終活・・・つぶやき

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2026/01/08 04:22(更新日時)


10年ぶり・・・

10年ぶりに日記のようなモノを綴る。
それで気持ちの整理が出来て、気持ちが晴れるなら。

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No.4304821 (スレ作成日時)

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No.1

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No.2


あの頃、お世話になった方々へ・・・
親しくしてくれた皆さん・・・
ありがとうね・・・感謝。

あの頃の私にはみんなが必要だった。それは確か。

皆様の・・・ご健康、お幸せを心よりお祈りしています。
こう言った遠い場所から。ですが。


日記だけを綴って12年。
今はもうとうに無いHPの日記約3年分。
・・・それなりの年月。

あの頃・・・会ってみたいと思った人もいたはず。
それでも卒業しちゃってたのは・・・

きっとね・・・
心が満たされたんだと思う。
うん・・・

幸せだった。その後の自分。それも確か。

No.3


「20年ぶり・・・」


今年になって・・・
昔の事をあれこれと
思い出すことがあって・・・

なんなんだろうね・・・
不思議だ。


先月のある日・・・
そこは地元のある病院の院内。
T字路のような通路のずっーと向こう
体を正面に向け座っていた元義母。

多分車椅子。
80代後半で視力だってあてにはならないだろう。
多分、気が付いてはいないだろう。
そんな事があった。


今月の半ばの・・・ある日の朝方早く、
母から元義父についての電話があった。

「もうお前には関係ないかも知れないけど・・・」
義父が亡くなったと。一応伝ておくと。



いつかね・・・
いつかね・・・

こんな日が来るとは思ってた。

No.4

>> 3
息子に話してみた。

貴方は初孫だったからね。
男の子だったからね。
沢山、大事にはして貰ったんだ。
幼少期は一緒に暮らしていたんだよ。


覚えていないと言う「幸せ」覚えている私の「不幸せ」逆も然り 
覚えていないと言う「不幸せ」覚えている私の「幸せ」

驚いてはいたけど・・・
貴方はいつものままで、その明るさと元気さに救われる。

話して良かった。

あれから沢山の時間が流れて・・・いたんだよね。
あらためて・・・思う。

No.5

「30年・・・」

30年前に一緒に出掛けて一緒に撮った写真。
フィルムのままだよ。
もう現像はとっくに諦めてはいる。
でも捨てる事も出来ずにいて。
まあ捨てる必要もないけどね。
なんだかね・・・昨年の大掃除で
小さなケースから出てきた・・・。

思い出されるあの頃の事。

「じゃぁまたね」と別れて・・・
訃報を知ったのは、数日後のTV画面の
事故の様子と貴女の名前。

そしてご主人は6日後に逝ったけど、
再会出来たのかな・・・?

あの頃は、ただただ苦しくて悲しくて寂しくて・・・
そして老いた貴女の母の落ち込んだ様子と、
泣いてた子供たちの顔は忘れた事なかった・・・。

時間は平等に流れて・・・
それとあの時・・・約束したね。

貴女の分まで生きる。
なんて私には言えない。
貴女は貴女の人生を懸命に生きていた途中の事。
だから、私は私の人生をただひたすら頑張るねと。

頑張ったと思うよ。私。
認めてよね。そしてあの時の話の続きをしましょう。

そう遠くない未来で、もし
そちらへ行く事になったら、
私を見つけてね。そして声をかけてね。
貴女から。

初めて出会ったあの日のあの時のように。

No.6

「断捨離」の途中

親なきあと、実家の片付けに苦労した。
・・・と話す人は少なくない。私の友人や知人もそう言う。
・・・我が家もそうなるだろう。

「断捨離」とか「終活」とか・・・なんて話をしたら、
きっと泣き出すか怒り出すとか・・・そんなところ。
考え方の違いや世代がそこにはあるだろうから、
それをしようとは思わない。最期の最期まで好きにして。
思うように生きて。と言ってある。

そう・・・とうに諦めているのだ。
そうなった時の覚悟はしている。つもり。

けど、私はそうはなりたくないし、
子供たちに負担をかけたくない。
母の娘であるけど、子供たちの母でもある。

処分に困るだろうからと思い
数年前にタンスは全て捨てた。
食器棚も小さなモノに買い替えたと同時に
それに合うように食器もかなり処分した。

子供の成長の証である作品等はかなり捨てたけど、
スマホに収めて、それらを更に減らした。
写真で十分。・・・

使わない布団類、衣類も置物も何度も検討し。処分。
それでもまだまだ、やりたい事がいくつもある。
時間が出来たら・・・いえいえ時間を作って・・・

そう・・・まだま私は断捨離の途中・・・

No.7

「親である事」

友人らと、とある場所で食事をしていた時の事。
ふと声をかけられた。「〇ちゃんのお母さん!?」
「覚えてますか?元気でしたか?」と。
突然の再会で驚いたと言うのが正直な処だが。
娘が大変お世話になった〇先生。娘を育てる中で
片手の指の数に入れたいと思えたほど信頼した先生だ。
子供の目線に立てて、指導できる所に好感が持てた。
子供たちにも人気があった。

風の噂で教頭になったと聞いた。
でも今は校長になり来春をもって退職の流れだとの事。
大病もあったとの事だから、再会の喜びとは別に、
ご心身へのご自愛の言葉、励ましの言葉を添えて別れた。

先生がね・・校門の前で一人一人に朝の挨拶を交わし
出迎えている姿が脳裏に浮かぶ。

けれど・・夢にも思わなかった。
同業の方々から聞かされた時はかなり驚いた。
事務の〇さんとW不倫の末の再婚なんて。
家庭の事、夫婦の事は他人には分からないけれど、
先生程の方なら、折角の待望のご子息二人、
「自慢のお父さん」だったろうと疑う余地はなかったんだ。

No.8

>> 7
「親になる事」

私は昔、若かった頃・・
自分が自分の人生をやり直す。って決めた時・・
今度生まれ変わったら、男になりたい。男なら・・
世界中で一人か二人しかいない、自分の子どもを守るモノ。
・・とかなり本気で思った。

でもさ・・・あれから・・流れた歳月の中で・・
更に、考えが変わった。女で良かった。
女だから・・「母親」になれた事。
これで良かったと心からそう思う。

昔、誰かが?後悔するぞ?
って言ってたけど・・そんな事はなかった。
結論・・ ・「後悔はなかった!!」

No.9

「自分」

例えば、車でコンビニの駐車所から出ようとして、
一時停止をせずに車道へ出たとする。
それを見られて警察に捕まり切符を切られたとする。

大雑把だけれど・・・その後、
「運が悪かった」と運の悪さを笑いながら話す人と、
「いつもはきちんと一時停止をするのに」と悔しさを嘆く人と。
二通りの「人間」がいるのを見てきた。

自分はどちらかな・・・?
と考えた時、どう考えても後者である。
他人から見たら、「真面目」や「枠にはまる人」ととられて
つまらなく、退屈な人・・・などと見られてしまいがちだが。

人は生まれ持った性格。育った環境による性格。
それらは、それぞれ必ず違うモノ。変えられない基本性質。

自分が自分を認めてゆっくりしっかり一時停止。
自分らしく堂々と真面目を生きていいのだと思う。
そう思うと焦らない。他人とは比較のない・・・人生。
その後はかなり楽になった。

No.10

「思考・体の変化」

①段ボール・コピー用紙等で手や指先を切る事が一段と増えた。
②どうして体が痛いのか?思いつかず考え巡らせる事がある。
③ハムやカレーなどの割くように開ける商品等にイラっとする事がある。
④ペットボトルや瓶などの蓋が以前より上手に開けられない。
⑤のどがイガイガする、そんな所からよく空咳をするようになった。
⑥しゃがみこんで立ち上がる時、率直に、足が痛い!!
⑦深い眠りが・・・少しづつ減っていく。そんな気がする。
⑧買物忘れをしないようにとメモをするがそもそもそのメモを忘れて行ってしまう。
⑨何をしようとしてたのか?隣の部屋へ行ったら忘れてる・・・。
⑩声をかけられた瞬間、頭の中によけた数字、言葉、行動のその続きに戻れなくなってしまう。

・・・そこにある事実を認めよう!と頑張ったら・・・
取り上げたら・・・キリがないんだなぁ・・・。

No.11

>> 10 追加。 
そう言えば買物へ行って、車をどこに止めたかよく忘れてしまう。
つい数日前にも・・・こんな事があった。
買物袋を両手に下げ、駐車場の通りを・・・行ったり来たり。
ふと見上げると止めてあった車の運転席から20代位の若者とばっちりと目があった。

何を思ったか?
想像する事は容易いが・・・

「恥ずかしい」と言う気持ちよりも「もう2度と会う事もない赤の他人」
と思える・・・図太い神経・・・。・・・・変わったな自分と思う近頃だ。

No.12


「風の電話」

その存在はニュースか何かで見聞きしていて、
記憶の片隅にはあったんだけど・・・
海外の方の日本には「天国へ通じる電話ボックス」と言うのがある。
と言うコメントがふと流れてきて・・・思い出した。

探すと直ぐにヒットする。
「風の電話」だ・・・。

言葉では語れない・・・
一生消える事のない・・・
深い深い悲しみ・・・

もらい泣き・・・

私たちは、この地震や津波の怖さを忘れてはいけない。
・・・心からそう思った。

No.13


「運命の歯車」

(元)義母を見かけるよりも、(元)義父の訃報を知るよりも、
もう少し前に・・・息子が偶然、(元)義姉に出会った話は聞いていた。
と言うより向こうから声をかけてきたと。・・・君づけで呼ばれて
誰だかわからなくて、思わず「どちらさま?」と聞き返したそうな。

こんな狭い町だから、田舎だから、偶然何処かで出会ったり、
その後の情報が流れてきたり、あってもオカシクナイ。なのに、
まるであの頃の事が嘘だったようにただひたすらと時間が流れた。

こんなにも、長く長く月日は流れていたのに・・・。
何かしらの・・・「運命の歯車」でも動き出したのだろうか?

もしも、本当に何かしらの歯車が動き出したのだとしたら、
私は・・・私は・・・今すごく、(元)姪に会いたい。
義姉が偶然息子に出会ったように、私も偶然でいい。会いたい。
会う事が叶わないのなら、せめて姪が今どこでどうしているのか・・・

           知りたい。

No.14


「人生の教訓」


『親馬鹿』って言葉がある。
そう親は誰でも我が子が可愛い。
そうそれは皆同じ。

でもその言葉がひっくり返って、
『馬鹿親』になった時・・・
ひどく・・・気持ちが悪い。
あなたたち親子を見ていてそう思った。

もっと・・・
もっと・・・
早く気が付いていたら。

少なくとも・・・
(元)義姉さん・・・
貴女はそれらしい事を言っていたんだよね。
後になってそれに気が付いたよ。

もっと耳を傾けていたら、良かったかな?
いいえ・・・
多分・・・
あの頃の私は、あの頃の私のまま。
あの頃に戻ってみても・・・
きっと、なにも変わりはしない。

平成、令和へ・・・と走り抜けてきたから分かった。
あの人たちは・・・昭和の先駆けの・・・
自分の子どもしか見えない!

モンスターだ!!

居・た・ん・だ!  昭和にも!

No.15

「兄と妹」

息子と姪は数か月しか違わない。
まるで兄と妹のように育ち、それは仲が良かった。

まだまだ就学前の子供たち。
玉子かけご飯を食べよう!
美味しいご飯を作ろう!などなど・・・
ご飯がおやつなのか?と聞きたくなるが。

例えば、マヨネーズに鰹節にお醤油。
そのたびに、「ご飯ある?」「ご飯頂戴」
どこで覚えたのよ。その作り方。
大抵は、姪が〇〇兄ちゃんと声をかけて始まった。
楽しかった日々。笑わせてくれた何気ない風景。

そう言えば、こんな事があった。
テーブルの上に置かれた一つのパン。
確か、あんぱん。
お腹が空いたから食べてもいい?
答えはYESで、その後二人は、
やはり上手に等しく等分できる訳もなく。

どうするのか?と見ていたら、
なんの躊躇いもなく言った。
「〇〇兄ちゃんが大きいんだから大きい方を食べて!」
「〇〇が小さいんだから大きい方を食べて!!」だった。

大人のくせに・・・
ア・ン・タ・タ・チ 見習えよ!!
何度そう思った事か・・・仲が悪い二人。

自分しか見えない連中には二人の素朴な心が見えない。
人の心、見ようとしなければ見えない。


兄と妹のように思いやってる二人。
一生忘れない!・・・と思った風景だった!!

No.16


「知らないだけ」


「結婚」とか、ともかくも
「子供」とか、とりあえず
・・・横に置いて。

「親」になった以上、だよ。
「子供のためなら死ねる!」とか
もしもがあるなら、
「代わりに死んでやりたい!」とか
思う親は、五万といんだよ!!


あなたは・・・
知らないだけで!!



沢山、沢山、いんだよ!!

No.17

「免許返納の分岐点」

車で国道へ出ようと裏道を走らせていたら対向車が来た。
普通の光景だけど相手の運転手がど真ん中を走らせてくる。
えっ噓でしょう?と思ったのと同時に左側他人さまの敷地へ
瞬時にハンドルを切った。毎日通るいつもの通り道のはずが。
私が、いえいえ全く車ごと?・・見えていない。
正面真っすぐに見ていた瞬時のその顔に・・驚く。

右へ曲がりたければ右折の方向へ進路をとればいい。
直進したければ直進方向へ車を進めればいい。
ただそれだけのことなのに信号が変わってもなかなか進まない。
大きい車が前で前方がよくわからない。私は真っすぐに進みたいだけ。
やっと車が進みだしたと思った瞬間、一番前の小型車が思いっきり
右折して行った。絶句。どこぞの爺さんニタニタした横顔。
もしかして少しくらいいい。とかって思ったりしました?
もしそうだったら、いえいえそんな事ありませんから!!

国道走行中、突然横から飛び出してきて急ブレーキ。
あの~そのツバの大きい帽子、周り見えますか?
って言うかそこ一時停止ですけど。
車、ぶつかりそうだったよ。そんな風景もろともせず。

あの~もしも「自分は大丈夫」「自分だけは大丈夫」とか。
思ってたりしませんか?

全然大丈夫、じゃないですよ!!
自分より更に年上であろうご年配さんたちへ。

自分にもいつか来るだろう免許返納について、
色々を・・思う。

No.18

「道標」

「子どもを育てるには環境が悪い」
「子どもに良くない」

・・・言葉を貰って・・・
そのままこの言葉を吞み込み込んだ。
そしてただただ頷いた。

子どもと私はセットだったんだ。と、
あらためて・・・気づかされて。

心も、顔を覆うこの手も震えたあの時・・・
・・・・気づかされた事。

もしも本当に・・・
辛い時、苦しい時、悲しい時・・・
誰かの胸をそっと借りるといい。

きっと違う何かが見えるてくるから。

No.19

>> 18 「遠くへ」

こんな季節だったな・・・
抱えきれないほど心が苦しかった日。
私が息子を連れて・・・消えた日は。
ただただ、無邪気に笑う息子の笑顔が
忘れられなかった。

No.20

「時代の流れ」

昼間のお仕事ぼちぼち。
若い時ほど気負うことなく、力が抜けて割と気楽に
お仕事させて頂いてる。ありがたい事です。とは言っても、
ミスのないようにとは思ってる。そんな職場で、
「令和ももう7年で今年も半分・・・」なんて会話の流れから私が、
「そうね、もうあと約10年もしたら、令和の子供たちが成人式だ
社会人だと(この社会に)押し寄せて来るんだね。」と話しつつ、
「平成生まれの子供たちが、成人式だ、社会人だとなった時には、
驚きと言うか、割と衝撃的だったよ。」と続けると、
昭和の終わりと平成一桁生まれの二人の女子が、それぞれに
「令和の子供たちが社会人って驚きですね~楽しみ~」と目を輝かすも、
A「平成って、後輩が普通に社会人か~~って感じですかね。」
B「私は、少し上の先輩たちが社会人だ~って感じでした。」と・・・

そりゃぁそう。ww
普通に話をふってしまった自分に苦笑い。
と、同時に時代の流れと、自分の年を、
今更ながらに感じてしまった近頃の話。

No.21

>> 20
「スマホ」


プライベートな書類がある。
書かなくちゃいけない。
なのに、自分の文字が・・・

やっぱ、「字」は書かなきゃどんどん下手になる。
やっぱ、「漢字」は使わなきゃどんどん自信がなくなる。
もはや「目」は焦点が勝手に合わなくなる・・・@@

ああ~~、そうだった・・・
私のスマホはもはや・・・・辞書となりけり。

No.22

『呪縛』

あっと言う間に過ぎ去ったこの一か月。
時間が過ぎ去るのってホント早い。

『本当の娘のように思っていた』と。
あの家を出て、背を向けて歩きだして直ぐに・・・
後を追ってきた(元)夫が・・・
父さんからの言葉だと伝えてきた。

『本当の?娘のように思っていた??!!』

「だったら・・・」
「なにが・・・」
「なのに・・・」
「それが・・・」

ただただ、無言で、言葉も返さず。
反射的に、思い浮かんだその言葉の返しを
・・・呑み込んだ。

そして、ここへはもう二度と訪れる事はない。
という強い思いと。
「自由」「解放」とも思えるほどの喜びもこみ上げて。
やっと終わった・・・という安堵感。

何一つ振り返ることなく、
あの場所をあとにした。

そして、あの言葉が20年と言う歳月を経て、
再び私の心に蘇り、振り払っても振り払っても、
追いかけて来る。

思い出すこともなにもなかったのに。
それはまるで呪縛のように。

No.23

「40年・・・」

あの日の記憶の貴女は誰?
もう思い出せなくて・・・

あの日あの時、私の職場の前で
私の車のキーを貴女に貸した。

「子どもを置いて出て行け」そう言われ続け・・
「子供の事は諦めた」
「悩んで悩んで、考えて考えて決めた」
「私の荷物なんて少しだから」
泣いてるだろう貴女の心だけは、
嫌ってほど伝わって・・・
引っ越し先を聞いた気はするんだ。
でも思い出せない。

午後間もなく呼び出しはあって
鍵は間違いなく私の手元に戻ってきたんだけど。

貴女と私はどこで出会って、
どんな風に繋がっていた?
そこがあまり記憶になくて。

あのね・・・
気が付いたらね・・・
いつしか同じ境遇・・・だったよ。
でもね・・
背中を押してくれた友人がいたんだ。
息子を連れて家を出る。と言う選択肢。
そんな事が当たり前じゃなかったよね。
あの頃・・・きっと。

あのね・・・
それでもね・・・
私はやったよ。
勝ち負けじゃないだろうけど、
気持ちは、勝利者。

私の方は・・・その後、
子供達の笑顔が私を支えてくれた。
子供達は元気に暮らしている。

あの時・・・
同じように言ってあげられたら、
貴女の人生は・・・何か変わったかな?
・・・思い出すたびにチクリと胸が痛むよ。

そんな遠くない所で、
暮らしているんだろう、
貴女の幸せを心から願わずにはいられない。
40年前の私の記憶・・・

No.24

「結婚・子供」

1番最初の旦那は明るくて正直者。
ずけずけモノを言って相手を困らせたりする所もあったけど
何より家庭的で娘をとても可愛がり大切にしていた。

2番目の旦那は体格が良くって力持ち。力仕事は何でも
こなして頼もしい印象。でも酒癖はあまりよくない。
何より嫉妬深い所があり正直あまり好きではなかった。
でも娘二人を大事にしていたかな。

3番目の旦那は成績優秀、確か有名大学卒業。
見た目からして賢い人。数回お見かけした程度だけど。
いつも娘を抱き上げてた印象。

4番目の旦那は一番癖がないと言うかごく普通の人と
いう感じ。礼儀正しい印象はあった。
待望の男の子が生まれたらしいが見たことない。
その後、もう一人娘がいたんだった?記憶がない。

5番目の男はもう、結婚したのかただの恋人繋がりなのか
それさえ、全く知らない。

なんせ・・
もう20年以上前の事でその辺りで縁が切れてるから。

その後、あなたはどうしたの?
貴女にとって『結婚』ってなあに?
貴女にとって『子供』ってどんな存在?

あの時も(元)夫が言ってたよね。
ぼろぼろ子供ばっか作りやがって!って
それに意義はなかったんで口は挟まなかった。
あっ、元々私に権限なんて無いからそれでいいんだ(苦笑)

あの子供達、みんなどうしているんだろう。
(元)姪・・・どうしているんだろうな・・
     元気でいてね。

No.25

>> 24
『考え方の違い』


考え方は、生き方に反映される。
考えが違えば当たり前だけど、生き方が番う。
人それぞれだけど、やはり苦手な人はいる。

そういう人とはできる限り、距離をとるのが良い。
年をとったらゆっくり人間関係を眺めるといい。

No.26

『家庭菜園』

小さいけれど自分の家庭菜園がある。
季節ごとのお花も少しあって。
天気を見ながらどうにかお花や野菜たちの水やりを終えた。
隣の芝生より自分の芝生。自分の花壇に懸命になろう。
ただただコツコツコツコツと・・・。
そんな時間がただただ癒される。

続ければ続けるほど待ち遠しくなる。
昨年の写真と比較してみたり。
この手の経験値はまだまだ低いけれど・・・
楽しみは一つでも多い方が
生きる張り合いは生まれる。

私の幸せは一瞬一瞬の積み重ねだ。
と改めて気づかされる。

No.27

『お手本』

私の母の父(祖父)の晩年はアルツハイマーだったと聞いた。
叔父さんは昨年胃癌の手術をした。伯母さんは数年前に
乳がんの治療を続け、やっとどうにか一段落との事。
私の母と言えば、腰の手術をし2年の経過を経てつい最近、やっと
終了のお言葉を頂き安堵したばかりだ。まぁ膝の調子も悪いのだけど。
そうは言ってもベッドから起きれずにいた切ない状態は回避できた。

そりゃあね、病気もなくボケもなく足腰丈夫と言う好条件の上で
ギリギリまで好きな事して誰にも迷惑かけずにぽっくり・・・
逝けたら、それは良いよね~~~。とは思う。
願望と現実は異なる。って分かっているから、
そん人が頑張った軌跡をついつい心が追うんだ。

勉強になる事、沢山ある。考えさせられる。

将来・・・どうなるかなんて誰にも分らない。

No.28

>> 27 『生き様』

そんな伯母さんは今、80代半ばの伯母さんは、
病み上がりの伯母さんは、一人暮らしの伯母さんは・・・

今、カーブスで走ってるって!!ww
いえいえ、多分私の聞き間違いで、歩いてる!!
・・・って言ってたんだと思う。@@

そのガッツと前向きな姿勢と・・・すごい。
懸命なお気持ちと・・・ほんと、それって最高に


カッコイイ い・き・ざ・ま で・・・
頭、下がります。良きお手本です。ありがとう。

No.29

>> 28 『エンディングノート』

母には少し年の離れた妹、私にとっては叔母さん
がいた。10年位前に、亡くなったんだけど。
背もたれのあるソファに深く座って・・・
もたれて眠るように逝った・・・らしい。

多分一番好きな叔母さん。
よく、こちらへ遊びに来ていた。
最後の電話で話した内容も覚えている。

その後の流れで、『エンディングノート』の
必要性についても考えさせられた。
叔母さん、まだ若かったし突然で。
あってもいいじゃないかと思った。

死ぬ順番が生まれた順番なら誰も、
悲しんだり悩んだりしない。
現実は当たり前だけど、
そうじゃないからね。

No.30

『苦手意識』

(元)旦那の友人のA。結婚後それなりに月日が経ったある日、
買い物帰りに何かしらの用事があるとAの家の前で車を止めた。
車から降りて、ふと庭を見ると、『お母さん』らしき女性が庭で
花の手入れをしていた。そこへAが現れ、周りをはばかる事なく、
怒鳴り散らしていた。私ったら、えっ?みたいな気分。
毎回の食事でさえ2階の部屋へお母さんが運んでいるのだと、
帰りの車内で聞かされ、かなり見る目が変わった。
お父さんがワンマンな人なのだろうかとも、ふと思った。

それから間もなくの事、そのAとそのお姉さんとの二人を足して、
4人で街へご飯を食べに行った時の事、道ですれ違った相手に
Aが見た事も無いほど、ぺこぺこ状態で挨拶していました。
Aの会社の上司だったらしい。ただ・・・気持ちの上で・・・
相手が変われば態度も変わる。ころころ一転できる人。と

上司にぺこぺこ状態なだけなら、不信感はなかったでしょう。
自分の母親に対しての接し方をあんな風にみてしまった。
その記憶が消える事が無かったのです。

話し方、接し方、笑い方、はしゃぎ方、
ああ似た人がいる。あの頃のAのよう・・・
それで私は今この人が苦手だったんだと改めて気づく。

人は、好きな人、好きなタイプには好感を抱くが、
逆に、苦手な人、苦手なタイプには違和感を抱きます。

どうしようもなく。

No.31

『気持ち』

結婚すればいいのに。
結婚して子供つくって、幼稚園、小学校
運動会なんかで、大活躍のカッコイイお父さん。
やれただろうに。ってよく思ってた。
彼はその選択はしなかったけど。


泣くな!!
よく頑張ったよ!!
お疲れさん!!
その気持ちを尊重するよ!!


これからもあなたを応援する!!





うちの・・・息子がさ!!@@

No.32

「手紙」

昔、女性向け男性向け関係なく、週刊誌、月刊誌などなど、
至る所で「文通募集」のコーナーがあった。氏名や年齢は勿論、
住所がしっかり記載され、相手を募った文通コーナー。
今の時代じゃ絶対に考えられない、昭和の時代のお手紙交換。

No.33

>> 32 「文通」

私にはわりと長く続いた文通相手がいた。
一つ二つ年上の同性で、共通の話題があって
それはとても楽しく、お付き合いさせて貰った。
玄関の郵便受けを見るたびに胸がキュンとする
ようななんとも新鮮なわくわく感があった。

そんなお付き合いも、いつしか簡単な挨拶程度の年賀状、
又は、時々の暑中見舞いのハガキになっていった。
今年の年賀状は、出せずじまいに・・・ごめんなさい。

本当に・・・この関係が途切れる事無く続いてきたのは、
紛れもなく貴女のおかげだと思ってる。

元気にしてますか?
聞いてみたい事があります。
あの頃、私はどんな印象でした?
私は貴女の事を何と呼んでいたんだっけ?
主にどんな話が多かった?
覚えている事はいくつかあるけれど、きっと
その覚えてる事って、私とは異なるんだろうな。
記憶の積み重ねって、個々で違うものだから。

あの頃のような情熱はもう無いけれど、
語れば、若かったあの頃とは違う話で、
花が咲くモノなのでしょうかね。きっと。

年を取りましたね。なんだかね、早いね。
40年と言う歳月に色々を思うよ。

No.34

『最後のお願い』

私があの結婚生活の、最後の最後にお願いした事は、
この苗字をそのまま使わせて頂くと言う事。
頭を下げてお願いした・・・。
親の勝手の離婚に、せめてもの気持ち・・・。
なんてカッコイイものじゃーなかったけど。

『後悔しないのか?』と問われて『しない』と、
きっぱり即答した。そんな先の事は分からない。
そんな先の未来なんて、誰にも分かる訳がない。

そしてあの時抱え妙ーなプレッシャー。

20年以上の歳月を経て・・・思う。



苗字なんか・・・
名無し・・・
でなければ、なんでもいいわ!!って感じ。以上

No.35

>> 34 『親戚と言う名のご近所さん』

ここへ越して間もなくの事、
庭の草むしりをしていたら、ふと声をかけられ、
尋ねられた事がある。この苗字を・・・。
同じ町内に住む〇さん、同じようにしゃがみ込みながら。

聞き覚えのあるお名前。そして、
ああそうだ、元義父の実の妹さんだと思い出す。
〇さんは、まるで何もかもを見透かすように、
納得されたように、話し続けた。

義姉さんも義姉さんだけど。兄さんも兄さんなんだと。
義姉さんのいいなりになって・・・。
親戚一同、みんなで指導したし教育し続けた。と
でも、及ばなかった事。一瞬、至らぬ嫁だったと
お叱りでも頂戴するのかと思いきや、
思いもよらぬ発言が飛び出しあの時はホントに面食らった。
それに、私にも言いたい事はあるけれど言えない事を
伝えると、それでいい。と言ってくださり、
自分の事だけ考えて頑張りなさい。と背中を押してくださった事。

あの時、包み込んでくださったようで嬉しかった。
あの日のあの時のやり取りが、貴女のお言葉がその後の私の人生の
支えの一つになった事、ずっーと忘れた事はありませんでした。

どんな言葉が支えになるかなんて、誰にも分らない。
さほど、貴女は気にも留めてなどいなかった事でしょうが。

No.36

>> 35 追加

のちに、貴女は自ら車も処分されさっさと施設へと行かれましたけど。
あの頃、『ありがとう』も『さよなら』もそして『お元気で』も、
・・・何一つ上手にできなかった。恥ずかしい限りです。
庭の草むしりをしていると、時々あの日の光景が浮かんできます。

ああ、伝え忘れましたがあの日あの後、
私の畑に植えってった少々の玉ねぎと長ネギ、
その後・・・無事に収穫しました。
ありがとうございました。お心とてもとても感謝しています。

No.37

『つぶやき1』

若い頃は、疲れたら疲れた分ぐっすり熟睡できた。
今は、疲れ過ぎると眠れない。体がイタイ。WW

『つぶやき2』

若い頃は、腰を曲げると指先が床に着いた。
掌全体が付いた時期もあったはず・・・。
そこにある事実を認めると今現在私は体がカタイ。@@
これってもっと先の将来で、怪我をしやすいって事だ。
・・・色々ある中の一つの不安要素・・・。

No.38

『人の命の重さを考えた日』

日曜日、ここで日記を綴った後直ぐに、パソコンの
電源を落とし、二つ目の職場へと車を走らせた。朝イチで。
そして、土曜の夜の話の続きと香典を届けるためにだ。

昼間とは違う職場、私の中では、
昼の方の仕事か、夜の方の仕事かと括っている。

大差ない年配組の4人の内の1人。今は一人暮らし。
あの日、長期休暇に入ったよと連絡事項が回ってきた。
その一週間後には弟さんがいらして、退職の意向と
現在の状態が伝えられたらしい。私の耳にも届いた。
もって、あと一週間だと・・そして約一週間後に
逝ってしまった。本当に逝ってしまったんだ。
あっと言う間の2週間だった・・。

確かに誰が見ても、もう復帰はないだろうし、
望みもないだろうと・・悟ってはいた。だけど、
そこに至るまでに手をこまねていて見ていた訳じゃない。
仲が良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか関係なく、
本当に、人として大人として、『生』に対して、
力の限りの説得を試みたと言っても過言じゃない。
Bさんに胸のしこりの話を打ち明けた言うあの日から・・

断固として、心を開いてはくれなかった・・。
結果として、ぎりぎりまで仕事をして、尋常じゃないほど
変わり果てていくその姿を見届ける形、となってしまった。
私たちの声が届かなかった・・・

こんな事ってあるんだなと。
受け入れるしかないそこにある事実。シンドイ。

No.39

>> 38 もしもあの時、彼女が病院で適切な治療を行っていたなら、
おそらくはステージ1,2の治療はほぼ生存率100%か
それに近い確率だったと思う。
一緒に働く5回目の夏もきっと傍にいただろうね。
まだまだ、ふらっと姿を見せそうで何とも言えない喪失感。

それに、確かに貴女の命は貴女のモノだけど、
貴女の死に対して、涙するモノの存在が必ずと言う程
あるのだから、生にたいしてもう少し向き合って欲しかった。
あの日の朝、A,Bさんと私の3人の話が大方一致した所で、
彼女が自分の意志で死を選んだんだろうな。と

そうでもしないと、自分たちもヤ・リ・キ・レ・ナ・イ。
そう結論付けて職場を後にした。

No.40

>> 39 『終活』

ある日、あなたは私に「TVいらない?私もう見ないから」と
言ってきた。「えっ?見ればいいでしょ?」と笑って答えるも、
続けて「結構新しいの」と押すように言う。更に続けて、
「アンテナもぶっ飛んで壊れちゃって」「直す気ないし」
と言うような事も続けざまに言ってきた。
私も丁度取り替えて数が月しかたたない事を伝えて断ったんだけど。
あの話って、Bさんから胸の話を聞く少し前かもうちょっい前か・・・
どうだったか、けどその前だったのは確かなんだ。
そんな話をA、Bさんに聞いてもらったら・・・
A「終活?」
B「終活?」
私「だったのかなぁ?」・・と思えてならない。

いつだったか、冗談言わないでと返したけど、
あの時、うつむき加減で「私、シ・ヌ・ン・ダ」と
言ったあの時の顔が頭から離れなかったんだよ。
本当に死んじゃうなんてね春先は思いもしなかったしね。

死に急いだのには・・・
何かしらの貴女だけの訳があったのかな。今では、
わからない事だらけだけど、私なりに消化しよう
と思う。そしてそんな人がいた と覚えておくよ。
もう少しもう少し時間はかかると思うけど。

No.41

『気分転換』

〇さん・・・
週末の夜はカラオケに行ってくる、と。
おそらく仲の良いご主人と年頃の娘さんと。
で、お酒はガンガンいけそうだww
ご主人がついているから、問題はないでしょう。
声量があるのと、歌が上手との噂もあったり、
カラオケは好きそうだ。少しはストレス発散できるといいね。
発散できる何かがあるって、割と大事な事だと思う。

私と言えば週末、娘と入浴施設か温泉か・・・
ドライブ気分で出かけようと思っている。
近場の銭湯とかどんどんなくなっていく、
仕方ないけれど少し寂しい何処か寂しい・・・。

No.42

『マリーゴールド』

今年買って植え付けたマリーゴールドの花を枯らせてしまった。
枯らせたことなど1度もなかったのに。水やりが多すぎた?
植え付けの仕方が悪かった・・・?
など、反省と次は綺麗に咲かせてと願いを込めて、
新たに購入したマリーゴールドの花を植え付けた。

そして、付けっぱなしのTV画面のyou tubeの、
向こうから『マリーゴールド』と言う曲が流れてきた。
しっとりと包み込まれるような心地よいメロディ。
それでいて歌詞もなかなか。素朴ないい歌詞だね。
心が表れるような・・・今まで・・・
知らなて、ちょっと損した気分の『マリーゴールド』。
きっと良い曲に昭和とか平成とか令和とか・・・
関係ないのかもしれないね。

No.43

『心が決める』

幸か不幸かは私が決める。
そう思って生きてきた。

そんな私の人生の途中・・・
何気に手に取った書物の・・・

しあわせはいつもじぶんのこころがきめる

ってその通りだよ。オッサン!!
と思った日。

拝啓あいだみつをさま。
もっともっと、早くに出会いたかったなぁ。
ともかくも、ありがとうです。

No.44

『一杯のお茶漬け』

想像すらしていなかった優しい言葉。
ご飯、食べたのか?・・・その問いかけに、
声も出せずに首を横に振った・・・

出された一杯のお茶漬けで・・・
声をあげて泣いて、
咽るほど泣いて、
泣いても泣いても涙が込み上げて、

泣くのか食べるのか・・・
泣きたいのか食べたいのか・・・
もはやそこに思う意思などなにもなく、
恥も外聞もなく人前で泣いた。

そして・・・涙が枯れるころ、
驚くほど・・勇気が湧いてきて、
ああ、人って強くなれるのだと、悟ったあの日。

No.45

>> 44 『心の声』

夏には、暑い、暑い・・・と言い、
冬には、寒い、寒い・・・と言う。

心の声がつい・・・漏れる。
ここの所つい・・・漏れる。

No.46

『溺愛されて育った娘』

出先でふと、思い出した事がある。
ふらっと、脳裏に降りてきた感じ。
なんで忘れていたんだろう?とさえ思う。

(元)夫と交際していたあの頃、(元)義姉はその職場で、
上司であり妻子ある男性と付き合っていた。
私たちの結婚目前・・・の頃には、けじめた。
と聞いていたが、結婚して間もなくの頃、
車の免許もなにもない姉を乗せて、その人の元へ
車を走らせたとわかって、ドン引きした記憶がった。
夫も共犯である。その事実に重き意味を持たない姉と弟。
決して仲が良いわけではないあの人たちの、
似たり寄ったりの性格.

そして、思えばあの頃からも姉は、自己中だった。
親に溺愛されて育った。と言う事を誰よりも知ってる。
自分の気持ちが一番。自分が大事。当然と言えば当然。
親に叱られる。と言う行為をされた事がないんだから。
『うちの子にケチつけるな』と言う親なの。
それが彼女の口癖だった。
そういった経緯が彼女をそういう人間にしたんだろうな。
勿論、それが全てではないんだろうけど。

私の中の反面教師。
ここぞって時には叱る。叱れる親になろう。
そんな風に思った・・・。

No.47

『反面教師』

『俺は将来結婚するかどうかはわからないけど・・・』
『俺は父さんみたいな人間にはならない。父さんみたいな生き方はしない。』
ときっぱり言ったあの日のあなたはまだまだあどけない少年だった。
核心に迫られたんだろう(元)夫は少し動揺し、何かしらを言い返す。も、
そんな言葉も私にはなんの興味もなく・・・スルー。
『今言った言葉を覚えて置くといいよ。』『胸に奥にしまっておきなさい』
って言うような言葉を添えたと思う・・・。
そんな言葉を覚えていた、とは言い難いけど

今いる、息子の現在は父親とは全く正反対の性格である。
性格が違えば思考が変わる。思考が変われば行動も変わる。
行動が変われば、自ずと結果が変わる。
息子がどんな思考の経緯を経て、今へ辿り着いたのかなんて
本人にしかわからないけれど。
あの時の言葉を覚えていた、とは思えないけれど。


何かしらの『反面教師』はあったのだろうな。
それは、必要な事だったのだ察している。

No.48

>> 47 『変われない人』

きっと大概の親は大抵の大人は、あんな風に言われたら、
一瞬でもそこに留まって色々を考え消化するのだろう。
けど、そんな習慣のない、その必要を迫られた事がない
人間ってそれが出来ない
なんでも許されてきたから。
人の言葉を拾えない。
だから言葉を嚙み砕く力もなく

なんとも残念なことだ。

No.49

『忘れたふり』

私はただただ目の前の話す相手に耳を傾けていた。
そうする事しか当時の私には出来なかったんだと思う。
まだ自分が20代半ば頃で、話す相手は40代前半位だったか。

『まだ10代半ばだった一人息子を亡くしたんだ』
『病気で・・・あっという間で・・・』
『お父さんはものすごく気落ちして何にも手につかない位
落ち込んで・・・』『あの時もっとああしてあげればこうして
あげればって。』『それは幼少期にまで遡って、もっと時間を作って
あげれば、話を聞いてあげれば、もっと愛してあげればと。』

ここで言うお父さんとはご主人の事である。

『そりゃあ私だって悲しいし辛いよ。
だって自分のお腹を痛めて産んだ子供だもの・・・』
『お父さんと出会った時にああこの人なんだと思ったんだ。』
『だからお父さんを支えなきゃって』
この後の話はもう、何にも覚えていない。
圧倒するような口調だった。心にも響いた。
決していい加減な気持ちで聞ける話じゃなかったし。

明るい人。でも人は見かけによらない。
人の話は聞いてみないと分からない。
『一生忘れる事のない心の痛み、苦しみ、悲しみ』を
胸の奥にぐっと押しやって生きている人たちが沢山居る。

決して・・・忘れたんじゃない。
『忘れたふり』ができる生き物なんだと知る。

No.50

>> 49 追加

そんな〇さんと先日、温泉施設で再会した。
久しぶりの再会。この方とは忘れた頃に出会う。
確か、温泉が好きだったんだよね・・・だからかな。
聞くところによるとご主人は数年前に亡くなられたらしい。
『寂しいですね?』と問うと『最初はね・・・』と。
色々話したのだが、最後は『お体にお気をつけて』とお別れした。

あのお顔は誇らしげな満足感のある・・・笑み。
そりゃあそうですよね。添い遂げたんだもの。
大好きなご主人と。

ご主人と息子さん、
向こうの世界で再会出来てるといいですね。
なんて事をふと思いながら、その場を後にした。

そして私も・・・
そんな街の・・・
人ごみの中の風景に、
溶け込んで生きたい。と思ったりした。
一人の人間として。

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