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神社仏閣珍道中・改
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神社仏閣巡り珍道中・改  東北路編

神社仏閣珍道中・改

No.41 19/03/17 18:15
旅人
あ+あ-

わが家の子供たちが小さな頃、私がどうしても行ってみたいと言って行ったところに、【鎌原観音堂】があります。
その【鎌原観音堂】を語るのに欠かせない、【浅間山】の引き起こした悲しい過去があります。


浅間山は上毛三山にこそ入ってはいませんが、(山自体が長野県と群馬県をまたいでそびえるものなので、上毛をうたうことに無理があるのだとも思われます)、車を走らせその山の姿が見えると思わずため息が出るほどに、美しい姿の山であります。長野県の旧軽井沢や信濃追分からみる浅間山も見事ですが、群馬県の北軽井沢からみた山並みの美しさもそれは見事なものであります。
浅間山は現在も活火山、私の小学生の頃にも、埼玉県や東京にまでその火山灰が降り積もったようなこともありました。

そんな浅間山には歴史に名高い大噴火があり、天明三年(1783)、あの歴史の授業でその名が挙げられるほどの飢饉、【天明の大飢饉】を引き起こした噴火であります。
この時の噴火は大規模な火砕流が土石なだれを引き起こし鎌原村を直撃し、村にあった93戸の家屋はすべて押し流されて477名もの命を奪うものだったようでありました。村で唯一残った建物こそが、小高い丘の上にあったこの観音堂だということでありました。

鎌原観音堂は今、杉林に囲まれぽつんと佇む、茅葺きのひなびた建物です。御堂の前には幅1.5メートルほどの石段があり、その石段前には赤い橋がかけられています。その石段は十五段。
噴火前には五十段前後あったことが、1979年に行われた発掘調査で明らかになっています。ここに押し寄せた土石なだれは五メートルほどにも及んだことになるようです。
この時たまたま村を離れていて難を逃れた人を含め、ここ、観音堂に逃げることができた村人93名が生き残ったに過ぎず、村人の8割もの命が失われたということであります。

発掘調査の折、埋まっていた石段に折り重なる二体のご遺体が見つかりました。遺骨の様子から、若い女性が年老いた女性を背負っていたものと推測されています。
発掘調査当時、そのご遺体の様子は大きく新聞記事等で扱われておりました。遺体の発見ということもありますが、それよりも、若い女性は年老いた女性を背負って石段をのぼっていなければ、おそらくは助かったであろうのに、最期のときまでその背に老女を背負っていたということを。


    

   


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