』と涙を流す。
ニュースキャスターの言葉に納得しているような奴は、近いうちに友人からダマされるだろう。
甘い人間が多いと、悪い人間が喜ぶ。
こうして人間の質は変化していく。加えて、金の威力とコンピューターの機能が、超スピードを作り出した。
さらに、マスコミが誠実さを見失い、面白がって煽る。もちろん、煽ることでスポンサーが喜ぶから、次々に、狂乱ネタに飛びつく。
この流れは、止められない。流れを軽蔑すれば、時代にギブアップすることになり、旧世代人間として、引きこもることになる。
だから、なんとかして時代をみんな泳いでいるのだ。アマゾン川の沼地を行くように、警戒しながら泳ぐ。
こういうと、あたかも『自分は正常で、時代が異常』と聞こえるかもしれないが、我々も時代の一員として生きていることを忘れてはいけない。
時代に負ければ、流行りの鬱(うつ)病や認知症が待っている。
時代の異常性は、いつの世も変わらない。多くの人々が『昔はよかった』と言い残して死んでいくのだから…。
昔の何がよかったのかといえば、『昔の自分』だ。
昔のように、元気で夢を持ち、がむしゃらになってみたいのだ。
結局、自分は何のために生きているかを、知ることが最も重要なのだ。
最近よく話題にされるテーマがある。それは『人の話を聞かない人』である。
確かに話をちゃんと聞かない人が増えた。しかし、この見方は逆だ。
自分の話を聞いてほしい人が増えたというのが正しい。
情報化社会においては、溢れるほどの情報が飛び交う。だから、知人や友人の話に価値を感じない。
その一方で、自分が得ている情報は、重要な価値があると、みんなが感じているのだ。
だから、人の話は聞かず、自分の話をしたがるという結果になる。
結局、自分の話も聞いてもらえないことになるから、会話自体に不満が残る。
今の時代は、会話の内容にはあまり価値がない。
だから、会話をするときは会話をしないことがポイントになる。
ヘンな結論だが、会話のときは、大きく頷いたり、ニコニコしたりしていればよい。
そして、伝えたいことは、最後の最後まで伝えず、タイミングを見計らって簡潔に伝えればよい。
最も効率がよいのは、うまく聞き手にまわり、最小限にうまく伝える。
どうせ言葉など、1割も伝わらない。それよりは大きなアクションや表情や声のほうがインパクトがあると言われている。
会話に価値がない時代なのだ。
会話によらずとも、なんとなく雰囲気やセンスが合う人というのがいるものだ。
理由はないけど、とにかく一緒にいると、不思議と落ち着くという人がそれだ。
おそらく片方がそう感じているときは、もう片方も同じように感じているような気がする。
これを、直感という。
直感だけは、いくらコンピューターが進化しても真似できない生身の人間のワザだ。
直感が当たるとか外れるとか、あるとは思うが、これは総合判断だから、大切にしたい。
特に、直感で好印象な相手をどうするかという問題は、かなり重要な課題だといえる。
ワナだらけの社会において、信じられるのは自分だけだ。だからこそ、直感力を磨き、裏付けを取る習慣を身につけたい。
人生の極意とは、案外、こうした原始的な能力に左右される。
そして、どんな人に巡り会うかが、実は人生最大のテーマなのだ。
もしも、直感的インスピレーションが湧くような何かに出会ったら…。
実は、それが人生だ。
ただただ、なんとなく過ごしてはダメだ。直感力を磨いて、『ん?』と感じるものを探す。
見つけたら、なんとかして確保だ。音でも、文字でも、景色でも、顔でも、機械でも、匂いでも、味でも、人でも、動物でも、なんだって構わない。
好きなもので、自分のまわりを固めることで、強固な砦を作る。
人的コミュニケーションが疑念に溢れる時代の補完方法は、環境作りにかかっている。
言い換えると、これは『オタクのすすめ』ともいえる。
十年前なら、オタクなんてキモイとみんながつぶやいた。
ところが、オタクは最新の武装方法だったのだ。オタクをめざせばよい。世間体を気にするなら無理だが、壊れてしまいたくなければ、オタクを学ぶべきだ。
なぜなら、オタクに打算も損得もない。
オタクはだまさないし、だまされない。
簡単に言えば、『みんなと仲良く』から『好きな人と仲良く』というスタンス変更を必要としている。
たしかに、みんなと仲良くするのは、従来はスタンダードな生き方であった。
しかし、それはみんなの考え方が画一的だったから可能だった。
今は違う。バラバラの生き方をする人々を前提に考えなければならない。
仮に、みんなと仲良くしているように見受けられる人がいたとしても、彼にはかなりの調整ストレスが生じているし、実質的には表面上の仲良しにすぎない。
従って、限られた仲良しを探すことが大きな意味を持ってきた。
端的な例は、ペットだ。犬や猫を飼うと、それなりに大変ではあるが、彼らは頼ってくれるし裏切らないから、安心で癒される。
ペットのような仲良しが、何人かいれば、人生は豊かになるだろう。
しかし、人間は厄介な生き物だ。犬や猫のようにはいかない。
だから、立派なオタクとなり、ディープなつながりを持つ必要性が生まれるのである。
すべからく『少数の身内と多数の他人』で、周囲を固める。
好きな事についても『いくつかの好きな事とほとんど無関心な事』で固める。
T字型の態勢を作るのがコツだ。
徒に、広く浅く構えを取ったところで、よいことは何もない。
一方、商売をする人は、全く逆になる。広く浅く構える人を狙う。
こういう人は、カモになるからだ。人を雇う場合も、ごく少数の仲間とその他大勢でスタッフを構える。
常に、その他大勢はカモでしかない。
そういう戦略が取れないならば公務員になるしかない。
金本位の世の中では、共産化を取らない限り、他人を欺くしか活路はないのだ。
もう昔とは違う。
整理すると、時代は二極化を進行している。
だから、少数の勝ち組と多数の負け組を生み続ける。
少数の勝ち組は、ヘマをすれば引きずり落とされる。
一方、多数の負け組は、のし上がろうとして、周囲を欺く。
だから、勝ち組だった政権与党も、焼き肉屋の社長も、電力会社も、ヘマ一つで奈落の底へ落ちる。
一方、負け組たちは、毎年3万人の自殺者を生みながら、身を守るのだ。
自殺者は、言い換えれば生産活動を停止した機械だ。もはや勝ち組の手足になることもできなくなった状態を指す。
他の負け組たちは、労働を通じて勝ち組を支えている。
彼らは、年間300万円という年収を得て、うち何割かを税金という形で、公務員たちを食わせており、生活費という管理費を支払うと利潤は残らない。
健康や精神を害したら、たちどころに生活保護か、自殺予備軍に転落する。
10年もすれば自殺者は、30万人を超え、日本は一つの都市くらいの人口を失う。
これが、軍事的戦争はなくなった現代における経済的戦争の姿だ。
自殺者は、言い換えれば戦死者と言える。
ダマしあい、競いながら、生き残るためには、身を守る術を身につけなければならない。
まずは、周囲を固めるしかない。
いま作業場が100あって、100人が働いているとしよう。
みんなそれぞれ、月給を30万円貰っているから、人件費は3000万円だ。
さて、この作業場で作った製品が、毎月60万円稼ぐとすれば、月商6000万円になる。
つまり、6000万円から月給3000万円を差し引くと、3000万円が経営者の手に入り、製造原価や管理費、納税へ充当される。
仮に、製造原価と管理費、納税負担で8割が消えるとしたら、600万円が経営成果となる。
さて、この作業場をコンピューターシステムを使って全自動に変えたらどうなるだろう。
まず、人件費はゼロになる(簡略的に考えます)。製造原価は不変、管理費は大幅ダウンする。
おそらく6000万円の月商から、2割程度しかコストがかからなくなる。
すると4800万円の利益に対して納税負担が半分かかったとしても2400万円の経営成果が得られる。
そうだ。利益は4倍になった。従業員は仕事を失った。
誰もが知っているように、日本人は『作業場の30万円ぽっちの仕事はイヤ』と言った。
そこで、フィリピンや中国やインドやタイの奴隷を雇ってきた。
彼らなら、汚い仕事でも、ツライ仕事でもやるからだ。
そして、日本人は管理者として、奴隷を働かせてきた。
やがて、この手法は奴隷たちの国でも、導入されて、東南アジアは中国や韓国が台頭するようになる。
仕方がないので、日本人は派遣やアルバイトにより、仕事場を維持するようになった。
コンピューターシステムによるロボット化は、体力のある東南アジアの企業が実現した。
日本各地の工場は減り、街は寂れた。商店街には人通りさえなくなった。
どの街も、中心市街地は同じようになり、大資本店舗が立ち並ぶ。
従業員は、派遣やアルバイトばかりだ。
昔の管理者たちは、仕事を失い、希望を失い自殺へと追い込まれる。
今でも『月給30万円の汚い仕事はイヤ』なのだ。
自分はイヤでなくても、妻が嫌がる。なぜなら、彼女は『年収1000万円だという条件』で結婚してやった立場なのだから。
男たちは追い込まれる。若者はそれを見ている。『女には近づくな』
だからアイドルのCDを購入して、お気に入りのアイドルに投票するわけだ。
オタクには、オタクなりの理由がある。
なんのことはない。東南アジアの奴隷にさせていた仕事が自分たちに戻ってきただけだ。
かつての奴隷たちは、自国で設備投資を行い、自国の人間で運営するようになった。
さあ日本はといえば、まだまだホワイトカラーの管理者求人を探し、ハローワーク界隈をさまよう。
家に帰れば『年収1000万じゃなかったの?』と妻が言う。
妻は、スポーツジムと韓流ドラマが大好きだ。ペットを二匹飼い、エステのパンフレットを見ている。
地デジ対応の液晶テレビはギリギリまで買わずに安く買ったという功績があるし、昼間は子供を砂場で遊ばせて、ストレスの大きいママ友付き合いを乗り切っている。
だから亭主には厳しい。『あなたは一体何をしているの?』
亭主は、妻や子供を幸福にしてやれないという罪悪感に襲われる。
しかし、ハローワークには月給30万円の仕事しかないのだ。
唯一の楽しみは、テレビだが、テレビの前には妻が陣取っていて、なかなか視聴の権利が回ってこない。
彼は、将来を考えたとき、なんの希望も持てない。いや、明日の仕事すらない。
これは実は、成熟した先進国が共通して直面する社会現象なのだ。
日本は失敗者に厳しい。一度失敗したら、永遠に浮かび上がってこれない。
だから、受験でも、就職でも、昇進でも、非常に手堅い動きしかできない人間が増える。
二浪、留年、中退、フリーターなどは、失敗者向けの軽蔑的用語として使われている。
こうした確実な人生を志向していると人間自体が暗くなる。
だから、一度失敗すると、安直に絶望してしまうのだ。
たしかに、再チャレンジの方法も用意されていないし、40代とか50代を雇う企業も少ない。
また、破産したら、社会が彼を抹殺するし、彼女もいつの間にか逃げてしまう。
そんなわけで自殺者は、一向に減らない。
交通戦争と言われた当時の死者でも1万人くらいだった。自殺者は3万人だから恐ろしい数字なのだ。
世紀の大騒ぎが続く、震災被災だって2万人だ。いかに自殺問題が大きいかわかる。
しかし、こんな死者など比較にならない問題がまだある。
ガンや心臓病や血管病、肺炎などは別にすると、事故死や自殺が多い。
男は、ガンや肺炎が多い。ガンは悪性新生物だし、肺炎だって空気中の微生物だ。つまり、何者かにやられて死んでいく。
これに対して、女は心臓病だとか血管病が多い。要するに、使用期間中は何者にもやられない。
対比すると、圧倒的に女は強い。無敵生物なのだ。
その中でも、日本女は、世界中で最も長生きする。86年が平均だ。これは人類史上の最高記録であり、ぶっちぎりで自身が持つ連覇記録を塗り替え続けている。
日本男は、たしかスイス男に抜かれた。
長寿の是否は置くとして、死因統計には出ない死因がある。
それは、中絶だ。
もちろん、死産ではない。死産に関しては、自然死産と人工死産に分類され、統計もあり、だいたい3万人の赤ちゃんが、世に出ることなく消滅している。
いろいろ事情があってのことだと思うが、ここで記したいのは、快楽中絶である。
おそらく数十万人に及ぶ赤ちゃんが、被害に遭っているといわれている。
赤ちゃんは死んだというより、殺された。
毎年、数十万人の赤ちゃんが殺されているとしたら、かなりの女性は、殺人者だということになる。
どの年代も、70~100万ほどの人口がいて、中絶数が約20万件なのだから。
女は、強くて恐ろしい生物なのだ。
『殺人』を命令したことがないので、よくわからないが、20万人の赤ちゃんが殺されているのには驚く。
もちろん、赤ちゃんを作る作業には、男性も関わっているから共犯者なのだが、最終的に作業許可をするのは女性だし、最終的に殺人を決定するのも女性だ。
また、生命を宿したといっても、世に出した後に殺したわけではない。だから、殺人ではないという言い方もできよう。
無計画に生命体を創出し、世に出る前に、秘密裏に始末しただけだとしても、つい、生まれてきたであろう赤ちゃんの未来を想ってしまう。
そういう人たちが、自分は80年もの生命を授かり、時には、不遇な人に向かって親切心を表すのは矛盾している。
あっさり影で殺しておいて、たまに表向きに『どうか生きてください』というのは、おかしいのだ。
しかも、自分はちゃっかり86年生きる。
詰め寄ると、とたんに『男が悪い』『男にダマされた』と責任転嫁する(男は悪いというよりはサルなのだ)。
こうして考えると、失敗を重ねる女は、極悪な凶悪犯に等しい。
しかも男性を介して犯罪を重ねるのはズルイ。
最近になって、ようやく世間はそのことを理解し始めているのである。
失敗を重ねる女とは、例えば、男にダマされる女とか、男が期待以下のときに逃げる女とか、とにかく自立できていない女を指す。
常に、誰かに依存しており、自主性を持たないため、『私は悪くない』と主張する。
最近は、だいぶ減ってきていると思うが、それでも感覚的には、五人に一人か、四人に一人くらいは存在するのではないだろうか。
男には、こういうタイプは少ないが、どうしようもない男とか、親に寄生して働かない男が存在するから、似たようなものだろう。
そうした実態は、以前なら噂話とかニュースでしか聞くことができなかったが、今はインターネットで簡単に知ることができる。
もはや隠せない世の中なのだ。
これほど、あらゆることが露わになってくると、誰もが知識をつけ、疑いを抱くのは当然だ。
だから、『政治が悪い』『総理はダメだ』『男は情けない』『女はズルイ』と言い出す。
しかし、これらの情報はすべて、マスコミを通じて入ってくる。
今や、マスコミは、ウソをつくことを平気で推奨している。
男女間ならば、『男性経験は3人だと答えなさい』、親子ならば『昨夜は親友の家で試験勉強をしていたと答えなさい』、面接ならば『御社のポリシーが好きですと答えなさい』…。
マスコミは、ウソつきになれとばかり平然と記事を書く。
ハッキリ言う。『小沢一郎は何の罪?』『ホリエモンは?』『東電は?』
正確に理解している奴は少ない。要するに、なんとなく悪いと感じているだけなのだ。
だから、悪いのは政治でも、総理でも、男でも、女でもない。
悪いのは、マスコミだ。
もっと言えば、マスコミを安易に信じる『オマエ』が一番悪い。
書けば書くほど、身の回りが不安になってくるけれど、生物である以上、ある程度の危険は避けようがない。
みんな生き残るために精一杯なのだ。
ただ、その中心部分が、カネとコンピューターになってしまったため、様々な情報が露わになり、マスコミに踊らされやすくなった。
結果として、誰もが隠していた『邪悪な部分』までもが露呈しているだけだ。
知らない頃のほうが、幸福だったといえるかもしれないが、それを言えば、時代遅れとなるから、なんとかして対応せざるを得ない。
そのために、まず身内を固める必要がある。
味方とそれ以外を明確化する。いつ何時、誰かにやられるかわからないし、自滅するかわからない情勢なのだ。
これからは、なるべく無関係なものにはアクセスしないほうがよい。
不確定な情勢も取らないか、疑ってかかるほうがよい。
そして次に、生息の安全と安定を図る。住まいと食料は、生物の基本だ。
かなり意識的にドギツイことばかり書いてきた。あまりに懐疑的すぎるかもしれないけれど、日本の民度は、相当に荒んできている。
全体に占めるガラクタ人間の比率は不明だが、2%や3%ではないと感じる。
だから、身を守りつつ、希望を持てる態勢を構築しないと、自分がボロボロになる。
大げさだと思う人も多いだろう。世の中には、器用な人と不器用な人がいるから、一概には言えない。しかし、これだけは言っておこう。
著者は、相当レベルに器用なほうだ。器用な人間が警戒態勢に入るべき事態だと感じているのだ。
要は、今日よりは明日、今月よりは来月、今年よりは来年のほうが、快適になるだろうという態勢を構えないと、人生は暗くなる。
人生は、相対的な感覚で決まるのだ。
ただ、他人と比較するのではなく、今日の自分、今月の自分、今年の自分を、改善していくことがポイントといえる。
戦後から経済成長期の活力は、『テレビ』が届き、『車』が手に入り、『家』を持てたからだ。
初めから、高レベルの我々は、難易度が高い。
さらに悪い情報がある。司法界は、芸能と恋愛が大好きな国民に、事件を裁かせることにしている。
裁判陪審員制度だ。
検察も弁護士も腐敗した現在、検察が事件をでっち上げるかもしれないし、弁護士がカネで動くかもしれない。
冤罪で解放される容疑者も、次々に誕生しているし、上告・控訴で時間を稼ぐ犯罪者や、精神鑑定へ逃げ込む容疑者も後を絶たない。
IT犯罪だって増えてきて、個人情報も、未公開株情報も、いつファイヤーウォールを破られるかわからない。
インターネットが国家政権を倒す時代なのだ。
だからというわけではあるまいが、司法制度は、最もミーハーな国民に裁きを任せた。
隣の家の夫婦喧嘩だって、どっちが悪いかわからないというのに、よりによって我々が裁くのだ。
犯罪など犯していなくても、ブタ箱行きになるかもしれない。
つい、悪玉情報を警戒し懸念してしまうが、インターネットや経済社会には、良い面もたくさんあるわけで、悪い面ばかりえぐり出すというのは正しくない。
また、国民にも前向きな人のほうが多いわけであり、少数の悪玉が存在するにすぎない。
テロリストだって、ホンのわずかな連中が、手段を選ばずに世間を掻き回している。
だから、良識人が増えることが世の中を安定させ、逆に悪玉が増えることが不安定を作る。
どうしたって、社会は変化を続けているから、昨日の良識人は、明日の悪玉になりうるのだ。
そこには、つまり変化には利害が絡むから回避は不可能なのだ。
Aという状態がBに変化すると、トクをする人とソンをする人が発生するから、良識人と悪玉菌が移動を始める。
このとき悪玉菌に変わる層に対して、補償を行えば摩擦は減少するわけだが、悪玉サイドは変化自体を容認しない。
というよりも、抵抗する。そして、変化や変更事項を妨害する。
これが、規模によって、暴動になったり、消極化につながったり、ストレスを作り出しているのだ。
従って、できるだけ善玉サイドにいられる戦略を立てることによって、平穏で計画的な人生を過ごせる。
善玉菌として、人生を送るための基本は、他人に借りを作らないことだ。
違う言い方をすると、利害関係を作らないこと。
すなわち、なるべく接触を避けるか、巧みに接触するかだ。
人と人のつながりは、上下関係か、横横関係か、身内関係かのいずれかに分けられよう。
このうち、上下関係については、自分が上になるときと下になるときとに分かれる。
この場合は、カネの切れ目が縁の切れ目、またはメリットの切れ目が縁の切れ目になる。
切れ目になると、それなりにストレスが生じ、下手をするとトラブルになる。
『期待はずれ』とか『話が違う』とか『もうコリゴリだ』とかの状態に陥って終わる。
裏切られた状態の結末である。
意図的に裏切るときもあれば、力及ばず裏切るときもある。
だから、上下関係というのは、なるべく作らないのがよい。
いずれは上の横暴や下の怠慢に出くわす。
次に、横横関係だ。
知人とか、友人とか、あまり利害関係のない世界に代表される関係である。
この関係には、『相対的比較』、すなわち他人様との比較が登場する。
羨みとか、妬みとか、軽蔑とか、同情とか、あるいは、競争とか、卑屈とか、比較感情が芽生える。
それは、性格的な比較感情かもしれないし、肉体的な優劣感情かもしれないし、経済力の格差感情かもしれない。
横横関係は、直接的な利害は小さいけれども、精神的ダメージを受けるリスクが潜んでいて、優位性を保とうとすると、距離が離れ、劣位性に耐えようとすると、ストレスが増大する。
だから、優位であったり劣位であったりしながら、横横関係をコントロールしているのだ。
コントロールに失敗すると、親分・子分関係へと変化を遂げて、上下関係のようになる。
だから、横横関係は、距離感が大切だ。
最後に、身内関係。
血縁やそれに類似する関係をさし、説明不能な協力性を持っている。
親子や兄弟や幼なじみなどだろうか。
最近は、こうした関係においても、予期しえない事件が起き始めている。
うまく説明できないが、個人個人それぞれが、様々な個性を選択できるようになったため、プライバシーが拡大したり、主義・主張が乖離することで、理解し合えないケースが増えているのかもしれない。
とりわけ、身内での裏切り行為は、一般化しつつあり、油断ならない時代を迎えた。
さて、上下、横横、身内の3つの関係には、微妙に当てはまらない関係がある。
夫婦とか、恋人とか、男女の関係がそれである。
実は、最も重要な関係とされていた男女関係は、崩壊しつつある。
原因は、女があからさまになったことにある。今の時代は、男からすれば、女が手に入れやすい時代だ。
男が女を手に入れれば、女は不愉快に決まっている。女もあきれ果てれば純愛を求める。女が離れれば、さらに男は女を探し求める。
誠実な人間など、もはや化石扱いに近い。
結果的に、男は性的な視点で女をみるにすぎないし、女は男ナシで生きる決意をする。
見飽きるほどのAVと、選びきれないほどの風俗嬢、キャピキャピのロリアイドルに囲まれた男たちは、溜まったものを排出するだけだ。
しかし、この傾向には良い点もある。
案外、女の本質を見抜く能力が育つからだ。
下半身を抜きにして、女と向き合うには、イヤというほど満足した状態になる必要がある。
ただし、残念ながら、そんな男を愛する女性はほとんどいないであろう。
Can't Buy Me Love
カネで女は買えない。60年代に大ヒットした歌の題名だ。
当時は、カネで女を買うような男は、軽蔑されていた。
ところが、今は、女の方から『買って、買って』と、すがりつく。
時代は様変わりした。というか180°回転した。
女たちは気づいたのだ。カネさえあれば、幸せがつかめることに。
だから、すぐに脱ぐし、すぐにハメル。普通に、売り込んでも目立たないから、派手に飾り立て、過激なサービスをして、女同士で競い合う。
また、当時はヌードになっただけで、『お嫁に行けない』時代だった。
今や、ヌードはおろか、肛門のシワまで、世界中にさらして、カネをあさる。
バケツ一杯のザーメンを顔に浴びて、オモチャにされてでも、子供を育てる。
女は、遂に化けの皮を剥がした。
こうなってくると、電車の痴漢も、職場のセクハラも、密室のレイプも、カネさえ払えば、喜んで解決すると思えてくる。
女たちは、そのうち尻を出して歩き始めるに違いない。というか、既に、パンツを見せて歩いているんだが…。
最近は、女の裸を見慣れたせいか、目を背けることも増えた。男たちの目が肥えてきて、汚い裸は見たくなくなってきているのだ。
女が30を過ぎると、ババア扱いするのも、そのせいだ。十代や二十代の女たちが、イチゴ(15000円)で商売しているため、30代のカラダは価値を失った。
カネがすべて。
60年代に大ヒットしたもう一つの曲名、All Need Is Love(愛こそすべて)をつい思い出してしまった。
祖母『昔はね、一夫一妻制といって、男の人が女の人を養っていたんだよ』
孫娘『うそ~なによ、それ』
祖母『だから、女の人はけして男の人を裏切らなかったの』
孫娘『てか、信じられない~』
祖母『でも、一生安定したから幸せだったの』
孫娘『ふうん、お金をもらえたの?』
祖母『そうね。女の人は働かないでお家にいたのよ』
孫娘『ばっかみたい。カラダでもっと稼げばいいのに』
祖母『男の人がイヤがったのよ』
孫娘『マジなの? 手コキもダメなの?』
祖母『ダメよ。離婚されるから』
孫娘『うざっ』
そんな会話が交わされる日は近い。
少し前に、二極化原理の話をした。カネを核にした社会は二極化する。
そう考えると、おそらく男女の性差が縮小した現在、女性が社会進出を果たした現在、女性の年収が男性に並んだ現在、女性に貞操倫理を期待するのは時代遅れになった。
女性は、女性自身を商品化し、カネを稼ぐのが当然の世の中に変わったのだ。
いやむしろ、稼げない女は古いと考えたほうがよいのかもしれない。
これからは、好きな男にはタダで、普通の客には適正料金で、イヤな奴には暴利で、巧みにカラダを切り売りするのが、女たちの生き方なのだ。
カネさえ手にできれば、それで幸せなのだ。
急進的な活動というのは、今に始まった話ではない。
時代が硬直化したり、低迷化したりすると、猛烈な爆発力を持ったニューパワーが登場するのは定番である。
地底のマグマと同様に、人間の感情エネルギーが爆発するのだ。
壬辰の乱だって、ドイツナチス党だって、ソ連のペレストロイカだって、みんな同じだ。
長い間、女性は家庭に閉じ込められていた。その間に、日本は高度に成長し、一時はGDP世界第2位までになった。
活況のピークが、彼女たちをついに動かしたのだ。雇用機会を男女平等にして、いよいよ社会に出てきたものの、社会には男性が縄張りを形成していたのだ。
一気に、女性パワーは炸裂し、勢いに乗じてやりたい放題となった。
親や教師でさえ、コントロールが効かない女性たちは、好き放題に振る舞った。
まず、先進的な女性たちが社会へ参入、魅力的な女性たちがエロを商品化した。
だから、そうした文化的な変化を呪っても意味がない。
人々の感情エネルギーは巨大な爆発力をもち、時代を汚染するしかない。
次第に、感染者は増加し、新たな感情エネルギーを蓄積するだけだ。
そうして時代は、移っていく。
日本の女性たちは、人類史上で最強の生命力を持っているのだ。
宇宙のビッグバンが起きる前は、空間など存在しなかった。
風船がふくらむように、爆発とともに、銀河系宇宙が弾け飛んでいる最中だ。
太陽系宇宙も、そのプロセス途上にある。そして、たまたま太陽からの距離がほどよい地球に生命が誕生した。
いまから40億年も前の話だ。生命は陸に上がり、だんだんと人間に近づいた。
といっても、まだ西暦は2011年だから、ある意味一瞬にすぎない生命体が我々なのだ。
いずれ絶滅することは確実な我々の歴史など、チリかホコリくらいの価値しかないというのが真実といえる。
その中で、我々はルールを作って、生存確率を向上させてきた。
その最高芸術が、『日本メス』なのだ。
ミクルや小町では、理解しがたい女性たちが多いけれど、宇宙的に考えてみると、些細なことにすぎない。
弁護的立場をとるには、宇宙から彼女たちをみると、少し冷静にもなれる。
つまり、現在の社会なんて、あまり重大な存在ではない。
太陽の周りを遠心力でグルグルと回りながら、引力とのバランスがたまたまとれているだけの生命体が、どう生きようと、さしたる意味はない。
近いうちに、彗星が衝突したら絶滅するし、気温が少し上昇したら死ぬし、病原菌や放射線で感染死するかもしれない。
地震やハリケーンや竜巻で壊滅するかもしれないし、交通事故やガンで死んだら終わりなんだから、生きたいように生きればよい。
だから、そう思えば、ミクルや小町の人たちも、カワイイものだ。
クヨクヨしてきたときは、こうした宇宙的解決法を、ぜひお薦めしておきたい。
宇宙とか、生物学とか、大自然とかに触れていると、不思議なことに、日常が小さく感じる。
極端な話、あまりに自分がチッポケすぎて悩みが吹き飛んでしまう。
案外、これは一つの極意といえるのではあるまいか。
大宇宙からみれば、人生なんて一瞬のことだし、大自然からみたら、生命体なんて無力だし、生物学からみたら人類なんて偶然でしかなく、脳の一部の決定権が崩れたら、全てがジ・エンドである。
だから、些細な人生を乗り越えていくとき、好きなものだけに触れて生きていくことの大切さが身に染みる。
ハレー彗星を発見したハレー博士は、次のハレー彗星到来を予言したが、それを確かめることはできなかったという。
ハレー彗星が地球へやってくるのは、76年に一回だけなのだ。
夢が叶うとか、叶わないとか、本当は意味がないのかもしれない。
夢に向かうときの自分が好きなら、それでよいのだ。
では、夢とはなんだろう。カネを稼ぐことか、人気者になることか、功績を残すことか、いろいろあり得ると思う。
とにかく、何かに没頭して、実現へと一歩一歩近づくことだ。
中間地点には、目標値があり、一つ一つクリアして進む。
途中のプロセスで、修正があったり、挫折に見舞われながら、諦めずに進む。
計画が大きければ苦労も多いけれど、計画が小さければ苦労は少ない。
進んでは喜び、戻っては悲しむ。そして、やがては結果が出る。
何事も毎日の積み重ねだから、毎日を支えるための体力、気力、資金力が不可欠となる。
そうやって考えると、多忙な勤め人が成し遂げることができる夢には限界がある。
どこかで、勤めを止めて、自分の時間を作り出し、資金力の範囲内で、勝負に出なければならない。
それが可能な人は、それだけで相当に幸せなのだ。
いわゆるベンチャー起業家だ。
経済社会においての成功とは、主として、ビジネスの成功ということになりがちだ。
単に、商品開発をして、たくさんの利用者に喜んでもらえばそれでよいという考え方もあるが、その結果として、給料が増え、知名度が上がり、利益を生み出して法人税を納め、財産を蓄積するというのが、ワンセットになって初めて成功と呼ぶ場合が多い。
つまり、成功には段階があるのだ。
①喜んでもらえたらよい
②給料が増えたらよい
③有名になればよい
④税金を払えたらよい
⑤蓄財できたらよい
こうして、カネ儲けと人気者と功績が果たされることになる。
勤め人は、その一部を担う。チームの一員として、役に立つ人間になりうる。
うまくいけば、安定的な生涯を築けるわけだ。
しかし、見る人が見たら、それは経営者の成果にすぎず、スタッフの成果にはならない。
たとえ、成功プロジェクトの内容を全く知らない経営者だろうが、成功者は経営者なのだ。
おかしな論理だが、現場のスタッフはあくまでも、言われた通りにやる歯車でしかない。
どんなに才能に溢れていたとしても、内規に定められた成果報酬を受け取るだけなのだ。
場合によっては、才能の安売りになっていることが考えられる。
では、成功者は何をしているのかというと、例えば、六本木ヒルズあたりの成功者は、とにかく面談をこなす。
まずは、マスコミだ。彼らはネタがほしいのもあるが、ルートがほしいから成功者に近づく。
たいした才能もないくせに、名刺を一枚持って、成功者とパイプを作りたがる。
『オレは彼と親しい』と言えば、社内での位置が上がるからだ。
会社もネタがほしいから、彼の言うがままになる。
不思議と、成功者の周りには、芸者のようなマスコミ連中がニタニタとして集まる。
次に、経営者同士の面談アポイントだろう。互いに、メリットを探り合いながら、にらみ合いが続く。
経営者も、こう言う。
『オレはヤツと親しい』
一流の仲間入りをするには、この種の付き合いをするのが早道なのだ。
あとは、実を言うと、たかが知れている。
グルメ、ワイン、ゴルフ、車、女、億ション…、意外と、定番の贅沢しかない。
成功者なんて、そんなものだ。以前なら、まわりの人間がチヤホヤするだけだったが、今は、叩く人間も多い。
ただし、カネは充分にある。だから、仕事は誰かにやらせればよい。
面白いと思うのは、成功者を前にした人間は、何でもするという点だ。
日頃は、どうか知らないけれど、成功者に近づく人間は一様に、まるで芸人みたいな人格になる。
成功して、何が楽しいかというと、人間の裏側をみることができるという点らしい。
カネの威力というのは恐ろしい。
だから、成功者は我々が知らない世界を熟知している。
使いパシリだろうが、スパイ行為だろうが、笑い者にしようが、ストリップだろうが、何でもやる。
彼らに聞くと、人間の本性がよくわかる。千載一遇のチャンスとばかり、言いなりになるらしい。
とりわけ女はヒドい。
女は表と裏が激しい。
男はプライドの生き物だから、芸人になりきるには限度がある。
いくらカネのためと言っても、ケツは貸さない。ケツを貸して、遊び道具にされたら、後悔で眠れない夜が続くだろう。
この辺が、男の弱さかもしれない。
その点、女は違う。
低次元の女は、日頃から、食べ物、着るもの、男、テレビくらいしか考えていない。
信じられないが、カネの匂いをちらつかせれば、何でもやるという。
芸人になれるだけならよいが、
ウソは平気、
隠し事は平気、
裏切りは平気、
独り占めは平気、
と、無敵状態なのが女だ。
『若い頃は、遊んでたかも』なんて言って、ペロリと舌を出すような女は、ハンパなくやりまくっているはずだ。
もちろん、隠しているし、聞かれてもウソを言う。
成功者は、自分では女を口説かない。誰かに設定させて、待ってればよいだけだ。
スタミナに応じて、スケジュールを決める。年間通じて100人設定しても、大台一本で充分足りるから事務的なものだ。
小銭のために、何でもできるという強さは、女固有のものだろう。
感覚的に思うのは、女の子っていうのは、思春期の環境によって、人生が大きく左右されるってこと。
家庭環境とか、学校環境とか、友人関係とか、生活レベルだとか、興味・関心だとか。
男の子の場合は、多少、横路に逸れても、修正がきくけど、女の子の場合は…。
それだけ女の子のハイティーン時代は重要だから、そうなるんだと思う。
経験的に感じるのは、女子校から短大や専門へ進んで、OLになる路線は、荒れ道を行くようなものだと…。
もっとも友人関係にもよるが。
それはよいとして、成功者の遊び道具になる女たちは、結局、いろいろ使い回されて30代へと突入する。
一応、表面的には、波乱万丈でモテ期みたいにもみえるけれど、全く実態は違う。
一番美しい時期を、社会の生け贄として過ごしているだけだ。
女の末路を引き受ける男も、これまでは存在した。こういう男たちも、いわば処理係だ。近頃は、そのなり手も激減した。
一方、一見楽しそうな成功者たちも、そんな反復的な遊びにはすぐに飽きてしまう。
女は、ご飯つぶと同じで、大切ではあるが、一個一個は、単調な味しかしない。
いないと困るが、同じモノを続けて食べたくない。
女子が自立し、男子が自由を得て、互いに男女の差なく生きていけることは、悪いことではない。
依存関係が薄まり、好きなようにすればよいからだ。
そもそも、女子が男子に尽くすなんて世の中は、とうの昔に終わっていた。
ひたすら男子が、ATMとなって生活費を運んでいたにすぎない。
多くの夫婦は、よそよそしいし、レスだし、不満を我慢し合っているケースが多い。
たぶん、制度疲労が到来しているのだろう。
男子にしてみたら、『この女を幸せにしたい』という余計な感情を捨て去れば、それでよいだけだ。
これからは、遊びの恋愛さえすれば、ケンカはしなくてよいし、時間はすべて自分のものだし、生活費は自分の分だけ稼いで自分で使えばよい。
案外、親孝行や友人付き合いも存分にできるかもしれない。
困ることは、ほとんどなくなる。
女子にしたって同様だ。縛られるものはなくなり、美しく自由に生きられるだろう。
すでに、朝の通勤電車は女子が半数を占めている。
専業主婦という身分が消滅するだけだ。
働いている女性から、聞かれる。
『アタシこのまま結婚しないで本当によいのかしら?』
はっきり言って、正解は出せない。
だから、こう答えざるを得ない。『自分次第』
そして、こうつけ加える。『誰かに養ってもらえないという人生は、40才とか50才をすぎて、男性からチヤホヤされなくなったときに、初めてツラさを実感する』
所詮、女性は、男性のスケベ心によって、助けられている。
最後まで、助けられる人生もあれば、途中まで助けられる人生もある。
そうした中で、同じように、ダマされる人生もある。男性を見抜けない人は、ダマされるしかない。
ダマされる人は、何度もダマされる。ダマすような男性が好きなのだろう。懲りずに、何度も何度もダマされ続ける。
だから、ダマされてきた人は、否応なしに40才とか50才で自立せざるを得ない。
つまり、カラダを売って生きてきたような結果に帰結する。
男のスケベ心を、どう使うかの方法論が、長期戦から短期戦へと変化しているのだ。
女の武器を短期的に活用する時代になった。
よほどのボケた男性以外は、女を長期的に食わせていく必要性がなくなっている。
その結果、男性も女性も、共同義務の負担から解放されて自由になる。
一方で、支え合うという精神性が消滅する。
この時代の変化をいち早く察知した女性たちの中には、大きな成功を収めた人も多い。
逆に、未だ男性探しに奔走を続け、大きな成果を出せない女性たちも多い。
良い悪いではなく、時代は着実に変化を続けているのだ。
女性という武器の使い方も様変わりした。
エロ社会が拡大した背景には、女たちの短期戦略があるのだ。
女が、全般的に幸福になったかといえば、それはNOだろう。
女が社会進出を果たしたと同時に、派遣労働者が増えて、企業は低コスト戦略に打って出た。
長引くデフレの中で、大半の女性たちは、低賃金で使われ、男性たちはリストラされていった。
だから、男性たちは女性を食わせていきにくくなったのだ。
代わりに得たのが『自由』だ。
社会には、失業者や生活保護や自殺者が増え、子供は減る一方となった。
せっかく育てた若者たちでさえ、仕事にありつけない。
だから、女性の社会進出は、全体的な結果論からいえば、失敗だ。
この先、一般女性たちは、年とともに辛酸を舐めることになる。
その中で、高齢化社会による増税が襲いかかるだろう。
『自由』な我々が、それを乗り切ることができるかどうかは、まだわからない。
ただ、よほどのアイデアがない限り、甚大な被害者が出るだろう。
ひょっとしたら、支えきれなくなる恐れだってある。
それは東日本震災への対応と、それに端を発した原子力発電への舵取りにかかっている。
まさに起死回生の一手が問われているのだ。
最近のデータによれば、30才すぎの未婚率は目を疑うばかりだ。
男性の半数、
女性の3分の1、
これだけの数が未婚なのだ。原因は、ふさわしい相手がみつからないとか、収入が足りないとかである。
ただ意外なのは、ほとんどの男女が、実は結婚を望んでいるということ。
つまり、みんな『都合のよい結婚』を期待しているのだ。
だから、折り合わない。ワガママだったり、理想が高いと、未婚や晩婚や、場合によっては離婚となる。
おそらく、日本特有の現象だと思うが、日本人は異常に自分勝手なのだ。
イヤなことはしたくない民族、それが日本人なのだろう。
さて、詰みかけた日本人を救うのは、国家予算の立て方にかかっている。
現在の税収は40、歳出は90だ。不足分は借金している。
選択肢としては、国民負担を仰ぐか、さらなる借金を重ねるかだ。
実は、この選択は結構悩ましい。
増税か?
借金か?
これをどちらに決めるかで、国の運命は大きく左右されるだろう。
高齢者や失業者を守るために社会福祉予算は、どんどん増大している。
年金の財源問題もあるし、金はかかる一方だ。
だから、国民の皆さんで少しずつ負担しましょう。そういう流れにあり、消費税論議が浮上している。
そこへ東日本震災が追い討ちをかけた。
原子力発電はやめますから、国民の皆さんで少しずつ負担しましょう。という流れだ。
そう言われると、なるほどと思う。なんだかんだ言って、日本人は贅沢だから、少しは慎めばよいような気もしてくる。
しかし、高齢者や失業者に、いくら金をバラまいても、実をいうと意味は薄い。
いわば、捨て金なのだ。
GDPという指標は、日本の価値を示す。
お金が循環すると、次の人がまた生産し、お金を払う。とまた、次の人が働くといった具合に、お金と仕事がワンセットで回っていく。
つまり、仕事をすればGDPが増大する。
これを中国でやれば、中国のGDPが増大する。
だから、日本人の働き手を増やして、次から次へと仕事を増やしていけば、法人税や所得税が膨らんでいくのだ。
そして、仕事も増えるから給料が増えて買い物も増える。
何が言いたいかというと、増税すれば歳入は増えるが、仕事は増えないから、ベースが拡大しないと言いたいのだ。
ここが悩ましいところだ。
増税と借金は、家庭でいえば、『パパや子供のおこずかいのシメ上げ』と『ローンの借入』に当たる。
おこずかいを減らして、必要な所にお金を回すのは一つの選択肢だ。
しかし、収入が増えるわけではないから、ローンを借りるという感じだ。
けれど、そんなことではいつまで経っても、家計はラクにならない。
やっぱり、働いて収入を増やさないと根本的な解決にはならない。
ということは、新しい仕事を探すか、給料を上げてもらうしかない。
ところが、会社だって、この不況で火の車だ。
特に、日本には、『労働基準法』という最悪の法律があるから、企業はなかなかラクにならない。
この法律は、労働者を守るどころか、経営者と労働者をケンカさせるためにあるような法律だから、天下の悪法と言われる。
個人情報保護法もかなりヒドイが、労働基準法はもっとヒドイ。
法律家というのは、アホが多いのだろう。改善する能力がない。
未だに、明治時代や昭和初期のルールを平気で使っているのだ。
さて、会社が給料を上げてくれないとなると、新たな仕事を探すしかなくなる。
国家ベースでいうと、新しい産業を創生するわけだ。
今まで、日本人は、汚い、ツライ、安い仕事はみんな外国人にやらせてきた。
だから、重い荷物を持ったり、夜中に出勤したり、便所の裏側を雑巾で拭いたりすることはイヤなのだ。
しかし、この際、そんなことも言ってられない。そこで、登場したのが介護の仕事と言える。
ところが、これも暗雲が立ち込めている。ツライし、汚いし、安いから、やりたがる人がなかなか増えない。
かといって、スマートな仕事は、仕分け会議とかで、どんどんなくなっていく。
仕分け会議も、ムダをなくすどころか、仕事自体をバッサリ切ってしまうため、失業者を増やす結果になる。
新しい産業の芽を摘んでしまえば、将来的にも、展望は開けない。
だから、ここは一発、巨大ニュータウン建設計画でもブチ上げて、とんでもない大都市でも作るしかないような気がする。
街を作るなると、あらゆる仕事が生まれる。
もちろん、国家は巨大借金を余儀なくされる。
人口1000万人の最新型未来都市を作り上げるのだ。
被災者だって、高齢者だって、このままではどうなるかわからない。
だから、英知を結集して最高の未来都市を作り、仕事を生み出すのだ。
家計ベースで、新しい仕事を探すというと、アルバイト程度の話ですむが、国家レベルになると、新しい産業を生み出すという壮大な話になる。
一つは、巨大な未来都市の設計だが、これには問題もたくさんある。
まず、気が遠くなるし、カネが相当かかる。失敗したら、それこそ世界の笑い者だ。
だから、いま注目されているのは、新しいエネルギー産業である。
石炭、石油に次ぐ、原子力エネルギーは、どうも評判が悪い。
日本人のことだから、今はグズグズ言って、原子力発電を遠ざけようとするだろう。
だからといって、太陽光や風力などの自然エネルギーが、どの程度スムーズに稼働するか知らない。
とりあえず、この夏はエアコンをつけずに過ごすと張り切っているみたいだ。
せいぜい、エアコンのスイッチを目の前にして、罪悪感と戦えばよい。
ブクブクと脂肪だらけの日本人が、ガマンしきれるはずがない。
隠れて、エアコンを21℃くらいにして、薄ら笑いをすると思う。
ダメなヤツはダメに決まっているからだ。
ダメな奴は、やはりダメだ。
よくスポーツマンなどが『辛抱強く続けてきてよかった』と、成功談を語る。
要するに、遊んでばかりいた人間は、蓄積がない。時間の使い方に失敗している。
そういう人間が、突如として、『エネルギーは節約します』と言ってもできるはずがない。
ダメな奴は何をやっても使えない。悪口を言っているわけではなく、論理的にそういうことになると言っている。
したがって、毎日を変えない限りは、何も変わらない。コツコツと積み上げた結果、成果が生まれるのだ。
そういう奴ならば『なるべくエネルギーは節約します』と言っても信用できる。
贅沢三昧の普通の日本人は、ドブ掃除ですら、2週間続かないだろう。
そういう意味では、増税で追い込まれることは意味がある。
それで、萎えてしまえば一巻の終わりとなる。
さて、最大の問題は、『人生は有限』だという真実だ。
いくら寿命が伸びたとはいえ、みんな100年で消滅する。
あの世があるかないかは、他でやってもらうとして、真実は『人生は有限』だということだけだ。
だとしたら、増税で苦しむよりは、借金をして、次世代へ引き継ぎたくなるだろう。
問題は、そのヘリクツが必要だということだ。
おそらくは、このヘリクツを誰かが持ち出すだろう。
そして、巨大な借金を重ね、国家的信用力を失い、さらに原子力発電をなし崩し的に継続するはずだ。
欲望とは、そういうものだ。
世の中が、経済原理で動くようになってから、人類が欲望を満たすために、世論はコントロールされる必要が出てきた。
世論をコントロールできれば、欲望を満たすためのシナリオが描ける。
だから、マスメディアは利用されやすい。
マスメディアというのは、組織で動いているようにみえるが、実をいうと個人プレーの集積にすぎない。
だから、記者クラブのような集団を組成しておけば、うまく情報を提供しさえすれば、世論をコントロールできる。
だが、これよりも、もっと恐ろしい問題がある。
これから最も社会を苦しめるもの、それは『女』だ。
腕力や武力による欲望戦争が終焉し、貨幣力戦争が起きている。
豊かな貨幣経済を保有する者が、社会を支配する。
同時に、文明は進化を遂げて、男性社会に女性が参画できるようになってきた。
子育てをやめた女性たちは、これから戦争へ加わる。
先に記したように、女性、その中でもとりわけ、日本人女性は、史上最強の生命力を備え、宿した我が子でさえ、選択の上で抹殺してしまう。
残虐で、かつ巧みにウソを駆使し、歯止めがない自己正当化、泣きわめき、感化されやすいという特色を持つ生物が、戦争へ参加する。
これによって、女性型の横暴や犯罪が新たに社会問題になるだろう。
正確にいうと、女性型のみならず、男女混合型が主流になると考えられる。
これは、想像を絶する事態を呼び起こす。
女性の社会進出は、あっという間に進行した。最近は、企業のトップや経営陣、執行役員、部長、支店長など、珍しくなくなってきた。
当初は、派遣労働者ばかりだった女性陣も、ようやく縄張りを広げつつある。
女性特有のきめ細かさは、社会に新たなサービスクォリティーを提供した。
それはそれで正当な評価である。強い女は、相当に強いことが証明されたのだ。
一方、悪玉菌女性も存在するわけで、問題はそちらのほうだ。
悪玉菌女性は、社会にとって、新たな問題を引き起こす。
悪玉菌女性は、悪玉菌男性とは異なった性質を持っている。
男性と女性の違いになるのかどうかはわからないけれど、カレーライスに毒を入れたり、練炭で中毒させたりという手法は、あまり男性は使わない。
女性の場合は、どちらかというと、計算して計画して、油断させて、薄ら笑いというフローになりやすい。
この計算力や計画力の背景には、怨念とか執念とかが潜んでいる。
海外のように、ピストルが一般化したら、また変わるのかもしれないが、今のところ、悪玉菌女性たちは、着々と計画を進めている。
案外、古い男性は、女性に油断するものだ。まさか女性がそこまでズル賢いとは想像していない。
女性の怖さを知っているのは、むしろ女性である。女性は、自分の敵が女性であることをよく理解している。
だから、悪玉菌女性が社会に進出したことが、後々、手がつけられない事態を招くことも、薄々推測できている。
戦い方を知らない男性たちは、ただただ身を潜めるだけだろう。
国会中継をみていても、討論会をみていても、髪を振り乱して、唾を飛ばして、ムキになって、しゃべってる女性は多い。
まさに、感情に呪いのようなスイッチが入って、わき目もふらず、しゃべり倒す。
声はかん高いし、言葉は機関銃のようだし、目は血走っている。
国会議員やコンサルタントは論戦が勝負だから、本当に醜くなる。
とりあえず、一通りしゃべらせてしまうしかない。
あんなのが職場にいる人は、それだけで普通の5倍は不幸だ。
会話が上手かどうかは、生涯の幸福を大きく左右する。
実際、おしゃべりしていて、楽しい人と楽しくない人は、明確に存在する。
そして、おしゃべりを避けたい人もいる。
おしゃべりしたくないと思われたら、もはや、どうしようもない。
さて、どこにポイントがあるのだろうか? 極意のようなものがあるのだろうか?
先の女性国会議員や女性コンサルタントの人たちは、商売だから仕方がないけれど、ああいう人とは少なくとも会話はしたくない。
それがヒントだ。
おそらく、我々は感情的になる沸点を持っている。
沸点が低い人はすぐにキレる。沸点が高い人は穏やかだ。
いずれにせよ、キレると攻撃体制に入る。
昔ならば、ここで殴り合いになったのかもしれない。しかし今は違う。
暴力は完全否定されてしまったから、会話を通じた戦闘を行う。
さて、会話による戦闘には、格闘技同様のパワーやワザやスピードが要求される。
男女混合社会においては、この会話による戦闘力が欠かせないのだ。
社会に出るということは、戦いに出るということに等しい。無敵状態で、狩猟ができると思ったら大間違いなのだ。
いつも敵が潜んでいる。
ただし、暴力は使えない。
そういうルールの中で、会話が上手くできて、いざという時には、戦闘体制に入れなくてはならない。
ここが整理できている人は少ない。
まず、無益な争いを回避することだ。これはかなり大切な心構えといえる。
無益な争いとは、勝とうが負けようが、どっちでもよい争いをいう。
たとえ無益な争いに勝っても、実益はない。敢えて言えば、気分的な自己満足だけだ。
ただし、恨まれる。
負けた場合は、その逆になるわけだが、いずれにせよ、どちらかに多少のストレスが残る。
だったら、全て回避するのが正解になる。無益な争いを回避するには、そういうスタンスを知らなければならない。
無益な争いを回避するには、相手の長所を知ることが大切だ。
知っての通り、人間はプライドを持っていて、プライドを汚されることを極度に嫌う。
だから、周囲の人たちの長所をインプットしておくことは、大変重要だといえる。
例えば、専門知識がある、運動能力が高い、歌が上手い、料理が得意、地理に詳しい、笑顔が可愛い、センスがある。
なんでも構わない。その人をみたら、すぐに連想すればよい。
そして、たまに、くすぐっておけば、なついてくる。
動物とまるで同じだ。頭をナデナデしてやるように、長所をくすぐってやればよい。
無益な争いを回避することで、余計なストレスは格段に減るはずだ。
仮に、自分の方が上だと思っても、師匠にしちまえばよい。むしろ、共通の話題が作れるわけだから、なおさらよい。
無益な争いを回避する。これが一番大切だ。
いわゆる『ほめ殺し作戦』は、戦闘回避の基本だ。
ほめ方も大切だが、とりあえず適当にやっときゃいい。
ちょうど、男が女を口説くときの心構えによく似ている。
男が女を口説くときは、100%気持ちを切り替えなくてはならない。
相手の女が、バカであろうが、性格が悪かろうが、キライであろうが、とりあえずホメ倒すアレだ。
要は、どうでもよいと思ったら、適当にホメることを実践する習慣をつけておけばよい。
ホメるポイントは、小さく具体的なほどよい。『起用だよねー』『そういうセンス、さすがっ』。
なんだっていいのだ。
ホメるというスキルは、通常、考えている何倍も重要なスキルだ。
自然に、タイミングよく、印象的に、ホメることができるようになると、空気が変わる。
特に、バカには効果が大きい。逆に、インテリをホメすぎると裏目に出ることがあるから注意したほうがよい。
自分がホメられたときのことを思い出してみるとよい。バカにホメられても、さして嬉しくないものだ。
上からか、対等関係において、使うスキルなのだ。
上位者をホメるときは、神経を使う。
対人関係というのは、本当に難しいものである。特に、日本人はヒマだから、それなりにくだらない情報を持っていて、非常に厄介なのだ。
日本人が持っている情報なんて、実は誰かのウケウリにすぎず、ちょっと突っ込まれれば『アレ?』みたいなレベルだ。
情報社会や権力社会が進化すればするほど、意図を有する情報が飛び交うのだ。
それを一生懸命に読解して、時間を費やして理解したら、それを吹聴したくなってしまう。
だから、関係性の薄い人間関係など、大胆に軽視してもよいのだ。
つまり、どうせ自分の考えなどない人間ばかりなのだから。
わかりやすく言うと、『一回民主にやらせてみっか』といって、選んだ政治を、今度は寄ってたかって叩いているようなバカどもなのだ。
また、東京電力という有限責任の株式会社を、1000年に一度の地震をネタに責任追及するクズどもなのだ。
さらに言えば、原子力発電もそうだ。キリがないから書かないけれど、いずれにせよ、本気でその他大勢の相手などする必然性は皆無だ。
もはや、人間関係自体を再考すべき段階にまで、テクノロジー社会は進展してしまったと思ったほうがよい。
だから、みんな意図を持って語る。とにかく語りたい時代だ。
しかも、様々な情報は豊富に流れているし、専門的になる一方で、そうしたネタでないと、金にならなくなっている。
そうすると、オモロネタを無理やり作らなければならなくなるし、受け手は気に入ったネタを誰かに流したくなる。
エスレートするばかりの情報戦は、インターネットという無限スペースで、360°の方向で拡大している。
まるで『情報宇宙』といえる。
そんな時代にあって、隣の席の誰かが何かを懸命になって語りかけてきたとしても、あまり意味がなくなっている。
もはや、酒を飲みながら朝まで語り明かす時代ではなくなり、インターネットでキリがない情報宇宙をさまよう時代となった。
そこで仕入れた情報を、翌日、誰かに会ったときに横流ししているにすぎないのが実情といえる。
だから、そのときに意見が合わないと、ストレスを生み出す。
なぜかというと、準備万端に情報を仕込んだ人間は、相手よりも詳しい立場にあるから、情報量でねじ伏せたいと考えているからだ。
圧倒的に大量の情報量を持って、朝、家を出てくる。
聞かされる側は、まともに相手をしてはいけない。
そんな『情報宇宙』に生息していると、差し迫っていない知識情報なんて、ほとんど意味がない。
必要なときに、簡単に調べられるのだから、わざわざ時間を奪われてまで聞きたくもない。
しかし、聞いてやらなければ相手は不満に思うだろう。
人間関係はますます深刻な有害関係になりつつある。
ならば、人間関係を捨ててしまえばストレスから解放される。
これは唯一の正解なのだが、あらゆる人間関係を全て捨ててしまうと、それはそれで寂しいため、最小限の人間関係を残すことになる。
だから、今の時代は、人間関係が薄いほど、快適な時代といえるのだ。
しかし、表面的にはそうもいかない。あたかも、顔が広いことを示さねばならない事情や世間体がある。
そこで、どうでもよい『つながり』が流行るのだ。ツィッターやfacebookやMixyなどがそれだ。
あの手のつながりは、とても人間関係と呼べるものではない。いわゆる知り合い程度の関係にすぎない。
メリットがあるから、計算の上でつながる。
こういう人間関係は、今の時代の人間関係の典型的スタイルであり、利用し合う関係だ。
とりあえず文字だけのやり取りだし、偽善的に振る舞えば、なんとでもなるし、いざという時は黙って逃げればよい。
たかだか、そんな人間関係の構築に、なぜ多くの人間が執着するかというと、個人情報保護や消費者契約がうるさくなる昨今、客にアクセスする手だてが減ったからだ。
打算的人間関係なのだ。
表面的つながりに関して言えば、男女の親密な関係においても、同じ現象が起きている。
3ヶ月も6ヶ月も付き合っていながら、名前も住所も職場も知らされていない男女関係が増えている。
驚くべきことに、偽名での付き合いを続けているカップルが結構いるのだ。
そんな関係だから、飽きたり、気まずくなったりすると、ある日突然、音信不通になってしまう。
深入りはしたくないけど、寂しさを埋めたいという心理は、ツィッターやfacebookやMixyと同じなのだ。
要は『邪魔されたくない』というのが最優先事項であり、他人とは関わりたくないというのが本音といえる。
他人がこれほどウザイことになった背景には、欲望人間の増殖という理由がある。
この種のカップルは、不幸なつながりの典型例といえる。
男性が女性に身元を明かさないのは、愛などないからだ。
女性が男性に身元を明かさないのは、つきまとわれたくないからだ。
どっちにしても、相手を信用していない。いざという時は逃げるつもりなのだ。
そして、いつかはその時がやってくる。もともと一緒にいたいわけではない。
一緒にいたいわけではないのに、つながりを持つ理由は、互いに、それが一時的に都合がよいからだ。
3年以内で別れるカップルは、大抵がそういう間柄にすぎない。
それ以上、一緒にいる理由がないのだ。
巨大化した生物は滅びるのが歴史の必然
従って人間もやがて滅びる運命です
「チョっとまてょ
2mにも満たない人間の何処が巨大化した生物だょ」
と怒る💢人もおられると思いますが
人間は恐竜と違って
『脳』
を超巨大化させた生物です
人間は頭蓋骨に納まりきれなくなった脳を外に具現化することによって
頭蓋骨の外で
巨大化をし続けています
都市・交通(陸・海・空)・産業製品・マネー経済等
次々に生み出される物は皆、脳が身体の外に具現化したものです
人間はエネルギー使用料から見ても
恐竜の数十万倍以上もエネルギーを使用している巨大生命体です
この様に巨大化が止まらない生物はやがて
絶滅するのが
世の理(コトワリ)です
日記の途中だが、面白いレスをいただいたので寄り道してみたい。
人間という生物は、タマネギのように皮をむいて、さらにむいて、さらにむいていくと、ただ一点だけが残る。
それがレスにあった『脳』だ。
この物体が、我々に『ああせよ、こうせよ』と指令を出している。
肉体が都合がよいと感じれば実行するし、拒絶したいと思えば信号を出す。
それが、来る日も来る日も積み重なっていく。
こうして、肉体と感情が形成されているのだ。そのプロセスにおいて、様々な能力や経験が、脳に記録されていく。
従って、ツラい経験を増やせば強くなるし、ラクばかりに浸っていると耐性がなくなる。
しかし、総じて、人間は快適な暮らしを追求するから、科学は進化せざるを得ない。
我々は、この『脳』という小さな点のような塊にコントロールされているにすぎない。
『脳』がイエスというか、ノーというかが、理屈の世界だ。理屈を組み立てておくことで、いたずらに快楽ばかりを追求しないようにしておくわけだ。
理屈を考えられない、または理屈に従えない人間は、快適だけを追求するから、社会にとって有害となる。
だから、教育というものがある。教育とは、人間が統率されている時代は知識教育でよいが、個人がバラバラに自由を追求する時代には、『生き方』を教えるべきなのだ。
でなければ『脳』によって人類は滅びる。
『脳』の時代とは、言い換えると、女性参画の時代を意味する。
何事も、ボタン一つのワンタッチ時代には、男性の腕力やパワーは相対的価値を失う。
振り返ってみると、戦国の世の中は、平和と共に商業の世の中に変わった。
そして、戦時下の世の中は、高度経済へと移り変わった。
時代は、常に繰り返されている。腕力と金の交代制だ。
今は、さらにITとPCにより、高度な頭脳戦争の世の中に突入している。
常に、人類は戦い続けてきた。その間、男性の価値は変動した。
勇敢な男、信念の男、優しい男、そして金持ちの男と、時代に応じた男性の価値があった。
今は、頭脳の時代。
男性も女性もない。巧妙に計算し、精緻なスキルを駆使し、誰もが戦っている。
考えない人間は置いてきぼりになる。頭脳戦に勝った人間だけが、丸取りの一人勝ちをするのだ。
負けた人間は、どんどん溜まる。次々と、職を奪われ、報酬を下げられ、社会福祉のお世話になる。
場合によっては、社会から隔離されたり、孤独になる。うつ病などに陥ったり、自殺へと追い込まれるケースもある。
頭脳戦争とは、少数が丸取りする仕組みになっている。
少数しか勝てない仕組みは、経済全体を疲弊させる。
老舗の商店やデパートなどが苦戦している。以前のような溢れんばかりの来店客を獲得できないからだ。
次々と、閉鎖や合併が続く。
客は、インターネットで買い物をしていて、街中には出て来ない。
インターネットはというと、Yahoo!や楽天が勝ち誇り、広告を獲得し、ショッピングモールが賑わう。
Yahoo!や楽天に、みんな頭を下げて(しかも金を取られ)、出店させていただくわけだ。
すると、一般大衆がさらにのぞきにくるから、ますます賑わう。
そのうち一般大衆も、いくらか金を取られる。だから、Yahoo!や楽天はまたまた儲かる。
一般大衆は、楽しければ何でもよいとばかり、ウジ虫のように群がり、ショッピングをする。
さて、丸儲けしたのはポータルサイトだ。あとのショップは安売り競争にさらされるか、商品力で負けるか、資金力が尽きるかで、脱落者は後を絶たない。
利用者など、一過性にすぎないのである。
人々は、わっと集まり、飽きると去っていく。利用者とは、そんなものだ。
集まっては去っていく繰り返しを、食い止めるため、事業者は手を尽くす。
新しいサービスを付け加えたり、新しい商品を発表して、興味をつなぎ止める。
その際に、大きな労力と資金が必要になる。これは事業リスクになり、もしも失敗すると、事態は悪化してしまう。
だからアライアンスを考える。つまり、他人の商品を用いる。
ポータルサイトのショップはそんな役割だ。彼らは客がほしいからポータルサイトを頼るが、ポータルサイトだって新しいショップを出店したいのだ。
なのに、金を払うのは、ショップ側だ。釈然としない部分を感じながらも、互いにメリットを追求する。
こうしてポータルサイトは、事業リスクを抑えて様々なサービスを提供している。
結果的に、客は滞留し継続的な売上を維持できる。
こうした客は、一人一人はたいした客ではない。
表面的な客なのだ。
法人も個人も、このような表面的つながりによって、ブランドを作る。
表面的つながりが多ければ多いほど、一目置かれた存在になるからだ。
ところが、ここにはトリックが潜んでいる。
表面的つながりは、あくまでも表面的にすぎないということだ。
表面的につながった連中は、けして、奉仕や貢献をするつもりではない。
つまり、さして役に立たないことが多い。
商売で言えば、『買い手』としてつながっているわけではなく『売り手』になりたいだけなのだ。
従って、表面的つながりは、類は類を呼ぶパターンで寄り集まっていることがほとんどである。
でなければ、そもそも、つながりなど求めないはずだからだ。
表面的つながりは、いわば利用しあう関係であり、だからこそ、無益な争いをしてはいけない関係といえる。
一方で、本質的関係はできうる限り絞り込むことが好ましい。
アルファベットの『T』の文字のように、広く浅く構えつつ、本質的関係にエネルギーを注ぐのがコツとなる。
本質的関係においては、真剣な世界だから、勝ち負けにこだわるべきだ。
暴力・腕力のない戦い方の中で、全戦全勝を貫くためのスキルは、ディベートのような演出的技法が必要となる。
宮本武蔵は、壁を背にして、背後からの敵を排除したらしいが、論戦においても技法というものがある。
論戦における、パワーとスピードとテクニック、これはますます重要になる。
話術は、伝えるための話術と説得するための話術があると思うが、究極の極意は『簡潔』ということだ。
論戦におけるスピード、パワー、テクニックは、磨けば光るものかもしれないが、やはり、持って生まれた才能がモノをいう。
ドスのきいた声、眼光鋭く理知的な顔、強烈なアクション、理屈っぽい論理思考など、努力を重ねてもなかなか身につかない要素も多い。
『正解は、これだ』
『なぜならば、これこれの理由があるからだ』
『例えば、こういうケースを思い描け』
『反論があるならば、いま示せ』
ニヤリ。
みたいなスピード感で、タイミングよく、ガツンガツンとやられたら、面倒くささもあって誰もが戦意を喪失するだろう。
スタイルはいろいろあるだろうが、こうした論戦が好きな奴にはかなわない。
論戦なんて、結局の話が、好き勝手に言い合うだけのことだ。相手の話に理解を示したり、学んだりするわけではない。
しかし、いざとなれば負けられないのだ。
だから、ボクシングと同じで、まず相手の出方をみて、相手のキーワードを出させることだ。
相手の最強の武器を知り、それを崩すことが勝利への道といえる。
それにはジャブやフェイントを繰り返す必要がある。
様々な角度から質問責めをしつつ、弱点を探す。
聞いておきながら、一方で、論破の糸口を探す。
口論なんて、何が面白いのか不明だが、テレビの討論会などはみていて楽しい。
それは格闘技をみているのに近いからだと思う。
我々は、あまり意識していないが、現代の格闘技とは、議論をすることなのだ。
たいていというか、ほぼ全部の場合において、建設的な結論は得られない議論を、人々は延々と続ける。
観衆がみていればいるほど議論は白熱化する。
勝ち負けは判定に持ち込まれる。ノックアウトはないのだ。判定するのは、観ている人たち。
過激で独創的な論客、それでいて強い論客は、人々が応援する。
著書を購入したり、講演会を聴きに行ったり、ツイッターをフォローしたり、フェイスブックで繋がったり、ブログのファンになったりする。
当然、アマチュアの我々も似たようなことをしたがる。
子供が野球選手のマネをするのと同じだ。
昔から、歌手のマネをしたり、お笑い芸人のマネをしたり、スポーツ選手のマネをしたりするのはよくあった。
ここへきてインターネットが普及したせいか、一般人も、著述業の真似事ができるようになったし、写真家の真似事ができるようになった。
スキルがあれば、動画の投稿も簡単にできる。
つまり、様々なプロを真似て、自分も脚光を浴びることができるのだ。
だから、そうしたビヘイビアが一般的になり、日常生活にも浸透してきた。
みんな真似事をすることになった。
会社の会議でも、飲み屋でも、コーヒーブレイクでも、親子の会話でも、インターネットの中でも。
ということは、みんな脚光を浴びて人気者になりたいのである。
みんな、周りから『スゴイ』と言われたいのである。
実は、ここがポイントなのだ。
あまり気づいている人はいないが、『みんな勝ちたい』わけだ。
つまり、これは『勝たせてやればよい』ということを意味する。
わざと負けてやることで、実は勝てる。
変な言い回しだが、負けてやれば勝てるのである。
これを知っている奴は、まずいない。
口論において、わざと負ける技術は、相手を持ち上げ気分よくさせる結果、相手から常に求められるようになるからだ。
一方、口論に勝つような奴は、みんなから避けられるから、フォロワーは増えるものの、本質的な人気は得られない。
わかりにくい話だが、これがエンターテイメント時代の人気者原理なのである。
別に、哲学的な話をしているわけではない。実用的なヒントについて述べているにすぎない。
『負けた奴が勝つなんて』論理的に、どう考えてもおかしなロジックなのだが、気が狂ったわけでもない。真面目に、そう感じている。
戦後60年以上が経過し、復興を果たした日本は、急速に経済発展を遂げた。
その間に、物質的な物余り現象が生じ、欲しいものはなくなった。
バブルをピークにして、エンターテイメントに興じ、レジャーを楽しみ続けた。
物質的に満たされ、個人の自由が許され、一見すると、幸福の絶頂に立っているようにみえる。
しかし、なぜか満たされていない。幸福感は、なぜか薄いのだ。
すぐに、人生に絶望し、心の病に襲われるし、自殺者も増え、働かない人も増えた。
ここへきて、明らかに時代は転換期を迎えている。
口論の武装と、何の関係があるのか、ますますわからなくなったと思うが、実は、すごく密接なのだ。
- << 141 心が満たされないのは 人々が、物質の豊かさを求めてやまないからだ 金な物は暮らしを豊かにする エンタやお笑いは楽しい しかし、それは一時の出来事でそれらに救いを求めるから、空しくなる 本当の『心の平安とは何か』を真剣に考えずに過ごしているから、 次第に苦しくなる 頂点に登りつめた人でも徳のある人は皆 物欲から離れ、 すべてを捨てて精神世界に向かって行く
落ちぶれた人を想像してみてほしい。
祭りやパーティーの後でもよい。長期休暇が終わった夜でも構わない。
ピークアウトの気分。
それが今の日本である。絶好調の何十年かが過ぎ去り、ガラガラと何かが崩れ落ちていく。
幸福の絶頂にあったはずの自分が、なぜかさほど幸福ではない感じ。
世界の主役は、仲良しだったアメリカから、犬猿関係の中国へ変わる。
他国は、すでに中国にスリより、あわてて対応に追われる。
日本を出て行くかもしれない主役プレイヤー企業たち。
国内には、溢れかえる老人たちと、子供手当をもらうファミリーたち。
枯れていく日本を、全国民が感じとっている。
落ちぶれた男を想像してみてほしい。彼は、どんな気持ちだろうか?
社会心理的にいえば、国民は、物質的には満たされているにもかかわらず、精神的には疲れきっているのだ。
しかも、環境は急激に変化を続けている。
気候、経済、外交、情報化、IT通信、エネルギー、政治、人間関係、教育、あらゆるものが急激に変化するなかで、精神は病んでいくのだ。
ピンチの最中にあり、疲労困ぱいしながらも、日本人は傲慢だ。
自由を得て、金を得て、日本人は人生を謳歌してきた。一気に世界トップクラスの経済力を得た。
その結果、女性も社会進出を見事に果たした。
簡単にいえば、『調子に乗りすぎな国民』になった。
誰もが『調子に乗りすぎ』になり、金さえ払えば、物事はどうにでもなると思っている。
こういう傲慢国民の中にあっては、コミュニケーションを深めてはならない。
それが『無益な争い』を避けるという意味なのであり、ヘタをすれば精神をやられる。
その傲慢国民が、疲労困ぱいしてヒステリックになっているのだ。
金持ち傲慢国民が、長引くデフレ環境の下、疲労困ぱいしてヒステリックになりつつある。
そして、癒やしからお笑いへと、国民は逃げ場を探した。
しかし、根本的には何も変わっていない。
こうなってくると、叩き合いになりかねない。政治家、公務員、マスコミと、おいしい思いをしていそうな連中は、徹底的に恨みを買うだろう。
日本人は、朝鮮や満州へと侵略を進めたときも、傲慢国民になった。
調子に乗りやすい国民なのだ。島国に住んでいるため、一致団結しやすい。反乱を起こすほどの信念はないが、洗脳されやすい性質を持っているのだ。
今回の大震災から、円高不況は、ますます傲慢国民をヒステリックにさせている。
資本主義経済の基本構造は、付加価値に集約される。
人間の物欲や快楽に対して、供給側の人間は『提供料』を設定する。
買い手は、どうしても欲しければ、提供料を支払うし、あきらめがつくならば払わない。
場合によっては、自作するなり、自己完結することで、提供料は不要になり、原価だけで手に入れることが可能になる。
つまり、
①欲しがらない
②自己完結する
③提供料を支払って手に入れる
という選択肢になる。
①は人生が無味乾燥になるし、②は面倒だし難しい、③は金がかかる。
結局、安いルートを探して、③を選ぶ。
この結果、供給側が提供料を得て『勝ち』となる。
買い手は、提供料を支払って欲望を満たす。
資本主義経済とは、欲望に負けた人間たちから、供給側が提供料を受け取る仕組みだ。
だから、必ず負ける人間たちがいる。次々と負ける人間たちが現れるからこそ、勝つ人間が生まれる。
この格闘は、前記したように、人間版ジャングルの闘いだ。
レスにあったように、精神世界へ飛ぶ段階に至るのは、年齢を重ね、欲望が薄まり、闘争条件が低下したときと、相場が決まっている。
『脳』が快楽を記憶している以上、若い時代は、ジャングルへ狩りへ出ていくことになるのである。
資本主義経済社会においての獲物は、貨幣に代表される。
貨幣は、有価証券や貴金属などに姿を変える場合もあるが、そこにも交換レートが存在する。
常に、狩人たちは、有利が不利かを考えて、欲望を満足させようとしている。
通常は、人生においてフロー収入が得られる20代~50代までの40年間を現役の狩人として過ごす。
残りの人生は、公的年金とストックを使って生き延びるのだ。
もしも、このバトルに疲れてしまえば、他国の企業が参入してくるし、油断をすると技術力が他国へ漏れてしまうし、ミスをすれば叩きのめされてしまう。
だから、なんでもかんでも勝ち負けを言うのが、たとえイヤだとしても、そんな悠長なスタンスだと、食い荒らされてしまうことになる。
従って、欲望のエスカレートは、絶対に止まることはあり得ない。
人間は、絶対に欲望には勝てないだろう。
欲望に勝てないということは、勝負に負けることを意味している。
つまり、負けに向かって生きているという論理になるのだ。
貨幣という獲物を獲得すると、次第に、貨幣は移動を始める。
少しずつ少しずつ貨幣は集まり始める。逆にいえば、少しずつ貨幣がなくなるサイドも発生している。
収入に比べて、過大な欲望を得ようとしたら、貨幣は足りなくなる。
貨幣が足りなくなると、最初は交換レートの安いところから借りてくる。借りれば返さなくてはならないから、再び借りる。
そのうち交換レートは不利になってくるから、ますます返すのがつらくなる。
そんなときに、収入減少にでも見舞われたら、一気に返せなくなる。
欲望を満たせないどころか、最低限の衣食住さえ確保できなくなる。
銀行、ノンバンク、サラ金、ヤミ金は、一度足を踏み入れると、一段一段階段を降りるようなメカニズムを作って待ち受けているのだ。
こうして生活破綻者が増えていくのが資本主義の宿命といえる。
日本の生活保護世帯は、増え続けている。一方で、高額所得層は集約していく。
よく『タダほど高いものはない』といわれるのは、タダに飛びつく連中が次のターゲットだからだ。
タダに喜ぶ連中は、スキだらけだ。タダに飛びついた時点で、照準を当てられているわけである。
今や、タダのゲームやSNSには、何百万人ものカモが群がっている。
このうちの何%かは、生活破綻へと落ちるであろう。
自由な社会には、一極化の現象が起きるから、効率化も進行する。
資金が集まり、効率が高まると、ますます労働力は少なくて済むようになる。
先進国の失業率が高い背景にはそういう事情がある。大卒の20%が就職できないことには構造的な理由があるのだ。
日本の場合は、女性も労働市場へなだれ込んだから、全滅型の様相を呈しているため一層深刻といえる。
今後、自立や未婚や離婚や自宅勤務などにより、単身者世帯が増加していき、彼らが欲望を抑制できなくなるとしたら、収入不足世帯は増え続けるだろう。
『脳』が覚えた快楽は、簡単には忘れることができない。
投げやりな言い方に聞こえるかもしれないが、日本は団塊世代が消滅してしまうと、新たなステージを迎えるだろう。
ここまで極端な低迷事態に陥った原因は、日本の民放テレビ局のせいだと思う。
国民全体の痴呆化現象が起きるとしたら、他には原因が考えられない。
経済大国の座に躍り出たところから、日本の運命は、一転して転落の一途をまっしぐらに進んでいる。
女性が社会に進出してからというもの、社会は分配を急低下させたまま、エロを蔓延させた。
CPUが進化すればするほど、人間の裏側が露呈してしまい、見なくてよいものが見えてしまった。
団塊世代が職場を去り始めてからというもの社会福祉制度は、悲鳴を上げ続けている。
様々な現象が、重なったせいかもしれないが、公共電波という最大の情報発信媒体は、貢献できなかった。
いまテレビをつけても、明日つけても、バカ騒ぎか、グルメ映像か、エロバラエティーか、旅行番組くらいしかみることができない。
来る日も来る日も、国民はテレビ番組をみている。
そして、未来を考える国民はいなくなった。
因果関係を明確に断定するのは難しいにしても、日本はやはりどこかおかしくなっている。
全国的に一斉におかしくなるなんてことは、普通では考えられないわけだから、きっとマスメディアのせいだと考えられるのである。
実際、マスメディアの影響力は甚大であり、制作番組はもちろん、合間に流れるCMだって、誰かが意図して目的を有する映像なのだ。
これらの映像が、次から次へと、飛び込んでくれば、誰だって感化されて当然だろう。
何が健康にいいとか、女は美しくなければ価値がないとか、温泉の効用は大きいとか、福島県はどうだとか…。
反復的に見た者は、知らず知らずのうちに記憶しイメージを焼き付ける。
イケメン俳優が語れば、信じない女はいないし、毎日見るニュースキャスターが語れば老人はうなずく。
そして情報を仕入れ、誰かに伝達する。
いつしかマスメディアの内容は広まり、国民が共有する。
しかし、その情報のうちのいくつかは、何らかの目的があって流されているものだ。
こうした映像を我々は、何十年も毎日見て生きているのだ。
我々がウケウリしている情報のほとんどは、書物で読んだものか、テレビなどの映像か、誰かから聞いた話かのいずれかである。
つまり、自分が経験・目撃してつかんだ情報以外は、おそらく活字か、映像をみて、吸収したものなのだ。
そして、それらの情報は、誰かが発信したものだから、その人に作為的な意図が含まれている場合がある。
特に、スポンサーがついていて、制作者が指示を受けているものについては、ほぼ確実に、都合のよい情報で制作されているだろう。
スポンサーとは、金儲けをしたい人か、人気を得たい人か、地位や名誉を得たい人などであろう。
制作者は、制作することで金が入るから『言われた通りに作りました』というスタンスだ。
制作者に雇われたタレントや役者たちは、よくわからないままに利用されている人形にすぎない。
タレントやスターたちには、ポリシーはほとんどない。
金がほしいから、そういう職業を選んでいるわけで、とりあえず『ファンの皆さんのおかげで』と言っておけば、みんなウットリして言うことをきく。
こうして完成した情報を有料・無料で全国的に配布している。
テレビは、公共電波で、無料の利用手段だから、一番多くの人に配布できる。
それを、我々は、小さい頃から、来る日も来る日も、ウットリしてみているのだ。
もう一つは、インターネットというツールだろう。
パソコンを買ってきて、接続を済ませてインターネットを開くと『Yahoo!』の画面が現れる。
だから、国民の多くがこの画面を毎日見て過ごす。
ここへ『中村さんはエライ』と書いておけば、それを見た人は『?』となって、中村さんについて調べる。
『中村さんは、偉大なデザイナーで、たくさんのお弟子さんがいます』
見た人は『へぇー』と思う。そして、さらに調べてみたくなる。
『中村さんのお弟子さんたちが作った洋服は、東京でかなり売れ初めています』
見た人は『へぇー』と思う。
これでよいのだ。あとは中村さんが政治に立候補してもよいし、お弟子さんのショップを知らせてもよいし、お弟子さんが作ったものということにして洋服を売ればよい。
売れ始めたら、頭のゆるそうなタレントを探して、『僕も着ているよ』と言わせればよい。
タレントは、何も考えない人種だから、朝から晩まで『僕も着てるんだ』と、ニッコリし続ける。
そして、師匠である中村さんが参議院議員に立候補したら、そのタレントが再び出てきて
『僕が大変お世話になっている方なんです』
と言わせればよい。
相変わらず、タレントは利用されるだけだが、中村さんとつながることで、一段とビッグになれるわけだ。
こうしてインターネットは、一極化を進行させている。
当たり前のことばかり書いていて申し訳ないが、何を言いたいかというと、複合的な時代の変化は、マスメディアを通じて、全国民へ伝達されるということなのだ。
これは『自由』というテーマの根幹といえる。簡単にいえば、『表現の自由』というやつだ。
これによって、独裁的な奴や反社会的な奴に対抗することが可能になる。
それはそうなのだが、逆に、言いたい放題になったり、間違ったことが広がったりもする。
結果的に、無知な国民がダマされたり、踊らされたりして、一極化現象が進む。
最も重要なのは、貨幣優先社会においては、マスメディアを握る者が、勝利者になるという現実だ。
その結果、ダマされた者や踊らされた者は、心を洗脳されてしまう。
ということは、結局、独裁者に洗脳されることと同じだということになる。
『自由』は、貨幣独裁者が、国民を洗脳する。貨幣の力で独裁するのだ。
権力で独裁するケースと比べると、どこが違うかというと、大きな違いがある。
権力で独裁する場合は、思想で洗脳するから、それなりに信じるという精神が基盤になる。
貨幣で独裁する場合は、金で洗脳するから、快楽が基盤になる。
つまり、国民が、次第に欲望に溺れていき、金が尽きたときに、生活保護に落ちるのだ。
ここに、今の疲弊社会のガン細胞が潜んでいる。
わかりにくくなったが、要するに、どんな社会の在り方によっても、行き過ぎると一極集中が起きて、それが爆発すると言いたいのだ。
金日成やスターリンやヒットラーやムッソリーニやチャウシェスクは、みんなコワイ人たちだが、『行き過ぎた自由』はもっとコワイ。
なぜならば、国民が白痴化してしまうから、国自体が朽ちてしまう分、深刻な残骸を残す。
食欲、性欲、物欲、名声欲など、あらゆる欲望を満たしたあと、金が尽きる。
そこには精神性はない。
溢れる情報をもとに、欲望を満たしていく社会は自由に溢れている。
ところが、ある時点から、社会を腐らせていく。
一極化が過度に進むと、富が集中するため、片方で、貧困が広範囲に拡大する。
日本では、女性も自由を求めて社会進出したから、派遣労働者市場が形成されるとともに、自立単身者世帯が増えた。
また、マスメディアを盲信することが増えてしまった。
そのことは、女性が飾り立てることの価値を生み出し、エロ文化を飛躍的に進化させた。
男からみたら、普通の女性も、デリヘル嬢となんら変わらなくなったため、非婚化を決断した。
今や、普通の女性は、無料型デリヘル嬢として、2~3年使用されて、用ナシになる。
『自由』により、欲望に溺れた国民は、今日もコンビニで、プルプルのリップクリームを探している。
たしかに『自由』は、かけがえがない幸福である。
ところが、この『自由』を過度に満喫してしまうと、社会はお気楽になってしまう。
楽しみ続けた結果、富は一極に集中し、庶民は次第に効率化ツールへと成り下がるのだ。
まるで、覚せい剤患者のように、社会は欲望に勝てなくなっていく。
では、どこまでの自由が健全であり、どこからの自由が危険であるかというと、それは不明確だ。
少なくとも、人間の体と同様に、社会が元気な期間中は自由を謳歌して構わないが、一転、社会が衰退期間に突入したら、自律的なモードに切り替えねばならないのだと思う。
問題は、その場合に、『自由満喫世代』と『自由自粛世代』が発生してしまうことだ。つまり不平等が発生してしまう。
しかも『自由満喫世代』は、借金により、自由を獲得する。いわゆる禁じ手による欲望の獲得をどう考えるかだ。
この資金循環を、健全な形で持続させる方法を考案できれば、際限なく欲望は満たされ続ける。
しかし、その結末は、おそらく地球の疲労と枯渇という重大な悲劇をもたらすであろう。
だから、人類は勝ち続けてはならない。『いかにして負けるか』を考えなければならないのだ。
これから先、中国やインドが急発展するだろう。そうなると、日本市場の比ではない巨大な欲望パワーがうごめく。
欲望を満足させる方法を知った民衆は、我先にと金を奪取する行動に出る。
快楽を得たい、我が子の喜ぶ顔をみたい、彼女を幸せにしたいと、多くの人間が金を稼ぐ。
そうなると、価格をつり上げ、付加価値を高め、儲けを増やそうとする。
それどころか、不正や詐欺も横行するだろう。金を早く得るには、そうしたショートカットが手っ取り早いからだ。
日本の企業も出稼ぎに出る。日本企業は、自国のバブルを経験しているから、警戒心を持って稼ぐはずだ。
さて、そうなると、日本国内は、どうなるだろうか。
おそらく、ヘタをすると、ひっそりと静まり返ってしまう。
日本へ投資したくなるネタがないからだ。日本が有する最大の魅力は、いったい何なのだろう。
それをいち早く発見し、中国やインドが稼いだ金を、さらに、もぎ取らなければならない。
いずれそういう局面がやってくる。
問題は、その競争力が湧いてくるかどうかなのだ。日中India共同の巨大未来都市の建設ができるかどうかだ。
日本の四季は美しい。琵琶湖も天橋立も、永平寺も延暦寺も魅力的だ。京都や奈良は世界に誇れる古都だ。
どんなネタで、復活するにせよ、日本人は必ず猛反対するだろう。
『美しい国に外国人を入れるな』と、巨大未来都市計画は頓挫するだろう。
それも一つの判断だ。東南アジアが、どんな方向へ進み、そのとき日本がどんなポジショニングをとるか、それはわからない。
果てなき欲望を追求する人々にブレーキは絶対にかからない。
負けたくとも、負けるわけにはいかない情勢が、襲来するだろう。
安定した平和とか、健全な社会とか、信頼できる人間関係とか、そういう状態を持続させることがいかに難しいか。
パワーがみなぎれば、欲望が芽を出す。欲望が行きすぎると、地球が荒れる。
元気を失うと、社会は疲弊する。争いを避けると、他国が台頭する。
ならば、もう一踏ん張りをと試みると、意見がぶつかる。
常に、世の中はうごめいていて、不確実性に満ちている。
不確実な変化に対応して、選択肢をみつけるしかない。
だんだん哲学的になってきたが、要するに、とどまってはいけないというのが結論だ。
一つの正解をみつけても、それは恒久的な正解ではなく、全方位的な正解ではない。
唯一、直感的に信じていることと言えば、生命の基本を守るということだけだ。
生命の基本とは、『母親が赤ちゃんを産み育てる』というアホみたいに当たり前のことを指す。
なぜか理屈がいえない。なのに、一番大切なことのような気がする。
母親と赤ちゃんという基本形が、健全に平和で守られ、元気に幸福を味わいながら、大人へと育てられていくことが、もっと重視されるべきだと思う。
直感でしかないが、大人の欲望を優先するがあまり、子供の育成が疎かにされてはいないだろうか。
我々の意識が、経済や外交や法律や科学に行きすぎていて、子供を置き去りにしていないかと不安になる。
パチンコにうつつをぬかす親同然に、我々は欲望を追求しすぎている。
だが、社会の好調時にはあまりそれを意識しない。ひたすら、子供を競争させることに躍起になる。
そして、その大切さに気づく頃には、社会はピークアウトしている。
炎天下にもかかわらず、車の中に幼児を置き去りにして、パチンコをする親がいる。
パチンコ屋に入れば、冷房が入っていて、飲み物も買えるし、なによりパチンコができる。
もし、うまくいけばカネが儲かるから、幼児を放っておいてでも、パチンコをしたいのだ。
まさか本気でそんな判断をしているとは、通常は考えられないのであるが、現実に、そういう親は存在する。
似たようなケースで、ママが不倫相手とセックスしたいがために、子供たちにカップ麺を置いて出かけるパターンもある。
ミクルをみると、そんな親が多い。ミクルに出入りする連中は、特殊な連中だが、そういう親は珍しくないのだ。
というか、似たようなことを我々もやっているのかもしれない。
目の前の欲望を満たすために、子供たちの教育を疎かにしてしまって、その代わりに、成熟社会を手に入れた。
欲望を前にすると、人間は愚かになるのだ。
中国、韓国、インド、タイ、ベトナム、ミャンマー、インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシアなどのアジア諸国は、いずれ大きく発展を遂げるだろう。
こうした国々の経済市場はまだまだこれからグングン伸びる。
もし、日本が日本製の商品やサービスを売りさばくことができるのであれば、新たなマーケットとなる。
もちろん、これらの国々に対しては、他国もライバルとして参入するわけだから、高品質・低価格での熾烈な競争となる。
日本製品のように、ムダにあれこれ機能がついたものではなく、本当に必要な製品を供給すべきだろう。
ただし、日本人は、製造工程で汗水たらすのが苦手だ。
だから、原価が安くできない。仕方がないから、海外生産という道を選ばざるを得ない。
それに、仮に儲かっても日本の法人税は高いから、利益率が悪くなる。
そんなわけで、日本の優秀な企業たちは、海外へ出て、外国人を雇う。
外国人たちは仕事を選ばないし、海外の法人税は安い。
これからは周辺諸国の発展を、指をくわえて見ているだけになる。
日本には、ラクをして稼ぎたがるパチンカーしか残らない。
>> 156
横レスですみません。
いつもいつもワクワクしながら、考えながら読んでいます。
自分でスレたてるつもりではいるんですが、よかったら、是非とも意見を聞かせて下さい。
私の家族と親戚は中小企業の工場を経営している者や外国から出稼ぎで私達と家族になった者。
そして企業の発明者として働いている者がいます。
これから先、家族や親戚がバラバラになるんではないかと不安です。
特に外国人の義理兄弟と学歴が高い発明者として働いている者が、アジアへ働きに行ってしまう…と不安です。
出稼ぎで来たのに今は首になり無職だし、発明者も常に研究していたいから、日本から離れそうで…
両者ともに男性なので、行くと決断したらとめられないです。
このような者たちは、どういう進路をしていくとお考えになりますか?
もし外国で働いたら、生活環境やお給料はどうなるか知っていますか?
- << 159 海外の生活環境や賃金相場は、先進国の都市部ならば、東京とほぼ似たようなものです。 治安は、東京が一番という伝説がありますが、都会はどこも大丈夫です。 ただ、アジア諸国はまだ整っていない所もあると思います(あまり私には実体験がありません)。 あと、賃金ですが、これも比較は難しいのです。 というのは、賃金の多寡もありますが、通貨交換レートや物価水準も絡まります。 物価一つとっても、食べ物は安いが、ガソリンは高いとか、ビールやタバコがどうとか、不動産賃料がどうとか、まちまちなのです。 よくビックマックレートという言い方をします。 日本のビックマックが280円で、米国が3ドルならば、1ドル76円ならば228円ですし、1ドル100円ならば300円に匹敵します。 だいたいは、主食になりやすい食パンの価格で比較したりされます。 そんなわけで、一概に、『これからは東南アジアが伸びますから、出稼ぎに行きましょう』とは、安易に言えないのです。 ただ、日本市場で生き残れるかどうかが、まずは問題の出発点です。これが一番大切です。 これさえも『見通しがつかない』というのであれば、次のステップには進めません。
- << 160 ただ、言えることは、親会社や大口得意先が日本を見捨てれば、中小工場は壊滅的になるでしょう。 だから、海外にクライアントを探しに出る選択肢もありますが、この円高の中で、ラクな競争はさせてもらえません。 かつては、1万ドルを100万円にしていた会社も、今や75万円にしかできないのです。 だからといって、値上げをすれば、価格競争に負けてしまいます。 国内市場は枯渇し、海外市場では土俵に上がれないという八方塞がりの状態を脱するには、早め早めに策を講じなければなりません。 しかし、日本人の性格が原因で、打つ手打つ手が遅れてしまうのです。
>> 157
読んでいただいてありがとうございます。嬉しいです。
さて、ご家族・ご親族の関係や雇用状態が、正確に理解できませんが、要するに以下の見通しでよろしいでしょうか?
・日本国内の中小工場が、これから先どうなるか?
・外国人労働者は今後どうするだろうか?
・発明家がどこで活躍の場を探すだろうか?
業種や職種によりますので簡単には回答できません。
茫洋な言い方になりますが、日本独自の販路が確保できるかどうかにかかっています。
前記のように、日本国内は先細りです。つまり、買い手が減っていきかねません。
当然、採算割れすれば、閉鎖、閉店になります。
見通しを早く立てて、もしも採算ラインが割れる見通しならば、銀行借入金の解消に向かわないと、いけません。
これだけは、経営者が決断するよりありません。
当然、そこで働く者も離脱を考えなければなりません。
だから、一刻も早く見通しを決断すべきです。手仕舞いが遅れると悲惨な事態が待っています。
中には、『いっそ海外で出直そう(または自国へ帰ろう)』と、決断する人も出てくるでしょう。
引き止めることは、おっしゃるように、不可能です。
海外の賃金相場との比較も、一般論は意味をなしません。
要は、どこに顧客がいて、どこに仕事があるかに尽きるからです。
それを先細りするやもしれぬ日本市場と比較するわけですから、大博打になります。
これは、具体的な想定により、決断すべきであり、一般論など信じてはなりません。
結論を言えば、海外の仕事に関する具体的情報を入手し、判断すべきとしかお答えできないのです。
>> 157
横レスですみません。
いつもいつもワクワクしながら、考えながら読んでいます。
自分でスレたてるつもりではいるんですが、よかっ…
海外の生活環境や賃金相場は、先進国の都市部ならば、東京とほぼ似たようなものです。
治安は、東京が一番という伝説がありますが、都会はどこも大丈夫です。
ただ、アジア諸国はまだ整っていない所もあると思います(あまり私には実体験がありません)。
あと、賃金ですが、これも比較は難しいのです。
というのは、賃金の多寡もありますが、通貨交換レートや物価水準も絡まります。
物価一つとっても、食べ物は安いが、ガソリンは高いとか、ビールやタバコがどうとか、不動産賃料がどうとか、まちまちなのです。
よくビックマックレートという言い方をします。
日本のビックマックが280円で、米国が3ドルならば、1ドル76円ならば228円ですし、1ドル100円ならば300円に匹敵します。
だいたいは、主食になりやすい食パンの価格で比較したりされます。
そんなわけで、一概に、『これからは東南アジアが伸びますから、出稼ぎに行きましょう』とは、安易に言えないのです。
ただ、日本市場で生き残れるかどうかが、まずは問題の出発点です。これが一番大切です。
これさえも『見通しがつかない』というのであれば、次のステップには進めません。
>> 157
横レスですみません。
いつもいつもワクワクしながら、考えながら読んでいます。
自分でスレたてるつもりではいるんですが、よかっ…
ただ、言えることは、親会社や大口得意先が日本を見捨てれば、中小工場は壊滅的になるでしょう。
だから、海外にクライアントを探しに出る選択肢もありますが、この円高の中で、ラクな競争はさせてもらえません。
かつては、1万ドルを100万円にしていた会社も、今や75万円にしかできないのです。
だからといって、値上げをすれば、価格競争に負けてしまいます。
国内市場は枯渇し、海外市場では土俵に上がれないという八方塞がりの状態を脱するには、早め早めに策を講じなければなりません。
しかし、日本人の性格が原因で、打つ手打つ手が遅れてしまうのです。
たくさんのご意見や考え方を教えて頂き有り難うございました。
m(._.)m
いつもの様に大変、分かりやすいです。
着レスにして毎回、感心して読んでいる大好きスレなので、お聞きする時は緊張しました。
おかしいもので、お答えして頂いたのにファン心なのか…返事をしてくれた事がなんだか信じられません。
同じく愛読してる方々には迷惑をかけたかもしれません。
主様にも話の流れを乱してすみませんでした。
貴重なお話を聞けて嬉しく思っています。
本当に有り難うございました。
m(._.)m
これからも愛読させて頂きます。
誰もが様々な意見を持つ時代においては、正解がみつけにくい。
情報は十分に得ることができるし、それをもとにアイデアは次々に浮かんでくる。
こうなってくると、行動力だとか、実行力などが、より一層重要性を増してくる。
実行して実現できないのであれば、それは絵に描いた餅にすぎない。
『あ、それオレも考えてた』とか『アタシもそう思ってた』とか、そういうことが増えているはずだ。
繰り返しになるが、現代は、語りたがりの時代だから、着想自体には大きな価値がなくなってきている。
発案者がわからない時代なのだ。
むしろ、それを実行に移して、実現させた人間が勝ちとなる。
家にいながらにして、何もかもが事足りる時代には、実行者こそが相対的な価値を高めるのであろう。
発案者が誰だかわからない時代には、実行者が価値を高める。
今や、インターネットを使って様々な情報が得られ、即時に通信できる。
食料品、衣料品、嗜好品は注文しておけば自宅に届けてもらえるし、代金決済もデータ処理できる。
だから、デパートやスーパーに行くことも激減したし、映画館にも足を運ばなくなった。
テレビをみていれば、都会の様子もわかるし、ハワイやスイスアルプスも見れる。
友人とだって、Webカメラを見ながら話せるし、田舎のばあちゃんが何してるかも確認できる。
仕事だって自宅でやれる。
つまり、動かずとも、たいていのことができるのだ。
ということは、みんな動かなくなっていく。動く必要性がますますなくなっていく。
逆に言えば、動いてくれる人は、それだけありがたい存在になってくるだろう。
語りたい人間に語らせる、動きたくない人間は自宅にいさせる。
デリバリービジネスを、始めた人は、素晴らしい先見性を持っていたのだと思う。
どんな優れたブランも、アクションを伴わなければ実現しない。
アクションには、エネルギーが必要になるから、瞬発的な爆発力と、持続的な忍耐力が要求されることになる。
一気に実現させてしまうパワーとは、ある意味、思い込みみたいなものかもしれない。
普通は、『何もそこまで必死にならずとも、ノンビリ行きましょう。焦ったらヘマするよ』みたいなブレーキをかけがちになる。
頭が良すぎると、得てして頑張れない。何事も盲信できて猛進できる奴が勝つ。
特に若い頃はそうだ。盲信して猛進するのが青春の成功者なのだ。
冷めた奴は、失敗もしないかわりに、大きな成功をつかめない。
論理や確率を考えるようになるのは、パワーが足りなくなったときの話だ。
ダメもと、当たって砕けろと、やるだけやってみるパワーは、元気でバカだからこそ実践できるのだろう。
そういうタイプの人間が減ったということは、恵まれているせいかもしれないし、体力が足りないせいかもしれない。
そんなことをしなくても、ズルする方法を探しているのかもしれないし、いい車に乗りたくもないのかもしれないし、女にモテなくとも風俗があるからかもしれない。
そんな時代だから、実行力を持つ人間は勝てる。
みんながラクをしたがる社会だから、行動力に価値が生まれる。
誰もが、思い思いに生活スタイルを満喫し、自由に快適と快楽を味わっているからこそ、行動力を持って、それをサポートすることに意味が生まれる。
誰もが、少し考えれば気づく話だ。
ところが、それを実践しようとする人間は、なかなか出てこない。
日本は、そういう活力を阻む社会なのだ。日本人は、確かにそういうサポートを歓迎している。
しかし、一つ間違えば叩きまくる性質を持った国民性をも併せ持っている。
まず第一に法律だ。消費者保護をあまりに掲げすぎるため、個人情報の扱いが難しく、セールスもやりにくい。
第二に、資金集めだ。投資家は、小さなビジネスに冷たい。
第三に、銀行だ。一度でも失敗した事業家は永遠に葬られてしまう。
そして、社会福祉だ。頑張った者よりも、頑張らなかった者がトクをする仕組みになっている。
あまりに、ハードルが高いため、よいアイデアを実行に移す者はほとんどいない。
すべては、日本人の性格に起因している。お高い消費者たちは、高度なサービスしか認めない。
けして社会が悪い、政治が悪いと嘆いているわけではない。
それだけ、悪質な業者も後を絶たないのであろう。それだけ、巧妙な輩が後を絶たないのだと思う。
だから、様々なハードルが設けられ、結果として、行動力が発揮されにくくなっている。
いわば、自分たちで自分たちの首を絞めるような要求を、社会や政治に対してせざるを得ない。
こうして、膠着状態や閉塞感が渦巻く。
これは、日本人の精神性に端を発している。もともと日本人には、ポリシーがない。
神を信じよといえば信じるし、天皇陛下バンザイとみんなで叫んだり、西洋文化にひれ伏したり、なんでもやる国民なのだ。
海外の国ように、宗教色が強かったり、自然崇拝が強かったり、独裁者がいたり、家族愛が強かったり、そういうものがない。
そのつど熱狂するものが変わるから、そのたびに混乱しながら、進化してきた。
いわばバタバタ国民なのだ。
- << 169 このように、大衆に迎合しポリシーを持たず アッチに流され コッチに流され る者達を捉えて 『ホロン気質』 と呼ぶらしい
考えてみれば、終戦記念日だとか、原爆体験国だとか、当時を偲んで祈りを捧げる。
米軍から、日本人はコテンパンにやられて、その後も米国流に生きてきた。
アメリカがくしゃみをすれば、日本は風邪をひくという関係になった。
事の始まりは、ドイツという世界一強力な国家になびき、万全の構えを敷いて、ハワイの真珠湾へ奇襲攻撃をかけたことだ。
ちょうど、ヤクザを雇って、しかも汚い手を使ってケンカをするような国だった。
東南アジア諸国を侵略し、タイ、ビルマ、シンガポール、マレーシアと攻め込み、やりたい放題やった。
各国の資源を横取りして領土を拡大していった。
最終的には、アメリカを完全に怒らせてしまい、原爆投下へとつながった。
その核爆弾で、日本は米国から守られながら、再び、東南アジアに向けて、今度は経済戦争を起こそうとしている。
こう考えると、日本という国は、結構、イヤな国に思えてくる。
そこに住む日本人も、実は、客観的にみたら、各国から恨まれていても不思議ではないのだ。
そういえば、太平洋戦争のときも、帝国陸軍と海軍はバラバラで、大本営もリーダーシップを握れなかった。
今の政治と変わりはない。
>> 167
満州事変~太平洋戦争~終戦に至るまでをよく勉強されていますね
ただ、虫のいい話ですが本当は
中国の侵略だけで済ませたかったのが本音でしたが
英・米から禁輸され
資源を求めて東南アジアへ戦線拡大
結果、英・米を本気で怒らせてしまった
優柔不断な指導者達は、『ニイタカヤマノボレ』の電文を打つ数時間前まで
アメリカとの開戦を避けたいと願いつつ
とうとう、
12月8日開戦に流されてしまった(天皇陛下の勅命という形で太平洋戦争を中止させようと目論んだ者もいなくはなかったが…)
この決断力の無さは
昔も今も、全く変わっていない
ま!いつの世も大英断を下せる大物の出現は
何百年に一度と言われている
合議性を取っている限り皆、大事の時には自分だけは責任を取りたくないとズルズル流されてしまうのが日本人気質だ
>> 170
それが以外と現地の兵隊、
ワケもわからず戦をしていた訳でも無いらしいです
上等兵以下はともかく
少佐以上の現地の士官は、
結構、情勢分析をしっかりしていて、大本営とのパイプも持ち、命令だけにハイハイと従っていた訳ではなく
結構、自分達の意見を、本国の指揮官に述べていたようです。
これには驚かされました
それと、幹部達の決断力の無さ(誰も責任を取りたがらない)にも呆れました
合議性で全会一致しないと一から合議のし直しだったというのも驚きです
話は脱線しますが、終戦近く、日本も原爆の製造に着手していたんですね
ニューヨークにドカンと落としてやろうと目論んだ様ですが、
人形峠のウラン鉱脈が発見されていない為、
当時日本一のウランの産地福島県石川郡石川町でウラン製造を続けたが
思うように、ウランが採取できず
そうこうしているうちに制空権を米国に奪われ
断念したそうです
- << 173 福島県の県民たちが、その危険性を十分に知らされていたかどうかはわかりません。 どちらにしても、万が一の事態が発生するなんてことは、最優先で考えないだろうし、しかも、そうなったときに発電機が全滅するだなんて、あまり知らされていなかったと思います。 それよりも、原子力発電所の誘致に伴うメリットを、県知事などの幹部たちが享受することで、経済的に潤い、仕事も増え、県民の人気を獲得したかったのだと思います。 南下していった帝国陸軍の兵隊さんたちが『何も知らされずに』といったのは、戦争作戦に関してではありません。 彼らは、帝国陸軍を背後で操るのが、資本家たちであったとは夢にも思わなかったと思うのです。
まさに、歴史の生き証人さんですね。
実は、私には父がおらず、戦時中の話を聞かされたことがありません。
だから、生の話は、大変貴重なものです。
ウランの採取競争や原子爆弾の開発競争は、戦争に突入した、当時としては、ある意味で当然の流れだったのかもしれませんね。
その原子力のパワーが、エネルギー政策に活かされるというのも、避けられない流れだったような気がします。
万一、原子力爆弾が投下されたらとか、万一、原子力発電所が津波により破壊されたらという仮説は、後回しにされるほどの、巨大で異次元のパワーだったような気がします。
お話が聞けて、有り難かったです。
- << 176 先日、報道ステーションの特集『原発、私はこう思う』に出演した石破元防衛庁長官が、 『核を持たざる国の核』として、原発は仕方がないのだと 初めて、公人として原発は核兵器であると明言しました 今までの自民党では絶対に有り得ない発言に正直、驚かされました 時代の流れですかね 国民の間でこれ程、 情報交換される時代に 隠し通せるものではないと悟った発言のように写りました
>> 171
それが以外と現地の兵隊、
ワケもわからず戦をしていた訳でも無いらしいです
上等兵以下はともかく
少佐以上の現地の士官は、
結構、情勢分析を…
福島県の県民たちが、その危険性を十分に知らされていたかどうかはわかりません。
どちらにしても、万が一の事態が発生するなんてことは、最優先で考えないだろうし、しかも、そうなったときに発電機が全滅するだなんて、あまり知らされていなかったと思います。
それよりも、原子力発電所の誘致に伴うメリットを、県知事などの幹部たちが享受することで、経済的に潤い、仕事も増え、県民の人気を獲得したかったのだと思います。
南下していった帝国陸軍の兵隊さんたちが『何も知らされずに』といったのは、戦争作戦に関してではありません。
彼らは、帝国陸軍を背後で操るのが、資本家たちであったとは夢にも思わなかったと思うのです。
歴史というのは、スリラーだ。
第一次世界大戦後に、イタリアは荒れた。深刻な不況が続いたからだ。
その頃、登場したのが、イタリアファシスト党のムッソリーニである。
彼もまた、資本家たちをバックに、エチオピアへ侵攻した。
ファシスト党は、金が必要だった。だから、資本家たちに動かされ、独裁的な政治パワーで、イタリア国民を操った。
同じ頃、ドイツの労働者党のヒットラーも頭角を表した。
やはり、背後には、資本家たちが控え、ヒットラーを動かした。
ナチスドイツも、独裁的であり、周辺地域へ侵略を繰り返した。
日本は、その数年後、日独伊の3国同盟により、最強の構えで、第二次世界大戦へと突入していくのである。
日本は、第一次世界大戦後、景気がよかったので、独裁者は登場しなかったが、その頃、『関東大震災』が起き、さらに、世界大恐慌に見舞われた。
そして、不況で失業者が溢れかえった。帝国陸軍(関東軍)が、満州で奇襲攻撃を仕掛けたのも、その頃だ。
独裁者ではないが、軍国主義が始まった。 もちろん、その背後には、数多くの資本家たちがいたのだ。
勢いで書いているので、時代的に前後しわかりにくくなった。何が言いたいのかというと、次の二点だ。
時代は違えども、シナリオを描くのは国民の5%足らずの資本家と権力者であること。
その他の国民たちは、詳しいことを知らされずに、眼前の使命を果たそうとしたこと。
そして、そんなメカニズムが、現在の日本にも、いままさに訪れていることが、何か不吉な事態を予感させるのだ。
リーマンショックから、東日本大震災へと進み、長引くデフレ不況の中で、失業者は減らない。
このまま行けば、国民の貯蓄を超えた国債が発行されることは間違いない。
この膨大な借金を返済するには、日本は、思い切った手を打つしかないだろう。
ちょうど、満州事変や真珠湾で行ったような奇襲攻撃を仕掛けるしかないはずだ。
その画策は、おそらく国民の5%足らずの権力者と資本家によりなされるだろう。
力道山や美空ひばりは、いまは他界したが、残り多数の国民たちは、モバゲやAKB48に踊り、何も知らされていない。
>> 176
北朝鮮が『核開発は平和利用のため』と、言い続けています。
周辺諸国は『なあんだ。そうだったのか』とは言いません。
隠すも何も、それほど表裏一体のものだということは、誰でもわかっている話だと思います。
日本の自衛隊は、紛れもなく軍隊機能ですし、原子力技術の水準は核保有国並みなんだと思います。
今や、国民を誘導できさえすれば、再び、軍事国家への道に舞い戻れるところまできているのです。
金があれば、海外から資源を購入できますが、だんだん厳しい情勢になりつつあります。
世界をリードできる条件は、軍事力か経済力の2つですから、国の行く末を思えば『日本国憲法』を書き直したくなる人が、現れて当然でしょう。
枯れゆく国を選ぶか、戦う国を選ぶかは、国の中に潜む欲望パワーによって決定します。
アメリカの経済力が、絶対的でなくなった現在、日本は新たな将来ビジョンを描くしかなくなったのだと考えます。
東南アジアへの経済進出を成功させるか、第三次世界大戦に向けた軍事技術を売り物にするか、あるいは全く別の産業を興すか、それはモバゲで遊ぶ国民が決定することになるでしょう。
ひょっとしたら、独裁的な人物が求められているのかもしれません。
一方、枯れゆく国になる選択もあります。上記の選択肢が失敗に終われば、日本は地味な国に姿を変えるかもしれません。
日本には資源がない。農産物も、半分以上を他国に頼っている。
また、日本には軍事力がない。自分を守るための自衛隊はいるだけ。
さらに、日本の財政は大赤字で、半分以上は毎年借金してやりくりしている。
もっと言えば、そろそろ国内で金を借金させてもらえそうになくなってきた。つまり、外国から借金しなくてはならない。
ということは、資源もなく、赤字で、貯金もなく、軍事力もない、そんな国なのだ。
しかも、これから高齢者が増えて、医療費や介護費がかさみ始める。
国民は、屁理屈をこねまわし、モバゲやAKBに明け暮れている。
さて、誰がカネを貸してくれるだろうか?
貧乏で、働かず、貯金もなく、ケンカは避け、口論好きな、高齢・病弱な奴を思い浮かべてみてほしい。
『そんなヤツに、あなたならカネを貸しますか?』
となると、『何かモノを作ろう』とか『モノを作って買ってもらおう』という発想になるのが普通だろう。
簡単にいえば、『もっと働かないと』ということだ。
それには仕事が必要になる。それに加えて、顧客が必要になる。
顧客が必要ということは、金持ちが必要ということでもある。
金持ちが喜ぶモノを作り上げ、買い物をしてもらわなければ仕事は生まれない。
今の日本には、金持ちは少ない。親のフトコロにまだ余裕があるからなんとかかんとか持ちこたえているだけだ。
親は、ついつい子供や孫を甘やかすため、生活を支えようとして、カネを回す。
だから、子供世代は焦らない。『まだ、なんとかなるさ』
この搾り取るような個人消費には、限界がやってくる。なぜならば、親には、フロー収入がないからだ。
こうして、親たちの資金はやがて尽きる。
支払ったカネは、企業と国に流れ、一部の層と福祉政策へ投入されるだろう。
ますます勝ち組が鮮明になり、生活保護世帯が増加する。
このカネの流れに乗れればその人は食いつなげるが、全体的な情勢からみたら、ほとんど消耗戦でしかない。
資金が移動し、大半が生活保護などの福祉へ流れる。
限られたパンを、死にかけた人々へ配分しているにすぎないからだ。
新しいパンを作らない限り、国に活路はない。
日本の技術や魅力が、世界でもてはやされれば、消費財を輸出できる。
海外の顧客を狙うのだ。
日本には、世界有数の技術がまだまだある。これを国を挙げて後押しする手もありうる。
モタモタしていて、売り込みが後手に回ると、あっと言う間に商機を逃してしまう。
しかし、爆発的に売り込みを成功させるには、莫大な投資が必要になるから、民間頼みだと、どうしても限界が出てくるわけだ。
2国間共同事業の形態をとりながら、有力技術や有望商品をパッケージにして進出してはどうだろうか?
政府に交渉力と行動力があれば、乗ってくる国もきっとあるはずだ。
トヨタやソニーのような企業を、次々に育成しなければ、国内には仕事は生まれない。
考えを進めていくと、必ずこういう結論になる。
これを整理すると、結果的に、一部の資本家の利益のために、政府が献身的に働き、生産力をアップさせるため国民が酷使されるという構図になるのだ。
こうした作戦を強力に推し進めるには、独裁者にも似た巨大なパワーが不可欠になるだろう。
帝国陸軍が資本家をバックに動き、現地の兵隊さんたちが献身的に戦う構図と、なんら変わらない。
歴史はスリラーなのだ。
そんな流れで、すでに千葉県の柏市だとか、神奈川県の藤沢市などで、スマートシティもしくはスマートタウン構想が立ち上がっている。
IT情報通信技術やネットワークを駆使して、街づくりを行うわけで、様々な企業が参加して作り上げていく。
これからのキーワードは、『破壊』なのかもしれないと思った。
破壊して、新たに生み出す。
壊すということは、勇気がいるけれども、日本のように何もかもが完成されている以上、壊さないと何も始まらない。
被災後の東日本地区をみた人々は、新しいものの姿を考えたと思う。
その点、中国のスマートシティは、新たに作るわけだから、後は、将来的に賑わうかどうかの洞察力にかかっている。
数千に及ぶ中国のスマートシティプロジェクトが始まろうとしている。
北朝鮮の街づくりみたいな失敗例もある。どうなるかが、これからの世界を左右するだろう。
こうして人々は、新しい快適を模索し続けると思う。
片方で、『もうやめようよ』という声を聞きながらも、結局は立ち止まれないのだと想像する。
改善と修正を試みつつ、また新たな問題に直面することだろう。
人々は、感情と欲望には勝てない。感情と欲望に勝つときは、すでにパワーを失ったときだ。
勝負に勝ち続ければ、感情と欲望のエスカレートするスピードが速まる。
反対に負け続ければ、感情と欲望のエスカレートするスピードを遅らせることができる。
スピードを速めたければ、次代にツケを回せばよい。スピードを遅らせたければ、負担を受け入れたらよい。
要するに、オギャアと生まれて死ぬまでの間を、どう生きるか選択し続けているのだ。
世界が戦争に明け暮れたのは20世紀初頭。あれからまだわずか100年しか経過していない。
人々の感情と欲望は、エスカレートのスピードを増すばかりだ。
坂道を転げるように、生命は踊り狂う。
- << 184 そして、運命の時 『ソドムとゴモラ』 が…
欲望との戦いは、元気である限りはいつまでも続く。
しかし、それは時と場合による。元気なのに、欲望を追いかけられないケースがあるからだ。
それは、生活に追われてギリギリの線をなんとかしなければならないケース。
『食っていくだけでも精一杯だ』
ヒマなので、ミクルを見渡してみた。ミクルは社会の全てではないけれど、気が滅入るサイトだ。
対立、裏切り、阻害、孤独、貧困、病気、失敗、不満などが、そこら中に溢れ返っている。
気分が暗くなってしまう。あまりに、悲しい現実が、世の中にはたくさん存在する。
冷静に考えてみると、日本に生まれてからというもの、これほど『空気が重たい』ことはなかった気がする。
異常に重たい空気が、日本列島に蔓延している。
毎日、吸っていると気がつかないかもしれないが、今の日本列島の空気はかなり異常だ。
限られたパンをめぐり、人々は奪い合いを繰り返している。
限られた誠実な人間をめぐり、人々は奪い合いを繰り返している。
『信じられるものは、カネだけ。どこかに誠実な人がきっといる。早く苦境から脱出したい』
そんな空気が蔓延しているのだ。
生まれてこのかた、ここまで荒んだ日本を見たことがない。
なのに、経済新聞を開けば『史上最高益を達成』などと、ちゃんと景気がよい企業はたくさん存在する。
ということは、ある一定の集団が景気よく、ある一定の集団が鬱屈していることになる。
ミクルを見学して、誰もが気づくのは、
①親の介護問題がいよいよ深刻化していること
②家計のやりくりが行き詰まってきたこと
③家族内での裏切り者(不倫・浮気)が増えたこと
などではあるまいか。
だから、病んでいる人々が想像以上に多い。
非婚や離婚が多いため、単身者が激増しており、彼ら彼女たちは年々、年老いていく。
このまま行けば、高齢の親たちは、単身の子供とともに、介護局面へ突入してしまう。
いずれ親も単身者、子も単身者ということになり、若い世代の活力は、介護に奪い取られてしまう。
ますます、身動きがとれない親子が、そこら中に続出するであろう。
負のスパイラルに歯止めをかけることは可能なのであろうか。
日本列島はソドムだ。いや、それよりも、もっと悲惨かもしれない。
ソドムならば、消失した街として、跡形もなくなる。
しかし、日本列島には、閉塞した精神だとか、貧しい心だとか、邪悪な考え方が、厳然として残っており、この先、受け継がれていく。
つまり、仮に廃墟に等しくなったとしても、そこに住む人々の精神性は受け継がれていく恐さがある。
『カラダを売って金儲けをしたいのですが、アドバイスをください』
そんなスレがたくさんある。
大人たちは『バレないように』とアドバイスする。
また『カラダを売ろうとも、立派な仕事である』と、勇気づける。
そして『くれぐれも病気をうつされないように』と、いたわる。
質問者は『一生懸命頑張ります』と、答える。
けして、犯罪組織での会話ではない。普通の大人たちの会話だ。
結果的に、親も夫も子供たちも友人たちも、見事に騙され何も知らない。
そんな精神性が引き継がれる島国が、ソドム日本列島なのだ。
親の介護をする子供が疲れ果てている。
日本の介護ラッシュはまだ始まったばかりで、この先、急速に激しさを増す。
極端な話、ほとんどの家庭がこの問題を避けて通ることはできない。
介護に費やすエネルギーはハンパではない。
だいたい50代にさしかかった頃、親は80才前後になっている。
この先、大量の団塊世代が介護を必要とした場合、50代の人たちはクタクタになるはずだ。
あと20年したら、世界中の誰一人として見たこともない介護社会が現実になる。
いま、彼らの子供たちは30才前後だろう。
頼りない公的年金制度がいずれ崩壊したら、今度は、介護との格闘が待ち受けている。
不安な老後と介護の疲弊により、日本の50代以降は、悲惨な晩年と戦う。
医学の進歩は、究極の快楽であるはすだった。健康で長生きすることは、人類の喜びだと思った。
しかし、快楽の果てには、必ず、後始末が待ち受けているのだ。
団塊世代の功績は、図らずも、多大な禍根を残してしまうだろう。
日本の急速な繁栄は、その後に多大な後遺症を残している。
ムダに建設したコンクリートなど、かわいいものだ。コンクリートのおかげで、仕事ができたのだから。
そんなことより、ずっと深刻なのは、日本人の抱えた精神性と、長生きによる介護問題だ。
この2つの問題は、向こう半世紀の日本人に襲いかかってくるだろう。
『元気で長生きしましょう』という爽やかな言葉に、どれだけの不幸と負担が隠されているか、我々は思い知らされる。
介護施設で、手足を拘束され、柵に閉じ込められ、薬漬けになった老人たちは、もはや減ることはない。
そんな自分の親を、初めて見たら、誰だって『かわいそう』だと感じるだろう。
しかし、現実はそうではない。そうなったら、想像を絶する苦難と戦うか、金に頼るしかないのだ。
そして『生命』というものを考えるだろう。
『不必要な生命』というものを、考えるだろう。
必ずそういうときがやってくる。
生命は尊い。
たしかに大切だ。
しかし、いくらなんでも200年間で7倍はやりすぎだろう。
10億人だった人間は、70億人に増えた。地球は、もはやパンク寸前になっている。
地球の気温すら目に見えて上昇した。
このままのペースで、あと100年間増え続け、しかも死ななければどうなるかは、科学者でなくとも大体想像できる。
あと2℃も平均気温が上昇すれば、地上の動植物の2割か3割は絶滅するといわれている。
しかし、経済活動を止めるわけにはいかない。だから、気温は確実に上昇する。
ツンドラ地域の永久凍土が溶け始めれば大量のメタンガスが放出され、一気に温暖化は進むだろう。
メタンガスは二酸化炭素の21倍温暖化を進める威力を有するのだ。
従って、人類は『不必要な生命』について、結論を出さざるを得なくなる。
生命こそが、人類を絶滅させるからだ。
実は、地球温暖化の犯人は、定かではない。
本命は、やはり二酸化炭素だといわれているものの、疑問視する声もある。
どうも気候の変化が不整合だというのだ。むしろ、太陽黒点や宇宙線や地底活動、磁気などのせいではないかという種々な犯人説がある。
中には、誰かの陰謀ではないかという説さえ、いわれている。
この背景は、推測するに、『二酸化炭素が地球温暖化の犯人だとしたら、経済活動にブレーキがかかる』から。
中国や東南アジア諸国は、これから急発展するというのに二酸化炭素なんかのせいで、ストップをかけられてはたまらない。
米国だって、世界超大国の座を巡って必死で踏みとどまろうとしているのに水を注されてはかなわない。
だから、一応、緩和策を講じるというスタンスとセットにして、うやむやにしたいところがある。
緩和策とは、再生可能エネルギーとか、燃料電池とか、電気自動車などの普及である。
犯人が何かは、置くとしても、地球の気温は確実に上昇している。
もし上昇が続けば、人類は絶滅する。
緩和策が的外れならば、冗談抜きで我々は、最後の人類になる。
経済も政治も法律もはかない話だ。
あまり、触れてはならない話として、放置されているのが、人口爆発なのだ。
人口を削減すべきだと主張できる人物は、人道的見地からみて、今後も現れないだろう。
これに触れることは、タブーなのだ。
地球の温暖化の主犯が、二酸化炭素なのか、自然現象に起因するものなのかはわからない。
しかし、少なくとも日本の平均気温は、この100年間で1℃上昇したことは事実だ。
それに海水の水位だとか面積だとかも異変が起きている。
冷夏や猛暑は深刻だし、津波や竜巻、干ばつも激増している。
この状態を前にして『最近はヘンだねー』くらいのノリで、人びとは、相変わらず、ビールを飲んだり、ラブソングを歌ったりして、毎日、飲めや歌えやの大宴会を続けている。
いずれ、水位が上がり、防潮扉や堤防や排水ポンプや地下構造物や工業・農業、生活用水などが大打撃を受けるに違いない。
そのときは、みんなこういうだろう。
『なぜ、ちゃんとリスク対策を講じていなかったんだ』『政府は何をしてたんだ』『関係企業の責任だ』と…。
地球温暖化は、原子力の比ではない。相手は自然だ。みくびると取り返しがつかない。
原子力関係や地震の専門家が、無能で何の役にも立たないことは、痛いほどよくわかった。
気象学の専門家は、ぜひ仕事をしてほしい。研究もよいが、国を動かしてほしい。
近いうちに、とんでもないことが起きる。
災害は、忘れた頃にやってくる。
発生後に、『だから俺は言ってたんだ、注意しろと』といわれても困る。
くれぐれも注意しなさいなんて、誰でも言える。学者や専門家は、終わってからノコノコと現れて『俺の言うことをきかないからだ』と、大きな顔するが、それは『無能でございます』と言ってるに等しい。
『ギルガメッシュの叙事詩』や旧約聖書にある『ノアの箱舟』を一度読むべきだ。
減らず口は、いくらでも叩ける時代だからこそ、早めの備えを実行に移すことが大切なのだ。
原子力問題に比べると、気象学は予測が難しい。カオス性が非常に高い領域だ。
だから、常に人間は大自然に勝てないのかもしれない。
実行力が問われている。実行するには、その前提として決断が必要だ。
ところが、日本では、ある決断に対して、批判が集中してしまい、ああでもないこうでもないと議論が続く。
だから、高齢社会への対応も遅れたし、農産物の自給率も上がらないし、円高は止まらないし、企業の海外移転も始まった。
もちろん、災害時の復旧も遅いし、失業者も減らない。
そこへ予期せぬ自然災害が襲いかかる。
まさに、皿回し状態になっている。
新聞やテレビは、本来、こういう場面で、社会的な役割を果たすべきなのだが、彼らは、庶民向けのおべんちゃらが大好きなのだ。
ジャーナリズムなど消滅し、どの媒体も、スキャンダルやグルメ、エンターテイメントなどが満載で、大多数の女性を味方につける。
女性の半分は、遊びが本業だから、楽しくてカワイイ題材に飛びつく。
一番、効率よく視聴率を稼げるのだろう。
そうこう言っているうちに、台風災害が近畿圏を襲った。
テレビ局は、壊れた家を訪ねて、飛んでいくだけだ。
効率よく視聴率を稼げるのだろう。
幸せの姿は、変わる。
家族といた頃、学校に通っていた頃、恋愛していた頃、結婚した頃…と、少しずつ姿を変えていく。
人は、その時その時、幸せの姿をイメージしながら生きている。
今、どんな幸せの姿をイメージするかは、その人の置かれた環境による。
幸せを充足してしまえば、人は次の幸せを追いかける。幸せとの追っかけっこだ。
パートナーや家族を持つ人は、次の幸せの姿を示して、一緒に進まなければならない。
幸せの姿は、共有しなければならない。共有できなくなったら、一緒にいる意味が薄れるからだ。
幸せの姿を示す能力、それがパートナーを失わないための必須能力だ。
幸せの姿がみえない国民は、不幸を感じるだけになる。
国は、大きな転換点にさしかかっている。
経済環境も、社会環境も、政治環境も、自然環境も、様変わりしつつある。
テレビでは、相変わらず狂喜乱舞の賑わいが続いているため、毎日大笑いし、甘い恋愛に浸って、楽しく生きている人も多い。
一方で、経済的、社会的、環境的被害者も、たくさん発生している。
完全にバラバラなまま、突き進む。
一見、東日本大震災は、日本人を一つにしたかに見えたが、やはり思った通り、人びとの興味は薄れつつある。
『他人事どころじゃない』、『運が悪いヤツが負け』
落ちていく国の選択肢は減る一方だ。
大きな転換点だと思う。
つまり、こういうことだ。
大自然が敵に回り、通貨安競争に敗れ、高齢社会に疲れ、産業空洞化に後手を踏み、国民は負け試合を感じている。
まるで、前半戦の大量得点を、後半戦に入った途端、一気に逆転されたような気持ちを感じている。
応援団は静まり返り、サポーターたちがバラバラになった状態。
ここは、抜本的な作戦変更が必要な局面だ。いままで通りの作戦に固執していると、全てを失いかねない。
大転換期なのだ。
そんな表現をすると、『そんなオーバーな』と感じる人と、『たしかにもしかしたら』と感じる人とに分かれる。
空気を感じるということは、感性の問題だから、見方が異なってくる。
『そろそろ大地震が来るぞ』というのに似ている。
心配性なだけではなく、ここは、ターニングポイントだろう。
昔、『国民福祉税構想』があった。高齢社会に対応するのが狙いだったのだが、国民はよってたかって押し潰した。
高負担に耐えたくなかったのだ。機会を逃すと、なかなかタイミングがつかみにくくなる。
いま、日本人は何を選ぶべきなのか。問題山積に追い込まれた中で、昔のような余裕はない。
余裕がないという意味は、すなわち、何かを切り捨てるという意味だ。
追い込まれた試合では、何かを切り捨てなければ形勢を逆転できない。
あれもこれも批判的につるし上げるのではなく、メリハリをつけて、次の幸福の姿を描かなければならない。
幸せの姿は、その時その時に応じて変化しているのだ。
そうした中で、一つの流れが出始めている。それは、国民負担の増加作戦だ。
高齢社会の到来により、医療費は年々1兆円ペースで膨張している。地域医療も疲弊している。
そこで、診療報酬を全体的に引き上げようという作戦だ。
早い話が医療費の値上げ。患者は3割を納めるから、連れて負担額が増える。ソロバン的に健康保険料だって増え始めるだろう。
また、年金第3号被保険者といわれるサラリーマンの主婦もターゲットだ。パートをやりすぎると、負担が生じる。
ダンナを助ける準・専業主婦も、動きにくくなる。
さらに、原子力を嫌う国民の声を反映し、電気代も増える。
そして、喫煙者も狙われている。タバコにかかる税金が増えそうだ。
そうなると、酒だって検討課題になる。
医療費、年金、健康保険料、タバコ、電気代、酒代となれば、預金利子課税や配当課税も視野に入るだろう。
いよいよ可処分所得削減の動きは、避けられなくなった。
個人消費は冷え込む。
増税論議に火がついた。
ついに、所得税、法人税、消費税と、取れそうなところからは、吸い上げようという流れになりつつある。
数百年に一度という大災害を考えたら、数百年間かけて備えておけばよかったのだが、ここ20~30年間で、日本人は贅沢をし続けていて、すでに借金が1000兆円ある。
とりあえず、金をため込んだ世代から借りて、なんとかなっているが、これから先は、金持ちはいなくなるから、借金先のアテはなくなる。
ということは、早いところ、財政を緊縮化して、財産を売り払い、借金を返済しなければならない。
あるいは、国債は満期になっても払い戻さないとか…。手形みたいにジャンプするとか…。
要するに、ここんとこの世代が、キャッシングして贅沢してきた借金に加えて、20兆円の災害費が生まれた。
収入は減る一方なのに、早く返済しろという大混乱になっているのだ。
まず、借金まみれをどうするか、
次に、復旧費用をどうするか、
次に、年老いた人たちをどうするか、
次に、収入減をどうするか、
普通の家庭だったら、どうするだろう?
普通の家庭ならパンク寸前だ。
年老いた祖父・祖母を抱えて介護費用がかかるところに持ってきて、すでに祖父の貯金を担保にして金は借りまくった。
そこへ突然のリフォーム費用が発生、屋根に穴があいたのだ。
お父さんの給料は減るばかりだから、家計簿は赤字だ。
原因は、無駄遣い。ママが買い物好きなため、家族のみんなは節約してくれと頼んだり、タンスの中の貴金属を売却してくれと頼む。
そうこうしていたら、長女か病気になり通院費が嵩むことに…。
町内会の会費は、値上げになり、来週集金に来るという。
働く予定だった長男の仕事はキャンセルになり、扶養家族に逆戻り。
タバコも酒も止められず、お父さんの体重はメタボで90キロになった。
と、まあそんな感じの家庭が日本だ。
ついに、生活保護世帯は、200万人を超えた。これは、新記録に近い人数だ。
過去の記録は1951年。ちょうど敗戦後の日本だ。
あのときは荒れ果てた日本だったのだろう。今は、メタボの日本だから、だいぶ違うのかもしれない。
- << 210 終戦直後の貧しさと今の底辺の人の貧しさとは 異なる。 同じ、国家破綻しそうな状況でも、貧富の差が開いた現代と殆どの人が貧しかった戦後とでは大きな違いがある 現在、国家破綻をさせたく無い人々は、 資本家・金融機関・政治家・公務員です。 底辺の人々はむしろ国家破綻しIMFの管理プログラム (『ネバダレポート』で検索すれば簡単に閲覧可能) に入ると金持ちの資産は1000万円以外は全て没収されるペイオフが実施され 公務員の給料30%カット ボーナス全額カット などの処置がなされる 一般市民の責任負担は年金の30%カットがあるが 受給していない年齢の世代には関係ない だから、上記の金持ち達は国債がデフォルトになり国家破綻すると困るのですが庶民は殆ど関係ありません そこで増税によって国民から広く集め 国民に負担させる事で 自分達の資産を守るのが増税の最大の目的です 実際につい最近の韓国がIMFの管理下に入り 国家破綻からリセットし出直し 以前よりも、 更に強大な国に成長しています このような裏事情を知らない国民は、簡単に 増税に賛成してしまう 日本人のノー天気さに 憂いを抱く今日この頃です
お父さんは言う。
『ウチの屋根が壊れたのは、工務店がヒドイ屋根を作ったからだ』
さっそくお母さんは、工務店に電話をかけて、怒鳴りつける。
『アンタんとこの責任よ。弁償しなさい』
工務店は言う。
『そんなことを言われても…屋根は30年に一度は壊れるものなんですよ』
その言葉に、お父さんとお母さんは、カンカンだ。
『ふざけるな。早く修繕に来い』
工務店は仕方なさそうに言う。
『わかりました。今回は修繕しましょう。しかし、また30年後には壊れますから、毎月積立てしてください。それが条件です』
お父さんとお母さんは、追い込まれた。
『わかったよ。だったら、次回はオマエなんかに頼まねーよ』
捨てぜりふを吐いて、違う工務店に見積もりを依頼した。
違う工務店は言う。
『いいですよ。ウチは安全で頑丈な屋根を作ります。材質が高級ですからね』
お父さんとお母さんは、『ええーっ、もっと高くなるわけ? ヒドイよー』と嘆く。
いまさら騒いでも遅いのだ。
お母さんは不機嫌だ。
『アンタが余計なことを言うから、毎月、屋根の修繕積立てをしなくちゃいけなくなったのよ』
お父さんは、居直る。
『だ、だって30年後にまた壊れたら危険だろ。クリーンな屋根に思い切って変えようよ』
お母さんは提案する。
『ヒマな息子に、屋根を自作させようよ』
お父さんも賛成だ。
『そうだな。自分たちで屋根を作ろう』
こうして、危険な屋根を止めて、安全な屋根を家族で作ることにした。
しかし、材料を調べてみると、予想外に高い。
『大丈夫だろうか?』
それに、初めての試みだから、作り方がわからない。
『大丈夫だろうか?』
危険を回避した家族には、また新たな課題がのしかかる。
早くしないと、屋根にあいた穴から、直射日光が降り注ぎ、ペットの柴犬は熱中症になりかねない。異常な猛暑が続いているのだ。
それに、ときどき集中豪雨が襲いかかる。カゴで飼っている小鳥は、死にそうだ。
家族は、頭を抱える。
お父さんは、タバコをくわえ、酒を飲む。お母さんは、買い物に出かける。
祖父や祖母は、『ヒドイ息子夫婦だ』と嘆く。
娘は病気、息子はゴロゴロしている。
さて、この家族はどうするべきだろうか?
正解は『ない』
これだけの脅威に取り囲まれたら、正解はなくなる。
政治家は、まるでギャンブラーと同じだ。
何を選び、何を捨てるかに迫られるだろう。そして、何を選んだとしても、反対勢力の強い抵抗にあう。
それでなくとも、急激な円高により、有能な企業は海外へ拠点を移し始めた。
『日本はもうダメだ。海外で生産し、製品を安く逆輸入した上で、利益を乗せて、安売りをしよう』
『いや、海外生産したら、海外の販売パートナーを使って海外で商売をしよう』
前者ならば、まだ日本に税収は落ちる。しかし、後者になれば、根こそぎ海外の企業に生まれ変わる。
しかも、仕事は海外に取られて、日本人に雇用を生まない。
そしたら、日本人は、農業をやるか、老人介護をやるしかなくなる。
企業が日本を見捨てれば、仕事も金も、海外へ逃げる。
日本に残るマーケットは、限られてくる。
いま日本全国、どこの駅に降り立っても、駅前の景色は同じだ。
ハンバーガーショッブ、牛丼店、レンタルDVD、コンビニ、カラオケ店、ファッション店など、どれもこれもチェーン店ばかり。
すなわち、大資本店舗網ばかりになっている。
言い換えると、中小商店は勝てなくなっていて、商店街は息の根を止められた。
商品も仕入れコストも宣伝力も、大資本でなければ勝てなくなった。
彼らが、円高と法人税を嫌い、出店をやめたら、街から、スーパーマーケットや家電量販店やコンビニが姿を消し始める。
なぜなら、日本には生活保護世帯や年金生活者、低所得層しかいないため、たいした儲けがでなくなるのだ。
家庭の余裕資金は、介護費用や食品に回るが、介護自己負担や消費税がのしかかり、アップアップになりかねない。
厳しい選択が求められている。
全く自信はないが、一応、整理しておくと、次のようになるのではないか。
まずは、
①金がなるべくかからない国を運営する。
②国の資産は、換金して現金を捻出する。
③足りない金は、長期で返済すべきものと、短期で返済すべきものとを区分する。
④稼ぎ手の企業や今後不可欠な産業へ負担を強いてはならない。
というのが大方針になる。
だから、公務員や国会議員などにかかる費用を削って、公的サービスも簡素化する。
政府関連団体の隠し財産や埋蔵金を探して拠出させる。持ち株も売却する。余計な政府支援も再検討する。
そして、災害復旧・復興などは、国債発行により長い構えで返済していく。
単年度の収支改善のために消費税率のアップで対応し、法人税や所得税には手をつけない。
国債利子課税を上げて、利息支払い負担を減らすとともに相続税を重くする。
介護社会や医療社会を維持するために……、どうしても、ここで行き詰まるのだ。
『健康で長生きしてね』が、どうしても解決できない。
とは言っても、これは世代間で受け取る印象がかなり異なるはずだ。
60代や50代などは、経済成長期やバブル経済を体験してきたから『そろそろ引き締めないと』と、振り返りつつ反省できる。
一部は、資金的な余裕も残っていたりする。
また、40代の人々も、『いい思い』をしたから、ムダ使いしすぎたかもしれないと少しは感じるだろう。
特に、40代女性は、遊びを先導した主役だ。これからの人生が、借金返済に染まるとしても文句はいえない。
しかし、いまファミリーを形成しようとしている30代や20代の人々にとってはたまったものではない。
『団塊やバブルの連中が死ぬほど、借金を先延ばししてきたんですけど、我々の世代が分かち合うのですか?』
そんな不公平は許さないだろう。
さて、そこで『健康で長生きしてね』に戻る。
うまく言えないし、きちんと説明するとなると、相当前置きが長くなる話だから、誤解を生むかもしれない。
それに、非人道的な要素もある。倫理的にも鬼畜な考え方なので、本来なら誰も触れない部分だと思う。
なぜ、世界はこんな窮地に立たされたのか。
もし、一言だけで説明するとしたら、『それは人間が増えすぎたから』と言わざるを得ない。
実は、地上には定員があったのだ。
その中でも、とりわけ狭い日本列島は、世界最高の長寿社会になった。
これから団塊世代の大集団が、70才になり、80才になり、90才になっていく。
ますます寿命は延びるだろう。
彼らは、年金生活者として、受取り手であり続ける。
その結果、間違いなく公的年金制度は、滅びていくことになる。
しかし、年金がなければ生活していけない。
そこで、老人を有効活用せざるを得ない。
そのためには、老人を分類する作業が必要になるのだ。
つまり、
①使える老人
②支える老人
③支えられる老人
④使えない老人
の4つに分けるのだ。
読みたくなければ飛ばしてほしい。
やはり、余計なことは書くのをやめておこう。
それでなくともブルーなトーンが出すぎの昨今なので、心配ばかりしていると、意味なくエネルギーを消耗するから。
ここまで詰みかけた日本としては、老人が若者を、若者が老人を、男が女を、女が男を、けなし合うことになるのは自明の理だろう。
いわば、イス取りゲームが始まったといえる。バトルロワイヤルだ。
なにせ、果実は限られてきたのだから、奪い合いにならざるを得ない。
最も権限を有するのが、政治だから、国民からの吸い上げを考えるのは当たり前だし、そうしなければ、矛先は政治家や公務員へ向けられる。
この先、高齢者や生活保護世帯や低所得者が増えれば増えるほど、果実は特定の場所に集まる。
まるで、独裁者が存在するかのようなスキームの民主主義国家になる。
大震災ムードをテレビが盛り上げ、政治を叩きまくったため、国内の空気は、一気に悪くなった。
このまま行けば、テレビのいう『早く予算を』の掛け声とともに、個人所得と法人所得は打撃を受けることになる。
一寸先は闇となった。
>> 202
普通の家庭ならパンク寸前だ。
年老いた祖父・祖母を抱えて介護費用がかかるところに持ってきて、すでに祖父の貯金を担保にして金は借りまくった…
終戦直後の貧しさと今の底辺の人の貧しさとは
異なる。
同じ、国家破綻しそうな状況でも、貧富の差が開いた現代と殆どの人が貧しかった戦後とでは大きな違いがある
現在、国家破綻をさせたく無い人々は、
資本家・金融機関・政治家・公務員です。
底辺の人々はむしろ国家破綻しIMFの管理プログラム
(『ネバダレポート』で検索すれば簡単に閲覧可能)
に入ると金持ちの資産は1000万円以外は全て没収されるペイオフが実施され
公務員の給料30%カット ボーナス全額カット
などの処置がなされる
一般市民の責任負担は年金の30%カットがあるが 受給していない年齢の世代には関係ない
だから、上記の金持ち達は国債がデフォルトになり国家破綻すると困るのですが庶民は殆ど関係ありません
そこで増税によって国民から広く集め
国民に負担させる事で
自分達の資産を守るのが増税の最大の目的です
実際につい最近の韓国がIMFの管理下に入り
国家破綻からリセットし出直し
以前よりも、
更に強大な国に成長しています
このような裏事情を知らない国民は、簡単に
増税に賛成してしまう
日本人のノー天気さに
憂いを抱く今日この頃です
たしかに、身の回りを見渡してみると、モノがあふれていて、満ち足りている。
戦後に比べたら、比較にはならない。
なのに、我々は不安に包まれている。
どういうことだろう?
すごく豊かになったのに、とても貧しい気がしてくるのだ。
だったら、これから社会をより良くしていけばよいのだが、なぜか脱力感を感じてしまう。
豊かなのに、奪い合いから離脱できない仕組みが焦燥感を募らせている。
一度、何もかもリセットすべきなのだろうか?
そこのところがわからない。
戦国時代は争いに踊らされ、戦時下は軍国社会に従った。そして、日本人はアメリカ人の成功を見習ってきた。
常に、何かに催眠術をかけられたような国民。
いま曲がり角を迎えている。
おそらく、この脱力感というのは、一国のチームワークの悪さからきている。
危機的状況だというのに、文句は言うが動かない人たち。
危機回避のため、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいとは言うが、自分は動かない人たち。
これは、モノ作りをやめた頃からのカルチャーだ。
とにかく、汚れたり、臭かったり、キツかったり、報酬が安いことは、みんなやりたくない。
それなら生活保護を受けたほうがラク。
外野席に陣取って、気分次第で、応援したり、ヤジを飛ばす。
そんな一国に、団結力はない。だから、一体になって、改善ができないため、脱力感を感じてしまうのだ。
『困ったもんだ』とは、みんな口にするが、誰もそれが自分たちのことだとは思っていない。
かなり深刻な状況だと思う。
客観的にみると、日本のリーディングカンパニーは数限られてきた。
仕事は、これらの限られた流れに乗らないと安定が難しい。
衣食住と楽しみに関する新たなビジネスは、ほぼこうしたリーディングカンパニーが投資するかどうかという流れになっている。
だから、大資本に関与して食べていくしかなくて自由度が狭い。
こういう社会になると、独立開業して一発当てようという気持ちが湧いてこない。
消費者も限られた富裕層は、大資本に握られているし、庶民も限られた余裕の中で商品選択するため、大資本が吸い上げる。
家電量販店や全国的なチェーン店やコンビニ網で、日常生活は完結してしまうのだ。
あとは、なかなか成り立たない。
いま危機的状況というのは、これらの大資本が日本マーケットを頭打ちとみて、投資をやめていることだ。
投資資金は、これから伸びそうなマーケットへ振り向ける。
あと残るのは、公務員か銀行員くらいだろう。
しかし、公務員だってこの先は茨の道だろう。激しい公務員叩きが始まろうとしている。
銀行員だって、この不況下、貸し金回収が難航する。ただでさえ、リスケ(返済猶予)債権が山ほど発生していて、回収見込みが立たない状況にある。
金融機関の債権は、健全、要注意、破綻懸念、破綻などに分類管理されていて、すでに融資ポートフォリオはボロボロなのだ。
どこに活路を探せというのか?
こういうときの商品開発は本当に難しい。
どれだけ秀逸な技術やアイデアがあっても、買い手があまり見込めないから採算割れしやすい。
かといって、オーダーメイドにして大資本に持ち込めば、叩かれて二度目の受注はアテにならない。
ヘタに金をかけてしまうと、致命傷を負うハメになる。
となると、たいていの人の判断は『おとなしくムダを省いてやり過ごすしかない』となり、ますます経済は冷え込む。
そんなことだと、いずれは破綻するに決まっているから、細々とした仕事で食いつなぐしかなくなる。
みんな同じことを考えるから、同じようなことを始める。
これが二極化社会の末路なのだ。
そこで、読者の方から指摘があったようなリセット案が、現実のものになってくる。
今の空気からしたら、あり得る話なのだ。
どこでどう間違ったかは、前回の日記で書いたように、女性の社会進出からだ。
女性の社会進出は、能力高い何割かの女性と、遊び人にとって恩恵があった。
しかし、低賃金を定着させて、男性をその道連れにした。
その結果、男性は、すっかり非婚化した。今や生殖能力さえ、低下しつつあるという。
その男性を、いまさら頼って結婚活動しても、『あれ?自立目指してたのでは?』と、女性たちは相手にされなくなった。
男性は、二次元か三次元アイドルか風俗かAVか短期同棲で、充分豊かなことに気づいた。
つまり、結婚に合理性がなくなったのである。
そうなると、たとえ月給が30万円しかなくても、そこそこ自由で優雅に生きられる。
結果的に、予想外なことに、男性は自由になった。
結婚してこそ一人前という古い既成概念は、消滅したのだ。
青森県に六ヶ所村というところがある。原発の処理施設がある。
今や常識かもしれないが、この六ヶ所村というところは、大変な金持ちの村だ。
村民所得は異常に高くて、東京の港区や渋谷区も相手にならない。
村に入ると、施設や道路が素晴らしい。
なぜ、こんなに裕福かというと、『利権』があるからだ。
日本には、原発と基地と飛行場の『利権』により、豊かな市町村が結構ある。
いわば、金づるがあるわけだ。
いまさら、『原発処理施設なんか出てけ』という地元の人はいない。
永年かけて慣れているため、地元に溶け込んでいた。
それを『危険だ』とマスコミが指摘するものだから、地元村民も、複雑な気持ちになる。
いまさら自立せよと言われても、昔の貧乏な村には戻れない。
女性たちは自立を望んで、失敗しつつあるが、六ヶ所村の村民は自立を望んではいない。
行政単位の所得計算にはウラがある。
六ヶ所村のことを書いたので、フォローしておくと、村民所得が高いからといって、必ずしも村民がウハウハとは限らない。
たしかに、福島原発付近の住民は、裕福で立派な家に暮らしていたと聞く。
しかし、少し離れた南相馬とか飯舘村とかは、恩恵がない。
つまり、近場はあまり文句を言わない。離れた市町村が強烈にクレームを出しているのだ。
それはそうなのだが、市町村所得というのは、住民と企業の所得合計を人口数でわり算して求めるから、企業所得が異常に高いケースがあるのだ。
例えば、住民10人の年収が500万円で、企業1社で1億円だと、全部で1億5千万円になるから、人口数でわり算すると、1500万円になる。
実際は500万円なのに3倍で表されるという結果になる。
しかし、仕事場は確保できるし、各種施設も立派だから、恩恵はそれなりにあるような気がする。
ついでだが、付け加えた。
さらに、付け加えると、利益主体の構造に着目すべきだ。
利権は、まず市町村へ落ちる。だから、市長や村長はウハウハだ。とりあえず、これをインプットしてほしい。
次に、原発関与各社に落ちる。だから、電力各社はウハウハになる。
次に、建設工事業者へ落ちる。従って、業者はウハウハだ。
次に、仕事を得た人に落ちる。つまり住民はウハくらいだ。
そんなループがあるから、市長や村長を投票している。
結果、利権構造を取り巻く一族が存在するという仕組みができている。
そのカヤの外にいる住民は、アホらしい世界となる。
金づるに群がる構造は、どこにでも転がっていて、浅ましい奴らは利に聡(さと)いから、金のニオイをすぐに嗅ぎつけるわけだ。
沖縄なんかは、土地だけ所有しておき、恩恵を受け、地主は六本木ヒルズあたりで遊び回るというのが実態だ。
金の世の中は、世論を味方につけて同情を買い、補償金を獲得する手法がまかり通っている。
ボランティアする場合は、よく調べてから参加したほうがよいだろう。
庶民は、よく踊る。
ついでになるけれど、被災地のチャリティ募金やーコンサートなども、怪しいものが結構ある。
被災したというだけで、庶民は同情するから、なにかと商売がやりやすい。
そこに、海千山千の興業主が目をつけないはずがない。
特に、芸能人や有名人はチャリティーに参加するだけで好感度がアップする。
だから、チャリティーという名目は、願ってもないチャンスなのだ。
うがった見方になるけれども、ここにもウハウハの人たちが存在しているかもしれないのだ。
完全についでの話になった。
日本がかつてないほど危機的な状況であるという話がずいぶんと脱線してしまった。
整理すると、企業はおろか、様々な職業人も、壊滅的になっている。
最強の輸出企業も、通貨競争に敗れ、活路を探している。
男性の賃金は低下し、自立を求めた女性も行き場を見失いかけている。
その中で、横行しているのが、『たかり商売』だ。
これは、いわゆるチンピラが開発した古典的手法で、『肩がぶつかった』とかナンクセをつけて金品を巻き上げる。
もちろん、チンピラがやるわけではなく、れっきとした弁護士だとか市民団体だとか地域住民がこれをやる。
典型的なのが『被害者団体』を組織化する手法といわれる。
被害者が集まり、周囲の同情を集め、訴訟に持ち込んで和解金をせしめるのだ。
この判別、つまり正当なものか、胡散臭いものかの見分けがつきにくいのだ。
『たかり』は、卑しい行為である。しかし、法律に則り、正当に訴訟を通じて争うことは正義と言える。
卑しい場合と正義である場合が、訴訟には存在するのであるが、外からみている限り、よくわからない。
当事者だって、それぞれの主張があるため、司法の判断を仰ぐ。
裁判官だって、双方の主張を聞いてわかるかというと、判断に苦しむケースが多いだろう。
そこで、市民を陪審員に仕立てて判断してもらうことになっていたりする。
つまり、現代社会においては、双方の主張がそれぞれ正しい(または、否定しえない)場合が増えているのである。
それは以前にも触れたので、深くは言及しないが、少なくとも、この訴訟を使ったビジネスが横行する背景には、『手っ取り早く稼ぐ』という経済的側面がある。
金を持ったヤツを狙えば、多少は支払うだろうという商売になりかねない。
金持ちの不法行為を探せば成り立つから、この情報社会では、とても取り組みやすい。
国民は次第に豊かになり、総中産階級を経て、バブル成金が誕生した。
そして、バブルは崩壊し、長引くデフレ経済のもとで、二極化が起きた。
二極化は次第に極端になり、一般庶民層の所得は300万円台も珍しくなくなった。
さらに、生活保護を受ける人々や自殺をする人々などが、社会問題になっている。
年金生活者もこの先不安が募る。
だから、数少ない金持ち企業や金持ち個人にすり寄ろうという動きが出始めた。
『ゆすり』『たかり』『泣き落とし』などで、金をせびる。
働こうとしない貧困層が拡大すればするほど、彼らをサポートする資金が必要になる。
経済社会にあって、稼働しない人間は、お荷物になる。今や、人間は機械と同じだ。
動かない機械にだって、維持費がかかる。
金、金、金、何から何まで金がないと解決しない社会。
と、同時に、ラク、ラク、ラク、嫌なことはしたくない人間たち。
『日本を元気に』
『頑張ろうニッポン』
要するに、金を回して、ラクしようというスローガンだ。
金がなければ、もっと過酷で、苦労している人をみて、一時的に元気になるしかない。
『あの人だって、頑張ってる』『あの人は私より不幸だ』そう思うことで、自分を元気づける。
そんなことを繰り返していると、マイナスパワーしか生まれない。
政府は増税策を決めた。庶民や企業の利益をさらに吸い上げて、困っている人たちへ配分する。
政府は消費税率も、引き上げにかかる。困っている高齢者へ配分する。
困っている人たちが増えていけば、庶民には負担が増える。
困っている人たちを減らせない限り、この流れは止まらない。
次第に、困っている人たちは、困った人たちとして認識されるようになっていく。
困った人たちをみたら、助けないわけにはいかない。
これがヒューマニズムを応用した商法だ。
裏切られて困っている、事故や病気に遭遇して困っている、金がなくて困っている、いじめられて困っている…、世の中には困っている人がたくさんいる。
論理的に考えると、それらの人たちを全部助けることはできない。不可能な話だ。
なのに、我々はつい募金箱へお金を入れたり、時間を割いて相談に乗ったり、本人に代わって交渉したりする性質を持っている。
DNAに組み込まれた性質があるのだろう。弱い者を助けたくなるのだ。
論理的に矛盾しようが、目の前の弱者を助けようとする。
ここが、また新たな金儲けのネタにされる。
偽善者が大活躍する舞台ができる。もともと、全ての困っている人たちは救えないのに、話題になった弱者だけは助けようとする人々につけ込む。
早い話が、バカにつけ込むわけだ。感情や情緒に動かされたバカは、話に乗る。
いいカモになる。
いつの世も、話はカンタンではない。
しかし、究極の選択は、『ひっそり生きるか? それとも、贅沢に生きるか?』のどちらを選ぶかだ。
突き詰めると、そういうことになる。
言葉をもてあそぶ連中は、そういうときにこう言う。
『ひっそり生きるにしても、贅沢に生きるにしても、心豊かに生きよう』
残念ながら、そのようなことは起こり得ない。
永遠の平和はないが、永遠の戦は当たり前の世の中なのだ。
永遠の愛を手に入れたいのは、女性の素直な気持ちだった。しかし、今は違う。
女性も経済戦争に参画することになった。
戦いは、男性だけの欲望ではなくなったのだ。男性も、女性も、経済戦争に出兵する。
つまり、庶民は贅沢に生きることを選択したわけだ。
争いごとが好きな男たち同様に、女たちも参戦を決めたのが、2000年の改正男女雇用均等法だ。
バブル後の不景気を耐えきれずに、女たちは声を上げた。
瞬く間に、派遣労働者が増え、企業は高賃金の中高年をリストラする。
みるみるうちに、平均賃金は低下していった。
そして、やがて朝の通勤電車は、女性たちで埋まる。
自分で働き、自分で消費する自由を女たちは得た。誰にも束縛されずに、自由に生きる道をみつけた。
相対的に、男たちの役割は変わっていく。
『もう女たちを守るために、戦うのはやめよう』そんなふうな空気が、男たちに流れた。
いったん解き放たれた女たちは、自由を模索し始める。
男たちの役割が変化しつつある。
女たちの役割も変化を始めた。
これからは、男女が協力し合ったり、競い合ったり、蹴落としたりする時代が到来する。
男が女を一方的に守り、その代わりに、自由を束縛する時代は過去の話になった。
女だって、油まみれになるし、大型トレーラーを動かす。
ピストルの引き金だって弾けるし、コンピューターウィルスを作れる時代だ。
だから、性差は縮小していく。すべては、男女差ではなく、個人差の時代になる。
一時的に、平均賃金は低下したが、中には大成功をおさめる人たちは存在している。
人類は、男女の役割を変えようとしているのだ。
大成功をめざす人は減らない。小さな幸福を望む人も減らない。
ただ、一つ言えることは、後戻りができないということだけだ。
大成功も、小さな幸福も、前に進まない限り、手にすることはできないからだ。
文明は、破壊されない限り、前しか見ていない。
世の中は変わるし、時代は変わる。
日本だけみても、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と時代は移り変わり、明治、大正、昭和、そして平成へと至った。
平安時代が長いといっても300年、室町時代だって250年、江戸時代だって、300年未満だと思う。(かなり適当だが)
明治政府ができて200年弱を経過した現代の体制が、大きく様変わりしたところで、何の不思議もない。
我々は、戦争をしないことが当然だと思っているかもしれないが、無条件降伏をしたのが1945年だから、65年間もの期間を戦争なしに過ごせたのは、むしろ奇跡に近い。
いかにサンフランシスコ講和条約や日米安全保障条約が優れていたかを知るべきなのだ。
だから、逆に言えば、いつ戦時下に舞い戻っても不思議ではない。
原子力エネルギーを感情的に否定した現在、エネルギー資源の確保は重要な問題となった。
そして、次の戦争には間違いなく女性たちが参戦するであろう。
経済戦争は、軍事戦争を呼び込むかもしれないし、企業の争奪戦を生み出すかもしれない。
平和は、続かないようにできているから…。
いよいよ国は、高負担社会へと舵を切り始めた。
さまざまな国有財産も次第に売却されていくだろう。
購入した民間企業が、それぞれの思惑で、活用していけば、有効なのだが、どうなるかはわからない。
にしても、これで個人消費者の購買ニーズにダメージを与えることは間違いない。
だから、贈与税を緩やかにして、財産の親子間移転を進めるだろう。
日本国民は、新たなステージへ突入する。
いま国民が問われているのは、『新たな豊さ』だろう。
現在の貨幣至上主義から離脱し、新しいスタイルの豊かさを発見しなければならない。
この新しいスタイルの豊かさこそが、全世界が注目する高齢社会実験だ。
日本は、世界に先駆けて、これから本格的な高齢社会に突入する。
働き手が激減する社会における『豊かさ』とは、いったい何なのか?
少なくとも、金に頼らない形の『豊かさ』を作り上げなければ、国は持たない。
壮大な実験になるだろう。
金のパワーを使う豊かさを使って、われわれは快適性や満足や快楽を手に入れることに成功した。
金さえあれば、ほとんどのモノが手に入る世の中を作り上げたのだ。
新興国は、今も金を手に入れるために東奔西走している。
働き手の男が豊かになり、次に妻を豊かにし、次に、子供を豊かにしてきた。
そして、女も子供も、自由と自立を求めた。
繁栄の結果、家族という単位は消失し、単身世帯が主流になった。
そして、年老いた。
働き手は、再び減った。
これからの『豊かさ』のキーワードは果たして何なのか?
まだ、誰にも見えてこない。
新たな豊かさがなぜ見えてこないかというと、それは残念ながら、金のせいである。
少しややこしくなるが、われわれは余った金を銀行に預ける。
銀行は、景気が良ければ企業に貸し出すのだが、今の日本には安全な企業が少なく、仕方がないので国債を買う。
国は、余った金で新興国や開発途上国を援助したり、国債を買っている。
つまり、大胆に言えば、われわれの金は、国に貸していて、国はさらに海外に貸している。
だから、海外の国がもしも破綻すれば、貸した金は戻ってこない。戻ってこなければ、銀行にも金を返せない。銀行はわれわれに返せない。
要するに、世界のどこかで返済不能者が出れば、われわれの金は、返してもらえないのだ。
銀行や信用金庫は、間接的に信用創造を行なっていたはずなのに、それをおろそかにして、投資家に成り下がった。
投資に失敗すると、甚大な影響が出るにもかかわらず、毎晩、『ギリシャが破綻しませんように』と祈っている。
つまり、世界中が貸し借り関係にある中で、新たな豊かさを見いださなければならないのだ。
一蓮托生。私たちだけが、幸福になれるのだろうか?
だから、日本国債は安心だと言われる。
庶民→銀行→国→海外
そういう流れで金が回っているから、海外が破綻しても、最悪は庶民が泣けば済むのだ。
むしろ、庶民さえ了解すれば、国債は紙クズになり、国の借金も海外の借金もゼロにできる。
泣くのは、銀行だ。
銀行は、預金という形の債務を負っており、それを自己判断で、国債投資したわけだから、大きな責任が残る。
なんとしても、預かった預金を払い出さなければならない。
おそらく、不可能だろう。銀行は、次々に破綻する。
それだけではない。その結果、われわれの年金も退職金も消えてなくなる。
銀行が破綻すれば、企業は資金難に陥るから倒産する。
企業倒産が増えれば、株価は暴落する。
株価が暴落すれば、日本経済は壊滅的だ。
日本円は、安値を更新し続けるだろう。
物価は上昇する。
国内には、老人と生活保護世帯ばかりだ。働き手世帯もボロボロになり、国の借金だけがチャラになる。
庶民は、オケラだ。
自給自足体制もない。漁業は壊滅的だし、温暖化で野菜も不安定。
さて、どこの国が助けてくれるだろうか?
破綻寸前の海外の国は、増税騒ぎになり、暴動が起きる。
どこの国だって、庶民は同じだ。金の世の中にあっては、金が尽きれば、争いが始まる。
しばらくは、返済などしてくれない。周辺諸国に救済を求めるのが関の山なのだ。
つまり、AがBに貸し、Cに貸し、Dが破綻したら、Aはこう言う。
『Dはバカだからね。自業自得だよ』
ところが、巡り巡ってその余波はBにも押し寄せる。
AはBに対して、こう言う。
『早く金を返せよ』
Bも返済を受けていないから、返せない。
そんなわけで、債権者が集まり、どうするか考える。
通常は、返済を猶予するのだが、それはABCの状況による。
切迫しているABCは、Dに対して、『財産をよこせ』というだろう。
ダメなら、Dの国民を働かせて回収するに違いない。
そして、…Dの国内ではクーデターが勃発し、戦争への道につながるのだ。
金の世の中は、新たな豊かさを選ばせてくれない。
こうして、金持ちは10億円を失い、庶民は1000万円を失い、貧乏人は100万円を失う。
預金保険機構はあるが同じことだ。いずれ金は尽きる。
金の世の中では、金持ちが金を貸すようなメカニズムになっている。
ところが、いったん回収不能になれば、その債権は消滅しかねない。
だから、担保を取っておく。担保には、人的なものと物的なものがあるが、いずれにせよ、国際的な仕組みの中で保全されている。
しかし、現代のように複雑な債権・債務関係にある場合、その処理は容易ではない。
整理回収機構を作っているうちに、国家は混乱に陥り、戦争が始まってしまうのだ。
新しい政権が樹立され、過去の債務について洗い直してもらえるかどうかなど保証の限りではない。
債権国としては、国内の事情を抱えている。
例えば、既に、借金が多い、高齢者が増え福祉や医療に費用がかかる、自然災害で多額の損害が生じている、企業の空洞化が起きている、失業率が高く生活保護世帯が多い、通貨高で利益を出せない…など、様々な事情がある。
そんな条件を、全て満たすのが、日本列島である。
最近は、あまり国を憂うのが馬鹿らしくなってきた。
ぼんやりと、滅びゆく有り様を高みの見物しているのが精神衛生上、安らかでいられる。
好きにしたらいい。そんな心境になってしまう。
だから、国とは距離を置くことを検討すべきだと思う。
納税者としての義務を果たしたところで、金はムダに垂れ流され、バカ国民の福祉とやらに投入されるばかりだ。
ならば、極力、距離をとって、海外へ目を向けるのが賢明なのかもしれない。
日本の四季や防犯、衛生などは素晴らしい。こうした長所は捨てがたいが、半数の国民はどうしようもない。
肉体の半分を、日本人から離脱して、生きる術を身につけるべきだ。
投げやりにならず、国を半分捨てるスタンスが必要だと思う。
主さん。
レスしたことある愛読者です。
ミクルで、こんなにも読み込めるスレはありません。
いつも気になっていることを書いてくれている主さん
ありがとう💗
しばらくカキコミがありませんがお元気ですか?
ずっと待っていますね。
待っている方々は少なくないはずです。
新しいレスの受付は終了しました
お知らせ
日記掲示板のスレ一覧
携帯日記を書いてみんなに公開しよう📓 ブログよりも簡単に今すぐ匿名の日記がかけます。
- レス新
- 人気
- スレ新
- レス少
- 閲覧専用のスレを見る
-
-
きまぐれ澪たんロード⑦6レス 109HIT 澪(みお)
-
◯里亮太ときいて…誰!?2レス 82HIT 匿名さん (♂)
-
あー1レス 131HIT 匿名さん
-
毎日たのしそうやな。2レス 79HIT 匿名さん
-
アトピーが辛すぎる11レス 295HIT 初心者さん
-
💜💜💜⚠️⚠️⚠️⚠️続き(44)⚠️⚠️⚠️💀💀💀
あんた、まさか、メコンデルタなんかの軍隊に秘密裏に女の紹介とか、してん…(匿名さん0)
292レス 2358HIT 匿名さん -
癒し専用ルーム 284
教えて頂きありがとうございます。 共感して頂いた方へ あり…(英司)
259レス 363HIT 名無し21 -
高知ひと筆日記2,、まれに長崎から?
昨日雨の中出かけたのでズボンがまだ乾いてなくやむなく洗濯中、洗濯して一…(匿名さん0)
329レス 6589HIT 匿名さん -
情けないバカな私 No.51
空さん 皆さん おはよ。 天気は晴れてるけど風が強くて寒いぐらい…(負け犬)
415レス 5678HIT 負け犬 (50代 ♀) -
異常だよ😮💨☜これ、あってるかな?
色んな事情があるんやろね☹️ https://www.asa…(匿名)
381レス 4252HIT 匿名
-
-
-
閲覧専用
法律事務所勤務2レス 92HIT 社会人さん (40代 ♀)
-
閲覧専用
人のせいにするな1レス 55HIT 匿名さん
-
閲覧専用
貧乳なのに1レス 158HIT 匿名さん
-
閲覧専用
🌵🌸俳句を作ってみよう🌷🪴8レス 332HIT 豆たろう
-
閲覧専用
🍀🐬🍧統合失調症の部屋🌷🐦☘️25レス 760HIT 仲良しパンダさん
-
閲覧専用
5月8日。
明日も。(通りすがりさん0)
30レス 807HIT 通りすがりさん (♀) -
閲覧専用
きまぐれ澪たんロード⑥
さぁ、次のスレへGO!だw(澪(みお))
500レス 4382HIT 澪(みお) -
閲覧専用
忍blog
あははは😏(匿名さん0)
135レス 3822HIT 匿名さん (♂) -
閲覧専用
独り言日記32レス 1879HIT 匿名 (♀)
-
閲覧専用
日記
無料。 待ってるだけ。 食べ物、痛み、我慢して、働き、帰宅、後、覗…(匿名さん0)
41レス 2298HIT 匿名さん
-
閲覧専用
サブ掲示板
注目の話題
-
50代バツイチ同氏の恋愛
50代バツイチ同士のお付き合いです。 彼を家に招待したり、泊めたりするのは世間的にどうなんでしょう…
25レス 686HIT 通りすがりさん (50代 女性 ) -
女の幸せは出産子育てのはずなのに
女の幸せは子どもを産み育てること」とはよく聞きますが、ならなぜ少子化なのでしょうか? お金がない、…
13レス 373HIT 育児の話題好きさん (20代 女性 ) -
🔥理沙の夫婦生活奮闘記😤パート2️⃣😸ニャ~ン
🎊パンパカパーン🎉 🎉パパパーパンパカパーン🎉(*≧∀≦*)ヤホーイ😸ニャー …
30レス 331HIT 理沙 (50代 女性 ) 名必 年性必 -
40代の豊胸手術
女友達(44歳)が豊胸をしたいそうです。 この年齢で豊胸を考える事についてどう思いますか? …
10レス 302HIT ちょっと教えて!さん (40代 女性 ) -
旦那がむかつく。
旦那の態度に怯えながら生活する日々です。もううんざりです。でも子供がいるので離婚できません。 食あ…
11レス 262HIT 結婚の話題好きさん (20代 女性 ) -
育ての親である祖母の心理は?
昭和10年産まれで中卒の祖母の心理は? 自分の娘には専門学校まで行かせて「娘は専門学校まで行ったか…
12レス 243HIT 育児の話題好きさん (20代 女性 ) - もっと見る